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2019年4月 1日

作並温泉 2泊3日の旅(4) 仙台城跡 3月15日

瑞風殿前から「るーぷる仙台」に乗ると、バスは坂を上り、二の丸、三の丸付近を通って、2つ先の停留所が仙台城跡だった。バスを降りて、坂を上がっていくと本丸跡が広がる。標高は海抜約130m、東は広瀬川に落ちる64mの断崖、南は80mの深さの竜ノ口狭谷が固める天然の要害となっていた。
 仙台城跡は初代仙台藩主伊達政宗が、1610年(慶長15年)に築城した青葉城ともいわれる城の跡で、往時の建物は残っていないが、長い歴史が刻まれた石垣と復元された大手門脇櫓等が城を偲ばせる。城跡の一部は青葉山公園となっており、仙台市内の街並み、市内を流れる広瀬川や西側に見える山並みの眺めはさわやかな気分にさせてくれる。下の地図は字が小さくなってしまったこと、ご容赦いただきたい。

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仙台城跡の案内板より

 独眼竜伊達政宗の騎馬像や、東北地方出身の将兵の慰霊のために建てられた昭忠碑を見て、宮城県護国神社にお参りした。
 護国神社の隣に英霊顕彰館があって、「1/100統一スケールの圧倒的迫力 戦艦大和展示中」という看板にひかれて中に入って見てきた。戦艦「大和」、空母「飛龍」、巡洋艦「利根」などの模型が展示されていた。
 「るーぷる仙台」のバス停に戻り、次はどこに行こうか乗ってから考えようということにしたのだが、結局、仙台駅まで戻ってきてしまった。この後は「作並温泉 2泊3日の旅(2)」で書いたように仙台駅周辺のアーケード街を歩き、16:00発の仙山線で2泊目の作並温泉へ戻った。

36.大広間跡
仙台市のホームぺージによれば、本丸の広さは東西245m・南北267mという諸大名の城郭の中でも最大級で、築城後まもなく仙台城を訪れたイスパニア(スペイン)の使節ビスカイノは「この城は当国(仙台藩領)にある最強で最良の城のうちの一つである」と賞賛したそうだ。 本丸跡の北側に位置する大広間は、本丸御殿の主要な建物で、藩の政治や儀式を行う場でもあった。慶長15年(1610​年​)に完成し、畳敷き部分と縁側を含めて約430畳にも及ぶ大規模な武家御殿建築であったと伝えられている。明治時代の初めころに取り壊されたそうだ。

  SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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37.築城時の石垣モデル
本丸北壁の全面的解体工事により、伊達政宗が仙台城を構築した時期の石垣が地中から発見された。この石垣モデルは埋め戻された石垣の構造を再現したもので、石質の同じ石材で積み上げていると説明されていた。築石の間を詰石で埋め、石垣の裏側に入れた直径20cm程度の玉石で、石材にかかる力を受け止めて分散させ、雨水や池山からの地下水を石垣の外へ排出する役割を持った裏込めがなされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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38.西側の山並み
仙台城跡からの眺めは素晴らしい。これは西の方角を眺めた画である。良くはわからないが山形方面だと思う。右側に白い観音様が見える。仙台大観音というのだそうだ。その寺は真言宗智山派の新界山大観密寺という。観音像は海抜181mにあり、地上高は仙台市制100周年を記念して100mに建立されている。1991年に建てられたそうだ。牛久の観音に次いでの大きさという。評判はあまり良くないようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 45mm ISO100 ) 露出補正 なし
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39.仙台の街と広瀬川
東の方向を見下ろすと、仙台の町が広がり、眼下には広瀬川が流れる。仙台市は人口110万人弱の日本で11番目の大都市で、宮城県は仙台一極集中といわれるほどだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 17mm ISO100 ) 露出補正 なし
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40.伊達政宗騎馬像 -1
TVなどで、仙台の紹介があるとよく出てくる、馬に乗り、甲冑姿の伊達政宗騎馬像は本丸跡の東側、仙台の市街地を見下ろす一番景色の良い台座の上にある。政宗の300回忌にあたる1935年(昭和10年)に建立された仙台城の初代伊達政宗像は、1944年(昭和19年)第二次大戦時の金属供出により撤去されてしまったが、どうにか肩より上は溶かされずに済んだようで、仙台市博物館の裏に置いてあるという。現在、仙台城天守台にあるのは、1964年に復元された二代目の騎馬像だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 10mm ISO100 ) 露出補正 なし
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41.伊達政宗騎馬像 -2
伊達政宗は幼少の頃病気(天然痘といわれる)で片目の視力を失い、醜い痕が残った。独眼竜は、隻眼の英傑に対して与えられることがある異称であるが、初例は中国後唐の太祖李克用で、日本では戦国大名の伊達政宗が独眼竜と言われてよく知られる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 168mm ISO160 ) 露出補正 なし
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42.伊達政宗騎馬像 -3
後ろ側から伊達政宗騎馬像を見る。独眼竜の視野に仙台の町が広がる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
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43.昭忠塔
伊達政宗騎馬像の先にもう一つ大きな塔があった。 この塔は過去の戦争で犠牲になった多くの東北地方出身の将兵の慰霊のために建てられたと記されている。昭忠碑は、1874年佐賀の乱以来、西南戦争、日清戦争などに従軍した陸軍第2師団所属の戦没者の慰霊顕彰碑として、昭忠会により仙台城本丸跡の地に建立され、1902年に竣工した。その時に塔頂部には日本書紀において神武天皇の軍を勝利に導いたとされる金色の鵄(トビ)のブロンズ像があった。それは国内ブロンズ彫刻の最初期にして比類なき大傑作と言われている。その後、昭忠碑は1936年の震災により鵄の左の翼が落下(後に修復)するも、幸い戦時中の金属供出を免れたため、現代に明治期の文化・技術を伝える文化財的価値の高い貴重な歴史遺産となっていた。しかし、2011年3月11日の東日本大震災で被災、塔頂部にあった金鵄が基壇上に落下し頭部・左翼などがバラバラに破損し、塔部分に大規模な亀裂などの損傷を被るなど大きな被害を受けたという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
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44.宮城県護国神社
wikipediaによれば、明治維新以降の諸事変、戦役における宮城県関係、あるいは縁故のある戦死・殉難者、5万6千余柱を祀る。神紋は十五菊に桜。日清戦争後の明治31年(1898年)に組織された昭忠会を母体として、日露戦争中の明治37年(1904年)8月27日、現在地に「招魂社」を建立し、大日本帝国陸軍・第二師団管下(第2師管:宮城県・福島県・新潟県)および山形県の戦死者の一部を祀ったのを起源とする 。 当社は、靖国神社と同様に「天皇・朝廷・政府側の立場で命を捧げた者」を祭神としており、戊辰戦争に敗戦して賊軍となった仙台藩関係者は祀られていない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO160 ) 露出補正 なし
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45.英霊顕彰館
はじめに記したように、「1/100統一スケールの圧倒的迫力 戦艦大和展示中」という看板を見て、入館料300円をお支払いして中に入った。明治27~28年の日清戦争からの戦争にかかわる展示がされていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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46.英霊顕彰館 重巡「利根」の模型
主だった軍艦の模型が展示されていた。これは重巡「利根」 の模型である。1934年に進水し、1945年7月28日7月28日の敵艦載機の攻撃で大破着底し、戦後解体された。基準排水量11,213トン

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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47.英霊顕彰館 戦艦「大和」の模型
戦艦「大和」 は、大和型戦艦の1番艦(ネームシップ)で、2番艦の武蔵とともに、史上最大にして、唯一46センチ砲を搭載した戦艦であった。呉海軍工廠にて建造され1940年に進水し、1941年に就役している。最後は昭和20(1945)年4月7日、特攻作戦に参加し九州坊の岬沖で沈没した。基準排水量は64,000トン。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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48.英霊顕彰館 空母「飛龍」の模型
空母「飛龍」 は、太平洋戦争の映画には必ず登場する大日本帝国海軍の航空母艦だった。1942年5月27日、南雲忠一中将指揮のもと、第一航空艦隊(南雲機動部隊)第二航空戦隊旗艦としてミッドウェー海戦に参加すべく日本を出撃した。そして、同6月6日に沈没した。基準排水量17,000トン。 艦載機の模型がよく作られていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/250秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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49.梅
早咲きの桜かなと思って撮ったが、梅だった。バス停に戻り、「るーぷる仙台」に乗った。大崎八幡宮で降りてみようかと思ったが、そのまま仙台駅へ戻った。小腹が空いて、蕎麦でも食べたと思いアーケード街を歩いたが、食べ物屋は意外と少ない。やっと1軒、蕎麦屋を見つけて入ったが、「はずれ」だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 102mm ISO800 ) 露出補正 なし
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2019年3月28日

作並温泉 2泊3日の旅(3) 伊達政宗の霊廟 瑞鳳殿 3月15日

さて、仙台駅バスターミナルから、仙台市交通局が運行する観光循環バス「るーぷる仙台」に乗車するため、案内所で1日フリー・パスをひとり620円で購入した。20分間隔で出るらしいが、混んでいて座れない。全部で16駅あるのだが、もちろん、すべてで降りていくわけにはいかない。まず、4駅目の「瑞鳳殿」で降りることにする。

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公益財団法人瑞鳳殿パンフレットより

 瑞鳳殿は1636年(寛永13年)、70歳で生涯を閉じた仙台藩祖伊達政宗の遺命により、その翌年ここ経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)である。1945年(昭和20年)の戦災で焼失し、現在の建物は規模、装飾ともに、焼失以前の瑞鳳殿を範とし、1979年(昭和54年)に再建されたものである。平成13年(2001年)に、仙台開府400年を記念して大改修工事が実施され、柱には彫刻獅子頭を、屋根には竜頭瓦を復元し、創建当時の姿となった。
 瑞風殿の境内をめぐるのに1時間少しかかった。再び「るーぷる仙台」に乗り、次は2っ先の仙台城跡で下車する。
 記述は、パンフレットや、説明札を参考にさせていただいた。

12.瑞鳳殿参道
「るーぷる仙台」の瑞鳳殿駅では多くの観光客が降り、経ケ峯に上がっていく参道を歩く。ここはタクシーも登ってくる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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13.鹿児島県人七士の墓
参道の左側に、鹿児島県人七士の墓がある墓地があった。明治13年の西南戦争に従軍し、戦後官軍に投降した西郷軍は国事犯として全国の監獄署に護送された。宮城県には椎原国幹(西郷隆盛の叔父)以下305人が県監獄署に収容された。国事犯たちは宮城県の開墾や、築港作業に従事した。このうち13人は獄中で病死し、この地に葬られたが、現在7基を残し、6基は遺族に引き取られたと説明されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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14.参道の石段
瑞鳳殿のある経ケ峯に上がっていく石段が続く。石造りの階段は、戦争による焼失を逃れた藩政時代からのもので、その数は伊達家の禄高62万石を表していると言われているそうだ。左右のスギの並木は古いもので樹齢380年余になるという。そういえば、仙台に来てから、花粉症の目がとても痒い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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15.瑞鳳殿の手水舎
瑞鳳殿に入る涅槃門の手前左側に手水舎があった。龍の口(吐水口)にビニール管が見えるが、あまり見栄えは良くない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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16.涅槃門
涅槃とは煩悩を取り払った悟りの境地となる状態を意味し、広くは死を意味すると説明されていた。瑞鳳殿の涅槃門は樹齢数百年の青森檜葉を用いて、正面扉上部の蟇股には瑞獣「麒麟」、左右の妻飾りには「牡丹と唐獅子」など焼失前と同様の豪華な飾り彫刻が施されている。なんともきらびやかな門である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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17.瑞鳳殿入り口
涅槃門は閉ざされたままであるが、その右側に瑞鳳殿に上がる入り口となるくぐり戸があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 なし
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18.涅槃門の裏側
涅槃門のくぐり戸を入って、石段を上がったところに瑞鳳殿の唐門があるが、そこで振り返って、涅槃門の内側を眺めた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO500 ) 露出補正 なし
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19.臥竜梅
瑞鳳殿に向かって、唐門の左側に資料室という建物があり、その庭先にこの梅が咲いていた。地面に伏臥する様態から「臥龍梅」と呼ばれ、文禄の役で渡朝した伊達政宗が半島から持ち帰り仙台城に植えさせたのち、隠居所であった若林城(仙台古城)に移植したものと言われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 32mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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20.資料館
資料館の前の臥龍梅は、仙台古城の臥龍梅(国指定天然記念物)から取木されたもので、昭和54年(1979年)、瑞鳳殿再建を記念してここに植樹されたのだそうだ。この資料館では政宗の副葬品の一部や、発掘された頭骨をもとに復元した、政宗をはじめとする3藩主の容貌像などが展示されている。この建物、何か落ち着いた佇まいである。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO400 ) 露出補正 なし
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21.瑞鳳殿
唐門をくぐって、瑞鳳殿の前に立つ。伊達政宗は1567年(永禄10年)米沢城に生まれた。東北南部を中心に諸勢力を平定し、世に「独眼竜政宗」の異名をとどろかせた。江戸時代になると伊達62万石の藩祖として産業・経済・文化の振興をはかった。瑞鳳殿は1636年(寛永13年)、70歳で生涯を閉じた政宗の遺命により、その翌年、ここ経ヶ峰に造営された墓所である。桃山文化の遺風を伝える江戸時代初期の豪華絢爛な廟建築として、1931年(昭和6年)に国宝に指定されたが、1945年(昭和20年)の戦災で焼失した。現在の建物は1979年(昭和54年)に再建された。2001年(平成13年)には改修が行われ、柱には彫刻獅子頭を、屋根には竜頭瓦を復元し、極彩色も再現することで、創建当時の姿が蘇った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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22.殉死者供養塔
瑞鳳殿の両脇には、政宗に来世も仕えようと殉死した家臣15名と家臣に仕えた陪臣5名の石塔も並ぶ。 殉死者が多いということは慕われた証と言えるが、殉死を義とする考えは、当時すでに薄れてきていたようだ。殉死、こうした部分からも、江戸期を迎えても戦国武士としての価値観や武士道観を強く持っていた政宗の片鱗を窺うことができるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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23.唐門
瑞鳳殿の前に唐門があった。かっては天井に金箔を貼り付けたことから金唐門とも呼ばれた。正面の虹梁(梁の一種で虹のようにやや弓なりになったもの)の上下の空間には龍虎図と二十四孝説話を題材にした透彫りが挿入されるなど、装飾性に富んでいた。現在は鋼板製の近代的な門になってしまっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 なし
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24.善応殿
順路に従い、瑞鳳殿から戊辰戦争弔魂碑を見て、感仙殿の下の石段の前に出た。石段を上がって感仙殿の左奥にある善応殿を見に行く。善応殿は三代藩主伊達綱宗の霊屋(おたまや)である。三代藩主伊達綱宗(1640年~1711年)は幼いころから芸術的才能にたけていたという。19歳から2年ほどの治世のあと、故あって幕府から逼塞隠居を命じられたが、その後の生涯は書画・蒔絵などに天分を発揮し、優雅な余生を送ったと言われる。善応殿は1945年(昭和20年)の戦災で焼失し、1985年(昭和60年)に感仙殿とともに再建された。さらに2007年(平成19年)の改修により鮮やかな極彩色となった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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25.感仙殿の扉
下から石段を上がってくると正面にあるのが感仙殿である。感仙殿は二代藩主伊達忠宗の霊屋である。これは感仙殿の扉だが、上段に「竹に雀」、その下に「九曜」という紋が表されている。伊達氏は戦国大名のなかでも、もっとも家紋の数が多い家である。伊達氏の家紋を全部あげると、「十六葉菊」、「五七桐」、「蟹牡丹」、「竪三つ引両」、「竹に雀」、「九曜」、「鴛鴦の丸」、「ナズナ」、「雪に薄」、等がある。「九曜」は桓武平氏のルーツに結び付くように用い、戦乱の時代を生き抜く処世のしるしに家紋を利用したのである。善応殿の扉には上段に「竹に雀」、その下に「竪三つ引両」の紋があった。のちに定紋となったのが「竹に雀」であったそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 なし
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26.感仙殿
感仙殿は二代藩主伊達忠宗の霊屋であるが、伊達忠宗(1599年~1658年)は政宗の治世を引き継ぎ、法治体制の確立を進め、新田開発や治水、港湾の整備など、産業・経済の振興をはかり領内の安定に尽力し、藩の基礎固めを成し遂げた。感仙殿は、瑞鳳殿と同様、華麗なもので、1931年(昭和6年)に国宝に指定された。他は善応殿と同じで、2007年(平成19年)には改修が行われ、彫刻獅子頭の復元が行われた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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27.妙雲介廟
霊廟が作られたのは、政宗(瑞鳳殿)、二代藩主忠宗(感仙殿)、三代藩主綱宗(善応殿)までだった。感仙殿の奥には、妙雲介廟というところがあり、そこには九代藩主・周宗(ちかむね)、十一代斉義(なりよし)、斉義の妻・芝姫(あつひめ)の墓がある。写真は九代藩主宗近の墓。では、四代から八代までの藩主の墓はどこにあるのか、少々疑問に思って調べてみると、仙台市大年寺山伊達家墓所にあるようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO640 ) 露出補正 なし
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28.感仙殿を見上げる
石段を下りて、感仙殿を見上げた。まさしく極彩色の霊廟である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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29.御子様御廟
絢爛豪華な瑞鳳殿、感仙殿、善応殿を見学し、石段を下りてくると左側に 御子様御廟 へ入る道があった。薄暗い道を歩いていくとそこは公子公女の墓所になっていた。正徳3年(1713年)以降に設けられた墓所で、五代藩主伊達吉村以降、六代宗村、七代重村、十一代齋義、十三代慶邦の歴代藩主の若くして死去した公子公女が埋葬されている。21基の傘塔婆の墓と奉納された80基を超える石灯篭がある。また藩主側室や老女の墓7基もある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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30.瑞鳳寺 山門
「るーぷる仙台」 の瑞鳳殿停留所へ戻る。途中右側に「正宗山」という扁額がかけられた瑞鳳寺の山門があった。瑞鳳寺のパンフレットによれば臨済宗妙心寺直末で、寛永14年10月24日香華院として瑞鳳殿とともに二代藩主忠宗によって建立され、覚範寺の虎哉和尚の法嗣清岳宗拙(諡仏慧道光禅師)を迎えて開山した。安政5年9月13日焼失し、現在の本堂は大正15年5月23日に落成した。 仙台藩から一門格の寺格を与えられ、経ケ峯に多くの末寺を持っていたが、明治維新期の廃仏毀釈の風潮や廃藩置県による藩の後ろ盾の喪失によりことごとく廃寺となったという。1926年(大正15年)に復興されたが、現在は財団法人瑞鳳殿の管轄外となっているそうだ。山門は東京品川の伊達屋敷の門を模したもので正宗山の扁額は妙心寺派管長梶浦逸外老師の筆。ちなみに正宗山は、伊達政宗若年時「正宗」と称したものを山号としたという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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31.瑞鳳寺 鐘楼
鐘楼は昭和3年に昭和天皇即位記念に建立された。本堂玄関前に置かれた梵鐘は、寛永14年(1637年)二代忠宗が工匠早山弥兵エに命じて鋳造したもので清岳和尚の銘があり、重要文化財になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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32.瑞鳳寺 花塚
花道家本源流武田朴陽(1875~1935年)および、その門下生のたてた供養碑で、石の組み方は同流の古法に基づき、花塚の二文字は斎藤実、裏面の詩は土井晩翠であると説明されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 なし
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33.瑞鳳寺 高尾門
高尾門と呼ばれているが、三代綱宗の側室椙原お品の邸にあったのを、昭和37年9月移転修築した。紋所は綱宗の手作りで数多い伊達の紋のひとつ「雪薄の紋」だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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34.瑞鳳寺 参道と本堂
山門まで戻り、振り返って本堂を見る。参道の真ん中には1本の大きな杉があり、幹は途中で3本に分かれ、まっすぐ上に伸びていた。大正15年に落成した本堂が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO200 ) 露出補正 なし
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35.「るーぷる仙台」瑞鳳殿停留所
1時間15分ほどの、経ヶ峰瑞鳳殿見学を終え、「ループル仙台」の瑞鳳殿停留所へ戻ってきた。5分ほど待つとバスが来た。これに乗って、次は仙台城跡へ行こう。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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2019年3月25日

作並温泉 2泊3日の旅(2) 作並温泉と仙台駅周辺を歩く 3月15日

前日、作並駅に到着したときは、雪が降っていて、とても寒かった。作並温泉は古くから仙台の奥座敷といわれ、仙台市と山形市を結ぶ国道48号線(作並街道・関山街道)沿いに位置し、歴代仙台藩主の隠し湯として伝えられている。肌に優しい泉質と豊富な湯から「美女づくりの湯」と言われているそうだ。わたくしたちが泊った宿の風呂も広い大浴場と、いくつかの露天、岩風呂があった。確かに湯量は豊富であり、この日は泊まる人も少ないのか、夕食後に入ったためか、大浴場は人も少なく、気持ちよく、ゆっくりと温泉に浸かることができた。
 昨夜の夕食の際、かみさんと今日の行動について相談したが、作並温泉はそぞろ歩きする温泉街もない。近くに、極楽山西方寺とか鳳鳴四十八滝などはあるが、歩いては行けない。タクシーを呼ぶと30分は待たなくては来てくれないという。仙山線の3駅先には山寺(立石寺)があるが、そこへは以前に行ったことがあった。
 ニッカウィスキーの仙台工場(宮城峡蒸留所)へは宿から送迎バスがある。そこへは明日行くことにして、今日は作並駅まで宿の送迎バスで行き、仙台に出て、「るーぷる仙台」という、横浜でいわば「赤いくつ」のような市内観光循環バスに乗り、瑞鳳殿と青葉城跡などを見ようということになった。  朝食もバイキングだったが、まあまあ良かった。作並駅 9:41 発の仙台行き仙山線に乗ることにし、間に合うように宿の送迎車に乗った。
 宿を出発する前に、唯一、近くにある湯神神社へ行ってみる。特にどうということのない小さなお社だった。そこから広瀬川沿いに歩くと作並橋という橋があり、その橋の上から渓谷が眺められた。橋を渡るともう一つの大きな宿である「一の坊」があった。
 仙山線は国道48号線と並行するように走り、途中、秋保温泉への入り口である愛子(あやし)駅を経て、仙台まで30分少々の所要時間だった。乗客は思ったより多く、愛子で空席がなくなった。

1.湯神神社 鳥居とお社
宿の前を走る国道48号線を渡って、50mほど登ったところに湯神神社のお社があった。小さな地味な神社である。私たちが泊っている「鷹泉閣 岩松旅館」のお湯の神様だそうだ。白蛇が奉られているという。縁結び、子宝安産、商売繁盛、などを願う地元の人から親しまれている、知られざるパワー・スポットだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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2.湯神神社 社殿
2っの鳥居を抜けて少し高くなったところに、小さな社殿があった。作並温泉一帯にあった神社は明治時代以降、愛宕の諏訪神社に合祀され正式的には無くなった。この湯神神社はその後、勧請されたもので比較的に新しいものと思われると。昨日降った雪が残っていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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3.広瀬川の渓流
国道を渡って、宿に戻ろうとしたところ、その先に「一の坊」という旅館に下りていく道があったので、ぶらりと行ってみた。川の音がしてきて、「一の坊」は広瀬川の対岸に建てられていた。立派な旅館である。橋を渡って行ってみたが、橋の上から流れる広瀬川の渓流は、季節がよければきれいだろうと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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4.「一の坊」
わたくしたちが泊った宿は「鷹泉閣 岩崎旅館」というところだが、「一の坊」は広瀬川の少し上流にあった。作並温泉は広瀬川に沸いたといわれる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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5.作並橋
広瀬川にかかる作並橋。絞りは f2 と開放に近いが、広角端では被写界深度は深い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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6.作並駅
9時20分に宿を出発する送迎バスに乗せていただき、5分ほどで作並駅に着いた。仙台行きの列車は 9:41 発だ。この季節作並駅は、どこかのおばさんがひとりベンチに座っているだけで、ひっそりとしている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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7.作並駅のプラット・ホーム
仙山線は単線である。駅は上りのホームと、下りのホームに分かれる。仙台寄りの先頭車両の前にあると渡線踏切を渡って、上り線ホームに行く。仙台方面からの観光客を迎えるこけしが立っている。しかし、いわゆる作並系こけしの特徴とちょっと違うように感じた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
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8.仙台行き入線
9:41発の仙台行きの4両編成のE721系電車が入線してきた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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9.仙台駅周辺
10:21 に仙台につぃて、乗車する場所を探すのに少し時間がかかったが、「るーぷる仙台」という観光地循環バスに乗った。1日乗車券で620円である。そして、瑞鳳殿と仙台城跡で下車して見て歩き、仙台に午後2時に戻ってきた。これから、仙台駅周辺のアーケード街を歩いてみようと思う。瑞鳳殿、仙台城跡については、後ほど。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 12mm ISO125 ) 露出補正 なし
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10.仙台駅周辺アーケード街
50年以上も前のことになるだろうか、学生時代に仙台に来た時には、「東一番丁」という立派なアーケード商店街があった。懐かしいので是非行ってみたいと歩きはじめた。確かその「東一番丁」は仙台駅から500mほど離れて南北に広瀬通、青葉通りと交差するアーケード商店街だったと記憶していた。 今回行ったときは、もちろんアーケード街はさらに立派になっていたが、仙台駅の北側から東一番丁へ出るまでの縦、つまり東西の通りが発展していた。それらは、「パビナ名掛丁」、「クロスロード」「マーブルロードおおまち」という名称になり、愛宕上杉通、国道286号線と交差し、「藤崎」という老舗の百貨店のあるところで「東一番丁」の通りにぶつかる。この仙台市青葉区一番町3丁目の東一番丁通との交点から、同区中央1丁目の駅前通との交点まで至る東西の道の通称は中央通りと呼ばれる。現在はこの中央通りが仙台アーケード商店街りのメイン・ストリートなのだ。かって「東一番丁」と呼ばれた通りは、「サンモール一番町」、「ぶらんどーむ一番町」などと名前が付け替えられていた。写真は「マーブル通りおおまち」。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
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11.三瀧山不動院
クリスロード商店街に三瀧山不動院というのがあった。真言宗智山派(総本山智積院・京都市東山区)に属する加持祈祷の専門寺院だそうだ。そこでは福の神として仙台四郎が奉られている。仙台四郎は民間信仰であるため本来寺社とは関係ないが、 仙台駅西側の都心部には寺が2つしかなく、真言宗の当寺がアーケード街では唯一であるので、奉られるようになったようだ。少し長くなるが、wikipediaによれば、仙台四郎は 江戸時代末期(幕末)から明治時代にかけて、現在の宮城県仙台市に実在した人物の「人神」としての名称。知的障害があり会話能力は低かったが、明治期に「四郎自身が選んで訪れる店は繁盛する」との迷信が南東北のマスメディアを巻き込んで流布し、売上増を企図する店舗等が四郎の気を引こうと厚遇した。没後の大正期に入ると、仙台市内のある写真館が「四郎の写真を飾れば商売繁盛のご利益がある」と謳って写真販売を始めた。商売繁盛のご利益は、存命中においては四郎の意志に依拠したが、写真による偶像化以降、(死没した)四郎の意志とは無関係になり、グッズを購買すればご利益が得られると転換された。すると1920年(大正9年)からの戦後恐慌以降、繰り返し発生する不景気において四郎のブームが度々発生し、商業神の稲荷神やえびす、あるいは、土着の松川だるまを凌駕して仙台で信仰され、さらには全国的に知られる福の神として定着した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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