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2010年11月 9日

読書日記「三國志 第三巻」(宮城谷昌光著、文藝春秋刊)

三国志〈第3巻〉 (文春文庫)
宮城谷 昌光
文藝春秋
売り上げランキング: 50130


 この巻は、さきにこのブログで書いた安野光雅の「繪本 三国志」に描かれている迫力あふれた絵を見ながら、読み進んだ。

  ▽「荷進暗殺」 
 黄巾の乱は続く。そのなかで桓帝に次いで第12代皇帝となった霊帝は酒と女に溺れる「暗愚」な帝だった。それにつけこんで宦管が宮廷政治を牛耳るようになる。
 霊帝の突然の崩御後、宦管の一掃に立ちあがったのが、大将軍の荷進。しかし、ちょとした油断で兵を率いた宦管の張譲らに宮中で追いつめられる。

 宦管の張譲は言う。
 「天下を憒乱(かいらん)させたのは、われわれだけの罪ではない。・・・禁中は穢濁(わいだく)であると卿はいうが、・・・忠清である者がどこにいる」。


 荷進は、背中から斬られ絶命する。

  ▽宦管誅滅
 荷進が暗殺されたと知った警視総監、袁 紹(えんしょう)がすばやく行動を起こした。

 門を閉じよ。ひとりの宦管も逃してはならぬ」
 大虐殺がはじまったといってよい。
 すでに昏(くら)い。
 しかも興奮している・・・兵が宦管を冷静に見分けることができるはずがない。かれらは、逃げたというだけでその者を殺し、ひげがない、とみれば斬った。宦管ではないのに殺されそうになった者は、自分のものを露(あら)わして難をのがれた。
 ・・・けっきょく死者は二千余人となる。


 ▽皇帝更迭
 袁 紹に替わって、宮中の権力を握ったのは「いつか西方の王になる」と野望をむき出しにしていた将軍、董 卓(とうたく)だった。
 霊帝を継いでいた少帝と荷太后(荷進の妹)を追い出し、第14代献帝をたて、恐慌政治を行った。

 その貪婪(たんらん)な目は宮中の美女にむけられ、
 「あの女がいい」
  と、董 卓がいえば公主(皇女)でも連行されて、董 卓の極度に肥満した体躯の下に、一夜。玩弄(がんろう)された。


 ▽反董同盟
 董 卓の専横に群雄が蜂起、袁 紹をたてて討伐の連盟軍を結成した。しかし、袁 紹の動きは鈍い・・・。

 ついに曹操がたつ。
 「さあ、征(ゆ)こう」
 寒気のなかに曹操の声が凛と揚がった。この一声が、ここからはじまった長い戦いを勝ちぬくための宣言となった。もちろんこの挙兵は、
 ――董 卓を逐斥(ちくせき)する。
 という明確な主題をもってはいるが、機能を停止しているような王朝を復旧させるのが目的であり、まさかこの路が天下平定へつづくとは、・・・


 しかし、曹操は最初の戦いに敗れる。
 孫権の父・孫堅も、董 卓を追いつめるが、倒すことはできない。

 三国志の英雄たちは苦しみながら、大きくなっていく。

▽最近読んだ、その他の本

  • 「シェクスピア&カンパニー書店の優しき日々」(ジェレミー・マーサー著、市川恵里訳、河出書房新社刊)
     カナダの新聞社で、犯罪記者をしていた筆者が、一文無しでパリにやって来て「シェクスピア&カンパニー書店」という本屋に巡りあう。
     実在のこの書店は、貧しい作家や作家志望の若者に、仕事を手伝う代わりに寝る場所と食事を提供してくれる不思議なシェルターなのだ。
     著者は持ち主のジョージに言われる。
     本物の作家なら頼んだりしない、入ってきてベッドに寝るだけさ。きみ、きみはここに泊ってもいい。・・・」

     この書店では自伝を書くことが重要な伝統のひとつ。書店に残っている何万人もの自伝は、1960年代からの驚くべき社会的資料だった。
     ファイルボックスからあふれるほどの書類の中には、愛と死、近親姦と薬物中毒、夢と失望の物語が語られ・・・

     シェクスピア・アンド・カンパニーでジョージと暮らしたことで僕は変わり、これまでの人生と自分が望む人生について考えるようになった。あしあたり、僕はすわって、キーボードを打ち、よりよい人間になろうと努めている。人生はまだ進行中である。

     この書店は、ジョージの娘が引き継ぎ、今でもパリ・ビユシュリ通りで営業を続けている、という。
    シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々
    ジェレミー・マーサー
    河出書房新社
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  • 「読まずに小説書けますか 作家になるための必読ガイド」(岡野宏文豊崎由美著、メディアファクトリー刊)
     小説家になる気などまったくないのだが、2人の"著名"な書評家の対談集と某紙の書評欄で知って図書館に購入を依頼、1カ月もたたないうちに借りることができた。
     「ファンタジー小説を書きたかったら」など分野に分けて、小説を書く技法と心得を語っていく。
     2人の毒舌が冴えている。
     浅田さん(浅田次郎)の直木賞受賞作「鉄道員(ぽっぽや)」・・・は、「どんな小説が欲しいの?泣けるやつ?あーはいはい」なんて調子で、ひょいひょい心なく書いちゃってる・・・。・・・で、直木賞の選考委員はそういう小手先でちょいちょいと書いた短編集に、コロリとだまされて授賞して、その前に候補になった、書くのに大変手間がかかる大作「蒼穹の昴」を落としたんだから、バッカなんじゃないかとーー。(豊崎)

     桜庭一樹との「ていだん」がおもしろい。
     「書くための読書」って考えたとき、たとえば川上弘美さんが好きという女の子がいて、作家になろうと思って一生懸命、川上さんの本を読んで真似してしまうかもしれない。でも、それってものすごく危ない、・・・好きな作家の作品を読むのではなく、その人のルーツを読まないと。(桜庭)

    読まずに小説書けますか 作家になるための必読ガイド (ダ・ヴィンチブックス)
    岡野宏文、豊崎由美
    メディアファクトリー
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  • 「孤舟」(渡辺淳一著、集英社刊)
     この著者の新作で定年退職男の悲哀となると、とりあえずは読んでおこうかと、図書館にやはり購入依頼、第1号で借りた。予想したように、期待外れと言うか、期待とおりと言うか・・。
     大手広告会社の役員を退いた男が、定年になれば「あれもしよう、これもしたい。妻と旅行もいいな」と思い描く。
     しかし、現実は朝起きると「今日は、なにをしようか」と考えても思い浮かばない日々。妻には相手にされず、うるさい父親に嫌気を出して娘は家を出ていき、妻もまた・・・。ホステスクラブで知りあった若い女性とデートし、家に連れてきて料理までしてもらう。
    ただこの小説には、著者特有のエロスシーンはない。某紙のインタビュー記事によると「高齢者・権力者の性愛は、雑誌に連載中の『天上紅蓮(てんじょうぐれん)』で存分に描いている」ためらしい。
    私自身の現状を省みて、反省する面はないではないのだが、あまりにワンパターン・・・。
    古希を直前にして周辺をみても、ひまをもてあましている人間は、本当に見当たらない。この作品の人物は、予想はできても、もう過去のパターンではないのか。
    某紙の書評に「苦いお茶のような読後感」とあったが「古いお茶・・」と読み違えた。
    孤舟
    孤舟
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    渡辺 淳一
    集英社
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2010年9月24日

津和野紀行・下 「安野光雅美術館」と三国志の世界(2010・7・18-19)



 安野光雅美術館は、津和野の駅から数分のところにある白壁と赤い煉瓦のコントラストが見事な堂々とした和風建築だ。

  入場すると「すぐにプラネタリウムが始まる」という。津和野の夜空を彩る星座群を眺めながら心地よい午睡を愉しみ、第1展示室へ。幸運なことに、見逃していた「『安野光雅 繪本 三国志』展 ~中国、悠々の大地を行く~」が、開催されていた。

 入口に行程図があった。安野光雅画伯は、中国文学者の中村愿(すなお)氏とともに2004年から約4年にわたって「魏・蜀・呉」三国の歴史を巡った。この展覧会には、1万キロに及んだ旅の成果98枚が展示されている。

 これが「繪本」だろうか。
  淡い絵具で描かれた黄河や長江、山河の大作があり、三国志時代の「露天市場」がある。もちろん「曹操出盧」「荷進暗殺」「赤壁の戦い」「流星未捷(諸葛亮の死去)など、三国志おなじみの人物が安野ワールドらしいきめ細かなタッチで描きこまれている。

  美術館で買った図録「安野光雅  繪本 三国志展」のなかで、画伯は「少しでも中国に近づ くために」未晒し(みさらし)の絹本(けんぽん)を用い、黄河、長江の土、敦煌の砂から作った絵具も使った、と書いている。紙の実用化に功績のあった 蔡倫の記念館を訪ねて、はじめて作られたのと同じ技法の紙を使った作品もある。「長江群青(ぐんじょう)」という作品の山腹を彩る見事な蘭青色の絵具、ラピスラズリは、北京の画材店で求めた、という。

 作品に押されている落款印は、日本の小林 斗盦(こばやし とあん)や中国の有名な篆刻家らに依頼、それらの作品がガラスケースに入れて展示されていた。

  宿に帰って図録を眺めていたが、どうももの足りない。翌朝、美術館の開館を待って安野画伯が書いた「繪本 三國誌」を購入した。
  A5大横開きの大型本で、A5大の絵画作品ごとに2ページにわたる画伯の説明文がつ いている。これは、そのまま読み応えのある「安野 三國志」である。
sangokusi.jpg
繪本 三國志
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安野 光雅
朝日新聞出版
売り上げランキング: 89147
おすすめ度の平均: 5.0
5 世界にひたれます。


  もう1冊、衝動買いしたのが、三国志取材旅行に同行した中国文学者の中村愿(すな お)氏が著した「三国志逍遥」(山川出版社)。著者のサインがあった。安野画伯の作品を随所に挿入した「共同作業」の本だという。
三國志逍遙
三國志逍遙
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中村 愿 安野 光雅
山川出版社
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 おもしろいのは、明代に書かれた歴史小説「三国志演義」や、最近ヒットした映画「レッドクリフ(赤壁)」で、悪者になっていた魏(ぎ)の曹操を高く評価していることだ。

 
 後漢王朝の衰弱のみならず、世の中の人びとと共に歩むべき政治家・軍人たちの道義が地に落ちきった時代にあって、曹操ほどひたむきに文・武の字義に違わぬよう生きる努力をした為政者が他にいただろうか


 この本が脱稿される寸前に「曹操の墓を発見」というニュースが流れた。
 ニセものでは?という論議もあるようだが、前の奈良文化財研究所長の町田章氏は、先日の読売新聞で「副葬品の銘文からも間違いないだろう」と書いている。

 三国志ブーム再燃の気配である。

 津和野から帰って、図書館で 「三国志談義」(安野光雅、半藤一利著、平凡社)を借りた。
三国志談義
三国志談義
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安野 光雅 半藤 一利
平凡社
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おすすめ度の平均: 3.0
3 もっと三国志してるかと...


 2人が「三国志」の舞台となった黄河、長江流域の遺跡への旅を語りあい、曹操 、劉備ら英雄・豪傑や孔明周瑜など軍師、謀将を人物評を採点し合うのがおもしろい。  三国志に出てくる「蟷螂の斧」 「豚児」 「涙をふるって馬謖(ばしょく)を斬る」 「死せる孔明、生ける仲達を走らす」などの名言至言についての半藤のうんちくもナルホドと・・・。
  最後の章では、日本の俳句や川柳に読みこまれた名場面を解説しており「三国志」がここまで日本人の心のなかに溶け込んでいたのか、と感心させられる。

 月刊・文藝春秋で、宮城谷昌光が「三國志」を連載している。先月号では、孔明が死去するところまで書き進められていた。先日、本屋をのぞいたら、すでに9巻目の単行本になっている。
三国志 第一巻
三国志 第一巻
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宮城谷 昌光
文藝春秋
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おすすめ度の平均: 4.5
5 宮城谷版『三国志』は揚震からはじまる。
5 文芸春秋で見かけて、最近ハマりました。
4 正史中心
5 三国志最高峰
5 これこそ次世代三国志


  1冊ずつ、図書館で・・・。短い夏の初めに始まった"三国志逍遥"はまだながーく続きそうだ。

2010年9月17日

津和野紀行・上 「乙女峠」(2010・7・18-19)


 夏の初めに、一度は出かけたいと思っていた島根県・津和野を訪ねた。

 目的は2つ。1つは、キリシタン殉教の地、乙女峠のマリア聖堂に詣でること。もう1つは、これもいつかぜひと思っていた安野光雅美術館に行くことだった。

SL山口号;クリックすると大きな写真になります
津和野に着いたら、ちょうど[SL山口号」が出ていくところだった
 とにかく暑かった。「SL山口号」が運転されている時間帯だけ開設されるという駅前のテント張りの観光案内のボランテ ィアの人にたずねると「まずカトリック津和野教会に行ってください。乙女峠資料館もあるから」という。

 汗だくになって旧武家屋敷跡・殿街通りを歩く。いささかメタボっぽい錦鯉が泳ぐ掘割沿いにある教会は、昭和6年の再建で木造モルタル塗りのようだが、一見石造りに見える。正面にイエズス会の紋章である[IHS」ロゴが彫り込んであり、現在の司祭もイエズス会の所属。日本に帰化した米国の元看護兵だという。聖堂内は津和野の街に似つかわしい畳敷き。その表に格子柄のステンドグラスが映しこまれている。

  暑い!途中、喫茶店に飛び込んで何十年ぶりかの氷あずきでひと息つき、日本峠100 選の1つであるという乙女峠への急な坂道を登る。

 浦上4番崩れと呼ばれるキリシタン弾圧が、江戸の終わりから日本の近代を切り拓いた明治の初めまで続いたことは、歴史的な驚きだ。

  明治元年。維新政府は長崎・浦上のキリスト教徒3300人強を改宗させるために各藩に預けた。なかでも指導的立場にあった153人が津和野藩に預けられ、この坂を登った峠にあった廃寺・光琳寺で棄教を迫られた。

   当時、津和野では神道の研究が盛んで、説得によって改宗させられるという自信を持っていた。しかし、信徒たちの信仰心は厚く、改宗はいくら責めても拒否された。

   そこで拷問が始まった。火責め、氷責め、たった3尺の格子牢に裸で押し込まれ雪の野外に放置された若者もいた。殉教者は、36人にのぼった。外国の強い抗議で、政府のキリシタン禁止令はやっと撤廃され、リーダーとして生き抜いた高木仙右衛門らは、長崎に帰ることができた。

  第二次大戦後、津和野教会のパウロ・ネーベル司祭(岡崎神父)は、峠にマリア聖堂を建て、まわりを殉教の地にふさわしい場所として整備した。

  夏の暑さを感じさせない森閑とした緑に囲まれた小さな聖堂だった。内部には、拷問に耐え抜いた信徒の様子を描いた8枚のステンドグラスがある。
  ネーベル神父がはじめた5月3日の乙女峠まつりには、毎年数千人の巡礼者が訪れるという 。
津和野教会の内部;クリックすると大きな写真になります津和野教会の外観;クリックすると大きな写真になります乙女峠;クリックすると大きな写真になります旧藩校沿いの掘割と鯉たち;クリックすると大きな写真になります
津和野教会の内部。ステンドグラス越しの明かりが畳に映える津和野教会の外観。正面に[IHS」のロゴ乙女峠・マリア聖堂は、緑のなかに清涼と旧藩校沿いの掘割と鯉たち


 津和野に向かう車中で読んだ本の中に、気になる箇所があった。
  高木仙右衛門の家系図のなかに「高木慶子,」という名前がある。「援助修道会修道女」と書かれていた。あの方ではないのか・・・。

   帰宅して知人に聞いたら、やはりそうだった。高木仙右衛門の曾孫にあたるシスター・高木慶子は、前の聖トマス大学教授で、現在は上智大学教授・グリーフケア研究所長。   ミッションへの限りない熱情に圧倒される、キリッとすじのとおったシスターである。継承されてきたであろうDNAのすごさを思った。

2010年6月29日

読書日記「高峰秀子の流儀」(斎藤明美著、新潮社刊)



高峰秀子の流儀
高峰秀子の流儀
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斎藤 明美
新潮社
売り上げランキング: 5366
おすすめ度の平均: 4.5
5 大女優の流儀とは -質実剛健とも言える力強さ-
5 すがすがしい
4 客観的な視野はない、けれど・・・・


 フリーの雑誌記者である著者は、55歳で引退して以来世間との交際を見事に絶っている高峰秀子松山善三夫妻の自宅に自由に出入りできる、おそらく唯一の人。

 著者が見聞きしたエピソードを積み重ねたこの本は、元・大女優の"流儀"、生きざまを見事に浮かび上がらせてくれる。
 動じないーーー。恐らくこの言葉ほど、高峰秀子を象徴する言葉はないだろう。


 その性格は「デブ」と呼ばれる養母の前で「いつも鎧をつけていた」なかで培われたものらしい。
 養母との葛藤は、高峰秀子自身の著書「わたしの渡世日記 上」(文春文庫) 「同 下」(同) にも詳しい。
わたしの渡世日記〈上〉 (文春文庫)
高峰 秀子
文藝春秋
売り上げランキング: 8402
おすすめ度の平均: 5.0
5 希有な女優
5 デコさんはこの上下巻から読みました。(‾o‾)
5 銀幕とは裏腹に
5 20代の私でも。
5 おもしろかった
わたしの渡世日記〈下〉 (文春文庫)
高峰 秀子
文藝春秋
売り上げランキング: 8423
おすすめ度の平均: 5.0
5 さっぱりした読み応えです。
5 文章の巧みさと面白さ
5 読み終わって気持ちが暖かくなりました。
5 ポツダム宣言から。



 4歳で映画界入りして以来、高峰秀子の両肩には、義母とその親族10数人を養うという重荷がのしかかる。義母はあからさまな男性遍歴を続ける。
 昭和26年、大邸宅を義母の名義に換えて、逃げるようにパリに向かう。半年後、帰国すると自宅は旅館に替わっていた。1週間後、女中に「1泊3千円」の請求書を突きつけられた。知人に前借りをして「1泊2千7百円」の帝国ホテルに移った。その他の雑費も重なり1本100万円の出演料は、入ったとたんに消えていった。

 義母の死、そして月給1万2千5百円の助監督、松山善三との結婚で「一切"振り返らない"」生活が、やっと始まる。
 「かあちゃん(高峰秀子)は子供の時から働いて働いて・・・。だから神様が可哀相だと思って、とうちゃん(松山善三)みたいな人に会わせてくれたんだね」
 流しでサラダ菜を洗いながらそう言った高峰さんの笑顔が、幸せの意味を私に教えてくれた。


 大邸宅をつぶし、2人のための小さな家に建て直す。家財道具の大半も処分した。
 松山家でお昼に煮素麺をごちそうになった時。松山氏と私に、大きな朱の椀に入れたのを運んでくれて・・・いつまでも高峰さんの分を運んでくれる気配がない。・・・しばらくして松山氏が「はい」と、食べ終えた椀を高峰さんに押し出した。すると高峰さんは台所に戻り、その椀に自分の分を入れてきた。つまり、大きな朱の椀が二つしかないのだ。いや、二つだけにしたのだ。


 
 ―――人を尊敬する理由は?
 「やっぱり、人として潔いことね」


 
 ―――一切昔話をしないのは、なぜですか?
 「そんなもの、してどうなるの」


 ホテルの喫茶店でのインタビューを終えたあと。
 高峰さんが小さく言った。「見てご覧なさい。みんな女よ」。・・・客は中高年の女性ばかりだった。・・・「家に帰って、本でも読め」、ポツリとそう言うと、高峰さんは出口に向かった。


 昭和40年、故・市川昆監督の映画「東京オリンピック」に非難の嵐が巻き起こった時。高峰秀子は、たった一人援護射撃の論陣を張る。
 市川昆は高峰に言う。
 <あんたの場合は、いつも一本通っているもの。何をしてもあんたの個性をなくさないもの。そういうものはいつもきちんと出ているよ>


 この春、高峰秀子は、八十五歳になる。


▽最近読んだ、その他の本

  • 「ナニカアル」(桐野夏生著、新潮社刊)
    ナニカアル
    ナニカアル
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    桐野 夏生
    新潮社
    売り上げランキング: 44113
    おすすめ度の平均: 4.5
    4 純粋に小説として楽しんだ
    5 林芙美子に憑依する桐野夏生の妖しい魅力
    5 頭で読み、本能で感じ、肉体に味あわせる力作
    4 絶賛したいところですが

     「ナニカアル」。なんだか、意味深長な表題の出所と思われる箇所が、冒頭のプロローグのなかに出てくる。
     林芙美子のめいが、芙美子の死後、その夫と再婚。その夫も死去したのを機会に芙美子の遺品を整理していて、芙美子が残した1節の詩を見つける。
        
    刈草の黄色なるまた
    紅の畠野の花々
    疲労と成熟と
    なにかある・・・

     浅学非才の身には、まったく意味不明だが、著者は「あれほどすごい小説を残した芙美子が、文壇で評判が悪すぎるのはなぜなのか」と考えたのが、執筆のきっかけだったと語っている。
     史実を忠実に調べ、想像力を駆使したこの作品は、表題の魅力に見事に答えている。  芙美子の作品を読みたくなる。本棚から「放浪記」 と「浮雲」を引っ張りだした。
  • 放浪記 (新潮文庫)
    放浪記 (新潮文庫)
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    林 芙美子
    新潮社
    売り上げランキング: 18020
    おすすめ度の平均: 4.5
    5 やられた
    4 からっと明るいダダイズム
    5 放浪の中にある人生
    4 ある女性の生き様
    3 極めて私的な視点から
    浮雲 (新潮文庫)
    浮雲 (新潮文庫)
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    林 芙美子
    新潮社
    売り上げランキング: 37120
    おすすめ度の平均: 4.5
    4 男女の恋愛感の違い
    5 恋愛小説の傑作
    5 消えた光


  • 「頭の中身が漏れ出る日々」(北大路公子著、毎日新聞社刊)
    頭の中身が漏れ出る日々
    北大路 公子
    毎日新聞社
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    おすすめ度の平均: 5.0
    5 この文章構成能力は天才!
    5 最高の女性、北大路公子。
     「いたたまれない三十秒」という1項。午前8時のコンビニでビールを12本買う。周りの冷たい目・・・。レジで鞄から財布を出そうとして、注射器が飛び出した。糖尿病を患う飼い犬用だが・・・。石像のように固まりながら並び続ける。
     著者は、北海道在住の40代、独身。両親と同居。趣味、昼酒。
     あほらしくて、おもしろくて・・・。


  • 「旅の絵本Ⅵ デンマーク編<アンデルセンの世界>」(安野光雅、福音館書店発行)
    旅の絵本〈6〉
    旅の絵本〈6〉
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    安野 光雅
    福音館書店
    売り上げランキング: 223442
    おすすめ度の平均: 5.0
    5 アンデルセン童話集もいっしょに!
    5 今度の旅はデンマーク。

     デンマークの街を訪ねて描いたメルヘンの世界に、アンデルセンの作品がいっぱいちりばめてある。
     表紙と裏表紙には、馬に乗って走りながら小さなリングを槍で突き通す競技の絵。写真で見たことはあるが、実際の競技はどんな雰囲気なのだろう。
     作者の旅の追っかけをしたくなる。


2010年6月 8日

「デンマーク紀行」(2010・4・29-5.5)・中


 デンマークへの旅程を組んでいて、テーマを2つに絞ってみようと思った。
 1つは、列車を使って、この国にある世界遺産建築や古都を訪ねること。もう1つは「デザイン王国」と言われるこの国のすばらしさに少しでもふれられる機会があったらと・・・。

 コペンハーゲンに着いて3日目の朝、ホテルの目の前にある中央駅に向かった。

 デンマーク国内なら3日間乗り放題という「ユーレイル パス」(1万1千円)を日本で買っておいたが、まず窓口の駅員さんにパスポート番号や有効期限(1か月)を書き込んでもらい、2か所にスタンプとサインをもらわなければならない。列車に乗る日は自分で書き込むのだが、月日を書く欄が有効期限の欄と違っていたため書き間違い、駅員さんに訂正させられた。勝手に訂正すると不正行為とみなされて罰金がかかると聞いていた。検札のたびにちょっとヒヤヒヤしたが、幸い問題にされなかった。

 駅には改札口のたぐいやアナウンスは一切ないから、電光掲示板で確かめなければならない。人口の少ない国の省力化ぶりには感心させられる。
7番ホームに降り、スウエーデン国境の町、ヘルシンオア行きの普通列車(Re)を待つ。9時59分の出発数分前というのに中年の夫婦1組が待っているだけでガランとしている。おかしいなあと、階段棟の向こうをのぞくと、列車はすでに到着しており、スエーデンから来たらしい大きな荷物を抱えた若者たちがどっと降りてくるところだった。危うくセーフ。
 1両目の車両がすいていたので座ってだべっていたら「ここはサイレントカーよ」と老婦人に注意され、あわてて2両目に移った。最後尾には、自転車を持ち込める車両も連結されていた。

 海峡沿いに北へ走り、約50分でヘルシンオアに着いた。やはり改札口はない。目の前の港にスエーデンから着いたらしい大型フエリーが停まっている。スエーデンの町、ヘルシンボリまでオーレンス海峡をはさんで5キロしかない、という。

 街の中心街を抜け、シーメンスの煉瓦工場脇を右に回って15分ほど。シェクスピアの戯曲「ハムレット」の舞台になった世界遺産、クロンボー城が見えてくる。デンマーク王子・ハムレット(アムレット)は、ここで亡父の霊に会う。

 15世紀に建造されて以来、なんどか修復を繰り返しているが、石畳の中庭を囲んでほぼ真四角な堂々とした古城のたたずまいに圧倒される。ルネッサンス様式だという。

 驚いたのは、延々と続く地下道だ。
 入ってすぐのところにデンマークの国民的英雄「ホルガー・ダンスク」の石膏像がでんと据えられている。眠っている姿だが、デンマークが危機にひんすると目を覚まして戦うという伝説がある。第2次世界大戦でナチスドイツに占領された時、この英雄の名前を採ったレジスタンスグループが活躍したらしい。 アンデルセン童話には、この伝説をもとにした「デンマーク人ホルガー」という作品がある。
 灯りがほとんどなく真っ暗な洞窟を手探りで歩く地下道はなんと地下牢の跡だという。早く地上に出たいとあせる気持ちになるが、暗闇はいつまでもつきない・・・。中世の亡霊に今にも出会いそうな"恐怖"さえ感じてしまう。

 翌日に訪ねたもう1つの世界遺産、ロスキレ大聖堂は、やはり普通列車(Re)で25分ほど西にあるデンマーク最初の首都、ロスキレの駅から歩行者天国を歩いて15分ほど。
 12世紀に創建されたが、増改築を繰り返してロマネスクゴシック様式が混在する煉瓦造り。見る角度、場所で印象が違い、全体のイメージがつかみにくい。様々な歴史を刻みながら、現在はプロテスタント、ルター派に属するデンマーク国教会の教会。デンマーク王室の菩提寺であり、20人の王と17人の女王が葬られている、という。

 ちょうど日曜日にあたり、この時期は観光客シャットアウトということだったが、1時間ほど待って午前10時30分からの聖餐式に特別に参加させてもらった。
 入ってみて、その長大さにびっくりする。一番奥から3分の1ほどのところに祭壇があり、説経台は入口から3分の1ほどの右側。時代を経ながら大きな聖堂になっていったことが分かる。
 不思議なことに、窓にステンドグラスが一切なく、金網が組み込まれている。もう1つ不思議なのは、天井にくみ上がっていく煉瓦の柱が白の漆喰で塗り固められていることだ。
 ほかにも、内部だけでなく外壁の煉瓦も白く塗られている教会も見た。ある時期から、こうなったらしい。カトリックからプロテスタントに替わった歴史の産物かもしれない。
 天井から下がっているのが古色然としたシャンデリアではなく、近代的なデザインの灯りであるのが"デザイン王国"らしい。

 聖餐式も、聖職者が会衆に背を向けて司式し、信徒が内陣に入ってパンとブドウ酒を拝領するなど、カトリックのミサとはかなり違う。
 デンマーク国民の80%以上が国教会の信徒ということだが、教会に行く人は少ないらしい。列席していたほとんどは白髪の人たち。聖餐式の前に何組かの子どもを連れた夫婦に会ったが、教会を素通りして広場の蚤の市に向かって行った。

 ロスキレから急行列車のインターシティ(IC)に乗り換え、アンデルセンの街・オーデンセに途中下車。さらにICを乗り継ぎ、途中で私鉄のArrive Tog(AT)に乗り換えて、ユトランド半島の西海岸にあるリーベに向かう。コペンハーゲンから直行しても約2時間半かかる長旅となった。
 1等車は完全予約制だが、2等車は任意予約。空いた席に座ってもよいが、予約を取っている人が来たら譲らなくてはならない。幸い我々は、予約の人とぶつからなかった。  駅に到着する数分前に駅の電光表示と短いアナウンスがあるだけ。駅にも、その駅の名前しか書いてないから、不慣れな外国人はちょっと不安だ。
 駅も道路に沿って駅舎があるだけ。道路と同じ平面のプラットホームにタクシーやバス乗り場が並んでいる。日本ではとてもまねができそうにない徹底した簡素化ぶりだ。

 リーベの街は、「旅の絵本」で知られる画家の安野光雅が「デンマークで一番美しい街」とある本で語っていたので、どうしても行きたくなった。
 ネット上で見つけた「『旅の絵本』を遊ぼう」というWEBページは圧巻だ。このなかの「リーベ1」にある「大聖堂から見たパノラマ」が見あきない。

 バイキング時代からのデンマークで一番古い街。中世からの色とりどりの煉瓦の建物の街並みがそのまま残っている。手を伸ばすと軒先に触れる低さ。傾いた家と石畳が曲線を描く。ここはこびとの国だろうか。その周りを自然がいっぱいのリーベ河がゆったりと流れている。なんとも心がなごむ街である。

日曜の休日だというのに自作の創作ガラスの店に招き入れてくれたおばさん。古くて低い天井のレストランで満席の客を笑顔でさばく女主人。300年前のものだという古い陶器を一心に売ろうとする骨董店の亭主・・・。出会った人たちの心情にも、またいやされた。

デンマーク紀行写真集 2
ヘルシンオア行き普通列車;クリックすると大きな写真になります雨にけむるクロンボー城;クリックすると大きな写真になります城の中庭。「ホルガー・ダンスク」の像;クリックすると大きな写真になります
ヘルシンオア行き普通列車、発車5分まえ。列車は来ない!(コペンハーゲン中央駅7番ホーム)雨にけむるクロンボー城城の中庭。毎年夏に、ここでハムレット劇が披露される「ホルガー・ダンスク」の像。眠っているようで、薄目をあけてにらんでいるようにも
延々と続く地下牢;クリックすると大きな写真になりますロスキレ大聖堂;クリックすると大きな写真になります同じロスキレ教会;クリックすると大きな写真になりますヴァイキング時代の船?;クリックすると大きな写真になります
延々と続く地下牢。フラッシュで明るく見えるが、実際は真っ暗ロスキレ大聖堂。これはゴシック様式?同じロスキレ教会。ロマネスク?ロスキレの海岸にあったヴァイキング時代の船?
自然豊かなリーベ河;クリックすると大きな写真になりますリーベの街並み;クリックすると大きな写真になります傾いた煉瓦の建物;クリックすると大きな写真になります
自然豊かなリーベ河色とりどりのリーベの街並み傾いた煉瓦の建物もしっかり保存されている