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2023年4月12日

旅行 高松→丸亀→鞆の浦→尾道 ⑤尾道へ

2泊3日の旅行の最後は尾道へ行くことになった。
 午前中に鞆の浦という古い町並を見て歩き、福山から午後1時過ぎの山陽本線で尾道まで約20分、1時半ごろに尾道に到着した。駅前からタクシーに乗り、千光寺山へ上るロープウェイの乗り場に向かった。歩かずに上まで上がって瀬戸内海を眺めようというわけだ。ロープウェイの運賃は往復1人、700円。3分少々で着いてしまう。
 ロープウェイの山頂駅からエレベータで展望台まで行く。前に日に比べこの日は空気が澄んでいて、展望台からの瀬戸内海の眺めは素晴らしかった。
 千光寺へ参拝するには、少々急な散策路を下らなくてはならない。千光寺からはロープウェイには乗れないので、下った道を登ってロープウェイ山頂駅まで戻らなくてはならない。かみさんと娘は待っているというので、上がってくるのはきつかったが婿殿と二人で参拝してきた。
 ロープウェイで下りて、尾道の駅まではぶらぶらと商店街を通って歩く。途中、尾道ラーメンを食べた。腹が減っていたこともあって、とても旨かった。尾道駅で福山駅からの新幹線の切符を求めたが、指定席は離れ離れの席しか空いていなかった。

000_230313708 X700 尾道 手前新尾道大橋 奥尾道大橋 Z50 Z18-140.jpg
瀬戸内海・尾道水道の眺め 瀬戸内しまなみ海道に架かる新尾道大橋
2023年3月13日 広島県尾道市東土堂町 千光寺公園展望台から

093_230312261 X900 備後赤坂駅 エトセトラ G7X.jpg 93.エトセトラ
福山駅から山陽本線の電車に乗り尾道へ向かう。新幹線に新尾道という駅があり、1時間に1本「こだま」があるが、在来線の尾道駅とは離れていて利用しづらい。福山で在来線に乗ると、5分ほどで次の駅である備後赤坂という駅に停車した。隣のホームに「etSETOra」という観光列車が停車していた。この観光列車は尾道から西へ広島まで運行される。尾道14時38分発なのでここで待機しているのだろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 18mm ISO125 ) 露出補正 なし
094_230312266 X900 尾道 ロープウェイ G7X.jpg 94.千光寺山ロープウェイ
尾道駅から5分ほどタクシーに乗り千光寺山ロープウェイの乗り場のある長江口というところまで行った。ロープウェイは1957年(昭和32年)3月25日 に開業した。長江口から千光寺山頂を結んでいる。ロープウェイの車内から撮った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.0 1/1250秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
095_230312272 X900 尾道 ロープウェイ G7X.jpg 95.千光寺山ロープウェイ山頂駅からの眺め
ロープウェイを降りて振り返るとさっそく瀬戸内海の美しい眺めがあった。川のように見えるのは瀬戸内海の尾道水道で向こう側は、福山方面の海、右側に見える尾道水道の対岸は向島である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
096_230313709 X900 尾道 尾道水道 向島 Z50 Z18-140.jpg 96.尾道水道と向島 -1
空気が澄んでいて、千光寺山の展望台からは遠くまでよく見渡せた。尾道水道の対岸に見える向島(むかいじま)にフェリーが着岸しようとしているのが見える。wikipediaによれば、向島は「本州尾道市街から南に約300m幅の尾道水道を隔てた位置にある島で、文字通り尾道の向かい側に位置する島。北側が本州、南側が因島、西側が岩子島でそれぞれ橋で結ばれている。東側が尾道市の飛び地である浦崎町、無人島の加島その先が有人島の百島。面積22.22㎢。周囲約28km。北岸に平地が広がり、その他はほぼ丘陵地である。最高峰は高見山283m 。気候は瀬戸内海式気候。」と記されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 34mm ISO110 ) 露出補正 なし
097_230313717 X900 瀬戸内海 Z50 Z18-140.jpg 97.尾道水道と向島 -2
前の写真と同じ位置を撮っている。フェリーは着岸し終えた。向島の奥の方に見える小高い山は海抜283mの高見山というところと思う。手前に西瀬戸自動車道(しまなみ海道)が見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 63mm ISO100 ) 露出補正 なし
098_230313718 X900 瀬戸内海 Z50 Z18-140.jpg 98.尾道水道の南西
カメラを右に振って尾道水道の反対側(南西側)に向ける。瀬戸内海に浮かぶ幾つかの島々が見えるが、それぞれの島の名前は把握できなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/1000秒 75mm ISO100 ) 露出補正 なし
099_230312294 X900 〇尾道 千光寺 G7X.jpg 99.千光寺鐘楼からの眺め
展望台から正岡子規や徳富蘇峰の石碑がある「文学のこみち」と名付けれた、ところどころ石段がある散策路を下って千光寺に行く。千光寺は正式名を大宝山権現院千光寺という。開基は不詳で創建年は大同元年(806年)と伝えられているようだ。本尊は千手観音(秘仏)。鐘楼は明治23年(1890年)に再建されている。鐘楼からの尾道水道の眺めがよい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
100_230312300 X900 尾道 千光寺 G7X.jpg 100.大師堂
鐘楼の右側に大師堂がある。千光寺のホームページによれば、千光寺を開いた空海(弘法大師)を祀るお堂である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO320 ) 露出補正 なし
101_230312306 X900 尾道 千光寺 G7X.jpg 101.夫婦岩
千光寺には花崗岩の巨岩が多く、鏡岩、玉の岩、梵字岩、鼓岩、そして夫婦岩もまた奇岩であった。それぞれが大きな岩であるのに驚く。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
102_230313725 X900 千光寺 Z50 Z18-140.jpg 102.大仙堂と三十三観音堂
手前の朱塗りの堂が大仙堂である。千光寺のホームページによれば、大山智明大権現は鳥取の大山寺の御本尊、地蔵菩薩のことで、その御分体ががここに祀られているそうだ。大山へお参りできない人は、この大仙堂を参拝したそうだ。向こう側は三十三観音堂で、関西一円の西国観音霊場の各札所の御本尊、観世音菩薩33体が祀られ、ここにお参りすると西国観音霊場を巡拝したのと同じ功徳があると伝えられている。天井には勇壮な龍の絵が描かれている。この手前に本堂がある。本堂は貞享3年に建てられたこの地方には珍しい舞台造りである。俗に赤堂と呼ばれる千光寺本堂の本尊千手観世音菩薩は、33年に一度開帳される秘仏。俗に火伏せの観音とも称されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 25mm ISO125 ) 露出補正 なし
103_230313727 X900 尾道 千光寺 Z50 Z18-140.jpg 103.三重岩
千光寺まで下りてきた「文学のこみち」をロープウェイの乗り場まで登っていかなければならない。これが結構きつかった。下りてくるときには気が付かなかったが、三重岩という大きな奇岩もあった。千光寺山や、その東側にある浄土寺山は、花崗岩の良材が採石できるとして、石材の切り出し場にもなっていたそうだ。また、江戸時代には、北前船の帰り荷として尾道の石材が積み込まれ、日本海沿岸各地へと運ばれていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 27mm ISO2500 ) 露出補正 なし
104_230313731 X900 尾道 ロープウェイのりば Z50 Z18-140.jpg 104.千光寺山ロープウェイのりば
再びロープウェイに揺られ下山する。ロープウェイの全長は約365m、高低差は約115mである。定員は30名とそれほど大きくはない。料金は往復で700円だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
105_230312308 X900 尾道 街 G7X.jpg 105.尾道の商店街
ロープウェイは、当初は観光客の利便性から尾道駅裏からの軌道敷設が計画されていたが、観光客を目論んだ尾道本通り商店街などの要望もあって、現在のルートに決定したそうだ。ロープウェイを降りて、国道2号線を渡ると、その国道2号線と並行するように尾道駅まで商店街が続く。尾道駅までぶらぶらと歩いていくことにした。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO200 ) 露出補正 なし
106_230312322 X900 〇尾道 中央桟橋付近 G7X.jpg 106.海岸通り
商店街に並行して、もう1本海岸通りがある。商店街とその間を結ぶ何本もの小道がある。その一つである荒神堂通りを南へ抜け海岸通りに出ると、「おのみち海の駅」と中央桟橋があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
107_230312324 X900 〇尾道 中央桟橋付近 G7X.jpg 107.桜の花とお嬢さん
河津桜のような桜の花が咲いていた。この写真、手前の桜の花に焦点を併せ、2人のお嬢さんたちを、ぼかしてしまったほうがよかったなと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 10mm ISO160 ) 露出補正 なし
108_230312327 X900 尾道 尾道ラーメン G7X.jpg 108.尾道ラーメン
ご当地の尾道ラーメンを食べようということになった。娘がスマホで人気店を探し出す。「尾道ラーメン専門店 丸ぼし」というところへ行ったが、7~8名の人が並んでいた。待つことにする。店のホームページには、尾道ラーメンの特徴は、鶏ガラで取った澄んだダシと瀬戸内の小魚からとったダシに醤油を合わせたスープがベースだそうだが、表面に浮く背脂のミンチがこってり感を加えているという。美味しかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
109_230312342 X900 尾道 本通り商店街 G7X.jpg 109。尾道本通り商店街 大和湯跡
大和湯という銭湯の家屋を利用したこの店は、中華料理店だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
110_230312346 X900 尾道 海岸通り 本通り商店街 G7X.jpg 110.旧尾道商業会議所
本通り商店街には、こういった古い建物がところどころにあった。この建物は尾道市の重要文化財である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
111_230312358 X900 尾道駅 G7X.jpg 111.尾道駅
山陽本線の下り各駅停車の車両。JR 西日本の2015年に製造された「レッド・ウィング」である。この車両は黄色一色で塗られた老朽化した近郊型・通勤型車両(113系・115系など)の置き換えを目的として、アーバンネットワーク(京阪神エリア)の新快速などで運行される225系0番台をベースに、開発された。わたくしたちが福山駅まで乗った上り列車は、まだ、黄色い古い車両だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 15mm ISO200 ) 露出補正 なし
112_230312363 X900 福山駅 在来線 福山城 G7X.jpg 112.福山城
  尾道から福山まで在来線で19分、午後4時38分に福山に到着した。ホームを歩くと左手に福山城が見える。ここはその月見櫓である。福山駅在来線ホームから撮った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 37mm ISO200 ) 露出補正 なし
113_230312368 X900 〇福山駅 新幹線 福山城 G7X.jpg 113.新幹線のホームから見る福山城
福山城の伏見櫓と天守が見えた。立派な城である。wikipediaによれば、福山城は1615年(慶長20年)の一国一城令発布後の元和8年(1622年)に竣工した城である。大規模な新規築城による近世城郭では最後の例となった。備後福山藩の藩庁かつ藩主の居城であった。1873年(明治6年)の廃城令によって、大蔵省の所管となり、建物の払い下げ、取り壊しが実施されていたが、翌1874年(明治7年)に所在自治体の福山町などの請願によって、本丸の天守(付櫓を含む)・筋鉄御門・伏見櫓・御湯殿・鐘櫓の5棟の建築物が残されることとなった。現在の天守(付櫓含む)、月見櫓、御湯殿は1966年(昭和41年)に鉄筋コンクリート構造で復興されたものである。再建された天守内部は福山市立福山城博物館として利用されている。乗車する「のぞみ」がホームに入ってきた。特急料金は大人の休日3割引きが適用されないが、別に購入し、家族で同じ列車で新横浜まで帰る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 24mm ISO125 ) 露出補正 なし

2023年2月22日

1999年8月22日~30日 カナダ旅行 2 of 2

8月25日、アサバスカ氷河、ボウ・レイクを観光した後、1時間ほど走って、バンフに入った。バンフの宿泊は町なかではなく、少し離れた郊外のホテルだった。ホテルの名前を思い出せずネットで検索もしたがヒットしなかった。良いホテルだった。バンフもカナダのアルバータ州に属している町である。バンフ国立公園内に在り、カナディアン・ロッキー観光の中心地である。夏季の登山、冬季のスキーなどで賑わうリゾート地で、温泉保養地としても人気が高い。1972年の冬季オリンピックの開催地として立候補したが、開催の決まった札幌の32票に敗れ、16票で次点であった。
 その翌日はバンフからバンクーバーへ移動した。バンフからバンクーバーへは まずカルガリー空港へ行き、そこから飛行機で1時間半ほどでバンクーバーに着いてしまう。午後にバンクーバーに到着し、クイーン・エリザベス・パークなどへ行った記憶がある。そして、次の日はバンクーバーを観光し、27日はフェリーに乗ってビクトリアへ渡った。28日はバンクーバーで自由時間を過ごし、夕食は確か「千代田」というすし屋で、良いネタの寿司を食べたのを覚えている。だが、その「千代田」は閉店してしまったそうだ。
 バンクバーから成田へ戻ってきたのは8月30日の昼頃だったと思うが定かではない。

000_990826235S X700 カナディアンロッキー バンフ F90 アルバム用.jpg
バンフ大通りからカスケード山を望む 1999年8月26日 
カナダのアルバータ州カナディアン・ロッキー山脈自然公園

022_990825231S X900 カナディアンロッキー バンフ F90 アルバム用.jpg 22.バンフの街
バンフのメインストリートである。正面に見えるのはバンフの象徴であるカスケードマウンテン(2998m)だ。カスケードとは複数連なった滝を意味するとのことで、トップの写真ではより鮮明に、山頂の左側から山麓へまっすぐに糸のようにつながった滝が見える。今では 亡くなられてしまった大橋巨泉氏の店として有名だった「オーケーギフトショップ」はこの通りの左側にあった。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
023_990826233S X900 カナディアンロッキー バンフ F90 アルバム用.jpg 23.ボウ川に架かる橋
バンフの街の南側を流れるボウ川を渡る橋の上からも、カスケード山が見える。この写真はカスケード山に向かって右側を撮っている。ボウ川はカルガリーのほうへ流れる。連なって見える山はランドル山の山並みだ。wikipediaによると、ボウ川は、カナダのアルバータ州を流れる全長623kmの川である。名前は、川のそばに生える木を先住民が弓にして使っていたことに由来する。ボウ川の源流はカナディアンロッキーに存在するボウ氷河である。ボウ氷河の末端部で融解してボウ川となって流れ出した水は、付近に存在するボウ湖に一旦流れ込み、再びボウ川としてバンフ国立公園内を流れてゆく。なお、ボウ川の本流に存在する滝であるボウ滝も同公園内に存在する。その後カルガリーを経由し、グラッシーレイクの町の近くでオールドマン川と合流しサウスサスカチュワン川となる。この川は、飲料水や灌漑および水力発電用の水の重要な水源となっている。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
024_990826240S X900 カナディアンロッキー バンフ F90 アルバム用.jpg 24.バンフ・スプリングス・ホテル
バンフのメインストリートがボウ川を渡るところ(写真23.)から南東へ1kmほど行ったところ、ボウ川が滝となって落ちる場所を見下ろす山腹の森に壮観な外容を聳え立たせている。前にも述べた「Fairmont Chateau Lake Louise」と同じフェアモント・ホテルズ系列のホテルだ。ホテルからは峡谷を隔ててランドル山(2948m)の雄大な眺望を見ることができる。世界有数のリゾート・ホテルの1つとされ、併設されるゴルフ・コース(27ホール)も川に沿った自然の地形を利用しており評価が高い。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
025_990826386S X900 バンフ Olympusμ アルバム用.jpg 25.バンフで泊まったホテル
前書きにも書いたが、バンフで宿泊したホテルはとても良いホテルだったが、名前を思い出せなかった。ネットで検索を試みたが、全く同じと思われるホテルの画像は見つけられない。しかし、その玄関の構えなどは、バンフの中でも四つ星の高級ホテルといわれる「リムロック・リゾート・ホテル」に似ている。「リムロック・リゾート・ホテル」は、8階建ての立派なホテルだが、1993年に開業し、2008年に改築されているという。位置的にも、1883年に鉄道会社によって発見されたというなかなか歴史情緒あふれる「バンフアッパーホットスプリングス」という温泉の近くにあるというのは、わたくしたちが1999年に泊まった3階建てのホテルに似ている。ひょっとして、わたくしたちは改築前の「リムロック・リゾート・ホテル」に泊まったのかもしれない。

Orympus μ 35mm f3.5
026_990826257S X900 バンクーバー F90 アルバム用.jpg 26.バンクーバー到着
カルガリーからバンクーバーまでは飛行時間1時間30分で到着した。時差が1時間ある。到着後はバンクーバーの市内観光だった。空港から、バスの車窓に見えるのは、山を背にしたバンクーバーの大都会だった。空港のあるシー島からエリザベス女王公園へ行く。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
027_990826243 X900 バンクーバー クィーンエリザベスパーク.jpg 27.エリザベス女王公園
バンクーバーの市街地で最も高い地点にあるそうだ。52haの緑地は、カナダ植物園とバンクーバー最大の都市公園である。常緑の緑と花の海が人気で、北にはイングリッシュベイと雪をかぶった山々が見える。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
028_990826261S X900 バンクーバー F90 アルバム用.jpg 28.スタンレー・パーク
スタンレー・パークはブリティッシュコロンビア州、バンクーバー市の都市公園である。スタンレー・パーク内にトーテムポールが設置されている。wikipediaによれば、この土地は北米西海岸先住民族であるバラード族(Burrard)モスキアム族( Musqueam )そしてスクワミッシュ族( Squamish)が治めていた。公園の周りを囲むように通っている8.8kmの長さのシーウォールという遊歩道で、1918年から建設が始まり1971年に完成した。現在は公園外のカナダプレースやイングリッシュベイ方面にまで延長されており、他の公園とも繋がっているという。シーウォールの入り口から2.5kmほどのところのブロクトンポイント(Brockton Point)には、カナダ先住民によって造られたトーテムポールが9本が立ち並んでいた。有名な観光スポットとなっている。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
029_990826265S X900 バンクーバー F90 アルバム用.jpg 29.バンクーバーのビル群
スタンレーパークから眺めるバンクーバーの街は美しかった。写真のバンクーバー港の一番左側に見える三角屋根の連なりはカナダプレースの建物でコンベンション・センターなどがある。1986年に開催されたバンクーバー国際交通博覧会の時にカナダのパビリオンとして建てられた。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
030_990826270S X900 バンクーバー F90 アルバム用.jpg 30.ライオンズ・ゲート・ブリッジ
スタンレーパークから南へ、クイーン・エリザベス・パークへ向かう途中、写真のつり橋を渡った。wikipediaによると、このつり橋は、「バラード入り江のファーストナローズ(First Narrows)を跨いで、バンクーバーとノースショア(ウェストバンクーバー(地区)、ノースバンクーバー(市)、ノースバンクーバー(地区))を結んでいる。 橋長は、ブリティッシュコロンビア州道99号線と1A号線の高架部分を含めると約1,823mであり、つり橋のみでは約1,517.3mである。」

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
031_990827285S X900 ビクトリア F90 アルバム用.jpg 31.ビクトリアへ
翌日はフェリーに乗ってビクトリアを観光した。バンクーバー島の最南端にあるビクトリアは、距離的にはバンクーバーとアメリカのシアトルとの中間にあるが、陸路はない。いま、調べてみるとバスでフェリーの乗り換えなしで4時間30分ほどかかるとあるが、そんなにかかったという記憶はない。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
032_990827317S X900 ビクトリア F90 アルバム用.jpg 32.ブッチャート・ガーデン -1
まずは、ビクトリアの観光地では恐らくもっとも有名なブッチャート・ガーデンへ行った。ビクトリアはどこにでも花々の咲く美しい町であり、公園も多いが、このブッチャートガーデンはその中でも最大級、そして最上級の美しさを誇る。面積にして22万㎡、東京ドーム5個分にも相当する広大な園内は、サンケンガーデン・ローズガーデン・日本庭園・イタリアンガーデン・地中海庭園と5つのエリアにわかれており、それぞれに違った様相を楽しむことができる。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
033_990827290S X900 ビクトリア F90 アルバム用.jpg 33.ブッチャート・ガーデン -2
wikipediaによれば、「オンタリオのオーウェンサウンドに住んでいた、セメント製造業者のロバート・ブッチャート(Robert Pim Butchart)は石灰石の採石場を求めてカナダ西海岸に移り、1904年に採石場近くに邸宅を建てた。妻のジェニー・ブッチャートの発案で、横浜出身でビクトリア市で人気になっていた日本人造園家、岸田伊三郎(当時65歳)によって1908年頃、邸宅に作られた日本庭園は人気を集めた 。1909年から採掘の終わった採石場跡を庭園として整備して Sunken Gardenとして、1921年に完成した。屋敷を"Benvenuto" (イタリア語で歓迎の意)と名づけ、庭園に客を迎えた。1926年にテニスコートをイタリア式庭園に変え、1929年に家庭菜園をバラ園に変えた。1939年に21歳になった孫のイアン・ロスに庭園は贈られ、ロスは没するまでこの庭園の運営や宣伝に従事した。」夏の間しか営業していないカフェテリア方式のブルーポピーレストランで食事をした。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
034_990827300S X900 ビクトリア F90 アルバム用.jpg 34.ブッチャート・ガーデン 噴水
この噴水は60周年(1964年)のお祝いとして作られたそうだ。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
035_990827319S X900 ビクトリア F90 アルバム用.jpg 35.インナー・ハーバー -1
午後はビクトリアのダウンタウンのインナーハーバーへ連れて行ってくれた。まずはフェアモント・エンプレスホテルの威容に魅了される。ここもフェアモント・ホテルズ系のホテルで1908年の開業である。ホテルの前側は海だ。片道約30分でバンクーバーを行き来する水上飛行機が発着するところも見られるという。二階建てのバスはロンドン譲りであろう。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
036_990827322S X900 ビクトリア F90 アルバム用.jpg 36.インナー・ハーバー -2
この広場は観光客を魅了する様々なものがある。立派なホテル、二階建てのバス、そして白い馬車、街燈には花が咲きおとぎの国のようだった。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
037_990827327S X900 ビクトリア F90 アルバム用.jpg 37.インナー・ハーバー -3
大道芸人の姿もあった。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
038_990827341S X900 ビクトリア F90 アルバム用.jpg 38.インナー・ハーバー -4
街の紹介にはブリティッシュコロンビア州内の中で一番南に位置しており、気候は温暖。春から夏にかけて色鮮やかな花々に囲まれた英国風な街並みからは、本土とは違った風情を堪能することができるとあった。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
039_990827338S X900 ビクトリア F90 アルバム用.jpg 39.ビクトリアのダウンタウン
ダウン・タウン・ストリートも散策した。「KABUKI KABS」?とか書かれ、歌舞伎の絵が描かれたワッフル屋さんのリヤカーが止まっていた。

Nikon F90XS AF NIKKOR 24mm~120mm f3.5-5.6D
プログラムオートで撮影
040_990828403S X900 バンクーバー Olympusμ アルバム用.jpg 40.ガスタウン
ビクトリアは日帰りし、翌日はバンクーバーで自由時間となった。どこへ行こうかと思ったが、バンクーバー発祥の地と言われるガスタウンへ行ってみることにした。ホテルから緩やかな坂になっているダウンタウンをまっすぐ上っていったように記憶している。朝早かったので、日差しがとてもさわやかな散策だった。ウィンドウ・ショッピングも楽しい。写真に見える像は、1867年に初めてこの地域に酒場を開いたイギリス人の蒸気船船長"ギャシー"・ジャック・デイトン (John Deighton)で、この地名は彼に由来するそうだ。

Orympus μ 35mm f3.5
041_990828415S X900 バンクーバー Olympusμ アルバム用.jpg 41.蒸気時計
ガスタウンのシンボルは、キャンビー通りとウォーター通りの角に位置する蒸気時計である。写真ではその文字盤の部分が隠れてしまった。通常は15分毎に笛が鳴るが、毎時0分の笛は長い。北海道小樽市メルヘン交差点には同じ作者が制作した蒸気時計が1994年に設置されたと聞くが、そうするとこのガスタウンの蒸気時計は何時作られたのだろうかと疑問を持った。答えは1977年、レイモンド・サンダース氏によって製作されたとのことだった。現在のガスタウンは 1970年代後半以降、市の観光局によって再開発されたそうだ。

Orympus μ 35mm f3.5

2020年10月25日

三浦半島を巡る(2) 横須賀美術館から荒崎海岸へ 10月13日

花の広場まで行って、再び横須賀美術館へ戻ってきた。美術館の建物の屋上にある展望所から浦賀水道を眺める。先月、房総半島をドライブした折に富津岬から第一海堡を見たが、この日は靄がかかっていてすっきりとは見えないものの、第二海堡が見えた。
 午後1時を過ぎた。これから三浦半島の反対側にある荒崎へ行こうと思う。ひょっとしたらクロマダラソテツシジミに会えるかもしれないという期待もある。荒崎へは2011年1月に城ヶ島へ行った折に立ち寄ったことがあるが、滞在時間はわずかだったのでどんなところだったかよく覚えていない。カーナビによると荒崎公園は横須賀美術館から約20km、車で30分のところにある。
 海岸一帯は長井海の手公園パートナーズ(西武造園株式会社、株式会社不二環境サービス、長井水産株式会社、近畿日本ツーリスト株式会社の共同事業体)が「荒崎公園」として管理・運営を行っている。海岸は奇岩の岩場となっていて、釣り人たちが多かった。

24.第二海堡
横須賀美術館の屋上展望所から浦賀水道を眺めると、靄ではっきりとは見えないが、第二海堡 が見えた。Sony CyberShot RX10M4 望遠端220mm(35㎜版600㎜相当)で狙ったが、絞り開放で撮ると周辺光量不足が顕著に出てしまった。光量は十分にあるので少し絞り込んでみればよかったと反省。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixelsプログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
024_201013062 X800 観音崎公園 第二海堡 RX10M4.jpg
25.浦賀水道
wikipediaによれば浦賀水道はヨットや小型漁船から大型貨物船まで、1日あたり約400隻(平成23年)から700隻(平成17年)もの船が往来する世界有数の海上交通路である。横須賀市久里浜港と富津市金谷港の間を東京湾フェリーが結んでいる狭いところだが、それでも釣りを楽しむ小さな船が浮かんでいる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 147mm ISO100 ) 露出補正 なし
025_201013114 X800 観音崎公園 ACQUAMARE RX10M4.jpg
26.横須賀美術館正面
横須賀美術館の正面は芝生の広場になっていて、レストランからは浦賀水道を行き交ういろいろな船を眺めることが出来る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 17mm ISO100 ) 露出補正 なし
026_201013119 X800 観音崎公園 ACQUAMARE RX10M4.jpg
27.レストランのテラス席
少し靄がかかっていたが、この日は久しぶりの晴天で、テラス席での昼食は気持ちが良い。我々は先に済ませてしまったが、この時間(午後1時)には席が空くのを待つ列が出来ていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 15mm ISO100 ) 露出補正 なし
027_201013123m X800 観音崎公園 ACQUAMARE RX10M4.jpg
28.荒崎公園 「どんどんびき」
荒崎公園の駐車場に到着したのは午後2時過ぎだったが、駐車場に管理人さんはいたが駐車料は無料だった。その管理人さんにどこを見て帰ればよいのか尋ねてみた。先ず勧められたのが「どんどんびき」だった。公園の駐車場を少し東に進むと右側に切り立った岩壁に囲まれた入江が現れた。その奥に、こじんまりとした砂浜があり、潮が引くとき「ドンド~ン」と鳴ることから名付けられたという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
028_201014125 X800 荒崎海岸 どんどんびき RX10M4.jpg
29.「どんどんびき」の奥の砂浜
ここに波が入り込み、引くときに「ドンド~ン」 という音が聞こえるというが、このときは波は穏やかで何も聞こえなかった。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 21mm ISO400 ) 露出補正 なし
029_201014127 X800 荒崎海岸 どんどんびき RX10M4.jpg
30.荒崎シーサイドハイキングコース
相模湾に面した荒崎は全長4kmの散策路も整備されている。その荒崎シーサイドハイキングコースは、関東ふれあいの道「荒崎・潮騒のみち」の一部(荒崎バス停〜どんどんびき〜佃嵐崎〜和田長浜海岸〜矢作入口バス停=4.1km、所要1時間30分)にもなっているそうだ。シーサイドハイキングコースはこの先を長浜海岸の方へ行くようになっているが、この洞はまさか海蝕で出来たものではなく、掘られたのだろう。歩くのは敬遠した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
030_201014130 X800 荒崎海岸 RX10M4.jpg
31.荒崎海岸
荒崎海岸の特徴は白い頁岩(けつがん)と黒い凝灰岩 が層をなす海蝕台と海蝕洞窟にある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 14mm ISO100 ) 露出補正 なし
031_201014131 X800 荒崎海岸 RX10M4.jpg
32.頁岩と凝灰岩
白い頁岩の上に凝灰岩が被さっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO160 ) 露出補正 なし
032_201014132 X800 荒崎海岸 RX10M4.jpg
33.奇岩と松
凸凹の特異な地形の岩石に松が自生し、奇岩青松の海岸に波しぶきが白く砕ける様は見事な色の調和を見せ、その景観はすばらしいとして、神奈川の継承50銭に選ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 43mm ISO160 ) 露出補正 なし
033_201014134 X800 荒崎海岸 RX10M4.jpg
34.「どんどんびき」の入り口
「どんどんびき」に波が流れ込ところを見てきた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO160 ) 露出補正 なし
034_201014139 X800 荒崎海岸 RX10M4.jpg
35.展望台から
展望台からの眺め。夕日がきれいなところのようだが、まだ2時過ぎであり、雲が空を覆ってきた。また改めて見に来よう。ちなみに、夕日と夕陽はどのように使い分けるのか疑問を持った。調べてみると、夕日と夕陽に意味の違いはないが、ただ、「夕日」が常用漢字表に載っている読み方なのに対して、「夕陽」は常用漢字表には載っていない読み方なのだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
035_201014140 X800 荒崎海岸 RX10M4.jpg
36.夕日は?
荒崎公園には夕日の丘、潮風の丘など、展望台となっているいくつかの丘がある。今回は夕日を見るのはあきらめたが、それでも気になる。天気が良ければ、富士山のシルエットが見られるという。さて、帰る前に海産物の即売場がある「長井水産」へ寄るのを楽しみにしてきた。ところが、残念、この日は休みで閉まっていた。また、荒崎へ来る理由が残る。帰路は三浦縦貫自動車道から衣笠インターで横浜横須賀道路に乗り、1時間弱だった。この日は12,307歩歩いた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
036_201014141 X800 荒崎海岸 RX10M4.jpg


2020年9月19日

南房総館山へ一泊旅行敢行(1) 海ほたる→富津岬→鋸山→館山 9月9日

先月、毎年ご一緒に旅行をしているKご夫妻からお誘いをいただき、南房総の館山へ一泊旅行をすることになった。今回はそれぞれの車で行くことにした。もちろん三密を避け、手指のアルコール消毒、マスクの着用は励行する。
 第1日目は「海ほたる」で10時に待ち合わせた。良く晴れているが、湿度が高く暑い。ここから、一応、Kさんの車をフォローしていくことにするが、間に車が入ったり、信号が変わって無理に交差点に進入してしまうことを避け、お互いカーナビに次の目的地=合流点を入れて出発する。次の目的地は富津岬だ。
 富津岬から、館山自動車道を鋸南保田ICでおり、廃校を利用した道の駅「保田小学校」で昼食にした。夕食は海鮮料理なので、「Pizzeria DA Pa GONZO」でピッツァを食べたが、なかなか美味かった。
 保田から少し戻って、鋸山のロープウェイ乗り場へ行く。Kご夫妻は鋸山は行かれたことがあるとのことだったが、私たちのために、案内いただくことになり、感謝である。女性2人をケーブルカーの鋸山山頂駅に残し、男性2人で山頂展望台 「地獄のぞき」と「百尺観音」まで登ったが、暑さの中、その石段はきつかった。そのまま、歩いて日本寺(にほんじ)の大仏へも行けるのだが、時間もかかるので、計画から外し、再びケーブルカーで下りて、車で館山観光自動車道を大仏の下の駐車場に車を入れた。大仏は建立されたものではなく、彫られたものだったが、鎌倉、奈良の大仏を凌ぐという大きさだった。
 4時半過ぎに宿に到着した。思いがけず 「Go To トラベル」の対象になったのはラッキーだった。ひと風呂浴びて汗を流し、伊勢エビのお造りなど、海の幸を満喫した。

1.「海ほたる」川崎側
Kさんご夫妻とは、午前10時に「海ほたる」の「犬」のオブジェがあるところで待ち合わせた。ところが「亀」はいたが「犬」は見つからなかった。(後でネットで調べて見たら、地球儀のオブジェのある甲板に数匹の犬のようなオブジェがあったようだ) 川崎側に「川崎人工島  風の塔」が見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし  
001_200809005 X800 海ほたる G7X.jpg
2.「海ほたる」木更津側
木更津側からは「海ほたる」がアクアライントンネルへの入り口になっている。ここから木更津までは海の上を走る。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
002_200909089 X800 海ほたる RX10M4.jpg
3.モーターボート
一艘のモータボートがどんどん近づいてきた。よく見ると舳先に釣り竿らしきものが2本見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 203mm ISO100 ) 露出補正 なし
003_200909099 X800 海ほたる RX10M4.jpg
4.富津岬展望台
カーナビの誘導でアクアラインを出て、湾岸道路/国道16号を富津公園へ行く。東京湾に向かって約5km突き出た砂嘴が富津岬だ。その砂嘴は富津公園 になっていて、その先端に写真の富津岬展望台(明治百年記念展望塔)がある。てっぺんまで登ったが、東京湾の見晴らしは素晴らしかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 14mm ISO100 ) 露出補正 なし
004_200909134 X800 富津岬 RX10M4.jpg
5.ウインドサーフィン
展望台の途中から君津の方向を眺めると、ウインドサーフィンを楽しむ人がいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 67mm ISO100 ) 露出補正 なし
005_200909102 X800 富津岬 RX10M4.jpg
6.釣り人
大きな駐車場の先の堤防で釣りを楽しむ人もいた。向こうに見えるのは富津火力発電所で、液化天然ガス(LNG)を輸送するLNGタンカーが停泊している。大型の低温断熱タンクを船体内に複数備えており、内部には極低温のLNGが充填されるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 147mm ISO100 ) 露出補正 なし
006_200909132 X800 富津岬 RX10M4.jpg
7.富津干潟とレインボーブリッジ
潮が引き始めているようで、横浜方面を背景にした富津干潟に砂地がが見える。大潮の干潮の時は、美しい遠浅の楽園に変わるそうだ。この富津岬北側の富津干潟は日本の重要湿地500の指定地に含まれるそうだ。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 106mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_200909105ms X800 富津岬 RX10M4.jpg
8.富津岬展望台から見る富津岬
富津岬展望台の上から、今通ってきた富津岬を見る。 富津岬は約6km離れた東京湾対岸の三浦半島観音崎とともに東京湾内湾と浦賀水道を区切る境界となっている。岬の北側(写真左側)では内湾の静かな波打ち際に174haの富津干潟と称される干潟を形成し、南側では外洋の荒波に対する防波堤の役割を果たしている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_200909108 X800 富津岬 RX10M4.jpg
9.富津岬の南側
富津干潟側の穏やか波と比べると、海岸に打ち寄せる波は白波が立っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 132mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_200909119 X800 富津岬 RX10M4.jpg
10.第一海堡
富津岬から、空気が澄んでいれば富士山が見えるという横浜の方向を眺めると、第一海堡跡が見える。wikipediaなどによれば、1882年(明治15年)以後、富津洲は大日本帝国海軍の軍用地となり、沖合に第一海堡と呼ばれる人工島(1881年8月起工、1890年12月完成)が築かれた。富津市に属する。富津岬の沖合いすぐに位置し、面積は約23,000㎡。東京湾要塞の海堡として最初に運用が開始された。第二次世界大戦後に日本を占領下に置いた連合国軍により、要塞無力化のために現在は中央部が破壊されている。 1889年8月起工、1914年6月完成した 第二海堡は第一海堡の左側に、富士山を挟んで沖合に見えるはずだが、捉えられなかった。第二海堡は戦後は海上保安庁によって灯台が設置され、さらに1977年からは海上災害防止センターの消防演習場として利用されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 110mm ISO100 ) 露出補正 なし
010_200909106 X800 富津岬 RX10M4.jpg
11.横浜みなとみらい
距離にして20km弱はあるだろうか、横浜のみなとみらいが見える。本牧ふ頭あたりだろうか、飛鳥Ⅱ(日本郵船 総トン数‎: ‎50,444t)が停泊しているのが見える。その左側奥の半円形の建物はホテルパシフィコだ。ランドマークタワー、ベイブリッジは画面の右側に外れてしまったようだ。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
011_200909117 X800 富津岬 みなとみらい遠望 RX10M4.jpg
12.道の駅「保田小学校」
富津中央ICから館山自動車道に上がり、終点から富津館山道路に入って、鋸南保田ICで下りる。そこからほど遠くないところに道の駅「保田小学校」があった。創立126年の歴史があり、2014年に廃校になった小学校が2015年に道の駅として生まれ変わった。昼食はここでと予定していた。房州石の石窯で焼くピッツァ専門店「Pizzeria DA Pa GONZO」で昼食にした。宿泊施設もある。 赤いフヨウの花がきれいに咲いていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 10mm ISO125 ) 露出補正 なし
012_200809030 X800 保田小学校 G7X.jpg
13.ピッツァの MENU
「Pizzeria DA Pa GONZO」の月替わりピッツアのメニュが面白い。 

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 32mm ISO3200 ) 露出補正 なし
013_200809019 X800 保田小学校 G7X.jpg
14.鋸山ロープウェイ
私たちは行ったことがないので是非行って見たいと、コースに加えていただいた鋸山のロープウェイ山麓駅の駐車場に着いたのは、1時半だった。乗車定員40人のカゴに15人ほどの観光客が乗り込んだ。全長680m、高低差223m、所要3分20秒である。1962年12月に竣工している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
014_200909137 X800 鋸山 RX10M4.jpg
15.鋸山ロープウェイ山頂駅からの展望
鋸山ロープウェイ山頂駅に設けられた展望台から金谷の街を見下ろす。金谷港からは横須賀港へ東京湾フェリーが運航されている。東京湾フェリーは、東京湾の入口にあたる浦賀水道を横断し、三浦半島と房総半島を約40分で結んでいる。鋸山の正式な名称は乾坤山(けんこんざん)という。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 11mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_200909140 X800 鋸山 RX10M4.jpg
16. 地獄のぞき
ケーブルカーの山頂駅から鋸山(標高329.4m)の頂上付近にある展望台「地獄のぞき」まで往復すると40分くらいかかる。女性2人はロープウェイの頂上駅で待っているというので、Kさんと2人で、「地獄のぞき」と「百尺観音」まで行って戻ってくることにしたが、石段と大きな石がゴロゴロした坂道が続き、楽ではなかった。汗びっしょりである。鋸山全体が日本寺 の境内になっている。「地獄のぞきき」の突き出た岩はライオンの横顔のように見えた。「地獄のぞき」は、山頂展望台の通称だ。石切場跡の絶壁の上に下方前傾に突き出した岩盤上から約100メートル下を望むことができる。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
016_200909145 X800 鋸山 RX10M4.jpg
17.百尺観音
「百尺観音」は、鋸山山頂の一角、金谷下山口(北口管理所)にあった。昭和41年に6年の歳月を費やして完成した巨大な磨崖仏で、高さ100尺(約30m)というのが、その名の由来である。凝灰岩からなる鋸山の大半が、その霊域となっている日本寺であるが、一歩山に踏み入れば、各所に石仏が点在する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 なし
017_200909153 X800 鋸山 RX10M4.jpg
18.石切場跡
「地獄覗き」と「百尺観音」 を見て、ロープウェイの頂上駅に戻り、待っていた女性2人と合流して山を下りた。ロープウェイが動き出すと車窓右側に石切場跡が見えた。 鋸山は凝灰岩から成り、建築などの資材として適している。そのため古くは房州石と呼ばれ、良質石材の産地として、江戸時代から盛んに採石が行われた。結果、露出した山肌の岩が鋸の歯状に見えることからこの名で呼ばれるようになったそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
018_200909157 X800 鋸山 RX10M4.jpg
19.鋸山ロープウェイ
駐車場までもどる。ロープウェイのカゴを下から見上げると、40人も乗れるのかと思うほど小さく感じた。15分間隔で運行されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 34mm ISO100 ) 露出補正 なし
019_200909160 X800 鋸山 RX10M4.jpg
20.日本寺大仏
ロープウェイの駐車場からいったん国道127号線に出て日本寺の大仏広場へ上る。日本寺の正式な名称は乾坤山(けんこんざん)日本寺という。乾坤は天地の意。日本寺の山号となっている。天明3年(1783年)に大野甚五郎英令が27人の門徒と岩山を3年かけて彫刻したものが原型だそうだが、江戸時代末期になって、自然の風食による著しい崩壊があり、荒廃にまかされていたが、その後昭和41年に4年をかけて修復された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
020_200909164 X800 日本寺 大仏 RX10M4.jpg
21.日本寺大仏 正面
この大仏様は、御丈で言えば、奈良東大寺の大仏様の14.85m、鎌倉の大仏様の11.31mに比べ、21,3mと日本で最も大きいが、岩に彫られた大仏様だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
021_200909163 X800 日本寺 大仏 RX10M4.jpg
22.大仏様のお顔
この大仏様は正式には薬師瑠璃光如来という。宇宙全体が蓮華蔵世界樽浄土であることを表したもので、世界平和、万世太平の象徴として復元建立されたという。 日本寺は曹洞宗の参禅道場である。前後するが、案内書には「 日本寺は今から約1300年前、聖武天皇の勅詔と、光明皇后のお言葉を受けた行基菩薩によって神亀2年(725年)6月8日に開山された。開山当初法相宗に属し、天台宗、真言宗を経て徳川三代将軍家光公の治世の時に曹洞禅宗となり、今日に至っている」と記されている。薬師瑠璃光如来が日本寺の本尊である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 125mm ISO100 ) 露出補正 なし
022_200909168 X800 日本寺 大仏 RX10M4.jpg
23.薬師本殿 医王殿立
立てられいた説明板には、当寺本尊薬師瑠璃光如来を祀ると記されていた。大仏も薬師瑠璃光如来だ。「この堂宇は昭和14年の不慮の火災により焼失したが、60余年の時を経て、鵤工舎 小川三夫棟梁の手により、平成19年10月に再建された。様式は鎌倉時代の禅宗様式、焼失前の仏殿は源頼朝による医王殿扁額が掲げられていた。」と説明されている。日本寺に本殿はない。現在の仮本堂と周辺施設を取り壊し、新たに本堂を建設予定だそうで、平成21年より本堂および周辺施設の建築に向けた工事が始まるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
023_200909171 X800 日本寺 RX10M4.jpg
24.薬師本殿 医王殿 の内部とご本尊
失礼して、薬師本殿 医王殿 の内部を撮らせていただいた。ご本尊は大仏様と同じ御姿をされているように見える。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/60秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
024_200909181 X800 日本寺 薬師本殿 医王殿 RX10M4.jpg
25.漱石・子規 鋸山探勝碑
明治中期、若き夏目漱石と正岡子規が相前後して訪ねた鋸南町の鋸山に、地元有志らの熱意で、「漱石・子規鋸山探勝碑」が建てられたそうだ。漱石や子規の碑は各地にあるが、ひとつの碑で2人を顕彰するものは全国でもここだけという。漱石と子規はともに1867年生まれだそうだ。日本寺の表参道は保田駅の近くから登るので、私たちは仁王門を通っていなかった。午後4時半過ぎ、東口管理所から駐車場に出て、国道127号線を今夜の宿である休暇村館山へ向かった。玄関前の塀に植えられたハイビスカスの花にモンキアゲハが来ていたが、撮影できなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 500秒 13mm ISO640 ) 露出補正 なし
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2020年1月 1日

2020年 新年のご挨拶

謹んで新春をお慶び申し上げます

昨年もStudio YAMAKO をたびたびお訪ねくださり、ありがとうございました。n-shuhei さんのサイトに居候をさせていただき、n-shuhei さんのお力をお借りしているのですが、いつまでも、何から何までお手を煩わせるわけにもいかず、ご指導を仰ぎながら自分でアップをするようになりました。自分でやってみて、今までかけていたご苦労を改めて実感した次第です。写真を撮ってきて、コメントを付けてアップしていくのですが、チョウの写真はともかくとして、旅行の写真は、そのコメントを書くのにいろいろと調べなくてはなりません。昔なら図書館にでも行って調べられるかどうかというところですが、今はインタネットがあります。IT革命を実感しています。撮ってきた旅行の写真を見ながら、これは何処、なぜといった疑問をインタネットで検索していくのですが、これも楽しい作業です。2度旅行をし、改めて知識を得ています。今後も週1~2回の更新を目標にしていきたいともいますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 昨年のチョウの写真撮影は、4月にギフチョウを狙って新潟県の妙高高原へ、5月には家族旅行で台湾台北へ、7月には北海道は「なつぞら」ブームの十勝地方へ行きました、8月は高原のチョウを撮りに上高地へ日帰りのバス旅をしました。また、一昨年は7月に行った湯の丸高原へ、昨年は季節を変えて8月にベニヒカゲを撮りに行ってきました。9月には軽井沢のゴルフの帰りに、信濃追分の花咲山にある「蝶の里」というところへアサギマダラを目的に寄ってみました。フジバカマに集うアサギマダラには時期尚早だったのですが、シータテハ、ミヤマカラスアゲハなどが撮影できました。
 ここのところ毎年のように、日帰り、あるいは泊りがけで出かけている長野県東御市の湯の丸高原で撮ったチョウを選んでみました。ここはミヤマシロチョウ、ミヤマモンキチョウ、そしてベニヒカゲという3種の高山蝶が生息するところです。

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湯の丸高原で撮ったチョウたち

左上から右へ順次
  • コキマダラセセリ♀ 2016年7月24日 池の平湿原
  • メスアカミドリシジミ♂ 2018年7月21日 鹿沢園地
  • スジボソヤマキチョウ♂ 2018年7月20日 池の平湿原
  • エルタテハ♂ 2018年7月21日 湯の丸牧場
  • ベニヒカゲ♀ 2019年8月27日 池の平湿原
  • ミヤマシロチョウ♂ 2018年7月21日 湯の丸牧場
  • ミヤマモンキチョウ♂ 2016年7月24日 池の平湿原
  • クジャクチョウ♂ 2019年8月27日 池の平湿原
  • キバネセセリ♀ 2018年7月21日 鹿沢園地
  • ミヤマモンキチョウ♀ 2018年7月20日 池の平湿原
  • ベニヒカゲ♀ 2019年8月27日 池の平湿原
  • ミヤマシロチョウ♀ 2015年7月21日 烏帽子岳登山道
  • アサギマダラ♂ 2019年8月27日 湯の丸林道
  • ミドリヒョウモン♂ 2018年7月21日 湯の丸牧場
  • ゴイシシジミ♂ 2016年7月24日 池の平湿原
  • フタスジチョウ♀ 2018年7月21日 湯の丸地蔵峠

昨年は新しい御代となり4月1日に新元号「令和」の元年を迎えました。約200年ぶりになる歴史的な皇位継承で平成天皇は上皇になられ、美智子さまは上皇后になられました。新元号「令和」は万葉集の梅の花の歌から引用され「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味だそうです。一人ひとりの日本人が明日の希望とともに、それぞれの花を大きく抱かせることが出来る、そうした日本でありたいという願いと、若い世代が活躍できる時代が来て欲しいとの願いが込められています。
 10月22日、海外191ヵ国、423人、国内1,576人の参列者が集い「即位の礼」が行われましたが、式の直前まで降っていた雨が急に止み、青空が見え、虹が現れました。まるで用意された演出のようでした。

 一昨年も災害の多い年でしたが、昨年のもまた、日本列島は自然の猛威に襲われました。9月9日未明に千葉県に上陸した台風15号では、関東地方を中心に記録的な暴風が吹き荒れ、午前4時28分に千葉市で最大瞬間風速57.5mが観測されました。私が住む横浜市でも午前3時12分に41.8mが記録されています。強風でゴルフ練習場の鉄塔が倒れ、住宅の屋根が壊されるなど風による直接の被害が多く出たほか、東京電力管内で一時93万戸が停電し、電気、水道といった生活のためのインフラの被害で、2週間と言われた完全復旧まで住民の方々が不自由な生活を強いられたことは、お舞いの言葉もありません。私の存じ上げている方のなかにも、屋根が壊されたり、電気が止まってしまったといった被害を受けられた方がおられました。 さらに10月12日から13日にかけて、今度は台風19号が強風とともに大雨をもたらしました。だんだん明らかになっていく被害状況では、堤防の決壊は10月25日現在で千曲川や利根川水系の河川など71河川で135か所に達し、洪水により亡くなられた方は86人に及びました。謹んでお悔やみ申し上げます。
 長野県の千曲川流域にある長野新幹線車両センターも浸水し、10編成120車両が水に浸かり、11月6日には全車両廃止の決定が下されました。150億円近い損害だそうです。 また、紅葉シーズンを控えた箱根では雨量1,000mmが記録され、箱根登山鉄道は全線長期間運休となり、復旧は今年(2020年)秋の運行再開を目指すということになってしまいました。
 台風以外でも昨年の気象は異常であり、6月末から7月初めにかけては、梅雨前線に南から暖かい空気が入り込み線状降水帯ができ、熊本、鹿児島、宮崎では記録的な雨量となりました。7月に入っても、都心は異例に連続して雨が降る梅雨となり、日照時間3時間未満という日が19日間も続きました。7月はチョウの写真を撮りに出かけるトップ・シーズンなのですが、なかなか予定が立てられませんでした。

 世界の気象も異常でした。ヨーロッパ各地は猛暑に見舞われました。ドイツやポーランド、チェコでは最高気温が38度を超えるなど、6月の観測史上最高を記録したそうです。 フランスやスイスの一部地域でも、観測史上で最も高い気温に達したと伝えられました。フランスは40℃を越え、高地のアルプスでさえ、30度を記録したということでした。世界気象機関(WMO)は9月に温室効果ガスの影響で、世界の平均気温は過去5年間で観測史上最も暑くなるなど、地球温暖化の兆候やその影響が加速していると発表しています。
 南米アマゾンで発生した山火事は深刻な状況になっています。熱帯雨林であるアマゾンでは、火災は通常は早い段階で鎮静化するのだそうですが、いま原因の大半は森林を手っ取り早く伐採するため人間が火を付けたことだとみられ、加えて乾期のため火の勢いが増してます。アマゾンの熱帯雨林は豊かな多様性を維持しています。地球上の10分の1の生物が生息するアマゾンでの大規模な森林火災は、動植物の絶滅危機を招くことに違いありません。

 一方、9月に発生したオーストラリアの山火事は今も猛威を振るってます。最も被害が大きいのはオーストラリア最大の都市シドニーがあるニューサウスウェールズ州です。165万ヘクタール(1万6500平方キロ)が焼失し、住宅600戸以上が破壊されました。10月末現在でコアラが350匹焼死したと伝えらています。シドニーで12月10日、郊外の山火事による大気汚染が悪化してます、オペラハウスやハーバーブリッジなど、観光名所も濃い煙に覆われたと報道されました。火災報知器の誤作動が相次ぎ、シドニー湾のフェリーは欠航となったそうです。

 さて、世界情勢は、トランプ大統領と金正恩大統領との対話は2月にベトナムの首都ハノイで会談したあと、6月にトランプ大統領が突然板門店を訪れたりしましたが、その後、一向に進まず、また、慰安婦問題をきっかけに、徴用工問題に関する韓国大法院の判決に端を発した日韓両国の不仲も一向に解決の兆しがありません。韓国という国はなかなか話がしにくい相手のようです。米中貿易摩擦もあり、アメリカを交えた日本、中国、韓国を取り巻く環境は不穏な一年でした。

 逃亡犯条例改正案に反対するデモが発端となった香港は、10月時点では「五大要求」の達成を要求する反政府デモとなっています。香港返還後初めての戒厳令に近い権限を行政長官に与える超法規的措置が発動されました。

 フランスでは4月15日~16日にノートルダム大聖堂の火災があり、修復作業中だった尖塔が焼けて崩落し、木材で骨格が作られていた屋根の3分の2が焼失しましたが、日本でも沖縄の首里城公園で10月31日未明に火災が発生し、世界遺産に指定されている首里城の正殿に加え、北殿、南殿など複数の建物が全焼してしまいました。原因は電気系統とのことですが、とても残念なことでした。

 年の瀬になった2019年12月4日、アフガニスタンにわたり20年以上も医療、用水路の建設に貢献されてきた、福岡市のNGO(非政府組織)「ペシャワール会」の現地代表中村哲先生が、アフガニスタンのジャラーラーバードにおいて、車で移動中に何者かに銃撃を受け、亡くなられたとの悲報が伝えられました。中村先生は1984年にパキスタン北西辺境州の州都ペシャワールに赴任、30年以上にわたり、現地で医療と用水路の建設に尽力されました。水があれば多くの病気と帰還難民問題を解決できるとして、専門外でありながら、自分で重機を動かし、福岡県の山田堰をモデルにして建設されていました。そして、ガンベリー砂漠まで総延長25kmを超える用水路が2010年に完成しました。約10万人の農民が暮らしていける基盤を作られたそうです。2018年、アフガニスタンの国家勲章を受章され、2019年10月7日にはアフガニスタンでの長年の活動が認められ、同国の名誉市民権を授与されたばかりでした。ご遺体は12月9日午前、ご家族とともに福岡に到着されました。

 日本人として嬉しいこととして、2018年の本庶侑氏のノーベル医学・生理学賞に続き、昨年も12月に 京都大学で石油化学を専攻され、旭化成に入社されていた吉野彰さんがノーベル化学賞を受賞されたことがあります。リチウムイオン電池の負極に炭素材料を使う方式を開発し、幅広く普及させるための基本技術を確立したことが評価されました。

 スポーツの世界に目をやると、昨年も日本選手の活躍が目立った1年であったと思います。
 1月に行われた全豪オープンテニスで、大坂なおみ選手は2018年8月の全米オープンに続きグランドスラム2連勝、世界ランク1位に上がりました。3月には小林陵侑選手がノルディックスキー・ジャンプのW杯個人総合優勝を決めました。同じく3月21日に東京で行われた米大リーグ開幕公式戦のマリナーズとアスレティックス第2戦でイチロー選手が引退を決めたことも大きな話題です。ゴルフでは、石川遼選手が日本プロで優勝、また、12月の日本シリーズJTカップでもプレーオフを制し優勝し、史上最年少で生涯獲得賞金10億円を超えました。また、タイガー・ウッヅの14年ぶりのマスターズ優勝をテレビで見て感動しました。女子は渋野日向子選手です。昨年それまで2勝して出場権を得た全英女子オープンで、大会前の目標は予選通過だったそうですが、見事優勝をしました。惜しくもLPGA賞金女王には届きませんでしたが、明るい笑顔はチャーミングです。
 卓球もTVで、さらに多くの試合が放映されるようになり、男子では張本選手、女子では、伊藤、石川、平野各選手らの活躍が楽しませてくれています。昨年12月は東京オリンピッの代表を掛けて、石川選手と平野選手の熾烈な競い合いがありました。シングルスの東京五輪の出場権は石川佳純選手が獲得しましたが、平野選手の素晴らしい高速ラリーには絶賛を送りたいと思います。それにしても、世界各国で行われるワールドカップなどの試合数の多さには驚いた次第です。
 日本で開催されたラグビー・ワールドカップ、日本の桜軍団がOne Teamとなってイングランドに勝ってベスト8に進出し、日本中が沸きました。。予選敗退したカナダチームが釜石で台風19号の被災地復旧のボランティアをしてくれたというのも良い話だったと感動しました。

 大きな災害や、出来事など記憶に残ったことを調べながら、整理せずに書き綴ってきましたが、私自身の備忘録としてお許しいただきたいと思います。
昨年はお陰様で風邪ひとつひかず元気に過ごすことが出来ました。キョウヨウ(今日は用がある)とキョウイク(今日は行くところがある)はシニアが心がける生活態度だと教えられました。人様のお役に立つようなことが出来ないでいることを恥じていますが、少なくとも人様に迷惑を掛けないように過ごしたいと思っています。

 最後になりましたが、皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2018年5月 2日

2泊3日で山陰山陽を周遊(7・終) 安芸の宮島 厳島神社 3月31日

津和野から、再びバスに乗り、最後の目的地である宮島へ向かう。津和野から国道187号線を走り、六日町で中国自動車道に上がる。島根県からいったん山口県岩国市に入り、中国自動車道の最高地点721mを通過して広島県に入った。広島北から広島自動車道を走って山陽道に入り、宮島で下りた。昼食はこの日もバスの中で弁当だった。
 宮島口の大きな駐車場から歩いてフェリーの乗り場へ行く。この日は行楽シーズンの土曜日で、さすが人が多い。フェリーは予約されていて、待たずに乗船できた。宮島桟橋で待っていてくれた清盛通りと呼ばれる表参道商店街にある「だいこん屋」という土産物屋さんの女性が厳島神社参拝のガイドをしてくれた。とても丁寧に説明してくれたが、人が多く、聴き取りにくかった。
 この日は大潮だった。後で調べたところこの日の干潮のピークは、15時52分で、潮位は30cm(平均海水面=海抜)とあった。満潮は午前10時ごろで、潮位は350cmになる。
 私たちが厳島神社を見学していたのは午後2時から3時くらいの間で、十分、鳥居まで歩いて行けるほど潮が引いていた。 潮位100cm以下で鳥居まで歩いて行けるといわれ、 250cm以上で嚴島神社が海に浮かんで見えるという。
  厳島神社は推古天皇元年(593)、佐伯鞍職(さえきくらもと)により創建されたと伝えられている。説は、色々あるそうだがが、「いつき島にまつれる神」という意味から、「伊都伎島(いつきしま)神」、「厳嶋神社」等呼称され、現在は、「嚴島神社」となっているという。原始宗教のなごりで、島全体が神の島として崇められていたので、陸地では畏れ多いと潮の満ち引きするところに社が建てられたのだそうだ。 平清盛が久安2年(1146)安芸守に任官され、平家の守護神として尊崇し、平家一門の権力が増大するにつれてこの社を尊崇する度合いも増し、社殿を現在の姿に造営したと伝えられる。

厳島神社の参拝順路は決められている。(厳島神社ホームページより)

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 まず海から見て左側から、海の上に築かれた廻廊に上がる。客神社本殿から東廻廊、本社拝殿から幣殿、その奥の本社本殿にお参りして、西廻廊を通って、反橋の前を通り、能舞台を見て、海側から見て右側の出口から出るようになっている。撮った写真の説明は、宮島観光協会のホームページを参照させていただいた。出口から少し大鳥居のほうへ歩いていくと階段があって、海に下りることができた。もちろん大鳥居まで歩いてみた。 厳島神社の参拝と見学を終え、案内してくれた女性の土産物屋さんに集合して、宮島桟橋へ戻った。
  午後3時半ごろ、フェリーで宮島口へ。宮島口から再びバスに乗り、岡山に向かう。190kmのドライブになった。そして、19時33分発の新幹線に乗車し、今回の駆け足のツアーを無事、終えることになった。
 往きに岡山駅で下電観光バスに乗ったときに、声は大原麗子さんから、「今回このバスは1,000km走ります。ゆっくり見たい、時間が足りないと思われるでしょうが、できません。今回は下見だと思ってください。」と釘をさされていた。確かにバスの乗っている時間のほうが長かったようにも思うが、「もう一回来てみたい」と思うところを観ることができた楽しい旅行だった。そして、3日間の快晴と、満開の桜のもてなしは、何にも代えられなかった。

114.フェリー
宮島口から宮島桟橋までのフェリーは、JR西日本フェリーと宮島松大汽船の2社が頻繁に運航していて、運賃は片道 大人ひとり180円、SUICA、PASMOも利用できる。所用時間は約15分だった。私たちが乗船したのは松大汽船だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/640秒 36mm ISO100 )露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
115.フェリーの客室から
フェリー客室のガラス越しに、宮島を眺める。午後1時半、潮は引いていて、大鳥居近くまで歩く人の姿が見られた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
116.石造りの鳥居
フェリーの桟橋からしばらく右側に海を見ながら歩くと、左側から表参道商店街(清盛通り)が合流するところに、石造りの鳥居があった。海に立つ朱色の大鳥居に遠慮してか、質素な鳥居だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
117.表参道商店街
海寄りから1本中に入った通りが清盛通りと呼ばれる表参道商店街だった。ここで私たちが歩いてきた海寄りの道と合流する。案内してくれている女性の土産物屋さんもこの商店街にあり、参拝が終わるとそこに集合だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 17mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
118.干潮 大鳥居
この写真を撮った時刻は午後2時ちょっとすぎ。厳島神社の参拝入口を目指して海沿いを歩いていると、右側に大鳥居が見えてきた。大鳥居まで潮の引いた海を歩いている人たちが見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
119.干潮 厳島神社
参拝入口のほうへ曲がると、厳島神社のお社まで水が引いていた。厳島神社の境内は、宮島の「御笠浜(みかさはま)」の中心に位置し、浜の入江に沿うようにして建てられている。そのため昇殿するためのメインとなる出入口は、浜の東西に位置する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
120.大鳥居の扁額
大鳥居の扁額に何と書かれているか見たかったので、望遠で引いてみた。 「伊都岐島神社」と書かれていた。反対側(海側)には「厳島神社」と書かれているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 181mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
121.参拝入口
参拝入口からすぐのところに国宝・客神社(まろうどじんじゃ)がある。 厳島神社本社と同様に、本殿・幣殿・拝殿・祓殿からなり、厳島神社の祭典は、この客神社から始まりまる。天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・活津彦根命(いきつひこねのみこと)・天穂日命(あめのほひのみこと)・天津彦根命(あまつひこねのみこと)・熊野櫞樟日命(くまのくすびのみこと)の5男神が祀られている。摂社の中でも一番大きく、厳島神社の祭事のおりには、一番先に神職がお参りするという。 右側には、右門客神社、平舞台が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
122.祓殿 拝殿
同じ位置から広角で撮ると、平舞台の後ろ側にある祓殿が見える。その奥に厳島神社の拝殿、幣殿、本社本殿と続く。これから、左側の東廻廊を渡って拝殿の脇から、祓殿へと進む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/640秒 10mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
123.参拝廻廊入口
ここから廻廊に入る。左側は客神社本殿、右側にその祓殿があり、廻廊の入口には、世界文化遺産 国宝厳島神社と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
124.拝殿
参拝廻廊に上がったところから右側に厳島神社本社の拝殿が見えた。これから回って拝殿に行く。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
125.鏡の池
まっすぐ進むと左側に鏡の池があった。清水が湧き出ていて、潮が引くと手鏡のように見えることから鏡の池と呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/800秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
126.枡形
廻廊は本社拝殿のほうに右に曲がる。その右に曲がったところから、客神社祓殿と右楽房の間から大鳥居を望む。客神社祓殿と廻廊で囲まれたところを、枡形という。毎年旧暦6月17日に行われる「管絃祭」で御座船や阿賀・江波の曳船がここで船を3回廻すそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
127.五重塔
右へ曲がったところから、今通ってきた参拝入口からの廻廊を眺める。廻廊の向こうに豊臣秀吉と加藤清正を祀る豊国神社の五重塔が見える。五重塔は高さ27.6mある。応永14年(1407)建立で桧皮葺で和様・唐様を融合した見事な建造といわれる。内部は彩色がしてあり豪華絢爛で、内陣の天井には龍が、外陣の天井には葡萄唐草の模様が描かれているそうだ。国の重要文化財に指定されている。ツアーの私たちは、とても見学できる時間はない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 10mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
128.大鳥居 東回廊から
本社拝殿に向かう廻廊の途中から、大鳥居を撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 37mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
129.厳島神社祓殿
祓殿の前まで来て、平舞台の脇を海側に下がって、祓殿を撮る。 祓殿はお祓いをするところで、管絃祭の時に鳳輦(ほうれん・屋根の上に金色の鳳凰の飾りをつけた輿 )、御輿が置かれる場所であり、また雨天時の舞楽奉奏などに使われるそうだ。wikipediaによれば、祓殿は拝殿の手前に棟を直交させて建つ入母屋造、妻入の建物で、桁行6間、梁間3間である。全面吹き放し(柱間に壁や建具を入れない)の開放的な建物である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
130.大鳥居 平舞台から
潮は引いているが、こちら側に向かって、道のように水たまりができている。今日は海に浮かんでいる大鳥居は見られないが、どんな感じなのだろうか。祓殿の前の高舞台に対し平らなところを平舞台という。寝殿造りでいえば庭にあたるところで、束石は赤間石で毛利元就の寄進といわれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
131.拝殿内部
拝殿は、参拝者がご祭神と向き合い、お祓い・参拝をするところ。拝殿の下から見上げると棟が2つ見え、その上を一つの棟で覆っている。これを三棟造りといい、奈良時代の建築様式だそうだ。大鳥居からの距離は、百八間(約196m)ある。 厳島神社の祭神は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと) の3柱で、「宗像三女神」と総称される。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
132.武者の絵
拝殿の脇に板に描かれた武者の絵が奉納されていた。絵の由緒が気になった。厳島神社は平家の信仰があるが、平家武者の絵なのだろうか。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/80秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
133.能舞台と能楽屋
拝殿から本殿への参拝を終え、西廻廊へ進む。右手に今まで見てきた朱色と趣を異にする墨色の能舞台(左)と能楽屋が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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134.能舞台
永禄11年(1568年)毛利氏は、観世太夫を招き、仮の能舞台を海中に設けさせ、能を奉納した。現在の建物は、延宝8年(1680年)広島藩主浅野綱長により改修されたもので、廻廊の反対側に見える天神社(創建年1556年・弘治2年/室町時代、再建年 1945年・昭和20年)と同じく、建造時期が下がるので、丹塗りはされていない。特徴は、日本で唯一海中に建てられていることと、切り妻造りであり、笛柱が独立していることである。 毎年4月16日から3日間桃花祭神能が行われ、初日と2日目には、初めに翁が舞われ、3日間とも五番立で、間に狂言が入り、江戸時代からの本式な演能を観ることができるそうだ。平成3年の台風19号で倒壊したが、古材をできるだけ使用し、平成6年に再建された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO100 ) 露出補正 なし
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135.反橋 -1
西廻廊を右に曲がって歩くと左手に反橋が見えた。 反橋は長さ約24m、幅4m、高欄は丹塗り・橋脚は墨塗り。鎌倉期に既にあったが、現在のものは弘治3年(1557)毛利元就・隆元父子により再建されたものという。別名、勅使橋ともいい天皇からの使者(勅使)だけがこの橋を渡ることができたそうだ。中央に階段を設けて渡ったものと思われる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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136.反橋 -2
傍に行ってみると登り始めの傾斜は大きい。むかし、子供たちが廻廊を走ってきて、勢いをつけて、橋を駆け上がっていたと案内をしてくれた女性が話してくれた。重要文化財になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
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137.大願寺多宝塔
廻廊の出口が近くなったころ、厳島神社から南のほうにある大願寺の多宝塔が見えた。 多宝塔は、僧周歓が大永3年(1523)に建立したといわれ、薬師如来像をお祀りしていたが、明治維新の神仏分離令で大願寺に移され、建物は、現在厳島神社に帰属しているそうだ。特徴は、外部は純和様で、貫の鼻が拳鼻になっているなど大仏様や台輪など禅宗様も細部に見られる。屋根は方形だが、下層の屋根には饅頭型の亀腹があるため、上層の柱は円形に配列されている。大願寺にも寄ることはできなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 53mm ISO100 ) 露出補正 なし
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138.大願寺境内
厳島神社参拝順路を出ると大願寺の境内が見えた。亀居山放光院大願寺は、真言宗で、開基は不明、鎌倉時代の建仁年間(1201~1203年)に僧了海(りょうかい)により再興されたと伝えられている。現在の本堂は昔の僧坊で、 天正15年(1587年)、豊臣秀吉が戦歿将兵の慰霊のために大経堂として建立した千畳閣(豊国神社本殿)が本堂になる予定だった。昔、参拝者は、大鳥居をくぐり、大願寺近くの砂浜に上陸した後、大願寺の裏にあった大風呂で身を清め、僧坊で休憩、着替えをして厳島神社に参拝したという。厳島神社の出口が唐破風造りで、昔は入口であったことがうかがえる。また境内の池の中には、弁財天の使いとされる厳島龍神が祀られている。 本堂には、国の重要文化財である仏像が4体あり、その中の薬師如来坐像は、弘法大師の作と伝えられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
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139.大願寺の九本松
案内してくれた女性が、 大願寺境内にある、根もとあたりから9本に分かれて伸びている松のことを説明してくれた。明治時代、伊藤博文が頻繁に厳島を訪ねた際に植えた松だと伝えられているそうで、大願寺の九本松と呼ばれているクロマツだそうだ。樹高は30m、太さ・目通り幹囲3.6m、推定樹齢は100年~200年。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 29mm ISO100 ) 露出補正 なし
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140.豊国神社 千畳閣と五重塔
出口付近から入口のほうを眺めると、豊国神社の 千畳閣 と、厳島神社拝殿の後ろに五重塔が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 29mm ISO100 ) 露出補正 なし
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141.海へ
出口の先に海に下りる階段があった。大鳥居の先のほうまで人影が見える。時刻は2時37分。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
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142.海の大鳥居 -1
大鳥居は境内の沖約200mに立つ。wikipediaによれば、現鳥居は明治8年(1875年)の再建である。棟の高さ16.6メートル、柱間10.9メートルの、大型の木造両部鳥居(各主柱に2本ずつの控柱がつく)である。主柱はクスノキの自然木で、控柱はスギ材である。主柱は1本が宮崎県岡富村(現西都市)、もう1本が香川県和田浜(現観音寺市)で切り出された。両柱とも、1950年の修理時に根継ぎを行っており、根継ぎ材は東柱が福岡県久留米市、西柱が佐賀県佐賀郡川上村大字池ノ上字池ノ上(現在賀市大和町池ノ上)で切り出されたものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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143.海の大鳥居 -2
傍に行って大鳥居を見上げた。触っても見た。満潮時には柱が水につかるあたりには、フジツボがいっぱい着いていて、そこに硬貨が埋め込むように置かれていた。wikipediaによると、2012年以降、大鳥居にできた亀裂の部分に、一部の観光客によって硬貨が差し込まれるケースが多発している。神社側は「鳥居の柱の老朽化が進む虞があり、止めてほしい」と呼び掛けているそうだ。2本の大きな柱は、整った形ではなく、自然木の形が現れていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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144.潮干狩り?
大勢の観光客が行き来するところから少し離れたところで、地元の方であろううか、潮が引いた海で何かを掘っていた。「大鳥居の内側で貝を取ってはいけません 厳島神社」という札が立っていたが・・・。貝ではないのかもしれない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 181mm ISO100 ) 露出補正 なし
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2016年5月 3日

小諸城址懐古園と真田の上田城跡 (1) 軽井沢駅と懐古園 4月9日

「ガイドと共に巡る!真田の上田城址公園・小諸城跡歴史散策としなの鉄道ローカル列車」という日帰りバスツアーに参加した。
 4月12日出発の横浜発のツアーに申し込んでおいたのだが、不催行となり、代替として4月9日(土)新宿発に変更した。新宿7時出発というのは、6時半過ぎには集合せねばならず、自宅を5時過ぎに出なくてはならなかった。横浜からの湘南新宿ラインの始発は、6時26分発なので、利用できず、品川回りになる。
 予想に反して、高速道路は順調に走れ、予定より少し早く軽井沢駅に着いた。そこから、御代田までしなの鉄道に乗るが、11時8分発まで、小一時間の待ち時間が出来るほどだった。何人かの人たちはアウトレットに行ったようだ。
  昼食は休憩した横川SAで峠の釜めしが積み込まれ、軽井沢到着前にバス車内で済ませてしまった。
 3っ先の御代田まで浅間山を眺めながら、しなの鉄道に乗車、御代田駅で再びバスに乗り、小諸城跡に着いたのは、12時少し前だった。添乗員さんが心配していた駐車場にもすぐに入ることでき、懐古園の三の門から現地の観光ガイドさんに案内していただいた。大手門は線路の反対側にあり、地下道をくぐっていくことが出来るが、今回は時間の都合で割愛された。大手門は慶長17年(1612年)、藩主仙石越前守秀久が小諸城を築いた時代の建築であり、現存する400年前に築かれた門だそうで、是非見たかったのだが。
 約1時間、懐古園を見た後、再びバスに乗り、上田へと向かった。

1.横川S.A.の桜
休憩した上信越自動車道の横川S.A.で見た桜。満開で花が房のようにびっしり咲いていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f5 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
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2.軽井沢駅
新宿を7時に出発して、途中2回、計40分の休憩を入れて、10時20分に軽井沢駅に着いた。走行時間は2時間半と順調だった。休日の軽井沢アウトレット渋滞もなかった。長野新幹線開通でできた新しい駅だが、何か閑散として活気がない。やはり軽井沢が賑やかなのは夏だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.8 1/1250秒 20mm ISO125) 露出補正 なし
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3.EF63形電気機関車
これから乗車するしなの鉄道のホームと並んで、EF63形電気機関車が置かれていた。Wikipediaによれば、EF63は新幹線が開業する前の信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠専用の補助機関車としての役割に特化して開発された機関車だそうだ。このことから「峠のシェルパ」、もしくは形式称号から「ロクサン」の愛称がある。EF63は急勾配上で停車する際の確実な停止力のための鉄製の電磁石でできたブレーキを備え、直接レールに接触(磁力による電磁吸着)するその大きな摩擦力によって、確実に停車せしめる。このブレーキは自動車にたとえるとパーキングブレーキ的な役割で通常の減速には使用しないという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f3.5 1/1250秒 26mm ISO125) 露出補正 なし
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4.旧軽井沢駅舎と軽井沢駅前交番
我々はここから11時8分発のしなの鉄道 に乗るが、少し時間があったので駅の周りを歩いてみた。中軽井沢寄りにこの旧軽井沢駅舎と軽井沢駅前交番があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f3.5 1/1250秒 ​9​​​​​​​​​​mm ISO125) 露出補正 なし
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5.草軽電鉄の​​電気機関車
「この電気機関車はデキ12形機関車といい、アメリカのジェフェリー社で大正9年に制作したハンドブレーキ常用、非常用電気ブレーキ付きという鉱山用のトロッコを改造したものである。大正4年7月より 草軽電気鉄道 は営業を開始、大正15年軽井沢・草津間(55.5km)の電化が完成してから、昭和37年1月31日路線を廃止するまでの約35年の間、地元民の足として、また、旅行者、避暑客の良き案内人として親しまれてきた電気機関車である。」と記されていた。この機関車が牽引した客車の車輪も置かれていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f3.5 1/1250秒 ​20​​​​​​​​​​mm ISO125) 露出補正 なし
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6.イベント列車「ろくもん」
2014年7月11日に運行開始されたしなの鉄道の観光列車がある。新しい軽井沢駅の駅舎の上から、しなの鉄道の軽井沢駅を眺める。これは10時40分発の長野行の「ろくもん」だ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
絞り優先オートで撮影 ( f5.3 1/250秒 95mm ISO200 ) 露出補正 なし
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7.しなの鉄道車両とEF63形電気機関車
これはこれから我々一行が乗車する11時8分発のしなの鉄道長野行の車両。JR東日本から譲り受けた115系電車だ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
絞り優先オートで撮影 ( f7.1 1/250秒 40mm ISO200 ) 露出補正 なし
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8.しなの鉄道車両と信越本線時代の電車
向こう側にグリーンとオレンジに塗り分けられた懐かしい湘南型の電車が止められていた。165系だろうか?​​信越本線に使われた​165​​​​​​​​​​系には横川~軽井沢間の急勾配区間に対応させるため連結器、台枠、台車などに改造が施され​​​​​​​​​​​​ていたという。​​

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm ​f​3.5-5.6G
プログラム​​オートで撮影 ( ​f​​8​​​​ 1/250秒 ​32​mm ISO200 ) 露出補正 なし
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9.10000形電気機関車
調べてみると、アプト式による旧信越本線碓氷峠越えは、1893年4月1日に官営鉄道中山道線(後の信越本線)として横川 - 軽井沢間が開通したが、当初はもちろん電化されていなかった。開通前年の1892(明治25)年、アプト式蒸気機関車がドイツから日本へ初めて輸入されたそうだ。横浜港に到着したドイツのエスリンゲン(Esslingen)社製アプト式蒸気機関車4両は、新橋工場で組み立てられて横川へ回送された。その後、蒸気機関車による牽引が続くが、碓氷峠越えはトンネルの連続による煤煙の問題から、乗務員の中には吐血や窒息する者も現れ、1911年に横川駅付近に火力発電所が設けられて1912年には日本で最初の幹線電化が行われた。その時にスイスのエスリンゲン・アルゲマイネ社から12両輸入されたのが、この10000形電気機関車だった。そして太平洋戦争後は輸送隘路の解消のため一般的な車輪による粘着運転で登降坂することになり、1961年に着工し1963年7月15日に旧線のやや北側をほぼ並行するルートで新線が1線で開通した。同年9月30日にアプト式は廃止され、さらに1966年7月2日には、旧アプト式線の一部を改修工事する形でもう1線が開通し複線となった。これによって当区間の所要時間は旅客列車で40分から下り列車は17 分、上り列車は24分に短縮されたという。私が初めて軽井沢へ行った時はまだアプト式のころで、ゆっくりと峠を上る列車の窓からオオムラサキが悠々と飛ぶのをながめ、補虫網をとり出して採りたい衝動に駆られたのを覚えている。今は新幹線で峠であることも気が付かない。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f​6.3​​​​ 1/250秒 ​18​mm ISO200 ) 露出補正 なし
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10.浅間山
軽井沢からしなの鉄道に3駅間乗車するが、その間、進行方向右手には標高2568mの 浅間山がはっきり見えていた。学生のころ、軽井沢合宿打ち上げ後、頂上まで登ったことを思い出す。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f​7.1 1/800秒 ​65mm ISO200 ) 露出補正 なし
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11.小諸城跡懐古園
しなの鉄道を御代田駅で降ると、新宿から乗ってきたバスが待ってくれていて。小諸城跡懐古園へと向かった。懐古園には12時に到着した。​​

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/250秒 ​18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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12.小諸城跡懐古園 三の門
この門は小諸城三の門で、元和元年(1615)に創建された。寛保2年(1742)に発生した大洪水の折に流され、明和2年(1765)に再建され、今は懐古園の正門にして象徴である。駐車場は三の門の内側にあり、三の門をくぐっていわば外側から見たところだ。正面に掲げられた「懐古園」の扁額は徳川第16代当主(慶喜の次)、徳川家建(いえさと)が書いたもので国重要文化財だ。なぜ、小諸城跡のことを懐古園というのか知りたかったが・・・。小諸城の表玄関の大手門はしなの鉄道の線路の向こう側にあり、地下道をくぐっていくことが出来る。大手門は慶長年間に仙石秀久により築かれた。大手門は国重要文化財になっている。大手門も見たかったが時間の都合で割愛された。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f​8 1/250秒 ​18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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13.二の門跡
ここに二の門があった。二の丸へと入っていく。ガイドさんは私塾小諸義塾の塾長木村熊二のレリーフガイドのところで説明している。Wikipediaによれば、小諸義塾とは、キリスト教牧師であった木村熊二が小山太郎らの要請の応えて1893年(明治26年)11月に現在の小諸市で開設した私塾である。1906年に閉鎖されるまでキリスト教による近代教育を実践した。塾長は木村熊二、教師は島崎藤村、三宅克己、丸山晩霞らが務めたとある。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f​5.6 1/250秒 ​18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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14.二の丸跡
徳川秀忠が関ヶ原へ向かう途中の上田城攻略で真田親子に足止めされ、ここに逗留したと伝えられる。 ​​

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f10 1/400秒 ​22mm ISO200 ) 露出補正 なし
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15.黒門橋
小諸城の本丸へ入る手前にあるのがこの黒門橋だ。本丸を防御していたこの堀は深い。そして黒門橋を渡ったところには黒門跡があった。黒門跡には、礎石と石垣だけが残っているが、実は門も現存しており、市内の正眼院に移築されているという。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f​10 1/400秒 ​18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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16.本丸跡の桜
本丸跡に入る。桜は満開だった。小諸城跡懐古園を埋める数百本の老桜が栄枯の夢を語るがごとく咲いている。平成2年に実施された日本さくらの会「日本さくら名所100選」に選定されているそうだ。懐古園の桜は、ソメイヨシノをはじめ、枝垂桜や八重桜など多くの種類が植えられ、咲く時期が少しづつ異なり、長い期間にわたり桜の花を楽しむことができるらしい。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f​10 1/400秒 ​18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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17.懐古神社
明治の廃藩置県により役割を終えた小諸城は、本丸跡に「懐古神社」を祀り「懐古園」と名付けられたとのこと​​​​​​​​。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
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18.鏡石
懐古神社の手前に、山本勘助ゆかりの鏡石があった。小諸市観光協会のホームページによれば、天文23年(1554年)甲斐のの武田信玄の侵攻で武田氏の手中に落ち、以後約30年間、武田氏の城代によって支配された鍋蓋城以下諸城があった。信玄はこの地の重要性にかんがみ、 重臣の山本勘助と馬場信房に命じて鍋蓋、乙女城を取り込んだ新たな縄張りをして城郭を整備し、総合的な大城とした。それが小諸城の原型だそうだ。勘助が縄張りをした小諸城は「攻めるに難しく、 守るに易い城」いわば難攻不落の城だった。小諸城址本丸跡には山本勘助が小諸城築城の時に研磨したと伝えられている鏡石がある。勘助は朝夕この鏡石におのれの顔を映し反省したと伝えられている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f1.8 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
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19.懐古園桜まつり
4月9日から4月30日の間、懐古園では桜祭りというイベントが行われている。鎧を身につけた若者が観光客を迎えてくれた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.8 1/1250秒 20mm ISO125) 露出補正 なし
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20.本丸跡の石垣
本丸跡には立派な石垣が残っていた。​​本丸は約6メートルの石垣で囲まれている​​​​​​​​​​​という。この奥には、​​​​本丸北西に迫り出し、他の石垣よりひときわ大きな野面石で築かれた天守の石垣(天守台)がそびえる。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f9 1/320秒 ​36mm ISO200 ) 露出補正 なし
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21.天守台
天守台は一際高い。この天守台には、三層の天守閣が建造されていたと伝わっているが、寛永3年(1626年)落雷により焼失、その後は幕府の許しが得られず再建されることはなかったそうだ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 ​170mm ISO200 ) 露出補正 なし
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22.コモロスミレ
本丸跡の石垣の間にコモロスミレ(小諸菫)が咲いていた。気が付かないで通り過ぎるところだったが、ガイドさんが教えてくれた。花の色は濃い紫色で八重咲という特徴がある。昭和47年に小諸市天然記念物に指定されているそうだ。もう少し良い写真を撮っておけばよかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.2 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
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23.ほら貝を吹く子役武者
千曲川が見えるところに行く途中で、今度は鎧を着た武者姿の子供がほら貝を吹きならしてくれた。観光客は拍手。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f10 1/400秒 ​40mm ISO200 ) 露出補正 なし
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24.千曲川
島崎藤村の歌碑のあるところから千曲川が見下ろせた。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1000秒 ​135mm ISO200 ) 露出補正 なし
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25.人力車の観光客
懐古園のもっとも西側に馬場があり、その向こうは千曲川が流れている。お年を召したご夫婦が人力車に乗ってこられて、富士見台という展望所から千曲川を眺めていた。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f8 1/250秒 ​35mm ISO200 ) 露出補正 なし
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26.天守台の桜
ここで、ガイドさんの案内は終わった。各自、桜の花が咲く馬場を通り抜け、再び天守台の方へと歩く。天守台に咲く桜も青空をバックに満開だった。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f8 1/1000秒 ​70mm ISO200 ) 露出補正 なし
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27.黒門橋から見下ろす紅葉谷
秋にはモミジの名所になるという。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラム​​オートで撮影 ( f9​​​​ 1/​320​​​​​​​​​​秒 ​40mm ISO200 ) 露出補正 なし
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28.若山牧水歌碑 二の丸跡の石垣
既成の石垣を碑とする最初の試みで、昭和9年11月4日に除幕された。この「かたはらに秋くさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな」は、牧水26歳の時、​​明治​43​​​​​​​年​9​月~​11​月頃​、病気療養のため​小諸に滞在した折に詠んだ歌だそうだ。歌人・牧水の歌碑は​​全国に建立されている。その数は、他の歌人を圧倒しているという。牧水の歌がいかに、多くの人に愛されているかがうかがえる。これはその2番目の歌碑という。​​ ​​​

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f8​​​​ 1/​250​​​​​​​​​​秒 ​26mm ISO200 ) 露出補正 なし
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29.三の門と桜
午後1時に三の門まで戻ってきた。駐車場で待っていてくれたバスに乗り、これから上田城跡へ向かう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f3.5 1/1250秒 14mm ISO125) 露出補正 なし
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2015年6月 2日

日本一周鉄道の旅 5月15日~19日 (2) 札幌-稚内-青森


 札幌のホテルで朝食をとったあと、出発までの時間、すぐ近くにある北大の構内を散歩した。残念ながらあまり時間がなくて、ポプラ並木までたどり着けなかったが、次に機会があれば、2時間くらい掛けてゆっくりと構内を散策してみたいと思うようなところだった。

 さて、2日目は日本の北の果てである宗谷岬まで行く。札幌からは「スーパー宗谷1号」で稚内まで、おおよそ5時間かかる。電化されていないのでディーゼル特急だ。加速するときのエンジンの音はなかなか小気味よい。

 稚内に到着してすぐ昼食となった。北市場という食堂で"たこシャブ"を食べたが、なかなか旨かった。この後はバスに乗り、宗谷岬へと観光をする。バスの出発まで少々時間があったので、駅前広場から500m位先に見えた北防波堤ドームまで、駆け足でいき、写真を撮ってきた。宗谷岬からの帰りに観光バスも停まってくれたのだが。
 稚内 16:49 発の「スーパー宗谷」でふたたび札幌へ向かう。この区間は同じ線を戻るしか手はない。

  この日はこれからが大変だった。札幌22時発の寝台急行「はまなす」に乗り、B寝台の車中泊である。この列車は津軽海峡線(青函トンネル)開通により廃止された青函連絡船の深夜便の代替として、1988年に運転が開始されたそうだ。寝台車に乗るのは何年振りだろうか?国鉄時代のスハネ14系客車だった。北海道向け改造がなされている。さすがに設備は古い。特にトイレは後で乗った北陸新幹線のトイレとは雲泥の差である。DD51の引く「はまなす」は夜中に青函トンネルを通過して、翌朝5時39分に青森に到着した。夕食は駅弁だった。こうして、このツアーの最大の難関であった車中泊をクリアすることができた。

日本最北端到着証明

15031_s01.jpg



18.北海道大学正門
ホテルの朝食を済ませ、出発まで40分ほど時間があったので、すぐ近くの北大へ行ってみた。正門はホテルから500m位だろうか、ごく近い。静かな朝の時間だった。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/120秒 6mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
19.北大 古河記念講堂
1907年札幌農学校は東北帝国大学農科大学に改組され、この建物は古河家の寄付で1909年に建てられたそうだ。アメリカン・ヴィクトリアン様式という白い外壁と周囲の緑のコントラストが美しい建物に目を引かれた。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/160秒 6mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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20.北大構内 案内標識
結局十分な時間がなくて古河記念講堂とクラーク像があるとこまでしか行けなかった。ポプラ並木やイチョウ並木まではそれぞれ500~600m位ありそうだ。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/100秒 18mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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21.北大構内 メイン・ストリート
これはそこから北側にある環状門へ通じる道を眺めた写真だ。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/160秒 30mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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22.ウィリアム・S・クラーク像
クラーク博士は、本名ウイリアム・スミス・クラークで、アメリカ​ ​マサチューセッツ州立農科大学長の時、日本に招聘されて初代の札幌農学校の教頭に就任した​そうだ​。博士の遺した​「​青年よ大志を抱け​」​は、​余りにも有名である。​クラーク博士は日本には8ヶ月の滞在​だった​。意外と短いがこの間札幌農学校の基礎作りに大きな貢献を果たしたばかりでなく、北海道の開発にも多大の貢献を果た​したとされる。​

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/160秒 8mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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23.「スーパー宗谷1号」稚内行き
札幌発7時48分の「スーパー宗谷1号」に乗り込み、日本の最北端「宗谷岬」に向け出発する。これは261系気動車の先頭車だ。このキハ261系気動車は姉妹提携の関係にあるデンマーク国鉄とJR北海道の共同デザインという。車体に英語で傾きを意味する"Tilt"(active air suspension system)とあるとおり、「スーパー宗谷1号」のキハ261系では空気バネの圧力で車体を2度傾けて半径600m以上のカーブを通過させる車体傾斜制御装置を搭載している。​稚内到着は12時53分、5時間5分かかる。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/80秒 5mm ISO1600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
24.車窓から見る風景
撮影時刻からすると岩見沢駅を出たころと思う。どんよりした重たそう曇り空だ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/160秒 21mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
25.天塩中川駅
「スーパー宗谷1号」は名寄、音威子府と天塩川沿いに走り、天塩中川駅に停車した。風格のある駅舎だ。お年寄りがホームで煙草を吸っていた。車内の様子が窓ガラスに映りこんでしまった。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.3 1/125秒 4mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
26.間もなく稚内に到着
車窓には平地なのに白樺の林が多く見られるようになった。北なのだ。ブレてしまったがお許しいただきたい。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.8 1/250秒 8mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
27.稚内到着
「スーパー宗谷1号」は12時53分、定刻に稚内に到着した。ここは日本で最も北にある鉄道駅である(北緯45度24分44秒)。初代の稚内駅は、先ほど通ってきた、1922年(大正11年)に開業した現在の南稚内駅である。現・稚内駅である当時の稚内港駅まで鉄道路線が延伸されたのは、1928年(昭和3年)12月26日のことである。さらに稚内港の整備工事が進み、1936年(昭和11年)に北防波堤桟橋が竣工されたことから、1937年(昭和12年)からこの防波堤桟橋内へ約850mの線路の延長敷設工事が始められ、1938年(昭和13年)10月1日から防波堤桟橋内に稚内桟橋駅(わっかないさんばしえき)を設置し使用開始された。稚泊航路(樺太航路)は1945年(昭和20年)8月に運航停止となり、稚内桟橋駅も実質的に廃止された。(Wikipedia参照)

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/200秒 6mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
28.北防波堤ドーム -1
稚内到着後、北市場という食堂で、稚内名物という「たこシャブ」で昼食になった。昼食後は観光バスで宗谷岬を観光するが、バスの出発時間まで少し時間があったので、そこから見えた北防波堤ドームへ小走りで行ってみた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 8mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
29.北防波堤ドーム -2
北防波堤ドームは北海道と樺太を結ぶ鉄道連絡船(稚泊連絡船)の桟橋など港湾施設の保護および、桟橋を利用する乗客の便宜のために作られた。1931年(昭和6年)から5年間をかけて建設されたそうだ。古代ギリシア建築を彷彿とさせる70本の円柱が連なる半アーチ型のドームは古代ローマ建築を思わせる世界的にも類のない構造物として北海道遺産となっている。現在はその役目を終えたが港のシンボルである。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 8mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
30.北防波堤ドーム -3
高さ約14メートル、長さ427メートルという。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/125秒 24mm ISO500 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
31.北防波堤ドーム -4
海側を眺めるとこのようになっている。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1000秒 5mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
32.稚内港
かって稚内桟橋駅があった北防波堤ドームの前に拡がる稚内港には船体にHeart Land Ferryと書かれた船が停泊していた。離島およびサハリンのコルサコフ港へのフェリーが運航されている。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 108mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
33.宗谷丘陵
我々が乗った観光バスのガイド嬢はとても愉快な人だった。車内に笑いが絶えない。バスは宗谷岬に行く途中、宗谷丘陵というところを走る。57基の発電用風車が立ち並ぶ。宗谷丘陵は約1万年前まで続いた氷河期に形成されたという。モコモコとして、なだらかな波のような地形だった。雄大な起伏が続く。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/125秒 32mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.エゾジカ
宗谷丘陵が終わりになり、もうすぐ宗谷岬というあたりで、エゾジカを見かけた。バスは停まってくれた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/125秒 81mm ISO110 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
35.宗谷岬 日本最北端の地
バスは旧海軍望楼や戦没者慰霊碑・平和の碑、また1983年9月に起きたサハリン沖の大韓航空機撃墜事件の遭難者の慰霊と恒久平和の願いを込めて2年後に建立された祈りの塔がある宗谷岬公園の高台から、日本最北端の地の碑がある宗谷岬へと降りていく。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/400秒 12mm ISO110 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
36.日本最北端の地の碑
宗谷岬の先端、北緯45度31分22秒の"日本最北端の地"を標す記念碑。北極星の一稜をモチーフに、中央には北を示す「N」、台座の円形は「平和と協調」を表しているという。海に向かってこの地に立つと、天気が良ければ正面に43km先のサハリンの島影が浮かび上がり、日本の最北端であることを実感できるそうだが、あいにくこの日は曇っていた。東経は141度56分11秒。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.3 1/1000秒 4mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
37.間宮林蔵出航の碑
間宮林蔵の立像は日本最北端の地の碑の近くにあるが、帰路、宗谷岬から稚内方向へ西に3kmほど国道238号線を走ると、海岸沿いに間宮林蔵渡樺出航の地碑があった。間宮林蔵は1799年に函館で出会った伊能忠敬から測量技術を学び、1803年から蝦夷と南千島の測量を行ったそうだ。ロシアの南下政策に驚いた幕府は1808年に間宮林蔵と松田伝十郎を樺太の調査に向かわせたという。流氷は去ったものの、なお酷しい寒気と荒波の宗谷海峡をのりこえて人情、風俗の異なる樺太に渡り東海岸を調べたとのこと。この年、林蔵は再び樺太に渡りトンナイで越冬、翌1809年春、西海岸を北上し樺太北端のナニオーまで踏査して樺太は大陸と海峡をへだてた島であることを確認したと伝えられている。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.8 1/200秒 17mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
38.稚内空港
バスは稚内市内へ戻る途中、空港のそばを通った。飛行機は1機も見当たらない。稚内-札幌間を全日空がDHC-8で1日2便運行している。また、稚内-羽田間も全日空がB767とA320で1日2便飛ばしているようだ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
39.稚泊航路記念碑
バスは北防波堤ドームまで戻ってきた。北防波堤ドームの中央付近に稚泊航路記念碑というのがあった。先ほど、バス出発前に来たときは、時間が心配だったのでここまでは来ていない。大正12年、鉄道省により稚内-大泊(サハリン)間に連絡航路が開設された。以後終戦の昭和20年8月に閉鎖されるまでの22年間の業績を讃えるため、昭和45年11月に建立された記念碑だそうだ。稚泊連絡航路22年の歴史の中で行き来した乗客は284万人にものぼるという。( 稚内観光情報を参照 )

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.3 1/800秒 4mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
40.日本最北端線路の碑
昭和3年に現JR稚内駅が開業した頃は、線路は現在よりも北側にあった。平成23年4月に新駅舎開業に伴い、線路の車止めは現在のところになったが、駅前広場に昭和3年当時の、現在よりも北側にあった線路の車止めレールをJR北海道から寄贈を受けて、最北端の線路のモニュメントとして、ここに設置された。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.3 1/640秒 4mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
41.ロシア語が併記された標識
これは駅近くで撮った道路案内標識の写真だが、宗谷岬から戻ってくるときに通った稚内の市内では、道路案内標識の地名にすべてロシア語が併記されていた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/200秒 39mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
42.稚内駅のホーム
16時49分発の「スーパー宗谷4号」で札幌に戻る。この区間は来た線を戻る他手がない。明後日に到達するJR最南端の駅「西大山」(枕崎の少し手前)まで約3,000kmある。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/160秒 14mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
43.最北端の線路の車止め
これは27の写真と同じく現在の最北端の線路の車止めだ。駅構内にさらに北に伸びていた線路の跡が示されている。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/250秒 6mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
44.急行「はまなす」 寝台車内(通路)
「スーパー宗谷4号」は21時55分に札幌駅に着いた。札幌で5分間の待ち合わせで出発する「急行はまなす」にあわただしく乗り込む。添乗さんは乗ってきた「スーパー宗谷4号」の到着が遅れはしないかと心配していた。無事、2段式のB寝台に落ち着く。一つの区画に2段ベッドが2組ある。私たちは友人夫婦と同じ区画だったが、知らないご夫婦同士の「同室」はお互い気を使うことだろう。この列車の終点青森には明日の朝5時39分に到着予定だ。夕食は駅弁で、「スーパー宗谷4号」の車内で済ませたので、あとは寝るばかり。寝台車には寝間着として浴衣が供えられていたが、着替えないでそのままベッドに横になって、知らぬうちに眠ってしまった。少し揺れるが、リズミカルな車輪の音が子守唄だ。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/250秒 6mm ISO1600 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。


2015年4月 2日

石垣島・竹富島で撮った蝶 3月9日~11日 (3) 竹富島とバンナ公園ほか 3月10~11日


 2日目と3日目に撮った蝶の写真を見ていただく。
  2日目も曇りで、前日に比べてさらに風が冷たく気温が低い。2日目は予定通り竹富島に渡る。と言っても高速フェリーでわずか15分かかるかかからないかの距離だ。前の日に昆虫観察のガイドさんに教えていただいた通り、竹富東港から右回りに島を一周した。幸いなことに、西桟橋の手前の風が遮られている脇道で、リュウキュウアサギマダラ、オオゴマダラに会え、十分ではないが写真も撮れた。

  竹富島では、もう一か所で蝶を見たが、後は全く駄目だった。集落からアイアル浜へ向かういわゆる「蝶の道」でスジグロカバマダラを期待したが飛んでくれなかった。
  3日目はレンタカーを借りて、バンナ公園や初日に行った名蔵ダムの近くで撮ろうと思っていたが、やはり天候が優れず、思いを達することができなかった。

  期待通りにいかなかった石垣島・竹富島、そして那覇への3泊4日の蝶撮影旅行だったが、それでも、ミカドアゲハ、ウスイロコノマチョウ、クロセセリ、ネッタイアカセセリ、ヒメウラナミシジミ、ミナミキチョウ、タイワンキチョウ、ヤエヤマカラスアゲハ、ヤクシマルリシジミ、リュウキュウミスジと初めて会った10種の蝶の写真を撮ることができた。

;クリックすると大きな写真になります。 49.リュウキュウアサギマダラ -1
海の方へ向かう脇道があった。ふとみると何か飛んでいる。リュウキュウアサギマダラだ。竹富島では普通種だが今日はうれしい。やっと会えた蝶だ。ここはちょうど風が吹き込まないようになっている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/40秒 82mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 50.オオゴマダラ -1
リュウキュウアサギマダラを追っていた時にオオゴマダラがフワフワ飛んでいるのが見えた。""二兎追うものは一兎をも得ず" リュウキュウアサギマダラに集中する。結果、オオゴマダラは見えなくなってしまった。しばらく、再び現れることを期待して粘っていたら、少し先のセンダングサにやってきた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/105秒 61mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 51.オオゴマダラ -2
同じ個体。もう少し近づいて撮った。D5300でも撮りたかったが行ってしまった。とてもきれいな個体だった。飼育されている蝶園ではオオゴマダラは定番の蝶だが、生を撮るのは10年ぶりだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/240秒 44mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 52.タイワンクロボシシジミ -3
同じところにタイワンクロボシシジミもいた。とてもきれいな個体で尾状突起も良くわかる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/250秒 140mm ISO2000 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。 53.タイワンクロボシシジミ -4
この蝶は何頭か飛んでいた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/250秒 112mm ISO900 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。 54.リュウキュウアサギマダラ -2
歩くとリュウキュウアサギマダラが飛び出してくる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/250秒 140mm ISO1250 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。 55.リュウキュウアサギマダラ -3
開翅してくれた。暗いのでISO感度は5600になってしまったが、まあまあに撮れている。手振れするよりは良いと思う。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/250秒 140mm ISO5600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。 56.ナミエシロチョウ♀ -1
しばらく歩くと、またさっきの小道と同じようなところがあった。ここでもリュウキュウアサギマダラが飛んでいる。ふと近くの葉に目をやると、その葉の上にナミエシロチョウの♀が止まっていた。じっとして動かない。羽化したてなのだろうか? 気温が低いからなのだろうか?後翅の肩(付け根)のところが何か変である。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/250秒 140mm ISO1250 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。 57.ナミエシロチョウ -2
同じ個体。上から撮ってみると、後翅が離れて閉じられている。やはり後翅の付け根の部分がうまく伸びていないようだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/250秒 140mm ISO640 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。 58.タイワンクロボシシジミ -5
集落からアイアル浜へ向かういわゆる「蝶の道」を歩いた。天候が良ければスジグロカバマダラが飛んでくれそうだが、この日は道端のセンダングサにタイワンクロボシシジミを見るくらいだった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/160秒 185mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 59.アオスジアゲハ -1
撮影旅行も3日目になった。レンタカーを借りてバンナ公園へ行く。バンナ公園の北口駐車場に車を停め、石垣ダムの方へ橋を渡っていくとリュウキュウアセビが咲いていた。ミカドアゲハなら良いのだがアオスジアゲハが吸蜜に来ていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/320秒 116mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。 60.アオスジアゲハ -2
同じ個体。アオスジアゲハは2頭来ていたが、もう1頭の方は破損していた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/400秒 116mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。 61.リュウキュウヒメジャノメ -3
バンナ公園北口駐車場へ戻ってきて、その近くを少し歩いたが、アサギマダラとこのリュウキュウヒメジャノメを見ただけだった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/250秒 122mm ISO900 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。 62.リュウキュウヒメジャノメ -4
初日に行った名蔵ダムの近くに行ってみた。ここでも飛んでいたのはリュウキュウヒメジャノメだった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/160秒 47mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 63.リュウキュウヒメジャノメ -5
翅を開いてくれた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/160秒 47mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 64.リュウキュウヒメジャノメ -6
虫に食われたような大きな葉が、破れているように見えるのがいいなと思いシャッターを切った。このあたりにはリュウキュウヒメジャノメが多くいた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/160秒 39mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 65.クロアゲハ♂ -3
草木の葉の重なりの間からクロアゲハが翅を開いて止まっているのが見えた。ピントを合わせるのが難しいが何とか撮る。このショットで今回の撮影行も最後となった。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/160秒 82mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段


2015年3月22日

一人旅 石垣島・竹富島そして那覇 3月9日~12日 (3) 3月11日 石垣島から那覇へ


  3日目の3月11日は石垣島でレンタカーを予約していた。今日も曇りで気温は低くく、蝶は期待できないが、川平湾を見て、バンナ公園、嵩田植物園へ行こうと思う。
 昨日、レンタカー屋さんへ電話したら、離島フェリーターミナルまで迎えに来てくれるという。朝9時に約束した。ホテルをチェック・アウトして、離島フェリーターミナルで待っていると、レンタカー屋さんの車がやってきた。私以外にもう一人お客さんがいて一緒に市内の営業所へ行く。NISSAN車を借りて出発、​返却​は空港だ。

 天気が悪く、輝く海は見られないだろうが、まずは石垣島で一番風光明媚なところと言われる川平湾へ向かう。途中で、たまたまバンナ公園南口入口を通った。それならば先に寄って行こうと駐車場に車を入れる。広いバンナ公園の中を南口から北口へ走っているバンナ・スカイラインというのがあり、途中に展望台がある。北口の近くには「昆虫館」もあるというので寄ってみたい。
 「昆虫館」では、日本麟翅学会にも席を置かれるYさんとおっしゃる方がおられ、いろいろと話をさせていただくことができ、楽しい時間を過ごせた。近くにリュウキュウアセビが開花していた。ミカドアゲハには会えなかったが、アオスジアゲハがリュウキュウアセビの花で吸蜜しているのを撮ることができた。

 「昆虫館」を出て、カーナビに指示を仰ぎながら、川平湾に着いた。浜に下りて海辺を歩いたあと、川平観音堂の方へ上がった。車にもどり、次の目的地である嵩田植物園を目指す。入り口の案内板を見つけたのは良いが、なんと火曜日、水曜日は定休日とのこと。残念だった。それでは、前々日に案内していただいた親水広場に寄って行こうと、名蔵ダムの方へ進み目的地を探したが、見つけられなかった。付近を少し歩き回ってみたが、リュウキュウヒメジャノメしか出てこない。嵩田植物園で昼食にしようと思っていたので、腹が減ってきた。新石垣空港で食事をしようと走り出す。レンタカーを借りた営業所で​指示​された通り、空港近くのガソリンスタンドで満タンにして車を返した。近くだが空港まではバンで送ってくれた。

​  ​新石垣空港を16:10に出るJTA618便で那覇へ。那覇空港からはモノレール(ゆいレール)に乗り、今夜の宿がある県庁前まで行く。ゆいレールは明日も使うので24時間有効の切符を700円で購入した。ホテルは国際通りの入り口にあり、ゆレールの駅にも近く、とても便利なところにある。一休みして、暗くなり始めた国際通りへ出かけた。夕食はSAM'S の店でオリオンビールの生と、ステーキだ。野菜もたっぷり食べられた。

1.石垣島とマラリア
バンナ公園南口にあった八重山戦争マラリア慰霊碑。沖縄県の八重山諸島では古くからマラリアの発生する地域がいくつかあることが知られ、琉球王国時代からその地域に強制移住が行われては全滅する、という歴史があったそうだ。特に石垣島の北側(裏石垣)と西表島はその意味で恐れられた地域である。もちろん現在ではマラリアは一掃されているが、第二次世界大戦時にはまだ発生地域は多かった。太平洋戦争の末期、八重山地区においては軍の作戦展開の必要性から住民が悪性マラリアの有病地域である石垣島、西表島の山間部へ非難を強いられ、過酷な生活の中で相次いでマラリアに罹患し、3,000余名が終戦前後に亡くなったという。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/400秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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2.南口展望台
バンナ・スカイラインに入ってすぐのところに展望台があった​ので​登ってみた。南西の方向を見ると石垣港が見え、その右側にひらべったい竹富島が見える。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1000秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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3.バンナ公園北口
バンナ・スカイラインを3kmほど走ると北口駐車場があった。すぐそばに「昆虫館」が見える。「昆虫館」を見るのは後にして、蝶が飛ばないかと期待して、石垣ダムの方へ歩いてみる。橋のアーチにもオオゴマダラが描かれていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/1250秒 140mm ISO200 ) 露出補正 なし
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4.リュウキュウアセビ
石垣ダムの貯水池にかかる橋の手前にリュウキュウアセビ「開花中」の立て看板が立っていた。​橋​を渡り切った少し先に咲いていた。​見た目で​アセビと区別​することは​難しい。アセビは毒を含み、馬が知らずにこの葉を食べるとしびれたり、苦しくなったりして動けなくなることから馬酔木という名がついたそうだ。この花にアオスジアゲハが吸蜜に来た。ミカドアゲハならなお嬉しいのだが。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 6mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
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5.ハイビスカス
真っ赤ではない上品な絞りの入ったハイビスカスが咲いていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/800秒 75mm ISO200 ) 露出補正 なし
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6.「昆虫館」入口
駐車場に戻ってきて、「昆虫館」に入った。中には親子連れが一組いらっしゃって、​Yさん​が説明をされていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/250秒 18mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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7.「昆虫館」の展示標本
中に入ると石垣島、八重山諸島の昆虫のみでなく、世界の昆虫標本が展示されている。​特に蝶は​きれいな標本が​い​​くつもの​ケースに収められてい​た。数も多い。Yさんとお話しすることができた。千葉からこちらに移住され13年が経つという。北口周辺に囲いのない蝶園を​と活動されている。折角来たのに天気が悪くとぼやくと、「次回は10月の終わりか11月の初めに来てください」と言われた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/250秒 35mm ISO2800 ) 露出補正 なし
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8.川平湾
バンナ公園北口の「昆虫館」にお暇をして、川平湾に向かった。天気は悪くて肌寒いが、さすがに国指定の名勝地にも選ばれているだけあって、観光客は多い。浜辺に下りてみた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/850秒 8mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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9.川平湾 展望台からの眺め
10年前に蝶の写真を​撮りに​来た時も、昼食のために川平湾に寄った。その時とあまり変わっていない。残念ながら日が差さないので、エメラルド色の海の輝きが見られない。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/450秒 16mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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10.川平観音堂
川平湾を望む小高い丘に川平観音堂があった。川平湾は昔、首里王府への貢納物を集積する三大港のひとつで、石垣島から沖縄本島等へ向かう船の風待ちの港でもあったそうだ。その昔、川平湾で風待ちしている船があった。たまたまその船に乗っていた少年が上陸している間に順風となり、船が急遽出航した。村に取り残された少年は「戻ってこい」と祈ったところ、逆風となり船が戻ってきたという。少年は後に一人前の僧となり、この地に観音堂を建てたと言い伝えられている。17世紀の頃だそうだ。川平の下田原に流れ着いた仏像も、この観音堂に安置されたといわれている。川平公民館により由来が書かれた案内板が立っていた。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/160秒 10mm ISO250) 露出補正 -0.3段
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11.名蔵ダム
定休日だった嵩田植物園の前を通り過ぎて奥へ進むと名蔵ダムを見渡せる広場に着いた。名蔵ダムは、1998年に完成した沖縄総合事務局農林水産部が管理する灌漑用水専用ダムだそうだ。堤高38.7m、堤頂長1,449mの横長ダムである。 石垣島にあるダムでは一番新し。石垣島は年間降雨量が2,000mmを上回るものの、降雨のほとんどが梅雨時期あるいは台風時期に集中し、河川も短いためその大部分は未利用のまま海へ流出していた。また、一部水田を除いて灌漑施設は皆無に等しく、これまで雨水に依存した農業を余儀なくされ、毎年のように干ばつの被害を受け、恒久的な用水対策が望まれてきたという。昭和46年3月~9月(1971年)石垣島は大干ばつに見舞われ農業は壊滅的打撃を受けた。(連続干天日数191日)そして平成10年1月(1998年)名蔵ダムが完成​し​ている。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.6 1/900秒 4.4mm ISO100) 露出補正 -0.3段
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12.台湾農業者入植顕頌碑
1930年代に台湾から石垣島に入植し、パイン産業や水牛の導入で八重山農業の発展に貢献した台湾人の苦労や功績をたたえ、後世に継承していくために、2011年3月に期成会が結成されてこの入植顕頌碑が建立されたという。碑の右側には中国語翻訳付きの説明文が書かれている。また、左側には琉球華僑総会が寄贈した銅製の水牛が設置されている。台湾農業者約60世帯330人がパインの苗とともに石垣市名蔵に入植したのは1935年。その後、水牛​30​頭も導入した。​38​年には沖縄初のパイン缶を製造し、本土に出荷したそうだ。

FUJIFILM FINEPIX HS50EXR f2.8-5.6 4.4mm-185mm 16.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 6mm IS100) 露出補正 -0.3段
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13.ハナミノカサゴ
昼食をしようと、少し早めに新石垣空港へ行くことにした。2013年3月7日に開港した新石垣空港は南ぬ島(ぱいぬしま)石垣空港という愛称が付けられている。ロビーには水槽があって熱帯魚が泳いでいた。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/40秒 6mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
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14.新石垣島空港
私が乗るJTA618便が到着した。クジラを思わせるラッピングがされている。手前の車はピンクのクジラ​か​。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/320秒 25mm ISO200 ) 露出補正 -0.7段
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15.那覇のスクランブル交差点
40分ほどの飛行で那覇に着いた。2003年に開通した「ゆいれーる」というモノレールに乗って、今夜の宿がある県庁前に向かう。ゆいレールは明日も複数回利用するので700円で24時間有効という切符を購入した。通常は1区間230円~330円だからお得だ。ホテルはとても便利なところだった。窓からスクランブル交差点が見える。左が県庁、右手前が国際通りの入り口だ。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/120秒 21mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
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16.国際通り入り口
午後7時、那覇の目抜き通り、国際通りを歩き始めた。国際通りは県庁北口交差点から、安里三叉路までの1.6kmのことをいう。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/60秒 30mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
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17.国際通りの賑わい
縁日のように大勢の人が歩いている。ちょうど卒業旅行のころなのだろうか学生さん風の人たちが多い。ここは沖縄料理の店。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/0秒 6mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
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18.市場本通り入り口
国際通りを県庁の方から牧志へ向かって歩いていくと、むつみ橋交差点から右に入るアーケード通りがある。沖縄のお土産や雑貨、また沖縄の食材が豊富にある牧志公設市場がアーケード通りの中間地点にある。ごちゃごちゃした感じが表通りとは違う。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/200秒 12mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
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19.牧志公設市場の鮮魚店
牧志公設市場の1階は主として食料品の店が並んでいる。夜なので半分ぐらいは店じまいになっているが、​2​偕の食堂フロアへ上がる階段​の​そばの鮮魚店は大勢の人だかりがあり、50cmほどあろうかと思う大きな活きた五色海老が並べられていた。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.​5 1/​160秒 14mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。
20.牧志公設市場の2階は食堂街
まだ、夕食を食べていない。牧志公設市場の2階は食堂街になっている。にぎやかな声も聞こえてくる。どんな店があるのだろうかと上がってみた。これは台湾へ行った時の士林の夜市のようだ。お客さんは中国の観光客、台湾の観光客であふれていた。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/160秒 12mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
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21.平和通り
公設市場を反対側に抜けると平和通​り​がある。それを国際通りの方へ戻った。さあ、そろそろ晩飯にしよう。申し訳ないが沖縄料理には食指が動かない。結局、安直なところでSAM'Sというチェーン店の鉄板焼きになった。ここは圧倒的に学生​さん​風の若い男女の客が多かった。

Canon PowerShot G12 f2.8-4.5 6.1- 30.5 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/60秒 16mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
;クリックすると大きな写真になります。