検索結果: Studio YAMAKO

このブログを検索

大文字小文字を区別する 正規表現

Studio YAMAKOで“天守閣”が含まれるブログ記事

2022年12月17日

金沢紀行 11月20日~22日 その6 金沢城公園② 11月21日

石川門から入って、河北門を見て、三の丸広場を五十間長屋を右手に眺めながら横切り、橋爪門に入った。石垣と二重塀で囲われた枡形に入る。二の丸情報館で一休みし、二の丸御殿の復元整備がなされている広大な二の丸広場を眺め、三十間長屋に行った。
 五十間長屋は二の丸広場から中へ入り見学することができたが、割愛してしまった。菱櫓、橋爪門続櫓も、中を見学することができるのだが割愛。
 午前11時、極楽橋を渡って、三十間長屋へと上がる。三十間長屋は金沢城にある3っの重要文化財の一つである。
 三十間長屋の東側が本丸のあったところだ。前田利家の時代には、5階建ての立派な天守閣があったそうだが、冬の落雷で焼失してしまったという。天守閣があったところが、いま、本丸園地と呼ばれるところで、三十間長屋の先に散策路の入り口があった。入ってみたかったがここも割愛した。山道になっているその散策路に先には戌亥櫓、丑寅櫓、辰巳櫓の3っの櫓跡が残されていて、その高台から降りてくると鶴丸倉庫があるが、我々は下の道から鶴丸倉庫へ行く。
 鶴の丸休憩所でコーヒーを一杯飲んで一休みした。
 次は歩いて近江町市場へ行きたい。三の丸広場を河北門の方へ戻り、二の丸広場の北側を歩いて、右手(東側)に広々とした新丸広場を眺めながら黒門口から近江町市場へと歩いた。すぐ近くだった。
 後で気が付いたのだが、加賀藩三代藩主「前田利常」が作庭し、廃藩まで歴代藩主が愛でたという庭園「玉泉院丸庭園」(平成27年3月、江戸時代末期の姿をもとに再現された)を見落としてしまった。
 なお、記述については、まったくの受け売り箇所もあるがお許しいただきたい。

000_221121782 X800 〇金沢 金沢城 新丸広場 Z50 Z18-140.jpg
金沢城公園の北側にある広々とした新丸広場 2022年11月21日 石川県 金沢城公園 

128_221121733 X800 金沢 金沢城 本丸の森 Z50 Z18-140.jpg 128.本丸正門(鉄門)跡
この写真の少し手前の両側に、本丸跡への入り口になっている石垣がある。それが鉄門(くろがねもん)跡だ。散策路を入ると、ちょっと歩いてみたくなる森があった。鉄門は、創建は明らかではないが、寛永の大火(1631年)以降、二の丸から本丸に入る正門となった。鉄板を張った扉が付けられていたことからこの名がついたといわれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/400秒 64mm ISO6400 ) 露出補正 なし
129_221121737 X800 〇金沢 金沢城 本丸の森 Z50 Z18-140.jpg 129.本丸跡への散策路
前田利家が築いた天守は火災で焼け落ちてしまい、現在は緑が広がる雑木林になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 29mm ISO1600 ) 露出補正 なし
130_221121740 X800 〇金沢 金沢城 旧陸軍弾薬庫トンネル Z50 Z18-140.jpg 130.旧陸軍弾薬庫隧道 -1
本丸跡への散策路を歩くのは断念して、三十間長屋から北東の方向へ、戌亥櫓跡の石垣の下を歩くと、トンネルがあった。旧陸軍弾薬庫隧道が見えた。金沢城は明治から第二次大戦にかけては陸軍省の所有となっていたが、本丸付近には弾薬庫が設けられた。弾薬庫を建設する際に掘られたレンガ造りのトンネルである。2008年に土木学会によって「日本の近代土木遺産」に登録された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 41mm ISO1100 ) 露出補正 なし
131_221121742 X800 金沢 金沢城 旧陸軍弾薬庫トンネル Z50 Z18-140.jpg 131.旧陸軍弾薬庫隧道 -2
この隧道は本丸跡地の戌亥櫓跡の石垣に開けられている。今は本丸園地と呼ばれているところだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO2800 ) 露出補正 なし
132_221121743 X800 金沢 金沢城 旧陸軍弾薬庫トンネル Z50 Z18-140.jpg 132.鶴の丸広場
旧陸軍弾薬庫隧道からだらだらと坂道を下りたところが鶴の丸広場だった。ここは本丸・東ノ丸の真下にある郭で、東ノ丸にいた芳春院(利家夫人)が、ここに白い鶴が舞い下りているのを見て、 これは前田家が長く栄えていく瑞祥(めでたい事の兆し、吉兆)であるとして、 この郭を鶴ノ丸と名付けたという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 54mm ISO500 ) 露出補正 なし
133_221121747 X800 金沢 金沢城 鶴丸倉庫 Z50 Z18-140.jpg 133.鶴丸倉庫
右手に鶴丸倉庫があった。幕末の1848年に竣工した武具土蔵で、石川門・三十間長屋と同様に重要文化財に指定されている。土蔵造2階建、切妻造、桟瓦葺で、もとは武具蔵として建てられ、加賀藩大工山本勝左衛門が普請を手がけたといわれる。明治以降は、陸軍によって被服庫として使われていた。長らく「鶴丸倉庫」と呼ばれてきたが、実際に建築されているのは「東の丸付段」である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO160 ) 露出補正 なし
134_221121752 X800 〇金沢 金沢城 鶴丸倉庫 Z50 Z18-140.jpg 134.鶴丸倉庫下
鶴の丸広場から見た鶴丸倉庫だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 26mm ISO220 ) 露出補正 なし
135_221121757 X800 金沢 金沢城 鶴の丸広場 Z50 Z18-140.jpg 135.鶴の丸土塀
鶴の丸休憩所の近くに展示されている「鶴の丸土塀」だ。鶴の丸土塀について詳しく説明されていた。この土塀の三の丸側の腰部は海鼠壁で覆われていたが、内側にはたくさんの鉄砲狭間があった。すなわち、三の丸側から見れば単に海鼠壁であるが、塀の中からはいざという時に瓦を1枚割れば鉄砲を撃てる狭間になっていたのである。これを「隠し狭間」と呼ぶ。利家が金沢城を築いた頃には、鉄砲が活かされた合戦として有名な長篠の戦いからほほ十年経過しており、すでにかなりの数の鉄砲が普及していたと考えられている。こうして、金沢城も鉄砲に備えた防御機能が随所に整えられることになったのである。鶴の丸土塀からは、有事に備えた築城の知恵が垣間見られると言える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 19mm ISO250 ) 露出補正 なし
136_221121758 X800 〇金沢 金沢城 鶴の丸広場 Z50 Z18-140.jpg 136.北の丸北面石垣と鶴丸倉庫
自然の石や粗割りしただけの石を用いて築かれた石垣は、金沢城の初期の姿を伝える貴重なもので、鶴丸倉庫の後ろ側にある東の丸北面の石垣などに見られるそうだ。この写真の左側に続く石垣にそれが見られるというが、わからなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 36mm ISO280 ) 露出補正 なし
137_221121761 X800 〇金沢 金沢城 橋爪門続櫓 鶴の丸休憩館から Z50 Z18-140.jpg 137.鶴の丸休憩館から見る橋詰門続櫓と五十間長屋
11時半になった。小奇麗な鶴の丸休憩所というところがあったので入ってみる。コーヒーを飲めるところがあったので一休みすることにした。大きなガラス張りになっているところに席を取り、しばし、橋詰門続櫓と五十間長屋を眺めていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
138_221121763 X800 〇金沢 金沢城 鶴の丸休憩館 Z50 Z18-140.jpg 138.鶴の丸休憩館
此処が喫茶室になっていた。これまでの休憩所は、2001年の全国都市緑化フェアの際に建てられた仮設の展示場を再利用していましたが、傷みが目立っていたことから、このたび(2017年)鶴の丸休憩館と名付けられた新たな休憩施設に建て替えられたものだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO200 ) 露出補正 なし
139_221121766 X800 〇金沢 金沢城 橋爪門続櫓 Z50 Z18-140.jpg 139.橋爪橋と橋詰門と橋詰門続櫓
さて、そろそろ金沢城公園においとまし、近江町市場へ移動しようと思う。橋爪門から再び五十間長屋の前を通って、二の丸広場の北側を西へ歩いた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 30mm ISO110 ) 露出補正 なし
140_221121769 X800 金沢 金沢城 新丸広場 カラスザンショウ Z50 Z18-140.jpg 140.カラスザンショウ(烏山椒)
カラスザンショウの葉が黄色くなっていた。カラスザンショウは、カラスイアゲハ、ミヤマカラスアゲハ、アゲハ、クロアゲハなどのアゲハチョウ科の蝶の食草になっているので親しみがわく。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO1250 ) 露出補正 なし
141_221121774 X800 金沢 金沢城 新丸広場 Z50 Z18-140.jpg 141.新丸広場 -1
付き合ったところを右へ行く。道なりに進むと右手(東側)が開けた。広い芝生の広場になっている。気持ちが良い。石川県のHPによれば、「新丸には、次々と藩の重臣の屋敷が建てられ、戦時には早くこの場で防御できるように考えられていた。しかし、藩の役所が増えてきて、重臣の数も多くなってくると、この場所だけでは狭くなり、 重臣の屋敷を次々に城外へ移した。そこで、藩ではここの空き地ができたところに細工所を設け、 甲冑、大小刀、弓矢等の修理や製造も行い、多くの細工者を集め、禄を給させた。しかし、これら細工所も宝暦9年(1759)の大火で焼け失せ、その後、再建することなく、 堂形辺(現在の県庁のある所)に仮屋を建て、細工所とした。この新丸のあと地が現在の「新丸広場」である。」とあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 38mm ISO100 ) 露出補正 なし
142_221121785 X800 〇金沢 金沢城 新丸広場 Z50 Z18-140.jpg 142.新丸広場 -2
芝生の向こう側の端まで300m近くあるのでないだろうか。木々が様々な色に紅葉していた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO500 ) 露出補正 なし
143_221121790 X800 金沢 金沢城 黒門 Z50 Z18-140.jpg 143.黒門口
金沢城公園の北側、近江町市場に近い、黒門口へと向かう。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 57mm ISO280 ) 露出補正 なし
144_221121792 X800 〇金沢 金沢城 黒門口から大手門口 Z50 Z18-140.jpg 144.大手堀
右手に大手堀というお堀が見えてきた。この堀は、廃藩置県後、次々と埋め立てられた金沢城の堀の中で、今なお唯一残っているのが周囲430mの大手堀という。平成元年に堀の堤を補強し、堀沿いの散策路が整備された。お堀沿いの道の右のほう(東側)へ行くと大手門口がある。ここをまっすぐ進むと黒門口があり、近江町市場だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 35mm ISO800 ) 露出補正 なし
145_221121797 X800 近江町市場へ 料亭旅館 浅田屋 Z50 Z18-140.jpg 145.老舗旅館
黒門口を出る。左手に豪姫住居遺跡(前田利家の四女にして、宇喜多秀家の正室となった豪姫が金沢に戻ってきた後に住んだ住居跡)のある黒門前緑地があった。まっすぐ十間町の通りを歩く。左側に雪吊りの松がある立派な構えの浅田屋という料亭旅館が見えた。ホームぺージを見ると、慶応3年(1867年)に創業の数寄屋造りとある。「風趣な坪庭を眺め、静謐なお部屋で金沢の情感を満喫していただけます。」とあった。1時過ぎに近江町市場についた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 37mm ISO640 ) 露出補正 なし

2022年4月17日

皇居東御苑から千鳥ヶ淵へ その1 皇居東御苑 3月30日

今年は千鳥ヶ淵の桜を見に行きたいと思っていて、天気予報を見ながらこの日に行こうと決めた。
 東京駅の丸の内側駅前広場は長い間工事がされていたが、2017年12月7日に約10年かけた丸の内口の一連の再整備が完了した。行幸通りからの眺めを是非撮りたいと思い、東京駅をスタートした。平日の午前10時、行幸通りを歩く人は少なかった。
 行幸通りを行き、和田倉門交差点をさらにまっすぐ進んで桔梗門から皇居東御苑に入ろうとしたが、桔梗門は工事関係者以外一般の人は入ることが出来なかった。仕方なく内堀通り迄戻り、北へ、大手門から入ることになった。
 同心番所、百人番所から、二の丸雑木林、二の丸庭園、諏訪の茶屋を見て、梅林坂から書陵部の脇を通って北桔橋門に出た。北の丸公園へ行くにはここを出なければいけなったのだが、天守台、大奥跡を左に見て、竹林、石室、富士見多門と歩き、富士見櫓へたどり着いた。千鳥ヶ淵とはずいぶん遠くなってしまったことになる。
 結果、入苑した大手門へ戻ってきていた。係のかたに千鳥ヶ淵へ行きたいのだがと尋ねてみたところ、「北桔橋門を出て内堀通りを左に行けばよかったですね」ということで、大手門から内堀通りを左へ延々と、ジョギング中のランナーを避けながら、再び北桔橋門の前を通って、千鳥ヶ淵へ向かうことになった。
 皇居から北の丸公園を歩き、千鳥ヶ淵へ行こうと考えていたが、皇居東御苑から北の丸公園へ直接入ることは出来ないのだ。
 皇居東御苑の記述にはプレスマンユニオンの「東京とりっぷ」などを参照させていただいた。

000_220330125 X700 桃華楽堂 Z50 18-140.jpg
桃華楽堂の前に並び咲くハナモモの木 2022年3月30日 皇居東御苑

001_220330004 X800 〇東京駅行幸通り Z50 18-140.jpg 1.東京駅丸の内駅前広場
3月30日(水)午前10時に東京駅丸の内北口から、駅前広場に出た。新丸ビル側に渡り、丸ビルとの間を和田倉門に向けて伸びる行幸通りに立ち、東京駅外観を正面から眺めた。この整備が終わった東京駅丸の内駅前広場と行幸通りは 駅前広場と道路空間からなる景観[東京駅丸の内駅前広場から行幸通りに繋がる景観] として 「2018年度グッドデザイン・ベスト100」を受賞している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
002_220330002 X800 東京駅行幸通り Z50 18-140.jpg 2.和田倉門交差点付近から東京駅の眺め
幅73m、延長190mの行幸通りはまっすぐ、日比谷通りの和田倉門交差点を過ぎて、さらに内堀通りまで延びる。正式名称は「東京都道404号皇居前東京停車場線」と言うそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
003_220330018 X800 和田倉門 Z50 18-140.jpg 3.和田倉門交差点(日比谷通り)
和田倉門交差点を渡って、内堀通りへと進む。東京駅を振り返る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 82mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
004_220330023 X800 桔梗門(旧桜田門) Z50 18-140.jpg 4.桔梗濠と桔梗門
行幸通りが終わる内堀通りを渡って、お濠(桔梗濠)を右手に見る。左奥に見えるのは富士見櫓。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
005_220330027 X800 桔梗門(旧桜田門) Z50 18-140.jpg 5.桔梗門
内堀通りから行幸通りを背に真っすぐ進むと、桔梗門が見えた。だが、一般の人はここからは皇居東御苑に入ることは出来ない。 桔梗門 は 「桜田門外の変」で井伊直弼が暗殺された外桜田門に対して、内桜田門とも呼ばれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 23mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
006_220330033 X800 大手門へ Z50 18-140.jpg 6.桜田巽櫓
「ここから一般の方はご入場できません。大手門へお廻りください」と言われ、いま来た内堀通りを戻って左へ向かった。桔梗濠の向かいにそびえる二重櫓が桜田巽櫓。ジョギングをする人が多い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 58mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_220330035 X800 大手門へ Z50 18-140.jpg 7.大手門 -1
すぐに大手門が見えてきた。内堀通りのサクラも満開だった。ぼやけて見えるのは桝形形式の大手門の高麗門だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 58mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220330043 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 8.大手門 -2
大手門は1607年(慶長12年)に完成した江戸城の玄関である。1620年(元和6年)の江戸城修復に際し、伊達正宗や酒井忠世らの力により現在のような高麗門と渡櫓型の櫓門で構成された桝形形式(橋を渡ってから道は鍵型に屈曲する)の城門となった江戸城の正門である。その警備は鉄砲30丁、弓10、長柄(槍)20という厳重なものだったという。現存する入り口側の高麗門は、1657年(明暦3年)の明暦の大火(振袖火事)後の1659年(万治2年)に再建されたものだそうだ。江戸時代の渡櫓門は、残念ながら昭和20年の戦災で焼失している。写真は1968年(昭和43年)に木造復元により再建された渡櫓門。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_220330045 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 9.鯱
枡形内に入ると、渡櫓の屋根を飾っていた鯱が展示されていた。刻印に「明暦三丁酉」とあり、1657年(明暦3年)の振袖火事で焼失した後、1659年(万治2年)に大手門が再建されたときのものと推定できるという。昭和20年の空襲で門は焼け落ちたそうだが、鯱だけが残っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO125 ) 露出補正 なし
010_220330051 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 10.同心番所
今回は大手門から皇居東御苑に入ったが、他に平川門、北桔橋門からも入れるそうだ。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまったが、富士見櫓、同心番所、百人番所が現存している。この同心番所は門の外から内に移設されてはいるが、往時の姿を今に伝えている。説明板には、番所とは警備詰所のことだが、江戸城にあった番所のうち、同心番所、百人番所と大番所の3っつが残っている。ここには同心と呼ばれる武士が詰め、登城者の監視に当たっていたとあった。同心は、江戸幕府の下級役人のひとつ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO125 ) 露出補正 なし
011_220330054 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 11.中之門石垣
皇居内の石垣は特別史跡「江戸城跡」に指定されていて、「本丸中之門石垣」修復工事は平成17年8月から、平成19年3月にかけて行われた。石垣には江戸城の中でも最大級の巨石が使用され、目地(隙間・継ぎ目)がほとんどない、各段の高さを水平に揃えて積んだ整層積(布積み=ぬのづみ)の美しい石垣としている。構造上は少し弱くなるが、本丸御殿への大名の登城ルートとして、見た目の美しさが優先されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
012_220330057 X800 大手門 百人番所 Z50 18-140.jpg 12.百人番所
百人番所は、数少ない江戸時代から残る江戸城の遺構で、検問するだけでなく、幕府直轄の精鋭部隊、鉄砲百人組が有事に備えて詰めていた。警備を担当したのが、徳川家と縁故のある甲賀組、伊賀組、根来(ねごろ)組、廿五騎(にじゅうごき)組。当然のことながら昼夜交代で詰めていた。与力20人、同心100人が詰めていたが、各組の同心100人が配備されたのがその名の由来となっているそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 21mm ISO100 ) 露出補正 なし
013_220330063 X800 大手門 百人番所 Z50 18-140.jpg 13.中之門跡の石垣
百人番所の右手に中之門跡があった。中之門は、本丸の玄関となる中雀門と一体となって一つの大きな虎口(曲折して出入りする狭い通路)を作り、百人番所や大番所とともに本丸護衛として重要な役割を果たしていた。門から離れたところでは石積みの方法が違っていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
014_220330081 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 14.二の丸雑木林から二の丸庭園へ
大番所跡を見落とすことになってしまったが、中之門跡からではなく、手前の百人番所の前から北へ入った。二の丸御殿跡にある二の丸雑木林。2代将軍・徳川秀忠が死去した後の1636年(寛永13年)には二の丸御殿が建てられ、東側に庭園が配置された。現存する庭園は往時の庭園を昭和43年に復元したものだそうだ。昭和天皇の発案で、武蔵野の雑木林をできるだけ自然に近い形で復元している。手前のサクラの花を明るく撮ろうと、内臓フラッシュを発光してみたが、効果はなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f14 1/200秒 32mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_220330086 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 15.二の丸庭園
9代将軍・徳川家重時代の庭絵図面をもとに復元した池泉回遊式庭園があり、全国から集められた各都道府県の木260本も植えられている。現在の二の丸池にはコウホネ、ヒメコウホネ、ヒツジグサ、赤坂御用地の池から移したアサザが生育している。小堀遠州の作といわれる庭園の池水は、古い絵図と比べてもほぼ二の丸池と同じ場所にあるそうだ。池に関しては大名庭園時代の池泉をそのまま活用したと推測できるという。菖蒲田には昭和41年に明治神宮神苑から株を譲り受けた84品種の花菖蒲が植栽されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 31mm ISO110 ) 露出補正 なし
016_220330095 X800 二の丸庭園 カイドウ Z50 18-140.jpg 16.諏訪の茶屋とカイドウの花
池を右手に北へ進むと、紅色の花が目についた。ツツジかなの思って近づいてみるとカイドウの花だった。諏訪の茶屋は、二の丸庭園にある風雅な茶室である。火災などで焼失後、11代将軍・徳川家斉の時に創建されている。かつては吹上御苑(西の丸西側、現在の御所などのある一帯)にあったが、昭和43年、皇居東御苑の整備の際に移築された。建物は、明治45年に再建されたが、その当時、その場所に諏訪社があったことから諏訪の茶屋という名前が付いている。茶室としての利用はできない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
017_220330101 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 17.諏訪の茶屋
諏訪の茶屋の西側に回り込むとその入り口の木戸があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 25mm ISO100 ) 露出補正 なし
018_220330104 X800 梅林坂 Z50 18-140.jpg 18.梅林坂の石垣
西側の道に出て天神濠を右手に、石垣のある梅林坂を上がる。梅の開花期である2月上旬頃には石垣と梅の花という絶景スポットになる。もともと、太田道灌が江戸平河城を築城した際に、領地である川越の三芳野神社から祭神である菅原道真の分霊を勧請して天満社を創建したのが始まりという歴史ある梅林だそうだ。その太田道灌が1478年(文明10年)に、菅原道真を祀った際に、梅の木100本をここに植えたのが梅林坂の始まりとか。梅林坂の下から本丸方面にかけて50本ほどの梅が植栽されているが、この梅は皇居東御苑開園に先駆けて、昭和42年に植えられたものという。50年を経て立派な梅に育っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 94mm ISO250 ) 露出補正 なし
019_220330111 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 19.北桔橋門(きたはねばしもん)の桜
皇居書陵部の前を通って北桔橋門へ向かう道の、平川濠沿いのサクラがきれいだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
020_220330117 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 20.北桔橋門 -1
江戸城本丸の大奥、天守部分から外部に直接通じる門が北桔橋門である。門の横の内濠(平川濠・三日月濠)は防御力を高めるためにほかよりも深く、石垣は最も堅固になっている。北桔梗門の内側からその石垣と濠を見た。石垣は江戸城の城壁の中でも最も高く高さは18.5mもある。地震などの揺れにも強い自然石を積み上げる野面積み(のづらづみ)になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
021_220330118 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 21.北桔橋門 -2
一旦、北桔橋門を出て、濠にかかる橋の上から北桔橋門を撮った。当時の北桔橋門は、通常は橋を跳ね上げた形で、使われることがなく、いざという時の脱出路の確保としての門となっていた。現在の門は冠木門(笠木を柱の上方に渡した屋根のない門)である。現在では大手門、平川門と同様に、宮内庁が管理する皇居東御苑(江戸城の本丸・二の丸・三の丸)の入城門となっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
022_220330124 X800 桃華楽堂 Z50 18-140.jpg 22.「桃華楽堂」とハナモモ
北桔梗門から本丸跡へ入っていくと「桃華楽堂」が見えた。「桃華楽堂」は昭和41年2月に音楽好きの香淳皇后(昭和天皇の皇后)の還暦記念として建設された200名収容の音楽ホールだ。鉄仙の花弁を形どったといわれる屋根と八面体の珍らしい建物。その西側に植えられたピンクや赤・白の花のハナモモがいま、あでやかに咲いている。名前の「桃華」の由来は、香淳皇后さまの御誕生日が3月で桃の節句に因んだ桃、華の字は十が六個と一で構成されていることから還暦(数え年61歳)を意味するということで命名されたといわれている。楽堂の建物も名前も、そして傍らに植えられたハナモモの木も、人々の目を引きつける優美な佇まいである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 59mm ISO100 ) 露出補正 なし
023_220330131 X800 天守台 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 23.天守台から見た北桔梗門
右手(西側)に天守台があったので上がってみる。江戸城本丸北隅にあった天守閣は、東西約41m、南北約45m、高さ11mの天守台に建てられていた。日本最高だったという高さ51mの天守を支えた江戸城天守台は黒田長政が築造を担当し、石垣は、南部、津軽の二候が築いたとされている。現在、皇居東御苑内に修復、保存され、天守台の上に登ることができる。天守台から北側に北桔梗門が見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 37mm ISO100 ) 露出補正 なし
024_220330136 X800 天守台 Z50 18-140.jpg 24.天守台
天守台は1606年(慶長11年)に完成し、翌年五層の天守(慶長天守閣)が大手門とともに完成している。家康時代の慶長天守台・天守閣は現在の天守台遺構の南側、富士見多聞のあたりに位置していたそうだ。1922年(元和8年)に2代将軍秀忠が本丸拡張工事を実施、さらに1637年(寛永14年)、3代将軍・徳川家光は天守台・御殿を修築し、翌年には「寛永度の天守」が完成た。現存する天守台は、その寛永期天下普請の遺構がベースになっているそうだ。1657年(明暦3年)に起こった「明暦の大火」(振り袖火事)の飛び火で本丸、二の丸、三の丸はほぼ全焼。その後、江戸城の天守は泰平の世でもあり、経済的な理由もあって再建されることはなかったのだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 なし
025_220330145 X800 天守台 Z50 18-140.jpg 25.ミツバツツジ
天守台の南側、竹林の手前にミツバツツジが咲き、その奥にシャクナゲが咲くところがあった。西桔梗門跡に近い、「手洗い所」がある辺りである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 48mm ISO110 ) 露出補正 なし
026_220330147 X800 大奥跡 Z50 18-140.jpg 26.本丸 大奥跡
富士見櫓に向かって進む。左側に本丸、大奥跡の芝生が広がる。徳川幕府の中枢となる政庁が江戸城本丸の御殿だが、表御殿・中奥から御鈴廊下でつながっていたのが大奥だった。残念ながら、往時を偲ぶものは何も残っていないそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 24mm ISO110 ) 露出補正 なし
027_220330167 X800 富士見櫓 Z50 18-140.jpg 27.富士見櫓
石室、富士見多門を見て、富士見櫓へ出た。富士見櫓は江戸城遺構として残る唯一の三重櫓。現存する三重櫓は、1657年(明暦3年)の明暦の大火(振袖火事)での焼失後、1659年(万治2年)の再建。どの角度から見ても同じような形に見えることから、「八方正面の櫓」の別名もある。天守焼失後の「代用天守」の櫓ともいわれている。富士見櫓の上からは、その名の通り富士山をはじめ、秩父連山や筑波山、江戸湾(品川沖など)、さらには将軍は両国の花火などを眺望したのだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 40mm ISO110 ) 露出補正 なし
028_220330172 X800 富士見櫓 Z50 18-140.jpg 28.ボケ
手入れされた絞りのボケの花がきれいに咲いていた。全く方向音痴になってしまっていて、この辺りから北の丸公園・千鳥ヶ淵へ出られるのではないかと思って歩いていたら、中之門跡に戻ってきてしまっていた。結局、一回りして入苑した大手門に戻り、これから入る人たちの手荷物検査をしていた係のかたにたずねたところ、「内堀通りを左回りに歩いて行ってください」ということになってしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 115mm ISO360 ) 露出補正 なし
029_220330185 X800 内堀通り 平川門 Z50 18-140.jpg 29.平川門
大手門を出て、内堀通りを左へ歩いて行くと、地下鉄の竹橋駅の近くで次の門である平川門に出た。太田道灌が江戸城を築いた15世紀には、江戸湾に面した現在の平川門周辺には、上平川村、下平川村という村があったのが平川門の名の由来という。太田道灌の時代から門が築かれていたと推測され、3代将軍・徳川家光の治世である1635年(寛永12年)、高麗門(外側の第一門)、渡櫓門(内側の第二門)を備える強固な枡形門のスタイルとなった。江戸城三の丸の正門で今も濠には木橋が架かっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 34mm ISO110 ) 露出補正 なし
030_220330193 X800 〇内堀通り 平川門 Z50 18-140.jpg 30.平川門の木橋
平川門は現在では大手門、北桔橋門と並んで、皇居東御苑(本丸・二の丸・三の丸)の入苑口のひとつになっている。木橋が往時のように残されるのは江戸城でもここだけだそうだ。現在の木橋(全長29.7m、幅7.82m)は台湾産のヒノキ材を使って昭和63年に再建されたもの。橋台は石造り、脚桁には鉄骨が使われているが、親柱の擬宝珠(ぎぼし)には、寛永や慶長などの銘が彫られており、往時のものが使われていることがわかるそうだ。長くなってしまった。ここら先は次回に回す。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし


2020年12月23日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (6)彦根城 11/26

紅葉と苔の美しさのに感動した西明寺を後にして、我々を乗せたバスは彦根城へ向かった。彦根城へ行ったことがない私にとってはそこは今回のツアーの目玉である。バスは30分ほど走って、彦根城の堀に面したところにある京橋口駐車場に入った。駐車している観光バスの数はそれほど多くはなかった。
 江戸時代を通じて彦根藩主として近江国東部を中心とした一帯を治めた大名である井伊家について、入場した時にもらった彦根城のパンフレットに載せられていた年表を参考にして、自分なりに整理してみた。
 1600年(慶長5年)の関ケ原の合戦のあと、その論功行賞により石田三成の佐和山城と旧領を井伊直政が拝領した。した。井伊直政は、徳川家康に仕え徳川四天王のひとりとして名を馳せた戦国時代の武将である。井伊直政が生まれた頃の井伊家は、駿河国今川家の支配下にあり、お家断絶の危機に晒されていた。井伊家の再興のため、そして徳川家康の恩義に報いるために信念を貫いたという。2017年1月8日から同年12月17日まで放送されたNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、その井伊直政を育てた遠州井伊谷の女領主・井伊直虎を主人公とした物語だった。
 1602年(慶長7年)直政は佐和山城にて死去、長男の直継が家督を継いだ。1603年、直継は佐和山、磯山、彦根山の候補地の中から彦根山を城地と決めた。1604年(慶長9年)普請を開始し、城下町の建設にも着手した。彦根城の鐘の丸が完成し、直継は佐和山城より移った。1606年には本丸が完成し、鐘の丸より移っている。
 そして、1914年(慶長19年)大坂冬の陣、1915年(慶長20年)大坂夏の陣があり、その年元和元年になって築城普請が再開され、櫓、黒鉄門などの門や、高石垣、表御殿が出来、中土手中堀が完成し、外堀もできた。
 さらに年表をたどっていくと、1871年(明治4年)になって、明治新政府による廃藩置県が実施され、彦根藩解体の上、井伊家は東京に移住した。1872年、陸軍省の所管となった彦根城は1878年(明治11年)陸軍省は彦根城の解体を決定した。しかし、大隈重信の進言により、解体は中止され、宮内庁所管の彦根御料地となる。拝借方申請した井伊直憲に保管委託され、のちに下賜され、井伊直憲の所有となったのだ。
 1942年(昭和17年)彦根市長の松山藤太郎が井伊直忠に彦根城の下付願を提出、1944年に井伊家より彦根城の土地建物が彦根市へ寄付された。1951年(昭和26年)国指定重要文化財となり、翌年、天守、附櫓、多門櫓が国宝へと昇格される。2015年(平成27年)には彦根城外堀跡全体が遺跡(埋蔵文化財包蔵地)となる。2016年には中央町・錦町の外堀跡の一部も特別史跡彦根城跡に追加された。
 近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城。このうち、松本、犬山、彦根、姫路、松江の5城の天守は国宝である。
 彦根城に関する記述は、彦根観光協会のパンフレットや、ホームページの記述を参考にさせていただいている。

bg-castle-map X700 彦根観光協会.jpg
彦根観光協会 彦根城域マップより

109.彦根城 中堀
11時40分、バスは彦根城の南側にある京橋口駐車場に入った。中堀に沿った通り( 中濠東西通り )を京橋口に歩く。彦根城は、中堀に面して4つの城門が開いていた。その1つが京橋口門である。京橋口門は、第2の郭の重臣屋敷と第3郭の本町筋の間にあり、内堀の大手門にも通じる要所に位置している。今までどちらかというと光が限られた寺院めぐりだったので、青空の明るさが眩しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126474_109 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
110.石垣とイチョウ
中堀の向こう側の石垣の上に見えたイチョウの深黄色が鮮やかだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126475_110 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
111.内堀
京橋を渡り京橋口から入城し、左手に内堀を見ながら表御門へ進む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126480 _111 X800  〇彦根城 RX10M4.jpg
112.表門橋
内堀に架かる表門橋に向かって内堀は左に回っていく。表門橋を渡ったところが表門券売所で、ここから、内堀の内側に入っていく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 25mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126482_112 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
113.コブハクチョウ
表門橋の下にコブハクチョウが2羽いた。そのうち1羽が、泳いで前に出てきた。内堀にコブハクチョウが4羽いて、飛んで逃げないよう、管理事務所の職員さんが風切り羽を切っているそうだ。彦根城にはコクチョウもいるらししい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 114mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126487_113 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
114.表門山道 天秤櫓の石垣
表門から坂道を上がっていくと高い石垣が現れる。天秤櫓の東側の櫓だ。「彦根城天守に登る坂道は4か所ありますが、その石段は非常に登りずらいと言われています。もともと城への石段は、万一敵が攻め入った場合、歩調が乱れ一息で登れないよう意図的に不規則に造られているのです。お寺の屋根のように、最初はおだやかな登りが、登るにつれ斜度が急になり上りにくくなったり、踏み幅や踏み高を微妙に違わせて一定にせず、敵に対して足元を注意して登らせ、上から攻撃しやすくしているのです。観光客の皆様には大変登りずらいと思いm、明日が、充分気をつけてご見学くださ。」という親切な立札があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 17mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126492_114 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
115.天秤櫓
天秤櫓は、大手門と表門からの道が合流する要の位置に築かれた櫓である。この櫓は、上から見るとコの字形をしており、大手門からと表門からの登城道をそれぞれ押さえるために両隅に2階建ての櫓を設け、中央に門が開く構造となっている。あたかも両端に荷物を下げた天秤のようであり、江戸時代から天秤櫓の名がある。 重要文化財である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126500_115 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
116.太郎門櫓への坂道
天秤櫓を抜けるとまた坂道があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201126501_116 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
117.太郎門櫓
登りきると、彦根城の天守を目前にした本丸最後の門である重要文化財の太鼓門櫓が現れた。東側の壁が無く、柱の間に高欄をつけ廊下にしているという。登城合図用の太鼓の音を響かせるために考えられたのではないかといわれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
201126503_117 X800 彦根城 RX10M4.jpg
118.天守の石垣
太鼓門櫓を過ぎると、天守が現れる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 32mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126509_118 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
119.天守 -1
天守の南側から撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126516_119 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
120. 天守 -2
天守の西側へ回る。国宝彦根城天守は北西に附櫓が、さらに長い多聞櫓が連なる。また、破風は変化に富んでいる。天守一層目の軒に並ぶ8つの「へ」の字形の切妻破風は、それぞれの大きさと奥行きに変化をもたせ、二層目は、南北を切妻破風、東西を入母屋破風とし、南北にが唐破風が設けられている。この切妻破風、入母屋破風、唐破風を組み合わせたたぐい希な美しさは見逃せないという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126520_120 X800 彦根城 RX10M4.jpg
121.もみじと切妻破風
天守に上がれるようだが、時間も少ないので割愛し、天守を左回りに回って、西の丸の手前から黒門山道を下りて、楽々園、玄宮園へ行くことにした。破風には入母屋破風、千鳥破風、切妻破風、唐破風の4種類があり、もみじの間から見えるのは切妻破風だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
201126522_121 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
122.黒門山道
本丸の石垣を右手に眺めながら黒門山道を下りる。私たちの他に歩く人がいない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126531_122 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
123.曲輪井戸
黒門山道を下っていくと右手に小曲輪というところがあった。曲輪とは、城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域のことであるが、立てられていた説明板には、「 弧状に築かれたこの曲輪の北東隅には塩櫓が築かれ、周囲は瓦塀がめぐっていました。塩櫓の近くには方形と円形の桝が現存しており、石組溝で集められた雨水を浄化して貯水するタイプの井戸であったと考えられます。曲輪の名も、この井戸に因んで名づけられたのでしょう。「塩」と「水」は、籠城戦ともなれば兵士の体を維持するために必要不可欠なものです。井戸曲輪は小さな曲輪ですが、黒門から侵入する敵兵に対する守りであるとともに、彦根城を守備する兵士の生命維持に必要な物品の備蓄が配慮された曲輪でもありました。」と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
201126534_123 彦根城 RX10M4.jpg
124.黒門
左側は西の丸だ。黒門山道を振り返る。右手に内堀を渡る黒門橋がある。 黒門橋は、城山から槻御殿や玄宮園に向かう一番近い橋で、現在、内堀に架かる3つの橋の中で唯一土橋になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126536_124 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
125.黒門橋を渡る
内堀に紅葉が映り込んでいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126547m_125 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
126.彦根城のもみじ
彦根城のもみじは多くない。もみじはやはり湖東三山なのだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126555_126 X800 彦根城 RX10M4.jpg
127.楽々園と玄宮園
黒門橋を渡り、コブハクチョウが遊ぶ内堀に面した散策路を右へ進み、まず、楽々園に入る。楽々園と南側に玄宮園が続くが、これは楽々園から玄宮園を眺めたところ。見えている橋で、羽織袴と角隠しの新婚さんが記念写真の撮影をしていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 106mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
201126561_127 X800 彦根城 RX10M4.jpg
128.楽々園 茶座敷「地震の間」
かつて、江戸時代初期 (1677年) に彦根藩4代藩主井伊直興によって造営が開始された井伊家の下屋敷であった。江戸時代は「槻御殿」あるいは「黒門外御屋敷」と呼ばれており、明治時代以降に「樂々の間」から「楽々園」と呼ばれるようになったとされる。  写真はご書院から連なる「地震の間」。「地震の間」という名称についてはいつごろから呼ばれるようになったかは不明だが、構造上に特徴があり、地震が起きた際に、その耐震機能を果たすとされ、文政2年(1819年)に大きな地震被害に遭っていることによる改修と考えられるとのこと。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126565_128 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
129.玄宮園から天守を望む
楽々園から玄宮園へと移動する。もみじの間から天守閣を望む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 46mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126570_129 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
130.玄宮園 鳳翔台
玄宮園は楽々園とともに、江戸時代には「槻御殿」と呼ばれた彦根藩の下屋敷である。「槻御殿」は延宝5年(1677年)、4代当主井伊直興により造園が始まり、同7年に完成したと伝えられ、昭和26年に国の名勝に指定されている。現在は「槻御殿」の庭園部分を玄宮園、建物部分を楽々園と称している。玄宮園は広大な地水を中心に池中の島や入り江に掛かる9つの橋などにより変化にとんだ回遊式庭園となっている。庭園内の築山に造られた茶室の鳳翔台は、彦根藩の賓客をもてなすための客殿だったそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 45mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
201126574_130 X800 彦根城 RX10M4.jpg
131.玄宮園 鳳翔台と天守閣
玄宮園の池の東側からと鳳翔台と本丸天守閣を望む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
201126582_131 X800 〇 彦根城 RX10M4.jpg
132.玄宮園のもみじ
さっき新婚さんが記念写真を撮っていた橋のそばに1本のもみじがあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
201126587_132 X800 彦根城 RX10M4.jpg
133. 「二季咲桜」
彦根城でも桜が咲いていた。「二季咲桜」の札が立てられていた。その札には、「昭和47年4月に水戸市(友好都市)より寄贈されたもので冬(11月から1月)と春(4月から5月)の年二回開花します。」と記されていた。1年に2度咲く桜にはフユザクラやジュウガツザクラ、フダンザクラ、シキザクラ、コブクロザクラなどがあるが、この二季咲桜はマメザクラ(豆桜)とエドヒガン(江戸彼岸)の雑種でシキザクラの一種とされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 55mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
201126594_133 X800 彦根城 RX10M4.jpg
134.馬屋 重要文化財
何気なく通り過ぎてしまったが、長い黒い塀に気が付いて、その門へ戻ってみた。この細長い建物は馬屋で、全国の近世城郭に残る大規模な馬屋としてほかに例がなく、国の重要文化財に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
201126602_134 X800 彦根城 RX10M4.jpg
135.馬屋の中
馬屋の中に入ってみる。馬屋の建物はL字形になっていて、佐和口の櫓門に接する東端に畳敷の小部屋、反対の西端近くに門があるほかは、すべて馬立場(うまたちば)と馬繋場(うまつなぎば)となっている。その数は21。つまり21頭もの馬を収容することができたのだ。昭和41年~43年にかけて解体修理されている。馬屋は藩主などの馬を常備したもので、こうした馬屋の他にも、かつて表御殿(現在の彦根城博物館)の玄関脇には客用の馬屋があった。また、玄宮園やお浜御殿などの下屋敷には、馬場があって馬の調教が行われていたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/250秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126600_135 X800 彦根城 RX10M4.jpg
136.京橋
京橋を渡って城を退出した。  京橋は、一千石以上の武士が居住していた第二郭(内曲輪)と中級以下の武士や商人、職人が居住していた第三郭(内町)をつなぐ橋だった。京橋を渡り、中濠東西通りを渡って、本町通り「夢京橋キャッスルロード」に入る。振り返ると秋を感じる鱗雲がきれいだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126605_136 X800 彦根城 RX10M4.jpg
137. 「夢京橋キャッスルロード」
当時、本町は商人町で大変活気があったという。彦根城が築城された1603年(慶長8年)、当所に町(当時の町名は桶屋町・職人町・八百屋町など)が作られたのが起源である。現代になって、彦根市の都市開発から取り残されていたが、1985年(昭和60年)に彦根市の街角整備事業の一環として実施対象となり、江戸期の建物・風情を再現した町並みにすることが計画され、1999年(平成11年)に地区を走る県道2号の拡幅とともに完成した。京橋から本町を抜ける通りを本町通りといい、計画前は町割りの佇まいや白壁と格子窓のある街並みに、江戸時代の面影がわずかに残っているだけだったが、 現在「OLD NEW TOWN」をテーマに、本町通りに沿って立ち並ぶ街並みは、商人屋敷の良さを生かした江戸時代感覚の新しい建物に建て替えられている。この本町通りは「夢京橋」という名前で親しまれ、「夢京橋キャッスルロード」と名付けられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
201126606_137 X800 彦根キャッスルロード RX10M4.jpg
138.「夢京橋キャッスルロード」 吉坂薬局
実は新しいのだろうが、クラシカルな店構えの薬局があった。お店の中を覗いてみたら、最近のくすりが並んでいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
201126618_138 X800 彦根キャッスルロード RX10M4.jpg
139.「夢京橋キャッスルロード」 あゆの店「きむら」
琵琶湖はアユでも有名だが、琵琶湖にはアユが食べる苔がないので大きく育つことが出来ないのだそうだ。そこで小鮎の佃煮が名産だが、試食したところ、とてもいい味だった。琵琶湖特産の ホンモロコの佃煮もよい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
201126623_139 X800 彦根キャッスルロード RX10M4.jpg
140. あゆの店「きむら」の庭
あゆの店「きむら」は奥行き深く、その奥には中庭がある。お店の人にお願いして写真を撮らせていただいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO500 ) 露出補正 -0.7段
201126627_140 X800 彦根キャッスルロード きむらの庭 RX10M4.jpg
141.彦根観光人力車
あっという間に時間が経ち、速足でバスに戻った。発車前のバスの窓越しに中濠東西通りをお客さんを乗せて走る人力車が通り抜けた。14時40分、湖東三山のひとつ百済寺に向け出発する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
201126631_141 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg


 

2019年11月30日

上州紅葉巡り 11月14日 ③沼田城跡と赤城山全容眺望

原田農園から沼田城跡までは遠くはなかった。
 沼田城は群馬県の北部にあり、四方を山に囲まれた沼田盆地を中心に三方に利根川、薄根川、片品川が流れ、片品川周辺には河岸段丘が発達している。この段丘の先端部に最初に城を築いたのは、鎌倉時代以来この地方の有力者であった沼田氏12代鬼頭顕泰で天文元年(1532年)ごろと言われているそうだ。その城は倉内城と言われた。北陸から関東へ至る要衝の地であり、上杉、北条、武田などの戦国大名により激しい争奪が繰り広げられた。
 天正8年(1580年)武田勝頼の命により吾妻方面から進出してきた真田昌幸が沼田城を攻略し、沼田氏を滅亡させた。その後、この地の領有を主張する北条氏と真田との間で沼田城を巡る攻防が続いた。秀吉の小田原攻めで北条氏は滅亡し、真田昌幸は沼田城を嫡子の信幸に与えた。徳川の時代になり、真田氏が改易されたあとは真田領は一時代官支配となり、元禄16年(1703年)本田正永が幕府より、城の復興を命じられ沼田領を拝領したが、本格的な復興はされなかった。本田氏3代のあと、再び代官支配となった後、黒田氏2代、土岐氏12代で明治維新を迎え、沼田城は廃城となった。
 現在は、本丸・捨曲輪と二の丸、三の丸の一部が沼田公園となっている。本丸跡に西櫓台と石垣、本丸堀の一部が見られ、わずかに城の名残をとどめている。(沼田市観光協会のパンフレットを参照)

37.沼田城本丸跡
標識にある生方家はゆっくり見てこなかったが、17世紀末頃に建築されたものと考えられ、東日本で最も古い町家造りの建築物であることから昭和45年に国の重要文化財に指定されている。生方記念資料館は、元沼田町長であり、国の重要文化財に指定されている旧生方家住宅の前所有者であった生方誠氏が生前収集した資料の書画・出土品などが展示されており、旧生方家住宅に隣接して建てられている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/500秒 38mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_037.jpg
38.もみじと青空
時刻は12時40分。秋の太陽は斜めから射し、真っ赤なもみじと青空の色を作り上げる。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 55mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_038.jpg
39.沼田城跡公園
沼田城跡公園のなかは、憩いの場になっていて、芝生が植えられている。真田信之、小松姫の像があるが、これは歴史的な建造物ではないようだ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 60mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_039.jpg
40.真田信之と小松姫の像
公園のなかに、真田昌幸が沼田城を与えた戦国武将 真田幸村の兄である信之と妻小松姫の石像が建てられていた。この石像は、信之が初代城主を務めた沼田城跡公園を「もうひとつの真田の舞台」としてPRする目的で2016年1月にお目見えしたそうだ。NHK大河ドラマ「真田丸」に合わせ、記念撮影スポットにしようと、市観光協会が約430万円をかけて建てたという。 小松姫は徳川氏譜代家臣の本多忠勝の娘である。 wikipedia によれば、夫の信之は家康の率いる東軍に付き、父・昌幸と弟・信繁は三成の率いる西軍に付いたが、袂を分かった昌幸・信繁親子が居城の上田城に戻る際、沼田城に立ち寄り城に入ろうとしたところ、留守を預かる小松姫が昌幸の計略を見抜いて開門を拒み、女丈夫と謳われたとの逸話が残されている。また、 『改正三河後風土記』によれば、小松姫は昌幸から「今生の暇乞のため対面し、孫共を一見せばやと存候」との申し出を受けるが、これを断ると侍女を遣わして昌幸らを城下の旅宿に案内し丁重にもてなした。その一方で、城中の家臣には弓や鉄砲を狭間に配置させ相手方の襲撃に備えるように命じた。これを見た昌幸は家臣に向かって「あれを見候へ。日本一の本多忠勝が女程あるぞ。弓取の妻は誰もかくこそ有べけれ」と、その手並みを褒め称えたと記している。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/500秒 40mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_040.jpg
41. 天守閣跡に建つ利根英霊殿
かつて5層の天守閣が築かれていたという場所には、戦没者を祀る利根英霊殿が建立されている。沼田城の天守は沼田城初代城主となった真田信之が慶長年間に建造されたと伝えられている。関東における5層の天守は、江戸城以外は沼田城だけであったことや、天守付近から金箔を張った瓦が見つかっていることから、関東において沼田城は特別な城であったことが考えられると。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 38mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_041.jpg
42.柿の実 ?
柿にもいろいろと種類があるようだ。写真は撮ってきたのだが、実の形が見慣れた柿と違うようだ。ネットで調べてみたが、同定できない。貴秋柿というのに似ているようだ。葉は間違いなく柿の葉と思う。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 98mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_042.jpg
43.鐘楼
公園の西側に鐘楼があった。鐘楼は明治31年ごろ旧沼田町役場の裏手で時を告げていたが、昭和58年にこの公園に再建された。城鐘は信幸と小松姫の息子である2代藩主真田信吉が、領内の安泰を祈願して鋳造させ、突かれていたが、現在はレプリカの鐘が朝夕6時に時を告げる。実物は県の重要文化財で、沼田氏歴史資料館に展示されている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 32mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_043.jpg
44.本丸跡 西櫓台の石垣と石段 -1
平成27年(2015年)に行われた発掘調査により発見された石垣と石段は西櫓台に伴うもので、出土した瓦などから真田時代の遺構と考えられる。真田の5代城主信利の改易により、その翌年城は跡かたもなく破却されたと言われていたが、壊されずに地中に埋められていた部分が、300年以上を経て再び往時の姿を現した。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/500秒 52mm ISO220 ) 露出補正 なし
191114_044.jpg
45.本丸跡 西櫓台の石垣と石段 -2
左側が石段の部分。石垣、石段の全長は27.5m、石垣の高さは0.8~2.0m、石段の幅は2.4m だそうだ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 38mm ISO220 ) 露出補正 なし
191114_045.jpg
46.ビューポイント
公園の北西の端の先は段丘が切れる。そこからの眺めは良く、ビューポイントとされている。正面の山は三峰山(1122m)で、その中腹にある河内神社はかつて沼田城主の信仰が厚かったといい、その境内からは赤城山や武尊山を望み、沼田市街地を見下ろす絶好の展望台となっているという。このビューポイントからは、三峰山の左に木の陰になってしまっているが谷川岳(1977m)、右の端には武尊山(2158m)が望める。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 32mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_046.jpg
47.天狗堂
公園の北側、ビューポイントの東側に天狗堂というのがあった。沼田市の北部にある迦葉山弥勒寺は天狗の寺と言われ、9世紀創建の由緒ある寺で、高さ 6.5m、鼻の長さ 2.8mの大天狗面があることで有名だという。沼田市観光協会が 昭和34年11月に、迦葉山弥勒寺の大天狗面の分身として制作した天狗面が、この天狗堂に収められている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 38mm ISO110 ) 露出補正 なし
191114_047.jpg
48.天狗面
お堂の中を覗いてみた。鼻に埃がたまった大きな天狗面が置かれていた。顔の長さ3m、顔の幅2m、鼻の高さ1.4m、重さ1トンで木彫りの天狗面としては日本一だそうだ。現在、迦葉山弥勒寺には地元商工会有志が奉納した顔の長さ6.5m、鼻の高さ2.8mの日本一の大天狗面が安置されているそうだ。高尾山薬王院や鞍馬寺と「日本三大天狗」のひとつ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/125秒 9mm ISO320 ) 露出補正 +0.7段
191114_048.jpg
49.沼田公園のもみじ
沼田城跡公園にはもみじは少なかった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/500秒 66mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_049.jpg
50.沼田城本丸堀跡
沼田城二の丸から本丸の間に設けられた堀は幕府に提出した絵図(正保城絵図)によると、本丸側に唯一石垣が積まれた沼田城で最も規模が大きな堀だった。堀幅12間(約24m)、本丸に入る櫓門入り口の石垣高は約3間(約6m)と記されていたそうだ。平成9年に植え込みの中を発掘調査したところ、池の石垣に連なる石垣の一部と、堀の中に崩された石や多くの瓦が出土した。沼田城はほとんど城の跡が残っていなかった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 90mm ISO500 ) 露出補正 なし
191114_050.jpg
51.赤城山の眺め -1
沼田城跡公園を後にして、バスは国道353号線を、渡良瀬川の高津戸渓谷に向かって走るが、途中で赤城山がきれいに見えるという撮影スポットがあって「さあ、降りて写真を撮ってください」とバスは路上駐車した。青空が広がっていたので、赤城山はきれいに見えた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/640秒 38mm IS100 ) 露出補正 なし
191114_051.jpg
52.赤城山の眺め -2
赤城山は標高1,827.6mで、カルデラ湖を伴うカルデラを持つ、関東地方で有数の複成火山である。 バスが停まったところは赤城山を南側から見る位置にある。手前は素晴らしく平らな緑が広がっていた。何かを栽培している畑なのか、牧草を育てているのか。山肌は紅葉していた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/640秒 105mm IS100 ) 露出補正 なし
191114_052.jpg


2019年4月25日

上越妙高へドライブ旅行(1) 4月17日

なぜこの時期に日本海に近い、上越の妙高へ行こうと思ったか。それは、会員になっている「休暇村」から送られてきたブックレットの新潟県妙高市にある「休暇村 妙高」のページに、「斐太歴史の里」の「カタクリの群生地」が紹介されていたからだった。チョウ好きはカタクリの花=ギフチョウと連想してしまう。
 4月17日、マイカーで朝6時に自宅を出発した。東名、圏央道、関越、上信越道と走り、途中、高坂と松代で休憩を取り、11時少し前に「斐太歴史の里」に到着した。ナビで斐太神社を目的地に入れていたが、そこから「斐太歴史の里」へどう行くのかわからない。厚かましくも斐太神社の社務所の戸を叩き、教えを乞うた。親切な奥さんが丁寧に説明してくださった。
 「斐太歴史の里」の案内所で、カタクリの群生地はどのあたりにあるのか、また、ギフチョウは飛んでいるのかを尋ねてみた。ここの女性も丁寧に教えてくれ、「鮫が尾城跡」に上がれば、乱舞しているとのことだった。「やった」と思い、「鮫が尾城跡」への急な道を上り始めた。カタクリの花はいたるところに咲いているが、ギフチョウは現れない。「鮫が尾城跡」に登りついて、しばらく待機したが、いっこうに姿を現してくれない。キアゲハが2頭、占有行動をしていて、他のキアゲハが飛来するとスクランブルをかける。越冬したヒオドシチョウも日当たりの良い草の上に止まって、キアゲハが近づくと追いかけまわしていた。
 残念な思いをしながら、案内所まで戻り、お茶をごちそうになりながら、先ほどの女性に、ギフチョウはいなかったと伝える。「そうですか。昨日は自分も見たし、さっき下りてきた人たちも、上で乱舞していたと言っていたのだけど」とのこと。それはキアゲハのことではないのかと思ったのだが。
 午後2時近く、さらに日本海寄りの上越市にある高田城跡公園へ桜を見に行ってきた。ここの桜はもう散り始めていた。
 今夜の宿である「休暇村 妙高」に到着し、ゆっくりと風呂に入り、「村上牛懐石」と名がついた夕食にする。乾いた喉を潤すビールは久しぶりに旨いなと思った。
 「斐太歴史の里」のカタクリ群生は見事だったが、残念ながらギフチョウには会うことができなかった。

1.松代SA
雪に覆われた浅間山を眺め、アルプスを遠望するドライブは快適だった。上信越道の柘植JCTを北上してすぐの松代サービスエリアで2度目の休憩となった。四阿山(2,354m)の眺めが素晴らしい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 62mm ISO100 ) 露出補正 なし
190417_001.jpg
2.斐太歴史の里
上信越道を中郷ICでおり、斐太神社に着いたのは11時ころだった。斐太神社の社務所で斐太歴史の里への行き方を聞いて、そこの案内所で、カタクリの群生は何処で見られるのか、ギフチョウのいそうなところは何処か、など教えていただいた。ギフチョウは鮫lヶ尾城跡に上ると飛んでいるという。わくわくしながら、山道を歩き始めた。鮫lヶ尾城は標高183mの山の上にあった山城だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
190417_002.jpg
3.トキワイカリソウ
標高は低いが、鮫lヶ尾城跡への登りはなかなかだった。ギフチョウが飛来しないかと気を配りながら、息をを切らせて足を運ぶ。初めて見るような花も咲いていた。本州(東北地方〜山陰地方の日本海側)の多雪地の山野の林内に生える。 イカリソウ(錨草)の名は花の形が四本爪の錨に似ているところから付けられたものである。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
190417_003.jpg
4.オオイワカガミ
イワウメ科イワカガミ属の常緑の多年草だそうだ。高山植物の一種ではあるが、実質的には低山帯から高山帯まで幅広く分布するという。生育地によって植物体の大きさに変異があり、コイワカガミ、イワカガミ、オオイワカガミという名があてられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 168mm ISO100 ) 露出補正 なし
190417_004.jpg
5.キアゲハとカタクリの花
30分ほどで鮫lヶ尾城跡に着いた。カタクリが咲き、桜も咲いている。そのカタクリにキアゲハが吸蜜に来ていた。キアゲハには申し訳ないが、ギフチョウなら良いのにと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
190417_005.jpg
6.キアゲハ
また、キアゲハがきて、葉が出てきた小枝の先に止まった。とても新鮮な個体である。これはこれで美しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO125 ) 露出補正 なし
190417_006.jpg
7.ヒオドシチョウ
鮫ヶ尾城跡の小高い草地には、越冬明けのヒオドシチョウが陣取って、縄張りを張っていた。キアゲハが傍に富んでくると緊急発進して追い払っていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
190417_007.jpg
8.鮫ヶ尾城跡からの眺め -1
鮫ヶ尾城跡から 北東の方角に上越市が眺められた。日課のようにして鮫ヶ尾城跡に登ってこられている地元の方は、澄んだ空気の晴れた日には佐渡が見られるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 25mm ISO100 ) 露出補正 なし
190417_008.jpg
9.妙高山
来る途中、車の中からも眺めることができた妙高山(みょうこうさん)は、見る場所により形を変える。新潟県妙高市にある標高2,454mの成層火山で、北信五岳の一つであり、その中では最高峰。日本百名山に選定されており、妙高戸隠連山国立公園に属している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/1000秒 178mm ISO100 ) 露出補正 なし
190417_009.jpg
10.鮫ヶ尾城跡
wikipediaによれば、鮫ヶ尾城跡は築城年は分かっていないが、永正から天正年間に上杉氏(長尾氏)による北国街道の防御を兼ねた街道整備の一環として、春日山城直近の最前線要塞の意味合いで築城ないし大規模改修がなされたと伝わる。また、鮫ヶ尾城は上杉謙信の急死後の後継者争いである「御館の乱」の際に、敗れた上杉景虎が自刃して果てた城として知られているという。今や三郎景虎ファンが集まる聖地として、ダイナミックな遺構が城好きを虜にしている。城跡は2008年(平成20年)7月28日に国の史跡に指定された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
190417_010.jpg
11.テリを張るキアゲハ
戦国時代の山城は、曲輪と呼ばれる平坦面と尾根筋を分断する堀切を主体に構成されている。鮫ヶ尾城跡の山頂は曲輪であり、通称本丸跡と呼ばれ、今は東屋があるカタクリが咲く草地になっている。この季節はまだ一面緑にはなっていないが、あまり広くはないその草に、キアゲハが舞い降りて、日向ぼっこをし、他のキアゲハが近づくと飛び立って追い払っていた。写真中央の下の部分にキアゲハが見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 36mm ISO640 ) 露出補正 なし
190417_011.jpg
12.カタクリの花 -1
カタクリの花はちょうど見ごろであったが、ギフチョウはいない。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
190417_012.jpg
13.白いカタクリの花
白い花のカタクリを撮りに来ている人に会い、教えていただいた。白いカタクリの花は花びらに色素が形成されない(又は極めて少ない)ために白い花を咲かせる白花変種というのだそうだ。つまり、カタクリの白花型(白花種)であり、突然変異というのではない。 アルビノ と混同されることが多いが、性質は異なるそうだ。白いカタクリの花は自生するものは非常に稀で、100万本に1本の確率で咲くという。少しピントがずれてしまった。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/1600秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
190417_013.jpg
14.鮫ヶ尾城跡の桜
鮫ヶ尾城跡には数本の桜がある。ソメイヨシノのようだ。今が満開である。向こうに見える山の名前はよくわからないが、方向からすると、妙高山の北側になるので火打山(2,482m〉だろうか。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/100秒 30mm ISO100 ) 露出補正 なし
190417_014.jpg
15.鮫ヶ尾城跡のカタクリの花
いたるところにカタクリの花が咲いていた。まさしく群生である。1時間以上鮫ヶ尾城跡でギフチョウの飛来を待ってみたが、とうとう現れてくれなかった。下の案内所の女性が言っていた「山頂は乱舞ですよ」はいったい何だったのだろうか。やはり、キアゲハのことだったのではないかと思わざるを得ない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
190417_015.jpg
16.ミチノクエンゴグサ
登りは東登上道を上がってきたが、下りは北登城道を下りる。ミチノクエンゴグサが咲いていた。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/1000秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
190417_016.jpg
17.紅白のカタクリの花 -1
よく見ると花の色だけでなく、雄蕊(おしべ)とその花糸の色も違っている。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/640秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
190417_017.jpg
18.紅白のカタクリの花 -2
前の写真と同じ花だが、カメラを換えて撮った。この白いカタクリの花はとても美しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 136mm ISO160 ) 露出補正 なし
190417_018.jpg
19.キクザキイチゲ
漢字で菊咲一華と書き、キクに似た花を一輪つけることからこの名がついたそうだ。wikipediaによれば、春先に花を咲かせ、落葉広葉樹林の若葉が広がる頃には地上部は枯れてなくなり、その後は翌春まで地中の地下茎で過ごすスプリング・エフェメラルの一種。山梨県など複数の都道府県で、レッドリストの絶滅危惧I類や絶滅危惧II類などの指定を受けている。瑞々しい美しい花だ。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/320秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
190417_019.jpg
20.カタクリの花 -2
上から見ることが多いのであまり目立たないが、花被片のつけ根の部分にはW字形をした濃い紫色の斑が入る。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
190417_020.jpg
21.カタクリの花と葉
カタクリの葉には、斑紋があることが多い。この株の葉には白い斑紋があったが、濃紫色の斑紋のあるもの、白と濃紫色の斑紋があるもの、また、全く斑紋がないものもあるそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
190417_021.jpg
22.カタクリの花 -3
登山道に沿って、カタクリが群生する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
190417_022.jpg
23.ツクシ
スギナ(杉菜)は、シダ植物門トクサ綱トクサ目トクサ科トクサ属の植物の1種。日本に生育するトクサ類では最も小柄である。浅い地下に地下茎を伸ばしてよく繁茂する。 栄養茎をスギナ、胞子茎をツクシ(土筆)と呼び、ツクシの方は食用とされる。根が深いという。このツクシはとても美味しそうに見える。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
190417_023.jpg
24.斐太神社
斐太は「ひだ」と読む。平安時代に編纂された「延喜式」にも名前が残る古い神社である。上杉謙信からも厚く信仰されていたと伝えられる。この手前に石段があり、その下に社務所がある。着いた時、そこで斐太歴史の里への車での行き方を聞いた。もちろん、拝礼して、お礼のお賽銭を供えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO1600 ) 露出補正 なし
190417_024.jpg
25.高田城跡公園へ
午後2時になった。桜の名所として名高い上越市の中心部にある高田城址公園へ行ってみた。駐車場に車を停め、堀に沿って歩き、堀にかかる極楽橋を渡って、城郭に入る。写真は堀の手前から撮った復元された高田城三重櫓である。桜は満開で、散り始めていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 43mm ISO1000 ) 露出補正 なし
190417_025.jpg
26.極楽橋
極楽橋は徳川家康の六男、松平忠輝が慶弔19年(1914年)に鷹匠を構築した際に、二の丸から本丸に通じる木橋として設けられた。明治41年(1908年)には高田城に入場した陸軍第13師団によって土塁が切り開かれ、堀を埋め立てて陸続きとなった結果、極楽橋は姿を消した。現在の橋は高田公園の開場50周年、および市政30周年を記念して平成14年に復元された。堀には錦鯉が泳ぐ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 22mm ISO800 ) 露出補正 なし
190417_026.jpg
27.極楽橋の脇から
極楽橋を渡って、桜とまだ雪が残る連山を眺める。 大きく見える山は青田南葉山(949,3m)のようだ。その左奥が、火打山、妙高山と思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 22mm ISO800 ) 露出補正 なし
190417_027.jpg
28.堀
極楽橋を渡って、本丸跡を左に行くと復元された三重櫓が建っていた。その先の堀には橋が架かり、堀には、散り始めた桜の花びらが漂っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 15mm ISO640 ) 露出補正 なし
190417_028.jpg
29.三重櫓
高田城は天守はなく、1614年に3重3階の三重櫓を建てて天守の代用とした。明治以降、旧陸軍第13師団の駐屯地司令部として使用するために大規模な土塁の撤去、堀の埋め立てが行われ、旧城地の東半分は旧状をとどめていない。本丸を含めた西半分には堀、土塁の一部が残されており、現在は公園として整備されている。上越市のホームページによれば、高田城三重櫓は、本丸南西隅の土塁上に構築され、当時は「後三階櫓」と呼ばれて天守閣にかわる城の象徴になっていたが、廃城後、明治19年(1886年)頃取り壊された。平成5年に復元されたこの三重櫓は、資料調査と発掘調査の成果を十分にふまえて再建されたもの。内容は三層三階で、東西5間(約9.1メートル)、南北6間(約10.9メートル)を基底とし、高さ15メートル程で外観は御殿風造りを基調としている。屋根は1層・3層が入母屋、2層が寄棟形式で、1層・3層に切妻屋根の出張りを付けている。1階・2階は展示室で、3階は展望室になっているが、中には入らなかった。櫓の東側に付随して50メートル程の塀も同時に再建された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
190417_029.jpg
30.休暇村妙高
さて、今夜の宿である休暇村妙高へ向かう。上越高田で上信越道に乗り、中郷ICの手前の新井PAで一休みし、16時過ぎに休暇村妙高に到着した。部屋は最上階、と言っても3階だが、窓からの眺めはスキーゲレンデが広がり、正面に妙高山2,454mが聳えていた。風呂に入り、ゆっくり食事をしたい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 11mm ISO800 ) 露出補正 なし
190417_030.jpg


2018年4月15日

2泊3日で山陰山陽を周遊(2) 姫路城 3月29日

新幹線で通るたびに見ていたので、 姫路城 は是非行ってみたいと思っていた。 平成の大修理が行われて、白く輝く天守閣の姿は、白いサギが舞い立つように見えることから別名「白鷺城」と呼ばれるのは衆知の通りだ。昭和に行われた昭和の大修理から45年、平成の大修理と呼ばれた大天守保存工事は、傷みや汚れが激しくなった漆喰壁の塗り直しや屋根瓦の葺きなおしを中心に、平成21年(2009年)から5年をかけて行われ、平成27年(2015年)に完成した。
  姫路城は昭和26年(1951年)国宝に指定され平成5年(1993年)には奈良の法隆寺とともに日本初の世界文化遺産となった。
 最初の城は、 1333年、南北朝時代の播磨守護・赤松則村が京に兵を進める途中、姫山に砦を築いたことに始まる。本格的な城は1346年に赤松貞範が築いた。1545年に黒田重隆が姫路城に入り、1546年黒田官兵衛が姫路城で誕生したと伝えられている。その後、1580年、中国毛利勢討伐の武将として秀吉が姫路城に入り、大阪城を築くまでの3年間城主であった。1600年、関ケ原の戦いの後、池田輝政が姫路城主となる。池田輝政は姫路城の大改築を開始し、1609年には五重7階の連立天守閣が完成した。そして、城主は移り変わり、1867年に大政奉還がなされ、当時の城主酒井忠邦が天皇に領地と領民を返還した。姫路藩は廃止され、姫路県となったが、明治6年(1873年)姫路城は熊本城など全国56の城とともに存城となった。姫路城は池田輝政が1609年に完成させて以来、一度も戦火にまみえることはなく、内曲輪の城郭がほぼ完全な形で残っているそうだ。
 天守閣に上がることは出来るのだが、混雑していて断念した。桜が満開で姫路城を一層際立たせていた。

20.「大手門」から見た天守閣
姫路城の天守はバスの駐車場から見えていた。天守閣の入り口まではバスガイドさんが案内してくれる。「大手門」から入場口へ進む。この写真は大手門から入場口へ進む途中で撮った。何も慌てて撮る必要はなかったのに、はやる気持ちを抑えられなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f5 1/1000秒 51mm ISO100 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
21.「菱の門」
入場口から、ガイドさんの後について、団体チケットで城郭の中に入っる。「菱の門」という立派な門をくぐった。片側だけ石垣に乗る珍しい安土桃山時代の城門だそうだ。正面を見上げると灌木に花菱の紋があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
22.桜と石垣と白い天守閣
右手に三国堀と桜を眺めながら「いの門」へと進む。今回見た姫路城は、白く輝く天守閣と満開の桜がテーマとなった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
23.「ろの門」
姫路城には、「菱の門」、「いろは・・・るの門」、「水の一・・・六の門」、備前門が現存している。その様式は様々という。防備面から頑丈さを重視した柵門や木戸、塀重門、冠木門、高麗門、櫓門、長屋門、埋門など安土桃山時代の様式を残す21の門が残っているそうだ。「いの門」の次の「ろの門」に来た。さすが、欧米からの観光客が多い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 13mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
24.石垣と狭間
石垣の上には狭間が並ぶ。狭間は土塀の壁面に開けられた矢や鉄砲を放つための穴のことで、城を防備するために重要であった。現存する狭間の数は997か所だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 14mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
25.小天守
「ろの門」から「はの門」へは土塀の沿っての道だ。姫路城に小天守は3っある。桜も良い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 51mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
26.乾小天守
3っある小天守のうちで一番大きい乾小天守の前に来た。外観3層、 内部は地下1階、地上4階の造りになっているそうだ。この先から天守閣へ登ることができるが、長い列ができていた。大天守へ登るのは断念し、天守閣の石垣の下に広がる本丸(備前丸)へ進む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 36mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
27.本丸からの眺め
天守閣の南側に開けた本丸(備前丸)から、西の丸、その向こうに姫路市内が眺められた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 36mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
28.「備前門」
天守の東側の折廻櫓に続く切妻の櫓門で、本丸(備前丸)への主要な出入り口となる城門である。築城の際、石不足であったため、門のすぐ脇には石棺が転用されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO160 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
29.狭間
狭間から下を撮った。カメラを下に向けないと撮れない。この正方形の狭間は鉄砲用の狭間だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 30mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
30.お菊井戸
播州皿屋敷のヒロインお菊が責め殺されて投げ込まれたという井戸で、もとは鶴瓶取井戸と呼ばれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
31.しだれ桜と天守
お菊井戸のある二の丸から、枝垂れ桜と天守を撮った。本丸にある2本の松もいい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
32.大天守の鯱
鯱は瓦ぶき屋根の大棟の両端に付けられている飾りで、鬼瓦と同様に守り神とされた。姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に上を向き、背中には幾重にも鋭いとげを持っているという想像上の動物を模しているそうだ。明治、昭和、平成のそれぞれの時代の鯱があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
33.化粧櫓
二の丸を後にして、再び「ろの門」のところへ戻ってきた。「ろの門」の手前から、長局(百間廊下)に続く化粧櫓を眺める。 二の丸を後にして、「るの門」から三国堀に出た。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 24mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.石垣と桜
初めて来た姫路城だったが、平年より少し早く咲いた満開の桜が、大歓迎してくれた。姫路城を語るとき、いつまでもこの光景が眼にに浮かぶと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
35.桜と天守閣 -1
満開の桜の花に見え隠れする天守閣。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 30mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
36.三国堀
三国掘りから天守閣、西に続く小天守を眺める。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
37.三国堀に映える天守、小天守
三国掘の水に天守閣が映り込んでいた。雲一つない春の好日である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 11mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
38.三国堀から西の眺め
堀の前を東に移動して、北西側を撮った。さっき通ってきた「菱の門」から「いの門」への桜並木が見える。その向こうは、西の丸へ続く化粧櫓だ。バスガイドさんに天守に登らないのなら、西の丸へ行ってみるとよいといわれていたが、その時間もなかった。西の丸の外周は櫓群で囲まれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
39. 桜と天守閣 -2
焦点距離を110mm(35㎜版換算で300mm相当)にして、桜にピントを合わせて撮る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 110mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
40.「菱の門」から退出
三国堀から左へ、 「菱の門」から退出した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
41. 桜と天守閣 -3
姫路城は白く輝く天守閣と満開の桜だった。桜の花で作られた額縁から大天守を望む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 97mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
42.桜門橋
「大手門」を退出し堀にかかる桜門橋を渡る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
43.和船
堀に沿ってバスの駐車場へ向かう途中、 船頭さんが漕ぐ、観光客を乗せた和船が見えた。和船は、夫・本多忠刻と幸せな10年間を暮らした千姫ゆかりの長局(百間廊下)の真下を通り、西の丸の「ワの櫓」で引き返し、今渡った桜門橋をくぐって姫路市立動物園にかかる赤い橋まで行って引き返して来る約30分間のコースのようだ。遠くだったので望遠で撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


2017年3月27日

河口湖へ1泊2日のドライブ旅行(5・終) 小田原城 3月4日

小田原城へは、昨年2月に国府津の曽我梅林へ行った帰りに寄った。その時は、平成大改修の工事中で、天守閣には覆いが掛けられていた。
 江戸時代に作られた模型や引図を基に、昭和35年(1960年)に鉄筋コンクリート造りで復興された天守閣は、三重四階の天守に付櫓、渡櫓を付した姿だが、最上階の高覧付きの廻廊はこの復興の時に新たに付けられた。現在、内部は5階だ。そして、2015年(平成27年)7月から2016年(平成28年)3月まで耐震工事及び屋根瓦や壁の修復が行われ、天守内へ入館ができなくなっていたが、2016年(平成28年)の5月にこの平成大改修工事が終了し再公開されたのだ。
 入館料は大人が500円で、小中学生が200円である。この日は土曜日だったので親子連れの入館者が多く、展示物をゆっくり見ることはできなかった。昨年のNHK大河ドラマ「真田丸」で人気が出たのだろう。
 小田原城を見終えて午後3時半になった。小田原で夕食にするには早すぎるので、横浜に戻ることにする。途中、渋滞もあり、西湘バイパスを抜けて横浜に入るころは5時半になっていた。何処にしようか決めかねていたが、結局、新横浜の近くの、今話題の「スシロー」へ行くことにした。到着すると、駐車場は空いていたものの、先に記したように約2時間待ちとのことで、あきらめざるを得なかった。
 友人ご夫妻に我が家まで送っていただき、サンドウィッチ・パーティとなった。何回も行っている富士五湖周辺だが、今回も新しい発見があった。

64.御茶壷橋
小田原城址公園の南入口の近くの駐車場に車を停めた。南入口を入り御茶壷橋を渡って常盤木門へ歩く。この橋は江戸幕府の将軍家に献上する茶壷を保管する倉庫があったことから、この名前が付いたという。橋の下に黒い大きな鯉が群れる。ちょっと不気味だ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250​秒 24mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
65.メジロ​​
常盤木門の石段の手前に梅の花が咲いていた。メジロが来ている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6 1/​1000​秒 135mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
66.ヒカンザクラ(緋寒桜)​​​​
常盤木門に上がるには本丸東堀跡にかかる赤い常盤木橋を渡るが、そこにヒカンザクラが咲いていた。ヒカンザクラはカンヒザクラ(寒緋桜)ともいう。しかし、彼岸桜(エドヒガン)とは違う種である。ややこしい。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​2000​秒 300mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
67.常盤木門の櫓と梅の花​​​​​​
常盤木門は小田原城本丸の正門にあたるが最も大きく堅牢に造られている。昭和46年に再建されているが、その櫓を背景に梅の花が咲いていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​250​秒 66mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
68.小田原城天守閣全景​​​​​​​​
昨年の3月1日にここへ来たときは、工事中で覆いが掛けられていた。今回は少し西に傾き始めた陽の光を浴びたその全景が見られた。​​

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f​9​​​ 1/​320​秒 ​28mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
69.天守の廻廊
最上階の高覧付きの廻廊にたくさんの人が登っているのが見えた。500円お支払いして、城の中に入ってみることにした。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f​6​​​ 1/​1000​秒 ​135mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
70.天守閣の東面
天守閣の東面を見ながら天守閣の入り口へ進む。天守台の石垣は立派である。この石垣も関東大震災で崩れていたところを天守復興に合わせ積み直したというが、見えるところだけを集中的に直したらしいので、実は奥には崩れたままの姿が残っていると聞く。天守台の裏側の土塁部分には崩れた石が埋まったままだそうだ。見てくればよかった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f​7.1​​​ 1/​250秒 ​18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
71.天守閣の南面
南面に石垣で造られた堤(石段)を登ったところに天守閣への入り口がある。そこが1階になっていて入場券販売所もある。現在の小田原城天守は昭和35年(1960年)に市制20周年の記念事業として造られた。宝永3年(1706年)年に造られた天守をモデルに東京工業大学藤岡道夫工学博士が設計、本来無かった高覧付廻縁が追加された為復興天守と呼ばれるそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f​11 1/​500秒 ​26mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
72.天守閣内部
中に入る。内部はお決まりの歴史博物館になっていて、復興の元になった天守模型(江戸時代製)や鎧、兜などが展示されていた。人が多く、また、時間もかけられないので、詳しくは見ていけなかった。受付で写真撮影の可否を聞いたところ、撮影禁止と表示されたところ以外はOKだった。小田原城の天守閣の高さは27.2mで第7位だそうだ。第1位は大阪城天守の41.5mだった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f​3.5 1/​125秒 ​18mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
73.天守から西の眺め 箱根方面​​
5階にある展望デッキへ登った。廻廊になっている。廻廊に出るとまず正面には箱根方面の眺めがあった。左手に駒ヶ岳、神山、冠ヶ岳、右の方に明星ヶ岳、明神ヶ岳が見える。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f​11 1/​500秒 ​48mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
74.天守から南の眺め 真鶴半島、伊豆半島
順路に従い左回りに廻廊を進む。真鶴半島が突き出していて、その右側に伊豆半島が眺められた。東側は小田原市街である。小田原市では平成18年に天守閣の高さを基準とした高さ規制を行い、天守閣の高さを超える建物の建築を制限し、長い時間をかけて育まれてきた歴史景観を次代に受け継いでいこうとしている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f​9 1/​320秒 ​24mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
75.天守から北の眺め 小田原駅、丹沢​​
眼下に小田原駅が見え、奥に丹沢の山々が連なる。写真の小田原駅の上に見えるのが大山で、主峰の塔ノ岳が画面左端だ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f​11 1/​500秒 ​46mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
76.天守とヒカンザクラ​​​​
約30分天守閣の内を見学して、廻廊からの眺めを満喫して、下りてきた。上がってきた堤(石段)から振り返ると、天守を背景にヒカンザクラが咲いていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f​9 1/​1250秒 ​102mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
77.梅
常盤木門を降りたところに何本かの梅の木があり、ちょうど見ごろになっていた。花の狭間から銅門とその櫓が見える。銅門は平成7年に復元されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f​9 1/​320秒 ​31mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
78.梅の花を啄むメジロ -1​​
その梅には何羽かのメジロが来ていた。300mmあると何とか撮れる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f​6.3 1/​1250秒 ​300mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
79.梅の花を啄むメジロ -2​​​​
隣の枝を見ると、次は何処に移ろうかと構えているたメジロがいた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f​6.3 1/​800秒 ​300mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
​​​​​​
​​​​​​

なお、ドライブ地図と地点毎の写真は、 河口湖へ1泊2日のドライブ に掲載しました。


​​​​​​

2016年11月 1日

犬山、郡上八幡、白川郷、飛騨高山 古い町並みを歩く 10月17日~18日 (2) 郡上八幡 10月17日

犬山では針綱神社と三光稲荷神社をゆっくり見たかったが、バスへの集合時間が迫り、拝殿で手を合わせただけだった。
  10月17日、次の観光は郡上八幡だ。ここも古い町並みを見ることになる。
  14時15分、バスは城下町犬山から岐阜各務原ICを東海北陸自動車道に入った。1時間少々かかって郡上八幡に到着。ここでも車内で郡上踊りの実演などの見学ができる「郡上八幡博覧館」への入場が募集されが、これもやめて、古い町並みを見ることに専念することにした。
  郡上八幡は飛騨高地の南部に位置する。長良川が町の西側を北から南に貫流しており、市街地の標高はおよそ200メートルと比較的低く、町の東西の山地から支流が流れ込む。集落は長良川とその支流沿いに形成されており、吉田川が長良川に流れ込む辺りが郡上八幡の市街地である。今もきれいな城下町が残る情緒溢れる町で「水のまち」とも呼ばれるほど町のあちこちに水路がある。歴史に残る「郡上おどり」も郡上八幡の伝統の1つだ。
 バスは「郡上八幡博覧館」の駐車場に入った。そこから職人町、鍛冶屋町といった古い町並みを午後4時半過ぎまで歩いて回った。

  バスは郡上八幡から東海北陸自動車道を走り、ひるがの高原スマートICで下りた。今夜の宿はひるがの高原にある「郡上高原ホテル」だ。ホテルの後ろがすぐスキーのゲレンデになっている。海抜1,000mのところにある。温泉ではないかもしれないが、広い露天風呂があり、夕食前に入浴した。到着して急いで大浴場へ行ったら、その時たまたま他の入浴者がいなかっただけかもしれないが、一番風呂だった。

19.長敬寺
バスへの集合時間を確認して、さっそく古い町並みを見て歩くことにする。長敬寺という寺があった。辻の突き当りには城下の防御のための寺が配置され、13もの寺が狭い町の中にあるそうだ。wikipediaによれば、慶長6年(1601年)に八幡城主遠藤慶隆は、古今伝授の祖といわれる東常縁の玄孫の正勧坊正欽が、飛騨高山の照蓮寺にいると聞き及び、これを招いて創建し、自らの菩提寺としたと。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO250​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
20.職人町、鍛冶屋町
長敬寺の角を左に曲がって、職人町、鍛冶屋町を歩く。古い家並みの軒先にはほとばしるように流れる水路がある。振り返ると突き当りに長敬寺がある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250​秒 48mm ISO480​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
21.軒先を流れる水路
町割りに沿って通りの両側を流れる水路は、寛文年間(1660年ころ)に城下町の整備を進めた城主の遠藤常友が防火の目的のために4年の歳月をかけて構築したものだそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250​秒 50mm ISO640​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
22.登録有形文化財 堀谷医院​​
ちょっと雰囲気の異なる建物が目を引いた。登録有形文化財の銘板があるが何の建物かわからなかった。戻ってきて、写真に写し込まれた「第21-0036号」という登録番号をもとに検索した結果、大正9年(1920年)築の堀谷医院と分かった。現在も診療が行われているようだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 22mm ISO720​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
23.お店の前で立ち話
職人町、鍛冶屋町をまっすぐ進んで本町に入った。「白雪」という歴史を感じる看板には上田酒店と書かれた酒店があった。郡上で一番古い酒屋だそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 38mm ISO1000​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
24.にっき飴
先を歩いていたかみさんが入った店がある。桜間見屋(おうまみや)と書かれた古い看板が掛けられていた。この老舗はこれから行く宗祇水への入口にある。創業明治20年で当初から飴屋で肉桂玉を作り、現在6代目を継いでいるという。桜間見屋のこの看板は創業当時のもので、大正8年の大火でここ一帯が焼け野原と化した時にも、避難させて唯一残したと伝えられている大切な看板だそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 35mm ISO1600​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
25.桜間見屋の店内​​
お店のお嬢さんに「店の中の写真を撮らせていただいていいですか」とお断りして写真を撮らせていただいた。さすがにっき飴の専門店「元祖肉桂玉本舗」は豊富な品揃えだった。私はにっき飴が好きだ。かみさんは良い店を見つけてくれた。もちろんお買い上げ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO2800​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
26.宗祇水​​​​
本町の通りから右に入る小道があった。そこの石畳を下ると吉田川にそそぐ小駄良川にかかる赤い橋があり、その手前右側に宗祇水があった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.5 1/​250​秒 46mm ISO720 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
27.宗祇水​​​​
宗祇水とは、要するに名水百選に選ばれた泉である。1985年(昭和60年)宗祇水(白雲水)として名水百選第1号に指定されているそうだ。室町時代の領主 東常縁 と連歌の祖 飯尾宗祇 の古今伝授の故事を伝える泉という。江戸時代に修復されたのち、現在まで往時の姿をとどめ、美しい水がこんこんと湧き出している。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250​秒 28mm ISO1000 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
28.赤い橋
長良川の支流である吉田川にそそぐ小駄良川に赤い橋(清水橋)が架かっていた。橋のすぐ向こうがもう吉田川である。wikipediaによれば、小駄良川(こだらがわ)は、岐阜県郡上市を流れる木曽川水系の河川で、吉田川の支流のうち、唯一一級河川に指定されている。郡上市八幡町北部、明方村との境界にある河鹿に源流部がある。山間部を南へ流れていくつかの小河川と合流して八幡町市街部で吉田川と合流するとある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250​秒 24mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
29.小駄良川の川上​​
宗祇水のところにある赤い橋(清水橋)から小駄良川の川上を望む。洞泉寺橋が見える。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 38mm ISO380 ​) 露出補正​ ​なし
161101_029.jpg
30.マンホールの蓋
清水橋を渡って少し進むと、小駄良川が吉田川に流れ混むところがあった。中河原公園という公園になっている。そこから再び、清水橋にむかって戻る。マンホールの蓋には清流を泳ぐ魚が描かれている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 20mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
31.石畳の坂道
再び宗祇水のところへ戻り、清水橋を背に降りてきた坂道を上がって本町通りに出た。右へ行って、吉田川の宮ケ瀬橋を渡る。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250​秒 31mm ISO560 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
32.宮ケ瀬橋から新橋を見る
宮ケ瀬橋から上流を眺める。見えているのは新橋で、よくTVで子供たちが川に飛び込む夏の風景として報じられる橋だそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250​秒 56mm ISO320 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
33.新町通り​​
宮ケ瀬橋を渡ってまっすぐ南へ進むと四つ角があって、真っすぐが橋本町、右(西)が新町、左(東)が左京町になっている。写真は新町通りのアーチ。ここも古い町並みで、ここも郡上踊り会場になる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f9 1/​320秒 38mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.願蓮寺
橋本町の突き当りには願蓮寺があった。門も立派で、本堂も立派だった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​250秒 24mm ISO480 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
35.郡上八幡旧庁舎
一旦、左京町へ戻って、左京町の通りを東へ歩くと、昭和11年に建てられた国の登録文化財に指定されている郡上八幡旧庁舎があった。今は記念館となって、観光案内所などがある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250秒 22mm ISO220 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
36.新橋から上流を望む
郡上八幡旧庁舎の前を左に曲がると新橋に出た。ここで再び吉田川を渡る。上流を眺めると八幡橋が見えた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250秒 48mm ISO640 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
37.旅館「備前屋」​​
新橋を渡って左に曲がるとその右側の岩をくりぬいて神農薬師の洞があった。その先を右に折れると柳町の通りだ。そこに、趣のある門構えの「備前屋」という旅館があった。老舗なのだろう。郡上八幡の250年の歴史の中で現存するもっとも古い旅館だそうだ。門の左側に金色のプレートがあり、「藩校 潜竜館跡 江戸時代後半 青山時代」と記されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​250秒 24mm ISO1800 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
38.安養寺​​
​​ 柳町の町屋群も「統一された町屋と水利施設が一体となって歴史的風致を伝えている」として国の伝統的建造物保存地区に選定されているそうだ。その選定を受けたのはここ柳町のほか、歩いてきた職人町、鍛冶屋町と、その職人町、鍛冶屋町が本町へ入る左側の大手町がある。これらの町は大正の大火の直後、競って建てられ、袖壁と紅殻後格子が街並みを特徴づけていると言われる。柳町から郡上八幡城へ登るところに安養寺があった。安養寺は郡上で一番大きな寺だそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250秒 26mm ISO800 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
39.安養寺と郡上八幡城
​​ 安養寺本堂の大きな屋根の向こうに郡上八幡城の天守閣が見えた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.3 1/​250秒 82mm ISO2000 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
40.郡上八幡城 天守閣​​
​​ 郡上八幡城はそこから歩いて片道30分かかるという。もう午後4時半である。とても時間がない。現在の城は、昭和8年(1933)、当時の大垣城を参考に再建され、木造4層5階建の天守閣等は郡上市重要文化財に、一帯の城跡は県史跡に指定されている。日本最古の木造再建城だそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250秒 280mm ISO2500 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
41.浄因寺の鐘楼と紅葉​​​​
​​ 古い町並みを1時間余りで一回りしてきた。もちろん、もっとゆっくりと見たいと思うが、バスへの集合時間が決められている。そのバスの駐車場の近くに浄因寺という寺があった。その鐘楼の傍にあるもみじが少し色づいて来ていた。出発したバスは東海北陸自動車道を走り、ひるがの高原スマートICを出て5時半ごろ、今宵の宿である郡上高原ホテルに到着した。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250秒 38mm ISO1800 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。

​​
​​

2016年10月29日

犬山、郡上八幡、白川郷、飛騨高山 古い町並みを歩く 10月17日~18日 (1) 城下町犬山 10月17日 

クラブツーリズムという旅行者の「白川郷・飛騨高山・郡上八幡、城下町犬山 美濃・飛騨路ハイライト」という1泊2日のバスツアーに参加した。飛騨牛・篠島シラスなど5食&海鮮土産付きで@¥22.9Kというお手軽なツアーである。

  バスは横須賀そして金沢文庫からの参加者を乗せて、横浜駅東口に来た。 8時に横浜駅東口を出発して、国道16号線バイパスの横浜町田インターから東名高速に入る。海老名から新東名に入り、駿河湾沼津SAで最初の休憩、そこを出発して三ケ日JCTから再び東名に戻り、見合PAで二度目の休憩となった。少し雨が降っていた空も、ここで青空がでてきた。バスの中で見合SAで積み込まれたシラス弁当を食べたが、これはなかなか美味しかった。東名高速を小牧で下りて、城下町の愛知県犬山に着いたのは午後1時だった。

  最初の下車地である城下町犬山到着前に、車中で犬山城を見学したい人が募られた。見て回る時間はトータルで約1時間しかなく、犬山城を見学してしまうと城下町が見られない。今回は古い町並みが見たかったので、犬山城は町から遠望することで、見学を割愛することにした。

1.新東名駿河湾沼津SA
走行中はずっと雨が降っていた。バスの運転手さんが、駿河湾沼津SAのトイレに近いところにバスを止めてくれたので、ほとんどぬれずに済んだ。コーヒーミルで作る自販機で朝のコーヒーを仕入れ、車内で飲む。旨かった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/125秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
2.三光稲荷神社
犬山城への上り口には、この三光稲荷神社と針綱神社が並んで建っている。創建時代は不明だが、かっては三狐山(三光山)に鎮座し、犬山城主織田信康の保護を受けていたという。江戸時代以降はその犬山城主成瀬氏の守護神とのこと。神仏習合で三光寺とも称していたが、明治時代初期の神仏分離により三光稲荷神社となったそうだ。犬山猿田彦神社ともいう。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f10 1/​400​秒 32mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
3​.針綱神社
針綱神社延喜式神名帳所載の式内社という。太古より犬山の峰(現在の犬山城天守閣付近)に鎮座し、濃尾の総鎮守であったという。創建年は不明だが、延喜式に記載されていることから1000年以上この犬山の地に鎮座してることになる。天文6年(1537年)犬山城築城に際し、白山平(現在地より東方にある山)に遷座、その後の慶長11年(1606年)市内名栗町に遷座されており、明治維新の後の明治15年(1882年)に現在の場所に再び遷座されたそうだ。山車が町を引き回される犬山祭は針綱神社の祭礼である。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f11 1/​500​秒 35mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
4.「からくり展示館」
からくり人形に興味があったので、「からくり展示館]」に入ってみることにする。犬山祭では愛知県の有形民俗文化財に指定されている3層の車山13輌が城下町に繰り出し、笛や太鼓に合わせてからくり人形が披露される。山車に乗せられる奉納からくりの出し物は、住民の信仰や能楽の一部からとられたものなどがあり、当初は素人の手作りだったが、次第にからくり人形専門の細工師によって作られるようになり、演技も巧妙になった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​250秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
5.からくり人形 「茶運び人形」
からくり展示館では有名な「茶運び人形」の実物が見られた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​80秒 20mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
6.からくり人形 「石橋獅子」
説明書きには能楽の「石橋獅子」を題材にしているとある。文殊菩薩の前で唐子が牡丹の花を手に踊り戯れている。花代に花を挿すと開いた花の中から獅子が飛び出し、頭と尾を振り跳ね回る。それを眺めていた文殊菩薩が軍配を手に唐子を褒め称え長寿を祝って舞を終える。」と記されていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​60秒 18mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
7.からくり人形の構造​​
からくり人形の骨格が置かれていて、入場者は自由に動かしてみることができる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​40秒 18mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
8.「城とまちミュージアム」​​
「からくり展示館」の前にあった「城とまちミュージアム」に入った。入場料は「からくり展示館]」で払った100円で共用というのは安い。犬山城と城下町の大模型が館内中央に置かれ、入場者の目を引く。両国の「江戸東京博物館」に「寛永の町人地」という江戸の街並みの模型があったが、それに勝るとも劣らない。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.3 1/​100秒 78mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
9.犬山城と城下町の大模型 部分​​
模型に見る犬山城からまっすぐに伸びる本町通りを進む山車が目に鮮やかだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​80秒 ​300​​​​​​​mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
10.犬山城の模型​​​​
​​犬山城と城下町の大模型の一番上手に犬山城がある。城の北側には木曽川が流れる。犬山城見学を選択していれば、天守から木曽川が眺められた。ちょっと残念だ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​125秒 ​56​​​​​​​mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
11.山車の模型​​
「城とまちミュージアム」に​​​​​​​​​は山車の模型があった。犬山祭の山車は13両あるそうだ。​​​

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​25秒 ​38​​​​​​​mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
12.犬山城天守閣
​​ 「城とまちミュージアム」を出て、本町通りを振り返ると犬山城の天守閣が見えた。​​

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​500秒 ​300mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
13.本町通りから犬山城、針綱神社を望む
​​​​ 北へまっすぐに伸びる本町通りの先には針綱神社が見え、その左側の小高いところに犬山城天守閣の南面が望める。晴れ間が出て、日が差してきた。 ​​

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6 1/​320秒 ​161mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
14.城下町の古い町並み​​
​​​​ ​犬山は江戸時代の風情が残る城下町だ。2009年には、この写真にある、城下町のメインストリート本町通りの電線を地中に埋める工事が完了したそうだ。現在も古い町並みを守る努力が行われている。 ​​

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.5 1/​250秒 ​46mm ISO2​50​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
15.観光客で賑わう本町通り
この日は観光客はそれほど多くはなかったが、人々は本町通りを散策する。針綱神社の大きな鳥居と犬山城の天守が城下町の風情を醸し出す。​

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​320秒 ​102mm ISO2​00​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
16.「どんでん館」​​
本町通りの一番奥に「どんでん館」というのがあった。ちょっと入ってみる。「どんでん」とは歌舞伎で舞台転換することを言い、大道具を90度後ろへ倒し、底面を立てて次の場面に展開することを「どんでん返し」と言ったことに由来するそうだ。犬山祭で車山を方向転換することを「どんでん返し」という。「どんでん返し」は犬山祭のハイライトである。「どんでん館」には犬山祭で引かれる13両の山車のうち4輌が展示されていた。奉納からくり人形は3層になった山車の一番上の層に据えられる。その下の中層は「中山」と呼ばれて最上層のからくりを動かす層となっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels​​
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/25秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
17.犬山祭の山車
「どんでん館」の2階に上がって、上から山車を見てみた。これは鍛冶屋町、中本町の山車だ。山車の一番下の層はお囃子所だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/20秒 11mm ISO1000 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
18.登録有形文化財 旧磯部家住宅
江戸期の建築様式を持つ木造家屋。主屋は幕末に建てられたと伝え​られている。緩やかなふくらみのある「起り屋根(むくりやね)」は犬山市内の町家で唯一現存しており、正面は2階建て、裏は平屋の「バンコ2階」と呼ばれる造りになっている。バンコ2階とは正面側2階に天井高の低い部屋を配し、 壁を挟んで背面側を小屋裏とする造りで、犬山ではバンコ2階というそうだ。旧磯部家住宅は国宝犬山城大手門から延びる本町通りにあり、江戸期から呉服商を営んできたそうだ。敷地は間口が狭く、奥行きが広い「ウナギの寝床」のようで、中庭、裏座敷、土蔵などもある。「ウナギの寝床」には町衆の知恵であり、江戸期の税金は間口の広さで決まっていたからだそうだ。敷地は間口6.8m、奥行き約58m、面積691㎡(209坪)。江戸時代から「柏屋」の屋号で手広く呉服商を営んでいた磯部家は、太平洋戦争後、呉服商から製茶、販売業に転じ、後に生活の本拠は他に移し、この建物は商品倉庫とされたという。平成17年2月9日、国の登録有形文化財に登録されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


​​

2016年5月 3日

小諸城址懐古園と真田の上田城跡 (1) 軽井沢駅と懐古園 4月9日

「ガイドと共に巡る!真田の上田城址公園・小諸城跡歴史散策としなの鉄道ローカル列車」という日帰りバスツアーに参加した。
 4月12日出発の横浜発のツアーに申し込んでおいたのだが、不催行となり、代替として4月9日(土)新宿発に変更した。新宿7時出発というのは、6時半過ぎには集合せねばならず、自宅を5時過ぎに出なくてはならなかった。横浜からの湘南新宿ラインの始発は、6時26分発なので、利用できず、品川回りになる。
 予想に反して、高速道路は順調に走れ、予定より少し早く軽井沢駅に着いた。そこから、御代田までしなの鉄道に乗るが、11時8分発まで、小一時間の待ち時間が出来るほどだった。何人かの人たちはアウトレットに行ったようだ。
  昼食は休憩した横川SAで峠の釜めしが積み込まれ、軽井沢到着前にバス車内で済ませてしまった。
 3っ先の御代田まで浅間山を眺めながら、しなの鉄道に乗車、御代田駅で再びバスに乗り、小諸城跡に着いたのは、12時少し前だった。添乗員さんが心配していた駐車場にもすぐに入ることでき、懐古園の三の門から現地の観光ガイドさんに案内していただいた。大手門は線路の反対側にあり、地下道をくぐっていくことが出来るが、今回は時間の都合で割愛された。大手門は慶長17年(1612年)、藩主仙石越前守秀久が小諸城を築いた時代の建築であり、現存する400年前に築かれた門だそうで、是非見たかったのだが。
 約1時間、懐古園を見た後、再びバスに乗り、上田へと向かった。

1.横川S.A.の桜
休憩した上信越自動車道の横川S.A.で見た桜。満開で花が房のようにびっしり咲いていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f5 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
2.軽井沢駅
新宿を7時に出発して、途中2回、計40分の休憩を入れて、10時20分に軽井沢駅に着いた。走行時間は2時間半と順調だった。休日の軽井沢アウトレット渋滞もなかった。長野新幹線開通でできた新しい駅だが、何か閑散として活気がない。やはり軽井沢が賑やかなのは夏だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.8 1/1250秒 20mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
3.EF63形電気機関車
これから乗車するしなの鉄道のホームと並んで、EF63形電気機関車が置かれていた。Wikipediaによれば、EF63は新幹線が開業する前の信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠専用の補助機関車としての役割に特化して開発された機関車だそうだ。このことから「峠のシェルパ」、もしくは形式称号から「ロクサン」の愛称がある。EF63は急勾配上で停車する際の確実な停止力のための鉄製の電磁石でできたブレーキを備え、直接レールに接触(磁力による電磁吸着)するその大きな摩擦力によって、確実に停車せしめる。このブレーキは自動車にたとえるとパーキングブレーキ的な役割で通常の減速には使用しないという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f3.5 1/1250秒 26mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
4.旧軽井沢駅舎と軽井沢駅前交番
我々はここから11時8分発のしなの鉄道 に乗るが、少し時間があったので駅の周りを歩いてみた。中軽井沢寄りにこの旧軽井沢駅舎と軽井沢駅前交番があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f3.5 1/1250秒 ​9​​​​​​​​​​mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
5.草軽電鉄の​​電気機関車
「この電気機関車はデキ12形機関車といい、アメリカのジェフェリー社で大正9年に制作したハンドブレーキ常用、非常用電気ブレーキ付きという鉱山用のトロッコを改造したものである。大正4年7月より 草軽電気鉄道 は営業を開始、大正15年軽井沢・草津間(55.5km)の電化が完成してから、昭和37年1月31日路線を廃止するまでの約35年の間、地元民の足として、また、旅行者、避暑客の良き案内人として親しまれてきた電気機関車である。」と記されていた。この機関車が牽引した客車の車輪も置かれていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f3.5 1/1250秒 ​20​​​​​​​​​​mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
6.イベント列車「ろくもん」
2014年7月11日に運行開始されたしなの鉄道の観光列車がある。新しい軽井沢駅の駅舎の上から、しなの鉄道の軽井沢駅を眺める。これは10時40分発の長野行の「ろくもん」だ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
絞り優先オートで撮影 ( f5.3 1/250秒 95mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
7.しなの鉄道車両とEF63形電気機関車
これはこれから我々一行が乗車する11時8分発のしなの鉄道長野行の車両。JR東日本から譲り受けた115系電車だ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
絞り優先オートで撮影 ( f7.1 1/250秒 40mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
8.しなの鉄道車両と信越本線時代の電車
向こう側にグリーンとオレンジに塗り分けられた懐かしい湘南型の電車が止められていた。165系だろうか?​​信越本線に使われた​165​​​​​​​​​​系には横川~軽井沢間の急勾配区間に対応させるため連結器、台枠、台車などに改造が施され​​​​​​​​​​​​ていたという。​​

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm ​f​3.5-5.6G
プログラム​​オートで撮影 ( ​f​​8​​​​ 1/250秒 ​32​mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
9.10000形電気機関車
調べてみると、アプト式による旧信越本線碓氷峠越えは、1893年4月1日に官営鉄道中山道線(後の信越本線)として横川 - 軽井沢間が開通したが、当初はもちろん電化されていなかった。開通前年の1892(明治25)年、アプト式蒸気機関車がドイツから日本へ初めて輸入されたそうだ。横浜港に到着したドイツのエスリンゲン(Esslingen)社製アプト式蒸気機関車4両は、新橋工場で組み立てられて横川へ回送された。その後、蒸気機関車による牽引が続くが、碓氷峠越えはトンネルの連続による煤煙の問題から、乗務員の中には吐血や窒息する者も現れ、1911年に横川駅付近に火力発電所が設けられて1912年には日本で最初の幹線電化が行われた。その時にスイスのエスリンゲン・アルゲマイネ社から12両輸入されたのが、この10000形電気機関車だった。そして太平洋戦争後は輸送隘路の解消のため一般的な車輪による粘着運転で登降坂することになり、1961年に着工し1963年7月15日に旧線のやや北側をほぼ並行するルートで新線が1線で開通した。同年9月30日にアプト式は廃止され、さらに1966年7月2日には、旧アプト式線の一部を改修工事する形でもう1線が開通し複線となった。これによって当区間の所要時間は旅客列車で40分から下り列車は17 分、上り列車は24分に短縮されたという。私が初めて軽井沢へ行った時はまだアプト式のころで、ゆっくりと峠を上る列車の窓からオオムラサキが悠々と飛ぶのをながめ、補虫網をとり出して採りたい衝動に駆られたのを覚えている。今は新幹線で峠であることも気が付かない。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f​6.3​​​​ 1/250秒 ​18​mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
10.浅間山
軽井沢からしなの鉄道に3駅間乗車するが、その間、進行方向右手には標高2568mの 浅間山がはっきり見えていた。学生のころ、軽井沢合宿打ち上げ後、頂上まで登ったことを思い出す。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f​7.1 1/800秒 ​65mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
11.小諸城跡懐古園
しなの鉄道を御代田駅で降ると、新宿から乗ってきたバスが待ってくれていて。小諸城跡懐古園へと向かった。懐古園には12時に到着した。​​

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/250秒 ​18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
12.小諸城跡懐古園 三の門
この門は小諸城三の門で、元和元年(1615)に創建された。寛保2年(1742)に発生した大洪水の折に流され、明和2年(1765)に再建され、今は懐古園の正門にして象徴である。駐車場は三の門の内側にあり、三の門をくぐっていわば外側から見たところだ。正面に掲げられた「懐古園」の扁額は徳川第16代当主(慶喜の次)、徳川家建(いえさと)が書いたもので国重要文化財だ。なぜ、小諸城跡のことを懐古園というのか知りたかったが・・・。小諸城の表玄関の大手門はしなの鉄道の線路の向こう側にあり、地下道をくぐっていくことが出来る。大手門は慶長年間に仙石秀久により築かれた。大手門は国重要文化財になっている。大手門も見たかったが時間の都合で割愛された。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f​8 1/250秒 ​18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
13.二の門跡
ここに二の門があった。二の丸へと入っていく。ガイドさんは私塾小諸義塾の塾長木村熊二のレリーフガイドのところで説明している。Wikipediaによれば、小諸義塾とは、キリスト教牧師であった木村熊二が小山太郎らの要請の応えて1893年(明治26年)11月に現在の小諸市で開設した私塾である。1906年に閉鎖されるまでキリスト教による近代教育を実践した。塾長は木村熊二、教師は島崎藤村、三宅克己、丸山晩霞らが務めたとある。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f​5.6 1/250秒 ​18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
14.二の丸跡
徳川秀忠が関ヶ原へ向かう途中の上田城攻略で真田親子に足止めされ、ここに逗留したと伝えられる。 ​​

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f10 1/400秒 ​22mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
15.黒門橋
小諸城の本丸へ入る手前にあるのがこの黒門橋だ。本丸を防御していたこの堀は深い。そして黒門橋を渡ったところには黒門跡があった。黒門跡には、礎石と石垣だけが残っているが、実は門も現存しており、市内の正眼院に移築されているという。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f​10 1/400秒 ​18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
16.本丸跡の桜
本丸跡に入る。桜は満開だった。小諸城跡懐古園を埋める数百本の老桜が栄枯の夢を語るがごとく咲いている。平成2年に実施された日本さくらの会「日本さくら名所100選」に選定されているそうだ。懐古園の桜は、ソメイヨシノをはじめ、枝垂桜や八重桜など多くの種類が植えられ、咲く時期が少しづつ異なり、長い期間にわたり桜の花を楽しむことができるらしい。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f​10 1/400秒 ​18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
17.懐古神社
明治の廃藩置県により役割を終えた小諸城は、本丸跡に「懐古神社」を祀り「懐古園」と名付けられたとのこと​​​​​​​​。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
18.鏡石
懐古神社の手前に、山本勘助ゆかりの鏡石があった。小諸市観光協会のホームページによれば、天文23年(1554年)甲斐のの武田信玄の侵攻で武田氏の手中に落ち、以後約30年間、武田氏の城代によって支配された鍋蓋城以下諸城があった。信玄はこの地の重要性にかんがみ、 重臣の山本勘助と馬場信房に命じて鍋蓋、乙女城を取り込んだ新たな縄張りをして城郭を整備し、総合的な大城とした。それが小諸城の原型だそうだ。勘助が縄張りをした小諸城は「攻めるに難しく、 守るに易い城」いわば難攻不落の城だった。小諸城址本丸跡には山本勘助が小諸城築城の時に研磨したと伝えられている鏡石がある。勘助は朝夕この鏡石におのれの顔を映し反省したと伝えられている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f1.8 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
19.懐古園桜まつり
4月9日から4月30日の間、懐古園では桜祭りというイベントが行われている。鎧を身につけた若者が観光客を迎えてくれた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.8 1/1250秒 20mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
20.本丸跡の石垣
本丸跡には立派な石垣が残っていた。​​本丸は約6メートルの石垣で囲まれている​​​​​​​​​​​という。この奥には、​​​​本丸北西に迫り出し、他の石垣よりひときわ大きな野面石で築かれた天守の石垣(天守台)がそびえる。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f9 1/320秒 ​36mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
21.天守台
天守台は一際高い。この天守台には、三層の天守閣が建造されていたと伝わっているが、寛永3年(1626年)落雷により焼失、その後は幕府の許しが得られず再建されることはなかったそうだ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 ​170mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
22.コモロスミレ
本丸跡の石垣の間にコモロスミレ(小諸菫)が咲いていた。気が付かないで通り過ぎるところだったが、ガイドさんが教えてくれた。花の色は濃い紫色で八重咲という特徴がある。昭和47年に小諸市天然記念物に指定されているそうだ。もう少し良い写真を撮っておけばよかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.2 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
23.ほら貝を吹く子役武者
千曲川が見えるところに行く途中で、今度は鎧を着た武者姿の子供がほら貝を吹きならしてくれた。観光客は拍手。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f10 1/400秒 ​40mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
24.千曲川
島崎藤村の歌碑のあるところから千曲川が見下ろせた。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1000秒 ​135mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
25.人力車の観光客
懐古園のもっとも西側に馬場があり、その向こうは千曲川が流れている。お年を召したご夫婦が人力車に乗ってこられて、富士見台という展望所から千曲川を眺めていた。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f8 1/250秒 ​35mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
26.天守台の桜
ここで、ガイドさんの案内は終わった。各自、桜の花が咲く馬場を通り抜け、再び天守台の方へと歩く。天守台に咲く桜も青空をバックに満開だった。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f8 1/1000秒 ​70mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
27.黒門橋から見下ろす紅葉谷
秋にはモミジの名所になるという。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラム​​オートで撮影 ( f9​​​​ 1/​320​​​​​​​​​​秒 ​40mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
28.若山牧水歌碑 二の丸跡の石垣
既成の石垣を碑とする最初の試みで、昭和9年11月4日に除幕された。この「かたはらに秋くさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな」は、牧水26歳の時、​​明治​43​​​​​​​年​9​月~​11​月頃​、病気療養のため​小諸に滞在した折に詠んだ歌だそうだ。歌人・牧水の歌碑は​​全国に建立されている。その数は、他の歌人を圧倒しているという。牧水の歌がいかに、多くの人に愛されているかがうかがえる。これはその2番目の歌碑という。​​ ​​​

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f8​​​​ 1/​250​​​​​​​​​​秒 ​26mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
29.三の門と桜
午後1時に三の門まで戻ってきた。駐車場で待っていてくれたバスに乗り、これから上田城跡へ向かう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f3.5 1/1250秒 14mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。