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2023年4月 4日

旅行 高松→丸亀→鞆の浦→尾道 ③丸亀 宝月堂・丸亀城・アザレ

2日目、この日は丸亀で婿殿の家の法事がある。9時前にホテルを出発し、朝の商店街のアーケードを通り抜け、右手に高松城の石垣と琴電の駅に電車が入るところを見ながら高松駅まで歩く。
 高松から丸亀までは、予讃線の各駅停車に乗った。丸亀まで1時間弱である。10時半ごろ丸亀駅に着いた。落ち着いた良い町だと感じた。今回は婿殿の母の法事だったが、親しかった方が車で駅まで迎えにきてくださっていた。その方が経営されている「宝月堂」という老舗のお菓子司の店を訊ねた。
 法事は12時から市内のお寺で行われるが、その前に丸亀城を案内していただいた。丸亀城は丸亀市民の心の支えになっている。
 法事が終わって、「宝月堂」の社長さんに、坂出にある「アザレ」というフランス料理のレストランでご馳走になった。田舎の町(失礼)にこんなところがと思うほど洗練された店だった。料理も美味しかったし、古い和風建築で昭和レトロ風の波を打つ障子ガラスの向こうには庭が見える。香川県在住の画家でセツ・モードセミナー卒業後、イラストレーターとして雑誌広告の仕事に携わってこられ、 現在は青山のDEE'S HALLなどで定期的に個展を開催し、海外のギャラリーでも展示会を行われている山口一郎さんによる玄関のデザインなど、素晴らしかった。
 坂出から予讃線の「マリンライナー」で岡山へ、岡山からは在来線の山陽線で福山へ行く。高松ー岡山間を瀬戸大橋線というのは愛称だそうで、正しくは高松駅ー坂出駅ー宇多津駅間はJR四国の予讃線で、宇多津駅ー児島駅はJR四国の本四備讃線、児島駅から茶屋町駅間はJR西日本の本四備讃線、そして茶屋町駅ー岡山駅間がJR西日本の宇野線である。(マリンライナーは宇多津駅には入らないで坂出から児島へ出てしまう。)山陽線ではSuicaが使えた。
 この日は天気は良かったのだが、中国からの黄砂なのだろうか霞がかかったように濁っていた。花粉も飛んでいたようで目が痒くてて仕方なかった。
 今宵は鞆の浦どまりである。タクシーで鞆の浦のホテルへ向かった。

000_230312547 X700 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg
丸亀城の石垣 2023年3月12日 香川県丸亀市

041_230312091 X900 〇高松 百間町 G7X.jpg 41.高松アーケード商店街
翌朝、高松三越のすぐ近くにあるホテルを出て、アーケード商店街を通って、高松駅まで歩いた。後で知ったのだが高松アーケード商店街は総延長約2.7kmで日本一長いのだそうだ。アーケード商店街は全部で7つあり、それらはつながっている。写真は丸亀町商店街と片原町商店街、兵庫町商店街が交差する高松中央商店街というところ。ミラノのヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアを思い起こさせられた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
042_230312092 X900 〇高松 アーケード G7X.jpg 42.讃岐うどん -1
丸亀町商店街と片原町商店街、兵庫町商店街のアーケードが交差する高松中央商店街から兵庫町商店街を中央通りをへ抜ける。さすが讃岐うどんの県、商店街にもうどん屋さんが多い。この店は「さぬき麺業」で午前10時開店だそうだ。1926年(大正15年)香川県香川郡川岡村(現川部町)に「香川屋」として創業。1964年(昭和39年)2月、高松市周辺の当時の製麺業者30数店が出資して「さぬき麺業」が設立された。東京、大阪にも出店している。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
043_230312093 X900 高松 アーケード G7X.jpg 43.讃岐うどん -2
同じく兵庫町商店街の「はなまるうどん」の店だ。「はなまるうどん」は2000年に香川県高松市で創業した。全国各地、海外にも店舗があり、ホームページ検索すると、439店あった。はなまるの注文スタイルは、本場「讃岐」と同じセルフ形式。誰もが、どこかで見たことがあるという店だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
044_230312099 X900 〇高松城 琴電 G7X.jpg 44.高松城石垣と琴電
寿町というところに出た。右手に高松城の石垣(玉藻公園)と終点高松築港駅に入る琴電(高松琴平電気鉄道株式会社)が見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 37mm ISO250 ) 露出補正 なし
045_230312103 X900 〇高松駅 G7X.jpg 45.高松駅
岡山行の8時55分発のマリンライナー16号が出て行く。マリンライナーは丸亀には止まらない。むこうのホームに見えるのは、高松ー松山間の「特急いしずち」。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 20mm ISO250 ) 露出補正 なし
046_230312104 X900 〇高松駅 G7X.jpg 46.予讃線 各駅停車
私たちが乗車する9時26分発の予讃線の各駅停車の電車(7200系)。JR四国の電化区間は予讃線 高松~松山と土讃線 多度津~琴平間のみだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
047_230312106 X900 高松駅 G7X.jpg 47.2700系特急気動車
この列車は徳島へ行く「特急うずしお」だ。2019年8月にデビューした。最高速度は130km/hdで制御付自然振子方式を採用し、軽量・低重心化を図り、安らぎと先進性を併せ持たせた特急車両という。ここは関東では見慣れない車両が多い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO640 ) 露出補正 なし
048_230312109 X900 丸亀 宝月堂 G7X.jpg 48.丸亀 宝月堂
丸亀駅には10時20分に到着した。丸亀駅に宝月堂のT社長が迎えに来ていただいていた。車でまず、宝月堂のお店に伺う。宝月堂は2017年に創業100年を迎えた。老舗の御菓子司である。HPによれば、店舗として使用されている北側の白い漆喰がまぶしい建物は最も古く、明治31年の建築である。2017年に柱や梁など、骨組みを残したまま改築し、先代が住居として使用していた2階の部屋は全て繋げ、和菓子教室の会場として使用されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.0 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
049_230312112 X900 〇丸亀 宝月堂 有形文化財 G7X.jpg 49.風月堂の建物は登録有形文化財
店舗の左側の木造3階建ての建物は、大正7年に建築。昭和6年の増築により洋風建築と町屋風建築が融合する建物となっている。1階は製造工場として使用し、2階は地域の人たちとの交流の場として使えるよう、模索しているという。スパニッシュ瓦や、スクラッチタイルが目を引くこの建物は2017年に文化庁の登録有形文化財となった。写真では見えないが、さらにその隣の南側に位置する昭和6年建築の建物があり、黒漆喰が目を引く町屋風造り。二段構えのうだつが特徴である。当時の防火設備として造られたうだつは、丸亀城から丸亀港に抜ける街道だった歴史を感じさせてくれる。今でも、工場として使用しているその建物の安全を見守っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
050_230312125 X900 〇丸亀 宝月堂 G7X.jpg 50。東京オリンピック聖火ランナー
社長のTさんは、2020年東京オリンピックの聖火ランナーとして、雨の中、香川県の瀬戸大橋のたもとを丸亀城まで走られた。店内にそのトーチのレプリカが展示されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 16mm ISO3200 ) 露出補正 なし
051_230312131 X900 丸亀 宝月堂 蝶という名の和菓子 G7X.jpg 51."ちょう" という題の和菓子
宝月堂謹製の"ちょう"という名を付けられた生菓子をご馳走になった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
052_230312138 X900 丸亀 宝月堂 G7X.jpg 52.宝月堂のペット
宝月堂にはペットの猫が飼われていて、社長さん以下のお店の人達に可愛がられている。外で写真を撮っていたら近寄ってきてくれた。とても人懐こい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
053_230312542 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 53.丸亀城 大手二の門(高麗門)
法事の時間まで少し時間があったので、丸亀城へ案内していただいた。丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66m)を利用し、ほぼ四角形に亀山の廻りを堀(内堀)で囲む、渦郭式の平山城である。丸亀城は石垣で有名だが、その石垣は、緩やかであるが荒々しい野面積みと端整な算木積みの土台から、頂は垂直になるよう独特の反りを持たせる「扇の勾配」と呼ばれる。山麓から山頂まで4重に重ねられ、合わせると60mになり、総高としては日本一高く、三の丸石垣だけで一番高い部分は22mあるそうだ(wikipediaより)。丸亀城は生駒氏が慶長年間築城したが、一時廃城となり、山崎氏が寛永末年復興、万治元年京極氏が代り六万石の居城となった。大手一の門及び二の門は寛文10年の再建になり、一の門は櫓門、二の門は髙麗門で これに両脇塀が附属している。これら遺構は手法にも特徴があり。且つ大手口の堂々たる偉容を示し、枡形の保存上からも大事な建物である(文化遺産オンライン)。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
054_230312544 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 54.大手二の門と一の門の櫓
天守を背後にする丸亀城の正門で城の北側に位置するのが大手一の門。現存する門は1670年(寛文10年)に再建された櫓門で、国の重要文化財。藩士が太鼓を打ち、時を知らせていたことから太鼓門とも呼ばれている。内堀を渡るとまずは大手二の門(高麗門)で、枡形を経て大手一の門(櫓門)に続く。天守に遠い方が二の門となるので、登城にあたってはここが最初の門。1670年(寛文10年)に再建された高麗門で国の重要文化財である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f11.0 1/500秒 26mm ISO100 ) 露出補正 なし
055_230312552 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 55.大手一の門(櫓門)
入母屋造の本瓦葺きの大手一の門は、棟の両側に鬼瓦と鯱瓦(しゃちほこがわら)をのせている。鯱瓦は、火事の際に水を噴き出して火を消すという伝説があり、鬼瓦同様に門の守り神となっているのだそうだ。城を防御するための石落としなども仕掛けられている実戦的な門でもある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
056_230312555 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 56.鏡石
一の門と二の門の枡形の中には、切り込みハギと言われる石垣の構築技術の一つがみられる。石を削り精加工した石を用いるが、石の合わせ口を精巧に隙間なく積んでいる。整層積みしたものや乱積みとなるものもある。大手枡形は城の正面玄関であり、鏡石と呼ばれる2mを超える大きな石が用いられている。鏡石は大手枡形などの城の重要な箇所に魅せる石垣として用いられた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
057_230312555 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 57.「幸運のハート石」
枡形の石垣に男石と女石のふたつの鏡石があるが、その間にハート形に見える石がはめ込まれている。男石と女石の間にあるから縁結びにご利益があるということらしい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
058_230312558 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 58.大手一の門(櫓門)の門扉
門扉についての説明がないので、詳細は分からないが、重厚な門扉である。「お城の基礎講座 39.門扉(もんぴ)の構造」というサイトに丸亀城大手門の門扉の写真があり、そこには「門扉は肘壺(ひじつぼ)と呼ばれる金具を使って門に取り付けられている。肘壺は肘金(ひじがね)と壺金(つぼがね)の二つからなり、壺金は扉に、肘金は鏡柱に付けられる。肘金の突き出た先には乳金物(ちちがねもの)というまんじゅう型の金物で隠される。後略」と解説されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO800 ) 露出補正 なし
059_230312553 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 59.鉄砲狭間
丸亀城には、周囲を巡るように内堀が残り、その内堀の北側に架けられた石橋の先に大手門がある。丸亀城の大手門は、四方を囲まれた枡形に、出入り口となる虎口を二つ設けた「枡形虎口」と呼ばれる構造であるが、石橋を渡って、最初にくぐるのが大手二の門でその大手二の門の両側には、狭間が設けらtれた狭間塀があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8.0 1/500秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
060_230312568 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 60.丸亀城 天守
丸亀城の天守は1660年に完成した。築城400年余りを誇る丸亀のシンボル「丸亀城」は、全国に現存する「木造天守十二城」の一つである。「現存12天守」とは、江戸時代以前に建設された木造天守のこと。全国にたった12カ所しかない貴重な天守といわれる。頂部の本丸には江戸時代に建てられた御三階櫓が現存する。この建物は唐破風や千鳥破風を施して漆喰が塗られ高さは15mあり、現存天守の中で最も小規模である(wikipedia)。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 125mm ISO100 ) 露出補正 なし
061_230312597 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 61.丸亀城の石垣
先にも記したが、丸亀城は標高約66mの亀山という丘陵地に築城された平山城で「亀山城」という名前でも知られている。丸亀城の石垣は、石垣を築く技術が最高水準であった江戸時代前期に造られており、隙間なく積まれた石ときれいな曲線が魅力的である。石垣は美しい曲線を描いて立ち上がり、「扇の勾配」と称されている。場所ごとに石垣の積み方が異なっているため、細部の違いを楽しみながら見ることができる。迫力のある高さ60mの石垣に対し、現存12天守の中では最小で、高さ15mの天守が建設されており、ほかの城にはないような独特な雰囲気が味わえるという。天守へは10分、美しい石垣を見ながら登城することになる。2018年、台風や豪雨によって(写真の右側のほうで写っていないが)南西部の石垣が崩落した。石垣崩落による観光への影響はないが、現在も修復作業が行われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 77mm ISO100 ) 露出補正 なし
062_230312151 X900 坂出 Azalee G7X.jpg 62.アザレ(Azalée)
法事が終わって「宝月堂」の社長さんに、昼食をご馳走になったのだが、そこは素晴らしいフレンチ・レストランだった。丸亀から10分ほど車に乗って、坂出に向かった。着いたところは、「えっ、こんなところに」にと思うようなところだったが、これはその入り口で、最初に記した画家の山口一郎さんのデザインである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 22mm ISO400 ) 露出補正 なし
063_230312152 X900 坂出 Azalee G7X.jpg 63.アザレの室内
住宅地の中にポツンとある邸宅である。和を感じる庭を通って、玄関を入り部屋に通された。昭和初期の木造屋敷をリノベーションして見事に再生させた建物と聞いた。 通された広い部屋は見事な欄間が施された和室だが、床はホワイトマーブルの大理石を敷いたようなフロアだった。詳しく食レポはできないが、料理も、その雰囲気と調和し、味わいも絶品だったのは言うまでもない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO400 ) 露出補正 なし
064_230312155 X900 〇坂出 Azalee G7X.jpg 64.azareの庭
レトロを感じる波をうったガラスが嵌められた障子を通して見える庭も、また素晴らしかった、その季節になると、店の名にもなっている躑躅が見事だと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
065_230312158 X900 坂出 Azalee G7X.jpg 65.「蝶」
床の間に山口一郎さんの作品が掛けられていた。チョウの写真を撮るのが趣味である私を惹きつける。デフォルメはされているが、この渋い色で構成された翅の感じは本物のチョウを感じさせる。帰りがけにはシェフが挨拶をしに来てくれた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/125秒 14mm ISO3200 ) 露出補正 なし

2022年4月17日

皇居東御苑から千鳥ヶ淵へ その1 皇居東御苑 3月30日

今年は千鳥ヶ淵の桜を見に行きたいと思っていて、天気予報を見ながらこの日に行こうと決めた。
 東京駅の丸の内側駅前広場は長い間工事がされていたが、2017年12月7日に約10年かけた丸の内口の一連の再整備が完了した。行幸通りからの眺めを是非撮りたいと思い、東京駅をスタートした。平日の午前10時、行幸通りを歩く人は少なかった。
 行幸通りを行き、和田倉門交差点をさらにまっすぐ進んで桔梗門から皇居東御苑に入ろうとしたが、桔梗門は工事関係者以外一般の人は入ることが出来なかった。仕方なく内堀通り迄戻り、北へ、大手門から入ることになった。
 同心番所、百人番所から、二の丸雑木林、二の丸庭園、諏訪の茶屋を見て、梅林坂から書陵部の脇を通って北桔橋門に出た。北の丸公園へ行くにはここを出なければいけなったのだが、天守台、大奥跡を左に見て、竹林、石室、富士見多門と歩き、富士見櫓へたどり着いた。千鳥ヶ淵とはずいぶん遠くなってしまったことになる。
 結果、入苑した大手門へ戻ってきていた。係のかたに千鳥ヶ淵へ行きたいのだがと尋ねてみたところ、「北桔橋門を出て内堀通りを左に行けばよかったですね」ということで、大手門から内堀通りを左へ延々と、ジョギング中のランナーを避けながら、再び北桔橋門の前を通って、千鳥ヶ淵へ向かうことになった。
 皇居から北の丸公園を歩き、千鳥ヶ淵へ行こうと考えていたが、皇居東御苑から北の丸公園へ直接入ることは出来ないのだ。
 皇居東御苑の記述にはプレスマンユニオンの「東京とりっぷ」などを参照させていただいた。

000_220330125 X700 桃華楽堂 Z50 18-140.jpg
桃華楽堂の前に並び咲くハナモモの木 2022年3月30日 皇居東御苑

001_220330004 X800 〇東京駅行幸通り Z50 18-140.jpg 1.東京駅丸の内駅前広場
3月30日(水)午前10時に東京駅丸の内北口から、駅前広場に出た。新丸ビル側に渡り、丸ビルとの間を和田倉門に向けて伸びる行幸通りに立ち、東京駅外観を正面から眺めた。この整備が終わった東京駅丸の内駅前広場と行幸通りは 駅前広場と道路空間からなる景観[東京駅丸の内駅前広場から行幸通りに繋がる景観] として 「2018年度グッドデザイン・ベスト100」を受賞している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
002_220330002 X800 東京駅行幸通り Z50 18-140.jpg 2.和田倉門交差点付近から東京駅の眺め
幅73m、延長190mの行幸通りはまっすぐ、日比谷通りの和田倉門交差点を過ぎて、さらに内堀通りまで延びる。正式名称は「東京都道404号皇居前東京停車場線」と言うそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
003_220330018 X800 和田倉門 Z50 18-140.jpg 3.和田倉門交差点(日比谷通り)
和田倉門交差点を渡って、内堀通りへと進む。東京駅を振り返る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 82mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
004_220330023 X800 桔梗門(旧桜田門) Z50 18-140.jpg 4.桔梗濠と桔梗門
行幸通りが終わる内堀通りを渡って、お濠(桔梗濠)を右手に見る。左奥に見えるのは富士見櫓。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
005_220330027 X800 桔梗門(旧桜田門) Z50 18-140.jpg 5.桔梗門
内堀通りから行幸通りを背に真っすぐ進むと、桔梗門が見えた。だが、一般の人はここからは皇居東御苑に入ることは出来ない。 桔梗門 は 「桜田門外の変」で井伊直弼が暗殺された外桜田門に対して、内桜田門とも呼ばれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 23mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
006_220330033 X800 大手門へ Z50 18-140.jpg 6.桜田巽櫓
「ここから一般の方はご入場できません。大手門へお廻りください」と言われ、いま来た内堀通りを戻って左へ向かった。桔梗濠の向かいにそびえる二重櫓が桜田巽櫓。ジョギングをする人が多い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 58mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_220330035 X800 大手門へ Z50 18-140.jpg 7.大手門 -1
すぐに大手門が見えてきた。内堀通りのサクラも満開だった。ぼやけて見えるのは桝形形式の大手門の高麗門だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 58mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220330043 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 8.大手門 -2
大手門は1607年(慶長12年)に完成した江戸城の玄関である。1620年(元和6年)の江戸城修復に際し、伊達正宗や酒井忠世らの力により現在のような高麗門と渡櫓型の櫓門で構成された桝形形式(橋を渡ってから道は鍵型に屈曲する)の城門となった江戸城の正門である。その警備は鉄砲30丁、弓10、長柄(槍)20という厳重なものだったという。現存する入り口側の高麗門は、1657年(明暦3年)の明暦の大火(振袖火事)後の1659年(万治2年)に再建されたものだそうだ。江戸時代の渡櫓門は、残念ながら昭和20年の戦災で焼失している。写真は1968年(昭和43年)に木造復元により再建された渡櫓門。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_220330045 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 9.鯱
枡形内に入ると、渡櫓の屋根を飾っていた鯱が展示されていた。刻印に「明暦三丁酉」とあり、1657年(明暦3年)の振袖火事で焼失した後、1659年(万治2年)に大手門が再建されたときのものと推定できるという。昭和20年の空襲で門は焼け落ちたそうだが、鯱だけが残っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO125 ) 露出補正 なし
010_220330051 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 10.同心番所
今回は大手門から皇居東御苑に入ったが、他に平川門、北桔橋門からも入れるそうだ。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまったが、富士見櫓、同心番所、百人番所が現存している。この同心番所は門の外から内に移設されてはいるが、往時の姿を今に伝えている。説明板には、番所とは警備詰所のことだが、江戸城にあった番所のうち、同心番所、百人番所と大番所の3っつが残っている。ここには同心と呼ばれる武士が詰め、登城者の監視に当たっていたとあった。同心は、江戸幕府の下級役人のひとつ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO125 ) 露出補正 なし
011_220330054 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 11.中之門石垣
皇居内の石垣は特別史跡「江戸城跡」に指定されていて、「本丸中之門石垣」修復工事は平成17年8月から、平成19年3月にかけて行われた。石垣には江戸城の中でも最大級の巨石が使用され、目地(隙間・継ぎ目)がほとんどない、各段の高さを水平に揃えて積んだ整層積(布積み=ぬのづみ)の美しい石垣としている。構造上は少し弱くなるが、本丸御殿への大名の登城ルートとして、見た目の美しさが優先されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
012_220330057 X800 大手門 百人番所 Z50 18-140.jpg 12.百人番所
百人番所は、数少ない江戸時代から残る江戸城の遺構で、検問するだけでなく、幕府直轄の精鋭部隊、鉄砲百人組が有事に備えて詰めていた。警備を担当したのが、徳川家と縁故のある甲賀組、伊賀組、根来(ねごろ)組、廿五騎(にじゅうごき)組。当然のことながら昼夜交代で詰めていた。与力20人、同心100人が詰めていたが、各組の同心100人が配備されたのがその名の由来となっているそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 21mm ISO100 ) 露出補正 なし
013_220330063 X800 大手門 百人番所 Z50 18-140.jpg 13.中之門跡の石垣
百人番所の右手に中之門跡があった。中之門は、本丸の玄関となる中雀門と一体となって一つの大きな虎口(曲折して出入りする狭い通路)を作り、百人番所や大番所とともに本丸護衛として重要な役割を果たしていた。門から離れたところでは石積みの方法が違っていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
014_220330081 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 14.二の丸雑木林から二の丸庭園へ
大番所跡を見落とすことになってしまったが、中之門跡からではなく、手前の百人番所の前から北へ入った。二の丸御殿跡にある二の丸雑木林。2代将軍・徳川秀忠が死去した後の1636年(寛永13年)には二の丸御殿が建てられ、東側に庭園が配置された。現存する庭園は往時の庭園を昭和43年に復元したものだそうだ。昭和天皇の発案で、武蔵野の雑木林をできるだけ自然に近い形で復元している。手前のサクラの花を明るく撮ろうと、内臓フラッシュを発光してみたが、効果はなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f14 1/200秒 32mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_220330086 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 15.二の丸庭園
9代将軍・徳川家重時代の庭絵図面をもとに復元した池泉回遊式庭園があり、全国から集められた各都道府県の木260本も植えられている。現在の二の丸池にはコウホネ、ヒメコウホネ、ヒツジグサ、赤坂御用地の池から移したアサザが生育している。小堀遠州の作といわれる庭園の池水は、古い絵図と比べてもほぼ二の丸池と同じ場所にあるそうだ。池に関しては大名庭園時代の池泉をそのまま活用したと推測できるという。菖蒲田には昭和41年に明治神宮神苑から株を譲り受けた84品種の花菖蒲が植栽されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 31mm ISO110 ) 露出補正 なし
016_220330095 X800 二の丸庭園 カイドウ Z50 18-140.jpg 16.諏訪の茶屋とカイドウの花
池を右手に北へ進むと、紅色の花が目についた。ツツジかなの思って近づいてみるとカイドウの花だった。諏訪の茶屋は、二の丸庭園にある風雅な茶室である。火災などで焼失後、11代将軍・徳川家斉の時に創建されている。かつては吹上御苑(西の丸西側、現在の御所などのある一帯)にあったが、昭和43年、皇居東御苑の整備の際に移築された。建物は、明治45年に再建されたが、その当時、その場所に諏訪社があったことから諏訪の茶屋という名前が付いている。茶室としての利用はできない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
017_220330101 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 17.諏訪の茶屋
諏訪の茶屋の西側に回り込むとその入り口の木戸があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 25mm ISO100 ) 露出補正 なし
018_220330104 X800 梅林坂 Z50 18-140.jpg 18.梅林坂の石垣
西側の道に出て天神濠を右手に、石垣のある梅林坂を上がる。梅の開花期である2月上旬頃には石垣と梅の花という絶景スポットになる。もともと、太田道灌が江戸平河城を築城した際に、領地である川越の三芳野神社から祭神である菅原道真の分霊を勧請して天満社を創建したのが始まりという歴史ある梅林だそうだ。その太田道灌が1478年(文明10年)に、菅原道真を祀った際に、梅の木100本をここに植えたのが梅林坂の始まりとか。梅林坂の下から本丸方面にかけて50本ほどの梅が植栽されているが、この梅は皇居東御苑開園に先駆けて、昭和42年に植えられたものという。50年を経て立派な梅に育っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 94mm ISO250 ) 露出補正 なし
019_220330111 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 19.北桔橋門(きたはねばしもん)の桜
皇居書陵部の前を通って北桔橋門へ向かう道の、平川濠沿いのサクラがきれいだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
020_220330117 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 20.北桔橋門 -1
江戸城本丸の大奥、天守部分から外部に直接通じる門が北桔橋門である。門の横の内濠(平川濠・三日月濠)は防御力を高めるためにほかよりも深く、石垣は最も堅固になっている。北桔梗門の内側からその石垣と濠を見た。石垣は江戸城の城壁の中でも最も高く高さは18.5mもある。地震などの揺れにも強い自然石を積み上げる野面積み(のづらづみ)になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
021_220330118 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 21.北桔橋門 -2
一旦、北桔橋門を出て、濠にかかる橋の上から北桔橋門を撮った。当時の北桔橋門は、通常は橋を跳ね上げた形で、使われることがなく、いざという時の脱出路の確保としての門となっていた。現在の門は冠木門(笠木を柱の上方に渡した屋根のない門)である。現在では大手門、平川門と同様に、宮内庁が管理する皇居東御苑(江戸城の本丸・二の丸・三の丸)の入城門となっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
022_220330124 X800 桃華楽堂 Z50 18-140.jpg 22.「桃華楽堂」とハナモモ
北桔梗門から本丸跡へ入っていくと「桃華楽堂」が見えた。「桃華楽堂」は昭和41年2月に音楽好きの香淳皇后(昭和天皇の皇后)の還暦記念として建設された200名収容の音楽ホールだ。鉄仙の花弁を形どったといわれる屋根と八面体の珍らしい建物。その西側に植えられたピンクや赤・白の花のハナモモがいま、あでやかに咲いている。名前の「桃華」の由来は、香淳皇后さまの御誕生日が3月で桃の節句に因んだ桃、華の字は十が六個と一で構成されていることから還暦(数え年61歳)を意味するということで命名されたといわれている。楽堂の建物も名前も、そして傍らに植えられたハナモモの木も、人々の目を引きつける優美な佇まいである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 59mm ISO100 ) 露出補正 なし
023_220330131 X800 天守台 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 23.天守台から見た北桔梗門
右手(西側)に天守台があったので上がってみる。江戸城本丸北隅にあった天守閣は、東西約41m、南北約45m、高さ11mの天守台に建てられていた。日本最高だったという高さ51mの天守を支えた江戸城天守台は黒田長政が築造を担当し、石垣は、南部、津軽の二候が築いたとされている。現在、皇居東御苑内に修復、保存され、天守台の上に登ることができる。天守台から北側に北桔梗門が見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 37mm ISO100 ) 露出補正 なし
024_220330136 X800 天守台 Z50 18-140.jpg 24.天守台
天守台は1606年(慶長11年)に完成し、翌年五層の天守(慶長天守閣)が大手門とともに完成している。家康時代の慶長天守台・天守閣は現在の天守台遺構の南側、富士見多聞のあたりに位置していたそうだ。1922年(元和8年)に2代将軍秀忠が本丸拡張工事を実施、さらに1637年(寛永14年)、3代将軍・徳川家光は天守台・御殿を修築し、翌年には「寛永度の天守」が完成た。現存する天守台は、その寛永期天下普請の遺構がベースになっているそうだ。1657年(明暦3年)に起こった「明暦の大火」(振り袖火事)の飛び火で本丸、二の丸、三の丸はほぼ全焼。その後、江戸城の天守は泰平の世でもあり、経済的な理由もあって再建されることはなかったのだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 なし
025_220330145 X800 天守台 Z50 18-140.jpg 25.ミツバツツジ
天守台の南側、竹林の手前にミツバツツジが咲き、その奥にシャクナゲが咲くところがあった。西桔梗門跡に近い、「手洗い所」がある辺りである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 48mm ISO110 ) 露出補正 なし
026_220330147 X800 大奥跡 Z50 18-140.jpg 26.本丸 大奥跡
富士見櫓に向かって進む。左側に本丸、大奥跡の芝生が広がる。徳川幕府の中枢となる政庁が江戸城本丸の御殿だが、表御殿・中奥から御鈴廊下でつながっていたのが大奥だった。残念ながら、往時を偲ぶものは何も残っていないそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 24mm ISO110 ) 露出補正 なし
027_220330167 X800 富士見櫓 Z50 18-140.jpg 27.富士見櫓
石室、富士見多門を見て、富士見櫓へ出た。富士見櫓は江戸城遺構として残る唯一の三重櫓。現存する三重櫓は、1657年(明暦3年)の明暦の大火(振袖火事)での焼失後、1659年(万治2年)の再建。どの角度から見ても同じような形に見えることから、「八方正面の櫓」の別名もある。天守焼失後の「代用天守」の櫓ともいわれている。富士見櫓の上からは、その名の通り富士山をはじめ、秩父連山や筑波山、江戸湾(品川沖など)、さらには将軍は両国の花火などを眺望したのだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 40mm ISO110 ) 露出補正 なし
028_220330172 X800 富士見櫓 Z50 18-140.jpg 28.ボケ
手入れされた絞りのボケの花がきれいに咲いていた。全く方向音痴になってしまっていて、この辺りから北の丸公園・千鳥ヶ淵へ出られるのではないかと思って歩いていたら、中之門跡に戻ってきてしまっていた。結局、一回りして入苑した大手門に戻り、これから入る人たちの手荷物検査をしていた係のかたにたずねたところ、「内堀通りを左回りに歩いて行ってください」ということになってしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 115mm ISO360 ) 露出補正 なし
029_220330185 X800 内堀通り 平川門 Z50 18-140.jpg 29.平川門
大手門を出て、内堀通りを左へ歩いて行くと、地下鉄の竹橋駅の近くで次の門である平川門に出た。太田道灌が江戸城を築いた15世紀には、江戸湾に面した現在の平川門周辺には、上平川村、下平川村という村があったのが平川門の名の由来という。太田道灌の時代から門が築かれていたと推測され、3代将軍・徳川家光の治世である1635年(寛永12年)、高麗門(外側の第一門)、渡櫓門(内側の第二門)を備える強固な枡形門のスタイルとなった。江戸城三の丸の正門で今も濠には木橋が架かっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 34mm ISO110 ) 露出補正 なし
030_220330193 X800 〇内堀通り 平川門 Z50 18-140.jpg 30.平川門の木橋
平川門は現在では大手門、北桔橋門と並んで、皇居東御苑(本丸・二の丸・三の丸)の入苑口のひとつになっている。木橋が往時のように残されるのは江戸城でもここだけだそうだ。現在の木橋(全長29.7m、幅7.82m)は台湾産のヒノキ材を使って昭和63年に再建されたもの。橋台は石造り、脚桁には鉄骨が使われているが、親柱の擬宝珠(ぎぼし)には、寛永や慶長などの銘が彫られており、往時のものが使われていることがわかるそうだ。長くなってしまった。ここら先は次回に回す。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし


2018年4月15日

2泊3日で山陰山陽を周遊(2) 姫路城 3月29日

新幹線で通るたびに見ていたので、 姫路城 は是非行ってみたいと思っていた。 平成の大修理が行われて、白く輝く天守閣の姿は、白いサギが舞い立つように見えることから別名「白鷺城」と呼ばれるのは衆知の通りだ。昭和に行われた昭和の大修理から45年、平成の大修理と呼ばれた大天守保存工事は、傷みや汚れが激しくなった漆喰壁の塗り直しや屋根瓦の葺きなおしを中心に、平成21年(2009年)から5年をかけて行われ、平成27年(2015年)に完成した。
  姫路城は昭和26年(1951年)国宝に指定され平成5年(1993年)には奈良の法隆寺とともに日本初の世界文化遺産となった。
 最初の城は、 1333年、南北朝時代の播磨守護・赤松則村が京に兵を進める途中、姫山に砦を築いたことに始まる。本格的な城は1346年に赤松貞範が築いた。1545年に黒田重隆が姫路城に入り、1546年黒田官兵衛が姫路城で誕生したと伝えられている。その後、1580年、中国毛利勢討伐の武将として秀吉が姫路城に入り、大阪城を築くまでの3年間城主であった。1600年、関ケ原の戦いの後、池田輝政が姫路城主となる。池田輝政は姫路城の大改築を開始し、1609年には五重7階の連立天守閣が完成した。そして、城主は移り変わり、1867年に大政奉還がなされ、当時の城主酒井忠邦が天皇に領地と領民を返還した。姫路藩は廃止され、姫路県となったが、明治6年(1873年)姫路城は熊本城など全国56の城とともに存城となった。姫路城は池田輝政が1609年に完成させて以来、一度も戦火にまみえることはなく、内曲輪の城郭がほぼ完全な形で残っているそうだ。
 天守閣に上がることは出来るのだが、混雑していて断念した。桜が満開で姫路城を一層際立たせていた。

20.「大手門」から見た天守閣
姫路城の天守はバスの駐車場から見えていた。天守閣の入り口まではバスガイドさんが案内してくれる。「大手門」から入場口へ進む。この写真は大手門から入場口へ進む途中で撮った。何も慌てて撮る必要はなかったのに、はやる気持ちを抑えられなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f5 1/1000秒 51mm ISO100 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
21.「菱の門」
入場口から、ガイドさんの後について、団体チケットで城郭の中に入っる。「菱の門」という立派な門をくぐった。片側だけ石垣に乗る珍しい安土桃山時代の城門だそうだ。正面を見上げると灌木に花菱の紋があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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22.桜と石垣と白い天守閣
右手に三国堀と桜を眺めながら「いの門」へと進む。今回見た姫路城は、白く輝く天守閣と満開の桜がテーマとなった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
23.「ろの門」
姫路城には、「菱の門」、「いろは・・・るの門」、「水の一・・・六の門」、備前門が現存している。その様式は様々という。防備面から頑丈さを重視した柵門や木戸、塀重門、冠木門、高麗門、櫓門、長屋門、埋門など安土桃山時代の様式を残す21の門が残っているそうだ。「いの門」の次の「ろの門」に来た。さすが、欧米からの観光客が多い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 13mm ISO100 ) 露出補正 なし
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24.石垣と狭間
石垣の上には狭間が並ぶ。狭間は土塀の壁面に開けられた矢や鉄砲を放つための穴のことで、城を防備するために重要であった。現存する狭間の数は997か所だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 14mm ISO100 ) 露出補正 なし
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25.小天守
「ろの門」から「はの門」へは土塀の沿っての道だ。姫路城に小天守は3っある。桜も良い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 51mm ISO100 ) 露出補正 なし
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26.乾小天守
3っある小天守のうちで一番大きい乾小天守の前に来た。外観3層、 内部は地下1階、地上4階の造りになっているそうだ。この先から天守閣へ登ることができるが、長い列ができていた。大天守へ登るのは断念し、天守閣の石垣の下に広がる本丸(備前丸)へ進む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 36mm ISO100 ) 露出補正 なし
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27.本丸からの眺め
天守閣の南側に開けた本丸(備前丸)から、西の丸、その向こうに姫路市内が眺められた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 36mm ISO100 ) 露出補正 なし
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28.「備前門」
天守の東側の折廻櫓に続く切妻の櫓門で、本丸(備前丸)への主要な出入り口となる城門である。築城の際、石不足であったため、門のすぐ脇には石棺が転用されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO160 ) 露出補正 なし
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29.狭間
狭間から下を撮った。カメラを下に向けないと撮れない。この正方形の狭間は鉄砲用の狭間だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 30mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
30.お菊井戸
播州皿屋敷のヒロインお菊が責め殺されて投げ込まれたという井戸で、もとは鶴瓶取井戸と呼ばれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
31.しだれ桜と天守
お菊井戸のある二の丸から、枝垂れ桜と天守を撮った。本丸にある2本の松もいい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
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32.大天守の鯱
鯱は瓦ぶき屋根の大棟の両端に付けられている飾りで、鬼瓦と同様に守り神とされた。姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に上を向き、背中には幾重にも鋭いとげを持っているという想像上の動物を模しているそうだ。明治、昭和、平成のそれぞれの時代の鯱があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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33.化粧櫓
二の丸を後にして、再び「ろの門」のところへ戻ってきた。「ろの門」の手前から、長局(百間廊下)に続く化粧櫓を眺める。 二の丸を後にして、「るの門」から三国堀に出た。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 24mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.石垣と桜
初めて来た姫路城だったが、平年より少し早く咲いた満開の桜が、大歓迎してくれた。姫路城を語るとき、いつまでもこの光景が眼にに浮かぶと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
35.桜と天守閣 -1
満開の桜の花に見え隠れする天守閣。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 30mm ISO100 ) 露出補正 なし
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36.三国堀
三国掘りから天守閣、西に続く小天守を眺める。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
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37.三国堀に映える天守、小天守
三国掘の水に天守閣が映り込んでいた。雲一つない春の好日である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 11mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
38.三国堀から西の眺め
堀の前を東に移動して、北西側を撮った。さっき通ってきた「菱の門」から「いの門」への桜並木が見える。その向こうは、西の丸へ続く化粧櫓だ。バスガイドさんに天守に登らないのなら、西の丸へ行ってみるとよいといわれていたが、その時間もなかった。西の丸の外周は櫓群で囲まれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
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39. 桜と天守閣 -2
焦点距離を110mm(35㎜版換算で300mm相当)にして、桜にピントを合わせて撮る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 110mm ISO100 ) 露出補正 なし
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40.「菱の門」から退出
三国堀から左へ、 「菱の門」から退出した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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41. 桜と天守閣 -3
姫路城は白く輝く天守閣と満開の桜だった。桜の花で作られた額縁から大天守を望む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 97mm ISO100 ) 露出補正 なし
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42.桜門橋
「大手門」を退出し堀にかかる桜門橋を渡る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
43.和船
堀に沿ってバスの駐車場へ向かう途中、 船頭さんが漕ぐ、観光客を乗せた和船が見えた。和船は、夫・本多忠刻と幸せな10年間を暮らした千姫ゆかりの長局(百間廊下)の真下を通り、西の丸の「ワの櫓」で引き返し、今渡った桜門橋をくぐって姫路市立動物園にかかる赤い橋まで行って引き返して来る約30分間のコースのようだ。遠くだったので望遠で撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO400 ) 露出補正 なし
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2017年8月24日

嬬恋鹿沢 2泊3日のドライブ旅行(7/19-21) (5・終)小諸 7月21日

湯の丸高原(地蔵峠)の駐車場まで戻ってきて、女性組2人が休んでいた食堂に行く。2人は男性組はまだ戻ってこないだろうと、のんびりくつろいでいた。われわれも喉が渇いたので、冷たい飲み物を飲んで一息入れた。
  高原に別れを告げ、チェリー・パークラインを長野県側に下りて、国道20号線を小諸に向かう。昼食は楽しみにしていた信州そばだ。3軒ほど老舗を調べておいたが、その中のひとつ「丁子庵」に入った。ここは、小諸城の大手門に近いので、食後、駐車場に車を置かせておいてもらったまま、大手門を見てこようという算段だ。昨年の4月にバスツアーで懐古園に来たがその時は、JR線路の反対側にある大手門は見ていなかった。
 小諸は暑かった。今まで過ごした高原の涼しさとは違う。その暑い中、大手門の見学は10分くらいで終え、最後の目的地である布引観音釈尊寺へ行く。
 布引観音釈尊寺は、崖の上にある。その崖の上まで、"よいしょ"と声を出さないと上がれない、歩きにくい急な石段を、つづら折りに登るのに20分くらいかかった。汗びっしょりで、丁子庵で飲んだビールも効いて息が上がる。4~5歳の男の子が、おばあちゃんと一緒に元気に上ってきていた。
 帰路は、上信越道の小諸ICから入り、関越→圏央道で海老名で東名に入り、横浜町田ICからR16を自宅まで送っていただいた。3日間の走行距離は600kmだった。

82.丁子庵 -1

出掛ける前から小諸で信州そばを食べるのを楽しみにしていた。ネットで調べたいくつかの老舗の中から、道もわかりやすそうなのでこの丁子庵にしようと思っていた。高峰高原・車坂峠からチェリー・パーク ラインを小諸に下りてきて20号線を左折し西原の交差点の三叉路を右にR141を行くと本町の信号のところが丁子庵だ。左に入っていくと駐車場がある。暑い。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影(​ ​f​5.6​​​ 1/​640​秒 18mm ISO​200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
83.丁子庵 -2​​
跳ね上げられたのれんをくぐり店内に入る。冷房なんぞはないが涼しげだ。丁子庵のHPによると、「加賀の殿様が通られた'歴史の道'北国街道沿い、小諸本町入口にある」と説明されている。そして、創業は1808年(文化5年)、今からおよそ209年前で、店舗となる建物は1885年(明治18年)に建てられた132年もの歴史を持つ総欅造りの黒い漆喰で仕上げられた土蔵だそうだ。店内に一歩足を踏み入れると、その歴史の重みをずっしりと感じることができるとあった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ 絞り優先​​オートで撮影(​ ​f​5.6​​​ 1/​320​秒 18mm ISO​200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
84.蔵造りの酒屋​​
丁子庵では、私はとろろそばを食べた。運転も「ここまででいいよ」と言っていただき、美味しくビールを飲んだ。通はせいろで日本酒なのだろうが。丁子庵のおかみさん?に、10分ほど大手門を見てきたいのだが、その間駐車場に車を置かしておいてくれとお願いしてみたところ、快く「どうぞ、どうぞ」と言っていただいた。丁子庵を出て、大手門のほうへ歩く。本町の交差点のところにこんな蔵造りの酒屋があった。真澄、千曲錦は長野の銘酒だ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​5.6​​​ 1/​1000​秒 44mm ISO​200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
85.小諸城 大手門​​​​
小諸市観光協会などの説明では、この大手門は実戦的な城門で、華美な装飾をはぶいた質実剛健な建築は、東日本を代表する大手門建築の一つと言われ、重要文化財となっている。大手門は、小諸城の城郭配置からすれば、小諸城の表玄関(正門〉にあたる。慶長17年(1612年)、藩主仙石越前守秀久が小諸城を築いた時代の建築で、大工は江戸から招いたと言われ、当時としては瓦葺の門は珍しかったので瓦門と呼ばれたと伝えられている。平成の大修理を終え、仙石秀久創建当時の姿に甦った。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影(​ ​f​5.6​​​ 1/​1000​秒 18mm ISO​200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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86.小諸城 大手門 内側
昨年の4月にバスツアーで懐古園に来たがその時は、JR線路の反対側にある大手門は、ガイドさんも案内してくれず、見ていなかった。大手門をくぐって、内側から眺める。二階は居室風になっていて、畳敷で長押をうち、猿頬天井であること、桁を左右の石垣の上に乗せずに、その間に独立して建設していることなど、日本の城門発展の過程を知る重要な建物だそうだ。明治維新後は民有となり、小諸義塾の教室として明治29年(1896年)4月、西洋造りの塾舎ができるまで仮塾舎となったという。現在2階は資料室になっているとのこと。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​5.6​​​ 1/​400​秒 24mm ISO​200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
87.小諸城 大手門の石垣
前の写真の方が判りやすいが、石垣と門が続いているが、桁を左右の石垣の上に乗せずに、その間に独立して門を建設していることなど、日本の城門発展の過程を知る重要な建物であると言われる。石垣がいつ復元されたかなどは判らなかった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​5.6​​​ 1/​640秒 26mm ISO​200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
88.布引観音登り口​​
小諸城大手門の見学は10分ほどで済ませ、今回の最後の目的地である布引観音釈尊寺へ行く。丁子庵の駐車場に戻り、10分ほど走って、布引観音駐車場に着いた。前は山だ。その山に向かって参道?入口の石段が始まる。「牛に引かれて善光寺参り」の伝説で知られる布引山釈尊寺は、神亀元年(724年)の創建と伝えられている。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​5.6​​​ 1/​250​秒 38mm ISO​2800​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
89.登山の安全を見守るお地蔵さん
ここから観音堂まで、急な石段を登り、観音堂まで約20分余りかかった。登り始めの道沿いの岩のくぼみに登山の安全を見守るお地蔵さんが祀られていた。道は光が届かず暗い。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影  (​ ​f​5.6​​​ 1/​50​秒 44mm ISO​3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
90.布引二段滝
ここ布引渓谷は、信濃の耶馬渓と言われていて、渓谷美は四季を通して人々の目を楽しませてくれるそうだ。この滝もその一つで、春から夏にかけては緑に、秋は紅葉一色につつまれるという。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影(​ ​f​5.6​​​ 1/​80​秒 18mm ISO​3200​​​​ ​)露出補正​ ​なし
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91.牛岩
登り口を1番にして山の上の観音堂が15番という、名所番号が付けられている。ここはその4番目、牛岩という札があった。案内板には、「牛に引かれて善光寺参り」の伝説発祥の地にふさわしく、岩に牛の姿が現れておりこの布引渓谷のなかでも迫力ある奇岩である」と説明されていた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影(​ ​f​5.6​​​ 1/​100​秒 46mm ISO​3200​​​​ ​)露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
92.仁王門​​
岩上に不動尊が安置されている不動滝のあたりを過ぎると、仁王門があった。暑い上に、丁子庵で飲んだビールが効いていて、汗びっしょりになり、ここまで15分近くかかってしまった。ここから観音堂を眺めることが出来「あそこまで頑張ろう」という思いになる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​5.6​​​ 1/​400​秒 18mm ISO​3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
93.仁王門から眺める観音堂
仁王門の軒先から観音堂を眺める。不動滝の説明板には「ここから眺める観音堂もまた趣きがあり、京都の清水寺を思い出させる」と記されていた。カメラを構える私の脇を空に向かってオオムラサキがゆうゆうと飛んで行った。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影(​ ​f​5.6​​​ 1/​250​秒 46mm ISO​400​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
94.釈尊寺の伽藍、本堂の前から​​
仁王門からさらに登って、釈尊寺の伽藍、本堂の前に出た。その伽藍・本堂を背に、観音堂と小諸、そしてその向こうの、ついさっきまでいた山々を眺める。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​5.6​​​ 1/​640​秒 28mm ISO​200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
95.崖の縁の参道​​​​
この洞を抜けると観音堂がある。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​5.6​​​ 1/​250​秒 44mm ISO​2500​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
96.六地蔵​​​​​​
洞を抜けると左側に、閻魔大王と奪衣婆、そして六地蔵がおられた。六地蔵は「六道地蔵と言い、衆生がそれぞれの行いによって生まれかわっていく六種の迷いの世界を地蔵尊に表している。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上を六道という」と説明されていた。(衆生とは迷いの状態にある生き物をさす。特に人間をさしていう場合が多い=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​5.6​​​ 1/​250​秒 18mm ISO​3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
97.布引山釈尊寺 観音堂と宮殿
やっとゴールである15番の観音堂に着いた。重要文化財の宮殿はこの岩屋内に安置されており、正嘉2年(1258年)に建立された。和風建築のひな型ともいうべきもので、鎌倉時代の様式をよく表した重要な建築物である。昭和11年9月国宝に指定、現在は重要文化財となっていると記されている。しかし、宮殿は事前学習の不足、かつ、その場所は照明もなく、所在がよく分からなかった。後で観音堂の奥の格子で囲われた向こうだと分かった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影(​ ​f​5.6​​​ 1/​250​秒 18mm ISO​1000​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
98.観音堂から釈尊寺伽藍・本堂を望む​​
釈尊寺はwikipedia等によれば、天文17年(1548年)武田信玄が楽厳寺入道、布下仁兵衛を攻めたときに兵火にかかって消失したのを、弘治2年(1556年)望月城主であった滋野左衛門佐が再建した。その後も亨保8年(1723年)に再び野火のために炎上する。現在ある伽藍の多くは、小諸城主、牧野周防守康明によって再建されたものだそうだ。余談になるが、先に観音堂に到着されておられた女性と挨拶をし、話をしたところ、その方はここから見える本堂・伽藍の向こう側から車で上がってきたとのこと。そんな道があったのか・・・。足の悪い年配のお母さんをお参りに連れてくるため、お寺のかたに教えてもらったとのことだった。歩いて登ってこそありがたみがあるのだと自分に言い聞かせた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​5.6​​​ 1/​250​秒 32mm ISO​500​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
99.観音堂の天井
観音堂の天井は奉納された絵がはめ込まれていた。見ると武澤新聞販売店とか、大和屋醤油店といったスポンサー?の名が書かれていた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​5.6​​​ 1/​60​秒 26mm ISO​3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
100.愛染明王
観音堂から釈尊寺の伽藍・本堂へと戻る途中に愛染明王堂があった。その戸の格子からを愛染明王撮らせていただいた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影(​ ​f​5.6​​​ 1/​6​秒 22mm ISO​3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
101.観音堂​​
振り返って崖っぷちに建つ観音堂を眺める。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影(​ ​f​5.6​​​ 1/​250​秒 60mm ISO​220​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
102.岩山に張り付く観音堂
下山する前に今一度観音堂を振り返る。ここまで登ってきた甲斐があったと思わせてくれた。そして、登ってきた道を駐車場まで戻ったのだが、のぼりより下りの方がきつい。古傷の左膝が痛くなる。駐車場に着くころには再び汗びっしょりだ。幸い駐車場には手洗いがあり、タオルで汗を拭いて、シャツを着替えた。帰路に着く・

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影(​ ​f​5.6​​​ 1/​250​秒 56mm ISO​360​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
103.牛に引かれて善光寺参り
ことわざ辞典を引くと「牛に引かれて善光寺参りとは、思いがけず他人に連れられて、ある場所へ出掛けること。また、他人の誘いや思いがけない偶然で、よい方面に導かれることのたとえ」とあった。他にもネットで検索したが、なかなかここ布引観音がその逸話のルーツであることを説明したものはなかった。駐車場の傍に建つ案内板には、その昔話が記されていた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影(​ ​f​5.6​​​ 1/​125​秒 18mm ISO​3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
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2015年12月14日

江戸城ウォーキング (1) 12月1日 

ある旅行会社が企画した「江戸城歴史ウォーキング」というコースに参加した。 ​ ​JR東京駅丸の内中央口(9:​5​0)集合・・・和田倉門​左折​・・・​皇居外苑・・馬場咲門右折・・・正門石橋・・・二重橋・・・​坂下門・・・桔梗門、桜田二重櫓・・・大手門【江戸城の正門】・・・ 大手三の門【同心番所】・・・百人番所・・・中ノ門跡【江戸城内最大級の巨石】・・・大番所・・・中雀門【本丸に通じる最後の門】 ・・・本丸御殿跡【大奥があった】・・・​展望台・・・​富士見櫓【現存する唯一の三重櫓】・・・松之大廊下跡【元禄赤穂事件発生の場所】・・・富士見多聞【長屋造りの武器庫】・・・石室・・・​天守台【天守閣跡】・・・汐見坂​(遠望)​・・・北桔橋門【東御苑の出入口】・・・北の丸公園・・・田安門​・・・そこから再び北の丸公園に戻って[なだ万]謹製のお弁当が配られた。​
 江戸城のことは普段いろいろ見聞きすることはあるものの実はその歴史の多くは理解していない。​ ガイドの方が付いてくれて説明をしてくださった。なかなか解り易い説明で​とても有意義な半日だった。

1.東京駅北口ドーム
東京駅には9時20分ごろに着いた。北口改札を出ると朝の光が差し込んだドームの天井があった。 ​

​Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels​
プログラムオートで撮影 ( f4 1/​160​秒 ​6​mm ISO​8​00 ) 露出補正 なし
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2.丸ビル
集合場所は東京駅の「丸の内中央口を出たところ」だった。集合時間になると点呼がとられ、ガイドさんが紹介された。32名が参加している。まず、ガイドさんから、丸ビルは32万石の岡山藩池田家の上屋敷があったところだと説明された。​

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/​1250秒 ​6​mm ISO​8​00 ) 露出補正 なし
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3.旧国鉄本社 現在は丸の内オアゾ
このビルは旧国鉄本社のあったところ。熊本細川家54万石の上屋敷のあったところで、このあたりにあった江戸藩邸として最も大きい大名だったという。ちなみに前田家の江戸藩邸は東大本郷キャンパスにある。東大赤門は旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門であり、1827年に第12代藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女、溶姫を迎える際に造られたそうだ。国の重要文化財とのこと。東京国際フォーラムのあるところは坂本龍馬の藩である土佐藩山内家の江戸藩邸があったそうだ。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f8 1/​12500秒 ​9mm ISO​8​00 ) 露出補正 なし
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4.和田倉門交差点
一行32名がぞろぞろと行幸通りを真っ直ぐに進んで、和田倉門の交差点に出る。和田倉門はかって江戸城の守衛のために築かれた内郭門の一つだそうだ。橋を渡ると皇居外苑側には枡形石垣があり、橋と一体で門を構成している。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/500秒 38mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
5.コサギ
​和田倉橋​を渡るとコサギがいた。​和田倉橋の左側は馬場先濠。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/800秒 140mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
6.和田倉濠と石垣
江戸城の石垣の構造は打込み接ぎ(はぎ)と切込み接ぎとがある。打込み接ぎは表面に出る石の角や面をたたき、平たくし石同士の接合面に隙間を減らして積み上げる方法である。関ヶ原の戦い以後、この手法が盛んに用いられた。野面積みより高く、急な勾配が可能になる。一方、切込み接ぎは方形に整形した石材を密着させ、積み上げる方法である。慶長5年(1600年)以降、隅石の加工から徐々に平石にまでわたるようになり、江戸時代初期(元和期)以降に多用されるようになったそうだ。石材同士が密着しているので排水できないため排水口が設けられる。江戸城の石垣は切込み接ぎが多く用いられているが、この積み方は時間を要する。ここは打込み接ぎだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/400秒 32mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
7.切込み接ぎの石垣
こちらは切込み接ぎの石垣だ。隙間がなく形を整えられた石が積まれている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1250秒 32mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
8.皇居前広場
​皇居前広場は​芝生と黒松が植わっている広場​で、珍しいとガイドさんは言う。​皇紀2600年を記念して​今のような姿になった​そうだ​。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1000秒 75mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
9.丸の内のビル街
皇居前広場からは丸の内や日比谷のビル街が眺められる。この写真の後ろ側は内堀通りが縦貫する。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/500秒 26mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
10.二重橋と伏見櫓
私は二重橋を見たことがない。写真などで見るめがねのような橋が二重橋とばかり思っていたが、本当の二重橋はその奥にある橋だという。その向こうに見えるのは伏見櫓で江戸城築城の第二期(三代将軍家光の時)の寛永五年(1628年)に京都伏見城から移築したものと伝えられている。それ以来燃えたことがないとガイドさんが話してくれた。東日本大震災の時白壁をつくりかえた。別名で「月見櫓」とも呼ばれており、皇居で最も美しい櫓と言われ櫓の高さ約13.4メートルあるそうだ。もっと先の正面石橋の近くまで行けるようなので行ってみたかったがガイドさんは右へ曲がってしまった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1000秒 140mm ISO200 ) 露出補正 なし
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11.ほんとの二重橋
これが二重橋と思っていた石の橋の向こう側に鉄の橋が見える。堀が大変深く、江戸時代には補強のため橋桁を上下二重に組んで橋の上に橋を作っていたので二重橋と呼ばれていたそうだ。明治になって鉄製になったので「正門鉄橋」が正式名称になっているという。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1640秒 66mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
12.正門石橋
私はこのメガネのような橋を二重橋とばかり思っていた。一般的にはそうだと思う。しかし、これは「めがね橋」でも、「二重橋」でもなく正式名称を「正門石橋」というそうだ。しかし、今朝配られた「江戸城歴史ウォーキング散策マップ」には二重橋となっている。手前の「正門石橋」と奥の「正門鉄橋」を合わせて二重橋が通称になっていると記されていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/640秒 40mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
13.正門石橋と正門鉄橋
この位置から見ると正門石橋と正門鉄橋が良くわかる。もっと先まで行けるようなので行ってみたかったが。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1250秒 45mm ISO200 ) 露出補正 なし
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14.坂下門
内堀の前を歩いて坂下門に出た。手前の橋は皇居外苑から皇居(旧江戸城西の丸)に通じる土橋で坂下門橋という。門内の近くに宮内庁がある。坂下門は江戸城西の丸造営直後に造られたと伝えられていて西の丸大奥に近く、西の丸の通用門として利用されていたが、今は宮内庁の出入口となっている。文久2年(1862)1月、老中安藤対馬守がこの門外で水戸浪士に襲われたのが「坂下門外の変」だ。この中には入れない。正月・天皇誕生日の一般参賀の際の出口のひとつとして指定されており、一般人が通れるのはこの機会以外にはないそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1250秒 100mm ISO200 ) 露出補正 なし
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15.坂下門と宮内庁
坂下門を左手に見ながら桔梗門(内桜田門)へ歩く。左手は蛤濠だ。宮内庁の建物が見える。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/800秒 52mm ISO200 ) 露出補正 なし
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16.桔梗門(内桜田門)
三の丸への出入り口だそうだ。かってこの門の瓦などに太田道灌の家紋である桔梗の紋が施されていたことから桔梗門と呼ばれる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1250秒 42mm ISO200 ) 露出補正 なし
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17.桜田二重櫓(巽櫓)と内桜田門 その奥に富士見櫓
桜田二重櫓(巽櫓)は江戸城に残る唯一の隅櫓だそうだ。明暦の大火のあと1659年以来焼けていない。本丸から見て巽の方角にあるので巽櫓桜田二重櫓(巽櫓)ともいう。関東大震災で損壊したのちに解体して復元されている。歩いてきた内桜田門の奥に三重櫓である富士見櫓が見えた。天守閣が明暦3年(1657年)の大火で焼失した後は復旧されなかったので、富士見櫓が天守閣に代用されたと伝えられている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1250秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
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18.桜田二重櫓(巽櫓)
石落としが備わっており、実戦的な櫓としてつくられたという。直角に曲がる桔梗濠には藻(アオコ)が生えている。お堀の水はどう流れているのだろうか?ネットで検索してみる。江戸時代から明治時代の中頃までは、お濠は江戸の六上水の一つである「玉川上水」と接続しており、玉川上水は最も水位の高い半蔵濠、千鳥ヶ淵に流れ込んで、各濠の水門を順繰りに下りながら、最も低位の日比谷濠から江戸湾(東京湾)に流れ出るという「きれいな水の循環」が作られていたという。ところが時代は過ぎ、1965年(昭和40年)、それまでお濠に流れ込んできていた玉川上水が完全に廃止され、きれいな水の供給は途切れ、お濠の水はほとんど雨水に頼らざるを得なくなった。水たまりになったのだ。それに加えて、外苑濠には長年にわたり周囲からの落葉等が流れ込んでくる。このような状況を受け、濠を管理する環境省では、平成7年から濠水浄化施設の運用を行うなどの対策を行ってはきた。平成25年4月から運転を開始している「新濠水浄化施設」という新しい浄化施設は、「高速凝集沈殿方式」という方式を採用したもので、浄化性能が高く、一日当たり最大2万トンの濠水を浄化する能力があるという。詳しく皇居外苑の濠水浄化施設についてという「国民公園協会 皇居外苑」のwebサイトにでていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/2000秒 34mm ISO200 ) 露出補正 なし
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19.大手門
桔梗濠に沿って歩いていくと大手門が見えてきた。大手門は城と城下町をつないだ江戸城の正門だ。1万石以上の大名と役高500石以上の役人以外は大手門の手前で乗り物を降り供回りは数人に制限されたという。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1600秒 52mm ISO200 ) 露出補正 なし
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20.皇居東御苑への入り口 大手門
桔梗濠と大手濠の間にかかる土橋の向こうに枡形になった大手門の高麗門(正門)がある。一行32名はここで守衛さんから入場証をいただき中に入った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/640秒 32mm ISO200 ) 露出補正 なし
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21.大手門と渡櫓門
高麗門を入って枡形になった右手に石垣で囲まれた立派な入母屋造りの渡櫓(わたりやぐら)を持つ大きな櫓門がある。枡形門は、敵の侵入を防ぎ、味方の出撃を容易にする構造となっている。一の門(高麗門)は狭くて多勢では入れず、入ると三方の石垣から弓、鉄砲の攻撃ができるようになっていた。江戸時代も火災・震災のたびに再建されてきた。1957年の明暦の大火の際も10か月で再建された。1923年の関東大震災でも大破、2年後に渡櫓を解体し両側の石垣を築き直す大修理が行われた。太平洋戦争末期の1945年4月13日、渡櫓は全焼。1965~67年にかけて復元工事を行った。一方、高麗門はほぼ江戸時代の様子をとどめているそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1600秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
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22.旧大手門渡櫓の鯱
1945年(昭和20年)4月、太平洋戦争戦災で焼失した旧渡櫓の屋根に飾られていた鯱。頭部に「明暦三丁酉」と刻んであることから明暦の大火(1657年)で焼失したのち再建された時に作られたと推定される。今の大手門渡櫓は1968年(昭和43年)に再建されたものと説明書きがあった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/500秒 56mm ISO200 ) 露出補正 なし
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23.矢穴
大手門の石垣に残る矢穴である。矢穴とは石垣の石を切り出す際に大きな岩にミシン目のように穴を穿ち、鉄の矢を打ち込んだ穴だそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/400秒 75mm ISO200 ) 露出補正 なし
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24.大手門の門扉
大手門渡櫓門の門扉。蝶番を見てもとても古いようだ。戦災で全焼したときにはこの門扉も焼けたろうと思う。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/250秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
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25.東御苑 同心番所
大手門の渡櫓門を出て左に歩いていくと右手に同心番所があった。城の奥の番所ほど位の上の役人が詰めていた。ここ同心番所は同心が詰め主として登城する大名の伴の監視にあたっていたという。この同心番所の手前が大手三之門の跡だそうだ。御殿の入り口であり、ここでで御三家(尾張・紀州・水戸の3徳川家)を除くすべての大名・役人は、駕籠をおりて徒歩にて入門した。この先左手に百人番所があり、右に中之門跡の石垣がある。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO500 ) 露出補正 なし
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26.中之門跡
ここから江戸城の雰囲気が変わるとガイドさんが説明してくれた。ネットの竹橋ガイドというサイトによると、この中之門の石垣は1638年(寛永15年)にその原形が普請され、1657(明暦3)年の明暦の大火で焼け、1658(万治元)年に熊本藩主・細川綱利により再構築され、1703(元禄16)年に起きた地震でも被害を受け、翌年に鳥取藩主・池田吉明によって修復された。その後、明治政府によって取り壊されたという説と、関東大震災で大破したまま再建されなかったという説を聞いたが、確認できいないとのこと。傍に建てられていた説明札では、皇居内の石垣は特別史跡「江戸城跡」に指定されている。「本丸中之門石垣」修復工事は平成17年8月~平成19年3月にかけて行われた。石垣は江戸城の中でも最大級の巨石が使われ布積みという技法で積まれている。この中之門石垣には本丸御殿への登城口として渡櫓門が配置されていたと解説されている。また、石垣は白い花崗岩と黒い安山岩とで築かれていて、白い花崗岩は瀬戸内の犬島か小豆島あたりから、黒い安山岩は東伊豆から運ばれたものであるそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/640秒 26mm ISO500 ) 露出補正 なし
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