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2013年4月11日

読書日記「カウントダウン・メルトダウンン 上・下」(船橋洋一著、文藝春秋刊)



カウントダウン・メルトダウン 上
船橋 洋一
文藝春秋
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 著者とはちょっと面識がある。ご本人は覚えておられないだろうが、現役の経済記者だったころ、東京・某中央官庁の同じ記者クラブに所属していた。
 ずっと大阪にいたので「東京はすごい記者がいるなあ」と驚愕かつ恐れを持ったものだが、著者はそのなかでも抜きん出ていた。
 確か、京都で国際会議があった際、先斗町の飲み屋で一緒に軽くやった記憶もあり、元ボンクラ記者のなれのはてながら、その活動ぶりには注目していた。

最近は新しい著書を見かけないなあと思っていたら、すごい仕事をしておられた。

福島原発事故の後、シンクタンク 「財団法人 日本再建イニシアティブ」を設立し、この事故を民間の立場で検証する 「福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)」を立ち上げた。

 著者は「あとがき」で書いているように、民間事故調のレポートを出した後も、日本の危機管理のあり方に危惧感を持ち、自ら取材を始めた。

たまたま先月、東京の日本記者クラブで開かれた著者の講演を録画したYouTubeのなかでも本にした意図を話しておられるので、それらに沿って、この上・下計450ページにわたる大著をひもといてみた。

 著者はこの著者やいくつかのインタビューで「政府(官邸、官僚機構)のなかに、リスクに対応するガバナンス(統治能力)、リーダーシップが欠けていた」と、何度も繰り返している。

 
午後5時40分。NHKが、福島第一原発の2基の原子炉冷却装置が停止したと報道した。・・・
 菅(直人・首相)は、誰彼なしに、質問を浴びせた。
 「おまえら、この電源が止まったということがどれほどのことかわかっているのか」
 「大変なことだよ、これは。チェルノブイリと同じことだぞ」
 その言葉を、うわごとのようにくり返した。
 下村(健一・内閣官房審議官)は、メモの余白に書いた。
 「菅に冷却水必要」


   
池田(元久・経済産業副大臣・原子力災害現地対策本部長)は、深く感ずるものがあった。
 (政治指導者に必要なのは大局観だ。いま、日本が直面しているのは福島原発事故だけでなく地震・津波もある。すべて人々の生存の可能性が高い初動の72時間が勝負だ。そういうときは、総理はどんと構えて、司令塔の役割を果たさなければならない。総理たるもの、所作、言動、言葉遣い、それなりの風格がなければならない。それがこの人には感じられない)


 このブログでもふれたことがある俳人・長谷川櫂の 「震災歌集」に、こんな和歌があったのを思い出した。「かかるときかかる首相をいだきてかかる目に遭う日本の不幸」

 しかし著者は同時に日本記者クラブでの講演で「(管首相には)東京電力を福島から絶対に撤退させないという動物的生存能力があった」とも評価している。

 ガバナンスとリーダーシップのなさは、それまで我が国を代表する大企業と見られていた東京電力社内でもすぐに露呈した。

吉田(昌郎福島第一発電所所長)は、所長席脇の固定電話にかかってきた電話に出た。
 武黒(一郎東京電力フエロー、元副社長で官邸との連絡役)はいきなり、言った。
 「おまえ、海水注入は」
 「やってますよ」
 武黒は仰天した。「えっ。おいおい、やってんのか。止めろ」・・・
 吉田がいまさら止めるわけにはいかないと言い張ると、武黒はいきり立った。
 「おまえ、うるせえ。官邸が、もうグジグジ言ってんだよ」・・・
 吉田は(指揮命令系統がもうグチャグチャだ。これではダメだ。最後は自分の判断でやる以外ない)と割り切ることにした。


当時の社長、清水正孝は"フクシマからの撤退"の言質をなんとか政府から得ようと、海江田万里・経済産業大臣に何度も電話で連絡をとろうとした。仮に、放射能による死者が出た場合に訴訟で訴えられるのをおそれたからだといわれる。

(清水は)「退避を考えなければならなくなるかもしれません」という内容を言葉少なに話した。
 ボソボソ話したかと思うと、黙ってしまう。
 「あー、そうですかあ」と相づちとも何とも言えない言葉を埋め草のように差し込む。
 「ぜひ、ご了解いただきたいと思いまして」
 そう清水が言ったのに対して、海江田は、「それはないでしょう」と突き放し、電話を切った。


 清水は、枝野幸男官房長官にも同じような電話攻勢をかけた。

   
枝野は、撤退には難色を示したが、清水はねばった。
 「いや、でも何とか。とても現場はこれ以上持ちません」
 枝野は、逆に聞いた。
 「そんなことをしたらコントロールができなくて、どんどん事態が悪化をしていってとめようがなくなるじゃないですか」
 清水は口ごもった。


本店の言い分だけでは、現場がどうなっているのか皆目見当がつかない。枝野は、福島の吉田所長に電話した。
「まだやれますね」
 「やります。がんばります」 電話を切った枝野は憤激した。
 「本店の方は何を撤退だなんて言ってんだ。現場と意思疎通できていないじゃないか」


東電の企業体質を如実に表す、管首相と東電会長・勝俣恒久のやりとりも記録されている。

「おまえ、死ぬ気でやれよ」
 勝俣(恒久東京電力代表取締役会長)が答えた。
 「わかっています。大丈夫です」
 「子会社にやらせます」
 「子会社に」
 その言葉に、寺田(学・内閣総理大臣補佐官)は驚愕した。


 日本記者クラブで著者が話した「日米同盟がどう対応したか」というテーマは、下巻の最初で展開される。ホワイトハウスはじめ米国側に強いネットワークを持つ著者の真骨頂だ。

   米国海軍のシュミレーションだと、風向き次第では、ブルーム(放射性雲)が東京にも届く可能性を示していた。

   
15日朝。横須賀にいた空母ジョージ・ワシントンの放射線センサーが鳴った。
 震災後、いち早く三陸沖に到達した空母ロナルド・レーガンはセンサーが鳴ったとたんに離脱し、その後二度と近づかなかった。
 空母ジョージ・ワシントンも、ただちに出港の態勢に入った。


   「米海軍関係者」としか著者が書いていない匿名談話が載っている。

 
「これらについても米国の同盟維持へのコミットメントの観点からは、ちょっとどうかという見方もあるだろう。自分もロナルド・レーガンに乗っていたが、沖の方遠くへと離れる時は個人的には申し訳ないと思った」
 「しかし、空母というのは米国の国家防衛の王冠のようなものなのだ。もし、空母が放射能汚染された場合、世界を回ることができなくなる。各国ともわれわれを追い返すだろう。アクセスが難しくなるもしそうになつた場合、国家安全保障上の大問題となる。ウイラード海軍大将(ロバート・ウイラード米太平洋軍司令官)はその点を早くから見抜いていた。この問題は今日だけの問題ではない。それは向こう30年、40年に及んで深刻な影響をもたらす、それを彼は怖れたのだ」


 一方で米軍は、JSK(統合支援部隊)が行うトモダチ作戦の司令部を設け日米共同で除染作戦をした。
 米国務省も、日本側と支援のための協議を続けた。しかし、日本側の態度はかたくなで、情報が伝わってこなかった。

 
情報なしに支援はできない。
 日本は支援される作法を知らないのではないか。
 「『Trust us(信じて)』と言われても、こちらは支援できない。・・・」  米国務省高官(これも匿名)は、そう言った後、つけ加えた。
 「二国間同盟でもっとも緊張するときというのは、われわれは相手の中に本当のところは入れてもらっていないのではないかと疑い、苦悩するときなのだ。日本側は(炉や燃料プールの状況を)知らないのか、それとも知っているのに何かの理由でわれわれと共有しょうとしないのか、われわれはそれもわからなかった」


 米政府は、危機の過程で「政府一丸(whole of government)で対応してほしい、と何度も求めた、という。
 「日本政府は統治能力を欠いているのではないか。と彼らは怖れたのである」

海上自衛隊将校の1人はこう述懐した。

「有事のときのアメリカ、それはない。そのことを思い知った。いざというとき、アメリカは逃げる。軍属の安全をタテに逃げるだろう。日本の安全、アメリカが最後の頼り、それもない、それらはすべてフィクションだった」
 「アメリカがホコ、日本がタテ、といった役割分担、それは現実には起こらない。日本がホコにならない限り、アメリカは日本を助けに来ない」


官邸内では「最悪のシナリオ」について、様々な"イメージ"が飛び交っていた。官邸スタッフの1人は、こう語ったという。

「原子炉の中の水が減ってきて、燃料棒がばたんと倒れたら、原子炉の底が抜けて核物質がドーンと落ちる。コンクリートを突き破って、いずれ地下水に至れば、そこで大水蒸気爆発。そうなればチエルノブィリだ。福島第一、第二あわせて10機の炉が吹っ飛ぶことになる。総理は『そうなれば、東アジア全体が大変なことになるんだぞ』と、おっしゃっていた。大規模核汚染をわれわれは本当に心配していた」


伊藤(哲朗)は、内閣危機管理監として「官邸機能の維持」に責任を持っている。
 (関西地方に逃げる以外ない。ホテルを借り切って、そこで一時的にしのぐ以外ないのではないか)
 そんな考えが頭をよぎつた。
 それから、天皇皇后両陛下に避難していただかなくてはならない。
 (こちらは九州まで足を延ばしていただくことになるかもしれない)


原子炉の内部を探索するのに、米国製のロボットが活躍した。しかし「ロボットは、日本のお家芸ではなかったのか」という疑問が著者の頭から消えなかった。取材の結果、こんなことが分かった。

米国では電力会社が、原発事故対処用のロボット開発のパトロンとなったのに対して、日本では、電力会社がロボットは安全神話を毀損するものと警戒し、抑えつける側に回った。結局、原子力災害用のロボット開発には補正予算を一回つけたきりで終わった。
 補正一度限りにするため、「維持費も大変」という理由をつけた。
 政府もまた、電力会社に追随し、一緒になつて安全神話を担いだのである。


今回の福島原発事故から得た教訓は、管(元首相が)が、2012年5月の「国会事故調」で述べたことに尽きるのではないか。
 そんな思いからだろうか。そこでの管の証言でこの本は終っている。

「かつてソ連首相を務められたゴルバチョフ氏がその回想録のなかで、チェルノブイリ事故は我が国体制全体の病根を照らし出したと、こう述べておられます。私は、今回の福島原発事故は同じことが言える。我が国の全体のある意味で病根を照らし出したと、そのように認識をいたしております」


「戦前、軍部が政治の実権を掌握していきました。そのプロセスに、東電と電事連を中心とするいわゆる原子力ムラと呼ばれるものが私には重なって見えてまいりました。つまり、東電と電事連を中心に、原子力行政の実権をこの40年間の問に次第に掌握をして、そして批判的な専門家や政治家、官僚は村のおきてによって村八分にされ、主流から外されてきたんだと思います。そして、それを見ていた多くの関係者は、自己保身と事なかれ主義に陥ってそれを眺めていた。これは私自身の反省を込めて申し上げておきます」


チェルノブイリ事故をきっかけにソ連が崩壊したことは、以前にこのブログでやはりふれたことがある。

はたして日本は、このまま崩壊していくのか。それとも放射能汚染のない新しいステージに向けて再出発する勇気と決断を持つことができるのか?

著者は、日本記者クラブでの質問に答えて、これからの危機管理で長期的に考えなければならないのは、人口問題、国債問題、そして福島事故の今後の3つだと答えた。

不毛の地となったフクシマを再生する責任は誰がどこまでとり、生活の場を奪われた人々の生活を以前のようにとりもどせるのか、原発再開の動きが知らない間に現実となろうとするなかで、今回の危機管理不在の状況を教訓とできるのか・・・。

そのことをぜひ続編で書いてほしいと、元ボンクラ記者は切に願う。

(付記)
 日本記者クラブでの講演録画で聞いたある質問にア然とさせられた。
 「著者が民間事故調でレポートを出してから、この本を書いたのはなぜなのか。ジャーナリストなら、最初からこの本を書くべきではなかったのか。やり方が"あざとく"みえる」
 質問者は、筆者がいた新聞社の人らしいが「男のしっと」発言としか思えない。ジャーナリストを自称する人種のなかには、あまり品のよろしくない方もおられるようで・・・。

2012年12月 5日

読書日記「原発危機と『東大説法』 傍観者の論理・欺瞞の言語」(安富 歩著、明石書店刊)、「幻影からの脱出 原発危機と東大説法を超えて」(同)

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 福島第一原発事故時に、原発の安全性をNHKテレビなどで声高に主張していた東大の原子力専攻教授陣が、被害の拡大とともに画面から姿を消したことを不思議かつ、けしからんことだと思っていた。

 これら2冊の本は、これら教授たちの話しぶりの「傍観者性と欺瞞さ」を暴きだしたものだという。

 しかも 著者は、京大出身ではあるが、同じ東大の 東洋文化研究所の教授。

 一般には知識人の代表と見られている東大というムラ社会にいながら、そのムラ社会の欺瞞さを暴こうとしている。

 「You Tube」の 公開対談に映っている著者は、黒のソフト帽に白のTシャツ、茶色の皮ズボンという"ヤーサン・スタイル"。自らの ブログに載せている 写真も、顔をおおうヒゲとサングラスに迷彩服?と、とても"教授"ズラには見えないことも、仕掛けた"けんか"をおもしろくしているように見える。

  「東大話法」という言葉は、すでに「Wikipedia」でも紹介されており、著書の最初にも載っている下記のような「東大話法規則一覧」が掲載されている。

  1. 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。 
  2. 自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。 
  3. 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。
  4. 都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。
  5. どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。
  6. 自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱい批判する。
  7. その場で自分が立派な人だと思われることを言う。
  8. 自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル貼りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。
  9. 「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく。
  10. スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる。
  11. 相手の知識が自分より低いと見たら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。
  12. 自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。
  13. 自分の立場に沿って、都合のよい話を集める。
  14. 羊頭狗肉。
  15. わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。
  16. わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。
  17. ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。
  18. ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。
  19. 全体のバランスを常に考えて発言せよ。
  20. 「もし◯◯◯であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。


    1.  20もあると、いささか煩雑でわかりにくいが、著書の裏表紙には、代表的な例として、規則2,3,5を挙げている。

       安富教授は、以前から東大で見聞きする「自分が所属する立場ばかりにこだわる」姿勢に違和感を持っていた。「東大話法」という言葉を発案したのは、福島第一原発1号機が爆発した際、NHKに登場した東大大学院の原子力工学の専門家である 関村直人教授(= 写真)が 「爆破弁を作動させた可能性がある」と発言したのを聞いて、驚愕したのがきっかけだった、という。

       関村教授は「原発は安全」という「立場」から 水素爆発はありえない」と繰り返してきたため、建屋が吹き飛ぶ水素爆発事故を、爆破弁という減圧装置の作動という「詭弁」を平然と使った。

       まさしく、「東大話法」の規則2であり、3であり、5でもある、という。  関村教授がトップをしている東大 「原子力国際専攻」のホームページに掲載されている 「原子力工学を学ぼうとする学生向けのメッセージ 福島第一原子力発電所事故後のビジョン」にも「厚顔無恥な『東大話法』が使われている」と、安富教授は書く。

       
      この文書は「世界は、人類が地球環境と調和しつつ平和で豊かな暮らしを続けるための現実的なエネルギー源として、原子力発電の利用拡大を進め始めていました」という言葉で始まっている。
       いきなり「世界は」と書き始めるという感覚に驚かされます。彼らは自分が「世界」を代表しうる資格を持っている、と認識しているわけです。しかもそこに善かれている内容は、手前味噌の無責任な自己正当化にほかなりません。
       「世界は‥...・原子力発電の利用拡大を進め始めていました」と書いていますが、原子力発電の利用拡大を進めていたのは、もちろん「世界」ではありません。世界」にそんなことはできません。一部の国の、愚かで強欲な、政治家・官僚・電力会社と、それを支える原子力関係の御用学者・技術者が推進してきたのです
       「世界は」と言うことによって、そういう責任関係を暖昧にし、つまりは自分自身を免責しているのです。


       「幻影からの脱出」は「原発危機と『東大説法』」の続編。

       このなかで著者は「プルトニウムは、水に溶けにくいので飲んでも大丈夫」と発言した 同じ原子力工学の専門家である 大橋弘忠=( 写真)・東大教授について「『東大話法』を使う人は、この話法がうまいのでなくむしろ下手なのだ。だからその欺瞞と隠蔽が露呈してしまう。特に下手くそなのが大橋教授」と、大橋教授が公開した 「プルサーマル公開討論会に関する経緯について」という文書をやり玉に挙げている。

      安富教授は、こう書く。

       
      この文書が恐ろしいのは、何よりも「格納容器は一億年に一回しか壊れない」など、いわゆる
       「原発推進トーク」を連発しておいて、それが事実によって否定された、という点を、完全に無視していることです。原発関係者は、そういうことが、認識から自動的に排除されるようになっているのです。これは、大橋氏が特別に変わった人だから、ではありません。彼らは基本的に、こういうふうに考えているのです。こういう連中に、原子力などという危険なものを弄ばせてよいものか、本当によく考えないといけません。


       確かに、今年の2月に書かれたこの文書には、福島原発事故については、1度もふれられていない。

       恐ろし、恐ろし!

      著者は「東大話法」について「この話法は、東大関係者やOBだけでなく、政治や社会をリードしてきたリーダー、知識人の間で平気で使われている」と、何度も書いている。

      そして「幻影からの脱出」のなかで、千数百回も リツイートされた、自らのツイート(2012年4月7日発)を紹介している。

      政府が大飯原発の再稼働に固執するのは、原発ゼロで夏を乗り切れば、もう再稼働の口実がなくなるからだ。そうなると原発を支えたシステム全体が問われることになる。そのシステムは、国債や年金や天下りにも繋がっており、日本の全システムを揺るがすことになる。まさに、日本戦後史の関ケ原である。


       「原発危機と東大話法」は今年の1月、「幻影からの脱出」は7月の発刊だが、9月には、同じ著者の「もう『東大話法』にはだまされない」(講談社+アルファ新書)が出ている。
       著者の主張する『立場主義」をサラリーマン社会や夫婦関係にまで拡大しているが、読後感は「もう、ひとつ」


       

2011年8月 7日

読書日記「『神隠しされた街』若松丈太郎詩集(日本現代詩文庫第二木期③)(土曜美術社出版販売・1996年刊)

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この詩が、17年前に詠まれたものだということが信じられるだろうか。

四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた
サッカーゲームが終わって競技場から立ち去ったのではない
人びとの暮らしがひとつの都市からそっくり消えたのだ
ラジオで避難警報があって
「三日分の食料を準備してください」
多くの人は三日たてば帰れると思って
ちいさな手提げ袋をもって
なかには仔猫だけを抱いた老婆も
入院加療中の病人も
千百台のバスに乗って
四万五千の人びとが二時間のあいだに消えた
鬼ごっこする子どもたちの歓声が
隣人との垣根ごしのあいさつが
郵便配達夫の自転車のベル音が
ボルシチを煮るにおいが
家々の窓の夜のあかりが
人びとの暮らしが
地図のうえからプリピャチ市が消えた
チェルノブイリ事故発生四十時間後のことである
千百台のバスに乗って
プリピャチ市民が二時間のあいだにちりぢりに
近隣三村あわせて四万九千人が消えた
四万九千人といえば
私の住む原町市の人口にひとしい
さらに
原子力発電所中心半径三〇㎞ゾーンは危険地帯とされ
十一日目の五月六日から三日のあいだに九万二千人が
あわせて約十五万人
人びとは一〇〇㎞や一五〇㎞先の農村にちりぢりに消えた
半径三〇㎞ゾーンといえば
東京電力福島原子力発電所を中心に据えると
双葉町 大熊町
富岡町 楢葉町
浪江町 広野町
川内村 都路村 葛尾村
小高町 いわき市北部
そして私の住む原町市がふくまれる
こちらもあわせて約十五万人
私たちが消えるべき先はどこか
私たちはどこに姿を消せばいいのか
事故六年のちに避難命令が出た村さえもある
事故八年のちの旧プリピャチ市に
私たちは入った
亀裂がはいったペーヴメントの
亀裂をひろげて雑草がたけだけしい
ツバメが飛んでいる
ハトが胸をふくらませている
チョウが草花に羽をやすめている
ハエがおちつきなく動いている
蚊柱が回転している
街路樹の葉が風に身をゆだねている
それなのに
人声のしない都市
人の歩いていない都市
四万五千の人びとがかくれんぼしている都市
鬼の私は捜しまわる
幼稚園のホールに投げ捨てられた玩具
台所のこんろにかけられたシチュー鍋
オフィスの机上のひろげたままの書類
ついさっきまで人がいた気配はどこにもあるのに
日がもう暮れる
鬼の私はとほうに暮れる
友だちがみんな神隠しにあってしまって
私は広場にひとり立ちつくす
デパートもホテルも
文化会館も学校も
集合住宅も
崩れはじめている
すべてはほろびへと向かう
人びとのいのちと
人びとがつくった都市と
ほろびをきそいあう
ストロンチウム九〇 半減期   二七.七年
セシウム一三七   半減期      三〇年
プルトニウム二三九 半減期 二四四〇〇年
セシウムの放射線量が八分の一に減るまでに九十年
致死量八倍のセシウムは九十年後も生きものを殺しつづける
人は百年後のことに自分の手を下せないということであれば
人がプルトニウムを扱うのは不遜というべきか
捨てられた幼稚園の広場を歩く
雑草に踏み入れる
雑草に付着していた核種が舞いあがったにちがいない
肺は核種のまじった空気をとりこんだにちがいない
神隠しの街は地上にいっそうふえるにちがいない
私たちの神隠しはきょうかもしれない
うしろで子どもの声がした気がする
ふりむいてもだれもいない
なにかが背筋をぞくっと襲う
広場にひとり立ちつくす


この詩は、神戸・島田ギャラリー ・島田誠さんのメールマガジンで知った。

著者は、南相馬市在住で高校の国語教師をしていた老詩人(1935年生まれ)。今は、福島市の親類宅に避難されておられるようだ。

詩集の「注記」によると、この詩は1994年5月にチェルノブイリ福島県民調査団に参加された時に詠まれた連詩「かなしみの土地」の1つ。

チェルノブイリで詠まれたのに、福島原発の現実と将来を見事に"予言"していて戦慄を呼ぶ。

昨年発刊されたこの著者の詩集 「北緯37度25分の風とカナリア」(弦書房・2010年刊)に収められた「みなみ風吹く日」では、国と電力会社が隠匿を重ねてきた事実を白日のもとにさらす驚がくの言葉が重ねられ、翌年に起きた福島原発事故の"予言書"そのものにみえる。

    
岸づたいに吹く
南からの風がここちよい
沖あいに波を待つサーファーたちの頭が見えかくれしている
福島県原町市北泉海岸
福島第一原子力発電所から北へ二十五キロ
チェルノブイリ事故直後の住民十三万五千人が緊急避難したエリア
の内側

たとえば
一九七八年六月
福島第一原子力発電所から北へ八キロ
福島県双葉郡浪江町南棚塩
舛倉隆さん宅の庭に咲くムラサキツユクサの花びらにピンクの斑
点があらわれた
けれど
原発操業との有意性は認められないとされた

たとえば
一九八〇年一月報告
福島第一原子力発電所第一号炉南放水口から八百メートル
海岸土砂 ホッキ貝 オカメブンブクからコバルト六○を検出
たとえば
一九八〇年六月採取
福島第一原子力発電所から北へ八キロ
福島県双葉郡浪江町幾世橋
小学校校庭の空気中からコバルト六〇を検出
たとえば
一九八八年九月
福島第一原子力発電所から北へ二十五キロ
福島県原町市栄町
わたしの頭髪体毛がいっきに抜け落ちた
いちどの洗髪でごはん茶碗ひとつ分もの頭髪が抜け落ちた
むろん
原発操業との有意性が認められることはないだろう
ないだろうがしかし
南からの風がここちよい
波間にただようサーファーたちのはるか沖
二艘のフェリーが左右からゆっくり近づき遠ざかる
気の遠くなる時間が視える
世界の音は絶え
すべて世はこともなし
あるいは
来るべきものをわれわれは視ているか


 原発事故直後の今年5月。2編の詩を含めた若松丈太郎さんの著作集 「福島 原発難民 南相馬市・一詩人の警告 1971-2011」(コールサック社刊))が発刊された。

発行者の 鈴木 比佐雄さんは、本の解説で、こう書いている。

若松さんの視線はこの四十年間、少しも変わらずに原発を告発し続けてきた。チェルノブイリにも行き、南相馬市と同じ二十五㎞に地点はどのような放射能の被害を受けているのかを南相馬市の未来として予言している。また原発従事者の中で詩や短歌を作っている人びとの苦渋に満ちた作品も紹介し、原発が地域住民を取り込みながら被曝者とさせていく悲劇を抉り出している。原発の悲劇を直視して自らも難民となった若松さんの告発・警告の書である『福島原発難民』を、原発と人類は共存できないと考える人びとや、また原発推進者であったが疑問を持ち始め、自然エネルギーの可能性を模索しようとする多くの人びとに読んでほしいと願っている。


 福島の詩人といえば、 和合亮一さん の3部作「詩の礫」「詩の黙礼」「詩の邂逅」が、新聞やテレビで評判になっている。

 読んでみたが、根っからの散文人間のせいだろうか?表題の老詩人の詠んだ詩のほうが身にしみてくる。大新聞が、若松丈太郎の著作を取りあげないのはなぜかと思う。

2011年7月26日

読書日記「津波と原発」(佐野眞一著、講談社刊)


津波と原発
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 東日本大震災からもう4か月あまり。そろそろ関連の本から離れたいと思うのだが・・・。

 「津波と原発」というあまりに直截的な表題。読むのをいささかちゅうちょした。しかし、さすがにピカイチのノンフィクション作家、冴え冴えとした月光が、瓦礫に下にまだ多くの遺体が横たわっているはずの無人の廃墟を照らしている。
 それは
ポール・デルボーが描く夢幻の世界のようでもあり、上田秋成「雨月物語」の恐怖と怪奇の世界が、地の果てまで続いているようでもあった。
 骨の髄まで凍てつく不気味な世界だった。いま見ているのは黙示録の世界だな。これは、きっと死ぬまで夢に出るな。建物という建物が原型をとどめてないほど崩落した無残な市街地の光景を眺めながら、ぼんやりそう思った。


新宿ゴールデン街「ルル」の元ママの"おかまの英坊"を大船渡の避難所で探しあてた。
 
「いま、火事場ドロボーみたいな連中が、あちこち出没しているらしいの。五,六人の集団が車で乗りつけて、無人の家の中に入り込んで金目のものを盗んでいるらしいの。・・・津波で流された車からガソリンなんかも抜き取るそうよ。だからここでは、いま夜間パトロールしているのよ」


 
私は地震直後、東京新聞に寄稿した短文に「これほどの大災害に遭いながら、略奪一つ行われなかった日本人のつつましさも誇りをもって未来に伝えよう」と書いた。
 だがこの話しを聞いて、そんなナイーブな考えも改めなければならないかもしれない・・・。この未曾有の大災害は、人間の崇高さも醜悪さも容赦なくあぶり出す。


 宮古市の田老地区を訪ねる。津波は二重に設けられた高さ十メートルの防潮堤を楽々と越え、見渡す限り瓦礫の荒野にしてしまっていた。
しかし、どんな大津波も海の上では陸地を襲うほどの波の高さはないという。だから、仮にその上を船が走っていても、揺れはほとんどないらしい。このため、三陸地方には、古くから多くの怪異譚が伝わっている。
 
漁から帰ったら、村が忽然と消えていた。そんな信じられない光景を見て、一夜にして白髪になった漁師がいた。なかには、恐怖のあまり発狂した漁師もいた。
 帰って見ればこは如何に 元居た家も村もなく 路に行きあう人びとは 顔も知らない者ばかり・・・と童謡に歌われた浦島太郎の話しは、こうした津波伝説から生まれたといわれる。


 花巻市で、日本共産党の元文化部長で在野の津波研究家の山下文男氏を見つけ出す。陸前高田市の病院4階で津波に襲われ、窓のカーテンを腕にぐるぐる巻きにして助かった、という。「津波が来たら、てんでバラバラに逃げろ」という意味の 「津波てんでこ」という本を書いている。

 
「田老の防潮堤は何の役にも立たなかった。それが今回の災害の最大の教訓だ。ハードには限界がある。ソフト面で一番大切なのは、教育です。海に面したところには家を建てない、海岸には作業用の納屋だけおけばいい。それは教育でできるんだ」
 「日本人がもう一つ反省しなきゃならないのは、マスコミの報道姿勢だ。家族の事が心配で逃げ遅れて死体であがった人のことを、みんな美談仕立てで書いている。これじゃ何百年経っても津波対策なんてできっこない」


 立ち入り禁止区域の浪江町や富岡町に畜舎に潜入した。あばら骨が浮き出た死体のそばで、肩で息をしている牛がいた。豚も折り重なるように死んでいた。腐敗臭がすさまじく「共食いされたのだろうか、内臓がむき出しになった豚もいた」。

 農業法人代表取締役の村田淳氏は、立ち入り禁止の検問をかいくぐって、牛たちに水トエサを与えてに通っている。
 
「瀕死の状態の牛を安楽死させるっちゅうのは、仕方ない。でも元気な牛を殺す資格は誰にもねえ。平気で命を見捨てる。それは同じ生き物として恥ずかしくねえか」
 「(東電に言いたいのは)ここへ来て、悲しそうな牛の目を見てみろ。・・・それだけだ」


いわき市内では福島第一原発で働く労働者に会った。
「起床は朝の五時です。(旅館で)身支度をして東電のバスで Jヴィレッジに向かいます。朝食はJヴィレッジで食べます。ジュース、お茶、カロリーメイト、魚肉ソーセージ、みそ汁、真空パックのニシンの煮つけ、クラッカーなど好きなものが食べられますが、冷たいものが多くてあまり食指は動きません。
 原発に向かうバスに乗り込む前は、必ずタバコを一服します。心を落ち着かせるためですが、一服していると、これが最後の一服か、と思う瞬間がありますね」


 炭鉱の労働者からは「むやみに明るい『炭坑節』が生まれた」。「炭鉱労働が国民の共感を得たことは、東映ヤクザ映画に通じる『川筋者』の物語が数多く生まれたことでもわかる。その系譜は斜陽化した常磐炭鉱を再生する 「フラガール」の物語までつながっている。

 
だが、原発労働者からは唄も物語も生まれなかった。原発と聞くと、寒々とした印象しかもてないのは、たぶんそのせいである。原発労働者はシーベルトという単位でのみ語られ、その背後の奥行きある物語は語られてこなかった。


 
それは、原発によってもたらされる物質的繁栄だけを享受し、原発労働者に思いをいたす想像力を私たちが忘れてきた結果でもある。原発のうすら寒い風景の向うには、私たちの恐るべき知的怠慢が広がっている。


2011年6月11日

読書日記「放射能汚染の現実を超えて」(小出裕章著、河出書房新社刊)


放射能汚染の現実を超えて
小出 裕章
河出書房新社
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 先日、神戸の書店・ジュンク堂本店をのぞいたら、震災、原発関連の本を100冊近く集めたコーナーが特設されていた。
 それだけ「これからの日本、人々の生き方を変える」かもしれない震災、原発事故への関心が高いということだろう。

 原発関係では、前回のブログでふれた反原発学者の小出裕章・京大原子炉実験所助教の著書も何冊か並んでいた。ただ、これらは小出さんの考えもあり、復刊されたり、過去の論文を編集者が本にしたりしたものばかりのようだ。
 表題の著書も、20年前の1992年に出されたのを、この5月に復刊したものだ。

 旧ソ連チェルノブイリ原子力発電所で世界にまき散らされた放射能に人々がどう立ち向かうべきかが主な内容だが「今回の福島原発事故で放射能汚染された水と空気が次々と噴き出している」現実が目の前にあるだけに、身が震えるような記述になっている。

 小出氏が、チェルノブイリ事故によるソ連・ヨーロッパ地域のセシウム汚染の被害予測をしたところ、約80万人強がガンで死ぬという予測が出た。データがなかったため予測ができなかったヨウ素やルテニウム、ストロンチウム、プルトニウムを入れると「100万から200万の人が、今後ガンで死ぬ」という予測をしている。
 しかも、そのほとんどが発ガンの危険度が高い幼児、とくに0歳児に集中するという。

 チェルノブイリ事故による放射能汚染は、ソ連とヨーロッパだけではない。
 8千200キロも離れた日本にも風に乗ってやってきて、牛乳や野菜、母乳まで汚染していることを、小出氏は検査結果で示している。

 当時、知人から送られてきた有機農法の玄米のデータを調べて、小出氏は″仰天″した。「有機農法米に含まれていたセシウム137濃度が化学肥料米の30倍もあったのだ。
 ところが、小出氏がセシウム汚染の寄与度を調べてみると、チェルノブイリ事故の寄与は全体の6%しかなく、残りは世界各地で行われてきた核実験の結果でもあることも分かった。

 セシウムと同じような「化学的挙動をする」カリウムでつくられる肥料は、地中深く眠っている岩塩からできている。
 ところが「(放射能で汚された)地表で育った作物をもう一度堆肥にして、何度かまたそれを再循環させていく」有機農法は、放射能汚染から逃れようがないのだ。

 国内産の食糧だけではない。現在でも放射能で汚染された輸入食糧が、政府の「根拠のない規制値」のせいで、どんどん入ってきている。
 しかし、その規制を強化することは「汚染食糧が原発から生みだされる電力の恩恵をまったく受けていない発展途上国に向かうということを意味する」と、小出さんは釘をさす。
 「原発の恩恵を受けている国は、汚染も受け入れ(汚染食糧を食べる)べきだ」「被爆に
安全量はない。・・・消費者が汚染された農産物・海産物を拒否すれば、農業と漁業は崩壊する」

 小出さんの主張は、福島の事故であわてふためく我々に、鋭い刃を突き付ける。

 なにより心配なのは、これから生きていくこどもたちのことである。

 子供たちの被爆被害が少ないことを祈りながら、今回の"フクシマの灰″でさらに汚染された静岡や千葉産のお茶を飲み、汚染牧草をはんだ牛肉、東北沖から回遊してきた魚を食べ続けるしかない。

 週刊誌の「AERA」(6・13号、朝日新聞出版)が「放射能とがん」という特集を組んでいた。
 スウエーデンのマーチン・トンデル博士の言葉が気になった。
 「日本での堆積量は、チェルノブイリ以上かもしれません。政府が福島県内の学校での屋外活動を制限する放射線量を年間20ミリシーベルトに上げたのは、それだけ被爆量が多いという証拠。深刻な問題です」
 博士が日本について懸念するのは、スウエーデンよりもはるかに人口密度が高いからだ、という。

 よく理解できなかったが、こどもたちが公園に行けば、それだけ被爆の機会が増えるということと同じ理屈なのだろう。

 本格的な夏に向かって、プールに入れず、校庭や公園でも遊べないこどもたち・・・。
 そんな状態を招いてしまったのは、原発を容認し、その恩恵を受けてきた我々の責任でもある。

 同じ小出さんの著書隠される原子力 核の真実」(創史社刊)に「原子力から簡単に足が洗える」という気になる章がある。

     
日本では現在、電力の約三〇%が原子力で供給されています。そのため、ほとんどの日本人は、原子力を廃止すれば電力不足になると思っています。
 しかし、発電所の設備の能力で見ると、原子力は全体の一八%しかありません。その原子力が発電量では二八%になっているのは、原子力発電所の設備利用率だけを上げ、火力発電所のほとんどを停止させているからです。・・・それほど日本では(火力)発電所が余ってしまっていて、年間の平均設備利用率は五割にもなりません。
 過去の実績を調べてみれば、最大電力需要量が火力と水力発電の合計以上になったことすらほとんどありません。
 極端な電力使用のピークが生じるのは一年のうち真夏の数日、そのまた数時間のことでしかありません。かりにその時にわずかの不足が生じるというのであれば、自家発電をしている工場からの融通、工場の操業時間の調整、そしてクーラーの温度設定の調整などで十分に乗り越えられます。


    
今なら、私たちは何の苦痛も伴わず原子力から足を洗うことができます。


 もう一度、表題の著書「放射能汚染の現実を超えて」に戻る。

 
いま大切なことは、一刻も早くエネルギー浪費型の社会構造を廃止させることであり、いかにすればエネルギーを浪費せずに、なおかつ快適な生活ができるかを、社会の構造自体にたちかえって検討し直すことである。
 米国では、すでに一九七九年から新規の原発の発注が一基もなく、・・・ コジェネレーションと再生可能なエネルギーによる発電計画・・・の総量は六三〇〇万キロワットにのぼっている。現在の日本の原子力発電所の総出力が三八基、二九〇〇キロワットであることと比べれば、米国はすでにその倍以上のエネルギーをコジェネレーションや再生可能エネルギー源に求めようとしているのである。




2011年5月28日

読書日記「チェルノブイリ原発事故(原題・故障)ーーある一日の報告」(クリスタ・ヴォルフ著、保坂一夫訳、恒文社刊)


チェルノブイリ原発事故 (クリスタ・ヴォルフ選集)
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 「朝日の文化欄(5月18日付け)で、大江健三郎がこの小説を取り上げている」。友人・Mに教えられ、さっそく図書館のホームページで予約、書庫に収まっていたのをすぐに借りることができた。

 大江健三郎は、こう書いている。「福島原発の事故にあたって、私自身が見聞すること、家族の話すことの多くに、これは覚えていると既視感(デジャヴ)を抱いた根拠がこの本にあると気付いて・・・」
「デジャヴ」というのは、あまり聞いたことがなかった言葉だが、フランス語が語源らしい。辞書には「初めての経験なのに、かつて経験した感じがするような錯覚」とある。

 著者は、旧東ドイツを代表する女性作家。
 邦訳の表題は、えらく直截的な表現になっているが、東ドイツに一人暮らしをしている女性作家が、離れた場所で脳腫瘍手術を受けている弟を気遣いながらチェルノブイリ原発事故のニュースを聞いている、というのが小説のあらすじ。「破局的現在に至った文化の過去を反省する一日の報告」(訳者あとがき)だという。

 しかし読み進むうちに、福島原発事故の後、日本人の多くが味わったであろう″既視感(デジャヴ)"に出会い、ギョッとしてしまう。

 
いつもの習慣で歩きながら、毎日の昼食のサラダ用に、小さな、やわらかいタンポポの葉を摘んできたのですが、それはやはり棄てることにしました。別々の局に合わせてある小型ラジオも大型ラジオも、時報ごとに声を合わせて、生野菜は食べるな、子供に新しい牛乳を与えるな、と言い続けていますし。・・・中にはとんでもないことを考える人もいるもので、ある放送局のある町では、きのうのうちに、町じゅうのヨウ素錠剤の在庫がすっかり買い占められたそうです。


はっと気づいて、急いでベルリンへ電話しました。・・・きのうの午後は、もちろん子供たちと砂場へ行ったわよ。くやしいのは、そのあと身体を洗ってやらなかったこと。そう、お母さん、聞かなかった?子供が外から帰ってきたら、シャワーを浴びせるのよ。お風呂は皮膚をやわらかくし、毛穴が開くから、放射能をわざわざ体内に入れてやることになるの。考えすぎかしら?それならいいんだけど。


 
深夜、泣き声がしました。わたしはびっくりして、とび起きました。完全な怪物だ!と叫んでいます。・・・しばらくたってから、ようやく気づきました。それはわたしの声でした。わたしはベッドに座って大声で泣きました。・・・わたしは大声で叫びました。
 この地球に別れを告げることになるのでしょうか?そうなったら。あなた、さぞ、つらいことでしょうね。


 図書館でボランティアをしていたとき。返ってきた「ぼくとチェルノブイリのこどもたちの5年間」(菅谷昭著、ポプラ社)という本を思わず借りてしまった。

 チェルノブイリ事故によって、原発のあるウクライナ共和国だけでなく、北隣りのベラルーシ共和国は国土の20%が大きな被害を受けた。季節風で放射能の灰の半分が風下のベラルーシに運ばれたからだ。おかげで、小児性甲状腺ガンが増え続けるという悲惨な状況になった。

 筆者の甲状腺専門医である菅谷さんは、ベラルーシで暮らしながら、現地医師の訓練とこどもたちの甲状腺ガン手術に取り組んだ。

 
(入院しているこどもの)面会に来ている親たちが、悔やんでも悔やみきれない思いを抱えていることをぼくは感じます。
  あのとき、外で遊ばせなければ・・・。
  あのとき、キノコを食べさせなければ・・・。
  あのとき、イチゴをとりに森に連れていかなければ・・・。


 
事故が起きた当時、お母さんはまだ一歳にならないターニャを連れ、(チェルノブイリから50キロしか離れていない)自分の実家でジャガイモの植え付け作業を手伝っていました。よちよち歩きを始めたばかりのターニャは、広大な畑の隅っこで、春の陽ざしをいっぱいに浴びながら、無邪気に遊びつづけていたのです。もちろんこのとき、原発史上最悪の爆発事故が起こったなどという情報は、村人のだれひとりとして知りませんでした。
 しかしその数カ月後、この村はあまりに高度に汚染されたため、政府の命令でただちに埋められ、地図の上からも消されてしまったのです。
 ・・・埋葬しなければならぬほどの村で、ターニャは遊びつづけていたのです。


 小説「「チェルノブイリ原発事故」の巻末には、反原発学者と知られた元原子力資料情報室代表の故・高木仁三郎氏の寄稿が掲載されている。

 
私の頭を悩ますのは、・・・各国政府やIAEAは、あの事故のことは過去の出来事と済ませてしまって、以前と基本的に同じような原子力計画をつづけていることである。・・・核の時代のツケがさまざまな形で混乱と霧を広がらせ、「次のチェルノブイリ」を予感させるような事例はいくらでもあげることができるが、ほとんどは世界全体によって見て見ぬふりをされているといってよいだろう。


 その高木さんが、16年前に書いた学術論文「核施設と非常事態――地震対策の検証を中心に―」(日本物理学会誌、Vol.50No.10,1995) が、今回の福島第一原発事故をピタリと予言していてネット上で話題になっているようだ。

「(地震とともに津波に襲われたとき) 原子炉容器や1次冷却材の主配管を直撃するような破損が生じなくても、 給水配管の破断と緊急炉心冷却系の破壊、非常用ディーゼル発電機の起動失敗といった故障が重なれば、メルトダウンから大量の放射能放出に至るだろう」


 もうひとつ。友人の岡田清治氏が、自分のホームページに書いていたように、福島事故発生直後にメルトダウンを予想した反原発学者の京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏が、今月23日の参議院行政監視委員会で参考人として陳述した。この 録画動画 の内容には戦りつさえ覚える。

 それを"文字起こし"した内容は、このブログに載っている。

 
失われる土地というのはもし、現在の日本の法律を厳密に適応するのなら福島県全域といってもいいくらいの広大な土地を放棄しなければならないと思います。
 それを避けようとすれば住民の被曝限度を引き上げるしかなくなりますけれど、そうすれば住民たちは被曝を強制されるという事になります。
一次産業はこれからものすごい苦難に陥るようになると思います。農業・漁業を中心として商品が売れないという事になる。そして住民達は故郷を追われて生活が崩壊していくという事になるはずだと私は思っています。


 福島のこどもたちが、甲状腺ガンの原因になる放射性ヨードを浴びないことを、そして放射能が風に乗って孫らのいる関東地域に広がらいようにと、ひたすら願う。