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2015年3月16日

読書日記「日本文学全集 01 古事記」(池澤夏樹訳、河出書房新社刊)


古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01)

河出書房新社 (2014-11-14)
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 池澤夏樹が 「古事記」の現代語訳を昨年末に出した。西宮市立図書館に予約したが、結局借りられたのは、年明けの2月末だった。

  古事記にまず登場するのは、おなじみ伊邪那岐(イザナキ)伊邪那美(イザナミ)兄妹神の「国産み」神話である。

 二人が天と地の間に架かった天の浮橋に立って、天の沼矛を下ろして「こおろこおろ」と賑やかに掻き回して引き上げると、矛の先から滴った塩水が自(おの)ずから凝り固まって島になった。
 そこでこの島の名を淑能碁呂島(オノゴロシマ) と呼ぶことにした。


 著者は、前文で「古事記には、固有名詞にいちいち意味があり、・・・イザナキとイザナミという名には『互いに成功を誘(いざな)う』という意味がある」と解説。「天の沼矛は男性器の象徴という説があるが、納得できる」としている。
 塩水が凝(かたま)って陸地を生んだのは「海のほとりの製塩の現場に由来するのではないか」という見かたも分かりやすい。

 オノコロシマがどこにあるかは諸説があるようだが、兵庫県民としては、長く淡路島の近くにある沼島がそれという伝説に頼ってきた。
 しかし著者は「淑能碁呂島(オノゴロシマ)は、自ら凝ってできた島という意味で、実在の特定の島ではない」と、あっさり片づけている。

 天照大御神(アマテラス)が、弟神・建速須佐之男命(スサノヲのミコト)の乱暴に困って天石屋戸(岩戸)に隠れたという神話を改めて読んで、1昨年9月に宮崎・高千穂「記紀編さん130年記念ツアー」に参加したことを思い出した。

 そこ(岩戸のすきまから差し込まれた鏡)に映った顔を見ていよいよ不思議に思ったアマテラスが外を覗いて少しだけ戸から出てきたところで、蔭に隠れていた天手力男(アメノタヂカラヲのカミ)が手を取って引き出した。
 布刀田命(フトダマのミコト)はすぐアマテラスの後ろに尻くめ縄を張り、「もうここから中へは戻らないで下さい」と言った。
 アマテラスが出てきたので高天の原 葦原中国もすっかり明るくなった。


 高千穂地方には右から7,5,3本の藁茎を下げる「七五三縄」と呼ばれるしめ縄が神社だけでなく道沿いの民家にも張られていた。神を迎えるしめ縄は、この神話の尻くめ縄に起源があったのだ。

 池澤は、日本列島には、南島づたいに来た東南アジア系の人々、朝鮮半島から来た北東アジアの人々、そしてサハリン経由の人々という3つのルートから渡ってきており、それぞれが自分たちの神話を持ってやってきた、と見る。

 そして、皇室の祖神で、日本民族の総氏神とされるアマテラスについて、こんな解説をしている。

 「天の権威によって統治者を立てるという思想はたぶん北東アジアから来た。本来はタカミムスヒが最も高位にいる神であって、それがある時点でアマテラスに置き換えられたという説がある。それかあらぬかアマテラスは最高神にしては機能が弱い。高天の原でスサノヲを迎える時は 「髪をはどいて男のような みづら型に巻き直し」戦闘モードに入ったが、 うけいの後はスサノヲの乱暴におろおろするばかり。最後には拗ねて岩屋に蔑もってしまい、他の神々の計略でようやく外に出る。自分の権能がわかっていないという感じで、その先のいくつもの判断にしても一々タカギ 思金神(オモイカネ)などの知恵を借りている。早い話が、『古事記』においてアマラス登場の場面はスサノヲに比べてずっと少ない。(古事記の編者である)太安万侶はいわば彼女を最上階に導いた上で梯子を外してしまった。」

 出雲の国に住む国つ神であるオオクニヌシが天つ神であるアマテラスの遣わした神々に葦原中国(アシハラノナカツクニ)を譲る 国譲り神話についても、古事記は多くの記述をしている。

 オホクニヌシは、「私の二人の子供が言ったのと同じことを私も申します。この葦原中国はすっかりそちらにお渡ししますから好きなようになさってください。ただ一つ、私が住む場所を天つ神の御子の天津日継(あまつひつぎ)の欠けるところのないお住まいと同じように造りなおし、深い岩の上に太い柱を立てて、高天の原まで届くほどの高い 千木を伸ばしていただければ、私は百に足らぬ八十の道を辿った果てにあるこの出雲で隠棲して暮らします。私の子である 百八十神(ももややそがみ)、なかでも コトシロヌシはみなさんの先になり後になりして、お仕えいたします。逆らう者はいないでしょう」と言った。


 この神話については、このブログでも 「出雲紀行・下」 「葬られた王朝」(梅原猛著)でもふれたが、池澤はこう解説する。

 「そもそも、アマテラスを始めとする天上界の神々はなぜオホクニヌシが統一した地上界を自分たちに譲らせるという迂遠(うえん)な方法を経て統治権を確立したのか? 日本神話の神々はエホバのように全知全能ではない。地域ごとのまつろわぬ豪族どもを平定して国家を造るのにずいぶん苦労している。平定と中央集権の実現までの(たぶん現実の歴史に沿った)過程をどこかに反映している。出雲の勢力は 倭(やまと)の政権にとって最大の競争相手であって、その統合ないし懐柔は七世紀末になってもまだ伝承された記憶に生々しかったのだろう。だから『古事記』は『日本書紀』のようにあっさり出雲神話を無視できなかった。『日本書紀』が想定した読者はこの列島内だけでなく唐は長安の外務官僚たちも含んでいたから王権の正統性を強調せざるを得なかっただろうが、『古事記』にはそんな遠い慮(おもんばか)りは要らなかった。」

 「国譲り」神話には、こんな記述もある。

 タカムスヒがアマテラスの名のもとに 八百万の神々を天の安河の河原に集めて会議を開き、思金神(オモイカネ)の知恵を求めた。タカムスヒが言うようには、「この葦原中国は私の子が治める国と定めた国である。だがこの国には猛々しく乱暴な国つ神どもがたくさんいるらしい。どの神を遭わして説得して服従させればいいだろうか」と言った。
 オモヒカネは八百万の神々と合議して「 天菩比神(アメのホヒのカミ)を遣わすのがよろしいかと存じます」と申し上げた。
 そこで天菩比神(アメのホヒのカミ)を送ったところ、オホクニヌシに心服してしまって、三年たっても戻って報告をしなかった。


 古事記のなかには、スサノヲの ヤマタノオロチ退治など、強権を駆使した地方豪族征伐を示唆した寓話や親、子供殺しの話しも出てくるが、登場する神々は総じて心優しく,戦いを挑む前にまず説得に乗り出す。
 池澤は、こう語る。  「『古事記』には負けた側への同情の色が濃い。おおよそこの国の君主は古代以来ずっと政敵への報復に消極的で、反逆者当人は殺しても一族を根絶やしにすることはしなかった。そのうちに具体的な権力への執着を捨てて、摂関政治の後は神事と和歌などの文化の伝承だけを任務として悠然と暮らすようになる。これはまこと賢い判断であって、こんなのんきな王権は他に例を見ない。その萌芽を『古事記』 に読み取ることができる。」

 古事記には、イザナキ、イザナミの 「神産み」に続いて、400近い神々が次々と誕生する。なかには、稲田で鳥を追う 山田の曾富騰(そほど)、つまり山田の案山子(かかし)や窯やトイレの神々のほか、 大阪のおかあちゃんの始祖とも言われる阿加流比売(アカル・ヒメ)もちゃんと登場する。
     ホデリとホヲリ 山幸彦と海幸彦の話しは「そのままインドネシアの民話にある」という。
 大和(倭)の政権に反抗した 隼人の伝統にふれた箇所や朝鮮の 新羅を侵略した寓話まで記述されている。

 古事記は、なかなか奥深く、興味はつきない。池澤は「豊饒と混乱、目前に聳える未だ整理のつかない宝の山」と結んでいる。

 

2014年7月20日

パリ・ロンドン紀行⑤・終「パリの景観」2014年4月26日―5月1日



パリに出かける前に読んだ「フランスの景観を読む 保存と規制の現代都市計画」(和田幸信著、鹿島出版会)という本の序文に、ちょっとびっくりするような記述があった。

フランスの「建築に関する法律」第1条にはこう書いてある、という。

フランスの景観を読む―保存と規制の現代都市計画
和田 幸信
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 「建築は文化の表現である。建築の創造、建築の室、これらを環境に調和させること、自然景観や都市景観あるいは文化遺産の尊重、これらは公器である」

 これに対し、日本の建築基準法第2条では建築物を「土地に定着する工作物のうち、屋根及び柱若しくは壁を有するもの・・・」と、なんとも素っ気ない記述しかない。

 日本の法律には、建築や景観と公益あるいは公共性についてはまったく規定されていない。要するに建築は私権に属することであり、個人の好きなように建てられることになっている。この結果、日本中どこの街に行っても、高い建物や低い建物、陸屋根のビルや切妻の建物、灰色の日本瓦の住宅や。青やオレンジ色のスペイン瓦の住宅、さらにはケバケバしいゲームセンターやパチンコ屋などが、おもちゃ箱をひっくり返したように溢れることになる。


 フランスの景観は決して何もせずにきたわけではなく、フランスの文化と伝統を反映した街並みを公益として保存しょうとする国や自治体の意思と、これらを公共の財産として受け継ごうとする市民の意識により支えられて、現在の姿を留めているのである。


 「華のパリ」の別名がある通り、パリは厳しい景観保全政策で、その"美観"を維持している。そのきっかけになったのが、ドゴール政権下で文化相だった アンドレ・マルローによって作られた マルロー法(1962年8月4日法)らしい。

 この法律によって、パリでは第1号の歴史的建築保存地区となった マレ地区にぜひ行ってみたいと思った。旅に同行してくれたパリ通のYさん夫妻に案内してもらった。

 マレ地区は、オペラ座近くのホテルからも歩いて行けるセーヌ河右岸のパリ3区と4区一帯。途中、若い日本人女性にも人気という「ラデュレ」で、この店の名物であるフレンチトーストの朝食を楽しみ、マレ地区に入ったのは、午前10時半過ぎ。

 緑の並木に囲まれた小さな路地があるかと思ったら、両側に自動車をびっしり止めた小路がある・・・。意外に狭い石畳の道路の両側に同じ高さでそろった石造りの古い建物が続く。なんだか狭苦しい雰囲気で「ここが、パリの誇る景観地区なのか」と、意外な感じがする。素人目には、周辺の街区との違いが見つけられない。

 マレ地区は17世紀には優美な貴族の館が並ぶ街だった。それが18世紀になると、貴族に替って手工業者や低所得層が住む街になり、建物の崩壊を防ぐために道路の上に木材の梁を渡すという荒廃した街になっていった、という。

 長くユダヤ人の住む場所でもあった。このブログでもふれた「サラの鍵」の舞台にもなった「ゲットー」(ユダヤ人強制居住地域)も作られ、建物の内部を監視するための広場が強制的に作られたという。その後ユダヤ人は強制移送され、一時マレ地区から姿を消した悲しい歴史も刻んでいる。

 この法律による保全地区では、 フランス建築物建築家(ABF)という専門官が建造物の新築や改変を厳しく管理している。

そのせいか、多くの貴族の館が、パリ市などに買収され、博物館や美術館になっている。

 カルナヴァル博物館は、17世紀のセヴィニュエ侯爵夫人邸だったし、かつて塩税請負人が住んだサレ(塩)館は、国立のピカソ美術館になっている。

 建築家の ル・コルビッジェの業績などを紹介している スイス文化センターのある行き止まりの小路は、落書きばかりが目立つ場所だったが・・・。

 マレ地区の東端にある ヴオージュ広場と周辺の館は「パリを世界で最も美しい都にしたい」と、16世紀の王、 アンリ4世が作らせたという。

 正方形の公園を囲んで建てられた、オレンジとベージュのレンガや黒い屋根のファサード(建物正面のデザイン)で統一された36の館は、 ブルボン王朝初代の王が目指したパリで最古の建築景観を現在に残し、ほれぼれと見とれてしまう。

   ただ、マレ地区全体は「貴族館の保存」という最初の目的からちょっぴりはずれ、観光客に人気の街になったようだ。

 各通りの1階には、瀟洒な店やギャラリー、カフェ、日本でも有名な紅茶専門店の マリアージュ・フレールなどが軒を並べ、ユダヤ料理などのレストランも多い。

 昼食は、ユダヤ人学校前広場近くのユダヤ料理店屋外テーブルで陽光を浴びながら取った。なすびのパテや ファラフエルと呼ばれるひよこ豆のコロッケなど野菜料理ばかり。パリ滞在中に連れて行ってもらった レバノン料理に似てスパイスがきつくない野菜料理がワインに合う。考えてみると、イスラエルとレバノンは、紛争の地の隣国同士だ。

 ヴォージュ広場から歩いてすぐの バスティーユ広場から、69番のバスに乗り、パリ最古の橋・「ボン・ヌフ」で降りる.。

ボン・ヌフから見渡せるのが、世界遺産の 「パリ・セーヌ河岸」。ルーブル美術館、 ノートルダム寺院 オルセー美術館、さらには エッフェル塔まで約8キロに及ぶパリ最大の景観地区である。

 この地区は、マルロー法に先立つ19世紀に ナポレオン3世の指示で、セーヌ県知事だったジョルジュ・オスマンが断行した「パリ大改造」の一環として実現した。

 ノートルダム寺院のあるシテ島は、大改造まで貧民窟だった、という。

 セーヌ河をのぞき込むと、右岸のトンネルから出て、すぐにまたトンネルに消える自動車専用道路が少し見える。大阪や東京の河の景観を無視して縦横に走る高速道路に比べ、なんと風格のある都市設計だろう。

 ボン・ヌフを渡りきると、マルロ法にパリ2号目の歴史建築物保存地区・ サン・ジェルマン地区だ。

 「17世紀にマレ地区に住んでいた貴族たちが手狭になった館を嫌って、この地区に移ってきた」と文献にあったが、第2次世界大戦以降は、知識、文化人の一大中心地でもあったらしい。

 現在は、街の中心にある サン・ジェルマン・デ・プレ教会を中心にブティックやカフェが並び、観光客でごった返している。Yさん夫妻について行った小さなチョコレート店は、あふれる注文客を日本人男性 パテイシエ1人がきりきり舞いで応対していた。

 保存地区の広告規制が厳しいらしい。店舗のディスプレーも控えめだ。小さな白い「M」のマークをつけただけのマクドナルドの店舗が、なにかほほえましく見えた。

 パリの景観で忘れられないのは、初日の夕方に訪れたエッフェル塔だった。

 早くも電飾に輝くこの塔は、広い シャン・ド・マルス公園の真ん中に4本の柱に支えられて真っ直ぐに伸び、レースで編んだような半円形の鉄製アーチの間に立つと、セーヌ川の向こうに シャイヨ宮が望める。

 振り向いても、もういちど前を見ても、周りに高い建物はなにもない。胸いっぱいに空気を吸い込み、ため息をつきたくなる。そんなすがすがしい空(そら)空間が広がる。

 なんと、Yさんがこの塔にある1ツ星レストラン 「ル・ジュール・ヴェルス」に予約を入れてくれていた。アーチ型の脚の間に設置されている専用エレベーターで高さ125メートルのレストランに入る。

 窓際の席からパリの街が一望できる。見事に同じ高さにそろった石造りの建物群。その間を「パリ大改造」で作られた通りが放射線状に延び、細い路地が入り組んだように建物の間を縫っている。

 右手の黒い塊は、 ブローニュの森だろうか。正面に見えるのは、悪名高い高層ビル 「モンパルナス・タワー」

 ところが、その素晴らしい風景を撮ったカメラを、翌日、ルーブル美術館で盗難にあって失ってしまった。カメラそのものは、入っていた海外旅行保険のおかげで8%の消費税付きで代金が戻ってきたが、あのすばらしいパリの景観の写真は戻ってこない。

 かつてエッフエル塔が出来た時に、この塔の建設に反対した、かのモーパッサンは「ここがパリの中で、いまいましいエッフェル塔を見なくてすむ唯一の場所だから」と、エッフエル塔のレストランによく通った、という。

 機会があったら、もう一度、このパリの景観を見に来たいと思う。今度は「モンパルナス・タワー」からエッフエル塔の建つパリの街を見るために。

▽参考に読んだ、その他の本

※ 「パリ神話と都市景観 マレ保全地区に7置ける浄化と排除の論理」(荒又美陽著、明石書店)

パリ神話と都市景観―マレ保全地区における浄化と排除の論理―
荒又 美陽
明石書店
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 ※ 「セーヌの川辺」池澤夏樹著、集英社)

※ 「美館都市パリ 18の景観を読み解く」(和田幸信著、鹿島出版会)

美観都市パリ―18の景観を読み解く
和田 幸信
鹿島出版会
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パリの景観:写真集
パリ・オペラ座の天井部外観;クリックすると大きな写真になります。 マレ地区の小路;クリックすると大きな写真になります。 マレ地区の通り;クリックすると大きな写真になります。 ユダヤ人街でのレストラン;クリックすると大きな写真になります。 マレ地区・スイス文化デンター小路;クリックすると大きな写真になります。
パリ・オペラ座の天井部外観。「パリ大改造」計画では、この外観が見通せるように広いオペラ通りが造られたという マレ地区の小路 マレ地区の通り。見事に建物の高さがそろっている ユダヤ人街でのレストラン マレ地区・スイス文化センター小路。落書きがなぜか。
カリナヴァル博物館;クリックすると大きな写真になります。 ヴォージュ広場;クリックすると大きな写真になります。 バスティーユ広場;クリックすると大きな写真になります。 セーヌ河岸の自動車専用道路;クリックすると大きな写真になります。" ノートルダム寺院;クリックすると大きな写真になります。
カリナヴァル博物館 ヴォージュ広場 バスティーユ広場。後ろに見えるのは新オペレ座 セーヌ河岸の自動車専用道路 ノートルダム寺院
サンジェルマン地区の通り;クリックすると大きな写真になります。 サンジェルマン・デ・フレ教会;クリックすると大きな写真になります。 サンジェルマン地区のマクドナルド店;クリックすると大きな写真になります。 雨の凱旋門;クリックすると大きな写真になります。 世界遺産・セーヌ川岸とエッフエル塔;クリックすると大きな写真になります。
サンジェルマン地区の通り サンジェルマン・デ・フレ教会 サンジェルマン地区のマクドナルド店 雨の凱旋門 世界遺産・セーヌ川岸とエッフエル塔
パリの地下鉄車内;クリックすると大きな写真になります。 P1040167.JPG
パリの地下鉄車内。けっこう黒い人が・・・。 設立当初は賛否両論だったルーブル美術館のガラスのピラミッド入口。周りの景観との違和感はない


2014年6月10日

ロンドン・パリ紀行②「大英博物館㊦パルテノン・ギャラリー」(2014年5月3日)



  大英博物館1階西端にある幅をたっぷりとった長い空間・18室が、この博物館で最大の観覧者を集めると言われる「パルテノン・ギャラリー」。世界遺産である古代ギリシャのパルテノン神殿を飾っていた大理石(マーブル)の彫刻群が陳列されている。

 大英博物館の正面が、パルテノン神殿に似せて作られているのは、このギャラリーがあるからこそ。この彫刻群をギリシャから持ち出した英国の元・駐ギリシャ大使、 エルギン卿の名前を採って、このコレクションが別名「エルギン・マーブル」と称されている。それが、古代ギリシャ絶頂期の最高傑作がここロンドンにある理由なのだ。

 参観者の多くは、圧倒されたように言葉も少なく両脇壁に飾られた彫刻群を見入っている。まず一番奥まで進み、3段の低い階段を上ってみた。正面台座にあるのは、立体彫刻群。パルテノン神殿正面の東破風(はふ、大屋根の下の三角形をした部分)に飾られていたものだ。

 破風にあったから、左から大屋根を登るように段々と高くなっていく。まず「ディオニュソスと女神たち」。左の男性裸像は、酒神ディオニュソスヘラクレスという。女神たちを乗せた馬車を駈っているように見える。真ん中の空間になっている台座の上には、すでに失われた アテナ女神の像があったらしい。

 さらに右へ低く流れるように3体の「女神たち」。体を包む衣の襞(ひだ)が彫刻とは思えない優美な明暗を生んでいる。

 台座右端にある「セレネの馬」は、大英博物館でも自慢の所蔵品らしい。月の神 セレネを乗せて夜を徹して天を駆けてきた馬の頭部は、口をあえぐように開き、眼と鼻は膨らみ、首をたれて息絶え絶えの表情だ。

 この立体彫刻群は、台座を回って、群像の裏側を見ることができる。高い大屋根の下にある破風の裏まで覗けるはずがないのに、女神たちの衣装のひだ、背中のふくらみまで、2500年前の姿そのままに彫り込まれている。造った工匠たちのこだわりを越えた意気込みを感じる。

 さらに右に進むと「西破風」を構成していた彫像の一部が続く。「女神イリス」は風を受けて空中を舞う姿を表し、横たわる男性像「イリッソス」はアテネ周辺の川を象徴している、という。

 広間中央部の両側には、神殿を支える46本の円柱の上に渡されている梁(はり)の部分に1面づつはめ込まれて半立体の大理石版「メトープ」と、神殿内部の廊下の上を飾っていた浮彫大理石板「フリーズ」の1部が飾られている。

  「メトープ」には、ギリシャ神話に登場する半人半馬「 ケンタウロス」と人間の争いが、「フリーズ」は、古代アテネで4年に1度行われる「 パンアテナイア大祭」の祭礼行列が描かれており、「騎士たちの行列」や「座せる神々」「行列を先導する乙女たち」が次々と登場する。

  このコレクションに関連した本などには、そろって「古代ギリシャが生んだ"人類の至宝"」と書かれている。確かに、そうなのだろうが・・・。

  しかし数度にわたって見るたびに、なんともいえない"殺伐感"を感じてしまうのはなぜだろうか。

  馬を駆っているように見える男性彫像の両手足は途中で切られ、女神の立体彫像には頭部がない。台座にデンと置かれた首から切られた馬の頭部は、神に捧げらた"いけにえ"に見える。
  メトープやフリーズも、大きなノミで無理やり切り取られたようで、不自然な形をしている。

  午後の日本語ツアーの時に、ガイドのSさんはこう説明した。「これらの彫刻群の多くは、ギリシャがオスマントルコに占領されていた際、ヴェネツイア共和国の攻撃で崩落したものです。エルギン卿の関係者は、残っていた一部も切り取って持ち帰ったようですが・・・」

  ただ、旅に出る前に読んだ『パルテノン・スキャンダル 大英博物館の「略奪美術品」』(朽木ゆり子著、新潮選書)のなかには、エルギン卿の秘書が神殿から彫刻を取り外す作業を指揮しているのを目撃した、という英国の考古学者の著書の一部が引用されている。
パルテノン・スキャンダル (新潮選書)
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 最初のギリシャ巡遊で、私はパルテノンから最良の彫刻が強奪される瞬間に立ち合い、そして建築物の一部が落下するのを見るという何ともいえない屈辱を経験することになりました。
 神殿のもっとも南東にあるメトープのいくつかが、外されるのを目撃したのです。メトープはその両側が トリグリュフ(縦に溝がついている束石)と呼ばれている溝(板)にはめ込まれていたので、それを取り外すために、その上に載っている美しい軒蛇腹( コーニスが地上に投げ捨てられました。破風の南東の角の部分も同じ運命をたどりました。そして私が一番最初に見た絵のような美しい気高い姿に代わって、それらは無残な廃墟と化してしまいました。


 アテネの一般住民、それどころかトルコ人ですらこの荒廃を前にその場に居合わせ、この行為が全員に巻き起こした憤りの念を観察、いやそれに参加するチャンスを得ました。作業全体が非常に評判が悪いので、労働者はこのような冒瀆に力を貸すために普通よりかなり高い労賃を払われる必要がありました。


  高い労賃でしか雇用できなかった労働者が"人類の至宝"を乱暴に扱う様子が目に見えるようだ。

  もちろん、ギリシャは国際世論の力も借りて長年、この彫刻群の返還を求めてきた。
 しかし、著書「パルテノン・スキャンダル」などによると、英国側は国会などの場で「大気汚染のひどいギリシャでは、大理石にダメージを与える」などと反論し、大英博物館の館長自身が「全人類のためには、ギリシャより世界から観覧者が集まる大英博物館に留まるのがふさわしい」と、いささか苦しい言い訳を公表している。

 この間、大英博物館内部でとんでもないスキャンダルが起きていた。

 午前中、友人Mと「パルテノン・ギャラリー」を見た後、近くの小さな小部屋に迷い込んだ。一番奥の壁面に取り付けられたDVD画面で「メトープの一部が青く着色されている」ことを特殊カメラで撮影した映像を繰り返し放映していた。
 長年"白い"と信じられていた大理石彫刻群が、実は「華やかな色で彩られていた」というのだ。

 20世紀半ば、ヨーロッパでは「大理石は白い」というイメージが定着していた。そこで大英博物館のスタッフは、密かに彫刻群の表面を金属たわしと研磨剤でこすり、白いむきだしの状態にするという荒っぽい洗浄作業を行った。
 「彫刻群は、大気汚染のひどいアテネよりロンドンに置くのがふさわしい」ことを"実証"するためにも・・・。

 この小部屋は、大英博物館側が、それらを率直に明らかにし、弁明するための資料コーナらしい。

 ギリシャ区画にある 「ネレイデス・モニュメント」(イオニア式の墓廟の模型)は、記念撮影の人気スポット。いつも各国の参観者で混んでいる。

;クリックすると大きな写真になります。  午後からのガイドツアーで、この墓廟の裏に回ったところ、目立たない場所にそっと立つ乙女の立像を見つけた。「彼女はここにいたのか」

 この像は、パルテノン神殿の奥にある神殿 エレクティオンの張り出し屋根を支えていた6体の女性の柱像( カリアティード)の1つなのだ。

 大英博物館に行きたいと思うきっかけになった本 「パレオマニア 大英博物館からの13の旅」(集英社文庫)のなかで、著者の 池澤夏樹は、彼女のことを「恋人」と呼んで、何度もロンドンまで会いに行っている。
パレオマニア―大英博物館からの13の旅 (集英社文庫)
池澤 夏樹
集英社
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 左の膝をわずかに前に出した形で、すっくと立っている。台の上に載っているから見上げる形になるが、背は男とさほど違わない。ああ、変わっていないと男は安心した。
 彼女は実は建物の梁を全身で支えて立っているのだが、そのなにげない挙措からはそれを重荷に思っている風はまったくない。あくまでも普通に立っている。胸は豊かだけれども、肩幅があるので今の時代に理想とされる女たちの身体(からだ)のように一部が奇形的に突出してはいない。いかにも健康そうな力強い乙女(おとめ)。
  顔の細部は(なにしろ二千年以上風雨にさらされていたのだから)失われてしまった。
 が、それでも気品のある顔立ちはまだ見てとることができる。顎の線が美しいと男はいつ見ても思う。


 著者は「道で行き会ったらどぎまぎするだろう」と書いているが、私には「彼女」が必死に悲しみをこらえているように見えた。

 さきほどの著書「パルテノン・スキャンダル」によると、実はこの乙女像もエルギン・グル―プが1803年初頭に切り取って」ロンドンに持ち帰ったのだ。

 現在、アテネのエレクティオンを支えている6体のカリアティードは、すべてレプリカ(模造品)だ。

 持ち去られた1体を除く5体は新しく建設されたアクロポリス博物館に移された。

 しかし、その5体は、天井の低いガラス張りのなかに押し込まれて「辛(つら)そうにみえた」(池澤「パレオマニア」)という。

 2007年に新博物館が建設された際、ギリシャ政府は「新博物館がエルギン・マーブル返還運動の一助となることを望む」という声明を発表した。

 しかし、財政危機でEU諸国の援助でやっと生き延びているギリシャに大英博物館のコレクションを移すべきだという、国際世論の高まりは見られない。

 "人類の至宝"を未来に生かすためには、なにが最善の方法なのか。今の私にはわからない。

大英博物館での写真
;クリックすると大きな写真になります。P1040372.JPG ;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。
パルテノン・ギャラリー① フリーズ「騎士たちの行列 同② メトープ「半人半馬と人間の争い 同③ 西破風の立体彫刻「イリッソス 同④ 同「女神イリス」 同⑤ パルテノン・ギャラリーの大広間
;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。 ;クリックすると大きな写真になります。
同⑥ 東破風の立体彫像 同⑦ 同「女神たち 同⑧ 同「セレネの馬 同⑨ 着色されたメトープのCG 「ネレイデス・モニュメント」(墓廟の模型)


2014年3月20日

読書日記「渡りの足跡」(梨木果歩著、新潮文庫)、「鳥たちの旅 渡り鳥の衛星追跡」(樋口広芳著、NHKブックス


渡りの足跡 (新潮文庫)
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鳥たちの旅―渡り鳥の衛星追跡 (NHKブックス)
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 先月の始め、引っ越してきた伊丹の家の近くにある昆陽池に渡り鳥を見に出かけた。このブログの管理者で野鳥観察が趣味のn-shuheiさんに誘われたのだ。

 その後、伊丹図書館南分館で、梨木果歩の「渡りの足跡」が文庫本になっているのを見つけた。n-shuheiさんがこの本のことを自分のブログに書いていたのを思い出して借りてしまった。

 著者の本にはなぜか引かれ、このブログでも何度か触れているが、この本だけは読んでいなかった。

 著者はいくつかの著書の"主役"の1つである植物だけでなく、渡り鳥についても玄人はだしの観察者らしい。この本は、北海道や新潟、信州、諏訪湖、さらにシベリア・カムチャッカにいたる渡り鳥"追っかけ"ルポだった。

 最初のオオワシを訪ねて知床にでかける章で、 「ワタリガラス」の名前を見つけてエッ!と思った。

 つい数日前に読んだ 池澤夏樹のパレオマニア」という本でこんな記述を見つけたばかりだったからだ。

   
 大英博物館でいちばん大きい収蔵物、・・・高さ十一メートルのトーテムポール。カナダ先住民族が残した巨大な米杉の柱の下部に・・・「神話的な動物、海の熊、あるいは嘴を折られたワタリガラス」を・・・見ることができる。


 池澤は「カナダ太平洋岸の先住民の神話では、ワタリガラスは創造主である」と書いているが、梨木も「ワタリガラスは、北米先住民族たちの創世神話でよく英雄として登場する、神秘的なカラスだ」と、まだ学生だったころにいた英国で、ワタリガラスの不思議な話しを聞いたことを思い出している。

 WEB上でも、そんな神話の数々をいくつも見つけることができる。

 それだけに梨木は「くぽおうん、くぽおうん」と優しい声で鳴くワタリガラスが、この日本にも"ワタッて"きていることが「にわかに信じがたかった」のだ。

 パレオ(ギリシャ語で古代の意)の昔から、渡り鳥と人との間で紡ぎだされてきた不思議なかかわりあいを知り、興味が深まった。

 一方で梨木は、渡り鳥が現在の自然破壊に巻き込まれている厳しい現実を知り「世界は一つであり、繋がっているのだという紛れもない事実に圧倒されそうになる。」

 
 日本に冬鳥として渡ってくる鳥たちの多くは、シベリア、カムチャッカ、サハリン、或いはアムール川流域等を繁殖地として使っている。アムール川ではソビエト連邦崩壊後、環境汚染が年々進んでおり、年間百五十億トンのエ場排水が垂れ流しにされている。その結果鱗(うろこ)がない等の奇形の魚が多く、アムール川の魚は食べないように言われている・・・。河口は広々とした湿原で、水鳥の格好の繁殖地だ。その魚を食べるな、その水を飲むなと、どうして鳥に知らせたらいいのか。また、鳥の多くは東南アジアの雷雨林で越冬していると見られるが、ここ数十年程の森林面積のすさまじい減少が、あるいは使用されている農薬が、最近夏山で彼らの嘲りが聞こえなくなった原因ではないかと言っている学者もいる。


 しかし、渡り鳥にとって取れる対策は皆無、といというのが厳しい現実だ。

 
 渡りは、一つ一つの個性が目の前に広がる景色と問わりながら自分の進路を切り拓いていく、旅の物語の集合体である。その環境が自分の以前見知っていたものと違っていたとしても、飲むべき水も憩うべき森も草原もなくなっていたとしても、次に取 るべき行動は(引き返すという選択も含めて)最善の方向を目指すため、今出来るこ とを(とにかく何らかの手段でエネ~ギー補給をする、等)ただ実行してゆくことだ けで、鳥に嘆いている暇などはない。


 この本の中盤で、渡り鳥観察者の醍醐味と言ってよい表現が出てくる。

   
 車からスコープ一式を運んでくる。昨日教えてもらった通りに三脚を立て、スコープを雲台にはめ込み、固定する。それから倍率を合わせる。合ったけれども、そしてどうもなにか大きな鳥(近くにカラスと思しき鳥が数羽いるのでその大きさから比して)らしいのだけれど、ぼんやりして見えない。しばらくあれこれして、ああ、そうだ。ピントはここで合わせるんだった、と、カバーの陰で見えにくくなっていたピント合わせのダイヤルのカバーを外し、動かす。次の瞬間、黄色い囁(くちばし)、黒い体に白いマフラーをかけたような肩線、それからまっすぐこちらを見つめている鋭い視線がレンズにくつきりと入る。目が合って、思わず息を呑む。まちがいない。
 オオワシだ。


 ただ、著者は専門家ではないので、渡り鳥の"渡り"の生態については、表題の2冊目にある「鳥たちの旅」 を何度か引用している。この本は図書館になく、AMAZONで買ってしまった。

著者は、人工衛星を用い、発信器を着けた渡り鳥の移動ルートを解明した研究者だ。

 「渡り鳥はなぜ渡るのか」という素朴な疑問に樋口は、こう答える。

 鳥が渡るのは、食物を十分に確保するためである。たとえば、ツバメは飛びながら空中にいる昆虫を捕って食べる。しかし、日本のような温帯地域では、秋から冬にかけて昆虫は姿を消してしまう。そこでツバメは、冬でもそれらが得られる暖かい南方の地域まで渡っていくのである。同様に、ガンやハクチョウが秋、日本に渡ってくるのは、繁殖地のシベリアが冬には雪と氷に閉ざされ、食物が得られなくなるからである。


それでは「なぜ渡り鳥は、春、越冬地から北に向かって戻っていくの ろうか? 冬の聞くらせる場所であるならば、それ以外の季節だって生活できるはず」だ。

 
 これらの鳥が北に向けて旅立つのは、春から夏にかけては北方に、春から夏にかけて北方に食物になる動物がより多く発生するからである。・・・
 また、北方地域からは冬の問、多くの鳥がいなくなっている。春にそこに行けば、越冬地に残っているよりも、個体あたりにより多くの食物を確保することができる。しかも、この春から夏にかけては、鳥たちにとって繁殖時期であり、多くの子供を育て上げるのに豊富な食物を必要としている。
 したがって、危険をおかしてでも北方まで行けば、自分自身が生活しやすいだけでなく、より確実に子育てを行なうことができるのである。


 最大の疑問点。渡り鳥は「渡る先をどうやって知るのか」だ。

 
 昼間渡る鳥たちは、太陽の位置を体内時計で補正しながら渡っているらしい。・・・夜間には星座を利用する。・・・地磁気も渡る方向を定める重要な手がかりにしているらしい。・・・鳥たちによっては、地形や季節風、日没の位置、においなども定位に利用しているようだ。・・・鳥たちは「かなりすぐれた地図情報をもっているに違いない。


 樋口は、エピローグでこう警告する。

 一つの渡来地の破壊にともなう渡り鳥の減少は、遠く離れた別の渡来地の生態系の破壊をもたらす吋能性がある。たとえば、東南アジアの熱帯雨林の破壊は、そこで越冬し日本に渡ってくる夏鳥(夏に飛来する渡り鳥)の減少を通じて、日本の里山や森林の生態系のバランスを崩す可能牲がある。一方、日本の干潟の破壊は、そこを通過する多数のシギ・チドリ類の消滅を通じて、フィリピンやオーストラリア、あるいはロシアの湿地生態系をおびやかすことになるかもしれない。
 異なる地域、国の自然は互いに独立しているように見えるが、実際には渡り鳥によってつながっている。渡り鳥の保全は、単に対象となる鳥の保全にとどまらず、遠く離れたいくつもの生態系の保仝を意味し、ひいては地球環境全体の保全にもつながっているのである。


 梨木と樋口の思いは、世界中の自然を愛する人々と共通する思いである。

2012年10月17日

旅「東北・三陸海岸、そしてボランティア」(2012・9・30―10・6)・下



 大船渡市市赤崎町に住む金野俊さんという元中学校の校長先生に出会った。

 話しているうちに、金野さんの口からこんな言葉が飛び出した。「私は、日本人とは思っていません。 縄文人 弥生人が"和合"した子孫です」

 金野さんの話しは、東北・ 蝦夷征伐の英雄、 坂上田村麻呂と蝦夷(アイヌ)の指導者、アテルイの抗争と和解にまで及んだ。

 東北の地は1万年に及ぶ縄文文化にはぐくまれてきた土地であることに気づかされた。

 大船渡港に入るさんま漁船などが目標にするという尾崎三山。その南端の岬にある 「尾崎神社」に行ってみた。縄文人の流れをくむアイヌが神事に使う 「イナウ」に似たものが宝物として納められている、という。海岸の鳥居を抜け、揺拝殿までの境内は、このブログでもふれた 中沢新一の「アースダイバー」に書かれた縄文の霊性の世界。そんなパワー・スポットだった。

 たった3日間だけだったが、 カリタス大船渡ベース「地ノ森いこいの家」 で御世話になりながらのボランティア活動中も、縄文の昔からの「地の力」とそこで震災と闘い続ける「人の力」を不思議な思いで受けとめた。

 大船渡ベースは、カトリック大阪管区が管轄しており、管区の各教会の信者が交替でボランティアに来ているが、東京などから週末の連休を利用して来る若いサラリーマンも多い。

 初日の3日は、牡蠣の養殖をしている下船渡の漁場で、舟のアンカーや養殖棚の重しに使う土のう作り。60キロ入りの袋に浜の小石を詰め、運ぶ作業はけっこうきつい。軽いぎっくり腰になったのには参った。
 午後は、仮設住宅の草抜きをしていた女性グループと合流、堤防のすぐ後ろにある漁師の方の住宅跡の草抜き。腰をかばうのか、反対の膝まで痛くなり、裏返したバケツに座って作業をする始末。まさに「年寄りの冷や水」

 2日目は、漁師さんたちが住む末﨑町・大豆沢仮設住宅へ。倉庫を作る資材を運び上げたが、すぐれ(時雨=しぐれ)が降りだし、台風も近付いているというので、作業は中止。仮設の集会場で、仮設に住む人たち(老人が多い)の世話をする支援員の人たちと「お茶っこ(お茶飲み会)」。パソコンの写真を見せがら津波直後の話しがほとばしるように出てくる。瓦礫の山を避けて、山によじ登りながら家族や知り合いを必死に探した、という。
 午後はベースに帰り、リーダーの深堀さんが買ってきた材料キットで仮設の住民が使うベンチ作り。これも慣れない作業だったが、比較的短時間で完成し、皆でバンザイ。

 3日目は、再び大豆沢仮設住宅で、再度、倉庫造りに挑戦した。といっても、仮設住宅支援員の永井さん、志田さんの指示に従って砂利土を掘り下げてコンクリートの土台を埋め、床材を組み、支柱を打ち込み、床にベニア板を張る・・・。電動ドライバーの使い方にやっと慣れたころ、その日の作業は終了となった。

 午後の「お茶っこ」の時間に、女性支援員の村上さんが「最近ゆうれいが出る、という話しをよく聞く・・・」と言いだした。男たちは「そんなバカな」と笑いとばしたが、まだ行方不明になっている親類や知人を抱えている人は多い。「ここは多くの方が亡くなられた鎮魂の土地なのだ」と、改めて気づかされた。

「大船渡魚市場」でサンマの仕分けをしていた 鮮魚商「シタボ」の村上さん(61)は、末﨑町の家と店舗を流された。テント張りの店を再開しながら、近くの仮設住宅に来るボランティアやNPOの世話役も買って出ている。たくましい笑顔を絶やさない人だったが、津波でスーパーに勤めていた24歳の娘さんを亡くしたことを、他の人から聞くまで一言ももらさなかった。

元中学校長の金野さんが、ホテルに1枚のDVDを届けてくれた。
 地元の新聞社「東海新報社」が、社屋近くの広場から津波が襲ってくる様子を撮影したものだった。「湾内から脱出できず、転覆して亡くなった方の船も映っています。その場面では手を合わせていただければと思います」。そう書かれた手紙が添えられていた。

 「いこいの家」に常駐しているシスター(カトリックの修道女)の野上さんから「ここに来た若い方がたは、不思議に変わって帰られます」という話しをきいた。
  「ああ、アウシュヴィッツにボランティアとして来るドイツの高校生と同じだな」と思った。

 私も、少しは変われたろうか。縄文時代から培われた「地と人の力」、そして「鎮魂の思い」に揺り動かされ続けたたったの1週間だったが・・・。

 ※参考にした本
 ▽ 「白鳥伝説」 (谷川健一著、集英社刊)
 東北には、白鳥を大切にする白鳥伝説が伝えられている。その伝説を探りながら縄文・弥生の連続性を探った本。大船渡「尾崎神社」にもページを割いている。

 ▽「東北ルネサンス」(赤坂典雄編、小学館文庫)
 東北学を提唱している 赤坂典雄の対談集。
 このなかで、対談者の1人、 高橋克彦は「蝦夷は血とか民族ではなくて、・・・東北の土地という風土が拵(こしらえ)るもの」と話している。
 同じ対談者の1人の 井上ひさしは、岩手県に独立王国をつくる 「吉里吉里人」という小説を書いた意図について「我々一人ひとり、日本の国から独立して自分の国をつくるれぞということをどこかに置いておかないと、また兵隊をよこせ、女工さんをよこせ、女郎さんをよこせ、出稼ぎを言われつづけける東北になってしまうのではないか」と書いている。
 「原発の電気をよこせ」の一言は書かれていない。

尾崎神社;クリックすると大きな写真になります 鮮魚商の村上さん;クリックすると大きな写真になります 大船渡魚市場;クリックすると大きな写真になります
森閑とした尾崎神社。市内には、国の史跡に指定された縄文時代の貝塚も多い サンマの仕分けをする鮮魚商の村上さん。今年は、三陸沖の水温が高く、北海道産しか、あがっていない カモメが群れ飛ぶ大船渡魚市場。市場が古くなり、新市場を隣に建設中だが、完成まじかに震災に見舞われた
地ノ森いこいの家;クリックすると大きな写真になります 60キロの土のう;クリックすると大きな写真になります 仮設住宅の倉庫作り作業;クリックすると大きな写真になります
「地ノ森いこいの家」。ボランティア男女各8名が2食付き無料で泊れる 60キロの土のうを計66個。いや、きつい! 仮設住宅の倉庫作り作業。電動ドライバーも、慣れた手つきで?


付記・2012年11月21日

 ▽読書日記「気仙川(けせんがわ)」(畠山直哉著、河出書房新社刊)

 岩手県陸前高田市出身の写真家である著者が出した写真集。

 ちょうど、陸前高田市の隣の大船渡市のボランティアに行く準備をしていた9月中旬。 池澤夏樹の新聞書評でこの本のことを知り、図書館に購入申し込みをし、先週借りることができた。

 不思議な迫力で迫ってくる本である。前半は、著者が「カメラを持って故郷を散歩中にふと撮りたくなった」カラー写真が続く。
 ところが、ページの上半分は空白。下半分に載った風景は、もう見ることができない三陸の普通の風景・・・。戦慄が走る。

 写真の合い間に、著者が家族の安否を確認するためオートバイで故郷に向かう文章が挟み込まれている。これも、上半分は空白である。

「いまどこ?」「山形県の酒田。雪で進めなくて」「あたしは角地(かくち)。これから母さんと姉さん捜しに行くから」「え、一緒じゃないの?」「なに言ってるの」「だって避難者名簿に出てたんだから、末崎の天理教に三人一緒にいるつて」「宗教なんて信じちゃ駄目よ」「いやそうじやなくて」「後ろに待ってる人がいるから、じやあね」。あ、待って、切らないで。くそったれ。じゃあ、あれは存在する結果ではなかったのか。固い床の上で寄り添って、毛布を被っている三人なんて、いなかったというのか。あの情景を、いまさら僕の頭から消せというのか。


 真白な1ページをはさんで、写真は一変する。空白はない。

 津波が引き上げた跡の陸前高田市。瓦礫が積み重なり、民家の屋根だけが残り、杉林に自動車の残骸が押し込まれ、陸橋が浜辺の砂に埋まっている。

 これは、同じ場所の写真なのだろうか。この10月に見ただだっぴろい平野にコンクリートの建物と民家の土台だけが残っていた陸前高田市。

 しかし、行った時には切り倒されていた一本松も、大きな水門も、「幽霊が出る」といううわさが消えないホテルも、橋が流出して渡れなかった気仙川も、確かに写っている・・・。

 写真集の後半部には、文章はない。

「あとがきにかえて」には、こう書かれている。

あの時僕らの多くは、真剣におののいたり悩んだり反省したり、義憤に駆られたり他人を気遣ったしたではないか。「忘れるな」とは、あの時の自分の心を、自分が「真実である」と理解したさまざまを「忘れるな」ということなのだ。


気仙川
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畠山 直哉
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2012年7月19日

 読書日記「愉快な本と立派な本 毎日新聞「今週の本棚」20年名作選 1992-1997」



愉快な本と立派な本  毎日新聞「今週の本棚」20年名作選(1992~1997)
丸谷 才一 池澤 夏樹
毎日新聞社
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  「快楽としての読書 日本篇 海外篇」(丸谷才一著、ちくま文庫)の後を追うように出版された。前著が週間朝日に掲載された丸谷才一の書評を選んでいるのに対し、表題書は毎日新聞の書評欄に様々な評者が書いたものを丸谷才一、池澤夏樹両氏が選び出したもの。

 図書館に買ってもらい、パラパラめくりながら、気になるページにポスト・イットをはさんでいくと、結果的に丸谷才一の書評が一番多くなった。  「カサノヴァの帰還」、(A・シュニッツラー著、金井英一、小林俊明訳、集英社)の評には「小説は大好きだが、今出来のものは辛気くさくて鬱陶(うつとう)しくてどうもいけないと言う人にすすめる」とある。  18世紀の高名な色事師カサノヴァの50代を19世紀末の「世紀末ウイーンの恋愛小説の名手シュニッツラーが老境にさしかかって描いた作品とか。シュニッツラーは「社会の約束事を踏みにじった人間の研究をしようとして、絶好の題材を得た」。何年か前に、「世紀末ウイーン探訪の旅をしたことを思い出した。

カサノヴァの帰還 (ちくま文庫)
アルトゥール シュニッツラー
筑摩書房
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ミステリー・映画評論家「瀬戸川猛資」の「夢想の研究 活字と映像の想像力」(早川書房)についての項では「嘱望する評論家の出現。じつにおもしろい本をひっさげて彼はやって来た」と絶賛している。
 瀬戸川の説は「突拍子もないが、説得力がある」という。例えば「オーソン・ウエルズの「『市民ケーン』はエラリー・クイーンの「 『Xの悲劇』の換骨奪胎」「アメリカ映画に聖書物が多いのは、ハリウッドの帝王たちがみなユダヤ人で、ユダヤ教の信仰を捨てていないから」など・・・。
 丸谷は、毎日の書評欄を引きうける際、瀬戸川とエッセイストの「 向井敏を評者に起用したが、この2人は若くして世を去った。丸谷は表題書のまえがきで「桃と桜に分かれたような大きな喪失感を味わされた」と悼んでいる。

夢想の研究―活字と映像の想像力 (創元ライブラリ)
瀬戸川 猛資
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 その瀬戸川が「丸谷才一 不思議な文学史を生きる」(丸谷才一著、新井敏記編 文藝春秋)を評して「誰だぁ? 文学をおもしろくないなんて言うのは?」と切り出している。
 新井の丸谷へのインタビューで編成させているのだが、過激かつ戦闘的な内容に満ちている。  「鴎外は小説家の才能としては、そんなに恵まれていなかった人じゃないかと思いますね。想像力による構築という才能がないでしょう」「小説家的才能においては、夏目漱石のほうがずっとあったと思いますね」
 特注のお奨め品だそうである。

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丸谷 才一
文藝春秋
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 向井敏の書評もかなり掲載されているが「丸谷才一批評集 全6巻」(文藝春秋)も、堂々と評している。
 丸谷がはじめての評論集「梨のつぶて」(晶文社)を公にしたのは昭和41年のことだそうだが、向井が一読して驚くのはその守備範囲の広大さ。
 古典から近代文学。英米文学に王朝物語や和歌。正宗白鳥の空想論、菊池寛の市民文学、北杜夫のユーモアを語る・・・。その守備範囲の広さの脳裏には「日本の近代文学を袋小路に追い込んできた実感信仰、実生活偏重から救いだす」という大きな構想があったという。  そして今回の全6巻批評集は、丸谷がしっかりした基盤のうえに批評を築いてきた証になっているという。
 それに花を添えているのが、各巻巻末の対談らしい。池澤夏樹、渡辺保川本三郎ら若い気鋭の批評家の大胆不敵な仮説や機敏を衝く問いに「著者(丸谷)はしばしばたじろぎ、・・・感無量だったのではあるまいか」

 丸谷の書評を、もう1篇。

 「泥棒たちの昼休み」(新潮社)の著者・結城昌治のことを、丸谷は「舌を巻くしかないくらい文体がよい。常に事柄がすっきりと頭にはいって、文章の足どりがきれいだ」と絶賛している。
 この本は、刑務所の木工場で働く懲役囚が昼休みにする話しを綴った短編集だが、明らかに阿部譲二「堀の中の懲りない面々」に刺激された設定。それが「次々と新しい工夫で読者を驚かし、(結城自身が)何年か(刑務所に)入っていたのかと疑いたくなる」出来栄えらしい。
 「近代日本小説の主流の筆法と対立する、いわば西欧的な書き方を、こんなに自然な感じで身につけている探偵作家は、ほかにいなかった」
 希代の書評家にこれだけほめらると、天国の結城も作家冥利につきると照れていることだろう。

泥棒たちの昼休み (講談社文庫)
結城 昌治
講談社
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   書評集というのは、これまではどちらかというと敬遠していたが、浅学菲才の身に新しい知的刺激を与えてくれる。なかなか捨てがたい味わいを感じた。

 ところで、この表題の本。丸谷と池澤夏樹の共編になっているのだが、丸谷に並ぶ書評家として勝手に"尊敬"して池澤の文章が「書評者が選ぶ・・・」などの短文にしか見当たらないのが、なぜなのか。いささかもの足りない。

 

2012年5月22日

読書日記「氷山の南」(池澤夏樹著、文藝春秋刊)


氷山の南
氷山の南
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池澤 夏樹
文藝春秋
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 18歳のアイヌの血を引く日本青年、ジン・カイザワは、オーストラリアの港から南極を目指す「シンディバード」号に密かに乗り込む。密航だった。

 ニュージーランドの高校を出たばかりのジンは、ゲームやファンタジーの熱を上げている中学や高校の同級生にどうしてもなじめず、そんな閉塞感を破りたいと、この船が挑戦しようとしている" 氷山プロジェクト"を見てみたいと願った。

 氷山プロジェクトは、アブダビのオイルマネーを原資とした基金「氷山利用アラビア協会」が企画した。南極の氷山を曳航して帰り、それを溶かした真水をオーストリア南西部の畑地の灌漑に役立てようというもの。
運ぶ氷山は1億トン前後、小さめのダム1個分の貯水量。氷山は、 カーボン・ナノチューブの網をかぶせて、大型けん引船で運ぶ。名付けて「海の中を行く大河」作戦。食糧増産を可能にする壮大な計画だ。

 乗り込んでいるのは、このプロジェクトを成功させるための専門家ばかり。ジンを降ろそうとするリーダーを抑えて、協会総裁である「族長」の好意で、食堂と船内新聞の編集の手伝いという職を得る。

地球観測衛星など、最新科学技術を駆使して曳航するのにふさわしい氷山が見つかる。 ジムは、船内新聞の記者特権で、ヘリコプターで目的の氷山に降りる。

 
その場で仰向けに寝た。
 ・・・。
 青い空が広がっていた。
 ああ、空というのは絶対にこの色であるべきなんだ、と見る者に思わせるような青だった。その青のせいで空までの遠い距離がそのまま身体の下の側にも転移され、今、自分は上下左右あらゆる方向へ無限に広がる空間の中点に浮いているという幻覚が湧いた。
 背中の下には確かに固い氷があるのに、浮揚しているという感覚は消えない。
 宇宙サイズの目眩みたいな。
 それで、中心はこの氷山なんだ。
 他のどの氷山でもなく、この海域でたった一つ、地球の上でたった一つ、この氷山。
 奇妙な、とても不思議な気分だった。ずっと離れていた土地へ帰ってきた時のようにが反応している。ここは懐かしい。


  南極のオキアミを研究する科学者のアイリーンらと、カヌーでこの氷山を一周してみることにした。

 ジンは、カヌーを漕ぎながら、オーストリアの山、 ウルル(俗称エアーズ・ロック)に行ったことを思い出した。
この山は、先住民・ アボリジニの聖地であるため、登ることは禁止されている(実際には、観光客は登ることを許可されているらしい)。

 やむをえず、山の周り約10キロを歩いてみた。山そのものが迫ってくる。歩くうちに、山は「敬え!」と迫ってきた。

 
ぼくたちは今、この氷山の霊的な虜になっている。この氷山もやはり「敬え!」と言っている。だってこんなに大きくて、白くて、冷ややかに輝いているんだから。


 船に帰ってから、アイリーンも言った。「なぜだか人が手を掛けてはいけないもののような気がしたわ」

 この氷山曳航計画に反対し、阻止を公言しているグループがあった。「アイシスト」。「無理に訳せば、氷主義者?氷教徒?」。一種の宗教団体らしい。

 「氷を讃えよ」と機首に書いた無人飛行機が飛んできて「シンディバード」号の甲板に南極の氷の"弾"を降らしていった。警告のつもりらしい。この船の位置を正確に知っていた。ということは、船内に同調者がいることを示している。世界中にシンパもいるらしい。

 アイシストは、こう主張する。文明の規模を大きくし過ぎて、様々なひずみが生まれた。そんな社会を「冷却する。過熱した経済を冷まして、投機を控えて、みんな静かに暮らす」

 著者は、まさしく3・11を産んだ現代社会を批判している。フィクションという大きなオブラートに包んで「開発と浪費の悪循環を断つべきだ」と主張している。

 3・11だけでなく、世界で起きている現象を見ると「アイシスト」のような主張集団が出ることは、当然のことと思える。本当に、こんな集団があるのではないかと、私はGoogleで検索までしてしまった・・・。

 氷山曳航作戦は突然、終幕を迎える。

 港に曳航された氷山が、突然割れたのだ。
 氷山内部の計測を担当する科学者が、内部に歪みがあり、割れる危険があるデーター隠していたらしい。彼は、独立独歩の環境テロリストだったようだ。

 このプロジェクトへの投資家を納得させるため、もういちど氷山プロジェジュトを実施するための資金計画が決まった。

 航行の途中でタンカーに運んでおいた水をペットボトルで売る。「融ける時にぴちぴち音がする」氷も切り出して世界中のバーに売る、という。
 私も昔、ある会合で南極の氷のオンザロック・ウイスキーを飲んだことがある。10万年の前に氷に閉じ込められた空気が氷の融けるのと同時にグラスにはねて軽やかな音がするのだ。

 崇高な氷山曳航作戦は地にまみれて、単なる金もうけの手段に陥ってしまった・・・。

 著者の本のことをこのブログに書くのは、 「すばらしい新世界」など、数回に及ぶ。特に、3・11以降、著者が多く描く自然と人間、科学と社会をテーマにした著作に引かれるためだろう。これからも、これらのテーマの著作に出あえたらと思う。

   

2012年2月26日

読書日記「イエスの言葉 ケセン語訳」(山浦玄嗣著、文藝春秋新書)


イエスの言葉 ケセン語訳 (文春新書)
山浦 玄嗣
文藝春秋
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この本が誕生したいきさつは、序文「はじめ」のなかで説明されている。

 3・11の東北大津波で、医師である著者の診療所がある大船渡市も市街地の半分が流された。 カトリック信者である山浦医師は、古代ギリシャ語で書かれた新約聖書を、東北・ 気仙地方で普段に使われるケセン語訳で出すことに挑戦した。だが、出版した大船渡市の イー・ピックス出版も社屋を失った。

ところが、奇跡が起こった。

津波でつぶれた出版社の倉庫の泥にまみれた箱の中からほとんど無傷の三千冊のケセン語訳聖書の在庫が見つかったのだ。津波の洗礼を受けた聖書として有名になったケセン語訳聖書は、日本中の人びとの感動を呼び、数カ月で飛ぶように売れてしまった。

そんな時、文嚢春秋の女性編集者が「瓦礫と悪臭におおわれた惨憤たる道を踏み越えて」訪ねてきた。

ケセン語訳聖書がこんなに多くの人びとに喜ばれ、受け入れられているのは、難解だった従来の聖書の翻訳をほんとうにわかりやすくしたからです。この心を全国の人びとに伝えたい。人の幸せとは何かと問う福音書の心こそ、災害に打ちひしがれている日本人によろこびの灯をともすはずです。イエスのことばをふるさとのことばに翻訳した中で得た多くのことをぜひ本にしてみなさんに読んでいただきましょう!


   この本は、イエスの言葉を引用しつつ、山浦医師の生きざま、復興に立ち向かう東北の人々の思いのたけを綴っている。

話し言葉である「ケセン語」を、文章に直すのは至難の業だったろう。だから最初に「ケセン語の読み方」という注釈がついている。

本文で、「が(●)ぎ(●)ぐ(●)げ(●)ご(●)」はガ行濁音で、「がぎぐげご」はガ行鼻濁音で読む。
 振り仮名で「ガギグゲゴ」はガ行濁音、「がぎぐげご」はガ行鼻濁音。また、振り仮名で促音「つ」は「ツ」と書く。

*尚、聖書引用は日本聖書協会『聖書新共同訳』による。


 学生時代に東北地方を旅し、列車の中で出会った行商のおばさんたちが話す言葉がさっぱり分からず、あ然、がく然とした思い出がある、

 この本に書かれた「ケセン語」のイエスの言葉もちっとやそっとでは理解できない。しかし、それに続く山浦医師の解説は、カトリック信者のはしくれである私にも「目からうろこ」の連続だった。そして「ケセン語訳」イエスの言葉が身にしみてくるのである。

敵(かだギ)だってもどご(●)までも大事(でァじ)にし続(つづ)げ(●)ろ。
                           (ケセン語訳/マタイ五・四四)

敵を愛し...(中略)...なさい。
                                (新共同訳)


 「ケセン語には愛ということばはない。・・・そういうことばは使わない」。山浦医師は、東北人らしく率直に切り出す。

 「愛している」なんて、こそばゆくて、むしずが走るようなことばだ。『神を愛する』なんて失礼な言葉はない。『お慕申し上げる』ならわかるが、『愛する』はないでしょう。ペットではあるまいし!」

 「ギリシャ語の動詞アガパオーを『愛する』と訳したために、聖書の言葉が日本人の心に届いていない」。420年ほど前のキリシタンは「大切にする」と訳し、「愛する」は妄執のことばとして嫌ったという。

「『お前の敵を愛せ』は誤訳だ。イエスは『敵(かたギ)だっても大事(でアじ)にしろ。嫌なやつを大事にすることこそ人間として尊敬に値する』と言っているのだ」

医師の言葉は、どこまでも先鋭かつ鮮烈である。

願(ねが)って、願(ねが)って、願(ねげ)ア続(つづ)げ(●)ろ。そうしろば、貰(もら)うに可(い)い。探(た)ねで、探(た)ねで探(た)ね続(つづ)げろ。そうしろば、見(め)付(ツ)かる。戸(と)オ叩(はで)アで、叩アで、叩(はだ)ぎ続(つづ)げろ。そうしろば、開(あ)げ(●)もらィる。
 誰(だん)でまァり、願(ねげ)ア続(つづ)げる者(もの)ア貰(もら)うべし、探(た)ね続(つづ)げる者(もの)ア見(め)付(ツ)けんべし、戸(と)オ叩(はだ)ぎ続(つづ)げる者(もの)ア開(あ)げ(●)でもらィる。
                        (ケセン語訳/マタイ七・七~八)

求めなさい。そうすれば、与えられる。
 探しなさい。そうすれば、見つかる。
 門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
            (新共同訳)


 山浦医師は、この箇所をケセン語に訳そうとした時、新共同訳を見て「ちょっと待てよ」と思った。
 「人生を振り返って、求めたからといって与えられるとは限らない。・・・それどころか、求めて得られず、探して見つからないことが多すぎるからこそ、・・・人生で苦労している」

 疑問の答えが見つからないまま、ギリシャ語文法の勉強をしていた時、ギリシャ語の命令形には、その動作を継続して実行することを要求する「継続命令」と、ひとくくりに一回性のものとして要求する「単発命令」という2つの種類があることに気づいた。
  マタイ伝を読みなおして「求めろ、探せ、たたけ」は「継続命令」であることが分かった。 そして、ケセン訳と同時に、こんな日本語"私訳"をつくった。

  
願って、願って、願いつづけろ。そうすれば、貰える。
 探して、探して、探しつづけろ。そうすれば、見つかる。
 戸を叩いて、叩いて、叩きつづけろ。そうすれば、戸を開けてもらえる。
 誰であれ、願いつづける者は貰うであろうし、探しつづける者は見つけるであろうし、戸を叩きつづける者は開けてもらえる。 


 医師は続けて書く。
 「イエスはたとえ話しの後でよく『聞く耳のある者は聞け』といいます。これは継続命令です。・・・一度聞いた話を心の中で何度も反芻し、繰り返し繰り返し、聞き続けろということです。"神さまのお取り仕切り(ケセン語訳で神の国、天の国のこと)"に参加するには、このしつこさが必要なのだと、イエスはしつこくしつこくいっている・・・。」

   この本の巻末に「新しい聖書翻訳のこころみ」という数ページがある。
 例えば「永遠の命」は「いつまでも明るく活き活き幸せに生きること」、「心の貧しい人」は「頼りなく、望みなく、心細い人」、「柔和な人」は「意気地なし、甲斐性なしなし」・・・。

 池澤夏樹の 「ぼくたちが聖書について知りたかったこと」という本にこんな一節がある。

 
秋吉さん(秋吉輝雄・立教女学院短期大学教授)は、本来、聖典は朗諦・朗詠されるものだと書かれていますね。その意味で見事なのは、岩手の山浦玄嗣さんというお医者さんが出したケセン語訳の聖書「ケセン語訳新約聖書」( イー・ピックス刊、二〇〇二)です。福音書を岩手県気仙地方の言葉に訳したのですが、あれはまさしく読むだけでなく、朗唱するものとして作られている。山浦牧師(?)は、信仰というものは魂に訴えるのだから、生活の言葉でなくてはダメだと考えて、ケセン語訳をしたんです。聞いていた信者のおばあさんが「いがったよ! おら、こうして長年教会さ通ってね、イエスさまのことばもさまざま聞き申してきたどもね、今日ぐれァイエスさまの気持ちァわかったことァなかったよ!」 と言ったとか。


 この「ケセン語訳新約聖書」が、3・11で奇跡的に見つかり、完売した聖書だ。

一方で、山浦医師らの長年の夢が3・11で失われた。「ケセン語になじみのない一般の日本人にもたのしめるような『セケン(世間)語訳』を出してほしい」という要望で、日本各地の方言をしゃべる新しい福音書が出版を間近にして流されてしまったのだ。

 しかし「日本中のふるさとの仲間にイエスのことばをつたえようという望み」は消えなかった。生き残った社員が集まり、山浦医師の書斎に残っていた原稿から新しい版を起こす仕事が始まった。

山浦玄嗣医師訳 「ガリラヤのイェシュー;聖書-日本語訳新約聖書四福音書」(イー・ピックス出版)は、昨年11月に出版された。

山浦医師によると「イエスは仲間内で喋るときには方言丸出しだが、改まったお説教をするときや、 階級の上の人に対しては公用語を使う。さらに、ファイサイ衆は武家用語、領主のヘロデは大名言葉、 ユダヤ地方の人は山口弁。ローマ人は鹿児島弁、 ギリシャ人は長崎弁」と全国各地の方言が飛び交う。

芦屋市立図書館には、すでに所蔵されていた。予約したが、まだ手にすることはできていない。

ぼくたちが聖書について知りたかったこと
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ガリラヤのイェシュー―日本語訳新約聖書四福音書

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2011年11月28日

読書日記「半島へ」(稲葉真弓著、講談社刊)


半島へ
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 今年の 谷崎潤一郎賞受賞作。この作家のことは知らなかったが、書評者として現在一番尊敬している池澤夏樹が「読んでいる間ずっといい気持ちが持続する小説」と選評していたので読む気になった。
 ところが、肝心の本が手に入らない。図書館は貸出中。計5件の書店がいずれも在庫なし。AMAZONも「5-7日待ち」。つまり、流通在庫はゼロということらしい。結局、今月の9日に芦屋ルナ・ホールで開かれた著者の受賞記念講演会場で買うことになった。

 東京に住む主人公は、志摩半島に別荘を買い、1年に数カ月過ごす生活をしている。
 
折り畳みのデッキチェアーに体を投げ出し、ぼうっと空を見ていると、波動のようなものが体内をかすめていく。地球の自転の震えだろうか。体と一瞬にしてつながるような未知の感覚に襲われる。同時に人間が流れることなく地につながれていることが、なぜか奇跡のように思えてくる。夜風の動き、葉擦れのかすかな音が五感の境界を溶かしていくのか、体が人間の生理学、ヒトの時間をどんどん離れ、得体のしれぬものに変化していくようだ。ああ、こんなふうに、体は肉体を離れていくのか。これが無になるという感覚なのか。どこか遠い場所で放たれた、見知らぬ人の体に乗り移ったようである。


 私小説風のフィクションということだが、現実にあったことを書いているのは「6割ぐらい」と、著者はインタビューに答えている。離婚を経験し、熟年にさしかかった女流作家が、半島での生活で老いの静かさを実感していく。

   
梅雨明けから続いた猛暑のなか、私は自分でも落ち込むほどにへばっていた。年齢による体力の衰えも関係していたが、盆の過ごし方がまるでわからないのだ。・・・家族の団欒姿は、私の日常からなによりもとおいものだった。
 だから私は。自分のなかに欠落しているものを痛いほど意識しながら、家族とともに過ごす半島の住民たちを見ないようにしていた。ムキになって草取りをし、花の終わったアジサイの剪定にやっきになり、崩れかけた花壇に土を運んだ。その不自然さ、ぎこちなさ、疲れが、他愛ない笑いとともにすっと溶けて行く。


 
藪椿の森を歩く。おびただしく落下する花を踏んで、先に行く気が失せてしまう。「この道は藪椿の墓地」だと思う。
 ひと足をついと踏み出せば、そのまま大地に吸い込まれ、体ごと帰れなくなりそうだった。・・・花の死骸の下にも、ひとには見えない強い道がある。季節の変わり目、終わりを迎えた花にしてみれば、ここは「最後の地」のようなものなのだろう。そう思った途端、熟れた蜜と思った花のにおいに、突如、腐臭が漂い出す。


周りに住んでいるのは、定年を迎えて第2の人生をこの土地で楽しもうとやって来た人たち。彼ら、彼女らと、半島にあふれるばかりの自然の恵みを満喫していく。

 
散歩から帰ると、玄関先に掘り立てのタケノコが積み上げてあった。倉田さんが届けてくれたのだろう。九本の太ったタケノコだった。
 ・・・
 「竹林んなかを通ると、眠気が覚めるね。体内の毒気を吸い取るなんかがあるのかもしれねぇよ」
 「毒気?竹のどこが毒気を吸うの?」
 ・・・「節かな。あんなかは真空だし、真空ってことは宇宙みたいなもんやないか。それにさ、タケノコは一日に何十センチも伸びるだろ。あのエネルギーが、こっちに乗り移るんかね。うまく言えねぇけど、竹林を通ると、この先、死にそうにないような気がするよ。・・・」


 近所の人が、間引いて明るくなった竹林で開いた酒宴に呼んでくれる。竹の切り口に立てた二百本ものロウソクがあちこちでゆらめく。酔った私はだんだん頭が朦朧としてくる。
 
ぐるりを見回すと、どのひとももう人間ではなくなっていた。全部が海のもの、山のもの。女たちが集まっていたところでは、たくさんのイソギンチャクがひらひら口を開いたり閉じたりしている。
 別の場所では大小の牡蠣が不格好に躍っている。ごつごつしてどれも陰影が深い。肩を組んで重なりあっているのは蟹だろうか。大きなハサミを振り回しながら、間断なくぶくぶく泡を吹いている。・・・
 覚えているのは、だれかが私を支えながら家まで送ってくれた曖昧な記憶だけ。・・・ふたりの女は野うさぎの顔をしていた。枯れ草のしみた毛皮のにおいがふっと鼻孔をよぎっていく。


 著者は、谷崎賞記念講演で「十六年通い続けた土地の力に一番影響を受け、書く力を得てきた」と語った。かって力を支えてきた土地は、長年住み慣れた東京・品川だったが「パワースポットは志摩半島に移りつつある」という。
 そして「今回の東北大震災の土地に住んでいた二万人の人々の膨大なかけがえのない日常が、フィクションの宝庫だと思えてきた」と、次の作品を予言した。

 
私はひとが「え、しばらく向こうに行くんですか。これまで通り、通えばいいじゃないですか?どういう心境の変化です?」と尋ねるたびにこう答えることにした。
 「地層がね、呼んだんですよ。むき出しなんだけど強そうで・・・」


 著者は、この本の冒頭近くで、志摩半島の地層を調べたことを書いている。ここの地層は「中生代白亜系からジュラ系の和泉層群、領石層群、鳥巣層群、四万十層群の四層からなっている」らしい。

地殻変動によって海から押し上げられた土地らしいこともわかった。そうか、ここは海底に眠っていた土地だったのか。・・・原始を抱えて地上にやってきたもの、地殻変動に耐えて長い年月生き延びたものが、私の足元を支えていたなんて。わ、すごい。掘れば貴重種の化石がざくざくと出てくるかもしれない。胸が躍った。


2011年10月19日

読書日記「春を恨んだりはしない」(池澤夏樹著、中央公論新社)、「日本の大転換」(中沢新一著、集英社新書)、「神様2011」(川上弘美著、講談社)

春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと
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日本の大転換 (集英社新書)
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神様 2011
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 表題最初の「春を恨んだりはしない」の著者、池澤夏樹は、9月20日付け読売新聞の著者インタビューで「この半年は(東日本大震災について)考えているか、書いているか、被災地に行っているか。ほかのことはほとんどしていない」と語っている。
 
たくさんの人たちがたくさんの遺体を見た。彼らは何も言わないが、その光景がこれからゆっくりと日本の社会に染み出してきて、我々がものを考えることの背景になって、将来のこの国の雰囲気を決めることにならないか。
 死は祓えない。祓おうとすべきではない。
 更に、我々の将来にはセシウム137による死者たちが待っている。


そして池澤は「原子力は人間の手に負えないもので、使うのを止めなけばならない」と、次のように力説する。
 
原子力は原理的に安全ではないのだ。原子炉の中でエネルギーを発生させ、そのエネルギーは取り出すが同時に生じる放射性物質は外に出さない。・・・あるいは、どうしても生じる放射性廃棄物を数千年に亘って安全に保管する。
 ここに無理がある。その無理はたぶん我々の生活や、生物たちの営み、大気の大循環や地殻変動まで含めて、この地球の上で起こっている現象が原子のレベルでの質量とエネルギーのやりとりに由来しているのに対して、原子力はその一つ下の原子核と素粒子に関わるものだというところから来るのだろう。


 ここまで読んで、同じような考え方にふれたのを思い出した。

 震災直後に朝日新聞出版から緊急出版された宗教学者の中沢新一、神戸女学院大学名誉教授の 内田樹、経済関係の著書が多い平川克美の鼎談冊子「大津波と原発」のなかで、中沢はこんなことを話している。

「核力からエネルギーを取り出す核融合反応というものは、もともと太陽で行われているものです。・・・核分裂はようするに生態圏の外にある」「原子力は一神教的技術なんです」

 なぜ生態圏の外にあった反応を生態圏に持ち込んだから、原発は制御不能なのか?
  超自然的な存在である神と原子力を一神教という名のもとにひとくくりしてしまうのも、キリスト教信者のはしくれである身には理解しがたい・・・。

大津波と原発
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 最近、その中沢が「日本の大転換」という本を出した。「大津波と原発」で言っていたことを敷衍しているらしい。各紙の書評欄でも次々取り上げられたので、読んでみた。

 中沢は、これまでの世界・社会は太陽の恵み(贈与)で成り立っていたのに、人間は原子炉のなかで"小さな太陽"を作ろうという無謀な試みをしようとして厳しいしっぺ返しを受けようとしている、と主張する。

 
太陽から放射される莫大なエネルギーの一部は、地球上の植物の行う光合成のメカニズムをつうじて「媒介」されることによって、生態圏に持ち込まれている。そうした植物や動物がバクテリアなどによって分解・炭化され、化石化したものが石炭や石油なのである。・・・
 ところが、原子炉はこのような生態圏との間に形成されるべき媒介を、いっさいへることなしに、生態圏の外部に属する現象を、生態圏のなかに持ち込む・・・。


 
津波によって、生態圏外的な原子炉と生態系をつないでいた、脆弱な媒介システムが破壊されたのである。むきだしになった核燃料は、臨界に達する危険をはらみながら、大量の放射性物質を放出し続けることとなった。そしてあらためて、人々の意識は、数万年かかっても処理しきれない、おびただしい放射性廃棄物を生み出すこの技術の、もうひとつの致命的な欠陥に注がれることになった。


 川上弘美の「神様2011」は、1993年に初めて書いた「神様」という短編を3・11後の世界に置き換えたものだ。放射能に汚染されて、人々は防護服を着、被爆量を気にしながら生きている。「神様」では2行で終わっている結びが5行に増えている。

 
部屋に戻って(熊の神様が作ってくれた)干し魚をくつ入れの上に飾り、眠る前に少し日記を書き、最後に、いつものように総被爆量を計算した。今日の推定外部被爆量・30μ㏜、内部被爆量・19μ㏜、推定累積内部被爆量178μ㏜・・・。


 池澤の「春を恨んだりはしない」のなかで、このブログでもふれた著書 「新しい新世界」で予言した世界をこう描いている。

   
進む方向を変えた方がいい。「昔、原発というものがあった」と笑えて言える時代の方へ舵を向ける。陽光と風の恵みの範囲で暮らして、しかし何かを我慢しているわけではない。高層マンションではなく屋根にソラー・パネを載せた家。そんなに遠くない職場とすぐ近くの畑の野菜。背景に見えている風車。アレグロではなくモデレート・カンタービレの日々。


 
人々の心の中で変化が起こっている。自分が求めているモノではない、新製品でもないし無限の電力でもないらしい、とうすうす気づく人たちが増えている。この大地が必ずしもずっと安定した生活の場ではないと覚れば生きる姿勢も変わる。
 これからやってくる世界は、どちらだろうか。

 川上の描く世界が、ますます″日常化"するなるなかで、池澤らが提言する世界を目指す努力がどこまでできるのか。これからを生きる孫たちを思う・・・。