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2023年4月 4日

旅行 高松→丸亀→鞆の浦→尾道 ③丸亀 宝月堂・丸亀城・アザレ

2日目、この日は丸亀で婿殿の家の法事がある。9時前にホテルを出発し、朝の商店街のアーケードを通り抜け、右手に高松城の石垣と琴電の駅に電車が入るところを見ながら高松駅まで歩く。
 高松から丸亀までは、予讃線の各駅停車に乗った。丸亀まで1時間弱である。10時半ごろ丸亀駅に着いた。落ち着いた良い町だと感じた。今回は婿殿の母の法事だったが、親しかった方が車で駅まで迎えにきてくださっていた。その方が経営されている「宝月堂」という老舗のお菓子司の店を訊ねた。
 法事は12時から市内のお寺で行われるが、その前に丸亀城を案内していただいた。丸亀城は丸亀市民の心の支えになっている。
 法事が終わって、「宝月堂」の社長さんに、坂出にある「アザレ」というフランス料理のレストランでご馳走になった。田舎の町(失礼)にこんなところがと思うほど洗練された店だった。料理も美味しかったし、古い和風建築で昭和レトロ風の波を打つ障子ガラスの向こうには庭が見える。香川県在住の画家でセツ・モードセミナー卒業後、イラストレーターとして雑誌広告の仕事に携わってこられ、 現在は青山のDEE'S HALLなどで定期的に個展を開催し、海外のギャラリーでも展示会を行われている山口一郎さんによる玄関のデザインなど、素晴らしかった。
 坂出から予讃線の「マリンライナー」で岡山へ、岡山からは在来線の山陽線で福山へ行く。高松ー岡山間を瀬戸大橋線というのは愛称だそうで、正しくは高松駅ー坂出駅ー宇多津駅間はJR四国の予讃線で、宇多津駅ー児島駅はJR四国の本四備讃線、児島駅から茶屋町駅間はJR西日本の本四備讃線、そして茶屋町駅ー岡山駅間がJR西日本の宇野線である。(マリンライナーは宇多津駅には入らないで坂出から児島へ出てしまう。)山陽線ではSuicaが使えた。
 この日は天気は良かったのだが、中国からの黄砂なのだろうか霞がかかったように濁っていた。花粉も飛んでいたようで目が痒くてて仕方なかった。
 今宵は鞆の浦どまりである。タクシーで鞆の浦のホテルへ向かった。

000_230312547 X700 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg
丸亀城の石垣 2023年3月12日 香川県丸亀市

041_230312091 X900 〇高松 百間町 G7X.jpg 41.高松アーケード商店街
翌朝、高松三越のすぐ近くにあるホテルを出て、アーケード商店街を通って、高松駅まで歩いた。後で知ったのだが高松アーケード商店街は総延長約2.7kmで日本一長いのだそうだ。アーケード商店街は全部で7つあり、それらはつながっている。写真は丸亀町商店街と片原町商店街、兵庫町商店街が交差する高松中央商店街というところ。ミラノのヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアを思い起こさせられた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
042_230312092 X900 〇高松 アーケード G7X.jpg 42.讃岐うどん -1
丸亀町商店街と片原町商店街、兵庫町商店街のアーケードが交差する高松中央商店街から兵庫町商店街を中央通りをへ抜ける。さすが讃岐うどんの県、商店街にもうどん屋さんが多い。この店は「さぬき麺業」で午前10時開店だそうだ。1926年(大正15年)香川県香川郡川岡村(現川部町)に「香川屋」として創業。1964年(昭和39年)2月、高松市周辺の当時の製麺業者30数店が出資して「さぬき麺業」が設立された。東京、大阪にも出店している。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
043_230312093 X900 高松 アーケード G7X.jpg 43.讃岐うどん -2
同じく兵庫町商店街の「はなまるうどん」の店だ。「はなまるうどん」は2000年に香川県高松市で創業した。全国各地、海外にも店舗があり、ホームページ検索すると、439店あった。はなまるの注文スタイルは、本場「讃岐」と同じセルフ形式。誰もが、どこかで見たことがあるという店だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
044_230312099 X900 〇高松城 琴電 G7X.jpg 44.高松城石垣と琴電
寿町というところに出た。右手に高松城の石垣(玉藻公園)と終点高松築港駅に入る琴電(高松琴平電気鉄道株式会社)が見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 37mm ISO250 ) 露出補正 なし
045_230312103 X900 〇高松駅 G7X.jpg 45.高松駅
岡山行の8時55分発のマリンライナー16号が出て行く。マリンライナーは丸亀には止まらない。むこうのホームに見えるのは、高松ー松山間の「特急いしずち」。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 20mm ISO250 ) 露出補正 なし
046_230312104 X900 〇高松駅 G7X.jpg 46.予讃線 各駅停車
私たちが乗車する9時26分発の予讃線の各駅停車の電車(7200系)。JR四国の電化区間は予讃線 高松~松山と土讃線 多度津~琴平間のみだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
047_230312106 X900 高松駅 G7X.jpg 47.2700系特急気動車
この列車は徳島へ行く「特急うずしお」だ。2019年8月にデビューした。最高速度は130km/hdで制御付自然振子方式を採用し、軽量・低重心化を図り、安らぎと先進性を併せ持たせた特急車両という。ここは関東では見慣れない車両が多い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO640 ) 露出補正 なし
048_230312109 X900 丸亀 宝月堂 G7X.jpg 48.丸亀 宝月堂
丸亀駅には10時20分に到着した。丸亀駅に宝月堂のT社長が迎えに来ていただいていた。車でまず、宝月堂のお店に伺う。宝月堂は2017年に創業100年を迎えた。老舗の御菓子司である。HPによれば、店舗として使用されている北側の白い漆喰がまぶしい建物は最も古く、明治31年の建築である。2017年に柱や梁など、骨組みを残したまま改築し、先代が住居として使用していた2階の部屋は全て繋げ、和菓子教室の会場として使用されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.0 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
049_230312112 X900 〇丸亀 宝月堂 有形文化財 G7X.jpg 49.風月堂の建物は登録有形文化財
店舗の左側の木造3階建ての建物は、大正7年に建築。昭和6年の増築により洋風建築と町屋風建築が融合する建物となっている。1階は製造工場として使用し、2階は地域の人たちとの交流の場として使えるよう、模索しているという。スパニッシュ瓦や、スクラッチタイルが目を引くこの建物は2017年に文化庁の登録有形文化財となった。写真では見えないが、さらにその隣の南側に位置する昭和6年建築の建物があり、黒漆喰が目を引く町屋風造り。二段構えのうだつが特徴である。当時の防火設備として造られたうだつは、丸亀城から丸亀港に抜ける街道だった歴史を感じさせてくれる。今でも、工場として使用しているその建物の安全を見守っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
050_230312125 X900 〇丸亀 宝月堂 G7X.jpg 50。東京オリンピック聖火ランナー
社長のTさんは、2020年東京オリンピックの聖火ランナーとして、雨の中、香川県の瀬戸大橋のたもとを丸亀城まで走られた。店内にそのトーチのレプリカが展示されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 16mm ISO3200 ) 露出補正 なし
051_230312131 X900 丸亀 宝月堂 蝶という名の和菓子 G7X.jpg 51."ちょう" という題の和菓子
宝月堂謹製の"ちょう"という名を付けられた生菓子をご馳走になった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
052_230312138 X900 丸亀 宝月堂 G7X.jpg 52.宝月堂のペット
宝月堂にはペットの猫が飼われていて、社長さん以下のお店の人達に可愛がられている。外で写真を撮っていたら近寄ってきてくれた。とても人懐こい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
053_230312542 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 53.丸亀城 大手二の門(高麗門)
法事の時間まで少し時間があったので、丸亀城へ案内していただいた。丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66m)を利用し、ほぼ四角形に亀山の廻りを堀(内堀)で囲む、渦郭式の平山城である。丸亀城は石垣で有名だが、その石垣は、緩やかであるが荒々しい野面積みと端整な算木積みの土台から、頂は垂直になるよう独特の反りを持たせる「扇の勾配」と呼ばれる。山麓から山頂まで4重に重ねられ、合わせると60mになり、総高としては日本一高く、三の丸石垣だけで一番高い部分は22mあるそうだ(wikipediaより)。丸亀城は生駒氏が慶長年間築城したが、一時廃城となり、山崎氏が寛永末年復興、万治元年京極氏が代り六万石の居城となった。大手一の門及び二の門は寛文10年の再建になり、一の門は櫓門、二の門は髙麗門で これに両脇塀が附属している。これら遺構は手法にも特徴があり。且つ大手口の堂々たる偉容を示し、枡形の保存上からも大事な建物である(文化遺産オンライン)。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
054_230312544 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 54.大手二の門と一の門の櫓
天守を背後にする丸亀城の正門で城の北側に位置するのが大手一の門。現存する門は1670年(寛文10年)に再建された櫓門で、国の重要文化財。藩士が太鼓を打ち、時を知らせていたことから太鼓門とも呼ばれている。内堀を渡るとまずは大手二の門(高麗門)で、枡形を経て大手一の門(櫓門)に続く。天守に遠い方が二の門となるので、登城にあたってはここが最初の門。1670年(寛文10年)に再建された高麗門で国の重要文化財である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f11.0 1/500秒 26mm ISO100 ) 露出補正 なし
055_230312552 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 55.大手一の門(櫓門)
入母屋造の本瓦葺きの大手一の門は、棟の両側に鬼瓦と鯱瓦(しゃちほこがわら)をのせている。鯱瓦は、火事の際に水を噴き出して火を消すという伝説があり、鬼瓦同様に門の守り神となっているのだそうだ。城を防御するための石落としなども仕掛けられている実戦的な門でもある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
056_230312555 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 56.鏡石
一の門と二の門の枡形の中には、切り込みハギと言われる石垣の構築技術の一つがみられる。石を削り精加工した石を用いるが、石の合わせ口を精巧に隙間なく積んでいる。整層積みしたものや乱積みとなるものもある。大手枡形は城の正面玄関であり、鏡石と呼ばれる2mを超える大きな石が用いられている。鏡石は大手枡形などの城の重要な箇所に魅せる石垣として用いられた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
057_230312555 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 57.「幸運のハート石」
枡形の石垣に男石と女石のふたつの鏡石があるが、その間にハート形に見える石がはめ込まれている。男石と女石の間にあるから縁結びにご利益があるということらしい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
058_230312558 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 58.大手一の門(櫓門)の門扉
門扉についての説明がないので、詳細は分からないが、重厚な門扉である。「お城の基礎講座 39.門扉(もんぴ)の構造」というサイトに丸亀城大手門の門扉の写真があり、そこには「門扉は肘壺(ひじつぼ)と呼ばれる金具を使って門に取り付けられている。肘壺は肘金(ひじがね)と壺金(つぼがね)の二つからなり、壺金は扉に、肘金は鏡柱に付けられる。肘金の突き出た先には乳金物(ちちがねもの)というまんじゅう型の金物で隠される。後略」と解説されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO800 ) 露出補正 なし
059_230312553 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 59.鉄砲狭間
丸亀城には、周囲を巡るように内堀が残り、その内堀の北側に架けられた石橋の先に大手門がある。丸亀城の大手門は、四方を囲まれた枡形に、出入り口となる虎口を二つ設けた「枡形虎口」と呼ばれる構造であるが、石橋を渡って、最初にくぐるのが大手二の門でその大手二の門の両側には、狭間が設けらtれた狭間塀があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8.0 1/500秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
060_230312568 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 60.丸亀城 天守
丸亀城の天守は1660年に完成した。築城400年余りを誇る丸亀のシンボル「丸亀城」は、全国に現存する「木造天守十二城」の一つである。「現存12天守」とは、江戸時代以前に建設された木造天守のこと。全国にたった12カ所しかない貴重な天守といわれる。頂部の本丸には江戸時代に建てられた御三階櫓が現存する。この建物は唐破風や千鳥破風を施して漆喰が塗られ高さは15mあり、現存天守の中で最も小規模である(wikipedia)。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 125mm ISO100 ) 露出補正 なし
061_230312597 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 61.丸亀城の石垣
先にも記したが、丸亀城は標高約66mの亀山という丘陵地に築城された平山城で「亀山城」という名前でも知られている。丸亀城の石垣は、石垣を築く技術が最高水準であった江戸時代前期に造られており、隙間なく積まれた石ときれいな曲線が魅力的である。石垣は美しい曲線を描いて立ち上がり、「扇の勾配」と称されている。場所ごとに石垣の積み方が異なっているため、細部の違いを楽しみながら見ることができる。迫力のある高さ60mの石垣に対し、現存12天守の中では最小で、高さ15mの天守が建設されており、ほかの城にはないような独特な雰囲気が味わえるという。天守へは10分、美しい石垣を見ながら登城することになる。2018年、台風や豪雨によって(写真の右側のほうで写っていないが)南西部の石垣が崩落した。石垣崩落による観光への影響はないが、現在も修復作業が行われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 77mm ISO100 ) 露出補正 なし
062_230312151 X900 坂出 Azalee G7X.jpg 62.アザレ(Azalée)
法事が終わって「宝月堂」の社長さんに、昼食をご馳走になったのだが、そこは素晴らしいフレンチ・レストランだった。丸亀から10分ほど車に乗って、坂出に向かった。着いたところは、「えっ、こんなところに」にと思うようなところだったが、これはその入り口で、最初に記した画家の山口一郎さんのデザインである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 22mm ISO400 ) 露出補正 なし
063_230312152 X900 坂出 Azalee G7X.jpg 63.アザレの室内
住宅地の中にポツンとある邸宅である。和を感じる庭を通って、玄関を入り部屋に通された。昭和初期の木造屋敷をリノベーションして見事に再生させた建物と聞いた。 通された広い部屋は見事な欄間が施された和室だが、床はホワイトマーブルの大理石を敷いたようなフロアだった。詳しく食レポはできないが、料理も、その雰囲気と調和し、味わいも絶品だったのは言うまでもない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO400 ) 露出補正 なし
064_230312155 X900 〇坂出 Azalee G7X.jpg 64.azareの庭
レトロを感じる波をうったガラスが嵌められた障子を通して見える庭も、また素晴らしかった、その季節になると、店の名にもなっている躑躅が見事だと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
065_230312158 X900 坂出 Azalee G7X.jpg 65.「蝶」
床の間に山口一郎さんの作品が掛けられていた。チョウの写真を撮るのが趣味である私を惹きつける。デフォルメはされているが、この渋い色で構成された翅の感じは本物のチョウを感じさせる。帰りがけにはシェフが挨拶をしに来てくれた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/125秒 14mm ISO3200 ) 露出補正 なし

2023年3月 3日

日比谷公園と旧法務省赤レンガ② 2023年2月13日 旧法務省赤レンガ

法務省の赤レンガは以前にも通りがかりに眺めたことがあり、一度ゆっくり見てみようと思っていた。東京にある赤レンガの美しい建物を調べてみると、その法務省旧本館とともに、東京駅丸の内駅舎、三菱一号館美術館、立教大学 本館・礼拝堂ほか、東京藝術大学赤レンガ1・2号館、東京国立近代美術館工芸館、旧三河島汚水処分場喞筒場施設、旧醸造試験所第一工場、北区立中央図書館、ガスミュージアムなどが挙げられていた。勿論、三田山上の慶應義塾図書館もある。
 まだ見たことのないところもあるが、その中で法務省旧本館は、東京駅の丸の内駅舎とともに、東京の中心地にあってその姿が美しい。2012年に「保存・復原工事」を完了した東京駅丸の内駅舎はその後何度も見る機会があったが法務省旧本館は通りがかりに眺める程度だった。
 そこで、月1回の句会の機会に行ってみようと思ったのだ。館内に入って法務史料展示室も見学してきた。
 同じような写真ばかりだが、ぐるっと回ってきたので見ていただきたい。

000_230217116 X900 〇法務省午後 Z50 18-140.jpg
桜田通り霞が関方面から見た法務省旧本館正面
 2023年2月17日 東京都千代田区霞が関

023_230217030 X900 法務省 Z50 18-140.jpg 23.法務省旧本館 南側から
メトロの霞ヶ関駅を背に桜田通りを歩いていくと裁判所の大きな建物の向こうに赤レンガの建物が見えてきた。手前は南側に面しており、日が当たっている。右隣の新しい大きな建物が法務省本省が入っている1990年に竣工した地上21階・地下4階の合同庁舎6号館のA棟だ。所在地は赤レンガの旧本館とともに千代田区霞が関1-1-1である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/500秒 28mm ISO160 ) 露出補正 なし
024_230217031 X900 法務省 Z50 18-140.jpg 24.桜田通りから見た正面(入口)右側部分
桜田通りから見ると法務省旧本館の赤レンガは大きく3っの部分からなっている。写真はその右側(南側)の部分である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.3 1/500秒 35mm ISO200 ) 露出補正 なし
025_230217032 X900 法務省 Z50 18-140.jpg 25.桜田通りから見た入り口と中央部分
左の円柱のような塔が2つあるところが入口である。日の丸の旗の後ろ、入口から正面の5っのアーチがある一段高い部分が、ファサードだ。かつての司法大臣の執務室が法務史料展示室及びギャラリーとして、一般に無料公開されている。入口の職員の方に法務資料展示室の見学を申し出たところ、首にかける入館証を渡され、正面の建物中央にある見学者所受付に案内され、手荷物検査を受けた。そして、階段を上がって旧本館建物3階の一番左側(北側)にある資料室入口に案内された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f8 1/500秒 26mm ISO100 ) 露出補正 なし
026_230217036 X900 法務省 Z50 18-140.jpg 26.旧本館中央部分
桜田通り側の正面は西側に向いているので日陰になっている。写真を撮っていいところは決められていて、建物の写真は撮っても良いが、撮る場所は決められていた。この写真は門の中に入って撮っているが、正面から右側からは撮影不可になっていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
027_230217039 900 法務省 Z50 18-140.jpg 27.桜田通り
門の中から赤レンガの旧本館を背に桜田通り側(西側)を撮る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 25mm ISO110 ) 露出補正 なし
028_230217046m X900 〇法務省3F Z50 18-140.jpg 28.復原室(司法の近代化)
職員の方のあとについて3階まで上がり、法務資料展示室に入った。女性の係員の方がいらしたので、写真撮影について聞いてみると資料に近づいて接写することは不可だが、ノーフラッシュで全体を風景のように撮るぶんにはOKとのことだった。ここでは「法典編さんとお雇い外国人」という展示があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO450 ) 露出補正 なし
029_230217049 X900 法務省3F Z50 18-140.jpg 29.特別展示室
次の特別展示室には、明治23年(1890年)から昭和22年(1947年)まで使用されていた法服が展示されていた。写真は弁護士の法服である。法服が黒なのはこれ以上何にも染まらないという「公平の象徴」、胸元にある植物のツタの刺繍は「知識の象徴」を表している。刺繍が紫色は裁判官、赤色が検察官、白色が弁護士である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 なし
030_230217057 X900 〇法務省3F Z50 18-140.jpg 30.メッセージギャラリー -1
この部屋では「司法の近代化」「建築の近代化」に焦点を当てた「明治150年」特集展示(赤レンガ棟の建築資料の展示、我が国の司法制度の基盤形成に大きく貢献した先人の紹介、明治期に編纂された法典等貴重な署の展示)があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO1000 ) 露出補正 なし
031_230217063 X900 法務省3F Z50 18-140.jpg 31.メッセージギャラリー -2
ここは「世界の国民の司法参加」と題した展示がされていた。民意を裁判に取り入れようと考えたのが、後に「平民宰相」と呼ばれる原敬だった。司法当局の強硬な反対もあったが、原が1918年に首相となると、流れは変わり、陪審法案が作成され、原の暗殺後の1923年、ついに成立したという。ちなみに日本で最初に陪審制度を提言したのは福沢諭吉で、「西洋事情」書いている。また、福沢は1877年の西南戦争では、西郷隆盛ら薩摩軍を陪審裁判で審理するよう主張したという。裁判に国民が参加することは、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ロシアその他多数の国々で広く行われていると示されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO1400 ) 露出補正 なし
032_230217064 X900 務省3F Z50 18-140.jpg 32.裁判員制度の広域キャラクター
検察庁や裁判員制度というとどうしても堅いというイメージが強く、国民にとって近寄りがたい雰囲気がある。そこで,一人でも多くの人に検察庁や裁判員制度に関心を持ってもらい、説明会に参加して欲しいという検察庁職員の思いから考え出されたのが検察広報キャラクター達で、全国の高・地検において自然発生的に次々に誕生した。これは福岡高等検察庁の裁判員制度と書かれたハッピを着た「サイバンインコ」。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO900 ) 露出補正 なし
033_230217065 X900 法務省 Z50 18-140.jpg 33.法務省旧本館ファサード
10時45分、ほんのわずかな時間だったが、資料室を見学して赤レンガ旧本館の外に出た。句会の会場に行く。法務省旧本館の正面からの写真を撮ることができなかった。建物は大きくて全体を撮るには収まりきらない。あとで気が付いたのだが、全体を撮るには桜田通りを渡って道路の反対側から撮る以外になかった。桜田通りは交通量も多く考えつかなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
034_230217067 X900 〇法務省 Z50 18-140.jpg 34.桜田通りを桜田門へ
門を退出し、法務省旧本館に沿って桜田通りを内堀通りの方へ歩く。写真は法務省旧本館の内堀通り寄りの赤レンガだ。法務省旧本館は近代国家体制整備の一環により、司法庁舎として、米沢藩上杉家上屋敷跡地に明治28年に竣工した。ドイツ人建築家によるドイツネオバロック式で、中央部分の5連アーチのあるファサードが特徴だそうだ。ドイツ風の歴史的建造物である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 65mm ISO100 ) 露出補正 なし
035_230217071 X900 法務省 Z50 18-140.jpg 35.門
退出した門を振り返る。法務総合研究所、法務図書館、公安審査委員会の看板がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
036_230217073m X900 務省 Z50 18-140.jpg 36.法務省旧本館の南側
門のわきから中央ファサードと南側の棟を見る。その向こうは裁判所の建物だ。法務省旧本館は、昭和20年3月に戦災のため、レンガ壁を残して、屋根や床などが焼失したため、昭和23年から2年あまりで復旧工事を行い、屋根などの形状や材質が一部変更されて、法務省本館として使用されていた。平成3年に復原改修工事が始められ、平成6年に明治時代の創建当時の姿に復原されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f10 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
037_230217080 X900 〇法務省 Z50 18-140.jpg 37.法務省旧本館 法曹会館側
  この3階部分に法務資料展示室とメッセージギャラリーがある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 37mm ISO110 ) 露出補正 なし
038_230217081m X900 〇法務省 Z50 18-140.jpg 38.法務省旧本館 法曹会館側の側面 -1
正面からは裏側になる。午前中の光を浴びて建物は映える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/500秒 34mm ISO100 ) 露出補正 なし
039_230217085 X900 法務省 Z50 18-140.jpg 39.法務省旧本館 法曹会館側の側面 -2
旧本館に沿って内堀通りを進む。内堀通りを日比谷公園の祝田門から公園の中に入って、松本楼、京橋の欄干柱を見ながら西幸門を出て、句会の会場に向かった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 96mm ISO100 ) 露出補正 なし
040_230217119 X900 〇法務省午後 Z50 18-140.jpg 40.午後の法務省旧本館
3時少し前に川柳の句会が終わった。午前中は光が当たらなかったので午後の赤レンガを見たいと思い、再挑戦することにした。午前中と同じルートを歩いていく。お日さまはもう傾きかけていた。囲いがあるのでカメラを頭の上に掲げて撮った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
041_230217121 X900 〇法務省午後 Z50 18-140.jpg 41.午後の日を受けるファサード -1
午前中とは違った印象があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/500秒 27mm ISO100 ) 露出補正 なし
042_230217125t X900 〇法務省午後 Z50 18-140.jpg 42.午後の日を受けるファサード -2
門の前を通り過ぎてお濠の方へ寄ったところから撮る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.0 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
043_230217127 X900 〇法務省午後 Z50 18-140.jpg 43.午後の日を受けるファサード -3
資料室でいただいたガイドブックには、「明治政府は諸外国との条約改正に先立ち、近代国家としての体制を整えるため、明治19年(1886年)に西洋式の見地奥による官庁集中計画に着手しました。日本が欧米諸国と肩を並べられる内容と法制度を持った国であることを示すために、建築物ほど視覚的にアピールするものはないと考えたのでした。そして、その計画案策定のために、ドイツの高名な建築家で、共同の建築事務所を開いていたエンデとベックマンを招聘しました。」と説明されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
044_230217130 X900 〇法務省午後 Z50 18-140.jpg 44.午後の日を受けるファサード -4
北側へ回ってみると、西日を浴びた正面全体を映しこむことができた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.0 1/500秒 38mm ISO110 ) 露出補正 なし
045_230217134 X900 〇法務省午後 Z50 18-140.jpg 45.法務省旧本館 北面
内堀通りを右へ、日比谷公園の方へ曲がる。この先右側に法曹会館がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.0 1/500秒 27mm ISO110 ) 露出補正 なし
046_230217135 X900 〇法務省午後 Z50 18-140.jpg 46.桜田通りから -1
振り返ると桜田門が見えたので、ちょっと寄ってみることにした。交差点をお堀の方へ渡る。そこから見た赤レンガだ。どう撮れるかわからないが、桜田通りを警視庁の方に戻って、法務省旧本館を正面から撮ってみるべきだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 27mm ISO100 ) 露出補正 なし
047_230217136 X900 〇法務省午後 Z50 18-140.jpg 47.桜田通りから -2
赤レンガの北側を撮った。ここの3階に法務史料展示室があった。このあと、桜田門を見て、戻って再び日比谷公園に入り、内幸町から都営三田線に乗った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/500秒 76mm ISO160 ) 露出補正 なし

2023年2月27日

日比谷公園と旧法務省赤レンガ① 2023年2月13日 日比谷公園と桜田門

学生時代の先輩・後輩・同期の20名ほどの川柳の会に3年位前から入れていただいている。わたくしは川柳など詠めるセンスは、全くないと思っているのだが、学生時代同じ釜の飯を食った仲間と楽しく過ごせる時間が持てるのがうれしい。座長さんは昨年90歳を迎えられた大先輩でいくつかの俳句の会で活躍されていて、指導してくださる。川柳の会といっても、五七五なら何でもよいという緩い会なのがよい。毎月各人が6句発句し、座長に提出する。何より楽しみなのが集まったその月の句を選句する句会である。食事をし、お酒が入って口が滑らかになったところで、各人思ったことを言っていく。最近はレベルが上がってきて、句を解釈していく過程がとても勉強になる。そのほかにわたくしが毎月1葉の写真を提供し、その写真をもとに五七五を作る「フォト575」というコーナーもある。「フォト575」にも毎月30句近く集まるが、写真がどう詠まれるか、私にはとても興味がある。
 前置きが長くなったが、毎月の句会が行われる場所が、日比谷公園のすぐ近くにある。先日、前夜の気温が氷点下だった日に、日比谷公園の鶴の噴水につららができたと報じられた。翌日に予定されていた句会の日に、いつもより1時間半ほど早く家を出て行ってみたが、その日は朝から暖かく晴れていて気温が上がりダメだった。
 もう一つ写真を撮りたいところがあった。それは旧法務省のレンガ造りの建物である。ただ、午前中は光が逆になり、難しかった。句会は11時半から2時半くらいまで行われる。終わったあと、光の具合はどうかと再挑戦してみた。日が落ちるのは早く太陽が傾くのも早い。
 日比谷公園と法務省の赤レンガの建物に分けて載せる。

000_230217010 X700 日比谷公園 Z50 18-140.jpg
鶴の噴水 2023年2月17日 東京都千代田区 日比谷公園

001_230217001 X900 市政会館 Z50 18-140.jpg 1.市政会館
都営三田線の内幸町駅で下車し日比谷通りと国会通りの交差点に上がる。国会通りを官庁街の方へ歩く。右手に見えるのが市政会館だ。市政会館は後藤・安田記念東京都市研究所が本拠としており、かつて同盟通信社や、その後身の時事通信社が本社を置いたことで知られる。1920年12月に東京市長に就任した後藤新平は、地方自治についての調査・研究を行う独立公正の機関の新設を構想した。建築家8人による指名設計競技の結果、佐藤功一の案が採用され、これをもとに清水組(現・清水建設)が施工し、1929年10月19日に落成した。東京都選定歴史的建造物、千代田区景観まちづくり条例に基づき「景観まちづくり重要物件」に指定されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
002_230217006 X900 日比谷公園 Z50 18-140.jpg 2.鷗 かもめ
まっすぐ祝田通りとの交差点まで行き、国会通りを右へ渡って西幸門から日比谷公園に入る。そこに噴水があり、噴水の中央に彫刻があった。「鷗 かもめ 1986年 作者 淀井敏夫」と書かれたプレートがあった。日比谷公園は、1901年(明治34年)、辰野金吾により本多静六が推挙され、石黒忠悳、福羽逸人、小沢圭次郎等とともに日比谷公園造園委員会が設置され、1902年(明治35年)4月に着工。翌年6月1日に仮開園を迎えたそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
003_230217014 X900 〇日比谷公園 Z50 18-140.jpg 3.雲形池と鶴の噴水
これが鶴の噴水だ。wikipediaによれば、公園のほぼ全域、および公園以東、有楽町駅周辺にかけての一帯は、安土桃山時代以前には日比谷入江と呼ばれる海域だった場所であり、徳川幕府による江戸の都市開発にあたり、神田山の開削で得られた土砂などを使って埋め立てられたものである。現在でも日比谷公園の標高は銀座や霞ヶ関より1mほど低い。鶴の噴水は津田信夫と岡崎雪聲の共作により、開園間もない1905年に完成している。午前中の光は穏やかだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.0 1/500秒 63mm ISO560 ) 露出補正 なし
004_230217017m X900 〇日比谷公園 ハクセキレイ Z50 18-140.jpg 4.ハクセキレイ
雲形池の周囲には野鳥が多かった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 140mm ISO250 ) 露出補正 なし
005_230217022m X900 〇日比谷公園 シジュウカラ Z50 18-140.jpg 5.シジュウカラ
数羽のシジュウカラもいた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 140mm ISO250 ) 露出補正 なし
006_230217026 X900 日比谷公園 ヒヨドリ Z50 18-140.jpg 6.ヒヨドリ
ヒヨドリは都会でよく見る個体数の多い野鳥だ。全長は約27.5 cm。飛ぶ姿は大きく見える。wikipediaによれば、日本では周年見られるが、春および秋には渡りが各地で確認される。秋には国内暖地へ移動する個体も多く、10-11月には渡りが日本各地で観察され、房総半島南端、伊良湖岬のほか、関門海峡では1,000羽を越えて渡る群れも観察されるという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/650秒 82mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_230217103m X900 〇スズメ 日比谷公園 Z50 18-140.jpg 7.スズメ
スズメは群れになっているところを見る機会が多いが、この個体はそうではなかった。最近スズメの数が減ってきているように思うが。wikipediaに、「鳥類の行動や生態を研究している三上修らの推定によると、2007年のスズメの個体数は1990年ごろに比べて少なくとも半減、減少率を高く見積もると5分の1になったと考えられている。50年前の10分の1とも推定されている。しかし減少原因についてはよくわかっていないが、気密性の高い住宅の普及によって営巣場所が減少したこと、農村部でコンバインの普及によって落ち籾(もみ)が減少しそれによる冬季の餌が不足したことなどが可能性として挙げられている。また農村部と比べて都市部において巣立っているヒナの数が少ない傾向が見られており、都市化に伴う餌不足も、減少原因の候補として挙げられている。このように減少はしているが絶対的な個体数はまだ多く、現在の減少スピードであれば数十年後に絶滅してしまうことはないと言われている。」という記述があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/1000秒 130mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_230217111 X900 日比谷公園 松本楼 Z50 18-140.jpg 8.松本楼
日比谷公園を霞門からいったん出て、旧法務省の赤レンガの建物を見に行ってきた。資料展示室も大雑把に見学し、そろそろ句会の時間になるので再び公園に戻ってきた。一、二度利用したことがある松本楼があった。松本楼は1903年に東京市が現在の日比谷公園を開園するにあたり、銀座で食堂を経営していた小坂梅吉が落札し、日比谷松本楼として6月1日にオープンしたそうだ。終戦後、1951年11月にようやく接収が解かれ、松本楼は再スタートを切る。1971年11月19日、沖縄返還協定反対デモが日比谷公園内で激化し(日比谷暴動事件)、その中で中核派の投げた火炎瓶の直撃を受け、2代目建物も焼失の憂き目にあう。3代目松本楼のオープンは1973年9月26日と再建に約2年を要した。これを機に10円カレーが始まったとされる。わたくしも食べたことのある松本楼のカレーライスは後々まで有名になった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
009_230217112 X900 日比谷公園 松本楼 Z50 18-140.jpg 9.京橋の欄干柱
松本楼から、西幸門へ戻る途中に京橋の欄干があった。説明板には、「この石柱は、明治8年(1875年)築造された京橋の欄干柱(らんかんばしら)で、大正11年(1922年)架け替えの際にここに移されたものです。当時は、橋名を刻んだ親柱もありましたが、昭和9年(1934年)京橋の橋台地が整備されたときそちらへ移されました。」と説明されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f9 1/500秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
010_230217114 X900 〇国会通り 西幸門前 Z50 18-140.jpg 10.西幸門交差点から国会議事堂を見る
11時15分、国会通りの西幸門交差点に戻ってきた。句会の場所はこのすぐそばの建物にある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/1000秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
011_230217140 X900 〇桜田門 午後 Z50 18-140.jpg 11.桜田門
句会が終わり、午前中は逆光だった旧法務省の赤レンガの建物をもう一度撮りたいと思い、日比谷公園の霞門を抜けて桜田通りに出て、桜田門へ向け速足で歩いて行った。日が傾くのが早く、旧法務省の建物は思ったような写真は撮れなかった。桜田門の交差点から、濠を渡ったところに桜田門の高麗門が見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f9 1/500秒 30mm ISO110 ) 露出補正 なし
012_230217141 X900 桜田門 午後 Z50 18-140.jpg 12.桜田門 高麗門
wikipediaによれば、桜田門は、江戸城の内堀に造られた門の一つで桜田堀と凱旋堀の間にある。昭和36年(1961年)に「旧江戸城外桜田門」として国の重要文化財(建造物)に指定された。特別史跡「江戸城跡」の一画を占める。なお江戸城には内桜田門と外桜田門の2つが存在するが、前者は桔梗門とも呼ばれ、単に「桜田門」という場合には後者を指すことが多い。この門は1663年(寛文3年)頃建築 (寛政重修諸家譜による)、高麗門で、桜田門は本瓦葺髙麗門と櫓門からなる桝形を形づくっている。中に入る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4,5 1/500秒 26mm ISO100 ) 露出補正 なし
013_230217142 X900 桜田門 午後 Z50 18-140.jpg 13.桜田門 櫓門 -1
高麗門をくぐると右手に櫓門が見えた。櫓門は1663年(寛文3年)頃建築、脇戸付櫓門(寛政重修諸家譜による)、入母屋造、本瓦葺である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 31mm ISO140 ) 露出補正 なし
014_230217149 X900 桜田門 午後 Z50 18-140.jpg 14.桜田門 櫓門の門扉
現在の扉の釣金具には「寛文3年(1663年)」の銘が入っている。歴史を感じる重厚な門扉である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/500秒 36mm ISO5000 ) 露出補正 なし
015_230217150 X900 〇桜田門 午後 Z50 18-140.jpg 15.桜田門 櫓門 -2
櫓門の枡形の内側(西側)から撮った。装って写真を撮っている女性がいた。門の向こう側は祝田橋の方向だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 28mm ISO180 ) 露出補正 なし
016_230217159m2 X900 〇日比谷公園 Z50 18-140.jpg 16.アークライト灯の名残り
そろそろ帰ることにしよう。やはり、通いなれた内幸町から都営地下鉄三田線ー浅草線ー京浜急行で横浜に出ることを選択する。祝田門から再び日比谷公園に入る。そこにアークライト灯の跡があった。説明版には「この元アークライト灯は、開園当時の公園灯で園内には10基設置され、1200カンテラの明るさがあったといわれます。これ以外はガス灯70基が設置されていました。三笠山の裾にある水飲みと同じ鋳鉄製で統一されたデザインとなっており、両方とも明治の記念物として1基づつ園内に残っています。」と書かれていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 26mm ISO160 ) 露出補正 なし
017_230217163 X900 日比谷公園 午後 Z50 18-140.jpg 17.自由の鐘
この鐘は終戦直後、連合国軍総司令官だったマッカーサーの提案を受けた米国の市民有志が自由の恩恵を受ける社団法人日本新聞協会に寄付。協会は日比谷公園内に塔を造り、鐘とともに東京都に寄付して、1952年10月24日に安井誠一郎(当時)都知事により除幕式が行われたという経緯がある。しかし、中心部の振り子が失われたこともあり、鐘の音色を響かせることが久しく絶え、青銅製で高さ約1m、直径約1.2m、重さ約1トンある鐘を吊るす高さ約7.6mの塔全体も老朽化で傷んでいたが2011年10月1日に「自由の鐘修復募金委員会」により自由の鐘が60年ぶりに日比谷公園に復活した。英語で記された銘板があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 30mm ISO1250 ) 露出補正 なし
018_230217164 X900 〇日比谷公園 午後 Z50 18-140.jpg 18.午後の鶴の噴水
午後3時半を回っていた。雲形池の鶴の噴水に戻ってきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 65mm ISO180 ) 露出補正 なし
019_230217171 X900 ◎日比谷公園 ヒヨドリ 午後 Z50 18-140.jpg 19.鶴の噴水とヒヨドリ -1
高い木の梢に止まっているムクドリが噴水に舞い降りてくる。勢いよく水を吹く鶴の像の右足元(写真では左側)に羽を広げたムクドリが見える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 140mm ISO1100 ) 露出補正 なし
020_230217194 X900 ◎日比谷公園 ヒヨドリ 午後 Z50 18-140.jpg 20.鶴の噴水とヒヨドリ -2
また、一羽、今度は左足先に来た。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 140mm ISO800 ) 露出補正 なし
021_230217202 X900 市政会館 午後 Z50 18-140.jpg 21.市政会館 入り口
日比谷公園の中を通って市政会館まで戻ってきた。ここは国会通り側の入り口である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/500秒 35mm ISO4000 ) 露出補正 なし
022_230217203 X900 市政会館 午後 Z50 18-140.jpg 22.市政会館 日比谷公園側から
1923年の関東大震災後の2029年に竣工したこの建物は、1961年6月から1965年8月に近代化に向け主要附帯設備増・改築工事が実施された。こちらの門は閉ざされている。市政会館の建物は日比谷公会堂(写真の右側部分)が併設され、「市政会館」「日比谷公会堂」は両者が一体となっている珍しい建築物である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし

2023年1月 9日

皇居乾​門​通り抜け ①​ ​2022年12月2日

昨年11月11日、宮内庁から、例年行われていた「皇居乾門通り抜け」が、令和4年11月26日(土)から12月4日(日)までの9日間、秋季皇居乾通り一般公開を実施されるという発表があった。
 皇居乾通り一般公開は、平成26年に上皇陛下の傘寿を記念して、初めて春季と秋季に実施されたもので、大変好評であったことに鑑み、平成27年秋季から、毎年、春季の桜の時期と秋季の紅葉の時期に実施されてきた。令和2年以降は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の観点から取りやめられていたので、今回は3年ぶりの実施となる。
 桜の頃も紅葉の頃も行ったことがないので、是非行ってみたいと思い、天気予報を見て、12月2日に行くことに決めた。予報通り当日は朝の内は曇っていたが、10時過ぎには晴れ間が広がる好天だった。
 皇居乾通りは坂下門を入り代官町通りに出る乾門まで約750mある。当日は東京駅北口から行幸通りを行き、日比谷通りを左(南)に行って、二重橋の方へ向かった。まじかで二重橋を見るのも初めてである。そこから右へ、広場を抜けて坂下門を入ったのは午前10時だった。案内をしてくれる係の方も多人数だった。逆に乾門から坂下門へ通ることはできず、今回は途中から皇居東御苑へ抜ける道も通行できなくなっている。「皇居乾通り一般公開」コース  乾通りのイロハモミジをはじめ、トウカエデやオオモミジ、ベニシダレの紅葉は期待通り美しく、フユザクラ、シキザクラも咲き、歩く人もそれほど多くなく、ゆっくり写真を撮るのを楽しむことができた。

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皇居の秋 2022年12月2日 令和5年「皇居乾通り一般公開」

001_221202001 X800 〇東京駅 行幸通り G7x.jpg 1.東京駅丸の内北口
横浜から東海道線に乗って東京駅に着いたのは9時20分ごろだった。丸の内北口に出て、駅前を新丸ビルの前へ渡った。新丸ビルの先を右へ曲がり行幸通りを行こうと思う。振り返っ東京駅を見る。平日の朝ということでまだ人通りは少ない。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO250 ) 露出補正 なし
002_221202008 X800 東京駅 行幸通り G7x.jpg 2.行幸通りから見る東京駅
イチョウは色づき、路上には落ち葉もあるが、緑の葉もまだ多い。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
003_221202012 X800 〇東京駅 行幸通り G7x.jpg 3.和田倉門交差点
日比谷通りに出た。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO160 ) 露出補正 なし
004_221202013 X800 東京駅 行幸通り G7x.jpg 4.馬場先濠に架かる橋を渡る
馬場先濠に面した日比谷通りのイチョウが見える。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 23mm ISO500 ) 露出補正 なし
005_221202022 X800 〇東京駅 行幸通り G7x.jpg 5.内堀通りから見た行幸通り
右手に馬場先濠と和田倉橋を眺めながら内堀通りに出る。信号を渡った先には、「皇居乾通り通り抜け 」の案内係の方がいて、左の二重橋前の方へ誘導してくれた。二重橋前に歩く途中で行幸通りとその先にある東京駅を撮った。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
006_221202025 X800 〇皇居前広場 G7x.jpg 6.内堀通りのクロマツ
両側は芝生になっていてクロマツが植えられている。皇居前広場は内堀通りから皇居側の玉砂利広場、内堀通り、外堀の間にある芝生緑地で構成されている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 30mm ISO200 ) 露出補正 なし
007_221202028 X800 〇皇居前広場 二重橋 G7x.jpg 7.二重橋 -1
案内係の方の誘導で内堀通りを右へ二重橋方面へ入る。途中を右にいくと「皇居乾通り通り抜け」の最初の検問所があた。私は二重橋を近くで見たことがないので検問所を通る前に、二重橋を見てきてよいかと尋ねたところ、OKだった。二重橋を見たあと、改めて検問所を通った。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
008_221202064 X800 〇二重橋 Z50 Z18-140.jpg 8.二重橋 -2
二重橋は、皇居内にある橋の通称である。正確には皇居正門から長和殿へ向かう途上、二重橋濠に架かる鉄橋のことで、本来の名称は正門鉄橋(せいもんてつばし)である。二重橋という名称は正門鉄橋と正門石橋の二つの総称としても用いられているという。知らなかった。写真は正門石橋である。写真の右側に白い壁の伏見櫓が見える。その下に正面石橋が見えるが、よく見るとその欄干の上に重なって正門鉄橋(二重橋)が見える。説明版には、これらの橋は天皇陛下が国会開催などのため外出される際や、外国の君主、大統領、大使来訪などの特別な場合のみ使用されるが、新年や天皇誕生日の一般参賀では一般の人も渡ることができる。と説明されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/500秒 74mm ISO320 ) 露出補正 なし
009_221202076 X800 〇二重橋 Z50 Z18-140.jpg 9.二重橋 -3
皇居の入口には皇居前広場側から見て、石で造られた手前の「正門石橋」と、鉄で作られた奥の「正門鉄橋」という2つの橋がある。写真は正門石橋の左側で、正門が見える。正門位置関係は、外から皇居前広場→正門外石橋→正門→右へ回って正門内鉄橋の左側から右へ渡り→中門→宮殿東庭(新宮殿前広場)→宮殿(長和殿)というルートをたどることになる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/500秒 35mm ISO250 ) 露出補正 なし
010_221202080 X800 坂下門入場口 Z50 Z18-140.jpg 10.坂下門検問
二重橋を見た後、第一の検問を通り、皇居前広場の玉砂利広場を蛤濠に向かって歩き、坂下門の検問所へ向かった。所持品の検査があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 44mm ISO100 ) 露出補正 なし
011_221202081 X800 坂下門と宮内庁 Z50 Z18-140.jpg 11.坂下門
検問所を抜けると左手に坂下門が見えてきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 48mm ISO110 ) 露出補正 なし
012_221202083m X800 ハマグリ濠と宮内庁 Z50 Z18-140.jpg 12.蛤濠と宮内庁庁舎
濠に架けられた橋を渡り坂下門を入るが、橋から蛤濠と宮内庁庁舎を撮った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 50mm ISO100 ) 露出補正 なし
013_221202086 X800 坂下門 Z50 Z18-140.jpg 13.坂下門 -1
  江戸時代、西の丸御殿の入り口として使用されていた「坂下門」は、戦国時代以降に築城された城に多く見られる一ノ門(渡櫓門)、二ノ門(高麗門)から成る桝形門で、門をくぐって城内に入り左にある坂を登った所に西の丸御殿(現在は宮殿)があったそうだ。幕府の老中であった安藤信正が襲撃された坂下門外の変はここで起きた。現在の「坂下門」は、明治新政府により渡櫓門のみを残して向きを北面から東面へ90度移動し車通りを良くしている。現在は宮内庁の通用門として使用されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 35mm ISO125 ) 露出補正 なし
014_221202088 X800 坂下門 Z50 Z18-140.jpg 14.坂下門 -2
坂下門の北側は蛤濠になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f9 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_221202092 X800 〇宮殿へ Z50 Z18-140.jpg 15.宮殿入り口
坂下門を入って、宮内庁庁舎のすぐ手前に宮殿への入り口がある。毎年1月2日の新年一般参賀と2月23日の天皇誕生日の一般参賀でテレビでも写される長和殿がある。写真の道から入ると長和殿の北側からになるが、一般参賀では、二重橋を渡って南側の中門から長和殿の前の東庭に入るようになる。2023年1月2日の新年一般参賀の予約受付は11月18日で終わっていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 44mm ISO140 ) 露出補正 なし
016_221202099 X800 〇乾通り 富士見櫓 Z50 Z18-140.jpg 16.富士見櫓
坂下門をくぐって、宮殿への道を過ぎると、左手に宮内庁庁舎があり、右側には富士見楼が見えた。ここから乾通りはやや西寄りの北へまっすぐ進む。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 90mm ISO250 ) 露出補正 なし
017_221202102 X800 〇乾通り Z50 Z18-140.jpg 17.乾通り
ようやく青空が広がってきた。紅葉した木々が陽の光を浴びる。乾通りは一方通行だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/640秒 78mm ISO100 ) 露出補正 なし
018_221202110 X800 〇乾通り 山下通り Z50 Z18-140.jpg 18.山下通り
左側に山下通りという道があった。山下通りはまっすぐ進むと宮殿の西側の表御座所へ通ずる。途中で左に曲がると宮内庁庁舎の裏側になる宮殿北車寄に行く。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6 1/500秒 115mm ISO320 ) 露出補正 なし
019_221202113 X800 〇乾通り Z50 Z18-140.jpg 19.乾通り イロハモミジ
真っ赤に色づいたイロハモミジが美しい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 94mm ISO560 ) 露出補正 なし
020_221202123 X800 〇乾通り フユザクラ Z50 Z18-140.jpg 20.フユザクラ -1
フユザクラが花をつけていた。フユザクラという札があったが、wikipediaによるとフユザクラはコバザクラ(小葉桜または木葉桜)の別称だそうだ。マメザクラとオオシマザクラの交雑から生まれたサクラ属の栽培品種のサクラとのこと。また、狭義の冬桜はコバザクラの別名であるが、広義の冬桜は、コバザクラ、コブクザクラ、ジュウガツザクラ、シキザクラなど冬に咲く桜の総称として使われる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 94mm ISO450 ) 露出補正 なし
021_221202125 X800 乾通り フユザクラ Z50 Z18-140.jpg 21.フユザクラ -2
東京での花期は春の4月上旬と秋から冬にかけての10月から12月頃で、この二季咲きが最大の特徴である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 140mm ISO640 ) 露出補正 なし

2022年4月21日

皇居東御苑から千鳥ヶ淵へ その2 千鳥ヶ淵の桜 3月30日

10時半に大手門から皇居東御苑に入り、一回りして、昼に退出、内堀通りを皇居を左回りに千鳥ヶ淵を目ざして歩き始めた。
 平川門を過ぎて、左手に平川濠の石垣を見ながら北桔梗門へ来た。北の丸公園はこの辺りから北へ行かねばならないのだが、今回は千鳥ヶ淵を優先し、北の丸公園は割愛した。
 右手に国立近代美術館のレンガ造りの建物が見えてきた。やがて大官町に出る。いったん内堀通りから離れて代官町道りを歩く。土手の上に上がれるようだったが、そのまま先に進む。後で調べてみたら、この土手の上の道はなかなか良さそうだ。次回、北の丸公園を訪れるときには是非、歩いてみたいと思った。
 やがて、大官町通りが半蔵濠を渡る堤の上に来ると、左手に見える濠の向こうに、人が行き交う千鳥ヶ淵公園の桜が見えてきた。千鳥ヶ淵とは田安門から半蔵門にかけての皇居内堀のことを言うようだが、千鳥ヶ淵公園は代官通りの千鳥ヶ淵交差点から半蔵門までの約450mの遊歩道だそうだ。
 千鳥ヶ淵公園の桜はさすがに見事だった。桜が向こうの方まで重なって見える。私は千鳥ヶ淵交差点から半蔵門に向かって歩いて行ったが、その半蔵門の近くに、枝がお堀に垂れ下がって咲いているサクラを見て、内堀通りの地下鉄桜田門駅への入り口を下りた。時間は1時30分過ぎ、3時間半ほど写真を撮りながら歩き続けたので少々疲れた。昼食は自宅に戻ってからだった。スマホの歩数計は1万5千歩になっていた。

000_220330305 X700 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg
千鳥ヶ淵公園のサクラと彫刻「自由の群像」 2022年3月30日 東京都千代田区

031_220330201 X 800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 31.北桔梗門 -3
内堀通りを平川門から平川濠に沿って、しばらく歩くと、濠の水面から高さがある石垣に北桔梗門が見えてきた。「東京とりっぷ」によれば、北桔橋門の両側は高い石垣の上は築地塀となっている。この石垣と往時には平川濠側に五十三間多聞という長大な多聞を配し、深い濠で本丸の背後からの攻撃を守ろうとしていたそうだ。石垣が屈折していて、直線的な部分が少ないのは、高さのある石垣の強度を保つため。さらに屏風折にすることで、敵の攻撃に対して2面からの防戦が可能となる。この屏風折は大坂城の高石垣にも見られる構造だそうだ。本丸北面のこの550mにも及ぶ長大な高石垣は、1614年(慶長19年)の第2次天下普請の際に、西国大名のすべてが動員されて築いたものと説明されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 59mm ISO280 ) 露出補正 なし
032_220330203 X800 〇北桔橋門 Z50 18-140.jpg 32.内堀通りから北桔梗門を眺める
北桔橋門は、通常は橋を跳ね上げた形で、使われることがなく、いざという時の脱出路の確保としての門となっていたそうだ。現在は土橋に変形され、往時とは大きく異なった姿になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 59mm ISO280 ) 露出補正 なし
033_220330205 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 33.内堀通りのサクラ
そう大きな木ではないが枝垂れ桜がきれいに咲いていた。満開である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
034_220330211 X800 〇代官町通り 国立近代美術館分室 Z50 18-140.jpg 34.東京国立近代美術館分室
旧日本軍の司令部として1910年に建てられたこの建物は、北の丸公園整備に当たり、取り壊される予定だった。しかしながら、「明治洋風煉瓦建築の一典型」を残そうという人々の声で取り壊しは中止となり、1972年には外壁、玄関及び階段ホールが重要指定文化財に指定され、1977年、「近代美術館工芸館」として開館した。 その後、2020年(令和2年)10月25日、通称を国立工芸館(NCM)として、ここ皇居のほとり北の丸から、工芸のまち石川県金沢市の本多の森に移転し、新たなスタートを切った。現在のこのレンガ造りの建物は 東京国立近代美術館分室として残された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f10 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
035_220330218 X800 代官町通り Z50 18-140.jpg 35.代官町通りのサクラ
代官町通りは、内堀通りの竹橋交差点から北の丸公園および皇居乾門入口と交差する大官庁交差点を経て、千鳥ヶ淵交差点に至る道である。この通りもサクラが咲いている。ヒヨドリが啄みに来ている。  

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO140 ) 露出補正 +1.0段
036_220330223 X800 代官町通り Z50 18-140.jpg 36.千鳥ヶ淵公園の遠望
代官町通りはやがて千鳥ヶ淵の堀にかかるが、そのお堀の右岸に千鳥ヶ淵公園が見えてきた。サクラの花が重なるように咲いていた。そのサクラの下を多くの花見客がが歩いている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 83mm ISO100 ) 露出補正 なし
037_220330229 X800 代官町通り Z50 18-140.jpg 37.千鳥ヶ淵交差点へ
ここは橋ではなく堤のようだが、千鳥ヶ淵交差点の手前は、千鳥ヶ淵公園のサクラと代官町通りに咲くサクラを楽しむことが出来る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 60mm ISO100 ) 露出補正 なし
038_220330232 X800 〇代官町通り Z50 18-140.jpg 38.菜の花と千鳥ヶ淵公園のサクラ
千鳥ヶ淵交差点の手前の堤に咲く菜の花。チョウが来ないかと待ってみたが、撮らせてくれなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 26mm ISO110 ) 露出補正 なし
039_220330243 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 39.千鳥ヶ淵公園
千鳥ヶ淵交差点から左に、千鳥ヶ淵公園に入った。一般的には半蔵門側からこちらに歩く人が多いのだろうか。まさに満開である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 56mm ISO110 ) 露出補正 なし
040_220330246 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 40.千鳥ヶ淵 ソメイヨシノ
千鳥ヶ淵は皇居内堀の一部で田安門と半蔵門の間をいう。江戸城拡張の際に川をせき止めて築造された。名前の由来は渡り鳥の千鳥に形状が似ているからだとされている。今回は千鳥ヶ淵交差点から半蔵門までの千鳥ヶ淵公園だけを歩くことになったが、逆に千鳥ヶ淵交差点を北へ歩くと、千鳥ヶ淵戦没者墓苑やボート乗り場がある千鳥ヶ淵縁道になる。千鳥ヶ淵縁道は次回、北の丸公園を訪れるときに歩いてみたい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 30mm ISO110 ) 露出補正 なし
041_220330252 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 41.ソメイヨシノとベニシダレ -1
千鳥ヶ淵公園の散策路には、ソメイヨシノと花の色が濃いベニシダレ(紅枝垂)が重なるように咲いている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 94mm ISO160 ) 露出補正 なし
042_220330254 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 42.ソメイヨシノとベニシダレ -2
ベニシダレは千鳥ヶ淵公園に入ってすぐのところと、半蔵門に近いところに咲いていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO220 ) 露出補正 なし
043_220330256 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 43.ベニシダレ
説明板には、ベニシダレは自生種のエドヒガンが枝垂れ、その中から花色の濃い個体が選抜されてきた品種で、古木、名木が多いエドヒガンともども長寿で樹齢千年を超えるものもあると記されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 135mm ISO100 ) 露出補正 なし
044_220330261 X800 〇千鳥ヶ淵公園 英国大使館 Z50 18-140.jpg 44.英国大使館
内堀通りの向こう側に、英国大使館が見えた。イギリスは明治政府とのつながりが深く、早くから江戸城に近いこの地を与えられていた。レンガ造だった建物が関東大震災により倒壊し、昭和初期の1929年(昭和4年)頃に英国工務省の設計により鉄筋コンクリート造石貼りの現在の建物が建てられた。当時の日本建築に比べ、古典様式を忠実に踏襲し簡素化・近代化したデザインが特徴である。英国王室の紋章が施されたペディメントを持つギリシャ神殿風の中央棟から、左右に広がる別棟を持つ平面構成となっている。(千代田区観光協会のサイトを参照)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 53mm ISO110 ) 露出補正 なし
045_220330263 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 45.千鳥ヶ淵公園散策路
wikipediaによれば、千鳥ヶ淵公園は、「1919年(大正8年)に明治期の市区改正事業の一環として開園した。内堀通りと皇居の半蔵濠に面し、半蔵門から千鳥ヶ淵交差点までの間が公園となっている。南北約450m、東西約20mと細長い形をしており、お堀側では皇居と、内堀通り側では駐日英国大使館と向かい合っている。」と記されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
046_220330265 X800 〇千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 46.濠とサクラ
ソメイヨシノの大きな枝が濠に向け枝を伸ばしている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 39mm ISO110 ) 露出補正 なし
047_220330282 X800 〇千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 47.サクラの下の花見客
きょうは平日であるが、天気が良い。大勢の人が遊歩道を歩いている。週末にはもっと大勢の人が訪れるのだろう。サクラもこの週末まではもちそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO180 ) 露出補正 なし
048_220330284 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 48.サクラの品種
日本にサクラの品種は100種以上あると言われる。ソメイヨシノ、ベニシダレのほか、説明板にサトザクラのカンザンやフゲンゾウ、そしてマイヒメという品種が説明板にあった。このサクラの品種は何だろう? 説明板の写真にあったマイヒメに似ているが。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/800秒 64mm ISO100 ) 露出補正 なし
049_220330299 X800 〇千鳥ヶ淵公園 半蔵門 Z50 18-140.jpg 49.半蔵門 -1
半蔵濠の向こう側に半蔵門が見えてきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 48mm ISO160 ) 露出補正 なし
050_220330304 X800 〇千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 50.自由の群像
千鳥ヶ淵公園の桜並木の途中、半蔵門が近くなったところに、男性立像3体の「自由の群像」と題する彫刻があった。1955年に大手広告代理店の電通が建てたものだそうだ。碑文は現代人にとって生活必須の容器にして日本の進運福祉に多大な貢献をした新聞事業の先覚者たちを顕彰してこの「自由の群像」を建立することが述べられ、さらに、株式会社電通が新聞業界に尽くそうとする微意の一つとしてこれを建立する旨が、徳富蘇峰の撰文が緒方竹虎(朝日新聞主筆。戦後は政界に進出して自由党総裁)の筆で記されている。1955年の第一回顕彰者として福沢諭吉(時事新報)はじめ20名の名がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 42mm ISO100 ) 露出補正 なし
051_220330306 X800 半蔵門 Z50 18-140.jpg 51.半蔵門 -2
内堀通りへ戻り、左手正面に半蔵門を見る。半蔵門は城の西端に位置し、まっすぐ甲州街道(国道20号)に通じている。大手門とは正反対の位置にある。太平洋戦争で旧来の門は焼失し、現在の門は和田倉門の高麗門を移築したものである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 70mm ISO110 ) 露出補正 なし
052_220330313 X800 国立劇場 Z50 18-140.jpg 52.国立劇場
午後1時15分、半蔵門を見て、そろそろ適当な地下鉄の駅から帰路につこうと、内堀通りを歩いているとと右側に国立劇場があった。wikipediaによれば、国立劇場は、歌舞伎・日本舞踊・演劇が演じられる大劇場、文楽・邦楽・琉球舞踊・日本舞踊(小規模公演)・雅楽・声明・民俗芸能が演じられる小劇場で構成されている。コロナ禍がはじまる前に文楽人形劇を見に来たことがある。1956年、国立劇場の計画は具体化した。設計案についてはコンペが行われ、校倉造の正倉院を模した外観とした竹中工務店の岩本博行ほか13名による案が、計307案の中から当選した(1963年)そうだ。建物は1966年10月に竣工している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 34mm ISO110 ) 露出補正 なし
053_220330317 X800 〇内堀通り Z50 18-140.jpg 53.桜田濠と桜田門
さらに内堀通りを進むと桜田濠の向こうに桜田門が見えてきた。wikipediaによれば、桜田濠と凱旋濠の間にある桜田門は、昭和36年(1961年)に「旧江戸城外桜田門」として国の重要文化財(建造物)に指定された。特別史跡「江戸城跡」の一画を占める。なお江戸城には内桜田門と外桜田門の2つが存在するが、前者は桔梗門とも呼ばれ、単に「桜田門」という場合には後者を指すことが多い。寛永13年(1636年)にそれまでの柵戸仕立の門を現在のような桝形門に改築、桜田門とよぶようになる。外側の高麗門と内側の渡櫓門の二重構造になっており、桝形を構成している。大正12年(1923年)の関東大震災で一部が破損、鋼鉄土蔵造りに改修される。安政7年(1860年)にこの門の近くで水戸藩浪士らによる大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が起きた。井伊邸は現在憲政記念館の建っている辺りにあり、桜田門から西に500mほどの所にあった。昭和7年(1932年)には昭和天皇の暗殺未遂事件(桜田門事件)が起きた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 34mm ISO110 ) 露出補正 なし
054_220330320 X800 〇内堀通り Z50 18-140.jpg 54.桜田濠のサクラ -1
桜田濠にも美しいサクラが咲いていた。堀に向かって伸びた枝は花の重みで垂れ下がっているようだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 57mm ISO160 ) 露出補正 なし
055_220330328 X800 内堀通り Z50 18-140.jpg 55.桜田濠のサクラ -2
この日はこのサクラで見納める。約3時間半、良く歩いた。今回行きそこなった北の丸公園と、そこ(田安門)から千鳥ヶ淵交差点までの千鳥ヶ淵縁道は来年以降のお花見に残しておこう。内堀通りにあった東京メトロの桜田門駅へ下りる入り口に入った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 26mm ISO100 ) 露出補正 なし


2022年4月17日

皇居東御苑から千鳥ヶ淵へ その1 皇居東御苑 3月30日

今年は千鳥ヶ淵の桜を見に行きたいと思っていて、天気予報を見ながらこの日に行こうと決めた。
 東京駅の丸の内側駅前広場は長い間工事がされていたが、2017年12月7日に約10年かけた丸の内口の一連の再整備が完了した。行幸通りからの眺めを是非撮りたいと思い、東京駅をスタートした。平日の午前10時、行幸通りを歩く人は少なかった。
 行幸通りを行き、和田倉門交差点をさらにまっすぐ進んで桔梗門から皇居東御苑に入ろうとしたが、桔梗門は工事関係者以外一般の人は入ることが出来なかった。仕方なく内堀通り迄戻り、北へ、大手門から入ることになった。
 同心番所、百人番所から、二の丸雑木林、二の丸庭園、諏訪の茶屋を見て、梅林坂から書陵部の脇を通って北桔橋門に出た。北の丸公園へ行くにはここを出なければいけなったのだが、天守台、大奥跡を左に見て、竹林、石室、富士見多門と歩き、富士見櫓へたどり着いた。千鳥ヶ淵とはずいぶん遠くなってしまったことになる。
 結果、入苑した大手門へ戻ってきていた。係のかたに千鳥ヶ淵へ行きたいのだがと尋ねてみたところ、「北桔橋門を出て内堀通りを左に行けばよかったですね」ということで、大手門から内堀通りを左へ延々と、ジョギング中のランナーを避けながら、再び北桔橋門の前を通って、千鳥ヶ淵へ向かうことになった。
 皇居から北の丸公園を歩き、千鳥ヶ淵へ行こうと考えていたが、皇居東御苑から北の丸公園へ直接入ることは出来ないのだ。
 皇居東御苑の記述にはプレスマンユニオンの「東京とりっぷ」などを参照させていただいた。

000_220330125 X700 桃華楽堂 Z50 18-140.jpg
桃華楽堂の前に並び咲くハナモモの木 2022年3月30日 皇居東御苑

001_220330004 X800 〇東京駅行幸通り Z50 18-140.jpg 1.東京駅丸の内駅前広場
3月30日(水)午前10時に東京駅丸の内北口から、駅前広場に出た。新丸ビル側に渡り、丸ビルとの間を和田倉門に向けて伸びる行幸通りに立ち、東京駅外観を正面から眺めた。この整備が終わった東京駅丸の内駅前広場と行幸通りは 駅前広場と道路空間からなる景観[東京駅丸の内駅前広場から行幸通りに繋がる景観] として 「2018年度グッドデザイン・ベスト100」を受賞している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
002_220330002 X800 東京駅行幸通り Z50 18-140.jpg 2.和田倉門交差点付近から東京駅の眺め
幅73m、延長190mの行幸通りはまっすぐ、日比谷通りの和田倉門交差点を過ぎて、さらに内堀通りまで延びる。正式名称は「東京都道404号皇居前東京停車場線」と言うそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
003_220330018 X800 和田倉門 Z50 18-140.jpg 3.和田倉門交差点(日比谷通り)
和田倉門交差点を渡って、内堀通りへと進む。東京駅を振り返る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 82mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
004_220330023 X800 桔梗門(旧桜田門) Z50 18-140.jpg 4.桔梗濠と桔梗門
行幸通りが終わる内堀通りを渡って、お濠(桔梗濠)を右手に見る。左奥に見えるのは富士見櫓。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
005_220330027 X800 桔梗門(旧桜田門) Z50 18-140.jpg 5.桔梗門
内堀通りから行幸通りを背に真っすぐ進むと、桔梗門が見えた。だが、一般の人はここからは皇居東御苑に入ることは出来ない。 桔梗門 は 「桜田門外の変」で井伊直弼が暗殺された外桜田門に対して、内桜田門とも呼ばれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 23mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
006_220330033 X800 大手門へ Z50 18-140.jpg 6.桜田巽櫓
「ここから一般の方はご入場できません。大手門へお廻りください」と言われ、いま来た内堀通りを戻って左へ向かった。桔梗濠の向かいにそびえる二重櫓が桜田巽櫓。ジョギングをする人が多い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 58mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_220330035 X800 大手門へ Z50 18-140.jpg 7.大手門 -1
すぐに大手門が見えてきた。内堀通りのサクラも満開だった。ぼやけて見えるのは桝形形式の大手門の高麗門だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 58mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220330043 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 8.大手門 -2
大手門は1607年(慶長12年)に完成した江戸城の玄関である。1620年(元和6年)の江戸城修復に際し、伊達正宗や酒井忠世らの力により現在のような高麗門と渡櫓型の櫓門で構成された桝形形式(橋を渡ってから道は鍵型に屈曲する)の城門となった江戸城の正門である。その警備は鉄砲30丁、弓10、長柄(槍)20という厳重なものだったという。現存する入り口側の高麗門は、1657年(明暦3年)の明暦の大火(振袖火事)後の1659年(万治2年)に再建されたものだそうだ。江戸時代の渡櫓門は、残念ながら昭和20年の戦災で焼失している。写真は1968年(昭和43年)に木造復元により再建された渡櫓門。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_220330045 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 9.鯱
枡形内に入ると、渡櫓の屋根を飾っていた鯱が展示されていた。刻印に「明暦三丁酉」とあり、1657年(明暦3年)の振袖火事で焼失した後、1659年(万治2年)に大手門が再建されたときのものと推定できるという。昭和20年の空襲で門は焼け落ちたそうだが、鯱だけが残っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO125 ) 露出補正 なし
010_220330051 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 10.同心番所
今回は大手門から皇居東御苑に入ったが、他に平川門、北桔橋門からも入れるそうだ。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまったが、富士見櫓、同心番所、百人番所が現存している。この同心番所は門の外から内に移設されてはいるが、往時の姿を今に伝えている。説明板には、番所とは警備詰所のことだが、江戸城にあった番所のうち、同心番所、百人番所と大番所の3っつが残っている。ここには同心と呼ばれる武士が詰め、登城者の監視に当たっていたとあった。同心は、江戸幕府の下級役人のひとつ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO125 ) 露出補正 なし
011_220330054 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 11.中之門石垣
皇居内の石垣は特別史跡「江戸城跡」に指定されていて、「本丸中之門石垣」修復工事は平成17年8月から、平成19年3月にかけて行われた。石垣には江戸城の中でも最大級の巨石が使用され、目地(隙間・継ぎ目)がほとんどない、各段の高さを水平に揃えて積んだ整層積(布積み=ぬのづみ)の美しい石垣としている。構造上は少し弱くなるが、本丸御殿への大名の登城ルートとして、見た目の美しさが優先されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
012_220330057 X800 大手門 百人番所 Z50 18-140.jpg 12.百人番所
百人番所は、数少ない江戸時代から残る江戸城の遺構で、検問するだけでなく、幕府直轄の精鋭部隊、鉄砲百人組が有事に備えて詰めていた。警備を担当したのが、徳川家と縁故のある甲賀組、伊賀組、根来(ねごろ)組、廿五騎(にじゅうごき)組。当然のことながら昼夜交代で詰めていた。与力20人、同心100人が詰めていたが、各組の同心100人が配備されたのがその名の由来となっているそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 21mm ISO100 ) 露出補正 なし
013_220330063 X800 大手門 百人番所 Z50 18-140.jpg 13.中之門跡の石垣
百人番所の右手に中之門跡があった。中之門は、本丸の玄関となる中雀門と一体となって一つの大きな虎口(曲折して出入りする狭い通路)を作り、百人番所や大番所とともに本丸護衛として重要な役割を果たしていた。門から離れたところでは石積みの方法が違っていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
014_220330081 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 14.二の丸雑木林から二の丸庭園へ
大番所跡を見落とすことになってしまったが、中之門跡からではなく、手前の百人番所の前から北へ入った。二の丸御殿跡にある二の丸雑木林。2代将軍・徳川秀忠が死去した後の1636年(寛永13年)には二の丸御殿が建てられ、東側に庭園が配置された。現存する庭園は往時の庭園を昭和43年に復元したものだそうだ。昭和天皇の発案で、武蔵野の雑木林をできるだけ自然に近い形で復元している。手前のサクラの花を明るく撮ろうと、内臓フラッシュを発光してみたが、効果はなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f14 1/200秒 32mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_220330086 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 15.二の丸庭園
9代将軍・徳川家重時代の庭絵図面をもとに復元した池泉回遊式庭園があり、全国から集められた各都道府県の木260本も植えられている。現在の二の丸池にはコウホネ、ヒメコウホネ、ヒツジグサ、赤坂御用地の池から移したアサザが生育している。小堀遠州の作といわれる庭園の池水は、古い絵図と比べてもほぼ二の丸池と同じ場所にあるそうだ。池に関しては大名庭園時代の池泉をそのまま活用したと推測できるという。菖蒲田には昭和41年に明治神宮神苑から株を譲り受けた84品種の花菖蒲が植栽されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 31mm ISO110 ) 露出補正 なし
016_220330095 X800 二の丸庭園 カイドウ Z50 18-140.jpg 16.諏訪の茶屋とカイドウの花
池を右手に北へ進むと、紅色の花が目についた。ツツジかなの思って近づいてみるとカイドウの花だった。諏訪の茶屋は、二の丸庭園にある風雅な茶室である。火災などで焼失後、11代将軍・徳川家斉の時に創建されている。かつては吹上御苑(西の丸西側、現在の御所などのある一帯)にあったが、昭和43年、皇居東御苑の整備の際に移築された。建物は、明治45年に再建されたが、その当時、その場所に諏訪社があったことから諏訪の茶屋という名前が付いている。茶室としての利用はできない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
017_220330101 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 17.諏訪の茶屋
諏訪の茶屋の西側に回り込むとその入り口の木戸があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 25mm ISO100 ) 露出補正 なし
018_220330104 X800 梅林坂 Z50 18-140.jpg 18.梅林坂の石垣
西側の道に出て天神濠を右手に、石垣のある梅林坂を上がる。梅の開花期である2月上旬頃には石垣と梅の花という絶景スポットになる。もともと、太田道灌が江戸平河城を築城した際に、領地である川越の三芳野神社から祭神である菅原道真の分霊を勧請して天満社を創建したのが始まりという歴史ある梅林だそうだ。その太田道灌が1478年(文明10年)に、菅原道真を祀った際に、梅の木100本をここに植えたのが梅林坂の始まりとか。梅林坂の下から本丸方面にかけて50本ほどの梅が植栽されているが、この梅は皇居東御苑開園に先駆けて、昭和42年に植えられたものという。50年を経て立派な梅に育っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 94mm ISO250 ) 露出補正 なし
019_220330111 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 19.北桔橋門(きたはねばしもん)の桜
皇居書陵部の前を通って北桔橋門へ向かう道の、平川濠沿いのサクラがきれいだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
020_220330117 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 20.北桔橋門 -1
江戸城本丸の大奥、天守部分から外部に直接通じる門が北桔橋門である。門の横の内濠(平川濠・三日月濠)は防御力を高めるためにほかよりも深く、石垣は最も堅固になっている。北桔梗門の内側からその石垣と濠を見た。石垣は江戸城の城壁の中でも最も高く高さは18.5mもある。地震などの揺れにも強い自然石を積み上げる野面積み(のづらづみ)になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
021_220330118 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 21.北桔橋門 -2
一旦、北桔橋門を出て、濠にかかる橋の上から北桔橋門を撮った。当時の北桔橋門は、通常は橋を跳ね上げた形で、使われることがなく、いざという時の脱出路の確保としての門となっていた。現在の門は冠木門(笠木を柱の上方に渡した屋根のない門)である。現在では大手門、平川門と同様に、宮内庁が管理する皇居東御苑(江戸城の本丸・二の丸・三の丸)の入城門となっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
022_220330124 X800 桃華楽堂 Z50 18-140.jpg 22.「桃華楽堂」とハナモモ
北桔梗門から本丸跡へ入っていくと「桃華楽堂」が見えた。「桃華楽堂」は昭和41年2月に音楽好きの香淳皇后(昭和天皇の皇后)の還暦記念として建設された200名収容の音楽ホールだ。鉄仙の花弁を形どったといわれる屋根と八面体の珍らしい建物。その西側に植えられたピンクや赤・白の花のハナモモがいま、あでやかに咲いている。名前の「桃華」の由来は、香淳皇后さまの御誕生日が3月で桃の節句に因んだ桃、華の字は十が六個と一で構成されていることから還暦(数え年61歳)を意味するということで命名されたといわれている。楽堂の建物も名前も、そして傍らに植えられたハナモモの木も、人々の目を引きつける優美な佇まいである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 59mm ISO100 ) 露出補正 なし
023_220330131 X800 天守台 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 23.天守台から見た北桔梗門
右手(西側)に天守台があったので上がってみる。江戸城本丸北隅にあった天守閣は、東西約41m、南北約45m、高さ11mの天守台に建てられていた。日本最高だったという高さ51mの天守を支えた江戸城天守台は黒田長政が築造を担当し、石垣は、南部、津軽の二候が築いたとされている。現在、皇居東御苑内に修復、保存され、天守台の上に登ることができる。天守台から北側に北桔梗門が見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 37mm ISO100 ) 露出補正 なし
024_220330136 X800 天守台 Z50 18-140.jpg 24.天守台
天守台は1606年(慶長11年)に完成し、翌年五層の天守(慶長天守閣)が大手門とともに完成している。家康時代の慶長天守台・天守閣は現在の天守台遺構の南側、富士見多聞のあたりに位置していたそうだ。1922年(元和8年)に2代将軍秀忠が本丸拡張工事を実施、さらに1637年(寛永14年)、3代将軍・徳川家光は天守台・御殿を修築し、翌年には「寛永度の天守」が完成た。現存する天守台は、その寛永期天下普請の遺構がベースになっているそうだ。1657年(明暦3年)に起こった「明暦の大火」(振り袖火事)の飛び火で本丸、二の丸、三の丸はほぼ全焼。その後、江戸城の天守は泰平の世でもあり、経済的な理由もあって再建されることはなかったのだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 なし
025_220330145 X800 天守台 Z50 18-140.jpg 25.ミツバツツジ
天守台の南側、竹林の手前にミツバツツジが咲き、その奥にシャクナゲが咲くところがあった。西桔梗門跡に近い、「手洗い所」がある辺りである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 48mm ISO110 ) 露出補正 なし
026_220330147 X800 大奥跡 Z50 18-140.jpg 26.本丸 大奥跡
富士見櫓に向かって進む。左側に本丸、大奥跡の芝生が広がる。徳川幕府の中枢となる政庁が江戸城本丸の御殿だが、表御殿・中奥から御鈴廊下でつながっていたのが大奥だった。残念ながら、往時を偲ぶものは何も残っていないそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 24mm ISO110 ) 露出補正 なし
027_220330167 X800 富士見櫓 Z50 18-140.jpg 27.富士見櫓
石室、富士見多門を見て、富士見櫓へ出た。富士見櫓は江戸城遺構として残る唯一の三重櫓。現存する三重櫓は、1657年(明暦3年)の明暦の大火(振袖火事)での焼失後、1659年(万治2年)の再建。どの角度から見ても同じような形に見えることから、「八方正面の櫓」の別名もある。天守焼失後の「代用天守」の櫓ともいわれている。富士見櫓の上からは、その名の通り富士山をはじめ、秩父連山や筑波山、江戸湾(品川沖など)、さらには将軍は両国の花火などを眺望したのだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 40mm ISO110 ) 露出補正 なし
028_220330172 X800 富士見櫓 Z50 18-140.jpg 28.ボケ
手入れされた絞りのボケの花がきれいに咲いていた。全く方向音痴になってしまっていて、この辺りから北の丸公園・千鳥ヶ淵へ出られるのではないかと思って歩いていたら、中之門跡に戻ってきてしまっていた。結局、一回りして入苑した大手門に戻り、これから入る人たちの手荷物検査をしていた係のかたにたずねたところ、「内堀通りを左回りに歩いて行ってください」ということになってしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 115mm ISO360 ) 露出補正 なし
029_220330185 X800 内堀通り 平川門 Z50 18-140.jpg 29.平川門
大手門を出て、内堀通りを左へ歩いて行くと、地下鉄の竹橋駅の近くで次の門である平川門に出た。太田道灌が江戸城を築いた15世紀には、江戸湾に面した現在の平川門周辺には、上平川村、下平川村という村があったのが平川門の名の由来という。太田道灌の時代から門が築かれていたと推測され、3代将軍・徳川家光の治世である1635年(寛永12年)、高麗門(外側の第一門)、渡櫓門(内側の第二門)を備える強固な枡形門のスタイルとなった。江戸城三の丸の正門で今も濠には木橋が架かっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 34mm ISO110 ) 露出補正 なし
030_220330193 X800 〇内堀通り 平川門 Z50 18-140.jpg 30.平川門の木橋
平川門は現在では大手門、北桔橋門と並んで、皇居東御苑(本丸・二の丸・三の丸)の入苑口のひとつになっている。木橋が往時のように残されるのは江戸城でもここだけだそうだ。現在の木橋(全長29.7m、幅7.82m)は台湾産のヒノキ材を使って昭和63年に再建されたもの。橋台は石造り、脚桁には鉄骨が使われているが、親柱の擬宝珠(ぎぼし)には、寛永や慶長などの銘が彫られており、往時のものが使われていることがわかるそうだ。長くなってしまった。ここら先は次回に回す。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし


2020年12月23日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (6)彦根城 11/26

紅葉と苔の美しさのに感動した西明寺を後にして、我々を乗せたバスは彦根城へ向かった。彦根城へ行ったことがない私にとってはそこは今回のツアーの目玉である。バスは30分ほど走って、彦根城の堀に面したところにある京橋口駐車場に入った。駐車している観光バスの数はそれほど多くはなかった。
 江戸時代を通じて彦根藩主として近江国東部を中心とした一帯を治めた大名である井伊家について、入場した時にもらった彦根城のパンフレットに載せられていた年表を参考にして、自分なりに整理してみた。
 1600年(慶長5年)の関ケ原の合戦のあと、その論功行賞により石田三成の佐和山城と旧領を井伊直政が拝領した。した。井伊直政は、徳川家康に仕え徳川四天王のひとりとして名を馳せた戦国時代の武将である。井伊直政が生まれた頃の井伊家は、駿河国今川家の支配下にあり、お家断絶の危機に晒されていた。井伊家の再興のため、そして徳川家康の恩義に報いるために信念を貫いたという。2017年1月8日から同年12月17日まで放送されたNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、その井伊直政を育てた遠州井伊谷の女領主・井伊直虎を主人公とした物語だった。
 1602年(慶長7年)直政は佐和山城にて死去、長男の直継が家督を継いだ。1603年、直継は佐和山、磯山、彦根山の候補地の中から彦根山を城地と決めた。1604年(慶長9年)普請を開始し、城下町の建設にも着手した。彦根城の鐘の丸が完成し、直継は佐和山城より移った。1606年には本丸が完成し、鐘の丸より移っている。
 そして、1914年(慶長19年)大坂冬の陣、1915年(慶長20年)大坂夏の陣があり、その年元和元年になって築城普請が再開され、櫓、黒鉄門などの門や、高石垣、表御殿が出来、中土手中堀が完成し、外堀もできた。
 さらに年表をたどっていくと、1871年(明治4年)になって、明治新政府による廃藩置県が実施され、彦根藩解体の上、井伊家は東京に移住した。1872年、陸軍省の所管となった彦根城は1878年(明治11年)陸軍省は彦根城の解体を決定した。しかし、大隈重信の進言により、解体は中止され、宮内庁所管の彦根御料地となる。拝借方申請した井伊直憲に保管委託され、のちに下賜され、井伊直憲の所有となったのだ。
 1942年(昭和17年)彦根市長の松山藤太郎が井伊直忠に彦根城の下付願を提出、1944年に井伊家より彦根城の土地建物が彦根市へ寄付された。1951年(昭和26年)国指定重要文化財となり、翌年、天守、附櫓、多門櫓が国宝へと昇格される。2015年(平成27年)には彦根城外堀跡全体が遺跡(埋蔵文化財包蔵地)となる。2016年には中央町・錦町の外堀跡の一部も特別史跡彦根城跡に追加された。
 近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城。このうち、松本、犬山、彦根、姫路、松江の5城の天守は国宝である。
 彦根城に関する記述は、彦根観光協会のパンフレットや、ホームページの記述を参考にさせていただいている。

bg-castle-map X700 彦根観光協会.jpg
彦根観光協会 彦根城域マップより

109.彦根城 中堀
11時40分、バスは彦根城の南側にある京橋口駐車場に入った。中堀に沿った通り( 中濠東西通り )を京橋口に歩く。彦根城は、中堀に面して4つの城門が開いていた。その1つが京橋口門である。京橋口門は、第2の郭の重臣屋敷と第3郭の本町筋の間にあり、内堀の大手門にも通じる要所に位置している。今までどちらかというと光が限られた寺院めぐりだったので、青空の明るさが眩しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126474_109 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
110.石垣とイチョウ
中堀の向こう側の石垣の上に見えたイチョウの深黄色が鮮やかだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126475_110 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
111.内堀
京橋を渡り京橋口から入城し、左手に内堀を見ながら表御門へ進む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126480 _111 X800  〇彦根城 RX10M4.jpg
112.表門橋
内堀に架かる表門橋に向かって内堀は左に回っていく。表門橋を渡ったところが表門券売所で、ここから、内堀の内側に入っていく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 25mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126482_112 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
113.コブハクチョウ
表門橋の下にコブハクチョウが2羽いた。そのうち1羽が、泳いで前に出てきた。内堀にコブハクチョウが4羽いて、飛んで逃げないよう、管理事務所の職員さんが風切り羽を切っているそうだ。彦根城にはコクチョウもいるらししい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 114mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126487_113 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
114.表門山道 天秤櫓の石垣
表門から坂道を上がっていくと高い石垣が現れる。天秤櫓の東側の櫓だ。「彦根城天守に登る坂道は4か所ありますが、その石段は非常に登りずらいと言われています。もともと城への石段は、万一敵が攻め入った場合、歩調が乱れ一息で登れないよう意図的に不規則に造られているのです。お寺の屋根のように、最初はおだやかな登りが、登るにつれ斜度が急になり上りにくくなったり、踏み幅や踏み高を微妙に違わせて一定にせず、敵に対して足元を注意して登らせ、上から攻撃しやすくしているのです。観光客の皆様には大変登りずらいと思いm、明日が、充分気をつけてご見学くださ。」という親切な立札があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 17mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126492_114 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
115.天秤櫓
天秤櫓は、大手門と表門からの道が合流する要の位置に築かれた櫓である。この櫓は、上から見るとコの字形をしており、大手門からと表門からの登城道をそれぞれ押さえるために両隅に2階建ての櫓を設け、中央に門が開く構造となっている。あたかも両端に荷物を下げた天秤のようであり、江戸時代から天秤櫓の名がある。 重要文化財である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126500_115 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
116.太郎門櫓への坂道
天秤櫓を抜けるとまた坂道があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201126501_116 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
117.太郎門櫓
登りきると、彦根城の天守を目前にした本丸最後の門である重要文化財の太鼓門櫓が現れた。東側の壁が無く、柱の間に高欄をつけ廊下にしているという。登城合図用の太鼓の音を響かせるために考えられたのではないかといわれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
201126503_117 X800 彦根城 RX10M4.jpg
118.天守の石垣
太鼓門櫓を過ぎると、天守が現れる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 32mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126509_118 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
119.天守 -1
天守の南側から撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126516_119 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
120. 天守 -2
天守の西側へ回る。国宝彦根城天守は北西に附櫓が、さらに長い多聞櫓が連なる。また、破風は変化に富んでいる。天守一層目の軒に並ぶ8つの「へ」の字形の切妻破風は、それぞれの大きさと奥行きに変化をもたせ、二層目は、南北を切妻破風、東西を入母屋破風とし、南北にが唐破風が設けられている。この切妻破風、入母屋破風、唐破風を組み合わせたたぐい希な美しさは見逃せないという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126520_120 X800 彦根城 RX10M4.jpg
121.もみじと切妻破風
天守に上がれるようだが、時間も少ないので割愛し、天守を左回りに回って、西の丸の手前から黒門山道を下りて、楽々園、玄宮園へ行くことにした。破風には入母屋破風、千鳥破風、切妻破風、唐破風の4種類があり、もみじの間から見えるのは切妻破風だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
201126522_121 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
122.黒門山道
本丸の石垣を右手に眺めながら黒門山道を下りる。私たちの他に歩く人がいない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126531_122 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
123.曲輪井戸
黒門山道を下っていくと右手に小曲輪というところがあった。曲輪とは、城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域のことであるが、立てられていた説明板には、「 弧状に築かれたこの曲輪の北東隅には塩櫓が築かれ、周囲は瓦塀がめぐっていました。塩櫓の近くには方形と円形の桝が現存しており、石組溝で集められた雨水を浄化して貯水するタイプの井戸であったと考えられます。曲輪の名も、この井戸に因んで名づけられたのでしょう。「塩」と「水」は、籠城戦ともなれば兵士の体を維持するために必要不可欠なものです。井戸曲輪は小さな曲輪ですが、黒門から侵入する敵兵に対する守りであるとともに、彦根城を守備する兵士の生命維持に必要な物品の備蓄が配慮された曲輪でもありました。」と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
201126534_123 彦根城 RX10M4.jpg
124.黒門
左側は西の丸だ。黒門山道を振り返る。右手に内堀を渡る黒門橋がある。 黒門橋は、城山から槻御殿や玄宮園に向かう一番近い橋で、現在、内堀に架かる3つの橋の中で唯一土橋になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126536_124 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
125.黒門橋を渡る
内堀に紅葉が映り込んでいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126547m_125 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
126.彦根城のもみじ
彦根城のもみじは多くない。もみじはやはり湖東三山なのだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126555_126 X800 彦根城 RX10M4.jpg
127.楽々園と玄宮園
黒門橋を渡り、コブハクチョウが遊ぶ内堀に面した散策路を右へ進み、まず、楽々園に入る。楽々園と南側に玄宮園が続くが、これは楽々園から玄宮園を眺めたところ。見えている橋で、羽織袴と角隠しの新婚さんが記念写真の撮影をしていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 106mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
201126561_127 X800 彦根城 RX10M4.jpg
128.楽々園 茶座敷「地震の間」
かつて、江戸時代初期 (1677年) に彦根藩4代藩主井伊直興によって造営が開始された井伊家の下屋敷であった。江戸時代は「槻御殿」あるいは「黒門外御屋敷」と呼ばれており、明治時代以降に「樂々の間」から「楽々園」と呼ばれるようになったとされる。  写真はご書院から連なる「地震の間」。「地震の間」という名称についてはいつごろから呼ばれるようになったかは不明だが、構造上に特徴があり、地震が起きた際に、その耐震機能を果たすとされ、文政2年(1819年)に大きな地震被害に遭っていることによる改修と考えられるとのこと。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126565_128 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
129.玄宮園から天守を望む
楽々園から玄宮園へと移動する。もみじの間から天守閣を望む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 46mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126570_129 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
130.玄宮園 鳳翔台
玄宮園は楽々園とともに、江戸時代には「槻御殿」と呼ばれた彦根藩の下屋敷である。「槻御殿」は延宝5年(1677年)、4代当主井伊直興により造園が始まり、同7年に完成したと伝えられ、昭和26年に国の名勝に指定されている。現在は「槻御殿」の庭園部分を玄宮園、建物部分を楽々園と称している。玄宮園は広大な地水を中心に池中の島や入り江に掛かる9つの橋などにより変化にとんだ回遊式庭園となっている。庭園内の築山に造られた茶室の鳳翔台は、彦根藩の賓客をもてなすための客殿だったそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 45mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
201126574_130 X800 彦根城 RX10M4.jpg
131.玄宮園 鳳翔台と天守閣
玄宮園の池の東側からと鳳翔台と本丸天守閣を望む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
201126582_131 X800 〇 彦根城 RX10M4.jpg
132.玄宮園のもみじ
さっき新婚さんが記念写真を撮っていた橋のそばに1本のもみじがあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
201126587_132 X800 彦根城 RX10M4.jpg
133. 「二季咲桜」
彦根城でも桜が咲いていた。「二季咲桜」の札が立てられていた。その札には、「昭和47年4月に水戸市(友好都市)より寄贈されたもので冬(11月から1月)と春(4月から5月)の年二回開花します。」と記されていた。1年に2度咲く桜にはフユザクラやジュウガツザクラ、フダンザクラ、シキザクラ、コブクロザクラなどがあるが、この二季咲桜はマメザクラ(豆桜)とエドヒガン(江戸彼岸)の雑種でシキザクラの一種とされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 55mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
201126594_133 X800 彦根城 RX10M4.jpg
134.馬屋 重要文化財
何気なく通り過ぎてしまったが、長い黒い塀に気が付いて、その門へ戻ってみた。この細長い建物は馬屋で、全国の近世城郭に残る大規模な馬屋としてほかに例がなく、国の重要文化財に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
201126602_134 X800 彦根城 RX10M4.jpg
135.馬屋の中
馬屋の中に入ってみる。馬屋の建物はL字形になっていて、佐和口の櫓門に接する東端に畳敷の小部屋、反対の西端近くに門があるほかは、すべて馬立場(うまたちば)と馬繋場(うまつなぎば)となっている。その数は21。つまり21頭もの馬を収容することができたのだ。昭和41年~43年にかけて解体修理されている。馬屋は藩主などの馬を常備したもので、こうした馬屋の他にも、かつて表御殿(現在の彦根城博物館)の玄関脇には客用の馬屋があった。また、玄宮園やお浜御殿などの下屋敷には、馬場があって馬の調教が行われていたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/250秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126600_135 X800 彦根城 RX10M4.jpg
136.京橋
京橋を渡って城を退出した。  京橋は、一千石以上の武士が居住していた第二郭(内曲輪)と中級以下の武士や商人、職人が居住していた第三郭(内町)をつなぐ橋だった。京橋を渡り、中濠東西通りを渡って、本町通り「夢京橋キャッスルロード」に入る。振り返ると秋を感じる鱗雲がきれいだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126605_136 X800 彦根城 RX10M4.jpg
137. 「夢京橋キャッスルロード」
当時、本町は商人町で大変活気があったという。彦根城が築城された1603年(慶長8年)、当所に町(当時の町名は桶屋町・職人町・八百屋町など)が作られたのが起源である。現代になって、彦根市の都市開発から取り残されていたが、1985年(昭和60年)に彦根市の街角整備事業の一環として実施対象となり、江戸期の建物・風情を再現した町並みにすることが計画され、1999年(平成11年)に地区を走る県道2号の拡幅とともに完成した。京橋から本町を抜ける通りを本町通りといい、計画前は町割りの佇まいや白壁と格子窓のある街並みに、江戸時代の面影がわずかに残っているだけだったが、 現在「OLD NEW TOWN」をテーマに、本町通りに沿って立ち並ぶ街並みは、商人屋敷の良さを生かした江戸時代感覚の新しい建物に建て替えられている。この本町通りは「夢京橋」という名前で親しまれ、「夢京橋キャッスルロード」と名付けられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
201126606_137 X800 彦根キャッスルロード RX10M4.jpg
138.「夢京橋キャッスルロード」 吉坂薬局
実は新しいのだろうが、クラシカルな店構えの薬局があった。お店の中を覗いてみたら、最近のくすりが並んでいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
201126618_138 X800 彦根キャッスルロード RX10M4.jpg
139.「夢京橋キャッスルロード」 あゆの店「きむら」
琵琶湖はアユでも有名だが、琵琶湖にはアユが食べる苔がないので大きく育つことが出来ないのだそうだ。そこで小鮎の佃煮が名産だが、試食したところ、とてもいい味だった。琵琶湖特産の ホンモロコの佃煮もよい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
201126623_139 X800 彦根キャッスルロード RX10M4.jpg
140. あゆの店「きむら」の庭
あゆの店「きむら」は奥行き深く、その奥には中庭がある。お店の人にお願いして写真を撮らせていただいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO500 ) 露出補正 -0.7段
201126627_140 X800 彦根キャッスルロード きむらの庭 RX10M4.jpg
141.彦根観光人力車
あっという間に時間が経ち、速足でバスに戻った。発車前のバスの窓越しに中濠東西通りをお客さんを乗せて走る人力車が通り抜けた。14時40分、湖東三山のひとつ百済寺に向け出発する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
201126631_141 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg


 

2018年5月24日

栃木県をドライブ(1) 大谷観音と大谷石採掘場跡 4月26日

今回のドライブは二つ目的があった。一つは宇都宮の近くにある大谷石の採掘場跡を観たいこと、もう一つは学生時代の卓球部の先輩である恒 仁朗(雅号)さんが昨年、ご出身地である今市の報徳二宮神社に寄進された「尊徳来福像」を参拝することだった。何時も一緒に、ドライブや旅行をしている家内の友人夫妻のご主人が、栃木県鹿沼のご出身なので、ご迷惑を顧みず同行をお願いした。
 朝、6時半に我が家に迎えに来ていただいた。首都高湾岸線から川口線回りで東北道に入った。ここを走るといつもスカイツリーがよく見える。
 途中、朝食をとったりして、10時20分ごろ、大谷観音に到着した。まだ、駐車場に観光バスはなく、団体客は来ていないようだった。ところが、大谷観音の見学を終えて大谷資料館に向かう頃になると「はとバス」が入ってきて、ツアー客の皆さんがドッと下りてきた。大谷資料館の地下採掘場も、私たちが入ったときは、観光客が少なく、ゆっくりと見て回ることができたのはラッキーだった。
 そして、もう一つのこの日の目的である、今市の報徳二宮神社に向かった。ちょうど昼飯どきになり、寄り道をしてしまったので、報徳二宮神社に着いたのは、午後も遅くなってしまった。

1.大谷寺
東北道を鹿沼ICで下りて、 大谷寺 に着いたのは、10時を少し過ぎていた。大谷寺の本尊千手観音(高さ4m)は、平安時代(810年)弘法大師の作と伝えられている。古くから大谷観音と称され、鎌倉時代に坂東19番の霊場となり、多くの人々から尊崇されてきた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO160 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
2.大谷寺 観音堂
大谷寺は大谷石凝灰岩層の洞穴内にお堂がある日本屈指の洞窟寺院である。岩で包み込まれるように建てられている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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3.大谷寺 観音堂正面
「観世音」の扁額が掛かっている。中に入って千手観音像をお参りした。大谷寺のホームページによれば、千手観音像は最初は、岩の面に直接彫刻した表面に赤い朱を塗り、粘土で細かな化粧を施し、更に漆を塗り、一番表には金箔が押され金色に輝いていた。パンフレットでは、前述したように、この千手観音像は平安時代(810年)弘法大師の作と伝えられていると紹介されていたが、ホームページでは、最新の研究では、バ―ミヤン石仏との共通点が見られることから、実際はアフガニスタンの僧侶が彫刻した、日本のシルクロ―ド遺産と考えられていると記されている。千手観音には、千の手と、千の目があり、手のひらにも目があって、いつも私達を見守っている。そして、たくさんの手で宇宙にある全ての人々、生き物を救ってくださる有り難い観音様であるという。堂内には千手観音像のほか、釈迦三尊、薬師三尊、阿弥陀三尊の計10躰の石仏があり、「大谷摩崖仏」として、昭和29年に国の特別史跡に、昭和36年に国の重要文化財にしてされている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
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4.境内の池
裏手に回ると池があった。自然の奇岩群と赤松の織りなす風光明媚な景勝が「陸の松島」と賞賛され、国の名勝に指定された御止山の登山口があり、池があった。 ​案内版によれば赤い橋の先にある​赤いお堂は弁天堂で、中に弁財天が祭られて​いる。​。弁財天は七福神の紅一点で、開運・財運の神様​である​。その前の白ヘビには伝説が残されてい​て、昔、この池に毒蛇が住んでおり、毒をまき人々を困らせてい​た​が、時に大同、弘仁の頃、弘法大師がこの話を聞き、秘法をもって退治したとい​う​。その後、毒蛇は心を入れ替えて白ヘビとなり、弁財天にお仕えして​いるそうだ​。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
5.弁天堂
池の赤い橋の向こうに弁天堂がある。橋を渡ってお参りしたが、頭に軽く触ればご利益があるという白ヘビには触れてこなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.​5​ 1/1​00​0秒 ​18​mm ISO​250​ ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
6.大谷観音 裏門​
普門客​という扁額が掛かった正面の仁王門に向かって右側に裏門があった。​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​​

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.​8​ 1/1​25​0秒 ​15​mm ISO​125​ ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
7.​平和観音
裏門の前は駐車場になっていて、その脇をしばらく歩いていくと大谷公園がある。そこには大きな平和観音像が立っていた。​​​​​ wikipediaによると、平和観音像は、太平洋戦争の戦死者を追悼するため、終戦後間もない昭和23年(1948年)から6年かけて大谷石採石場跡の凝灰岩層壁面に総手彫りで彫られた像高88尺8寸8分(26.93メートル)、胴回り20メートルの石造観音菩薩立像である。竣工は昭和29年(1954年)、開眼は昭和31年(1956年)5月4日。飛田朝次郎が製作した。なお、近隣にある大谷寺との直接的な関係はない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​4​​ 1/1​25​0秒 ​9​mm ISO​125​ ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
8.​大谷石地下採掘場跡
いよいよ大谷石地下採掘場跡に入る。ここは 大谷資料館 の一部でその入館料は800円だった。一般の人の目に触れることなく「未知なる空間」と呼ばれた地下採掘場の​跡​は、その広さ約2万㎡(140mX150m)、深さは平均30mあり、最深の部分は地下60mに及ぶという。 ​​​​​

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/13秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
9.大谷石地下採掘場跡 彫刻 -1
天井の高い地下採掘場跡には、写真のような彫刻も置かれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/15秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
10.大谷石地下採掘場跡 彫刻 -2
前の写真と同じ作品だが、ネットで調べてみたけれど誰の作品か判らなかった。 倒立した人間と片足を投げ出した人間が網目のように造られていて、中に灯りが入れられていた。印象に残った作品だったので、後日、大谷資料館に電話して、作者、作品名を訪ねてみたが、資料が残っていないのでわからないとのことだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/10秒 25mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
11.「ミソの層」
まず、山に横穴を掘り、そこから平場堀で柱を残しながら地下を掘り進めた。大谷石はきれいな石の層と「ミソ」と呼ばれる茶色の塊を含む層が交互に重なっている。この採掘法により、ミソの層を残しきれいな石の層だけを採掘できるようになったそうだ。ここは、きれいな石の層の採掘場で天井にはミソの層を確認できる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/10秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
12.華道家 假屋崎省吾氏の作品
先ほどの彫刻の奥にあった生け花のような作品は、假屋崎省吾氏の作品だ。2015年3月15日に開催された「和の都 宇都宮 アートフェスト」において、この地下坑内で催、展示された假屋崎省吾氏の花アート作品をそのまま展示することの承諾を得た。大谷石の壁面とマッチしたインパクトのある非常に大きな作品なので地下坑内の一番奥の部分に展示することになったそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/40秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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13.ステージ
ステージが造られていた。ここで様々なイベントやプロモーション・ビデオの撮影などが行われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/10秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
14.搬出口
この緩やかな坂道は切り出した大谷石の搬出口だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/40秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
15.ドンペリ
「ドンペリニョン(P2)の日本発売日の前日に開催されたレセプションでゲストの皆様を撮影するためのフォトセッション用エンブレムです。主催者のMHDモエヘネシーディアジオ株式会社様から開催地への記念として頂いた展示品です。」と説明されていた。ドンペリP2は1998年に発売された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
16.十字架
十字架が置かれていた。ライトアップされて幻想的でさえある。地下採掘場跡には教会ゾーンと呼ばれているところがあるが、そこは、結婚式がある時にだけ教会を作る場所だそうだ。 普段は撮影などに使うために非公開部分として閉鎖している場所で、写真の十字架は教会ゾーンではない。暗いので、壁に寄りかかってシャッターを押す。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.8​​ 1/6秒 ​34mm ISO​3200​ ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
17.石の規格
五六、五七、五八、五十、三十、四十、六十、七十、八十、尺角という規格品があるそうだ。最初の数字が厚さを、後の数字が幅を表す。長さはすべて3尺(90cm)だ。例えば五十は厚さ5寸(15cm)、幅1尺(30cm)である。既定の大きさに裁断し製品を作り出す機械だ。中央にあるのは石材裁断機で1日約200本の石が加工できる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​1.8​​ 1/40秒 ​9mm ISO​3200​ ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
18.チェーンソー式平場採掘機(昭和34年~現在)
これは丁場を掘り下げる機械だそうだ。平場掘りという。坑内堀りでは垣根採掘機で横坑を掘った後、本格的な採石はこの機械で行うと説明されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​1.8​​ 1/100秒 ​9mm ISO​3200​ ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
19.大谷石PR用石造建築模型
栃木県、福島県、宮城県などには現在も石造建築や土蔵造りが数多く点在している​。また、東京の旧帝国ホテルにも大谷石は利用された。ここで地下採掘場跡​の見学を切り上げる。坑内は暗かったので、すべてISO3200での撮影になったが問題なく使える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​1.8​​ 1/250秒 ​9mm ISO​3200​ ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
20.宇都宮餃子
大谷石地下採掘場跡を出発したのは12時を少し過ぎていた。これから今市へ向かうが、途中で宇都宮餃子を食べていこうということになり「彩花」という店に寄った。出発からここまで運転をしてきたので、ビールを飲んでもいいよとお許しをいただいた。餃子は大きかった。チャーシューが上手いとのことなので食べてみたが、確かにうまかった。テイク・アウトもした。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​3.5​​ 1/​1​250秒 ​9mm ISO​125 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
21.​コミスジ 「ろまんちっく村」​​​​​​​
​「​彩花」を出発して下今市に向け、119号線をしばらく走ると、道の駅「ろまんちっく村」というところがあった。何やら賑やかそうなので入ってみる。女性陣が野菜を見たり、花を見たりしている間、男2人は裏手にある「みのりの森」を散策した。そこは、カタクリをはじめとした季節毎の山野草や、落葉・広葉樹林や、孟宗竹の竹林などが植生された10ヘクタールに及ぶ整備林になっていた。コミスジが木漏れ日を浴びて飛んでいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO160 ) 露出補正 +0.3段
;;クリックすると大きな写真になります。
22.「何時も庵」
友人のご主人は鹿沼のご出身なので、この辺はよくご存じだ。奥様が天然氷の美味しい良いところを薦めてくださった。119号線から少し左に入ったところ、 箱ノ森の里山の丘に建つ隠れ家的な古民家風カフェだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO250 ) 露出補正 +0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
23.日光天然氷のかき氷
私もレモンシロップと練乳が掛かったかき氷を食べた。友人の奥様がオーダーしたのは、この店のおすすめは「アイリッシュ 練乳入り」だった。プリンのカラメルのようなコクのある芳しい味だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 +0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
24.かまきりのオブジェ
庭には錆びたカマキリのオブジェがあった。アイアン作家 高橋洋直さんという方の作品だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 24mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
25.外房線の枕木の古材
裏の散策路を歩いてみると、その散策路には「ここからは外房線の枕木です」と記された札があった。ご主人は鉄ちゃんなのだろうか。カフェのテラスも床も古い枕木が敷かれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO1000 ) 露出補正 +0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
26.ルリタテハ -1
庭にある樹液の出ている樹にルリタテハが寄ってくる。手前の開翅している個体は尾端を上げている。♀なのだろう。ルリタテハは見ただけでは雌雄が区別できない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 164mm ISO200 ) 露出補正 +0.3段
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27.ルリタテハ -2
3~4頭のルリタテハがこの樹液の出ている樹に飛来してきていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 140mm ISO320 ) 露出補正 +0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
28.ミヤマせせり
タンポポの花ではミヤマせせりが吸蜜していた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 93mm ISO1000 ) 露出補正 +0.3段
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2017年12月12日

紅葉の浜離宮 11月25日

11月25日、母校の昭和39年卒体育会各部の忘年会があった。数人の世話人が幹事を引き受けて、会場の設定、案内、出欠のとりまとめなど、面倒を見てくれているが、頭が下がる。今年は60名が出席した。
 会は12時から始まり、2時半ごろにお開きになった。その時間では二次会もできない。 一人になったので、久しぶりに浜離宮恩賜庭園へ行ってみようと思う。新橋から地下街を抜けて汐留の先で地上に上がった。そこは浜離宮の「中の御門」にほど近い。時刻は3時半近くになっていた。「中の御門」から入って、築地川、東京湾、汐留川に囲まれた浜離宮を左回りにほぼ一周した。思ったより広い。(参照:東京都公園協会パンフレット
 周囲にはビルが林立している。ここは都会の中のオアシスだ。外国人観光客も多かった。紅葉が見られる日本庭園を歩いたが、この季節は日が暮れてくるのも早い。1時間ほど撮影を楽しんだ後、退出して帰路に着いた。

1.海岸通りのイチョウ並木
新橋駅から地下街を汐留シオサイトを通り抜け、地上に上がる。首都高速都心環状線の下、海岸通りの並木道を浜離宮の「中の御門」へと歩く。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 22mm ISO800 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
2.「中の御門」
3時15分、浜離宮恩賜公園には中の御門から入った。浜離宮恩賜公園は海水を引き入れた「潮入の池」と、2っの鴨場を伝え、江戸時代には江戸城の「出城」としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園である。HPによれば、この地は、寛永年間(1624~1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原だった。ここに初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟で甲府宰相 の松平綱重。承応3年(1654年)、綱重は将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得た。その後、綱重の子供の綱豊(家宣) が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められたという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 27mm ISO640 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
3.延遼館跡
「中の御門」を入って、北の方へ歩いていく。ここは明治2年に浜離宮内の迎賓館として整備され多くの国賓を迎えた延遼館があった跡と思う。真っ赤な紅葉が迎えてくれた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO400 )露出補正 +0.7段
クリックすると大きくなります。
4.林立するビル
汐留方面を眺めると、都会のビルが林立する。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.2 1/1000秒 9mm ISO200 )露出補正 +0.7段
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5.都会のオアシス
浜離宮は都会のオアシス。汐留の再開発で周囲には大きなビルが建った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 9mm ISO250 )露出補正 +0.7段
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6.「大手門橋」
左の大きなケヤキの木の右側に「大手門橋」が見える。背後のビルは電通のビルだろうか?

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2 1/1000秒 10mm ISO125 )露出補正 +0.3段
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7.「中の御門」を振り返る
紅葉はこの辺りが一番きれいだった。右側は延遼館跡だ。土曜日の午後、訪れる人は多い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 20mm ISO500 )露出補正+1.0段
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8.住友ビルと日本通運ビル
紅葉している大きなケヤキの木の向こうに建つのは、住友ビルと、その左は日本通運ビルのようだ、

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 20mm ISO500 )露出補正 なし
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9.「三百年の松」
案内板には、宝永6年(1709)に6代将軍 徳川家宣が改修した時に植えられたと伝えられていると書かれていた。今年で既に308年経過している都内で最大級の黒松なのだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2 1/1000秒 10mm ISO800 )露出補正 +0.3段
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10.この木は?
きれいに色づいている木があった。モミジの木かと思ったら葉が違う。ハゼノキのようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 30mm ISO1250 )露出補正+0.3段
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11.旧稲生神社
築地川に沿って水上バスの発着所の方へ歩いていくと、鳥居とお社があった。旧稲生(いなぶ)神社と呼ばれ、浜離宮庭園内に天明(1781年~1789年)、稲荷神社として建立されたそうだ。その後、明治時代に同じ浜離宮庭園内の現在の場所に移転してきたという。関東大震災で本殿は破損し、昭和6年に大修理が行われた。残念ながら現在は"ご神体"が無く、神社としての機能はない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2 1/1000秒 10mm ISO500 ) 露出補正 なし
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12.野外卓広場
旧稲生神社から南西へ歩いていく。ボタン園とお花畑があるが、この時期は何も咲いていない。その先に野外卓広場がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 37mm ISO800 )露出補正 なし
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13.「内堀」
浜離宮は、現在では庭園というイメージが強いが、江戸時代には、庭園以外に、様々な機能を持っていたという。浜離宮にある内堀は、築地川とつながっていて、諸国から籾蔵に米を運ぶ運河として使用され、また、江戸城での必要物資を運び入れる港湾施設としても使われていたそうだ。内堀には荷揚げ場が見られる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.2 1/1000秒 14mm ISO1000 )露出補正 なし
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14.「燕の御茶屋」
ますぐ進むと池がある。東京湾側からつながる「潮入の池」だ。茶屋の手前にカエデがアーチを作っていて、外国人のカップルが写真を撮っていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.5 1/1000秒 19mm ISO2000 )露出補正なし
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15.「松の御茶屋」
浜離宮中央の「潮入の池」の脇に松の御茶屋がある。「松の御茶屋」は、建てられた年ははっきりしていないようだが、11代将軍徳川家斉により建てられたそうだ。昭和19年11月29日の空襲により焼失してしまい、その後しばらく再建されなかったが平成22年に1億4千万円かけて復元されたのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO640 )露出補正 +0.7段
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16.御亭山
「松の御茶屋」を東に行くと御亭山がった。御亭山は「潮入りの池」の東側にあり、頂上と周囲の平地部の標高差は、約3m程度の小高い丘だ。登った上からは庭園内の周囲が見渡されるというが、そうとは気付かず登らなかった。ハゼノキが紅葉していた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.2 1/1000秒 13mm ISO800 )露出補正+0.7段
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17.庚申堂鴨場 「小覗」
庚申堂鴨場は庭園内にある鴨狩りのための池である。鴨狩の方法としては、江戸時代は、鷹を使って鴨を捕獲する鷹狩りと、その後の二股の網を使って鴨を捕獲する又手狩りの2種類の方法があった。いずれも、鴨等の水鳥を近くまでおびき寄せるため、気付かれないように隠れていることが必要になる。水鳥が休む「元溜り」と言われる池を見渡せる「大覗」と呼ばれる監視所と「小覗」と言われる土手の陰、樹木の陰の他、小屋の陰に潜んで鴨等の近づくのを見張るための覗穴がある。庚申堂鴨場の名称は北東側に庚申堂があったことに由来するそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1600 )露出補正 なし
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18.庚申堂鴨場 「小覗」後ろ側
これは 「小覗」の裏側で「元溜り」から引き込み水路「引堀」につながっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/400秒 26mm ISO3200 )露出補正なし
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19.庚申堂鴨場 「引堀」
「元溜り」という大きな池から幾筋かの引き込み水路「引堀」がある。池には獲物の水鳥たちを「引堀」へ導き入れてくれるよう訓練された囮の家鴨が放たれている。周囲は高さ3mほどの土手で囲み、笹や竹、常緑樹などを隙間なく植えて人の気配を感じさせないようにし、飛来した水鳥が安心して休息できる環境を作る。「元溜り」を見渡せる監視所「大覗」から水鳥の集まり具合や、風向きを確認し、猟を行う「引堀」を決める。「引堀」の奥の 「小覗」に隠れた見張りが板木を叩きながらヒエやアワの餌をまき、囮で引き寄せられた水鳥を「引堀」の小土手から網や鷹を使って獲る猟を行っていた。庚申堂鴨場 は安政7年(1778年)に築造され、その後幾度かの改修が行われて現在の形になっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/640秒 26mm ISO3200 )露出補正 なし
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20.横堀水門
東京湾に面し、「潮入の池」に海水を引き入れている水門である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 )露出補正 +0.3段
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21.海手お伝い橋
「潮入の池」を東京湾沿いに歩くを。サトザクラの仲間であるウコンザクラの葉が紅葉し、その向こうにお伝い橋が見える。お伝い橋は延長118mある総檜造りの橋で平成24年(2012年)に改修された。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 )露出補正 +0.7段
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22.サクラの紅葉の下で
この辺りはちょっと人が少ないところだった。若い2人の女性が紅葉したサクラの木の下に憩う。午後4時を過ぎて大分暗くなってきた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.2 1/640秒 13mm ISO3200 )露出補正+0.3段
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23.中の橋から
「潮入の池」は中の橋で東京湾側の横堀と庭園内側の大泉水とに区切られている。向こうに見えるのは「中島の御茶屋」。池にはホシハジロが浮かんでいる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/60秒 32mm ISO640 )露出補正 +0.3段
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24.「中島の御茶屋」とモミジ
浜離宮の庭園にはあまりカエデの木は多くない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/320秒 37mm ISO3200 )露出補正+0.3段
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25.「中島の御茶屋」と「松の御茶屋」
「中島の御茶屋」は宝永4年(1707年)に造られて以来、将軍をはじめ奥方、公家たちがここで庭園の見飽きぬ眺望を堪能した休憩所という。現在の建物は昭和58年(1983年)に再建したもの。若い女性たちが緋毛氈が敷かれた床几に座って和菓子を楽しんでいるようだ。向こうに見えるのは「松の御茶屋」。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/500秒 25mm ISO3200 )露出補正 なし
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26.池に映る大都会
「燕の御茶屋」を眺める池には大都会のビルが映り込む。平成27年に復元された「燕の御茶屋」の建築年代は、11代将軍家斉の時代の建築と考えられており、「燕」の名称の由来は燕形の釘隠金具が使われていたことから来ていると言われている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/500秒 22mm ISO3200 )露出補正 なし
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27.「中の御門」
大分暗くなってきてしまった。ほぼ庭園を一周したので、そろそろ引き上げることにする。入園した「中の御門」から外に出た。「中の御門」は、浜離宮恩賜庭園が造られた江戸時代からあった門だそうだ。明治初期には浜離宮の正門として皇族や諸外国の外交官を出迎えたという。しかし、関東大震災で壊れ、その後は撤去されたままとなっていたが平成17年に整備され現在の姿になったという。時間が早ければ、大手門から出て、銀座に出ても良かった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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2016年4月22日

日曜日・銀座の午後 4月3日

日曜日の午前中、娘から電話がかかってきた。数寄屋橋の阪急デパートの跡地に出来た 東急プラザに行こうと思うが、出てきて一緒に食事をしないかという。暇な私たち夫婦は二つ返事でOKだ。
  新橋で降りて、銀座4丁目へと銀座通りを歩く。日曜日の銀座通りは歩行者天国だ。街を歩いている人は中国人観光客をはじめ、外国人が多い。かみさんはまるで外国の街にいるようだという。
 4時半ごろ、東急プラザ銀座の6階にあるキリコ・ラウンジというところで会おうということになり、少々時間をつぶして、数寄屋橋交番の筋向いにある東急プラザの新しい建物の中に入る。入口のエスカレータはとても混んでいて折り返して列が出来ていた。
 娘の希望で下鴨茶寮「のまえ」で食べることになった。ワインを飲みながら、注文した一品料理を楽しむ。
 食事を終えて外に出ると歩行者天国は終わっていた。久しぶりに宵の銀座を歩きながら、新調したG7Xの明るいレンズと、最高ISO感度12800も試してみた。結構速いシャッターが切れる。夜景の撮影には良いようだ。

  1.歩行者天国
銀座8丁目から銀座通りに入った。歩行者天国だ。午後3時半、歩く人は少なくなる時刻なのかもしれない。銀座のホコテンは美濃部都知事のもと、1970年8月2日が最初とのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.5 1/1250秒 17mm ISO125) 露出補正 なし
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  2.中国からの観光客
やはり中国からの観光客が目立つ。ガイドさんが「薬・免税」と書かれた案内板を掲げ指さししている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.8 1/1000秒 30mm ISO500) 露出補正 なし
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3.いろいろな国から
歩行者天国を歩く観光客は中国人ばかりではない。いろいろな国から来られているようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.8 1/1000秒 37mm ISO400) 露出補正 なし
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4.服部時計店
服部時計店は何といっても銀座のシンボルである。4丁目交差点の右が京橋方面、左が有楽町方面だ。銀座通りで交差する晴海通りは歩行者天国になっていない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.2 1/1000秒 13mm ISO125) 露出補正 なし
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5.朝日稲荷神社
銀座三越の裏手を東銀座方面へ歩いていくと、ビルに埋め込まれたような稲荷社があった。中央区史によれば「安政震災後荒廃し三十間堀に埋れていたが、大正時代の関東大震災で河底から露れたため現社地に奉斎した」とあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.8 1/1000秒 37mm ISO1000) 露出補正 なし
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6.数寄屋橋交番前の桜
良く当たる宝くじ売り場があることで有名な数寄屋橋交番の近くに、銀座通りでは珍しい桜の花が咲いていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.8 1/1000秒 26mm ISO200) 露出補正 なし
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7.TOKYU PLAZA GINZA
先週の木曜日の3月29日に、かって数寄屋橋阪急があったところに、新しく東急プラザ銀座がオープンした。百貨店に勤務する娘からここへ行ってみたいと電話がかかってきたのだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
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8.キリコ・ラウンジ
娘たち夫婦と待ち合わせた6Fのキリコ・ラウンジへ来た。吹き抜けになったパプリック・スペースになっている。数寄屋橋交差点を眼下に眺めることが出来る。ここのソファで彼らが来るのを20分ほど待った。東急プラザ銀座は江戸の伝統工芸である「江戸切子」をモチーフにした外観が特徴的である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
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9.キリコ・ラウンジからの眺め
キリコ・ラウンジからは、数寄屋橋交差点の上を走る首都高と東京駅八重洲口へと向かう外堀通りを見下ろすことが出来る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f1.8 1/1000秒 9mm ISO160) 露出補正 なし
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10.数寄屋橋交差点の人
眼下に見える数寄屋橋交差点の横断歩道を歩く人たち。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.8 1/1000秒 37mm ISO640) 露出補正 なし
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11.屋上のキリコ・テラス
そこで何か食べようと思っている下鴨茶寮「のまえ」は、5時から夜のメニューに変わる。まだ少し早い。そこで屋上のキリコ・テラスに上がって見た。内堀通りの先には日比谷濠が見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.8 1/1000秒 28mm ISO640) 露出補正 なし
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12.泰明小学校
目を左に転じると泰明小学校 が見えた。余計なところが映りこまないように構図したが、銀座の街の建物は上から眺められることは意識していなかったようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.8 1/1000秒 28mm ISO640) 露出補正 なし
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13.キリコ・テラスから見下ろす数寄屋橋交差点
晴海通りと内堀通りの角にある不二家は、今はクリスタル・ビルの2Fに入っているが、随分昔からここにあるように思う。Wikipediaによれば不二家のこの地での開店は1953年だそうだ。1Fにはスキヤカメラがある。信号を待つ間、店先のショー・ケースに並んだ中古のNikonのフラッグシップ機を眺めていたのをお思いだす。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.8 1/1000秒 37mm ISO2000) 露出補正 なし
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14.丸源ビル
下鴨茶寮「のまえ」で食事を済ませ下界に下りてきた。娘たち夫婦はこれから新宿へ行き、南口に新しくできたJR新宿ミライナタワーへ行くという。私たち夫婦にはその元気も興味もなく、再び銀座通りを歩いて新橋へ向かうことにし、別れた。写真に写る丸源ビルのほとんどはいわゆる雑居ビルだそうだが、老朽化もだいぶ進んでいるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.8 1/320秒 37mm ISO6400) 露出補正 なし
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15.夜の銀座通り
時刻は7時過ぎだ。歩行者天国は夕方6時に終わる。日曜日の夜は人通りも少ないのだろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.8 1/1000秒 37mm ISO3200) 露出補正 なし
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