検索結果: Studio YAMAKO

このブログを検索

大文字小文字を区別する 正規表現

Studio YAMAKOで“大泉水”が含まれるブログ記事

2023年3月27日

旅行 高松→丸亀→鞆の浦→尾道 ①横浜から栗林公園へ

3月12日に香川県の丸亀で娘の婿殿の家の法事があり、旅好きの私たち老夫婦も厚かましく同行することになった。
 3月11日、新横浜8時21分発の「ひかり」に乗る。娘たちとは岡山駅の在来線ホームで待ち合わせだ。私たちは「大人の休日」の3割引きを利用するので、「のぞみ」は利用しない。
 無事、娘たち夫婦と合流し、岡山からは瀬戸大橋線のマリンライナーに乗り換え、高松へ向かう。1時間ほどで高松に着いた。学生時代に同じ釜の飯を食った友人が高松にいる。その友人の家は、高松で代々続く老舗の料亭「二蝶」で、夜はそこで夕食をしようと、予約をしていた。
 高松の駅前で讃岐うどんで簡単な昼食を済ませ、歩いて今宵泊まるホテルに行った。荷物を置いて、ホテルでタクシーを呼んでもらい、栗林公園に着いたのは午後3時だった。高松には2回ほど行った事があるが、栗林公園へは行く機会がなかったので、今回は是非訪れたかったのだ。栗林公園に着くと「二蝶」から伝えてもらっていたボランティア・ガイドさんが待ってくれていた。
 午後4時に園内の「掬月亭」に着いた。ここも「二蝶」が経営している。目の前に広がる南湖という美しい池を眺めながらお抹茶をいただいたあと、南湖のほとりを歩いて、栗林公園を退出し、いったんホテルに戻り、チェックインを済ませて、すぐ近くの「二蝶」へ向かった。家族4人と、今は代替わりしている友人夫妻も交えて、楽しい食事の時間を過ごした。
 今回の旅は載せたい写真が100点ほどあるので、続きは何回かに分けて載せていく。

000_230311424 X700 栗林公園 北湖 夫婦松 Z50 Z18-140.jpg
栗林公園 北湖と夫婦松 2023年3月11日 香川県高松市

001_230311003 X900 〇新幹線 G7X.jpg 1.大きな富士山(車窓から)
この写真を撮ったのは9時少し前である。三島を過ぎたあたりだった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 37mm ISO160 ) 露出補正 なし
002_230311011 X900 〇新幹線 浜名湖 G7X.jpg 2.浜名湖 -1 (車窓から)
浜松駅をでて、しばらくすると右側の車窓に浜名湖が見えてきた。ここらが浜名湖が一番広く見えるところだ。向こう側は三ケ日の方だろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
003_230311015 X900 〇新幹線 浜名湖 G7X.jpg 3.浜名湖 -2 (車窓から)
浜名湖のボートレース場を過ぎた。浜名湖ともお別れだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
004_230311018 X900 〇新幹線 伊吹山 G7X.jpg 4.伊吹山 -1 (車窓から)
関が原のあたりから雪をかぶった伊吹山の山頂が見えていたが、関が原を過ぎるとその全容が見えた。伊吹山は滋賀県米原市、岐阜県揖斐郡揖斐川町、不破郡関ケ原町にまたがる伊吹山地の主峰(最高峰)で標高1,377 mの山である。滋賀県で最も高い山だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
005_230311021 X900 新幹線 伊吹山 G7X.jpg 5.伊吹山 -2 (車窓から) 新幹線に乗り込んだ時、この日は天気が良いので車窓から富士山と浜名湖と伊吹山の写真を撮りたいと思っていた。間もなく米原を通過だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 28mm ISO125 ) 露出補正 なし
006_230311030 X900 新幹線 岡山駅 特急しおかぜ G7X.jpg 6.岡山駅
婿殿たちの乗る「のぞみ」は私たちが乗った「ひかり」の6分後に岡山に到着する。在来線のホームで無事合流した。ホームで見る車両は見慣れている関東の車両と違っている。これは12時35分発の特急「しおかぜ」松山行だ。「しおかぜ」は、JR四国およびJR西日本が岡山駅 - 伊予西条駅・松山駅を宇野線・本四備讃線(瀬戸大橋線)・予讃線経由で運行している特別急行列車である。車両は8600系。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO1000 ) 露出補正 なし
007_230311041 X900 〇瀬戸大橋線 G7X.jpg 7.瀬戸大橋線
4人は瀬戸大橋線高松行の「マリーンラーナー」に乗車した。児島から瀬戸大橋を渡る。瀬戸大橋は、本州の岡山県倉敷市と四国の香川県坂出市を結ぶ10の橋の総称である。瀬戸内海をまたぐ本州四国連絡橋の児島・坂出ルートにあたり、橋の大部分は香川県に属する。1988年(昭和63年)に全線開通。それにより初めて四国と本州が陸路で結ばれた。橋には道路と鉄道が通り、鉄道道路併用橋としては世界最長である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 12mm ISO250 ) 露出補正 なし
008_230311052m X900 〇瀬戸大橋線 坂出 川崎重工 G7X.jpg 8.坂出工業地帯(番の州臨海工業団地)
瀬戸大橋を渡り坂出の近くになる。ここは瀬戸大橋のたもとにある香川県随一の大型コンビナート工業団地で、620haの広大な用地を整備している。大型生産拠点の誘致を図るため、工業用水の整備や大口の電力供給が可能な工業団地だそうだ。川崎重工(造船)の工場が見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 28mm ISO125 ) 露出補正 なし
009_230311371 X900 高松 栗林公園 Z50 Z18-140.jpg 9.栗林公園へ
最初に記した通り、栗林公園の入り口には午後3時ごろ着いた。ボランティア・ガイドさんの受付に行くと、ベテランガイドのOさんが待っていてくれた。さっそく園内に入る。案内板の前でOさんから園内の鑑賞コースの説明を受ける。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 23mm ISO110 ) 露出補正 なし
010_230311381 X900 高松 栗林公園 大禹謨 Z50 Z18-140.jpg 10.商工奨励館
園内に入って、まっすぐ西へ向かう。大きな木の向こうに見える建物は商工奨励館という。江戸時代には歴代高松藩主が藩の文化を生み育て、発信する場でもあった栗林公園に、 商工奨励館は、明治32年(1899年)に建てられた延床面積1,262㎡の建物で、当時は「香川県博物館」として使用されていた。宇治の平等院鳳凰堂のように左右対称の造りになっており、日本古来の建築様式のなかに西洋的技法も見受けられる。昭和13年(1938年)には現在の「商工奨励館」と名を改めた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 25mm ISO110 ) 露出補正 なし
011_230311390 X900 高松 栗林公園 大禹謨 Z50 Z18-140.jpg 11.商工奨励館 本館 大禹謨(だいうぼ)
写真は商工奨励館の本館である。本館2階では、讃岐の家具をこよなく愛し、昭和30年代には「讃岐民具連」に参加した米国の家具デザイナー、ジョージ・ナカシマが手掛けたテーブルや椅子が展示されている。本館の奥に北館、向こう側に西館、手前に東館がある。ガイドさんが「大禹謨」の説明をしてくれた。商工奨励館中庭に「大禹謨」と刻まれた高さ60㎝くらいの石が立てられている。西嶋八兵衛は、江戸時代の初め、伊勢藤堂藩から讃岐生駒藩へ招かれ、多数のため池を造り、新田の開発を行うなど偉大な業績を残した人。渇水で取りざたされることの多い香川県・高松だが、市内を流れる香東川は、扇状地の暴れ川であったのを西嶋八兵衛によって治められた。wikipediaによれば「禹(う)」は、中国古代の伝説的な帝で、夏朝の創始者であり、黄河の治水を成功させたという伝説上の人物である。香東川の改修工事を手掛けた西島八兵衛が、中国の治水の大聖人「禹」王にあやかろうとこの石碑を作り、工事地点に沈めたものと言われている。この工事の成功により、東側の流れの後に豊富な地下水に恵まれた土地が生まれ、やがて大規模な栗林荘に発展していった。「大禹謨」と刻まれた石碑は大正元年に偶然発見され、現在は商工奨励館中庭に設置されている。園内南庭の掬月亭では、毎年西島八兵衛の功績をしのんで「八兵衛茶会」も開催されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 25mm ISO110 ) 露出補正 なし
012_230311401 X900 栗林公園 紫雲山 Z50 Z18-140.jpg 12.紫雲山
栗林公園は1953年に特別名勝に指定された。栗林公園の西側には標高200mほどの紫雲山がたたずみ、尾根沿いから複数の古墳が発見されるなど、古くから人との関わりが深い山である。その紫雲山の東側に江戸時代前期に作られた池泉回遊式の大名庭園、栗林公園が広がっているのだ。栗林公園の平庭部の広さは、東京ドーム3.5個分にあたる約16.2ha。これだけでも大名庭園の中では最大級だが、背景となっている紫雲山を含めた面積は、なんと東京ドーム16個分の約75haにも及び、文化財に指定された庭園の中では日本一の大きさを誇る。大きな池の周りに起伏に富んだ地形で山や谷を表現し、池の周りを散策できるように造られた大名庭園は、広い園内を回りながら様々な景色を楽しむのが最大の魅力である。広大な敷地に6つの池、13の築山を有する栗林公園は、江戸時代初期の大名庭園として優れた地割り石組みを有する南庭、明治以降に近代的な公園として整備された北庭にわかれており、それぞれの多彩な景色を堪能することができる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 35mm ISO140 ) 露出補正 なし
013_230311395 X900 栗林公園 紫雲山 Z50 Z18-140.jpg 13.紫雲山 檜御殿跡とお手植松
商工奨励館の西側は檜御殿跡という。檜御殿跡は高松藩初代藩主の松平頼重(よりしげ)が隠居した館があったところだそうだ。その南側には お手植松があった。案内板には、前に並んでいる背丈の高い5本の松は、次の 方々が来園を記念してお手植えされた松であり、配置は向かって右から ・宣仁親王(高松宮)(大正3年) ・昭和天皇 (大正3年) ・雍仁親王(秩父宮)(大正3年) ・エドワード8世(大正 11 年、皇太子のとき) ・能久親王妃富子(北白川宮)(大正 14 年)と記されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
014_230311396 X900 栗林公園 鶴亀松 Z50 Z18-140.jpg 14.鶴亀松(百石松)
栗林公園は松の庭園と思う。wikipediaによれば、栗林公園にはクロマツ、アカマツ、ゴヨウマツなどのマツ類は約1,370本あり、手入れマツは約1,000本であるという。美しい松や、よく手入れされた松が多いが、その中でこの鶴亀松は栗林公園で最も姿が良いとされる松だそうだ。もとは家老の屋敷にあった松で、家老がこの松の手入れに熱中して遅刻したために石高を500石から400石に減らされたという言い伝えがあるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_230311410 X900 栗林公園 屏風松 Z50 Z18-140.jpg 15.箱松
北庭と南庭の中間あたりには松の生垣が数か所あり、箱状に仕立てられていることから箱松と呼ばれている。箱松を屏風松との間の路から見ると、複雑に絡むように枝を曲げたあと、枝を下に向けて生け垣の形を作っていることがわかる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 44mm ISO320 ) 露出補正 なし
016_230311416 X900 栗林公園 屏風松 Z50 Z18-140.jpg 16.屏風松と箱松
横から眺めると箱松(手前)の倍ほど背丈がある屛風松が伸びている。立てられた案内板には「北側の背丈の高い松並を屏風松という。絡み合うように屈折して伸びたその見事な枝ぶりはまさに圧巻。南側に並ぶ箱松はその名の通り箱のかたちを装った松。長い年月の手入れのたまもので樹芸の粋を極めたこの箱松はほかには見られない本園ならではの景観を作っている。」と書かれていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 44mm ISO100 ) 露出補正 なし
017_230311421 X900 栗林公園 北湖 Z50 Z18-140.jpg 17.北湖(ほっこ)
栗林公園内にはいくつか池があるが、南庭ではこの北湖は南湖に次ぐ大泉水である。特に白い玉敷きの汀線の美しさを青い水面にくっきり見せている。北湖は高松松平家の2代藩主頼常(よりつね)が飢饉で苦しむ領民のために、改修工事をさせたり、珍しい木石などを持ち寄らせて食料などの報奨を与えたりしたそうだ。ここから見る北湖の対岸(東側)には芙蓉峰という築山がある。その芙蓉峰から望む北湖は、紫雲山を背景として右に前嶼・左に後嶼、その求心点には、紅の橋である「梅林橋」がある。また、右には箱松・屏風松が重なるように見え、景観をさらに厚く演出しているという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO160 ) 露出補正 なし
018_230311429 X900 栗林公園 日暮亭 Z50 Z18-140.jpg 18.日暮亭
南庭を南に進むと、右側の西湖の近くに日暮れ亭が見えた。江戸時代初期の入母屋茅葺き屋根の大名茶室「旧日暮亭」が栗林公園内の南東の端にあったのをここに移築されている。江戸時代初期、高松藩2代藩主・松平頼常の時代に、吹上げの水流沿いに建てられたという「考槃亭」がルーツという歴史ある茶室だそうだ。昭和20年に現在地に蘇った。茶室内部には3畳の畳と3畳の広さの土間があるという珍しい造りで、大きな開口部である貴人口が西面にあり、大名などの身分の高い人が頭を下げずに出入りできる構造になっているという。この「日暮亭「も「二蝶」が営むそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 32mm ISO560 ) 露出補正 なし
019_230311435m X900 栗林公園 掬月亭 Z50 Z18-140.jpg 19.掬月亭(きくげつてい) -1
更に南に進むと「掬月亭」が見えてきた。西日がまぶしい。まず、wikipediaによれば、「掬月亭」は江戸時代の初期に建てられた数寄屋造りの純和風建築で、茶室を備える。もとは7棟の配置が北斗七星に似ていることから、「星斗館(せいとかん)」と命名され、歴代藩主には「大茶屋」と呼ばれていた。明治初年に北側の2棟が取り払われ、5棟になる。東南の南湖に突き出る棟が、「水を掬(すく)えば月が手にある」という中国唐代の詩の一節から名付けられた「掬月楼」にあやかり、建物が「掬月亭」に改名された。1965年(昭和40年)、伊藤要太郎の設計で保存修理を完了する。「掬月亭」は四方正面の造りで、床を低くし、壁は少なく、風通しの良い夏向きの建物である。舟をモチーフにした部屋は、へさきの雰囲気を醸し出す。亭内には第68・69代内閣総理大臣の大平正芳の自筆題字を付した「栗林園二十詠」の屏風が展示されている。南庭の中心的な存在の亭内からの眺めは絶景で、開放感にあふれるとされている。と記されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f11.0 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
020_230311441 X900 栗林公園 掬月亭 Z50 Z18-140.jpg 20.掬月亭 -2
「掬月亭」を北側から眺める。立てられた案内板には、「江戸時代初期の頃(1640年頃)に建てられた回遊式大名庭園の中心的建物であり、歴代藩主が大茶屋と呼び最も愛用した建物である。1745年に、5代藩主松平頼恭公が、中国の詩人干良史(うりょうし)の詩の一句「水を掬すれば月手にあり」からとって「掬月亭」と命名したものである。」と記されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
021_230311442 X900 栗林公園 掬月亭 Z50 Z18-140.jpg 21.南湖を巡る和船
「掬月亭」の東側は南湖が広がる。南湖は栗林公園で最も大きな泉水である。広さ約7,890㎡の南湖に舟を浮かべて巡る南湖周遊和船が人気がある。今回も「二蝶」に頼んでみたが、すでに予約がいっぱいだった。湖面に映った半月を思わせる「偃月橋(えんげつきょう)」を水面から眺めるのは、また格別の美しさという。「掬月亭」と南湖のことは次回に続ける。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.0 1/500秒 115mm ISO200 ) 露出補正 なし

2022年5月 1日

小石川後楽園 4月11日

ここのところ良い天気が続いている。この日も悪くない。気温も上がりそうだ。
 東京大学大学院理学系研究科附属植物園である小石川植物園へツマキチョウの写真を撮りに行こうと、横浜から京浜急行、都営浅草線、都営三田線と乗り継いで白山で下車、10分ほど歩いて、門までたどり着く。ところが門は閉まっている。月曜日は休園日だったのだ。事前にチェックしておらず、失敗だ。それなら、目黒の都立自然教育園へ行こうと思い、念のためスマホで調べてみたところ、そこも月曜日は休園日である。
 しかたなくいったん白山駅まで戻り、どうしようかと考えた結果、この近くにある都立文化財庭園である、特別史跡・特別名勝の小石川後楽園へ行って見ることにした。都営三田線を一駅乗って春日で下りた。駅から白山通りに上がって、左を見たところ、蒟蒻閻魔(常光山源覚寺)が目に入った。お参りしていく。
 源覚寺の前の通りを南へ、東京ドームに向かって歩く。三叉路になっている後楽園駅前交差点を右(西)へ歩いて行くと、小石川後楽園の築地塀が見えてきた。塀に沿って、左に曲がると小石川後楽園の入り口があった。丁度12時になっていた。
 小石川植物園から小石川後楽園に変更したが、間違えてくる人もいるらしい。それこそ、月曜日だったためか園内は人は少なく静かだった。
 約1時間半歩いて、ひと汗かいた。ここはチョウの撮影は不向きである。キアゲハなども飛んでいたが、撮影できる状況ではない。庭園散策の一日になった。

000_220411098 X700 〇小石川後楽園 内庭 アオサギ Z50 18-140.jpg
小石川後楽園 内庭(うちにわ) 2022年4月11日 東京都文京区

001_220411010 X800 蒟蒻閻魔 常光山源覚寺 Z50 18-140.jpg 1.常光山源覚寺
都営三田線春日駅のすぐそばにあった常光山源覚寺。このお寺は再来年に開山400年になるそうだ。寛永元年(1624年) に定誉随波上人(後に増上寺第18世)によって創建された。本尊は阿弥陀三尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)。特に徳川秀忠、徳川家光から信仰を得ていたという。参拝者も多く見受けられた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 25mm ISO180 ) 露出補正 なし
002_220411002 X800 蒟蒻閻魔 常光山源覚寺 Z50 18-140.jpg 2.常光山源覚寺の焔魔堂
江戸時代には四たび大火に見舞われ、特に天保15年(1848年)の大火では本堂などがほとんど焼失したといわれている。しかし、蒟蒻閻魔像や本尊は難を逃れたそうだ。その後も、関東大震災や第二次世界大戦からの災害からも免れている。焔魔堂の手前左手にある現在の本堂は1979年に再建されたものである。閻魔堂に安置されている「えんま王木造坐像」(文京区指定有形文化財)は、文京区の調査によると運慶派の流れをくむ鎌倉時代の作と考えられ、銘文には寛文(1672年)に仏師により修復されたことが記されているそうだ(像高約1m・ヒノキ材の寄木造り)。かがみこむようにして閻魔像を拝むように手を合わせた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO720 ) 露出補正 なし
003_220411011 X800 小石川後楽園 Z50 18-140.jpg 3.小石川後楽園 北側の門
小石川後楽園の塀に沿って歩いて行くと、落ち着きのある門が見えた。後で園内図を見たが、この門の名前はなく、場所的には団体休憩所の辺りと思う。普段は使用されていないようである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 23mm ISO320 ) 露出補正 なし
004_220411019 X800 小石川後楽園 西側築地塀の石垣 Z50 18-140.jpg 4.小石川後楽園の西側築地塀
角を曲がって、後楽園の西門入り口に向かって歩く。左側に石垣が積まれた築地塀が続く。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 23mm ISO320 ) 露出補正 なし
005_220411153 X800 小石川後楽園 石積 Z50 18-140.jpg 5.築地塀の覆いの瓦
築地塀の上部は瓦で覆われているが、そこにある家紋は徳川家の家紋である見慣れた三つ葉葵ではない。水戸徳川家であれば、当然、家紋は三つ葉葵だが、瓦の紋はそれとは異なる。これは六葉葵と呼ばれるもので、徳川家の裏家紋であるのだそうだ。なぜ裏家紋を使用したのか。一説に、2代光圀の時代といえば将軍は4代家綱、5代綱吉であり、政治の実権は幕府老中が握っていた。その老中たちが御三家の影響力を牽制するため、「御三家といえども、将軍家と同じ紋所を多用するは恐れ多い」と遠慮させたというが。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 41mm ISO1100 ) 露出補正 なし
006_220411017 X800 小石川後楽園 西側築地塀の石垣 Z50 18-140.jpg 6.築地塀の石垣
築地塀を支えている石垣を見ると、石に山という字を〇で囲った刻印があるのを見つけた。入り口である西門の前に来るとその説明板があった。それによると、小石川後楽園西側築地塀の石垣の一部は江戸城鍛冶橋北側外堀跡から出土した石垣の石材を使い、この後楽園が造られた江戸時代初期の「打ち込み接ぎ」と呼ばれる石積みの技法にて再現されている。石材には備中(岡山県)成羽藩主の(山) をはじめ、石垣を築いた大名を表す「刻印」や石割の際の「矢穴」が残っていると説明されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 41mm ISO1100 ) 露出補正 なし
007_220411022 X800 小石川後楽園 西門 Z50 18-140.jpg 7.小石川後楽園西門 入り口
1629年(寛永6年)、水戸徳川家水戸藩初代藩主・徳川頼房が作庭家・徳大寺左兵衛に命じて築いた庭園を、嫡子(2代藩主)の光圀が改修、明の遺臣朱舜水(朱之瑜)の選名によって「後楽園」と命名して完成させた。名前の由来は中国の笵仲淹「岳陽楼記」の「(仁人は)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から名づけられた。1869年(明治2年)の版籍奉還により水戸藩邸は新政府によって接収され、敷地の東側に軍需工場である東京砲兵工廠が建設された。西側の庭園部分は保存されることになり、戦後、1952年(昭和27年)に文化財保護法に基づく国の特別史跡および特別名勝に指定された。(wikipediaを参照)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220411031 X800 小石川後楽園 西門 Z50 18-140.jpg 8.小石川後楽園西門 入園受付
右手の受付で、入園料をお支払いする。65歳以上は150円だった。正午になっていた。左手に簡単な食事のできる店があった。空いてはいたが、入らなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO140 ) 露出補正 なし
009_220411133 X800 小石川後楽園 一つ松 Z50 18-140.jpg 9.一つ松
西門出入口を入って進むと、正面に大泉水という大きな池が広がっていた。そのほとりに立派な松が植わっている。この松は一つ松と呼ばれ、琵琶湖を模した大泉水に対し、近江大津の「唐崎の一つ松」を模したと伝わる。何度か植え替えられているが、二代藩主の光圀が大切にした松と言われるとの説明板があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
010_220411036 X800 小石川後楽園 Z50 18-140.jpg 10.大泉水の徳大寺岩
大泉水は後楽園の中心ともいうべき池で、蓬莱島と竹生島を配し、琵琶湖を見立てて造られたとのこと。蓬莱島の右側(南)、池のほぼ中央に大徳寺岩があり、その岩にアオサギがいた。カワウらしき黒い鳥もいる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO400 ) 露出補正 なし
011_220411038 X800 小石川後楽園 Z50 18-140.jpg 11.大泉水のサクラ
一つ松の南側、大泉水のほとりに枝垂れ桜が咲いていた。南側は外堀通りだが、大きなビルディングが建ち並ぶ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 104mm ISO200 ) 露出補正 なし
012_220411045 X800 小石川後楽園 シャクナゲ Z50 18-140.jpg 12.白いシャクナゲ
北側の白糸の滝、愛宕坂の方へ歩いて行くと白いシャクナゲが咲いていた。白糸の滝は六代治保の時に造られたそうだ。その様子が千条の白糸が垂れているように見えることから、この名がつけられたと説明されている。さらに北に歩くと、京都愛宕山の坂にならって造られた四十七段の石段があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 40mm ISO160 ) 露出補正 なし
013_220411048 X800 小石川後楽園 円月橋 Z50 18-140.jpg 13.円月橋
少し西側を流れる水に円月橋という石橋が見えた。水面に映る形が満月のように見えることから、円月橋という名称が付けられた。明の儒学者 朱舜水による設計と言われており、後で見た得仁堂とともに当時の姿をとどめる貴重な建造物であるとのこと。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO280 ) 露出補正 なし
014_220411059 X800 〇小石川後楽園 九八屋 カイドウ Z50 18-140.jpg 14.九八屋とハナカイドウ(花海棠)
この季節には見るべきものがない花菖蒲田や稲田を眺めながら、東の方へ歩く。九八屋という江戸時代の酒亭を復元した建物があった。もともとの建物は、江戸時代のもののようだったが、戦災により焼失し、昭和34年に復元され、現在に至っているそうだ。九八屋の解説文には、江戸時代の風流な酒亭の様子を備えていた。この名の由来は、「酒を飲むには、昼は九分、夜は八分にすべし。」と酒飲みならず、万事控えるを良しとする。との教訓による。と書かれていた。昼は九分、夜は八分の教訓から、九八屋とされているそうである。九八屋の脇に、ハナカイドウの花が咲いていた。ハナカイドウはカイドウとも呼ばれる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 24mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_220411101 X800 小石川後楽園 内庭 アオサギ Z50 18-140.jpg 15.内庭(うちにわ)
後楽園の東の端に、水戸藩の書院があったところに内庭がある。内庭は、回遊式の本格的な庭園に対して、あくまで御殿の部屋から眺めるための庭園であり、現代ではほぼ消滅している様式である。北側に見える東京ドームの横でひっそり佇む庭園は、実は江戸を今に残す奇跡の庭と言われる。アオサギが見えるが、先ほど大泉水からこちらに飛んできていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 34mm ISO125 ) 露出補正 なし
016_220411095 X800 小石川後楽園 内庭 唐門 Z50 18-140.jpg 16.唐門
唐門は、屋敷の書院から内庭を通り、後楽園に入る正式な入口であり、両脇には袖塀と脇塀が設けられていた。昭和20年(1945年)の空襲により焼失し、唐門基壇と石段、石積みが残されていたが、東京都では2019年3月から復元を進め、2020年12月19日、古写真や絵図をもとに井波彫刻協同組合(南砺市)が復元した欄間や妻壁6枚を組み込んだ唐門が完成している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO180 ) 露出補正 なし
017_220411126 X800 小石川後楽園 得仁堂 Z50 18-140.jpg 17.得仁堂
大泉水の南側を廻って、得仁堂という建物のあるところへ出た。この建物は、光圀18歳の時、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、伯夷、叔斉の木像を安置した堂だそうだ。得仁堂の名前は孔子が伯夷・叔斉を評して「求仁得仁」と語ったことによるという。関東大震災や戦災にも残った唯一の建物で、現在、伯夷・叔斉の木像は東京都が保管している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/400秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
018_220411140 X800 小石川後楽園 西湖の堤 Z50 18-140.jpg 18.西湖の堤
得仁堂から西門出入口に向かって歩くと、小さな池があり、中国の杭州の西湖にかかる堰堤を模した石造りの直線的な堤があった。後楽園以降に造られた大名庭園の「西湖の堤」の先駆けとなったと説明されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 30mm ISO400 ) 露出補正 なし
019_220411135 X800 小石川後楽園 通天橋 Z50 18-140.jpg 19.大堰川(おおいがわ)と通天橋
「大堰川の名は京都嵐山を想起して名付けられた。三代将軍家光の好みで造られたとされる。かっては神田上水の水を引き入れていた。両岸には蛇篭を伏せ、深山激流の趣を作っている。」と説明板にあった。その奥に朱色に塗られた通天橋が見えた。11月下旬の紅葉は朱塗りの橋を引き立てるという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 41mm ISO200 ) 露出補正 なし
020_220411144 X800 小石川後楽園 Z50 18-140.jpg 20.小蘆山
午後1時半になった。そろそろ引き上げよう。写真のような穏やかな丘があった。説明板には「中国の景勝地廬山に因み、京都東山の清水寺一帯は小廬山と呼ばれている。当園ではこの一帯を京都東山に見立てていることから小廬山と名付けられている。」と記されていた。何か気持ちが落ち着く眺めだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
021_220411156 X800 小石川後楽園 Z50 18-140.jpg 21.東京ドームシティ サンダー・ドルフィン
地下鉄の後楽園駅の方に向かって歩いて行くと、ジェットコースターが見えた。来ないかなと思って見ていると、てっぺんから下りて来るのが見えた。連写で撮る。ホームページでは「最大傾斜角度80度、130km/hで観覧車の中心をくぐり抜けるスリル」と訴えている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/800秒 120mm ISO100 ) 露出補正 なし


2017年12月12日

紅葉の浜離宮 11月25日

11月25日、母校の昭和39年卒体育会各部の忘年会があった。数人の世話人が幹事を引き受けて、会場の設定、案内、出欠のとりまとめなど、面倒を見てくれているが、頭が下がる。今年は60名が出席した。
 会は12時から始まり、2時半ごろにお開きになった。その時間では二次会もできない。 一人になったので、久しぶりに浜離宮恩賜庭園へ行ってみようと思う。新橋から地下街を抜けて汐留の先で地上に上がった。そこは浜離宮の「中の御門」にほど近い。時刻は3時半近くになっていた。「中の御門」から入って、築地川、東京湾、汐留川に囲まれた浜離宮を左回りにほぼ一周した。思ったより広い。(参照:東京都公園協会パンフレット
 周囲にはビルが林立している。ここは都会の中のオアシスだ。外国人観光客も多かった。紅葉が見られる日本庭園を歩いたが、この季節は日が暮れてくるのも早い。1時間ほど撮影を楽しんだ後、退出して帰路に着いた。

1.海岸通りのイチョウ並木
新橋駅から地下街を汐留シオサイトを通り抜け、地上に上がる。首都高速都心環状線の下、海岸通りの並木道を浜離宮の「中の御門」へと歩く。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 22mm ISO800 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
2.「中の御門」
3時15分、浜離宮恩賜公園には中の御門から入った。浜離宮恩賜公園は海水を引き入れた「潮入の池」と、2っの鴨場を伝え、江戸時代には江戸城の「出城」としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園である。HPによれば、この地は、寛永年間(1624~1644年)までは、将軍家の鷹狩場で、一面の芦原だった。ここに初めて屋敷を建てたのは、四代将軍家綱の弟で甲府宰相 の松平綱重。承応3年(1654年)、綱重は将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得た。その後、綱重の子供の綱豊(家宣) が六代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と改められたという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 27mm ISO640 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
3.延遼館跡
「中の御門」を入って、北の方へ歩いていく。ここは明治2年に浜離宮内の迎賓館として整備され多くの国賓を迎えた延遼館があった跡と思う。真っ赤な紅葉が迎えてくれた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO400 )露出補正 +0.7段
クリックすると大きくなります。
4.林立するビル
汐留方面を眺めると、都会のビルが林立する。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.2 1/1000秒 9mm ISO200 )露出補正 +0.7段
クリックすると大きくなります。
5.都会のオアシス
浜離宮は都会のオアシス。汐留の再開発で周囲には大きなビルが建った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 9mm ISO250 )露出補正 +0.7段
クリックすると大きくなります。
6.「大手門橋」
左の大きなケヤキの木の右側に「大手門橋」が見える。背後のビルは電通のビルだろうか?

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2 1/1000秒 10mm ISO125 )露出補正 +0.3段
クリックすると大きくなります。
7.「中の御門」を振り返る
紅葉はこの辺りが一番きれいだった。右側は延遼館跡だ。土曜日の午後、訪れる人は多い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 20mm ISO500 )露出補正+1.0段
クリックすると大きくなります。
8.住友ビルと日本通運ビル
紅葉している大きなケヤキの木の向こうに建つのは、住友ビルと、その左は日本通運ビルのようだ、

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 20mm ISO500 )露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
9.「三百年の松」
案内板には、宝永6年(1709)に6代将軍 徳川家宣が改修した時に植えられたと伝えられていると書かれていた。今年で既に308年経過している都内で最大級の黒松なのだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2 1/1000秒 10mm ISO800 )露出補正 +0.3段
クリックすると大きくなります。
10.この木は?
きれいに色づいている木があった。モミジの木かと思ったら葉が違う。ハゼノキのようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 30mm ISO1250 )露出補正+0.3段
クリックすると大きくなります。
11.旧稲生神社
築地川に沿って水上バスの発着所の方へ歩いていくと、鳥居とお社があった。旧稲生(いなぶ)神社と呼ばれ、浜離宮庭園内に天明(1781年~1789年)、稲荷神社として建立されたそうだ。その後、明治時代に同じ浜離宮庭園内の現在の場所に移転してきたという。関東大震災で本殿は破損し、昭和6年に大修理が行われた。残念ながら現在は"ご神体"が無く、神社としての機能はない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2 1/1000秒 10mm ISO500 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
12.野外卓広場
旧稲生神社から南西へ歩いていく。ボタン園とお花畑があるが、この時期は何も咲いていない。その先に野外卓広場がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 37mm ISO800 )露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
13.「内堀」
浜離宮は、現在では庭園というイメージが強いが、江戸時代には、庭園以外に、様々な機能を持っていたという。浜離宮にある内堀は、築地川とつながっていて、諸国から籾蔵に米を運ぶ運河として使用され、また、江戸城での必要物資を運び入れる港湾施設としても使われていたそうだ。内堀には荷揚げ場が見られる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.2 1/1000秒 14mm ISO1000 )露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
14.「燕の御茶屋」
ますぐ進むと池がある。東京湾側からつながる「潮入の池」だ。茶屋の手前にカエデがアーチを作っていて、外国人のカップルが写真を撮っていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.5 1/1000秒 19mm ISO2000 )露出補正なし
クリックすると大きくなります。
15.「松の御茶屋」
浜離宮中央の「潮入の池」の脇に松の御茶屋がある。「松の御茶屋」は、建てられた年ははっきりしていないようだが、11代将軍徳川家斉により建てられたそうだ。昭和19年11月29日の空襲により焼失してしまい、その後しばらく再建されなかったが平成22年に1億4千万円かけて復元されたのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO640 )露出補正 +0.7段
クリックすると大きくなります。
16.御亭山
「松の御茶屋」を東に行くと御亭山がった。御亭山は「潮入りの池」の東側にあり、頂上と周囲の平地部の標高差は、約3m程度の小高い丘だ。登った上からは庭園内の周囲が見渡されるというが、そうとは気付かず登らなかった。ハゼノキが紅葉していた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.2 1/1000秒 13mm ISO800 )露出補正+0.7段
クリックすると大きくなります。
17.庚申堂鴨場 「小覗」
庚申堂鴨場は庭園内にある鴨狩りのための池である。鴨狩の方法としては、江戸時代は、鷹を使って鴨を捕獲する鷹狩りと、その後の二股の網を使って鴨を捕獲する又手狩りの2種類の方法があった。いずれも、鴨等の水鳥を近くまでおびき寄せるため、気付かれないように隠れていることが必要になる。水鳥が休む「元溜り」と言われる池を見渡せる「大覗」と呼ばれる監視所と「小覗」と言われる土手の陰、樹木の陰の他、小屋の陰に潜んで鴨等の近づくのを見張るための覗穴がある。庚申堂鴨場の名称は北東側に庚申堂があったことに由来するそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1600 )露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
18.庚申堂鴨場 「小覗」後ろ側
これは 「小覗」の裏側で「元溜り」から引き込み水路「引堀」につながっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/400秒 26mm ISO3200 )露出補正なし
クリックすると大きくなります。
19.庚申堂鴨場 「引堀」
「元溜り」という大きな池から幾筋かの引き込み水路「引堀」がある。池には獲物の水鳥たちを「引堀」へ導き入れてくれるよう訓練された囮の家鴨が放たれている。周囲は高さ3mほどの土手で囲み、笹や竹、常緑樹などを隙間なく植えて人の気配を感じさせないようにし、飛来した水鳥が安心して休息できる環境を作る。「元溜り」を見渡せる監視所「大覗」から水鳥の集まり具合や、風向きを確認し、猟を行う「引堀」を決める。「引堀」の奥の 「小覗」に隠れた見張りが板木を叩きながらヒエやアワの餌をまき、囮で引き寄せられた水鳥を「引堀」の小土手から網や鷹を使って獲る猟を行っていた。庚申堂鴨場 は安政7年(1778年)に築造され、その後幾度かの改修が行われて現在の形になっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/640秒 26mm ISO3200 )露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
20.横堀水門
東京湾に面し、「潮入の池」に海水を引き入れている水門である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 )露出補正 +0.3段
クリックすると大きくなります。
21.海手お伝い橋
「潮入の池」を東京湾沿いに歩くを。サトザクラの仲間であるウコンザクラの葉が紅葉し、その向こうにお伝い橋が見える。お伝い橋は延長118mある総檜造りの橋で平成24年(2012年)に改修された。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 )露出補正 +0.7段
クリックすると大きくなります。
22.サクラの紅葉の下で
この辺りはちょっと人が少ないところだった。若い2人の女性が紅葉したサクラの木の下に憩う。午後4時を過ぎて大分暗くなってきた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.2 1/640秒 13mm ISO3200 )露出補正+0.3段
クリックすると大きくなります。
23.中の橋から
「潮入の池」は中の橋で東京湾側の横堀と庭園内側の大泉水とに区切られている。向こうに見えるのは「中島の御茶屋」。池にはホシハジロが浮かんでいる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/60秒 32mm ISO640 )露出補正 +0.3段
クリックすると大きくなります。
24.「中島の御茶屋」とモミジ
浜離宮の庭園にはあまりカエデの木は多くない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/320秒 37mm ISO3200 )露出補正+0.3段
クリックすると大きくなります。
25.「中島の御茶屋」と「松の御茶屋」
「中島の御茶屋」は宝永4年(1707年)に造られて以来、将軍をはじめ奥方、公家たちがここで庭園の見飽きぬ眺望を堪能した休憩所という。現在の建物は昭和58年(1983年)に再建したもの。若い女性たちが緋毛氈が敷かれた床几に座って和菓子を楽しんでいるようだ。向こうに見えるのは「松の御茶屋」。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/500秒 25mm ISO3200 )露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
26.池に映る大都会
「燕の御茶屋」を眺める池には大都会のビルが映り込む。平成27年に復元された「燕の御茶屋」の建築年代は、11代将軍家斉の時代の建築と考えられており、「燕」の名称の由来は燕形の釘隠金具が使われていたことから来ていると言われている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/500秒 22mm ISO3200 )露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
27.「中の御門」
大分暗くなってきてしまった。ほぼ庭園を一周したので、そろそろ引き上げることにする。入園した「中の御門」から外に出た。「中の御門」は、浜離宮恩賜庭園が造られた江戸時代からあった門だそうだ。明治初期には浜離宮の正門として皇族や諸外国の外交官を出迎えたという。しかし、関東大震災で壊れ、その後は撤去されたままとなっていたが平成17年に整備され現在の姿になったという。時間が早ければ、大手門から出て、銀座に出ても良かった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。


2013年10月19日

小石川植物園から、小石川後楽園へ 10月3日 


 小石川植物園の職員の方に大体の道筋を聴いて、小石川後楽園に向けて歩き始めた。 白山通りの一本西側の大きな道路を、後楽園に向けて歩く。後から分かったが、この道を西側に入ったところに伝通院があった。寄っていけばよかったなと後悔している。
  後楽園のドーム球場の屋根が見えてきた頃、行く手右側に「こんにゃくえんま」というところがあった。
 春日通との交差点を右に曲がると緑が濃いところがある。ここが後楽園かと思って行ってみると、そこは礫川公園というところだった。春日局の像がある。いったん戻って高架になっている地下鉄丸ノ内線の下をくぐって、今度こそ、小石川後楽園の塀を見ながら進み、塀に沿って南に進んで入口に着いた。
  ここは小石川植物園とは全く趣の異なる公園で、六義園にも似た感じがした。
 昼飯を食べるのも忘れて、2時少し前まで写真を撮って歩き、帰りは、春日駅から都営三田線に乗って横浜へ戻った。小石川植物園から小石川後楽園へと歩き回るには、少々暑いほどの陽気だったが、好天に恵まれ、楽しい一日だった。

<./tr>
1.「こんにゃくえんま」
小石川植物園から20分ほど歩いた、後楽園駅の手前に「こんにゃくえんま」という石柱があり、のぞいてみると、奥の方にお堂が見える。ちょっと入ってみることにした。源覚寺というお寺だった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/500秒 4.4mm〈Equiv.135≑24mm〉 ISO100 ) 露出補正 -0.3段
「こんにゃくえんま」;クリックすると大きな写真になります。、
2.源覚寺閻魔堂
閻魔堂には、区指定有形文化財である閻魔王坐像が安置されていた。好物の「こんにゃく」を断って、閻魔大王に供え続けた老婆の目が治ったとの言い伝えから「こんにゃく閻魔」と呼ばれるようになったとのこと。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 6.4mm〈Equiv.135≑35mm〉 ISO320 ) 露出補正 +0.3段
源覚寺閻魔堂;クリックすると大きな写真になります。
3.春日局像
春日通を右に曲がったところに礫川公園というところがあり、その前に春日局像があった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 5.9mm〈Equiv.135≑32mm〉 ISO125 ) 露出補正 なし
春日局像;クリックすると大きな写真になります。
4.小石川後楽園西門
やっと小石川後楽園に着いた。水道橋川にある東門が表門のようだが、普段は閉鎖されていて、この西門が出入り口になっている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/800秒 4.4mm〈Equiv.135≑24mm〉 ISO100 ) 露出補正 なし
小石川後楽園西門;クリックすると大きな写真になります。
5.小石川後楽園受付(サービスセンター)
西門を入って右側の事務所で、入園料を払う。一般300円だが65歳以上は150円だった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/800秒 4.4mm〈Equiv.135≑24mm〉 ISO100 ) 露出補正 なし
小石川後楽園受付(サービスセンター);クリックすると大きな写真になります。
6.東京ドームと東京ドームホテル
中に入ると、正面に東京ドームの大きな銀色の屋根が輝き、その右側に東京ドームホテルが見えた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.0 1/750秒 7.0mm〈Equiv.135≑38mm〉 ISO100 ) 露出補正 なし
東京ドームと東京ドームホテル;クリックすると大きな写真になります。
7.回遊式庭園 小石川後楽園
さて、小石川後楽園は、旧水戸徳川家の江戸上屋敷の後園で、林泉美に富む回遊式築山、山水庭園である。江戸時代初め、徳川御三家の一つであった水戸藩初代藩主・徳川頼房(家康11男)は寛永6年(1629年)三代将軍家光から与えられたこの邸地に回遊式庭園を築造したのが始まりであるとされる。この池は大泉水といい、小石川後楽園のほぼ中央にある。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/160秒 185mm〈Equiv.135≑1000mm〉 ISO160 ) 露出補正 なし
回遊式庭園 小石川後楽園;クリックすると大きな写真になります。
8.円月橋
素晴らしく形の良い橋が架かっていた。水戸の黄門様・光圀が厚くもてなした明の儒学者朱舜水が設計したといわれる石橋で、水面に映る様子と合わせると満月のように見えるので、この名がつけられたという。英語の案内板もあった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 5.0mm〈Equiv.135≑37mm〉 ISO200 ) 露出補正 なし
円月橋;クリックすると大きな写真になります。
9.神田上水路
神田川から流れる、神田上水)が1590年に関口で分水され、小日向台、小石川台 のすそをまいて元水戸藩邸、現在の小石川後楽園にも分水された。曼珠沙華も咲くが、すでに枯れ始めている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.0 1/160秒 37.0mm〈Equiv.135≑200mm〉 ISO160 ) 露出補正 なし
神田上水路;クリックすると大きな写真になります。
10.八卦堂跡
2代水戸藩主の光圀が7歳のときに3代将軍家光に謁見したおり、「文昌星」像を頂戴した。「文昌星」は学問の神様で、光圀は八卦堂を造りその像を安置したと。その堂は大正12年の関東大震災で焼失したという。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/60秒 6.2mm〈Equiv.135≑34mm〉 ISO400 ) 露出補正 なし
八卦堂跡;クリックすると大きな写真になります。
11.藤田東湖護母致命之記念碑
安政2年(1855)の安政の大地震の際、水戸藩士の藤田東湖は母親を救出するため自らが犠牲となった。この記念碑は藩邸跡に建立されていたが、道路拡張の際にここ小石川後楽園へ移された。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.6 1/160秒 7.5mm〈Equiv.135≑40mm〉 ISO ) 露出補正 なし
藤田東湖護母致命之記念碑;クリックすると大きな写真になります。
12.曼珠沙華
曼珠沙華がきれいに咲いているところがあった。10m以上離れているが、ちらちらと蝶が飛ぶのが見える。望遠端で狙ってみた。肉眼で見ていた時はキアゲハか、アゲハか判別できなかったが、モニターで拡大してみるとアゲハだった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/250秒 185mm〈Equiv.135≑1000mm〉 ISO100 ) 露出補正 -0.7段
曼珠沙華;クリックすると大きな写真になります。
13.アオスジアゲハ
庭園の東側を歩く。アオスジアゲハが水に濡れた地面で吸水していた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/296秒 20.1mm〈Equiv.135≑110mm〉 ISO100 ) 露出補正 -0.7段
アオスジアゲハ;クリックすると大きな写真になります。
14.内庭
閉鎖中の正門の近くに内庭がある。一括りに後楽園と称されるが、その庭園は水戸藩邸の書院の庭である内庭と、それ以外の後園(後楽園)に分かれるそうだ。内庭は江戸に残る純粋な大名屋敷の庭園として非常に貴重な例と言われる。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/676秒 5.5mm〈Equiv.135≑30mm〉 ISO100 ) 露出補正 -0.3段
内庭;クリックすると大きな写真になります。
15.築地塀
午後1時45分、小石川後楽園を出た。都営地下鉄三田線の春日駅へ向かう。来るときにも歩いて来た道には、小石川後楽園の築地塀が続く。一部の基礎の石垣には江戸城鍛冶橋門北側外堀跡から出土した石垣の石材を使い、本園の作られた江戸時代初期の「打ち込みハギ」と呼ばれる石積の技法で再現されているという。石材には備中(岡山県)成羽藩主山 崎家の「山」という「刻印」が見られる。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/160秒 7.3mm〈Equiv.135≑40mm〉 ISO160 ) 露出補正 -0.3段
築地塀;クリックすると大きな写真になります。
16.鬼瓦
築地塀にはところどころに、葵の御紋のついた鬼瓦があり、葵の葉の変形文様の巴瓦がある。何気なく通り過ぎてしまうこの築地塀にも歴史があった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR F2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/288秒 28.0mm〈Equiv.135≑150mm〉 ISO100 ) 露出補正 -0.3段
鬼瓦;クリックすると大きな写真になります。