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2020年12月23日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (6)彦根城 11/26

紅葉と苔の美しさのに感動した西明寺を後にして、我々を乗せたバスは彦根城へ向かった。彦根城へ行ったことがない私にとってはそこは今回のツアーの目玉である。バスは30分ほど走って、彦根城の堀に面したところにある京橋口駐車場に入った。駐車している観光バスの数はそれほど多くはなかった。
 江戸時代を通じて彦根藩主として近江国東部を中心とした一帯を治めた大名である井伊家について、入場した時にもらった彦根城のパンフレットに載せられていた年表を参考にして、自分なりに整理してみた。
 1600年(慶長5年)の関ケ原の合戦のあと、その論功行賞により石田三成の佐和山城と旧領を井伊直政が拝領した。した。井伊直政は、徳川家康に仕え徳川四天王のひとりとして名を馳せた戦国時代の武将である。井伊直政が生まれた頃の井伊家は、駿河国今川家の支配下にあり、お家断絶の危機に晒されていた。井伊家の再興のため、そして徳川家康の恩義に報いるために信念を貫いたという。2017年1月8日から同年12月17日まで放送されたNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、その井伊直政を育てた遠州井伊谷の女領主・井伊直虎を主人公とした物語だった。
 1602年(慶長7年)直政は佐和山城にて死去、長男の直継が家督を継いだ。1603年、直継は佐和山、磯山、彦根山の候補地の中から彦根山を城地と決めた。1604年(慶長9年)普請を開始し、城下町の建設にも着手した。彦根城の鐘の丸が完成し、直継は佐和山城より移った。1606年には本丸が完成し、鐘の丸より移っている。
 そして、1914年(慶長19年)大坂冬の陣、1915年(慶長20年)大坂夏の陣があり、その年元和元年になって築城普請が再開され、櫓、黒鉄門などの門や、高石垣、表御殿が出来、中土手中堀が完成し、外堀もできた。
 さらに年表をたどっていくと、1871年(明治4年)になって、明治新政府による廃藩置県が実施され、彦根藩解体の上、井伊家は東京に移住した。1872年、陸軍省の所管となった彦根城は1878年(明治11年)陸軍省は彦根城の解体を決定した。しかし、大隈重信の進言により、解体は中止され、宮内庁所管の彦根御料地となる。拝借方申請した井伊直憲に保管委託され、のちに下賜され、井伊直憲の所有となったのだ。
 1942年(昭和17年)彦根市長の松山藤太郎が井伊直忠に彦根城の下付願を提出、1944年に井伊家より彦根城の土地建物が彦根市へ寄付された。1951年(昭和26年)国指定重要文化財となり、翌年、天守、附櫓、多門櫓が国宝へと昇格される。2015年(平成27年)には彦根城外堀跡全体が遺跡(埋蔵文化財包蔵地)となる。2016年には中央町・錦町の外堀跡の一部も特別史跡彦根城跡に追加された。
 近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城。このうち、松本、犬山、彦根、姫路、松江の5城の天守は国宝である。
 彦根城に関する記述は、彦根観光協会のパンフレットや、ホームページの記述を参考にさせていただいている。

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彦根観光協会 彦根城域マップより

109.彦根城 中堀
11時40分、バスは彦根城の南側にある京橋口駐車場に入った。中堀に沿った通り( 中濠東西通り )を京橋口に歩く。彦根城は、中堀に面して4つの城門が開いていた。その1つが京橋口門である。京橋口門は、第2の郭の重臣屋敷と第3郭の本町筋の間にあり、内堀の大手門にも通じる要所に位置している。今までどちらかというと光が限られた寺院めぐりだったので、青空の明るさが眩しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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110.石垣とイチョウ
中堀の向こう側の石垣の上に見えたイチョウの深黄色が鮮やかだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126475_110 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
111.内堀
京橋を渡り京橋口から入城し、左手に内堀を見ながら表御門へ進む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126480 _111 X800  〇彦根城 RX10M4.jpg
112.表門橋
内堀に架かる表門橋に向かって内堀は左に回っていく。表門橋を渡ったところが表門券売所で、ここから、内堀の内側に入っていく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 25mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126482_112 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
113.コブハクチョウ
表門橋の下にコブハクチョウが2羽いた。そのうち1羽が、泳いで前に出てきた。内堀にコブハクチョウが4羽いて、飛んで逃げないよう、管理事務所の職員さんが風切り羽を切っているそうだ。彦根城にはコクチョウもいるらししい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 114mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126487_113 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
114.表門山道 天秤櫓の石垣
表門から坂道を上がっていくと高い石垣が現れる。天秤櫓の東側の櫓だ。「彦根城天守に登る坂道は4か所ありますが、その石段は非常に登りずらいと言われています。もともと城への石段は、万一敵が攻め入った場合、歩調が乱れ一息で登れないよう意図的に不規則に造られているのです。お寺の屋根のように、最初はおだやかな登りが、登るにつれ斜度が急になり上りにくくなったり、踏み幅や踏み高を微妙に違わせて一定にせず、敵に対して足元を注意して登らせ、上から攻撃しやすくしているのです。観光客の皆様には大変登りずらいと思いm、明日が、充分気をつけてご見学くださ。」という親切な立札があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 17mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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115.天秤櫓
天秤櫓は、大手門と表門からの道が合流する要の位置に築かれた櫓である。この櫓は、上から見るとコの字形をしており、大手門からと表門からの登城道をそれぞれ押さえるために両隅に2階建ての櫓を設け、中央に門が開く構造となっている。あたかも両端に荷物を下げた天秤のようであり、江戸時代から天秤櫓の名がある。 重要文化財である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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116.太郎門櫓への坂道
天秤櫓を抜けるとまた坂道があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201126501_116 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
117.太郎門櫓
登りきると、彦根城の天守を目前にした本丸最後の門である重要文化財の太鼓門櫓が現れた。東側の壁が無く、柱の間に高欄をつけ廊下にしているという。登城合図用の太鼓の音を響かせるために考えられたのではないかといわれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
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118.天守の石垣
太鼓門櫓を過ぎると、天守が現れる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 32mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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119.天守 -1
天守の南側から撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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120. 天守 -2
天守の西側へ回る。国宝彦根城天守は北西に附櫓が、さらに長い多聞櫓が連なる。また、破風は変化に富んでいる。天守一層目の軒に並ぶ8つの「へ」の字形の切妻破風は、それぞれの大きさと奥行きに変化をもたせ、二層目は、南北を切妻破風、東西を入母屋破風とし、南北にが唐破風が設けられている。この切妻破風、入母屋破風、唐破風を組み合わせたたぐい希な美しさは見逃せないという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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121.もみじと切妻破風
天守に上がれるようだが、時間も少ないので割愛し、天守を左回りに回って、西の丸の手前から黒門山道を下りて、楽々園、玄宮園へ行くことにした。破風には入母屋破風、千鳥破風、切妻破風、唐破風の4種類があり、もみじの間から見えるのは切妻破風だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
201126522_121 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
122.黒門山道
本丸の石垣を右手に眺めながら黒門山道を下りる。私たちの他に歩く人がいない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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123.曲輪井戸
黒門山道を下っていくと右手に小曲輪というところがあった。曲輪とは、城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域のことであるが、立てられていた説明板には、「 弧状に築かれたこの曲輪の北東隅には塩櫓が築かれ、周囲は瓦塀がめぐっていました。塩櫓の近くには方形と円形の桝が現存しており、石組溝で集められた雨水を浄化して貯水するタイプの井戸であったと考えられます。曲輪の名も、この井戸に因んで名づけられたのでしょう。「塩」と「水」は、籠城戦ともなれば兵士の体を維持するために必要不可欠なものです。井戸曲輪は小さな曲輪ですが、黒門から侵入する敵兵に対する守りであるとともに、彦根城を守備する兵士の生命維持に必要な物品の備蓄が配慮された曲輪でもありました。」と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
201126534_123 彦根城 RX10M4.jpg
124.黒門
左側は西の丸だ。黒門山道を振り返る。右手に内堀を渡る黒門橋がある。 黒門橋は、城山から槻御殿や玄宮園に向かう一番近い橋で、現在、内堀に架かる3つの橋の中で唯一土橋になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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125.黒門橋を渡る
内堀に紅葉が映り込んでいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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126.彦根城のもみじ
彦根城のもみじは多くない。もみじはやはり湖東三山なのだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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127.楽々園と玄宮園
黒門橋を渡り、コブハクチョウが遊ぶ内堀に面した散策路を右へ進み、まず、楽々園に入る。楽々園と南側に玄宮園が続くが、これは楽々園から玄宮園を眺めたところ。見えている橋で、羽織袴と角隠しの新婚さんが記念写真の撮影をしていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 106mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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128.楽々園 茶座敷「地震の間」
かつて、江戸時代初期 (1677年) に彦根藩4代藩主井伊直興によって造営が開始された井伊家の下屋敷であった。江戸時代は「槻御殿」あるいは「黒門外御屋敷」と呼ばれており、明治時代以降に「樂々の間」から「楽々園」と呼ばれるようになったとされる。  写真はご書院から連なる「地震の間」。「地震の間」という名称についてはいつごろから呼ばれるようになったかは不明だが、構造上に特徴があり、地震が起きた際に、その耐震機能を果たすとされ、文政2年(1819年)に大きな地震被害に遭っていることによる改修と考えられるとのこと。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126565_128 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
129.玄宮園から天守を望む
楽々園から玄宮園へと移動する。もみじの間から天守閣を望む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 46mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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130.玄宮園 鳳翔台
玄宮園は楽々園とともに、江戸時代には「槻御殿」と呼ばれた彦根藩の下屋敷である。「槻御殿」は延宝5年(1677年)、4代当主井伊直興により造園が始まり、同7年に完成したと伝えられ、昭和26年に国の名勝に指定されている。現在は「槻御殿」の庭園部分を玄宮園、建物部分を楽々園と称している。玄宮園は広大な地水を中心に池中の島や入り江に掛かる9つの橋などにより変化にとんだ回遊式庭園となっている。庭園内の築山に造られた茶室の鳳翔台は、彦根藩の賓客をもてなすための客殿だったそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 45mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
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131.玄宮園 鳳翔台と天守閣
玄宮園の池の東側からと鳳翔台と本丸天守閣を望む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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132.玄宮園のもみじ
さっき新婚さんが記念写真を撮っていた橋のそばに1本のもみじがあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
201126587_132 X800 彦根城 RX10M4.jpg
133. 「二季咲桜」
彦根城でも桜が咲いていた。「二季咲桜」の札が立てられていた。その札には、「昭和47年4月に水戸市(友好都市)より寄贈されたもので冬(11月から1月)と春(4月から5月)の年二回開花します。」と記されていた。1年に2度咲く桜にはフユザクラやジュウガツザクラ、フダンザクラ、シキザクラ、コブクロザクラなどがあるが、この二季咲桜はマメザクラ(豆桜)とエドヒガン(江戸彼岸)の雑種でシキザクラの一種とされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 55mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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134.馬屋 重要文化財
何気なく通り過ぎてしまったが、長い黒い塀に気が付いて、その門へ戻ってみた。この細長い建物は馬屋で、全国の近世城郭に残る大規模な馬屋としてほかに例がなく、国の重要文化財に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
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135.馬屋の中
馬屋の中に入ってみる。馬屋の建物はL字形になっていて、佐和口の櫓門に接する東端に畳敷の小部屋、反対の西端近くに門があるほかは、すべて馬立場(うまたちば)と馬繋場(うまつなぎば)となっている。その数は21。つまり21頭もの馬を収容することができたのだ。昭和41年~43年にかけて解体修理されている。馬屋は藩主などの馬を常備したもので、こうした馬屋の他にも、かつて表御殿(現在の彦根城博物館)の玄関脇には客用の馬屋があった。また、玄宮園やお浜御殿などの下屋敷には、馬場があって馬の調教が行われていたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/250秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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136.京橋
京橋を渡って城を退出した。  京橋は、一千石以上の武士が居住していた第二郭(内曲輪)と中級以下の武士や商人、職人が居住していた第三郭(内町)をつなぐ橋だった。京橋を渡り、中濠東西通りを渡って、本町通り「夢京橋キャッスルロード」に入る。振り返ると秋を感じる鱗雲がきれいだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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137. 「夢京橋キャッスルロード」
当時、本町は商人町で大変活気があったという。彦根城が築城された1603年(慶長8年)、当所に町(当時の町名は桶屋町・職人町・八百屋町など)が作られたのが起源である。現代になって、彦根市の都市開発から取り残されていたが、1985年(昭和60年)に彦根市の街角整備事業の一環として実施対象となり、江戸期の建物・風情を再現した町並みにすることが計画され、1999年(平成11年)に地区を走る県道2号の拡幅とともに完成した。京橋から本町を抜ける通りを本町通りといい、計画前は町割りの佇まいや白壁と格子窓のある街並みに、江戸時代の面影がわずかに残っているだけだったが、 現在「OLD NEW TOWN」をテーマに、本町通りに沿って立ち並ぶ街並みは、商人屋敷の良さを生かした江戸時代感覚の新しい建物に建て替えられている。この本町通りは「夢京橋」という名前で親しまれ、「夢京橋キャッスルロード」と名付けられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
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138.「夢京橋キャッスルロード」 吉坂薬局
実は新しいのだろうが、クラシカルな店構えの薬局があった。お店の中を覗いてみたら、最近のくすりが並んでいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
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139.「夢京橋キャッスルロード」 あゆの店「きむら」
琵琶湖はアユでも有名だが、琵琶湖にはアユが食べる苔がないので大きく育つことが出来ないのだそうだ。そこで小鮎の佃煮が名産だが、試食したところ、とてもいい味だった。琵琶湖特産の ホンモロコの佃煮もよい。

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プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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140. あゆの店「きむら」の庭
あゆの店「きむら」は奥行き深く、その奥には中庭がある。お店の人にお願いして写真を撮らせていただいた。

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プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO500 ) 露出補正 -0.7段
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141.彦根観光人力車
あっという間に時間が経ち、速足でバスに戻った。発車前のバスの窓越しに中濠東西通りをお客さんを乗せて走る人力車が通り抜けた。14時40分、湖東三山のひとつ百済寺に向け出発する。

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プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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2020年12月15日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (4)金剛輪寺 11/26

2日目、この日は湖東三山と彦根を観光する。湖東三山は一昨年の11月にも行っているが、また、違う印象があるものと期待する。彦根城は初めてなので、楽しみにしている。
 天気もよさそうだ。朝は8時に草津のホテルを出発する。名神高速に上がるまでは朝の渋滞である。滋賀県草津市は人口14万3千人で県庁所在地の大津市に次ぐ県下第2位の人口を有する都市だ。私が描いていた懐かしい草津とは違っていた。1963年-1965年に名神高速道路が開通し、地の利の良さから大企業が多く進出し、有名となった栗東町は市に昇格し隣接する草津市も、ここ20年の間に大きく変わったようだ。私が育ったところはこの名神高速道路を少し瀬田の方へ行った追分というところだった。
 子供の頃に眺めた記憶がある三上山(近江富士)432mを正面に眺めながら、名神高速道路を走り、湖東三山スマートICで下りる。最初に行くのは湖東三山の真ん中にある金剛輪寺だ。「血染めの紅葉」とたとえられる本堂、三重塔を彩るカエデの紅葉の具合はどうだろうか。期待が募る。
 金剛輪寺 は琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西側山腹にある天台宗の寺である。寺伝によれば聖武天皇の勅願で奈良時代の僧・行基の開創とされ、創建は天平9年(737年)または天平13年(741年)と伝えられている。本尊の聖観世音菩薩は行基菩薩の作であり、ホームページによれば行基菩薩が一刀三礼で観音さまを彫り進められたところ、木肌から一筋の血が流れ落ちたため、その時点で魂が宿ったとして、粗彫りのまま本尊としてお祀りされた。後の世に「生身の観音」と呼ばれるようになり、全国の観音信徒より篤い信仰を集めていると記されている。

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金剛輪寺境内図 金剛輪寺パンフレットより

53.金剛輪寺 参道
受付がある黒門から本堂へ参拝するには、長い上り坂を登って行かねばならない。参拝者は高齢者が多いので、バスは参道の最後、二天門の石段の下まで登ってくれる。そこから下の参道の方を眺めたのがこの写真。参道の両側にはお地蔵さんが赤い風車とともに並ぶ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/200秒 23mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126230_053 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
54.本堂とモミジ
石段を二天門まで登ると、本堂を背景に少し枯れ始めた葉と、まだ緑が残る葉が混在するカエデが現れた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
201126233_054 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
55.本堂
本堂は元寇の役(蒙古襲来)の戦勝記念として、時の近江守護職・佐々木頼綱によって建立された鎌倉時代の代表的な和様建造物として国宝に指定されている。堂内には本尊をはじめ、阿弥陀如来坐像、十一面観音立像など平安から鎌倉時代の仏像が安置され、その多くが国の重要文化財に指定されている。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
201126235_055 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
56.鐘楼
金剛輪寺の鐘は、参拝者が自由についていいのだそうだ。時々参拝者がつく鐘の音が聞こえてくる。 金剛輪寺の梵鐘は乾元2年(1303年)4月15日大工河内助安の刻銘がある県指定文化財になっていて、本物は総門(黒門)の脇にある愛荘町立歴史文化博物館に所蔵されているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/320秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126238_056 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
57.二天門 -1
前後するが、階段を昇り詰めると二天門だったが、門の両脇には大きなわらじが掛けられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126239_057 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
58.本堂周囲の紅葉 -1
金剛輪寺の紅葉は「血染めの紅葉」と言われ、真っ赤に色づく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
201126242m_058 X800 〇金剛輪寺 RX10M4.jpg
59.本堂周囲の紅葉 -2 「血染めの紅葉」
「血染めの紅葉」と言われるカエデの紅葉。まだ、緑いろの葉が残る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 168mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
201126243_059 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
60.本堂周囲の紅葉 -3
建物はどうやらトイレだったらしい。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 -0.7段
201126247_060 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
61.三重塔 -1
重要文化財の三重塔で別名「待龍塔」と呼ばれる。本堂に向かって左(北)の一段高い場所に建つ。wikipediaによれば、寺伝では鎌倉時代の寛元4年(1246年)の建立というが、様式的には南北朝時代の建築とみられるそうだ。織田信長の焼き討ちはまぬがれたものの、近世以降は荒廃し、塔の初層と二重目の軸部(柱、梁などの根幹材)と組物がかろうじて残るだけで、三重目はなくなっていた。現状の塔は1975年(昭和50年)から1978年(昭和53年)にかけて修理復元されたもので、欠失箇所は同じ滋賀県内の西明寺三重塔などを参考に復元したものであるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO1000 ) 露出補正 -0.7段
201126250_061 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
62.三重塔 -2
金剛峰寺の紅葉が紹介されるとき、この三重塔と紅葉の写真が載せられている。すでに葉が落ちて始めている木もあり、光も十分でなく、鮮やかに撮れなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 31mm ISO1000 ) 露出補正 -0.7段
201126254_62 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
63.本堂周囲の紅葉 -4 「血染めの紅葉」
ここも「血染めの紅葉」もあれば、すでに枯れ始めている葉、まだみそり色の葉が混在する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 76mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
201126260_063 X800 〇金剛輪寺 RX10M4.jpg
64.本堂周囲の紅葉 -5
歩き回っていたので、どこで撮ったかわからなくなってしまった。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/100秒 45mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126270m_064 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
65.三重塔 -3
二重目、三重目が見える裏側へ回り込んで撮った。三重塔の説明板には、昭和47年に重要文化財に指定され、その後の解体修理で建立時には計画されたが未完成であった初重の縁、二、三重の柱間装置なども整備され、昭和53年に完全な三重塔が建立したとある。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 -1.0段
201126273_065 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
66.三重塔 -4
何とか色鮮やかなカエデと三重塔を映し込んだ。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 35mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
201126282m_066 X800 〇金剛輪寺 RX10M4.jpg
67.二天門 -2
そろそろ下ることにする。二天門を潜る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
201126286_067 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
68.千体地蔵 -1
二天門を後にして石段を下りると参道の両側にお地蔵さんが並ぶ。参道や境内などに鎮座したお地蔵様の数は、実際には2000体を超えると言われ、迫力を感じる。それぞれのお地蔵様には、家の名前が書かれていて、地域の人によって大切に守られているそうだ。 参道にズラリと並ぶ 高さ50cmほどの小さなお地蔵様はみな小奇麗に保護されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126291_068 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
69.二天門 -3
二天門を振り返る。wikipediaによれば、二天門は様式上、室町時代前期の建築。寺伝では、元来は楼門(2階建て門)だったが、2階部分が失われたものという。組物の形式などからみて、伝承どおり楼門の上層部分が失われたものか、または楼門として建立する予定だったものが未完成に終わったものとみられる。屋根は入母屋造、檜皮葺とするが、屋根材は江戸時代のもので、当初からこの形式であったかどうかは不明であるという。向かって右に増長天、左に持国天が祀られている。重要文化財に指定されている。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 36mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126298_069 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
70.二天門とお地蔵さん
二天門へ上がる石段のすぐ下までお地蔵さんが祀られていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/160秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126301_070 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
71.千体地蔵 -2
風が吹くと、一体一体に供えられた赤い風車がいっせいに回りだし、静かな境内がカタカタという音に包まれるという。 なぜ、赤い風車なのかと興味を持ち調べてみたがわからなかった。午前9時半だが、鬱蒼として暗い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/160秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126304_071 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
72.本坊 明寿院
帰りのバスは総門(黒門)の外の駐車場で待ってくれているので、お地蔵さんが並ぶ参道を下まで下りるのだ。途中右側に本坊である明寿院と木札が下がった門があった。白門という。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126314_072 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
73.池泉回遊式庭園 入口
白門を入ると右側に名勝庭園(池泉回遊式庭園)の門があった。  門の中には桃山時代、江戸初期、江戸末期と時代の異なる3つの庭園がある。金剛輪寺のホームページには、「作者不詳でありますが、老杉蒼松の自然を背景とし、灯籠泉石樹木の配置等、素晴らしく、晩秋の深紅に染まる色鮮やかな紅葉は血染めの紅葉と広く知られております。観音様のやさしいお心が満ち、湖東三山一の名園古庭であり、国の名勝にも指定されております。」と紹介されている。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126318_073 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
74.門の屋根
その庭園入口の屋根瓦には、青い苔が生え、カエデの枯葉が落ちて、風情を感じる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126319_074 X800 〇金剛輪寺 RX10M4.jpg
75.桃山時代の庭 護摩堂
桃山時代に造られた庭に護摩堂があった。滋賀・びわ湖観光情報によれば、桃山時代の庭は「石楠花の庭」と呼ばれ、庭の中央に架けられた優雅な石橋のそばに、鎌倉時代に作られたという苔むした多くの石が配され、品格のある雰囲気であるという。春になると、庭のそばにある護摩堂のカキツバタやシャクナゲが鮮やかに咲き、華やかになるようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201126325_075 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
76.江戸中期の庭
同じく、滋賀・びわ湖観光情報によれば、江戸中期の庭は、滝から池に水が流れ、池の中に七福神の宝船を表わす岩で出来た舟が配されていいる。また、桃山時代の庭の宝篋印塔を見下ろすように立つ水雲閣は、湖東随一の茶室で、天井に桜、なでしこ、菊など四季おりおりの花が描かれている。またこの茶室からの庭の眺めは美しく、一見の価値があるそうだ。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
201126332_076 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
77.明寿院(本坊)の座敷
明寿院(本坊)は、江戸時代の創建といわれ寺宝を多く保存し、かつて学頭所として使われていた。この本坊の南・東・北の三方を囲むように庭園があり、心の字池が3庭を結んでいる。本坊に沿って庭園を周ってみた。座敷の戸は開け放たれていて、南側から座敷を通して、北側の庭園が眺められた。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO800 ) 露出補正 -2.0段
201126340_077 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
78.紅葉
名勝庭園鑑賞を終え、参道に戻る。この辺りにも美しい紅葉があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段
201126344_078 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
79.赤門
名勝庭園(白門 写真右側)から、下りて来ると赤門があった。柵が置かれていて、入ることは出来ない。左へ曲がる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
201126345_079 X800 金剛輪寺 赤門 RX10M4.jpg
80.受付
受付を通り過ぎて、下りてきた参道を振り返る。右手は華楽坊という食事処、左手に愛荘町立歴史文化博物館がある。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
201126346_080 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
81.総門(黒門)
金剛輪寺は国道307号線から少し東へ入ったところにある。聖観音と書かれた大きな提灯がさがっている総門(黒門)が参拝者の入り口だ。総門を出て境内を振り返った。バスの駐車場は総門を出て左側だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
201126349_081 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg


2020年12月 3日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (1)メタセコイヤ並木 11/25

10月の中頃だったか某旅行会社からのダイレクトメールで『明智光秀ゆかりの「西教寺」と通常非公開「教林坊」ライトアップ 琵琶湖ぐるっと紅葉10景3日間』というツアーが紹介されていた。昨年の2月には、仏事で京都へ行った帰りに石山寺、日吉大社を訪れていた。また、一昨年11月にも、高野山からの帰りに、京都駅から出発する日帰り観光バスで金剛輪寺、西明寺、百済寺の湖東三山を巡っている。 私たち一家は、1945年にかっての満州は奉天(現・瀋陽)から、父親の郷里である滋賀県に引き揚げてきた。私は小学校へ入る前の2~3年の間、そこで育った。私の本籍地は結婚するまでは滋賀県だったのだ。父親に連れられて琵琶湖に注ぐ小川へ行き、今は少なくなってしまったというモロコ釣りをした思い出もある。 というわけで、滋賀県には愛着がある。10月中頃にこのツアーに参加を申し込んでいたが、その後、新型コロナウィルス感染の第三波で感染者がじわじわと増えてきてしまったのが気がかりになったが、思い切って行くことに決めた。

今回のツアーのおおよそのコースは、第1日目に高島市マキノ町の県道小荒路牧野沢線のメタセコイア並木を見て、白髭神社を車窓から眺め、南へ下がってきて琵琶湖大橋を渡り、近江商人の街、近江八幡を散策した。近江八幡の近くで早めの夕食を済ませ、秋の夜間特別公開としてライトアップされた教林坊を訪れる。宿泊は2晩とも草津のホテル。2日目は、草津から名神高速を北へ走り八日市で下り、まず、湖東三山の金剛輪寺と西明寺の紅葉を観賞する。その後、彦根城を訪れ、昼食時間を含め、自由に3時間ほど過ごす。彦根城の駐車場に集合し、残りの湖東三山のひとつである百済寺を訪れ、早めに草津に戻ってきた。夕食は各自自由にする。最終日は比叡山延暦寺へバスで上がり、坂本ケーブルで坂本に下り、明智光秀の菩提寺である西教寺に行く。最後は大津に近い湖岸に建つ旧琵琶湖ホテルの建物のびわこ大津館で琵琶湖を眺めながらの昼食となった。帰路は大津から名神高速に上がり、岐阜羽島から新幹線に乗車した。 

さて、第1日目。新横浜から乗車した新幹線の車内はほぼ満席だった。乗客はみなさんマスクをして、時々女性の笑い声が気になったが、静かに過ごしている。 米原駅で下車、駅前に近江交通の観光バスが待っていた。参加者は、1人旅行から3人グループまで全部で17人だった。片側にひとりずつ座る。乗車するときにベテランガイドさんが、乗車口でアルコール消毒液のスプレーを持って迎えてくれ、差し出した手のひらに吹きかけてくれた。 バスはまず北陸自動車道を北へ向かう。ガイドさんは小谷城や長浜の町の説明をしてくれる。木之本で下りて国道303号線へ。賤ケ岳、余呉湖の説明を聴きながら、敦賀へ向かう道と別れて、琵琶湖の西側へ向かう。最初に下車したところは、韓国ドラマの「冬のソナタ」のオープニングシーンや各場面に登場した並木道に良く似ていると話題になった、高島市マキノ町のマキノピックランドのメタセコイア並木だった。

1.マキノ高原のメタセコイヤ並木 -1
場所は琵琶湖の北側で、西側へ回り込んだあたりの三国山、赤坂山など標高800m~900mの山が連なる福井県との県境である野坂山地の麓にある。高島市マキノ町の蛭口~牧野の農業公園マキノピックランドを縦貫する県道小荒路牧野沢線に延長約2.4kmにわたりメタセコイアが約500本植えられている。高島市は、滋賀県の西部、琵琶湖の北西に位置する市。市の面積は県内最大であるが、人口密度は67人/㎢と県内でも少ない方だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO320 ) 露出補正 なし
201125002_001 X800 〇メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
2.マキノ高原のメタセコイヤ並木 -2
バスは県道小荒路牧野沢線の美しく紅葉したメタセコイア並木の下を潜るように走り、並木が終わるところにある駐車場に入った。若い人たちが大勢訪れていた。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO2000 ) 露出補正 なし
201125004_002 X800 メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
3.マキノ高原のメタセコイア並木 -3
車の往来は結構多いが、車と車の合間を見計らって車道に出て、見事に紅葉したメタセコイア並木の写真を撮っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO2000 ) 露出補正 なし
201125006_003 X800 メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
4.マキノ高原のメタセコイア並木 -4
おおよそ2.4kmにわたりメタセコイア約500本が植えられているというが、先は見えないほど続いている。1981年(昭和56年)に当初、約2mの苗木が植えられたが現在では樹高25m程度にまで成長している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO1250 ) 露出補正 なし
201125010_004 X800 メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
5.マキノ高原のメタセコイア並木 -5
車も多い。京都ナンバーと地元の滋賀ナンバーが多いようだ。「冬のソナタ」のオープニングシーンや各場面に登場した並木道に良く似ているというが、「冬のソナタ」のロケ地「南怡島(ナミソム)」のことは知らないものの、それを凌ぐではないかと思うほど立派である。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 51mm ISO1600 ) 露出補正 なし
201125018_005 X800 メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
6.マキノ高原のメタセコイア並木 -6
同じような写真で恐縮である。当初、メタセコイアではなく桜並木にという意見もあったらしいが、桜百選に選定されている海津大崎の桜並木がすぐ近くにあること、果樹園を運営していることから防風林が必要であったこと、また整備当時近隣よりメタセコイアの化石が発見されていたことも理由となり、メタセコイアが選ばれたという。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1600 ) 露出補正 なし
201125025_006 X800 メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
7.メタセコイアとは
wikipediaによれば、メタセコイアは、ヒノキ科メタセコイア属の落葉樹。1属1種。和名はアケボノスギ、イチイヒノキ。和名のアケボノスギは、英名 dawn redwoodを訳したものだそうだ。 樹高は生長すると高さ25-30m、直径1.5mになる。 葉はモミやネズに似て線のように細長く、長さは-3cm程度、幅は1-2mm程度で、羽状に対生。秋に赤茶色に紅葉した後、落葉すると記されていた。また、同じくwikipediaによれば、メタセコイアは、当初は日本を含む北半球で化石として発見されるのみで、絶滅した植物と考えられていたが、1946年に中国四川省(現在の湖北省利川市)で現存していることが確認されたという。1948年にアメリカのチェイニー(Ralph W. Chaney)が、湖北省から苗を持ち帰り育成。その一部が1950年に" target="_blank">三木茂博士  が結成したメタセコイア保存会に送られ、保存会により日本国内の研究機関や自治体に配布されたといわれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 187mm ISO1600 ) 露出補正 なし
201125031_007 X800 メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
8.メタセコイアの幹
成長すると幹は直径1.5mほどになるというが、まだそれほどではないにしても太い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO2000 ) 露出補正 なし
201125035_008 X800 メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
9.マキノ高原のメタセコイア並木 -7
この並木は、1994年11月、読売新聞社の「新・日本の街路樹百景」に選定されて以降は、観光地として注目を集めている。2010年9月には「日本紅葉の名所100選」(主婦の友社選)にも選ばれている。昨年夏に行った北海道の十勝牧場の入口のTVドラマのロケに使われたこともあるという白樺並木を思い出した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO1250 ) 露出補正 なし
201125050_009 X800 メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
10.ピザ屋
ピザを売る屋台の車に若い人たちが列を作っているのを横目で見ながら駐車場のバスに向かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO500 ) 露出補正 なし
201125064_010 X800 〇メタセコイヤ並木 RX10M4.jpg
11.白髭神社
メタセコイア並木を出発したバスは琵琶湖の西側をJR湖西線に添うように南下する。小1時間ほど走って、ガイドさんが左側車窓に湖水に鳥居が立つ白髭神社の説明を始めた。右側には境内と社殿が見えた。降りて見たかったと思った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO100 ) 露出補正 なし
201125066_011 X800 白髭神社 RX10M4.jpg
12.沖島
比良山地を右に見て、堅田から琵琶湖大橋を渡り琵琶湖の東側に入る。まもなく近江八幡というところで左側に島が見えた。ガイドさんは沖島と説明してくれた。wikipediaによれば、沖合約1.5 kmに浮かぶ小島。琵琶湖最大の島だそうだ。約250人が居住する有人島で、島の南西部に集落が形成されており、市立小学校や郵便局なども設置されている。また、ネコが多く生息しているというのをTV番組で見たことがある。電気・通信は、近江八幡市本土と沖島の間に湖底ケーブルがあるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 56mm ISO160 ) 露出補正 なし
201125074m_012 X800 竹生島 RX10M4.jpg


2019年2月28日

雪が降る日吉大社(前編) 2月14日

石山寺から京阪石山坂本線に約30分乗って、坂本比叡山口駅に着いた。駅を出て左に進むと日吉大社の鳥居があって、その先に日吉馬場と呼ばれる広い参道(県道)が見えた。参道の両脇には石垣が連なる里坊や石燈籠が並び、春には約350本のソメイヨシノやシダレザクラが咲くという。日吉大社は京阪石山坂本線・坂本駅の西約1kmのところにある。だらだらと坂道を登ると参道は、左に行くと比叡山、そして右手には日吉大社の入り口となる赤い鳥居があり、そこが境内の入口で、300円の入苑協賛料をお支払いする。
 当日は小雨が降り、比叡山には霧がかかっていたが、比叡山の麓に鎮座する日吉大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮である。平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは天台宗の護法神として崇敬を受け、今日に至っている。 往時には、境内百八社・境外百八社が、その管轄にあったほどであったが、現在は、西本宮、東本宮をはじめとした山王上7社、さらに中7社、下7社の21社が存在し、日吉大社とはその総称である。

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名代手打本家「鶴喜そば」ホームページより

 途中、雪が降る中を、西本宮→宇佐宮→白山宮→東本宮・樹下宮にお参りしてきた。石山寺もそうだったが、ここでも参拝客は2~3組見かけただけだった。天気が良ければ東本宮からさらに東にある 西教寺へも行ってみたかったが、思いとどまり、京都へ戻ることにした。朝は、京都駅の喫茶店で食べたモーニングセットだけだったので、腹も減った。日吉馬場の入り口にあった老舗の「鶴喜そば」で温かいそばを食べたが、地元の人たちも来られるのであろうなかなか賑わっていた。京都へ戻るにはJR湖西線の比叡山坂本駅に出るのが良い。琵琶湖に向かって南へ下る。

1.日吉大社二の鳥居
日吉馬場(参道)の入り口に大きな石造り鳥居があった。参道は県道316号線になっていて、車も走る。この参道をまっすぐ進む。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels<>br> プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2.三宮宮、牛尾宮
参道を歩いていると正面やや右側の山の上に社が見えた。近くにあった案内図を見ると、山は標高381mの八王子山といい、左側に見える社殿が三宮宮で、右側が牛尾宮とある。いずれも山王上7社である。八王子山の頂上付近には、高さ約10mもある金大巌(こがねのおおいわ)という岩があるそうだ。東本宮に祀られている大山咋神もそんな山の神様だったと思われ、最初は金大巌に宿ったとされている。今回は長い玉を持ってきていないし、霞んでいてクリアな写真が撮れない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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3.穴太衆積みの石垣
日吉大社入り口の鳥居が見えてくると、その左手に「穴太衆積みの石垣」というのがあった。穴太(あのう)積みというのは、ここ滋賀県の大津市坂本近くにある穴太の石工集団が積んだ石垣のことをいうが、基本的には自然石を積み上げる野面積みである。説明板には「この石垣は慈覚大師の時代に唐国を模したものと言われ、また、比叡山延暦寺が三千の僧兵を養っていた頃に城塞として造り、この美しい石積みは坂本穴太衆が築いたもので、穴太の石工たちは戦国時代以前から砦造りの専門職であった。彦根城はもちろん、豊臣秀吉が誇った大阪城、加賀百万石の金沢城の石積みも坂本穴太衆の手でできたという。このあたりに点在する寺院は城郭風な面影を持ち、建物は改築されても石垣だけは幾百年の星霜のうちに厳然として残り、苔むして美しい」とあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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4.境内入口の鳥居
右(東)へ行くと東本宮、西教寺、左へ行くと比叡山坂本ケーブルの坂本駅へ行く所に、境内入口の鳥居があった。正面左の石段の上には早尾神社がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO200 ) 露出補正 なし
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5.地蔵堂
日吉馬場の鳥居のそばに地蔵堂があった。比叡山の参道の入り口に位置し、子育て地蔵・早尾地蔵尊(六角地蔵堂)という札が立っていた。本尊は比叡山の開祖伝教大師最澄上人自作の石地蔵尊と伝えられている。最澄が、童子のすこやかな成長に心を注ぎながら彫ったとの伝承から「子育て地蔵」とも呼ばれ、子どもの成長に功徳があると信仰されている。また、この地蔵は「陰坊地蔵」とも呼ばれる。それは、西教寺の真盛上人が生まれた嘉吉3年(1443年)姿を消し、明応4年(1495)真盛上人の入寂と共に再び姿を現したという伝承からきたもので、真盛上人はこの地蔵の生まれ変わりと伝えられる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
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6.比叡山登山道
早尾神社へ上がる石段の左側に、比叡山登山道となる石段が見えた。比叡山延暦寺まで歩いて1時間半くらいのようだ。自転車乗りが3人下りてきていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 32mm ISO400 ) 露出補正 なし
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7.求法寺走井堂
日吉大社境内の隣地に境内を構えている天台宗の寺院である。説明板などによれば、求法寺走井堂は、第4世天台座主安恵和尚(801-864)の里坊として創建されたものと伝えられている。のちに比叡山中興の祖といわれる第18世座主慈恵大師良源大僧正(元三大師)が入山(12歳ころ)の折、比叡山への入山修行の決意を固めたところから、「求法寺」と称するようになったという。走井の地名に因んで「走井堂」とも称している。本尊は国の重要文化財で自作と伝えられる元三大師尊像(秘仏)。建物は元亀2年(1571年)織田信長の焼き打ちで焼失、正徳4年(1714年)に再建されている。入母屋・柿葺、正面に唐破風が設けられている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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8.大宮橋
境内を流れる大宮川という小さな川には大宮橋、走井橋、二宮橋という三つの橋が架っていて日吉三橋という。この大宮橋は、まっすぐ西本宮(大宮)に向かう道筋にあり、重要文化財である。花崗岩製の石造橋であるが、木造橋の形式をそのまま用いている。両側に格座間を掘り抜いた高覧をつけるなど、日吉三橋のうちでも最も手が込んでおり、豪壮雄大な構造の代表的な石造桁橋である。天正年間(1573年-1592年)に秀吉が寄進したといわれているが、木橋が現在の石橋に掛け替えられたのは寛文9年(1669年)だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 10mm ISO125 ) 露出補正 なし
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9.山王鳥居
少し登る坂になっている参道を進むと、山王鳥居があり、その先に西本宮がある。日吉大社は別名を山王さんと呼ばれ、山王さんの鳥居だから山王鳥居と呼ばれているのだそうだ。山王鳥居は神仏習合の信仰を表す独特な形で合掌鳥居とも呼ばれている。明神造りの鳥居の上に山型の破風がとりつけられ、調和のとれた美しい形で総合鳥居とも呼ばれる。山王鳥居、合掌鳥居、総合鳥居、といろいろな呼び方があるのだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 35mm ISO320 ) 露出補正 なし
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10.白山宮参道
山王鳥居をくぐって行くと、その先の右側に神馬舎、神猿舎というのがあった。神馬舎には白馬の置物があり、神猿舎には猿が飼われていた。神馬は神様が乗る馬であり、神様への捧物でもある。神猿(まさる)は山王の使者であり、魔が去り、何よりも勝る。猿は古くから境内で飼われており、既に室町時代の記録にも登場するという。今から約1200年前、京都で平安京に遷都された折には、比叡山が都の鬼門(北東)に位置することから、当社は都の鬼門封じの社として崇敬され、その折にこの猿さん「魔をさる」として「まさる」と呼ばれるようになり、魔除けの象徴となったと伝えられる。 ここで参道をまっすぐ行くと西本宮なのだが、右手に赤い灯明が並び、その先に神社が見えたので、先にそこへ入っていった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO250 ) 露出補正 なし
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11.白山宮(白山姫神社本宮)
雪が降ってきた。ここは日吉大社の上七社の摂社の一つである白山姫神社本宮だ。祭神は菊理姫命。装飾金具が少なく簡素なつくりで地味な落ち着いた中にも各部の意匠に意を配った建物である。三間社流造、檜皮吹きの現在の本殿は、1598年(慶長3年)の建立である。明治39年に国の重要文化財に指定されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 18mm ISO640 ) 露出補正 なし
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12.獅子と狛犬
白山姫神社の本殿の左右の縁に獅子がいた、と思ったが、それは間違いで左が狛犬で「吽」でツノがあり、写真は右側の獅子で「阿」だそうである。日吉大社には木製の狛犬、獅子が5組ある。16世紀製だそうだ。風格がある。本来、獅子・狛犬は本殿の中の内陣にて神様をお守していたが、時代を経ると本殿の上に置かれ、本殿も守護する意味合いが生れたという。更に時代を経ると、境内全体の守護のため本殿の前、境内入口などに置かれ、雨ざらしになるため木製から石造りになったという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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13.剣宮社(下7社・末社)
白山姫神社境内には下7社である剣宮社ほか、末社が並んでいた。手前から剣宮社、小白山社、八坂社、北野社という。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO640 ) 露出補正 なし
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14.宇佐宮拝殿
白山宮の先(西本宮寄り)に宇佐宮があった。祭神は田心姫神。このお宮も上7社・摂社の一つである。この建物はその拝殿で、なかなか渋い。典型的な方三間の拝殿形式である。四方の柱間は四方とも開けっ放し(吹き放し)廻り縁には高欄がつき、天井は小組格天井、屋根の妻飾りは木連格子(狐格子)となっている。慶長3年に建てられたもので、後ろに見える本殿と同じ時期である。昭和39年国の重要文化財に指定された。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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15.西本宮楼門から拝殿を見る
ようやく西本宮にたどり着いた。宇佐宮から西本宮の南側の門から境内に入ったので、一旦、左へ行って楼門から入り直した。西本宮楼門の軒下の4隅には木造の猿「棟持ち猿」が楼門を守っているのだが写真に撮り損なっていた。後ろに見える拝殿は方三間、一重、入母屋造り、檜皮葺、妻入りの建物。柱間は四方とも開け放して、屋根の妻飾りは木連格子、回り縁は高覧が付き、天井は中央部が一段と高くなった折上小組格天井となっていると説明されていた。天正14年(1586年)本殿と同時に建てられた。昭和39年に重要文化財に指定されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 10mm ISO400 ) 露出補正 なし
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16.西本宮本殿 -1
ひときわ立派なお社だった。他所ではほとんど見られない独特の建築様式の本殿という。安土桃山時代の元亀2年(1571年)、日吉大社に災難が降りかかる。織田信長は浅井長政、朝倉義景連合軍に加担していた延暦寺を忌み嫌い、また当時の僧侶が堕落していたことも相まって、日吉大社のある坂本から比叡山へと攻め込み、延暦寺を焼き討ちにした。日吉大社の境内もまた戦場となり、この戦いで日吉大社は灰燼に帰した。しかしその後、天下を取った豊臣秀吉により社殿の再建がなされ、日吉大社は見事復興を遂げる。これは秀吉の幼名が「日吉丸」であった事と、日吉大社の神獣が秀吉のあだ名である「猿」であった為だ。秀吉は日吉大社に只ならぬ縁を感じたのだろうとの説がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
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17.西本宮本殿 -2
天正14年(1586年)の建立。檜皮葺きで、屋根形式は「日吉造」という、日吉大社特有のもの。正面から見ると入母屋造に見えるが、背面中央の庇部分の軒を切り上げ、この部分が垂直に断ち切られたような形態(縋破風)になっているのが特色(wikipedia)。慶長2年(1597年)に改造されている。昭和36年に国宝に指定された。正面には1間の向拝(屋根の一部が前方に突き出し礼拝のために使用される部分)と浜床(向拝の下に用いられる低い床)があり、縁高欄がまわりをめぐっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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18.西本宮本殿 -3
縁の上に置かれた狛犬と獅子が気に入ってしまった。向かって右側に手前に見えるのが獅子で、その獅子と向かい合うツノがある狛犬が向こうに見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO640 ) 露出補正 なし
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19.包丁塚
西本宮の右手に大宮竈殿社があった。祭神は奥津彦神・奥津姫神。大宮(西本宮・大己貴神)の食事、調理を司る神だそうだ。山王21社のうち下7社の一つである。そして 大宮竈殿社の右奥に包丁塚があり、傍らの石碑には「竈神は、一家を構える家庭の命の源を守護する家神として崇拝された。このことから現在では台所の神として、また飲食を整える包丁の守護神として調理の上達を願い、多くの信仰を集めている」とある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO250 ) 露出補正 なし
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20.三宮宮、牛尾宮への上り口
日吉馬場の参道を歩いているとき北東の八王子山の上に、三宮宮と牛尾宮が見えた。石段の手前に見えるのは三宮宮遙拝所で向こう側が牛尾宮遙拝所だ。ここからその奥宮まで約1kmで片道30分だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO320 ) 露出補正 なし
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2018年12月11日

永源寺 11月8日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(5)

この旅行の3日目、京都は八条口から「永源寺と湖東三山巡り」という定期観光バスで、滋賀県は琵琶湖の東側にある古刹を巡るツアーを予約しておいた。私は奉天から引き揚げてきて2年ほど、親父の故郷である滋賀県草津市で育ったので懐かしい。近江鉄道のバスは8時45分、大型バスに乗客12名を乗せて出発した。紅葉にはまだ少し早いということで申し込みが少なかったのかもしれない。おかげでゆったりと座っていくことが出来た。
 バスガイドさんは、滋賀県草津市生まれという若いお嬢さんだった。名神高速道路を北東へ走り、黒丸というパーキングエリアで一休みしたあと、八日市で降り、愛知川に沿って、鈴鹿山脈に向かって進む。10時半少し前に永源寺の駐車場に入った。
 永源寺は臨済宗の大本山である。康安元年(1361年)佐々木(六角)氏頼が寂室元光禅師(正燈国師)をこの地に迎え、伽藍を建て開山した。本堂には本尊世継観世音菩薩(秘仏)が祀られていると、ガイドさんが説明してくれた。十六羅漢(石仏)を左手に見ながら石段の参道を進むと総門に出る。そこを入ると参拝受付になっていて、ガイドさんはそこまで案内してくれた。あとはそれほど坂はない。山門、本堂、開山堂と見ごろを迎える紅葉を眺め、約1時間後に駐車場に戻った。

89.京都駅八条口
定期観光バスの案内所および乗り場は京都駅の新幹線のりば側である八条口にあった。八条東口を道路の反対側に渡った、アバンティという商業施設の中にある。空港へ行くリムジン・バスの乗り場と同じ所で、外国人観光客が多い。今朝も良い天気だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
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90.名神高速道路
名神高速道路は、栗東IC - 尼崎IC (71.7 km) 間が、1963年(昭和38年)に日本初の都市間高速道路として開通した区間である。日本最初の高速道路だ。事故のためか少々渋滞があったが、バスは八日市ICで降り、一般道を鈴鹿山脈に向かって走る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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91.永源寺 羅漢坂
駐車場からバスガイドさんに案内されて、永源寺参道の始まりの部分、羅漢坂と言われる石段を上がる。100mほど続く急坂で、今日もまた石段を登るのかと覚悟を決めたが、永源寺のい石段はここだけだった。左側に眼鏡をかけた地蔵さんが立っていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO200 ) 露出補正 なし
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92.十六羅漢
羅漢坂の途中、左側の崖に彫りこまれた十六羅漢が奉安されれていた。頂上に釈迦如来と阿難(あなん)、迦葉(かしょう)という弟子を配しそれを取り巻くように羅漢が並んでいて、それぞれなかなか個性的な表情をしている。この写真は旨く撮れていないので、ほかにないか探したが、見つからなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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93.羅漢坂の紅葉
羅漢坂は十六羅漢のところで右へ折れる。そのあたりの紅葉が陽の光に透けて美しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO320 ) 露出補正 なし
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94.羅漢坂と総門
羅漢坂の先に総門が見えてきた。右側の谷を愛知川が流れる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO320 ) 露出補正 なし
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95.永源寺総門 -1
永源寺総門は永源寺境内の建物の中では最も古いもので、創建年は1361年、永源寺を開いた当時の近江守護職にあった佐々木(六角)氏頼によって建立されたもの。その後1390年に兵火で焼け落ち、1464年に永源寺16代住職の虚白文玄禅師によって再建されたものが現在に残っている貴重なものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 なし
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96.永源寺総門 -2
総門をくぐると拝観受付になっている。私たちの分はバスガイドさんがまとめて支払ってくれたが、拝観料は500円だった。

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プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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97.見ごろの紅葉
総門の辺りは紅葉の美しいところだ。私たちが訪れた翌日の11月9日に更新された永源寺のHPでは紅葉は見ごろになったと記されていた。右側は愛知川が流れる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 19mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
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98.山門 -1
寛政7年(1795年)井伊家の援助等により7年の歳月を費やし享和2年(1802年)完工した。楼上に釈迦牟尼佛、文殊菩薩、普賢菩薩並びに十六羅漢を奉安している。 滋賀県の指定文化財である。大きな立派な山門だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO250 ) 露出補正 -1.0段
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99.茶所
山門を抜けると右側に茶所があった。ここ滋賀県東近江市政所町周辺で栽培されている政所茶(まんどころちゃ)という日本茶がある。室町時代に永源寺五世管長の越渓秀格禅師が、この地の水質、地質が茶の栽培に適していることを見つけ、村人に栽培を奨励したことに始まると伝えられている。ここは、茶所と呼ばれる休憩所だ。その前を中学生たちが竹箒で掃除をしていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 56mm ISO600 ) 露出補正 -1.0段
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100.鐘楼
さらに進むと左側に鐘楼があった。過去4度の兵火や火災があり、現在の鐘楼は安永元年(1772年)に再建された。大鐘は太平洋戦争のときに供出したが、昭和23年に再鋳されている。ここの紅葉にはまだ少し早かったようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO250 ) 露出補正 -1.0段
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101.永源寺本堂(方丈) -1
鐘楼の左側に本堂が見えた。本堂は康安元年(1361年)佐々木氏頼が創建した。しかし度重なる兵火、火災により焼失している。現在の建物は明和2年(1765年)、井伊家の援助により建立されたもので、屋根は国内屈指の葦葺きである。正面には本尊、世継(よつぎ)観世音菩薩が奉安されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
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102.本堂内部 -1
本堂は中に入ってお参りができた。本堂は禅宗寺院の住持や長老の居室である方丈でもあり、客室がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO1250 ) 露出補正 -1.0段
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103.本堂内部 -2
ここでお参りをした。この奥には本尊世継観世音菩薩(秘仏)が祀られていて、もちろん中に入ることはできない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 -1.0段
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104.本尊世継観世音
近づいてみると扉が見えた。本尊世継観世音はこの厨子の扉の奥に鎮座され、御開帳はおよそ4半世紀に一度だそうだ。普段、直接、姿を拝むことは出来ない。近江守護職佐々木(六角)氏頼の子、満高があととりに恵まれず、この観音に毎夜一心に祈願をしたところ、夢にお告げがあり、やがて世継を授かったという。この事が伝わり誰が言うともなく「世継観世音(よつぎかんぜおん)」と呼び讃えられるようになったのだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/100秒 17mm ISO3200 ) 露出補正 -1.0段
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105.禅堂
永源寺は京都の東福寺と同じ臨済宗である。康安元年(1361年)72歳で永源寺に入寺し開山した 寂室元光禅師(正燈国師)は 13歳で出家。京都東福寺の大智海禅師のもとで修行し、15歳の時仏燈国師に仕え、18歳で国師の一掌下に大悟した。元応2年(1320年)31歳から7年間、中国天目山の中峰和尚につき修行、帰国したのちも自然を友に詩や和歌を賦し、生涯行脚説法の旅を続けられたとある。この禅堂は他の堂と同様、佐々木氏頼により創建されたが、たび重なる火災により焼失した。以後法堂を道場としていたが、昭和3年(1928年)4月開祖寂室禅師に正燈国師の称号を送られたのを記念して、 默(?)鳳禅師が禅堂再建を発願、川上貞子(戦前の女優さんだろうか?)の支援を得て昭和8年(1933)4月に再建されたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
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106.法堂(はっとう)
禅堂の左手には法堂がある。享保13年(1728年)に朴宗禅師により再建されたものである。法堂の堂内中央には、後水尾上皇が寄進した釈迦牟尼仏が、右に迦葉尊者が、左に阿難尊者が安置されている。この法堂は、当山古例の諸法要を行うところである。ところがそのほとけ様の前に、「竹灯篭 工房 SMIN」 という看板があり、写真のようにいくつもの行燈のようなものが並べられていた。ちょっと違和感を覚えざるを得ない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.5 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 -1.0段
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107.屋根とモミジ
法堂の瓦屋根にモミジが映えていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 34mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
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108.開山堂
永源寺のHPによれば、開山堂は開祖寂室禅師(正燈国師)を祀る堂宇で、再度焼失したが、享保10年(1725年)、彦根城主 井伊直惟(なおのぶ)より能舞台の寄進を受け再建されたそうだ。開山堂の向かい側には経堂があった。経堂は応永11年(1404年)佐々木満高が創建。現在の経堂は延宝4年(1676年)南嶺禅師が再建し、中国へ渡り譲り受けられた明版大蔵経が納められている。このあたりのモミジはきれいだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
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109.永源寺本堂(方丈) -2
再び本堂のところへ戻ってきた。こちら側から見ると大きな葦葺き(ヨシ葺き)屋根の入母屋造りであることが分かる。国内屈指の大きさという。琵琶湖に群生する葦で葺かれている

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
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110.なで仏
本堂の前には「なで仏」が座っていた。「なで仏」は長谷寺の本堂でもお参りした賓頭盧(びんずる)の像。その像の自分の患部に当たる所をなでた手で、自分の患部をなでれば病気が治るという俗信がある。「さすりぼとけ」ともいうそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 51mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
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111.山門 -2
ここは紅葉の撮影スポットだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO250 ) 露出補正 -1.0段
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112.山門の屋根とモミジ
陽の光が当たり、山門の屋根にかかる紅葉が輝いている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO160 ) 露出補正 -1.0段
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113.愛知川越し
モミジ越しに愛知川の対岸を眺める。愛知川は琵琶湖に注ぐ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 30mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
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114.愛知川の川面とモミジ
まだ緑のモミジの葉も残るが、紅葉が穏やかな愛知川の流れに溶け込んでいる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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115.愛知川の流れ
バスが通ってきた旦度橋の上から愛知川を眺める。左側が永源寺の境内で、奥は鈴鹿の山並みで永源寺ダムがある。11時半、次の目的地である百済寺へ向け、バスが出発した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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