検索結果: Studio YAMAKO

このブログを検索

大文字小文字を区別する 正規表現

Studio YAMAKOで“世界文化遺産”が含まれるブログ記事

2021年12月25日

原鉄道模型博物館 1 of 4 11月27日

前回、原鉄道模型博物館へ行ったのは、2017年11月だった。その後、久しぶりに行って見ようと思って、ホームページを開いてみると、コロナ感染防止のため閉館になっていた。
 今年も秋になってようやくコロナ感染者数が減少し、10月1日に緊急事態宣言も全面解除となって、原鉄道模型博物館は10月14日に営業再開された。ただ、密にならないように、事前にチケットの購入が求められる。久しぶりに行って見たくなって、11月27日の10時の予約をとった。
 当日は開館時間前に10名ほどの列が出来ていた。子供さんを連れて来られているかたもいるが、むしろ大人の入場者が多い。この日は SONY RX10M4 を携行する。写真を撮りながら2時間ほど滞在した。写真撮影は許可されている。

000_211127004 X700 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg
JR九州の観光列車「在る列車」の原型となった模型のこと 2021年11月27日 原鉄道模型博物館

001_211127002 X800 原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 1.「在る列車」
wikipediaを見ると、明治時代末期に九州鉄道がアメリカ合衆国のJ.G.ブリル社より輸入した豪華客車のイメージを持たせて設計された車両とあるが、写真が原信太郎さんが制作したその模型である。 今回のJR九州の観光列車である「在る列車」の専用車となった車両は、四国旅客鉄道(JR四国)で2011年4月に廃車となったキハ47形気動車のキハ47 176・1505を譲り受け小倉総合車両センターで改造した2両編成 で、2015年7月18日に報道関係者向けに公開され、同日小倉総合車両センターから出場した。その車両は世界的に著名な鉄道模型愛好家の原信太郎が製作した模型をベースに、次男で原鉄道模型博物館副館長である原健人の監修のもと、水戸岡鋭治がデザイン・設計を行ったと記されていた。列車名の「或る列車」は、この車両のコンセプトの基となった豪華客車に対して当時の鉄道趣味者が付けた呼び名である。また、キーワードの"ARU"には A - AMAZING(「素晴らしい」九州の魅力を広く紹介) R - ROYAL(「豪華な」デザイン、「素晴らしい」スイーツコース) U - UNIVERSAL(「世界中の」「皆さま」に愛される列車を目指して)の意味が込められている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f3.2 1/200秒 14mm ISO3200 ) 露出補正 なし
002_211127030 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 2.ブダペストの地下鉄
電車を使った地下鉄として、世界最古のハンガリーの首都ブダペストの地下鉄1号線が開業時に導入した木造車両の模型。私が2009年11月に中欧旅行をした折、ブダペストでその古い駅舎跡を見たようなな記憶があるが定かではない。一号線は2002年に世界文化遺産の一部になった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f3.5 1/320秒 32mm ISO3200 ) 露出補正 なし
003_211127033 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 3.ボストン高架鉄道の車両
私は路面電車が好きだ。広島とか熊本へ行くとしばしば見とれていることがある。高知の土佐電鉄もいい。ここではケースの中に多くの路面電車の車両が展示されていて、見惚れてしまう。ボストン高架鉄道の車両が何両かあった。wikipediaでは、ボストン高架鉄道は、マサチューセッツ州ボストンとその周辺地域の街路の上、下、を運行する路面電車と高速輸送鉄道だった。 1894年に設立され、最終的にリースと合併によりウェストエンドストリート鉄道を買収し、市内の主要な公共交通機関のプロバイダーとなった。と記されていた。しかしこの車両のことかどうかわからない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO2200 ) 露出補正 なし
004_211127040 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 4.京阪電気鉄道60号 びわこ号
説明板には、1930年代の流線形の流行をいち早く採用し、電力方式の異なる2路線を直通するため、パンタグラフとトロリーポールを持つ。日本初の2車体連接構造を採用して急曲線の輸送力確保を両立した。と記されている。1934年に製造され、現役時代の形式は60型で3編成が製造された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f4 1/400秒 48mm ISO3200 ) 露出補正 なし
005_211127044 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 5.阪神電気鉄道 71型
説明板には、1937年に登場した14.5mの路面電車用大型車両。大きな窓と当時関西で流行していた流線形の外観から「金魚鉢」の愛称でも親しまれたとある。1937年に製造されて1975年にい引退した。10両製造され、71号が水明公園(尼崎市水明町)、74号が蓬川公園(尼崎市崇徳院3丁目)、79号が民間企業敷地内(滋賀県)の3両が保存されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f4 1/400秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし
006_211127058 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 6.パリ・リヨン・地中海鉄道(上)とチェサピーク・オハイオ鉄道の蒸気機関(下)
車 上のパリ・リヨン・地中海鉄道の蒸気機関車は151A型、151A3 (1932年製造)で、蒸気圧の使用効率を高めるため、前後2基、左右合計で4基のシリンダーを搭載している。1,520tの貨車を牽引して1/125の勾配を50km/hで登った。下のチェサピーク・オハイオ鉄道の蒸気機関車 H8型 H8 1601(1941年製造) は、アメリカ東部アリゲーニー山脈を越えるルートで使われた。最大5,200tがけん引可能でウェスト・バージニア州で採掘された石炭の輸送などで活躍した。UP(ユニオン・パシフィック)のビッグボーイを超える強力な機関車と云えると説明されている。展示ケースにはまだまだたくさんの美しい車両たちの模型があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f3.5 1/200秒 32mm ISO3200 ) 露出補正 なし
007_211127083 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 7.世界の模型店巡り
原信太郎さんは海外旅行をすると鉄道模型店巡りが楽しみだったようだ。ひとたび店に入ると、引っ越しの荷物のような木箱をいくつも持ち帰ったと記されている。海外では鉄道模型は大人の趣味のひとつであるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f2.4 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
008_211127085 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 8.原信太郎さんの「青年時代満州への旅」
青年時代になると大陸の鉄度を見たいと思うようになる。大学入学前には、北朝鮮の当時最新の鋼製電車である金剛山電気鉄道を見た。1942年には戦争の緊迫感のなか、東京から下関、下関から連絡船で釜山へ連絡船で渡り、釜山から北京へ行き、北京から国際列車「大陸」で奉天(現瀋陽)へ行った。奉天からソ連製の寝台列車で異国情緒溢れるハルピンに到着した。なお、wikipediaによれば、有名な「あじあ号」は南満州鉄道(満鉄)が1934年(昭和9年)から1943年(昭和18年)まで大連駅 - 哈爾濱(ハルビン)駅間の約950kmを連京線・京浜線経由で運行していた特急列車である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f2.4 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
009_211127090 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 9.貴重なメルクリン社の模型
下の3両の電車模型は20世紀初頭、ドイツのケルン・ボン鉄道が重役15人に記念品として贈るため、ドイツのメルクリン社に発注した15台(45両)のうちの1台(3両)だそうだ。原信太郎さんはこれを1950年にスイスで購入したとのこと。世界で15台しかない希少性に加え、メルクリン社の歴史としても貴重な模型であり、同社から譲って欲しい懇願されたことのある1品という。「メルクリン」は150年以上の歴史を持つ、ドイツの老舗玩具メーカーの名前であり、1895年に最初の鉄道模型を発売して以来、世界中の人たちに愛されて、世界最大級のシェアを持ち続けている。私も子供の頃はあこがれたが、親にねだれるほど安くはなかった。なお、メルクリン社は2009年2月4日 、 資金繰りに行き詰まって裁判所に破産手続きを申請したが、2010年10月 に自己再生をはたしている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f3.2 1/200秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし


2021年1月 3日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (8)比叡山 11/27

最終日、比叡山延暦寺へ向かう。初めてのところではないが、ほとんど覚えていない。
 wikipediaによれば、延暦寺は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院である。京都の鬼門に位置する。平安京(京都)の北にあったので奈良の興福寺に対し北嶺とも称されたそうだ。平安時代初期の僧・ 最澄 (767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。1994年には、古都京都の文化財の一部として、1200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受けユネスコ世界文化遺産に登録された。
  草津の宿を出発したバスは、双耳峰の比叡山を右手に見て進み、琵琶湖の南端に架かる全長1,290mの近江大橋を渡る。琵琶湖上の他の道路橋として、南側約3kmに瀬田川大橋(国道1号)があり、北側約19kmには初日に渡ってきた琵琶湖大橋(国道477号)がある。
 平成10年10月1日、2kmほど北の柳が崎から浜大津に移転した昭和9年開業の琵琶湖ホテルを右に見ながら進み、湖西街道(161号線)の大津京から比叡山ドライブウェイに入った。
 比叡山のバスセンター駐車場に着くと、ガイドさんの案内でまっすぐ根本中堂へ案内された、工事中の根本中堂でお坊さんの説話を聞き、退出後は文殊楼や大黒堂を見て歩いたが残念なことがひとつある。それは、すぐ近くにあった法華総持院東塔や阿弥陀堂などを見ず仕舞いだったことだ。事前学習の不足である。
 2019年12月3日に放送されたBS朝日の「ぶらり京都歴史深訪」・「比叡山 電車で訪れる聖地」という番組が、この正月2日に再放送されたのをたまたま見たが、このたび行って見て、自分のブログで整理し、この番組を見たことで理解が深まった。番組では「千日回峰行」「十二年籠山行」「四種三昧」といった比叡山の厳しい修行についても説明された。

201127706ab X600 比叡山 X10M4_0000.jpg
境内案内図および延暦寺パンフレットより
上:比叡山回遊案内図 下:東塔地域案内図

165.琵琶湖大津プリンスホテル(車窓から)
浜大津の近江大橋を渡る。対岸に比叡山を背景に琵琶湖大津プリンスホテルが見えた。丹下健三さんが設計したこのホテルは滋賀県で最も高いビルであり、ランドマークとなっている。 1989年(平成元年)4月22日に開業している。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
201126934_165 X800 3日目 草津→比叡山 近江大橋 G7X.jpg
166.琵琶湖ホテル(車窓から)
近江大橋を渡り京阪電車沿いに走る湖畔沿いの道を大津市の浜大津に入る。右手に大きなホテルが見えた。知らなかったが、昭和9年に建てられた、桃山風破風造を特徴とし、鉄筋コンクリートの近代的洋風建築でありながら社寺建築の様式を取り入れ、かって、滋賀県の迎賓館としての役割を果たした旧琵琶湖ホテルが平成10年にここに移転したのだそうだ。琵琶湖ホテルには、40年くらい前に高野山へ行った帰路、一度泊ったことがあるのだが、その名残は全くない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
201126937_166 X800 3日目 草津→比叡山 新しい琵琶湖ホテル G7X.jpg
167.京阪電車(車窓から)
京阪電車の踏切を渡って、比叡山ドライブウェイへ入っていく。この京阪電車石山坂本線は、瀬田の石山寺から比叡山口を結んでいる。この電車には昨年(2019年)2月に石山寺を参拝し、そこから日吉神社へ行くのに終点の比叡山口まで乗った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 24mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
201126939_167 X800 3日目 草津→比叡山 京阪 G7X.jpg
168.祖師御行績絵看板  「道元禅師(1200~1253)曹洞宗御開山」
比叡山のバスセンター駐車場に着いた。ここから根本中堂へと歩く。国宝殿を左に見ながら進むと右にカーブした緩やかな上り坂に差しかかる。その両側に写真のような絵が並んでいた。祖師御行績絵看板という。比叡山が、いかに日本の仏教に大きな影響を与えてきたかをPRすることが目的と思われる。806年に桓武天皇によって立教開宗が認められ、2006年で天台宗は開宗1200年を迎えた。この開宗1200年慶讃大法会に当たり多くの協賛を得て、比叡山を開山した伝教大師最澄を始めとする比叡山の高僧や比叡山から輩出された祖師たちの御行績絵看板が修復され境内に掲げられた。その中のひとつであるこの絵は、比叡山に学び、独自の宗派を興した多くの上人たちの一人で、中国に渡った道元が、中国の僧に日常の中での修行の大切さを教えられた場面と思われるこの絵は「道元禅師(1200~1253)曹洞宗御開山」と題され、禅師は求法のため中国に渡り、貞応2年(1223年)春4月、船は大陸の明州に着いた。禅師は船に留まって諸山巡拝の準備をしていた。そうしたある日、日本の珍しい椎茸を買いに一人の老僧が船を訪れた。聞けば名刹阿育王山の典座(雲水の食事を司る役)和尚とのこと、禅師は早速日本の知識を披露し中国仏法をたずねて引き止めたが、老僧「貴僧はまだ修行が文字の中でなく日常の中にあることを知らぬ」と云って早々に去ってしまう。道元禅師はただ慙愧発奮するのみであった。(大講堂堂内に御木像を安置)」と説明文があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels 絞り優先オートで撮影 ( f11 1/250秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127715_168 X800 比叡山 RX10M4.jpg
169.開運の鐘(世界平和の鐘)
延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域である東塔エリアに出る。昭和39年(1964年)に山麓の坂本の讃仏堂を移築した大講堂の前にあるこの開運の鐘(世界平和の鐘)は、1回50円で誰でも鳴らすことができる。この鐘楼がいつ頃、何のために造られたのかを調べてみたが、ネットでその記述を探すことは出来なかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 10mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
201127722_169 X800 比叡山 RX10M4.jpg
170.改修中の根本中堂 -1
ガイドさんはまっすぐ根本中堂へ案内してくれた。だが、国宝の根本中堂ならびに重要文化財の廻廊は平成28年度から約10年をかけ「平成の大改修」が行われている。 比叡山延暦寺のホームページにも、「本堂の銅板葺き、廻廊のとち葺きを葺き直し、全体の塗装彩色の修理が主な内容となります。工事の期間中も参拝ができるような処置をしながら、次代へ祈りと伝統が文化財とともに継承されていきます。工事期間中は、国宝・重文改修ならではの珍しい作業も行っております。普段目にすることのない貴重な光景を間近でご覧いただく機会もございますので、是非ご参拝ください。」 と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels

絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
201127735_170 X800 比叡山 RX10M4.jpg
171.改修中の根本中堂 -2
覆いがかけられた根本中堂と回廊の中に入ることが出来た。その手前に「改修のあらまし」についてのパネルがあった。wikipediaによれば、「根本中堂は伝教大師最澄が延暦7年(788年)に、一乗止観院という草庵を建てたのが始まりとされる。本尊は最澄が一刀三礼して刻んだ薬師瑠璃光如来と伝えられており(秘仏)、その宝前に灯明をかかげて以来最澄のともした灯火は1200年間一度も消えることなく輝き続けているので、「不滅の法灯」と呼ばれる(焼き討ち後の再建時には立石寺から分灯を受けた)。中堂という呼称の由来は、最澄創建の三堂(薬師堂・文殊堂・経蔵)の中心に位置することから薬師堂を中堂と呼ぶようになり、この三堂は後に一つの伽藍にまとめられ、中堂という名前が残ったとされる。比叡山延暦寺の中心であることから根本中堂といい、比叡山では東塔という区域の中心的建築物である。」  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 20mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
201127725_171 X800 比叡山 RX10M4.jpg
172.改修中の根本中堂 -3
根本中堂は何度も火事や戦禍によって焼失している。現在の根本中堂は、元亀2年(1571年)9月、織田信長による焼き討ちの後、慈眼大師天海の進言により徳川三代将軍家光の命によって、寛永11年(1634年)より8年の歳月をかけて再建されたもので、寛永19年〈1641年〉)に完成しているそうだ。1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127726_172 X800 比叡山 RX10M4.jpg
173.根本中堂改修中の屋根
根本中堂に面する中庭(覆いの中)に2018年8月から、4階建ての「修学ステージ」が出来ている。改修の様子を参拝客が間近で見られる。「修学ステージ」から改修中の本堂の屋根と回廊の屋根を眺めた(写真は回廊の屋根)。根本中堂は桁行11間(37.57m)、梁間6間(23.63m)、軒高約9.78m、棟高24.46m、屋根は一重、入母屋造。木材の下地材の上に銅板を屋根形状に合せて加工して止められている屋根が改修中だった。回廊の屋根はとち葺きで、その葺き替えが行われている。改修中の屋根を見たあと、中陣に座り、法話を20分ほど聴いた。中陣の天井は「百花の図」といわれ、200に及ぶ草花が極彩色で描かれているがここは撮影禁止である。ここから内陣が参拝できるが 参拝者のための中陣と外陣よりも3mほど低い石敷の土間になっていた。内陣中央の本尊が立つ床と、参拝する中陣・外陣の床が同じ高さになっている。本尊として、最澄自刻の薬師如来像と「不滅の法灯」が有名である。最澄自刻の薬師如来像は秘仏であり、現在の根本中堂の薬師如来立像は、江戸時代の延暦寺再興の時に横蔵寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町)より移座したものであるという。それは横蔵寺の薬師が最澄自刻のものであるという記録が横蔵寺にあったことによるものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/125秒 14mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127727_173 X800 比叡山 RX10M4.jpg
174.文殊楼への階段
40分ほど根本中堂の中にいた。根本中堂を出て、前を見ると石段があった。文殊楼への階段である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/160秒 16mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127731_174 X800 〇比叡山 RX10M4.jpg
175.文殊楼
ケーブルカーが開通してからは、下から歩いて登ってくる参拝者はほとんどいないが、かつては比叡山延暦寺の表参道だった本坂を登ってくると、まずこの門を潜ることになり、比叡山の総門の役目を果たす重要な楼門だそうだ。文殊菩薩が祀られている。 慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って創建した。寛永の復興にあたって、根本中堂や講堂とともに再建されたが、漢文8年(1668年)に焼失してしまい、すぐに再建されたのが現建築と言われる。寛永の建物より小規模になり、全体的に唐様が取り入れられているが、古い和様も入っているところに苦心が偲ばれる折衷様式になっている。江戸時代の代表的な様式の構造物だそうだ。平成28年に国の重要文化財に指定されている。 受験生の合格祈願に人気があるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127743_175 X800 〇比叡山 文殊楼 RX10M4.jpg
176.大黒堂
比叡山は大黒天信仰発祥の地と言われる。伝教大師最澄が比叡山へ登ったときに大黒天を見た場所なのだと伝えられる。本尊は最澄が彫ったという三面出世大黒天。正しい呼び方は三面六臂大黒天といい、米俵の上に立ち、中央は食生活を守る大黒天、右は勇気と力を与える毘沙門天、左は美と才能を与える弁財天である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 17mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
201127737_176 X800 〇 比叡山 RX10M4.jpg
177.根本中堂 石柱
大黒天の少し先を左に入ると文殊楼へ行く。そこに根本中堂の石柱があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
201127736_177 X800 〇 比叡山 RX10M4.jpg
178.参道からの文殊楼
前の写真の根本中堂の石柱の辺りから文殊楼へ上がる石段がある。このルートが本坂から上がってくる参道なのだろうと推察する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 14mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
201127746 _178 X800比叡山 RX10M4.jpg
179.根本中堂から坂本ケーブルへ -1
ガイドさんが待つ根本中堂の石段を上がっところで集合し、坂本ケーブルの延暦寺駅へ歩く。途中琵琶湖が眺められるところがあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 39mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201127750_179 X800 〇比叡山 文殊楼 X10M4.jpg
180.根本中堂から坂本ケーブルへ -2
もみじを入れて琵琶湖を狙った。晴れて空気が澄んでいたので、琵琶湖大橋が眺められ、さらにその先に沖島が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201127751gy_180 X800 〇比叡山 文殊楼 X10M4.jpg


2018年11月15日

日光東照宮と古峯神社・古峯園 バスツアー(1) 東照宮 10月27日

日光東照宮の「陽明門」の修復が終わって見られるようになったと聞いていたので、是非、行きたいと思っていたところ、某旅行社より「秋色に染まる日光東照宮と古峯園・古峯神社 紅葉3景」という日帰りバスツアーの案内が届いた。さっそくインターネットで申し込んだ。
 天気予報は降水確率80%の10月27日、朝6時半に横浜駅東口に集合した。細かい雨が降っている。
 バスは東神奈川から首都高に入り、湾岸線の大井JCTを左へ、山手トンネルに入った。少々遠くなるのではないかと思ったがこのほうが早いのだろう。順調に池袋に抜けて、東北道に入った。
 途中、大谷PAで弁当が積み込まれ、宇都宮から日光道路を走り、東照宮表参道近くの日光カステラ本舗の駐車場に到着したのは、10時15分くらいだったと思う。表参道を歩いて、「五重塔」、「陽明門」や「三猿」などを見て、二荒山神社、そして家光の墓がある輪王寺大猷院を回って、バスに戻った。 日光を12時過ぎに出発したバスは鹿沼市古峰ヶ原(こぶがはら)にある古峯神社に向かう。バスの中で配られた駅弁を開く。到着した古峯神社・古峯園は紅葉も始まっていて、思っていた以上に見ごたえがあった。
 午後2時30分に古峯神社を出発、川口PAまで休まずに走り、首都高速が若干混んだものの、6時過ぎに横浜駅西口に帰着した。全行程で心配した雨に降られなかったのは幸いだった。
 まず、東照宮と二荒山神社のことから始める。それぞれの記事は、日光東照宮ホームページ、および「日光東照宮・ご朱印」というサイトを参考にさせていただいている。
 今回はあまりにも混んでいたので、2016年に修復された東回廊の坂下門にある国宝「眠り猫」は見なかった。

1.表参道を歩く
添乗員さんに案内されて歩く。バスの駐車場から東照宮への表参道へ通じる車も通る細い道は、小学校の生徒たちもいて、人が溢れていた。写真は表参道で「石鳥居」が見えるところ。日光東照宮のホームページによれば、この「石鳥居」は東照宮鎮座翌年の元和4年(1618)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政によって奉納された。石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
181027_001.jpg
2.「表門」
「石鳥居」の先に「表門」が見えた。 東照宮最初の門で、左右に仁王像が安置されているところから「仁王門」とも呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
181027_002.jpg
3.「五重塔」
「石鳥居」をくぐって、「表門」に上がる石段の手前左側に「五重塔」があった。前回は12年前に来ているが、その時に見た「五重塔」はくすんでいたように思う。「五重塔」は慶安3年(1650)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納された。文化12年火災にあったが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
181027_003.jpg
4.外国からの観光客
多分ツアーで来ているのだと思うが、外国人観光客のグループが「五重塔」の前で、ツアコンさんが[表門」で拝観受付をしているのを待っていた。さすがに外国人観光客が多い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO640 ) 露出補正 なし
181027_004.jpg
5.「神厩舎」
「表門」をくぐって左側に見ざる、言わざる、聞かざるで有名な「三猿」の彫刻が掲げられている「神厩舎」があった。 「神厩舎」は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)である。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されているという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
181027_005.jpg
6.「神厩舎 」北側
猿の彫刻は全部で8面あるが、この北側に5面と、建物を右側に回り込んだ西側に3面ある。これら「神厩舎」の長押上にある8面の猿の彫刻は、人間の一生が風刺されているという。 向かって左から、第1面は母と子のくつろぎで母と子の絆の強さを表現している。第2面が有名な三猿で、親もとを離れる前に、世間の悪いことを見たり、聞いたりせず、また、人を傷付けるようなことを言ってはいけないと、兄弟三猿に対して親が戒めているとする見方と、自分に都合の悪いことがあれば、見ざる、聞かざる、言わざるで世の中を切り抜けよという処世術の教育であるともいわれるそうだ。第3面が親元を離れた猿、第4面は仲間と青雲の志を持つ。第5面は新たな展開を表し、第6面は恋愛中の猿。第7面は新婚の猿で、第8面は妊娠した猿の幸せそうな表情を表すそうだ。そして、子供が生まれると第1面に戻る。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO1600 ) 露出補正 なし
181027_006.jpg
7.「神厩舎」 「三猿」
第2面の有名な三猿の彫刻である。作者は不明だそうだ。12年前に見たときと比べると、修復され、鮮やかな色彩を放っていた。撮影条件は違うが上の写真は2006年に撮った。国重要文化財「神厩舎」の全8面にわたって取り付けられている「三猿」は、これまでも約10年ごとに修復作業を繰り返してきたが、8面すべてを塗り替えるのは65年ぶりという。屋外に面した彫刻は外気にさらされ傷みやすく、下地があらわになっていく。そのため、彫刻部を建物から取り外し、一度現状の色をすべて落としてから塗り直す方法がとられた。今回の修復も半世紀前に残された見取り図を見ながら、彫りの形に合わせ、猿の毛色や表情をゼロから描き上げたという。ゼロから描き直す以上、筆の先の太さ、筆のタッチなどが最終的に個人の力量や個性になるのは事実であり、以前のものと比べ、違和感を感じるのも当然だと言われる。それぞれの寺社によって修復へのスタンスは異なり、塗り直しはせず、劣化防止に力を入れるケースもあるが、日光東照宮は、江戸時代の造営以来、常に時代に合わせて修復を続けてきた。

上:Nikon D100 NIKKOR f3.5-4.5 28-105mm macro
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/60秒 66mm ISO400 ) 露出補正 なし 2006年11月9日 撮影
下:SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 39mm ISO1600 ) 露出補正 なし
181027_007.jpg
8.「陽明門」で記念写真
小学校の生徒たちが「陽明門」を背景にして記念写真を撮っていた。それにしても凄い数の観光客である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO1000 ) 露出補正 なし
181027_008.jpg
9.輝く「陽明門」
日光東照宮では平成の大修理の第一期の3次工事が行われている。この国宝の「陽明門」の修復工事は、総工費に10億円かかると言われ、2013年から6年間の計画で開始された。当初は先行きが見通せない状況だったが、2017年(平成29年)3月、無事に工事が終了したそうだ。装飾廻りの根本的な更新修理が行われ、外部廻りの漆塗・彩色・錺金具の更新を主に、一部内部塗装の繕いのほか、屋根・足元・縁廻り等の消耗的箇所についても調査を行い、必要があれば部分的な木部解体修理が併せて実施されたという。そして、2017年3月10日、世界遺産・日光東照宮の国宝「陽明門」が約40年ぶりの大修理を終え、色彩鮮やかによみがえった至宝が一般公開されたのだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 32mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181027_009.jpg
10.「陽明門」の扁額
日本を代表する最も美しい門で、宮中正門の名をいただいたと伝えられている。いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされている。扁額には「東照大権現」とあった。1616年(元和2)家康が駿府で没すると,遺言に基づきいったん駿河久能山に葬り,翌年ここ日光山に遷葬、朝廷から「東照大権現」の神号が授けられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181027_010.jpg
11.「陽明門」の彫刻 -1
「陽明門」は、高さは11.1mの2層造りで、正面の長さは7m、奥行きが4.4mある。そこに施されている彫刻はそれぞれ見ごたえがある。これは「御宮並脇堂社結構書」という日光東照宮に関して記された書物に出てくる架空の動物(霊獣)のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 94mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181027_011.jpg
12.「陽明門」の彫刻 -2
「陽明門」には、一切の空間を埋め尽くすかのように施された、おびただしい数の彫刻がある。この数は正確には知られていなかったが、 改めて数えて見た結果、独立した彫刻が508体あったという。そのうち 156体 が人物の彫刻だそうだ。これらの彫刻は、狩野探幽の作品に数多く登場することから、陽明門のデザインに関しての総指揮は、狩野探幽が単独で一任されていたのではないかと言われている。「陽明門」の上層の高欄(手すり)には「唐子の知恵遊び」と呼ばれる子供が彫られている。 子供の彫刻の少し下にある「出組(組物)」の下にも多数の人物の彫刻が存在する。写真にあるような、これらの人物の彫刻は、かつて中国の歴史上に存在した22人の著名人と伝えられ、戦乱の多かった中国を安寧(平和)に導いた人物とされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 51mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181027_012.jpg
13.「陽明門」の随身 右大臣
写真は「陽明門」の向かって左側の随身像である。随身とは、平安時代の武装した格好の人形のことを言い、通常は左大臣、右大臣(矢大臣)と呼称される。随身像は、寺の仁王像と同じ役割りを持っており、神に仕えて神を守護する者と言うことになる。こちらが右大臣である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/320秒 55mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181027_013.jpg
14.「陽明門」の随身 左大臣
こちらは左大臣。「陽明門」の出入りは右側通行になっていて、人込みで右大臣と左大臣を一緒に撮れなかったので、「陽明門」を退出した時に撮った。随身は等身大で、かつ写実的であるため、江戸時代には「生る人に違はず」と言われた傑作だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181027_014.jpg
15.狛犬
随身像の後ろ側には狛犬があり、ピカピカに輝いていた。日光東照宮のホームページによれば、この狛犬は滋賀県の大宝神社が所蔵する国宝(現在は重文)の狛犬を模して、大正5年に製作したものだそうだ。狛犬は一般的に唐獅子と狛犬(角がある)の一対を総称した呼び名だが、「陽明門」の一対にはどちらにも狛犬の特徴である角が付いていないので、両方唐獅子という珍しいものだという。写真は右の狛犬(吽形)である。そして、欄間には鳳凰、牡丹、桐の花の透かし彫りがある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181027_015.jpg
16.「唐門」
国宝である。全体が胡粉で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」といった細かい彫刻がほどこされている。創建は1617年(元和3年/江戸時代前期)で、1636年(寛永13年/江戸時代前期)に再建された。この「唐門」は「本殿」を守護する真正面の門であり、四辺に「唐破風(からはふ)造りの屋根」が備え付けられていることから「四方唐破風造(しほうからはふつくり)」と呼称されている。「唐門」の大きな特徴として、左右にひときわ目を惹き付ける昇龍と降龍の彫刻がある。龍は屋根上の左右両端にも備え付けられており、屋根上の龍はヒレが切られた龍になっている。さらにその両端の龍の間の破風の頂には「恙(つつが)」と呼称される唐獅子が備え付けられている。この「唐門」に施されている彫刻の数はなんと611(うち人物が64人)もあり、この数は「陽明門」を上回る数である。

上:SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
下:SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO1640 ) 露出補正 なし
181027_016.jpg
17.「神輿舎」
重要文化財である。1636年(元和3年/江戸時代前期)に創建された。「神興舎」は「しんよしゃ」と読む。殿舎の四辺の一辺の長さは約6mあり、この中に「春秋渡御祭」(5月18日、10月17日)に使われる、3基の神輿が納められている。神輿が3基あるのには本殿で家康公と相殿として祭祀されている御祭神の豊臣秀吉公と源頼朝公(卿)の御霊を乗せる神輿であるからだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
181027_017.jpg
18.家康公の神輿
中央に主祭神である家康公の神輿があった。干支の虎と竹が彫られている。蝶の飾りもあった。寛永13年に制作された初代の神輿は重さが1トン以上もあったそうだが、現在の二代目は昭和40年代に制作されたもので800㎏だそうだ。徳川家康を静岡の久能山から日光に改葬した際の行列を再現する「春秋渡御祭」では、10月17日に開催される秋の「神輿渡御祭」は、春より規模を縮小して開催されるが、それでも約800人の鎧武者や騎馬、鉄砲持ち、稚児などの行列は絢爛豪華な歴史絵巻を再現しており目を見張るものがあるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/160秒 23mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181027_018.jpg
19.「鼓楼」と「本地堂(鳴竜)」
「陽明門」の石段の上から「鼓楼」と「本地堂」を見る。 日光東照宮の「鼓楼」と「鐘楼」は一対で設置されている。一対で設置される場合、基本的にはその構造、大きさなどあまり変わりないようにつくられる。だが細部が微妙に違うようだ。「陽明門」から見て右側にこの写真で見られる「鼓楼」があり、左側に「鐘楼」がある。「鐘楼」、「鼓楼」は1635年(寛永12年)に建てられた。かつては実際に使っていたそうで、日光東照宮の祭礼は「鼓楼」の太鼓の音に始まり、 「鐘楼」 の鐘の音で終わったということだそうだ。そして、「鼓楼」の後方にあるのが「本地堂」だ。東照宮境内最大の建物で、創建は1636年(寛永13年/江戸前期)、1961年(昭和36年)に再建された。34枚の檜の板に描かれた6mX15mの「鳴竜」の天井画が有名で家康公を薬師如来の化身としたことから 「薬師堂」とも呼ばれ、「薬師瑠璃光如来像」が祀られている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
181027_019.jpg
20.二荒山神社への道
東照宮から上新道(うわしんみち)を二荒山神社へと歩く。あんなに混雑した「陽明門」だったのに、ここは人が少なかった。wikipediaによれば、二荒山神社では、古名を二荒山という男体山、女峰山、太郎山からなる「日光三山」それぞれに祭神をあてて祀っている。三山のほか日光連山を境内地とし、面積は3,400haにも及び、その神域には華厳滝やいろは坂も含まれる。二荒山神社は古来より修験道の霊場として崇敬された。江戸時代になり幕府によって日光東照宮等が造営されると二荒山神社も重要視され、現在の世界遺産・重要文化財指定の主な社殿が造営された。また、国宝指定の刀剣2口や多数の刀剣等の重要文化財を現在に伝えているほか、境内は国の史跡「日光山内」に包括されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181027_020.jpg
21.上新道と「楼門」
上新道は日光東照宮の入口となる「石鳥居」と「表門」の広場から、二荒山神社の入口となる「楼門」へ続く。その距離は約200mほどあり、徒歩で4、5分ほどかかった。前の写真で見るように、上新道の側面には、植生する杉の木と37基の燈籠がが整然と立ち並んでいる。この燈籠は1966年(昭和41年)に執り行われた「日光東照宮350年記念祭」を記念して奉納されたものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181027_021.jpg
22.シロヤシオの紅葉
「楼門」を入ると鳥居があって、その左側に社務所があった。結婚式場にもなっているらしい。社務所の門の右手に見事に紅葉している1本の樹があった。この樹は「シロヤシオ(白八汐)」といい、太平洋側の山地に生息するツツジ科ツツジ属の落葉樹という説明書が掛けられていた。5-6月に咲く花は白く大柄だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO800 ) 露出補正 なし
181027_022.jpg
23.二荒山神社拝殿 -1
国の重要文化財である。霊場としての日光の始まりは、下野国の僧・勝道上人(735年-817年)が北部山岳地に修行場を求め、大谷川北岸に天平神護2年(766年)に紫雲立寺(現在の四本龍寺の前身)を建てたことに始まるとされる。そして二荒山神社の創建は、上人が神護景雲元年(767年)二荒山(男体山)の神を祭る祠を建てたことに始まるとされる。「拝殿」の創建年は不明とされているが、1645年(正保2年/江戸時代前期)に再建されているようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
181027_023.jpg
24.二荒山神社拝殿 -2
この「拝殿」の奥に「本殿」がある。「拝殿」と「本殿」の間には切妻造りの小屋のような建造物「渡殿」が設けられおり、渡廊の役割を担い、「本殿」と「拝殿」を連絡している。「本殿」は左右に妻側が向けられた入母屋造りで、正面の屋根には三角の千鳥破風、その軒下には緩やかな曲線の唐破風が据えられており、複雑さがありながら、実に完美とも言える造りになっているという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181027_024.jpg
25.「良い縁狛犬」と「足尾の大国様」
「拝殿」を下がって、「神門」へと向かう右側に「神楽殿」が見えた。「神楽殿」の中には大きく金色をした「足尾の大国様」が祀られていた。この大国様は「昔、勝道上人が二荒山中宮祠において修行中、毎年稲穂をくわえて白ねずみが現れたそうです。そこで白ねずみがどこからくるのか確かめようと、白ねずみの足の紐(緒)を結わえて放ったところ、現在の足尾の村落に至り、渡良瀬川の洞窟に入ったそうです。それ以来この村落を「足緒」と呼ぶようになったと言われております。そして、白ねずみが入った洞穴を修行の場に選び大国様とネズミを祀ったと伝えられております。」と説明されていた。手前は「良い縁の狛犬」。そこには「狛犬は、獅子や犬に似た想像状の生き物とされています。起源は、古代エジプト・メソポタミアでの神殿を守るライオン像とされています。中国を経て飛鳥時代に日本に伝わった当初は、獅子であり、左右の姿に差異はなく、開口した姿であったと言われています。平安時代になって、それぞれ異なる外見を持つ、獅子と狛犬の阿吽の開口閉口の像が対で置かれるようになりました。現在では、両者を合わせて狛犬と呼ぶようになっております。この狛犬は、飛鳥時代当初の獅子の形をインド黒大理石に彫ったもので、台座は日本三大銘石と言われる茨城県産の青糖目石です。左右の「良」「縁」の文字枠は八稜鏡を象ったものです。全国神社でも他にない、大変珍しい狛犬です。栃木県さくら市在住の飯沼休吾氏より、世界文化遺産登録十五周年を記念して、平成二十七年十二月に奉納されました。」と書かれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO1600 ) 露出補正 なし
181027_025.jpg
26.「神門」
「神門」から出る。二荒山神社には「楼門」と「神門」があり、私たちは二荒山神社に入るときは東照宮からの上新道という参道を歩いて「楼門」から入った。「楼門」と「神門」はともに新しい門で、勝道上人の男体山登頂1200年を記念して作られたものなので、歴史的建造物ではないとのことだ。 「神門」を出て右へ。次に「輪王寺大猷院」向かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO640 ) 露出補正 なし
181027_026.jpg


2018年5月 2日

2泊3日で山陰山陽を周遊(7・終) 安芸の宮島 厳島神社 3月31日

津和野から、再びバスに乗り、最後の目的地である宮島へ向かう。津和野から国道187号線を走り、六日町で中国自動車道に上がる。島根県からいったん山口県岩国市に入り、中国自動車道の最高地点721mを通過して広島県に入った。広島北から広島自動車道を走って山陽道に入り、宮島で下りた。昼食はこの日もバスの中で弁当だった。
 宮島口の大きな駐車場から歩いてフェリーの乗り場へ行く。この日は行楽シーズンの土曜日で、さすが人が多い。フェリーは予約されていて、待たずに乗船できた。宮島桟橋で待っていてくれた清盛通りと呼ばれる表参道商店街にある「だいこん屋」という土産物屋さんの女性が厳島神社参拝のガイドをしてくれた。とても丁寧に説明してくれたが、人が多く、聴き取りにくかった。
 この日は大潮だった。後で調べたところこの日の干潮のピークは、15時52分で、潮位は30cm(平均海水面=海抜)とあった。満潮は午前10時ごろで、潮位は350cmになる。
 私たちが厳島神社を見学していたのは午後2時から3時くらいの間で、十分、鳥居まで歩いて行けるほど潮が引いていた。 潮位100cm以下で鳥居まで歩いて行けるといわれ、 250cm以上で嚴島神社が海に浮かんで見えるという。
  厳島神社は推古天皇元年(593)、佐伯鞍職(さえきくらもと)により創建されたと伝えられている。説は、色々あるそうだがが、「いつき島にまつれる神」という意味から、「伊都伎島(いつきしま)神」、「厳嶋神社」等呼称され、現在は、「嚴島神社」となっているという。原始宗教のなごりで、島全体が神の島として崇められていたので、陸地では畏れ多いと潮の満ち引きするところに社が建てられたのだそうだ。 平清盛が久安2年(1146)安芸守に任官され、平家の守護神として尊崇し、平家一門の権力が増大するにつれてこの社を尊崇する度合いも増し、社殿を現在の姿に造営したと伝えられる。

厳島神社の参拝順路は決められている。(厳島神社ホームページより)

180502_146.png


 まず海から見て左側から、海の上に築かれた廻廊に上がる。客神社本殿から東廻廊、本社拝殿から幣殿、その奥の本社本殿にお参りして、西廻廊を通って、反橋の前を通り、能舞台を見て、海側から見て右側の出口から出るようになっている。撮った写真の説明は、宮島観光協会のホームページを参照させていただいた。出口から少し大鳥居のほうへ歩いていくと階段があって、海に下りることができた。もちろん大鳥居まで歩いてみた。 厳島神社の参拝と見学を終え、案内してくれた女性の土産物屋さんに集合して、宮島桟橋へ戻った。
  午後3時半ごろ、フェリーで宮島口へ。宮島口から再びバスに乗り、岡山に向かう。190kmのドライブになった。そして、19時33分発の新幹線に乗車し、今回の駆け足のツアーを無事、終えることになった。
 往きに岡山駅で下電観光バスに乗ったときに、声は大原麗子さんから、「今回このバスは1,000km走ります。ゆっくり見たい、時間が足りないと思われるでしょうが、できません。今回は下見だと思ってください。」と釘をさされていた。確かにバスの乗っている時間のほうが長かったようにも思うが、「もう一回来てみたい」と思うところを観ることができた楽しい旅行だった。そして、3日間の快晴と、満開の桜のもてなしは、何にも代えられなかった。

114.フェリー
宮島口から宮島桟橋までのフェリーは、JR西日本フェリーと宮島松大汽船の2社が頻繁に運航していて、運賃は片道 大人ひとり180円、SUICA、PASMOも利用できる。所用時間は約15分だった。私たちが乗船したのは松大汽船だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/640秒 36mm ISO100 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
115.フェリーの客室から
フェリー客室のガラス越しに、宮島を眺める。午後1時半、潮は引いていて、大鳥居近くまで歩く人の姿が見られた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
116.石造りの鳥居
フェリーの桟橋からしばらく右側に海を見ながら歩くと、左側から表参道商店街(清盛通り)が合流するところに、石造りの鳥居があった。海に立つ朱色の大鳥居に遠慮してか、質素な鳥居だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
117.表参道商店街
海寄りから1本中に入った通りが清盛通りと呼ばれる表参道商店街だった。ここで私たちが歩いてきた海寄りの道と合流する。案内してくれている女性の土産物屋さんもこの商店街にあり、参拝が終わるとそこに集合だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 17mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
118.干潮 大鳥居
この写真を撮った時刻は午後2時ちょっとすぎ。厳島神社の参拝入口を目指して海沿いを歩いていると、右側に大鳥居が見えてきた。大鳥居まで潮の引いた海を歩いている人たちが見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
119.干潮 厳島神社
参拝入口のほうへ曲がると、厳島神社のお社まで水が引いていた。厳島神社の境内は、宮島の「御笠浜(みかさはま)」の中心に位置し、浜の入江に沿うようにして建てられている。そのため昇殿するためのメインとなる出入口は、浜の東西に位置する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
120.大鳥居の扁額
大鳥居の扁額に何と書かれているか見たかったので、望遠で引いてみた。 「伊都岐島神社」と書かれていた。反対側(海側)には「厳島神社」と書かれているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 181mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
121.参拝入口
参拝入口からすぐのところに国宝・客神社(まろうどじんじゃ)がある。 厳島神社本社と同様に、本殿・幣殿・拝殿・祓殿からなり、厳島神社の祭典は、この客神社から始まりまる。天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・活津彦根命(いきつひこねのみこと)・天穂日命(あめのほひのみこと)・天津彦根命(あまつひこねのみこと)・熊野櫞樟日命(くまのくすびのみこと)の5男神が祀られている。摂社の中でも一番大きく、厳島神社の祭事のおりには、一番先に神職がお参りするという。 右側には、右門客神社、平舞台が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
122.祓殿 拝殿
同じ位置から広角で撮ると、平舞台の後ろ側にある祓殿が見える。その奥に厳島神社の拝殿、幣殿、本社本殿と続く。これから、左側の東廻廊を渡って拝殿の脇から、祓殿へと進む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/640秒 10mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
123.参拝廻廊入口
ここから廻廊に入る。左側は客神社本殿、右側にその祓殿があり、廻廊の入口には、世界文化遺産 国宝厳島神社と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
124.拝殿
参拝廻廊に上がったところから右側に厳島神社本社の拝殿が見えた。これから回って拝殿に行く。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
125.鏡の池
まっすぐ進むと左側に鏡の池があった。清水が湧き出ていて、潮が引くと手鏡のように見えることから鏡の池と呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/800秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
126.枡形
廻廊は本社拝殿のほうに右に曲がる。その右に曲がったところから、客神社祓殿と右楽房の間から大鳥居を望む。客神社祓殿と廻廊で囲まれたところを、枡形という。毎年旧暦6月17日に行われる「管絃祭」で御座船や阿賀・江波の曳船がここで船を3回廻すそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
127.五重塔
右へ曲がったところから、今通ってきた参拝入口からの廻廊を眺める。廻廊の向こうに豊臣秀吉と加藤清正を祀る豊国神社の五重塔が見える。五重塔は高さ27.6mある。応永14年(1407)建立で桧皮葺で和様・唐様を融合した見事な建造といわれる。内部は彩色がしてあり豪華絢爛で、内陣の天井には龍が、外陣の天井には葡萄唐草の模様が描かれているそうだ。国の重要文化財に指定されている。ツアーの私たちは、とても見学できる時間はない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 10mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
128.大鳥居 東回廊から
本社拝殿に向かう廻廊の途中から、大鳥居を撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 37mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
129.厳島神社祓殿
祓殿の前まで来て、平舞台の脇を海側に下がって、祓殿を撮る。 祓殿はお祓いをするところで、管絃祭の時に鳳輦(ほうれん・屋根の上に金色の鳳凰の飾りをつけた輿 )、御輿が置かれる場所であり、また雨天時の舞楽奉奏などに使われるそうだ。wikipediaによれば、祓殿は拝殿の手前に棟を直交させて建つ入母屋造、妻入の建物で、桁行6間、梁間3間である。全面吹き放し(柱間に壁や建具を入れない)の開放的な建物である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
130.大鳥居 平舞台から
潮は引いているが、こちら側に向かって、道のように水たまりができている。今日は海に浮かんでいる大鳥居は見られないが、どんな感じなのだろうか。祓殿の前の高舞台に対し平らなところを平舞台という。寝殿造りでいえば庭にあたるところで、束石は赤間石で毛利元就の寄進といわれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
131.拝殿内部
拝殿は、参拝者がご祭神と向き合い、お祓い・参拝をするところ。拝殿の下から見上げると棟が2つ見え、その上を一つの棟で覆っている。これを三棟造りといい、奈良時代の建築様式だそうだ。大鳥居からの距離は、百八間(約196m)ある。 厳島神社の祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと) の3柱で、「宗像三女神」と総称される。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
132.武者の絵
拝殿の脇に板に描かれた武者の絵が奉納されていた。絵の由緒が気になった。厳島神社は平家の信仰があるが、平家武者の絵なのだろうか。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/80秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
133.能舞台と能楽屋
拝殿から本殿への参拝を終え、西廻廊へ進む。右手に今まで見てきた朱色と趣を異にする墨色の能舞台(左)と能楽屋が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
134.能舞台
永禄11年(1568年)毛利氏は、観世太夫を招き、仮の能舞台を海中に設けさせ、能を奉納した。現在の建物は、延宝8年(1680年)広島藩主浅野綱長により改修されたもので、廻廊の反対側に見える天神社(創建年1556年・弘治2年/室町時代、再建年 1945年・昭和20年)と同じく、建造時期が下がるので、丹塗りはされていない。特徴は、日本で唯一海中に建てられていることと、切り妻造りであり、笛柱が独立していることである。 毎年4月16日から3日間桃花祭神能が行われ、初日と2日目には、初めに翁が舞われ、3日間とも五番立で、間に狂言が入り、江戸時代からの本式な演能を観ることができるそうだ。平成3年の台風19号で倒壊したが、古材をできるだけ使用し、平成6年に再建された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
135.反橋 -1
西廻廊を右に曲がって歩くと左手に反橋が見えた。 反橋は長さ約24m、幅4m、高欄は丹塗り・橋脚は墨塗り。鎌倉期に既にあったが、現在のものは弘治3年(1557)毛利元就・隆元父子により再建されたものという。別名、勅使橋ともいい天皇からの使者(勅使)だけがこの橋を渡ることができたそうだ。中央に階段を設けて渡ったものと思われる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
136.反橋 -2
傍に行ってみると登り始めの傾斜は大きい。むかし、子供たちが廻廊を走ってきて、勢いをつけて、橋を駆け上がっていたと案内をしてくれた女性が話してくれた。重要文化財になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
137.大願寺多宝塔
廻廊の出口が近くなったころ、厳島神社から南のほうにある大願寺の多宝塔が見えた。 多宝塔は、僧周歓が大永3年(1523)に建立したといわれ、薬師如来像をお祀りしていたが、明治維新の神仏分離令で大願寺に移され、建物は、現在厳島神社に帰属しているそうだ。特徴は、外部は純和様で、貫の鼻が拳鼻になっているなど大仏様や台輪など禅宗様も細部に見られる。屋根は方形だが、下層の屋根には饅頭型の亀腹があるため、上層の柱は円形に配列されている。大願寺にも寄ることはできなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 53mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
138.大願寺境内
厳島神社参拝順路を出ると大願寺の境内が見えた。亀居山放光院大願寺は、真言宗で、開基は不明、鎌倉時代の建仁年間(1201~1203年)に僧了海(りょうかい)により再興されたと伝えられている。現在の本堂は昔の僧坊で、 天正15年(1587年)、豊臣秀吉が戦歿将兵の慰霊のために大経堂として建立した千畳閣(豊国神社本殿)が本堂になる予定だった。昔、参拝者は、大鳥居をくぐり、大願寺近くの砂浜に上陸した後、大願寺の裏にあった大風呂で身を清め、僧坊で休憩、着替えをして厳島神社に参拝したという。厳島神社の出口が唐破風造りで、昔は入口であったことがうかがえる。また境内の池の中には、弁財天の使いとされる厳島龍神が祀られている。 本堂には、国の重要文化財である仏像が4体あり、その中の薬師如来坐像は、弘法大師の作と伝えられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
139.大願寺の九本松
案内してくれた女性が、 大願寺境内にある、根もとあたりから9本に分かれて伸びている松のことを説明してくれた。明治時代、伊藤博文が頻繁に厳島を訪ねた際に植えた松だと伝えられているそうで、大願寺の九本松と呼ばれているクロマツだそうだ。樹高は30m、太さ・目通り幹囲3.6m、推定樹齢は100年~200年。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 29mm ISO100 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
140.豊国神社 千畳閣と五重塔
出口付近から入口のほうを眺めると、豊国神社の 千畳閣 と、厳島神社拝殿の後ろに五重塔が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 29mm ISO100 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
141.海へ
出口の先に海に下りる階段があった。大鳥居の先のほうまで人影が見える。時刻は2時37分。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
142.海の大鳥居 -1
大鳥居は境内の沖約200mに立つ。wikipediaによれば、現鳥居は明治8年(1875年)の再建である。棟の高さ16.6メートル、柱間10.9メートルの、大型の木造両部鳥居(各主柱に2本ずつの控柱がつく)である。主柱はクスノキの自然木で、控柱はスギ材である。主柱は1本が宮崎県岡富村(現西都市)、もう1本が香川県和田浜(現観音寺市)で切り出された。両柱とも、1950年の修理時に根継ぎを行っており、根継ぎ材は東柱が福岡県久留米市、西柱が佐賀県佐賀郡川上村大字池ノ上字池ノ上(現在賀市大和町池ノ上)で切り出されたものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
143.海の大鳥居 -2
傍に行って大鳥居を見上げた。触っても見た。満潮時には柱が水につかるあたりには、フジツボがいっぱい着いていて、そこに硬貨が埋め込むように置かれていた。wikipediaによると、2012年以降、大鳥居にできた亀裂の部分に、一部の観光客によって硬貨が差し込まれるケースが多発している。神社側は「鳥居の柱の老朽化が進む虞があり、止めてほしい」と呼び掛けているそうだ。2本の大きな柱は、整った形ではなく、自然木の形が現れていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
144.潮干狩り?
大勢の観光客が行き来するところから少し離れたところで、地元の方であろううか、潮が引いた海で何かを掘っていた。「大鳥居の内側で貝を取ってはいけません 厳島神社」という札が立っていたが・・・。貝ではないのかもしれない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 181mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


2018年4月15日

2泊3日で山陰山陽を周遊(2) 姫路城 3月29日

新幹線で通るたびに見ていたので、 姫路城 は是非行ってみたいと思っていた。 平成の大修理が行われて、白く輝く天守閣の姿は、白いサギが舞い立つように見えることから別名「白鷺城」と呼ばれるのは衆知の通りだ。昭和に行われた昭和の大修理から45年、平成の大修理と呼ばれた大天守保存工事は、傷みや汚れが激しくなった漆喰壁の塗り直しや屋根瓦の葺きなおしを中心に、平成21年(2009年)から5年をかけて行われ、平成27年(2015年)に完成した。
  姫路城は昭和26年(1951年)国宝に指定され平成5年(1993年)には奈良の法隆寺とともに日本初の世界文化遺産となった。
 最初の城は、 1333年、南北朝時代の播磨守護・赤松則村が京に兵を進める途中、姫山に砦を築いたことに始まる。本格的な城は1346年に赤松貞範が築いた。1545年に黒田重隆が姫路城に入り、1546年黒田官兵衛が姫路城で誕生したと伝えられている。その後、1580年、中国毛利勢討伐の武将として秀吉が姫路城に入り、大阪城を築くまでの3年間城主であった。1600年、関ケ原の戦いの後、池田輝政が姫路城主となる。池田輝政は姫路城の大改築を開始し、1609年には五重7階の連立天守閣が完成した。そして、城主は移り変わり、1867年に大政奉還がなされ、当時の城主酒井忠邦が天皇に領地と領民を返還した。姫路藩は廃止され、姫路県となったが、明治6年(1873年)姫路城は熊本城など全国56の城とともに存城となった。姫路城は池田輝政が1609年に完成させて以来、一度も戦火にまみえることはなく、内曲輪の城郭がほぼ完全な形で残っているそうだ。
 天守閣に上がることは出来るのだが、混雑していて断念した。桜が満開で姫路城を一層際立たせていた。

20.「大手門」から見た天守閣
姫路城の天守はバスの駐車場から見えていた。天守閣の入り口まではバスガイドさんが案内してくれる。「大手門」から入場口へ進む。この写真は大手門から入場口へ進む途中で撮った。何も慌てて撮る必要はなかったのに、はやる気持ちを抑えられなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f5 1/1000秒 51mm ISO100 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
21.「菱の門」
入場口から、ガイドさんの後について、団体チケットで城郭の中に入っる。「菱の門」という立派な門をくぐった。片側だけ石垣に乗る珍しい安土桃山時代の城門だそうだ。正面を見上げると灌木に花菱の紋があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
22.桜と石垣と白い天守閣
右手に三国堀と桜を眺めながら「いの門」へと進む。今回見た姫路城は、白く輝く天守閣と満開の桜がテーマとなった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
23.「ろの門」
姫路城には、「菱の門」、「いろは・・・るの門」、「水の一・・・六の門」、備前門が現存している。その様式は様々という。防備面から頑丈さを重視した柵門や木戸、塀重門、冠木門、高麗門、櫓門、長屋門、埋門など安土桃山時代の様式を残す21の門が残っているそうだ。「いの門」の次の「ろの門」に来た。さすが、欧米からの観光客が多い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 13mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
24.石垣と狭間
石垣の上には狭間が並ぶ。狭間は土塀の壁面に開けられた矢や鉄砲を放つための穴のことで、城を防備するために重要であった。現存する狭間の数は997か所だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 14mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
25.小天守
「ろの門」から「はの門」へは土塀の沿っての道だ。姫路城に小天守は3っある。桜も良い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 51mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
26.乾小天守
3っある小天守のうちで一番大きい乾小天守の前に来た。外観3層、 内部は地下1階、地上4階の造りになっているそうだ。この先から天守閣へ登ることができるが、長い列ができていた。大天守へ登るのは断念し、天守閣の石垣の下に広がる本丸(備前丸)へ進む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 36mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
27.本丸からの眺め
天守閣の南側に開けた本丸(備前丸)から、西の丸、その向こうに姫路市内が眺められた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 36mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
28.「備前門」
天守の東側の折廻櫓に続く切妻の櫓門で、本丸(備前丸)への主要な出入り口となる城門である。築城の際、石不足であったため、門のすぐ脇には石棺が転用されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO160 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
29.狭間
狭間から下を撮った。カメラを下に向けないと撮れない。この正方形の狭間は鉄砲用の狭間だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 30mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
30.お菊井戸
播州皿屋敷のヒロインお菊が責め殺されて投げ込まれたという井戸で、もとは鶴瓶取井戸と呼ばれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
31.しだれ桜と天守
お菊井戸のある二の丸から、枝垂れ桜と天守を撮った。本丸にある2本の松もいい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
32.大天守の鯱
鯱は瓦ぶき屋根の大棟の両端に付けられている飾りで、鬼瓦と同様に守り神とされた。姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に上を向き、背中には幾重にも鋭いとげを持っているという想像上の動物を模しているそうだ。明治、昭和、平成のそれぞれの時代の鯱があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
33.化粧櫓
二の丸を後にして、再び「ろの門」のところへ戻ってきた。「ろの門」の手前から、長局(百間廊下)に続く化粧櫓を眺める。 二の丸を後にして、「るの門」から三国堀に出た。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 24mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.石垣と桜
初めて来た姫路城だったが、平年より少し早く咲いた満開の桜が、大歓迎してくれた。姫路城を語るとき、いつまでもこの光景が眼にに浮かぶと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
35.桜と天守閣 -1
満開の桜の花に見え隠れする天守閣。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 30mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
36.三国堀
三国掘りから天守閣、西に続く小天守を眺める。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
37.三国堀に映える天守、小天守
三国掘の水に天守閣が映り込んでいた。雲一つない春の好日である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 11mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
38.三国堀から西の眺め
堀の前を東に移動して、北西側を撮った。さっき通ってきた「菱の門」から「いの門」への桜並木が見える。その向こうは、西の丸へ続く化粧櫓だ。バスガイドさんに天守に登らないのなら、西の丸へ行ってみるとよいといわれていたが、その時間もなかった。西の丸の外周は櫓群で囲まれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
39. 桜と天守閣 -2
焦点距離を110mm(35㎜版換算で300mm相当)にして、桜にピントを合わせて撮る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 110mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
40.「菱の門」から退出
三国堀から左へ、 「菱の門」から退出した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
41. 桜と天守閣 -3
姫路城は白く輝く天守閣と満開の桜だった。桜の花で作られた額縁から大天守を望む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 97mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
42.桜門橋
「大手門」を退出し堀にかかる桜門橋を渡る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
43.和船
堀に沿ってバスの駐車場へ向かう途中、 船頭さんが漕ぐ、観光客を乗せた和船が見えた。和船は、夫・本多忠刻と幸せな10年間を暮らした千姫ゆかりの長局(百間廊下)の真下を通り、西の丸の「ワの櫓」で引き返し、今渡った桜門橋をくぐって姫路市立動物園にかかる赤い橋まで行って引き返して来る約30分間のコースのようだ。遠くだったので望遠で撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


2017年6月26日

上野公園(3) 国立西洋美術館見学 5月30日

国立科学博物館を退出して、そのまま、国立西洋美術館の前庭に入った。ロダンの彫刻がある。何回かここへは来るが前庭に入ったことはない。館内に入る前にロダンの彫刻の写真を撮る。パンフレットによれば、この美術館の原点は、フランス近代の絵画・彫刻を中心とする「松方コレクション」にある。実業家の松方幸次郎(1866~1950)は、日本最初の西洋美術館の建設を目指し、1916年から約10年の間、ヨーロッパで膨大な美術品収集したが、その後の変遷により、多くの作品が散逸してしまった。しかし、パリに残されていた約400点の作品は、第二次世界大戦中にフランス政府に接収され、戦後日本に寄贈返還された。国立西洋美術館は、この「松方コレクション」を保存・公開するための施設として、1959年に設立された、とある。
  受付で入場券を求めようとすると、65歳以上は無料だった。本館に入ると。ホールになっていて、そこにもロダンの作品があった。
  そして、フランスで活躍した近代建築の巨匠のひとりであるル・コルビュジエ(1887年~1965年)設計の本館は、コレクションの増加に伴い建物を拡張する「無限成長美術館」のアイデアを基にして建てられたそうだ。2016年7月に、この国立西洋美術館本館を含む「ル・コルビュジエの建築作品ー近代建築運動への顕著な貢献-」が世界文化遺産に登録されたのは、まだ記憶に新しい。
 私は美術については知識がない。記述は国立西洋美術館のパンフレット、および、国立西洋美術館の作品紹介ページから引用、参照させていただいた。

56.国立西洋美術館
国立科学博物館から歩いてくると、ここに出る。朝はまだ門が閉ざされていたが、門が開いていると広い前庭が見える。ここから入った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4 1/​1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
57.ロダン 「考える人」 (拡大作)
国立科学博物館側の入り口を前庭入ると、右手に大きなオーギュスト・ロダン(1840年-1917年)の彫刻「考える人」があった。1902年から1903年にかけて、ロダンの良き協力者であったアンリ・ルボセの手によって1881-82年の原型に基づいて拡大された像だ。松方コレクション。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4 1/​500秒 19mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
58.「カレーの市民」部分
原型は1884年-1888年に製作され、1953年に鋳造されている。台座上面前方に署名: A. Rodin; 台座背面右に鋳造銘: George Rudier / Fondeur Parisとある。国立西洋美術館の作品紹介のページよると、1884年、カレー市民はかねて懸案になっていた、同市を救った恩人、ウスターシュ・ド・サン・ピエールの記念碑建設を決定し、ロダンが指名された。ウスターシュは、中世百年戦争の時代、イギリス国王が1347年に英仏海峡を越えて同市を包囲した際、他の5人の地位の高いカレー市民と共に人質としてイギリス国王の陣営に赴き、カレー市と市民の生命を救ったのであった。年代記を読んで感動したロダンはウスターシュ一人の代わりに6人の市民がそれぞれの絶望と苦悩のうちに、市の鍵を手に、首に縄を巻いて裸足で市の門を出て行く群像を作り上げた。・・・とある。美術作品である彫刻を、自分勝手に、部分的に切り取って撮影するのは好ましくないのかもしれないが、お許しいただきたい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f​4 1/​1000秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
59.「地獄の門」上部
国立科学博物館側の入り口から入って一番奥の方に、この地獄の門がある。これもロダンの作である。写真は切り取って、上部を撮ったが、この下に門扉がある。ロダンは終生この大作の制作に取り組み、彼の多くの独立した作品が「地獄の門」に関連して生み出された。タンパンの中央に坐って墜ち行く人々を凝視する男は「考える人」であり、門の頂に立つ三つの影は「アダム」と密接な関係を持っている。フィレンツェに行ったときに見た洗礼堂のギベルティの「天国の門」を連想した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f​3.5 1/​100秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
60.「弓を弾くヘラクレス」 エミール=アントワーヌ・ブールデル
これまでの3っの彫刻はロダンの作品であるが、これは違う。作品紹介のページによると、ブールデルの名を不朽のものとした本作品は、ギリシャ神話の英雄へラクレスの「十二の功業」の一つに主題を借りている。へラクレスが怪鳥ステュムファリデスを射るために渾身の力で弓をひき、まさに矢を放とうとする瞬間を捉えている、と説明があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f​4 1/​1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
61.19世紀ホール
正面入り口から本館に入り、常設展の入り口に入る。そこは19世紀ホールとなっていて、ここにも「瞑想」「説教する洗礼者ヨハネ」、http://collection.nmwa.go.jp/S.1959-0002.html「青銅時代」といった松方コレクションのロダンの作品が展示されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f​1.8 1/​30秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
62.絵画の展示
順路に従って2階に上がると、絵画の展示があった。本館2階から14-16世紀の絵画~18世紀の絵画を鑑賞して、新館2階へ移ると19世紀の絵画が展示されている。そこから階段で下へ降りると20世紀の絵画があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f​2 1/​80秒 10mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
63.藤田嗣治 「坐る女」
余りにも有名な画家である。藤田嗣治が東京美術学校を終えて渡仏したのは1913年のことであった。以後、のちにエコール・ド・パリと呼ばれることになる若い画家たちの一員として頭角を現し、1920年代後半には画壇の寵児として世界的にその名を知られるようになる。これはは1929年の作品だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f​2 1/​30秒 11mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
64.クロード・モネ 「睡蓮」
50歳を超えたモネは自宅で庭園づくりを始めた。樹木や花を植え、池には睡蓮が育てられ、モネは繰り返して描くようになったという。本作品の制作時にはすでに20年近く睡蓮が描かれていたそうだ。松方コレクションである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f​2.2 1/​40秒 13mm ISO320 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
65.パブロ・ピカソ 「男と女」
このピカソの絵は梅原龍三郎氏より寄贈されている。まるでダンスを踊るかのようにもつれ合う裸の男女を本作品に描いた時、ピカソは88歳になっていたそうだ。この年、彼は少なくとも167点の油彩を制作しており、年齢からすれば驚異的な多作ぶりを発揮したと言えよう。ピカソの晩年の絵画は、本作品に見られるように、絵の具を荒々しくカンヴァスに塗りつけた粗野な様式によるもので、数の大さからも推察される通り、入念に一枚一枚仕上げられたものではなかった、と解説されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f​2.5 1/​50秒 16mm ISO320 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
66.ジョアン・ミロ 「絵画」
作品名が「絵画」となっている。この絵はとても印象に残った。ミロの作品では常に自然に基づく象徴的記号が登場する。この作品でも、太陽や星を示す記号が極めて単純化されて、画面の重要な構成要素となっている。プリミティヴでどこか稚拙さをも感じさせる表現であるが、同時に、広々とした天空を想わせるような明るい雄大な雰囲気を持つ作品であると解説されている。。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f​2 1/​30秒 11mm ISO320 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
67.国立西洋美術館正面
前庭から見る本館。手前に見える彫刻は、ロダンの「カレーの市民」である。この本館は、2016年7月に、この国立西洋美術館本館を含む「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」が世界文化遺産に登録された。一度も見学ことがなかったので、一度来てみたいと思っていた。この日は、短い時間であったが、英国自然史博物館展と併せて、有意義な一日となった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影( f​4.5 1/​1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


2017年3月24日

河口湖へ1泊2日のドライブ旅行(4) 富士山北口本宮浅間神社 3月4日

「与 勇輝 館」で十分な時間をとって、布で創作されたノスタルジックな人形たちを鑑賞した。次は、富士山北口本宮浅間神社だ。
 今回は3っの浅間神社を巡ったが、富士山周辺に、また、全国にどれくらいの数の浅間神社があるのだろうか?wikipediaによれば、浅間神社とは、富士信仰に基づいて富士山を神格化した浅間大神(浅間神)、または浅間神を記紀神話に現れる木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)とみなして祀る神社である。富士山は​​奈良時代末から火山活動が活発化し、​​​​​​​​​​火山神(浅間神)としての信仰(浅間信仰)として全国に広がったとされる。​そして、浅間神と木花咲耶姫命が同一視されたのには木花咲耶姫命の出産が関係している。中には木花咲耶姫命の父神・大山祇神や、姉神・磐長姫命を主祭神とするものもあり、それらを含めて全国に約1,300社の浅間信仰の神社がある。これらの神社は、富士山麓をはじめとしてその山容が眺められる地に多く所在するという。横浜にも浅間神社はある。
 2013年に「富士山と信仰・芸術の関連遺産群」として世界文化遺産への登録勧告があった浅間神社は、静岡県に6っと山梨県に3っ、計9っがあげられている。今回、私たちが参拝した富士山本宮浅間大社、富士御室浅間神社、北口本宮富士浅間神社のほか、静岡県の富士宮市にある山宮浅間神社、村山浅間神社、人穴浅間神社、裾野市の須山浅間神社、駿東郡小山町の富士浅間神社そして山梨県の都留郡富士河口湖町にある河口浅間神社がある。
 富士山北口本宮神社を参拝したのち、早めの昼食だったが「不動」という店でほうとうを食べた。

50.富士山北口本宮浅間神社 表参道
ここは、2013年1月5日「富士午後周遊日帰りバスツアー」で来たことがある。その時は、バスは138号線沿いにある駐車場に停められたので、この参道の奥に見える鳥居の所から参道を歩いた。しかし、今回は、そのまま境内近くの駐車場まで入ることができた。境内手前の大鳥居から138号線からの参道を見る。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 35mm ISO400​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
51.参道から見る大鳥居
​​ 大鳥居から随神門を見る。この大鳥居は日本最大の木造鳥居だそうだ。扁額には「三国第一山」と書かれている。この大きな鳥居は、江戸時代後期より60年に一度、大きな改修が行われてきたそうだ。前回は2014年にその大改修が行われた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250​秒 20mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
52.大鳥居
​​ 2014年の改修で、鳥居を支える8本の柱が取り替えられ、全体の色が塗り直された。4本の袖柱には、国産の桧が使われ、2本は東京のあきる野市より、残りの2本は埼玉県飯能市と島根県津和野町から調達されたとのこと。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f8 1/​250​秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
53.随神門(山門)​​
市指定重要文化財になっている立派な山門だ。扁額には「富嶽」とある。北口本宮富士浅間神社のパンフレットによれば、享保18年(1733年)、江戸の富士講村上派を仕切る村上光清が、幣殿、拝殿、神楽殿、手水舎とともに随神門を造営したとある。 ​​

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO360​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
54.拝殿
随神門をくぐると、神楽殿があり、その先に立派な拝殿があった。北口本宮富士浅間神社のホームページによると、その由緒は「景行天皇40年(西暦110年)、日本武尊ご東征の折、足柄の坂本(相模国)より酒折宮(甲斐国)へ向かう途中で当地「大塚丘」にお立ち寄りになられ、そこから富士の神霊を親しく仰ぎ拝され「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と仰せになりました。そのお言葉に従い大塚丘に浅間大神と日本武尊をお祀りし、当社の創建となりました。」とある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 20mm ISO320​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
55.孫の結婚式?
拝殿の右側に、2本の桧が根本で1本になり、さらに頭上12mで再び、合着していることから「富士夫婦桧」と呼ばれている樹高33m、目通り幹囲(目の高さでの立ち木の幹の直径)7.6mの桧の大木がある。ここで挙式を済ませたと思われる2人が写真を撮られていたが、その傍で見守る、祖父母であろうかご高齢のご夫婦の姿が印象的だった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250​秒 50mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
56.「富士夫婦桧」
前出の「富士夫婦桧」だ。根張りが著しく発達し、漏斗を伏せたような形になっていて、見上げると、枝は四方に良く伸びて見事である。県下で最大のヒノキの巨樹だそうだ。1992年9月1日に富士吉田市指定天然記念物に指定されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250​秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
57.「富士太郎杉」
拝殿へ向かって左には「富士太郎杉」という巨木がある。こちらは杉だ。樹高は45m、目通り幹囲8.2m、推定樹齢は300年以上とされ、1958年6月19日に山梨県指定天然記念物に指定されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250​秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
58.本殿
拝殿の脇から本殿の一部を撮らせていただいた。本殿は社記によれば元和元年(1615)に建立された。桁行1間、梁間2間、入母屋造、桧皮葺。桃山時代の装飾的技法の多様性を示すとともに、これが建築と一体をなしたすぐれた意匠を見せる顕著な遺構であるという。北口本宮冨士浅間神社本殿 附:棟札一枚 として 1953年3月31日に国指定重要文化財になっている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250​秒 50mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
59.東宮本殿
北口本宮浅間神社には本殿が3っある。拝殿に向かって左側の道を入っていくと、東宮本殿があった。貞応2年(1233年)北条義時造営ののち、永禄4年(1561)に武田信玄が再建したこの東宮本殿が現存する中では最も古く、一間社流造、檜皮葺屋根、室町・桃山様式で、明治40年、内務省にて国宝指定され、法改定により昭和25年に国指定重要文化財となっている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250​秒 22mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
60.富士山登山道吉田口 と末社のお社
再び拝殿前に戻って、今度は拝殿の右側へ行く。末社が並んでいた。写真の左手奥の鳥居の先から続く登山道の前に並んでいるのは、日之御子社、池鯉鮒社、倭四柱社、日枝社、日隆社、愛宕社、天津神社、国津神社、天満社だ。他にも境内には多くの末社が祀られていて、表参道​​​​​​沿いに青麻社、稲荷社、八幡社。諏訪神社前に三殿社、三神社、風神社、下諏訪社、子安社。本殿後ろに恵毘寿社。東宮隣に神武天皇社。登山道の鳥居の先​​​に祖霊社が鎮座している。これはすごい。とても全部お参りできない。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影  (​ ​f9 1/​320​秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし ​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​
;クリックすると大きな写真になります。
61.西宮本殿
西宮本殿は拝殿の奥にある現本殿の西に北面して建ち、もとは太神宮と称された。文禄3年(1594年)谷村城主浅野左衛門佐氏重が浅間神社本殿として造営し、元和元年(1615年)の浅間神社本殿再建のさい移築し西宮となった。1間社流造、桧皮葺。正面に1間の向拝を設ける。この本殿はかつては本社本殿の建物であり、比較的木割も大きく、堂々とした力強さをみせる。とくに全体に施された装飾意匠にすぐれ、桃山時代建築の特色をよく示しているという。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​250​秒 35mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
62.拝殿と太郎杉、夫婦桧
舞殿の手前から拝殿を撮る。拝殿の左側に太郎杉、右側に夫婦桧が聳えるが、その手前にも綱をまかれた杉の大木があった。この杉には特に名前は付けられていないようだ。もう1本、本社殿の幣殿(舞殿との本殿の間)の脇に富士吉田市指定天然記念物の大スギがある。これは次朗杉というのだそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250​秒 38mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
63.大鳥居から参道を振り返る
11時半になった。そろそろ北口本宮をお暇しよう。随神門の段の上から大鳥居とその先にまっすぐ伸びた参道を眺めた。私は花粉症で目がかゆくなって仕方がない。ゴールデンウィークの前くらいまでは我慢しなくてはならないが、この杉並木の花粉のインパクトはどうなのだろうか?

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.5 1/​250​秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。


2017年3月20日

河口湖へ1泊2日のドライブ旅行(3) 西湖湖畔、河口湖周辺 3月3・4日

「西湖 いやしの里 根場」を後にして、西湖の北側を走る。湖畔に下りられるところで車を停めた。少し傾き始めた太陽の光が雲一つない富士山に注がれている。誰もいない静かな湖畔だ。
 そして、今夜の宿である富士屋ホテルグループの「河口湖ビューホテル」に向かった。4時20分ごろ到着。さっそく5階にあるという展望室へ行って富士山とその反対側の河口湖を眺めた。富士山の眺めは西湖で見たそれにかなわなかった。
 ひと風呂浴びて、夕食になった。友人の奥様がフレンチを予約しておいてくれた。ワインは甲州の白にしたが、すっきりして旨い。
 翌朝、広大な「富士ビューホテル」の庭園を歩き、河口湖畔の散策路を歩いた。朝は雲が多かった。この日は、全く予定がない。どこを見て、どこを回って帰ろうかと朝食をとりながら話し合う。決まったのは、まず、河口湖畔の富士御室浅間神社を参拝し、ご婦人方のご要望で「与 勇輝 館」へ行き、布を素材とした人形を見ることになった。次にもう一つの浅間神社である富士山北口本宮浅間神社へ行くというところまで。

30.西湖
こんなにきれいに晴れた西湖を見るのは初めてだ。wikipediaによれば、西湖の​​面積は富士五湖では4番目の大きさで、最大水深は2番目の深さの​​​ 71.7m。山梨県指定天然記念物フジマリモの群落地である。かつて富士山北麓には、剗の海(​こせのうみ)​​​という広大な湖があった。やがてその西部に溶岩流が流れ込んで分断され、本栖湖が生まれた。さらに平安時代初期の貞観6年(864年)に富士山が大噴火(貞観大噴火)を引き起こし、流れ出た膨大な量の溶岩流によって剗の海は大半が埋め尽くされた。この時に埋め残された東端が現在の西湖で、精進湖は北側の湾の一つである。現在でも雨水による増水時に、それぞれの湖で水位が一定して同じく推移するため、3つの湖は地下でつながっていると考えられている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f9​​​ 1/​320​秒 28mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
31.逆さ富士くずれ
​​ この写真の前に4人で交代しながら記念写真を撮っていたら、富士山が西湖の湖面に白い姿を映していた。それに気が付いて、逆さ富士を撮ろうとと位置を変え、ファインダーを覗いたら、風が吹いたのか、もう湖面の富士山の姿はくずれてしまっていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f9​​​ 1/​320​秒 46mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
32.河口湖 -1​​
​​ 西湖から河口湖の南側に入って、今夜の宿である「富士ビューホテル」に到着した。チェックインをして、部屋に案内してくれた係りの人が最上階の5階に展望室があり、南に富士山、北側に川口が眺められるという。荷物を部屋に入れてもらって、その足で展望室とやらへ行ってみた。富士山の眺めは光線も悪く、良くなかったが、河口湖は日を浴びた湖面を見せていた。ここは河口湖の中央部で、河口湖大橋はもっと右の方にある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f10​​​ 1/​400​秒 44mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
33.河口湖 -2​​​​
​​ 河口湖は富士五湖の中で最も長い湖岸線を持ち、最も低い標高地点にある。面積は富士五湖で最も大きな山中湖(6.80㎢)に次ぐは2番目の大きさ(5.70㎢)で、最大水深は精進湖とほぼ同じ 14.6m の深さという。2013年6月22日には「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の1つとして世界文化遺産(日本の文化遺産としては13箇所目)に登録された。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f10​​​ 1/​400​秒 44mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.2日目の朝 「富士ビューホテル」の庭園
​​ 「富士ビューホテル」には広い庭園があり、河口湖の湖畔散策路に続いている。ゆっくり休んだ次の日の朝、朝食前に歩いてみた。野鳥のさえずりが聞こえる。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
​​ プログラムオートで撮影 ( f3.1 1/160秒 4mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
35.朝の河口湖畔
​​ どんよりとした雲が垂れ込めた湖畔は静寂だった。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
​​ プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
36.雪が残る湖畔散策路
​​ 「富士ビューホテル」の庭園内を歩き、車が走る湖畔道路へでる。「敷島の松」というバス停があるところを湖畔側に渡る。写真に残さなかったが、平成8年10月14日 除幕された田中冬二の詩碑があった。昭和18年に河口湖を訪れたときの田中冬二の作品にちなみ、スープに浮かんだ逆さ富士をモチーフにしたデザインの詩碑になっている。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
​​ プログラムオートで撮影 ( f3.1 1/250秒 10mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
37.河口湖畔
​​ 湖畔の散策路を西の方へ歩いていくと、こんどは谷崎潤一郎文学碑がある。谷崎潤一郎は昭和17年秋に河口湖畔に滞在して名作「細雪」を執筆。ここの文学碑には「細雪」の一説が谷崎の直筆で刻まれていた。

Panasonic DMC SZ-10 f3.1-6.3 4.3mm-51.6mm 16.0 Mega Pixels
​​ プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/400秒 10mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
38.「富士ビューホテル」玄関前から眺める富士山
​​ 9時過ぎにチェックアウトしたが、朝のうちは雲に覆われていた富士山が見えるようになった。出発を前に宿泊客が順番を待って富士を背景に記念写真を撮っていく。我々もそれに従った。富士山は北側斜面を見せている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f8​​​ 1/​400​秒 70mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
9.富士御室浅間神社
​​ 第2日目はまず、今回訪れる2つ目の浅間神社である富士御室浅間神社を参拝した。ここは初めての所だ。備えられている案内板には1300年以上の歴史を有する富士山最古の神社であると記されていた。富士御室浅間神社のホームページによれば、本宮は「文武天皇3年(699年)に藤原義忠によって霊山富士二合目に奉斉されたと伝えられる。その後708(和銅1)年に祭場の形を造り、720(養老4)、807(大同2)年に雨屋、社殿を創建された。富士噴火のため焼失したが、その後、しばしば再興、増設された。社名の「御室」は、かつて祭祀を石柱をめぐらせた中で執り行っていたことによるものである。 天徳2年(958年)には、村上天皇により、氏子の祭祀の利便のため河口湖の南岸に里宮が創建された。」とある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f9​​​ 1/​320秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
40.随神門、里宮社への参道​​
​​ 広い境内には、富士山を背にする、昭和49年に富士山二合目から、ここに移築復元された本宮(国指定重要文化財)と河口湖を背にする里宮(町指定有形文化財)が建てられているが、この写真は随神門から里宮社へ続く参道である。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.3​​​ 1/​320​秒 98mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
41.モズ​​
​​ 参道を歩いていると、野鳥が飛んできて、木の枝にとまった。モズのようだ。トリミングしている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3​​​ 1/​250​秒 300mm ISO450​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
170319_041.jpg
42.里宮社の随神門​​​​
​​ 質素だが、落ち着いた随神門だった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6​​​ 1/​250​秒 22mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
43.里宮社
​​ 随神門を抜けて境内に入る。958年(天徳2年)村上天皇が、崇敬者の礼拝儀祭の便を図るため、老松繁る現在の場所へ建立された。以来武田家、小山田家、徳川家からあつい信仰や手厚い庇護を受けて来た。現在の建物は、明治22年に再建されている。河口湖に面し、喧騒と離れた静寂の中にある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f7.1​​​ 1/​250​秒 35mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
44.本宮 昭和49年にこの地に移築 -1
​​ 再び富士御室浅間神社のホームページによれば、本宮は「富士山最古の社。699年(文武天皇の御世)藤原義忠公が霊山富士二合目へ奉斉。722年(養老4年)雨屋建立。807年(大同2年)に坂上田村麿郷が蝦夷征伐の御礼として社殿を創建。噴火のための数次にわたる炎上と、自然条件厳しい場所のための不朽激しく、そのつど皇室及び、武田家をはじめとした有力な武将等により再興が 重ねられてきた。 富士山二合目にあった本宮本殿は、1612年(慶長17年)に徳川家の臣で当時当地方の領主鳥居成次が 造営、その後4回の大改修を経たものを、永久保存のため昭和49年に現在地へ 遷祀したものである。構造は、一間社入母屋造り、向拝唐破風造り、屋根は檜皮葺形銅板葺きで桃山時代の特徴をもったすぐれた建造物である。」と書かれている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.5 1/​250​秒 28mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
45.本宮 昭和49年にこの地に移築 -2
​​ 本宮本社殿前の説明札には、昭和39年スバルラインの出現により、旧登山道が荒廃を極めるとともに、あまりにも厳しい自然状況の中にあり、永久保存が至難であるため、昭和48年にここに移築復元し、昭和49年5月完工、重要文化財の指定を受けたと記されていた。このように本宮本殿は永久保護のため、ここ里宮の地に移築されたが、本宮の拝殿は当時のまま、富士山二合目に奥宮社として新たに建立されているそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​250​秒 26mm ISO450​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
46.富士御室浅間神社 里宮拝殿
​​ もう一度、里宮拝殿に戻ってきた。現在の建物は、明治22年に再建されたとあるが、静かな佇まいに建つこのお宮は落ち着いた趣きがある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.​5​​​​ 1/​250​秒 ​18​mm ISO​22​0​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
47.里宮拝殿の扁額
​​ 里宮拝殿の扁額には大石次郎右衛門の文字が読み取れるが、どういう人なのかはわからなかった。​​

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​4​​​​.​5​​​​ 1/​250​秒 ​44mm ISO​140​0​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
4​8.稲荷神社
​​ 里宮拝殿の周囲にはいくつかの末社があったが、左手(西側)​に稲荷神社があった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f​5​​.6​​​​​​​ 1/​250​秒 ​26mm ISO​20​0​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
49.「与 勇輝 館」
​​ 河口湖の南側湖畔にある「与 勇輝 館」に寄った。ここは布を素材とした日本の創作人形作家の第一人者である与 勇輝 氏の作品を常設展示する美術館として平成5年に開館した。ご婦人方のご要望で見学したが、そのノスタルジックな人形は時代の流れを感じさせる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f​6.3​​​​​​​ 1/​250​秒 ​35mm ISO​20​0​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。


2016年1月26日

三島スカイウォークと江川邸、韮山反射炉へドライブ(3) 韮山反射炉 1月5日

江川邸から韮山反射炉までは近かった。駐車場があまり広くなさそうなので車を停められるかどうか心配だったが、難なく駐車できた。今日は見学者はそれほど多くはないのだろう。
 入口を入るとすぐ反射炉の塔が見えた。ここでもボラティアのかたが見学者の前で説明をされている。私は恥ずかしながら反射炉とは何なのだろうかをはっきり知らなかった。ましてや大砲を鋳造するために必要となったことなど思いもよらなかった。
 wikipediaによれば、日本に現存する近世の反射炉は、この韮山反射炉と萩反射炉(山口県萩市)のみであるため貴重な遺構という。1922年(大正11年)敷地も含めて国の史跡に指定され、2007年(平成19年)、経済産業省により、近代化産業遺産に認定されている。さらに2009年には、萩反射炉などと共に九州・山口の近代化産業遺産群の構成資産としてユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストに掲載され、2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄、製鋼、造船、石炭産業」として正式登録されたのだ。
 反射炉の周囲を、その説明板を見ながら左回りに見て歩いた。30分もあれば十分、見て歩くことができる。

12時半過ぎには、韮山反射炉を後にした。伊豆スカイラインを走って、十国峠、箱根回りで帰ろうかと思ったが、雲が出てきて富士山がきれいに見える保証が無くなったので、思い直して三島へ出て、三島大社にお参りし、その近くで鰻を食べて帰ろうということになったが、三島大社は車が混んでいて近づくことができなかった。三島駅前の駐車場に車を停めて、「鰻屋さんはどこが美味しいですか」と尋ねてみると、「桜屋」との答え。しかし、そこからは少々遠い。JR駅前で「不二美」という鰻屋さんを探して入った。旨かった。

33.韮山反射炉 -1
駐車場に車を停めて、韮山反射炉の入り口を入った。目の前にTV番組などで見た韮山反射炉がある。ボランティアの方だろうか見学者に説明をされている。私は韮山反射炉についてほとんど知識がなかった。知っていたのは「明治日本の産業革命遺産 製鉄、製鋼、造船、石炭産業」として世界文化遺産として正式登録された遺構の一つだということくらいである。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 24mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.韮山反射炉全景
入場券の裏面には、反射炉とは鉄を溶かすための溶鉱炉で、鉄の溶解に必要な千数百度という高温をつくるために、反射炉内の天井部分をドーム型にして、炎と熱を反射させ、材料に集中させるので反射炉と呼ばれると説明されていた。wikipediaによれば、最初の反射炉は中世の時代にあり、鐘を鋳込むために青銅の溶解に使用されたという。17世紀末に初めて金属の製錬に適用されたそうだ。反射炉というと何か太陽光を利用して高熱を作り出すように思いがちであるが、それでは鉄は溶けないだろう。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 20mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
35.反射炉の構造 -1
反射炉は天井がドーム状になった炉体部と煉瓦積みの高い煙突からなる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
36.反射炉の構造 -2
反射炉は連双2基4炉からなる。これは出湯口側で、4つあるそれぞれの上の四角い穴を方孔といい、溶解した鉄をここからかき混ぜ熱度を一定にしたり、鉄湯を取りだし、品質を調べたりする。その下にある右側の丸く見える穴は、出滓口で溶解した鉄の上部に溜まる滓(かす)を取り出すところ、さらに少し下の左側の穴は出湯口で溶解した鉄が流れ出てくるところ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 24mm ISO720 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
37.大砲
右側を見ると大砲があった。江川英龍は日本に迫る諸外国の艦隊に備えるため、反射炉で鉄製の大砲を鋳造し江戸湾の台場をはじめとする砲台に設置することを目指した。説明をしていたガイドさんから「あの大砲を作るためにこの反射炉を作ったのですよ」という声が聞こえてきた。展示されている24ポンド カノン砲は、銑鉄製で株式会社木村鋳造所が1998年に、韮山反射炉で1門製造された青銅製の24ポンド カノン砲のレプリカとして製造されたものだそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/500秒 22mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
38.臼砲
左手前は青銅製の29ドイム臼砲で、韮山反射炉で製造されたという。その名の通り臼のような形をしていている臼砲(モルチール砲)は45度の角度で砲弾を射出し城壁などの上を越えて攻撃する砲口装填式の滑空砲。弾道が高く命中精度は低いが、城郭や要塞攻撃に多用されたそうだ。ドイム(拇)とは、オランダの長さの単位だが幕末の日本では1ドイム=1センチメートルと定義されているそうだ。ドイムなんていう長さの単位は初めて聞く。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/400秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
39.韮山反射炉 -2
韮山反射炉で見るところはそれほど広くはない。反射炉の周りを左回りで見ていく。この位置からは連双2基4炉が重ならずにすべて見られる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/640秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
40.反射炉の構造 -3
左側の口を鋳口といい、溶解させる銑鉄などを入れるところで燃焼ガスの集中により最も高温になるところ。右下の方は焚口といい、筑後や常磐等の石炭を入れるところだそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO360 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
41.韮山反射炉 -3
反射炉の裏側に回ってきた。左側の反射炉の下のところに石積みの焚所風入口と灰穴が見える。灰穴は焚口のある焚所(燃焼室)の下に位置し、焚所への自然送風口と共に、焚所で燃えた燃料の灰を落とす所だそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
42.韮山反射炉 -4
さらに左回りに進むともう一基の反射炉の焚所風入口と灰穴が見える。これで連双2基4炉の反射炉の周りを一回りした。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
43.一級河川 韮山古川起点
反射炉の見学を終え、駐車場の方へ戻る途中に小さな川が流れていた。一級河川韮山古川起点という看板が立っていた。韮山古川は狩野川水系の一級河川で、ここから田方平野南部に出て、準用河川皆沢川、準用河川山田川を合わせて狩野川右岸に合流する。鉄を溶かして鋳型で固めた鉄の塊でしかない砲身を、水車で回転させ削孔(さっこう)するのは、工作機械「三連錐台」で行われた。昼夜休みなく回る水車によって約1ヶ月かけて穴が開けられたのだ。反射炉が古川沿いに築造されたのも、水力を必要とするためであったそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 48mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


2016年1月16日

三島スカイウォークと江田邸、韮山反射炉へドライブ(1) 三島スカイウォーク 1月5日

2015年7月5日に行われた第39回世界遺産委員会で世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の一つである韮山反射炉へ行ってみたいと思っていた。また、昨年12月になって、三島と箱根の間に歩行者専用としては日本一長い「三島スカイウォーク」という吊り橋がオープンしたとTVで報じられていた。
 はじめ、日帰りバスツアーで行こうかと思っていたが、それほど遠い距離でもなく、また、先日n-shuhei さんが行ってこられた江田邸にも是非寄りたいので、マイカーで出掛けることにした。

朝6時半に自宅を出発し、三島スカイウォークに着いたのが開場時間前の8時40分ごろだった。雲一つない晴天だったが何かクリアな空ではない。PM2.5でもなかろうと思うのだが。江田邸には10時40分着、そして江田氏菩提寺である本立寺に寄って、最終目的地である韮山反射炉に着いたのはちょうど正午ごろだった。反射炉を見て歩くのに30分もかからなかった。
 12時半には、この日の目的を終え、さて、帰路はどのようにしようかと思案した。伊豆スカイラインを走って富士山の写真を撮って帰ろうかと思い、国道136号線へ出る信号で一旦ウィンカーを左に出したものの、信号待ちの間にかみさんと協議の結果、考えを変え、三島に行って三島大社にお参りし、その近くで鰻を食べて帰ろうと、ウインカーを右に出しなおした。
 ところが三島大社の周辺は大渋滞でとても寄り付けそうもない。仕方なく三島駅近くの駐車場に車を入れて、駅前の鰻やさんに入った。その店は、間口は小さかったが結構奥行きがあり、お客さんも入っていた。
 帰路、東名高速のインターに出るのに迷ってしまい、結局、長泉沼津ICから第二東名に入った。御殿場を過ぎると下り坂になり、流れが早くなる。その後も順調に走り、夕方5時前には自宅に着いた。

1.足柄サービスエリア
自宅から1時間少々走って、8時ごろ足柄サービスエリアに車を停めた。朝食にする。走行中も真正面に雲一つない富士山を見ながら走ってきたが、ここからの富士山も大きく見える。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.5 1/400秒 258mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
2.三島スカイウォーク入口付近から見た富士山
東名沼津から伊豆縦貫道に入り、三島塚原ICで下りて、国道1号線を箱根方面に向かった。10分も走らないうちに三島スカイウォークの大きな駐車場に入った。開場は午前9時でチケット売り場はまだ開いていなかった。往復渡橋の入場料は@1,000円。しばらく待つとゲートが開き、左手にある大吊り橋の渡り口へ向かう。さっそく、富士山が迎えてくれた。遮るものがない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1600秒 140mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
3.吊り橋を歩く
対岸に向けて吊り橋を歩く。少し揺れるがまったく不安を感じない。左側には富士山が見えるが、それ以外には見るべきものは何もない。季節が変わるとどうなるのだろうか。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/1600秒 6mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
4.400mを渡り反対側へ
写真を撮りながら15分くらい吊り橋の上を歩いただろうか。反対側の丘の上に着いた。橋の向こう側に見えるのは三島市、さらに駿河湾だ。係りの人も言っていたがこの日は晴れてはいるものの、なにか靄がかかっているようで、いまいちくっきり見えない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1600秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
5.谷
手すりから首を出して覗いてみると、橋の下は谷になっていて水は流れているようだが美しい渓流があるわけではない。まだ開発中なのだろうが裸地が多かった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/640秒 122mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
6.展望台から見える富士山 -1
吊り橋を渡り切った反対側には展望台が設けられていた。しかし、雨や曇りの日に来られた人たちは気の毒だなと想った。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/800秒 21mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
7.展望台から見える富士山 -2
裾野市の向こうに富士山を見る。この日は少し靄がかかっていたが、それにしても青空を背景に富士山を撮るのは難しい。全体が青みがかってしまい、富士山がくっきりと浮かばない。また、レンズの周辺光量不足が目立ってしまう。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1600秒 122mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
8.吊り橋を戻る
途中、振り帰って入口(入場口)の方を背にもう一度富士山を撮る。やはりくっきりとは撮れない。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1000秒 26mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
9.入口側の展望台
入口側にも展望台があって撮影スポットが設けられていた。今日は入場者が少ない。しかし、何人かが順番を待って記念写真を撮っている。写真を撮られるときにVサイン(ピースサイン)をするようになったのは何時頃からだろうか。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/2000秒 35mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
10.入口側展望台から見た吊り橋全景 -1
木が切られた跡が目立つ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 35mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
11.入口側展望台から見た吊り橋全景 -2
今度は吊り橋の右側から富士山を入れて撮る。パンフレットによると全長400mで谷からの高さ70.6m、歩道幅1.6m、主塔の全校44mとなっていて、歩行者専用吊り橋としては日本一の長さとのこと。また、車椅子同士がすれ違うことができる幅に設計されているそうだ。空気が乾燥してクリアな時は富士山のみならず、駿河湾の眺めも良いだろうなと思う。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/1250秒 30mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
12.花が降るショップ スカイガーデン
入場ゲートの手前左側の小高い丘の上にスカイガーデンというショップがあった。エスカレータが付いている。登ってみた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1600秒 5mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
13.スカイガーデンのなか
エスカレータを上がってスカイガーデンの中に入る。中は温室のようになっていて、天井からはトロピカルな花が吊られていた。雨の日に来られた人たちは、しばしここで時間を過ごすことになるのだろう。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 8mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。