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2023年5月18日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物 ⑥ 2023年4月5日ー7日 大化の改新/藤原鎌足の談山神社

2日目、4月6日は朝から吉野山の千本桜を満喫し、午後から高取町の壺阪寺を訪れ、14時30分になった。この日はもう一か所観光するところがある。
 そこは奈良県桜井市多武峰(とうのみね)にある談山神社(たんざんじんじゃ)だ。神仏分離以前は「多武峯妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)」と称する寺院であった。主祭神 - 藤原鎌足である。藤原鎌足は飛鳥時代の貴族・政治家で、日本の歴史における最大氏族「藤原氏」の始祖である。中学の歴史で習った大化の改新の中心人物であり、改新後も中大兄皇子(天智天皇)の腹心として活躍し、藤原氏繁栄の礎を築いた。
 鎌倉時代に成立した寺伝によると、藤原氏の祖である中臣鎌足の死後の天武天皇7年(678年)、長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父・藤原鎌足の墓を摂津国安威(大職冠神社 別名将軍塚という藤原鎌足公古廟)から大和国の当地に移し、その墓の上に十三重塔を造立したのが発祥であるとする。談山神社観光のメインはその十三重塔であった。

000_2304060963 X700 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg
談山神社十三重塔 2023年4月6日 奈良県桜井市多武峰

145_2304060894 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 145.談山神社駐車場へ
15時ちょうどに談山神社の駐車場に入った。思ったより空いている。周囲は山であり、東側に音羽山(851m)、経ヶ塚山(889m)、熊ヶ岳(904m)の音羽三山がある。南には吉野町から見た吉野の300名山の竜門岳がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
146_2304060897 X900 談山神社 Z50 Z18-140.jpg 146.別格官幣大社談山神社
駐車場から石灯籠が並ぶ道を歩いて、別格官幣大社談山神社と書かれた石柱のある入山口に入る。別格官幣大社とは古来国家のために功労のあった人臣を祭神とする神社のために設けられた社格だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 29mm ISO160 ) 露出補正 なし
147_2304060900 X900 談山神社 Z50 Z18-140.jpg 147.談山神社の鳥居と石段 入山受付をして、ツアコンさんから正面の石段は130段あることを告げられた。意を決して登り始める。上り詰めると正面が手水舎で右が舞殿と本殿、左側が十三重塔である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO140 ) 露出補正 なし
148_2304060902 X900 談山神社 Z50 Z18-140.jpg 148.神木 夫婦杉
石段の途中で鳥居を振り返ると左手に樹齢500年という杉の神木(夫婦杉)があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO360 ) 露出補正 なし
149_2304060906 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 149.十三重塔 -1
石段をやっと上り終えた。右手の本殿・舞殿の手前にある楼門を背に十三重塔を眺める。談山神社十三重塔は、藤原鎌足公長子・定慧和尚が、父の供養のために白鳳7年(678年)に創建した塔婆で、現存のものは享禄5年 (1532年)に再建された重要文化財である。桧皮葺で高さは16.17mある。日本で唯一の木造十三重塔、そして、藤原鎌足の廟所として有名である。拝殿や十三重塔は戦前に何度か日本銀行券の図案に採用されたことがある(乙20円券など)。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 30mm ISO250 ) 露出補正 なし
150_2304060910m X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 150.拝殿
楼門は江戸時代に建てられた重要文化財である。拝殿は楼門と繋がって建てられている。朱塗舞台造拝殿は永正17 年(1520年)の造営、中央の天井は伽羅香木でつくられている。折れ曲った東西透廊は本殿を囲む特異な形態をもち、檜皮葺の屋根が美しい。懸造り(山や崖にもたせかけたり、谷や川の上に突き出したりして建てる)の拝殿は石段に面したところから、横に長く伸びる。拝殿も重要文化財である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 32mm ISO110 ) 露出補正 なし
151_2304060916 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 151.拝殿回廊の吊り灯篭
楼門から拝殿に上がり、 回廊を歩く。回廊には吊り灯篭が等間隔に吊られている。これらの吊り燈籠や境内の石燈籠に一斉に火をともし先祖の霊を慰める「献燈祭」が毎年8月14日に行われているそうだ。 

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 37mm ISO400 ) 露出補正 なし
152_2304060922 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 152.本殿
拝殿から本殿が見える。ホームページには、藤原鎌足公をまつる旧・別格官幣社。大宝元年(701年))の創建で、聖霊院、多武峯社 とも号す。現在の本殿は嘉永3年(1850年)造替の三間社隅木入春日造、朱塗極彩色 の豪華けんらんたる様式で世 に名高い。と説明されている。大化改新談合の地として知られ、談合神社は、「談い(かたらい)山」と呼ばれたことが社名の由来となっているそうだ。この談合により、皇極天皇4年(645年)飛鳥坂蓋宮で蘇我入鹿を討ち中央統一国家、及び文治政治の完成という歴史的偉業が成し遂げられたのだ。談山神社の本殿は、色鮮やかな装飾が施されており、日光の東照宮は多武峯(談山神社本殿)を参考にしたといわれる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO500 ) 露出補正 なし
153_2304060936 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 153.吊り灯篭
拝殿回廊の南側を眺める。まだ、桜の花が残っていた。よく見ると一つ一つの灯篭の彫が異なる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 25mm ISO180 ) 露出補正 なし
154_2304060944 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 154.拝殿回廊からの眺め
南側に付けられた回廊から左下(南東の方向)に恋神社と言われる重要文化財の摂社 東殿が見られた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 27mm ISO100 ) 露出補正 なし
155_2304060953 X900 談山神社 Z50 Z18-140.jpg 155.西宝庫
拝殿を出て、十三重塔へ向けて歩き始めると右手に、西宝庫があった。本殿の左右に位置する同形式の二つの宝庫は、校倉造りで元和5年(1619年)の創建である。文化財の宝庫として知られる談山神社古来の名宝を収蔵して来た。ここも重要文化財である。本殿の東側に建つ東宝庫は見過ごしてしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO640 ) 露出補正 なし
156_2304060959 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 156.十三重塔 -2
十三重塔は少し離れて見たほうが美しく見える。近づくと仰ぎ見るようになり、明るい空がバックになるので、写真を撮るのも難しい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO900 ) 露出補正 なし
157_2304060955 X900 談山神社 Z50 Z18-140.jpg 157.十三重塔 -3
これは十三重塔の東側から撮った。十三重塔は楼門側から眺めるのが美しいと思う。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO160 ) 露出補正 なし
158_2304060968 X900 談山神社 権殿 Z50 Z18-140.jpg 158.権殿
十三重塔の西側に権殿があった。立てられていた説明札には、天禄元年(970年)摂政右大臣藤原伊尹の立願によって創建され、実弟の如覚(多武峰少将藤原高光)が阿弥陀像を安置した元の常行堂。ここで室町の頃盛行した芸能「延年舞」は有名である。現存のものは室町後期の再建とある。また、ホームページには、権殿は、建立以来、500年の時を経て、大修理を終え、平成23年に再生した。この権殿内では、室町時代より延年舞やお能が演じられ、「伝統と革新」の芸能をきそいあってきた。 古典芸能・現代舞踊・音楽・絵画・写真・彫刻・陶芸・映画・ 演劇・歌謡・落語・漫才・文学・詩などにたずさわる人たちの守り神として、また、芸能上達をいのる「祈りの場」として、「集いの聖地」としてご崇敬されたい。と記されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
159_2304060965 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 159.末社 総社拝殿と本殿 -1
権殿の傍に立ち、石段の下を眺めると総社拝殿と本殿が見えた。静寂な雰囲気である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO280 ) 露出補正 なし
160_2304060977 X900 談山神社 Z50 Z18-140.jpg 160.末社 総社拝殿 -1
下へ降りる。総社拝殿を正面から拝観する。寛文8年(1668年)の造営の元談山神社拝殿を移築。縮少し簡略化した様式で、正面・背面ともに唐破風をもつ美麗な建造物である。内外部小壁には狩野永納筆の壁画が残り、「山静」の落款も見られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO560 ) 露出補正 なし
161_2304060979 X900 談山神社 Z50 Z18-140.jpg 161.神廟拝所
末社 総社拝殿・本殿の東側には神廟拝所があった。談山神社神廟拝所は江戸時代中期の1668年(寛文8年)に再建された。神廟拝所はかつて飛鳥時代後期の679年(白鳳8年)に定慧和尚が父・藤原鎌足の供養の為、妙楽寺の講堂として創建したと言われている。神廟拝所は内部壁面に羅漢・天女の像が描かれている。明治維新後の神仏分離・廃仏毀釈以前は本尊・阿弥陀三尊像を安置していたが、阿弥陀三尊像は安倍文殊院に移され、現在釈迦三尊像(奈良市指定有形文化財)が安置されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO160 ) 露出補正 なし
162_2304060983 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 162.神廟拝所の桜 -1
談山神社で桜はほとんど見られなかったが、神廟拝所の前に行くと、サトザクラであろうか、まだたっぷりと花をつけた桜があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 22mm ISO140 ) 露出補正 なし
163_2304060987 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 163.神廟拝所の桜 -2
  午後3時半、傾きかけた西日に桜の花が輝いていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 30mm ISO125 ) 露出補正 なし
164_2304060991t X900 〇談山神社 スジグロシロ Z50 Z18-140.jpg 164.神廟拝所の桜 -3 スジグロシロチョウ
その桜に白い蝶が飛来した。スジグロシロチョウだった。今回のツアーで初めて撮る蝶の写真だった。(トリミング)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO125 ) 露出補正 なし
165_2304060996 X900 ◎談山神社 スジグロシロ Z50 Z18-140.jpg 165.神廟拝所の桜 -4 スジグロシロチョウ
桜の花にストローを潜り込ませて、長い間吸蜜を続けていた。これがギフチョウであれば、良かったのだが。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
166_2304061005 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 166.末社 総社本殿 -3
神廟拝所の前の広くなったところは蹴鞠(けまり)の庭という。蹴鞠は古式ゆかしき鞠装束に身をつつみ、鞠を蹴り上げつぎつぎ渡しては受け合う古典的遊戯で、祭神藤原鎌足が中大兄皇子と蹴鞠にことよせ、蘇我氏討伐(大化改新)の相談をしたという故事にちなんだものだそうだ。「春のけまり祭」が4月29日に開催される。少し戻って、末社 総社拝殿の向こう側に建つ格調高い総社本殿を拝観した。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 なし
167_2304061009 X900 談山神社 Z50 Z18-140.jpg 167.末社 総社本殿 -4
延長4年(926年)の勧請 で、天神地祇・八百万神をま つり日本最古の総社といわれている。「現在の本殿は、寛文8年(1668年)造替の談山神社本殿を、寛保2年(1742年)に移築したものである。総社という意味がわからなかったので、wikipediawで調べてみると、「総社、惣社(そうじゃ、そうしゃ、すべやしろ)とは、日本で、特定地域内の神社の祭神を集めて祀った(= 合祀)神社のことである。総社宮、総神社、総社神社などとも呼ばれることがある。多くは令制国の範囲で集めたものを指すが、荘園や郡・郷・村などの地域内のものを集めたものもある。祭神の合祀だけでなく、神社そのものの統合である場合もある。」とあった。総社拝殿とともに重要文化財である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 29mm ISO500 ) 露出補正 なし
168_2304061012 X900 ◎談山神社 後醍醐天皇寄進灯篭Z50 Z18-140.jpg 168.後醍醐天皇寄進灯篭
参拝を終え、石段に戻り、鳥居を出て左へ、駐車場へと歩く。石垣に沿って「灯籠ヶ辻」と呼ばれ、石灯籠が並ぶところがある。そこに、後醍醐天皇寄進灯篭があった。竿石(台石の上の火袋などをささえる柱状の細長い石)に南北朝動乱の始まった元徳3年(1331年)刻銘をもつ雄大かつ装飾性豊かな造りで、後醍醐天皇寄進の灯篭と伝えられている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 22mm ISO250 ) 露出補正 なし
169_2304061019 X900 談山神社 カエデ Z50 Z18-140.jpg 169.オレンジ色の楓の葉
駐車場への道筋にちょっと変わった葉の色をしたモミジがあった。調べてみるとデショウジョウ(出猩々)というイロハモミジの一種があるそうで、春の芽出しが赤く、若葉がオレンジに変わり、夏は緑色になるという。この写真の楓がデショウジョウかどうかははっきり分からないが、淡いオレンジ色がきれいだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO250 ) 露出補正 なし
170_2304061021 X900 〇帰路車窓 大神神社大鳥居Z50 Z18-140.jpg 170.大神神社大鳥居 車窓
2日目の観光を無事に終え、午後4時少し前にバスは帰路に着く。30分ほど走ると、三輪素麺で有名な大和の国一宮三輪を通る。三輪山をバックに大神神社の大鳥居が見えた。高さ32.2m、柱間23mの偉容を誇る、日本一の大鳥居で、材質は耐候性鋼板であり、耐久年数1,300年と言われている。1986年(昭和61年)5月28日に昭和天皇御在位60年を奉祝して建てられた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO6400 ) 露出補正 なし
171_2304061025 X900 〇興福寺五重塔ライトアップ Z50 Z18-140.jpg 171.興福寺五重塔 ライトアップ
途中「奈良名物の夕食」会場に寄り、興福寺の傍のホテルに戻ってきた。ライトアップされた興福寺の五重塔が迎えてくれた。この日は、予想された「雨」が「晴れたり曇ったり」に好転して、吉野山千本桜→壷阪寺→談山神社 と充実した一日を過ごすことができた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/20秒 55mm ISO6400 ) 露出補正 なし

2022年8月16日

明治村 7月8日

名和昆虫博物館と、もう一か所是非行って見たいところがあった。明治村である。明治村の正式名称は「博物館明治村」で愛知県犬山市にある野外博物館・テーマパークだ。岐阜公園から、途中やなであゆを賞味した時間を除けば、約30km、1時間かかり、思っていたより遠かった。
 以下、wikipediaから引用させていただくと、明治村は1965年(昭和40年)3月18日、名鉄が用地の寄付をはじめ財政面で全面的に援助(基金拠出)し、犬山市の入鹿池の畔に開館した。明治時代の建造物等を移築して公開し、また明治時代の歴史的資料を収集し、社会文化の向上に寄与することを目的とした。第四高等学校(後の金沢大学)の同窓生だった谷口吉郎(博物館明治村初代館長)と土川元夫 (名古屋鉄道会長) が、戦後の急速な経済成長の蔭で失われつつある明治時代の建築物のうち、歴史上にも文化芸術上にも価値があるものを末永く保ちたいとの意見で一致し、そのための財団設立を構想したのが「明治村」の発端である。
 開村当時の施設は札幌電話交換局、京都聖ヨハネ教会堂、森鷗外・夏目漱石住宅など15件だったが、2007年現在では67件(蒸気機関車等も含む)に達している。博物館の敷地も2倍近くの100万㎡に広がっている。移築された建物には重要文化財に指定されたものが11件(14棟)あり、それ以外のほとんどの建物も登録有形文化財になっている。鉄道、郵便、酒造業、病院、裁判所、芝居小屋、学校、教会、灯台など明治の社会、文化の様々な領域を取り上げ、当時の建物とその内部の関連の展示で、一望することが出来るようになっている。歴史的に貴重な文化財を保存しているとともに、明治時代を追体験できる日本のテーマパークの嚆矢である。鉄道資料は静態保存だけでなく、旧京都電気鉄道(後に京都市電)の車両(狭軌1型)や蒸気機関車(名古屋鉄道12号 - 旧鉄道院160形)など、明治の車両を動態保存していることも特筆すべきことである。京都市電は1967年(昭和42年)3月18日、蒸気機関車は1974年(昭和49年)3月18日運行が開始され、いずれも村内移動用の乗り物として実際に乗車できる。京都市電と蒸気機関車は2010年12月20日より老朽による調査・点検のため一時運休していたが、京都市電は2012年9月28日より、蒸気機関車は12号のみ2012年11月8日よりそれぞれ運行を再開した。9号 - 旧富士身延鉄道1形も2015年3月15日運行再開。なお、名電1号は展示である。
 敷地面積が大きく、日本のテーマパークとしては同じく名鉄インプレスが経営するリトルワールドに次いで第3位である。歴史的建造物の多さやその広さから、ドラマの撮影やアニメのモチーフに頻繁に使われている。また明治東亰恋伽などゲームとのコラボレーションや、世界コスプレサミットのサブ会場としての提供なども実施しているという。
 説明文は、明治村のホームページ、現場の説明書きを参照されていただいている。
 明治村に到着したのは午後2時半だった。遅くとも4時には離村したい。明治村は1丁目から5丁目迄ある。北口から入ると5丁目から周り始めることになる。

000_220708212 X700 〇明治村 Z50 18-140.jpg
旧帝国ホテル中央玄関部を望む 大正12年築 昭和51年移築 2022年7月8日 愛知県犬山市 博物館明治村

033_220708199 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 33.9号機関車 「SLとうきゃう駅」機関庫
村内には蒸気機関車が牽く列車と旧京都市電が、村内移動用の乗り物として走っている。明治5年(1872年)、日本で初めての鉄道(新橋-横浜間)が開通し、現在の明治村では、当時から走り続けている蒸気機関車12号・9号が村内の「SLなごや駅」と「SLとうきゃう駅」の間を繋いでいる。これはその9号機関車である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 99mm ISO 2800 ) 露出補正 なし
034_220708201 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 34.三等客車
実際に乗ることができる客車も、明治41年(1908年)製造のハフ11、明治45年(1912年)製造のハフ13・14の計3両あり、機関車も含めてすべて明治時代の車両で編成が組まれている。この日は走行中の列車を見ることが出来なかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 72mm ISO 5000 ) 露出補正 なし
035_220708203 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 35.旧帝国ホテル 玄関付近
北口から蒸気機関車・客車を見ながら地下通路をくぐってくると、旧帝国ホテルの脇に出てくる。写真右手がファサードである。昭和43年(1968年)に解体され、1951年(1976年)にここに移築されている。明治村ながらこの建物は大正12年(1923年)に建てられた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO 125 ) 露出補正 なし
036_220708209 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 36.旧帝国ホテル玄関内
旧帝国ホテルの玄関を内側から撮った。首都の迎賓施設にふさわい華やかさと、設計者のフランク・ロイド・ライト(1867年-1959年)独自の設計思想が隅々まで行き渡り、全体の設計から各客室に至るまで、多様で他に類を見ない空間が実現されていたと評される。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO 640 ) 露出補正 なし
037_220708210 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 37.旧帝国ホテル メインロビー
メインロビー中央は、3階までの吹き抜け空間になっている。中央玄関内のすべての空間は、この吹き抜けを囲むように配置されている。それぞれの空間で床の高さ、天井の高さが異なっており、大階段と左右の廻り階段を昇るごとに、新たな視界を楽しませてくれるのだ。建物の内外は、彫刻された大谷石、透しテラコッタによって様々に装飾。とりわけ左右ラウンジ前の大谷石の壁泉と、吹き抜けの「光の籠柱」と大谷石の柱、食堂前の「孔雀の羽」と呼ばれる大谷石の大きなブラケットは、見る人を圧倒する美しさである。大空間の中を光が上下左右に錯綜し、まわりの彫刻に微妙な陰影を与えることで、ロビーで過ごす時間を特別なものにしてくれると解説されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3 1/180秒 24mm ISO 6400 ) 露出補正 なし
038_220708215 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 38.金沢監獄中央看守所・監房 -1
左手に隅田川新大橋を見ながらまっすぐ進むと八角屋根の建物が見えてきた。金沢監獄中央看守所・監房である。中央看守所の屋根には見張塔がある。金沢監獄は明治5年(1872年)制定の「監獄則並図式」(監獄法)に沿って造られた監獄。八角形の看守所を中心に5つの監房棟が放射状に並ぶ洋式の配置である。監視室からは各監房棟の中廊下が一望に見渡せ、外部については看守所上部の見張り櫓から監獄全域の状況を把握できるため、管理上非常に効果的であった。石川県金沢市にあったものを、昭和46年(1971年)に解体され、47年(1972年)に移築された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO 250 ) 露出補正 なし
039_220708218 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 39.金沢監獄中央看守所・監房 -2
そのうち中央看守所と独居房として使用された監房の一部分が移築された。なお中央に置かれている監視室は網走監獄で使用されたものだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO 100 ) 露出補正 なし
040_220708220 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 40.金沢監獄中央看守所・監房 -3
広い中廊下の左右には、独居監房の重い扉が整然と並んでいる。写真の左側にあるのが「書信室」で、主人たちが家族などへ手紙を書くところだ。廊下の右側に見えるのは独居監房で、扉の上にある換気用の高窓から、独房内の衛生面への配慮がうかがえる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/160秒 18mm ISO 6400 ) 露出補正 なし
041_220708223 X800 明治村 Z50 18-140 - コピー.jpg 41.東京駅警備巡査派出所
右側の赤レンガの建物が、東京駅の丸の内側広場の中央にあった派出所。壮大な駅舎の竣工にあわせて建てられた。東京駅の駅舎は、辰野金吾の設計で大正3年(1914年)に竣工。一方でこの建物は、警視庁の設計によって同時期に建てたと伝えられている。東京駅駅舎との調和が図られている。建設年は大正3年(1914年)頃で、昭和43年(1968年)に解体、昭和47年(1972年)に移築された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/160秒 29mm ISO 100 ) 露出補正 なし
042_220708225 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 42.天童眼鏡橋
山形県天童市の倉津川に架けられた石造アーチ橋。もともとの名は多嘉橋。幅7.7m、長さ13.3mの規模で、地元産の山寺石を積んで造られている。日本のアーチ橋は、江戸初期に建造が始まり、長崎の眼鏡橋などが有名である。中国から伝来した技術が用いられたため、九州地方に多く架けられた。明治に入ると、欧米の技術も取り入れられ、各地で見られるようになった。東北地方のアーチ橋は、当時の県令(日本において、1871年・明治4年から1886年・明治19年まで置かれた県の長官)であった三島通庸による土木政策からも大きな影響を受けた。長崎の眼鏡橋が湾曲した床面を持つのに対し、この橋は、ローマの水道橋のような水平な床面になっている。建設年は明治20年(1887年)、昭和45年(1970年)に解体され、昭和51年(1976年)に移築された。向こうに見えるのは川崎銀行本店。左側の青い鉄骨は隅田川新大橋。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 31mm ISO 160 ) 露出補正 なし
043_220708231 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 43.聖ザビエル天主堂 ファサード
16世紀に来日したフランシスコ・ザビエルを記念し、京都・河原町三条に建てられたカトリック教会堂。近代の京都でのカトリック布教は、明治12年(1879年)、パリ外国宣教会のヴィリオン神父が入洛したことが始まりとされている。フランスの篤志家から寄付を募って資金を集め、河原町三条にあった旧大名の蔵屋敷を購入して、明治23年(1890年)に、この教会堂が建てられた。昭和42年(1967年)に解体され、昭和48年(1973年)に移築された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 18mm ISO 100 ) 露出補正 なし
044_220708234 X800 〇明治村 Z50 18-140.jpg 44.聖ザビエル天主堂 内部
建設にあたり、図面はフランスから取り寄せたとも言われている。設計は東京で在日宣教師の一人であったパピノ神父が担ったそうだ。信者であり、大阪で大工の棟梁をしていた横田彦左衛門が施工したと伝えられている。内陣には7体の聖像が鎮座する。右から、聖ステファノ(最初の殉職者)、聖ペテロ(十二使徒の第一使徒)、聖ヨセフ(聖母マリアの配偶者)、聖フランシスコ・ザビエル、大天使ミカエル、洗礼者聖ヨハネ(キリストに洗礼を施した人)、アッシジの聖フランチェスコ(フランシスコ会創設者)が配置されている。室内は身廊(入口から主祭壇に向かう中央通路のうちの袖廊に至るまでの部分)と側廊からなる三廊式で、大アーケード、トリフォリウム、クリアストーリーの3層による典型的なゴシック様式。天井は交差リブ・ヴォールト天井で、4本の柱で囲われた1つの区画の天井を、リブで四分割する四分ヴォールトとしている。柱やリブにはケヤキ材が用いられている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/320秒 18mm ISO 6400 ) 露出補正 なし
045_220708237 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 45.聖ザビエル天主堂 バラ窓と十字架
バラ窓はゴシック様式の教会堂建築における特徴のひとつで、はめ込まれたステンド・グラスからの美しい光が、壮麗な空間を演出する。ここに展示されていたバラ窓は昭和48年、京都から移築するにあたり、保管と保存のため取り外したオリジナルと説明されていた。右側の十字架は、聖ザビエル天主堂が京都にあった当時、建物正面に立っていた。ケヤキを使い、一本から全体を彫り出した「丸彫」という技法で作られている。移築調査時、表面の劣化が進んでいたため、複製した新しい十字架を載せた。現在立っている十字架も風雪による劣化のため、明治村でも二代目になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/320秒 18mm ISO 6400 ) 露出補正 なし
046_220708240 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 46.銭湯 半田東湯
知らないうちに4丁目に入った。4丁目には病院・硝子製造所・鉄道寮といった近代化する時代のなかで登場した施設はもちろん、江戸時代からの系譜を継いできた芝居小屋や銭湯なども立ち並ぶ。また、ブラジルやハワイなど、移民した日本人の住まいも見られる。この建物は、知多半島の港町に建てられた風呂屋。1階奥の浴室に置かれた浴槽は男湯と女湯がつながっていて、目隠しだけで仕切られている。銭湯は江戸時代以来、地域の社交場として欠かせない存在で、湯上がりの常連客などは、2階に上がって雑談に時を過ごしたという。表構え、番台などに江戸時代の湯屋のおもかげをとどめている。明治末年(1910年)頃に建てられ、昭和46年(1971年)に解体、移築は昭和55年(1980年)である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 28mm ISO 280 ) 露出補正 なし
047_220708242 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 47.村営バス停留所
帝国ホテルと正門の間を約20分で行ったり来たりしている。呉服座(次の写真)の前にあるのは、村内にある9っの停留所の中のひとつだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 28mm ISO 180 ) 露出補正 なし
048_220708243 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 48.呉服座
銭湯・半田東湯の左隣に国指定重要文化財の呉服座があった。大阪府池田市西本町猪名川の川岸にあった芝居小屋で、もとは池田市本町にあった明治7年創業の戎座を、明治25年(1892年)に西本町へ移築したもので、このときに名称も「呉服座」と改められたそうだ。構造は江戸時代から続く伝統建築の名残をとどめた、木造2階建ての杉皮葺きである。建てられたのは明治25年(1892年)、解体は昭和44年(1969年)で、昭和46年(1971年)にここに移築された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO 160 ) 露出補正 なし
049_220708244 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 49.小泉八雲避暑の家
小泉八雲(1850年-1904年)はもとの名をラフカディオ・ハーンと言い、アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれた。アイルランドで教育を受けた後、アメリカで新聞記者などを経て、明治23年(1890年)に来日し、英語教師として松江中学を始め各地へ赴任した。、20年くらい前になるが、皆生温泉へ行った時に、松江では1年3か月弱暮らしたという小泉八雲の旧家を見てきた記憶が残っている。明治29年(1896)に日本に帰化し、同年東京帝国大学に招かれ教鞭をとるようになると、毎年夏を焼津で過ごすようになったそうだ。この家は魚屋の山口乙吉という人の家で、1階に通り土間を備えた典型的な町家(商人の家)である。建設年は明治初年(1868年)、 昭和43年(1968年)に解体され、 昭和46年(1971年)に移築された。 軒先を借りるように、昔懐かしい駄菓子が所狭しと並んでいる。一歩中に入る。竹とんぼや紙風船などの懐かしいおもちゃもあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO 400 ) 露出補正 なし
050_220708245 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 50.駄菓子屋 八雲
小泉八雲避暑の家の軒先を借りるように、昔懐かしい駄菓子が所狭しと並んでいる。一歩中に入ると、竹とんぼや紙風船などの懐かしおもちゃもあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/320秒 18mm ISO 6400 ) 露出補正 なし
051_220708247 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 51.本郷喜之床
東京の文京区本郷にあった屋号を「喜之床」と称する理髪店で、明治後期から大正初期にかけての商家の形式をうかがい知れる建物である。店の正面をガラス張りにしているのは当時の新しいスタイル。床屋は、ハイカラには、バーバーともいわれ、庶民の暮らしに欠かせない店屋だった。この建物の2階二間を明治42年(1909年)から間借りして家族と生活していたのが、歌人石川啄木だったそうだ。処女歌集「一握の砂」はここで暮らしているときに出版された。建てられたのは明治末年(1910年)頃。解体は昭和53年(1978年)、移築は昭和55年(1980年)だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
052_220708250 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 52.村営バス
呉服座の前を村営バスが通る。ナンバー・プレートにハイカラ4号とあるので、少なくとも4台は走っているのだろう。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 72mm ISO 800 ) 露出補正 なし
053_220708259 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 53.鉄道寮新橋新橋工場(機械館) 活版印刷機
大きな建物があった。鉄道寮新橋工場は日本で初めて鉄道が走った新橋-横浜間の起点、新橋停車場に機関車修復所として建てられた。日本の鉄道はあらゆる技術をイギリスから導入して開発され、機関車や線路はすべてイギリス製だった。この機械館も柱、外壁、サッシ等、すべてイギリスから輸入し、イギリス人技術者の指導の下に建てられ、鉄造プレハブ建築として重要な建物であり、構造力学の理にかなったシンプルな美しさが魅力の建物である。内部には日本の近代化の過程で使われた多数の貴重な機械類が展示されていたが、写真はその一つ、旧国鉄の札幌印刷所で使われていた活版印刷機である。この機会を作った東京築地活版製造所は、明治6年(1873年)に日本で初めて本格的な活版印刷機の製造を開始した日本の活版技術のパイオニア 平野富二よって設立された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/100秒 28mm ISO 6400 ) 露出補正 なし
054_220708261 X800 〇明治村 Z50 18-140.jpg 54.尾西鉄道蒸気機関車1号 -1
明治29年(1896年)に尾西鉄道が開業するにあたり、アメリカのブルックス社から購入した機関車。「2B1」と呼ばれる前輪2軸、動輪2軸、従輪1軸のタンク式蒸気機関車だ。明治31年(1898年)、弥冨ー津島間、同33年(1900年)の弥冨ー新一宮間が開通した尾西鉄道の1号機として、現在の名古屋鉄道尾西線を中心に活躍した。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 32mm ISO 640 ) 露出補正 なし
055_220708269 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 55.尾西鉄道蒸気機関車1号 -2
大正14年(1925年)に尾西鉄道と名古屋鉄道が合併した際、この車両は名古屋鉄道の所有になり、その後、昭和10年(1935年)からは新潟県の信越線二本木駅に隣接する日本曹達株式会社内の工場専用機として使用され、入替作業に従事したという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO 160 ) 露出補正 なし
056_220708272 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 56.入鹿池
明治村の東側には大きな池があった。wikipediaによれば、入鹿池(いるかいけ)は、愛知県犬山市の入鹿、飛騨木曽川国定公園内にある人工の農業用ため池。2010年(平成22年)3月25日に農林水産省のため池百選に選定され、2015年(平成27年)には国際かんがい排水委員会による世界かんがい施設遺産にも登録された。周囲 は約16kmあり、貯水量 は 15,181 km3、面積 は 1521㎢あるという。池ではなく湖のようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 58mm ISO 125 ) 露出補正 なし
057_220708280 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 57.第四高等学校武術道場 弓道場
金沢の第四高等学校(現 金沢大学)に建てられたもので、柔道、剣道、弓道3つの道場からなる武道場。写真に写っていない母屋は、木造平屋建て、切妻造りの桟瓦葺きの建物。主屋正面の中央に切妻造りの玄関がつく。主屋内部は剣道場と柔道場の2つに分かれ、両妻の落ち棟に師範台と更衣室、背後に浴室を設けていた。この写真は弓道場で、主屋と土間を介してつながり、同じく木造平屋建て、切妻造りの桟瓦葺きの建物である。的屋は茅葺きで、厚く深い軒の下に的が置かれている。大正6年(1917年)に建てられ、昭和44年(1969年)に解体、翌年(1970年)に移築された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 28mm ISO 360 ) 露出補正 なし
058_220708286 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 58.名電1号形 22号
明治村開村50周年、名鉄創業120周年を記念して札幌市電に譲渡され交通資料館に保存されていた22号が期間限定で里帰りした。明治31年(1898年)京都についで日本で2番目に運行を開始したのは名古屋電気鉄道である。名電1号形は明治34年(1901年)に名古屋で製造され、明治40年代まで名古屋市内で運用されていた26人乗りの車両である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO 450 ) 露出補正 なし
059_220708290 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 59.名電1号形 22号 車内
しかし、乗降客の増加に伴い、この形の車両は使用されなくなり、予備車両として保管されていた。大正7年(1918年)に札幌電気軌道がこれらの車両20両余りを購入し改造を加え、運行を開始し、昭和11年ごろまで札幌市民の足として親しまれた。展示されている車両は札幌に譲渡された車両のうち唯一現存する車両である。2014年から2020年まで6年間の貸出展示の予定であったようだが、まだ展示されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO 1000 ) 露出補正 なし
060_220708296 X800 〇明治村 Z50 18-140.jpg 60.レンガ通り通りと東山梨郡役所
3丁目を飛ばして2丁目に入っていた。レンガ通りの向こうに東山梨郡役所が見えて、着物姿のお嬢さん二人がこちらに歩いてくる。明治11年(1878年)に施行された「郡区町村編成法」により、県令(後の県知事)の任命する郡長が、郡内の行政を指揮監督することになり、各地に郡役所が置かれました。東山梨郡では、明治18年(1885年)にこの建物が日下部村に落成。当時の山梨県令であった藤村紫朗は、地元に多くの洋風建築を建てさせたという。突き当りに見えた東山梨郡役所は明治18年(1885年)に建てられ、昭和39年(1964年)に解体、昭和40年(1965年)に移築された。重要文化財である。レンガ通りの手前右側に、安田銀行会津支店の建物(明治40年・1907年築)があったが、そこはハイカラ衣装館となっていて、1人1着3,500円で着物を着て散策が出来る。2人のお嬢さんは、そこで着物を借り、返しに行くところだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 87mm ISO 110 ) 露出補正 なし
061_220708282 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 61.京都市電の線路
明治村で楽しみにしていたのは京都市電である。村内の市電名古屋駅ー京都七条駅ー品川灯台駅を往復している。レンガ通りを出たところに、京都七条駅があり、その線路が見えた。京都市電は明治28年(1895年)、現在の京都駅近くから伏見までの約6.4kmで開業。同年4月から岡崎公園で開催された第4回内国勧業博覧会の会場輸送の「足」として大いに利用された。世界では1881年ドイツで初めて電車の営業が開始されたが、日本での電車の営業においてはこの京都市電が最初となっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 44mm ISO 250 ) 露出補正
062_220708304x 800 〇明治村 Z50 18-140.jpg 62.走行中の京都市電
現在明治村にある車両は、明治43年から44年にかけて製造された大型の車両という。京都で50年以上も使用していたため、大きく改造されていたようだが、8号車がオリジナルな形に復元された。京都市電2両は村内に静態保存されていたが、開村2年後の昭和42年3月から運転をはじめた。昭和36年に廃止された京都市電北野線で走っていた車両である。子供の頃(昭和22年頃)、両親とこの北野線に乗ったかすかな記憶がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 91mm ISO 100 ) 露出補正 なし
063_220708311 X800 明治村 Z50 18-140.jpg 63.蒸気機関車 SL名古屋駅
ふと時計を見ると午後4時になろうとしている。そろそろ引き上げなくてはいけない。北口に戻る途中、SLの終点、SL名古屋駅があった。汽車は1時間に1~2本しかない。走行中の汽車を見ることはできなかった。乗車区間は短く、乗車時間は5分である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 22mm ISO 250
064_220708313 X800 〇明治村 Z50 18-140.jpg 64.帝国ホテル 撮影スポット
帝国ホテルまで戻ってきた。こんな撮影スポットが設けられていた。結局、1丁目から5丁目迄ある明治村を、北口から入ったので、5丁目と4丁目の主だったところと、3丁目のほんの一部しか見て来られなかった。広大な敷地に、充実した展示物が、70件近くもある。ゆっくりと見て歩くと1日かけても無理だと思う。次の機会に1丁目~3丁目を見たいと思うが、81歳の私には叶わないだろう。付き合ってくれた友人に、車で名古屋駅まで送ってもらったが、その車の中で、安倍晋三元首相が狙撃されたことを知った。そして帰りの新幹線の中で奈良県立医大病院で亡くなられたことを知った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 26mm ISO 100


2020年12月23日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (6)彦根城 11/26

紅葉と苔の美しさのに感動した西明寺を後にして、我々を乗せたバスは彦根城へ向かった。彦根城へ行ったことがない私にとってはそこは今回のツアーの目玉である。バスは30分ほど走って、彦根城の堀に面したところにある京橋口駐車場に入った。駐車している観光バスの数はそれほど多くはなかった。
 江戸時代を通じて彦根藩主として近江国東部を中心とした一帯を治めた大名である井伊家について、入場した時にもらった彦根城のパンフレットに載せられていた年表を参考にして、自分なりに整理してみた。
 1600年(慶長5年)の関ケ原の合戦のあと、その論功行賞により石田三成の佐和山城と旧領を井伊直政が拝領した。した。井伊直政は、徳川家康に仕え徳川四天王のひとりとして名を馳せた戦国時代の武将である。井伊直政が生まれた頃の井伊家は、駿河国今川家の支配下にあり、お家断絶の危機に晒されていた。井伊家の再興のため、そして徳川家康の恩義に報いるために信念を貫いたという。2017年1月8日から同年12月17日まで放送されたNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、その井伊直政を育てた遠州井伊谷の女領主・井伊直虎を主人公とした物語だった。
 1602年(慶長7年)直政は佐和山城にて死去、長男の直継が家督を継いだ。1603年、直継は佐和山、磯山、彦根山の候補地の中から彦根山を城地と決めた。1604年(慶長9年)普請を開始し、城下町の建設にも着手した。彦根城の鐘の丸が完成し、直継は佐和山城より移った。1606年には本丸が完成し、鐘の丸より移っている。
 そして、1914年(慶長19年)大坂冬の陣、1915年(慶長20年)大坂夏の陣があり、その年元和元年になって築城普請が再開され、櫓、黒鉄門などの門や、高石垣、表御殿が出来、中土手中堀が完成し、外堀もできた。
 さらに年表をたどっていくと、1871年(明治4年)になって、明治新政府による廃藩置県が実施され、彦根藩解体の上、井伊家は東京に移住した。1872年、陸軍省の所管となった彦根城は1878年(明治11年)陸軍省は彦根城の解体を決定した。しかし、大隈重信の進言により、解体は中止され、宮内庁所管の彦根御料地となる。拝借方申請した井伊直憲に保管委託され、のちに下賜され、井伊直憲の所有となったのだ。
 1942年(昭和17年)彦根市長の松山藤太郎が井伊直忠に彦根城の下付願を提出、1944年に井伊家より彦根城の土地建物が彦根市へ寄付された。1951年(昭和26年)国指定重要文化財となり、翌年、天守、附櫓、多門櫓が国宝へと昇格される。2015年(平成27年)には彦根城外堀跡全体が遺跡(埋蔵文化財包蔵地)となる。2016年には中央町・錦町の外堀跡の一部も特別史跡彦根城跡に追加された。
 近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城。このうち、松本、犬山、彦根、姫路、松江の5城の天守は国宝である。
 彦根城に関する記述は、彦根観光協会のパンフレットや、ホームページの記述を参考にさせていただいている。

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彦根観光協会 彦根城域マップより

109.彦根城 中堀
11時40分、バスは彦根城の南側にある京橋口駐車場に入った。中堀に沿った通り( 中濠東西通り )を京橋口に歩く。彦根城は、中堀に面して4つの城門が開いていた。その1つが京橋口門である。京橋口門は、第2の郭の重臣屋敷と第3郭の本町筋の間にあり、内堀の大手門にも通じる要所に位置している。今までどちらかというと光が限られた寺院めぐりだったので、青空の明るさが眩しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126474_109 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
110.石垣とイチョウ
中堀の向こう側の石垣の上に見えたイチョウの深黄色が鮮やかだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126475_110 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
111.内堀
京橋を渡り京橋口から入城し、左手に内堀を見ながら表御門へ進む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126480 _111 X800  〇彦根城 RX10M4.jpg
112.表門橋
内堀に架かる表門橋に向かって内堀は左に回っていく。表門橋を渡ったところが表門券売所で、ここから、内堀の内側に入っていく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 25mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126482_112 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
113.コブハクチョウ
表門橋の下にコブハクチョウが2羽いた。そのうち1羽が、泳いで前に出てきた。内堀にコブハクチョウが4羽いて、飛んで逃げないよう、管理事務所の職員さんが風切り羽を切っているそうだ。彦根城にはコクチョウもいるらししい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 114mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126487_113 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
114.表門山道 天秤櫓の石垣
表門から坂道を上がっていくと高い石垣が現れる。天秤櫓の東側の櫓だ。「彦根城天守に登る坂道は4か所ありますが、その石段は非常に登りずらいと言われています。もともと城への石段は、万一敵が攻め入った場合、歩調が乱れ一息で登れないよう意図的に不規則に造られているのです。お寺の屋根のように、最初はおだやかな登りが、登るにつれ斜度が急になり上りにくくなったり、踏み幅や踏み高を微妙に違わせて一定にせず、敵に対して足元を注意して登らせ、上から攻撃しやすくしているのです。観光客の皆様には大変登りずらいと思いm、明日が、充分気をつけてご見学くださ。」という親切な立札があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 17mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126492_114 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
115.天秤櫓
天秤櫓は、大手門と表門からの道が合流する要の位置に築かれた櫓である。この櫓は、上から見るとコの字形をしており、大手門からと表門からの登城道をそれぞれ押さえるために両隅に2階建ての櫓を設け、中央に門が開く構造となっている。あたかも両端に荷物を下げた天秤のようであり、江戸時代から天秤櫓の名がある。 重要文化財である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126500_115 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
116.太郎門櫓への坂道
天秤櫓を抜けるとまた坂道があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201126501_116 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
117.太郎門櫓
登りきると、彦根城の天守を目前にした本丸最後の門である重要文化財の太鼓門櫓が現れた。東側の壁が無く、柱の間に高欄をつけ廊下にしているという。登城合図用の太鼓の音を響かせるために考えられたのではないかといわれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
201126503_117 X800 彦根城 RX10M4.jpg
118.天守の石垣
太鼓門櫓を過ぎると、天守が現れる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 32mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126509_118 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
119.天守 -1
天守の南側から撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126516_119 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
120. 天守 -2
天守の西側へ回る。国宝彦根城天守は北西に附櫓が、さらに長い多聞櫓が連なる。また、破風は変化に富んでいる。天守一層目の軒に並ぶ8つの「へ」の字形の切妻破風は、それぞれの大きさと奥行きに変化をもたせ、二層目は、南北を切妻破風、東西を入母屋破風とし、南北にが唐破風が設けられている。この切妻破風、入母屋破風、唐破風を組み合わせたたぐい希な美しさは見逃せないという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126520_120 X800 彦根城 RX10M4.jpg
121.もみじと切妻破風
天守に上がれるようだが、時間も少ないので割愛し、天守を左回りに回って、西の丸の手前から黒門山道を下りて、楽々園、玄宮園へ行くことにした。破風には入母屋破風、千鳥破風、切妻破風、唐破風の4種類があり、もみじの間から見えるのは切妻破風だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
201126522_121 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
122.黒門山道
本丸の石垣を右手に眺めながら黒門山道を下りる。私たちの他に歩く人がいない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126531_122 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
123.曲輪井戸
黒門山道を下っていくと右手に小曲輪というところがあった。曲輪とは、城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域のことであるが、立てられていた説明板には、「 弧状に築かれたこの曲輪の北東隅には塩櫓が築かれ、周囲は瓦塀がめぐっていました。塩櫓の近くには方形と円形の桝が現存しており、石組溝で集められた雨水を浄化して貯水するタイプの井戸であったと考えられます。曲輪の名も、この井戸に因んで名づけられたのでしょう。「塩」と「水」は、籠城戦ともなれば兵士の体を維持するために必要不可欠なものです。井戸曲輪は小さな曲輪ですが、黒門から侵入する敵兵に対する守りであるとともに、彦根城を守備する兵士の生命維持に必要な物品の備蓄が配慮された曲輪でもありました。」と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
201126534_123 彦根城 RX10M4.jpg
124.黒門
左側は西の丸だ。黒門山道を振り返る。右手に内堀を渡る黒門橋がある。 黒門橋は、城山から槻御殿や玄宮園に向かう一番近い橋で、現在、内堀に架かる3つの橋の中で唯一土橋になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126536_124 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
125.黒門橋を渡る
内堀に紅葉が映り込んでいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126547m_125 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
126.彦根城のもみじ
彦根城のもみじは多くない。もみじはやはり湖東三山なのだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126555_126 X800 彦根城 RX10M4.jpg
127.楽々園と玄宮園
黒門橋を渡り、コブハクチョウが遊ぶ内堀に面した散策路を右へ進み、まず、楽々園に入る。楽々園と南側に玄宮園が続くが、これは楽々園から玄宮園を眺めたところ。見えている橋で、羽織袴と角隠しの新婚さんが記念写真の撮影をしていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 106mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
201126561_127 X800 彦根城 RX10M4.jpg
128.楽々園 茶座敷「地震の間」
かつて、江戸時代初期 (1677年) に彦根藩4代藩主井伊直興によって造営が開始された井伊家の下屋敷であった。江戸時代は「槻御殿」あるいは「黒門外御屋敷」と呼ばれており、明治時代以降に「樂々の間」から「楽々園」と呼ばれるようになったとされる。  写真はご書院から連なる「地震の間」。「地震の間」という名称についてはいつごろから呼ばれるようになったかは不明だが、構造上に特徴があり、地震が起きた際に、その耐震機能を果たすとされ、文政2年(1819年)に大きな地震被害に遭っていることによる改修と考えられるとのこと。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126565_128 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
129.玄宮園から天守を望む
楽々園から玄宮園へと移動する。もみじの間から天守閣を望む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 46mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126570_129 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
130.玄宮園 鳳翔台
玄宮園は楽々園とともに、江戸時代には「槻御殿」と呼ばれた彦根藩の下屋敷である。「槻御殿」は延宝5年(1677年)、4代当主井伊直興により造園が始まり、同7年に完成したと伝えられ、昭和26年に国の名勝に指定されている。現在は「槻御殿」の庭園部分を玄宮園、建物部分を楽々園と称している。玄宮園は広大な地水を中心に池中の島や入り江に掛かる9つの橋などにより変化にとんだ回遊式庭園となっている。庭園内の築山に造られた茶室の鳳翔台は、彦根藩の賓客をもてなすための客殿だったそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 45mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
201126574_130 X800 彦根城 RX10M4.jpg
131.玄宮園 鳳翔台と天守閣
玄宮園の池の東側からと鳳翔台と本丸天守閣を望む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
201126582_131 X800 〇 彦根城 RX10M4.jpg
132.玄宮園のもみじ
さっき新婚さんが記念写真を撮っていた橋のそばに1本のもみじがあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
201126587_132 X800 彦根城 RX10M4.jpg
133. 「二季咲桜」
彦根城でも桜が咲いていた。「二季咲桜」の札が立てられていた。その札には、「昭和47年4月に水戸市(友好都市)より寄贈されたもので冬(11月から1月)と春(4月から5月)の年二回開花します。」と記されていた。1年に2度咲く桜にはフユザクラやジュウガツザクラ、フダンザクラ、シキザクラ、コブクロザクラなどがあるが、この二季咲桜はマメザクラ(豆桜)とエドヒガン(江戸彼岸)の雑種でシキザクラの一種とされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 55mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
201126594_133 X800 彦根城 RX10M4.jpg
134.馬屋 重要文化財
何気なく通り過ぎてしまったが、長い黒い塀に気が付いて、その門へ戻ってみた。この細長い建物は馬屋で、全国の近世城郭に残る大規模な馬屋としてほかに例がなく、国の重要文化財に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
201126602_134 X800 彦根城 RX10M4.jpg
135.馬屋の中
馬屋の中に入ってみる。馬屋の建物はL字形になっていて、佐和口の櫓門に接する東端に畳敷の小部屋、反対の西端近くに門があるほかは、すべて馬立場(うまたちば)と馬繋場(うまつなぎば)となっている。その数は21。つまり21頭もの馬を収容することができたのだ。昭和41年~43年にかけて解体修理されている。馬屋は藩主などの馬を常備したもので、こうした馬屋の他にも、かつて表御殿(現在の彦根城博物館)の玄関脇には客用の馬屋があった。また、玄宮園やお浜御殿などの下屋敷には、馬場があって馬の調教が行われていたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/250秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126600_135 X800 彦根城 RX10M4.jpg
136.京橋
京橋を渡って城を退出した。  京橋は、一千石以上の武士が居住していた第二郭(内曲輪)と中級以下の武士や商人、職人が居住していた第三郭(内町)をつなぐ橋だった。京橋を渡り、中濠東西通りを渡って、本町通り「夢京橋キャッスルロード」に入る。振り返ると秋を感じる鱗雲がきれいだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126605_136 X800 彦根城 RX10M4.jpg
137. 「夢京橋キャッスルロード」
当時、本町は商人町で大変活気があったという。彦根城が築城された1603年(慶長8年)、当所に町(当時の町名は桶屋町・職人町・八百屋町など)が作られたのが起源である。現代になって、彦根市の都市開発から取り残されていたが、1985年(昭和60年)に彦根市の街角整備事業の一環として実施対象となり、江戸期の建物・風情を再現した町並みにすることが計画され、1999年(平成11年)に地区を走る県道2号の拡幅とともに完成した。京橋から本町を抜ける通りを本町通りといい、計画前は町割りの佇まいや白壁と格子窓のある街並みに、江戸時代の面影がわずかに残っているだけだったが、 現在「OLD NEW TOWN」をテーマに、本町通りに沿って立ち並ぶ街並みは、商人屋敷の良さを生かした江戸時代感覚の新しい建物に建て替えられている。この本町通りは「夢京橋」という名前で親しまれ、「夢京橋キャッスルロード」と名付けられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
201126606_137 X800 彦根キャッスルロード RX10M4.jpg
138.「夢京橋キャッスルロード」 吉坂薬局
実は新しいのだろうが、クラシカルな店構えの薬局があった。お店の中を覗いてみたら、最近のくすりが並んでいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
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139.「夢京橋キャッスルロード」 あゆの店「きむら」
琵琶湖はアユでも有名だが、琵琶湖にはアユが食べる苔がないので大きく育つことが出来ないのだそうだ。そこで小鮎の佃煮が名産だが、試食したところ、とてもいい味だった。琵琶湖特産の ホンモロコの佃煮もよい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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140. あゆの店「きむら」の庭
あゆの店「きむら」は奥行き深く、その奥には中庭がある。お店の人にお願いして写真を撮らせていただいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO500 ) 露出補正 -0.7段
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141.彦根観光人力車
あっという間に時間が経ち、速足でバスに戻った。発車前のバスの窓越しに中濠東西通りをお客さんを乗せて走る人力車が通り抜けた。14時40分、湖東三山のひとつ百済寺に向け出発する。

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プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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2020年12月15日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (4)金剛輪寺 11/26

2日目、この日は湖東三山と彦根を観光する。湖東三山は一昨年の11月にも行っているが、また、違う印象があるものと期待する。彦根城は初めてなので、楽しみにしている。
 天気もよさそうだ。朝は8時に草津のホテルを出発する。名神高速に上がるまでは朝の渋滞である。滋賀県草津市は人口14万3千人で県庁所在地の大津市に次ぐ県下第2位の人口を有する都市だ。私が描いていた懐かしい草津とは違っていた。1963年-1965年に名神高速道路が開通し、地の利の良さから大企業が多く進出し、有名となった栗東町は市に昇格し隣接する草津市も、ここ20年の間に大きく変わったようだ。私が育ったところはこの名神高速道路を少し瀬田の方へ行った追分というところだった。
 子供の頃に眺めた記憶がある三上山(近江富士)432mを正面に眺めながら、名神高速道路を走り、湖東三山スマートICで下りる。最初に行くのは湖東三山の真ん中にある金剛輪寺だ。「血染めの紅葉」とたとえられる本堂、三重塔を彩るカエデの紅葉の具合はどうだろうか。期待が募る。
 金剛輪寺 は琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西側山腹にある天台宗の寺である。寺伝によれば聖武天皇の勅願で奈良時代の僧・行基の開創とされ、創建は天平9年(737年)または天平13年(741年)と伝えられている。本尊の聖観世音菩薩は行基菩薩の作であり、ホームページによれば行基菩薩が一刀三礼で観音さまを彫り進められたところ、木肌から一筋の血が流れ落ちたため、その時点で魂が宿ったとして、粗彫りのまま本尊としてお祀りされた。後の世に「生身の観音」と呼ばれるようになり、全国の観音信徒より篤い信仰を集めていると記されている。

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金剛輪寺境内図 金剛輪寺パンフレットより

53.金剛輪寺 参道
受付がある黒門から本堂へ参拝するには、長い上り坂を登って行かねばならない。参拝者は高齢者が多いので、バスは参道の最後、二天門の石段の下まで登ってくれる。そこから下の参道の方を眺めたのがこの写真。参道の両側にはお地蔵さんが赤い風車とともに並ぶ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/200秒 23mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126230_053 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
54.本堂とモミジ
石段を二天門まで登ると、本堂を背景に少し枯れ始めた葉と、まだ緑が残る葉が混在するカエデが現れた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
201126233_054 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
55.本堂
本堂は元寇の役(蒙古襲来)の戦勝記念として、時の近江守護職・佐々木頼綱によって建立された鎌倉時代の代表的な和様建造物として国宝に指定されている。堂内には本尊をはじめ、阿弥陀如来坐像、十一面観音立像など平安から鎌倉時代の仏像が安置され、その多くが国の重要文化財に指定されている。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
201126235_055 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
56.鐘楼
金剛輪寺の鐘は、参拝者が自由についていいのだそうだ。時々参拝者がつく鐘の音が聞こえてくる。 金剛輪寺の梵鐘は乾元2年(1303年)4月15日大工河内助安の刻銘がある県指定文化財になっていて、本物は総門(黒門)の脇にある愛荘町立歴史文化博物館に所蔵されているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/320秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126238_056 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
57.二天門 -1
前後するが、階段を昇り詰めると二天門だったが、門の両脇には大きなわらじが掛けられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
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58.本堂周囲の紅葉 -1
金剛輪寺の紅葉は「血染めの紅葉」と言われ、真っ赤に色づく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
201126242m_058 X800 〇金剛輪寺 RX10M4.jpg
59.本堂周囲の紅葉 -2 「血染めの紅葉」
「血染めの紅葉」と言われるカエデの紅葉。まだ、緑いろの葉が残る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 168mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
201126243_059 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
60.本堂周囲の紅葉 -3
建物はどうやらトイレだったらしい。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 -0.7段
201126247_060 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
61.三重塔 -1
重要文化財の三重塔で別名「待龍塔」と呼ばれる。本堂に向かって左(北)の一段高い場所に建つ。wikipediaによれば、寺伝では鎌倉時代の寛元4年(1246年)の建立というが、様式的には南北朝時代の建築とみられるそうだ。織田信長の焼き討ちはまぬがれたものの、近世以降は荒廃し、塔の初層と二重目の軸部(柱、梁などの根幹材)と組物がかろうじて残るだけで、三重目はなくなっていた。現状の塔は1975年(昭和50年)から1978年(昭和53年)にかけて修理復元されたもので、欠失箇所は同じ滋賀県内の西明寺三重塔などを参考に復元したものであるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO1000 ) 露出補正 -0.7段
201126250_061 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
62.三重塔 -2
金剛峰寺の紅葉が紹介されるとき、この三重塔と紅葉の写真が載せられている。すでに葉が落ちて始めている木もあり、光も十分でなく、鮮やかに撮れなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 31mm ISO1000 ) 露出補正 -0.7段
201126254_62 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
63.本堂周囲の紅葉 -4 「血染めの紅葉」
ここも「血染めの紅葉」もあれば、すでに枯れ始めている葉、まだみそり色の葉が混在する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 76mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
201126260_063 X800 〇金剛輪寺 RX10M4.jpg
64.本堂周囲の紅葉 -5
歩き回っていたので、どこで撮ったかわからなくなってしまった。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/100秒 45mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126270m_064 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
65.三重塔 -3
二重目、三重目が見える裏側へ回り込んで撮った。三重塔の説明板には、昭和47年に重要文化財に指定され、その後の解体修理で建立時には計画されたが未完成であった初重の縁、二、三重の柱間装置なども整備され、昭和53年に完全な三重塔が建立したとある。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 -1.0段
201126273_065 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
66.三重塔 -4
何とか色鮮やかなカエデと三重塔を映し込んだ。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 35mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
201126282m_066 X800 〇金剛輪寺 RX10M4.jpg
67.二天門 -2
そろそろ下ることにする。二天門を潜る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
201126286_067 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
68.千体地蔵 -1
二天門を後にして石段を下りると参道の両側にお地蔵さんが並ぶ。参道や境内などに鎮座したお地蔵様の数は、実際には2000体を超えると言われ、迫力を感じる。それぞれのお地蔵様には、家の名前が書かれていて、地域の人によって大切に守られているそうだ。 参道にズラリと並ぶ 高さ50cmほどの小さなお地蔵様はみな小奇麗に保護されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126291_068 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
69.二天門 -3
二天門を振り返る。wikipediaによれば、二天門は様式上、室町時代前期の建築。寺伝では、元来は楼門(2階建て門)だったが、2階部分が失われたものという。組物の形式などからみて、伝承どおり楼門の上層部分が失われたものか、または楼門として建立する予定だったものが未完成に終わったものとみられる。屋根は入母屋造、檜皮葺とするが、屋根材は江戸時代のもので、当初からこの形式であったかどうかは不明であるという。向かって右に増長天、左に持国天が祀られている。重要文化財に指定されている。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 36mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126298_069 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
70.二天門とお地蔵さん
二天門へ上がる石段のすぐ下までお地蔵さんが祀られていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/160秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126301_070 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
71.千体地蔵 -2
風が吹くと、一体一体に供えられた赤い風車がいっせいに回りだし、静かな境内がカタカタという音に包まれるという。 なぜ、赤い風車なのかと興味を持ち調べてみたがわからなかった。午前9時半だが、鬱蒼として暗い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/160秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126304_071 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
72.本坊 明寿院
帰りのバスは総門(黒門)の外の駐車場で待ってくれているので、お地蔵さんが並ぶ参道を下まで下りるのだ。途中右側に本坊である明寿院と木札が下がった門があった。白門という。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126314_072 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
73.池泉回遊式庭園 入口
白門を入ると右側に名勝庭園(池泉回遊式庭園)の門があった。  門の中には桃山時代、江戸初期、江戸末期と時代の異なる3つの庭園がある。金剛輪寺のホームページには、「作者不詳でありますが、老杉蒼松の自然を背景とし、灯籠泉石樹木の配置等、素晴らしく、晩秋の深紅に染まる色鮮やかな紅葉は血染めの紅葉と広く知られております。観音様のやさしいお心が満ち、湖東三山一の名園古庭であり、国の名勝にも指定されております。」と紹介されている。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126318_073 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
74.門の屋根
その庭園入口の屋根瓦には、青い苔が生え、カエデの枯葉が落ちて、風情を感じる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126319_074 X800 〇金剛輪寺 RX10M4.jpg
75.桃山時代の庭 護摩堂
桃山時代に造られた庭に護摩堂があった。滋賀・びわ湖観光情報によれば、桃山時代の庭は「石楠花の庭」と呼ばれ、庭の中央に架けられた優雅な石橋のそばに、鎌倉時代に作られたという苔むした多くの石が配され、品格のある雰囲気であるという。春になると、庭のそばにある護摩堂のカキツバタやシャクナゲが鮮やかに咲き、華やかになるようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201126325_075 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
76.江戸中期の庭
同じく、滋賀・びわ湖観光情報によれば、江戸中期の庭は、滝から池に水が流れ、池の中に七福神の宝船を表わす岩で出来た舟が配されていいる。また、桃山時代の庭の宝篋印塔を見下ろすように立つ水雲閣は、湖東随一の茶室で、天井に桜、なでしこ、菊など四季おりおりの花が描かれている。またこの茶室からの庭の眺めは美しく、一見の価値があるそうだ。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
201126332_076 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
77.明寿院(本坊)の座敷
明寿院(本坊)は、江戸時代の創建といわれ寺宝を多く保存し、かつて学頭所として使われていた。この本坊の南・東・北の三方を囲むように庭園があり、心の字池が3庭を結んでいる。本坊に沿って庭園を周ってみた。座敷の戸は開け放たれていて、南側から座敷を通して、北側の庭園が眺められた。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO800 ) 露出補正 -2.0段
201126340_077 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
78.紅葉
名勝庭園鑑賞を終え、参道に戻る。この辺りにも美しい紅葉があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段
201126344_078 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
79.赤門
名勝庭園(白門 写真右側)から、下りて来ると赤門があった。柵が置かれていて、入ることは出来ない。左へ曲がる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
201126345_079 X800 金剛輪寺 赤門 RX10M4.jpg
80.受付
受付を通り過ぎて、下りてきた参道を振り返る。右手は華楽坊という食事処、左手に愛荘町立歴史文化博物館がある。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
201126346_080 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
81.総門(黒門)
金剛輪寺は国道307号線から少し東へ入ったところにある。聖観音と書かれた大きな提灯がさがっている総門(黒門)が参拝者の入り口だ。総門を出て境内を振り返った。バスの駐車場は総門を出て左側だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
201126349_081 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg


2019年11月15日

池上本門寺(後) 11月5日

境内の一番奥にある日蓮聖人御廟所にお参りして、来た道を戻ることにする。ここまでは総門からほぼ真っすぐに歩いてきたが、境内はその両側に広がり、多宝塔、大坊本行寺、五重塔などがある。境内案内図を頼りに歩いてみようと思う。
 そこへ私より先に外出していたかみさんから、スマホに電話があった。家のカギを持たずに出てしまったようで、なるべく早く帰って来いという。と言われてもせっかく来たのだから、しっかり見ておきたいのだが。後で大堂の中にも入ってゆっくり見たいと思っていたが、それはまた改めて、桜の咲く頃にでもということにして、境内の中をざっと歩いてみることにした。
 帰りの電車の中で、身延山久遠寺と池上本門寺の関係はどうなっているのかなと気になっていた。帰宅して、日蓮宗の公式サイトを開いてみると、日蓮宗の総本山は身延山久遠寺で池上本門寺はその下にある七つの大本山のひとつであることが分かった。また、別のサイトでは、江戸時代の初めに、徳川家康によって日蓮宗の不施不受派が弾圧された為に、不施不受派の本山だった池上本門寺が、不施不受派を廃して久遠寺の傘下に入らざるを得なくなったと記されていた。

21.苔
日蓮聖人の廟所をあとにして、再び本殿横の石畳を通る。この辺りは歩く人が少ないのだろうか、この時も私一人しかいなかった。木漏れ日が差す地面には苔が蒸していて緑がきれいだった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO250 ) 露出補正 なし
191105_021.jpg  
22.日蓮聖人御廟所を振り返る
   本殿のわきの石畳の参道から日蓮聖人御廟所を振り返る。wikipediaによれば、本殿は1969年(昭和44年)に、戦災で焼失した釈迦堂を再建したもの。戦後に建てられた近代仏堂建築として評価が高いとあった。落ち着いた安定感のある佇まいと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 29mm ISO125 ) 露出補正 なし
191105_022.jpg
23.多宝塔 重要文化財
本殿の参道から本殿門を出たところの紅葉坂に繋がる大坊坂を、右(西)へ行くと、右手に多宝塔が見えた。その説明板を見ると、宗祖日蓮大聖人の尊骸を荼毘に付した霊蹟(いわれのある場所)に建つ供養塔で、その建立は宗祖550遠忌(50回忌以上の年忌になると遠忌という)を期して行われ、江戸芝口講中の本願により、文政11年(1828年)に上棟、同13年(天保元年)に開堂供養を修している。石造の方形基壇に築いた円形蓮華座の上に建つ木造宝塔形式の建物で内外ともに漆や彩色によって華やかな装飾が施されている。塔内中央には金箔や彩色で華やかに装飾された木造宝塔を安置し、日蓮大聖人御所持の水晶念珠を奉安している。宝塔形式の木造塔婆は極めて現存例が少なく、当山多宝塔はその中でも最大規模を誇る本格的な宝塔として、極めて重要な建物である。と言った内容が記されている。なお、「多宝塔」の名称は建立当初から呼称されているものであり、重要文化財に指定されたその名称は「池上本門寺宝塔」である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
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24.大坊本行寺
さらに西へ進むと右手には、身延山の峰に棲む二体の天狗である妙法両大善神が火難・盗難除けの神様として祀られている妙法堂があり、その先に大坊本行寺  の境内へ入る山門(赤門 本行寺の正面玄関)があった。wikipediaによれば、本行寺の境内は、1282年(弘安5年)9月18日に常陸国へ湯治に向かう途中の日蓮が身をよせ、同年10月13日に日蓮が病没した池上宗仲の館跡にあたる。10月15日にこの地で日蓮は荼毘に付され、遺骨は遺言により久遠寺に納められた。 本行寺の起源は1276年(建治2年)に池上氏館内の持仏堂が法華堂とされたことに始まり、日蓮入滅後間もない1283年(弘安6年)に日朗の弟子九老僧の大乗阿闍梨本成院日澄に池上氏館の地共々寄進されて本行寺が開創されたとされる。以来宗祖入滅の霊場として、池上本門寺の子院(末頭)のなかでも特に格式の高い、池上三院家の筆頭として大乗坊日澄の名から「大坊」と称された。本堂は、昭和56年(1981年)に聖人七百遠忌記念事業として、大改築された。元々中本山であったが昭和61年に本山(由緒寺院)に昇格した。また池上法縁五本山の1つにも挙げられている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 34mm ISO125 ) 露出補正 なし
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25.瘡守稲荷(かさもりいなり)
大坊本行寺のサイトによると、境内にある瘡守稲荷は、江戸時代中期より五穀豊穣を祈り、特に病気除けの稲荷として、目黒区碑文谷に祀られていたが、昭和57年(1982年)に縁があって本行寺に出世移転した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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26.御硯井戸(おすずりいど)
日蓮聖人が身延山から到着した翌日、この井戸の水で墨をすり、9年の間庇護を受けた波木井実長 にあてた礼状などをしたためたと伝えられている。  

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 12mm ISO125 ) 露出補正 なし
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27.大坊本行寺 本堂
鎌倉幕府の作事奉行であった池上右衛門大夫宗仲が、日蓮聖人入滅の後、日澄(大聖人の本弟子・日朗の弟子)に公邸を寄進し寺を建立、「長崇山 本行寺」と称した。昭和56年(1981年)に大聖人七百遠忌記念事業として大改築された本堂は、境内の正面に立ち、本行寺の"顔"として1年を通じて様々な行事の舞台となる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
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28.池上大坊
池上大坊と書かれた大きな提灯が本堂の左右に掛けられていた。前にも記したが、ここは弘安5年(1282年)日蓮聖人が亡くなった池上宗仲の館跡である。滅後まもなく宗仲が館を寄進して本行寺が開創された。大坊という呼び名は池上本門寺の子院並びに末寺を代表する寺という意味の尊称であると言われる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
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29.御会式桜(おえしきざくら)
前に立てられた札には「日蓮聖人がご入滅されたとき、庭先の桜が旧暦10月(今の11~12月)にもかかわらず時ならぬ花を咲かせたと伝えられており、お会式の万灯に桜の花を飾るのは、この故事に由来しています。現在も敷地内に残る桜は、聖人がご入滅された時期になると花を咲かせます。」 と説明がある。よく見ると、まだ枝先に数輪の桜の花が残っていた。 10月桜だろうか。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
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30.五重塔
再び大堂まで戻ってくると五重塔が見えた。仁王門の手前から左(東)に入り、高さ31.8メートルの五重塔を目指す。wikipediaによれば、「空襲による焼失をまぬがれた貴重な古建築の1つで、江戸幕府2代将軍徳川秀忠の乳母である岡部局(大姥局)(正心院日幸尼)の発願により、1608年(慶長13年)に建立され、後に現在の位置へ移築された。全面ベンガラ(赤色塗料)塗り、屋根は初層と二重は本瓦葺き、三重以上は銅板葺きとする(当初はすべて本瓦葺き)。建築様式は初層は和様、二重から上は禅宗様になる。初層の各面は中央を桟唐戸、両脇間には格狭間(ごうざま)形の装飾を入れ、蟇股(かえるまた)には十二支の彫刻を入れる。1997年(平成9年)10月から2002年(平成14年)3月にかけて国庫補助事業として解体修理が行われた。基礎部分の石段からはホンモンジゴケというコケの一種が見つかっている。五重塔下付近、東京国立博物館蔵・池上本門寺経筒(藤原守道作)が出土している。」とあった。平成9~13年、日蓮聖人立教開宗七百五十年慶讃記念事業の一つとして、全解体修理が施され、全容を一新した。国の重要文化財に指定されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
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31.力道山の墓
五重塔に近くに「力道山の墓所はあちらです←」の立札があった。力道山とは懐かしい。子供のころ、白黒TVでプロレスに夢中になり、プロレスごっこで空手チョップの真似をして遊んだのを思いだす。力道山の略歴を見ると、昭和29年(1954)2月17日シャープ兄弟来日、太平洋沿岸タッグ王座獲得、12月21日木村政彦柔道7段と「日本選手権大試合」を闘い力道山の勝利といったことが記憶に残っている。昭和32年のルー・テーズ戦は視聴率87%だったそうだ。 場所は少しわかりにくかったが、通りがかりの地元の方に聞いてたどり着いた。力道山は昭和30年に広大な屋敷を購入して昭和35年頃まで大田区に住んだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし  
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32.日蓮大聖人説法像
宗祖七百遠忌記念として昭和58年富山県新湊市の黒谷美術株式会社より奉納された。制作は、斯界の権威 長崎県出身の彫刻家 北村西望。  純アルミで造られ、高さ3.4m 重さ約1t 。もとここには明治の政治家 星 亨  の銅像があったが、星家の協力により、台座の奉納を受け、この像を建立したという池上本門寺の説明板があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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33.照栄院 妙見堂 -1
妙見堂への道しるべがあったので、行ってみることにした。妙見堂は日蓮宗に属す池上三院家の一つである朗慶山照栄院の妙見大菩薩を奉安するお堂だった。小さなお堂だが、銅板の屋根と欅の柱のバランスが大変よくできているといわれている。慶応2年(1866)の再建で、明治時代に増築工事が行われている。奉安されている開運除厄妙見大菩薩は、寛文4年(1664年)に、肥後之守加藤清正の息女、瑶林院殿が夫君の紀伊国太守亜相源頼宣卿の現世安穏後生善処のために、本門寺へ納めた室町時代の御尊像だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO200 ) 露出補正 なし
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   34.照栄院 妙見堂 -2
妙見堂の中からは団扇太鼓(うちわだいこ)の音が聞こえてきた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO1250 ) 露出補正 なし  
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35.永寿院 万両塚
妙見堂の近くに池上本門寺の子院である永寿院というお寺があった。この万両塚は1708年(宝永5年)に没した芳心院の墓所である。永寿院は、寛永19年以前の開創で日遠の隠棲地として庭瀬藩主の戸川達安が下屋敷を寄進し創建したという。日遠の弟子、日東が堂宇を完成させた。芳心院は紀州藩祖徳川頼宣の第一女。名を茶々姫といい、鳥取藩祖池田光仲に嫁したことから因幡姫とも呼ばれる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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36.石門 永寿院
万両塚の最も奥まったところに石門があった。「宝塔の門柱基礎と寸法が合わないため、外堀の外に建てました。何度も加工が加えられた跡があります」という説明がなされている。宝塔とは堀に囲まれた芳心院墓所(写真35)の中央にある芳心院宝塔のこと。石門をくぐると、芳心院の侍女たちの墓と供養塔があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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37.万両塚遺跡霊園の案内板
万葉塚には芳心院墓所(写真35)のほか、復元弥生住居跡や復元古墳墳丘、古墳遺跡内合祀墓や万葉塚型個人墓がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO640 ) 露出補正 なし
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   38.復元弥生住居跡
万両塚には復元された弥生住居跡がある。万両塚調査の過程で約2千年前の弥生式住居跡が10棟以上発見されたそうだ。かなり長い期間、この地に集落が存在していたことがわかると記されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1000秒 28mm ISO125 ) 露出補正 なし
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39.復元された弥生住居跡 -1
2003年に終了した調査では、万両塚の周囲から、弥生時代中期~後期の竪穴住居跡が10棟も出土した。また、堤方権現台古墳と言われるところからは、馬の尻部分を飾る馬具が見つかった。およそ6世紀前半と見られている貴重なものだそうだ。昭和7年(1932年)の宅地造成で遺跡は破壊されたようだが、都内では狛江市に次ぐ2例目であると言われる貴重なものだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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40.復元された弥生住居跡 -2
弥生式住居跡が復元されている。発掘調査の過程で、2000年前の弥生時代の多数の土器も発見されたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 24mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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41.古墳墳丘
江戸時代、万両塚が建てられ古墳には寺院が建てられたとある。永寿院の開山は寛永7年(1630年)である。不変山永寿院のホームページにある歴史の扉 に詳しい説明があった。

  Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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42.此経難持坂上
此経難持坂の上に戻ってきた。何人かの方が写生をされている。下っていく石段の写生をするのは難しいと思う。何段あるのか数えて下りて行ってみたが、その時は94段と数えた。実際は96段で、踊り場になっているところで数え間違えたようだ。来るときに、霊山橋の手前にしゃれた店構えの蕎麦屋があったので、帰りにそこで食べて帰ろうと思っていたが、カギを忘れて家に入れないかみさんのことを思い出して、寄らずに帰ることにした。 

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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