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2022年12月 5日

金沢紀行 11月20日~22日 その3 兼六園① 11月21日

今回の旅行は雨に降られなければ幸いと思っていた。昨日も時々傘をさしての散策だった。ところが今朝(11/21)起きると見事な晴天である。嬉しい。
 ホテルで朝食をとって、タクシーに乗って兼六園へ行こうと思う。ところが通勤ラッシュで、ホテルの前の幹線道路は車の数が多く、タクシーの空車などは来ない。仕方なく、香林坊の方に向けて歩き出す。歩きながら、タクシーが来ないかと見ているが、やはり空車は来ない。香林坊の交差点を右へ曲がる。人に道を尋ねながら20分ほど歩き、右手に石浦神社が現れた。その石浦神社と石川城方面へのお堀通りの間を行くと兼六園の真弓坂口があった。多くの観光客は石川城に面する桂坂口から入るので、ここは人が少なかった。
 8時40分に真弓坂口から兼六園に入り、瓢池の右側を栄螺山のほうに歩き、霞ヶ池に出た。内橋亭や蓬莱島、そして徽軫灯籠を眺め、写真を撮りながら、霞ヶ池の右(東側)を歩く。すでに雪吊りが施された唐崎松を見て、徽軫灯籠を見に行った。徽軫灯籠は桂坂口から近い。観光客が増えてきた。
 そこから東へ、展望台から金沢の街並みを眺め、兼六園の七つある料金所の一つである上坂口へ歩いた。

000_221121537 X700 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 徽軫灯籠 Z50 Z18-140.jpg
虹橋からみた霞ヶ池と徽軫灯籠 2022年11月21日 金沢市 兼六園霞ヶ池

062_221121440 X800 金沢 石浦神社 Z50 Z18-140.jpg 62.石浦神社
石浦神社は2013年10月に能登半島をドライブ旅行をした折、21世紀美術館を見たいと、金沢に立ち寄ったが、その時に道路(本多通り)を挟んで反対側にあるこの神社にお参りしている。石浦神社は古墳時代に初めて建てられた金沢最古の神社といわれる。金沢城地の土地神として歴代藩主の崇敬も厚く、2代藩主利長は社殿を再建、5代藩主綱紀は安産祈願をしたといわれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO500 ) 露出補正 なし
063_221121441 X800 金沢 兼六園 真弓坂口 Z50 Z18-140.jpg 63.兼六園真弓坂口 -1
真弓坂口は、1874年(明治7年)、兼六園が正式に一般解放された時に、開かれた坂道だそうだ。桂坂口に次いで観光客の多い入口である。ここはまだ料金所へのアプローチの道だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO4000 ) 露出補正 なし
064_221121443 X800 金沢 兼六園 真弓坂口 Z50 Z18-140.jpg 64.兼六園真弓坂口 -2
料金所に向かう柵の中に入ると、静寂な道が続き、真っ赤なもみじの葉が昨日の雨で濡れた地面に落ちていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.3 1/500秒 35mm ISO5600 ) 露出補正 なし
065_221121444 X800 〇金沢 兼六園 真弓坂口 Z50 Z18-140.jpg 65.兼六園真弓坂口 -3
料金所までの道には黄色い葉が落ちている。イチョウかと思ったが、カエデのようだ。オオモミジだろうか。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 47mm ISO2000 ) 露出補正 なし
066_221121449m X800 〇金沢 兼六園 真弓坂口 Z50 Z18-140.jpg 66.兼六園真弓坂口 -4
道に黄色い落ち葉が敷き詰められている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO2000 ) 露出補正 なし
067_221121457 X800 〇金沢 兼六園 真弓坂口 Z50 Z18-140.jpg 67.兼六園真弓坂口 -5
料金所から中に入る。入園料は大人一人310円だが、65歳以上は証明書を提示すれば無料で入園できる。ありがたい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 27mm ISO560 ) 露出補正 なし
068_221121455 X800 〇金沢 兼六園 真弓坂口 Z50 Z18-140.jpg 68.兼六園真弓坂口 -6
改めて振り返って黄色い葉を落としていた木を見る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 30mm ISO1400 ) 露出補正 なし
069_221121462m X800 〇金沢 兼六園 瓢池 Z50 Z18-140.jpg 69.兼六園真弓坂口 -7
これはイロハモミジやオオモミジではなさそうだ。いろいろな木が黄葉、紅葉している。地面に敷き詰められた落ち葉はきれいである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 34mm ISO2800 ) 露出補正 なし
070_221121466 X800 〇金沢 兼六園 瓢池-霞ヶ池 Z50 Z18-140.jpg 70.栄螺山への道
左手に木漏れ日が差す木々の間から瓢池を眺め、まっすぐ栄螺山、霞ヶ池の方へ進む。栄螺山は、第13代藩主斉泰(なりやす)が、隣にある霞ヶ池を作るために、池の底を掘った時の土を盛って作られた山だそうだ。高さは9mとか。頂上へ登る道は、時計回りでぐるぐるとうずを巻き、まるで栄螺の殻を思わせることからその名が付いたという。「現地ガイドが配信する金沢観光メニュー」というサイトには、山頂から眺める霞ヶ池は神秘的な雰囲気を漂わせていると書かれていたが、上るのはパスしてしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 25mm ISO280 ) 露出補正 なし
071_221121475 X800 〇金沢 兼六園 瓢池-霞ヶ池 Z50 Z18-140.jpg 71.絞りの椿
真弓坂口から栄螺山へ歩く途中の右側に休憩所があり、係の女性が竹ぼうきで落ち葉を集めておられた。「おはようございます」と挨拶をする。「きれいな椿が咲いてますよ」と教えてくれた。絞りの入った椿だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 140mm ISO3600 ) 露出補正 なし
072_221121483 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 蓬莱島 Z50 Z18-140.jpg 72.霞ヶ池の蓬莱島
霞ヶ池は、兼六園内の中心に位置し、広さが約5,800㎡(1,800坪)あり、園内で最も大きな池である。霞ヶ池は、日本庭園の手法の一つ、借景という技法で設計されていて、園外にある卯辰山を遠景、霞ヶ池の内橋亭を近景、真ん中の中景となる蓬莱島が浮島に見えるという演出になっているそうだ。霞ヶ池の真ん中にある蓬莱島は眺を楽しむ島なので渡ることはできない。蓬莱島の蓬莱とは、古代中国で仙人が住むといわれている蓬莱山のことで、大きな亀の背中にある山と言われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
073_221121488m X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池徽軫灯籠 Z50 Z18-140.jpg 73.霞ヶ池と徽軫灯籠
霞ヶ池の南側に立ち左手に内橋亭を見ている。前回訪れたときはこの位置から徽軫灯籠を見ていない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO280 ) 露出補正 なし
074_221121490 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 内橋亭 Z50 Z18-140.jpg 74.内橋亭と徽軫灯籠
桂坂口から入ってきて徽軫灯籠を見ると、霞は池の向こうの右側に内橋亭fが見える。兼六園のホームページによれば、内橋亭はかつて蓮池庭内にあった四亭の一つで、霞ヶ池の西南岸に設けられた水亭。蓮池馬場の馬見所に建てられていたものを、明治7年(1874年)、現在の場所に移築したそうだ。栄螺山のうっそうとした樹々を背景に、石脚で支えられたこの亭は、まるで水面に浮かんでいるような印象を与える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 70mm ISO320 ) 露出補正 なし
075_221121491 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 内橋亭 Z50 Z18-140.jpg 75.内橋亭 -1
陽の光をいっぱいに浴びて輝き、水面に影を映していた。今は食事処となっていて池の上に立つ水亭と手前の部屋の間に橋が掛かっていることから「内橋亭」と呼ばれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 85mm ISO140 ) 露出補正 なし
076_221121494 X800 金沢 兼六園 霞ヶ池 内橋亭 Z50 Z18-140.jpg 76.内橋亭 -2
写真で見える左側が入口で、その建物は食事処になっている。メニューには、親子丼、玉子丼、蕎麦、和菓子付きの抹茶などがあるそうだ。この位置からだとその建物と水亭の間に架かる橋が見える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 32mm ISO140 ) 露出補正 なし
077_221121508m X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 内橋亭 Z50 Z18-140.jpg 77.霞ヶ池に映る徽軫灯籠
霞ヶ池に沿って北へ歩く。霞ヶ池の北岸に配された、兼六園を代表する景観である。徽軫灯籠は足が二股になっていて、琴の糸を支える琴柱(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われている。この灯籠は水面を照らすための雪見灯籠が変化したもので、高さは2.67m。要綱を浴びた徽軫灯籠の2本の足が開いたように水に映り、その姿はひし形を作っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO220 ) 露出補正 なし
078_221121511 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 雪吊り 唐崎松 Z50 Z18-140.jpg 78.唐崎松
13代藩主 斉泰(なりやす)が近江八景の一つ、琵琶湖畔の唐崎松から種子を取り寄せて育てた黒松。兼六園のなかで最も枝ぶりの見事な木である。雪の重みによる枝折れを防ぐため、冬にほどこされる雪吊りは兼六園ならではの風物詩となり、他の庭園では見られない、趣深い風情を織りなす。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
079_221121519 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 雪吊り 唐崎松 Z50 Z18-140.jpg 79.霞ヶ池に映る唐崎松
雪吊された唐崎松が霞が池の水面に映っている。雪吊りの作業は、11月1日にこの唐崎松を皮切りに、12月中旬頃まで行われる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO200 ) 露出補正 なし
080_221121520 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 雪吊り 唐崎松 Z50 Z18-140.jpg 80.雪吊された唐崎松
徽軫灯籠とともに、兼六園を代表する景観である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 30mm ISO110 ) 露出補正 なし
081_221121522 X800 〇金沢 兼六園 月見灯籠 Z50 Z18-140.jpg 81.唐崎松と月見灯籠
曲水(庭園などの中を曲がりくねりながら流れる水)が霞ヶ池に流れ落ちる所に架かる月見橋の袂に建てられた、園内唯一の月見燈籠である。見事な枝ぶりを誇る唐崎松の右側に佇んでいる。月見灯籠の近くには月見橋もあって、月見灯籠・月見橋・唐崎松・曲水の四者が一景を成している。月見灯籠は高さ2.1mあり、石材は御影石製だそうだ。満月をイメージしたデザインなのか、笠や中台、火口、竿は円形としている。笠は直径1.9m程あり、火袋には四方に丸い火照口を持たせている。全体的に丸みを帯び、やわらかな印象を与える燈籠だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
082_221121531 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 徽軫灯籠 Z50 Z18-140.jpg 82.虹橋と徽軫灯籠
唐崎松から雪見橋を渡った先には、月見橋、虹橋が曲水に架かる。月見橋は徽軫灯籠を眺める一方通行の出口になっていて、桂坂口の方にある虹橋が入口になっていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 32mm ISO180 ) 露出補正 なし
083_221121534 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 徽軫灯籠 Z50 Z18-140.jpg 83.虹橋から見る徽軫灯籠
前回兼六園に来たのは、2005年2月11日で、たまたま前の日の夜に雪が降り、朝早く訪れた兼六園はまだ観光客も少なく"新雪"状態だった。徽軫灯籠の傘は雪をかぶり、雪吊りされた唐崎松の枝や、雪吊りの縄には雪が積もっていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 37mm ISO200 ) 露出補正 なし
084_221121536 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 徽軫灯籠 Z50 Z18-140.jpg 84.徽軫灯籠と霞ヶ池と内橋亭
霞ヶ池の周囲には紅葉する木が少ない。紅橋のたもとから撮る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 25mm ISO180 ) 露出補正 なし
085_221121538 X800 〇金沢 兼六園 霞ヶ池 内橋亭 Z50 Z18-140.jpg 85.唐崎松の雪吊りと内橋亭
すべてが霞ヶ池の水面に映る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 22mm ISO125 ) 露出補正 なし
086_221121548 X800 〇金沢 兼六園 雁行橋 Z50 Z18-140.jpg 86.雁行橋
曲水が流れる月見橋、木橋の南側に雁行橋がある。11枚の赤戸室石を使用し、雁が夕空に列をなして飛んでいく様をかたどった「雁行橋」。石の一枚一枚が亀の甲の形をしていることから「亀甲橋」とも言われ、この橋を渡ると長生きするとされてきましたが、現在は石の磨耗が著しいため、昭和44年(1969)雁行橋が渡れなくなり、観光客が渡る代替橋として木橋が架けられたそうだ。確かにすり減った石に昨日の雨水がたまっていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 44mm ISO280 ) 露出補正 なし
087_221121552 X800 金沢 兼六園 七福神山 Z50 Z18-140.jpg 87.七福神山
雁行橋から少し南へ行ったところの右側に七福神山というところがあった。兼六園ホームページによれば、12代藩主 斉広(なりなが)が造営した竹沢御殿に附帯していた庭園の一部だそうだ。「福寿山」とも呼ばれるこの山は、曲水、築山、雪見灯籠など、当時の雰囲気をそのままに伝えている。また、七福神になぞらえた七つの自然そのままの石を配置しているのも大きな特徴と記されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO125 ) 露出補正 なし
088_221121555 X800 〇金沢 兼六園 上坂口 Z50 Z18-140.jpg 88.上坂口
左手にもみじがきれいなところがあった。そこは兼六園の七つの入り口の一つである上坂口だ。料金所の女性が落ち葉を掃いておられた。写真を撮ろうと近寄ると「どうぞ」と退いて下さった。そして、「この先の山崎山は紅葉ががきれいですよ」と教えて下さった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.3 1/500秒 36mm ISO200 ) 露出補正 なし
089_221121562 X800 〇金沢 明治紀念之標 Z50 Z18-140.jpg 89.明治紀念の標
右へ上がってみると何やら大きな銅像があった。「明治紀念の標」という。それは西南戦争で戦死した郷土軍人の霊を慰めるものだった。銅像の身長は5.5m、明治13年(1880年)日本で最初に建てられた銅像といわれていいる。両脇に植えられた赤松は「手向松(たむけまつ)」と呼ばれ、当時、京都の東西両本願寺の門跡から移されたものだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO140 ) 露出補正 なし
090_221121566 X800 〇金沢 明治紀念之標 Z50 Z18-140.jpg 90.日本武尊
明治紀念の標の銅像は誰なのだろか。立札には像は日本武尊と書かれているが、正面は逆光なので顔がよくわからない。後ろへ回ってみた。自然石を積み上げ、その上に日本武尊の像を置いている。なぜ、日本武尊なのだろうか。西南戦争で戦った兵士を、九州熊襲を征伐した伝説上の英雄である日本武尊になぞらえ、加賀藩・金沢を象徴する兼六園に置くことで、明治政府との距離を縮めようとしたのだろうとの説がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 72mm ISO125 ) 露出補正 なし

2019年3月28日

作並温泉 2泊3日の旅(3) 伊達政宗の霊廟 瑞鳳殿 3月15日

さて、仙台駅バスターミナルから、仙台市交通局が運行する観光循環バス「るーぷる仙台」に乗車するため、案内所で1日フリー・パスをひとり620円で購入した。20分間隔で出るらしいが、混んでいて座れない。全部で16駅あるのだが、もちろん、すべてで降りていくわけにはいかない。まず、4駅目の「瑞鳳殿」で降りることにする。

〇瑞鳳殿地図 1+2 X700 公益財団法人 瑞鳳殿パンフ.jpg
公益財団法人瑞鳳殿パンフレットより

 瑞鳳殿は1636年(寛永13年)、70歳で生涯を閉じた仙台藩祖伊達政宗の遺命により、その翌年ここ経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)である。1945年(昭和20年)の戦災で焼失し、現在の建物は規模、装飾ともに、焼失以前の瑞鳳殿を範とし、1979年(昭和54年)に再建されたものである。平成13年(2001年)に、仙台開府400年を記念して大改修工事が実施され、柱には彫刻獅子頭を、屋根には竜頭瓦を復元し、創建当時の姿となった。
 瑞風殿の境内をめぐるのに1時間少しかかった。再び「るーぷる仙台」に乗り、次は2っ先の仙台城跡で下車する。
 記述は、パンフレットや、説明札を参考にさせていただいた。

12.瑞鳳殿参道
「るーぷる仙台」の瑞鳳殿駅では多くの観光客が降り、経ケ峯に上がっていく参道を歩く。ここはタクシーも登ってくる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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13.鹿児島県人七士の墓
参道の左側に、鹿児島県人七士の墓がある墓地があった。明治13年の西南戦争に従軍し、戦後官軍に投降した西郷軍は国事犯として全国の監獄署に護送された。宮城県には椎原国幹(西郷隆盛の叔父)以下305人が県監獄署に収容された。国事犯たちは宮城県の開墾や、築港作業に従事した。このうち13人は獄中で病死し、この地に葬られたが、現在7基を残し、6基は遺族に引き取られたと説明されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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14.参道の石段
瑞鳳殿のある経ケ峯に上がっていく石段が続く。石造りの階段は、戦争による焼失を逃れた藩政時代からのもので、その数は伊達家の禄高62万石を表していると言われているそうだ。左右のスギの並木は古いもので樹齢380年余になるという。そういえば、仙台に来てから、花粉症の目がとても痒い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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15.瑞鳳殿の手水舎
瑞鳳殿に入る涅槃門の手前左側に手水舎があった。龍の口(吐水口)にビニール管が見えるが、あまり見栄えは良くない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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16.涅槃門
涅槃とは煩悩を取り払った悟りの境地となる状態を意味し、広くは死を意味すると説明されていた。瑞鳳殿の涅槃門は樹齢数百年の青森檜葉を用いて、正面扉上部の蟇股には瑞獣「麒麟」、左右の妻飾りには「牡丹と唐獅子」など焼失前と同様の豪華な飾り彫刻が施されている。なんともきらびやかな門である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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17.瑞鳳殿入り口
涅槃門は閉ざされたままであるが、その右側に瑞鳳殿に上がる入り口となるくぐり戸があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 なし
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18.涅槃門の裏側
涅槃門のくぐり戸を入って、石段を上がったところに瑞鳳殿の唐門があるが、そこで振り返って、涅槃門の内側を眺めた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO500 ) 露出補正 なし
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19.臥竜梅
瑞鳳殿に向かって、唐門の左側に資料室という建物があり、その庭先にこの梅が咲いていた。地面に伏臥する様態から「臥龍梅」と呼ばれ、文禄の役で渡朝した伊達政宗が半島から持ち帰り仙台城に植えさせたのち、隠居所であった若林城(仙台古城)に移植したものと言われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 32mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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20.資料館
資料館の前の臥龍梅は、仙台古城の臥龍梅(国指定天然記念物)から取木されたもので、昭和54年(1979年)、瑞鳳殿再建を記念してここに植樹されたのだそうだ。この資料館では政宗の副葬品の一部や、発掘された頭骨をもとに復元した、政宗をはじめとする3藩主の容貌像などが展示されている。この建物、何か落ち着いた佇まいである。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO400 ) 露出補正 なし
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21.瑞鳳殿
唐門をくぐって、瑞鳳殿の前に立つ。伊達政宗は1567年(永禄10年)米沢城に生まれた。東北南部を中心に諸勢力を平定し、世に「独眼竜政宗」の異名をとどろかせた。江戸時代になると伊達62万石の藩祖として産業・経済・文化の振興をはかった。瑞鳳殿は1636年(寛永13年)、70歳で生涯を閉じた政宗の遺命により、その翌年、ここ経ヶ峰に造営された墓所である。桃山文化の遺風を伝える江戸時代初期の豪華絢爛な廟建築として、1931年(昭和6年)に国宝に指定されたが、1945年(昭和20年)の戦災で焼失した。現在の建物は1979年(昭和54年)に再建された。2001年(平成13年)には改修が行われ、柱には彫刻獅子頭を、屋根には竜頭瓦を復元し、極彩色も再現することで、創建当時の姿が蘇った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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22.殉死者供養塔
瑞鳳殿の両脇には、政宗に来世も仕えようと殉死した家臣15名と家臣に仕えた陪臣5名の石塔も並ぶ。 殉死者が多いということは慕われた証と言えるが、殉死を義とする考えは、当時すでに薄れてきていたようだ。殉死、こうした部分からも、江戸期を迎えても戦国武士としての価値観や武士道観を強く持っていた政宗の片鱗を窺うことができるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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23.唐門
瑞鳳殿の前に唐門があった。かっては天井に金箔を貼り付けたことから金唐門とも呼ばれた。正面の虹梁(梁の一種で虹のようにやや弓なりになったもの)の上下の空間には龍虎図と二十四孝説話を題材にした透彫りが挿入されるなど、装飾性に富んでいた。現在は鋼板製の近代的な門になってしまっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 なし
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24.善応殿
順路に従い、瑞鳳殿から戊辰戦争弔魂碑を見て、感仙殿の下の石段の前に出た。石段を上がって感仙殿の左奥にある善応殿を見に行く。善応殿は三代藩主伊達綱宗の霊屋(おたまや)である。三代藩主伊達綱宗(1640年~1711年)は幼いころから芸術的才能にたけていたという。19歳から2年ほどの治世のあと、故あって幕府から逼塞隠居を命じられたが、その後の生涯は書画・蒔絵などに天分を発揮し、優雅な余生を送ったと言われる。善応殿は1945年(昭和20年)の戦災で焼失し、1985年(昭和60年)に感仙殿とともに再建された。さらに2007年(平成19年)の改修により鮮やかな極彩色となった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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25.感仙殿の扉
下から石段を上がってくると正面にあるのが感仙殿である。感仙殿は二代藩主伊達忠宗の霊屋である。これは感仙殿の扉だが、上段に「竹に雀」、その下に「九曜」という紋が表されている。伊達氏は戦国大名のなかでも、もっとも家紋の数が多い家である。伊達氏の家紋を全部あげると、「十六葉菊」、「五七桐」、「蟹牡丹」、「竪三つ引両」、「竹に雀」、「九曜」、「鴛鴦の丸」、「ナズナ」、「雪に薄」、等がある。「九曜」は桓武平氏のルーツに結び付くように用い、戦乱の時代を生き抜く処世のしるしに家紋を利用したのである。善応殿の扉には上段に「竹に雀」、その下に「竪三つ引両」の紋があった。のちに定紋となったのが「竹に雀」であったそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 なし
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26.感仙殿
感仙殿は二代藩主伊達忠宗の霊屋であるが、伊達忠宗(1599年~1658年)は政宗の治世を引き継ぎ、法治体制の確立を進め、新田開発や治水、港湾の整備など、産業・経済の振興をはかり領内の安定に尽力し、藩の基礎固めを成し遂げた。感仙殿は、瑞鳳殿と同様、華麗なもので、1931年(昭和6年)に国宝に指定された。他は善応殿と同じで、2007年(平成19年)には改修が行われ、彫刻獅子頭の復元が行われた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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27.妙雲介廟
霊廟が作られたのは、政宗(瑞鳳殿)、二代藩主忠宗(感仙殿)、三代藩主綱宗(善応殿)までだった。感仙殿の奥には、妙雲介廟というところがあり、そこには九代藩主・周宗(ちかむね)、十一代斉義(なりよし)、斉義の妻・芝姫(あつひめ)の墓がある。写真は九代藩主宗近の墓。では、四代から八代までの藩主の墓はどこにあるのか、少々疑問に思って調べてみると、仙台市大年寺山伊達家墓所にあるようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO640 ) 露出補正 なし
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28.感仙殿を見上げる
石段を下りて、感仙殿を見上げた。まさしく極彩色の霊廟である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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29.御子様御廟
絢爛豪華な瑞鳳殿、感仙殿、善応殿を見学し、石段を下りてくると左側に 御子様御廟 へ入る道があった。薄暗い道を歩いていくとそこは公子公女の墓所になっていた。正徳3年(1713年)以降に設けられた墓所で、五代藩主伊達吉村以降、六代宗村、七代重村、十一代齋義、十三代慶邦の歴代藩主の若くして死去した公子公女が埋葬されている。21基の傘塔婆の墓と奉納された80基を超える石灯篭がある。また藩主側室や老女の墓7基もある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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30.瑞鳳寺 山門
「るーぷる仙台」 の瑞鳳殿停留所へ戻る。途中右側に「正宗山」という扁額がかけられた瑞鳳寺の山門があった。瑞鳳寺のパンフレットによれば臨済宗妙心寺直末で、寛永14年10月24日香華院として瑞鳳殿とともに二代藩主忠宗によって建立され、覚範寺の虎哉和尚の法嗣清岳宗拙(諡仏慧道光禅師)を迎えて開山した。安政5年9月13日焼失し、現在の本堂は大正15年5月23日に落成した。 仙台藩から一門格の寺格を与えられ、経ケ峯に多くの末寺を持っていたが、明治維新期の廃仏毀釈の風潮や廃藩置県による藩の後ろ盾の喪失によりことごとく廃寺となったという。1926年(大正15年)に復興されたが、現在は財団法人瑞鳳殿の管轄外となっているそうだ。山門は東京品川の伊達屋敷の門を模したもので正宗山の扁額は妙心寺派管長梶浦逸外老師の筆。ちなみに正宗山は、伊達政宗若年時「正宗」と称したものを山号としたという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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31.瑞鳳寺 鐘楼
鐘楼は昭和3年に昭和天皇即位記念に建立された。本堂玄関前に置かれた梵鐘は、寛永14年(1637年)二代忠宗が工匠早山弥兵エに命じて鋳造したもので清岳和尚の銘があり、重要文化財になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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32.瑞鳳寺 花塚
花道家本源流武田朴陽(1875~1935年)および、その門下生のたてた供養碑で、石の組み方は同流の古法に基づき、花塚の二文字は斎藤実、裏面の詩は土井晩翠であると説明されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 なし
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33.瑞鳳寺 高尾門
高尾門と呼ばれているが、三代綱宗の側室椙原お品の邸にあったのを、昭和37年9月移転修築した。紋所は綱宗の手作りで数多い伊達の紋のひとつ「雪薄の紋」だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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34.瑞鳳寺 参道と本堂
山門まで戻り、振り返って本堂を見る。参道の真ん中には1本の大きな杉があり、幹は途中で3本に分かれ、まっすぐ上に伸びていた。大正15年に落成した本堂が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO200 ) 露出補正 なし
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35.「るーぷる仙台」瑞鳳殿停留所
1時間15分ほどの、経ヶ峰瑞鳳殿見学を終え、「ループル仙台」の瑞鳳殿停留所へ戻ってきた。5分ほど待つとバスが来た。これに乗って、次は仙台城跡へ行こう。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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