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2024年4月24日

近衛の枝垂れ桜 京都御苑 2024年3月22日 京都旅行(3/22-3/24) ④

京都御所の参観を終え、入ったところと同じ清所門から退出した。
 その北側の奥が近衛邸跡である。ここの「近衛の枝垂れ桜」を見ておきたかった。しかし残念ながらまだ咲き始めのようだ。
 近衛家というのは五摂家の一つで公家では最高の家柄であった。wkipediaによれば、近衛家は、藤原北家嫡流であり、公家の五摂家筆頭で、華族の公爵家のひとつ。人臣で最も天皇に近い地位にある家とされる。家紋は近衛牡丹。近衛家で最も著名な人物は、昭和前期に3度にわたって内閣総理大臣を務めた近衛文麿である。別称を陽明家という。
 その五摂家の一つ、摂政や関白を多く出した近衞家の邸宅跡には、枝垂れ桜の大木が約60本植えられている。御苑で一番早く咲き始めると言われる桜で、例年は3月中旬にはほころび始めるという。白、紅などの品種によって花の時期が違うので、全体としては1ヶ月くらい楽しむことができるそうだ。
 京都御苑は、明治2年の東京遷都で御所周辺の公家の邸宅が荒廃したので、明治16年(1883年)に公園として生まれ変わった。現在は国民公園として一般公開されているが、樹木が多く残されており、京都市内にあって貴重な緑の空間となっている。  最後に出水の枝垂れ桜をもう一度見て、ホテルに戻った。一休みして、ホテルのロビーで娘たち夫婦と合流、夕食に出かけた。

000_240322498 X700 京都御苑 近衛邸跡しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg
近衛の枝垂れ桜 2024年3月22日 京都市上京区京都御苑

065_240322469 X900 京都御苑 近衛邸跡しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg 65.近衛の枝垂れ桜 -1
この枝垂れ桜は「糸桜」と呼ばれており、近衛邸が現在の同志社大学の場所にあった頃から有名な桜だったという。三分から五分咲きというところだろうか。写真は近衛邸跡入口付近の糸桜である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 20mm ISO110 )
066_240322471 X900 京都御苑 近衛邸跡しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg 66.近衛の枝垂れ桜 -2
これは白っぽい、一重の花である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO140 )
067_240322477 X900 京都御苑 近衛邸跡しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg 67.近衛の枝垂れ桜 -3
もう1枚。小ぶりの清楚な花である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO140 )
068_240322480 X900 京都御苑 近衛邸跡しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg 68.近衛池
庭園のみ残された姿が現在の近衛池だそうだ。2019年~2021年時点では池の周囲~背後の樹木が鬱蒼としていたし、水のない池底も長年の落葉で土が堆積してる様子が見て取れたけど、2022年の修復工事でだいぶ綺麗な感じに整ったという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 87mm ISO200 )
069_240322487 X900 京都御苑 近衛邸跡しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg 69.近衛邸跡の桜 -1
この桜はピンク色である。同じイトザクラという品種なのだろうか。イトザクラはエドヒガン系のシダレザクラだそうだ。イトザクラはシダレザクラの別名として用いられる場合がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 69mm ISO125 )
070_240322489 X900 京都御苑 近衛邸跡しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg 70.近衛邸跡の桜 -2
まだまだ三分咲きのようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 36mm ISO160 )
071_240322509 X900 京都御苑 近衛邸跡しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg 71.近衛邸跡の桜 -3
桜の下で写真を撮る外国人観光客。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 23mm ISO110 )
072_240322513 X900 京都御苑 近衛邸跡しだれ桜 朔平門 Z50 Z18-140.jpg 72.朔平門と糸桜
そんなこととは知らず撮ったが、このアングルはSNSなどで人気があるのだそうだ。ここは日当たりが良いのだろうか、他所の桜より、咲き進んでいるように見える。後ろに見えるのは、朔平門は御所の築地塀の北側にある門。wikipediaによれば、朔平門はかつての平安宮内裏外郭の北正面にあり、内郭の玄輝門と相対する。その西に式乾門があり、門外の東西に仗舎が設けられていた。この門のすぐ北に縫殿寮の建物があるため「縫殿陣」ともいい、「北面僻仗中門」ともいった。と記されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.5 1/500秒 105mm ISO560 )
073_240322516 X900 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 73.桃林 -1
御苑の北の端から、入ってきた南の端にある間之町口の出口へ、南北1300mを歩き始める。奥さまにも随分歩かせてしまった。スマホの万歩計は1万2千歩を超えている。時刻は午後3時半。人の影が長くなってきた。今日は1日良く晴れてくれた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO220 )
074_240322518 X900 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 74.桃林 -2
桃ノ木はまだ蕾を持っていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO160 )
075_240322522 X900 京都御苑 白雲神社 Z50 Z18-140.jpg 75.白雲神社
西園寺邸跡の傍に白雲神社があった。往きには横目で眺めただけで参拝をしていない。wikipediaによれば、「白雲神社は旧西園寺家の鎮守社であり、1224年(元仁元年)に西園寺公経が北山殿造営に際し建立した妙音堂に由来するとされる。後に、赤八幡京極寺にも鎮座され、1769年(明和6年)西園寺邸とともに御苑内に移った。明治以降、西園寺家が東京に移り「白雲神社」と称されるようになった。」とあった。「妙音弁財天と称する市杵島姫命で、西園寺家が琵琶の宗家であることから音楽の神として祀られてきた。」また、「1869年(明治2年)、西園寺公望はこの地に私塾「立命館」を開いたことでも知られる。」とも記されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 33mm ISO560 )
076_240322526 X900 京都御苑 出水しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg 76.出水の枝垂れ桜
最後にもう一度出水の枝垂れ桜を眺めて、京都御苑を後にした。タクシーに乗りたかったが、奥さんにも我慢してもらって地下鉄に乗った。今日はもう一か所平安神宮の神苑へ行こうかと考えていたが、また、次の機会にする。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 94mm ISO140 )
077_4240322009 X900 四条通 G7X.jpg 77.宵の四条通り
ホテルから宵の四条通りを歩いて食事に出かける。四条通りは東京でいえば銀座通りのようなメインストリートである。八坂神社、祇園から四条大橋で鴨川を渡り、河原町、烏丸を通り、四条大宮方面に至る。高島屋、大丸という百貨店も並び、歩道には屋根が設けられて、雨の日も歩きやすそうだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 11mm ISO125 )
078_240322011 X900 焼肉小路 G7X.jpg 78.今宵は焼肉
朝食は別にして、これから24日の昼食まで、4回の食事を娘の主人がそれぞれの好みを考えながら、予約をしてくれていた。有難い。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO2500 )

2023年5月 7日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物 ③ 2023年4月5日ー7日 吉野山 吉水神社

2023年4月6日の続き。金峯山寺の蔵王堂は、各自、自由時間に拝観するということで、先に吉水神社を団体としてお参りし、本殿に参拝し、重要文化財の書院を見学、そして、庭園と展望台からの中千本、上千本の桜の眺めを楽しんだ。
 この吉水神社の有料で拝観できる書院は、①南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に潜幸(おしのびの行幸)したときに行宮(あんぐう)を設け、一時居所とした南朝の本拠地、②さらに源義経が潜居したり、③豊臣秀吉が花見の本陣とした等のエピソードがある凄い場所である。後醍醐天皇玉座の間、太閤秀吉花見の間、義経潜居の間なども写真撮影が許されていていた。古文書や武具、楽器など100点を超える宝物もあった。書院の見学を終え、外に出ると、「一目千本」、山が笑うほどの明るい桜の山が待っていてくれた。良いところを見ることができた。ツアコンさんの案内がなければ、見落としてしまっていたかもしれない。小一時間を吉水神社で過ごした。

000_2304060582 X700 ◎吉野山 Z50 Z18-140.jpg
吉水神社「一目千本」から中千本の眺望 2023年4月6日 奈良県吉野町

063_2304060572 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 63.吉水神社 表門(山門?)
吉水神社には3つの門があった。書院の奥にある北闕門(ほっけつもん)以外その名称が分からない。これは最初の門だ。山門というのだろうか。吉水神社の社伝では、白鳳年間に金峯山寺の僧坊「吉水院(きっすいいん)」として役行者(役小角)により建立されたと伝えられている。写真には写っていないが、この門の右側に、元弘の変に敗れ、隠岐に流される途中の後醍醐天皇へ児島高徳という忠義の武士が桜の木に刻んだ十字(10文字)の漢詩が掲げられている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0250 ) 露出補正 なし
064_2304060576 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 64.吉水神社 中門
中門と言ってよいのかどうかはわからないが、最初の門の内側、本殿の手前にある門である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 23mm IS0180 ) 露出補正 なし
065_2304060586 X900 ◎吉野山 Z50 Z18-140.jpg 65.一目千本
表門を入って、右側に「一目千本」展望台があった。書院見学の前だが、ちょっと見たいと立ち寄ってしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 64mm IS0250 ) 露出補正 なし
066_2304060579 X900 ◎吉野山 Z50 Z18-140.jpg 66.中千本の桜 -1
この山は宝月尾(ほおづき尾)と呼ばれるそうだ。「ほおづき尾」をチャットGPTに聞いてみると、「奈良県吉野山のほおづき坂は、桜の名所の一つで、特に「ほおづき尾」として知られています。ソメイヨシノの桜が植えられています。ほおづき尾は、ほおずき坂の途中にある一帯のことを指し、桜のトンネルを形成している美しい景色が有名です」という答えがあった。ただ、吉野山はおおよそ3万本のヤマザクラというが、「ほおづき尾」はソメイヨシノなのかなと疑問に思った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 125mm IS0250 ) 露出補正 なし
067_2304060580 X900 〇吉野山 Z50 Z18-140.jpg 67.中千本の桜 -2
中千本から上千本に連なる桜の眺めはまさしく「一目千両」だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 44mm IS0280 ) 露出補正 なし
068_2304060587 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 68.吉水院庭園 -1
国指定名勝の池泉鑑賞式庭園で、豊臣秀吉によって造られた。吉水院庭園という説明板があったが、吉水院というのは明治時代の神仏分離令以前、お寺だった時代の名称。この庭園は1594年(文禄3年)に太閤・豊臣秀吉が吉野山で大花見を行った際、本陣だった吉水院に秀吉自らが設計した庭園とされている。安土桃山時代の華やかな雰囲気を今日に伝える「桃山様式の日本庭園」であると説明されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm IS0250 ) 露出補正 なし
069_2304060589 X900 吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 69.吉水神社本殿
1874年(明治7年)12月17日に吉水院は後醍醐天皇社の名で神社になることが太政官に承認されたとのこと。1875年(明治8年)2月25日、社名を吉水神社に改称し、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀(はいし)(主祭神のほかに、同じ神社の中に他の神を祭ること)し、やがて村社に列している。現在、本殿には2001年(平成13年)に焼失した勝手神社の祭神が仮遷座されているそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 31mm IS0280 ) 露出補正 なし
070_2304060591 X900 吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 70.南朝皇居
吉水神社のホームページによれば、「延元元年(1336年) 後醍醐天皇が京の花山院から吉野へと行幸された際に、吉水宗信法印の援護のもと、この吉水院を南朝の皇居とされ、ここに住まわれました。それから南朝四代五十七年の歴史ははじめられ、それから南朝四代五十七年の歴史は始められ、吉水神社は現存する南朝唯一の行宮となっています。」と説明されている。石碑は新しいものであるが、「世界遺産・南朝皇居・吉野神社書院」と彫られていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 59mm IS0500 ) 露出補正 なし
071_2304060085 X900 吉水神社 G7X.jpg 71.書院 源義経潜居の間 -1
義経は後白河法皇から勝手に任官を命ぜられたことなどから、鎌倉の謀反人となり兄頼朝から追われる身となる。京を離れ、義経、静、弁慶など少ない手勢は、奈良の吉野山にあるここ「吉水院」にかくまわれた。文治元年12月、源義経が静御前、弁慶等と共に数日間この部屋に身を潜め再起を計ったが、それも束の間、すでに鎌倉から吉水院に義経追討状を送られ義経も止むなく山伏姿に身を替え弁慶等と共に吉野落をしたという。右側に弁慶思案の間がある。弁慶がここで見張りをしながら一世一代の秘策を考へ思案した。(吉水神社のホームページや、「セルフ塾のブログ」などの記述を参照させていただいた。)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
072_2304060593 X900 吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 72.書院 源義経潜居の間 -2
ここから先は、女人禁制の「大峰山」で逃れられないと、義経は静に京に帰るよう命じたという。このとき静御前は義経の子を身ごもっていた。「吉野山 峰の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき」と歌われた、天下に名高い大ロマンスの舞台だそうだ。その際に身に着けていた数々の武器や道具や衣装を吉水院へ隠し残されていった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/200秒 21mm IS06400 ) 露出補正 なし
073_2304060090 X900 吉水神社 G7X.jpg 73.書院 後醍醐天皇玉座
吉永神社のホームページによれば「吉永神社書院の中にあるこの部屋は、延元元年(1336年)後醍醐天皇が京の花山院より秘かに吉野に行幸された時、吉水院の宗信法印が三百名の僧兵を従えて、天皇をここにお迎えしました。後醍醐天皇はこの部屋を南朝の皇居と定められて、吉野朝の歴史の第一頁が始まりました。天皇は建武の中興の偉業を成されるため、昼夜御努力をなされ王政復古を願われながら、南朝での御生活をされましたが、延元四年(1339年)にこの地で病により倒れられ、静かな最後を遂げられました。」と記されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
074_2304060104 X900 吉水神社 G7X.jpg 74.庭園と北闕門(ほっけつもん)
書院の縁から書院裏庭と北闕門を見る。書院裏庭に現存する北闕門は古来より修験者(山伏)たちの祈りの場であった。大峰山に入山するにあたり、無事に下山できるようにここから祈った聖地であった。山伏達は吉水院にて入山許可書をもらい、護摩を焚き崖から落ちたり、熊や猪や蝮に襲われることなく「平穏無事」の下山できるように念じたという。そして、この北闕門にて後醍醐天皇も朝夕に京都の方角の空を仰ぎながら邪気払いの「九字」を切られたといわれている。北闕門は後醍醐天皇が京都に凱旋する時の門でもあった。その後、楠正行も出陣にあたり「九字真法」の印を切り結んだ場所と伝えられている。(吉水神社ホームページ参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
075_2304060111 X900 吉水神社 G7X.jpg 75.吉野之花見図
これは複製だそうだ。細やかなタッチで花見の様子が描かれている。吉水神社ホームページには「文禄三年(1594年)に豊臣秀吉が南朝を偲んで吉水院(吉水神社)を本陣として盛大なる花見の宴を催しました。徳川家康・加藤清正・前田利家・伊達政宗など時の武将たちを含め総勢五千人の家来を引き連れて吉野山を訪れ、吉水院(吉水神社)に約五日間滞在されました。その時に、歌の会、茶の会,能の会などを開いて豪遊されました。一世の英雄がその権勢を天下に示し念願の大花見をしたのでした。豊臣秀吉はその時に後醍醐天皇玉座の間の修繕や庭園の設計などを含め、数多くの能面や金屏風などの宝物を吉水院(吉水神社)に残され寄贈されました。と記されている。「竹の図」(桃山時代後期 狩野山雪筆)、「桜の図」(桃山時代前期 狩野承穂筆)の屏風もあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
076_2304060115 X900 吉水神社 G7X.jpg 76.秀吉花見の本陣
書院の庭に「秀吉花見の本陣」という標識が立てられていた。向こうに見えるのは北闕門である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
077_2304060599 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 77.書院の縁と裏庭
書院の縁側からは、その裏庭と、右手に北闕門が見える。広くはないが、見応えがある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0160 ) 露出補正 なし
078_2304060605 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 78.吉水院庭園 -2
神仙思想に基づく鶴亀蓬莱の庭と言われる。この石は鶴島を表している。その左手に、写真には写っていないが亀島がある。鶴と亀は千年生きたとされ、これを見た人は千年生きられると考えられていると説明されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0400 ) 露出補正 なし
079_2304060616 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 79.「一目千本」からの眺め -1 中千本と上千本
最後にもう一度、「一目千本」展望所から、中千本、上千本の桜を眺めた。写真の左から右へ中千本から、上千本へと桜の尾根が連なる。画面は中千本と上千本の手前だが、今回撮った写真の中では気に入った写真になった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0400 ) 露出補正 なし
080_2304060619 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 80.「一目千本」からの眺め -2 宝月尾(ほおづき尾)のあたり
いくら眺めていても飽きない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 33mm IS0125 ) 露出補正 なし
081_2304060622 X900 〇吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 81.「一目千本」からの眺め -3 桜の花色
木によって微妙に異なる花色が織りなすバリエーションが素晴らしい。青空の下であればと欲が出る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 61mm IS0180 ) 露出補正 なし
082_2304060626 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 82.「一目千本」からの眺め -4 中千本
中千本エリアは広い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 90mm IS0100 ) 露出補正 なし
083_2304060628 X900 ◎吉野山 吉水神社 Z50 Z18-140.jpg 83.「一目千本」からの眺め -5 中千本
「一目千本」展望所からは中千本と上千本が見えるというが、どこからが上千本なのかよくわからなかった。昨夜までは今日は雨だろうとあきらめていたが、ここまで桜を眺めることができてラッキーであった。吉野神社でよい時間を過ごし、退出したのは、11時少し前だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 54mm IS0125 ) 露出補正 なし
084_2304060641 X900 〇吉野山 勝手神社 Z50 Z18-140.jpg 84.勝手神社
吉水神社から少し、上千本の方へ進んだところに、勝手神社の境内があった。吉水神社の本殿には、現在は2001年(平成13年)に焼失した勝手神社の祭神が仮遷座されているということを知った。吉野町のホームページには「境内は、義経と別れた静御前が追手に捕えられ、請われて舞いを舞ったといわれる地。社殿は2001年(平成13)に焼失してしまいました。」とあった。再建計画が進められており、平成29年から再建工事が開始される予定であったが、コロナ禍のためか遅れているようだ。再建に必要な経費は約4億円とされている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm IS0110 ) 露出補正 なし
085_2304060645 X900 吉野山 ダラスケ Z50 Z18-140.jpg 85.ダラスケ丸
和漢胃腸薬である「陀羅尼助」という胃腸薬の老舗があった。ホームページを見ても立派に営業されているようだ。高野山にも「大師陀羅尼錠」というのがあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm IS0360 ) 露出補正 なし
086_2304060656 X900 〇吉野山 東南院 Z50 Z18-140.jpg 86.東南院 多宝塔
東南院につぃては、前回の写真61.で調べているが、多宝塔は、もともと江戸初期に和歌山に建てられたものを、昭和12年にこの地に移された。明治初年まで和歌山県海草郡野上町の野上八幡宮にあった。古い霊地霊山には東南院あるいは、東南寺という 名の寺院があることが多いが、これは、霊山を開くときに中心となる伽藍(吉野山の場合は金峯山寺である。) を建て、そこから巽(東南)の 方角に当たる所に寺を建て、一山の安泰と興隆を祈願したためであるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm IS0110 ) 露出補正 なし
087_2304060656 X900 〇吉野山 東南院 Z50 Z18-140.jpg 87.奈良漬
これからどこかで食事をして、バスの駐車場へ戻らなくてはならない。この店で奈良漬を買い求めた。帰宅して食べてみたがとても美味しかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 32mm IS0160 ) 露出補正 なし
088_2304060663 X900 吉野山 Z50 Z18-140.jpg 88.吉野山郵便局
吉野町の世帯数と人口は、そのホームページによれば、令和5年4月末日現在で、世帯数が3073世帯、人口は6,151人(先月比-33人)である。どれほどの町民が郵便物配達の対象になるのかなと、写真を撮りながら考えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 18mm IS0110 ) 露出補正 なし

2023年4月28日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物 ① 2023年4月5日ー7日 奈良公園

某旅行社の「新幹線で行く!世界遺産・吉野山はたっぷり3時間滞在!いにしえの奈良9つの桜3日間」という長ったらしいタイトルの付いたツアーに1月に申し込んであった。うちの奥さんが、長い間、吉野の桜を見たいといっていたからだ。申し込む時点で最も適時と推察した4月5日出発のコースを選んだ。だが、今年のサクラの開花は各地で例年より著しく早いのでいささか心配ではあったが、日程は変更できない。しかし、開花後気温が下がる日もあって、多少は長持ちしてくれたようだ。

日程はおおよそ次の通りだった。
4月5日 新横浜から新幹線で三河安城へ。観光バスで奈良公園 泊:奈良市内興福寺の近く
4月6日 吉野山(金峯山寺・吉水神社など)、壷阪寺、談山神社、泊:奈良市内
4月7日 又兵衛桜、長谷寺、大野寺 往路と同じく伊勢湾道路を三河安城へ。新幹線で新横浜。

さて、集合は新幹線の新横浜駅に朝6時45分だった。自宅からは比較的近いが、それでも5時半には家を出なくてはならなかった。7時15分発の「こだま」に乗って、9時21分に三河安城着。愛知県岡崎市に本社のある観光バスに乗り込んだ。参加者は29名で、一人で参加されている方も数名いらっしゃった。バスは伊勢湾自動車道(略称 伊勢湾岸道)を走り、レゴランドやジェット・コースターが見えたナガシマスーパーランドを車窓に見ながら、亀山で名阪国道へ入る。関というところで休んで、天理で名阪国道の自動車専用道路を下りた。
 バスは奈良県庁の駐車場へ入る。ベテランのツアコンさんに引率されて、すぐ近くの氷室神社へ。そこでいったん解散して、各自それぞれ春日大社や、大仏殿など奈良公園一帯を自由に歩くことになった。我々2人は、かみさんの脚も考え、奈良公園の散策をしたあと、興福寺の国宝館へ行くことにした。奈良公園は外国からの観光客が多いのにびっくりした。国宝館を見るのは2度目だが、改めて国宝、重要文化財である阿修羅像や、千手観音菩薩などの数々の仏さまの豊かな表情に見惚れてしまった。
 バスを降りたところで集合し、午後4時過ぎに今宵泊まるホテルに入る。猿沢の池のすぐそばと立地が良い。夕食は各自自由となっていたので、"ならまち"を歩く。ホテルでおすすめの食事処を聞いてみた。どこか居酒屋風のところでよいところないかと思ったが、第一推薦の店に行ってみると、すでに外国人観光客の方も含めて、10名ほどの人が並んで待っていたのでやめてしまった。少々、歩き疲れてホテルに戻り、改めてホテルの方に尋ねて、ホテルの近くにあったこじんまりとした小料理屋さんに電話予約をした。朝が早かったこともあり、ぐっすりと寝ることができた。TVの野球放送は阪神戦の中継のみで、巨人戦はなかった。
 なお、東大寺や興福寺に関する記述は、そのホームページやwikipediaを参照させていただいた。

000_2304050438 X700 〇奈良 東大寺 Z50 Z18-140.jpg
東大寺鏡池と中門と大仏殿 2023年4月5日 奈良県奈良市雑司町

001_2304050001 X900 新横浜駅 G7X.jpg 1.朝6時半の新横浜駅構内
まだ、人は多くない。「相鉄新横浜線・東急新横浜線 3月18日 新横浜駅誕生」の幕が掛けられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
002_2304050006 X900 伊勢湾岸道 G7X.jpg 2.伊勢湾自動車道の3つの兄弟橋「名港トリトン」(車窓から)
バスは伊勢湾自動車道を走る。前方に赤い橋が見えてきた。この橋は名古屋港横断三大橋「名港トリトン 」の3本目の橋である。伊勢湾岸自動車道のうち、伊勢湾岸道路の東海IC~飛島ICの間に3つの兄弟のような橋がある。橋は伊勢に向かう順に、青・白・赤に色分けされている。見事なこの橋は、世界的にも大規模な往復6車線の海上斜張橋梁群で、長大斜張橋が三橋連立しているのは、世界でも珍しいそうだ。どの橋も夜間にはライトアップされるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
003_2304050010 X900 伊勢湾岸道 太陽光パネル G7X.jpg 3.ソーラー・パネル畑(車窓から)
これは三重県、愛知県が公募し、丸紅株式会社が事業者として選ばれ、木曽岬干拓地に建設した太陽光発電所だ。ナゴヤドーム約20個分の広さ(約78ha)の土地にたくさんの太陽光発電システムが設置されていた。太陽光パネルは約20万枚で太陽光発電量は49,155kwあるそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO400 ) 露出補正 なし
004_2304050013 X900 伊勢湾岸道 ながしま G7X.jpg 4.ナガシマスパーランド(車窓から)
伊勢湾岸道路は木曽岬の先で三重県に入る。この大きなジェットコースターがあるのは、三重県桑名市長島町浦安にある長島観光開発株式会社の運営する遊園地で、同社が形成する「ナガシマリゾート」の中核施設である。西日本有数の絶叫マシンの台数を誇り「東の富士急、西のナガシマ」と並び称されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO160 ) 露出補正 なし
005_2304050018 X900 伊勢湾岸道 G7X.jpg 5.東名阪道(車窓から)
バスは四日市JCT.で東名阪道に入る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
006_2304050040 X900 名阪国道終点 天理 G7X.jpg 6.名阪国道(車窓から)
バスは亀山で東名阪自動車道から名阪国道に入り、12時40分に「天理・奈良 出口」を下りた。名阪国道というのは、いわば無料の自動車専用高速国道である。東名阪自動車道(東名阪)と西名阪自動車道(西名阪)の間に位置する日本の高規格幹線道路網を構成する道路の一つで、両端が東名阪・西名阪の両自動車道と直結した一般国道25号の自動車専用道路である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
007_2304050474d X900 奈良 氷室神社 Z50 Z18-140.jpg 7.奈良の到着 氷室神社
奈良に到着したバスは県庁の駐車場に入る。我々ツアー一行はベテランのツアコンさんに引率されて、奈良国立美術館の前にある氷室神社を参拝した。氷室神社の縁起は、和銅3年(710年)7月22日、元明天皇の勅命により、吉城川上流の春日山にある月日磐に氷神を奉祀し(下津岩根社)たのに始まるという。氷の神様をお祭りする神社である。ホームぺージには、冷凍、冷蔵、製氷販売業の守護神、また、冷凍、冷蔵技術の守護神とあった。春日造の一ノ鳥居が、大宮通りに面する。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.5 1/1000秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
008_2304050405d X900 奈良 氷室神社 Z50 Z18-140.jpg 8.氷室神社 表門
鳥居からまっすぐ進み、正面石段を登ると表門(四脚門)があった。wikipediaによれば、表門(奈良県指定有形文化財) は、 元々は内裏の日華門で応永9年(1402年)に現在地に移築された。寛永18年(1641年)には内裏の日華門の扉と金5枚が下賜されている。門は四脚門形式で屋根は本瓦葺、東西廊は門に接続している。狛犬は安政4年(1857年)8月に奉納され石工名不詳とのこと。ぶっとい眉毛と大きな鼻の浪速顔だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.0 1/1000秒 19mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_2304050406 X900 奈良 氷室神社 Z50 Z18-140.jpg 9.氷室神社 拝殿と本殿
手前の拝殿(奈良市指定有形民俗文化財)は舞殿でもある。勾欄付きの舞楽殿でかつての南都楽所の中心部であった。本殿(奈良県指定有形文化財) は文久年間(1861年 - 1864年)再建。三間社流造・檜皮葺。本殿床下には2室があり、両開き板戸が付けられている。wikipedia参照。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.8 1/1000秒 28mm ISO900 ) 露出補正 なし
010_2304050411 X900 奈良 氷室神社 Z50 Z18-140.jpg 10.お参り
お嬢ちゃんに着物を着せ、お参りしている女性がいた。何のお参りなのだろうか ?

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.8 1/1000秒 25mm ISO900 ) 露出補正 なし
011_2304050413 X900 奈良 氷室神社 Z50 Z18-140.jpg 11.奈良一番桜
鳥居を入って右側に手水舎があるが、その向こうの鏡池という池の前に枝垂桜があった。このサクラは、奈良市内で一番早く咲き、奈良一番桜とも言われている枝垂桜だそうだ。他にも八重桜などの桜の木が植えられ、桜と四脚門・鏡池・参道・鳥居などの光景が素晴らしいと言われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.0 1/1000秒 25mm ISO100 ) 露出補正 なし
012_2304050477 X900 〇奈良 氷室神社 トキワマンサク.jpg 12.ベニバナトキワマンサク(紅花常盤万作)
桜の花の向こうに深紅の花が見えた。何だろうと思い傍に行ってみる。糸状の細い花びらの集合体が花となっている花の形状はマンサクだった。トキワマンサクの変種のようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f6.3 1/1000秒 140mm ISO3200 ) 露出補正 なし
013_2304050417d X900 奈良 氷室神社 Z50 Z18-140.jpg 13.鳥居と桜
境内側から鳥居を見ると、満開の枝垂桜があった。花は一重のようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f6.3 1/1000秒 140mm ISO3200 ) 露出補正 なし
014_2304050478 X900 〇奈良 氷室神社.jpg 14.鳥居の桜と深紅のトキワマンサク
桜の花と比べて、深紅のトキワマンサク(ベニバナトキワマンサク)の印象は際立つ。境内の警備をしていた方と話すと、あの花は何だとよく聞かれるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.3 1/1000秒 70mm ISO800 ) 露出補正 なし
015_2304050422 X900 奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 15.東大寺南大門へ向かう
氷室神社を出て、奈良公園を歩いてみた。外国からの観光客がとても多い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.3 1/1000秒 72mm ISO560 ) 露出補正 なし
016_2304050425 X900 〇奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 16.奈良公園の鹿
奈良公園に生息するシカは国の天然記念物に指定されている野生動物である。 飼育されている動物ではない。奈良公園に生息する鹿の数は昨年7月の調査でおよそ1200頭確認され、2021年より80頭ほど増えたという。 奈良公園の鹿は「奈良のシカ」として国の天然記念物に指定されていて、保護活動をしている「奈良の鹿愛護会」が毎年7月に鹿の数を調査している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.0 1/1000秒 63mm ISO400 ) 露出補正 なし
017_2304050429 X900 〇奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 17.南大門 正面から
東大寺は華厳宗の大本山の寺院であり、本尊は奈良大仏として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)。開山(初代別当)は良弁である。正式には金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、度々修復を受けており、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみである。また現存する大仏殿は江戸時代中期の宝永6年(1709年)に規模を縮小して再建されたものである。写真の南大門は国宝である。平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。「大華厳寺」の扁額がかかっている。これは古い記録にそのような扁額があったと書かれていたことに基づき、2006年(平成18年)10月10日に行われた「重源上人八百年御遠忌法要」に合わせて新調されたものである。(wipipediaを参照)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.5 1/1000秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
018_2304050430 X900 奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 18.南大門から中門へ
東大寺「中門」は「東大寺大仏殿」の正面に建つ大きな楼門である。鎌倉時代の「大仏様」建築の傑作として知られる東大寺南大門と比較すると目立たない存在ではあるが、享保元年(1716年)頃の建立と推定される建築は、東大寺では珍しく朱色が目立つ外観となっており、重要文化財にも指定されている貴重な建築である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.0 1/1000秒 61mm ISO500 ) 露出補正 なし
019_2304050436 X900 奈良 奈良公園 Z50 Z18-140.jpg 19.中門へ 鹿の数が多くなる
中門は東大寺大仏殿の正面、大仏殿を取り囲む「回廊」沿いに位置するため、大仏殿にお参りするために通る正式な参入門として長らく用いられてきた。現在は大仏殿の拝観料を徴収するための受付が回廊内に設けられているため、通常時は中門から入ることはできない。2010年8月に来た時には大仏殿に入り、高さ46.8mある盧舎那仏を拝んできたが、今回は中門で失礼した。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.3 1/1000秒 68mm ISO500 ) 露出補正 なし
020_2304050440 X900 〇奈良 東大寺 Z50 Z18-140.jpg 20.東大寺鏡池と中門と大仏殿
南大門から中門へ向かう右側に鏡池(かがみいけ)がある。鏡池に中門と大仏殿が映り込む様子は東大寺の景観のハイライトとなっている。風のない日の方がきれいに映り込む。この時は池にさざ波がたっていた。鏡池という名称は、池にある小島が取っ手のある手鏡のような形をしていることからそう呼ばれている。その小島には弁財天が祀られている。紅葉が美しいらしい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.2 1/1000秒 35mm ISO180 ) 露出補正 なし
021_2304050442 X900 〇奈良 奈良公園 若草山 Z50 Z18-140.jpg 21.若草山
若草山は、奈良公園の東端に位置する標高342m、面積33haの、ノシバ(日本芝の一種)に覆われた山で、山頂には、5世紀頃に築造されたといわれる史跡鶯塚古墳がある。毎年1月には、若草山焼きがある。夜空をこがす壮観さはまさに、炎の祭典というのにふさわしい行事と言われる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.6 1/1000秒 103mm ISO250 ) 露出補正 なし
022_2304050452 X900 〇奈良 奈良公園 Z50 Z18-140.jpg 22.中門と回廊
中門と回廊を鏡池の東側から撮った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.5 1/1000秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
023_2304050454 X900 奈良 東大寺 Z50 Z18-140.jpg 23.大仏殿
中門から大仏殿(金堂)を眺める。正式には東大寺金堂というが、「大仏殿」の名で広く知られ、東大寺の公式ホームページでも主に「大仏殿」が使用されている。大仏殿は、1181年(治承4年)と1567年(永禄10年)の戦火で2度にわたり焼失し、現在の建物は1709年(宝永6年)に公慶(こうけい)上人によって再建され、落慶(寺社などの新築、また修理の完成を祝うこと)したもので、国宝に指定されている。天平・鎌倉の大仏殿は桁行11間(約88m)であったが、財政困難の理由で7間に規模が縮小された。それでも高さや奥行は創建時のままで、世界最大級の木造建造物である。東西 57.012m、南北 50.480m、高さ は48.742m ある。大仏殿の正面には、国宝に指定されている金銅八角燈籠が見える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.5 1/1000秒 25mm ISO125 ) 露出補正 なし
024_2304050463 X900 奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 24.南大門 裏手(北側)から
国宝である。先に記したように、平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。東大寺中興の祖である俊乗房重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様ともいう)を採用した建築として著名である。大仏様の特色は、貫と呼ばれる、柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしていること、天井を張らずに構造材をそのまま見せて装飾としていることなどが挙げられる。裏手からは見られないが、門内左右には金剛力士(仁王)像と石造獅子1対(重要文化財)を安置する。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.8 1/1000秒 23mm ISO1000 ) 露出補正 なし
025_2304050464 X900 奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 25.南大門 横(西側)から
戻るときに改めて南大門を眺めると修復が必要と思われるほど傷んできているようにも思えた。現在は退色しているが、本来南大門は赤い門だったそうだ。ブログで、将来の修復時にも再塗装して欲しくなく、この門には歴史を感じさせる今の古色蒼然さがとても似合っているという意見を述べている方がいた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.5 1/1000秒 18mm ISO1600 ) 露出補正 なし
026_2304050468 X900 〇奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 26.世界遺産認定の碑と鹿
奈良公園クイックガイドというページに、「鹿に鹿せんべい以外の食べ物を与えたりしないでください。鹿せんべいはすぐにあげてください。焦らすと怒ります。」と記されていた。また、いつから奈良公園に鹿が住んでいるのか?という問いには、春日大社に祀られている神様武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が白い鹿に乗ってやってきたという伝説があり、その春日大社の祭神、武甕槌命は鹿島神社(茨城県)から神鹿に乗ってってやってきたと伝わるため、鹿は神の使いとして古くから手厚く保護されてきて、万葉集(750年)に実際に鹿がいたことが書かれているとあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.0 1/1000秒 32mm ISO900 ) 露出補正 なし
027_2304050481 X900 奈良県庁→興福寺 Z50 Z18-140.jpg 27.興福寺へ
興福寺へ阿修羅像を見に行くことにした。県庁まで戻り、大宮通りを左に曲がって、右側の拝観受付から国宝館へ行く途中、鹿4頭が道に飛び出して、自動車を止めてしまった。何せ、鹿は神の使いである。こういう光景はどこでも見られるのだろう。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.0 1/1000秒 32mm ISO900 ) 露出補正 なし
028_2304050498 X900 奈良興福寺 西金堂 Z50 Z18-140.jpg 28.興福寺 中金堂
国宝館で見た阿修羅像をはじめ数々の国宝の像は、そのお顔の表情がそれぞれ豊かであり、心を癒された。2010年に奈良に来た時にも国宝館は見学したが、また、新たな印象を持った。国宝館を出て興福寺の境内を歩く。まず、新しい中金堂が目に入った。中金堂は長い寺史の中で7度の火災に遭い、1717年の大火で焼失した後は仮堂が建設されただけにとどまっていた。今回は300年ぶりの復興となる。創建1,300年となる2010年(平成22年)に中金堂再建工事が着工され、2017年(平成29年)、翌年に中金堂が完成するのを見越し仮金堂内の諸仏を早くも中金堂に移し、今見る中金堂は、2018年(平成30年)10月に9代目の中金堂として落慶した。コロナ感染防止のため内部の拝観はできなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.5 1/1000秒 18mm ISO180 ) 露出補正 なし
029_2304050490 X900 奈良興福寺 東金堂 Z50 Z18-140.jpg 29.東金堂
応永22年(1415年)再建された。5代目である。1952年(昭和27年)3月29日、文化財保護法に基づく国宝に指定されている。東金堂は神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正上皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊像を安置する堂として創建された。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵・東金堂衆は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)にあった天武天皇14年(685年)に蘇我倉山田石川麻呂の冥福を祈って造立されたものと思われる講堂の本尊・薬師三尊像を強奪し、それを新たな東金堂の本尊として安置した。東金堂はその後、応永18年(1411年)に五重塔と共に焼け、現在の建物は応永22年(1415年)に再建された室町時代の建築である。様式は、唐招提寺金堂を参考にした天平様式。平面規模は、創建時の堂に準じている。木造維摩居士坐像(国宝)、木造文殊菩薩坐像(国宝)、木造四天王立像(国宝)、木造十二神将立像(国宝)、銅造薬師三尊像(重要文化財)が安置されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.0 1/1000秒 57mm ISO720 ) 露出補正 なし
030_2304050492 X900 奈良興福寺 南円堂 Z50 Z18-140.jpg 30.興福寺 南円堂 日本で最大の八角堂
弘仁4年(813年)藤原冬嗣が父 内麻呂追善の為に建てた。 基壇築造の際には地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら版築したことが発掘調査で明らかにされた。また鎮壇には弘法大師が係わったことが諸書に記されている。不空羂索観音菩薩像を本尊とし法相六祖像、四天王像が安置されている。創建以来四度目の建物で、寛保元年(1789年)に再建された。江戸時代の建物といっても、その手法はきわめて古様で、鎌倉初期の再建だが、興福寺に残る最も古い建築物である美しい八角形の北円堂を参考にしたと考えられる。南円堂のすぐ北側にある北円堂を見過ごしてしまったのが残念だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.5 1/1000秒 18mm ISO560 ) 露出補正 なし
031_2304050495 X900 奈良興福寺 南円堂 Z50 Z18-140.jpg 31.金銅灯篭
南円堂正面におかれた高さ236cmの金銅製の灯篭で、南円堂が建立された平安時代から現存するのはこの灯篭のみだそうだ。弘仁7年(816年)に藤原氏の一門が寄進したことが判明している。現存する灯篭では東大寺大仏殿の正面に立つ国宝「八角灯篭」に次いで古く、現在は国宝館に収蔵されているが、南円堂前にはそのレプリカが据えられている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.8 1/1000秒 27mm ISO800 ) 露出補正 なし
032_2304050505 X900 奈良興福寺 五重塔.jpg 32.興福寺 五重塔
興福寺の五重塔は、730年(天平2年)に光明皇后の発願で創建された。初層の東に薬師浄土変、南に釈迦浄土変、西に阿弥陀浄土変、北に弥勒浄土変を安置し、各層には水晶の小塔と垢浄光陀羅尼経が安置されていたという。現在の塔は、1426年(応永33年)の再建で国宝である。初層の須弥壇には、東に薬師三尊像、南に釈迦三尊像、西に阿弥陀三尊像、北に弥勒三尊像が安置されている。なお、大規模修理に向けた調査が進む興福寺の国宝五重塔で、修理現場を覆う「素屋根」の設置が始められる。2023年7月から設置し始め、30年3月には修理工事が終わる予定だ。今回見ることができて幸いだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.0 1/1000秒 56mm ISO6400 ) 露出補正 なし
033_2304050045 X900 奈良町 G7X.jpg 33.ならまち
ホテルには4時過ぎに入った。今夜の夕食は各自でとることになっている。ホテルの方に、どこかちょっとお酒が飲めて、食べられるところで良いところはないかと相談したところ、2軒ほど教えてもらえた。まだ、時間は早いので、少し町を歩いてみようと外に出た。「ならまち」とは奈良の旧市街地で、特に元興寺や興福寺の門前町だった奈良時代に始まり、その後も発展を続け、近世以降は奈良を代表する商業地となったあたりをいうそうだ。戦後は駅周辺の開発とともに閑静な住宅地に変わっていったが、1980年代に町並み保存の機運が高まり、現在に至っている。奥深い魅力を持つ町だという。こんなアーケードの商店街もあったが、観光客の姿は少ない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
034_2304050047 X900 奈良町 G7X.jpg 34.古美術店
ちょっと雑然としたところもあるのだが、新しい感覚のカフェなどに混じって、こんな優雅な店もあった。ホームページを見ると、「初代より大和古物(仏教美術・南都漆器)、一刀彫、古赤膚焼を扱っております。現在では、三代、四代、五代目の三人により、茶道具。日本画、現代作家(人間国宝中心)鑑賞陶器など多岐にわたって取り扱っております。是非一度お立ち寄りください。」とあった。ここは西寺林町である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels

シャッタースピード優先オートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
034+_2304050513 X900 〇奈良興福寺 Z50 Z18-140.jpg 34+.興福寺三重塔ライトアップ
1枚追加。近くで夕食を終え、ホテルに戻ると、窓から興福寺の三重塔がライトアップされているのが見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f6.0 1/20秒 120mm ISO6400 ) 露出補正 なし

2023年1月 9日

皇居乾​門​通り抜け ①​ ​2022年12月2日

昨年11月11日、宮内庁から、例年行われていた「皇居乾門通り抜け」が、令和4年11月26日(土)から12月4日(日)までの9日間、秋季皇居乾通り一般公開を実施されるという発表があった。
 皇居乾通り一般公開は、平成26年に上皇陛下の傘寿を記念して、初めて春季と秋季に実施されたもので、大変好評であったことに鑑み、平成27年秋季から、毎年、春季の桜の時期と秋季の紅葉の時期に実施されてきた。令和2年以降は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の観点から取りやめられていたので、今回は3年ぶりの実施となる。
 桜の頃も紅葉の頃も行ったことがないので、是非行ってみたいと思い、天気予報を見て、12月2日に行くことに決めた。予報通り当日は朝の内は曇っていたが、10時過ぎには晴れ間が広がる好天だった。
 皇居乾通りは坂下門を入り代官町通りに出る乾門まで約750mある。当日は東京駅北口から行幸通りを行き、日比谷通りを左(南)に行って、二重橋の方へ向かった。まじかで二重橋を見るのも初めてである。そこから右へ、広場を抜けて坂下門を入ったのは午前10時だった。案内をしてくれる係の方も多人数だった。逆に乾門から坂下門へ通ることはできず、今回は途中から皇居東御苑へ抜ける道も通行できなくなっている。「皇居乾通り一般公開」コース  乾通りのイロハモミジをはじめ、トウカエデやオオモミジ、ベニシダレの紅葉は期待通り美しく、フユザクラ、シキザクラも咲き、歩く人もそれほど多くなく、ゆっくり写真を撮るのを楽しむことができた。

000_221202107 X700 〇乾通り Z50 Z18-140.jpg
皇居の秋 2022年12月2日 令和5年「皇居乾通り一般公開」

001_221202001 X800 〇東京駅 行幸通り G7x.jpg 1.東京駅丸の内北口
横浜から東海道線に乗って東京駅に着いたのは9時20分ごろだった。丸の内北口に出て、駅前を新丸ビルの前へ渡った。新丸ビルの先を右へ曲がり行幸通りを行こうと思う。振り返っ東京駅を見る。平日の朝ということでまだ人通りは少ない。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO250 ) 露出補正 なし
002_221202008 X800 東京駅 行幸通り G7x.jpg 2.行幸通りから見る東京駅
イチョウは色づき、路上には落ち葉もあるが、緑の葉もまだ多い。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
003_221202012 X800 〇東京駅 行幸通り G7x.jpg 3.和田倉門交差点
日比谷通りに出た。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO160 ) 露出補正 なし
004_221202013 X800 東京駅 行幸通り G7x.jpg 4.馬場先濠に架かる橋を渡る
馬場先濠に面した日比谷通りのイチョウが見える。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 23mm ISO500 ) 露出補正 なし
005_221202022 X800 〇東京駅 行幸通り G7x.jpg 5.内堀通りから見た行幸通り
右手に馬場先濠と和田倉橋を眺めながら内堀通りに出る。信号を渡った先には、「皇居乾通り通り抜け 」の案内係の方がいて、左の二重橋前の方へ誘導してくれた。二重橋前に歩く途中で行幸通りとその先にある東京駅を撮った。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
006_221202025 X800 〇皇居前広場 G7x.jpg 6.内堀通りのクロマツ
両側は芝生になっていてクロマツが植えられている。皇居前広場は内堀通りから皇居側の玉砂利広場、内堀通り、外堀の間にある芝生緑地で構成されている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 30mm ISO200 ) 露出補正 なし
007_221202028 X800 〇皇居前広場 二重橋 G7x.jpg 7.二重橋 -1
案内係の方の誘導で内堀通りを右へ二重橋方面へ入る。途中を右にいくと「皇居乾通り通り抜け」の最初の検問所があた。私は二重橋を近くで見たことがないので検問所を通る前に、二重橋を見てきてよいかと尋ねたところ、OKだった。二重橋を見たあと、改めて検問所を通った。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
008_221202064 X800 〇二重橋 Z50 Z18-140.jpg 8.二重橋 -2
二重橋は、皇居内にある橋の通称である。正確には皇居正門から長和殿へ向かう途上、二重橋濠に架かる鉄橋のことで、本来の名称は正門鉄橋(せいもんてつばし)である。二重橋という名称は正門鉄橋と正門石橋の二つの総称としても用いられているという。知らなかった。写真は正門石橋である。写真の右側に白い壁の伏見櫓が見える。その下に正面石橋が見えるが、よく見るとその欄干の上に重なって正門鉄橋(二重橋)が見える。説明版には、これらの橋は天皇陛下が国会開催などのため外出される際や、外国の君主、大統領、大使来訪などの特別な場合のみ使用されるが、新年や天皇誕生日の一般参賀では一般の人も渡ることができる。と説明されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/500秒 74mm ISO320 ) 露出補正 なし
009_221202076 X800 〇二重橋 Z50 Z18-140.jpg 9.二重橋 -3
皇居の入口には皇居前広場側から見て、石で造られた手前の「正門石橋」と、鉄で作られた奥の「正門鉄橋」という2つの橋がある。写真は正門石橋の左側で、正門が見える。正門位置関係は、外から皇居前広場→正門外石橋→正門→右へ回って正門内鉄橋の左側から右へ渡り→中門→宮殿東庭(新宮殿前広場)→宮殿(長和殿)というルートをたどることになる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/500秒 35mm ISO250 ) 露出補正 なし
010_221202080 X800 坂下門入場口 Z50 Z18-140.jpg 10.坂下門検問
二重橋を見た後、第一の検問を通り、皇居前広場の玉砂利広場を蛤濠に向かって歩き、坂下門の検問所へ向かった。所持品の検査があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 44mm ISO100 ) 露出補正 なし
011_221202081 X800 坂下門と宮内庁 Z50 Z18-140.jpg 11.坂下門
検問所を抜けると左手に坂下門が見えてきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 48mm ISO110 ) 露出補正 なし
012_221202083m X800 ハマグリ濠と宮内庁 Z50 Z18-140.jpg 12.蛤濠と宮内庁庁舎
濠に架けられた橋を渡り坂下門を入るが、橋から蛤濠と宮内庁庁舎を撮った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 50mm ISO100 ) 露出補正 なし
013_221202086 X800 坂下門 Z50 Z18-140.jpg 13.坂下門 -1
  江戸時代、西の丸御殿の入り口として使用されていた「坂下門」は、戦国時代以降に築城された城に多く見られる一ノ門(渡櫓門)、二ノ門(高麗門)から成る桝形門で、門をくぐって城内に入り左にある坂を登った所に西の丸御殿(現在は宮殿)があったそうだ。幕府の老中であった安藤信正が襲撃された坂下門外の変はここで起きた。現在の「坂下門」は、明治新政府により渡櫓門のみを残して向きを北面から東面へ90度移動し車通りを良くしている。現在は宮内庁の通用門として使用されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 35mm ISO125 ) 露出補正 なし
014_221202088 X800 坂下門 Z50 Z18-140.jpg 14.坂下門 -2
坂下門の北側は蛤濠になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f9 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_221202092 X800 〇宮殿へ Z50 Z18-140.jpg 15.宮殿入り口
坂下門を入って、宮内庁庁舎のすぐ手前に宮殿への入り口がある。毎年1月2日の新年一般参賀と2月23日の天皇誕生日の一般参賀でテレビでも写される長和殿がある。写真の道から入ると長和殿の北側からになるが、一般参賀では、二重橋を渡って南側の中門から長和殿の前の東庭に入るようになる。2023年1月2日の新年一般参賀の予約受付は11月18日で終わっていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 44mm ISO140 ) 露出補正 なし
016_221202099 X800 〇乾通り 富士見櫓 Z50 Z18-140.jpg 16.富士見櫓
坂下門をくぐって、宮殿への道を過ぎると、左手に宮内庁庁舎があり、右側には富士見楼が見えた。ここから乾通りはやや西寄りの北へまっすぐ進む。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 90mm ISO250 ) 露出補正 なし
017_221202102 X800 〇乾通り Z50 Z18-140.jpg 17.乾通り
ようやく青空が広がってきた。紅葉した木々が陽の光を浴びる。乾通りは一方通行だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/640秒 78mm ISO100 ) 露出補正 なし
018_221202110 X800 〇乾通り 山下通り Z50 Z18-140.jpg 18.山下通り
左側に山下通りという道があった。山下通りはまっすぐ進むと宮殿の西側の表御座所へ通ずる。途中で左に曲がると宮内庁庁舎の裏側になる宮殿北車寄に行く。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6 1/500秒 115mm ISO320 ) 露出補正 なし
019_221202113 X800 〇乾通り Z50 Z18-140.jpg 19.乾通り イロハモミジ
真っ赤に色づいたイロハモミジが美しい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 94mm ISO560 ) 露出補正 なし
020_221202123 X800 〇乾通り フユザクラ Z50 Z18-140.jpg 20.フユザクラ -1
フユザクラが花をつけていた。フユザクラという札があったが、wikipediaによるとフユザクラはコバザクラ(小葉桜または木葉桜)の別称だそうだ。マメザクラとオオシマザクラの交雑から生まれたサクラ属の栽培品種のサクラとのこと。また、狭義の冬桜はコバザクラの別名であるが、広義の冬桜は、コバザクラ、コブクザクラ、ジュウガツザクラ、シキザクラなど冬に咲く桜の総称として使われる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 94mm ISO450 ) 露出補正 なし
021_221202125 X800 乾通り フユザクラ Z50 Z18-140.jpg 21.フユザクラ -2
東京での花期は春の4月上旬と秋から冬にかけての10月から12月頃で、この二季咲きが最大の特徴である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 140mm ISO640 ) 露出補正 なし

2021年12月22日

古都鎌倉紅葉巡り ② 東慶寺 海蔵寺 鶴岡八幡宮 12月2日

円覚寺の参拝と撮影を終えて、次に鎌倉街道を東慶寺へ向かう。江戸時代に群馬県の満徳寺と共に幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていたことから東慶寺は駆け込み寺と呼ばれている。  夫との離縁を達成するために妻が駆け込んだ寺のことである。 寺は夫に内済離縁(示談)を薦め、調停がうまく行かない場合は妻は寺入りとなり足掛け3年(実質満2年)経つと寺法にて離婚が成立する。東慶寺は江戸幕府公認の縁切寺であった。
 東慶寺を参拝し、この日の次の目的地は海蔵寺である。鎌倉街道を鎌倉鶴岡八幡宮の方へ歩く。ここから、どこかで右に入らなければいけないのだが、今一つ自信がなく、曲がるべきところをまっすぐ行ってしまった。鶴岡八幡宮に沿って歩いて、ようやく小町通りに入る手前で寿福寺、英勝寺、海蔵寺と右へ行く表示があった。そこからもまだしばらく歩く。
 海蔵寺はそれほど参拝者は多くなかった。鐘ともみじの構図で写真を撮る。
 最後に鶴岡八幡宮へ行く。2010年の3月10日未明に雪混じりの強風で倒れた樹齢千年と言われる大銀杏だったが、その根から生えてきたひこばえから若木が選ばれて後継ぎとして育てられている。10年たった今の姿を見てみたかったからだ。立派に育っていた。
 この日は、ここまでで18,000歩ほど歩いた。午後1時、腹も減った。前回来たときに入った蕎麦屋へ行って見たが、お休みだったので、新しい店に入った。悪くない。冷たいビールが美味かった。

000_211202251 X700 〇海蔵寺 海棠 D750 TAMRON35-150.jpg
海蔵寺の鐘堂ともみじ 2021年12月2日

29.東慶寺 小さな山門
円覚寺を出て、横須賀線の線路を渡り、鎌倉街道を左へ進む。ほんの数分歩くと右側に東慶寺の山門へ上がる石段が見えた。東慶寺のホームページを見ると「小さな山門をくぐると、谷戸と呼ばれる鎌倉独特の地形に境内が広がります。墓苑まで続く石畳を中心に本堂、書院、茶室、宝物館が配置され、初春の梅、6月の花菖蒲やイワガラミなど四季を通じて、様々な草花が咲きます。」と記されていた。かつては鎌倉街道沿いに総門もかまえていたが、現在はおとな二人が通れるほどの小さな山門を残すのみとなったという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4 プログラムオートで撮影  ( f3.2 1/500秒 52mm ISO180 ) 露出補正 なし
029_211202209m X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
30.梅の古木と鐘楼
山門を行ってすぐ左手には鐘楼があり、その前に梅の古木が植えられている。大正5年に建立されたようでそう古いものではない。天井に龍が描かれているのだが、今回見損なってしまった。梵鐘は観応元年(1350年)の補陀落寺のもの(神奈川県指定文化財)だそうだ。元弘2年(1332年)に作られた元の梵鐘は現在韮山の本立寺にある。私は2016年1月に伊豆韮山の本立寺を訪ねている。その時、本立寺に鎌倉の東慶寺に在った梵鐘があるのを知った。何故なのだろうかと思い、調べた記憶があったので、たどってみると、鎌倉手帳(社寺散策)というサイトに「梵鐘が鋳造された1332年(元徳4年・元弘2年)の翌年、鎌倉幕府が滅亡すると、(鎌倉幕府9代執権北条貞時の側室であった)覚海円成は子女を連れて伊豆韮山に移り住み、北条氏邸跡に円成寺を建立して北条氏の菩提を弔ったという。おそらく、そのときに東慶寺の梵鐘も伊豆韮山に運ばれ、江戸中期に円成寺が焼失した後、韮山の有力者で徳川幕府の代官だった江川氏の菩提所(菩提寺である本立寺)へ移されたものと考えられる。」という記述を見付けた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 38mm ISO3200 ) 露出補正 なし
030_211202177 X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
31.本堂
wikipediaによれば、東慶寺は、臨済宗円覚寺派の寺院である。山号は松岡山、寺号は東慶総持禅寺。寺伝では開基は北条貞時、開山は覚山尼と伝える。開山以来明治に至るまで本山を持たない独立した尼寺で、室町時代後期には住持は御所様と呼ばれ、江戸時代には寺を松岡御所とも称した特殊な格式のある寺であった。現在は円覚寺の末寺で男僧の寺である。東慶寺ホームページによれば、本堂には本尊の釈迦如来坐像が祀られる。関東大震災後、佐藤禅忠師が紺紙金泥で観音菩薩を揮毫して寄進を募り、 昭和10年(1935)に建立したものだそうだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/125秒 35mm ISO3200 ) 露出補正 なし
031_211202181 X800 東慶寺 本堂 D750 TAMRON35-150.jpg
32.寒雲亭
裏千家ゆかりの宗旦の茶室だそうだ。小さな門の屋根の苔に惹かれた。ホームページには斉藤利助翁の尽力により、昭和35年(1960年)、堀越家から寄進、移築されたとある。 千宗旦筆「寒雲」の扁額がかかり、真行草の天井、櫛形の欄間のある名席。平成6年(1994年)に露地を含め大改修が行われた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO2000 ) 露出補正 なし
032_211202183 X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
33.墓苑への道
山門から墓苑へと続く石畳の道は、大仏様のような石仏のあるところで緩やかに右へ曲がり、再びまっすぐに進む。右手に東慶寺伝来の寺宝を展示する宝物館である松岡寳藏が見える。松岡寳藏は昭和53年、方丈跡に新築。釈宗演老師の遺言書よりおこした扁額がかかっていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4 プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO560 ) 露出補正 なし
033_211202185 東慶寺 X800 D750 TAMRON35-150.jpg
34.墓苑
石畳の道をさらにまっすぐ進むと墓石が並ぶ墓苑に入る。背の高い木々が多くなり、歴代住職、檀信徒の墓苑となる。前回訪れたときは、この辺りのイチョウ、カエデの紅葉がきれいで、今回もそれを期待して訪れたのだが、少しタイミングがずれていたようだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 105mm ISO100 ) 露出補正 なし 撮影後補正
034_211202195m2 X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
35.長寿寺
東慶寺を辞して、鎌倉街道をさらに進む。横須賀線の踏切を渡ると右手に長寿寺へ上がる石段があった。山号を宝亀山という臨済宗建長寺派の寺院で本尊は観音菩薩だそうだ。このお寺は春と、秋の週末に境内に入れるとあったが、この日は木曜日。でも、中に入っている参拝者もいた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 78mm ISO800 ) 露出補正 なし
035_211202216 X800 東慶寺→海蔵寺 長寿寺 D750 TAMRON35-150.jpg
36.建長寺
鎌倉街道を進む。街道の反対側に建長寺の天下門が見えてくる。wikipediaによれば、建長寺は臨済宗建長寺派の大本山。正式には巨福山建長興国禅寺という。鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩。開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆で、第二世は同じく南宋の兀庵普寧である。鎌倉五山の第一位。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。今日は参拝は割愛させていただく。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
036_211202221 X800 東慶寺→海蔵寺 建長寺 D750 TAMRON35-150.jpg
37.落石防護用のシェード
建長寺を過ぎると鎌倉街道はこの落石防護用のシェードをくぐる。トンネルではない。上が開いている。ここは現在の巨福呂坂新道であり、ここを抜けると八幡宮の裏に出る。旧道の巨福呂坂はこの新道よりさらに上の場所に位置しており、鎌倉の七切通しの一つで小袋坂とも書く。明治時代に新道が開かれたが、大正12年(1923年)の関東大震災で崩落したため、さらに掘り下げて現在の新道が通った。昭和31年(1956年)に再度拡幅、平成5年(1993年)には落石防護シェードが作られた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO1250 ) 露出補正 なし
037_211202223 X800 東慶寺→海蔵寺 落石防護施設 D750 TAMRON35-150.jpg
38.海蔵寺への道
さて、そろそろこの辺から右に入るのだろうと思って、歩いているが、なかなか行き先表示が現れず、ここかと思うが今一つ自信がなく、まっすぐ進んでしまった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 150mm ISO200 ) 露出補正 なし
038_211202228 X800 東慶寺→海蔵寺 D750 TAMRON35-150.jpg
39.鎌倉近代美術館
左に鎌倉近代美術館がある。門の中には行って見ると、右の方に池が見える。もうそこは鶴岡八幡宮の源平池の平家池だった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 46mm ISO100 ) 露出補正 なし
039_211202233 X800 東慶寺→海蔵寺 鎌倉近代美術館 D750 TAMRON35-150.jpg
40.寿福寺
もう目の前で鎌倉街道は左へ曲がり、まっすぐ行くと小町通というところまできた。そこでやっと、寿福寺、海蔵寺への行き先表示版があった。右へ曲がって、寿福寺へ行く。門前から参道を眺めるにとどめる。なかなか魅力的な石畳の道が中門まで続いている。寿福寺は建長寺、円覚寺に次ぐ鎌倉五山第三位の寺院であり、臨済宗建長寺派の寺院である。境内は「寿福寺境内」として1966年(昭和41年)3月22日、国の史跡に指定された。この日は参拝を失礼したが、次回は是非境内には行って見たい。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 38mm ISO560 ) 露出補正 なし
040_211202239 X800 東慶寺→海蔵寺 寿福寺 D750 TAMRON35-150.jpg
41.海蔵寺本堂
海蔵寺に着いたのは12時少し前だった。円覚寺にお参りしてほぼ3時間歩いてしまった。海蔵寺も臨済宗建長寺派の寺院で、山号は扇谷山で、本尊は薬師如来だ。wikipediaによれば、建長5年(1253年)に宗尊親王の命により藤原仲能が創建し、鎌倉幕府滅亡時に焼失、応永元年(1394年)に上杉氏定の開基、心昭空外を開山として再興されたと伝えられる。本堂には十一面観音が安置されている。春はカイドウの花が有名である。また、非公開ではあるが本堂裏の庭園が美しいという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/320秒 35mm ISO3200 ) 露出補正 なし
041_211202249 X800 〇海蔵寺 本堂 D750 TAMRON35-150.jpg
42.海蔵寺鐘堂
本堂に向かって右側に鐘堂がある。なぜか赤い大きな唐傘があり、その向こうに仏殿(薬師堂)が見える。その間のもみじがポイントになる。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 なし
042_211202258 X800 〇海蔵寺 海棠 D750 TAMRON35-150.jpg
43.海蔵寺山門
海蔵寺には写真の男坂を上がる山門と、この右側に女坂を上る脇門がある。男坂、女坂と云ってもほんのわずかな坂だ。ご住職が落ち葉の掃除をされている男坂を小学生たちが上がって行った。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 72mm ISO100 ) 露出補正 なし
043_211202264 X800 海蔵寺 D750 TAMRON35-150.jpg
44.モズ
海蔵寺を出て、次は鶴岡八幡宮の大銀杏である。小町通りを横切るようにして、いったん檀蔓へ出る。行く道で、野鳥が目の前の小枝に止まった。葉が落ちているので見つけやすい。モズだった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 150mm ISO160 ) 露出補正 なし 撮影後補正
044_211202268tm X800 海蔵寺 モズ D750 TAMRON35-150.jpg
45.鶴岡八幡宮 太鼓橋から枚殿、本宮を望む
鎌倉街道の交差点を渡り、朱色の大きな三の鳥居をくぐると、源平池に渡された太鼓橋がある。太鼓橋は渡ることが出来ないが、カメラを上にあげて撮る。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4 プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 68mm ISO100 ) 露出補正 なし
045_211202273 X800 鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg
46.生まれ変わった大銀杏
本宮に上がる石段の左側にある大銀杏は、生まれ変わった大銀杏である。建保7年(1219年)1月27日、源頼家の子で八幡宮の別当を務めていた公暁が階段脇に生えていたこの銀杏の木に隠れて待ち伏せ、この大階段の13段目に降りてきた源実朝を殺害したという伝説があり、隠れ銀杏という別名がある。樹齢800年とも1000年余ともいわれていたその大銀杏が、2010年(平成22年)3月10日4時40分頃、強風のために大銀杏は根元から倒れてしまった。倒壊から約1か月たち、再生への努力が実を結び、若芽(蘖・ひこばえ)が確認された。11年目、元の大銀杏の根から生えてきたひこばえから、若木が選ばれて後継ぎとして育てられている。こんなに大きくなった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 60mm ISO100 ) 露出補正 なし
046_211202276 X800 鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg
47.倒れた大銀杏の根元
倒れた大銀杏は3つに切断され、2010年の3月15日、根元から高さ4mまでが、7m離れた場所に移植された。残る2つは境内に保存されたそうだ。倒壊から約1か月たち、再生への努力が実を結び、若芽(ひこばえ)が確認されたという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
047_211202277 X800 〇鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg
48.大銀杏の若木
写真46で見ていただいた後継ぎの大銀杏を本宮の大階段の途中から撮る。その向こうに倒れたかっての大銀杏の根元が見える。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
048_211202278 X800 〇鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg


2021年4月29日

府中市郷土の森博物館 4月20日

サントリーのビール工場の近くに府中市郷土の森博物館という博物館のある公園がある。どんなところなのか行って見たいと思っていた。秋に咲くヒガンバナがTVで紹介されたこともあった。
 この日、しばらく河川敷を歩いた後、寄ってみることにした。

000_210420103 X700 案内図 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
府中郷土の森博物館 園内案内板より

府中市郷土の森博物館は多くの移築された古い建築物を含む森全体が一体となった野外博物館である。つまり、博物館を核とした有料の公園である。敷地面積は約14haある。博物館の入場券(¥300)を購入して正門から入場すると、右手にプラネタリウムがある博物館の立派な建物があった。そして、多摩川の方(南)に向かって庭園が広がる。庭園には、四季折々に楽しめる花があるほか、町役場や郵便取扱書、尋常小学校などの復元された建物や屋敷がある。園のほぼ中央に田んぼがあり、辺りにヒガンバナが咲くようだ。春先にはロウバイやウメも楽しませてくれるという。
 ざっと一回りして、有料の公園を出ると交通公園やプールなどもあった。
 帰りは正門前からバスに乗って、分倍河原へ出ることが出来た。ロウバイやウメ、また、ヒガンバナが咲く頃に来てみたいと思う。

1.旧府中尋常高等小学校校舎<br> 公園の正門を入ると右手に立派な博物館の建物が見えた。展示内容を見てみると特に興味のあるものはなさそうだ。あまり長い時間滞在できないので、博物館の閲覧は割愛する。左手に復元された歴史的な建物が並んでいた。まず、ここから見て行くことにする。この建物は、1935年(昭和10年)に建てられた北多摩随一の規模を誇った木造校舎の一部が復元されたもの。教室には昔の教科書などが展示されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
001_210420105 X800 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
2.詩人村野四郎記念館
校舎の中に入る。2003年、村野四郎記念館がここ府中市郷土の森博物館内、旧府中尋常高等小学校校舎1階に開館されている。古いオルガンが目を引いた。譜面台には 村野四郎 作詞の「巣立ちの歌」の楽譜が置いてあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
002_210420107 X800 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
3.昆虫採集箱
写真のようなチョウの標本箱が展示されていた。展翅されたチョウは武蔵野で見られるチョウだが、ギフチョウが含まれていた。かってはこの辺りにも生息していたのだろう? 私は小学生の頃に、高尾山の薬王院や、浅川の辺りで目撃したことがある。村野四郎の処女詩集『罠』に「昆虫採集箱」という詩が収められているそうだ。村野四郎が採集したものかどうかは分からない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/160秒 26mm ISO3200 ) 露出補正 なし
003_210420109 X800 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
4.旧府中尋常高等小学校の教室
私が学んだ渋谷区立神宮前小学校の教室もこのようだった。椅子が小さくてかわいい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/1500秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
004_210420113 X800 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
5.旧島田家住宅 店と蔵
府中市郷土の森博物館のホームページによれば、島田家は、旧甲州街道沿いの商家であったそうだ。移築・復元したのは、1886年(明治19年)から足掛け3年の歳月をかけて建築された店蔵(みせぐら)部分。同家には、この店蔵の普請帳が残され、建築の実態を詳細に知ることができた。復元にあたっては、この普請帳を参考にしながら伝統的な方法を再現し、同じく足掛け3年をかけて完成させたとのこと。薬屋を営んでいたため「島田薬舗」の看板が掲げられているが、その文字は「明治の三筆」の一人として知られた書家・巌谷一六(1834年~1905年)の筆によるものである。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO200 ) 露出補正 なし
005_210420118 X800 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
6.島田薬舗 店内
「水むし専門薬 ポンホリン 株式会社 塩野義商店」と書かれた看板が見えた。その他「キザミ和漢薬」の棚や、「猫イラズ」「回虫の完全な防ぎ方」と書かれた看板などがある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
006_210420120 X800 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
7.旧田中家住宅 府中宿の大店
田中家は、江戸後期から明治の府中宿を代表する商家だそうだ。明治天皇が府中近辺に来訪した際には、休憩所や宿所として利用され、その御座所として使われた奥座敷部分が残されている。移築・復元にあたっては、当時の屋敷図や写真資料をもとに設計をし、間口が狭く奥行きが長い、町屋特有の屋敷全体が復元された。現在、表店(おもてみせ)部分を休憩所として利用し、和室の一部は貸出もされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO640 ) 露出補正 なし
007_210420127 X800 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
8.茶室 梅欅庵
茶室 梅欅庵は、市の花「梅」と市の木「欅(けやき)」から名付けられた。 本格的な純和風数寄屋づくりの建物で、3畳台目(三畳の客間を中央に、点前座と相伴席を配す)の小間と8畳の広間があり、それぞれ2畳・4畳の水屋がついている。庭は、中門・腰掛待合を配した日本庭園となっている。茶道具の貸出しもおこなわれており、また、一般の方のお茶室利用(貸出し)がない日は、呈茶も行われている。旧田中家ゆかりの茶室かと思ったがそうではないようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 45mm ISO200 ) 露出補正 なし
008_210420133 X800 梅欅庵 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
9.旧河内家住宅(ハケ上の農家)
浅間山近くの人見街道沿いにあった代表的な農家。元々は旧大沢村(三鷹市)に建てられたものだったとのこと。ここへの移築にあたっては、府中の養蚕盛んな時代の手掛かりとするため、明治後期に養蚕のために保温・通風・採光などの工夫を施し、昭和期まで使用した頃の姿に復元されており、当時の養蚕農家の様子をうかがい知ることができる。武蔵野台地の立川崖線(ハケ)の上にあったことから、園内のさらに奥にある旧越智家住宅「ハケ下の農家」に対して「ハケ上の農家」と呼ばれている。建てられたのは江戸時代後期だが、養蚕が盛んに行われた明治時代後期の姿に復元されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_210420137 X800 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
10.旧府中町役場
府中市郷土の森博物館のホームページによれば、1921年(大正10年)に完成した洋風の町役場の庁舎だそうだ。 地方自治を謳う大正デモクラシーの風潮のなか、財政難にもかかわらず町民の熱意によって3年かけて建てられた。屋根の飾り天窓(ドーマー・ウィンドウ)や錘を内蔵した上げ下げ窓などを取り入れた洋風の2階建て建築だが、正面車寄せの屋根を和風の唐破風とし、裏側には和風平屋の建物を付設させている点に大きな特色がある。1954年(昭和29年)4月の府中町・西府村・多磨村の合併による府中市誕生後も、市役所、市立図書館、教育研究所等に利用された。多摩地域に現存する最古の役場建築で、大正時代の建物としては東京都の文化財指定の第1号であるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO100 ) 露出補正 なし
010_210420138 X800 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
11.旧府中郵便取扱所
1872年(明治5年)から1889年(明治22年)までの間、府中郵便取扱所として使われた矢島家の居宅である。府中番場宿の名主兼問屋の矢島九兵衛が郵便取扱役に任命されると、居宅に窓口を設けるなどの改築が加えられ、急遽、郵便取扱所として開設された。建築年代は幕末から1872年の間と推定され、1985年~86年(昭和60年~61年)の解体に至るまで、増築や代々の当主の職業によってその都度改造されてきていたが、府中の近代化を物語る郵便取扱所として、当時の姿に復元された。府中市郷土の森博物館のホームページ参照

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
011_210420140 X800 府中市の森 RX10M4.jpg
12.ムサシノキスゲ
旧島田家住宅。旧府中町役場、旧府中郵便取扱所からまっすぐ西へ、案内図に浅間山と書かれているほうへ歩いて行った。ニッコウキスゲのような花が咲いていて、ムサシノキスゲと説明されていた。市内北東部の標高約80mの浅間山に自生するユリ科の多年草で、いくつかの説がある中で、氷河期に分布を広げたニッコウキスゲが温暖化とともに低地に取り残され、独自の適応を遂げたという考えが有力視されている。 明るい落葉広葉樹林に生育し、特に草地に近い場所を好む。かつては多摩地域に広く生育していたが、現在は、山全体が都立公園となっている都立浅間山公園に自生するのみとなった。府中市郷土の森の雑木林は浅間山をイメージしているため、特別に数株を委嘱していると説明されていた。東京都レッドデータブックの絶滅危惧I類(CR+EN)に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
012_210420148 X800 〇ムサシノキスゲ 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
13.庚申塔とシャクナゲ
近くに享保、元文時代(1724年、32年、33年)に建立された庚申塔が3っあったが、この 庚申塔 も古いもののようだ。江戸時代に盛んに建られた庚申塔とは、体内にいる三匹の虫が庚申の夜に人が寝ると、天を昇り天帝にその人の悪事をつげ、そ の人の生命を縮めるという教えに根 ざしているという。 これを防ぐため 人々は、庚申 の 夜には当番の家に集まり寝ないで夜明けを待ったそうだ。この集まりは明治以降衰えたが、この民間信仰に基づいて庚申塔が建てられ、現在に残っているという説もあった。シャクナゲが咲いていた。    

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 15mm ISO100 ) 露出補正 なし
013_210420154 X800 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
14.ラビットアイ ブルーベリー
  ブルーベリーはたくさんの品種がある。春に白またはピンク色のドウダンツツジに似た釣鐘状の花を咲かせ、花後に0.5-1.5cmほどの青紫色の小果実が生る。これはラビットアイ系のブルーベリーの栽培品種のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
014_210420160 X800 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
15.旧三岡家長屋門
園内の西の端に 旧三岡家長屋門があった。この長屋門は1829年(文政12年)の創建と考えられる農家の長屋門だそうだ。江戸時代後期に旧是政村の村役人を勤めた三岡家の分家に建てられていたもの。 中央部を門とし、その両側に部屋を設けた長屋門の一般的な形式をとっていて、多摩地域では標準的な大きさという。しかし、両側の部屋を総塗込め蔵造りとし、置き屋根形式を採用している点で類例の少ない長屋門とも言えるそうだ。移築にあたっては創建時の姿に復元されている。府中市郷土の森博物館ホームページを参照

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO200 ) 露出補正 なし
015_210420162 X800 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
16.旧三岡家長屋門の中
中に入ってみると、比較的近年まで使われていたと思われる扇風機なども置かれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/200秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 なし
016_210420165 X800 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
17.レンゲツツジ(蓮華躑躅)
あまり見ることのないレンゲツツジが咲いていた。つぼみの様子が蓮華に見えることから名付けられたという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 129mm ISO100 ) 露出補正 なし
017_210420166 X800 レンゲツツジ 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
18.ルリタテハ
安らぎの池の傍の小川が流れるところでルリタテハが占有行動をとっていた。人が通るといったん飛び立つがまた元のところへ戻ってくる。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 129mm ISO100 ) 露出補正 なし
018_210420173 X800 〇府中市郷土の森 RX10M4.jpg
19.アオスジアゲハ
シバザクラのタマノナガレ(多摩の流れ)が植えられている花壇にアオスジアゲハが飛来した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 97mm ISO100 ) 露出補正 なし
019_210420178tm X800 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
20.交通公園 D51
午後2時半になった。そろそろ帰路につこうと思い郷土の森博物館公園のゲートを出る。正門前でバスの時刻表を見ると、次の分倍河原行バスまで30分ほどある。ちょっと交通公園まで行って見ることにした。D51296 が置かれていた。この機関車は1939年に川崎車両兵庫で新製され、新潟、長野、東京、仙台、秋田に配属され、その間30余年、約242万kmを走行したのち、1972年3月に廃車となった。そして、1972-年12月に府中市民健康センター(現 郷土の森)交通公園にEB101と共に保存されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 58mm ISO400 ) 露出補正 なし
020_210420182 X800 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
21.交通公園 EB10 1
説明板には、この機関車は昭和2年東京芝浦電気株式会社(現東芝)によって2両のみが製造され、国鉄で初めての蓄電池機関車として、東北本線 王子・須賀間の貨物輸送として運行された鉄道史上大変貴重なものである。当時沿線には火薬庫などがあり、火気を避けるため蒸気機関車に代わり、この蓄電池機関車が採用された。昭和6年に架空電線が設置され、蓄電池が不要になったことに伴い、電気機関車に改造された後は、昭和46年1月まで44年にわたり貨物輸送の電気機関車として活躍した。この電気機関車は独特の凸型車体で、国鉄最小の電気機関車として鉄道ファンの人気を集めている。ここに保存されていることをお孫さんから知らされた、このEB101を運転していた元国鉄運転手の佐藤重行氏より、機関車のハンドル、運転帽子および電気機関車運転免状が寄贈された、といったことが記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO250 ) 露出補正 なし
021_210420187 X800 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
22.東京都電 6000形
懐かしい都電の車両が保存されていた。子供の頃は渋谷駅や青山通りで当たり前のように走っていた。この6000形は、1947年(昭和22年)から1952年(昭和27年)までの6年間に290両が製造された戦後初の新造車両である。1981年に府中市郷土の森の交通公園に来た。そしてこの6191号は1970(昭和45)年8月に荒川線を走ったようだ。荒川線での7年間を走り抜き、1978(昭和53)年4月27日に現役を引退している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO250 ) 露出補正 なし
022_210420196 X800 〇ハクセキレイ♂ 府中市郷土の森 RX10M4.jpg
23.ハクセキレイ
バス停に戻ろうと、交通公園を歩いていると、背中が黒々としたセキレイがいた。見たときはセグロセキレイかとも思ったが、頬が白いのでハクセキレイの♂だった。セグロセキレイにはなかなか会えない。郷土の森博物館前のバス停に戻り、3時過ぎのバスに乗り南武線、京王線の分倍河原駅へ向かった。府中市立郷土の森博物館公園は季節を変えてまた来たいところだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
上 プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO500 ) 露出補正 なし
下 プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO400 ) 露出補正 なし
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2020年12月19日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (5)西明寺 11/26

金剛輪寺を出発し、次は 西明寺へ行く。東名高速に沿うように国道307号線を約10分ほど北へ走って西明寺の駐車場に入った。西明寺も天台宗のお寺である。
 平安時代、仁明天皇の勅願により三修上人が開山したと伝えられる。戦国時代には兵火のため荒れ果ててしまったが、江戸時代中期に望月友閑によって再興された。惣門をくぐると参道が続き、山坊跡の石垣が散在しており、平安、鎌倉、室町時代を通じて祈願・修行道場として栄えたことがうかがわれる。幸い織田信長の兵火を免れ、飛騨の匠によって建立された本堂や三重塔や二天門が残されている。
 紅葉は見ごろだった。さきに訪ねた金剛輪寺より見栄えがしていたと思う。金剛輪寺の「血染めの紅葉」に勝るとも劣らない。紅葉にもまして、感動したのは苔の美しさだった。苔にもいろいろと種類がある。また、秋から冬の間、少しずつ花を咲かせ続ける「不断桜」(フダンザクラ)も見られ、天然記念物で樹齢250年という樹があった。11月が満開になるという。
 湖東三山の中で一番見ごたえがあったと思う。

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西明寺境内案内板より

82.惣門
西明寺の惣門を入る。惣門とは屋敷の外囲いにある大門、正門のことで、金剛輪寺のホームページでは総門となっていた。江戸時代、最も重要な街道筋には「惣門」が置かれていた。教林坊や金剛輪寺の境内案内図では「総門」となっていたので、どう違うのかなと思って調べてみたが、どうやら意味に違いはないようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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83.惣門の屋根とカエデの紅葉
まだ緑の残るカエデの紅葉がいききとしている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
20112642_083 X800 西明寺 RX10M4.jpg
84.惣門とカエデの紅葉
惣門を抜けて紅葉を見上げ、本堂へ300mほど続く参道を上っていく。惣門は2015年に再建されたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126357_084 X800 西明寺 RX10M4.jpg
85.カエデの落ち葉と苔
西明寺は苔が美しいことでも有名。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 42mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
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86.受付と惣門
バスガイドさんが用意してくれた入山料600円の券を見せて受付を通る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126367_086 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
87.もみじとすすき
境内を分断している名神高速道路の上を越えて多くの僧坊があった跡地を左右に見ながら、参道を行く。東名高速は参道の下を西明寺トンネルで抜けている。歴史自然環境の保護のため、参道の景観が損なわれないように道路は地下化された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 41mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
201126368_087 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
88.苔 -1
「苔を大切にしましょう」「苔を取らないでください」「この苔は西明寺が好きです。大事にしましょう」といった西明寺執事による立札が何か所かに立てられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 37mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126375_088 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
89.苔 -2
にもいろいろな種類があるようだ。日本に自生する苔は1,700種と言われる。深い緑を敷き詰めた苔の上に落ちた赤いカエデの葉が印象的だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
201126378_089 X800 西明寺 RX10M4.jpg
90.鮮やかなカエデの紅葉 -1
左に見える塀の中は本坊庭園「蓬莱庭」になっている。参道はまだ続くが、この辺りの紅葉は美しく、見上げながら上がっていく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 53mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
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91.鮮やかなカエデの紅葉 -2
紅葉はまさに見ごろであった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 21mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
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92.夫婦杉(千年杉)
大きな杉の木があった。樹齢約1,000年だそうだ。「西明寺の霊木で、元々二本であった木が、寄添い一つになって、ともに育っていることから夫婦杉と呼ばれる。後側から子供のように若木が出ていることから子授け、安産の霊木、樹齢千年の長寿の木であるので息災延命の霊木とされている。幹や根にそっと手を当てて、霊気をいただいてください。」 と説明されていた。そして賽銭箱が立てられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段
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93.二天門
20分近く歩いて、石段の上に二天門が見えてきた。二天門は重要文化財に指定されている。 wikipediaによれば、間口 3間、奥行 2間(間は長さの単位ではなく、柱間の数を表す建築用語だそうだ)。入母屋造、杮(こけら)葺きの八脚門。部材の一つである巻斗に応永14年(1407年)の墨書があり、同年の建立とみられるという。左右に阿吽の木像が祀られ、その前にわらじがある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126405_093 X800 西明寺 RX10M4.jpg
94.二天王立像  増長天
仁王像は 二天王立像という。滋賀県犬上郡甲良町のホームページには「西明寺二天門に持国天、増長天の2体の木像が寺を守って立っています。 元亀2年(1571年)西明寺の寺域は織田信長の兵火にかかって焼失しましたが、幸いにも寺院の中心部分である本堂と三重塔、二天門、二天王立像は難を逃れました。」と記されていた。これは向かって右側に立つ増長天だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
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95.二天王立像  持国天
向かって左側に立つのは持国天である。この仏像はいくつもの木材をつなぎ合わせた寄木造という方法で造られている。2体ともに像の高さは1.95mで、仁王像と同じように、一方は口を開き、他方は口を閉じている。正長2年(1429年)、印尋(いんじん)によって造られたもので、作者と制作年代のわかる仏像として珍しく貴重なのだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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96.国宝 本堂
二天門を抜けると目の前に本堂があった。この本堂は瑠璃殿とも呼ばれ、建造年は鎌倉時代前期。規模は桁行七間に梁間七間で、正面に三間の向拝が付く。建造当時は桁行五間、梁間五間の五間堂であったが、後の南北朝時代に大々的に改修され、現在の七間堂になったという。屋根は一重の入母屋造で檜皮葺。正面は全面が格子の蔀戸(しとみど)になっているなど、同じく湖東三山の一つで国宝の金剛輪寺本堂と類似点が多い。内部もまた、前方3間が外陣、中ほど2間が内陣、後方2間が後陣に分かれているなど、金剛輪寺本堂と良く似た天台密教の本堂様式となっている。本堂内は撮影ご法度であった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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97.本堂の周囲 -1
本堂の脇に紅葉するカエデの色は鮮やかだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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98.本堂の周囲 -2
金剛輪寺の「血染めの紅葉」より見応えがあったと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 78mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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99. 本堂の周囲 -3
光が演出をしてくれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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100.国宝 三重塔
本堂の右手、建物への水の浸入を防ぐため、水はけを良くするために平地の上に石を組んだ基壇の上には三重塔がそびえている。wikipediaによれば、檜皮葺きの和様の三重塔である。様式的に鎌倉時代後期の建築とされる。総高は20.1m。逓減率が小さいことと、二重目・三重目の塔身の立ちが低いことが本塔の特色である。相輪は日本の他の木造塔では銅製とすることが多いが、本塔のそれは鉄製である。初層内部には大日如来像を安置し、心柱は初層天井裏から立つ。初層内部は須弥壇と床面を除く全面に極彩色の絵画が描かれているが、現状ではかなり剥落している。絵画の主題は、内部の4本の柱(四天柱)には両界曼荼羅のうち金剛界曼荼羅成身会(じょうじんね)の三十二菩薩(四波羅蜜菩薩、十六大菩薩、八供養菩薩、四摂菩薩)を表し、四方の扉脇の壁面には計8面に法華経曼荼羅図、法華経二十八品(章)の説話の絵画を表している。このほか、扉には八方天、須弥壇周りの長押には宝相華、牡丹、鳳凰などが描かれている。このうち柱4本と壁8枚は国宝建造物の一部であるとともに、「絵画」としても別途重要文化財に指定されているとあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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101.三重塔のもみじ
三重塔は後ろから日を受けている。日に当たったカエデの葉が輝く。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 45mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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102.これから紅葉
まだまだこれから紅葉するカエデの葉も控えているた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 121mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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103.「不断桜」
本坊庭園「蓬莱庭」に入る。もみじを背景に桜の花が咲いている。西明寺のパンフレットには 「不断桜」は春秋冬に開花、高山性のサクラで彼岸桜の系統のフユザクラに属すると記されている。少し調べてみるとフダンザクラとは五弁の花をつけるヤマザクラ(野生種)とオオシマザクラ(野生種)の交雑種とされている。パンフレットにある「フユザクラ」というのは、別名をコバザクラ(小葉桜)といい、ヤマザクラ(野生種)とマメザクラ(野生種)の雑種と推定されているそうだ。ややこしい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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104.名勝本坊庭園「蓬莱庭」と「不断桜」
秋から冬にかけて開花するサクラには、フダンザクラ、フユザクラ、ジュウガツザクラ、コブクザクラなどがあるが、西明寺のフダンザクラ「不断桜」は、9月上旬から翌年4月頃まで開花するが、紅葉の11月に満開となる。現在、天然記念物に指定されているものは、樹齢250年といわれる古木である。滋賀県のホームぺージには、その樹齢250年といわれる古木は、近年,衰退が著しく、その後継木の育成が課題であった。約30年前に、母樹となる指定木から取り木がなされ、後継木の育成が試みられた結果、3本が育成に成功し、現在の指定木の東側に1本、現本坊の西庭に2本が植えられている。また、10年前には母樹となる指定木の萌芽から若木を育てることに3本が成功し、本坊庭園上段、仁王門西側平坦面、および三重塔西側斜面の3箇所において一本づつ育成されている。 これら6本の後継木は、250年前に西明寺に植えられたとされる母樹(指定木)の由来樹木と認められる。これらの6本を後継木として認定し、追加指定することによって、江戸時代より継承されるフダンザクラの保全をはかると記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f14 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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105.名勝本坊庭園「蓬莱庭」の池
甲良町のホームぺージによれば、「江戸時代、延宝元年(1673年)、望月越中守友閑が、当山復興の記念として造られた庭園である。池の中央は折り鶴を形どった鶴島で、左が亀島である。池の水の部分は心字池となっていて、池泉回遊式である。 築山の立石群は本堂に安置している本尊薬師如来と日光・月光の菩薩及び十二神将等の眷属を表し、植木の刈り込みは雲を形どって薬師の浄瑠璃浄土を具現化したものである。本庭園は小堀遠州の作庭を参考にした造園になっており、鎌倉時代の八角石灯籠(石屋弥陀六作)や連珠模様の室町時代を偲ぶ石灯籠がある。」と記されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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106.名勝本坊庭園「蓬莱庭」のもみじ
本堂の方から下りて来ると 「蓬莱庭」を通って中門を出て参道に戻る。そのあたりのカエデの紅葉もきれいだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
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107.苔 -3
参道からは見事な苔を見ることが出来る。どこかに「苔は西明寺のことが好きです」という看板があったが、苔の持ち帰りは禁止と言うことだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
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108.石垣
西明寺は、惣門から本坊中門までの参道の左右に石垣が築かれた僧坊跡が続くが、 穴太積  の初期の石垣が保存されている。 その石垣にはりついた1枚の紅葉したカエデの葉に風情を感じた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
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2020年9月27日

南房総館山へ一泊旅行敢行(3) 清澄寺→御宿→海ほたる 9月10日

石堂寺で波の伊八の彫刻を観たあと、再び国道128号線に戻り、道の駅和田浦に寄った。一息入れて、海沿いに鴨川の先を左に上がって、まっすぐ行けば養老渓谷へ通じる道を、日蓮宗の大本山である清澄寺へ向かった。
 この日は御宿のサヤンテラスというホテルのレストランで昼食にすることになっていた。清澄寺から128号線に戻り、御宿に着いたのは午後1時を過ぎていた。道向かいにある海産物の店で、サザエなどを買うことも予定にある。御宿の海岸は、緩やかに弧を描いて東西に伸びる網代湾の、三日月型をした遠浅の海岸で、全長約2kmにわたって続くきめ細かい白砂の砂浜が形成されているという美しい海岸だ。しかし、今年の夏は、コロナ禍で海水浴場は開設されていない。まだまだ暑く、海水浴もできる陽気だが、もちろん泳いでいる人や、サーフィンをする人は見かけられなかった。
 近くに、童謡「月の沙漠」の作詞者であり、御宿をこよなく愛した詩人「加藤まさを」の作品や資料、御宿にゆかりのある文人や画家たちの作品の紹介など、伝統ある御宿の再発見と、新たな文化の創造を目指してて建てられた月の砂漠記念館があり、その前の砂浜にはラクダに乗った王子と姫の銅像があった。そして、すぐ近くにある、通称メキシコ記念塔と呼ばれるオベリスク型の日西墨(日本、スペイン、メキシコ)三国交通発祥記念之碑が立てられている丘へ寄った。 午後3時、メキシコ記念塔を後にして、国道465号を大多喜へ上がり、さらに297号を北へ向かい、市原鶴舞ICで圏央道にあがって、海ほたるへ戻る。Kさんご夫妻とはここで別れる。今回もいろいろとガイドをしていただき感謝に堪えない。
 海ほたるで夕焼けを撮りたいと思って、少し待機したが、空が赤く染まらなかった。木更津側の空に虹がかかっていた。  

51.清澄山
右手に海を見ながら国道128号線を走る。鴨川を過ぎ、小湊の手前を左に〈北)に清澄山方面へ上がる。12時少し前に清澄寺の駐車場、と言っても土産物屋さんの駐車場で、駐車料500円をお支払いした。その高台になったところから海を眺める。歌川広重が嘉永5年(1852年)に清澄寺を参拝していたと書かれた札が立てられていた。清澄の地を訪れた6年後の1858年に、広重は、日本各地の名所を描いた20枚の錦絵を「山海見立相撲」という名で世に出している。その錦絵20枚の中には、4枚の千葉の風景「安房清住山」、「安房小湊」、「上総木更津」、「上総鹿楚山」が収められていたが、この絵は、「安房清住山」だそうだ。

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プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 11mm ISO100 ) 露出補正 なし
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52.清澄寺仁王門
駐車場から、土産物屋が並ぶ道をしばらく歩くと仁王門があった。文久3年(1863年)に建てられたもので、左右に金剛力士像が立つ。正面に向かって右の口を開けている阿像(那羅延金剛)は一切の法の最初を表し、左の口を閉じている吽像(密迹金剛)は一切の法の窮極を表しているそうだ。 

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プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO250 ) 露出補正 なし
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53.清澄山境内
境内に入る。参道は直角に曲がり、その正面に本堂である摩尼殿(大堂)、右手前に観音堂、その向こうに鐘楼の屋根は見える。清澄寺(せいちょうじ)は清澄山の頂上近くにあり、宝亀2年(771年)に不思議法師と呼ばれる僧がこの山を開いたといわれている。清澄寺は日蓮宗の大本山だ。山号は千光山。日蓮が出家得度および立教開宗した寺とされ、久遠寺、池上本門寺、誕生寺とともに日蓮宗四霊場と呼ばれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO320 ) 露出補正 なし
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54.摩尼殿(大堂)
摩尼殿は大堂とも呼ばれ、度重なる改修を繰り返し、現在の摩尼殿は17世紀後半のものであるそうだ。 清澄山の主峰は標高377mの妙見山で、千葉県で3番目に高い山である。大堂付近の標高は約310mという。

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プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO500 ) 露出補正 なし
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55.摩尼殿(大堂)内部
大堂の中央には虚空蔵菩薩、その両側には日天子、月天子を祀る。さらにその外側には不動明王と毘沙門天を祀り、正面右手奥には六老僧の一人・日向上人、左手奥は妙見菩薩の遥拝所としている。  

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プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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56.摩尼殿(大堂)外陣
摩尼殿(大堂)のなかには立派な彫刻が掛けられていた。 説明書きを探せなかったが、帰宅後ネットで検索してみたところ、青山貞一さん、池田こみちさんのサイト 「伊能忠敬と日蓮の足跡をたどる千葉の旅  清澄寺3」に、堂内の欄間には、十六羅漢とその弟子が智慧の宝珠を授かる一場面や、東端は持国天、西端は広目天、宮殿斜め上には唐獅子牡丹が彫られている。また、正面頭上には、江戸時代の有名な宮彫り師・後藤義光作の梵字額が飾られているといった記述があった。   

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プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/100秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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57.摩尼殿(大堂)の扁額
向拝の上には「摩尼殿」と書かれた扁額が架かっていた。摩尼とは仏教用語で、珠玉とか宝石という意味のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 15mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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58.摩尼殿(大堂)の彫刻
摩尼殿(大堂)の彫刻  についての説明立札があった。それには「清澄寺本堂には数多くの彫刻が取り付けられている。懸魚には「鳳凰」、向拝には「蓬莱島」と愛染明王の台座、柱の左右の木鼻「獅子と象」、そして東西の破風には「阿吽の力士像」一対が飾られている。後略」と記されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO1000 ) 露出補正 なし  
058_200910458 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
59.摩尼殿(大堂)の破風の彫刻これがその「 阿吽の力士像」一対の片側のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 90mm ISO1600 ) 露出補正 なし
059_200910457 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
60.祖師堂
お万の方の奉納とされる、日蓮聖人像を祀っている祖師堂は、建築家内井昭蔵氏が法華経の世界観、日蓮聖人の軌跡を設計に取り入れ、日蓮聖人聖誕750年慶讃事業として昭和48年に完成した。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
060_200910445 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
61.鐘楼堂
平成7年12月に完成した。鐘の側面には奉納者の氏名が彫られている。 また庫裡(かっては1647年(正保4年)年築の    桃山風の庫裏があったようだが、新しく建て替えられたようだ)の正面には明徳3年(1392年)の銘の入った古梵鐘がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO250 ) 露出補正 なし
061_200910459 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
62.中門
1647年(正保4年)に創建され、1837年(天保8年)に改修された。 昭和39年4月28日、千葉県指定有形文化財になる。 この門は一門一戸の四足門(2本の親柱の前後にそれぞれ2本、計4本の控え柱を設けた門)で、屋根は茅葺の切妻造りである。 箱棟の鉄板を覆っており、主柱の左右には袖板を付し、正面左右にのみ通路用の「小開扉戸」を備えてある。 軒は二軒につくり、妻軒も深く設計し、耐湿・防風への効果も考慮されていることがうかがえる。和様を主とした折衷様式とのこと。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
062_200910447 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
63.古梵鐘と宝篋印塔
中門の先に、「明徳三年在銘」とされた梵鐘と、清澄寺石造宝篋印塔があった。いづれも千葉県指定有形文化財である。梵鐘の大きさは高さ123,2cm、口径66,.7cmで三段組で鋳造されている。宝篋印塔は高さ157cmで地元の嶺岡山系で算出する蛇紋岩で作られている。この塔はその形態から関西様式に類別され、集団・橘家がかかわった可能性が想定されているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
063_200910452 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
64.大楠
中門を抜けた左側に、樹齢800年の大楠があった。清澄寺では、大正13年に国の天然記念物に指定された、高さが約47m、幹周りは約15m、樹齢およそ800年といわれている千年杉が有名であるが、この大楠は市の天然記念物である。 この奥に建て替えられた庫裏と宝物殿がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
064_200910453 X800 南房総 清澄寺 RX10m4.jpg
65.月の砂漠公園
御宿のホテルのレストランで遅めの昼食をとった後、最後の目的地イタリア記念塔へ向かう途中、右手の海岸に月の砂漠記念公園があった。童謡「月の沙漠」は御宿の海岸がモデルとなったそうだ。大正時代に活躍した詩人・抒情画家加藤まさを 作詞の童謡「月の沙漠」に登場するラクダに乗った王子と姫の銅像が公園内に据えられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
065_200910470 X800 南房総 御宿 月の砂漠公園 RX10m4.jpg
66.月の砂漠公園 ラクダ像
Wikiwandには、「月の沙漠が御宿の砂丘で生まれたことを記念するために、町で記念像を建てたい」と加藤まさをに告げた。加藤は観光宣伝目的なら真っ平だと断ったが、内山は青少年の情操教育が目的だと主張して加藤を説き伏せた。記念像の除幕式は1969年(昭和44年)7月6日に行われた。  ラクダ像の制作は彫刻家の竹田京一が担当し、アラビア砂漠のベドウィンを取材した経験を持つ朝日新聞記者の本多勝一が監修した。完成当初は合成樹脂製だったが、1990年の「月の沙漠記念館」開館に合わせ、青銅製に作り直された。と記されている。なかなか良い像と思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 136mm ISO200 ) 露出補正 なし
066_200910472 X800 南房総 御宿 月の砂漠公園 RX10m4.jpg
67.記念塔(日西墨三国交通発祥記念之碑)
通称メキシコ記念塔と呼ばれる。wikipediaによれば、1609年(慶長14年)に岩和田の海岸で起こったスペインの前フィリピン臨時総督ドン・ロドリゴ・デ・ビベロの乗船したサン・フランシスコ号の漂着事故が、日本とスペイン(西班牙)、およびメキシコ(墨西哥、当時はスペイン領ヌエバ・エスパーニャ)との直接交流を生むきっかけになったことから、漂着と救助を記念する目的で1928年(昭和3年)に建設された。鉄筋コンクリート製で高さ17メートルだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 11mm ISO100 ) 露出補正 なし
067_200910477 X800 南房総 御宿 メキシコ記念公園 RX10m4.jpg
68.御宿網代湾岩和田漁港
高台にあるメキシコ記念公園からは、御宿網代湾の東端にある岩和田漁港が眺められた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
068_200910479 X800 南房総 御宿 メキシコ記念公園 RX10m4.jpg
69.抱擁の碑
冷え切った漂着者を岩和田村の女性が素肌で温め蘇生させている姿を表現した像があった。2009年9月29日に漂着400年を記念してメキシコ政府から贈られた。 碑には、嵐に遭遇したガレオン船サン・フランシスコ号が 1609年9月30日 この地へ漂着した。岩和田の住民による人道的且つ決死の救助作業によって ドン・ロドリーゴ・デ・ビベーロ・イ・アベルーサ並びに316名が命を救われた。その史実を介して、メキシコと日本、両国国民の間に友好の絆が結ばれた。メキシコ政府は 墨日交流400周年に因み この彫刻を御宿町に寄贈する。 2009年9月26日 と刻まれている。この時 海女たちは、飢えと寒さと不安にうちふるえる異国の遭難者たちを素肌で暖め蘇生させたと伝えられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
069_200910483 X800 南房総 御宿 メキシコ記念公園 RX10m4.jpg
70.海ほたる 夕刻
海ホテルで、軽く寿司をつまんだ後、Kさんご夫妻と別れた。時刻は午後5時半。まもなく日没だが、空はあまり鮮やかではなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
070_200910042 X800 海ほたる.jpg
71.虹
ふと、木更津側の空を見上げると虹が出ていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
071_200910046m X800 海ほたる.jpg
72.アクアラインにかかる虹
   川崎側にいたが、虹が消えないうちにと急いで木更津側に回ってみた。トワイライトタイムの虹だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 31mm ISO125 ) 露出補正 なし
072_200910067 X800 海ほたる.jpg
73.海ほたる 5時45分
空は少し赤くなったが、茜色には染まらなかった。駐車場に戻り、アクアライン浮島から大黒を経由、首都高羽横線へ。羽横線は少し混んでいたが、ほぼ順調に自宅に戻ることが出来た。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2018年12月18日

西明寺 11月8日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(7)

昼食は次に訪れる西明寺のすぐ傍で「一休庵」というところが用意されていた。「近江路御膳」と称され、近江牛かどうかわからないが、すき焼き鍋と豆腐が添えられていて美味しく食べた。
 西明寺は「一休庵」のすぐ傍で、その惣門が見えるところなのだが、交通量が比較的多い国道307号を渡らねばならず、一旦バスに乗って、国道沿いにある西明寺の駐車場まで移動した。
 バスガイドさんから配られたリーフレットには、「西明寺は、平安時代の初期の承和元年(834年)、三修上人が仁明天皇の勅願により開創された古刹です。本堂や三重塔は、鎌倉時代の代表的な建造物です。国指定の名勝庭園「蓬莱庭」は、四季折々の変化が見られ、秋には境内一円のカエデが紅葉し、11月には満開となる天然記念物の「不断桜」とのコントラストをお楽しみいただけます。」と書かれていた。

143.西明寺入口
バスは西明寺の入り口である惣門のすぐ下にある駐車場に止められた。国道沿いに少し移動して、正面から惣門をくぐる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 -1.0段
181106_143.jpg
144.惣門
石段を上がって、惣門を入る。西明寺のパンフレットには、総門ではなく、惣門と書かれているが、外構えの門ということで意味に違いはないようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
181106_144.jpg
145.中門 -1
参道を進むと本坊庭園(蓬莱庭)の入り口になっている中門があった。寄り道はせず、まずは本堂へ向かうが、門から中を覗いてみると、不断桜と書かれた札が掛けられた木が柵で囲まれていた。樹齢250年余という古木で滋賀県の天然記念物だそうだ。HPには例年9月上旬に咲き始め、11月には満開となり、紅葉の時期に季節はずれの花見を楽しむことができると書かれているが、この時は 花はほとんどなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 14mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
181106_145.jpg
146.苔 -1
参道の脇の石積みに生えた苔が気持ちを落ち着かせてくれる。「苔を大切にしましょう」「苔を取らないでください」「自然を大切にしましょう 苔もそのままの姿で眺めましょう」といった立札が西明寺執事によって立てられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
181106_146.jpg
147.参道のモミジ -1
石段を登って、一息ついて眼を上げたとき、鮮やかな紅葉があった。この参道は平安時代初期に設けられた参道を、鎌倉時代に現在のように拡げられ、江戸初期、更に整備されて現在に至っているそうだ。塀の内側は本坊庭園(蓬莱庭)である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 60mm ISO640 ) 露出補正 -1.0段
181106_147.jpg
148.参道のモミジ -2
美しい紅葉が目を慰めてくれるが、それにしても昨日、今日と石段ばかり上がっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 60mm ISO640 ) 露出補正 -1.0段
181106_148.jpg
149.二天門 -1
やがてその美しい紅葉の向こうに二天門が見えてきた。二天門は重要文化財に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO500 ) 露出補正 -1.0段
181106_149.jpg
150.二天門 -2
二天門は室町時代の中期、応永14年(1407年)の建築だそうだ。正面の柱間が三間で出入口が中央一間の入母屋造りの八脚門で、柱上には二手先の組物をのせて支輪をつけ、全体は和様であるが柱下の礎盤や頭貫先に繰形つきの木鼻をつけるなど僅かに禅宗様を加えている。二天門へ登る道両側には、穴太積の初期のものともされる石垣も残っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO400 ) 露出補正 -1.0段
181106_150.jpg
151.二天門 -3
ここの紅葉は、深紅から橙色、そしてまだ緑の葉も残り、そのグラデーションは見飽きない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO400 ) 露出補正 -1.0段
181106_151.jpg
152.ウチワカエデの紅葉
二天門の手前に「蓬莱庭」という名勝庭園があるが、その入り口のところに、ひときわ大きな葉のカエデが紅葉していた。ウチワカエデと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO160 ) 露出補正 -1.0段
181106_152.jpg
153.蓬莱庭 -1 二天門に向かって左側が蓬莱庭だ。西明寺のホームページによれば、蓬莱庭は江戸時代初期、延宝年間に作られた池泉観賞式の庭園で、鶴亀の「蓬莱庭」と名付けられている。鶴や亀を形どった石組みや、本堂に祀る仏像を立石群に象徴させ、山の傾斜などを巧みに生かした、調和がとれた庭園である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO500 ) 露出補正 -1.0段
181106_153.jpg
154.蓬莱庭 -2
江戸時代の延宝元年(1673年)、寺院の復興にあたっていた望月友閑が復興の記念にと造った庭園で、小堀遠州の作庭を参考にした造りといわれ国の名勝庭園の指定を受けている。二天門の手前から見下ろしたところである。この写真ですべてを見ることはできないが、池の中央には折り鶴の鶴島と亀島が配されている。鎌倉時代の灯籠で「弥陀六の灯籠」と呼ばれる八角石灯籠や連珠模様の室町時代を偲ぶ石灯籠がある。庫裡南側の山の斜面を利用して築山とし、築山の立石群は本堂に安置している本尊薬師如来とその眷属(従者、家来、配下の者)を表している。また、植木の刈り込みは雲を表し全体で薬師如来の浄瑠璃浄土を表し、仏の世界が具現化されているとのこと。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 -1.0段
181106_154.jpg
155.苔 -2
天台宗の仏教寺院である西明寺が創建されたのは834年。ここで生きている苔は西明寺の歴史とともに命をつなぎ、今日では「西明寺の苔」と言われるほどの存在感がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 -1.0段
181106_155.jpg
156.二天門から -1
二天門からいま上がってきた参道を眺める。紅葉がきれいだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 39mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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157.三重塔 国宝 -1
二天門をくぐると正面に本堂があり、その右側に国宝 三重塔があった。鎌倉時代後期建立である。飛騨の匠が、釘を1本も使用しないで建てた、総桧の塔である。一層には一面に巨勢派(平安時代初期から室町時代を経て、明治時代まで連なる絵師の一族)の極彩色による絵が描かれている。八天画、法華経の絵説き、八大龍王、三十二菩薩、花鳥などである。日経新聞(時の廻廊)では「 これが700年以上も残る色彩だろうか。優美さを感じさせる三重塔の扉を開けると、薄暗い照明の中にきらびやかな色の世界があった。閉じられた空間は写真で見るよりも狭く、目が慣れるにつれて極彩色が息苦しいほどに迫ってくる。」と記されている。春と秋にこの国宝三重塔内壁画特別公開期間もあるようだったが、ガイドさんから説明もなく、そのことを知らなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 35mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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158.三重塔 国宝 -2
三重塔は本堂の右側(南側)に建っている。檜皮葺きの和様の三重塔で、様式的に鎌倉時代後期の建築とされる。総高は20.1メートル。逓減率が小さいことと、二重目・三重目の塔身の立ちが低いことがこの塔の特色であるという。相輪は鉄製である。洗練されたこの塔は、離れてみても近くから見ても美しいと言われる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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159.本堂 国宝
本堂は、建築様式から鎌倉時代前期の建立とされる。当初は方五間の仏堂であったが、南北朝時代に七間堂に拡張し、向拝も附加するという大改造を受けて、今の姿になったとされる。 正面の七間は総て蔀戸(しとみ戸、平安時代から住宅や社寺建築において使われた、格子を取り付けた板戸)、側面は礼堂部分の前三間が妻戸、後四間が白壁。中央二間が内陣、後二間が後戸。縁は礼堂の三方のみに設けられている。西明寺本堂の改造時とほぼ同時期に建立された、これから訪れる金剛輪寺本堂とこれらの造りが共通するという。本尊は薬師如来。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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160.三重塔 国宝 -3
初層の縁は高欄がなく、二・三層は高欄をめぐらしている。 二軒繁垂木(軒を支える垂木が上下二段からなっている)の軒が流れるように美しく、組物は三手先(梁や桁 にかかってくる上部の荷重を集中して柱に伝える役目をもつ部材の総称で組物の一形式。大斗から肘木ひじきを三段に出して軒桁のきげたを受けるもの)というそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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161.二天門から -2
二天門越しに参道を眺める。この右側が蓬莱庭だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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162.二天門から -3
二天門を出て参道を眺める。このあたりの紅葉がきれいだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 35mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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163.二天門の構え 重要文化財
二天門は室町時代初期、応永14年(1407年)に建立されたもので、杮葺きの八脚門であり、正面両脇間に金剛柵を設けて増長天と持国天を祀るため二天門と呼ばれる。その胎内から正長2年(1429年)の銘札が発見され、仏師(仏像,仏画の制作に従事する人)法印院尋の作であることがわかった。表道両側石垣は、穴太積(自然石を積み上げる野面積み)の初期の石垣が保存されている。ここにも百済寺の仁王門と同じように草鞋があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
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164.二天文門見上げる
西明寺は、周囲に紅葉をめぐらすこの二天門が、撮影ポイントになる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO640 ) 露出補正 -0.7段
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165.十一面観音立像
参道を下りてくると、蓬莱庭の反対側に十一面観音菩薩が見えた。この十一面観音菩薩は、頭上に十面の化仏をつけ、十種の功徳と四種の果報を授けるのだそうだ。 十一面観音の後ろには棚があり、そこには奉納された三千体あるという小さな十一面観音像が奉納されている。小観音像永代供養料は一体10,000円だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
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166.中門 -2
右側に蓬莱庭の入り口である中門があった。先ほどはここから庭を眺めた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
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167.惣門へ
緩やかな石段の参道を惣門に向かって下りる。午後2時を過ぎたばかりだが、陽が傾いてきている。駐車場のバスに戻って、最後の参詣先である金剛輪寺へ移動する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO500 ) 露出補正 -1.0段
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2018年11月29日

高野山後編 11月6日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(2) 

古いお付き合いのある家内の友人から、高野山へ行くなら、その亡くなられた息子さんが眠る「正智院」に寄ってきて欲しいと言われていた。お土産を買った紀州南高梅の梅干し屋さんで場所を確認して向かう。杉木立が並ぶ壇上伽藍の北側にその「正智院」があった。別格本山の立派な寺院である。
 「正智院」は教覚正智坊によって永久年間(1113年~1117年)に開基され、鎌倉時代初期の学僧で高野八傑のひとりである道範を中興の祖とする。筑前の黒田家、薩摩の島津家の深い信仰があったそうだ。玄関で声をかけたところ、ご住職が出てこられた。家内が来訪の趣旨を伝えると、本堂へ案内してくださった。本堂でお参りした後、「お庭が立派だと伺ってきたのですが、見せていただけますか」と乞うたところ、快くご住職が庭と客間を案内してくださり、美しい庭と、その庭園に面した客間を見せてくださった。ここを訪ねられて良かったと思う。
 「正智院」とその庭園、そして客間の襖絵などを堪能した後、ご住職に礼を述べ、壇上伽藍へ向かった。時刻は午後3時になろうとしていた。
 壇上伽藍は蛇腹道から来ると東塔のところへ出るが、今回は「正智院」から根本大塔の西側へ入った。4年前に来たときは見られなかった172年ぶりに再建された中門を見たりしているうち、そろそろケーブルの駅へ行かねばならい時間となる。蛇腹道を通って梅干し屋さんに戻り、スーツ・ケースを受け取って、バスで高野山駅へ着く。丁度良く16:47発の特急「こうや」に接続するケーブル・カーに乗ることができた。
 高野山から奈良へ行くには一度大坂のほうへ戻らなければならない。難波のすぐ手前の新今宮で乗り換え、務めている人たちの帰宅時間で混み合うJR大和路線で、奈良へ到着したのは夜7時になっていた。JR奈良駅近くに予約しておいたホテルにチェックインし、何か美味しいものを食べようと三条通へ出かけていった。
 本編でもそれぞれのホームページや、パンフレット、および「神社・寺-御朱印めぐり.COM」というサイトから引用させていただいた。

22.「正智院」入口
「正智院」は全国レベルのアスリートの養成と指導者の育成を目指す私立高野山高校の手前にあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO320 ) 露出補正 なし
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23.「正智院」の庭 -1
「正智院」の 庭をご住職に案内していただいた。庫裡の奥にある庭園は書院北庭で、面積は830㎡。昭和30年に重森三玲氏によって作庭されたもので水墨山水画的な構想をもとに造られている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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24.「正智院」の庭 -2
庭園の背後には岩山があり、高野山内八葉の神應岳と呼ばれる。神應岳を背景とし、州浜模様の苔に大小六十余りの石組みを配した枯山水庭園である。わざわざ見せていただいた甲斐のある庭だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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25.庭園に面した庫裡客間 -1
庭園に面した庫裡の襖絵は雲谷等益、長谷川等伯、谷文晁によって描かれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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26.「正智院」の客間
庭に面し客間のひとつ。障子から入る光で気持ちが落ち着く。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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27.床の間の絵
前の写真にある床の間に掛けられた大きな絵は、円山応挙だそうだ。右下に「應擧」の銘が見られる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/160秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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28.縁側から眺める庭園
ご住職が庭園全体を眺められる奥の縁側に案内してくれた。ここからはモミジ、苔、裏山、庭の石、そして今は枯れているが春には美しい花が咲くツツジが植え込み眺められる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 28mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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29.「明王院」への道
「正智院」では、その庭園や、客間の襖絵に魅せられた。見せていただいてよかったという気持ちで、ご住職に礼を述べ、「正智院」をあとにした。壇上伽藍のほうへ歩いていくと、左手に先ほど見た 「明王院」への道があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO400 ) 露出補正 なし
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30.壇上伽藍 金堂
壇上伽藍へはその北西側から入った。伽藍とは、僧侶が修行をする場所という意味で、由来はインドのサンスクリット語からきていという。 高野山の伽藍は、見た目では気づきにくいが、石段の上に伽藍が建立されているので壇上伽藍と呼ばれる。高野山全体を指す「金剛峯寺」の中心的伽藍である。色づいたモミジの向こうは金堂である。金堂は弘仁7年(816年)以前の平安時代後期に建立されたと推定されている。金堂は高野山の開創時から存在すると云われ、高野山内でもっとも古い歴史のある建造物だそうだ。根本大塔よりも先に造営され、金堂の落慶後まもなく根本大塔が完成している。現在の金堂は幾度もの火災に際し、その度に再建されてきた8代目の金堂であり、最近では昭和9年(1934年)に再建されている。残念ながら、現在見ることのできる金堂の姿は、創建当初の容姿を留めておらず鉄筋コンクリート造の堂舎である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO400 ) 露出補正 なし
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31.根本大塔と深紅のモミジ
根本大塔の朱色と競い合うように深紅のモミジがあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO160 ) 露出補正 なし
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32.山王院と明神社
弘法大師は高野山の開創に際して、日本古来の神々と仏教との融和のため、高野山の地主神として、丹生明神(にうみょうじん)と高野明神の分霊を高野山の守護神として「御社(みやしろ)」に祀った。その「御社」の拝殿として山王院は建立されている。渋い建物の山王院の奥、森の手前に建つ赤い春日造の神社は、高野山の開創以前から土地の神として信仰されてきた丹生明神、高野明神(狩場明神)を祀る「明神社」だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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33.六角経蔵
壇上伽藍の奥まったところに六角経蔵があった。平治元年(1159年)に創建され、昭和9年(1934年)に鉄筋コンクリート作りで再建された。高さ19,7mの二重六角造りである。「高野山・御朱印」というサイトを見せていただくと、六角経蔵は「鳥羽法皇」の菩提を弔うために、皇后の「美福門院(びふくもんいん)」が、平治元年(1159年)に建立した経蔵だそうだ。美福門院は鳥羽法皇や仏教に大層な思い入れがあったようで、なんと、自らの所領であった紀州(和歌山県)の「荒川の庄(あらかわのしょう/=安楽川荘(現在の紀の川市桃山町と打田町の一部)」を高野山へ寄進した。寄進した理由とは「六角経蔵の維持費のため」という。しかし翌年、美福門院は崩御され、なんと女人禁制が絶対の掟であった高野山に埋葬されている。一説には高野山の女人禁制が解かれた際の原動力のひとつになったとも云われている、といったことが記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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34.御影堂
高野山金剛峰寺のHPによると、御影堂は、弘法大師の持仏堂として建立されが、後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられた。桁行15.1メートル、梁間15.1メートルの向背付宝形(ほうぎょう)造りで、堂内外陣には弘法大師の十大弟子像が掲げられている。この堂は高野山で最重要の聖域であり、限られた人しか堂内に入ることは許されなかったが、近年になって旧暦3月21日に執行される「旧正御影供」の前夜、御逮夜法会(おたいやほうえ)の後に外陣への一般参拝が許されるようになった、と記されている。余談だが、金堂と御影堂の中間に瑞垣で囲まれた松の木がある。 松葉が3本になっている三葉の松であり、「三鈷の松」として祀られている。現在では参詣者が、縁起物として松の葉の落ち葉を持ち帰り、お守りとして大切にするという。かみさんも3葉の松葉を見つけて持ち帰ってきた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 41mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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35.中門
前回、高野山を訪れたときは、この中門は工事中だった。中門は弘仁10年(819年)/平安時代に創建されたと推定されるが、江戸時代の天保14年(1843年)の大火事で燃え尽きてしまい、以降、平成の現在まで「中門跡地」として残っていた。中門はかつて壇上伽藍の南を守護する門だったが、幾度も焼失を繰り返し、天保14年(1843年)/江戸時代後期)以降、平成27年(2015年)まで再建されなかった歴史がある。172年ぶりの再建工事だったのだ。そして、平成27年の高野山開創1200年記念の記念事業の一環で、中門が蘇った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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36.六角経蔵とモミジ
六角経蔵の近くにいってみた。赤い葉ではなかったが枝が張り出したモミジが良かった。六角経蔵には、紺紙(紫色の紙)に金箔を溶かした金泥(きんでい)で丁寧に、綺麗に書き写したした数々のお経が納められているという。これらの経典は紺紙金泥一切経(こんしきんでいいっさいきょう)、または、美福門院経と呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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37.金堂とモミジ
高野山はこのとき紅葉の最適期だった。壇上伽藍のほぼ中央にある金堂の傍のモミジもきれいだったが、少し遅かったかもしれない。。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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38.根本大塔
根本大塔は真言密教の根本道場のシンボルとして建てられた、高さ48.5mの日本で最初の多宝塔である。大塔内陣は曼荼羅の世界を立体的に表現しており、胎蔵界と金剛界をひとつに融合した空海独自の立体曼荼羅となっているというが、私は何回も壇上伽藍にきているのに根本大塔の中に入ったことがない不届きものである。根本大塔は816年~887年に創建されたと推定される。創建後は、記録に残っているだけで5回も焼失し、焼失の度に時の権力者たちの助力により再建を繰り返ししてきた歴史がある。しかし天保14年(1843年)以降、再建計画がなくなり、そのまま更地状態になっていたそうだ。現在見ることのできる根本大塔は昭和12年(1937年)に再建された時の姿であり、残念ながら創建年当初のような木造ではなく鉄筋コンクリート造になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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39.不動堂の屋根
そろそろ戻ろうと思い、蛇腹道のほうへ向かう。壇上伽藍の東側にあった不動堂の屋根は苔むしていて、紅葉と美しいコントラストとなっていた。不動堂は建久9年(1198年)に創建され、その後天保5年(1834年)、明治41年(1908年)、平成10年(1998年)に再建されている。1952年3月29日に国宝に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 36mm ISO800 ) 露出補正 なし
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40.蓮池
不動堂の南側に池があり、太鼓橋が掛けられている。昭和の初頭まではこの池に蓮がたくさん群生していたようで、その蓮に因んで「蓮池」の名前が付けられている。 蓮池には、古来、東側から小島に向けて太鼓橋が架かっていたが、2015年に池の西側から小島に向けて新しい太鼓橋が造営された。見えている橋はその新しい橋だ。池の向こうは道路であり、道路の向こうに遍照尊院がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO500 ) 露出補正 なし
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41.根本大塔とモミジ
壇上伽藍の東端にある東塔の辺りから、モミジの葉と根本大塔の屋根を撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 51mm ISO400 ) 露出補正 なし
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42.蛇腹道
蛇腹道とは、伽藍の入口である金剛峯寺から壇上伽藍内(東塔)へ向かう小道のことを言う。写真は東塔の側からみた蛇腹道だ。蛇腹道という由来は、前編でもふれたように、高野山全体の寺院の並びを、蛇に見立てた時、ちょうどこの壇上伽藍に通じるこの道が蛇のお腹のあたりなるので「蛇腹道」の名前が付いたようだ。ここは高野山一番の紅葉のスポットである。午後3時半、観光客の数は少なくなった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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43.金剛峯寺
時間が差し迫ってきていて、金剛峯寺にはお参りしなかった。総本山金剛峯寺という場合、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指す。 高野山の本堂は、大伽藍にそびえる「金堂」が一山の総本堂になる。高野山の重要行事のほとんどは、この金堂にて執り行われている。 いわば狭義のこの金剛峯寺は、明治2年(1869年)に青巌寺と興山寺を一本化したもので、高野山真言宗総本山金剛峯寺の本坊が置かれた宗務上の中心地である。現存する建物の多くは文久2年(1862年)に再建された青巌寺のもので、大主殿、奥書院を中心に、経蔵、鐘楼など、真然堂、護摩堂、山門、会下門、かご塀など県指定文化財が並ぶ。この門を正門といい、金剛峯寺の建物の中で一番古く、文禄2年(1593年)に再建されて以来、今日に至っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 37mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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44.極楽橋駅
秋は日が暮れるのが早い。千手院前前からバスに乗って、ケーブル・カーの高野山駅まで来て、極楽橋へ下りた。写真は極楽橋駅に停車している16:47発の特急「こうや」である。これに乗って新今宮まで行く。今夜の泊りは奈良だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20 mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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