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2011年11月12日

読書日記「アースダイバー」(中沢新一著、講談社刊)

アースダイバー
アースダイバー
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中沢 新一
講談社
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 前回のブログでふれた中沢新一の、この著作は以前から気になっていたので、図書館で借りてみた。2005年の発刊だが、予想以上にもうけものの本だった。

 表題は、アメリカ先住民の神話から取られている。
はじめ世界には陸地がなかった。地上は一面の水に覆われていたのである。そこで勇敢な動物たちがつぎつぎと、水中に潜って陸地をつくる材料を探してくる困難な任務に挑んだ。ビーバーやカモメが挑戦しては失敗した。こうしてみんなが失敗したあと、最後にカイツブリ(一説にはアビ)が勢いよく水に潜っていった。水はとても深かったので、カイツブリは苦しかった。それでも水かきにこめる力をふりしぼって潜って、ようやく水底にたどり着いた。そこで一握りの泥をつかむと、一息で浮上した。このとき勇敢なカイツブリが水かきの間にはさんで持ってきた一握りの泥を材料にして、私たちの住む陸地はつくられた。


ここで、中沢の持論が登場する。
 
頭の中にあったプログラムを実行して世界を創造するのではなく(一神教の神による天地創造ではなく?)、水中深くにダイビングしてつかんできたちっぼけな泥を材料にして、からだをつかって世界は創造されなければならない。こういう考え方からは、あまりスマートではないけれども、とても心優しい世界がつくられてくる。泥はぐにゅぐにゅしていて、ちっとも形が定まらない。その泥から世界はつくられたのだとすると、人間の心も同じようなつくりをしているはずである。


 中沢は、この泥みたいなものでできた心を「無意識」と呼ぶ。これまでの文明は、グローバル化にしろ、原発にしろ、この「無意識」を抑圧することによって合理的といわれるものを築いてきた。そして今、抑圧されてきた「無意識」が現代文明に反旗を翻そうとした結果が、9・11であり、3・11の本質でもある。中沢は、そう言いたいようである。

 「ぼくはカイツブリにならなければ」。中沢は、水の底から泥をつかんできて「もういちど人間の心をこね直そう」と考える。

 そんな気持ちで東京の街を見回してみた時「大昔に水中から引き上げられた泥の堆積が、そこそこに散らばっているのが見えてくる」

 縄文時代の前期、 縄文海進と呼ばれた時期には、泥の海が現在の東京の街にフィーヨルド状に入り込んだ地形をしていた。

   中沢は、この縄文地図を手に東京探訪に出かける。
 気づいたのは、どんなに都市開発が進んでも、それとは無関係に散財している神社や寺院は、きまって縄文地図における、海に突き出た岬ないしは半島の突端部に位置している、ことだ。

   
縄文時代の人たちは、岬のような地形に、強い霊性を感じていた。そのためにそこには墓地をつくったり、石棒などを立てたりして神様を祀る聖地を設けた、
  そういう記憶が失われた後の時代になっても、まったく同じ場所に、神社や寺がつくられた・・・。現代の東京は地形の変化の中に霊的な力の働きを敏感に感知していた縄文人の思考から、いまだ直接手的な影響を受け続けているのである。


   
東京の重要なスポットのほとんどすべてが、「死」のテーマに関係を持っていることが、はっきり見えてくる。・・・盛り場の出来上がり方や放送塔や有名なホテルの建っている場所などが、どうしてこうまで死のテーマにつきまとわれているのだろうか。
 かっては死霊のつどう空間は、神々しく畏れるべき場所として、特別扱いされていたのである。


 縄文地図を見ながら東京を歩くと、縄文時代も堅い土でできていた丘陵地帯(洪積層)とかっての泥の海(沖積層)地帯では、土地の持つ雰囲気がまったく違うことに気づくという。沖積層地帯からは、死の香り、エロスの匂いがただよってくる。

 甲州街道や青梅街道が走る新宿の高台沿いには紀伊国屋や中村屋などの高級店が並んでいるが、湿った土地にできた歌舞伎町や西新宿には、それとはまったく違ったにおいがある。渋谷の繁華街やラブホテル街も、この地勢論から説明される。

道玄坂は・・・、表と裏の両方から、死のテーマに触れている、なかなかに深遠な場所だった。だから、早くから荒木山の周辺に花街ができ、円山町と呼ばれるようになったその地帯が、時代とともに変身をくりかえしながらも、ほかの花街には感じられないような、強烈なニヒルさと言うかラジカルさをひめて発展してきたことも、けっして偶然ではないと思う。ここには、セックスをひきつけるなにかの力がひそんでいる。おそらくその力は、死の感覚の間近さと関係をもっている。


 そして、明治天皇が新たに造られた明治神宮の森に祀られ、現天皇が、世界のどの大都市にもない皇居という「空虚な空間」に住まいを定められている意味についても、この本は敷衍していく。

 この本の巻末には、現在の東京に縄文地図を重ねた地図が折り込まれている。ブログに添付した写真では少し分かりにくいが、上野や御茶ノ水が、泥の海に突き出した「サッ」と呼ばれた岬であることが歴然と分かる。
 WEB上では、多摩美術大学中沢新一ゼミと首都大学東京大学院が協同制作した 「アースダイバーマップbis」も公開されていて、楽しませてくれる。
 ただ、 中沢の東京地勢論への異論もあるようだ。 img005.jpg

 中沢が縄文時代について記述しているのを読むのは、このブログでもふれた 「縄文聖地巡礼」以来だ。蓼科の縄文遺跡や縄文人の末裔といわれるアイヌ人の昔を訪ねるエコツアーに参加したこともある。
 一神教の神を信じる身でありながら、縄文の時代の死や霊への思いになぜか引かれる。

 このブログを書いていて、中沢が週間現代にアースダイバーの大阪版「大阪アースダイバー」を連載しているのを知った。昨年11月のスタートだから、間もなく単行本になるのだろう。この8月には「大阪アースダイバー」をテーマにした中沢ら3人の 公開鼎談も、東京で開かれている。

 これに刺激されたのか、大阪の街に縄文の地図を重ねたマップを掲載した ブログも登場している。
 このマップを見ると、大阪城や難波宮、四天王寺、住吉大社が連なる上町台地を除いて、ほとんど海である。

    元京大防災研究所長の河田恵昭・関大安全学部長の「水は昔を覚えている」という言葉を思い出した。昔、海や湿地帯だったところに市街地が発展しても、いったん洪水、高潮、津波はん濫が起こると、また海や湿地帯に戻る、というのである。

 故・小松左京「日本沈没」でも、上町台地以外の大阪の街が泥の海と化す記述がある。

 縄文の地図を現在の土地に重ねる「アースダイバー」の試みは、東北大震災など自然災害の教訓をけっして忘れてはいけないという警鐘とも読めるのである。

2010年9月 8日

読書日記「縄文聖地巡礼」(坂本龍一・中沢新一著、木楽舎刊)


縄文聖地巡礼
縄文聖地巡礼
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坂本 龍一 中沢 新一
木楽舎
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おすすめ度の平均: 4.0
5 縄文的思考
2 テーマは好きなのだが
5 縄文文化を基に、新しい世界感の提示
2 お約束どおりのアンチ原発
4 縄文的世界観に資本主義解体の契機を探る、現代文明批判の試み


 聖地を訪ねる旅がちょっとしたブームだそうである。
 インターネットの影響で誕生したという話題の小説やアニメの舞台を訪ねる「聖地巡礼」とはちょっと違う。日本人の心のふる里を求めて、古代から大切にされてきた祈祷の場所や国家神道の範ちゅうではくくれない神社や鎮守の森などを訪ねる旅が人気だという。新聞社が「聖地日和」という長期連載を組み、聖地への旅の特設コーナーを新設する大手書店まで現れた。

 このブログでも以前に、世界遺産の北海道・知床で「アイヌ民族・聖地巡礼」というエコツアーに参加したり、信州・蓼科の縄文遺跡、世界遺産・熊野古道の神社を巡る旅をしたりしたことを書いた。

 その延長線でこの本が気になって図書館で借りた。
 世界で活躍するミュージシャン・坂本龍一と人類学者であり宗教学者としても知られる中沢新一という異色の組み合わせが「縄文人の記憶をたどりたい」と一緒に旅をした際の対談集である。

 最初に中沢は、こう書く。
 縄文時代の人々がつくった石器や土器、村落、神話的思考をたどっていくと、いまの世界をつくっているのとはちがう原理によって動く人間の世界というものをリアルに見ることができます。・・・これは、いま私たちが閉じ込められて世界、危機に瀕している世界の先に出ていくための、未来への旅なのです。


 旅は、青森・三内丸山遺跡から始まり、諏訪、若狭・敦賀、奈良・紀伊田辺、山口・鹿児島を巡り、青森にもどる。

 諏訪では、諏訪七石の1つ「小袋石」(茅野市)を訪ねる。
 見るからに何かを発しているというか。地底に触れている感じが触れている感じがした」(坂本)
 「縄文の古層から脈々と続いているものというのは、深く埋葬されていているけれど、強いエネルギーを放つ磁場としてわれわれに影響を与え続けていて、・・・。そして諏訪の場合は、・・・それが地表に出てるんですね」(中沢)


 敦賀半島にある「あいの神の森」は、田の神とも漁の神とも言われる「あいの神」を祀り、他の祭祀遺跡も同居する太古から続く森である。森全体が墓地であった聖地のすぐ近くに原子発電所「もんじゅ」があることに2人は衝撃を受ける。
 「日本海は内海だった」と中沢は言う。「私たちは縄文というものを、ひとつの民族のアイデンティティに閉じ込めるのではなく、むしろ大陸側にも太平洋側にも大きく開いてとらえるべきで・・・」


 鬱蒼とした「なげきの森」に包まれた鹿児島・蛭児神社では、南方から渡来してこの土地を支配していた先住民族、隼人と天皇家の祖先である天孫族の関係に思いをはせる。
 隼人は大和政権に征服された民で、西郷隆盛はその末裔ですよね。なのに自分の祖先を征服した部族の王である天皇に、親しみを感じ、忠誠を尽くして戦う」(坂本)
 「天皇家の祖先である天孫族が朝鮮半島から渡ってきたとき、なぜ日向を拠点にして隼人族の女性を妻に迎えたのか。・・・背後には隼人族の経済力と軍事力の存在がおおきかった。天皇家としては、朝鮮半島とのつながりを強調するんだけど、もう一方で、隼人、つまりインドネシアから渡ってきた人々にもつながってるんですね」(中沢)


 青森で始まった旅は、青森に戻って終わる。
 縄文前期から中期の大集落である三内丸山遺跡と、縄文後期の環状列石(ストーンサークル)の小牧野遺跡を訪れ、その石組みの生々しさに興奮しながら対談は続く。
 あの環状列石のなかにいると、石を運んできて、お祈りをしている人たちの姿が見えるかのようで、・・・天上の世界を人工的につくろうとしている」(坂本)
 「縄文の研究は、過去だけじゃなくて、未来を照らす可能性がある。・・・この列島上に展開した文化には、まだ巨大な潜在能力が眠っていて、それは土の下に眠ってだけではなくて、われわれの心のなかに眠っている・・・」


 ▽最近読んだ、その他の本
  • 「ヒマラヤ世界 五千年の文明と壊れゆく自然」(向 一陽著、中公新書)
  • ヒマラヤ世界 - 五千年の文明と壊れゆく自然 (中公新書)
    向 一陽
    中央公論新社
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     「いつかはヒマラヤ・トレッキングを」と若い時から思い続けながら、実現できなかった。
    そんな郷愁めいた気持ちで、この本を手にしたが・・・。単にヒマラヤへの想いを綴ったものではない。地球温暖化と人間の行動への厳しい告発書であった。
     西からインダス川ガンジス川ブラマプトラ川。この3つの大河流域に世界の人口の1割以上、8億人が住んでいる。間接的には15億人がこの大河がもたらす水の恵みを受けている。白き神々の座・ヒマラヤ山脈と同様、この広大な大平原を著者は「ヒマラヤ世界」と呼ぶ。
     氷河の衰退に始まって、氷河湖の決壊による洪水の恐れ、氷河湖の汚染、森林伐採、食糧大増産のために枯渇したヒマラヤ始発の地下水、井戸水から検出される砒素、国家間の水争い・・・。今「ヒマラヤ世界」で起ころうとしている危機は、地球全体の崩壊につながると著者は警告する。

  • 「大人の本棚 夕暮の緑の光 野呂邦暢随筆選」(岡崎武志編、みすず書房刊)
夕暮の緑の光――野呂邦暢随筆選 《大人の本棚》
野呂 邦暢
みすず書房
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 NHKのBS放送が土日の朝に放映している「週間ブックレビュー」は、読書好きには評判の番組だ。ここで取り上げられた本の購読を図書館に申し込むと、たいてい予約殺到で何カ月か待たされる。
 野呂邦暢という芥川賞作家を浅学にして知らなかったが、編者の岡崎武志は、巻末の解説でこう書いている。
 野呂邦暢が小説の名手であうとともに、随筆の名手でもあった・・・。ちょっとした身辺雑記を書く場合でも、ことばを選ぶ厳しさと端正なたたずまいを感じさせる文体に揺るぎはなかった。

 表題にある「夕暮の緑の光」という30数行の文章。そのなかで野呂は、自分がなぜ書くことを選んだかについて、こう記している。
 それはごく些細な、例えば朝餉の席で陶器のかち合う響き、木洩れ陽の色、夕暮の緑の光、十一月の風の冷たさ、海の匂いと林檎の重さ、子供たちの鋭い叫び声などに、自分が全身的に動かされるのでなければ書きだしてはいなかったろう。

 1つ、1つのフレーズをかみしめて、もの書く人の繊細で真摯な感性を知る。

2008年11月18日

蓼科・紅葉紀行(2008・11・1~3)



 紅葉を訪ねて、11月の初めに信州・蓼科に出かけた。

 昨年7月には、蓼科にある友人・I君の山荘を訪ねたが、今回は友人Mが加入している「エクシブ蓼科」というリゾートクラブに同行させてもらった。

 午後に大阪を出たので、中央線・茅野駅着が午後5:30。すっかり暗くなって、なにも見えない。翌朝、部屋から見えるカラマツ林の黄葉と葉を少し残した白樺、窓から流れこむ冷気が、やっと信州を感じさせてくれた。

 タクシーで横谷渓谷の入り口、横谷観音へ。

 ここは、昨年の夏、I君の別荘を辞した後、若い時によく歩いた八ヶ岳を見たくて泊まった奥蓼科温泉の近く。ここから八ヶ岳・縞枯山ロープウエイまでのバスに乗ったが、雨だった昨年とは大違い。紅葉狩りの観光客でけっこうにぎわっている。

クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります タクシーの運転手さんは「1週間遅かったね。先週は、それはきれいだった」と言ったが、観音入口まで道路にある紅葉(写真①)は、けっこうな色合いだ。

 運転手さんに勧められて、世界の樹木の化石などを集めた「柏木博物館」をのぞいた(運転手さんが受付の人に声をかけてくれ、入場料が100円安くなった)。埋れ木に浸みこんだ溶岩の鉱物が創り出す不思議な文様はいつまで見ていてもあきない。入口前にあるドウダンツツジの生垣も見事だ(写真②)。

クリックすると大きな写真になります  横谷観音展望台に下った。雲ひとつない快晴の空の向こうに、すでに冠雪したアルプスの山々がくっきりと望める。(写真③)
 右から北アルプス。学生時代に友人Sと新雪を踏んで登った西穂高。その奥に槍ヶ岳。中央アルプス・御岳山では、ご来光を仰いだ後に、うとうとしてしまって紫外線を浴びすぎ、翌日、顔の皮がすっかりむけてしまったことを思い出す。左に見える南アルプス・北岳は、腰痛で途中断念した忘れられない山だ。

クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります 展望台からけっこうきつい下り坂をゆっくりと30分。王滝(写真④)で一休み。朝食の残りのパンにジャムをはさみ、携帯燃料で沸かしたお湯でいれた紅茶にアイル島のシングルモルトをちょっぴりたらす。 確かに紅葉のピークは過ぎているようにみえるが、赤や黄色、茶色のコラボレーションはけっこう楽しめる。1時間半ほど下った乙女滝(写真⑤)付近の紅葉は、これからという感じ。




クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります 元気いっぱいの友人Mに引きずられて、蓼科湖までさらに2時間弱、イチョウの黄色や周辺の山々の紅葉(写真⑥)をめでながら歩いた。蓼科湖で紅葉の群落をたっぷり楽しみ(写真⑦)、湖畔の蕎麦屋でざるそばと熱燗。



 翌朝は、タクシーで、尖石(とがりいし)縄文考古館に向かう。

クリックすると大きな写真になります 途中、運転手さんに「東山魁夷が描いた池を見に行かないか」と誘われた。湖畔に白い馬がたたずむ、あの絵「緑響く」だ。奥蓼科温泉方向へ左折して10分前後。御射鹿池は農業用のため池だが、カラマツ林のすぐそばに作られたためだろう。黄葉の林を水面に映しだしている(写真⑧-2)。タクシー代で3000円前後のぜいたくな寄り道。

 途中、南八ヶ岳の山々が見事に望める。山麓のオーレン小屋を起点に、横岳、赤岳、硫黄岳をよく歩いたものだ。硫黄岳のガレ場に群生していた高山植物の女王、コマクサの見事さを思い出す。同じ高山植物のセリバオーレンから名づけられたオーレン小屋は、今でも健在だという。もう、山頂に立つのが難しいだろうが、別棟の風呂小屋もまだあるのだろうか。

 横谷渓谷の下流にかかる橋を渡る。見事なカラマツの黄葉だ。なぜか、このあたりはカラマツが多い。八ヶ岳山麓あたりは唐檜(とうひ)の原生林?が多かったが。

 運転手さんによると、これらのカラマツ林は明治時代から戦後にかけて、このあたりに開拓に入った人々が植林したのだという。「成長は早いが、使い道が少ない。チップにしてしまうしか・・・」

 しかし、たまたま読んだ宮崎駿監督の「折り返し点」のなかに「カラマツは役に立つんです」と話す講演記録が載っている。「電信柱や炭鉱の坑木として、カラマツはお金になると言われて、いま八ヶ岳南麓を占める森になったのです。・・・長野オリンピックではカラマツの集成材を使ったスケートリンクが話題になりましたが、集成材にすれば巨大な建物も全部木造で造れます」

クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります 尖石(とがりいし)縄文考古館は、昨年夏にI君に連れていってもらったが、もう一度、あの国宝の土偶「縄文のヴィーナス」(写真⑨)を見たくなった。

 切れ長の目の顔に続く、デフォルメされたおなかや尻の見事さに、縄文文化の奥深さを思う。重要文化財の土偶「仮面の女神」(写真⑩)は、死の霊から守るために仮面をかぶっているという。その後に続く日本人の死生観の原点をみる思いがする。

 考古館周辺は、尖石遺跡や与助尾根遺跡の住居などが整備された史跡公園(写真⑪)になっている。

 広い緑の芝生や林の落ち葉を踏みしめて歩きながら、縄文文化の素朴な豊かさに思いをはせた。

2008年4月24日

読書日記「西行花伝」(辻 邦生著、新潮社)

 この本に出会ったものの、西行という人物に頭のなかをグルグルかき回されている未消化状態が続いて、もう1年近くになる。

 昨年7月初め、信州・蓼科にある友人・I君の別荘に誘われた。OMソーラーシステムを導入しているのはわが家と同じなのだが、ずっと爽やかな風が吹き抜ける快適さは比べようがなかった。

 その和室に、僧侶が花の下で横たわっている畳半畳大の墨絵が立てかけてあった。

 これはなに?と聞いたら、「西行。読んでごらんよ」と、I君が1冊の文庫本を手渡してくれた。小林秀雄が書いた「西行」という作品が載っている新潮文庫で、表題は「モオツアアルト・無常という事」。

 ベランダにある栗の木の下で、たった20ページの小品をパラパラめくったが、久しぶりに引きつけられる思いがした。

 平安末期の時代。「新古今集」に94首も選ばれている当代唯一の歌詠みといわれた西行が、23歳で北面武士の座を捨てて出家した不思議な心情が、定年後をどう生きるかの答えも描かれずにいるグータラ人間の心に入りこんでくる。

 世の中を反(そむ)き果てぬといひおかん思いしるべき人はなくとも

 世中を捨てて捨てえぬ心地して都離れぬ我身なりけり

 春になる桜の枝は何となく花なけれどもむつまじきかな

 この小品の最後に、こんな歌が出ていた。
 願わくは花の下にて春死なんそのきさらぎの望月(もちづき)のころ


 和室にあった墨絵は、この歌を描いたものだった。西行は、この歌のとおり、陰暦2月16日に73歳で入寂したという。

  別荘の二階にある書棚を見て驚いた。ずらりと漫画本のシリーズが並んでいる間に、辻 邦生の「西行花伝」が立て掛けてあったのだ。

 実はこの本。数ヶ月前に友人Mが「ちっとやそっとでは読みきれないよ」と言われて貸してくれていた。この旅に持っていこうと思ったのだが、なにしろ厚さ4センチ強の箱入りハードカバー。ちょっと無理と思ってあきらめたのが目の前にある。

 別荘を辞し、松本に出たので、本屋を3軒回って、やっと文庫版を手に入れた。

 西行との出会い?は、まだ続いた。上諏訪でガンと闘っている古い知人を見舞い、下諏訪の「みなとや」という旅館に泊まった。

 この旅館の玄関に、鍵をかけたガラス張りの書棚が置いてあった。白州正子のなんと「西行」(新潮社)という本が並んでいる。

 白州正子は生前、この旅館にシーツと枕カバーを置いておくほどのファンで、鍵付きの書棚は、白州正子の著作がほとんど。それも、全部署名入り。うやうやしく「西行」をお借りして、ちょっとのぞき、帰宅してから文庫版を買った。

 なんだか西行に魅入られてしまったが、稀代の歌人を理解するのは、浅学菲才の身にあまる。3冊の本は、居間のワゴンでいつまでも積んどくが続いた。

 今月の初め、満開の桜を探しに、京都・西山の勝持寺、別名・花の寺を訪ねた。

 この寺は、西行が出家した後、しばらく庵をつくったところ、と伝えられている。自ら植えたと言われる「西行桜」(何代目だろうか、細い樹だった)でも有名。周りのソメイヨシノよりちょっと赤い枝垂桜だった。その前に立てられた板書に西行の歌があった。

 花見にと群れつつ人の来るのみぞあたら桜の科(とが)には有りける


 白州正子は「ひとり静かに暮らそうとしているところへ、花見の客が大勢来てうるさいのを桜のせいにしている・・・」と、おもしろがっている。この歌は「西行桜」という能にもなっているようだ。

 本殿の奥の桜の根元に寝転び、青空にいっぱいに広がった白い花びらと飛び交うメジロを見ながら「やはり桜は桜」と、意味不明の問いかけを西行にしたくなった。

 なんとか「西行花伝」を読み終えた。

 どう表現してよいのか。悠久の平安の叙情の世界にどっぷりつかった心地よさが残る。解説者も「伝記でも評伝でもない・・・。あとに残ったのは単なる伝ではなく『花伝』というものだった」と、よく分からないことを言っている。

 あなたも何が正しいかで苦しんでおられる。しかしそんなものは初めからないのです。いや、そんなものは棄ててしまったほうがいいのです。そう思ってこの世を見てごらんなさい。花と風と光と雲があなたを迎えてくれる。正しいものを求めるから、正しくないものも生まれてくる。それをまずお棄てなさい


 「西行花伝」の一節。辻 邦生の世界を楽しめた、としか言いようがない。

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5 平成18年8月に改版されました。

西行 (新潮文庫)
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3 西行を読み解く
5 西行の人となりが、生き生きと立ち上がってくる
5 interview with saigyou
5 和歌のこころ
4 桜を植えねば