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2020年5月27日

読書日記「首都感染」(高嶋哲夫著、講談社文庫)

「クルーズ船、ダイアモンド・プリンセス号で起こったのと同じことが、東京都下で起こるんだ」
 友人I・K君が電話して来て、読んだばかりの小説「首都感染」を紹介してくれた。
 読んだというより、聴いたというのが正しいのだろう。彼は熟年になってほとんど視力を失った。その後、努力を重ねて本を音訳するアプリに習熟し、フェースブックには逆に話したことを文章にして連日のように発信している。

 さっそくAMAZONに注文したが、注文が殺到しているらしく届くまで1ヶ月かかった。
 10年前に、神戸在住の小説家が書いたフイクションだが、最近の新型コロナ騒ぎを"予言"したような作品。2000部の増刷が決まったという。

 20××年6月。中国は開催されたサッカー・ワールドカップで沸いていた。しかし、首都・北京から遠く離れた雲南省で致死率60%の強毒性のインフルエンザが発生した。ワールドカップをどうしても成功させたい中国当局は、発生源の封じ込めと情報の海外漏洩を防ぐ強硬手段に出た。

 瀬戸崎優司は、WHO(世界保健機構)のメディカル・オフイサーを務めた後、東京・四谷の私立病院に勤める感染症専門医。瀬戸崎総理は父親、厚生大臣で医師の高城は別れた妻の父親という設定だ。

 中国軍と保健省が雲南省に移動していることをつかんだ日本政府は、対策本部を立ち上げ、優司を専門家として招聘した。

 ベスト4をかけた試合で日本チームは中国に負けた。大勢のサポーターがチャーター機で帰ってくる。優司は、国内すべての国際空港閉鎖を進言した。中国への宣戦布告にも近く、世界中から非難が殺到した。帰国者のホテルでの5日間拘束なども決まった。

 当事国中国が「謎の感染症」という言葉でやっと発生を伝えた。WHOは「H5N1強毒性新型インフルエンザ」という言葉を初めて使った。
 厚生省に、新型インフルエンザ対策センターが設置され、優司がセンター長に任命された。

 
「不特定多数の人が集まる所には行かないでください。不要不急の外出を避けることがいちばんです。対人関係をしっかり保つことです。飛沫は1メートルから2メートル以内に飛びます。手洗い、うがいを徹底すること。マスクは、他人のためにあるのです」
 「要は、家にじっと閉じこもっていればいい」


 感染者が出てしまった。ホテルで拘束していたワールドカップツアー客の女性だった。

 国内線飛行機、新幹線、長距離バス、トラックの運行を停止、空港だけでなく港湾も閉鎖した。閉鎖した学校の校舎を病室にした。

   外交特権で、検疫を逃れた中国大使館員と家族が感染、中国渡航歴のない夫婦が感染したマンションを中心に半径50メートルを封鎖したが、数日後には都内に広まった。「針の穴が開いてしまった」。優司は、総理に進言した。

 
「東京封鎖しかありません」
 「東京以外の地域が感染をまぬがれれば、その地域が東京を支えることが出来ます」


 大もめにもめた閣議、国会審議を経て、環状8号線に沿った道路30キロに有刺鉄線が張られ、橋には巨大なコンクリート製の車止めが置かれた。横浜の娘夫妻宅を訪ねていた都知事は都内に戻れず、逆に都民700万人が閉じ込められた。

   泳いで逃れる人を監視するため、荒川沿いに自衛隊員が約10メートルおきに立ち、ある橋では、都外に出ようとした30台の男性が警官に撃たれた。逃げ出そうとした家族の車がパトカーに追われて川に転落、2人の子どもが死亡した。

 応答のない家から感染死者や餓死者が次々と発見された。都内の感染者は52万人、数十万人の死者が出たが火葬するところもない。

   依頼を受けた冷凍会社の社長が、10万を超える遺体を収容する冷凍倉庫と冷凍船の手配をした。
 在庫していた冷凍マグロは、都民に配られた。

 WHOの発表で、世界の感染者は20億人を超え、7億人が死亡した。日本の感染者、死者の少なさが異例であることが世界に流れた。
 中国、ベトナムなど東南アジアの国々から多数の難民船が日本に航行してきた。引き返すように強い警告を出し、発砲による死傷者が出た。

 横浜と千葉に全国から医師と看護婦が集まってきた。封鎖エリアに入る許可を求めてきた。
 受け入れの説明後、最終確認で約2割の医師と看護婦が抜けていた。

治療に使われていた抗インフルエンザ薬タミフルの乱用が耐性ウイルスを生み出した。使える薬がない・・・。

 東都大学のウイルス研究所にいた優司の友人の医師・黒木が新しいパンデミックワクチンを開発した。普通なら、薬の認可には数年かかる。黒木も優司も被験者になった。このワクチンを世界で製造することが、WTOのテレビ会議で決まった。

 東京・杉並にある医薬研究所にある研究員が、100人分の「M―128」という抗インフルエンザ薬を持ち込んだ。重症患者に劇的に効いた。大量生産が決まった。

 東京の感染者が減っていった。3ヶ月19日ぶりに、封鎖ラインが撤去された。

 巻末の解説で、書評サイトHONZ代表の成毛眞がこんなことを書いている。

 
「著者の作品は、これから起こる未来の記録、未来の歴史です」


2013年10月 9日

読書日記「ひと皿の記憶」(四方田犬彦著、ちくま文庫)、「にっぽん全国 百年食堂」(椎名誠著、講談社)、「浅草のおんな」(伊集院静著、文藝春秋)

ひと皿の記憶: 食神、世界をめぐる (ちくま文庫)
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にっぽん全国 百年食堂
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 残暑の秋に読んだ食へのこだわり関連本3冊。

 「ひと皿の記憶」には「食神、世界をめぐる」という副題がついている。 著者の本は、数年前に 「四方田犬彦の引っ越し人生」(交通新聞社刊)を読んだことがあるが、日本や世界各地の大学で教べんを取るかたわら、各地の食にこだわり続けたエッセイスト。著書は100冊を越えるという。

 著者が育った大阪・箕面近くの「伊丹の酒粕」から始まって「神戸の洋菓子」「金沢のクナリャ(深海魚の一種)」、そして韓国、台湾、中国、バンコクなどの東南アジア、イタリア、デンマーク、フランスと、つきることなく「ひと皿」への思いが記される。それも高級料理店でない庶民の味に徹しており、読み進むごとに垂ぜんの味わいを楽しめる随筆である。

   
粕汁とは不思議なスープ、いやシチューである。魚やいろいろな野菜を水煮し、そこに酒粕と味噌を流し込んでさらに煮込む。・・・この汁には味檜汁や澄まし汁にはない独特の重たげな魅力があり、一口でも口に含むだけで腹がしっかりと温まる気持ちになった。いうまでもなくそれには酒粕から滲み出るアルコールが作用していたに違いない。加えて白濁した汁の合間に覗く紅い人参や色が透けかかった大根、細かく刻まれた黄色い油揚げといった組み合わせが・・・愉しげな抽象絵画のように思われてくるのだった。


 
(北京の朝)市場のすぐわきの路地に入ると早々と小食店が開いていて、すでに何人もが仕事前の食事をしている。北京では 豆腐脳(トウフナオ)、南方では豆花(タウファー)といって、ひどく柔らかい豆腐椀に盛り、好みで辣油をかけて食べる。店先では大鍋に煮え滾った油のなかで、直径三〇センチほどの巨大な素妙餅(スウチャオビン)が揚げられている。しばらく店内を見回してみると豆腐脳はこの餅を千切りながら匙で口に運ぶものらしいと、見当がついてくる。揚たてのパリパリとした餅と、匙で掬おうとしても崩れてしまうほどに柔らかい豆腐脳の組み合わせには、絶妙なものがある。


 牡蠣のついての記述も多い。とくにこれまで3回訪ねた米国・ニューヨークで計10回近く通ったグランド・セントラル駅の「オイスターバア」についても書かれている。

 
そこには主にアメリカの東海岸で採られた、実に多様な牡蠣があった。ずんぐりとした殻をもつブラスドールもあれば、底の深いブロンも、強い刻み目をもつキルセンもあった。一番巨大な牡蠣をと狙ってメーンを注文したところ、水っぽすぎて落胆したこともあった。もっとも小さいのはカタイグチと呼ばれ、伝説の牡蠣クマモトの一統だった。わたしは最初に訪れたときには盛り合わせを頼み、それからは気に入ったものを半ダースほど改めて注文することで、少しずつ牡蠣の個性を学んでいった。


 デンマーク・コペンハーゲンのスモーブローについての記述も、かってこの街に行った時に何軒もの店頭で見つけたことがなつかしい。バターをたっぷり塗ったパンの上にサーモンやニシンなどの具材をトッピングしたものだが、なにか寿司の"デンマーク版"と感じた覚えがある。

 「ロンドンにおいていい食堂を見分ける5つの条件」という項もある。フイッシュ&チップスの名店や鰻の煮こごりの店が記述されている。いつかロンドンを訪ねる機会があれば参考にしようと思う。

 この本の最後近くに出てくる「肉」についてのうんちくは、世界中で食べ歩いた著者の真骨頂だろう。

 
牛肉はそれ自体で自立した味の個性をもち、どのように調理されても自分のアイデンティティを崩すことがない。ローストビーフであれ、カルビ焼きであれ、そもそも牛の調理とは、いかにその本来の肉の味を引き出すかという一点にかかっている。だが牛は、どこまで行っても牛肉が牛という宿命から逃れることができない。中華料理において素材としての牛肉が豚肉と比べて圧倒的に不振であるのは、もっぱらこの自己完結性によるものである。羊の強烈な個性にしても同様。羊であることを消し去って羊料理を作ることはできない。鴨またしかり。では逆に鶏は、兎はどうだろう。鶏は鴨とは逆に、味が万事において控えめであり、とても塩漬けや角煮といった荒事に向きそうにない。兎は先天的に脂気が欠けているので、しばしばベーコンなどを添えて調理しなければならない。こうして一長一短がある他の肉と比べてみたとき、豚の卓越性は否定しようがない。人間がもっぱら食べるためだけに改良を重ねてきたプロの肉という気がするのである。


 「にっぽん全国 百年食堂」は、雑誌「自遊人」に2008年7月号から2011年11月号連載されたものを単行本にしたもの。 著者が編集者3人と全国の地方都市で百年前後続いている大衆食堂を延々と食べ歩く。

 先取の気概に満ちている県民性の新潟には、洋食をいち早く取り入れた百年食堂の候補がいっぱいあるという。
   「元祖洋食レストラン キリン」の代表メニューは、オムライス。 「鍋とフライパンを上手に使い、タマゴは殆ど半焼けぐらいの状態でかまわずそこにチキンライスをのせてドバッと皿の上にひっくりかえすともう完成」(千二百円)
 上野・精養軒で修業した先々代が、コメがうまいからという理由だけで新潟に来て「首が長いから長持ちするだろう」と、かなりいい加減な理屈で店名を決めた。

 長野県の小諸駅前にある 「揚羽屋」は、島崎藤村直筆の看板がある店として有名。藤村は「千曲川のスケッチ」のなかで、こう書いている、という。
 「そこは下層の労働者、馬方、近在の小百姓なぞが、酒を温めて貰うところだ。こういう暗い屋根の下も、煤けた壁も、汚れた人々の顔も、それほど私には苦に成らなく成った」

 茨城県水戸市の 「富士食堂」は、メニューが百種類はある「フアミリーレストラン」の元祖。味はもうひとつだが、著者はこう書く。
 「要するに『土地のヒトが安心する味』というのが厳然としてあって、これを東京で流行っている味だの盛りつけだのにしてしまうと、百年食堂でなくなってしまう、という数値であらわせない『長続きの公式』があるような気がする」

 北海道古平町の 「堀食堂」は、かってニシン漁が盛んだった頃の開店。
 ラーメンにエビの天ぷらが二本のった「天ぷらラーメン」や鶏肉にヒミツの味つけをして衣をつけて揚げた「ザンギ定食」など重労働のヤン衆に好まれそうなメニューが人気だが「実は、二つともニシン漁がすたれた後に始めたもの」と聞いて、取材の一行は不思議そうな顔。

 北海道釧路市の 「竹老園 東家総本店」は、御殿のような造りで、観光バスで団体客がやって来るほど人気のある蕎麦屋。
 極上の上更科粉に新鮮な卵黄をつなぎにしている「藍切りそば」など、蕎麦の種類で変えている「つゆ」がどれもうまく「百年のあいだに積み重ねられた、本物の老舗の味」。暖簾分けで26軒の支店がある、というのもすごい。

 千葉県野田市の 「やよい食堂」は「大盛り」で超有名。
 一人前で、4,5合使うカレーやカツ丼は、皿や丼からこぼれてもよいように受け皿がついている。「安い値段でお腹いっぱい食べさせてあげたい」という思いがふくらみ、歴史を重ねるごとに盛りが大きくなったという。タマネギと肉だけの昔ながらのカレーライスが一番人気だが、大盛りで五百八十円という安さ。

 取材の最後近くで、著者はこう結論付ける。
 「地元の人の好みに変わらず応える味と人間づきあいが、百年を生きる正直な原動力になっている」
 そして駐車場が大きく、厨房が広くて清潔で使用人が沢山いて活気があるのが、流行っている「百年食堂」の二大ポイントだという。

   「あさくさの女」は、伊集院静らしい哀感あふれる艶っぽい小説だが、主人公が浅草の小さな居酒屋の女主人だから、出て来る酒の肴の描写がなかなかいい。

 
志万はすぐに裏に行き、朝方干しておいた柳鰈(やなぎがれい)を取り込み、灰汁(あく)抜きの蕨(わらび)を漬けておいた金ボウルを手に調理場に入った。冷蔵庫の中から朝のうちに開いておいたぐじを包んだ布をほどいた。ふたつの小鍋に火を入れ、 がめ煮と、京菜油揚げの炊き合わせの準備にかかった。氷水を金ボウルに入れ、そこに鰺をつけ、・・・。真空パックから白魚を出す。・・・鍋を洗って天豆(そらまめ)を湯搔(ゆが)く。・・・


 
今日の一番はちらし寿司である。留次が好きだった鯯(つなし)をたっぷりまぶしたちらしである。店裏からいい匂いがしてきた。美智江が椎茸を煮込みはじめている。志万はサヤエンドウを湯搔いている。冷蔵庫から鮪(まぐろ)を出して柵(さく)に分けていく。


 
「ほう、突き出しが天豆に鱲子(からすみ)とは、この不況でもここだけは贅沢だね」
 「贅沢じゃなくて親切でしょう。春から、"志万田(しまだ)"は料金を安くしてくれてるのよ」・・・
 「(肴は)きんぴら、インゲンのゴマ和え、じゅんさい」・・・
 「・・・私は鱧に鴨ロース、それにポテトサラダ」


 

2012年1月30日

読書日記「ふたつの故宮博物館」(野嶋剛著、新潮選書)


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 現在、東京国立博物館で開催されている 特別展「北京故宮博物院200選」が、北宋時代の名品 「清明上河図」(今月24日で展示終了)が日本で初めて公開されたこともあって、長蛇の列らしい。

 私もこれまで大阪や京都で開催された 北京故宮博物院展をのぞいたことがあるが、もう1つ感動が薄かった。
  西太后が着ていたという埃っぽい衣装や皇帝・溥儀 がヨーロッパから取り寄せたという自転車まで見せられてガッカリしたこともある。
 2009年秋に北京を訪ねた際にも、今は故宮博物院になっている世界遺産、 紫禁城の建物はすばらしく感じたが、知識のなさもあって展覧品はあまり印象に残っていない。

  蒋介石が台湾に逃れた際に、紫禁城(故宮)の重要な宝物をほとんど持ち去り、現在は台北の 国立故宮博物院に所蔵されていると聞かされ「本物は、台北にある」と思いこんでいたせいかもしれない。

 朝日新聞の元台北特派員が書いた表題の本には、このあたりの事情をじっくり書き込まれていておもしろい。

 「故宮は不思議な博物館である」と、著者は切り出す。
まったく同じ名前の博物館が、中国と台湾にそれぞれ存在している。商標権の侵害で訴訟合戦になっても不思議ではない。だが、現実には「ふたつの故宮」はお互いの存在を否定もせず、「我こそは本家」と声高に叫ぶこともしない。ただ、黙々と同じ名前を名乗っている。


 2011年5月の資料によると、「北京故宮」は、180万点を収蔵、うち85%が清朝が残した(清代以前のものを含めてという意味)文物。「台北故宮」は約68万点、清朝が残した文物が90%を上回る、という。その収蔵方針は「中華文明の粋を集める」こと。
 フランスのルーブルや、米国のメトロポリタンのように、世界の文化財を集めることに、まったく興味を示していない。

中華とは「文明の華やかな世界の中心」という意味を持つ。中華というのは、あらゆる面で卓越した中華王朝の政治があまねく世界に行き渡る際に、野蛮な異民族といえども礼儀や道義など優れた文化を身につけることによって中華の一員となることができる、という華夷思想の根幹にかかわる概念である。逆に言えば、中華文化以外は一切の価値がないということになってしまいかねない排他的な発想も内包しており・・・


 まったく見事というしかない「中華思想」の結実が、2つの故宮博物館なのだ。
 だから「台北故宮にはその所在地である台湾の文化の断片すら発見することは難しい」という奇妙なことが起こる。

  国民政府とともに中国本土からやって来た人々は約200万人。それに対し、当時の台湾の人口は700万人ほどだった。地元・台湾の人々は、鉄砲水のように流れ込んできた「中華思想」に戸惑いを隠せなかったことだろう。

台湾の多くの庶民にとって、台北故宮が必ずしも「誇り」の対象でないことに台湾で暮らしているうちに気づかされた。・・・「故宮についてどう思うか」という問いをぶつけると、多くの人が困ったような表情を浮かべる。「台湾の誇りです」と答える人は少ない。「すごい」とは思っても、親愛の情や誇りを抱く理由が多くの台湾人には思い当たらないからだ。


 日清戦争に敗北した清朝は、台湾を日本に割譲した。「清朝にとって台湾は辺境のなかの辺境であり、日本にくれてやっても惜しくない、という判断があった」
台湾が「中華文化圏に含まれない」という理由で中国から棄てられたと広く信じられたことは、台湾の人々にとって根深いトラウマ(心的外傷)になり、台湾の民進党が台湾独立意識やアンチ中国意識を持つ根源的な動機になった。


 ただ、2008年の 民進党から 国民党への再度の政権交代以降、中国、台湾の関係も改善された。両故宮の交流も進みつつある、という。「もともと故宮は一つであるのは事実であり、政治権力によって引き裂かれたふたつの故宮に、『相互補完性』があるのは間違いない」からだ。
例えば、収蔵品の内容について言えば、台北故宮最大の強みは、宋代の書画や陶磁器をそろえていることである。なぜなら、宋代こそが中華文明の最高到達点であり、限られた時間と限られたスペースという台湾移転前の厳しい条件下で、故宮のキュレーターたちが台湾に持ち運ぶことにしたのは宋代の収蔵品が中心だったからだ。
 一方、明、清の文物については、共産党による革命後の文物収集の成果もあって、北京故宮が質量ともに勝っている。・・・例えば明代の染付の磁器や清代の絵付けの 琺瑯彩なども実際は素晴らしい。考古学的な領域である古代の出土品については、中国大陸で戦後に行われた発掘調査の成果が大半のため、収蔵先は北京故宮に集中しており、台北故宮は皆無に等しい。


 今、北京と台北の故宮を近づける1つのプロジェクトが進行している。両故宮展の日本開催である。
  司馬遼太郎平山郁夫などの文化人やマスコミが政治を動かし、台湾が求めていた美術品の差し押さえ免除の法律(海外美術品等公開促進法)も昨年秋の日本の通常国会で成立、環境は整った。

 昨年末の台湾総統選で再選された国民党の 馬英九総統は、昨年5月の著者のインタビューに「二〇一三年の実現が適切なタイミングかもしれない」と踏み込んだ発言をした。
 中国も「中華を中台の絆として強調するため、中台故宮の交流を巧みに政治利用している」と、著者は分析している。一方で、清朝末期から世界に拡散していった文物が中国に戻っていく時流もはっきりしてきた。
中国と台湾に存在する「ふたつの故宮博物館」は、歴史の生き証人であると同時に、中華世界の未来を見極める指標なのである。


 ところで、この本にちょっと気になる記述がある。 「台北故宮には『三宝』と呼ばれる三つの超人気収蔵品がある」という。 1つは、白菜をかたどった翡翠彫刻の傑作 「翠玉白菜」。2つ目は、豚の角煮をメノウ類の鉱物を使って掘り上げた 「肉形石」。 最後が、北宋の都の生活を描いた 「清明上河図」。なんと、このほど東京国立博物館に北京故宮から持ち込まれて人気を読んだ「清明上河図」と同じ名前である。
 この2つは、同じ作品が分割されて両故宮に存在するのか、それとも別の作者の作品なのか?
 両故宮展の日本開催が、ますます待たれる。

北京の故宮博物院(紫禁城)の建物と文物(2009年9月)
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2011年12月26日

読書日記「獅子頭(シーズトオ)」(楊逸(ヤン イー)著、朝日新聞出版)、「おいしい中国 『酸甜苦辣』の大陸」(同、文藝春秋)



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 半年ほど前だったろうか。通っている中国語教室の教科書に 「紅焼獅子頭(ホンシャオシーズトオ)」という中国料理が載っていた。

 そんなことがきっかけで、表題の「獅子頭(シーズトオ)」を図書館で借りてみたくなった。この 作家をこのブログで書くのは 「時が滲む朝」以来。朝日新聞の連載だそうだが、いささか荒っぽい筋立てが気になって・・・。

 根っからの食いしん坊。小説の展開より「獅子頭」をはじめとする中国料理の記述に眼がいってしまった。

 貧村出身の主人公、二順(アール シュン)は、入団した雑技団から選ばれて上海公演に参加、有名なレストランでの打ち上げパーティに出る。

 
次は巨大な肉団子の入った土鍋が運ばれた。
 狐色のソースをたっぷりとかけられ、獅子の長いたてがみを見たてた細い千切りの生姜は、まんべんなく丸っこい肉団子を覆っている。箸でつっつくと、肉汁がジワッと中から滲み出て、思わず涎も垂れてしまいそうになる。


  中国の検索エンジン 「百度(バイドウ)」で見ると、「獅子頭」は、 淮河 長江(揚子江) の下流一帯のこと。昔は、 呉越と呼ばれた土地。著者によると「東北料理の暴走する塩味と四川料理の命がけの辛さ」とは異なる食文化を伝承してきた。

 雑技団を辞め、料理店に修業に入った二順に、店主はこう言ってきかす。

 
淮揚地方は海に近く、湖沼が点在する平野地帯で、湿潤で暖かい気候にも恵まれているし、一年中作物が取れるし、淡水の水産物も海産物も豊富だから、料理は食材の鮮度を大事にできるんだ。食材の味を最大限に生かすためにも、あっさりとした味付けになる。また少し甘みを加えることで、ふわふわとした柔らかい食感にうまみを増し、食事によく飲まれる淡くほろ苦い緑茶にもよく合っているんだ。


 
1949年 毛(マオ)主席が天安門で、新中国成立を宣言した後の開国宴も、淮揚料理だったんだ。


 二順は、醤油で煮込んで赤い色をしている「紅焼獅子頭」だけでなく、塩を少し入れるだけで蒸した 「清蒸(チンチェン)獅子頭」にも挑戦していく。

 
味付けした挽肉に、更に生姜汁をかけ、上に卵の黄身を落とした。雲紗(店主の娘で、二順の恋人)の細い手が菜箸で素早く掻き混ぜていく。
 二順は火にかけた鍋に、水を入れ、温度を測ってから真水につけていた蟹を入れた。塩を加えた後、じっと見つめ、蟹がきれいな赤に変わった瞬間に、ぱっと火を止め、隣のアミのかかった大鍋に、蟹もお湯も掛け流した。


 だが、店主の評価は厳しい。
 
(挽肉の)新鮮さは大事だけど、でも高けりゃいいってわけじゃないよ。料理に合うか合わないかを考えないと。肉の赤身が多すぎたな。脂身が少ないから、食べると肉汁も少ないし、滑らかな食感を出せなかったんだ。


 「獅子頭」は、この店の名物料理になり、二順は日本の有名中華料理店に派遣されることになる。

 ここで開発したのが上海蟹を使った冬のスペシャルメニュー 「蟹粉(シイエフェン)紅焼獅子頭」

 
シルバーのラインで縁取った白い楕円形の皿に、湯通ししたチンゲン菜の葉を敷き、その上に野球ボール大の獅子頭を一つ載せ、黒酢風味の利いた甘口のあんをたっぷりとかけた後、赤い上海蟹の肉を混ぜた蟹味噌を一つまみして整え、獅子頭の上に添える。


 この本の「あとがき」によると「食いしん坊とはいえ、料理に全くの素人」の作者は、横浜中華街の著名中華レストラン 聘珍樓に「取材させていただき、獅子頭を作ったことのない料理長は、わざわざ上海からレシピを取り寄せて、作ってくださった」とある。

 先日、たまたま聘珍樓の大阪店である方にご馳走になる機会があった。「獅子頭はありますか」と、注文を聞きに来た従業員に試しに尋ねてみたが「厨房に聞いてみます」と言ったきり、忙しかったせいか回答はなかった。「淮揚・獅子頭」はいまだに幻の料理のままである。

 「おいしい中国」は、「『酸(スワン=すっぱい)甜(ティエン=あまい)苦(クウ=にがい)辣(ラア=からい)』の大陸」という副題からも中国料理の文化史かなと思ったが、著者の貧しくても豊かだった幼少時代からの食生活回顧録だった。

 中国最北、ハルビン(中国名・哈尔滨=ハアアルピン)市に育った著者の家では、11月から春にかけては家の外にある野菜貯蔵の穴蔵が天然の冷凍庫だった。一番の好物は冷凍ナシだったが「氷糖葫芦(ビンタンフウルウ=串でつなげた酸っぱいサンザシをキャラメルで固めたもの)」が、冬限定のおやつだった。

 
外は氷のようにパリッとしたキャラメルが甘く、中は酸っぱいサンザシと融合した食感といい、味といい、たまらなかった。


 中国のお正月、 春節の丸ひと月の間、とにかく「粗糧(ツーリャン)=白い色をしていない雑穀類」を食べないよう、そして働かないようにするのが中国のならわしであるため、1月に入ると 餃子(ジャオズ)など大量の用意しなければならない。

 
(餃子や 饅頭(マントオ)など糧食の他、肉、魚も我が家の食卓を賑わせた。
  「红扒肘子(ホンタウチョウズ」(豚の骨付き脛肉の醤油イメージのもの)、 「香菇焖肉(シャンタウメンロウ)」、 「溜肉段(リュウロウトュアン)」 「干炸刀魚(ガンツア―タオイイ)」 「红烧鯉魚ホンシャオリイイイ」 「清蒸黄花魚」などのメインデイシュが日替わりで食べられる。とりわけ魚は、発音が「余」と同じであるため、中国の縁起料理になっている。


 貧しいながらも、みんなが楽しん生活も長くは続かなかった。 文化大革命期の1970年、教師をしていた両親は、ハルビンよりさらに北の辺鄙な農村に 下放されることになり、一家は引越しを余儀なくされた。

 与えられた家は、ドアも窓も吹きさらしの露天同然の廃屋だった。「傍らに座った母の、微かに震える背中から、おえつが響いてくる」。電気、ガス、水道もなく、照明用のろうそくも定量供給制だった。
 田んぼで働くかたわら、家の周囲に野菜畑を作り、家畜を飼った。稲作は出来ず、トウモロコシが主食。夏は、キュウリとトマトを菜園から取ってきてかじった。

豚の食べ方はハルビンと変わらなかったが、豚を解体した時に出る血に少量の塩を加えて蒸す「血豆腐(シイエトウフ)」はさっぱりした味。冬は、ナス、インゲン豆、大根を干した「干菜(ガンツアイ)」と白菜の漬物 「酸菜(スワンツアイ)」でしのいだ。千切り酸菜を豚骨スープに入れ、太めの春雨と一緒に煮込めば、東北の名物料理 「酸炖粉条(スワンツアイトウンフェンティアオ)」が出来上がる。

「日本に来る直前までの、生まれてから二十二年間は、貧しい食生活だったが、こうして文字に書き出したことによって、かっては味わったことのない郷愁が、じわじわとにじみ出てきた」。著者は、最後のページでこう書いている。東京新聞夕刊の連載コラムだった。

 (追記)本棚にあった 「中国食紀行」(加藤千洋著、小学館)という本をパラついていたら「毛沢東が愛した農民の味」という1章があった。

 毛沢東は、開国宴に淮揚料理を選んだが、 湖南省の農民の子だっただけに、 湖南料理が好物だったらしい。なかでも、特に好んだ料理を「毛家菜(マオジャアツアイ)と呼ぶらしい。
 北京には、毛沢東の専属コックとして仕えた人が最高顧問の「天華毛家菜大酒楼(テイエンフウアマオジャアツアイダアジオウロウ」というレストランがあり、入り口の金色に輝く毛像が鎮座している、という。

そこの店長におすすめの料理を聞いたら、たちまち 紅焼肉(ホンシャオロウ=豚肉のしょうゆ煮込み)、 油炸臭豆腐(ヨウツア―チョウトウフ=発酵させた豆腐をあげたもの)、 炒肚糸(チャオトウスー=豚の胃袋の千切り炒め)、 東安鶏(トンアンチー=鶏肉とネギの煮込み)などをあげた


2011年2月14日

読書日記「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(加藤陽子著、朝日出版社)

それでも、日本人は「戦争」を選んだ
加藤 陽子
朝日出版社
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 歴史学者の加藤陽子・東大文学部教授が、鎌倉・栄光学園の歴史研究部の中高生20人弱を対象にした5日間の講義をまとめた本。教授は、世界大不況から始まる1930年代の外交と軍事が専門、という。
 なんどか図書館で借りながら返却期限が来てしまっていたが、3度目の正直でやっと読み終えた。加藤先生の視点も"目から鱗"だったが、中高校生とのやりとりもすこぶるおもしろい。

 最終5章の「太平洋戦争」から読み始めた。

 このブログでも、この戦争に昭和天皇がどうかかわったかについて書かれた本についてふれた。
 加藤教授によると、この戦争に踏み切るかどうかのポイントは「英米相手の武力戦は可能なのか、この点を怖れて開戦に後ろ向きになる天皇」を、軍首脳がどう説得できるかにかかっていた。

 そこで軍が持ち出したのが、なんと大坂冬の陣だった。
 永野修身軍司令部総長は、1941年9月6日の御前会議でこういった。

 避けうる戦を是非とも戦わなければならぬという次第では御座いませぬ。同様にまた、大坂冬の陣のごとき、平和を得て翌年の夏には手も足も出ぬような、不利なる情勢のもとに再び戦わなければならぬ事態に立到(たちいた)らしめることは皇国百年の大計のため執るべきにあらずと存ぜられる次第で御座います。


 「このような歴史的な話しをされると、天皇もついぐらりとする。アメリカとしている外交交渉で日本は騙されているのではないかと不安になって、軍の判断にだんだん近づいてゆく」
 「戦争への道を一つひとつ確認してみると、どうしてこのような重要な決定がやすやすと行われてしまったのだろうと思われる瞬間があります」

 4章「満州事変と日中戦争」では、新聞写真などでよく見る国際連盟脱退を宣言退場していった松岡洋右全権のイメージが変わる事実が明らかになる。実は松岡全権が脱退に反対、強硬姿勢を改めるよう首相に具申していた電報が紹介されているのだ。

 申し上げるまでもなく、物は八分目にてこらゆるがよし。いささかの引きかかりを残さず奇麗さっぱり連盟をして手を引かしむるというがごとき、望みえざることは、我政府内におかれても最初よりご承知のはずなり。・・・一曲折に引きかかりて、ついに脱退のやむなきにいたるがごときは、遺憾ながらあえてこれをとらず、国家の前途を思い、この際、率直に意見具申す。


 ところが、陸軍が満州国で陸軍が軍隊を侵攻させたことが国際連盟の規約に違反、世界を敵に回すことが分かり、日本は除名されるよりはと、脱退せざるをえなくなってしまう。

 これも「目から鱗」。日中戦争が始まる直前の1935年に「日本切腹、中国介錯(かいしゃく論)を唱えた中国の学者が紹介されている。北京大学教授で、1938年に駐米国大使になった胡適だ。

「(日中の紛争に)アメリカやソビエトを巻き込むには、中国が日本との戦争をまずは正面から引きうけて負け続けることだ。・・・その結果、ソ連がつけこむ機会が生まれ、英米も自らの権益を守るため軍艦を太平洋に派遣してくる」
 以上のような状況に至ってからはじめて太平洋での世界戦争の実現を促進できる。したがって我々は、三、四年の間は他国参戦なしの単独の苦戦を覚悟しなければならない。日本の武士は切腹を自殺の方法とするが、その実行には介錯人が必要である。今日、日本は全民族切腹の道を歩いている。


 「歴史の流れを正確に言い当てている文章」を聞いた栄光学園の受講生たちも、一斉に「すごい・・・。」

 これには続きがある。あの南京・傀儡政権の主席だった汪(おう)兆銘が、35年に胡適と論争しているのだ。
 「『胡適のいうことはよくわかる。けれども、そのように三年、四年にわたる激しい戦争を日本とやっている間に、中国はソビエト化してしまう』と反論します。この汪兆銘の怖れ、将来への予測も、見事あたっているでしょう?」

 第2の章の「日露戦争」では、この戦争の「なにが新しかったか」について、ロシア側で若き将校として戦ったスヴェーチンという戦略家の著書を慶応大学の横手 慎二教授の研究成果として紹介している。

 日本の計画の核心は、異なるカテゴリーの軍、つまり陸軍と海軍を協調させることに向けられていた。この協調によって、なによりも、大陸戦略の基本となす、軍の力の同時的利用という考えを拒否することになった。日本軍の展開は同時的なものではなく、階梯(かいてい)的で、陸と海の協調を本質とするものであった。


 旅順の攻防戦で、日本陸軍の第三軍司令官だった乃木希助に、海軍秋山真之(さねゆき)は毎日のように手紙を送り、頼み込んだ。

 実に二〇三高地の占領いかんは大局より打算して、帝国の存亡に関し候(そうら)えば、ぜひぜひ決行を望む。[中略]旅順の攻防に四、五万の勇士を損するも、さほど大いなる犠牲にあらず。彼我(ひが)ともに国家存亡の関するところなればなり。


 のべで十三万人いた第三軍は戦死者が七割にのぼる大損害を受け「結局、秋山の願いとおり、・・・日本海海戦に間に合わせることができた」

 「序章」で加藤教授はまず、2001年に9・11事件と、日中戦争開始後の1938年に近衛文麿首相が出した「国民政府を対手(あいて)とせず」という声明には共通点がある、と切り出す。

 「9・11の場合におけるアメリカの感覚は、戦争の相手を打ち負かすという感覚よりは、国内社会の法を犯した邪悪な犯罪者を取り締まる、というスタンスだったように思います」
 「日中戦争期の日本が、これは戦争ではないとして、戦いの相手を認めない感覚を持っていた」

 「時代も背景も異なる二つの戦争をくらべることで、三〇年代の日本、現代のアメリカという、一見、全く異なるはずの国家に共通する底の部分が見えてくる。歴史の面白さの真髄は、このような比較と相対化にあるといえます」

 ウーン、確かにおもしろい!

 ▽最近読んだその他の本
  • 「錨を上げよ 上・下」(百田尚樹著、講談社)
     上、下巻合わせて1200ページという膨大な本を飛ばし読みした。著者の本を、このブログでふれるのは5冊目(「永遠の0」  「聖夜の贈り物」(文庫化で「輝く夜」に改題)  「影法師」  「ボックス」)にもなったが「永遠の0」以外は、なんとなく図書館で目の前にあったものばかり。
     この本、なんと「幻の小説第1作がベース」(2010年11月30日付け読売夕刊)だという。駆け出し時代に書いたが、思いもよらない長編になってしまい「ベストセラー作家にでもならんと発表できんな」と屋根裏にしまいこんで忘れていたらしい。道理で、他の著作に比べて作風が違う。
     自伝風青春小説なのだが、とにかくなんでもあり。ガキ大将が、落ちこぼれの高校に入って初恋をしてふられ、発奮して関西学院大学に入るが、嫌気がさして中退して東京へ。やくざの下働きから逃げ出して、根室で密漁船の船長に。放送作家として幸せな結婚をするものの、妻の不倫で離婚、女性を日本に送り込む仕事を頼まれタイに渡るが、麻薬売買に巻き込まれそうになり、ほうほうのていで大阪へ・・・。
     とにかく、主人公の限りないエネルギーと、女性にほれっぽい真剣さに感服。今年の本屋大賞の候補になったようだが、さて?
    錨を上げよ(上) (100周年書き下ろし)
    百田 尚樹
    講談社
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  • 「パタゴニアを行く――世界でもっとも美しい大地」(野村哲也著、中公新書)
      「BOOK」データベースから、この本の紹介を引用する。
     パタゴニアは、南米大陸の南緯40年以南、アンデス山脈が南氷洋に沈むホーン岬までを含む広大な地だ。豊かな森と輝く湖水が美しい北部、天を突き破らんばかりの奇峰がそびえ、蒼き氷河に彩られる南部、そして一年中強風が吹き荒れる地の果てフエゴ島...。変化に富む自然に魅せられて移住した 写真家が、鋭鋒パイネやフィッツロイ、バルデス半島のクジラ、四季の花や味覚、そして人々の素朴な暮らしを余すところなく紹介する。

     パタゴニアについては「パタゴニア あるいは風とタンポポの物語」(椎名誠著、集英社文庫) でも少しは知っていたが、これほど多くの自然がそろっている土地であるとは。
     「行きたい」「この年で・・・」。そんな思いが消えては浮かんでいくなかで繰っていくページにあふれるカラー写真がすばらしかった。
    カラー版 パタゴニアを行く―世界でもっとも美しい大地 (中公新書)
    野村 哲也
    中央公論新社
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2010年10月20日

読書日記「終わらざる夏 上・下」(浅田次郎著、集英社刊)

終わらざる夏 下
終わらざる夏 下
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浅田 次郎
集英社
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おすすめ度の平均: 3.5
4 それぞれの人生
2 消化不良気味
4 恥ずかしながら・・・
5 全国民必読の書!
5 素晴らしい群像劇にして反戦小説の傑作。


 戦争末期、召集令状が来るはずのない3人の男に赤紙が舞い込んだ。赴いた先は、北海 道から1200キロも離れた千島列島の最北端、占守(シュムシェ)島だった。

  1人は、召集年限ぎりぎりの45歳になる翻訳出版社の編集長、片岡直哉。敵性言語 である英語が使えることがあだとなった。
 盛岡に向かう応召列車のなかで片岡は思う。

 召集令状が本籍地に届けられる。・・・郷里からの電報を受け取ったとたん、いっさいを抛(なげう)って原隊に馳せ参じなければならない。・・・。
  年齢も服装もまちまちの男たちが、虚ろな表情だけが同じだった。それまで営々と築き 上げてきた人生が、一瞬にして夢となってしまった顔である。


  2人目は、「鬼熊」の異名を持つ歴戦の勇士、富永熊男軍曹。手の指を何本も失ったす えに金鵄勲章を受けた。4度目の応召だった。

 勇敢な兵隊から順繰りに死ぬのが戦争だがら、生ぎて勲章をもらう兵隊など、おるはずがねえ。んだばなして貰ったがどいうど、百五十円の恩給に目がくらんだからだ。ハハ ッ、卑怯者だな。
  もうハ、わしは死ぬごどなどおっかねぐも何ともねえども、・・・死なね。アメ公が上陸してきたら、まっさぎに降参してやる。勅諭戦陣訓もくそくらえじゃ


 最後の一人は、医専で医師の免許を得て、帝大の医学生になったばかりの菊池忠彦。

 まことのお国の宝は、国民であんす。そのかけがえのねえお宝を守るのが、医者の務めでありあんす・・・。すたけアわしは必ず盛岡さ帰(けえ)って、百姓の脈こを取らせていただきあんす


 この異例の召集を画策したのは、方面軍参謀の吉江恒三少佐。
  日本の無条件降伏が近いと読んだ吉江参謀は、秘密裏に米軍との和平交渉を有利に進め るため、通訳を一個師団ごとに配置する計画を立てる。

 すべては機密裏に行わなければなりません。今このときにも日本は戦い続けており、本土決戦が帝国陸海軍の総意なのですから。五百四十万人の兵隊の間をすり抜けて、たった二十三人の終戦工作員を最前線に送り込むのです。しかもその計画は正当な作戦では ない。ひとりの動員参謀が、かくあるべしと信じて帝国陸軍を私する行為にほかならないのです。


  占守(シュムシェ)島に召集された片桐は、アルーシャン海峡を越えて進駐して来るであろう、米軍との交渉通訳を命令される。鬼熊、菊池医師はアテ馬だった。

  しかし攻めてきたのは、ソ連軍だった。1945年8月15日、日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏した3日後、ソ連軍は占守(シュムシェ)島北部、竹田浜に上陸した。

  実は、占守(シュムシェ)島には、新式戦車60輌、2万3000の精鋭が温存されていた。対するソ連軍は、戦車の援護もないなかでの約8000人。日本軍の圧勝だった。

 占守(シュムシェ)島の戦いについて著者は詳しく書いていない。しかし、戦後の国家権益確保に走る国家の理不尽な命令に従わざるをえなかったソ連兵士の悲哀と死にページを割いている。

  8月24日、日本軍は圧勝しながら降伏し、兵士たちはシベリアに送られ、ほとんどが 死亡した。

 さらに著者は「不思議な戦争の姿」を描くために、なん人かの脇役に語らせている。

  長野の疎開先から抜け出した片岡の一人息子、譲は、列車のなかで渡世人の萬助にささやかれる。

 二度と、戦争はするな。戦争に勝ち敗けもあるものか。戦争をするやつはみん敗けだ。・・・一生戦争をしないで畳の上で死ねるんなら、そのときは勝ちだ。じじになってくたばるとき、本物の万歳をしろ。わかったか


 この本は、片岡直哉が残したという想定のヘンリーミラーの「セクサス」の抄譯で終わる。
セクサス―薔薇色の十字架刑〈1〉 (ヘンリー・ミラー・コレクション)
ヘンリー ミラー
水声社
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 僕の大切なもの。何もてかけがえのない、僕の寶物、けして傷つけ悲しませてもならぬ、僕の命などより遥か遥かに愛しきもの。
 僕は彼女の脚を吊り上げて首に絡めた。そしてぶらんこのように揺すった。
 毀れぬやうに。毀さぬやうに。
 僕らが住まふ、地球の法則に順って、ゆらり、ゆらり、と。
 いつまでも、盡きることなく。


<▽最近読んだ、その他の本
  • 「精霊の王」(中沢新一著、講談社刊)
     縄文時代から伝わり石の性神「シャグジ」を主軸に、古い昔から伝えられてきた精霊について語る不思議な本。
      中世の貴族が蹴鞠をする時、鞠の精はその周辺で遊び、蹴鞠が終わると森のなかの木に 戻っていくという話し。胞衣(えな)信仰ザシキワラシ・・・。縄文の昔から伝承されてきたことが、現代に生きているフシギ。

     
  • 「神父と頭蓋骨  北京原人を発見した『異端者』と進化論の発展」(アミール・D ・アクゼル著、林 大訳、早川書房刊)
    。その発見にかかわった一流の古生物学者、地質学者であり、イエズス会士であったピエ ール・テイヤール・ド・シャルダン神父を主人公にしたドキュメンタリー。
    今は、北京原人は人類の祖先ではないというのが定説になっているそうだが、その発見 までの息詰まる展開。進化論を巡る神父とイエズス会本部との葛藤。神父の結ばれない恋 ・・・。

  • 「都市をつくる風景  『場所』と『身体』をつなぐもの」(中村良夫著、藤原書店刊)

    著者は、長く日本道路公団で実務にかかわり、東京工業大学などで教えた景観工学の生 みの親。
    かって日本の都市は、町屋の坪庭、社寺のみどりがあふれる「山水都市」であった。そ れを近代化の波がズタズタに切り刻んだ、と著者は嘆く。国会議事堂のシルエットをだい なしにした高層ビル群、高速道路の高架橋に挟まれて建てられた国立のオペラハウス(新 国立劇場)・・・。
    反対に、風景やアメニティのなかに新しい豊かさを発見した英国などの例を挙げ「風 景」によって都市と市民をつなぎ直すべきだ、と呼びかける。

  • 「火群(ほむら)のごとく」(あさの あつこ著、文藝春秋刊)
     「バッテリー」シリーズで数々の児童文学賞を得た著者 が挑戦した青春時代小説。
      剣の道に精進する少年たちに襲ってくる藩政の争い、大人になることへの戸惑い、兄嫁 への許されない思慕・・・。様々な青春の思いのなかで、少年は凛と生きようとするさわやかさ。
     前髪を落とし、家を背負い、務めを果たして生きていく。身分があり、家柄があり、しきたりがある。越えようとして越えられない諸々の壁画が目の前に立ち塞がるのだ。 ・・・   一人前になりたい。あの人を守りたい。けれど、自由でいたい。絡みついてくることご とくを断ち切って、自分の思いのままに生きてみたい。


  • 「世界でいちばん小さな三つ星料理店」(奥田透{銀座小十・店主}著、ポプラ社刊)
     ミシュランガイド東京で2年続きで三つ星に選ばれた、銀座の日本料理店「小十」店主の"自叙伝"。
      高校をを出てすぐに日本料理の修行を始めるが、いくつ目かに入った徳島の名店「青 柳」の大将に言われた言葉がいい。
     ひと言で「鯛」といっても千差万別。そのときどきの鯛の状態をよく見極めたうえで、その鯛がいちばん美味しくなるように料理をしなければ、一生かかっても料理は巧くならない。料理は・・・どれだけたくさんのことに気づいて、それをどうとらえて処理するかが大事なのだ、


2010年9月24日

津和野紀行・下 「安野光雅美術館」と三国志の世界(2010・7・18-19)



 安野光雅美術館は、津和野の駅から数分のところにある白壁と赤い煉瓦のコントラストが見事な堂々とした和風建築だ。

  入場すると「すぐにプラネタリウムが始まる」という。津和野の夜空を彩る星座群を眺めながら心地よい午睡を愉しみ、第1展示室へ。幸運なことに、見逃していた「『安野光雅 繪本 三国志』展 ~中国、悠々の大地を行く~」が、開催されていた。

 入口に行程図があった。安野光雅画伯は、中国文学者の中村愿(すなお)氏とともに2004年から約4年にわたって「魏・蜀・呉」三国の歴史を巡った。この展覧会には、1万キロに及んだ旅の成果98枚が展示されている。

 これが「繪本」だろうか。
  淡い絵具で描かれた黄河や長江、山河の大作があり、三国志時代の「露天市場」がある。もちろん「曹操出盧」「荷進暗殺」「赤壁の戦い」「流星未捷(諸葛亮の死去)など、三国志おなじみの人物が安野ワールドらしいきめ細かなタッチで描きこまれている。

  美術館で買った図録「安野光雅  繪本 三国志展」のなかで、画伯は「少しでも中国に近づ くために」未晒し(みさらし)の絹本(けんぽん)を用い、黄河、長江の土、敦煌の砂から作った絵具も使った、と書いている。紙の実用化に功績のあった 蔡倫の記念館を訪ねて、はじめて作られたのと同じ技法の紙を使った作品もある。「長江群青(ぐんじょう)」という作品の山腹を彩る見事な蘭青色の絵具、ラピスラズリは、北京の画材店で求めた、という。

 作品に押されている落款印は、日本の小林 斗盦(こばやし とあん)や中国の有名な篆刻家らに依頼、それらの作品がガラスケースに入れて展示されていた。

  宿に帰って図録を眺めていたが、どうももの足りない。翌朝、美術館の開館を待って安野画伯が書いた「繪本 三國誌」を購入した。
  A5大横開きの大型本で、A5大の絵画作品ごとに2ページにわたる画伯の説明文がつ いている。これは、そのまま読み応えのある「安野 三國志」である。
sangokusi.jpg
繪本 三國志
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安野 光雅
朝日新聞出版
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おすすめ度の平均: 5.0
5 世界にひたれます。


  もう1冊、衝動買いしたのが、三国志取材旅行に同行した中国文学者の中村愿(すな お)氏が著した「三国志逍遥」(山川出版社)。著者のサインがあった。安野画伯の作品を随所に挿入した「共同作業」の本だという。
三國志逍遙
三國志逍遙
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中村 愿 安野 光雅
山川出版社
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 おもしろいのは、明代に書かれた歴史小説「三国志演義」や、最近ヒットした映画「レッドクリフ(赤壁)」で、悪者になっていた魏(ぎ)の曹操を高く評価していることだ。

 
 後漢王朝の衰弱のみならず、世の中の人びとと共に歩むべき政治家・軍人たちの道義が地に落ちきった時代にあって、曹操ほどひたむきに文・武の字義に違わぬよう生きる努力をした為政者が他にいただろうか


 この本が脱稿される寸前に「曹操の墓を発見」というニュースが流れた。
 ニセものでは?という論議もあるようだが、前の奈良文化財研究所長の町田章氏は、先日の読売新聞で「副葬品の銘文からも間違いないだろう」と書いている。

 三国志ブーム再燃の気配である。

 津和野から帰って、図書館で 「三国志談義」(安野光雅、半藤一利著、平凡社)を借りた。
三国志談義
三国志談義
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安野 光雅 半藤 一利
平凡社
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おすすめ度の平均: 3.0
3 もっと三国志してるかと...


 2人が「三国志」の舞台となった黄河、長江流域の遺跡への旅を語りあい、曹操 、劉備ら英雄・豪傑や孔明周瑜など軍師、謀将を人物評を採点し合うのがおもしろい。  三国志に出てくる「蟷螂の斧」 「豚児」 「涙をふるって馬謖(ばしょく)を斬る」 「死せる孔明、生ける仲達を走らす」などの名言至言についての半藤のうんちくもナルホドと・・・。
  最後の章では、日本の俳句や川柳に読みこまれた名場面を解説しており「三国志」がここまで日本人の心のなかに溶け込んでいたのか、と感心させられる。

 月刊・文藝春秋で、宮城谷昌光が「三國志」を連載している。先月号では、孔明が死去するところまで書き進められていた。先日、本屋をのぞいたら、すでに9巻目の単行本になっている。
三国志 第一巻
三国志 第一巻
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宮城谷 昌光
文藝春秋
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おすすめ度の平均: 4.5
5 宮城谷版『三国志』は揚震からはじまる。
5 文芸春秋で見かけて、最近ハマりました。
4 正史中心
5 三国志最高峰
5 これこそ次世代三国志


  1冊ずつ、図書館で・・・。短い夏の初めに始まった"三国志逍遥"はまだながーく続きそうだ。

2009年10月 3日

北京紀行「書店巡り、そして国慶節前夜」


 北京の街をのぞいてきた。

  実質2日半という短い日程だったので、北京に6つある世界遺産のいくつかを見られれば、というぐらいの気楽な気持ちで出かけたが、なかなか・・・の旅でした。

 ホテルでチェックインをすませた午後2時半。さっそく近くの地下鉄・建国門駅から1号線で2駅目の王府井駅で降り(地下鉄は一律2元=約26円)、出版社の「商務印書館」を目指した。北京最大の繁華街・王府井大街を北に向かって歩く。

 路の一部は歩行者天国となっている。日曜日とあって大変なにぎわい。おのぼりさんのように、左右をキョロキョロ見ながら10数分。あった、あった、路の向かい側に。現地の人のまねをして、自動車やバスを避けながら路を横切った。この出版社の1階に小売部があるのだ。
 この出版社が出している「现在汉语实词搭配词典」という中国語の辞書を買うのも、今回の目的の1つ。週に1回通っている神戸の中国語教室の先生に勧められた本で、動詞や形容詞などの正確な配列を調べられる。

 私の実力ではちょっと手に余るのだが、たった30元(約400円)の小型の辞書なので、教室の同級生である中国語の使い手たちへのみやげになるかとも考えた。
 ところが出版元というのに、店員の答えは「没有(ありません)」。しかたなく「日语常用词搭配词典」(日本常用語配列辞典)というのを46元(約605円)で衝動買いした。この本、なんとほこりだらけ。レジの横にほこりを取る台みたいなものでぬぐい、袋のも入れないで渡された。店頭に並べられた写真集をパラパラめくってみたが、やはり黄砂らしい砂ぼこりが指先につく。ホテルの窓から見たどんよりした空の犯人はこれか、と気付いた。

 バス(1元=約13円)で地下鉄・王府井駅に戻り、西へ3つ目の西単駅で降りる。この駅の真上に中国語教室の先生に教えてもらった北京最大の書店、北京図書大厦がある。その広さ、混みよう、日本の「ジュンク堂」も顔負けだ。買い物客はスーパーにあるような台車付きのワゴンに本をいっぱい詰め込んでレジに並んでいる。
 辞書コーナーは、8階建てのビルの3階。店員も多く、担当も細かく分かれているようだ。やって来たちょっとやくざっぽいお兄ちゃんに頼むと、書棚をひとわたり眼で追って「没有」。たった一言を残して、さっさと消えてしまった。いささか、あ然!

 ホテルのフロントに相談することにした。翌日、フロントにいた「高」という名札を付けた若い女性に事情を話すと、さっそく中国最大の検索エンジン「百度」で調べてくれた。確かにこの本は写真付きで載っている。その下に書店のリストが記載されている。なんと高さんは、2日にわたって18の書店に電話してくれたが、いずれも「没有」。

 「インタネットで購入してみてもいいですか」と、高さん。「ぜひお願いします。できれば5冊ほしいのですが・・・」。
 日本に帰る朝、上司であるフロントの男性の携帯電話に非番らしい高さんからメールが入った。「出版元から今、連絡がありました。この本は現在、廃番だそうです」。

 「お世話をかけました、ありがとう高さん」。名刺の裏につたない中国語で感謝の言葉を書き、上司の男性に託した。

 10月1日の建国60周年を祝う国慶節パレードも終わったが、北京を訪ねた9月末の街は、厳しい警戒ムードと国慶節の準備を急ぐ華やいだ雰囲気が交錯していた。

 繁華街の王府井大街でさえ、パトカーなどの警察車が何台も止まり、武装警察官が機関銃めいた銃を持って警戒、警察犬を連れた警官が常時、パトロールしている。中国の公安組織がよく理解できないが制服も様々で、人民軍兵士も警戒に参加しているらしい。

 一方、世界一広いといわれる天安門広場には、国慶節のパレード用なのだろう、幅50メートル、高さ8メートルという長大なLEDスクリーンがデンと据えられ、広場の両側には、赤と金色で彩った巨大な柱が計56本、並べられている。柱には、漢民族と55の少数民族を示すイラストが描かれている。  建国50周年の時と比較にならない異常な警戒体制は、最近頻発したチベットや新疆ウイグル自治区で起こった騒動を意識したものだろうし、56本の柱は、他民族国家・中国の民族間融和を改めて狙ったものらしい。

 10月1日。国慶節の式典をインターネットの生中継で見ていたら、チベット自治区のパレードカーには「調和のとれたチベット」、新疆ウイグル自治区の車には「天山(山脈)からの祝意」と書かれていた。

 世界遺産・天壇公園でも、国慶節の準備のために北京市の花といわれる月季花(チャイナローズ、庚申バラともいう)の花壇が整備され、世界遺産・故宮(紫禁城)を一望できる景山公園の階段のてすりを取りかえる作業も急ピッチ。胡同見物の人力車が集まる什刹海公園の道路わきには北京の木、アカシアの白い花から甘酸っぱい匂いが流れていた。
 そして、世界遺産の万里の長城の広大な景観や故宮の折り重なるように連なる瑠璃瓦に感じ取れる中国の長大な歴史・・・。

  そんな景観を楽しむ観光客に交じりながら、この国の広さと複雑さに少しふれられた気がした。

王府井の歩行者天国:クリックすると大きな写真になります王府井小吃街の串焼き屋さん:クリックすると大きな写真になります北京最大の書店、西単・北京図書大厦ビル:クリックすると大きな写真になります同書店の広大な売り場:クリックすると大きな写真になります
王府井の歩行者天国。
若者たちのカジュアル姿は、意外に地味な感じ
王府井小吃街の串焼き屋さん。
生きたサソリ、カイコの幼虫、ムカデのから揚げ、あります。
北京最大の書店、西単・北京図書大厦ビル同書店の広大な売り場。一番奥には、天井までのカギ付きガラス書棚が並び、屈強な男性が客の求めで、本を取り出してくれる
防弾チョッキと銃で警戒する武装警察隊員クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります
防弾チョッキと銃で警戒する武装警察隊員。
見て見ぬふりで通り過ぎる人、カメラを向ける人・・・(王府井大街で)
国慶節のために用意された各民族のイラストが入った柱の列(天安門広場で)天安門広場にデンと据えられた大型LEDスクリーン。かなり鮮明な画面だ天壇公園を彩るペキンローズの花壇
クリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります
景山公園から一望できる故宮。夕日の瑠璃瓦が輝く北京の木、アカシアの花が匂う下で、胡同見物の客を待つ人力車(什刹湖公園で)延々と山なみを縫う万里の長城北京の古典芸術、京劇。
観客の半分を占める米国人観光客がしきりにカメラを向けていた(演目は白蛇伝、湖広会館で)
13_P1050836.JPGクリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になりますクリックすると大きな写真になります
広大な骨董品市場・潘家園旧貨市場。陶磁器、玉、メノウ・・・なんでもあります羊肉しゃぶしゃぶの名店・東来順王府井店。炭火でたく火鍋に入れた具をゴマだれで食べる庶民の味、炸酱麵の老舗・老北京炸酱麵大王北京ダックが焼けるのを待つコックさんたち(北京大董烤鸭・南新倉店で)


2009年6月11日

読書日記「時が滲む朝」(楊逸著、文藝春秋刊)

時が滲む朝
時が滲む朝
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楊 逸
文藝春秋
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おすすめ度の平均: 3.0
3 中国人が書いた日本語小説というジャンル
3 こなれてないのが味わいに
2 芥川賞とブンガクの劣化、ここに極まる
2 申し訳ないが、率直な感想
4 けりがつけれないけど、時が流れる


 ちょっと、ブログを書く時間が空いてしまった。風邪気味が続いた(新型ではありません)こともあるが、何冊か読んだ本はどうしてもブログに書く気にならず、他の本を探したくても情報源の芦屋市立図書館が新型インフルエンザ対応や所蔵図書の整理とかで休館続き。

 しかたがなく、居間のワゴンに1年近く積読してあったこの本に手が伸びた。しかも読んだのは、表題の単行本ではなく「芥川賞受賞全文掲載」と銘打った文藝春秋2008年9月特別号(790円)。JR芦屋駅近くの書店に在庫として残っていたのを「安いからマーいいっか」と買っておいたものだ。

 読み終えたのは、たまたま天安門事件20周年の前日だった。著者楊逸(ヤン イー)さんインタビューに答えて「あの事件(天安門事件)のことを書きたいと思いました」と答えている。中国の民主化運動というテーマに取り組んだ重―い本と思ったが、中国の若者の生きざまと苦悩を描いた青春小説だったのは意外だった。

 1980年代に中国西北部の農村に育った主人公は、親友と一緒にあこがれの大学で入学。日干し煉瓦で造られた家でなく「階段のある家に住みたい」という憧れは、大学の宿舎に入って実現する。しかし部屋は4組の2段ベッドだけでいっぱい。学生たちは、夜明けとともに公園のベンチで勉強、友人が持ち込んだテープから流れるテレサ・テンの「甘く切ない」"ミー・ミー・ジー・イン(中国語でみだらな音楽の意)"に感動し「口のなかに大量分泌された唾を思い切り飲み込んだ」りする。

 なにか明治か大正時代の小説を読むような、ういういしい青春風景である。

 有志で作った文学サロンで、北京の学生の間で始まった民主化運動を知る。

 
「民主化って何ですか?」
 「つまり、中国もアメリカのような国にするってことだよ」
 「アメリカみたいな国?どうして?」
 「今、官僚の汚職が多いからでしょ・・・」


 市政府前広場での連日の「集会、デモ行進、時には座り込み、ハンスト・・・」
 
「これからは、政府にどんな要求をするのですか」

 「もちろん民主化するように」

 「どうすれば、そうなれるんですか?」

 「欧米国家みたいに与党があって、野党があること。互いに監視しあい牽制するからこそなれるんだ、一党支配のままじゃ独裁国家だ」

 ・・・

 「へえ」皆初耳だったが、納得した気になった学生たちの目からは、気だるさがすっかり消え、希望が満ちてきた。


 しかし、天安門事件が起こる。主人公はやるせない思いで酒を飲みに出かけた食堂で労働者とけんかをし、大学を退学になる。

 残留孤児の娘と結婚して来日するが、北京五輪に反対運動をしても周りに受け入れられず、苦い挫折が続く。

 日本語を母語としない作家が芥川賞をとったのは、初めてだという。前作の「ワンちゃん」よりは、かなりいい日本語になったらしいが、文中にはちょっと気になる記述がみられる。

 夜空に雲をくぐりながら、楽しそうな表情の三日月に見つめられているとも知らずに。ひたすら前に進むと、風と水とが奏でる音が聞こえてきた。

 大きな澄み切った目は、山奥の岩石の窪みに湧いた泉のようで、黒い眸は泉に落ちた黒い大粒のぶどうの如くに、しっとりとして滑らかである。


 「白髪千丈」の国の人が日本語を書くとこういう表現になるのかと、いささかあ然としてしまう。

 月刊・文藝春秋2008年9月特別号には、選考委員による「時が滲む朝」の「芥川賞選評」が載っている。
 石原慎太郎は「単なる通俗小説の域を出ない」と酷評し、村上龍は「日本語の稚拙さは・・・前作とほとんど変わりがない」と受賞に反対している。宮本輝も「表現言語への感覚というものが、個人的なものなのか民族的なものなのかについて考えさせられた」と書く。
 一方で夏澤夏樹は「中国語と日本語の境界を作者が越えたところから生まれたものだ」と評価している。

 著者は、芥川賞受賞記者会見(動画)で「好きな日本語は」と聞かれ「土踏まず」と答えている。足の裏のあのくぼんだところだ。

 おもしろい感覚と思う。これまでの日本語表現を越えたジャンルを切り開いていくのかもしれない。

 ▽余録・村上龍が語る「時が滲む朝」受賞裏話VTR(右下の楊逸さんの写真をクリック)

2008年10月28日

読書日記「中国 静かなる革命」(呉軍華著、日本経済出版社)


 北京オリンピックの前後から急に中国論の出版が目立ってきた。一般紙の書評欄に取り上げられたものを、書名だけ列記してみてもこんなにある。
「幻想の帝国」「中国低層訪談録」「不平等国家 中国」「中国社会はどこへ行くか」「トンデモ中国 真実は路地裏にあり」「和諧をめざす中国」「愛国経済」「中国の教育と経済発展」・・・。

 いわゆる「中国崩壊論」をめぐるものが多いようで、読む気になる本は少なかった。そのなかで、この本に興味を持ったのは、表紙のサブタイトルに「官製資本主義の終焉と民主化へのグランドビジョン」とあったからだ。

 このブログで先に取り上げた「中国動漫新人類」でも、近未来での中国の民主化の可能性を示唆していたが「民主化へのグランドビジョン」を教えてくれるというのは、極めて魅力的だ。芦屋市立図書館で探したが、新刊本なので在庫なし。購入申し込みをしたら、予想外に早く借りることができた。

 最初の「謝辞」を見てびっくりした。「真っ先に感謝の意を表したのは柿本寿明日本総合研究所シニアフエロー」とあるのだ。柿本さんは、私が現役の新聞記者時代に多くの示唆をいただいたバンカー・エコノミスト。著者は、その柿本さんから長年指導を受けた中国人エコノミストで、2児の母。先日、たまたまお会いした三井住友銀行の某首脳も「日本総研が誇るチャイナ・ウオッチャー」と絶賛されていた。

 この本の結論は「まえがき」にほぼ書きつくされている。

 「中国崩壊論」はすでに崩壊しているという楽観論を示した後、中国で「2022年までに共産党一党支配の現体制から民主主義的な政治体制に移行」という"革命"が起きる、と断言しているのにまずびっくりする。
 社会主義市場経済という名のもとで、中国はこれまで共産党・政府という官のプランニングによって改革を実施し、官とその関係者が恩恵の多くを享受するような『官製資本主義』的改革を進めてきた

 しかし実際の中国では、腐敗の浸透や所得格差の拡大、社会的対立の先鋭化といった問題が深刻化・・・共産党は背水の陣で政治改革に臨まなければならないところまで来ている


 それでは、2022年までに政治改革という名の"革命"を起こすのは、一般市民や学生なのか。そうではないらしい。

 著者は、ポスト胡錦濤体制では、これまでとは「異質」なリーダーが指導部入りをはたすと予測する。

 彼らは、改革開放後の中国や海外で高等教育を受け、自由や平等、人権尊重といった民主主義の理念を自らの生活体験を通じて実感している。

 文化大革命時代に青春を過ごした彼らは「知識青年」として農村に送り込まれ、中国、個人の将来を深く思考し続けてきた。
 2012年には、時代の流れを正しく読み取り、理想主義的で使命感の強いリーダーが誕生する可能性が高い。そして、中国共産党はこのリーダーの任期が満了する2022年までに、民主化に向けての本格的な政治改革に踏み切ると予想される

 あまりに楽観的すぎる感もあるが、なんとも明確かつスッキリしていて、分かりやすい結論だ。

 第六章にある「(共産党・政府)中堅幹部の政治意識」というアンケート調査がおもしろい。
  1. 「現体制の民主化水準に不満足」と答えたのが62・8%
  2. 望ましい政治制度として民主主義を選んだのが67・3%
  3. マスメディアに訴えるのは憲法で保障された国民の権利と答えたのは73・0%
  4. 多党制が社会的混乱をもたらさないという答えが50・0%で「もたらす」(35・8%)を大きく上回っている。


 著者によると、中国の中央党校(高級幹部を養成する中央レベルの学校で、最も影響力のある政策立案研究機関)では、シンガポールやスウエーデンの政治システムの研究が進められているし、アメリカの選挙やブータン王国の議会制民主主義への移行に関する報道も目立つという。

 著者は最後に言う。「中国は今後、どのような戦略で民主主義的体制『和諧社会主義』に向けて移行していく可能性が高いかを見極めなければならない」

 「和諧」というイメージが、もうひとつつかみ切れなかったが、現体制のなかでも、現状打破へのマグマが盛んにうごめいていることを感じ取れる新鮮な本だった。

著者へのインタビューと近影

最近、読んだ本
  •    「月曜の朝、ぼくたちは」(井伏洋介著、幻冬舎)
     大学を卒業して7年、30歳目前の元ゼミ仲間の人生模様。合併された銀行で悪戦苦闘する北沢、上司やユーザーの理不尽な叱責に会う人材派遣会社の里中、友人のアイデアでベンチャー企業支援のコンテストに合格しながら、出資希望者(資本家)の横暴を知って逃げ出す亀田。なんとなく「分かる、分かる」と声をかけたくなる。もう関係のない世界だけれど、なにか、なつかしさを感じてしまう小説。
     2003年もののロゼシャンパン「ランソン」、ベルギービールの「デュベル」「シメイブルー」、ブラックベルモット、モルトウイスキーの「ストラスアイラ」・・・。最近の若いサラリーマンって、いい酒を飲むんだなあ!


  •   「人生という名の手紙」(ダニエル・ゴットリーブ著、講談社)
     四肢麻痺患者として車いす生活をする精神科医の祖父が、自閉症の孫に送る「人生 知恵の書」。

     「人は本当は何に飢えているのだろう?それは安心感と幸せだ。真の安心感は自分自身に満足した時にだけ手に入る。誰かと愛し合い、理解し会う関係を築けば、その感覚はさらに強くなる。真の幸せは、充実した人生がもたらす『ごほうび』なのだ」


  •   「金田一京助と日本語の近代」(安田敏朗著、平凡社新書)
    「アイヌを愛した国語学者」という、これまでの社会イメージを「これでもか、これでもか」と覆すことを試みた驚愕の書。
     1954年、天皇にご進講をした内容にについて、当時の入江侍従はこう回想する。「(金田一)先生のお話は、日本語がアイヌ語に与えた影響はたくさんあるけれど。逆にアイヌ語が日本語に与えたものは、非常に少ない。つまり文化の高い民族は、その低い民族からは影響を受けないものである。こういう趣旨のことをかなり詳しくお述べになり・・・」


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