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2012年10月17日

旅「東北・三陸海岸、そしてボランティア」(2012・9・30―10・6)・下



 大船渡市市赤崎町に住む金野俊さんという元中学校の校長先生に出会った。

 話しているうちに、金野さんの口からこんな言葉が飛び出した。「私は、日本人とは思っていません。 縄文人 弥生人が"和合"した子孫です」

 金野さんの話しは、東北・ 蝦夷征伐の英雄、 坂上田村麻呂と蝦夷(アイヌ)の指導者、アテルイの抗争と和解にまで及んだ。

 東北の地は1万年に及ぶ縄文文化にはぐくまれてきた土地であることに気づかされた。

 大船渡港に入るさんま漁船などが目標にするという尾崎三山。その南端の岬にある 「尾崎神社」に行ってみた。縄文人の流れをくむアイヌが神事に使う 「イナウ」に似たものが宝物として納められている、という。海岸の鳥居を抜け、揺拝殿までの境内は、このブログでもふれた 中沢新一の「アースダイバー」に書かれた縄文の霊性の世界。そんなパワー・スポットだった。

 たった3日間だけだったが、 カリタス大船渡ベース「地ノ森いこいの家」 で御世話になりながらのボランティア活動中も、縄文の昔からの「地の力」とそこで震災と闘い続ける「人の力」を不思議な思いで受けとめた。

 大船渡ベースは、カトリック大阪管区が管轄しており、管区の各教会の信者が交替でボランティアに来ているが、東京などから週末の連休を利用して来る若いサラリーマンも多い。

 初日の3日は、牡蠣の養殖をしている下船渡の漁場で、舟のアンカーや養殖棚の重しに使う土のう作り。60キロ入りの袋に浜の小石を詰め、運ぶ作業はけっこうきつい。軽いぎっくり腰になったのには参った。
 午後は、仮設住宅の草抜きをしていた女性グループと合流、堤防のすぐ後ろにある漁師の方の住宅跡の草抜き。腰をかばうのか、反対の膝まで痛くなり、裏返したバケツに座って作業をする始末。まさに「年寄りの冷や水」

 2日目は、漁師さんたちが住む末﨑町・大豆沢仮設住宅へ。倉庫を作る資材を運び上げたが、すぐれ(時雨=しぐれ)が降りだし、台風も近付いているというので、作業は中止。仮設の集会場で、仮設に住む人たち(老人が多い)の世話をする支援員の人たちと「お茶っこ(お茶飲み会)」。パソコンの写真を見せがら津波直後の話しがほとばしるように出てくる。瓦礫の山を避けて、山によじ登りながら家族や知り合いを必死に探した、という。
 午後はベースに帰り、リーダーの深堀さんが買ってきた材料キットで仮設の住民が使うベンチ作り。これも慣れない作業だったが、比較的短時間で完成し、皆でバンザイ。

 3日目は、再び大豆沢仮設住宅で、再度、倉庫造りに挑戦した。といっても、仮設住宅支援員の永井さん、志田さんの指示に従って砂利土を掘り下げてコンクリートの土台を埋め、床材を組み、支柱を打ち込み、床にベニア板を張る・・・。電動ドライバーの使い方にやっと慣れたころ、その日の作業は終了となった。

 午後の「お茶っこ」の時間に、女性支援員の村上さんが「最近ゆうれいが出る、という話しをよく聞く・・・」と言いだした。男たちは「そんなバカな」と笑いとばしたが、まだ行方不明になっている親類や知人を抱えている人は多い。「ここは多くの方が亡くなられた鎮魂の土地なのだ」と、改めて気づかされた。

「大船渡魚市場」でサンマの仕分けをしていた 鮮魚商「シタボ」の村上さん(61)は、末﨑町の家と店舗を流された。テント張りの店を再開しながら、近くの仮設住宅に来るボランティアやNPOの世話役も買って出ている。たくましい笑顔を絶やさない人だったが、津波でスーパーに勤めていた24歳の娘さんを亡くしたことを、他の人から聞くまで一言ももらさなかった。

元中学校長の金野さんが、ホテルに1枚のDVDを届けてくれた。
 地元の新聞社「東海新報社」が、社屋近くの広場から津波が襲ってくる様子を撮影したものだった。「湾内から脱出できず、転覆して亡くなった方の船も映っています。その場面では手を合わせていただければと思います」。そう書かれた手紙が添えられていた。

 「いこいの家」に常駐しているシスター(カトリックの修道女)の野上さんから「ここに来た若い方がたは、不思議に変わって帰られます」という話しをきいた。
  「ああ、アウシュヴィッツにボランティアとして来るドイツの高校生と同じだな」と思った。

 私も、少しは変われたろうか。縄文時代から培われた「地と人の力」、そして「鎮魂の思い」に揺り動かされ続けたたったの1週間だったが・・・。

 ※参考にした本
 ▽ 「白鳥伝説」 (谷川健一著、集英社刊)
 東北には、白鳥を大切にする白鳥伝説が伝えられている。その伝説を探りながら縄文・弥生の連続性を探った本。大船渡「尾崎神社」にもページを割いている。

 ▽「東北ルネサンス」(赤坂典雄編、小学館文庫)
 東北学を提唱している 赤坂典雄の対談集。
 このなかで、対談者の1人、 高橋克彦は「蝦夷は血とか民族ではなくて、・・・東北の土地という風土が拵(こしらえ)るもの」と話している。
 同じ対談者の1人の 井上ひさしは、岩手県に独立王国をつくる 「吉里吉里人」という小説を書いた意図について「我々一人ひとり、日本の国から独立して自分の国をつくるれぞということをどこかに置いておかないと、また兵隊をよこせ、女工さんをよこせ、女郎さんをよこせ、出稼ぎを言われつづけける東北になってしまうのではないか」と書いている。
 「原発の電気をよこせ」の一言は書かれていない。

尾崎神社;クリックすると大きな写真になります 鮮魚商の村上さん;クリックすると大きな写真になります 大船渡魚市場;クリックすると大きな写真になります
森閑とした尾崎神社。市内には、国の史跡に指定された縄文時代の貝塚も多い サンマの仕分けをする鮮魚商の村上さん。今年は、三陸沖の水温が高く、北海道産しか、あがっていない カモメが群れ飛ぶ大船渡魚市場。市場が古くなり、新市場を隣に建設中だが、完成まじかに震災に見舞われた
地ノ森いこいの家;クリックすると大きな写真になります 60キロの土のう;クリックすると大きな写真になります 仮設住宅の倉庫作り作業;クリックすると大きな写真になります
「地ノ森いこいの家」。ボランティア男女各8名が2食付き無料で泊れる 60キロの土のうを計66個。いや、きつい! 仮設住宅の倉庫作り作業。電動ドライバーも、慣れた手つきで?


付記・2012年11月21日

 ▽読書日記「気仙川(けせんがわ)」(畠山直哉著、河出書房新社刊)

 岩手県陸前高田市出身の写真家である著者が出した写真集。

 ちょうど、陸前高田市の隣の大船渡市のボランティアに行く準備をしていた9月中旬。 池澤夏樹の新聞書評でこの本のことを知り、図書館に購入申し込みをし、先週借りることができた。

 不思議な迫力で迫ってくる本である。前半は、著者が「カメラを持って故郷を散歩中にふと撮りたくなった」カラー写真が続く。
 ところが、ページの上半分は空白。下半分に載った風景は、もう見ることができない三陸の普通の風景・・・。戦慄が走る。

 写真の合い間に、著者が家族の安否を確認するためオートバイで故郷に向かう文章が挟み込まれている。これも、上半分は空白である。

「いまどこ?」「山形県の酒田。雪で進めなくて」「あたしは角地(かくち)。これから母さんと姉さん捜しに行くから」「え、一緒じゃないの?」「なに言ってるの」「だって避難者名簿に出てたんだから、末崎の天理教に三人一緒にいるつて」「宗教なんて信じちゃ駄目よ」「いやそうじやなくて」「後ろに待ってる人がいるから、じやあね」。あ、待って、切らないで。くそったれ。じゃあ、あれは存在する結果ではなかったのか。固い床の上で寄り添って、毛布を被っている三人なんて、いなかったというのか。あの情景を、いまさら僕の頭から消せというのか。


 真白な1ページをはさんで、写真は一変する。空白はない。

 津波が引き上げた跡の陸前高田市。瓦礫が積み重なり、民家の屋根だけが残り、杉林に自動車の残骸が押し込まれ、陸橋が浜辺の砂に埋まっている。

 これは、同じ場所の写真なのだろうか。この10月に見ただだっぴろい平野にコンクリートの建物と民家の土台だけが残っていた陸前高田市。

 しかし、行った時には切り倒されていた一本松も、大きな水門も、「幽霊が出る」といううわさが消えないホテルも、橋が流出して渡れなかった気仙川も、確かに写っている・・・。

 写真集の後半部には、文章はない。

「あとがきにかえて」には、こう書かれている。

あの時僕らの多くは、真剣におののいたり悩んだり反省したり、義憤に駆られたり他人を気遣ったしたではないか。「忘れるな」とは、あの時の自分の心を、自分が「真実である」と理解したさまざまを「忘れるな」ということなのだ。


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2012年9月13日

読書日記「光線」(村田喜代子著、文藝春秋刊)、「原発禍を生きる」(佐々木孝著、論創造社刊)



光線
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原発禍を生きる
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 福島第一原発にからんだ本を続けて読んだ。

 「光線」の 著者の本について、このブログで書くのは、 「あなたと共に逝きましょう」 「偏愛ムラタ美術館」以来、3回目。

 「あなたと共に逝きましょう」は夫が大動脈瘤に患うことがテーマだったが、今度は、妻(著者)が子宮体ガンになってしまう。
 しかも、その病魔は、奇妙なタイミングでやってきた。「あとがき」にこうある。

 
二〇一一年の三月がきて、突然、東日本の大地が揺れた。いや、海が揺れた。海を持ち上げて海底の地殻が揺れた。そしてじつはその一ケ月前くらいから私の身体にも変動が起きていて、地震の数日後にガンの疑いが現われたのだった。


 著書に収められているのは8つの短編集だが、このうち「光線」「原子海岸」は、ガンになった妻を見守る夫・秋山の立場で書かれている。

 
思えば治療前に撮ったPET画像のガンは、妻の下腹部で鶏卵大のオレンジ色の炎のようにあかあかと燃えていた。・・・
 それが、鹿児島で行われていることを知った治療法でガンは消えてしまった・・・。(原子海岸)


 
放射線治療で妻の子宮体ガンが消えたとき、秋山は焚き火の燃えた後の灰を見るような気がした。日曜祭日なし連続三十日間の四次元ピンポイント照射で、ガンの焚き火は鎮火したのだ。(同)


 
自分の妻が乳ガンや子宮ガンに罷ったら、男はどういう気持ちになるだろうかと秋山は思う。病気の軽重ではない、臓器の部位だ。妻の乳房や子宮は結婚以来長い年月かけて付き合ってきたもので、肺や胃や腸などとはまた違う。妻が病院で検査を受けるのも無惨な思いがする。(光線)


 この治療法でガンを克服した患者たちの"同窓旅行"の席上、秋山の妻は院長に思わず聞いてしまった。

「あのう、私たちがかけられる放射能って、原発で出来るのですか」。・・・周囲の人々もにわかに静かになって院長を見る。(原子海岸)


 日々、東北の人々を苦しめている原発への恐怖と放射能に助けられたという思いがないまぜになって、思わず出てきた素朴な質問だった。

私のガンが見つかったのは三・一一の明くる日でした。もう日本中がどんどん放射能に震えののし上がっていった頃です。大きな鬼が暴れまくつているときに、日本中がその鬼を憎んで罵って 石投げてるときに、車一台買えるくらいのお金を持って、その鬼の毒を貰いに行ったようで、何とも言えない気分だったの。(同)


放射線治療をして助かった者だけじゃありませんよ。この時期はきっと、手術で助かった人も、抗ガン剤で助かった人も、ガンとは別の病気で命を取り戻した人も、事故で命拾いした人も、子どもが就職できた人もです。大学受かった人も、何か良いことがあった人、幸福を得た人はみんな今度のことではそんな気持ちじゃないでしょうか。良かったって言えない。叫べない。みんな、どこかで苦しいんじゃないですか。(同)


私ね、治療から帰ると途中から放射線宿酔が始まるので、帰り着くとベッドに倒れ込むの。それで毎日毎日見たくないのにやっぱりテレビを見てしまうの。ほら、もうすぐ煙が出る。私は布団をずり上げて眼を覆うの。あそこから出る見えない光線と、今自分の下腹にかけられてるものが、混ざり合ってしまう。あっちのと、こつちのとは、同じじゃないのに、なぜか同じになってしまうの。(同)


   「あとがき」は、こんな言葉で結ばれている。

 
その頃、鹿児島の桜島は年間の観測史上最高となる爆発回数を記録し、私が滞在中の四月と五月の噴火は百六十人回を数えた。市内には黒い灰が臭気を伴って降り積んでいた。地球の深部は放射性元素の崩壊が行なわれている。核分裂の火が燃えているのだ。人間世界の動きから眼を空に移すと、太陽は核融合する巨大な裸の原子炉だ。そして地上では人間の手で造られた福島原発の炉に一大事が起こつている。
 私が鹿児島の火山灰の舞う町で日々めぐらせた思いは、これもまた一つの3・11に続く体験というしかない。原発への恐怖と、放射線治療の恩恵と、太陽を燃やし地球を鳴動させる巨き世界への驚異である。


 「原発禍を生きる」は、 「フクシマを歩いて ディアスポラの眼から」( 徐京植著、毎日新聞刊)を読んで、知った。

  著者・佐々木孝は、福島第一原発から約25キロ、屋内非難地域に指定されている南相馬市で「私は放射能から逃げない」と、認知症(元・高校教師)の妻と暮らす反骨のスペイン思想研究家。永年、 ブログ「モノディアロゴス」を書き続けてきたが、大震災後1日に5000件ものアクセスが集中、単行本化された。

 著者は、緊急避難地域、屋内非難地域といった政府の方針に翻弄され、発表される放射線測定に不信感を強めた住民の多くが「避難民化」している状況について「三月十九日午後十一時半」付けブログで、こう書く。

 
だれも言わないのではっきり言おう。いま各地の避難所にいる避難民(!)のうち、おそらく一割は、例えば南相馬市からの避難者のように、家屋も損壊せず電気や水道も通っている我が家を見捨てて過酷な避難所生活に入っているのである。もっとはっきり言えば無用な避難生活を選んでしまった人たちなのだ。・・・私の知っている或る人は、この無用の生活を選んでしまった。高齢で病身であるにも拘らず、そして家屋損壊もなく、電気・水道が通っている我が家を離れ、たとえば30キロ圏外をわずか逸れた町の体育館で不便きわまりない避難生活をしている。・・・その人が避難生活を送っている場所は、この南相馬市より放射線の測定値が六倍もある場所なのに。


  一方で、国家命令に毅然として立ち向かった「東北のばっぱさん(4月十二日付け)」のことが忘れられない。

 
時おりあのおばあさんの姿が目の前にちらつく。双葉町だったか、10キロ圏内ながら迎えに行った役場の人に向かって避難することを丁重に断って家の中に消えたあのおばあさんである。・・・「私は自分の意志でここに留まります」といった意味の老婆の言葉に、困惑した迎え人がつぶやく、「そういう問題じゃないんだけどなー」
いやいや、そういう問題なんですよ。君の受けた教育、君のこれまでの経験からは、おばあちゃんの言葉は理解できるはずもない。ここには、個人と国家の究極の、ぎりぎりの関係、換言すれば、個人の自由に国家はどこまで干渉できるか、という究極の問題が露出している。


 「人類を破滅の危険に晒されることになった」原子力を「早急に封印する方向に叡智を結集すべきではなかろうか」と書く一方で、被災地に住んでいると、こんな発言にも違和感を持つ。

 このブログでも書いた 小出裕章・京大原子炉実験所助教は、5月の参議院員会で「もし現在の日本の法律を厳密に適用するなら、福島県全体と言ってもいい広大な土地を放棄しなければならない。それを避けようとすれば住民の被曝限度を引き上げなければならない...これから住民たちはふるさとを奪われ、生活が崩壊していくことになるはずだと私は思っています」と述べ。その 動画がWEB上でおおきな話題を読んだ。

 これに対しても著者は「被災者目線 五月二十六日」という一文で、ズバリ被災地住民の怒りを率直にぶつける。

「ふざけんな、と言いたいね。代議士先生たちを前に滔々と歯切れよく演説をぶったつもりだろうが、てめえは被災者が今どんな気持ちで毎日を送っているのか少しでも考えたことがあるのか聞きたいね。てめえが全滅と抜かしおった福島県で、こうして元気に生きているし、これからだって生き抜いてみせるぜ。ただちに健康に被害はない、と言われる放射線の中で、ちょうど酷暑や極寒、旱魃や洪水にも耐え抜いてきた先祖たちに負けないくらいしたたかに生き抜いてやらーな」


 怒りをぶつけながらも、被災地で認知症の妻を抱える現状をユーモラスにさえ描く「或る終末論 四月十一日付け」という一文に、読む人は釘づけになる。

妻は言葉で意志表示ができません。ですから便器に坐らせても、それが大なのか小なのか、分からないのです。空しく十分くらい待って、結局何も出ないことだってあります。だから耳を澄ませて、あっ今は小の音だ、あっ今度のは大が水に落ちる音だ、と判断しなければなりません。そのときの喜び、分かります?・・・私にとって、一日のうちの大仕事がそのとき無事完了するのであります。・・・ 先日も便所の中に一緒に居るときに揺れが始まりました。一瞬、ここで死ぬのはイヤだ、と思いましたが、でもここで終末を迎えるのは時宜にかなったことかな、とも思ったのであります。地震よ、大地の揺れよ、汝など我ら夫婦の終末に較ぶれば、なんぞ怖るるに足らん!


 地元紙「福島民報」の9月11付け 記事に掲載された夫婦の相寄る写真がいい。 本の帯び封に載った愛する孫との3ショットもいい写真だが、被災地での壮絶な生活ぶりを浮かび上がらせる。

 

2011年2月27日

読書日記「本は、これから」(池澤夏樹編、岩波新書)、「電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命」(津野海太郎著、国書刊行会)


本は、これから (岩波新書)

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電子本をバカにするなかれ 書物史の第三の革命
津野 海太郎
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▽「本は、これから」
 本とはいったいなになのか、これからどう変貌していくのか・・・。
 本の過去と未来について、書店、古書店、取次業者、装丁社、編集者、そして書き手や読み手の立場から30数人の人が語りつくしたエッセイ集。
 編者の池澤夏樹によると、集められた文章を要約すれば「それでも本は残るだろう」という結論になる。
 あるいはそこに「残ってほしい」や、「残すべきだ」や、「残すべく努力しよう」が付け加わる・・・。


 それにしても、色々な意見があるものだ。

 「記憶媒体としての電子書籍・・・、自分の頭を鍛えるための紙の本・・・という棲み分けができそう」(池内 了・総合研究大学院教授=宇宙物理学)

 「無機的に冷たく光る・・・iPadのマージン(余白)を見るたびに、密室に閉じ込められたような不安感を覚える」(桂川 潤・装丁家)

 「(電子書籍の)大きなポイントは老眼に対するホスピタリティで、文字の大きさと光度の、『痒いところに手が届く』感は半端ないですね」(菊池成孔・音楽家)

 「電子化を奇貨として、日本の書籍を何らかの程度に国際商品へと衣替えしようという出版人や著作者は現れないものか。・・・電子書籍こそ日本文化を発信し、日本の書籍の魅力や優秀性を売り込むための願ってもない武器であるはずだ」(紀田順一郎・評論家)

 「書籍は技術を売り物にする商品ではありませんよね。・・・それほど離れた位置にあったはずの書籍に先端技術がなんとか絡もうとしているのは、その先端技術とやらがすでに終盤に来ていう証です」(五味太郎・絵本作家)

 「本は、人が生きた証として永遠の時を刻む。紙か電子かは門構えの違い」(最相葉月・ノンフイクションライター)

 「もしこの時代に自分が学生だったら、出版社に入りたいと思う。だって、今なら何でもできそうだから。絶好調の業界に入っても面白くないでしょう・・・」(鈴木敏夫 ・スタジオジブリ代表取締役プロデユ―サー)

 「デジタル化は、本の『物質性』の消滅を意味すると思う。積極的には『物質性』の制約や束縛からの解放であり、消極的には『パッケージ』であった本の『枠』が外され、知識が情報化・断片化していく」(外岡秀俊・ジャ-ナリスト)

 「電子書籍は紙の世界かのコンテンツのほかに動画像、映像、音声、音楽など、紙の世界では表現できない新しいコンテンツが扱えるわけで、書籍までがマルチメディア情報の時代になってきた」(長尾 眞・国立国会図書館長)

 「メディアやデバイスが変わったからといって、読書行為に伴う何かはめったなことでは失われないし、・・・iPadによって黙読が"触読"に進んだだけのこと」(松岡正剛・編集工学研究所所長)

   ▽「電子本をバカにするなかれ」

 この表題から、IT関連業界人の電子書籍礼讃本だと思ったが、まったくの勘違いだった。

 津野氏は、編集者として「紙に印刷された本」(著者いわく、書物史の第二の革命の本)の側に立ちながら、同時に季刊・本とコンピューター(すでに廃刊)の総合編集長として、本とコンピューターの関係について思考を重ねてきた人らしい。

 著者は「いま(二〇一〇年夏)、これから本の世界に生じるであろうことを・・・四つの段階にわけて考えている」と書く。
(第一段階)好むと好まざるとにかかわらず、新旧の書物の網羅的な電子化が不可避に進行していく。
 (第二段階)その過程で、出版や読書や教育や研究や図書館の世界に、伝統的なかたちの書物には望みようのなかった新しい力がもたらされる。
 (第三段階)と同時に、コンピューターによってでは達成されえないこと、つまり電子化がすべてではないということが徐々に明白になる。その結果、「紙と印刷の本」のもつ力が再発見される。
 (第四段階)こうして、「紙と印刷の本」と「電子の本」との危機をはらんだ共存のしくみみが、私たちの生活習慣のうちにゆっくりもたらされる・・・。


 それでは、従来の出版業界はどうなっていくのか。
 けっきょく、旧来の出版産業はインターネットのそとで、これまでどおりの紙の本の世界にとどまりつづける。・・・
 ただし、それでは従来の経済規模を維持することはできない。したがって戦線を徐々に縮小していくしかない。


 もう門外漢だが、同じことが大量の発行部数にこだわり続ける新聞業界にも当てはまりそうだ。

 そして、これからの「まだ見えていない新しい出版ビジネスをになう」のは、(現在の伝統的な出版モデル)を知らない「いま保育園や幼稚園にかよっている子どもたちからあとの人たち」だという。

 単なる「本、大好き」人間にとっても、なかなかエクサイティングな未来予想である。

 ▽日本一の本屋・周遊記
 大阪・茶屋町にオープンした日本一の本屋と評判の「MARUZEN&ジュンク堂書店 梅田店」に、2月の初めに行ってみた。広さ約6800平方㍍、在庫200万冊を誇るという。

 地下1階のコミックを除いて、1階から7階までくまなく歩いた(もちろんエスカレーターを使って)。

 各フロワーでフエアをやっており、話題本を集めたコーナーがあり、書架も細かいジャンルに分かれている。
 例えば、2階では「大阪出身作家」のフエアが開かれ、「いい話」「皇室」「シルバエッセイ」「闘病記」「ケータイ小説」「乙女本」などのコーナーがあり、新刊の新書本を集めた「新書ナビ」コーナーも、食文化、西洋哲学、就活などに分かれている。

 とにかく楽しい。博覧会会場かディズニーランドに行った気分で、思わず衝動買いをしてしまった。

 ところが・・・。

数日前のNHK「週間ブックレビュー」で紹介されていた、ある画家の画集兼随筆をどうしても見たかった。検索コーナーにいる若い女性からベテランらしい男性に替わり、絵画コーナー担当者も出てきたが見つからない。

 あきらめて帰り、自宅でAMAZONを開いたらすぐに購入できた。ただし「届くのは月末」という表示。どうも版元で在庫切れだったようだ。

 日曜日の各紙に掲載される「読書特集」だけでなく、「週間ブックレビュー」の情報ぐらいは、書店全体でどうして共有できないのか。
 失礼ながらジュンク堂の店員は、このような情報に他の大型書店員以上にうといように感じるのは、私だけだろうか。

 リアルな書店がネットショップにぶざまに負けていく様子はできれば見たくないだが・・・。

2010年9月 8日

読書日記「縄文聖地巡礼」(坂本龍一・中沢新一著、木楽舎刊)


縄文聖地巡礼
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坂本 龍一 中沢 新一
木楽舎
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おすすめ度の平均: 4.0
5 縄文的思考
2 テーマは好きなのだが
5 縄文文化を基に、新しい世界感の提示
2 お約束どおりのアンチ原発
4 縄文的世界観に資本主義解体の契機を探る、現代文明批判の試み


 聖地を訪ねる旅がちょっとしたブームだそうである。
 インターネットの影響で誕生したという話題の小説やアニメの舞台を訪ねる「聖地巡礼」とはちょっと違う。日本人の心のふる里を求めて、古代から大切にされてきた祈祷の場所や国家神道の範ちゅうではくくれない神社や鎮守の森などを訪ねる旅が人気だという。新聞社が「聖地日和」という長期連載を組み、聖地への旅の特設コーナーを新設する大手書店まで現れた。

 このブログでも以前に、世界遺産の北海道・知床で「アイヌ民族・聖地巡礼」というエコツアーに参加したり、信州・蓼科の縄文遺跡、世界遺産・熊野古道の神社を巡る旅をしたりしたことを書いた。

 その延長線でこの本が気になって図書館で借りた。
 世界で活躍するミュージシャン・坂本龍一と人類学者であり宗教学者としても知られる中沢新一という異色の組み合わせが「縄文人の記憶をたどりたい」と一緒に旅をした際の対談集である。

 最初に中沢は、こう書く。
 縄文時代の人々がつくった石器や土器、村落、神話的思考をたどっていくと、いまの世界をつくっているのとはちがう原理によって動く人間の世界というものをリアルに見ることができます。・・・これは、いま私たちが閉じ込められて世界、危機に瀕している世界の先に出ていくための、未来への旅なのです。


 旅は、青森・三内丸山遺跡から始まり、諏訪、若狭・敦賀、奈良・紀伊田辺、山口・鹿児島を巡り、青森にもどる。

 諏訪では、諏訪七石の1つ「小袋石」(茅野市)を訪ねる。
 見るからに何かを発しているというか。地底に触れている感じが触れている感じがした」(坂本)
 「縄文の古層から脈々と続いているものというのは、深く埋葬されていているけれど、強いエネルギーを放つ磁場としてわれわれに影響を与え続けていて、・・・。そして諏訪の場合は、・・・それが地表に出てるんですね」(中沢)


 敦賀半島にある「あいの神の森」は、田の神とも漁の神とも言われる「あいの神」を祀り、他の祭祀遺跡も同居する太古から続く森である。森全体が墓地であった聖地のすぐ近くに原子発電所「もんじゅ」があることに2人は衝撃を受ける。
 「日本海は内海だった」と中沢は言う。「私たちは縄文というものを、ひとつの民族のアイデンティティに閉じ込めるのではなく、むしろ大陸側にも太平洋側にも大きく開いてとらえるべきで・・・」


 鬱蒼とした「なげきの森」に包まれた鹿児島・蛭児神社では、南方から渡来してこの土地を支配していた先住民族、隼人と天皇家の祖先である天孫族の関係に思いをはせる。
 隼人は大和政権に征服された民で、西郷隆盛はその末裔ですよね。なのに自分の祖先を征服した部族の王である天皇に、親しみを感じ、忠誠を尽くして戦う」(坂本)
 「天皇家の祖先である天孫族が朝鮮半島から渡ってきたとき、なぜ日向を拠点にして隼人族の女性を妻に迎えたのか。・・・背後には隼人族の経済力と軍事力の存在がおおきかった。天皇家としては、朝鮮半島とのつながりを強調するんだけど、もう一方で、隼人、つまりインドネシアから渡ってきた人々にもつながってるんですね」(中沢)


 青森で始まった旅は、青森に戻って終わる。
 縄文前期から中期の大集落である三内丸山遺跡と、縄文後期の環状列石(ストーンサークル)の小牧野遺跡を訪れ、その石組みの生々しさに興奮しながら対談は続く。
 あの環状列石のなかにいると、石を運んできて、お祈りをしている人たちの姿が見えるかのようで、・・・天上の世界を人工的につくろうとしている」(坂本)
 「縄文の研究は、過去だけじゃなくて、未来を照らす可能性がある。・・・この列島上に展開した文化には、まだ巨大な潜在能力が眠っていて、それは土の下に眠ってだけではなくて、われわれの心のなかに眠っている・・・」


 ▽最近読んだ、その他の本
  • 「ヒマラヤ世界 五千年の文明と壊れゆく自然」(向 一陽著、中公新書)
  • ヒマラヤ世界 - 五千年の文明と壊れゆく自然 (中公新書)
    向 一陽
    中央公論新社
    売り上げランキング: 371704

     「いつかはヒマラヤ・トレッキングを」と若い時から思い続けながら、実現できなかった。
    そんな郷愁めいた気持ちで、この本を手にしたが・・・。単にヒマラヤへの想いを綴ったものではない。地球温暖化と人間の行動への厳しい告発書であった。
     西からインダス川ガンジス川ブラマプトラ川。この3つの大河流域に世界の人口の1割以上、8億人が住んでいる。間接的には15億人がこの大河がもたらす水の恵みを受けている。白き神々の座・ヒマラヤ山脈と同様、この広大な大平原を著者は「ヒマラヤ世界」と呼ぶ。
     氷河の衰退に始まって、氷河湖の決壊による洪水の恐れ、氷河湖の汚染、森林伐採、食糧大増産のために枯渇したヒマラヤ始発の地下水、井戸水から検出される砒素、国家間の水争い・・・。今「ヒマラヤ世界」で起ころうとしている危機は、地球全体の崩壊につながると著者は警告する。

  • 「大人の本棚 夕暮の緑の光 野呂邦暢随筆選」(岡崎武志編、みすず書房刊)
夕暮の緑の光――野呂邦暢随筆選 《大人の本棚》
野呂 邦暢
みすず書房
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 NHKのBS放送が土日の朝に放映している「週間ブックレビュー」は、読書好きには評判の番組だ。ここで取り上げられた本の購読を図書館に申し込むと、たいてい予約殺到で何カ月か待たされる。
 野呂邦暢という芥川賞作家を浅学にして知らなかったが、編者の岡崎武志は、巻末の解説でこう書いている。
 野呂邦暢が小説の名手であうとともに、随筆の名手でもあった・・・。ちょっとした身辺雑記を書く場合でも、ことばを選ぶ厳しさと端正なたたずまいを感じさせる文体に揺るぎはなかった。

 表題にある「夕暮の緑の光」という30数行の文章。そのなかで野呂は、自分がなぜ書くことを選んだかについて、こう記している。
 それはごく些細な、例えば朝餉の席で陶器のかち合う響き、木洩れ陽の色、夕暮の緑の光、十一月の風の冷たさ、海の匂いと林檎の重さ、子供たちの鋭い叫び声などに、自分が全身的に動かされるのでなければ書きだしてはいなかったろう。

 1つ、1つのフレーズをかみしめて、もの書く人の繊細で真摯な感性を知る。

2009年6月20日

読書日記「グローバル定常型社会 地球社会の理論のために」(広井良典著、岩波書店・2009年刊)

グローバル定常型社会―地球社会の理論のために
広井 良典
岩波書店
売り上げランキング: 150160
おすすめ度の平均: 4.0
4 新しい視点の経済学史として、経済学の可能性として


 なんとも難解極まる著作に手を出してしまったものだ。しかし、今回のグローバル経済危機に対するアンティテーゼを示そうとする著者のこん身のエネルギーと荒削りだが雄大な構想に引き込まれる。

 著者は、旧厚生省勤務を経て千葉大学の教授に転じた人。2001年に「定常型社会 新しい『豊かさ』の構想」(岩波新書)という著書で、経済成長を目標にしなく(ゼロ成長下)ても、十分な豊かさが実現されていく「定常型社会」という構想を明らかにしている。
物質、エネルギーの消費が一定となり、経済の量的拡大を目的とせず、自然、コミュニティ、伝統など変化しないものにも価値を置く社会像だ。


さらに2006年には「持続可能な福祉社会――『もうひとつの日本』の構想」(ちくま新書)を出し、ゼロ成長下での公共政策の重要さを強調した。
 「持続可能な福祉社会」とは、個人の生活保障や分配の公平が、環境・資源の制約と両立しながら長期に存続できる社会。経済成長を絶対的な目標しない点で「定常型社会」の社会像とそのまま重なる。


 今回の著書「グローバル定常型社会」では、これらの考えを、さらにグローバルな視点にまで広げた構想を示そうとしている。
その基点にあるのは「二一世紀後半に向けて世界は、高齢化が高度に進み、人口や資源消費も均衡化するような、ある定常点に向かいつつあるし、またそうならなければ持続可能ではない」という認識である。


 著者は、個人、コミュニティ、自然の相互関係がバランスをとることによって定常化(ゼロ成長)社会でも生活満足度は損なわれないと見る。
「自然[環境]――コミュニティ(福祉)――経済」が一体となった自立的システムをつくるのが目的。・・・かっての「鎮守の森」が果たしてきたような自然とスピリチュアリティが一体となっているコミュニティ空間を再生していこうとする試みだ・・・

地域コミュニティづくりの拠点として、学校や福祉・医療関連施設、公園・農園、商店街、神社・お寺が重要といえる。これらの場所をケアや世代間交流、環境保全などの拠点として活用しつつ・・・団地などの世代ミックスを高めていくことが「持続可能な福祉国家」と呼ぶべき都市の実現につながる。


 そして、このような社会をグローバル・レベルにまで高めるために"地球レベルの再分配"政策を実現すべきだと提案する。
投機的な国際金融取引を抑える「トービン税」、フランスなどで一部実施されている「国際連帯税」、途上国への医療品援助などにあてるためのフランスの航空券税や国際炭素税などが考えられる・・・


 いやー、定年退職者の軟弱な頭ではとても消化し切れない。

 しかし、インターネットで見つけた千葉大学の機関紙に掲載された著者の「序論」や「自治体チャンネル」という雑誌での著者との対談が、軟弱頭の理解を少し助けてくれる。

「私利の追求」を有効なインセンティブとして拡大・発展した市場経済の領域が、今むしろ飽和しつつある。これに代わって・・・組織的にはNPOや社会起業家といった形態が浮上している。「市場経済を超える領域」の展開において、営利と非営利、貨幣経済と非貨幣経済が交差するのだ。(千葉大学 公共経済 第2巻第3号より)


経済の成熟・定常化という変化のなかでもっとも大きな変容をとげるのが「労働」のあり方。・・・「生存のための労働」から「賃労働としての労働」に変わり、最後の次元は「自己実現のための労働」である・・・(同)


 今月12日に放映されたフジテレビ「BSプライムニュース」で、田坂広志・多摩大学大学院教授が「これからは、働く喜びを感じるボランタリー経済(善意の経済)とこれまでの貨幣経済が融合するハイブリッド化が始まると、同じような予想をしていた。
 しかし、ゼロ成長といえども肥大化した貨幣経済のなかでボランタリー経済がどれだけの比重を占めていけるのかに疑問が残るが。

 広井教授は「自治体チャンネル 平成20年2月号」の対談でさらにこう解説している。

人々の消費構造は、時間そのものを過ごすことに充足を感じる「時間消費」の段階にあります。時間消費は、余暇やレクリエーション、福祉・ケア、生涯学習・自己実現に対するニーズで、コミュニティや自然などローカルで展開されます。


今後、世界が進むべき方向は2つです。1つは、ローカル・ナショナル・グローバルそれぞれのレベルで「共」「公」「私」のバランスを保つこと、もう1つは、ローカルを起点にナショナル、グローバルへと積み上げていくことです。「地域社会(地域福祉)から地球社会(地球福祉)へ」という方向が、時代の潮流になります。


  ただ、現在の政府、経済界や一般消費者が、一層の経済成長、それによってもたらされる豊かさの追求を簡単に捨て切れるとは思えない。

 ゼロ成長下での豊かさを満喫するというイメージをどう描き、日本の社会にソフトランディングさせていくのか。もっと具体的な提案と模索が必要なのだろう。

 この視点から、評判になった中谷巌・三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長 の著書「資本主義はなぜ自壊したのか」(集英社インターナショナル刊)のなかにあった記述が気になった。
 中谷先生は現役記者時代に非常にお世話になった方だが、グローバル資本主義の本質的欠陥として
  1. 世界金融経済の不安的要素となる。
  2. 格差拡大を生む
  3. 地球環境汚染を加速させる
の3点を挙げておられる。
さらに、私もこのブログで書いたが、ブータンの「国民総幸福量」にも言及しておられる。広井教授が提唱している新しい豊かさという考えと相似点があるのではないだろうか。

その他、参考になった本など

  • 「共生の大地 新しい経済がはじまる」(内橋克人著、岩波新書)
    1995年の刊行だが、すでにコミュニティーの新しい協働へのうごめきを、きっちり視点を定めて記述しておられるのはさすがである。

  • 「『豊かな社会』の貧しさ」(宇沢弘文著、岩波書店)
    本棚にあったこの本は1989年刊と、もっと古い。「経済の繁栄は人間的貧困をもたらした」と序章にある。
    現在は東大名誉教授である著者は、雑誌「現代思想」の今年5月号で「社会保障の充実が、多くの人の不安を取り除き、単なる経済効果以上の効果を発揮しうる」と書いておられるらしい。これも、表題の著者と同じ視点なのだろう。

  • 「社会起業家 -社会的責任ビジネスの新しい潮流」(斎藤 槙著、岩波新書)
    「自己実現のために、環境などの課題に使命感をもつ」ソーシャル・ビジネスの概要がよく分かる。社会起業家と呼ばれる人たちには、このブログ(2008/01/23)でも書いた。
    世界の善意の資金を集めて社会貢献事業をする「ルーム・ドウ・リード」のジョン・ウッドなどと、利益を生む携帯電話ビジネスをしながら貧困を救おうとしているグラミン銀行のムハマド・ユヌス総裁など、2つの潮流があるのでは、というのは間違った認識だろうか。
    斎藤 槙さんは最近、新著「世界をよくする簡単な100の方法」(講談社刊)を出した。気になる本である。図書館に借り入れ申し込みをしたら、近く手元に届くらしい。

     NHK「クロズアップ現代」
     6月16日放映のこの番組で「人にやさしい企業」をテーマに、不況でも解雇を絶対しない企業や研究開発費を削らない岡山の林原などを取り上げていた。

     現役記者時代の最後のほうは「人に優しい企業」とか「美しい企業」といった本ばかりを読んでいた。「カット・スロート・コンペティション」の時代から潮目が変わってきた,と思いたい。

    定常型社会―新しい「豊かさ」の構想 (岩波新書)
    広井 良典
    岩波書店
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    4 スロー・ライフでいきましょう・・・
    4 興味深い
    4 優れた知見の創出
    5 成長=絶対的価値ではなくなった
    5 新たな発想に基づく提案

    資本主義はなぜ自壊したのか 「日本」再生への提言
    中谷 巌
    集英社
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    3 「提言」というには聊か主観的
    3 アメリカかぶれの私が悪うございました、ということだけなのか?
    4 中谷先生の本だからこそ、これだけレビューが辛口なのかな
    1 変わり身の早さが資本主義的
    1 中身なし

    共生の大地―新しい経済がはじまる (岩波新書)
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    おすすめ度の平均: 5.0
    5 心ある経済学者の視座に感銘
    5 地方・農業・老人こそ、国の宝!

    「豊かな社会」の貧しさ
    宇沢 弘文
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    社会起業家―社会責任ビジネスの新しい潮流 (岩波新書)
    斎藤 槙
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    4 利益循環
    4 内容に古さは感じない
    4 貴方は、今の世界に満足していますか?
    3 ちょっと古い
    4 日本の事例もフォローしている。構成もよい。入門書として最適。

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    斎藤 槙
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    4 社会起業家には、なれないけど

2008年1月23日

「マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった」(ジョン・ウッド著、ランダムハウス講談社刊

 マイクロソフトで、マーケティングが専門のエグゼクティブとして裕福な暮らしをしていた34歳の米国人男性である著者が、なぜ高年俸も恋人も捨てて、発展途上国のこどもたちに本を届けるNPO「ルーム・トウ・リード」を立ち上げたかを語る、ドキュメンタリー。


 きっかけは、休暇で訪れた小学校で見た、本が一冊もない図書館だった。「あなたはきっと、本を持って帰ってきてくださると信じています」。校長の、この一言が「僕の人生を永遠に変えることになった」と、著者は書く。


 そして、カトマンズに戻ってすぐ、ネットカフェから100人以上の人に「人生で最高のセールストーク」のメールを送信。それで集まった37箱、総重量439キロの本をロバ8頭で届ける。


 こうしてスタートした「ルーム・トウ・リード」は、1992年に設立以来、英語の児童書140万冊以上を寄贈しただけでなく、学校287校、図書館3540カ所、コンピュータ教室と語学教室117カ所を建設、2336人の女子児童に長期奨学金を提供、途上国に教育インフラを提供する大きなプロジェクトを推進している。

 対象も、ネパールからベトナム、カンボジア、インド、ラオス、スリランカ、南アフリカ、ザンビアまで広がった。


 ジョン・ウッドは、無償の慈善行為と思われていたNPOに、マイクロソフトで学んだビジネスモデルを次々に導入していく。運営コストは極力押さえる一方で、活動に使った出費は詳細に報告、優秀な人材を有償のフルタイム・スタッフとして確保する。ある男性から「大きな寄付をしても、光熱費や家賃になるのか。自分のお金の使い道がまったく分からない」と、言われたのがきっかけだった。

 大口の寄付をした知人から、こんな評価を得る。「活動の結果がとても具体的。8000ドル集めれば学校が1つ、1万ドルなら図書館のある学校を1つ建設できる。寄付と成果の関係が分かりやすくて、説得力がある」。

 このビジネスモデルのもう一つの特色は「チャプター」と呼ばれる資金集めのボランティア拠点をニューヨーク、サンフランシスコ、ロンドン、東京など世界各地に立ち上げたことだ。

 ジョン・ウッドに届くメールを見て「たくさんのホワイトカラーが、自分の才能と情熱の一部をどうすれば社会に投資できるかを考えている」と気付き「21世紀のカーネギーとは、関心の高い世界中の市民のネットワークのことだ」と確信した結果だった。

 著者は、このNPOの活動を通じて、こんな人生の高揚感を手にする。「ずっと探していたものを見つけたんだ。意義があって、自分が情熱を持てる仕事を。毎朝ベッドから飛び起きてオフイスに直行し、今日はどんなことが起こるだろうかとわくわくする。こんな贅沢は世界中を探してもほとんどないよ」。


 「社会起業家」という言葉を始めて耳にしたのは、もう10数年前になるだろうか。大手エネルギー会社のSさんから、確かロンドンだったと思うが、出張のついでに、社会起業家を調査したレポートをもらったことがある。本棚を探してみたが、どうしても見つからない。


 ただ長年、経済記者をしてきて「企業のあり方が、ここまで変ってきたのか」という鮮烈な印象を受けたことを記憶している。


 本棚から、以前に読んだ「社会起業家―社会責任ビジネスの新しい潮流―」(斎藤 槙著、岩波新書)を、引っ張り出した。


 作者は、ロサンゼルスに住みながら、企業の社会的責任(CSR)や社会投資責任(SRI)をテーマにしている女性コンサルタント。

 「現代の社会起業家は、働くという行為を単に収入を得る手段としてだけでなく、自己実現の場と考えている」と書き、一般の企業もなぜここまでCSRを意識しないと生き残れなってきたかをレポートしている。


 最近、新聞の書評や書店で、同じような本を2冊も見つけた。


 「社会起業家という仕事」(渡邊奈々著、日経BP社刊)、「社会起業家という生き方 『社会を変える』を仕事にする」(駒崎弘樹著、英治出版刊)


 この言葉。これから若者の企業選びや働く意識、退職していく団塊の世代の生き様を変えていくかもしれない。


 これからも、この言葉に注意を払っていきたい。しかし、もう66歳・・・。間に合うかな。


マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった
ジョン ウッド (訳)羽野薫
ランダムハウス講談社 (2007/09/21)
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4 社会企業家?
5 プライスレス
5 自分の恵まれた環境を思い知る



社会起業家―社会責任ビジネスの新しい潮流 (岩波新書)
斎藤 槙
岩波書店 (2004/07)
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3 ちょっと散漫かな
4 日本の事例もフォローしている。構成もよい。入門書として最適。
4 地道な努力が背景には




社会起業家という仕事 チェンジメーカーII
渡邊 奈々
日経BP社 (2007/11/01)
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おすすめ度の平均: 5.0
5 世のため、人のため生きる人は、皆いい顔をしている。
5 素晴らしい
5 海外の社会起業家にも目を向けて




「社会を変える」を仕事にする 社会起業家という生き方
駒崎弘樹
英治出版 (2007/11/06)
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おすすめ度の平均: 4.5
5 やりたいことがないと嘆く若者に。
4 興味がある人が最初に読むと役に立つ本
5 笑って笑って、泣いた。腹に響く実践の書