2016年9月17日

隠居の散策:白露の候の泉北ニュータウン栂地区の生き物(1)

秋のお彼岸までまだ少し日にちがある24節気白露の候(9/8-9/21ころ)、少し秋の気配を感じながら、近所を散策した。
 いつもあまり歩かない小道を歩いてみると思いがけない発見があったりする。この時期には、ヤブガラシの花序が伸びていていたるところに絡みついている。そこにいろいろな昆虫がやってくる。ヤブガラシは別名ビンボウカズラと呼ばれていて、手入れの行き届かない庭や畑などにはびこる。このような植物の方に蝶などはやってくる。よく手入れの届いた公園などには、虫はあまりやってこない。皮肉なものだ。

白露の候の生き物たち:泉北ニュータウン栂地区

;クリックすると大きな写真になります。 2016/9/9 堺大森
ランタナ
雑草の中に咲いている。"時間が経つにつれて黄色から橙色,赤色へと花の色が変わります。このため「しちへんげ(七変化)」とも呼ばれますが、色の変化しない黄色や白色の品種もあります。"とボタニックガーデンにはある。
SONY α7Ⅱ+FE24-240mm zoom
59.0mm 絞り優先 1/60s f9.0 ISO100 露出補正 -0.3
;クリックすると大きな写真になります。 2016/9/9 堺檜尾
百日草にイチモンジセセリ
道に面した小さな花畑に色々花が植栽されており、蝶がやってきている。
SONY α7Ⅱ+FE24-240mm zoom
134.0mmクロップ 絞り優先 1/60s f9.0 ISO125 露出補正 -0.3
;クリックすると大きな写真になります。 2016/9/9 堺檜尾
ノウゼンカズラ
上に伸びたノウゼンカズラの花の上の雲は秋色だ。
SONY α7Ⅱ+FE24-240mm zoom
59.0mm 絞り優先 1/500s f6.3 ISO100 露出補正 +0.3
;クリックすると大きな写真になります。 2016/9/9 堺檜尾
マリーゴールドにホシミスジ
この蝶は関東にはあまりいないらしい。
SONY α7Ⅱ+FE24-240mm zoom
59.0mm 絞り優先 1/500s f6.3 ISO100 露出補正 +0.3
;クリックすると大きな写真になります。 2016/9/9 堺檜尾
シオカラトンボ
成虫、幼虫ともに肉食で、小さな昆虫類を餌にしているらしい。
SONY α7Ⅱ+FE24-240mm zoom
184.0mm 絞り優先 1/200s f6.3 ISO500 露出補正 +0.3
;クリックすると大きな写真になります。 2016/9/9 堺檜尾
ヤマトシジミ開翅
ツユクサに留まって開翅。翅が青色がかっているので、オスだろう。
SONY α7Ⅱ+FE24-240mm zoom
152.0mmクロップ 絞り優先 1/200s f6.3 ISO100 露出補正 -0.3
;クリックすると大きな写真になります。 2016/9/9 堺和田川
アオサギ飛翔
ほとんど静止しているが、ときたま飛び立って場所を変える。
SONY α7Ⅱ+FE24-240mm zoom
240.0mmクロップ 絞り優先 1/250s f6.3 ISO160 露出補正 -0.3
;クリックすると大きな写真になります。 2016/9/9 堺檜尾
千日紅にヒメアカタテハ
ほとんど静止しているが、ときたま飛び立って場所を変える。
SONY α7Ⅱ+FE24-240mm zoom
201.0mmクロップ 絞り優先 1/250s f6.3 ISO125 露出補正 -0.3
;クリックすると大きな写真になります。 2016/9/9 堺檜尾
百日草に吸蜜するアゲハチョウ
3,4頭が飛び回っていた。
SONY α7Ⅱ+FE24-240mm zoom
240.0mmクロップ 絞り優先 1/250s f6.3 ISO160 露出補正 +0.3
;クリックすると大きな写真になります。 2016/9/9 堺檜尾
実った稲にキタテハ
このような状況では極めてピントが合いにくい。キタテハと稲でググったら、海野和男さんの写真がヒットした。このような状況では、ピントが合いやすいだろう。
SONY α7Ⅱ+FE24-240mm zoom
169.0mm デジタルズーム3倍 絞り優先 1/400s f6.3 ISO100 露出補正 -0.3
;クリックすると大きな写真になります。 2016/9/9 堺檜尾
オクラの花
この時期、野菜畑ではオクラの花が目立つ。
SONY α7Ⅱ+FE24-240mm zoom
201.0mm 絞り優先 1/250s f6.3 ISO125 露出補正 +0.3
;クリックすると大きな写真になります。 2016/9/9 堺檜尾
タマスダレ
ブラジルが原産だそうだ。園芸用のものが混ざり込んだのだろうか、田んぼの脇に咲いていた。
SONY α7Ⅱ+FE24-240mm zoom
110.0mm 絞り優先 1/160s f6.3 ISO100 露出補正 +0.3
;クリックすると大きな写真になります。 2016/9/9 堺檜尾
オオイトトンボ
連結したカップルが草の葉に留まっていた。堺いきもの情報館に投稿。
SONY α7Ⅱ+FE24-240mm zoom
219.0mm 絞り優先 1/250s f6.3 ISO200 露出補正 -0.3
;クリックすると大きな写真になります。 2016/9/9 堺檜尾
アキノノゲシ
人の住むところにしか生えていない。花は昼間に開いて夕方には萎むとのことだ。
SONY α7Ⅱ+FE24-240mm zoom
49.0mm 絞り優先 1/160s f6.3 ISO100 露出補正 -0.3
;クリックすると大きな写真になります。 2016/9/9 堺檜尾
ヤブガラシにアゲハチョウ
左尾状突起が欠損している。
SONY α7Ⅱ+FE24-240mm zoom
198.0mm 絞り優先 1/200s f9.0 ISO120 露出補正 -0.3
;クリックすると大きな写真になります。 2016/9/9 堺檜尾
キバナコスモスにツマグロヒョウモン♂
ツマグロヒョウモンは、園芸用の花によくやってくる。
SONY α7Ⅱ+FE24-240mm zoom
201.0mm 絞り優先 1/250s f9.0 ISO250 露出補正 +0.3
;クリックすると大きな写真になります。 2016/9/9 堺檜尾
アゲハチョウの飛翔
「チョウはなぜ飛ぶのか」での写真と同じ構図を狙ったが(^_^;)。難しい。
SONY α7Ⅱ+FE24-240mm zoom
130.0mm 絞り優先 1/160s f9.0 ISO100 露出補正 +1.0
;クリックすると大きな写真になります。 2016/9/9 堺檜尾
ヤブガラシにはキアシナガバチも
名前通り、脚が黄色いアシナガバチ。
SONY α7Ⅱ+FE24-240mm zoom
184.0mmクロップ 絞り優先 1/200s f8.0 ISO400 露出補正 -0.3


  
新編 チョウはなぜ飛ぶか フォトブック版
日高 敏隆
朝日出版社
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2012年3月15日

隠居の読書:1円の中古本


 隠居の探鳥ウォーク・シリーズでは、俳句とはとても言えないような俳句をタイトルにしている。野鳥の観察では、季節の移ろいを肌に感じる。俳句をタイトルにしているのは、俳句には季語があって季節の表現が必要であるから、タイトルの表現には合っているなと思うからである。だが、乏しい日本語知識では、短い語句の中で適切な表現は極めて難しい。それで、色々な歳時記に頼ることになる。そんなことで、鳥と歳時記に関する本を探し求めたりする。先日、ネットでサーチしていると〘野鳥の歳時記〙といった本がたくさんあることが分かった。

 本は Amazon で買うことにしているので、Amazon で探してみると中古本であるが、どちらもシリーズ本で小学館の〘野鳥の歳時記〙、学研の〘鳥の歳時記〙といった本が一冊1円で売られていることが分かった。送料は 250 円である。
 いくら安くても、中身の薄ペッらい本であれば、邪魔になるだけである。試しに、一冊ずつ買ってみることにした。

 何社かリストされている中から、あまりどこの中古本屋といことを意識せずに注文をすると、二日もしないうちに、茶封筒に包装されて、ゆうメールで送られてきた。
 早速、封筒を破って中身をみた。どちらも 28・29 年前に出版された本であるが、綺麗なものである。デジカメが発展した最近の画像と比べれば、確かに写真はもう一つの感じがするが、挿入されてる文章は、山本健吉や若き頃によく読んだ串田孫一らの鳥に関する随筆があり、極めて面白い内容になっている。これで、251 円は安い。ということで、何冊かを買い求めた。
 どちらも野鳥愛好家にとっては、興味深い内容であるが、学研の〘鳥の歳時記〙には歳時記らしく多くの俳句も挿入されている。小学館の〘野鳥の歳時記〙は俳句歳時記ではないとことわっていて俳句の記載はないが、中西悟堂、岡部伊都子、辻邦生、戸川幸夫らのエッセイには惹きこまれている。

 ところで、気になる1円の秘密は、KandaNewsNetwork というサイトに、詳しいブログ記事があった。カラクリは、送料の割引制度にあるようだ。なるほど、納得である。

野鳥の歳時記〈4〉秋の鳥

小学館
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鳥の歳時記 (4)
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2011年11月21日

隠居のパソコン備忘録:モニターを CRT から LCD に変える 


 私のパソコンは、いわゆる自作PC で、いろいろな部品や機器をアセンブリしたものである。モニターは、10年前くらいに娘の大学入学祝いにと自作したときに求めた SAMSUNG の 19インチ CRT を、娘が新たに SONY Vaio を買い求めたので舞い戻ってきたものを使ってきた。

 特段問題はなかったのであるが、デスクの上に大きな場所を占めており、動かすのも重たい。それに、家内の LCD の方が、掲載している写真が明るく綺麗に見える。私のブログに訪れるほとんどの人も、パソコンのモニターは液晶になっているはずである。ブログ・ページを作るときにも、液晶で確認しておいたほうがよい。節電にもなるので、思い切って、モニターを LCD に変えることにした。

 PC のモニターとして使うだけなので、余計な機能はいらない。Amazon で探すと、Iiyama の 20 インチの液晶モニターが一万円を切ってある。思わず飛びついた。Amazonn の配達は早い。注文した翌日には品物が届いた。今までのぎっくり腰にならないか心配しながら持ち上げていた CRT のモニターに比べると無茶苦茶軽いし、容積が小さい。

 このモニターには、PC 本体との接続は、DVI-D という接続と従来からの D-Subミニ15ピンの接続との2系統がある。PC 本体の裏側を見ると、DVI-D のソケットもある。一緒に、DVI-D のケーブルも注文した。
 早速、DVI-D のケーブルで接続し設置してみた。しかし、これはかなりの勉強不足であった。画面が表示されるのは表示されるが、横長のワイドに映る。つまり、もともと横:1024 縦:768 のXGA 比率のものが、1600X900 で写ってしまうのだ。このために、このIiyama のモニターには、画面を XGA 比率にする画面調整機能がついていて、「フル」ではなく、「アスペクト」にすると XGA 比率で表示されるようになっている。ただ、DVI-D 接続では、この比率を調整する「画面モード」が、グレイアウトし、切り替えができない。それで、 D-Subミニ15ピンの接続に切り替えて(モニターに付属しているケーブルはこのケーブルである)みると、「画面モード」が機能するようになった。知識不足の頭では、原因は分からない。また、ビデオカードの性能も強く影響するらしい。まだまだの学習が必要であるが、ここまでにわかったことを記録しておくことにした。


(追記:2011/11/23)使っていたビデオカードは、Aopen FX5200-DVP128LP(AGPスロットから抜き出して確認した)で、DVI-D 接続ではワイドモニターには対応しないことが分かった。そこで、高解像度対応のビデオカードを求めることにしたが、乏しい知識ではネットサーチだけでは何を購入したらいいのかよく分からない。近くの「パソコン工房」に行って教えを乞うとAGP対応のビデオカードは、2つしか置いていなくて、その内の一つ(NVIDIA FX5200)が私のパソコン・マザーボードで許容しているAGP4Xでもいけることが分かった。これを求めて、ビデオカードを取り替えると、高解像度でもOK であった。接続コードも、D-subミニからDVI-D ケーブルに変えても「画面モード」が機能するようになった。

 XGA 比率で作成しているブログの写真も歪みがなくなった。当面は、新しい LCD display の画面の解像度を 1600x900 と設定して、水平方向をXGA モードの幅に設定して運営することにした。iGoogle の画面などは 1600x900 モードでも問題はなく見やすくなった。

2011年7月26日

隠居の読書:「チョウはなぜ飛ぶか」(日高敏隆、写真:海野和男)


新編 チョウはなぜ飛ぶか フォトブック版
日高 敏隆
朝日出版社
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 毎日新聞の日曜日朝刊には、【今週の本棚】というページが3ページある。最近購入している本は、たいてい、これらのページに載っている書評から選んだ本である。本屋には行かず、もっぱら自分のブログに アフリエートしている Amazon からであるが。

 7月24日の朝刊【今週の本棚】に、村上陽一郎さんの次のような書評が載った。長いが全文引用させてもらう。
新編 チョウはなぜ飛ぶか   日高敏隆・海野和男著(朝日出版社・1995円)

虫好き少年の目が動物行動学を開いた
 だいぶ前の話である。さる地方大学に講演にいったとき、その後おきまりの懇親会になった。生物学の助教授(当時の呼称)という方が寄ってこられて、ささやくように、こうおっしゃる。「実は、私、日本鱗翅(りんし)学会に入っていますが、学内ではそのことは内緒にしています、昇進に差し障りがあると思うからです」。
鱗麹類というのは身体に鱗粉を付けた昆虫、つまりチョウやガのことである。昭和20年に誕生したこの学会は、「学会」と言っても、ハードな研究者だけの集まりではなく、アマチュアの虫好きにも開かれた自由なコミュニティなのだが、現代の科学の世界では、レフェリー付き論文が何本あるか、だの、それらが掲載された学術雑誌のインパクト・ファクターはどれだけか、だのという基準で、研究「業績」なるものがもっぱら評価される。とすれば、そうした要素とは少し距離がある鱗翅学会員であることは、業績評価のマイナスにさえなる、という判断であったのだろう。
 確かに、現代、隠れもなき虫好きをもって世に知られる方々、たとえば養老孟司氏や奥本大三郎氏らの本職は、生物学ではなく、虫好きは専門の研究領域とは関係がない。私自身、子供の頃は、虫好きを任じ、特に皆がきれいだと集めたがるチョウに背を向けて、割合に嫌われることの多いガの採集や飼育に心を奪われて過ごしたが、そのことは、現在の専門とは基本的には無縁である。しかも、私は、成人まで、その好みを持ち続けることができなかった。
 しかし、そうでなかった希有(けう)の人がいる。少年時代の虫好きを持続しながら、最前線の研究にまで繋(つな)げた達人、それが本書の著者である日高敏隆さんである。当初日高さんは、通常の生物学者として、動物の生理学的研究に携わられたようだが、次第に「動物行動学」の領域に自らの方向を定めることになった。それはちょうど、世界的に見て、「動物行動学」というカテゴリーが確立されようとしている時期に重なっていた。その意味では、日高さんは、まさしく日本の動物行動学の創始者の一人である。
 そうした日高さんが、研究論文ではなく、一般向け、あるいは青少年向けに発表された最初の話題作が、<岩波科学の本>の一冊になった、1975年の『チョウはなぜ飛ぶか』である。この書物は翌年の毎日出版文化賞に輝いた。
 ここで本書の解説をしておくと、本書は、その旧版の内容に、日高さんに触発されて昆虫写真家になったと言われる海野和男氏撮影の、みごとなチョウの生態写真が、ふんだんに配されて編集された、まことに嬉(うれ)しい本である。
 少年時代から持ち続けていた、チョウはなぜ、どのように飛ぶか、という疑問を、学問研究のテーマにまで高め、実際に繰り返し調査を重ねて、そこに成立しているルールの発見に至る本書の前半部分は、こうした動物行動学研究の見本のような、スリルと味わいがあり、今読んでも、いっこうに古さを感じない。念のために書いておくが、ここで言うチョウは、、チョウ一般ではない。明確なルールに従って飛ぶ(いわゆる「チョウ道」を持つ)のは、アゲハチョウの仲間だが、そのなかでもキアゲハには、そうした固定したルールはなく、モンシロチョウなども同様だという。
 さて、本書が今も新鮮に受け取られる理由の一つは、後半の部分で、日高さんが終生追い続けた、動物の「認識」の問題が、すでに扱われているからでもある。チョウの目に映る世界の姿は、チョウでない限り判(わか)らないはずだが、幸い人間には想像力があるから、それに近づくことは不可能ではない。そして、そうした観点を持つことで、逆に、人間の持つ認識の特徴が、逆照射されることにもなる。これが日高さんが多くの著書のなかで、説き続けた主題であった。たとえば本書132ページは「同じ世界が、ちがって見える」というタイトルで始まる。その内容は、相対主義的認識論と哲学者なら言うだろう。しかし、ここでは、チョウの生態を基盤にした、小賢(こざか)しい机上の議論を許さないような、明確なメッセージが伝わってくる。
 海野氏の写真のすばらしさも特筆すべきであろう。大型でとくに美しいミヤマカラスアゲハはもちろん、まあ普通に見られる(といっても、最近の都会地では、なかなかお目にかかれなくなったが)ナミアゲハやキアゲハも、なんと美麗に見えるだろうか。
 残念なことに日高さんは、2009年に他界されている。しかし、亡くなった後も日高さんの著書は、次々に出版されている(『世界を、こんなふうに見てごらん』集英社、『ぼくの生物学講義-人間を知る手がかり』昭和堂など)。どれほど多数の読者がついているか、それだけでも判る。
 これから夏休みに入る。この書物は、子供たちが自然とのコミュニケーションの方法を学ぶための、絶好の手引きになるだろう。
註: 本文は縦書きであるが、横書きとし、また、文中の漢数字は、アラビア数字に変換した。

 最近、Studio YAMAKO のオーナーの影響を受けて、蝶の写真を撮ることが多くなっていたので、すぐその日に、Amazon で注文した。翌日届いた。最近このようにして購入してもツン読になっている本が多かったが、この本は内容が子供も読めるように平易な記述になっているせいもあるが、一気に読んでしまった。
 最近撮っている蝶の写真は、この本に出てくるアゲハチョウ類やモンシロチョウばかりでなく、タテハチョウ・シジミチョウなど他の種の蝶も被写体としている。 が、蝶の生態もよく知らずに、行き当たりばったりに撮っている。写真で共著となっている海野和男さんは日高敏隆さんの弟子ようであるが、その写真はにはため息がでるばかりである。まあ、そんな写真をとるという野望は諦めたほうがいいと思っている。

 それでも、次の一文を頭に入れておけば、もう少しましな写真が撮れるかもしれない。
 チョウは「なぜ飛ぶか」といったら、「ものを探している」が答えだ。探すものは三つあって、食べものであるミツをもつ花と、卵を産む場所と、それからメス。(106ページ)

2010年7月19日

隠居の読書:梨木香歩、【渡りの足跡】


渡りの足跡
渡りの足跡
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梨木 香歩
新潮社
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おすすめ度の平均: 4.0
4 ここではない、どこか別の場所へ。鳥たちの渡り、彼らの旅路に思いをめぐらすエッセイ集

 毎日曜日の毎日新聞には、【今週の本棚】という読書欄がある。ここに、湯川豊三という方が、この本を紹介されている。これを読んですぐに読みたくなり、Amazon で注文した。このようにして購入してもいつも梅棹忠夫のいう【みた】だけで積ん読が多いのだが、今回は一気に読んだ。

 梨木香歩さんは、Wikipedia では、日本の児童文学作家、絵本作家、小説家ということになっている。私のサイトにある Masajii's Weblog の読書日記「西の魔女が死んだ」にあるように、児童文学が本職なのかもしれない。
 だから、この本の主題である野鳥観察は仕事の一部なのか、趣味なのかはっきりしないが、とにかく私のようなご近所野鳥観察とはスケールが全く違う。オオワシの渡りを確かめるために、国内の網走や知床をはじめとする道東周辺・諏訪湖・琵琶湖や海外はカムチャッカまで出かけるのである。

 どうしてもそこに興味がいくのだが、野鳥観察のための装備について詳しい記述はないが、双眼鏡は肌身離さずで、撮った写真を専門家に見てもらって鑑別もされているので、望遠のついたカメラも携行されているに違いない。また、10ページには、次のような記述があるのでKestrel4000 のような携帯気象計もコンパスも持って行かれているのではと想像する。
 この日この時間の網走の湿度は約22パーセント、西北西の風、最大13.9m。清々しく冷気を含んだ空気。

 場合によっては、フィールドスコープももって旅行されるから、現地での案内人がない単独行動はレンタカーのようだ。察するに、物書きはいろいろな記録が大事なのだ。私の隠居のたわごとブログの場合でも、記録はとるようにしている。音の記録は梨木香歩さんの場合はないようだが、音の記憶も見事に記述されている。

 私も同じような現象に出くわしたヒヨドリのさえずりについて、次のような記述がある。少し、長いが引用させていただく。
 今、この原稿を書いているところは――比較的緑が多いとはいえ――都心と言われるところである。それなのにここ数日、明け方の四時半頃になるとまるでブラックバード囀る英国の朝のような鳥の囀りが聞こえる。その声に起こされ、一体どんな鳥が、と出て行って確かめたいのだが何しろ起き抜けでぼうっとしていて、すぐに動けない。そのうち眠気に負けてしまう。 あの声は一体、と日中はずっと悶々とした思いを重ねていた。「最近明け方に一羽で美しく長 く囀り続ける鳥がいます。お気づきの方、何という鳥か、ご存じありませんか」、と近所に回覧板を回そうかと真剣に考えたほどだ。
 今日の午後出先から帰宅したとき、敷地内でその囀りの主が分かった。まるでメジロのように、ホオジロのように ――でも本物ではあり得ないとすぐ分かる―― 次から次へ囀り、信じられないことに、途中でホイホイホイと明らかにサンコウチョウの鳴き真似で合いの手を入れる。電線に留まって我を忘れてうっとりと鳴き続け、佳境に入ると感動のあまり自分で自分をもてあますのか、囀りながら空高く舞い上がり、それからあの独特の波状飛行をしてずっと向こうのお寺の屋根まで飛んで行き、それからまた此処へ戻ってきて続きを歌う、という事を繰り返していた。まちがいなく、ヒヨドリだった。けれど、今は梅雨が明けたばかりの真夏、これから所帯を持とうというのか、それともそんなことに問係なく(あのヒヨドリには自分以外の何ものも見えているようではなかったし)芸術的な研讃を積もうとしていたのか、こんなところ でサンコウチョウの声など聞こえるはずはないから、どこか遠い山の奥で彼の鳥と接近遭遇し た事があったのか。あれやこれや考えても、留鳥のヒヨドリとは考えられない。春の渡りが遅 れてしまって繁殖期がずれているのかもしれない。相手の確保は大丈夫だろうか。
 それにしてもあの美しい声が、けたたましく耳障りだとばかり思っていた、あのヒヨドリの声だったとは......。ああいう調子で渡りの途中のあちこちで、熱心にその地方の鳴禽(めいきん)の声を採 集し、また自分も自慢の歌声を披露し、などして帰ってきたのかも知れない。今日だって私が 気づかなかっただけで、近くに繁殖可能な雌が存在していたのかも知れない。ここ数日ずっと 囀っているから、その可能性は低いかも知れないけれど、ないわけではないだろう。

 私は残念ながら、サンコウチョウのさえずりは知らない。いつもお世話になっている【小鳥のさえずり】サイトで確認すると確かにヒヨドリのさえずりに似ているようだ。実のところ、私も同じ梅雨明け間近の4時半頃に、鳥のさえずりで眼を覚ましたことが多かったのだが、ヒヨドリのさえずりとは確信がもてなかった。それで、録音した mp3 のファイルを上のサイトの管理者である pika@Bird Songs in Japan さんに送って確認してもらった。少しして、次のような回答があった。
いただいた音声ファイル、聞いてみました。
ひよどりが、歌ってますね。
単調なリズムですが、ちゃんと音階があって、かわいいですね!
カラスも元気そうですが...。


 この本は単なる野鳥観察の本ではない。鳥の渡りを追いながら、生存することの意味を考えさせてくれる一冊である。明日からの探鳥ウォークで見るもの、聴くものへの思いが変わるかもしれない。

2010年3月25日

隠居の読書:「強欲社会主義」


強欲社会主義 中国・全球(グローバル)化の功罪 (小学館101新書)
遊川 和郎
小学館
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おすすめ度の平均: 5.0
5 日本のメディアでは知り得ない最新の中国の実態を10年余の中国滞在経験と多くの情報パイプを持つ筆者がわかりやすく教えてくれる必読の本です。
5 日本式社会主義(官僚主義)の発展型?
5 「強欲経済」と「国家戦略」の境目
5 中国と付き合う上で必読の書
5 発評論

 このところ、Google の中国撤退が喧伝されている。この報道を聞いて、最近読んだ「強欲社会主義」(中国・全球化の功罪)遊川和郎著)を再度開いてみる気になった。
 この本によれば、中国のネット人口は3億3800万人(2009年6月現在)で、一昨年にアメリカを抜いて世界一になったそうだ。巨大市場である。Gogle は、この巨大市場から撤退するというのだから、よほど当局の情報管理に腹を据えかねたのだろう。ちょっと企業哲学が違うと思う Microsoft はそれをチャンスとみているようだが。
 中国でのネット利用は、チャットや掲示板が多いようであるが、個人ブログ開設者も多く、過去半年(2009年後半?)の間に更新した人は1億人を超えているらしい。ロングテールにいる人々の意見も、情報として取り込めるようになっているのだ。
 しかし、ここにも当然、情報統制が働いているようだ。2006年に開設された新興のブログサイト「牛博網(Bullog.cn)」には、リベラルなブロガーが名前を連ねていた。このサイトへのアクセスが2009年1月に不能になった。理由については、著者は以下のように記している。
 2009年1月、「牛博綱」へのアクセスが不能になった。同時期、91のウェブサイトが「猥褒」「低俗」といった理由で閉鎖されていたが、サイト主宰者の羅永浩は「牛博」 については政治的理由であることを示唆している。前年12月10日付で303名の知識人らが実名で政治体制の民主化や国民の人権状況改善を訴える「零八憲章」を発表していたが、サイト内に同憲章に署名した知識人のブログのあったことが「政治的に有害な情報を流布Lているとされた」とされたもの見られている。その後米国のサーバーに移して「牛博国際」として両スタートしたか、中国からのアクセスはできなくなっている。このような、政治的に問題視されるサイトが突然閉鎖、アクセス不能、といった現象は特に珍しいことではない。

 このように、ネットでの情報管理一つを見ても、政府の体制を崩すような報道は封鎖してしまうらしい。そのような報道管制のもとで育った中国の新人類「80后(バーリンフォー)」はネット世代でもあるが、愛国主義者が多いらしい。先ほどの Google 撤退ニュースにでてくるインタービューでも、当然といった反応が多かった。この「80后」や「鳥の巣世代」については、この著書に、いささか引用が長いが次のような記載がある。
 2008年の北京五輪を経て「80後」にはさらに「鳥の巣世代」「聖火世代」といった呼び方が加わった。「鳥の巣世代」とは、北京五輪のメイン会場「鳥の巣」からとった呼称で、四川大地震や北京五輪でのボランティア活動、また聖火リレーで見せた愛国的な団結がその特徴で、「80後」につきまとう「自己中心」「政治に無関心」といったイメージを変えたことで、異なる呼び方が与えられるようになった (「聖火世代」も同様)。
  「鳥の巣世代」は中国の貧しかった時代、政治に翻弄された時代を知らない。かつてのような西洋崇拝や卑屈なところがないどころか、自尊心が強く自分たちが下に見られたと感じると強烈に反発する。チベット騒乱に関する西側の報道と聖火リレーが海外で妨害を受けたことはこの世代を刺激した。国内では「反CNN」サイトが立ち上がり (開設者は清華大学卒業の23歳)、「歪曲、偏向報道が中国の名誉を汚している」と例証して訴えたところアクセスが殺到、またCNNキャスターは中国人を侮辱する発言をしたとして公式謝罪に追い込まれた。
   また海外では、聖火リレーを妨害行為から守ろうと留学生を中心に沿道に大量集結していた光景は記憶に新しい。中国国内ではさらに、フランスの小売り大手カルフールの不買運動の呼びかけがメールで広まった。「カルフールの大株主がダライ:フマ十四世に寄付をしている」といったデマが流布したためだが、それを信じた行動もさることながら、妨害に憤り、ネットは不買運動を「愛国的な行動」「支持する、称賛したい」とする意見一色となったところに、この世代の怖さもある。国際社会の善意に基づく意見も冷静に受け入れられず強く反発する。
「鳥の巣世代」は自分たちがこれまで生きた時代(改革開放)を肯定し、その政権である中国共産党を熱烈に支持する一群であり、文化大革命に熱狂した紅衛兵とある意味通底するところがある。1919年の五四運動的な愛国行動に酔いしれる若者の行動に西側諸国は、異質さやある種の不気味さを感じるのである。『中国青年報』の調査によれば、この世代を表わすキーワードとして「自信」が第一位になったという。良くも悪くも挫折を知らず、自分や国家に自信が溢れているのである。

 中国は100年遅れてやってきた大国であるといわれる。どうやら、日本の「坂の上の雲」時代と共通する部分が多いらしい。そのように、最近の中国の動きをみていると頷ける部分が多い。

 著者は中国が鉱物資源を獲得するためのアフリカへの進出行為を例にあげて、
 ここまでしつこく中国、中国人の外に向かう動きを見てきたが、その何が問題なのか、次のように整理できるだろう。一つは、資源獲得のように企業行動の形をとりながら背後に国家の影を感じる不気味さ。二つ目は逆に国が相手国へ援助しているはずであるが、現地の主役は中国企業で、その実体は経済活動にすぎないこと。三つ目に、外に向かった経済行為の凄まじさであり、実利のためには手段を選ばないことである。
---中略----
 さらに言い換えれば「実利のためにはなりふり構わない」というあけすけな行動様式のことである。本来、そうしたバイタリティは賞賛されるべきことも多く、それが経済成長を実現した大きな原因の一つであろう。しかしその貪欲さ、旺盛な行動力、生命力、あるいは独特のビジネス手法が国際社会や現地の秩序を撹乱し、各所で「和諧」(調和)が困難を生じていることに世界は困惑し、どう向き合えばよいのかを模索しているのである。移民といえば犯罪など治安悪化といった問題を連想するがそうではない。譬えて言うならば繁殖力の旺盛な新しい種が元からある生態系を破壊しているということだろうか。つまり中国が外に向かうことで地球全体の生態系を変えているのではないかということだ。
 私はこの記述を読みながら、琵琶湖の生態系を乱しつつある繁殖力の強いブルギルを思い出していた。日本の生態系が、強欲社会主義に乱されないようにしたいものだ。

 何となく理解していたと思っていた中国を、この著者は現実の動きの詳細や数字をあげて説明しており、彼らの行動の本質を理解する上で多いに参考になっている。

 余談だが、彼らがネットで利用するサービスのトップは、音楽(MP3)ということになっているが、私がLive365 に開設している Jazz 専門局 Radio Senboku  へ、people's republic of china の過去1ヶ月間での訪問は、たった一人で、約7分間チャネルを合わせていたようだ。アクセスがあるということは、体制にとって好ましくない音楽ということにはなってなさそうだ。ただ、Jazz のように退廃した文化には、彼らは興味はないのだろう。 

2010年2月 1日

隠居の読書:平岡正明の『ジャズ的』


ジャズ的
ジャズ的
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平岡 正明
毎日新聞社
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おすすめ度の平均: 5.0
5 平岡氏のジャズ評論、最初の一冊に最適


 毎日新聞の書評で 「快楽亭ブラックの毒落語」という本を知って購入した。この本についてはどこかの機会で紹介したいと思うが、本の著者は平岡正明である。
ネットでサーチしてみると、著者は、私と同年の生まれである。だが、ブントの一員だったり、犯罪者同盟というアナーキズムの政治結社に参画していた彼が昨年7月に亡くなるまでは、私のような平凡でノンポリの人生とは全く別世界で生きた人物である。
 ジャズに関する著書もいろいろとある。興味を引かれて、Amazon で購入したのがこの一冊である。中古本である。

 この本は下のテーブルのような 14 章の構成になっていて、それぞれの TPO でジャズを聴いたときの感想文というか日記的随筆になっている。
 TPO の Place はほとんど Jazz 喫茶であるが、警察に追われて隠れ家で聴いたときのもあるが、Live で聴いたものはない。
 TPO の Time は、1960-70 年代であり、60年安保闘争に続く年代である。随所に左翼的活動に関する話が出てくる。
 TPO の Ocasion は、アナーキストとの会合なども出てくるが、Jazz 喫茶のマスターや、ジャズ評論家・司会者の相倉久人らとの付き合いの話も出てくる。

 彼の人生の中では Jazz は、特に チャーリー・パーカー以降の bop 系の Jazz は、自由奔放に生きることへのテーマ音楽だったのかもしれない。そう言えば、社会通念に縛られるのが嫌いな人物は、平均律で縛られたクラシックではなく、Jazz が好きな人間が多いと思うのは穿ちすぎだろうか。

 Radio Senboku の次の Playlist は、この本に出てくる曲とアーティストを特集しようかなと思っている。平岡正明が随筆で描いた TPO とは全く別次元での TPO で聴くことになるのだが。

『ジャズ的』にでてくる曲
章のタイトルアーティストアルバム or 曲名
梅雨明けのジゴロ Thelonious Monk Just a Gigolo
レディ・イン・サテン
ーービリー・ホリディにおける「バカ」の考察
Billy Holiday Lady in Satin
ジョニー・ホッジスの「白昼夢」 Johnny Hodges Day Dream
ハリー・カーネイ的出師の表 Harry Carney Rare Dates Without The Duke
『JATPイン東京』の一断面 J.A.T.P. In Tokyo Live At The Nichigeki Theatre 1953
試聴盤 Bill Harris Bill Harris And Friends
「アンフォーゲッタブル」、オスカーピーターソンの歌で Oscar Peterson Unforgettable
ディキシー曲「世界は日の出を待っている」からチュー・ベリー「陽の当たる道で」 Leon Chu Berry On The Sunny Side Of The Street
「スターダスト」三題 Ben Webster, Colman Hawkins & Chu Berry Stardust
L瓶砲兵隊『オーバーシーズ』 Tommy Flanagan Overseas
「エンブレイサブル・ユー」三題
パーカー、マクリーン&オーネット
Charlie Parker, Jackie McLean & Ornette Coleman Embraceable You
マイルス・デヴィス「スケッチス・オブ・スペイン」 Miles Davis Sketches Of Spain
ロイ・エルドリッジに関するおたずね者感覚を求めて Roy Eldridge Little Jazz
オーネット・コールマン『チャパカ組曲』 Ornette Coleman Chappaqua Suite


快楽亭ブラックの毒落語
快楽亭ブラックの毒落語
平岡 正明
彩流社
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2009年6月13日

隠居の読書:世界文学「食」紀行

世界文学「食」紀行 (講談社文芸文庫)
篠田 一士
講談社
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 もうだいぶ前になるが、毎日新聞の書評欄に、篠田一士さんという文学者が書いた『世界文学「食」紀行』という本が紹介されていた。この本は世界文学に出てくる「食」に関する文章をもとに、巨漢・食漢である著者が、一題ごとを文庫見開き二頁分にまとめている。

 内容が面白いのと少しの時間があればちょっとずつ読むことができるので文庫本にしては少し高いが楽しんだ。
 もともと Masajii さんのように読書家ではないので、引用されている文学作品は数えるほどしか読んだことはない。

 本の目次は次のようになっている。
  1.  舌代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まえがきみたいなもの
  2.  Ⅰ 食卓につく前に・・・・・・・・・・参照 10 文学作品
  3.  Ⅱ ご馳走のメニュー・・・・・・・・参照 23 文学作品
  4.  Ⅲ お酒は吟味して・・・・・・・・・参照 12 文学作品
  5.  Ⅳ まず前菜から・・・・・・・・・・・参照 13 文学作品
  6.  Ⅴ スープいろいろ・・・・・・・・・・参照 8 文学作品
  7.  Ⅵ 海の魚・川の魚・・・・・・・・・・参照 24 文学作品
  8.  Ⅶ 肉料理から架空料理まで・・参照 26 文学作品
  9.  Ⅷ デザートの一品・・・・・・・・・・参照 24 文学作品
  10. 解説


  11.  篠田さんという人は、ものすごい読書家で通っているらしい。世界の文学作品を、多くは原語で読んでおられるらしい。そうだろうと思う。 丸谷才一という作家が解説に書いているのを読むと、篠田一士は「文学と食事」が二大嗜好だったらしいから、食に関する叙述の部分については、よく記憶していたにちがいないと思う。

      Ⅱ ご馳走のメニューに、「大政奉還の祝宴」という一項がある。「夜明け前」は少し前に読んだところだ。妙に記憶に残っている部分だ。酒の肴には弱い。
     少し、引用してみると、次のような叙述になっている。

     ところで、この小説には、しばしば食べ物の話、あるいは酒食の情景がでてくる。おおむねは山国の食べ物だから、豪華な御馳走には縁遠いけれども、作者の筆づかいのみごとさには、思わずのどを鳴らさせるものがあって、謹直な藤村も案外とデリケートな味覚の持ち主でではなかったかと、あらためて感心する。
     『夜明け前』の第一部の終わりに、主人公の半蔵と同志の香蔵たちが、馬籠と中津川の国境の峠の茶屋で落ち合い、京都からの情報で、大政奉還という新しい事件を知り、念願の王政復古がようやく実現しょうとしていることに胸をときめかしながら、祝いの酒食をともにするくだりがある。

     やがて、亭主が炉にかけた鍋からは、甘さうに煮える串魚のにほひもして来た。半歳等が温めて貰った酒もそこへ来た。時刻にはまだすこし早い頃から、新茶屋の炉ばたでは嘗め味噌ぐらゐを酒のさかなに、盃の遣取りが始まった。
     『旦那』と亭主はそこへ顔を出して、『この辺をよく通る旅の商人が塩烏賊をかついで来て、吾家へもすこし置いて行った。あれはどうだなし。』
    『や、そいつはありがたいぞ。』と半歳は好物の名を聞きつけたやうに。
    『塩烏賊のおろしあへと来ては、こたへられない。酒の肴に何よりだ。』と香蔵も調子を合せる。
    『今に豆腐の汁も出来ます。ゆつくり召上って下さい。』とまた亭主が言ふ


     もうひとつ引用したい。Ⅵ 海の魚・川の魚の一遍である。『秋刀魚の歌』の一部は秋になるとよく聞くフレーズだが、このように解釈して読めば面白い。
    秋刀魚(さんま)----------------------------------佐藤春夫『秋刀魚の歌』

     近代文学のなかに唱われた、最もポピュラーな魚がさんまだと言ったら、けげんな思いをする向きもあるかもしれないが、佐藤春夫(1892~1964)の詩篇『秋刀魚の歌』を挙げれば、大方の納得をえるだろう。

      あはれ
      秋風よ
      情あらば伝へてよ
      --男ありて
      今日の夕餉に ひとり
      さんまを食らひて
      思ひにふける と。

      さんま、さんま、
      そが上に青き蜜柑の酸()をしたたらせて
      さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
      そのならひをあやしみなつかしみて 女は
      いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
      あはれ、人に棄てられんとする人妻と
      妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
      愛うすき父を有()ちし女の児は
      小さき箸をあやつりなやみつつ
      父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。


     不幸な運命を、それぞれ背負った三人の男女と、ひとによっては下魚と卑しめるさんまの鄙びた味わいが絶妙にからみ合って、一世一代の名篇を成したのがこの作品である。そこに詩人の私生活における劇的な事件が、どのように投影しているかなどといった事柄を詮索するのは、無意味とはいわないが、作品を味わううえでは、あまり益があるとも思えない。最も有名な最後の連はこうである。

      さんま、さんま
      さんま苦(にが)いか塩つばいか
      そが上に熱き涙をしたたらせて
      さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
      あはれ
      げにそは問はまほしくをかし。


     この秋刀魚の歌の解釈は分かったようでよく分からない。とくに最後の一行は難解だ。ネットサーチすると Goo! に Q&A があった。Web2.0 の世界になって、分からないことはなんでもすぐに調べられるが、読書の世界はなくならないだろう。かえって、興味ある世界が広がって読書の時間が増えているかもしれない。
     今回も「食」に関して紹介されている本を何冊か読みたくなっている。

2009年3月 4日

隠居の読書:「夜明け前」(島崎藤村)と「日本の200年」(アンドルー・ゴードン:森谷文昭訳)



夜明け前 第1部(上) (岩波文庫)
島崎 藤村
岩波書店
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5 情報と人間行動
5 奔騰する時代の波の中で
4 希望と不安の夜明け前 第一部(上・下)
4 山口村の騒動が気になったら

日本の200年〈上〉―徳川時代から現代まで
アンドルー ゴードン
みすず書房
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おすすめ度の平均: 4.0
4 庶民生活の変遷から見る視点が良い
5 日本近代史の激動を鮮やかに説明。
2 高い値段を出して購入したのに・・・って、後悔してます。
4 教科書の補強にはグッド
5 とにかく面白い!


 昨年の晩秋に、木曽路を旅した。その旅は『中山道木曽11宿と「夜明け前」の舞台を巡る旅』という親睦旅行である。

 事前に、「夜明け前」を全部読みたかったが、文庫版とはいえ第一部・第二部にそれぞれ上下があって、小さな字でぎっしりと印刷されて 1400 ページあまりある。

 旅行から帰ってきて続きを読み始めたが、年寄りのあいまあいまの読書ではなかなか読み終わらない。最近になって、ようやく読み終えた。
 この小説が題材となっている時代は、米国ペリー来航の1853年前後から1886年までの幕末・明治維新の激動期である。前半は、ちょうど家内が一生懸命みていた NHK の大河ドラマ「篤姫」の時代と一部が重なっている。
 「夜明け前」の主人公青山半蔵は、島崎藤村の父親がモデルらしいが、中山道木曽11宿の一番名古屋より馬籠の本陣・問屋・庄屋を父親から譲り受けた主人である。
 この時期、京都から江戸へ旅するには、東海道と中山道があるのだが、女性は東海道のように河留めの多い大井川、あるいは浜名の渡し、桑名の渡しなど 水による困難がほとんどない中山道を選んだようだ。「篤姫」に出てくる和宮の降嫁はこの中山道を利用している。
 木曽路を旅して昔の街道跡を見たが、河留めがないとはいえ、あのような急峻な山道を御輿をかつぎ、大量の荷物を運んだのは想像を絶する道中だったにちがいない。そのときの様子は第一部第六章あたりに、史実にもとづいた描写がある。
 そのような意味で、「夜明け前」は小説ではあるが、江戸末期から明治初期における木曽路だけではなく明治維新の歴史を知る上で面白い。

 全体を通して、青山半蔵が理想とする国学と江戸幕府が守ってきた儒学・仏教や期待した明治新政府の圧政との葛藤がテーマのような気がする。晩年 村の寺万福寺に火をつける狂気は、そのような葛藤からの行動であろう。最終章の終わりにある次の描写が、「夜明け前」の主テーマではなかろうか。
 その時になってみると、旧庄屋として、また旧本陣問屋としての半蔵が生涯もすべて後方(うしろ)になった。すべて、すべて後方になった。ひとり彼の生涯が終を告げたばかりでなく、維新以来の明治の舞台もその十九年まであたりまでをひとつの過渡期として大きく廻りかけていた。人々は進歩を孕んだ昨日の保守に疲れ、保守を孕んだ昨日の進歩にも疲れた。新しい日本を求める心は漸く多くの若者の胸に萌してきたが、しかし封建時代を葬ることばかりを知って、まだまことの維新の成就する日を望むことも出来ないような不幸な薄暗さがあたりを支配していた。


 「夜明け前」を読む以前から、毎日新聞の書評か何かで見て Amazon に注文した「日本の200年」(上・下)を読んでいた。ハーバード大学の教授であるアメリカ人著者が見た日本の歴史観に興味があったからである。
 この本もちょうど徳川末期から2002年くらいまでの日本の歴史を日本・海外の厖大な資料をもとに克明に学術的に記している。
 自分が生きてきた戦後 60 年近くの背景とそれを形作ってきた明治維新からの歴史を知ることで、自分の生き様を考え直す機会を与えてくれた、最近にない知的満足度の高い本となった。

 ただ、この本は上下で700ページあり、大きさも A5 版で厚さが 3cm ほどあるからポケットに入る大きさではないので、読む時間が限られてしまったが。

 この本の「徳川後期の知的状況」(第一部第三章)に、国学者「平田篤胤」についての記述がある。この記述と、「夜明け前」青山半蔵の思想・行動とを読み合わせると儒教と国学の違いがはっきりし、明治維新の出来事が今まで以上に理解ができるようになった。恥ずかしながらこの歳になって知ることが多く、恥じ入るばかりである。

 この本には、「へえー、ソウだったんやー!」という記述が多くある。例えば、戦時中の戦争支持知識人の「近代の超克」に関する次のような記述がある。ジャズ好きにとっては、ちょっと面白い話である。 
ジャズ禁止令が公布された当初、カフェの蓄音機は何日間か鳴り止んだ。しかし、カフェのオーナーたちはまもなくなつかしの人気曲のレコードを、最初は小さい音でこつそりとかけはじめ、そのうちしだいに大胆にかけるようになった。軍隊内でさえ、「敵性音楽」は抹殺しきれなかった。たとえば、四名の神風特攻隊員は、出撃を控えて訓練をうけたり待機したりするあいだに川柳 100句を合作して遺稿として遺したが、そのうちの二句を次のように詠んだ。   
アメリカと戦う奴がジャズを聞き
ジャズ恋し早く平和が来れば良い
近代文化を超克しようという試みは政治や経済、社会新体制の構築を目指したさまざまな運動とおなじように---矛盾にみちていた。


 この本は、上の記述のように、その時々の日本を支配した思想を背景にした庶民の生活の模様なども詳しく描かれて物語風に読めて楽しい。
 また、政治とか経済に関する記述も多くあって、不勉強な私でも名前を知っている政治家や経済学者もでてくる。ただ、名前は知っているが脈絡がなかった頭の中を、よく整理してくれる。例えば、小沢一郎が歩いて来た道も、記述されているその時々の政治状況の中ではよく理解できるような気がする。

 この本は学術書であるので、注釈、索引、参考文献も充実しており、明治以降の日本の首相や1945 年以降の衆議院議員総選挙における議席数などの補遺もついている。日本の近現代史の参考書としても非常に有用であると思う。

 著者は、まえがきで、本書の狙いを以下のように述べている。
 本書のタイトルト A Modern History of Japan (日本の近現代史)は、近現代性と相互関連性というふたつのテーマの重要性を表現している。本書のような作品には、Modern Japanese Hitory (近代日本史)というタイトルをつけるのが普通だろう。そのようなタイトルをつけるということは、日本的特殊性が叙述の中心になることを示唆する、という意味をもつはずであり、「近代」と呼ばれている時代にたまたま生じた、特殊「日本的な」物語へと読者の目を向けさせる、というニュアンスをもつだろう。本書は、日本的であることと近代性とのあいだのそのようなバランスを転換したいという狙いから、A Modern History of Japan を採用した。ここでは、日本と呼ばれる場でたまたま展開した、特殊「近代的な物語が語られることになる。
 言い換えると、日本の近現代史は、一貫して、より広範な世界の近現代史と不可分のものだったのであり、したがって、相互連関性が本書の中心的なテーマのひとつでなければならない。国外からもたらされた思想、できごと、製品やモノ、物的・人的資源は、あるときはプラスの方向に、あるときはマイナスの方向に向けて、日本におけるできごとに大きな影響をおよぼしてきたし、逆もまた真であった。このダイナミックな過程で、日本で暮らす人々は、他の地域で暮らす人々と多くを共有してきた。このテーマは、以下の各章でわれわれが政治、経済、社会、文化史にかかわるトピックを論じてゆくにつれて明らかになるはずである。  

 以前のブログにも書いたが、ネット時代に入って、私は世界が明治維新と同じように大変革の時期であると思う。世界との関連性で世の中を見ていくことはますます重要となるだろう。もういくばくも生きていけないだろうが、どのように変化していくのか見ていきたいものだ。

2008年12月 8日

隠居ブロガーの読書:「日常を愛する」松田道雄著


日常を愛する (平凡社ライブラリー)
松田 道雄
平凡社
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 『京の町かどから』『花洛』を読んでから、松田道雄の生き方が気にかかるようになった。

 この8月に、『我らいかに死すべきか』を読んだ。この人間論に啓発されて、同じように京都インテリゲンチャの生き方を綴った『日常を愛する』(平凡社)をよんだ。梅棹忠夫は『知的生産の技術』の読書の項で、本の読み方について「よんだ」「みた」を区分しているが、この本は最近になってようやくよんだことになった。

 この本は、毎日新聞の家庭欄に週一回 『ハーフ・タイム』という1000 字程度の連載を59歳のときから75歳まで 17 年間続けられたもののうち、1981年1月から1983年9月(最終)までの分を一冊の本にされたものである。
 このエッセイ集は、反権力精神に溢れた勉強熱心な元小児科医が書いたものであるから、当然その当時(今もあまり変わりはないが)の経済人としての医者や医療体制についてへの批判も多い。
 私も大学卒業後約10年ほどは、医薬品製造メーカーの営業(MR)をしていたから、彼の怒りはよく分かる気がするし、同意する部分も多い。
 1981~83年といえば、私が40~43歳のときである。確か、毎日新聞は購読していたはずであるが、宮仕えのサラリーマンとして生きるのに忙しく、このようなエッセイは読み飛ばしていたにちがいない。この歳になって、過去の繰り言を言っても仕方がないが、真剣に読んでおれば生き方は少し異なっていたかもしれない。

 彼の73歳から75歳までのこの連載は、現代風にいえば、松田道雄のブログである。朝の散歩や孫の世話、つづけて六枚かかるプレーヤで音楽を聴く(いまなら、iPod や Web Radio を使えば際限ないほど好きな音楽をつづけて聴けるが)話なども出てくる。
 私も6年ほどすれば、その歳になる。その歳になって、1982年の年頭エッセイにあるように、
年のはじめに願うのは平和である。地球も平和であってほしいし、家の中も平和であってほしい。平凡な考えだが、だんだん平凡のほうがいいのだと思うようになった。
という心境になっているのだろうか。

 読みながら、このような著述活動は今の Web 2.0 の世界だったらどのような形をとったであろうというようなことを考えていた。
 1983年8月24日の「おもわぬ客」という記述で、82歳の「ハーフ・タイム」ファンと話がはずんだようすが描かれている。
それから一時間ほどおたがいによくしゃべった。書物、音楽、スポーツ、映画などの昔話がおもで、医者のことは最初にでたきりで話題にならなかった。現在の見るもの聞くものどれもおもしろくないという点では一致した。適応できなくなったにちがいないが、それが適応せねばならないほどのあいてかということでも異論はなかった。
 活字も電波もすべて、えらべなくなった。マス・コミュニケーションが巨大化し、仲間入りするのに莫大な資本がいる。金の出せる人間、もうけたい人間の趣味ばかりが押しつけられる。大気も河川も汚染されたように、見聞できる世界が趣味がよくないこさえものに占拠されてしまった。
 1983年ころのPush 情報一辺倒の世界では、確かにこのような状況だったと思うし、今でも IT の世界と無縁の人は同じような状況だろう。そのころ新聞・雑誌・読書くらいしか引き出せなかった Pull 情報が今の世界では容易に手に入る時代になっているから、このような会話は内容が少し変わったものになったかもしれない。
 松田道雄さんのようにロシア語・ドイツ語・英語など世界の言語に達者であれば、「毎週くる五種類の医学週刊誌に目をとおす」(1981年2月4日:子どもとテレビ)のもパソコンの前で五種類といわず数多くの講演録などに目を通すことができるようになっていると思う。このあたりについては、以前にも紹介している梅田望夫の『ウェブ時代をゆく』の第五章「手ぶらの知的生産」にくわしい。

 情報の発信についても、「ハーフ・タイム」の原稿は締め切りに間に合わせて新聞社に郵送されているが、コンテンツに雲泥の差があることは承知のうえでの話であるが、この Web 2.0 の世界では私のような無名な浅学の人間でもすぐに全世界に向けて発信できるようになっている。原稿料は入ってこないが。
 「ハーフ・タイム」の掲載に対して、よく感想の手紙をもらったことも書かれているが、今ならブログへのコメントで済むだろうし、返答も楽だったろうと思う。peer to peer のコミュニケーションがずいぶんやりやすくなっているし、それを公開にしておけば、ひとまとまりの情報(スレッド)として得やすくなる。今の時代なら、松田さんのいいたかったことは、何倍もの量も発信できたのではないかと思う。

 それにしても松田さんの読書量はすさまじい。我がサイトで主に読書感想文を書いている友人の Masajii's Blogもすごい読書量だが、多分桁違いであろう。ただ、ネットを利用すれば、関連知識は簡単に手にはいるからコンテンツ抜きでいえば得られる情報量はそんなにかわらないかもしれない。

 手段は進歩しても、問題は描かれている生き様である。
 平凡社ライブラリーでの『日常を愛する』の巻末に、藤好美知というひとが「松田道雄というひと」という解説を書いているが、そのなかに、松田道雄の晩年の言葉を紹介している。
私は若いころの理想どおり気に入った人とだけつき合い、自分が自分の主人として自分の思い通り生きることができた。
 私もそのような生き方をしたいと思うが、そう簡単には Social Obligation から離脱できそうにない。

2008年8月14日

隠居の読書:「我らいかに死すべきか」(松田道雄)

 『知的生産の技術』→「梅棹忠夫」→『京都案内』→『京の町かどから』『花洛』「松田道雄」のハイパーリンクで、この本に行き当たった。

 この歳になると、そろそろ本の題名『我らいかに死すべきか』は気になって仕方がない。だが、この本の中身は題名のような本ではない。
 私が求めた平凡社ライブラリーのこの本は、松田道雄が1998年に90歳で亡くなったあとの 2001年3月に出版されている。あとがきにかえて書かれている「ひとりごとノート」には、この原稿は『暮しの手帖』の安森さんに頼まれて『暮しの手帖』に10回にわたって、「何とかについて」という命題で書いたらしい。

 ネットで調べてみると、1971年に『暮しの手帖』社から、10回分をまとめた題名『我らいかに死すべきか』という本で出版されている。題名は『暮しの手帖』社がつけたらしい。
 松田は、1967年(59歳)に小児科の診療を辞め、執筆・評論活動に専念しているから、その頃に、この原稿を書いたのではないかと思われる。だから、晩年の作品ではない。

 この10回分の「何とか」は、次のようなものである。
  1. 恋愛について
  2. 夫婦について
  3. 共ばたらきについて
  4. 親子について
  5. 一夫一婦について
  6. 育児について
  7. 教育について
  8. 道徳について
  9. 健康について
  10. 晩年について

 読んでみると、この本は「我らいかに生きるべきか」という松田道雄の「人間論」なのだ。個々の章で自分の生き様をもう少し深く考えてみたいと気持ちになる文章が続いている。

 第8章までの「何かについて」への人間論は、「うん、うん、そのとおり」と思うが、私にとってはそれを実践するにはもう過ぎ去った人生の話である。子育てや生活することに一生懸命な子供達には読んで欲しいものだが。 

 「健康について」の章をメタボの定期受診の順番を待ちながら読んだ。その冒頭に、次のような文章がある。
 健康とは自分の日常生活をやっていくのに十分な身体の機能である。
 これで十分かどうかは、自分できめることである。健康をこのように自主的にかんがえることができるようになったのは、さいきんのことである。人間が他人にしばられていては、自分で健康はきめられない。
 現実は、その人が健康であるかどうかは、企業が政府ぐるみできめている。私のメタボリック症候群は、企業の健康診断で判定された。確かに、血糖値は高いし、血圧も高い。企業にとっては、企業を動かしているひとつの部品が突然脳梗塞でも起こし用に立たなくなったりすれば、少しは損失かもしれないし、その治療のために健康保険で負担もしなくてはならない。企業が私の健康かどうかの決定権を持っていたのだ。
 自由な身になったいま、自分の健康については、「日常生活を十分にやっていける」のかを視点に判断していきたいと思う。血圧がWHO の診断基準のどこにあるかを一喜一憂しても仕方がない。

 第10章「晩年について」を読んで、近づきつつある自分の晩年のために、いまの生活をいかに生きるべきかかんがえた。
 晩年とは死とむきあう年である。それは本人の心がまえにかんするもので、生理的年齢とは無関係である。
 死とむきあってたじろがぬためには、現世への未練をなるべく少なくすることだ。人間とのつながりがつよいほど未練がのこる。連帯を少なくすることは、それだけ孤独になることである。晩年とは孤独に耐える年だともいえる。孤独に耐えるには、人間ではなしに、人間のつくったものだけを愛するすべを心得るにこしたことはない。
 
 晩年はたのしい収穫の季節である。けれども、まかぬ種は生えない。
 晩年を荒涼の砂漠にしないためには、それまでに、ひたいに汗して耕し、種をまき、雑草をとりのぞかねばならない。
(中略)
 年をとってからたのしむことのできるものを、年をとるまえに用意することである。それは高尚である必要はない。だが、低俗なものは、年をとるにしたがって、興味のそとに抜け出してしまう。
 そのあとに、味覚、聴覚、視覚のそれぞれに年をとるまえに用意することの例を挙げたりしている。我が意を得たりである。
 五木寛之のいう『林住期』にも同じようなことが書いてある。現世への未練を少なくするように、林住期を楽しみたいと思う。

   
われらいかに死すべきか (平凡社ライブラリー)
松田 道雄
平凡社
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2008年4月20日

隠居の読書:松田道雄の「京の町かどから」「花洛」


 先日読んだ梅棹忠夫の京都案内に、帰化京都人として紹介されている、小児科医であった松田道雄「京の町かどから」「花洛」を読んだ。最近は、このように一冊の本からハイパーリンク的にいきあたる他の本を読む傾向が強くなった。ネット時代の習性なんだろうか。

 両方の本とも、Amazon で検索すると新本はなく、中古本市場(Amazon マーケットプレース)にあった。岩波新書の「花洛」はなんと 1円からある。どの程度痛んだ本なのかの興味あって取り寄せてみた。
 諫早市の「たんぽぽ書店」というところから、丁寧な包装で送られてきた。郵送料は340円である。包装袋の裏に、ゴム印で「このパッケージは『つくし作業所』で段ボール箱や古紙を再利用してつくりました。」とある。『つくし作業所』とは、知的障害者通所施設のようだ。少しでも役に立っているのだろうか。

 筑摩書房の単行本「京の町かどから」は、1971年の第4刷(¥520 )の中古本が¥477であったが、同じように丁寧な包装で送られてきた。
 この本は、1961年に「朝日ジャーナル」に連載したものを一冊の本にまとめたものらしい。1961年といえば、私がちょうど二十歳のときである。そのようなときに、このような本を読んでおれば、ちゃらんぽらんな学生生活を少しは変える気になったかもしれない。今更悔やんでみてもしかたがないが。

 松田道雄さんは1908年生まれだから、多感な時代を大正時代( 1912 - 1926) に過ごしたことになる。このころの京都のインテリゲンチャは、一般的に左偏りの思想を持っていたと思われる。松田さんは、このようなインテリゲンチャに囲まれて育っているので、かなり左よりの医学生だったようだ。ただ、父も誠実な小児科医で、今の中京区手洗水町(四条烏丸から少し北に上がったところのようだ)で開業していたから、町衆との交わりも多い。この2冊の本には、そのあたりが克明に描写されている。

 茨城県の水海道で生まれで、両親とも東国育ちの文化の中で京都に育ち京都の文化人となった。そのあたりについて、松田さんは「京の町かどから」のあとがきに次のように書かれている。
 『京の町かどから』は私の著書で、おそらくもっとも多様な読者をえた本であろう。大正時代の京都をえがきえたためか、その頃を知っていられる京都の年配の方から思わぬ共感をいただいた。ことに京都を遠くはなれていられる方の郷愁を何ほどかそそったようであった。
(中略)
 私自身もこの本にすてがたいものを感じている。幼年期への感傷もあり、過去への低回もありはするが、私の精神の遍歴のなかで、土着的なものとは何かをときあかしていくひとつの転機をなした。
 文化の古い層を残している点で京都はうってつけの風土であった。この古い京の町のなかで、東国からやってきた子どもが、西欧的な思想の洗礼をうけてそだつことほど、京都と断絶したものはなかった。この断絶を半世紀の年月をかけてうめていく過程が、ほかならぬ土着化であった。
 土着ということばは、一部の学者からはあまり好まれないようであるが、それは肌の色が黄いろいとか白いとかいうのとおなじに、人間の宿命である。肌が黄いろいのに、白いかのようにふるまうのは不自然であるというのが私のいまの考えである。


クリックすると大きな写真になります 松田さんといい、梅棹さんといい、京都で育ち生活した人は、どうも京都からは離れられないらしい。『京の町かどから』の口絵の説明文(下のカラムと左の写真)は、そうした想いが溢れている。京都はどうも特別な町らしい。日本に来て 40年近くなり最近になって日本に帰化したビル・トッテンは、京都が好きで京都に住んでいる。京都のインテリゲンチャとは全くことなる思想の持ち主であるが、やっぱり京都がいいようである。
 ながい召集から解放されて、京都駅に近づく列車のデッキから東寺の塔をみた時の感動を忘れない。とうとう京都へ帰ってきた。京都はここにある。京都は昔のままにある。
 爆撃で焼けただれたいくつもの町をみてきた目には、京都の遠景は奇跡のようだった。
 京都とは一たいなんだろう。
 私の喜び、私の誇り、それらはすべてこの町とともにあった。京都、それは、私の過去だ。
 幸いに失わずにもって帰った生命を、私は、私の過去に接続することができる。
 京都ほ過去であるとともに未来である。東寺の塔は、私の回生の象徴であった。
 それから十何年かがたった。
 私は今また東寺の塔に向かって立っている。団地住宅の屋上で立ち並ぶテレビのアンテナを通して東寺の塔をみている。
 そしてもう一度私は問う。京都の美しさとは一たいなんだろう。
 それは京都が愛されているということだ。あの戦火をこえて京都が残っているのは、京都が敵からも愛されたということだ。
 京都とは愛の奇跡だ。
 団地のこどもたちよ、君らは東寺の塔を朝夕みながら誇るべき過去をつくりつつあることだろう。二十一世紀のある日、東寺の塔に愛の奇跡をみるために。


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2008年4月 8日

隠居の読書:梅棹忠夫の「京都案内」

 京都に娘が一人住まいするようになってから、家内のアッシーで行くことが多くなった。行ったついでに、どこかに寄ってくるのが通常になった。京都は訪ねてみたいところが沢山あるのでどこに行くか困るほどであるが、だいたいは娘のおすすめにしたがっている。

 梅棹忠夫の「知的生産の技術」を読み返しているときに、彼の著書を Amazon で調べてみると沢山の著書があるのだが、その中に、梅棹忠夫の京都案内という本があるのが分かった。京都に興味がでてきていたこともあって、さっそく取り寄せて読んでみると、これがなかなか面白い。ちょっと異なる観点から京都を見てみたくなっている。

 この本は、1987年5月に刊行された角川選書を平成16年9月に文庫化したものらしく、原本が加筆・訂正されているということである。元々の原稿は、梅棹さんが「知的生産の技術」でいうところの自分のアルキーフ(文書館:アーカイブ)から、京都に関する講演とかいろいろな雑誌に寄稿したものを集めて編集している。

 この本には、京都を愛してやまない著者の京都びいきの話がいたるところにでてくる。
 1961年に日本交通公社の「旅」に「京都は観光都市ではない―観光客のために存在していると思われては困る!」と題して載せている記事がある。その部分が生粋の京都人である梅棹さんの京都に対する考え方がよく分かると思うので、引用としてはいささか長いが、載せたいと思う。梅棹さんは、「知的生産の技術」のなかで、長い引用はすべきではないというのだが、私には原文のニュアンスを簡略して記述する能力がない。

祇園祭のチマキ
 たまたま、ことしの夏、おもしろい例があった。新聞の投書欄に、祇園祭のチマキについて、文句がでたのである。
 祇園祭のチマキというのは、祭をみたことのあるひとならご承知であろうが、山鉾巡行中に、鉾のうえからなげるのを、群集があらそってうける、あれである。祭のしばらくまえから、これは売っている。それを買って、玄関などにかけておくと、厄除けになる。一種のまじないである。
 新聞の投書というのは、こうだ。そのチマキを買ってかえって、あけてみたらカラだった。京都の商売ほインチキだといって、えらい剣幕で憤慨しているのである。投書したのは、いずれよそからの観光客であろう。観光客ずれのしている京都市民も、さすがにこれには、いささかおどろいた。
 つまり、こういうことなのである。祇園祭のチマキというものは、ずっとむかしは中身がはいっていたようだが、近年ほただチマキの形にササの葉をまいてたばねただけであって、もともとなかにはなにもはいっているわけはない。そんなことは、幼稚園の子どもでもしっている。祇園祭のチマキをむく、というのは、むかしからおろかもののすることの見本みたいにいわれているのである。そういうこともしらずに、逆ネジをくわしてきたその投書子のあつかましさに、京都市民はおどろいた、というわけなのだ。
 よそからの観光客なら、京都の風習をしらないのがあたりまえでほないか、という同情論もありうるが、京都市民の立場からすれば、祇園祭の前後に京都にでてきて、そんな風習もしらずにいた、というのではこまるのである。ちょっとたずねれば、わかることだ。もともと、祇園祭は市民の祭であって、観光客のための祭ではない。祭をみにきてもかまわないけれど、みるならみるで、祭のしきたりについて、観光客は理解の努力をほらうべきである。とやかく文句をいってもらってほこまる。それは主客転倒というものだ。

観光都市ではない
 観光都市のことだから、まァまァ観光客の無理解にも目をつぶらなければならないし、いまのチマキ事件については、こちらの啓蒙不足という点もあったのではないか、という声がきこえてくるようにおもうが、そういうかんがえかたこそは、「お客さまはいつも王さま」という原則に支配された、卑俗なる観光主義というべきである。「観光」の名のもとに、この種の臆面もない無教養が、京都市内を横行しはじめるとしたら、それは、伝統ある京都の市民生活にとって、ことは重大であるといわなければならない。とに、この種の臆面もない無教養が、京都市内を横行しほじめるとしたら、それは、伝統ある京都の市民生活にとって、ことは重大であるといわなければならない。
 だいたい「京都は観光都市である」というかんがえかたそのものが、ひじょうに危険なものをふくんでいる。たしかに、京都はうつくしい都市だし、ほかの都市にくらべれば、なみはずれてたくさんの史跡名勝をもっている。そして、それをみるために、おびただしい観光客がやってくることも事実だ。そのかぎりにおいて、京都は観光のさかんな都市である。しかし、「観光」は京都という多面的な大都市のもつ、ただひとつの側面にすぎない。京都は同時に学問の都であり、美術の都であり、工芸の都であり、商業都市であり、工業都市でさえある。もともと、一国の首都として発展してきた都市であるだけに、そのなかにはさまざまな要素をふくみ、複雑な構造をもっている。その点、二、三の史跡以外にはなんの特徴もない地方小都市が、戦後にわかに観光都市の名のりをあげたのとは、本質的にちがうのである。そういう意味では京都を「観光都市」などという一面的なよびかたでよばないほうがよい。おたがいに誤解を生じるもとである。
 はっきりいって、京都市民のなかで、観光でたべているひとはごく一部にすぎない。大多数の市民は、観光と無関係に生活している。観光の恩恵をうけていない。京都をおとずれる観光客が、なにかの原因でおおきく減少したとしても、打撃をうけるのは少数の観光業関係者だけであって、おおかたの市民は、たいしてこまらない。それによって、都市の性格がおおきくゆらいだりはしないのである。
 このことを、逆に観光客の立場からみると、こうなる。京都では、ほかのはんとうの観光都市みたいに、お客さまづらをしているわけにはゆかない、ということなのだ。観光にきてやって、京都市民をよろこばせてやっている、というわけではないのだから。京都市民全体としては、たくさんの観光客が京都をみにくるのを、たいしてありがたがってはいないのである。ときにはめいわくもしている。


 この記事は、この本に収められている文の一例ではあるが、内容の雰囲気はつかんでもらえるではないかと思う。
 梅棹さんが、"帰化京都人"と称する小児科医の松田道雄さんの京都に関する本も紹介されている。「花洛」と「京の町かどから」である。Amazon で探すと中古本があった。取り寄せて読んでいる。

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4 稀代の博識者による一味違った京都案内本です
5 京都に行くまえ、行ったあとでも

2008年2月21日

隠居、ネット時代の「知的生産の技術」を考える⑥日記と記録など:終

 私と同じように、「知的生産の技術」の現代的意味を読み解いておられる中学校の理科の先生がおられる。学校の先生らしく、深く深く読んでおられる。多分、そのようにこの本に傾倒されおられるのは、9章の「日記と記録」の記述に、ご自身で記録的に続けておられるブログの賛同意見を見いだされたのではないかと、かってに推測している。少なくとも、私はそうだからである。

 勤めていた頃は、私もメモ帳的な日記をつけていた。ただ、この日記的なものは、サラーリーマンとして仕事上のことばかりであったから、退職と共にすべて捨ててしまった。五木寛之のいう「黄金の林住期」になって、過去を捨てて新しい世界を楽しみたいという気持ちになったせいもある。
 新しい世界を楽しむためにはじめたブログは私にとっては、<ネット時代の「知的生産の技術」を考える①>で書いたように、梅棹さんが「知的生産の技術」でいう 日記と記録 になった。
 梅棹さんは、
日記というのは、要するに日づけ順の経験の記録のことであって、(中略) 航海日誌とか業務日誌のたぐいをおもいうかべればよい。
と説いておられるが、まさしく私のブログ( Web Log=航海日誌) も林住期生活の気ままな 日記と記録 なのである。

 私が日記としているのは、 Movable Type というソフトで作るブログである。ブログはそれ自身がポータル・サイト的な性格を持っているが、私はそれをカスタマイズして、さらに自分用のポータル・サイトにするつもりでつくっている。 これらの大部分は、iGoogle などのポータル・サイトでほとんど実現できることが多いが、自分の日記なので自分がもっとも使いやすいようにしたいと思っているのである。

 ここまでこだわらなくても、「知的生産の技術」の9章に書かれている 「バラ紙にかく日記」「日記をかんがえなおす」「日記と記録のあいだ」「記憶せずに記録する」「カードにかく日記」「個人文書館」の項目で記述されている記録の方法はブログによってクリアできると思う。
 とくに最後の「個人文書館」の項の中で、
ぼう大な記録カードや日記の蓄積は、いわば個人のためのアルキーフ(文書館)である。わたしがいっているのは、知的生産にたずさわろうとするものは、わかいうちから、自家用文書館の建設を心がけるべきである、ということなのである。
と説いておられるが、アルキーフ(独語)とは英語でアーカイブのことであり、ブログではデーターベースが自動的に文書館をつくってくれるのである。

 問題は、「メモをとるしつけ」「野帳の日常化」である。この項目における要点は、いつでも記録できる体制にあれということであろうから、コンデジを常にポケットに忍ばせておくとか、ケイタイで文書を書くのを習熟するとかでネット時代ではカバーできるだろう。さらに小さなMP3レコーダーでも携帯しておれば鳥の鳴き声だって、簡単に明瞭に録れるのだ。40年前に比べれば、記録することははるかにたやすくなっている。しかし、重要なことは、道具が変わっても、なんにでも好奇心をもっておくことであろう。これは、40年経っても変わらない。

 歳をとって物忘れがひどい。日記を自分のための生活記録と考えて、新しく経験したことについて記録をしておけば、あとで役に立つ。経験したことの感想だけではあとで役に立たない。9章の「自分のための業務報告」の項にでてくる宮廷の台所日記という『御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)』的でなければならない。
 例えば、自分で作ったブログ・サイトに何か新しい Plugin をインストールしたときには、そのインストール方法や苦労した点あるいは参照した Web URL などについて記録しておく。そうすれば、また同じことにぶつかったときに役に立つ。
 私は、この自分のための生活記録を隠居の気楽さで恥も外聞もなくブログという形で公表している。Google や Yahoo! などの検索にひっかかって、私と同じようなPC上のトラブルとか、音楽編集の方法などのエントリーへ訪問される方が、一日200人を越えるようになった。いちど訪問して、「なんや、つまらん!」と思う人がほとんどだと思うが、梅田望夫さんがいうように、
個人が、しらべ、読み、考え、発見し、何か新しい情報を創出し、それをひとにわかるかたちで書き、誰かに提出するまでの一連の行為(「ウェブ時代をゆく」 p.146)
 を知的生産と位置づけるなら、私も少しは 知的生産 をしているのかもしれない。

 一日に200人もの人が訪れるようになったので、ブログを自分への経験記録だけでなく、「知的生産の技術」の10章(原稿)・11章(文章)で書かれているように、他人のために「かく」ことを意識せざるをえなくなってきた。
 それも、ブログのおかげで私のような隠居でも気軽に簡単に発信できるようになったからである。活字にする必要がなくなったからである。私の父は、下手な短歌を作るのが趣味であったが、彼が唯一外に向かって発信したのは、なけなしの退職金をはたいて歌集を自費出版したことであった。今のネット時代なら、もっと気楽に発信できたであろう。

 梅棹さんは、11章「文章」「まずわかりやすく」のなかに、古くからからいわれている 文章は俳句のつもりでかけ という心得をとりあげて
 この忙しい世の中で、俳句をあじわうようなつもりで、論文をなんどもよみかえして、あじわってくれる人はあるまい。一ぺんよんで、すっとわからぬような文章は、やはりぐあいがわるいのではないか。わたしは、苦心して文章をみじかくすることの愚をさとった。みじかいことよりも、わかることのほうがたいせつである。文章は、電報ではないのだから、
 賛成である。特に、記録としての意識をもてば、文学作品を書く必要はない。ただ、私のエントリーが分かりやすいかどうかには自信がない。良い文書をかくようにこころがけたいと思う。と同時に、ブログの体裁を整える方法も、もっと習熟する必要がある。歳をとってからの学習は、はかがいかないが。

 このシリーズのエントリーは、今回で終わりにしたいと思う。第1回で書いたように、40年前の「知的生産の技術」を、今のネット時代で実施するとどのようななるのかを、浅薄な知識は承知の上でシリーズで書いてきた。どんな意味があるのというようなことは問わないで欲しいが、何人かの方々が隠居の日記に興味を持っておられるのがせめてもの救いと思っている。

2008年2月13日

隠居、ネット時代の「知的生産の技術」を考える⑤手紙

 今回は、「知的生産の技術」8章の「手紙」をネット時代では、どのように考えるかについてふれてみたい。
 梅棹さんは、「知的生産の技術」を発刊された1969年当時においても日本では手紙の形式が崩れていることやコミュニケーションは電話ですまし、手紙を書かなくなっていると指摘されている。確かに、ずっと前から郵便受に入るものは、印刷されたダイレクトメールか振り替え通知ばかりであり、友人からの手紙なんて滅多にない。こちらが筆無精で手紙を書くのは苦手であり、こちらから発信しないのだから無理もない。こまめに手紙をくれるひとには感服してしまう。それが、電子メール( eMail )が一般的になって激変した。

 eMail が一般的になったのは、Windows95 がブームとなった 1995 年頃であろう。この年、日本でのインターネット牽引者である 村井純さん が「インターネット(岩波新書)」を発刊されている。インターネットが庶民のものとなって、たかが、まだ12~3年しかならないのである。この12~3年の間に、少なくとも私にとってはコミュニケーションの世界が全く変わってしまった。eMail という形式を介して、頻繁に多くの方と eMail という手紙をやりとりするようになったのである。

 梅棹さんは、手紙を情報交換の知的な技術と定義しておられるが、手紙がeMail に置き換わった今のネット時代では人びとの間の情報交換は、飛躍的に増大していると思われる。ネット時代では、情報の交換はこのeMail 網だけではなくブログなどもっと大きな場が拡がっているが、この現象については、また別のエントリーで考えてみたい。

 知的な情報交換とは言えないが、今、郵便受けに入る手紙・はがきには、この歳になるとやたらに同窓会・OB会の案内が多くなる。この案内状をメールに代えれば、事務作業はあきらかに簡便となる。私も参加しているシニアばかりのプライベートなゴルフ・コンペへの参加資格は、メールアドレスを持っていることである。メール以外の案内は一切しない。幹事の負担は、物理的な手紙・はがきで案内することとは比べものにならないほど楽ちんである。楽天が提供するような無料のメーリング・リスト( ML ) サービスを利用すれば、もっと楽ちんである。

  eMail を発信するのは手紙を書くことに比べるとはるかに楽であり形式も自由であるが、顔を知らない外国人からの英語での eMail は、梅棹さんが指摘されている形式が今も守られているようだ。下の例は、UKのソフト会社から私宛の  eMail の一例である。
 
Dear Shuhei Nxxxxxxx

This is to let you know that xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx:

Please note xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx.
If this happens, please see http://www.xxxxxxxxxxxxxxxxxx.com/xxxxxxxxxxx for further instructions.

xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
Ixxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx

For further assistance please go to http://www.xxxxxxxxxxxxxxxxx.com/help.asp

Best wishes,

xxxxxxxxxxxxxxx.com
Our ref: xxxxxxxxxxxxxxxxxx


 手紙をワープロで作成するにあたっても、米国あたりでは形式が守られているのか、Miscrosoft の 文書作成ソフト日本語 Word にも、オートフォーマットという機能があり、文頭に「拝啓」と入力すると文末は「敬具」と自動的に表示されるような機能や月毎の時候の挨拶が用意されている。Word の元々は米国だから、そのようなテンプレートを用意するのは当然であっただろう。

 eMail も米国発であるから、Miscrosoft あたりが提唱するメールの形式は物理的な手紙のメールの形式が色濃く残っている。 eMail には eMail なりのエチケットみたいなものがある。これは「ネチケット(Netiquette)」という言葉になっている。
 先日、あるML仲間で eMail のやりとりが続いた。返信・返信で情報の交換をしているうちに、メールの件名( Subject )からはずれた情報の交換となった。ネチケットにうるさいシニアからお叱りがでたが、話題を変えるときは件名( Subject )を変えるのが望ましい。
 Google が無償で提供する WebメールGmail では、同じ件名で送受信したメールをスレッドとして整理してくれるから、件名を変えるのはまことに賢明なのである。話がそれるが、「2ちゃんねる」などで有名な「匿名掲示板」での日本語は乱れているが、件名と内容が異なる投稿をすると「スレ違い」などと言われる。また、話題が終了した掲示板は、「死にスレ」などという表現が使われたりする。若い人のやりとりにはついていけないので、遠慮しているが、スレ違いにならないようにしたいものだ。

 ネット時代になってでてきた巨大な情報交換の場の一つは、eMail を発端としたネット掲示板( BBS )である。例えば、私が愛用させてもらっている [K'sBookshelf] の「この花の名は?掲示板」に、名前の解らない花の写真を添えて掲示板にアップすると、たいていの場合 10 分ほどもたたないうちに誰かが教えてくれる。手持ちの花の図鑑やネットで調べても解らないときには重宝する。市井の一市民の知識が即座に引き出せるのである。eMail や BBS によって知識の増幅のスピードは、格段にスピードアップした。

 梅棹さんは、この手紙の章で、手紙のコピーとアドレス・カードの方法についてもふれておられるが、ネット時代では全く問題がない。
 eMail の送受信はファイルで残っているから、コピーの心配はない。心配は、前々回かいたように、デジタル・ファイルを消してしまうことである。
 私は、アドレスは、「筆まめ」というソフトで整理している。何かの会で住所録をエクセルかなにかの表形式で整理したものがあれば、テキスト形式で簡単に取り込める。このようなソフトのいいところは、年賀状などの宛名書きを全部自動的に印刷してくれることである。(年末の忙しい時間に、プリント・ゴッコで印刷し、悪筆の手書きで宛名を書いていたころが懐かしい。) また、年賀状をいただいた方、出した方の記録や喪中はがきをもらった人も記録できる。二重にだしたり、喪中の人へ出したりする失礼もなくなる。また、デジタル・ファイルであるから、検索は簡単にできる。
 ただ、eMail がかなり拡大しても、年賀はがきはなくならないだろう。年賀はがきは、ただ単なる手紙のやりとりとは違うのだ。

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5 インターネットとは。
4 インターネットの価値を再評価できる
4 インターネットの価値を再評価できる


2008年2月 5日

隠居、ネット時代の「知的生産の技術」を考える④「かく」

 「ネット時代の『知的生産の技術』を考える③」では、梅棹流読書法は、このネット時代ではどうなるかについて考えてみた。今回は、「知的生産の技術」第7章「ペンからタイプライター」について考えてみたい。

 梅棹さんは、この章にかなりのページ数を割いておられるが、要するに、日本語というやっかいな言語体系のなかで「かく」ことの効率化の話である。効率化を求めて、鉛筆→万年筆→ローマ字でのタイプライター→カナモジタイプライター→ひらがなタイプライターと発展させた話である。推定であるが、その変遷の期間は 20 年余りと思われる。

 「知的生産の技術」が出版されてから、10 年後の 1979 年に東芝のJW-10 というワードプロセッサが発売された。当時、私は新薬メーカーの経理部員として、新薬開発部門の生産性を見ていた。新薬の認可を受けるためには、トラック1台分くらいの書類を厚生省に提出しなければならなかった。(現在は、デジタル化した資料になっていると思う) この書類の手書きでの作成、印刷、校正、修正には薬剤師の資格を持った女性達を中心に多大な労力を要していた。
 JW-10の発売を知り、一も二もなく購入を勧めたことを覚えている。価格は、確か450万円くらいしたと思う。JW-10については、次のPDF文書に詳しくでているので参照してほしい。
日本語ワードプロセッサーの誕生とその歴史

 その後のワープロの進化は、皆さんご存知の通りである。1988年の11月に、梅棹さんの編集で、「私の知的生産の技術」という本が出版されている。この新書には、岩波新書創刊50年を記念した募集論文「私の知的生産の技術」の入選作12篇に、梅棹さんのエッセイが付いている。そのエッセイの中で、ワープロについて次のようにふれられている。
 『知的生産の技術』のなかでは、日本語の現在の表記法のままではタイプライターにのらないことをのべ、ひらがなタイプライターなど、その点を克服するたのくふうについてのべた。それがワープロの出現によって事情は一変したようである。(中略)
 とにかくワープロによって日本語は機械にのった。人びとは悪筆コンプレックスになやませれることもなく、むつかしい漢字にふりまわされることもなく、らくらくと文書をたたきだすようになった。この数年間におけるワープロの普及ぶりは、まったくおどろくばかりである。これもまオフィスばかりか、家庭のなかにまで着実に浸透しつつある。

 余談であるが、梅棹さんの文書を引用させていただいてパソコンから入力しているときに気がついたが、梅棹さんはできるだけ漢字を使わないようにされているのではないかと思う。はじめ、それはひらかなタイプライターを使っておられたせいと思っていたが、どうやらそうではないらしい。先の引用の続きに、このような文章がある。
 しかし、ワープロによって問題のすべてが解決したのではけっしてない。ワープロによって、事務革命は完成したわけではないのだ。近代文明語としての日本語の問題点は、単に機械化がむつかしいというばかりではなく、学習の困難さ、国際化への障害など、いくつも難点がある。ワープロの発達は問題を解決しないで、むしろ先送りしたともいえる。

 これに関して思い出すことがある。富士通のOASYSのワープロで親指シフトのキーボードが、一時流行したことである。(今も愛用されている方も多いようだが。)ワープロの日本語入力の主流は、QWERTYキーボードでローマ字入力だとおもう。機械式英文タイプライターのキー配列は、早く打ちすぎると機械の方が追いつかなくて故障してしまうことから, QWERTY配列が、de facto standard になってしまったようだ。私も、完全ではないが、QWERTYキーボードのブラインド・タッチを習熟してしまった。
残念ながら、IT の国際言語は英語である。ネット時代になって、日本語の国際化はますます困難である。

私の知的生産の技術
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2008年1月23日

隠居、ネット時代の「知的生産の技術」を考える③読書

 ネット時代の「知的生産の技術」を考える②では、ネット時代における発見の記録について考えてみた。今回は、ネット時代の読書について考えてみたい。

 読書は、このネット時代になっても、デジタル書籍みたいなものがあるものの、依然として重要な知識獲得手段である。梅棹さんは「知的生産の技術」の6章読書の中で、本の内容の正確な理解には、はじめから終わりまで読むことが必要であると説いており、そのようにして読書した本は、「よんだ」といい、一部分だけよんだ場合には、「みた」ということにしておられるらしい。「よんだ」本の記録には、京大型カードを使って、読書カードをつくっておられる。

 梅棹さんはまた、「読書においてだいじなのは、著書の思想を正確に理解するとともに、それによって自分の思想を開発し、育成することなのだ」、と説かれ、そこで誘発されたことがらは、発見の記録として、京大型カードに残されるのである。誘発されることがらのレベルは雲泥の差ではあるが、私は「よんだ」本から得られた情報はブログにエントリーするようにしている。
 Amazon のアフリエートを利用してエントリーにリンクしておけば、出版社や価格などの情報まで付加された読書カードとなる。ブログはもともと日付順(投稿の何時何分までも)になっていたり、カテゴリーといった分類があったり、タグとよばれるキーワードを付ける機能があるから、記録しては理想的である。

 隠居生活に入ってから、「みた」本は多いが「よんだ」本は少なくなってしまった。少ないが、「よんだ」本の、例えば、マイク・モラスキーというミネソタ大学の教授が書いた「戦後日本のジャズ文化」という本を「よんだ」記録は、2006年12月2日のエントリーにあるとおりである。

 このような「知的生産の技術」のまねごとができるようになったのは、ブログでいろいろなことを記録しはじめてからである。私にとっては、ブログこそがそのような世界を開いてくれたのである。

 消費的読書(読書を楽しむだけ)は、たいてい本屋の店先にならんでいるのを見て衝動的に求める場合が多いが、生産的読書(知的生産のための読書)のための書籍は、このネット時代には Amazon のようなネットショップで検索するのが普通になってきた。Amazon へ検索にいく前に、Google などで得たい情報をサーチすることは、大抵の方がしていると思う。インターネットという巨大な百科事典は、ほんの数年前まではなかったのである。

 ただ、購入したいが、もう絶版になっている本もある。たとえば、「知的生産の技術」に出てくる「神々の復活」という本は絶版になっている。図書館の放出本がでたこともあったようだが、今は「復刊ドットコム」というサイトで復刊希望者の投票が集められている。(注:英語版なら、英国でペーパーバックで売られている。"The Forerunner. a Romance of Leonardo Da Vinci : Dmitri Merejkowski ;")
 Google では 「ブック図書館プロジェクト」を立ち上げている。これが実用に供されれば、図書館まで探しに行かなくても、抜粋ぐらい手に入る世界はそんなに遠くないかもしれない。

 このように、なんでもデジタル化してしまえば、保管も整理も検索も楽なのであるが、問題はうっかりすると蓄積した情報が全てなくなってしまうことである。このことについては、坂村健教授が、1月20日付の毎日新聞朝刊2面の「時代の嵐」というコラムに以下のように書いておられる。(梅棹さんは、自分で書くものには、できるだけ引用が少ない方が良いと説かれているのであるが。この記事は、前回に書いたように、スキャナーとOCRソフトで新聞記事をテキスト・デジタル化したものである。)
 デジタル化した記録は、しっかりとバックアップをとっておくことが、このネット時代には重要である。記憶デバイス・メディアの価格は恐ろしく安くなっている。クラッシック音楽LP100枚分をデジタル化し、MP3という音楽ファイルにして、iPod Classic 80GB(そのうちの20GBに) にいれて持ち歩いている友人がいる。2重3重にデータを持っていたって、たいしたことはないのである。

 
時代の風 デジタルデータよ永遠に 千の風になって
                                                     坂村健 東京大学教授

 家の古い8㍉ビデオカメラに、テープが入ったままずっと取り出せなくなっていた。
最近、メーカーに持っていきなんとか取り出してもらったが、故障については直そうにももう部品がないという。

 昔だったら子供の成長の記録を残すため、たいていの人はフィルムのカメラで写冥を撮っていた。 ところがふと気がつくと時代はデジタルカメラ。
 撮った瞬間に液晶画面で確認できるし、最新のものはそのままデータを無線LANでインターネットに送り、投稿サイトに公開できる機能まで持っているらしい。
 しかし、ふと気がつくと私の8㍉ビデオのように、以前子供を一生懸命撮った方式のカメラは世の中から姿を消している。

 そして規格が廃れると、再生機も売られなくなり、故障しても修理できなくなりという具合で、せっかく撮ったものが見られなくなってしまう。
 そこで重要なのは、記録のデジタル化だ。音声でも写真でも動画でもまずデジタル化することをお勧めする。デジタル化してしまえば、デジタルデータが保存できる媒体になら何にでも記録できる。デジタルデータが送れるネットワークなら何を通しても送れる。
 さらにデジタルデータはいくらコピーしても劣化しない。またその方式はコンピューターのプログラムで決まる。だからパソコンで再生できない規格のデータがあっても、ネットからそれを処理できるプログラムを取ってくればすぐ再生できたりする。

 これほど便利なデジタル化だが、データが壊れたときの「取り返しようのなさ」は最悪だ。アナログビデオならノイズがあっても画面が汚くなるだけで、何が映っているかぐらいはわかる。それに対して、デジタルの場合、ワンセグのテレビを見ていればわかるように、電波の受信状況があるレベルを下回ると急に画面が止まってしまう。

 デジタル記録といえども結局はDVDやハードディスクのように物理的な物質の上に記録されている。当然劣化するし、小さな媒体にたくさんの情報を入れている素材ほど、情報はほんの小さな違い―ミクロン単位の穴があるかないかとか、磁気の向きがどっちかどかぎで書き込まれているから、それはちょっとしたことで失われる。

 CDをはじめとするデジタルメディアは歴史も浅く、本当のところどれくらいの寿命があるかもわからない。CDよりDVDの方が弱いし、メディアの品質が悪ければあっという間に読めなくなるとも言われている。パソコンのハードディスクも永遠ではない。データを入れたままにしておくとある日突然恐ろしい音とともに壊れて、データがまったく取り出せなくなる。

 これをなんとかならないかと思う人は多いだろう。そこで、注目すべきは、デジタルデータがコピーしても品質が落ちないということだ。CDにしろDVDにしろハードディスクにしろ、定期的に新しいものにコピーしていけばいい。技術進歩により記憶容量の単価はどんどん安くなっている。常により広い家に引っ越せるようなもので、荷物を捨てる必要は無い。

 しかし、この方法の問題は定期的に手間と出費がかかること。ついついコピーを先延ばしにしていると、いつのまにかデータが失われてしまっていたりする。

 そこで、インターネットの時代、自分が記録したものをすべてインターネットのサイトにアップしてしまえばいいというアイデアが出てくる。そのサイトが存続してくれる限り、コピーを繰り返してデータを守るための手間は相手がやってくれる。しかもインターネットがあればどこからでも見られる。

 サイトと契約しなくても、最近流行の写真や動画投稿サイトを利用する手もある。他人に見られる可能性はあるが、本人が思っているほど他人のプライベートビデオは面白いものではない。問題になったファイル交換ソフトのウィニーなども「違法ファイルが消せないのが問題」というなら、いっそのこと保存したいファイルをウィニーに放流し、必要になったら呼び寄せるという利用法もある。他人に読まれたくないなら暗号化すればいい。
 逆に、自分を覚えていてほしいと強く願う孤独な人が死の直前に自作の詩集(やらなにやら)をウィニーに放流する、というせつない話もそのうち出てくるだろう。

 極端な話、インターネット開闢(かいびゃく)以来のサイトのデータをすべてコピーして蓄積していると噂されているNSA(米国国家安全保障局)に人類の文化の記録係の役割を担ってもらおうか。

 ワープロなどが広まり「オフィスのペーパレス化」などと言われた頃、紙の記録が電子化されてしまうので、下手すると電子時代の文明は後世から見たら何も文献が残っていないかもしれないと論じられた。私もつい最近まで、それが正しいと思っていた。しかし、デジタル時代の常識はどんどん変わる。巨大なネットワークの中に、人類のデータが増殖しながらさ千の風になって永遠に流れ続ける。はっきりいって残ってほしくないデータまで......そういう時代の入り口にわたしたちは来ているのである。
 

2008年1月16日

隠居、ネット時代の「知的生産の技術」を考える②:発見の記録

 このエントリーは、私の同年代ではパソコン恐怖症で、いまだに昔の情報整理にこだわっておられる方も多いので、死ぬ前に、革命が起こっているネット時代を覗いてみたらという気持ちで書いている。パソコンを使いこなしておられる方には、別に新しい話でもないので、どうぞ退室していただきたいと思う。

 このエントリーは、ネット時代の「知的生産の技術」を考える①」の続きである。なんとなく、しょうもないことを始めたといささか後悔をし始めているが、自分自身の記録と思って、オブリゲーションなしに続けることにする。

 梅棹忠夫の「知的生産の技術」の前半では、
  1. 発見の手帳
  2. ノートからカードへ
  3. カードとその使い方
  4. きりぬきと規格化
  5. 整理と事務
と手帳、ノート、カード、ファイルなど、知的生産における装置(ツールという表現をした方がいいのかもしれないが)を取り上げている。

  新しい情報の生産を知的生産というのなら、そのための素材がなければならない。その素材は、「あらゆる現象に対する、あくことなき好奇心、知識欲、包容力」で発見したことがらである。それらを素早く記録するためのツールとして、京大型カードにたどりついたとある。手帳→ノート→カードの進展型で京大型カードとなった。

 私も長続きはしなかったが、京大型カードを使った記憶がある。私が勤めていた会社の研究所でも、これに似たカードが採用されていた。それは、化合物のデーター・ベースみたいなもので、カード1枚1枚に亀の甲が特殊なタイプライター・ヘッドを使って、プロのタイピストが打ったものである。偉大なる労力を使っていたのだ。今でも、この分野は特殊なソフトが使われているようだが、3Dのグラフィックで立体的に表示されるようになっているようだ。

 それは兎も角として、「知的生産の技術」では、この部分に、かなりのページ数を割かれて記述されている。

 何かを発見をしたときにその場で文書を書くには、今ならケイタイで文書をつくり自分のPCにメールで飛ばすことができそうだ。1993年発刊の野口悠紀雄の『「超」整理法』は、「知的生産の技術」が発刊されてから24年目の、いわば「知的生産の技術」の焼き直し版である。その中に「持ち歩き端末」(p.191) が便利であるとある。それから、14年しか経ていないが、この世界はどんどん進化しているのである。そう言えば、WorkPad が流行ったこともありましたね。引き出しの奥になぜか、2台が眠っている。

 最近のケイタイには、解像度の高いデジカメまで付いている。それに不満なら、ちいさなコンデジ( Compact Digital Camera)をポケットに忍ばせておけばよい。とにかく、素早くデジタル化しておくのがいいのではないだろうか。受信したメールを Notepad か何かに copy & paste して、野口悠紀雄の『「超」整理法』にあるように、時系列にデジタル・ファイル化しておけば、後の活用に生きてくる。デジタルの世界になって、あきらかに整理の方法が変革したのだ。

 京大型カードで工夫された点は、あとで整理をしやすくすることである。これも、梅棹さんがいう「発見」をデジタル化しておけば、カード時代に苦労されたこと(複写であるとか、グループ化など)が簡単にできる。

 「知的生産の技術」P63 では、カードも多くなれば持ち運びが大変ということを書いておられる。P56 にあるカードの絵をもとに1枚あたりの情報量を計算すると、カード一杯に書いても文字数は300文字くらいだから、漢字1文字は、2バイトの情報量なので 600文字×2バイト=1200バイト(約1.2KB)である。
 今、¥3000たらずで売っている1GBのUSBメモリーにカード 90万枚ちかく(1GB=1024MBx1024KB=1,048,576KB ÷1.2KB=873,813 )の情報量が入ることになる。しかも、まだムーアの法則は健在だから、情報を蓄積する技術は、創り出される情報量を十分吸収できるのだ。

 第4章では、切り抜きと写真の整理について書かれている。切り抜きは、インターネットでほとんどの情報が得られる今でも、情報を集める有効な方法であろう。ただ、今ではスキャナーという便利な機械を使えば、わざわざスクラップ・ブックを作らなくても、デジタル・ファイル化することができる。おまけに、スキャンした情報が新聞のようなものであれば、OCRソフトがあるから、イメージデータを文字データに変換することもできる。私も、仕事をしていた7~8年前くらいから新聞・雑誌などでとっておきたい情報は切り抜かずスキャナーして、「読んでココ!」というOCRソフトで 、テキスト・デジタル化していた。最近では、OCRソフトの識字率も非常に向上し、自動化も進んでいるようだ。
  例えば、2003年7月9日の日経新聞の記事は、テキスト・デジタル化したものをHTMLで表現したものである。スクラップ・ブックに貼っていたら、とっくに捨てていただろう。デジタル・ファイルだから、パソコンの片隅に残っている。

 「知的生産の技術」の P75 あたりには写真整理の話が出てくる。もちろん、銀塩写真である。今、写真を銀塩フィルムで撮る人はよほどのマニアか、よほど時代に遅れている人しかいないだろう。今や写真はデジタル・ファイルであるから蓄積は他のデータファイルと変わらない。Google が提供する Picasa2 のようなソフトを利用すれば、写真の整理が簡単にできるし、修正できたり、CDに焼いたりできる。

 第5章では、蓄積した資料の整理の方法を述べておられる。ちょっと余談であるが、その中に、「整理」と「整頓」とは違うという以下のようなくだりがある。
整理というのは、ちらばっているものを目ざわりにならないように、きれいにかたづけることではない。それはむしろ整頓というべきであろう。ものごとがよく整理されているというのは、みた目にはともかく、必要なものが必要なときにすぐとりだせるようになっていること、ということだとおもう。

 詳しく書くと家庭内争議になるので書かないが、家内といつももめるのはこのことである。

 この章には、それこそ物理的なファイリング・システムについても説明されているが、今の時代では自分で集めた資料は 100% 近く、パソコン (Personal Conputer) のディスクに保存される。Windows の検索機能を使えば、すぐさま、ありどころを教えてくれる。それでも、梅棹さんが説くように、それぞれの情報の「あり場所」は決めておいた方がよいようだ。これだけ Hard Disk が安くなれば、文書用ディスク、スクラップ用ディスク、写真用ディスクと分けておいた方がいいかもしれない。USBで接続できる外付けのポータブル・ディスクであれば、場所もとらないし、持ち運びだって簡単である。

 次回には、第6章以降の「読書」とか「手紙」などに関する知的生産の技術について、ネット時代の今ならどうなのかを考えてみたい。

  
「超」整理法―情報検索と発想の新システム (中公新書)
野口 悠紀雄
中央公論社 (1993/11)
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5 押出しファイリング
5 整理法までをも整理してしまった本
3 整理のポイントは使用頻度

2008年1月 3日

隠居、ネット時代の「知的生産の技術」を考える①

 1969年に初版がでた梅棹忠夫の「知的生産の技術」は、まだかなり売れているようである。 引退したときに持っていたビジネス関係の書籍はほとんど処分したが、この新書はまだ本棚に残っていた。
 セピア色に変色したこの本を引っ張り出してきたのは由がある。最近読んだ梅田望夫の「ウェブ時代をゆく」の第五章「手ぶらの知的生産」冒頭に、この本が3ページを割いて紹介されていたからである。
 知的生産ということばを作った梅棹さんは、知的生産を以下のように説明する。
知的生産とよんでいるのは、人間の知的活動が、なにかあたらしい情報の生産に向けられているような場合である、とかんがえていいであろう。この場合、情報というのはなんでもいい。知恵、思想、かんがえ、報道、叙述、そのほか、十分ひろく解釈しておいていい。つまり、かんたんにいえば、知的生産というのは、頭をはたらかせて、なにかあたらしいことがら―情報―を、ひとにわかるかたちで提出することなのだ、くらいにかんがえておけばよいだろう。この場合、知的生産という概念は、一方では知的活動以外のものによる生産の概念に対立し、他方では知的な消費という概念に対立するものとなる。

 あさはかな知恵を働かせながら続けている私のブログにも、1日100人以上の方が訪ねてくれるようになった。アクセス解析サービスの Artisan で内容を見ると、やはり How to 的なエントリーへの訪問が多いようである。訪問して、「なーんだ、つまらん」と帰る人がほとんど思うが、いくらか役に立っている部分もあるのかもしれない、と考えると、ひろい解釈で知的生産をしているのかもしれない。 現在のネット時代を背景に読み返してみると梅棹さんが苦労して作り上げられた知的生産の技術が、パソコンの前に座るとほとんどのものが容易に手に入るようになっている。だが、知的生産の意義そのものはまったく変わらない。
 今更、知的生産を目指すような歳ではないが、私にとってはブログは公開日記と思っているので、梅棹さんが日記を航海日誌(英語では、log ですね)的とする次のような考え方と合致する。
日記というのは要するに日づけ順の経験の記録のことであって、その経験が内的なものであろうと外的なものであろうと、それは問題でない。 日記に、心のこと、魂のことをかかねばならないという理由は、なにもないのである。(p.163)

 ブログを続けることに、この本で勇気をもらった。梅田望夫さんも先の本で触れておられるように、
個人が、しらべ、読み、考え、発見し、何か新しい情報を創出し、それをひとにわかるかたちで書き、誰かに提出するまでの一連の行為(「ウェブ時代をゆく」 p.146)
である「知的生産」の仕方を、40年前の「知的生産の技術」を、今のネット時代で実施するとどのようななるのかを、浅薄な知識は承知の上でシリーズで模してみたいと思う。それが、どんな意味があるのというようなことは問わないで欲しい。なにしろ隠居日記に書いておきたいだけだから。

知的生産の技術
知的生産の技術 (岩波新書)
梅棹 忠夫
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2007年12月12日

隠居ブロガーの読書:「ウェブ時代をゆく」梅田望夫

 多いに刺激を受けた『ウェブ進化論』の著者「梅田望夫」さんが、続編を出版されたので、電車内で読もうとJR大阪駅近くの本屋で求めた。
 期待して読んだが、著者が「あとがき」で下のように触れておられるように、あきらかに対象を若い人に置かれている。これからの長い人生をどう生きるかと考える若い人には、ウェブ時代をゆく指針となるだろう。
 「働く」ことをやめて「いかに楽しく遊ぶか」がテーマの隠居の身には、視点がすこし違うかなという感じである。
「福澤諭吉」の『西洋事情』と『学問のすすめ』が対になった存在であるのと同じ意味で、ウェブ時代の意味を描いた『ウェブ進化論』と対になった「その時代に生まれる新しい生き方の可能性」をテーマとした本を、いま時をおかずに書かなければならないと思った

 だが、ウェブによって劇的に変革する事象を残された人生の中で体験してみるのも、この時代に生きた証になるかもしれない。
 梅田さんは、冒頭の部分でも「福沢諭吉」を引き合いに出して 
「福澤諭吉」は『文明論乃概略』緒言の中で、幕末から明治への変化について「恰も一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」と表現した。
 福澤は、その66年の生涯の『最初の半分』(33年)を封建制の江戸時代に、『あとの半分』(33年)を明治維新の時代に、まさに「一身にして二生を経るが如」しだと思う。 (中略)
 2年ほど前から『ネットの世界で住む』ようになった私は、もう既に「一身にして二生を経るが如く」生き始めたのだなと感じる。
 その実感を持ったとき、福澤のように、その時点での年齢(45歳)のほぼ倍(90歳)まで、つまり2050年まで生きてこの進化の行く末を見てみたいと思った。
 と記している。
 私も、ブログを本格的に自分の生活の中心に置いてから2年ほどになる。ITの世界にはその前から身を置いていたが、ネットで世界が変わってきていると実感しているのは最近である。
 私は梅田さんより20年も年上だから、二生の比率は半々ではなくて、 3:1 くらいになるかもしれないが、残り4分の1の世界への想像力をたくましくしたいものだと思っている。
 マイクロソフト独占の世界だったパソコンの世界は、Google が幅をきかす新しいネットの世界になった。利益至上主義を排し、好きを貫いた人たちがリーダーとなって、オープンな環境で「群衆の叡智」を集めて創られた Linux, Wikipedia などが、Webの世界を変革していく。何か面白い世界になってきた。
 同年配の友達の多くは、メールとちょこっとした検索ぐらいにしかパソコンを使っていない。電気店から買ってきたときのそのままであるから、マイクロソフト色の強い設定になっている。中には、パソコンなんて役に立たないと携帯電話だけに頼っているのもいる。ひどいのは、そんな世界と無縁の世界で生きている。ネットがなかった時代の常識だけで、残りの人生を過ごすらしい。
 私は、もう少し長生きして、生きることの意味が異なるかもしれない another net world を感じてみたいと思っている。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)
梅田 望夫
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5 大組織で生きることだけが正解ではない!:生き方の指針を示してくれる良書
5 プロとして頑張る気力が湧いてきました
5 熱く、鋭く、深い洞察
4 前作と比べると。。。
5 けものみち


2007年11月28日

隠居ブロガーの読書:「日本語を反省してみませんか」

 ブログを書くようになってから、自分の文書が気になっていた。何かの参考にしようと昔に買って読み差しのまま書棚の埃にまみれていた「金田一春彦」の「日本語を反省してみませんか」を読み返してみた。近頃は何もせずに活字を追いかけると睡魔が襲ってくるので、新書本などは電車の中などで読むことになるが、この本は眠気が来ずなかなか面白かった。
 音読みのない「畑」「椿」「辻」などは日本製の文字で国字ということを初めて知ったが、「働く」という字も国字らしい。文中に、
この「働く」は英語で言うと work になるが、日本語の「働く」 の方が語義が狭く、使い方がやかましい。例えば机に向かって勉強しても、英語では work だが、日本人はそういうものを「働く」とは言わない。「働く」は自分のために何かをすることではなく何かほかの人の利益になることーー金を稼いでくるとか家事をするのが「働く」である。 (中略) 「働く」の反対語は「遊ぶ」だが、これも英語の play とはちょっと違う。 play は paly the piano のように何か積極的にすることだが、日本語の「遊ぶ」は、何も役に立つことをしないことで、あまりいい意味ではない。

 とある。私は、「働かずに、遊ぶ」 [working for the playing] の今の生活が気に入っているが、同年代の仲間では「働く」ことに人生の意義を感じている人の方が圧倒的に多いようだ。
 第五章 言葉の背景を学ぶ では、日本が世界で一番植物の名前が多い国 という節がある。ここで触れておられるように、花の写真をブログに載せるときに、その名前に悩まされる。幸い、[K's Bookshelf] を運営されている小林さんのようなサイトがあるので、ほとんどの植物の名前は分かってしまうありがたい世の中だ。
 この本がなんで面白かったのだろうと考えてみると、日本語をよくよくみてみることによって、日本の歴史とか国民性とかが、うん、なるほど!と理解できるかもしれない。 
日本語を反省してみませんか (角川oneテーマ21 (B-17))
金田一 春彦
角川書店 (2002/01)
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おすすめ度の平均: 4.0
5 日本語のプロの視点
5 日本語のカン違いを発見する
2 確かに面白いが・・・


2007年10月28日

隠居ブロガーの読書:「ユビキタスとは何か」

 まだ現役で会社の情報システム部門で仕事をしているころ、IBMがユビキタス・コンピューティングというメッセージを新しい方針として言いだした時代があった。東京からの帰り道の退屈な時間を潰そうと本屋に立ち寄ると、その聞き慣れないユビキタスという題がついており、著者がTORON開発者の坂村健の岩波新書が並んでいたので衝動的に買った。
 第4章までは、ICタグの普及を中心とした話なので隠居としてはあまり興味がない部分だが、第5章以下は以前毎日新聞の「時代の嵐」というコラムに坂村健氏が書かれていた「デジタル・デバイドと自己責任」に出てくる”ベスト・エフォート型システムとギャランティ型システム”に関する主張が出てくるので面白く読んだ。
 ベスト・エフォートとギャランティ・システムの意味については、上にリンクした記事を読んで欲しいが、ベスト・エフォート型システムとギャランティ型システムの違いは、鉄道と道路、電話とインターネットの例示で語られている。電話がギャランティ型システムであり、インターネットがベスト・エフォート型システムである。自由度を求めるほどシステムはベストエフォート型になるというのである。自由度は高くなるが、自己責任部分も多くなるというのである。
 その著書の中(第6章)では、このベスト・エフォート型システムを容認し育てていくことがイノベーションを進化させるのではないかと主張している。確かに、我々が楽しんでいるブログの世界なんかでも、誰かにおんぶにだっこしてていればよいというギャランティ型システムでは面白くもなんにもない世界であろうし、発展もしなかったであろう。
 この著書の5章では、アップルがDRMフリー音楽配信で、iPod の販売を拡大した話や Google が map API をオープンにしたことでニューオーリンズを襲ったハリケーン被害の情報交換場所として、多いに有用になった話などが紹介されている。DRMフリーの音楽(MP3)フィルをダウンロードして楽しんだり、ブログに Google Maps API を活用させてもらっているので、これらの話は特に興味深かった。

ユビキタスとは何か―情報・技術・人間 (岩波新書 新赤版 1080)
坂村 健
岩波書店 (2007/07)
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おすすめ度の平均: 3.5
3 少子高齢化社会をより暮らしやすくする
5 ユビキタス社会のグルによる最新ロードマップ
3 出版社が違うと、こうも変わるのか

2007年7月14日

隠居のPC:インターネット・エクスプローラが起動しなくなった

 インターネットが生活のインフラになってしまっている。友達・知人との連絡は専らインターネット・メールだし、探しに行くのが邪魔くさい商品を買うのは楽天などのウエッブショップである。本やCDも Amazon で注文すると大抵は翌日に届く。デジカメでとった写真のDPEもインターネットで頼む。銀行の振り込みも、わずかながら運用している株式の売買もパソコンの画面でできてしまう。BGMは WebRadio である。(自分で broadcast している人は少ないと思うが。) なんと言っても、何か調べものをするときは、必ずPCの前に座っている。インターネットはバーチャルの巨大な百科事典である。こんな生活では、インターネットに繋がらない状況になると水道がでないと同じようにパニックになる。
 3台あったパソコンのうち1台は娘が一人住まいするときに持って行ったので、現在2台のデスクトップパソコンが家庭内LANでつながって使っている。1台は、2Fの寝室兼書斎で自作パソコンを自分専用に使っている。もう1台は階下の居間に置いていて、家内も使っている。この居間のパソコンの InternetExplorer が立ち上がらなくなってしまった。IE6 から IE7 へバージョンアップなどを繰り返しているうちに
問題が発生したため、Internet Explorer を終了します。ご不便をおかけして申し訳ありません。 

のポップアップ画面が出て、 InternetExplorer が使えなくなった。幸い、Firefox もインストールしていたので、インターネットの利用はできた。(パソコンが1台しかなく InternetExplorer だけで インターネットを利用している人には、もし InternetExplorer が立ち上がらなくなるとインターネットでの作業はできなくなるので、 InternetExplorer 以外のブラウザーFirefoxなどをインストールしておくのはお勧めである。)インターネットには繋がるが、 InternetExplorer が立ち上がらないと上手く動作しないアプリケーションが多くある。WindowsがOSのパソコンなら、 InternetExplorer が立ち上がっていることは当たり前のことのようである。
 以下は回復したときの備忘録である。

続きを読む "隠居のPC:インターネット・エクスプローラが起動しなくなった"

2007年6月12日

DIY参考書:「シンプルな棚づくり」

 前のエントリーで書いた参考書。この雄鶏社という出版社は素人大工にはなかなか良い本を出している。寸法図つきで親切である。

自分サイズの棚づくり―かんたん木工でぴったり収納!

雄鶏社
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5 シンプルな箱からはじめよう
4 日曜大工のきっかけとなる隙間収納棚のすすめ
3 初心者用
5 初心者でも!
3 デザインにこだわらなければOK?

2007年3月 5日

隠居ブロガーの読書:五木寛之「林住期」

 毎日新聞朝刊の一面下に、五木寛之の「林住期」というエッセイが広告されていた。音読みしたときの響きは良くないが、広告コピーに引かれて Amazon で発注した。
 表紙をめくった次ページに、「林住期」の説明がある。
古代インドでは、人生を四つの時期に分けて考えたという。
  「学生期(がくしょうき)」、「家住期(かじゅうき)」、そして、「林住期(りんじゅうき)」と「遊行期(ゆうぎょうき)」。
   「林住期」とは、社会人としての務めを終えたあと、すべての人が迎える、もっとも輝かしい「第三の人生」のことである。

 この本を読みながら、”うん、そう!そう! 賛成賛成!”と何度も声が出そうになった。 曰く、
  •  林住期は、まず身のまわりのモノ(肥大化した人間関係、あふれ返るモノ、名刺や年賀状)を捨てることからスタートすべきである。 
  •  50歳からの人生をジャンプする。生きる目的を変える。生活のために働くのを変える。
  •  本来の自己を生かす。自分をみつめる。心のなかで求めていた生きかたをする。他人や組織のためでなく、ただ自分のために残された時間を日々をすごす。
  •  「林住期」においては、金のためになにかをしない、と決めるべきなのだ。
  •  林住期は「オマケの人生」である。オマケと考えれば、どう生きようと勝手ではないか。
  •  人生のクライマックスを、50歳からにおく。「黄金の林住期」の始まりである。その「林住期」を、より良く生きるために、私たちはこれまで学び、働き、社会に奉仕してきたと考える。青少年時代だけでなく壮年期もまた、林住期のための長い助走の期間にほかならない。

 隠居のお遊びに、強力な応援隊をもらった気分でいる。

rinjyuki_Image.jpg
林住期
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五木 寛之
幻冬舎 (2007/02)
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2007年2月28日

隠居ブロガーの読書 「ネットvs.リアルの衝突」

 本屋に行くとITがらみの書籍にはついつい目がいく。この本の著者 佐々木俊尚 が書いた本「グーグル」(Google)は以前にも読んでいる。
 「Winny事件」に関する記述が多くの部分を占めている。インターネットの世界での著作権の問題は悩ましい。金子被告が公判では主張することはなかったらしいが、「将来的には今とは別の著作権の概念が必要になると思う」と”2ちゃんねる”で発信していたことには、私も理解できるような気がしている。
 後半のインターネットのガバナンスについての記述はなかなか興味深い。今日も、中国がくしゃみをしたら世界の株価が暴落しているが、インターネットの世界も中国が今後の台風の目になるかもしれない。

ネットvs.リアルの衝突―誰がウェブ2.0を制するか
佐々木 俊尚
文藝春秋 (2006/12)
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3 到達することの無いPC文化の理想像へ片思い
4 Winny事件の詳細を知るのに最適です
4 タイトルが内容と乖離している!?

2007年2月 9日

ジャズがでてくる小説:「国境の南、太陽の西」村上春樹

 マイク・モラスキーの「戦後日本のジャズ文化」に出てくる小説を順次読んでいこうと思っているが、活字を追いかけるとすぐ眠くなる。村上春樹の「国境の南、太陽の西」をやっと読み終えた。彼が、中学校の同窓で、この本の中にがジャズの題名がいろいろと出てくるというだけで読んでみようというのが動機である。
 主人公”ハジメくん”は、結婚した相手の父親の資産であるビルの中でジャズラウンジを経営することになる。その店が繁盛して、2軒目の店を青山に持つが、この店の名前は彼が好きなジャズの曲名から採った Robbins Nest である。初恋の相手とその店で再会するが、そのときに流れるピアノ・トリオの曲が、Latin Jazz の Corcovado である。 ”ハジメくん”の好みは、Star-Crossed Lovers でピアノ・トリオは演奏の終わり頃には、必ずその曲を演奏するのである。この曲については、初恋の人、”島本さん”の質問、「それは、どういう意味なのかしら?」 に、”ハジメくん”の以下のような説明がある。
悪い星のもとに生まれた恋人たち。英語にはそういう意味があるんだ。ここではロミオとジュリエットのことだよ。エリントンとストレイトホーンはオンタリオのシェクスピア・フェスティバルで演奏するために、この曲を含んだ組曲を作ったんだ。オリジナルの演奏では、ジョニーホッジスのアルト・サックスがジュリエットの役を演奏して、ポール・ゴンザルヴェスのテナー・サックスがロミオの役を演奏した。
 なかなか詳しい。このあたりがマイク・モラスキーが取り上げた要因かもしれない。その他、このトリオのベーシストが好きと思われる Embraceable You も出てくる。これらの曲を、eMusic で探して、Live365.com の Radio Senboku にアップロードした。今後のコレクションに加えようと思う。

国境の南、太陽の西
国境の南、太陽の西
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村上 春樹
講談社
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5 センチメンタル
5 「ノルウェイの森」の再来
4 男性的な過去の捉え方

2007年1月 5日

MTに自作Flashリンクボタンを置く

 右サイドのメニューに、総集編的なページや昔のHPなどにリンクするボタンを置いてきた。これらのボタンは、SothinkSWFQuickerのテンプレートを使って Flash で作ったものもあるが、それぞれ個別に作ってきたので統一がとれていなかった。テンプレートでは、自分の思うようにデザインができないことも不満であった。それに大枚をはたいて手に入れた Flash8 をなんとか使ってみたいという願望もあった。初心者向けの参考書これで完璧 Flash8では、もうひとつ自分の思うような例がなかった。Flash8 のヘルプに、ファーストステップガイドやチュートリアルもあるが、記憶力が悪くなっているので印刷物でないと使いづらい。それでまた、下の『Flash 8 レベルアップコース』という書籍を買った。何のことはない書籍代に結構使っている。
この『Flash 8 レベルアップコース』は丁寧に書いてあり、なかなか手助けになる。この中の作成例を参考になんとかたどり着いたのが、現在の Flash リンクボタンである。一応、Flash の基本であるボタンへのカーソル状況によって、動いたり音がでたり、半透明のカバーが覆けられる。もちろん、クリックによって目的とするURLが現れる。また、作例にはなかったが管理者(私)へメールするリンクボタン(mailto:)も同じ動きで設置できるようになった。歳をとっての学習は、エキスパートの真似をなんども繰り返してするしかないかと変に得心している。幸い時間はある。

Flash8 レベルアップコース
Flash8 レベルアップコース
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ななきち
毎日コミュニケーションズ
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2006年12月22日

五木寛之:『気の発見』

  青年は荒野を目指すと一緒に買った五木寛之の最近の作品である。若い頃の作品と歳をとってからの作品でどのような違いあるのか見つけたいと思ったが、この本は気功家である望月勇氏と五木寛之との対話を編集したものであり、対比は難しい。
 気功家なるものを知ったのは、この本を通じてが初めてである。対話者の望月氏は『青年は荒野を目指す』に触発されて、ヨーロッパや中東・アフリカを放浪したことがあるようだ。同じ頃シベリア鉄道で、北欧に行った人は沢山いるようで、建築家の安藤忠雄もその一人とのことである。一家をなすほどの人は、若いときに苛酷であるが貴重な経験をされているみたいだ。それは兎も角として、望月氏の話は ”えっ、それとほんと!” というような内容ばかりであるが、戦後教育の影響で科学的に割り切れないもの、理論的に納得いかないものに疑問を抱いてきたことを見直す必要がありそうだ。最近とくにそのようなことに敏感になっているのは歳をとったせいかもしれない。第八章に、望月氏の次のような話がある。
私は、浄土に還るときというか、この世を卒業するときというのは、じつは本人が知っているんじゃないかと考えるのです。この世でやらなきゃならない宿題が終わっていないときは、死ねないし、本人が、すべてやり尽くした、もういいと納得したとき、お迎えが来るんじゃないかと。

 宿題ではないが、やりたいことが山ほどあるので、まだ当分お迎えはないかなと思っている。

気の発見
気の発見
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五木 寛之 望月 勇
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4 命の神秘さを感じました。

2006年12月15日

隠居のFlash参考書:『これで完璧 Flash8』

 初心者向けのFlash8参考書である。図が多く使われ、tutorial 的な例示のサンプルも指定サイトから DL できるので分かりやすい。ただ、一つずつの説明は丁寧だが、何のための機能なのかの説明がないので自分の目標とする項目を探すのが難しいのように思う。

これで完璧 Flash8
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posted with amazlet on 06.12.15
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