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2018年12月 7日

室生寺 11月7日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(4)

長谷寺駅から近鉄大阪線で伊勢方面へ、2っ先の室生口大野駅まで行く。ここも2、3人観光客が下車するが閑散としている。室生寺行のバスは出たばかりで1時間ない。タクシーを呼ぶがそれも空きがなく30分ほど待たされて、やっと来た。バスを待っていた一人旅の女性をお乗せして室生寺へ向かう。タクシーのドラーバーが、途中、室生寺の末社である大野寺のそばで、川の向こう側にある摩崖仏を見せてくれた。
 タクシーは室生寺の入り口である太鼓橋のところまで行ってくれた。室生寺は真言宗室生寺派大本山の寺院である。
 室生寺の本堂へ上がる石段で、張り出した枝を避けようとして、転んでしまった。右手にリストストラップで持ったカメラが大事で庇ったので、右手で支えられないまま転んでしまった。脚のすねを強打、青あざができて腫れあがったが不思議と痛みはない。
 参詣を終えて、帰りはバスで戻ってきた。駅前のスナックで昼飯を摂る。ビールとスパゲッティ、かみさんは焼きそばを注文した。脱サラしたご夫婦でやっているのだが、旦那がよくしゃべる。次の電車の時間までの一休みだった。
 余談になるが、近鉄大阪線で1971年10月25日に、「青山トンネル事故」というATSの故障が発端で、特急列車が正面衝突するという事故があり、25名が亡くなっている。
 近鉄に乗り桜井方面へ戻り、桜井の先の大和八木で京都行急行に乗り換えた。16:20京都着。昨年も泊まったホテル近鉄京都駅にチェックインした。駅ビルで食事をしたあと、駅構内で「551」の豚まんを買ってホテルに戻った。豚まんは次の日の朝食になった。

68.大野寺の摩崖仏
室生口大野の駅から室生寺に向かうタクシーで5分ほど走っただろうか、運転手がタクシーを止めて、川向うに見える岩を指さし、大野寺の摩崖仏だと見せてくれた。仏様のお顔ははっきりは見えない。大野寺は室生寺の末社だそうで、wikipediaによれば、宇陀川をはさんだ対岸にある弥勒磨崖仏は、「石仏縁起」(万治2年・1659年)や「興福寺別当次第」によれば、興福寺の僧・雅縁の発願により、承元元年(1207年)から制作が開始され、同3年に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われたものであるそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/640秒 28mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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69.太鼓橋
室生寺の境内には室生川にかかる太鼓橋を渡って入る。タクシーをその太鼓橋のところで降りた。太鼓橋の向こうに表門の屋根が見える。室生寺は女人禁制とされてきた高野山に対し、古くから女性の信仰を受け入れてきたことから「女人高野」の別称でも親しまれている。室生寺の創建は平安時代宝亀年間(770年 - 781年)にさかのぼり、国宝や重要文化財の仏像、建造物が多い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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70.慶雲殿
表門からは境内に入れない。覗いてみると、中には本坊庫裏が見え、その左手に慶雲殿が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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71.室生川にかかる太鼓橋
摩崖仏があったところの宇陀川は、奈良県宇陀市大宇陀宮奥付近に源を発し北へ流れ、多くの支流を集めて、三本松駅付近で近鉄大阪線と交差し県境を越え、三重県名張市黒田と名張市箕曲中村の境界で名張川に合流するそうだが、この室生川はその宇陀川の支流である。表門を渡ったところから、太鼓橋にかかる紅葉を眺める。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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72.赤門の屋根
表門の前を、室生川に沿って、右手に進むと赤門があった。紅葉はまだ少し早いようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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73.仁王門 -1
さらに室生川沿いに進む。参拝受付を終えると、すぐ目に入るのが仁王門。元禄に一度焼失し、その後長い間姿を消していたが、昭和40年(1965年)11月に再建された。門の両脇で構える仁王像も、昭和に再興されたもの。門の朱塗りも仁王像の色彩も、まだ色鮮やかで美しい。鎌倉時代の古地図によると、この仁王門のさらに奥に二天門があったと記録されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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74.仁王門 -2
仁王門に掲げられている扁額には「室生山」という文字が見える。wikipediaによれば、室生寺はを山号を「宀一山」といい、「宀一」は「室」のうかんむりと「生」の最後の一画だという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
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75.バン字池
仁王門をくぐると、左手に変わった形の池があった。この池はバン字池と言い、その名の通り梵字のバンの形をしており、大日如来を表しているそうだ。その池の水面に仁王門の紅葉が映っていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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76.鎧坂
バン字池を過ぎてすぐ左側、幅の広い、金堂へ上がる石積みの階段があった。室生寺の名所の一つである鎧坂だ。自然石が積み上げられた階段の様子が、編み上げた鎧の様に見えることからこの名がついたという。鎧坂の途中から下を眺める。もう少し紅葉が進むと、きれいだろう。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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77.金堂(国宝)
鎧坂を登ると、柿葺(こけらぶき)の金堂が石段の上に次第に競り上がって見えてきて、全貌の見える小さな平地に出る。ところが、この鎧坂を登りきるところで張り出した枝を避けようとして、バランスを崩し、転んでしまった。リストラップで持っていたカメラを守ろうとして、脚のすねを石段にぶつけてしまった。カメラは無事だった。写真の高床の正面一間通りは、江戸時代に付加した礼堂(らいどう)で、これが無かった時代には、この石段上から堂内の仏像の姿が拝めたようだ。 金堂は平安時代前期に建立され、その規模は桁行、梁間共に五間、屋根はこけら葺き、寄棟造の平入である。手前一間は礼堂と呼ばれ、江戸時代の寛文12年(1672年)に増築されたものだ。礼堂部分の屋根は、縋破風(すがるはふ)の付いた葺き下ろしとなっている。それ以前、鎌倉時代末期にも大修理が行われており、その際には多くの部材が取り替えられたという。また、建物の正面と左右には縁が付いており、この縁と礼堂の部分のみ、足の長い懸造(かけづくり)となっている。 「 閑古鳥旅行社」というサイトを見ると、金堂の内部には須弥壇が置かれ、本尊の釈迦如来立像を中心に、左手に文殊菩薩立像と十一面観音立像、右手に薬師如来立像と地蔵菩薩立像が安置されており(いずれも平安時代)、それらの前には鎌倉時代の十二神将立像が立ち並ぶ。本尊の背後の板壁には、帝釈天を中尊とする曼荼羅図が描かれているが、これは非常に珍しいそうだ。なお、金堂の左手には、弥勒菩薩立像と釈迦如来坐像を安置する、鎌倉時代建造の弥勒堂が建っているとあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO1600 ) 露出補正 -1.0段
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78.本堂(灌頂堂)(国宝)
参拝受付でいただいたパンフレットによれば、本堂には室生寺の本尊如意輪観音菩薩像(平安時代 重文)が安置されている。ここは真言密教の最も大切な法儀である灌頂を行う堂で、真言寺院の中心であるところから本堂と呼ばれる。延慶元年(1308年)の建立とのこと。五間四方入母屋造りの大きな建築で、内陣と外陣とを板扉で区画し、和様と大仏様の折衷様式を示す。正面に「悉地院」の扁額が掛けられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO320 ) 露出補正 -1.7段
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79.五重塔(国宝)
潅頂堂に向かって左側に、次の石段がある。その石段の上方に目をやると、国宝 五重塔が緑の木立に囲まれ堂々と建っているのが見えた。この五重塔は高さ16.22mで、屋外に建つ五重塔では日本で最も小さい。その小ささから、「弘法大師一夜造りの塔」と例えられることもあるそうだ。建立時期は室生寺最古の建造物で、天平時代末から平安初期の建立である。 屋外に建つ五重塔としては法隆寺五重塔の次に古い。平成10年、台風により大きな損害を被ったが、平成12年に修復され、檜皮葺の屋根や丹塗りの優美な姿がよみがえった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
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80.本堂(灌頂堂)の脇
前の写真で見える五重塔への階段を登って、さらに左手の坂道を上ると奥の院(木影堂 鎌倉時代の重文)がある。石段を登り五重塔を間近で見たが、奥の院へは、重なる石段に足が悲鳴を上げていて、登るのを断念した。ここは本堂の脇である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 -0.7段
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81.五重塔から本堂へ
近くで見ると小ぶりに見える五重塔を見上げて、本堂へと石段を下る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO1600 ) 露出補正 -0.3段
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82.バン字池に映るモミジ
再び仁王門のところまで下りてきた。バン字池に仁王門の屋根とモミジが映り込んでいる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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83.仁王門 -3
仁王門の屋根とイチョウとモミジ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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84.木漏れ日
まだ緑が残るモミジの葉に、木漏れ日が注がれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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85.本坊 書院の庭
ここは本坊の書院のあるあたりだったろうか。記憶が定かでない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
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86.室生口大野駅
帰りは室生寺からバスに乗って室生口大野駅まで戻ってきた。室生寺の観光客は多かったのに、ご覧の通り閑散としている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 31mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
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87.室生口大野駅 プラットホーム
ここから、午前中に来た方向へもどる電車に乗る。長谷寺、桜井、を経て、大和八木で京都行に乗り換えるのだ。室生口大野駅の反対側プラットホームのベンチに、室生寺と大野寺のポスターがあった。摩崖仏、仁王門、五重塔がデザインされたなかなか渋いポスターと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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88.「551」
大和八木で特急に乗り換えて、京都へ行こうと思ったが、すぐ急行が来たので乗ってしまった。停車する駅は多かったが、時間に余裕があったので、のんびり座ってきた。今日の行程は上手く行けるかどうかちょっと心配だったが、問題なかった。チェック・インして、夕食のため外出したが、ホテルに戻るときに駅構内で「551」の豚まんを買った。昨年暮れに京都に来た時もそうした。温かい「551」の豚まんは特に皮が旨い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO800 ) 露出補正 なし
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2018年11月29日

高野山後編 11月6日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(2) 

古いお付き合いのある家内の友人から、高野山へ行くなら、その亡くなられた息子さんが眠る「正智院」に寄ってきて欲しいと言われていた。お土産を買った紀州南高梅の梅干し屋さんで場所を確認して向かう。杉木立が並ぶ壇上伽藍の北側にその「正智院」があった。別格本山の立派な寺院である。
 「正智院」は教覚正智坊によって永久年間(1113年~1117年)に開基され、鎌倉時代初期の学僧で高野八傑のひとりである道範を中興の祖とする。筑前の黒田家、薩摩の島津家の深い信仰があったそうだ。玄関で声をかけたところ、ご住職が出てこられた。家内が来訪の趣旨を伝えると、本堂へ案内してくださった。本堂でお参りした後、「お庭が立派だと伺ってきたのですが、見せていただけますか」と乞うたところ、快くご住職が庭と客間を案内してくださり、美しい庭と、その庭園に面した客間を見せてくださった。ここを訪ねられて良かったと思う。
 「正智院」とその庭園、そして客間の襖絵などを堪能した後、ご住職に礼を述べ、壇上伽藍へ向かった。時刻は午後3時になろうとしていた。
 壇上伽藍は蛇腹道から来ると東塔のところへ出るが、今回は「正智院」から根本大塔の西側へ入った。4年前に来たときは見られなかった172年ぶりに再建された中門を見たりしているうち、そろそろケーブルの駅へ行かねばならい時間となる。蛇腹道を通って梅干し屋さんに戻り、スーツ・ケースを受け取って、バスで高野山駅へ着く。丁度良く16:47発の特急「こうや」に接続するケーブル・カーに乗ることができた。
 高野山から奈良へ行くには一度大坂のほうへ戻らなければならない。難波のすぐ手前の新今宮で乗り換え、務めている人たちの帰宅時間で混み合うJR大和路線で、奈良へ到着したのは夜7時になっていた。JR奈良駅近くに予約しておいたホテルにチェックインし、何か美味しいものを食べようと三条通へ出かけていった。
 本編でもそれぞれのホームページや、パンフレット、および「神社・寺-御朱印めぐり.COM」というサイトから引用させていただいた。

22.「正智院」入口
「正智院」は全国レベルのアスリートの養成と指導者の育成を目指す私立高野山高校の手前にあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO320 ) 露出補正 なし
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23.「正智院」の庭 -1
「正智院」の 庭をご住職に案内していただいた。庫裡の奥にある庭園は書院北庭で、面積は830㎡。昭和30年に重森三玲氏によって作庭されたもので水墨山水画的な構想をもとに造られている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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24.「正智院」の庭 -2
庭園の背後には岩山があり、高野山内八葉の神應岳と呼ばれる。神應岳を背景とし、州浜模様の苔に大小六十余りの石組みを配した枯山水庭園である。わざわざ見せていただいた甲斐のある庭だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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25.庭園に面した庫裡客間 -1
庭園に面した庫裡の襖絵は雲谷等益、長谷川等伯、谷文晁によって描かれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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26.「正智院」の客間
庭に面し客間のひとつ。障子から入る光で気持ちが落ち着く。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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27.床の間の絵
前の写真にある床の間に掛けられた大きな絵は、円山応挙だそうだ。右下に「應擧」の銘が見られる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/160秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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28.縁側から眺める庭園
ご住職が庭園全体を眺められる奥の縁側に案内してくれた。ここからはモミジ、苔、裏山、庭の石、そして今は枯れているが春には美しい花が咲くツツジが植え込み眺められる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 28mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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29.「明王院」への道
「正智院」では、その庭園や、客間の襖絵に魅せられた。見せていただいてよかったという気持ちで、ご住職に礼を述べ、「正智院」をあとにした。壇上伽藍のほうへ歩いていくと、左手に先ほど見た 「明王院」への道があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO400 ) 露出補正 なし
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30.壇上伽藍 金堂
壇上伽藍へはその北西側から入った。伽藍とは、僧侶が修行をする場所という意味で、由来はインドのサンスクリット語からきていという。 高野山の伽藍は、見た目では気づきにくいが、石段の上に伽藍が建立されているので壇上伽藍と呼ばれる。高野山全体を指す「金剛峯寺」の中心的伽藍である。色づいたモミジの向こうは金堂である。金堂は弘仁7年(816年)以前の平安時代後期に建立されたと推定されている。金堂は高野山の開創時から存在すると云われ、高野山内でもっとも古い歴史のある建造物だそうだ。根本大塔よりも先に造営され、金堂の落慶後まもなく根本大塔が完成している。現在の金堂は幾度もの火災に際し、その度に再建されてきた8代目の金堂であり、最近では昭和9年(1934年)に再建されている。残念ながら、現在見ることのできる金堂の姿は、創建当初の容姿を留めておらず鉄筋コンクリート造の堂舎である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO400 ) 露出補正 なし
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31.根本大塔と深紅のモミジ
根本大塔の朱色と競い合うように深紅のモミジがあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO160 ) 露出補正 なし
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32.山王院と明神社
弘法大師は高野山の開創に際して、日本古来の神々と仏教との融和のため、高野山の地主神として、丹生明神(にうみょうじん)と高野明神の分霊を高野山の守護神として「御社(みやしろ)」に祀った。その「御社」の拝殿として山王院は建立されている。渋い建物の山王院の奥、森の手前に建つ赤い春日造の神社は、高野山の開創以前から土地の神として信仰されてきた丹生明神、高野明神(狩場明神)を祀る「明神社」だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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33.六角経蔵
壇上伽藍の奥まったところに六角経蔵があった。平治元年(1159年)に創建され、昭和9年(1934年)に鉄筋コンクリート作りで再建された。高さ19,7mの二重六角造りである。「高野山・御朱印」というサイトを見せていただくと、六角経蔵は「鳥羽法皇」の菩提を弔うために、皇后の「美福門院(びふくもんいん)」が、平治元年(1159年)に建立した経蔵だそうだ。美福門院は鳥羽法皇や仏教に大層な思い入れがあったようで、なんと、自らの所領であった紀州(和歌山県)の「荒川の庄(あらかわのしょう/=安楽川荘(現在の紀の川市桃山町と打田町の一部)」を高野山へ寄進した。寄進した理由とは「六角経蔵の維持費のため」という。しかし翌年、美福門院は崩御され、なんと女人禁制が絶対の掟であった高野山に埋葬されている。一説には高野山の女人禁制が解かれた際の原動力のひとつになったとも云われている、といったことが記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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34.御影堂
高野山金剛峰寺のHPによると、御影堂は、弘法大師の持仏堂として建立されが、後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられた。桁行15.1メートル、梁間15.1メートルの向背付宝形(ほうぎょう)造りで、堂内外陣には弘法大師の十大弟子像が掲げられている。この堂は高野山で最重要の聖域であり、限られた人しか堂内に入ることは許されなかったが、近年になって旧暦3月21日に執行される「旧正御影供」の前夜、御逮夜法会(おたいやほうえ)の後に外陣への一般参拝が許されるようになった、と記されている。余談だが、金堂と御影堂の中間に瑞垣で囲まれた松の木がある。 松葉が3本になっている三葉の松であり、「三鈷の松」として祀られている。現在では参詣者が、縁起物として松の葉の落ち葉を持ち帰り、お守りとして大切にするという。かみさんも3葉の松葉を見つけて持ち帰ってきた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 41mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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35.中門
前回、高野山を訪れたときは、この中門は工事中だった。中門は弘仁10年(819年)/平安時代に創建されたと推定されるが、江戸時代の天保14年(1843年)の大火事で燃え尽きてしまい、以降、平成の現在まで「中門跡地」として残っていた。中門はかつて壇上伽藍の南を守護する門だったが、幾度も焼失を繰り返し、天保14年(1843年)/江戸時代後期)以降、平成27年(2015年)まで再建されなかった歴史がある。172年ぶりの再建工事だったのだ。そして、平成27年の高野山開創1200年記念の記念事業の一環で、中門が蘇った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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36.六角経蔵とモミジ
六角経蔵の近くにいってみた。赤い葉ではなかったが枝が張り出したモミジが良かった。六角経蔵には、紺紙(紫色の紙)に金箔を溶かした金泥(きんでい)で丁寧に、綺麗に書き写したした数々のお経が納められているという。これらの経典は紺紙金泥一切経(こんしきんでいいっさいきょう)、または、美福門院経と呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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37.金堂とモミジ
高野山はこのとき紅葉の最適期だった。壇上伽藍のほぼ中央にある金堂の傍のモミジもきれいだったが、少し遅かったかもしれない。。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO1600 ) 露出補正 なし
181106_037.jpg
38.根本大塔
根本大塔は真言密教の根本道場のシンボルとして建てられた、高さ48.5mの日本で最初の多宝塔である。大塔内陣は曼荼羅の世界を立体的に表現しており、胎蔵界と金剛界をひとつに融合した空海独自の立体曼荼羅となっているというが、私は何回も壇上伽藍にきているのに根本大塔の中に入ったことがない不届きものである。根本大塔は816年~887年に創建されたと推定される。創建後は、記録に残っているだけで5回も焼失し、焼失の度に時の権力者たちの助力により再建を繰り返ししてきた歴史がある。しかし天保14年(1843年)以降、再建計画がなくなり、そのまま更地状態になっていたそうだ。現在見ることのできる根本大塔は昭和12年(1937年)に再建された時の姿であり、残念ながら創建年当初のような木造ではなく鉄筋コンクリート造になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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39.不動堂の屋根
そろそろ戻ろうと思い、蛇腹道のほうへ向かう。壇上伽藍の東側にあった不動堂の屋根は苔むしていて、紅葉と美しいコントラストとなっていた。不動堂は建久9年(1198年)に創建され、その後天保5年(1834年)、明治41年(1908年)、平成10年(1998年)に再建されている。1952年3月29日に国宝に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 36mm ISO800 ) 露出補正 なし
181106_039.jpg
40.蓮池
不動堂の南側に池があり、太鼓橋が掛けられている。昭和の初頭まではこの池に蓮がたくさん群生していたようで、その蓮に因んで「蓮池」の名前が付けられている。 蓮池には、古来、東側から小島に向けて太鼓橋が架かっていたが、2015年に池の西側から小島に向けて新しい太鼓橋が造営された。見えている橋はその新しい橋だ。池の向こうは道路であり、道路の向こうに遍照尊院がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO500 ) 露出補正 なし
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41.根本大塔とモミジ
壇上伽藍の東端にある東塔の辺りから、モミジの葉と根本大塔の屋根を撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 51mm ISO400 ) 露出補正 なし
181106_041.jpg
42.蛇腹道
蛇腹道とは、伽藍の入口である金剛峯寺から壇上伽藍内(東塔)へ向かう小道のことを言う。写真は東塔の側からみた蛇腹道だ。蛇腹道という由来は、前編でもふれたように、高野山全体の寺院の並びを、蛇に見立てた時、ちょうどこの壇上伽藍に通じるこの道が蛇のお腹のあたりなるので「蛇腹道」の名前が付いたようだ。ここは高野山一番の紅葉のスポットである。午後3時半、観光客の数は少なくなった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1000 ) 露出補正 なし
181106_042.jpg
43.金剛峯寺
時間が差し迫ってきていて、金剛峯寺にはお参りしなかった。総本山金剛峯寺という場合、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指す。 高野山の本堂は、大伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂になる。高野山の重要行事のほとんどは、この金堂にて執り行われている。 いわば狭義のこの金剛峯寺は、明治2年(1869年)に青巌寺と興山寺を一本化したもので、高野山真言宗総本山金剛峯寺の本坊が置かれた宗務上の中心地である。現存する建物の多くは文久2年(1862年)に再建された青巌寺のもので、大主殿、奥書院を中心に、経蔵、鐘楼など、真然堂、護摩堂、山門、会下門、かご塀など県指定文化財が並ぶ。この門を正門といい、金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593年)に再建されて以来、今日に至っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 37mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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44.極楽橋駅
秋は日が暮れるのが早い。千手院前前からバスに乗って、ケーブル・カーの高野山駅まで来て、極楽橋へ下りた。写真は極楽橋駅に停車している16:47発の特急「こうや」である。これに乗って新今宮まで行く。今夜の泊りは奈良だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20 mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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2018年1月13日

2泊3日の京都紅葉狩り(7) 仁和寺 12月6日

12月6日、最後の日となった。仁和寺へ是非行ってみたかった。そして、私はまだ行ったことがない、石庭で有名な龍安寺へ行きたい。
 さて、どういうコースでいこうか。昨日は叡山電車に乗ったが、嵐電にも乗ってみたいと思い、京都駅からJR嵯峨野線で嵯峨嵐山まで行くことにした。嵯峨嵐山駅に隣接してトロッコ列車が発着するトロッコ嵯峨駅があった。その駅の中に入って見た。奥にジオラマがある。ちょっと見てみたいと思い、500円を払って中に入った。鉄道模型はHOゲージだが、京都の町や、清水寺、東寺といった建物の模型が良くできていた。
 一昨日と同じように嵐電の嵐山駅まで歩き、四条大宮行の電車に乗った。帷子ノ辻で北野白梅町行の電車(嵐電北野線)に乗り換える。10分足らずで御室仁和寺駅に着いた。駅を降りると、まっすぐに延びた広い道があって、180m先のきぬかけの道という通りの先に仁和寺の二王門が見えた。
 二王門をくぐって左側に御殿があり、そこから拝観する。

158.トロッコ嵯峨駅
JR嵯峨野線を嵯峨嵐山駅を降りると、右側にトロッコ嵯峨駅があった。トロッコ嵯峨からトロッコ亀岡まで7.3kmを保津川に沿って、 嵯峨野観光鉄道が運行されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f​3.5 1/1​​​​​250秒 ​9mm ISO​200​ ) 露出補正 ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
159.ジオラマ京都 -1
トロッコ嵯峨駅の中に入って見た。右側にトロッコ列車の改札口があり、正面に「ジオラマ京都」の入り口があった。「ジオラマ京都」の入場料は500円。かみさんは駅構内にある土産物屋を見て、待っているという。原鉄道模型のジオラマとはスケールが違うが、HOゲージのジオラマとしては比較的大規模なものだった。京都の街並みや寺院の建物がうまく作られていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f​2.5 1/250秒 ​15mm ISO​3200​ )露出補正 ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
160.ジオラマ京都 -2
これは梅小路の鉄道博物館を模した転車台のようだ。蒸気機関車が並んでいる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f​2.8 1/250秒 ​37mm ISO​3200​ )露出補正 ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
161.トロッコ列車 発車
トロッコ列車は1時間に1本運行されている。発車しようとしている列車は、9:01発の1番列車だ。乗客はそれほど多くはない。車両はトキ25000形無蓋貨車の改造車5両編成で、トロッコ嵯峨寄りにDE10形ディーゼル機関車を連結し、プッシュ、プルする。2013年(平成25年)9月16日の未明からの大雨と台風18号により、倒木や線路への土砂の流入が見つかり18日まで全区間で運休したという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f​2.8 1/1000秒 ​32mm ISO​800​ )露出補正 ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
162.嵐電嵐山駅
嵐電嵐山駅を出発する京福電気鉄道嵐山本線の四条大宮行の電車。嵐電も立派な標準軌道(1,435mm)の複線だ。この電車で帷子ノ辻まで行って嵐電北野線に乗り換える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f​2.8 1/1000秒 ​25mm ISO​200​ )露出補正 ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
163.御室仁和寺
嵐電を帷子ノ辻で北野線に乗り換え、御室仁和寺駅で降りる。駅からはまっす直ぐな道が伸びて、その向こうに仁和寺の二王門が見えた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影 (f10 1/400秒 50mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
164.仁和寺二王門​​​​
駅から二王門までに道の両側には立派な住宅が多かった。この辺は高級住宅地なのだろうか。仁和寺二王門の門前には、まだ観光客の姿はなかった。重要文化財に指定されている立派な門である。徳川三代将軍家光の寄進によって、1641年(寛永18年)~1645 年(正保2年)頃に建立されたという。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (f9 1/320秒 20mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
165.二王門 右の金剛力士像​​​​​​​​
二王門の左右には金剛力士像があるが、これは向かって右側の阿形像である。二王門の金剛力士像については作者などの詳細は不明だが、門の建立と同じ江戸初期と思われるという。迫力のある仁王の形相が凄い。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (f5.6 1/250秒 32mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
166.二王門 左の金剛力士像
こちらは左側の吽形像だ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影 (f5 1/250秒 50mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
167.御殿(本坊) 表門から御殿へ
御殿とは、宇多天皇の御所があたあたりに建つ宸殿、白書院、黒書院、霊明殿などのことを言う。平安時代、第58光孝天皇が西山御願寺として着工し、仁和4年(888年)宇多天皇が先帝の意志を継ぎ、仁和寺を完成させた。宇多天皇は退位後仁和寺を住坊とし、真言密教の修業に励んだと伝えられている。まず、この御殿から拝観することになる。向こうに見えるのは​大玄関だ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影 (f9 1/320秒 28mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
168.大玄関​​​​
大玄関と称されるところから御殿に上がる。この大玄関は、御殿群南端に東面して建ち、桁行12メートル梁間7.0メートル、入母屋造桟瓦葺で、東正面に間口6.0メートル近い大きな唐破風造檜皮葺の車寄を構えている。仁和寺の御殿は、明治20年(1887)に焼失したが 、その後再建されて現在に至っているそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (f3.5 1/250秒 18mm ISO400) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
169.金屏風といけ花
玄関にはまばゆいばかりの金屏風があり、そこに御室流いけ花が生けられていた。仁和寺のパンフレットに、仁和寺の文化活動のひとつに、御室流華道があるという。仁和寺の門跡を家元に、華道を通して芸術と宗教による人格の形成を目指しているとあった。毎年5月には、流祖宇多天皇への献華式が宸殿で古式ゆかしく行われるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2000 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
170.皇族門と勅使門
白書院に続く廊下から、右側の塀に沿って皇族門、正面の大きな門が勅使門だ。御殿群の前庭と内庭を仕切る、大玄関から東にのびる塀の中間に構える門で、四脚平唐門、檜皮葺である木割の細い、繊細な姿の門が皇族門である。そして、向こう側に見える大きな門が、白書院正面に東面して建ち、四脚門、前後唐破風造側面入母屋、檜皮葺の勅使門だ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影 (f8 1/250秒 18mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
171.白書院の襖絵​​​​
大玄関の隣の建物が白書院だ。宸殿南庭の西側に建てられている。襖絵などは昭和12年に福永晴帆による松の絵が部屋全体に描かれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels​​​​
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2500 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
172.南庭
御殿には南庭と北庭がある。南庭はこの奥の宸殿から眺めると右側に見られるが、白書院の縁からは正面に広がる。右手に見えるのが勅使門だ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影 (f8 1/250秒 35mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
173.南庭の白砂
白砂の掃いたあとを、まっすぐに見て撮った。正面に簡素に置かれた石と、名残りのモミジを見る。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影 (f9 1/320秒 46mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
174.宸殿
白書院から渡り廊下でつながった宸殿へと向かう。wikipediaによれば、宸殿は近世初期の皇居・常御殿を移築したものであったが、1887年(明治20年)に焼失。現在の建物は明治時代末-大正時代初期に亀岡末吉の設計により再建されたものである。宸殿の南北に配置された庭園とともにかつての宮殿の雰囲気を漂わせているとあった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影 (f9 1/250秒 38mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
175.宸殿廊下の杉戸に描かれた絵
渡り廊下に、木目がきれいに見える杉の1枚板戸に描かれた絵があった。明治時代末-大正時代初期の宸殿再建時に描かれたものであろうとのこと。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影 (f4 1/250秒 28mm ISO320) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
176.宸殿から見た白書院と南庭
宸殿から見ると南庭はこのような眺めになる。白書院は正面が吹放しの縁で、内部は表と裏の双方に3部屋あり合計6部屋の構造になっている。宸殿が完成するまでは宸殿の代わりをして使用されていたと伝えられている。宸殿の右近の橘樹が見える。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影 (f9 1/320秒 26mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
177.御殿回廊
白書院から御殿回廊を渡って、東側へ回る。格子から北庭が見える。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影 (f5.6 1/500秒 98mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
178.北庭と五重塔​​​​
宸殿の北側に北庭がある。南庭とは対照的な池泉式の雅な庭園だ。斜面を利用した滝組に池泉を配し、築山に飛濤亭、その奥には中門や五重塔を望む事が出来る。庭の制作年は不明だが、元禄3年(1690年)には加来道意ら、明治〜大正期には七代目小川治兵衛によって整備され現在にいたっているそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (f7.1 1/250秒 35mm ISO200)露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
179.宸殿内部​​​​​​​​
仁和寺のホームページには、宸殿は「儀式や式典に使用される御殿の中心建物で、寛永年間に御所から下賜された常御殿がその役割を果たしていたが、明治20年(1887年)に焼失。現在は大正3年(1914年)に竣工されたもの。御所の紫宸殿と同様に檜皮葺、入母屋造。内部は三室からなり、襖絵や壁などの絵は全て原在泉(1849~1916)の手によるもので、四季の風物をはじめ、牡丹・雁などが見事に描かれている。」と説明されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels​​​​​​​​
プログラムオートで撮影( f1.8 1/250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
180.黒書院​​​​​​​​
仁和寺HPによれば、黒書院は宸殿の西側に建立。京都・花園にあった旧安井門跡の寝殿を移して改造したもので、明治42年(1909年)竣工。設計は安田時秀。内部は竹の間・秋草の間など6室からなり、昭和12年(1937年)に堂本印象(1891〜1975)が描いた襖絵が室内全体を飾る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels​​​​​​​​
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2500 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
181.中庭​​​​​​​​
廊下から見る中庭には、まだ葉を残しているモミジがあった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (f6.3 1/250秒 280mm ISO360) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
182.霊明殿​​​​​​​​​​​​
御庭拝観順路の一番奥(北側)に黎明殿があった。黎明殿は御殿内の唯一の仏殿で、仁和寺歴代門跡の位牌が祀られている。本尊は薬師如来坐像。秘仏のため実態が不明だったが、昭和63年の調査で貴重なものであることが判り、平成元年6月に重要文化財に、翌年6月には国宝に指定されたと説明されていた。もう少し前に来られたら、この北庭のモミジがきれいだったと思う。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (f6.3 1/250秒 240mm ISO250) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
183.中門
御殿の拝観を終え、次に境内に向かう。北へ伸びる参道の奥には金堂があり、その手前に中門があった。中門は二王門と金堂の中間に位置し、五重塔や観音堂といった伽藍中心部に向かう入口ともいえる門。切妻造・本瓦葺・柱間三間の八脚門で、側面の妻部には二重虹梁蟇股が飾られている。また、向かって左側に西方天、右側に東方天が安置されているのだが、事前学習不足で気が付かなかった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影 (f10 1/400秒 38mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
184.御室桜
中門を入って西側一帯に「御室桜」と呼ばれる遅咲きで有名な桜の林がある。古くは江戸時代の頃から庶民の桜として親しまれ、数多くの和歌に詠われている。御室桜は遅咲きで、背丈の低い桜だ。近年までは桜の下に硬い岩盤があるため、根を地中深くのばせないので背丈が低くなったと言われていたが、現在の調査で岩盤ではなく粘土質の土壌であることが解ったそうだ。ただ、粘土質であっても土中に酸素や栄養分が少なく、桜が根をのばせない要因の一つにはなっているよという。いまは花も葉もないが、桜の咲くころにぜひ訪れてみたいと思う。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影 (f8 1/250秒 24mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
185.金堂​​​​
石段を上がると金堂があった。仁和寺は、真言宗御室派総本山の寺院。山号を大内山と称する。開基(創立者)は宇多天皇。そして、金堂は仁和寺の本尊である阿弥陀三尊を安置する御堂である。慶長18年(1613年)に建立された旧皇居の正殿・紫宸殿を寛永年間(1624年-1644年)に移築したという。宮殿建築を伝える貴重な建築物であり、国宝に指定されている。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (f10 1/400秒 18mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
186.金堂と灯篭
金堂の前に立派な、形の良い灯篭があったが、いつ頃のものかなど、その由緒はよく分からなかった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影 (f9 1/320秒 48mm ISO200)露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
187.金堂とモミジ
石段を下りて金堂を振り返る。まだ、少し紅葉した葉を残しているモミジの木の下には、落葉に風情がある。掃除をしないで残してくれているのだろうか。落葉が多くて掃除が追い付かないのかもしれない。この左側に観音堂があるのだが、工事中だった。平成30年春工事終了だそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影 (f9 1/320秒 18mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
188.五重塔​​​​
先ほど宸殿から北庭の向こうに見えた五重塔は境内の北東の位置にある。金堂から中門への途中を左に行ったところだ。まだ紅葉が残っていたモミジがあった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (f6.3 1/640秒 86mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
189.五重塔 基部​​​​​​​​
仁和寺のHPによれば、五重塔は寛永21年(1644年)建立。塔身32.7m、総高36.18m。東寺の五重塔と同様に、上層から下層にかけて各層の幅にあまり差が見られない姿が特徴的とのこと。初重西側には、この​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​写真に写っている大日如来を示す梵字の額が懸けられている。塔内部には大日如来、その周りに無量寿如来など四方仏が安置されている。中央に心柱、心柱を囲むように四本の天柱が塔を支え、その柱や壁面には真言八祖や仏をはじめ、菊花文様などが細部にまで描かれているという。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (f3.5 1/250秒 22mm ISO450) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
190.五重塔とモミジ​​​​​​​​​​​​
名残りのモミジが陽の光を浴びて美しく輝く。右側に見える、すっかり葉を落とした木は桜だろうか。春はまた違う美しさが見られるのだろう。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (f8 1/250秒 18mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
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2014年6月12日

高野山と京都 5/21~24 3泊4日 (2)高野山 壇上伽藍 5月22日


 父母の墓にお参りした後、一旦、恵光院へ戻り、チェックアウトをする。荷物は恵光院に預け、高野山の街を歩き、金剛峰寺、壇上伽藍を見た。
  14:34のケーブルカーで極楽橋へ降り、接続する電車で、天下茶屋で乗り換え、その日泊まるホテルがある、四条烏丸へ出た。
 夕食は「おばんざい」を食べたいという娘がいろいろ調べて、三条へ。一杯飲んだ後、もう一軒ということで、家族4人で先斗町へ。

20.刈萱堂
石堂丸の秘話で有名な刈萱堂は、恵光院を出て、金剛峰寺、壇上伽藍のほうへ歩き出してすぐのところにある。ただし刈萱堂の前の道路は100m以上にわたり工事中で片側通行になり、歩きづらい。刈萱堂の中の周りの壁には、この物語が描かれた絵と解説が飾られている。撮影禁止だった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/680秒 6.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
刈萱堂;クリックすると大きな写真になります。
21.ビルマ戦没者供養塔(成福院、摩尼宝塔)
刈萱堂を出て、壇上伽藍のほうへ歩くと、右側にビルマ戦没者供養塔がある。ビルマ戦線で戦い、再び祖国の土を踏む事も無く異国の山野に眠る戦没者の霊を慰めるために建立されたものだ。この塔の右側にとてもリアルに顔が彫られた立像が建っていた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/160秒 9.2mm ISO125 ) 露出補正 なし
ビルマ戦没者供養塔(成福院、摩尼宝塔);クリックすると大きな写真になります。
22.薬局
私は製薬会社に勤めていたので、この写真のような町の古い薬局を見ると興味がわく。「陀羅尼助」という看板が出ていた。何だろう? ネットで調べてみると、現代人の弱った胃腸を癒す伝統に支えられた民間薬だと説明があった。着物の上からすえられる弘法大師御相伝「弘法灸」という看板も出ている。アリナミンとかリポビタンDという文字は一切見つからない。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/450秒 8.8mm ISO200 ) 露出補正 なし
薬局;クリックすると大きな写真になります。
23.金剛峰寺山門
そうこうするうちに総本山金剛峰寺の山門に出た。山門は金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593年)に再建されて以来、今日に至っている。ここでもシャクナゲが美しい。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/900秒 5.2mm ISO200 ) 露出補正 なし
金剛峰寺山門;クリックすると大きな写真になります。
24.金剛峰寺山門のシャクナゲ
今度は左側から撮る。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/340秒 7.9mm ISO200 ) 露出補正 なし
金剛峰寺山門のシャクナゲ;クリックすると大きな写真になります。
25.金剛峰寺本殿
山門をくぐるとそれほど広くない境内があり、本殿が建っている。現在の本殿は1863年(文久3年)に再建されている。金剛峯寺本堂の屋根は檜の皮を何枚も重ねた檜皮葺(ひわだぶき)になっている。その屋根の上に、天水桶という桶が置かれている。これは普段から雨水を溜めておき、火災が発生したときに、火の粉が飛んで屋根が燃えあがらないように桶の水をまいて湿らし、少しでも類焼を食い止める役割を果たすためだそうだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F7.1 1/900秒 4.6mm ISO400 ) 露出補正 なし
金剛峰寺本殿;クリックすると大きな写真になります。
26.壇上伽藍への道
金剛峰寺の山門を一旦出て、その塀に沿って右側に壇上伽藍に通じる幅およそ3メートル長さ100メートルの道がある。この道のことを、蛇腹道(じゃばらみち)と呼んでいるそうだ。大伽藍は僧侶達の修行の場。金剛峯寺から大伽藍に行く道がこの蛇腹道なのだ。秋でもないのに紅いモミジが、新緑のモミジと競り合うように美しい。
参照:http://www.e-momiji.com/~e-momiji/index.htm

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/480秒 20.1mm ISO200 ) 露出補正 なし
壇上伽藍への道;クリックすると大きな写真になります。
27.東塔
東塔は、白河法皇の御願により平安時代 1127年に落慶、江戸時代に再建後焼失、昭和58年に再建された。壇上伽藍の中心は根本大塔だが、この東塔もなかなか良い。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/850秒 8.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
東塔;クリックすると大きな写真になります。
28.根本大塔
この根本大塔と呼ばれる多宝塔(大塔)は、高さ48.48m)の大きな建造物で、弘法大師在世中には完成を見ず、高野山第二世真然大徳(804年~891年)の代に落慶したと伝えられている。現在の建物は、京都帝国大学教授天沼俊一博士(1876年~1947年)、国会議事堂の設計にも関与した武田五一博士(1872年~1938年)、古社寺修理監督の大浦徳太郎建築技師などにより設計監修され、昭和12年(1937年)に完成している。平成8年には外装朱彩塗り替え工事がなされている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/800秒 4.4mm ISO400 ) 露出補正 なし
根本大塔;クリックすると大きな写真になります。
29.八角灯篭
奈良東大寺にも八角灯篭があった。この根本大塔の前にある八角灯篭も思わず写真を撮りたくなる魅力があった。両者は同じような形をしている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/250秒 7.0mm ISO200 ) 露出補正 なし
八角灯篭;クリックすると大きな写真になります。
30.金堂
高野山御開創当時は講堂と呼ばれていたという。平安時代半ばから、高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきた。現在の建物は七度目の再建で、昭和7年(1932年)に完成した。梁間23.8m、桁行30m、高さ23.73m、入母屋造りで、関西近代建築の父といわれる武田五一博士の手によって、耐震耐火を考慮した鉄骨鉄筋コンクリート構造で設計、建立されている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/480秒 5.2mm ISO400 ) 露出補正 なし
金堂;クリックすると大きな写真になります。
31.西塔
西塔は弘法大師の遺志にに従って第二世、真然大徳が平安時代仁和3年(887年)が建立した。江戸時代後期 の天保5年(1834年)再建、銅板棒引き、高さ 27.3m。とても渋い。現在の西塔は五度目の再建だそうだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/800秒 5.4mm ISO400 ) 露出補正 な
西塔;クリックすると大きな写真になります。
32.逆指の藤
傍に建てられていた案内板に、平安時代に活躍した高僧に祈親上人という方がいて、長和5年(1016年)に上人は高野山へ上がるが、当時の高野山は荒廃し見るも無惨な世界が広がっていた。このありさまを悲しんだ上人は高野山の再興を誓い「願掛け」として、藤を地面に逆さに植えた。この藤はしばらくして芽生えはじめ、それとともに、高野山の再興の兆しが見え始めたと記されていた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/750秒 7.0mm ISO100 ) 露出補正 -0.7段
逆指の藤;クリックすると大きな写真になります。
33.再び金剛峰寺山門
簡単な昼食をとって、恵光院へ荷物を取りに戻ろうと、再び金剛峰寺の山門まで戻ってきたのは、午後1時頃だった。壇上伽藍のそれぞれの建造物は、中に入って見学もできるのだが、今回も外観を眺めるにとどまった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/340秒 50.9mm ISO100 ) 露出補正 なし
再び金剛峰寺山門;クリックすると大きな写真になります。
34.「鴨川をどり」
恵光院へ戻り、刈萱堂前からバスに乗り、高野山ケーブルの高野山駅に着いたのは、極楽橋駅発14:45の快速特急に接続するケーブルカーの発車間際だった。天下茶屋で南海電車を乗り換え、市営地下鉄、阪急電車で京都四条烏丸に着き、これから2泊する烏丸京都ホテルに入る。シャワーを浴びて、三条へ出かける。折からの「鴨川をどり」も明日で終わりだ。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/250秒 4.9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
「鴨川をどり」;クリックすると大きな写真になります。
35.「おばんざい」
新撰組の池田屋騒動で有名な池田屋があるあたりを通って、娘が探した「おばんざい」の店「めなみ」に入る。言ってみれば居酒屋のような感じの店だったが、料理は旨かった。「めなみ」を出て、ほろ酔いきげんで京都の街を歩く。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/200秒 4.9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
「おばんざい」;クリックすると大きな写真になります。
36.先斗町
先斗町を歩いてみたくなった。ここも外国人が多い。この道の狭さが何とも言えない。結局、「おばんざい」のはしごになってしまったが、「ますだ」という居酒屋に入る。小学校へ上がる前の子供のころ、滋賀県の草津市にいたことがあるが、そのころ食べた琵琶湖の「もろこ」が品書きにあった。稚鮎のような小さな魚だが、無性に懐かしかった。「ますだ」を出て、もう一軒行くという娘たち夫婦と別れて、私たちは老夫婦は、ホテルに戻った。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/80秒 4.9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
先斗町;クリックすると大きな写真になります。