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2022年4月11日

高野山 墓参 3月28日

3日目。娘は昨日、仕事で東京へ戻ってしまったが、娘の主人が私たちの高野山墓参に付き合ってくれた。私の兄が存命の頃は、3年に1回、親族が高野山に集まる機会があったが、9人いた父親の兄弟も高齢になり、その集まりも終了した。
 その後も数年に1回、父母、兄夫婦の眠る高野山へお墓参りに来ている。前回来たのは2018年11月だったので、3年と4か月ぶりの墓参になった。
 京阪電車、祇園四条駅発6時37分の特急に乗り淀屋橋で地下鉄御堂筋線に乗り換え難波へ出た。南海高野線の特急こうや号は8時42分発だ。駅構内でカフェに入りモーニングセットを食べたが、なかなか美味しかった。
 特急こうや号の車両は新しくなっていた。(ところが後で調べてみたところ、実は30年前に造られた車両だった)終点の極楽橋から高野山へ上るケーブルカーも新型の車両になっていた。難波駅で購入した特急券に高野山でのバスのフリー切符が付いていたので、ケーブル高野山駅からバスに乗り、まず、菩提寺である恵光院へ行った。今日は月曜日で観光客は少ない。
 恵光院の本堂で位牌にお参りした。過去帳には私がお参りした記録も残されている。  家内が昨年10月にアキレス腱を損傷し、歩行が完全ではないので、いつもは歩いて石畳の杉並木を歩き、中の橋のちょっと手前にある先祖代々の墓にお参りするのだが、今回は恵光院でタクシーを呼んでもらい、中の橋のバス停まで乗って行った。そこから、杉並木の奥の院参道に戻り、その中の橋の近くにある墓にお参りした。  杉並木の石畳を歩き、再び恵光院に戻り、タクシーを呼んでもらう。娘の小学校の同級生の母親で、家内と今も付き合いのあるかたの、若くして亡くなられた息子さん(娘の同級生)の菩提寺、正智院まで行ってお参りしてきた。
 本堂でお参りしたあと、その庭園と襖絵、掛軸など寺の素晴らしい所蔵品を見せていただいた。正智院の記述については、平成29年7月7日に発行された「霊訪館だより」に鳴海祥博氏が書かれている「高野山の古建築 第27回 正智院」を参照させていただいた。
 今回は奥の院も、金剛峯寺にもお参りはしなかった。  午後1時半になった。高野山駅へ行くバスの停留所の近くの食堂に入りそばを食べ昼食にした。この季節、高野山は肌寒い。桜もまだ咲いていない。朝早かったこともあり少々疲れた。
 帰りの特急こうや号は、15時39分迄ない。新大阪に着いたのは夕方6時近かった。

000_220328441 X700 〇高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg
高野山参道 奥の院への杉並木 2022年3月28日 和歌山県

001_220328065 X800 南海高野線 G7X.jpg 1.特急こうや号 車内
この日は月曜日であり、電車はガラガラだった。南海高野線のこうや号はJR和歌山線(王寺~和歌山)と接続する橋本駅から先は勾配が大きく、単線になる。橋本駅 -極楽橋駅間は「こうや花鉄道」の愛称が付けられ、特に高野下駅以南は50‰の勾配、制限速度33km/h、半径100m以下の急カーブが続く登山鉄道となっており、21m級の車両は走行できないため、この区間に乗り入れる列車にはズームカーと呼ばれる17m級の中型車両のみが使用されている。(wikipediaを参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
002_220328072 X800 南海高野線 極楽橋駅 G7X.jpg 2.高野山ケーブル
南海高野線の終点極楽橋駅から霊峰高野山の玄関口であるケーブル高野山駅までを結ぶ、南海電気鉄道のケーブルカー路線は通称高野山ケーブルと呼ばれるが、前回来たときに比べると車両が新しくなったようだ。2018年(平成30年)11月26日 - 2019年(平成31年)2月28日:車両の新造ならびに諸設備の更新工事実施のため運休し、その間バスで代行され、2019年(平成31年)3月1日:運行再開。車両は新造の4代目のN10・20形に置き換えられたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし
003_220328493 X800 高野山 恵光院 本堂 Z50 18-140.jpg 3.恵光院本堂 外観
ケーブルの高野山駅からバスに乗って苅萱堂前で下り、まず、菩提寺である恵光院へ行った。高台にある本堂へ上がり、位牌に参拝する。この本堂は平成3年に近藤説巌上綱により再建された。昨年、第53世近藤大玄上綱が亡くなられ、現在は近藤説秀さんが住職を務められている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 40mm ISO160 ) 露出補正 なし
004_220328080 X800 恵光院 本堂 G7X.jpg 4.恵光院本堂 内部
若いお坊さんが過去帳を開いてくれた。そして、お祀りされていた位牌をご本尊様の仏像の前に配してくれたので、お参りする。ご本尊様は、中央に阿弥陀如来、向かって右に弘法大師、左に不動明王が祀られている。左手に置かれているのは、昨年亡くなられた近藤大玄上綱のお写真。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f2.5 1/320秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
005_220328082 X800 恵光院 G7X.jpg 5.恵光院 玄関から本堂への廊下
恵光院は宿坊をしており、今はコロナ禍で泊る人も少ないだろうが、世界遺産に登録された後、外国人の客が多いようで、案内板に英語が添えられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
006_220328439 X800 高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 6.写真業界先賢萬霊の碑
中の橋バス停から、大きな杉の木の立ち並ぶ奥の院への石畳の参道へと歩く途中に、写真業界先賢萬霊の碑というのがあった。昭和31年(1956年)6月1日建立。たくさんの写真が焼き付けられている。写真業界先賢萬霊の碑と彫られた石碑の形はブローニー版のパトローネの様だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 40mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_220328447 X800 〇高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 7.中の橋
昭和27年に第二次世界大戦の戦死者を供養するために建てられた、英霊殿を背にして歩いてくると、右は奥の院弘法大師御廟、左は一の橋という案内板が立つ大きな杉の木の建ち並ぶ奥の院への石畳の参道に出る。この日は奥の院へお参りするのを割愛させていただき、墓参を優先させて左に行く。中の橋が見えてきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 40mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220328449 X800 〇高野山 中の橋 姿見の井戸 Z50 18-140.jpg 8.姿見の井戸
中の橋を渡る手前の橋詰に汗かき地蔵をお祀りしているお堂があるのだが、 このお堂の右側に姿見の井戸と呼ばれる小さな井戸がある。 この井戸を覗きこんで、自分の顔が映らないと3年以内に死んでしまうといわれているのだそうだ。覗き込んでみた。映った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 なし
009_220328451 X800 〇高野山 中の橋 汗かき地蔵 Z50 18-140.jpg 9.汗かき地蔵
汗かき地蔵の説明板には、「汗かき地蔵は、常に人々の犯した罪に苦しみ、その苦しみを慈悲によって変わって受け、そのため汗を流しておられると言われています。黒っぽい石材に地蔵尊が半肉彫りされていて、実際にツユが吹いて汗が流れているように見えるときがあるようです。」と記されていた。高野山に伝わる伝承としては、奥の院への参拝者を含めた世の中全ての人々の罪を一身に背負って、代わりに汗をかいていると言われているそうだ。そしてこの地蔵堂と中の橋の向こうに、私の先祖代々の墓がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO720 ) 露出補正 なし
010_220328452 X800 高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 10.市川団十郎墓所
中の橋から一の橋へ参道を下がっていくと、市川団十郎の墓所があった。 「初代市川團十郎供養塔」と表示されている資料(「高野山奥の院の墓碑を訪ねて」)があるという。市川團十郎と云えば、約350年も続いているという成田屋の市川宗家であり、元禄17年(1704年)没。舞台上で役者に刺殺されたといわれている。初代が最初に眠っていた墓は、東京都港区芝公園にある常照院とされ、初代から七代目までは常照院に墓があったそうだ。九代目の市川團十郎は宗派を神道に改宗したために、亡くなった後はその公営の墓地がある青山霊園に建立された。今までの歴代團十郎が眠っていた墓地を青山霊園に移す事となり、歴代の團十郎は青山霊園で合墓となったという。では、この写真の市川団十郎墓所というのは何なのだろうか。放置されて荒れているようにも見えるが。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO800 ) 露出補正 なし
011_220328469 X800 〇高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 11.杉並木の石畳
一の橋から奥の院御廟までの参道約1.6kmの両側にそびえ立つ樹齢約200年~600年の大杉林は、和歌山県の天然記念物に指定されている。大杉の総数は1300本を数え、樹高50m級の巨木もある。なかでも樹形材質共に優れた樹木を保存し、優良な種子穂木を確保する目的で農林水産大臣が法律に基づき、特別母樹林に指定している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 28mm ISO450 ) 露出補正 なし
012_220328472 X800 高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 12.明智光秀墓所
私が知っている明智光秀の墓は、2020年11月に訪れた滋賀県大津市坂本にある西教寺である。NHKの大河ドラマにもある。しかし、一説に、本能寺の変のあと、山崎の合戦で討ち死にしたのは影武者であり、光秀は中洞(岐阜県山県市中洞)に落ち延びて荒深小五郎と名乗り、住んでいたと伝えられていて、その後、慶長5年(1600年)、関ケ原の合戦に参戦しようとした道中、増水した藪川(根尾川)で馬共に流されて亡くなったとされているそうだ。中洞白山神社の林の中に光秀の墓とされる「桔梗塚」があり、現在まで地元の荒深氏一族によって大切に守り続けられ、年に2回供養祭が行われているそうだ。では、ここ高野山の墓所は何なのだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
013_220328475 X800 高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 13.石田三成墓所
すぐ近くに石田三成の墓があった。石田三成の墓は京都市の大徳寺三玄院にあるが、江戸時代は、徳川家が三成の墓を許さなかったようである。このため三成の墓は、土に埋められ、世の中に顔を出さなかっというが、戦前にはその墓が発掘されて遺骨も出土しているそうだ。高野山の墓は生前に長命祈願のために自身が建てた「逆修墓」だという説がある。なぜ、高野山にはこのような戦国武将の墓があるのだろうか。 和歌山歴史物語というサイトには、中には武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、伊達政宗といった戦国武将の墓もある。 これは高野山、しいては空海のそばで眠りたいとの先人たちの願いがこめられているという。高野山への納骨の風習は鎌倉時代から始まり、墓石として石造りの五輪塔が登場したのが室町時代末期。現在は江戸時代初期造立の諸大名の五輪塔が墓石群の中核となっている。これは徳川家康が高野山を墓提所と定めたため、諸大名がこぞって高野山に墓石を建てたことが大きな要因。結果、大名家の墓は110家にもおよび、その数は全国大名の約40%を占めるという。「高野山で眠りたい」という願いは一般庶民も同じ。そこで、素朴でこじんまりとした一石五輪塔を奉って願いを叶えたのだ。ほかに、織田信長、豊臣一族、明智光秀ら多くの戦国武将の墓も。皇族、貴族、大名、一般庶民と、生前の所業や敵味方は死後は一切関係なし。すべての人を等しく受け入れるのは高野山の懐の深さか。しかし、私の祖先が、なぜ高野山に墓所を持つことが出来たのだろうか? 菩提寺である恵光院の当時のご住職と、コネがあったからだと聞いたことがあるが、それ以上のことは次男坊の私にはわからない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
014_220328485 X800 〇高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 14.陽の光が差し込む杉並木
戦国大名の墓を見ているうちに一の橋が近くなった。差し込む陽の光に杉並木が生える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 47mm ISO900 ) 露出補正 なし
015_220328554 X800 〇高野山 正智院 Z50 18-140.jpg 15.正智院
若くして心臓病で急逝した娘の小学校時代の同級生が眠る正智院に寄った。母親同士が、その頃から今もお付き合いが続いている。正智院は、壇上伽藍の北側の奥にある静かなところだ。正智院は、天平年間(1110年~1113年)に正智坊教覚によって開基され、その中興の学僧・道範大徳は高野八傑のひとりであり、聖僧・学僧等が相次いで傑出し高野山でも屈指の学問寺院として、その法灯を守り続けた寺院という。筑前の黒田家、薩摩の島津家の帰信が厚い。本尊は阿弥陀如来。有名な国宝文館詞林 、不動明王、五銛鈴その他仏像、仏画・典籍を多数所蔵されている。岩山を背景に枯山水の庭園、客間の襖絵などを見せていただいた。ご住職がとても立派なお方だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
016_220328495 X800 〇高野山 正智院 本堂 Z50 18-140.jpg 16.正智院 本堂
ご住職にご挨拶して、まず御本堂でお参りをした。本堂は大楽院というお寺の本堂を移築したものだそうだ。そのため、右手の一段高い内陣の奥に大楽院の本尊が、左手の奥に正智院の本尊が祀られている。中は非常に暗かった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/8秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
017_220328498 X800 高野山 正智院 庭園 Z50 18-140.jpg 17.正智院の庭
実は前回、2018年11月にも正智院に参拝している。その時は紅葉の頃だったので鮮やかだったが、今の季節はちょっと殺風景なのは仕方がない。この庭は、重森三玲が作庭した苔と岩肌の美しい枯山水庭園で国登録名勝になっている。写真は庭のごく一部。いい写真が撮れなかった。昭和27年(1952年)に重森三玲が水墨画水面的な発想を基に作庭した。庭の正面に大きな岩山があるが、この「影向岩」(明神岩とも呼ばれる)という巨大な岩は道範大徳がこの場所で明神様(影向明神・高野明神)を感得したことから名づけられたと言われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
018_220328510 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 18.正智院の客殿
正智院の客殿は広くて立派だった。大きな客殿は襖で仕切られ、襖を開けば連続した座敷になる。庭園に面した客間の襖絵は谷文晁や、名のある絵師によって描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/60秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
019_220328521 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 19.正智院の大広間の襖絵 -1
部屋を取り囲むように、広間の襖に、正智院の枯山水の庭が描かれていた。ご住職が説明してくださったのだが、撮影に夢中になり、作家の名前を覚えておくことが出来なかった。襖絵には庭の春夏秋冬が描かれ、庭の正面の大きな岩山「影向岩」に降り立つ白い束帯姿の影向明神が描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/160秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
020_220328522 X800 高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 20.正智院の大広間の襖絵 -2
明神様の左側が描かれている。部屋の広さが推し量れる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/125秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
021_220328525 X800 高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 21.正智院の大広間の襖絵 -3
さらにひとつ襖をあけて下さり、見せていただいたのは、庭の秋が描かれた襖画だった。そして右側の襖に冬が描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/125秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
022_220328543 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 22.正智院 円山応挙の掛軸
右下に「應擧」の銘が見られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/100秒 24mm ISO6400 ) 露出補正 なし
023_220328570 X800 高野山 壇上伽藍 金堂 Z50 18-140.jpg 23.根本大塔と八角灯篭
正智院のお参りを終え、根本大塔の後ろ側から壇上伽藍に上がった。何回も高野山に来ているが根本大塔の内部に入ったことはなかった。今朝、難波駅で購入した特急こうや号の「高野山・世界遺産きっぷ」に、高野山内バスのフリー切符のほかに根本大塔の入場割引券が付いていたので、入って見ることにした。wikipediaによれば、根本大塔は何度かの焼失の後、現在の塔は1937年(昭和12年)に空海入定1100年を記念して再建したもので1階平面が方形・2階平面が円形の鉄筋コンクリート造の16間(約30m)四面・高さ16丈(約50m)の2層の多宝塔である。中尊(左右に脇立を従えて、中央に安置される仏像)は、丈六(立像のたけが一丈六尺=約5m ある仏像。座像では、その半分の高さの仏像)の胎蔵大日如来坐像、その中尊を取り囲むように、四方に金剛界四仏の、阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就の4如来を安置し、本来別々の密教経典に説かれている「胎蔵曼荼羅」の仏像と「金剛界曼荼羅」の仏像を一緒に安置するが、これは「金胎不二(こんたいふに)」の教えで、両者は不二一体である(根本的には1つ)という空海の思想を表したもので、堂内そのものが立体曼荼羅となっている。また塔内の柱16本には、十六大菩薩画像、壁面には真言八祖画像が堂本印象画伯によって描かれている。そして内部正面の梁には昭和天皇宸筆の勅額「弘法」が掲げられている。内部は撮影禁止であった。根本大塔の前にある「八角燈籠」は東大寺大仏殿の金銅八角燈籠(国宝)とよく似ている。楽器(横笛、尺八、鈸子、笙)を奏する音声菩薩(おんじょうぼさつ)が、鉄格子と唐草文様の透かしに浮彫で表されている。これは根本大塔の再建を記念して南海電鉄が奉納したものだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 29mm ISO220 ) 露出補正 なし
024_220328566 X800 高野山 壇上伽藍 御影堂 Z50 18-140.jpg 24.御影堂(みえどう)
私はこの建物の姿は美しいと思う。御影堂は金堂の北側、根本大塔の西側にある。wikipediaによれば、御影堂は大師の持仏堂として創建され、天保14年(1843年)の大火で消失し、弘化4年(1847年)再建、梁間15.1mの向背付宝形造檜皮葺。空海の弟子の真如親王筆とされる弘法大師御影を本尊とし、外陣には空海十大弟子の肖像が掲げられている。堂の背後には、土蔵造りの御影堂宝蔵があり、かつては数々の霊宝や貴重な文書を保管する金庫や宝物庫としての重要な役割を果たした。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO280 ) 露出補正 なし
025_220328590 X800 高野山 壇上伽藍 Z50 18-140.jpg 25.壇上伽藍入り口
いつもはここから根本大塔の方へ歩いて行くが、今回はここから出てきた。秋には道の両側の紅葉がきれいだ。壇上伽藍へ通じるまっすぐなこの道を蛇腹道と言い、高野山では紅葉のスポットとして有名である。蛇腹道という由来は、高野山全体の寺院の並びを、蛇に見立てた時、ちょうどこの壇上伽藍に通じる蛇腹道が、蛇のお腹のあたりなるので「蛇腹道」の名前が付されたという。それにしてもこの日は観光客が少ない。こんな静かな高野山は初めてだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO220 ) 露出補正 なし
026_220328593 X800 高野山 壇上伽藍 Z50 18-140.jpg 26.金剛峯寺
今回は金剛峯寺は参拝しないで失礼した。金剛峯寺は弘法大師が金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経の真意に基づいて名付けられた高野山の総称だったが、現在は高野山弘法大師御廟を信仰の中心として結成された高野山真言宗3600寺、信徒1千万人の総本山の名称として知られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO320 ) 露出補正 なし
027_220328096 X800 ケーブル高野山駅 G7X.jpg 27.ケーブル高野山駅
千手院橋バス停の傍で簡単に昼食をとり、バスに乗ってケーブル高野山駅へ向かった。極楽橋からの特急こうや号に接続するケーブルまで1時間ほど待たされることになった。帰りの切符は買ってなかったので、購入し、駅舎の外へ出てみた。駅の標高は867m。1930年(昭和5年)に高野山電気鉄道鋼索線開通と同時に開業し、2015年にリニューアルされている。国の登録有形文化財に登録されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
028_220328103 X800 ケーブル極楽橋駅 G7X.jpg 28.ケーブル極楽橋駅の天井
ケーブルカーが高野線に接続する極楽橋駅は2020年7月にリニューアルされていた。和歌山経済新聞に記事によると、駅名になった朱塗りの「極楽橋」は、高野山の聖域と俗世を区切る結界とされることから「はじまりの聖地、極楽橋」をコンセプトに、高野線側コンコースを「俗世」、ケーブルカー側コンコースを「聖域」に見立て、改装されている。南海高野線側コンコースは黒を基調とし、「いのちのはじまり」をテーマに極楽鳥や高野山ゆかりの動植物など約50種を天井画にした。写真のケーブルカー側コンコースは赤色と白色で構成する「宝来」と呼ばれる切り絵をモチーフに、極楽鳥や干支、縁起物が天井に描かれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
029_220328106 X800 〇ケーブル極楽橋駅 G7X.jpg 29.極楽橋駅に並んだ特急車両
改札がはじまって南海高野線のホームへ行くと、特急電車の車両が並んでいた。一番右側に見えるのが、来るときに乗ってきた最新の車両で、と言っても1992年11月から運用されている31000形。真ん中は1983年年5月に3代目「こうや」として誕生した30000形。左が橋本ー極楽橋の「天空」で高野線で1969年から運用されている2200系だ。一番新しい31000形でも今から30年前にできた車両だが古さを感じさせない。無事、新大阪から「ひかり」に乗って新横浜に着いたのは夜9時少し前だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし


2021年1月 3日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (8)比叡山 11/27

最終日、比叡山延暦寺へ向かう。初めてのところではないが、ほとんど覚えていない。
 wikipediaによれば、延暦寺は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院である。京都の鬼門に位置する。平安京(京都)の北にあったので奈良の興福寺に対し北嶺とも称されたそうだ。平安時代初期の僧・ 最澄 (767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。1994年には、古都京都の文化財の一部として、1200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受けユネスコ世界文化遺産に登録された。
  草津の宿を出発したバスは、双耳峰の比叡山を右手に見て進み、琵琶湖の南端に架かる全長1,290mの近江大橋を渡る。琵琶湖上の他の道路橋として、南側約3kmに瀬田川大橋(国道1号)があり、北側約19kmには初日に渡ってきた琵琶湖大橋(国道477号)がある。
 平成10年10月1日、2kmほど北の柳が崎から浜大津に移転した昭和9年開業の琵琶湖ホテルを右に見ながら進み、湖西街道(161号線)の大津京から比叡山ドライブウェイに入った。
 比叡山のバスセンター駐車場に着くと、ガイドさんの案内でまっすぐ根本中堂へ案内された、工事中の根本中堂でお坊さんの説話を聞き、退出後は文殊楼や大黒堂を見て歩いたが残念なことがひとつある。それは、すぐ近くにあった法華総持院東塔や阿弥陀堂などを見ず仕舞いだったことだ。事前学習の不足である。
 2019年12月3日に放送されたBS朝日の「ぶらり京都歴史深訪」・「比叡山 電車で訪れる聖地」という番組が、この正月2日に再放送されたのをたまたま見たが、このたび行って見て、自分のブログで整理し、この番組を見たことで理解が深まった。番組では「千日回峰行」「十二年籠山行」「四種三昧」といった比叡山の厳しい修行についても説明された。

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境内案内図および延暦寺パンフレットより
上:比叡山回遊案内図 下:東塔地域案内図

165.琵琶湖大津プリンスホテル(車窓から)
浜大津の近江大橋を渡る。対岸に比叡山を背景に琵琶湖大津プリンスホテルが見えた。丹下健三さんが設計したこのホテルは滋賀県で最も高いビルであり、ランドマークとなっている。 1989年(平成元年)4月22日に開業している。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
201126934_165 X800 3日目 草津→比叡山 近江大橋 G7X.jpg
166.琵琶湖ホテル(車窓から)
近江大橋を渡り京阪電車沿いに走る湖畔沿いの道を大津市の浜大津に入る。右手に大きなホテルが見えた。知らなかったが、昭和9年に建てられた、桃山風破風造を特徴とし、鉄筋コンクリートの近代的洋風建築でありながら社寺建築の様式を取り入れ、かって、滋賀県の迎賓館としての役割を果たした旧琵琶湖ホテルが平成10年にここに移転したのだそうだ。琵琶湖ホテルには、40年くらい前に高野山へ行った帰路、一度泊ったことがあるのだが、その名残は全くない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
201126937_166 X800 3日目 草津→比叡山 新しい琵琶湖ホテル G7X.jpg
167.京阪電車(車窓から)
京阪電車の踏切を渡って、比叡山ドライブウェイへ入っていく。この京阪電車石山坂本線は、瀬田の石山寺から比叡山口を結んでいる。この電車には昨年(2019年)2月に石山寺を参拝し、そこから日吉神社へ行くのに終点の比叡山口まで乗った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 24mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
201126939_167 X800 3日目 草津→比叡山 京阪 G7X.jpg
168.祖師御行績絵看板  「道元禅師(1200~1253)曹洞宗御開山」
比叡山のバスセンター駐車場に着いた。ここから根本中堂へと歩く。国宝殿を左に見ながら進むと右にカーブした緩やかな上り坂に差しかかる。その両側に写真のような絵が並んでいた。祖師御行績絵看板という。比叡山が、いかに日本の仏教に大きな影響を与えてきたかをPRすることが目的と思われる。806年に桓武天皇によって立教開宗が認められ、2006年で天台宗は開宗1200年を迎えた。この開宗1200年慶讃大法会に当たり多くの協賛を得て、比叡山を開山した伝教大師最澄を始めとする比叡山の高僧や比叡山から輩出された祖師たちの御行績絵看板が修復され境内に掲げられた。その中のひとつであるこの絵は、比叡山に学び、独自の宗派を興した多くの上人たちの一人で、中国に渡った道元が、中国の僧に日常の中での修行の大切さを教えられた場面と思われるこの絵は「道元禅師(1200~1253)曹洞宗御開山」と題され、禅師は求法のため中国に渡り、貞応2年(1223年)春4月、船は大陸の明州に着いた。禅師は船に留まって諸山巡拝の準備をしていた。そうしたある日、日本の珍しい椎茸を買いに一人の老僧が船を訪れた。聞けば名刹阿育王山の典座(雲水の食事を司る役)和尚とのこと、禅師は早速日本の知識を披露し中国仏法をたずねて引き止めたが、老僧「貴僧はまだ修行が文字の中でなく日常の中にあることを知らぬ」と云って早々に去ってしまう。道元禅師はただ慙愧発奮するのみであった。(大講堂堂内に御木像を安置)」と説明文があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels 絞り優先オートで撮影 ( f11 1/250秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127715_168 X800 比叡山 RX10M4.jpg
169.開運の鐘(世界平和の鐘)
延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域である東塔エリアに出る。昭和39年(1964年)に山麓の坂本の讃仏堂を移築した大講堂の前にあるこの開運の鐘(世界平和の鐘)は、1回50円で誰でも鳴らすことができる。この鐘楼がいつ頃、何のために造られたのかを調べてみたが、ネットでその記述を探すことは出来なかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 10mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
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170.改修中の根本中堂 -1
ガイドさんはまっすぐ根本中堂へ案内してくれた。だが、国宝の根本中堂ならびに重要文化財の廻廊は平成28年度から約10年をかけ「平成の大改修」が行われている。 比叡山延暦寺のホームページにも、「本堂の銅板葺き、廻廊のとち葺きを葺き直し、全体の塗装彩色の修理が主な内容となります。工事の期間中も参拝ができるような処置をしながら、次代へ祈りと伝統が文化財とともに継承されていきます。工事期間中は、国宝・重文改修ならではの珍しい作業も行っております。普段目にすることのない貴重な光景を間近でご覧いただく機会もございますので、是非ご参拝ください。」 と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels

絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
201127735_170 X800 比叡山 RX10M4.jpg
171.改修中の根本中堂 -2
覆いがかけられた根本中堂と回廊の中に入ることが出来た。その手前に「改修のあらまし」についてのパネルがあった。wikipediaによれば、「根本中堂は伝教大師最澄が延暦7年(788年)に、一乗止観院という草庵を建てたのが始まりとされる。本尊は最澄が一刀三礼して刻んだ薬師瑠璃光如来と伝えられており(秘仏)、その宝前に灯明をかかげて以来最澄のともした灯火は1200年間一度も消えることなく輝き続けているので、「不滅の法灯」と呼ばれる(焼き討ち後の再建時には立石寺から分灯を受けた)。中堂という呼称の由来は、最澄創建の三堂(薬師堂・文殊堂・経蔵)の中心に位置することから薬師堂を中堂と呼ぶようになり、この三堂は後に一つの伽藍にまとめられ、中堂という名前が残ったとされる。比叡山延暦寺の中心であることから根本中堂といい、比叡山では東塔という区域の中心的建築物である。」  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 20mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
201127725_171 X800 比叡山 RX10M4.jpg
172.改修中の根本中堂 -3
根本中堂は何度も火事や戦禍によって焼失している。現在の根本中堂は、元亀2年(1571年)9月、織田信長による焼き討ちの後、慈眼大師天海の進言により徳川三代将軍家光の命によって、寛永11年(1634年)より8年の歳月をかけて再建されたもので、寛永19年〈1641年〉)に完成しているそうだ。1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
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173.根本中堂改修中の屋根
根本中堂に面する中庭(覆いの中)に2018年8月から、4階建ての「修学ステージ」が出来ている。改修の様子を参拝客が間近で見られる。「修学ステージ」から改修中の本堂の屋根と回廊の屋根を眺めた(写真は回廊の屋根)。根本中堂は桁行11間(37.57m)、梁間6間(23.63m)、軒高約9.78m、棟高24.46m、屋根は一重、入母屋造。木材の下地材の上に銅板を屋根形状に合せて加工して止められている屋根が改修中だった。回廊の屋根はとち葺きで、その葺き替えが行われている。改修中の屋根を見たあと、中陣に座り、法話を20分ほど聴いた。中陣の天井は「百花の図」といわれ、200に及ぶ草花が極彩色で描かれているがここは撮影禁止である。ここから内陣が参拝できるが 参拝者のための中陣と外陣よりも3mほど低い石敷の土間になっていた。内陣中央の本尊が立つ床と、参拝する中陣・外陣の床が同じ高さになっている。本尊として、最澄自刻の薬師如来像と「不滅の法灯」が有名である。最澄自刻の薬師如来像は秘仏であり、現在の根本中堂の薬師如来立像は、江戸時代の延暦寺再興の時に横蔵寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町)より移座したものであるという。それは横蔵寺の薬師が最澄自刻のものであるという記録が横蔵寺にあったことによるものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/125秒 14mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
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174.文殊楼への階段
40分ほど根本中堂の中にいた。根本中堂を出て、前を見ると石段があった。文殊楼への階段である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/160秒 16mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
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175.文殊楼
ケーブルカーが開通してからは、下から歩いて登ってくる参拝者はほとんどいないが、かつては比叡山延暦寺の表参道だった本坂を登ってくると、まずこの門を潜ることになり、比叡山の総門の役目を果たす重要な楼門だそうだ。文殊菩薩が祀られている。 慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って創建した。寛永の復興にあたって、根本中堂や講堂とともに再建されたが、漢文8年(1668年)に焼失してしまい、すぐに再建されたのが現建築と言われる。寛永の建物より小規模になり、全体的に唐様が取り入れられているが、古い和様も入っているところに苦心が偲ばれる折衷様式になっている。江戸時代の代表的な様式の構造物だそうだ。平成28年に国の重要文化財に指定されている。 受験生の合格祈願に人気があるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
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176.大黒堂
比叡山は大黒天信仰発祥の地と言われる。伝教大師最澄が比叡山へ登ったときに大黒天を見た場所なのだと伝えられる。本尊は最澄が彫ったという三面出世大黒天。正しい呼び方は三面六臂大黒天といい、米俵の上に立ち、中央は食生活を守る大黒天、右は勇気と力を与える毘沙門天、左は美と才能を与える弁財天である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 17mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
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177.根本中堂 石柱
大黒天の少し先を左に入ると文殊楼へ行く。そこに根本中堂の石柱があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
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178.参道からの文殊楼
前の写真の根本中堂の石柱の辺りから文殊楼へ上がる石段がある。このルートが本坂から上がってくる参道なのだろうと推察する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 14mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
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179.根本中堂から坂本ケーブルへ -1
ガイドさんが待つ根本中堂の石段を上がっところで集合し、坂本ケーブルの延暦寺駅へ歩く。途中琵琶湖が眺められるところがあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 39mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201127750_179 X800 〇比叡山 文殊楼 X10M4.jpg
180.根本中堂から坂本ケーブルへ -2
もみじを入れて琵琶湖を狙った。晴れて空気が澄んでいたので、琵琶湖大橋が眺められ、さらにその先に沖島が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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2017年12月17日

2泊3日の京都紅葉狩り(1) 東福寺 12月4日

東福寺のモミジを見たいと思い、京都へ行こうと計画した。だが、11月の終わりから12月のはじめにかけて、先にいろいろと予定が入っていた。少し遅いかなと案じつつホテルの予約を取ったのが12月4日、5日だった。
 東福寺は紅葉の時期はとても混雑するようだ。ガイドブックには朝いちばんが良いと書かれている。3割引きで乗れる「大人の休日」を利用し、12月4日は朝、6時発の「ひかり」を予約した。これで行くとちょうど2時間で京都に着く。到着後、2晩泊まるホテル近鉄京都駅に行って、荷物を預けた。チェックインは午後5時以降とのことだ。
 ホテルに荷物を預け、JR奈良線のホームに降りる。東福寺は次の駅だ。鴨川沿いに走る京阪電車の駅もある。東福寺駅には8時40分に到着した。降りる人はそれほど多くない。紅葉のピークを過ぎているのと朝早い時間だからだろう。全部で25寺院あるという東福寺の搭頭のいくつかに礼をしながら、「臥雲橋」にきた。ここから見る東福寺の「洗玉澗」という谷間のモミジの眺めには圧倒される。ただ、残念ながら紅葉は終わりに近づいていた。
  拝観券を求めて列に並び、まず、「通天橋」に入る。橋の手前から「洗玉澗」を歩いて見ると、紅葉が残っているところもあった。そして「通天橋」を渡って、「開山堂」、「普門院」を見て、いったん戻り、次に「方丈」に行き、昭和を代表する作庭家重森三玲が手掛けたという「八相の庭」を見た。モミジも美しかった。   このあと、「本堂」、「三門」にも行ったが、観光客の姿はまばらだった。
 次は嵯峨野、嵐山へ行くのだが、タクシーを使おうと思っていたのをやめて、再び東福寺駅に戻り、こんどは京都駅からJR嵯峨野線に乗って、嵯峨嵐山駅まで行った。

1.京都駅 JR奈良線
JR奈良線の各駅停車は、古いタイプの電車が使われていた。東福寺駅は京都駅から一駅である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.5 1/1000秒 19mm ISO500 )露出補正 なし
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2.東福寺 塔頭 「同聚院」
東福寺は慧白山東福寺と号する臨済宗東福寺派の大本山である禅宗寺院だ。鎌倉時代に九条家の氏寺として創建され、奈良の東大寺と興福寺に因み東福寺と名付けられ、室町期には京都五山のひとつとして栄えたそうだ。その東福寺には25の搭頭がある。ここは「臥雲橋」へ向かう途中にあった「同聚院」だ。「同聚院」は文安元年(1444)に、東福寺第160世・文渓元作禅師が、その師の東福寺第129世・琴江令薫禅師を開山に勧請して創建した寺院という。本尊に不動明王を祀ることから通称「じゅうまん不動さん」と呼ばれる。その不動明王坐像(重文)は 、1006年(寛弘3)藤原道長が旧法性寺に建立した五大堂の中尊と伝えられ、他の4明王 は散逸し、この像だけが残ったのは火除け像として崇敬が厚かったからという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.5 1/1250秒 15mm ISO125 )露出補正 なし
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3.「臥雲橋」
東福寺の渓谷に架けれた3つの橋は、「東福寺三名橋」と呼ばれる。 上流から「偃月橋」・ 「通天橋」・「臥雲橋「」で「臥雲橋」は「洗玉澗」の一番下流の橋だ。橋脚部分から100%木造の橋である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
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4.「臥雲橋」から眺める「洗玉澗」のモミジ
「臥雲橋」から「通天橋」を見上げるように眺める「洗玉澗」のモミジの光景は、いわば東福寺の紅葉のシンボルである。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影 (​ ​f​4.5 1/​250​秒 18mm ISO​2​​00​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.段
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​5.「洗玉澗」のモミジと「通天橋」 -1​​
​モミジ​は散り始めていた。しかし、まだ、何とか見られるというところにとどまっていてくれた。​

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影( f5.6 1/500秒 70mm ISO200 )露出補正 -0.3段
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6.「洗玉澗」のモミジと「通天橋」 -2​​
時刻は9時少し前。「通天橋」にはまだ人影がない。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影( f5 1/250秒 60mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
クリックすると大きくなります。
7.静かな道​​
「通天橋」の拝観受付へは「臥雲橋」をまっすぐ進んで、「経堂」の脇から入った。まだ、開門されておらず、しばらく列に並んだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影( f6 1/250秒 165mm ISO400 )露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
8.「禅堂」のモミジ​​
「経堂」と「禅堂」の間の道で「通天橋」拝観の受付を待った。「禅堂」の前のモミジがまだきれいだった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影( f5.6 1/500秒 78mm ISO200 )露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
9.本坊庭園「八相の庭」拝観者の列​​
「通天橋」拝観と「八相の庭」拝観は別になっている。こちらはツアコンさんに引率された「八相の庭」受付の列。やはり、9時開園なのだろう。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影( f5 1/250秒 18mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
10.「洗玉澗」のモミジ -1
「通天橋」および「開山堂」の拝観料400円をお支払いして入園した。まっすぐ進むと「通天橋」だが、その「通天橋」が谷を渡る前に「洗玉澗」に下りてみた。モミジの葉が落葉の絨毯となって敷き詰められている。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f5.6 1/250秒 35mm ISO200 )露出補正-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
11.「洗玉澗」のモミジ -2
入場整理をしていた女性に「何処がきれいですか」と尋ねたところ、「今は奥の壁に沿ったところが良いですよ」と教えてくれた。「洗玉澗」には約2,000本のカエデが植えられているという。

Nikon D5300Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f4.8 1/250秒 50mm ISO250 )露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
12.「通天橋」とモミジ -1
「通天橋」の周囲ににもまだ美しさが残っているモミジがあった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f5.6 1/250秒 102mm ISO280 )露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
13.「通天橋」とモミジ -2
「通天橋」の人通りも多くなってきた。日が当たっているモミジは明るく透き通り輝く。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO補正 -0.3段
プログラムオートで撮影( f5.6 1/250秒 40mm ISO200 )露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
14.「洗玉澗」を歩く -1
深紅の葉のモミジもまだ残っていた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f4.5 1/250秒 46mm ISO200 )露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
15.「洗玉澗」を歩く -2
紅葉している大きな木があった。何にも遮られないところで陽を浴びて輝いている。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f5 1/250秒 18mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
16.「洗玉澗」を歩く -3
同じカエデのようだが、樹によって葉の色が違う。地面はすっかり落葉で被われてしまっていた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f5.6 1/250秒 26mm ISO200 )露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
17.「洗玉澗」を歩く -4
同じようなショットをもう1枚。葉が陽の光を透過する。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f4.8 1/250秒 56mm ISO200 )露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
18.「洗玉澗」を歩く -5
白い壁との対比が映える赤いミミジだが、ほとんど葉が落ちてしまった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f4.5 1/250秒 26mm ISO200 )露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
19.「通天橋」から見るモミジ -1
地面に生える苔と真っ赤なモミジとの対比が美しい。奥の方から「通天橋」に上がり、橋の上から撮った。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f5 1/250秒 60mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
20.「通天橋」から見るモミジ -2
「通天橋」から「開山堂」へと進むコーナーのモミジが最高にきれいだった。まだ青い葉も残っている。自撮りをしようとする人たちが立ち止まる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f5 1/250秒 62mm ISO1000 )露出補正-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
21.「通天橋」から見るモミジ -3
「方丈」や「書院」の方向を見る。ここのモミジも色濃く残っていた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f4.5 1/250秒 35mm ISO220 )露出補正 -0.3段
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22.「通天橋」から見るモミジ -4
「通天橋」から「洗玉澗」を見下ろす。残念ながらモミジは終わりに近づいていた。11月の「勤労感謝の日」あたりが見ごろのようだった。下の臥雲橋」も見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 )露出補正 なし
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23.「通天橋」から見るモミジ -5
ところどころに、まだきれいに紅葉した葉をつけているモミジに心和まされる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f5.3 1/250秒 82mm ISO200 )露出補正 なし
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24.「八相の庭」南庭
「開山堂」「普門院」を拝観し、一旦外に出て本坊庭園「八相の庭」を拝観する。改めては拝観料400円を納め、靴を脱いで庫裡から上がる。まず、目にするのは南庭である。広さ20坪の枯山水庭園である南庭は18尺の長石を基本に巨石を剛健に配し、渦巻く砂紋によって「八海」を表しているという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 )露出補正 なし
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25.「八相の庭」西庭 「井田市松」
サツキの刈込と砂地とを葛石で方形に区切り、大きく市松模様に図案化されている。井の字に等分した古代中国の田制「井田」に因み、「井田市松」と呼ばれる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影 ( f4 1/250秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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26.方丈の「通天台」
大方丈に沿って北側に廻ると舞台のような「通天台」があった。出発前に見た「京都ぶらり歴史深訪」=京都が染まる紅葉名所10選=というTV番組で「通天台」が紹介されていた。ここから眺める「通天橋」とモミジが美しいというのだが、残念ながら機を失していた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f5.6 1/250秒 32mm ISO200 )露出補正 -0.3段
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27.「八相の庭」北庭 「小市松」
大方丈の北側に面して「小市松」と呼ばれる庭がある。パンフレットの説明書きによれば、ウマスギゴケの緑との対比も色鮮やかな市松模様の敷石は、もと恩賜門に使われていたものである。サツキの丸刈りとの調和が誠に印象深く、彫刻家イサム・ノグチはこの庭を「モンドリアン風の新しい角度の庭」と評した。秋には、背景の紅葉の赤色と、聖一国師が宋より持来したと言われる唐楓「通天紅葉」の黄金色とが織りなす色彩感あふれる空間となる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f3.5 1/250秒 18mm ISO280 )露出補正 なし
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28.最勝金剛院
「八相の庭」の見学を終え、再び庫裡から外に出た。本堂を右に見て進むと左への道の先に小さな門があり、その門の向こうに最勝金剛院が見えた。最勝金剛院は、九条家の墓を管理するために再興された東福寺の特別由緒寺院だそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f6 1/250秒 155mm ISO1250 )露出補正 なし
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29.国宝「三門」
「三門」の前に来た。思遠池があった。池はハスの枯葉がいっぱいだった。「三門」は大仏様を思わせる室町初期の再建で、扁額にある「玅雲閣」は足利義持筆という。楼上内部には諸仏が並び、天井や柱には極彩画が描かれているそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f4.5 1/250秒 18mm ISO200 )露出補正 なし
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30.「思遠池」
「思遠池」には石橋がかかり、向こうには「勅使門」が見える。手前の石で囲われたところにはマガモがいた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f3.5 1/250秒 18mm ISO250 )露出補正 なし
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31.「日下門」から
「本堂」「三門」を周るように歩いて、入ってきたのと同じ「日下門」から境内を出た。竹林を背景に名残りのモミジが可憐だった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f5.6 1/250秒 116mm ISO1800 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
32.「芬陀院」
「日下門」を出て左側に塔頭に一つである「芬陀院」があった。ここには雪舟が作庭したという庭園があることから雪舟寺とも呼ばれるという。wikipediaによれば、元亨年間(1321年~1324年)、一条経通が父一条内経のため、東福寺開山・円爾(聖一国師)の法孫にあたる定山祖禅を開山として創建された。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f4 1/250秒 26mm ISO200 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
33.ユキヤナギの黄葉
JR東福寺駅へ戻り道筋に、黄色く色づいた小さな木があった。寺の塀などとの絡みもきれいだ。これが何の木かわからなかったが、家内に写真を見せたらユキヤナギではないかという。帰ってきてネットで検索してみると、どうやらユキヤナギらしい。早春に白い小さな花を咲かせるユキヤナギからは想像できなかった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影( f4.8 1/250秒 56mm ISO250 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


2014年6月15日

高野山と京都 5/21~24 3泊4日 (3)伏見稲荷 5月23日


 京都は何回か訪れているが、まだまだ見ていないところがたくさんある。この日は東福寺、伏見稲荷、平等院をJR奈良線に乗って廻ろうと考えていた。しかし、娘たちは東福寺と平等院はすでに行っているので、伏見稲荷だけ付き合うという。
 伏見稲荷はそれほど遠くないので、ホテルからタクシーを利用する。
 伏見稲荷に着いたのは、9時を少し過ぎたころだった。既に参道には人が多い。特に中学生と思われる修学旅行の生徒たちで溢れていた。修学旅行生は、タクシーに分乗してやってくる。タクシーの運転手さん達は、それぞれその乗客である4人の生徒を案内して歩く。このシーズンは何百台というタクシーが、その契約をしているらしい。それでも市中にはタクシーがたくさん走っている。京都のタクシーの初乗り料金は、消費税8%込みで1.7kmまで620円と安い。小泉政権の時に規制緩和で台数が増えたとドライバーは嘆く。MKとクローバーの評判が良いようだ。
 伏見稲荷の参拝を終えた後、娘たち夫婦と別れた。伏見の酒蔵へいくという。
  私たちは、稲荷駅からJR奈良線に乗り、宇治へ行く。平等院をみて、東福寺へと戻る。東福寺からは、待っていたタクシーに乗ってホテルに戻った。
 娘たち夫婦もホテルに帰ってきた。今宵の夕食は、八坂の塔の近くにあるイタリアンの「イル・ギオットーネ」というところだった。ともに5月生まれの自分の誕生日と、私の誕生日のお祝いをしてくれるそうだ。

37.伏見稲荷 表参道
JR奈良線の稲荷駅から、まっすぐ伏見稲荷大社への参道がある。正面に見えるのは楼門という。その背後は標高223mの稲荷山で、稲荷山全域が伏見稲荷の領域である。まだ9時20分だが、修学旅行の生徒たちが大勢来ている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/480秒 27.0mm ISO200 ) 露出補正 なし
伏見稲荷 表参道;クリックすると大きな写真になります。
38.一番鳥居
JR奈良線の稲荷駅を出たすぐのところに一番鳥居がある。伏見稲荷の赤い鳥居はここから始まる。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F8.0 1/800秒 9.4mm ISO400 ) 露出補正 なし
一番鳥居;クリックすると大きな写真になります。
39.楼門
楼門は檜皮葺の入母屋造りで天正17年(1589年)に建立された。昭和48年(1973年)に楼門解体修理が行われた祭、当時の墨書が発見され、伏見稲荷大社の中では本殿の次に古い建築であることが判明した。楼門の両側には、精悍な雰囲気のお狐様がいる。狛犬と同じように魔よけの意味を持っているので、やはり同じように阿吽(あうん)の対になっている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F8.0 1/800秒 9.4mm ISO400 ) 露出補正 なし
楼門;クリックすると大きな写真になります。
40.本殿
本殿は、応仁の乱で消失した後、明応八年(1499年)に再建された。重要文化財に指定されている。本殿は撮影禁止である。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/900秒 7.5mm ISO400 ) 露出補正 なし
本殿;クリックすると大きな写真になります。
41.千本鳥居の始まり
本殿の奥から千本鳥居と呼ばれている鳥居が続く。稲荷山には信者から奉納された鳥居が約1万基あり、特にこのあたりの千本鳥居と呼ばれる所は狭い間隔で多数建てられている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/80秒 6.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
千本鳥居の始まり;クリックすると大きな写真になります。
42.二手に分かれた鳥居の道
奥社奉拝所へと続く千本鳥居は途中で二手に分かれるが、どちらを行っても、奥社奉拝所にたどり着く。奥社奉拝所は稲荷山を遥拝するところで、一ノ峰(上之社神蹟 末広大神)、二ノ峰(中之社神蹟 青木大神)、三ノ峰(下之社神蹟 白菊大神)という稲荷山三ケ峰はちょうどこの社殿の背後に位置している。ここから稲荷山に入るが、これから先は異世界なのだそうだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/58秒 4.4mm ISO800 ) 露出補正 なし
二手に分かれた鳥居の道;クリックすると大きな写真になります。
43.奥社奉拝所から熊鷹社へ
千本鳥居は、一応、奥社奉拝所までだが、それから先も鳥居は続く。ただ、奥社奉拝所から先は上がる人が少ない。摂末社の一つである熊鷹社まで上がることにする。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/140秒 4.4mm ISO400 ) 露出補正 なし
奥社奉拝所から熊鷹社へ;クリックすると大きな写真になります。
44.新池と熊鷹社
やがて熊鷹社に着いた。熊鷹社は伏見稲荷の山をめぐる参道の新池のほとりに立つ。池に向かって拍手し、反射して返ってきた「こだま」の音の近さで願い事が早く叶うか遅くなるかを占い、また、「こだま」の方角を探すと家出人や失踪者が見つかると言い伝えられているそうだ。池の左側に見える社が熊鷹社である。これ以上、上に上がるのはやめにした。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/160秒 11.1mm ISO250 ) 露出補正 なし
新池と熊鷹社;クリックすると大きな写真になります。
45.鳥居の奉納
鳥居を奉納する習わしは江戸時代に始まったそうだ。上がってくる側には、奉納という文字しか見えないが、下る側から見ると、奉納した人の名や年月日、あるいは何々記念といったようなことが記されているのが見える。「平成26年2月1日建之 開局55周年記念 株式会社テレビ朝日」と書かれた少し大きめの真新しい鳥居もあった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/45秒 15.5mm ISO800 ) 露出補正 なし
鳥居の奉納;クリックすると大きな写真になります。
46.狐の咥え物
熊鷹社のある新池から、上がってきたときと違う道を八島ヶ池のほうへ下りてくる。本殿に出る手前に橋があり、その手前の両側に、何かを咥えた狐がいた。何を咥えているのだろうか? どうやら鍵(穀物を納める米倉の鍵)のようだ。反対側の狐は玉(穀霊を象徴する玉)のようなものを咥えている。狛犬と同様に社殿に向かって右(上座)が口を開いた「阿(あ)」であり、左(下座)が口を閉じた「吽(うん)」だそうだ。鍵や玉のほかにも鎌や稲穂を咥えた狐もいて、いくつかのバリエーションがあるようだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/160秒 7.9mm ISO250 ) 露出補正 なし
狐の咥え物;クリックすると大きな写真になります。
47.鳥居に願い事
神社では絵馬に願い事を書いて架けるが、ここでは赤い鳥居に願い事を書いて架ける。外国人観光客であろう、英文字で書かれたものもあった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/800秒 4.4mm ISO400 ) 露出補正 なし
鳥居に願い事;クリックすると大きな写真になります。
48.裏参道
お札やお守り、そしておみくじなどが売られている社務所の前を通って、京阪電車の伏見稲荷駅に近い裏参道を歩く。土産物屋が並ぶ。娘たちとはここで別れた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/800秒 4.4mm ISO400 ) 露出補正 なし
裏参道;クリックすると大きな写真になります。
49.JR稲荷駅前から表参道を見る -1
どこから来たのだろうか、若い3人の御嬢さんが表参道を歩いてくる。お稲荷さんはショート・パンツでもお参りさせてもらえる。寛大だ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/800秒 20.8mm ISO200 ) 露出補正 なし
JR稲荷駅前から表参道を見る -1;クリックすると大きな写真になります。
50.JR稲荷駅前から表参道を見る -2
表参道をベビー・カーに赤ちゃんを乗せたお母さんが横切る。近所に住んでいる人なのだろう。ここは京都駅からわずか二駅、2.7km とごく近いところなのだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/340秒 37.0mm ISO100 ) 露出補正 なし
JR稲荷駅前から表参道を見る -2;クリックすると大きな写真になります。
51.JR奈良駅改札口
時間は10時半。10:42発の電車で宇治へ行くことにする。次は平等院だ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/180秒 5.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
JR奈良駅改札口;クリックすると大きな写真になります。