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2019年11月15日

池上本門寺(後) 11月5日

境内の一番奥にある日蓮聖人御廟所にお参りして、来た道を戻ることにする。ここまでは総門からほぼ真っすぐに歩いてきたが、境内はその両側に広がり、多宝塔、大坊本行寺、五重塔などがある。境内案内図を頼りに歩いてみようと思う。
 そこへ私より先に外出していたかみさんから、スマホに電話があった。家のカギを持たずに出てしまったようで、なるべく早く帰って来いという。と言われてもせっかく来たのだから、しっかり見ておきたいのだが。後で大堂の中にも入ってゆっくり見たいと思っていたが、それはまた改めて、桜の咲く頃にでもということにして、境内の中をざっと歩いてみることにした。
 帰りの電車の中で、身延山久遠寺と池上本門寺の関係はどうなっているのかなと気になっていた。帰宅して、日蓮宗の公式サイトを開いてみると、日蓮宗の総本山は身延山久遠寺で池上本門寺はその下にある七つの大本山のひとつであることが分かった。また、別のサイトでは、江戸時代の初めに、徳川家康によって日蓮宗の不施不受派が弾圧された為に、不施不受派の本山だった池上本門寺が、不施不受派を廃して久遠寺の傘下に入らざるを得なくなったと記されていた。

21.苔
日蓮聖人の廟所をあとにして、再び本殿横の石畳を通る。この辺りは歩く人が少ないのだろうか、この時も私一人しかいなかった。木漏れ日が差す地面には苔が蒸していて緑がきれいだった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO250 ) 露出補正 なし
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22.日蓮聖人御廟所を振り返る
   本殿のわきの石畳の参道から日蓮聖人御廟所を振り返る。wikipediaによれば、本殿は1969年(昭和44年)に、戦災で焼失した釈迦堂を再建したもの。戦後に建てられた近代仏堂建築として評価が高いとあった。落ち着いた安定感のある佇まいと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 29mm ISO125 ) 露出補正 なし
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23.多宝塔 重要文化財
本殿の参道から本殿門を出たところの紅葉坂に繋がる大坊坂を、右(西)へ行くと、右手に多宝塔が見えた。その説明板を見ると、宗祖日蓮大聖人の尊骸を荼毘に付した霊蹟(いわれのある場所)に建つ供養塔で、その建立は宗祖550遠忌(50回忌以上の年忌になると遠忌という)を期して行われ、江戸芝口講中の本願により、文政11年(1828年)に上棟、同13年(天保元年)に開堂供養を修している。石造の方形基壇に築いた円形蓮華座の上に建つ木造宝塔形式の建物で内外ともに漆や彩色によって華やかな装飾が施されている。塔内中央には金箔や彩色で華やかに装飾された木造宝塔を安置し、日蓮大聖人御所持の水晶念珠を奉安している。宝塔形式の木造塔婆は極めて現存例が少なく、当山多宝塔はその中でも最大規模を誇る本格的な宝塔として、極めて重要な建物である。と言った内容が記されている。なお、「多宝塔」の名称は建立当初から呼称されているものであり、重要文化財に指定されたその名称は「池上本門寺宝塔」である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
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24.大坊本行寺
さらに西へ進むと右手には、身延山の峰に棲む二体の天狗である妙法両大善神が火難・盗難除けの神様として祀られている妙法堂があり、その先に大坊本行寺  の境内へ入る山門(赤門 本行寺の正面玄関)があった。wikipediaによれば、本行寺の境内は、1282年(弘安5年)9月18日に常陸国へ湯治に向かう途中の日蓮が身をよせ、同年10月13日に日蓮が病没した池上宗仲の館跡にあたる。10月15日にこの地で日蓮は荼毘に付され、遺骨は遺言により久遠寺に納められた。 本行寺の起源は1276年(建治2年)に池上氏館内の持仏堂が法華堂とされたことに始まり、日蓮入滅後間もない1283年(弘安6年)に日朗の弟子九老僧の大乗阿闍梨本成院日澄に池上氏館の地共々寄進されて本行寺が開創されたとされる。以来宗祖入滅の霊場として、池上本門寺の子院(末頭)のなかでも特に格式の高い、池上三院家の筆頭として大乗坊日澄の名から「大坊」と称された。本堂は、昭和56年(1981年)に聖人七百遠忌記念事業として、大改築された。元々中本山であったが昭和61年に本山(由緒寺院)に昇格した。また池上法縁五本山の1つにも挙げられている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 34mm ISO125 ) 露出補正 なし
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25.瘡守稲荷(かさもりいなり)
大坊本行寺のサイトによると、境内にある瘡守稲荷は、江戸時代中期より五穀豊穣を祈り、特に病気除けの稲荷として、目黒区碑文谷に祀られていたが、昭和57年(1982年)に縁があって本行寺に出世移転した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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26.御硯井戸(おすずりいど)
日蓮聖人が身延山から到着した翌日、この井戸の水で墨をすり、9年の間庇護を受けた波木井実長 にあてた礼状などをしたためたと伝えられている。  

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 12mm ISO125 ) 露出補正 なし
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27.大坊本行寺 本堂
鎌倉幕府の作事奉行であった池上右衛門大夫宗仲が、日蓮聖人入滅の後、日澄(大聖人の本弟子・日朗の弟子)に公邸を寄進し寺を建立、「長崇山 本行寺」と称した。昭和56年(1981年)に大聖人七百遠忌記念事業として大改築された本堂は、境内の正面に立ち、本行寺の"顔"として1年を通じて様々な行事の舞台となる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
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28.池上大坊
池上大坊と書かれた大きな提灯が本堂の左右に掛けられていた。前にも記したが、ここは弘安5年(1282年)日蓮聖人が亡くなった池上宗仲の館跡である。滅後まもなく宗仲が館を寄進して本行寺が開創された。大坊という呼び名は池上本門寺の子院並びに末寺を代表する寺という意味の尊称であると言われる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
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29.御会式桜(おえしきざくら)
前に立てられた札には「日蓮聖人がご入滅されたとき、庭先の桜が旧暦10月(今の11~12月)にもかかわらず時ならぬ花を咲かせたと伝えられており、お会式の万灯に桜の花を飾るのは、この故事に由来しています。現在も敷地内に残る桜は、聖人がご入滅された時期になると花を咲かせます。」 と説明がある。よく見ると、まだ枝先に数輪の桜の花が残っていた。 10月桜だろうか。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
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30.五重塔
再び大堂まで戻ってくると五重塔が見えた。仁王門の手前から左(東)に入り、高さ31.8メートルの五重塔を目指す。wikipediaによれば、「空襲による焼失をまぬがれた貴重な古建築の1つで、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母である岡部局(大姥局)(正心院日幸尼)の発願により、1608年(慶長13年)に建立され、後に現在の位置へ移築された。全面ベンガラ(赤色塗料)塗り、屋根は初層と二重は本瓦葺き、三重以上は銅板葺きとする(当初はすべて本瓦葺き)。建築様式は初層は和様、二重から上は禅宗様になる。初層の各面は中央を桟唐戸、両脇間には格狭間(ごうざま)形の装飾を入れ、蟇股(かえるまた)には十二支の彫刻を入れる。1997年(平成9年)10月から2002年(平成14年)3月にかけて国庫補助事業として解体修理が行われた。基礎部分の石段からはホンモンジゴケというコケの一種が見つかっている。五重塔下付近、東京国立博物館蔵・池上本門寺経筒(藤原守道作)が出土している。」とあった。平成9~13年、日蓮聖人立教開宗七百五十年慶讃記念事業の一つとして、全解体修理が施され、全容を一新した。国の重要文化財に指定されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
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31.力道山の墓
五重塔に近くに「力道山の墓所はあちらです←」の立札があった。力道山とは懐かしい。子供のころ、白黒TVでプロレスに夢中になり、プロレスごっこで空手チョップの真似をして遊んだのを思いだす。力道山の略歴を見ると、昭和29年(1954)2月17日シャープ兄弟来日、太平洋沿岸タッグ王座獲得、12月21日木村政彦柔道7段と「日本選手権大試合」を闘い力道山の勝利といったことが記憶に残っている。昭和32年のルー・テーズ戦は視聴率87%だったそうだ。 場所は少しわかりにくかったが、通りがかりの地元の方に聞いてたどり着いた。力道山は昭和30年に広大な屋敷を購入して昭和35年頃まで大田区に住んだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし  
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32.日蓮大聖人説法像
宗祖七百遠忌記念として昭和58年富山県新湊市の黒谷美術株式会社より奉納された。制作は、斯界の権威 長崎県出身の彫刻家 北村西望。  純アルミで造られ、高さ3.4m 重さ約1t 。もとここには明治の政治家 星 亨  の銅像があったが、星家の協力により、台座の奉納を受け、この像を建立したという池上本門寺の説明板があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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33.照栄院 妙見堂 -1
妙見堂への道しるべがあったので、行ってみることにした。妙見堂は日蓮宗に属す池上三院家の一つである朗慶山照栄院の妙見大菩薩を奉安するお堂だった。小さなお堂だが、銅板の屋根と欅の柱のバランスが大変よくできているといわれている。慶応2年(1866)の再建で、明治時代に増築工事が行われている。奉安されている開運除厄妙見大菩薩は、寛文4年(1664年)に、肥後之守加藤清正の息女、瑶林院殿が夫君の紀伊国太守亜相源頼宣卿の現世安穏後生善処のために、本門寺へ納めた室町時代の御尊像だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO200 ) 露出補正 なし
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   34.照栄院 妙見堂 -2
妙見堂の中からは団扇太鼓(うちわだいこ)の音が聞こえてきた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO1250 ) 露出補正 なし  
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35.永寿院 万両塚
妙見堂の近くに池上本門寺の子院である永寿院というお寺があった。この万両塚は1708年(宝永5年)に没した芳心院の墓所である。永寿院は、寛永19年以前の開創で日遠の隠棲地として庭瀬藩主の戸川達安が下屋敷を寄進し創建したという。日遠の弟子、日東が堂宇を完成させた。芳心院は紀州藩祖徳川頼宣の第一女。名を茶々姫といい、鳥取藩祖池田光仲に嫁したことから因幡姫とも呼ばれる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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36.石門 永寿院
万両塚の最も奥まったところに石門があった。「宝塔の門柱基礎と寸法が合わないため、外堀の外に建てました。何度も加工が加えられた跡があります」という説明がなされている。宝塔とは堀に囲まれた芳心院墓所(写真35)の中央にある芳心院宝塔のこと。石門をくぐると、芳心院の侍女たちの墓と供養塔があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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37.万両塚遺跡霊園の案内板
万葉塚には芳心院墓所(写真35)のほか、復元弥生住居跡や復元古墳墳丘、古墳遺跡内合祀墓や万葉塚型個人墓がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO640 ) 露出補正 なし
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   38.復元弥生住居跡
万両塚には復元された弥生住居跡がある。万両塚調査の過程で約2千年前の弥生式住居跡が10棟以上発見されたそうだ。かなり長い期間、この地に集落が存在していたことがわかると記されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1000秒 28mm ISO125 ) 露出補正 なし
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39.復元された弥生住居跡 -1
2003年に終了した調査では、万両塚の周囲から、弥生時代中期~後期の竪穴住居跡が10棟も出土した。また、堤方権現台古墳と言われるところからは、馬の尻部分を飾る馬具が見つかった。およそ6世紀前半と見られている貴重なものだそうだ。昭和7年(1932年)の宅地造成で遺跡は破壊されたようだが、都内では狛江市に次ぐ2例目であると言われる貴重なものだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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40.復元された弥生住居跡 -2
弥生式住居跡が復元されている。発掘調査の過程で、2000年前の弥生時代の多数の土器も発見されたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 24mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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41.古墳墳丘
江戸時代、万両塚が建てられ古墳には寺院が建てられたとある。永寿院の開山は寛永7年(1630年)である。不変山永寿院のホームページにある歴史の扉 に詳しい説明があった。

  Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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42.此経難持坂上
此経難持坂の上に戻ってきた。何人かの方が写生をされている。下っていく石段の写生をするのは難しいと思う。何段あるのか数えて下りて行ってみたが、その時は94段と数えた。実際は96段で、踊り場になっているところで数え間違えたようだ。来るときに、霊山橋の手前にしゃれた店構えの蕎麦屋があったので、帰りにそこで食べて帰ろうと思っていたが、カギを忘れて家に入れないかみさんのことを思い出して、寄らずに帰ることにした。 

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2016年3月10日

曽我丘陵の梅園と小田原城(1) 梅園と富士山 3月1日

 小田原の手前、国府津の丘陵地帯に曽我梅林というところがある。晴れた日には富士山がとてもきれいに見えるようだ。曽我は小田原市北東部にあって、かつては「曽我庄」と呼ばれ, 仇討ちで有名な「曽我の五郎・十郎」が育った場所で、兄弟の墓など 多くの史跡が残されている。
 3月1日、快晴の朝を迎えた。富士山がきれいなのは朝のうちと思い、7時半に自宅を出発、小田原厚木道路を走って、小田原の手前の小田原東で下りた。9時前に曽我梅林に到着、無料駐車場に車を停めた。
 まず、曽我山の中腹にある展望台へ行ってみようと歩き出す。犬を連れて朝の散歩をされている地元のご夫婦に道を尋ねながら、県道72号線を東側に渡って、緩やかな山道を歩いた。展望台までは行かなかったが、途中、相模湾と真鶴半島がきれいに見えた。

 戻ってきて、曽我梅林のいくつかの地区のひとつである別所梅林のメイン会場を鑑賞する。2月6日(土)から3月6日(土)まで梅まつりが開催されているが、曽我梅林を代表する「十郎」という品種はすでに花を落としていた。紅色の枝垂れ梅が満開できれいだった。
  梅の花は気温や雨に影響されやすい花という。暖かい日が続き、その間に雨が一度降れば開花はあっという間に進む。別所梅林では、メイン会場付近は地形が低いため寒気が留まりやすく、不思議なようだが高い位置にある山の中腹の方が早く開花するという。そういえば、展望台の方へ登って行ったところにあった梅は咲ききっていたようだ。
  梅林には主に、十郎梅(梅干し専用)・白加賀(梅ジュース、梅エキス、梅酒などの加工用)・南高(梅干し、加工兼用)・枝垂れ梅(観賞用)とあるが、およそ 十郎→ 南高・枝垂れ → 白加賀の順番に咲いていくとのこと。梅の花は花持ちが良く、約1ヵ月間楽しめる。またここ別所梅林では、特産の十郎をはじめ、白加賀、南高、杉田、枝垂れ梅等、数多くの品種を栽培しているため、長い期間にわたって梅の花を楽しむことができるそうだ。ボランティアで案内をしてくださる土地の方が曽我の里35,000本の梅の花を満喫してくださいと言う。時期的には少し遅かった。しかし、枝垂れ梅のピンク色の花が楽しませてくれた。

1.別所梅林から
​別所梅林の無料駐車場に車を置いて、見晴台の方へと歩く。​振り返ると雲一つない空に富士山があった。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
2.枝垂れ梅と富士山
県道72号線に面したところに「小田原牧場アイスクリーム工房」というところがあり、そのあたりが富士山のビューポイントになっている。そこに咲く枝垂れ梅と富士山を撮る。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.2 1/1600秒 27mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
3.穂坂家の枝垂れ梅 -1
「小田原牧場アイスクリーム工房」で駐車場の整理をしていた若い係員の方が、「向かい側の穂坂家の枝垂れ梅が今満開ですから、是非見てください」と教えてくれたので行ってみた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f9 1/​320​秒 32mm ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
4.穂坂家の枝垂れ梅 -2
その庭を覗いていたら、たまたまこの家の奥様らしきかたが出てこられた。「済みません。お庭の梅の花を見させてください」とお声掛けをしたら、「どうぞ、ゆっくり見て行ってください」と言われた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.8 1/800秒 4mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
5.穂坂家の枝垂れ梅 -3
駐車場の整理をしていた若い係員によれば、樹齢は明らかではないが、300年とも言われているという。別所梅林のビュー・ポイントの一つになっている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f8 1/1000​秒 100mm ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
6.秀麗富士
穂坂家から展望台に向けて歩きはじめる。振り返ると見事な富士山があった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/2500​秒 140mm ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
7.法蓮寺
石垣と生垣に挟まれた路地を進んでいくと、道が二手に分れる。 右手の道のすぐ先にお寺が見えた。法蓮寺という。 両側に丸まった石碑があって、左側には紅白の枝垂れ梅が綺麗な花を咲かせていた。 数段の石段を登って「日蓮宗」「法蓮寺」と刻まれた石門を過ぎていくと、法蓮寺の境内になる。 正面に本堂があり、境内の左側に「毘沙門天」の扁額が掛るお堂があった。本堂の左手から裏手にかけては墓地が広がっていた。小田原市教育委員会の説明では、山号は千葉山といい、この地方の古寺の通例として、もとは天台宗であったというが、 寺伝によると慶長19年(1614)に日蓮宗に改宗したという。 この寺の木彫毘沙門天立像は、現在独立した毘沙門堂に祀られ、古風な唐破風二重垂木の厨子に安置されている。 この像は別名「夢の毘沙門天」とも言われ、安永3年(1774)に住職の日迂上人と小八幡の漁師双方の夢枕に立った。 そしてその言葉どおり、小田原市小八幡の海で、漁網にかかって出現したという伝承がある。 毎年1月の寅の日が毘沙門天の縁日であったが、現在では、毎月17日が縁日で、近郷から信者が集まってくるという。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f8 1/2500秒 24m ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
8.石垣のある道
法蓮寺から元の道に戻ると、左手に白い梅の花が咲く庭の生垣と、右側に石垣のある道に出た。なぜか落ち着いた気持ちになる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/800秒 140m ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
9.曽我兄弟の母 満江御前の墓
法蓮寺から北側へ少し上がったところにある墓地内に仇討で有名な曽我兄弟の母、満江御前の墓があった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f8 1/250秒 42m ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
10.富士山とキンカン
この辺りはみかん農家も多い。これはみかんではなく実の直径が3cmほどのキンカンのようだ。wikipediaによれば、キンカンの果肉は酸味が強い。果皮のついたまま甘く煮て、砂糖漬け、蜂蜜漬け、甘露煮にする。甘く煮てから、砂糖に漬け、ドライフルーツにすることもある。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/640秒 22mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
11.真鶴半島
まだ展望台には到着していないが、とても眺めの良いところに出た。相模湾越しに真鶴半島がはっきりと見え、その向こうの伊豆半島も眺めることができた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/2500秒 140m ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
12.国府津方面の眺め
曽我梅林は東海道本線を国府津から分岐する御殿場線の下曽我駅が最寄りである。これは、その国府津方面を眺めたもので、多分、国府津駅付近だろう。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/250秒 116mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
13.曽我梅林を俯瞰
富士山の方(西)へ目を移していくと、通ってきた法蓮寺の屋根が見え、県道72号線の向こうに広がる曽我梅林が俯瞰できた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
14.梅の間から富士山を望む
残念ながら、花は落ちかけている。何とか梅の花と富士山にピントが来ている。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.2 1/800秒 30mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
15.里の空気
結局、真鶴半島の写真を撮ったところから少し上がってみたが、展望台まで行くのはやめてしまった。再び、別所梅林へ向けて下り始める。途中には、失礼ながらボロ家が良い雰囲気を醸し出している。富士山がもう少しはっきり見える位置取りを探したが、良いところが見つからなかった。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/400秒 15mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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16.再び別所梅林
再び別所梅林へ戻ってきた。少し、人出も多くなっている。通りがかりに「アイスクリーム工房」の駐車場を見ると、はとバスが来ていた。​​梅林の十字路には、居場所が分かるように名前が付けられている。ここは「十郎」という十字路だ。このあたりは基本的に「十郎」という品種が植えられているそうだ。「白加賀」と名付けられた十字路もある。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
17.紅梅
これは何という品種の梅なのだろうか?鹿児島紅だろうか?枝垂れてはいない。​​

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/320秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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18.枝垂れ梅のフィールド
もう、春の気配だ。地面は緑色の下草で覆われている。そして枝垂れ梅のピンクとよく調和している。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/800秒 95m ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
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19.梅と富士山
残念ながら、ここの白い梅は花が終わりに近かった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f9 1/1250秒 130m ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
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20.富士山と白い梅の花 -1
この距離で富士山と梅の花にピントを合わせるのは難しい。かろうじて富士山と分かる。でもf16くらいまで絞ってみたらどうだったろうか。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f8 1/1000秒 95m ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
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21.富士山と白い梅の花 -2
この白い梅の花は「白加賀」だそうだ。「白加賀」は花が咲くのが、ここでは比較的遅いという。​​

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.2 1/1250秒 27mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。160309_021.jpg
22.別所梅林の中心部 八幡社
ここは売店や、花木売り場、野外ステージなどがある別所梅林のメイン会場だ。かみさんは土地の農家の方の出店でみかんを買った。安いらしい。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/250秒 24​​​​mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
23.立ち並ぶ枝垂れ梅
このメイン会場への入り口に満開のピンクの枝垂れ梅​​が何本か立ち並んでいた。これはなかなか見応えがあった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f10 1/400秒 34m ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
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24.富士山と紅梅と白梅
そろそろ引き上げようかと思い、最後に少し歩いてみた。何とか富士山と紅梅と白梅が撮れるポイントがあった。富士山にピントを合わせて撮り、梅にピントを合わせて撮ったりしたが、前者を載せておく。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/2500秒 140m ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
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2015年3月25日

一人旅 石垣島・竹富島そして那覇 3月9日~12日 (4) 3月12日 末吉公園と首里城


 3月12日、旅も最後の日となった。今朝も曇りで寒い。10℃そこそこしかないのではなかろうか。朝食を終え、ちょっと外を歩いてみる。沖縄県庁、那覇市役所がすぐそばにある。朝の国際通りは車の通りは多いが、さすがに人は少ない。
  チェックアウトをして、飛行機の時間まで大きな荷物を預け、ホテルを出た。今日はゆいレールで行ける末吉公園と首里城を散策する。ゆいレールの県庁前駅へ行き、首里行に乗って、市民病院前で降りた。

  市民病院前から首里方面に歩くと左側に末吉公園の入り口がある。この公園は、那覇で半日、蝶の写真を撮るのに適したところなのだ。10年前にも来た。ところが今日は全く蝶の姿を見なかった。山の上にある末吉宮へ行ってみることにしたが、公園の中には何も案内がなく、散歩をしている地元のかたに聞きながら石畳の坂を上がっていった。今日は寒いくらいだからよいが暑かったら汗だくになっていたことだろう。
 再び市民病院前まで戻り、ゆいレールに乗って首里まで行く。首里駅から首里城までは歩いて15分くらいの距離がある。ゆいレールの駅にはバスがあるようなことが書かれていたが、そのバスがいつ来るのかよくわからない。しばらく待っていたが、歩くことにした。
  歓会門から首里城に入り、時間をかけ観て回った。ただ、世界遺産の玉陵を見落としてしまったのがとても残念だ。

 ごご1時半ごろ、首里城公園のレストランで食事をし、1時間ほどゆっくり休み、ホテルに戻って、荷物を受け取って、那覇空港までゆいレールでたどり着いた。少々疲れた一日だった。帰りの16:50発のJAL920便が約20分遅れて那覇空港を離陸したときは、既に眠ってしまっていた。
  蝶の写真撮影を目的とした3泊4日の石垣島・竹富島そして那覇の旅は、あいにくの天候となり、残念な結果になってしまった。また行くことができるなら、10月の終わりか11月の初めにしよう。

1.沖縄県庁舎
黒川紀章さんの設計により、1990年に竣工した。地上14階、地下2階の堂々たる構えである。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 11mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
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2.那覇市役所
県庁の隣には那覇市役所がある。これも立派な建物だ。那覇は1945年6月に米軍により占拠され、市役所機能は停止したが、その年の11月に坪谷の民家に市役所事務所が設けられたという。1966年には首里に市庁舎が完成。さらに老朽化により、新庁舎が計画され、2012年に竣工した。地上12階、地下2階。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 6mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
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3.朝の国際通り
昨夜の賑わいはどこへやら。車は多いが歩く人は少ない。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 6mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
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4.末吉宮
チェックアウトしてゆいレールに乗り、市立病院前で降りた。ゆいレールの下を首里方面に10分ほど歩くと末吉公園の入り口があった。もちろん観光客などいやしない。公園に入ったところから川が流れる谷を挟んで向こう側の山の上に末吉宮が見える。琉球八社の一つで、第6代琉球国王尚泰久(しょうたいきゅう、1415年-1460年)の時代に熊野権現を勧請して創建されたという。社殿は戦前まで国宝の指定を受けていたが、戦災により焼失し、その後再建されたものだそうだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/320秒 ​1​07mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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5.ラッパバナ
末吉宮を目指して歩いていると、大きな黄色い花が何輪も咲いていた丈も3m位ある。この花は昨年、3月に南房パラダイスの温室で見たのを思い出した。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/450秒 ​71mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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6.やっと見付けた末吉宮の入り口
散歩をしている地元のかたに聞きつつ、やっとここに出た。ここから急な石畳の坂道を上がれば末吉宮に行きつく。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/58秒 ​10mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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7.急な石畳の階段
急だった。しかもでこぼこしている。ぬれているので滑りやすい。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/125秒 ​8mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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8.末広宮 拝殿
やっと拝殿下に上りついた。賽銭箱のあるところまでは石段を上ることができるが、それ以上上がって拝殿を拝むには社務所で許可を得ることが必要なようだ。拝殿の後ろにある本殿は拝殿の下から仰ぎ見ないと見えない。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/800秒 ​7mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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9.思い出のハイビスカス
末吉公園の中ほどに咲いているこのハイビスカスには思い出がある。10年前に来たときに、あこがれのツマベニチョウがこのハイビスカスを訪れていた。急いで近づいたが、花を離れる瞬間しか撮ることができなかった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/320秒 ​29mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
10.ゆいレール 市民病院前駅
さて、首里城へ行こう。末吉公園を出て、左へ行くと同じくらいの距離で儀保駅もあるが上り坂である。市民病院前へ戻ることにした。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/250秒 ​51mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
11.首里駅から首里城へ
ゆいレールの終点、首里駅に降りた。改札口には「首里城までバスが便利」などとと書かれているが、どこからバスが出るのか、いつ来るのかわからない。1台のミニバスが止まったので首里城へ行くのかきいたところ、AEONのショッピングセンターへ行くシャトルバスだった。仕方なく歩くことにする。首里城の石垣の外を上っていき、15分ほどで入口の歓会門に着いた。写真は裏側から歓会門を眺めたところ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/480秒 ​41mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
12.円覚寺総門
歓会門の方向と反対側の下がったところに、門が見える。龍潭通りという道を下っていくと右側に円覚寺総門があった。円覚寺は王族(第二尚氏)の菩提寺で、1949年に鎌倉の円覚寺を模して建立された。総門裏(この写真の裏側)に国指定重要文化財の放生橋があり、まだ何か復元工事中のようであった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/280秒 ​8mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
13.円鑑池と弁財天堂
龍潭通りの円覚寺総門の反対側に円鑑池という池があり、弁財天堂があった。俯瞰する眺めが良い。1502年に朝鮮王から贈られた方冊経蔵を収納するために建立されたが、1609年薩摩軍による戦火で焼失、その後1629年、円覚寺の弁財天を移して弁財天堂とした。橋は天女橋という。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/160秒 ​8mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
14.何だこいつは
カモのようでもあり、アヒルのようでもある。顔が2つ重なったような恐ろしルックスだ。ネットで調べてみたら、この鳥は「バリケン」という鳥なんだそうだ。もともと南米原産の「野バリケン」という野生のカモの一種を家畜化したもので、タイワンアヒル、フランス鴨と呼ばれるもの。食用で導入されたが、食用として定着することなく野生化したみたいだという。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/160秒 ​99mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
15.第32軍司令部壕
第二次世界大戦末期、1944年(昭和19年)3月15日に編成された第32軍は、沖縄本島に司令部を置き奄美群島から先島諸島をその守備範囲として連合国軍の上陸に備えた。司令部壕は、首里城の地下を南北に横断するように掘られており、全長1キ口から2キロの壕に、1000人以上の兵士がいたという。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/27秒 ​12mm ISO400 ) 露出補正 なし
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16.世界遺産 園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
国王が各地を巡行する旅に出る際、道中の安泰をこの石門前で祈願したといわれる。園比屋武御嶽石門は、1519年に第二尚氏の王統第3代王の尚真のときに造られた。園比屋武御嶽石門は1972年にあらためて国の重要文化財に指定され、2000年11月首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録された。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/480秒 ​5mm ISO400 ) 露出補正 なし
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17.守礼門 裏側から
園比屋武御嶽石門に向かって左の方に守礼門が見えた。見えているのは守礼門の裏側である。守礼門は日本城郭でいう首里城の大手門に値する。柱は4本で二重の屋根を持ち、赤い本瓦を用いている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/950秒 ​15mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
18.守礼門 正面
尚清王時代(1527年~1555年)に創建された。扁額の「守禮之邦」とは、「琉球は礼節を重んじる国である」という意味だそうだ。第二尚氏王朝の時代、中国からの冊封使が琉球に来た際には、国王以下の高官らが守礼門まで出迎え三跪九叩頭の礼をとっていた。沖縄戦で焼失したが、1958年に再建され、1972年には沖縄県指定有形文化財となった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/900秒 ​7mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
19.歓会門
首里城の正門である。中国皇帝の使者である冊封使など、訪れる人への歓迎の意を込めて名前が付けられたとのこと。第二尚氏統第3代尚真王の時に造られたと言われ、第二次世界大戦で焼失してしまったが1974年に復元された。石積みの城門の上に木造の櫓が組まれたもので、朱に塗られていない。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/240秒 ​7mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
20.日影台
歓会門を通り、立派なめでたい泉という意味の瑞泉門、櫓の中の水時計で時刻を図ったことで名付けられた漏刻門を抜けて広福門へ上がる左側に日影台があった。1739年から使われ始めたといわれ、1879年の廃藩置県まで王国の時を刻み続けたという。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/240秒 ​7mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
21.奉神門
正殿の前の「御庭」に続く最後の門である。3っの入り口があり、中央の門は国王や身分の高い人だけが通れるもんだったそうだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/680秒 ​8mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
22.奉神門のシーサー 阿
奉神門の石段に上がる両側にシーサーがある。シーサーは阿吽になっていて、こちらは向かって左側の「阿」。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/220秒 ​8mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
23.奉神門のシーサー 吽
こちらは向かって右側の「吽」のシーサー。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/200秒 ​8mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
24.首里城 正殿
奉神門を入ると「御庭」があり、その向こうに堂々とした正殿がある。約500年にわたり琉球国王の居城として政治、経済、文化の中心であった。正殿の壁などの彩色塗装には、桐油が塗られている。下地の一部は漆だそうだ。10年前に来たときは人が多く、正殿の前の「御庭」に誰もいない状態で写真を撮ることなどできなかったが、今日はなぜか空いていた。正面石段の両脇に大龍柱も見える。この大龍も阿吽になっている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/900秒 ​7mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
25.御差床(うさすか)
外から正殿を見た後、靴を脱いで正殿に続く南殿に上がる。南殿は撮影禁止になっていたが、正殿に入ると撮影できた。御差床とは国王が座る玉座のこと。御差床背後の障子戸を開くと、奥に国王専用の階段(おちょくい)がある。国王はその階段を使って2階から御差床に出御した。御差床左右の柱には龍が描かれ、そのまわりには雲が配色されている。なお、国王の椅子については、1477年~1526年まで在位した尚真王の御後絵(肖像画)をもとに再現したものだそうだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/15秒 ​5mm ISO2000 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
26.首里城 遺構
戦争や戦後の琉球大学設置により破壊しつくされた首里城の遺構であるが、わずかな遺構を確認できるところがあった。世界遺産は再建された建物ではなく地下に眠るこの遺構なのだ。石垣は450年前から残る貴重なもので、復元された正殿はこの遺構を守るためにかさ上げした上に建てられているそうだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/15秒 ​6mm ISO1600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
27.朝拝御規式(正月儀式)の模型
正殿を見たあと、一旦外に出て北殿に上がる。ここには、正殿や御庭で行われた朝拝御規式(正月儀式)や冊封儀式(国王の任命儀式)の模型が展示されていた。朝拝御規式は琉球王国時代、元旦に首里城で執り行われた正月儀式 だそうだ。 国王をはじめ琉球の役人が御庭に整列し、 中国風の厳粛で壮大な儀式を執り行われたという。今年も正月三が日の間、朝拝御規式を再現した催しが行われたそうだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/18秒 ​8mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
28.野鳥
首里城公園にはこの野鳥が多くいた。少し小型だがシロハラのように見える。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/160秒 ​79mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
29.西のアザナ
首里城の石垣の上にあった西のアザナなという展望台からは那覇の市内、そして慶良間諸島が見渡せた。「アザナ」とは、遠くを見渡すために設けられた物見台のこと。標高約130mだそうだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/850秒 ​51mm ISO100 ) 露出補正 なし
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30.番所
私はここから首里場外へ出たが、首里城見学コースの入り口である木曳門の手前に番所があった。若い男女の観光客が琉球の官僚の衣装を着た守衛さんと、棒の先に付けたカメラで自分撮りをしていた。木曳門は王朝時代首里城の建物の建設や修理、石積修復工事の資材搬入時に使用され普段は石を詰めて閉じられていたという。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/120秒 ​44mm ISO400 ) 露出補正 なし
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31.沖縄県立芸術大学のシーサー
さて、そろそろ帰路に就くことにした。ゆいレールの首里駅に向かって歩く。帰りは龍潭通りを通って広い道に出た。通り道の沖縄県立芸術大学の門にシーサーがいたが、さすが芸術大学のシーサーは一味違う。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f8 1/1000秒 ​5mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
32.ゆいレール首里駅
モノレールだから当然かも知れないが、ゆいレールの駅はすべて高架上にある。現役で仕事をしていた時代に何回か訪ねた琉球大学病院が懐かしかった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/800秒 ​10mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
33.ゆいレール
ゆいレールは首里駅で折り返しになる。駅のホームには誰もいなかった。観光客もあまり利用しないようだ。今回、ゆいレールにはお世話になったので、記念のポートレートを撮っておいた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/240秒 ​6mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.那覇空港 全日空機
那覇空港にポケモンのラッピングがされたANAのB777-300が止まっていた。那覇→羽田はJALが12便、ANAが11便、SKYが6便の計29便が飛んでいる。凄い。私は出発が20分ほど遅れたJALの920便 16:50発に乗り、無事羽田に戻ってきた。気温が低く、蝶の写真撮影は思うに任せなかったが、充実した3泊4日の一人旅を楽しむことができたのは幸いであった。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 21mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。