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2020年12月27日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (7)百済寺 11/26

ツアー2日目の最後は湖東三山の残るひとつ、百済寺だ。約45分ほどバスに揺られて、午後3時15分、 琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する湖東三山最古の寺院、百済寺に到着した。百済寺もまた天台宗の寺院である。
 wikipediaによれば、琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する。寺伝によれば、推古天皇14年(606年)、聖徳太子の建立という。聖徳太子は当時来朝していた高麗(高句麗)の僧・恵慈とともにこの地に至った時、山中に不思議な光を見た。その光の元を訪ねて行くと、それは霊木の杉であった。太子はその杉を、根が付いた立ち木のまま刻んで十一面観音像(植木観音)を作り、像を囲むように堂を建てた。これが百済寺の始まりであるといい、百済の龍雲寺にならって寺を建てたので百済寺と号したという。平安時代には、近江国の多くの寺院と同様、比叡山延暦寺の勢力下に入り、天台宗の寺院となって、「湖東の小叡山」や「天台別院」とも称されるようになった。
 三山の中で百済寺の参道は、入口にあたる山門(赤門)から本堂までの長さが最も長いという。しかし、バスの駐車場はその参道を半分以上上がったところにあり、表門が受付になっていた。そこから本堂への参道は石段になっているが、なだら坂という迂回する脇参道もある。往きは、石段の表参道を上がり、本堂からの戻りはなだら坂を下りてきた。
 そのなだら坂を下りて来ると、別名を「天下遠望の名園」と称される本坊庭園の上の「遠望台」 に出る。そこからは西に琵琶湖をかすめて、55km先の比叡山が眺められ、広大なパノラマ展望が開けるた。
 以下、写真の説明は、wikipedia、百済寺のホームページ、境内にある説明板を参照させていただいている。

百済寺境内案内図 百済寺ホームページより X600.jpg
百済寺境内案内図 百済寺ホームページより

午後4時過ぎに百済寺を出て、宿のある草津へ戻る。この日の夕食は各自自由にということだった。折角のチャンスと思い、ホテルの人に教えてもらい、薦められた草津駅西口近くの「安田良」で近江牛を味わうことにした。
 食後、草津駅近くの繁華街を歩いてみたが、すっかり新しくなっていて、私が育ったころの田舎は影も形もない。当たり前だ。もう70年以上も前のことである。

142.長寿桜
バスの駐車場から受付のある表門へ行く途中に長寿桜が咲いていた。西明寺では不断桜と呼ばれていたが、ここでは長寿桜だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 10mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126632_142 X800 百済寺 RX10M4.jpg
143.歩かなかった参道
表門から参道に入り左へ行くと、本堂である。ふと右側を見ると、赤門から続く参道があった。ここは人が通らい。誰もいない参道は落ち葉が敷き詰められていた。 その参道が通用門からの道にぶつかるところに柵があるが、そこで三脚を立てたカメラマンが立っていた。撮影のお邪魔にならないように引き下がる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
201126637_143 X800 百済寺 RX10M4.jpg
144.石段と落葉
仁王門へと参道を歩く。まだ3時半前だが日が傾くと暗くなる。参道の石段に落ち葉が落ちていた。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126639_144 X800 百済寺 RX10M4.jpg
145.仁王門と参道
仁王門が見えてきた。 長い参道の本堂近くに立つ仁王門は、江戸時代初期、慶安3年(1650年)に本堂、赤門、とともに再建されたという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/125秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126644_145 X800 百済寺 RX10M4.jpg
146.仁王門
三間二間で一対の金剛力士像が向きあっている。金剛と力士の仁王像は寺を守る守護神で、金剛は阿形(開口)、力士は吽形(閉口)で勇猛、剛健、とくに健脚の両足に草鞋を履く「印度発祥の東洋的な神様」だそうだ。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/80秒 87mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126640_146 X800 百済寺 RX10M4.jpg
147.仁王門の草履
  仁王門の両側に百済寺のシンボル「大草鞋」が掛けられている。一昨年8年ぶりに掛け替えられたそうだ。 大草鞋は仁王が履くものとされ、触れると身体健康・無病息災の御利益があると伝えられている。草鞋が大きいほど御利益も大きいとされて、どんどん大型になっていき、今回は全長約2.5mのものが作られた。地元の方々が、約10年毎に新調するそうだ。(2018年大草鞋新調)

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/160秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126646_147 X800 百済寺 RX10M4.jpg
148.弁財天
慶安3年(1650年)に本堂とともに建立された弁天堂は、昭和の豪雪で倒壊し、平成8年に新築した御堂が平成24年の春の風害で再び倒壊し、現在は平成25年に再建された、七転び八起きの弁財天が祀られている。弁財天は、もともとインドの水を司る「河川の神」で、怒ると大洪水を、治まると台地に肥沃な恵みをもたらす「女神」として崇められ、仏教に取り入れられてからは七福神の一人として、貧困を救い財産を与える「弁財天」となったと説明されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/160秒 26mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126649_148 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
149.本堂 重要文化財
本堂は室町時代の明応7年(1498年)の火災、文亀3年(1503年)に兵火をうけ、さらに織田信長によって天正元年(1573年)全山焼失した。その後天正12年に堀秀政により仮本堂が建立。のち天海僧正の高弟亮算が入寺し、堂舎再興の勅許を得て諸国に勧進し、江戸時代の慶安3年(1650)現在の本堂が竣工したという。本堂は、入母屋造、檜皮(ひわだ)葺き。中世以来の密教仏堂の形式を残しつつ細部には近世的特質の現われた建築で、2004年(平成16年)に重要文化財に指定されている。元来の本堂は現在地の裏手にあり、規模も大きかった。また、旧本堂の右方(南)には五重塔が建っていた。本尊は木造十一面観音像である。全高3.2m。寺伝によると聖徳太子が百済博士の慧慈(高句麗僧)の案内でこの山中に分け入り、杉の大木の上半分が、百済国・龍雲寺の御本尊十一面観音のために百済まで運び出された事を知り、下半分の根の付いたままの巨木に十一面観音を刻んだことから、別名「植木観音さま」という名で崇められている。秘仏であり普段は拝観できない。一生に一度拝観出来るか出来ないかだが。2006年には、天台宗開宗1200年記念で湖東三山一斉に御開帳された。また、特例として2014年には湖東三山IC開設記念の御開帳も行われた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1200秒 212mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126655_149 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
150.鐘楼
現在の梵鐘は3代目で1955年(昭和30年)の鋳造だそうだ。初代は信長焼討ちの際に持ち帰られ、2代目(江戸時代に鋳造)は先の大戦で供出している。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
201126659_150 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
151.鐘楼ともみじ -1
金剛輪寺、西明寺に比べると百済寺のもみじは鮮やかさがなかった。少し時期が遅かったし、夕方近くになって、光量も乏しい。ここの梵鐘も参拝者が自由に打つことが出来る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/400秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126666_151 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
152.鐘楼ともみじ -2
鐘楼の間から、鐘ともみじを狙ってみたが、良い色が出せなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO3200 ) 露出補正 -1.0段
201126674_152 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
153.なだら坂
本堂、鐘楼から右回りになだら坂を下りる。とても歩き易い道だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO2500 ) 露出補正 -1.0段
201126679_153 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
154.ミツマタの群落
なだら坂の途中にミツマタの群落あった。漢字で「三椏」と書く。説明板には中国原産のジンチョウゲ科の植物で、日本の高額紙幣の原料と記されていた。3月上旬から開花をはじめ、4月下旬にかけて芳香を放ちながら萌黄色から橙色へと色合いを深めていく。観音様にお参りして三椏の花びらに優しく触れて匂いを嗅ぐと大きな「金運」と「ご利益」恵まれると伝えられているそうだ。春には舞岡公園でもさいているが、こんな群落は始めて見た。俯いて花のように見えるのは蕾だろうか?

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO2800 ) 露出補正 -1.0段
201126680_154 X800 〇百済寺 ミツマタ群落 RX10M4.jpg
155.弥勒半跏思惟石像
像高27cmの百済寺寺宝の金銅製弥勒半跏思惟像(こんどうみろくはんかしいぞう)は、 百済寺の起源に係わる仏像としてその制作年代については諸説があったが、飛鳥・白鳳時代作が最有力だそうだ。全身に火災を受けて痛々しい姿ながら、歴史を見つめてきた 秘仏であり、末永く安置、保存されることとなった。普段は見ることが出来ない。この 座高1.75m、全高3.3mの石像は平素の参拝のために拡大したもので、2000年のミレニアムを記念して、平成12年9月に建立された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126683_155 X800 百済寺 RX10M4.jpg
156.庭園遠望台
不動堂、本坊・喜見院の上に下りてきた。まだ緑色の葉が残る木々の向こうに、琵琶湖方面の眺めが開ける所だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO1000 ) 露出補正 -0.7段
201126686m_156 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
157.カエデの落ち葉
本坊外縁の辺りは人が踏み入らない敷地があり、カエデの落ち葉が敷かれていた。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
201126687_157 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
158.天下遠望
遠望台からは、喜見院の屋根越しに、湖東平野と琵琶湖をかすめて西の遠方50kmほど先に富士山のようにそびえる比叡山(標高848.3m)が眺められた。さらにその延長880km先には百済国がり、渡来人が望郷の念を抱いて眺め、母国を偲んだという。そのスケールの大きさから喜見院の庭園は「天下遠望の名園」と称されている。赤く染まる空を期待したが、まだ時間的に早かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO1000 ) 露出補正 -0.7段
201126691_158 X800 百済寺 RX10M4.jpg
159.本坊庭園
喜見院は今とは別の場所にあったが、元文元年(1736年)に焼失、翌元文2年(1737年)に仁王門下の左方に移転し、1940年(昭和15年)に現在地に移転して本坊となっている。この庭は東の山を借景に山腹を利用し、大きな池と変化に富む巨岩を配した豪華な池泉廻遊式ならびに観賞式の庭園で 現代鈍穴流  の作法で作庭されている。とくに聖徳太子の願文に「一宿を経るの輩は必ず一浄土に生る」とあるというが、これにちなんでこの庭も東の山には弥陀観音勢至の三尊をはじめ各菩薩に見たてて石が配されている。 これらの巨石は旧本坊庭園とさらに百済寺山内の谷川から集められたものを組み合せて作庭された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
201126695_159 X800 百済寺 RX10M4.jpg
160.百済寺の長寿桜
バスが待っている広場にも長寿桜が咲いていた。花びらを良く見てみると、西明寺のフダンザクラとは異なる品種のようだ。フユザクラとの書き込みもあったが、定かでない。フユザクラ(コバザクラとも呼ばれる)は本州を原産とするバラ科の落葉高木。来歴には諸説あるが、一般的にはヤマザクラとマメザクラが自然に交配してできたものとされ、伊豆半島と房総半島には自生も見られる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
2011266702_160 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
161.草津駅西口  エイスクエア(大型ショッピングモール)
草津のホテルには夕方5時半前に戻ってきた。先に記したように、今夜は近江牛を食べようと、ホテルのフロントで聞いて、草津駅の近くの「安田良本店」という店に行くことにした。タクシーに5分ほど乗ることになった。JR草津駅の繁華街は東口であったが、「安田良本店」は西口のビルの中にあった。JR草津駅西口は、1968年(昭和43年)3月に完成し、3400㎡の駅前広場と幅員22m、延長65mの取り付け道路が新設され、琵琶湖方面へのバスターミナルが併設されていた。 1996年3月26日に約3,000台の駐車場を有する大型ショッピングモールが開業し、ホテルなどが林立、大発展をしている。70数年前の草津からは全く想像もできない。近江牛は流石に美味かった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/200秒 28mm ISO3200 ) 露出補正 +0.3段
201126910_161  X800 2日目 草津駅周辺 G7X.jpg
162.草津駅東口へ
西口から駅構内に入り、東口へ行く。駅構内には、親からも草津の名物として聞いていた 「うばがもち」  の店があったので、買ってみた。伊勢の「赤福」のような食感だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 23mm ISO800 ) 露出補正 +0.3段  
201126921_162 X800 2日目 草津駅周辺 G7X.jpg
163.草津駅東口
東口へ出てみた。夜8時ごろであるが、人通りは少ない。ペットボトルに何かを入れ、逆さに吊るして組んだツリーが面白い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 23mm ISO800 ) 露出補正 +0.3段
201126924_163 X800 〇2日目 草津駅周辺 G7X.jpg
164.草津の街
この辺が繁華街なのかなと歩いてみたが、人通りは少なかった。ホテルに帰るタクシーの運転手さんに聞いてみたが、やはり、コロナのため、人出がめっきり少なくなっているという。発展した草津を感じることは出来た。最近では、大津市とほぼ同じ規模となった草津市について、wikipediaには、「織田  信長は、室町将軍足利義昭から提示された管領または副将軍の職を辞退し、代わりに堺・大津・草津の支配権の承認を求めた。当時の草津は東海道・中山道および湖上交通を結ぶ交通の要衝として、世界的な貿易港の役割を持ち鉄砲の名産地として知られる堺や、京都の外港あるいは衛星都市としての役割を持つ大津と並び重視されていた。江戸時代には東海道と中山道の両者にまたがる宿場町(草津宿)として発展した。」との記述があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 23mm ISO800 ) 露出補正 +0.3段
201126927_164 X800 2日目 草津駅周辺 G7X.jpg


2020年12月15日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (4)金剛輪寺 11/26

2日目、この日は湖東三山と彦根を観光する。湖東三山は一昨年の11月にも行っているが、また、違う印象があるものと期待する。彦根城は初めてなので、楽しみにしている。
 天気もよさそうだ。朝は8時に草津のホテルを出発する。名神高速に上がるまでは朝の渋滞である。滋賀県草津市は人口14万3千人で県庁所在地の大津市に次ぐ県下第2位の人口を有する都市だ。私が描いていた懐かしい草津とは違っていた。1963年-1965年に名神高速道路が開通し、地の利の良さから大企業が多く進出し、有名となった栗東町は市に昇格し隣接する草津市も、ここ20年の間に大きく変わったようだ。私が育ったところはこの名神高速道路を少し瀬田の方へ行った追分というところだった。
 子供の頃に眺めた記憶がある三上山(近江富士)432mを正面に眺めながら、名神高速道路を走り、湖東三山スマートICで下りる。最初に行くのは湖東三山の真ん中にある金剛輪寺だ。「血染めの紅葉」とたとえられる本堂、三重塔を彩るカエデの紅葉の具合はどうだろうか。期待が募る。
 金剛輪寺 は琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西側山腹にある天台宗の寺である。寺伝によれば聖武天皇の勅願で奈良時代の僧・行基の開創とされ、創建は天平9年(737年)または天平13年(741年)と伝えられている。本尊の聖観世音菩薩は行基菩薩の作であり、ホームページによれば行基菩薩が一刀三礼で観音さまを彫り進められたところ、木肌から一筋の血が流れ落ちたため、その時点で魂が宿ったとして、粗彫りのまま本尊としてお祀りされた。後の世に「生身の観音」と呼ばれるようになり、全国の観音信徒より篤い信仰を集めていると記されている。

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金剛輪寺境内図 金剛輪寺パンフレットより

53.金剛輪寺 参道
受付がある黒門から本堂へ参拝するには、長い上り坂を登って行かねばならない。参拝者は高齢者が多いので、バスは参道の最後、二天門の石段の下まで登ってくれる。そこから下の参道の方を眺めたのがこの写真。参道の両側にはお地蔵さんが赤い風車とともに並ぶ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/200秒 23mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126230_053 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
54.本堂とモミジ
石段を二天門まで登ると、本堂を背景に少し枯れ始めた葉と、まだ緑が残る葉が混在するカエデが現れた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
201126233_054 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
55.本堂
本堂は元寇の役(蒙古襲来)の戦勝記念として、時の近江守護職・佐々木頼綱によって建立された鎌倉時代の代表的な和様建造物として国宝に指定されている。堂内には本尊をはじめ、阿弥陀如来坐像、十一面観音立像など平安から鎌倉時代の仏像が安置され、その多くが国の重要文化財に指定されている。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
201126235_055 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
56.鐘楼
金剛輪寺の鐘は、参拝者が自由についていいのだそうだ。時々参拝者がつく鐘の音が聞こえてくる。 金剛輪寺の梵鐘は乾元2年(1303年)4月15日大工河内助安の刻銘がある県指定文化財になっていて、本物は総門(黒門)の脇にある愛荘町立歴史文化博物館に所蔵されているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/320秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126238_056 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
57.二天門 -1
前後するが、階段を昇り詰めると二天門だったが、門の両脇には大きなわらじが掛けられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126239_057 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
58.本堂周囲の紅葉 -1
金剛輪寺の紅葉は「血染めの紅葉」と言われ、真っ赤に色づく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
201126242m_058 X800 〇金剛輪寺 RX10M4.jpg
59.本堂周囲の紅葉 -2 「血染めの紅葉」
「血染めの紅葉」と言われるカエデの紅葉。まだ、緑いろの葉が残る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 168mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
201126243_059 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
60.本堂周囲の紅葉 -3
建物はどうやらトイレだったらしい。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 -0.7段
201126247_060 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
61.三重塔 -1
重要文化財の三重塔で別名「待龍塔」と呼ばれる。本堂に向かって左(北)の一段高い場所に建つ。wikipediaによれば、寺伝では鎌倉時代の寛元4年(1246年)の建立というが、様式的には南北朝時代の建築とみられるそうだ。織田信長の焼き討ちはまぬがれたものの、近世以降は荒廃し、塔の初層と二重目の軸部(柱、梁などの根幹材)と組物がかろうじて残るだけで、三重目はなくなっていた。現状の塔は1975年(昭和50年)から1978年(昭和53年)にかけて修理復元されたもので、欠失箇所は同じ滋賀県内の西明寺三重塔などを参考に復元したものであるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO1000 ) 露出補正 -0.7段
201126250_061 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
62.三重塔 -2
金剛峰寺の紅葉が紹介されるとき、この三重塔と紅葉の写真が載せられている。すでに葉が落ちて始めている木もあり、光も十分でなく、鮮やかに撮れなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 31mm ISO1000 ) 露出補正 -0.7段
201126254_62 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
63.本堂周囲の紅葉 -4 「血染めの紅葉」
ここも「血染めの紅葉」もあれば、すでに枯れ始めている葉、まだみそり色の葉が混在する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 76mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
201126260_063 X800 〇金剛輪寺 RX10M4.jpg
64.本堂周囲の紅葉 -5
歩き回っていたので、どこで撮ったかわからなくなってしまった。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/100秒 45mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126270m_064 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
65.三重塔 -3
二重目、三重目が見える裏側へ回り込んで撮った。三重塔の説明板には、昭和47年に重要文化財に指定され、その後の解体修理で建立時には計画されたが未完成であった初重の縁、二、三重の柱間装置なども整備され、昭和53年に完全な三重塔が建立したとある。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 -1.0段
201126273_065 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
66.三重塔 -4
何とか色鮮やかなカエデと三重塔を映し込んだ。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 35mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
201126282m_066 X800 〇金剛輪寺 RX10M4.jpg
67.二天門 -2
そろそろ下ることにする。二天門を潜る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
201126286_067 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
68.千体地蔵 -1
二天門を後にして石段を下りると参道の両側にお地蔵さんが並ぶ。参道や境内などに鎮座したお地蔵様の数は、実際には2000体を超えると言われ、迫力を感じる。それぞれのお地蔵様には、家の名前が書かれていて、地域の人によって大切に守られているそうだ。 参道にズラリと並ぶ 高さ50cmほどの小さなお地蔵様はみな小奇麗に保護されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126291_068 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
69.二天門 -3
二天門を振り返る。wikipediaによれば、二天門は様式上、室町時代前期の建築。寺伝では、元来は楼門(2階建て門)だったが、2階部分が失われたものという。組物の形式などからみて、伝承どおり楼門の上層部分が失われたものか、または楼門として建立する予定だったものが未完成に終わったものとみられる。屋根は入母屋造、檜皮葺とするが、屋根材は江戸時代のもので、当初からこの形式であったかどうかは不明であるという。向かって右に増長天、左に持国天が祀られている。重要文化財に指定されている。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 36mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126298_069 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
70.二天門とお地蔵さん
二天門へ上がる石段のすぐ下までお地蔵さんが祀られていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/160秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126301_070 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
71.千体地蔵 -2
風が吹くと、一体一体に供えられた赤い風車がいっせいに回りだし、静かな境内がカタカタという音に包まれるという。 なぜ、赤い風車なのかと興味を持ち調べてみたがわからなかった。午前9時半だが、鬱蒼として暗い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/160秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126304_071 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
72.本坊 明寿院
帰りのバスは総門(黒門)の外の駐車場で待ってくれているので、お地蔵さんが並ぶ参道を下まで下りるのだ。途中右側に本坊である明寿院と木札が下がった門があった。白門という。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126314_072 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
73.池泉回遊式庭園 入口
白門を入ると右側に名勝庭園(池泉回遊式庭園)の門があった。  門の中には桃山時代、江戸初期、江戸末期と時代の異なる3つの庭園がある。金剛輪寺のホームページには、「作者不詳でありますが、老杉蒼松の自然を背景とし、灯籠泉石樹木の配置等、素晴らしく、晩秋の深紅に染まる色鮮やかな紅葉は血染めの紅葉と広く知られております。観音様のやさしいお心が満ち、湖東三山一の名園古庭であり、国の名勝にも指定されております。」と紹介されている。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126318_073 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
74.門の屋根
その庭園入口の屋根瓦には、青い苔が生え、カエデの枯葉が落ちて、風情を感じる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126319_074 X800 〇金剛輪寺 RX10M4.jpg
75.桃山時代の庭 護摩堂
桃山時代に造られた庭に護摩堂があった。滋賀・びわ湖観光情報によれば、桃山時代の庭は「石楠花の庭」と呼ばれ、庭の中央に架けられた優雅な石橋のそばに、鎌倉時代に作られたという苔むした多くの石が配され、品格のある雰囲気であるという。春になると、庭のそばにある護摩堂のカキツバタやシャクナゲが鮮やかに咲き、華やかになるようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201126325_075 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
76.江戸中期の庭
同じく、滋賀・びわ湖観光情報によれば、江戸中期の庭は、滝から池に水が流れ、池の中に七福神の宝船を表わす岩で出来た舟が配されていいる。また、桃山時代の庭の宝篋印塔を見下ろすように立つ水雲閣は、湖東随一の茶室で、天井に桜、なでしこ、菊など四季おりおりの花が描かれている。またこの茶室からの庭の眺めは美しく、一見の価値があるそうだ。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
201126332_076 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
77.明寿院(本坊)の座敷
明寿院(本坊)は、江戸時代の創建といわれ寺宝を多く保存し、かつて学頭所として使われていた。この本坊の南・東・北の三方を囲むように庭園があり、心の字池が3庭を結んでいる。本坊に沿って庭園を周ってみた。座敷の戸は開け放たれていて、南側から座敷を通して、北側の庭園が眺められた。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO800 ) 露出補正 -2.0段
201126340_077 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
78.紅葉
名勝庭園鑑賞を終え、参道に戻る。この辺りにも美しい紅葉があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段
201126344_078 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
79.赤門
名勝庭園(白門 写真右側)から、下りて来ると赤門があった。柵が置かれていて、入ることは出来ない。左へ曲がる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
201126345_079 X800 金剛輪寺 赤門 RX10M4.jpg
80.受付
受付を通り過ぎて、下りてきた参道を振り返る。右手は華楽坊という食事処、左手に愛荘町立歴史文化博物館がある。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
201126346_080 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
81.総門(黒門)
金剛輪寺は国道307号線から少し東へ入ったところにある。聖観音と書かれた大きな提灯がさがっている総門(黒門)が参拝者の入り口だ。総門を出て境内を振り返った。バスの駐車場は総門を出て左側だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
201126349_081 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg


2020年12月 3日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (1)メタセコイヤ並木 11/25

10月の中頃だったか某旅行会社からのダイレクトメールで『明智光秀ゆかりの「西教寺」と通常非公開「教林坊」ライトアップ 琵琶湖ぐるっと紅葉10景3日間』というツアーが紹介されていた。昨年の2月には、仏事で京都へ行った帰りに石山寺、日吉大社を訪れていた。また、一昨年11月にも、高野山からの帰りに、京都駅から出発する日帰り観光バスで金剛輪寺、西明寺、百済寺の湖東三山を巡っている。 私たち一家は、1945年にかっての満州は奉天(現・瀋陽)から、父親の郷里である滋賀県に引き揚げてきた。私は小学校へ入る前の2~3年の間、そこで育った。私の本籍地は結婚するまでは滋賀県だったのだ。父親に連れられて琵琶湖に注ぐ小川へ行き、今は少なくなってしまったというモロコ釣りをした思い出もある。 というわけで、滋賀県には愛着がある。10月中頃にこのツアーに参加を申し込んでいたが、その後、新型コロナウィルス感染の第三波で感染者がじわじわと増えてきてしまったのが気がかりになったが、思い切って行くことに決めた。

今回のツアーのおおよそのコースは、第1日目に高島市マキノ町の県道小荒路牧野沢線のメタセコイア並木を見て、白髭神社を車窓から眺め、南へ下がってきて琵琶湖大橋を渡り、近江商人の街、近江八幡を散策した。近江八幡の近くで早めの夕食を済ませ、秋の夜間特別公開としてライトアップされた教林坊を訪れる。宿泊は2晩とも草津のホテル。2日目は、草津から名神高速を北へ走り八日市で下り、まず、湖東三山の金剛輪寺と西明寺の紅葉を観賞する。その後、彦根城を訪れ、昼食時間を含め、自由に3時間ほど過ごす。彦根城の駐車場に集合し、残りの湖東三山のひとつである百済寺を訪れ、早めに草津に戻ってきた。夕食は各自自由にする。最終日は比叡山延暦寺へバスで上がり、坂本ケーブルで坂本に下り、明智光秀の菩提寺である西教寺に行く。最後は大津に近い湖岸に建つ旧琵琶湖ホテルの建物のびわこ大津館で琵琶湖を眺めながらの昼食となった。帰路は大津から名神高速に上がり、岐阜羽島から新幹線に乗車した。 

さて、第1日目。新横浜から乗車した新幹線の車内はほぼ満席だった。乗客はみなさんマスクをして、時々女性の笑い声が気になったが、静かに過ごしている。 米原駅で下車、駅前に近江交通の観光バスが待っていた。参加者は、1人旅行から3人グループまで全部で17人だった。片側にひとりずつ座る。乗車するときにベテランガイドさんが、乗車口でアルコール消毒液のスプレーを持って迎えてくれ、差し出した手のひらに吹きかけてくれた。 バスはまず北陸自動車道を北へ向かう。ガイドさんは小谷城や長浜の町の説明をしてくれる。木之本で下りて国道303号線へ。賤ケ岳、余呉湖の説明を聴きながら、敦賀へ向かう道と別れて、琵琶湖の西側へ向かう。最初に下車したところは、韓国ドラマの「冬のソナタ」のオープニングシーンや各場面に登場した並木道に良く似ていると話題になった、高島市マキノ町のマキノピックランドのメタセコイア並木だった。

1.マキノ高原のメタセコイヤ並木 -1
場所は琵琶湖の北側で、西側へ回り込んだあたりの三国山、赤坂山など標高800m~900mの山が連なる福井県との県境である野坂山地の麓にある。高島市マキノ町の蛭口~牧野の農業公園マキノピックランドを縦貫する県道小荒路牧野沢線に延長約2.4kmにわたりメタセコイアが約500本植えられている。高島市は、滋賀県の西部、琵琶湖の北西に位置する市。市の面積は県内最大であるが、人口密度は67人/㎢と県内でも少ない方だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO320 ) 露出補正 なし
201125002_001 X800 〇メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
2.マキノ高原のメタセコイヤ並木 -2
バスは県道小荒路牧野沢線の美しく紅葉したメタセコイア並木の下を潜るように走り、並木が終わるところにある駐車場に入った。若い人たちが大勢訪れていた。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO2000 ) 露出補正 なし
201125004_002 X800 メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
3.マキノ高原のメタセコイア並木 -3
車の往来は結構多いが、車と車の合間を見計らって車道に出て、見事に紅葉したメタセコイア並木の写真を撮っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO2000 ) 露出補正 なし
201125006_003 X800 メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
4.マキノ高原のメタセコイア並木 -4
おおよそ2.4kmにわたりメタセコイア約500本が植えられているというが、先は見えないほど続いている。1981年(昭和56年)に当初、約2mの苗木が植えられたが現在では樹高25m程度にまで成長している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO1250 ) 露出補正 なし
201125010_004 X800 メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
5.マキノ高原のメタセコイア並木 -5
車も多い。京都ナンバーと地元の滋賀ナンバーが多いようだ。「冬のソナタ」のオープニングシーンや各場面に登場した並木道に良く似ているというが、「冬のソナタ」のロケ地「南怡島(ナミソム)」のことは知らないものの、それを凌ぐではないかと思うほど立派である。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 51mm ISO1600 ) 露出補正 なし
201125018_005 X800 メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
6.マキノ高原のメタセコイア並木 -6
同じような写真で恐縮である。当初、メタセコイアではなく桜並木にという意見もあったらしいが、桜百選に選定されている海津大崎の桜並木がすぐ近くにあること、果樹園を運営していることから防風林が必要であったこと、また整備当時近隣よりメタセコイアの化石が発見されていたことも理由となり、メタセコイアが選ばれたという。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1600 ) 露出補正 なし
201125025_006 X800 メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
7.メタセコイアとは
wikipediaによれば、メタセコイアは、ヒノキ科メタセコイア属の落葉樹。1属1種。和名はアケボノスギ、イチイヒノキ。和名のアケボノスギは、英名 dawn redwoodを訳したものだそうだ。 樹高は生長すると高さ25-30m、直径1.5mになる。 葉はモミやネズに似て線のように細長く、長さは-3cm程度、幅は1-2mm程度で、羽状に対生。秋に赤茶色に紅葉した後、落葉すると記されていた。また、同じくwikipediaによれば、メタセコイアは、当初は日本を含む北半球で化石として発見されるのみで、絶滅した植物と考えられていたが、1946年に中国四川省(現在の湖北省利川市)で現存していることが確認されたという。1948年にアメリカのチェイニー(Ralph W. Chaney)が、湖北省から苗を持ち帰り育成。その一部が1950年に" target="_blank">三木茂博士  が結成したメタセコイア保存会に送られ、保存会により日本国内の研究機関や自治体に配布されたといわれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 187mm ISO1600 ) 露出補正 なし
201125031_007 X800 メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
8.メタセコイアの幹
成長すると幹は直径1.5mほどになるというが、まだそれほどではないにしても太い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO2000 ) 露出補正 なし
201125035_008 X800 メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
9.マキノ高原のメタセコイア並木 -7
この並木は、1994年11月、読売新聞社の「新・日本の街路樹百景」に選定されて以降は、観光地として注目を集めている。2010年9月には「日本紅葉の名所100選」(主婦の友社選)にも選ばれている。昨年夏に行った北海道の十勝牧場の入口のTVドラマのロケに使われたこともあるという白樺並木を思い出した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO1250 ) 露出補正 なし
201125050_009 X800 メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
10.ピザ屋
ピザを売る屋台の車に若い人たちが列を作っているのを横目で見ながら駐車場のバスに向かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO500 ) 露出補正 なし
201125064_010 X800 〇メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
11.白髭神社
メタセコイア並木を出発したバスは琵琶湖の西側をJR湖西線に添うように南下する。小1時間ほど走って、ガイドさんが左側車窓に湖水に鳥居が立つ白髭神社の説明を始めた。右側には境内と社殿が見えた。降りて見たかったと思った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO100 ) 露出補正 なし
201125066_011 X800 白髭神社 RX10M4.jpg
12.沖島
比良山地を右に見て、堅田から琵琶湖大橋を渡り琵琶湖の東側に入る。まもなく近江八幡というところで左側に島が見えた。ガイドさんは沖島と説明してくれた。wikipediaによれば、沖合約1.5 kmに浮かぶ小島。琵琶湖最大の島だそうだ。約250人が居住する有人島で、島の南西部に集落が形成されており、市立小学校や郵便局なども設置されている。また、ネコが多く生息しているというのをTV番組で見たことがある。電気・通信は、近江八幡市本土と沖島の間に湖底ケーブルがあるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 56mm ISO160 ) 露出補正 なし
201125074m_012 X800 竹生島 RX10M4.jpg


2018年12月14日

百済寺 11月8日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(6)

午前11時40分、次の目的地である百済寺に着いた。永源寺から北へ、それほど遠くはなかった。琵琶湖の東に「湖東三山」と呼ばれる天台宗の3つの寺院がある。先に訪れた永源寺は湖東三山に含まれないが、この百済寺と昼食後に行く、西明寺、金剛輪寺と併せて湖東三山と呼ばれている。
 この釈迦山百済寺はそのホーム・ページによれば、飛鳥時代、推古14年(606)に聖徳太子の勅願によって開かれた近江最古の仏教寺院である。創建当時は、日本に仏教を伝来した渡来僧や先進的な文化、技術を伝えた渡来系氏族の氏寺として発達した。平安時代になり、比叡山延暦寺が開創されると、やがて当寺院も天台宗となり、その規模は拡大され「湖東の小叡山」、「天台別院」と称されるほど壮大な寺院になった。
 平安末期から鎌倉、室町時代には、度重なる火災や戦乱による厄災によって、建物の多くを焼失したが、なお勢力を保ち続け再興を果たす。室町時代から安土桃山時代にかわる元亀4年(1573年)には、織田信長の焼き討ちによって全山灰燼に帰してしまったが、本尊「十一面観世音菩薩」(別名:植木観音菩薩、全高3.2m)は背後の山を越えた8㎞先の奥の院に避難することができ焼失を免れている。天正12年(1584年)には仮本堂が建てられたものの、長らく再建には至らなかったという。江戸時代になり、寛永14年(1637年)には明正天皇による再建を勅許する論旨を得て、僧侶たちは諸国に勧進し、幕府の老中や大奥、東叡山寛永寺、彦根藩主などから寄進、喜捨を受け、慶安3年(1650年)に本堂、仁王門、山門(赤門)等が完成し、いまもその姿をとどめている。
 表参道の石段は国道307号沿いにある赤門から始まるが、バスはその中ほどにある駐車場まで上がってくれた。しかし、ここからもなお石段は続く。ガイドさんは、選択肢を与えてくれた。ひとつは本堂まで、まっすぐに石段を登り、戻りはなだらかな迂回路を通って駐車場まで戻る方法。他ひとつはその逆で、登りは緩やかな坂の迂回路を行き、下りは石段を下りてくる。私たちは前者を選択した。
 写真の説明においても百済寺のホームページを引用、参考にさせていただいた。

116.長寿桜
バスの駐車場の傍らに長寿桜という桜の木があり、ちらほらと花が咲いている。長いときは10月の上旬から2月の初めまで咲いているところから長寿桜と呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
181106_116.jpg
117.参道の石段
表門を入って、ガイドさんは受付を済ませ、私たちはその後について本堂までの石段の参道を登り始める。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
181106_117.jpg
118.仁王門への道
やがて、大きな門が見えてきた。仁王門だ。この辺りは映画の撮影でもよく使用されるらしい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
181106_118.jpg
119.仁王門 -1
本堂近くに立つ仁王門は、本堂と同じ年代に建立された。仁王門では、3間2間で一対の金剛力士像が内側に向かい合って立っている。この仁王は寺を守る守護神で、金剛像は「阿形(開口)」、力士像は「吽形(閉口)」で勇猛、剛健、ともに健脚の両足に草鞋を履く「印度発祥の東洋的な神様」だという。日中に仕事を終え、夜間は草鞋を仁王門脇に脱いで立ちながら休むのだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
181106_119.jpg
120.本堂に向かって右側の草鞋
正面につり下げられた一対の大草鞋は、昔は仁王像の大きさに応じて50cm程度だったが、江戸時代中頃から仁王門を通過する参拝客が健脚、長寿の願を掛けるようになり、触れると、身体健康・無病長寿のご利益があると言い伝えられ、草鞋が大きいほどにご利益も大きいと、どんどん大型になっていき、今では3mほどになったそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
181106_120.jpg
121.本堂に向かって左側の草鞋
地元の方々が、約10年毎に新調しているそうだが今年はこれからのようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
181106_121.jpg
122.阿形(開口)の仁王像
前に記したように百済寺のHPでは、阿形のほうは金剛、吽形は力士とされているが、金剛力士像として、一つで言われることが多いように思う。ただ、一方を金剛、他方を力士とする説、両方とも金剛力士と呼ぶ説など諸説があるが、どの説も優勢となるには至っていないそうだ。(世界大百科事典での金剛力士の言及)

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
181106_122.jpg
123.吽形(閉口)の仁王像
こちらの吽形は力士とされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/200秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
181106_123.jpg
124.仁王門 -2
仁王門をくぐって登ってきた参道を振り返る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 24mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
181106_124.jpg
125.本堂 国重要文化財・唐破風付入母屋造
仁王門の先に、すぐ本堂があった。HPによれば、百済寺の本堂は、これから行く西明寺、金剛輪寺の本堂よりもひとまわり小さいそうだが、天台形式の構造をもった均整のとれた建造物で、平成16年12月に文化庁より重要文化財の指定を受けている。本堂は室町時代の明応7年(1498年)に火災にあい、文亀3年(1503年)に兵火をうけ、さらに織田信長による焼き討ちで天正元年(1573)全山焼失してしまった。現本堂の背後に、広い旧本堂跡地がある。そこには現本堂の4倍ほどの大きな本堂があったのだが、そこは信長の焼き打ちで焼失してしまったのだ。その後天正12年に堀秀政により仮本堂が建立。のち天海僧正の高弟亮算が入寺し、堂舎再興の勅許を得て諸国に勧進し、江戸時代の慶安3年(1650)現在の本堂が竣工した。かつては現在より少し山手の広大な台地に、金堂と五重の塔があったそうだ。現在の本堂は、一重、五間六間、入母屋造で正面中央に軒唐破風が付せられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
181106_125.jpg
126.本堂と三所権現社
本堂の右側に見える小さなお社は三所権現社といい、本堂と同時期の建立で熊野三社の主祭神が祀られている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
181106_126.jpg
127.本堂へ上がる
本堂内部(外陣)へ上がって、お参りをする。百済寺本堂は、中世以来の伝統的な仏堂形式に則って、内陣と外陣の対比的な空間秩序を保持しながら、平面的にも造形的にも近世らしい平明な構成を創りあげており、価値が高と言われている。

  SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
181106_127.jpg
128.本堂外陣 -1
内陣と区切られれている格子戸の前には閻魔大王がおられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/100秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
181106_128.jpg
129.本堂内陣 -1
失礼して格子戸の格子の間から、内陣須弥壇を見させていただいた。見えている金色の仏さまは前立ち像で、その向こうに黒い扉がある。本尊の十一面観世音菩薩はその後ろの厨子に祀られている。百済寺本尊は全高3.2m(像高260cm)。寺伝によると聖徳太子が百済博士の慧慈(高句麗僧)の案内でこの山中に分け入って来られ、杉の大木の上半分が、百済国・龍雲寺の本尊十一面観音用に百済まで運び出された事を知り、下半分の根のついたままの巨木に十一面観音を刻んだことから、別名「植木観音」という名で崇められている。秘仏のため、普段は見ることが出来ない。実物を拝むことができるのはおよそ半世紀に一度という。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/160秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
181106_129.jpg
130.百済寺の賓頭盧像
百済寺にもお賓頭盧さまが座っておられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/50秒 26mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
181106_130.jpg
131.外陣天井と長押の奉納額
128.の写真と同じところの天井を撮っている。千社札が多く貼られてしまっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/125秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
181106_131.jpg
132.聖徳太子孝養像
百済寺は推古天皇の時代に聖徳太子の勅願による創建だが、信長の焼き討ちで焼失後、ようやく慶安3年(1650年)に、将軍家光により、百済寺再建が許可され、本堂、山門、仁王門などが復興された。落慶記念奉納品として、将軍から極彩色の「聖徳太子孝養像」が寄贈された。この太子像は家光の乳母春日局(1643年没)が生前に江戸城大奥で大切に拝んでいた像であると言われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/80秒 26mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
181106_132.jpg
133.本堂裏手
本堂からは、先に記した通りなだら坂と呼ばれる迂回路を下る。そのなだら坂のほうへ回ると本堂の裏手にでた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
181106_133.jpg
134.鐘楼と本堂
鐘楼があった。現在の梵鐘は3代目で昭和30年(1955年)の鋳造だそうだ。初代は信長焼討ちの際に持ち帰られ、江戸時代に鋳造された2代目は、先の大戦で供出された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
181106_134.jpg
135.なだら坂
木立の間の石段のないなだらかな道を下る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 27mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
181106_135.jpg
136.陽が当たる紅葉
なだら坂にもモミジが多い。陽が当たって輝いているが、この木の紅葉はこれからのようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 39mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
181106_136.jpg
137.喜見院
喜見院のところまで下りてきた。百済寺の本坊は喜見院である。阿弥陀如来が祀られている。昭和15年に仁王門南側から現在の位置に移築され、それにともない庭園も旧本坊のものを拡張改造されたそうだ。寺社庭園としては、滋賀県内最大級で巨石群の配置が見事と言われる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
181106_137.jpg
138.喜見院の庭園と遠望台
本坊庭園は別名「天下遠望の名園」と称されており、西方の借景は琵琶湖をかすめて、55km先の比叡山で、広大なパノラマ展望を望める。さらに西方、880km先には、往時の「百済国」があったという。百済からの渡来人が母国を偲ぶ気持ちで「遠望台」に立つ時、両国の深い交流関係が蘇ってくるのだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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139.喜見院 庭園 -1
この庭は東の山を借景に山腹を利用し、大きな池と変化に富む巨岩を配した豪華な池泉廻遊式ならびに観賞式の庭園で現代鈍穴流の作法で作庭されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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140.喜見院と紅葉
百済寺の紅葉はまだ少し早かったようだが、ここはきれいだった。建物とのコントラストが美しかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 25mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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141.喜見院 庭園 -2
聖徳太子の願文に「一宿を経るの輩は必ず一浄土に生る」とあるが、これにちなんでこの庭も東の山には弥陀観音勢至の三尊(阿弥陀如来を中尊とし、その左右に左脇侍の観音菩薩と、右脇侍の勢至菩薩を配する三尊形式)をはじめ各菩薩に見たてて石が配されている。これらの巨石は旧本坊庭園とさらに百済寺山内の谷川から集められたものを組み合せて作庭された。また、庭内には中世の石造品の残欠も多く見られるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
181106_141.jpg
142.四季桜
庭園の鑑賞を終え、駐車場に戻ると桜が咲いていた。この桜はシキザクラのようだ。桜の園芸品種である。狂い咲きでない状態で、年に二度開花する。エドヒガンとマメザクラの交雑種と考えられている。一方、ジュウガツザクラ(十月桜)というのもあるが、それは、 コヒガンザクラの雑種あるいはマメザクラとエドヒガンの種間雑種と考えられているが、定かではない。花色は淡紅色で、花弁の先に濃いピンク色が残る。花期は10~12月頃と3月下旬頃の年2回である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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2018年12月11日

永源寺 11月8日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(5)

この旅行の3日目、京都は八条口から「永源寺と湖東三山巡り」という定期観光バスで、滋賀県は琵琶湖の東側にある古刹を巡るツアーを予約しておいた。私は奉天から引き揚げてきて2年ほど、親父の故郷である滋賀県草津市で育ったので懐かしい。近江鉄道のバスは8時45分、大型バスに乗客12名を乗せて出発した。紅葉にはまだ少し早いということで申し込みが少なかったのかもしれない。おかげでゆったりと座っていくことが出来た。
 バスガイドさんは、滋賀県草津市生まれという若いお嬢さんだった。名神高速道路を北東へ走り、黒丸というパーキングエリアで一休みしたあと、八日市で降り、愛知川に沿って、鈴鹿山脈に向かって進む。10時半少し前に永源寺の駐車場に入った。
 永源寺は臨済宗の大本山である。康安元年(1361年)佐々木(六角)氏頼が寂室元光禅師(正燈国師)をこの地に迎え、伽藍を建て開山した。本堂には本尊世継観世音菩薩(秘仏)が祀られていると、ガイドさんが説明してくれた。十六羅漢(石仏)を左手に見ながら石段の参道を進むと総門に出る。そこを入ると参拝受付になっていて、ガイドさんはそこまで案内してくれた。あとはそれほど坂はない。山門、本堂、開山堂と見ごろを迎える紅葉を眺め、約1時間後に駐車場に戻った。

89.京都駅八条口
定期観光バスの案内所および乗り場は京都駅の新幹線のりば側である八条口にあった。八条東口を道路の反対側に渡った、アバンティという商業施設の中にある。空港へ行くリムジン・バスの乗り場と同じ所で、外国人観光客が多い。今朝も良い天気だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
181106_089.jpg
90.名神高速道路
名神高速道路は、栗東IC - 尼崎IC (71.7 km) 間が、1963年(昭和38年)に日本初の都市間高速道路として開通した区間である。日本最初の高速道路だ。事故のためか少々渋滞があったが、バスは八日市ICで降り、一般道を鈴鹿山脈に向かって走る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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91.永源寺 羅漢坂
駐車場からバスガイドさんに案内されて、永源寺参道の始まりの部分、羅漢坂と言われる石段を上がる。100mほど続く急坂で、今日もまた石段を登るのかと覚悟を決めたが、永源寺のい石段はここだけだった。左側に眼鏡をかけた地蔵さんが立っていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO200 ) 露出補正 なし
181106_091.jpg
92.十六羅漢
羅漢坂の途中、左側の崖に彫りこまれた十六羅漢が奉安されれていた。頂上に釈迦如来と阿難(あなん)、迦葉(かしょう)という弟子を配しそれを取り巻くように羅漢が並んでいて、それぞれなかなか個性的な表情をしている。この写真は旨く撮れていないので、ほかにないか探したが、見つからなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
181106_092.jpg
93.羅漢坂の紅葉
羅漢坂は十六羅漢のところで右へ折れる。そのあたりの紅葉が陽の光に透けて美しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO320 ) 露出補正 なし
181106_093.jpg
94.羅漢坂と総門
羅漢坂の先に総門が見えてきた。右側の谷を愛知川が流れる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO320 ) 露出補正 なし
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95.永源寺総門 -1
永源寺総門は永源寺境内の建物の中では最も古いもので、創建年は1361年、永源寺を開いた当時の近江守護職にあった佐々木(六角)氏頼によって建立されたもの。その後1390年に兵火で焼け落ち、1464年に永源寺16代住職の虚白文玄禅師によって再建されたものが現在に残っている貴重なものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 なし
181106_095.jpg
96.永源寺総門 -2
総門をくぐると拝観受付になっている。私たちの分はバスガイドさんがまとめて支払ってくれたが、拝観料は500円だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181106_096.jpg
97.見ごろの紅葉
総門の辺りは紅葉の美しいところだ。私たちが訪れた翌日の11月9日に更新された永源寺のHPでは紅葉は見ごろになったと記されていた。右側は愛知川が流れる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 19mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
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98.山門 -1
寛政7年(1795年)井伊家の援助等により7年の歳月を費やし享和2年(1802年)完工した。楼上に釈迦牟尼佛、文殊菩薩、普賢菩薩並びに十六羅漢を奉安している。 滋賀県の指定文化財である。大きな立派な山門だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO250 ) 露出補正 -1.0段
181106_098.jpg
99.茶所
山門を抜けると右側に茶所があった。ここ滋賀県東近江市政所町周辺で栽培されている政所茶(まんどころちゃ)という日本茶がある。室町時代に永源寺五世管長の越渓秀格禅師が、この地の水質、地質が茶の栽培に適していることを見つけ、村人に栽培を奨励したことに始まると伝えられている。ここは、茶所と呼ばれる休憩所だ。その前を中学生たちが竹箒で掃除をしていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 56mm ISO600 ) 露出補正 -1.0段
181106_099.jpg
100.鐘楼
さらに進むと左側に鐘楼があった。過去4度の兵火や火災があり、現在の鐘楼は安永元年(1772年)に再建された。大鐘は太平洋戦争のときに供出したが、昭和23年に再鋳されている。ここの紅葉にはまだ少し早かったようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO250 ) 露出補正 -1.0段
181106_100.jpg
101.永源寺本堂(方丈) -1
鐘楼の左側に本堂が見えた。本堂は康安元年(1361年)佐々木氏頼が創建した。しかし度重なる兵火、火災により焼失している。現在の建物は明和2年(1765年)、井伊家の援助により建立されたもので、屋根は国内屈指の葦葺きである。正面には本尊、世継(よつぎ)観世音菩薩が奉安されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
181106_101.jpg
102.本堂内部 -1
本堂は中に入ってお参りができた。本堂は禅宗寺院の住持や長老の居室である方丈でもあり、客室がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO1250 ) 露出補正 -1.0段
181106_102.jpg
103.本堂内部 -2
ここでお参りをした。この奥には本尊世継観世音菩薩(秘仏)が祀られていて、もちろん中に入ることはできない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 -1.0段
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104.本尊世継観世音
近づいてみると扉が見えた。本尊世継観世音はこの厨子の扉の奥に鎮座され、御開帳はおよそ4半世紀に一度だそうだ。普段、直接、姿を拝むことは出来ない。近江守護職佐々木(六角)氏頼の子、満高があととりに恵まれず、この観音に毎夜一心に祈願をしたところ、夢にお告げがあり、やがて世継を授かったという。この事が伝わり誰が言うともなく「世継観世音(よつぎかんぜおん)」と呼び讃えられるようになったのだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/100秒 17mm ISO3200 ) 露出補正 -1.0段
181106_104.jpg
105.禅堂
永源寺は京都の東福寺と同じ臨済宗である。康安元年(1361年)72歳で永源寺に入寺し開山した 寂室元光禅師(正燈国師)は 13歳で出家。京都東福寺の大智海禅師のもとで修行し、15歳の時仏燈国師に仕え、18歳で国師の一掌下に大悟した。元応2年(1320年)31歳から7年間、中国天目山の中峰和尚につき修行、帰国したのちも自然を友に詩や和歌を賦し、生涯行脚説法の旅を続けられたとある。この禅堂は他の堂と同様、佐々木氏頼により創建されたが、たび重なる火災により焼失した。以後法堂を道場としていたが、昭和3年(1928年)4月開祖寂室禅師に正燈国師の称号を送られたのを記念して、 默(?)鳳禅師が禅堂再建を発願、川上貞子(戦前の女優さんだろうか?)の支援を得て昭和8年(1933)4月に再建されたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
181106_105.jpg
106.法堂(はっとう)
禅堂の左手には法堂がある。享保13年(1728年)に朴宗禅師により再建されたものである。法堂の堂内中央には、後水尾上皇が寄進した釈迦牟尼仏が、右に迦葉尊者が、左に阿難尊者が安置されている。この法堂は、当山古例の諸法要を行うところである。ところがそのほとけ様の前に、「竹灯篭 工房 SMIN」 という看板があり、写真のようにいくつもの行燈のようなものが並べられていた。ちょっと違和感を覚えざるを得ない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.5 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 -1.0段
181106_108.jpg
107.屋根とモミジ
法堂の瓦屋根にモミジが映えていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 34mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
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108.開山堂
永源寺のHPによれば、開山堂は開祖寂室禅師(正燈国師)を祀る堂宇で、再度焼失したが、享保10年(1725年)、彦根城主 井伊直惟(なおのぶ)より能舞台の寄進を受け再建されたそうだ。開山堂の向かい側には経堂があった。経堂は応永11年(1404年)佐々木満高が創建。現在の経堂は延宝4年(1676年)南嶺禅師が再建し、中国へ渡り譲り受けられた明版大蔵経が納められている。このあたりのモミジはきれいだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
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109.永源寺本堂(方丈) -2
再び本堂のところへ戻ってきた。こちら側から見ると大きな葦葺き(ヨシ葺き)屋根の入母屋造りであることが分かる。国内屈指の大きさという。琵琶湖に群生する葦で葺かれている

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
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110.なで仏
本堂の前には「なで仏」が座っていた。「なで仏」は長谷寺の本堂でもお参りした賓頭盧(びんずる)の像。その像の自分の患部に当たる所をなでた手で、自分の患部をなでれば病気が治るという俗信がある。「さすりぼとけ」ともいうそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 51mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
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111.山門 -2
ここは紅葉の撮影スポットだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO250 ) 露出補正 -1.0段
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112.山門の屋根とモミジ
陽の光が当たり、山門の屋根にかかる紅葉が輝いている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO160 ) 露出補正 -1.0段
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113.愛知川越し
モミジ越しに愛知川の対岸を眺める。愛知川は琵琶湖に注ぐ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 30mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
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114.愛知川の川面とモミジ
まだ緑のモミジの葉も残るが、紅葉が穏やかな愛知川の流れに溶け込んでいる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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115.愛知川の流れ
バスが通ってきた旦度橋の上から愛知川を眺める。左側が永源寺の境内で、奥は鈴鹿の山並みで永源寺ダムがある。11時半、次の目的地である百済寺へ向け、バスが出発した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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