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Studio YAMAKOで“鶴岡八幡宮”が含まれるブログ記事

2022年1月12日

師走の浅草界隈 12月3日

昨年の暮れも近くなった12月3日、学生時代の友人から、浅草でフグを食べようと誘いを受けた。学生時代から、いや、生まれもそうかもしれないが、向島に住む友人から、一昨年(2020年)のコロナの第一波が収まりを見せた7月6日に、土用も近いので鰻を食べようとお誘いを受け、浅草の操業220年という老舗のうなぎ屋「やっこ」で3人で会食をした。今回も、その向島の友人から嬉しいお誘いがあり、3人での会食だった。
 浅草は浅草寺の向こう側にある国際通りに近い「三浦屋」という昭和38年創業の老舗のふぐ料理の店だった。夕方5時集合ということだったので、30分ほど前に浅草について、宵の近づく仲見世通りから浅草寺の境内を抜けて、スマホ片手に「三浦屋」に向けて歩いた。
 浅草には何度か行ったことはあるが、浅草寺の向こう側を歩くのは初めてである。下町の風情が残る通りは印象深かった。友人が予約してくれた「三浦屋」さんも、また、来たいと思うほど良い店だった。ひれ酒の味が忘れられない。
 浅草寺のことを改めて知るために、インタネットで検索してみた。記述は浅草寺のホームページから引用させていただいている部分がある。

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夕暮れ迫る浅草寺境内 2021年12月3日

001_211203004a X800 浅草 G7X.jpg 1.雷門から仲見世商店街を見る
一昨年7月に来たときは観光客は少なかったが、この日は、コロナ以前には及ばないにしても、そこそこ人が戻ってきたように思えた。浅草寺のホームページによれば、雷門は浅草寺の総門であり、正式名称は「風雷神門」という。その創建年代は詳らかではないが、平公雅が天慶5年(942)に堂塔伽藍を一新した際、総門を駒形に建立したと伝わる。風雷神門の名は、風神と雷神を門の左右に奉安していることに由来する。総門が現在地に移ったのは鎌倉時代以降のことで、移築の際に風神、雷神を安置したとも考えられている。(後略)と記されている。幕末の慶応元年(1865)、浅草田原町からの失火により雷門まで延焼してしまったが、この慶応の焼失より実に95年間も雷門は再建されなかったそうだ。現在の門は、昭和35年(1960)に松下電器産業(現パナソニック)社長・松下幸之助氏の寄進により、再建されたとのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO400 ) 露出補正 なし
002_211203012 X800 浅草G7X.jpg 2.仲見世商店街 -1
5時15分前、夕暮れが迫る仲見世商店街の灯かりが優しい。お正月の飾り付けがされていた。仲見世は浅草寺の表参道である。雷門から宝蔵門まで長さ約250mにわたって、参道の両側に朱塗りの店舗が並ぶ。日本で最も古い商店街の仲見世という名は、浅草広小路(現在の雷門通り)あたりに並ぶ店と浅草寺観音堂前に並ぶ店との中間、つまり「中店」ということからこの名で呼ばれるようになったともいわれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO2000 ) 露出補正 なし
003_211203013 X800 浅草G7X.jpg 3.仲見世商店街 -2
何店かシャッターが閉まっている店もあったが、賑やかである。仲見世は、明治になり、浅草寺の土地が政府に没収されるとともに、仲見世も東京府の管轄に置かれた。そして明治18年(1885)に煉瓦造りの洋風の建物に一新される。文明開化の香りに満ちたこの仲見世は、大正12年(1923)の関東大震災で壊滅したが、同14年に鉄筋コンクリート造り、朱塗りの商店街に生まれ変わる。そして、昭和20年(1945)の東京大空襲で外構えを残して焼け落ちたが、戦後に補修して現在の姿となったそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO1250 ) 露出補正 なし
004_211203014 X800 浅草 G7X.jpg 4.伝法院通り
江戸時代中期に建てられた浅草寺の本坊である伝法院の門前に立ち並ぶ商店街で、仲見世通りを東西に横切る形で約300mに数十軒の店舗が並ぶ。写真は仲見世から浅草寺に向かって伝法院通りの左(西)側を見たところである。2014年頃から伝法院通りの西側「伝法院通り商栄会」32店舗が台東区から区道上に建っているとして立ち退きを求められていることが報じられた。2021年5月、営業継続への賛同を求めて署名活動が行われ、1万1千余名から署名が集まり、8月30日、区に提出された。しかし12月、区は退去を求めて提訴する事を議会で決定。事態は法廷闘争にもつれ込むことになったそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO1600 ) 露出補正 なし
005_211203022 X800 浅草 G7X.jpg 5.平和地蔵尊
仲見世通りを宝蔵院通りを過ぎて20~30m進んだ右側に、平和地蔵尊があった。「平和地蔵尊由来記」として、「第二次世界大戰はその規模においても、その被害についても、まことに甚大であった。ことに昭和20年3月10日の大空襲には、この附近一帯は横死者の屍が累として山をなし、その血潮は川となって流れた その惨状はこの世の姿ではない。これ等の戦争犠牲者の霊を慰めることこそ世界平和建設の基となるものである。 ここに平和地蔵尊を祭り、その悲願を祈るため、昭和24年4月こゝに安置された次第である。」と石に彫られていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/400秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
006_211203028 X800 浅草 G7X.jpg 6.母子地蔵
平和地蔵尊から宝蔵門への右側に母子地蔵があった。お母さんはとてもやさしい顔をされている。母子地蔵建立の由来として、「第二次世界大戦末期、ソ連参戦で混乱状態となった中国東北部(満州)で逃避行の末、命を落とした日本人は20万人を超えると云われています。酷寒の曠野を逃げ惑う母子が生き別れとなったり飢えや疫病に苦しみながら亡くなるなど、その悲劇は数知れません。犠牲となられた母子の霊を慰め、また、いまだ再会のかなわない親と子の心のよりどころとして、二度と戦争という過ちを繰り返さない事を祈念しつつ、ここに母子地蔵を建立いたしました。1997年4月12日 像のデザインは、ちばてつや氏 題字と碑文は、森田拳次氏」という石碑が建てられていた。私も満州生まれであり、舞鶴へ引き上げてきた。この一角には、ほかにも阿弥陀如来像、 久米平内堂、一番奥に 「濡れ仏」の名で知られる二尊仏があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels<br> プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/400秒 17mm ISO3200 ) 露出補正 なし
007_211203030 X800 浅草 G7X.jpg 7.宝蔵門 元版一切経を収蔵する仁王門
浅草寺山門の宝蔵門である。門は初層が五間で、両端の二間には仁王像を奉安し、中央の三間が通行のために開口している。仁王像が安置されていることからもわかるように、この門はもともと仁王門と呼ばれていた。「浅草寺縁起」によれば、平公雅が天慶5年(942年)に武蔵守に補任され、その祈願成就の御礼として仁王門を建立したのが創建という。以来、数度の焼失と再建ののち、徳川家光の寄進により慶安2年(1649年)に落慶した仁王門が、昭和20年まで諸人を迎えていた。昭和20年(1945年)、仁王門は東京大空襲により観音堂・五重塔・経蔵などとともに焼失する。昭和39年(1964年)に大谷重工業社長・大谷米太郎ご夫妻の寄進により、鉄筋コンクリート造り、本瓦葺きで再建された。宝蔵門に収蔵されている経典とは、もとは鎌倉の鶴岡八幡宮に収蔵されてい「元版一切経(国の重要文化財)である。戦災で経蔵は焼失したが「元版一切経」は疎開しており無事だったそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
008_211203031 X800 浅草 G7X.jpg 8.浅草寺本堂
宝蔵門をくぐって正面を見ると平成22年(2010)チタン瓦に葺きかえられた大きな屋根の本堂があった。ご本尊聖観世音菩薩を祀る中心堂宇で観音堂とも呼ばれる。旧堂は慶安2年(1649年)の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていたが、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。現在の堂は昭和33年(1958年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造である。再建にあたっては、建設資金を捻出するために瓢箪池の敷地(2400坪)が江東楽天地などに売り払われたそうだ。2体の金剛力士像のうち、向かって左(西)の阿形(あぎょう)は仏師・錦戸新観、右(東)の吽形(うんぎょう)像は木彫家・村岡久作の作である。阿形像のモデルは力士の北の湖、吽形像のモデルは明武谷と言われている。(wikipedia参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 なし
009_211203032 X800 浅草 G7X.jpg 9.宝蔵門の大わらじ
宝蔵門を抜けて仲見世方面を眺める。宝蔵門の左右には、高さ 4.5m、幅 1.5m、重さ 500kg、藁は 2,500kg使用するという大わらじがあった。山形県村山市有志より平成30年(2018年)10月奉納された。昭和16年(1941年)の初回以来、8回目のわらじだそうだ。わらじは仁王さまのお力を表し、「この様な大きなわらじを履くものがこの寺を守っているのか」と驚いて魔が去っていくといわれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
010_211203037 X800 浅草 G7X.jpg 10.本堂正面
階段を上がってお参りをした。今回は上がらなかったが、靴を脱いで畳敷の内陣に上がると、その中央にはご本尊を奉安する御宮殿(ごくうでん)があり、その内部にお厨子が安置されているそうだ。浅草寺は東京都内最古の寺である。正式には金龍山浅草寺と号し、観音菩薩を本尊とすることから浅草観音として知られている。元は天台宗に属していたが、昭和25年(1950年)に独立し、聖観音宗の本山となっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/320秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
011_211203040 X800 浅草 G7X.jpg 11.五重塔
本堂と同様、関東大震災では倒壊しなかったが昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。現在の塔は本堂の西側、寛永8年(1631年)に焼失した三重塔の跡伝承地付近(宝蔵門を出て左側)に場所を移して、昭和48年(1973年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺き(現在は3色のチタン瓦)、基壇の高さ約5m、塔自体の高さは約48mである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/320秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
012_211203047 X800 〇浅草 G7X.jpg 12.五重塔とスカイツリー
さて、目的の「三浦屋」さんはここからは北西の方向になると見当をつけ、本堂の前を左(西)へと歩き始めた。少し行って振り返ると、五重塔の左側にスカイツリーが見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/640秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 なし
013_211203050 X800 浅草 G7X.jpg 13.木馬館
浅草寺本堂から「奥山おまいりまち」へ歩いて行くと写真のような「木馬館」があった。ここは、篠原演劇企画の「浅草木馬館」という、いわば大衆劇場だ。インタネットを検索していたら興味深いことを知った。ここは昭和52年に開場しているが、その原点は、1907年(明治40年)、昆虫学者名和靖は日露戦争の勝利記念に昆虫館を建設したいと考え、東京市に「昆虫知識普及館」を設立、浅草寺脇の土地を貸与され、「通俗教育昆虫館」名で開館したのが始まりだったそうだ。しかし、すぐに経営に行き詰まり、1918年(大正7年)、根岸吉之助率いる根岸興行部に経営が移ったという。1922年(大正11年)には昆虫の展示は2階部分のみとなり、1階には木馬が設置され、名称も「昆虫木馬館」、ついで「木馬館」となった。1938年(昭和13年)浅草オペラの流行のあとを受け、関西での流行をいち早く浅草(当初、常盤座)に持ってきていた安来節を興行の中心にした常打ち小屋(2階部分)となっている。そして、1977年(昭和52年)7月より、それまで直営していた根岸興行部から篠原演芸場が借り受ける形で、2階部分が大衆演劇の劇場となり現在に至っている。(wikipedia参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
014_211203054 X800 浅草 G7X.jpg 14.「花やしき」
ホッピー通りを北へ歩く。すると、もう閉まってはいたが「浅草花やしき」の裏門?へ出た。この「花やしき」は映画やドラマに良く出てくるが、中に入ったことはない。機会を見つけては行って見たいと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/400秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
015_211203068 X800 浅草 三浦屋 G7X.jpg 15.ふぐ料理 浅草「三浦屋」
目的の「三浦屋」さんまで最後の詰めである。スマホに道案内をしてもらい無事、約束の時間より早めについた。フグは江戸庶民に愛され、「ふぐ料理が高級料亭のものでなく、大衆の味であることを確認できます。」と店が云う通り、気楽に、美味しく、楽しめる店だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
016_211203063 X800 浅草 三浦屋 G7X.jpg 16.「三浦屋」さん店内
仲居さんに「写真を撮らせてください」とお許しを得て、店内を撮らせていただいた。多分、お客さんが持ち込んでおられるのだと思うが、記念品など楽しいものが並べられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/250秒 29mm ISO3200 ) 露出補正 なし
017_211203084 X800 〇浅草 G7X.jpg 17.スカイツリー
ふぐ刺し、ふぐちり、そして、ひれ酒等々、美味しく腹いっぱい食べ、久しぶりに会った友人たちとの会話を楽しみ、大満足で「三浦屋」さんを出た。ビールを一杯飲もうということになり、タクシーで吾妻橋の対岸へ渡った。スカイツリーがきれいだった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/20秒 17mm ISO3200 ) 露出補正 なし
018_211203091 X800 浅草 吾妻橋 G7X.jpg 18,吾妻橋
アサヒビールのビルの22階に上がり、アサヒの生ビールを向島の友人にご馳走になった。2年ぶりの会話が弾む。9時を回ったところでお開きにして、それぞれ帰路につぃた。これから渡る吾妻橋もライティングされている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/200秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし
019_211203093 X800 〇浅草 吾妻橋 G7X.jpg 19.吾妻橋からスカイツリーを眺める
隅田川を挟んでスカイツリーと、今、ビールを飲んできたアサヒビールのビルを眺める。帰路、都営浅草線の浅草駅から、京浜急行直結の快速特急に乗ると、横浜まで時間はかからなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/15秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 なし


2021年12月22日

古都鎌倉紅葉巡り ② 東慶寺 海蔵寺 鶴岡八幡宮 12月2日

円覚寺の参拝と撮影を終えて、次に鎌倉街道を東慶寺へ向かう。江戸時代に群馬県の満徳寺と共に幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていたことから東慶寺は駆け込み寺と呼ばれている。  夫との離縁を達成するために妻が駆け込んだ寺のことである。 寺は夫に内済離縁(示談)を薦め、調停がうまく行かない場合は妻は寺入りとなり足掛け3年(実質満2年)経つと寺法にて離婚が成立する。東慶寺は江戸幕府公認の縁切寺であった。
 東慶寺を参拝し、この日の次の目的地は海蔵寺である。鎌倉街道を鎌倉鶴岡八幡宮の方へ歩く。ここから、どこかで右に入らなければいけないのだが、今一つ自信がなく、曲がるべきところをまっすぐ行ってしまった。鶴岡八幡宮に沿って歩いて、ようやく小町通りに入る手前で寿福寺、英勝寺、海蔵寺と右へ行く表示があった。そこからもまだしばらく歩く。
 海蔵寺はそれほど参拝者は多くなかった。鐘ともみじの構図で写真を撮る。
 最後に鶴岡八幡宮へ行く。2010年の3月10日未明に雪混じりの強風で倒れた樹齢千年と言われる大銀杏だったが、その根から生えてきたひこばえから若木が選ばれて後継ぎとして育てられている。10年たった今の姿を見てみたかったからだ。立派に育っていた。
 この日は、ここまでで18,000歩ほど歩いた。午後1時、腹も減った。前回来たときに入った蕎麦屋へ行って見たが、お休みだったので、新しい店に入った。悪くない。冷たいビールが美味かった。

000_211202251 X700 〇海蔵寺 海棠 D750 TAMRON35-150.jpg
海蔵寺の鐘堂ともみじ 2021年12月2日

29.東慶寺 小さな山門
円覚寺を出て、横須賀線の線路を渡り、鎌倉街道を左へ進む。ほんの数分歩くと右側に東慶寺の山門へ上がる石段が見えた。東慶寺のホームページを見ると「小さな山門をくぐると、谷戸と呼ばれる鎌倉独特の地形に境内が広がります。墓苑まで続く石畳を中心に本堂、書院、茶室、宝物館が配置され、初春の梅、6月の花菖蒲やイワガラミなど四季を通じて、様々な草花が咲きます。」と記されていた。かつては鎌倉街道沿いに総門もかまえていたが、現在はおとな二人が通れるほどの小さな山門を残すのみとなったという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4 プログラムオートで撮影  ( f3.2 1/500秒 52mm ISO180 ) 露出補正 なし
029_211202209m X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
30.梅の古木と鐘楼
山門を行ってすぐ左手には鐘楼があり、その前に梅の古木が植えられている。大正5年に建立されたようでそう古いものではない。天井に龍が描かれているのだが、今回見損なってしまった。梵鐘は観応元年(1350年)の補陀落寺のもの(神奈川県指定文化財)だそうだ。元弘2年(1332年)に作られた元の梵鐘は現在韮山の本立寺にある。私は2016年1月に伊豆韮山の本立寺を訪ねている。その時、本立寺に鎌倉の東慶寺に在った梵鐘があるのを知った。何故なのだろうかと思い、調べた記憶があったので、たどってみると、鎌倉手帳(社寺散策)というサイトに「梵鐘が鋳造された1332年(元徳4年・元弘2年)の翌年、鎌倉幕府が滅亡すると、(鎌倉幕府9代執権北条貞時の側室であった)覚海円成は子女を連れて伊豆韮山に移り住み、北条氏邸跡に円成寺を建立して北条氏の菩提を弔ったという。おそらく、そのときに東慶寺の梵鐘も伊豆韮山に運ばれ、江戸中期に円成寺が焼失した後、韮山の有力者で徳川幕府の代官だった江川氏の菩提所(菩提寺である本立寺)へ移されたものと考えられる。」という記述を見付けた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 38mm ISO3200 ) 露出補正 なし
030_211202177 X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
31.本堂
wikipediaによれば、東慶寺は、臨済宗円覚寺派の寺院である。山号は松岡山、寺号は東慶総持禅寺。寺伝では開基は北条貞時、開山は覚山尼と伝える。開山以来明治に至るまで本山を持たない独立した尼寺で、室町時代後期には住持は御所様と呼ばれ、江戸時代には寺を松岡御所とも称した特殊な格式のある寺であった。現在は円覚寺の末寺で男僧の寺である。東慶寺ホームページによれば、本堂には本尊の釈迦如来坐像が祀られる。関東大震災後、佐藤禅忠師が紺紙金泥で観音菩薩を揮毫して寄進を募り、 昭和10年(1935)に建立したものだそうだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/125秒 35mm ISO3200 ) 露出補正 なし
031_211202181 X800 東慶寺 本堂 D750 TAMRON35-150.jpg
32.寒雲亭
裏千家ゆかりの宗旦の茶室だそうだ。小さな門の屋根の苔に惹かれた。ホームページには斉藤利助翁の尽力により、昭和35年(1960年)、堀越家から寄進、移築されたとある。 千宗旦筆「寒雲」の扁額がかかり、真行草の天井、櫛形の欄間のある名席。平成6年(1994年)に露地を含め大改修が行われた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO2000 ) 露出補正 なし
032_211202183 X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
33.墓苑への道
山門から墓苑へと続く石畳の道は、大仏様のような石仏のあるところで緩やかに右へ曲がり、再びまっすぐに進む。右手に東慶寺伝来の寺宝を展示する宝物館である松岡寳藏が見える。松岡寳藏は昭和53年、方丈跡に新築。釈宗演老師の遺言書よりおこした扁額がかかっていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4 プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO560 ) 露出補正 なし
033_211202185 東慶寺 X800 D750 TAMRON35-150.jpg
34.墓苑
石畳の道をさらにまっすぐ進むと墓石が並ぶ墓苑に入る。背の高い木々が多くなり、歴代住職、檀信徒の墓苑となる。前回訪れたときは、この辺りのイチョウ、カエデの紅葉がきれいで、今回もそれを期待して訪れたのだが、少しタイミングがずれていたようだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 105mm ISO100 ) 露出補正 なし 撮影後補正
034_211202195m2 X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
35.長寿寺
東慶寺を辞して、鎌倉街道をさらに進む。横須賀線の踏切を渡ると右手に長寿寺へ上がる石段があった。山号を宝亀山という臨済宗建長寺派の寺院で本尊は観音菩薩だそうだ。このお寺は春と、秋の週末に境内に入れるとあったが、この日は木曜日。でも、中に入っている参拝者もいた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 78mm ISO800 ) 露出補正 なし
035_211202216 X800 東慶寺→海蔵寺 長寿寺 D750 TAMRON35-150.jpg
36.建長寺
鎌倉街道を進む。街道の反対側に建長寺の天下門が見えてくる。wikipediaによれば、建長寺は臨済宗建長寺派の大本山。正式には巨福山建長興国禅寺という。鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩。開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆で、第二世は同じく南宋の兀庵普寧である。鎌倉五山の第一位。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。今日は参拝は割愛させていただく。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
036_211202221 X800 東慶寺→海蔵寺 建長寺 D750 TAMRON35-150.jpg
37.落石防護用のシェード
建長寺を過ぎると鎌倉街道はこの落石防護用のシェードをくぐる。トンネルではない。上が開いている。ここは現在の巨福呂坂新道であり、ここを抜けると八幡宮の裏に出る。旧道の巨福呂坂はこの新道よりさらに上の場所に位置しており、鎌倉の七切通しの一つで小袋坂とも書く。明治時代に新道が開かれたが、大正12年(1923年)の関東大震災で崩落したため、さらに掘り下げて現在の新道が通った。昭和31年(1956年)に再度拡幅、平成5年(1993年)には落石防護シェードが作られた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO1250 ) 露出補正 なし
037_211202223 X800 東慶寺→海蔵寺 落石防護施設 D750 TAMRON35-150.jpg
38.海蔵寺への道
さて、そろそろこの辺から右に入るのだろうと思って、歩いているが、なかなか行き先表示が現れず、ここかと思うが今一つ自信がなく、まっすぐ進んでしまった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 150mm ISO200 ) 露出補正 なし
038_211202228 X800 東慶寺→海蔵寺 D750 TAMRON35-150.jpg
39.鎌倉近代美術館
左に鎌倉近代美術館がある。門の中には行って見ると、右の方に池が見える。もうそこは鶴岡八幡宮の源平池の平家池だった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 46mm ISO100 ) 露出補正 なし
039_211202233 X800 東慶寺→海蔵寺 鎌倉近代美術館 D750 TAMRON35-150.jpg
40.寿福寺
もう目の前で鎌倉街道は左へ曲がり、まっすぐ行くと小町通というところまできた。そこでやっと、寿福寺、海蔵寺への行き先表示版があった。右へ曲がって、寿福寺へ行く。門前から参道を眺めるにとどめる。なかなか魅力的な石畳の道が中門まで続いている。寿福寺は建長寺、円覚寺に次ぐ鎌倉五山第三位の寺院であり、臨済宗建長寺派の寺院である。境内は「寿福寺境内」として1966年(昭和41年)3月22日、国の史跡に指定された。この日は参拝を失礼したが、次回は是非境内には行って見たい。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 38mm ISO560 ) 露出補正 なし
040_211202239 X800 東慶寺→海蔵寺 寿福寺 D750 TAMRON35-150.jpg
41.海蔵寺本堂
海蔵寺に着いたのは12時少し前だった。円覚寺にお参りしてほぼ3時間歩いてしまった。海蔵寺も臨済宗建長寺派の寺院で、山号は扇谷山で、本尊は薬師如来だ。wikipediaによれば、建長5年(1253年)に宗尊親王の命により藤原仲能が創建し、鎌倉幕府滅亡時に焼失、応永元年(1394年)に上杉氏定の開基、心昭空外を開山として再興されたと伝えられる。本堂には十一面観音が安置されている。春はカイドウの花が有名である。また、非公開ではあるが本堂裏の庭園が美しいという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/320秒 35mm ISO3200 ) 露出補正 なし
041_211202249 X800 〇海蔵寺 本堂 D750 TAMRON35-150.jpg
42.海蔵寺鐘堂
本堂に向かって右側に鐘堂がある。なぜか赤い大きな唐傘があり、その向こうに仏殿(薬師堂)が見える。その間のもみじがポイントになる。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 なし
042_211202258 X800 〇海蔵寺 海棠 D750 TAMRON35-150.jpg
43.海蔵寺山門
海蔵寺には写真の男坂を上がる山門と、この右側に女坂を上る脇門がある。男坂、女坂と云ってもほんのわずかな坂だ。ご住職が落ち葉の掃除をされている男坂を小学生たちが上がって行った。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 72mm ISO100 ) 露出補正 なし
043_211202264 X800 海蔵寺 D750 TAMRON35-150.jpg
44.モズ
海蔵寺を出て、次は鶴岡八幡宮の大銀杏である。小町通りを横切るようにして、いったん檀蔓へ出る。行く道で、野鳥が目の前の小枝に止まった。葉が落ちているので見つけやすい。モズだった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 150mm ISO160 ) 露出補正 なし 撮影後補正
044_211202268tm X800 海蔵寺 モズ D750 TAMRON35-150.jpg
45.鶴岡八幡宮 太鼓橋から枚殿、本宮を望む
鎌倉街道の交差点を渡り、朱色の大きな三の鳥居をくぐると、源平池に渡された太鼓橋がある。太鼓橋は渡ることが出来ないが、カメラを上にあげて撮る。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4 プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 68mm ISO100 ) 露出補正 なし
045_211202273 X800 鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg
46.生まれ変わった大銀杏
本宮に上がる石段の左側にある大銀杏は、生まれ変わった大銀杏である。建保7年(1219年)1月27日、源頼家の子で八幡宮の別当を務めていた公暁が階段脇に生えていたこの銀杏の木に隠れて待ち伏せ、この大階段の13段目に降りてきた源実朝を殺害したという伝説があり、隠れ銀杏という別名がある。樹齢800年とも1000年余ともいわれていたその大銀杏が、2010年(平成22年)3月10日4時40分頃、強風のために大銀杏は根元から倒れてしまった。倒壊から約1か月たち、再生への努力が実を結び、若芽(蘖・ひこばえ)が確認された。11年目、元の大銀杏の根から生えてきたひこばえから、若木が選ばれて後継ぎとして育てられている。こんなに大きくなった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 60mm ISO100 ) 露出補正 なし
046_211202276 X800 鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg
47.倒れた大銀杏の根元
倒れた大銀杏は3つに切断され、2010年の3月15日、根元から高さ4mまでが、7m離れた場所に移植された。残る2つは境内に保存されたそうだ。倒壊から約1か月たち、再生への努力が実を結び、若芽(ひこばえ)が確認されたという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
047_211202277 X800 〇鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg
48.大銀杏の若木
写真46で見ていただいた後継ぎの大銀杏を本宮の大階段の途中から撮る。その向こうに倒れたかっての大銀杏の根元が見える。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
048_211202278 X800 〇鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg


2021年5月23日

三ツ沢公園と豊顕寺 5月15日

緊急事態宣言が発出されているし、天候も今ひとつだ。今日あたりは、裏高尾へでも初夏のチョウを撮りに行きたいところだが、もう一つ意気が上がらない。かといってじっと家にいるのも飽きてしまう。
 しばらく行っていなかった三ツ沢公園から 豊顕寺(ぶげんじ)を歩いてみることにした。数年前までは時々歩いていたのだが、最近はしばらく行っていない。三ツ沢公園までは自宅からは登り坂になり、ゆっくり歩いて30分はかかる。
 道に迷ってしまって、仕方なく国道1号線の岡沢町の交差点へ出た。ここには、以前通っていた鳥小屋(ゴルフ練習場)があったが、それが立派な有料介護老人ホームになっていた。
 そこからは右方向に。大分遠回りをしてしまったが、ニッパツ三ツ沢球戯場に出た。花が植えられているところもあるのだが、チョウの姿はない。そこから、横浜市戦没者慰霊塔へ行き、豊顕寺市民の森へ行った。そこには、江戸時代三澤壇林という、いわば仏教寺院における僧侶の養成機関があった。1720年(享保5年)に老中久世重之の力などで法照山豊顕寺に江戸幕府の許可が下ったため、檀林が設置された。 豊顕寺市民の森の藤棚のある辺りで、豊顕寺と三澤壇林を結んでいたと思われる坂道の参道に出る。いったん右へ坂を上り切り、参道の石段を下る。しばらくすると豊顕寺の山門(赤門)が見えてくる。
 豊顕寺から、国道1号は近い。帰りは三ツ沢上町から横浜市営地下鉄に乗り、横浜駅からはバスで帰宅した。11,000歩、大したことないが、アップ・ダウンがあったので少々疲れた。

000_210515 X700 三ツ沢公園マップ 横浜市緑の協会公式サイトより.jpg
三ツ沢公園マップ 横浜市緑の協会公式サイトより

1.ビワの実
自宅から車で第三京浜へ出る道を歩き始めた。車だとなんということはないが、歩くと結構な上り坂だ。途中に古くから住まわれている家もあるが、その庭にビワの木があって、沢山の実が付いていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
001_210515003 X800 近所のビワ RX10M4.jpg
  2.ヤマトシジミ
カタバミ(ヤマトシジミの食草)が生えているところを、行ったり来たりしているヤマトシジミがいた。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
002_210515006t X800 ◎近所 カタバミ RX10M4.jpg
3.平沼亮三さんの銅像
裁判所通りに出る。ここから右へ入って、次を左へ行くところを間違えてしまった。見覚えのない住宅地を歩き、また、裁判所通りに戻ってしまった。仕方なく、国道1号線の岡沢町のバス停に出て、そこから右へ上がっていく。しばらく進むと、三ツ沢競技場の脇に出た。実業家であり政治家、また、アマチュアスポーツ選手で、衆議院議員(憲政会、民政党)、貴族院議員(同成会)、そして横浜市長を務め、日本における市民スポーツの父と呼ばれる平沼亮三さんの像があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
003_210515015 X800 平沼亮三像 RX10M4.jpg
4.ニッパツ三ツ沢球戯場
ニッパツ三ツ沢球戯場は、1964年(昭和39年)の東京オリンピックのサッカー会場として使用されたほか、現在では、サッカーJリーグや全国高校サッカー選手権の会場として使用されている球技場で、横浜F・マリノスがホームゲームを多く開催している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
004_210515017 X800 ニッパツサッカー場 RX10M4.jpg
5.横浜市戦没者慰霊塔
テニスコートの脇を通って、首都高を歩道橋で渡る。横浜市馬術協会の馬場を見ながら北へ上がって行くと横浜市戦没者慰霊塔が見えてきた。 横浜市戦没者慰霊塔は、2本の塔と安置堂からなり、昭和28年3月に建立され、戦後50周年にあたる平成7年に改修されている。西南戦争から第2次世界大戦までの戦没者2万余柱の御霊を安置しているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
005_210515019 X800 〇戦没者慰霊塔 RX10M4.jpg
6.豊顕寺市民の森
戦没者慰霊塔を背にさらに進むと豊顕寺市民の森の入口があった。この時季は花もなく、薄暗い感じがする。豊顕寺市民の森は面積2.3haほどで、広さの点では少々こぢんまりとしているが、市街地の中にあってひっそりと緑豊かな空間を保っており、散策を楽しむ人も多い。桜の名所として知られている他に、秋の紅葉や初夏のアジサイなども見事だと聞く。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 12mm ISO1250 ) 露出補正 なし
006_210515020 X800 豊顕寺市民の森 RX10M4.jpg
7.藤棚広場
豊顕寺市民の森の入口を入って少し歩くと藤棚広場というところがあった。藤棚があったが、フジはもう終わってしまっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO800 ) 露出補正 なし
007_210515022 X800 豊顕寺市民の森 RX10M4.jpg
8.豊顕寺本堂へ下る石段
藤棚広場を進むと豊顕寺への石段(参道)へ出る。下ると豊顕寺という寺があるが、その参道をいったん右へ上がる。そこに八幡広場という広場があり、四阿が設けられている。この八幡広場のあたりが豊顕寺市民の森の南端部と言ってよく、抜け出ると南には三ツ沢公園が隣接している。この辺りが三澤壇林だったところだろうか。享保5年(1720年)に壇林として学舎5棟、学寮25棟を建設、その後も再建、増築をし宏大宏大な規模になったが、明治時代になり火災による焼失、大正期には地震による倒壊によって壇林は廃絶したといった内容が、横浜市教育委員会文化財課、財団法人横浜国際観光協会による豊顕寺の説明板に記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 67mm ISO3200 ) 露出補正 なし
008_210515024 X800 豊顕寺 参道 RX10M4.jpg
9.赤門
その石段(参道)を下りきるところに朱に塗られた門があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO3200 ) 露出補正 なし
009_210515026 X800 豊顕寺 山門 赤門 RX10M4.jpg
10.赤門を振り返る
その赤門をくぐると左手に豊顕寺境内が見える。赤門の説明板には、豊顕寺の山門は弁柄という赤色の顔料で塗られていたことから、赤門と呼ばれ、檀林の門と呼ばれ親しまれてきた。門を赤く塗るのは幕府のお墨付きが無ければできないことで、三澤壇林は幕府の許可を得て創設されたことから、赤門の建立が許されたと考えらる。赤門は壇林の廃止後も戦火を免れ、豊顕寺の山門としてこの地を守り続けてきた。この歴史ある赤門を後世に残すべく平成27年の豊顕寺開創五百年慶讃記念事業の一環として保全工事が行われた。といったことが書かれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
010_210515029 X800 豊顕寺 山門 赤門 RX10M4.jpg
11.豊顕寺境内への門
赤門をくぐり、小さな石段を下りると、すぐ左側に豊顕寺境内への門があり、本堂が見える。これが山門かと思っていたが、当山と書かれた赤門の説明板には、豊顕寺の山門は赤門と呼ばれたとある。この門は何と呼ばれるのかと疑問を持った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
011_210515032 X800 豊顕寺 境内 RX10M4.jpg
12.本堂と寺務所
その門の正面に本堂があった。右側には立派な寺務所らしき建物がある。境内はそう広くはない。本堂は、昭和42年(1967年)建立の鉄筋コンクリート造りだそうだ。屋根瓦には、「井桁に橘」と「三つ鱗」の紋が見られた。本堂の正面は閉ざされていた。豊顕寺は法華宗陣門流の寺院である。山号は法照山。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
012_210515038 X800 豊顕寺 境内 RX10M4.jpg
13.日蓮上人像
日蓮上人は鎌倉時代の仏教の僧で、鎌倉仏教のひとつである日蓮宗、法華宗の宗祖である。日蓮上人が宗祖である日蓮宗と法華宗の違いはどうなのかと、ちょっと検索してみたが、一口では言えない。法華宗(陣門流)は総本山本成寺(三条市)を中心とする教団で、日蓮宗は久遠寺(身延町)を中心とする教団であることは分かった。訪れた各地のお寺で日蓮上人像を見ることがある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
013_210515041 X800 豊顕寺 境内 RX10M4.jpg
14.大イチョウ
本堂前から、いま境内に入ってきた門を見る。門の右側に大きなイチョウの木が見える。樹齢600年ということだが、樹高はそれほどでもない。豊顕寺の大イチョウの名がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
014_210515042 X800 豊顕寺 境内 大イチョウ RX10M4.jpg
15.大イチョウの幹
推定樹齢600年だそうだが、回り込んで幹を見ると、樹皮が剥がれてしまっている。樹齢1千年といわれ、神奈川県の天然記念物に指定されていた鎌倉の鶴岡八幡宮の大イチョウが、2010年(平成22年)3月10日未明、強風で倒壊したのを思い出した。頑張って欲しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
015_210515044 X800 豊顕寺 境内 大イチョウ RX10M4.jpg
16.法照山豊顕寺 総門
入り口の門で一礼して、境内を退出する。国道一号線、そして横浜市営地下鉄の三ツ沢上町駅入り口への道にある総門を出て、振り返る。右の門柱に法照山、左に豊顕寺とあった。赤門が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
016_210515046 X800 豊顕寺 総門 RX10M4.jpg
17.せせらぎ緑道 門前橋広場
国道1号線に向かって歩くと、右側にせせらぎ緑道門前橋広場と彫られた石版がはめ込まれた石畳の散策路があった。河川の浸食によって形成された崖線沿いを、ここ門前橋広場を少し西へ行った水門広場から、東へ三ツ沢下町手前の上田橋跡までの、総延長1kmほどの緑道で、もともと反町川(滝の川)という川が流れていた場所に湧水を使ったせせらぎが流れている。このせせらぎは地下鉄三ツ沢上町、三ツ沢下町両駅に湧き出ている地下浸透水を水源に利用した珍しいものであるらしい。改めてこの 三ツ沢せせらぎ緑道 を西の入り口の水門広場から上田橋跡迄歩いてみたいと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
017_210515047 X800 三ツ沢せせらぎ緑道 RX10M4.jpg
18.せせらぎ緑道のせせらぎ
50mほどせせらぎ緑道に入ってみた。せせらぎの水は澄んでいる。「三ツ沢せせらぎ緑道」は昭和56年から工事が始められ、完成したのは昭和63年(1988年)だったそうだ。せせらぎに下りることが出来、右側にある門前橋をくぐることが出来るようになっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO2000 ) 露出補正 なし
018_210515049 X800 三ツ沢せせらぎ緑道 RX10M4.jpg


2021年2月 4日

明治神宮 鎮座百年祭 11月21日(2020年)

私が通った小学校は、渋谷区立神宮前小学校と云い、原宿駅から若い人達で賑わう表参道をまっすぐ、青山通りのメトロの表参道駅へ向かう途中、明治通りとの交差点を少し過ぎた左側、その頃は、同潤会のアパートだったが、今は表参道ヒルズになっている建物の裏側にあった。
  明治神宮 の境内は子供の頃の遊び場であり、その参道にある灯篭の明かりに、夜中に集まって来ていたカブトムシやコクワガタ、時には立派なノコギリクワガタなどを採りに行ったものだった。

明治神宮 境内案内図 X650  マップ.jpg
明治神宮 境内案内図

その明治神宮が、大正9年(1920年)11月1日に、ここ代々木の地に創建されて100年になる。2020年10月30日(金)~2020年11月1日(日)に明治神宮鎮座百年大祭が開催された。
 2019年(令和元年)10月26日、記念事業の一環で、隈研吾さん設計による「明治神宮ミュージアム」が新たな宝物館としてが開館した。ここへ行って見たかったのが、第一の目的であったのだが、久しぶりに明治神宮を参拝してきた。
 原宿駅も新しくなった。原宿駅から直接、明治神宮南参道の入り口である鳥居の前に出られる。 「明治神宮ミュージアム」では、令和2年の10月17日から12月6日までの間、「明治神宮鎮座百年祭記念展」が開催されていた。 「明治神宮ミュージアム」は南参道を進んで石橋の先の右側にあった。開館時間は10時であり、その少し前に着いた。係の方が、玄関の落ち葉を竹箒で履いている。
 午前10時、開館と同時に入館(入館料1,000円)した。入ると1階にメインロビーがある。左側が「森の展示室」になっていて、「明治神宮に宿る(百年)(一年)(一日)(一刻)という4っの時間軸を通して、森と祈りの永遠性をお伝えいたします。」と説明されていた。2階に上がる。床からして木の香りが伝わる素晴らしい空間である。階段を上がったところの「宝物展示室」がメインの展示であり、そこは「倹約の御心が偲ばれるご愛用の鉛筆から、金色の鳳凰をいただく儀装車まで、明治天皇、明憲皇太后おゆかりの御物を常設展示」と説明されていた。残念ながら、展示物の撮影は不可だった。
 「明治神宮ミュージアム」を見学して、再び南参道を本殿に向かう。副都心線の北参道駅の方からの北参道と合わさるところで、直角に左(西)に曲がり、高さ12mの明神鳥居としては日本一の大鳥居を潜る。そして突き当りを右へ曲がると「本殿」がある。大鳥居を潜ると参道の左側には、明治神宮鎮座百年に関わるパネルが並んでいた。七五三を祝う家族連れの姿があった。
 「本殿」の参拝を終えて御苑維持協力金500円をお支払いして、「明治神宮御苑」に入り、紅葉を見ながら少し歩いた。
 約2時間、久しぶりの明治神宮参拝だったが、この日の東京都のコロナの新規感染者数は500人を超えていた。

1.南参道鳥居
2020年の3月から使用開始されたJRの新原宿駅の西口を出るとここへ出てくる。鳥居を潜って南参道を歩く。南参道の右側には車道があり、駐車場もあるが、現在は代々木側の北参道口からしか入れない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
001_201121001 X800 明治神宮 G7X.jpg
2.「杜のカフェ」
南参道の左側に洒落たテラス風のカフェが出来ていた。木の素材で仕上げた優しい外観とウッドデッキが「売り」のようだ。まだ、午前10時前なので、お客さんは少ない。朝早く来て、コーヒーを飲みながらの読書も良い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
002_201121005 X800 明治神宮 杜のテラス G7X.jpg
3.神橋
南参道を進むと神橋という石橋があった。せせらぎが流れるこの辺りには紅葉したカエデもある。  

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
03_201121020 X800 明治神宮 G7X.jpg
4.明治神宮ミュージアム
神橋の先の右側に今日の明治神宮参拝の目的である「明治神宮ミュージアム」の入り口があった。令和2年(2020年)に鎮座百年祭を迎える明治神宮では、令和元年10月26日、鎮座百年祭記念事業の一環として明治神宮ミュージアムが開館された。このミュージアムの設計は、日本を代表する建築家の隈研吾氏である。開館時間は午前10時、少し待って入館する。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO200 ) 露出補正 なし
004_201121024 X800 明治神宮 ミュージアム G7X.jpg
5.芸術と出会えるウォークラリー
神宮の杜 野外彫刻展 としていくつかの彫刻が随所に展示されていた。これは 明治神宮ミュージアムの入り口右側にあった名和晃平さんの「White Dear」と題されたブロンズに塗装が施された彫刻である。2020年の作品。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO320 ) 露出補正 なし
005_201121029 X800 明治神宮 ミュージアム G7X.jpg
6.明治神宮ミュージアム メインロビー
入館券を求めて中に入ると、右手に広々とした木調のメインロビーが広がっていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 17mm ISO800 ) 露出補正 なし
006_201121066 X800 明治神宮 ミュージアム G7X.jpg
7.明治神宮ミュージアム メインロビーから
展示の撮影はご法度になっていたが、建物は撮っても良いと告げられた。「White Dear」が見える。入り口を入って左側は杜の展示室となっていて、「明治神宮に宿る(百年)(一年)(一日)(一刻)という4っの時間軸をとおして、森と祈りの永遠性をお伝えいたします。」と説明されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 12mm ISO2000 ) 露出補正 なし
007_201121069 X800 明治神宮 ミュージアム G7X.jpg
8.明治神宮ミュージアム 2階
階段を上がると、木調の廊下があって、その廊下を通して、外が眺められる処だ。人がいなかったこともあるが、素晴らしい空間だった。この左側が宝物展示室、企画展示室になっている。宝物展示室には金色の鳳凰が屋根に飾られた艤装車が中央に置かれ、明治天皇、明憲皇太后ゆかりの品々が展示されている。企画展示室には定期的に企画展示、特別展示が開催される。この時は本殿内陣の奥深くおよそ百年の間奉安されいた下村観山作の屏風などが展示されていた。記念にミュージアム・ショップで「明治神宮のご宝物」とい冊子を購入した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO250 ) 露出補正 なし
008_201121073 X800 明治神宮 ミュージアム G7X.jpg
9.代々木
11時少し前まで、 明治神宮ミュージアムにいて外に出る。南参道の反対側に細く高い木があった(写真のイチョウの木の右側)。「この地には代々樅の大木が育ち、代々木という地名が生まれました。この前の名木代々木は昭和20年5月の戦禍で惜しくも焼失しましたので、そのあと植継いだものであります。」との説明札が立てられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 32mm ISO125 ) 露出補正 なし
009_201121034 X800 明治神宮 G7X.jpg
10.奉献 清酒菰樽
これらの 菰樽は縁あって永年明治神宮に奉納されている甲東会はじめ、昭和38年に結成された明治神宮全国酒造敬神会会員、全国各地の敬神の念厚き酒造家から献納されたものだそうだ。216個の樽があり、全国の神社の中でも有数の数と言われる。鎌倉の鶴岡八幡宮や大宮氷川神社などでも菰樽が並んで積まれているのを見たことがある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
010_201121041 X800 明治神宮 G7X.jpg
11.奉献 葡萄酒樽
参道の反対側にはフランスワインの酒樽が展示されていた。「和魂洋才を旨とし、我が国の伝統の心を守りつつ、西洋の優れた文物を取り入れた明治時代、まさに国民の模範となって近代化を推し進められた明治天皇は断髪、洋装をはじめ様々な西洋文化を積極的に取り入れられました。食文化に於いても率先して洋食をお召し上がりになり、西洋酒としては特に葡萄酒をお好みになられました。」という前置きがあり、ここに奉供されている葡萄酒樽はブルゴーニュ東京事務所代表で、シャトー・ドゥ・シャイイイホテルのオーナーでもある佐多保彦氏の呼びかけにより、葡萄酒産地として名高いフランス共和国ブルゴーニュ地方の醸造元各社より献納されたたものであるという説明書きがあった。ムルソーなど有名な銘醸の樽もあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
011_201121054 X800 明治神宮 G7X.jpg
12.参道の展示パネル
代々木方面からの北参道がぶつかるところの左手(西側}に、高さ12mの明神鳥居としては日本一の大鳥居がある。そこから先は本殿への参道であり、その左側に明治神宮鎮座百年に関わる大きなパネルが整然と立ち並んでいた。明治天皇は明治元年(1868年)9月20日、京都を出発し、10月13日には江戸城に到着した。千年以上の長きにわたって都であった京都を離れ東京に都が定まり、若々しい君主を戴く明治の時代が始まった。  

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
012_201121086 X800 明治神宮 G7X.jpg
13.明治の人 その気概と志
国づくりに励んだ有名無名の先人一人ひとりの力が、日本の近代化を成し遂げた。また、政府が招聘した海外からの専門家たちも国造りに貢献した。上から左から右へ 1.ラフカディオ・ハーン 2.福沢諭吉 3.東郷平八郎 4.乃木希典 5.夏目漱石 6.北里柴三郎 7.下田歌子 8.ウィリアム・スミス・クラーク 9.森鴎外 10.岡倉天心 11.与謝野晶子 12.エドワード・シルベスター・モース 13.野口英世 14.青木繁 が並ぶ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
013_201121177 X800 明治神宮 G7X.jpg
14.七五三の祝い
両親、祖父母らと家族揃って七五三の祝いでお参りに来られている方も見かけた。写真を撮ってもらっている女の子3人は、7歳、5歳、3歳なのかな。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO200 ) 露出補正 なし
014_201121114 X800 明治神宮 社殿 G7X.jpg
15.明治神宮 本殿
本殿は昭和33年に再建され、建築様式は「流れ造」。本殿は外拝殿、内拝殿、本殿からなる。写真は外拝殿。2020年(令和2年)12月23日付けで、本殿、内拝殿、外拝殿などの社殿36棟が国の重要文化財に指定された。新宿のドコモタワーが見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1200秒 23mm ISO125 ) 露出補正 なし
015_201121121 X800 明治神宮 社殿 G7X.jpg
16.夫婦楠 -1
夫婦楠は1920年(大正9年)の明治神宮創建当時に献上された2本のクスノキの総称だ。ご祭神の明治天皇と明憲皇太后の中が良かったことにあやかり、縁結び、夫婦円満、家内安全の象徴として親しまれ、明治神宮境内の中でも特に人気のパワースポットになっているそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO250 ) 露出補正 なし  
016_201121124 X800 明治神宮 社殿 G7X.jpg
17.夫婦楠 -2
離れて見ると広がった枝葉の部分がくっつき1本の木のように見え、夫婦が並んで立つ姿を想像させるという。拝殿、そしてその奥の本殿参拝の前に2本の仲睦まじい楠に手を合わせていく人が多い。樹齢は約100年で、樹高17m、幹回りは366cm/317mある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
017_201121125 X800 明治神宮 社殿 G7X.jpg
18.明治神宮御苑 隔雲亭
本殿にお参りして、正参道を戻る。右側に内縁の北門があった。この季節の内苑は見たことがないので入ってみることにした。wikipediaによれば、江戸時代から大名下屋敷の庭園として使われ、明治時代に宮内省が所轄する南豊島御料地となり、代々木御苑と呼ばれた。ここは明治天皇と昭憲皇太后にゆかりの深い名苑であり、この地の風光をこよなく愛した皇太后はしばしば行啓したほか、明治天皇は隔雲亭という御茶屋を建て、四阿を作り、池には菖蒲を植え、回遊歩道を設けて美しい庭園とされた。内苑の中で唯一、神社鎮座前から樹木が生えていた。隔雲亭は太平洋戦争の末期、アメリカ軍による空襲によって焼失したが、戦後に篤志家によって復元された。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 10mm ISO500 ) 露出補正 なし
018_201121141 X800 明治神宮 御苑 隔雲亭 G7X.jpg
19.明治神宮御苑 つつじ山辺りの散策路
御苑にカエデは少ないが、散策路を歩くと、カエデの葉が日光に当たって輝く。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 10mm ISO160 ) 露出補正 なし
019_201121156 X800 明治神宮 御苑 G7X.jpg
20.清正井(きよまさのいど)
御苑の最も北側の奥に清正の井戸がある。若い人達にとって、清正井は明治神宮で最も有名なパワースポットという。ここは江戸時代(1603年~1867年)の初めは熊本藩主加藤家下屋敷だったが、 江戸時代の武将、加藤清正が自らの手で井戸を掘ったという逸話から、「清正井」の名がついたとされている。 写真を携帯の待ち受けにするだけで良いパワーが得られると話題になり、多くの人が訪れるようになったそうだ。  

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/200秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 なし
020_201121170 X800 明治神宮 御苑 G7X.jpg
21.南池
隔雲亭から見下ろす大池は南池(なんち 8,300㎡)と称される自然の古池で、加藤家のあとに入った彦根藩主井伊時代から「お泉水」と言われていた。清正井から花菖蒲田を潤した清水を満々とたたえ、周りの樹影を映し出す。池面に張り出す樹々の彩りが美しかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 22mm ISO320 ) 露出補正 なし
021_201121175 X800 明治神宮 御苑 G7X.jpg


2018年4月 8日

春の鎌倉 寿福寺 英勝寺 海蔵寺 3月28日

この日、鶴岡八幡宮の段葛の桜を見終えたのは、まだ、10時を少し過ぎたころだった。しばらく行っていなかった海蔵寺へ行こうと横須賀線の踏切を渡って、寿福寺、英勝寺、海蔵寺と続く道へ出た。観光客は少ない。ゆっくりとみることができた。
 話は違うが、佐伯元行さんという方による日本産のチョウ類全種257種の飛翔写真集が刊行された。これを知ったときに「まさか」と思った。さっそく、注文したところ、本日、手元に送られてきた。佐伯さんは2006年に日本産全種撮影を成し遂げ、さらに今回、全種飛翔写真撮影を達成された。昨今のチョウの写真は、飛んでいるところが珍重されている。私も試みることはあるが。飛翔写真の撮影は極めて難しい。そして、撮った駒に対する歩留まりが悪い。佐伯さんの「蝶の飛翔」写真集はまさに偉業と思う。

1.寿福寺 外門
鶴岡八幡宮から若宮大路を右に曲がって小町通を突っ切り、踏切をわたり、右へ進むと左手に寿福寺がある。寿福寺は臨済宗建長寺派の寺院で鎌倉五山の第三位。1200年(正治2年)に源頼朝夫人の北条政子により開山された。地味なお寺で観光客は少ない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO320 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
2.寿福寺の境内
寿福寺の外門の先には山門まで、長い敷石道の参道が続く。境内は「寿福寺境内」として1966年(昭和41年)3月22日に国の史跡に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO160 ) 露出補正 なし
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3.英勝寺 ウスズミザクラ
次は英勝寺である。創建は寛永13年(1636年)の浄土宗のお寺である。開山は水戸光圀の姉である玉峯清因、開基は英勝院尼。現在、鎌倉唯一の尼寺という。小さな入口を入って拝観料を支払う。受付の方が「ウスズミザクラが咲き始めましたので見ていってください」と教えてくれた。 ウスズミザクラはエドヒガン系の桜で、咲き初めがピンクで、後に清楚な白い花ビラとなり、散る間際には墨をさしたような色に変わるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 13mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
4.英勝寺 聖観菩薩
本堂のお参りは後にして、太子堂、 聖観菩薩の矢印を見て、崖の上に上がってみる。 聖観菩薩のいわれはよくわからない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
5.英勝寺 仏殿
英勝寺の仏殿は、1636年(寛永13年)に建てられた禅宗様方三間裳階付の建物で宝珠殿(ほうじゅでん)と呼ばれる。 扁額に何と書かれているのか読みにくかったが、どうやら「寶珠殿」と書かれているらしい。 寛永20年(1643年)4月11日の裏書きがあるそうだ。仏殿は間口、奥行きとも3間、屋根は寄棟、裳階(もこし)付きの建物である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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6.英勝寺 本尊 阿弥陀如来
仏殿正面の小窓を開けると本尊の阿弥陀如来を拝観することができる。この阿弥陀如来像は徳川三代将軍家光の寄進といわれる。RX10M4でISOの上限を3200にし、シャッター速度を1/500秒より速い設定にしておくと、開放でこれより光量が少ない場合は、シャッタースピードが遅くなる。この場合1/60秒でシャッターが切れた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/60秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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7.英勝寺 竹林
鎌倉には報国寺という、石灯篭や赤い野点傘が置かれ、孟宗竹の緑をひきたたせている立派な竹林のあるお寺があり、2010年に訪れている。しかし、わたくしは此処の竹林のほうが好きだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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8.スジグロシロチョウ
この日は暖かい日だった。英勝寺の境内に咲く紫色のダイコンバナでスジグロシロチョウが吸蜜していた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
9.英勝寺 手水鉢
境内を歩いているといくつかの石造物があり、その中に由緒ありそうな手水鉢があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO800 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
10.海蔵寺 入口
英勝寺からさらに進むと、左に曲がる海蔵寺への道がある。海蔵寺は鎌倉駅から1.4kmのところにある。海蔵寺も臨済宗建長寺派のお寺。 wikipediaによると 建長5年(1253年)に宗尊親王の命により藤原仲能が創建し、鎌倉幕府滅亡時に焼失、応永元年(1394年)に上杉氏定の開基、心昭空外を開山として再興されたと伝えられる。正面が山門だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO800 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
11.ムラサキシジミ
海蔵寺の庭で敏捷に飛び回る小型のチョウがいた。コツバメと思ったがムラサキシジミだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
12.海蔵寺 鐘楼と庫裡
海蔵寺の鐘楼は秋の紅葉の頃が美しく、この寺のポイントになって入る。左奥に見えるのは、2階建て、出桁造で、江戸時代の建立である庫裡だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 13mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
13.海蔵寺 本堂
山門を入って正面に、十一面観音が安置された本堂がある。ミツマタの花がきれいだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/900秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
14.海蔵寺 カイドウの花
海蔵寺はカイドウの花が良いと聞いていた。庫裡の脇に咲くカイドウはやっと蕾が開き始めたころだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 114mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
15.海蔵寺 龍護殿
本堂の中は広間になっていて龍護殿と書かれた額がかけられていた。本堂は龍護殿と呼ばれているらしい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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16.海蔵寺 本堂裏手の庭園
本堂の裏手には、綺麗に手入れされた非公開の山水庭園があった。水の寺とも言われる海蔵寺だけあって、湧水から成る池や、初夏のあやめ、晩秋の紅葉と、緑色の苔とのコントラストが非常に美しいといわれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 15mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
17.海蔵寺 カイドウと庫裡の屋根
カイドウの花と背景とを写し込もうと思い、絞りをf11にして撮ってみた。カイドウの花までの距離があり思うようにはいかなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 39mm ISO640 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
18.海蔵寺 
本堂から山門を見て、右側に薬師堂と呼ばれる仏殿がある。1777年に同じ鎌倉にある浄智寺から移設されたそうだ。中には鎌倉十三仏のうちの一つである、薬師如来坐像が置かれていて、拝観できた。向かって右手に日光菩薩、左手に月光菩薩が祀られている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f3.2 1/125秒 14mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
19.海蔵寺 出口
本堂から見て、正面の山門が入口だとすると、その左手に出口に当たるもう一つの門がある。ユキヤナギがきれいに咲いていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 51mm ISO100 ) 露出補正 なし
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2018年4月 3日

鎌倉 鶴岡八幡宮の桜 3月28日

この日はゴルフの予定があった。しかし、3月10日に切開手術をした右足親指の裏側の痛みが続き、歩き難い日が何日か続いていた。23日に抜糸をしたが、28日にゴルフをすることについて医師に確認したところ、治りはギリギリだが体重のかかるところなので、万一、術創が開くといけないので、決して無理をしないようにと言われた。そう言われると大事をとってあきらめざるを得ない。ご一緒していただく方々にお詫びし、キャンセルをさせていただいた。
 この日は良い天気だった。そして、桜は満開になっている。鶴岡八幡宮の段葛の桜並木は、年老いた桜の木の植え替え工事のため、 2014年(平成26年)11月から、2016年(平成28年)3月までの予定で整備工事が行われていた。一昨年の春には新しい段葛の桜並木が完成していたが、昨年は見に行くことができなかった。今年は是非見たいと思っていた。とうとう、誘惑には勝てず、足をかばいながら、午前中鎌倉へ出かけた。

1.新しくなった段葛の桜
雲一つない快晴だった。朝早い時間には少し靄がかかっていたようだったが、ここに来たら、クリアな青空が広がっていた。そして段葛は、桜の木の植え替え前と比べると、天井が取り払われたようにリフレッシュされていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 21mm ISO100 ) 露出補正 なし
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2.植え替えられた180本のソメイヨシノ
時刻は午前9時半。まだ人はそれほど多くはない。外国人観光客の姿も見える。180本あるというソメイヨシノの木は、まだ若い。整然と並んでいる。石灯篭も新しくなった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 50mm ISO100 ) 露出補正 なし
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3.ほぼ満開のソメイヨシノ
見上げるソメイヨシノの花はほぼ満開だった。遠くに本宮の屋根が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
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4.桜並木
段葛の桜並木が整然と続く。まだ木は若く細い。ソメイヨシノはサクラ類の中でも最も大きく成長する一種だそうだ。その大きさは長命で知られるエドヒガンをも凌ぐいう。良好な環境下であれば、樹齢50年で高さ15m、胸高幹周2.5m、枝張り20mにもなるという。このように大きくなることを想定せずにいろいろな所に植えてきたので、後々にいろいろな問題を生ずるようになったのだそうだ。人が手を掛けないとソメイヨシノは弱ってしまう。その時期は植えられて40年経ったころからで、弱り始めて何も手を掛けずにいれば衰退はいっそう進み、60年経った頃には無残な姿になってしまうという。これが寿命60年といわれる所以のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
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5.桜並木と本殿
桜の花の向こうには朱色の三の鳥居、本宮が見えてくる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 183mm ISO100 ) 露出補正 なし
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6.三の鳥居、舞殿、本宮
段葛の桜並木から眺める本宮の姿が大きくなってきた。段葛の入り口にあるのは、二の鳥居、これは三の鳥居である。本宮の手前にある屋根は舞殿の屋根だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 76mm ISO125 ) 露出補正 なし
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7.お嫁さん
鶴岡八幡宮では1日1組限定で、舞殿にて神前結婚式ができる。費用は20万円~25万円という。結婚式を終えたカップルが三の鳥居の前に来た。もちろん和装である。外国人観光客の方々がカメラを構える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 76mm ISO125 ) 露出補正 なし
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8.源平池
三の鳥居をくぐって、太鼓橋の左右に池が広がる。本宮に向かって左が平家池で、こちらが源氏池である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
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9.ボルゾイ
太鼓橋の傍でボルゾイを散歩させている方がいた。「写真を撮らせてください」と声をかけて撮らせていただいた。ロシア原産のボルゾイは美しく高貴な姿で人気があるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/800秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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10.旗上弁財天社
源氏池に浮かぶ島に旗上弁財天社がある。ここの桜も満開だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
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11.大イチョウ
鶴岡八幡宮を訪れるときは、必ず平成22年3月10日未明に倒れてしまった大イチョウがその後どうなったか見てくることにしている。前回は一昨年の秋、紅葉の季節に訪れた。大イチョウのひこばえから育った若木はさらに大きくなっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 38mm ISO160 ) 露出補正 なし
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12.源氏池の桜
再び、源氏池へ戻ってきた。鶴岡八幡宮の桜はここが一番きれいなようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 34mm ISO100 ) 露出補正 なし
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13.桜
源氏池から満開の桜を撮る。橋からこちら側にカメラを向ける観光客も多い。良い具合にぼけてくれた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
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14.段葛を戻る
望遠で石燈籠の並びを撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 213mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
15.本宮を振り返る
時刻はまだ、10時半前だ。薄いセーターを着ていたが、暑くなってきた。陽も高くなり満開の桜が輝く。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 81mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


2017年6月 7日

人形町・水天宮・門前仲町 5月16日

あれは東日本大震災の年だったと思う。古希を迎えた小学校の同級生で、クラス会を行った折に、これからは半年に一度は会う機会を作ろうかということにして、もう、5年が過ぎた。前回集まった時に、次回は人形町の「玉ひで」さんの親子丼を食べたいとの意見が出た。私も以前に2~3回並んで順番を待って「玉ひで」の親子丼を食べたことがある。しかし、まとまって座って、ちょっとゆっくりしたいとなると、並んで待って、食べ終わったらすぐ出るというのでは落ち着かない。「親子昼膳」を予約して席を確保することにした。
 いつものクラス会は8名~10名くらい集まるのだが、今回は参加者が6人と少なかった。しかもひとりが日にちを勘違いしてドタキャンになった。幸いキャンセル料は勘弁していただいたが・・・
  食後の腹ごなし散策のこともあるので、私は少し早めに行って、人形町界隈を歩いてみることにした。横浜から人形町へは京浜急行、都営地下鉄浅草線直通で乗り換えなしで行けた。
 人形町駅で下車、まず、久松町の方へ歩いてみる。そこから浜町へ。甘酒横丁を通って、人形町へ戻ってきて、クラスメートと落ち合った。
 「玉ひで」さんでは、江戸の古地図の屏風が置かれた落ち着いた椅子席に案内された。親子丼は旨かった。
 「玉ひで」を出て、安産はもう関係ないが、まず水天宮へお参りした。すっかり新しくなっている。
 男3人、女2人の一行は、水天宮から地下鉄半蔵門線に乗って清澄白河で都営大江戸線に乗り換え門前仲町へ。深川不動堂、富岡八幡宮にお参りし、喫茶店でしばし話に花を咲かせた後、次回の約束をして解散となった。

1.明治座
人形町から久松町へ出て、久松町の交差点を右に曲がり、清州通り進むと、こののぼりが見えてきた。明治座だ。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/320秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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2.新しくなった明治座
​明治座がこのビルに入ったのは1993年だ。wikipediaによると、​明治時代からの長い歴史を持つ「日本橋明治座」は、「銀座歌舞伎座」「新橋演舞場」「お堀端帝劇」などとともに、東京を代表する劇場として親しまれてきた。​1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲で焼失した明治座は、その残骸をむき出しのまま放置されていたが、地元有志の間で明治座復興の気運が盛り上がり、​​​​​​再建され​​​​​​1950年(昭和25年)11月30日に開場に漕ぎ着けた。1993年には、再開発で建て替えた賃貸オフィスビルの浜町センタービル低層階を占める形となっている。​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/400秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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3.玉ひで
明治座から甘酒横丁を人形町方面に戻る。5月21日、TV番組の「路線バスの旅」で徳光和夫さん、伍代夏子さん、田中律子さんが、この通りを歩いていた。人形町通りを渡って少し行くと、この日親子丼を食べる「玉ひで」さんだ。予約をしておいたので、落ち着いた部屋の椅子席で「親子昼膳」を食べながらのひと時を過ごした。旨かった。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f3.1 1/800秒 4mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
4.水天宮
「玉ひで」を出て、まず、水天宮にお参りする。水天宮も新しくなっている。wikipediaによれば、江戸鎮座200年記念事業として社殿の建て替えを行った。それに伴い、平成25年(2013年)3月1日から平成28年(2016年)4月7日までの間は、日本橋浜町の明治座そばに仮宮(位置)が設けられていた。これは少なくとも、昭和40年代初期に嵩(かさ)上げ工事をして二階建てとなって以来、ほぼ半世紀ぶりの遷座である。平成28年4月8日より新社殿への参拝者の受け入れを開始したとある。このコンクリートの階段がいわば参道なのだろう。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f3.​5​​​​​​​ 1/80秒 ​6​mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
5​.水天宮新社殿​
白木を基調とした神社建築様式を取り入れ​​​られている​​​。また代々受け継がれている伝統文化の錺金具や彫刻等も施されている​​​。免震構造など最新技術を用い、古きよきものと新しきものを取り入れた、時代に即した社殿という。安産、​子授けはもはや関係ないがお参りをした。ここが、福岡勤務時代に訪れたことがある福岡県久留米市の久留米水天宮の分社とは知らなかった。​​​​​​​​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​7​​​​​​​ 1/400秒 ​7​mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
6.水天宮 子宝犬
周囲を取り巻く十二支のうち自分の干支を撫でると安産、子授け、無事成長など様々なご利益があるのだそうだ。​​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​7​​​​​​​ 1/320秒 ​7​mm ISO100 ) 露出補正 なし
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7.深川不動堂入り口
水天宮前から地下鉄半蔵門線(東京メトロ)に一駅乗り、清澄白河で都営大江戸線に乗り換え、また一駅乗って門前仲町で下車した。永代通りの朱塗りの門を入ると深川不動堂の参道だ。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​1​​​​​​​ 1/640秒 ​4mm ISO100 ) 露出補正 なし
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8.深川不動堂 旧本堂とわらじ願掛け
深川不動堂は、真言宗智山派の寺院であり、千葉県成田市にある成田山新勝寺の東京別院である。正面に見えるのは旧本堂で、前本堂が東京大空襲で焼失した後、千葉県本埜村(現・印西市)の龍腹寺の堂(文久3年・1863年建立)を移築して本堂としたもので、昭和25年(1950年)に移築が完了、翌年に落慶法要が営まれている。旧本堂の西側(写真では左側)にある外壁に梵字(不動明王真言)を散りばめてある建物が現在の本堂で、開創310年を期に平成23年(2011年)に完成したそうだ。境内に足を踏み入れて目立つのは巨大なわらじだ。​​​​​​​​​​これには願かけの絵馬やわらじが無数にぶら下げられていた。​​​​​​​この巨大なわらじは本堂に登る​石段​​​​​​の両側にあり大変目立​​​​​​​​​​​つ。靴を脱いで旧本堂に​​​上がって、およそ10,000体のクリスタル五輪塔が祀られている「祈りの廻廊」、4階にある天井画「大日如来蓮池図」、そして本堂で行われていた護摩行を見学した。​​​​​​​​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​7​​​​​​​ 1/500秒 ​7mm ISO100 ) 露出補正 なし
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9.深川開運出世稲荷
境内に成田山開運出世稲荷の分霊である稲荷社があった。「荼枳尼天尊」の扁額がかかっている。よく判らないが、狐が玉のようなものを咥えている。反対側の狐も何かを咥えている。狛犬と同様に社殿に向かって右(上座)が口を開いた「阿(あ)」であり、左(下座)が口を閉じた「吽(うん)」と言われるがここのは左右同じように見える。稲荷神社の狐は玉のほかにも鍵や鎌や稲穂を咥えた狐もいて、いくつかのバリエーションがあるようだ。 ​​​​​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​1​​​​​​​ 1/​640​​​​秒 ​4mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
10.富岡八幡宮 分社
深川不動堂を出て左へ行き、富岡八幡宮の鳥居をくぐって境内に入る。その左手にひっそりとこの分社があった。左から、富士浅間社、金刀比羅社、大黒社、恵比寿社、鹿島神社、大島神社とある。正面から入るとここは境内の一番奥になる。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​3​​​​​​​ 1/​160​​​​秒 ​5mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
11.富岡八幡宮 本殿
本殿は改修中だった。本年例大祭までを完成目標として、外壁等の塗り替えを中心に、本殿、南参道鳥居、西参道鳥居の修繕工事が行われていた。​​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4.4​​​​​​​​ 1/​250​​​​秒 ​12mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
12​.日本一の御神輿
一の宮神輿と二の宮神輿があるが、この一の宮神輿の方が大きい。​​​​​説明板などによると、富岡八幡宮にはもともと、江戸、元禄時代に深川に屋敷があった紀伊国屋文左衛門​​より、三社託宣に因み、八幡造り、神明造り、春日造りの三基三様の神輿が奉納され、みこし深川と言われてきたが、大正12年の関東大震災で惜しくもそのすべてを焼失した。長い年月、宮神輿がなかったが平成になり、昔に優るとも劣らない豪華なお御神輿が復活した。日本最大の神輿と言われている高さ4.4メートル重さ4.5トン、随所に純金・宝石が散りばめられた絢爛豪華な一の宮神輿が平成3年(1991年)に奉納された。神輿の最上部の鳳凰や中段の狛犬のダイヤモンドの目は光り輝いており、非常に豪華な作りになっている。一の宮神輿は非常に大きすぎて担ぐ事が出来ないということで、1997年(平成9年)に、この一の宮神輿の右側に置かれている二の宮御輿が作られ御本社祭りの際担がれる様になった。こちらは一回り小さいが、それでも高さ3.3メートル重量2トンもある。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​3.1​​​​​​​​ 1/​60​​​​秒 ​4mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
13.木場の木遣りの碑
富岡八幡宮の正面まで来た。大関力士碑があり、横綱力士碑は本殿の横にあるとあったので、先にそちらを見に行こうと東参道へ入るとこの木遣りの碑(角乗り碑)があった。「木場の木遣り」の発祥は古く、現存の文献によれば、既に慶長初期の昔に行れている。当時、幕府のお船手の指図で、伊勢神宮の改築用材を五十鈴川より木遣りの掛け声で水揚げをした、とある。元来、神社仏閣の鳥居や大柄な用材を納める場合には木場木遣り特有の「納め木遣り」が用いられ、保存会により今日に伝えられている。元禄の始めには、武家屋敷の並ぶ両国の七つ谷の倉の間部河岸という所で3代将軍家光公に筏の小流し(さながし、筏組)、角乗り、木遣りをご覧に入れ、以後年中行事となった。この時、川並みという言葉が発祥したと伝えられる。 江戸の昔より正月2日から7日に掛け木遣りにて初曳きし、材木屋さんに売り捌くのを年中行事としていた。これはブログ「東京都江東区の歴史」より引用させていただいた。また、「東京ぐるり」というブログを見ると、木材の町「木場」は、江戸時代より昭和50年「新木場」に移転するまで約270年間木材産業の町として栄えた。江戸材木置場は、寛永18年(1641年)、明暦3年(1657年)の大火後、永代島に集中移転し木場と称した。元禄14年(1701年)現在の木場に移転以来270年間、木場は繁栄を続けた。昭和51年夏までに大半の材木業者が夢の島の新木場に移転したとあった。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.1​ ​​ ​1/60秒 4mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
1​4.七渡神社
弁天池の真ん中の道の向こうに七渡神社がある。立てられれていた説明板には、「七渡神社は八幡宮御創建以前よりお祀りされ、八幡様の地主神として七渡弁天さまと尊ばれて参りました。あわせてお祀りされる粟島神社は女性の守り神として2月8日に献針祭(針供養)が行われます。」と記されていた。​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​3​​​​​​​ ​1/​8​0秒 ​5​mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
15.横綱力士碑
目当ての「横綱力士碑」は改修中の本殿の東側にあった。富岡八幡宮のホームページによると、富岡八幡宮は江戸勧進相撲発祥の地として有名である。江戸時代の相撲興業は京・大阪から始まるが、 トラブルが多くしばしば禁令が出た。その後禁令が緩み、貞享元年(1684)幕府より春と秋の2場所の勧進相撲が許された。その地こそがこの富岡八幡宮の境内だった。以降、約100年間にわたって本場所が境内にて行われ、その間に定期興行制や番付制が確立されたそうだ。そののち本場所は、本所回向院に移っていくが、その基礎は富岡八幡宮において築かれ、現在の大相撲へと繋がっている。明治33年、第12代横綱陣幕久五郎を発起人に歴代横綱を顕彰する碑がここに建立された。そして新横綱誕生時には相撲協会立会いのもと刻名式が行われ、新横綱の土俵入りが奉納される。また両側には伊藤博文、山県有朋、大隈重信といった賛同者の名が刻まれており、広く各界から協賛を得て建立されたことを物語っている。

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​3​​​​​​​ ​1/​8​0秒 ​5​mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
16.大関力士碑
こちらは富岡八幡宮の正面、大鳥居をくぐってすぐ右手に歴代大関を顕彰するために建立された 「大関力士碑」がある。この碑は明治の頃に、9代目市川団十郎と5代目尾上菊五郎により寄進されていた2基の仙台石を活用し、初代大関雪見山から2014年3月に引退した琴欧州まで歴代大関114名の四股名が彫り込まれている。(大関に在った力士が引退した時にその四股名が彫り込まれるとのこと) ​

​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​1​​​​​​​ ​1/​8​0秒 ​4​mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
1​7.スカイツリー
富岡八幡宮のお参りの後、喫茶店でしばし昔話を楽しんだ後、クラス会は解散になった。みんなは門前仲町から地下鉄に乗ったが、私は人形町まで歩くことにした。永代通りを永代橋に向け歩く。途中、福島橋から右手に御船橋、緑橋、そしてその向こうにスカイツリーが見えた。​

​​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f5.6​​​​​​​ ​1/​125秒 3​4​mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
18.永代橋
墨田川にかかる大きな永代橋を渡る。永代橋は、元禄年間に「深川の大渡し」に代わって架けられ、佐賀町付近(現在の佐賀一丁目付近)が昔、永代島と呼ばれていたため、永代橋と名付けらた。現在の橋は、1926年に架けられたもの。1897年に、道路橋としては日本で初めて鉄が使用されたが、床が木製だったため関東大震災で焼損し、震災復興橋として現在の姿となったそうだ。

​​​​​​​​ Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6​​​​​​​ ​1/​125秒 3​4​mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
19.佃島タワー・マンション群
永代橋の左側(南側)には、墨田川の向こう、佃島エリアの高層マンション群が聳える。高層マンションは8棟あり、大川端リバーシティ21と呼ばれている。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5​​​​​​​ ​1/​125秒 ​22​​​​​​​​mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
20.人形町からくり櫓
永代通りを新川1丁目で右に曲がり、湊橋を渡って、東京シティ・エア・ターミナルに出た。そこを左に水天宮の方へ進む。そして人形町通りを人形町交差点へと進む。その人形町通りに「人形町からくり櫓」があった。時間になると人形たちが生き生きと動き出し、道行く人々の目を釘付けにするという。こちらは「江戸落語からくり櫓」で、道の反対側には「江戸火消しからくり櫓」があった。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.7​​​​​​​ ​1/​125秒 ​7​​​​​​​​mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
21.鉄造菩薩頭
この寺は大観音寺という。鎌倉の新清水寺にあった鋳鉄製の観音像が鎌倉時代に火災に遭い、後に頭部のみが掘り出され、その後鶴岡八幡宮に安置されていたが、神仏分離令により現在の大観音寺に遷座となったそうだ。それが明治9年のことで、安置されているここ大観音寺は明治13年に建立された。鉄造菩薩頭は関東に現存する中世に造立されたものの中でも特に優れていることから、昭和47年に東京都有形文化財に指定された、といったことが中央区教育委員会の立て札に記されていた。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.7​​​​​​​ ​1/​30秒 ​7​​​​​​​​mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


2017年1月15日

紅葉の鎌倉を散策(4) 鶴岡八幡宮 12月5日

銭洗弁財天から道しるべに従って鎌倉駅方面へ下りる。20分ほど歩いて鎌倉駅の西口に出た。西口は江ノ電の乗り場になっている。駅に向かってロータリーを左に歩いて、地下道を抜けて反対側の東口に出た。
 この日の目的のひとつであった新しくなった段葛(参道)を見るためさっそく若宮大路の二の鳥居へ出た。段葛は今は花はないが、桜の木が植え替えられ、きれいになっていた。桜の花が咲くころに来てみよう。
  段葛をまっすぐ進んで、三の鳥居から境内に入った。次の目当ては大銀杏の子供がどうなっているか見ることだ。本宮の大石段の脇の根が残された大銀杏があったところからは選び抜かれた1本のひこばえがすくすくと育っていた。これが次代の大銀杏になるのだろう。高さは3mを超えているのではないだろうか。根元から切られたもともとの幹は植え替えられて、その周りにも多くのひこばえが生えている。
 そのあと、源氏池の旗上弁天社で撮影して、一の鳥居を出たのは午後1時を回っていた。一の鳥居を出て若宮大路を少し行ったところの左側に「繁茂」という蕎麦屋があった。少々歩き疲れたので、入ったことのない店だったが、即断即決、のれんをくぐった。なかなかにぎわっていた。冷たいとろろそばを頼んだが、思いのほか旨かった。

46.鎌倉市役所前
鎌倉市役所にでた。鎌倉駅西口へはまっすぐ行くのだが振り返って市役所前の交差点に立っている道案内板を見ると、海蔵寺1.4kmとある。次回はここから海蔵寺へ行こう。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f7.1 1/​800​秒 116mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
47.鎌倉駅西口​​
鎌倉駅西口に出た。向かって右側が江ノ電の駅舎である。八幡宮や小町通のある東口は観光客の町だが、西口は生活感のある地元の人たちの町という感じがする。左に行って線路の下をトンネルでくぐり東口に出た。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f9 1/​320​秒 38mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
48.二の鳥居​​​​
鶴岡八幡宮の若宮大路の二の鳥居に来た。ここから新しく整備された三の鳥居へまっすぐ続く段葛を見る。段葛は2014年10月より改修工事が行われ、2016年3月に完成した。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f10 1/​400​秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
49.新しくなった段葛
新しく植えられた桜の木はまだ枝が張っていないので、その先に鶴岡八幡宮の本宮が見える。ちなみに新しく植えられた桜は、枝が横に広がらないタイプのものが選ばれたそうだ。若宮大路は鎌倉のメインストリート。段葛のすぐ横は、大型の観光バスも行き交う。以前は、道にせり出した枝を切っていたが、桜は枝を切るとどうしても木の勢いが弱くなってしまうのだそうだ。そこで、ソメイヨシノの中でも上に伸びていく性質を持った桜が選ばれ、新生段葛の桜として植えられたとのこと。石灯籠も新しくなっていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6 1/​1000​秒 175mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
50.太鼓橋
三の鳥居から境内に入り太鼓場所越えに本宮を拝む。 鶴岡八幡宮の太鼓橋は、1182年(寿永元年)、源平池が造営されたときに架けられたものと考えられているそうだ。将軍家が鶴岡八幡宮に参拝するときは、この橋で輿を下乗したという。当時は朱塗りの板橋であったことから、「赤橋」(あかはし・あかばし)と呼ばれていた。鎌倉の古絵図にも「赤橋」と記されているとのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
51.舞殿と本宮
太鼓橋かの手前から、手前に舞殿、奥に本宮の楼門を望む。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​640​秒 130mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
52.カエデと参道
八幡宮の境内にはあまりカエデはないが、太鼓橋の先に赤く色づいたカエデがあった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250​秒 12mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
53.神前結婚式​​
鶴岡八幡宮では境内にある舞殿と、本宮の御子神をお祀りする若宮で挙式することができる。向こうから歩いてくるこのカップルはその神前結婚式を終えられたところであろう。鶴岡八幡宮をお参りすると、しばしば結婚式を挙げた二人に遭うことがある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f7.1 1/​800​秒 82mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
54.後継ぎの大銀杏​​​​
本宮の大石段の左側、もとの大銀杏があったところに1本のひこばえがぐんぐんと伸びてきている。残された根の部分から生えていた何本ものひこばえから選ばれた次代の大銀杏だ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f10 1/​400​秒 50mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
55.移植された幹 -1
ちょっと離れたところに移植されている大銀杏の幹の部分からもひこばえが伸びている。ここはこれからどうしていくのだろうか?

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f7.1 1/​250秒 48mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
56.移植された幹 -2​​
2010年3月10日に強風により倒壊した樹齢1000年を超えるという大銀杏の幹がいかに太かったか・・・。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250秒 46mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
57.源氏池
​​ 大銀杏の再生を見て引き上げることにする。源氏池には水鳥が来ていた。ユリカモメもいる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250秒 46mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
58.旗上弁財天社
​​ 源氏池に張り出した弁財天の鳥居と紅葉したカエデが重なっていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f9 1/​320秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
59.蕎麦屋「繁茂」
​​​​ 初めて入った蕎麦屋だったがなかなか旨かった。後でこの店のHPを開いて見たら、不定期でミュージシャンを呼び、弾き語りなどの ライブを開催していて、美味しいお蕎麦をつまみにライブを堪能できますとあった。蕎麦屋でライブ・・・面白そうだ。この日は朝9時前に北鎌倉の駅に下り、円覚寺、東慶寺、浄智寺、そして葛原岡ハイキングコースを上り、銭洗弁財天から鶴岡八幡宮と4時間歩きづめで少々疲れたが、天候もよくすがすがしい1日だった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250秒 35mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
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2017年1月 4日

紅葉の鎌倉を散策(1) 円覚寺 12月5日

おかげさまで本年も平穏な正月を迎えることができた。2日は毎年行っている家内の両親や兄たちが眠る八王子のお寺に墓参りに行った。元旦には毎年、近くの橘樹神社と神明社に初もうでをするが、今年の元旦は娘夫婦の家で新年会となった。
  昨年12月以降のことで、今年のブログはスタートすることになる。
 紅葉の写真を撮りに鎌倉へも行ってきた。一昨年は改修中だった鶴岡八幡宮の段葛が昨春に工事を終えたというので是非見てみたかった。また、2010年3月10日未明に強風で倒れた大銀杏の子孫がどこまで育ってきているかも見たい。一昨年は12月7日に行っている。
 12月5日から数日天気の良い日が続くという予報だった。その12月5日は早朝は雲があったが、7時ごろには予報通り青空が広がってきた。8時に家を出て、北鎌倉に着いたのは9時少し前だった。
 予定したコースは、円覚寺→東慶寺→浄智寺→海蔵寺→鶴岡八幡宮だったが、浄智寺から海蔵寺へ行くことができなかった。浄智寺を出ていったん鎌倉街道へ出て、横須賀線の踏切を進行方向左側へ渡る。しかし、海蔵寺は横須賀線の線路のこちら側、つまり進行方向右側だ。そこで浄智寺から鎌倉街道へ出ないで右へ行くのが良いのかと思い、いったん浄智寺へ戻り、浄智寺の受付の女性に「海蔵寺さんはここを右へ行けばよいのですか?」と尋ねたところ、山越えだが行けるとのこと。30分ほどだというので歩き始めたが、それは源氏山、葛原岡神社、さらに大仏へのハイキングコースだった。途中で追い越された地元のかたらしい人に「海蔵寺さんへはどう行けばいいですか」と聞いてみたら、「この先から降りていけると思いますが、崖になっていて、前夜の雨で滑るので危険ですから迂回した方がいいですよ」と教えてくださった。仕方なくそのまま源氏山へ向かう。途中どこにも海蔵寺という行先案内はない。源氏山について地図を見たら、化粧板切通というところを通って、ぐるっと回っていかなければならないようだ。仕方がない、海蔵寺は次の機会にしようと諦めて、銭洗弁財天をみて、鎌倉駅へ下りることにした。
 鎌倉駅のいわゆる裏駅(西口)に出て、東口に地下道を抜け、若宮大路の段葛の入り口へ出た。 さて、まずは、円覚寺から。午前9時に総門を入った。まだ参拝客も少ない。
 円覚寺は弘安5年(1282年)に創建された。開基は元寇の役に活躍した鎌倉幕府の執権北条時宗、開山は宗から来朝した高僧の無学祖元(仏光国師)である。結婚して7年ほど北鎌倉に住んだことがあるが、娘はこの円覚寺山内の北鎌倉幼稚園に通った。入園は先着順であったので、当日、出勤前の暗いうちに並んだのを覚えている。

1.円覚寺総門
昨年は12月7日にここ円覚寺の紅葉を撮りに来た。夜来の雨がやみ、青空が広がった。どうやら紅葉も適期のようだ。いま午前9時。8時に開門されているが、まだ人は少ない。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5​​​ 1/​250​秒 22mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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2.宝冠釈迦如来坐像​​
山門を抜けて仏堂に来た。円覚寺の本尊である宝冠釈迦如来坐像が祀られている。関東大震災で倒壊したが昭和39年に再建されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​50​秒 48mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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3.仏堂 天井画
円覚寺のホームページによれば、「天井の「白龍図」は、前田青邨(せいそん)画伯(1885〜1977)の監修のもと、守屋多々志(もりやただし)画伯(1912〜2003)によって描かれたものです。」とある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​125​秒 18mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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4.佛日庵への道​​
仏堂をお参りして、左側に出る。円覚寺塔頭 佛日庵への道は紅葉が美しい。日が当たり、見事に紅葉している佛日庵背後の山が眺められた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.3 1/​250​秒 82mm ISO380​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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5.佛日庵の後ろの紅葉
佛日庵の方に歩いていく。この時期に何度か円覚寺に来ているが、背後の山が紅葉しているこの光景に気が付いたのは初めてだった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.3 1/​250​秒 92mm ISO250​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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6.国宝 舎利殿​​
舎利殿には源実朝が宋の能仁寺から請来した「佛牙舎利」というお釈迦様の歯が祀られているという。鎌倉時代に中国から伝えられた様式を代表する最も美しい建物として国宝に指定されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​500​秒 56mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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7.如意庵​​​​
如意庵も塔頭であり、第三十六世無礙妙謙(むげみょうけん)の塔所(墓)だそうだ。本尊は宝冠釈迦如来である。この三門をくぐって中に入ると、安寧というカフェがある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250秒 31mm IS1800​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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8.黄梅院の石畳​​​​
​​ 黄梅院は第十五世夢窓疎石(夢窓国師)の塔所であり、本尊は千手観音菩薩だ。石畳にはカエデの葉が落ちていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels​​​​
​​ プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/30秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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9.正伝庵のカエデ​​​​
​​ 円覚寺の一番奥にある黄梅院から山門の方へ戻ってくる。妙香池という池があり、ここも円覚寺の塔頭である正伝庵がある。正伝庵は、第二十四世明巌正因(みょうがんしょういん)の塔所で、本尊は宝冠釈迦如来。妙香池の傍には色づいたカエデが多い。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​400秒 105mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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10.百観音霊場​​​​​​
​​ 宗務本所の傍にあるここは百観音霊場という。百観音は江戸時代、拙叟尊者が境域に岩窟をうがって百体の観音像を祀ったことに由緒を発する。その後荒廃したが、明治21年洪川(こうせん)禅師が発願して西国33体の観音像を新らたに刻み、補陀落迦観自在窟(ふだらかかんじざいくつ)と名づけて境内の一部に安置した。昭和58年この地に移し多くの人々に参詣することになったという。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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11.水溜りのモミジ​​​​​​​​
​​ 夜来の雨が方丈の前に水溜りを作っていた。その水溜りにモミジが映り込む。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250秒 35mm ISO320​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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12.仏殿の屋根とカエデ​​​​​​​​​​
​​ 仏殿の屋根を背景に紅葉して陽の光を受けたカエデが鮮やかだった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​640秒 120mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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13.山門とカエデ
​​ 午前10時になった。入った時より日は上り、カエデの葉が輝いている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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14.洪鐘(おおがね)
​​​​ 山門から一旦仏殿へ戻って、山門をくぐらずにその左手の細い道を歩いた。左に上がる長い石段があり、上に弁天堂と国宝洪鐘があると説明されいていた。その石段を上っていくと、洪鐘があった。建てられている案内書には、生安3年(1301年)に北条貞時が国家安泰を祈って鋳造、寄進した鎌倉第一の大鐘で国宝に指定されている(略)と記されている。鎌倉時代後期を代表する梵鐘だそうだ。弁天堂からは眼下に次に訪れた東慶寺が眺められた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f9 1/​320秒 24mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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2016年1月 9日

紅葉の古都鎌倉を巡る (4) 鶴岡八幡宮 12月7日

昨年の12月7日、その日鎌倉を歩く目的の一つは、平成22年3月10日未明、強風に煽られて根元から倒壊した大銀杏がその後どうなったかを見たいことだった。
 鎌倉街道を建長寺の方から歩いてくると、いわば鶴岡八幡宮の横丁に出る。丸山稲荷社があるところを上がっていくと本宮の脇に出る。本宮にお参りして石段を下ると右手に大銀杏がある。いくつも出ていた「ひこばえ」の中から選ばれた1本の若木がすくすくと伸びていた。
 若宮から白旗神社の紅葉を眺め、源平池へ出た。沢山の水鳥が遊んでいた。
  鶴岡八幡宮の境内への入り口である三の鳥居から見る参道、「段蔓」は工事中だった。2014年(平成26年)11月から改修工事が行われていて通行できない。桜の木も取り除かれている。そのため、平成27年の桜は観ることはできなかったという。工事は平成28年3月までかかるそうだ。新たなに桜とツツジが植えられる予定という。

65.丸山稲荷社と本宮
建長寺からそれほど歩くことなく鶴岡八幡宮の鳥居があった。鳥居をくぐって進むと右手の小高いところに丸山稲荷社があった。丸山稲荷社は鶴岡八幡宮の末社である。その本殿は重要文化財に指定されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 11mm ISO900 ) 露出補正 なし
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66.本宮 そのまま進むと舞殿のほうから大きな石段を上がってきたところの横に出た。このまま本宮に進んでお参りをさせていただいた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/500秒 20mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。

さて、ここで平成22年3月10日に倒れた大銀杏のことに触れたい。

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↑ 上の写真は、2008年12月4日に撮影した写真で、2010年(平成22年)3月10日の未明に強風に煽られて倒れる前の立派な大銀杏の木だ。3代将軍源実朝を暗殺した公暁が隠れていたという伝説から「隠れ銀杏」とも呼ばれていた鶴岡八幡宮の大銀杏である。長い間、鎌倉の歴史を見守ってきた古木は、樹齢は1千年ともいわれ、昭和30年に神奈川県の天然記念物に指定されていた。左は大石段を上がって、本宮前から眺めたところで、左に見えるは舞殿だ。

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↑ 2010年4月23日、倒壊してまだひと月半も経っていない時に、八幡宮を訪れて驚いた。ご覧のとおり、倒れた大銀杏の根はそのままに残されて、そこには早くも「ひこばえ」が芽吹いていた。そして、倒れたところから切られた大きな幹は、その隣に移植されていた。中の写真が元の根に芽生えた「ひこばえ」で、右の写真が移植された幹である。その時の私のブログには、「倒れた翌日の3月11日、早くも八幡宮は大銀杏を移植し、再生を目指す方針を固めたそうだ。倒壊した大銀杏を移植する作業が14日に行われた。根元から約4メートルで切断された幹(約17トン)がクレーンでつり起こされ、元あった場所の西側約7メートル地点に掘削された穴へ植え直された。新しい芽を使った後継樹の育成については、新しい芽は数本を生育させ、状態の良いものを(10年前後の期間を見ながら)後継樹として選びたい」という。切断された上の部分から、もう新しい芽が出ている。」と記されている。

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↑ そして、倒壊してから9か月後の2010年12月6日、再び紅葉の頃、鶴岡八幡宮を訪れたが、元の根の「ひこばえ」はその数を増やし、移植された幹にも多くの「ひこばえ」を見ることができた。倒れた幹部分を「残せる限り、元の大きさで再生させたい」と、高さ約4メートルで切って移植した幹が、右側の写真だ。日当たりの良い側からぐんぐんと枝が生えている。 中の写真、階段の下から見ると、2010年3月に折れた根から新しく生えた枝は2mにも達している。

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↑ 上は2011年12月12日に撮影した。倒れて1年9か月が経った。「ひこばえ」というか、もう枝と言っても良いほど太くなり、ぐんぐんと伸びている。生命力の強さを感じる。これから、移植した幹から延びた木と、元の根から伸びた木はどのように大きくなっていくのだろうか? 千年後には2本の大銀杏になるのだろうか。

 そして、今回4年9ヶ月後、久々にその後の姿を見に行った。
67.倒壊して4年9ヶ月後の大銀杏 -1
元の根から生えていた「ひこばえ」は整理され、最も優秀な子孫?が1本残されてすくすくと育ち、葉はもう一人前に黄色く色づいていた。高さも4~5mになっているように見える。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/400秒 56mm ISO200 ) 露出補正 なし
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68.倒壊して4年9ヶ月後の大銀杏 -2
石段の左にあって、もう十分存在感がある。立派だ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/500秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
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69.倒壊して4年9ヶ月後の大銀杏 -3
移植された幹からの再生根の確認にはまだまだ時間がかかると言われる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/500秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
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70.倒壊して4年9ヶ月後の大銀杏 -4
少し離れて、本宮と石段とその左に育っている銀杏で構図した。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/640秒 56mm ISO200 ) 露出補正 なし
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71.倒壊して4年9ヶ月後の大銀杏 -5
この銀杏の若木は倒れた根から生えているのだが、その根の部分が土に覆われて、地面から伸びているように見えるようになった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/640秒 140mm ISO200 ) 露出補正 なし
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72.境内にあるもう一本の大銀杏
舞殿から本宮に向かって左側、広くなったところの縁にもう一本、大きな銀杏の木がある。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/320秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
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73.奉納樽酒
同じく舞殿の左側の広くなったところに、全国津々浦々の樽酒が棚に奉納されている。8樽を納める棚が18もあり、棚の空きはひとつしかなく、そこにもビールなどが奉納されていた。樽の中に酒は実在するのだろうか?薦で包んだこの酒樽は、四斗樽(約72リットル入り)というそうだ、酒樽は主に祝いの席を華やかに盛り上げる慶びのセレモニー用具として使われる。外国人観光客が熱心に写真を撮っていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
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74.直会館前の紅葉 -1
参道に向かって舞殿の前を左側に折れると若宮があり、白旗神社の手前に池がある。その池に赤い橋が架かっていて、その周囲の紅葉がきれいだった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 22mm ISO250 ) 露出補正 なし
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75.橋から見る舞殿
赤い橋の手前から、静御前が義経を慕い、心を込めて舞った若宮廻廊跡に建つ下拝殿とも言われる舞殿が見えた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 23mm ISO220 ) 露出補正 なし
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76.直会館前の紅葉 -2
この赤い橋のあたりのモミジの木は枝を大きく張り出してとてもきれいだった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 60mm ISO450 ) 露出補正 なし
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77.斎館の庭
源平池の方へ進むと左側に斎館がある。斎館は献幣使を迎えたり、国の内外からの賓客を持て成すところだそうだ。だが、休館中だった。門から中を覗いて1枚撮らせていただいた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
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78.源平池
右手に鶴岡幼稚園があり、正面に源平池がある。池には島があり旗上弁財天社が見える。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/500秒 50mm ISO200 ) 露出補正 なし
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79.源平池の水鳥
いろいろな水鳥がいる。オナガガモ、ヒドリガモ、それにユリカモメが見える。そういえば、この冬は帷子川でもユリカモメがとても多く見られる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/500秒 140mm ISO200 ) 露出補正 なし
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80.オナガガモ♀
見栄えのするオナガガモの♀もいた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/400秒 140mm ISO200 ) 露出補正 なし
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81.ヒドリガモ エクリプス
見たときは♂なのか、♀なのか良くわからなかったが、♂の生殖羽への換羽前のエクリプスのようだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 140mm ISO450 ) 露出補正 なし
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82.太鼓橋から本宮を望む
鶴岡八幡宮の太鼓橋は、1182年(寿永元年)、源平池が造営されたときに架れたものと考えられている。将軍家が鶴岡八幡宮に参拝するときは、この橋で輿を下乗したという。当時は朱塗りの板橋であったことから、「赤橋」(あかはし・あかばし)と呼ばれていたそうだ。その橋の脇から本宮が見える。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/640秒 70mm ISO200 ) 露出補正 なし
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83.神苑ぼたん庭園
以前にぼたんの季節にこの中に入って美しく咲くぼたんを鑑賞した。いまは休園になっていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/250秒 48mm ISO360 ) 露出補正 なし
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84.太鼓橋から舞殿と本宮を望む
G12で撮った。太鼓橋から参道がまっすぐ伸び、その先に舞殿と本宮が重なるように見える。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4​.5 1/​320秒 25mm ISO80 ) 露出補正 -0.3段
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85.赤い橋
太鼓橋の両側にも橋が架けられている。参拝客はそこを渡っていく。当初は左側の橋のみだったそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/640秒 85mm ISO200 ) 露出補正 なし
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86.ステンレスの灯篭
三の鳥居を入って池の手前の両側にステンレス製の大きな灯篭がある。これは私の先輩のご実家で制作されたもので、以前よりそのことは聞いていた。掃除も行き届いてきれいだった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/800秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
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87.小町通り
段蔓のある若宮大路へ出て、途中から小町通りに入った。大勢の人が歩き、賑わっている。また、新しい店ができているようだ。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​5 1/​1250秒 14mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
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88.工事中の段蔓
三の鳥居から二の鳥居へと続く若宮大路を見たとき、覆いが施されて工事中だった。若宮大路の中央部に位置する段葛の改修工事は、11月4日から始まったという。老朽化の目立つ参道を補強し史跡としての風致・遺構を保全するとともに、参拝者と車両の安全確保、桜並木の回復と育成が主な目的だそうだ。工事が終わる2016年3月まで通行できない。桜の老化が進んでいると聞いた。神奈川新聞によれば、「ソメイヨシノの寿命はおよそ60、70年ともいわれ、段葛もこの時期を迎えた老木が多い。鶴岡八幡宮に残る記録では、大正時代に大掛かりな植え込み工事が、昭和初期には改修工事が行われた。今回、植え替えの必要な老木を選別し、新たな成木に植え替える」という。 工事が終わるのは3月だそうだが、今年(2016年)の花見はできるのだろうか?現在植えられている桜は、専門家が「育成が期待できる」と鑑定したものを平家池(本宮に向かって源平池の左側の部分)周辺に移植し、そのほかは伐採する。参道を支える石積みのたるみやひび割れの改修後は、種類や樹齢など可能な限り統一した桜を新たに植えるが育成に適した樹間を確保するため従来(248本)より少ない180本程度となる予定だそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/1250秒 35mm ISO200 ) 露出補正 なし
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89.鎌倉駅
ウィキペディアによれば、鎌倉駅は1889年(明治22年)6月16日 、 官設鉄道大船駅~横須賀駅の開通時に、開業した。1909年(明治42年)10月12日 に 横須賀線所属駅となる。1984年(昭和59年)10月3日 、 国鉄の駅舎を現在のものに改築(3代目)した。駅舎落成記念乗車券が発売される(私はこの記念乗車券を入手し、保存している)。1987年(昭和62年)4月1日 、 国鉄分割民営化により、国鉄の駅はJR東日本の駅となった。2000年(平成12年) 、 関東の駅百選に選定された・・・とあった。鎌倉駅の西口側には江ノ電の鎌倉駅がある。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f7.1 1/320秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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