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2020年10月 5日

軽井沢を散策 一泊旅行(1) 9月17日~18日 追分宿・白糸の滝・旧軽井沢

今回の軽井沢一泊旅行を想起したのは、「軽井沢蝶の楽園」でアサギマダラを見るのが目的でもあったが、観光もしてみたかったからだ。
 最近は、ゴルフでは毎年軽井沢へ行く機会があったものの、夕方に着いて、友人の家で夕食をして、翌日はゴルフ、そして、その夜も友人の家に泊めていただき、翌朝解散というパターンだった。私は翌日はみんなと別れて、湯の丸高原へ蝶の写真を撮りに行ったりはしていたものの、軽井沢 の街や名勝を歩くことはしていなかった。そこでGo To トラベルを利用して、一泊で観光をしてみようと思い、JTBで予約をしたのだ。 1日目の天気がどうなるか気を揉んだが、関越→上信越道を走るうちに晴れ間が見られるようになり、まず、信濃追分の近くにある「軽井沢蝶の楽園」へ行くことした。そこそこ写真を撮って、正午ごろ「軽井沢蝶の楽園」を後にして、かっての信越本線であったしなの鉄道の線路を反対側に渡って、信濃追分宿を歩いた。人は多くない。信州そばで昼食にして、白糸の滝へ移動したが、ここは若い人たちでにぎわっていた。
 今宵の宿はJTBが手配してくれた旧軽井沢の「ホテル音羽の森」というところ。チェックインして夕食までの時間、旧軽井沢を散策した。

21.天皇陛下の句碑 御製の碑
追分宿の入り口にある駐車場に、平成天皇陛下は皇太子時代にしばしば訪れられた石尊山に平成22年8月、秋篠宮ご家族とともに登られ、「長き年の 後に来たりし 山の上に はくさんふうろ 再び見たり」と詠われたと彫られた句碑があった。石尊山(1,677m)は浅間山の寄生火山で、ここ追分宿が登山口になっている。追分宿は北国街道(北陸道)との分岐点でもあり「追分」の名はこれに由来する。元禄時代には旅籠屋71軒、茶屋18軒、商店28軒を数え、飯盛女も最盛期には200~270人もいたとされるほど栄えた。また、民謡に多く見られる追分節の発祥の地である。後で行く旧脇本陣の油屋は、堀辰雄や立原道造、室生犀星らに愛され、堀辰雄の小説「菜穂子」、「ふるさとびと」に登場する牡丹屋という旅館はその油屋がモデルだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
021_200917123 X800 信濃追分宿 RX10M4.jpg
22.信州そば
国道18号の少し北側の旧中山道を小諸に向かって追分宿の街道がある。しばらく行ったところに「ささくら」という蕎麦屋があった。その時は通り過ぎたが、駐車場へ戻る道で小腹が空いたので入って、信州二八蕎麦を頼んだ。しっかりした蕎麦で美味かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO800 ) 露出補正 なし
022_200917133 X800 信濃追分宿 RX10M4.jpg
23.旧本陣跡
追分宿の旧本陣跡に高札場があった。昭和58年に寛永10年(1633年)の古文書等から復元されたそうだ。写真の高札は複製品で、現物は追分宿郷土館に保管展示されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
023_200917138 X800 信濃追分宿 RX10M4.jpg
24.曹洞宗 泉洞寺 山門
さらに進むと右側に路地があって、門があり、寺院が見えた。曹洞宗 泉洞寺という。山門前の石柱には「 不許山門入葷酒」と彫られていて、臭気の強い野菜は他人を苦しめるとともに自分の修行を妨げ、酒は心を乱すので、これを口にしたものは清浄な寺内にはいることを許さないという意味だそうだ。禅寺で「不許葷酒入山門」と彫られているところが多い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO800 ) 露出補正 なし
024_200917156 X800 信濃追分宿 泉洞寺 RX10M4.jpg
25.泉洞寺 境内
今から約410年前の、慶長3年(1598年)3月、上州(現在の群馬県長野原町)常林寺第5世・心庵宗祥禅師によって開創された。小説家「堀辰雄」が生前好んで散歩したところとしても有名だそうだ。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
025_200917152 信濃追分宿 泉洞寺 RX10M4.jpg
26.泉洞寺 本堂
泉洞寺は、寺名「仙洞寺」であったが江戸時代、火災に遭遇したことから、火災等の災難を除けるようにと祈願して「仙洞寺」から、水を持って寺を守る様にと「泉洞寺」と改名して寺の安全を願ったと伝えられる。本尊は聖観世音菩薩。この寺の大本山は福井県の永平寺、横浜鶴見の總持寺になる。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
026_200917145 X800 信濃追分宿 泉洞寺 RX10M4.jpg
27.泉洞寺 卓球慈光地蔵尊
本堂に向かって右側に、まだ真新しい一風変わったお地蔵さんがあった。近くへ行って見ると「卓球慈光地蔵尊」との札がある。その左側にはほうきのようなものを持ち、眼鏡をかけた氷環慈石地蔵尊(通称カーリング地蔵)なる像が立っていた。その他、勉強をしている地蔵、お酒を持っている地蔵などユニークな地蔵もあったが、いかがなものか。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 21mm ISO160 ) 露出補正 なし
027_200917146 X800 信濃追分宿 泉洞寺 RX10M4.jpg
28.泉洞寺 鐘楼
大みそかには夜11時半から、450貫の除夜の鐘を撞くことができるそうだ。約400個の手作り灯明が参拝者を迎え、お守りや、松本ダルマなどの縁起物が用意されるという。泉洞寺から、駐車場へと戻る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO640 ) 露出補正 なし 
028_200917143 X800 信濃追分宿 泉洞寺 RX10M4.jpg
29.油屋旅館
中仙道軽井沢追分宿で脇本陣であった旧油屋は、昭和13年に現在の位置に移転してから80年、堀辰雄・立原道造・加藤周一に代表される文士・知識人たちが好んで執筆に利用した宿として、多くの作品の舞台となった旅籠だった。現在、NPO「油やプロジェクト」が活動の拠点とする「文化磁場油や」となっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO320 ) 露出補正 なし
029_200917164 X800 信濃追分宿 油屋旅館 RX10M4.jpg
30.油屋旅館 追分古盤堂
薦められて油やの玄関を上がると、左回りの回廊になっていて、1階の廊下や部屋にはいろいろな展示があった。その一つに、私も聴いたことがある古いレコードジャケットが展示されていた。60年代ロックとジャズを中心に店主のコレクションから名盤珍品を展示販売するそうだ。他にも、器の店、磁器や彫刻の個展、草木染め、木工、また、絵画、版画などのファインアートなどの展示、販売がなされていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
030_200917168 X800 信濃追分宿 油屋旅館 RX10M4.jpg
31.油屋旅館素泊まりの宿
油や旅館は平成24年に「油やプロジェクト」を開始し、その由緒ある本館2F・和室5部屋を素泊まりの宿として再び泊まれるように修復・改装されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/125秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
031_200917175 X800 信濃追分宿 油屋旅館 RX10M4.jpg
32.堀辰雄 文学記念館
軽井沢に別荘を構えて晩年を過ごした堀辰雄の旧居跡に、1992年に仮開館し、1993年に開館した[。事業主体は軽井沢町である。wikipediaによれば、 記念館には旧居、堀の亡くなる直前に完成した書庫の他、堀の生涯と文学の背景を紹介した常設展示棟(堀多恵子未亡人が長く住んでいた別棟)、直筆原稿や研究資料などが保存され資料の閲覧や企画展・講演会などの催しが行われる閲覧室などがあり、2001年には広大な庭に堀の直筆の文学碑が建立された。収蔵資料は約3500冊に及ぶ蔵書、直筆原稿、初版本、初版雑誌、写真、書簡、硯箱などから構成され、企画展などで展示されているという。私たちは入館しなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO1000 ) 露出補正 なし
032_200917183 X800 信濃追分宿 堀辰雄文学記念館 RX10M4.jpg
33.軽井沢 白糸の滝 -1
追分から軽井沢に向かい、中軽井沢から左に入る。国道146号線を鬼の押出し方面への道との分岐路の手前を右に、白糸ハイランドウェイという有料道路に入る。追分宿から30分ほどで白糸の滝の駐車場に着いた。車の数が多く、若い人たちがたくさん来ていた。駐車場から人が行きかう道を少し歩いて滝に着いた。富士山の白糸の滝より、スケールは小さいが、整った形をしていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 なし
033_200917211 X800 白糸の滝 RX10M4.jpg
34.軽井沢 白糸の滝 -2
富士山の白糸の滝とは少し趣が違うが、そう長居をするところではない。白糸の滝と称される滝は全国各地にある。軽井沢の白糸の滝は、千曲川の支流のひとつである湯川の源流で、上流に川が存在せず、浅間山の伏流水が岩盤の間から湧き出して滝となっているため、雨の後でも水が濁らないそうだ。幅70m、高さ3mある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 なし
034_200917209 X800 白糸の滝 RX10M4.jpg
35.旧軽井沢を歩く 軽井沢教会/軽井沢幼稚園
白糸の滝から30~40分走っただろうか、この日の宿、「軽井沢本通り」から「万平通り」をちょっと入ったところにある「ホテル音羽の森」に着いた。午後3時過ぎだったが、ホテルにチェックインをして、旧軽井沢を散策する。「旧軽井沢銀座」の通りを歩いていくと、右手に「日本キリスト教団 軽井沢教会」、「軽井沢幼稚園」という看板が掛かった建物があった。創立115年を迎える歴史ある教会だそうだ。設立当初(1905年)は「軽井沢合同基督教会」として発足、現在は、日本基督教団に所属するプロテスタント教会として地域の宣教・伝道活動を行っている。毎週日曜日には礼拝を行っており、誰でも自由に参加できる。現在の会堂(写真)は1929年(昭和4年)に献堂、設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏で、軽井沢に幾つか残っているヴォーリズ建築のひとつという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO640 ) 露出補正 なし  
035_200917003 X800 旧軽井沢 G7X.jpg
36.聖パウロカトリック教会
左手に「チャーチストリート」という新しい商業施設があり、そこを通り抜けると「水車の道」という通りの向こうに教会が見えた。この教会は1935年(昭和10年)に英国人のワード神父により設立され、米国建築学会賞を受賞したアントニン・レーモンドが設計を担当した軽井沢の歴史的建造物の一つであり、聖パウロカトリック教会とも呼ばれる。堀辰雄や川端康成の小説にも登場する。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし  
036_200917006 X800 旧軽井沢 聖パウロカトリック教会 G7X.jpg
37.聖パウロカトリック教会のキリスト像
この教会で結婚式を挙げる人たちも多いようだが、挙式をしたカップルを祝福するようにイエス・キリスト像が立つ。教会の設計者アントニン・レイモンドのノミエ夫人が造ったといわれている彫像だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 25mm ISO200 ) 露出補正 なし  
037_200917007 X800 旧軽井沢 聖パウロカトリック教会 G7X.jpg
38.聖パウロカトリック教会の聖母子像
建物正面の三角屋根にはめ込まれたマリア像と、その頂に輝く十字架が有名なようだが、教会の門の右側には写真のような聖母子像があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO1250 ) 露出補正 なし
  
038_200917013 X800 旧軽井沢 聖パウロカトリック教会 G7X.jpg
39.土屋写真店
「土屋写真店」というのがあった。軽井沢の歴史を知ることが出来る写真が展示されている。 もとは小林一茶も泊まった軽井沢宿の旅籠だったが、明治39年(1906年)に写真館として創業したそうだ。 軽井沢の昔の写真が手に入る店として有名である。 モノクロ写真が展示され、多くの人が写真を見ていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO200 ) 露出補正 なし
039_200917022 X800 旧軽井沢銀座通り G7X.jpg
40.軽井沢写真館
しばらく行くと、また写真館があった。「軽井沢写真館」という。この建物も木造のレトロな雰囲気で、歴史を感じる。建物だけでなく、店内に揃えられているレトロな衣装を着て、写真撮影ができるのだ。「軽井沢写真館」は35年前から豪華なドレス姿で撮影をしてくれる写真館だそうだ。店内を覗いてみるとたくさんレトロなドレスが揃っていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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41.つるや旅館
   「旧軽井沢銀座通り」もかなり奥まったところに、「つるや旅館」があった。ホームページによれば、つるや旅館は江戸時代初期に、中山道の宿場町軽井沢宿の休泊茶屋、旅籠鶴屋として開業した。明治に入り、宣教師たちの軽井沢への往来が始まると、つるやは旅館業に転じ、日本風の建物のまま、西洋風な雰囲気を取り入れた。その後、大正には、多くの文人たちが泊った。芥川龍之介、室生犀星、堀辰雄らが、暖かな雰囲気の中で執筆したという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO2000 ) 露出補正 なし
041_200917031 X800 旧軽井沢銀座通り G7X.jpg
42.神宮寺
「つるや旅館」のところから引き返すことにした。しばらく行くと右手に神社があったのでお参りしていく。wikipediaによれば真言宗智山派の寺院で 山号は表白山、院号は釈迦院。本尊は大日如来。碓氷峠にある熊野神社の別当寺であった。元々は、旧碓氷峠の熊野神社付近にあったが、寛文2年(1662年)に現在の地に移されたという。春には推定400年の枝垂桜が咲くお花見スポットとしても有名なのだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO250 ) 露出補正 なし
042_200917035 X800 旧軽井沢銀座通り 神宮寺 G7X.jpg
43.ピレネー犬
郵便局のところまで来ると、真っ白い ピレネー犬を2頭を連れてこられていたご夫婦に会った。実はこのご夫婦と愛犬たちには、今日追分宿でお目に掛かりご挨拶している。写真に写っているそのうちの1頭は左の後ろ足がない。骨頭壊死で失くしたと話してくださった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし 
043_200917037 X800 旧軽井沢銀座通り G7X.jpg
44.公衆電話ボックス
「軽井沢本通り」と「離れ山通り」が交差するロータリーに写真のような公衆電話ボックスがあった。軽井沢を感じさせる。 

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
044_200917041 X800 旧軽井沢銀座通り G7X.jpg
45.公衆トイレ
これは「軽井沢本通り」で見かけた公衆トイレである。「軽井沢銀座」から「軽井沢本通り」に戻ってきて、軽井沢駅方面に進んだところにある。軽井沢観光振興センターの建物の左側にある。9年ほど前の時点ではこの場所に公衆トイレがなく、一番近い公衆トイレもここから歩くとそこそこ距離がある「旧軽井沢公衆トイレ」とトイレ環境はよくなかったようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO500 ) 露出補正 なし
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2019年2月 7日

続 保土ヶ谷歴史散歩 2月4日

先月、1月20日に「保土ヶ谷歴史散歩」をしてきたが、探しあてることが出来なくて、見逃してきたところがいくつかあった。昨日から2月10日まで、天王町の岩間市民プラザで「保土ヶ谷の歴史建造物巡り」パネル展というのが開催されている。このパネル展を見て、過日見逃した保土ヶ谷宿の史跡も見てこようと午前中に家を出た。
 まず、岩間市民プラザへ。そのパネル展は4階建てのそれほど大きくない建物の3階にあるギャラリーで行われていた。
 パネル展を見たあと岩間市民プラザを退出し歩き始める。1月20日に見落としてしまっていた2つの寺院、香象院と大蓮寺を訪ねた。ともに立派なお寺だった。
 環状1号線が終わりになるところから旧東海道に入り、第二常盤湯という銭湯を見て、案内札以外は何も残っていない問屋場跡、助郷会所跡の前を通って、国道1号線(東海道)へ出た。大通りを渡って通りの向こう側を戸塚方面へ歩く。1月20日に来たときは道路の反対側を歩いていたので気が付かなかった、旅籠本金子屋や復元された一里塚と松並木、上方見附のモニュメントを見て、保土ヶ谷駅西口へ引き返してきた。これで紹介されていた保土ヶ谷の歴史建造物と旧東海道の保土ヶ谷宿史跡はほとんど巡ることが出来たと思う。

1.「保土ヶ谷の歴史建造物巡り」パネル展
1月20日に歩いてきた歴史的建造物の説明文と写真が30数点のパネルにして展示されていた。中には、保土ヶ谷にあった当時の大日本麦酒や古川電池などの写真もあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 +0.3段
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2.香象院
天王町から環状1号線を保土ヶ谷駅西口に向かうと、右側に、入口にまるで山門のように大きなお釜が2つある高野山真言宗のお寺があった。山号を普賢山という。「猫のあしあと」というサイトを見ると、香象院の創建年代等は不詳ながら、忠秀法印が天正11年(1583)に中興、元文年間(1736-1740)に当地に移転したとされている。ここには保土ヶ谷宿で最大の寺子屋があり、明治6年(1873)に保土ヶ谷小学校の分校となったそうだ。保土ヶ谷郷土史家・磯貝正氏の功績を称えた碑がある。さらに検索してみると「仮想旅」というブログに、門前にある大きな鉄釜について書かれていた。以前は本堂の前に置かれていて「天水桶/本堂の屋根に降った雨を溜めておき、火事が起きたとき消化に使う。」ためのものであったらしい。戦時中には鐘は供出させられたが、天水桶はもしもの時(火事や炊き出し)に使えると供出を免れたそうだ。本堂の再建に当たって門前に持ち出された。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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3.大蓮寺 山門
1月20日に歩いた時に訪れた天徳院の先を右に入ったところに、山号を妙栄山西孝院という大蓮寺があった。なかなか立派な寺院である。仁治3年(1241年)、是聖房蓮長(のちの立正大師日蓮)が宿泊した地に建てられた法華堂が起源という。寛永2年(1625年)現在地に移転した。石段を上がって山門をくぐると、境内の石畳の参道の先に本堂があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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4.大蓮寺 おまんの方手植のザクロ
本堂の左側には、「おまんの方の御手植 柘榴」と書かれた石碑があった。徳川家康の側室であった養珠院(お万の方)のことである。その向こうに今は葉を落としている柘榴の老木が植えられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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5.第二常盤湯(休業中)
2018年の「保土ヶ谷歴史まちあるき」のマップの説明では、"戦後復興期に建てられた現在でも営業している銭湯"と書かれていたが、行ってみると昨年12月1日から休業になっていた。マップでは旧東海道からちょっと左に入ったところとなっているのだが、ここを探しあてるのは難しかった。細い路地があってその先に赤い小さな鳥居が見える。もしかしてと思ってその路地に入っていくと、第二常盤湯はあった。

左:Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
右:Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO250 ) 露出補正 なし
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6.旅籠屋「本金子屋」跡
前回見落とした。保土ヶ谷区役所作成の「横浜旧東海道 保土ヶ谷宿」というパンフレットによれば、格子戸や通用門が当時の旅籠の雰囲気を伝えている。現在の建物は明治時代初期の建築と記されていた。伝承では明治2年(1869年)に建替えられたものであるとされる。家の前には「歴史の道 旅籠屋(本金子屋)跡」史跡標柱が立てられている。天保年間には本金子屋の家長は伝左衛門であったとある。江戸時代が終わり、大名の参勤交代はなくなるから、明治3年(1870年)に宿駅制度が廃止されると本陣や脇本陣も旅籠屋になっていったのであろう。鉄道が施設され、線路が敷かれる以前は依然として旅人たちは徒歩で旅立った。そのあたりが明治2年に旅籠屋として建て替えられた理由かもしれない。この歴史的建物の左、奥まったところに「金子」という表札がある立派な邸宅があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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7. 一里塚跡と上方見附跡 -1
ここも前回見落としていた。広い国道1号を歩いているとほとんど目立たないのだ。江戸時代に、宿で町並を形成し、その両端に道を挟んで見付を築き、これを宿場の入口の標識とした。つまり、見附は宿場の出入り口に設けられた番所のことで江戸側を江戸見付、京都・大坂側を上方見付と言ったそうだ。大名行列もこれより隊伍を整えたという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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8. 一里塚跡と上方見附跡 -2
同じく保土ヶ谷区役所作成の「横浜旧東海道 保土ヶ谷宿」というパンフレットによれば、平成17年12月第1回「ヨコハマ市民まち普請事業」に選ばれ、平成19年2月一里塚と松並木が復元した。場所の制約から十分な大きさの塚を築くことはできなかったが、塚の上には昔のようにエノキを植え、松並木とともに宿場時代の再現に努めたとあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
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9.仙人橋
国道1号の脇を流れる今井川には、仙人橋という名の橋が架けられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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10.外川神社
その仙人橋を渡った右側に外川神社という古い社があった。この外川神社は、幕末の頃に、程ヶ谷宿にあった出羽三山講の講元で先達でもあった清宮輿一という人が、湯殿山・月山・羽黒山の出羽三山の霊場を参拝した際に、羽黒山麓の外川仙人大権現の分霊を勧請し、自分の屋敷内(現在の地)に祭ったのが始まりであるとされる。外川仙人大権現と称していたが、明治2年(1869年)の神仏分離令により、日本武尊を祭神と定め、社名を外川神社と改めたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 10mm ISO125 ) 露出補正 なし
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11.東海道線踏切
保土ヶ谷駅西口に戻るには東海道線、横須賀線らの踏切を渡らねばならないが、上り下りとひっきりなしに電車が来て、なかなか渡ることが出来なかった。余談だが電車の行き先表示板は、このシャッタースピードでは読み取れるようには撮れない。検索してみると、電光掲示板ではなく、LED方向膜だそうだが、LEDは高速で点滅しているので、その点滅スピードに合わせたシャッタースピードで撮影しないと文字が切れてしまう。シャッター・スピードはLEDの機種によっても異なるらしいが1/100秒~1/125秒あたりで良いようだが、もっと完璧を望むむなら1/50秒~1/60秒(あるいはそれより遅い)ということらしい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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12.宿場そば「桑名屋」
保土ヶ谷駅西口のロータリーに出る前に、創業明治19年の「宿場そば桑名屋」という蕎麦屋があった。保土ヶ谷宿のパンフレットには、この地で4代続く店主は、保土ケ谷宿や、旧東海道の歴史的保存などにはとても熱心で、店も町並み博物館となっていて、浮世絵や保土ヶ谷宿に関連する歴史資料が展示されているとある。 桑名屋という名の通り三重県桑名から1886年(明治19年)に保土ケ谷に移転してきたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 25mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2019年1月29日

保土ヶ谷歴史散歩 (後編) 1月20日

月見台周辺はなかなかの高級住宅街である。瀟洒な家が立ち並んでいた。しかし、バスの便はあるにしても少々不便に感じる。マイカーの利用が多いのだろが、道は狭い。
 2車線のバス通りを西へ、桜ケ丘の方向に歩く。桜台中学校の手前を左へ、今度は下り坂だ。岩崎ガードへ下りた。ここは舞岡公園へ行くときに良く通る道だし、横横道路を程塚で下りて、自宅へ帰るときも利用するJR東海道線の線路の下をくぐる道だ。
 国道1号へ出て西へ、東海道線沿いに保土ヶ谷方面へ歩く。途中、踏切を渡った線路の反対側に、高野山真言宗の大仙寺があった。参拝のあと、再び、国道1号に戻り、保土ヶ谷本陣跡を左へに曲がって旧東海道を歩く。金沢横町道標4基があるところで、C.保土ヶ谷宿と洋館巡りコースは終わりだ。
 保土ヶ谷駅西口へ出て、星川駅を通るバスに乗った。時間は午後1時20分。3時間ちょっとの保土ヶ谷歴史散歩だった。

24.I 邸 -1
月見台のバス通りに到着した。これからは左(西)へ行くのだが、その前に、右手にある I 邸を見る。昭和11年建築木造2階建ての洋館付き住宅である。昭和60年までは内科・小児科 I 医院が開業されていた。洋館部分を待合室として使用し、地域に親しまれていたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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25.I 邸 -2
後年に洋館を囲んで増築して2階建てとなり、敷地内に最も目立つランドマークとして洋館部分を見せている。洋館部分の屋根は半切妻施軸フランス瓦葺きだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO320 ) 露出補正 なし
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26.桜台小学校
月見台から西へ桜ケ丘に向かってバス通りを歩くと、桜台小学校があった。横浜市立桜台小学校は 1955年、周辺地域の児童数増加により保土ヶ谷小学校と岩崎小学校から学区分離して、桜丘高校移転跡地である当地に開設された。学区の中心が桜ヶ丘で、学区に台の付く地名が多かったため、校名を「桜台」とした。 創立時の児童数は808名で、1970年代には900名を超えたこともあったそうだ。学校教育情報サイト「Gaccom」によると2017年度の児童数は461人だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 16mm ISO125 ) 露出補正 なし
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27.保土ヶ谷カトリック教会
バス通りから桜台小学校の手前を左(南)へ曲がる。下り坂をしばらく行くと工事中の足場が架けられた保土ヶ谷カトリック教会があった。この日は日曜日である。礼拝に来られている方々が多い。教会の前には、信者の方々が乗ってこられた車がぎっしり停められている。早く来て一番奥に停めた車は、帰りは最後まで待たなければ出られない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 16mm ISO125 ) 露出補正 なし
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28.保土ヶ谷カトリック教会のマリア像
パリ外国宣教会フランス人のシェレル神父らが、私財を投じてフランスからステンドグラスなどを取り寄せてに建てた教会であると伝えられ、様式はロマネスク風であり、外壁はモルタル塗りで仕上げた質素な意匠で、細かいところまで手の込んだ美しい建物であるとされる。この教会は保土ヶ谷「被昇天の聖母マリア」教会とも呼ばれる。駐車されている車の間を抜けてマリア像の傍まで行った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/1250秒 16mm ISO125 ) 露出補正 なし
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29.M邸 門扉
保土ヶ谷カトリック教会から再び桜ケ丘のバス通りに戻るのだが、その前に近くのM邸に寄った。昭和11年に建てられた木造2階建て洋館付き住宅である。立派な門扉があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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30.M邸 玄関上部
かって貿易関係業を営んでいた現当主の祖父により建てられた。写真は玄関の上部であるが、玄関の洋風扉は木が茂っていて見えない。一部が中2階建ての珍しいスキップフロアー構成になっているという。玄関の奥には洋風の応接間があるそうだ。右手に広がる和館部分は2間続きの座敷を配し、秀逸な書院造で創建時の形を良く留めていると言われる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
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31.IS邸
桜ケ丘まで戻りバス通りを西へ歩く。いよいよ最後のC.保土ヶ谷宿と洋館巡りコースである。ここからは上り坂はなさそうだ。しばらく行くとバス通りに面して右側に IS邸があった。昭和9年建築の木造2階建て洋館付き住宅である。洋館部分は切妻を正面に見せず横向きとした配置が珍しいという。内部は2畳の玄関前室の脇に、造りの良い二間続きの部屋を設けている。広縁の天井には戦時中の焼夷弾の跡が残っているという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
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32.K邸
IS邸の少し先にK邸があった。見かけより古く、昭和6年の建築だそうだ。木造平屋建ての洋館付き住宅である。子供の就学を機に南区の六ッ川より現地に移築された珍しい経歴を持つ建物と言われる。屋根は切妻と入母屋の複合型で、瓦成形スレート葺き。洋館の内部は6畳間で天井壁とも漆喰仕上げ、蛇腹付き天井廻り縁となっているようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
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33.S邸
岩崎中学校の手前を、バス通りから離れて左へ下りる。急な下り坂だ。岩崎小学校の手前にこのS邸があるのだが、少々探しづらかった。美しい門扉のある家だった。昭和9年の建築の木造2階建て洋館付き住宅である。現当主によって建てられたが、地盤改良のため松杭を約50本打ったという。門の上に見える洋館屋根は切妻でコロニアル葺きである。築80年経つが狂いもほとんどなく、大工や左官職人が腕を振るった傑作建築であるといわれる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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34.岩崎ガード
国道1号線から星川へ抜けるのに便利な岩崎ガードである。この日は徒歩で車道の脇に付けられている歩行者用の道をくぐって東海道(国道1号)に出た。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
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35.蠟梅
岩崎ガードを抜けて、車が行きかう国道1号線を保土ヶ谷に向かって歩く。「復元した一里塚と松並木・上方見つけモニュメント」と保土ヶ谷宿の旅籠として残る「旅籠本金子屋跡」というポイントがあるのだが、見つけられなかった。通り道に蠟梅の花が咲いていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 12mm ISO125 ) 露出補正 なし
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36.大仙寺
しばらく行くと左側に東海道線、横須賀線の線路を大仙寺へ渡る踏切があった。大仙寺は高野山真言宗の寺院である。かっては東海道(現国道1号)まで参道が続いていたが、明治19年に国鉄が参道を横切るかたちで開通し、現在は踏切が設置されている。本堂は寄棟造り、銅板葺きで切石の基壇に基礎石を据えている。内部の中央室と仏間は格天井となっているそうだ。山門は切妻屋根、瓦葺の四脚門。屋根裏中央の肘木組物や虹梁の絵は元禄の頃のものであると想定されている。寛文10年(1623年)2月に火災により本堂と山門を消失したが、元禄14年(1701年)に再建されているとのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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37.大仙寺 寺務所
昨年、高野山へ参拝した時にも見てきた高野山開創千二百年記念大法会イメージキャラクターの「こうやくん」が置かれていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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38.南無大師遍照金剛
真言宗で唱える一番短い「お経」である御宝号(ごほうごう)が彫られた高野山開創千二百年参拝記念の像が立っていた。平成27年4月2日から5月21日までの50日間執り行われた高野山開創千二百年記念大法会では、日本中から多くの僧侶たちが、空海への感謝の気持ちをもって集まったという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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39.大仙寺踏切
国道1号に戻ろうと大仙寺踏切を渡り切ったところで、上り列車が来た。 大仙寺踏切は保土ヶ谷区内でピーク時の遮断時間最長が52分になっているそうだ。、

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 32mm ISO125 ) 露出補正 なし
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40.脇本陣(大金子屋)跡
国道1号が右へ鎌倉方面へ行く環状1号と分岐するT字路の少し手前にこのような柱が立っていた。保土ヶ谷宿には本陣1軒、脇本陣3軒、それに1軒の茶屋本陣があり、大名、旗本、幕府の役人等がこれらの宿泊施設を使用していた。脇本陣は本陣だけでは収容できない場合に使用されるものであったが、後には諸侯の内でも万石以下、旗本等は脇本陣を利用していたようだ。一般の旅行者は旅籠屋を利用していた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
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41.保土ヶ谷本陣跡
信号を渡った国道1号の反対側に保土ヶ谷本陣跡があった。これはその説明の案内板である。wikipediaによれば、「保土ヶ谷本陣・苅部氏の祖先は後北条氏の家臣で、武蔵国・鉢形城の城代家老を務めていた苅部豊前守康則。 1590年(天正18年)北条家が豊臣秀吉に敗れた時に、康則の子・苅部出羽守吉里も戦死、吉里の子・吉重は先祖の菩提を弔うため信州の善光寺に止まるが、1601年(慶長6年)吉重の二男である初代苅部清兵衛が幕府の命で先祖の領地・保土ヶ谷に戻され、保土ヶ谷宿の本陣・名主・問屋の三役を拝命、1870年(明治3年)に本陣が廃止となるまでの約270年11代にわたり三役を務め、歴代当主が苅部清兵衛を名乗ってきた。」とある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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42.保土ヶ谷本陣 通用門 -1 現在は写真のとおり通用門だけが残っているが、当時は建坪が270坪もあり部屋数18、畳数140は東海道の本陣の中でも十指に入っていたといわれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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43.保土ヶ谷本陣 通用門 -2
脇から見た通用門跡。苅部家は、問屋・名主を兼ねるなど、保土ヶ谷宿 における最も有力な家で、安政6年(1859年)に横浜が開港する際、当時の当主清兵衛悦甫 が総年寄に任ぜられ、初期の横浜町政に尽くしたという。明治3年(1870年)に軽部姓に改称し、現在に至っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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44.脇本陣(藤屋)跡
同じ側を少し戸塚方面へ戻ったところに、保土ヶ谷宿に3軒あった脇本陣のひとつ、藤屋の跡がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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45.保土ヶ谷宿本陣跡 石碑
「(1601~1870)江戸時代に幕府が諸大名に参勤交代をさせるため、東海道五十三次の宿場ごとに本陣を置いたもの 横浜開港 東京遷都のころまでありました。1965 横浜市長 飛鳥田一雄 記」 と彫られている。保土ヶ谷宿を歩いてみたが、その史跡はほとんど残っていなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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46.金沢横町道標4基
国道1号線が鎌倉方面へ行く環状1号線と別れ左へ曲がるひとつ手前の信号を左へ旧東海道へと曲がる。ここは金沢や鎌倉への分岐点だった、角に道案内の石碑が4基並んでいる。その中に「程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花」と杉田梅林への道を示す俳句を詠んだ碑がある。石碑は右から円海山之道、かなざわ かまくら道、杉田道、富岡山芋大明神社の道を示している。何故ここを金沢横町というのかなと思っていたが、かなざわ道への分岐ということのようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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