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2023年5月26日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物 ⑧ 終 2023年4月5日ー7日 登廊と舞台の長谷寺と、摩崖仏の大野寺

又兵衛桜は、葉桜になってしまっていて残念だった。バスは又兵衛桜を10時50分ごろに出発した。次の目的地は長谷寺である。又兵衛桜から西へ30分ほどで到着した。
 雨は相変わらず本降りである。バスの駐車場から傘をさして仁王門の前に着いた。ここからは拝観をして、昼食をとって、再びバスに戻るまで各自自由に行動することになった。石段を上がって仁王門をくぐるとその先は登廊といって屋根のある木造の階段が399段、本堂の前まで続いている。雨に濡れないで歩けるのはありがたい。
 実はわたくしたちは、2018年の11月に長谷寺に来ている。その時は近鉄大阪線で長谷寺駅まで来て、長谷寺へ向かったのだが、20分ほど歩くことになってしまった。近鉄の長谷寺駅に預ければよいと思い、キャリー・バッグを携行していたのだが、駅にコインロッカーはなく往生していたところ、参道でかみさんが店の前に並べられていた干しシイタケを物色していると、その店のおばさんが出てきて「荷物預かりましょうか」と言ってくれて、有難かったことを思い出す。
 杖を突いている奥さんも、頑張って399段の登廊を登り、本堂を参拝して、舞台からの眺めを楽しんでくれたようだ。
 そして、今回のツアーの最後の見どころは摩崖仏で有名な大野寺だった。枝垂桜も咲いていて、傘をさして境内を歩いた。最後に大野寺の前を流れる宇陀川の対岸の摩崖仏を拝んで、帰路に着いた。  バスに2時間半ほど揺られ、三河安城駅に着いたのは、午後5時頃だったと記憶する。天候はいまいちではあったが、訪れた桜の名所や社寺、それぞれが印象に残る良いツアーだった。

000_2304070252 X700 長谷寺 登廊 G7X.jpg
大和国 長谷寺の登廊 2023年4月7日 奈良県桜井市初瀬

198_2304070233 X900 長谷寺 仁王門 G7X.jpg 198.長谷寺 仁王門
雨の中を駐車場から歩いて仁王門の石段前に到着した。ここから各自自由拝観になる。仁王門のせり出してくるような大きな屋根は重厚である。重要文化財である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
199_2304070235 X900 〇長谷寺 仁王門 G7X.jpg 199.仁王門の彫刻
仁王門に施された彫刻や仁王像は歴史を感じさせる。長谷寺のパンフレットによると、仁王門は長谷寺の総門で、3間1戸入母屋造本瓦葺の楼門である。両脇には仁王像、楼上に釈迦三尊十六羅漢像を安置する。仁王門は、一条天皇(在位986年-1011年)の頃の創建だが、現在の建物は明治27年(1894年)の再建だそうだ。上部に掛かる「長谷寺」額字は天正16年(1588年)の後陽成天皇の直筆の再鋳造という。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
200_2304070236 X900 長谷寺 登廊 G7X.jpg 200.歓喜院(かんぎいん)
仁王門をくぐって、登廊を上り始める。すぐ左側に歓喜院あり桜が咲いていた。歓喜院は長谷寺六坊の一院で、江戸時代中期の1701年(元禄14年)に長谷寺第14世英岳僧正によって再建され、近年参籠所を併設して改装された。長谷六坊と呼ばれる「歓喜院」「宗宝蔵(清浄院)」「梅心院」「月輪院」「慈眼院」「金蓮院」の六つの子院があり、江戸時代にはこれらの六つの院が、長谷寺の運営においてとても重要な役割を持っていたという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO250 ) 露出補正 なし
201_2304070238 X900 長谷寺 登廊 G7X.jpg 201.登廊(のぼりろう)
登廊は平安時代の長歴3年(1039年)に春日大社の社司中臣信清が子の病気平癒の御礼に造ったもので、108間、399段、上中下の三廊に分かれてる。下、中廊は明治27年(1894年)再建で、風雅な長谷型の灯籠を吊るしている。上登廊は古く、慶安3年(1650年)の再建という。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO640 ) 露出補正 なし
202_2304070241 X900 長谷寺 登廊 G7X.jpg 202.下登廊
下登廊は繋屋で右に折れて、中登廊になる。写真は中登廊から見た下登廊。繋屋は一重の、切妻造、桟瓦葺、1間四方の小さな建屋である。下登廊と中登廊をつないでおり、登廊はここでほぼ直角に右へ折れる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO640 ) 露出補正 なし
203_2304070244 X900 〇長谷寺 登廊 G7X.jpg 203.中登廊から見た本堂の柱束
中登廊の左側に、懸造りの本堂を支える柱束が見られた。懸造りとは、京都の清水寺のように、斜面の上に長い束柱を立て、その上に堂宇を築く様式の事で、舞台造とも呼ばれている。昨日見てきた談山神社の舞殿も懸造りだった。斜面にはシャクナゲが咲いていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO800 ) 露出補正 なし
204_2304070247 X900 〇長谷寺 登廊 G7X.jpg 204.シャクナゲ(石楠花) -1
このシャクナゲの品種を知りたいと思い、Picture This で調べてみたところ、ロードデンドロン・カタウビエンセ という答えだった。ツツジ科で、シャクナゲの仲間には違いはない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO800 ) 露出補正 なし
205_2304070250 X900 長谷寺 登廊 G7X.jpg 205.シャクナゲ -2
懸造りの斜面に咲くシャクナゲは今が盛りである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO1250 ) 露出補正 なし
206_2304070253 X900 長谷寺 登廊 G7X.jpg 206.蔵王堂から見る下登廊
中登廊は蔵王堂という中継点で左へ折れ、上登廊につながる。蔵王堂は、桁行3間、梁間1間、一重、寄棟造、本瓦葺の建物である。わたくしたちは今回、吉野山で金峯山寺の蔵王堂を拝観してきた。この「蔵王堂」のあたりに、吉野山から虹が架かり、その上を3体の蔵王権現が歩いて長谷寺までやって来たことからこの場所に尊像を祀っているのだそうだ。蔵王権現は、役行者が吉野・金峯山寺で修行中にお告げを得たという憤怒形の仏。金峯山寺の蔵王堂に祀られている 弥勒・釈迦・千手観音と同じ3体を祀る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO320 ) 露出補正 なし
207_2304070257 X900 長谷寺 登廊 G7X.jpg 207.上登廊
本堂の前の鐘楼まで、最後の上登廊を上る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO320 ) 露出補正 なし
208_2304070259 X900 長谷寺 登廊 本堂 G7X.jpg 208.舞台を支える柱束
左側には、南に向いてせり出している舞台を支える柱束が見られた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO800 ) 露出補正 なし
209_2304070264 X900 〇長谷寺 本堂 G7X.jpg 209.礼堂(らいどう)・ 内舞台
上登廊を上りきり、鐘楼の前に出た。左側へ本堂参拝の入り口がある。本堂は小初瀬山中腹の断崖絶壁に懸造り(舞台造)された南面の大殿堂である。入り口を入って右側は内陣で、本尊十一面観世音菩薩立像が祀られている。長谷寺のホームぺージによれば、開山徳道上人が造立して以来、度重なる火災により再造を繰り返してきたが、現在の観音像は、室町時代の天文7年(1538年)に大仏師運宗らによって造立された。像高は3丈3尺6寸(1018cm)ある。我が国で最も大きな木造の仏像で、その堂々とした姿は全国に広がる長谷信仰の根本仏像としての威厳を十分に伺わせる。写真は内舞台とも呼ばれる本堂の外陣である礼堂から、南に開かれた外舞台を撮った。内陣は撮影御法度である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO200 ) 露出補正 なし
210_2304070266 X900 長谷寺 本堂 G7X.jpg 210.賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)
礼堂の奥に賓頭盧尊者が座していた。釈迦の弟子である十六羅漢の筆頭で「びんずるさん」とよばれ親しまれている。賓頭盧尊者は本堂の外陣や回廊に祀られ、病気を治す力があり、撫でるとその部位の病気が治るという信仰があり「撫仏 (なでぼとけ)」ともいわれている。余談になるが、このわたくしたちのツアーの初日、4月5日の朝、長野善光寺の賓頭廬尊者像が盗難にあったという事件があった。およそ2時間半後に60kmほど離れた松本市内の車の中で見つかったそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/400秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 なし
211_2304070267 X900 長谷寺 本堂 G7X.jpg 211.開山堂
内陣と外陣の間を通って西へ抜ける。本堂の外廊から、緩やかな石段の先に開山堂が見えた。開山堂は、長谷寺を開山した徳道上人を祀るお堂である。徳道上人は、奈良時代の高僧で、727年(神亀4年)に聖武天皇の勅願により、東の丘(現在の本堂のある場所)に本尊十一面観世音菩薩を安置し長谷寺を開山したとされている。鎌倉にある長谷寺にも何度かお参りしたことがあるが、鎌倉長谷寺の十一面観音は奈良の長谷寺とも縁があると伝えられる。721年大和国長谷寺を開山した徳道上人により2体の観音像が彫られ、1体は奈良長谷寺へ、もう1体は衆生救済の願いを込め、海へと奉納された。その15年後、相模国の沖合いにその観音像が現れ、鎌倉長谷寺開創の礎となったそうだ。鎌倉長谷寺のホームぺージには、その本尊の十一面観世音菩薩像も、木彫仏としては日本最大級(高さ9.18m)の仏像と記されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO250 ) 露出補正 なし
212_2304070268 X900 長谷寺 本堂 G7X.jpg 212.大黒堂
本堂を出たすぐその右側に大黒堂があった。この大黒堂は、江戸時代前期の1650年(慶安3年)に再建された、2間四方寄棟造り、一重、本瓦葺きの建物である。本尊として、4尺5寸の大黒天立像(大黒天が米俵の上に立ち福袋と打ち出の小槌を持つ姿)が安置されている。大黒天像の左側には鬼子母神、右側には愛染明王と弁財天が祀られている。パンフレットによると、尊像は弘法大師の作と伝えられている。商売を繁盛させ、財宝を人々に授け、台所を守護し食物を満たすご利益があるそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO250 ) 露出補正 なし
213_2304070270 X900 長谷寺 本堂 G7X.jpg 213.舞台から五重塔を眺める
五重塔は、1954年(昭和29年)に戦争殉難者檀信徒慰霊および世界平和を祈願して建立された。もともと長谷寺にあったのは三重塔であり、 建っていた場所も少し違うので、再建ではない。戦後日本に初めて建てられた五重塔で昭和の名塔と呼ばれている。純和様式の整った形の塔で、塔身の丹色と相輪の金色、軽快な檜皮葺屋根の褐色は、背景とよく調和し、光彩を放っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO500 ) 露出補正 なし
214_2304070271 X900 長谷寺 本堂 G7X.jpg 214.舞台からの眺め
舞台から奥の院の陀羅尼堂や本坊がある南の方向を眺めた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO250 ) 露出補正 なし
215_2304070278 X900 〇長谷寺 本堂 G7X.jpg 215.礼堂の際から五重塔を眺める
外舞台から少し高くなった礼堂の際から撮った。長谷寺の本堂は、創建以来実に7度の火災によって焼失している。最後に本堂が燃えたのは室町時代の天文5年(1536年)であり、天正16年(1588年)に豊臣秀長の援助によって本堂の再建がなされたが、その後の江戸時代初期には徳川家光の寄進によって建て替えが行われ、慶安3年(1650年)に竣工、それが今に残る本堂である。礼堂には「大悲閣(だいひかく)」と書かれた大きな額が掲げられている。「悲」は悲しみではなく、慈悲の「悲」だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 22mm ISO500 ) 露出補正 なし
216_2304070281 X900 長谷寺 本堂 G7X.jpg 216.本堂の外陣(げじん)・礼堂(らいどう)
内舞台とも呼ばれる。礼堂は正堂(内陣)に祀られている本尊十一面観世音菩薩立像を礼拝するところである。本堂の前部にあって参詣者のための空間となっているのが礼堂である。建物は、入母屋造妻入り、床は板敷き、天井は化粧屋根裏(天井板が無く構成材をそのまま見せる構造)、間口9間、奥行4間で、このうち奥の間口9間、奥行1間分を相の間としている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/320秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 なし
217_2304070283 X900 長谷寺 G7X.jpg 217.弘法大師御影堂
本堂から西に向かって、緩やかな道があり、その先に弘法大師御影堂が見えた。御影堂(みえどう)は、宗祖弘法大師(空海)の入定1150年遠忌を記念して、その徳を偲び1984年(昭和59年)に建立された堂宇である。令和5年は弘法大師が生まれて1250年になり、道の両側には、弘法大師生誕1250年を祝う登りが何本も並んでいた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 27mm ISO800 ) 露出補正 なし
218_2304070300 X900 長谷寺 G7X.jpg 218.上登廊を下りる
本堂からは弘法大師御影堂、五重塔、陀羅尼堂、本坊を拝観して仁王門に戻る道もあるが、雨も降っているし、かみさんを歩かせるのも酷である。長谷寺には2018年に一度来ていることでもあり、回り道はせず、上がってきた登廊を下りる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/320秒 22mm ISO3200 ) 露出補正 なし
219_2304070306 X900 〇長谷寺 G7X.jpg 219.シャクナゲ -3
長谷寺のパンフレットには、日本石楠花と記されていた。調べてみると、日本石楠花と西洋石楠花の違いは、葉にあり、日本石楠花は、葉の裏側に細かい毛が生えている。西洋石楠花の葉には、まったく毛は生えていない。そこは確認してこなかった。長谷寺の石楠花は2500株もあるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/320秒 37mm ISO31600 ) 露出補正 なし
220_2304070317 X900 〇長谷寺 G7X.jpg 220.下登廊
下登廊を下りてくると、左手に梅心院と歓喜院の昭和寮との間の小道に枝垂桜が咲いていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 11mm ISO250 ) 露出補正 なし
221_2304070317 X900 〇長谷寺 G7X.jpg 221.仁王門と枝垂桜
仁王門まで下りてきた。時計は12時を回っていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO250 ) 露出補正 なし
222_2304070327 X900 〇長谷寺 G7X.jpg 222.門前通りの食事処
仁王門を出て、石観音がある受付の前に桜馬場というところがあった。昔、桜の並木が有名で花の見所とされ、参拝者が馬をつないでいたので「桜ノ馬場」と呼ばれている。この日は観光客は少なかったが、長谷寺と門前町を繋ぐ、多くの人で賑わう場所である。そこから門前通りが始まるが、その取っ掛かりにある食事処に入り、天婦羅うどんで昼食にした。門前通りを少し歩き始めたが、人通りもなく活気がなかったので、引き返してバスへ戻る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 17mm ISO320 ) 露出補正 なし
223_2304070397 X900 〇大野寺 G7X.jpg 223.大野寺 山門
バスは東へ20分ほど走って、今回のツアーの最後の訪問地である大野寺に着いた。大野寺(おおのでら / おおのじ)は、奈良県宇陀市室生大野にある真言宗室生寺派の寺院。山号は楊柳山、本尊は弥勒菩薩。役行者が開き、天長元年(824年)、弘法大師によって堂宇が建立されたと伝えられる。室生寺の西の大門に位置する。宇陀川岸の自然岩に刻まれた彌勒磨崖仏があることで知られ、枝垂桜の名所としても知られる。とあった。(wikipedia)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
224_2304070341 X900 〇大野寺 G7X.jpg 224.大野寺 本堂と枝垂桜
大野寺には全国的に珍しい樹齢300年を超えるコイトシダレザクラ(小糸枝垂桜)が2本あり、境内にはその他30本ほどのベニシダレザクラが植えられているそうだ。コイトシダレザクラは奈良県指定天然記念物に指定されている。wikipediaでは、広義のシダレザクラとは、枝がやわらかく枝垂れるサクラの総称である。野生種(種のレベル)のエドヒガンから生まれた栽培品種には、狭義のシダレザクラやベニシダレなどがある。枝が枝垂れるのはイチョウやカツラやクリやケヤキなどでも見られるが、その原因は突然変異により植物ホルモンのジベレリンが不足して枝の上側の組織が硬く形成できず、枝の張りが重力に耐えられなくなっているからと考えられている。枝垂れ性は遺伝的に劣性のため、シダレザクラの子であっても枝垂れのない個体が生まれる場合があると記述されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
225_2304070345 X900 〇大野寺 G7X.jpg 225.枝垂桜 -1
境内を奥の方へ歩いていくと、まだまだ咲いている枝垂桜があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
226_2304070347 X900 〇大野寺 G7X.jpg 226.枝垂桜 -2
花は雨に濡れて寒そうだ。今年は例年よりも桜の開花が早く、今回のツアーは、桜の適期を狙って申し込んでいたのだが、奈良でも、すでに適期を逸していた。だが、長谷寺とここ大野寺の枝垂桜は満開だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
227_2304070351 X900 〇大野寺 ハナズオウ G7X.jpg 227.ハナズオウ(花蘇芳)とシャクナゲ
境内には中国原産のマメ科のハナズオウやシャクナゲが咲いていた。ここのシャクナゲは長谷寺のとは違い、葉の幅が狭かった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
228_2304070362 X900 〇大野寺 G7X.jpg
228.ニイタカシャクナゲ
Picture This で検索するとニイタカシャクナゲと同定した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
229_2304070379 X900 大野寺 G7X.jpg 229.コイトシダレザクラ(小糸枝垂桜)?
224.の写真と同じ桜だが、柵で囲まれていたので、この桜が樹齢300年を超えるといコイトシダレザクラだろうか?境内に咲く他の枝垂桜と明確には区別できなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 13mm ISO250 ) 露出補正 なし
230_2304070381 X900 大野寺 G7X.jpg 230.弥勒摩崖仏
大野寺の前を流れる宇陀川の対岸に位置する高さ約30mの大岩壁に刻まれた弥勒磨崖仏である。岩壁を高さ13.8mにわたって光背形に掘り窪め、その中を平滑に仕上げた上で、像高11.5mの弥勒仏立像を線刻で表す。興福寺の僧・雅縁の発願により、承元元年(1207年)から制作が開始され、同3年に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われた。作者は宋から来日した石工・伊行末(いぎょうまつ/いのゆきすえ)の一派と考えられているそうだ(wikipedia)。2018年の秋に室生寺を訪れたときに、近鉄の室生寺口大野駅からタクシーで室生寺へ行く途中、この摩崖仏を見ている。サムネイルをクリックして写真を拡大して見ていただくと、右側の岩の上部、葉の影になって暗くなっているところのすぐ下に、線彫りされた石仏のお顔を見ることができる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 13mm ISO250 ) 露出補正 なし
231_2304070389 X900 〇大野寺 G7X.jpg 231.大野寺境内
大野寺を拝観し、境内に咲く枝垂桜を見て、摩崖仏に手を合わせた。これで、今回のツアーの目的はすべて終わった。外から境内の桜を眺めながら、駐車場へと歩く。 

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO320 ) 露出補正 なし
232_2304070403 X900 〇三河安城駅 G7X.jpg 232.新幹線 三河安城駅
大野寺から3時間ほどバスに揺られ、夕方5時過ぎに三河安城駅に到着した。安全運転をしてくれたバスの運転手さんに感謝して別れ、駅構内へと歩く。乗車する新幹線は18:52発のこだま746号だ。それまでの間、一人で参加されていた写真が趣味のご婦人と、3人で駅構内の串揚げ屋さんで、一杯飲んで時間調整をした。新横浜には20:59に到着した。桜には少々遅く、天候もいまいちだったが、訪れたところはそれぞれが印象に残った良いツアーであった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/250秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし

2022年4月11日

高野山 墓参 3月28日

3日目。娘は昨日、仕事で東京へ戻ってしまったが、娘の主人が私たちの高野山墓参に付き合ってくれた。私の兄が存命の頃は、3年に1回、親族が高野山に集まる機会があったが、9人いた父親の兄弟も高齢になり、その集まりも終了した。
 その後も数年に1回、父母、兄夫婦の眠る高野山へお墓参りに来ている。前回来たのは2018年11月だったので、3年と4か月ぶりの墓参になった。
 京阪電車、祇園四条駅発6時37分の特急に乗り淀屋橋で地下鉄御堂筋線に乗り換え難波へ出た。南海高野線の特急こうや号は8時42分発だ。駅構内でカフェに入りモーニングセットを食べたが、なかなか美味しかった。
 特急こうや号の車両は新しくなっていた。(ところが後で調べてみたところ、実は30年前に造られた車両だった)終点の極楽橋から高野山へ上るケーブルカーも新型の車両になっていた。難波駅で購入した特急券に高野山でのバスのフリー切符が付いていたので、ケーブル高野山駅からバスに乗り、まず、菩提寺である恵光院へ行った。今日は月曜日で観光客は少ない。
 恵光院の本堂で位牌にお参りした。過去帳には私がお参りした記録も残されている。  家内が昨年10月にアキレス腱を損傷し、歩行が完全ではないので、いつもは歩いて石畳の杉並木を歩き、中の橋のちょっと手前にある先祖代々の墓にお参りするのだが、今回は恵光院でタクシーを呼んでもらい、中の橋のバス停まで乗って行った。そこから、杉並木の奥の院参道に戻り、その中の橋の近くにある墓にお参りした。  杉並木の石畳を歩き、再び恵光院に戻り、タクシーを呼んでもらう。娘の小学校の同級生の母親で、家内と今も付き合いのあるかたの、若くして亡くなられた息子さん(娘の同級生)の菩提寺、正智院まで行ってお参りしてきた。
 本堂でお参りしたあと、その庭園と襖絵、掛軸など寺の素晴らしい所蔵品を見せていただいた。正智院の記述については、平成29年7月7日に発行された「霊訪館だより」に鳴海祥博氏が書かれている「高野山の古建築 第27回 正智院」を参照させていただいた。
 今回は奥の院も、金剛峯寺にもお参りはしなかった。  午後1時半になった。高野山駅へ行くバスの停留所の近くの食堂に入りそばを食べ昼食にした。この季節、高野山は肌寒い。桜もまだ咲いていない。朝早かったこともあり少々疲れた。
 帰りの特急こうや号は、15時39分迄ない。新大阪に着いたのは夕方6時近かった。

000_220328441 X700 〇高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg
高野山参道 奥の院への杉並木 2022年3月28日 和歌山県

001_220328065 X800 南海高野線 G7X.jpg 1.特急こうや号 車内
この日は月曜日であり、電車はガラガラだった。南海高野線のこうや号はJR和歌山線(王寺~和歌山)と接続する橋本駅から先は勾配が大きく、単線になる。橋本駅 -極楽橋駅間は「こうや花鉄道」の愛称が付けられ、特に高野下駅以南は50‰の勾配、制限速度33km/h、半径100m以下の急カーブが続く登山鉄道となっており、21m級の車両は走行できないため、この区間に乗り入れる列車にはズームカーと呼ばれる17m級の中型車両のみが使用されている。(wikipediaを参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
002_220328072 X800 南海高野線 極楽橋駅 G7X.jpg 2.高野山ケーブル
南海高野線の終点極楽橋駅から霊峰高野山の玄関口であるケーブル高野山駅までを結ぶ、南海電気鉄道のケーブルカー路線は通称高野山ケーブルと呼ばれるが、前回来たときに比べると車両が新しくなったようだ。2018年(平成30年)11月26日 - 2019年(平成31年)2月28日:車両の新造ならびに諸設備の更新工事実施のため運休し、その間バスで代行され、2019年(平成31年)3月1日:運行再開。車両は新造の4代目のN10・20形に置き換えられたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし
003_220328493 X800 高野山 恵光院 本堂 Z50 18-140.jpg 3.恵光院本堂 外観
ケーブルの高野山駅からバスに乗って苅萱堂前で下り、まず、菩提寺である恵光院へ行った。高台にある本堂へ上がり、位牌に参拝する。この本堂は平成3年に近藤説巌上綱により再建された。昨年、第53世近藤大玄上綱が亡くなられ、現在は近藤説秀さんが住職を務められている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 40mm ISO160 ) 露出補正 なし
004_220328080 X800 恵光院 本堂 G7X.jpg 4.恵光院本堂 内部
若いお坊さんが過去帳を開いてくれた。そして、お祀りされていた位牌をご本尊様の仏像の前に配してくれたので、お参りする。ご本尊様は、中央に阿弥陀如来、向かって右に弘法大師、左に不動明王が祀られている。左手に置かれているのは、昨年亡くなられた近藤大玄上綱のお写真。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f2.5 1/320秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
005_220328082 X800 恵光院 G7X.jpg 5.恵光院 玄関から本堂への廊下
恵光院は宿坊をしており、今はコロナ禍で泊る人も少ないだろうが、世界遺産に登録された後、外国人の客が多いようで、案内板に英語が添えられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
006_220328439 X800 高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 6.写真業界先賢萬霊の碑
中の橋バス停から、大きな杉の木の立ち並ぶ奥の院への石畳の参道へと歩く途中に、写真業界先賢萬霊の碑というのがあった。昭和31年(1956年)6月1日建立。たくさんの写真が焼き付けられている。写真業界先賢萬霊の碑と彫られた石碑の形はブローニー版のパトローネの様だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 40mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_220328447 X800 〇高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 7.中の橋
昭和27年に第二次世界大戦の戦死者を供養するために建てられた、英霊殿を背にして歩いてくると、右は奥の院弘法大師御廟、左は一の橋という案内板が立つ大きな杉の木の建ち並ぶ奥の院への石畳の参道に出る。この日は奥の院へお参りするのを割愛させていただき、墓参を優先させて左に行く。中の橋が見えてきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 40mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220328449 X800 〇高野山 中の橋 姿見の井戸 Z50 18-140.jpg 8.姿見の井戸
中の橋を渡る手前の橋詰に汗かき地蔵をお祀りしているお堂があるのだが、 このお堂の右側に姿見の井戸と呼ばれる小さな井戸がある。 この井戸を覗きこんで、自分の顔が映らないと3年以内に死んでしまうといわれているのだそうだ。覗き込んでみた。映った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 なし
009_220328451 X800 〇高野山 中の橋 汗かき地蔵 Z50 18-140.jpg 9.汗かき地蔵
汗かき地蔵の説明板には、「汗かき地蔵は、常に人々の犯した罪に苦しみ、その苦しみを慈悲によって変わって受け、そのため汗を流しておられると言われています。黒っぽい石材に地蔵尊が半肉彫りされていて、実際にツユが吹いて汗が流れているように見えるときがあるようです。」と記されていた。高野山に伝わる伝承としては、奥の院への参拝者を含めた世の中全ての人々の罪を一身に背負って、代わりに汗をかいていると言われているそうだ。そしてこの地蔵堂と中の橋の向こうに、私の先祖代々の墓がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO720 ) 露出補正 なし
010_220328452 X800 高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 10.市川団十郎墓所
中の橋から一の橋へ参道を下がっていくと、市川団十郎の墓所があった。 「初代市川團十郎供養塔」と表示されている資料(「高野山奥の院の墓碑を訪ねて」)があるという。市川團十郎と云えば、約350年も続いているという成田屋の市川宗家であり、元禄17年(1704年)没。舞台上で役者に刺殺されたといわれている。初代が最初に眠っていた墓は、東京都港区芝公園にある常照院とされ、初代から七代目までは常照院に墓があったそうだ。九代目の市川團十郎は宗派を神道に改宗したために、亡くなった後はその公営の墓地がある青山霊園に建立された。今までの歴代團十郎が眠っていた墓地を青山霊園に移す事となり、歴代の團十郎は青山霊園で合墓となったという。では、この写真の市川団十郎墓所というのは何なのだろうか。放置されて荒れているようにも見えるが。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO800 ) 露出補正 なし
011_220328469 X800 〇高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 11.杉並木の石畳
一の橋から奥の院御廟までの参道約1.6kmの両側にそびえ立つ樹齢約200年~600年の大杉林は、和歌山県の天然記念物に指定されている。大杉の総数は1300本を数え、樹高50m級の巨木もある。なかでも樹形材質共に優れた樹木を保存し、優良な種子穂木を確保する目的で農林水産大臣が法律に基づき、特別母樹林に指定している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 28mm ISO450 ) 露出補正 なし
012_220328472 X800 高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 12.明智光秀墓所
私が知っている明智光秀の墓は、2020年11月に訪れた滋賀県大津市坂本にある西教寺である。NHKの大河ドラマにもある。しかし、一説に、本能寺の変のあと、山崎の合戦で討ち死にしたのは影武者であり、光秀は中洞(岐阜県山県市中洞)に落ち延びて荒深小五郎と名乗り、住んでいたと伝えられていて、その後、慶長5年(1600年)、関ケ原の合戦に参戦しようとした道中、増水した藪川(根尾川)で馬共に流されて亡くなったとされているそうだ。中洞白山神社の林の中に光秀の墓とされる「桔梗塚」があり、現在まで地元の荒深氏一族によって大切に守り続けられ、年に2回供養祭が行われているそうだ。では、ここ高野山の墓所は何なのだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
013_220328475 X800 高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 13.石田三成墓所
すぐ近くに石田三成の墓があった。石田三成の墓は京都市の大徳寺三玄院にあるが、江戸時代は、徳川家が三成の墓を許さなかったようである。このため三成の墓は、土に埋められ、世の中に顔を出さなかっというが、戦前にはその墓が発掘されて遺骨も出土しているそうだ。高野山の墓は生前に長命祈願のために自身が建てた「逆修墓」だという説がある。なぜ、高野山にはこのような戦国武将の墓があるのだろうか。 和歌山歴史物語というサイトには、中には武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、伊達政宗といった戦国武将の墓もある。 これは高野山、しいては空海のそばで眠りたいとの先人たちの願いがこめられているという。高野山への納骨の風習は鎌倉時代から始まり、墓石として石造りの五輪塔が登場したのが室町時代末期。現在は江戸時代初期造立の諸大名の五輪塔が墓石群の中核となっている。これは徳川家康が高野山を墓提所と定めたため、諸大名がこぞって高野山に墓石を建てたことが大きな要因。結果、大名家の墓は110家にもおよび、その数は全国大名の約40%を占めるという。「高野山で眠りたい」という願いは一般庶民も同じ。そこで、素朴でこじんまりとした一石五輪塔を奉って願いを叶えたのだ。ほかに、織田信長、豊臣一族、明智光秀ら多くの戦国武将の墓も。皇族、貴族、大名、一般庶民と、生前の所業や敵味方は死後は一切関係なし。すべての人を等しく受け入れるのは高野山の懐の深さか。しかし、私の祖先が、なぜ高野山に墓所を持つことが出来たのだろうか? 菩提寺である恵光院の当時のご住職と、コネがあったからだと聞いたことがあるが、それ以上のことは次男坊の私にはわからない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
014_220328485 X800 〇高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 14.陽の光が差し込む杉並木
戦国大名の墓を見ているうちに一の橋が近くなった。差し込む陽の光に杉並木が生える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 47mm ISO900 ) 露出補正 なし
015_220328554 X800 〇高野山 正智院 Z50 18-140.jpg 15.正智院
若くして心臓病で急逝した娘の小学校時代の同級生が眠る正智院に寄った。母親同士が、その頃から今もお付き合いが続いている。正智院は、壇上伽藍の北側の奥にある静かなところだ。正智院は、天平年間(1110年~1113年)に正智坊教覚によって開基され、その中興の学僧・道範大徳は高野八傑のひとりであり、聖僧・学僧等が相次いで傑出し高野山でも屈指の学問寺院として、その法灯を守り続けた寺院という。筑前の黒田家、薩摩の島津家の帰信が厚い。本尊は阿弥陀如来。有名な国宝文館詞林 、不動明王、五銛鈴その他仏像、仏画・典籍を多数所蔵されている。岩山を背景に枯山水の庭園、客間の襖絵などを見せていただいた。ご住職がとても立派なお方だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
016_220328495 X800 〇高野山 正智院 本堂 Z50 18-140.jpg 16.正智院 本堂
ご住職にご挨拶して、まず御本堂でお参りをした。本堂は大楽院というお寺の本堂を移築したものだそうだ。そのため、右手の一段高い内陣の奥に大楽院の本尊が、左手の奥に正智院の本尊が祀られている。中は非常に暗かった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/8秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
017_220328498 X800 高野山 正智院 庭園 Z50 18-140.jpg 17.正智院の庭
実は前回、2018年11月にも正智院に参拝している。その時は紅葉の頃だったので鮮やかだったが、今の季節はちょっと殺風景なのは仕方がない。この庭は、重森三玲が作庭した苔と岩肌の美しい枯山水庭園で国登録名勝になっている。写真は庭のごく一部。いい写真が撮れなかった。昭和27年(1952年)に重森三玲が水墨画水面的な発想を基に作庭した。庭の正面に大きな岩山があるが、この「影向岩」(明神岩とも呼ばれる)という巨大な岩は道範大徳がこの場所で明神様(影向明神・高野明神)を感得したことから名づけられたと言われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
018_220328510 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 18.正智院の客殿
正智院の客殿は広くて立派だった。大きな客殿は襖で仕切られ、襖を開けば連続した座敷になる。庭園に面した客間の襖絵は谷文晁や、名のある絵師によって描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/60秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
019_220328521 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 19.正智院の大広間の襖絵 -1
部屋を取り囲むように、広間の襖に、正智院の枯山水の庭が描かれていた。ご住職が説明してくださったのだが、撮影に夢中になり、作家の名前を覚えておくことが出来なかった。襖絵には庭の春夏秋冬が描かれ、庭の正面の大きな岩山「影向岩」に降り立つ白い束帯姿の影向明神が描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/160秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
020_220328522 X800 高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 20.正智院の大広間の襖絵 -2
明神様の左側が描かれている。部屋の広さが推し量れる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/125秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
021_220328525 X800 高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 21.正智院の大広間の襖絵 -3
さらにひとつ襖をあけて下さり、見せていただいたのは、庭の秋が描かれた襖画だった。そして右側の襖に冬が描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/125秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
022_220328543 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 22.正智院 円山応挙の掛軸
右下に「應擧」の銘が見られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/100秒 24mm ISO6400 ) 露出補正 なし
023_220328570 X800 高野山 壇上伽藍 金堂 Z50 18-140.jpg 23.根本大塔と八角灯篭
正智院のお参りを終え、根本大塔の後ろ側から壇上伽藍に上がった。何回も高野山に来ているが根本大塔の内部に入ったことはなかった。今朝、難波駅で購入した特急こうや号の「高野山・世界遺産きっぷ」に、高野山内バスのフリー切符のほかに根本大塔の入場割引券が付いていたので、入って見ることにした。wikipediaによれば、根本大塔は何度かの焼失の後、現在の塔は1937年(昭和12年)に空海入定1100年を記念して再建したもので1階平面が方形・2階平面が円形の鉄筋コンクリート造の16間(約30m)四面・高さ16丈(約50m)の2層の多宝塔である。中尊(左右に脇立を従えて、中央に安置される仏像)は、丈六(立像のたけが一丈六尺=約5m ある仏像。座像では、その半分の高さの仏像)の胎蔵大日如来坐像、その中尊を取り囲むように、四方に金剛界四仏の、阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就の4如来を安置し、本来別々の密教経典に説かれている「胎蔵曼荼羅」の仏像と「金剛界曼荼羅」の仏像を一緒に安置するが、これは「金胎不二(こんたいふに)」の教えで、両者は不二一体である(根本的には1つ)という空海の思想を表したもので、堂内そのものが立体曼荼羅となっている。また塔内の柱16本には、十六大菩薩画像、壁面には真言八祖画像が堂本印象画伯によって描かれている。そして内部正面の梁には昭和天皇宸筆の勅額「弘法」が掲げられている。内部は撮影禁止であった。根本大塔の前にある「八角燈籠」は東大寺大仏殿の金銅八角燈籠(国宝)とよく似ている。楽器(横笛、尺八、鈸子、笙)を奏する音声菩薩(おんじょうぼさつ)が、鉄格子と唐草文様の透かしに浮彫で表されている。これは根本大塔の再建を記念して南海電鉄が奉納したものだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 29mm ISO220 ) 露出補正 なし
024_220328566 X800 高野山 壇上伽藍 御影堂 Z50 18-140.jpg 24.御影堂(みえどう)
私はこの建物の姿は美しいと思う。御影堂は金堂の北側、根本大塔の西側にある。wikipediaによれば、御影堂は大師の持仏堂として創建され、天保14年(1843年)の大火で消失し、弘化4年(1847年)再建、梁間15.1mの向背付宝形造檜皮葺。空海の弟子の真如親王筆とされる弘法大師御影を本尊とし、外陣には空海十大弟子の肖像が掲げられている。堂の背後には、土蔵造りの御影堂宝蔵があり、かつては数々の霊宝や貴重な文書を保管する金庫や宝物庫としての重要な役割を果たした。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO280 ) 露出補正 なし
025_220328590 X800 高野山 壇上伽藍 Z50 18-140.jpg 25.壇上伽藍入り口
いつもはここから根本大塔の方へ歩いて行くが、今回はここから出てきた。秋には道の両側の紅葉がきれいだ。壇上伽藍へ通じるまっすぐなこの道を蛇腹道と言い、高野山では紅葉のスポットとして有名である。蛇腹道という由来は、高野山全体の寺院の並びを、蛇に見立てた時、ちょうどこの壇上伽藍に通じる蛇腹道が、蛇のお腹のあたりなるので「蛇腹道」の名前が付されたという。それにしてもこの日は観光客が少ない。こんな静かな高野山は初めてだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO220 ) 露出補正 なし
026_220328593 X800 高野山 壇上伽藍 Z50 18-140.jpg 26.金剛峯寺
今回は金剛峯寺は参拝しないで失礼した。金剛峯寺は弘法大師が金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経の真意に基づいて名付けられた高野山の総称だったが、現在は高野山弘法大師御廟を信仰の中心として結成された高野山真言宗3600寺、信徒1千万人の総本山の名称として知られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO320 ) 露出補正 なし
027_220328096 X800 ケーブル高野山駅 G7X.jpg 27.ケーブル高野山駅
千手院橋バス停の傍で簡単に昼食をとり、バスに乗ってケーブル高野山駅へ向かった。極楽橋からの特急こうや号に接続するケーブルまで1時間ほど待たされることになった。帰りの切符は買ってなかったので、購入し、駅舎の外へ出てみた。駅の標高は867m。1930年(昭和5年)に高野山電気鉄道鋼索線開通と同時に開業し、2015年にリニューアルされている。国の登録有形文化財に登録されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
028_220328103 X800 ケーブル極楽橋駅 G7X.jpg 28.ケーブル極楽橋駅の天井
ケーブルカーが高野線に接続する極楽橋駅は2020年7月にリニューアルされていた。和歌山経済新聞に記事によると、駅名になった朱塗りの「極楽橋」は、高野山の聖域と俗世を区切る結界とされることから「はじまりの聖地、極楽橋」をコンセプトに、高野線側コンコースを「俗世」、ケーブルカー側コンコースを「聖域」に見立て、改装されている。南海高野線側コンコースは黒を基調とし、「いのちのはじまり」をテーマに極楽鳥や高野山ゆかりの動植物など約50種を天井画にした。写真のケーブルカー側コンコースは赤色と白色で構成する「宝来」と呼ばれる切り絵をモチーフに、極楽鳥や干支、縁起物が天井に描かれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
029_220328106 X800 〇ケーブル極楽橋駅 G7X.jpg 29.極楽橋駅に並んだ特急車両
改札がはじまって南海高野線のホームへ行くと、特急電車の車両が並んでいた。一番右側に見えるのが、来るときに乗ってきた最新の車両で、と言っても1992年11月から運用されている31000形。真ん中は1983年年5月に3代目「こうや」として誕生した30000形。左が橋本ー極楽橋の「天空」で高野線で1969年から運用されている2200系だ。一番新しい31000形でも今から30年前にできた車両だが古さを感じさせない。無事、新大阪から「ひかり」に乗って新横浜に着いたのは夜9時少し前だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし


2018年12月14日

百済寺 11月8日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(6)

午前11時40分、次の目的地である百済寺に着いた。永源寺から北へ、それほど遠くはなかった。琵琶湖の東に「湖東三山」と呼ばれる天台宗の3つの寺院がある。先に訪れた永源寺は湖東三山に含まれないが、この百済寺と昼食後に行く、西明寺、金剛輪寺と併せて湖東三山と呼ばれている。
 この釈迦山百済寺はそのホーム・ページによれば、飛鳥時代、推古14年(606)に聖徳太子の勅願によって開かれた近江最古の仏教寺院である。創建当時は、日本に仏教を伝来した渡来僧や先進的な文化、技術を伝えた渡来系氏族の氏寺として発達した。平安時代になり、比叡山延暦寺が開創されると、やがて当寺院も天台宗となり、その規模は拡大され「湖東の小叡山」、「天台別院」と称されるほど壮大な寺院になった。
 平安末期から鎌倉、室町時代には、度重なる火災や戦乱による厄災によって、建物の多くを焼失したが、なお勢力を保ち続け再興を果たす。室町時代から安土桃山時代にかわる元亀4年(1573年)には、織田信長の焼き討ちによって全山灰燼に帰してしまったが、本尊「十一面観世音菩薩」(別名:植木観音菩薩、全高3.2m)は背後の山を越えた8㎞先の奥の院に避難することができ焼失を免れている。天正12年(1584年)には仮本堂が建てられたものの、長らく再建には至らなかったという。江戸時代になり、寛永14年(1637年)には明正天皇による再建を勅許する論旨を得て、僧侶たちは諸国に勧進し、幕府の老中や大奥、東叡山寛永寺、彦根藩主などから寄進、喜捨を受け、慶安3年(1650年)に本堂、仁王門、山門(赤門)等が完成し、いまもその姿をとどめている。
 表参道の石段は国道307号沿いにある赤門から始まるが、バスはその中ほどにある駐車場まで上がってくれた。しかし、ここからもなお石段は続く。ガイドさんは、選択肢を与えてくれた。ひとつは本堂まで、まっすぐに石段を登り、戻りはなだらかな迂回路を通って駐車場まで戻る方法。他ひとつはその逆で、登りは緩やかな坂の迂回路を行き、下りは石段を下りてくる。私たちは前者を選択した。
 写真の説明においても百済寺のホームページを引用、参考にさせていただいた。

116.長寿桜
バスの駐車場の傍らに長寿桜という桜の木があり、ちらほらと花が咲いている。長いときは10月の上旬から2月の初めまで咲いているところから長寿桜と呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
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117.参道の石段
表門を入って、ガイドさんは受付を済ませ、私たちはその後について本堂までの石段の参道を登り始める。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
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118.仁王門への道
やがて、大きな門が見えてきた。仁王門だ。この辺りは映画の撮影でもよく使用されるらしい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
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119.仁王門 -1
本堂近くに立つ仁王門は、本堂と同じ年代に建立された。仁王門では、3間2間で一対の金剛力士像が内側に向かい合って立っている。この仁王は寺を守る守護神で、金剛像は「阿形(開口)」、力士像は「吽形(閉口)」で勇猛、剛健、ともに健脚の両足に草鞋を履く「印度発祥の東洋的な神様」だという。日中に仕事を終え、夜間は草鞋を仁王門脇に脱いで立ちながら休むのだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
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120.本堂に向かって右側の草鞋
正面につり下げられた一対の大草鞋は、昔は仁王像の大きさに応じて50cm程度だったが、江戸時代中頃から仁王門を通過する参拝客が健脚、長寿の願を掛けるようになり、触れると、身体健康・無病長寿のご利益があると言い伝えられ、草鞋が大きいほどにご利益も大きいと、どんどん大型になっていき、今では3mほどになったそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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121.本堂に向かって左側の草鞋
地元の方々が、約10年毎に新調しているそうだが今年はこれからのようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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122.阿形(開口)の仁王像
前に記したように百済寺のHPでは、阿形のほうは金剛、吽形は力士とされているが、金剛力士像として、一つで言われることが多いように思う。ただ、一方を金剛、他方を力士とする説、両方とも金剛力士と呼ぶ説など諸説があるが、どの説も優勢となるには至っていないそうだ。(世界大百科事典での金剛力士の言及)

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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123.吽形(閉口)の仁王像
こちらの吽形は力士とされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/200秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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124.仁王門 -2
仁王門をくぐって登ってきた参道を振り返る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 24mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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125.本堂 国重要文化財・唐破風付入母屋造
仁王門の先に、すぐ本堂があった。HPによれば、百済寺の本堂は、これから行く西明寺、金剛輪寺の本堂よりもひとまわり小さいそうだが、天台形式の構造をもった均整のとれた建造物で、平成16年12月に文化庁より重要文化財の指定を受けている。本堂は室町時代の明応7年(1498年)に火災にあい、文亀3年(1503年)に兵火をうけ、さらに織田信長による焼き討ちで天正元年(1573)全山焼失してしまった。現本堂の背後に、広い旧本堂跡地がある。そこには現本堂の4倍ほどの大きな本堂があったのだが、そこは信長の焼き打ちで焼失してしまったのだ。その後天正12年に堀秀政により仮本堂が建立。のち天海僧正の高弟亮算が入寺し、堂舎再興の勅許を得て諸国に勧進し、江戸時代の慶安3年(1650)現在の本堂が竣工した。かつては現在より少し山手の広大な台地に、金堂と五重の塔があったそうだ。現在の本堂は、一重、五間六間、入母屋造で正面中央に軒唐破風が付せられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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126.本堂と三所権現社
本堂の右側に見える小さなお社は三所権現社といい、本堂と同時期の建立で熊野三社の主祭神が祀られている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
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127.本堂へ上がる
本堂内部(外陣)へ上がって、お参りをする。百済寺本堂は、中世以来の伝統的な仏堂形式に則って、内陣と外陣の対比的な空間秩序を保持しながら、平面的にも造形的にも近世らしい平明な構成を創りあげており、価値が高と言われている。

  SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
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128.本堂外陣 -1
内陣と区切られれている格子戸の前には閻魔大王がおられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/100秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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129.本堂内陣 -1
失礼して格子戸の格子の間から、内陣須弥壇を見させていただいた。見えている金色の仏さまは前立ち像で、その向こうに黒い扉がある。本尊の十一面観世音菩薩はその後ろの厨子に祀られている。百済寺本尊は全高3.2m(像高260cm)。寺伝によると聖徳太子が百済博士の慧慈(高句麗僧)の案内でこの山中に分け入って来られ、杉の大木の上半分が、百済国・龍雲寺の本尊十一面観音用に百済まで運び出された事を知り、下半分の根のついたままの巨木に十一面観音を刻んだことから、別名「植木観音」という名で崇められている。秘仏のため、普段は見ることが出来ない。実物を拝むことができるのはおよそ半世紀に一度という。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/160秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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130.百済寺の賓頭盧像
百済寺にもお賓頭盧さまが座っておられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/50秒 26mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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131.外陣天井と長押の奉納額
128.の写真と同じところの天井を撮っている。千社札が多く貼られてしまっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/125秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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132.聖徳太子孝養像
百済寺は推古天皇の時代に聖徳太子の勅願による創建だが、信長の焼き討ちで焼失後、ようやく慶安3年(1650年)に、将軍家光により、百済寺再建が許可され、本堂、山門、仁王門などが復興された。落慶記念奉納品として、将軍から極彩色の「聖徳太子孝養像」が寄贈された。この太子像は家光の乳母春日局(1643年没)が生前に江戸城大奥で大切に拝んでいた像であると言われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/80秒 26mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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133.本堂裏手
本堂からは、先に記した通りなだら坂と呼ばれる迂回路を下る。そのなだら坂のほうへ回ると本堂の裏手にでた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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134.鐘楼と本堂
鐘楼があった。現在の梵鐘は3代目で昭和30年(1955年)の鋳造だそうだ。初代は信長焼討ちの際に持ち帰られ、江戸時代に鋳造された2代目は、先の大戦で供出された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
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135.なだら坂
木立の間の石段のないなだらかな道を下る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 27mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
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136.陽が当たる紅葉
なだら坂にもモミジが多い。陽が当たって輝いているが、この木の紅葉はこれからのようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 39mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
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137.喜見院
喜見院のところまで下りてきた。百済寺の本坊は喜見院である。阿弥陀如来が祀られている。昭和15年に仁王門南側から現在の位置に移築され、それにともない庭園も旧本坊のものを拡張改造されたそうだ。寺社庭園としては、滋賀県内最大級で巨石群の配置が見事と言われる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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138.喜見院の庭園と遠望台
本坊庭園は別名「天下遠望の名園」と称されており、西方の借景は琵琶湖をかすめて、55km先の比叡山で、広大なパノラマ展望を望める。さらに西方、880km先には、往時の「百済国」があったという。百済からの渡来人が母国を偲ぶ気持ちで「遠望台」に立つ時、両国の深い交流関係が蘇ってくるのだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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139.喜見院 庭園 -1
この庭は東の山を借景に山腹を利用し、大きな池と変化に富む巨岩を配した豪華な池泉廻遊式ならびに観賞式の庭園で現代鈍穴流の作法で作庭されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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140.喜見院と紅葉
百済寺の紅葉はまだ少し早かったようだが、ここはきれいだった。建物とのコントラストが美しかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 25mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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141.喜見院 庭園 -2
聖徳太子の願文に「一宿を経るの輩は必ず一浄土に生る」とあるが、これにちなんでこの庭も東の山には弥陀観音勢至の三尊(阿弥陀如来を中尊とし、その左右に左脇侍の観音菩薩と、右脇侍の勢至菩薩を配する三尊形式)をはじめ各菩薩に見たてて石が配されている。これらの巨石は旧本坊庭園とさらに百済寺山内の谷川から集められたものを組み合せて作庭された。また、庭内には中世の石造品の残欠も多く見られるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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142.四季桜
庭園の鑑賞を終え、駐車場に戻ると桜が咲いていた。この桜はシキザクラのようだ。桜の園芸品種である。狂い咲きでない状態で、年に二度開花する。エドヒガンとマメザクラの交雑種と考えられている。一方、ジュウガツザクラ(十月桜)というのもあるが、それは、 コヒガンザクラの雑種あるいはマメザクラとエドヒガンの種間雑種と考えられているが、定かではない。花色は淡紅色で、花弁の先に濃いピンク色が残る。花期は10~12月頃と3月下旬頃の年2回である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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2018年12月 7日

室生寺 11月7日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(4)

長谷寺駅から近鉄大阪線で伊勢方面へ、2っ先の室生口大野駅まで行く。ここも2、3人観光客が下車するが閑散としている。室生寺行のバスは出たばかりで1時間ない。タクシーを呼ぶがそれも空きがなく30分ほど待たされて、やっと来た。バスを待っていた一人旅の女性をお乗せして室生寺へ向かう。タクシーのドラーバーが、途中、室生寺の末社である大野寺のそばで、川の向こう側にある摩崖仏を見せてくれた。
 タクシーは室生寺の入り口である太鼓橋のところまで行ってくれた。室生寺は真言宗室生寺派大本山の寺院である。
 室生寺の本堂へ上がる石段で、張り出した枝を避けようとして、転んでしまった。右手にリストストラップで持ったカメラが大事で庇ったので、右手で支えられないまま転んでしまった。脚のすねを強打、青あざができて腫れあがったが不思議と痛みはない。
 参詣を終えて、帰りはバスで戻ってきた。駅前のスナックで昼飯を摂る。ビールとスパゲッティ、かみさんは焼きそばを注文した。脱サラしたご夫婦でやっているのだが、旦那がよくしゃべる。次の電車の時間までの一休みだった。
 余談になるが、近鉄大阪線で1971年10月25日に、「青山トンネル事故」というATSの故障が発端で、特急列車が正面衝突するという事故があり、25名が亡くなっている。
 近鉄に乗り桜井方面へ戻り、桜井の先の大和八木で京都行急行に乗り換えた。16:20京都着。昨年も泊まったホテル近鉄京都駅にチェックインした。駅ビルで食事をしたあと、駅構内で「551」の豚まんを買ってホテルに戻った。豚まんは次の日の朝食になった。

68.大野寺の摩崖仏
室生口大野の駅から室生寺に向かうタクシーで5分ほど走っただろうか、運転手がタクシーを止めて、川向うに見える岩を指さし、大野寺の摩崖仏だと見せてくれた。仏様のお顔ははっきりは見えない。大野寺は室生寺の末社だそうで、wikipediaによれば、宇陀川をはさんだ対岸にある弥勒磨崖仏は、「石仏縁起」(万治2年・1659年)や「興福寺別当次第」によれば、興福寺の僧・雅縁の発願により、承元元年(1207年)から制作が開始され、同3年に後鳥羽上皇臨席のもと開眼供養が行われたものであるそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/640秒 28mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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69.太鼓橋
室生寺の境内には室生川にかかる太鼓橋を渡って入る。タクシーをその太鼓橋のところで降りた。太鼓橋の向こうに表門の屋根が見える。室生寺は女人禁制とされてきた高野山に対し、古くから女性の信仰を受け入れてきたことから「女人高野」の別称でも親しまれている。室生寺の創建は平安時代宝亀年間(770年 - 781年)にさかのぼり、国宝や重要文化財の仏像、建造物が多い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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70.慶雲殿
表門からは境内に入れない。覗いてみると、中には本坊庫裏が見え、その左手に慶雲殿が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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71.室生川にかかる太鼓橋
摩崖仏があったところの宇陀川は、奈良県宇陀市大宇陀宮奥付近に源を発し北へ流れ、多くの支流を集めて、三本松駅付近で近鉄大阪線と交差し県境を越え、三重県名張市黒田と名張市箕曲中村の境界で名張川に合流するそうだが、この室生川はその宇陀川の支流である。表門を渡ったところから、太鼓橋にかかる紅葉を眺める。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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72.赤門の屋根
表門の前を、室生川に沿って、右手に進むと赤門があった。紅葉はまだ少し早いようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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73.仁王門 -1
さらに室生川沿いに進む。参拝受付を終えると、すぐ目に入るのが仁王門。元禄に一度焼失し、その後長い間姿を消していたが、昭和40年(1965年)11月に再建された。門の両脇で構える仁王像も、昭和に再興されたもの。門の朱塗りも仁王像の色彩も、まだ色鮮やかで美しい。鎌倉時代の古地図によると、この仁王門のさらに奥に二天門があったと記録されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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74.仁王門 -2
仁王門に掲げられている扁額には「室生山」という文字が見える。wikipediaによれば、室生寺はを山号を「宀一山」といい、「宀一」は「室」のうかんむりと「生」の最後の一画だという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
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75.バン字池
仁王門をくぐると、左手に変わった形の池があった。この池はバン字池と言い、その名の通り梵字のバンの形をしており、大日如来を表しているそうだ。その池の水面に仁王門の紅葉が映っていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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76.鎧坂
バン字池を過ぎてすぐ左側、幅の広い、金堂へ上がる石積みの階段があった。室生寺の名所の一つである鎧坂だ。自然石が積み上げられた階段の様子が、編み上げた鎧の様に見えることからこの名がついたという。鎧坂の途中から下を眺める。もう少し紅葉が進むと、きれいだろう。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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77.金堂(国宝)
鎧坂を登ると、柿葺(こけらぶき)の金堂が石段の上に次第に競り上がって見えてきて、全貌の見える小さな平地に出る。ところが、この鎧坂を登りきるところで張り出した枝を避けようとして、バランスを崩し、転んでしまった。リストラップで持っていたカメラを守ろうとして、脚のすねを石段にぶつけてしまった。カメラは無事だった。写真の高床の正面一間通りは、江戸時代に付加した礼堂(らいどう)で、これが無かった時代には、この石段上から堂内の仏像の姿が拝めたようだ。 金堂は平安時代前期に建立され、その規模は桁行、梁間共に五間、屋根はこけら葺き、寄棟造の平入である。手前一間は礼堂と呼ばれ、江戸時代の寛文12年(1672年)に増築されたものだ。礼堂部分の屋根は、縋破風(すがるはふ)の付いた葺き下ろしとなっている。それ以前、鎌倉時代末期にも大修理が行われており、その際には多くの部材が取り替えられたという。また、建物の正面と左右には縁が付いており、この縁と礼堂の部分のみ、足の長い懸造(かけづくり)となっている。 「 閑古鳥旅行社」というサイトを見ると、金堂の内部には須弥壇が置かれ、本尊の釈迦如来立像を中心に、左手に文殊菩薩立像と十一面観音立像、右手に薬師如来立像と地蔵菩薩立像が安置されており(いずれも平安時代)、それらの前には鎌倉時代の十二神将立像が立ち並ぶ。本尊の背後の板壁には、帝釈天を中尊とする曼荼羅図が描かれているが、これは非常に珍しいそうだ。なお、金堂の左手には、弥勒菩薩立像と釈迦如来坐像を安置する、鎌倉時代建造の弥勒堂が建っているとあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO1600 ) 露出補正 -1.0段
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78.本堂(灌頂堂)(国宝)
参拝受付でいただいたパンフレットによれば、本堂には室生寺の本尊如意輪観音菩薩像(平安時代 重文)が安置されている。ここは真言密教の最も大切な法儀である灌頂を行う堂で、真言寺院の中心であるところから本堂と呼ばれる。延慶元年(1308年)の建立とのこと。五間四方入母屋造りの大きな建築で、内陣と外陣とを板扉で区画し、和様と大仏様の折衷様式を示す。正面に「悉地院」の扁額が掛けられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO320 ) 露出補正 -1.7段
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79.五重塔(国宝)
潅頂堂に向かって左側に、次の石段がある。その石段の上方に目をやると、国宝 五重塔が緑の木立に囲まれ堂々と建っているのが見えた。この五重塔は高さ16.22mで、屋外に建つ五重塔では日本で最も小さい。その小ささから、「弘法大師一夜造りの塔」と例えられることもあるそうだ。建立時期は室生寺最古の建造物で、天平時代末から平安初期の建立である。 屋外に建つ五重塔としては法隆寺五重塔の次に古い。平成10年、台風により大きな損害を被ったが、平成12年に修復され、檜皮葺の屋根や丹塗りの優美な姿がよみがえった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
181106_079.jpg
80.本堂(灌頂堂)の脇
前の写真で見える五重塔への階段を登って、さらに左手の坂道を上ると奥の院(木影堂 鎌倉時代の重文)がある。石段を登り五重塔を間近で見たが、奥の院へは、重なる石段に足が悲鳴を上げていて、登るのを断念した。ここは本堂の脇である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 -0.7段
181106_080.jpg
81.五重塔から本堂へ
近くで見ると小ぶりに見える五重塔を見上げて、本堂へと石段を下る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO1600 ) 露出補正 -0.3段
181106_081.jpg
82.バン字池に映るモミジ
再び仁王門のところまで下りてきた。バン字池に仁王門の屋根とモミジが映り込んでいる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
181106_082.jpg
83.仁王門 -3
仁王門の屋根とイチョウとモミジ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
181106_083.jpg
84.木漏れ日
まだ緑が残るモミジの葉に、木漏れ日が注がれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
181106_084.jpg
85.本坊 書院の庭
ここは本坊の書院のあるあたりだったろうか。記憶が定かでない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
181106_085.jpg
86.室生口大野駅
帰りは室生寺からバスに乗って室生口大野駅まで戻ってきた。室生寺の観光客は多かったのに、ご覧の通り閑散としている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 31mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
181106_086.jpg
87.室生口大野駅 プラットホーム
ここから、午前中に来た方向へもどる電車に乗る。長谷寺、桜井、を経て、大和八木で京都行に乗り換えるのだ。室生口大野駅の反対側プラットホームのベンチに、室生寺と大野寺のポスターがあった。摩崖仏、仁王門、五重塔がデザインされたなかなか渋いポスターと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
181106_087.jpg
88.「551」
大和八木で特急に乗り換えて、京都へ行こうと思ったが、すぐ急行が来たので乗ってしまった。停車する駅は多かったが、時間に余裕があったので、のんびり座ってきた。今日の行程は上手く行けるかどうかちょっと心配だったが、問題なかった。チェック・インして、夕食のため外出したが、ホテルに戻るときに駅構内で「551」の豚まんを買った。昨年暮れに京都に来た時もそうした。温かい「551」の豚まんは特に皮が旨い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO800 ) 露出補正 なし
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2018年12月 3日

奈良長谷寺 11月7日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(3)

奈良日航ホテルのベットはとても寝心地が良かった。最近、普段は夜中に2度は目が覚めて、トイレに行くが、ここでは朝まで眼を覚ますことなく熟睡した。朝8時前にチェック・アウトして、JR奈良駅へ行く。切符は改めて買うことはなく、SUICAが使える。JR奈良線で桜井へ行き、そこで近鉄大阪線に乗り換え、長谷寺駅へ着いたのは9時半だった。
 長谷寺駅で下車したのは、我々2人だけだった。観光客が多い門前町を想像していたが、駅前も閑散としている。スーツ・ケースを預けようとしたが、駅前にあったコイン・ロッカーは小さくて入らない。駅前に戸が閉まった飲食店らしき店があり「大きな荷物預かります」と看板はあるが、呼んでも出てこない。近鉄の駅員は「預かれません」とつれない。仕方なく、ガラガラと引きながら長谷寺の参道へと歩き始める。それが下りの階段なのだ。長谷寺の参道へ出て、途中にあったシイタケを売っていたおばさんの店で、頼んでスーツ・ケースを預かってもらった。やがて石観音がある長谷寺の入り口に着いた。ここからまた、石段の参道を登る。スーツケースを預かってもらって助かった。
 朝早いためか参詣客は少ない。仁王門のところが参拝入山受付となっていた。たまたま、10月13日~12月2日の間、普段は関係者以外立ち入りが禁止されている国宝本堂の内陣に入る事ができ、観音様のお御足に直接触れてお参り出来る「本尊大観音尊像秋季特別拝観」が出来るとのことで、この際、拝観することにした。残念ながら、写真撮影は禁止だった。
 長谷寺の参拝と紅葉を楽しんだ後、駅へ戻る途中で、荷物を受け取った。もちろん、シイタケを買って、店のおばさんにお礼を申し上げた。しかし、それから駅までの登りの階段は一苦労で、膝がガクガクになってしまった。
 長谷寺駅から次の目的地、室生寺の下車駅である室生寺大野は近鉄大阪線の2駅先である。

45.近鉄大阪線桜井駅
JR桜井線で桜井駅まで来て、近鉄大阪線の急行電車に乗り換えた。JR桜井線では観光客らしきご夫婦が何組かおられたが、ここで乗り換える人はほとんどいなかった。近鉄はさすが、JRを除いては日本最長の路線網を持つ大きな私鉄である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 27mm ISO125 ) 露出補正 なし
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46.長谷寺駅 駅前
9時半ごろ長谷寺駅に着いた。ここで下車した観光客は私たちだけだった。駅前は土産物屋もなく、この石柱と案内板があるだけで、閑散としていた。休日は賑わうのだろうか。こちらに来る前の天気予報は芳しくなかったが、快晴となった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 16mm ISO125 ) 露出補正 なし
181106_046.jpg
47.荷物を預かってもらった参道の店
はじめに記したように、駅前で預けることが出来なかったので、ここまでガラガラとスーツ・ケースを牽いてきた。かみさんが店の前で並べられていた干しシイタケを物色していると、その店のおばさんが出てきて「荷物預かりましょうか」と言ってくれた。ありがたかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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48.長谷寺参道
県道38号線が長谷寺の参道になっているが、長谷寺駅から石段を下りて県道38号線に出てから、さらに10分ほど歩く。ようやく左へ長谷寺の標識が出てきた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO250 ) 露出補正 なし
181106_048.jpg
49.新聞販売店
「初瀬新聞舗」という新聞販売店の軒の上には、ご覧のような新聞各社の看板が並んでいた。全国紙5紙、スポーツ新聞5紙、そして地方紙が3紙が勢ぞろいしていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 15mm ISO100 ) 露出補正 なし
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50.長谷寺入口
国道38号線を左に入ると長谷寺の入り口が見えた。石畳の先に見えるのが仁王門だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 15mm ISO100 ) 露出補正 なし
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51.普門院不動堂
普門院は、仁王門手前の右手(東側)にあった。普門院の不動堂は国の重要文化財に指定されている「木造不動明王坐像」が本尊として安置されている。この不動明王像は、今から約850年ほど前の平安時代平安時代後期のもので、興教大師(1095年~1144年)の作と伝えられている。永らく三輪明神 大神神社の供僧寺である平等寺に祀られていたが、明治時代初期の廃仏毀釈によって平等寺が廃寺となったため、1875年(明治8年)に普門院・不動堂の本尊として迎えられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO250 ) 露出補正 -0.7段
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52.仁王門 参拝入山受付
仁王門が参拝受付になっている。「本尊大観音尊像秋季特別拝観」の看板が立っていた。滅多にないことだと思い、入山料と別に1000円お支払いしてこの特別拝観券を求めた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 11mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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53.仁王門の扁額
仁王門は長谷寺の総門であり、三間一戸入母屋造本瓦葺の楼門である。両脇には仁王像、楼上に釈迦三尊十六羅漢像を安置する。現在の建物は明治27年(1894年)に再建された。「長谷寺」額字は、後陽成天皇の御宸筆といわれる。仁王門は平成27年11月から保存修理が続いていたが、平成29年3月に終わっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO640 ) 露出補正 なし
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54.仁王門から参道を振り返る
下の左側に見える、いま通ってきた長谷寺の入り口は総受付と呼ばれるが、参拝者の休憩所として使われ、山内の火事除けのため、「秋葉権現」が祀られている。総受付の脇に石観音が祀られている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 27mm ISO100) 露出補正 なし
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55.登廊(のぼりろう)
仁王門の先、さらに本堂に向け登っていくが、その登りは登廊と呼ばれる。重要文化財で、平安時代の長歴3年(1039年)に春日大社の社司中臣信清が子の病気平癒の御礼に造ったもので、百八間、399段、上中下の三廊に分かれてる。下、中廊は明治27年(1894年)再建で、風雅な長谷型の灯籠を吊るしている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 45mm ISO1250) 露出補正 -0.7段
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56.桜咲く
登楼を繋屋で右に折れ、さらに蔵王堂で左に折れ、登り切ったところの左側に三百余社があった。江戸時代前期の慶安3年(1650年)に造られた一間社春日造、銅板葺きの建物である。昭和61年(1986年)12月20日に国の重要文化財に指定されている。その三百余社の前で桜の花が咲いていた。この時期に花が咲く品種なのだろうか、それとも、今年の気候異常で狂い咲きしたのだろうか。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 43mm ISO125) 露出補正 -0.7段
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57.長谷寺本堂 国宝
初瀬山の中腹に大伽藍が広がっている。その境内の最奥部、本尊の十一面観音立像を祀る本堂は、江戸時代前期に幕府によって建てられた、巨大な懸造(かけづくり)の仏堂である。懸造とは、斜面の上に長い束柱を立て、その上に堂宇を築く様式の事で、舞台造とも呼ばれている。この長谷寺本堂は、江戸時代前期に建てられた建造物の中でも完成度が極めて高く、徳川幕府が建造した大規模仏堂の代表例でもあり、2004年国宝に指定された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO125) 露出補正 -0.3段
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58.本堂外陣 -1
舞台造、懸造とも称される長谷寺の本堂は国宝に指定されている。長谷寺本堂は、十一面観音を安置する内陣(正堂)と外陣(礼堂)、内陣と外陣をつなぐ相の間、そして絶景の広がる舞台で構成されている。本堂東側からみると、外陣内舞台の向こうに賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)の像が見える。その向こうの額縁のような外の景色が鮮やかだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO500) 露出補正 -1.0段
181106_058.jpg
59.本堂外陣 -2
外陣(礼堂) には大きな長谷型提灯が吊るされるている。いろいろな額が掲げられていた。寄進されたものなのだろう。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO2000) 露出補正 なし
181106_059.jpg
60.本堂外陣 -3
外陣の奥、内舞台に 賓頭盧尊者の像がある。賓頭盧尊(びんずるそん)は釈迦の弟子で通称「おびんずるさま」と呼ばれる「なで仏」で、病んでいる部位をなでると除病の功徳があるといわれる。お釈迦様が在世のころ、特別の神通力の持ち主であった賓頭盧尊者が、その神通力を世の人々に自由自在に誇示して見せたので、お釈迦様がお怒りになって、「お前は究極の悟りを得ず、この世にとどまって仏法を守り、人間の病を癒し、多くの衆生を救いなさい」と命令されたという。お釈迦様の言葉を守り、今に至っても人々を救う菩薩である。賓頭盧尊者の像は各地のお寺でみることがある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO400) 露出補正 -2.0段
181106_060.jpg
61.本堂外陣 -4
本堂外陣の天井には、江戸時代からの奉納品数々、絵馬(武者絵)が飾られている。江戸時代の観音菩薩信仰が盛んだった名残だろうといわれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO3200) 露出補正 なし
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62.本堂の舞台からの眺め
本堂は斜面の上に長い束柱を立て、その上に堂宇を築く様式の舞台造であるが、その舞台からの眺めは素晴らしかった。今回は周らなかったがここから右回りに下りていくと、本長谷寺、五重塔、奥の院、本坊がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO100) 露出補正 -0.3段
181106_062.jpg
63.長谷寺本堂正面
現在の長谷寺本堂は、急斜面を正面にして、初瀬の里を望むように建っている。屋根は一重の入母屋造だが、こちらは妻入であり、妻面が正面を向いている。さらに、礼堂(外陣)の屋根の左右には千鳥破風が備えられ、その屋根は極めて複雑な形状を作り出している。懸造になっているのは礼堂の部分で、礼堂の前に設けられた舞台と共に、空中に張り出すように建てられている。長谷寺の本堂(礼堂)正面に掲げられれている扁額には「大悲閣」と大書きされている。「大きな悲しみ」ではなく、この「悲」は観音菩薩の「慈悲」からきているとのこと。このあと、本堂東側から「本尊大観音尊像秋季特別拝観」で内陣(正堂)に入り、本尊十一面観世音菩薩像を拝観した。それは近江の国高島から来た楠の霊木をもちいて3日間で造り上げたといわれ、我が国で最も大きな、高さ10m余りの木造の観音像で、その堂々とした姿は全国に広がる長谷信仰の根本仏像としての威厳を示す。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO100) 露出補正 -0.3段
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64.五重塔遠望
本堂の舞台から、五重塔が遠望できた。この五重塔は比較的新しいようだ。昭和29年(1954年)、戦後日本に初めて建てられた桧皮葺、高さ 31.39mの五重塔で、昭和の名塔と呼ばれている。純和様式の整った形の塔で、塔身の丹色と相輪の金色、軽快な檜皮葺屋根の褐色は、背景とよく調和し、光彩を放っている。歩き惜しみをして、そこへは行かなかったが、今思うと行けばよかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 56mm ISO320) 露出補正 -0.7段
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65.開山堂
本堂の西側の石段を下りたところに開山堂があった。開山堂は、長谷寺を開山した徳道上人を祀るお堂である。徳道上人は、奈良時代の高僧で、神亀4年(727年)に聖武天皇の勅願により、東の丘(現在の本堂のある場所)に本尊十一面観世音菩薩を安置し長谷寺を開山したとされているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO100) 露出補正 -0.3段
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66.登廊 繋屋
ここは仁王門から登廊を上がってきて、右へ曲がる角のところだ。つまり、下登廊と中登廊の接続部(屈折部)にある建物である。この繋屋は、明治22年(1889年)に再建されたもので、桁行1間、梁間1間、一重、切妻造、桟瓦葺きである。昭和61年(1986年)12月20日に国の重要文化財に指定された。屋根にかかる紅葉が陽を浴びて輝いていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 35mm ISO250) 露出補正 -0.3段
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67.長谷寺参道の家並み
一昨年、岐阜県犬山城の門前町で見たむくり屋根の商家と似ている。町人が武士を見下ろしてはならないとのことで、江戸時代の町屋は、物置などに利用された2階部分は低く造られていて、通気・明り取りには虫籠窓(むしこまど)が設けられていたようである。県道38号沿いには、こんな建て方の家が何軒も残っていた。こうして、干しシイタケを買って、スーツ・ケースを受け取り、階段を上がって長谷寺駅へ戻ってきた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 35mm ISO1000) 露出補正 -0.3段
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2018年11月26日

高野山前編 11月6日   高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(1)

私の父母や兄夫婦が眠る墓が高野山にあるということは以前にも書いた。この春に、その菩提寺である「恵光院」から母の50回忌の知らせが兄の嫡男のところに届いていた。
 11月6日から2泊3日で、まず高野山にお参りし、翌日は奈良の長谷寺と室生寺を歩き、3日目は京都駅前から定期観光バスを利用して紅葉が美しいという湖東三山を巡るという計画を立てた。
 高野山では、午前中に「恵光院」本堂でのお参りと、墓参をしたかったので、新横浜始発の早朝6時発「ひかり」に乗った。「ひかり」を選んだのは、「大人の休日」切符を利用するためでもある。ところが、新大阪に到着して、高野山行きの南海電鉄に乗るために難波へ地下鉄で向かったのだが、通勤ラッシュの地下鉄が遅延してしまい、8時42分発の特急「こうや」に乗り遅れてしまった。幸い、9:00発の快速急行があり、予定より、30分ほど遅くなったが、10:01にケーブル・カーへの乗換駅である極楽橋に着いた。ケーブル・カーで高野山まで上がり、バスで苅萱堂前で下車、「恵光院」へ向かった。「恵光院」へは事前に知らせることなく、突然に行ったのだが、本堂で過去帳を前にお経をあげていただくことができた。若い僧だったが、なかなか良い声の立派なお経だった。
 前回の高野山墓参は、2014年5月22日でシャクナゲの花が咲くころだった。今回は紅葉のトップ・シーズンであり、観光客も多かった。2004年7月に高野山が「紀伊山地の霊場と参詣道」として、世界遺産に登録されて以来、外国人観光客も多い。
 wikipediaによれば、高野山は「和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地を指す。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は壇上伽藍と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。2004年(平成16年)7月7日、高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。さらに2016年(平成28年)10月24日、高野参詣道(町石道を含み登録名称変更)として黒河道、女人道、京大坂道不動坂、三谷坂が世界遺産に追加登録された。」とある。
 次に墓前に向かう。「恵光院」から自動車道と別れ、一の橋を過ぎるといよいよ奥の院の霊域に入る。参道の両側には、戦国武将や江戸時代の大名、歴史に名を馳せる高僧を含む、20万基とも40万基ともいわれる墓石が所狭しと立ち並び、この世とは思えぬ幻想的な風景が広がる。石畳の道が弘法大師御廟まで約2km続く。樹齢数百年を超える杉木立の中を歩く。途中「中の橋駐車場」からの道と合流してさらに進んだところに「姿見の井戸」があるが、その近くに父母が眠る先祖の墓がある。墓の掃除はいつもお願いしている石屋さんに事前にお願いしておいたのできれいになっていた。
 高野山で母の50回忌のお参りをした後は、家内の友人の息子さんが眠る「正智院」へ行った。立派なお寺だった。趣旨を告げるとご住職に本堂へ案内され、お参りすることができた。そのあと、「正智院」の客間や庭を見せてくださった。

1.九度山駅
南海電車高野線は車輪の音をきしませながら、急勾配を登る。九度山駅に着いた。六文銭が描かれている。関ヶ原で西軍が破れ、徳川家康は昌幸と幸村を死罪にするつもりでいたが、幸村の兄・信幸と義父・本多忠勝の懇願もあり、特例として2人に高野山での謹慎を命じた。そののち、14年間住んだ九度山で、幸村は周辺の農民とも親しくなっており、幸村の心境を察した農民は大坂城に向かう幸村親子の出立に協力した。1614年(慶長19年)に大阪冬の陣となった。また、慈尊院は九度山駅から徒歩20分のところにある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 22mm ISO320 ) 露出補正 なし
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2.南海電車高野線
高野線は山の斜面を走る。はるか下のほうに集落が見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO320 ) 露出補正 なし
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3.極楽橋
高野線の終点は極楽橋だ。標高は535mである。橋本駅からは443m登ってきたのだ。ここからケーブル・カーで867mの高野山駅まで登る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO500 ) 露出補正 なし
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4.「恵光院」 -1
菩提寺である「恵光院」に着いた。「恵光院」は準別格本山で、宿坊でもある。外国人の泊り客も多いようだ。英語の案内も書かれている。そのホームページによれば、「恵光院」は弘法大師がこの地に五重の宝塔を建立し、弟子の道昌僧都が諸人の廻向(先祖の御供養)をおこなった事から、廻向院と呼ばれていた。宝永年中(1704~)頃、徳川8代将軍吉宗の命により現在の「恵光院」に改められたそうだ。延慶元年(1308)には、京都の東寺より量調阿闍梨が当院へ転任され再興し、永禄(1558~)の初め頃になって、薩摩藩17代当主島津兵庫頭義弘と縁を深め檀那関係にあった。また明智光秀の菩提寺でもある。本尊は阿弥陀如来、弘法大師、不動明王が祀られている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
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5.「恵光院」客間から
「恵光院」では、本堂で読経をしていただいたが、その準備の間、前回宿泊した2階にある客間でしばらく待った。その2階の部屋から撮ったカットである。正面が門で、本堂は2階から右側に上がっていく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO320 ) 露出補正 なし
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6.本堂と阿弥陀如来像
ご本尊の阿弥陀如来像。その前に位牌を置いて読経をしてくれた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/15秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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7.「清浄心院」
「恵光院」の門を出て、右へ一の橋に向かう。バス通りの左側に別格本山の「清浄心院」があった。ホームページを見ると、「清浄心院」は天長年間(824~34)に高祖弘法大師により草創され、初め喜多坊と称されていたが、 後に勅命により現院号である清浄心院に改めたと伝えられている。一帯は清浄心院谷と呼ばれている。春は桜が咲き、銘木と言われる傘桜は、太閤豊臣秀吉が花見を催したという逸話も残されているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO800 ) 露出補正 なし
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8.一の橋付近
奥の院(弘法大師御廟)に向かって歩き、一の橋のところでバスが通る車道と別れ、石畳の参道へと入る。奥の院へは一の橋から参詣するのが正式なルートとされている。一の橋は正式には「大渡橋」や「大橋」と言われ、お大師様がここまで送り迎えされると伝わっている場所でもあって、ここで一礼して橋を渡る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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9.杉並木の道
一の橋から奥の院までの約2㎞の参道には、樹齢数百年を超える杉の老木が連なり、その間に20万基を超えるという諸大名から庶民の墓石や慰霊碑などが並んでいる。空が少ししか見えないほど参道は高い木々で覆われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181106_009.jpg
10.石燈籠
参道の両側には石燈籠が並ぶ。灯りが入っていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/400秒 16mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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11.中の橋付近
墓前にてお参りをしたが、その先奥の院への参道は、8月の台風20号の影響で倒れた杉の大木を撤去する作業が行われていて、通行止めになっていた。そのため、中の橋の手前を一旦右へ迂回し、中の橋バス停のほうへ出て、奥の院へ向かうことになる。このあたりも紅葉がきれいである。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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12.「英霊院」付近
杉並木の一本右側の道を奥の院へ進んでいくと、高野山では紅葉の美しいポイントになっている英霊院の前に出てきた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO320 ) 露出補正 なし
181106_012.jpg
13.台風21号の爪痕
大きなお墓が崩れていた。台風21号の影響で奥の院の弘法大師御廟近くの「奥院経蔵」など複数の国重要文化財も破損してしまったようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181106_013.jpg
14.水向地蔵
左手に水向地蔵が見える。説明板には、「玉川の清流を背にして、金仏(金属製の仏)の地蔵菩薩や不動明王、観音菩薩が並んでいる。奥の院に参詣する人々は右側にある御供所で水向塔婆を求め、この地蔵に納め、水を手向けて先祖の冥福を祈る。」と書かれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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15.観音菩薩像 -1
水向地蔵の一番奥に他の像に比べて背の高い観音菩薩像があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO640 ) 露出補正 -0.7段
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16.観音菩薩像 -2
水向地蔵は水掛け地蔵とは異なるようだ。水向地蔵では仏さまには水を掛けない。供養の正しい仕方は、供養したい故人がいれば、その人の名前や法名を塔婆(経木)に書いて、水向地蔵の足元に置いて、その塔婆に3回水を掛けながら大日如来さまの真言を唱えるのだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO500 ) 露出補正 -0.7段
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17.「恵光院」 -2
奥の院へ参詣し、再び「恵光院」へ戻ってきた。スーツケースを受け取って、苅萱堂前でバスに乗り、壇上伽藍に近い千手院前まで行く。高野山へ来るたびに立ち寄る紀州南高梅の梅干し屋さんで買い物をし、またスーツケースを預ける。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
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18.高野山の街並み
千手院前から壇上伽藍へとバス通りを歩く。写真は奥の院の方向を振り返ったところ。左側は金剛峯寺だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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19.蛇腹道
金剛峯寺前の六時の鐘の櫓から壇上伽藍へ通じるまっすぐな細い道を蛇腹道と言い、高野山では紅葉のスポットとして有名である。蛇腹道という由来は、高野山全体の寺院の並びを、蛇に見立てた時、ちょうどこの壇上伽藍に通じる蛇腹道が、蛇のお腹のあたりなるので「蛇腹道」の名前が付されたようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 27mm ISO320 ) 露出補正 なし
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20.「明王院」
蛇腹道は戻るときに通ることにして、その1本北側の広い道を「正智院」目指して進む。右側には大きな寺院が並ぶが、この「明王院」もその一つである。「明王院」は高野山に於ける最も初期の寺院であったと云われ、日本三不動のひとつとして知られる赤不動明王が本尊として祀られている。国宝赤不動明王と彫られた石柱が立っていた。高野山の塔頭寺院である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
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21.「宝城院」への道
紅葉がきれいなこの細い道の先に「宝城院」がある。インタネットで調べてみると、「宝城院」は約900年前、平安時代の終わりごろに権力を持っていた後白河法皇が高野山に参詣した時に、建立された寺院だそうだ。現在では元閑院宮家の御菩提所で、重要文化財にして秘仏とされる弁財天を所蔵している。高野山は宿坊が旅館のようになっているが、「宝城院」の宿坊は、高野山有数の近代的な宿坊だという。客室はすべて個室の冷暖房完備でエレベーターやスロープまで敷設されている。また、1度に30名が利用できる大浴場の他に一回り狭い広さの中浴場も完備されているそうだ。一部の客室からはライトアップされた根本大塔を見ることができるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO640 ) 露出補正 なし
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2018年6月 6日

南足柄 最乗寺から夕日の滝へ 5月1日

7~8年前から、南足柄へは毎年5月10日前後に出かけている。ところが今年はチョウの発生時期と花の開花時がちぐはぐである。今回は桜から始まった花の開花時期が早いので、少し早めに行ってみることにした。花はフジ、シャクナゲが適期を迎えているが、ツツジの開花は遅いようだった。一方、チョウはウスバシロチョウは例年より少ない。黒いアゲハは、新鮮なオナガアゲハが多かったが、ジャコウアゲハ、クロアゲハ、カラスアゲハは少なかった。
 例年は先に夕日の滝へ行き、ウスバシロチョウや運が良ければ、ツツジの花で吸蜜するミヤマカラスアゲハなどを撮ってから、大雄山最乗寺へ行くが、今回は先に最乗寺へ行った。今年は5月の1日、2日を休めば9連休になる。この日も駐車場は空いているかと心配して行ったが、最乗寺も夕日の滝もそれほどではなかった。
 収穫は、シャクナゲに来たオナガアゲハの♂くらいであった。

;クリックすると大きな写真になります。 1.モミジの実 最乗寺
最乗寺 瑠璃門の石段。新緑のモミジの枝の先に赤い竹トンボの羽のような、果皮の一部が平らな翼状に発達した果実が付いている。花が先に咲くのだが、地味で目立たない。そのあとに出てくる翼果が赤くてまるで花のようだ。翼の生えたような形状は、風によって親木から離れたところへ運ばれるためである。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 51mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 2.オナガアゲハ -1 最乗寺
境内の白いツツジの花にオナガアゲハが来た。新鮮な個体である。蜘蛛の糸に掛からないか心配になった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 110mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 3.松平大和守直基の墓 最乗寺
チョウもなかなか現れないので、境内の建物や史跡などを見学した。 多宝塔の下に松平大和守直基の墓があった。 松平大和守直基は徳川家康の次男である結城秀康の五男に当たる。つまり、家康の孫だ。直基の墓が最乗寺に建立されたのは、徳川将軍家と最乗寺の関係の深さもさることながら、直基自身が大雄山最乗寺に信仰が深かったことに由来すると考えらえているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 4. オナガアゲハ -2 最乗寺
まだ、あまり咲いていないツツジだったがオナガアゲハが吸蜜に来た。きれいな個体だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 210mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 5. オナガアゲハ -3 最乗寺
シャクナゲの花は適期だった。そのシャクナゲにオナガアゲハが寄ってくる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 210mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 6. オナガアゲハ -4 最乗寺
前の写真と同じ個体。裏面の赤い斑紋が美しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 210mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 7. オナガアゲハ -5 最乗寺
良いタイミングでシャッターが切れた。オスに見られる後翅前縁の白紋が鮮やかだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 210mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 8.オナガアゲハ -6  最乗寺
しばらく撮らせてくれたオナガアゲハは別のシャクナゲの花に移った。時間は9時40分ごろだったが、この後、オナガアゲハは飛んではいるが、ほとんど花に来なくなった。 ♀のオナガアゲハの後翅翅表外縁に連なる赤い紋は大きく、とてもきれいで魅力的なのだが、この日、♀は見ることができなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 210mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 9.シャクナゲの花  石楠花、石南花  最乗寺
シャクナゲとはツツジ科ツツジ属 (Rhododendron) 無鱗片シャクナゲ亜属、無鱗片シャクナゲ節の総称である。変種、品種が多く、多種類の花がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 210mm ISO1600 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 10.鐘楼 最乗寺
鐘楼もゆっくり見たことはなかったが、よく見るとその柱には龍の彫刻が施されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 11.真っ赤なシャクナゲ  最乗寺
いま、シャクナゲは適期だ。真っ赤なシャクナゲがひときわ鮮やかだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 12.フジ  最乗寺
本堂に上がる左側にフジ棚がある。このフジの花にジャコウアゲハが来るのではないかとしばらく待ったが、駄目だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 13.ケーブルカー  最乗寺
最乗寺にケーブルカーがあったとは知らなかった。どうやら本堂の裏手あたりから、御真殿へ上がっていく。このケーブルカーは参拝客用ではなく、どうやら寺の業務用に使われているようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 78mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 14.奥の院への階段  最乗寺
結界門から三面大黒殿の脇を上がっていくと、さらにその先に、この奥の院への階段がある。 ホームページには、鬱蒼とした老杉に囲れた350段余りの階段を登ると、御本地十一面観世音菩薩(当山守護道了大薩の御本地)が奉安されている奥の院につくとある。大雄山のもっとも高い所に位置する奥の院へは、沢山の参詣者がこの階段を登られてお参りに来るとあったが、今回は、上がるのはご辞退申し上げた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 15.御真殿(妙覚宝殿)  最乗寺
奥の院への階段を左手に見て、前に進むと御真殿(妙覚宝殿)につく。 結界門をくぐったところからは、すぐ右手の77段の石段を登ったところだ。 当山守護妙覚道了大薩をご本尊に大天狗・小天狗が両脇侍として祀られている。朝晩の祈祷から日中の特別祈祷が修行される道場とある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 16.御真殿(妙覚宝殿)の石段  最乗寺
これは結界門から御真殿へ上がる77段の石段だ。この石段を下りてきた。威徳神通道了大薩捶と書かれた旗が立ち並んでいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 17.オナガアゲハ -7  最乗寺
鐘楼の近くまで下りてくると、白いツツジの花にオナガアゲハが来ていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 136mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 18.碧落門とシャクナゲ 最乗寺
例年は境内からこの碧落門を出たところに咲くツツジの花に、黒いアゲハが来ているのだが、今年はツツジの花が咲いていなかった。シャクナゲの花が瑞々しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 19.ウスバシロチョウ -1 夕日の滝
大雄山最乗寺を切り上げて、夕日の滝へ移動した。地蔵堂のところにある大きな駐車場に車を止めたが、さすがにゴールデン・ウィークで、いつもより駐車している車が多かった。ここから15分ほど歩くと夕日の滝のキャンプ場に着く。そのキャンプ場の駐車場は、止まっている車が少なかった。途中、ハルジオンが咲く原っぱにウスバシロチョウが舞っていたが、撮れなかった。やっと撮れたのは、夕日の滝の入り口で、葉上に静止したこの1頭だけだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 20. ウスバシロチョウ -2 夕日の滝
前の写真と同じ個体。寄って撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 187mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 21.夕日の滝 -1
昨日の雨のためか水量が多かったように思う。シャッタースピードを遅くして撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オート( f3.2 1/50秒 9mm ISO100 )露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 22.夕日の滝 -2
滝壺は大きくないが、水はきれいだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オート( f3.5 1/30秒 13mm ISO100 )露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 23.夕陽の滝 -3
自転車で来ていた3人の若い人たちが、滝の前で冷気を浴びていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 187mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 24.ジャコウアゲハ 夕陽の滝
駐車場の脇に咲くツツジの花にジャコウアゲハが来ていた。気持ちが悪いという人もいるが、胴の赤が良く目立つ。後翅の一か所にだけ日光が当たっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f4 1/500秒 187mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。 25.「万葉うどん」 夕陽の滝
地蔵堂の先に「万葉うどん」という店がある。今日はここで昼食にした。ハイキングのお客さんでにぎわっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段


2018年1月 6日

2泊3日の京都紅葉狩り(5) 鞍馬 12月5日

貴船口駅より一駅乗って、12時11分に叡山電車の終点である鞍馬に着いた。観光客は多くない。ホームの周囲にはまだ紅葉が少し残っていた。
 そろそろ昼飯にしようと駅前にある、食事が出来そうな店を探した。駅舎を出て、すぐ右側にあった「かどや」という店に入った。土産物屋さんの奥が食堂になっている。私は無性にカレーうどんが食べたくなって注文した。かみさんはニシンそばだ。味も悪くなかったうえに、店の女性の京都らしい​丁寧な応対に救われた。
​  食べ終わって、鞍馬寺へ登る。鞍馬寺が運行している寺の敷地内のケーブルカーで、途中の多宝塔まで行く。32人乗りのケーブルカーはすいていた。多宝塔から参道を20分ほど登って、鞍馬寺の本殿金堂へ着く。さらに、そこから奥の院への道があり、その道が、貴船神社へと通じていたのだ。
 同じ道を、同じように戻って、鞍馬駅から叡山電車に乗った。この日はもう一か所、実相院へ行こうと思う。

119.叡山電車終点 鞍馬駅
​ 貴船口からは3分ほどで鞍馬に着いた。紅葉はまだ、少し残っていた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​ プログラムオートで撮影 (f3.8 1/250秒 24mm ISO400) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
120.鞍馬駅構内
​ 鞍馬駅待合室では壁面を利用し、幕末から明治中頃にかけて活躍 した​​最後の天才浮世絵師 月岡芳年のミニギャラリー「月岡芳年と義経展」が開催中だった。壁一面に鞍馬山、天狗と少年時代の義経ゆかりの躍動感溢れた遠近法を駆使した絵画が展示され、観光客を源平の時代へと誘う趣向だ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​ プログラムオートで撮影 (f4 1/250秒 24mm ISO2200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
121.鞍馬駅 駅舎​​
​ 駅舎の外に出て、駅舎を眺める。なかなか渋い佇まいだ。この駅は1929年(昭和4年)12月20日に開業した。第1回近畿の駅百選に選定されているという。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​ プログラムオートで撮影 (f4 1/250秒 31mm ISO400) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
122.開通当時の車両
​ 叡山電鉄の前身である京都電灯と鞍馬電鉄の両社が昭和3年鞍馬線の開通に備えて共通設計した車両で、昭和4年8月に就役した。以来、平成6年11月に引退するまで65年間、217万km余りを走行したと説明板にあった。デナ21形という。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​ プログラムオートで撮影 (f3.8 1/250秒 24mm ISO250) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
123.天狗のオブジェ​​
​ 駅前に天狗のオブジェがあった。wikipediaによれば、天狗は、日本の民間信仰において伝承される神や妖怪ともいわれる伝説上の生き物。一般的に山伏の服装で赤ら顔で鼻が高く、翼があり空中を飛翔するとされる。俗に人を魔道に導く魔物とされているという。では、鞍馬の天狗とは、鞍馬山の奥の僧正が谷に住むと伝えられる大天狗だそうだ。 別名、鞍馬山僧正坊。 牛若丸に剣術を教えたという伝説で知られる。また、鞍馬天狗とは、大佛次郎の時代小説シリーズであり、作中で主人公が 名乗る剣士の名である。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​ プログラムオートで撮影 (f5.6 1/250秒 32mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
124.「かどや」​​​​
​ 食事をしようと思い、駅前の「かどや」という店に入った。私達はテーブル席で食べたが、写真のような、小上がりの座敷があり、しばらくして、6~7人の女性グループが入ってきて、占拠した。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​​ プログラムオートで撮影 (f4.5 1/125秒 32mm ISO3200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
125.鞍馬寺
​​​ 鞍馬寺の参道に向かう。正面に石段があり、仁王門が見えた。鞍馬寺は、1949年まで天台宗に属したが以降独立して鞍馬弘教総本山となっている。鞍馬は牛若丸(源義経)が修行をした地として著名であり、能の「鞍馬天狗」でも知られる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​ プログラムオートで撮影 (f4.8 1/250秒 50mm ISO400) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
126.歓喜院・修養道場
​​​ 仁王門へ上がる石段の手前の左側に、大きな建物があった。旅館かと思ったが、それらしき看板はない。近づいてみると、玄関に鞍馬山修養道場と歓喜院の看板が掛けられていた。この建物は、廃絶した山内の十院九坊をひとつに結集するために昭和39年に建てられた。聖観音像を奉安し、慈愛の心の場として、写経・法話ならびに書道・華道・茶道・水墨画によって心を磨く修養道場ともなっているそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​ プログラムオートで撮影 (f4.8 1/250秒 50mm ISO400) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
127.仁王門(山門)
​​​ 仁王門は1891年(明治24年)焼失し、1911年(明治44年)再建されたそうだ。左側の扉は寿永のころ(1182~4)のものという。両側に立つ仁王尊像は運慶の嫡男、湛運の柵と伝えられているそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​ プログラムオートで撮影 (f3.5 1/250秒 18mm ISO250) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
128.仁王門の扁額​​
​​​ 仁王門は三間一戸の楼門で朱塗りの軸部と白壁とが美しい。楼門正面に掲げられ、ちょっと独特な字体で「鞍馬寺」と書かれた扁額が目をひいた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​​ プログラムオートで撮影 (f4.8 1/250秒 56mm ISO1100) 露出補正 なし
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129.ケーブルカー
​​​ 仁王門をくぐりぬけて右側にある普明殿がケーブルカーの乗り場(山門駅)になっていた。このケーブルカーは宗教法人鞍馬寺が運行している。全長191mで高低差89mで、単線で行き違い設備はない。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​​​​ プログラムオートで撮影 (f4.2 1/250秒 38mm ISO400) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
130.多宝塔
​​​​​ ケーブルカーは2分で多宝塔駅に到着した。標高364mにある多宝塔は、以前は本殿東側にあり江戸時代後期に焼失したが、ケーブル開通後の昭和35年に現在地に再建された。尊天三尊像(毘沙門天・千手菩薩・護法魔王)が祀られているそうだ。毘沙門天はケーブル工事中に発見されたという。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​ プログラムオートで撮影 (f5 1/250秒 38mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
131.多宝塔のモミジ
​​​​​ 多宝塔から本殿へと参道を登り始める。多宝塔の裏側には1本だけだったけど、モミジの紅葉が残っていた。ケーブルを利用しないと、仁王門から、西側にある九十九折参道を上がることになるが、その場合、本殿まで30分はかかるようだった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​​​​​​ プログラムオートで撮影 (f7.1 1/250秒 18mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
132.多宝塔から本殿への参道
​​​​​​​ 献灯された朱塗りの灯篭がある参道を弥勒堂、翼の弁財天社へと歩く。少々の登りだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​​​ プログラムオートで撮影 (f4.2 1/250秒 38mm ISO1000)露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
133.本殿金堂
​​​​​​​ 多宝塔から10分ほどで、本殿金堂に着いた。ここがこの日のゴールである。鞍馬寺のHPによれば、宇宙の大霊、尊天のお働きを象徴する千手観音菩薩・毘沙門天王・護法魔王尊(脇侍、役行者・遮那王尊)を奉安する中心道場。御本尊は秘仏で、60年に一度、丙寅の年に開扉されるそうだ。本殿の地下は、宝殿で信徒の清浄髪が厳かに祀られているという。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​​​ プログラムオートで撮影 (f3.5 1/250秒 22mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
134.金剛床
​​​​​​​ 本殿金堂前の金剛床は、宇宙のエネルギーである尊天の波動が果てしなく広がる星曼荼羅を模し、内奥に宇宙の力を蔵する人間が宇宙そのものである尊天と一体化する修行の場となっている。六亡星が中心にある。ここに立ち、願うと、さらに強力な願いとして、届くという。パワースポットとして人気があるとか。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​​​ プログラムオートで撮影 (f8 1/250秒 22mm ISO200) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
135.阿吽の虎 「吽」​​
​​​​​​​ 狛犬ならぬ「阿吽」の虎は、本尊毘沙門天のお使いである神獣という。毘沙門天の出現が、寅の月、寅の日、寅の刻とされていることによるそうだ。五十音が「あ」から始まり、「ん」で終わることから「阿吽」は、宇宙の全てを包含すると言われている。口を閉じている方が「吽」。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​​​​​​ プログラムオートで撮影 (f3.8 1/250秒 24mm ISO250) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
136.阿吽の虎 「阿」
​​​​​​​ こちらは本殿に向かって右側の「阿」の虎。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​​​ プログラムオートで撮影 (f4 1/250秒 31mm ISO500) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
137.本坊
​​​​​​​ 本殿の西側に、鞍馬寺寺務所や鞍馬弘教宗務本庁が置かれている本坊がある。その本坊の障子の掃除されている方がいた。何か懐かしさがあった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​​​​​​​​ プログラムオートで撮影 (f5.3 1/250秒 92mm ISO720) 露出補正 なし
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138.奥の院参道
​​​​​​​​​ 本坊と本殿の間から、牛若丸が天狗に剣術を 習ったという伝説の場所、僧正ガ谷を経て魔王殿に至る奥の院参道が始る。行かなかったが、本殿から西の貴船神社へ抜ける山道の途中、奇岩の上にある小堂が奥の院魔王殿で、650万年前に金星から地球に降り立ったという魔王尊を祀っている。現在の建物は1945年(昭和20年)の焼失後の再建。標高435mのところだそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​​​​​ プログラムオートで撮影 (f3.8 1/250秒 24mm ISO2500) 露出補正 なし
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139.比叡山展望所
​​​​​​​​​ 本殿の前には「翔雲臺」と呼ばれる展望所があり、比叡山を遠望することができる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​​​​​​​​​​ プログラムオートで撮影 (f8 1/250秒 24mm ISO200) 露出補正 なし
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140.ケーブルカーの車両
​​​​​​​​​​​ 本殿へ上がってきた道を引き返し、多宝塔から下りのケーブルカーに乗った。ケーブルカーは昭和32年(1957)1月1日に営業開始されたが、この車両は2016年5月に造られた4代目の新しい車両だそうだ。宗教法人鞍馬寺が運営している。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​​​​​​​ プログラムオートで撮影 (f3.5 1/250秒 18mm ISO1250) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
141.鞍馬駅の紅葉
​​​​​​​​​​​ 降りてきて、鞍馬駅までたどり着いたが、ここの紅葉が一番きれいだった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​​​​​​​ プログラムオートで撮影 (f7.1 1/250秒 52mm ISO200)露出補正 なし
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142.「きらら」​​
​​​​​​​​​​​ 出町柳行の電車に乗って発車を待っていると、「きらら」が入ってきた。1台遅らせて、「きらら」に乗るかと考えたが、眺めるだけにしておいた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​​​​​​​​​ プログラムオートで撮影 (f3.5 1/250秒 18mm ISO250) 露出補正 なし
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2017年2月16日

神戸と有馬温泉(4) 有馬温泉から宝塚へ 12月26~27日

12月26日朝、ホテルに荷物を預け、旧居留地、生田神社へと歩いて元町へ戻ってきた。かみさんがご近所にお土産を買いたいというので元町商店街へ行く。少々歩き疲れたので老舗のコーヒー店に入った。時刻は11時、小腹が減ったのでモーニング・セットを頼んだところ、そのオムレツがとても旨かった。
 元町駅前のホテルに戻って、荷物を受け取り、再びJRで一駅、三宮へ行く。ここから有馬温泉までは路線バスだ。新神戸駅で乗客を乗せたあと、バスは長いトンネルに入った。車内は少々窮屈だったが、それぞれのバス停で乗客が入れ替わるのを見ていると飽きない。
 有馬温泉に着いたときは少し雨が降ってた。今宵の宿の「古泉閣」はバスが着いたところから北東の方向へ坂を上がっていく。まだ1時半だった。チェックインして荷物を預け、宿の送迎車で「ねね橋」の近くまで送ってもらった。帰りも電話をすれば来てくれるというので助かる。雨もほとんど止んでいて、約2時間、有馬温泉の街の散策を楽しんだ。良いところだ。

有馬温泉

有馬温泉のメインストリートである太閤通りにある有馬温泉観光総合案内所で、地図をもらい温泉街の散策をはじめた。もっと賑やかな歓楽街があるのかと思っていたが、鄙びた温泉街という感じである。人は多いが街はしっとりとしている。やはり、中国からの観光客は多い。
 温泉街は標高350m-500mに位置している。細い石畳の坂道があり、その両側に古い建物の商店が並ぶさまは、ちょっとプロバンスのエズの日本版のように感じた。

72.ねね橋
この橋の100mくらい下流にかかる太閤橋でバスを下りた。この橋は「ねね橋」といい、有馬温泉のメインストリートである太閤通の手前にある。小雨が降っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/100秒 27mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
73.太閤橋
川は有馬川という。「ねね橋」のところまで上がってきて、「太閤橋」をながめた。まず、今宵の宿「古泉閣」へ行こうと思うが、道が判らなかった。近くのお店の人に尋ねて、万年坂を北東の方向へ上がっていく。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/320秒 17mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
74.古泉閣へのアプローチ
やがて左手にトンネルがあって、そのトンネルの向こうに「古泉閣」の建物が見えた。なかなか立派な構えだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/400秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
75.古泉閣
「古泉閣」はJALのEasy Hotelsで予約を入れておいた。「古泉閣」の元湯の櫓が「太閤橋」の脇にあった。創業は約60年とそれほど古くはない。有馬温泉で最も古い旅館は「兵衛向陽閣」で創業700年と言われ、太閤秀吉により命名された老舗だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
76.古泉閣のロビー
まだ1時半であったが、ロビーでチェックインをする。高台にあって眺めが良い。これは西宮の方角になるのだろう。荷物を預けて、さっそく温泉街の散策に出かけることにした。メインストリートの太閤通りの入り口まで宿の送迎バスで送ってくれるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/400秒 24mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
77.湯本坂
太閤通りが途切れるところを左に行くと湯本坂だ。緩やかな石畳の細い坂道が続き、古い町並みになっている。歓楽地というイメージはない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/100秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
78.金の湯
ここは古くから有馬の元湯として親しまれてきた立ち寄り湯だ。鉄分と塩分を多く含む「金泉」と言われる湯は気楽に楽しめると人気がある。無料の足湯コーナーもあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/80秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
79.炭酸煎餅
湯本坂を上がっていくと、有馬土産の決定版とも言われる炭酸煎餅の老舗「三津森本舗」があった。1907年創業で100年以上も続く炭酸煎餅の元祖だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/60秒 19mm ISO640 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
80.火事の跡
湯本坂をさらに進むと右手に焼け跡があった。ここは有馬唯一の人形筆専門店のあったところだと聞いた。自宅に戻って調べてみたところ、昨年(2016年)11月11日未明に発生し、計4棟を焼いた猛火は、住人とみられる女性の命を奪っただけでなく、室町時代から続く伝統工芸品「有馬人形筆」の歴史を受け継いできた老舗筆店をものみ込んでしまった。温泉の代表的な土産物として知られる人形筆を唯一製造・販売していたその「灰吹屋西田筆店」は火元の民家の東隣にあり、木造2階建ての製造工房でもあった店舗兼住宅が全焼してしまったという。石畳の道を挟んで向かい側に「山椒彩家」という、この辺りの名産である有馬山椒の佃煮屋さんがあり、その店に入り、店員さんと話をしたときに、幸い、風向きの具合で被災を免れたと聞いた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/160秒 12mm ISO640 ) 露出補正 なし
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81.古い建物の商店
「山椒彩家」で温泉神社への道を聞いて、行ってみることにする。湯本坂を引き返す。人通りはあるのだが、このときはたまたま少なかった。小雨が降るひっそりとした佇まいが良い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/400秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
82.御所泉源
湯本坂の途中にある赤いポストの先を左へ行くが、そこに御所泉源というところがあった。有馬温泉の7つの泉源のひとつで、温度は83度、泉質は含鉄ナトリウム、塩化物強塩高温泉だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 15mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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83.温泉神社への階段
温泉神社へは長い上りの石段が続いていた。途中、右手に妙見堂という額のかかった赤い鳥居があった。鳥居の向こうに庵がある。息切れがする階段なのでここで一息入れる。妙見堂の謂れはわからない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/250秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
84.温泉神社 -1
石段を登りきると大きな鳥居があり、正面に温泉神社があった。妙見堂の手前、石段の登り口に「有馬温泉を発見したといわれている大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)などの神々がまつられています。子宝が授かる神様として知られています。有馬温泉の守護神として親しまれており、温泉神社ともよばれています。」という説明板があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 17mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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85.温泉神社 -2
近づいて、正面を避けて写真を撮った。温泉神社は全国に多々あるがその祭神は大己貴命・少彦名命であるところがほとんどだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/400秒 12mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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86.極楽寺 -1
温泉神社のほかにもいくつか寺があった。ここ極楽寺は浄土宗の寺院。山号は寂静山、院号は伝法院、本尊は阿弥陀如来坐像。wikipediaによれば、伝承では593年、聖徳太子の開基と伝えられている。現在の堂宇(寺の建物のこと)は1782年に再建されたものである。このときに再建された庫裏は1995年の阪神淡路大震災で半壊したが、その修築中の基礎の下から豊臣秀吉が築造した「湯山御殿」の遺構の一部が発見されることになった。遺構は茶器や瓦などの数多くの出土品とともに神戸市文化財史跡の指定(1997年)を受け、遺構の上に建設された「神戸市立太閤の湯殿館」で1999年より一般公開されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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87.極楽寺 -2
豊臣秀吉が築造した「湯山御殿」遺構の上に建設された​​​​​​「神戸市立太閤の湯殿館」​​​はすぐ近くにある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4​.5​​​​ 1/1​25​0秒 1​2​mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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88.温泉寺 -1
ここは温泉寺だ。wikipediaによると、黄檗宗の仏教寺院で山号は有馬山。本尊は薬師如来。宗派はもとは真言宗であったという。縁起によれば、724年、行基により有馬温泉郷の傍、六甲山系は愛宕山の中腹に開かれたとされ、鎌倉時代の仁西を中興の祖とする。1576年に火災で全山焼失したが直ちに北政所によって再建された。 その後再び火災にあい、1582年に現在ある薬師堂が建立された。しかし明治時代初めの廃仏毀釈で、1590年に豊臣秀吉が有馬大茶会を開催したとされる阿弥陀堂も含め、薬師堂以外の堂塔は全て取り壊されてしまった。その後、廃寺となった旧温泉寺の奥の院であった黄檗宗清涼院が寺籍を継いで現代に至っているという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4​​​​​ 1/1​00​0秒 1​0​mm ISO1600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
89.温泉寺 -2
近づいて薬師如来坐像を拝む。正式には黄檗宗温泉禅寺というのか。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4​​​​​ 1/140​0秒 1​5mm ISO1600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
90.炭酸煎餅試食
戻り道で、再び湯本坂で炭酸煎餅の老舗に立ち寄った。小麦粉、片栗粉、砂糖、塩を炭酸水で溶いた生地を丹精込めて手焼きしている。そのデモ・コーナーがあって、職人さんが焼きたてを手渡してくれ、試食した。パリッとした食感とほのかな甘さが良い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8​​​​​ 1/180秒 1​4mm ISO1600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
91.「切手文化博物館」
午後3時を過ぎた。通りすがりにあったスタンド・バーで生ビールを一杯飲んで、太閤通りの入り口まで戻り「古泉閣」に電話をして迎えの車を頼んだ。「古泉閣」の少し先に「切手文化博物館」がある。2005年(平成17年)5月6日、財団法人郵趣文化センターが運営する博物館として開館。同法人理事長で、世界的な切手収集家の金井宏之(2012年没)が館長を務めた。金井宏之というかたは大阪市北区にある金井重要工業株式会社代表取締役だった人で「古泉閣」も金井重要工業の関連企業である。「古泉閣」に着いて、その「切手文化博物館」へ行きたいというと、4時で閉館で3時半までに入場しなくてはいけないという。あいにく明日は休館日だ。さすが関連企業、フロントから「切手文化博物館」へ電話をしてくれて、閉館時間を少し待っていただき、見学することができた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/100秒 22mm ISO1600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。

有馬温泉と別れ 宝塚経由伊丹空港へ 12月27日

有馬温泉「古泉閣」では八角風呂、岸壁風呂の二つの湯を楽しんだ。温泉は塩分が海水の2倍で金色と称されている茶色の湯だったが、通常の水を沸かした透明のお湯の浴槽もあった。夕食は部屋食で、但馬牛も堪能した。
翌29日も少し散策をしようと思っていたが、これというところも思い当たらず、早めに宝塚へ下りることにした。なぜ宝塚かというと、有馬温泉から伊丹空港へのバスは出ていないのでいったん三宮か大阪、あるいは宝塚へ出るしかない。そこで宝塚行のバスに乗り、宝塚を少し見物して、伊丹空港行のバスに乗ることを選択した。
 早めに着いた伊丹空港で、遅めの昼食にし、羽田から使用機の到着が遅れたJAL126便に搭乗して、18時過ぎに無事、羽田空港に着いた。思い付きの旅行だったが、行ってみたかった有馬温泉にも行くことができ、良い思い出となった。

92.有馬温泉との別れ 「ねねの像」
朝はゆっくりして「古泉閣」を出発した。「太閤通り」の入り口まで宿の車で送ってもらう。宝塚行のバスは太閤通りを少し入ったところにある発着所から出る。バスの時間をチェックして、まだ少し時間があるので、その近くをぶらぶら歩く。「ねね橋」のたもとに「ねねの像」があった。有馬温泉を気に入っていた秀吉は、妻のねねや千利休などを連れてたびたび有馬を訪れていたという。「ねねの像」の銘板には平成9年4月10日 笹山幸俊(当時の神戸市長)の名があり、新谷英子 作 とあった。それほど新しいものではない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/30秒 10mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
93.有馬温泉とお別れ 「太閤橋」
「ねね橋」を渡って、「古泉閣」の元湯の櫓の脇を歩いて「太閤橋」に出てきた。写真の向こう側が温泉街になる。「太閤橋」と「ねね橋」の間は有馬川に降りていくことができるようになっており、親水公園と呼ばれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/30秒 10mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
94.有馬温泉とお別れ 「太閤秀吉像」
「太閤橋」の温泉街側には湯けむり広場があり、噴水の横に太閤秀吉像が鎮座している。秀吉像の視線の先には朱塗りの「ねね橋」が架かり、そこには「ねね像」が立っている。茶人太閤像 新谷美子作 昭和57年5月30日 と銘があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/30秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
95.有馬温泉とお別れ 「湯けむり広場」
「太閤橋」を渡ったところに「湯けむり広場」があって、その中央には湯けむりに見立てた滝があり、その滝を浴びるように池の中にかっぱの像「友情」があった。平成5年、札幌市定山渓温泉から提携20年を記念して贈られたものだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/40秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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96.宝塚 バスの発着所に戻り、宝塚行の路線バスに乗った。途中のバス停で人の乗り降りがある。乗り心地は悪く、宝塚までの小一時間は少々疲れた。かみさんのご機嫌は良くない。バスは阪急電車の宝塚駅に11時半前に着いた。宝塚と言えば宝塚歌劇団だが、阪急電鉄の一部門であり、阪急阪神東宝グループのエンターテイメント・コミュニケーション事業として運営は阪急電鉄創遊事業本部歌劇事業部が行っている。劇団員は阪急電鉄の正社員扱いとなっているという。この「TAKARAZUKA REVUE」の像は2014年宝塚歌劇100周年を記念して2015年9月1日に宝塚市が設立した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/160秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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97.宝塚大劇場
宝塚大劇場はもちろん宝塚歌劇団の本拠地であり、各組によるミュージカル公演で毎年100万人以上の観客を動員する。座席数は2,550。小劇場「宝塚バウホール」(座席数526)を併設する。初代大劇場は1924年開場。1935年1月25日に火事に見舞われたが、阪急の小林一三の英断によって早急に復興されて、同年4月に再開した。1945年、日本の敗戦でアメリカ軍に接収されたが、後に返還され、1946年「カルメン/春のをどり(愛の夢)」で再開。1974年に「ベルサイユのばら」、1977年に「風と共に去りぬ」が上演され、初風諄、榛名由梨、汀夏子、鳳蘭、安奈淳、松あきら、上原まり、瀬戸内美八、順みつきなどのスターが彩りを添えた。2代目劇場は1993年1月1日開場。座席数2,550。南ヨーロッパ風の外観を持つ。1995年1月17日の阪神・淡路大震災では、盆を支える柱が折れるなど大きな被害を受けた。2014年4月に宝塚歌劇団は創立100周年を迎える(wikipedia参照)。暮れの平日、午前中なのでひっそりとしていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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98.火の鳥
宝塚大劇場の少し先に「手塚治虫記念館」があった。手塚治虫は、5歳から24歳までの約20年を宝塚で過ごしたとのこと。非核平和都市を宣言する宝塚市によろ建設された「火の鳥」のモニョメントが「手塚治虫記念館」の前にあった。「火の鳥」の原点は、ロシア民話の中の、自らの体を炎に焼き、その炎の名から自ら復活し永遠に再生し続ける「生命の象徴」として登場するとの銘板があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/125秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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99.花のみち
阪急電車の宝塚の駅から宝塚大劇場まで、1924年の宝塚大劇場開場により造成された段葛型道路で結ばれていた。宝塚歌劇へ続く花道の意味がある。桜をはじめ四季の花々や植物が植えられている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/320秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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100.伊丹空港
伊丹空港には2時前に着いた。ゆっくり昼食にしたがまだまだ時間があった。JALのラウンジでしばしゆったりとしていた。ラウンジの前の滑走路を眺めていると、次々と飛行機が着陸し、離陸していく。天候は荒れ模様だが南の方向は晴れ間も出ているようだ。写真は大阪市や堺市の建物だろうか、その奥に霞んで見えるのは和歌山方面だろうか。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250​秒 300mm ISO360​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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101.離陸
JAL機が目の前を離陸していく。ジェット旅客機の離陸時のスピードは大体時速240~300kmとのこと。新幹線と同じくらいだ。しかし、さすがに1/250秒のシャッタースピードでは止まらない。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6​.3​​​ 1/​250​秒 300mm ISO320​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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2015年2月20日

足立区生物園と西新井大師(2) 2月10日 西新井大師参拝


 西新井大師は、足立区生物園からは車で15分くらいだったろうか。足立区生物園もそうだったが、西新井大師にも自家用車用の駐車場はなく、近くの有料駐車場に車を停めて、境内に入った。
  停めた駐車場からは西新井大師の裏側から境内に入ることになる。總持寺と書かれたた大きな建物は大本堂だった。その左側から出生稲荷という稲荷社の脇を通って表側に回る。香炉から振り返って大本堂を仰ぎ、参拝した。
 そこから、山門を抜けて参道を歩く。平日の午後、参拝者は多くなく、参道に並ぶ店にもいまひとつ活気がない。

 どこで昼食にしようかと思ったが、山門の前の左側に、店先で元気のいいおばさんが草団子を売っている「清水屋」さんという食堂があった。ショウ・ケースにあった蕎麦でも頼もうと思っていたが、店の中に入ると立派な鮨のカウンターがあり、板さんが握っていた。案内されたテーブルの隣の席の夫婦が食べている鮨が旨そうだったので、上鮨を食べることにした。腹も減っていたが、味もまずまずだった。
 食事を終え、再び山門から境内に入り、本堂の両脇にある梅と寒桜を見た。寒桜にメジロが来ていてかわいい。
 帰路も首都高で順調に帰ってきたが、首都高で流れに乗って走ると80km/hになってしまう。

13.出世稲荷明神
大本堂の裏側から入り、左手に回っていくと、この出世稲荷明神があった。立てられている札には、本来五穀の神である倉稲魂神(うかのみたま)を祭ったものであり、弘法大師が嵯峨天皇より東寺を賜った時に、明神が翁の姿となって現れ、救いを垂れられたので、当時の鎮守として祭られ盛んになったといわれると書かれていた。ちょっと意味が良くわからない。出世という言葉はもともと仏教用語で、「悩みや迷いから離れ、世俗を超越」することを言うようだとのこと。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/800秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
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14.大本堂
​西新井大師の​ホーム・ページによれば、西新井大師は五智山遍照院總持寺(ごちさん へんじょういん そうじじ)といい、真言宗豊山派の寺院​である​。​天長(​824​年​~834​年)​の昔、弘法大師が関東巡錫(じゅんしゃく )の折、当所に立ち寄り悪疫流行に​悩む​村人たちを救わんと、自ら十一面観音像とご自身の像をお彫りになり、観音像を本尊に​​そしてご自身の像を枯れ井戸に安置して​21日間護摩祈願を​行ったところ、清らかな水が湧き、病はたちどころに平癒したと伝えら​える​。その井戸がお堂の西側にあったことから「西新井」の地名ができたと​う。​この大本堂は昭和47年​に​落慶​し、ご本尊 十一面観音と弘法大師を​祀っている。​

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/​10​00秒 2​0​mm ISO200 ) 露出補正 なし
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15.​大本堂の扁額
​大本堂の扁額は遍照殿​と記されている。あまなく照らす​という意味だそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/​250秒 2​8​​mm ISO​560​ ) 露出補正 なし
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16.さびしいお面屋さん
西新井大師は牡丹が有名である。牡丹は昔、​​奈良の真言宗豊山派​の​総本山​である​長谷寺から移植され、西新井大師では文化・文政(1804​年​​-​1​​8​30​年​)の頃よりぼたん園が展開され​たという。ぼたん園​は3つあり、その入り口にはこのような店が出ている。​今は牡丹の咲く季節ではない。今日は参拝者も少なく、さびしい。​

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/​10​00秒 ​62​​​mm ISO200 ) 露出補正 なし
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17.​水屋
山門を背に境内の参道の右手に水屋がある。詳しいことはわからないが手水鉢の四隅を支える像が良い。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/​250秒 ​24​​​mm ISO320 ) 露出補正 なし
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18.山門
境内から山門を見る。山門は江戸時代後期の建立だそうだ。素木造、楼上に五智如来を安置し両脇に寺門安護の金剛力士像をまつる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/​250秒 ​18​​​mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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19.山門の金剛力士像
これは向かって右側の金剛力士像。このように手前に金網がある被写体はオート・フォーカスは苦手である。もちろん左側にもう一体ある。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/​250秒 ​18​​​mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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20.表参道からの山門
左側にある店が昼食をした「清水屋」さん。正面に大本堂が見える。扁額には五智山とある。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/​250秒 ​18​​​mm ISO2000 ) 露出補正 なし
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21.参道の街並み
参道には両側に店が立ち並ぶが、ちょっと古めかしい店もある。手前が時計屋さんで、奥はせんべい屋さん。時計屋さんは「竹内時計店」といい、Yahoo智慧袋に、アンティーク時計の修理など、知る人ぞ知る名物職人の店主さんが居るお店と紹介され、「先代の店主である現店主のお父さんが名工で、現主人はその魂を引き継ぎ、更に素晴しい仕事をされております。」という書き込みを見つけた。TVのアド街ック天国にも登場している。奥のせんべい屋さんは「浅香家」で、あるブログに「この界隈は他にもせんべい屋はたくさんありますが、なかでも威風堂々(旧態依然)としているのがこの店で、オススメは馬目焼きという超弩級堅焼きせんべい。これはナント1枚200円もするのですが、これを一度食べると、他のせんべいが物足りなります。ガッシリ分厚くて堅くて味が深くて旨いのです。厚さ、堅さ、せんべい本体と醤油の味のバランスが素晴らしい。」と紹介されていた。この日は閑散としていた。知っていたら買って帰ったのだが。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/​250秒 ​32mm ISO360 ) 露出補正 なし
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22.光明殿の屋根
山門の前で右手を見ると、大きな、立派な屋根が見えたので行ってみる。そこには法事等仏事が行われる光明殿があった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/​640秒 ​20mm ISO200 ) 露出補正 なし
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23.光明殿八角堂
その奥に八角堂があった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/​1000秒 ​35mm ISO200 ) 露出補正 なし
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24.境内に咲く梅
再び境内に戻る。食事をした「清水屋」さんで、「梅はあるのですか?」と聞いたところ、大本堂の両側にあると教えていただいた。さっそく、大本堂の右手へ行ってみると、紅梅が咲き始めていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/​320秒 ​122mm ISO200 ) 露出補正 なし
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25.三匝堂(さざえ堂)
今度は大本堂の左側に回った。境内の一角にさざえ堂がある。正式には三匝堂(さんそうどう)と呼ばれるが、見た感じは普通の三重塔とさほど変わりない。三匝堂という形式は江戸時代に流行し、関東以北には相当建てられたそうだが、今に残る遺構は大変珍しく、都内では明治17年に改築されたこの堂のみだそうだ。三重塔との決定的な違いは、内部に入り一階から三階までに安置されている無数の仏像群を、順に参拝できるようになっているということだそうだ。ただし現在では、階段も外され、内部に入ることすらできないとのこと。 一匝に八十八体大師像、二匝に十三佛、三匝に五智如来と二十五菩薩が祀られている。匝という字は難しいが、音読みで「ソウ」、訓読みで「めぐる」と読む。意味はめぐる。周囲をまわる。取り巻く。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/​250秒 ​18mm ISO450 ) 露出補正 なし
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26.寒桜
大本堂の左手には、梅もあったが、寒桜があった。立てられている札には、(珍樹)寒桜とあり、「当山のこの桜はカンヒザクラ系の雑種で、桜の中では最も早く開花し、通常であれば二月上旬から三月上旬ごろまで長期間楽しむことができる。このような寒桜は都内ではあまり見ること出来ない。」と説明されていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/​800秒 ​75mm ISO200 ) 露出補正 なし
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27.咲きはじめの寒桜
びっしりと蕾を付け、その中の数輪が花開いていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/​800秒 ​140mm ISO200 ) 露出補正 なし
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28.寒桜にめじろ
メジロがやってきて、寒桜の蕾を啄む。かわいらしい。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/​800秒 ​140mm ISO200 ) 露出補正 なし
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29.奥ノ院
高野山の奥の院を江戸後期に関東に奉迎し、この地に弘法大師を祀る。古くから「関東の高野山」とも呼ばれていたそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f5.6 1/​250秒 ​30mm ISO560 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。