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2017年3月29日

読書日記「オオカミが日本を救う!」(丸山直樹編著、白水社)「日本の森にオオカミの群を放て」(吉家世洋著、丸山直樹監修、ビング・ネット・プレス刊)


オオカミが日本を救う!: 生態系での役割と復活の必要性
丸山 直樹
白水社
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日本の森にオオカミの群れを放て―オオカミ復活プロジェクト進行中
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 このブログにも書いたが、シカの異常繁殖が日本の自然生態系を破壊している実態をかいま見たのは、2008年に北海道・知床を訪ねた時のことだった。

 知床の草地はエゾジカに食べつくされて、すでに「世界遺産・知床から花が消えてしまった」(自然ガイドのTさん)。

  
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ホテルの前庭に群がるオスジカ。見えている白い草花は食べない エゾジカに樹皮を食べられ、立ち枯れたイチイの木
       
 冬になると、ミズナラなどの樹皮をはぎ取り、樹木は枯れてしまう。街中の家屋の前の木々は、金網で覆われているが、葉っぱはほとんど食べられてヒョロリと立っている。
 明治時代に、開拓農民の家畜を襲うエゾオオカミが害獣として絶滅されたため、エゾジカの異常繁殖という自然循環のアンバランスを招いたのだ。

 「オオカミが日本を救う!」の編著者である丸山直樹は、東京農工大学名誉教授。シカの生態を研究するうち、自然生態バランスを維持する食物連鎖「頂点捕食者」である狼に注目、「日本オオカミ協会」を設立して「日本の自然崩壊を救うため、再びオオカミを導入しよう」と、呼びかけている。

 オオカミの再導入によって、シカやサル、イノシシの被害が減少し、里山や土砂の崩壊、流出などの自然破壊を防いだりすることができるという。

 オオカミは、群れで生活し、なわばり内の「頂点捕食者」として、シカやイノシシを食べ、結果的にシカなどの異常繁殖は防ぐことができる。

 しかし、オオカミが人を襲う恐れはないのだろうか。

 これについて編著者は「もともとオオカミは、人への恐れ、警戒感が強く、人との遭遇を避けようとする」という。食物が少なくなって、家畜を襲うことはあっても、健康なオオカミが人を襲った例は、世界的にも報告されていない、という。

 「日本の森にオオカミの群を放て」は、科学ジャーナリストの著者が、丸山氏らが進めているプロジェクトを平易に解説した本。知床なども、オオカミ導入の有力候補らしいが、丸山氏らは、第一候補として日光国立公園に的を絞っているらしい。

 アメリカのイエローストン国立公園では、1995年にオオカミを再導入して成果を上げているようだ。  ネット上で見つけた「オオカミってやっぱりすごい!」というページは、この公園の様子をこう伝えている。

 
 オオカミが捕獲するため、シカの数が減ったが、シカもオオカミに狙われやすい場所を裂けるようになった。
 鹿が近づかなくなったため、植物たちが息を吹き返した。シカに食い尽くされて裸同然だった谷あいの側面はあっという間にアスペンや柳、ハコヤナギが多い茂る森となり、すぐに多くの鳥たちが生息し始めた。
 ツグミやヒバリなどの鳴き鳥の数も増え、渡り鳥の数も大幅に増えた。
 木が増えたため、多くなったビーバーが作るダムは、カワウソやマスクラット、カモ、魚、爬虫類、両生動物など多くの生物の住処となった。また、オオカミがコヨーテを捕食することで、コヨーテの餌食となっていたウサギやネズミの生息数が増加し、それを餌にする「ワシ、イタチ、狐、アナグマなども増えた。
 川の特徴まで変わってきた。それまでの曲がりくねっていた川は緩やかな蛇行流となり、浸食が減り、水路は狭まり、より多くの水のたまり場ができ、野生の生物たちが住みやすい浅瀬ができるようになった。
 川の流れが変わり森林が再生されて、川岸はより安定し、崩れることも少なくなった。そして、川は本来の強さを取り戻し、鹿たちに食尽された谷間の植物たちも再び生い茂り始めた。植物が増えたことにより、土壌の浸食を抑えることにつながった。
 自然が蘇ったのだ。


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      冬のイエローストン公園の頂点にいる捕獲者たち

 日本の北海道標茶町虹別には、20数年前に移り住み、フェンスで囲んだ約2000坪の自宅森林で、14頭のオオカミを飼っている桑原さん夫妻がいる。

 一般の人向けの「オオカミの自然教室」も開いている。

桑原さんが呼ぶと、体重30キロのモンゴルオオカミが飛びつき、ほおをなめた。地面に寝転がり、腹をみせる。「親愛や服従のしるし」と、桑原さんは言う(2013年9月5日、読売新聞夕刊)

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  桑原さんらが飼っている狼たち

狼は、冬の季語である。
 参加させてもらっている「聖書と俳句の会」で昨年末に提出した句が、幸いにも入選した。

     「狼の遠吠え聞けり夢の森

 3月20日付け読売俳壇で3席になっていた栃木県の人の句。

     「日本の何処かで狼生きている」  

2014年3月20日

読書日記「渡りの足跡」(梨木果歩著、新潮文庫)、「鳥たちの旅 渡り鳥の衛星追跡」(樋口広芳著、NHKブックス


渡りの足跡 (新潮文庫)
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鳥たちの旅―渡り鳥の衛星追跡 (NHKブックス)
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 先月の始め、引っ越してきた伊丹の家の近くにある昆陽池に渡り鳥を見に出かけた。このブログの管理者で野鳥観察が趣味のn-shuheiさんに誘われたのだ。

 その後、伊丹図書館南分館で、梨木果歩の「渡りの足跡」が文庫本になっているのを見つけた。n-shuheiさんがこの本のことを自分のブログに書いていたのを思い出して借りてしまった。

 著者の本にはなぜか引かれ、このブログでも何度か触れているが、この本だけは読んでいなかった。

 著者はいくつかの著書の"主役"の1つである植物だけでなく、渡り鳥についても玄人はだしの観察者らしい。この本は、北海道や新潟、信州、諏訪湖、さらにシベリア・カムチャッカにいたる渡り鳥"追っかけ"ルポだった。

 最初のオオワシを訪ねて知床にでかける章で、 「ワタリガラス」の名前を見つけてエッ!と思った。

 つい数日前に読んだ 池澤夏樹のパレオマニア」という本でこんな記述を見つけたばかりだったからだ。

   
 大英博物館でいちばん大きい収蔵物、・・・高さ十一メートルのトーテムポール。カナダ先住民族が残した巨大な米杉の柱の下部に・・・「神話的な動物、海の熊、あるいは嘴を折られたワタリガラス」を・・・見ることができる。


 池澤は「カナダ太平洋岸の先住民の神話では、ワタリガラスは創造主である」と書いているが、梨木も「ワタリガラスは、北米先住民族たちの創世神話でよく英雄として登場する、神秘的なカラスだ」と、まだ学生だったころにいた英国で、ワタリガラスの不思議な話しを聞いたことを思い出している。

 WEB上でも、そんな神話の数々をいくつも見つけることができる。

 それだけに梨木は「くぽおうん、くぽおうん」と優しい声で鳴くワタリガラスが、この日本にも"ワタッて"きていることが「にわかに信じがたかった」のだ。

 パレオ(ギリシャ語で古代の意)の昔から、渡り鳥と人との間で紡ぎだされてきた不思議なかかわりあいを知り、興味が深まった。

 一方で梨木は、渡り鳥が現在の自然破壊に巻き込まれている厳しい現実を知り「世界は一つであり、繋がっているのだという紛れもない事実に圧倒されそうになる。」

 
 日本に冬鳥として渡ってくる鳥たちの多くは、シベリア、カムチャッカ、サハリン、或いはアムール川流域等を繁殖地として使っている。アムール川ではソビエト連邦崩壊後、環境汚染が年々進んでおり、年間百五十億トンのエ場排水が垂れ流しにされている。その結果鱗(うろこ)がない等の奇形の魚が多く、アムール川の魚は食べないように言われている・・・。河口は広々とした湿原で、水鳥の格好の繁殖地だ。その魚を食べるな、その水を飲むなと、どうして鳥に知らせたらいいのか。また、鳥の多くは東南アジアの雷雨林で越冬していると見られるが、ここ数十年程の森林面積のすさまじい減少が、あるいは使用されている農薬が、最近夏山で彼らの嘲りが聞こえなくなった原因ではないかと言っている学者もいる。


 しかし、渡り鳥にとって取れる対策は皆無、といというのが厳しい現実だ。

 
 渡りは、一つ一つの個性が目の前に広がる景色と問わりながら自分の進路を切り拓いていく、旅の物語の集合体である。その環境が自分の以前見知っていたものと違っていたとしても、飲むべき水も憩うべき森も草原もなくなっていたとしても、次に取 るべき行動は(引き返すという選択も含めて)最善の方向を目指すため、今出来るこ とを(とにかく何らかの手段でエネ~ギー補給をする、等)ただ実行してゆくことだ けで、鳥に嘆いている暇などはない。


 この本の中盤で、渡り鳥観察者の醍醐味と言ってよい表現が出てくる。

   
 車からスコープ一式を運んでくる。昨日教えてもらった通りに三脚を立て、スコープを雲台にはめ込み、固定する。それから倍率を合わせる。合ったけれども、そしてどうもなにか大きな鳥(近くにカラスと思しき鳥が数羽いるのでその大きさから比して)らしいのだけれど、ぼんやりして見えない。しばらくあれこれして、ああ、そうだ。ピントはここで合わせるんだった、と、カバーの陰で見えにくくなっていたピント合わせのダイヤルのカバーを外し、動かす。次の瞬間、黄色い囁(くちばし)、黒い体に白いマフラーをかけたような肩線、それからまっすぐこちらを見つめている鋭い視線がレンズにくつきりと入る。目が合って、思わず息を呑む。まちがいない。
 オオワシだ。


 ただ、著者は専門家ではないので、渡り鳥の"渡り"の生態については、表題の2冊目にある「鳥たちの旅」 を何度か引用している。この本は図書館になく、AMAZONで買ってしまった。

著者は、人工衛星を用い、発信器を着けた渡り鳥の移動ルートを解明した研究者だ。

 「渡り鳥はなぜ渡るのか」という素朴な疑問に樋口は、こう答える。

 鳥が渡るのは、食物を十分に確保するためである。たとえば、ツバメは飛びながら空中にいる昆虫を捕って食べる。しかし、日本のような温帯地域では、秋から冬にかけて昆虫は姿を消してしまう。そこでツバメは、冬でもそれらが得られる暖かい南方の地域まで渡っていくのである。同様に、ガンやハクチョウが秋、日本に渡ってくるのは、繁殖地のシベリアが冬には雪と氷に閉ざされ、食物が得られなくなるからである。


それでは「なぜ渡り鳥は、春、越冬地から北に向かって戻っていくの ろうか? 冬の聞くらせる場所であるならば、それ以外の季節だって生活できるはず」だ。

 
 これらの鳥が北に向けて旅立つのは、春から夏にかけては北方に、春から夏にかけて北方に食物になる動物がより多く発生するからである。・・・
 また、北方地域からは冬の問、多くの鳥がいなくなっている。春にそこに行けば、越冬地に残っているよりも、個体あたりにより多くの食物を確保することができる。しかも、この春から夏にかけては、鳥たちにとって繁殖時期であり、多くの子供を育て上げるのに豊富な食物を必要としている。
 したがって、危険をおかしてでも北方まで行けば、自分自身が生活しやすいだけでなく、より確実に子育てを行なうことができるのである。


 最大の疑問点。渡り鳥は「渡る先をどうやって知るのか」だ。

 
 昼間渡る鳥たちは、太陽の位置を体内時計で補正しながら渡っているらしい。・・・夜間には星座を利用する。・・・地磁気も渡る方向を定める重要な手がかりにしているらしい。・・・鳥たちによっては、地形や季節風、日没の位置、においなども定位に利用しているようだ。・・・鳥たちは「かなりすぐれた地図情報をもっているに違いない。


 樋口は、エピローグでこう警告する。

 一つの渡来地の破壊にともなう渡り鳥の減少は、遠く離れた別の渡来地の生態系の破壊をもたらす吋能性がある。たとえば、東南アジアの熱帯雨林の破壊は、そこで越冬し日本に渡ってくる夏鳥(夏に飛来する渡り鳥)の減少を通じて、日本の里山や森林の生態系のバランスを崩す可能牲がある。一方、日本の干潟の破壊は、そこを通過する多数のシギ・チドリ類の消滅を通じて、フィリピンやオーストラリア、あるいはロシアの湿地生態系をおびやかすことになるかもしれない。
 異なる地域、国の自然は互いに独立しているように見えるが、実際には渡り鳥によってつながっている。渡り鳥の保全は、単に対象となる鳥の保全にとどまらず、遠く離れたいくつもの生態系の保仝を意味し、ひいては地球環境全体の保全にもつながっているのである。


 梨木と樋口の思いは、世界中の自然を愛する人々と共通する思いである。

2010年9月 8日

読書日記「縄文聖地巡礼」(坂本龍一・中沢新一著、木楽舎刊)


縄文聖地巡礼
縄文聖地巡礼
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坂本 龍一 中沢 新一
木楽舎
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おすすめ度の平均: 4.0
5 縄文的思考
2 テーマは好きなのだが
5 縄文文化を基に、新しい世界感の提示
2 お約束どおりのアンチ原発
4 縄文的世界観に資本主義解体の契機を探る、現代文明批判の試み


 聖地を訪ねる旅がちょっとしたブームだそうである。
 インターネットの影響で誕生したという話題の小説やアニメの舞台を訪ねる「聖地巡礼」とはちょっと違う。日本人の心のふる里を求めて、古代から大切にされてきた祈祷の場所や国家神道の範ちゅうではくくれない神社や鎮守の森などを訪ねる旅が人気だという。新聞社が「聖地日和」という長期連載を組み、聖地への旅の特設コーナーを新設する大手書店まで現れた。

 このブログでも以前に、世界遺産の北海道・知床で「アイヌ民族・聖地巡礼」というエコツアーに参加したり、信州・蓼科の縄文遺跡、世界遺産・熊野古道の神社を巡る旅をしたりしたことを書いた。

 その延長線でこの本が気になって図書館で借りた。
 世界で活躍するミュージシャン・坂本龍一と人類学者であり宗教学者としても知られる中沢新一という異色の組み合わせが「縄文人の記憶をたどりたい」と一緒に旅をした際の対談集である。

 最初に中沢は、こう書く。
 縄文時代の人々がつくった石器や土器、村落、神話的思考をたどっていくと、いまの世界をつくっているのとはちがう原理によって動く人間の世界というものをリアルに見ることができます。・・・これは、いま私たちが閉じ込められて世界、危機に瀕している世界の先に出ていくための、未来への旅なのです。


 旅は、青森・三内丸山遺跡から始まり、諏訪、若狭・敦賀、奈良・紀伊田辺、山口・鹿児島を巡り、青森にもどる。

 諏訪では、諏訪七石の1つ「小袋石」(茅野市)を訪ねる。
 見るからに何かを発しているというか。地底に触れている感じが触れている感じがした」(坂本)
 「縄文の古層から脈々と続いているものというのは、深く埋葬されていているけれど、強いエネルギーを放つ磁場としてわれわれに影響を与え続けていて、・・・。そして諏訪の場合は、・・・それが地表に出てるんですね」(中沢)


 敦賀半島にある「あいの神の森」は、田の神とも漁の神とも言われる「あいの神」を祀り、他の祭祀遺跡も同居する太古から続く森である。森全体が墓地であった聖地のすぐ近くに原子発電所「もんじゅ」があることに2人は衝撃を受ける。
 「日本海は内海だった」と中沢は言う。「私たちは縄文というものを、ひとつの民族のアイデンティティに閉じ込めるのではなく、むしろ大陸側にも太平洋側にも大きく開いてとらえるべきで・・・」


 鬱蒼とした「なげきの森」に包まれた鹿児島・蛭児神社では、南方から渡来してこの土地を支配していた先住民族、隼人と天皇家の祖先である天孫族の関係に思いをはせる。
 隼人は大和政権に征服された民で、西郷隆盛はその末裔ですよね。なのに自分の祖先を征服した部族の王である天皇に、親しみを感じ、忠誠を尽くして戦う」(坂本)
 「天皇家の祖先である天孫族が朝鮮半島から渡ってきたとき、なぜ日向を拠点にして隼人族の女性を妻に迎えたのか。・・・背後には隼人族の経済力と軍事力の存在がおおきかった。天皇家としては、朝鮮半島とのつながりを強調するんだけど、もう一方で、隼人、つまりインドネシアから渡ってきた人々にもつながってるんですね」(中沢)


 青森で始まった旅は、青森に戻って終わる。
 縄文前期から中期の大集落である三内丸山遺跡と、縄文後期の環状列石(ストーンサークル)の小牧野遺跡を訪れ、その石組みの生々しさに興奮しながら対談は続く。
 あの環状列石のなかにいると、石を運んできて、お祈りをしている人たちの姿が見えるかのようで、・・・天上の世界を人工的につくろうとしている」(坂本)
 「縄文の研究は、過去だけじゃなくて、未来を照らす可能性がある。・・・この列島上に展開した文化には、まだ巨大な潜在能力が眠っていて、それは土の下に眠ってだけではなくて、われわれの心のなかに眠っている・・・」


 ▽最近読んだ、その他の本
  • 「ヒマラヤ世界 五千年の文明と壊れゆく自然」(向 一陽著、中公新書)
  • ヒマラヤ世界 - 五千年の文明と壊れゆく自然 (中公新書)
    向 一陽
    中央公論新社
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     「いつかはヒマラヤ・トレッキングを」と若い時から思い続けながら、実現できなかった。
    そんな郷愁めいた気持ちで、この本を手にしたが・・・。単にヒマラヤへの想いを綴ったものではない。地球温暖化と人間の行動への厳しい告発書であった。
     西からインダス川ガンジス川ブラマプトラ川。この3つの大河流域に世界の人口の1割以上、8億人が住んでいる。間接的には15億人がこの大河がもたらす水の恵みを受けている。白き神々の座・ヒマラヤ山脈と同様、この広大な大平原を著者は「ヒマラヤ世界」と呼ぶ。
     氷河の衰退に始まって、氷河湖の決壊による洪水の恐れ、氷河湖の汚染、森林伐採、食糧大増産のために枯渇したヒマラヤ始発の地下水、井戸水から検出される砒素、国家間の水争い・・・。今「ヒマラヤ世界」で起ころうとしている危機は、地球全体の崩壊につながると著者は警告する。

  • 「大人の本棚 夕暮の緑の光 野呂邦暢随筆選」(岡崎武志編、みすず書房刊)
夕暮の緑の光――野呂邦暢随筆選 《大人の本棚》
野呂 邦暢
みすず書房
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 NHKのBS放送が土日の朝に放映している「週間ブックレビュー」は、読書好きには評判の番組だ。ここで取り上げられた本の購読を図書館に申し込むと、たいてい予約殺到で何カ月か待たされる。
 野呂邦暢という芥川賞作家を浅学にして知らなかったが、編者の岡崎武志は、巻末の解説でこう書いている。
 野呂邦暢が小説の名手であうとともに、随筆の名手でもあった・・・。ちょっとした身辺雑記を書く場合でも、ことばを選ぶ厳しさと端正なたたずまいを感じさせる文体に揺るぎはなかった。

 表題にある「夕暮の緑の光」という30数行の文章。そのなかで野呂は、自分がなぜ書くことを選んだかについて、こう記している。
 それはごく些細な、例えば朝餉の席で陶器のかち合う響き、木洩れ陽の色、夕暮の緑の光、十一月の風の冷たさ、海の匂いと林檎の重さ、子供たちの鋭い叫び声などに、自分が全身的に動かされるのでなければ書きだしてはいなかったろう。

 1つ、1つのフレーズをかみしめて、もの書く人の繊細で真摯な感性を知る。

2008年9月28日

知床紀行③(終)「見えてくるアイヌ民族への差別」


 世界遺産登録を審査する国際自然保護連合(IUCN)は、2004年の7月に知床の登録を認めた際、今後の知床管理(自然保護)にアイヌ民族が参画を促し、アイヌ文化を生かしたエコツーリズムを開発すべきだと勧告している。

 知床はアイヌ語で「シリエトク(大地の果て)」を意味するし、アイヌ民族の遺跡も多い。世界遺産・知床は、もともとアイヌ民族の地だったのだ。

 まったくの無知だったが「そういうことなら」と、知床への旅の最終日に「アイヌ民族・聖地巡礼」というエコツアーに申し込んだ。あまり人気がないのか、参加したのは私と友人・Mの二人だけ。

 アイヌ民族の母と日本人の父の間に生まれた自然ガイド・Hさんは、もともと旭川の「ペニユンクル(川上に住む人の意)」の出身で、面長な精悍な顔つき。知床など道東に住むアイヌ民族は彫りの深い丸顔の人が多く、アイヌ民族にも様々な種族があることを教えられた。

 最初に行ったのは、小学校の跡地。小学校ができる前には、アイヌ民族の砦や住居、見張り台であり、祈りの場でもあったチャシ(城柵という意味)の遺跡があったそうだが、現在は跡形もない。

 対岸には、ウトロ港のわきにあるオロンコ岩が見下ろせる。ここ住むオホーツク海を渡ってきたなぞの部族・オロッコ族とは、長年闘争が続いていた。ある時、アイヌ民族は、木と草で作ったクジラの上に魚を乗せて浜に置いた。オオセグロカモメなどの海鳥が群がったのを見て、オロッコ族はクジラの肉を取りに岩を降りてきた。そこを一網打尽。オロッコ族は滅んだ・・・。

クリックすると大きな写真になります 国道334号線沿いの樹木に囲まれた暗いくぼ地に、白い土嚢を積み上げてあるところがあった。アイヌの儀礼として有名なイヨマンテ(熊の霊送り)の遺跡だという。(写真①)

 数年前に北海道大学の発掘隊が、土器や矢じり、熊の骨などを採取した。しかし、ここは地元漁民の私有地。川に遡上したシャケなどを採るアイヌ民族への漁民の反発は昔から強く、遺跡もこれ以上の保存ができないでいる、という。

 うっそうと樹木が茂る山に入った。その前に,Hさんは山の神に祈りをささげる。両手をすり合わせ、山の空気を感じて手を広げる。「武器はなにも持っていません。指も5本ともそろっています」と、入山の許しを得る祈りだ。

 道もない、けっこう険しい山腹をつたや木の根をつかみながら登ること約30分。細い道のある平地に出た。「あれ!これ、やじりにしては大きいなあ」。Hさんが、黒い三角形をした小石を拾い、渡してくれた。長さ約5センチ、底辺が約4センチ、先端が1センチ強。小さな削り跡もある黒曜石。13,14世紀のアイヌ文化期のものだというが、小道でHさんが拾ったタイミングが、ちょっと出来すぎという感じ。ツアー参加者へのサービスかな?。

クリックすると大きな写真になります オホーツク海が見下ろせる台地に出た。回りに、2メートルほどの溝のようなものがあるのが特色のチャシ遺跡の一つだった。(写真②)

クリックすると大きな写真になります Hさんが、オホーツク海の荒波を見下ろす崖際で、アイヌ伝統の楽器・トンコリを弾いてくれた。赤エゾマツで自作したもので、曲もオリジナル。「あなたのこころにそっとふれさせて」「わたしのこころをあなたにさしあげます」・・・。文字を持たないアイヌの言葉が、低い弦の音とともに風に乗っていった。(写真③)

 アイヌ民族は、無駄に木々を傷つけない。しかし、帰り道で「ちょっと、折れているところがあるから」と、キハダという木の表皮を小刀で削り、内側の小さな黄色い樹皮をくれた。Hさんは、お腹が痛くなるとこの樹皮を食べさせられ、キズにも効くという。友人・Mが山を這い登る時に手に軽いケガをして血が出ていたので、この樹皮でこすってみると、翌日にはすっかり治っていたのには、びっくり!

 広辞苑を引くと「黄肌」という生薬だった。自然と共生するアイヌ民族の知恵の一旦にふれることができた。

クリックすると大きな写真になります オシンコシン(エゾマツのはえている川)の滝(写真④)の近くにあるオンネペツ川(大きなかわ)に、カラフトマスを見に行った。前日から、漁は解禁されていたが、カラフトマスは、河口でグルグル泳ぎ回っていた。海水から真水の川に入るのにちゅうちょ?しているらしく、数日後には産卵のために一斉に遡上するらしい。沖合いに、マス漁の漁船が波に揺れている。コンブのふくよかな匂いがあふれる豊かなオホーツクの海だった。

 しかし、アイヌ民族は、昔のようにマスやシャケを自由に採ることができない。「アイヌ民族を先住民族として認める決議」が昨年の国会で採択されたが、知床管理計画にどうアイヌ民族を参加させるかについての、具体的な動きはまだない。それどころか、先日は就任したばかりの中山国土交通相が「日本は非常に内向きな単一民族」などと発言して、反発を買うおそまつさだ。

 しいたげられた民族が、この日本に存在することを忘れるわけにはいかない。

参考にしたい本
  • 「もうひとつの日本への旅」(川田順造著、中央公論新社)
    「1万2千年前にくらいから・・・縄文文化を生んだ人たちがいて・・・それがアイヌと、現在の私たちのかなりの部分との共通の先祖であったことは、ほぼ疑いない・・・」
  • 「学問の暴力」(植木哲也著、春風社)
      幕末にイギリス人がアイヌの墓から人骨を盗掘した事件や北海道大学の研究者が研究目的でアイヌ人骨を墓から掘り出し、現在でも大学は1千体以上のアイヌ人骨を保管しているという、驚くような事実を明らかにしている。

 この本を新聞で書評した米本昌平氏は「学問の名の下に、アイヌの人たちの伝統や尊厳を踏みにじる所業を許したのは、最近までわれわれの心に塗り込められていた、知的権威に対するあがめ立てと、差別感覚であったことは、再認識しておく必要がある」と、書いている。

もうひとつの日本への旅―モノとワザの原点を探る
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学問の暴力―アイヌ墓地はなぜあばかれたか
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2008年9月19日

知床紀行②「野生動物との共生」


 世界遺産・知床の象徴であるヒグマには、2度ほど遭遇というより、遠くからかいま見ることができた。

 1回は、この時期だけ行けるというカムイワッカの滝を見に出かけたバスのなかから。道路沿いの斜面をゆっくり歩いていた。双眼鏡で観察していた監視員によると、アリを食べにきた子グマだという。

クリックすると大きな写真になります このカムイワッカの滝(写真①)は、緩やかな岩面を川の水と温泉の水が混じって流れ落ちており、触ると温かい不思議な滝だ。アイヌ語で、カムイワッカとは「神の水が流れる川」。温泉の酸性が強いので、岩面にコケなどがつかないから、トレッキングシューズのまま沢登りを試みても、まったく滑らない。といっても、ところによってはかなりの急斜面。歩くのに不慣れな同行・Mは、数日間、足の筋肉痛に悩まされてしまった。

 もう1回はクルーザーツアーで、切り立った断崖や滝がオホーツク海に流れこむのを見に行った時。滞在中、海が荒れて観光船は連日休航だっただけに、船酔いの薬まで飲み、大波に揺れるクルーザーに乗るのは、なかなかの迫力だった。ウトロ港を出て、約1時間。海から遡上するカラフトマスやシロザケをねらって、ヒグマがよく出没するというルシャ川沖まで来た時、草原のなかを牡グマが歩いているのが遠目でも分かった。近くに知床自然センター(知床財団)の観察車2台がいて監視を続けている。

クリックすると大きな写真になります そこから、1キロほどウトロ側に戻った海岸でもヒグマ2匹がなにかを食べている(写真②)。間違って海岸に打ち上げられて死んでしまったイルカかクジラらしい。100メートルほど後ろには、別のヒグマが待機している。そのまた後ろの草原にも、もう1匹。ヒグマは、集団では行動しないようだ。

クリックすると大きな写真になります ホテルのロビーで「ヒグマが出没しているため本日、知床5湖中、1湖と2湖以外立ち入り禁止」という表示が連日、かかっていた。しかし、自然ツアーガイドのKさんによると、これは観光客向けの一種のトリック。本当は、ヒグマが出てくることが少ない5月から6月中旬までと9、10月以外は、知床5湖中、3、4、5湖の3つの周辺には電気柵が設けられ、終日立ち入り禁止なのだ(写真③)。しかし、観光ハイシーズンの遊歩道閉鎖には、地元観光業者の批判も強く、「本日立ち入り禁止」の表示が連日続くことになったという。

クリックすると大きな写真になります 1湖までの木道わきでは、ヒグマが好物のミズバショウの根を食べるために掘り起こした跡がいくつもあったし、2湖近くのクワの木には、実を採るために昇り降りした爪あとも残っていた(写真④)。丸い穴は登る時のもの。滑り降りる際の爪あとは長く残っている。

 知床にいるヒグマは、約400頭。空港に帰るバスのガイドの説明によると「東京・新宿区に約10頭いる」勘定だそうだ。知床は、世界でも有数なクマの高密度生息地なのだ。そこへ世界遺産に認定されたこともあって、我々観光客が、野生動物に遭遇しようと胸を躍らせて押し寄せてくる。

 「新世代ヒグマ」という言葉を聞いた。

 ヒグマは本来、人間に遭遇した場合、危険を感じなければ(ヒグマ側が)避けて行き、危険を感じれば襲いかかる。

 しかし、最近の新世代グマは人間をおそれない。駐車場に現れて、観光客が車から投げたエサを平気で食べるらしい。

 キタキツネも同じような状況だ。ツアーの途中で、道路わきをトコトコ歩くキツネたちを何度か見た。ツアーガイドのHさんよると、ホテルのゴミ箱などエサをあさりに出かける途中らしい。早朝ツアーの途中、魚の頭をくわえて、子キツネの待つ巣へ急ぐ姿を良く見るという。行く前に読んだ「知床・北方四島」(大泰司紀之、本間浩昭著、岩波新書)という本は、人間が与えた食パンをくわえるキタキツネの写真を載せ、やはり「新世代」と呼んでいる。しかし、キタキツネはエキノコックスという寄生虫を仲介し、接触して発病した人間は死亡することもある、という。

 10数年前にニュージランドにオットセイの生息地や森に住むペンギンを見に行ったが、ナチュラルガイドに導かれて、彼らの世界をそっとのぞかせてもらうのは、ワクワクするような体験だった。

 先日、NHKが「エコツアー」という番組を放映していた。ルーマニアのドナウデルタで、10種類の野鳥が一緒に1000以上の巣を作っているコロニーを訪れた女性アナウンサーが「ここは、私たちが来てはいけないところ」と、つぶやくのが印象的だった。

 知床で、人間と野生動物との"ニアミス"が発生するのは、人間が野生動物たちの世界に入り込んだからだ。

クリックすると大きな写真になります 知床5湖などがある岩尾別地区には、クマザサが生い茂る草原が各所で見られる。大正時代に始まった農業開拓が失敗し、離農した跡地だ。エゾジカさえほとんど食べないクマザサが密集地には、木も生えない。「知床100平方メートル運動」と呼ばれる、ボランティアによる森の復元運動も始まっている(写真⑤)。

 しかし、クマザサが密生した草原を見ると「100年たって、森に帰っているだろうか」という絶望感に襲われる。

 そして、世界遺産に認定された現在の知床に観光客が押し寄せ「新世代」のヒグマやキタキツネを誕生させている。

 ヒグマの保護や安全対策のための地道な活動は続いている。http://www.shiretoko.or.jp/bear/bear_01.htm

 だが、知床の自然と観光の両立を考える前に、世界遺産・知床を野生動物たちに返すための活動をすべきなのではないのか。そんな疑問への答えは、知床を離れた今も出てこない。

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2008年9月 7日

知床紀行①「エゾジカ 繁殖の危機」(2008年8月16-20日)

 このお盆に、世界遺産・知床を訪ねた。そこで見たものは、人間と野生動物たちとの、あまりにも危い"ニアミス"ぶりだった。

 着いた日の午後8時から「ナイトシアター」と称する夜の野生動物探索に出かけた。「ヒグマと遭遇する危険がある」ということで、探索は、自然ガイドが運転する小型バスのなかからだけ。携帯用のサーチライトで照らすと、エゾジカが道路わきの斜面の芝生を食べていたり、キタキツネがトコトコ歩いていたりするのに出会う。5日間滞在している間には、ホテルの前庭や庭園、滝見物に行く途中の草原、散歩中の白樺林の近くなど、最後にはいささかうんざりなるほど多くのエゾジカに遭遇した。

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 写真①=ホテルの前庭に群がるオスジカ。見えている白い草花は食べない  写真②=散歩中に遭遇したオスジカ。どんどん近づいてきて、いささか恐怖感を抱く直前に、藪のなかに飛び込んだ

 人はこわがらないが、ある距離以上は近づかず、奈良公園のシカのようにエサをもらうこともない。あくまで野生の動物だから。しかし、人間との距離が「あまりに近すぎる!」というのが、率直な印象だ。

 知床にいるエゾジカは、世界遺産区域の山林を含めて、ざっと1万5千頭。秋の繁殖期の後には、それが2万5千頭近くまで増え、厳冬の厳しさでオスジカと0歳ジカの多くが生き残れず、春にはもとの1万5千頭に戻ってしまうという。それでも、野生動物が厳しく保護されている世界遺産区域の山林を含めても、かなり高密度な生息ぶりだ。

 明治時代には、極端に頭数が減っていたエゾジカが繁殖したのは、天敵のエゾオオカミが害獣として駆除されたりして絶滅したから。自然循環のバランスが崩れてしまったのだ。

 それによって、なにが起こったか。まず「世界遺産・知床から、花が消えた」(自然ガイドのHさん)。エゾジカが食べてしまうのだ。

 知床5湖へのオプションツアーの途中で、原生林のなかに2メートル近い木の柵で囲まれた区域があった。エゾジカに荒らされない植生を再生する実験だという。囲みのなかでは、昔から知床に生えていた草花が戻ってきているらしい。

 地下水が岩から湧き出し、オホーツク海に注ぐフレペの滝近くの草原には、キオンと呼ばれる黄色い花畑が広がっていた。エゾジカが嫌う種類であるため、生き残った。
クリックすると大きな写真になります 080907_001.jpg 080907_002.jpg
写真③=フレペの滝:知床海岸探訪のクルーザーから 写真④)=キオンと呼ばれる黄色い花畑が広がっていた 写真⑤=エゾジカに樹皮を食べられ、立ち枯れたイチイの木(フレペの滝近くで)

 冬になると草が食べられなくなったエゾジカは、イチイ、ミズナラ、エゾマツなどの柔らかい樹皮を選んで食べてしまう。水を吸い上げる導管は樹皮のすぐ裏にあるので、おかげで樹木は枯れてしまう。世界遺産区域の何箇所かで、下の樹皮をシカに食べられ立ち枯れた樹木をいくつも見た。

 知床が世界遺産に選ばれた最大の理由は「海と森の生態が共生している」(自然ガイドのKさん)こと。だが、エゾジカの異常な繁殖は、海と共生している森の生態を崩しかねない。

 エゾジカの天敵、オオカミを再導入しようという考えもあるらしい。しかし、人間と野生動物との距離が、これほどまでに近い知床では、現実の議論にはなりにくそうだ。

 世界遺産区域を持つ、北海道斜里町では、樹皮や農産物を食い荒らすエゾジカを害獣として捕獲、食肉加工までをする民間企業「知床エゾジカファーム」を設立したという。馬肉を「サクラ」と呼ぶのに対し、鹿肉は「モミジ」と言うらしい。だから、この会社が作るエゾジカ肉特産品の名は「知床もみじ」。

 知床から帰ってから読んだ、椎名 誠の「『十五少年漂流記』への旅」(新潮社)のなかに、こんな記述があった。
 「鹿肉は、日本ではゲテモノ扱いだ。いま日本各地で野生の鹿が増えている。・・・阿寒湖ではエゾジカが害獣指定され、・・・毎日何百頭と撃ち殺しているが、その肉をうまく流通させているとはいえない」

 「鹿の無駄死はあまりにむなしい、というのでエゾジカを食卓にあげようと運動もおきているが・・・鹿肉軽視の習慣をこわすところまではいっていない」


 食肉論議をする前に、人間と野生動物の距離をもう一度引き離して、共生の道を探るのには、日本の国土はあまりに狭すぎるのだろうか。

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5 シーナ流思索に耽る旅行記


2008年5月 3日

読書日記「水越武写真集 知床 残された原始」(岩波書店刊)

 この夏に世界遺産の知床を訪ねたいと思っており、新聞の広告や書評でこの本のことを知った。芦屋市立図書館にはなく、兵庫県立図書館から転送してもらって借りることができた。

 水越武という写真家。以前ブナの森が気になり、白神山地や八甲田の森を訪ねていたころに、この人の「ブナ VIRGIN FOREST」(1991年、講談社刊)という写真集を買ったことがある。

 「ブナ」のあとがきで、水越武氏は「3年ほど前に、野生的な厳しい自然にひかれて私は北海道の道東に移って来たのだが、ここではブナはみられない」と書いている。そのころから「知床」の写真を撮り続けてきたのだろう。

  「写真集 知床」には、分け入った原始の森とそこで繰り広げられる生命の営みのダイナミックさがあふれている。

 海岸に盛り上がるようにうねる水草の群れ、天然記念物のカラフトルリシジミの交尾、シレトコスミレの群落、広大な山麓が一気に海岸で切れ落ちる高い崖、針葉樹と広葉樹が混交する夏の豊かな森、そして流氷の迫力、ヒグマの生態、卵を産んで死んでいくサケの群れ・・・。これまでに見たことのないゆたかさと荒々しさ、いとおしさがあふれる自然が、そこにあった。

 しかし、この写真集は、北海道の自然に対する、ある種の無念さから生まれたものであるようだ。

 昨年夏に札幌で開かれた「写真集 北海道を発信する写真家ネットワーク展CAN」という催しで、水越武は自分が考える"美しい自然"について、6つを挙げている。

  • 生物の多様性に恵まれている
  • 自然本来が持っているリズム、緊張感が乱れていない
  • 川、海、山、森などの生態系がバランスよく存在し、有機的に繋がっている
  • 生態系が健康で循環が良く、野生の息遣いが聞こえる
  • 生の厳しい自然のエネルギーが感じられ、大地が広大
  • 四季の移り変わりに大きな変化があり、それぞれの季節の表情が豊か


 水越氏は、世界中を歩いて「北海道は世界で最も美しい自然が島だったに違いない」と、移住を決意する。開拓しつくされた今の北海道には、水越氏が考える"美しい自然"がないことを知りながら・・・。そして、理想とする美しい北海道が今も知床にはある程度残っているのではないかと考え「知床で自分の夢、自分の意図する写真を撮り始めた」。その集大成がこの写真集なのだ。

 「写真集 ブナ」のあとがきで水越氏は、ブナを取り続けた理由の一つとして「糧を(ブナの)森林に求めながら、極めて高い文化を持ち、(ブナの)生態系にすっぽり溶け込んで生きてきた縄文人に」人間としての理想の生き方を見る、と書いている。

 そして北海道では「アイヌの文化・美意識を反映させる方法として、ネイチャー写真を撮っている」と、札幌の催しで話している。

 そのアイヌの人たちと知床の自然のかかわりを、環境学者の小野有五・北海道大学院教授が「写真集 知床」の解説で、描き出している。

 「知床も国後も、長いこと、そこでの主人公はアイヌ民族であった」「アイヌ語の『シレトコ』は『シリ(大地)』の『先端(エトコ)』であり、たんに岬という意味にすぎない」

 「生き物でシレトコを象徴するのは、なんといってもヒグマであろう。アイヌにとっては最高のカムイ(神)、山のカムイ(キムンカムイ)であった。・・・いまの日本列島で、ヒグマがもっとも原始のままの生き方を保っているのがシレトコだからである」

 アイヌは、生まれたばかりの赤ちゃん熊をコタン(村)に連れて帰り、飼うのが危険になったころ、イヨマンテという儀式をしてカムイの国に送り返した。「アイヌ語では、イ(それ)オマンテ(送る)という意味だ。カムイのように尊いものの名はうかつに口にできないので、あえてイ(それ)というのである」

  今年3月4日付け読売新聞の企画連載記事に、こんな記述があった。
 「アイヌの人たちは、ヒグマやサケを捕獲して神にささげる儀式を行い、自然の恵みに感謝した。自然と共生する持続可能な暮らしが、ここには存在していた」

 カムイであるヒグマを天に返すという考えとは、ちょっと違う記述だが・・・。

 この記事によると、知床が国立公園であることを理由に、アイヌ民族のヒグマ、サケ漁の権利は奪われたまま。
 国際自然保護連合(IUCN)は2005年に「自然環境の管理、持続可能な利用のために、アイヌ民族の文化や伝統的知恵、技術を研究することが重要」と、日本政府に勧告しているが、いまだに具体的な動きはない、という。

 この夏、アイヌのひとたちと共生する、どんな自然に出会うことができるだろうか。

 ついでに読んだ本
  • 「アイヌ歳時記 二風谷のくらしと心」(萱野茂著、平凡社新書)
  • 「コタンに生きる」(朝日新聞アイヌ民族取材班、岩波書店・同時代ライブラリー)
  • 「アイヌ概説 コタンへの招待」(野口定稔著、1961年)


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4 アイヌの世界観への入り口

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コタンへの招待―アイヌ概説 (1961年)
野口 定稔
北方文化科学研究所