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2023年6月22日

海老名へ行く ① 小田急ロマンスカー・ミュージアム 2023年6月14日

梅雨空ではあったが、しばらく行っていなかった海老名へ行ってみようと思い立った。
 海老名は相鉄線の終点であり、小田急とJR相模線の駅もある。相鉄線は西谷駅から分岐する形で建設された相鉄新横浜線を介し他社線へ直通することで、東京方面へ乗り入れる計画が進み、2019年11月30日からは相鉄・JR直通線として東日本旅客鉄道(JR東日本)埼京線・川越線との直通運転が開始された。JRの新宿駅のホームで湘南新宿ラインを待っていると、濃紺一色に塗られた海老名行の相鉄線車両が入ってきたりするので驚く。2023年3月18日には、相鉄・東急直通線として相鉄新横浜線・東急新横浜線を経由して東急東横線などとの直通運転が開始されている。過日、都営地下鉄三田線の内幸町駅のホームで電車を待っていると、東急の車両ながら海老名行の電車が入ってきた。都営三田線から東急目黒線の乗り入れ、日吉から東急新横浜線・相鉄新横浜線で、西谷で相鉄線に入るのだ。自宅の最寄り駅は星川なので、西谷は行き過ぎてしまい、3駅ほど戻らなくてはならない。内幸町からであると、都営三田線で三田で乗り換え、都営浅草線の京浜急行乗り入れ快特で横浜に出るほうが時間的には速いと思う。
 海老名駅発の時刻表を見ると、その行先は、新宿、西高島平、浦和美園、大宮、川越、渋谷、目黒、新横浜などと多様である。乗り換えなしで目的地まで行く本数は限られているものの、乗り継いでいけるようになったのは便利だ。
 海老名では、小田急の「ロマンスカー・ミュージアム」と「ららぽーと海老名」へ行ってみようと思う。
 小田急の「ロマンスカー・ミュージアム」についての記述は、そのホームページとwikipedia を参照させていただいた。

000_230614007 X700 小田急ロマンスカーミュージアム G7X.jpg
歴代の小田急ロマンスカー 2023年6月16日 神奈川県海老名市

001_230614003 X900 21000型 海老名駅 G7X.jpg 1.相鉄線海老名駅
海老名駅で出発を待つ東急目黒線直通電車である。東急線直通用車両として8両編成の21000系を東急目黒線へ、10両編成である20000系が東急東横線へ、それぞれ直通運行されている。この車両は東急目黒線直通のために2021年(令和3年)度より20000系を8両編成とした21000形である。車体幅は従来の11000系では2,950 mmとしていたところ、本系列では東急目黒線など直通先の規格に合わせ2,770 mmとしている。塗装については「YOKOHAMA NAVYBLUE」の一色塗りが採用されている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
002_230614004 X900 小田急ロマンスカーミュージアム G7X.jpg 2.小田急ロマンスカー・ミュージアム
小田急ロマンスカー・ミュージアムは2021年4月19日に開館した。場所は、小田急海老名駅の改札口のすぐそばだった。入場料大人1名900円をお支払いして入館すると、一階下がって順路になっている。その1階はヒストリーシアターとなっていて、小田急電鉄はじまりの車両「モハ1」が展示されていた。この車両は小田急電鉄の前身、小田原急行鉄道が1927年(昭和2年)に開業したときに運行を開始した小田急線で最初の車両だそうだ。戦中・戦後にかけて小田急線で30年以上活躍した後に他社へ譲渡されたが、熊本電気鉄道で廃車となった車両を譲り受け、1983年に開業当時の状態に復元された。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
003_230614011 X900 小田急ロマンスカーミュージアム G7X.jpg 3.SE 3000形 ポスター
  1957年7月6日より、高性能特急専用車両として登場した"Super Express car"の営業運行が開始された。すぐに夏休みに入ったこともあって、連日満席となる好成績となり、営業的にも成功であったとか。wikipediaによれば、ロマンスカーという名称は、終戦後の1949年頃に、新宿の映画館「新宿武蔵野館」を復旧改装するにあたり、恋人同士の映画鑑賞を企図して2人掛けの座席を館内2階に設けたところ「ロマンスシート」としてマスメディアに取り上げられた。その頃に運行を開始した小田急の特急車両が2人掛けの対面座席を採用したことから「ロマンスカー」と称され、「小田急ロマンスカー」と命名された。その特急車両の外部塗色は濃黄色と紺色の2色塗りとすることになった。わたくしの記憶にも残っている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/160秒 22mm ISO3200 ) 露出補正 なし
004_230614012 X900 小田急ロマンスカーミュージアム G7X.jpg 4.SE 3000形
1階の小田急電鉄はじまりの車両「モハ1」のわきを抜けるとロマンスカー ギャラリー(展示会場)になる。5種のロマンカーが展示されていた。「画期的な軽量高性能新特急車」は、1957年に3000形として登場した。この3000形は "Super Express car" 、略して「SE車」と呼ばれる車両で、数多くの新機軸が盛り込まれ、軽量車両で安全に走行するための条件が徹底的に追求された、低重心・超軽量の流線形車両であった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 なし
005_230614016 X900 小田急ロマンスカーミュージアム G7X.jpg 5.NSE 3100形の社内
展示されている車両の車内に入ることもでき、シートに座ってみることもできる。前を見ると運転席に上がる梯子が見えた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 17mm ISO3200 ) 露出補正 なし
006_230614019 X900 小田急ロマンスカーミュージアム G7X.jpg 6.連絡急行「あさぎり」
1968年7月1日からは、御殿場線直通列車が気動車からSE車に置き換えられ、愛称も「あさぎり」に統一された。「急行」の表示板が付いている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 22mm ISO3200 ) 露出補正 なし
007_230614021 X900 小田急ロマンスカーミュージアム G7X.jpg 7.「あさぎり」SE 3000形
反対側に回って、SE 3000形の正面を撮る。「乙女」号のプレートが付いた先頭車(写真4)と表情が違う。1950年のロマンスカー運転開始当初(SE車が投入される以前)はたくさんの愛称を持っており、朝一番から「あしがら」「明神」「はこね」「乙女」と往復毎に別の愛称を持っていたという。1960年(SE車投入以降)には16往復全部違う愛称の「あしのこ」「明星」「あしがら」「さがみ」「大観」「仙石」「はつはな」「湯坂」「明神」「はこね」「乙女」「神山」「姥子」「金時」「早雲」「夕月」と、愛称のインフレーションを起こしていたという。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 17mm ISO640 ) 露出補正 なし
008_230614022 X900 小田急ロマンスカーミュージアム G7X.jpg 8.NSE 3100形
 "New Super Express" 略して「NSE」という愛称が設定され、1964年には鉄道友の会よりブルーリボン賞を授与された小田急線で初めて展望席と2階の運転席を導入した車両である。先頭車2両と中間車1両が展示されている。先頭車には「さがみ」と「さようなら3100形NSE」と表示されていた。1963~1999年に運用された。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO2000 ) 露出補正 なし
009_230614025 X900 小田急ロマンスカーミュージアム G7X.jpg 9.HiSE 10000形
1987~2012年に運用された眺望性に優れた大きな窓とハイデッカー構造が特徴の車両である。先頭車1両が展示されており、ロマンスカーの特徴のひとつである連接台車も見られた。2012年に運用を終えた、いわば4代目の特急用車両である。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/1000秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
010_230614026 X900 小田急ロマンスカーミュージアム G7X.jpg 10.HiSE 10000形 の社内
車内に入り、HiSE 10000形 の展望席を見ることができた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/1000秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 なし
011_230614028 X900 小田急ロマンスカーミュージアム G7X.jpg 11.HiSE 10000形 の先頭車
大きな窓とともに、展望席を除く全ての客室を高床化した車両である。1988年には鉄道友の会よりブルーリボン賞を授与された。1987年は小田急の開業60周年となることから、これを記念すべく新形特急車両を増備することになった。この当時、観光バスなどで高床車(ハイデッカー)が導入されており、他鉄道事業者の車両においても高床構造の観光用車両が登場していた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
012_230614030 X900 小田急ロマンスカーミュージアム G7X.jpg 12.RSE 20000形
1991~2012年に運用された。JR御殿場線への乗り入れのために新たに製造された車両で、小田急線で初めて2階建て構造の客席が導入された。先頭車1両と中間車1両が展示されている。小田急では、1955年から御殿場線へ直通する列車をキハ5000形気動車により運行を開始し、御殿場線が電化された1968年7月以降は8両連接から5両連接に短縮したSE車を使用して連絡急行「あさぎり」として運行していた。小田急とJRの間で相互直通運転に関する協議が進められることになった。この協議の中で、特急に格上げした上で運行区間も新宿 - 沼津間に延長し、あわせて2社がそれぞれ新形車両を導入した上で相互直通運転に変更することとなり、登場したのがこのRSE車20000形である。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO800 ) 露出補正 なし
013_230614033 X900 小田急ロマンスカーミュージアム G7X.jpg 13.RSE 20000形 サービスコーナー
車内販売の基地となるサービスコーナーは、3・4号車の平屋部分に設けた。カウンター内には特別席のコールボタン表示盤が設置された。また、列車内専用の車椅子をサービスコーナーに常備した。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/1000秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 なし
014_230614034 X900 小田急ロマンスカーミュージアム G7X.jpg 14.RSE 20000形 セミコンパートメント
4号車階下席に扉はないが、個室があった。セミコンパートメントが3室設置され、富士山麓をイメージするグリーン系の配色でコーディネイトされている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
015_230614040 X900 小田急ロマンスカーミュージアム G7X.jpg 15.LSE 7000形
1980〜2018年に運用された LSE 7000形 は3代目のロマンスカーとして造られた。先頭車1両が展示されている。愛称は"Luxury Super Express"である。一方、観光客以外の日常利用が増加していたほか、1967年から開始された夕方新宿発の通勤用特急は増発が続けられ、このLSE 7000形も使用された。直線的でスピード感のあるフォルムが特徴の車両で、2018年まで長きにわたり運用された。新宿発17時以降の通勤特急ロマンスカーを平日18本、土休日18本運行している。LSE7000形は、2018年7月10日に新宿駅および箱根湯本駅で記念式典を行った後、同日の「ホームウェイ83号」をもって定期運行を終了した。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 22mm ISO1250 ) 露出補正 なし
016_230614039 X900 小田急ロマンスカーミュージアム G7X.jpg 16.ロマンスカーギャラリー
ロマンスカーギャラリーには5車種が展示されていた。向かって一番左が、初代SE3000形、その右側に二代目のNSE3100形、そして、その手前に三代目のLSE7000が見える。初代SE3000形の奥にはHiSE10000形が、そして、ヒストリーシアタ-の覆いの影になって見えないが、一番右にはRSE20000形2両が展示されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/640秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
017_230614041 X900 小田急ロマンスカーミュージアム G7X.jpg 17.「乙女」「さがみ」「ホームウェイ」
こちら側からは、初代SE 3000形の「乙女」、次に二代目のNSE3100形には「さがみ」、一番右の三代目のLSE 7000形には「ホームウェイ」の先頭車表示が見られる。なお、現在、ロマンスカーとして運行している車両は1996年にデビューしたEXE 30000形 から、2018年にデビューしたGSE 70000形 まで4車種ある。2005年に運用開始された真っ白な美しい車体のVSE 5000形は、①アルミ合金押出形材によるダブルスキン構造の車体は溶接などの熱を加えての補修や修正が非常に困難で、修理に高度な技術や経験を要する。②連接構造や車体傾斜制御などに特殊な構造を多く採用しており、経年劣化に伴う主要機器の更新が難しく、性能を維持できないという問題点があり、更新工事を行わずに早期引退となることが決定され、2022年3月11日をもって定期運行が終了された。一度乗ってみたいと思っていたが、その機会もなく退役したのは残念だった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 なし

2023年3月 3日

日比谷公園と旧法務省赤レンガ② 2023年2月13日 旧法務省赤レンガ

法務省の赤レンガは以前にも通りがかりに眺めたことがあり、一度ゆっくり見てみようと思っていた。東京にある赤レンガの美しい建物を調べてみると、その法務省旧本館とともに、東京駅丸の内駅舎、三菱一号館美術館、立教大学 本館・礼拝堂ほか、東京藝術大学赤レンガ1・2号館、東京国立近代美術館工芸館、旧三河島汚水処分場喞筒場施設、旧醸造試験所第一工場、北区立中央図書館、ガスミュージアムなどが挙げられていた。勿論、三田山上の慶應義塾図書館もある。
 まだ見たことのないところもあるが、その中で法務省旧本館は、東京駅の丸の内駅舎とともに、東京の中心地にあってその姿が美しい。2012年に「保存・復原工事」を完了した東京駅丸の内駅舎はその後何度も見る機会があったが法務省旧本館は通りがかりに眺める程度だった。
 そこで、月1回の句会の機会に行ってみようと思ったのだ。館内に入って法務史料展示室も見学してきた。
 同じような写真ばかりだが、ぐるっと回ってきたので見ていただきたい。

000_230217116 X900 〇法務省午後 Z50 18-140.jpg
桜田通り霞が関方面から見た法務省旧本館正面
 2023年2月17日 東京都千代田区霞が関

023_230217030 X900 法務省 Z50 18-140.jpg 23.法務省旧本館 南側から
メトロの霞ヶ関駅を背に桜田通りを歩いていくと裁判所の大きな建物の向こうに赤レンガの建物が見えてきた。手前は南側に面しており、日が当たっている。右隣の新しい大きな建物が法務省本省が入っている1990年に竣工した地上21階・地下4階の合同庁舎6号館のA棟だ。所在地は赤レンガの旧本館とともに千代田区霞が関1-1-1である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/500秒 28mm ISO160 ) 露出補正 なし
024_230217031 X900 法務省 Z50 18-140.jpg 24.桜田通りから見た正面(入口)右側部分
桜田通りから見ると法務省旧本館の赤レンガは大きく3っの部分からなっている。写真はその右側(南側)の部分である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.3 1/500秒 35mm ISO200 ) 露出補正 なし
025_230217032 X900 法務省 Z50 18-140.jpg 25.桜田通りから見た入り口と中央部分
左の円柱のような塔が2つあるところが入口である。日の丸の旗の後ろ、入口から正面の5っのアーチがある一段高い部分が、ファサードだ。かつての司法大臣の執務室が法務史料展示室及びギャラリーとして、一般に無料公開されている。入口の職員の方に法務資料展示室の見学を申し出たところ、首にかける入館証を渡され、正面の建物中央にある見学者所受付に案内され、手荷物検査を受けた。そして、階段を上がって旧本館建物3階の一番左側(北側)にある資料室入口に案内された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f8 1/500秒 26mm ISO100 ) 露出補正 なし
026_230217036 X900 法務省 Z50 18-140.jpg 26.旧本館中央部分
桜田通り側の正面は西側に向いているので日陰になっている。写真を撮っていいところは決められていて、建物の写真は撮っても良いが、撮る場所は決められていた。この写真は門の中に入って撮っているが、正面から右側からは撮影不可になっていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
027_230217039 900 法務省 Z50 18-140.jpg 27.桜田通り
門の中から赤レンガの旧本館を背に桜田通り側(西側)を撮る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 25mm ISO110 ) 露出補正 なし
028_230217046m X900 〇法務省3F Z50 18-140.jpg 28.復原室(司法の近代化)
職員の方のあとについて3階まで上がり、法務資料展示室に入った。女性の係員の方がいらしたので、写真撮影について聞いてみると資料に近づいて接写することは不可だが、ノーフラッシュで全体を風景のように撮るぶんにはOKとのことだった。ここでは「法典編さんとお雇い外国人」という展示があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO450 ) 露出補正 なし
029_230217049 X900 法務省3F Z50 18-140.jpg 29.特別展示室
次の特別展示室には、明治23年(1890年)から昭和22年(1947年)まで使用されていた法服が展示されていた。写真は弁護士の法服である。法服が黒なのはこれ以上何にも染まらないという「公平の象徴」、胸元にある植物のツタの刺繍は「知識の象徴」を表している。刺繍が紫色は裁判官、赤色が検察官、白色が弁護士である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 なし
030_230217057 X900 〇法務省3F Z50 18-140.jpg 30.メッセージギャラリー -1
この部屋では「司法の近代化」「建築の近代化」に焦点を当てた「明治150年」特集展示(赤レンガ棟の建築資料の展示、我が国の司法制度の基盤形成に大きく貢献した先人の紹介、明治期に編纂された法典等貴重な署の展示)があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO1000 ) 露出補正 なし
031_230217063 X900 法務省3F Z50 18-140.jpg 31.メッセージギャラリー -2
ここは「世界の国民の司法参加」と題した展示がされていた。民意を裁判に取り入れようと考えたのが、後に「平民宰相」と呼ばれる原敬だった。司法当局の強硬な反対もあったが、原が1918年に首相となると、流れは変わり、陪審法案が作成され、原の暗殺後の1923年、ついに成立したという。ちなみに日本で最初に陪審制度を提言したのは福沢諭吉で、「西洋事情」書いている。また、福沢は1877年の西南戦争では、西郷隆盛ら薩摩軍を陪審裁判で審理するよう主張したという。裁判に国民が参加することは、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ロシアその他多数の国々で広く行われていると示されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO1400 ) 露出補正 なし
032_230217064 X900 務省3F Z50 18-140.jpg 32.裁判員制度の広域キャラクター
検察庁や裁判員制度というとどうしても堅いというイメージが強く、国民にとって近寄りがたい雰囲気がある。そこで,一人でも多くの人に検察庁や裁判員制度に関心を持ってもらい、説明会に参加して欲しいという検察庁職員の思いから考え出されたのが検察広報キャラクター達で、全国の高・地検において自然発生的に次々に誕生した。これは福岡高等検察庁の裁判員制度と書かれたハッピを着た「サイバンインコ」。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO900 ) 露出補正 なし
033_230217065 X900 法務省 Z50 18-140.jpg 33.法務省旧本館ファサード
10時45分、ほんのわずかな時間だったが、資料室を見学して赤レンガ旧本館の外に出た。句会の会場に行く。法務省旧本館の正面からの写真を撮ることができなかった。建物は大きくて全体を撮るには収まりきらない。あとで気が付いたのだが、全体を撮るには桜田通りを渡って道路の反対側から撮る以外になかった。桜田通りは交通量も多く考えつかなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
034_230217067 X900 〇法務省 Z50 18-140.jpg 34.桜田通りを桜田門へ
門を退出し、法務省旧本館に沿って桜田通りを内堀通りの方へ歩く。写真は法務省旧本館の内堀通り寄りの赤レンガだ。法務省旧本館は近代国家体制整備の一環により、司法庁舎として、米沢藩上杉家上屋敷跡地に明治28年に竣工した。ドイツ人建築家によるドイツネオバロック式で、中央部分の5連アーチのあるファサードが特徴だそうだ。ドイツ風の歴史的建造物である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 65mm ISO100 ) 露出補正 なし
035_230217071 X900 法務省 Z50 18-140.jpg 35.門
退出した門を振り返る。法務総合研究所、法務図書館、公安審査委員会の看板がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
036_230217073m X900 務省 Z50 18-140.jpg 36.法務省旧本館の南側
門のわきから中央ファサードと南側の棟を見る。その向こうは裁判所の建物だ。法務省旧本館は、昭和20年3月に戦災のため、レンガ壁を残して、屋根や床などが焼失したため、昭和23年から2年あまりで復旧工事を行い、屋根などの形状や材質が一部変更されて、法務省本館として使用されていた。平成3年に復原改修工事が始められ、平成6年に明治時代の創建当時の姿に復原されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f10 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
037_230217080 X900 〇法務省 Z50 18-140.jpg 37.法務省旧本館 法曹会館側
  この3階部分に法務資料展示室とメッセージギャラリーがある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 37mm ISO110 ) 露出補正 なし
038_230217081m X900 〇法務省 Z50 18-140.jpg 38.法務省旧本館 法曹会館側の側面 -1
正面からは裏側になる。午前中の光を浴びて建物は映える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/500秒 34mm ISO100 ) 露出補正 なし
039_230217085 X900 法務省 Z50 18-140.jpg 39.法務省旧本館 法曹会館側の側面 -2
旧本館に沿って内堀通りを進む。内堀通りを日比谷公園の祝田門から公園の中に入って、松本楼、京橋の欄干柱を見ながら西幸門を出て、句会の会場に向かった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 96mm ISO100 ) 露出補正 なし
040_230217119 X900 〇法務省午後 Z50 18-140.jpg 40.午後の法務省旧本館
3時少し前に川柳の句会が終わった。午前中は光が当たらなかったので午後の赤レンガを見たいと思い、再挑戦することにした。午前中と同じルートを歩いていく。お日さまはもう傾きかけていた。囲いがあるのでカメラを頭の上に掲げて撮った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
041_230217121 X900 〇法務省午後 Z50 18-140.jpg 41.午後の日を受けるファサード -1
午前中とは違った印象があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/500秒 27mm ISO100 ) 露出補正 なし
042_230217125t X900 〇法務省午後 Z50 18-140.jpg 42.午後の日を受けるファサード -2
門の前を通り過ぎてお濠の方へ寄ったところから撮る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.0 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
043_230217127 X900 〇法務省午後 Z50 18-140.jpg 43.午後の日を受けるファサード -3
資料室でいただいたガイドブックには、「明治政府は諸外国との条約改正に先立ち、近代国家としての体制を整えるため、明治19年(1886年)に西洋式の見地奥による官庁集中計画に着手しました。日本が欧米諸国と肩を並べられる内容と法制度を持った国であることを示すために、建築物ほど視覚的にアピールするものはないと考えたのでした。そして、その計画案策定のために、ドイツの高名な建築家で、共同の建築事務所を開いていたエンデとベックマンを招聘しました。」と説明されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
044_230217130 X900 〇法務省午後 Z50 18-140.jpg 44.午後の日を受けるファサード -4
北側へ回ってみると、西日を浴びた正面全体を映しこむことができた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.0 1/500秒 38mm ISO110 ) 露出補正 なし
045_230217134 X900 〇法務省午後 Z50 18-140.jpg 45.法務省旧本館 北面
内堀通りを右へ、日比谷公園の方へ曲がる。この先右側に法曹会館がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.0 1/500秒 27mm ISO110 ) 露出補正 なし
046_230217135 X900 〇法務省午後 Z50 18-140.jpg 46.桜田通りから -1
振り返ると桜田門が見えたので、ちょっと寄ってみることにした。交差点をお堀の方へ渡る。そこから見た赤レンガだ。どう撮れるかわからないが、桜田通りを警視庁の方に戻って、法務省旧本館を正面から撮ってみるべきだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 27mm ISO100 ) 露出補正 なし
047_230217136 X900 〇法務省午後 Z50 18-140.jpg 47.桜田通りから -2
赤レンガの北側を撮った。ここの3階に法務史料展示室があった。このあと、桜田門を見て、戻って再び日比谷公園に入り、内幸町から都営三田線に乗った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/500秒 76mm ISO160 ) 露出補正 なし

2023年2月27日

日比谷公園と旧法務省赤レンガ① 2023年2月13日 日比谷公園と桜田門

学生時代の先輩・後輩・同期の20名ほどの川柳の会に3年位前から入れていただいている。わたくしは川柳など詠めるセンスは、全くないと思っているのだが、学生時代同じ釜の飯を食った仲間と楽しく過ごせる時間が持てるのがうれしい。座長さんは昨年90歳を迎えられた大先輩でいくつかの俳句の会で活躍されていて、指導してくださる。川柳の会といっても、五七五なら何でもよいという緩い会なのがよい。毎月各人が6句発句し、座長に提出する。何より楽しみなのが集まったその月の句を選句する句会である。食事をし、お酒が入って口が滑らかになったところで、各人思ったことを言っていく。最近はレベルが上がってきて、句を解釈していく過程がとても勉強になる。そのほかにわたくしが毎月1葉の写真を提供し、その写真をもとに五七五を作る「フォト575」というコーナーもある。「フォト575」にも毎月30句近く集まるが、写真がどう詠まれるか、私にはとても興味がある。
 前置きが長くなったが、毎月の句会が行われる場所が、日比谷公園のすぐ近くにある。先日、前夜の気温が氷点下だった日に、日比谷公園の鶴の噴水につららができたと報じられた。翌日に予定されていた句会の日に、いつもより1時間半ほど早く家を出て行ってみたが、その日は朝から暖かく晴れていて気温が上がりダメだった。
 もう一つ写真を撮りたいところがあった。それは旧法務省のレンガ造りの建物である。ただ、午前中は光が逆になり、難しかった。句会は11時半から2時半くらいまで行われる。終わったあと、光の具合はどうかと再挑戦してみた。日が落ちるのは早く太陽が傾くのも早い。
 日比谷公園と法務省の赤レンガの建物に分けて載せる。

000_230217010 X700 日比谷公園 Z50 18-140.jpg
鶴の噴水 2023年2月17日 東京都千代田区 日比谷公園

001_230217001 X900 市政会館 Z50 18-140.jpg 1.市政会館
都営三田線の内幸町駅で下車し日比谷通りと国会通りの交差点に上がる。国会通りを官庁街の方へ歩く。右手に見えるのが市政会館だ。市政会館は後藤・安田記念東京都市研究所が本拠としており、かつて同盟通信社や、その後身の時事通信社が本社を置いたことで知られる。1920年12月に東京市長に就任した後藤新平は、地方自治についての調査・研究を行う独立公正の機関の新設を構想した。建築家8人による指名設計競技の結果、佐藤功一の案が採用され、これをもとに清水組(現・清水建設)が施工し、1929年10月19日に落成した。東京都選定歴史的建造物、千代田区景観まちづくり条例に基づき「景観まちづくり重要物件」に指定されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
002_230217006 X900 日比谷公園 Z50 18-140.jpg 2.鷗 かもめ
まっすぐ祝田通りとの交差点まで行き、国会通りを右へ渡って西幸門から日比谷公園に入る。そこに噴水があり、噴水の中央に彫刻があった。「鷗 かもめ 1986年 作者 淀井敏夫」と書かれたプレートがあった。日比谷公園は、1901年(明治34年)、辰野金吾により本多静六が推挙され、石黒忠悳、福羽逸人、小沢圭次郎等とともに日比谷公園造園委員会が設置され、1902年(明治35年)4月に着工。翌年6月1日に仮開園を迎えたそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
003_230217014 X900 〇日比谷公園 Z50 18-140.jpg 3.雲形池と鶴の噴水
これが鶴の噴水だ。wikipediaによれば、公園のほぼ全域、および公園以東、有楽町駅周辺にかけての一帯は、安土桃山時代以前には日比谷入江と呼ばれる海域だった場所であり、徳川幕府による江戸の都市開発にあたり、神田山の開削で得られた土砂などを使って埋め立てられたものである。現在でも日比谷公園の標高は銀座や霞ヶ関より1mほど低い。鶴の噴水は津田信夫と岡崎雪聲の共作により、開園間もない1905年に完成している。午前中の光は穏やかだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.0 1/500秒 63mm ISO560 ) 露出補正 なし
004_230217017m X900 〇日比谷公園 ハクセキレイ Z50 18-140.jpg 4.ハクセキレイ
雲形池の周囲には野鳥が多かった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 140mm ISO250 ) 露出補正 なし
005_230217022m X900 〇日比谷公園 シジュウカラ Z50 18-140.jpg 5.シジュウカラ
数羽のシジュウカラもいた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 140mm ISO250 ) 露出補正 なし
006_230217026 X900 日比谷公園 ヒヨドリ Z50 18-140.jpg 6.ヒヨドリ
ヒヨドリは都会でよく見る個体数の多い野鳥だ。全長は約27.5 cm。飛ぶ姿は大きく見える。wikipediaによれば、日本では周年見られるが、春および秋には渡りが各地で確認される。秋には国内暖地へ移動する個体も多く、10-11月には渡りが日本各地で観察され、房総半島南端、伊良湖岬のほか、関門海峡では1,000羽を越えて渡る群れも観察されるという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/650秒 82mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_230217103m X900 〇スズメ 日比谷公園 Z50 18-140.jpg 7.スズメ
スズメは群れになっているところを見る機会が多いが、この個体はそうではなかった。最近スズメの数が減ってきているように思うが。wikipediaに、「鳥類の行動や生態を研究している三上修らの推定によると、2007年のスズメの個体数は1990年ごろに比べて少なくとも半減、減少率を高く見積もると5分の1になったと考えられている。50年前の10分の1とも推定されている。しかし減少原因についてはよくわかっていないが、気密性の高い住宅の普及によって営巣場所が減少したこと、農村部でコンバインの普及によって落ち籾(もみ)が減少しそれによる冬季の餌が不足したことなどが可能性として挙げられている。また農村部と比べて都市部において巣立っているヒナの数が少ない傾向が見られており、都市化に伴う餌不足も、減少原因の候補として挙げられている。このように減少はしているが絶対的な個体数はまだ多く、現在の減少スピードであれば数十年後に絶滅してしまうことはないと言われている。」という記述があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/1000秒 130mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_230217111 X900 日比谷公園 松本楼 Z50 18-140.jpg 8.松本楼
日比谷公園を霞門からいったん出て、旧法務省の赤レンガの建物を見に行ってきた。資料展示室も大雑把に見学し、そろそろ句会の時間になるので再び公園に戻ってきた。一、二度利用したことがある松本楼があった。松本楼は1903年に東京市が現在の日比谷公園を開園するにあたり、銀座で食堂を経営していた小坂梅吉が落札し、日比谷松本楼として6月1日にオープンしたそうだ。終戦後、1951年11月にようやく接収が解かれ、松本楼は再スタートを切る。1971年11月19日、沖縄返還協定反対デモが日比谷公園内で激化し(日比谷暴動事件)、その中で中核派の投げた火炎瓶の直撃を受け、2代目建物も焼失の憂き目にあう。3代目松本楼のオープンは1973年9月26日と再建に約2年を要した。これを機に10円カレーが始まったとされる。わたくしも食べたことのある松本楼のカレーライスは後々まで有名になった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
009_230217112 X900 日比谷公園 松本楼 Z50 18-140.jpg 9.京橋の欄干柱
松本楼から、西幸門へ戻る途中に京橋の欄干があった。説明板には、「この石柱は、明治8年(1875年)築造された京橋の欄干柱(らんかんばしら)で、大正11年(1922年)架け替えの際にここに移されたものです。当時は、橋名を刻んだ親柱もありましたが、昭和9年(1934年)京橋の橋台地が整備されたときそちらへ移されました。」と説明されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f9 1/500秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
010_230217114 X900 〇国会通り 西幸門前 Z50 18-140.jpg 10.西幸門交差点から国会議事堂を見る
11時15分、国会通りの西幸門交差点に戻ってきた。句会の場所はこのすぐそばの建物にある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/1000秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
011_230217140 X900 〇桜田門 午後 Z50 18-140.jpg 11.桜田門
句会が終わり、午前中は逆光だった旧法務省の赤レンガの建物をもう一度撮りたいと思い、日比谷公園の霞門を抜けて桜田通りに出て、桜田門へ向け速足で歩いて行った。日が傾くのが早く、旧法務省の建物は思ったような写真は撮れなかった。桜田門の交差点から、濠を渡ったところに桜田門の高麗門が見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f9 1/500秒 30mm ISO110 ) 露出補正 なし
012_230217141 X900 桜田門 午後 Z50 18-140.jpg 12.桜田門 高麗門
wikipediaによれば、桜田門は、江戸城の内堀に造られた門の一つで桜田堀と凱旋堀の間にある。昭和36年(1961年)に「旧江戸城外桜田門」として国の重要文化財(建造物)に指定された。特別史跡「江戸城跡」の一画を占める。なお江戸城には内桜田門と外桜田門の2つが存在するが、前者は桔梗門とも呼ばれ、単に「桜田門」という場合には後者を指すことが多い。この門は1663年(寛文3年)頃建築 (寛政重修諸家譜による)、高麗門で、桜田門は本瓦葺髙麗門と櫓門からなる桝形を形づくっている。中に入る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4,5 1/500秒 26mm ISO100 ) 露出補正 なし
013_230217142 X900 桜田門 午後 Z50 18-140.jpg 13.桜田門 櫓門 -1
高麗門をくぐると右手に櫓門が見えた。櫓門は1663年(寛文3年)頃建築、脇戸付櫓門(寛政重修諸家譜による)、入母屋造、本瓦葺である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 31mm ISO140 ) 露出補正 なし
014_230217149 X900 桜田門 午後 Z50 18-140.jpg 14.桜田門 櫓門の門扉
現在の扉の釣金具には「寛文3年(1663年)」の銘が入っている。歴史を感じる重厚な門扉である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/500秒 36mm ISO5000 ) 露出補正 なし
015_230217150 X900 〇桜田門 午後 Z50 18-140.jpg 15.桜田門 櫓門 -2
櫓門の枡形の内側(西側)から撮った。装って写真を撮っている女性がいた。門の向こう側は祝田橋の方向だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 28mm ISO180 ) 露出補正 なし
016_230217159m2 X900 〇日比谷公園 Z50 18-140.jpg 16.アークライト灯の名残り
そろそろ帰ることにしよう。やはり、通いなれた内幸町から都営地下鉄三田線ー浅草線ー京浜急行で横浜に出ることを選択する。祝田門から再び日比谷公園に入る。そこにアークライト灯の跡があった。説明版には「この元アークライト灯は、開園当時の公園灯で園内には10基設置され、1200カンテラの明るさがあったといわれます。これ以外はガス灯70基が設置されていました。三笠山の裾にある水飲みと同じ鋳鉄製で統一されたデザインとなっており、両方とも明治の記念物として1基づつ園内に残っています。」と書かれていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 26mm ISO160 ) 露出補正 なし
017_230217163 X900 日比谷公園 午後 Z50 18-140.jpg 17.自由の鐘
この鐘は終戦直後、連合国軍総司令官だったマッカーサーの提案を受けた米国の市民有志が自由の恩恵を受ける社団法人日本新聞協会に寄付。協会は日比谷公園内に塔を造り、鐘とともに東京都に寄付して、1952年10月24日に安井誠一郎(当時)都知事により除幕式が行われたという経緯がある。しかし、中心部の振り子が失われたこともあり、鐘の音色を響かせることが久しく絶え、青銅製で高さ約1m、直径約1.2m、重さ約1トンある鐘を吊るす高さ約7.6mの塔全体も老朽化で傷んでいたが2011年10月1日に「自由の鐘修復募金委員会」により自由の鐘が60年ぶりに日比谷公園に復活した。英語で記された銘板があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 30mm ISO1250 ) 露出補正 なし
018_230217164 X900 〇日比谷公園 午後 Z50 18-140.jpg 18.午後の鶴の噴水
午後3時半を回っていた。雲形池の鶴の噴水に戻ってきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 65mm ISO180 ) 露出補正 なし
019_230217171 X900 ◎日比谷公園 ヒヨドリ 午後 Z50 18-140.jpg 19.鶴の噴水とヒヨドリ -1
高い木の梢に止まっているムクドリが噴水に舞い降りてくる。勢いよく水を吹く鶴の像の右足元(写真では左側)に羽を広げたムクドリが見える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 140mm ISO1100 ) 露出補正 なし
020_230217194 X900 ◎日比谷公園 ヒヨドリ 午後 Z50 18-140.jpg 20.鶴の噴水とヒヨドリ -2
また、一羽、今度は左足先に来た。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 140mm ISO800 ) 露出補正 なし
021_230217202 X900 市政会館 午後 Z50 18-140.jpg 21.市政会館 入り口
日比谷公園の中を通って市政会館まで戻ってきた。ここは国会通り側の入り口である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/500秒 35mm ISO4000 ) 露出補正 なし
022_230217203 X900 市政会館 午後 Z50 18-140.jpg 22.市政会館 日比谷公園側から
1923年の関東大震災後の2029年に竣工したこの建物は、1961年6月から1965年8月に近代化に向け主要附帯設備増・改築工事が実施された。こちらの門は閉ざされている。市政会館の建物は日比谷公会堂(写真の右側部分)が併設され、「市政会館」「日比谷公会堂」は両者が一体となっている珍しい建築物である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし

2022年5月 5日

成田市さくらの山 4月13日

学生時代、私は卓球部に籍を置いたが、そのOB有志で年3回、成田空港の近くのオークヒルズ・カントリークラブでゴルフコンペが続いている。その第49回が4月14日に開催されたのだが、大阪にお住いの最年長の先輩が久しぶりに参加されるということで、桐生、京都、広島、名古屋からも集まり、ほぼ90歳の先輩4名とその奥様を含め、成田のホテルに泊まり前夜祭が行われ、19名が参加した。翌日は総勢33名のコンペだ。第1回は31名が参加して、2005年8月10日開催され、以来、同じメンバーで幹事をしてくれている。感謝だ。
 前夜祭は夕方集合だったが、その前に成田市さくらの山というところへ行って見ることにした。コロナ禍で飛行機の離着陸の頻度はどうなのかと危惧したが、心配することはなかった。
 ところが、Nikon Z 50 で撮ったのだが、大失敗をしてしまった。私はシャッタースピード下限を1/500秒に設定してプログラムオートで撮るのだが、ケースから取り出した時、ダイアルが動いてしまいシャッタースピード優先になっていた。しかもそのシャッタースピードは1/100秒である。その日に泊るホテルに入ってから気が付くありさまで、お粗末である。その結果、ほとんどがf22以上になってしまっていた。デジタルカメラでは絞りすぎは禁物だ。その理由は回折現象による解像感の低下が起こるからだ。従って本来ならもっとクリアに撮れるシーンがボヤっとなってしまった。反省。
 wikipediaによれば、成田市さくらの山は、成田国際空港のA滑走路16R至近の高台に位置する。元々ただの空き地で、一部の人にだけ知られていた航空機観覧スポットであった。その後、成田市が新東京国際空港公団(後の成田国際空港株式会社)と土地の無償貸借契約を結んで公園として整備した。地元住民らで組織する「さくらの山管理企業組合」が指定管理者として運営を担当している。
 公園の展望デッキからは、A滑走路を離着陸する飛行機を間近で見学する事が出来る。そのため、家族連れや航空ファンが訪れ、スポッティングや撮影が行われる。「千葉眺望100景」のひとつにも選ばれているそうだ。周囲には散策路が設けられ、花が植えられ、散歩をするのにもよい。

000_220413071 X700 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg
成田国際空港のA滑走路に着陸する全日空スターアライアンス機 2022年4月13日 千葉県成田市

001_220413001 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 1.離陸するデルタ航空機
日本国内では最長の4,000mある A滑走路の北側の端に成田市さくらの山がある。この場所は北風の時は離陸する飛行機の真下になり、南風の時は着陸する飛行機の真下になる。この日飛行機は北から南へと離陸していった。駐機場から出てきた飛行機は、A滑走路の北の端、すなわち、さくらの山のすぐ近くから発進していき、2kmほど先で離陸していく。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f20 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
002_220413005 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 2.デルタ航空機の離陸
A滑走路の北の端で一旦停止し、すぐエンジンをふかして離陸していった。地面を離れるところは遠い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f25 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
003_220413007 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 3.エアーチャイナ(中国国際航空)機
エアーチャイナのエアバスA330-300 が駐機場から出てきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f22 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
004_220413010 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 4.エアーチャイナ(中国国際航空)機 離陸開始
向きを整え、一旦停止する。離陸に必要な距離は、実際には搭載燃料や乗客の数、そして天候にも左右されるが、ボーイング737などの小型ジェット機は約1800m、ボーイング767などのワイドボディ機は約2000m、ボーイング747やA380などの大型機は3000m程度の距離が必要となる。A330-300はワイドボディの双発ジェット旅客機で、座席総数311の中型機の部類に入る。2015年7月現在、1,095機のA330が民間航空路線に就航しているそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f25 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
005_220413018 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 5.ジェットスター航空機
ジェットスター航空(Jetstar Airways)は、オーストラリアのメルボルンに本社をおく国内線・国際線格安航空会社である。カンタス航空が、格安航空会社の現ヴァージン・オーストラリアに対抗するために設立した。カンタス航空グループ、日本航空(JAL)、三菱商事の3社が3分の1ずつ出資しての設立が予定され、2011年に設立されたジェットスター・ジャパン株式会社はA320を25機保有している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f22 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
006_220413026 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 6.ピーチ・アビエーション機 -1
wikipediaによれば、Peach Aviation株式会社は、関西国際空港を拠点とする日本の格安航空会社(LCC)である。ブランド名をPeach(ピーチ)としている。ANAホールディングス株式会社の連結子会社。2019年10月に同じANAグループ傘下のLCCであったバニラ・エアと経営統合したことにより、日本国内では最大規模を誇るLCCに成長した。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f25 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_220413027 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 7.ピーチ・アビエーション機 -2
機体にJA828Pという番号が見える。A320-214だ。この機材は2019年7月に登録されたようだ。ビーチ・アビエーションの機体のデザインは、ニール・ディナーリによるものだそうだ。現在運用中の機材は36機(A320-214 A320-251N)である。2021年12月に日本初エアバスA321LRを受領、関西国際空港に到着した。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f22 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220413033 X800 成田市さくらの山 ハナダイコン Z50 18-140.jpg 8.ハナダイコンの花畑
成田市さくらの山は公園になっている。周囲にはサクラが咲き、公園の中央にはハナダイコンの紫色の花がきれいに咲く花壇がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f11 1/100秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_220413044 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 9.フィリピン航空機
フィリピンのナショナル・フラッグ・キャリアである。イギリス・スカイトラックスによる航空会社の格付けで、「ザ・ワールド・フォー・スター・エアラインズ(The World's 4-Star Airlines)」(4つ星)の認定を得ているという。ここ機体はA321のようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f25 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
010_220413048 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 10.枝垂れ桜
サクラはほとんど終わってしまっていたが、枝垂れ桜がまだ花を残していた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f16 1/100秒 48mm ISO100 ) 露出補正 なし
011_220413053 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 11.京成電鉄
すぐそばを京成電鉄の電車が走っている。その音に、飛行機が着陸してくるのかと間違えてしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f10 1/100秒 48mm ISO100 ) 露出補正 なし
012_220413058 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 12.キャセイ・パシフィック ・カーゴ
今度はほんとに飛行機が着陸態勢で下りてきた。CATHAY PACIFIC CARGO の文字が見える。CTHAY PACIFICは香港のフラッグ・キャリアであり、香港を拠点とする航空会社。ジャンボジェットというボーイング747の貨物輸送機である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f22 1/100秒 47mm ISO100 ) 露出補正 なし
013_220413064 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 13.ジャンボジェット機 着陸
旅客用のジャンボジェット(B747)は全くと言ってよいほど見られなくなった。1970年のデビュー以来、「ジャンボ」の愛称で親しまれてきたボーイング747旅客型の生産がひっそりと終わろうとしている。 燃費が良く騒音がより小さい新鋭機に押され、表舞台から立ち去る時が目前に迫っているようだ。現在、JALの747型機は全て引退しており、ANA(全日空)からも旅客型の747はすべて引退している。日本のエアラインや航空自衛隊が保有する現役の旅客型747は日本国政府専用機のみが残っていた。その政府専用機も、2019年(平成31年)4月よりB777-300ER型の政府専用機が運用されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f25 1/100秒 47mm ISO100 ) 露出補正 なし
014_220413066 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 14.アエロロジック機
今度は出発便である。初めて見る航空会社の名称だった。アエロロジック(AeroLogic)は、ドイツ、ライプツィヒ近郊のシュコイディッツを拠点とする貨物航空会社。DHLエクスプレスとルフトハンザ・カーゴの合弁事業として設立された.。ボーイング777のようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f25 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_220413074 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 15.着陸する全日空機 -1
今度は全日空のスターアライアンス機が着陸してきた。大きい。ボーイング787だ。次世代の長距離用中型ワイドボディ機。両翼にそれぞれ1基ずつ、計2基のターボファンエンジンを装備する双発機である。愛称は「ドリームライナー(Dreamliner)」という。全日空で就航して10周年になるそうだ。スターアライアンスは、1997年に5つの航空会社によって設立された世界初の航空連合という。現在、スターアライアンスには26の航空会社が加盟している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f22 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
016_220413076 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 16.着陸する全日空機 -2
ぐっと機首を下げて、着地した。海外旅行をして、何回か現地の航空会社の飛行機に乗る機会があったが、衝撃の少ない上手な着陸をすると、客席から一斉に拍手が起こった、日本では経験したことがないので、とても印象的だったのを思い出す。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f29 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
017_220413083 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 17.東京都交通局の車両
飛行機の撮影は終わりにして、成田市さくらの山を少し歩いてみた。推定樹齢200年というソテツの木があった。そのソテツは、第30代内閣総理大臣であった斎藤實元首相のお孫さんである斎藤進一氏から、成田市に寄贈されたという。私は、自宅近くで秋にクロマダラソテツシジミを見るようになってソテツの木に興味を持つようになった。京成電鉄の跨線橋まで行って見た。金網越しに撮った。この車両は東京都交通局の車両である。都営三田線が京成本線に乗り入れているのだ。そろそろこの夜宿泊をするホテルへ入ろうと思い、成田市さくらの山を引き上げることにした。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f14 1/100秒 110mm ISO100 ) 露出補正 なし


2022年5月 1日

小石川後楽園 4月11日

ここのところ良い天気が続いている。この日も悪くない。気温も上がりそうだ。
 東京大学大学院理学系研究科附属植物園である小石川植物園へツマキチョウの写真を撮りに行こうと、横浜から京浜急行、都営浅草線、都営三田線と乗り継いで白山で下車、10分ほど歩いて、門までたどり着く。ところが門は閉まっている。月曜日は休園日だったのだ。事前にチェックしておらず、失敗だ。それなら、目黒の都立自然教育園へ行こうと思い、念のためスマホで調べてみたところ、そこも月曜日は休園日である。
 しかたなくいったん白山駅まで戻り、どうしようかと考えた結果、この近くにある都立文化財庭園である、特別史跡・特別名勝の小石川後楽園へ行って見ることにした。都営三田線を一駅乗って春日で下りた。駅から白山通りに上がって、左を見たところ、蒟蒻閻魔(常光山源覚寺)が目に入った。お参りしていく。
 源覚寺の前の通りを南へ、東京ドームに向かって歩く。三叉路になっている後楽園駅前交差点を右(西)へ歩いて行くと、小石川後楽園の築地塀が見えてきた。塀に沿って、左に曲がると小石川後楽園の入り口があった。丁度12時になっていた。
 小石川植物園から小石川後楽園に変更したが、間違えてくる人もいるらしい。それこそ、月曜日だったためか園内は人は少なく静かだった。
 約1時間半歩いて、ひと汗かいた。ここはチョウの撮影は不向きである。キアゲハなども飛んでいたが、撮影できる状況ではない。庭園散策の一日になった。

000_220411098 X700 〇小石川後楽園 内庭 アオサギ Z50 18-140.jpg
小石川後楽園 内庭(うちにわ) 2022年4月11日 東京都文京区

001_220411010 X800 蒟蒻閻魔 常光山源覚寺 Z50 18-140.jpg 1.常光山源覚寺
都営三田線春日駅のすぐそばにあった常光山源覚寺。このお寺は再来年に開山400年になるそうだ。寛永元年(1624年) に定誉随波上人(後に増上寺第18世)によって創建された。本尊は阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)。特に徳川秀忠、徳川家光から信仰を得ていたという。参拝者も多く見受けられた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 25mm ISO180 ) 露出補正 なし
002_220411002 X800 蒟蒻閻魔 常光山源覚寺 Z50 18-140.jpg 2.常光山源覚寺の焔魔堂
江戸時代には四たび大火に見舞われ、特に天保15年(1848年)の大火では本堂などがほとんど焼失したといわれている。しかし、蒟蒻閻魔像や本尊は難を逃れたそうだ。その後も、関東大震災や第二次世界大戦からの災害からも免れている。焔魔堂の手前左手にある現在の本堂は1979年に再建されたものである。閻魔堂に安置されている「えんま王木造坐像」(文京区指定有形文化財)は、文京区の調査によると運慶派の流れをくむ鎌倉時代の作と考えられ、銘文には寛文(1672年)に仏師により修復されたことが記されているそうだ(像高約1m・ヒノキ材の寄木造り)。かがみこむようにして閻魔像を拝むように手を合わせた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO720 ) 露出補正 なし
003_220411011 X800 小石川後楽園 Z50 18-140.jpg 3.小石川後楽園 北側の門
小石川後楽園の塀に沿って歩いて行くと、落ち着きのある門が見えた。後で園内図を見たが、この門の名前はなく、場所的には団体休憩所の辺りと思う。普段は使用されていないようである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 23mm ISO320 ) 露出補正 なし
004_220411019 X800 小石川後楽園 西側築地塀の石垣 Z50 18-140.jpg 4.小石川後楽園の西側築地塀
角を曲がって、後楽園の西門入り口に向かって歩く。左側に石垣が積まれた築地塀が続く。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 23mm ISO320 ) 露出補正 なし
005_220411153 X800 小石川後楽園 石積 Z50 18-140.jpg 5.築地塀の覆いの瓦
築地塀の上部は瓦で覆われているが、そこにある家紋は徳川家の家紋である見慣れた三つ葉葵ではない。水戸徳川家であれば、当然、家紋は三つ葉葵だが、瓦の紋はそれとは異なる。これは六葉葵と呼ばれるもので、徳川家の裏家紋であるのだそうだ。なぜ裏家紋を使用したのか。一説に、2代光圀の時代といえば将軍は4代家綱、5代綱吉であり、政治の実権は幕府老中が握っていた。その老中たちが御三家の影響力を牽制するため、「御三家といえども、将軍家と同じ紋所を多用するは恐れ多い」と遠慮させたというが。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 41mm ISO1100 ) 露出補正 なし
006_220411017 X800 小石川後楽園 西側築地塀の石垣 Z50 18-140.jpg 6.築地塀の石垣
築地塀を支えている石垣を見ると、石に山という字を〇で囲った刻印があるのを見つけた。入り口である西門の前に来るとその説明板があった。それによると、小石川後楽園西側築地塀の石垣の一部は江戸城鍛冶橋北側外堀跡から出土した石垣の石材を使い、この後楽園が造られた江戸時代初期の「打ち込み接ぎ」と呼ばれる石積みの技法にて再現されている。石材には備中(岡山県)成羽藩主の(山) をはじめ、石垣を築いた大名を表す「刻印」や石割の際の「矢穴」が残っていると説明されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 41mm ISO1100 ) 露出補正 なし
007_220411022 X800 小石川後楽園 西門 Z50 18-140.jpg 7.小石川後楽園西門 入り口
1629年(寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が作庭家・徳大寺左兵衛に命じて築いた庭園を、嫡子(2代藩主)の光圀が改修、明の遺臣朱舜水(朱之瑜)の選名によって「後楽園」と命名して完成させた。名前の由来は中国の笵仲淹「岳陽楼記」の「(仁人は)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から名づけられた。1869年(明治2年)の版籍奉還により水戸藩邸は新政府によって接収され、敷地の東側に軍需工場である東京砲兵工廠が建設された。西側の庭園部分は保存されることになり、戦後、1952年(昭和27年)に文化財保護法に基づく国の特別史跡および特別名勝に指定された。(wikipediaを参照)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220411031 X800 小石川後楽園 西門 Z50 18-140.jpg 8.小石川後楽園西門 入園受付
右手の受付で、入園料をお支払いする。65歳以上は150円だった。正午になっていた。左手に簡単な食事のできる店があった。空いてはいたが、入らなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO140 ) 露出補正 なし
009_220411133 X800 小石川後楽園 一つ松 Z50 18-140.jpg 9.一つ松
西門出入口を入って進むと、正面に大泉水という大きな池が広がっていた。そのほとりに立派な松が植わっている。この松は一つ松と呼ばれ、琵琶湖を模した大泉水に対し、近江大津の「唐崎の一つ松」を模したと伝わる。何度か植え替えられているが、二代藩主の光圀が大切にした松と言われるとの説明板があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
010_220411036 X800 小石川後楽園 Z50 18-140.jpg 10.大泉水の徳大寺岩
大泉水は後楽園の中心ともいうべき池で、蓬莱島と竹生島を配し、琵琶湖を見立てて造られたとのこと。蓬莱島の右側(南)、池のほぼ中央に大徳寺岩があり、その岩にアオサギがいた。カワウらしき黒い鳥もいる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO400 ) 露出補正 なし
011_220411038 X800 小石川後楽園 Z50 18-140.jpg 11.大泉水のサクラ
一つ松の南側、大泉水のほとりに枝垂れ桜が咲いていた。南側は外堀通りだが、大きなビルディングが建ち並ぶ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 104mm ISO200 ) 露出補正 なし
012_220411045 X800 小石川後楽園 シャクナゲ Z50 18-140.jpg 12.白いシャクナゲ
北側の白糸の滝、愛宕坂の方へ歩いて行くと白いシャクナゲが咲いていた。白糸の滝は六代治保の時に造られたそうだ。その様子が千条の白糸が垂れているように見えることから、この名がつけられたと説明されている。さらに北に歩くと、京都愛宕山の坂にならって造られた四十七段の石段があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 40mm ISO160 ) 露出補正 なし
013_220411048 X800 小石川後楽園 円月橋 Z50 18-140.jpg 13.円月橋
少し西側を流れる水に円月橋という石橋が見えた。水面に映る形が満月のように見えることから、円月橋という名称が付けられた。明の儒学者 朱舜水による設計と言われており、後で見た得仁堂とともに当時の姿をとどめる貴重な建造物であるとのこと。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO280 ) 露出補正 なし
014_220411059 X800 〇小石川後楽園 九八屋 カイドウ Z50 18-140.jpg 14.九八屋とハナカイドウ(花海棠)
この季節には見るべきものがない花菖蒲田や稲田を眺めながら、東の方へ歩く。九八屋という江戸時代の酒亭を復元した建物があった。もともとの建物は、江戸時代のもののようだったが、戦災により焼失し、昭和34年に復元され、現在に至っているそうだ。九八屋の解説文には、江戸時代の風流な酒亭の様子を備えていた。この名の由来は、「酒を飲むには、昼は九分、夜は八分にすべし。」と酒飲みならず、万事控えるを良しとする。との教訓による。と書かれていた。昼は九分、夜は八分の教訓から、九八屋とされているそうである。九八屋の脇に、ハナカイドウの花が咲いていた。ハナカイドウはカイドウとも呼ばれる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 24mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_220411101 X800 小石川後楽園 内庭 アオサギ Z50 18-140.jpg 15.内庭(うちにわ)
後楽園の東の端に、水戸藩の書院があったところに内庭がある。内庭は、回遊式の本格的な庭園に対して、あくまで御殿の部屋から眺めるための庭園であり、現代ではほぼ消滅している様式である。北側に見える東京ドームの横でひっそり佇む庭園は、実は江戸を今に残す奇跡の庭と言われる。アオサギが見えるが、先ほど大泉水からこちらに飛んできていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 34mm ISO125 ) 露出補正 なし
016_220411095 X800 小石川後楽園 内庭 唐門 Z50 18-140.jpg 16.唐門
唐門は、屋敷の書院から内庭を通り、後楽園に入る正式な入口であり、両脇には袖塀と脇塀が設けられていた。昭和20年(1945年)の空襲により焼失し、唐門基壇と石段、石積みが残されていたが、東京都では2019年3月から復元を進め、2020年12月19日、古写真や絵図をもとに井波彫刻協同組合(南砺市)が復元した欄間や妻壁6枚を組み込んだ唐門が完成している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO180 ) 露出補正 なし
017_220411126 X800 小石川後楽園 得仁堂 Z50 18-140.jpg 17.得仁堂
大泉水の南側を廻って、得仁堂という建物のあるところへ出た。この建物は、光圀18歳の時、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、伯夷、叔斉の木像を安置した堂だそうだ。得仁堂の名前は孔子が伯夷・叔斉を評して「求仁得仁」と語ったことによるという。関東大震災や戦災にも残った唯一の建物で、現在、伯夷・叔斉の木像は東京都が保管している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/400秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
018_220411140 X800 小石川後楽園 西湖の堤 Z50 18-140.jpg 18.西湖の堤
得仁堂から西門出入口に向かって歩くと、小さな池があり、中国の杭州の西湖にかかる堰堤を模した石造りの直線的な堤があった。後楽園以降に造られた大名庭園の「西湖の堤」の先駆けとなったと説明されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 30mm ISO400 ) 露出補正 なし
019_220411135 X800 小石川後楽園 通天橋 Z50 18-140.jpg 19.大堰川(おおいがわ)と通天橋
「大堰川の名は京都嵐山を想起して名付けられた。三代将軍家光の好みで造られたとされる。かっては神田上水の水を引き入れていた。両岸には蛇篭を伏せ、深山激流の趣を作っている。」と説明板にあった。その奥に朱色に塗られた通天橋が見えた。11月下旬の紅葉は朱塗りの橋を引き立てるという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 41mm ISO200 ) 露出補正 なし
020_220411144 X800 小石川後楽園 Z50 18-140.jpg 20.小蘆山
午後1時半になった。そろそろ引き上げよう。写真のような穏やかな丘があった。説明板には「中国の景勝地廬山に因み、京都東山の清水寺一帯は小廬山と呼ばれている。当園ではこの一帯を京都東山に見立てていることから小廬山と名付けられている。」と記されていた。何か気持ちが落ち着く眺めだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
021_220411156 X800 小石川後楽園 Z50 18-140.jpg 21.東京ドームシティ サンダー・ドルフィン
地下鉄の後楽園駅の方に向かって歩いて行くと、ジェットコースターが見えた。来ないかなと思って見ていると、てっぺんから下りて来るのが見えた。連写で撮る。ホームページでは「最大傾斜角度80度、130km/hで観覧車の中心をくぐり抜けるスリル」と訴えている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/800秒 120mm ISO100 ) 露出補正 なし


2013年10月19日

小石川植物園から、小石川後楽園へ 10月3日 


 小石川植物園の職員の方に大体の道筋を聴いて、小石川後楽園に向けて歩き始めた。 白山通りの一本西側の大きな道路を、後楽園に向けて歩く。後から分かったが、この道を西側に入ったところに伝通院があった。寄っていけばよかったなと後悔している。
  後楽園のドーム球場の屋根が見えてきた頃、行く手右側に「こんにゃくえんま」というところがあった。
 春日通との交差点を右に曲がると緑が濃いところがある。ここが後楽園かと思って行ってみると、そこは礫川公園というところだった。春日局の像がある。いったん戻って高架になっている地下鉄丸ノ内線の下をくぐって、今度こそ、小石川後楽園の塀を見ながら進み、塀に沿って南に進んで入口に着いた。
  ここは小石川植物園とは全く趣の異なる公園で、六義園にも似た感じがした。
 昼飯を食べるのも忘れて、2時少し前まで写真を撮って歩き、帰りは、春日駅から都営三田線に乗って横浜へ戻った。小石川植物園から小石川後楽園へと歩き回るには、少々暑いほどの陽気だったが、好天に恵まれ、楽しい一日だった。

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1.「こんにゃくえんま」
小石川植物園から20分ほど歩いた、後楽園駅の手前に「こんにゃくえんま」という石柱があり、のぞいてみると、奥の方にお堂が見える。ちょっと入ってみることにした。源覚寺というお寺だった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/500秒 4.4mm〈Equiv.135≑24mm〉 ISO100 ) 露出補正 -0.3段
「こんにゃくえんま」;クリックすると大きな写真になります。、
2.源覚寺閻魔堂
閻魔堂には、区指定有形文化財である閻魔王坐像が安置されていた。好物の「こんにゃく」を断って、閻魔大王に供え続けた老婆の目が治ったとの言い伝えから「こんにゃく閻魔」と呼ばれるようになったとのこと。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 6.4mm〈Equiv.135≑35mm〉 ISO320 ) 露出補正 +0.3段
源覚寺閻魔堂;クリックすると大きな写真になります。
3.春日局像
春日通を右に曲がったところに礫川公園というところがあり、その前に春日局像があった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 5.9mm〈Equiv.135≑32mm〉 ISO125 ) 露出補正 なし
春日局像;クリックすると大きな写真になります。
4.小石川後楽園西門
やっと小石川後楽園に着いた。水道橋川にある東門が表門のようだが、普段は閉鎖されていて、この西門が出入り口になっている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/800秒 4.4mm〈Equiv.135≑24mm〉 ISO100 ) 露出補正 なし
小石川後楽園西門;クリックすると大きな写真になります。
5.小石川後楽園受付(サービスセンター)
西門を入って右側の事務所で、入園料を払う。一般300円だが65歳以上は150円だった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/800秒 4.4mm〈Equiv.135≑24mm〉 ISO100 ) 露出補正 なし
小石川後楽園受付(サービスセンター);クリックすると大きな写真になります。
6.東京ドームと東京ドームホテル
中に入ると、正面に東京ドームの大きな銀色の屋根が輝き、その右側に東京ドームホテルが見えた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/750秒 7.0mm〈Equiv.135≑38mm〉 ISO100 ) 露出補正 なし
東京ドームと東京ドームホテル;クリックすると大きな写真になります。
7.回遊式庭園 小石川後楽園
さて、小石川後楽園は、旧水戸徳川家の江戸上屋敷の後園で、林泉美に富む回遊式築山、山水庭園である。江戸時代初め、徳川御三家の一つであった水戸藩初代藩主・徳川頼房(家康11男)は寛永6年(1629年)三代将軍家光から与えられたこの邸地に回遊式庭園を築造したのが始まりであるとされる。この池は大泉水といい、小石川後楽園のほぼ中央にある。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/160秒 185mm〈Equiv.135≑1000mm〉 ISO160 ) 露出補正 なし
回遊式庭園 小石川後楽園;クリックすると大きな写真になります。
8.円月橋
素晴らしく形の良い橋が架かっていた。水戸の黄門様・光圀が厚くもてなした明の儒学者朱舜水が設計したといわれる石橋で、水面に映る様子と合わせると満月のように見えるので、この名がつけられたという。英語の案内板もあった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 5.0mm〈Equiv.135≑37mm〉 ISO200 ) 露出補正 なし
円月橋;クリックすると大きな写真になります。
9.神田上水路
神田川から流れる、神田上水)が1590年に関口で分水され、小日向台、小石川台 のすそをまいて元水戸藩邸、現在の小石川後楽園にも分水された。曼珠沙華も咲くが、すでに枯れ始めている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/160秒 37.0mm〈Equiv.135≑200mm〉 ISO160 ) 露出補正 なし
神田上水路;クリックすると大きな写真になります。
10.八卦堂跡
2代水戸藩主の光圀が7歳のときに3代将軍家光に謁見したおり、「文昌星」像を頂戴した。「文昌星」は学問の神様で、光圀は八卦堂を造りその像を安置したと。その堂は大正12年の関東大震災で焼失したという。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/60秒 6.2mm〈Equiv.135≑34mm〉 ISO400 ) 露出補正 なし
八卦堂跡;クリックすると大きな写真になります。
11.藤田東湖護母致命之記念碑
安政2年(1855)の安政の大地震の際、水戸藩士の藤田東湖は母親を救出するため自らが犠牲となった。この記念碑は藩邸跡に建立されていたが、道路拡張の際にここ小石川後楽園へ移された。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/160秒 7.5mm〈Equiv.135≑40mm〉 ISO ) 露出補正 なし
藤田東湖護母致命之記念碑;クリックすると大きな写真になります。
12.曼珠沙華
曼珠沙華がきれいに咲いているところがあった。10m以上離れているが、ちらちらと蝶が飛ぶのが見える。望遠端で狙ってみた。肉眼で見ていた時はキアゲハか、アゲハか判別できなかったが、モニターで拡大してみるとアゲハだった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/250秒 185mm〈Equiv.135≑1000mm〉 ISO100 ) 露出補正 -0.7段
曼珠沙華;クリックすると大きな写真になります。
13.アオスジアゲハ
庭園の東側を歩く。アオスジアゲハが水に濡れた地面で吸水していた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/296秒 20.1mm〈Equiv.135≑110mm〉 ISO100 ) 露出補正 -0.7段
アオスジアゲハ;クリックすると大きな写真になります。
14.内庭
閉鎖中の正門の近くに内庭がある。一括りに後楽園と称されるが、その庭園は水戸藩邸の書院の庭である内庭と、それ以外の後園(後楽園)に分かれるそうだ。内庭は江戸に残る純粋な大名屋敷の庭園として非常に貴重な例と言われる。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/676秒 5.5mm〈Equiv.135≑30mm〉 ISO100 ) 露出補正 -0.3段
内庭;クリックすると大きな写真になります。
15.築地塀
午後1時45分、小石川後楽園を出た。都営地下鉄三田線の春日駅へ向かう。来るときにも歩いて来た道には、小石川後楽園の築地塀が続く。一部の基礎の石垣には江戸城鍛冶橋門北側外堀跡から出土した石垣の石材を使い、本園の作られた江戸時代初期の「打ち込みハギ」と呼ばれる石積の技法で再現されているという。石材には備中(岡山県)成羽藩主山 崎家の「山」という「刻印」が見られる。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 7.3mm〈Equiv.135≑40mm〉 ISO160 ) 露出補正 -0.3段
築地塀;クリックすると大きな写真になります。
16.鬼瓦
築地塀にはところどころに、葵の御紋のついた鬼瓦があり、葵の葉の変形文様の巴瓦がある。何気なく通り過ぎてしまうこの築地塀にも歴史があった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/288秒 28.0mm〈Equiv.135≑150mm〉 ISO100 ) 露出補正 -0.3段
鬼瓦;クリックすると大きな写真になります。