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2021年12月22日

古都鎌倉紅葉巡り ② 東慶寺 海蔵寺 鶴岡八幡宮 12月2日

円覚寺の参拝と撮影を終えて、次に鎌倉街道を東慶寺へ向かう。江戸時代に群馬県の満徳寺と共に幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていたことから東慶寺は駆け込み寺と呼ばれている。  夫との離縁を達成するために妻が駆け込んだ寺のことである。 寺は夫に内済離縁(示談)を薦め、調停がうまく行かない場合は妻は寺入りとなり足掛け3年(実質満2年)経つと寺法にて離婚が成立する。東慶寺は江戸幕府公認の縁切寺であった。
 東慶寺を参拝し、この日の次の目的地は海蔵寺である。鎌倉街道を鎌倉鶴岡八幡宮の方へ歩く。ここから、どこかで右に入らなければいけないのだが、今一つ自信がなく、曲がるべきところをまっすぐ行ってしまった。鶴岡八幡宮に沿って歩いて、ようやく小町通りに入る手前で寿福寺、英勝寺、海蔵寺と右へ行く表示があった。そこからもまだしばらく歩く。
 海蔵寺はそれほど参拝者は多くなかった。鐘ともみじの構図で写真を撮る。
 最後に鶴岡八幡宮へ行く。2010年の3月10日未明に雪混じりの強風で倒れた樹齢千年と言われる大銀杏だったが、その根から生えてきたひこばえから若木が選ばれて後継ぎとして育てられている。10年たった今の姿を見てみたかったからだ。立派に育っていた。
 この日は、ここまでで18,000歩ほど歩いた。午後1時、腹も減った。前回来たときに入った蕎麦屋へ行って見たが、お休みだったので、新しい店に入った。悪くない。冷たいビールが美味かった。

000_211202251 X700 〇海蔵寺 海棠 D750 TAMRON35-150.jpg
海蔵寺の鐘堂ともみじ 2021年12月2日

29.東慶寺 小さな山門
円覚寺を出て、横須賀線の線路を渡り、鎌倉街道を左へ進む。ほんの数分歩くと右側に東慶寺の山門へ上がる石段が見えた。東慶寺のホームページを見ると「小さな山門をくぐると、谷戸と呼ばれる鎌倉独特の地形に境内が広がります。墓苑まで続く石畳を中心に本堂、書院、茶室、宝物館が配置され、初春の梅、6月の花菖蒲やイワガラミなど四季を通じて、様々な草花が咲きます。」と記されていた。かつては鎌倉街道沿いに総門もかまえていたが、現在はおとな二人が通れるほどの小さな山門を残すのみとなったという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4 プログラムオートで撮影  ( f3.2 1/500秒 52mm ISO180 ) 露出補正 なし
029_211202209m X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
30.梅の古木と鐘楼
山門を行ってすぐ左手には鐘楼があり、その前に梅の古木が植えられている。大正5年に建立されたようでそう古いものではない。天井に龍が描かれているのだが、今回見損なってしまった。梵鐘は観応元年(1350年)の補陀落寺のもの(神奈川県指定文化財)だそうだ。元弘2年(1332年)に作られた元の梵鐘は現在韮山の本立寺にある。私は2016年1月に伊豆韮山の本立寺を訪ねている。その時、本立寺に鎌倉の東慶寺に在った梵鐘があるのを知った。何故なのだろうかと思い、調べた記憶があったので、たどってみると、鎌倉手帳(社寺散策)というサイトに「梵鐘が鋳造された1332年(元徳4年・元弘2年)の翌年、鎌倉幕府が滅亡すると、(鎌倉幕府9代執権北条貞時の側室であった)覚海円成は子女を連れて伊豆韮山に移り住み、北条氏邸跡に円成寺を建立して北条氏の菩提を弔ったという。おそらく、そのときに東慶寺の梵鐘も伊豆韮山に運ばれ、江戸中期に円成寺が焼失した後、韮山の有力者で徳川幕府の代官だった江川氏の菩提所(菩提寺である本立寺)へ移されたものと考えられる。」という記述を見付けた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 38mm ISO3200 ) 露出補正 なし
030_211202177 X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
31.本堂
wikipediaによれば、東慶寺は、臨済宗円覚寺派の寺院である。山号は松岡山、寺号は東慶総持禅寺。寺伝では開基は北条貞時、開山は覚山尼と伝える。開山以来明治に至るまで本山を持たない独立した尼寺で、室町時代後期には住持は御所様と呼ばれ、江戸時代には寺を松岡御所とも称した特殊な格式のある寺であった。現在は円覚寺の末寺で男僧の寺である。東慶寺ホームページによれば、本堂には本尊の釈迦如来坐像が祀られる。関東大震災後、佐藤禅忠師が紺紙金泥で観音菩薩を揮毫して寄進を募り、 昭和10年(1935)に建立したものだそうだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/125秒 35mm ISO3200 ) 露出補正 なし
031_211202181 X800 東慶寺 本堂 D750 TAMRON35-150.jpg
32.寒雲亭
裏千家ゆかりの宗旦の茶室だそうだ。小さな門の屋根の苔に惹かれた。ホームページには斉藤利助翁の尽力により、昭和35年(1960年)、堀越家から寄進、移築されたとある。 千宗旦筆「寒雲」の扁額がかかり、真行草の天井、櫛形の欄間のある名席。平成6年(1994年)に露地を含め大改修が行われた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO2000 ) 露出補正 なし
032_211202183 X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
33.墓苑への道
山門から墓苑へと続く石畳の道は、大仏様のような石仏のあるところで緩やかに右へ曲がり、再びまっすぐに進む。右手に東慶寺伝来の寺宝を展示する宝物館である松岡寳藏が見える。松岡寳藏は昭和53年、方丈跡に新築。釈宗演老師の遺言書よりおこした扁額がかかっていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4 プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO560 ) 露出補正 なし
033_211202185 東慶寺 X800 D750 TAMRON35-150.jpg
34.墓苑
石畳の道をさらにまっすぐ進むと墓石が並ぶ墓苑に入る。背の高い木々が多くなり、歴代住職、檀信徒の墓苑となる。前回訪れたときは、この辺りのイチョウ、カエデの紅葉がきれいで、今回もそれを期待して訪れたのだが、少しタイミングがずれていたようだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 105mm ISO100 ) 露出補正 なし 撮影後補正
034_211202195m2 X800 東慶寺 D750 TAMRON35-150.jpg
35.長寿寺
東慶寺を辞して、鎌倉街道をさらに進む。横須賀線の踏切を渡ると右手に長寿寺へ上がる石段があった。山号を宝亀山という臨済宗建長寺派の寺院で本尊は観音菩薩だそうだ。このお寺は春と、秋の週末に境内に入れるとあったが、この日は木曜日。でも、中に入っている参拝者もいた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 78mm ISO800 ) 露出補正 なし
035_211202216 X800 東慶寺→海蔵寺 長寿寺 D750 TAMRON35-150.jpg
36.建長寺
鎌倉街道を進む。街道の反対側に建長寺の天下門が見えてくる。wikipediaによれば、建長寺は臨済宗建長寺派の大本山。正式には巨福山建長興国禅寺という。鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建で、本尊は地蔵菩薩。開基(創立者)は鎌倉幕府第5代執権・北条時頼、開山(初代住職)は南宋の禅僧・蘭渓道隆で、第二世は同じく南宋の兀庵普寧である。鎌倉五山の第一位。境内は「建長寺境内」として国の史跡に指定されている。今日は参拝は割愛させていただく。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
036_211202221 X800 東慶寺→海蔵寺 建長寺 D750 TAMRON35-150.jpg
37.落石防護用のシェード
建長寺を過ぎると鎌倉街道はこの落石防護用のシェードをくぐる。トンネルではない。上が開いている。ここは現在の巨福呂坂新道であり、ここを抜けると八幡宮の裏に出る。旧道の巨福呂坂はこの新道よりさらに上の場所に位置しており、鎌倉の七切通しの一つで小袋坂とも書く。明治時代に新道が開かれたが、大正12年(1923年)の関東大震災で崩落したため、さらに掘り下げて現在の新道が通った。昭和31年(1956年)に再度拡幅、平成5年(1993年)には落石防護シェードが作られた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO1250 ) 露出補正 なし
037_211202223 X800 東慶寺→海蔵寺 落石防護施設 D750 TAMRON35-150.jpg
38.海蔵寺への道
さて、そろそろこの辺から右に入るのだろうと思って、歩いているが、なかなか行き先表示が現れず、ここかと思うが今一つ自信がなく、まっすぐ進んでしまった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 150mm ISO200 ) 露出補正 なし
038_211202228 X800 東慶寺→海蔵寺 D750 TAMRON35-150.jpg
39.鎌倉近代美術館
左に鎌倉近代美術館がある。門の中には行って見ると、右の方に池が見える。もうそこは鶴岡八幡宮の源平池の平家池だった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 46mm ISO100 ) 露出補正 なし
039_211202233 X800 東慶寺→海蔵寺 鎌倉近代美術館 D750 TAMRON35-150.jpg
40.寿福寺
もう目の前で鎌倉街道は左へ曲がり、まっすぐ行くと小町通というところまできた。そこでやっと、寿福寺、海蔵寺への行き先表示版があった。右へ曲がって、寿福寺へ行く。門前から参道を眺めるにとどめる。なかなか魅力的な石畳の道が中門まで続いている。寿福寺は建長寺、円覚寺に次ぐ鎌倉五山第三位の寺院であり、臨済宗建長寺派の寺院である。境内は「寿福寺境内」として1966年(昭和41年)3月22日、国の史跡に指定された。この日は参拝を失礼したが、次回は是非境内には行って見たい。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 38mm ISO560 ) 露出補正 なし
040_211202239 X800 東慶寺→海蔵寺 寿福寺 D750 TAMRON35-150.jpg
41.海蔵寺本堂
海蔵寺に着いたのは12時少し前だった。円覚寺にお参りしてほぼ3時間歩いてしまった。海蔵寺も臨済宗建長寺派の寺院で、山号は扇谷山で、本尊は薬師如来だ。wikipediaによれば、建長5年(1253年)に宗尊親王の命により藤原仲能が創建し、鎌倉幕府滅亡時に焼失、応永元年(1394年)に上杉氏定の開基、心昭空外を開山として再興されたと伝えられる。本堂には十一面観音が安置されている。春はカイドウの花が有名である。また、非公開ではあるが本堂裏の庭園が美しいという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/320秒 35mm ISO3200 ) 露出補正 なし
041_211202249 X800 〇海蔵寺 本堂 D750 TAMRON35-150.jpg
42.海蔵寺鐘堂
本堂に向かって右側に鐘堂がある。なぜか赤い大きな唐傘があり、その向こうに仏殿(薬師堂)が見える。その間のもみじがポイントになる。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 なし
042_211202258 X800 〇海蔵寺 海棠 D750 TAMRON35-150.jpg
43.海蔵寺山門
海蔵寺には写真の男坂を上がる山門と、この右側に女坂を上る脇門がある。男坂、女坂と云ってもほんのわずかな坂だ。ご住職が落ち葉の掃除をされている男坂を小学生たちが上がって行った。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 72mm ISO100 ) 露出補正 なし
043_211202264 X800 海蔵寺 D750 TAMRON35-150.jpg
44.モズ
海蔵寺を出て、次は鶴岡八幡宮の大銀杏である。小町通りを横切るようにして、いったん檀蔓へ出る。行く道で、野鳥が目の前の小枝に止まった。葉が落ちているので見つけやすい。モズだった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 150mm ISO160 ) 露出補正 なし 撮影後補正
044_211202268tm X800 海蔵寺 モズ D750 TAMRON35-150.jpg
45.鶴岡八幡宮 太鼓橋から枚殿、本宮を望む
鎌倉街道の交差点を渡り、朱色の大きな三の鳥居をくぐると、源平池に渡された太鼓橋がある。太鼓橋は渡ることが出来ないが、カメラを上にあげて撮る。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4 プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 68mm ISO100 ) 露出補正 なし
045_211202273 X800 鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg
46.生まれ変わった大銀杏
本宮に上がる石段の左側にある大銀杏は、生まれ変わった大銀杏である。建保7年(1219年)1月27日、源頼家の子で八幡宮の別当を務めていた公暁が階段脇に生えていたこの銀杏の木に隠れて待ち伏せ、この大階段の13段目に降りてきた源実朝を殺害したという伝説があり、隠れ銀杏という別名がある。樹齢800年とも1000年余ともいわれていたその大銀杏が、2010年(平成22年)3月10日4時40分頃、強風のために大銀杏は根元から倒れてしまった。倒壊から約1か月たち、再生への努力が実を結び、若芽(蘖・ひこばえ)が確認された。11年目、元の大銀杏の根から生えてきたひこばえから、若木が選ばれて後継ぎとして育てられている。こんなに大きくなった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 60mm ISO100 ) 露出補正 なし
046_211202276 X800 鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg
47.倒れた大銀杏の根元
倒れた大銀杏は3つに切断され、2010年の3月15日、根元から高さ4mまでが、7m離れた場所に移植された。残る2つは境内に保存されたそうだ。倒壊から約1か月たち、再生への努力が実を結び、若芽(ひこばえ)が確認されたという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
047_211202277 X800 〇鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg
48.大銀杏の若木
写真46で見ていただいた後継ぎの大銀杏を本宮の大階段の途中から撮る。その向こうに倒れたかっての大銀杏の根元が見える。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
048_211202278 X800 〇鶴ケ丘八幡宮 D750 TAMRON35-150.jpg


2021年1月 3日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (8)比叡山 11/27

最終日、比叡山延暦寺へ向かう。初めてのところではないが、ほとんど覚えていない。
 wikipediaによれば、延暦寺は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院である。京都の鬼門に位置する。平安京(京都)の北にあったので奈良の興福寺に対し北嶺とも称されたそうだ。平安時代初期の僧・ 最澄 (767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。1994年には、古都京都の文化財の一部として、1200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受けユネスコ世界文化遺産に登録された。
  草津の宿を出発したバスは、双耳峰の比叡山を右手に見て進み、琵琶湖の南端に架かる全長1,290mの近江大橋を渡る。琵琶湖上の他の道路橋として、南側約3kmに瀬田川大橋(国道1号)があり、北側約19kmには初日に渡ってきた琵琶湖大橋(国道477号)がある。
 平成10年10月1日、2kmほど北の柳が崎から浜大津に移転した昭和9年開業の琵琶湖ホテルを右に見ながら進み、湖西街道(161号線)の大津京から比叡山ドライブウェイに入った。
 比叡山のバスセンター駐車場に着くと、ガイドさんの案内でまっすぐ根本中堂へ案内された、工事中の根本中堂でお坊さんの説話を聞き、退出後は文殊楼や大黒堂を見て歩いたが残念なことがひとつある。それは、すぐ近くにあった法華総持院東塔や阿弥陀堂などを見ず仕舞いだったことだ。事前学習の不足である。
 2019年12月3日に放送されたBS朝日の「ぶらり京都歴史深訪」・「比叡山 電車で訪れる聖地」という番組が、この正月2日に再放送されたのをたまたま見たが、このたび行って見て、自分のブログで整理し、この番組を見たことで理解が深まった。番組では「千日回峰行」「十二年籠山行」「四種三昧」といった比叡山の厳しい修行についても説明された。

201127706ab X600 比叡山 X10M4_0000.jpg
境内案内図および延暦寺パンフレットより
上:比叡山回遊案内図 下:東塔地域案内図

165.琵琶湖大津プリンスホテル(車窓から)
浜大津の近江大橋を渡る。対岸に比叡山を背景に琵琶湖大津プリンスホテルが見えた。丹下健三さんが設計したこのホテルは滋賀県で最も高いビルであり、ランドマークとなっている。 1989年(平成元年)4月22日に開業している。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
201126934_165 X800 3日目 草津→比叡山 近江大橋 G7X.jpg
166.琵琶湖ホテル(車窓から)
近江大橋を渡り京阪電車沿いに走る湖畔沿いの道を大津市の浜大津に入る。右手に大きなホテルが見えた。知らなかったが、昭和9年に建てられた、桃山風破風造を特徴とし、鉄筋コンクリートの近代的洋風建築でありながら社寺建築の様式を取り入れ、かって、滋賀県の迎賓館としての役割を果たした旧琵琶湖ホテルが平成10年にここに移転したのだそうだ。琵琶湖ホテルには、40年くらい前に高野山へ行った帰路、一度泊ったことがあるのだが、その名残は全くない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
201126937_166 X800 3日目 草津→比叡山 新しい琵琶湖ホテル G7X.jpg
167.京阪電車(車窓から)
京阪電車の踏切を渡って、比叡山ドライブウェイへ入っていく。この京阪電車石山坂本線は、瀬田の石山寺から比叡山口を結んでいる。この電車には昨年(2019年)2月に石山寺を参拝し、そこから日吉神社へ行くのに終点の比叡山口まで乗った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 24mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
201126939_167 X800 3日目 草津→比叡山 京阪 G7X.jpg
168.祖師御行績絵看板  「道元禅師(1200~1253)曹洞宗御開山」
比叡山のバスセンター駐車場に着いた。ここから根本中堂へと歩く。国宝殿を左に見ながら進むと右にカーブした緩やかな上り坂に差しかかる。その両側に写真のような絵が並んでいた。祖師御行績絵看板という。比叡山が、いかに日本の仏教に大きな影響を与えてきたかをPRすることが目的と思われる。806年に桓武天皇によって立教開宗が認められ、2006年で天台宗は開宗1200年を迎えた。この開宗1200年慶讃大法会に当たり多くの協賛を得て、比叡山を開山した伝教大師最澄を始めとする比叡山の高僧や比叡山から輩出された祖師たちの御行績絵看板が修復され境内に掲げられた。その中のひとつであるこの絵は、比叡山に学び、独自の宗派を興した多くの上人たちの一人で、中国に渡った道元が、中国の僧に日常の中での修行の大切さを教えられた場面と思われるこの絵は「道元禅師(1200~1253)曹洞宗御開山」と題され、禅師は求法のため中国に渡り、貞応2年(1223年)春4月、船は大陸の明州に着いた。禅師は船に留まって諸山巡拝の準備をしていた。そうしたある日、日本の珍しい椎茸を買いに一人の老僧が船を訪れた。聞けば名刹阿育王山の典座(雲水の食事を司る役)和尚とのこと、禅師は早速日本の知識を披露し中国仏法をたずねて引き止めたが、老僧「貴僧はまだ修行が文字の中でなく日常の中にあることを知らぬ」と云って早々に去ってしまう。道元禅師はただ慙愧発奮するのみであった。(大講堂堂内に御木像を安置)」と説明文があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels 絞り優先オートで撮影 ( f11 1/250秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127715_168 X800 比叡山 RX10M4.jpg
169.開運の鐘(世界平和の鐘)
延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域である東塔エリアに出る。昭和39年(1964年)に山麓の坂本の讃仏堂を移築した大講堂の前にあるこの開運の鐘(世界平和の鐘)は、1回50円で誰でも鳴らすことができる。この鐘楼がいつ頃、何のために造られたのかを調べてみたが、ネットでその記述を探すことは出来なかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 10mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
201127722_169 X800 比叡山 RX10M4.jpg
170.改修中の根本中堂 -1
ガイドさんはまっすぐ根本中堂へ案内してくれた。だが、国宝の根本中堂ならびに重要文化財の廻廊は平成28年度から約10年をかけ「平成の大改修」が行われている。 比叡山延暦寺のホームページにも、「本堂の銅板葺き、廻廊のとち葺きを葺き直し、全体の塗装彩色の修理が主な内容となります。工事の期間中も参拝ができるような処置をしながら、次代へ祈りと伝統が文化財とともに継承されていきます。工事期間中は、国宝・重文改修ならではの珍しい作業も行っております。普段目にすることのない貴重な光景を間近でご覧いただく機会もございますので、是非ご参拝ください。」 と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels

絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
201127735_170 X800 比叡山 RX10M4.jpg
171.改修中の根本中堂 -2
覆いがかけられた根本中堂と回廊の中に入ることが出来た。その手前に「改修のあらまし」についてのパネルがあった。wikipediaによれば、「根本中堂は伝教大師最澄が延暦7年(788年)に、一乗止観院という草庵を建てたのが始まりとされる。本尊は最澄が一刀三礼して刻んだ薬師瑠璃光如来と伝えられており(秘仏)、その宝前に灯明をかかげて以来最澄のともした灯火は1200年間一度も消えることなく輝き続けているので、「不滅の法灯」と呼ばれる(焼き討ち後の再建時には立石寺から分灯を受けた)。中堂という呼称の由来は、最澄創建の三堂(薬師堂・文殊堂・経蔵)の中心に位置することから薬師堂を中堂と呼ぶようになり、この三堂は後に一つの伽藍にまとめられ、中堂という名前が残ったとされる。比叡山延暦寺の中心であることから根本中堂といい、比叡山では東塔という区域の中心的建築物である。」  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 20mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
201127725_171 X800 比叡山 RX10M4.jpg
172.改修中の根本中堂 -3
根本中堂は何度も火事や戦禍によって焼失している。現在の根本中堂は、元亀2年(1571年)9月、織田信長による焼き討ちの後、慈眼大師天海の進言により徳川三代将軍家光の命によって、寛永11年(1634年)より8年の歳月をかけて再建されたもので、寛永19年〈1641年〉)に完成しているそうだ。1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127726_172 X800 比叡山 RX10M4.jpg
173.根本中堂改修中の屋根
根本中堂に面する中庭(覆いの中)に2018年8月から、4階建ての「修学ステージ」が出来ている。改修の様子を参拝客が間近で見られる。「修学ステージ」から改修中の本堂の屋根と回廊の屋根を眺めた(写真は回廊の屋根)。根本中堂は桁行11間(37.57m)、梁間6間(23.63m)、軒高約9.78m、棟高24.46m、屋根は一重、入母屋造。木材の下地材の上に銅板を屋根形状に合せて加工して止められている屋根が改修中だった。回廊の屋根はとち葺きで、その葺き替えが行われている。改修中の屋根を見たあと、中陣に座り、法話を20分ほど聴いた。中陣の天井は「百花の図」といわれ、200に及ぶ草花が極彩色で描かれているがここは撮影禁止である。ここから内陣が参拝できるが 参拝者のための中陣と外陣よりも3mほど低い石敷の土間になっていた。内陣中央の本尊が立つ床と、参拝する中陣・外陣の床が同じ高さになっている。本尊として、最澄自刻の薬師如来像と「不滅の法灯」が有名である。最澄自刻の薬師如来像は秘仏であり、現在の根本中堂の薬師如来立像は、江戸時代の延暦寺再興の時に横蔵寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町)より移座したものであるという。それは横蔵寺の薬師が最澄自刻のものであるという記録が横蔵寺にあったことによるものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/125秒 14mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127727_173 X800 比叡山 RX10M4.jpg
174.文殊楼への階段
40分ほど根本中堂の中にいた。根本中堂を出て、前を見ると石段があった。文殊楼への階段である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/160秒 16mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127731_174 X800 〇比叡山 RX10M4.jpg
175.文殊楼
ケーブルカーが開通してからは、下から歩いて登ってくる参拝者はほとんどいないが、かつては比叡山延暦寺の表参道だった本坂を登ってくると、まずこの門を潜ることになり、比叡山の総門の役目を果たす重要な楼門だそうだ。文殊菩薩が祀られている。 慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って創建した。寛永の復興にあたって、根本中堂や講堂とともに再建されたが、漢文8年(1668年)に焼失してしまい、すぐに再建されたのが現建築と言われる。寛永の建物より小規模になり、全体的に唐様が取り入れられているが、古い和様も入っているところに苦心が偲ばれる折衷様式になっている。江戸時代の代表的な様式の構造物だそうだ。平成28年に国の重要文化財に指定されている。 受験生の合格祈願に人気があるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127743_175 X800 〇比叡山 文殊楼 RX10M4.jpg
176.大黒堂
比叡山は大黒天信仰発祥の地と言われる。伝教大師最澄が比叡山へ登ったときに大黒天を見た場所なのだと伝えられる。本尊は最澄が彫ったという三面出世大黒天。正しい呼び方は三面六臂大黒天といい、米俵の上に立ち、中央は食生活を守る大黒天、右は勇気と力を与える毘沙門天、左は美と才能を与える弁財天である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 17mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
201127737_176 X800 〇 比叡山 RX10M4.jpg
177.根本中堂 石柱
大黒天の少し先を左に入ると文殊楼へ行く。そこに根本中堂の石柱があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
201127736_177 X800 〇 比叡山 RX10M4.jpg
178.参道からの文殊楼
前の写真の根本中堂の石柱の辺りから文殊楼へ上がる石段がある。このルートが本坂から上がってくる参道なのだろうと推察する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 14mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
201127746 _178 X800比叡山 RX10M4.jpg
179.根本中堂から坂本ケーブルへ -1
ガイドさんが待つ根本中堂の石段を上がっところで集合し、坂本ケーブルの延暦寺駅へ歩く。途中琵琶湖が眺められるところがあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 39mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201127750_179 X800 〇比叡山 文殊楼 X10M4.jpg
180.根本中堂から坂本ケーブルへ -2
もみじを入れて琵琶湖を狙った。晴れて空気が澄んでいたので、琵琶湖大橋が眺められ、さらにその先に沖島が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201127751gy_180 X800 〇比叡山 文殊楼 X10M4.jpg


2020年12月19日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (5)西明寺 11/26

金剛輪寺を出発し、次は 西明寺へ行く。東名高速に沿うように国道307号線を約10分ほど北へ走って西明寺の駐車場に入った。西明寺も天台宗のお寺である。
 平安時代、仁明天皇の勅願により三修上人が開山したと伝えられる。戦国時代には兵火のため荒れ果ててしまったが、江戸時代中期に望月友閑によって再興された。惣門をくぐると参道が続き、山坊跡の石垣が散在しており、平安、鎌倉、室町時代を通じて祈願・修行道場として栄えたことがうかがわれる。幸い織田信長の兵火を免れ、飛騨の匠によって建立された本堂や三重塔や二天門が残されている。
 紅葉は見ごろだった。さきに訪ねた金剛輪寺より見栄えがしていたと思う。金剛輪寺の「血染めの紅葉」に勝るとも劣らない。紅葉にもまして、感動したのは苔の美しさだった。苔にもいろいろと種類がある。また、秋から冬の間、少しずつ花を咲かせ続ける「不断桜」(フダンザクラ)も見られ、天然記念物で樹齢250年という樹があった。11月が満開になるという。
 湖東三山の中で一番見ごたえがあったと思う。

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西明寺境内案内板より

82.惣門
西明寺の惣門を入る。惣門とは屋敷の外囲いにある大門、正門のことで、金剛輪寺のホームページでは総門となっていた。江戸時代、最も重要な街道筋には「惣門」が置かれていた。教林坊や金剛輪寺の境内案内図では「総門」となっていたので、どう違うのかなと思って調べてみたが、どうやら意味に違いはないようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
201126358 _082 X800 西明寺 RX10M4.jpg
83.惣門の屋根とカエデの紅葉
まだ緑の残るカエデの紅葉がいききとしている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
20112642_083 X800 西明寺 RX10M4.jpg
84.惣門とカエデの紅葉
惣門を抜けて紅葉を見上げ、本堂へ300mほど続く参道を上っていく。惣門は2015年に再建されたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126357_084 X800 西明寺 RX10M4.jpg
85.カエデの落ち葉と苔
西明寺は苔が美しいことでも有名。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 42mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
201126365_085 X800 西明寺 RX10M4.jpg
86.受付と惣門
バスガイドさんが用意してくれた入山料600円の券を見せて受付を通る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126367_086 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
87.もみじとすすき
境内を分断している名神高速道路の上を越えて多くの僧坊があった跡地を左右に見ながら、参道を行く。東名高速は参道の下を西明寺トンネルで抜けている。歴史自然環境の保護のため、参道の景観が損なわれないように道路は地下化された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 41mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
201126368_087 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
88.苔 -1
「苔を大切にしましょう」「苔を取らないでください」「この苔は西明寺が好きです。大事にしましょう」といった西明寺執事による立札が何か所かに立てられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 37mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126375_088 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
89.苔 -2
にもいろいろな種類があるようだ。日本に自生する苔は1,700種と言われる。深い緑を敷き詰めた苔の上に落ちた赤いカエデの葉が印象的だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
201126378_089 X800 西明寺 RX10M4.jpg
90.鮮やかなカエデの紅葉 -1
左に見える塀の中は本坊庭園「蓬莱庭」になっている。参道はまだ続くが、この辺りの紅葉は美しく、見上げながら上がっていく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 53mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
201126397_090 X800 西明寺 RX10M4.jpg
91.鮮やかなカエデの紅葉 -2
紅葉はまさに見ごろであった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 21mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
201126398_091 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
92.夫婦杉(千年杉)
大きな杉の木があった。樹齢約1,000年だそうだ。「西明寺の霊木で、元々二本であった木が、寄添い一つになって、ともに育っていることから夫婦杉と呼ばれる。後側から子供のように若木が出ていることから子授け、安産の霊木、樹齢千年の長寿の木であるので息災延命の霊木とされている。幹や根にそっと手を当てて、霊気をいただいてください。」 と説明されていた。そして賽銭箱が立てられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段
201126404_092 X800 西明寺 RX10M4.jpg
93.二天門
20分近く歩いて、石段の上に二天門が見えてきた。二天門は重要文化財に指定されている。 wikipediaによれば、間口 3間、奥行 2間(間は長さの単位ではなく、柱間の数を表す建築用語だそうだ)。入母屋造、杮(こけら)葺きの八脚門。部材の一つである巻斗に応永14年(1407年)の墨書があり、同年の建立とみられるという。左右に阿吽の木像が祀られ、その前にわらじがある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126405_093 X800 西明寺 RX10M4.jpg
94.二天王立像  増長天
仁王像は 二天王立像という。滋賀県犬上郡甲良町のホームページには「西明寺二天門に持国天、増長天の2体の木像が寺を守って立っています。 元亀2年(1571年)西明寺の寺域は織田信長の兵火にかかって焼失しましたが、幸いにも寺院の中心部分である本堂と三重塔、二天門、二天王立像は難を逃れました。」と記されていた。これは向かって右側に立つ増長天だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
201126407_094 X800 西明寺 RX10M4.jpg
95.二天王立像  持国天
向かって左側に立つのは持国天である。この仏像はいくつもの木材をつなぎ合わせた寄木造という方法で造られている。2体ともに像の高さは1.95mで、仁王像と同じように、一方は口を開き、他方は口を閉じている。正長2年(1429年)、印尋(いんじん)によって造られたもので、作者と制作年代のわかる仏像として珍しく貴重なのだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201126409_095 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
96.国宝 本堂
二天門を抜けると目の前に本堂があった。この本堂は瑠璃殿とも呼ばれ、建造年は鎌倉時代前期。規模は桁行七間に梁間七間で、正面に三間の向拝が付く。建造当時は桁行五間、梁間五間の五間堂であったが、後の南北朝時代に大々的に改修され、現在の七間堂になったという。屋根は一重の入母屋造で檜皮葺。正面は全面が格子の蔀戸(しとみど)になっているなど、同じく湖東三山の一つで国宝の金剛輪寺本堂と類似点が多い。内部もまた、前方3間が外陣、中ほど2間が内陣、後方2間が後陣に分かれているなど、金剛輪寺本堂と良く似た天台密教の本堂様式となっている。本堂内は撮影ご法度であった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126412_096 西明寺 RX10M4.jpg
97.本堂の周囲 -1
本堂の脇に紅葉するカエデの色は鮮やかだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126415_097 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
98.本堂の周囲 -2
金剛輪寺の「血染めの紅葉」より見応えがあったと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 78mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126417_098 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
99. 本堂の周囲 -3
光が演出をしてくれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126420_099 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
100.国宝 三重塔
本堂の右手、建物への水の浸入を防ぐため、水はけを良くするために平地の上に石を組んだ基壇の上には三重塔がそびえている。wikipediaによれば、檜皮葺きの和様の三重塔である。様式的に鎌倉時代後期の建築とされる。総高は20.1m。逓減率が小さいことと、二重目・三重目の塔身の立ちが低いことが本塔の特色である。相輪は日本の他の木造塔では銅製とすることが多いが、本塔のそれは鉄製である。初層内部には大日如来像を安置し、心柱は初層天井裏から立つ。初層内部は須弥壇と床面を除く全面に極彩色の絵画が描かれているが、現状ではかなり剥落している。絵画の主題は、内部の4本の柱(四天柱)には両界曼荼羅のうち金剛界曼荼羅成身会(じょうじんね)の三十二菩薩(四波羅蜜菩薩、十六大菩薩、八供養菩薩、四摂菩薩)を表し、四方の扉脇の壁面には計8面に法華経曼荼羅図、法華経二十八品(章)の説話の絵画を表している。このほか、扉には八方天、須弥壇周りの長押には宝相華、牡丹、鳳凰などが描かれている。このうち柱4本と壁8枚は国宝建造物の一部であるとともに、「絵画」としても別途重要文化財に指定されているとあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201126421_100 X800 西明寺 RX10M4.jpg
101.三重塔のもみじ
三重塔は後ろから日を受けている。日に当たったカエデの葉が輝く。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 45mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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102.これから紅葉
まだまだこれから紅葉するカエデの葉も控えているた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 121mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
201126429_102 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
103.「不断桜」
本坊庭園「蓬莱庭」に入る。もみじを背景に桜の花が咲いている。西明寺のパンフレットには 「不断桜」は春秋冬に開花、高山性のサクラで彼岸桜の系統のフユザクラに属すると記されている。少し調べてみるとフダンザクラとは五弁の花をつけるヤマザクラ(野生種)とオオシマザクラ(野生種)の交雑種とされている。パンフレットにある「フユザクラ」というのは、別名をコバザクラ(小葉桜)といい、ヤマザクラ(野生種)とマメザクラ(野生種)の雑種と推定されているそうだ。ややこしい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126440m_103 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
104.名勝本坊庭園「蓬莱庭」と「不断桜」
秋から冬にかけて開花するサクラには、フダンザクラ、フユザクラ、ジュウガツザクラ、コブクザクラなどがあるが、西明寺のフダンザクラ「不断桜」は、9月上旬から翌年4月頃まで開花するが、紅葉の11月に満開となる。現在、天然記念物に指定されているものは、樹齢250年といわれる古木である。滋賀県のホームぺージには、その樹齢250年といわれる古木は、近年,衰退が著しく、その後継木の育成が課題であった。約30年前に、母樹となる指定木から取り木がなされ、後継木の育成が試みられた結果、3本が育成に成功し、現在の指定木の東側に1本、現本坊の西庭に2本が植えられている。また、10年前には母樹となる指定木の萌芽から若木を育てることに3本が成功し、本坊庭園上段、仁王門西側平坦面、および三重塔西側斜面の3箇所において一本づつ育成されている。 これら6本の後継木は、250年前に西明寺に植えられたとされる母樹(指定木)の由来樹木と認められる。これらの6本を後継木として認定し、追加指定することによって、江戸時代より継承されるフダンザクラの保全をはかると記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f14 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126443_104 X800 西明寺 RX10M4.jpg
105.名勝本坊庭園「蓬莱庭」の池
甲良町のホームぺージによれば、「江戸時代、延宝元年(1673年)、望月越中守友閑が、当山復興の記念として造られた庭園である。池の中央は折り鶴を形どった鶴島で、左が亀島である。池の水の部分は心字池となっていて、池泉回遊式である。 築山の立石群は本堂に安置している本尊薬師如来と日光・月光の菩薩及び十二神将等の眷属を表し、植木の刈り込みは雲を形どって薬師の浄瑠璃浄土を具現化したものである。本庭園は小堀遠州の作庭を参考にした造園になっており、鎌倉時代の八角石灯籠(石屋弥陀六作)や連珠模様の室町時代を偲ぶ石灯籠がある。」と記されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
201126451_105 X800 西明寺 RX10M4.jpg
106.名勝本坊庭園「蓬莱庭」のもみじ
本堂の方から下りて来ると 「蓬莱庭」を通って中門を出て参道に戻る。そのあたりのカエデの紅葉もきれいだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
201126454_106 X800 西明寺 RX10M4.jpg
107.苔 -3
参道からは見事な苔を見ることが出来る。どこかに「苔は西明寺のことが好きです」という看板があったが、苔の持ち帰りは禁止と言うことだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
201126458_107 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
108.石垣
西明寺は、惣門から本坊中門までの参道の左右に石垣が築かれた僧坊跡が続くが、 穴太積  の初期の石垣が保存されている。 その石垣にはりついた1枚の紅葉したカエデの葉に風情を感じた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
201126460_108 X800 西明寺 RX10M4.jpg


2020年9月23日

南房総館山へ一泊旅行敢行(2) 館山→石堂寺 9月10日

2日目の朝も良く晴れて、気温も高い。例によって朝早く目覚め、海岸を歩いてみようと思ったが、コロナウィルス感染防止のため、通路が閉鎖されていた。
 前日、宿に着いたとき、玄関前に塀の前に植えられているハイビスカスの花にモンキアゲハが来ていた。その時は撮影のチャンスはなかったが、この日、モンキアゲハとの再会を期待し、朝食時間の前に外に出てみた。だが、ハイビスカスにチョウの姿はない。ところが道路を挟んで反対側にあるこの宿の駐車場に植えられているランタナの花に舞うアゲハの姿が見える。少し撮って、朝食を済ませ、出発前に再び撮影を楽しんだ。ハイビスカスにモンキアゲハも現れたが、落ち着いて吸蜜してくれなかった。
 9時に休暇村館山を出発し、国道128号線を30分ほど走って、410号線に入り、波の彫刻で名高い名工、「波の伊八」の作品がある石堂寺へ向かう。
 石堂寺は昨年の台風15号、19号で大きな被害を受け、少々荒れていた。重要文化財の多宝塔は櫓が組まれ覆われ、改修中だった。

26.早朝の海
5時20分、朝は早く目が覚めてしまう。部屋からは海の眺めが良い。左側が東京湾で、右側が館山湾という小さな湾になっている。きれいな朝焼けは見られなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 175mm ISO1000 ) 露出補正 なし
026_200910183 X800 南房総 休暇村館山 RX10m4.jpg
27.ロビーのガラス窓
左側が三浦半島で、晴れていれば、その左に富士山が見える。東京湾を挟んで右側に昨日行った鋸山が見える。その手前右側が曲亭馬琴の伝奇小説「南総里見八犬伝」  の重要な舞台になった千葉県南房総市にある富山であり、房総丘陵の山の一つである。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 13mm ISO1000 ) 露出補正 なし
027_200910194 X800 南房総 休暇村館山 RX10m4.jpg
28.アゲハ♂ -1
朝食前にハイビスカスにモンキアゲハ来ていないかと、玄関前に外に出てみると、モンキアゲハはいなかったが、通りの向こう側にある宿の駐車場に植えられているランタナの花に、数頭のアゲハが舞っているのが見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 78mm ISO100 ) 露出補正 なし
028_200910202 X800 南房総 休暇村館山 RX10m4.jpg
29.アゲハ♂ -2
きれいな個体が多かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
029_200910210 X800 南房総 休暇村館山 RX10m4.jpg
30.クロアゲハ♀ -1
クロアゲハも吸蜜に来ていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 219mm ISO160 ) 露出補正 なし
030_200910219 X800 〇南房総 休暇村館山 RX10m4.jpg
31.クロアゲハ♀ -2
クロアゲハは2頭いたが、もう1頭の方は、ボロボロの破損個体だった。この個体も右後翅が切れている。開翅したところを良いタイミングで撮れたが、ちょっとピントがずれてしまった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 219mm ISO160 ) 露出補正 なし
031_200910224 X800 △南房総 休暇村館山 RX10m4.jpg
32.クロアゲハ♀ -3


花から花へと移り翔ぶ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 132mm ISO200 ) 露出補正 なし
032_200910241 X800 〇南房総 休暇村館山 RX10m4.jpg
33.クロアゲハ♀ -4
右後翅の傷が目立たないように撮れた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 110mm ISO125 ) 露出補正 なし
033_200910278 X800 ◎南房総 休暇村館山 RX10m4.jpg
34.キアゲハ♂ -1
ランタナにはキアゲハも来ていた。きれいな個体が元気よく翔ぶ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 155mm ISO100 ) 露出補正 なし
034_200910301 X800 ◎南房総 休暇村館山 RX10m4.jpg
35.キアゲハ♂ -2
翅を開いて、カメラの方を睨んでいるようだ。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 155mm ISO100 ) 露出補正 なし
035_200910302 X800 ◎南房総 休暇村館山 RX10m4.jpg
36.キアゲハ♂ -3
いずれも同じ個体だ。キアゲハは1頭しか現れなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 155mm ISO100 ) 露出補正 なし
036_200910306 X800 ◎南房総 休暇村館山 RX10m4.jpg
37.クロアゲハ♀ -5
これもさっき撮った個体と同じだ。最初に撮ったのが朝食前の7時過ぎ、これは出発前の8時50分ごろに撮っている。2時間近くもこのランタナの植え込みにいたのだろうか? 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 155mm ISO320 ) 露出補正 なし
037_200910344 X800 ◎南房総 休暇村館山 RX10m4.jpg
38.クロアゲハ♀ -6
そして、どこかへ飛び去っていってしまった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
038_200910376 X800 〇南房総 休暇村館山 RX10m4.jpg
39.アゲハ♀ -1
アゲハはざっと10頭ほど飛んでいただろうか?きれいな個体を探す。これは♀だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 121mm ISO100 ) 露出補正 なし
039_200910364 X800 ◎南房総 休暇村館山 RX10m4.jpg
40.キタテハ
そろそろ出発の時間だ。最後にキタテハ夏型を撮る。ハイビスカスに来たモンキアゲハを撮れなかったのは残念だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 147mm ISO100 ) 露出補正 なし
040_200910380 X800 ◎南房総 休暇村館山 RX10m4.jpg
41.石堂寺 本堂
9時に館山を出発し、40分ほどで石堂寺に到着した。昨年の台風15号および19号の大雨で大きな被害を受け、表参道の仁王門が大破していた。裏参道側の駐車場に車を停める。参拝客は私たち以外には誰もいない。写真は国の重要文化財である本堂だ。ひっそりとしている。HPによれば、永正10年(1513年年)室町時代に建立。唐様・寄棟造で、桁行(けたゆき)3間、梁間(はりま)4間、県下最大の国指定木造建築である。本尊の十一面観世音菩薩立像・厨子共に国指定文化財であり、堂内諸像は平安末期の仏像だそうだ。天台宗の寺院だ。千葉県の歴史 通史編 中世(濱名徳順 天台宗宝聚寺住職)によれば、石堂寺は平安~中世には当地の豪族丸一族の氏寺として繁栄を極めたが、文明18年(1486年)の災火により伽藍のすべてを失った。現在の堂塔はいずれもその後の再建だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
041_200910386 X800 南房総 石堂寺 RX10m4.jpg
42.石堂寺 本堂の扁額
扁額には、南無十一面観世音菩薩像と書かれている。その下に掛けられている額は何が書かれているのかわからない。十一面観世音菩薩像は木造、漆箔、玉眼で鎌倉時代前期の作という。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/80秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 なし
042_200910389 X800 南房総 石堂寺 RX10m4.jpg
43.本堂の横
本堂の横に回ってみると大きさを感じる。縁が回されていて、縁に上がる段が設けられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
043_200910391 X800 南房総 石堂寺 RX10m4.jpg
44.薬師堂
本堂の前の10mほどの石段を上がると薬師堂があった。HPによれば、薬師堂は1575年、桃山時代に建立された茅葺の仏堂で安土桃山様式の建物だそうだ。今もなお、釿(ちょうな) 削りの床が残されており、内部に薬師如来と毘沙門天を祀っている。重要文化財に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
044_200910393 X800 南房総 石堂寺 RX10m4.jpg
45.客殿 寺務所
石堂寺を参拝した目的は「波の伊八」の木彫を観ることだった。寺務所の呼び鈴を鳴らして、「波の伊八」木彫見学を申し出る。この寺務所の左側が客殿になっていて、その客殿の廊下の欄に16枚の木彫がかけられていた。照明の環境も悪く、見にくかった。撮影は禁止されている。「波の伊八」といわれる江戸末期の名彫刻師は本名、武志伊八郎という。安房三名工の一人で、「波を彫らせたら天下一品」と謳われ、波の彫刻で特に有名だ。石堂寺の作品は寛政3年(1791年)、武志伊八郎39歳頃のものだと言われている。また、日本が誇る江戸時代末期の浮世絵師・葛飾北斎に大きな影響を与えたと言われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO500 ) 露出補正 なし
045_200910394 X800 南房総 石堂寺 RX10m4.jpg
46.ヤマトシジミ求愛
寺務所の前の植え込みで静止ていた♀に、飛んできた♂が求愛していた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO250 ) 露出補正 なし
046_200910396 X800 〇南房総 石堂寺 RX10m4.jpg
47.石堂寺 鐘楼塔
鐘楼塔は1783年、江戸時代に建立された。市指定有形文化財である鐘は、元弘元年(1331年)の物だそうだ。昨年の台風で被害を受けた屋根が修復工事中だった。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
047_200910406 X800 南房総 石堂寺 RX10m4.jpg
48.宝篋印塔と太子堂
宝篋(ほうきょう)印塔  は青銅製で、天保13年(1841年)に石神村の冶工鈴木伝左衛門正尹により鋳造された宝塔だそうだ。後ろは太子堂といい、西国三十三観音の写しが収められていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
048_200910412 X800 南房総 石堂寺 RX10m4.jpg
49.太子堂 西国三十三観音の写し
格子の間から太子堂の中を見せていただいた。西国三十三観音の写しと言われる観音像が並んでいた。観世音菩薩が衆生を救うとき33の姿に変化するという信仰に由来し、その功徳に与るために三十三の霊場を巡拝することを意味し、西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
049_200910408 X800 南房総 石堂寺 RX10m4.jpg
50.アカボシゴマダラ
駐車場へ戻るところでKさんが待っていてくれて、「チョウがいますよ」と教えてくださった。アカボシゴマダラだった。今やアカボシゴマダラは何処にでもいるチョウになった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 56mm ISO500 ) 露出補正 なし
050_200910417 X800 ◎南房総 石堂寺 RX10m4.jpg


東京湾,館山湾,富山,南総里見八犬伝,石堂寺,石堂寺本堂,薬師堂,南無十一面観世音菩薩像,本堂扁額,薬師堂,太子堂,西国三十三観音,宝篋印塔,鐘楼塔, 石堂寺寺務所客殿,波の伊八,アゲハ,キアゲハ,クロアゲハ,キタテハ,ヤマトシジミ,アカボシゴマダラ,ランタナ,  

2019年1月25日

保土ヶ谷歴史散歩 (前編) 1月20日

過日、保土ヶ谷区役所へ住民表を取りに行く用事があった。書類ができるのを待つ間、待合室の棚に並べられている印刷物を見ていたら、「保土ヶ谷の歴史的建造物巡り」パネル展のパンフレットがあった。天王町の「岩間市民プラザ」で2月3日~2月10日に開催される。興味を持って、インターネットで関連情報を検索してみた。
 その中に「保土ヶ谷歴史まちあるき 2017」という横浜市保土ヶ谷区のサイトがあった。そのサイトにあるPDFのパンフレットを参考に歩いてみようと思った。2月3日からの「岩間市民プラザ」の展示を見てからでも遅くはないのだが、少し歩きたかったので、そのMapに従って回ってみることにした。
 パンフレットによれば、そのコースはA.旧東海道まちかど博物館めぐり(約2.7km)、B.洋館堪能コース(薬2.0km)、C.保土ヶ谷宿と洋館巡りコース(約2.6km)と3っあったが、できるだけ歩いてみようと思う。予定としては、10時に家を出発して午後2時帰宅だった。  実際に歩いたコースは、まず、旧古町橋跡からAコースに入り、パンフレットの道順とは逆回りだが、初詣に行く神明社に出て、大門通りをその天王町寄りの相州街道(大門通り)入口から旧東海道に入る。この辺りはお寺が多い。環状1号に出て、NS邸という歴史的建物を見て、遍照寺にお参りし、再び環状1号に出る。
 環状1号を保土ヶ谷駅方面へ歩き、保土ヶ谷駅の手前を右に、旧東海道を歩く。横浜帷子郵便局を右に曲がって、坂道を登っていく。息が切れる。住んでいる人たちは大変だなと思う。いくつかの歴史的建造物である洋館を見て、月見台の頂上に出た。

  1.古町橋からスタート
この日の保土ヶ谷歴史散歩は、いつも冬の水鳥を撮りに行く帷子川に架かる古町橋からスタートした。古町橋を渡ると相鉄線の踏切がある。昨年11月24日に高架線が開通し、今は踏切の線路はなくなった。星川からの高架線が天王町の高架駅に繋がっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
190120001.jpg
2.旧古町橋跡
少し進むとこんな案内板が建てられていた。この場所には江戸時代初期の東海道が帷子川を渡る「古町橋」があったそうだ。かねてから暴れ川として反乱を繰り返していた帷子川の改修が昭和38年に決定され、帷子川の流路は北側に移された。さっき渡ってきた古町橋は昭和41年(1966年)に架設されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
190120002.jpg
3.相州道
今は大門通りと呼ばれているが、ここで旧東海道と分かれる。大門通りはバス通りで、写真に見える保土ヶ谷駅方面に向かう細い道が旧東海道だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
190120003.jpg
4.天徳院
ここから先にはいくつかのお寺がある。寺町なのだろうか。まず、天徳院というのがあった。 天徳院は曹洞宗の寺で山号を神戸山という。(保土ケ谷区役所資料歴史を歩いてみよう)によれば、 開山は安土桃山時代(1573年)。本尊は運慶作といわれる地蔵菩薩坐像。土地の豪族、小野筑後守が帰依して建立した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
190120004.jpg
5.天徳院本堂
山門を入ると本堂がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO250 ) 露出補正 なし
190120005.jpg
6.天徳院 地蔵
お地蔵さんが3体祀られていた。隠れて見えないがこの3体の地蔵の向こうにも、小さな地蔵が3体あった。そのうち1体は子供のようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO160 ) 露出補正 なし
190120006.jpg
7.見光寺 山門
すぐ近くに見光寺という寺院があるのだが、なかなか見つけられなかった。「猫の足あと 横浜市寺社案内」というサイトが参考になるが、見光寺は、保土ヶ谷の住人で熱心な浄土宗の信者、茂平夫妻(道意)が開基となり寛永6年(1629年)に創建、深川靈巖寺第三世大誉珂山上人(寛文11年1671年寂)が開山したという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 17mm ISO250 ) 露出補正 なし
190120007.jpg
8.見光寺 六地蔵
不勉強であるが、6体並んだ地蔵を見ることがしばしばある。wikipediaによれば、六道の思想に基づいて地蔵菩薩の像を6体並べて祀られたもので、各地で見られるとある。六道とは、仏教において、衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界(あるいは境涯)のこと。六趣、六界ともいう。六道には天道、人間道 、修羅道、畜生道、餓鬼道、 地獄道だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 17mm ISO1250 ) 露出補正 なし
190120008.jpg
9.見光寺 本堂 山門から本堂が見える。この本堂は比較的新しく建てられものではなかろうか。本尊は阿彌陀如來坐像。保土ヶ谷出身のコラムニスト青木雨彦氏の句碑があることを後で知ったが、その時は知らずに通り過ごしてしまっていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
190120009.jpg
10.天徳院山門
見光寺から一旦環状1号線に出た。保土ヶ谷方面に進んで右側の細い路地の先に天徳院山門が見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO200 ) 露出補正 なし
190120010.jpg
11.NS邸 元米穀商 -1
天徳院山門が見えた環状1号線沿いに、歴史的建造物に一つであるNS邸が見えた。この建物は元米穀商大岡米店で昭和6年建築の木造2階建ての町屋である。旧保土ヶ谷宿沿道に残る唯一の町屋(商家)だそうだ。現在は住宅になっている。旧宿場通りの歴史的景観を偲ばせる建物として貴重である。お隣の蕎麦やさんも、その看板といい、なかなか渋い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO160 ) 露出補正 なし
190120011.jpg
12.N邸 元米穀商 -2
旧宿場通りの歴史的景観を偲ばせる建物として貴重である。表札も出ているのでお名前は分かってしまうのだが、NS邸とさせていただいた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 10mm ISO320 ) 露出補正 なし
190120012.jpg
13.今井橋
今井川にかかる今井橋。今井川は帷子川の支流である。JR東海道本線と国道1号に沿って市街地を東に流れ、天王町駅付近で相鉄本線をくぐり、西区との区境に近い岩間町・西久保町の境で帷子川に合流する。これは上流である保土ヶ谷方面を撮っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO125 ) 露出補正 なし
190120013.jpg
14.旧中橋跡
かって今井川はこの宿場を横切っていて中橋が架けられていた。その川筋は慶安元年(1648年)に新しい保土ヶ谷宿が建設された際に人工的に造られたものだった。しかし、その流路の構造から大雨の際にここで水が滞り、しばしば下流域を浸水することになったが、なかなか改善されなかった。しかし、幕末になって人馬の往来が急増してきたため嘉永5年(1852年)宿場では改修費用100両を準備するとともに町役人が200両の借用を代官に陳情し認められると、すぐに現在の川筋に改修されたといったことが説明されている。また、看板だけの写真になってしまった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
190120014.jpg
15.遍照寺山門
旧中橋跡の少し北側に医王山遍照寺という高野山真言宗の寺院があった。遍照寺の創建年代等は不詳ながら、貞観18年(876年)に眞雅僧正が開創したと言われる。慶興法印が元和4年に峯岡から当地へ移し中興したという。本尊の薬師如来像は横浜市指定文化財。念仏百万遍の供養塔や、岡野新田を開拓した岡野家の墓所がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
190120015.jpg
16.遍照寺 真雅会館涅槃堂
山門を入ると正面に本堂があるが、その参道の右側に、真雅会館涅槃堂という立派な建物が建っていた。要は葬儀(通夜、告別式)および法要施設である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO160 ) 露出補正 なし
190120016.jpg
17.遍照寺 本堂
見たわけではないが、「猫の足あと 横浜市寺社案内」には本尊の木造薬師如来坐像は、量感に富み、目鼻立ちの整った面部は張りが強く、運慶の作風を示していると記されていた。面長の顔だちや左肩に大きな折返しをつくった着衣の形式に宋元風の影響も認められる。市内に伝わる当代の彫刻の中では屈指の佳作だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO400 ) 露出補正 なし
190120017.jpg
18.帷子会館
再び環状1号線に戻る。遍照寺から環状1号線に出てきたところに帷子会館があった。「保土ヶ谷歴史まちあるき」のパンフレットには帷子会館は大正初期の建築で、木造平屋建てで近代洋風である。当初は消防署の消防車を収納していた建物であった。現在は町内会館として利用されている。棟にレトロ感漂う板金製フィニュアルを載せ、印象的な妻壁のアーチ付き換気ガラリが2っ並び、木組みの腕木に支えられた庇が付いている。大正期の建物として旧東海道沿いに残る稀有な洋風建物である。歴史的建造物の良い保存活用例とされると説明されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
190120018.jpg
19.環状1号線の歩道
環状1号線の歩道 の敷石に、こんな絵柄のブロックが埋め込まれていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO200 ) 露出補正 なし
190120019.jpg
20.NJ邸 元旅館業
横浜帷子郵便局へ曲がるところで、A.旧東海道まちかど博物館コース は終わる。少し保土ヶ谷駅よりに入ったところに第二常盤湯という戦後復興期の昭和28年に建てられ、現在でも営業している銭湯があったのだが、見落としてしまった。まちかど博物館というのは、保土ヶ谷で積み重ねられてきた歴史、生活文化、生業の技を物語るものが展示されている時計屋さん、石材店、薬局などの商店のことである。さて、ここから月見台という高台に向けて洋館堪能コースとなるのだが、横浜帷子郵便局のところを左に入ったところに、このNJ邸があった。大正13年建築で木造平屋建ての洋館付き住宅である。昭和28年ごろ増改築をして平成17年ころまでは旅館業を営んでいたという。    

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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21.E邸 -1
昭和34年に建てられた木造2階建ての洋館付き住宅である。数少ない戦後に建てられた洋館付き住宅で、その特徴が良く判る。低い軒高、緩い勾配のフランス瓦屋根、横長の開放的な窓の洋館と和館からなる。表札もかけられていて、まどのカーテンは閉められているが、住まわれているようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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22.E邸 -2
ここからは、和館の部分が眺められる。よく手入れされて眺めも良い庭からも横浜港を一望できるそうだ。良好な景観を呈する。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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23.S邸
昭和4~5年頃建築の木造平屋建て洋館付き住宅である。この辺りは高台になり、高級住宅地である。モダンな平屋建ての洋風意匠と庭が昭和初期の月見台の住宅地景観を偲ばせる住宅である。周囲は新しい家が立ち並んでいるが、どの家もなかなかの景観であった。ここからさらに月見台のバス通りまで上るのだが、坂道が続く。ブログもここいらで一休み。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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2018年12月18日

西明寺 11月8日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(7)

昼食は次に訪れる西明寺のすぐ傍で「一休庵」というところが用意されていた。「近江路御膳」と称され、近江牛かどうかわからないが、すき焼き鍋と豆腐が添えられていて美味しく食べた。
 西明寺は「一休庵」のすぐ傍で、その惣門が見えるところなのだが、交通量が比較的多い国道307号を渡らねばならず、一旦バスに乗って、国道沿いにある西明寺の駐車場まで移動した。
 バスガイドさんから配られたリーフレットには、「西明寺は、平安時代の初期の承和元年(834年)、三修上人が仁明天皇の勅願により開創された古刹です。本堂や三重塔は、鎌倉時代の代表的な建造物です。国指定の名勝庭園「蓬莱庭」は、四季折々の変化が見られ、秋には境内一円のカエデが紅葉し、11月には満開となる天然記念物の「不断桜」とのコントラストをお楽しみいただけます。」と書かれていた。

143.西明寺入口
バスは西明寺の入り口である惣門のすぐ下にある駐車場に止められた。国道沿いに少し移動して、正面から惣門をくぐる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 -1.0段
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144.惣門
石段を上がって、惣門を入る。西明寺のパンフレットには、総門ではなく、惣門と書かれているが、外構えの門ということで意味に違いはないようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
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145.中門 -1
参道を進むと本坊庭園(蓬莱庭)の入り口になっている中門があった。寄り道はせず、まずは本堂へ向かうが、門から中を覗いてみると、不断桜と書かれた札が掛けられた木が柵で囲まれていた。樹齢250年余という古木で滋賀県の天然記念物だそうだ。HPには例年9月上旬に咲き始め、11月には満開となり、紅葉の時期に季節はずれの花見を楽しむことができると書かれているが、この時は 花はほとんどなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 14mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
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146.苔 -1
参道の脇の石積みに生えた苔が気持ちを落ち着かせてくれる。「苔を大切にしましょう」「苔を取らないでください」「自然を大切にしましょう 苔もそのままの姿で眺めましょう」といった立札が西明寺執事によって立てられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
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147.参道のモミジ -1
石段を登って、一息ついて眼を上げたとき、鮮やかな紅葉があった。この参道は平安時代初期に設けられた参道を、鎌倉時代に現在のように拡げられ、江戸初期、更に整備されて現在に至っているそうだ。塀の内側は本坊庭園(蓬莱庭)である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 60mm ISO640 ) 露出補正 -1.0段
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148.参道のモミジ -2
美しい紅葉が目を慰めてくれるが、それにしても昨日、今日と石段ばかり上がっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 60mm ISO640 ) 露出補正 -1.0段
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149.二天門 -1
やがてその美しい紅葉の向こうに二天門が見えてきた。二天門は重要文化財に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO500 ) 露出補正 -1.0段
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150.二天門 -2
二天門は室町時代の中期、応永14年(1407年)の建築だそうだ。正面の柱間が三間で出入口が中央一間の入母屋造りの八脚門で、柱上には二手先の組物をのせて支輪をつけ、全体は和様であるが柱下の礎盤や頭貫先に繰形つきの木鼻をつけるなど僅かに禅宗様を加えている。二天門へ登る道両側には、穴太積の初期のものともされる石垣も残っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO400 ) 露出補正 -1.0段
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151.二天門 -3
ここの紅葉は、深紅から橙色、そしてまだ緑の葉も残り、そのグラデーションは見飽きない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO400 ) 露出補正 -1.0段
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152.ウチワカエデの紅葉
二天門の手前に「蓬莱庭」という名勝庭園があるが、その入り口のところに、ひときわ大きな葉のカエデが紅葉していた。ウチワカエデと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO160 ) 露出補正 -1.0段
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153.蓬莱庭 -1 二天門に向かって左側が蓬莱庭だ。西明寺のホームページによれば、蓬莱庭は江戸時代初期、延宝年間に作られた池泉観賞式の庭園で、鶴亀の「蓬莱庭」と名付けられている。鶴や亀を形どった石組みや、本堂に祀る仏像を立石群に象徴させ、山の傾斜などを巧みに生かした、調和がとれた庭園である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO500 ) 露出補正 -1.0段
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154.蓬莱庭 -2
江戸時代の延宝元年(1673年)、寺院の復興にあたっていた望月友閑が復興の記念にと造った庭園で、小堀遠州の作庭を参考にした造りといわれ国の名勝庭園の指定を受けている。二天門の手前から見下ろしたところである。この写真ですべてを見ることはできないが、池の中央には折り鶴の鶴島と亀島が配されている。鎌倉時代の灯籠で「弥陀六の灯籠」と呼ばれる八角石灯籠や連珠模様の室町時代を偲ぶ石灯籠がある。庫裡南側の山の斜面を利用して築山とし、築山の立石群は本堂に安置している本尊薬師如来とその眷属(従者、家来、配下の者)を表している。また、植木の刈り込みは雲を表し全体で薬師如来の浄瑠璃浄土を表し、仏の世界が具現化されているとのこと。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 -1.0段
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155.苔 -2
天台宗の仏教寺院である西明寺が創建されたのは834年。ここで生きている苔は西明寺の歴史とともに命をつなぎ、今日では「西明寺の苔」と言われるほどの存在感がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 -1.0段
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156.二天門から -1
二天門からいま上がってきた参道を眺める。紅葉がきれいだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 39mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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157.三重塔 国宝 -1
二天門をくぐると正面に本堂があり、その右側に国宝 三重塔があった。鎌倉時代後期建立である。飛騨の匠が、釘を1本も使用しないで建てた、総桧の塔である。一層には一面に巨勢派(平安時代初期から室町時代を経て、明治時代まで連なる絵師の一族)の極彩色による絵が描かれている。八天画、法華経の絵説き、八大龍王、三十二菩薩、花鳥などである。日経新聞(時の廻廊)では「 これが700年以上も残る色彩だろうか。優美さを感じさせる三重塔の扉を開けると、薄暗い照明の中にきらびやかな色の世界があった。閉じられた空間は写真で見るよりも狭く、目が慣れるにつれて極彩色が息苦しいほどに迫ってくる。」と記されている。春と秋にこの国宝三重塔内壁画特別公開期間もあるようだったが、ガイドさんから説明もなく、そのことを知らなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 35mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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158.三重塔 国宝 -2
三重塔は本堂の右側(南側)に建っている。檜皮葺きの和様の三重塔で、様式的に鎌倉時代後期の建築とされる。総高は20.1メートル。逓減率が小さいことと、二重目・三重目の塔身の立ちが低いことがこの塔の特色であるという。相輪は鉄製である。洗練されたこの塔は、離れてみても近くから見ても美しいと言われる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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159.本堂 国宝
本堂は、建築様式から鎌倉時代前期の建立とされる。当初は方五間の仏堂であったが、南北朝時代に七間堂に拡張し、向拝も附加するという大改造を受けて、今の姿になったとされる。 正面の七間は総て蔀戸(しとみ戸、平安時代から住宅や社寺建築において使われた、格子を取り付けた板戸)、側面は礼堂部分の前三間が妻戸、後四間が白壁。中央二間が内陣、後二間が後戸。縁は礼堂の三方のみに設けられている。西明寺本堂の改造時とほぼ同時期に建立された、これから訪れる金剛輪寺本堂とこれらの造りが共通するという。本尊は薬師如来。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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160.三重塔 国宝 -3
初層の縁は高欄がなく、二・三層は高欄をめぐらしている。 二軒繁垂木(軒を支える垂木が上下二段からなっている)の軒が流れるように美しく、組物は三手先(梁や桁 にかかってくる上部の荷重を集中して柱に伝える役目をもつ部材の総称で組物の一形式。大斗から肘木ひじきを三段に出して軒桁のきげたを受けるもの)というそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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161.二天門から -2
二天門越しに参道を眺める。この右側が蓬莱庭だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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162.二天門から -3
二天門を出て参道を眺める。このあたりの紅葉がきれいだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 35mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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163.二天門の構え 重要文化財
二天門は室町時代初期、応永14年(1407年)に建立されたもので、杮葺きの八脚門であり、正面両脇間に金剛柵を設けて増長天と持国天を祀るため二天門と呼ばれる。その胎内から正長2年(1429年)の銘札が発見され、仏師(仏像,仏画の制作に従事する人)法印院尋の作であることがわかった。表道両側石垣は、穴太積(自然石を積み上げる野面積み)の初期の石垣が保存されている。ここにも百済寺の仁王門と同じように草鞋があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
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164.二天文門見上げる
西明寺は、周囲に紅葉をめぐらすこの二天門が、撮影ポイントになる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO640 ) 露出補正 -0.7段
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165.十一面観音立像
参道を下りてくると、蓬莱庭の反対側に十一面観音菩薩が見えた。この十一面観音菩薩は、頭上に十面の化仏をつけ、十種の功徳と四種の果報を授けるのだそうだ。 十一面観音の後ろには棚があり、そこには奉納された三千体あるという小さな十一面観音像が奉納されている。小観音像永代供養料は一体10,000円だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
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166.中門 -2
右側に蓬莱庭の入り口である中門があった。先ほどはここから庭を眺めた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
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167.惣門へ
緩やかな石段の参道を惣門に向かって下りる。午後2時を過ぎたばかりだが、陽が傾いてきている。駐車場のバスに戻って、最後の参詣先である金剛輪寺へ移動する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO500 ) 露出補正 -1.0段
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2018年12月 7日

室生寺 11月7日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(4)

長谷寺駅から近鉄大阪線で伊勢方面へ、2っ先の室生口大野駅まで行く。ここも2、3人観光客が下車するが閑散としている。室生寺行のバスは出たばかりで1時間ない。タクシーを呼ぶがそれも空きがなく30分ほど待たされて、やっと来た。バスを待っていた一人旅の女性をお乗せして室生寺へ向かう。タクシーのドラーバーが、途中、室生寺の末社である大野寺のそばで、川の向こう側にある摩崖仏を見せてくれた。
 タクシーは室生寺の入り口である太鼓橋のところまで行ってくれた。室生寺は真言宗室生寺派大本山の寺院である。
 室生寺の本堂へ上がる石段で、張り出した枝を避けようとして、転んでしまった。右手にリストストラップで持ったカメラが大事で庇ったので、右手で支えられないまま転んでしまった。脚のすねを強打、青あざができて腫れあがったが不思議と痛みはない。
 参詣を終えて、帰りはバスで戻ってきた。駅前のスナックで昼飯を摂る。ビールとスパゲッティ、かみさんは焼きそばを注文した。脱サラしたご夫婦でやっているのだが、旦那がよくしゃべる。次の電車の時間までの一休みだった。
 余談になるが、近鉄大阪線で1971年10月25日に、「青山トンネル事故」というATSの故障が発端で、特急列車が正面衝突するという事故があり、25名が亡くなっている。
 近鉄に乗り桜井方面へ戻り、桜井の先の大和八木で京都行急行に乗り換えた。16:20京都着。昨年も泊まったホテル近鉄京都駅にチェックインした。駅ビルで食事をしたあと、駅構内で「551」の豚まんを買ってホテルに戻った。豚まんは次の日の朝食になった。

68.大野寺の摩崖仏
室生口大野の駅から室生寺に向かうタクシーで5分ほど走っただろうか、運転手がタクシーを止めて、川向うに見える岩を指さし、大野寺の摩崖仏だと見せてくれた。仏様のお顔ははっきりは見えない。大野寺は室生寺の末社だそうで、wikipediaによれば、宇陀川をはさんだ対岸にある弥勒磨崖仏は、「石仏縁起」(万治2年・1659年)や「興福寺別当次第」によれば、興福寺の僧・雅縁の発願により、承元元年(1207年)から制作が開始され、同3年に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われたものであるそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/640秒 28mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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69.太鼓橋
室生寺の境内には室生川にかかる太鼓橋を渡って入る。タクシーをその太鼓橋のところで降りた。太鼓橋の向こうに表門の屋根が見える。室生寺は女人禁制とされてきた高野山に対し、古くから女性の信仰を受け入れてきたことから「女人高野」の別称でも親しまれている。室生寺の創建は平安時代宝亀年間(770年 - 781年)にさかのぼり、国宝や重要文化財の仏像、建造物が多い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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70.慶雲殿
表門からは境内に入れない。覗いてみると、中には本坊庫裏が見え、その左手に慶雲殿が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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71.室生川にかかる太鼓橋
摩崖仏があったところの宇陀川は、奈良県宇陀市大宇陀宮奥付近に源を発し北へ流れ、多くの支流を集めて、三本松駅付近で近鉄大阪線と交差し県境を越え、三重県名張市黒田と名張市箕曲中村の境界で名張川に合流するそうだが、この室生川はその宇陀川の支流である。表門を渡ったところから、太鼓橋にかかる紅葉を眺める。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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72.赤門の屋根
表門の前を、室生川に沿って、右手に進むと赤門があった。紅葉はまだ少し早いようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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73.仁王門 -1
さらに室生川沿いに進む。参拝受付を終えると、すぐ目に入るのが仁王門。元禄に一度焼失し、その後長い間姿を消していたが、昭和40年(1965年)11月に再建された。門の両脇で構える仁王像も、昭和に再興されたもの。門の朱塗りも仁王像の色彩も、まだ色鮮やかで美しい。鎌倉時代の古地図によると、この仁王門のさらに奥に二天門があったと記録されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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74.仁王門 -2
仁王門に掲げられている扁額には「室生山」という文字が見える。wikipediaによれば、室生寺はを山号を「宀一山」といい、「宀一」は「室」のうかんむりと「生」の最後の一画だという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
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75.バン字池
仁王門をくぐると、左手に変わった形の池があった。この池はバン字池と言い、その名の通り梵字のバンの形をしており、大日如来を表しているそうだ。その池の水面に仁王門の紅葉が映っていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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76.鎧坂
バン字池を過ぎてすぐ左側、幅の広い、金堂へ上がる石積みの階段があった。室生寺の名所の一つである鎧坂だ。自然石が積み上げられた階段の様子が、編み上げた鎧の様に見えることからこの名がついたという。鎧坂の途中から下を眺める。もう少し紅葉が進むと、きれいだろう。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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77.金堂(国宝)
鎧坂を登ると、柿葺(こけらぶき)の金堂が石段の上に次第に競り上がって見えてきて、全貌の見える小さな平地に出る。ところが、この鎧坂を登りきるところで張り出した枝を避けようとして、バランスを崩し、転んでしまった。リストラップで持っていたカメラを守ろうとして、脚のすねを石段にぶつけてしまった。カメラは無事だった。写真の高床の正面一間通りは、江戸時代に付加した礼堂(らいどう)で、これが無かった時代には、この石段上から堂内の仏像の姿が拝めたようだ。 金堂は平安時代前期に建立され、その規模は桁行、梁間共に五間、屋根はこけら葺き、寄棟造の平入である。手前一間は礼堂と呼ばれ、江戸時代の寛文12年(1672年)に増築されたものだ。礼堂部分の屋根は、縋破風(すがるはふ)の付いた葺き下ろしとなっている。それ以前、鎌倉時代末期にも大修理が行われており、その際には多くの部材が取り替えられたという。また、建物の正面と左右には縁が付いており、この縁と礼堂の部分のみ、足の長い懸造(かけづくり)となっている。 「 閑古鳥旅行社」というサイトを見ると、金堂の内部には須弥壇が置かれ、本尊の釈迦如来立像を中心に、左手に文殊菩薩立像と十一面観音立像、右手に薬師如来立像と地蔵菩薩立像が安置されており(いずれも平安時代)、それらの前には鎌倉時代の十二神将立像が立ち並ぶ。本尊の背後の板壁には、帝釈天を中尊とする曼荼羅図が描かれているが、これは非常に珍しいそうだ。なお、金堂の左手には、弥勒菩薩立像と釈迦如来坐像を安置する、鎌倉時代建造の弥勒堂が建っているとあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO1600 ) 露出補正 -1.0段
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78.本堂(灌頂堂)(国宝)
参拝受付でいただいたパンフレットによれば、本堂には室生寺の本尊如意輪観音菩薩像(平安時代 重文)が安置されている。ここは真言密教の最も大切な法儀である灌頂を行う堂で、真言寺院の中心であるところから本堂と呼ばれる。延慶元年(1308年)の建立とのこと。五間四方入母屋造りの大きな建築で、内陣と外陣とを板扉で区画し、和様と大仏様の折衷様式を示す。正面に「悉地院」の扁額が掛けられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO320 ) 露出補正 -1.7段
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79.五重塔(国宝)
潅頂堂に向かって左側に、次の石段がある。その石段の上方に目をやると、国宝 五重塔が緑の木立に囲まれ堂々と建っているのが見えた。この五重塔は高さ16.22mで、屋外に建つ五重塔では日本で最も小さい。その小ささから、「弘法大師一夜造りの塔」と例えられることもあるそうだ。建立時期は室生寺最古の建造物で、天平時代末から平安初期の建立である。 屋外に建つ五重塔としては法隆寺五重塔の次に古い。平成10年、台風により大きな損害を被ったが、平成12年に修復され、檜皮葺の屋根や丹塗りの優美な姿がよみがえった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
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80.本堂(灌頂堂)の脇
前の写真で見える五重塔への階段を登って、さらに左手の坂道を上ると奥の院(木影堂 鎌倉時代の重文)がある。石段を登り五重塔を間近で見たが、奥の院へは、重なる石段に足が悲鳴を上げていて、登るのを断念した。ここは本堂の脇である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 -0.7段
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81.五重塔から本堂へ
近くで見ると小ぶりに見える五重塔を見上げて、本堂へと石段を下る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO1600 ) 露出補正 -0.3段
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82.バン字池に映るモミジ
再び仁王門のところまで下りてきた。バン字池に仁王門の屋根とモミジが映り込んでいる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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83.仁王門 -3
仁王門の屋根とイチョウとモミジ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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84.木漏れ日
まだ緑が残るモミジの葉に、木漏れ日が注がれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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85.本坊 書院の庭
ここは本坊の書院のあるあたりだったろうか。記憶が定かでない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
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86.室生口大野駅
帰りは室生寺からバスに乗って室生口大野駅まで戻ってきた。室生寺の観光客は多かったのに、ご覧の通り閑散としている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 31mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
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87.室生口大野駅 プラットホーム
ここから、午前中に来た方向へもどる電車に乗る。長谷寺、桜井、を経て、大和八木で京都行に乗り換えるのだ。室生口大野駅の反対側プラットホームのベンチに、室生寺と大野寺のポスターがあった。摩崖仏、仁王門、五重塔がデザインされたなかなか渋いポスターと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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88.「551」
大和八木で特急に乗り換えて、京都へ行こうと思ったが、すぐ急行が来たので乗ってしまった。停車する駅は多かったが、時間に余裕があったので、のんびり座ってきた。今日の行程は上手く行けるかどうかちょっと心配だったが、問題なかった。チェック・インして、夕食のため外出したが、ホテルに戻るときに駅構内で「551」の豚まんを買った。昨年暮れに京都に来た時もそうした。温かい「551」の豚まんは特に皮が旨い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO800 ) 露出補正 なし
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2018年11月15日

日光東照宮と古峯神社・古峯園 バスツアー(1) 東照宮 10月27日

日光東照宮の「陽明門」の修復が終わって見られるようになったと聞いていたので、是非、行きたいと思っていたところ、某旅行社より「秋色に染まる日光東照宮と古峯園・古峯神社 紅葉3景」という日帰りバスツアーの案内が届いた。さっそくインターネットで申し込んだ。
 天気予報は降水確率80%の10月27日、朝6時半に横浜駅東口に集合した。細かい雨が降っている。
 バスは東神奈川から首都高に入り、湾岸線の大井JCTを左へ、山手トンネルに入った。少々遠くなるのではないかと思ったがこのほうが早いのだろう。順調に池袋に抜けて、東北道に入った。
 途中、大谷PAで弁当が積み込まれ、宇都宮から日光道路を走り、東照宮表参道近くの日光カステラ本舗の駐車場に到着したのは、10時15分くらいだったと思う。表参道を歩いて、「五重塔」、「陽明門」や「三猿」などを見て、二荒山神社、そして家光の墓がある輪王寺大猷院を回って、バスに戻った。 日光を12時過ぎに出発したバスは鹿沼市古峰ヶ原(こぶがはら)にある古峯神社に向かう。バスの中で配られた駅弁を開く。到着した古峯神社・古峯園は紅葉も始まっていて、思っていた以上に見ごたえがあった。
 午後2時30分に古峯神社を出発、川口PAまで休まずに走り、首都高速が若干混んだものの、6時過ぎに横浜駅西口に帰着した。全行程で心配した雨に降られなかったのは幸いだった。
 まず、東照宮と二荒山神社のことから始める。それぞれの記事は、日光東照宮ホームページ、および「日光東照宮・ご朱印」というサイトを参考にさせていただいている。
 今回はあまりにも混んでいたので、2016年に修復された東回廊の坂下門にある国宝「眠り猫」は見なかった。

1.表参道を歩く
添乗員さんに案内されて歩く。バスの駐車場から東照宮への表参道へ通じる車も通る細い道は、小学校の生徒たちもいて、人が溢れていた。写真は表参道で「石鳥居」が見えるところ。日光東照宮のホームページによれば、この「石鳥居」は東照宮鎮座翌年の元和4年(1618)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政によって奉納された。石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
181027_001.jpg
2.「表門」
「石鳥居」の先に「表門」が見えた。 東照宮最初の門で、左右に仁王像が安置されているところから「仁王門」とも呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
181027_002.jpg
3.「五重塔」
「石鳥居」をくぐって、「表門」に上がる石段の手前左側に「五重塔」があった。前回は12年前に来ているが、その時に見た「五重塔」はくすんでいたように思う。「五重塔」は慶安3年(1650)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納された。文化12年火災にあったが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
181027_003.jpg
4.外国からの観光客
多分ツアーで来ているのだと思うが、外国人観光客のグループが「五重塔」の前で、ツアコンさんが[表門」で拝観受付をしているのを待っていた。さすがに外国人観光客が多い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO640 ) 露出補正 なし
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5.「神厩舎」
「表門」をくぐって左側に見ざる、言わざる、聞かざるで有名な「三猿」の彫刻が掲げられている「神厩舎」があった。 「神厩舎」は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)である。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されているという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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6.「神厩舎 」北側
猿の彫刻は全部で8面あるが、この北側に5面と、建物を右側に回り込んだ西側に3面ある。これら「神厩舎」の長押上にある8面の猿の彫刻は、人間の一生が風刺されているという。 向かって左から、第1面は母と子のくつろぎで母と子の絆の強さを表現している。第2面が有名な三猿で、親もとを離れる前に、世間の悪いことを見たり、聞いたりせず、また、人を傷付けるようなことを言ってはいけないと、兄弟三猿に対して親が戒めているとする見方と、自分に都合の悪いことがあれば、見ざる、聞かざる、言わざるで世の中を切り抜けよという処世術の教育であるともいわれるそうだ。第3面が親元を離れた猿、第4面は仲間と青雲の志を持つ。第5面は新たな展開を表し、第6面は恋愛中の猿。第7面は新婚の猿で、第8面は妊娠した猿の幸せそうな表情を表すそうだ。そして、子供が生まれると第1面に戻る。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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7.「神厩舎」 「三猿」
第2面の有名な三猿の彫刻である。作者は不明だそうだ。12年前に見たときと比べると、修復され、鮮やかな色彩を放っていた。撮影条件は違うが上の写真は2006年に撮った。国重要文化財「神厩舎」の全8面にわたって取り付けられている「三猿」は、これまでも約10年ごとに修復作業を繰り返してきたが、8面すべてを塗り替えるのは65年ぶりという。屋外に面した彫刻は外気にさらされ傷みやすく、下地があらわになっていく。そのため、彫刻部を建物から取り外し、一度現状の色をすべて落としてから塗り直す方法がとられた。今回の修復も半世紀前に残された見取り図を見ながら、彫りの形に合わせ、猿の毛色や表情をゼロから描き上げたという。ゼロから描き直す以上、筆の先の太さ、筆のタッチなどが最終的に個人の力量や個性になるのは事実であり、以前のものと比べ、違和感を感じるのも当然だと言われる。それぞれの寺社によって修復へのスタンスは異なり、塗り直しはせず、劣化防止に力を入れるケースもあるが、日光東照宮は、江戸時代の造営以来、常に時代に合わせて修復を続けてきた。

上:Nikon D100 NIKKOR f3.5-4.5 28-105mm macro
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/60秒 66mm ISO400 ) 露出補正 なし 2006年11月9日 撮影
下:SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 39mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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8.「陽明門」で記念写真
小学校の生徒たちが「陽明門」を背景にして記念写真を撮っていた。それにしても凄い数の観光客である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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9.輝く「陽明門」
日光東照宮では平成の大修理の第一期の3次工事が行われている。この国宝の「陽明門」の修復工事は、総工費に10億円かかると言われ、2013年から6年間の計画で開始された。当初は先行きが見通せない状況だったが、2017年(平成29年)3月、無事に工事が終了したそうだ。装飾廻りの根本的な更新修理が行われ、外部廻りの漆塗・彩色・錺金具の更新を主に、一部内部塗装の繕いのほか、屋根・足元・縁廻り等の消耗的箇所についても調査を行い、必要があれば部分的な木部解体修理が併せて実施されたという。そして、2017年3月10日、世界遺産・日光東照宮の国宝「陽明門」が約40年ぶりの大修理を終え、色彩鮮やかによみがえった至宝が一般公開されたのだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 32mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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10.「陽明門」の扁額
日本を代表する最も美しい門で、宮中正門の名をいただいたと伝えられている。いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされている。扁額には「東照大権現」とあった。1616年(元和2)家康が駿府で没すると,遺言に基づきいったん駿河久能山に葬り,翌年ここ日光山に遷葬、朝廷から「東照大権現」の神号が授けられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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11.「陽明門」の彫刻 -1
「陽明門」は、高さは11.1mの2層造りで、正面の長さは7m、奥行きが4.4mある。そこに施されている彫刻はそれぞれ見ごたえがある。これは「御宮並脇堂社結構書」という日光東照宮に関して記された書物に出てくる架空の動物(霊獣)のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 94mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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12.「陽明門」の彫刻 -2
「陽明門」には、一切の空間を埋め尽くすかのように施された、おびただしい数の彫刻がある。この数は正確には知られていなかったが、 改めて数えて見た結果、独立した彫刻が508体あったという。そのうち 156体 が人物の彫刻だそうだ。これらの彫刻は、狩野探幽の作品に数多く登場することから、陽明門のデザインに関しての総指揮は、狩野探幽が単独で一任されていたのではないかと言われている。「陽明門」の上層の高欄(手すり)には「唐子の知恵遊び」と呼ばれる子供が彫られている。 子供の彫刻の少し下にある「出組(組物)」の下にも多数の人物の彫刻が存在する。写真にあるような、これらの人物の彫刻は、かつて中国の歴史上に存在した22人の著名人と伝えられ、戦乱の多かった中国を安寧(平和)に導いた人物とされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 51mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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13.「陽明門」の随身 右大臣
写真は「陽明門」の向かって左側の随身像である。随身とは、平安時代の武装した格好の人形のことを言い、通常は左大臣、右大臣(矢大臣)と呼称される。随身像は、寺の仁王像と同じ役割りを持っており、神に仕えて神を守護する者と言うことになる。こちらが右大臣である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/320秒 55mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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14.「陽明門」の随身 左大臣
こちらは左大臣。「陽明門」の出入りは右側通行になっていて、人込みで右大臣と左大臣を一緒に撮れなかったので、「陽明門」を退出した時に撮った。随身は等身大で、かつ写実的であるため、江戸時代には「生る人に違はず」と言われた傑作だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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15.狛犬
随身像の後ろ側には狛犬があり、ピカピカに輝いていた。日光東照宮のホームページによれば、この狛犬は滋賀県の大宝神社が所蔵する国宝(現在は重文)の狛犬を模して、大正5年に製作したものだそうだ。狛犬は一般的に唐獅子と狛犬(角がある)の一対を総称した呼び名だが、「陽明門」の一対にはどちらにも狛犬の特徴である角が付いていないので、両方唐獅子という珍しいものだという。写真は右の狛犬(吽形)である。そして、欄間には鳳凰、牡丹、桐の花の透かし彫りがある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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16.「唐門」
国宝である。全体が胡粉で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」といった細かい彫刻がほどこされている。創建は1617年(元和3年/江戸時代前期)で、1636年(寛永13年/江戸時代前期)に再建された。この「唐門」は「本殿」を守護する真正面の門であり、四辺に「唐破風(からはふ)造りの屋根」が備え付けられていることから「四方唐破風造(しほうからはふつくり)」と呼称されている。「唐門」の大きな特徴として、左右にひときわ目を惹き付ける昇龍と降龍の彫刻がある。龍は屋根上の左右両端にも備え付けられており、屋根上の龍はヒレが切られた龍になっている。さらにその両端の龍の間の破風の頂には「恙(つつが)」と呼称される唐獅子が備え付けられている。この「唐門」に施されている彫刻の数はなんと611(うち人物が64人)もあり、この数は「陽明門」を上回る数である。

上:SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
下:SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO1640 ) 露出補正 なし
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17.「神輿舎」
重要文化財である。1636年(元和3年/江戸時代前期)に創建された。「神興舎」は「しんよしゃ」と読む。殿舎の四辺の一辺の長さは約6mあり、この中に「春秋渡御祭」(5月18日、10月17日)に使われる、3基の神輿が納められている。神輿が3基あるのには本殿で家康公と相殿として祭祀されている御祭神の豊臣秀吉公と源頼朝公(卿)の御霊を乗せる神輿であるからだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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18.家康公の神輿
中央に主祭神である家康公の神輿があった。干支の虎と竹が彫られている。蝶の飾りもあった。寛永13年に制作された初代の神輿は重さが1トン以上もあったそうだが、現在の二代目は昭和40年代に制作されたもので800㎏だそうだ。徳川家康を静岡の久能山から日光に改葬した際の行列を再現する「春秋渡御祭」では、10月17日に開催される秋の「神輿渡御祭」は、春より規模を縮小して開催されるが、それでも約800人の鎧武者や騎馬、鉄砲持ち、稚児などの行列は絢爛豪華な歴史絵巻を再現しており目を見張るものがあるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/160秒 23mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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19.「鼓楼」と「本地堂(鳴竜)」
「陽明門」の石段の上から「鼓楼」と「本地堂」を見る。 日光東照宮の「鼓楼」と「鐘楼」は一対で設置されている。一対で設置される場合、基本的にはその構造、大きさなどあまり変わりないようにつくられる。だが細部が微妙に違うようだ。「陽明門」から見て右側にこの写真で見られる「鼓楼」があり、左側に「鐘楼」がある。「鐘楼」、「鼓楼」は1635年(寛永12年)に建てられた。かつては実際に使っていたそうで、日光東照宮の祭礼は「鼓楼」の太鼓の音に始まり、 「鐘楼」 の鐘の音で終わったということだそうだ。そして、「鼓楼」の後方にあるのが「本地堂」だ。東照宮境内最大の建物で、創建は1636年(寛永13年/江戸前期)、1961年(昭和36年)に再建された。34枚の檜の板に描かれた6mX15mの「鳴竜」の天井画が有名で家康公を薬師如来の化身としたことから 「薬師堂」とも呼ばれ、「薬師瑠璃光如来像」が祀られている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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20.二荒山神社への道
東照宮から上新道(うわしんみち)を二荒山神社へと歩く。あんなに混雑した「陽明門」だったのに、ここは人が少なかった。wikipediaによれば、二荒山神社では、古名を二荒山という男体山、女峰山、太郎山からなる「日光三山」それぞれに祭神をあてて祀っている。三山のほか日光連山を境内地とし、面積は3,400haにも及び、その神域には華厳滝やいろは坂も含まれる。二荒山神社は古来より修験道の霊場として崇敬された。江戸時代になり幕府によって日光東照宮等が造営されると二荒山神社も重要視され、現在の世界遺産・重要文化財指定の主な社殿が造営された。また、国宝指定の刀剣2口や多数の刀剣等の重要文化財を現在に伝えているほか、境内は国の史跡「日光山内」に包括されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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21.上新道と「楼門」
上新道は日光東照宮の入口となる「石鳥居」と「表門」の広場から、二荒山神社の入口となる「楼門」へ続く。その距離は約200mほどあり、徒歩で4、5分ほどかかった。前の写真で見るように、上新道の側面には、植生する杉の木と37基の燈籠がが整然と立ち並んでいる。この燈籠は1966年(昭和41年)に執り行われた「日光東照宮350年記念祭」を記念して奉納されたものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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22.シロヤシオの紅葉
「楼門」を入ると鳥居があって、その左側に社務所があった。結婚式場にもなっているらしい。社務所の門の右手に見事に紅葉している1本の樹があった。この樹は「シロヤシオ(白八汐)」といい、太平洋側の山地に生息するツツジ科ツツジ属の落葉樹という説明書が掛けられていた。5-6月に咲く花は白く大柄だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO800 ) 露出補正 なし
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23.二荒山神社拝殿 -1
国の重要文化財である。霊場としての日光の始まりは、下野国の僧・勝道上人(735年-817年)が北部山岳地に修行場を求め、大谷川北岸に天平神護2年(766年)に紫雲立寺(現在の四本龍寺の前身)を建てたことに始まるとされる。そして二荒山神社の創建は、上人が神護景雲元年(767年)二荒山(男体山)の神を祭る祠を建てたことに始まるとされる。「拝殿」の創建年は不明とされているが、1645年(正保2年/江戸時代前期)に再建されているようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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24.二荒山神社拝殿 -2
この「拝殿」の奥に「本殿」がある。「拝殿」と「本殿」の間には切妻造りの小屋のような建造物「渡殿」が設けられおり、渡廊の役割を担い、「本殿」と「拝殿」を連絡している。「本殿」は左右に妻側が向けられた入母屋造りで、正面の屋根には三角の千鳥破風、その軒下には緩やかな曲線の唐破風が据えられており、複雑さがありながら、実に完美とも言える造りになっているという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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25.「良い縁狛犬」と「足尾の大国様」
「拝殿」を下がって、「神門」へと向かう右側に「神楽殿」が見えた。「神楽殿」の中には大きく金色をした「足尾の大国様」が祀られていた。この大国様は「昔、勝道上人が二荒山中宮祠において修行中、毎年稲穂をくわえて白ねずみが現れたそうです。そこで白ねずみがどこからくるのか確かめようと、白ねずみの足の紐(緒)を結わえて放ったところ、現在の足尾の村落に至り、渡良瀬川の洞窟に入ったそうです。それ以来この村落を「足緒」と呼ぶようになったと言われております。そして、白ねずみが入った洞穴を修行の場に選び大国様とネズミを祀ったと伝えられております。」と説明されていた。手前は「良い縁の狛犬」。そこには「狛犬は、獅子や犬に似た想像状の生き物とされています。起源は、古代エジプト・メソポタミアでの神殿を守るライオン像とされています。中国を経て飛鳥時代に日本に伝わった当初は、獅子であり、左右の姿に差異はなく、開口した姿であったと言われています。平安時代になって、それぞれ異なる外見を持つ、獅子と狛犬の阿吽の開口閉口の像が対で置かれるようになりました。現在では、両者を合わせて狛犬と呼ぶようになっております。この狛犬は、飛鳥時代当初の獅子の形をインド黒大理石に彫ったもので、台座は日本三大銘石と言われる茨城県産の青糖目石です。左右の「良」「縁」の文字枠は八稜鏡を象ったものです。全国神社でも他にない、大変珍しい狛犬です。栃木県さくら市在住の飯沼休吾氏より、世界文化遺産登録十五周年を記念して、平成二十七年十二月に奉納されました。」と書かれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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26.「神門」
「神門」から出る。二荒山神社には「楼門」と「神門」があり、私たちは二荒山神社に入るときは東照宮からの上新道という参道を歩いて「楼門」から入った。「楼門」と「神門」はともに新しい門で、勝道上人の男体山登頂1200年を記念して作られたものなので、歴史的建造物ではないとのことだ。 「神門」を出て右へ。次に「輪王寺大猷院」向かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO640 ) 露出補正 なし
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2018年5月 2日

2泊3日で山陰山陽を周遊(7・終) 安芸の宮島 厳島神社 3月31日

津和野から、再びバスに乗り、最後の目的地である宮島へ向かう。津和野から国道187号線を走り、六日町で中国自動車道に上がる。島根県からいったん山口県岩国市に入り、中国自動車道の最高地点721mを通過して広島県に入った。広島北から広島自動車道を走って山陽道に入り、宮島で下りた。昼食はこの日もバスの中で弁当だった。
 宮島口の大きな駐車場から歩いてフェリーの乗り場へ行く。この日は行楽シーズンの土曜日で、さすが人が多い。フェリーは予約されていて、待たずに乗船できた。宮島桟橋で待っていてくれた清盛通りと呼ばれる表参道商店街にある「だいこん屋」という土産物屋さんの女性が厳島神社参拝のガイドをしてくれた。とても丁寧に説明してくれたが、人が多く、聴き取りにくかった。
 この日は大潮だった。後で調べたところこの日の干潮のピークは、15時52分で、潮位は30cm(平均海水面=海抜)とあった。満潮は午前10時ごろで、潮位は350cmになる。
 私たちが厳島神社を見学していたのは午後2時から3時くらいの間で、十分、鳥居まで歩いて行けるほど潮が引いていた。 潮位100cm以下で鳥居まで歩いて行けるといわれ、 250cm以上で嚴島神社が海に浮かんで見えるという。
  厳島神社は推古天皇元年(593)、佐伯鞍職(さえきくらもと)により創建されたと伝えられている。説は、色々あるそうだがが、「いつき島にまつれる神」という意味から、「伊都伎島(いつきしま)神」、「厳嶋神社」等呼称され、現在は、「嚴島神社」となっているという。原始宗教のなごりで、島全体が神の島として崇められていたので、陸地では畏れ多いと潮の満ち引きするところに社が建てられたのだそうだ。 平清盛が久安2年(1146)安芸守に任官され、平家の守護神として尊崇し、平家一門の権力が増大するにつれてこの社を尊崇する度合いも増し、社殿を現在の姿に造営したと伝えられる。

厳島神社の参拝順路は決められている。(厳島神社ホームページより)

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 まず海から見て左側から、海の上に築かれた廻廊に上がる。客神社本殿から東廻廊、本社拝殿から幣殿、その奥の本社本殿にお参りして、西廻廊を通って、反橋の前を通り、能舞台を見て、海側から見て右側の出口から出るようになっている。撮った写真の説明は、宮島観光協会のホームページを参照させていただいた。出口から少し大鳥居のほうへ歩いていくと階段があって、海に下りることができた。もちろん大鳥居まで歩いてみた。 厳島神社の参拝と見学を終え、案内してくれた女性の土産物屋さんに集合して、宮島桟橋へ戻った。
  午後3時半ごろ、フェリーで宮島口へ。宮島口から再びバスに乗り、岡山に向かう。190kmのドライブになった。そして、19時33分発の新幹線に乗車し、今回の駆け足のツアーを無事、終えることになった。
 往きに岡山駅で下電観光バスに乗ったときに、声は大原麗子さんから、「今回このバスは1,000km走ります。ゆっくり見たい、時間が足りないと思われるでしょうが、できません。今回は下見だと思ってください。」と釘をさされていた。確かにバスの乗っている時間のほうが長かったようにも思うが、「もう一回来てみたい」と思うところを観ることができた楽しい旅行だった。そして、3日間の快晴と、満開の桜のもてなしは、何にも代えられなかった。

114.フェリー
宮島口から宮島桟橋までのフェリーは、JR西日本フェリーと宮島松大汽船の2社が頻繁に運航していて、運賃は片道 大人ひとり180円、SUICA、PASMOも利用できる。所用時間は約15分だった。私たちが乗船したのは松大汽船だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/640秒 36mm ISO100 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
115.フェリーの客室から
フェリー客室のガラス越しに、宮島を眺める。午後1時半、潮は引いていて、大鳥居近くまで歩く人の姿が見られた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
116.石造りの鳥居
フェリーの桟橋からしばらく右側に海を見ながら歩くと、左側から表参道商店街(清盛通り)が合流するところに、石造りの鳥居があった。海に立つ朱色の大鳥居に遠慮してか、質素な鳥居だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
117.表参道商店街
海寄りから1本中に入った通りが清盛通りと呼ばれる表参道商店街だった。ここで私たちが歩いてきた海寄りの道と合流する。案内してくれている女性の土産物屋さんもこの商店街にあり、参拝が終わるとそこに集合だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 17mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
118.干潮 大鳥居
この写真を撮った時刻は午後2時ちょっとすぎ。厳島神社の参拝入口を目指して海沿いを歩いていると、右側に大鳥居が見えてきた。大鳥居まで潮の引いた海を歩いている人たちが見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
119.干潮 厳島神社
参拝入口のほうへ曲がると、厳島神社のお社まで水が引いていた。厳島神社の境内は、宮島の「御笠浜(みかさはま)」の中心に位置し、浜の入江に沿うようにして建てられている。そのため昇殿するためのメインとなる出入口は、浜の東西に位置する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
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120.大鳥居の扁額
大鳥居の扁額に何と書かれているか見たかったので、望遠で引いてみた。 「伊都岐島神社」と書かれていた。反対側(海側)には「厳島神社」と書かれているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 181mm ISO100 ) 露出補正 なし
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121.参拝入口
参拝入口からすぐのところに国宝・客神社(まろうどじんじゃ)がある。 厳島神社本社と同様に、本殿・幣殿・拝殿・祓殿からなり、厳島神社の祭典は、この客神社から始まりまる。天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・活津彦根命(いきつひこねのみこと)・天穂日命(あめのほひのみこと)・天津彦根命(あまつひこねのみこと)・熊野櫞樟日命(くまのくすびのみこと)の5男神が祀られている。摂社の中でも一番大きく、厳島神社の祭事のおりには、一番先に神職がお参りするという。 右側には、右門客神社、平舞台が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
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122.祓殿 拝殿
同じ位置から広角で撮ると、平舞台の後ろ側にある祓殿が見える。その奥に厳島神社の拝殿、幣殿、本社本殿と続く。これから、左側の東廻廊を渡って拝殿の脇から、祓殿へと進む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/640秒 10mm ISO100 ) 露出補正 なし
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123.参拝廻廊入口
ここから廻廊に入る。左側は客神社本殿、右側にその祓殿があり、廻廊の入口には、世界文化遺産 国宝厳島神社と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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124.拝殿
参拝廻廊に上がったところから右側に厳島神社本社の拝殿が見えた。これから回って拝殿に行く。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
125.鏡の池
まっすぐ進むと左側に鏡の池があった。清水が湧き出ていて、潮が引くと手鏡のように見えることから鏡の池と呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/800秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
126.枡形
廻廊は本社拝殿のほうに右に曲がる。その右に曲がったところから、客神社祓殿と右楽房の間から大鳥居を望む。客神社祓殿と廻廊で囲まれたところを、枡形という。毎年旧暦6月17日に行われる「管絃祭」で御座船や阿賀・江波の曳船がここで船を3回廻すそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
127.五重塔
右へ曲がったところから、今通ってきた参拝入口からの廻廊を眺める。廻廊の向こうに豊臣秀吉と加藤清正を祀る豊国神社の五重塔が見える。五重塔は高さ27.6mある。応永14年(1407)建立で桧皮葺で和様・唐様を融合した見事な建造といわれる。内部は彩色がしてあり豪華絢爛で、内陣の天井には龍が、外陣の天井には葡萄唐草の模様が描かれているそうだ。国の重要文化財に指定されている。ツアーの私たちは、とても見学できる時間はない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 10mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
128.大鳥居 東回廊から
本社拝殿に向かう廻廊の途中から、大鳥居を撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 37mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
129.厳島神社祓殿
祓殿の前まで来て、平舞台の脇を海側に下がって、祓殿を撮る。 祓殿はお祓いをするところで、管絃祭の時に鳳輦(ほうれん・屋根の上に金色の鳳凰の飾りをつけた輿 )、御輿が置かれる場所であり、また雨天時の舞楽奉奏などに使われるそうだ。wikipediaによれば、祓殿は拝殿の手前に棟を直交させて建つ入母屋造、妻入の建物で、桁行6間、梁間3間である。全面吹き放し(柱間に壁や建具を入れない)の開放的な建物である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
130.大鳥居 平舞台から
潮は引いているが、こちら側に向かって、道のように水たまりができている。今日は海に浮かんでいる大鳥居は見られないが、どんな感じなのだろうか。祓殿の前の高舞台に対し平らなところを平舞台という。寝殿造りでいえば庭にあたるところで、束石は赤間石で毛利元就の寄進といわれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
131.拝殿内部
拝殿は、参拝者がご祭神と向き合い、お祓い・参拝をするところ。拝殿の下から見上げると棟が2つ見え、その上を一つの棟で覆っている。これを三棟造りといい、奈良時代の建築様式だそうだ。大鳥居からの距離は、百八間(約196m)ある。 厳島神社の祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと) の3柱で、「宗像三女神」と総称される。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
132.武者の絵
拝殿の脇に板に描かれた武者の絵が奉納されていた。絵の由緒が気になった。厳島神社は平家の信仰があるが、平家武者の絵なのだろうか。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/80秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
133.能舞台と能楽屋
拝殿から本殿への参拝を終え、西廻廊へ進む。右手に今まで見てきた朱色と趣を異にする墨色の能舞台(左)と能楽屋が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
134.能舞台
永禄11年(1568年)毛利氏は、観世太夫を招き、仮の能舞台を海中に設けさせ、能を奉納した。現在の建物は、延宝8年(1680年)広島藩主浅野綱長により改修されたもので、廻廊の反対側に見える天神社(創建年1556年・弘治2年/室町時代、再建年 1945年・昭和20年)と同じく、建造時期が下がるので、丹塗りはされていない。特徴は、日本で唯一海中に建てられていることと、切り妻造りであり、笛柱が独立していることである。 毎年4月16日から3日間桃花祭神能が行われ、初日と2日目には、初めに翁が舞われ、3日間とも五番立で、間に狂言が入り、江戸時代からの本式な演能を観ることができるそうだ。平成3年の台風19号で倒壊したが、古材をできるだけ使用し、平成6年に再建された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
135.反橋 -1
西廻廊を右に曲がって歩くと左手に反橋が見えた。 反橋は長さ約24m、幅4m、高欄は丹塗り・橋脚は墨塗り。鎌倉期に既にあったが、現在のものは弘治3年(1557)毛利元就・隆元父子により再建されたものという。別名、勅使橋ともいい天皇からの使者(勅使)だけがこの橋を渡ることができたそうだ。中央に階段を設けて渡ったものと思われる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
136.反橋 -2
傍に行ってみると登り始めの傾斜は大きい。むかし、子供たちが廻廊を走ってきて、勢いをつけて、橋を駆け上がっていたと案内をしてくれた女性が話してくれた。重要文化財になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
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137.大願寺多宝塔
廻廊の出口が近くなったころ、厳島神社から南のほうにある大願寺の多宝塔が見えた。 多宝塔は、僧周歓が大永3年(1523)に建立したといわれ、薬師如来像をお祀りしていたが、明治維新の神仏分離令で大願寺に移され、建物は、現在厳島神社に帰属しているそうだ。特徴は、外部は純和様で、貫の鼻が拳鼻になっているなど大仏様や台輪など禅宗様も細部に見られる。屋根は方形だが、下層の屋根には饅頭型の亀腹があるため、上層の柱は円形に配列されている。大願寺にも寄ることはできなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 53mm ISO100 ) 露出補正 なし
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138.大願寺境内
厳島神社参拝順路を出ると大願寺の境内が見えた。亀居山放光院大願寺は、真言宗で、開基は不明、鎌倉時代の建仁年間(1201~1203年)に僧了海(りょうかい)により再興されたと伝えられている。現在の本堂は昔の僧坊で、 天正15年(1587年)、豊臣秀吉が戦歿将兵の慰霊のために大経堂として建立した千畳閣(豊国神社本殿)が本堂になる予定だった。昔、参拝者は、大鳥居をくぐり、大願寺近くの砂浜に上陸した後、大願寺の裏にあった大風呂で身を清め、僧坊で休憩、着替えをして厳島神社に参拝したという。厳島神社の出口が唐破風造りで、昔は入口であったことがうかがえる。また境内の池の中には、弁財天の使いとされる厳島龍神が祀られている。 本堂には、国の重要文化財である仏像が4体あり、その中の薬師如来坐像は、弘法大師の作と伝えられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
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139.大願寺の九本松
案内してくれた女性が、 大願寺境内にある、根もとあたりから9本に分かれて伸びている松のことを説明してくれた。明治時代、伊藤博文が頻繁に厳島を訪ねた際に植えた松だと伝えられているそうで、大願寺の九本松と呼ばれているクロマツだそうだ。樹高は30m、太さ・目通り幹囲3.6m、推定樹齢は100年~200年。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 29mm ISO100 ) 露出補正 なし
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140.豊国神社 千畳閣と五重塔
出口付近から入口のほうを眺めると、豊国神社の 千畳閣 と、厳島神社拝殿の後ろに五重塔が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 29mm ISO100 ) 露出補正 なし
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141.海へ
出口の先に海に下りる階段があった。大鳥居の先のほうまで人影が見える。時刻は2時37分。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
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142.海の大鳥居 -1
大鳥居は境内の沖約200mに立つ。wikipediaによれば、現鳥居は明治8年(1875年)の再建である。棟の高さ16.6メートル、柱間10.9メートルの、大型の木造両部鳥居(各主柱に2本ずつの控柱がつく)である。主柱はクスノキの自然木で、控柱はスギ材である。主柱は1本が宮崎県岡富村(現西都市)、もう1本が香川県和田浜(現観音寺市)で切り出された。両柱とも、1950年の修理時に根継ぎを行っており、根継ぎ材は東柱が福岡県久留米市、西柱が佐賀県佐賀郡川上村大字池ノ上字池ノ上(現在賀市大和町池ノ上)で切り出されたものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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143.海の大鳥居 -2
傍に行って大鳥居を見上げた。触っても見た。満潮時には柱が水につかるあたりには、フジツボがいっぱい着いていて、そこに硬貨が埋め込むように置かれていた。wikipediaによると、2012年以降、大鳥居にできた亀裂の部分に、一部の観光客によって硬貨が差し込まれるケースが多発している。神社側は「鳥居の柱の老朽化が進む虞があり、止めてほしい」と呼び掛けているそうだ。2本の大きな柱は、整った形ではなく、自然木の形が現れていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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144.潮干狩り?
大勢の観光客が行き来するところから少し離れたところで、地元の方であろううか、潮が引いた海で何かを掘っていた。「大鳥居の内側で貝を取ってはいけません 厳島神社」という札が立っていたが・・・。貝ではないのかもしれない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 181mm ISO100 ) 露出補正 なし
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2018年4月 8日

春の鎌倉 寿福寺 英勝寺 海蔵寺 3月28日

この日、鶴岡八幡宮の段葛の桜を見終えたのは、まだ、10時を少し過ぎたころだった。しばらく行っていなかった海蔵寺へ行こうと横須賀線の踏切を渡って、寿福寺、英勝寺、海蔵寺と続く道へ出た。観光客は少ない。ゆっくりとみることができた。
 話は違うが、佐伯元行さんという方による日本産のチョウ類全種257種の飛翔写真集が刊行された。これを知ったときに「まさか」と思った。さっそく、注文したところ、本日、手元に送られてきた。佐伯さんは2006年に日本産全種撮影を成し遂げ、さらに今回、全種飛翔写真撮影を達成された。昨今のチョウの写真は、飛んでいるところが珍重されている。私も試みることはあるが。飛翔写真の撮影は極めて難しい。そして、撮った駒に対する歩留まりが悪い。佐伯さんの「蝶の飛翔」写真集はまさに偉業と思う。

1.寿福寺 外門
鶴岡八幡宮から若宮大路を右に曲がって小町通を突っ切り、踏切をわたり、右へ進むと左手に寿福寺がある。寿福寺は臨済宗建長寺派の寺院で鎌倉五山の第三位。1200年(正治2年)に源頼朝夫人の北条政子により開山された。地味なお寺で観光客は少ない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO320 ) 露出補正 なし
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2.寿福寺の境内
寿福寺の外門の先には山門まで、長い敷石道の参道が続く。境内は「寿福寺境内」として1966年(昭和41年)3月22日に国の史跡に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO160 ) 露出補正 なし
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3.英勝寺 ウスズミザクラ
次は英勝寺である。創建は寛永13年(1636年)の浄土宗のお寺である。開山は水戸光圀の姉である玉峯清因、開基は英勝院尼。現在、鎌倉唯一の尼寺という。小さな入口を入って拝観料を支払う。受付の方が「ウスズミザクラが咲き始めましたので見ていってください」と教えてくれた。 ウスズミザクラはエドヒガン系の桜で、咲き初めがピンクで、後に清楚な白い花ビラとなり、散る間際には墨をさしたような色に変わるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 13mm ISO100 ) 露出補正 なし
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4.英勝寺 聖観菩薩
本堂のお参りは後にして、太子堂、 聖観菩薩の矢印を見て、崖の上に上がってみる。 聖観菩薩のいわれはよくわからない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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5.英勝寺 仏殿
英勝寺の仏殿は、1636年(寛永13年)に建てられた禅宗様方三間裳階付の建物で宝珠殿(ほうじゅでん)と呼ばれる。 扁額に何と書かれているのか読みにくかったが、どうやら「寶珠殿」と書かれているらしい。 寛永20年(1643年)4月11日の裏書きがあるそうだ。仏殿は間口、奥行きとも3間、屋根は寄棟、裳階(もこし)付きの建物である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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6.英勝寺 本尊 阿弥陀如来
仏殿正面の小窓を開けると本尊の阿弥陀如来を拝観することができる。この阿弥陀如来像は徳川三代将軍家光の寄進といわれる。RX10M4でISOの上限を3200にし、シャッター速度を1/500秒より速い設定にしておくと、開放でこれより光量が少ない場合は、シャッタースピードが遅くなる。この場合1/60秒でシャッターが切れた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/60秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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7.英勝寺 竹林
鎌倉には報国寺という、石灯篭や赤い野点傘が置かれ、孟宗竹の緑をひきたたせている立派な竹林のあるお寺があり、2010年に訪れている。しかし、わたくしは此処の竹林のほうが好きだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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8.スジグロシロチョウ
この日は暖かい日だった。英勝寺の境内に咲く紫色のダイコンバナでスジグロシロチョウが吸蜜していた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
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9.英勝寺 手水鉢
境内を歩いているといくつかの石造物があり、その中に由緒ありそうな手水鉢があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO800 ) 露出補正 なし
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10.海蔵寺 入口
英勝寺からさらに進むと、左に曲がる海蔵寺への道がある。海蔵寺は鎌倉駅から1.4kmのところにある。海蔵寺も臨済宗建長寺派のお寺。 wikipediaによると 建長5年(1253年)に宗尊親王の命により藤原仲能が創建し、鎌倉幕府滅亡時に焼失、応永元年(1394年)に上杉氏定の開基、心昭空外を開山として再興されたと伝えられる。正面が山門だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO800 ) 露出補正 なし
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11.ムラサキシジミ
海蔵寺の庭で敏捷に飛び回る小型のチョウがいた。コツバメと思ったがムラサキシジミだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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12.海蔵寺 鐘楼と庫裡
海蔵寺の鐘楼は秋の紅葉の頃が美しく、この寺のポイントになって入る。左奥に見えるのは、2階建て、出桁造で、江戸時代の建立である庫裡だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 13mm ISO100 ) 露出補正 なし
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13.海蔵寺 本堂
山門を入って正面に、十一面観音が安置された本堂がある。ミツマタの花がきれいだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/900秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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14.海蔵寺 カイドウの花
海蔵寺はカイドウの花が良いと聞いていた。庫裡の脇に咲くカイドウはやっと蕾が開き始めたころだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 114mm ISO100 ) 露出補正 なし
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15.海蔵寺 龍護殿
本堂の中は広間になっていて龍護殿と書かれた額がかけられていた。本堂は龍護殿と呼ばれているらしい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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16.海蔵寺 本堂裏手の庭園
本堂の裏手には、綺麗に手入れされた非公開の山水庭園があった。水の寺とも言われる海蔵寺だけあって、湧水から成る池や、初夏のあやめ、晩秋の紅葉と、緑色の苔とのコントラストが非常に美しいといわれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 15mm ISO100 ) 露出補正 なし
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17.海蔵寺 カイドウと庫裡の屋根
カイドウの花と背景とを写し込もうと思い、絞りをf11にして撮ってみた。カイドウの花までの距離があり思うようにはいかなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 39mm ISO640 ) 露出補正 なし
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18.海蔵寺 
本堂から山門を見て、右側に薬師堂と呼ばれる仏殿がある。1777年に同じ鎌倉にある浄智寺から移設されたそうだ。中には鎌倉十三仏のうちの一つである、薬師如来坐像が置かれていて、拝観できた。向かって右手に日光菩薩、左手に月光菩薩が祀られている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f3.2 1/125秒 14mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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19.海蔵寺 出口
本堂から見て、正面の山門が入口だとすると、その左手に出口に当たるもう一つの門がある。ユキヤナギがきれいに咲いていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 51mm ISO100 ) 露出補正 なし
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