2008年1月28日

隠居、友人のPCを LogMeIn でリモート操作する


 最近、友人のブログを私のサイトで立ち上げたことで、友人のパソコン操作についてヘルプする機会が増えている。65を過ぎた私たちの世代では珍しく、私は仕事柄もあって早くからPCを触れてきたので、同世代の友人に多少お役に立つこともある。

 メールでは、ヘルプする内容を表現することは難しい。お互いにパソコン画面を見ながらの電話ヘルプの方が少しましであるが、隔靴掻痒の感がある。それで、電車で1時間半くらいかけて訪問ヘルプをすることもあったが、そんなことは滅多にできない。

 それで前から話は聞いていたパソコンのリモート操作ソフトをネット・サーチしてみた。いろいろとヒットするが、その中でフリーのLogMeIn Freeというソフトを試しに導入してみた。同じ画面を見ながらヘルプするという所期の目的には有用だったので、インストール方法について備忘録的に書き留めておきたい。

  1. まず、自分のPCにLogMeIn Freeを画面の指示に従って、次のページからダウンロードする。
         LogMeIn Free

    ダウンロード初期画面


  2. ダウンロードするときに、登録するメールアドレスとパスワードを設定する画面があらわれる。
    アカウント登録画面


  3. この登録アカウントを確認するメールがとどくので、クリックしてアカウントをアクティブにする。

  4. インストールについては、「LogMeIn リモートツール」に詳しいので、そちらを参考にしてください。英語の画面で説明されているが、現時点では日本語になっている。

  5. LogMeIn Free を友人のパソコンにも、(携帯電話で会話でもしながら)画面の指示に従ってインストールしてもらう。(このときに、登録したメールアドレスとアクセスコードが、後ほど必要である。) これでリモート・アクセスする準備ができる。

  6. 「スタート」→「すべてのプログラム」から LogMeIn を立ち上げ、LogMeIn が有効であることを確認する。無効という画面が出る場合、有効にする。

  7. アクセス先(友人)のパソコンの電源を上げ、 Windows 画面にしてもらう。ユーザが何人かで使っている場合は、LogMeIn をインストールしたユーザの画面にし、接続の有効を確かめてもらう必要があるようだ。

  8. LogMeIn サイトに接続する。開いた画面の右上に、Login ボックスがあるので、ここにアクセス先(友人)の登録したメールアドレスとパスワードを入力し、ログインする。

  9. ログイン後マイコンピュータを選択し、標準表示にするとアクセス先(友人)のコンピュータ名が表示されるので、これをクリックする。

  10. すると、コンピュータアクセスコードを要求するポップアップ画面がでる。

  11. 聞いておいたアクセス先のアクセス・コードを入力しログインすると、アクセス先コンピューターに接続ができたという画面が表示される。

  12. 左のメニューからリモート制御をクリックするとアクセス先のPC画面が表示される。表示された画面上で、アクセス先のパソコンをリモートで操作できる。
     なお、理由がよく分からないが、デスクトップ背景画面は表示されない。


 これで、友人がやり方が分からないと言っていたポータブル・デバイスへのファイル・コピーについては、こちら側から簡単に操作することができた。
 友人の話では、自分が何もしていないのに、画面がくるくる変わるのを見ているのは気味が悪いそうだが、上手くいって喜んでいた。

 LogMeIn には、もっと機能が多い pro 版がある。これだと、こちら側のPCから、あちら側のPCへのホルダーのコピーなどが drag&paste できる機能があったりして便利だ。ただし、年間使用料が $69.95 と高い。
 家庭内LAN に繋がっている他のPCにお試し版をインストールして(メールアドレスとパスワードは、変えた)使っているが、なかなか便利である。

2008年1月23日

隠居、ネット時代の「知的生産の技術」を考える③読書

 ネット時代の「知的生産の技術」を考える②では、ネット時代における発見の記録について考えてみた。今回は、ネット時代の読書について考えてみたい。

 読書は、このネット時代になっても、デジタル書籍みたいなものがあるものの、依然として重要な知識獲得手段である。梅棹さんは「知的生産の技術」の6章読書の中で、本の内容の正確な理解には、はじめから終わりまで読むことが必要であると説いており、そのようにして読書した本は、「よんだ」といい、一部分だけよんだ場合には、「みた」ということにしておられるらしい。「よんだ」本の記録には、京大型カードを使って、読書カードをつくっておられる。

 梅棹さんはまた、「読書においてだいじなのは、著書の思想を正確に理解するとともに、それによって自分の思想を開発し、育成することなのだ」、と説かれ、そこで誘発されたことがらは、発見の記録として、京大型カードに残されるのである。誘発されることがらのレベルは雲泥の差ではあるが、私は「よんだ」本から得られた情報はブログにエントリーするようにしている。
 Amazon のアフリエートを利用してエントリーにリンクしておけば、出版社や価格などの情報まで付加された読書カードとなる。ブログはもともと日付順(投稿の何時何分までも)になっていたり、カテゴリーといった分類があったり、タグとよばれるキーワードを付ける機能があるから、記録しては理想的である。

 隠居生活に入ってから、「みた」本は多いが「よんだ」本は少なくなってしまった。少ないが、「よんだ」本の、例えば、マイク・モラスキーというミネソタ大学の教授が書いた「戦後日本のジャズ文化」という本を「よんだ」記録は、2006年12月2日のエントリーにあるとおりである。

 このような「知的生産の技術」のまねごとができるようになったのは、ブログでいろいろなことを記録しはじめてからである。私にとっては、ブログこそがそのような世界を開いてくれたのである。

 消費的読書(読書を楽しむだけ)は、たいてい本屋の店先にならんでいるのを見て衝動的に求める場合が多いが、生産的読書(知的生産のための読書)のための書籍は、このネット時代には Amazon のようなネットショップで検索するのが普通になってきた。Amazon へ検索にいく前に、Google などで得たい情報をサーチすることは、大抵の方がしていると思う。インターネットという巨大な百科事典は、ほんの数年前まではなかったのである。

 ただ、購入したいが、もう絶版になっている本もある。たとえば、「知的生産の技術」に出てくる「神々の復活」という本は絶版になっている。図書館の放出本がでたこともあったようだが、今は「復刊ドットコム」というサイトで復刊希望者の投票が集められている。(注:英語版なら、英国でペーパーバックで売られている。"The Forerunner. a Romance of Leonardo Da Vinci : Dmitri Merejkowski ;")
 Google では 「ブック図書館プロジェクト」を立ち上げている。これが実用に供されれば、図書館まで探しに行かなくても、抜粋ぐらい手に入る世界はそんなに遠くないかもしれない。

 このように、なんでもデジタル化してしまえば、保管も整理も検索も楽なのであるが、問題はうっかりすると蓄積した情報が全てなくなってしまうことである。このことについては、坂村健教授が、1月20日付の毎日新聞朝刊2面の「時代の嵐」というコラムに以下のように書いておられる。(梅棹さんは、自分で書くものには、できるだけ引用が少ない方が良いと説かれているのであるが。この記事は、前回に書いたように、スキャナーとOCRソフトで新聞記事をテキスト・デジタル化したものである。)
 デジタル化した記録は、しっかりとバックアップをとっておくことが、このネット時代には重要である。記憶デバイス・メディアの価格は恐ろしく安くなっている。クラッシック音楽LP100枚分をデジタル化し、MP3という音楽ファイルにして、iPod Classic 80GB(そのうちの20GBに) にいれて持ち歩いている友人がいる。2重3重にデータを持っていたって、たいしたことはないのである。

 
時代の風 デジタルデータよ永遠に 千の風になって
                                                     坂村健 東京大学教授

 家の古い8㍉ビデオカメラに、テープが入ったままずっと取り出せなくなっていた。
最近、メーカーに持っていきなんとか取り出してもらったが、故障については直そうにももう部品がないという。

 昔だったら子供の成長の記録を残すため、たいていの人はフィルムのカメラで写冥を撮っていた。 ところがふと気がつくと時代はデジタルカメラ。
 撮った瞬間に液晶画面で確認できるし、最新のものはそのままデータを無線LANでインターネットに送り、投稿サイトに公開できる機能まで持っているらしい。
 しかし、ふと気がつくと私の8㍉ビデオのように、以前子供を一生懸命撮った方式のカメラは世の中から姿を消している。

 そして規格が廃れると、再生機も売られなくなり、故障しても修理できなくなりという具合で、せっかく撮ったものが見られなくなってしまう。
 そこで重要なのは、記録のデジタル化だ。音声でも写真でも動画でもまずデジタル化することをお勧めする。デジタル化してしまえば、デジタルデータが保存できる媒体になら何にでも記録できる。デジタルデータが送れるネットワークなら何を通しても送れる。
 さらにデジタルデータはいくらコピーしても劣化しない。またその方式はコンピューターのプログラムで決まる。だからパソコンで再生できない規格のデータがあっても、ネットからそれを処理できるプログラムを取ってくればすぐ再生できたりする。

 これほど便利なデジタル化だが、データが壊れたときの「取り返しようのなさ」は最悪だ。アナログビデオならノイズがあっても画面が汚くなるだけで、何が映っているかぐらいはわかる。それに対して、デジタルの場合、ワンセグのテレビを見ていればわかるように、電波の受信状況があるレベルを下回ると急に画面が止まってしまう。

 デジタル記録といえども結局はDVDやハードディスクのように物理的な物質の上に記録されている。当然劣化するし、小さな媒体にたくさんの情報を入れている素材ほど、情報はほんの小さな違い―ミクロン単位の穴があるかないかとか、磁気の向きがどっちかどかぎで書き込まれているから、それはちょっとしたことで失われる。

 CDをはじめとするデジタルメディアは歴史も浅く、本当のところどれくらいの寿命があるかもわからない。CDよりDVDの方が弱いし、メディアの品質が悪ければあっという間に読めなくなるとも言われている。パソコンのハードディスクも永遠ではない。データを入れたままにしておくとある日突然恐ろしい音とともに壊れて、データがまったく取り出せなくなる。

 これをなんとかならないかと思う人は多いだろう。そこで、注目すべきは、デジタルデータがコピーしても品質が落ちないということだ。CDにしろDVDにしろハードディスクにしろ、定期的に新しいものにコピーしていけばいい。技術進歩により記憶容量の単価はどんどん安くなっている。常により広い家に引っ越せるようなもので、荷物を捨てる必要は無い。

 しかし、この方法の問題は定期的に手間と出費がかかること。ついついコピーを先延ばしにしていると、いつのまにかデータが失われてしまっていたりする。

 そこで、インターネットの時代、自分が記録したものをすべてインターネットのサイトにアップしてしまえばいいというアイデアが出てくる。そのサイトが存続してくれる限り、コピーを繰り返してデータを守るための手間は相手がやってくれる。しかもインターネットがあればどこからでも見られる。

 サイトと契約しなくても、最近流行の写真や動画投稿サイトを利用する手もある。他人に見られる可能性はあるが、本人が思っているほど他人のプライベートビデオは面白いものではない。問題になったファイル交換ソフトのウィニーなども「違法ファイルが消せないのが問題」というなら、いっそのこと保存したいファイルをウィニーに放流し、必要になったら呼び寄せるという利用法もある。他人に読まれたくないなら暗号化すればいい。
 逆に、自分を覚えていてほしいと強く願う孤独な人が死の直前に自作の詩集(やらなにやら)をウィニーに放流する、というせつない話もそのうち出てくるだろう。

 極端な話、インターネット開闢(かいびゃく)以来のサイトのデータをすべてコピーして蓄積していると噂されているNSA(米国国家安全保障局)に人類の文化の記録係の役割を担ってもらおうか。

 ワープロなどが広まり「オフィスのペーパレス化」などと言われた頃、紙の記録が電子化されてしまうので、下手すると電子時代の文明は後世から見たら何も文献が残っていないかもしれないと論じられた。私もつい最近まで、それが正しいと思っていた。しかし、デジタル時代の常識はどんどん変わる。巨大なネットワークの中に、人類のデータが増殖しながらさ千の風になって永遠に流れ続ける。はっきりいって残ってほしくないデータまで......そういう時代の入り口にわたしたちは来ているのである。
 

2008年1月21日

2008年大寒

クリックすると大きな写真になります  さすがに大寒である。昨晩遅くから降り始めた雨は、明け方には雪になり、ご近所の屋根や垣根はうっすらと雪化粧になった。

 花のない庭にも少し趣がでたが、10時過ぎにはとけてしまった。

 確か、泉北に雪が積もったのは、2005年の元旦と思うが、記録がないので定かではない。やっぱり温暖化現象なのでしょうか。

2008年1月19日

早くも春の兆しが。

クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります お隣の紅梅が、早くも咲き出した。我が家の白梅も蕾が大きくなってきて、もうすぐ咲きそうだ。

 昨年のブログをみると、1月19日に開花した白梅の写真があるので、同じくらいなのかもしれない。

 一昨日、私より少し若い近所の方が、胃ガンがもとで亡くなった。
 季節の移ろいは、生きてまだ元気でいることの幸せを感じさせてくれる。合掌!

2008年1月16日

隠居、ネット時代の「知的生産の技術」を考える②:発見の記録

 このエントリーは、私の同年代ではパソコン恐怖症で、いまだに昔の情報整理にこだわっておられる方も多いので、死ぬ前に、革命が起こっているネット時代を覗いてみたらという気持ちで書いている。パソコンを使いこなしておられる方には、別に新しい話でもないので、どうぞ退室していただきたいと思う。

 このエントリーは、ネット時代の「知的生産の技術」を考える①」の続きである。なんとなく、しょうもないことを始めたといささか後悔をし始めているが、自分自身の記録と思って、オブリゲーションなしに続けることにする。

 梅棹忠夫の「知的生産の技術」の前半では、
  1. 発見の手帳
  2. ノートからカードへ
  3. カードとその使い方
  4. きりぬきと規格化
  5. 整理と事務
と手帳、ノート、カード、ファイルなど、知的生産における装置(ツールという表現をした方がいいのかもしれないが)を取り上げている。

  新しい情報の生産を知的生産というのなら、そのための素材がなければならない。その素材は、「あらゆる現象に対する、あくことなき好奇心、知識欲、包容力」で発見したことがらである。それらを素早く記録するためのツールとして、京大型カードにたどりついたとある。手帳→ノート→カードの進展型で京大型カードとなった。

 私も長続きはしなかったが、京大型カードを使った記憶がある。私が勤めていた会社の研究所でも、これに似たカードが採用されていた。それは、化合物のデーター・ベースみたいなもので、カード1枚1枚に亀の甲が特殊なタイプライター・ヘッドを使って、プロのタイピストが打ったものである。偉大なる労力を使っていたのだ。今でも、この分野は特殊なソフトが使われているようだが、3Dのグラフィックで立体的に表示されるようになっているようだ。

 それは兎も角として、「知的生産の技術」では、この部分に、かなりのページ数を割かれて記述されている。

 何かを発見をしたときにその場で文書を書くには、今ならケイタイで文書をつくり自分のPCにメールで飛ばすことができそうだ。1993年発刊の野口悠紀雄の『「超」整理法』は、「知的生産の技術」が発刊されてから24年目の、いわば「知的生産の技術」の焼き直し版である。その中に「持ち歩き端末」(p.191) が便利であるとある。それから、14年しか経ていないが、この世界はどんどん進化しているのである。そう言えば、WorkPad が流行ったこともありましたね。引き出しの奥になぜか、2台が眠っている。

 最近のケイタイには、解像度の高いデジカメまで付いている。それに不満なら、ちいさなコンデジ( Compact Digital Camera)をポケットに忍ばせておけばよい。とにかく、素早くデジタル化しておくのがいいのではないだろうか。受信したメールを Notepad か何かに copy & paste して、野口悠紀雄の『「超」整理法』にあるように、時系列にデジタル・ファイル化しておけば、後の活用に生きてくる。デジタルの世界になって、あきらかに整理の方法が変革したのだ。

 京大型カードで工夫された点は、あとで整理をしやすくすることである。これも、梅棹さんがいう「発見」をデジタル化しておけば、カード時代に苦労されたこと(複写であるとか、グループ化など)が簡単にできる。

 「知的生産の技術」P63 では、カードも多くなれば持ち運びが大変ということを書いておられる。P56 にあるカードの絵をもとに1枚あたりの情報量を計算すると、カード一杯に書いても文字数は300文字くらいだから、漢字1文字は、2バイトの情報量なので 600文字×2バイト=1200バイト(約1.2KB)である。
 今、¥3000たらずで売っている1GBのUSBメモリーにカード 90万枚ちかく(1GB=1024MBx1024KB=1,048,576KB ÷1.2KB=873,813 )の情報量が入ることになる。しかも、まだムーアの法則は健在だから、情報を蓄積する技術は、創り出される情報量を十分吸収できるのだ。

 第4章では、切り抜きと写真の整理について書かれている。切り抜きは、インターネットでほとんどの情報が得られる今でも、情報を集める有効な方法であろう。ただ、今ではスキャナーという便利な機械を使えば、わざわざスクラップ・ブックを作らなくても、デジタル・ファイル化することができる。おまけに、スキャンした情報が新聞のようなものであれば、OCRソフトがあるから、イメージデータを文字データに変換することもできる。私も、仕事をしていた7~8年前くらいから新聞・雑誌などでとっておきたい情報は切り抜かずスキャナーして、「読んでココ!」というOCRソフトで 、テキスト・デジタル化していた。最近では、OCRソフトの識字率も非常に向上し、自動化も進んでいるようだ。
  例えば、2003年7月9日の日経新聞の記事は、テキスト・デジタル化したものをHTMLで表現したものである。スクラップ・ブックに貼っていたら、とっくに捨てていただろう。デジタル・ファイルだから、パソコンの片隅に残っている。

 「知的生産の技術」の P75 あたりには写真整理の話が出てくる。もちろん、銀塩写真である。今、写真を銀塩フィルムで撮る人はよほどのマニアか、よほど時代に遅れている人しかいないだろう。今や写真はデジタル・ファイルであるから蓄積は他のデータファイルと変わらない。Google が提供する Picasa2 のようなソフトを利用すれば、写真の整理が簡単にできるし、修正できたり、CDに焼いたりできる。

 第5章では、蓄積した資料の整理の方法を述べておられる。ちょっと余談であるが、その中に、「整理」と「整頓」とは違うという以下のようなくだりがある。
整理というのは、ちらばっているものを目ざわりにならないように、きれいにかたづけることではない。それはむしろ整頓というべきであろう。ものごとがよく整理されているというのは、みた目にはともかく、必要なものが必要なときにすぐとりだせるようになっていること、ということだとおもう。

 詳しく書くと家庭内争議になるので書かないが、家内といつももめるのはこのことである。

 この章には、それこそ物理的なファイリング・システムについても説明されているが、今の時代では自分で集めた資料は 100% 近く、パソコン (Personal Conputer) のディスクに保存される。Windows の検索機能を使えば、すぐさま、ありどころを教えてくれる。それでも、梅棹さんが説くように、それぞれの情報の「あり場所」は決めておいた方がよいようだ。これだけ Hard Disk が安くなれば、文書用ディスク、スクラップ用ディスク、写真用ディスクと分けておいた方がいいかもしれない。USBで接続できる外付けのポータブル・ディスクであれば、場所もとらないし、持ち運びだって簡単である。

 次回には、第6章以降の「読書」とか「手紙」などに関する知的生産の技術について、ネット時代の今ならどうなのかを考えてみたい。

  
「超」整理法―情報検索と発想の新システム (中公新書)
野口 悠紀雄
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おすすめ度の平均: 4.5
5 押出しファイリング
5 整理法までをも整理してしまった本
3 整理のポイントは使用頻度

2008年1月13日

1月のJazz ダウンロード:from My Fair Lady

 前のエントリーで書いたように、MP3ファイルの音量一括調整には、少々手こずったが、今月は早めにeMusic からダウンロードした。
 例によって、内藤遊人さんの「はじめてのジャズ」にある名盤50の1枚 "Shelly Manne の My Fair Lady" を参考に、ミュージカル My Fair Lady から、次の3曲でサーチしてダウンロードした。

  1. On the Street Where You Live
  2. With A Little Bit Of Luck
  3. I Could Have Danced All Night

 よく知られたメロディのわりには、Jazz での演奏はすくない。

 ダウンロードした曲は、Jazz Collection List として整理すると同時に、CDとDVDにバックアップしている。貯まった曲は CD32枚 DVDにすると 5枚分になったから約 20GB 強、時間にすると MP3 だから 240 時間以上となる。10日間にわたってずっと聞くことができる勘定である。

 これらの Collection の各 track の中から、1曲ずつ選び出して Playlist を作り、Live365 の、Radio Senboku で放送している。契約しているサーバーに 200MBの容量制限があるので全てを流せないが、今月ダウンロードした3曲を含め、69tracks(194MB:7時間分くらい) を放送中である。

 Jazz が嫌いでなければパソコンに向かっているときのBGMとしては最適だと勝手に思っている。少しお金を出して、Live365 と Ad-free の契約をすれば、ノンコマーシャルで聴くことができる。
 ひょっとして、どこかのレストランかカフェで、BGMとして流れているかもしれない。なにしろ、ブロードバンドの回線とパソコンにつなぐオーディオがあればいいのだから。

  曲名に関心がある方は流れている曲のリストを Excel にしているので、そちらをご覧になってください。。

2008年1月12日

ダウンロード MP3 曲の音量一括調整(2)

 システム・ディスクを交換するときに、ダウンロード曲の音量一括調整のソフトである SoundEngine を見失った。もういちど、Cycle of 5th のサイトからダウンロードすることにした。 SoundEngine はどんどん進化しており、私が使っていた Version 2.991 はもう既になく、 最新Version は 3.06b となっている。
 最新のものをダウンロードして、以前にエントリーした 「MP3 曲の音量一括調整」に書いたように、 SoundEngine Script を用いて一括調整を試みた。 上手くいかない。
 SoundEngine はもともと wav ファイルを扱うソフトなので、これを mp3 ファイルに適応するためには、 vbmp3.dll(読み込み)と gogo.dll (書き出し) という dll ファイルが必要である。これらのファイルも、 SoundEngine 3.06b と同じフォルダーにおいた。まず、このやり方が間違っていた。これらの dll ファイルのインストールは、「SoundEngine で MP3」のページに説明されている方法でやらねばならない。
 それ以外も 3.06b では機能が沢山増えている。ただ、これらの機能は、音を扱うソフトに詳しい人たちにとっては有用なのだろうが、音量調整と曲の切り貼りくらいにしか使っていない初心者にとっては、少し難解である。いろいろと試行錯誤を繰り返して得た結論は、音量一括調整はダウンロードした MP3 ファイルを一旦 wav ファイルへ変換し、 wav ファイルのまま音量一括調整を行って、それを MP3 ファイルに一括変換するのがよいようだ。読み込みファイルが wav ファイルで、書き出しファイルを wav ファイルとする場合には、下のようなスクリプトで上手くいく。
 このスクリプトで、MP3フォルダーから読み込み→音量一括調整→ MP3フォルダーへ書き出しを実行したところ、Audio Converter の黒いDOS画面と、スクリーンショットのような保存する MP3 ファイルの形式を問う画面が一曲ずつでる。これを回避する方法(スクリプト)が分からない。クリックするだけなので、これをいとわなければ、連続しての音量調整ができる。

SoundEngine01.gif
[Folder Open]

[Auto Maximize]
Parameter1=-17
Selection=0,-0,-1
Option=ShowOnce

[Side Insert Silence]
Parameter1=1
Parameter2=0.5
Selection=0,-0,-1
Option=ShowOnce

[Folder Save]

[Message Box]
Text=処理が終了しました。

 ただ、これではパソコンの前を離れて何か他のことをすることはできないし、MP3ファイル読み込み→MP3ファイル書き出しでは、ときどきファイルを読めないなどで上手くいかないことを経験している。
 MP3ファイルダウンロード→wavファイルに一括変換→一括音量調整→MP3ファイルに一括変換の方法をとるときには、別の方法もある。Cycle of 5th のダウンロードサイトには、SoundEngine の欄の右備考欄に、2.945 がある。(2008/1/12:現在) これは、SoundEngine Version 2.945 である。これをダウンロードして実行すると「ヘルプ」に Lumpy という項目があるので、これを使うと簡単に読み込みファイルが wav ファイルで、書き出しファイルを wav ファイルとする音量一括調整ができる。
 詳しくは、「SoundEngine で MP3」というページと同じサイトの「初心者のための PC de MUSIC」にあるWAVEファイルの音量レベル均一化を見ていただきたい。
 この Lumpy というソフトでは、MP3ファイルで書き出す設定もあり、一見上手くいくように見えるが、実際に変換後のファイルを再生してみるとテープを早送りしたような音になり、上手く再生できない。また、曲の前後に無音部分挿入を設定するようなことはできない。

2008年1月 7日

松尾さん(松尾大社)と天神さん(北野天満宮)に初詣

 普通のサラリーマンにとっては、正月休みの最後の日曜日(1月6日)は快晴となった。娘の正月休みも終わって京都に帰るのに荷物が多いというので、送っていくことにした。折角京都にまで行くので、松尾大社(松尾さん)と北野天満宮(天神さん)へ初詣がてら回ってみた。
クリックすると大きな写真になります クリックすると大きな写真になります  松尾大社は、八坂神社が四条通りの東の端なら、その反対の西の端、桂川を越えた所にある。三が日ならきっとすごい人出と思うが、6日にもなると無料の駐車場にはすんなりと入ることができた。それでも境内は、少年野球のチームの優勝祈願など、今年初めて活動を始める団体などの祈願で賑わっていた。
 本殿前は初詣の参拝者で賑わっていたが、¥500を払っての庭園・宝物館の拝観は花の季節でもないのでまばらであった。松風苑と称する庭は、昭和50年に1億円かけて完成したもののようであるが、結婚式場としての価値を高めるものなのかもしれない。
 昼時も近づいていたので、北野天満宮に向かう前に、娘のお薦めの西京極にある「小川珈琲本店」でパスタランチを食した。みんなおせち料理に飽きたのか、12時前だというのに大分待たされた。

クリックすると大きな写真になります クリックすると大きな写真になります  北野天満宮は、松尾大社に比べれば知名度も高いのか、こちらは駐車場に入るのに少し(15分ほど)待たされた。菅原道真を祀ったこの神社では、わずかばかりの賽銭で家内安全と同時にちっとは知的なことができるようにと祈った。社殿の裏にある地主社の梅の花は、まだ固い蕾である。

クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります 天神さんの西境に、豊臣秀吉が造った言われる「御土居」の一部が史跡としてのこっている。この御土居の堤には、楓が植わっており、天神さん近辺のいい散歩道になっているようだ。今は堀沿いの遊歩道は、閉鎖になっているが、秋には解放されるらしい。その土手に、紅い山茶花が綺麗な花を咲かせていた。

京都・奈良私的観光地図に掲載  

2008年1月 5日

隠居のパソコン備忘録:自作パソコンの電源を交換する

 年末から自作パソコンのトラブルが続いている。酷使してきたので、そろそろ寿命なのかもしれない。年末には、システム・ディスクがもう危ないですよとの警告がでて、苦労して交換した。そのあと調子よく動いていたので、システム・ディスクを交換したときに取り外したもう一台の内蔵ディスク(こちらは大丈夫だった)をスレーブにして付けることにした。容量は20GBしかないが、捨てるのももったいなかったからである。

クリックすると大きな写真になります 内蔵ディスクを2台にするときの問題点は、IDEケーブルのとりまわしである。私が使っている ATX ケースではディスクを新たに取り付けるときには、20pin の電源ケーブルを一旦引き抜かないと構造上ディスクをケースに収めることは困難である。この電源ソケットを抜き取るのに、なかなか力がいる。なんとかディスクをとりつけたが、電源ソケットを抜き取るときに、フロッピィ・ディスクの電源ソケットがはずれたらしい。パソコンの立ちあがりでそのようなメッセージがでる。何度かやり直しているうちに、電源そのものが入らなくなってしまい、電源のファンも回らない。
 家庭内LANの他のPCで、Web Search をしてみると、どうやらATX 電源か、マザーボードがお亡くなりなったらしい。どちらの部品がやられているのかの鑑定は、一つずつ部品を変えるかしかないようだ。
 パソコンがないと毎日の生活に困る。車で15分ほどの「パソコン工房」の堺支店まで、車を走らせた。沢山のお客さんで賑わっている。この「パソコン工房」というパソコンショップは、私がパソコンを自分で組み立て始めた15年前くらいには、大阪日本橋の電気街の裏通りに小さな店があっただけである。今や全国区になっている。大きくなったものだ。
 私が使っているマザーボード Asus P4P800 SE は、もう既に古いタイプになっているらしい。店員にお薦めを聞いて、もしマザーボードを変換しても使える ATX 電源:CorePower500Wを ¥5,250 で購入した。亡くなったと思う ATX 電源は、ATX ケースに付いていたものである。
 早速、電源を付け替えて、ケーブル類を慎重に繋いでみると、元の画面がでるようになった。故障はマザーボードではなかったらしい。ほっとした。新しい電源は、写真を見ていただいたらわかるように、ケーブルがすっきりとまとめられている。ケースの上に載せている昔の電源からは、もじゃもじゃしたケーブルがたくさん出ている。今の電源は、必要な数だけ接続できるようになっている。増設したディスクも問題なく動いている。アルツハイマーになりかけた老人の頭に、神さんは正月早々いい刺激を与えてくれたものだ。

2008年1月 3日

隠居、ネット時代の「知的生産の技術」を考える①

 1969年に初版がでた梅棹忠夫の「知的生産の技術」は、まだかなり売れているようである。 引退したときに持っていたビジネス関係の書籍はほとんど処分したが、この新書はまだ本棚に残っていた。
 セピア色に変色したこの本を引っ張り出してきたのは由がある。最近読んだ梅田望夫の「ウェブ時代をゆく」の第五章「手ぶらの知的生産」冒頭に、この本が3ページを割いて紹介されていたからである。
 知的生産ということばを作った梅棹さんは、知的生産を以下のように説明する。
知的生産とよんでいるのは、人間の知的活動が、なにかあたらしい情報の生産に向けられているような場合である、とかんがえていいであろう。この場合、情報というのはなんでもいい。知恵、思想、かんがえ、報道、叙述、そのほか、十分ひろく解釈しておいていい。つまり、かんたんにいえば、知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら―情報―を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ、くらいにかんがえておけばよいだろう。この場合、知的生産という概念は、一方では知的活動以外のものによる生産の概念に対立し、他方では知的な消費という概念に対立するものとなる。

 あさはかな知恵を働かせながら続けている私のブログにも、1日100人以上の方が訪ねてくれるようになった。アクセス解析サービスの Artisan で内容を見ると、やはり How to 的なエントリーへの訪問が多いようである。訪問して、「なーんだ、つまらん」と帰る人がほとんど思うが、いくらか役に立っている部分もあるのかもしれない、と考えると、ひろい解釈で知的生産をしているのかもしれない。 現在のネット時代を背景に読み返してみると梅棹さんが苦労して作り上げられた知的生産の技術が、パソコンの前に座るとほとんどのものが容易に手に入るようになっている。だが、知的生産の意義そのものはまったく変わらない。
 今更、知的生産を目指すような歳ではないが、私にとってはブログは公開日記と思っているので、梅棹さんが日記を航海日誌(英語では、log ですね)的とする次のような考え方と合致する。
日記というのは要するに日づけ順の経験の記録のことであって、その経験が内的なものであろうと外的なものであろうと、それは問題でない。 日記に、心のこと、魂のことをかかねばならないという理由は、なにもないのである。(p.163)

 ブログを続けることに、この本で勇気をもらった。梅田望夫さんも先の本で触れておられるように、
個人が、しらべ、読み、考え、発見し、何か新しい情報を創出し、それをひとにわかるかたちで書き、誰かに提出するまでの一連の行為(「ウェブ時代をゆく」 p.146)
である「知的生産」の仕方を、40年前の「知的生産の技術」を、今のネット時代で実施するとどのようななるのかを、浅薄な知識は承知の上でシリーズで模してみたいと思う。それが、どんな意味があるのというようなことは問わないで欲しい。なにしろ隠居日記に書いておきたいだけだから。

知的生産の技術
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2008年1月 2日

今年は白鷺が:泉北桃山公園

クリックすると大きな写真になります  今年の正月はかなり冷え込んで、冬らしい寒さである。出しそびれた方への年賀状をポストに入れに行くのに、屠蘇ざましにとNikonD70にTamron28-300mmをつけてぶら下げていった。
 春には泉北一になる桜並木の梢に、ヒヨドリが何かを探すようにとまっていた。この冬は家の周りでも、ヒヨドリの甲高い鳴き声がよく響くように思う。

クリックすると大きな写真になります  花芽をつけている桜並木の遊歩道を辿っていくとニュータウンを造成したときに遊水池として造ったと思われる池がいくつかある。その池の一つに冬になるとヒドリガモが飛来する。 このシーズンは、100羽くらい泳いでおり、昨シーズンよりも多いようだ。池の土手に植わっているピラカンサスが赤い実を一杯付けている。

クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります このヒドリガモが群れている池の岸辺に、2羽のコサギが獲物を狙っている。この冬から見かける光景だ。スポーツ・モードで、飛び立つところを撮ろうと10分ほど粘ってみたが、あまりいいショットは CompactFlash には残っていなかった。

泉北近辺私的観光地図に掲載