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2020年9月27日

南房総館山へ一泊旅行敢行(3) 清澄寺→御宿→海ほたる 9月10日

石堂寺で波の伊八の彫刻を観たあと、再び国道128号線に戻り、道の駅和田浦に寄った。一息入れて、海沿いに鴨川の先を左に上がって、まっすぐ行けば養老渓谷へ通じる道を、日蓮宗の大本山である清澄寺へ向かった。
 この日は御宿のサヤンテラスというホテルのレストランで昼食にすることになっていた。清澄寺から128号線に戻り、御宿に着いたのは午後1時を過ぎていた。道向かいにある海産物の店で、サザエなどを買うことも予定にある。御宿の海岸は、緩やかに弧を描いて東西に伸びる網代湾の、三日月型をした遠浅の海岸で、全長約2kmにわたって続くきめ細かい白砂の砂浜が形成されているという美しい海岸だ。しかし、今年の夏は、コロナ禍で海水浴場は開設されていない。まだまだ暑く、海水浴もできる陽気だが、もちろん泳いでいる人や、サーフィンをする人は見かけられなかった。
 近くに、童謡「月の沙漠」の作詞者であり、御宿をこよなく愛した詩人「加藤まさを」の作品や資料、御宿にゆかりのある文人や画家たちの作品の紹介など、伝統ある御宿の再発見と、新たな文化の創造を目指してて建てられた月の砂漠記念館があり、その前の砂浜にはラクダに乗った王子と姫の銅像があった。そして、すぐ近くにある、通称メキシコ記念塔と呼ばれるオベリスク型の日西墨(日本、スペイン、メキシコ)三国交通発祥記念之碑が立てられている丘へ寄った。 午後3時、メキシコ記念塔を後にして、国道465号を大多喜へ上がり、さらに297号を北へ向かい、市原鶴舞ICで圏央道にあがって、海ほたるへ戻る。Kさんご夫妻とはここで別れる。今回もいろいろとガイドをしていただき感謝に堪えない。
 海ほたるで夕焼けを撮りたいと思って、少し待機したが、空が赤く染まらなかった。木更津側の空に虹がかかっていた。  

51.清澄山
右手に海を見ながら国道128号線を走る。鴨川を過ぎ、小湊の手前を左に〈北)に清澄山方面へ上がる。12時少し前に清澄寺の駐車場、と言っても土産物屋さんの駐車場で、駐車料500円をお支払いした。その高台になったところから海を眺める。歌川広重が嘉永5年(1852年)に清澄寺を参拝していたと書かれた札が立てられていた。清澄の地を訪れた6年後の1858年に、広重は、日本各地の名所を描いた20枚の錦絵を「山海見立相撲」という名で世に出している。その錦絵20枚の中には、4枚の千葉の風景「安房清住山」、「安房小湊」、「上総木更津」、「上総鹿楚山」が収められていたが、この絵は、「安房清住山」だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 11mm ISO100 ) 露出補正 なし
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52.清澄寺仁王門
駐車場から、土産物屋が並ぶ道をしばらく歩くと仁王門があった。文久3年(1863年)に建てられたもので、左右に金剛力士像が立つ。正面に向かって右の口を開けている阿像(那羅延金剛)は一切の法の最初を表し、左の口を閉じている吽像(密迹金剛)は一切の法の窮極を表しているそうだ。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO250 ) 露出補正 なし
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53.清澄山境内
境内に入る。参道は直角に曲がり、その正面に本堂である摩尼殿(大堂)、右手前に観音堂、その向こうに鐘楼の屋根は見える。清澄寺(せいちょうじ)は清澄山の頂上近くにあり、宝亀2年(771年)に不思議法師と呼ばれる僧がこの山を開いたといわれている。清澄寺は日蓮宗の大本山だ。山号は千光山。日蓮が出家得度および立教開宗した寺とされ、久遠寺、池上本門寺、誕生寺とともに日蓮宗四霊場と呼ばれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO320 ) 露出補正 なし
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54.摩尼殿(大堂)
摩尼殿は大堂とも呼ばれ、度重なる改修を繰り返し、現在の摩尼殿は17世紀後半のものであるそうだ。 清澄山の主峰は標高377mの妙見山で、千葉県で3番目に高い山である。大堂付近の標高は約310mという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO500 ) 露出補正 なし
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55.摩尼殿(大堂)内部
大堂の中央には虚空蔵菩薩、その両側には日天子、月天子を祀る。さらにその外側には不動明王と毘沙門天を祀り、正面右手奥には六老僧の一人・日向上人、左手奥は妙見菩薩の遥拝所としている。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
055_200910435 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
56.摩尼殿(大堂)外陣
摩尼殿(大堂)のなかには立派な彫刻が掛けられていた。 説明書きを探せなかったが、帰宅後ネットで検索してみたところ、青山貞一さん、池田こみちさんのサイト 「伊能忠敬と日蓮の足跡をたどる千葉の旅  清澄寺3」に、堂内の欄間には、十六羅漢とその弟子が智慧の宝珠を授かる一場面や、東端は持国天、西端は広目天、宮殿斜め上には唐獅子牡丹が彫られている。また、正面頭上には、江戸時代の有名な宮彫り師・後藤義光作の梵字額が飾られているといった記述があった。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/100秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
056_200910436 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
57.摩尼殿(大堂)の扁額
向拝の上には「摩尼殿」と書かれた扁額が架かっていた。摩尼とは仏教用語で、珠玉とか宝石という意味のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 15mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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58.摩尼殿(大堂)の彫刻
摩尼殿(大堂)の彫刻  についての説明立札があった。それには「清澄寺本堂には数多くの彫刻が取り付けられている。懸魚には「鳳凰」、向拝には「蓬莱島」と愛染明王の台座、柱の左右の木鼻「獅子と象」、そして東西の破風には「阿吽の力士像」一対が飾られている。後略」と記されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO1000 ) 露出補正 なし  
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59.摩尼殿(大堂)の破風の彫刻これがその「 阿吽の力士像」一対の片側のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 90mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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60.祖師堂
お万の方の奉納とされる、日蓮聖人像を祀っている祖師堂は、建築家内井昭蔵氏が法華経の世界観、日蓮聖人の軌跡を設計に取り入れ、日蓮聖人聖誕750年慶讃事業として昭和48年に完成した。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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61.鐘楼堂
平成7年12月に完成した。鐘の側面には奉納者の氏名が彫られている。 また庫裡(かっては1647年(正保4年)年築の    桃山風の庫裏があったようだが、新しく建て替えられたようだ)の正面には明徳3年(1392年)の銘の入った古梵鐘がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO250 ) 露出補正 なし
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62.中門
1647年(正保4年)に創建され、1837年(天保8年)に改修された。 昭和39年4月28日、千葉県指定有形文化財になる。 この門は一門一戸の四足門(2本の親柱の前後にそれぞれ2本、計4本の控え柱を設けた門)で、屋根は茅葺の切妻造りである。 箱棟の鉄板を覆っており、主柱の左右には袖板を付し、正面左右にのみ通路用の「小開扉戸」を備えてある。 軒は二軒につくり、妻軒も深く設計し、耐湿・防風への効果も考慮されていることがうかがえる。和様を主とした折衷様式とのこと。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
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63.古梵鐘と宝篋印塔
中門の先に、「明徳三年在銘」とされた梵鐘と、清澄寺石造宝篋印塔があった。いづれも千葉県指定有形文化財である。梵鐘の大きさは高さ123,2cm、口径66,.7cmで三段組で鋳造されている。宝篋印塔は高さ157cmで地元の嶺岡山系で算出する蛇紋岩で作られている。この塔はその形態から関西様式に類別され、集団・橘家がかかわった可能性が想定されているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
063_200910452 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
64.大楠
中門を抜けた左側に、樹齢800年の大楠があった。清澄寺では、大正13年に国の天然記念物に指定された、高さが約47m、幹周りは約15m、樹齢およそ800年といわれている千年杉が有名であるが、この大楠は市の天然記念物である。 この奥に建て替えられた庫裏と宝物殿がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
064_200910453 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
65.月の砂漠公園
御宿のホテルのレストランで遅めの昼食をとった後、最後の目的地イタリア記念塔へ向かう途中、右手の海岸に月の砂漠記念公園があった。童謡「月の沙漠」は御宿の海岸がモデルとなったそうだ。大正時代に活躍した詩人・抒情画家加藤まさを 作詞の童謡「月の沙漠」に登場するラクダに乗った王子と姫の銅像が公園内に据えられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
065_200910470 X800 南房総 御宿 月の砂漠公園 RX10m4.jpg
66.月の砂漠公園 ラクダ像
Wikiwandには、「月の沙漠が御宿の砂丘で生まれたことを記念するために、町で記念像を建てたい」と加藤まさをに告げた。加藤は観光宣伝目的なら真っ平だと断ったが、内山は青少年の情操教育が目的だと主張して加藤を説き伏せた。記念像の除幕式は1969年(昭和44年)7月6日に行われた。  ラクダ像の制作は彫刻家の竹田京一が担当し、アラビア砂漠のベドウィンを取材した経験を持つ朝日新聞記者の本多勝一が監修した。完成当初は合成樹脂製だったが、1990年の「月の沙漠記念館」開館に合わせ、青銅製に作り直された。と記されている。なかなか良い像と思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 136mm ISO200 ) 露出補正 なし
066_200910472 X800 南房総 御宿 月の砂漠公園 RX10m4.jpg
67.記念塔(日西墨三国交通発祥記念之碑)
通称メキシコ記念塔と呼ばれる。wikipediaによれば、1609年(慶長14年)に岩和田の海岸で起こったスペインの前フィリピン臨時総督ドン・ロドリゴ・デ・ビベロの乗船したサン・フランシスコ号の漂着事故が、日本とスペイン(西班牙)、およびメキシコ(墨西哥、当時はスペイン領ヌエバ・エスパーニャ)との直接交流を生むきっかけになったことから、漂着と救助を記念する目的で1928年(昭和3年)に建設された。鉄筋コンクリート製で高さ17メートルだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 11mm ISO100 ) 露出補正 なし
067_200910477 X800 南房総 御宿 メキシコ記念公園 RX10m4.jpg
68.御宿網代湾岩和田漁港
高台にあるメキシコ記念公園からは、御宿網代湾の東端にある岩和田漁港が眺められた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
068_200910479 X800 南房総 御宿 メキシコ記念公園 RX10m4.jpg
69.抱擁の碑
冷え切った漂着者を岩和田村の女性が素肌で温め蘇生させている姿を表現した像があった。2009年9月29日に漂着400年を記念してメキシコ政府から贈られた。 碑には、嵐に遭遇したガレオン船サン・フランシスコ号が 1609年9月30日 この地へ漂着した。岩和田の住民による人道的且つ決死の救助作業によって ドン・ロドリーゴ・デ・ビベーロ・イ・アベルーサ並びに316名が命を救われた。その史実を介して、メキシコと日本、両国国民の間に友好の絆が結ばれた。メキシコ政府は 墨日交流400周年に因み この彫刻を御宿町に寄贈する。 2009年9月26日 と刻まれている。この時 海女たちは、飢えと寒さと不安にうちふるえる異国の遭難者たちを素肌で暖め蘇生させたと伝えられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
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70.海ほたる 夕刻
海ホテルで、軽く寿司をつまんだ後、Kさんご夫妻と別れた。時刻は午後5時半。まもなく日没だが、空はあまり鮮やかではなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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71.虹
ふと、木更津側の空を見上げると虹が出ていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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72.アクアラインにかかる虹
   川崎側にいたが、虹が消えないうちにと急いで木更津側に回ってみた。トワイライトタイムの虹だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 31mm ISO125 ) 露出補正 なし
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73.海ほたる 5時45分
空は少し赤くなったが、茜色には染まらなかった。駐車場に戻り、アクアライン浮島から大黒を経由、首都高羽横線へ。羽横線は少し混んでいたが、ほぼ順調に自宅に戻ることが出来た。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2017年2月 1日

川崎大師 12月17日

昨年春先に入院して手術を受けることがあった。かみさんも、日ごろ友人たちとお参りに出かけている川崎大師にその無事を祈ってくれていた。お陰様で術後半年目の検査では異常ないことが確認されたので、そのお礼のお参りのため川崎大師に出かけた。
 川崎大師は真言宗で金剛山 金乗院 平間寺という。890年前、平間兼乗という武士が、無実の罪により生国尾張を追われ、諸国を流浪したあげく、川崎の地に住みつき、漁猟をなりわいとして、貧しい暮らしを立てていたが、高野山の尊賢上人が諸国遊行教化の途上たまたま兼乗のもとに立ち寄り、尊いお像と、これにまつわる霊験奇瑞に感泣し、兼乗と力をあわせ、ここに、大治3年(1128)一寺を建立した。そして、兼乗の姓・平間をもって平間寺(へいけんじ)と号し、御本尊を厄除弘法大師と称し奉ったという。

1.蛤鍋(はまなべ)
京浜急行の川崎大師駅で下車し、川崎大師表参道を歩く。両側に店が並ぶ商店街だ。まだ、のれんは出ていないが、あなご、蛤なべの旗に魅かれる。​「恵の本」という割烹だが、川崎大師の門前町に350年以上、11代にわたる料亭とのこと。港湾開発が行われる前の江戸湾は蛤の宝庫だったという。現在は木更津で復活したヤマトハマグリ(地蛤)で仕立てる歴史ある蛤鍋(はまなべ)だそうだ。一度食べてみたい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/60秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2.達磨
表参道商店街に達磨やさんが店を開けていた。中央に「日本一(1m) 手作り・手書き達磨」と書かれた立派な達磨があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/125秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
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3.明長寺
川崎大師表参道を仲見世の方に曲がる手前の左側に明長寺という落ち着いた佇まいのお寺があった。川崎大師観光協会のパンフレットによれば、明長寺は文明年間(1469年~87年)に創建された天台宗のお寺である。大阪夏の陣で荻田主馬という武将が手柄を立てて家康から拝領した「葵梶葉文染分辻ヶ花染小袖」が国の重要文化財としてこの寺に保存されているそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/125秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
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4.酉年
今年は酉年である。大山門に向かう仲見世の店には、新年を控えて、「ザブトントリ」と「かおみくじ付きトリ」といったかわいい酉の置物が並べられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/125秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
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5.大山門
金剛山の扁額がかかった大山門。正月の飾りの準備がなされている。大山門の向こうには献香所と大本堂の石段が見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 31mm ISO125 ) 露出補正 なし
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6.大山門の提灯
「魚がし」と書かれた赤い大きな提灯が下がる大山門。この提灯は川崎大師魚がし により奉納されたもので、 提灯中央には「魚がし」の文字が、また下の部分には魚のマークや 青海波と呼ばれる波を表わす模様が描かれている。魚河岸講の中で代表的なものは成田山新勝寺、小田原大雄山道了尊、羽田穴森神社、豊川稲荷、浅草金龍山とこの川崎大師魚河岸講などである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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7.大山門 境内より
大山門をくぐって境内に入った。大本堂の石段から振り返って大山門を望む。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 24mm ISO125 ) 露出補正 なし
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8.大本堂
靴を脱いで大本堂に上がらせていただいた。お坊様の講話があり、やがて護摩が始められた。平間寺の案内冊子によれば護摩の修業は奥深い内容を秘めた哲学的な意義と、真言宗という正しい密教の教理に裏付けられた荘厳な宗教儀式という。この本堂は1964年(昭和39年)5月落慶。本尊厄除弘法大師が祭られている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/160秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
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9.しょうづかの婆さん
川崎大師の西側に西解脱門というのがあるが、不動堂の先からその西解脱門へ道沿いに「しょうづかの婆さん」と呼ばれる像がまつられている。「しょうづか」とは「葬頭河(そうづか)」がなまったものだそうで、三途の川を渡る死者の衣服を剥ぎ取る奪衣婆のことだそうだ。この「しょうづかの婆さん」にお参りすれば、歯の痛みを止めたり、容貌を美しくしてくれたりするといわれ、昔から信仰を集めているという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/50秒 20mm ISO800 ) 露出補正 なし
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10.遍路大師
境内の八角五重塔の近くに遍路大師尊像があった。この遍路大師蔵は昭和48年の弘法大師誕生1200年鑽仰奉祝記念事業として、当山講社・淀橋常夜燈講の寄進により造立されたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 16mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
11.新四国八十八カ所霊場
遍路大師像は空海上人の巡錫される姿が躍動的に表現されていて、その周りには「新四国八十八カ所霊場」が創設され、ご信徒の篤い信仰をあつめているという。四国八十八カ所霊場が記された石柱が建てられているが、2014年に四国旅行をした時に訪れた第38番金剛福寺の石柱(写真で左から2番目)もあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
12.八角五重塔
川崎大師のホームページによれば、八角五重塔は、昭和59年の川崎大師の吉例大開帳ならびに弘法大師1150年遠忌を記念し落慶した。この五重塔は、境内と諸堂宇との調和を考慮し、さらに真言の様式にかなうよう華麗にして格調ある「八角」としている。比較的新しい建物で大林組によって竣工されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/400秒 21mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
13.鐘楼堂
大山門の南側にあるもう一つの門、不動門の手前に鐘楼があった。鐘楼堂の前には「鐘楼堂は寛政元年(1789年)正月当山33世隆範代に創立されたもので、本堂の前にあったものを大正12年の震災で倒壊した為、昭和5年に現在のところに移転され、さらに昭和20年戦災により焼失、昭和23年に再建されたものである。鐘は延徳3年に鋳造されたものであったが、その後寛政7年(1795年)5月、当山33世隆範法印の代に再鋳されている。」と書かれた札が建てられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/320秒 23mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
14.不動門
当初は、昭和20年4月15日未明の戦禍により焼失した山門の跡地に、第43世隆超大僧正が昭和23年福島県の有縁の地から譲り受け、移築建立されていたのを、昭和52年に現在の大山門が建立されたことに伴い、不動門として移築したとのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
15.不動門と不動堂
不動門を出て境内をかえりみる。wikipediaによれば、不動堂は1890年(明治23年)創建。現在の建物は1964年(昭和39年)に再建されたもの。本尊の不動明王は成田山新勝寺の本尊を勧請。関東三十六不動霊場第7番、武相不動霊場第1番札所とある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
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16.祈りと平和の像
この「祈りと平和の像」は昭和59年、弘法大師1150年遠忌を記念してが建立されたとのこと。像全体は金色で中央は富士山の上に光臨した観音をモチーフとした女神、周囲は鹿野苑で楽器を奏でる天女の像だ。中央の女神が「祈り」、周囲の天女が「平和」を表しているという。文化勲章受章者の円鍔勝三の作品。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 10mm ISO125 ) 露出補正 なし
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17.大山門の仁王像
大山門には境内側に2体と外側(仲見世側)2体、計4体の仁王像がある。これは境内側から見た左側の多聞天である。デジタル大辞泉によれば、多聞天は毘沙門四天王のひとつ。常時、如来の道場を守り、法を聞くことが最も多いことからのこの名がある。北方を守る仏法守護の神将。甲冑をつけ、両足に悪鬼を踏まえ、手に宝塔と宝珠または鉾を持った姿で表されるとのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/50秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
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18.大山門と仲見世
境内から大山門を出ると仲見世通りだ。11時半、人通りも多くなってきた。川崎大師と言えばくずもちが有名だ。写真右側に見えるのが「独鈷の住吉」と呼ばれる老舗の久寿餅屋さんだ。店の喫茶室でこのくずもちを食べることができる。とても旨いと思った。表参道商店街には創業明治20年を謳う元祖久寿餅「住吉屋総本店」という店もあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/50秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
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19.仲見世通り
仲見世通りはそう長くはない。30軒ほどの店舗が並ぶ150mほどだ。仲見世通りを歩くと、大山門を通して本堂までがまっすぐ見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/400秒 32mm ISO125 ) 露出補正 なし
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20.せき止飴
川崎大師の久寿餅とともにもう一つの名物がせき止飴だ。川崎大師の飴は1862(文久2)年創業の菓子屋「評判堂」が明治4年、飴の製造販売を行いはじめたのが始まりのようだ。そして、仲見世に多くの飴屋ができはじめたのは、深川不動尊にあった飴専門の老舗「松屋の飴」が昭和11年に川崎大師に店を出してからだそうだ。仲見世通りの出口に「元祖松屋総本店」という店があった。ここは店頭ではハッピを着た若い衆がトントントンと音を立ててリズミカルに飴を切る実演をやっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/160秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2016年2月29日

茨城県桜川市へ行く(2) 雨引観音 2月10日

正午過ぎに真壁ひなまつりの駐車場を出発し、近くにある雨引(あまびき)観音へ向かった。真壁からは北東の方向になる。20分足らずで雨引観音の駐車場に着いた。駐車場に止まっている車は少なくそれほど参拝者は多くないようだ。
 雨引観音は雨引山楽法寺という。真言宗豊山派で、本尊は観音菩薩。坂東三十三箇所 第24番、関東八十八箇所 特別霊場になっているそうだ。この日は拝観できなかったが、八臂(8本の手)を有する木造観世音菩薩立像= 寺伝延命観音は平安時代前期の制作とされ、国の重要文化財に指定されている。
 山門から仁王門へ上がる石の緩い階段=磴道、仁王門、本堂、多宝塔はそれぞれ趣があった。何よりも驚かされたのは多宝塔の前で孔雀(インドクジャク)が2羽、しかも羽を拡げて、落ち着いた様子で歩いていたことだった。囲いは何もない。
  放し飼いにされている孔雀や尾長の写真を撮ったりして雨引観音の境内で30分ほど過ごし、帰路についた。北関東道、常磐道を順調に走り、夕方5時前に自宅にたどり着いた。満足のいく1日だった。

28.雨引観音山門
この山門は真壁城の城門が移築されたもののようだ。参拝した雨引観音の仁王門や本堂とはちょっと異質な感じがする。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F​5.6​ 1/250秒 ​29​mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
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​29.​山門、磴道​、仁王門
山門から上を見ると​磴道​(とうどう)と呼ばれる石の階段があり、その向こうに仁王門が見えた。雨引観音のHPによれば、​磴道​は文政4年(1821​)​より1年2ヶ月の歳月を費して完成した大石段で、145段あ​るという​。この石段は俗に厄除けの石段といい、一段一段登るごとに「南無観世音菩薩」と称号を唱えて登れば、145段を登りつめた時、厄が落ちるといわれ​ているそうだ​。​あとで知ったことなので、厄を落とすことはできなかったが・・・。​石段の両側には10種3000株のアジサイが植えられており、梅雨時には新緑に映えて咲き乱れ、参詣する人々を迎え​てくれるという。​

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/250秒 34mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段 ​
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30.​修善寺寒桜 -1
磴道​を上がっていくと右側に鐘楼があり、その前に桜が咲いていた。傍に立てられた札には「修善寺寒桜​」と書かれていた。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F​4.5​ 1/​360​秒 ​70​mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段 ​
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31.​修善寺寒桜 -​2​
​この桜は​寒緋桜と大島桜の雑種と推定され​ている。​5分咲きだ。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F​5​ 1/​400​秒 ​70​mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
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32.鐘楼堂
雨引観音​の​HPによれば、この建物は、建長6年​(​1254​)​宗尊親王の御願によって建立し、その後天和2年​(​1682​)​当山第14世堯長が再建したが、又大破したため文政13年​(​1830​)7第24世元盛が再度建立したものだそうだ。昭和50年瓦葺きに葺き替えられたが、他は文政年中建設のままという。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/250秒 40mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
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33.仁王門
​磴道​を上がりきると、朱色の塗も鮮やかな仁王門がある。​仁王門は建長6年​(​1254​)​宗尊親王の建立した門で、鎌倉時代の仏師康慶の彫刻した仁王尊を祠ってい​る​。 仁王尊は二​体​であり、一体は阿の字​、もう​一体は吽の字を示現すといい、力感溢れる 名彫刻​とのこと​。門の周囲の彫刻は、宝永​(​1704​)​年中無関堂円哲が彫刻したもので、豪壮華麗の彫刻は日光のそれと対比され​るという​。現在の建物​である​重層入母屋造りは江戸時代に作られたものだそうだ。天和2年​(​1628​)​14世堯長が再建したものであり、茨城県指定文化財​だそうだ​。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/250秒 ​21​mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
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34.​仁王門の扁額
扁額は「雨引山」と書かれている。雨引山(あまびきさん)は、茨城県桜川市にある標高409.3mの山である。北から御嶽山、雨引山、燕山、加波山、丸山、足尾山、きのこ山、弁天山、筑波山の順に連なる筑波連山北部の山の一つであり、雨引山の中腹に雨引観音がある。雨引観音=雨引山楽法寺の山号だ。山号寺名は旱魃時の雨乞いに霊験があったとして嵯峨天皇から勅命により賜ったとされる。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F3.8 1/250秒 ​40​mm ISO450 ) 露出補正 -0.7段
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35.仁王門から見る山門
仁王門を入り振り返る。上がってきた石段=磴道と山門が見える。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F5 1/250秒 ​38mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
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36.本堂
仁王門の上に本堂があった。まずこの寺院は、寺伝によれば587年(用明天皇2年)に、中国(梁)出身の法輪独守居士によって開山されたといわれる。本堂の前に建てられている「雨引山楽法寺略縁起」には、当山の開創は​用明天皇2年(587年)にして、本尊は延命観世音菩薩と申し、安産、子育、厄払の霊験あらたかな尊像である。天平年中(730年)聖武天皇、並びに光明皇后の御願によって安産を祈願し勅願寺となる。嵯峨天皇の弘仁12年(821年)勅命をこうむって雨を祈り、その効験によって雨引山の山号を賜る。建長6年(1254年)御嵯峨天皇の皇子、宗尊親王は三重塔、仁王門、鐘楼堂、客殿、不動堂を建立し、寺観整然とし、面目ここに一新す。慶長9年(1604)江戸幕府の祈願寺として250石の封を得、10万石の格式に叙せられ、末寺43ケ寺を統して幕末に及ぶ。然かして御供所楼下の大石垣はこの格式を象徴するものである。と記されていた。その後平成10年秋に、屋根瓦葺き替え及び塗り替えが行われた。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F4 1/250秒 ​17mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
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37.孔雀 -1
本堂の見事な彫刻を眺めていたら、その隣の多宝塔の前に孔雀がいるのが目についた。♂の孔雀で羽を広げてくれている。どうやら放し飼いにされているようだ。囲いも何もない。孔雀以外にも尾長鶏もいる。孔雀は2羽いた。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F5 1/400秒 ​70mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
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38.孔雀 -2
じっと羽を開いたままで、人が近づいても、とてもおとなしくしている。インドクジャクだ。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/500秒 ​70mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
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39.孔雀 -3 後ろから失礼!
はじめて見る後ろ姿もなかなか立派である。孔雀は神経毒に耐性を持つためにサソリ等の毒虫や毒蛇類を好んで食べることから、益鳥として尊ばれる。さらにこのことから転じ、邪気を払う象徴として「孔雀明王」の名で仏教の信仰対象にも取り入れられたそうだ。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/640秒 ​70mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
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40.多宝塔と孔雀
多宝塔の前で孔雀はまだ羽を広げている。多宝塔は仁王門や本堂に比べて地味だ。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/250秒 ​70mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
41.多宝塔
​多宝塔は​天平年中(730)聖武天皇の后、光明皇后の造建したものが始まりである。天和3年(1683)当山​14​世堯長が、三重塔を再建しようとして良材を集めて塔の第二重目まで建設したが、病のため果たせず、​15​世堯宗は先師の遺命を奉じて翌、貞享元年正月、工事を進めて完成させた。ところが不思議にも、本堂が震動して観世音が自然開帳となり、群衆が数十日にわたって集まり、建築の資金が集まったそうだ。さらに嘉永6年(1853)元盛、暢光、両師協力して十万人講を勧進して、三重塔を改め多宝塔としたのが現在の塔だそうだ。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F9 1/320秒 ​26mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
42.多宝塔と尾長鶏
孔雀だけではなく尾長鶏もいた。尾長鶏はニワトリの品種の一つだ。なぜ、孔雀や尾長鶏が放し飼いにされるようになったのかとても興味がある。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F​5​ 1/​250​秒 ​17mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
43.本堂と河津桜
本堂の前に河津桜の木が植えられていた。まだわずかしか花が開いていない。​

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F​7.1​ 1/​250​秒 ​50mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
​44.羽を閉じた孔雀とお尻を向けている孔雀
2羽の孔雀たちはしばらく羽を開いていたが、やっとそのうちの1羽は羽を閉じて歩き始めた。逃げようなんて露ほども思っていないようだ。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F5 1/400秒 70mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
45.筑波山
雨引観音​の境内から南を眺めると桜川市の市街地の向こうに裾野を広げた筑波山が見えた。筑波山は東京側から見ると関東平野の独立峰に見えるが、今いる雨引山など北側に山が連なっているのだ。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F​7.1​ 1/​8​00秒 ​62​mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
46.​磴道​と山門
そろそろ駐車場に戻ろうと仁王門を出る。先ほど登ってきた石段の​磴道​とその下に見える山門の佇まいが​良い。磴道​の両側にアジサイが咲くころは素晴らしい風情だろう。午後2時帰路についた。​

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F​6.3​ 1/​250秒 ​56mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。


2011年3月 2日

豊川稲荷と伊勢神宮 2月13日~14日 1/3 豊川稲荷と伊勢湾フェリー


 2月13日14日、「伊勢神宮両参拝と伊勢湾クルージング」という1泊2日のバスツアーに参加した。豊川稲荷も参拝する。伊勢神宮も豊川稲荷ももう40年~50年前に一度行ったきりであった。出発の日は素晴しい快晴で、バスの座席は一番前でだったのでフロントグラスからの展望が楽しめた。
 この日は、まず、豊川稲荷をお参りし、渥美半島の菜の花を見て、伊良湖から伊勢湾フェリーで鳥羽へ渡る。その日のうちに伊勢神宮外宮にお参りし、伊勢志摩ロイヤルホテルに入った。
 翌日は、伊勢志摩パールロードをドライブし、鳥羽展望台、石神様の神明神社、真珠と海産物の店によって、伊勢神宮内宮に参拝した。11時半にお参りを終え、その後出発までの時間は、自由におはらい町とおかげ横丁を散策するという段取りになっていた。帰路に着くころ、雪が激しく降って来た。

1.富士山
2月13日は快晴で、バスの最前列に座り、高速道路の展望を楽しむ。西へ向かうバスは富士山を捉える。左上の写真は首都高の用賀の手前、右上は大井松田のあたり、左下は、足柄サービスエリアから。そして右下は裾野のあたりで右横方向に見えた富士山である。少しずつ形も変わる。この後、沼津を過ぎて由比海岸を通るが、左背後に浮世絵のような富士山が見えた。今回は撮れなかったが、チャンスがあればパーキングエリアに停車して撮ってみたい。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-55mm F3.5-5.6G
左上:プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/2500秒 135mm ISO400 ) 露出補正 なし
右上:プログラムオートで撮影 ( F9 1/1250秒 95mm ISO400 ) 露出補正 なし
左下:プログラムオートで撮影 ( F11 1/4000秒 200mm ISO400 ) 露出補正 なし
右下:プログラムオートで撮影 ( F10 1/1600秒 95mm ISO3200 ) 露出補正 なし トリミング
富士山;クリックすると大きな写真になります
2.豊川稲荷総門
11時半少し前、豊川稲荷の駐車場に着いた。東京駅を7時半に出発し、途中足柄SAで20分の休憩をとったが、約4時間で到着した。ここは豊川稲荷境内への入口、総門である。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-55mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/250秒 27mm ISO400 ) 露出補正 なし
豊川稲荷総門;クリックすると大きな写真になります
3.豊川稲荷本殿
総門を入って正面には山門、妙厳寺本堂があるが、山門の手前を左に曲がって、鳥居をくぐるとその正面に本殿が見える。豊川稲荷は正式名を円福山豊川閣妙厳寺という曹洞宗の寺である。嘉吉元年(1441年)、東海義易によって創建され、室町時代末期 今川義元が伽藍を整備した。 現存する諸堂は江戸時代末期から近代の再建であると言われる。この寺に祀られているのが、鎮守・豊川荼枳尼天(だきにてん)であり、この荼枳尼天が稲穂を荷い、白い狐に跨っておられることからいつしか「豊川稲荷」が通称として広まったと現在に伝えられているという。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-55mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/125秒 31mm ISO400 ) 露出補正 なし
豊川稲荷本殿;クリックすると大きな写真になります
4.豊川稲荷 霊狐塚への参道
景雲門をくぐって奥ノ院へ行く。その奥に霊狐塚への路が続き、奉納された狐の石像と幡が続いていた。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-55mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/1000秒 95mm ISO400 ) 露出補正 なし
豊川稲荷 霊狐塚への参道;クリックすると大きな写真になります
5.豊川稲荷 霊狐塚
霊狐塚の信者から奉納された狐の石像は千体あると言われている。昭和の初めには本物の狐が飼育されていたそうだ。「スナックカルネ」と書かれた狐の石像があった。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-55mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/125秒 120mm ISO400 ) 露出補正 なし
豊川稲荷 霊狐塚;クリックすると大きな写真になります
6.鐘楼堂
山門の方へもどり、法堂を参拝し、総門の方へ進むと左手に鐘楼があり、若い僧が鐘をついていた。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-55mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/1600秒 200mm ISO400 ) 露出補正 なし
鐘楼堂;クリックすると大きな写真になります
7.豊川稲荷表参道
踏み入れなかったが、道路を挟んで総門の前に「豊川いなり表参道(なつかし青春商店街)」があり、賑わっていた。この商店街は飯田線の豊川駅前へと続き、近年の昭和レトロブームに乗って観光客を集めているとのこと。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-55mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/1600秒 200mm ISO400 ) 露出補正 なし
豊川稲荷表参道;クリックすると大きな写真になります
8.渥美半島の菜の花畑
伊良湖崎へ近づくにつれ、車窓から菜の花が見られるようになった。シーズン中は菜の花狩り、菜の花市場、また、1月29日~3月21日まではライトアップなどが行われているようだ。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-55mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F13 1/640秒 55mm ISO400 ) 露出補正 なし
渥美半島の菜の花畑;クリックすると大きな写真になります
9.フェリー到着
伊良湖から鳥羽まで伊勢湾フェリーで渡るが、我々のバスを乗せるフェリーが鳥羽から到着した。船はおおよそ2300トンでバス11台、乗用車43台、バイク10台を積み、旅客定員は500人。鳥羽まで約50分かかる。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-55mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/1000秒 95mm ISO400 ) 露出補正 なし
フェリー到着;クリックすると大きな写真になります
10.鳥羽へ向けて
フェリーは鳥羽へ向けて波を切り分けて進む。デッキへ出ると波しぶきをかぶり、カメラのレンズに水滴が付く。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-55mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F16 1/1000秒 26mm ISO400 ) 露出補正 なし
鳥羽へ向けて;クリックすると大きな写真になります
11.神島
伊良湖を出港してしばらくすると左手の島影が大きくなる。周囲3.9kmの島で人口は500人、三重県鳥羽市に属する。三島由紀夫の小説『潮騒』の舞台になったことで知られ、5回行われた映画化ではロケ地となった。潮騒では歌島(うたじま)とされた。この写真は、島から離れ、鳥羽に近づいたところで撮った。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-55mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F11 1/500秒 35mm ISO400 ) 露出補正 なし
神島;クリックすると大きな写真になります