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2023年4月 4日

旅行 高松→丸亀→鞆の浦→尾道 ③丸亀 宝月堂・丸亀城・アザレ

2日目、この日は丸亀で婿殿の家の法事がある。9時前にホテルを出発し、朝の商店街のアーケードを通り抜け、右手に高松城の石垣と琴電の駅に電車が入るところを見ながら高松駅まで歩く。
 高松から丸亀までは、予讃線の各駅停車に乗った。丸亀まで1時間弱である。10時半ごろ丸亀駅に着いた。落ち着いた良い町だと感じた。今回は婿殿の母の法事だったが、親しかった方が車で駅まで迎えにきてくださっていた。その方が経営されている「宝月堂」という老舗のお菓子司の店を訊ねた。
 法事は12時から市内のお寺で行われるが、その前に丸亀城を案内していただいた。丸亀城は丸亀市民の心の支えになっている。
 法事が終わって、「宝月堂」の社長さんに、坂出にある「アザレ」というフランス料理のレストランでご馳走になった。田舎の町(失礼)にこんなところがと思うほど洗練された店だった。料理も美味しかったし、古い和風建築で昭和レトロ風の波を打つ障子ガラスの向こうには庭が見える。香川県在住の画家でセツ・モードセミナー卒業後、イラストレーターとして雑誌広告の仕事に携わってこられ、 現在は青山のDEE'S HALLなどで定期的に個展を開催し、海外のギャラリーでも展示会を行われている山口一郎さんによる玄関のデザインなど、素晴らしかった。
 坂出から予讃線の「マリンライナー」で岡山へ、岡山からは在来線の山陽線で福山へ行く。高松ー岡山間を瀬戸大橋線というのは愛称だそうで、正しくは高松駅ー坂出駅ー宇多津駅間はJR四国の予讃線で、宇多津駅ー児島駅はJR四国の本四備讃線、児島駅から茶屋町駅間はJR西日本の本四備讃線、そして茶屋町駅ー岡山駅間がJR西日本の宇野線である。(マリンライナーは宇多津駅には入らないで坂出から児島へ出てしまう。)山陽線ではSuicaが使えた。
 この日は天気は良かったのだが、中国からの黄砂なのだろうか霞がかかったように濁っていた。花粉も飛んでいたようで目が痒くてて仕方なかった。
 今宵は鞆の浦どまりである。タクシーで鞆の浦のホテルへ向かった。

000_230312547 X700 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg
丸亀城の石垣 2023年3月12日 香川県丸亀市

041_230312091 X900 〇高松 百間町 G7X.jpg 41.高松アーケード商店街
翌朝、高松三越のすぐ近くにあるホテルを出て、アーケード商店街を通って、高松駅まで歩いた。後で知ったのだが高松アーケード商店街は総延長約2.7kmで日本一長いのだそうだ。アーケード商店街は全部で7つあり、それらはつながっている。写真は丸亀町商店街と片原町商店街、兵庫町商店街が交差する高松中央商店街というところ。ミラノのヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアを思い起こさせられた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
042_230312092 X900 〇高松 アーケード G7X.jpg 42.讃岐うどん -1
丸亀町商店街と片原町商店街、兵庫町商店街のアーケードが交差する高松中央商店街から兵庫町商店街を中央通りをへ抜ける。さすが讃岐うどんの県、商店街にもうどん屋さんが多い。この店は「さぬき麺業」で午前10時開店だそうだ。1926年(大正15年)香川県香川郡川岡村(現川部町)に「香川屋」として創業。1964年(昭和39年)2月、高松市周辺の当時の製麺業者30数店が出資して「さぬき麺業」が設立された。東京、大阪にも出店している。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
043_230312093 X900 高松 アーケード G7X.jpg 43.讃岐うどん -2
同じく兵庫町商店街の「はなまるうどん」の店だ。「はなまるうどん」は2000年に香川県高松市で創業した。全国各地、海外にも店舗があり、ホームページ検索すると、439店あった。はなまるの注文スタイルは、本場「讃岐」と同じセルフ形式。誰もが、どこかで見たことがあるという店だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
044_230312099 X900 〇高松城 琴電 G7X.jpg 44.高松城石垣と琴電
寿町というところに出た。右手に高松城の石垣(玉藻公園)と終点高松築港駅に入る琴電(高松琴平電気鉄道株式会社)が見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 37mm ISO250 ) 露出補正 なし
045_230312103 X900 〇高松駅 G7X.jpg 45.高松駅
岡山行の8時55分発のマリンライナー16号が出て行く。マリンライナーは丸亀には止まらない。むこうのホームに見えるのは、高松ー松山間の「特急いしずち」。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 20mm ISO250 ) 露出補正 なし
046_230312104 X900 〇高松駅 G7X.jpg 46.予讃線 各駅停車
私たちが乗車する9時26分発の予讃線の各駅停車の電車(7200系)。JR四国の電化区間は予讃線 高松~松山と土讃線 多度津~琴平間のみだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
047_230312106 X900 高松駅 G7X.jpg 47.2700系特急気動車
この列車は徳島へ行く「特急うずしお」だ。2019年8月にデビューした。最高速度は130km/hdで制御付自然振子方式を採用し、軽量・低重心化を図り、安らぎと先進性を併せ持たせた特急車両という。ここは関東では見慣れない車両が多い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO640 ) 露出補正 なし
048_230312109 X900 丸亀 宝月堂 G7X.jpg 48.丸亀 宝月堂
丸亀駅には10時20分に到着した。丸亀駅に宝月堂のT社長が迎えに来ていただいていた。車でまず、宝月堂のお店に伺う。宝月堂は2017年に創業100年を迎えた。老舗の御菓子司である。HPによれば、店舗として使用されている北側の白い漆喰がまぶしい建物は最も古く、明治31年の建築である。2017年に柱や梁など、骨組みを残したまま改築し、先代が住居として使用していた2階の部屋は全て繋げ、和菓子教室の会場として使用されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.0 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
049_230312112 X900 〇丸亀 宝月堂 有形文化財 G7X.jpg 49.風月堂の建物は登録有形文化財
店舗の左側の木造3階建ての建物は、大正7年に建築。昭和6年の増築により洋風建築と町屋風建築が融合する建物となっている。1階は製造工場として使用し、2階は地域の人たちとの交流の場として使えるよう、模索しているという。スパニッシュ瓦や、スクラッチタイルが目を引くこの建物は2017年に文化庁の登録有形文化財となった。写真では見えないが、さらにその隣の南側に位置する昭和6年建築の建物があり、黒漆喰が目を引く町屋風造り。二段構えのうだつが特徴である。当時の防火設備として造られたうだつは、丸亀城から丸亀港に抜ける街道だった歴史を感じさせてくれる。今でも、工場として使用しているその建物の安全を見守っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
050_230312125 X900 〇丸亀 宝月堂 G7X.jpg 50。東京オリンピック聖火ランナー
社長のTさんは、2020年東京オリンピックの聖火ランナーとして、雨の中、香川県の瀬戸大橋のたもとを丸亀城まで走られた。店内にそのトーチのレプリカが展示されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 16mm ISO3200 ) 露出補正 なし
051_230312131 X900 丸亀 宝月堂 蝶という名の和菓子 G7X.jpg 51."ちょう" という題の和菓子
宝月堂謹製の"ちょう"という名を付けられた生菓子をご馳走になった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
052_230312138 X900 丸亀 宝月堂 G7X.jpg 52.宝月堂のペット
宝月堂にはペットの猫が飼われていて、社長さん以下のお店の人達に可愛がられている。外で写真を撮っていたら近寄ってきてくれた。とても人懐こい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
053_230312542 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 53.丸亀城 大手二の門(高麗門)
法事の時間まで少し時間があったので、丸亀城へ案内していただいた。丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66m)を利用し、ほぼ四角形に亀山の廻りを堀(内堀)で囲む、渦郭式の平山城である。丸亀城は石垣で有名だが、その石垣は、緩やかであるが荒々しい野面積みと端整な算木積みの土台から、頂は垂直になるよう独特の反りを持たせる「扇の勾配」と呼ばれる。山麓から山頂まで4重に重ねられ、合わせると60mになり、総高としては日本一高く、三の丸石垣だけで一番高い部分は22mあるそうだ(wikipediaより)。丸亀城は生駒氏が慶長年間築城したが、一時廃城となり、山崎氏が寛永末年復興、万治元年京極氏が代り六万石の居城となった。大手一の門及び二の門は寛文10年の再建になり、一の門は櫓門、二の門は髙麗門で これに両脇塀が附属している。これら遺構は手法にも特徴があり。且つ大手口の堂々たる偉容を示し、枡形の保存上からも大事な建物である(文化遺産オンライン)。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
054_230312544 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 54.大手二の門と一の門の櫓
天守を背後にする丸亀城の正門で城の北側に位置するのが大手一の門。現存する門は1670年(寛文10年)に再建された櫓門で、国の重要文化財。藩士が太鼓を打ち、時を知らせていたことから太鼓門とも呼ばれている。内堀を渡るとまずは大手二の門(高麗門)で、枡形を経て大手一の門(櫓門)に続く。天守に遠い方が二の門となるので、登城にあたってはここが最初の門。1670年(寛文10年)に再建された高麗門で国の重要文化財である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f11.0 1/500秒 26mm ISO100 ) 露出補正 なし
055_230312552 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 55.大手一の門(櫓門)
入母屋造の本瓦葺きの大手一の門は、棟の両側に鬼瓦と鯱瓦(しゃちほこがわら)をのせている。鯱瓦は、火事の際に水を噴き出して火を消すという伝説があり、鬼瓦同様に門の守り神となっているのだそうだ。城を防御するための石落としなども仕掛けられている実戦的な門でもある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
056_230312555 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 56.鏡石
一の門と二の門の枡形の中には、切り込みハギと言われる石垣の構築技術の一つがみられる。石を削り精加工した石を用いるが、石の合わせ口を精巧に隙間なく積んでいる。整層積みしたものや乱積みとなるものもある。大手枡形は城の正面玄関であり、鏡石と呼ばれる2mを超える大きな石が用いられている。鏡石は大手枡形などの城の重要な箇所に魅せる石垣として用いられた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
057_230312555 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 57.「幸運のハート石」
枡形の石垣に男石と女石のふたつの鏡石があるが、その間にハート形に見える石がはめ込まれている。男石と女石の間にあるから縁結びにご利益があるということらしい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
058_230312558 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 58.大手一の門(櫓門)の門扉
門扉についての説明がないので、詳細は分からないが、重厚な門扉である。「お城の基礎講座 39.門扉(もんぴ)の構造」というサイトに丸亀城大手門の門扉の写真があり、そこには「門扉は肘壺(ひじつぼ)と呼ばれる金具を使って門に取り付けられている。肘壺は肘金(ひじがね)と壺金(つぼがね)の二つからなり、壺金は扉に、肘金は鏡柱に付けられる。肘金の突き出た先には乳金物(ちちがねもの)というまんじゅう型の金物で隠される。後略」と解説されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO800 ) 露出補正 なし
059_230312553 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 59.鉄砲狭間
丸亀城には、周囲を巡るように内堀が残り、その内堀の北側に架けられた石橋の先に大手門がある。丸亀城の大手門は、四方を囲まれた枡形に、出入り口となる虎口を二つ設けた「枡形虎口」と呼ばれる構造であるが、石橋を渡って、最初にくぐるのが大手二の門でその大手二の門の両側には、狭間が設けらtれた狭間塀があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8.0 1/500秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
060_230312568 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 60.丸亀城 天守
丸亀城の天守は1660年に完成した。築城400年余りを誇る丸亀のシンボル「丸亀城」は、全国に現存する「木造天守十二城」の一つである。「現存12天守」とは、江戸時代以前に建設された木造天守のこと。全国にたった12カ所しかない貴重な天守といわれる。頂部の本丸には江戸時代に建てられた御三階櫓が現存する。この建物は唐破風や千鳥破風を施して漆喰が塗られ高さは15mあり、現存天守の中で最も小規模である(wikipedia)。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 125mm ISO100 ) 露出補正 なし
061_230312597 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 61.丸亀城の石垣
先にも記したが、丸亀城は標高約66mの亀山という丘陵地に築城された平山城で「亀山城」という名前でも知られている。丸亀城の石垣は、石垣を築く技術が最高水準であった江戸時代前期に造られており、隙間なく積まれた石ときれいな曲線が魅力的である。石垣は美しい曲線を描いて立ち上がり、「扇の勾配」と称されている。場所ごとに石垣の積み方が異なっているため、細部の違いを楽しみながら見ることができる。迫力のある高さ60mの石垣に対し、現存12天守の中では最小で、高さ15mの天守が建設されており、ほかの城にはないような独特な雰囲気が味わえるという。天守へは10分、美しい石垣を見ながら登城することになる。2018年、台風や豪雨によって(写真の右側のほうで写っていないが)南西部の石垣が崩落した。石垣崩落による観光への影響はないが、現在も修復作業が行われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 77mm ISO100 ) 露出補正 なし
062_230312151 X900 坂出 Azalee G7X.jpg 62.アザレ(Azalée)
法事が終わって「宝月堂」の社長さんに、昼食をご馳走になったのだが、そこは素晴らしいフレンチ・レストランだった。丸亀から10分ほど車に乗って、坂出に向かった。着いたところは、「えっ、こんなところに」にと思うようなところだったが、これはその入り口で、最初に記した画家の山口一郎さんのデザインである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 22mm ISO400 ) 露出補正 なし
063_230312152 X900 坂出 Azalee G7X.jpg 63.アザレの室内
住宅地の中にポツンとある邸宅である。和を感じる庭を通って、玄関を入り部屋に通された。昭和初期の木造屋敷をリノベーションして見事に再生させた建物と聞いた。 通された広い部屋は見事な欄間が施された和室だが、床はホワイトマーブルの大理石を敷いたようなフロアだった。詳しく食レポはできないが、料理も、その雰囲気と調和し、味わいも絶品だったのは言うまでもない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO400 ) 露出補正 なし
064_230312155 X900 〇坂出 Azalee G7X.jpg 64.azareの庭
レトロを感じる波をうったガラスが嵌められた障子を通して見える庭も、また素晴らしかった、その季節になると、店の名にもなっている躑躅が見事だと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
065_230312158 X900 坂出 Azalee G7X.jpg 65.「蝶」
床の間に山口一郎さんの作品が掛けられていた。チョウの写真を撮るのが趣味である私を惹きつける。デフォルメはされているが、この渋い色で構成された翅の感じは本物のチョウを感じさせる。帰りがけにはシェフが挨拶をしに来てくれた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/125秒 14mm ISO3200 ) 露出補正 なし

2022年12月13日

金沢紀行 11月20日~22日 その5 金沢城公園① 11月21日

兼六園の桂坂口を出て、蓮池門通りを渡ると石川城への入り口である石川橋を渡る。石川橋の下はお堀通りが通っている。
 金沢城は江戸時代には加賀藩主前田氏の居城だった。
 1580年(天正8年)佐久間盛政により築城された。1592年築という天守の構造は不明。御三階櫓(望楼型3重4階 1603年築)も現存していない。廃城になったのは明治4年(1871年)だそうだ。
 石川門・三十間長屋・鶴丸倉庫は指定文化財で国の重要文化財である。城跡は金沢城跡として、国の史跡となっている。
 城址を含む一帯は金沢城公園として整備されている。金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川とに挟まれた小立野台地の先端に築かれた、戦国時代から江戸時代にかけての梯郭式の平山城である(かつて「尾山」と呼ばれたのもこの地形にちなむ。台地先端を山の尾とみなした)。櫓や門に見られる、白漆喰の壁にせん瓦(東洋建築に用いられた煉瓦)を施した海鼠(なまこ)壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓1重目や塀に付けられた唐破風(破風は屋根の妻側の端の部分のこと)や入母屋破風の出窓は、金沢城の建築の特徴である。
 ということで、訪れたところは金沢城ではなく、国指定史跡 金沢城公園というのが正しい。菱櫓・橋詰門・橋詰門続櫓・五十間長屋・鼠多門・玉泉院丸庭園 が再建造物として存在する。金沢城公園は28.5haあり、兼六園の11.4haの倍以上の広さだ。
 というわけで、古くて新しい観光名所なのだ。江戸時代には、加賀藩主前田家の居城であり、明治時代から戦争までは帝国陸軍が、戦後は金沢大学が所有していたことから、市民がお城に入れるようになったのは2001年のことだそうだ。
 記述については石川県HPの金沢城公園サイトや、wikipediaなどを参照させていただいている。

000_221121699 X700 金沢 金沢城 橋爪門続櫓 Z50 Z18-140.jpg
金沢城再建造物 五十間長屋と橋詰門続櫓 2022年11月21日 石川県 金沢城公園

108_221121663 X800 金沢 金沢城 石川橋 Z50 Z18-140.jpg 108.石川門
石川橋を渡り石川門へ向かう。石川門は宝暦9年(1759年)の大火によって全焼したが、11代藩主 治脩の代に再建され、その後修理等を重ねて現在の姿になった。現在の石川門は、天明8年(1788年)に再建され、重要文化財に指定されている。金沢城の搦手(裏口)門で、高麗門の一の門、櫓門の二の門、続櫓と2層2階建ての石川櫓で構成された枡形門になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 26mm ISO100 ) 露出補正 なしり
109_221121665 X800 金沢 金沢城 石川橋 お堀通り Z50 Z18-140.jpg 109.石川橋を渡る
兼六園の桂坂口からお堀通りの上に架かるこの石川橋を渡って石川門口へ入る。今朝、百万石通りの広坂の交差点から兼六園の真弓坂口に入ってきたが、真弓坂口に行かず、左の広い道を行くとお堀通りになる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 60mm ISO180 ) 露出補正 なし
110_221121667 X800 金沢 金沢城 石川門 Z50 Z18-140.jpg 110.石川櫓
石川橋を渡ると、石川門の一の門(高麗門)を入る。一の門を入るといわゆる枡形虎口になっていて、右に90度曲がったところにもうひとつの門、二の門(櫓門)がある。続櫓と2層2階建ての石川櫓で構成された枡形門になっている。石川門は白門とも呼ばれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
111_221121671 X800 金沢 金沢城 石川門 Z50 Z18-140.jpg 111.石川門の二の門(櫓門)
高麗門を入って右に直角に曲がって二の門(櫓門)がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
112_221121673 X800 金沢 金沢城 石川門 Z50 Z18-140.jpg 112.一の門(高麗門)の扉
重厚な鉄扉である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO450 ) 露出補正 なし
113_221121674 X800 金沢 金沢城 三の丸広場 Z50 Z18-140.jpg 113.三の丸広場 松ともみじ
石川門を抜けると目の前の松ともみじの向こうに三の丸広場が広がっていた。その向こうに五十間長屋が見え、左側に橋爪門続櫓、右側には菱櫓が見える。さらにその右に河北門が見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO180 ) 露出補正 なし
114_221121679 X800 〇金沢 金沢城 三の丸広場から五十間長屋 Z50 Z18-140.jpg 114.三の丸広場
芝生の三の丸広場が広がる。三ノ丸は石川門、河北門の内部の郭を指し、利家が入城した後、 重臣の居邸が建てられたが、その後、これらを城外へ移し、高知番所、 物頭番所が置かれた。正面に見える五十間長屋は平成13年7月に完成した、延べ床面積1894.23㎡の復元建物で、石川門や三十間長屋と同様、鉛瓦や海鼠塀が外観の特徴だそうだ。明治以降に建てられた木造城郭建築物としては全国再最大規模で、大径木の事前調達や土台石垣の解体、修築を含め、平成10年3月から実に3年4ヶ月をかけて造られた。五十間長屋の右側が菱櫓で、左側の櫓が橋爪門続櫓である。3層3階の菱櫓と橋爪門続櫓を2層2階の五十間長屋でつないでいる。五十間長屋は武器等の倉庫であった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
115_221121680 X800 〇金沢 金沢城 橋爪門続櫓 Z50 Z18-140.jpg 115.橋爪門続櫓
橋爪門続櫓は二の丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓であった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 69mm ISO100 ) 露出補正 なし
116_221121695 X800 〇金沢 金沢城 菱櫓 Z50 Z18-140.jpg 116.菱櫓
菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 31mm ISO110 ) 露出補正 なし
117_221121687 X800 〇金沢 金沢城 河北門前から五十間長屋 Z50 Z18-140.jpg 117.河北門の二の門
河北門は金沢城の実質的な正門であり、約130年ぶりに往時の姿で再建された。河北門は、金沢城の大手から入り、河北坂を上がったところに位置する三の丸の正面である。河北門は高麗門である一の門、櫓門であるニの門、枡形土堀及び続櫓の機能を持つニラミ櫓台(一の門の右脇に設置された二重櫓)により防御機能を持った構成となっている。写真は三の丸側から見た河北門のニの門である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
118_221121688 X800 〇金沢 金沢城 河北門前と湿生園 Z50 Z18-140.jpg 118.河北門の一の門と湿生園
河北門の一の門の外側と、湿生園を三の丸園地から眺められるよう展望台が造られていた。河北門の復元建物は、安永元年(1772年)に再建され、明治15年(1882年)ごろまで存続していた河北門の姿を多数の資料の調査と検証に基づいて再現された。この一の門の右側に見えるのがニラミ櫓である。外側に広がる湿生園は、江戸時代後期の古絵図や埋蔵文化財の発掘調査結果に基づき、護岸は往時の新丸南堀の外郭が再現されている。掘をイメージした親水空間には、ハナショウブやミズアオイ、ヒメスイレンなどの湿性植物が楽しめるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO125 ) 露出補正 なし
119_221121689 X800 〇金沢 金沢城 河北門 Z50 Z18-140.jpg 119.河北門の一の門
石川門(重要文化財)と橋爪門と共に金沢城三御門と呼ばれているが、金沢城の建物の大半が焼失した宝暦の大火(1759年)の後、三御門の中で最初に安永元年(1772年)に再建された重要な門である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO125 ) 露出補正 なし
120_221121702 X800 金沢 金沢城 橋爪門 Z50 Z18-140.jpg 120.橋爪門
三の丸広場の芝生のわきをまっすぐ西へ進み、橋爪門の一の門にでた。 橋爪門は、寛永8年(1631年)の大火後に整備された二の丸の正門である。高麗門形式の一の門、石垣と二重塀で囲われた「枡形」、櫓門形式の二の門からなる枡形門で、枡形は城内最大の規模を誇る。二の丸御殿へ至る最後の門として、通行に際しては三御門の内で最も厳しい制限がかけられ、また、二の門の床には二の丸御殿と同じ敷き方で戸室石が敷かれるなど格式の高い門だった。文化五年(1808年)の二の丸火災で焼失した後、文化六年(1809年)に再建された姿を復元している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.6 1/500秒 28mm ISO140 ) 露出補正 なし
121_221121703 X800 金沢 金沢城 橋爪門 Z50 Z18-140.jpg 121.橋爪門の二の門
橋詰橋を渡って、石垣と二重塀で囲われた枡形に入る。そして、その右側にこの櫓門形式の二の門がある。先は二の丸広場だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 30mm ISO220 ) 露出補正 なし
122_221121706 X800 金沢 金沢城 橋爪門敷石 Z50 Z18-140.jpg 122.橋爪門敷石
寛永8年(1631年)の大火を契機として、本丸にあった御殿は二の丸に移り、二の丸御殿が藩政の中心となった。二の丸の正面に当たる橋爪門は二の門床に御殿の玄関周りと同じく四半敷き(正方形の石を縁に対し45度になるよう斜めに敷いたもの)で戸室石が敷かれ格式の高い門であったことを示しているとの説明板があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO4500 ) 露出補正 なし
123_221121711 X800 〇金沢 金沢城 二の丸広場 Z50 Z18-140.jpg 123.二の丸御殿跡
橋詰門を抜けると、二の丸情報館があった。一休みしようと中に入る。復元整備中の二の丸広場を右(北)に見る。石川県のホームページによれば、現在、二の丸御殿の復元整備事業が行われている。二の丸御殿は江戸時代においても二度の火災による焼失・再建を経て姿を変えながら、幕末・維新期まで御殿としての役割を担い続けていた。廃藩後は軍隊の管轄に置かれ、兵舎として利用されたが、明治14 年(1881年)に失火により焼失し、威容は失われてしまったそうだ。石川県では、平成30年(2018年)より、専門の学識者による検討や各種調査等を行い、御殿の復元整備に向けた取り組みを進め、令和3年(2021年)3月に御殿の復元整備に向けた基本方針を策定した。令和3年度(2021年)からは、復元整備事業に着手し、基本方針に沿って調査や設計等の取り組みを進めている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
124_221121717 X800〇金沢 金沢城 極楽橋と三十間長屋Z50 Z18-140.jpg 124.極楽橋と三十間長屋
二の丸情報館を出て、さらに西へ進むと左手に極楽橋が架かり、三十間長屋が見えた。二の丸と本丸の拡張部である本丸附段の間の空堀に架かる極楽橋の名前は江戸時代から使われており、金沢御堂(金沢城の前身は加賀一向一揆の拠点、金沢御堂で、本丸跡付近にあった)に由来すると伝えられる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 36mm ISO100 ) 露出補正 なし
125_221121721 X800 〇金沢 金沢城 三十間長屋 Z50 Z18-140.jpg 125.三十間長屋 -1
極楽橋を通り過ぎたところから、北側から三十間長屋を見上げる。本丸附段にある2層2階の多聞櫓で、石川門と同様に重要文化財に指定されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 65mm ISO160 ) 露出補正 なし
126_221121725 X800 〇金沢 金沢城 三十間長屋 Z50 Z18-140.jpg 126.三十間長屋 -2
段を上がって東側から三十間長屋を見る。宝暦の大火(1759年)の後、長く再建されず、安政5年(1858年)に再建された。大火以前は食器などを収めていたが幕末の再建後は武器弾薬を納めたといわれている。現在の長さは26間半だそうだ。南面は入母屋造りだが、北面は土台の石組よりも外壁がさがっており、切妻造りである。金沢城にはこの他に全部で14の長屋があったと伝えられている。18mmでは全長を収められなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
127_221121730 X800 〇金沢 金沢城 三十間長屋 Z50 Z18-140.jpg 127.紅葉のグラデーション
紅葉するイロハモミジが枝先の方は紅くなり、もとの方は緑のまま残っていた。イロハモミジは、1本の木、1枝からも緑色に赤や黄色、オレンジなど、カラフルないろどりを楽しめる。三十間長屋を東へ、本丸園地の方へ歩いてみた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 なし

2022年4月17日

皇居東御苑から千鳥ヶ淵へ その1 皇居東御苑 3月30日

今年は千鳥ヶ淵の桜を見に行きたいと思っていて、天気予報を見ながらこの日に行こうと決めた。
 東京駅の丸の内側駅前広場は長い間工事がされていたが、2017年12月7日に約10年かけた丸の内口の一連の再整備が完了した。行幸通りからの眺めを是非撮りたいと思い、東京駅をスタートした。平日の午前10時、行幸通りを歩く人は少なかった。
 行幸通りを行き、和田倉門交差点をさらにまっすぐ進んで桔梗門から皇居東御苑に入ろうとしたが、桔梗門は工事関係者以外一般の人は入ることが出来なかった。仕方なく内堀通り迄戻り、北へ、大手門から入ることになった。
 同心番所、百人番所から、二の丸雑木林、二の丸庭園、諏訪の茶屋を見て、梅林坂から書陵部の脇を通って北桔橋門に出た。北の丸公園へ行くにはここを出なければいけなったのだが、天守台、大奥跡を左に見て、竹林、石室、富士見多門と歩き、富士見櫓へたどり着いた。千鳥ヶ淵とはずいぶん遠くなってしまったことになる。
 結果、入苑した大手門へ戻ってきていた。係のかたに千鳥ヶ淵へ行きたいのだがと尋ねてみたところ、「北桔橋門を出て内堀通りを左に行けばよかったですね」ということで、大手門から内堀通りを左へ延々と、ジョギング中のランナーを避けながら、再び北桔橋門の前を通って、千鳥ヶ淵へ向かうことになった。
 皇居から北の丸公園を歩き、千鳥ヶ淵へ行こうと考えていたが、皇居東御苑から北の丸公園へ直接入ることは出来ないのだ。
 皇居東御苑の記述にはプレスマンユニオンの「東京とりっぷ」などを参照させていただいた。

000_220330125 X700 桃華楽堂 Z50 18-140.jpg
桃華楽堂の前に並び咲くハナモモの木 2022年3月30日 皇居東御苑

001_220330004 X800 〇東京駅行幸通り Z50 18-140.jpg 1.東京駅丸の内駅前広場
3月30日(水)午前10時に東京駅丸の内北口から、駅前広場に出た。新丸ビル側に渡り、丸ビルとの間を和田倉門に向けて伸びる行幸通りに立ち、東京駅外観を正面から眺めた。この整備が終わった東京駅丸の内駅前広場と行幸通りは 駅前広場と道路空間からなる景観[東京駅丸の内駅前広場から行幸通りに繋がる景観] として 「2018年度グッドデザイン・ベスト100」を受賞している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
002_220330002 X800 東京駅行幸通り Z50 18-140.jpg 2.和田倉門交差点付近から東京駅の眺め
幅73m、延長190mの行幸通りはまっすぐ、日比谷通りの和田倉門交差点を過ぎて、さらに内堀通りまで延びる。正式名称は「東京都道404号皇居前東京停車場線」と言うそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
003_220330018 X800 和田倉門 Z50 18-140.jpg 3.和田倉門交差点(日比谷通り)
和田倉門交差点を渡って、内堀通りへと進む。東京駅を振り返る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 82mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
004_220330023 X800 桔梗門(旧桜田門) Z50 18-140.jpg 4.桔梗濠と桔梗門
行幸通りが終わる内堀通りを渡って、お濠(桔梗濠)を右手に見る。左奥に見えるのは富士見櫓。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
005_220330027 X800 桔梗門(旧桜田門) Z50 18-140.jpg 5.桔梗門
内堀通りから行幸通りを背に真っすぐ進むと、桔梗門が見えた。だが、一般の人はここからは皇居東御苑に入ることは出来ない。 桔梗門 は 「桜田門外の変」で井伊直弼が暗殺された外桜田門に対して、内桜田門とも呼ばれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 23mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
006_220330033 X800 大手門へ Z50 18-140.jpg 6.桜田巽櫓
「ここから一般の方はご入場できません。大手門へお廻りください」と言われ、いま来た内堀通りを戻って左へ向かった。桔梗濠の向かいにそびえる二重櫓が桜田巽櫓。ジョギングをする人が多い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 58mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_220330035 X800 大手門へ Z50 18-140.jpg 7.大手門 -1
すぐに大手門が見えてきた。内堀通りのサクラも満開だった。ぼやけて見えるのは桝形形式の大手門の高麗門だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 58mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220330043 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 8.大手門 -2
大手門は1607年(慶長12年)に完成した江戸城の玄関である。1620年(元和6年)の江戸城修復に際し、伊達正宗や酒井忠世らの力により現在のような高麗門と渡櫓型の櫓門で構成された桝形形式(橋を渡ってから道は鍵型に屈曲する)の城門となった江戸城の正門である。その警備は鉄砲30丁、弓10、長柄(槍)20という厳重なものだったという。現存する入り口側の高麗門は、1657年(明暦3年)の明暦の大火(振袖火事)後の1659年(万治2年)に再建されたものだそうだ。江戸時代の渡櫓門は、残念ながら昭和20年の戦災で焼失している。写真は1968年(昭和43年)に木造復元により再建された渡櫓門。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_220330045 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 9.鯱
枡形内に入ると、渡櫓の屋根を飾っていた鯱が展示されていた。刻印に「明暦三丁酉」とあり、1657年(明暦3年)の振袖火事で焼失した後、1659年(万治2年)に大手門が再建されたときのものと推定できるという。昭和20年の空襲で門は焼け落ちたそうだが、鯱だけが残っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO125 ) 露出補正 なし
010_220330051 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 10.同心番所
今回は大手門から皇居東御苑に入ったが、他に平川門、北桔橋門からも入れるそうだ。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまったが、富士見櫓、同心番所、百人番所が現存している。この同心番所は門の外から内に移設されてはいるが、往時の姿を今に伝えている。説明板には、番所とは警備詰所のことだが、江戸城にあった番所のうち、同心番所、百人番所と大番所の3っつが残っている。ここには同心と呼ばれる武士が詰め、登城者の監視に当たっていたとあった。同心は、江戸幕府の下級役人のひとつ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO125 ) 露出補正 なし
011_220330054 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 11.中之門石垣
皇居内の石垣は特別史跡「江戸城跡」に指定されていて、「本丸中之門石垣」修復工事は平成17年8月から、平成19年3月にかけて行われた。石垣には江戸城の中でも最大級の巨石が使用され、目地(隙間・継ぎ目)がほとんどない、各段の高さを水平に揃えて積んだ整層積(布積み=ぬのづみ)の美しい石垣としている。構造上は少し弱くなるが、本丸御殿への大名の登城ルートとして、見た目の美しさが優先されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
012_220330057 X800 大手門 百人番所 Z50 18-140.jpg 12.百人番所
百人番所は、数少ない江戸時代から残る江戸城の遺構で、検問するだけでなく、幕府直轄の精鋭部隊、鉄砲百人組が有事に備えて詰めていた。警備を担当したのが、徳川家と縁故のある甲賀組、伊賀組、根来(ねごろ)組、廿五騎(にじゅうごき)組。当然のことながら昼夜交代で詰めていた。与力20人、同心100人が詰めていたが、各組の同心100人が配備されたのがその名の由来となっているそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 21mm ISO100 ) 露出補正 なし
013_220330063 X800 大手門 百人番所 Z50 18-140.jpg 13.中之門跡の石垣
百人番所の右手に中之門跡があった。中之門は、本丸の玄関となる中雀門と一体となって一つの大きな虎口(曲折して出入りする狭い通路)を作り、百人番所や大番所とともに本丸護衛として重要な役割を果たしていた。門から離れたところでは石積みの方法が違っていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
014_220330081 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 14.二の丸雑木林から二の丸庭園へ
大番所跡を見落とすことになってしまったが、中之門跡からではなく、手前の百人番所の前から北へ入った。二の丸御殿跡にある二の丸雑木林。2代将軍・徳川秀忠が死去した後の1636年(寛永13年)には二の丸御殿が建てられ、東側に庭園が配置された。現存する庭園は往時の庭園を昭和43年に復元したものだそうだ。昭和天皇の発案で、武蔵野の雑木林をできるだけ自然に近い形で復元している。手前のサクラの花を明るく撮ろうと、内臓フラッシュを発光してみたが、効果はなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f14 1/200秒 32mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_220330086 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 15.二の丸庭園
9代将軍・徳川家重時代の庭絵図面をもとに復元した池泉回遊式庭園があり、全国から集められた各都道府県の木260本も植えられている。現在の二の丸池にはコウホネ、ヒメコウホネ、ヒツジグサ、赤坂御用地の池から移したアサザが生育している。小堀遠州の作といわれる庭園の池水は、古い絵図と比べてもほぼ二の丸池と同じ場所にあるそうだ。池に関しては大名庭園時代の池泉をそのまま活用したと推測できるという。菖蒲田には昭和41年に明治神宮神苑から株を譲り受けた84品種の花菖蒲が植栽されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 31mm ISO110 ) 露出補正 なし
016_220330095 X800 二の丸庭園 カイドウ Z50 18-140.jpg 16.諏訪の茶屋とカイドウの花
池を右手に北へ進むと、紅色の花が目についた。ツツジかなの思って近づいてみるとカイドウの花だった。諏訪の茶屋は、二の丸庭園にある風雅な茶室である。火災などで焼失後、11代将軍・徳川家斉の時に創建されている。かつては吹上御苑(西の丸西側、現在の御所などのある一帯)にあったが、昭和43年、皇居東御苑の整備の際に移築された。建物は、明治45年に再建されたが、その当時、その場所に諏訪社があったことから諏訪の茶屋という名前が付いている。茶室としての利用はできない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
017_220330101 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 17.諏訪の茶屋
諏訪の茶屋の西側に回り込むとその入り口の木戸があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 25mm ISO100 ) 露出補正 なし
018_220330104 X800 梅林坂 Z50 18-140.jpg 18.梅林坂の石垣
西側の道に出て天神濠を右手に、石垣のある梅林坂を上がる。梅の開花期である2月上旬頃には石垣と梅の花という絶景スポットになる。もともと、太田道灌が江戸平河城を築城した際に、領地である川越の三芳野神社から祭神である菅原道真の分霊を勧請して天満社を創建したのが始まりという歴史ある梅林だそうだ。その太田道灌が1478年(文明10年)に、菅原道真を祀った際に、梅の木100本をここに植えたのが梅林坂の始まりとか。梅林坂の下から本丸方面にかけて50本ほどの梅が植栽されているが、この梅は皇居東御苑開園に先駆けて、昭和42年に植えられたものという。50年を経て立派な梅に育っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 94mm ISO250 ) 露出補正 なし
019_220330111 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 19.北桔橋門(きたはねばしもん)の桜
皇居書陵部の前を通って北桔橋門へ向かう道の、平川濠沿いのサクラがきれいだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
020_220330117 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 20.北桔橋門 -1
江戸城本丸の大奥、天守部分から外部に直接通じる門が北桔橋門である。門の横の内濠(平川濠・三日月濠)は防御力を高めるためにほかよりも深く、石垣は最も堅固になっている。北桔梗門の内側からその石垣と濠を見た。石垣は江戸城の城壁の中でも最も高く高さは18.5mもある。地震などの揺れにも強い自然石を積み上げる野面積み(のづらづみ)になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
021_220330118 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 21.北桔橋門 -2
一旦、北桔橋門を出て、濠にかかる橋の上から北桔橋門を撮った。当時の北桔橋門は、通常は橋を跳ね上げた形で、使われることがなく、いざという時の脱出路の確保としての門となっていた。現在の門は冠木門(笠木を柱の上方に渡した屋根のない門)である。現在では大手門、平川門と同様に、宮内庁が管理する皇居東御苑(江戸城の本丸・二の丸・三の丸)の入城門となっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
022_220330124 X800 桃華楽堂 Z50 18-140.jpg 22.「桃華楽堂」とハナモモ
北桔梗門から本丸跡へ入っていくと「桃華楽堂」が見えた。「桃華楽堂」は昭和41年2月に音楽好きの香淳皇后(昭和天皇の皇后)の還暦記念として建設された200名収容の音楽ホールだ。鉄仙の花弁を形どったといわれる屋根と八面体の珍らしい建物。その西側に植えられたピンクや赤・白の花のハナモモがいま、あでやかに咲いている。名前の「桃華」の由来は、香淳皇后さまの御誕生日が3月で桃の節句に因んだ桃、華の字は十が六個と一で構成されていることから還暦(数え年61歳)を意味するということで命名されたといわれている。楽堂の建物も名前も、そして傍らに植えられたハナモモの木も、人々の目を引きつける優美な佇まいである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 59mm ISO100 ) 露出補正 なし
023_220330131 X800 天守台 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 23.天守台から見た北桔梗門
右手(西側)に天守台があったので上がってみる。江戸城本丸北隅にあった天守閣は、東西約41m、南北約45m、高さ11mの天守台に建てられていた。日本最高だったという高さ51mの天守を支えた江戸城天守台は黒田長政が築造を担当し、石垣は、南部、津軽の二候が築いたとされている。現在、皇居東御苑内に修復、保存され、天守台の上に登ることができる。天守台から北側に北桔梗門が見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 37mm ISO100 ) 露出補正 なし
024_220330136 X800 天守台 Z50 18-140.jpg 24.天守台
天守台は1606年(慶長11年)に完成し、翌年五層の天守(慶長天守閣)が大手門とともに完成している。家康時代の慶長天守台・天守閣は現在の天守台遺構の南側、富士見多聞のあたりに位置していたそうだ。1922年(元和8年)に2代将軍秀忠が本丸拡張工事を実施、さらに1637年(寛永14年)、3代将軍・徳川家光は天守台・御殿を修築し、翌年には「寛永度の天守」が完成た。現存する天守台は、その寛永期天下普請の遺構がベースになっているそうだ。1657年(明暦3年)に起こった「明暦の大火」(振り袖火事)の飛び火で本丸、二の丸、三の丸はほぼ全焼。その後、江戸城の天守は泰平の世でもあり、経済的な理由もあって再建されることはなかったのだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 なし
025_220330145 X800 天守台 Z50 18-140.jpg 25.ミツバツツジ
天守台の南側、竹林の手前にミツバツツジが咲き、その奥にシャクナゲが咲くところがあった。西桔梗門跡に近い、「手洗い所」がある辺りである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 48mm ISO110 ) 露出補正 なし
026_220330147 X800 大奥跡 Z50 18-140.jpg 26.本丸 大奥跡
富士見櫓に向かって進む。左側に本丸、大奥跡の芝生が広がる。徳川幕府の中枢となる政庁が江戸城本丸の御殿だが、表御殿・中奥から御鈴廊下でつながっていたのが大奥だった。残念ながら、往時を偲ぶものは何も残っていないそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 24mm ISO110 ) 露出補正 なし
027_220330167 X800 富士見櫓 Z50 18-140.jpg 27.富士見櫓
石室、富士見多門を見て、富士見櫓へ出た。富士見櫓は江戸城遺構として残る唯一の三重櫓。現存する三重櫓は、1657年(明暦3年)の明暦の大火(振袖火事)での焼失後、1659年(万治2年)の再建。どの角度から見ても同じような形に見えることから、「八方正面の櫓」の別名もある。天守焼失後の「代用天守」の櫓ともいわれている。富士見櫓の上からは、その名の通り富士山をはじめ、秩父連山や筑波山、江戸湾(品川沖など)、さらには将軍は両国の花火などを眺望したのだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 40mm ISO110 ) 露出補正 なし
028_220330172 X800 富士見櫓 Z50 18-140.jpg 28.ボケ
手入れされた絞りのボケの花がきれいに咲いていた。全く方向音痴になってしまっていて、この辺りから北の丸公園・千鳥ヶ淵へ出られるのではないかと思って歩いていたら、中之門跡に戻ってきてしまっていた。結局、一回りして入苑した大手門に戻り、これから入る人たちの手荷物検査をしていた係のかたにたずねたところ、「内堀通りを左回りに歩いて行ってください」ということになってしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 115mm ISO360 ) 露出補正 なし
029_220330185 X800 内堀通り 平川門 Z50 18-140.jpg 29.平川門
大手門を出て、内堀通りを左へ歩いて行くと、地下鉄の竹橋駅の近くで次の門である平川門に出た。太田道灌が江戸城を築いた15世紀には、江戸湾に面した現在の平川門周辺には、上平川村、下平川村という村があったのが平川門の名の由来という。太田道灌の時代から門が築かれていたと推測され、3代将軍・徳川家光の治世である1635年(寛永12年)、高麗門(外側の第一門)、渡櫓門(内側の第二門)を備える強固な枡形門のスタイルとなった。江戸城三の丸の正門で今も濠には木橋が架かっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 34mm ISO110 ) 露出補正 なし
030_220330193 X800 〇内堀通り 平川門 Z50 18-140.jpg 30.平川門の木橋
平川門は現在では大手門、北桔橋門と並んで、皇居東御苑(本丸・二の丸・三の丸)の入苑口のひとつになっている。木橋が往時のように残されるのは江戸城でもここだけだそうだ。現在の木橋(全長29.7m、幅7.82m)は台湾産のヒノキ材を使って昭和63年に再建されたもの。橋台は石造り、脚桁には鉄骨が使われているが、親柱の擬宝珠(ぎぼし)には、寛永や慶長などの銘が彫られており、往時のものが使われていることがわかるそうだ。長くなってしまった。ここら先は次回に回す。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし


2021年6月20日

再び八王子城跡へ 6月7日

まだ、午後1時少し前である。かわり映えはしないが、八王子城跡へ行くことにした。八王子城跡の駐車場で、持参した昼食をとり、滞在は小1時間と決めて歩き始めた。
 5月26日に来た時と比べると確実に季節が進んでいる。駐車場から上がったところの草地には、モンキチョウが活発に飛び、ツバメシジミが地表近くの草に絡むように飛んでいた。
 この日も野鳥愛好家の人たちが多い。  前回来た時も、最後にスイカズラにやってきたモンキアゲハを撮って帰ったが、今回も駐車場へ引き上げる途中で、まだ咲いていたツツジの花にモンキアゲハが吸蜜に来ていた。しかも、傷のないとてもきれいな個体だった。久しぶりにモンキアゲハの気に入った写真が撮れたのは嬉しい。その前に舞岡公園へ行ったときも帰り際に駐車場のツツジにモンキチョウが来ていたこともあり、どうやらこのチョウが花に来るのは午後にのようだ。

18.モンキチョウ♂ -1
駐車場から一段高いところにある草地の広場には、モンキチョウが活発に飛んではヒメジョオンの花に止まって吸蜜をしている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO125 ) 露出補正 なし
018_210607141 X800 〇八王子城跡 RX10M4.jpg
19.モンキチョウ♂ -2
2週間ほど前に来たときはモンキチョウの姿はなかったのに。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 38mm ISO200 ) 露出補正 なし
019_210607147 X800 ◎八王子城跡 RX10M4.jpg
20.スジグロシロチョウ
既に夏型が発生しているようだ。初々しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
020_210607152 X800 ◎八王子城跡 ヒメジョオン RX10M4.jpg
21.モンキチョウ♂ -3
飛んでいるのはほとんどが♂である。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
021_210607166 X800 ◎八王子城跡 RX10M4.jpg
22.愛鳥家
八王子城跡は野鳥を撮るカメラマンが大勢来ている。舞岡公園はこの時期になると、愛鳥家カメラマンは少なくなるが、ここはそうではない。八王子城跡は サンコウチョウ、キビタキ、オオルリなどが観察できる野鳥スポットとして人気があり、とくにサンコウチョウは今がトップシーズンのようで、私は見たことはないが、尾羽がとても長く、青いアイリングが鮮やかな♂が皆さんの狙いのようだ。

  SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/320秒 28mm ISO3200 ) 露出補正 なし
022_210607179 X800 八王子城跡 RX10M4.jpg
23.ウラギンシジミ♂
ウラギンシジミ夏型が発生していた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 196mm ISO125 ) 露出補正 なし
023_210607184 X800 ◎八王子城跡 RX10M4.jpg
24. 冠木門
wikipediaによると、八王子城 は1587年(天正15年)に築城され、1590年(天正18年)に廃城になっている。八王子城は北条氏の本城である小田原城の支城であり、北条氏康の三男・氏照が1571年(元亀2年)頃より築城し、1587年(天正15年)頃に本拠とした。八王子城は天下統一を進める豊臣秀吉の小田原征伐の一環として1590年7月24日(天正18年6月23日)、秀吉の軍勢に加わった上杉景勝、前田利家、真田昌幸らの部隊1万5千人に攻められた。八王子城攻防戦を含む小田原征伐において北条氏は敗北し、城主の北条氏照は兄、氏政とともに切腹した。のちに新領主となった徳川家康によって八王子城は廃城となった。城主北条氏照の居館があった御主殿門の復元工事は2012年(平成24年)度に完了した。この冠木門は八王子城御主殿への門だった。冠木門から八王子城の御主殿跡を眺める。この日は人が少なかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし  
024_210607191 X800 八王子城跡 RX10M4.jpg
25.曳橋
帰りに曳橋を渡り振り返って撮る。向こうに見えるのが 虎口 であり、その石段を上がって左に曲がると冠木門がある。左の高台になっているところが御主殿跡だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
025_210607193 X800 八王子城跡 RX10M4.jpg
26.モンキアゲハ♂ -1
管理事務所のところまで戻ってくると、まだ咲いていたツツジの花にモンキアゲハが来ていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 175mm ISO1250 ) 露出補正 なし
026_210607198 X800 ◎八王子城跡 RX10M4.jpg
27.モンキアゲハ♂ -2
全く傷のない美しい個体だ。いったん花から飛び立つが、また次の花へと移動する。「頼む、もう少し撮らせてくれ!」

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 178mm ISO100 ) 露出補正 なし  
027_210607205 X800 ◎八王子城跡 RX10M4.jpg
28.モンキアゲハ♂ -3
連写で撮っていたが、花から飛び立った瞬間を捉えていた。ピントもしっかりしている。モデルも良い。今まで撮ってきたモンキアゲハの写真のなかで最も気に入った写真になった。午後2時、満足して帰路についた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 178mm ISO100 ) 露出補正 なし
028_210607207 X800 ◎八王子城跡 RX10M4.jpg


 

2017年5月24日

裏高尾と八王子城跡 散策 5月8日

長かったゴールデン・ウィークから抜けた5月8日は快晴だった。連休が明けたらと計画していた裏高尾へ行く。朝はゆっくり8時ごろ出発した。圏央道を使うと、1時間少々で日影沢林道入口に到着することができる。特に駐車場はないが、林道の広くなったところに路駐だ。
  歩き始めると汗が出るほどの暑さだが、新緑の林道を歩くのはさわやかだ。林道は小仏城山へと続くが、年配の方々がトレッキングをされている。歩くのが目的の方、探鳥が目的の方、道端に咲く花々を観察して歩かれる人などと会ったが、チョウの写真を撮りに来ている人は見かけなかった。
  私のこの日の目的はアオバセセリだ。沢沿いに咲くミツバウツギの花に来ていないか、目を凝らして探すが、姿はない。ミツバウツギはまだ三分咲きというところか。アオバセセリもまだ発生していないのかもしれない。路傍の可憐な花を撮りながら、城山への途中まで行って戻ってきた。
 昼前になって、持参したサンドウィチを車の中で食べたあと、中央線のガードをくぐって、木下沢へ行ってみた。ここは、網を持った採集者が多く、5~6人の人たちと出会った。ここもウスバシロチョウが飛んでいたくらいだったが、そのウスバシロチョウも採集者のネットに納まってしまった。
 最後に八王子城跡に寄った。ここの方が蝶が多かった。いずれも撮影できなかったが、ウスバシロチョウが飛び、クモガタヒョウモンも元気に舞っていた。咲き始めたミツバウツギの花に来た生まれたてのクロアゲハの♀が、とてもきれいだった。
  午後3時半、帰路に着いたが、帰りは町田街道から16号線に出る一般道を走った。幸い渋滞はなく1時間半で自宅に着いた。

1.タツナミソウ 立浪草 -1
オカタツナミソウかもしれない。シソ科のタツナミソウ属には種類が多い。和名は"波立つような"ということから由来しているそうだ・・・なるほど。素晴らしいイマジネーションと思う。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影(​ ​f3.3 1/125秒 4mm ISO900​ )露出補正 -0.3段
クリックすると大きくなります。
2.タツナミソウ 立浪草 -2
SIGMA 18-300 を付けたD5300 で撮る。花の咲き方と模様が泡立つ波を連想させる。花言葉は「わたくしの命を捧げます」だそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影(​ ​f​6​​​​​​​​ 1/​250​秒 165mm ISO3​2​​00​​​​ ​)露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
3.クサイチゴ 草苺 -1
クサイチゴの純白の花が咲いていた。イチゴと付くと食べられるかなと思ってしまうが、はたして食べられるのか否か?毒ではないが、食べた方の話によると美味ではないようだ。全草や果実を乾燥させたものは漢方の生薬として利用されるという。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影(​ ​f5.6​​​​​​​​ 1/​250​秒 52mm ISO10​​00​​​​ ​)露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
4.クサイチゴ 草苺 -2​​
P610でも撮っておいた。こういうところに生えているという環境が判る。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels​​
プログラムオートで撮影 (​ ​f3.3 1/125秒 4mm ISO220​ ) ​ 露出補正 -0.3段
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5.八重桜​​
小仏城山に向け登って行って、そろそろ引き返そうかと思っていたころ、こんな花が咲いていた。遠くから見るとエゴノキかなと思ったが、近くへ行ってみると八重の桜だった。wikipediaによると、ヤエザクラとは八重になる桜の総称という。ヤマザクラやサトザクラから変化したものと言われている。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影(​ ​f6.3​​​​​​​​ 1/​250​秒 300mm ISO280 ​)露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
6.日影沢林道
八重桜のところで引き返す。日影沢林道を下っていく。左側は沢が近くなってくる。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影(​ ​f3.8 1/200秒 6mm ISO100​ ) 露出補正 -0.3段
クリックすると大きくなります。
7.ムラサキケマン 紫華鬘
こんなきれいなムラサキケマンは初めて見た。wikipediaによれば、全草にプロトピンを含み有毒で、誤食すれば嘔吐・呼吸麻痺・心臓麻痺などを引き起こすという。 ウスバシロチョウの幼虫の食草であり、このためウスバシロチョウも有毒となる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影 (​ ​f6.3​​​​​​​​ 1/​800​秒 280mm ISO200 ​)露出補正​ ​なし
クリックすると大きくなります。
8.シャガ 射干、著莪、胡蝶花
シャガは中国原産で、かなり古くに日本に入ってきた帰化植物だそうだ。色鮮やかな花だが、あまり好きではない。チョウもめったに寄ってこない。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影(​ ​f3.3 1/125秒 4mm ISO360 )露出補正 -0.3段
クリックすると大きくなります。
9.ミツバウツギ 三葉空木
写真のように葉が3枚、複葉で出てくるのでこの名がある。花は完全には開かない。しかし、チョウたちが好きな花だ。開花のころ、アオバセセリ、オナガアゲハ、カラスアゲハ、ミヤマカラスアゲハ、クロアゲハ、サカハチチョウ、コミスジ、キタキチョウ、などが吸蜜している。茎はウツギと同様に中空となる。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影(​ ​f5.2 1/320秒 30mm ISO100 )露出補正 -0.3段
クリックすると大きくなります。
10.ヤブデマリ 藪手毬
長池公園で見たヤブデマリのようだ。、カンボクかとも思ったが、葉の形がヤブデマリのようである。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影(​ ​f5.5 1/125秒 45mm ISO560 )露出補正 -0.3段
クリックすると大きくなります。
11.コハコベ 小繁縷
小さな可憐な花が咲いていた。 wikipediaによれば、日本では春の七草の一つとして古くから親しまれており、葉野菜として食用にされる。また家畜として飼われているニワトリの餌となることもある。ただし畑地では、他の穀物の成長を妨げる雑草として扱われ、オオムギの生産量を最大80%減少させることもあるとされる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影 (​ ​f6.3​​​​​​​​ 1/​500​秒 280mm ISO200 ​)露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
12.セリバヒエンソウ 芹葉飛燕草 
小石川植物園や武蔵嵐山でもツマキチョウが吸蜜に来ていた花だ。中国から明治時代に観賞用に渡来したとされる外来種だそうだ。強い毒性があるという。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影 (​ ​f6.3​​​​​​​​ 1/​450​秒 300mm ISO200 ​)露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
13.ホオジロ​​
八王子城跡に初めて見る野鳥がいた。その場では何という鳥かわからなかった。10m以上向こうで、地面にいる虫を啄んでいるのだろう。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels​​
プログラムオートで撮影(​ ​f5.6 1/125秒 197mm ISO200 )露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
14.八王子城跡​​
想定復元された冠木門。八王子城跡の虎口への石段を上がるとこの門がある。石垣は落城したあと土に埋もれていたという。通路の幅の広さから立派な城であったことが偲ばれる。この門の向こうが御主殿である。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5 4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels​​
プログラムオートで撮影(​ ​f3.3 1/1250秒 4mm ISO100 )露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。


2016年5月 5日

小諸城址懐古園と真田の上田城跡 (2) 上田城跡公園 4月9日

NIHK大河ドラマ「真田丸」が面白い。日曜日にはこれを見るのを楽しみにしている。ちょうど先週だったか、徳川の軍勢が上田城に攻め込んでくるところが放映されていた。これからその上田城跡へ行く。
上田城は1583年(天正11年)上杉に対する徳川の最前線基地として、徳川家康の命で築城された。上田城は、千曲川の分流である尼が淵に面して建てられ、高い防御力を誇り、德川の大軍を二度も退けた。第一次上田合戦ではわずか2千人足らずで、徳川軍7千人を退けた。続く第二次上田合戦でも、徳川軍3万8千に対し、2千5百人ほどの軍で上田城を守り抜いたという。
  上田城跡の駐車場に着いたのは午後2時だった。桜は満開、加えて今日は土曜日で、青空が広がる暖かい日とあって凄い人出だ。駐車場わきのイベント会場からは、賑やかな楽曲が聞こえてくる。

ここで、懐古園と同じように、2人のガイドさんが紹介された。一行は2組に分けられ、我々は小林さんというガイドさんにご案内いただくことになった。あとで、今回のバスツアーのツアコンさんに聞いたところ、TV番組にも出演した人気のガイドさんだそうだ。
 上田城の南側に位置する尼が淵を廻って遊歩道になっている堀跡を歩く。二の丸橋に上がり、東虎口櫓門から本丸跡へ入った。本丸を囲むようにめぐらされた堀はソメイヨシノが満開だった。
 鬼門の北東の位置にある本丸土塁の隅おとしまで約1時間、ガイドさんが説明してくれて、そこで解散となった。東虎口櫓門を出ると、右手の広場に「信州上田真田丸大河ドラマ館」が設けられ、多くの人で賑わっていたが、そこには寄らず、イベント会場で生ビールを一杯飲んで、駐車場に戻り、4時少し前に新宿に向け帰路に着いた。途中は渋滞もなく、順調だった。
  Wikipediaによると、真田昌幸(大河ドラマ「真田丸」では草刈正夫が演ずる)が属した西軍が関ヶ原の戦いで敗れ、昌幸が九度山に配流となると、1601年に上田城は徳川軍に破却され、堀も埋められた。父・昌幸と弟・信繁(幸村)と袂を分かち、東軍についた昌幸の長男の信之(​同じく大泉洋)​​​は昌幸の旧領(上田領)を引き継ぎ、三の丸跡地に居館(陣屋)を構えた。真田信之は徳川氏の幕府に対し、元和7年(1621年)に城の再整備・拡張を申請するが却下され、元和8年(1622年)9月には信濃国松代へ転封された。
 そして上田城には小諸藩より仙石氏が移封された。仙石忠政は破却されたままの上田城の再建を申請し、寛永3年(1626年)から現在の上田城が普請されることとなった。真田氏時代の縄張りをも利用していると推測されているが、徹底破却ののちに近世城郭として新たに築城された。本丸には櫓7棟、櫓門2棟、それらを繋ぐ塀が普請された。現在ある本丸の3棟の櫓(南櫓、北櫓、西櫓)など建物の外壁は煤と柿渋で防水した板を用いた下見板張の黒い外観である。二の丸にも櫓や櫓門を再建するため、櫓台なども構築されたが、寛永5年(1628年)4月20日仙石忠政の死により工事は中断され、これ以上の増築は行われないまま、仙石氏の転封および松平氏(藤井松平家)に藩主家が交代し、幕末を迎えたとなっている。
 1600年の関ヶ原の戦いで敗れた信繁=幸村(同じく堺雅人)は父・昌幸とともに幽閉の身となった。父・昌幸は慶長16年(1611年)6月4日、九度山で病死した。享年65歳あるいは67歳とも言われる。
​  真田丸とは、​1614年、徳川家康が大阪城を攻めた「大坂冬の陣」の際、真田信繁=​​​​幸村が大阪城の平野口に築いた出城の名称だった​​​​。​​​しかし数度に渡る突撃戦により部隊は消耗し、兵力で勝る徳川勢に追い詰められ、ついに四天王寺近くの安居神社(大阪市天王寺区)の境内で、傷つき疲れた身体を休ませていたところを松平忠直隊鉄砲組頭の西尾宗次に発見され、「わしの首を手柄にされよ」と最後の言葉を残して討ち取られたと伝えられる。享年49歳だったそうだ。
 逸話として、家康は大坂方の諸将の中で最も活躍した信繁に脅威を覚え、大坂冬の陣の後には信繁の兄・真田信之に命じて信濃一国40万石で彼を調略しようとしているが、この破格の条件に興味を微塵も見せず豊臣家への忠誠を最期まで貫き通したとされている。

30.尼が淵から見る東虎口南櫓
駐車場の前のイベント会場になっている芝生広場の向こうは、城の南側にあたり、当時は千曲川分流が流れ、穏やかで深みのある流れが天然の堀となっていたという。そこは尼が淵と称したことから上田城は尼が淵城と呼ばれていたという説がある。見えているのは、東虎口の南櫓だ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f10 1/400秒 31mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
31.イベント広場の模擬店
模擬店が並び、みんな楽しそうだ。尼が淵の向こう側の左奥に見えるのは西櫓。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f11 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
32.堀跡の散策路
堀跡の散策路を歩く。観光客が多く、ガイドさんから左側通行を言われる。向こうに見えるのは、今はコンクリート造りの二の丸橋跡だ。ここはなかなか風情のある道である。かってはこの堀跡を「真田そひえ線」という鉄道が走っていたそうだ。昭和47年に廃止となり、その後ケヤキ並木が完成したという。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/640秒 56mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
33.堀跡の散策路 二の丸橋跡の向こう側
ガイドさんに引率されて、二の丸橋の先を右へ上って、ちょっと戻って二の丸橋を渡って、二の丸跡へ入ったが、その前に二の丸橋跡の先に続く散策路を眺めると、そこには観光客の姿はなく、落ち着いた風景が見られた。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f8 1/250秒 34mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.二の丸橋
二の丸橋の上に上がった。この橋の下は堀跡だが、その土手に咲く桜も満開だ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/250秒 32mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
35.二の丸橋の上から堀跡の散策路を見下ろす
観光客はこの先の階段を右に登って、少し戻って、今、私たちがいる二の丸橋を渡る。この二の丸橋が上田城跡公園のいわば正面入り口になる。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f9 1/320秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
36.観光ガイドさん
二の丸跡へ入ったところにある「上田城跡公園案合図」の前で、私たちのグループを案内してくれている観光ガイドさんの説明があった。とても解りやすく、質問にも丁寧に応じてくれる。お名前は小林みつ子さんという。上田城紹介のTV番組でも案内役をされたそうだ。人気ガイドさんとのことで、敢えてお名前を記させていただく。天正11年(1583年)真田昌幸により築城された上田城は大河ドラマ「真田丸」の舞台である。現在は公園として整備され約1000本の桜が咲き誇り、夜にはライトアップされた桜が楽しめるそうだ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f10 1/400秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
37.シダレグワ
マグワの園芸品種で枝垂れの独特な樹形を楽しむという。山桑(ヤマグワ)の一種で、養蚕用として蚕の餌になるそうだ。桑の実(マルベリー)は黒っぽい紫あるいは赤で、木イチゴを細長くしたような形。甘酸っぱくて、美味という。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f10 1/400秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
38.北櫓
堀の桜の向こうに北櫓が見える。 ​​

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f9 1/320秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
39.ソメイヨシノとシジュウカラ
堀のソメイヨシノの花にシジュウカラが来た。精いっぱい200mmに伸ばして撮る。少しトリミングした。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1000秒 200mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
40.南櫓
北櫓の向こう側に東虎口櫓門があり、その向こうにソメイヨシノの間から南櫓がが見える。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f10 1/400秒 31mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
41.まじかに見る北櫓
東虎口櫓門に近づき、北櫓を見上げる。南櫓と北櫓は昭和24年に移築復元された。南櫓と北櫓をつなぐ櫓門が復元されたのは平成6年だそうだ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f9 1/320秒 29mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
42.東虎口櫓門
南櫓と北櫓は昭和24年に移築されたというが、いったいどこから移築されてて来たのだろうか。1874年(明治7年) 廃藩置県により廃城となった上田城の土地、建物が民間へ払い下げられ、本丸に7棟あった櫓は、一つ(現・西櫓)を残して解体、売却された。このうち2棟は上田市常磐城(新地)にあった遊郭に6円で払い下げられ、一つの建物に連結されて金秋楼と万豊楼として使用されていたという。櫓門は平成9年に復元新築されたものだ。櫓門は発掘調査で柱の基礎の位置を調べ、古い写真に写っている解体前の姿から建物の寸法などを割り出し、復元することができたという。その解体前の櫓門の古写真が撮影されたのは明治10年(1878)頃で、櫓門が解体されたのは明治12年頃ではないかと考えられているそうだ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f1​0​​​ 1/4​00​​​秒 29mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
43.東虎口櫓門と枝垂​​​​​​桜
櫓門の前にはシダレザクラ​​が咲いていた。右手が南櫓だ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f7.1​​​ 1/800​​​秒 65mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
44.真田石
南櫓の石垣に埋め込まれた真田石。​​天正11年(1583)、真田昌幸が上田城を築くとき、本丸の入口右手の石垣に高さ 約​2​​​​​​​.5m​​​、横​3​​m​​​ほどの大きな石を柱石として据えた。城内で最も大きな石である。元和8年(1622)、真田信之が松代へ移る時この石を父の形見に持って行こうと したが、数万人の人夫の力でも動かなかったという。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f3.5​​​ 1/250​​​秒 18mm ISO280 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
45.真田神社
東虎口櫓門を抜けて本丸跡に入ると、楼門の正面に真田神社があった。真田氏ほか歴代上田城主を祀る。長野県神社庁のHPによれば、神社の創立は明治21年10月15日だそうだ。真田氏は旧真田村より出て領主となるや善政を敷き、領民を大切にした。その徳を敬い慕い、その神霊を慰めようと有志が集まり真田神社の建設を図るべく、明治18年3月30日出願、翌19年に許可を得て県下はもとより真田氏に縁故の深い大阪などからも建設資金を仰ぎ工事を進めた。ところが建築中の明治20年4月の大火で類焼してしまったという。その後、明治21年10月15日本殿祝詞殿を再建、28年には拝殿が再建され社頭は荘厳をきわめた。しかし、その後は荒れるにまかせたまま放置されていたことをを嘆き大正8年に現在の場所に遷座されたそうだ。「落ちない」城として受験生に人気があるという。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f3.5​​​ 1/250​​​秒 18mm ISO280 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
46.本丸側から見た櫓門
振り返って櫓門を見る。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f10 1/400​​​秒 22mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
47.真田神社参拝者の列
今回は列には並ばず、脇から拝して失礼してしまった。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/250秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
48.真田井戸
本丸唯一の井戸。直径2m、深さ16.5mに達する。この井戸には抜け穴があり、城北の太郎山の砦や上田藩主居館に通じていたという伝説があるそうだ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/250秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
49.本丸西櫓から美ヶ原を望む
本丸跡の南西の角に西櫓がある。西櫓から北陸新幹線の線路と上田の街並みの向こうに美ヶ原が見えた。標高2034mの王ヶ頭の電波塔が見える。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/2000秒 200mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
50.ムクロジ
果皮は石鹸の代用として使われたことで知られる。また、果実の中の黒い種子が羽根つきの羽根の頭に使われるとガイドさんが説明してくれた。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1600秒 200mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
51.本丸土塁の隅おとし
ガイドさんは本丸土塁にみられる隅おとしまで案内してくれた。ここにも隅櫓の跡があり、その敷石が残っている。この写真では花の形状はわからないが、見たことにない白い花が咲いていた。ガイドさんに「なんという花ですか」と質問をしたら、ズミだと教えてくれた。リンゴに近縁な野生種だという。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f10 1/400秒 42mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
52.本丸跡東側から東虎口を眺める
ガイドさんに駐車場へ戻る道を教えていただき、解散となった。そのまま桜がきれいに咲く堀に沿って東虎口櫓門に向かう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/1250秒 20mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
53.堀の前の賑わい
二の丸跡の堀の前にも模擬店が沢山出ていて賑やかだ。「きんぎょすくい」なんていうのもある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
54.「真田そひえ線」の停車場跡
ガイドさんに教えていただいた通り、二の丸跡から右手に「信州上田真田丸大河ドラマ館」を見て、二の丸橋を渡って、下に降り、散策路に戻って、その二の丸橋の下を尼が淵の方へ歩く。この写真で右側に見える高くなったところは「真田そひえ線」のプラットフォームだったところ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f8 1/250秒 20mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
55.尼が淵の土塁
ここは尼が淵の東端で、崖がむき出しになっている。ここは崩れたことはないそうだ。尼が淵の崖に見られる地層は三つだそうだ。一番上が火山が崩壊した土砂などが堆積した上田泥流層、二番目に火砕流に由来する粉塵が堆積、その下は川の作用で砂礫が堆積した染屋層となっているそうだ。二番目の層は一番やわらかくてもろいため大水のたびに、この層を中心に崖が崩れて櫓に被害が及ぶ心配があったそうだ。後の上田藩主・松平忠愛は享保18年(1733)から石垣を築き、崖を浸食から守ったとされる。尼ヶ淵側の石垣のほとんどは江戸時代中期の1732年(享保17年)に起きた「享保の洪水」後に築かれたもので、真田時代のものではないそうだ。おそらく真田時代はほぼすべてが段丘崖のままだったのだろうといわれている。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f6 1/320秒 42mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
56.イベント広場は観光物産展の会場
着いたとき歩き始めたところへ戻ってきた。集合時間まで15分ほどある。少し喉が渇いた。生ビールとソーセージを買い求め、イベント会場のベンチに座ってのどを潤す。旨かった。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/800秒 95mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


2014年11月24日

秋の深大寺を歩く(2) 11月13日


 まだ、11時だが、参道を散歩されていた地元のご婦人に、ゆっくり食べるならここが良いと、教えていただいた「深山茶屋」を探して入った。本堂から少し離れた坂を上ったところにあるので、人は少ない。ざるそばを注文したが、なかなか旨かった。ビールも飲みたかったが、今日は車なのでやめておく。

  「深山茶屋」で食べた後、再び参道へと戻り、深大寺通りへ出て、右の方へ歩く。水車館があり、さらに進むと左右にそば屋が並んでいた。引き返して、高橋駐車場まで戻り、深大寺城跡へ行ってみた。参道の賑わいが嘘のように人は少ない。
  散歩していたご婦人に薦められていたもう1軒のそば屋、「多聞」へ行く。名前を書いて順番を待つほど、繁盛していた。ここで2回目のそばを食べて、再び本堂に戻り、もう一度お参りをして、帰路に着いた。この日、新しい車はリッター20kmで走ってくれた。

 深大寺にいったい何軒のそば屋があるのだろうか。深大寺そば組合のパンフレットに出ているそば屋さんは、30軒あった。それぞれ、特徴があり、それぞれご贔屓の店があるのだと思う。私はそばが好きだ。車で1時間で来られるので、また、そばを食べることを目的に来ようと思う。いろいろな店で食べてみたい。

18.水車館
バス通りを右手の方、つまり武蔵野通りの深大寺入口の方へ行ってみる。平成4年7月1日にオープンしたという水車館があった。この水車館の敷地となっているところには、明治末期に地元の人びとが水車組合を作り、お金を出し合って建てた水車小屋があったところだそうだ。この地域はかって、雑木林が茂り、豊富な湧水を水源とする逆川が流れ、水車の回る音が響いていたそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 22mm ISO220 ) 露出補正 なし
水車館;クリックすると大きな写真になります。
19.深大寺バス停
三鷹駅方面へ行くバス停があった。ほかにも調布駅方面へ行くバス停がある。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 60mm ISO1400 ) 露出補正 なし
深大寺バス停;クリックすると大きな写真になります。
20.恵比寿大黒堂
深沙堂への参道に七福神の恵比寿尊と大黒天の、まさに丈六仏(丈六とは一丈六尺のことで約4.85メートル)を思わす大石像がある。この尊像は当山篤信総代であった故御林清一氏の邸宅の入り口に祀られていたが、平成18年に縁あって当地に遷座されたそうだ。このお堂の後ろが、深沙の杜である。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO450 ) 露出補正 なし
恵比寿大黒堂;クリックすると大きな写真になります。
21.深沙の杜のモミジ
数は少ないが、紅いモミジが陽の光を受けて輝いていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 105mm ISO200 ) 露出補正 なし
深沙の杜のモミジ;クリックすると大きな写真になります。
22.「鬼太郎茶屋」
バス通りを水車館と逆の方向に戻ると、調布方面へ行くバス停がある。そのそばに「鬼太郎茶屋」というのがあった。作者の水木しげるが住む調布市、ゲゲゲの鬼太郎の世界が、ここ深大寺門前に 再現されている。築40年余りの木造建築「鬼太郎茶屋」の駄菓子屋風の店内には、ところ狭しと、楽しくて、ほのぼのとした妖怪グッズが並ぶ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 24mm ISO320 ) 露出補正 なし
「鬼太郎茶屋」;クリックすると大きな写真になります。
23.そば守観音
調布方面へ行くバス停の近くに「そば守観音」があった。平成25年12月18日に、境内の敷地から、より多く方々に親しまれる、ここ深大寺のバス停留所の近くに遷座されたそうだ。山門近くのそば店が集まって結成した「深大寺そば組合」は毎年10月中旬に「そば守観音」へ打ち立てのそばを献上する献供式を行っている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 140mm ISO1100 ) 露出補正 なし
そば守観音;クリックすると大きな写真になります。
24.深大寺山門、本堂をのぞむ
小太郎茶屋の前から、深大寺の山門と本堂を眺めることが出来た。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/640秒 60mm ISO200 ) 露出補正 なし
深大寺山門、本堂をのぞむ;クリックすると大きな写真になります。
25.テングチョウ
この日はとても暖かい。テングチョウがちらちらと飛んでいる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1250秒 140mm ISO200 ) 露出補正 なし
テングチョウ;クリックすると大きな写真になります。
26.深大寺城跡
車を置いた高橋駐車場を通り越して、不動堂のあたりで道路を反対側に渡ると、深大寺城跡の入り口があった。左手の坂を上がると、芝生の広場(第二郭跡)が開けた。 深大寺城趾は16世紀前半、南関東を舞台に繰り広げられた小田原北条氏と上杉氏の攻防の中で、扇谷上杉氏が築造した戦国時代の城館跡だ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/320秒 34mm ISO200 ) 露出補正 なし
深大寺城跡;クリックすると大きな写真になります。
27.エノキ
広場の入り口には大きなエノキの木があった。大きな木陰を作っている。左手は土塁の後が見受けられる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 20mm ISO250 ) 露出補正 なし
エノキ;クリックすると大きな写真になります。
28.虎口
芝生広場から左に行くと、本丸があった第一郭跡がある。この先に虎口(こぐち)がある。(虎口とは中世以降の城郭における出入り口のこと)

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 32mm ISO500 ) 露出補正 なし
虎口;クリックすると大きな写真になります。
29.深大寺水生植物園
水生植物園は本園である都立神代植物公園と深大寺を挟んだ位置にある。整備もまだ不完全なようだが、それがかえって、深大寺の昔ながらの湿地をうまく表現しているとも言われる。園内は木道で整備され湿地の上を歩いて回ることができる。5月下旬頃から梅雨時期にかけて、花菖蒲田では花菖蒲が無数に咲き乱れ、見ごろになるそうだが、今は何も花がない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1000秒 32mm ISO200 ) 露出補正 なし
深大寺水生植物園;クリックすると大きな写真になります。
30.「多聞」
深大寺城跡から降りてきて、少し右へ行ったところに「多聞」というそば屋があった。参道を散歩されていたご婦人が教えてくださった、美味しいという店のひとつだ。1時を過ぎたところだが、待っている人の列が見える。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 45mm ISO560 ) 露出補正 なし
「多聞」;クリックすると大きな写真になります。
31.「多聞」で待つ
是非、食べて行こうと思い、順番待ちの名前を書く。床几に座って待つ間、軒先に見えるモミジがきれいだった。「多聞」の品書きには、多聞そばと、深大寺そばがあった。深大寺そばは三七、多聞そばは二八そばだというので、多聞そばを頼んだ。やや細麺の手打ちそばだった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/640秒 52mm ISO200 ) 露出補正 なし
「多聞」で待つ;クリックすると大きな写真になります。
32.深大寺本堂
「多聞」を出て、高橋駐車場に戻るが、もう一度、本堂にお参りした。参拝者も多くなっている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/500秒 34mm ISO200 ) 露出補正 なし
深大寺本堂;クリックすると大きな写真になります。
33.境内のモミジ
本堂の脇に植えられたモミジが、本堂の屋根をバックに真っ赤になっていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/320秒 100mm ISO200 ) 露出補正 なし
境内のモミジ;クリックすると大きな写真になります。
34.本堂の屋根とモミジ
これから赤く染まるのだろうか、まだ、緑が残るモミジも美しい。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 48mm ISO200 ) 露出補正 なし
本堂の屋根とモミジ;クリックすると大きな写真になります。
35.五大尊池
本堂と、隣の元三大師堂の間に池があり、 お堂の裏に迫っている崖肌の上から音をたてて滝が流れ落ちている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO640 ) 露出補正 なし
五大尊池;クリックすると大きな写真になります。
36.山門
山門の近くに観光案内所があり、無料で深大寺周辺のガイドツアーが実施しされている。深大寺山門は慶応元年の火災の際にも常香楼とともに、被災をまぬがれた建物で、現在 、山内で一番古い建物ということであるが、東京に残っている江戸時代の建築の中でも、意匠的に特に すぐれたものの一つとされているそうだ。その山門に別れを告げる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/500秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
山門;クリックすると大きな写真になります。


2013年5月24日

裏高尾と八王子城跡 -2 八王子城跡 5月15日


 日影沢林道の入り口付近に停めておいた車に戻り、持参したサンドウィッチで腹ごしらえをし、八王子城跡へ向かった。JR高尾駅を右手に見て左折し、八王子城跡の駐車場に着いたのは、午後1時半頃だった。

 八王子城は、小田原に本拠を置いた後北条氏の三代目氏康の三男、北条氏照が築いた山城で、天正年間(1573-1592)に築城が開始され、天正12年から15年の間に、氏照が滝山城(八王子市丹木町)から拠点を移した。そして、豊臣秀吉の関東制圧の一環で、天正18年(1560)6月23日、前田利家、上杉「景勝軍に攻められ、落城したという。
  駐車場の手前に、八王子城跡ガイダンス施設というのが出来ていた。昨年秋に竣工したそうだ。八王子城跡ガイダンス施設は、八王子城跡見学の拠点として、広大な山城である八王子城と、城主の北条氏照について学べる施設になっている。
 そこからエントランス広場を通って、以前からある管理棟から、昨年アオバセセリが飛んでいた城山林道の入り口まで歩いた。途中にある御主殿跡も昨年来た時より、さらに整備されていた。 ここでもアオバセセリには会えなかったけど、最後にねばって南足柄で撮れなかったウスバシロチョウを撮ることができた。

八王子神社鳥居;クリックすると大きな写真になります 14.八王子神社鳥居
間違えて山の上にある八王子城跡の方へ歩き始めてしまった。入口に八王子神社の鳥居がある。八王子城跡本丸は標高460mあり、約40分で行けるが、日が差し込まない林の中の道のようなので、ここからいったん管理棟まで引き返し、昨年と同じように、管理棟の南側から御主殿跡への道を歩く。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/50秒 9.2mm ISO400 ) 露出補正 なし
曳橋;クリックすると大きな写真になります 15.曳橋
大手門跡から城山川左岸の古道を進むと、その城山川を再び右岸へ渡る曳橋が架かっている。御主殿への導入路として、戦国時代当時の雰囲気を考えて架けられている。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/72秒 9.2mm ISO138 ) 露出補正 なし
虎口;クリックすると大きな写真になります 16.虎口
虎口とは曲輪の出入り口のことをいう。石垣や石畳はなるべく当時のものを使い、忠実に復元されているという。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/160秒 7.3mm ISO64 ) 露出補正 なし
御主殿跡;クリックすると大きな写真になります 17.御主殿跡
御主殿跡とは北条氏照の館などがあったとされている。落城後は幕府直轄領や国有林であったため、当時のままの状態で残っていたという。発掘調査の結果、建物の礎石、水路跡、多数の遺物が出土した。平成24年度には、御主殿跡の復元的整備工事が 完了した。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/218秒 4.6mm ISO64 ) 露出補正 なし
野鳥の森;クリックすると大きな写真になります 18.野鳥の森
御主殿跡の向こう側は深い森がある。野鳥を撮る方々の、この森に向けた長い望遠レンズを付けたカメラを据えた三脚が並んでいた。新緑が美しい。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/76秒 11.8mm ISO64 ) 露出補正 なし
城山林道;クリックすると大きな写真になります 19.城山林道
昨年アオバセセリがいたところを目当てに、城山林道をさらに進む。新緑に注ぐ陽が、木漏れ日となってすがすがすがしい。この先に少し開けたところがあり、昨年はそこでアオバセセリやウスバシロチョウルリタテハ、カラスアゲハなどが飛んでいたが、この日は見かけることもできなかった。そこから引き返したが、この林道は圏央道の八王子城跡トンネルのあたりで行き止まりになってしまうようだ。     

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/65秒 10.3mm ISO64 ) 露出補正 なし   
モンキアゲハ;クリックすると大きな写真になります 20.モンキアゲハ
御主殿の滝というところへ下りて、城山林道を先に進む。路傍に咲いていたシャガの花にモンキアゲハが吸蜜に来ていた。シャガの花に来る蝶はあまり見たことがない。トリミングしている。

Nikon D300  Tokina 100mm F2.8 macro
  絞り優先オートで撮影  ( F6.3 1/1600秒 ISO400 ) 露出補正 -0.3段
ウスバシロチョウ -1;クリックすると大きな写真になります 21.ウスバシロチョウ -1
午後3時近くなったので、そろそろ帰路に着こうと車にいったん戻ったが、渋滞するといけないのでトイレに行っておこうと八王子城跡ガイダンス施設へ寄った。トイレから出てくると、駐車場へ戻る道の右側にある原っぱにウスバシロチョウが舞っていた。先日、南足柄で撮れなかったので、ねばってハルジオンに止まるのを待った。

Nikon D300  Tokina 100mm F2.8 macro
  絞り優先オートで撮影  ( F6.3 1/2000秒 ISO400 ) 露出補正 -0.3段
ウスバシロチョウ -2;クリックすると大きな写真になります 22.ウスバシロチョウ -2
-1 と同じ個体である。顔と黄色い襟巻を撮った。

Nikon D300  Tokina 100mm F2.8 macro
  絞り優先オートで撮影  ( F6.3 1/2500秒 ISO400 ) 露出補正 -0.3段
130523_023.jpg 23.ウスバシロチョウ -3
これも同じ個体。今度は上から狙う。

Nikon D300  Tokina 100mm F2.8 macro
  絞り優先オートで撮影  ( F6.3 1/2000秒 ISO400 ) 露出補正 -0.3段
ウスバシロチョウ -4;クリックすると大きな写真になります 24.ウスバシロチョウ -4
少し余裕ができたので、こんどはP90の広角端で環境を入れて撮った。ここでコンデジを持ったご婦人が「撮らせてください」と来られた。「どうぞ」とお譲りして、私は車へ戻った。

Nikon COOLPIX P90 F2.8-5.0 4.6mm-110.4mm 12.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/160秒 4.6mm ISO64 ) 露出補正 なし