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2019年12月11日

日々逍遙「白浜・椿温泉」「神戸ゆかり美術館、千住博展」「大阪・国立国際美術館、ウイーンモダン展」「大津・比良山荘、浮御堂」「西宮・仁川広河原」「京都・真如寺、府立植物園」「神戸・須磨寺」

 
【2019年9月14-16日】
椿温泉から見る太平洋
 久しぶりに白浜の椿温泉へ。旅館や店舗がいくつも廃業してさびれているが、お湯が素晴らしい。白浜で寄った寿司屋の亭主は「椿の湯は、白浜よりずっといい」と言っていたが、まったりと肌に絡みつく。
 部屋からは太平洋が広がる。夜半に目が覚めたら、海上の光の道が輝く月へと続いていた。前夜は中秋の名月・のちの月、そして今夜は満月。

   海鳴りて光る海路や後の月   

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【2019年10月3日】
千住博「滝」の図
 神戸の六甲アイランドにあるゆかり美術館へ。神戸ファッション美術館というといつも閑散としていたが、その一角が神戸ゆかりの作家の作品を収集した美術館になっていた。
   千住博展は、高野山の金剛峯寺に奉納する襖絵の完成を記念して、全国各地で開催されている。白いキャンバスに胡粉の絵の具を流し込んだ「瀧図」もいいが、「雪肌麻紙」という和紙をくしゃくしゃにして描いた「断崖図」もなかなかの迫力だ。
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【2019年10月9日】
「ウイーンモダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展
大阪・中之島の国立国際美術館の「ウイーンモダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展。斜め向かいの関西電力本社で小判などの贈与を巡る社長の弁明会見が開かれた日で、テレビクルーが本社の外見を撮影していた。
  ウイーンにクリムト、シーレの作品を訪ねてもう10年になる。その時に出会った2人の作品のいくつかに再会できた。
 クリムトの「エミーリエ・フレーゲの肖像」だけは写真撮影が許されている。どうせなら、シーレの作品も1点ぐらいはと思った。
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【2019年10月19―20日】
きのこの宝石箱
大津・坊村にある山の辺料理・比良山荘に1泊。中庭の紅葉がもう色づいている。この夏も、ここで鮎料理を満喫したが、今回は"冥途の土産"にと、松茸と子持ち鮎という贅沢。
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 堅田の浮御堂
 翌日、堅田の浮御堂へ。すぐ左の琵琶湖の波間に高浜虚子の句碑が建っていた。「湖もこの辺にして鳥渡る」
 沖にはいくつも小舟が浮かび、ブラックバス釣りを楽しんでいる。外来魚のこの魚を釣ると、県の条例で湖に戻すことが禁じられているが、岸辺の回収ボックスはいつも空。
  「キャッチ・アンド・リリース」を楽しむ釣り人に条例は無視されている。
 隣の老舗料理屋でモロコの炭焼き。身を軽く炙った後、頭を網に突っ込み焼いてくれる。これも"冥途の土産"。

   湖の波間に句碑あり秋の雨   

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【2019年11月10日】
仁川広河原
 昼前から久しぶりに西宮の 仁川広河原へウオーキング。仁川源流の小川で、生きもの採取をする人、バードウォッチングの人も数人。木の実が成る樹に来るのは シメという鳥、源流沿いのセイダカアワダチソウには ベニマシコが来るらしい。「これだけ人が来ると、小鳥は絶対現れない」と、ハイタカが飛ぶカメラの写真を見せてくれた人もいた。
  坂の両側に開けた住宅地にある急な坂を下って阪急仁川駅へ。膝はがくがく。ああ、しんどーー。約2万歩。

   山拓く家並みのさき小鳥来る   

 
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【2019年11月22-23日】
京都の紅葉
 「今年の紅葉は、ライトアップで」と、京都・金戒光明寺に出かけたが、ライトアップの庭園は満席ということで、近くの真如寺へ。まさに、紅葉真っ盛り。宿で借りたらしい和服や平安衣装の女性グループがいたが、みんな中国からの観光客。ここも6時からライトアップがあるということだったが、「ツアー会社の企画で満席です」
 八瀬の宿の湯ぶねで、ライトアップの紅葉に出会ったものの、翌日見ると、枯枝も目立ち、いささかお疲れの感じ。
 翌朝は、京都府立植物園へ。おなじみのイチョウ、池の端の紅葉。菊展の仮天井に木の実がはねる音が響き、樹々の下に敷き詰めたように木の実が落ちている。

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真如寺の紅葉湯ぶねの紅葉植物園の大イチョウ


   舞い降りて苔を染ゆく紅葉かな   

   森のなか木の実の落ちる音満ちて   

   木の実踏み次の一歩をそっと出し   



【2019年11月24日】
須磨寺の紅葉
 用事がある友人に付き合って、神戸・ 須磨寺に出かけたが、ここの紅葉は、まだ盛り前。源平ゆかりの古刹とかで、平敦盛の首塚があり、宝物殿には敦盛愛用の「青葉の笛」。「一の谷の 軍(いくさ)破れ、討たれし平家の 公達(きんだち)あわれ」の小学唱歌が流れる装置まである。

   染そむる紅葉へ流る青葉笛   

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2019年9月 7日

日々逍遙「函館」(2019年8月11日~14日)

 マイレージで飛行機の便が取れたので、函館に出かけた。灼熱の地から来た北の国は気温18度。「なるほど"避暑"に来るというのは、こういうことか」と感じた。

 函館の街で、寿司屋でイカのサシミや函館山麓の教会群ライトアップを楽しみ、翌朝、ホテルの真下にある港を歩いた。ふ頭のかもめらが嵐の前の海をじっと眺めている。「飛んでいないかもめを見るのは初めて」と同伴者。ちょうど始まった鰯のセリを見るのも初体験だ。

聖ヨハネ教会八幡坂・ハリスト正教会港の鴎 鰯のセリ
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 鴎らも身構えている初嵐


 鰯引トロ箱重ねセリ始む


 翌日の昼、函館朝市にある人気のうに料理店に1時間並んでやっと座れた。無添加生うに丼、うにの殻焼き、ホヤの刺身。会計はまあまあだったが、ウニの量がややもの足りない。
  函館朝市で、俳句教室の先生に教えてもらった「白口浜真昆布」を買った。身が厚く切り口が白く見えることから名前がついたという。

 特急で約1時間、大沼国定公園のリゾートホテルへ。露天風呂が、目の前の沼と同じ視線にあり、沼や周辺の緑と一緒に湯浴みをしているようだ。早くもナナカマドらしい紅葉が始まっていた。
  大沼畔の駒ヶ岳は、不思議な形をしている。当初は富士山のような形状だったが、古代の爆発で頂上部分が吹っ飛んだという。

うに専門店駒ヶ岳
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写真はクリックすると大きくなります。
 
 湯けむりの染めあげていく初紅葉


 帰った直後はお盆。以前、見に行った徳島の阿波踊りやテレビの中継で見た青森のねぶた祭を思い出した。

 
 しなやかや踊る指先下駄さばき


 
 男らが跳ねとんで来る踊かな


2018年12月14日

日々逍遙「阪急西宮ガーデンズ、京都府立植物園」

 【2018年11月21日(水)】

 散歩がてら、阪急西宮ガーデンズ4階のスカイガーデンへ。
 東入口から入ると、円形花壇の内側に、小さなスイレンの花のようなものが咲きそろっている。スマホ・アプリの「花しらべ」で調べると、スイセン・ペパーホワイトと出た。このアプリ、時にはとんでもない答えを出してくれるが、多分当たりだろう。後日、同じガーデンで、副花冠が黄色いおなじみの日本スイセンも咲いていた。

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 秋明菊とならんで、黄色い石蕗(つわぶき)の花も咲き出している。石蕗は、冬の季語。周りが急に"冬めいて"みえた。

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 ここには、オリーブの木が約20本も植わっている。太くなったどの木々にも実が鈴なり。西宮阪急は、10年まえに開店したばかりだが、見事に育ったものだ。

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 帰り道、県立芸術文化センターの黄色く色づいたケヤキの木の下で、若い女性が楽譜を置いてハーモニカの練習をしていた。楽譜を見ながら、ハーモニカというもちょっと不思議。楽器のトーンも高く、澄んだ音がする。ひょっとすると、違う楽器?芸文センターの楽団員?
 ブログ管理者のn.shuheiさんによると、このハーモニカはクロマチックハーモニカという半音階が出せる楽器らしい。南里沙さんという神戸女学院を出た奏者が有名という。

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 途中の菓子店で買ったミルフイーユの中身が、これまでの梨から苺に代わっていた。「これから、当面は苺。国産が入るようになったので」と店主夫人。果物も冬の季節である。

 【2018年11月23日(金)】

 毎年、桜と紅葉の季節には、京都府立植物園に行くことにしている。シーズンでも観光客に邪魔されない秘密のスポットだと、ある京都人に教えてもらった。それに、70歳以上は入場無料である。

 隣接するピザ・パスタ店でゆっくりしすぎて、園に入った時には、午後の曇り日になってしまった。紅葉への映えはどうかと思ったが、まーまー。

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 桜林のなかで、小枝に咲く冬桜、四季桜を見つけた。紅葉を背景に、白い小さな花を咲かせている。冬桜は1月の季語。四季桜は、ヒガンザクラの一品種で、別名・十月桜。西宮市の北山緑化植物園の芝生にもけっこう大きな十月桜が植わっている。
 11月の季語である帰り花(返り花)は、これらの桜を言うのだろうか。
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 おなじみのイチョウの黄葉、冬の季語でもある花八つ手、秋バラ、まだ咲き誇っていたコスモス、夏の名残の赤いカンナと、植物園に咲く花の季節は幅広い。

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 北山門に帰る右側に大きくそびえるレバノンスギ、オオカナメモチなどの針葉樹林には、いつもほっと息をつく深淵さを感じる。
 左側の600本もあるというつばき園は、いつも見る花の時期を逃してしまう。

2018年12月 4日

紅葉紀行「栃木・那須高原、福島・西郷、南会津、白河」

今年は、東北の紅葉を訪ねてみようかと、ANAで期限が切れかけていたマイレージで福島までの飛行機を確保した。



 【2018年11月3日(土)】

 同行の友人Mの仕事の都合で、前日に福島空港に着いたのが午後5時前。迎えの車で宿に着いたらすっかり日が暮れていた。さっそく飛び込んだ露天風呂はさらさらとした単純硫黄泉。西宮では望みようもない満点の星が迎えてくれた。

 午前10時、観光タクシーで甲子(かし)高原を東上、紅葉の名所、雪割橋へ。

 50メートルはあるという深い阿武隈渓谷にかけられており、足がすくむ。対岸の紅葉撮影もそこそこに、橋のできるだけ真ん中を急いで渡りきって息をついた。
 対岸の由井ヶ原を開拓するため、最初は吊り梯子で荷物を上げ下げし、昭和21年に吊り橋になった。今でも、普通車がやっと離合できる鉄橋だが、すぐ横でアーチ型の大型橋の工事が進んでいる。近くの陸上自衛隊演習場への輸送のために、かなりの補助金が出たらしい。

 しかし、その開拓地も離農が進み、近くの展望所から見ると放置された農地や、牧場施設が目立つ。展望所に駐車したワゴン車で農家の夫婦が手作りのアケビのつるで編んだかごを売っていた。1万円と聞いて手がでなかったが、車の横に置かれたガマズミの赤い実を写真に撮らせてもらった。
 橋を渡ったところにあった売店で、紅葉したハゼの苗木を買った。こちらは600円。「4メートルほどにはなりますよ」。本当?

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 甲子道路を左折、県道290号線(那須甲子道路)へ。那須連山の山並みを右に見ながら、どんどん高度を上げていく。那須岳、朝日岳などの那須連山はほとんど落葉しているのに、左側の高原は紅葉まっさかり。そこへ、那須連山から吹き下ろす風が木の葉を散らし、落ち葉を舞い上げる。際だった風土の差がここの特色らしい。
 「いい時期に来ましたね」。タクシーの運転手が何度も言った。

 冬めける山はにび色里は黄み


 那須平成の森に着いた。宿から1時間20分ほどかかっている。福島から隣の栃木県に入っている。ここは、皇室の那須御用邸の約半分、560ヘクタールが環境庁の所管になって一般に開放され、2011年に開園された。

 入り口のフイールドセンター以外は、森のなかにトイレもなく、ブナ、ミズナラ、クマシデ、ホオノキなどの広葉樹が自然のまま残されている。そのほとんどは、ほぼ落葉を終えていたが、この森の特色は、カエデ類の多いこと。赤いイロハモミジ、ハウチワカエデ、コミネカエデ、黄色のエンコウカエデ、カジカエデ、ヒトツカエデが枯木と落葉に色を添えている。

   メインの道は、石ころがゴロゴロして歩きにくかったが、少し脇の回遊道路に入ると、落葉の踏み心地がしっとりと心地よい。途中のゲートに釣ってあったツキノワグマ避けの鐘を鳴らしてみる。
 道のわきの倒木を削って、小さな虫眼鏡でのぞき込んでいる若い2人連れがいた。アメーバーのように繁殖して微生物を食べる粘菌(変形菌)を調べている、という。自然の森の奥深さをかいま見た。

 落葉降り森は空へと浮かぶよう


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 甲子道路に戻り、南会津の塔のへつりへ。へつりとは、浸食と風化でできた断崖のこと。山かんむりに弗みたいな難しい字を書く。切り立った崖に生えた木々が見事に紅葉している。国の天然記念物だそうだ。

 へつりの上の駐車場にある売店で、きのこがたっぷり入ったみそ汁と喜多方ラーメンをただで食べさせてくれる。木のテーブルに置いてあるきのこのつくだ煮や煮豆も無料。どう採算を合わすのか。不思議な"会津商法"である。

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 宿に帰る途中の甲子温泉の紅葉も見頃だった。冬も営業しているが、街道からの下り道が急なのでタクシーが来れず歩かなければならないらしい。2泊目はこの温泉でと思っていたのだが、今回は断念した。

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    【2018年11月4日(日)】

 正午のチェックアウトまで温泉などを楽しみ、近くの白河市・南湖公園に出かけた。
 江戸時代の白川藩主で老中だった松平定信が、庶民とともに楽しむ「士民共楽」の思想で作った日本最古の公園という。国の史跡・名勝に指定されている。

 だんごが名物の茶屋の近くに、回遊式の日本庭園、翠楽苑がある。落葉が目立った平成の森などに比べて平地にあるため、まさに紅葉まっさかり。
 入口の門扉にかけられたツルウメモドキのリースや園内の茶室玄関にある秋の収穫を盛り込んだオブジェが心を和ませる。

 散りてなほ苔を染めゆく紅葉かな


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 福島空港には国際チャーター便が飛んでおり、園内は台湾の団体ツアー客でにぎわっていた。四阿で休んでいた夫婦と思われる中年の2人に話しかけてみた。台湾にも紅葉の名所はあるそうだが、日本の庭園と紅葉は「很漂亮(とても美しい)」と。

 紅葉に誘われて忘れそうになったが、白河市は東北大震災・原発事故の被災地でもある。公園の入り口に、放射線量を示す看板があった。

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 タクシーの運転手は、がけ崩れで20歳前後の姉妹や老人ホームの人たちなど十数人が死亡、他県に移住した子供たちがいじめにあったと話す。

 白川市の震災にふれたホームページによると、農産物などへの風評被害はいまだに消えないらしい。

 鎮魂の土地よ静まれつわの花


2018年10月31日

日々逍遙「小磯良平展」「武庫川・コスモス園」など

このブログが、管理システムの不調で約1ヶ月閲覧だけでなく、新しい記事の掲載もできなくなった(詳しくは、管理者n.shuheiさんの 10月22日付けブログで)。
 管理者の大変な努力で10月末には復旧したが、ブログ右側の「過去記事タイトルリスト」を見ると、11年もの読書、紀行記録が自分にとって貴重な財産になっていることに改めて気付いた。

 あまり好きな言葉ではないが、 "終活" の一環にもなるかと「日々逍遙」というコーナーも作ってみることにした。

2018年10月28日(日)
 阪急夙川駅で、昔テニスクラブで一緒だったYさんに20年ぶりにばったり。サングラスを外して見せた顔には、私同様それなりの年輪が刻まれていたが、テニスは相変わらず続けているという。2007年に中国にご一緒したKさんも同じテニスクラブらしいが、テニスを日課のようにしていたMさんは「もう、しんどくなった」と最近クラブを辞めたらしい。これも"終活"かな・・・と。

 待ち合わせた友人Mとポートアイランドの神戸市立小磯記念美術館へ。特別展「没後30年 小磯良平展 西洋への憧れと挑戦」が開催中で、全国の美術館から集められた代表作や新発見、初公開作など約130点が展示されている。

 見覚えのある兵庫県立美術館所蔵の「T嬢の像」や東京藝術大学が貸し出した「裁縫女」が、戦前の中産階級の生活を鮮やかに描きだして秀逸だ。

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 珍しいことに「娘子関を征く」「カリジャティ会見図」(いずれも国立近代美術館・無期貸与作品)など、かなりの戦争絵画が展示されていた。

 ちょうど、京都国立近代美術館で「没後50年展」が開かれている藤田嗣治は、多くの戦争絵画を描いたことへの非難に嫌気をさしてフランスに戻って、死ぬまで日本に帰らなかったということだ。小磯良平も自分の画集に戦争絵画を載せることを非常に嫌ったという。東京芸術大学教授として活躍した戦後の生活の中で戦争責任の声とどう決別したのだろうか。

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 戦後に描かれた「働く人びと」(小磯美術館寄託)という大作は、同じ油彩ながら戦前の作品とがらりと筆使いが違っている。なぜだろうか。

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 東京・赤坂の迎賓に飾られている「絵画」「音楽」の2作は、やはり小磯の迫力が満溢 した作品だ。この展覧会では、小さなカラー模造図が展示されているだけだったが、やはり本物が見たい、と思った。

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  【2018年10月16日(火)
 武庫川左岸(尼崎市)の「武庫川コスモス園」に出かけてみた。
 13日に開園したばかりで、まだ咲きはじめといった感じだが、7つの区画にピンク、白、黄色のコスモス約550万本が今年も元気に咲きそろおうとしている。昨年は、台風の被害を受けてほぼ全滅しており、2年ぶりに復活した風景だ。
 ここは、もともと旧西国街道を結ぶ「髭の渡し」と呼ばれる渡し場があったらしい。サイクリングロードなどが整備されている右岸・西宮市側に比べ、左岸は未整備なところが多く、ここもゴミの不当投棄で荒れていた。コスモスの名所に変身させた地元市民グループの努力をありがたく思う。

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2018年10月8日(月)
 久しぶりに、西宮市立北山緑化植物園に出かけた。まだ紅葉には早かったが、シューメイギク、コムラサキ、ミズヒキなどの秋の花が咲きそろっている。  カツラの木の下のベンチで休憩。カツラの大木を訪ねた鉢伏への旅を思い出した。
 
 秋晴れへ伸びる桂や幹太し


 まだ青いがカリンの実がたわわに実っている。自宅にカリン酒をつけているのを思い出し、帰って飲んでみた。澄んだ琥珀色をした、なかなかの出来だった。張られたレッテルに「2016年11月作成」とある。たしか、神戸女学院のシェクスピア庭園で収穫した実を漬けたのだと思う。

下のサムネイルをクリックすると大きな写真になります。
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2018年10月27日(土)
 2週間に1回の俳句講座(講師:池田雅かず「ホトトギス同人」、於・神戸六甲道勤労市民センター)の日。
 最初に講師が「鳴け捨てし身のひらひらと木瓜の花」という句を黒板に書き、主席者の評価を聞いた。「良い句」と思った人は1人、私も含めて残り20人弱は「良くない」に手を挙げた。

 実はこの句は、AI(人工知能)の作、だという。
 北海道大学の川村教授が、過去の俳句5万句をAIに詠み込ませて開発したソフト「一茶君」に「鳴」「木瓜の花」という兼題を与えて自動生成させたらしい。
 友人の1人は「なかなかいい句だ」と、高い評価をした。はたしてAIは、将棋、碁に続いて俳句でも勝利するだろうか。

2014年12月15日

読書日記「ランドセル俳人の五・七・五」(小林 凛著、ブックマン社刊)「冬の薔薇立ち向かうことを恐れずに」(同)




冬の薔薇 立ち向かうこと 恐れずに
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 小林 凛君の第2句集「冬の薔薇立ち向かうことを恐れずに」を本屋で見つけたのは数か月前のことだ。

 第1句集もパラリとめくったことはあったのだが「ランドセル俳人・・・」という表題に老人としてはいささかの抵抗感があって敬遠していた。だが「冬の薔薇・・・」を読んですぐに第1句集も買いに走った。

 朝日俳壇の選者の1人である金子兜太さんが「冬の薔薇・・・」の巻末で「凛君のように、抵抗しているものを自分の内面で消化し表現できる子は、辛くても(いじめに)耐え抜ける」という巻末語に引かれたのだ。

 いじめに会って自らの命を絶ってしまう子供が多いなかで、凛君はどうしていじめに耐え抜けたのか?

 「ランドセル・・・」の冒頭で、凛君自身が、こう語っている。

 この日本には、いじめられている人がたくさんいる。
 僕もその中の1人だ。いじめは一年生から始まった。
 からかわれ、殴られ、蹴られ、時には「消えろ、クズ!」とののしられた。それが小五まで続いた。僕は生まれる時、小さく生まれた。「ふつうの赤ちゃんの半分もなかったんだよ。一キロもなかったんだよ」、とお母さんは思い出すように言う。
 だから、いじめっ子の絶好の標的となった。危険ないじめを受けるたびに、不登校になってしまった。そんな時、毎日にように野山に出て、俳句を作った。
 「冬蜘蛛が糸にからまる受難かな」
 これは、僕が八歳の時の句だ。
 「紅葉で神が染めたる天地かな」
 この句は、僕のお気に入りだ。
 僕は、学校に行きたいけど行けない状況の中で、家にいて安らぎの時間を過ごす間に、たくさんの俳句を詠んだ。僕を支えてくれたのは、俳句だった。不登校は無駄ではなかったのだ。いじめから自分を遠ざけた時期にできた句は、三百句を超えている。
 今、僕は、俳句があるから、いじめと闘えている。


 凛君は、離婚した教師の母と祖母の3人と大阪府岸和田市で暮らしている。

   「僕のお気に入り」という「紅葉で神が染めたる天地かな」という句は、2010年12月、小学校3年(8歳)の時に朝日俳壇に初めて投句して入選したものだ。

 朝日俳壇の選者の1人である金子兜太は、著書「語る兜太」(岩波書店)のなかで「毎週5,6000もの投句があり、入選するのは新聞俳壇のなかで最難関だろう」と語っている。俳句を生きがいにしている人々に伍しての初入選だった。
語る 兜太――わが俳句人生
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 凛の最初の投句では「紅葉や」となっていたが、選者の長谷川櫂さんが「紅葉で」と添削した。「なぜ直されたのだろう」。母子は、俳句の入門書を買い、季語や切字、五七五といった俳句の基本を学んでいった。

 朝日俳壇での入選は続いた。

 
 「影長し竹馬のぼくピエロかな」(9歳、金子兜太選)
 「黄金虫とりどりの動く虹」(10歳、長谷川櫂選)
 「ブーメラン返らず蝶となりにけり」(10歳、長谷川選)
 「万華鏡小部屋に上がる花火かな」(金子選)
 「コルク栓夏の宴の名残かな」(10歳、金子選)
 「迷い来て野鳥も授業受ける夏」(13歳、長谷川選)
 「枯葉舞う名も無き樹々の手紙かな」(13歳、長谷川選)


 朝日俳壇では、入選者の句は5週間空かないと再掲載されないというから、すごい入選率だ。

 幼稚園の時に初めて俳句を知った凛君が俳句の世界に本格的に入ったのは、冒頭の凛君の言葉にあるように通っていた小学校ですさまじいいじめに会い、不登校になったからだった。

 入学して1週間目。突然後ろから突き飛ばされて顔の左を強打、目が開けられないほどの腫瘍を作った。水頭症の疑いがある凛君には致命的になりかねない。腎臓の上の腹部に大きな皮下出血があるのを母親が見つけたこともあった。

 「僕、学校に行きたくない。〇〇が僕の顔を見るたびに空手チョップをするねん、僕、机の下に隠れるねん」「先生は僕がいじめを訴えても"してない、してない"と受け付けてくれない」「〇〇が両手の人指し指を後ろからお尻に突っ込んで、毎日僕にカンチョーする」―――。

 2年生になってクラスが変わると、新たないじめが始まった。いきなり後ろから来て両足首をつかんで転ばせようとする。熱い給食の鍋を当番と2人で運んでいる時、突然教室から出てきて足を蹴る。

 「どうして命の危険を感じながらも、毎朝地獄に送り出さなければいけないのか」。母親は自主休学という選択をした。

 中学に進む時、いじめが尾を引くこと懸念がある地域を避けて、電車で通う私立中学に合格した。しかし、ここでもこれまでにない危険な悪ふざけが始まった。顔の前でペンを振り上げる。「凛太郎(凛君の本名)を殴って来い」と命令された子が来たこともあった。

 中学の管理職は、こう言った。「相手の子はしていないと言っています」「西村君、することが遅いので回り子がイライラしています」・・・。母親は3週間で転校を決意した。

 凛君は現在、市内の公立学校に元気に通っている。

 校庭に捨てられていた子猫が翌日死んでいるのを見つけ、先生方とお墓を作った。

 
「猫の墓師と手向けたるすみれ草」


 「彼の俳句も、成長と共に変化を見せてきた。季節の移ろいや生き物を詠む自然詠の句から、心の心情を詠むようになった」。母親の史さんは、第2句集のあとがきで記している。

 凛君の身長は、母親の「背を越した」

 
「空蝉のひとつひとつに魂こもる」
 「紅雨とは焼かれし虫の涙とも」
 (いずれも12歳、第2句集より)


2008年11月18日

蓼科・紅葉紀行(2008・11・1~3)



 紅葉を訪ねて、11月の初めに信州・蓼科に出かけた。

 昨年7月には、蓼科にある友人・I君の山荘を訪ねたが、今回は友人Mが加入している「エクシブ蓼科」というリゾートクラブに同行させてもらった。

 午後に大阪を出たので、中央線・茅野駅着が午後5:30。すっかり暗くなって、なにも見えない。翌朝、部屋から見えるカラマツ林の黄葉と葉を少し残した白樺、窓から流れこむ冷気が、やっと信州を感じさせてくれた。

 タクシーで横谷渓谷の入り口、横谷観音へ。

 ここは、昨年の夏、I君の別荘を辞した後、若い時によく歩いた八ヶ岳を見たくて泊まった奥蓼科温泉の近く。ここから八ヶ岳・縞枯山ロープウエイまでのバスに乗ったが、雨だった昨年とは大違い。紅葉狩りの観光客でけっこうにぎわっている。

クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります タクシーの運転手さんは「1週間遅かったね。先週は、それはきれいだった」と言ったが、観音入口まで道路にある紅葉(写真①)は、けっこうな色合いだ。

 運転手さんに勧められて、世界の樹木の化石などを集めた「柏木博物館」をのぞいた(運転手さんが受付の人に声をかけてくれ、入場料が100円安くなった)。埋れ木に浸みこんだ溶岩の鉱物が創り出す不思議な文様はいつまで見ていてもあきない。入口前にあるドウダンツツジの生垣も見事だ(写真②)。

クリックすると大きな写真になります  横谷観音展望台に下った。雲ひとつない快晴の空の向こうに、すでに冠雪したアルプスの山々がくっきりと望める。(写真③)
 右から北アルプス。学生時代に友人Sと新雪を踏んで登った西穂高。その奥に槍ヶ岳。中央アルプス・御岳山では、ご来光を仰いだ後に、うとうとしてしまって紫外線を浴びすぎ、翌日、顔の皮がすっかりむけてしまったことを思い出す。左に見える南アルプス・北岳は、腰痛で途中断念した忘れられない山だ。

クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります 展望台からけっこうきつい下り坂をゆっくりと30分。王滝(写真④)で一休み。朝食の残りのパンにジャムをはさみ、携帯燃料で沸かしたお湯でいれた紅茶にアイル島のシングルモルトをちょっぴりたらす。 確かに紅葉のピークは過ぎているようにみえるが、赤や黄色、茶色のコラボレーションはけっこう楽しめる。1時間半ほど下った乙女滝(写真⑤)付近の紅葉は、これからという感じ。




クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります 元気いっぱいの友人Mに引きずられて、蓼科湖までさらに2時間弱、イチョウの黄色や周辺の山々の紅葉(写真⑥)をめでながら歩いた。蓼科湖で紅葉の群落をたっぷり楽しみ(写真⑦)、湖畔の蕎麦屋でざるそばと熱燗。



 翌朝は、タクシーで、尖石(とがりいし)縄文考古館に向かう。

クリックすると大きな写真になります 途中、運転手さんに「東山魁夷が描いた池を見に行かないか」と誘われた。湖畔に白い馬がたたずむ、あの絵「緑響く」だ。奥蓼科温泉方向へ左折して10分前後。御射鹿池は農業用のため池だが、カラマツ林のすぐそばに作られたためだろう。黄葉の林を水面に映しだしている(写真⑧-2)。タクシー代で3000円前後のぜいたくな寄り道。

 途中、南八ヶ岳の山々が見事に望める。山麓のオーレン小屋を起点に、横岳、赤岳、硫黄岳をよく歩いたものだ。硫黄岳のガレ場に群生していた高山植物の女王、コマクサの見事さを思い出す。同じ高山植物のセリバオーレンから名づけられたオーレン小屋は、今でも健在だという。もう、山頂に立つのが難しいだろうが、別棟の風呂小屋もまだあるのだろうか。

 横谷渓谷の下流にかかる橋を渡る。見事なカラマツの黄葉だ。なぜか、このあたりはカラマツが多い。八ヶ岳山麓あたりは唐檜(とうひ)の原生林?が多かったが。

 運転手さんによると、これらのカラマツ林は明治時代から戦後にかけて、このあたりに開拓に入った人々が植林したのだという。「成長は早いが、使い道が少ない。チップにしてしまうしか・・・」

 しかし、たまたま読んだ宮崎駿監督の「折り返し点」のなかに「カラマツは役に立つんです」と話す講演記録が載っている。「電信柱や炭鉱の坑木として、カラマツはお金になると言われて、いま八ヶ岳南麓を占める森になったのです。・・・長野オリンピックではカラマツの集成材を使ったスケートリンクが話題になりましたが、集成材にすれば巨大な建物も全部木造で造れます」

クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります 尖石(とがりいし)縄文考古館は、昨年夏にI君に連れていってもらったが、もう一度、あの国宝の土偶「縄文のヴィーナス」(写真⑨)を見たくなった。

 切れ長の目の顔に続く、デフォルメされたおなかや尻の見事さに、縄文文化の奥深さを思う。重要文化財の土偶「仮面の女神」(写真⑩)は、死の霊から守るために仮面をかぶっているという。その後に続く日本人の死生観の原点をみる思いがする。

 考古館周辺は、尖石遺跡や与助尾根遺跡の住居などが整備された史跡公園(写真⑪)になっている。

 広い緑の芝生や林の落ち葉を踏みしめて歩きながら、縄文文化の素朴な豊かさに思いをはせた。

2007年11月10日

シルクロード紀行⑤ 「氷河がつくった湖」

 急に秋の世界が拓けてきた。

 これまでの針葉樹林帯に広葉樹の木々が混じり始めた。それがすでに黄葉し始めている。紅葉樹の林もある。

 天山北路の西のはし、イリの空港から一挙に東に1時間強のアルタイ。この街から、バスで、ロシア国境に近いカナス湖を目指した。

 バスが、急峻な山道を登り、高度を上げているたびに、周辺の森が深みを増していく。イリ周辺の草原の山々まったく違う、密度の濃い樹林帯が続く。

 「高度は1700メートル近くありますね」。古い友人で、このツアーに誘ってもらったKさんが、腕時計についている高度計をのぞき込んだ。

 黄葉している林を、最初は信州の山でよく見るダケカンバかと思った。「白樺ですよ。幹がまっすぐ伸びているでしょう」。ツアー仲間で、植物に詳しいMさんが教えてくれた。日本とは比較にならない広大な白樺の樹林帯と、まだ落葉していないシベリアカラマツ(落葉松)やトウヒ、モミなどの針葉樹林帯との対比が際立っている。

 アルタイから約150キロ・メートル。カナス湖は、海抜約1300メートルのアルタイ山脈の奥深い森のなかにある。

 この湖は太古の昔は、氷河だった。その後の、温暖化で氷河が消え、そこにアルタイ山脈の雪解け水や雨水が流れこんで湖になった、という。

 氷河がつくった湖だから、全長24キロ・メートルと、三日月のように細長く続き、近くの山に登っても、なかなか全貌がつかめない。

 氷河が大きくえぐったからか、一番深いところは188メートルもあり、中国で最も深い淡水湖でもある。

 この深さのせいか、この湖には一つの伝説がある。長さ10メートルを越える怪魚が生息している、というのだ。

 旅に出かける前に「You Tube」の画面で見た映像では、確かに小船のようなUMA(未確認生物)らしきものが動いているのが映っていた。開高健の著書「オーパ、オーパ!!」にも、このカッシー(別名・ハナス湖からハッシー)のことが書かれているらしい。

 もう一つ、この湖には、有名な不思議がある。季節と時間で湖の色が変わるらしい。

 確かに、初日の夕方にみた「月亮湾」は、夕日を受けて黄色に見えたし、竜のような中州を抱えた「臥竜湾」は逆光のせいか深い緑に見えた。翌日、約30分かけて上った「観魚亭」から見たカナス湖は青白く輝いていた。

クリックすると大きな写真になります 湖の湖底には、氷河がつくった大量の小石が風化して堆積し、その粒上の石が、太陽の光を受けて、季節と時間で異なる色で反射する、という。

 観魚亭から見た湖の対岸に広がるアルタイ山脈の山並みが見事だった。大きく延びる裾野にカラマツの緑と白樺の黄葉が広がり、峻険な頂上を飾っている。

 ここカナス自然保護区は、中国で唯一の西シベリア系動植物分布地域。この風景が、遠くロシア・シベリアまで続いている、ということだろうか。

開高健の著書「オーパ、オーパ!!」

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