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2021年12月22日

古都鎌倉紅葉巡り ② 東慶寺 海蔵寺 鶴岡八幡宮 12月2日

円覚寺の参拝と撮影を終えて、次に鎌倉街道を東慶寺へ向かう。江戸時代に群馬県の満徳寺と共に幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていたことから東慶寺は駆け込み寺と呼ばれている。  夫との離縁を達成するために妻が駆け込んだ寺のことである。 寺は夫に内済離縁(示談)を薦め、調停がうまく行かない場合は妻は寺入りとなり足掛け3年(実質満2年)経つと寺法にて離婚が成立する。東慶寺は江戸幕府公認の縁切寺であった。
 東慶寺を参拝し、この日の次の目的地は海蔵寺である。鎌倉街道を鎌倉鶴岡八幡宮の方へ歩く。ここから、どこかで右に入らなければいけないのだが、今一つ自信がなく、曲がるべきところをまっすぐ行ってしまった。鶴岡八幡宮に沿って歩いて、ようやく小町通りに入る手前で寿福寺、英勝寺、海蔵寺と右へ行く表示があった。そこからもまだしばらく歩く。
 海蔵寺はそれほど参拝者は多くなかった。鐘ともみじの構図で写真を撮る。
 最後に鶴岡八幡宮へ行く。2010年の3月10日未明に雪混じりの強風で倒れた樹齢千年と言われる大銀杏だったが、その根から生えてきたひこばえから若木が選ばれて後継ぎとして育てられている。10年たった今の姿を見てみたかったからだ。立派に育っていた。
 この日は、ここまでで18,000歩ほど歩いた。午後1時、腹も減った。前回来たときに入った蕎麦屋へ行って見たが、お休みだったので、新しい店に入った。悪くない。冷たいビールが美味かった。

000_211202251 X700 〇海蔵寺 海棠 D750 TAMRON35-150.jpg
海蔵寺の鐘堂ともみじ 2021年12月2日

29.東慶寺 小さな山門
円覚寺を出て、横須賀線の線路を渡り、鎌倉街道を左へ進む。ほんの数分歩くと右側に東慶寺の山門へ上がる石段が見えた。東慶寺のホームページを見ると「小さな山門をくぐると、谷戸と呼ばれる鎌倉独特の地形に境内が広がります。墓苑まで続く石畳を中心に本堂、書院、茶室、宝物館が配置され、初春の梅、6月の花菖蒲やイワガラミなど四季を通じて、様々な草花が咲きます。」と記されていた。かつては鎌倉街道沿いに総門もかまえていたが、現在はおとな二人が通れるほどの小さな山門を残すのみとなったという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4 プログラムオートで撮影  ( f3.2 1/500秒 52mm ISO180 ) 露出補正 なし
029_211202209m X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
30.梅の古木と鐘楼
山門を行ってすぐ左手には鐘楼があり、その前に梅の古木が植えられている。大正5年に建立されたようでそう古いものではない。天井に龍が描かれているのだが、今回見損なってしまった。梵鐘は観応元年(1350年)の補陀落寺のもの(神奈川県指定文化財)だそうだ。元弘2年(1332年)に作られた元の梵鐘は現在韮山の本立寺にある。私は2016年1月に伊豆韮山の本立寺を訪ねている。その時、本立寺に鎌倉の東慶寺に在った梵鐘があるのを知った。何故なのだろうかと思い、調べた記憶があったので、たどってみると、鎌倉手帳(社寺散策)というサイトに「梵鐘が鋳造された1332年(元徳4年・元弘2年)の翌年、鎌倉幕府が滅亡すると、(鎌倉幕府9代執権北条貞時の側室であった)覚海円成は子女を連れて伊豆韮山に移り住み、北条氏邸跡に円成寺を建立して北条氏の菩提を弔ったという。おそらく、そのときに東慶寺の梵鐘も伊豆韮山に運ばれ、江戸中期に円成寺が焼失した後、韮山の有力者で徳川幕府の代官だった江川氏の菩提所(菩提寺である本立寺)へ移されたものと考えられる。」という記述を見付けた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 38mm ISO3200 ) 露出補正 なし
030_211202177 X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
31.本堂
wikipediaによれば、東慶寺は、臨済宗円覚寺派の寺院である。山号は松岡山、寺号は東慶総持禅寺。寺伝では開基は北条貞時、開山は覚山尼と伝える。開山以来明治に至るまで本山を持たない独立した尼寺で、室町時代後期には住持は御所様と呼ばれ、江戸時代には寺を松岡御所とも称した特殊な格式のある寺であった。現在は円覚寺の末寺で男僧の寺である。東慶寺ホームページによれば、本堂には本尊の釈迦如来坐像が祀られる。関東大震災後、佐藤禅忠師が紺紙金泥で観音菩薩を揮毫して寄進を募り、 昭和10年(1935)に建立したものだそうだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/125秒 35mm ISO3200 ) 露出補正 なし
031_211202181 X800 東慶寺 本堂 D750 TAMRON35-150.jpg
32.寒雲亭
裏千家ゆかりの宗旦の茶室だそうだ。小さな門の屋根の苔に惹かれた。ホームページには斉藤利助翁の尽力により、昭和35年(1960年)、堀越家から寄進、移築されたとある。 千宗旦筆「寒雲」の扁額がかかり、真行草の天井、櫛形の欄間のある名席。平成6年(1994年)に露地を含め大改修が行われた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO2000 ) 露出補正 なし
032_211202183 X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
33.墓苑への道
山門から墓苑へと続く石畳の道は、大仏様のような石仏のあるところで緩やかに右へ曲がり、再びまっすぐに進む。右手に東慶寺伝来の寺宝を展示する宝物館である松岡寳藏が見える。松岡寳藏は昭和53年、方丈跡に新築。釈宗演老師の遺言書よりおこした扁額がかかっていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4 プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO560 ) 露出補正 なし
033_211202185 東慶寺 X800 D750 TAMRON35-150.jpg
34.墓苑
石畳の道をさらにまっすぐ進むと墓石が並ぶ墓苑に入る。背の高い木々が多くなり、歴代住職、檀信徒の墓苑となる。前回訪れたときは、この辺りのイチョウ、カエデの紅葉がきれいで、今回もそれを期待して訪れたのだが、少しタイミングがずれていたようだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 105mm ISO100 ) 露出補正 なし 撮影後補正
034_211202195m2 X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
35.長寿寺
東慶寺を辞して、鎌倉街道をさらに進む。横須賀線の踏切を渡ると右手に長寿寺へ上がる石段があった。山号を宝亀山という臨済宗建長寺派の寺院で本尊は観音菩薩だそうだ。このお寺は春と、秋の週末に境内に入れるとあったが、この日は木曜日。でも、中に入っている参拝者もいた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 78mm ISO800 ) 露出補正 なし
035_211202216 X800 東慶寺→海蔵寺 長寿寺 D750 TAMRON35-150.jpg
36.建長寺
鎌倉街道を進む。街道の反対側に建長寺の天下門が見えてくる。wikipediaによれば、建長寺は臨済宗建長寺派の大本山。正式には巨福山建長興国禅寺という。鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩。開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆で、第二世は同じく南宋の兀庵普寧である。鎌倉五山の第一位。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。今日は参拝は割愛させていただく。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
036_211202221 X800 東慶寺→海蔵寺 建長寺 D750 TAMRON35-150.jpg
37.落石防護用のシェード
建長寺を過ぎると鎌倉街道はこの落石防護用のシェードをくぐる。トンネルではない。上が開いている。ここは現在の巨福呂坂新道であり、ここを抜けると八幡宮の裏に出る。旧道の巨福呂坂はこの新道よりさらに上の場所に位置しており、鎌倉の七切通しの一つで小袋坂とも書く。明治時代に新道が開かれたが、大正12年(1923年)の関東大震災で崩落したため、さらに掘り下げて現在の新道が通った。昭和31年(1956年)に再度拡幅、平成5年(1993年)には落石防護シェードが作られた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO1250 ) 露出補正 なし
037_211202223 X800 東慶寺→海蔵寺 落石防護施設 D750 TAMRON35-150.jpg
38.海蔵寺への道
さて、そろそろこの辺から右に入るのだろうと思って、歩いているが、なかなか行き先表示が現れず、ここかと思うが今一つ自信がなく、まっすぐ進んでしまった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 150mm ISO200 ) 露出補正 なし
038_211202228 X800 東慶寺→海蔵寺 D750 TAMRON35-150.jpg
39.鎌倉近代美術館
左に鎌倉近代美術館がある。門の中には行って見ると、右の方に池が見える。もうそこは鶴岡八幡宮の源平池の平家池だった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 46mm ISO100 ) 露出補正 なし
039_211202233 X800 東慶寺→海蔵寺 鎌倉近代美術館 D750 TAMRON35-150.jpg
40.寿福寺
もう目の前で鎌倉街道は左へ曲がり、まっすぐ行くと小町通というところまできた。そこでやっと、寿福寺、海蔵寺への行き先表示版があった。右へ曲がって、寿福寺へ行く。門前から参道を眺めるにとどめる。なかなか魅力的な石畳の道が中門まで続いている。寿福寺は建長寺、円覚寺に次ぐ鎌倉五山第三位の寺院であり、臨済宗建長寺派の寺院である。境内は「寿福寺境内」として1966年(昭和41年)3月22日、国の史跡に指定された。この日は参拝を失礼したが、次回は是非境内には行って見たい。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 38mm ISO560 ) 露出補正 なし
040_211202239 X800 東慶寺→海蔵寺 寿福寺 D750 TAMRON35-150.jpg
41.海蔵寺本堂
海蔵寺に着いたのは12時少し前だった。円覚寺にお参りしてほぼ3時間歩いてしまった。海蔵寺も臨済宗建長寺派の寺院で、山号は扇谷山で、本尊は薬師如来だ。wikipediaによれば、建長5年(1253年)に宗尊親王の命により藤原仲能が創建し、鎌倉幕府滅亡時に焼失、応永元年(1394年)に上杉氏定の開基、心昭空外を開山として再興されたと伝えられる。本堂には十一面観音が安置されている。春はカイドウの花が有名である。また、非公開ではあるが本堂裏の庭園が美しいという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/320秒 35mm ISO3200 ) 露出補正 なし
041_211202249 X800 〇海蔵寺 本堂 D750 TAMRON35-150.jpg
42.海蔵寺鐘堂
本堂に向かって右側に鐘堂がある。なぜか赤い大きな唐傘があり、その向こうに仏殿(薬師堂)が見える。その間のもみじがポイントになる。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 なし
042_211202258 X800 〇海蔵寺 海棠 D750 TAMRON35-150.jpg
43.海蔵寺山門
海蔵寺には写真の男坂を上がる山門と、この右側に女坂を上る脇門がある。男坂、女坂と云ってもほんのわずかな坂だ。ご住職が落ち葉の掃除をされている男坂を小学生たちが上がって行った。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 72mm ISO100 ) 露出補正 なし
043_211202264 X800 海蔵寺 D750 TAMRON35-150.jpg
44.モズ
海蔵寺を出て、次は鶴岡八幡宮の大銀杏である。小町通りを横切るようにして、いったん檀蔓へ出る。行く道で、野鳥が目の前の小枝に止まった。葉が落ちているので見つけやすい。モズだった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 150mm ISO160 ) 露出補正 なし 撮影後補正
044_211202268tm X800 海蔵寺 モズ D750 TAMRON35-150.jpg
45.鶴岡八幡宮 太鼓橋から枚殿、本宮を望む
鎌倉街道の交差点を渡り、朱色の大きな三の鳥居をくぐると、源平池に渡された太鼓橋がある。太鼓橋は渡ることが出来ないが、カメラを上にあげて撮る。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4 プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 68mm ISO100 ) 露出補正 なし
045_211202273 X800 鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg
46.生まれ変わった大銀杏
本宮に上がる石段の左側にある大銀杏は、生まれ変わった大銀杏である。建保7年(1219年)1月27日、源頼家の子で八幡宮の別当を務めていた公暁が階段脇に生えていたこの銀杏の木に隠れて待ち伏せ、この大階段の13段目に降りてきた源実朝を殺害したという伝説があり、隠れ銀杏という別名がある。樹齢800年とも1000年余ともいわれていたその大銀杏が、2010年(平成22年)3月10日4時40分頃、強風のために大銀杏は根元から倒れてしまった。倒壊から約1か月たち、再生への努力が実を結び、若芽(蘖・ひこばえ)が確認された。11年目、元の大銀杏の根から生えてきたひこばえから、若木が選ばれて後継ぎとして育てられている。こんなに大きくなった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 60mm ISO100 ) 露出補正 なし
046_211202276 X800 鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg
47.倒れた大銀杏の根元
倒れた大銀杏は3つに切断され、2010年の3月15日、根元から高さ4mまでが、7m離れた場所に移植された。残る2つは境内に保存されたそうだ。倒壊から約1か月たち、再生への努力が実を結び、若芽(ひこばえ)が確認されたという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
047_211202277 X800 〇鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg
48.大銀杏の若木
写真46で見ていただいた後継ぎの大銀杏を本宮の大階段の途中から撮る。その向こうに倒れたかっての大銀杏の根元が見える。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
048_211202278 X800 〇鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg


2021年12月18日

古都鎌倉紅葉巡り ① 円覚寺 12月2日

鎌倉の紅葉の状況をネットで調べてみると「見ごろ」になっている。少し早いかなと思いつつ、快晴の12月2日に行って見ることにした。
 少し早めに家を出た。北鎌倉駅に着いたのは9時少し前だった。この日のコースは、円覚寺→東慶寺→海蔵寺→鎌倉八幡宮 を予定している。
 まず円覚寺にお参りをする。すでに拝観受付には列が出来ていたが、石段を上がり総門を入って、すぐに拝観志納金を納めて境内に入ることが出来た。
 私は結婚した昭和43年から7年間北鎌倉に住んだ。翌年に生まれた長女は円覚寺の幼稚園に通ったが、入園させるため出勤前に、朝4時に起きて山門の下で並んだ記憶がよみがえる。その幼稚園の運動会では父兄対抗のリレーで走ったりした。
 午前9時、まだ、参拝者は少ない。山門の辺りのイロハモミジは見ごろであった。陽の光に透けて輝いている。次に、仏殿に入り、ご本尊である宝冠釈迦如来にお参りし、天井の白龍図を仰ぎ見る。一番奥にある黄梅院までお参りしながら歩いた。
 円覚寺に関する記述は 円覚寺ホームぺージ 、および境内に建てられている説明板等を参照させていただいている。

000_211202173 X700 円覚寺 総門 D750 TAMRON35-150.jpg
円覚寺総門の石段 2021年12月2日

000_211202003m X700円覚寺 D750 TAMRON35-150_0000.jpg
円覚寺総門に掲げられていた境内案内図

  この境内案内図の隣に「円覚寺案内」の立札があり「当山は、臨済宗円覚寺派の大本山であり、弘安5年(1282年)の開創。開山は中(宋)より渡来の佛光国師無学祖元。開基は鎌倉幕府の執権北条時宗公。(後略)」と記されていた。

1.総門
紅葉の下をくぐるようにして石段を上がると、「瑞鹿山」という山号の扁額が掲げられた総門がある。写真は総門を入って振り返ったところ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 90mm ISO2000 ) 露出補正 なし
001_211202002 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
2.桂昌庵(十王堂)
総門を入るとすぐ左手に桂昌庵がある。江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室で、5代将軍・綱吉の生母であった桂昌院を思い浮かべるが、それは関係ない。ここは第四十九世承先道欽(しょうせんどうきん)の塔所である。塔所とは、禅宗で、大寺の高僧の死後、弟子がその徳を慕って建てた墓塔)や庵などの小院のことで塔頭ともいう。木造十王像が祀られていることから「十王堂」または「閻魔堂」とも呼ばれ、十王蔵像は、鎌倉十橋の一つ十王堂橋付近にあった十王堂に安置されていたものといわれているそうだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3 1/500秒 46mm ISO900 ) 露出補正 なし
002_211202005 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
3.山門
山門の脇から参道に戻り、山門を振り返る。山門脇のもみじの葉が、陽の光に輝く。現在の山門(三門ともいう)は天明5年(1785年)、開山した無学祖元禅師の五百年遠諱の年に大用国師(だいゆうこくし)によって再建され、現在は神奈川県指定重要文化財となっている。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 50mm ISO100 ) 露出補正 なし
003_211202009 X800 〇円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
4.仏殿
山門から見る仏殿である。大光明宝殿ともいう。仏殿は、円覚寺の本尊である宝冠釈迦如来が祀られている建物だ。大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊したが、昭和39年(1964年)に再建された。鉄筋コンクリート造りである。禅宗様式の七堂伽藍の中心に位置する建物となっている。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO450 ) 露出補正 なし
004_211202007 X800 〇円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
5.ご本尊 宝冠釈迦如来坐像
釈迦如来坐像は、廬舎那仏ともいわれ、頭の部分だけが鎌倉時代に作られたもの(市指定文化財)だそうだ。1964年(昭和39年)に仏殿が再建されるまでは、仏殿西側の選仏場に安置されていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3 1/60秒 42mm ISO3200 ) 露出補正 なし
005_211202018 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
6.白龍図
円覚寺仏殿の天井画は、ともに岐阜県出身の日本画家である前田青邨画伯(1885年〜1977年)監修のもと、守屋多々志画伯(1912年〜2003年)によって描かれたものである。前田青邨画伯の弟子には鎌倉市の名誉市民となった平山郁夫画伯もいるそうだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/25秒 35mm ISO3200 ) 露出補正 なし
006_211202020 X800 〇円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
7.修学旅行の生徒たち
仏殿の引き戸から山門の方を見ると、修学旅行の生徒たちの姿が見えた。コロナも落ち着いてきたのだと実感する。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO2000 ) 露出補正 なし
007_211202024 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
8.黄梅院へ続く道
境内案内図で見ていただくように、仏殿に沿って一番奥にある黄梅院への石畳の道を、居士林の辺りにあった灯篭から覗き見る。(「居士」とは在家の禅の修行者を指し、居士林は禅を志す在家のための専門道場である。もと東京の牛込にあった柳生流の剣道場が、昭和3年(1928)柳生徹心居士より寄贈され、移築されたそうだ。)

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO1100 ) 露出補正 なし
008_211202030 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
9.エナガ -1
紅葉するイロハモミジの枝に野鳥が来ていた。はじめシジュウカラかと思ったが、身体が小さいし、白黒がはっきりしている。帰宅して調べてみるとどうやらエナガのようだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/640秒 150mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_211202037 X800 △円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
10.エナガ -2
隣のカエデの木に移った。エナガは初めて見る野鳥だった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/640秒 150mm ISO100 ) 露出補正 なし
010_211202048 X800 ◎円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
11.居士林(濟蔭庵)
説明板には、明治の頃より円覚寺では、在家の人の座禅(居士禅)が盛んになり、山岡鉄舟、鈴木大拙、夏目漱石など多くの居士が参禅した。大正11年にこの濟蔭庵の居士の座禅道場として居士林が開設されたが、大正15年に焼失、早大濟蔭団が中心になり復興運動を起こした。幸いなことに柳生新陰流の剣道場を柳生基夫氏(徹心居士)が寄付を決断し、昭和3年にこの濟蔭庵に移築して開単となり、以来80年近く学生や社会人が中心となって雲水と同じように修行する学生坐禅会、土日坐禅会を運営してきた。堂内には本尊不動明王が祀られ、「頭燃を救うが如し」の扁額が掲げられ、心の安らぎを求めて坐禅に来る人を待ち受けている。と記されていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
011_211202062 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
12.居士林から妙香池への道
この辺りの紅葉が美しい。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO200 ) 露出補正 なし
012_211202069 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
13.石崖
舎利殿に行く途中の左側にこんな石崖があった。円覚寺には何回も来ているが、今まで気づかなかった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 なし
013_211202070 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
14.妙香池を背に石畳を振り返る
もう少し行くと舎利殿へと左に入るところがある。その手前で今歩いてきた道を振り返ると、修学旅行の生徒たちと石垣ともみじの取り合わせだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.2 1/500秒 50mm ISO100 ) 露出補正 なし
014_211202074m X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
15.舎利殿(国宝)
舎利殿には、源実朝が宋の能仁寺から請来した「佛牙舎利」というお釈迦様の歯が祀られているという。鎌倉時代に中国から伝えられた様式を代表する最も美しい建物として国宝に指定されている。屋根の勾配や軒の反りの美しさが特徴で、特に屋根の軒下から出ている上の段の垂木たるきは、扇子の骨のように広がっており、「扇垂木」とよばれている。これが屋根を一層大きく、建物全体を小さいながらも壮大に見せている。(円覚寺ホームぺージ)

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.2 1/500秒 50mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_211202084 X800 円覚寺 舎利殿 D750 TAMRON35-150.jpg
16.開基廟
円覚寺大檀那である北条時宗、貞時、高塒が祀られている。現在の開基廟は江戸時代1811年に改築されたものとされている。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO900 ) 露出補正 なし
016_211202087 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
17.黄梅院 武山堂
黄梅院は第15世夢想疎石(1275年-1351年)の塔所で、疎石の弟子の方外宏遠が、華厳塔のあった場所に建立したものだそうだ。その境内の奥には武山堂と呼ばれる観音堂があり、観音像が祀られているが、中国から贈られたものとのこと。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.2 1/320秒 50mm ISO3200 ) 露出補正 なし
017_211202098 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
18.竹林
竹林は報国寺が有名で、私も行ったことがあるが、円覚寺の大方丈の裏側(南東側)にある竹林もなかなか見事である。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f5 1/5000秒 44mm ISO100 ) 露出補正 なし 撮影後補正
018_211202104m X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
19.妙香池付近の紅葉
この辺りの紅葉も美しく、参拝者の多くがスマホで撮影していた。今はいわゆるコンデジを使う人は少なく、スマホかあるいは一眼だ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/5000秒 75mm ISO100 ) 露出補正 なし
019_211202108 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
20.大方丈の百観音石仏 -1
大方丈の書院と庫裏になっているが、その庫裏側の庭に、鎌倉市の市指定天然記念物である柏槙(ビャクシン)の樹があるが、その向こう側に百観音がある。石仏「百観音」は、江戸時代に拙叟尊者が塔頭の奥にある岩窟で、百体の観音石像を祀った事がそのはじまりだそうだ。1888年(明治21年)には、洪川禅師が西国三十三体の観音像を新たに刻み、補陀落迦観自在窟と名付けて境内の一部に安置し、その後、1983年(昭和58年)、方丈前に移されたという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO320 ) 露出補正 なし
020_211202113 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
21.大方丈の百観音石仏 -2
石仏「百観音」は、前述したとおり、江戸時代に拙叟尊者が百態の石仏を塔頭(松籟院)の奥の岩屋に閉じこもって彫ったという百体の観音石像を祀った事がそのはじまりだそうだ。1888年(明治21年)には、洪川禅師が西国三十三体の観音像を新たに刻み、補陀落迦観自在窟と名付けて境内の一部に安置し、その後、1983年(昭和58年)、方丈前に移されたという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 38mm ISO100 ) 露出補正 なし
021_211202121 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
22.大方丈 書院側
大方丈の書院側にも庭がある。その庭には池がある。書院の縁に並ぶガラス戸に紅葉が映っている。そのガラス戸に映った姿が、水はきれいではないが池に映っていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 90mm ISO2000 ) 露出補正 なし
022_211202130 X800 〇円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
23.弁天堂
もう一度百観音の方へ戻り、唐門から外に出た。しばらく行って左に長い石段がある。もう一つの国宝である洪鐘(鐘楼)がある高台へと上る道だ。ちょっと逡巡したが上がって行くことにした。おおよそ130段ほどあったように思う。そこに弁天堂があった。江ノ島弁財天の加護によって洪鐘の鋳造が完成したと伝えられ、その弁財天を祀るお堂だそうだ。北条貞時が洪鐘とあわせて弁天堂を建立し、当山の鎮守とした。その弁財天の横には、お茶所(弁天茶屋)と円覚寺グッズの売店があった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/50秒 35mm ISO320 ) 露出補正 なし
023_211202137 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
24.国宝 洪鐘(鐘楼)
関東で最も大きい洪鐘(高さ259.5cm)だそうで、国宝に指定されている。円覚寺の開基である北条時宗の子である貞時が正安3年(1301年)に国家安泰を祈願して寄進したものだそうだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 42mm ISO100 ) 露出補正 なし
024_211202144 X800 〇円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
25.円覚寺の高台から見た富士山
この日は素晴らしく晴れていた。空気も澄んで富士山がはっきりと見える。その手前に見える建物は北鎌倉女子学園(中・高)だろう。私はその左下の辺りで7年間を過ごした。湿気の多いところだったと記憶している。この少し左側が東慶寺になる。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 122mm ISO100 ) 露出補正 なし
025_211202146 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
26.山門
山門のところに下りてきた。朝とは光の当たり方が違っている。山門、即ち三門は三解脱(空・無相・無願)を象徴するといわれ、諸々の煩悩を取り払って涅槃・解脱の世界である仏殿に至る門とされている。楼上には通常非公開である十一面観音、十二神将、十六羅漢が祀られている。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3 1/500秒 44mm ISO250 ) 露出補正 なし
026_211202151 X800 〇円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
27.松籟院 十月桜
総門に向かって山門の左側に松籟院がある。松籟院は、第百五十世叔悦禅懌の塔所である。拝観料を入れ、中に入ってみた。数本の十月桜があり、咲いていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/800秒 150mm ISO100 ) 露出補正 なし
027_211202154 X800 円覚寺 松籟院 D750 TAMRON35-150.jpg
28.総門の参拝者
10時半、約1時間半の散策を終え、再び総門に戻ってきた。朝に比べ参拝者は多くなっていた。さて、これから東慶寺へ向かう。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 なし
028_ 211202167 X800 円覚寺 総門 D750 TAMRON35-150.jpg


2019年12月17日

江ノ電に乗って 12月3日 ②長谷寺

長谷寺は以前にも2回ほど訪れたことがある。一度は確かアジサイの季節だったと思うが紅葉の季節に来るのは初めてだ。
 十一面観音を本尊とする観音信仰の寺院は、宗派は様々であるが、 大和の長谷寺 、そしてここ鎌倉の長谷寺 のような有名なところから、今では無住となり、地域の人たちが守っているお堂もあり、その数は250以上に上るという説もあるようだ。 その多くが大和(奈良)の長谷観音の本尊を勧請(神仏の分身・分霊を他の地に移して祭ること)した「新長谷寺」と呼ばれる寺と言われている。私たちは昨年11月に奈良の長谷寺にお参りしてきた。奈良の長谷寺は真言宗豊山派総本山の寺院であるが、鎌倉の長谷寺は浄土宗系統の単立 寺院で山号を海光山、院号を慈照院と称し、長谷観音と通称されている。

24.長谷寺山門 -1
正面に「門かぶりの松」と長谷寺と書かれた赤い大きな提灯がかけられた山門が見えてきた。 親柱は直径40cmもある四脚門で、鎌倉市内の四脚門では建長寺、円覚寺、妙本寺に次ぐ大きさだそうだ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_024.jpg
25.長谷寺山門 -2
山門の赤い提灯は、鎌倉長谷寺のシンボルとなっている。門には「長谷寺」と書かれた額がかけられている。自動券売機で拝観券を購入し、左側にある受付から境内に入る。wikipediaによれば、伝承では長谷寺の創建は奈良時代とされているが、中世以前の沿革は明確でなく、創建の正確な時期や経緯についても解明されていない。寺伝によれば、天平8年(736年)、大和の長谷寺(奈良県桜井市)の開基である徳道を藤原房前が招請し、十一面観音像を本尊として開山したという。この十一面観音像は、観音霊場として著名な大和の長谷寺の十一面観音像と同木から造られたという。すなわち、養老5年(721年)に徳道は楠の大木から2体の十一面観音を造り、その1体(本)を本尊としたのが大和の長谷寺であり、もう1体(末)を祈請の上で海に流したところ、その15年後に相模国の三浦半島に流れ着き、そちらを鎌倉に安置して開いたのが、鎌倉の長谷寺であるとされる。

   Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO180 ) 露出補正 なし
191203_025.jpg
26.池と鯉
境内に入ると右側に放生池というがあり、錦鯉が泳いでた。大きなもみじの枝が下がっている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 38mm ISO250 ) 露出補正 なし
191203_026.jpg
27.石段ともみじ -1
参道は右に曲がり、本堂である観音堂へ石段が続く。まず地蔵堂へ上がるが、その石段下から眺める紅葉したカエデが美しかった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_027.jpg
28.石段ともみじ -2
カエデの紅葉はこの辺りが一番良い。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_028.jpg
29.卍池
参道は地蔵堂の前を左に曲がり、観音堂へ上がっていくが、地蔵堂の手前の右側に卍池があった。奪衣婆(だつえば)  と懸衣爺(けんねおう)  が座っている「卍池」は小さな池が卍形に造られている。「千体地蔵」の札が立つが、千体地蔵は地蔵堂の周囲に並べられ、水子や先亡諸霊の供養のために奉納される。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 44mm ISO1800 ) 露出補正 なし
191203_029.jpg
30.石段ともみじ -3
地蔵堂の前から上がってきた石段を振り返る。長谷寺の紅葉はここがベストと思う。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/640秒 40mm ISO1800 ) 露出補正 なし
191203_030.jpg
31.阿弥陀堂
右手にかきがら稲荷、鐘楼を見て左へ上がり、阿弥陀堂の前に出る。長谷寺のホームページによれば、「阿弥陀如来坐像は、伝承に曰く、鎌倉幕府初代将軍である源頼朝が、自身の42歳の厄除けのために建立したものといい、当山ではその伝承に因み「厄除阿弥陀」と呼んでおります。ただし、この像はもともと長谷寺で造立されたものではなく、その銘文によれば市内の誓願寺(現廃寺)の本尊であったということです。現在この尊像は「鎌倉六阿弥陀」のひとつにも数えられます。ちなみに、最初の阿弥陀堂は現在の地蔵堂辺り(石段中段部)に建てられていたことが、古い境内図などによって知られます。」と記されている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO110 ) 露出補正 なし
191203_031.jpg
32.観音堂(十一面観音菩薩を祀る本堂)
ホームページによれば、その創建は本尊である長谷観音流着の縁起に由来し、天平8年(736年)まで遡り、長谷寺が鎌倉でも有数の古寺に数えられる所以である。その後、幾年の星霜を経るなか、幾度と無く堂宇も再建がなされたが、関東大震災による罹災は甚だしく、旧来の建物は止む無く建替えとなり、災害から本尊をお守りするため、鉄筋による再建が進められた。そして、昭和61年、罹災から実に60年以上の歳月を費やし現在の堂宇は完成したという。本尊である十一面観音像は、錫杖を右手に携え、岩座に立つ独特の像容で、大和長谷寺の本尊をはじめ、全国に所在する長谷寺に祀られる観音像に多く見られることから、これらを総称して「長谷寺式十一面観音像」と呼ぶそうだ。縁起に曰く、本尊の造立は養老5年(721年)と伝えられているが、現在の像が創建当初からのものとは言い難く、また後世の修復も多く加えられているため、制作年代については未詳と言わざるを得ない。但し、本尊に付随する光背や御前立の観音像の修復年代が室町時代まで遡ることから、現在の尊像が存在していた時期についても、室町時代に準ずるものであることは確かといえ、さらに鎌倉時代より長谷寺に伝えられる大型の懸仏や板碑類の存在から、その当時には巨大な尊像が造立されていたものと推測されるという。奈良の長谷寺で拝んだ観音像も大きかったが、長谷観音も像高9.18メートルの巨像で、木造の仏像としては日本有数のものである。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO110 ) 露出補正 なし
191203_032.jpg
33.観音堂入り口
観音堂の内部は撮影禁止となっていた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 32mm ISO400 ) 露出補正 なし
191203_033.jpg
34.仏足石
下の放生池の傍にも仏足石があったが、観音堂の先にもあった。仏足石とは、仏陀の足の裏の形を石の上に刻んだもので、仏足跡とも書く。インド初期仏教では仏像はまだつくられず、法輪、菩提樹、塔などを拝んだが、仏足石も崇拝対象の一つ。足裏に千輻輪宝、金剛杵、双魚紋などの図がある。仏足石はインド,南アジアなどで拝まれ,日本では天平勝宝5年(753年)年刻の奈良県の薬師寺にある仏足石(国宝)が最も古いそうだ。ここのは古いものではない。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_034.jpg
35.冬桜
観音堂の先には観音ミュージアムと経蔵があり、そのわきに白い小さな花が咲く木があった。そばに行ってみると「子福桜」という札がかけられていた。コフクザクラとは、フユザクラとして総称されるサクラの一種であるが、花一輪につき2~3個のサクランボがなるという特性を持つ。これを子宝に恵まれたものとして「子福桜」と名付けられた。バラ科サクラ属の落葉小高木である。

   Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 105mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_035.jpg
36.錦鯉
経蔵の傍に水が流れる小さな池が作られていた。そこに錦鯉が泳いでいるが、この鯉は石に着いた苔を食べていた。 

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 98mm ISO1000 ) 露出補正 なし
191203_036.jpg
37.錦鯉が泳ぐ水が流れる池
池の水は澄んでいて、底に沈んだカエデの葉が見える。錦鯉は彩りに良い。経蔵の裏山は眺望散策路になっていて、通称「あじさい路」と呼ばれる。アジサイの季節には40種類以上、約2,500株のアジサイが小径に沿って咲く。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO160 ) 露出補正 なし
191203_037.jpg
38.見晴台からの眺め
   経蔵の前に海に向かって見晴台が作られていた。鎌倉の街並みと由比ヶ浜、遠く三浦半島まで見渡せる眺望は鎌倉随一と評される。天気の良い日には伊豆大島も見られる。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f8 1/500秒 50mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_038.jpg
39.参道の紅葉
阿弥陀堂の辺りから参道を見下ろす。堂宇の屋根と鎌倉の街と一緒にカエデの紅葉が撮れた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 80mm ISO140 ) 露出補正 なし
191203_039.jpg
40.地蔵堂
再び参道の中段にある地蔵堂の前に下りて来た。先の地蔵堂は帰依する信者の発願により建立された。その後、堂宇の老朽化に伴い平成15年に再建されたのが現在の地蔵堂だそうだ。鎌倉では例の少ない扇垂木の屋根が特徴という。お祀りする地蔵尊も御堂の再建にあわせて造立されたもの。まだ新しく、金色に輝いていた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO720 ) 露出補正 -0.7段
191203_040.jpg
41.弁天窟
入り口下におりて境内の放生池を過ぎた辺りに、弘法大師参籠の地と伝わる弁天窟があり、その名にちなみ窟内壁面には弁才天とその眷属である十六童子が彫られているほか、弁才天と同じ神様であるとされる民間信仰の宇賀神(人頭蛇身)が祀られている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 38mm ISO125 ) 露出補正 -0.7段
191203_041.jpg
42.弁天窟の内部
中は暗い。一番奥に弁才天  が彫られていて、撮ったが手振れさせてしまった。受付でもらった説明書によれば、寺伝では当山の弁才天像は弘法大師が廻国修行の折、唐山の岩窟に参籠し感得して自ら刻まれた尊像と言われ、江戸時代には「出世弁才天」の名で知られていた。現在その尊像は観音ミュージアムに収蔵され、弁天窟には代わりに「福徳弁才天」が祀られている。そして弁才天の眷属 である十六童子が彫られていた。写真はその一部である。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 38mm ISO125 ) 露出補正 なし
191203_042.jpg
43.書院
整えられた枯山水庭園の向こうに、写経道場として平成25年9月に竣工した書院が見えた。ここで毎日写経・写仏ができるそうだ。場内のほとんどが椅子席なので、正座が苦手な方でも心配ありませんと。

  Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO180 ) 露出補正 なし
191203_043.jpg
44.長谷寺山門を振り返る
やはり、「門かぶりの松」と長谷寺と書かれた赤い大きな提灯の山門は、鎌倉長谷寺の象徴的なアングルだと思う。拝観を終えて、退出するとき振り返ると、たまたま、人の姿がなくなった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO200 ) 露出補正 なし
191203_044.jpg


2019年12月13日

江ノ電に乗って 12月3日 ①光則寺と高徳院 鎌倉大仏

鎌倉に紅葉を見に行こうと思っていた。今年は円覚寺、東慶寺、明月院ではなく、長谷のほうへ行ってみようと思う。 インターネットで鎌倉市観光協会の紅葉情報をみると、紅葉はそろそろ見ごろになってきているようだ。ただ、今年は台風15号、19号の影響で葉が落ちたり、傷んだりしているという。 横浜から横須賀線に乗って、鎌倉へ出る。途中、北鎌倉の駅を出たところで、車内から円覚寺の紅葉が眺められた。山門へ上がる石段のもみじがきれいだ。 鎌倉からは江ノ電に乗る。先頭車両の一番前に並んで、折り返しの電車が入ってくるのを待って乗り込む。一番前の前向きの席に座った。 鎌倉から3駅目の長谷で下車した。時刻は午前9時半。まだ観光客は少ない。この日、長谷では光則寺、高徳院の鎌倉大仏長谷寺甘縄神明神社、御霊神社へ行く予定にしている。まず向かったのは初めて行く光則寺。紅葉は見るべきところはなかったが、梅に始まる春はカイドウも咲き、良いところのようだ。次に高徳院へ向かった。

1.古都を走る江ノ電
鎌倉を発車した江ノ電が、次の駅である和田塚を出てすぐの線路際に、「無心庵」という古都を思わせる店構えの甘味処が見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 なし
191203_001.jpg
2.由比ヶ浜駅
江ノ電は2番目の駅、由比ヶ浜に入る。左側が由比ヶ浜海岸だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/1250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
191203_002.jpg
3.光則寺門前
長谷駅で江ノ電を下車し、県道32号線を大仏に向かって歩き始める。長谷観音前という交差点があり、そこを左に行くとに長谷寺である。長谷寺は後にして、まず光則寺に向かう。長谷観音前の信号の先を左に入る。瀟洒な住宅が建ち並ぶ道を進むと光則寺の門前だった。門前には幼稚園があり、子供を送ったお母さんが自転車で走り去る。  

   Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 70mm ISO360 ) 露出補正 なし
191203_003 .jpg
4.光則寺山門
光則寺は日蓮宗の寺院で山号を行時山という。 wikipediaによれば、「日蓮の佐渡配流に際して鎌倉幕府5代執権北条時頼は、弟子の日朗も捕らえて家臣の宿屋光則邸の土牢に監禁した。しかし、監視役の光則は日朗と日蓮を私淑するようになり、1274年(文永11年)には日蓮を放免した後の自邸を寺に改め、日朗を開山に迎えに創建した」とあった。道の先には石段があり、山門があった。山門は朱塗りで、桁行1間(約3m)、梁間2軒の四脚門で、江戸初期(17世紀中期)のものとのことだ。特徴として、内法貫(うちのりぬき: 鴨居の上部に通っている貫のこと)の中間に、龍の透彫りがある大きな蟇股がある。あとで、新しくなっているが以前にあったものと同じような雰囲気をもつ見事なものと知った。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 44mm ISO800 ) 露出補正 なし
191203_004.jpg
5.オオモミジ
山門を入ってすぐ右手に真っ赤に紅葉した大きな葉を付けるカエデがった。木に「オオモミジ」の札がかけられている。葉は少し傷み始めていた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 44mm ISO640 ) 露出補正 なし
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6.山門を振り返る
本堂の前まで来て、山門の方を振り返ってみた。境内は広くはないが落ち着いた雰囲気だ。植栽の手入れをされている人がいたが、私たち以外に参拝者はいない。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO140 ) 露出補正 なし
191203_006.jpg
7.ミツマタ
本堂の手前にミツマタの木があった。たくさんの蕾を付けている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 105mm ISO1100 ) 露出補正 なし
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8.本堂
本堂への参道の前には日蓮聖人の真筆に基づく「立正安国論 御勧由来」を彫った石碑が立っていた。本堂は、慶安3年(1650年)、江戸時代初期のものだが、寛政12年(1799年)と関東大震災の修理などを経ているものの、比較的新しく見える。桁行5間、梁間5間で、正面と両側に縁がめぐらされている。外側は、角材を使い、縁長押と内法長押( 鴨居の上にあるなげし ) がめぐらされている。扁額は「師孝第一」となっていたが、写真では隠れてしまった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO560 ) 露出補正 なし
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9.池
本堂に向かって右手前には樹齢おおよそ150年の海棠(カイドウ)があり、開花の時期(4月~5月)には大勢の人が訪れるという。その季節にまた訪れてみたい。本堂に向かって左手には池があり、季節の花や木々を楽しむことが出来るというが、今回は何もなく淋しかった。池の手前には宮沢賢治の碑があったが、これは宮沢賢治が日蓮宗に深く帰依し、活動したことから建てられたという。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 34mm ISO2500 ) 露出補正 なし
191203_009.jpg
10.土の牢
先にふれたが、日蓮上人が佐渡へ流された時、高弟・日朗が捕らえられて鎌倉幕府第5代執権 北条時頼の重臣・宿屋左衛門尉光則の邸内の土牢に監禁された。その土牢が残っている。  

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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11.ハツカリ
今の季節は花は少ないが、境内に白い椿のような花が咲いていた。枝に名札があって、ハツカリ(初雁)、またはショウワワビスケ(昭和侘助)と書かれていた。ツバキ科である。花は11月~3月に咲くそうだ。日本原産の植物なので耐暑性、耐寒性ともに高いという。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 105mm ISO400 ) 露出補正 なし
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12.高徳院(鎌倉大仏)
仁王門光則寺を退出し、長谷寺は後で行くことにして、県道32号へ出て左に行く。少し歩くと道は右へ緩やかの曲がり、高徳院の仁王門が見えてきた。高徳院 は大異山高徳院清浄泉寺といい、法然上人(1133年 ~ 1212 年)を開祖とする浄土宗の寺院である。大仏は高徳院の本尊(阿弥陀如来)である。かって大仏殿があったが、何度も台風や震災に遭い倒壊していて、再建されていない。2004年(平成16年)2月27日、境内一帯が「鎌倉大仏殿跡」の名称で国の史跡に指定された。この仁王門は、18世紀初めに他所から移されてきたものと考えられ、安置されている仁王像も同時期のもの考えられているそうだ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO450 ) 露出補正 なし
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13.大仏 -1
仁王門をくぐって、左側にある受付で参拝券を求め、石畳の参道を歩く。左手に熟したようなカエデの紅葉があった。鎌倉市観光協会の紅葉情報によれば、高徳院は「葉に傷みあり。イチョウは台風被害で葉が3/4程度落ちている。」となっていた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/640秒 38mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_013.jpg
14.大仏 -2
高徳院に本堂はない。「鎌倉大仏」「長谷の大仏」また、「露坐の大仏」として名高い高徳院の本尊は、国宝銅造阿弥陀如来坐像だ。像高約11.3m、重量約121tトンのこの仏像は、規模こそ奈良東大寺の大仏(盧舎那仏) に及ばぬものの、ほぼ造立当初の像容を保ち、我が国の仏教芸術史上ひときわ重要な価値を有しているという。wikpediaによれば、高徳院 は、初期は真言宗で、鎌倉・極楽寺開山の忍性など密教系の僧が住持となっていた。のち臨済宗に属し建長寺の末寺となったが、江戸時代の正徳年間(1711年 - 1716年)に江戸・増上寺の祐天上人による再興以降は浄土宗に属し、材木座の光明寺(浄土宗関東総本山)の末寺となっている。「高徳院」の院号を称するようになるのは浄土宗に転じてからである。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/640秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_014.jpg
15.大仏のお顔 右側から
大仏の建造時期であるが、「吾妻鏡」には、建長4年(1252年)から「深沢里」にて金銅八丈の釈迦如来像の造立が開始されたとの記事もある。「釈迦如来」は「阿弥陀如来」の誤記と解釈し、この1252年から造立の開始された大仏が、現存する鎌倉大仏であるとするのが定説であるそうだ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/640秒 85mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_015.jpg
16.大仏の背中
大仏の後ろに回ってみた。大仏像の脇に胎内への入り口があり、中に入ることが出来る。大仏の背中から自然光が取り入れられている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_016.jpg
17.大仏のお顔 左側から
鎌倉大仏の眼に瞳があるのかどうか、俯き加減の眼を見上げてみたがよくわからない。インタネットで検索してみたが、わからなかった。奈良東大寺の大仏の眼には瞳があったように思う。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/640秒 78mm ISO100 ) 露出補正 なし
191203_017.jpg
18.大仏 -3
鎌倉大仏の高さは11.31m、重さ121トン。因みに奈良の大仏は高さ14.98m、重さ350トンだそうだ。また造られたのは、鎌倉大仏が1252年(建武4年)、奈良の大仏は742年(天平14年)と古い。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
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19.大仏 -4
鎌倉大仏は阿弥陀如来で、印相(いんそう:手の組み方)は九品(くほん)で最も格式高い上品上生印(じょうぼんじょうしょういん)を組んでいるという。または定印(じょういん)とも言い、阿弥陀如来の一般的な印相だそうだ。この大仏の大きさなので、印相がとても目立つ。まねして写真を撮ってみたくなる。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
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20.門と紅葉
ここのカエデはオレンジ色に紅葉していた。近づいてみるとやはりは葉は傷んでいるところがあるが、離れて撮ると隠せる。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/500秒 56mm ISO180 ) 露出補正 なし
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21.大仏 -5
時刻は10時を回った。だんだん外国人観光客の方々が多くなってきた。もう一度大仏を振り返って退出し、長谷寺に向かう。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 55mm ISO100 ) 露出補正 なし
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22.華正樓
長谷観音前に戻る道筋に、横浜中華街に本店がある華正樓の「長谷華正樓」がある。写真の右奥に立派な本館が見えるが、メニューを見ると、ランチで¥3.3K~¥7.7K、ディナーコースは、¥5,5k~¥22Kになっていた。この売店で肉まんを買って食べ歩きもできるようだが、それもお行儀が悪い。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 34mm ISO100 ) 露出補正 なし
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23.對僊閣(たいせんかく)
長谷観音前を右に曲がって長谷寺の参道を行くと左側に「對僊閣」という古い木造の建物があった。説明板を見ると、「對僊閣」は明治末期からこの場所で旅館業を営んいる。4っの欄間窓、高欄、組子が密な格子窓を持った華やかな北側のファサードは、創建当初の姿をよく留めている。鎌倉における戦前の和風旅館として歴史的にも貴重な建物である。平成12年に鎌倉市景観重要建築物に指定されている。と記されていた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO280 ) 露出補正 なし
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2018年5月28日

栃木県をドライブ(2) 今市報徳二宮神社から雲厳寺へ 4月26日

大谷石採掘場跡を見た後、下今市へ向かったのだが、昼飯時になり、少々寄り道をしてしまった結果、下今市の報徳二宮神社に到着したのは、午後3時近くになってしまった。
​  報徳二宮神社は二宮尊徳が祀られた神社である。報徳二宮神社は、ここ栃木県日光市と、神奈川県小田原市、同じく相模原市と三か所にあるが、中でも日光市の報徳二宮神社は二宮尊徳の終焉の地であり、お墓もある。母校の卓球部の先輩に、今市ご出身の 恒 仁朗​(雅号​)​さん​​という先輩がおられる。恒 仁朗​​さん​​には「商(あきない)」「幸商人(さいわいしょうにん)」「商人心(あきないごころ)​」​といった著書があり、国会図書館にも登録されている。経世家でもある二宮尊徳の商いの教えに共鳴され、ご自分の商いの心を述べられている。
​  恒 仁朗 先輩は、昨年、この報徳二宮神社に高さ3.5mの大きな木製尊徳像2体を奉納された。​木像はチェーンソー・アートの全国大会優勝者に協力を依頼し、制作され、お社に続く参道の、鳥居の手前両脇に据えられていた。木像の名称は「尊徳来福像」といい、デザインは 恒 仁朗さんのオリジナルで、人々の心の中に尊徳の教えがあることをイメージされているという。 実際に参拝した「尊徳来福像」は大きくて、立派だった。
 そして、今回もう一か所行きたいところがあった。それは、2013年から始まっていた40年ぶりの修復工事が昨年3月10日に完成して、一般公開されている日光の陽明門を改めて見てみたかったのだ。ただ、じっくり見るには、今回は時間的に余裕がない。そこで、友人のご主人から、いま、吉永小百合のJR東日本のコマーシャルで放映されている雲厳寺へ行ってみないかとの提案があった。日光陽明門には改めて来ることにし、雲厳寺に行くことに衆議が一致した。
 ところがその雲厳寺は意外と遠かった。今市からは東北新幹線の反対側で、那須塩原に近い。距離にして75kmくらいあった。
 臨済宗妙心寺派の名刹 雲厳寺 は八溝山地のふところ深く、清らかな渓流に沿うところにある。ほとんどその名を聞いたことはなかったが、筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺と並んで、禅宗の日本四大道場と呼ばれているそうだ。山門の正面にある朱塗りの反り橋を渡って石段を登ると、正面に釈迦堂、獅子王殿が一直線に並ぶ代表的な伽藍配置となっていた。俳聖松尾芭蕉は、この地で「木啄も 庵は破らず 夏木立」の句を残してしている。時刻は5時を回っていたがまだ明るかった。観光客、参拝客は我々以外にいない。
 帰りは那須塩原インターから東北自動車道に上がった。今回のドライブの全走行距離は522kmに及んだ。

29.報徳二宮神社
報徳二宮神社 は東武鉄道の下市市駅からすぐのところにあった。境内の駐車場に車を止めさせていただいて、さっそくお参りする。参道の鳥居の手間に2体の「尊徳来福像」があった。恒 仁朗さんから教えていただいていた「尊徳来福像8の字参り」をして、向かって左側の坐像の「奉納投げ」をした。尊徳翁の頭の上にある「願い受け」にお賽銭を投げ入れるのだ。なかなか難しいが私は3投目で願いが届いた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 +0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
30.二宮尊徳像
社殿の後ろに回ってみると、二宮尊徳翁の像があった。像の前には二宮尊徳翁遺訓として「人生まれて学ばざれば生まれざると同じ。学んで道を知らざれば学ばざると同じ。知って行うこと能はざれば知らざると同じ。故に人たるもの必ず学ばざるべからず。学をなすもの必ず道を知らざるべからず。道を知るもの必ず行わざるべからず」という札がたてられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
31.尊徳翁の墓
その奥に尊徳翁の墓があった。栃木県史跡になっている。 二宮尊徳の晩年は、天保13年(1842年)、幕府に召し抱えられ、弘化元年(1844年)には日光山領の仕法を命じられる。翌年、下野真岡の代官山内氏の属吏となって、真岡に移住。 安政2年(1855年)4月に江戸幕府の命を受けて、病弱の身を徹して、日光奉行の配下で日光御神領地内の仕法に着手し、村を廻り、農民を鼓舞してきたが、病勢は衰えず、安政3年(1856年)下野国今市村(現在の栃木県日光市)の報徳役所にて亡くなっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 +0.3段
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32.蔵
境内の脇にこんな石造りの蔵があった。桜の花びらが落ちて、絨毯になっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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33.卓球場
世界卓球選手権で、連日、日本チームの活躍がテレビを賑わしていたが、二宮神社の境内になぜか卓球場があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
34.尊徳来福像
失礼して社殿の正面から尊徳来福像を撮らせていただいた。高さ3.5mの尊徳来福像は大きい。これから末永く参拝者を迎えていくことだろう。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 13mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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35.報徳二宮神社 一の鳥居
入るときは、境内の横から入ってしまったが、参道を下がってみると、その入り口に鳥居があった。一の鳥居と呼ばれているかどうかはわからない。「祝SL運行記念」という旗が見える。東武鉄道は2017年8月に約半世紀ぶりに、「大樹」と名付けられた観光SL列車を復活させた 。栃木県日光市の下今市駅から鬼怒川温泉駅までの12.4km区間を約35分で走る。けん引するSL機関車、C11207はわたくしが生まれた年である1941年に製造された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 15mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
36.雲厳寺
栃木県の大田原市黒羽にある臨済宗妙心寺派 東山雲厳寺に着いたのは夕方5時20分を過ぎていた。日が長くなったおかげでまだ明るい。入口に立つとその美しさに目を奪われた。JR東日本のコマーシャルビデオが撮影されたところだが、JRで来るには少々便利が悪い。新幹線の那須塩原駅からバス利用だが、雲厳寺まで行くバスは日に3本しかない。そのバスでおおよそ1時間かかるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO2000 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
37.武茂川
山門に上がる階段の前には武茂川が流れていた。川にかかる瓜瓞橋(かてつきょう)の上から眺めた武茂川は清流だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO2500 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
38.鐘楼
石段を上がって境内に出る。右手に鐘楼があった。石段の前には、「階段を上がるのが無理な御方は上流に見える石橋をお渡りください ゆるやかな坂道となって居ります」という立札がたてられていた。もちろん全員、石段を上がった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO2500 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
39.仏殿
山門の正面には仏殿がある。禅寺らしい仏殿と感じた。 扁額は「東山」と記されている。雲巌寺開山高峰顕日(仏国国師)の師である無学祖元(1226から1286)は、北条時宗の招請に応じて来日した中国僧で、先日も訪れた北鎌倉円覚寺の住持だったそうだ。無学祖元の像としては、円覚寺開山堂の像(国指定重要文化財)が著名である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
40.雲厳寺ご本尊
仏殿には、ご本尊の釈迦牟尼仏(銅造釈迦如来坐像)が安置されていた。暗かったがよく撮れたと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/15秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
41.仏殿と勅使門
仏殿に向かって左側に、禅堂に上がる石段があり、その手前に勅使門がある。立てられていた「禅宗東山雲厳寺由緒」の説明版を、私なりに大雑把にまとめると、・・・ 雲厳寺は弘安6年(1283年)、高峰顕日(仏国国師により、改めて臨済宗寺院として建立された。天正18年(1590年)、秀吉が小田原城を攻めるにあたり、従わなかった那須家烏山城を攻めたが、その時、多くの民が逃げ込んだ雲厳寺が、要塞として侮りがたいとして、焼却してしまった。数年後、堂宇は建てられたが、昔の盛観はなかった。その後、弘化4年(1847年)再び火災を被り、その時罹災した方丈、庫裡は再建された。仏殿は幸いにも弘化4年の火災を免れたが、秀吉による天正の兵火から、300余年を経過し、腐朽の極みに達し、大正元年、改築が計画され、大正11年(1922年)に竣工した。鎌倉末期の建築様式である。・・・

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/15秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
42.松尾芭蕉句碑
松尾芭蕉が「奥の細道」で最も長く滞在したと言われるのは、ここ栃木県大田原市の黒羽だそうだ。最初に大治年間(1126~1131年)に開かれた雲巌寺は禅宗の四大道場のひとつとされており、境内入口には説明板と、その左横に松尾芭蕉が師と仰ぐ、当時の住職であった仏頂禅師の寓居跡を訪ねた折に詠んだ「木啄も庵はやぶらず夏木立」と仏頂禅師の「竪横の五尺にたらぬ草の庵むすぶもくやし雨なかりせば」の二句を刻んだ句碑があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
43.ヤマザクラと山門
桜のような白い花が咲いていた。ヤマザクラかと思うが自信はない。背景は山門。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
44.ツツジ
境内は、私たち以外に参拝客はおらず、夕方でもあり、静寂だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO640 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
45.仏殿の屋根と山門
石段を上がって、方丈の前から仏殿と山門を眺める。シモクレンの花も咲いていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO1000 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
46.鐘楼と山門
方丈の横から、鐘楼とその奥の山門を眺める。時刻は5時40分になる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO1600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
47.雲厳寺 裏門
そろそろ駐車場に戻ろうと、石段を下りないで、入ってきたときに、 瓜瓞橋の前に書かれていた"緩やかな坂道"を降りてきた。裏門があった。門の向こうに見えるのは熊野神社の鳥居。裏門を出ないでまっすぐ進むと三仏塔がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO1600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
48.工事中の三仏塔
裏門を出ないでまっすぐ進むと三仏塔がある。三仏塔は仏光国師、仏国国師、仏応禅師の三祖の塔所だそうだが、工事中だった。 三仏塔は 天正18年(1590年)、の兵火により全焼後、文禄年間(1592年~1595年)に再建された。大正13年(1924年)に大修理、昭和26年(1951年)に屋根の模様替えが施され、さらに昭和63年に吹き替えがなされている。今度は何の工事なのだろうか。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO1600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
49.武茂川へ張り出した枝
裏門の前の武茂川に架けられた瑞雲橋を渡った。武茂川の左岸を駐車場に歩く途中、武茂川に長く枝を張り出した木があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
50. 瓜瓞橋
再び瓜瓞橋のところへ戻ってきた。やはり、ここからの眺めは最高だ。誰もいない、静かな境内を散策し、参拝出来たのが良かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
51.那須インターへ
駐車場に戻り、帰路に着く。カーナビは那須ICから東北道に乗れとガイドする。途中、夕日を見ることができた。那須連山を背景に、手前は灌漑用の池である。時刻は6時15分。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 24mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


2018年5月 6日

春の鎌倉円覚寺 4月1日

この日、人生2度目のホール・イン・ワンを達成した元勤務先の先輩のお祝いの会にお招きいただいた。会場風景など、スナップ写真を撮って欲しいと依頼されていたのでCanon G12を持参していた。パーティーは12時から始まり、2時半ごろお開きになった。天気も良く、まだ陽は高い。紅葉のシーズンには何度か訪れた円覚寺だが、春に行ったことがない。北鎌倉で下車することにした。
 桜満開の土曜日だったが、午後遅かったためか、参拝客は少なかったので、ゆっくりと境内を散策できた。

1.北鎌倉駅
北鎌倉で下車すると、反対側に停車していた下り湘南新宿ラインが動き出していた。通り過ぎるのを待って、円覚寺側に踏切を渡る。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 6mm ISO160 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
2.円覚寺総門の桜
総門の石段の手前に満開の桜があった。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 6mm ISO160 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
3.円覚寺総門
円覚寺の総門には、山号の「瑞鹿山」(ずいろくさん)の額が掲げられている。開山無学祖元の創建開堂に​あたって、その法話を聞きに山中から白鹿が​出てき​たことから、この名が付けられたという​話があるそうだ​​。(鎌倉手帳 寺社散策より)​

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 6mm ISO800 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
4.山門の桜
総門で受付を済ませ、山門の石段を上がる。山門を抜けると仏殿が見えるが、ここにも満開の桜があった。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 12mm ISO640 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
5.新緑と桜
新緑の若葉が美しい季節が始まっている。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4.5 1/640秒 30mm ISO800 )露出補正 -0.3段
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6.大方丈
大方丈では、縁に座って庭を鑑賞している人がいる。本来は住職が居住する建物を方丈と呼ぶが、現在は各種法要の他、坐禅会や説教会、夏期講座等の講演会や秋の宝物風入など、多目的に使われているそうだ。午後の遅い時間、禅寺の風情がある。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/250秒 16mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
7.アセビ 馬酔木
ツツジ科アセビ属の常緑低木。馬酔木の名は、「馬」が葉を食べれば毒に当たり、「酔」うが如くにふらつくようになる「木」という​ところ​から付いた名前であるとされる。 ほんとに馬が食べると酔うのだろうか。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 16mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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8.白鹿洞のヤマブキ
ヤマブキの黄色が鮮やかだった。円覚寺の創建開堂にあたっては、無学祖元の法話を聞くために山中から白鹿が出てきてこれに連なったという言い伝えがある。その白鹿が出てきたというのがこの「白鹿洞」(びゃくろくどう)。円覚寺の山号は「瑞鹿山」。この山号には「めでたい鹿のお山」という意味があるそうだ。(鎌倉手帳 寺社散策より)​

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.8​ 1/1250秒 ​7​mm ISO2​0​0 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
9.​ルリタテハ
ルリタテハがスーっと飛んできて、石の上に止まって、日向ぼっこをするように 開翅してくれた。

​​​​​Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4.5​ 1/1250秒 ​30​mm ISO250​0 )露出補正 -0.3段
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10.山門と桜
午後4時。山門へ戻ってきた。渋い山門を背景に桜の花が浮き立つ。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​3.2​ 1/1250秒 ​9​mm ISO50​0 ) 露出補正 -0.3段
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11.桂昌庵
紅葉のシーズンもきれいだが、新緑も良い。ここ桂昌庵(けいしょうあん)は、第四十九世承先道欽(しょうせんどうきん)の 塔所 だそうだ。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f​3.2​ 1/800秒 ​10​mm ISO80​0 )露出補正 -0.3段
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12.横須賀線北鎌倉駅
円覚寺の総門を出て、北鎌倉の駅へ戻る。今度も下り、鎌倉方面行の電車が到着していた。私は、この踏切を渡って上り電車に乗る。昭和43年に結婚し、北鎌倉に借家住まいをしていた7年間、毎朝、ここから横須賀線に乗って東京へ通ったのを思い出す。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels プログラムオートで撮影( f​4.5 1/1250秒 ​30​mm ISO80​0 ) 露出補正 
-0.7段
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2017年1月15日

紅葉の鎌倉を散策(4) 鶴岡八幡宮 12月5日

銭洗弁財天から道しるべに従って鎌倉駅方面へ下りる。20分ほど歩いて鎌倉駅の西口に出た。西口は江ノ電の乗り場になっている。駅に向かってロータリーを左に歩いて、地下道を抜けて反対側の東口に出た。
 この日の目的のひとつであった新しくなった段葛(参道)を見るためさっそく若宮大路の二の鳥居へ出た。段葛は今は花はないが、桜の木が植え替えられ、きれいになっていた。桜の花が咲くころに来てみよう。
  段葛をまっすぐ進んで、三の鳥居から境内に入った。次の目当ては大銀杏の子供がどうなっているか見ることだ。本宮の大石段の脇の根が残された大銀杏があったところからは選び抜かれた1本のひこばえがすくすくと育っていた。これが次代の大銀杏になるのだろう。高さは3mを超えているのではないだろうか。根元から切られたもともとの幹は植え替えられて、その周りにも多くのひこばえが生えている。
 そのあと、源氏池の旗上弁天社で撮影して、一の鳥居を出たのは午後1時を回っていた。一の鳥居を出て若宮大路を少し行ったところの左側に「繁茂」という蕎麦屋があった。少々歩き疲れたので、入ったことのない店だったが、即断即決、のれんをくぐった。なかなかにぎわっていた。冷たいとろろそばを頼んだが、思いのほか旨かった。

46.鎌倉市役所前
鎌倉市役所にでた。鎌倉駅西口へはまっすぐ行くのだが振り返って市役所前の交差点に立っている道案内板を見ると、海蔵寺1.4kmとある。次回はここから海蔵寺へ行こう。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f7.1 1/​800​秒 116mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
47.鎌倉駅西口​​
鎌倉駅西口に出た。向かって右側が江ノ電の駅舎である。八幡宮や小町通のある東口は観光客の町だが、西口は生活感のある地元の人たちの町という感じがする。左に行って線路の下をトンネルでくぐり東口に出た。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f9 1/​320​秒 38mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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48.二の鳥居​​​​
鶴岡八幡宮の若宮大路の二の鳥居に来た。ここから新しく整備された三の鳥居へまっすぐ続く段葛を見る。段葛は2014年10月より改修工事が行われ、2016年3月に完成した。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f10 1/​400​秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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49.新しくなった段葛
新しく植えられた桜の木はまだ枝が張っていないので、その先に鶴岡八幡宮の本宮が見える。ちなみに新しく植えられた桜は、枝が横に広がらないタイプのものが選ばれたそうだ。若宮大路は鎌倉のメインストリート。段葛のすぐ横は、大型の観光バスも行き交う。以前は、道にせり出した枝を切っていたが、桜は枝を切るとどうしても木の勢いが弱くなってしまうのだそうだ。そこで、ソメイヨシノの中でも上に伸びていく性質を持った桜が選ばれ、新生段葛の桜として植えられたとのこと。石灯籠も新しくなっていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6 1/​1000​秒 175mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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50.太鼓橋
三の鳥居から境内に入り太鼓場所越えに本宮を拝む。 鶴岡八幡宮の太鼓橋は、1182年(寿永元年)、源平池が造営されたときに架けられたものと考えられているそうだ。将軍家が鶴岡八幡宮に参拝するときは、この橋で輿を下乗したという。当時は朱塗りの板橋であったことから、「赤橋」(あかはし・あかばし)と呼ばれていた。鎌倉の古絵図にも「赤橋」と記されているとのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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51.舞殿と本宮
太鼓橋かの手前から、手前に舞殿、奥に本宮の楼門を望む。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​640​秒 130mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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52.カエデと参道
八幡宮の境内にはあまりカエデはないが、太鼓橋の先に赤く色づいたカエデがあった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250​秒 12mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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53.神前結婚式​​
鶴岡八幡宮では境内にある舞殿と、本宮の御子神をお祀りする若宮で挙式することができる。向こうから歩いてくるこのカップルはその神前結婚式を終えられたところであろう。鶴岡八幡宮をお参りすると、しばしば結婚式を挙げた二人に遭うことがある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f7.1 1/​800​秒 82mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
54.後継ぎの大銀杏​​​​
本宮の大石段の左側、もとの大銀杏があったところに1本のひこばえがぐんぐんと伸びてきている。残された根の部分から生えていた何本ものひこばえから選ばれた次代の大銀杏だ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f10 1/​400​秒 50mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
55.移植された幹 -1
ちょっと離れたところに移植されている大銀杏の幹の部分からもひこばえが伸びている。ここはこれからどうしていくのだろうか?

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f7.1 1/​250秒 48mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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56.移植された幹 -2​​
2010年3月10日に強風により倒壊した樹齢1000年を超えるという大銀杏の幹がいかに太かったか・・・。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250秒 46mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
57.源氏池
​​ 大銀杏の再生を見て引き上げることにする。源氏池には水鳥が来ていた。ユリカモメもいる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250秒 46mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
58.旗上弁財天社
​​ 源氏池に張り出した弁財天の鳥居と紅葉したカエデが重なっていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f9 1/​320秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
59.蕎麦屋「繁茂」
​​​​ 初めて入った蕎麦屋だったがなかなか旨かった。後でこの店のHPを開いて見たら、不定期でミュージシャンを呼び、弾き語りなどの ライブを開催していて、美味しいお蕎麦をつまみにライブを堪能できますとあった。蕎麦屋でライブ・・・面白そうだ。この日は朝9時前に北鎌倉の駅に下り、円覚寺、東慶寺、浄智寺、そして葛原岡ハイキングコースを上り、銭洗弁財天から鶴岡八幡宮と4時間歩きづめで少々疲れたが、天候もよくすがすがしい1日だった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250秒 35mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
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2017年1月11日

紅葉の鎌倉を散策(3) 浄智寺から銭洗弁財天へ 12月5日

東慶寺の山門を出て鎌倉街道を鎌倉方面へ5分ほど歩くと、浄智寺の入り口に着いた。右へ曲がって石橋を迂回して、寶所在近と書かれた額がかかる山門をくぐる。
  浄智寺は同じく臨済宗の円覚寺派で鎌倉五山の第4位である。ちなみに鎌倉五山第一位は建長寺、第二位は先に訪れた円覚寺だ。
 浄智寺の境内を歩いた後、今度は海蔵寺へ行こうと思い、いったん鎌倉街道に戻る。鎌倉方面へ進み横須賀線の踏切まで来たが、海蔵寺は横須賀線線路の鎌倉に向かって右側にある。ということは踏切を渡らないで右のほうに歩けばよいと思ったのが浅はかだった。まず、右に進む道が見当たらない。仕方なく浄智寺の入り口まで戻り、拝観受付の女性に、「この先、海蔵寺まで行けますか?」と尋ねたところ、山越えになるけど20分くらいで行けるという。ならばと歩き始めたが、その道は葛原岡神社、源氏山、銭洗弁天、さらに長谷の大仏に通ずるハイキングコースで、途中海蔵寺へ下りる道は見つからなかった。
 さきに述べたように、途中で追い越された地元のかたらしい人に「海蔵寺さんへはどう行けばいいですか」と聞いてみたら、「この先から降りていけると思いますが、崖になっていて、前夜の雨で滑るので危険ですから迂回した方がいいですよ」と教えてくださった。海蔵寺かどうかはわからないが、左がけ下にお寺の屋根が見えた。とても下りられるところではなく、そのまま源氏山へ向かう以外になかった。

28.浄智寺入り口
東慶寺を出てから5分ほどで、ここ浄智寺の入り口に着いた。ここを入って山門に続く石段を上る。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250​秒 50mm ISO1250​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
29.山門​​
鎌倉石のきれいな石段の上に、寶所在近とかかれた額のかかる山門(惣門と記された資料もある)がある。寶所在近とは宝物は近くにあるという禅の言葉だそうだ。宗から招いた無学祖元が書いたと伝えられている。参拝者が増えてきた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250​秒 48mm ISO1100​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
30.鐘楼門​​​​
山門をくぐるとさらに石段があり、拝観受付のさきに中国式の鐘楼門が見えた。この鐘楼門を山門ということがあるようだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250​秒 50mm ISO1250 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
31.茶室 龍淵荘
鐘楼門を入るのを後にして、拝観受付を右手に行くと茶屋がある。龍淵荘と書かれていた。カエデが見事に紅葉していた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250​秒 31mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
32.布袋尊
鎌倉江の島七福神のひとつだそうだ、布袋尊は中国の唐の時代に実在した僧であり、七福神の一人だ。弥勒菩薩の化身ともいわれるという。浄智寺の布袋尊は石の立像でやぐら近くに安置されている。富貴繁栄のご利益があるといわれ、参拝者が多いというが、この日はひっそりとしていた。何やらウィンクをしているよう布袋様だ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​500​秒 98mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
33.書院とモミジ
布袋尊から引き返してくると仏殿の裏手にある茅葺屋根の書院があった。大正13年築とのこと。、寺院の建物というより古民家のような素朴な風情が感じられる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f9 1/​320​秒 50mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.浄智寺 本堂
鐘楼門の先に本堂がある。本堂の扁額には「曇華殿」と書かれている。曇華殿とは三千年に一度だけ咲く伝説の花に由来するというが、いつ建てられたものかはわからなかった。写真は曇華殿に安置されている三世仏。南北朝時代のもので、わが国に伝わる三世仏の中でも造立年代の早いものといい県重要文化財に指定されている。仏教における三世とは、過去・現在・未来のことで、三世仏は向かって左から阿弥陀如来(過去)、釈迦如来(現在)、弥勒菩薩(未来)だそうだ。いずれも袖と裾を台座から垂らした宋風の像とのこと。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​125秒 25mm ISO3200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
35.浄智寺 境内奥​​
浄智寺の境内は山に囲まれ背後の谷戸に深く続き、長い歴史をもったお寺にふさわしい閑寂なたたずまいとなっている。現在では地理的環境と鎌倉五山の伽藍遺構を後世に伝えるため、国の史跡として保護されているそうだ

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels​​
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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36.鐘楼門
鐘楼門は2階が鐘楼という珍しい山門で銅の鐘がかかっている。旧鐘楼門は1679年の建立であり、現在の鐘楼門は2007年(平成19年)に建て替えられたもので、境内では一番新しい建物だそうだ。 銅鐘は県の重要文化財にしてされていて、龍頭が鐘全体にくらべて小さく、かつ繊細な感じのする鐘で、暦応3年(1340年)の銘がある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250秒 38mm ISO280 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
37.浄智寺からハイキングコースへ
浄智寺の次は海蔵寺へ行きたいと思っていた。しかし、旨くコースを選ぶことができず、浄智寺から葛原岡、源氏山、さらには大仏へと続く葛原岡・大仏ハイキングコースを歩くことになった。実は浄智寺がそのハイキングコースのスタートなのだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250秒 38mm ISO280 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
38.葛原岡神社​​
はじめは広くて歩きやすい道だったが、だんだんと狭くなり、木の根があって歩きにくい坂道になった。崖の下にある海蔵寺へ行くのは諦めて、20分くらい歩いただろうか、葛原岡神社に着いた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f10 1/​400秒 38mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
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39.葛原岡神社のお社(本殿)​​
小さな本殿の右側に「昇運の神龍」というのがあった。この本殿を造営する際、旧本殿に収められていた神龍で120年間最新をお護りしていた(略)と記されていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​250秒 60mm ISO2000 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
40.銭洗弁財天
葛原岡神社にお参りした後、道案内板に従って銭洗弁天に向かった。ここが銭洗弁天の洞窟への入り口である。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250秒 18mm ISO2500 ​) 露出補正​ ​なし
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41.銭洗弁財天 本宮
洞窟を抜けて境内に出る。銭洗弁財天は正しくは銭洗弁財天宇賀福神社という。本宮には本宮:市杵島姫命が祀られている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f9 1/​320秒 18mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
42.銭洗弁財天 奥宮​​
本宮の横の洞窟、ここが銭を洗う奥宮である。湧き出る清水は銭洗水と呼ばれ、鎌倉五名水に数えられている。洞内には宇賀神と弁財天が祀られ、銭洗い用のざるが用意されており、参拝者はざるに硬貨や紙幣を入れて銭洗水で洗う。ご利益は銭が増えるそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​50秒 25mm ISO3200 ​) 露出補正​ ​なし
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43.七福神社
3つある境内社のひとつ七福神社

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​250秒 18mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
44.下之水神社
​​ これも3つある境内社のひとつで、もう一つ上之水神社がある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250秒 22mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
45.銭洗弁財天 入り口
​​ いま、境内からトンネルをくぐって入口へ戻ろうとしている。D5000はISO12800までだが、3200を上限に設定している。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​80秒 18mm ISO32​​00 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。

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2017年1月 8日

紅葉の鎌倉を散策(2) 東慶寺 12月5日

円覚寺総門から石段を下りて、横須賀線の踏切を渡り、鎌倉街道を左へ行く。5分ほど歩くと右側に東慶寺の山門にいたる石段が見えた。小さな山門である。東慶寺は円覚寺派の寺院であり、駆け込み寺として知られる。江戸時代には幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていたという。
 このお寺は本堂はそれほど大きくはないが奥に墓苑が続く。その紅葉がきれいだった。

15.山門にいたる石段
石段を上がると小さな山門がある。拝観料は200円だった。時刻は10時10分を回ったところで、参拝者の姿もあった。山門をくぐって左側に鐘楼があった。東慶寺の鐘楼は1916年(大正5年)に建てられ、1923年(大正12年)の関東大震災で唯一倒壊しなかった建築物だそうだ。吊されている梵鐘は、1350年(観応元年)の鋳造で材木座の補陀洛寺から移されたものという。昨年1月5日に伊豆韮山の本立寺を訪れた折、そこの鐘楼につるされていた鐘はここ東慶寺にあった梵鐘だと聞いた。以前に東慶寺あった鐘だろう。江戸中期に伊豆韮山の有力者であった江川氏の菩提寺である本立寺へ移されたとのことだ。

  Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8​​​ 1/​250​秒 48mm ISO220​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
16.本堂
美しい屋根の形は宝形造というらしい。本堂は「泰平殿」といい、本尊の釈迦如来坐像が祀られている。明治維新で寺領を失い修理も出来ずに荒れ果て、雨の日には「本堂の雨漏りがひどくて、傘をさしてお経を読んだ」という状態であったという。 その仏殿は1907年(明治40年)に先日行ってきた三溪園に移築された。現在の本堂はその後、1935年(昭和10年)に建てられたものである。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.5​​​ 1/​250​秒 20mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
17.茶室「寒雲亭」​​
本堂の向かい側に茶室「寒雲亭」がある。wikipediaによれば、「寒雲亭」は千宗旦の遺構で、最初のものは1648年に京都に造られ、裏千家で最も古いお茶室とされる。 ただし1788年(天明8年)正月に京都で大火があり、伝来の道具や扁額、襖 は持ち出すことができたが、茶室は隣合わせだった表千家・裏千家共にすべて焼失している。 従って現在残るものは1788年から翌年にかけて同じ間取りで再建されたものである。 東慶寺の寒雲亭は明治時代に京都の裏千家から東京の久松家(元伊予松山藩久松松平家) に移築され、 その後、鎌倉材木座の堀越家を経て1960年(昭和35年)に東慶寺に寄進・移築されたものである。ここは非公開だった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2​​​ 1/​250​秒 32mm ISO800​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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18.十月桜​​​​
境内奥は墓苑になっているが、その手前に十月桜が咲いていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250​秒 210mm ISO1000​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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19.大きなカエデの木​​​​​​
墓苑の入り口に大きなカエデの木があり、紅葉していた。カエデはおおよそ128種存在するそうだ。日本で代表的なカエデはイロハモミジである。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.5 1/​250​秒 44mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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20.墓苑
​​ 入り口でいただいたパンフレットによれば、境内奥には開山覚山仁、5世用堂尼、20世天秀尼や歴代住職の墓がある。その周りには宗演老師の居士であった野田大塊をはじめ、石井光男、鈴木大拙たちが眠っており、時を経て現在は安倍能成、出光佐三、岩波茂雄といったゆかりの哲学者、文学者、実業家たちも多く眠っている。出光佐三は出光興産の創業者。つい最近出光佐三をモデルにした映画「海賊と呼ばれた男」 を観た。この辺りは湿気の多いところで墓石は苔むしている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​250​秒 26mm ISO450​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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21.墓所の仏像
どなたの墓かはわからないが、墓所には仏像が祀られていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​250​秒 66mm ISO1250​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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22.緑を背景に色づいたカエデ
​​ 後ろにはこれから紅葉する緑のカエデがあり、手前のカエデの葉とのコントラストがきれいだった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250​秒 300mm ISO900​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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23.輝くカエデ​​
​​ 墓苑は暗い。その中で日の当たるところにある紅葉したカエデの葉が輝く。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250​秒 300mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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24.本堂への門​​​​
​​ この門にあるカエデの古木は立派だ。残念ながら紅葉した葉は日影になってしまった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250​秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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25.再び本堂へ
​​ さっきは参拝者が多かったので、美しい宝形造の屋根の本堂全体を撮れなかった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250​秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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26.本堂の釈迦如来坐像
​​ パンフレットでは、仏頭内部に墨書修理銘があり、それによると永生12年(1515年)火事が起こり、その時この像は取りだされ、仏師弘円が面部を彩色、寛文10年(1670年)仏師加賀が修理したこと、また別筆では大正の震災で大破したのを昭和初年、後藤弘慶が修理し、本堂に安置されたと記されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​60​秒 70mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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27.イチョウとカエデの紅葉
墓苑に大きなイチョウの木が植えられていて黄色くなっていたが、その手前には赤く染まったカエデの葉が陽の光を浴びていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250​秒 98mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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2017年1月 4日

紅葉の鎌倉を散策(1) 円覚寺 12月5日

おかげさまで本年も平穏な正月を迎えることができた。2日は毎年行っている家内の両親や兄たちが眠る八王子のお寺に墓参りに行った。元旦には毎年、近くの橘樹神社と神明社に初もうでをするが、今年の元旦は娘夫婦の家で新年会となった。
  昨年12月以降のことで、今年のブログはスタートすることになる。
 紅葉の写真を撮りに鎌倉へも行ってきた。一昨年は改修中だった鶴岡八幡宮の段葛が昨春に工事を終えたというので是非見てみたかった。また、2010年3月10日未明に強風で倒れた大銀杏の子孫がどこまで育ってきているかも見たい。一昨年は12月7日に行っている。
 12月5日から数日天気の良い日が続くという予報だった。その12月5日は早朝は雲があったが、7時ごろには予報通り青空が広がってきた。8時に家を出て、北鎌倉に着いたのは9時少し前だった。
 予定したコースは、円覚寺→東慶寺→浄智寺→海蔵寺→鶴岡八幡宮だったが、浄智寺から海蔵寺へ行くことができなかった。浄智寺を出ていったん鎌倉街道へ出て、横須賀線の踏切を進行方向左側へ渡る。しかし、海蔵寺は横須賀線の線路のこちら側、つまり進行方向右側だ。そこで浄智寺から鎌倉街道へ出ないで右へ行くのが良いのかと思い、いったん浄智寺へ戻り、浄智寺の受付の女性に「海蔵寺さんはここを右へ行けばよいのですか?」と尋ねたところ、山越えだが行けるとのこと。30分ほどだというので歩き始めたが、それは源氏山、葛原岡神社、さらに大仏へのハイキングコースだった。途中で追い越された地元のかたらしい人に「海蔵寺さんへはどう行けばいいですか」と聞いてみたら、「この先から降りていけると思いますが、崖になっていて、前夜の雨で滑るので危険ですから迂回した方がいいですよ」と教えてくださった。仕方なくそのまま源氏山へ向かう。途中どこにも海蔵寺という行先案内はない。源氏山について地図を見たら、化粧板切通というところを通って、ぐるっと回っていかなければならないようだ。仕方がない、海蔵寺は次の機会にしようと諦めて、銭洗弁財天をみて、鎌倉駅へ下りることにした。
 鎌倉駅のいわゆる裏駅(西口)に出て、東口に地下道を抜け、若宮大路の段葛の入り口へ出た。 さて、まずは、円覚寺から。午前9時に総門を入った。まだ参拝客も少ない。
 円覚寺は弘安5年(1282年)に創建された。開基は元寇の役に活躍した鎌倉幕府の執権北条時宗、開山は宗から来朝した高僧の無学祖元(仏光国師)である。結婚して7年ほど北鎌倉に住んだことがあるが、娘はこの円覚寺山内の北鎌倉幼稚園に通った。入園は先着順であったので、当日、出勤前の暗いうちに並んだのを覚えている。

1.円覚寺総門
昨年は12月7日にここ円覚寺の紅葉を撮りに来た。夜来の雨がやみ、青空が広がった。どうやら紅葉も適期のようだ。いま午前9時。8時に開門されているが、まだ人は少ない。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5​​​ 1/​250​秒 22mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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2.宝冠釈迦如来坐像​​
山門を抜けて仏堂に来た。円覚寺の本尊である宝冠釈迦如来坐像が祀られている。関東大震災で倒壊したが昭和39年に再建されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​50​秒 48mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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3.仏堂 天井画
円覚寺のホームページによれば、「天井の「白龍図」は、前田青邨(せいそん)画伯(1885〜1977)の監修のもと、守屋多々志(もりやただし)画伯(1912〜2003)によって描かれたものです。」とある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​125​秒 18mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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4.佛日庵への道​​
仏堂をお参りして、左側に出る。円覚寺塔頭 佛日庵への道は紅葉が美しい。日が当たり、見事に紅葉している佛日庵背後の山が眺められた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.3 1/​250​秒 82mm ISO380​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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5.佛日庵の後ろの紅葉
佛日庵の方に歩いていく。この時期に何度か円覚寺に来ているが、背後の山が紅葉しているこの光景に気が付いたのは初めてだった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.3 1/​250​秒 92mm ISO250​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
6.国宝 舎利殿​​
舎利殿には源実朝が宋の能仁寺から請来した「佛牙舎利」というお釈迦様の歯が祀られているという。鎌倉時代に中国から伝えられた様式を代表する最も美しい建物として国宝に指定されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​500​秒 56mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
7.如意庵​​​​
如意庵も塔頭であり、第三十六世無礙妙謙(むげみょうけん)の塔所(墓)だそうだ。本尊は宝冠釈迦如来である。この三門をくぐって中に入ると、安寧というカフェがある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250秒 31mm IS1800​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
8.黄梅院の石畳​​​​
​​ 黄梅院は第十五世夢窓疎石(夢窓国師)の塔所であり、本尊は千手観音菩薩だ。石畳にはカエデの葉が落ちていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels​​​​
​​ プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/30秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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9.正伝庵のカエデ​​​​
​​ 円覚寺の一番奥にある黄梅院から山門の方へ戻ってくる。妙香池という池があり、ここも円覚寺の塔頭である正伝庵がある。正伝庵は、第二十四世明巌正因(みょうがんしょういん)の塔所で、本尊は宝冠釈迦如来。妙香池の傍には色づいたカエデが多い。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​400秒 105mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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10.百観音霊場​​​​​​
​​ 宗務本所の傍にあるここは百観音霊場という。百観音は江戸時代、拙叟尊者が境域に岩窟をうがって百体の観音像を祀ったことに由緒を発する。その後荒廃したが、明治21年洪川(こうせん)禅師が発願して西国33体の観音像を新らたに刻み、補陀落迦観自在窟(ふだらかかんじざいくつ)と名づけて境内の一部に安置した。昭和58年この地に移し多くの人々に参詣することになったという。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
11.水溜りのモミジ​​​​​​​​
​​ 夜来の雨が方丈の前に水溜りを作っていた。その水溜りにモミジが映り込む。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250秒 35mm ISO320​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
12.仏殿の屋根とカエデ​​​​​​​​​​
​​ 仏殿の屋根を背景に紅葉して陽の光を受けたカエデが鮮やかだった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​640秒 120mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
13.山門とカエデ
​​ 午前10時になった。入った時より日は上り、カエデの葉が輝いている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
14.洪鐘(おおがね)
​​​​ 山門から一旦仏殿へ戻って、山門をくぐらずにその左手の細い道を歩いた。左に上がる長い石段があり、上に弁天堂と国宝洪鐘があると説明されいていた。その石段を上っていくと、洪鐘があった。建てられている案内書には、生安3年(1301年)に北条貞時が国家安泰を祈って鋳造、寄進した鎌倉第一の大鐘で国宝に指定されている(略)と記されている。鎌倉時代後期を代表する梵鐘だそうだ。弁天堂からは眼下に次に訪れた東慶寺が眺められた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f9 1/​320秒 24mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
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