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Studio YAMAKOで“紀伊山地の霊場と参詣道”が含まれるブログ記事

2018年11月26日

高野山前編 11月6日   高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(1)

私の父母や兄夫婦が眠る墓が高野山にあるということは以前にも書いた。この春に、その菩提寺である「恵光院」から母の50回忌の知らせが兄の嫡男のところに届いていた。
 11月6日から2泊3日で、まず高野山にお参りし、翌日は奈良の長谷寺と室生寺を歩き、3日目は京都駅前から定期観光バスを利用して紅葉が美しいという湖東三山を巡るという計画を立てた。
 高野山では、午前中に「恵光院」本堂でのお参りと、墓参をしたかったので、新横浜始発の早朝6時発「ひかり」に乗った。「ひかり」を選んだのは、「大人の休日」切符を利用するためでもある。ところが、新大阪に到着して、高野山行きの南海電鉄に乗るために難波へ地下鉄で向かったのだが、通勤ラッシュの地下鉄が遅延してしまい、8時42分発の特急「こうや」に乗り遅れてしまった。幸い、9:00発の快速急行があり、予定より、30分ほど遅くなったが、10:01にケーブル・カーへの乗換駅である極楽橋に着いた。ケーブル・カーで高野山まで上がり、バスで苅萱堂前で下車、「恵光院」へ向かった。「恵光院」へは事前に知らせることなく、突然に行ったのだが、本堂で過去帳を前にお経をあげていただくことができた。若い僧だったが、なかなか良い声の立派なお経だった。
 前回の高野山墓参は、2014年5月22日でシャクナゲの花が咲くころだった。今回は紅葉のトップ・シーズンであり、観光客も多かった。2004年7月に高野山が「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界遺産に登録されて以来、外国人観光客も多い。
 wikipediaによれば、高野山は「和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は壇上伽藍と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。2004年(平成16年)7月7日、高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。さらに2016年(平成28年)10月24日、高野参詣道(町石道を含み登録名称変更)として黒河道、女人道、京大坂道不動坂、三谷坂が世界遺産に追加登録された。」とある。
 次に墓前に向かう。「恵光院」から自動車道と別れ、一の橋を過ぎるといよいよ奥の院の霊域に入る。参道の両側には、戦国武将や江戸時代の大名、歴史に名を馳せる高僧を含む、20万基とも40万基ともいわれる墓石が所狭しと立ち並び、この世とは思えぬ幻想的な風景が広がる。石畳の道が弘法大師御廟まで約2km続く。樹齢数百年を超える杉木立の中を歩く。途中「中の橋駐車場」からの道と合流してさらに進んだところに「姿見の井戸」があるが、その近くに父母が眠る先祖の墓がある。墓の掃除はいつもお願いしている石屋さんに事前にお願いしておいたのできれいになっていた。
 高野山で母の50回忌のお参りをした後は、家内の友人の息子さんが眠る「正智院」へ行った。立派なお寺だった。趣旨を告げるとご住職に本堂へ案内され、お参りすることができた。そのあと、「正智院」の客間や庭を見せてくださった。

1.九度山駅
南海電車高野線は車輪の音をきしませながら、急勾配を登る。九度山駅に着いた。六文銭が描かれている。関ヶ原で西軍が破れ、徳川家康は昌幸と幸村を死罪にするつもりでいたが、幸村の兄・信幸と義父・本多忠勝の懇願もあり、特例として2人に高野山での謹慎を命じた。そののち、14年間住んだ九度山で、幸村は周辺の農民とも親しくなっており、幸村の心境を察した農民は大坂城に向かう幸村親子の出立に協力した。1614年(慶長19年)に大阪冬の陣となった。また、慈尊院は九度山駅から徒歩20分のところにある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 22mm ISO320 ) 露出補正 なし
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2.南海電車高野線
高野線は山の斜面を走る。はるか下のほうに集落が見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO320 ) 露出補正 なし
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3.極楽橋
高野線の終点は極楽橋だ。標高は535mである。橋本駅からは443m登ってきたのだ。ここからケーブル・カーで867mの高野山駅まで登る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO500 ) 露出補正 なし
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4.「恵光院」 -1
菩提寺である「恵光院」に着いた。「恵光院」は準別格本山で、宿坊でもある。外国人の泊り客も多いようだ。英語の案内も書かれている。そのホームページによれば、「恵光院」は弘法大師がこの地に五重の宝塔を建立し、弟子の道昌僧都が諸人の廻向(先祖の御供養)をおこなった事から、廻向院と呼ばれていた。宝永年中(1704~)頃、徳川8代将軍吉宗の命により現在の「恵光院」に改められたそうだ。延慶元年(1308)には、京都の東寺より量調阿闍梨が当院へ転任され再興し、永禄(1558~)の初め頃になって、薩摩藩17代当主島津兵庫頭義弘と縁を深め檀那関係にあった。また明智光秀の菩提寺でもある。本尊は阿弥陀如来、弘法大師、不動明王が祀られている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
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5.「恵光院」客間から
「恵光院」では、本堂で読経をしていただいたが、その準備の間、前回宿泊した2階にある客間でしばらく待った。その2階の部屋から撮ったカットである。正面が門で、本堂は2階から右側に上がっていく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO320 ) 露出補正 なし
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6.本堂と阿弥陀如来像
ご本尊の阿弥陀如来像。その前に位牌を置いて読経をしてくれた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/15秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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7.「清浄心院」
「恵光院」の門を出て、右へ一の橋に向かう。バス通りの左側に別格本山の「清浄心院」があった。ホームページを見ると、「清浄心院」は天長年間(824~34)に高祖弘法大師により草創され、初め喜多坊と称されていたが、 後に勅命により現院号である清浄心院に改めたと伝えられている。一帯は清浄心院谷と呼ばれている。春は桜が咲き、銘木と言われる傘桜は、太閤豊臣秀吉が花見を催したという逸話も残されているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO800 ) 露出補正 なし
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8.一の橋付近
奥の院(弘法大師御廟)に向かって歩き、一の橋のところでバスが通る車道と別れ、石畳の参道へと入る。奥の院へは一の橋から参詣するのが正式なルートとされている。一の橋は正式には「大渡橋」や「大橋」と言われ、お大師様がここまで送り迎えされると伝わっている場所でもあって、ここで一礼して橋を渡る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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9.杉並木の道
一の橋から奥の院までの約2㎞の参道には、樹齢数百年を超える杉の老木が連なり、その間に20万基を超えるという諸大名から庶民の墓石や慰霊碑などが並んでいる。空が少ししか見えないほど参道は高い木々で覆われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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10.石燈籠
参道の両側には石燈籠が並ぶ。灯りが入っていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/400秒 16mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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11.中の橋付近
墓前にてお参りをしたが、その先奥の院への参道は、8月の台風20号の影響で倒れた杉の大木を撤去する作業が行われていて、通行止めになっていた。そのため、中の橋の手前を一旦右へ迂回し、中の橋バス停のほうへ出て、奥の院へ向かうことになる。このあたりも紅葉がきれいである。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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12.「英霊院」付近
杉並木の一本右側の道を奥の院へ進んでいくと、高野山では紅葉の美しいポイントになっている英霊院の前に出てきた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO320 ) 露出補正 なし
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13.台風21号の爪痕
大きなお墓が崩れていた。台風21号の影響で奥の院の弘法大師御廟近くの「奥院経蔵」など複数の国重要文化財も破損してしまったようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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14.水向地蔵
左手に水向地蔵が見える。説明板には、「玉川の清流を背にして、金仏(金属製の仏)の地蔵菩薩や不動明王、観音菩薩が並んでいる。奥の院に参詣する人々は右側にある御供所で水向塔婆を求め、この地蔵に納め、水を手向けて先祖の冥福を祈る。」と書かれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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15.観音菩薩像 -1
水向地蔵の一番奥に他の像に比べて背の高い観音菩薩像があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO640 ) 露出補正 -0.7段
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16.観音菩薩像 -2
水向地蔵は水掛け地蔵とは異なるようだ。水向地蔵では仏さまには水を掛けない。供養の正しい仕方は、供養したい故人がいれば、その人の名前や法名を塔婆(経木)に書いて、水向地蔵の足元に置いて、その塔婆に3回水を掛けながら大日如来さまの真言を唱えるのだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO500 ) 露出補正 -0.7段
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17.「恵光院」 -2
奥の院へ参詣し、再び「恵光院」へ戻ってきた。スーツケースを受け取って、苅萱堂前でバスに乗り、壇上伽藍に近い千手院前まで行く。高野山へ来るたびに立ち寄る紀州南高梅の梅干し屋さんで買い物をし、またスーツケースを預ける。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
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18.高野山の街並み
千手院前から壇上伽藍へとバス通りを歩く。写真は奥の院の方向を振り返ったところ。左側は金剛峯寺だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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19.蛇腹道
金剛峯寺前の六時の鐘の櫓から壇上伽藍へ通じるまっすぐな細い道を蛇腹道と言い、高野山では紅葉のスポットとして有名である。蛇腹道という由来は、高野山全体の寺院の並びを、蛇に見立てた時、ちょうどこの壇上伽藍に通じる蛇腹道が、蛇のお腹のあたりなるので「蛇腹道」の名前が付されたようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 27mm ISO320 ) 露出補正 なし
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20.「明王院」
蛇腹道は戻るときに通ることにして、その1本北側の広い道を「正智院」目指して進む。右側には大きな寺院が並ぶが、この「明王院」もその一つである。「明王院」は高野山に於ける最も初期の寺院であったと云われ、日本三不動のひとつとして知られる赤不動明王が本尊として祀られている。国宝赤不動明王と彫られた石柱が立っていた。高野山の塔頭寺院である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
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21.「宝城院」への道
紅葉がきれいなこの細い道の先に「宝城院」がある。インタネットで調べてみると、「宝城院」は約900年前、平安時代の終わりごろに権力を持っていた後白河法皇が高野山に参詣した時に、建立された寺院だそうだ。現在では元閑院宮家の御菩提所で、重要文化財にして秘仏とされる弁財天を所蔵している。高野山は宿坊が旅館のようになっているが、「宝城院」の宿坊は、高野山有数の近代的な宿坊だという。客室はすべて個室の冷暖房完備でエレベーターやスロープまで敷設されている。また、1度に30名が利用できる大浴場の他に一回り狭い広さの中浴場も完備されているそうだ。一部の客室からはライトアップされた根本大塔を見ることができるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO640 ) 露出補正 なし
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2010年8月16日

高野山参詣


 祖先が若狭の出身で、私の父親の三代前がここ高野山にある恵光院の当時のご住職と懇意の間柄で、恵光院墓所に墓を設けることになったようだ。以来、先祖代々の墓として、物心ついたころから、数年に一度、お参りに来ている。その間、父親、母親、長兄の納骨もしたが、今回は義理の姉(兄嫁)の納骨があった。
  8月5日の朝、新幹線で横浜を立ち、夕方4時ごろ一の橋の手前にある恵光院に入った。高野山は「紀伊山地の霊場と参詣道」として2004年7月に世界文化遺産に登録された。前回、2005年10月に高野山にお参りした時はそれほど感じなかったが、今回、世界遺産となって外国からの観光客、特にヨーロッパからの人たちが多いのに驚いた。恵光院も宿坊であるが、トイレも奇麗になり、外国の客さんが泊まっていた。
  翌、8月6日に納骨を行い、奥ノ院をお参りし、金剛峯寺、壇上伽藍を見て、京都に泊まった。(以下 Wikipedia、金剛峯寺ホームぺージ等を参照)

1.新幹線車内
新横浜8時22分発岡山行き「ひかり」。久しぶりに新幹線に乗る。「大人の休日・ジパング倶楽部」利用で「のぞみ」には乗れない。しかし、3割引きは大きい。車掌さんも女性である。

Canon IXY900IS F2.8-5.8 4.6mm-17.3mm 7.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/60秒 4.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
新幹線車内
2.南海電車「こうや号」と高野山ケーブルカー
小さいころから乗り物が好きだった。いわゆる鉄チャンではないが、近くに被写体が現れると撮ってしまう。上は大阪難波と極楽橋間を結ぶ特急「こうや」、下は極楽橋から高野山へあがるケーブルカーだ。全長800m、高低差330mを約5分で登っていく。標高約1000mある高野山は下界より涼しい。高野山は平安時代の弘仁10年(819年)頃より弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗、ひいては比叡山と並び日本仏教における聖地とされる。

上:Canon IXY900IS F2.8-5.8 4.6mm-17.3mm 7.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/100秒 4.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
下:Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/1250秒 200mm ISO400 ) 露出補正 なし
南海電車「こうや号」と高野山ケーブルカー;クリックすると大きな写真になります
3.刈萱堂
8月6日 朝6時半に勤行が始まる。その前に恵光院の近くを少し歩いてみた。すぐ近くに苅萱道心と石童丸の哀話の舞台として知られる刈萱堂がある。

Canon IXY900IS F2.8-5.8 4.6mm-17.3mm 7.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/50秒 4.6mm ISOオート ) 露出補正 なし
刈萱堂;クリックすると大きな写真になります
4.恵光院本堂 朝の勤行
朝6時半から勤行が始まった。兄嫁の納骨のお参りをした我々一行のほかに日本人客の姿はなく、他はすべて外国からの客さんで10名以上はいただろうか。聞いてみると、カルフォルニアから来た人、ローマから来た人・・・など。始まる前に写真撮影の可否を問うたところ、フラッシュを使わなければ良いとのことだった。しかし、さすがに暗い。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F4.8 1/30秒 56mm ISO3200 ) 露出補正 なし
恵光院本堂 朝の勤行;クリックすると大きな写真になります
5.護摩供養
朝の勤行が終わった後、毎朝、恵光院の護摩堂として本尊に毘沙門天を、脇仏に舵取不動明王と愛染明王が祀られている毘沙門堂で行われている護摩供養に加わった。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/160秒 34mm ISO400 ) 露出補正 なし
護摩供養;クリックすると大きな写真になります
6.石畳と杉の参道
一の橋から奥ノ院に至る参道は石畳で、大きな杉が天を突いている。その参道の両側には、戦国武将たちの墓所が多い。これは、左側が石田三成、右側が明智光秀の墓である。他にも豊臣秀吉、上杉謙信、前田利家らの墓もある。私の父母、兄が眠る墓は、中の橋の少し手前の恵光院の墓所にある。朝9時半、納骨し、お参りををした。

左:Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F3.8 1/125秒 22mm ISO2500 ) 露出補正 なし
右:同じく
プログラムオートで撮影 ( F3.8 1/125秒 24mm ISO1250 ) 露出補正 なし
石畳と杉の参道;クリックすると大きな写真になります
7.奥ノ院 燈籠堂
さらに参道の奥へ進むと、織田信長の墓を左に見て、御廟橋があり、奥ノ院となるが、ここから先は撮影禁止になっている。弘法大師の御廟は、この写真で見える燈籠堂の向こう側にある。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/125秒 105mm ISO640 ) 露出補正 なし
奥ノ院 燈籠堂;クリックすると大きな写真になります
8.金剛峯寺
奥ノ院のお参りを終え、一旦恵光院へ戻った。一行と解散した後、高野山の町を奥ノ院への参道と反対のほうへ歩き、金剛峯寺、根本大塔などを見てからバスに乗り、ケーブルで高野山を下る予定である。まず、金剛峯寺へ行ったが、思いのほか人は少なかった。金剛峯寺は高野山真言宗の総本山で座主の住寺(世界遺産)である。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/250秒 20mm ISO640 ) 露出補正 なし
金剛峯寺;クリックすると大きな写真になります
9.壇上伽藍への道
金剛峯寺を出て、根本大塔などがある壇上伽藍へ向かう。空海が曼荼羅の思想に基づいて創建した密教伽藍の総称であり、高野山の二大聖地の一つである(ほかの一つは奥の院)。金堂は高野山全体の総本堂で高野山での主な宗教行事が執り行なわれる。ほかに大塔、御影堂、不動堂などが境内に立ち並び、不動堂は世界遺産に登録されている。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/160秒 48mm ISO3200 ) 露出補正 なし
壇上伽藍への道;クリックすると大きな写真になります
10.根本大塔
壇上伽藍には金堂や御影堂など数々の歴史的建物があり、それらは地味な建物だが、この根本大塔だけは華やかである。根本大塔は弘法大師空海上人が最初に開いたこの壇上伽藍の中心にそびえ建っている。現在の大塔は昭和12年、過去の記録をもとに再建されたもので、高さ48.5m、四方各25mの建物は大塔の名にふさわしい。内部には、胎蔵大日如来、四方に金剛界四仏を安置されている。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/160秒 48mm ISO640 ) 露出補正 なし
根本大塔;クリックすると大きな写真になります
11.大会堂と東塔
大会堂は鳥羽法王の皇女である五辻斎院内親王が、父帝の追福のため建立されたという。現在の建物は嘉永元年(1848)に再建され、本尊は阿弥陀如来が奉安され、脇士として観世音菩薩、勢至菩薩がともに祀られているが、見ることはできなかった。東塔は白河上皇の命により大治2年(1127)に建立。尊勝仏頂尊・不動明王・降三世明王が祀られている。現在の塔は昭和59年に再建されたとのこと。
このあと、高野山の町で昼食にし、バスでケーブル駅へ、特急までは2時間も待つので、快速に乗って難波へ、地下鉄で新大阪へ戻って、この日は京都に泊まった。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/250秒 27mm ISO640 ) 露出補正 なし
大会堂と東塔;クリックすると大きな写真になります