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2018年4月30日

2泊3日で山陰山陽を周遊(6) 津和野 3月31日

3日目は萩を出発して津和野を観光して、宮島へ行くという行程だった。 宮島で厳島神社を参拝した後は 広島から新幹線に乗れば良いのだが、バスで岡山へ行く。岡山発19:33発ののぞみ58号で新横浜着22:34だ。
 宿を出発したバスは、萩市内で村田蒲鉾店に寄った。なかなか立派な店舗だった。 山口県・萩が発祥とされる焼き抜き製法を守り、初代の蒲鉾への思いを受け継ぎ萩の蒲鉾の原料となる新鮮な生のえそのみを使用した特別な蒲鉾づくりを続けてきているという。農林水産大臣賞を受賞した国産エソ100%の焼き抜き蒲鉾「村四郎」が売りのようだが、土産にしたところ、評判は良かった。
 萩から津和野へは、国道315号で、1時間ほどだった。道中、バスガイドさんが、今回松下村塾に行けなかったのを気の毒に思ってか、 吉田松陰 について、師の佐久間象山と黒船を遠望観察し、西洋の先進文明に心を打たれたこと。嘉永7年(1854年)にペリーが日米和親条約締結の為に再航した際には、漁民の小舟を盗んで旗艦ポーハタン号に漕ぎ寄せ、乗船したが、渡航は拒否されて小船も流されたため、下田奉行所に自首し、伝馬町牢屋敷に投獄されたこと。幕府の一部ではこのときに象山、松陰両名を死罪にしようという動きもあったが、国許蟄居となり、長州へ檻送された後に野山獄に幽囚されたこと。安政6年(1859年)、安政の大獄に連座し、江戸に檻送されて伝馬町牢屋敷に投獄され、結果、同年10月27日、伝馬町牢屋敷にて斬首刑に処され、享年30歳で亡くなったことを話してくれた。
  津和野町は人口約7千人の島根県南西に位置する街である。 バスは津和野の銘菓「源氏巻」の「沙羅の木ことぶきや」という店の駐車場に止まり、その店の従業員の方が、津和野の小京都といわれる殿町通りを案内してくれた。
 津和野観光はそれだけだったので、ちょっと物足りなかった。30年近く前、福岡に勤務していたころ、夏休みに家族で津和野を訪れたことがある。その時は城山の麓から中腹にかけて朱塗りの鳥居が立ち並ぶ太鼓谷稲成神社や、キリシタン殉教の地として知られる乙女峠に建つマリア聖堂にも行ったのを思い出す。

94.​「北門屋敷」の庭に咲く椿
萩は昔は椿の郷と呼ばれ、ツバキ→バキ→ハギとなったのが、萩の名の由来という。​​​​​​​

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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95.「北門屋敷」の庭
​朝食後、宿「北門屋敷」の庭を歩いてみた。中庭のようになっていて、決して広くはないが、よく手入れされている。ここでも桜がきれいだった。​

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 34mm ISO125 ) 露出補正 なし
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96.「北門屋敷」入口の門
「北門屋敷」があるところも萩城下町で旧上級武家地だった。世界遺産に登録されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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97.山口県立萩高等学校
「北門屋敷」の門の前には 山口県立萩高等学校 があった。1718年(享保3年)に創建された長州藩の藩校である明倫館の流れを汲んで、1870年(明治3年)に萩中学校として創立された 。山口高校と並んで県下で最も古い歴史を有する高校の一つである。なお、前身の藩校設立時点から数えれば、1816年(文化12年)設立の山口講堂の流れをくむ山口高校をしのいで、県下最古の学校である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.​5​ 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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98.津和野銘菓「源氏巻」 沙羅の木ことぶきや
9時50分ごろ津和野町に着いた。バスは、JR津和野駅の前を通って、写真の菓子舗の駐車場に入った。有効に商売に結び付けられているようだ。クラブツーリズム、阪急交通社など多くの観光バスツアーが予約されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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99.津和野カトリック教会
殿町通りに出るとカトリック教会があった。国登録有形文化財になっている。内部は畳敷きで、鮮やかなステンドグラスが印象的な石造りの教会というが中は見られなかった。シェーファー神父によって建てられたもの​だそう​で、城下町の古い町並みに西洋ゴシック建築の建物がひときわ目を引​く​。 隣接する展示館にはカトリックの殉教に関する歴史資料​が​展示​されている​。 津和野駅の裏手の乙女峠に、キリシタン殉教史跡であるマリア聖堂​がある。​

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
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100.殿町通り -1
町の中心部にある殿町通りは、城下町時代の古いたたずまいを残す。整備されていてなかなか魅力的な場所だ。藩校養老館跡、郡庁跡、津和野藩家老多胡家表門、カトリック教会などたくさんの歴史を感じさせる建物が集中している。この写真はカトリック教会の前から、藩校養老館跡方面を見たところだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
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101.殿町通り -2
朝早いためか、殿町通りはわたくしたち以外に観光客はいない。この道、車が通るのだ。しっかり徐行してくれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
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102.大岡家老門
なまこ壁が続くその中央にある門は大岡家老門と書かれた柱がたてられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
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103.掘割
大岡家老門の道の反対側は、通りに沿って流れる掘割があり、白壁や並木の緑が映り込み、鮮やかな色をした、300~500匹の色とりどりの鯉が泳いでいる。もともと津和野の鯉は江戸時代に非常食用として飼われていたものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO200 ) 露出補正 なし
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104.なまこ壁と桜
​今歩いた道を振り返ってみる。なまこ壁と、ここでも満開の桜がきれいだ。​

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
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105.旧津和野藩家老多胡家表門 -1
​殿町通りは津和野川にかかる津和野大橋の手前まで続くが、殿町通りが終わりになるあたりに旧津和野藩の筆頭家老であった多胡家表門があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
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106. 旧津和野藩家老多胡家表門 -2
多胡家は津和野藩の筆頭家老職を藩主亀井家十三代にわたり務めた。幕末の安政年間(1854〜1860)に建造されたものである。太い竪格子(たてごうし)の窓や古い土塀は、簡素であるが武家屋敷らしい威厳に富んでいる。多胡氏は筆頭家老として代々藩の政治を実質的に担ってきたが、なかでも天和から元禄にかけての真益(さねます)、真武(さねたけ)兄弟(ともに通称主水:もんど)は殖産興業を強力に推進したことで知られる。開墾、干拓、造林に力をつくし、製紙、製茶の奨励につとめた。末弟の外記真蔭(げきさねかげ)は江戸家老として、浅野事件の前年藩主の危機を救ったといわれ、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の加古川本蔵のモデルという。( しまね観光ナビ 参照)

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
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107.鷺舞のモニュメント
​殿町通りを津和野川河岸まで来ると​鷺舞のモニュメントがあった。鷺舞とは主として八坂信仰の神社にて奉納される伝統舞踊​で、​島根県津和野町及び京都市の八坂神社で奉納されるものが著名である。津和野町のものは平成6年(1994年)「津和野弥栄神社の鷺舞」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。​

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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108. 殿町通り -3
殿町通りの北西側を歩いてカトリック教会の方へと戻る。こちら側の堀には鯉は泳いでいなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
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109.津和野町役場津和野庁舎
さっきは道の反対側から見ていた家老職大岡家の表門の中に入ってみる。敷地内には遺構がなく現在は 津和野町役場津和野庁舎となっていた。 教育委員会、福祉事務所が併設されている。大正時代の建物がそのまま役場の庁舎として使われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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110.屋敷
大岡家表門の並びに「井川」「下間」という表札が掛かった武家屋敷の立派な門があった。門の奥には大きな屋敷も見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
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111.津和野の街
殿町通りをひとまわりした後、バスへの集合時間までの間、JR津和野駅のほうへ歩いてみた。街にはこんな店があった。「Cafe 二代目 この実」という看板が掛かっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
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112.JR津和野駅
山口線を津和野から新山口まで運行されている貴婦人(C57)けん引の山口号が有名である。私も以前に乗ったことがある。残念ながら駅郊外にSLの姿はなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 81mm ISO100 ) 露出補正 なし
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113.常光寺
バスに戻るときに山口線線路の反対側に小さなお寺が見えた。行ってみると、浄土真宗本願寺派のお寺だったが、由緒などはわからなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 26mm ISO100 ) 露出補正 なし
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2012年3月22日

世田谷線巡り 3月6日 1/3


 1月に都電荒川線に乗った。昭和29年から3年間ほど、駒沢に住んだことがある。小学校の6年から中学2年にかけてであった。当時のいわゆる玉電は、渋谷から二子玉川へ、いわば本線が走り、駒沢は三軒茶屋から4つ目の駅だった。私立の中学を受験した時もこの玉電に乗って渋谷に向かった。雪が降った日で、玉電は大橋から道玄坂の上までの坂道を登れなかった。親父がタクシーで受験校まで連れて行ってくれたのを思い出す。
 その玉電は、今や世田谷線として、三軒茶屋と下高井戸の間を専用軌道を走る。美しいカラフルな車体がTVドラマなどでもしばしば登場する。そういえばこの世田谷線にはまだ乗ったことがないと思い、午前中に雨がやみ暖かくなったこの日、思い立ってG12を持って出掛けた。
 なお、松陰神社のことについては、Wikipediaの記述を多々引用させていただいた。

1.三軒茶屋駅
横浜から東横線で渋谷に出て、田園都市線の乗換、三軒茶屋に着いたのは12時半少し前だった。世田谷線三軒茶屋駅の切符売場で、沿線内なら何度乗り降りしても良い320円の「世田谷線散策きっぷ」を買った。1回の乗り降りでは140円なので、3回でもとがとれる。 世田谷線散策きっぷ 世田谷線の三軒茶屋駅は線路が1本しかない。停まっている電車が発車してから、次発の電車がやってくる。あとで気がついたことだが、電光行き先表示板の「下高井戸」がはっきり見える。シャッタースピードは1/125秒だった。偶然旨くいったのはこの1枚だけ。先日都電荒川線で経験しているのに、このことを全く忘れてしまい、明るいところで撮った電車はすべて、行き先表示を写し撮れていない。同じ失敗をしてしまった。308・レッド

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/125秒 9.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
三軒茶屋駅;クリックすると大きな写真になります
2.三軒茶屋を出発
三軒茶屋駅を出発した電車は、西太子堂へ向かう。私はここは電車に乗らずに歩くことにした。西太子堂駅まで300mだ。世田谷線は若林の環七の踏切以外は全て専用軌道を走る。308・レッド

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/1250秒 12.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
三軒茶屋を出発;クリックすると大きな写真になります
3.目青不動尊
三軒茶屋駅の裏手に回り、世田谷線線路沿いを西太子堂に向けて、歩き始めた。すぐ右側に天台宗竹園山最勝寺教学院目青不動尊というのがあった。目黒川傍に勤務先があったときに、よく初詣に出かけた目黒不動が有名だが、五色不動といって、五行思想の五色(白・黒・赤・青・黄)の色にまつわる名称 や伝説を持つ不動尊があるそうだ。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 9.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
目青不動尊;クリックすると大きな写真になります
4.三軒茶屋の高層ビル
目青不動尊を出てきたところから、三軒茶屋駅の方を振り返ると、1996年にできたキャロット・タワーという高層ビルがそびえていた。307・バイオレット

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 9.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
三軒茶屋の高層ビル;クリックすると大きな写真になります
5.西太子堂駅
西太子堂駅の三軒茶屋行きのホームに上がってみる。都電荒川線と同様に改札口はない。オレンジ色の車体がきれいだ。309・オレンジ

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 13.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
西太子堂駅;クリックすると大きな写真になります
6.若林稲荷神社
次の若林へは若林稲荷神社を見て行こうと、少し線路から離れて歩く。由緒としては江戸時代中期の明和6年(1769)にこの社へ土地が奉納されたという記録があるそうで、その頃もしくはそれ以前からあったことが知られている。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/1250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
若林稲荷神社;クリックすると大きな写真になります
7.若林稲荷神社本殿
紅い鳥居をくぐり、狐様のお出迎えを受け、朱塗りの本殿に参る。どこから見ても稲荷神社であるが、本殿の額を見ると「稲荷神社・天祖神社」と書かれていた。これは、もともと代田にあった神明社を合祀したものだという。神明社は常林寺という寺の内宮だったそうだが、明治10年(1877)に常林寺が焼失してしまったため、この稲荷神社に合祀されたということだそうだ。だからここには、稲荷神社の倉稲魂命と天祖神社(神明社)の天照大神が祀られていることになる。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1000秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
若林稲荷神社本殿;クリックすると大きな写真になります
8.環七若林踏切
世田谷線は交通量の多い国道138号線(環状7号線)と平面交差する。信号も鉄道優先でなく、電車が信号に従って停車し、道路交通に合わせて信号が変わるのを待つ。自動車はこの踏み切りに関しては「一旦停止」の義務はなく、ただの信号機のある交差点である。306・イエロー

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/1250秒 13.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
環七若林踏切;クリックすると大きな写真になります
9.若林天満宮
境内には紅梅、白梅が咲いていた。若林天満宮(若林北野神社)は環状七号線沿いの若林駅近くにある小さな神社だ。祭神は菅原道真で学問の神様で、創建不明であるが本社は15世紀以前からこの場所にあったと伝えられる。道路沿いにすぐ階段があり、数段上るともう本堂で、境内も狭い。環状七号線建設時に道の拡張に伴って境内の前の方は大幅に削られ、先に訪れた若林稲荷神社に合祀され、本堂だけが残されて現在のような寂しい状態になったそうだ。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1000秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 +0.7段
若林天満宮;クリックすると大きな写真になります
10.世田谷線車内
若林から次の松陰神社前まで、初めて三軒茶屋駅で購入した「世田谷線散策きっぷ」を使用して電車に乗った。車内は明るい。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/320秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
世田谷線車内;クリックすると大きな写真になります
11.松陰神社
駅前の賑やかな商店街を抜け、松陰神社の正面に出る。初めて訪れたがとても立派なお社である。山口県萩市にも松陰神社があり、1984年か85年だったか、福岡勤務時代、夏休みに萩、津和野へ家族旅行をした思い出があるが、その折に参拝した記憶がある。松陰神社は、江戸時代末(幕末)の思想家・教育者である吉田松陰を祭神とする神社であり。松陰の墓所があるここ世田谷と、松陰の生誕地である山口県萩市にある。どちらも、学問の神として崇敬を受けている。世田谷の鎮座地にはかつて長州藩主の別邸があった。松陰が安政の大獄で刑死した4年後の文久3年(1863年)、高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の回向院にあった松陰の墓が当地に改葬されたとのこと。明治15年(1882年)11月21日、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社がここ、世田谷に創建されたとのこと。現在の社殿は昭和2年から3年にかけて造営されたものである。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/1250秒 15.7mm ISO400 ) 露出補正 なし
松陰神社;クリックすると大きな写真になります
12.吉田松陰の墓所
吉田松陰は長州藩士にして思想家、教育者、兵学者。明治維新の事実上の精神的理論者とされる。安政5年(1858年)、幕府が勅許なく日米修好通商条約を結ぶと松陰は激しくこれを非難、老中・間部詮勝の暗殺を企てた。長州藩は警戒して再び松陰を投獄。安政6年(1859年)、幕府の安政の大獄により長州藩に松陰の江戸送致を命令。松陰は老中暗殺計画を自供して自らの思想を語り、同年、江戸伝馬町の獄において斬首刑に処される、享年30(29歳没)。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 6.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
吉田松陰の墓所;クリックすると大きな写真になります
13.松陰神社御社殿
大鳥居をくぐって参道をまっすぐ進むと立派な社殿があった。吉田松陰ほか烈士の墓所はこの左側にある。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 13.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
松陰神社御社殿;クリックすると大きな写真になります
14.松下村塾
有名な松下村塾は 山口県に現存する。 この写真は世田谷の松陰神社の境内にある模築である。長州で松陰の叔父・玉木文之進が開いた松下村塾は、近所で塾を営む久保五郎左衛門が名前を引き継いでいた。松陰の幽囚室での講義に久保五郎左衛門が聴くようになると自然と松陰が塾の主となる。当初は3畳という僅かな幽囚室で行なわれていたものの、受講するものが増え杉家の納屋を塾舎に改修。ここに世に有名な松下村塾が誕生した。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/500秒 6.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
松下村塾;クリックすると大きな写真になります
15.石燈籠
境内には毛利元昭公を始め、先生門下の伊藤博文、山縣有朋等の縁故者より奉献された32基の石燈籠がある。その燈柱に刻されている文字は書家竹山先生の所謂、八分隷書体に成るもので貴重な文化財であるとのこと。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/500秒 8.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
石燈籠;クリックすると大きな写真になります
16.石燈籠と白梅
並んだ石燈籠の端に白梅が咲いていた。松陰神社の参拝を終え、再び商店街を通って世田谷線の松陰神社前に戻った。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 8.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
石燈籠と白梅;クリックすると大きな写真になります