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2024年4月12日

京都御苑 貴重な晴天 2024年3月22日 京都旅行(3/22-3/24) ① 

娘の主人の両親の墓が京都の興正寺別院にある。2年ぶりに娘夫婦と私たちで墓参りに行くことになった。墓参りは23日なので、22日の夕方に娘たちとは婿殿が予約してくれた四条のホテルで合流する。
 私たち夫婦は例によって、JR東日本の「大人の休日」を利用し、新横浜を8時21分に出る「ひかり」で京都に10時37分に着いた。天気予報によれば、天気が良いのは今日だけで、明日、あさっては雨模様だという。貴重なこの日の午後はどこに行こうかと考えた。仁和寺の桜を見たかったが、その桜は遅咲きであり、加えて今年の春は桜の開花が遅れている。ゆっくり歩いたことのない京都御苑と時間が許せば平安神宮の神苑を見に行くことにした。
 京都駅から、地下鉄に乗り、四条駅で降り、まず、2晩泊まるホテルに荷物を置いた。
 ホテルで京都御苑への行き方を訊ね、地下鉄で丸太町まで行くことにした。外国人観光客が多く京都を訪れていて、タクシーは台数も少なくて利用しにくいというネット情報があり、敬遠した。
 京都御苑では、九條家の遺構という拾翠亭が一般公開されているというので、まず、そこから参観する。

000_240322290 X700 京都 京都御苑 拾翠亭 外観 Z50 Z18-140.jpg
九條家の遺構 拾翠亭の全景 2024年3月22日 京都市上京区京都御苑

001_240322001 X900 京都地下鉄四条駅 G7X.jpg 1.地下鉄四条駅
地下鉄四条駅の地上に上がったが、ホテルがどこなのか見当がつかない。この写真は四条通の方へカメラを向けている。ホテルはこの少し手前にあった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 11mm ISO125 )
002_240322004 X900 京都地下鉄四条駅 G7X.jpg 2.地下鉄四条駅
再び地下鉄四条駅から京都市営地下鉄烏丸線の乗り、2つ目の丸太町へ向かう。国際会館行に乗る。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 27mm ISO3200 )
003_240322008 X900 丸太町 御苑バス停 G7X.jpg 3.地下鉄丸太町駅
丸太町で下車し地上に上がる。カメラは市場の方に向いている。後ろ側右手が御苑である。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 27mm ISO3200 )
004_240322251 X900 京都 丸太町 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 4.間之町口から御苑へ
丸太町通りを100mほど歩いて左手にあった京都御苑の間之町口を入った。入苑料は設けられていない。この少し先の東寄りの入口には堺町御門と呼ぶ立派な門がありそれが御苑の正門である。苑内の外周部にある門は、堺町御門、下立売御門、蛤御門、中立売御門、乾御門、今出川御門、石薬師御門、清和院御門、寺町御門の九つがある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 24mm ISO100 )し
005_240322252 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 5.九條家の遺構 拾翠亭一般公開
まず、ここは見てきたいと思っていた拾翠亭を探す。拾翠亭(しゅうすいてい)は春から秋にかけての毎週金曜日と土曜日に一般公開されていた。九條家の遺構である九條池と拾翠亭は京都御苑の南西側にある。入口までのアプローチを進む。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO110 )
006_240322254 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 6.拾翠亭入口
この門をくぐって左へ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 35mm ISO250 )
007_240322256 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 7.拾翠亭の玄関
ここが拾翠亭の建物の玄関である。なかに入ると係の方がおられて、入場料を300円をお支払いする。御苑の詳しい地図を領収書代わりですと渡された。御苑内の桜の情報を聞くと、2か所ほど早咲きの桜が咲くところがるだけで、まだまだである。だが、今の時期は梅と桃と一緒に見られるメリットもあるとのこと。写真に見える玄関から出てきた観光客は四阿がある庭園を見に行く。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO110 )
008_240322260 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 8.拾翠亭屋内 広間
九條池と拾翠亭は、五摂家(鎌倉以後、藤原氏のうちで摂政・関白に任じられる五つの家柄で、近衛・九條・二条・一条・鷹司の五家をいう)の一つであった九條家の屋敷内に設けられた庭園の遺構である。このうち、拾翠亭は今から200年ほど前の江戸時代後期に茶室として建てられたもので、貴族の茶室らしく、遊び心にあふれた建築と言われている。(環境省 公園紹介を参照)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO580 )
009_240322262 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 9.九條池 -1
拾翠亭の広間に続く広縁から九條池に架かる高倉橋を眺める。この拾翠亭は江戸時代後期に造営された数寄屋風書院造り建築で、広間/控えの間/小間/二階座敷の4部屋で構成されている。主に茶会や歌会など社交・遊興の場として利用されたそうだ。なお、現在も茶会や歌会などの和カルチャー系のイベントの貸室利用が可能である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 33mm ISO125 )
010_240322264 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 10.九條池 -2
広縁から高倉橋の左の方へカメラを向ける。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO180 )
011_240322271 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 11.九條池 -3
広縁から西の方を見ている。茶室横の手水鉢だ。この左手に庭園があり、厳島神社がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 18mm ISO110 )
012_240322274 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 12.拾翠亭の二階座敷からの眺め -1
急な階段を二階にあがった。そこからは、また違った趣で九條池や池泉回遊式庭園を眺められた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 18mm ISO110 )
013_240322278 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 コサギ Z50 Z18-140.jpg 13.コサギ
九條池の西側に、藤棚だろうか池の上に樹を支えるように設けられた何かの棚があった。その上にコサギが止まっていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO100 )
014_240322281 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 14.拾翠亭の二階座敷からの眺め -2
西側に九條池に面した庭に造られたあずまやと、藤棚(と思う)が見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 19mm ISO110 )
015_240322283 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 15.拾翠亭 急な階段
1階から2階へ上がる幅の狭い急な階段。降りるのに苦労した。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/60秒 18mm ISO6400 )
016_240322289 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 外観 Z50 Z18-140.jpg 16.庭園から拾翠亭を見る -1
拾翠亭を退出し、東側の庭園に回って拾翠亭の広縁を振り返った。庭園はさほど広くはない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO120 )
017_240322290 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 外観 Z50 Z18-140.jpg 17.庭園から拾翠亭を見る -2
トップの写真の再掲である。一階広間と二階座敷が九條池と庭に面している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 )
018_240322292 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 厳島神社 Z50 Z18-140.jpg 18.九條池越しに見る厳島神社
この厳島神社は、平清盛が母祇園女御のため厳島神社の神を祀ったのが始まり。祇園女御も祀られている。この神社は九條家の鎮守社だったそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 59mm ISO140 )

000_京都御苑マップ X700.jpg
拾翠亭で領収書代わりにいただいた御苑の地図 

019_240322302 X900 京都 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 19.京都御苑を歩き始める -1
九條池と拾翠亭の九條邸跡の外に出る。その北側は黒木の梅が植えられた広場になっていた。丸太通りから近く地元の方が通りかかる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 33mm ISO180 )
020_240322304 X900 京都 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 20.京都御苑を歩き始める -2
ご近所にお住まいの方と思われるが、幼子を連れて春の日差しを楽しんでいるようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO140 )
021_240322305 X900 京都 京都御苑 厳島神社 Z50 Z18-140.jpg 21.厳島神社へ
この広場の南側に、さっき九條邸跡の庭園から見た厳島神社の参道ともいえる橋が架かっていた。傍には厳島神社の由来が書かれた札が立てられていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO360 )
022_240322307 X900 京都御苑 厳島神社 高倉橋 Z50 Z18-140.jpg 22.厳島神社から見る高倉橋
拾翠亭の部屋から眺めた高倉橋である。厳島神社の建つこの場所へは、入ることが出来ないようになっていた。高倉橋は明治11年(1878年)に、木造の平橋が架けられた。その後、明治15年(1882年)に、明治天皇行幸の計画があり、御所の建礼門から南に一直線に丸太町通へ通じる道路を造ることになり、その一環として現在架かっている反橋が架けられたそうだ。橋の橋脚には、天正17年(1589年)豊臣秀吉が架橋した三条大橋や五条大橋に使われていた石造の橋脚が使われているという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 38mm ISO160 )
023_240322308 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 厳島神社より Z50 Z18-140.jpg 23.厳島神社から見る拾翠亭
拾翠亭から見たときは厳島神社は木の陰になってよく見えなかったが、こちらからはその美しい姿が良く見える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 38mm ISO100 )
024_240322312 X900 京都 京都御苑 厳島神社 Z50 Z18-140.jpg 24.厳島神社の鳥居
厳島神社の石の鳥居は横に渡された屋根の部分が破風型にカーブする珍しい鳥居で、国の重要美術品に指定されていて、京都三珍鳥居の一つに数えられているという。 「京都三珍鳥居」は北野天満宮摂社伴氏社の「中山鳥居」と蚕ノ社の「三柱鳥居」とこの破風型鳥居でである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 18mm ISO110 )
025_240322315 X900 京都 京都御苑 厳島神社 Z50 Z18-140.jpg 25.厳島神社の由緒
祭神および破風形の鳥居についての由緒が描かれていたが、字がかすれてきていて、判読しづらい。wikipediaによれば、「社伝によれば、安芸国厳島社を崇敬した平清盛が、摂津国兵庫津に築島(経が島)を造成した際に、同島に社殿を構えて厳島社を勧請し、後に清盛の母の霊を合祀したものに起源を持ち、その神社を時期不詳ながら当地へ遷座させたものという。鎮座地は後世九条家の邸宅に取り込まれて同家の鎮守として崇敬されるとともに、池泉廻遊式庭園の1部を構成するものともなった。明治になって九条家は東京へ転宅し、その邸宅も東京へ移築されたが、当神社はそのまま残された。昭和2年(1927年)には社殿が改築されている。」とあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 30mm ISO360 )
026_240322316 X900 京都 京都御苑 厳島神社 Z50 Z18-140.jpg 26.池の弁天さん
九條池の中島に鎮座し、「池の弁天さん」と称されるそうだ。黒木の梅の広場に戻る際、橋を渡るときに分かったのだが、この厳島神社は九條池の小島の上に建っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO100 )

2021年2月24日

永谷天満宮 2月3日

環状2号線の横浜市営地下鉄 上永谷駅の近くに永谷天満宮という神社があることを知った。
 この日は久しぶりに舞岡公園へ出かけたが、午前中にそこから、車で15分くらいのところにある永谷天満宮に参拝することにした。ホームページを開いてみると、「日本三躰永谷天満宮」は菅原道真公の御自作の御神像をおまつりする由緒正しきお宮です。後略」と記されていた。
 日本三躰とはどういうことだろうかと興味があったので、wikipediaを検索してみると、日本三躰天神(にほんさんたいてんじん)とは、大宰府に左遷された菅原道真が自身を鏡に映して自ら彫ったと伝わる道真像3体を神体として安置する3つの天満宮の総称である。「躰」は「体」の異体字であるため、日本三体天神とも表記する。うち2体は菅原氏や道真と縁の深い寺院に安置されていたが、神仏分離に伴い移された。」とあり、道明寺の1体は大阪の道明寺天満宮へ、安楽寺の1体は福岡の太宰府天満宮へ移されたとある。 菅原道真が自身を鏡に映して自ら彫ったと伝わる道真像3体を神体として安置する3つの天満宮のうちのひとつが永谷天満宮である。  全国に約1万2千社あるという菅原道真を祭神とする天満宮の総本社は京都の北野天満宮と、福岡の太宰府天満宮であるが、ともに参拝経験がある。
 本殿にお参りして、その後ろにある小高い天神山を一回りしてきた。ウメが咲き、カンザクラも咲き、メジロもいた。

 恥ずかしながら、舞岡公園でシジュウカラを撮るときに-1.0段、露出補正をしたが、設定を元に戻すのを怠り、永谷天満宮ではすべ-1.0段露出補正のままで撮ってしまった。Adobe Photoshop Elements 2018 で調整している。

1.曹洞宗天神山 貞昌院
天満宮を象徴する牛の像があり、そのわきに「曹洞宗天神山 貞昌院」という石柱が立っていたので「おや」と思った。wikipediaで調べてみると、貞昌院の前身は、天性院と称した天台宗の宿坊であり、上之坊、下之坊という二坊があったが、足利時代に廃絶されたと伝えられる。下之坊には菅原道真五男で菅秀才と呼ばれた菅原淳茂が流罪となり配流されてこの地に起居しており、道真自刻の尊像を奉祀して朝夕崇拝したのが、永谷天満宮の始まりであるとする伝説が残る。貞昌院は永谷天満宮の別当となり、 当時は永谷天満宮と山を挟んだ位置関係にあったが、文化14年(1817年)に、現在の場所に移転した。道真像(神像)は長らく同寺に保存され、祭事や出開帳の際に神社に動座(移す)されていた。近年は丑年の天満宮例大祭の際にのみ天満宮へ動座されていたが、2009年に神体を保管する施設が完成したことにより、以降は天満宮に安置されることとなったという。写真の右手の建物が 貞昌院のようだが気が付かなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 -1.0段
001_210203002 X800 永谷天満宮 RX10M4.jpg
  2.永谷天満宮 参道
写真の左側にある小さな駐車場に車を停めて、石段を上がると、参道に出る。鳥居がある参道の入り口は後ろだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO200 ) 露出補正 -1.0段
002_210203072 X800 永谷天満宮 RX10M4.jpg
3.本殿の石段
本堂は小高いところにある。初詣はにぎわうようだ。永谷天満宮は、明応2年(1493年)藤原乗国が永谷に居城し、霊夢をから社殿を造営し、御神像を安置してから500余年が経とうとしている。その間、宅間伊織之介、藤原綱頼の修造や藤原規富の改築があったが、享和3年正月不慮の火災により焼失した。貞昌院第十六世徹玄岷州が再建を志したが即世し、嗣僧大輝がその志を継承し文化2年落成、その後、関東大震災では本殿、覆殿、幣殿等倒壊し大被害を蒙り、資材欠乏の時であったが氏子の熱意により下賜材等を得て修復した。そして、昭和62年、氏子崇敬者の奉賛もあり(菅原道真?)の薨後1088年並びに平成即位の記念事業として現在の社殿が完成。現在では例祭をはじめとした各祭事、御祈祷を執り行っているといったことが記されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO320 ) 露出補正 -1.0段
003_210203005 X800 永谷天満宮 RX10M4.jpg
4.永谷天満宮 本殿
左側に「おまいりのしかた」の絵札が立てられている。いつも思うのだが、拍手を打つのもいい音を出すのはなかなか難しい。神様がおられる本殿を正面から撮るのはご法度であるので、斜め横から失礼した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 19mm ISO2000 ) 露出補正 -1.0段
004_210203054 永谷天満宮 X800 RX10M4.jpg
5.本殿と永谷菅廟碑
本殿に向かって左の方へ歩いてみる。石碑がある。漢文なのだろうか漢字がびっしりと並んでいて、何が書いてあるのか私には解らない。この石碑は永谷菅廟碑と言い、明治35年3月25日に建立されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO250 ) 露出補正 -1.0段
005_210203011 X800 永谷天満宮 RX10M4.jpg
6.天神山へ  菅廟碑
菅廟碑の先に右の方へ上る道があったので行って見ると、小高い丘の上に出た。ここが天神山なのだろう。この石碑は管秀塚という。菅原道真が筑紫の太宰府に左遷されるや、子息たちも全国各地に配流されたが、五男の菅秀才淳茂は、相模国永谷郷の下之坊(現在の貞昌院の前身)に居を構え、朝夕に天神山の山頂に立ち、遥か西方の太宰府に居る父を思慕したとある。その場所が菅秀塚で、自身の遺髪を納めたとも伝えられているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO125 ) 露出補正 -1.0段
006_210203013 X800 永谷天満宮 RX10M4.jpg
7.天神山 浅間神社
天満宮は「天神」、「天神さま」「天神さん」とも呼ばれる。天神山山頂には浅間神社という小さな石の社とその倍以上の高さがある石灯篭が立っていた。祭神は木花之佐久夜毘売(コノハナサクヤビメ)で、家庭円満、子授け、安産、縁結びの神と言われる。ホームページの境内案内図には浅間社と書かれている。末社のひとつなのだろうか。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 17mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
007_210203020 X800 永谷天満宮 RX10M4.jpg
8.横浜市営地下鉄
山頂には、前の写真の浅間神社の向こうに見える高い金網のフェンスがあり、そこから下を見ると、家並みとともに横浜市営地下鉄の上永谷駅と下永谷、舞岡方面への線路が見えた。 金網の枠が小さく、その枠が映り込んでしまった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 172mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
008_210203019 X800 永谷天満宮 RX10M4.jpg
9.天神山 八重寒紅
早咲きの紅梅「八重寒紅」が咲いていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f11 1/500秒 42mm ISO200 ) 露出補正 -1.0段
009_210203022 X800 永谷天満宮 RX10M4.jpg
10.白梅
天神山は永谷天満宮の裏山である。早咲きの白梅も咲いていた。代表的な早咲きのの白梅の品種である「冬至」に似ているが確信はない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f11 1/500秒 41mm ISO400 ) 露出補正 -1.0段
010_210203024 X800 永谷天満宮 RX10M4.jpg
11.ニホンスイセン
登ってきたのは本殿の左側( 菅廟碑 があるほう)からだったが、本殿の右側(北西)へ下りる道を下る。石段が造られていて、こちらの方がメインの登り口かと思う。その道にニホンスイセンの花が植えられていて、きれいに咲いていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
011_210203026 X800 永谷天満宮 RX10M4.jpg
12.サクラにメジロ
早咲きのサクラの木があり、咲き始めていた。早咲きのサクラにもいろいろ種類があるが、これはカンヒザクラとヤマザクラの交雑種であるカンザクラのようだ。花にメジロが飛んできた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 168mm ISO200 ) 露出補正 -1.0段
012_210203029 X800 永谷天満宮 RX10M4.jpg
13.メジロ
メジロは雌雄同色で♂♀が区別できない。冬季には若い個体が群れで行動することが多いという。この個体も群れではいなかったが、まだ、身体が小さいように思えた。普段は「チー」や「チュー」などと鳴き、「チィチョチューチィ」などとさえずり、「長兵衛、中兵衛、長忠兵衛」と聞こえるということを聞いたことがある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 168mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
013_210203034m X800 〇永谷天満宮 RX10M4.jpg
14.カンザクラ
カンザクラは小さな木が1本しかなったが、全体としてはまだ、三分咲きというところだった。日がよく当たる枝では良く咲いている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 30mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
014_210203044 X800 永谷天満宮 RX10M4.jpg
15.天神山入り口(表門?)
登るときは反対側から上がり、頂上から一回りしてここへ下りてきた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1500秒 14mm ISO400 ) 露出補正 -1.0段
015_210203051 X800 永谷天満宮 RX10M4.jpg
16.梅の古木
本殿の石段を下りて、狛犬があるところまで来ると、梅の古木があり、花も咲いていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1500秒 56mm ISO320 ) 露出補正 -1.0段
016_210203060 X800 永谷天満宮 RX10M4.jpg
17.梅の古木と本殿
本殿と石段を背景に梅の古木を撮った。もっと絞って撮ったほうが良かったと反省。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1500秒 35mm ISO640 ) 露出補正 -1.0段
017_210203066 X800 永谷天満宮 RX10M4.jpg
18.ウメにメジロ
駐車場へ戻ろうと参道を下りて来ると、右手の一段高いところの境内の脇に植えられているウメの木に、メジロの姿が見えた。戻って撮る。2羽ほどいたが、そのうち1羽はシジュウカラだった。+補正して撮るべきところを-補正で撮ってしまっていて大失敗。またまた反省。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1500秒 35mm ISO640 ) 露出補正 -1.0段
018_210203078 X800 〇永谷天満宮 RX10M4.jpg


2018年1月22日

2泊3日の京都紅葉狩り(9・終) 金閣寺 12月6日

龍安寺からはタクシーで金閣・鹿苑寺へ行く。さすがに修学旅行の生徒たちや外国人観光客が多かった。
 さて、午後1時になった。金閣・鹿苑寺の拝観を終え、食事をしたいが、ここは不案内である。できれば、北野の上七間町を歩いて見たかったし、北野天満宮の「御土居」を見たいと思っていたが、今年の御土居「もみじ苑」公開は10月28日(土)~12月3日(日)だったそうで、すでに終わってしまっていた。今回の京都見物はここで切り上げることにし、四条河原町までタクシーに乗った。高島屋の食堂街でゆっくり食事をして、京都駅へ行き、予約してあった新幹線を変更して、帰路に着いた。

208.金閣寺総門
金閣寺は正式名称を鹿苑寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つである。舎利殿「金閣」が特に有名なため一般的に金閣寺と言われている。西大路通りでタクシーを降りて、金閣の参道に入る。寺院を囲む土塀が見えてきた。写真は総門をくぐって境内に入り、振り返って見たところ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (f8 1/250秒 22mm ISO200) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
209.鐘楼
総門を入って左側(南側)に鐘楼がある。この鐘楼の梵鐘は、鎌倉初期に鋳造された由緒あるものということだ。 この鐘楼のあたりにはカエデが多く、秋 には見事な紅葉となると期待していたが、時すでに遅かった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (f6.3 1/250秒 38mm ISO200) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
210.金閣​​
総門の先にある唐門で拝観料を納め、まっすぐ進むと、鏡湖池が表れた。そしてその対岸には、眩いばかりに輝く金閣があった。鏡湖池は鹿苑寺庭園の中心をなす池で面積は約6600㎡ある。 室町時代以前は舟遊びを楽しむ池だったと言われている。鏡湖池北側の畔には金閣 が建ち、庭は浄土庭園の形式が取り入れられ九山八海を表す大小様々な島が池に 浮かんでいる。金閣はこの鏡湖池の南側から見た光景が一番美しいといわれており、金閣に太陽の光が当たり輝いて見える午前中がもっとも見応えがあると言われ ているが、今まさに晴天のもと、南側から一番美しいというところから金閣を眺める。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影(f9 1/320秒 46mm ISO200)露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
211.鏡湖池と金閣​​
鏡湖池に金閣が映る。しかし、池にはさざ波が立ってせっかくの金閣が崩れる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (f9 1/320秒 31mm ISO200) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
212.ハナショウブ?
池之端を金閣のほうへ歩きながら撮り続ける。ハナショウブかカキツバタの花が咲いている。しかし、ハナショウブもカキツバタも5月~6月に咲くものだと思っていたのだが。違う花なのだろうか。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影(f8 1/250秒 31mm ISO200)露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
213.金閣(舎利殿)​​
金閣(舎利殿)は、室町幕府三代将軍の足利義満によって建てられたもので、1397年(応永4年)から建設が始まり、1408年(応永15年)には完成していたものと考えられている。一層は「寝殿造り」で法水院(ほっすいいん)、二層は「武家造り」で潮音洞(ちょうおんどう)、三層は「禅宗仏殿造り」で究竟頂(くっきょうちょう)と呼ばれ、それぞれの層で異なる様式が採用され、それを見事に調和させた室町時代を代表する建築物。二層と三層には漆地に純金の箔が貼られ、屋根は椹(さわら)のこけら葺、頂上には金銅製の鳳凰が置かれている。金閣は国宝に指定されていたが、1950年(昭和25年)7月2日未明、学僧の放火により全焼してしまった。現在の金閣は、1952年(昭和27年)3月22日から3年の月日をかけて再建された建物で、1955年(昭和30年)10月10日に落慶法要が行われた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影 (f9 1/320秒 26mm ISO200)露出補正 なし
180121_213.jpg
214.方丈​​​​
金閣の東側、鏡湖池の反対側に方丈があった。「方丈」とは、禅寺で住職らが住む所であり、本坊にあたる。別名で「客殿」とも呼ばれ、客間としても用いられている。1602年(慶長7年)に、当時鹿苑寺の人事をつかさどる僧録であった西笑承兌(さいしょうじょうたい)によって建てられた。1678年(延宝6年)には、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の寄進により建て替えが行われているという。その後も現在に至るまで約4回改修が行われているそうだ。2005年(平成17年)には2年の歳月をかけて、全面解体修理が行われている。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影(f9 1/320秒 24mm ISO200)露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
215.金閣の後ろ側​​​​​​
順路に従って、金閣の後ろ側(北側)へと歩く。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​
プログラムオートで撮影 (f9 1/320秒 18mm ISO200) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
216.漱清(そうせい)
北側に来ると、舎利殿から突き出した部分が見えた。「漱清」(そうせい)と言うそうで、鏡湖池に臨んで造られた釣殿(つりどの)と呼称される建造物だという。この釣殿(漱青)は、舎利殿の初層である法水院の西側とつながっており、池の上に突き出すようにして建てられている。釣り殿は、寝殿造りにはかかせないものだそうだ。創建当初は、この漱青の場所に厠が造営されていたと云われている。1650年頃(江戸時代前期)に金閣寺で改修が執り行われていたとされ、このときに造営された説があるようだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (f9 1/320秒 18mm ISO200) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
217.高台から見る金閣
漱清を見た後、北へ上がっていくと、榊雲、厳下水、龍門滝などがあるが、その高くなったところから、金閣を眺める。申し訳なさそうにモミジの葉が残っていた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (f7.1 1/800秒 91mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
218.茶席 夕佳亭
インターネットで検索すると、金閣寺の北側出口付近の高台にある茶室「夕佳亭」は、金森宗和が制作に携った代表的な数奇屋造りの茶室の一つだとある。夕方に金閣が美しく見えるという意味から名付けられた茶室で、内部は思ったよりも広くゆとりのある茶室は、比較高い場所に造った為、茶室がはり出しているのが特徴という。また茶室正面から見ると、わかりにくいが、多角形の形状で思ったより複雑な形状の茶室と言われる。寛永年間に創建された夕佳亭は明治初期に惜しくも消失してしまい、その後1874年(明治7年)再建された。近年、平成の解体修理が行われて夕佳亭の古図が発見されたことから、宗和による建築当初の近い形に復元されている。大徳寺を本拠に幅広く活動して京都の寺社、武家、公家と社交的に行動して顔も広かった金森宗和は、この時代の金閣寺の住職で茶道にも通じ当時一流の文化人だった鳳林和尚とも親交が深かったので、ここの茶室の制作にも尽力して日々、語りあったのではないだろうかとされる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影(f3.5 1/250秒 18mm ISO1400) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
219.不動堂
不動堂は金閣寺創建以前に建立されていたが、1467年(応仁元年)~1477年(文明9年)の応仁の乱で焼失し、 天正年間(1573年~1592年)に豊臣政権の五大老の一人だった宇喜多秀家が再建 した。不動堂は金閣寺山内の最古の建物とも言われている。不動堂に祀られる本尊は弘法大師が作ったと伝えられる石不動明王で、霊験あらたかな秘仏として広く一般に信仰されている。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​ プログラムオートで撮影 (f3.5 1/250秒 18mm ISO1400) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。


2017年2月11日

神戸と有馬温泉(2) 北野異人館街とハーバーランド 12月25日

午後半日コースの市内観光バスは、沢の鶴資料館を出発し北野へ向かった。バスはトアロードとパールストリートが交差するところにある「北野工房のまち」の駐車場に停まる。異人館通り、北野坂、北野通りを1時間半ほど散策した。夕方5時に三宮のバスターミナルに戻り、午後半日コースの市内観光は解散となった。
 元町のホテルには戻らず、そのまま、JRで神戸駅まで行き、夜のベイエリアを散策した。クリスマスの宵、ライトアップされたハーバーランドは若いカップルが多かった。

北野異人館街

「北野工房のまち」を起点に異人館街を散策した。「北野工房のまち」とは、旧神戸市立北野小学校の校舎を活用した体験型工房というが、お土産屋さんが集まったところである。バスはこの校庭だったところに駐車する。「北野工房のまち」を起点に異人館街を散策した。さすが観光スポットであり、人出が多い。

21.「東天閣」
トアロードを北へ上がっていくと、「東天閣」という中華菜館があった。明治27年ドイツ人F..ビショップ氏の邸宅として建てられた木造の西洋館である。現在は中華料理の名店であるが、古き良き時代のインテリアと東洋と西洋が融合した空間が売りという。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4​​​ 1/​250​秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
22.TRUMP?
翌2017年1月20日にアメリカ大統領に就任するトランプさんを想起させる建物があった。旅行会社?、結婚式場?。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250​秒 35mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
23.異人館通り(山本通り)​​
トアロードを北へ上がって、山本通3丁目で右へ曲がる。そこが異人館通り(山本通り)と呼ばれている。その車道と歩道を仕切っている鉄のポールの頭に写真のような絵がついていた。この写真は「風見鶏の館」。このほかに「ラインの館」、「萌黄の館」の絵の付いたポールが交互にあった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.3 1/​250​秒 73mm ISO900​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
24.「シュウエケ・エズラー邸」
異人館通りにある「シュウエケ・エズラー邸」は、神戸異人館街 というサイトによると、明治29年(1896年)に建築家A.N.ハンセルの自邸として建設された。ゴシックを基調するコロニアルスタイルで、広い庭園には芝生に石灯籠を配置をするという和洋折衷の要素が楽しめる。現在もシュウエケ家の自邸として使用されているので、庭園と1階の一部のみが一般に公開されているが、この日はcloseだった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4​​ 1/​250​秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
25.スター・バックス コーヒー店​​
北野坂の通りを左に曲がる。すぐ左側に人だかりがあった。スタバに入ろうとする若い人たちで溢れている。ここは「北野物語館」という。1907年(明治40年)に「M.J.シェー邸」として建築された木造2階建ての住宅で、建築当初は米国人が所有していたものだそうだ。コロニアルスタイルである。1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災の被害を受けた後、取り壊される予定だったが、神戸市が建物の寄贈を受けた上で解体・部材保管し、その後、民間事業者に部材を譲渡して、平成13年に現在地に再建・移築され、スター・バックスになっている。「旧フロインドリーブ邸」ともよばれる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8​​ 1/​250​秒 18mm ISO280​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
​​​​ 26.「英国館」
次の北野通りを右に曲がりしばらく行くと右側に「英国館」があった。ここの入館料は市内観光バスの料金に含まれている。ここはフデセック医師の診療所と住居であった異人館で、イギリス人が建て、イギリス人が住み続けた洋館だそうだ。異人館独特のコロニアル様式の美しいベランダを持つ外観や館内ではイギリス紳士のライフ・スタイルが濃厚に残っている。バロックやビクトリア時代の家具・装飾品などのアンティークが楽しめる。エントランスにはエリザベス女王が使用していたのと同じ型のダイムラーが置かれていて、それを背景にシャーロックホームズの衣装を借りて記念撮影を楽しむカップルがいた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250​秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
​​​​ 27.英国館バー「KING OF KINGS」
全国的に珍しいという異人館バー。英国館特有のコロニアル様式の建築と、高級でクラシックな家具・調度品を生かしたエキゾチックでゴージャスなムードが売り物だとうが、営業もしている。飲みものは、世界の銘酒を集めている。軽食もでき、値段もリーズナブルとあって、お客さんの層は、ヤングから年配層まで幅広いという。この日は日曜日で定休日だった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO2800​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
​​​​ 28「パラスティン邸」​​
今度は天神坂を北野天神に向け上がっていく。右側にこの「パラスティン邸」があった。白と緑のツートンカラーが優しい印象のこの館は、明治末にロシアの貿易商によって建てられたもの。1階は喫茶室として営業されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO320​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
​​​​ 29.「うろこの家」
さらに細い道を上ったところに「うろこの家」があった。最初に公開された異人館で、外国人向けの高級借家として建てられた。 建物の外壁を覆う約3000枚の天然石のスレートが魚のうろこに似ているところから「うろこの家」の愛称が生まれ、親しまれている。中に入って見ようかなと思ったが、もう少し見たいところもあり、時間がないので外から眺めるにとどめた結果、こんな写真しか取れない。外壁にサンタが張り付いている。国指定登録文化財になっていて、「風見鶏の館」、「萌黄の館」とともに北野異人館のシンボルだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.3 1/​500​秒 66mm ISO320​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
​​​​ 30.「ハンター迎賓館」​​
北野異人館では珍しい日本庭園のある和風建築があった。この建物はE・Hハンター氏が所有してい た歴史的建造物で120年の歴史を持つ。エドワード・ハズレット・ハンター氏と 妻の愛子さんが その余生を静かに過ごされた場所だそうだ。現在は「ハンター迎賓館」として結婚式場になっている。 ​​

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO720​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
​​​​ 31.北野天神の階段
この階段を見て、時間がないことを理由にしてお参りするのを断念した。平清盛が治承4年(1180年)6月に福原に遷都するにあたり、禁裏守護・鬼門鎮護の神として京都の北野天満宮を勧請して祀ったと伝えられている。以降、神社周辺は北野町と呼ばれるようになったそうだ。異人館の密集地域で、神戸大空襲にも、阪神・淡路大震災にも本殿は耐えたそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 33mm ISO720​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
​​​​ 32.「風見鶏の館」
北野天神の下にある北野町広場に面して、「風見鶏の館」と、「萌黄の館」があった。ともに国指定の重要文化財である。明治42年(1910年)、ドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマス氏が自邸として建てた建物だそうだ。 ここにに現存する異人館の中で、レンガの外壁の建物としては唯一のもので、その色鮮やかなレンガの外壁と尖塔の風見鶏は北野異人館のシンボルとして欠かせない存在になっていると言われる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO250​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
​​​​ 33.「北野工房のまち」
結局、観光バスによる名所めぐりの常で北野異人館の一部を表面的にみて歩くにとどまった。新神戸駅の方にある、「プラトン装飾美術館(イタリア館)」、「山手八番館」、「北野外国人俱楽部」、「坂の上の異人館(旧中国領事館)」も見てみたかった。1時間20分では無理だった。午後4時半にバスが駐車している「北野工房のまち」に戻ってきた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
​​​​ 34.「旧神戸市立北野小学校」
​​ 「北野工房のまち」となっている​「旧神戸市立北野小学校」の校舎は、1998年にその面影を極力残した状態でリニューアルされている。1階、2階には神戸ブランドのお店が20店舗程あり、販売だけでなく、お菓子・クラフト・地ビールなど神戸ブランドの数々を見て味わって体験できるユニークな工房となっているが、ここも廊下を歩いただけだった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​60​秒 26mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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​​​​ 35.「旧神戸市立北野小学校」の講堂​​
​​ 3階は講堂が残されていた。今は各種イベント等に利用されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO1250​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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​​​​ 36.「旧神戸市立北野小学校」 2階廊下
​​ 廊下の両側はお店になっていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​250​秒 26mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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ハーバーランドのクリスマス

神戸のイルミネーションと言えばルミナリエが有名だ。しかし、残念ながら12月11日で終了してしまっていた。​​ルミナリエは諦めて、港へ行って夜景を見物し、夕食にしようと思う。夕方5時に三宮駅で市内観光のバスを降りるときに、ガイドさんにベイエリアへの行き方を聞いてみたところJRで神戸駅まで行って海の方へ歩いていくのがベストと教えてくれた。大きな観覧車を目当てにガス灯通りを港へと歩いた。

37.神戸ハーバーランド
神戸駅から地下街を通り抜けて、港への道を行く。この辺りはハーバーランドと呼ばれている。時刻は5時半前、空にはまだ明るさが残っている一番美しい時間だ。ガス灯が並ぶ通りは大観覧車の方へ導いてくれる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/40秒 37mm ISO800 ) 露出補正 なし
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38.クリスマス イルミネーション
ガス灯通りを歩いていると、なかなかセンスの良いイルミネーションがあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/30秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
39.跳ね橋付近
右手が少し広くなっていて、その先に水辺が見えた。跳ね橋がある。歩道橋としての跳ね橋は日本で初めてだそうだ。「はねっこ広場」があり、そこにもイルミネーションがあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/30秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
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40.煉瓦倉庫のスパゲッティ屋さん
横浜みなとみらいにも赤れんが倉庫があるが、ここにもハーバーランド煉瓦倉庫があった。2棟の赤煉瓦倉庫は1890年代後半に建造され、神戸港に次々と到着した貨物の倉庫として使用されていた。デザイン文具・家具のショップやレストランなど7店舗が入っている。そろそろ食事にしようと思っていたら「The Old Supaghetti Factory」という店があった。覗いてみると雰囲気はよさそうだ。まだ5時半だけど店内に少し待っている客がいる。入って待つことにする。今宵はクリスマスの日曜日、若いカップルが多い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/20秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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41.神戸港
夕食を終えてさらに海の方へ行ってみる。建物の屋上にクリスマスツリーが飾られ、神戸港の対岸は神戸メリケンパークと呼ばれる地域で、オリエンタルホテルが見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/30秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
42.「神戸ポートタワー」
前に進んで撮る。オリエンタルホテルから目を左に転じると、ホテルオークラ神戸、さらに「神戸ポートタワー」が見えた。神戸のウォーターフロントの中心部、中突堤に優美に佇む「神戸ポートタワー」は和楽器の 鼓を長くしたような双曲面構造の美しい外観と独特のパイプ構造を持ち、その優美さから「鉄塔の美女」と呼ばれているという。神戸港振興協会の初代会長であり、第7代神戸市長であった原口忠次郎氏が1959年に視察でロッテルダムを訪れた際に見た港を一望できる「ユーロマスト」にヒントを得て着想したという。1963年に開業した。2014年12月に国の登録有形文化財にも登録された。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/20秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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43.「CONCERTO」 神戸港クルーズ船
波止場に下りてみた。船着き場には全長74m、2,138トンの「CONCERTO」という船が停まっていて、バンド演奏が聞こえてきた。客が乗船を始めている。クリスマスだ。7時半に出港する。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/25秒 28mm ISO800 ) 露出補正
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44.商業施設 「UMIE」のクリスマスツリー
「UMIE」は2013年4月にオープンした商業施設。wikipediaによると、ここ「神戸ハーバーランド」は1982年(昭和57年)11月に貨物駅としての営業を終了した旧国鉄の湊川貨物駅や、川崎製鉄(現在のJFEホールディングス)・川崎重工業といった沿岸一帯の工場の跡地約23haを1985年(昭和60年)、再開発に着手し、1992年(平成4年)9月に街開きした市街地である。1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災の被害が神戸最大の商業中心地である三宮よりも少なかったため、他の地区よりいち早く復興したそうだ。しかし、その後は三宮や元町の復興に加えて郊外のショッピングセンターに押されて来街者数は減少に転じていた。相次ぐ大型店の撤退や運営体制の変遷があり、2012年11月20日に全体の新名称が「UMIE(ウミエ)」となった。このクリスマスツリーは大きく輝いていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO800​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
45.大観覧車​​
帰りにガス灯通りから、大観覧車を振り返って見た。wikipediaなどによると、正式な名称は「モザイク大観覧車」といい、実は1995年に六甲山から移設されたという。1993年(平成5年)7月にオープンした六甲ランドAOIAの観覧車は世界で初めてイルミネーション機能を搭載した観覧車だった。しかし、AOIAは1995年の阪神・淡路大震災で壊滅的な被害を受け、営業再開を断念した。その後、その観覧車は1995年(平成7年)12月14日に、ここハーバーランドのモザイクガーデンに移設されたそうだ。イルミネーションはトナカイを描き出していた。​

​​ Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​160秒 66mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
46.神戸駅プラットフォーム​​​​
時刻は夜8時半。元町まで一駅だけどまたJRに乗ってしまった。神戸駅のプラットフォームは日曜日の夜ということもあり、静かだった。

​​ Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.5 1/​250秒 46mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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2016年12月14日

三渓園 紅葉の季節 (2) 11月22日

11時45分、内苑のきれいな紅葉を鑑賞して、三渓園の南端の高台にある展望台へ来た。首都高速湾岸線の向こうに新日本石油の精油所が眺められた。ここから戻って、三渓園を紹介する写真ではいつも背景として山の上に見える旧燈明寺の三重塔へ行く。ここは紅葉はいまいちだった。
  歩き回ったので小腹がすいてきた。そしてビールで喉を潤したい。待春軒という茶屋があった。席も空いているようだ。ざる蕎麦を食べたいと思ったのだが、10月以降は蕎麦は温かいものだけにしたという。私の汗ばんでいる体はそれを拒否した。もう少しお預けだ。

27.展望台
展望台は「松風閣」という明治20年ごろに建てられたレンガ造りの建物の跡にあった。「松風閣」は重要な客をもてなすゲストハウスとして使われたという。当時は東京湾の絶景が眺められたのであろう。今は根岸の石油コンビナートが眺められる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f10​​​ 1/​400​秒 48mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
28.「旧燈明寺三重塔」​​
展望台へ登った後、また戻って、出世観音の脇を通って「旧燈明寺三重塔」へ来た。室町時代の康正3年(1457年)に京都・木津川市の燈明寺(今は廃寺)に建てられ、大正3年(1914年)に移築された。燈明寺は江戸時代に宗派が変わった際に東明寺から燈明寺に改名されたそうだ。 瓦に東明寺と刻印されているのは、そのためだという。 園内のほぼ全域から、その姿を見ることができる三重塔は三溪園を象徴する建物になっている。現在、関東地方にある木造の塔では最も古い。重要文化財に指定されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f7.1 1/​250​秒 22mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
29.「旧燈明寺本堂」の屋根​​
「旧燈明寺三重塔」からこれから向かう「旧燈明寺本堂」の屋根が見えた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f7.1 1/​250​秒 22mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
30.石橋​​​​
明治39年(1906年)の開園当初から、いつでも麦茶や香煎(麦こがし)を入れた白湯を飲む事ができたという「初音茶屋」とうところに下りてきた。そこから大池の南端にかかるこの石橋を渡る。待春軒という食事処があった。朝が早かったので小腹が減った。この日は温かく、また、歩いて来て汗ばんでいたので、冷たい蕎麦を食べようとこの待春軒に入ろうとしたが、10月以降は温かい蕎麦だけにしているという。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.3 1/​250​秒 78mm ISO400​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
31.紅葉​​​​
​​ 真っ赤に紅葉したモミジもあれば、まだ緑の葉をつけている木もある。日の当たる真っ赤に染まった葉を裏から見ると透過して鮮やかな色だ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6 1/​320​秒 185mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
32.「旧燈明寺本堂」​​​​​​
「旧燈明寺三重塔」と同じく、康正3年(1457年)に京都・木津川市の燈明寺(今は廃寺)に建てられた。ただ、三溪園には、1988年(昭和62年)に5年がかりで移築・保存作業が行われ、 中世密教寺院の姿がよみがえったという。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO400​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
33.「旧燈明寺本堂」の仏像
本堂の中には​​仏像が安置されてい​た​​​​​​​​​。この仏像は何だろうとネットで探ってみたら、AzTakさんという方のブログに​​​「​​燈明寺の旧仏は本物は京都府木津川市兎並(うなみ)(旧相楽郡加茂町)の御霊神社に保管されているそうだが、この堂内にあるのは御霊神社に保管されている十一面観音のレプリカのようだ。」​という記述があった。​​​

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6 1/​50​秒 130mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.残った柿
「旧燈明寺本堂」の脇に、鳥にも啄まれずに、まだ実が残っている小さな柿の木があった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/2​50​秒 50mm ISO400​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
35.三渓園天満宮​​
大池の東側を正門の方へ進むと右手に三渓園天満宮があった。三渓園のホームぺージによれば、三溪園天満宮は、江戸時代に京都北野天満宮から勧請した間門天神がその前身だそうだ。昭和51年1月25日に三溪園に遷座し、以後三溪園天満宮として来園者に親しまれている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.5 1/2​50​秒 44mm ISO1250​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
36.キンクロハジロ♂​​​​
いったん正門まで戻る。まだ時間も早い。もう一度内苑のモミジを撮りたいと大池に沿って歩く。池には水鳥が浮かんでいる。これはキンクロハジロだ。大きさ(全長)は40cm~47cm。これくらいの大きさの鳥だと300mmで十分とらえられる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/500秒 300mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
37.マガモ♂
​​ 首周りの白い帯から上の頭の色はミドリシジミを思わせる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/250秒 300mm ISO220 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
38.マガモ♀
​​ ♂と全く羽色が異なる。ただし♂のエクリプスと言われる生殖羽は♀によく似た地味な色をしているが、嘴の色で♂のエクリプスと♀とは区別できるようだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/500秒 300mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
39.「月影の茶屋」
​​ 「三渓記念館」の裏手に原三渓翁の碑があり、その前に食事処が並んでいた。そのうちの一軒、「月影の茶屋」を覗いてみると、冷たい蕎麦があるようだ。ざる蕎麦を注文し、もちろんビールも頼んだ。残念ながらビールはあまり冷えていなかった。それでも、しばらく座っていると汗も引き、落ち着いてきた。さて、これからもう一度内苑にい行ってみようと腰を上げる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.5 1/250秒 44mm ISO1000 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
40.菊花展
​​ 三渓園では11月に菊花展が行われる。今年は10月26日~明日11月23日まで行われているようだ。菊花約500点が展示され、大菊や懸崖・小菊盆栽などレパートリー豊かな菊花の世界が楽しめるという。特に江戸時代から各地で改良、伝えられてきた古典菊は、珍しく必見とあるが、残念ながら私は菊のことに知識がない。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/250秒 32mm ISO2000 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
41.「三渓記念館」裏手の紅葉
​​​​ 「月影の茶屋」でビールを飲んでいるときに、このきれいな紅葉を眺めていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/250秒 56mm ISO360 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
42.モミジの紅葉グラデェーション
​​​​ モミジの種類もいろいろあるが、これは葉の形からしてイロハモミジと思う。木の高いところにある枝の葉は紅葉していて、下の方の葉はまだ緑が残っている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.3 1/250秒 92mm ISO320 ​) 露出補正​ ​なし
161213_042.jpg
43.「海岸門」​​
さっきは内苑側から「海岸門」をくぐって外苑側に出たが、今度は外苑から内苑に入った。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/250秒 18mm ISO2500 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
44.「旧天瑞寺寿塔覆堂」のイチョウ​​​​
再び「旧天瑞寺寿塔覆堂」のところへやってきた。イチョウの古木の葉が鮮やかな黄色に輝く。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/250秒 24mm ISO1100 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
45.「亭榭」と「臨春閣」
「旧天瑞寺寿塔覆堂」の前から「亭榭」と「臨春閣」を眺める。モミジを配して撮る。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/250秒 18mm ISO400 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
46.「旧天瑞寺寿塔覆堂」の屋根と紅葉​​
迦陵頻迦(かりょうびんが)や蓮の花などの彫りの深い装飾、そりあがった「旧天瑞寺寿塔覆堂」の屋根は、重厚である。葉が深紅に染まっているモミジと橙色のモミジがある。後者はオオモミジだろうか?

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/250秒 18mm ISO400 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
47.美しき「聴秋閣」​​​​
三渓園のホームページには「各部の意匠は独創性・変化に富みますが、書院造としての格や茶亭としての機能に応じて緻密に構成されています。L字型の一段下がった杢板敷きの入口は舟で漕ぎ着ける場を想像させ、当初は水辺に面して建てられたのかもしれません。江戸時代はじめの上流武士階級の風流な文化が伝わります。」と説明されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/250秒 18mm ISO1600 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
48.三渓園正門
午後1時過ぎ、入園口である正門へ戻ってきた。2時間半ほど三渓園に滞在したことになる。紅葉はまだ少し早かったようだが、さわやかな秋空にめぐまれ楽しい散策だった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/250秒 52mm ISO720 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
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2012年5月 4日

川根温泉と大井川鉄道 4月17日~18日 2/5 川根温泉とSL列車


 島田市の中心街から蓬莱橋へ来る途中、大井神社というのがあった。帰りに寄ってみたいと思っていた。昼食に予定している そば処「ゆくら」へ行く途中で寄ることにする。蓬莱橋からは大井川の下流に当たる。大井神社にお参りした後、お茶どころの牧之原を通って、高台にある「ゆくら」に着いた。
 昼食後、近くにある「お茶の郷」というところに立ち寄った。残念ながら博物館は休館で会ったが、その日本庭園を見ることができた。そこから473号線を大井川に沿って北上し、午後3時に川根温泉に到着した。
 今晩泊る川根温泉「ふれあいコテージ」の管理棟で「15:28のSLは来ますか?」と尋ねると、来るという。チェックインは奥がた達に任せ、SL撮影を試みた。

20.島田 大井神社
大井神社が祀られるのは、ここ島田だけではないようだ。大井川流域、またはかつて流れのおよんだ地域を中心に、40数社の大井神社が祀られているという。昔は70数社あったものが、ほかの神社と統合(合祀)されて現在の数になったのだそうだ。限られた地域に、川と同じ名前の神社がこれほど多く祀られるのは全国的にも非常に珍しい。この大井神社は、創建時期は不明であるが、日本三代実録に貞観7年(865年)の当社への正五位下の神授与の記述があることから、それ以前には成立していたとみられるという。しかし、慶長4年(1604年)の以前の所在地は、上流から漂着したなどの伝承もあって定かではなく、大井川の氾濫によって度々場所を移らざるを得なかったと考えられているそうだ。現在の島田市の市街地2箇所を経て、元禄元年(1688年)に現在地に鎮座している。写真は拝殿で、その後ろに本殿がある。手前左に見える像は、大井神社の大祭「帯祭り」の大奴・鹿島踊の姿を後世に伝えるブロンズ像。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/400秒 17mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
島田 大井神社;クリックすると大きな写真になります
21.境内社 大井天満宮と春日神社
境内には、本殿の隣に京都北野天満宮より分霊奉齊されたという学業成就の神、大井天満宮が祀られ、神牛をなでてお参りくださいとあった。学問の神様として有名だが、農耕の神様としても信仰されているという。
  その隣に春日神社というのがある。春日神社は延宝年中(1673~81年)、島田に疫病が蔓延した為、宿人が春日神社の御神霊を奉じて疫病退散を祈った。鹿島踊りはこの時に伝えられ、その後約330年に渡り島田市民の健康と幸せを願い、3年に1度の大祭に鹿島踊りを奉納してきたが、平成12年よりこの鹿島踊りを春日神社の例祭にも合わせ行なう事とし、現在にいたっているとのこと。さらに境内には静霊神社、大井恵比寿神社が祀られていた。どうなっているのか良くわからない。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F9 1/320秒 17mm ISO400 ) 露出補正 なし
境内社 大井天満宮と春日神社;クリックすると大きな写真になります
22.牧之原台地の茶畑
大井神社のお参りをして、少し、戻るように走り、蓬莱橋の下流にある島田大橋で大井川を渡って、富士山静岡空港の方へ進んだ。しばらく行くと広大な茶畑が広がる。そこは標高40-200mの台地で、北側から南側へかけて緩く傾斜している。米作などには向かない不毛の土地であったが、明治維新の後、無禄士族対策の為、牧之原台地に多くの士族が入植し、開拓作業が始まったそうだ。石が多く、水はけが良い赤土で弱酸性であり、気候が温暖で霜が降りることも少ないため茶の育成に向いているとのことから、茶樹を植える事が推奨されたため、現在のような茶畑が広がる日本一の製茶地帯になった。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/1000秒 70mm ISO400 ) 露出補正 なし
牧之原台地の茶畑;クリックすると大きな写真になります
23.そば処「ゆくら」
茶畑が広がる道を走って、午後1時少し前に、昼食をそこで食べようと友人夫妻が予約をしてくれていた、そば処「ゆくら」に着いた。四季折々の眺めが素晴らしい牧之原台地のすそ野に位置し、眼下に越すに越されぬ大井川を見下ろす景観が人気のそば処だという。庭先にはその景観を楽しみながら食事ができる縁台も設けられている。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/1250秒 6.1mm ISO200 ) 露出補正 なし
そば処「ゆくら」;クリックすると大きな写真になります
24.島田市と新大井川橋
そば処「ゆくら」からの大井川の眺めは素晴らしかった。茶畑の向こうに島田市の市街が広がり、大井川を渡る旧国道1号の大井川橋、その向こうに現在の国道1号線である島田バイパスの新大井川橋が見える。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/640秒 70mm ISO400 ) 露出補正 なし
島田市と新大井川橋;クリックすると大きな写真になります
25.お茶の郷
昼食を済ませ、まだ、時間に余裕もあるので、近くにある「お茶の郷博物館」へ行って見ることにした。これも友人の御主人が調べてきてくれていた。しかし、残念ながら博物館は休館だった。売店と併設の日本庭園を見てきた。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/60秒 6.1mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
お茶の郷;クリックすると大きな写真になります
26.お茶の郷 小堀遠州の庭園と建築
小堀遠州(1579~1647)は、近江小室藩主(1万2千石)で、千利休、古田織部に続く江戸 時代初期の大名茶人として知られている。しかし、彼の業績は茶の湯の世界に とどまるものではなく、江戸幕府の作事奉行として、京都御所や駿府城をはじめとする江戸幕府の関わる主だった建築工事作業奉行を勤めて活躍した。ここの庭園は、江戸幕府が小堀遠州に作事奉行を命じて造らせた、寛永6年(1629)に退位した後水尾院(ごみずのおいん)の院御所である仙洞御所の回遊式庭園である東庭を造園当時のまま復元したのもので、王朝貴族の文化に憧れた小堀遠州侯の庭園造りの特徴がよく表れているという。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F9 1/320秒 26mm ISO400 ) 露出補正 なし
お茶の郷 小堀遠州の庭園と建築;クリックすると大きな写真になります
27.大井川鉄橋
ごご3時少し前に川根温泉に着いた。今日泊るところは、川湯温泉「ふれあいの泉」という温泉施設に併設された「ふれあいコテージ」である。「ふれあいコテージ」でチェックインの合間に、15時28分のSL列車は、運行されているかどうか問うたところ「はい」という返事。撮ろうと思ったが、どこが撮影ポイントとして良いところなのか解からない。大井川に架かる鉄橋が良いが、今度のSL列車は「上り」なので、ここでは顔が向こうを向いてしまう。対岸へ行くのは難しい。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/250秒 55mm ISO400 ) 露出補正 なし
大井川鉄橋;クリックすると大きな写真になります
28.SL列車
そうこうするうちに汽笛の音と、ドラフト音が聞こえてきた。川根温泉の駐車場の脇を線路が走る。出来るだけ橋の近くでとらえて、通過した後は、さっきの鉄橋で後姿を撮ろうと考えた。

Canon PowerShot G12 F.2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/200秒 30.5mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
SL列車;クリックすると大きな写真になります
29.C10が牽くSL列車
D5000の連写は、4コマ・秒ともどかしいが、コンティニュアスAFにして、連写で撮る。C10は都市近郊旅客列車用として1930年(昭和5年)に製造された。このC108は昭和5年、川崎車両製造。 大井川蒸機陣の中では最長老、昭和一桁の生まれである。70才になるが、まだまだ元気だ。昭和37年、会津若松を最後に国鉄を引退、岩手県宮古市のサラ工業という会社で貨物の入れ替えに従事、昭和62年からは宮古市に譲渡され平成2年まで観光用として活躍の後、平66年に大井川へやって来た。本機は動態静態を問わず、形を止める唯一のC10として貴重な存在である。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/250秒 70mm ISO400 ) 露出補正 なし
C10が牽くSL列車;クリックすると大きな写真になります
30.旧型客車
連写7コマ目、私の前を通過するとき、SLはボーと汽笛を鳴らし、蒸気を吐いてくれた。SLもさることながら、旧型客車も懐かしい。機関車のすぐ後ろが スハフ42304 昭和29年、日本車輌(名古屋)の製造。昭和58年に盛岡で廃車後、平成4年に大井川鉄道にきた。その後ろが オハ47398 昭和29年、川崎車輌製造の旧スハ43398、山陰本線、倉吉線等で使用された後、昭和62年から大井川入りした。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F4.8 1/320秒 70mm ISO400 ) 露出補正 なし
旧型客車;クリックすると大きな写真になります
31.笹間渡-抜里 間の鉄橋を渡るSL列車「かわね路2号」金谷行き
さきほどの撮影場所から走って鉄橋の見えるところに移動した。後ろ向きだと迫力がない。河原にいた2人連れもSLを見ていた。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/500秒 70mm ISO400 ) 露出補正 なし
笹間渡-抜里 間の鉄橋を渡るSL列車「かわね路2号」金谷行き;クリックすると大きな写真になります
32.後押しする電気機関車
あれ!列車の最後部に電気機関車が付いている。これはSLのパワー不足を補うためのバックアップなのだろうか。この電気機関車は1956年日立製作所製造で、1999年の住友大阪セメント伊吹工場専用側線廃止後、大井川鉄道へと来た。社紋こそ外されはしたものの、現在でも 「いぶき501」の愛称のまま活躍を続けている。

Nikon D5000 SIGMA 17-70mm F2.8-4.5G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/500秒 70mm ISO400 ) 露出補正 なし
後押しする電気機関車;クリックすると大きな写真になります

2009年8月19日

夏の京都

 8月の10日-11日に、私の母校の卓球部が京都で行われるインカレ(全日本大学対抗)に出場するので、応援に出かけることになった。関西在住のOBが激励会を設営してくれている。11日の午前中に試合は終了し、すこし、京都を歩いて見ることにした。前々から関空へ一度行ってみたいと思っていたので、この日の戻りは夕方7時15分関空発、羽田行きを予約してある。京都を4時15分発の「はるか」に乗るこことにし、それまでの時間を充てる。
1.立派な京都駅
JR東日本のジパング倶楽部の割引を利用するため、新横浜から「ひかり」に乗り、昼前に京都に着いた。京都駅ビルは巨大である。1997年に竣工したこの駅ビルは規模の巨大さとデザインの斬新さのため、建設時はもちろん、建築後10年たった今でも、その評価には賛否があるという。私は賛成派である。

Canon IXY 900IS
プログラムオートで撮影  ( F2.6 1/60秒 )
立派な京都駅:クリックすると大きな写真になります
2.鴨川
第1日目の試合が終わったので、会場の京都市体育館最寄の西京極駅から阪急電車で四条河原町へ出た。夜は激励会があるが、それまでの時間、ぶらぶらと歩いた。四条大橋の上から、鴨川のほとりを眺める。午後4時半過ぎ、外国人観光客も夕涼みをしていた。

Canon IXY 900IS
プログラムオートで撮影  ( F5.8 1/40秒 )
鴨川:クリックすると大きな写真になります
3.三条大橋
四条大橋を渡ったところで川端の遊歩道に下りて三条へ向って進む。10分ほどで三条大橋のたもとに出た。この橋が本格的な橋となったのは天正18年(1590年)で、豊臣秀吉の命により架けられたという。現在の橋は昭和25年に改造された。ぎぼしは天正のものと昭和のものが混用されれている。

Canon IXY 900IS
プログラムオートで撮影  ( F4.5 1/160秒 )
三条大橋:クリックすると大きな写真になります
4.金閣寺総門
第2日目の試合終了後、西京極の京都市体育館から、タクシーに乗り金閣寺へ行った。何回か京都に来たことはあるが、金閣寺ははじめてである。正しくは鹿苑寺という。総門をくぐって振り向くと、美しい緑に混じり、もみじが紅葉を始めている。

COOLPIX P90
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/150秒 ASA64 ) 露出補正 -0.3段
金閣寺総門:クリックすると大きな写真になります
5.金閣寺
釈迦の骨をまつった舎利殿のことを「金閣」といい、ここ鹿苑寺は通称「金閣寺」と呼ばれる。足利3代将軍義満が1397年に西園寺家から別荘を譲り受け、山荘北山殿を造った。金閣を中心とした庭園、建物は極楽浄土を表しているという。

COOLPIX P90
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/226秒 ASA64 ) 露出補正 -0.3段
金閣寺:クリックすると大きな写真になります
6.金閣と外国人観光客
さすが京都、外国人観光客が多い。特にここ金閣寺では、外国人観光客が入れ替わり立ち代り、金閣を背景に記念写真を撮っていた。

COOLPIX P90
プログラムオートで撮影 ( F5 1/186秒 ASA64 ) 露出補正 -0.3段
金閣と外国人観光客:クリックすると大きな写真になります
7.わら天神
金閣寺を見終えて、次に今日のもうひとつの目的である北野天満宮へ行こうと思い、バス停に来てみるとバスを待つ人が溢れていた。それほど遠くはないと聞いていたので、ぶらぶらと歩き出した。暑い。西大路通りを南へ進むと右手に大きな鳥居があった。安産のご利益で有名なわら天神で、別名、敷地神社というらしい。

COOLPIX P90
プログラムオートで撮影 ( F5 1/294秒 ASA64 ) 露出補正 -0.3段
わら天神:クリックすると大きな写真になります
8.平野神社
わら天神の前で、子供づれのお母さんに、北野天満宮への道を尋ねた。西大路通りと並行している道を南へ平野神社の鳥居まで行き、そこを左に進むと北野天満宮の裏へ出ると教えてくださった。平野神社は延暦13年(794年)、桓武天皇による平安京遷都にともない、平城京で祀られていた今木神・久度神・古開神を遷座・勧請したのに始まるという。立派な神社だった。

COOLPIX P90
プログラムオートで撮影 ( F5 1/328秒 ASA64 ) 露出補正 -0.3段
平野神社:クリックすると大きな写真になります
9.北野天満宮
菅原道真を主祭神として、特に学問の神として知られ、多くの受験生の信仰を集めている。創建は947年。福岡の大宰府天満宮は菅原道真が左遷されたところ。この三光門(中門)(重要文化財)をくぐると社殿(国宝)がある。

COOLPIX P90
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/192秒 ASA64 ) 露出補正 -0.3段
北野天満宮:クリックすると大きな写真になります
10.大福梅の土用干し
北野天満宮では、7月中旬から8月下旬にかけて、6月中旬に境内で採取し、樽に塩漬された梅の実を樽から取り出し、すのこの上にむしろを敷き、その上に並べて約4週間かけてカラカラになるまで干し上げる。干し上がった梅の実は、再び塩をまぶして樽に11月下旬まで貯蔵する。土用干しの期間境内全域に甘酸っぱい梅の香りが広がる。(北野天満宮ホームページより) 後は社殿。

COOLPIX P90
プログラムオートで撮影 ( F4 1/150秒 ASA64 ) 露出補正 -0.3段
大福梅の土用干し:クリックすると大きな写真になります
11.哲学の道
北野天満宮を正面から出て、そろそろ京都駅に戻り、昼飯でも食おうとバス停に行くと、京都駅行きより先に銀閣寺行きのバスが来た。時間は2時少し前、「えーい、行っちまえ」とそのバスの乗り込んだ。バスは西へ向って30分近く走っただろうか。ようやく銀閣寺道に着いた。そこから銀閣寺へ向け歩き始める。川沿いに「哲学の道」が現れた。哲学者の西田幾多郎が思策に耽りながら歩いたという逸話から名前が付けられたという。

COOLPIX P90
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/82秒 ASA64 ) 露出補正 -0.3段
哲学の道:クリックすると大きな写真になります
12.修復中の銀閣寺
銀閣寺は俗称で、正しくは東山慈照寺といい、その観音殿を銀閣という。建立は1482年室町幕府8代将軍足利義政。銀閣は改修中であった。内部の改装とともに耐震工事が行われている。内部の改修は100年~150年に一度といわれ、約2年がかりで平成22年2月完成予定とのこと。「なんだ改修中か」と思ったが、貴重なものを見たと思い直した。写真が霞がかかったように見えるが、レンズが曇ったのに気が付かなかった。汗が飛んだのだろうか。

COOLPIX P90
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/100秒 ASA64 ) 露出補正 -0.3段
修復中の銀閣寺:クリックすると大きな写真になります
13.銀閣
銀閣の二層部分。一層は心空殿といい書院風、二層は潮音閣といい、唐様仏殿の様式。閣上にある金銅の鳳凰は東面し、観音菩薩を祀る銀閣を絶えず守り続けているという。

COOLPIX P90
プログラムオートで撮影 ( F5 1/187秒 ASA64 ) 露出補正 -0.3段
銀閣:クリックすると大きな写真になります
14.「はるか」
銀閣からタクシーで京都駅に戻り、預けておいた荷物を受け取り、駅ビルで、生ビール片手に遅い昼飯を取った。関空アクセスとして、京都駅の30番線から出る16時15分発特急「はるか」の自由席に乗り込む。発車間際になると混んで来た。しかし、大部分の乗客は、天王寺で降りてしまった。

COOLPIX P90
プログラムオートで撮影 ( F5 1/100秒 ASA64 ) 露出補正 -0.3段
「はるか」:クリックすると大きな写真になります
15.関空
一度関空へ行ってみたかった。7月のはじめにハチ高原へ行った帰りに、関空から帰ろうと思ったが、時間を考えてやめてしまった。立派な施設であるが、ガランとした感じが気になった。レストランも客がほとんど入っていない。夏休みでお盆、多客期であろうに。

COOLPIX P90
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/20秒 ASA64 ) 露出補正 -0.3段
関空:クリックすると大きな写真になります
16.関西国際空港連絡橋
午後7時20分前。暮れかかる空港と連絡橋が見える。乗り込んだ飛行機はMD81で、予約した時には埋っていた窓側と真ん中の席に客はなく、3列シートを独り占めした。

COOLPIX P90
プログラムオートで撮影 ( F5 1/8秒 ASA64 ) 露出補正 -0.3段
関西国際空港連絡橋:クリックすると大きな写真になります