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2019年7月 8日

岩手・秋田・山形 ドライブ旅行<5月19日~22日> (6・終) 鶴岡と加茂水族館 5月22日

鶴岡で昼食にしよう。すしを食べたい。K 夫人がスマホで鶴岡の旨い寿司屋を検索してくれた。決めたのは「金太郎寿し」というところ。駐車場も広い。ネタも良く、「中とろ」を何回もお代わりした。旨かった。
 次は楽しみにしていた加茂水族館だ。愛称は「クラゲドリーム館」でクラゲの水族館として知られる。見たこともないクラゲが展示されていて、足を止めることが多かった。クラゲの世界を堪能した。
 水族館の屋上広場に出ると漁港の向こうに鳥海山の美しい姿が見えた。この日は、月山と鳥海山、両方の全容を見ることができた。
 午後2時、横浜への帰路につく。山形自動車道→東北中央自動車道米沢経由→福島JCT→東北自動車道→首都高→横浜というコースだ。山形自動車道から東北自動車道に入るのは、仙台と白石の間の村田JCTと思っていたが、Kさんは山形自動車道の山形JCTで新しい東北中央自動車道に入り、米沢を経由して、福島JCTへ出て東北自動車道へ合流するコースを選んだ。もちろん初めて走る道だった。
 羽生で夕食にして、首都高を箱崎経由で横浜に戻り、それほど遅い時間にならずに帰宅することができた。4日間で1500kmを越す走行距離であった。
 今回もKさんご夫妻には、宿の予約、コースの選定と行程、見どころのピックアップ、食事処の検索等々、大変お世話になった。お陰様で楽しいドライブ旅行をことができた。感謝に堪えない。「ありがとうございました」

21.鶴岡市文化会館
羽黒山五重塔を出て、30分ほどで鶴岡市街に入った。大きな駐車場があったので車を停めたが、ここは何かの施設の駐車場のようだ。前方には大きな建物があった。「相銀タクト鶴岡」と呼ばれる鶴岡市文化会館だった。大ホールの客席数が1,120席、多目的鑑賞室15席があるコンサートホールで、その他にも小ホール/練習室/会議室/楽屋/託児室 がある。2017年8月に完成。同年9月1日には、鶴岡に本店を置く荘内銀行が命名権を取得 し、指揮棒のタクトに由来する「荘銀タクト鶴岡」という愛称になった。9月30日には竣工式が挙行され、2018年3月18日にNHK交響楽団とソリストのピアノに仲道郁代を迎え、こけら落し公演が行われグランドオープンしたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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22.荘内藩校 致道館
鶴岡城の城下町エリアを歩いてみようと「荘銀タクト鶴岡」の駐車場から歩き始めると、すぐ右側に、庄内藩の藩政立て直しを目的に文化2年に庄内藩酒井家9代忠徳が創建した藩校である「致道館」があった。現在は表御門、聖廟、御入間( 藩主が来た時に入る所で全4 部屋のうち、特に御居間の天井と床下は、賊の侵入を防ぐようになっている)などが残され一般公開されている。ここで戊辰戦争の降伏条件の言渡しが新政府軍黒田清隆から忠篤公へ行われたという。この日は水曜日で休館だった。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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23.鶴岡アートフォーラム 道路の反対側には2005年3月に竣工した全面ガラス張りの鶴岡アートフォーラムがあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 14mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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24.大宝館
鶴岡アートフォーラムの先を左に曲がって大山街道を致道博物館のほうに向かって進む。右手は鶴岡公園(鶴ケ丘城址公園)になっている。大宝館があった。大宝館は大正天皇の即位を記念して建てられた、オランダバロック風の窓と、ルネッサンス風のドームを持つ洋風建築だ。現在は人物資料館として公開され、鶴岡が生んだ先人たちの偉業をたたえる資料を展示している、ここも水曜日は休館だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 23mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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25.鶴ケ丘城址公園
道路を渡って、鶴ケ丘城址公園の入口まで行ってみた。堀から護国神社が見える。庄内藩酒井家が約250年居城とした鶴ケ丘城は、明治4年(1871年)廃藩置県により廃城となり、明治9年(1876年)には城内の建築物は全て破却され鶴岡公園となった。明治10年(1877年)本丸跡に藩祖酒井忠勝を祀る荘内神社が設けられた。荘内神社は護国神社の奥にある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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26.慶應義塾大学先端生命科学研究所
再び道路を渡って、少し先の左側に慶應義塾大学先端生命科学研究所が見えた。慶應義塾大学の付属研究所であるが、知らなかった。慶應義塾は当研究所を「アカデミックベンチャー」と位置付け、失敗を恐れず未知の領域に果敢に挑戦し、新規先端技術の開発を積極的に推進させている。細胞工学、分析化学、代謝工学、分子遺伝学、ゲノム工学や情報科学といった異分野の研究者を集め、ITを駆使した「統合システムバイオロジー」という分野の開拓を推し進めているという。2001年4月、鶴岡タウンキャンパスに設置された本格的なバイオの研究所。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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27.致道博物館 「旧西田川郡役所」
信号のある交差点の筋向いには致道博物館がある。鶴ケ丘城の三の丸、酒井家の御用屋敷跡に整備された博物館。明治時代の儀洋風建築「旧西田川郡役所」「旧警察署庁舎」と田麦保の多層民家「旧渋谷家住宅」が移築されている。写真は「旧西田川郡役所」で、創建は1881年(明治14年)で1972年(昭和47年)に移築された。致道博物館も水曜日は休みで観光客はここへは水曜日に来るものではない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 23mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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28.致道博物館 「旧鶴岡警察庁舎」
ひときわ目立つブルーの洋館は、1884年(明治17年)に創建され、1957年(昭和32年に移築された「旧鶴岡警察庁舎」で、明治前期に建設された擬洋風建築のひとつの到達点を示すものといわれている。外部窓廻りなどにルネッサンス様式を模しているが、屋根の大棟、破風妻飾りなど在来様式も巧みに取り入れているという。さて、車に残って美味しい寿司屋をスマホで探してくれていたK夫人のところに戻る。「金太郎寿し」は最高だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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29.加茂漁港から鳥海山の眺め
鶴岡の「金太郎寿し」 から、次の目的地である日本海に面した加茂水族館へ向かう。 15分ほどで着いた。加茂漁港の向こうに鳥海山が眺められた。鳥海山は、山形県と秋田県に跨がる標高2,236mの活火山である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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30.加茂水族館 -1 庄内の魚
クラゲの展示数世界一を誇る鶴岡市立加茂水族館 に入る。まず、庄内の魚の展示があった。スズキやマダイが泳いでいる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/50秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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31.加茂水族館 -2 アカエイ
荘内では「あがえ」と呼ばれるアカエイ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/125秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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32.加茂水族館 -3 降海する魚
シロザケ(稚魚)。川で孵化した後、海に降った状況を再現し、成長の様子が観察されている。3~4年、海で成長したのち、生まれた川に戻り、産卵すると一生を終える。これは昨年の冬に生まれて3月にもらってきたシロザケのこどもだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/80秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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33.加茂水族館 -3 オワンクラゲ クラゲの展示室に入ってきた。これはヴィクトリアのオワンクラゲで、2008年に下村脩氏がノーベル賞を受賞し話題になったクラゲ。傘のふちに緑色の蛍光タンパク質(GFP)があり、UVライトを当てると緑色に発光する。日本産のオワンクラゲより発光が強い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/20秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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34.加茂水族館 -4
この水槽には、色鮮やかないろいろなクラゲが泳いでいた。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/80秒 26mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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35.加茂水族館 -5 ハナガサクラゲ
好物は生きた小魚だが、入手出来ないことが多いのでアジの切り身を与えているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/160秒 28mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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36.加茂水族館 -6 フウセンクラゲ
長い2本の触手を持ち、小型の甲殻類等を効率よく捕まえて食べるという。クラゲは肉食なのだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/25秒 21mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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37.加茂水族館 -7 プロカミアジェリー(仮称)
傘径50cmにもなる大型のクラゲで1mの個体も確認されている。日本のアカクラゲと見た目は似ているが、赤い縞模様はこちらのほうが毒々しく見えるようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO1600 ) 露出補正 -0.3段
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38.加茂水族館 -8 アマガサクラゲ
  「かごしま水族館と同時公開・世界初展示」となっていた。姉妹園館「かごしま水族館」からポリプを譲り受けて繁殖させたとのこと。100m以深で普通にみられるが、浅いところでは稀で、生態は謎が多い。説明書きでは、アマガサクラゲはミズクラゲ科だが、ミズクラゲは、生体→受精卵→プラヌラ→ポリプ→ストロビラ→エフィラ→メテフィラ、そして成体という生活環をもつが、ポリプは根(ストロン)を伸ばして自分と同じポリプを増やす。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/60秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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39.加茂水族館 -9 キタミズクラゲ
荘内での出現記録は、1979年に遊佐町の地引網に入ったのみ。成長すると傘のふちが茶色に染まる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/80秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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40.加茂水族館 -9 パープルストライプジェリー
傘径が1mにもなる大型のクラゲで、ここではミズクラゲを餌として与えているという。成長すると傘に紫の放射状の縞模様が出る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/200秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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41.加茂水族館 -10 クラゲ ドリームシアター
クラゲ専用の水槽としては世界最大級の直径5mに、数千匹のクラゲはゆらゆらと泳ぐ神秘的な光景だ。 

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/100秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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42.加茂水族館 -11 クラゲ ドリームシアター 部分
クラゲ ドリームシアター に近づいて、ミズクラゲの泳ぐ姿を撮った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/100秒 27mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3
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43.キタゾウアザラシ
水族館の建物の外に出た。キタゾウアザラシがいた。キタゾウアザラシは北太平洋の北アメリカ大陸西岸に棲息するが、2017年10月16日には山形県の海岸で1匹が見つかり、ここ鶴岡市立加茂水族館に保護された。集団での棲息地から遠い日本での放流は不適切と判断した同水族館が、2018年3月17日から一般公開している。キタゾウアザラシはアシカ亜目の中ではミナミゾウアザラシに次いで2番目に身体が大きい種である。 20年位前だろうか、江ノ島の水族館で見たミナミゾウアザラシの「ミナゾウ君」(体調4.5m)はとても印象に残っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO250 ) 露出補正 -0.3
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44.もう一度 鳥海山
加茂水族館で、今回の東北ドライブ旅行の見どころはすべて終えた。八幡平も秋田県側に入って晴れたし、最終日にはギフチョウにも会えたし、月山、鳥海山の全容を見ることができた。加茂水族館の屋上広場から海の向こうに見える鳥海山を瞼に焼き付けた。帰路は順調に走り、横浜には夜9時に到着した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 37mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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2018年4月30日

2泊3日で山陰山陽を周遊(6) 津和野 3月31日

3日目は萩を出発して津和野を観光して、宮島へ行くという行程だった。 宮島で厳島神社を参拝した後は 広島から新幹線に乗れば良いのだが、バスで岡山へ行く。岡山発19:33発ののぞみ58号で新横浜着22:34だ。
 宿を出発したバスは、萩市内で村田蒲鉾店に寄った。なかなか立派な店舗だった。 山口県・萩が発祥とされる焼き抜き製法を守り、初代の蒲鉾への思いを受け継ぎ萩の蒲鉾の原料となる新鮮な生のえそのみを使用した特別な蒲鉾づくりを続けてきているという。農林水産大臣賞を受賞した国産エソ100%の焼き抜き蒲鉾「村四郎」が売りのようだが、土産にしたところ、評判は良かった。
 萩から津和野へは、国道315号で、1時間ほどだった。道中、バスガイドさんが、今回松下村塾に行けなかったのを気の毒に思ってか、 吉田松陰 について、師の佐久間象山と黒船を遠望観察し、西洋の先進文明に心を打たれたこと。嘉永7年(1854年)にペリーが日米和親条約締結の為に再航した際には、漁民の小舟を盗んで旗艦ポーハタン号に漕ぎ寄せ、乗船したが、渡航は拒否されて小船も流されたため、下田奉行所に自首し、伝馬町牢屋敷に投獄されたこと。幕府の一部ではこのときに象山、松陰両名を死罪にしようという動きもあったが、国許蟄居となり、長州へ檻送された後に野山獄に幽囚されたこと。安政6年(1859年)、安政の大獄に連座し、江戸に檻送されて伝馬町牢屋敷に投獄され、結果、同年10月27日、伝馬町牢屋敷にて斬首刑に処され、享年30歳で亡くなったことを話してくれた。
  津和野町は人口約7千人の島根県南西に位置する街である。 バスは津和野の銘菓「源氏巻」の「沙羅の木ことぶきや」という店の駐車場に止まり、その店の従業員の方が、津和野の小京都といわれる殿町通りを案内してくれた。
 津和野観光はそれだけだったので、ちょっと物足りなかった。30年近く前、福岡に勤務していたころ、夏休みに家族で津和野を訪れたことがある。その時は城山の麓から中腹にかけて朱塗りの鳥居が立ち並ぶ太鼓谷稲成神社や、キリシタン殉教の地として知られる乙女峠に建つマリア聖堂にも行ったのを思い出す。

94.​「北門屋敷」の庭に咲く椿
萩は昔は椿の郷と呼ばれ、ツバキ→バキ→ハギとなったのが、萩の名の由来という。​​​​​​​

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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95.「北門屋敷」の庭
​朝食後、宿「北門屋敷」の庭を歩いてみた。中庭のようになっていて、決して広くはないが、よく手入れされている。ここでも桜がきれいだった。​

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 34mm ISO125 ) 露出補正 なし
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96.「北門屋敷」入口の門
「北門屋敷」があるところも萩城下町で旧上級武家地だった。世界遺産に登録されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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97.山口県立萩高等学校
「北門屋敷」の門の前には 山口県立萩高等学校 があった。1718年(享保3年)に創建された長州藩の藩校である明倫館の流れを汲んで、1870年(明治3年)に萩中学校として創立された 。山口高校と並んで県下で最も古い歴史を有する高校の一つである。なお、前身の藩校設立時点から数えれば、1816年(文化12年)設立の山口講堂の流れをくむ山口高校をしのいで、県下最古の学校である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.​5​ 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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98.津和野銘菓「源氏巻」 沙羅の木ことぶきや
9時50分ごろ津和野町に着いた。バスは、JR津和野駅の前を通って、写真の菓子舗の駐車場に入った。有効に商売に結び付けられているようだ。クラブツーリズム、阪急交通社など多くの観光バスツアーが予約されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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99.津和野カトリック教会
殿町通りに出るとカトリック教会があった。国登録有形文化財になっている。内部は畳敷きで、鮮やかなステンドグラスが印象的な石造りの教会というが中は見られなかった。シェーファー神父によって建てられたもの​だそう​で、城下町の古い町並みに西洋ゴシック建築の建物がひときわ目を引​く​。 隣接する展示館にはカトリックの殉教に関する歴史資料​が​展示​されている​。 津和野駅の裏手の乙女峠に、キリシタン殉教史跡であるマリア聖堂​がある。​

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
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100.殿町通り -1
町の中心部にある殿町通りは、城下町時代の古いたたずまいを残す。整備されていてなかなか魅力的な場所だ。藩校養老館跡、郡庁跡、津和野藩家老多胡家表門、カトリック教会などたくさんの歴史を感じさせる建物が集中している。この写真はカトリック教会の前から、藩校養老館跡方面を見たところだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
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101.殿町通り -2
朝早いためか、殿町通りはわたくしたち以外に観光客はいない。この道、車が通るのだ。しっかり徐行してくれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
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102.大岡家老門
なまこ壁が続くその中央にある門は大岡家老門と書かれた柱がたてられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
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103.掘割
大岡家老門の道の反対側は、通りに沿って流れる掘割があり、白壁や並木の緑が映り込み、鮮やかな色をした、300~500匹の色とりどりの鯉が泳いでいる。もともと津和野の鯉は江戸時代に非常食用として飼われていたものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
104.なまこ壁と桜
​今歩いた道を振り返ってみる。なまこ壁と、ここでも満開の桜がきれいだ。​

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
105.旧津和野藩家老多胡家表門 -1
​殿町通りは津和野川にかかる津和野大橋の手前まで続くが、殿町通りが終わりになるあたりに旧津和野藩の筆頭家老であった多胡家表門があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
106. 旧津和野藩家老多胡家表門 -2
多胡家は津和野藩の筆頭家老職を藩主亀井家十三代にわたり務めた。幕末の安政年間(1854〜1860)に建造されたものである。太い竪格子(たてごうし)の窓や古い土塀は、簡素であるが武家屋敷らしい威厳に富んでいる。多胡氏は筆頭家老として代々藩の政治を実質的に担ってきたが、なかでも天和から元禄にかけての真益(さねます)、真武(さねたけ)兄弟(ともに通称主水:もんど)は殖産興業を強力に推進したことで知られる。開墾、干拓、造林に力をつくし、製紙、製茶の奨励につとめた。末弟の外記真蔭(げきさねかげ)は江戸家老として、浅野事件の前年藩主の危機を救ったといわれ、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の加古川本蔵のモデルという。( しまね観光ナビ 参照)

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
107.鷺舞のモニュメント
​殿町通りを津和野川河岸まで来ると​鷺舞のモニュメントがあった。鷺舞とは主として八坂信仰の神社にて奉納される伝統舞踊​で、​島根県津和野町及び京都市の八坂神社で奉納されるものが著名である。津和野町のものは平成6年(1994年)「津和野弥栄神社の鷺舞」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。​

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
108. 殿町通り -3
殿町通りの北西側を歩いてカトリック教会の方へと戻る。こちら側の堀には鯉は泳いでいなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
109.津和野町役場津和野庁舎
さっきは道の反対側から見ていた家老職大岡家の表門の中に入ってみる。敷地内には遺構がなく現在は 津和野町役場津和野庁舎となっていた。 教育委員会、福祉事務所が併設されている。大正時代の建物がそのまま役場の庁舎として使われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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110.屋敷
大岡家表門の並びに「井川」「下間」という表札が掛かった武家屋敷の立派な門があった。門の奥には大きな屋敷も見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
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111.津和野の街
殿町通りをひとまわりした後、バスへの集合時間までの間、JR津和野駅のほうへ歩いてみた。街にはこんな店があった。「Cafe 二代目 この実」という看板が掛かっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
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112.JR津和野駅
山口線を津和野から新山口まで運行されている貴婦人(C57)けん引の山口号が有名である。私も以前に乗ったことがある。残念ながら駅郊外にSLの姿はなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 81mm ISO100 ) 露出補正 なし
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113.常光寺
バスに戻るときに山口線線路の反対側に小さなお寺が見えた。行ってみると、浄土真宗本願寺派のお寺だったが、由緒などはわからなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 26mm ISO100 ) 露出補正 なし
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2018年4月25日

2泊3日で山陰山陽を周遊(5) 萩の城下町 3月30日

出雲大社の参拝を終え、次は日本海に沿って西へと走り、山口県の萩に行く。出雲から、くにびき海岸通り、国道9号線、そして、ところどころ開通している山陰道で益田まで行き、益田からは、191号線で萩まで行くのだ。距離にして約190km、時間は3時間半ほどかかるようだ。12時半に出雲大社の駐車場を出発し、途中、浜田のゆうひパークという道の駅でトイレ休憩を取り、萩の城下町に着いたのは、午後4時半だった。昼食は出雲で積み込んだ弁当だった。
  下電観光バスのバスガイドさんは、63歳。この道40年のベテランである。沿道のことを何も見ないで良く説明してくれる。自分では「顔を見ないと、声は大原麗子に似ている言われる」と言っていたが、若い頃は可愛いかっただろうと思う。歌もうまい。この地にゆかりのある島村抱月に見いだされた女優・ 松井須磨子 の「カチューシャの唄」を歌ってくれたが、とてもうまかった。
 萩が近くなると、関ケ原の戦いのあと、毛利は領地を没収され、萩に領地替えを強いられたこと、長州藩と尊王攘夷、吉田松陰が死罪となった安政の大獄、高杉晋作と討幕の動き、そして大政奉還など幕末のことを説明してくれた。長い道中だったが、飽きることはなかった。
  萩に着いて、バスガイドさんは、その古い城下町の一角を小一時間、案内してくれた。(写真に関する記述は、 萩市観光協会「ぶらり萩あるき」 を参照させていただいた。)萩では、松下村塾、萩城跡、 明倫学舎 など、もっともっと観たいところもあったが、時間がなかった。菊ヶ浜の夕日も見たかった。
 この日の宿は「北門屋敷」というところだった。 「北門屋敷」は毛利の居城であった萩城からほど近い場所で、かつて城を守る重臣達が居を構えた萩城三ノ丸の、毛利一門・吉敷毛利家屋敷跡にある。世界遺産・萩城下町の中にある、唯ひとつの旅館ということだ。

75.浜田・ゆうひパーク
ちょうど、出雲から萩への行程の半分くらい来たところの、浜田・ゆうひパークという道の家でトイレ休憩となった。日本海が眺められた。ここでも桜がきれいに咲いていて、その向こうに浜田大橋を望む。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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76. 萩城下町案内図
バスは萩城下町の駐車場に着いた。この写真で現在地とあるところから、世界遺産「明治日本産業革命遺産」萩城下町巡りを始める。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
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77.旧野田家の土塀
この写真は歩きだす前に、76.の案内図でいう左上方向を見たところ。旧野田家住宅の長い土塀が続く。嘉永年間(1848年~1854年の当主・野田七郎左衛門は身分は 萩藩・中士下等の遠近付で51石余を給されていた。江戸時代武家屋敷の面影をよく伝えている。 ここから前の写真の案内図の下の方にある江戸屋横丁を右へ歩く。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
78.円政寺
まず左側に「高杉晋作、伊藤博文 幼年勉学のところ」という石碑が立った円政寺の入口があった。幼少の高杉晋作が肝試しした小天狗の面や博文のレンガの硯が残っているという。もともと、真言宗御室派 月輪山 円政寺は、鎌倉時代頃に大内氏の祈願寺として今の山口市に創建された。大内氏滅亡後、慶長9年(1604)毛利輝元が萩へ築城と同時に萩城下 塩屋町(現 多越神社)に移転され、毛利氏の祈願寺となったという。神仏分離令後、明治3年(1870)円政寺の名が惜しまれ、この場所にあった法光院と合併・改称、現在の 円政寺 になった。山口市には現在も円政寺町という地名が残っているという。残念ながら、境内の中に入って見学する時間はとってもらえなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.5 1/500秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
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79.青木周弼邸
しばらく行って左側に13代藩主・毛利敬親の侍医を務めた青木周弼の旧宅があった。幕末当時、日本屈指の蘭学医でもあった青木周弼は、享和3年 (1803) 、周防大島郡の医師青木玄棟の長男として生まれた。三田尻の名医能美友庵・洞庵父子に学び、江戸に出て蘭方医坪井信道などに学んだそうだ。長崎に遊学した際には、シーボルトに師事している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO800 ) 露出補正 なし
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80.木戸孝允旧宅
次は 木戸孝允誕生地という石碑の立ったその旧宅だ。 木戸孝允は天保4年(1833年)に藩医・和田家に生まれた。慶應2年(1866年)西郷隆盛と会合し、薩長同盟を結び、後に維新三傑と呼ばれた。志士・桂小五郎の名でも有名である。この旧宅は江戸に出るまでの約20年間を過ごした実家の和田家である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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81.公衆便所
江戸屋横丁が終わりになるところにトイレがあった。和風のしゃれた建物で、萩城下町らしさを表現している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 39mm ISO200 ) 露出補正 なし
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82.青木研蔵旧宅
青木研蔵(1815~1870)は医者青木家に生まれる。青木周弼の弟で、兄の周弼とともに長崎へ出て、シーボルトに学ぶ。さらに江戸へ出て、蘭学者伊藤玄朴に学んだ。のちに兄の養子となり、文久3年(1863)兄の没後、青木家の家督をついだ。種痘法を取得して、藩内に広め、維新後明治天皇の大典医になった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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83.土塀と桜
江戸屋横丁の角を左に曲がって、次の角の左手には白く長い土塀が続く伊勢屋横町が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
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84.伊勢屋横町
北側に伊勢屋という商家があったことから、この名がつけられたという。また、元禄4年に仲一左衛門の屋敷を召し上げて絹織場とし、絹機の職人を置いたことから絹機屋町などとも呼ばれた。その後閉業し、元禄8年に町人がこれを買い受けて町屋敷としたというが、当時の商人の財力の高さが伺える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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85.菊屋家住宅
藩の御用達を勤めた豪商・菊屋家の住宅で、その屋敷は幕府巡見使の宿として度々本陣にあてられたという。屋敷は江戸初期の建築、現存する商家としては最古の部類に属し、400年の歴史がある。藩の御用商人・菊屋家は、大内氏時代には武士であったが、毛利輝元公萩城築城の際には有力町人として萩に入り、町づくりに力を尽くした。主屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場の5棟が国指定重要文化財に指定され、約2000坪の敷地の約3分の1が現在公開されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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86.田中義一生誕地
菊屋家住宅の先を左に、菊屋横町へ入る。第26代内閣総理大臣 田中義一の生誕地は城下町・菊屋横町にあった。田中義一は、元治元年(1864)、藩士・田中信祐の三男として生まれた。陸軍士官学校を経て陸軍大学校を卒業し、日清戦争出征後、軍事情勢の探索のためロシアに留学。日露戦争では、開戦論を唱え満州軍参謀として出陣した。大正7年(1918)原敬内閣の陸軍大臣、大正10年 陸軍大将となり、大正14年に立憲政友会総裁に推され政界に入る。昭和2年(1927)金融恐慌の渦中に内閣総理大臣となり、支払猶予緊急勅令(モラトリアム)を発行し、銀行取りつけ騒ぎを沈静化した。昭和3年、第1回普通選挙法を施行。同年、張作霖爆殺事件が勃発し、昭和4年、責任を問われて総辞職した。ニックネームは「おら(俺)が大将」だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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87.高杉晋作誕生地
幕末の風雲児・高杉晋作の誕生地​だ​。現在は、南側半分が公開されており、産湯に使ったと伝えられる井戸や自作の句碑などがあ​るというが見学する時間はなかった。高杉晋作は、天保10年(1839)に萩藩大組士、禄高200石 高杉小忠太の長男として生まれた。藩校明倫館に通う一方で松下村塾に通い、頭角を表し、久坂玄瑞と並んで「松門の双璧」と称された​という​。文久2年(1862)、外国に支配される清国(現:上海)を視察し危機感を抱いた晋作は、翌文久3年(1863)に身分を問わない我が国初の軍事組織"奇兵隊"を結成。討幕戦を勝利へと導​い​たが、胸の病が悪化し、下関・吉田(現:東行庵)に隠居​した​。慶応3年(1867) 結核のため、27歳と8ヶ月という若さでこの世を去​ったという​。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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88.塀と桜の木
菊屋横町を進むと左側に長い塀が続き、大きな桜の木が満開の花を咲かせていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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89.晋作広場
木戸を入ると広場になっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO100 ) 露出補正 なし
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90.高杉晋作立志像
高杉晋作誕生地の近くにある晋作広場に、平成22年10月​、この像が​に建立された。若かりし頃のまげ姿の晋作像​である。​ 銅像は、晋作が明倫館や松下村塾に通っていた20歳頃の若々しく凛々しい顔をイメージしており、両刀を差した羽織、袴の立ち姿​だ​。銅像の高さは​18​mで、台座を含めて3m。晋作誕生地と萩城の方角を向いて建てられてい​る​。また広場には晋作が好きだった梅の木も植樹されてい​るそうだ​。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO160 ) 露出補正 なし
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91.旧野田家住宅の長い塀
高杉晋作立志像から慶安筋を進むと江戸屋横町に出て、出発点へ戻る。結局、このツアーでの萩観光は城下町を一回りするに終わってしまったが、萩の最も萩らしいところを見せていただいたのだと思っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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92.旧野田家の桜
野田家は中級武士の家で、今でも野田さんが住まわれているそうだ。 嘉永年間(1848~1854)の当主野田七郎左衛門は、萩藩遠近付で、51石余を給されていたそうだ。建物は、木造平屋建、寄棟造、桟瓦茸で、道路に面した門とそれに続く土塀、主座敷南側に造られた庭園なども残り、江戸時代武家屋敷の面影をよく伝えている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 15mm ISO100 ) 露出補正 なし
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93. 「北門屋敷」の宵
今宵は「北門屋敷」という宿に泊まる。世界遺産となっている萩城下町の中にある。 夕食後、月が明るい夜8時の北門御殿の庭。 今日も1日良い天気だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/100秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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2017年4月12日

水戸偕楽園と弘道館(3・終) 弘道館 3月14日

12時40分に偕楽園を出たバスは、一旦、水戸でいちばんの繁華街である大工町を回って、国道50号線から弘道館に着いた。
 ここも入場料は免除だった。入場券の裏面に「弘道館は水戸藩第九代藩主徳川斉昭が天保12年(1841年)に藩士とその子弟の教育のために設立した藩校です。藩校としては全国一の規模を誇った敷地内には、正庁・至善堂の他に文館・武館・天文台・八卦堂・鹿島神社・孔子廟などが建設され、また馬場・調練場なども整備され、まさに文武両道、総合的な教育施設でした。幾度の戦火を免れて現存する正門・正庁・至善堂は、国の重要文化財に指定され、また復元された八卦堂、孔子廟などを含む弘道館公園は旧弘道館として特別史跡に指定されています。」と説明されていた。
 正門の脇の番所というところから入場し、靴を脱いで正庁に上がった。
  正庁および至善堂を見学し、また建物の中から庭を眺め、外に出た。北西側にある梅林を見て歩き、退出したが、時間が乏しく、孔子廟や、八卦堂を見られなかったのは残念だった。いつも帰って来てから「ああ!そういうところもあったのだ」と思うことが多いのだが、また、観に行くといっても簡単ではないので、事前に調べておくことが大事である。記述は茨城県水戸土木事務所 偕楽園公園課 弘道館事務所作成の弘道館というサイトを参考にさせていただいた。
  おおよそ40分間の見学を終え、バスは最後に那珂湊漁港へ向かう。30分くらいで着いたが、到着と同時にまるで夕立のような強い雨が降ってきた。駐車場の近くにある鮮魚販売店に入り、バスツアーお定まりの買い物タイムを過ごした。

41.正門
天保12年、弘道館創立時に建てられた正門で、国指定重要文化財になっている。藩主の来館や、正式な行事の際に開門するという。門柱や扉などには、明治元年(1868年)に起きた弘道館の戦いという藩内抗争の銃撃戦で出来た弾痕が残っている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f8​​​ 1/​250​秒 50mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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42.弘道館事務所
観覧券売場があったが、大人200円を免除された。ツアコンさんがあらかじめ免除対象となるシニアの人数を把握していたのだろう、ツアコンから渡された入場券には免除のスタンプが押してあった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6​​​ 1/​250​秒 38mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
43.正庁玄関の扁額
私には何が書かれているのか全く解らないが、斉昭の書で表面に「弘道館」、裏面に「天保十二年仲冬日書」と刻まれているそうだ。天保12年(1841年)8月1日の仮開館式を終えた後の仲冬(11月)に書かれ、正庁玄関に掲げられた。大きさは縦85㎝、横50.5㎝で玄関にふさわしい風格のある扁額である。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2​​​ 1/​250​秒 38mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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44.諸役会所 (しょやくかいしょ)
来館者控えの間だそうだ。広い。床の間の「尊攘」の掛け軸は、水戸藩の藩医で能書家で知られた松延年の筆だそうだ。安政3年(1856年)に徳川斉昭の命で書かれた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5​​​ 1/​20​秒 18mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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45.梅
正庁の廊下を歩きながら眺める庭の梅は静かに咲いていた。ここは西側にある梅林散策路の出口のところだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f7.1​​​ 1/​250​秒 31mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
46.「烈公梅」​​
偕楽園では確認できなかったが、これが「烈公梅」だった。まだまだ花をいっぱい付けているではないか。天気が良ければもっと薄紅色が鮮やかなのだろう。品種名「烈公梅」は偕楽園を造った、徳川第15代将軍徳川慶喜の実父である、水戸藩 9代藩主・徳川斉昭の諡号(死後、生前の行いを尊んで贈る名)「烈公」に因む。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8​​​ 1/​250​秒 48mm ISO220 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
47.山茱萸(サンシュユ)
正庁の縁からは、黄色い花が咲いている山茱萸の木が眺められた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8​​​ 1/​250​秒 48mm ISO280 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
48.至善堂
正庁の廊下から至善堂を眺めながら進む。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4​​​ 1/​250​秒 31mm ISO320 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
49.至善堂 御座の間​​
至善堂は正庁の奥にあり、この御座の間をはじめ4室からなる。至善堂の名称は、斉昭が四書のひとつ「大学」の一節からとって命名したもので、「人間は最高善に達し、かつその状態を維持することを理想とすべきである」という意味がこめられている。この部屋は藩主の休息所であり、また諸公子の勉学所でもあった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5​​​ 1/​80​秒 18mm ISO3200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
50.至善堂の部屋から
​​ メモしておかなかったので、至善堂のどの部屋からどこを撮ったのか分からなくなってしまった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.5​​​ 1/​250​秒 46mm ISO1400 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
51.梅林散策
​​ 入ったところから、正庁・至善堂の外へ出た。正庁・至善堂の裏側(北西側)にある梅林を歩いた。散策路には霜で泥んこ道にならないようにと思われるが、藁が敷かれていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6​​​ 1/​250​秒 18mm ISO1400 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
52.梅の古木​​
​​ 弘道館の梅林には古木が多いように思う。この紅色の八重の花は「八重寒紅」という品種だろうか?

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4​​​ 1/​250​秒 26mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
53.「臥龍梅」
​​ この古木は「臥龍梅」と直ぐわかった。老成した梅の木が四方に広げた枝を地上に落とし、地面に接したところから根を発生させ新しい株となり、その姿が竜が地に這っている姿に見えることから「臥竜梅」と呼ばれている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6​​​ 1/​250​秒 22mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
54.至善堂と山茱萸
​​ さっきは建物の中から山茱萸を眺めたが、こんどは至善堂を背景に撮る。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.5​​​ 1/​250​秒 46mm ISO280 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
55.「柳川枝垂」
​​ 水戸の六名木のひとつ「柳川枝垂」は弘道館でも咲いていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3​​​ 1/​250​秒 300mm ISO280 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
56.遅咲きの薄紅色の梅​​
​​ 弘道館にも60種約800本の梅があるという。この梅は、いま、一番見事に咲いている梅だった。傍に弘道館に梅花を賞すという漢詩が書かれた「弘道館賞梅花 徳川景山(斉昭)」という札が立っていたが、この梅の品種は判らなかった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3​​​ 1/​400​秒 300mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
57.徳川斉昭の像
​​ 弘道館の前の道路の反対側に水戸城跡への矢印があり、大手橋が見えた。大手橋の架かるかっての、二の丸と三の丸を分かつ堀は県道232号線になっている。そのたもとに梅の花を背にして徳川斉昭の像が立っていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.3​​​ 1/​400​秒 82mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
58.那珂湊漁港水産店​​
​​ 午後1時半ごろ弘道館を出発し、国道51号線を大洗の方に走り、2時ごろ那珂湊漁港に着いた。那珂湊漁港には11店舗が軒を連ねる「那珂湊おさかな市場」がある。その中の1軒の駐車場にバスは入った。強い雨が降ってきて、水産店に入って何かないかと物色する以外に過ごし方がなかった。平がに(ヒラガニ)というカニが売られていた。ヒラツメガニともいう。食べられる身肉は少ないが、ダシが良く出るので濃厚なカニの味が楽しめるという。ただ、値段は高いのか安いのかわからない。近所のスーパーでは見ることのないカニなので、味を知っている好きな人にとっては「買い」なのだろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels​​
​​ プログラムオートで撮影 ( f4 1/100秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
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​​
Flower,Plants​,T​ravel,​​​Domestic

2017年4月 6日

水戸偕楽園と弘道館(1) 水戸偕楽園梅園 3月14日

私がまだ入社間もない頃だった。製薬会社の営業だったので、病院や開業医の先生方を訪れ、自社開発の医薬品の適応疾患、特徴、用法用量、副作用などを説明するのが仕事だった。その頃は、都内の病院、開業医の担当を持ちながら、月に1回、1週間だけ、茨城県を回るのが仕事だった。水戸には2泊する。とても懐かしい。
 過日、某旅行社の日帰りバスツアーで「日本三名園 水戸偕楽園の梅まつり 旧水戸藩の藩校 国の重要文化財 弘道館の梅」というのがあったので申し込んでおいた。
 あいにく曇り時々雨という天候だったが、水戸偕楽園を歩くときは雨は止んでいてくれた。
  常磐自動車道の水戸インターで降りてすぐのドライブインで昼食の「はまぐり弁当」が積み込まれたが、ツアコンの説明ではバスの中か、偕楽園で食べて欲しいという。偕楽園に到着するまでの15分間のバス走行中に車内で食べてしまった。偕楽園での時間は約1時間しかとられていない。水戸藩の第9代藩主・徳川斉昭により、偕楽園内に詩歌の会や茶会などを催すために建てられたという好文亭の内部も見たかったので、時間は足りなかった。
 12時40分に偕楽園を後にし、次の目的地である弘道館には5分ほどで着いた。
 仕事で水戸に来ていた時は、偕楽園も弘道館へも行っていない。その時間がなく、興味もなかったのだろう。
  バスは午後1時半に弘道館を出発し、30分ほど走って、那珂湊漁港の海産物市場へ連れて行ってくれた。降りて海産物の店で物色をしていると突然夕立のように激しい雨が降り出した。偕楽園、弘道館滞在中に降られなくて幸いだった。
 帰路に予想された渋滞もなく、夕方5時に横浜に到着した。これならもう少し、偕楽園でゆっくりできたらよかったと思った。

  まず、偕楽園のいわば本園である東西梅林を散策した。

1.常盤神社
わたくしたちが乗ってきたバスは、しばしば満杯になりとめられなくなるという偕楽園東門下の駐車場に入ることができた。ここからが一番近いらしい。偕楽園は北側の高台に広がる。駐車場を出てすぐ右側に常盤神社へ上がる階段があった。ここを上がるのが最も近いらしいが、ツアー客は高齢者が多く、ツアコンさんは折り返しながらゆっくり上るスロープの道を選んだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.5​​​ 1/​250​秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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2.偕楽園東門
門を入って右側に東西梅林がある。少し遅いとはいうものの、まだまだいっぱい花をつけた梅の木々が迎えてくれた。偕楽園は金沢の兼六園、岡山の後楽園とならぶ「日本三名園」のひとつで、天保13年(1842年)に水戸藩第九代藩主徳川斉昭によって造園された。斉昭は、千波湖に臨む七面山を切り開き、領内の民とともに楽しむ場にしたいと願い、偕楽園を造ったという。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5​​​ 1/​250​秒 26mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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3.東西梅林​​
いわば偕楽園のメインの梅園である。偕楽園にはこの東西梅園のほかに、本園から常磐線の線路の反対側に下ったところの公園拡張部に田鶴鳴梅林、猩々梅林、窈窕梅林という3っの梅林がある。約100品種、3,000本の梅が植えられているという。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4​​​ 1/​250​秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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4.「白加賀」
「白加賀」は徳川時代から栽培されていた梅の品種だそうだ。果実の品質の良い梅で、観賞用としてよりも食用として栽培されいることが多い。まだ白い一重の花が咲いていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.3​​​ 1/​320​秒 78mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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5.「旭鶴」 -1
これは「旭鶴」という品種。早咲きだそうだが、まだ花が残っている。白と紅の微妙な花色が美しく、明治時代の三鶴名花の一つとのこと。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6​​​ 1/​250​秒 28mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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6.「旭鶴」 -2​​
真直ぐ上に伸びた枝に同じような間隔で花を咲かせていた。名前の由来が知りたかったが判らなかった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3​​​ 1/​320​秒 250mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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7.「藤牡丹枝垂」​​​​
八重の薄紅色の花で、枝垂梅系である。花期は2月下旬~3月上旬と言われる。園内の枝垂れ系の梅はまだ花が残っているものが多かった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f7.1​​​ 1/​250​秒 28mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
8.「春日野」
花は八重で白花、紅白絞りがでるとのこと。花期は2月下旬~3月上旬である。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​320​秒 70mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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9.薄紅色の八重の梅​​
品種が判らなかったが、いっぱい蕾を付けた遅咲きと思われる梅だった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250​秒 300mm ISO230​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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10.「巻立山」 -1
今は見ごろと咲いている梅があった。白い花をたくさんに付け、その中に薄紅色の花が混じる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250​秒 31mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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11.「巻立山」 -2​​​​
園芸品種図鑑 というサイトには、「​​巻立山(マキタチヤマ)は梅(ウメ)の栽培品種の​1​​​​​つである。読み方は「マキタツヤマ」とするものもある。樹高は​3​​​​​メートルから​6​​​​メートルくらいである。葉は楕円形で、互い違いに生える(互生)。開花時期は​2​月から​3​月である。葉の展開に先立って花を咲かせる。豊後系・豊後性の一重咲きの中輪(​20​から​25​ミリ)である。花の色は白い。裏弁は爪紅絞りとなる。」​と説明されていた。​​​

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​500​秒 86mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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12.梅にヒヨドリ
せめてメジロだったら絵になったのだろうが、少々地味である。ヒヨドリさんには申し訳ない。レンズの焦点距離が300mmまであると、こういう時に重宝だ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250​秒 300mm ISO360​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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13.東西梅林の遊歩道​​
東西梅林には何本もの遊歩道が交差している。限られた時間ではすべてを見て回れない。この日の観光客は少ない方だったと思う。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250​秒 300mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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14.地に垂れて咲く梅​​
​​ 品種名はわからない。臥龍梅という品種があるが、臥龍梅は「幹が低く枝が地上をはった所に根を生じ、竜のふす姿を思わせるもの」というが、この木は低く垂れた枝には根を生じていない。線香花火のように花をつけていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​400​秒 60mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
15.「水戸の六名木」のひとつ「虎の尾」
​​ パンフレットによると、偕楽園と弘道館にあるすべてのの梅の品種を調査、研究して、その中でも花の形、香り、色などが特に優れている6品種を選び、昭和9年(1934年)に「水戸の六名木」としたそうだ。その六名木とは、この「虎の尾」のほか、「烈公梅」、「柳川技垂」、「白難波」、「月影」、「江南所無」がある。しかし、この六名木があるということを事前学習していなかった。半分しか撮っていない。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250​秒 38mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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16.遅咲きの梅
​​ まだ蕾をいっぱい付けた八重の薄紅色の梅が愛らしく咲いていた。品種の札がついていたのだろうが、確認を怠った。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250​秒 31mm ISO280 ​) 露出補正​ ​なし
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17.「江南所無」​​
​​ 「水戸の六名木」のひとつである「江南所無」が深紅の蕾を付けていた。花期は3月中旬というから、遅咲きの梅で、これから花が開くのだ。深紅の花は八重咲で大型。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250​秒 98mm ISO320 ​) 露出補正​ ​なし
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18.孟宗竹林
​​ 「江南所無」を見て、東西梅林の散策も切り上げようと思う。すべては観察できなかったが、時間の制約もあるし、これから好文亭も見たい。西へ歩くと孟宗竹林が見えた。そこを左に曲がって、好文亭の中門へと進む。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250​秒 28mm ISO640 ​) 露出補正​ ​なし
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2016年11月 1日

犬山、郡上八幡、白川郷、飛騨高山 古い町並みを歩く 10月17日~18日 (2) 郡上八幡 10月17日

犬山では針綱神社と三光稲荷神社をゆっくり見たかったが、バスへの集合時間が迫り、拝殿で手を合わせただけだった。
  10月17日、次の観光は郡上八幡だ。ここも古い町並みを見ることになる。
  14時15分、バスは城下町犬山から岐阜各務原ICを東海北陸自動車道に入った。1時間少々かかって郡上八幡に到着。ここでも車内で郡上踊りの実演などの見学ができる「郡上八幡博覧館」への入場が募集されが、これもやめて、古い町並みを見ることに専念することにした。
  郡上八幡は飛騨高地の南部に位置する。長良川が町の西側を北から南に貫流しており、市街地の標高はおよそ200メートルと比較的低く、町の東西の山地から支流が流れ込む。集落は長良川とその支流沿いに形成されており、吉田川が長良川に流れ込む辺りが郡上八幡の市街地である。今もきれいな城下町が残る情緒溢れる町で「水のまち」とも呼ばれるほど町のあちこちに水路がある。歴史に残る「郡上おどり」も郡上八幡の伝統の1つだ。
 バスは「郡上八幡博覧館」の駐車場に入った。そこから職人町、鍛冶屋町といった古い町並みを午後4時半過ぎまで歩いて回った。

  バスは郡上八幡から東海北陸自動車道を走り、ひるがの高原スマートICで下りた。今夜の宿はひるがの高原にある「郡上高原ホテル」だ。ホテルの後ろがすぐスキーのゲレンデになっている。海抜1,000mのところにある。温泉ではないかもしれないが、広い露天風呂があり、夕食前に入浴した。到着して急いで大浴場へ行ったら、その時たまたま他の入浴者がいなかっただけかもしれないが、一番風呂だった。

19.長敬寺
バスへの集合時間を確認して、さっそく古い町並みを見て歩くことにする。長敬寺という寺があった。辻の突き当りには城下の防御のための寺が配置され、13もの寺が狭い町の中にあるそうだ。wikipediaによれば、慶長6年(1601年)に八幡城主遠藤慶隆は、古今伝授の祖といわれる東常縁の玄孫の正勧坊正欽が、飛騨高山の照蓮寺にいると聞き及び、これを招いて創建し、自らの菩提寺としたと。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO250​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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20.職人町、鍛冶屋町
長敬寺の角を左に曲がって、職人町、鍛冶屋町を歩く。古い家並みの軒先にはほとばしるように流れる水路がある。振り返ると突き当りに長敬寺がある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250​秒 48mm ISO480​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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21.軒先を流れる水路
町割りに沿って通りの両側を流れる水路は、寛文年間(1660年ころ)に城下町の整備を進めた城主の遠藤常友が防火の目的のために4年の歳月をかけて構築したものだそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250​秒 50mm ISO640​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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22.登録有形文化財 堀谷医院​​
ちょっと雰囲気の異なる建物が目を引いた。登録有形文化財の銘板があるが何の建物かわからなかった。戻ってきて、写真に写し込まれた「第21-0036号」という登録番号をもとに検索した結果、大正9年(1920年)築の堀谷医院と分かった。現在も診療が行われているようだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 22mm ISO720​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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23.お店の前で立ち話
職人町、鍛冶屋町をまっすぐ進んで本町に入った。「白雪」という歴史を感じる看板には上田酒店と書かれた酒店があった。郡上で一番古い酒屋だそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 38mm ISO1000​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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24.にっき飴
先を歩いていたかみさんが入った店がある。桜間見屋(おうまみや)と書かれた古い看板が掛けられていた。この老舗はこれから行く宗祇水への入口にある。創業明治20年で当初から飴屋で肉桂玉を作り、現在6代目を継いでいるという。桜間見屋のこの看板は創業当時のもので、大正8年の大火でここ一帯が焼け野原と化した時にも、避難させて唯一残したと伝えられている大切な看板だそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 35mm ISO1600​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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25.桜間見屋の店内​​
お店のお嬢さんに「店の中の写真を撮らせていただいていいですか」とお断りして写真を撮らせていただいた。さすがにっき飴の専門店「元祖肉桂玉本舗」は豊富な品揃えだった。私はにっき飴が好きだ。かみさんは良い店を見つけてくれた。もちろんお買い上げ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO2800​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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26.宗祇水​​​​
本町の通りから右に入る小道があった。そこの石畳を下ると吉田川にそそぐ小駄良川にかかる赤い橋があり、その手前右側に宗祇水があった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.5 1/​250​秒 46mm ISO720 ​) 露出補正​ ​なし
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27.宗祇水​​​​
宗祇水とは、要するに名水百選に選ばれた泉である。1985年(昭和60年)宗祇水(白雲水)として名水百選第1号に指定されているそうだ。室町時代の領主 東常縁 と連歌の祖 飯尾宗祇 の古今伝授の故事を伝える泉という。江戸時代に修復されたのち、現在まで往時の姿をとどめ、美しい水がこんこんと湧き出している。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250​秒 28mm ISO1000 ​) 露出補正​ ​なし
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28.赤い橋
長良川の支流である吉田川にそそぐ小駄良川に赤い橋(清水橋)が架かっていた。橋のすぐ向こうがもう吉田川である。wikipediaによれば、小駄良川(こだらがわ)は、岐阜県郡上市を流れる木曽川水系の河川で、吉田川の支流のうち、唯一一級河川に指定されている。郡上市八幡町北部、明方村との境界にある河鹿に源流部がある。山間部を南へ流れていくつかの小河川と合流して八幡町市街部で吉田川と合流するとある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250​秒 24mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
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29.小駄良川の川上​​
宗祇水のところにある赤い橋(清水橋)から小駄良川の川上を望む。洞泉寺橋が見える。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 38mm ISO380 ​) 露出補正​ ​なし
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30.マンホールの蓋
清水橋を渡って少し進むと、小駄良川が吉田川に流れ混むところがあった。中河原公園という公園になっている。そこから再び、清水橋にむかって戻る。マンホールの蓋には清流を泳ぐ魚が描かれている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 20mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
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31.石畳の坂道
再び宗祇水のところへ戻り、清水橋を背に降りてきた坂道を上がって本町通りに出た。右へ行って、吉田川の宮ケ瀬橋を渡る。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250​秒 31mm ISO560 ​) 露出補正​ ​なし
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32.宮ケ瀬橋から新橋を見る
宮ケ瀬橋から上流を眺める。見えているのは新橋で、よくTVで子供たちが川に飛び込む夏の風景として報じられる橋だそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250​秒 56mm ISO320 ​) 露出補正​ ​なし
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33.新町通り​​
宮ケ瀬橋を渡ってまっすぐ南へ進むと四つ角があって、真っすぐが橋本町、右(西)が新町、左(東)が左京町になっている。写真は新町通りのアーチ。ここも古い町並みで、ここも郡上踊り会場になる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f9 1/​320秒 38mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
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34.願蓮寺
橋本町の突き当りには願蓮寺があった。門も立派で、本堂も立派だった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​250秒 24mm ISO480 ​) 露出補正​ ​なし
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35.郡上八幡旧庁舎
一旦、左京町へ戻って、左京町の通りを東へ歩くと、昭和11年に建てられた国の登録文化財に指定されている郡上八幡旧庁舎があった。今は記念館となって、観光案内所などがある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250秒 22mm ISO220 ​) 露出補正​ ​なし
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36.新橋から上流を望む
郡上八幡旧庁舎の前を左に曲がると新橋に出た。ここで再び吉田川を渡る。上流を眺めると八幡橋が見えた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250秒 48mm ISO640 ​) 露出補正​ ​なし
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37.旅館「備前屋」​​
新橋を渡って左に曲がるとその右側の岩をくりぬいて神農薬師の洞があった。その先を右に折れると柳町の通りだ。そこに、趣のある門構えの「備前屋」という旅館があった。老舗なのだろう。郡上八幡の250年の歴史の中で現存するもっとも古い旅館だそうだ。門の左側に金色のプレートがあり、「藩校 潜竜館跡 江戸時代後半 青山時代」と記されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​250秒 24mm ISO1800 ​) 露出補正​ ​なし
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38.安養寺​​
​​ 柳町の町屋群も「統一された町屋と水利施設が一体となって歴史的風致を伝えている」として国の伝統的建造物保存地区に選定されているそうだ。その選定を受けたのはここ柳町のほか、歩いてきた職人町、鍛冶屋町と、その職人町、鍛冶屋町が本町へ入る左側の大手町がある。これらの町は大正の大火の直後、競って建てられ、袖壁と紅殻後格子が街並みを特徴づけていると言われる。柳町から郡上八幡城へ登るところに安養寺があった。安養寺は郡上で一番大きな寺だそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250秒 26mm ISO800 ​) 露出補正​ ​なし
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39.安養寺と郡上八幡城
​​ 安養寺本堂の大きな屋根の向こうに郡上八幡城の天守閣が見えた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.3 1/​250秒 82mm ISO2000 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
40.郡上八幡城 天守閣​​
​​ 郡上八幡城はそこから歩いて片道30分かかるという。もう午後4時半である。とても時間がない。現在の城は、昭和8年(1933)、当時の大垣城を参考に再建され、木造4層5階建の天守閣等は郡上市重要文化財に、一帯の城跡は県史跡に指定されている。日本最古の木造再建城だそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250秒 280mm ISO2500 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
41.浄因寺の鐘楼と紅葉​​​​
​​ 古い町並みを1時間余りで一回りしてきた。もちろん、もっとゆっくりと見たいと思うが、バスへの集合時間が決められている。そのバスの駐車場の近くに浄因寺という寺があった。その鐘楼の傍にあるもみじが少し色づいて来ていた。出発したバスは東海北陸自動車道を走り、ひるがの高原スマートICを出て5時半ごろ、今宵の宿である郡上高原ホテルに到着した。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250秒 38mm ISO1800 ​) 露出補正​ ​なし
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2016年3月19日

​​​​​​​​​​​​曽我丘陵の梅園と小田原城(3) 小田原城 3月1日

下曽我の瑞雲寺から一般道を小田原城址公園へ向かう。小田原城の堀の前の通りに駐車場があったので停めてしまった。
 「日本の城訪問記」というサイトを参考にさせていただく。
  元禄16年(1703)に発生した地震により天守はじめ城内の各施設はほぼ倒壊焼失したというが、本丸御殿等を除き再建され、小田原城は関東地方の防御の要衝として幕末まで存続した。明治3年(1870)に小田原城は廃城となり、売却された後、次々と解体された。城址は御用邸時代を経て地元自治体に払い下げられ現在にいたっている。
 現在の小田原城跡は、本丸・二の丸の大部分と総構の一部が、国の史跡に指定されている。また、本丸を中心に「城址公園」として整備されている。
 天守閣が鉄筋コンクリートで再建された1960年以前は本丸広場のあたりが公園になっていたように思う。昭和35年に立派な天守閣が再建されたが、それからすでに55年が経ち、来館者の安全確保のために耐震改修工事、空調設備の整備や展示のリニューアルが今年の4月末まで行われている。白亜の天守閣には工事用の足場が架けられていた。
 左手に馬出門、隅櫓を見ながら堀の前の道を学橋まで進んで堀を渡った。左に銅門を見ながら、常盤木橋を渡って常盤門をくぐり、本丸広場へ出た。目の前には足場が架けられた工事中の立派な本丸が見えた。帰りは銅門を通って住吉橋を渡り、馬出門から馬出門土橋(めがね橋)を渡って、駐車場に戻った。
  町まで歩いて、そこで食事にしようかと思ったが、準備不足で不案内であり、どっちへ行ったらよいかもわからず、やめてしまった。結局、東名の海老名SAで、簡単に済ませてしまった。

36.馬出門土橋
駐車場の前の堀に沿った道からは二つの橋が見えた。これは手前(南側)の橋だ。通称めがね橋という。小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中頃と考えられている。16世紀初め頃に戦国大名小田原北条氏の居城となり、関東支配の拠点として次第に拡張されたという。豊臣秀吉の小田原攻めに備えて築造された城下町を囲む延長9kmにおよぶ高い土塁と、深い空堀で構築された防御施設である総構(そうがまえ)の出現により、城の規模は最大に達した。ここ馬出門土橋が小田原城の正面入口でここから本丸までたどる。馬出門土橋を渡った所に、平成21年3月に馬出門が復元完成した。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/400秒 24mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
37.二の丸観光案内所
めがね橋の手前、堀が直角に曲がったところに、この二の丸観光案内所​​​​​​​​​が見えた。昭和の初期に建てられた​​​近代建築であり、日ごとその文化財的な価値は高まってきているという。下見板張り、縦長の上げ下げ窓など、洋風の躯体を持ちながら、史跡の雰囲気を壊さぬよう、屋根は日本建築の意匠となっており、明治の初期の居留地等にあった、いわゆる擬洋風建築の部類に入る​​​の​ものだそうだ。​

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/​320​​​​​​​秒 24mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
38.​​二の丸隅櫓
隅櫓は、関東大震災で崩落し、昭和​9​​​​​​​​年(​1934​)に再建​された。​右手奥に見える赤い橋はこれから行く学橋だ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/500秒 19mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
39.馬出門
馬出門土橋(めがね橋)を渡ったところに馬出門がある。​​馬出門は、二の丸正面に位置する門で、江戸時代の初期からこの場所に存在し、寛文1​2​​​年(1​672​​​)に桝形形式の門に改修された。馬出門とは、騎馬兵を出す場所の意味で、出撃時、城兵を敵から隠すことができる。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/4​​​​00秒 19mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
40.小田原城案内図と周辺案合図
案合図や説明札があると撮ることにしている。撮影場所や撮影位置、何を撮ったのかを後で確認するのに役に立つ。場所や位置関係を文章で説明するのは難しい。やはり図で見るのが一番だ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/320秒 7mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
41.隅櫓と工事中の天守
この位置から見る隅櫓の向こうは二の丸広場となっていて、その奥左側に天守が望める。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 15mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
42.学橋 この赤い橋は、二の丸東堀に架かる学橋という。学橋(まなびばし)のたもとには、幕末まで藩校集成館があったという。この学橋は江戸時代には無いもので、昭和4年(1929)に城内小学校が二の丸に移転した際に竣工した。現在の学橋は昭和24年(1949)に再建されたものだそうだ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/200秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
43.銅門土塀模型
学橋を渡って二の丸公園の中に入った。常盤木橋へ行く途中に、この銅門土塀模型があった。この土塀模型は、平成9年(1997)銅門(あかがねもん)復元建設を行うのに際し、事前に製作したものという説明札があった。また、その隣には銅門で用いられていたと考えられている礎石が置かれている。石の大半を土中に埋め、ホゾ穴に柱材を固定して礎石としたとある。話は違うが、D5300のシャッターが落ち難くなった。シャッターボタンを押してもシャッターが切れない。何度かやっていると、シャッターが落ちる。今日はこの後ずっとそういう状態が続いた。自宅に戻って、もしやと思いSDカードの接点を清掃したところ、この問題は解消した。こういうこともあるのだ。​​

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/250​秒 22mm ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
44.常盤木橋
本丸東堀跡に架かる常盤木橋を渡る。江戸時代の小田原城は、本丸を堀が囲んでいた。城絵図によると、堀は二の丸堀とつながる水堀となっている。今は、植木と盛土により堀の形を表現し、整備されている。橋の途中から、カンヒサクラの赤い蕾が見えた。蕾は下を向いて付いている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/800​秒 130mm ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
45.常盤木門 -1
常盤木橋を渡ると常盤木門がある。常盤木門は小田原城本丸の正門で、最も大きく堅固に造られていた。常盤木(ときわぎ)とは常緑樹の意味で、門のそばにあった松になぞらえて、この名がつけられたと言われている。市制30周年事業として、昭和46年(1971)3月に再建されたそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f11 1/500​秒 24mm ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
46.常盤木門 門扉
常盤木門を内側から内蔵フラッシュを使用して撮った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/125​秒 18mm ISO​280​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
47.本丸広場から工事中の天守を見る
本丸広場は、イベント会場としても使用され、御休み処や売店がある。本丸跡には、寛永11年(1633)に徳川家光が上洛に際して宿泊するために建設された本丸御殿が建っていたが、元禄16年(1703)の地震により焼失して以来再建されなかった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/200​秒 127mm ISO​100​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
48.カワヅザクラ
本丸広場から銅門へ戻るところの銅門広場というところに郷土文化館があり、その近くにカワヅザクラがきれいに咲いていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f10 1/400​秒 45mm ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
49.鯱 しゃちほこ
明治時代に廃城となった折、天守閣は解体され鯱もドイツ人売却伝えらているそうだ。その上、関東大震災により石垣が崩れてしまうなど、江戸時代の小田原城を偲ぶものは少くなっていた。天守閣は東京大学、久保神社に残さ れていた模型 を元に設計が行われた。鯱は絵図面を元に復原が行われ、青銅製のもが作られたという。こうして昭和35年 (1960) 、市政施行、市政施行20周年に合わせて、小田原城天守閣が完成した。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 143mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
50.天守閣
天守閣は、元禄16年(1703)の地震で、小田原城内の他の建物とともに倒壊・焼失したが、宝永3年(1706)に再建された。以後、江戸時代を通じて存続したが、前述したように、明治3年(1879)の廃城によって取り壊されてしまった。現在の天守閣は、昭和35年(1969)に宝永年間の再建時に作成された引き図(設計図)や模型を参考に鉄筋コンクリート造で復興されたものである。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/640秒 17mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
51.工事中の天守閣
昭和60年に鉄筋コンクリート造で再建された天守閣も、以来55年が経ち、現在、来館者の安全確保のために耐震改修工事、空調設備の整備や展示のリニューアルが今年の4月末まで行われている。白亜の天守閣には工事用の足場が架けられていた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
52.巨松(おおまつ)
小田原城祉公園には松が多くはえている。その中で一番目立っている松が本丸広場にあった。巨松という。巨松は約400年前の木だそうだ。高さは約30mあるという。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.8 1/200秒 7mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
53.常盤木門 -2
城内側から常盤木門を撮る。石垣が立派だ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/125秒 24mm ISO​360 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
54.イヌマキ
常盤木橋の前にある。暖温帯林を代表する常緑の高木。幹の周囲4.5m、株元周囲約6m、樹高約20m、枝張り状況(東西南北)13m~25mで小田原市の指定天然記念物になっている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/125秒 18mm ISO​280 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
55.銅門(あかがねもん) -1
工事中の白亜の天守閣を眺め、周囲を囲っている塀に展示されたかっての写真や説明を見て、城を跡にした。帰りは常盤木門を出て銅門から下城する。天守閣へ通じる登城ルートに設けられた、二の丸表門である。この二の丸と馬屋曲輪の出入り口の銅門は石垣による桝形になっていて 内仕切門及び櫓門を組み合わせた桝形門と呼ばれる堅固な門である。扉の飾り金具に銅を使用していたことから、銅門の呼び名がついたと言われている。当時の工法により平成9年(1997)に復原された。二の丸側から撮った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/800秒 70mm ISO​200 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
56.銅門 -2
常盤木門を下りたところの銅門広場から撮った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f11 1/200秒 34mm ISO​100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
57.銅門は枡形門
銅門をくぐって枡形に入る。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 14mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
58.銅門大扉
銅門(櫓門)に近づいた敵を待ち構えるのがこの大扉だ。説明板の通り銅の装飾が施されている。銅門二の門(住吉橋から入る内仕切門のこと)をくぐると土塀と石垣で構成された城壁が待ち構えている。敵兵が二の丸に攻め込むにはここで進路を櫓門に向かって90度左手に変えなければならない。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.8 1/400秒 7mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
59.ヒドリガモ
住吉橋の上から住吉堀に浮かぶ水鳥が見えた。これはヒドリガモのようだ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.5 1/200秒 258mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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60.オオバン
こちらは眼光鋭いオオバンだ。上嘴から額にかけて白い肉質(額板)で覆われている。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.5 1/160秒 258mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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61.住吉堀と住吉橋
今はお城の中の方から外へ出ようとしているが、城の外から城に入るには、この住吉堀にかかる住吉橋を渡って、銅門の内仕切門を入って枡形に入る。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/800秒 8mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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62.住吉橋と内仕切門
内仕切門は石塁上の土塀より下方に門を作る埋門の形式を取る。土塀には敵を射る為に狭間と呼ばれる穴がある。敵が橋を渡ろうとすると正面の左右の狭間から射られてしまう。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/250秒 39mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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63.城内の松
車を停めたところに戻ってきた。堀の向こうを見ると何本もの大きな松が立っている。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.8 1/320秒 7mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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2014年9月21日

足利から渡良瀬渓谷沿いに日光へ 9月11日~12日 (1)足利学校 9/11


 年に一、二度、一緒に旅行をしている友人ご夫妻と奥日光湯元温泉に行った。第1日目は、足利学校、鑁阿寺(ばんなじ)など、足利を観光する。そのまま、渡良瀬渓谷を日光へ出て、いろは坂から中禅寺湖へ上がり、奥日光湯元に一泊するドライブ旅行だ。宿泊は休暇村日光湯元。

 2日目は、赤沼から低公害バスに乗り、千手ヶ浜、小田代ヶ原を巡る。
 気がかりは天候だったが、天気予報の通り、1日目の9月11日は不安定な天気で、足利では短時間ではあったが、強い雨に襲われた。しかし、2日目は快晴。とてもさわやかな日になったのだ。

 夏に比べるとこの時期は観光客は少なく、ゆっくりと楽しむことができた。
  しかし、この旅行で、ひとつ失敗をしてしまっていた。今回はほとんどをD5300で撮ったが、絞り優先オートで、いつもの通りf6.3に設定していたのだが、足利で雨に降られたりして、カメラを拭きながらの撮影となった時に無意識にコマンドダイアルに触れてしまい、f6.3からf7.1へ、さらにf10、f11と動かしてしまっていた。2日目もf11になったままなのに気がつかず、最後はf14で撮っていた。まったくの初歩的で、不注意なミスだ。 撮影では、インフォ画面を確認せずにファインダーを覗いてしまっている。ファインダー内にもf値は表示されるのだが、構図を作るのに夢中になり、見ていない。気を付けなくてはいけない。風景の写真では多少絞り込まれても、ISO感度が上がることがあるのを除けば、それほど問題は感じなかったが、蝶の撮影は、たとえばf14で撮るとボケがきれいにならない。反面、被写界深度が深くなって、蝶全体がシャープに撮れるということもあった。

 足利ではまず、一番の目的であった日本最古の学校、国指定史跡である足利学校へ行った。足利学校の創建については、奈良時代、平安時代などの説があるが、歴史が明らかになるのは、室町時代の上杉憲実が現在国宝に指定されている書籍を寄進し、庠主(しょうしゅ)(学長)制度を設けるなどして学校を再興したころからだそうだ。天文18年(1549年)にはフランシスコ・ザビエルにより、日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学と世界に紹介され、「学徒三千」と言われるほどになったとパンフレットに書かれている。
方丈で小学生だろうか、子供たちが論語の素読をしていたのが印象に残った。

1.入徳門
足利学校へはこの入徳門から入る。門をくぐると右手に受付がある。入場券には「日本最古の学校 足利学校入学証」と書かれていた。入学金@420円を納め中に入る。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 45mm ISO1000 ) 露出補正 なし
入徳門;クリックすると大きな写真になります。
2.學校門
入徳門からまっすぐに學校門が見える。「學校」と掲額された足利学校の象徴的な史跡だ。寛文8年(1668年)の創建だそうだ。足利学校のシンボルとして今に継承されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 66mm ISO640 ) 露出補正 なし
學校門;クリックすると大きな写真になります。
3.孔子像
學校門に向かって歩いていくと左側に孔子の像があった。この孔子の像はどこかで見たことがあると思った。思い出した。2011年1月に、湯島天神から御茶ノ水のニコライ堂へ歩いたが、そのときに寄った湯島聖堂で見たのだった。湯島聖堂にも入徳門がある。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 27mm ISO500 ) 露出補正 なし
孔子像;クリックすると大きな写真になります。
4.正一位霊験稲荷社
孔子像の先、左側に稲荷社があった。正一位霊験稲荷社といい、縁起が書かれた説明札には、「足利学校第七世庠主 玉崗瑞與(ぎょこうずいよ)(九華)が書いた天文23年(1554年)9月の棟札に、足利学校の鎮守である稲荷大明神が、年代が古く神体・社殿ともに破損しているので、あらたに神体を造立し、社殿を造営し、八幡大菩薩を合せ祀ったとあるから、稲荷社の創建は天文23年(1554年)よりかなり時代がさかのぼると思われる。(中略)社殿は天文23年(1554年)創建当時のものと思われるが、明和9年(1772年)あらたに梅や竜などの彫刻を社殿にとりつけた。(攻略)・・・」と記されていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 45mm ISO800 ) 露出補正 なし
正一位霊験稲荷社;クリックすると大きな写真になります。
5.學校門
學校門は寛文8年(1668年)の創建だそうだ。足利学校のシンボルとして江戸、明治、大正、昭和そして平成へと継承されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 32mm ISO1000 ) 露出補正 なし
學校門;クリックすると大きな写真になります。
6.杏壇門
學校門を抜けると正面に杏壇門が見え、その奥に孔子廟が見える。杏壇門は學校門と同じく寛文8年(1668年)の創建。明治25年(1892年)に、街の大火の飛び火により、屋根門扉が焼け、堂30年代に再建したものだそうだ。杏壇とは孔子が弟子たちを教えたところに、杏の木が植えられていたことに由来するのだそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO560 ) 露出補正 なし
杏壇門;クリックすると大きな写真になります。
7.杏壇門の扉
杏壇門の左右の扉には彫刻が施されていた。どのような意味があるのかはわからない。湯島聖堂にも杏壇門があった。その扉にはどんな彫刻がなされていたかは覚えていない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO640 ) 露出補正 なし
杏壇門の扉;クリックすると大きな写真になります。
8.孔子廟
寛文8年(1668年)、徳川幕府4代将軍家綱の時に造営されたもので、中国明時代の聖廟を模したものと伝えれている。孔子廟(聖廟)は大成殿という。湯島聖堂の大成殿は元禄時代、5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟である。孔子の座像がある中は暗く、絞りはf7.1に動いてしまっていたが、それはともかくとして、ISOは6400、1/60秒のシャッタースピードになっていた。D5300のISO6400はこんな時に助けられる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/60秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
孔子廟;クリックすると大きな写真になります。
9.方丈で勉強する子供たち
孔子廟から一旦杏壇門を外に出て、左手に行くと、方丈があるが、子供たちの論語の素読の声が聞こえてきた。方丈とは学生の講義や学習、学校行事や接客のための座敷として使用されたところだそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 62mm ISO1250 ) 露出補正 なし
方丈で勉強する子供たち;クリックすると大きな写真になります。
10. 庫裡
方丈に続いて庫裡がある。ここはいわば学校の台所で、食事など日常生活が行われたところだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 18mm ISO450 ) 露出補正 なし
 庫裡;クリックすると大きな写真になります。
11.宥座の器
庫裡の前に「宥座の器」というのがあった。宥座(ゆうざ)とは、常に身近に置いて戒めとするという意味で、孔子の説いた「中庸」ということを教えるものだそうだ。壺状の器に水が入っておらず空の時は傾き、ちょうど良いときはまっすぐに立ち、水をいっぱいに入れるとひっくり返ってこぼれてしまう。孔子は、「いっぱいに満ちて覆らないものは無い。」と慢心や無理を戒めた。これは館林市在住で、鍛金の伝統技法の伝承に努め、平成11年に国の「現代の名工」に選ばれている針生清司さんから平成24年4月21日に寄贈されたそうだ。最近のものである。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 23mm ISO1250 ) 露出補正 なし
宥座の器;クリックすると大きな写真になります。
12.論語の素読
先ほどの子供たちである。方丈と庫裡から書院へ渡る廊下から撮った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 27mm ISO5000 ) 露出補正 なし
論語の素読;クリックすると大きな写真になります。
13.方丈の縁から眺める北庭園
方丈の後ろ側にある縁から、北庭園を眺めることができる。方丈、書院から鑑賞するように作られている。形式は方丈の表にあった南庭園と同じく築山泉水庭だ。向こうに見えるのは孔子廟だ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 24mm ISO1600 ) 露出補正 なし
方丈の縁から眺める北庭園;クリックすると大きな写真になります。
14.書院
庠主の書斎である。庠主の接客や学生の個人教授が行われたところという。座敷飾り(床、棚、付書院)の付く上の間(向こう側)と次の間(手前)からなる座敷、縁側、雪隠で構成されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/60秒 22mm ISO6400 ) 露出補正 なし
書院;クリックすると大きな写真になります。
15.庫裡にあったかまど
大きな釜だ。これで学生たちの飯を炊いたのだろう。庫裡から外に出ようとするとポツンポツンと雨が降ってきた。書院の案内をしてくれた女性がビニール傘を全員分貸してくださった。後で駐車場で返せばよいという。ありがたい。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/100秒 32mm ISO6400 ) 露出補正 なし
庫裡にあったかまど;クリックすると大きな写真になります。
16.旧遺蹟図書館
書院を見学したあと、衆寮、木小屋、土蔵などを見て、孔子廟の裏を通って進むと、歴代庠主の墓が並んでいた。明治2年に足利学校が藩校になるまで、430年間にわたり、23代の庠主がいた。庠主の墓は全部で17基あり、そのうち8基には文字が刻まれていて、誰の墓かわかるが、残りの9基は不明とのこと。そこから學校門へ戻る途中にこの旧遺蹟図書館があった。足利学校が廃校になった以降、明治36年(1903年)に遺蹟図書館が開設され、書物を継承し現在に引き継がれている。この建物は大正4年(1915年)に建てられたもので、市重要文化財に指定されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 30mm ISO3200 ) 露出補正 なし
旧遺蹟図書館
17.學校門を退出
學校門を出て、振り返ると杏壇門、そして孔子廟が見える。眺めが良かった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 30mm ISO2200 ) 露出補正 なし
學校門を退出;クリックすると大きな写真になります。
18.學校門の眺め
學校門を構図を変えて撮った。足利学校のシンボルである。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 35mm ISO1100 ) 露出補正 なし
學校門の眺め;クリックすると大きな写真になります。