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2020年12月27日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (7)百済寺 11/26

ツアー2日目の最後は湖東三山の残るひとつ、百済寺だ。約45分ほどバスに揺られて、午後3時15分、 琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する湖東三山最古の寺院、百済寺に到着した。百済寺もまた天台宗の寺院である。
 wikipediaによれば、琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する。寺伝によれば、推古天皇14年(606年)、聖徳太子の建立という。聖徳太子は当時来朝していた高麗(高句麗)の僧・恵慈とともにこの地に至った時、山中に不思議な光を見た。その光の元を訪ねて行くと、それは霊木の杉であった。太子はその杉を、根が付いた立ち木のまま刻んで十一面観音像(植木観音)を作り、像を囲むように堂を建てた。これが百済寺の始まりであるといい、百済の龍雲寺にならって寺を建てたので百済寺と号したという。平安時代には、近江国の多くの寺院と同様、比叡山延暦寺の勢力下に入り、天台宗の寺院となって、「湖東の小叡山」や「天台別院」とも称されるようになった。
 三山の中で百済寺の参道は、入口にあたる山門(赤門)から本堂までの長さが最も長いという。しかし、バスの駐車場はその参道を半分以上上がったところにあり、表門が受付になっていた。そこから本堂への参道は石段になっているが、なだら坂という迂回する脇参道もある。往きは、石段の表参道を上がり、本堂からの戻りはなだら坂を下りてきた。
 そのなだら坂を下りて来ると、別名を「天下遠望の名園」と称される本坊庭園の上の「遠望台」 に出る。そこからは西に琵琶湖をかすめて、55km先の比叡山が眺められ、広大なパノラマ展望が開けるた。
 以下、写真の説明は、wikipedia、百済寺のホームページ、境内にある説明板を参照させていただいている。

百済寺境内案内図 百済寺ホームページより X600.jpg
百済寺境内案内図 百済寺ホームページより

午後4時過ぎに百済寺を出て、宿のある草津へ戻る。この日の夕食は各自自由にということだった。折角のチャンスと思い、ホテルの人に教えてもらい、薦められた草津駅西口近くの「安田良」で近江牛を味わうことにした。
 食後、草津駅近くの繁華街を歩いてみたが、すっかり新しくなっていて、私が育ったころの田舎は影も形もない。当たり前だ。もう70年以上も前のことである。

142.長寿桜
バスの駐車場から受付のある表門へ行く途中に長寿桜が咲いていた。西明寺では不断桜と呼ばれていたが、ここでは長寿桜だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 10mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126632_142 X800 百済寺 RX10M4.jpg
143.歩かなかった参道
表門から参道に入り左へ行くと、本堂である。ふと右側を見ると、赤門から続く参道があった。ここは人が通らい。誰もいない参道は落ち葉が敷き詰められていた。 その参道が通用門からの道にぶつかるところに柵があるが、そこで三脚を立てたカメラマンが立っていた。撮影のお邪魔にならないように引き下がる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
201126637_143 X800 百済寺 RX10M4.jpg
144.石段と落葉
仁王門へと参道を歩く。まだ3時半前だが日が傾くと暗くなる。参道の石段に落ち葉が落ちていた。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126639_144 X800 百済寺 RX10M4.jpg
145.仁王門と参道
仁王門が見えてきた。 長い参道の本堂近くに立つ仁王門は、江戸時代初期、慶安3年(1650年)に本堂、赤門、とともに再建されたという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/125秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126644_145 X800 百済寺 RX10M4.jpg
146.仁王門
三間二間で一対の金剛力士像が向きあっている。金剛と力士の仁王像は寺を守る守護神で、金剛は阿形(開口)、力士は吽形(閉口)で勇猛、剛健、とくに健脚の両足に草鞋を履く「印度発祥の東洋的な神様」だそうだ。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/80秒 87mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126640_146 X800 百済寺 RX10M4.jpg
147.仁王門の草履
  仁王門の両側に百済寺のシンボル「大草鞋」が掛けられている。一昨年8年ぶりに掛け替えられたそうだ。 大草鞋は仁王が履くものとされ、触れると身体健康・無病息災の御利益があると伝えられている。草鞋が大きいほど御利益も大きいとされて、どんどん大型になっていき、今回は全長約2.5mのものが作られた。地元の方々が、約10年毎に新調するそうだ。(2018年大草鞋新調)

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/160秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126646_147 X800 百済寺 RX10M4.jpg
148.弁財天
慶安3年(1650年)に本堂とともに建立された弁天堂は、昭和の豪雪で倒壊し、平成8年に新築した御堂が平成24年の春の風害で再び倒壊し、現在は平成25年に再建された、七転び八起きの弁財天が祀られている。弁財天は、もともとインドの水を司る「河川の神」で、怒ると大洪水を、治まると台地に肥沃な恵みをもたらす「女神」として崇められ、仏教に取り入れられてからは七福神の一人として、貧困を救い財産を与える「弁財天」となったと説明されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/160秒 26mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126649_148 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
149.本堂 重要文化財
本堂は室町時代の明応7年(1498年)の火災、文亀3年(1503年)に兵火をうけ、さらに織田信長によって天正元年(1573年)全山焼失した。その後天正12年に堀秀政により仮本堂が建立。のち天海僧正の高弟亮算が入寺し、堂舎再興の勅許を得て諸国に勧進し、江戸時代の慶安3年(1650)現在の本堂が竣工したという。本堂は、入母屋造、檜皮(ひわだ)葺き。中世以来の密教仏堂の形式を残しつつ細部には近世的特質の現われた建築で、2004年(平成16年)に重要文化財に指定されている。元来の本堂は現在地の裏手にあり、規模も大きかった。また、旧本堂の右方(南)には五重塔が建っていた。本尊は木造十一面観音像である。全高3.2m。寺伝によると聖徳太子が百済博士の慧慈(高句麗僧)の案内でこの山中に分け入り、杉の大木の上半分が、百済国・龍雲寺の御本尊十一面観音のために百済まで運び出された事を知り、下半分の根の付いたままの巨木に十一面観音を刻んだことから、別名「植木観音さま」という名で崇められている。秘仏であり普段は拝観できない。一生に一度拝観出来るか出来ないかだが。2006年には、天台宗開宗1200年記念で湖東三山一斉に御開帳された。また、特例として2014年には湖東三山IC開設記念の御開帳も行われた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1200秒 212mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126655_149 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
150.鐘楼
現在の梵鐘は3代目で1955年(昭和30年)の鋳造だそうだ。初代は信長焼討ちの際に持ち帰られ、2代目(江戸時代に鋳造)は先の大戦で供出している。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
201126659_150 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
151.鐘楼ともみじ -1
金剛輪寺、西明寺に比べると百済寺のもみじは鮮やかさがなかった。少し時期が遅かったし、夕方近くになって、光量も乏しい。ここの梵鐘も参拝者が自由に打つことが出来る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/400秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126666_151 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
152.鐘楼ともみじ -2
鐘楼の間から、鐘ともみじを狙ってみたが、良い色が出せなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO3200 ) 露出補正 -1.0段
201126674_152 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
153.なだら坂
本堂、鐘楼から右回りになだら坂を下りる。とても歩き易い道だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO2500 ) 露出補正 -1.0段
201126679_153 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
154.ミツマタの群落
なだら坂の途中にミツマタの群落あった。漢字で「三椏」と書く。説明板には中国原産のジンチョウゲ科の植物で、日本の高額紙幣の原料と記されていた。3月上旬から開花をはじめ、4月下旬にかけて芳香を放ちながら萌黄色から橙色へと色合いを深めていく。観音様にお参りして三椏の花びらに優しく触れて匂いを嗅ぐと大きな「金運」と「ご利益」恵まれると伝えられているそうだ。春には舞岡公園でもさいているが、こんな群落は始めて見た。俯いて花のように見えるのは蕾だろうか?

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO2800 ) 露出補正 -1.0段
201126680_154 X800 〇百済寺 ミツマタ群落 RX10M4.jpg
155.弥勒半跏思惟石像
像高27cmの百済寺寺宝の金銅製弥勒半跏思惟像(こんどうみろくはんかしいぞう)は、 百済寺の起源に係わる仏像としてその制作年代については諸説があったが、飛鳥・白鳳時代作が最有力だそうだ。全身に火災を受けて痛々しい姿ながら、歴史を見つめてきた 秘仏であり、末永く安置、保存されることとなった。普段は見ることが出来ない。この 座高1.75m、全高3.3mの石像は平素の参拝のために拡大したもので、2000年のミレニアムを記念して、平成12年9月に建立された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126683_155 X800 百済寺 RX10M4.jpg
156.庭園遠望台
不動堂、本坊・喜見院の上に下りてきた。まだ緑色の葉が残る木々の向こうに、琵琶湖方面の眺めが開ける所だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO1000 ) 露出補正 -0.7段
201126686m_156 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
157.カエデの落ち葉
本坊外縁の辺りは人が踏み入らない敷地があり、カエデの落ち葉が敷かれていた。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
201126687_157 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
158.天下遠望
遠望台からは、喜見院の屋根越しに、湖東平野と琵琶湖をかすめて西の遠方50kmほど先に富士山のようにそびえる比叡山(標高848.3m)が眺められた。さらにその延長880km先には百済国がり、渡来人が望郷の念を抱いて眺め、母国を偲んだという。そのスケールの大きさから喜見院の庭園は「天下遠望の名園」と称されている。赤く染まる空を期待したが、まだ時間的に早かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO1000 ) 露出補正 -0.7段
201126691_158 X800 百済寺 RX10M4.jpg
159.本坊庭園
喜見院は今とは別の場所にあったが、元文元年(1736年)に焼失、翌元文2年(1737年)に仁王門下の左方に移転し、1940年(昭和15年)に現在地に移転して本坊となっている。この庭は東の山を借景に山腹を利用し、大きな池と変化に富む巨岩を配した豪華な池泉廻遊式ならびに観賞式の庭園で 現代鈍穴流  の作法で作庭されている。とくに聖徳太子の願文に「一宿を経るの輩は必ず一浄土に生る」とあるというが、これにちなんでこの庭も東の山には弥陀観音勢至の三尊をはじめ各菩薩に見たてて石が配されている。 これらの巨石は旧本坊庭園とさらに百済寺山内の谷川から集められたものを組み合せて作庭された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
201126695_159 X800 百済寺 RX10M4.jpg
160.百済寺の長寿桜
バスが待っている広場にも長寿桜が咲いていた。花びらを良く見てみると、西明寺のフダンザクラとは異なる品種のようだ。フユザクラとの書き込みもあったが、定かでない。フユザクラ(コバザクラとも呼ばれる)は本州を原産とするバラ科の落葉高木。来歴には諸説あるが、一般的にはヤマザクラとマメザクラが自然に交配してできたものとされ、伊豆半島と房総半島には自生も見られる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
2011266702_160 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
161.草津駅西口  エイスクエア(大型ショッピングモール)
草津のホテルには夕方5時半前に戻ってきた。先に記したように、今夜は近江牛を食べようと、ホテルのフロントで聞いて、草津駅の近くの「安田良本店」という店に行くことにした。タクシーに5分ほど乗ることになった。JR草津駅の繁華街は東口であったが、「安田良本店」は西口のビルの中にあった。JR草津駅西口は、1968年(昭和43年)3月に完成し、3400㎡の駅前広場と幅員22m、延長65mの取り付け道路が新設され、琵琶湖方面へのバスターミナルが併設されていた。 1996年3月26日に約3,000台の駐車場を有する大型ショッピングモールが開業し、ホテルなどが林立、大発展をしている。70数年前の草津からは全く想像もできない。近江牛は流石に美味かった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/200秒 28mm ISO3200 ) 露出補正 +0.3段
201126910_161  X800 2日目 草津駅周辺 G7X.jpg
162.草津駅東口へ
西口から駅構内に入り、東口へ行く。駅構内には、親からも草津の名物として聞いていた 「うばがもち」  の店があったので、買ってみた。伊勢の「赤福」のような食感だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 23mm ISO800 ) 露出補正 +0.3段  
201126921_162 X800 2日目 草津駅周辺 G7X.jpg
163.草津駅東口
東口へ出てみた。夜8時ごろであるが、人通りは少ない。ペットボトルに何かを入れ、逆さに吊るして組んだツリーが面白い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 23mm ISO800 ) 露出補正 +0.3段
201126924_163 X800 〇2日目 草津駅周辺 G7X.jpg
164.草津の街
この辺が繁華街なのかなと歩いてみたが、人通りは少なかった。ホテルに帰るタクシーの運転手さんに聞いてみたが、やはり、コロナのため、人出がめっきり少なくなっているという。発展した草津を感じることは出来た。最近では、大津市とほぼ同じ規模となった草津市について、wikipediaには、「織田  信長は、室町将軍足利義昭から提示された管領または副将軍の職を辞退し、代わりに堺・大津・草津の支配権の承認を求めた。当時の草津は東海道・中山道および湖上交通を結ぶ交通の要衝として、世界的な貿易港の役割を持ち鉄砲の名産地として知られる堺や、京都の外港あるいは衛星都市としての役割を持つ大津と並び重視されていた。江戸時代には東海道と中山道の両者にまたがる宿場町(草津宿)として発展した。」との記述があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 23mm ISO800 ) 露出補正 +0.3段
201126927_164 X800 2日目 草津駅周辺 G7X.jpg


2018年12月22日

金剛輪寺 11月8日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(8/終)

バスは最後に訪れる金剛峯寺に 到着した。ガイド嬢は少し上にある黒門まで上がって、受付をしてきてくれた。バスはわれわれを乗せたまま本堂に近いところまで上がってくれる。黒門から歩くと長い参道を登って行かなくてはならない。
 ガイドさんが受付でもらってきてくれたパンフレットには金剛輪寺は「湖東三山まん中のお寺」と書かれていた。位置的に南にある百済寺と北にある西明寺の間にあるのだ。食事をした「一心庵」や京都へ戻る道筋から、金剛輪寺の参詣が最後になったのだろう。
 湖東三山はいずれも天台宗の寺院だが、天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、最澄は日本へ帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁(慈覚大師)や円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出した。
 金剛輪寺のホーム・ページによれば、金剛輪寺は、奈良時代の中頃、天平13年(741年)に聖武天皇の勅願で行基菩薩によって開山された。言い伝えによると行基菩薩が一刀三礼(仏像を彫刻するときに、一刻みするごとに三度礼拝すること)で観音さまを彫り進んだたところ、木肌から一筋の血が流れ落ちたため、その時点で魂が宿ったとして、粗彫りのまま本尊としてお祀りされたそうだ。後の世に「生身(なまみ)の観音」と呼ばれるようになり、全国の観音信徒より篤い信仰を集めている。平安時代の初めには、比叡山より慈覚大師が来山、天台密教の道場とされて以来、延暦寺の末寺、天台宗の大寺院となった。
 本堂、三重塔を参拝したあと、両側にお地蔵さんが並ぶ長い参道を、黒門まで戻った。バスは黒門の前の駐車場で待っていた。時刻は3時半過ぎ、もう暗くなり始めている。そこから1時間ちょっとで京都駅八条口に到着した。
 今回の旅行はわずか3日間だったが、ずいぶん長い旅をしたように感じる。自分で選んだコースだったので少々不安もあったが、充実した旅行だった。切符売り場で新幹線の指定席券を購入して、駅構内に入る。車内で食べようと駅弁とビールを買って、ホームに上がった。新幹線は日帰り出張の会社員の人たちがちょうど帰る時間帯になったのだろう、京都で乗ったときはまだ空きのあった「ひかり」の指定席は、米原、名古屋でほぼ満席となった。 遅くならずに無事自宅に帰り着いた。

168.黒門
黒門は総門である。ここが金剛輪寺参道の入り口だ。黒門については江戸時代の建立とあるだけでほとんど情報がなかった。この写真は、バスで中腹の駐車場まで上がっていくときに車内から撮った。金剛輪寺の本尊は聖観音菩薩だが、聖観音と書かれた大きな赤い提灯が 目立つ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO1600 ) 露出補正 -1.0段
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169.本堂(国宝)外陣
バスを降りて、すぐ本堂へ向かった。丁度、講話(説明)が始まるらしい。外陣に座って話を聞く。弘安11年(1288年)1月建立の銘が須弥壇(堂内に仏像を安置するために,床面より高く設けられた壇)にある。元寇の役(蒙古襲来)の戦勝記念として、時の近江守護職・佐々木頼綱によって建立された本堂は、鎌倉時代の代表的な和様建造物として国宝に指定されている。堂内には秘仏本尊聖観世音菩薩をはじめ、阿弥陀如来坐像、十一面観音立像など平安から鎌倉時代の仏像が安置され、その多くが国の重要文化財に指定されている。本尊を安置する厨子は建築的細部をもつもので、入母屋造、檜皮葺きとする。この厨子は建物と同時期の作とみられ、本堂の「附」(つけたり)として国宝に指定されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/125秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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170.金剛輪寺 銅鐘
この梵鐘は乾元2年(1303年)の銘がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO2500 ) 露出補正 -1.0段
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171.本堂外観
本堂は入母屋造、檜皮葺の和様仏堂で、中世天台仏堂の代表作と言われる。 写真に撮ってきた愛荘町教育委員会による説明版によれば、 「内陣須弥壇金具に弘安11年(1288年)の銘があり、鎌倉時代にめざましく発展した密教寺院の大規模な本堂である。桁行七間、梁間七間、入母屋造りで、妻飾りは豕扠首(いのこさす: 切妻や入母屋の造りで、梁の上に合掌形に材を組んだもの。また、その二本の材。妻飾りに用いられる。)を組み、内外に長押を廻し、正面には蔀戸を入れるなど、全体は伝統的な和様建築であるが、内部の組物の一部に、13世紀に伝来した禅宗様式の拳鼻がついている。密教本堂の通例により内部は外陣と内陣に区画するが、外陣大虹梁(虹形に上方にそり返った梁)を受ける太い列柱と、格子戸・菱欄間の内外陣境結界とで構成される広い礼拝空間、天井を化粧屋根裏とし荘重な須弥壇を構える内陣は、ともに流麗な曲線の檜皮葺大屋根に包含され、堂々たる偉容は近江中世本堂の圧巻ということができる。」(桁行七間、梁間七間の「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す建築用語 wikipedia)とあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO2500 ) 露出補正 -1.0段
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172.本堂 -1
先に須弥壇の金具に弘安11年(1288年)の銘があると記したが、wikipediaによれば、本堂の建築様式・技法は鎌倉時代まではさかのぼらず、南北朝時代の建立とみられ、前述の金具は前身堂のものとみられる。入って左側奥が内陣で須弥壇がある。また、この国宝の本堂は中世の代表的な和様建造物として、昭和39年(1964年)の東京オリンピックの時、文部省が10分の1の模型を作成し、東京国立博物館に展示したという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 10mm ISO1250 ) 露出補正 -1.0段
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173.三重塔(重要文化財) -1
本堂の左側に三重塔が見えた。ここは紅葉が美しいところで、金剛輪寺のパンフレットにも写真が載せられているのだが、残念ながら、まだ早かったようだ。カエデはまだ緑の葉をつけている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 10mm ISO1250 ) 露出補正 -1.0段
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174.三重塔 -2
待龍塔とも呼ばれる。本堂の左(北)の一段高い場所に建つ。寺伝では鎌倉時代の寛元4年(1246年)の建立というが、様式的には南北朝時代の建築とみられる。織田信長の焼き討ちはまぬがれたものの、近世以降は荒廃し、塔の初層と二重目の軸部(柱、梁などの根幹材)と組物がかろうじて残るだけで、三重目はなくなっていた。現状の塔は1975年(昭和50年)から1978年(昭和53年)にかけて修理復元されたもので、欠失箇所は同じ滋賀県内の西明寺三重塔などを参考に復元したものである。そういえば、さっき見てきた西明寺の三重塔に似ている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -1.7段
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175.本堂付近
日が暮れてきている。参拝の人もほとんどいなくなり、静けさが漂う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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176.本堂 -2
三重塔の側(北側)から本堂を見る。左手が入口。右手の石段を下るとすぐ二天門がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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177.本堂付近の紅葉
左手が本堂になる。石燈籠は簡素な形だ。紅葉は物足りない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
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178.二天門
二天門をくぐって本堂を振り返る。ここにも大きな草鞋があった。参道を上がって来たとき、石段を登りつめた所にあり、本堂の正面に建つ。蟇股、和様建築の梁や頭貫 (かしらぬき:上にあって上の荷重を支える材)などの細部様式からみて、本堂よりも新しい室町時代後期の建立とされる。柱間は正面三間、側面二間。当初楼門であったが、江戸時代中頃に上層(二階部)を失い、腰組斗供(組物)の残存肘木先に桁を廻して、新たに檜皮葺きの屋根を作ったものである。柱間は中央間と脇間が二対一の割合で、両脇間に金剛柵を設け、向かって右に増長天、左に持国天を祀る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
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179.千躰地蔵 -1
帰り道は石段の参道を黒門まで下りることになる。途中、二天門を振り返ってみると、その参道の両側には高さ50cmほどの小さなお地蔵様がズラリと並んでいる。黒門に向かって右側にはぎっしりとお地蔵さんが並んいるところがあって、2千体を超えるそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/250秒 16mm ISO3200 ) 露出補正 -1.0段
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180.千躰地蔵 -2
風が吹くと、一体一体に供えられた赤い風車がいっせいに回りだし、静かな境内がカタカタという轟音に包まれるという。参道や境内などに鎮座したお地蔵様の数は、実際には2千体を超え、その迫力は異様なほどである。それぞれのお地蔵様には、家の名前が書かれていて、地域の人によって大切に守られているようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
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181.明寿院 -1
参道を少し右に入ると庭園があった。明寿院はその先に建っていた。明寿院は金剛輪寺の本坊で、江戸時代の創建といわれ寺宝を多く保存し、かつて学頭所(寺社の学事を統轄する所)として使われていた。昭和53年秋に再建された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO1250 ) 露出補正 -0.7段
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182.明寿院 -2
明寿院玄関棟設計施工の名前が書かれた札が置かれていて、昭和53年10月となっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/160秒 15mm ISO1250 ) 露出補正 -0.7段
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183.明寿院 -3
襖が開け放たれた座敷の向こうには日本庭園が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 15mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
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184.名勝庭園
池泉回遊式庭園である。桃山、江戸初期、中期の三庭があり、この本坊の南・東・北の三方を囲むように庭園があり、写真に見える心の字池が三庭を結んでいる。作者不詳であるが、老杉蒼松の自然を背景とし、灯籠泉石樹木の配置等、素晴らしく、晩秋の深紅に染まる色鮮やかな紅葉は「血染めのもみじ」と広く知られている。湖東三山一の名園古庭であり、国の名勝にも指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
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185.茶室 水雲閣
3っの庭のひとつである桃山時代の庭の宝篋印塔を見下ろすように立つ水雲閣は、湖東随一の茶室で、天井に桜、なでしこ、菊など四季おりおりの花が描かれているという。またこの茶室からの庭の眺めは美しい。この茶室は江戸時代末期に建てられたという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 -0.7段
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186.黒門に戻る
3時半を回ったところで黒門に戻ってきた。この日は、バス・ツアーの常であるが、大急ぎで、琵琶湖の東側に位置する永源寺と湖東三山を巡ってきた。思い出しながら綴ってきたが、見落としているところも多かった。黒門の傍にある、入館券は拝観料に含まれていた愛荘町立歴史文化博物館も見てみたかったのだが、時間が取れなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 16mm ISO1250 ) 露出補正 -0.7段
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