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2019年12月17日

江ノ電に乗って 12月3日 ②長谷寺

長谷寺は以前にも2回ほど訪れたことがある。一度は確かアジサイの季節だったと思うが紅葉の季節に来るのは初めてだ。
 十一面観音を本尊とする観音信仰の寺院は、宗派は様々であるが、 大和の長谷寺 、そしてここ鎌倉の長谷寺 のような有名なところから、今では無住となり、地域の人たちが守っているお堂もあり、その数は250以上に上るという説もあるようだ。 その多くが大和(奈良)の長谷観音の本尊を勧請(神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること)した「新長谷寺」と呼ばれる寺と言われている。私たちは昨年11月に奈良の長谷寺にお参りしてきた。奈良の長谷寺は真言宗豊山派総本山の寺院であるが、鎌倉の長谷寺は浄土宗系統の単立 寺院で山号を海光山、院号を慈照院と称し、長谷観音と通称されている。

24.長谷寺山門 -1
正面に「門かぶりの松」と長谷寺と書かれた赤い大きな提灯がかけられた山門が見えてきた。 親柱は直径40cmもある四脚門で、鎌倉市内の四脚門では建長寺、円覚寺、妙本寺に次ぐ大きさだそうだ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_024.jpg
25.長谷寺山門 -2
山門の赤い提灯は、鎌倉長谷寺のシンボルとなっている。門には「長谷寺」と書かれた額がかけられている。自動券売機で拝観券を購入し、左側にある受付から境内に入る。wikipediaによれば、伝承では長谷寺の創建は奈良時代とされているが、中世以前の沿革は明確でなく、創建の正確な時期や経緯についても解明されていない。寺伝によれば、天平8年(736年)、大和の長谷寺(奈良県桜井市)の開基である徳道を藤原房前が招請し、十一面観音像を本尊として開山したという。この十一面観音像は、観音霊場として著名な大和の長谷寺の十一面観音像と同木から造られたという。すなわち、養老5年(721年)に徳道は楠の大木から2体の十一面観音を造り、その1体(本)を本尊としたのが大和の長谷寺であり、もう1体(末)を祈請の上で海に流したところ、その15年後に相模国の三浦半島に流れ着き、そちらを鎌倉に安置して開いたのが、鎌倉の長谷寺であるとされる。

   Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO180 ) 露出補正 なし
191203_025.jpg
26.池と鯉
境内に入ると右側に放生池というがあり、錦鯉が泳いでた。大きなもみじの枝が下がっている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 38mm ISO250 ) 露出補正 なし
191203_026.jpg
27.石段ともみじ -1
参道は右に曲がり、本堂である観音堂へ石段が続く。まず地蔵堂へ上がるが、その石段下から眺める紅葉したカエデが美しかった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_027.jpg
28.石段ともみじ -2
カエデの紅葉はこの辺りが一番良い。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_028.jpg
29.卍池
参道は地蔵堂の前を左に曲がり、観音堂へ上がっていくが、地蔵堂の手前の右側に卍池があった。奪衣婆(だつえば)  と懸衣爺(けんねおう)  が座っている「卍池」は小さな池が卍形に造られている。「千体地蔵」の札が立つが、千体地蔵は地蔵堂の周囲に並べられ、水子や先亡諸霊の供養のために奉納される。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 44mm ISO1800 ) 露出補正 なし
191203_029.jpg
30.石段ともみじ -3
地蔵堂の前から上がってきた石段を振り返る。長谷寺の紅葉はここがベストと思う。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/640秒 40mm ISO1800 ) 露出補正 なし
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31.阿弥陀堂
右手にかきがら稲荷、鐘楼を見て左へ上がり、阿弥陀堂の前に出る。長谷寺のホームページによれば、「阿弥陀如来坐像は、伝承に曰く、鎌倉幕府初代将軍である源頼朝が、自身の42歳の厄除けのために建立したものといい、当山ではその伝承に因み「厄除阿弥陀」と呼んでおります。ただし、この像はもともと長谷寺で造立されたものではなく、その銘文によれば市内の誓願寺(現廃寺)の本尊であったということです。現在この尊像は「鎌倉六阿弥陀」のひとつにも数えられます。ちなみに、最初の阿弥陀堂は現在の地蔵堂辺り(石段中段部)に建てられていたことが、古い境内図などによって知られます。」と記されている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO110 ) 露出補正 なし
191203_031.jpg
32.観音堂(十一面観音菩薩を祀る本堂)
ホームページによれば、その創建は本尊である長谷観音流着の縁起に由来し、天平8年(736年)まで遡り、長谷寺が鎌倉でも有数の古寺に数えられる所以である。その後、幾年の星霜を経るなか、幾度と無く堂宇も再建がなされたが、関東大震災による罹災は甚だしく、旧来の建物は止む無く建替えとなり、災害から本尊をお守りするため、鉄筋による再建が進められた。そして、昭和61年、罹災から実に60年以上の歳月を費やし現在の堂宇は完成したという。本尊である十一面観音像は、錫杖を右手に携え、岩座に立つ独特の像容で、大和長谷寺の本尊をはじめ、全国に所在する長谷寺に祀られる観音像に多く見られることから、これらを総称して「長谷寺式十一面観音像」と呼ぶそうだ。縁起に曰く、本尊の造立は養老5年(721年)と伝えられているが、現在の像が創建当初からのものとは言い難く、また後世の修復も多く加えられているため、制作年代については未詳と言わざるを得ない。但し、本尊に付随する光背や御前立の観音像の修復年代が室町時代まで遡ることから、現在の尊像が存在していた時期についても、室町時代に準ずるものであることは確かといえ、さらに鎌倉時代より長谷寺に伝えられる大型の懸仏や板碑類の存在から、その当時には巨大な尊像が造立されていたものと推測されるという。奈良の長谷寺で拝んだ観音像も大きかったが、長谷観音も像高9.18メートルの巨像で、木造の仏像としては日本有数のものである。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO110 ) 露出補正 なし
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33.観音堂入り口
観音堂の内部は撮影禁止となっていた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 32mm ISO400 ) 露出補正 なし
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34.仏足石
下の放生池の傍にも仏足石があったが、観音堂の先にもあった。仏足石とは、仏陀の足の裏の形を石の上に刻んだもので、仏足跡とも書く。インド初期仏教では仏像はまだつくられず、法輪、菩提樹、塔などを拝んだが、仏足石も崇拝対象の一つ。足裏に千輻輪宝、金剛杵、双魚紋などの図がある。仏足石はインド,南アジアなどで拝まれ,日本では天平勝宝5年(753年)年刻の奈良県の薬師寺にある仏足石(国宝)が最も古いそうだ。ここのは古いものではない。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
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35.冬桜
観音堂の先には観音ミュージアムと経蔵があり、そのわきに白い小さな花が咲く木があった。そばに行ってみると「子福桜」という札がかけられていた。コフクザクラとは、フユザクラとして総称されるサクラの一種であるが、花一輪につき2~3個のサクランボがなるという特性を持つ。これを子宝に恵まれたものとして「子福桜」と名付けられた。バラ科サクラ属の落葉小高木である。

   Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 105mm ISO100 ) 露出補正 なし
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36.錦鯉
経蔵の傍に水が流れる小さな池が作られていた。そこに錦鯉が泳いでいるが、この鯉は石に着いた苔を食べていた。 

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 98mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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37.錦鯉が泳ぐ水が流れる池
池の水は澄んでいて、底に沈んだカエデの葉が見える。錦鯉は彩りに良い。経蔵の裏山は眺望散策路になっていて、通称「あじさい路」と呼ばれる。アジサイの季節には40種類以上、約2,500株のアジサイが小径に沿って咲く。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO160 ) 露出補正 なし
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38.見晴台からの眺め
   経蔵の前に海に向かって見晴台が作られていた。鎌倉の街並みと由比ヶ浜、遠く三浦半島まで見渡せる眺望は鎌倉随一と評される。天気の良い日には伊豆大島も見られる。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f8 1/500秒 50mm ISO100 ) 露出補正 なし
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39.参道の紅葉
阿弥陀堂の辺りから参道を見下ろす。堂宇の屋根と鎌倉の街と一緒にカエデの紅葉が撮れた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 80mm ISO140 ) 露出補正 なし
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40.地蔵堂
再び参道の中段にある地蔵堂の前に下りて来た。先の地蔵堂は帰依する信者の発願により建立された。その後、堂宇の老朽化に伴い平成15年に再建されたのが現在の地蔵堂だそうだ。鎌倉では例の少ない扇垂木の屋根が特徴という。お祀りする地蔵尊も御堂の再建にあわせて造立されたもの。まだ新しく、金色に輝いていた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO720 ) 露出補正 -0.7段
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41.弁天窟
入り口下におりて境内の放生池を過ぎた辺りに、弘法大師参籠の地と伝わる弁天窟があり、その名にちなみ窟内壁面には弁才天とその眷属である十六童子が彫られているほか、弁才天と同じ神様であるとされる民間信仰の宇賀神(人頭蛇身)が祀られている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 38mm ISO125 ) 露出補正 -0.7段
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42.弁天窟の内部
中は暗い。一番奥に弁才天  が彫られていて、撮ったが手振れさせてしまった。受付でもらった説明書によれば、寺伝では当山の弁才天像は弘法大師が廻国修行の折、唐山の岩窟に参籠し感得して自ら刻まれた尊像と言われ、江戸時代には「出世弁才天」の名で知られていた。現在その尊像は観音ミュージアムに収蔵され、弁天窟には代わりに「福徳弁才天」が祀られている。そして弁才天の眷属 である十六童子が彫られていた。写真はその一部である。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 38mm ISO125 ) 露出補正 なし
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43.書院
整えられた枯山水庭園の向こうに、写経道場として平成25年9月に竣工した書院が見えた。ここで毎日写経・写仏ができるそうだ。場内のほとんどが椅子席なので、正座が苦手な方でも心配ありませんと。

  Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO180 ) 露出補正 なし
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44.長谷寺山門を振り返る
やはり、「門かぶりの松」と長谷寺と書かれた赤い大きな提灯の山門は、鎌倉長谷寺の象徴的なアングルだと思う。拝観を終えて、退出するとき振り返ると、たまたま、人の姿がなくなった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO200 ) 露出補正 なし
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2018年7月14日

鹿野大仏と日の出山荘 6月23日

谷戸沢処分場の谷戸沢記念館で「日の出トマト」を買ったときに薦められた鹿野大仏へと向かう。
 谷戸沢処分場からはすぐ近くで、教えられた通り、日の出町役場に出て、圏央道の日の出ICの方へ行くと寶光寺の入り口があった。?駐車料500円を支払って車を止め、 ?鹿野山の麓にある?寶光?寺から十分ほど山道を登る。?拝観料は無料だった。?JR五日市線武蔵増戸駅から?歩くと約25分、武蔵五日市駅、青梅線福生駅からバス?を利用して?「塩沢秋川霊園バス停」下車、徒歩?5?分?のところにある?。
 日の出町平井の曹洞宗寶光寺に「鹿野(ろくや)大仏」が建てられたのは、今年(2018年)2月で、その新しい大仏様は4月11日から一般の参拝者向けの公開が始まった。 先代住職が布教を願って?40?年ほど前に建立を決意?し、?遺志を継いだ八坂良秀住職(?64?)が?5?年かけて完成させた。八坂住職は東日本大震災で修行時代の仲間を亡くしており、 「犠牲者を供養したいという思いが募り、建立を急いだ」と?語っている?。
  大仏の像高は約12mあり、11.3mの鎌倉の大仏を上回るという。横幅は約11mで台座などを含めた高さは約18m。青銅製で山形市で部品を鋳造し、寺に運んで組み立てられた。 銅合金で造られた大仏は、天日と雨風に曝されるうちにやがては緑青を発し、青緑色となる?という。
 ?拝観?者は?山ばかりの地域に急に名所ができた感じ?の、?眺望も?良く?、立派な大仏さ?まに感動?するようだ?。八坂住職は「訪れた方にほっとしてもらえるよう、お顔を優しい表情にした。観光面でも多摩地域全体が元気になるような拠点の一つに育ってくれれば」と期待を込めた?という?。?

?  鹿野大仏を参拝し、車に戻ったのがちょうど昼頃だった。そのまま、車で1983年(昭和58年)、?当時の?中曽根?首相?とロナルド・レーガンアメリカ合衆国大統領(当時)との首脳会談会場として使用され?た、日の出山荘に向かった。坂本というところから北西へ、北大久野川に沿って登って行くと左側に、日の出山荘入口の看板があった。
? ?  受付でいただいたパンフレットによると、この日の出山荘は中曽根康弘元内閣総理大臣の別荘で、昭和58年、レーガン元アメリカ大統領と世界の安全保障についての首脳会談「ロン・ヤス会談」が行われたところである。平成18年11月11日に中曽根氏から日の出町に寄贈され、歴史的意義と成果を永く後世に伝えるため翌年11月11日に記念館として一般公開が始められたとあった。

?14.?鹿野(ろくや)大仏  -1
寶光寺本堂へのお参りは失礼して、その先の駐車場に車を止めた。小雨が降っている。鹿野大仏への坂道をゆっくりと登っていくと、鹿野大仏の姿が見えてきた。鹿野は「ろくや」と読む。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 17mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
15.鹿野大仏のお顔
目長0.8m、耳長2m、口長0.8m というお顔はニュース番組などでイケメンと話題になっているとのこと。 大きな耳たぶが印象的だった。大きく垂れていて、ピアスの穴のようなものも見える。この穴は「耳朶環状」という仏の身体的な特徴の1つで、かつてお釈迦様が王子だったころに豪華で重たいイヤリングをしていたために空いたものという説があるそうだ。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 90mm ISO250 ) 露出補正 なし
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16.鹿野大仏 -2
台座があるところへ到着した。同じ露座の大仏である鎌倉長谷の大仏より、やや大きいとのことだが、そうは感じなかった。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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17.鹿野大仏 -3
正面に回ってお参りをした。施工 株式会社翠雲堂、仏師(仏像を制作する人)は渡邉雅文、鋳造 鈴木鋳造所による大仏本体は、なかなか上品な姿だった。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
18.日の出町一望
大仏様も日の出町を眺めている。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 21mm ISO160 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
19.鹿野大仏 -4
駐車場に戻る途中から見上げる大仏様は、傍で見るより大きく、立派に見えた。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 35mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
20.日の出山荘へ
鹿野大仏の駐車場から車で15分くらい走っただろうか。坂本という交差点を左に入って川に沿って進むと、左側に日の出山荘入口の看板があった。そこから日の出山荘までの道は車1台が通れるほどの道だった。日の出山荘の駐車場に車を止める。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/125秒 34mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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21.日の出山荘 中曽根康弘・ロナルド レーガン 日米首脳会談記念館
中曽根康弘元内閣総理大臣の書による大きな看板があった。この先から入って受付をする。この日の見学者は少なかった。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
?プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/160秒 32mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
22.日の出山荘へ入る
受付で65歳以上200円の入館料を支払って、中に入る。受付の方に、中曽根元総理はおいくつになられましたかと聞いたところ、今年の5月で100歳を迎えられたそうだ。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/250秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
23.青雲堂
左手に古民家風の古い建物があった。青雲堂と呼ばれる。パンフレットによれば、昭和58年11月11日、12時過ぎに山荘に到着したレーガン大統領夫妻に、青雲堂の囲炉裏を囲み中曽根首相が自ら抹茶を立ててもてなした場所だそうだ。この青雲堂はもともと、長井義一という人の自宅で、寛永3年(1850年)頃に建てられたという。昭和37年に中曽根氏が購入し、離れ座敷として改修したそうだ。案内板には、故郷 高崎市にある政治運動の拠点「青雲塾」から名付けられたとあった。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
24.青雲荘 座敷
座敷の戸は閉まっていたが、そっと引いてみたら、開けられた。「波静太平洋」のと書かれた額が掛けれたいた。中曽根元総理の書のようだ。まさに日米会談にふさわしいというところか。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/60秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
25.青雲堂 居間
右側の玄関に行くと、ここは開いていた。自在鉤のある居間には、そうそうたる顔ぶれの方々が、杯を上げている写真が置かれていた。日米会談の日、ここ日の出山荘「青雲堂」では、囲炉裏を囲んで中曽根氏自らお茶を振舞ったと言う。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/60秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
26.天心亭 
天心亭は昼食後中曽根首相とレーガン大統領が日米友好協力、世界の安全保障について、「ロン・ヤス会談を行った歴史的な場所である。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
27.天心亭を守るシーサー
当初は青雲堂だけだったが、秘書や運転手などお付の人も宿泊が必要となり、天心亭は後に中曽根夫妻の居間・寝室として建てた茶室だそうだ。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/250秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
28.天心亭 居室
中曽根氏はここで俳句、座禅、読書、ラジオといった趣味を楽しみ、必ず寝泊まりをしていたそうだ。天心亭は明治の美術家 岡倉天心から由来しているとのこと。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/160秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
29.書院 玄関
平成元年に建てられた迎賓館だそうだ。したがって、ロン・ヤス会談の時にはなかった。総理退任以降、政治経済界の要人との会談も増えたこともあって、建てたという。海外出張前には月に2、3度来て、人に左右されずに事前勉強していたそうだ。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
30.書院 展示
レーガン大統領夫妻との写真や、総理大臣時代の各国首脳との写真、日の出町を訪れたゴルバチョフ元ソヴィエト連邦大統領夫妻の写真など、各国来賓や日の出山荘での中曽根首相の写真など、約50点、書画7点、各国首脳からの贈答品等が展示されていた。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
31.書院の窓から
雨が降り、しっとりとした新緑の緑が洗われていた。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
32.書院 客間
ベランダに面して大きな客間があった。ソファに座って写真も撮らせていただいた。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
33.書院 食堂
客間の隣には食堂があった。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/125秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.書院 各国首脳からの贈り物
2階への階段を上がっていくと、各国からの贈答品が飾られていたが、どなたからの贈り物かはよくわからなかった。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/200秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
35.書院 居間 -1
「心気堂々」という書が掛けられていて「甲子晩秋 康弘」との銘があった。wikipediaを見ると、「西暦年を60で割って4が余る年が甲子の年となる。」とあった。 甲子とは1984年のことか・・・
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
36. 書院 居間 -2
部屋には立派な碁盤が置かれていた。ここは掘りごたつになっているのだろう。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO2000 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
37.書院 書斎
庭の緑に面して机が置かれた書斎。ここで心休まる時間を過ごされたのだろう。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/160秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
38.書斎 青年代議士時代の自画像
書斎には青年代議士時代の自画像があった。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
39.天心亭の佇まい
書院を退出して入口へと戻る。ロン・ヤス会談が行われたのは、このこじんまりとした建物だったのだ。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO2000 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
40.書院を振り返る
歴史のあるホテルを思わせるような建物だった。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO1600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
41.小さな池
天心亭と青雲堂の途中に、小さな池があった。小さいながら真っ赤な鯉が泳いでいる。右側の樹には何か白い綿のようなものが付いている。モリアオガエルの泡巣(卵)かもしれないが、確認しなかった。 モリアオガエルは東京都準絶滅危惧に指定されている。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
42.半鐘
入館するときは気が付かなかったが、これは1996年5月27日、韓国 の全斗煥大統領から贈られた友好の半鐘だった。
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SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。

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2014年11月30日

2泊3日の四国駆け足ツアー 11月17日~19日 (1)金刀比羅宮参拝


  今年9月に友人夫妻と日光へ行った時、四国ツアーの話が出た。友人夫妻はすでに行かれていて、金刀比羅宮の石段の話など、興味ある話を聞かせていただいていた。
  毎月、旅行社から送られてくるブックレットの中に、「四国たっぷり20景めぐり3日間」というのがあった。2泊3日で、金刀比羅宮、四万十川、足摺岬、桂浜、祖谷・大歩危などを巡るツアーだ。20景の中には車窓から眺める高松城や高知城も入っているのだが、バスで目一杯見て歩くコースだ。行ってみようかということになり、申し込んでおいた。ところが申し込んだ旅行社から参加者申込者が少なく、不催行の通知が届いた。改めて、他の旅行社のブックレットを探すと、同じ日程で同じようなプランが載っていた。催行を確認して申し込んだ。

  第1日目は、羽田8:55発のANA281便で徳島へ飛び、空港で待っていたバスに載せられて、琴平へ行く。讃岐うどんの昼食を食べて、ガイドに引率され、金刀比羅宮へ向かう。途中、金丸座という劇場の外観を見学し、大門へ出る。この間、参道を通らず、迂回した。そこは道が狭く、土産物屋が並び、階段がきついので、高齢者の多いツアーでは避けているようだ。金刀比羅宮は御本宮まで上がった。その先まだ、奥社まで、583段の階段(約20分という)があるのだが、ツアーでは、ご本宮までだった。参道入り口から、ご本宮までは785段、奥社までは全部で1368段ある。

  バスに戻り、松山道を走って、道後温泉を車窓から眺め、今夜の泊りである奥道後温泉へ向かった。奥道後温泉は、道後温泉と違い何もないところだったが、温泉はとてもよく、のんびりすることが出来た。
  第2日目は宇和島、四万十川から足摺岬へ行く。

1.和歌山県上空
久しぶりにANAに乗った。途中、中部国際空港センチュリアと思われる滑走路を見下ろすことが出来た。ここは、和歌山県上空らしいが、どこを飛んでいるかはわからない。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 30mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
和歌山県上空;クリックすると大きな写真になります。
2.高松道(車窓)
徳島空港で待ってくれていたバスに乗り込む。バスは空港を出て、間もなく高速道へ上がった。鳴門JCTで高知方面に向かう高知道と別れて、高松道を進む。この日、私たち2人のバスの指定席は最前列だった。

Canon IXY 30S f2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/100秒 13mm ISO200 ) 露出補正 なし
高松道;クリックすると大きな写真になります。
3.金刀比羅宮 参道入り口
左端に「大門まで365段」の文字が見える。石段登りはここからスタートする。さすが讃岐うどんの本場であり、うどん屋が並んでいる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 52mm ISO320 ) 露出補正 なし
金刀比羅宮 参道入り口;クリックすると大きな写真になります。
4.老舗うどん屋
参道を入ったすぐのところに、古い日本家屋の「本家とらや」といううどん屋があった。「本家とらや旅館」という看板も上がっている。この虎屋という旅館だった建物は、築400年と言われ、江戸時代から創業三百数十年という老舗旅館だったそうで、かつては昭和天皇や皇室御用達の宿だったと言われる。2階高欄に見える彫刻は手が込んでおり、歴史と風格を感じさせる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 35mm ISO500 ) 露出補正 なし
老舗うどん屋;クリックすると大きな写真になります。
5.石段かご
金刀比羅宮の石段は、特に石段下から、境内となる大門までの365段までが急峻だそうだ。そこまでを全国唯一の登山かごに乗って行くことができる。2人の男性が担いでくれるが、料金は上りが5,300円、下りは3,200円、往復では6,500円で、体重制限100kgだそうだ。子供は2人で乗ることもできる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 60mm ISO280 ) 露出補正 なし
石段かご;クリックすると大きな写真になります。
6.金丸座
大門への石段が始まる手前を左へ入り金丸座へ行く。金丸座は旧金毘羅大芝居と言い、現存する日本最古の芝居小屋だそうだ。完成は天保6年(1835年)で収容人員は740人である。「金丸座」の名称は明治33年につけられた。昭和45年に国の重要文化財に指定され、昭和47年から4年間の歳月をかけて現在の場所に移築し復元された。平成15年に復原及び耐震構造工事(平成の大改修)が行われている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 30mm ISO320 ) 露出補正 なし
金丸座;クリックすると大きな写真になります。
7.讃岐富士
金丸座から眺める讃岐富士。讃岐富士とは、丸亀市と坂出市の境に位置する標高422mの飯野山のことだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 116mm ISO200 ) 露出補正 なし
讃岐富士;クリックすると大きな写真になります。
8.大門手前
参道の入り口から金丸座の方へ迂回したが、ここでまた参道に戻った。ご本宮まであと491段とある。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 24mm ISO280 ) 露出補正 なし
大門手前;クリックすると大きな写真になります。
9.大門
参道入り口から、365段上がったところに神域の総門である大門がある。大門は1650年、初代高松藩主で、水戸光国の兄である松平頼重候から寄進された。二層入母屋造・瓦葺であり、楼上に揚げられた「琴平山」の額は、有栖川宮熾仁親王の筆だそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO360 ) 露出補正 なし
大門;クリックすると大きな写真になります。
10.青銅の鳥居
参道にはいくつもの鳥居があるが、大門から続く石畳の参道を上がって行くと、この青銅の鳥居があった。この先に桜馬場西詰銅鳥居という大きな鳥居があるが、この写真の鳥居は何と呼ばれている鳥居かわからなかった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 140mm ISO360 ) 露出補正 なし
青銅の鳥居;クリックすると大きな写真になります。
11.書院
桜馬場西詰銅鳥居をくぐって、石段を上がっていくと右側に、秋の特別展 ー 若冲邂逅が開催されている書院に入る社務所門があった。書院は入母屋造、檜皮葺で、萬治年間(1658-1660)の建築。円山応挙による「鶴の間」「虎の間」「七賢の間」「山水の間」の障壁画とともに、重要文化財に指定されている。円山応挙の障壁画はすべて、応挙晩年にあたる天明から寛政年間にかけての秀作であり、三井家から資金援助を得て京都で制作したといわれている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO720 ) 露出補正 なし
書院;クリックすると大きな写真になります。
12.旭社
大門からさらに264段上がって来たところに旭社があった。ここが本宮かと思うほど立派な建物だ。旭社は 天保8年(1837年)に建立された銅瓦葺の二層入母屋造の建物で重要文化財である。全体に多くの美しい彫刻がなされている。神仏分離以前の松尾寺の金堂であり、Wikipediaによれば、そのあまりの豪華さに江戸時代に参拝した森の石松は本堂と誤り、ここへの参拝のみで帰ってしまったと伝えられているとあった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 100mm ISO560 ) 露出補正 なし
旭社;クリックすると大きな写真になります。
13.本宮拝殿
大門から420段、旭社から156段上がって、象頭山の中腹に鎮座する本宮に着いた。海抜251mに位置し、本殿・幣殿・拝殿は全て檜材が用いられ、檜皮葺の大社関棟造だそうだ。かつて伊勢神宮のお蔭参り、京参り、とともに庶民の三大行事の一つとして賑わったもう一つの庶民の大行事が金毘羅参りで、現在の金刀比羅宮をお参りすることを言う。金刀比羅宮の由縁には、二つの説があるそうだ。まず一つは、大物主命が象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社から始まり、本地垂迹説本地垂迹説(神仏習合思想の一つ)により仏教の金毘羅と習合して金毘羅大権現と称したとする説。そしてもう一つが、象頭山にあった真言宗の松尾寺に金毘羅を祀った鎮守社があり、修験道の役小角が、象頭山に登った際に、金毘羅の神の霊験に遭ったのが金毘羅大権現とされるという説があるそうだ。明治維新後の神仏分離・廃仏毀釈により金刀比羅宮となり神道の神社となった。主祭神は大物主命、相殿に崇徳天皇を祀っている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 22mm ISO1400 ) 露出補正 なし
本宮拝殿;クリックすると大きな写真になります。
14.琴平市街と讃岐富士
本宮の北東側は、高台に造られた広い展望台になっている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 42mm ISO400 ) 露出補正 なし
琴平市街と讃岐富士;クリックすると大きな写真になります。
15.本宮本殿
1878年に再建された桧皮葺、大社関棟造りの本殿は大物主神と崇徳天皇を祭る。神様は正面から写してはならない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 66mm ISO3200 ) 露出補正 なし
本宮本殿;クリックすると大きな写真になります。
16.三穂津姫社神饌殿と灯籠
本宮から、三穂津姫社まで南北に渡っている南渡殿という、長さ約40m、屋根は檜皮葺の長い廊下がある。その明治11年(1878年)に建てられた南渡殿の南端に三穂津姫社がある。本宮の御祭神である大物主神の后にあたる、高皇産霊神の御女、三穂津姫神が祭られているそうだ。三穂津姫社の向かって右側に三穂津姫社神饌殿が隣接する。青銅の灯籠は讃岐守が寄進したとされる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 45mm ISO1250 ) 露出補正 なし
三穂津姫社神饌殿と灯籠;クリックすると大きな写真になります。
17.神馬とスクリュー
我々のツアーは本宮までである。ガイドさんの案内で下り始める。桜馬場西詰銅鳥居の右側に広くなったところがあり、奥には厩があった。厩では、神様がお乗りになるための馬「神馬」を飼養している。その白い馬が運動をさせられていた。また、金刀比羅宮は海の守り神として、船乗り、漁業従事者、海運や海事関係者などによって崇められ、全国津々浦々からの参拝者で賑わうという。広場には画像のような巨大な舶用スクリュープロペラも奉納されている。1994年(平成6年)9月に奉納された大きさ直径6m、重量19.2トンある、自動車(5,000台)運搬専用船向けのプロペラ(真鍮製)と記されていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 42mm ISO500 ) 露出補正 なし
神馬とスクリュー;クリックすると大きな写真になります。
18.裏参道 -1
帰り道は裏参道だ。旭社の下の社務所門の階段を降りたところを左に入る。高橋由一館の前を通って静かな道をいくと、紅葉もなかなかきれいだった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 80mm ISO1400 ) 露出補正 なし
裏参道 -1;クリックすると大きな写真になります。
19.裏参道 -2
このあたりは常磐森と呼ばれているようだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO4000 ) 露出補正 なし
裏参道 -2;クリックすると大きな写真になります。
20.松山、道後・奥道後温泉へ(車窓)
バスにたどり着いたのは、午後3時ごろだった。松山自動車道を松山市へと向かう。距離は100km位あるのだろうか。松山に着いたのは4時半だった。松山市内には、伊予鉄道の路面電車が走っている。2002年から運用開始された低床車両とクリーム色とオレンジ色に塗り分けられた従来からの主力車種とが並ぶ。将来は松山空港まで延伸させようとの計画があるようだ。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/25秒 30mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
松山、道後・奥道後温泉へ;クリックすると大きな写真になります。
21.道後温泉(車窓)
バスは、道後温泉の脇を通る。道後温泉は、「日本書紀」にも登場するわが国最古の温泉だそうだ。道後温泉のシンボル「道後温泉本館」は、本館上にどっしりとした構えの振鷺閣があり、伝説の白鷺を据え、毎朝6時に太鼓の音で開館を告げるなど、歴史ある温泉情緒がある。車窓からの撮影で、振鷺閣まで入れた良い構図で撮れなかった。バスは、この日泊まる奥道後温泉まで行く。宿は「ホテル奥道後」がリニューアルされ、「奥道後壱湯の守」と名前が変わった1軒しかない。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/125秒 30mm ISO1600 ) 露出補正 -0.3段
道後温泉;クリックすると大きな写真になります。


2014年9月21日

足利から渡良瀬渓谷沿いに日光へ 9月11日~12日 (1)足利学校 9/11


 年に一、二度、一緒に旅行をしている友人ご夫妻と奥日光湯元温泉に行った。第1日目は、足利学校、鑁阿寺(ばんなじ)など、足利を観光する。そのまま、渡良瀬渓谷を日光へ出て、いろは坂から中禅寺湖へ上がり、奥日光湯元に一泊するドライブ旅行だ。宿泊は休暇村日光湯元。

 2日目は、赤沼から低公害バスに乗り、千手ヶ浜、小田代ヶ原を巡る。
 気がかりは天候だったが、天気予報の通り、1日目の9月11日は不安定な天気で、足利では短時間ではあったが、強い雨に襲われた。しかし、2日目は快晴。とてもさわやかな日になったのだ。

 夏に比べるとこの時期は観光客は少なく、ゆっくりと楽しむことができた。
  しかし、この旅行で、ひとつ失敗をしてしまっていた。今回はほとんどをD5300で撮ったが、絞り優先オートで、いつもの通りf6.3に設定していたのだが、足利で雨に降られたりして、カメラを拭きながらの撮影となった時に無意識にコマンドダイアルに触れてしまい、f6.3からf7.1へ、さらにf10、f11と動かしてしまっていた。2日目もf11になったままなのに気がつかず、最後はf14で撮っていた。まったくの初歩的で、不注意なミスだ。 撮影では、インフォ画面を確認せずにファインダーを覗いてしまっている。ファインダー内にもf値は表示されるのだが、構図を作るのに夢中になり、見ていない。気を付けなくてはいけない。風景の写真では多少絞り込まれても、ISO感度が上がることがあるのを除けば、それほど問題は感じなかったが、蝶の撮影は、たとえばf14で撮るとボケがきれいにならない。反面、被写界深度が深くなって、蝶全体がシャープに撮れるということもあった。

 足利ではまず、一番の目的であった日本最古の学校、国指定史跡である足利学校へ行った。足利学校の創建については、奈良時代、平安時代などの説があるが、歴史が明らかになるのは、室町時代の上杉憲実が現在国宝に指定されている書籍を寄進し、庠主(しょうしゅ)(学長)制度を設けるなどして学校を再興したころからだそうだ。天文18年(1549年)にはフランシスコ・ザビエルにより、日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学と世界に紹介され、「学徒三千」と言われるほどになったとパンフレットに書かれている。
方丈で小学生だろうか、子供たちが論語の素読をしていたのが印象に残った。

1.入徳門
足利学校へはこの入徳門から入る。門をくぐると右手に受付がある。入場券には「日本最古の学校 足利学校入学証」と書かれていた。入学金@420円を納め中に入る。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 45mm ISO1000 ) 露出補正 なし
入徳門;クリックすると大きな写真になります。
2.學校門
入徳門からまっすぐに學校門が見える。「學校」と掲額された足利学校の象徴的な史跡だ。寛文8年(1668年)の創建だそうだ。足利学校のシンボルとして今に継承されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 66mm ISO640 ) 露出補正 なし
學校門;クリックすると大きな写真になります。
3.孔子像
學校門に向かって歩いていくと左側に孔子の像があった。この孔子の像はどこかで見たことがあると思った。思い出した。2011年1月に、湯島天神から御茶ノ水のニコライ堂へ歩いたが、そのときに寄った湯島聖堂で見たのだった。湯島聖堂にも入徳門がある。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 27mm ISO500 ) 露出補正 なし
孔子像;クリックすると大きな写真になります。
4.正一位霊験稲荷社
孔子像の先、左側に稲荷社があった。正一位霊験稲荷社といい、縁起が書かれた説明札には、「足利学校第七世庠主 玉崗瑞與(ぎょこうずいよ)(九華)が書いた天文23年(1554年)9月の棟札に、足利学校の鎮守である稲荷大明神が、年代が古く神体・社殿ともに破損しているので、あらたに神体を造立し、社殿を造営し、八幡大菩薩を合せ祀ったとあるから、稲荷社の創建は天文23年(1554年)よりかなり時代がさかのぼると思われる。(中略)社殿は天文23年(1554年)創建当時のものと思われるが、明和9年(1772年)あらたに梅や竜などの彫刻を社殿にとりつけた。(攻略)・・・」と記されていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 45mm ISO800 ) 露出補正 なし
正一位霊験稲荷社;クリックすると大きな写真になります。
5.學校門
學校門は寛文8年(1668年)の創建だそうだ。足利学校のシンボルとして江戸、明治、大正、昭和そして平成へと継承されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 32mm ISO1000 ) 露出補正 なし
學校門;クリックすると大きな写真になります。
6.杏壇門
學校門を抜けると正面に杏壇門が見え、その奥に孔子廟が見える。杏壇門は學校門と同じく寛文8年(1668年)の創建。明治25年(1892年)に、街の大火の飛び火により、屋根門扉が焼け、堂30年代に再建したものだそうだ。杏壇とは孔子が弟子たちを教えたところに、杏の木が植えられていたことに由来するのだそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO560 ) 露出補正 なし
杏壇門;クリックすると大きな写真になります。
7.杏壇門の扉
杏壇門の左右の扉には彫刻が施されていた。どのような意味があるのかはわからない。湯島聖堂にも杏壇門があった。その扉にはどんな彫刻がなされていたかは覚えていない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO640 ) 露出補正 なし
杏壇門の扉;クリックすると大きな写真になります。
8.孔子廟
寛文8年(1668年)、徳川幕府4代将軍家綱の時に造営されたもので、中国明時代の聖廟を模したものと伝えれている。孔子廟(聖廟)は大成殿という。湯島聖堂の大成殿は元禄時代、5代将軍徳川綱吉によって建てられた孔子廟である。孔子の座像がある中は暗く、絞りはf7.1に動いてしまっていたが、それはともかくとして、ISOは6400、1/60秒のシャッタースピードになっていた。D5300のISO6400はこんな時に助けられる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/60秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
孔子廟;クリックすると大きな写真になります。
9.方丈で勉強する子供たち
孔子廟から一旦杏壇門を外に出て、左手に行くと、方丈があるが、子供たちの論語の素読の声が聞こえてきた。方丈とは学生の講義や学習、学校行事や接客のための座敷として使用されたところだそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 62mm ISO1250 ) 露出補正 なし
方丈で勉強する子供たち;クリックすると大きな写真になります。
10. 庫裡
方丈に続いて庫裡がある。ここはいわば学校の台所で、食事など日常生活が行われたところだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 18mm ISO450 ) 露出補正 なし
 庫裡;クリックすると大きな写真になります。
11.宥座の器
庫裡の前に「宥座の器」というのがあった。宥座(ゆうざ)とは、常に身近に置いて戒めとするという意味で、孔子の説いた「中庸」ということを教えるものだそうだ。壺状の器に水が入っておらず空の時は傾き、ちょうど良いときはまっすぐに立ち、水をいっぱいに入れるとひっくり返ってこぼれてしまう。孔子は、「いっぱいに満ちて覆らないものは無い。」と慢心や無理を戒めた。これは館林市在住で、鍛金の伝統技法の伝承に努め、平成11年に国の「現代の名工」に選ばれている針生清司さんから平成24年4月21日に寄贈されたそうだ。最近のものである。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 23mm ISO1250 ) 露出補正 なし
宥座の器;クリックすると大きな写真になります。
12.論語の素読
先ほどの子供たちである。方丈と庫裡から書院へ渡る廊下から撮った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 27mm ISO5000 ) 露出補正 なし
論語の素読;クリックすると大きな写真になります。
13.方丈の縁から眺める北庭園
方丈の後ろ側にある縁から、北庭園を眺めることができる。方丈、書院から鑑賞するように作られている。形式は方丈の表にあった南庭園と同じく築山泉水庭だ。向こうに見えるのは孔子廟だ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 24mm ISO1600 ) 露出補正 なし
方丈の縁から眺める北庭園;クリックすると大きな写真になります。
14.書院
庠主の書斎である。庠主の接客や学生の個人教授が行われたところという。座敷飾り(床、棚、付書院)の付く上の間(向こう側)と次の間(手前)からなる座敷、縁側、雪隠で構成されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/60秒 22mm ISO6400 ) 露出補正 なし
書院;クリックすると大きな写真になります。
15.庫裡にあったかまど
大きな釜だ。これで学生たちの飯を炊いたのだろう。庫裡から外に出ようとするとポツンポツンと雨が降ってきた。書院の案内をしてくれた女性がビニール傘を全員分貸してくださった。後で駐車場で返せばよいという。ありがたい。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/100秒 32mm ISO6400 ) 露出補正 なし
庫裡にあったかまど;クリックすると大きな写真になります。
16.旧遺蹟図書館
書院を見学したあと、衆寮、木小屋、土蔵などを見て、孔子廟の裏を通って進むと、歴代庠主の墓が並んでいた。明治2年に足利学校が藩校になるまで、430年間にわたり、23代の庠主がいた。庠主の墓は全部で17基あり、そのうち8基には文字が刻まれていて、誰の墓かわかるが、残りの9基は不明とのこと。そこから學校門へ戻る途中にこの旧遺蹟図書館があった。足利学校が廃校になった以降、明治36年(1903年)に遺蹟図書館が開設され、書物を継承し現在に引き継がれている。この建物は大正4年(1915年)に建てられたもので、市重要文化財に指定されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 30mm ISO3200 ) 露出補正 なし
旧遺蹟図書館
17.學校門を退出
學校門を出て、振り返ると杏壇門、そして孔子廟が見える。眺めが良かった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 30mm ISO2200 ) 露出補正 なし
學校門を退出;クリックすると大きな写真になります。
18.學校門の眺め
學校門を構図を変えて撮った。足利学校のシンボルである。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 35mm ISO1100 ) 露出補正 なし
學校門の眺め;クリックすると大きな写真になります。