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2021年1月15日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (11・終)西教寺から大津館へ 11/27

西教寺の続きである。
 本堂、客殿、そしてその庭園を見てこなかったのは悔やまれるが、本堂からの石段を下りると、右手にがあった。西教寺はの開基は聖徳太子とする伝承もあるが判然とせず、室町時代、中興の祖であり天台真盛宗の宗祖である真盛が入寺してから栄えたとされている。
 近代に入って宗派独立の動きが強まり、1878年(明治11年)から天台宗真盛派を名乗るようになる。全国に4百余の末寺を有する天台真盛宗の総本山である。その明治11年の真盛宗別派独立を記念して建てられたのが、宗祖大師殿である。
 参道を下って、総門を出る。隣にある駐車場にバスが迎えに来てくれるという。
 西教寺で今回のツアーの見どころはすべて終了した。これから昼食である。昼食の場所は、先に少しふれたように、平成10年に浜大津に移転した国際観光ホテル「琵琶湖ホテル」のかっての建物であったびわ湖大津館でフレンチだった。バスは西教寺から20分ほどでびわ湖大津館に着いた。ロビーに立ったまま、びわ湖大津館についての説明を10分ほど聞いたあと、琵琶湖畔に面したレストランに通された。ワインを注文して、琵琶湖を眺めながらランチを楽しんだ。
 懐かしさもあったびわ湖大津館の館内をブラブラと見学したあと、バスに戻った。そこから新幹線の岐阜羽島駅まで行く。
 無事、新幹線は新横浜に着いたが、自宅までのタクシーの中でドライバーさんが話してくれたこの日(11月27日)の新型コロナ・ウィルス新規感染者数は、東京は過去最多の570人、神奈川は219人だった。

213.正教蔵ともみじ
西教寺はもみじには少し遅かったようだが、ここ正教蔵の脇のもみじはきれいだった。

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絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 21mm ISO1600 ) 露出補正 -0.3段
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214.白い塀と琵琶湖
正教蔵の裏に回ってみると、 可愛い石仏と白い塀、そしてその向こうに琵琶湖が眺められた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 23mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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215.納骨堂から眺める琵琶湖
納骨堂の裏手から宗祖大師殿の大きな屋根と琵琶湖を見る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 21mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段
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216.本堂への階段
本堂のある壇上から階段を下りながら、茶所、納骨堂のある石垣を見上げる。イチョウの葉がもう少し残っていれば良かったのだが。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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217.宗祖大師殿
宗祖大師殿は天台真盛宗の宗祖・真盛上人の木像を祀るお堂で、参道の西端南側、築地塀で囲まれた一段高い場所に東に面して建っている。 真盛上人は嘉吉3年(1443年)伊勢の国一志の郡小倭大仰の里に出生、(現在の三重県一志郡一志町大字大仰)14才で出家、文明18年(1486年)西教寺へ入寺し、堂塔と教法を再興、19才から20年間比叡山中に籠り日課六万辺の称名念仏を修め朝廷、公家、武士、庶民へ持戒と念仏の布教を行い戒称二門不断念仏の根本道場とした。堂内には昭和天皇より下賜された「慈攝」の勅額が、かかげられている。と説明されていた。wikipediaによれば、真盛によって始められた天台真盛宗の宗風は、「戒称二門」「円戒念仏」等と表現される。「戒称」の「戒」は戒律、「称」は「称名念仏」、つまり阿弥陀仏の名を一心に称えることを言う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 -1.0段
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218.宗祖大師殿 唐門
宗祖大師殿には立派な唐門があった。文化遺産オンラインによれば、大師殿の正面,東面して建つ1間1戸の四脚門で、両側に折曲がりの築地塀が延びる。屋根は檜皮葺で、入母屋造・前後軒唐破風付。組物は三斗組と簡素だが、虹梁上に配された龍や獅子など多彩な彫刻、彫物欄間や板欄間、精緻な飾金具など、華やかな造形である。重要文化財である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -1.0段
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219.宗祖大師殿と唐門の扉
明治27年(1894年)に建てられた宗祖大師殿は入母屋造、桟瓦(軒唐破風は銅板)葺、正面軒唐破風付で、丸柱・舟肘木の軸部、疎垂木・木舞打の軒廻り、擬宝珠高欄付の縁など、格式の高い意匠である。重要文化財になっている。2010年に修復された唐門は、1917年(大正6年)年に造られた。高さ約8m、檜皮葺き、入母屋作り、間口4.2m。龍や獅子、サルなど多彩な彫刻で飾られているが、この門扉の紋が良い。天台真盛宗の紋章は「三羽雀」で宗派の紋章ということのようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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220.参道から総門へ
宗祖大師殿から筑紫門に戻り、両側に塔頭が並ぶ参道を総門へと戻る。今回は少し時期的に遅かったようだが、秋はもみじ、そして春は桜がきれいだという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 26mm ISO1600 ) 露出補正 -なし
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221.西教寺塔頭 安養院
集合時間に少し時間があったので、道路の向こう側に、白い壁に囲まれた中に見えたもみじに引かれて、見に行った。そこは西教寺塔頭の安養院で、門の前には「忠霊堂」という石柱が立ち、門には「聖天堂」の表札と共に登録有形文化財のプレートが掲げられていた。

  SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 -なし
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222.安養院本堂
本堂の忠霊堂(阿弥陀堂))は、境内西側、乱石積の壇上に建っており、入母屋造り桟瓦葺で一間の広縁造りだそうだ。内部正面に阿弥陀如来坐像を安置し両脇檀には位牌八千余体を安置しているとのこと。「聖天堂」は、享保16年(1731年)西教寺本堂の整地の際発掘された 大聖歓喜天 の銅像を安置しているとのこと。

  SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 25mm ISO3200 ) 露出補正 -なし  
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223.西教寺総門
安養院から西教寺の総門へ戻る。高さ6.4m、幅5.6mの総門は坂本城の遺構であり、天正年間に 坂本城主の明智光秀が坂本城の城門を移築したと伝えられている門で、昭和59年に老朽化が進み修理が加えられたが、形はそのままの姿で復元したものであるとの案内版が立てられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 29mm ISO1600 ) 露出補正 -なし
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224.びわ湖大津館
  西教寺からびわ湖大津館へは20分弱で到着した。琵琶湖大津館の建物は、旧びわ湖ホテル本館として、1934年(昭和9年)に外国人観光客誘致を目的に建てられた。鉄筋コンクリート地下1階、地上3階建てのこの建物は、桃山様式と呼ばれる和風の外観と洋風の内観デザインが特徴的で琵琶湖の風景と古都大津の風土に見事に調和したものだった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
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225.びわ湖大津館 館内
かって食堂として使われていたホールで、びわ湖大津館についての説明を聞いた後、カフェの脇を通って、琵琶湖に面したテラスのようなレストランでランチとなった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
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226.ヨットが係留された琵琶湖湖畔
傾きかけた日の光に輝く湖面に係留されているヨットを眺めながらの食事だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
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227.琵琶湖の眺め
びわ湖大津館のテラスの前に出てみた。これは東の方を眺めたところだが、守山市の近江富士(三上山)432m が見える。左側に琵琶湖大橋が架かっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
201126946_227 X800 〇3日目 大津館 旧琵琶湖ホテル G7X.jpg
228.旧琵琶湖ホテル
振り返ると、東京の歌舞伎座や明治生命館等を設計した岡田建築事務所の設計による旧琵琶湖ホテルの全景があった。ホテル時代には「湖国の迎賓館」として、昭和天皇をはじめ多くの皇族の方々や、ヘレン・ケラー、ジョン・ウェイン、川端康成など多分野の著名人が泊ったそうだ。現在、びわ湖大津館となって、2階、3階の客室は貸し会議室になっている。午後3時、バスに戻り、名神高速道路を、途中、多賀S.A.で休憩して、新幹線の岐阜羽島駅に5時過ぎに着いた。18:15発ひかりに乗車、新横浜に19:54帰着した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 12mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
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2021年1月11日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (10)西教寺 11/27

今回のツアー最後の名刹である西教寺に着いた。今回は、西明寺、金剛輪寺、百済寺、延暦寺、教林坊、そして西教寺と滋賀県内の6つの寺院を巡ったが、いずれも天台宗の寺院であった。
 西教寺ホームページによれば、天台真盛宗総本山 西教寺は聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建したと伝えられている。その後、久しく荒廃していたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場とした。恵心僧都も入寺、修業されたところから次第に栄えるようになったという。鎌倉時代の正中2年(1325年)に入寺された恵鎮(円観)上人は、伝教大師が畢生(終生)の事業として提唱された大乗円頓戒を復興、その後百有余年を経た文明18年(1486年)に真盛上人が入寺されるに至り、堂塔と教法を再興、不断念仏の道場とした。以来全国に約400余りの末寺を有する総本山となった。
 総門を入ったところにある受付で拝観券を受けとって、後は自由に参拝ということになった。約1時間滞在という制約もあったのだが、結果として、境内を中心に歩いてしまい、本堂に上がるのを割愛し、客殿やその庭園を見逃してしまっていたは大失敗だった。本殿に上がって、重要文化財である本尊「阿弥陀如来像」をお参りして、本堂の奥にある重要文化財の客殿 (豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿で慶長3年(2598年)に大谷刑部吉隆の母と山中山城守長俊の内室が檀越となり、寄進・移築したものと言われている。)  および、その庭園を見なかったという大失態である。これも事前の勉強不足と反省した。
 正月3日もNHK大河ドラマ「麒麟がくる」を見た。池端俊策の脚本で明智光秀の生涯を描き、主人公の明智光秀役には長谷川博己が起用されている。タイトルは仁政を行う王の元に現れるとされる伝説の動物「麒麟」が由来となっており、モチーフとしての麒麟が何者で、如何にして何れの英雄の前に現れるのかを問うていく物語だ。新型コロナ・ウィルス感染症のため、5月15日には第21回(6月7日)を以て放送は一時休止され 2021年2月7日に最終回を放送することになっている。光秀が比叡山焼き討ちの戦功で与えられた地に築いた坂本城、その延暦寺焼き討ちで焼失した後、明智光秀(1528-82)が西教寺の復興に尽力したことから、西教寺の境内には、光秀一族の墓がある。
 11月に行ったこの琵琶湖一周の旅日誌も、12月以降感染者が増加し、Go To トラベルが一時中止され、1月8日には緊急事態宣言が再び発出されることになった。ブログのタイトルに肩身の狭い思いをしている。

<img alt= 西教寺ホームページより

193.西教寺到着
西教寺の総門に着いた。 西教寺は坂本城から山手に進んだところにあり、この総門は坂本城の城門を天正年間に明智光秀が移築したものと伝えられている。春には総門から勅使門までの直線の参道の両側にサクラが咲く。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 11mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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194.禅智坊の門
総門からまっすぐに進む参道の両側にはいくつかの 塔頭  があった。これは総門を入ってすぐ左にあった禅智坊である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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195.禅明坊
禅智坊の参道を挟んで前にある禅明坊だ。明治時代に作られた門が国登録有形文化財に登録されている。文化庁の 「文化遺産オンライン」というサイトによれば、1間1戸高麗門の形式で,親柱を上部に延ばして直接棟木を受け,軒は疎垂木,屋根は桟瓦葺とする。親柱を結ぶ内法虹梁と木鼻に施した絵様や,親柱足元の八艘飾などが,意匠の見所となっている。参道の北側の東端に位置し,参道らしい連続性を保っている。また、庭園も大きいのだが最近造られたものかもしれない。この塔頭(里坊)では「麒麟がくる」の大河ドラマ館のひとつとして、「びわ湖大津・光秀大博覧会~戦国ぶらさんぽ~」というイベントが「麒麟がくる」の最終回放映日に合わせ、2021年2月7日まで行われている。

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絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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196.徳乗坊の門
参道中ほどの右側の徳乗坊がある。この門も明治時代に建てられた国登録有形文化財である。 「文化遺産オンライン」によれば、 形式は1間1戸の薬医門であるが、軒は疎垂木・木舞打で、起りのある桟瓦葺の屋根を架け、冠木を丸太状の材とするなど,数寄屋風の意匠が取り込まれており、近代和風の造形と思われる。参道の北側,實成坊と禅明坊の間に位置し,参道空間に欠かせない存在。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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197.塔頭ともみじ
ちょっと記憶が怪しいが、写真は徳乗坊の庭のもみじだったと思う。

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絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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198.實成坊の門
「文化遺産オンライン」によれば、實成坊は近世より続く西教寺の塔頭のひとつである。敷地南の門は1間1戸の薬医門で、軒が疎垂木、屋根が桟瓦葺、組物は簡素な絵様肘木であるが、妻の虹梁・大瓶束架構を見所とする。両側に続く穴太衆積の石垣と一体となって参道景観を形成している。直轄教区宿坊の看板も掛けられていた。江戸時代後期に作られた門は登録有形文化財である。庭は比較的近年作庭された枯山水と池泉式の組合せた庭園だそうだ。

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絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 19mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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199.禅林坊の門
同じく「文化遺産オンライン」によれば、木造、瓦葺、間口2.3m、1830-1867ごろに建てられた禅林坊の門で、2001年10月12日に登録有形文化財に登録されている。1間1戸薬医門の形式で、軒は疎垂木、屋根は桟瓦葺、妻飾は蟇股とする。木鼻や蟇股などの絵様細部に江戸末期らしい造形がある。北にある實成坊と対になっている。

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絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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200.筑紫門
参道の突き当りに筑紫門があった。いつ建てられた門かネットで調べてみたが、良く分からなかった。

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絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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201.筑紫門の前で
筑紫門の前で猫が寝転んで見せた。ジャリ道が暖かいのだろうか?写真を撮っていると、私の方へ寄ってきた。人懐こい。

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絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 11mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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202.真盛学院 西教寺文庫
猫が寝そべる筑紫門の右側に通用門があり、その先に、真盛学院 西教寺文庫の研修道場が見える。 もみじは少しくすんでいた。2000年11月、宗祖・真盛(しんせい)上人が文明18年(1486年)、西教寺へ入寺して不断念仏を始めてから十八万日を迎えるため、今回の十八万日大法会の記念事業では境内の研修道場前に鉄筋コンクリート2階建ての専門書3万冊を収蔵する書庫と図書館がある「西教寺文庫」と教学を研究、講義する「真盛学院」が完成した。

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絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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203.本堂
本堂は、江戸時代、元文4年(1739年)落成した建築面積240㎡。重要文化財である。境内西寄りに東面して建つ。桁行14m梁間16m規模で、入母屋造本瓦葺とし、正面に一間向拝、背面に縋破風を付ける。浄土真宗本堂の標準的な平面構成になるが、正面広縁を外陣と一体的に扱う。三斗組を重ねる妻飾りや、向拝の龍虎の彫刻など見応えがある。内陣には重要文化財の本尊丈六の阿弥陀如来(平安時代・定朝様式)が安置されている。

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絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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204.明智光秀の妻の墓 -1
奥の右側にある大きい石碑の左下の小さい墓石が、明智光秀の妻・煕子(ひろこ)の墓である。手前は松尾芭蕉の句碑だ。芭蕉没後参百年記念句碑で、「月さびよ明智が妻の咄(はなし)せむ はせ越」と明智光秀の妻煕子を詠んだ句という。

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絞り優先オートで撮影 ( f11 1/250秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段  
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205.來迎阿弥陀如来二十五菩薩像と明智光秀と妻 煕子の墓
ちょっと外れてしまったが、一番左にあるのが妻 煕子の墓で、一番右側が明智光秀の墓だ。そして中央に並んだ菩薩像は來迎阿弥陀如来二十五菩薩といい、もともとの西教寺二十五菩薩石仏(桃山時代 天正12年 1584年、笏谷石、高さ 120cm 弥陀)は破損が著しいため西教寺屋内の書院と桃山御殿(客殿)を結ぶ、「欣浄廊」に安置されている。阿弥陀如来が二十五菩薩を従え、浄土の世界から音楽を奏でながら来迎し、念仏者を極楽浄土へ導くという。旧二十五菩薩石仏は近江国栗太郡冨田民部進が愛娘をなくし、娘が極楽往生することを願って、天正12年(1584年)3月18日に造立安置した。そして、平成16年4月に復元され法要開眼されたのが、この菩薩像群である。そして右端に見える墓石が明智光秀の墓だ。天正10年にこの世を去った明智光秀は6年前に亡くなった内室 煕子や一族の墓とともに祀られている。

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絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
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206.戦国武将に仕えた人たちの墓
この西教寺には、明智一族墓所の他にも、一般墓所内に歴史上の人たちの墓所がある。墓所の入口に「戦国武将に仕えた人達の墓」と言う地図入りの説明板があった。それによると、この西教寺を開山した真盛上人の持戒と念仏の布教によって、信仰した武将や民衆が供養されているという。そろばんを広めた長谷川左兵衛藤広の墓所、豊臣秀吉の家臣で、大谷吉継とこの西教寺の檀越(檀家)となり、慶長3年(1598年)に秀吉の伏見城御殿を西教寺に移築寄進した山中山城守の墓所、また、一番墓所の高い場所には、前田利家の六女であった前田菊子墓所があった。ほかにも、出雲松平出羽守の家臣、比良太郎兵衛墓所、肥後細川越中守家臣の長岡監物一族の墓所などがある。

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絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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207.墓所から琵琶湖を眺める
「戦国武将に仕えた人達の墓」から、南東の方向には宗祖大師殿の屋根越しに坂本の街と琵琶湖が眺められた。

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絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 120mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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208.鐘楼
本堂の前に鐘楼があった。鐘楼の梵鐘は坂本城の陣鐘で、明智光秀が寄進したものだそうだ。平安時代に造られ、重要文化財になっている。釣鐘堂から本堂にワイヤーロープが渡ってあって、そのロープを引いて撞くという大変珍しい鐘撞きになっているというが。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201127827_208 X800 〇西教寺 RX10M4.jpg
209.正教蔵
本堂を背にして左側、鐘楼の隣に正教蔵がある。文化遺産オンラインによれば、「正教蔵は2階建の土蔵。切妻造・桟瓦葺で、西面には切妻造・起り屋根の庇を設け、蔵前とする。外壁は上部白漆喰塗、下部縦板張とし、蔵前は柱から軒裏まで漆喰で塗り込める。庇の虹梁絵様や誇張的な板蟇股など、明治初期の意匠が伺える」と記されていた。登録有形文化財  西面のは切妻造・起り屋根の庇ともみじを撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 35mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
201127830_209 X800 〇西教寺 RX10M4.jpg
210.大本坊
本堂に向かって右側に大本坊がある。ここも大河ドラマ「麒麟がくる」に関わる展示が行われているようだった。 大本坊(庫裡)、本堂、客殿、書院の中心伽藍は、回廊で結ばれている。明智光秀は 元亀3年(1572年)から天正2年(1574年)にかけて西教寺の壇信徒と協力して仮本堂の建立を始め、同年3月には落慶の運びとなったが、その時、宇佐山城の陣屋を移築して庫裏(大本坊)も造営され、その時に梁に使用されていた材木には「天正年中明智公所造古木」と刻銘が入っていて、今も残っています。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201127831_210 X800 〇西教寺 RX10M4.jpg
211.本堂と大本坊の渡り廊下
大本坊と本堂の間を入ってみると、本堂(左)と大本坊はこの渡り廊下でつながっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/200秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201127832_211 X800 西教寺 RX10M4.jpg
212.客殿
本堂の奥には重要文化財の客殿がつながっていた。 客殿は、豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿で、慶長3年(1598年)に、大谷刑部吉隆の母と山中山城守長俊の内室が檀越となり、寄進・移築したものと説明されている。桁行12間、梁間8間、一重、屋根南面入母屋造り、北面切妻造り、杮葺きの建物である。質素で落ち着いた、桃山様式を伝える数少ない建物でと、パンフレットに紹介されていた。狩野派によって描かれた鶴の間、猿猴の間、厳選の間、花鳥の間の襖絵、さらに、本堂の奥、西側(山側)には小堀遠州の作庭と伝わる客殿庭園があり、庭の中央にびわ湖の形を取り入れた池が配されているという。今回は、西教寺参拝で最も見てこなくてはいけなかったこれらを見損なってしまった。他にも書院庭園( 明治時代作庭 枯山水庭園 )、裏書院庭園(平成元年に地元の庭師によって作庭された池泉鑑賞式庭園) 、大本坊庭園(江戸時代初期作庭 枯山水庭園)があり、 西教寺には 計4っの庭園がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/200秒 25mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201127838_212 X800 西教寺 RX10M4.jpg


2019年2月28日

雪が降る日吉大社(前編) 2月14日

石山寺から京阪石山坂本線に約30分乗って、坂本比叡山口駅に着いた。駅を出て左に進むと日吉大社の鳥居があって、その先に日吉馬場と呼ばれる広い参道(県道)が見えた。参道の両脇には石垣が連なる里坊や石燈籠が並び、春には約350本のソメイヨシノやシダレザクラが咲くという。日吉大社は京阪石山坂本線・坂本駅の西約1kmのところにある。だらだらと坂道を登ると参道は、左に行くと比叡山、そして右手には日吉大社の入り口となる赤い鳥居があり、そこが境内の入口で、300円の入苑協賛料をお支払いする。
 当日は小雨が降り、比叡山には霧がかかっていたが、比叡山の麓に鎮座する日吉大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮である。平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは天台宗の護法神として崇敬を受け、今日に至っている。 往時には、境内百八社・境外百八社が、その管轄にあったほどであったが、現在は、西本宮、東本宮をはじめとした山王上7社、さらに中7社、下7社の21社が存在し、日吉大社とはその総称である。

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名代手打本家「鶴喜そば」ホームページより

 途中、雪が降る中を、西本宮→宇佐宮→白山宮→東本宮・樹下宮にお参りしてきた。石山寺もそうだったが、ここでも参拝客は2~3組見かけただけだった。天気が良ければ東本宮からさらに東にある 西教寺へも行ってみたかったが、思いとどまり、京都へ戻ることにした。朝は、京都駅の喫茶店で食べたモーニングセットだけだったので、腹も減った。日吉馬場の入り口にあった老舗の「鶴喜そば」で温かいそばを食べたが、地元の人たちも来られるのであろうなかなか賑わっていた。京都へ戻るにはJR湖西線の比叡山坂本駅に出るのが良い。琵琶湖に向かって南へ下る。

1.日吉大社二の鳥居
日吉馬場(参道)の入り口に大きな石造り鳥居があった。参道は県道316号線になっていて、車も走る。この参道をまっすぐ進む。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels<>br> プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2.三宮宮、牛尾宮
参道を歩いていると正面やや右側の山の上に社が見えた。近くにあった案内図を見ると、山は標高381mの八王子山といい、左側に見える社殿が三宮宮で、右側が牛尾宮とある。いずれも山王上7社である。八王子山の頂上付近には、高さ約10mもある金大巌(こがねのおおいわ)という岩があるそうだ。東本宮に祀られている大山咋神もそんな山の神様だったと思われ、最初は金大巌に宿ったとされている。今回は長い玉を持ってきていないし、霞んでいてクリアな写真が撮れない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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3.穴太衆積みの石垣
日吉大社入り口の鳥居が見えてくると、その左手に「穴太衆積みの石垣」というのがあった。穴太(あのう)積みというのは、ここ滋賀県の大津市坂本近くにある穴太の石工集団が積んだ石垣のことをいうが、基本的には自然石を積み上げる野面積みである。説明板には「この石垣は慈覚大師の時代に唐国を模したものと言われ、また、比叡山延暦寺が三千の僧兵を養っていた頃に城塞として造り、この美しい石積みは坂本穴太衆が築いたもので、穴太の石工たちは戦国時代以前から砦造りの専門職であった。彦根城はもちろん、豊臣秀吉が誇った大阪城、加賀百万石の金沢城の石積みも坂本穴太衆の手でできたという。このあたりに点在する寺院は城郭風な面影を持ち、建物は改築されても石垣だけは幾百年の星霜のうちに厳然として残り、苔むして美しい」とあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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4.境内入口の鳥居
右(東)へ行くと東本宮、西教寺、左へ行くと比叡山坂本ケーブルの坂本駅へ行く所に、境内入口の鳥居があった。正面左の石段の上には早尾神社がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO200 ) 露出補正 なし
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5.地蔵堂
日吉馬場の鳥居のそばに地蔵堂があった。比叡山の参道の入り口に位置し、子育て地蔵・早尾地蔵尊(六角地蔵堂)という札が立っていた。本尊は比叡山の開祖伝教大師最澄上人自作の石地蔵尊と伝えられている。最澄が、童子のすこやかな成長に心を注ぎながら彫ったとの伝承から「子育て地蔵」とも呼ばれ、子どもの成長に功徳があると信仰されている。また、この地蔵は「陰坊地蔵」とも呼ばれる。それは、西教寺の真盛上人が生まれた嘉吉3年(1443年)姿を消し、明応4年(1495)真盛上人の入寂と共に再び姿を現したという伝承からきたもので、真盛上人はこの地蔵の生まれ変わりと伝えられる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
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6.比叡山登山道
早尾神社へ上がる石段の左側に、比叡山登山道となる石段が見えた。比叡山延暦寺まで歩いて1時間半くらいのようだ。自転車乗りが3人下りてきていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 32mm ISO400 ) 露出補正 なし
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7.求法寺走井堂
日吉大社境内の隣地に境内を構えている天台宗の寺院である。説明板などによれば、求法寺走井堂は、第4世天台座主安恵和尚(801-864)の里坊として創建されたものと伝えられている。のちに比叡山中興の祖といわれる第18世座主慈恵大師良源大僧正(元三大師)が入山(12歳ころ)の折、比叡山への入山修行の決意を固めたところから、「求法寺」と称するようになったという。走井の地名に因んで「走井堂」とも称している。本尊は国の重要文化財で自作と伝えられる元三大師尊像(秘仏)。建物は元亀2年(1571年)織田信長の焼き打ちで焼失、正徳4年(1714年)に再建されている。入母屋・柿葺、正面に唐破風が設けられている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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8.大宮橋
境内を流れる大宮川という小さな川には大宮橋、走井橋、二宮橋という三つの橋が架っていて日吉三橋という。この大宮橋は、まっすぐ西本宮(大宮)に向かう道筋にあり、重要文化財である。花崗岩製の石造橋であるが、木造橋の形式をそのまま用いている。両側に格座間を掘り抜いた高覧をつけるなど、日吉三橋のうちでも最も手が込んでおり、豪壮雄大な構造の代表的な石造桁橋である。天正年間(1573年-1592年)に秀吉が寄進したといわれているが、木橋が現在の石橋に掛け替えられたのは寛文9年(1669年)だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 10mm ISO125 ) 露出補正 なし
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9.山王鳥居
少し登る坂になっている参道を進むと、山王鳥居があり、その先に西本宮がある。日吉大社は別名を山王さんと呼ばれ、山王さんの鳥居だから山王鳥居と呼ばれているのだそうだ。山王鳥居は神仏習合の信仰を表す独特な形で合掌鳥居とも呼ばれている。明神造りの鳥居の上に山型の破風がとりつけられ、調和のとれた美しい形で総合鳥居とも呼ばれる。山王鳥居、合掌鳥居、総合鳥居、といろいろな呼び方があるのだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 35mm ISO320 ) 露出補正 なし
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10.白山宮参道
山王鳥居をくぐって行くと、その先の右側に神馬舎、神猿舎というのがあった。神馬舎には白馬の置物があり、神猿舎には猿が飼われていた。神馬は神様が乗る馬であり、神様への捧物でもある。神猿(まさる)は山王の使者であり、魔が去り、何よりも勝る。猿は古くから境内で飼われており、既に室町時代の記録にも登場するという。今から約1200年前、京都で平安京に遷都された折には、比叡山が都の鬼門(北東)に位置することから、当社は都の鬼門封じの社として崇敬され、その折にこの猿さん「魔をさる」として「まさる」と呼ばれるようになり、魔除けの象徴となったと伝えられる。 ここで参道をまっすぐ行くと西本宮なのだが、右手に赤い灯明が並び、その先に神社が見えたので、先にそこへ入っていった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO250 ) 露出補正 なし
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11.白山宮(白山姫神社本宮)
雪が降ってきた。ここは日吉大社の上七社の摂社の一つである白山姫神社本宮だ。祭神は菊理姫命。装飾金具が少なく簡素なつくりで地味な落ち着いた中にも各部の意匠に意を配った建物である。三間社流造、檜皮吹きの現在の本殿は、1598年(慶長3年)の建立である。明治39年に国の重要文化財に指定されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 18mm ISO640 ) 露出補正 なし
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12.獅子と狛犬
白山姫神社の本殿の左右の縁に獅子がいた、と思ったが、それは間違いで左が狛犬で「吽」でツノがあり、写真は右側の獅子で「阿」だそうである。日吉大社には木製の狛犬、獅子が5組ある。16世紀製だそうだ。風格がある。本来、獅子・狛犬は本殿の中の内陣にて神様をお守していたが、時代を経ると本殿の上に置かれ、本殿も守護する意味合いが生れたという。更に時代を経ると、境内全体の守護のため本殿の前、境内入口などに置かれ、雨ざらしになるため木製から石造りになったという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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13.剣宮社(下7社・末社)
白山姫神社境内には下7社である剣宮社ほか、末社が並んでいた。手前から剣宮社、小白山社、八坂社、北野社という。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO640 ) 露出補正 なし
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14.宇佐宮拝殿
白山宮の先(西本宮寄り)に宇佐宮があった。祭神は田心姫神。このお宮も上7社・摂社の一つである。この建物はその拝殿で、なかなか渋い。典型的な方三間の拝殿形式である。四方の柱間は四方とも開けっ放し(吹き放し)廻り縁には高欄がつき、天井は小組格天井、屋根の妻飾りは木連格子(狐格子)となっている。慶長3年に建てられたもので、後ろに見える本殿と同じ時期である。昭和39年国の重要文化財に指定された。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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15.西本宮楼門から拝殿を見る
ようやく西本宮にたどり着いた。宇佐宮から西本宮の南側の門から境内に入ったので、一旦、左へ行って楼門から入り直した。西本宮楼門の軒下の4隅には木造の猿「棟持ち猿」が楼門を守っているのだが写真に撮り損なっていた。後ろに見える拝殿は方三間、一重、入母屋造り、檜皮葺、妻入りの建物。柱間は四方とも開け放して、屋根の妻飾りは木連格子、回り縁は高覧が付き、天井は中央部が一段と高くなった折上小組格天井となっていると説明されていた。天正14年(1586年)本殿と同時に建てられた。昭和39年に重要文化財に指定されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 10mm ISO400 ) 露出補正 なし
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16.西本宮本殿 -1
ひときわ立派なお社だった。他所ではほとんど見られない独特の建築様式の本殿という。安土桃山時代の元亀2年(1571年)、日吉大社に災難が降りかかる。織田信長は浅井長政、朝倉義景連合軍に加担していた延暦寺を忌み嫌い、また当時の僧侶が堕落していたことも相まって、日吉大社のある坂本から比叡山へと攻め込み、延暦寺を焼き討ちにした。日吉大社の境内もまた戦場となり、この戦いで日吉大社は灰燼に帰した。しかしその後、天下を取った豊臣秀吉により社殿の再建がなされ、日吉大社は見事復興を遂げる。これは秀吉の幼名が「日吉丸」であった事と、日吉大社の神獣が秀吉のあだ名である「猿」であった為だ。秀吉は日吉大社に只ならぬ縁を感じたのだろうとの説がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
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17.西本宮本殿 -2
天正14年(1586年)の建立。檜皮葺きで、屋根形式は「日吉造」という、日吉大社特有のもの。正面から見ると入母屋造に見えるが、背面中央の庇部分の軒を切り上げ、この部分が垂直に断ち切られたような形態(縋破風)になっているのが特色(wikipedia)。慶長2年(1597年)に改造されている。昭和36年に国宝に指定された。正面には1間の向拝(屋根の一部が前方に突き出し礼拝のために使用される部分)と浜床(向拝の下に用いられる低い床)があり、縁高欄がまわりをめぐっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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18.西本宮本殿 -3
縁の上に置かれた狛犬と獅子が気に入ってしまった。向かって右側に手前に見えるのが獅子で、その獅子と向かい合うツノがある狛犬が向こうに見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO640 ) 露出補正 なし
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19.包丁塚
西本宮の右手に大宮竈殿社があった。祭神は奥津彦神・奥津姫神。大宮(西本宮・大己貴神)の食事、調理を司る神だそうだ。山王21社のうち下7社の一つである。そして 大宮竈殿社の右奥に包丁塚があり、傍らの石碑には「竈神は、一家を構える家庭の命の源を守護する家神として崇拝された。このことから現在では台所の神として、また飲食を整える包丁の守護神として調理の上達を願い、多くの信仰を集めている」とある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO250 ) 露出補正 なし
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20.三宮宮、牛尾宮への上り口
日吉馬場の参道を歩いているとき北東の八王子山の上に、三宮宮と牛尾宮が見えた。石段の手前に見えるのは三宮宮遙拝所で向こう側が牛尾宮遙拝所だ。ここからその奥宮まで約1kmで片道30分だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO320 ) 露出補正 なし
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