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2023年5月14日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物⑤ 2023年4月5日ー7日 壷阪寺(壺阪山南法華寺)

吉野山からここ壺阪寺までは、北北西へバスでおおよそ30分くらいだった。ツアコンさんは、このお寺にはツアーで来る観光客は少ないのだという。到着してみると、その通りで団体の参拝客は少なかった。
 壷阪寺は真言宗系単立の寺院で山号は壺阪山。本尊は十一面千手観世音菩薩である。正しくは南法華寺というが、一般には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られる。西国三十三所第6番札所である。
 大講堂という建物に入山受付があった。ツアコンさんが受付を済ませたところで、自由に見学することになった。大講堂に沿って仁王門へ向かう。その時、開けられていた大講堂の扉から、たくさんのひな人形が飾られているのが見えた。縁側に設けられた上がり口から、靴を脱いで中に入れるが、後にすることにした。
 仁王門を入り、まず右手に見えた大仏像を見る。仁王門から三重塔へ向かう参道に戻り、多宝堂、潅頂堂を見ながら、礼堂に入る。礼堂でも沢山のひな人形が飾られていて、大講堂と合わせて、約3,500体のひな人形は圧巻だった。
 三重塔の後ろにあった仏伝図レリーフの規模の大きさにも驚かされた。
 最後に最初の大講堂に上がり、改めてひな人形を鑑賞した。見どころいっぱいの小一時間を終え、バスに戻った。  この壷阪寺は「壺坂霊験記」で有名であるが、もう一つの特徴は天竺(インド)渡来の石像群であった。あっちこっちに、巨大なインドからの石仏が安置されていた。それも一つ一つが結構大きい。最大のものは高さ20mもある。壷阪寺の先代の住職は1960年代からインドのハンセン病救済活動に参加していて、インド国内での奨学金事業や学校運営事業、地域開発・公衆衛生事業に熱心に取り組んでいたそうだ。壷阪寺の石仏はこの日印交流への感謝として贈られたという。

000_2304060807 X700 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg
公開中だった「大雛曼荼羅(だいひなまんだら)」 2023年4月6日 奈良県高取町 壷阪寺(南法華寺)

109_2304060770 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 109.大講堂の雛飾り
大講堂で受付を済ませ、仁王門へと歩き始めたが、開かれた扉から大講堂の中に、ひな人形が飾られているのが見えた。あとでゆっくり見ることにして、まず仁王門へ向かう。ISO感度は6400に上がっていた。色もきれいだし、ざらつきも少ない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 56mm ISO6400 ) 露出補正 なし
110_2304060770 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 110.仁王門
建暦2年(1212年)の建立という。壷阪寺のホームページによれば、貞慶解脱上人が建立に係ったと伝わっている。室町期と安土桃山期に大修理を加え、昭和には解体修理を行ったが、平成10年の台風により屋根が半壊したので、平成15年壷阪寺開創1300年を期して、防災上の見地から建立場所を現在の場所に移し、再度解体修理を行ったそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
111_2304060781 X900 〇壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 111.仁王門 仁王像阿形
何時頃の建立かわからなかったが、歴史を感じさせる迫力のある仁王像である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 56mm ISO3200 ) 露出補正 なし
112_2304060786 X900 壷阪寺 サトザクラ Z50 Z18-140.jpg 112.壺阪大仏 天竺渡来 大釈迦如来石像 -1
仁王門をくぐって右手に大仏の姿が見えた。平成19年11月開眼というから新しい大仏さまだ。身丈10m、台座は5mある。壷阪寺のインドでの奉仕活動の縁から始まった国際交流・石彫事業の一環で、製作されたそうだ。21世紀初頭より、世界中で起こった暴力や中傷などによって痛んだ心を癒やすため建立された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 46mm ISO100 ) 露出補正 なし
113_2304060788 X900 〇壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 113.壺阪大仏 前立の石像
壺阪大仏の前に立つ石像群で、右手前は象に乗る身丈3mの普賢菩薩石像である。その向こう側に獅子に乗った文殊菩薩石像があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 40mm ISO180 ) 露出補正 なし
114_2304060790 X900 〇壷阪寺 多宝塔 Z50 Z18-140.jpg 114.多宝塔
仁王門から三重塔に向かって進み、右側に壺阪大仏を見て、左側にこの多宝塔があった。平成14年に建立された本瓦葺のまだ新しい多宝塔である。多宝塔の外見は二重塔であるが、本来は一重の宝塔のまわりに裳階がついた形であって、発生的には二重塔ではないそうだ。本尊の大日如来坐像(平安時代)を祀る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
115_2304060792 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 115.灌頂堂(かんじょうどう)
多宝塔の奥(南側)に灌頂堂が見えた。ホームページによれば、壷阪寺は子島流、または壷坂流と称される真言宗の一流派の道場であった。その教えを伝えるための灌頂堂は平安時代に建立されていたと推察される。その後、二度の大火に遭いながら、その度ごとに再建されていたと伝えられている。15世紀にまた大火の難に遭うが、その後再建の記録はないそうだ。平成15年に迎えた壷阪寺開創1300年を期に壷阪寺の重要な御堂の一つであった灌頂堂再建が発願され、平成17年4月落慶した。十一面千手観音菩薩(室町時代) 豊臣秀長公像・本多俊政公像(安土・桃山時代)が安置されている。灌頂とは密教儀式で、菩薩が仏になる時、その頭に諸仏が水を注ぎ、仏の位(くらい)に達したことを証明することをいう。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO220 ) 露出補正 なし
116_2304060794 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 116.ヤマブキの花と小さな地蔵
三重塔のわきを周って、礼堂の正面に向かう小さな道にヤマブキが咲き、沢の下に小さな地蔵たちが並んでいた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 86mm ISO560 ) 露出補正 なし
117_2304060795 X900 〇壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 117.パワーストーン台座
石仏の名称はわからない。足元に「パワーストーン台座」と書かれたプレートがあり、「靴を脱いでおあがりください」と書かれていた。壷阪寺はインドと交流が深く随所にインド色が感じられる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 30mm ISO125 ) 露出補正 なし
118_2304060118 X900 壺阪寺 G7X.jpg 118.寺宝 本尊十一面千手観音菩薩座像
礼堂に上がる。礼堂は室町時代再建の重要文化財である。この寺の創建当初から、建てられていたと伝わっている。1096年に焼失するが、1103年に再建され、その後も鎌倉時代初期に焼失し、直ちに再建される。室町時代初期にも焼失。その後再建されるが、江戸時代には、模様替えなど大改築がなされ、規模も縮小された。外観の撮影を怠ってしまった。祀られている本尊、十一面千手観音菩薩座像は、この寺の寺宝で室町時代の樫材の寄せ木造り、それ以前の本尊千手観音像に代わって造られたのだろう。蓮華座上にどっしりと、ふくよかな顔立ちをする。本尊である十一面千手観音菩薩座像は「眼の佛」として広く信仰を集めている。奈良・平城京を開いた元正天皇は皇女の折り、壷阪寺に詣で眼病の治癒を祈ったと伝えられ白鳳という古い時代から壷阪観音として多くの人に親しまれて来た。桓武・一条の天皇の眼病も平癒された。明治に生まれた壷坂霊験記は義太夫や浪曲に取り組まれ、歌舞伎や人形の舞台で演じられている。(壷阪寺ホームページを参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/200秒 21mm ISO3200 ) 露出補正 なし
119_2304060122 X900 壺阪寺 G7X.jpg 119.寺宝 本尊十一面千手観音菩薩座像の裏側
このようにご本尊を裏側から拝観できるというのも珍しいと思った。左側は役行者 御宝号 南無神変大菩薩、 右側には毘沙門天像と書かれた札が立てられた小さな像があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/200秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 なし
120_2304060128 X900 壺阪寺 G7X.jpg 120.さよ姫伝説
壺阪寺には、「壺阪霊験記」という有名な伝承があるが、もうひとつの壺坂霊験記として、親孝行の姫が大蛇とともに昇天する「さよ姫伝説」も伝承されている。こちらは、唐津に伝わる「松浦佐用姫伝説」や説教節の「松浦長者」と同じあらすじだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/500秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 なし
121_2304060801 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 121.ひな人形を飾る段
本尊の裏側を回る。左に見えるのはひな人形を飾る段の裏側である。その段の下に、ひな人形と仏像が置かれていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO5600 ) 露出補正 なし
122_2304060805 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 122.礼堂 大雛曼荼羅(だいひなまんだら) -1
2023年3月1日~4月18日の間、「大雛曼荼羅(だいひなまんだら)」が公開されていた。国指定重要文化財の礼堂、大講堂の2ヶ所にて、過去最多の約3,500体のひな人形と、本尊十一面千手観音や仏様が一緒に祀られている。ここは、礼堂のいわば内陣と思うが、周囲をひな人形が取り囲んでいる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/250秒 20mm ISO6400 ) 露出補正 なし
123_2304060807 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 123.礼堂 大雛曼荼羅 -2
仏像とひな人形を並べて曼荼羅の世界を表現し、その数の多さにも圧倒されるが、この大雛曼荼羅の見どころは、それだけではなさそうだ。毎年工夫がこらされていて、クスリとほほ笑んでしまう遊び心にあふれているという。もっとじっくりと見て、変わり種のひな人形を探せばよかったと、後の祭り。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/100秒 47mm ISO6400 ) 露出補正 なし
124_2304060812 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 124.礼堂 大雛曼荼羅 -3
本尊十一面千手観音菩薩の両側にも、2体の仏像が祀られていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/200秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
125_2304060814 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 125.礼堂 大雛曼荼羅 -4
地元の人たちなどから奉納されたものを中心に、これまでで最も多い3,500体のひな人形が礼堂と大講堂に展示されているそうだ。祭壇の裏側では、楽しく宴会を繰り広げる普段はおひなさまたちを支える仕丁(昔の官庁や貴族の家の雑役夫)らのひな人形も置かれていた。さっき、飾り棚の段々の裏で見たひな人形がそれだったのだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/200秒 21mm ISO6400 ) 露出補正 なし
126_2304060816 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 126.礼堂 大雛曼荼羅 -5 本尊とひな人形
仏像がご本尊であり、ひな人形と一緒に祀られるていることに、ちょっと違和感を覚える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/160秒 51mm ISO6400 ) 露出補正 なし
127_2304060817 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 127.礼堂 大雛曼荼羅 -6
一つ一つを見ていくと、それぞれ良い顔をしたお雛さまだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/60秒 41mm ISO6400 ) 露出補正 なし
128_2304060817 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 128.礼堂 大雛曼荼羅 -7
それぞれ、豊かな表情だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/60秒 41mm ISO6400 ) 露出補正 なし
129_2304060820 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 129.礼堂 大雛曼荼羅 -8
3月に広島県の鞆の浦を旅行した時に、たまたま「第21回 鞆・町並みひな祭」というのが開催されていた。それぞれの古い店や、歴史のある家で個々にひな人形が公開されていた。「大雛曼荼羅」も高取町の「町家の雛めぐり」とコラボした開催だそうだ。しかし、これだけのひな人形が一堂に集められた壷阪寺の「大雛曼荼羅」は圧巻であった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/160秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
130_2304060825 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 130.三重塔 -1
礼堂の縁から見た三重塔だ。三重塔は明応6年(1497年)に再建された。国指定の重要文化財である。塔はこの塔がはじめて建てられた奈良時代の、高い基壇の上に建ち、軒の出は深く、屋根の勾配は緩やかだ。基壇の縁はなく、中央間板唐戸、脇間連子窓、中備えは三間とも間斗束ーけんとづか(斗組-ますぐみと斗組の間にある斗束ーとづか)を用いる。塔の内部は、四天柱があり須弥壇ーしゅみだん(仏像を安置する台座)を設け大日如来を安置する。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.3 1/500秒 25mm ISO220 ) 露出補正 なし
131_2304060828 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 131.仕丁達の宴会
飾り段の裏側に置かれた仕丁達の宴会のひな人形だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/400秒 29mm ISO6400 ) 露出補正 なし
132_2304060830 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 132.礼堂からの眺め
壷阪寺は、近鉄吉野線壺阪山駅から3.4km、車で7分の所にある。北に大和三山奈良盆地を一望におさめる壷阪山にある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 62mm ISO100 ) 露出補正 なし
133_2304060832 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 133.本堂 大和三山奈良盆地
礼堂に連なるように八角円堂が建っていた。礼堂の軒と、八角円堂初層の屋根とがぶつからないように、とても精度高く建てられている。一つの建物なのではないかと思える。八角円堂の創建は大宝3年(703年)で、壷阪寺の本堂は日本で初めて建立された八角堂ではないかという学説も出ているそうだ。現在の八角円堂は江戸時代の再建と言われる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO360 ) 露出補正 なし
134_2304060838 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 134.めがね供養観音
三重塔の奥に、めがね供養観音像があった。壷阪観音は眼の観音として信仰がある。壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)は、明治時代に作られた浄瑠璃の演目。盲人とその妻の夫婦愛を描いた世話物で歌舞伎や講談、浪曲の演目にもなり、人気を集めた。主人公は座頭の三味線弾きである沢市とその妻・お里。お互いを思いやるがゆえに生じた悲劇を、壺阪寺の本尊である十一面観音が救済する話である。インドで十一面観音像を制作依頼し、石を分割し、それぞれ彫刻し、その後、壺阪寺で組み立てられた。古いめがねやコンタクトレンズは台座に奉納供養される。毎年10月18日に本堂にてめがね供養会法要が営われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO100 ) 露出補正 なし
135_2304060834 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 135.「釈迦一代記」石像仏殿図浮彫
三重塔の後ろに「鬼の魔よけ橋」があり、それを渡ると石像仏殿図浮彫があった。高さ3m、全長50mに1~10までのレリーフがあった。重さは300tだそうだ。昭和62年安置されている。説明版には、このレリーフは、南インド、カルナタカ州カルカラにおいて、延べ5万7,000人の石彫師の手によって、インドの石に彫刻され製作されたものである。原図は、奈良教育大学教授小川清彦氏がインドを旅し、釈尊の道を訪ねて構図をまとめたもので、数百に及ぶ佛伝図の中から、比較的誰でも知っている釈尊の道が描かれている。このレリーフは、高さ3m、全長50m、重さ300tに及ぶ大石造美術であるが、インドでは、輸送の都合上各場面を数個に分断し彫刻された。そしてその結合・修正は、高松市郊外庵治町で行われたが、本体の彫刻は何千年もの間、石を刻んできたインドの人たちの技術をそのまま見ていただくように、いっさいの修正を加えなかった。またレリーフを支える基壇の石は、先に壷阪寺に安置された大観音石像と同じ古石が使われている。とあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
136_2304060842 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 136.「釈迦一代記」石像仏殿図浮彫 第1面
これはその第1面である。釈尊の全盛の物語で「魔訶薩埵太子本生」「シビ王本生」「鹿王本生」と仏殿冒頭の「トウシタ天上の菩薩」「白象降下」を描いている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
137_2304060867 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 137.「釈迦一代記」石像仏殿図浮彫 第10面 涅槃
そして第9面の「チュンダの供養の図から、最も重要な場面である第10図「涅槃」へと至る。このように第1図~第10図まで図の説明がされていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
138_2304060869 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 138.「釈迦一代記」石像仏殿図浮彫
全長50mの石像仏殿図浮彫の後半の5面である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
139_2304060872 X900 〇壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 139.三重塔 -2
石像仏殿図浮彫を見るのに少々時間をかけてしまった。その説明文をあとで読もうと思って、写真も撮ってきた。改めて五重塔を眺める。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
140_2304060880 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 140.天竺渡来大観音石像
西側に剣道19号線(明日香清水谷線)が通っているが、その向こう側に大観音石像が見えた。とてもあそこまでは行けない。天竺渡来大観音石像は、壷阪寺とインドハンセン病救済事業の縁でインドから招来したものである。 インド国民の協力と南インドカルカラの三億年前の古石がインド政府や様々な支援で、提供され、延べ7万人のインドの石工が参加してすべて手造りで製作された。 20mの巨岩は動かすことも、運ぶことも不可能なので66個に分割して彫刻し、日本に運ばれ組み立てられた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 45mm ISO110 ) 露出補正 なし
141_2304060883 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 141.大石堂(納骨堂)
この納骨永代供養堂も天竺渡来である。総重量1,500tにおよぶ壮大な石の御堂。インド・アジャンタ石窟寺院をモデルとし延べ12万人の日本・インドの人々によって彫刻、組み立てられたそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 25mm ISO250 ) 露出補正 なし
142_2304060885 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 142.壺阪大仏 天竺渡来 大釈迦如来石像 -2
今回はサクラ見物のツアーだったが、壷阪寺ではそのタイミングはすでに遅かった。春、満開時にはソメイヨシノに覆い尽くされ、御堂や塔の伽藍が桜雲に浮いているかのような見事な景色が見られるという。この大仏の周辺に桜が咲き乱れ、まるで桜の衣をまとったように見えるこの季節だけの光景で桜大仏と言われている。見たかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 25mm ISO110 ) 露出補正 なし
143_2304060888 X900 壷阪寺 愛染明王 Z50 Z18-140.jpg 43.大講堂の大雛曼荼羅 -1
最後に大講堂に上がって、並べられたひな人形を眺めた。数において、礼堂の「大雛曼荼羅」が勝るが、人形の前に並べられた道具などの飾り物が立派だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 31mm ISO6400 ) 露出補正 なし
144_2304060891 X900 壷阪寺 愛染明王 Z50 Z18-140.jpg 144.大講堂の大雛曼荼羅 -2
壷阪寺の特徴は、壺阪霊験記と天竺渡来の石像群であった。加えて、桜には間に合わなかったものの、大雛曼荼羅の開催期間であり、満足させられた拝観だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/250秒 74mm ISO6400 ) 露出補正 なし

2021年12月18日

古都鎌倉紅葉巡り ① 円覚寺 12月2日

鎌倉の紅葉の状況をネットで調べてみると「見ごろ」になっている。少し早いかなと思いつつ、快晴の12月2日に行って見ることにした。
 少し早めに家を出た。北鎌倉駅に着いたのは9時少し前だった。この日のコースは、円覚寺→東慶寺→海蔵寺→鎌倉八幡宮 を予定している。
 まず円覚寺にお参りをする。すでに拝観受付には列が出来ていたが、石段を上がり総門を入って、すぐに拝観志納金を納めて境内に入ることが出来た。
 私は結婚した昭和43年から7年間北鎌倉に住んだ。翌年に生まれた長女は円覚寺の幼稚園に通ったが、入園させるため出勤前に、朝4時に起きて山門の下で並んだ記憶がよみがえる。その幼稚園の運動会では父兄対抗のリレーで走ったりした。
 午前9時、まだ、参拝者は少ない。山門の辺りのイロハモミジは見ごろであった。陽の光に透けて輝いている。次に、仏殿に入り、ご本尊である宝冠釈迦如来にお参りし、天井の白龍図を仰ぎ見る。一番奥にある黄梅院までお参りしながら歩いた。
 円覚寺に関する記述は 円覚寺ホームぺージ 、および境内に建てられている説明板等を参照させていただいている。

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円覚寺総門の石段 2021年12月2日

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円覚寺総門に掲げられていた境内案内図

  この境内案内図の隣に「円覚寺案内」の立札があり「当山は、臨済宗円覚寺派の大本山であり、弘安5年(1282年)の開創。開山は中(宋)より渡来の佛光国師無学祖元。開基は鎌倉幕府の執権北条時宗公。(後略)」と記されていた。

1.総門
紅葉の下をくぐるようにして石段を上がると、「瑞鹿山」という山号の扁額が掲げられた総門がある。写真は総門を入って振り返ったところ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 90mm ISO2000 ) 露出補正 なし
001_211202002 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
2.桂昌庵(十王堂)
総門を入るとすぐ左手に桂昌庵がある。江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室で、5代将軍・綱吉の生母であった桂昌院を思い浮かべるが、それは関係ない。ここは第四十九世承先道欽(しょうせんどうきん)の塔所である。塔所とは、禅宗で、大寺の高僧の死後、弟子がその徳を慕って建てた墓塔)や庵などの小院のことで塔頭ともいう。木造十王像が祀られていることから「十王堂」または「閻魔堂」とも呼ばれ、十王蔵像は、鎌倉十橋の一つ十王堂橋付近にあった十王堂に安置されていたものといわれているそうだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3 1/500秒 46mm ISO900 ) 露出補正 なし
002_211202005 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
3.山門
山門の脇から参道に戻り、山門を振り返る。山門脇のもみじの葉が、陽の光に輝く。現在の山門(三門ともいう)は天明5年(1785年)、開山した無学祖元禅師の五百年遠諱の年に大用国師(だいゆうこくし)によって再建され、現在は神奈川県指定重要文化財となっている。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 50mm ISO100 ) 露出補正 なし
003_211202009 X800 〇円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
4.仏殿
山門から見る仏殿である。大光明宝殿ともいう。仏殿は、円覚寺の本尊である宝冠釈迦如来が祀られている建物だ。大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊したが、昭和39年(1964年)に再建された。鉄筋コンクリート造りである。禅宗様式の七堂伽藍の中心に位置する建物となっている。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO450 ) 露出補正 なし
004_211202007 X800 〇円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
5.ご本尊 宝冠釈迦如来坐像
釈迦如来坐像は、廬舎那仏ともいわれ、頭の部分だけが鎌倉時代に作られたもの(市指定文化財)だそうだ。1964年(昭和39年)に仏殿が再建されるまでは、仏殿西側の選仏場に安置されていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3 1/60秒 42mm ISO3200 ) 露出補正 なし
005_211202018 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
6.白龍図
円覚寺仏殿の天井画は、ともに岐阜県出身の日本画家である前田青邨画伯(1885年〜1977年)監修のもと、守屋多々志画伯(1912年〜2003年)によって描かれたものである。前田青邨画伯の弟子には鎌倉市の名誉市民となった平山郁夫画伯もいるそうだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/25秒 35mm ISO3200 ) 露出補正 なし
006_211202020 X800 〇円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
7.修学旅行の生徒たち
仏殿の引き戸から山門の方を見ると、修学旅行の生徒たちの姿が見えた。コロナも落ち着いてきたのだと実感する。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO2000 ) 露出補正 なし
007_211202024 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
8.黄梅院へ続く道
境内案内図で見ていただくように、仏殿に沿って一番奥にある黄梅院への石畳の道を、居士林の辺りにあった灯篭から覗き見る。(「居士」とは在家の禅の修行者を指し、居士林は禅を志す在家のための専門道場である。もと東京の牛込にあった柳生流の剣道場が、昭和3年(1928)柳生徹心居士より寄贈され、移築されたそうだ。)

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO1100 ) 露出補正 なし
008_211202030 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
9.エナガ -1
紅葉するイロハモミジの枝に野鳥が来ていた。はじめシジュウカラかと思ったが、身体が小さいし、白黒がはっきりしている。帰宅して調べてみるとどうやらエナガのようだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/640秒 150mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_211202037 X800 △円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
10.エナガ -2
隣のカエデの木に移った。エナガは初めて見る野鳥だった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/640秒 150mm ISO100 ) 露出補正 なし
010_211202048 X800 ◎円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
11.居士林(濟蔭庵)
説明板には、明治の頃より円覚寺では、在家の人の座禅(居士禅)が盛んになり、山岡鉄舟、鈴木大拙、夏目漱石など多くの居士が参禅した。大正11年にこの濟蔭庵の居士の座禅道場として居士林が開設されたが、大正15年に焼失、早大濟蔭団が中心になり復興運動を起こした。幸いなことに柳生新陰流の剣道場を柳生基夫氏(徹心居士)が寄付を決断し、昭和3年にこの濟蔭庵に移築して開単となり、以来80年近く学生や社会人が中心となって雲水と同じように修行する学生坐禅会、土日坐禅会を運営してきた。堂内には本尊不動明王が祀られ、「頭燃を救うが如し」の扁額が掲げられ、心の安らぎを求めて坐禅に来る人を待ち受けている。と記されていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
011_211202062 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
12.居士林から妙香池への道
この辺りの紅葉が美しい。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO200 ) 露出補正 なし
012_211202069 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
13.石崖
舎利殿に行く途中の左側にこんな石崖があった。円覚寺には何回も来ているが、今まで気づかなかった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 なし
013_211202070 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
14.妙香池を背に石畳を振り返る
もう少し行くと舎利殿へと左に入るところがある。その手前で今歩いてきた道を振り返ると、修学旅行の生徒たちと石垣ともみじの取り合わせだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.2 1/500秒 50mm ISO100 ) 露出補正 なし
014_211202074m X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
15.舎利殿(国宝)
舎利殿には、源実朝が宋の能仁寺から請来した「佛牙舎利」というお釈迦様の歯が祀られているという。鎌倉時代に中国から伝えられた様式を代表する最も美しい建物として国宝に指定されている。屋根の勾配や軒の反りの美しさが特徴で、特に屋根の軒下から出ている上の段の垂木たるきは、扇子の骨のように広がっており、「扇垂木」とよばれている。これが屋根を一層大きく、建物全体を小さいながらも壮大に見せている。(円覚寺ホームぺージ)

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.2 1/500秒 50mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_211202084 X800 円覚寺 舎利殿 D750 TAMRON35-150.jpg
16.開基廟
円覚寺大檀那である北条時宗、貞時、高塒が祀られている。現在の開基廟は江戸時代1811年に改築されたものとされている。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO900 ) 露出補正 なし
016_211202087 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
17.黄梅院 武山堂
黄梅院は第15世夢想疎石(1275年-1351年)の塔所で、疎石の弟子の方外宏遠が、華厳塔のあった場所に建立したものだそうだ。その境内の奥には武山堂と呼ばれる観音堂があり、観音像が祀られているが、中国から贈られたものとのこと。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.2 1/320秒 50mm ISO3200 ) 露出補正 なし
017_211202098 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
18.竹林
竹林は報国寺が有名で、私も行ったことがあるが、円覚寺の大方丈の裏側(南東側)にある竹林もなかなか見事である。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f5 1/5000秒 44mm ISO100 ) 露出補正 なし 撮影後補正
018_211202104m X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
19.妙香池付近の紅葉
この辺りの紅葉も美しく、参拝者の多くがスマホで撮影していた。今はいわゆるコンデジを使う人は少なく、スマホかあるいは一眼だ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/5000秒 75mm ISO100 ) 露出補正 なし
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20.大方丈の百観音石仏 -1
大方丈の書院と庫裏になっているが、その庫裏側の庭に、鎌倉市の市指定天然記念物である柏槙(ビャクシン)の樹があるが、その向こう側に百観音がある。石仏「百観音」は、江戸時代に拙叟尊者が塔頭の奥にある岩窟で、百体の観音石像を祀った事がそのはじまりだそうだ。1888年(明治21年)には、洪川禅師が西国三十三体の観音像を新たに刻み、補陀落迦観自在窟と名付けて境内の一部に安置し、その後、1983年(昭和58年)、方丈前に移されたという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO320 ) 露出補正 なし
020_211202113 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
21.大方丈の百観音石仏 -2
石仏「百観音」は、前述したとおり、江戸時代に拙叟尊者が百態の石仏を塔頭(松籟院)の奥の岩屋に閉じこもって彫ったという百体の観音石像を祀った事がそのはじまりだそうだ。1888年(明治21年)には、洪川禅師が西国三十三体の観音像を新たに刻み、補陀落迦観自在窟と名付けて境内の一部に安置し、その後、1983年(昭和58年)、方丈前に移されたという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 38mm ISO100 ) 露出補正 なし
021_211202121 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
22.大方丈 書院側
大方丈の書院側にも庭がある。その庭には池がある。書院の縁に並ぶガラス戸に紅葉が映っている。そのガラス戸に映った姿が、水はきれいではないが池に映っていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 90mm ISO2000 ) 露出補正 なし
022_211202130 X800 〇円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
23.弁天堂
もう一度百観音の方へ戻り、唐門から外に出た。しばらく行って左に長い石段がある。もう一つの国宝である洪鐘(鐘楼)がある高台へと上る道だ。ちょっと逡巡したが上がって行くことにした。おおよそ130段ほどあったように思う。そこに弁天堂があった。江ノ島弁財天の加護によって洪鐘の鋳造が完成したと伝えられ、その弁財天を祀るお堂だそうだ。北条貞時が洪鐘とあわせて弁天堂を建立し、当山の鎮守とした。その弁財天の横には、お茶所(弁天茶屋)と円覚寺グッズの売店があった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/50秒 35mm ISO320 ) 露出補正 なし
023_211202137 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
24.国宝 洪鐘(鐘楼)
関東で最も大きい洪鐘(高さ259.5cm)だそうで、国宝に指定されている。円覚寺の開基である北条時宗の子である貞時が正安3年(1301年)に国家安泰を祈願して寄進したものだそうだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 42mm ISO100 ) 露出補正 なし
024_211202144 X800 〇円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
25.円覚寺の高台から見た富士山
この日は素晴らしく晴れていた。空気も澄んで富士山がはっきりと見える。その手前に見える建物は北鎌倉女子学園(中・高)だろう。私はその左下の辺りで7年間を過ごした。湿気の多いところだったと記憶している。この少し左側が東慶寺になる。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 122mm ISO100 ) 露出補正 なし
025_211202146 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
26.山門
山門のところに下りてきた。朝とは光の当たり方が違っている。山門、即ち三門は三解脱(空・無相・無願)を象徴するといわれ、諸々の煩悩を取り払って涅槃・解脱の世界である仏殿に至る門とされている。楼上には通常非公開である十一面観音、十二神将、十六羅漢が祀られている。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3 1/500秒 44mm ISO250 ) 露出補正 なし
026_211202151 X800 〇円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
27.松籟院 十月桜
総門に向かって山門の左側に松籟院がある。松籟院は、第百五十世叔悦禅懌の塔所である。拝観料を入れ、中に入ってみた。数本の十月桜があり、咲いていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/800秒 150mm ISO100 ) 露出補正 なし
027_211202154 X800 円覚寺 松籟院 D750 TAMRON35-150.jpg
28.総門の参拝者
10時半、約1時間半の散策を終え、再び総門に戻ってきた。朝に比べ参拝者は多くなっていた。さて、これから東慶寺へ向かう。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 なし
028_ 211202167 X800 円覚寺 総門 D750 TAMRON35-150.jpg


2019年3月28日

作並温泉 2泊3日の旅(3) 伊達政宗の霊廟 瑞鳳殿 3月15日

さて、仙台駅バスターミナルから、仙台市交通局が運行する観光循環バス「るーぷる仙台」に乗車するため、案内所で1日フリー・パスをひとり620円で購入した。20分間隔で出るらしいが、混んでいて座れない。全部で16駅あるのだが、もちろん、すべてで降りていくわけにはいかない。まず、4駅目の「瑞鳳殿」で降りることにする。

〇瑞鳳殿地図 1+2 X700 公益財団法人 瑞鳳殿パンフ.jpg
公益財団法人瑞鳳殿パンフレットより

 瑞鳳殿は1636年(寛永13年)、70歳で生涯を閉じた仙台藩祖伊達政宗の遺命により、その翌年ここ経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)である。1945年(昭和20年)の戦災で焼失し、現在の建物は規模、装飾ともに、焼失以前の瑞鳳殿を範とし、1979年(昭和54年)に再建されたものである。平成13年(2001年)に、仙台開府400年を記念して大改修工事が実施され、柱には彫刻獅子頭を、屋根には竜頭瓦を復元し、創建当時の姿となった。
 瑞風殿の境内をめぐるのに1時間少しかかった。再び「るーぷる仙台」に乗り、次は2っ先の仙台城跡で下車する。
 記述は、パンフレットや、説明札を参考にさせていただいた。

12.瑞鳳殿参道
「るーぷる仙台」の瑞鳳殿駅では多くの観光客が降り、経ケ峯に上がっていく参道を歩く。ここはタクシーも登ってくる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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13.鹿児島県人七士の墓
参道の左側に、鹿児島県人七士の墓がある墓地があった。明治13年の西南戦争に従軍し、戦後官軍に投降した西郷軍は国事犯として全国の監獄署に護送された。宮城県には椎原国幹(西郷隆盛の叔父)以下305人が県監獄署に収容された。国事犯たちは宮城県の開墾や、築港作業に従事した。このうち13人は獄中で病死し、この地に葬られたが、現在7基を残し、6基は遺族に引き取られたと説明されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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14.参道の石段
瑞鳳殿のある経ケ峯に上がっていく石段が続く。石造りの階段は、戦争による焼失を逃れた藩政時代からのもので、その数は伊達家の禄高62万石を表していると言われているそうだ。左右のスギの並木は古いもので樹齢380年余になるという。そういえば、仙台に来てから、花粉症の目がとても痒い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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15.瑞鳳殿の手水舎
瑞鳳殿に入る涅槃門の手前左側に手水舎があった。龍の口(吐水口)にビニール管が見えるが、あまり見栄えは良くない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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16.涅槃門
涅槃とは煩悩を取り払った悟りの境地となる状態を意味し、広くは死を意味すると説明されていた。瑞鳳殿の涅槃門は樹齢数百年の青森檜葉を用いて、正面扉上部の蟇股には瑞獣「麒麟」、左右の妻飾りには「牡丹と唐獅子」など焼失前と同様の豪華な飾り彫刻が施されている。なんともきらびやかな門である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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17.瑞鳳殿入り口
涅槃門は閉ざされたままであるが、その右側に瑞鳳殿に上がる入り口となるくぐり戸があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 なし
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18.涅槃門の裏側
涅槃門のくぐり戸を入って、石段を上がったところに瑞鳳殿の唐門があるが、そこで振り返って、涅槃門の内側を眺めた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO500 ) 露出補正 なし
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19.臥竜梅
瑞鳳殿に向かって、唐門の左側に資料室という建物があり、その庭先にこの梅が咲いていた。地面に伏臥する様態から「臥龍梅」と呼ばれ、文禄の役で渡朝した伊達政宗が半島から持ち帰り仙台城に植えさせたのち、隠居所であった若林城(仙台古城)に移植したものと言われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 32mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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20.資料館
資料館の前の臥龍梅は、仙台古城の臥龍梅(国指定天然記念物)から取木されたもので、昭和54年(1979年)、瑞鳳殿再建を記念してここに植樹されたのだそうだ。この資料館では政宗の副葬品の一部や、発掘された頭骨をもとに復元した、政宗をはじめとする3藩主の容貌像などが展示されている。この建物、何か落ち着いた佇まいである。

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プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO400 ) 露出補正 なし
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21.瑞鳳殿
唐門をくぐって、瑞鳳殿の前に立つ。伊達政宗は1567年(永禄10年)米沢城に生まれた。東北南部を中心に諸勢力を平定し、世に「独眼竜政宗」の異名をとどろかせた。江戸時代になると伊達62万石の藩祖として産業・経済・文化の振興をはかった。瑞鳳殿は1636年(寛永13年)、70歳で生涯を閉じた政宗の遺命により、その翌年、ここ経ヶ峰に造営された墓所である。桃山文化の遺風を伝える江戸時代初期の豪華絢爛な廟建築として、1931年(昭和6年)に国宝に指定されたが、1945年(昭和20年)の戦災で焼失した。現在の建物は1979年(昭和54年)に再建された。2001年(平成13年)には改修が行われ、柱には彫刻獅子頭を、屋根には竜頭瓦を復元し、極彩色も再現することで、創建当時の姿が蘇った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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22.殉死者供養塔
瑞鳳殿の両脇には、政宗に来世も仕えようと殉死した家臣15名と家臣に仕えた陪臣5名の石塔も並ぶ。 殉死者が多いということは慕われた証と言えるが、殉死を義とする考えは、当時すでに薄れてきていたようだ。殉死、こうした部分からも、江戸期を迎えても戦国武士としての価値観や武士道観を強く持っていた政宗の片鱗を窺うことができるという。

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プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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23.唐門
瑞鳳殿の前に唐門があった。かっては天井に金箔を貼り付けたことから金唐門とも呼ばれた。正面の虹梁(梁の一種で虹のようにやや弓なりになったもの)の上下の空間には龍虎図と二十四孝説話を題材にした透彫りが挿入されるなど、装飾性に富んでいた。現在は鋼板製の近代的な門になってしまっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 なし
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24.善応殿
順路に従い、瑞鳳殿から戊辰戦争弔魂碑を見て、感仙殿の下の石段の前に出た。石段を上がって感仙殿の左奥にある善応殿を見に行く。善応殿は三代藩主伊達綱宗の霊屋(おたまや)である。三代藩主伊達綱宗(1640年~1711年)は幼いころから芸術的才能にたけていたという。19歳から2年ほどの治世のあと、故あって幕府から逼塞隠居を命じられたが、その後の生涯は書画・蒔絵などに天分を発揮し、優雅な余生を送ったと言われる。善応殿は1945年(昭和20年)の戦災で焼失し、1985年(昭和60年)に感仙殿とともに再建された。さらに2007年(平成19年)の改修により鮮やかな極彩色となった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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25.感仙殿の扉
下から石段を上がってくると正面にあるのが感仙殿である。感仙殿は二代藩主伊達忠宗の霊屋である。これは感仙殿の扉だが、上段に「竹に雀」、その下に「九曜」という紋が表されている。伊達氏は戦国大名のなかでも、もっとも家紋の数が多い家である。伊達氏の家紋を全部あげると、「十六葉菊」、「五七桐」、「蟹牡丹」、「竪三つ引両」、「竹に雀」、「九曜」、「鴛鴦の丸」、「ナズナ」、「雪に薄」、等がある。「九曜」は桓武平氏のルーツに結び付くように用い、戦乱の時代を生き抜く処世のしるしに家紋を利用したのである。善応殿の扉には上段に「竹に雀」、その下に「竪三つ引両」の紋があった。のちに定紋となったのが「竹に雀」であったそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 なし
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26.感仙殿
感仙殿は二代藩主伊達忠宗の霊屋であるが、伊達忠宗(1599年~1658年)は政宗の治世を引き継ぎ、法治体制の確立を進め、新田開発や治水、港湾の整備など、産業・経済の振興をはかり領内の安定に尽力し、藩の基礎固めを成し遂げた。感仙殿は、瑞鳳殿と同様、華麗なもので、1931年(昭和6年)に国宝に指定された。他は善応殿と同じで、2007年(平成19年)には改修が行われ、彫刻獅子頭の復元が行われた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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27.妙雲介廟
霊廟が作られたのは、政宗(瑞鳳殿)、二代藩主忠宗(感仙殿)、三代藩主綱宗(善応殿)までだった。感仙殿の奥には、妙雲介廟というところがあり、そこには九代藩主・周宗(ちかむね)、十一代斉義(なりよし)、斉義の妻・芝姫(あつひめ)の墓がある。写真は九代藩主宗近の墓。では、四代から八代までの藩主の墓はどこにあるのか、少々疑問に思って調べてみると、仙台市大年寺山伊達家墓所にあるようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO640 ) 露出補正 なし
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28.感仙殿を見上げる
石段を下りて、感仙殿を見上げた。まさしく極彩色の霊廟である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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29.御子様御廟
絢爛豪華な瑞鳳殿、感仙殿、善応殿を見学し、石段を下りてくると左側に 御子様御廟 へ入る道があった。薄暗い道を歩いていくとそこは公子公女の墓所になっていた。正徳3年(1713年)以降に設けられた墓所で、五代藩主伊達吉村以降、六代宗村、七代重村、十一代齋義、十三代慶邦の歴代藩主の若くして死去した公子公女が埋葬されている。21基の傘塔婆の墓と奉納された80基を超える石灯篭がある。また藩主側室や老女の墓7基もある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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30.瑞鳳寺 山門
「るーぷる仙台」 の瑞鳳殿停留所へ戻る。途中右側に「正宗山」という扁額がかけられた瑞鳳寺の山門があった。瑞鳳寺のパンフレットによれば臨済宗妙心寺直末で、寛永14年10月24日香華院として瑞鳳殿とともに二代藩主忠宗によって建立され、覚範寺の虎哉和尚の法嗣清岳宗拙(諡仏慧道光禅師)を迎えて開山した。安政5年9月13日焼失し、現在の本堂は大正15年5月23日に落成した。 仙台藩から一門格の寺格を与えられ、経ケ峯に多くの末寺を持っていたが、明治維新期の廃仏毀釈の風潮や廃藩置県による藩の後ろ盾の喪失によりことごとく廃寺となったという。1926年(大正15年)に復興されたが、現在は財団法人瑞鳳殿の管轄外となっているそうだ。山門は東京品川の伊達屋敷の門を模したもので正宗山の扁額は妙心寺派管長梶浦逸外老師の筆。ちなみに正宗山は、伊達政宗若年時「正宗」と称したものを山号としたという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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31.瑞鳳寺 鐘楼
鐘楼は昭和3年に昭和天皇即位記念に建立された。本堂玄関前に置かれた梵鐘は、寛永14年(1637年)二代忠宗が工匠早山弥兵エに命じて鋳造したもので清岳和尚の銘があり、重要文化財になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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32.瑞鳳寺 花塚
花道家本源流武田朴陽(1875~1935年)および、その門下生のたてた供養碑で、石の組み方は同流の古法に基づき、花塚の二文字は斎藤実、裏面の詩は土井晩翠であると説明されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 なし
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33.瑞鳳寺 高尾門
高尾門と呼ばれているが、三代綱宗の側室椙原お品の邸にあったのを、昭和37年9月移転修築した。紋所は綱宗の手作りで数多い伊達の紋のひとつ「雪薄の紋」だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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34.瑞鳳寺 参道と本堂
山門まで戻り、振り返って本堂を見る。参道の真ん中には1本の大きな杉があり、幹は途中で3本に分かれ、まっすぐ上に伸びていた。大正15年に落成した本堂が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO200 ) 露出補正 なし
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35.「るーぷる仙台」瑞鳳殿停留所
1時間15分ほどの、経ヶ峰瑞鳳殿見学を終え、「ループル仙台」の瑞鳳殿停留所へ戻ってきた。5分ほど待つとバスが来た。これに乗って、次は仙台城跡へ行こう。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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2019年1月25日

保土ヶ谷歴史散歩 (前編) 1月20日

過日、保土ヶ谷区役所へ住民表を取りに行く用事があった。書類ができるのを待つ間、待合室の棚に並べられている印刷物を見ていたら、「保土ヶ谷の歴史的建造物巡り」パネル展のパンフレットがあった。天王町の「岩間市民プラザ」で2月3日~2月10日に開催される。興味を持って、インターネットで関連情報を検索してみた。
 その中に「保土ヶ谷歴史まちあるき 2017」という横浜市保土ヶ谷区のサイトがあった。そのサイトにあるPDFのパンフレットを参考に歩いてみようと思った。2月3日からの「岩間市民プラザ」の展示を見てからでも遅くはないのだが、少し歩きたかったので、そのMapに従って回ってみることにした。
 パンフレットによれば、そのコースはA.旧東海道まちかど博物館めぐり(約2.7km)、B.洋館堪能コース(薬2.0km)、C.保土ヶ谷宿と洋館巡りコース(約2.6km)と3っあったが、できるだけ歩いてみようと思う。予定としては、10時に家を出発して午後2時帰宅だった。  実際に歩いたコースは、まず、旧古町橋跡からAコースに入り、パンフレットの道順とは逆回りだが、初詣に行く神明社に出て、大門通りをその天王町寄りの相州街道(大門通り)入口から旧東海道に入る。この辺りはお寺が多い。環状1号に出て、NS邸という歴史的建物を見て、遍照寺にお参りし、再び環状1号に出る。
 環状1号を保土ヶ谷駅方面へ歩き、保土ヶ谷駅の手前を右に、旧東海道を歩く。横浜帷子郵便局を右に曲がって、坂道を登っていく。息が切れる。住んでいる人たちは大変だなと思う。いくつかの歴史的建造物である洋館を見て、月見台の頂上に出た。

  1.古町橋からスタート
この日の保土ヶ谷歴史散歩は、いつも冬の水鳥を撮りに行く帷子川に架かる古町橋からスタートした。古町橋を渡ると相鉄線の踏切がある。昨年11月24日に高架線が開通し、今は踏切の線路はなくなった。星川からの高架線が天王町の高架駅に繋がっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2.旧古町橋跡
少し進むとこんな案内板が建てられていた。この場所には江戸時代初期の東海道が帷子川を渡る「古町橋」があったそうだ。かねてから暴れ川として反乱を繰り返していた帷子川の改修が昭和38年に決定され、帷子川の流路は北側に移された。さっき渡ってきた古町橋は昭和41年(1966年)に架設されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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3.相州道
今は大門通りと呼ばれているが、ここで旧東海道と分かれる。大門通りはバス通りで、写真に見える保土ヶ谷駅方面に向かう細い道が旧東海道だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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4.天徳院
ここから先にはいくつかのお寺がある。寺町なのだろうか。まず、天徳院というのがあった。 天徳院は曹洞宗の寺で山号を神戸山という。(保土ケ谷区役所資料歴史を歩いてみよう)によれば、 開山は安土桃山時代(1573年)。本尊は運慶作といわれる地蔵菩薩坐像。土地の豪族、小野筑後守が帰依して建立した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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5.天徳院本堂
山門を入ると本堂がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO250 ) 露出補正 なし
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6.天徳院 地蔵
お地蔵さんが3体祀られていた。隠れて見えないがこの3体の地蔵の向こうにも、小さな地蔵が3体あった。そのうち1体は子供のようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO160 ) 露出補正 なし
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7.見光寺 山門
すぐ近くに見光寺という寺院があるのだが、なかなか見つけられなかった。「猫の足あと 横浜市寺社案内」というサイトが参考になるが、見光寺は、保土ヶ谷の住人で熱心な浄土宗の信者、茂平夫妻(道意)が開基となり寛永6年(1629年)に創建、深川靈巖寺第三世大誉珂山上人(寛文11年1671年寂)が開山したという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 17mm ISO250 ) 露出補正 なし
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8.見光寺 六地蔵
不勉強であるが、6体並んだ地蔵を見ることがしばしばある。wikipediaによれば、六道の思想に基づいて地蔵菩薩の像を6体並べて祀られたもので、各地で見られるとある。六道とは、仏教において、衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界(あるいは境涯)のこと。六趣、六界ともいう。六道には天道、人間道 、修羅道、畜生道、餓鬼道、 地獄道だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 17mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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9.見光寺 本堂 山門から本堂が見える。この本堂は比較的新しく建てられものではなかろうか。本尊は阿彌陀如來坐像。保土ヶ谷出身のコラムニスト青木雨彦氏の句碑があることを後で知ったが、その時は知らずに通り過ごしてしまっていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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10.天徳院山門
見光寺から一旦環状1号線に出た。保土ヶ谷方面に進んで右側の細い路地の先に天徳院山門が見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO200 ) 露出補正 なし
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11.NS邸 元米穀商 -1
天徳院山門が見えた環状1号線沿いに、歴史的建造物に一つであるNS邸が見えた。この建物は元米穀商大岡米店で昭和6年建築の木造2階建ての町屋である。旧保土ヶ谷宿沿道に残る唯一の町屋(商家)だそうだ。現在は住宅になっている。旧宿場通りの歴史的景観を偲ばせる建物として貴重である。お隣の蕎麦やさんも、その看板といい、なかなか渋い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO160 ) 露出補正 なし
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12.N邸 元米穀商 -2
旧宿場通りの歴史的景観を偲ばせる建物として貴重である。表札も出ているのでお名前は分かってしまうのだが、NS邸とさせていただいた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 10mm ISO320 ) 露出補正 なし
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13.今井橋
今井川にかかる今井橋。今井川は帷子川の支流である。JR東海道本線と国道1号に沿って市街地を東に流れ、天王町駅付近で相鉄本線をくぐり、西区との区境に近い岩間町・西久保町の境で帷子川に合流する。これは上流である保土ヶ谷方面を撮っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO125 ) 露出補正 なし
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14.旧中橋跡
かって今井川はこの宿場を横切っていて中橋が架けられていた。その川筋は慶安元年(1648年)に新しい保土ヶ谷宿が建設された際に人工的に造られたものだった。しかし、その流路の構造から大雨の際にここで水が滞り、しばしば下流域を浸水することになったが、なかなか改善されなかった。しかし、幕末になって人馬の往来が急増してきたため嘉永5年(1852年)宿場では改修費用100両を準備するとともに町役人が200両の借用を代官に陳情し認められると、すぐに現在の川筋に改修されたといったことが説明されている。また、看板だけの写真になってしまった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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15.遍照寺山門
旧中橋跡の少し北側に医王山遍照寺という高野山真言宗の寺院があった。遍照寺の創建年代等は不詳ながら、貞観18年(876年)に眞雅僧正が開創したと言われる。慶興法印が元和4年に峯岡から当地へ移し中興したという。本尊の薬師如来像は横浜市指定文化財。念仏百万遍の供養塔や、岡野新田を開拓した岡野家の墓所がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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16.遍照寺 真雅会館涅槃堂
山門を入ると正面に本堂があるが、その参道の右側に、真雅会館涅槃堂という立派な建物が建っていた。要は葬儀(通夜、告別式)および法要施設である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO160 ) 露出補正 なし
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17.遍照寺 本堂
見たわけではないが、「猫の足あと 横浜市寺社案内」には本尊の木造薬師如来坐像は、量感に富み、目鼻立ちの整った面部は張りが強く、運慶の作風を示していると記されていた。面長の顔だちや左肩に大きな折返しをつくった着衣の形式に宋元風の影響も認められる。市内に伝わる当代の彫刻の中では屈指の佳作だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO400 ) 露出補正 なし
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18.帷子会館
再び環状1号線に戻る。遍照寺から環状1号線に出てきたところに帷子会館があった。「保土ヶ谷歴史まちあるき」のパンフレットには帷子会館は大正初期の建築で、木造平屋建てで近代洋風である。当初は消防署の消防車を収納していた建物であった。現在は町内会館として利用されている。棟にレトロ感漂う板金製フィニュアルを載せ、印象的な妻壁のアーチ付き換気ガラリが2っ並び、木組みの腕木に支えられた庇が付いている。大正期の建物として旧東海道沿いに残る稀有な洋風建物である。歴史的建造物の良い保存活用例とされると説明されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
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19.環状1号線の歩道
環状1号線の歩道 の敷石に、こんな絵柄のブロックが埋め込まれていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO200 ) 露出補正 なし
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20.NJ邸 元旅館業
横浜帷子郵便局へ曲がるところで、A.旧東海道まちかど博物館コース は終わる。少し保土ヶ谷駅よりに入ったところに第二常盤湯という戦後復興期の昭和28年に建てられ、現在でも営業している銭湯があったのだが、見落としてしまった。まちかど博物館というのは、保土ヶ谷で積み重ねられてきた歴史、生活文化、生業の技を物語るものが展示されている時計屋さん、石材店、薬局などの商店のことである。さて、ここから月見台という高台に向けて洋館堪能コースとなるのだが、横浜帷子郵便局のところを左に入ったところに、このNJ邸があった。大正13年建築で木造平屋建ての洋館付き住宅である。昭和28年ごろ増改築をして平成17年ころまでは旅館業を営んでいたという。    

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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21.E邸 -1
昭和34年に建てられた木造2階建ての洋館付き住宅である。数少ない戦後に建てられた洋館付き住宅で、その特徴が良く判る。低い軒高、緩い勾配のフランス瓦屋根、横長の開放的な窓の洋館と和館からなる。表札もかけられていて、まどのカーテンは閉められているが、住まわれているようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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22.E邸 -2
ここからは、和館の部分が眺められる。よく手入れされて眺めも良い庭からも横浜港を一望できるそうだ。良好な景観を呈する。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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23.S邸
昭和4~5年頃建築の木造平屋建て洋館付き住宅である。この辺りは高台になり、高級住宅地である。モダンな平屋建ての洋風意匠と庭が昭和初期の月見台の住宅地景観を偲ばせる住宅である。周囲は新しい家が立ち並んでいるが、どの家もなかなかの景観であった。ここからさらに月見台のバス通りまで上るのだが、坂道が続く。ブログもここいらで一休み。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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2014年12月 3日

2泊3日の四国駆け足ツアー 11月17日~19日 (2)伊予絣と内子町の八日市護国


  11月18日、2日目の朝の出発は早かった。なにせ、20景を巡るという旅は強行軍なので7時半出発だ。ところが朝食のバイキングは7時からしか始められないとのことで、荷物をまとめて、フロントに置いての朝食となった。
  この日は、伊予市の伊予かすり会館を見学して、松山自動車道を南下する。このツアーは参加人数が多い。大型バスも全席満員だ。第1日目は最前列に座ったが2日目のこの日は最後列だ。

  次に、少し内陸に入った八日市護国という内子町の古い町並み保存地区を見て歩く。
大洲から、みかん畑や、真珠養殖をしている宇和海を右側の車窓から眺めながら、宇和島に出て、国道56号線にある道の駅で昼食となった。昼食後、四万十川へと向う。

22.露天風呂の朝
荷物を持って7時からの朝食会場へ行く。フロントに荷物を置く傍ら、ガラス越しに見える露天風呂を撮っておいた。昨夜は、私としては長時間露天風呂につかっていたが、なかなかいいお湯だった。源泉温度が38℃のため、使用温度の42℃まで加温を行っているという。毎分400リットルの湧出量を誇る。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/40秒 16mm ISO1600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
23.伊予かすり会館
オプションで道後温泉に泊まったツアーのメンバーをピックアップして、松山城の天守閣を車窓から眺め、20分ほど走っただろうか。まだ、松山市内だが、民芸伊予かすり会館に到着した。これからプログラムオートで撮ることにした。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/250秒 24mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
24.伊予絣の創始者
Wikipediaによれば、愛媛県松山市で製造されている伊予絣(いよかすり)は、松山絣とも呼ばれ、久留米絣、備後絣とともに日本三大絣の一つともされる。伊予絣の創始者鍵谷カナ女は天明2年(1782年)に温泉郡垣生村今出で生まれ、元治元年(1864年)82歳で亡くなった。カナ女が絣を考案したのは18歳頃で、動機は農家の藁屋根をふき替える時、藁屋根を押さえた竹が煤けて、網目の後の模様が出てくるのを見てヒントを得たという。はじめは今出絣と言われていたが、のちに伊予絣と言われるようになったと記されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/250秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
25.伊予絣を織る
生活の洋風化とともに着物を中心に絣の需要は低下し、今日では、事業として行っているのは、この伊予かすり会館を運営する1軒(白方興業株式会社)のみとなった。絣の製造工程を順を追って見ることができ、絣を織る実演も見られた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/250秒 32mm ISO5600 ) 露出補正 なし
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26.松山自動車道(車窓)
再びバスに乗り、伊予インターから松山自動車道に入り、次の下車観光予定である内子町へ向かう。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/250秒 80mm ISO220 ) 露出補正 なし
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27.車窓風景 内子町(車窓)
JR予讃線に沿うように走ると、間もなく内子五十崎ICに着いた。時刻は9時半。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/250秒 66mm ISO560 ) 露出補正 なし
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28.内子町到着
9時半に内子町に着いた。これから約1時間、八日市護国と呼ばれる重要伝統的建造物群保存地区を歩く。時間が限られているので、全部は歩けないし、内子座へは行けなかった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/250秒 56mm ISO360 ) 露出補正 なし
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29.内子の町並み
このツアーは参加者が多く、40数名がゾロゾロと歩く。町並みは内子観光協会ホームページにある内子散策マップを参照いただきたい。これは、竹細工の店「竹工房」だ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/250秒 38mm ISO500 ) 露出補正 なし
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30.本芳我家住宅(国指定重要文化財)
ひときわ立派な門構えの住宅があった。木蝋製造で財を築いた豪商・本芳我家の屋敷。内子は製蝋で栄えた町である。明治末には愛媛県の晒蝋生産量が全国1位となり、内子町はその7割を生産していたというが、原材料の不足や石油などの代替品の登場などから、大正以後は急速に衰退していき、1924年(大正13年)には製蝋業者がすべて姿を消したという。1889年に建てられたもので、なまこ壁を施した重厚なつくりである。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/250秒 20mm ISO200 ) 露出補正 なし
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31.本芳我家住宅の玄関
住宅は非公開だが、門の中には入ることが出来た。庭園の一部が公開されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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32.本芳我家住宅 懸魚と鬼瓦 
1889年に建てられたもので、なまこ壁を施した重厚なつくり。見事な鶴の装飾が施された懸魚(げぎょ:屋根に取り付けた妻飾り)は富の象徴だったという。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/320秒 20mm ISO200 ) 露出補正 なし
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33.常設活動写真館「旭館」
そろそろこのあたりで引き返しましょうと促されところで、ちょっと路地を見ると、古い映画館があった。森文醸造(株)など地元有志が大正14年に作った活動写真館だそうで、昭和に入って「電気館」と改名され、昭和40年代初期まで映画が上映されていた。2013年12月24日に国の有形文化財指定を受ている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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34.内子の町並み -1
本芳我家住宅のあたりまで戻ってきて、町並みを撮る。家の前に床几が見えるが、店先で涼み用等に使われたもので、使わない時は跳ね上げているという。手前の家は、跳ね上げられているが、「月乃家」という旅館では下げられている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/250秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
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35.内子の町並み -2
今度は振り返ってとる。、右側に本芳我家住宅が見える。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 105mm ISO200 ) 露出補正 なし
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36.内子中学校白壁
本芳我家家の分家で、今は木蝋資料館となっている上芳我家の前に、内子中学校と書かれた白壁で囲まれたところがあった。白壁は背が高く、校舎を見ることはできない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f10 1/400秒 30mm ISO200 ) 露出補正 なし
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37.内子中学校玄関
白壁に沿って左に入って行ってみると、玄関と校舎が見えた。まだ新しい。しかし、不思議と白壁の塀と調和している。昭和47年に内子・満穂・池田の3っの中学校が統合され、内子町立内子中学校が創立されている。平成19年に新築校舎が落成した。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/320秒 26mm ISO200 ) 露出補正 なし
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38.上芳我家住宅 木蝋資料館
内子観光協会のホームページによれば、上芳我家は、内子最大の製蝋業者であった本芳我家から文久元年(1861年)に分家した家で、木蝋生産を営んだ商家だ。上芳我家は、木蝋産業とそれによって著しく栄えた内子の人々の暮らしの関係性を物語る、唯一の貴重な文化遺産である。平成2年、国の重要文化財に指定された。左側は内子中学校の白壁。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/320秒 50mm ISO200 ) 露出補正 なし
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39.高昌寺
バス・ガイドさんに、駐車場の上に高昌寺という立派なお寺があると聞いていたので、見ておこうと思い、少し早めに戻ってきた。山門が見えたので、行ってみる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/400秒 105mm ISO200 ) 露出補正 なし
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40.高昌寺 山門
高昌寺のホームページによれば、文化4年(1808年)の火災で難を免れたこの山門は、旧五城村中土地区の持宝院に建立されていたものと言われ、第16世真猊香達和尚(1745~1752年)の代に現在地に移築されたと伝えられている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/250秒 42mm ISO200 ) 露出補正 なし
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41.山門から見る中雀門
同じく、高昌寺のホームページでは、山門の先に見える中雀門は、名ある武家屋敷の門を移築したものとも伝えられる。清楚な構成の中に落ち着きと気品が漂い、天井には6枚の絵が組み込まれている。山門と佛殿の中間に位置し、庫裡と僧堂を結ぶ廊下の中央に設けられる門である。前後してしまったが、高昌寺は、山号は護国山、宗派は曹洞宗、本尊は聖観音菩薩。新四国曼荼羅霊場の第五十番札所である。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/250秒 22mm ISO200 ) 露出補正 なし
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42.釈迦涅槃仏
足早に境内を巡ってくると、大きな釈迦涅槃像があった。平成10年11月1日に、石造涅槃仏としては日本で最大級の長さ10m、高さ3m、重さ200トンの白御影石で造られた石仏が安置されている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f10 1/400秒 24mm ISO200 ) 露出補正 なし
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43.高昌寺のモミジ
そろそろバスの出発時刻だ。涅槃仏から下へ降りて、振り返ると、モミジが鮮やかだった。ここからまた四万十川まで、長い道のりを走る。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 116mm ISO200 ) 露出補正 なし
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2014年8月30日

夕暮れの都立大学界隈 8月26日


  西本梨江さんという女性ピアニストがいる。桐朋学園大学ピアノ科を卒業し、同大学研究科を修了された。89年には全日本学生音楽コンクール全国大会第1位に輝く。98年よりコンサート活動を始め、「絵本コンサート」の企画を立ち上げ、朗読と映像と音楽で平和へのメッセージを伝えるコンサートを開催されている。 日比谷に、友人がメンバーになっているシーボニアメンズクラブというところがあるが、そこの専属ピアニストでもある。シーボニアメンズクラブで時々お目にかかるのが縁で、コンサートのご案内などをいただくようになった。

 この日は、都立大学の<めぐろパーシモンホール 小ホールで、その西本梨江さんの~Passion~と題されたピアノコンサートがあり、聴きに行った。
 コンサートが始まる1時間半以上前に東横線の都立大学駅に着き、夕暮れの町をぶらぶらと歩いたあと、軽く食事をして、会場に着いた。
  コンサートは共演の秋田孝訓さんのいろいろな打楽器を使ったパーカッションも素晴らしく、西本梨江さん編曲の「耳に残るは君の歌声」=真珠とりより / ビゼー や、 「烈」=NHKドラマ「蔵」より / 深草アキ などに感動した。

1.常園寺
横浜から東横線特急に乗り、自由が丘で各駅停車に乗り換えて都立大学で降りたのは夕方の5時を少し回ったところだった。1991年4月に東京都立大学が八王子市に移転した後は、大学のない大学駅となっている。めぐろパーシモンホールは、その大学の跡地に建てられている。目黒通りを渡って、柿の木坂に向かって歩くと5分ほどのところに常園寺があった。山門は閉められていた。

Canon IXY 30S f2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/30秒 4.9mm ISO640 ) 露出補正 なし
常園寺;クリックすると大きな写真になります。
2.常園寺の境内
山門からは入れなかったが、少し先の通用門から境内に入ることができた。境内には幹回り4m、高さ25mの目黒区保存樹第一号の大イチョウの木があった。写真中央に見えるが本堂だ。。寺宝として大きな「釈迦如来涅槃之図(大涅槃図)」を所蔵し、毎年2月15日の釈迦涅槃会に開帳されるとのこと。

Canon IXY 30S f2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/30秒 4.9mm ISO250 ) 露出補正 なし
常園寺の境内;クリックすると大きな写真になります。
3.妙見堂
常園寺境内の奥に妙見堂があった。北極星を神格化し、国土を守り、災いを除き、幸いをもたらす開運の菩薩と言われる妙見菩薩が祀られている。

Canon IXY 30S f2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/30秒 4.9mm ISO500 ) 露出補正 なし
妙見堂;クリックすると大きな写真になります。
4.北野神社
常園寺を出て、さらに天神坂という緩やかな坂道を進むと、右手に北野神社というのがあった。各地にある北野神社と同じように菅原道真公が祀られている。もともと「農耕の神」で、田んぼの脇にあったが、昭和初期の耕地整理により田圃の脇から移されたとの碑があった。

Canon IXY 30S f2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/20秒 5.9mm ISO800 ) 露出補正 なし
北野神社;クリックすると大きな写真になります。
5.めぐろパーシモンホール
やがて、目黒キャンパス広場・公園の向こうにめぐろパーシモンホールの建物が見えた。東京都立大学は、1991年にここから八王子市に移転し、今は首都大学東京になっている。

Canon IXY 30S f2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/30秒 5.9mm ISO125 ) 露出補正 なし
めぐろパーシモンホール;クリックすると大きな写真になります。
6.物産展?
外から見える目黒パーシモンホール・大ホールのロビーと思われるところで何やら物産展のような催しが見えた。時間があったので寄ってみたかったが、入り方がわからなかった。

Canon IXY 30S f2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/30秒 5.9mm ISO125 ) 露出補正 なし
物産展?;クリックすると大きな写真になります。
7.SERAPIS Ⅱ
コンサート会場の開場まで、まだ、小一時間ある。天神坂を都立大学駅のほうに少し戻って、「SERAPIS Ⅱ」というCafeに入った。パスタが美味しかった。 「SERAPIS Ⅱ」というのはなんのことだろうか?店内の壁には Shippinng building through the century と書かれた船の絵が並べて張られていた。船の名前のようにも思えるが・・・。ご主人に、「SERAPIS Ⅱ」を店の名前とされたいわれを聞いておけばよかった。ご主人曰く、都立大学が移転して20年以上になるが、町が様変わりしたという。

Canon IXY 30S f2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/40秒 8.5mm ISO500 ) 露出補正 なし
SERAPIS Ⅱ;クリックすると大きな写真になります。


2014年6月21日

高野山と京都 5/21~24 3泊4日 (5) 東福寺 5月23日


 宇治からのJR奈良線「みやこ路快速」は14:09 に東福寺駅に到着した。降りる人はほとんどいない。改札を出て、九条通りを南へ歩くと、東福寺の北門があった。東福寺の塔頭である退耕庵、同聚院の前を通って、臥雲橋へ出る。臥雲橋を渡りながら、通天橋を眺める。日下門を左に、東福寺の境内に入る。日下門の右手が中門だ。
 受付があり、まっすぐ行くと通天橋だが、それは後にして、まず方丈庭園の拝観料400円を支払って、中に入る。幸い観光客は多くない。
 方丈庭園を南庭、西庭、北庭、東庭と拝観し、外に出る。次に通天橋を行く。秋には一面のモミジで真っ赤に染まるところだ。さらに開山堂、普門院及びその庭園を見て、愛染堂へ回る。 最後に、本堂に参拝し、立派な三門と恩遠池へ行った。ここはほとんど人がいなかった。
 東福寺に関する記述は、東福寺のホームページWikupedia を参照した。

3時半を少し回ったころだったか、客待ちをしていたタクシーに乗り、ホテルへ戻った。娘たち夫婦が帰ってくるのを待って、この日の夜は祇園、八坂を歩き、イタリアンの夕食。娘が誕生日祝いのスイーツのバースディ・プレートを用意してくれ、ほかのお客さんにもHappy Birthday to You と歌っていただいた。

71.臥雲橋
同聚院の前を通って、東福寺の境内に入る月下門から日下門へ行く途中に臥雲橋があった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/170秒 6.4mm ISO800 ) 露出補正 なし
臥雲橋;クリックすると大きな写真になります。
72.臥雲橋から通天橋を望む
臥雲橋の途中から洗玉潤の緑の谷の向こうに通天橋が見えた。その右側の大きな屋根が方丈だ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F7.1 1/800秒 20.1mm ISO400 ) 露出補正 なし
臥雲橋から通天橋を望む;クリックすると大きな写真になります。
73.日下門
東福寺の西側(伏見街道沿い)には北門、中門、南門の3つの門が並んでいる。その真ん中が中門(または中大門という)だ。中門は桃山時代のもので、平成5年(1993年)に京都府指定の文化財になっている。中門から境内のほうに歩いていくと、今度は日下門がある。こちらは江戸時代に建てられたもので、中門と同時に京都府指定文化財になったそうだ。この日下門の向こう、右側に見えるのは本堂である。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/420秒 7.3mm ISO400 ) 露出補正 なし
日下門;クリックすると大きな写真になります。
74.東福寺本堂(仏殿兼法堂)
明治14年(1881年)に仏殿と法堂が焼けた後、大正6年(1917年)から再建工事にかかり、昭和9年(1934年)に完成した。重層入母屋造りの大きな建築物だ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/900秒 7.3mm ISO400 ) 露出補正 なし
東福寺本堂(仏殿兼法堂);クリックすると大きな写真になります。
75.経蔵
日下門から入って左側にある。なかなか瀟洒な建物だ。摂政の九条道家が開山(初代住職)として迎えた円爾弁円(聖一国師)は、仁治2年(1241年)宋から帰朝の際一千余の典籍を持ち帰り、我が国文教の興隆に多大な貢献をなした。それらの経典が納められていたという「経蔵」である。江戸時代寛政5年(1793年)の再建になる。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/900秒 5.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
経蔵;クリックすると大きな写真になります。
76.方丈庭園南庭 -1
通天橋の手前にある受付で、方丈庭園への拝観料をお支払いし、靴を脱いで中に入った。まず、南庭から観る。方丈とは、禅宗寺院における僧侶の住居であり、後には相見(応接)の間の役割が強くなったという。東福寺方丈は、明治14年の火災により仏殿、法堂、庫裏とともに焼失しましたが、明治23年(1890年)に再建され、災禍を免れた三門、東司、禅堂、浴室などの中世禅宗建築とともに、現代木造建築の精粋を遺憾なく発揮している。方丈はこの南庭に面して建てられている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F6.4 1/850秒 4.4mm ISO400 ) 露出補正 なし
方丈庭園南庭;クリックすると大きな写真になります。
77.方丈庭園南庭 -2
76.の右手(西方)になる。「五山」になぞらえた築山を置き、その苔地と砂紋とを区切る斜線の表現が効果的であるという。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/800秒 8.1mm ISO100 ) 露出補正 なし
方丈庭園南庭 -2;クリックすると大きな写真になります。
78.方丈
明治23年に再建された方丈。この方丈の前に南庭が広がる。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/180秒 7.3mm ISO400 ) 露出補正 なし
方丈;クリックすると大きな写真になります。
79.北庭 小市松
ウマスギゴケとの対比が色鮮やかな市松模様の敷石は、もと恩賜門(南庭中央の門)に使われていたものだそうだ。方丈庭園は昭和の名作庭家である重森三玲の昭和14年の作で、「八相の庭」と命名され、近代禅宗庭園の傑作とされているそうだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/550秒 6.4mm ISO200 ) 露出補正 なし
北庭 小市松;クリックすると大きな写真になります。
80.東庭
雲模様地割に円柱の石で北斗七星を構成し、北杜の庭とも呼ばれる。北斗七星に見立てた石は、重要文化財である旧便所の東司の柱石の余った石を利用したものだそうだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/800秒 5.5mm ISO400 ) 露出補正 なし
東庭;クリックすると大きな写真になります。
81.方丈の縁側
方丈の南庭に向いた縁側に座って、観光客が庭を眺めていた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/250秒 9.7mm ISO250 ) 露出補正 なし
方丈の縁側;クリックすると大きな写真になります。
82.通天橋へ
方丈庭園「八相の庭」を鑑賞して、外に出る。受付のところから洗玉澗(せんぎょくかん)の谷間に架けられた通天橋への道を進む。初夏の緑が美しいが、秋はモミジで真っ赤になるのだろう。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/160秒 13.8mm ISO160 ) 露出補正 なし
通天橋へ;クリックすると大きな写真になります。
83.通天橋 -1
本堂などがある主要伽藍の北側の洗玉澗という渓谷には、西から東へ臥雲橋、通天橋、偃月橋という3本の橋(東福寺三名橋)が架かる。通天橋は、本堂から通じる廊下 がそのまま屋根付きの橋となったもので、この付近は特に紅葉の名所として知られる。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 5.0mm ISO400 ) 露出補正 なし
通天橋 -1;クリックすると大きな写真になります。
84.通天橋から臥雲橋を望む
洗玉澗の渓谷の向こうには、さっき渡ってきた臥雲橋が見えた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 5.0mm ISO400 ) 露出補正 なし
通天橋から臥雲橋を望む;クリックすると大きな写真になります。
85.通天橋 -2
通天橋を普門院のほうに進む。ここは通天橋の中頃にある屋根のかかったところを通り過ぎて、渡ってきた受付のほうを振り返って撮った。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/105秒 8.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
通天橋 -2;クリックすると大きな写真になります。
86.開山堂
通天橋を渡り終わって、門をくぐって、正面に開山堂、左手に普門院がある池泉式庭園に入る。サツキや菖蒲が咲く庭園にはクロアゲハが飛んできていた。開山堂は別名「常楽庵」といい、正面柱間八間、禅式瓦敷を特徴とし、祀堂に開山国師像を安置する。この写真は開山堂上層にある楼閣である。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/850秒 15.5mm ISO400 ) 露出補正 なし
開山堂;クリックすると大きな写真になります。
87.浴衣姿の生徒たち
開山堂の門をくぐって大勢の着物(浴衣)姿の子供たちが入ってきた。中学3年生くらいだろうか。どういう子供たちなのかわからない。お茶とか、お花の学校の生徒たちだろうか。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/850秒 11.9mm ISO400 ) 露出補正 なし
浴衣姿の生徒たち;クリックすると大きな写真になります。
88.普門院の縁側
開山堂(常楽庵)の西側に京都十刹の一つである普門寺があった。普門寺は寛元4年(1246年)、大相国九条道家(1193年~1252年)が東福寺建立に先立って普門院を開堂し、円爾(えんに、1202年~1280年)に住まわせたのが始まりである。現在は廃寺となってしまい、名称は東福寺常楽庵の客殿・庫裏・塔司寮に継承されている。つまり、この写真の普門院は東福寺常楽庵の客殿・庫裏・塔司寮である。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/640秒 8.2mm ISO400 ) 露出補正 なし
普門院の縁側;クリックすると大きな写真になります。
89.モミジ
高野山の壇上伽藍へ行く蛇腹道にも、初夏なのに真っ赤なモミジがあったが、ここにも赤いモミジがあった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F6.4 1/800秒 35.2mm ISO400 ) 露出補正 なし
モミジ;クリックすると大きな写真になります。
90.愛染堂
普門院の総門である月下門のほうへ歩いていくと朱塗りの柿(こけら)葺き八角円堂の愛染堂があった。南北朝時代の建築で昭和12年万寿寺より移築された。愛染明王が祀られている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/800秒 6.4mm ISO200 ) 露出補正 なし
愛染堂;クリックすると大きな写真になります。
91.本堂
本堂のお参りが最後になってしまった。大きな建物である。東福寺は1319年(元応元年)、1334年(建武元年)、1336年(延元元年)の相次ぐ火災により大部分を焼失するが、直ちに復興に着手し、1346年(貞和3年)には、前関白一条経道によって仏殿が再建され完全な禅宗寺院としての寺観を整えていた。そして、現在の本堂は1881年(明治14年)に仏殿と法堂が焼失した後、1934年(昭和9年)に再建された重層入母屋造の建物である。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/800秒 6.0mm ISO400 ) 露出補正 なし
本堂;クリックすると大きな写真になります。
92.本堂正面
創建当初の仏殿には、15mの釈迦仏像が安置され、脇侍の観音・弥勒両菩薩像は7.5mメートルもあって、新大仏寺として喧伝されていたという。現在の本堂には、本尊の釈迦如来立像、脇侍の摩訶迦葉尊者・阿南尊者立像、四天王像が安置されている。本尊の釈迦三尊像は、1881年(明治14年)に仏殿が焼失した際、万寿寺から移された鎌倉時代の作の像で、もとは三聖寺に安置されていたものだという。本尊の釈迦三尊像は外から垣間見ることができた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/300秒 8.8mm ISO400 ) 露出補正 なし
本堂正面;クリックすると大きな写真になります。
93.国宝 三門
東福寺の一番南側にある壮大な伽藍の正門である三門は、最も格式の高い五間三戸の二重門である。高さは東大寺南大門の25mには及ばないが22mもある最大級の三門だ。三門とは三解脱門(さんげだつもん)の略で、三解脱とは涅槃に入るための空・無相・無作の三つの解脱門を寺院の門に擬したものだそうだ。三門は室町初期の作で、禅宗三門として最後の遺構である。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/680秒 7.3mm ISO400 ) 露出補正 なし
国宝 三門;クリックすると大きな写真になります。
94.思遠池
三門の裏側に回ってみると思遠池という池があった。本来、こちら側が正面なのだ。これで東福寺の拝観を終えることにした。秋の紅葉のころに来てみたいが、秋の京都はホテルがとれないほどで、特にここ東福寺は紅葉の名所で、人出が多いと聞く。それを思うと今回はゆっくりと、新緑の季節に東福寺を巡ることができた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/900秒 4.6mm ISO400 ) 露出補正 なし
思遠池;クリックすると大きな写真になります。
95.祇園
東福寺からタクシーで四条烏丸のホテルに戻り、一休みした後、伏見稲荷で別れた娘たち夫婦と合流し、夕暮れの祇園を歩く。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/30秒 7.0mm ISO500 ) 露出補正 なし
祇園;クリックすると大きな写真になります。
96.建仁寺
祇園の花見小路の突き当たりに建仁寺という大きなお寺があった。京都五山の第3位だそうだ。花見小路は今までも何度か歩いたことはあるが、ここまで来たことはなかった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/400秒 11.6mm ISO3200 ) 露出補正 なし
建仁寺;クリックすると大きな写真になります。
97.八坂の塔
花見小路を建仁寺の山門の前で左へ曲がる。建仁寺の塀に沿って右へいき、すぐ左へ。東大路通りを渡って、少し右に進み八坂の塔が見える石畳の道を上る。八坂の塔(法観寺)に突き当たったところを左へ行った、全く静かな、こんなところにレストランがあるのかというところに「イル・ギオットーネ」があった。娘たちが、母の日と、父の日と、私の誕生日、そして自分(娘)の誕生日を祝ってくれた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/200秒 17.1mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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