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2019年12月11日

日々逍遙「白浜・椿温泉」「神戸ゆかり美術館、千住博展」「大阪・国立国際美術館、ウイーンモダン展」「大津・比良山荘、浮御堂」「西宮・仁川広河原」「京都・真如寺、府立植物園」「神戸・須磨寺」

 
【2019年9月14-16日】
椿温泉から見る太平洋
 久しぶりに白浜の椿温泉へ。旅館や店舗がいくつも廃業してさびれているが、お湯が素晴らしい。白浜で寄った寿司屋の亭主は「椿の湯は、白浜よりずっといい」と言っていたが、まったりと肌に絡みつく。
 部屋からは太平洋が広がる。夜半に目が覚めたら、海上の光の道が輝く月へと続いていた。前夜は中秋の名月・のちの月、そして今夜は満月。

   海鳴りて光る海路や後の月   

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【2019年10月3日】
千住博「滝」の図
 神戸の六甲アイランドにあるゆかり美術館へ。神戸ファッション美術館というといつも閑散としていたが、その一角が神戸ゆかりの作家の作品を収集した美術館になっていた。
   千住博展は、高野山の金剛峯寺に奉納する襖絵の完成を記念して、全国各地で開催されている。白いキャンバスに胡粉の絵の具を流し込んだ「瀧図」もいいが、「雪肌麻紙」という和紙をくしゃくしゃにして描いた「断崖図」もなかなかの迫力だ。
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【2019年10月9日】
「ウイーンモダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展
大阪・中之島の国立国際美術館の「ウイーンモダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展。斜め向かいの関西電力本社で小判などの贈与を巡る社長の弁明会見が開かれた日で、テレビクルーが本社の外見を撮影していた。
  ウイーンにクリムト、シーレの作品を訪ねてもう10年になる。その時に出会った2人の作品のいくつかに再会できた。
 クリムトの「エミーリエ・フレーゲの肖像」だけは写真撮影が許されている。どうせなら、シーレの作品も1点ぐらいはと思った。
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【2019年10月19―20日】
きのこの宝石箱
大津・坊村にある山の辺料理・比良山荘に1泊。中庭の紅葉がもう色づいている。この夏も、ここで鮎料理を満喫したが、今回は"冥途の土産"にと、松茸と子持ち鮎という贅沢。
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 堅田の浮御堂
 翌日、堅田の浮御堂へ。すぐ左の琵琶湖の波間に高浜虚子の句碑が建っていた。「湖もこの辺にして鳥渡る」
 沖にはいくつも小舟が浮かび、ブラックバス釣りを楽しんでいる。外来魚のこの魚を釣ると、県の条例で湖に戻すことが禁じられているが、岸辺の回収ボックスはいつも空。
  「キャッチ・アンド・リリース」を楽しむ釣り人に条例は無視されている。
 隣の老舗料理屋でモロコの炭焼き。身を軽く炙った後、頭を網に突っ込み焼いてくれる。これも"冥途の土産"。

   湖の波間に句碑あり秋の雨   

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【2019年11月10日】
仁川広河原
 昼前から久しぶりに西宮の 仁川広河原へウオーキング。仁川源流の小川で、生きもの採取をする人、バードウォッチングの人も数人。木の実が成る樹に来るのは シメという鳥、源流沿いのセイダカアワダチソウには ベニマシコが来るらしい。「これだけ人が来ると、小鳥は絶対現れない」と、ハイタカが飛ぶカメラの写真を見せてくれた人もいた。
  坂の両側に開けた住宅地にある急な坂を下って阪急仁川駅へ。膝はがくがく。ああ、しんどーー。約2万歩。

   山拓く家並みのさき小鳥来る   

 
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【2019年11月22-23日】
京都の紅葉
 「今年の紅葉は、ライトアップで」と、京都・金戒光明寺に出かけたが、ライトアップの庭園は満席ということで、近くの真如寺へ。まさに、紅葉真っ盛り。宿で借りたらしい和服や平安衣装の女性グループがいたが、みんな中国からの観光客。ここも6時からライトアップがあるということだったが、「ツアー会社の企画で満席です」
 八瀬の宿の湯ぶねで、ライトアップの紅葉に出会ったものの、翌日見ると、枯枝も目立ち、いささかお疲れの感じ。
 翌朝は、京都府立植物園へ。おなじみのイチョウ、池の端の紅葉。菊展の仮天井に木の実がはねる音が響き、樹々の下に敷き詰めたように木の実が落ちている。

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真如寺の紅葉湯ぶねの紅葉植物園の大イチョウ


   舞い降りて苔を染ゆく紅葉かな   

   森のなか木の実の落ちる音満ちて   

   木の実踏み次の一歩をそっと出し   



【2019年11月24日】
須磨寺の紅葉
 用事がある友人に付き合って、神戸・ 須磨寺に出かけたが、ここの紅葉は、まだ盛り前。源平ゆかりの古刹とかで、平敦盛の首塚があり、宝物殿には敦盛愛用の「青葉の笛」。「一の谷の 軍(いくさ)破れ、討たれし平家の 公達(きんだち)あわれ」の小学唱歌が流れる装置まである。

   染そむる紅葉へ流る青葉笛   

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2012年7月19日

 読書日記「愉快な本と立派な本 毎日新聞「今週の本棚」20年名作選 1992-1997」



愉快な本と立派な本  毎日新聞「今週の本棚」20年名作選(1992~1997)
丸谷 才一 池澤 夏樹
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  「快楽としての読書 日本篇 海外篇」(丸谷才一著、ちくま文庫)の後を追うように出版された。前著が週間朝日に掲載された丸谷才一の書評を選んでいるのに対し、表題書は毎日新聞の書評欄に様々な評者が書いたものを丸谷才一、池澤夏樹両氏が選び出したもの。

 図書館に買ってもらい、パラパラめくりながら、気になるページにポスト・イットをはさんでいくと、結果的に丸谷才一の書評が一番多くなった。  「カサノヴァの帰還」、(A・シュニッツラー著、金井英一、小林俊明訳、集英社)の評には「小説は大好きだが、今出来のものは辛気くさくて鬱陶(うつとう)しくてどうもいけないと言う人にすすめる」とある。  18世紀の高名な色事師カサノヴァの50代を19世紀末の「世紀末ウイーンの恋愛小説の名手シュニッツラーが老境にさしかかって描いた作品とか。シュニッツラーは「社会の約束事を踏みにじった人間の研究をしようとして、絶好の題材を得た」。何年か前に、「世紀末ウイーン探訪の旅をしたことを思い出した。

カサノヴァの帰還 (ちくま文庫)
アルトゥール シュニッツラー
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ミステリー・映画評論家「瀬戸川猛資」の「夢想の研究 活字と映像の想像力」(早川書房)についての項では「嘱望する評論家の出現。じつにおもしろい本をひっさげて彼はやって来た」と絶賛している。
 瀬戸川の説は「突拍子もないが、説得力がある」という。例えば「オーソン・ウエルズの「『市民ケーン』はエラリー・クイーンの「 『Xの悲劇』の換骨奪胎」「アメリカ映画に聖書物が多いのは、ハリウッドの帝王たちがみなユダヤ人で、ユダヤ教の信仰を捨てていないから」など・・・。
 丸谷は、毎日の書評欄を引きうける際、瀬戸川とエッセイストの「 向井敏を評者に起用したが、この2人は若くして世を去った。丸谷は表題書のまえがきで「桃と桜に分かれたような大きな喪失感を味わされた」と悼んでいる。

夢想の研究―活字と映像の想像力 (創元ライブラリ)
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 その瀬戸川が「丸谷才一 不思議な文学史を生きる」(丸谷才一著、新井敏記編 文藝春秋)を評して「誰だぁ? 文学をおもしろくないなんて言うのは?」と切り出している。
 新井の丸谷へのインタビューで編成させているのだが、過激かつ戦闘的な内容に満ちている。  「鴎外は小説家の才能としては、そんなに恵まれていなかった人じゃないかと思いますね。想像力による構築という才能がないでしょう」「小説家的才能においては、夏目漱石のほうがずっとあったと思いますね」
 特注のお奨め品だそうである。

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丸谷 才一
文藝春秋
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 向井敏の書評もかなり掲載されているが「丸谷才一批評集 全6巻」(文藝春秋)も、堂々と評している。
 丸谷がはじめての評論集「梨のつぶて」(晶文社)を公にしたのは昭和41年のことだそうだが、向井が一読して驚くのはその守備範囲の広大さ。
 古典から近代文学。英米文学に王朝物語や和歌。正宗白鳥の空想論、菊池寛の市民文学、北杜夫のユーモアを語る・・・。その守備範囲の広さの脳裏には「日本の近代文学を袋小路に追い込んできた実感信仰、実生活偏重から救いだす」という大きな構想があったという。  そして今回の全6巻批評集は、丸谷がしっかりした基盤のうえに批評を築いてきた証になっているという。
 それに花を添えているのが、各巻巻末の対談らしい。池澤夏樹、渡辺保川本三郎ら若い気鋭の批評家の大胆不敵な仮説や機敏を衝く問いに「著者(丸谷)はしばしばたじろぎ、・・・感無量だったのではあるまいか」

 丸谷の書評を、もう1篇。

 「泥棒たちの昼休み」(新潮社)の著者・結城昌治のことを、丸谷は「舌を巻くしかないくらい文体がよい。常に事柄がすっきりと頭にはいって、文章の足どりがきれいだ」と絶賛している。
 この本は、刑務所の木工場で働く懲役囚が昼休みにする話しを綴った短編集だが、明らかに阿部譲二「堀の中の懲りない面々」に刺激された設定。それが「次々と新しい工夫で読者を驚かし、(結城自身が)何年か(刑務所に)入っていたのかと疑いたくなる」出来栄えらしい。
 「近代日本小説の主流の筆法と対立する、いわば西欧的な書き方を、こんなに自然な感じで身につけている探偵作家は、ほかにいなかった」
 希代の書評家にこれだけほめらると、天国の結城も作家冥利につきると照れていることだろう。

泥棒たちの昼休み (講談社文庫)
結城 昌治
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   書評集というのは、これまではどちらかというと敬遠していたが、浅学菲才の身に新しい知的刺激を与えてくれる。なかなか捨てがたい味わいを感じた。

 ところで、この表題の本。丸谷と池澤夏樹の共編になっているのだが、丸谷に並ぶ書評家として勝手に"尊敬"して池澤の文章が「書評者が選ぶ・・・」などの短文にしか見当たらないのが、なぜなのか。いささかもの足りない。

 

2011年9月11日

紀行「ザ・ノグチ・ミュージアム(米国・ロングアイランド市、2011・8・18)


 この 美術館(ホームページに日本語解説)は、米国人を母、日本人を父にもつ彫刻家、 イサム・ノグチが、自ら財団を作って所蔵作品を集め、1985年に開設した。
 以前このブログに書いた 「イサムノグチ 宿命の越境者」(ドウス昌代著)や映画 「レオニー」(松井久子監督)にふれて以来、ここにはぜひ行きたいと思い続けてきた。

 当初は、ニューヨークに着いた2日目の14日(日)に、日曜だけマンハッタンから出る有料シャトルバスに乗るつもりだった。
 ところが、あいにく2カ月分の雨量が1日で降ったという大雨。ホテルに近い セント・パトリック教会 ニューヨーク近代美術館(MoMA)に行くだけで時間がなくなってしまった。

 やはり小降りにはなったが、雨がやまない16日(火)。地図では黄色で表示されている 地下鉄「N、Q線」に乗った。

以前は、ニューヨークの地下鉄と言えば、構内、車内での落書きや凶悪犯罪行為が続き評判が悪かった。20数年前にニューヨークに仕事で来た時も、1人で乗る勇気がなく、デトロイトからわざわざ出張名目で来てくれた大学時代の友人・Nに連れられて、こわごわ体験乗車したことを思い出す。

 マンハッタン・レキシントン通りの駅から4つ目。イーストリバーを越え、地上に出てすぐの駅名がなんと「ブロードウエー」。確かに、駅と直角に同じ名前の通りが走っていたが、あのニューヨークのミュージカルで有名な 「ブロードウエー」とは、まったく別の通り。「ブロードウエー(広い道)」は"目抜き通り"の意味らしく、米国各地にあるようだ。

   やっと雨が上がったこの通りを20分近く歩き、突き当たりを右折して2ブロック。自動車工場や倉庫に囲まれて、工場を改装したとは思えない一部レンガ造りの瀟洒な建物が、目指す美術館だった。できた当初、地元の人は「日本人の建てた別荘」ぐらいにしか思っていなかったらしい。

 小さな入口が、なぜか開かない?・・・。ぐるりと回って、事務所の鉄製ドアーをたたくと、出てきた小柄な女性が「今日は、サンクスギビング(休日)」と。月曜日が休館日だというのは確認して出かけたのだが、連休とは・・・。ブロードウエーをむっつり戻る。雨はすっかり上がり、暑い日差しが戻ってきた。「ああ、かき氷が食べたい」。入ったスーパーストアーで売られていたシャボテンの葉が気になった。

地上に出た地下鉄[N・Q線」;クリックすると大きな写真になりますブロードウエー駅;クリックすると大きな写真になります中庭にある石柱;クリックすると大きな写真になります石のくぐり戸;クリックすると大きな写真になります
地上に出た地下鉄[N・Q線」ブロードウエー駅中庭にある石柱(イサム・ノグチ美術館で)石のくぐり戸、リラックス!
目玉の石と松の木;クリックすると大きな写真になります水が流れる黒いつくばい?;クリックすると大きな写真になりますサボテンを売る駅前スーパー;クリックすると大きな写真になります
目玉の石と松の木(イサム・ノグチ美術館で)水が流れる黒いつくばい?(イサム・ノグチ美術館で)サボテンを売る駅前スーパー
 あきらめるつもりだったが、実質最終日の18日。「やはり、もう一度」と同行Mに肩を押され、再度「ブロードウエー駅」に降りた。

 入場料は、シルバー割引で5ドル。入ったとたんに「しだいに《石に取りつかれて》いった」(ドウス昌代)というイサム・ワールドが飛び込んで来る。

 大理石、玄武岩、花崗岩・・・。石だけではない。ステンレスや鋳鉄、角材、青銅、アルミ板など様々な材料を使った彫刻がゆったりと間隔を取って置かれている。自然光を取り入れた2階建て、延べ2500平方メートルの館内には、10室のギャラリーに分かれている。塑造や、ゆるやかなタッチで描かれた裸婦や猫の墨絵もある。

 それぞれの制作意図は分からなくても「ああ、この造形いいな」と思えるものがいくつもあり、なんだかほっとできる不思議な空間だ。

 1階からも2階からも自然に入り込める庭園が、また良い。松や竹、ニレのような大木を配置した石庭風の敷地に、大きな目玉をのぞき込みたくなる石柱や真ん中のくぼみから静かにあふれ出た水が壁面を流れ落ちる大きめのつくばいのような黒大理石。  イサム・ノグチは、日本に滞在していた時、昭和初期の作庭家、 重森三玲が造った庭を熱心に見て回った、という。

 その影響を確かに受けていることは感じるが、同時にアメリカの風土が持つカラリとした明るさもある。春には、コブシや枝垂れ桜も咲くらしい。

 この美術館の正式名は「イサム・ノグチ庭園美術館」。日本の四国・高松にあり、どうしても行ってみたいと思っている 「イサム・ノグチ庭園美術館」と同じ名前なのである。

 やっと朝から快晴になった17日(水)には、ニューヨークに来れば逃せない メトロポリタン美術館を訪ねた。それも、ニューヨークにいる娘が親しくさせていただいている方が、この美術館の友の会?メンバーで、我々をゲストとして無料入館させもらえるという。

 約束の午後1時前。美術館向かいの高級マンションらしい建物前の植え込みに座って娘を待つ。なんと、そのマンションの高層階が招待していただいたEさん一家の住まいだった。セントラルパークが一望できるお宅でお茶をごちそうになり、ご主人のご厚意という分厚い美術館ガイドまでいただいた。案内していただいた美術館入り口で、胸に付けるアルミ製の青いバッジを受け取る。お世話になりました、Eさんご一家。

 前回来た時にわけも分からずウロウロして、すっかり疲れたことを思い出し、見るのは2階の「ヨーロッパ絵画」に限った。

 ルノアールのゆったりした名品の数々。モネの「睡蓮」、ゴッホの名作が、これでもか、これでもかと押し寄せる。スーラ、ピカソ、マネ、ミレー、クールベ、ドガ、セザンヌ・・・。ウイーンでたっぷり見たクリムトも数作。
 「そうだ、フェルメールを見ていなかった」。ギャラリーを何度も行き来し、案内の人にたずねてやっと「水差しをもつ若い女」「若い女の肖像」「信仰の寓意」に出会えた。

 一休みしようと、屋上庭園カフエに出たが、暑い!周辺の摩天楼をカメラに収めただけで逃げだし、また2階をウロウロ。膨大な作品群に圧倒され、疲れはて、1階にある巨大なエジプト「デンドウ―ルの神殿」の奥にあるカフエにどっと座り込んだ。

 鉄鋼王のコレクションを集めた 「フリック・コレクション」も2度目だが、フェルメールの作品が3つもあるのは初めて知った。
ルノアール「シャンバンティエ夫人と子供たち」;クリックすると大きな写真になりますゴッホ「ひまわり」;クリックすると大きな写真になりますクリムトの作品;クリックすると大きな写真になりますミレー「干し草の山」;クリックすると大きな写真になります
ルノアール「シャンバンティエ夫人と子供たち」(メトロポリタン美術館で)ゴッホ「ひまわり」を初めて見た!(メトロポリタン美術館で)おなじみクリムトの作品(メトロポリタン美術館で)ミレー「干し草の山」(メトロポリタン美術館で)
フエルメール「若い女の肖像」レンブランド「自画像」(メトロポリタン美術館で)屋上庭園から見える摩天楼;クリックすると大きな写真になりますエジプト「デンドウール」の神殿;クリックすると大きな写真になります
フエルメール「若い女の肖像」(メトロポリタン美術館で)レンブランド「自画像」(メトロポリタン美術館で)屋上庭園から見える摩天楼(メトロポリタン美術館で)エジプト「デンドウール」の神殿(メトロポリタン美術館で)


 近代美術館(MoMA)では「ここでしか見られない」ことで評判のセザンヌ・「水浴する人」、ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」だけでなく、アメリカ近代・現代を代表するポロックの「ワン;ナンバー31」、リキテンスタイン・「ボールを持つ少女」、ウオーホル作「ゴールド・マリリン・モンロー」にも初めて出会えた。いやー、満足、満足!
ピカソ「アヴィニヨンの娘たち」;クリックすると大きな写真になりますセザンヌ「水浴する人」;クリックすると大きな写真になりますウオーホル「ゴールド・マリリン・モンロー」;クリックすると大きな写真になりますリキテンスタイン「ボールを持つ少女」;クリックすると大きな写真になりますポロック「ワン;ナンバー31」;クリックすると大きな写真になります
ピカソ「アヴィニヨンの娘たち」(MoMAで)セザンヌ「水浴する人」(MoMAで)ウオーホル「ゴールド・マリリン・モンロー」(MoMAで)リキテンスタイン「ボールを持つ少女」(MoMAで)ポロック「ワン;ナンバー31」(MoMAで)


 19世紀の終わり、アメリカの世界的規模の美術館がないことを憂えた実業家たちの会合で、メトロポリタン美術館の開設を決めた時、建物はおろか、1点の絵画さえ所有していなかった、という。
 建国してたった200余りで世界トップクラスの所蔵を誇る美術館を持つ。アメリカという国のすごさを思う。

 9・11、10年を迎えた。訪ねた「グラウンド・ゼロ」では、記念公園の整備と新しい高層ビルが建設中だった。 br />
 テロとの抗争、ドルの価値低下、経済の低迷。アメリカが悩んでいる・・・。それだけ、各美術館に遺された作品群が輝きを増しているようにも思えた。

2010年11月30日

読書日記「メッテルニヒ 危機と混迷を乗り切った保守政治家」(塚本哲也著、文藝春秋刊)

メッテルニヒ
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塚本 哲也
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 まず、著者の塚本哲也氏についてふれたい。

 著者の「エリザベート ハプスブルグ家最後の皇女」(文藝春秋刊)のことを、このブログで書いたのは、昨年の11月末だった。

 この本で大宅壮一ノンフィクション賞を受け、オーストリア政府から勲章を授与された直後の2002年、脳出血で倒れて右半身まひとなった。ルリ子夫人とともに群馬県の老人ホームに入り、リハビリを兼ねて左手パソコンを打つ練習を始め「マリー・ルイーゼ」を執筆中の2005年。「メッテルニヒを書いたら」と励ましていたルリ子夫人を腹部大動脈瘤破裂で亡くした・・・。そんなすさまじい生きざまを、WEBなどで知った。

 ブログを書いた約2週間後。昨年の12月12日付け読売新聞朝刊で橋本五郎特別編集委員の記事「メッテルニヒに学ぶ」を読んだ。塚本さんの「メッテルニッヒ」が完成したことを、新聞広告で知った直後だった。記事には「妻との永別の寂しさを紛らわすため、左手だけのパソコンで1年半かけ書き上げた」と書かれていた。

 「亡き妻 ルリ子に捧ぐ」と書かれた本をさっそく読んだが、雑事に追われてブログに書くのに1年近くかかってしまった。

 18世紀の末から19世紀に活躍したオーストリアの政治家、メッテルニヒの生涯を時系列的に追いながら、その魅力たっぷりな人間性を書き込まれている。元・米国国務長官、キッシンジャーをうならせた外交手腕も、ジャーナリストらしい簡潔な筆致で浮かび上がってくる。「繰り返しが多い」という批判も一部にあるが、現在のEUの基礎を築いたと言われる頑固なまでの保守・平和主義?をその時代とともに浮かび上がらせて、あきさせない。

 フランスに大使として赴任したメッテルニヒは、その大国主義から「生涯の敵」としていたナポレオンと渡り合い、友情を深めて、故国・オーストリアに大きな貢献をする。ナポレオンのロシア遠征をいち早く確認し、その準備にとりかかれたのだ。

 八年後の一八〇二年、メッテルニヒは回顧している。
 「ナポレオンと私は、お互いに相手の動きを注意深く観察しながら、あたかもチェスをするように数年間を過ごしたのです。私が彼に大手をかけようとすると、彼は、私をチェスの駒もろとも打ち滅ぼそうとした・・・」(『回復された世界平和』キッシンジャー)。


 メッテルニヒが、真骨頂の外交手腕を発揮したのは、ナポレオン戦争のヨーロッパ体制を話し合うために開かれたウイーン会議だった。

 議長のメッテルニヒは、各国の対立をさますために、実質的な論議を遅らせることをいとわなかった。

 音楽の都の本格的なオーケストラで、美しい女性と舞踏会で踊るチャンスは滅多にあるものではない。シャンパン、ワイン、食事代はすべてメッテルニヒが払ってくれる。責任ある数ヵ国の代表団以外は、みんな笑顔のほろ酔い加減で、夜更けまで踊った。寝坊しても会議はないのだ。
 だから「会議は踊る、されど進まず」なのである。


 その間。メッテルニヒの巧みな誘導で領土問題の話し合いは妥結し、長くヨーロッパの国際秩序を守ったウイーン体制が確立された。

 十九世紀のウイーン会議は今日のヨーロッパにつながっていく重要な分岐点でもあった。


 しかし、均衡と秩序を守ろうとしたメッテルニヒは、歴史家から「保守・反動」と呼ばれ、盛り上がっていく産業革命の中で「次第に浮き上がり、取り残されることになった」。

 そして、たぐまれな外交家も老いには勝てなかった。

 用事もないのにぶらっと宮廷の皇族の部屋を訪れて、よく自分の想いを、頼まれもしないのに一方的に話していくことが多くなった。この二、三年ぶつぶついっていた。


 大柄だが、すらっとしていて、優雅だが勇気があって、よく話をするが、お喋りではなく、人の話に耳を傾ける時は上手に沈黙し、いつもユーモアとエスプリがあって、女性には親切で優しかった。


 かってフランス社交界を魅了し、多くの女性を愛人にしたそんな姿は、もううかがえなかった。

 メッテルニヒの人生の最後の言葉は「私は秩序を守る岩石である」というもので、一生を貫いた信念だった・・・


 ▽最近読んだ、その他の本
  • 「黙祷の時間」(ジークフリート・レンツ著、松永美穂訳、新潮社刊)
     はじめて知ったが、82歳のときにこの本を書いた著者は現代ドイツ文学を代表する作家だそうだ。
     18歳の高校生が、美しい英語教師・シュテラに恋をする。表題は、その追悼式のことだが、最初から最後までの静ひつな文章に引き込まれる。主人公を見守る父親、シュテラが愛した父親、2人の恋人たち・・・。どの人たちも、しっとりとやさしい。
     シュテラからもらった最後の絵葉書には、こう書いてあった。
     クリスティアン、愛は暖かくて豊かな波のようです」

     遺体は灰となって、海に吸い込まれ、花束が投げられる。
     運ばれていくこれらの花々は、ぼくにとって永遠に不幸を象徴するだろうな、と思った。喪ったものを、この華が慰めに満ちた姿で体現してくれたことは、けっして忘れないだろう、とも。

     この小説は「ウラ」という女性に捧げられている。訳者によると、2006年に56年間連れ添った妻に先立たれた著者は、2008年にこの本を書き、2010年に長年の隣人だった女性、ウラと再婚したという。
    黙祷の時間 (新潮クレスト・ブックス)
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  • 「私は売られてきた」(パトリシア・マコーミック著、代田亜香子訳、金原瑞人選、作品社刊)
     図書館で借りようとしたら、児童書の書架に並んでいた。ヤング・アダルトという分野の本。このブログに書いた本もいくつかリストアップされている。
     ネパールの山村で育った13歳の少女が、わずかな金で継父に売られ、インドの売春街で悲惨な経験をしながら、アメリカ人のボランティアに救われる。
     少女の日記というかたちを取っているが、ジャーナリストでもある著者は「言葉にならない恐怖を経験した」多くの少女と面談し、インド・コルカタの売春街、救助・援助団体の人たちに取材を重ね、この小説を書いた。
     訳者は「シアトルの書店で、あどけない少女の写真に"Sold"というタイトルの表紙を見た瞬間、胸がざわざわし・・・」翻訳を決めたという。
    私は売られてきた (金原瑞人選オールタイム・ベストYA)
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2009年12月 9日

読書日記「丘のてっぺんの庭 花暦」(文=鶴田 静 写真=エドワード・レビンソン、淡交社刊)

丘のてっぺんの庭 花暦
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 この春図書館にいったん予約したが、読みたい本が殺到して15冊の予約ラインを越えそうになってやむなく解約。再度予約したのを芦屋図書館打出分室のボランティア当番だった先週の土曜日に借りることができた。おかげでホッとするような楽しい週末を楽しめた。

 エッセイストである著者が、アメリカ人の写真家である夫と20年前に千葉県房総半島の丘の上に一軒家を建て、6段に分かれた元の棚田を庭に変身させていく。
 家を建てる話しは、すでに「二人で建てた家」(文春文庫PLUS)という本なっており「植物はその美しさと役割によって、人が生きるための源泉だと信じています。これからの世界で減らさずに増やすべきものと考えています。その願いを込めて」この本は書かれた。

 本の写真をそのまま引用するわけにはいかないが、幸い著者のHPの関連ページに「Solo Hill Garden」という名のすばらしい「花暦」が掲載されている。

   その花園には、私のような花の素人にも馴染みのある草木があふれている。我が家の狭い花壇とベランダで四季に咲くものだけでも、アジサイ、カンナ、ギボウシ、キンモクセイ、クリスマスローズ、コスモス、サザンカ、ジンチョウゲ、スイセン、スミレ、タチアオイ、チューリップ、バラ、ヒマワリ、ブルーベリー、ユリ・・・。なんだか、うれしくなる。

 「ソロー・ヒル・ガーデン」は、森のなかでの2年間の一人暮らしを記録した著書「森の生活(ウオールデン)」を書いた自然派の元祖、ヘンリー・D・ソローの名から、採っている。私も、森の生活にあこがれた若いころに夢中になった本である。

 著者が庭作りの構想を練るなかで、一つの原理を教えてくれたのは、著者が1970年代から私淑したイギリスの作家・工芸家のウイリアム・モリスだった、という。著者は、モリスの染織工芸に魅せられて2年間、イギリスに滞在、後にモリスの植物と庭に関する本「ウイリアム・モリスの庭」(ジル・ハミルトン他著、東洋書林)を翻訳までしている。

 このモリスの教えを取り入れ、著者は自分の庭を構想していく。
  • 植物は自生種を主体にし、・・・古くからある帰化植物も植える。自生種はこの地にもともと植わっていたマテバシイ、ウツギ、ネムノキ、ノイバラ、クワ、ウメ、カキ、クリ、ミカンなどで、残された切り株から育てる。
  • 昔ながら馴染みのある植物、生家に植わっていた植物を植える。コスモス、ボケ・・・。和名で呼ばれる植物。白粉花(おしろいばな)、秋明菊、木蓮・・・。外国名でもダリア、カンナ、チューリップなど昔からある植物は植えたい。
  • 宿根草を植えて、毎年、種や球根から自然繁殖に任せる。土手や野原から野の草花を少し移植して・・・。


 この本から漂ってくる何とも言えない懐かしさは、こんなコンセプトから生まれていたのだ。

 米国の有名な絵本作家、ターシャ・テューダの庭からは、インターネットでタチアオイのピンクの種を取り寄せた。
 昨年亡くなったが、日本でも根強い人気のある造園家でもある。先日、芦屋駅前の小さな書店をのぞいたら、ターシャ・テューダ関連の本やDVDが20冊以上、並んでいた。
 作家や芸術家にまつわる花を栽培する。・・・花や木を媒体にして、古今東西の人々と、時空を超えて交流できるとはすばらしい。


 この本を借りた午後、知人に約束した本を自転車で届けた帰りに、ガーデン・ショップでいくつかの苗を買った。
 すでに白い花をつけたノースポールを自宅北側の西日しかささない狭い花壇に、つるなしスナップエンドウ、オーライ・ホウレンソウ、セロリーを家に囲まれ日の光に恵まれない西側テラスのプランターに植えた。

 時々夢見た自然派スローライフは、Too late、Too poorになったなあと思いつつ。

 
(追記): 図書館のボランティアはおもしろい。時に、思いもよらない本との出会いがあるからだ。

先日、カウンターの向かいにある「推薦本」コーナーで見つけたのが「日陰でよかった! ポール・スミザーのシェードガーデン」(ポール・スミザー日乃詩歩子著、宝島社)という本。ガーデンデザイナーのポールスミザーが、日本各地で日陰の庭をつくってきた10数年の成果を公開しているが「植物にとって、本当に必要なのは日差しだけではない」という出だしは、私を含めて日本人の多くが持っている太陽信仰を打ち砕いてくれる。

 先日の土曜日。ボランティアの当番が始まった直後に戻ってきた本を見てアッと思った。
「アルプスの村のクリスマス」(舟田詠子 文・写真、株式会社リブロポート刊)
 この夏、ウイーンでお世話になったパンの文化史研究者、舟田詠子さんが1989年に著された写真がいっぱい入った児童書である。オーストラリア・アルプスの山おくにあるマリア・ルカウという村でのクリスマスを中心とした生活が詩情豊かに綴られている。
 舟井さんの著書はいただいたり、買ったりしてほとんど読んでいたが、この本だけはいつかは見たいと思っていた幻の書だった。
 今はまだキリスト生誕の準備をする待降節中だが、読んでみてクリスマスが一挙に飛んできたような魅惑の一瞬を味わえた。

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2009年11月23日

読書日記「エリザベート ハプスブルク家最後の皇女」(塚本哲也著、文藝春秋刊)

エリザベート―ハプスブルク家最後の皇女
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4 興味深かったですが、社会情勢が複雑で難しかったです
4 興味深い本
5 一人の人の人生とは思えない!


 きつーい中国語教室の宿題に追われたり、パソコンが不調だったりして、ブログを書くのも久しぶりだ。

 1992年に発刊されたけっこう古い本だが、この夏に出かけた「ウイーン紀行」を、このブログに書いた後、急に再読したくなって本棚からひっぱり出して一挙に読んだ。2003年には文春文庫(上、下)にもなっている。

著者は、毎日新聞のウイーン支局長や防衛大学教授を歴任した人で、この本で大宅壮一ノンフィクション賞を受けている。

 今年は、日本、オーストリアの交流年。様々な行事が行われており、先日も大阪・天保山で「クリムト、シーレ ウィーン世紀末展」を見てきたが、来年1月早々からは京都国立博物館で「THEハプスブルク」展も開かれる。

 この本の主役は、京都の展覧会でも活躍するであろう絶世の美女「皇妃エリザベート」ではない。その孫娘「エリザベト・マリー・ペネック」だ。

 シシイの愛称で知られる「皇妃エリザベート」は、日本でもなんどかミュージカルになっているが、孫娘「エリザベート」もそれに負けない波乱に満ちた一生を送った。

 17歳の時に宮廷舞踏会で出会った青年騎馬中尉に一目ぼれ、孫を溺愛する皇帝フランツ・ヨーゼフⅠ世の「余は軍の最高司令官として・・・エリザベートとの結婚を命ずる!」という一言で、皇位継承権まで放棄して身分違いの結婚をする。
 4人の子供に恵まれるが、夫の浮気と金遣いの荒さ、知性のなさに悩まされ、長い離婚訴訟が続く。海軍士官レルヒとの悲恋、ハプスブルク家の崩壊。そして社会民主党の指導者レポルト・ペツネックとの出会い。社会民主党に入党し「赤い皇女」とも呼ばれた79年の異色の生涯を、筆者はち密な取材で綴っていく。

 「皇妃エリザベート」の生きざまが縦糸だとすると、筆者は大切な2本の横糸をこの物語に織り込んでいく。
  •  1つは、筆者が「あとがき」で書いているように、この本が「エリザベートとハプスブルク王朝を軸にした中欧の歴史物語」であるということ。
  •  2つ目は、ハプスブルク家の歴史が、現在のEU誕生の原型になっているということだ。
 

 「エリザベート」の父で、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子ルドルフは、エリザベートが4歳の時に愛人と情死してしまう。フランス名画「うたかたの恋」のモデルにもなったが、筆者はルドルフをこう評価している。

 政治的外交的に鋭い洞察力を持ち、いち早く二十世紀を視野に入れていた有能な皇太子であった。先見の明があり過ぎたために、保守的な(ドイツ頼みをやめようとしない)フランツ・ヨーゼフ皇帝と衝突、父との戦いに敗れての自殺であった


 後にフランス首相となり、反ドイツ主義者であったジョルジュ・クレマンソーに会った時に、ルドルフがこう語ったという。
 ドイツ人には全く理解できないらしい、オーストリアにおいてドイツ人、スラヴ人、ハンガリー人、ポーランド人がひとつの王冠の下で一緒に暮らしていることが、どんなに意義深く重要かをーー。・・・オーストリアは、様々な人種、民族が一つの統合された指導部の下で一緒になった連合国家なのだ。世界文明にとっても大切な理念だと思っている。


 エリザベートが生まれ、育った十九世紀末のウイーンは、画家のクリムトやシーレ、作曲家ヨハン・シュトラウス親子らが活躍し「世紀末」の繁栄に酔っていた。

 しかし思いがけず第一次世界大戦が勃発し、広大な版図を持つハプスブルク帝国は崩壊、古き良き時代は突然幕を降ろす。傘下にあった各民族はナショナリズムに燃え、それぞれ自らの国家建設に走り出し、四部五裂になっていく。ばらばらになった国々はみな小国で、国づくりの困難と格闘しているうちに、ヒトラーの餌食となり、続いてスターリンの圧政に苦しみ、不幸な苦難の途をたどった。


 「ハプスブルク王朝が滅亡しなければ、中欧の諸国はこれほど永い苦難の経験をしなくてもすんだであろう」。英国の首相だったウイストン・チャーチルも嘆いている。

 第二次世界大戦後のヨーロッパ最悪の紛争といわれる、ボスニア・ヘルツエゴビナ紛争も、ハプスブルグ王朝の崩壊に遠因があったと言えなくもないかもしれない。

 しかし、著者はエピローグで明確に語っている。
 とはいっても、王朝の復活はありえないし、一度滅びた多民族国家はもはやもとに戻らないことを、ハプスブルク帝国崩壊の歴史は教えている。
 一方で、著者はもう一本の横糸を繰り出す。

 エリザベートは「汎ヨーロッパ運動主義」に関心を持ち、それを提唱「EUの父」とも呼ばれるリヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーへの支援を惜しまなかった、というのだ。

 こんな記述がある。
 (ヒトラー率いるドイツのオーストリア併合の危機が迫るなかで)いち早く逃亡脱出したエリザベートの知り合いもいた。パン・ヨーロッパ運動のクーデンホーフ・カレルギー伯爵・・・
  映画「カサブランカ」の主要登場人物のモデルとなるクーデンホーフ・カレルギー伯爵の逃避行の始まりである。
クーデンホーフ家の墓碑。クーデンホーフ・ミツコの名前も刻まれている(ウイーン・ヒーツイング墓地で):クリックすると大きな写真になります

 この夏、ウイーン在住のパンの文化史研究者、舟井詠子さんに案内されてシェーンブルン宮殿南端にあるヒーツイング墓地にあるクーデンホーフ家の墓地を訪ねた。
 墓碑に刻まれた名前の一つに「グーテンホーフ・ミツコ」とある。日本名は「青山光子」。「EUの父」リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギーの母親である。



2009年9月17日

ウイーン紀行③終「世紀末ウイーン、そしてクリムト」


 「世紀末ウイーン」とは、いったいなんだったのだろうか?
ウイーンの街を歩きながら、そんな疑問が時差ぼけの頭の片隅を時々かすめた。

 650年近く続いたハプスブルグ家の宮廷文化が爛熟した終焉期を迎えようとしていた19世紀後半に、美術、建築、音楽、文学などだけでなく、心理学や経済の分野まで怒涛のようにウイーンの街を襲った文化の大波。
既存勢力からは多くの批判を浴びながら、華麗、かつ斬新、そしてちょっぴり快楽の匂いもする作品を次々と描き出した芸術家たち。

 ドイツ、ハンガリー、ポーランド、チェコ、クロアチアにイタリア、ユダヤ人・・・。10近い民族を抱えたハプスブル帝国のコスモポリタン的な雰囲気が「世紀末ウイーン」文化の生みの親だともいう。
「オーストリア啓蒙主義の成果」というよく分からない分析もある。
 ハプスブルグ宮廷文化が「歴史主義様式」と称して過去の模倣に終始するなか、それに飽き足らない新興市民層の支持を得たからとか、皇帝フランツ・ヨーゼフⅠ世の新ユダヤ政策などの改革が生んだあだ花という見方も・・・。

 理屈は二の次。「世紀末ウイーン」、とくにその主役ともいえるクリムトの世界に少しでもふれられた幸せをかみしめる。

 リングをもう一度回ってみるつもりだったのに、乗ったトラム(路面電車)が急に右に曲がった。路線の変更があったことは聞いていたが、案内所では「路線1かDに乗れ」と言ったのに・・・。
ベルヴェデーレ宮殿に行くのかな?」。同行の友人たちと回りをキョロキョロ見ていたら、向かいのメタボっぽいおじさんに「次だ、次。早く降りろ」と目としぐさでせかされた。

 ちょうどベルヴェデーレ宮殿上宮の庭園の前だった。バロック様式で建てられたハプスブルグ家の遺産が、世紀末から現代までの近代美術館「オーストリア絵画館」に変身している。バロックと近代のミスマッチが、なんとなく愉快だ。

 この美術館のハイライトは、クリムトの世界最大のコレクション。

 傑作「接吻」は、宮殿2階の1室の白い壁の中のガラスケースに保護され、なにか孤高を感じさせるような存在感で展示されていた。
 モデルは、クリムト自身と恋人のエミーリエ・フレーゲといわれる。クリムトの特色である金箔をふんだんに使い、男は四角、女は丸いデザインの華やかなデザインだが、幸せの絶頂にいるはずの女性の表情がなぜか遠くを見るように暗い。

 17世紀の画家、カラヴァッジョアルテミジア・ジェンティスレスキなども描いた旧約聖書「ユディト記」に出てくるユダヤ人女性ユディットをテーマにしている「ユディットⅠ」
 以前にこのブログでも書いたが、アルテミジア・ジェンティスレスキらは、自ら犠牲になって敵の将軍の首を描き切る凄惨さに肉薄した。しかし、クリムトは決意を秘めて将軍に迫ろうとする妖艶な表情を描き切っている。

 さらにオスカー・ココシュカエゴン・シーレの迫力ある作品の部屋が続く。

 クリムトが率いた芸術家グループ、ウイーン分離派会館「セセッション」には、どうしても行きたかった。
 数日前に生鮮市場のナッシュマルクトを案内してもらった時に前を通っているから、もう迷わない。カールスプラッツ駅から歩いて10分ほど。まっすぐに地下の展示場に飛び込み、ベートーヴェンの交響曲第9番をテーマにしたクリムトの連作壁画「ベートーヴェン・フリーズ」の前に立った。
 白い壁の上部3面、明かり取りの天井に張りつくように飾られたフレスコ絵は、高さ約2・5メートル、長さ約35メートル。絵巻物のように、見上げる観客に迫ってくる。

 1902年「分離派」の展覧会に出品されたが、当時のカタログには「一つ目の長い壁(向かって左側):幸福への憧れ・・・狭い壁(正面)敵対する力・・・二つ目の長い壁(右側):幸福への憧れは詩情のなかに慰撫を見出す」とある。とても理解できない・・・。

メモ帳に張ってきた「図説 クリムトとウイーン歴史散歩」(南川三治郎著、河出書房新社)の解説コピーを見ながら、ようやく頭上の世界に焦点が合ってきた。

 高みに雲のように浮かんでいる女性の長い列。・・・「幸福への憧れ」は裸の弱者の苦しみと、彼らの願いを受けて幸福のために戦う・・・戦士が描かれている。
正面の「敵対する力」が暗い影を投げかけている。悪の象徴としてのゴリラのような巨大な怪獣チュフォエウス、・・・三人の娘のゴルゴン、その背後や右側には病、死、狂気、淫欲、不節制(太った女)などが描かれ、さらにその右には独り懊悩する女が巨大な蛇とともに描かれる。・・・
(右の壁画では)憧れが「詩の中に静けさ」を見つける。竪琴を持った乙女たちは・・・芸術による人類の救済を示唆している。・・・クライマックスは天使の合唱で・・・裸で抱き合う男女の愛をもって全体は終わる。


猥雑、醜悪という声が巻き起こったこの作品。実は展覧会が終わると取り壊されることになっていた。解体寸前になってあるユダヤ人実業家に買い上げられたが、ナチスが没収。戦後、長い交渉の末にオーストリア政府が買い上げたという、いわくつきの名作だ。

ゲストルームに泊めていただいたパンの文化史研究者、舟田詠子さんに、クリムトの墓に連れていってもらった。舟田さんのアトリエ近く、シェーンブルン宮殿の南の端にあるヒーツイング墓地にある墓標は、クリムトの自筆のサインを彫りこんだものだった。「世紀末ウイーン」の時代を象徴するように繊細かつモダンな文字だ。

 「世紀末ウイーン」を代表する建築家、オットー・ワグナーが設計した旧郵便貯金局のガラス張りのホール。「装飾は悪だ」と直線的なデザインを駆使したロース・ハウスが市民の避難を浴びたアドルフ・ロース
 楽友会館やシェーブルン宮殿のオランジェリーで聞いたオーケストラがアンコールで必ず演奏されるのは、やはり世紀末に生まれた3拍子のウインナーワルツだった。そして、作家、アルトウル・シュニツラーの作品「輪舞」などで描かれる娼婦と兵隊、伯爵と女優たち・・・。

 「世紀末ウイーン」の世界が走馬灯のように頭のなかを駆け巡り、今でも離れようとしない。

下の地図は、Google のサービスを使用して作成しています。
地図の左上にあるスケールのつまみを上下すれば、地図を拡大・縮小できます。また、その上にあるコンソールを使えば、左右・上下に地図を動かすことができます。
右の欄の地名をクリックすると、その場所にマークが立ちます。また、その下のをクリックすると関連した写真を見ることができます。


2009年9月 6日

ウイーン紀行②「ドウナ川、そしてクライン・ガルテン」



上の地図は、Google のサービスを使用して作成しています。
地図の左上にあるスケールのつまみを上下すれば、地図を拡大・縮小できます。また、その上にあるコンソールを使えば、左右・上下に地図を動かすことができます。
右の欄の地名をクリックすると、その場所にマークが立ちます。また、その下のをクリックすると関連した写真を見ることができます。


世界遺産「ウイーン歴史地区」の中心にある「リングシュトラーセ(環状道路)」の沿道には、様々な時代の建築様式の建造物が並び、まるで歴史博覧会のパビリオン群のようだ。

 市役所は中世の都市の自治を象徴するゴシック様式、国会議事堂は民主主義の原点・ギリシャにならって新古典様式、ウイーン大学は文藝復興にふさわしいルネサンス様式バロック様式がいかめしい旧陸軍省(政府合同庁舎)。この建造物群は、その建築様式の時代に建造されたものではない。皇帝フランツ・ヨーゼフⅠ世の命令で19世紀の半ばから城壁(市壁)を取り除いて次々と造られ、ちょっと、特異な都市景観を形づくっているのだ。

 この建造物を楽しむには、リングを回るトラム(路面電車)に乗るのが、手っとり早い。ウイーン大学の前をトラムがぐっと右に回ると、すぐに川にぶつかる。
「ドナウ川の向こうは、中心街と違って近代的な建物が多いですね」。ゲストルームをお借りしているパン文化史研究者、舟井詠子さんに、いささかトンチンカンだった問いかけをしたら「あれはドナウ川でなく、ドナウ運河」と。観光客も、よく間違えるらしい。さっそく、ほんもののドナウ川を見に連れて行ってもらった。

 夕方、街の中心・カールスプラッツ駅地下ターミナルで待ち合わせ、地下鉄U1に乗って10番目の駅・ドナウインゼル(ドナウ島)駅で途中下車する。2つの川の間に、中州(ドナウ島)があり、そこにかかっている橋の上に地下鉄の駅と歩道橋がある。

 川の1つは、洪水対策のために、20世紀後半に約10年をかけて掘られた全長20キロの放水路・ノイエドナウ(新ドナウ)川。島の森越しに見えるのが、ドナウ川本流。ドイツ南部の泉に始まって東欧10か国を流れ、世界遺産ドナウ・デルタ にそそぐ国際河川だ。教会の下に国際航路の大型船が停泊しているのが見える。

 長さ21キロもあるという中州、ドウナ島に降りてみる。広い公園があり、中国系らしい人たちが草地に座り込んでトランプを楽しんでいた。ここは、アジア、トルコ系の人たちのたまり場になっているらしい。
 この中州は長い間、川土を積み上げた荒地だったようだが、今では川辺に水草が繁り、生物が生きられるビオトープとして生き返っている。

 再び地下鉄に乗り、2つ目のアルテドナウ(旧ドナウ川)駅で降りる。IAEA(国際原子力機関)などが入っている国連都市(UNOシティ)のビル群を右に見ながら左折、大きな橋を渡り切って、アルテドナウの河畔に出た。

 アルテドナウは、19世紀末の治水工事でドナウ本流から切り離されて、ドナウ川の東端にできた約160ヘクタールの三日月型の湖。今ではウイーン市民の最大のレクリエーションの場になっている。
 もう午後の7時前というのに、ヨットがいくつも浮かび、艇庫からカヌーを運び出す人がおり、河畔で憩う水着姿の人、水に飛び込んで抜き手で泳ぐ人・・・。湖畔では、以前はヌーディストクラブだったという庭園でバーベキューを楽しむ風景が見られ、水辺のいくつものレストランも火曜日の夕方というのに大盛況だ。

 ぜひに、とお願いして、湖畔にある「クラインガルテン」をのぞかせてもらった。クラインガルテンはドイ語で「小さな庭」という意味。市民が公共団体から300平方メートル前後の小屋付き農園を借り、週末に野菜づくりを楽しむ。日本でも少しづつ普及しており、私も兵庫県下にあるクラインガルテンまがいの貸農園2か所ほどを借りたことがある。

 しかし、ウイーンのクラインガルテンは少し様子が違う。車の乗り入れを禁止した路地の両脇にある敷地に野菜畑は一つもなく、すべて整備された芝生と木々、季節の花であふれている。寝椅子でくつろいでいる老人や、アルテドナウで泳いできたのだろうか、バスタオルを身体に巻いたまま花の世話をしている女性の姿が垣間見える。ラウベと呼ばれる住宅も小屋と呼ぶのにはほど遠いりっぱなものばかりだ。なかには、敷地を買い取って地下室まで作った"別荘"もあるようだ。

 ネットサーフインをしてみると「調査した300区画のなかで、菜園らしいのは1区画しかなかった」という報告「州法の改正で、規制がなくなったことが生んだウイーンの特異性」というレポートもあった。ウイーンの市民が、クラインガルテンの快適性を追求して勝ち取った権利なのだろう。

   ヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」で歌われる歌詞は次のように始まる。(「横顔のウイーン」=河野純一著、音楽之友社刊より)
  いとも青きドナウよ
  谷や野を越えて
  静かに波うちながら流れていく
  わがウイーンはお前に挨拶する
  銀色の流れは国々を結びつけ
  喜ばしい心が美しい岸辺ではずんでいる


 アルテドナウ河畔やクラインガルテンで、ウイーンの人たちの気持ちがウインナーワルツに乗ってはずんでいるのが見えてくるようだ。

 川の水が「青きドナウ」から程遠いのが、ちょっぴり残念だが・・・。

2009年9月 2日

ウイーン紀行①「ウイーンの森」


 ウイーンの森への旅は、かって貴族の別荘だった館の庭にある小さな森から始まった。

オーストリアに640年にわたって君臨したハプスブルグ家の夏の離宮だった世界遺産・シェーンブルン宮殿のすぐ近く。ビーダーマイヤー時代最盛期の1825年に建てられたこの館に、アトリエを構えておられるパン文化史研究者、舟田詠子さんのゲストルームに泊まらせていただく幸運に恵まれたのだ。

 建物の玄関は石の壁と巨大な木の扉で守られているが、庭に面して大きなガラス窓のサンルームが広がり、外壁はカラマツのこけら板で覆われている。庭には、トウヒらしい巨木のほか、サクラ、レンギョウ、カリン、アンズ、モモ、洋ナシ、クルミなどの樹木が繁り、フジの大枝が伸び、壁をおおうツタの太い枝が時代を感じさせる。
奥の小山をぐるりと回って上ると、頂上のブドウ棚から「世紀末ウイーン」をリードしたウイーン分離派の建築家・ヨーゼフ・ホフマンが設計した館などが臨める。
 舟田さんのアトリエを含めたこれらの館は、ウイーンでも貴重な建築物として文化財の保護下にあるという。

 庭のテーブルに並べられた朝食の皿には、ウイーン名産のハム、ソーセージの逸品や野菜料理が盛られ、日曜日にはいくつも教会の鐘が次々と響いてくる。向いの作曲家の館からピアノの音まで聞こえてきて・・・。なんともはや「森の都」ウイーン文化の奥深さに圧倒されてしまった。

 
舟田さんのアトリエのある館:クリックすると大きな写真になります館の外壁:クリックすると大きな写真になります庭の小さな森:クリックすると大きな写真になりますウイーン分離派(アールデコ)時代の隣邸:クリックすると大きな写真になります
舟田さんのアトリエのある館。かって貴族は、この木のドアーを開けさせ、直接、馬車を乗りいれたという庭に面した外壁はこけら板とツタで覆われている庭の小さな森は奥深く、見あきないウイーン分離派(アールデコ)時代の隣邸


 さっそく、ウイーンの森の探訪に出かけた。シェーンブルン宮殿の周辺は、もう森の一部だという。
 宮殿の南西部にある公園は、歩く人も少ない広葉樹の森。ウイーンの森を管理するウイーン市森林局の事務所の横にある門をくぐって、宮殿南部の高台にある記念碑・グロリエッテへ。道を少しそれると、昼でも薄暗いブナなどの林が続く。
  森が急に切れて、細長い草原に出た。はるか下にウイーンの街並みが臨める。なんと、この草原は、ウイーンの街に森の冷気を送りこむ「風の道」なのだ。確か、皇居に風の道を通せば、東京都心のヒートアイランド現象はかなり緩和できるという話しを聞いたことがあったが、ウイーンの街は残された貴重な遺産を見事に生かしきっている。

シェーンブルン宮殿とウイーンの市街:クリックすると大きな写真になります宮殿内の森:クリックすると大きな写真になります「風の道」森の観察路の説明板:クリックすると大きな写真になります
グロリエッテから見たシェーンブルン宮殿とウイーンの市街人気も少ない宮殿内の森森を貫く「風の道」森の観察路の説明板


 マリア・テレジアの夫のフランツⅠ世が1792年、宮殿内に作った世界最古という動物園に入ってみた。
 パンダやペンギンは珍しくもないが、階段を上って森の木々や葉を下からでなく目の前で眺められる樹木観察路があるのが「森の都」の動物園らしい。
 所々に、樹木の葉や小鳥、小動物など森の住民を解説した掲示板まである。ブナ、シデ、シナノキ(菩提樹)、トネリコ、カエデなどの名前が書いてある。

 オーストリア連邦森林局(現在は民営化されてオーストリア連邦森林株式会社)の林業専門家であるアントン・リーダーが書いた「ウイーンの森―自然・文化、歴史―」(戸口日出夫訳、南窓者刊)によると、ウイーンの森の木々の75%がブナ、ナラなどの広葉樹、25%がクロマツ、トウヒといった針葉樹という。
 針葉樹が多いドイツの黒い森と違って、広葉樹がつくる明るい森がウイーンの人々の開放的でのんびりした気風を育てているのだろうか。

 著者と訳者によると、ブドウ畑や居住地を含めたウイーンの森の総面積はおよそ1250平方キロと、東京23区の2倍以上。
世界のいかなる大都市も、このような周辺部を持つものはなく、・・・その自然のなかで、ビーダーマイヤー時代には、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」やベートーヴェン「田園」が生まれ、ウイーンの森と音楽の都が結びついた


 舟田さんに、さらに森の奥へと案内してもらった。
 夕方、中心街・リンク沿いにあるウイーン大学前のショッテントーア駅の地下ターミナルで待ち合わせてトラム(路面電車)38番でワインを飲ますホイリゲが並ぶグリンツイングへ。そこで白ワインを軽く飲み、バス38Aで海抜484メートルのカーレンベルクに着く。

 カーレンベルクのことをアントン・リーダー氏は「忘れがたい場所」の筆頭にあげて、こう書いている。
頂からウイーンを見下ろせば、その中心にはシュテファン大聖堂も見える。少し先にベルヴェテーレ宮殿も見える。きらきら光るドナウ(川)のわきに国連都市のビルがあり、その右にプラーター(公園)の大観覧車も小さく確認できる。・・・真下の麓には一面に葡萄畑が広がり、それが上方のブナ林のなかに吸い込まれてゆく。


 この丘にある小さな教会にも、ウイーン市指定の史跡であることを示す国旗を模した旗が掲げてある。
1683年、ポーランド王率いるキリスト教連合軍が、この教会でミサにあずかった後、一気に斜面を駆け降りて、ウイーン城を包囲していたトルコ軍を急襲、敗走させた、という。

 ウイーンの森が終わるレオポルヅベルクまで森のなかを歩く予定だったが、時間がなくなった。ブドウ畑の間を早足で降りる。「ブドウ畑を持つ首都はウイーンだけ」と、舟田さん。

予約した7時は少し過ぎたが、ワインセラーの庭にはウイーンの街を真下に臨む席が用意されていた。降りた分だけ、街が近く見える。
 ローストポークにチーズ味のパテ、オリーブがいっぱい入ったサラダと、白ワイン。街が少しずつ夕日から夜景に変わっていく。ウイーンの森で飲むワインの一口、一口が、深く静かに身体に回ってきて・・・。

ホイリゲの陽気なボーイさん:クリックすると大きな写真になります;">カーレンベルクの丘から見たウイーン市街:クリックすると大きな写真になります;">キリスト教連合軍が祈願した教会:クリックすると大きな写真になりますワインセラーの団らん:クリックすると大きな写真になります
ホイリゲの陽気なボーイさん。チップはずみすぎ?カーレンベルクの丘から見たウイーン市街。左にドナウ川が見えるキリスト教連合軍が祈願した教会。18世紀初めに再建された(壁にあるのが、史跡指定の旗)ウイーン市街の夜景を眼下に、森のなかの団らんは続く


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