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2022年12月17日

金沢紀行 11月20日~22日 その6 金沢城公園② 11月21日

石川門から入って、河北門を見て、三の丸広場を五十間長屋を右手に眺めながら横切り、橋爪門に入った。石垣と二重塀で囲われた枡形に入る。二の丸情報館で一休みし、二の丸御殿の復元整備がなされている広大な二の丸広場を眺め、三十間長屋に行った。
 五十間長屋は二の丸広場から中へ入り見学することができたが、割愛してしまった。菱櫓、橋爪門続櫓も、中を見学することができるのだが割愛。
 午前11時、極楽橋を渡って、三十間長屋へと上がる。三十間長屋は金沢城にある3っの重要文化財の一つである。
 三十間長屋の東側が本丸のあったところだ。前田利家の時代には、5階建ての立派な天守閣があったそうだが、冬の落雷で焼失してしまったという。天守閣があったところが、いま、本丸園地と呼ばれるところで、三十間長屋の先に散策路の入り口があった。入ってみたかったがここも割愛した。山道になっているその散策路に先には戌亥櫓、丑寅櫓、辰巳櫓の3っの櫓跡が残されていて、その高台から降りてくると鶴丸倉庫があるが、我々は下の道から鶴丸倉庫へ行く。
 鶴の丸休憩所でコーヒーを一杯飲んで一休みした。
 次は歩いて近江町市場へ行きたい。三の丸広場を河北門の方へ戻り、二の丸広場の北側を歩いて、右手(東側)に広々とした新丸広場を眺めながら黒門口から近江町市場へと歩いた。すぐ近くだった。
 後で気が付いたのだが、加賀藩三代藩主「前田利常」が作庭し、廃藩まで歴代藩主が愛でたという庭園「玉泉院丸庭園」(平成27年3月、江戸時代末期の姿をもとに再現された)を見落としてしまった。
 なお、記述については、まったくの受け売り箇所もあるがお許しいただきたい。

000_221121782 X800 〇金沢 金沢城 新丸広場 Z50 Z18-140.jpg
金沢城公園の北側にある広々とした新丸広場 2022年11月21日 石川県 金沢城公園 

128_221121733 X800 金沢 金沢城 本丸の森 Z50 Z18-140.jpg 128.本丸正門(鉄門)跡
この写真の少し手前の両側に、本丸跡への入り口になっている石垣がある。それが鉄門(くろがねもん)跡だ。散策路を入ると、ちょっと歩いてみたくなる森があった。鉄門は、創建は明らかではないが、寛永の大火(1631年)以降、二の丸から本丸に入る正門となった。鉄板を張った扉が付けられていたことからこの名がついたといわれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/400秒 64mm ISO6400 ) 露出補正 なし
129_221121737 X800 〇金沢 金沢城 本丸の森 Z50 Z18-140.jpg 129.本丸跡への散策路
前田利家が築いた天守は火災で焼け落ちてしまい、現在は緑が広がる雑木林になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 29mm ISO1600 ) 露出補正 なし
130_221121740 X800 〇金沢 金沢城 旧陸軍弾薬庫トンネル Z50 Z18-140.jpg 130.旧陸軍弾薬庫隧道 -1
本丸跡への散策路を歩くのは断念して、三十間長屋から北東の方向へ、戌亥櫓跡の石垣の下を歩くと、トンネルがあった。旧陸軍弾薬庫隧道が見えた。金沢城は明治から第二次大戦にかけては陸軍省の所有となっていたが、本丸付近には弾薬庫が設けられた。弾薬庫を建設する際に掘られたレンガ造りのトンネルである。2008年に土木学会によって「日本の近代土木遺産」に登録された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 41mm ISO1100 ) 露出補正 なし
131_221121742 X800 金沢 金沢城 旧陸軍弾薬庫トンネル Z50 Z18-140.jpg 131.旧陸軍弾薬庫隧道 -2
この隧道は本丸跡地の戌亥櫓跡の石垣に開けられている。今は本丸園地と呼ばれているところだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO2800 ) 露出補正 なし
132_221121743 X800 金沢 金沢城 旧陸軍弾薬庫トンネル Z50 Z18-140.jpg 132.鶴の丸広場
旧陸軍弾薬庫隧道からだらだらと坂道を下りたところが鶴の丸広場だった。ここは本丸・東ノ丸の真下にある郭で、東ノ丸にいた芳春院(利家夫人)が、ここに白い鶴が舞い下りているのを見て、 これは前田家が長く栄えていく瑞祥(めでたい事の兆し、吉兆)であるとして、 この郭を鶴ノ丸と名付けたという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 54mm ISO500 ) 露出補正 なし
133_221121747 X800 金沢 金沢城 鶴丸倉庫 Z50 Z18-140.jpg 133.鶴丸倉庫
右手に鶴丸倉庫があった。幕末の1848年に竣工した武具土蔵で、石川門・三十間長屋と同様に重要文化財に指定されている。土蔵造2階建、切妻造、桟瓦葺で、もとは武具蔵として建てられ、加賀藩大工山本勝左衛門が普請を手がけたといわれる。明治以降は、陸軍によって被服庫として使われていた。長らく「鶴丸倉庫」と呼ばれてきたが、実際に建築されているのは「東の丸付段」である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO160 ) 露出補正 なし
134_221121752 X800 〇金沢 金沢城 鶴丸倉庫 Z50 Z18-140.jpg 134.鶴丸倉庫下
鶴の丸広場から見た鶴丸倉庫だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 26mm ISO220 ) 露出補正 なし
135_221121757 X800 金沢 金沢城 鶴の丸広場 Z50 Z18-140.jpg 135.鶴の丸土塀
鶴の丸休憩所の近くに展示されている「鶴の丸土塀」だ。鶴の丸土塀について詳しく説明されていた。この土塀の三の丸側の腰部は海鼠壁で覆われていたが、内側にはたくさんの鉄砲狭間があった。すなわち、三の丸側から見れば単に海鼠壁であるが、塀の中からはいざという時に瓦を1枚割れば鉄砲を撃てる狭間になっていたのである。これを「隠し狭間」と呼ぶ。利家が金沢城を築いた頃には、鉄砲が活かされた合戦として有名な長篠の戦いからほほ十年経過しており、すでにかなりの数の鉄砲が普及していたと考えられている。こうして、金沢城も鉄砲に備えた防御機能が随所に整えられることになったのである。鶴の丸土塀からは、有事に備えた築城の知恵が垣間見られると言える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 19mm ISO250 ) 露出補正 なし
136_221121758 X800 〇金沢 金沢城 鶴の丸広場 Z50 Z18-140.jpg 136.北の丸北面石垣と鶴丸倉庫
自然の石や粗割りしただけの石を用いて築かれた石垣は、金沢城の初期の姿を伝える貴重なもので、鶴丸倉庫の後ろ側にある東の丸北面の石垣などに見られるそうだ。この写真の左側に続く石垣にそれが見られるというが、わからなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 36mm ISO280 ) 露出補正 なし
137_221121761 X800 〇金沢 金沢城 橋爪門続櫓 鶴の丸休憩館から Z50 Z18-140.jpg 137.鶴の丸休憩館から見る橋詰門続櫓と五十間長屋
11時半になった。小奇麗な鶴の丸休憩所というところがあったので入ってみる。コーヒーを飲めるところがあったので一休みすることにした。大きなガラス張りになっているところに席を取り、しばし、橋詰門続櫓と五十間長屋を眺めていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
138_221121763 X800 〇金沢 金沢城 鶴の丸休憩館 Z50 Z18-140.jpg 138.鶴の丸休憩館
此処が喫茶室になっていた。これまでの休憩所は、2001年の全国都市緑化フェアの際に建てられた仮設の展示場を再利用していましたが、傷みが目立っていたことから、このたび(2017年)鶴の丸休憩館と名付けられた新たな休憩施設に建て替えられたものだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO200 ) 露出補正 なし
139_221121766 X800 〇金沢 金沢城 橋爪門続櫓 Z50 Z18-140.jpg 139.橋爪橋と橋詰門と橋詰門続櫓
さて、そろそろ金沢城公園においとまし、近江町市場へ移動しようと思う。橋爪門から再び五十間長屋の前を通って、二の丸広場の北側を西へ歩いた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 30mm ISO110 ) 露出補正 なし
140_221121769 X800 金沢 金沢城 新丸広場 カラスザンショウ Z50 Z18-140.jpg 140.カラスザンショウ(烏山椒)
カラスザンショウの葉が黄色くなっていた。カラスザンショウは、カラスイアゲハ、ミヤマカラスアゲハ、アゲハ、クロアゲハなどのアゲハチョウ科の蝶の食草になっているので親しみがわく。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO1250 ) 露出補正 なし
141_221121774 X800 金沢 金沢城 新丸広場 Z50 Z18-140.jpg 141.新丸広場 -1
付き合ったところを右へ行く。道なりに進むと右手(東側)が開けた。広い芝生の広場になっている。気持ちが良い。石川県のHPによれば、「新丸には、次々と藩の重臣の屋敷が建てられ、戦時には早くこの場で防御できるように考えられていた。しかし、藩の役所が増えてきて、重臣の数も多くなってくると、この場所だけでは狭くなり、 重臣の屋敷を次々に城外へ移した。そこで、藩ではここの空き地ができたところに細工所を設け、 甲冑、大小刀、弓矢等の修理や製造も行い、多くの細工者を集め、禄を給させた。しかし、これら細工所も宝暦9年(1759)の大火で焼け失せ、その後、再建することなく、 堂形辺(現在の県庁のある所)に仮屋を建て、細工所とした。この新丸のあと地が現在の「新丸広場」である。」とあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 38mm ISO100 ) 露出補正 なし
142_221121785 X800 〇金沢 金沢城 新丸広場 Z50 Z18-140.jpg 142.新丸広場 -2
芝生の向こう側の端まで300m近くあるのでないだろうか。木々が様々な色に紅葉していた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO500 ) 露出補正 なし
143_221121790 X800 金沢 金沢城 黒門 Z50 Z18-140.jpg 143.黒門口
金沢城公園の北側、近江町市場に近い、黒門口へと向かう。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 57mm ISO280 ) 露出補正 なし
144_221121792 X800 〇金沢 金沢城 黒門口から大手門口 Z50 Z18-140.jpg 144.大手堀
右手に大手堀というお堀が見えてきた。この堀は、廃藩置県後、次々と埋め立てられた金沢城の堀の中で、今なお唯一残っているのが周囲430mの大手堀という。平成元年に堀の堤を補強し、堀沿いの散策路が整備された。お堀沿いの道の右のほう(東側)へ行くと大手門口がある。ここをまっすぐ進むと黒門口があり、近江町市場だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 35mm ISO800 ) 露出補正 なし
145_221121797 X800 近江町市場へ 料亭旅館 浅田屋 Z50 Z18-140.jpg 145.老舗旅館
黒門口を出る。左手に豪姫住居遺跡(前田利家の四女にして、宇喜多秀家の正室となった豪姫が金沢に戻ってきた後に住んだ住居跡)のある黒門前緑地があった。まっすぐ十間町の通りを歩く。左側に雪吊りの松がある立派な構えの浅田屋という料亭旅館が見えた。ホームぺージを見ると、慶応3年(1867年)に創業の数寄屋造りとある。「風趣な坪庭を眺め、静謐なお部屋で金沢の情感を満喫していただけます。」とあった。1時過ぎに近江町市場についた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 37mm ISO640 ) 露出補正 なし

2022年12月13日

金沢紀行 11月20日~22日 その5 金沢城公園① 11月21日

兼六園の桂坂口を出て、蓮池門通りを渡ると石川城への入り口である石川橋を渡る。石川橋の下はお堀通りが通っている。
 金沢城は江戸時代には加賀藩主前田氏の居城だった。
 1580年(天正8年)佐久間盛政により築城された。1592年築という天守の構造は不明。御三階櫓(望楼型3重4階 1603年築)も現存していない。廃城になったのは明治4年(1871年)だそうだ。
 石川門・三十間長屋・鶴丸倉庫は指定文化財で国の重要文化財である。城跡は金沢城跡として、国の史跡となっている。
 城址を含む一帯は金沢城公園として整備されている。金沢平野のほぼ中央を流れる犀川と浅野川とに挟まれた小立野台地の先端に築かれた、戦国時代から江戸時代にかけての梯郭式の平山城である(かつて「尾山」と呼ばれたのもこの地形にちなむ。台地先端を山の尾とみなした)。櫓や門に見られる、白漆喰の壁にせん瓦(東洋建築に用いられた煉瓦)を施した海鼠(なまこ)壁と屋根に白い鉛瓦が葺かれた外観、櫓1重目や塀に付けられた唐破風(破風は屋根の妻側の端の部分のこと)や入母屋破風の出窓は、金沢城の建築の特徴である。
 ということで、訪れたところは金沢城ではなく、国指定史跡 金沢城公園というのが正しい。菱櫓・橋詰門・橋詰門続櫓・五十間長屋・鼠多門・玉泉院丸庭園 が再建造物として存在する。金沢城公園は28.5haあり、兼六園の11.4haの倍以上の広さだ。
 というわけで、古くて新しい観光名所なのだ。江戸時代には、加賀藩主前田家の居城であり、明治時代から戦争までは帝国陸軍が、戦後は金沢大学が所有していたことから、市民がお城に入れるようになったのは2001年のことだそうだ。
 記述については石川県HPの金沢城公園サイトや、wikipediaなどを参照させていただいている。

000_221121699 X700 金沢 金沢城 橋爪門続櫓 Z50 Z18-140.jpg
金沢城再建造物 五十間長屋と橋詰門続櫓 2022年11月21日 石川県 金沢城公園

108_221121663 X800 金沢 金沢城 石川橋 Z50 Z18-140.jpg 108.石川門
石川橋を渡り石川門へ向かう。石川門は宝暦9年(1759年)の大火によって全焼したが、11代藩主 治脩の代に再建され、その後修理等を重ねて現在の姿になった。現在の石川門は、天明8年(1788年)に再建され、重要文化財に指定されている。金沢城の搦手(裏口)門で、高麗門の一の門、櫓門の二の門、続櫓と2層2階建ての石川櫓で構成された枡形門になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 26mm ISO100 ) 露出補正 なしり
109_221121665 X800 金沢 金沢城 石川橋 お堀通り Z50 Z18-140.jpg 109.石川橋を渡る
兼六園の桂坂口からお堀通りの上に架かるこの石川橋を渡って石川門口へ入る。今朝、百万石通りの広坂の交差点から兼六園の真弓坂口に入ってきたが、真弓坂口に行かず、左の広い道を行くとお堀通りになる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 60mm ISO180 ) 露出補正 なし
110_221121667 X800 金沢 金沢城 石川門 Z50 Z18-140.jpg 110.石川櫓
石川橋を渡ると、石川門の一の門(高麗門)を入る。一の門を入るといわゆる枡形虎口になっていて、右に90度曲がったところにもうひとつの門、二の門(櫓門)がある。続櫓と2層2階建ての石川櫓で構成された枡形門になっている。石川門は白門とも呼ばれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
111_221121671 X800 金沢 金沢城 石川門 Z50 Z18-140.jpg 111.石川門の二の門(櫓門)
高麗門を入って右に直角に曲がって二の門(櫓門)がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
112_221121673 X800 金沢 金沢城 石川門 Z50 Z18-140.jpg 112.一の門(高麗門)の扉
重厚な鉄扉である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO450 ) 露出補正 なし
113_221121674 X800 金沢 金沢城 三の丸広場 Z50 Z18-140.jpg 113.三の丸広場 松ともみじ
石川門を抜けると目の前の松ともみじの向こうに三の丸広場が広がっていた。その向こうに五十間長屋が見え、左側に橋爪門続櫓、右側には菱櫓が見える。さらにその右に河北門が見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO180 ) 露出補正 なし
114_221121679 X800 〇金沢 金沢城 三の丸広場から五十間長屋 Z50 Z18-140.jpg 114.三の丸広場
芝生の三の丸広場が広がる。三ノ丸は石川門、河北門の内部の郭を指し、利家が入城した後、 重臣の居邸が建てられたが、その後、これらを城外へ移し、高知番所、 物頭番所が置かれた。正面に見える五十間長屋は平成13年7月に完成した、延べ床面積1894.23㎡の復元建物で、石川門や三十間長屋と同様、鉛瓦や海鼠塀が外観の特徴だそうだ。明治以降に建てられた木造城郭建築物としては全国再最大規模で、大径木の事前調達や土台石垣の解体、修築を含め、平成10年3月から実に3年4ヶ月をかけて造られた。五十間長屋の右側が菱櫓で、左側の櫓が橋爪門続櫓である。3層3階の菱櫓と橋爪門続櫓を2層2階の五十間長屋でつないでいる。五十間長屋は武器等の倉庫であった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
115_221121680 X800 〇金沢 金沢城 橋爪門続櫓 Z50 Z18-140.jpg 115.橋爪門続櫓
橋爪門続櫓は二の丸大手の橋爪門枡形を見張る物見櫓であった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 69mm ISO100 ) 露出補正 なし
116_221121695 X800 〇金沢 金沢城 菱櫓 Z50 Z18-140.jpg 116.菱櫓
菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 31mm ISO110 ) 露出補正 なし
117_221121687 X800 〇金沢 金沢城 河北門前から五十間長屋 Z50 Z18-140.jpg 117.河北門の二の門
河北門は金沢城の実質的な正門であり、約130年ぶりに往時の姿で再建された。河北門は、金沢城の大手から入り、河北坂を上がったところに位置する三の丸の正面である。河北門は高麗門である一の門、櫓門であるニの門、枡形土堀及び続櫓の機能を持つニラミ櫓台(一の門の右脇に設置された二重櫓)により防御機能を持った構成となっている。写真は三の丸側から見た河北門のニの門である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
118_221121688 X800 〇金沢 金沢城 河北門前と湿生園 Z50 Z18-140.jpg 118.河北門の一の門と湿生園
河北門の一の門の外側と、湿生園を三の丸園地から眺められるよう展望台が造られていた。河北門の復元建物は、安永元年(1772年)に再建され、明治15年(1882年)ごろまで存続していた河北門の姿を多数の資料の調査と検証に基づいて再現された。この一の門の右側に見えるのがニラミ櫓である。外側に広がる湿生園は、江戸時代後期の古絵図や埋蔵文化財の発掘調査結果に基づき、護岸は往時の新丸南堀の外郭が再現されている。掘をイメージした親水空間には、ハナショウブやミズアオイ、ヒメスイレンなどの湿性植物が楽しめるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO125 ) 露出補正 なし
119_221121689 X800 〇金沢 金沢城 河北門 Z50 Z18-140.jpg 119.河北門の一の門
石川門(重要文化財)と橋爪門と共に金沢城三御門と呼ばれているが、金沢城の建物の大半が焼失した宝暦の大火(1759年)の後、三御門の中で最初に安永元年(1772年)に再建された重要な門である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO125 ) 露出補正 なし
120_221121702 X800 金沢 金沢城 橋爪門 Z50 Z18-140.jpg 120.橋爪門
三の丸広場の芝生のわきをまっすぐ西へ進み、橋爪門の一の門にでた。 橋爪門は、寛永8年(1631年)の大火後に整備された二の丸の正門である。高麗門形式の一の門、石垣と二重塀で囲われた「枡形」、櫓門形式の二の門からなる枡形門で、枡形は城内最大の規模を誇る。二の丸御殿へ至る最後の門として、通行に際しては三御門の内で最も厳しい制限がかけられ、また、二の門の床には二の丸御殿と同じ敷き方で戸室石が敷かれるなど格式の高い門だった。文化五年(1808年)の二の丸火災で焼失した後、文化六年(1809年)に再建された姿を復元している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.6 1/500秒 28mm ISO140 ) 露出補正 なし
121_221121703 X800 金沢 金沢城 橋爪門 Z50 Z18-140.jpg 121.橋爪門の二の門
橋詰橋を渡って、石垣と二重塀で囲われた枡形に入る。そして、その右側にこの櫓門形式の二の門がある。先は二の丸広場だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 30mm ISO220 ) 露出補正 なし
122_221121706 X800 金沢 金沢城 橋爪門敷石 Z50 Z18-140.jpg 122.橋爪門敷石
寛永8年(1631年)の大火を契機として、本丸にあった御殿は二の丸に移り、二の丸御殿が藩政の中心となった。二の丸の正面に当たる橋爪門は二の門床に御殿の玄関周りと同じく四半敷き(正方形の石を縁に対し45度になるよう斜めに敷いたもの)で戸室石が敷かれ格式の高い門であったことを示しているとの説明板があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO4500 ) 露出補正 なし
123_221121711 X800 〇金沢 金沢城 二の丸広場 Z50 Z18-140.jpg 123.二の丸御殿跡
橋詰門を抜けると、二の丸情報館があった。一休みしようと中に入る。復元整備中の二の丸広場を右(北)に見る。石川県のホームページによれば、現在、二の丸御殿の復元整備事業が行われている。二の丸御殿は江戸時代においても二度の火災による焼失・再建を経て姿を変えながら、幕末・維新期まで御殿としての役割を担い続けていた。廃藩後は軍隊の管轄に置かれ、兵舎として利用されたが、明治14 年(1881年)に失火により焼失し、威容は失われてしまったそうだ。石川県では、平成30年(2018年)より、専門の学識者による検討や各種調査等を行い、御殿の復元整備に向けた取り組みを進め、令和3年(2021年)3月に御殿の復元整備に向けた基本方針を策定した。令和3年度(2021年)からは、復元整備事業に着手し、基本方針に沿って調査や設計等の取り組みを進めている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
124_221121717 X800〇金沢 金沢城 極楽橋と三十間長屋Z50 Z18-140.jpg 124.極楽橋と三十間長屋
二の丸情報館を出て、さらに西へ進むと左手に極楽橋が架かり、三十間長屋が見えた。二の丸と本丸の拡張部である本丸附段の間の空堀に架かる極楽橋の名前は江戸時代から使われており、金沢御堂(金沢城の前身は加賀一向一揆の拠点、金沢御堂で、本丸跡付近にあった)に由来すると伝えられる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 36mm ISO100 ) 露出補正 なし
125_221121721 X800 〇金沢 金沢城 三十間長屋 Z50 Z18-140.jpg 125.三十間長屋 -1
極楽橋を通り過ぎたところから、北側から三十間長屋を見上げる。本丸附段にある2層2階の多聞櫓で、石川門と同様に重要文化財に指定されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 65mm ISO160 ) 露出補正 なし
126_221121725 X800 〇金沢 金沢城 三十間長屋 Z50 Z18-140.jpg 126.三十間長屋 -2
段を上がって東側から三十間長屋を見る。宝暦の大火(1759年)の後、長く再建されず、安政5年(1858年)に再建された。大火以前は食器などを収めていたが幕末の再建後は武器弾薬を納めたといわれている。現在の長さは26間半だそうだ。南面は入母屋造りだが、北面は土台の石組よりも外壁がさがっており、切妻造りである。金沢城にはこの他に全部で14の長屋があったと伝えられている。18mmでは全長を収められなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
127_221121730 X800 〇金沢 金沢城 三十間長屋 Z50 Z18-140.jpg 127.紅葉のグラデーション
紅葉するイロハモミジが枝先の方は紅くなり、もとの方は緑のまま残っていた。イロハモミジは、1本の木、1枝からも緑色に赤や黄色、オレンジなど、カラフルないろどりを楽しめる。三十間長屋を東へ、本丸園地の方へ歩いてみた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 なし

2022年4月17日

皇居東御苑から千鳥ヶ淵へ その1 皇居東御苑 3月30日

今年は千鳥ヶ淵の桜を見に行きたいと思っていて、天気予報を見ながらこの日に行こうと決めた。
 東京駅の丸の内側駅前広場は長い間工事がされていたが、2017年12月7日に約10年かけた丸の内口の一連の再整備が完了した。行幸通りからの眺めを是非撮りたいと思い、東京駅をスタートした。平日の午前10時、行幸通りを歩く人は少なかった。
 行幸通りを行き、和田倉門交差点をさらにまっすぐ進んで桔梗門から皇居東御苑に入ろうとしたが、桔梗門は工事関係者以外一般の人は入ることが出来なかった。仕方なく内堀通り迄戻り、北へ、大手門から入ることになった。
 同心番所、百人番所から、二の丸雑木林、二の丸庭園、諏訪の茶屋を見て、梅林坂から書陵部の脇を通って北桔橋門に出た。北の丸公園へ行くにはここを出なければいけなったのだが、天守台、大奥跡を左に見て、竹林、石室、富士見多門と歩き、富士見櫓へたどり着いた。千鳥ヶ淵とはずいぶん遠くなってしまったことになる。
 結果、入苑した大手門へ戻ってきていた。係のかたに千鳥ヶ淵へ行きたいのだがと尋ねてみたところ、「北桔橋門を出て内堀通りを左に行けばよかったですね」ということで、大手門から内堀通りを左へ延々と、ジョギング中のランナーを避けながら、再び北桔橋門の前を通って、千鳥ヶ淵へ向かうことになった。
 皇居から北の丸公園を歩き、千鳥ヶ淵へ行こうと考えていたが、皇居東御苑から北の丸公園へ直接入ることは出来ないのだ。
 皇居東御苑の記述にはプレスマンユニオンの「東京とりっぷ」などを参照させていただいた。

000_220330125 X700 桃華楽堂 Z50 18-140.jpg
桃華楽堂の前に並び咲くハナモモの木 2022年3月30日 皇居東御苑

001_220330004 X800 〇東京駅行幸通り Z50 18-140.jpg 1.東京駅丸の内駅前広場
3月30日(水)午前10時に東京駅丸の内北口から、駅前広場に出た。新丸ビル側に渡り、丸ビルとの間を和田倉門に向けて伸びる行幸通りに立ち、東京駅外観を正面から眺めた。この整備が終わった東京駅丸の内駅前広場と行幸通りは 駅前広場と道路空間からなる景観[東京駅丸の内駅前広場から行幸通りに繋がる景観] として 「2018年度グッドデザイン・ベスト100」を受賞している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
002_220330002 X800 東京駅行幸通り Z50 18-140.jpg 2.和田倉門交差点付近から東京駅の眺め
幅73m、延長190mの行幸通りはまっすぐ、日比谷通りの和田倉門交差点を過ぎて、さらに内堀通りまで延びる。正式名称は「東京都道404号皇居前東京停車場線」と言うそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
003_220330018 X800 和田倉門 Z50 18-140.jpg 3.和田倉門交差点(日比谷通り)
和田倉門交差点を渡って、内堀通りへと進む。東京駅を振り返る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 82mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
004_220330023 X800 桔梗門(旧桜田門) Z50 18-140.jpg 4.桔梗濠と桔梗門
行幸通りが終わる内堀通りを渡って、お濠(桔梗濠)を右手に見る。左奥に見えるのは富士見櫓。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
005_220330027 X800 桔梗門(旧桜田門) Z50 18-140.jpg 5.桔梗門
内堀通りから行幸通りを背に真っすぐ進むと、桔梗門が見えた。だが、一般の人はここからは皇居東御苑に入ることは出来ない。 桔梗門 は 「桜田門外の変」で井伊直弼が暗殺された外桜田門に対して、内桜田門とも呼ばれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 23mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
006_220330033 X800 大手門へ Z50 18-140.jpg 6.桜田巽櫓
「ここから一般の方はご入場できません。大手門へお廻りください」と言われ、いま来た内堀通りを戻って左へ向かった。桔梗濠の向かいにそびえる二重櫓が桜田巽櫓。ジョギングをする人が多い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 58mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_220330035 X800 大手門へ Z50 18-140.jpg 7.大手門 -1
すぐに大手門が見えてきた。内堀通りのサクラも満開だった。ぼやけて見えるのは桝形形式の大手門の高麗門だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 58mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220330043 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 8.大手門 -2
大手門は1607年(慶長12年)に完成した江戸城の玄関である。1620年(元和6年)の江戸城修復に際し、伊達正宗や酒井忠世らの力により現在のような高麗門と渡櫓型の櫓門で構成された桝形形式(橋を渡ってから道は鍵型に屈曲する)の城門となった江戸城の正門である。その警備は鉄砲30丁、弓10、長柄(槍)20という厳重なものだったという。現存する入り口側の高麗門は、1657年(明暦3年)の明暦の大火(振袖火事)後の1659年(万治2年)に再建されたものだそうだ。江戸時代の渡櫓門は、残念ながら昭和20年の戦災で焼失している。写真は1968年(昭和43年)に木造復元により再建された渡櫓門。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_220330045 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 9.鯱
枡形内に入ると、渡櫓の屋根を飾っていた鯱が展示されていた。刻印に「明暦三丁酉」とあり、1657年(明暦3年)の振袖火事で焼失した後、1659年(万治2年)に大手門が再建されたときのものと推定できるという。昭和20年の空襲で門は焼け落ちたそうだが、鯱だけが残っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO125 ) 露出補正 なし
010_220330051 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 10.同心番所
今回は大手門から皇居東御苑に入ったが、他に平川門、北桔橋門からも入れるそうだ。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまったが、富士見櫓、同心番所、百人番所が現存している。この同心番所は門の外から内に移設されてはいるが、往時の姿を今に伝えている。説明板には、番所とは警備詰所のことだが、江戸城にあった番所のうち、同心番所、百人番所と大番所の3っつが残っている。ここには同心と呼ばれる武士が詰め、登城者の監視に当たっていたとあった。同心は、江戸幕府の下級役人のひとつ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO125 ) 露出補正 なし
011_220330054 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 11.中之門石垣
皇居内の石垣は特別史跡「江戸城跡」に指定されていて、「本丸中之門石垣」修復工事は平成17年8月から、平成19年3月にかけて行われた。石垣には江戸城の中でも最大級の巨石が使用され、目地(隙間・継ぎ目)がほとんどない、各段の高さを水平に揃えて積んだ整層積(布積み=ぬのづみ)の美しい石垣としている。構造上は少し弱くなるが、本丸御殿への大名の登城ルートとして、見た目の美しさが優先されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
012_220330057 X800 大手門 百人番所 Z50 18-140.jpg 12.百人番所
百人番所は、数少ない江戸時代から残る江戸城の遺構で、検問するだけでなく、幕府直轄の精鋭部隊、鉄砲百人組が有事に備えて詰めていた。警備を担当したのが、徳川家と縁故のある甲賀組、伊賀組、根来(ねごろ)組、廿五騎(にじゅうごき)組。当然のことながら昼夜交代で詰めていた。与力20人、同心100人が詰めていたが、各組の同心100人が配備されたのがその名の由来となっているそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 21mm ISO100 ) 露出補正 なし
013_220330063 X800 大手門 百人番所 Z50 18-140.jpg 13.中之門跡の石垣
百人番所の右手に中之門跡があった。中之門は、本丸の玄関となる中雀門と一体となって一つの大きな虎口(曲折して出入りする狭い通路)を作り、百人番所や大番所とともに本丸護衛として重要な役割を果たしていた。門から離れたところでは石積みの方法が違っていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
014_220330081 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 14.二の丸雑木林から二の丸庭園へ
大番所跡を見落とすことになってしまったが、中之門跡からではなく、手前の百人番所の前から北へ入った。二の丸御殿跡にある二の丸雑木林。2代将軍・徳川秀忠が死去した後の1636年(寛永13年)には二の丸御殿が建てられ、東側に庭園が配置された。現存する庭園は往時の庭園を昭和43年に復元したものだそうだ。昭和天皇の発案で、武蔵野の雑木林をできるだけ自然に近い形で復元している。手前のサクラの花を明るく撮ろうと、内臓フラッシュを発光してみたが、効果はなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f14 1/200秒 32mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_220330086 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 15.二の丸庭園
9代将軍・徳川家重時代の庭絵図面をもとに復元した池泉回遊式庭園があり、全国から集められた各都道府県の木260本も植えられている。現在の二の丸池にはコウホネ、ヒメコウホネ、ヒツジグサ、赤坂御用地の池から移したアサザが生育している。小堀遠州の作といわれる庭園の池水は、古い絵図と比べてもほぼ二の丸池と同じ場所にあるそうだ。池に関しては大名庭園時代の池泉をそのまま活用したと推測できるという。菖蒲田には昭和41年に明治神宮神苑から株を譲り受けた84品種の花菖蒲が植栽されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 31mm ISO110 ) 露出補正 なし
016_220330095 X800 二の丸庭園 カイドウ Z50 18-140.jpg 16.諏訪の茶屋とカイドウの花
池を右手に北へ進むと、紅色の花が目についた。ツツジかなの思って近づいてみるとカイドウの花だった。諏訪の茶屋は、二の丸庭園にある風雅な茶室である。火災などで焼失後、11代将軍・徳川家斉の時に創建されている。かつては吹上御苑(西の丸西側、現在の御所などのある一帯)にあったが、昭和43年、皇居東御苑の整備の際に移築された。建物は、明治45年に再建されたが、その当時、その場所に諏訪社があったことから諏訪の茶屋という名前が付いている。茶室としての利用はできない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
017_220330101 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 17.諏訪の茶屋
諏訪の茶屋の西側に回り込むとその入り口の木戸があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 25mm ISO100 ) 露出補正 なし
018_220330104 X800 梅林坂 Z50 18-140.jpg 18.梅林坂の石垣
西側の道に出て天神濠を右手に、石垣のある梅林坂を上がる。梅の開花期である2月上旬頃には石垣と梅の花という絶景スポットになる。もともと、太田道灌が江戸平河城を築城した際に、領地である川越の三芳野神社から祭神である菅原道真の分霊を勧請して天満社を創建したのが始まりという歴史ある梅林だそうだ。その太田道灌が1478年(文明10年)に、菅原道真を祀った際に、梅の木100本をここに植えたのが梅林坂の始まりとか。梅林坂の下から本丸方面にかけて50本ほどの梅が植栽されているが、この梅は皇居東御苑開園に先駆けて、昭和42年に植えられたものという。50年を経て立派な梅に育っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 94mm ISO250 ) 露出補正 なし
019_220330111 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 19.北桔橋門(きたはねばしもん)の桜
皇居書陵部の前を通って北桔橋門へ向かう道の、平川濠沿いのサクラがきれいだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
020_220330117 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 20.北桔橋門 -1
江戸城本丸の大奥、天守部分から外部に直接通じる門が北桔橋門である。門の横の内濠(平川濠・三日月濠)は防御力を高めるためにほかよりも深く、石垣は最も堅固になっている。北桔梗門の内側からその石垣と濠を見た。石垣は江戸城の城壁の中でも最も高く高さは18.5mもある。地震などの揺れにも強い自然石を積み上げる野面積み(のづらづみ)になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
021_220330118 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 21.北桔橋門 -2
一旦、北桔橋門を出て、濠にかかる橋の上から北桔橋門を撮った。当時の北桔橋門は、通常は橋を跳ね上げた形で、使われることがなく、いざという時の脱出路の確保としての門となっていた。現在の門は冠木門(笠木を柱の上方に渡した屋根のない門)である。現在では大手門、平川門と同様に、宮内庁が管理する皇居東御苑(江戸城の本丸・二の丸・三の丸)の入城門となっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
022_220330124 X800 桃華楽堂 Z50 18-140.jpg 22.「桃華楽堂」とハナモモ
北桔梗門から本丸跡へ入っていくと「桃華楽堂」が見えた。「桃華楽堂」は昭和41年2月に音楽好きの香淳皇后(昭和天皇の皇后)の還暦記念として建設された200名収容の音楽ホールだ。鉄仙の花弁を形どったといわれる屋根と八面体の珍らしい建物。その西側に植えられたピンクや赤・白の花のハナモモがいま、あでやかに咲いている。名前の「桃華」の由来は、香淳皇后さまの御誕生日が3月で桃の節句に因んだ桃、華の字は十が六個と一で構成されていることから還暦(数え年61歳)を意味するということで命名されたといわれている。楽堂の建物も名前も、そして傍らに植えられたハナモモの木も、人々の目を引きつける優美な佇まいである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 59mm ISO100 ) 露出補正 なし
023_220330131 X800 天守台 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 23.天守台から見た北桔梗門
右手(西側)に天守台があったので上がってみる。江戸城本丸北隅にあった天守閣は、東西約41m、南北約45m、高さ11mの天守台に建てられていた。日本最高だったという高さ51mの天守を支えた江戸城天守台は黒田長政が築造を担当し、石垣は、南部、津軽の二候が築いたとされている。現在、皇居東御苑内に修復、保存され、天守台の上に登ることができる。天守台から北側に北桔梗門が見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 37mm ISO100 ) 露出補正 なし
024_220330136 X800 天守台 Z50 18-140.jpg 24.天守台
天守台は1606年(慶長11年)に完成し、翌年五層の天守(慶長天守閣)が大手門とともに完成している。家康時代の慶長天守台・天守閣は現在の天守台遺構の南側、富士見多聞のあたりに位置していたそうだ。1922年(元和8年)に2代将軍秀忠が本丸拡張工事を実施、さらに1637年(寛永14年)、3代将軍・徳川家光は天守台・御殿を修築し、翌年には「寛永度の天守」が完成た。現存する天守台は、その寛永期天下普請の遺構がベースになっているそうだ。1657年(明暦3年)に起こった「明暦の大火」(振り袖火事)の飛び火で本丸、二の丸、三の丸はほぼ全焼。その後、江戸城の天守は泰平の世でもあり、経済的な理由もあって再建されることはなかったのだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 なし
025_220330145 X800 天守台 Z50 18-140.jpg 25.ミツバツツジ
天守台の南側、竹林の手前にミツバツツジが咲き、その奥にシャクナゲが咲くところがあった。西桔梗門跡に近い、「手洗い所」がある辺りである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 48mm ISO110 ) 露出補正 なし
026_220330147 X800 大奥跡 Z50 18-140.jpg 26.本丸 大奥跡
富士見櫓に向かって進む。左側に本丸、大奥跡の芝生が広がる。徳川幕府の中枢となる政庁が江戸城本丸の御殿だが、表御殿・中奥から御鈴廊下でつながっていたのが大奥だった。残念ながら、往時を偲ぶものは何も残っていないそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 24mm ISO110 ) 露出補正 なし
027_220330167 X800 富士見櫓 Z50 18-140.jpg 27.富士見櫓
石室、富士見多門を見て、富士見櫓へ出た。富士見櫓は江戸城遺構として残る唯一の三重櫓。現存する三重櫓は、1657年(明暦3年)の明暦の大火(振袖火事)での焼失後、1659年(万治2年)の再建。どの角度から見ても同じような形に見えることから、「八方正面の櫓」の別名もある。天守焼失後の「代用天守」の櫓ともいわれている。富士見櫓の上からは、その名の通り富士山をはじめ、秩父連山や筑波山、江戸湾(品川沖など)、さらには将軍は両国の花火などを眺望したのだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 40mm ISO110 ) 露出補正 なし
028_220330172 X800 富士見櫓 Z50 18-140.jpg 28.ボケ
手入れされた絞りのボケの花がきれいに咲いていた。全く方向音痴になってしまっていて、この辺りから北の丸公園・千鳥ヶ淵へ出られるのではないかと思って歩いていたら、中之門跡に戻ってきてしまっていた。結局、一回りして入苑した大手門に戻り、これから入る人たちの手荷物検査をしていた係のかたにたずねたところ、「内堀通りを左回りに歩いて行ってください」ということになってしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 115mm ISO360 ) 露出補正 なし
029_220330185 X800 内堀通り 平川門 Z50 18-140.jpg 29.平川門
大手門を出て、内堀通りを左へ歩いて行くと、地下鉄の竹橋駅の近くで次の門である平川門に出た。太田道灌が江戸城を築いた15世紀には、江戸湾に面した現在の平川門周辺には、上平川村、下平川村という村があったのが平川門の名の由来という。太田道灌の時代から門が築かれていたと推測され、3代将軍・徳川家光の治世である1635年(寛永12年)、高麗門(外側の第一門)、渡櫓門(内側の第二門)を備える強固な枡形門のスタイルとなった。江戸城三の丸の正門で今も濠には木橋が架かっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 34mm ISO110 ) 露出補正 なし
030_220330193 X800 〇内堀通り 平川門 Z50 18-140.jpg 30.平川門の木橋
平川門は現在では大手門、北桔橋門と並んで、皇居東御苑(本丸・二の丸・三の丸)の入苑口のひとつになっている。木橋が往時のように残されるのは江戸城でもここだけだそうだ。現在の木橋(全長29.7m、幅7.82m)は台湾産のヒノキ材を使って昭和63年に再建されたもの。橋台は石造り、脚桁には鉄骨が使われているが、親柱の擬宝珠(ぎぼし)には、寛永や慶長などの銘が彫られており、往時のものが使われていることがわかるそうだ。長くなってしまった。ここら先は次回に回す。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし


2019年11月30日

上州紅葉巡り 11月14日 ③沼田城跡と赤城山全容眺望

原田農園から沼田城跡までは遠くはなかった。
 沼田城は群馬県の北部にあり、四方を山に囲まれた沼田盆地を中心に三方に利根川、薄根川、片品川が流れ、片品川周辺には河岸段丘が発達している。この段丘の先端部に最初に城を築いたのは、鎌倉時代以来この地方の有力者であった沼田氏12代鬼頭顕泰で天文元年(1532年)ごろと言われているそうだ。その城は倉内城と言われた。北陸から関東へ至る要衝の地であり、上杉、北条、武田などの戦国大名により激しい争奪が繰り広げられた。
 天正8年(1580年)武田勝頼の命により吾妻方面から進出してきた真田昌幸が沼田城を攻略し、沼田氏を滅亡させた。その後、この地の領有を主張する北条氏と真田との間で沼田城を巡る攻防が続いた。秀吉の小田原攻めで北条氏は滅亡し、真田昌幸は沼田城を嫡子の信幸に与えた。徳川の時代になり、真田氏が改易されたあとは真田領は一時代官支配となり、元禄16年(1703年)本田正永が幕府より、城の復興を命じられ沼田領を拝領したが、本格的な復興はされなかった。本田氏3代のあと、再び代官支配となった後、黒田氏2代、土岐氏12代で明治維新を迎え、沼田城は廃城となった。
 現在は、本丸・捨曲輪と二の丸、三の丸の一部が沼田公園となっている。本丸跡に西櫓台と石垣、本丸堀の一部が見られ、わずかに城の名残をとどめている。(沼田市観光協会のパンフレットを参照)

37.沼田城本丸跡
標識にある生方家はゆっくり見てこなかったが、17世紀末頃に建築されたものと考えられ、東日本で最も古い町家造りの建築物であることから昭和45年に国の重要文化財に指定されている。生方記念資料館は、元沼田町長であり、国の重要文化財に指定されている旧生方家住宅の前所有者であった生方誠氏が生前収集した資料の書画・出土品などが展示されており、旧生方家住宅に隣接して建てられている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/500秒 38mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_037.jpg
38.もみじと青空
時刻は12時40分。秋の太陽は斜めから射し、真っ赤なもみじと青空の色を作り上げる。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 55mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_038.jpg
39.沼田城跡公園
沼田城跡公園のなかは、憩いの場になっていて、芝生が植えられている。真田信之、小松姫の像があるが、これは歴史的な建造物ではないようだ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 60mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_039.jpg
40.真田信之と小松姫の像
公園のなかに、真田昌幸が沼田城を与えた戦国武将 真田幸村の兄である信之と妻小松姫の石像が建てられていた。この石像は、信之が初代城主を務めた沼田城跡公園を「もうひとつの真田の舞台」としてPRする目的で2016年1月にお目見えしたそうだ。NHK大河ドラマ「真田丸」に合わせ、記念撮影スポットにしようと、市観光協会が約430万円をかけて建てたという。 小松姫は徳川氏譜代家臣の本多忠勝の娘である。 wikipedia によれば、夫の信之は家康の率いる東軍に付き、父・昌幸と弟・信繁は三成の率いる西軍に付いたが、袂を分かった昌幸・信繁親子が居城の上田城に戻る際、沼田城に立ち寄り城に入ろうとしたところ、留守を預かる小松姫が昌幸の計略を見抜いて開門を拒み、女丈夫と謳われたとの逸話が残されている。また、 『改正三河後風土記』によれば、小松姫は昌幸から「今生の暇乞のため対面し、孫共を一見せばやと存候」との申し出を受けるが、これを断ると侍女を遣わして昌幸らを城下の旅宿に案内し丁重にもてなした。その一方で、城中の家臣には弓や鉄砲を狭間に配置させ相手方の襲撃に備えるように命じた。これを見た昌幸は家臣に向かって「あれを見候へ。日本一の本多忠勝が女程あるぞ。弓取の妻は誰もかくこそ有べけれ」と、その手並みを褒め称えたと記している。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/500秒 40mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_040.jpg
41. 天守閣跡に建つ利根英霊殿
かつて5層の天守閣が築かれていたという場所には、戦没者を祀る利根英霊殿が建立されている。沼田城の天守は沼田城初代城主となった真田信之が慶長年間に建造されたと伝えられている。関東における5層の天守は、江戸城以外は沼田城だけであったことや、天守付近から金箔を張った瓦が見つかっていることから、関東において沼田城は特別な城であったことが考えられると。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 38mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_041.jpg
42.柿の実 ?
柿にもいろいろと種類があるようだ。写真は撮ってきたのだが、実の形が見慣れた柿と違うようだ。ネットで調べてみたが、同定できない。貴秋柿というのに似ているようだ。葉は間違いなく柿の葉と思う。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 98mm ISO100 ) 露出補正 なし
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43.鐘楼
公園の西側に鐘楼があった。鐘楼は明治31年ごろ旧沼田町役場の裏手で時を告げていたが、昭和58年にこの公園に再建された。城鐘は信幸と小松姫の息子である2代藩主真田信吉が、領内の安泰を祈願して鋳造させ、突かれていたが、現在はレプリカの鐘が朝夕6時に時を告げる。実物は県の重要文化財で、沼田氏歴史資料館に展示されている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 32mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_043.jpg
44.本丸跡 西櫓台の石垣と石段 -1
平成27年(2015年)に行われた発掘調査により発見された石垣と石段は西櫓台に伴うもので、出土した瓦などから真田時代の遺構と考えられる。真田の5代城主信利の改易により、その翌年城は跡かたもなく破却されたと言われていたが、壊されずに地中に埋められていた部分が、300年以上を経て再び往時の姿を現した。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/500秒 52mm ISO220 ) 露出補正 なし
191114_044.jpg
45.本丸跡 西櫓台の石垣と石段 -2
左側が石段の部分。石垣、石段の全長は27.5m、石垣の高さは0.8~2.0m、石段の幅は2.4m だそうだ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 38mm ISO220 ) 露出補正 なし
191114_045.jpg
46.ビューポイント
公園の北西の端の先は段丘が切れる。そこからの眺めは良く、ビューポイントとされている。正面の山は三峰山(1122m)で、その中腹にある河内神社はかつて沼田城主の信仰が厚かったといい、その境内からは赤城山や武尊山を望み、沼田市街地を見下ろす絶好の展望台となっているという。このビューポイントからは、三峰山の左に木の陰になってしまっているが谷川岳(1977m)、右の端には武尊山(2158m)が望める。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 32mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_046.jpg
47.天狗堂
公園の北側、ビューポイントの東側に天狗堂というのがあった。沼田市の北部にある迦葉山弥勒寺は天狗の寺と言われ、9世紀創建の由緒ある寺で、高さ 6.5m、鼻の長さ 2.8mの大天狗面があることで有名だという。沼田市観光協会が 昭和34年11月に、迦葉山弥勒寺の大天狗面の分身として制作した天狗面が、この天狗堂に収められている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 38mm ISO110 ) 露出補正 なし
191114_047.jpg
48.天狗面
お堂の中を覗いてみた。鼻に埃がたまった大きな天狗面が置かれていた。顔の長さ3m、顔の幅2m、鼻の高さ1.4m、重さ1トンで木彫りの天狗面としては日本一だそうだ。現在、迦葉山弥勒寺には地元商工会有志が奉納した顔の長さ6.5m、鼻の高さ2.8mの日本一の大天狗面が安置されているそうだ。高尾山薬王院や鞍馬寺と「日本三大天狗」のひとつ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/125秒 9mm ISO320 ) 露出補正 +0.7段
191114_048.jpg
49.沼田公園のもみじ
沼田城跡公園にはもみじは少なかった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/500秒 66mm ISO100 ) 露出補正 なし
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50.沼田城本丸堀跡
沼田城二の丸から本丸の間に設けられた堀は幕府に提出した絵図(正保城絵図)によると、本丸側に唯一石垣が積まれた沼田城で最も規模が大きな堀だった。堀幅12間(約24m)、本丸に入る櫓門入り口の石垣高は約3間(約6m)と記されていたそうだ。平成9年に植え込みの中を発掘調査したところ、池の石垣に連なる石垣の一部と、堀の中に崩された石や多くの瓦が出土した。沼田城はほとんど城の跡が残っていなかった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 90mm ISO500 ) 露出補正 なし
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51.赤城山の眺め -1
沼田城跡公園を後にして、バスは国道353号線を、渡良瀬川の高津戸渓谷に向かって走るが、途中で赤城山がきれいに見えるという撮影スポットがあって「さあ、降りて写真を撮ってください」とバスは路上駐車した。青空が広がっていたので、赤城山はきれいに見えた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/640秒 38mm IS100 ) 露出補正 なし
191114_051.jpg
52.赤城山の眺め -2
赤城山は標高1,827.6mで、カルデラ湖を伴うカルデラを持つ、関東地方で有数の複成火山である。 バスが停まったところは赤城山を南側から見る位置にある。手前は素晴らしく平らな緑が広がっていた。何かを栽培している畑なのか、牧草を育てているのか。山肌は紅葉していた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/640秒 105mm IS100 ) 露出補正 なし
191114_052.jpg


2019年7月 8日

岩手・秋田・山形 ドライブ旅行<5月19日~22日> (6・終) 鶴岡と加茂水族館 5月22日

鶴岡で昼食にしよう。すしを食べたい。K 夫人がスマホで鶴岡の旨い寿司屋を検索してくれた。決めたのは「金太郎寿し」というところ。駐車場も広い。ネタも良く、「中とろ」を何回もお代わりした。旨かった。
 次は楽しみにしていた加茂水族館だ。愛称は「クラゲドリーム館」でクラゲの水族館として知られる。見たこともないクラゲが展示されていて、足を止めることが多かった。クラゲの世界を堪能した。
 水族館の屋上広場に出ると漁港の向こうに鳥海山の美しい姿が見えた。この日は、月山と鳥海山、両方の全容を見ることができた。
 午後2時、横浜への帰路につく。山形自動車道→東北中央自動車道米沢経由→福島JCT→東北自動車道→首都高→横浜というコースだ。山形自動車道から東北自動車道に入るのは、仙台と白石の間の村田JCTと思っていたが、Kさんは山形自動車道の山形JCTで新しい東北中央自動車道に入り、米沢を経由して、福島JCTへ出て東北自動車道へ合流するコースを選んだ。もちろん初めて走る道だった。
 羽生で夕食にして、首都高を箱崎経由で横浜に戻り、それほど遅い時間にならずに帰宅することができた。4日間で1500kmを越す走行距離であった。
 今回もKさんご夫妻には、宿の予約、コースの選定と行程、見どころのピックアップ、食事処の検索等々、大変お世話になった。お陰様で楽しいドライブ旅行をことができた。感謝に堪えない。「ありがとうございました」

21.鶴岡市文化会館
羽黒山五重塔を出て、30分ほどで鶴岡市街に入った。大きな駐車場があったので車を停めたが、ここは何かの施設の駐車場のようだ。前方には大きな建物があった。「相銀タクト鶴岡」と呼ばれる鶴岡市文化会館だった。大ホールの客席数が1,120席、多目的鑑賞室15席があるコンサートホールで、その他にも小ホール/練習室/会議室/楽屋/託児室 がある。2017年8月に完成。同年9月1日には、鶴岡に本店を置く荘内銀行が命名権を取得 し、指揮棒のタクトに由来する「荘銀タクト鶴岡」という愛称になった。9月30日には竣工式が挙行され、2018年3月18日にNHK交響楽団とソリストのピアノに仲道郁代を迎え、こけら落し公演が行われグランドオープンしたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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22.荘内藩校 致道館
鶴岡城の城下町エリアを歩いてみようと「荘銀タクト鶴岡」の駐車場から歩き始めると、すぐ右側に、庄内藩の藩政立て直しを目的に文化2年に庄内藩酒井家9代忠徳が創建した藩校である「致道館」があった。現在は表御門、聖廟、御入間( 藩主が来た時に入る所で全4 部屋のうち、特に御居間の天井と床下は、賊の侵入を防ぐようになっている)などが残され一般公開されている。ここで戊辰戦争の降伏条件の言渡しが新政府軍黒田清隆から忠篤公へ行われたという。この日は水曜日で休館だった。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
190522_022.jpg
23.鶴岡アートフォーラム 道路の反対側には2005年3月に竣工した全面ガラス張りの鶴岡アートフォーラムがあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 14mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
190522_023.jpg
24.大宝館
鶴岡アートフォーラムの先を左に曲がって大山街道を致道博物館のほうに向かって進む。右手は鶴岡公園(鶴ケ丘城址公園)になっている。大宝館があった。大宝館は大正天皇の即位を記念して建てられた、オランダバロック風の窓と、ルネッサンス風のドームを持つ洋風建築だ。現在は人物資料館として公開され、鶴岡が生んだ先人たちの偉業をたたえる資料を展示している、ここも水曜日は休館だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 23mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
190522_024.jpg
25.鶴ケ丘城址公園
道路を渡って、鶴ケ丘城址公園の入口まで行ってみた。堀から護国神社が見える。庄内藩酒井家が約250年居城とした鶴ケ丘城は、明治4年(1871年)廃藩置県により廃城となり、明治9年(1876年)には城内の建築物は全て破却され鶴岡公園となった。明治10年(1877年)本丸跡に藩祖酒井忠勝を祀る荘内神社が設けられた。荘内神社は護国神社の奥にある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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26.慶應義塾大学先端生命科学研究所
再び道路を渡って、少し先の左側に慶應義塾大学先端生命科学研究所が見えた。慶應義塾大学の付属研究所であるが、知らなかった。慶應義塾は当研究所を「アカデミックベンチャー」と位置付け、失敗を恐れず未知の領域に果敢に挑戦し、新規先端技術の開発を積極的に推進させている。細胞工学、分析化学、代謝工学、分子遺伝学、ゲノム工学や情報科学といった異分野の研究者を集め、ITを駆使した「統合システムバイオロジー」という分野の開拓を推し進めているという。2001年4月、鶴岡タウンキャンパスに設置された本格的なバイオの研究所。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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27.致道博物館 「旧西田川郡役所」
信号のある交差点の筋向いには致道博物館がある。鶴ケ丘城の三の丸、酒井家の御用屋敷跡に整備された博物館。明治時代の儀洋風建築「旧西田川郡役所」「旧警察署庁舎」と田麦保の多層民家「旧渋谷家住宅」が移築されている。写真は「旧西田川郡役所」で、創建は1881年(明治14年)で1972年(昭和47年)に移築された。致道博物館も水曜日は休みで観光客はここへは水曜日に来るものではない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 23mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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28.致道博物館 「旧鶴岡警察庁舎」
ひときわ目立つブルーの洋館は、1884年(明治17年)に創建され、1957年(昭和32年に移築された「旧鶴岡警察庁舎」で、明治前期に建設された擬洋風建築のひとつの到達点を示すものといわれている。外部窓廻りなどにルネッサンス様式を模しているが、屋根の大棟、破風妻飾りなど在来様式も巧みに取り入れているという。さて、車に残って美味しい寿司屋をスマホで探してくれていたK夫人のところに戻る。「金太郎寿し」は最高だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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29.加茂漁港から鳥海山の眺め
鶴岡の「金太郎寿し」 から、次の目的地である日本海に面した加茂水族館へ向かう。 15分ほどで着いた。加茂漁港の向こうに鳥海山が眺められた。鳥海山は、山形県と秋田県に跨がる標高2,236mの活火山である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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30.加茂水族館 -1 庄内の魚
クラゲの展示数世界一を誇る鶴岡市立加茂水族館 に入る。まず、庄内の魚の展示があった。スズキやマダイが泳いでいる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/50秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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31.加茂水族館 -2 アカエイ
荘内では「あがえ」と呼ばれるアカエイ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/125秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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32.加茂水族館 -3 降海する魚
シロザケ(稚魚)。川で孵化した後、海に降った状況を再現し、成長の様子が観察されている。3~4年、海で成長したのち、生まれた川に戻り、産卵すると一生を終える。これは昨年の冬に生まれて3月にもらってきたシロザケのこどもだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/80秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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33.加茂水族館 -3 オワンクラゲ クラゲの展示室に入ってきた。これはヴィクトリアのオワンクラゲで、2008年に下村脩氏がノーベル賞を受賞し話題になったクラゲ。傘のふちに緑色の蛍光タンパク質(GFP)があり、UVライトを当てると緑色に発光する。日本産のオワンクラゲより発光が強い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/20秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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34.加茂水族館 -4
この水槽には、色鮮やかないろいろなクラゲが泳いでいた。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/80秒 26mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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35.加茂水族館 -5 ハナガサクラゲ
好物は生きた小魚だが、入手出来ないことが多いのでアジの切り身を与えているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/160秒 28mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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36.加茂水族館 -6 フウセンクラゲ
長い2本の触手を持ち、小型の甲殻類等を効率よく捕まえて食べるという。クラゲは肉食なのだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/25秒 21mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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37.加茂水族館 -7 プロカミアジェリー(仮称)
傘径50cmにもなる大型のクラゲで1mの個体も確認されている。日本のアカクラゲと見た目は似ているが、赤い縞模様はこちらのほうが毒々しく見えるようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO1600 ) 露出補正 -0.3段
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38.加茂水族館 -8 アマガサクラゲ
  「かごしま水族館と同時公開・世界初展示」となっていた。姉妹園館「かごしま水族館」からポリプを譲り受けて繁殖させたとのこと。100m以深で普通にみられるが、浅いところでは稀で、生態は謎が多い。説明書きでは、アマガサクラゲはミズクラゲ科だが、ミズクラゲは、生体→受精卵→プラヌラ→ポリプ→ストロビラ→エフィラ→メテフィラ、そして成体という生活環をもつが、ポリプは根(ストロン)を伸ばして自分と同じポリプを増やす。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/60秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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39.加茂水族館 -9 キタミズクラゲ
荘内での出現記録は、1979年に遊佐町の地引網に入ったのみ。成長すると傘のふちが茶色に染まる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/80秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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40.加茂水族館 -9 パープルストライプジェリー
傘径が1mにもなる大型のクラゲで、ここではミズクラゲを餌として与えているという。成長すると傘に紫の放射状の縞模様が出る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/200秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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41.加茂水族館 -10 クラゲ ドリームシアター
クラゲ専用の水槽としては世界最大級の直径5mに、数千匹のクラゲはゆらゆらと泳ぐ神秘的な光景だ。 

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/100秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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42.加茂水族館 -11 クラゲ ドリームシアター 部分
クラゲ ドリームシアター に近づいて、ミズクラゲの泳ぐ姿を撮った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/100秒 27mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3
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43.キタゾウアザラシ
水族館の建物の外に出た。キタゾウアザラシがいた。キタゾウアザラシは北太平洋の北アメリカ大陸西岸に棲息するが、2017年10月16日には山形県の海岸で1匹が見つかり、ここ鶴岡市立加茂水族館に保護された。集団での棲息地から遠い日本での放流は不適切と判断した同水族館が、2018年3月17日から一般公開している。キタゾウアザラシはアシカ亜目の中ではミナミゾウアザラシに次いで2番目に身体が大きい種である。 20年位前だろうか、江ノ島の水族館で見たミナミゾウアザラシの「ミナゾウ君」(体調4.5m)はとても印象に残っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO250 ) 露出補正 -0.3
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44.もう一度 鳥海山
加茂水族館で、今回の東北ドライブ旅行の見どころはすべて終えた。八幡平も秋田県側に入って晴れたし、最終日にはギフチョウにも会えたし、月山、鳥海山の全容を見ることができた。加茂水族館の屋上広場から海の向こうに見える鳥海山を瞼に焼き付けた。帰路は順調に走り、横浜には夜9時に到着した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 37mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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2019年4月25日

上越妙高へドライブ旅行(1) 4月17日

なぜこの時期に日本海に近い、上越の妙高へ行こうと思ったか。それは、会員になっている「休暇村」から送られてきたブックレットの新潟県妙高市にある「休暇村 妙高」のページに、「斐太歴史の里」の「カタクリの群生地」が紹介されていたからだった。チョウ好きはカタクリの花=ギフチョウと連想してしまう。
 4月17日、マイカーで朝6時に自宅を出発した。東名、圏央道、関越、上信越道と走り、途中、高坂と松代で休憩を取り、11時少し前に「斐太歴史の里」に到着した。ナビで斐太神社を目的地に入れていたが、そこから「斐太歴史の里」へどう行くのかわからない。厚かましくも斐太神社の社務所の戸を叩き、教えを乞うた。親切な奥さんが丁寧に説明してくださった。
 「斐太歴史の里」の案内所で、カタクリの群生地はどのあたりにあるのか、また、ギフチョウは飛んでいるのかを尋ねてみた。ここの女性も丁寧に教えてくれ、「鮫が尾城跡」に上がれば、乱舞しているとのことだった。「やった」と思い、「鮫が尾城跡」への急な道を上り始めた。カタクリの花はいたるところに咲いているが、ギフチョウは現れない。「鮫が尾城跡」に登りついて、しばらく待機したが、いっこうに姿を現してくれない。キアゲハが2頭、占有行動をしていて、他のキアゲハが飛来するとスクランブルをかける。越冬したヒオドシチョウも日当たりの良い草の上に止まって、キアゲハが近づくと追いかけまわしていた。
 残念な思いをしながら、案内所まで戻り、お茶をごちそうになりながら、先ほどの女性に、ギフチョウはいなかったと伝える。「そうですか。昨日は自分も見たし、さっき下りてきた人たちも、上で乱舞していたと言っていたのだけど」とのこと。それはキアゲハのことではないのかと思ったのだが。
 午後2時近く、さらに日本海寄りの上越市にある高田城跡公園へ桜を見に行ってきた。ここの桜はもう散り始めていた。
 今夜の宿である「休暇村 妙高」に到着し、ゆっくりと風呂に入り、「村上牛懐石」と名がついた夕食にする。乾いた喉を潤すビールは久しぶりに旨いなと思った。
 「斐太歴史の里」のカタクリ群生は見事だったが、残念ながらギフチョウには会うことができなかった。

1.松代SA
雪に覆われた浅間山を眺め、アルプスを遠望するドライブは快適だった。上信越道の柘植JCTを北上してすぐの松代サービスエリアで2度目の休憩となった。四阿山(2,354m)の眺めが素晴らしい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 62mm ISO100 ) 露出補正 なし
190417_001.jpg
2.斐太歴史の里
上信越道を中郷ICでおり、斐太神社に着いたのは11時ころだった。斐太神社の社務所で斐太歴史の里への行き方を聞いて、そこの案内所で、カタクリの群生は何処で見られるのか、ギフチョウのいそうなところは何処か、など教えていただいた。ギフチョウは鮫lヶ尾城跡に上ると飛んでいるという。わくわくしながら、山道を歩き始めた。鮫lヶ尾城は標高183mの山の上にあった山城だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
190417_002.jpg
3.トキワイカリソウ
標高は低いが、鮫lヶ尾城跡への登りはなかなかだった。ギフチョウが飛来しないかと気を配りながら、息をを切らせて足を運ぶ。初めて見るような花も咲いていた。本州(東北地方〜山陰地方の日本海側)の多雪地の山野の林内に生える。 イカリソウ(錨草)の名は花の形が四本爪の錨に似ているところから付けられたものである。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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4.オオイワカガミ
イワウメ科イワカガミ属の常緑の多年草だそうだ。高山植物の一種ではあるが、実質的には低山帯から高山帯まで幅広く分布するという。生育地によって植物体の大きさに変異があり、コイワカガミ、イワカガミ、オオイワカガミという名があてられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 168mm ISO100 ) 露出補正 なし
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5.キアゲハとカタクリの花
30分ほどで鮫lヶ尾城跡に着いた。カタクリが咲き、桜も咲いている。そのカタクリにキアゲハが吸蜜に来ていた。キアゲハには申し訳ないが、ギフチョウなら良いのにと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
190417_005.jpg
6.キアゲハ
また、キアゲハがきて、葉が出てきた小枝の先に止まった。とても新鮮な個体である。これはこれで美しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO125 ) 露出補正 なし
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7.ヒオドシチョウ
鮫ヶ尾城跡の小高い草地には、越冬明けのヒオドシチョウが陣取って、縄張りを張っていた。キアゲハが傍に富んでくると緊急発進して追い払っていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
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8.鮫ヶ尾城跡からの眺め -1
鮫ヶ尾城跡から 北東の方角に上越市が眺められた。日課のようにして鮫ヶ尾城跡に登ってこられている地元の方は、澄んだ空気の晴れた日には佐渡が見られるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 25mm ISO100 ) 露出補正 なし
190417_008.jpg
9.妙高山
来る途中、車の中からも眺めることができた妙高山(みょうこうさん)は、見る場所により形を変える。新潟県妙高市にある標高2,454mの成層火山で、北信五岳の一つであり、その中では最高峰。日本百名山に選定されており、妙高戸隠連山国立公園に属している。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/1000秒 178mm ISO100 ) 露出補正 なし
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10.鮫ヶ尾城跡
wikipediaによれば、鮫ヶ尾城跡は築城年は分かっていないが、永正から天正年間に上杉氏(長尾氏)による北国街道の防御を兼ねた街道整備の一環として、春日山城直近の最前線要塞の意味合いで築城ないし大規模改修がなされたと伝わる。また、鮫ヶ尾城は上杉謙信の急死後の後継者争いである「御館の乱」の際に、敗れた上杉景虎が自刃して果てた城として知られているという。今や三郎景虎ファンが集まる聖地として、ダイナミックな遺構が城好きを虜にしている。城跡は2008年(平成20年)7月28日に国の史跡に指定された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
190417_010.jpg
11.テリを張るキアゲハ
戦国時代の山城は、曲輪と呼ばれる平坦面と尾根筋を分断する堀切を主体に構成されている。鮫ヶ尾城跡の山頂は曲輪であり、通称本丸跡と呼ばれ、今は東屋があるカタクリが咲く草地になっている。この季節はまだ一面緑にはなっていないが、あまり広くはないその草に、キアゲハが舞い降りて、日向ぼっこをし、他のキアゲハが近づくと飛び立って追い払っていた。写真中央の下の部分にキアゲハが見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 36mm ISO640 ) 露出補正 なし
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12.カタクリの花 -1
カタクリの花はちょうど見ごろであったが、ギフチョウはいない。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
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13.白いカタクリの花
白い花のカタクリを撮りに来ている人に会い、教えていただいた。白いカタクリの花は花びらに色素が形成されない(又は極めて少ない)ために白い花を咲かせる白花変種というのだそうだ。つまり、カタクリの白花型(白花種)であり、突然変異というのではない。 アルビノ と混同されることが多いが、性質は異なるそうだ。白いカタクリの花は自生するものは非常に稀で、100万本に1本の確率で咲くという。少しピントがずれてしまった。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/1600秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
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14.鮫ヶ尾城跡の桜
鮫ヶ尾城跡には数本の桜がある。ソメイヨシノのようだ。今が満開である。向こうに見える山の名前はよくわからないが、方向からすると、妙高山の北側になるので火打山(2,482m〉だろうか。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/100秒 30mm ISO100 ) 露出補正 なし
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15.鮫ヶ尾城跡のカタクリの花
いたるところにカタクリの花が咲いていた。まさしく群生である。1時間以上鮫ヶ尾城跡でギフチョウの飛来を待ってみたが、とうとう現れてくれなかった。下の案内所の女性が言っていた「山頂は乱舞ですよ」はいったい何だったのだろうか。やはり、キアゲハのことだったのではないかと思わざるを得ない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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16.ミチノクエンゴグサ
登りは東登上道を上がってきたが、下りは北登城道を下りる。ミチノクエンゴグサが咲いていた。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/1000秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
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17.紅白のカタクリの花 -1
よく見ると花の色だけでなく、雄蕊(おしべ)とその花糸の色も違っている。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/640秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
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18.紅白のカタクリの花 -2
前の写真と同じ花だが、カメラを換えて撮った。この白いカタクリの花はとても美しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 136mm ISO160 ) 露出補正 なし
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19.キクザキイチゲ
漢字で菊咲一華と書き、キクに似た花を一輪つけることからこの名がついたそうだ。wikipediaによれば、春先に花を咲かせ、落葉広葉樹林の若葉が広がる頃には地上部は枯れてなくなり、その後は翌春まで地中の地下茎で過ごすスプリング・エフェメラルの一種。山梨県など複数の都道府県で、レッドリストの絶滅危惧I類や絶滅危惧II類などの指定を受けている。瑞々しい美しい花だ。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/320秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
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20.カタクリの花 -2
上から見ることが多いのであまり目立たないが、花被片のつけ根の部分にはW字形をした濃い紫色の斑が入る。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
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21.カタクリの花と葉
カタクリの葉には、斑紋があることが多い。この株の葉には白い斑紋があったが、濃紫色の斑紋のあるもの、白と濃紫色の斑紋があるもの、また、全く斑紋がないものもあるそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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22.カタクリの花 -3
登山道に沿って、カタクリが群生する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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23.ツクシ
スギナ(杉菜)は、シダ植物門トクサ綱トクサ目トクサ科トクサ属の植物の1種。日本に生育するトクサ類では最も小柄である。浅い地下に地下茎を伸ばしてよく繁茂する。 栄養茎をスギナ、胞子茎をツクシ(土筆)と呼び、ツクシの方は食用とされる。根が深いという。このツクシはとても美味しそうに見える。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影  ( f4 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 なし
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24.斐太神社
斐太は「ひだ」と読む。平安時代に編纂された「延喜式」にも名前が残る古い神社である。上杉謙信からも厚く信仰されていたと伝えられる。この手前に石段があり、その下に社務所がある。着いた時、そこで斐太歴史の里への車での行き方を聞いた。もちろん、拝礼して、お礼のお賽銭を供えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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25.高田城跡公園へ
午後2時になった。桜の名所として名高い上越市の中心部にある高田城址公園へ行ってみた。駐車場に車を停め、堀に沿って歩き、堀にかかる極楽橋を渡って、城郭に入る。写真は堀の手前から撮った復元された高田城三重櫓である。桜は満開で、散り始めていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 43mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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26.極楽橋
極楽橋は徳川家康の六男、松平忠輝が慶弔19年(1914年)に鷹匠を構築した際に、二の丸から本丸に通じる木橋として設けられた。明治41年(1908年)には高田城に入場した陸軍第13師団によって土塁が切り開かれ、堀を埋め立てて陸続きとなった結果、極楽橋は姿を消した。現在の橋は高田公園の開場50周年、および市政30周年を記念して平成14年に復元された。堀には錦鯉が泳ぐ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 22mm ISO800 ) 露出補正 なし
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27.極楽橋の脇から
極楽橋を渡って、桜とまだ雪が残る連山を眺める。 大きく見える山は青田南葉山(949,3m)のようだ。その左奥が、火打山、妙高山と思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 22mm ISO800 ) 露出補正 なし
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28.堀
極楽橋を渡って、本丸跡を左に行くと復元された三重櫓が建っていた。その先の堀には橋が架かり、堀には、散り始めた桜の花びらが漂っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 15mm ISO640 ) 露出補正 なし
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29.三重櫓
高田城は天守はなく、1614年に3重3階の三重櫓を建てて天守の代用とした。明治以降、旧陸軍第13師団の駐屯地司令部として使用するために大規模な土塁の撤去、堀の埋め立てが行われ、旧城地の東半分は旧状をとどめていない。本丸を含めた西半分には堀、土塁の一部が残されており、現在は公園として整備されている。上越市のホームページによれば、高田城三重櫓は、本丸南西隅の土塁上に構築され、当時は「後三階櫓」と呼ばれて天守閣にかわる城の象徴になっていたが、廃城後、明治19年(1886年)頃取り壊された。平成5年に復元されたこの三重櫓は、資料調査と発掘調査の成果を十分にふまえて再建されたもの。内容は三層三階で、東西5間(約9.1メートル)、南北6間(約10.9メートル)を基底とし、高さ15メートル程で外観は御殿風造りを基調としている。屋根は1層・3層が入母屋、2層が寄棟形式で、1層・3層に切妻屋根の出張りを付けている。1階・2階は展示室で、3階は展望室になっているが、中には入らなかった。櫓の東側に付随して50メートル程の塀も同時に再建された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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30.休暇村妙高
さて、今夜の宿である休暇村妙高へ向かう。上越高田で上信越道に乗り、中郷ICの手前の新井PAで一休みし、16時過ぎに休暇村妙高に到着した。部屋は最上階、と言っても3階だが、窓からの眺めはスキーゲレンデが広がり、正面に妙高山2,454mが聳えていた。風呂に入り、ゆっくり食事をしたい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 11mm ISO800 ) 露出補正 なし
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2019年4月 1日

作並温泉 2泊3日の旅(4) 仙台城跡 3月15日

瑞風殿前から「るーぷる仙台」に乗ると、バスは坂を上り、二の丸、三の丸付近を通って、2つ先の停留所が仙台城跡だった。バスを降りて、坂を上がっていくと本丸跡が広がる。標高は海抜約130m、東は広瀬川に落ちる64mの断崖、南は80mの深さの竜ノ口狭谷が固める天然の要害となっていた。
 仙台城跡は初代仙台藩主伊達政宗が、1610年(慶長15年)に築城した青葉城ともいわれる城の跡で、往時の建物は残っていないが、長い歴史が刻まれた石垣と復元された大手門脇櫓等が城を偲ばせる。城跡の一部は青葉山公園となっており、仙台市内の街並み、市内を流れる広瀬川や西側に見える山並みの眺めはさわやかな気分にさせてくれる。下の地図は字が小さくなってしまったこと、ご容赦いただきたい。

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仙台城跡の案内板より

 独眼竜伊達政宗の騎馬像や、東北地方出身の将兵の慰霊のために建てられた昭忠碑を見て、宮城県護国神社にお参りした。
 護国神社の隣に英霊顕彰館があって、「1/100統一スケールの圧倒的迫力 戦艦大和展示中」という看板にひかれて中に入って見てきた。戦艦「大和」、空母「飛龍」、巡洋艦「利根」などの模型が展示されていた。
 「るーぷる仙台」のバス停に戻り、次はどこに行こうか乗ってから考えようということにしたのだが、結局、仙台駅まで戻ってきてしまった。この後は「作並温泉 2泊3日の旅(2)」で書いたように仙台駅周辺のアーケード街を歩き、16:00発の仙山線で2泊目の作並温泉へ戻った。

36.大広間跡
仙台市のホームぺージによれば、本丸の広さは東西245m・南北267mという諸大名の城郭の中でも最大級で、築城後まもなく仙台城を訪れたイスパニア(スペイン)の使節ビスカイノは「この城は当国(仙台藩領)にある最強で最良の城のうちの一つである」と賞賛したそうだ。 本丸跡の北側に位置する大広間は、本丸御殿の主要な建物で、藩の政治や儀式を行う場でもあった。慶長15年(1610​年​)に完成し、畳敷き部分と縁側を含めて約430畳にも及ぶ大規模な武家御殿建築であったと伝えられている。明治時代の初めころに取り壊されたそうだ。

  SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
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37.築城時の石垣モデル
本丸北壁の全面的解体工事により、伊達政宗が仙台城を構築した時期の石垣が地中から発見された。この石垣モデルは埋め戻された石垣の構造を再現したもので、石質の同じ石材で積み上げていると説明されていた。築石の間を詰石で埋め、石垣の裏側に入れた直径20cm程度の玉石で、石材にかかる力を受け止めて分散させ、雨水や池山からの地下水を石垣の外へ排出する役割を持った裏込めがなされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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38.西側の山並み
仙台城跡からの眺めは素晴らしい。これは西の方角を眺めた画である。良くはわからないが山形方面だと思う。右側に白い観音様が見える。仙台大観音というのだそうだ。その寺は真言宗智山派の新界山大観密寺という。観音像は海抜181mにあり、地上高は仙台市制100周年を記念して100mに建立されている。1991年に建てられたそうだ。牛久の観音に次いでの大きさという。評判はあまり良くないようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 45mm ISO100 ) 露出補正 なし
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39.仙台の街と広瀬川
東の方向を見下ろすと、仙台の町が広がり、眼下には広瀬川が流れる。仙台市は人口110万人弱の日本で11番目の大都市で、宮城県は仙台一極集中といわれるほどだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 17mm ISO100 ) 露出補正 なし
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40.伊達政宗騎馬像 -1
TVなどで、仙台の紹介があるとよく出てくる、馬に乗り、甲冑姿の伊達政宗騎馬像は本丸跡の東側、仙台の市街地を見下ろす一番景色の良い台座の上にある。政宗の300回忌にあたる1935年(昭和10年)に建立された仙台城の初代伊達政宗像は、1944年(昭和19年)第二次大戦時の金属供出により撤去されてしまったが、どうにか肩より上は溶かされずに済んだようで、仙台市博物館の裏に置いてあるという。現在、仙台城天守台にあるのは、1964年に復元された二代目の騎馬像だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 10mm ISO100 ) 露出補正 なし
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41.伊達政宗騎馬像 -2
伊達政宗は幼少の頃病気(天然痘といわれる)で片目の視力を失い、醜い痕が残った。独眼竜は、隻眼の英傑に対して与えられることがある異称であるが、初例は中国後唐の太祖李克用で、日本では戦国大名の伊達政宗が独眼竜と言われてよく知られる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 168mm ISO160 ) 露出補正 なし
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42.伊達政宗騎馬像 -3
後ろ側から伊達政宗騎馬像を見る。独眼竜の視野に仙台の町が広がる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
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43.昭忠塔
伊達政宗騎馬像の先にもう一つ大きな塔があった。 この塔は過去の戦争で犠牲になった多くの東北地方出身の将兵の慰霊のために建てられたと記されている。昭忠碑は、1874年佐賀の乱以来、西南戦争、日清戦争などに従軍した陸軍第2師団所属の戦没者の慰霊顕彰碑として、昭忠会により仙台城本丸跡の地に建立され、1902年に竣工した。その時に塔頂部には日本書紀において神武天皇の軍を勝利に導いたとされる金色の鵄(トビ)のブロンズ像があった。それは国内ブロンズ彫刻の最初期にして比類なき大傑作と言われている。その後、昭忠碑は1936年の震災により鵄の左の翼が落下(後に修復)するも、幸い戦時中の金属供出を免れたため、現代に明治期の文化・技術を伝える文化財的価値の高い貴重な歴史遺産となっていた。しかし、2011年3月11日の東日本大震災で被災、塔頂部にあった金鵄が基壇上に落下し頭部・左翼などがバラバラに破損し、塔部分に大規模な亀裂などの損傷を被るなど大きな被害を受けたという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
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44.宮城県護国神社
wikipediaによれば、明治維新以降の諸事変、戦役における宮城県関係、あるいは縁故のある戦死・殉難者、5万6千余柱を祀る。神紋は十五菊に桜。日清戦争後の明治31年(1898年)に組織された昭忠会を母体として、日露戦争中の明治37年(1904年)8月27日、現在地に「招魂社」を建立し、大日本帝国陸軍・第二師団管下(第2師管:宮城県・福島県・新潟県)および山形県の戦死者の一部を祀ったのを起源とする 。 当社は、靖国神社と同様に「天皇・朝廷・政府側の立場で命を捧げた者」を祭神としており、戊辰戦争に敗戦して賊軍となった仙台藩関係者は祀られていない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO160 ) 露出補正 なし
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45.英霊顕彰館
はじめに記したように、「1/100統一スケールの圧倒的迫力 戦艦大和展示中」という看板を見て、入館料300円をお支払いして中に入った。明治27~28年の日清戦争からの戦争にかかわる展示がされていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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46.英霊顕彰館 重巡「利根」の模型
主だった軍艦の模型が展示されていた。これは重巡「利根」 の模型である。1934年に進水し、1945年7月28日7月28日の敵艦載機の攻撃で大破着底し、戦後解体された。基準排水量11,213トン

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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47.英霊顕彰館 戦艦「大和」の模型
戦艦「大和」 は、大和型戦艦の1番艦(ネームシップ)で、2番艦の武蔵とともに、史上最大にして、唯一46センチ砲を搭載した戦艦であった。呉海軍工廠にて建造され1940年に進水し、1941年に就役している。最後は昭和20(1945)年4月7日、特攻作戦に参加し九州坊の岬沖で沈没した。基準排水量は64,000トン。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/250秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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48.英霊顕彰館 空母「飛龍」の模型
空母「飛龍」 は、太平洋戦争の映画には必ず登場する大日本帝国海軍の航空母艦だった。1942年5月27日、南雲忠一中将指揮のもと、第一航空艦隊(南雲機動部隊)第二航空戦隊旗艦としてミッドウェー海戦に参加すべく日本を出撃した。そして、同6月6日に沈没した。基準排水量17,000トン。 艦載機の模型がよく作られていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/250秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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49.梅
早咲きの桜かなと思って撮ったが、梅だった。バス停に戻り、「るーぷる仙台」に乗った。大崎八幡宮で降りてみようかと思ったが、そのまま仙台駅へ戻った。小腹が空いて、蕎麦でも食べたと思いアーケード街を歩いたが、食べ物屋は意外と少ない。やっと1軒、蕎麦屋を見つけて入ったが、「はずれ」だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 102mm ISO800 ) 露出補正 なし
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2016年5月 5日

小諸城址懐古園と真田の上田城跡 (2) 上田城跡公園 4月9日

NIHK大河ドラマ「真田丸」が面白い。日曜日にはこれを見るのを楽しみにしている。ちょうど先週だったか、徳川の軍勢が上田城に攻め込んでくるところが放映されていた。これからその上田城跡へ行く。
上田城は1583年(天正11年)上杉に対する徳川の最前線基地として、徳川家康の命で築城された。上田城は、千曲川の分流である尼が淵に面して建てられ、高い防御力を誇り、德川の大軍を二度も退けた。第一次上田合戦ではわずか2千人足らずで、徳川軍7千人を退けた。続く第二次上田合戦でも、徳川軍3万8千に対し、2千5百人ほどの軍で上田城を守り抜いたという。
  上田城跡の駐車場に着いたのは午後2時だった。桜は満開、加えて今日は土曜日で、青空が広がる暖かい日とあって凄い人出だ。駐車場わきのイベント会場からは、賑やかな楽曲が聞こえてくる。

ここで、懐古園と同じように、2人のガイドさんが紹介された。一行は2組に分けられ、我々は小林さんというガイドさんにご案内いただくことになった。あとで、今回のバスツアーのツアコンさんに聞いたところ、TV番組にも出演した人気のガイドさんだそうだ。
 上田城の南側に位置する尼が淵を廻って遊歩道になっている堀跡を歩く。二の丸橋に上がり、東虎口櫓門から本丸跡へ入った。本丸を囲むようにめぐらされた堀はソメイヨシノが満開だった。
 鬼門の北東の位置にある本丸土塁の隅おとしまで約1時間、ガイドさんが説明してくれて、そこで解散となった。東虎口櫓門を出ると、右手の広場に「信州上田真田丸大河ドラマ館」が設けられ、多くの人で賑わっていたが、そこには寄らず、イベント会場で生ビールを一杯飲んで、駐車場に戻り、4時少し前に新宿に向け帰路に着いた。途中は渋滞もなく、順調だった。
  Wikipediaによると、真田昌幸(大河ドラマ「真田丸」では草刈正夫が演ずる)が属した西軍が関ヶ原の戦いで敗れ、昌幸が九度山に配流となると、1601年に上田城は徳川軍に破却され、堀も埋められた。父・昌幸と弟・信繁(幸村)と袂を分かち、東軍についた昌幸の長男の信之(​同じく大泉洋)​​​は昌幸の旧領(上田領)を引き継ぎ、三の丸跡地に居館(陣屋)を構えた。真田信之は徳川氏の幕府に対し、元和7年(1621年)に城の再整備・拡張を申請するが却下され、元和8年(1622年)9月には信濃国松代へ転封された。
 そして上田城には小諸藩より仙石氏が移封された。仙石忠政は破却されたままの上田城の再建を申請し、寛永3年(1626年)から現在の上田城が普請されることとなった。真田氏時代の縄張りをも利用していると推測されているが、徹底破却ののちに近世城郭として新たに築城された。本丸には櫓7棟、櫓門2棟、それらを繋ぐ塀が普請された。現在ある本丸の3棟の櫓(南櫓、北櫓、西櫓)など建物の外壁は煤と柿渋で防水した板を用いた下見板張の黒い外観である。二の丸にも櫓や櫓門を再建するため、櫓台なども構築されたが、寛永5年(1628年)4月20日仙石忠政の死により工事は中断され、これ以上の増築は行われないまま、仙石氏の転封および松平氏(藤井松平家)に藩主家が交代し、幕末を迎えたとなっている。
 1600年の関ヶ原の戦いで敗れた信繁=幸村(同じく堺雅人)は父・昌幸とともに幽閉の身となった。父・昌幸は慶長16年(1611年)6月4日、九度山で病死した。享年65歳あるいは67歳とも言われる。
​  真田丸とは、​1614年、徳川家康が大阪城を攻めた「大坂冬の陣」の際、真田信繁=​​​​幸村が大阪城の平野口に築いた出城の名称だった​​​​。​​​しかし数度に渡る突撃戦により部隊は消耗し、兵力で勝る徳川勢に追い詰められ、ついに四天王寺近くの安居神社(大阪市天王寺区)の境内で、傷つき疲れた身体を休ませていたところを松平忠直隊鉄砲組頭の西尾宗次に発見され、「わしの首を手柄にされよ」と最後の言葉を残して討ち取られたと伝えられる。享年49歳だったそうだ。
 逸話として、家康は大坂方の諸将の中で最も活躍した信繁に脅威を覚え、大坂冬の陣の後には信繁の兄・真田信之に命じて信濃一国40万石で彼を調略しようとしているが、この破格の条件に興味を微塵も見せず豊臣家への忠誠を最期まで貫き通したとされている。

30.尼が淵から見る東虎口南櫓
駐車場の前のイベント会場になっている芝生広場の向こうは、城の南側にあたり、当時は千曲川分流が流れ、穏やかで深みのある流れが天然の堀となっていたという。そこは尼が淵と称したことから上田城は尼が淵城と呼ばれていたという説がある。見えているのは、東虎口の南櫓だ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f10 1/400秒 31mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
31.イベント広場の模擬店
模擬店が並び、みんな楽しそうだ。尼が淵の向こう側の左奥に見えるのは西櫓。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f11 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
32.堀跡の散策路
堀跡の散策路を歩く。観光客が多く、ガイドさんから左側通行を言われる。向こうに見えるのは、今はコンクリート造りの二の丸橋跡だ。ここはなかなか風情のある道である。かってはこの堀跡を「真田そひえ線」という鉄道が走っていたそうだ。昭和47年に廃止となり、その後ケヤキ並木が完成したという。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/640秒 56mm ISO200 ) 露出補正 なし
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33.堀跡の散策路 二の丸橋跡の向こう側
ガイドさんに引率されて、二の丸橋の先を右へ上って、ちょっと戻って二の丸橋を渡って、二の丸跡へ入ったが、その前に二の丸橋跡の先に続く散策路を眺めると、そこには観光客の姿はなく、落ち着いた風景が見られた。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f8 1/250秒 34mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.二の丸橋
二の丸橋の上に上がった。この橋の下は堀跡だが、その土手に咲く桜も満開だ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/250秒 32mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
35.二の丸橋の上から堀跡の散策路を見下ろす
観光客はこの先の階段を右に登って、少し戻って、今、私たちがいる二の丸橋を渡る。この二の丸橋が上田城跡公園のいわば正面入り口になる。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f9 1/320秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
36.観光ガイドさん
二の丸跡へ入ったところにある「上田城跡公園案合図」の前で、私たちのグループを案内してくれている観光ガイドさんの説明があった。とても解りやすく、質問にも丁寧に応じてくれる。お名前は小林みつ子さんという。上田城紹介のTV番組でも案内役をされたそうだ。人気ガイドさんとのことで、敢えてお名前を記させていただく。天正11年(1583年)真田昌幸により築城された上田城は大河ドラマ「真田丸」の舞台である。現在は公園として整備され約1000本の桜が咲き誇り、夜にはライトアップされた桜が楽しめるそうだ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f10 1/400秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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37.シダレグワ
マグワの園芸品種で枝垂れの独特な樹形を楽しむという。山桑(ヤマグワ)の一種で、養蚕用として蚕の餌になるそうだ。桑の実(マルベリー)は黒っぽい紫あるいは赤で、木イチゴを細長くしたような形。甘酸っぱくて、美味という。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f10 1/400秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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38.北櫓
堀の桜の向こうに北櫓が見える。 ​​

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f9 1/320秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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39.ソメイヨシノとシジュウカラ
堀のソメイヨシノの花にシジュウカラが来た。精いっぱい200mmに伸ばして撮る。少しトリミングした。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1000秒 200mm ISO200 ) 露出補正 なし
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40.南櫓
北櫓の向こう側に東虎口櫓門があり、その向こうにソメイヨシノの間から南櫓がが見える。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f10 1/400秒 31mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
41.まじかに見る北櫓
東虎口櫓門に近づき、北櫓を見上げる。南櫓と北櫓は昭和24年に移築復元された。南櫓と北櫓をつなぐ櫓門が復元されたのは平成6年だそうだ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f9 1/320秒 29mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
42.東虎口櫓門
南櫓と北櫓は昭和24年に移築されたというが、いったいどこから移築されてて来たのだろうか。1874年(明治7年) 廃藩置県により廃城となった上田城の土地、建物が民間へ払い下げられ、本丸に7棟あった櫓は、一つ(現・西櫓)を残して解体、売却された。このうち2棟は上田市常磐城(新地)にあった遊郭に6円で払い下げられ、一つの建物に連結されて金秋楼と万豊楼として使用されていたという。櫓門は平成9年に復元新築されたものだ。櫓門は発掘調査で柱の基礎の位置を調べ、古い写真に写っている解体前の姿から建物の寸法などを割り出し、復元することができたという。その解体前の櫓門の古写真が撮影されたのは明治10年(1878)頃で、櫓門が解体されたのは明治12年頃ではないかと考えられているそうだ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f1​0​​​ 1/4​00​​​秒 29mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
43.東虎口櫓門と枝垂​​​​​​桜
櫓門の前にはシダレザクラ​​が咲いていた。右手が南櫓だ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f7.1​​​ 1/800​​​秒 65mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
44.真田石
南櫓の石垣に埋め込まれた真田石。​​天正11年(1583)、真田昌幸が上田城を築くとき、本丸の入口右手の石垣に高さ 約​2​​​​​​​.5m​​​、横​3​​m​​​ほどの大きな石を柱石として据えた。城内で最も大きな石である。元和8年(1622)、真田信之が松代へ移る時この石を父の形見に持って行こうと したが、数万人の人夫の力でも動かなかったという。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f3.5​​​ 1/250​​​秒 18mm ISO280 ) 露出補正 なし
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45.真田神社
東虎口櫓門を抜けて本丸跡に入ると、楼門の正面に真田神社があった。真田氏ほか歴代上田城主を祀る。長野県神社庁のHPによれば、神社の創立は明治21年10月15日だそうだ。真田氏は旧真田村より出て領主となるや善政を敷き、領民を大切にした。その徳を敬い慕い、その神霊を慰めようと有志が集まり真田神社の建設を図るべく、明治18年3月30日出願、翌19年に許可を得て県下はもとより真田氏に縁故の深い大阪などからも建設資金を仰ぎ工事を進めた。ところが建築中の明治20年4月の大火で類焼してしまったという。その後、明治21年10月15日本殿祝詞殿を再建、28年には拝殿が再建され社頭は荘厳をきわめた。しかし、その後は荒れるにまかせたまま放置されていたことをを嘆き大正8年に現在の場所に遷座されたそうだ。「落ちない」城として受験生に人気があるという。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f3.5​​​ 1/250​​​秒 18mm ISO280 ) 露出補正 なし
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46.本丸側から見た櫓門
振り返って櫓門を見る。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f10 1/400​​​秒 22mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
47.真田神社参拝者の列
今回は列には並ばず、脇から拝して失礼してしまった。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/250秒 27mm ISO200 ) 露出補正 なし
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48.真田井戸
本丸唯一の井戸。直径2m、深さ16.5mに達する。この井戸には抜け穴があり、城北の太郎山の砦や上田藩主居館に通じていたという伝説があるそうだ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/250秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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49.本丸西櫓から美ヶ原を望む
本丸跡の南西の角に西櫓がある。西櫓から北陸新幹線の線路と上田の街並みの向こうに美ヶ原が見えた。標高2034mの王ヶ頭の電波塔が見える。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/2000秒 200mm ISO200 ) 露出補正 なし
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50.ムクロジ
果皮は石鹸の代用として使われたことで知られる。また、果実の中の黒い種子が羽根つきの羽根の頭に使われるとガイドさんが説明してくれた。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1600秒 200mm ISO200 ) 露出補正 なし
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51.本丸土塁の隅おとし
ガイドさんは本丸土塁にみられる隅おとしまで案内してくれた。ここにも隅櫓の跡があり、その敷石が残っている。この写真では花の形状はわからないが、見たことにない白い花が咲いていた。ガイドさんに「なんという花ですか」と質問をしたら、ズミだと教えてくれた。リンゴに近縁な野生種だという。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f10 1/400秒 42mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
52.本丸跡東側から東虎口を眺める
ガイドさんに駐車場へ戻る道を教えていただき、解散となった。そのまま桜がきれいに咲く堀に沿って東虎口櫓門に向かう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/1250秒 20mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
53.堀の前の賑わい
二の丸跡の堀の前にも模擬店が沢山出ていて賑やかだ。「きんぎょすくい」なんていうのもある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
54.「真田そひえ線」の停車場跡
ガイドさんに教えていただいた通り、二の丸跡から右手に「信州上田真田丸大河ドラマ館」を見て、二の丸橋を渡って、下に降り、散策路に戻って、その二の丸橋の下を尼が淵の方へ歩く。この写真で右側に見える高くなったところは「真田そひえ線」のプラットフォームだったところ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f8 1/250秒 20mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
55.尼が淵の土塁
ここは尼が淵の東端で、崖がむき出しになっている。ここは崩れたことはないそうだ。尼が淵の崖に見られる地層は三つだそうだ。一番上が火山が崩壊した土砂などが堆積した上田泥流層、二番目に火砕流に由来する粉塵が堆積、その下は川の作用で砂礫が堆積した染屋層となっているそうだ。二番目の層は一番やわらかくてもろいため大水のたびに、この層を中心に崖が崩れて櫓に被害が及ぶ心配があったそうだ。後の上田藩主・松平忠愛は享保18年(1733)から石垣を築き、崖を浸食から守ったとされる。尼ヶ淵側の石垣のほとんどは江戸時代中期の1732年(享保17年)に起きた「享保の洪水」後に築かれたもので、真田時代のものではないそうだ。おそらく真田時代はほぼすべてが段丘崖のままだったのだろうといわれている。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f6 1/320秒 42mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
56.イベント広場は観光物産展の会場
着いたとき歩き始めたところへ戻ってきた。集合時間まで15分ほどある。少し喉が渇いた。生ビールとソーセージを買い求め、イベント会場のベンチに座ってのどを潤す。旨かった。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/800秒 95mm ISO200 ) 露出補正 なし
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2016年5月 3日

小諸城址懐古園と真田の上田城跡 (1) 軽井沢駅と懐古園 4月9日

「ガイドと共に巡る!真田の上田城址公園・小諸城跡歴史散策としなの鉄道ローカル列車」という日帰りバスツアーに参加した。
 4月12日出発の横浜発のツアーに申し込んでおいたのだが、不催行となり、代替として4月9日(土)新宿発に変更した。新宿7時出発というのは、6時半過ぎには集合せねばならず、自宅を5時過ぎに出なくてはならなかった。横浜からの湘南新宿ラインの始発は、6時26分発なので、利用できず、品川回りになる。
 予想に反して、高速道路は順調に走れ、予定より少し早く軽井沢駅に着いた。そこから、御代田までしなの鉄道に乗るが、11時8分発まで、小一時間の待ち時間が出来るほどだった。何人かの人たちはアウトレットに行ったようだ。
  昼食は休憩した横川SAで峠の釜めしが積み込まれ、軽井沢到着前にバス車内で済ませてしまった。
 3っ先の御代田まで浅間山を眺めながら、しなの鉄道に乗車、御代田駅で再びバスに乗り、小諸城跡に着いたのは、12時少し前だった。添乗員さんが心配していた駐車場にもすぐに入ることでき、懐古園の三の門から現地の観光ガイドさんに案内していただいた。大手門は線路の反対側にあり、地下道をくぐっていくことが出来るが、今回は時間の都合で割愛された。大手門は慶長17年(1612年)、藩主仙石越前守秀久が小諸城を築いた時代の建築であり、現存する400年前に築かれた門だそうで、是非見たかったのだが。
 約1時間、懐古園を見た後、再びバスに乗り、上田へと向かった。

1.横川S.A.の桜
休憩した上信越自動車道の横川S.A.で見た桜。満開で花が房のようにびっしり咲いていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f5 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
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2.軽井沢駅
新宿を7時に出発して、途中2回、計40分の休憩を入れて、10時20分に軽井沢駅に着いた。走行時間は2時間半と順調だった。休日の軽井沢アウトレット渋滞もなかった。長野新幹線開通でできた新しい駅だが、何か閑散として活気がない。やはり軽井沢が賑やかなのは夏だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.8 1/1250秒 20mm ISO125) 露出補正 なし
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3.EF63形電気機関車
これから乗車するしなの鉄道のホームと並んで、EF63形電気機関車が置かれていた。Wikipediaによれば、EF63は新幹線が開業する前の信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠専用の補助機関車としての役割に特化して開発された機関車だそうだ。このことから「峠のシェルパ」、もしくは形式称号から「ロクサン」の愛称がある。EF63は急勾配上で停車する際の確実な停止力のための鉄製の電磁石でできたブレーキを備え、直接レールに接触(磁力による電磁吸着)するその大きな摩擦力によって、確実に停車せしめる。このブレーキは自動車にたとえるとパーキングブレーキ的な役割で通常の減速には使用しないという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f3.5 1/1250秒 26mm ISO125) 露出補正 なし
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4.旧軽井沢駅舎と軽井沢駅前交番
我々はここから11時8分発のしなの鉄道 に乗るが、少し時間があったので駅の周りを歩いてみた。中軽井沢寄りにこの旧軽井沢駅舎と軽井沢駅前交番があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f3.5 1/1250秒 ​9​​​​​​​​​​mm ISO125) 露出補正 なし
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5.草軽電鉄の​​電気機関車
「この電気機関車はデキ12形機関車といい、アメリカのジェフェリー社で大正9年に制作したハンドブレーキ常用、非常用電気ブレーキ付きという鉱山用のトロッコを改造したものである。大正4年7月より 草軽電気鉄道 は営業を開始、大正15年軽井沢・草津間(55.5km)の電化が完成してから、昭和37年1月31日路線を廃止するまでの約35年の間、地元民の足として、また、旅行者、避暑客の良き案内人として親しまれてきた電気機関車である。」と記されていた。この機関車が牽引した客車の車輪も置かれていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f3.5 1/1250秒 ​20​​​​​​​​​​mm ISO125) 露出補正 なし
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6.イベント列車「ろくもん」
2014年7月11日に運行開始されたしなの鉄道の観光列車がある。新しい軽井沢駅の駅舎の上から、しなの鉄道の軽井沢駅を眺める。これは10時40分発の長野行の「ろくもん」だ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
絞り優先オートで撮影 ( f5.3 1/250秒 95mm ISO200 ) 露出補正 なし
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7.しなの鉄道車両とEF63形電気機関車
これはこれから我々一行が乗車する11時8分発のしなの鉄道長野行の車両。JR東日本から譲り受けた115系電車だ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
絞り優先オートで撮影 ( f7.1 1/250秒 40mm ISO200 ) 露出補正 なし
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8.しなの鉄道車両と信越本線時代の電車
向こう側にグリーンとオレンジに塗り分けられた懐かしい湘南型の電車が止められていた。165系だろうか?​​信越本線に使われた​165​​​​​​​​​​系には横川~軽井沢間の急勾配区間に対応させるため連結器、台枠、台車などに改造が施され​​​​​​​​​​​​ていたという。​​

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm ​f​3.5-5.6G
プログラム​​オートで撮影 ( ​f​​8​​​​ 1/250秒 ​32​mm ISO200 ) 露出補正 なし
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9.10000形電気機関車
調べてみると、アプト式による旧信越本線碓氷峠越えは、1893年4月1日に官営鉄道中山道線(後の信越本線)として横川 - 軽井沢間が開通したが、当初はもちろん電化されていなかった。開通前年の1892(明治25)年、アプト式蒸気機関車がドイツから日本へ初めて輸入されたそうだ。横浜港に到着したドイツのエスリンゲン(Esslingen)社製アプト式蒸気機関車4両は、新橋工場で組み立てられて横川へ回送された。その後、蒸気機関車による牽引が続くが、碓氷峠越えはトンネルの連続による煤煙の問題から、乗務員の中には吐血や窒息する者も現れ、1911年に横川駅付近に火力発電所が設けられて1912年には日本で最初の幹線電化が行われた。その時にスイスのエスリンゲン・アルゲマイネ社から12両輸入されたのが、この10000形電気機関車だった。そして太平洋戦争後は輸送隘路の解消のため一般的な車輪による粘着運転で登降坂することになり、1961年に着工し1963年7月15日に旧線のやや北側をほぼ並行するルートで新線が1線で開通した。同年9月30日にアプト式は廃止され、さらに1966年7月2日には、旧アプト式線の一部を改修工事する形でもう1線が開通し複線となった。これによって当区間の所要時間は旅客列車で40分から下り列車は17 分、上り列車は24分に短縮されたという。私が初めて軽井沢へ行った時はまだアプト式のころで、ゆっくりと峠を上る列車の窓からオオムラサキが悠々と飛ぶのをながめ、補虫網をとり出して採りたい衝動に駆られたのを覚えている。今は新幹線で峠であることも気が付かない。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f​6.3​​​​ 1/250秒 ​18​mm ISO200 ) 露出補正 なし
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10.浅間山
軽井沢からしなの鉄道に3駅間乗車するが、その間、進行方向右手には標高2568mの 浅間山がはっきり見えていた。学生のころ、軽井沢合宿打ち上げ後、頂上まで登ったことを思い出す。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f​7.1 1/800秒 ​65mm ISO200 ) 露出補正 なし
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11.小諸城跡懐古園
しなの鉄道を御代田駅で降ると、新宿から乗ってきたバスが待ってくれていて。小諸城跡懐古園へと向かった。懐古園には12時に到着した。​​

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f7.1 1/250秒 ​18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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12.小諸城跡懐古園 三の門
この門は小諸城三の門で、元和元年(1615)に創建された。寛保2年(1742)に発生した大洪水の折に流され、明和2年(1765)に再建され、今は懐古園の正門にして象徴である。駐車場は三の門の内側にあり、三の門をくぐっていわば外側から見たところだ。正面に掲げられた「懐古園」の扁額は徳川第16代当主(慶喜の次)、徳川家建(いえさと)が書いたもので国重要文化財だ。なぜ、小諸城跡のことを懐古園というのか知りたかったが・・・。小諸城の表玄関の大手門はしなの鉄道の線路の向こう側にあり、地下道をくぐっていくことが出来る。大手門は慶長年間に仙石秀久により築かれた。大手門は国重要文化財になっている。大手門も見たかったが時間の都合で割愛された。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f​8 1/250秒 ​18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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13.二の門跡
ここに二の門があった。二の丸へと入っていく。ガイドさんは私塾小諸義塾の塾長木村熊二のレリーフガイドのところで説明している。Wikipediaによれば、小諸義塾とは、キリスト教牧師であった木村熊二が小山太郎らの要請の応えて1893年(明治26年)11月に現在の小諸市で開設した私塾である。1906年に閉鎖されるまでキリスト教による近代教育を実践した。塾長は木村熊二、教師は島崎藤村、三宅克己、丸山晩霞らが務めたとある。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f​5.6 1/250秒 ​18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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14.二の丸跡
徳川秀忠が関ヶ原へ向かう途中の上田城攻略で真田親子に足止めされ、ここに逗留したと伝えられる。 ​​

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f10 1/400秒 ​22mm ISO200 ) 露出補正 なし
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15.黒門橋
小諸城の本丸へ入る手前にあるのがこの黒門橋だ。本丸を防御していたこの堀は深い。そして黒門橋を渡ったところには黒門跡があった。黒門跡には、礎石と石垣だけが残っているが、実は門も現存しており、市内の正眼院に移築されているという。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f​10 1/400秒 ​18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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16.本丸跡の桜
本丸跡に入る。桜は満開だった。小諸城跡懐古園を埋める数百本の老桜が栄枯の夢を語るがごとく咲いている。平成2年に実施された日本さくらの会「日本さくら名所100選」に選定されているそうだ。懐古園の桜は、ソメイヨシノをはじめ、枝垂桜や八重桜など多くの種類が植えられ、咲く時期が少しづつ異なり、長い期間にわたり桜の花を楽しむことができるらしい。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f​10 1/400秒 ​18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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17.懐古神社
明治の廃藩置県により役割を終えた小諸城は、本丸跡に「懐古神社」を祀り「懐古園」と名付けられたとのこと​​​​​​​​。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
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18.鏡石
懐古神社の手前に、山本勘助ゆかりの鏡石があった。小諸市観光協会のホームページによれば、天文23年(1554年)甲斐のの武田信玄の侵攻で武田氏の手中に落ち、以後約30年間、武田氏の城代によって支配された鍋蓋城以下諸城があった。信玄はこの地の重要性にかんがみ、 重臣の山本勘助と馬場信房に命じて鍋蓋、乙女城を取り込んだ新たな縄張りをして城郭を整備し、総合的な大城とした。それが小諸城の原型だそうだ。勘助が縄張りをした小諸城は「攻めるに難しく、 守るに易い城」いわば難攻不落の城だった。小諸城址本丸跡には山本勘助が小諸城築城の時に研磨したと伝えられている鏡石がある。勘助は朝夕この鏡石におのれの顔を映し反省したと伝えられている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f1.8 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
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19.懐古園桜まつり
4月9日から4月30日の間、懐古園では桜祭りというイベントが行われている。鎧を身につけた若者が観光客を迎えてくれた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.8 1/1250秒 20mm ISO125) 露出補正 なし
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20.本丸跡の石垣
本丸跡には立派な石垣が残っていた。​​本丸は約6メートルの石垣で囲まれている​​​​​​​​​​​という。この奥には、​​​​本丸北西に迫り出し、他の石垣よりひときわ大きな野面石で築かれた天守の石垣(天守台)がそびえる。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f9 1/320秒 ​36mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
21.天守台
天守台は一際高い。この天守台には、三層の天守閣が建造されていたと伝わっているが、寛永3年(1626年)落雷により焼失、その後は幕府の許しが得られず再建されることはなかったそうだ。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 ​170mm ISO200 ) 露出補正 なし
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22.コモロスミレ
本丸跡の石垣の間にコモロスミレ(小諸菫)が咲いていた。気が付かないで通り過ぎるところだったが、ガイドさんが教えてくれた。花の色は濃い紫色で八重咲という特徴がある。昭和47年に小諸市天然記念物に指定されているそうだ。もう少し良い写真を撮っておけばよかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.2 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
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23.ほら貝を吹く子役武者
千曲川が見えるところに行く途中で、今度は鎧を着た武者姿の子供がほら貝を吹きならしてくれた。観光客は拍手。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f10 1/400秒 ​40mm ISO200 ) 露出補正 なし
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24.千曲川
島崎藤村の歌碑のあるところから千曲川が見下ろせた。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1000秒 ​135mm ISO200 ) 露出補正 なし
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25.人力車の観光客
懐古園のもっとも西側に馬場があり、その向こうは千曲川が流れている。お年を召したご夫婦が人力車に乗ってこられて、富士見台という展望所から千曲川を眺めていた。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f8 1/250秒 ​35mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
26.天守台の桜
ここで、ガイドさんの案内は終わった。各自、桜の花が咲く馬場を通り抜け、再び天守台の方へと歩く。天守台に咲く桜も青空をバックに満開だった。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f8 1/1000秒 ​70mm ISO200 ) 露出補正 なし
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27.黒門橋から見下ろす紅葉谷
秋にはモミジの名所になるという。

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラム​​オートで撮影 ( f9​​​​ 1/​320​​​​​​​​​​秒 ​40mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
28.若山牧水歌碑 二の丸跡の石垣
既成の石垣を碑とする最初の試みで、昭和9年11月4日に除幕された。この「かたはらに秋くさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな」は、牧水26歳の時、​​明治​43​​​​​​​年​9​月~​11​月頃​、病気療養のため​小諸に滞在した折に詠んだ歌だそうだ。歌人・牧水の歌碑は​​全国に建立されている。その数は、他の歌人を圧倒しているという。牧水の歌がいかに、多くの人に愛されているかがうかがえる。これはその2番目の歌碑という。​​ ​​​

Nikon D5000 NIKKOR 18-200mm f3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( f8​​​​ 1/​250​​​​​​​​​​秒 ​26mm ISO200 ) 露出補正 なし
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29.三の門と桜
午後1時に三の門まで戻ってきた。駐車場で待っていてくれたバスに乗り、これから上田城跡へ向かう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f3.5 1/1250秒 14mm ISO125) 露出補正 なし
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2016年3月19日

​​​​​​​​​​​​曽我丘陵の梅園と小田原城(3) 小田原城 3月1日

下曽我の瑞雲寺から一般道を小田原城址公園へ向かう。小田原城の堀の前の通りに駐車場があったので停めてしまった。
 「日本の城訪問記」というサイトを参考にさせていただく。
  元禄16年(1703)に発生した地震により天守はじめ城内の各施設はほぼ倒壊焼失したというが、本丸御殿等を除き再建され、小田原城は関東地方の防御の要衝として幕末まで存続した。明治3年(1870)に小田原城は廃城となり、売却された後、次々と解体された。城址は御用邸時代を経て地元自治体に払い下げられ現在にいたっている。
 現在の小田原城跡は、本丸・二の丸の大部分と総構の一部が、国の史跡に指定されている。また、本丸を中心に「城址公園」として整備されている。
 天守閣が鉄筋コンクリートで再建された1960年以前は本丸広場のあたりが公園になっていたように思う。昭和35年に立派な天守閣が再建されたが、それからすでに55年が経ち、来館者の安全確保のために耐震改修工事、空調設備の整備や展示のリニューアルが今年の4月末まで行われている。白亜の天守閣には工事用の足場が架けられていた。
 左手に馬出門、隅櫓を見ながら堀の前の道を学橋まで進んで堀を渡った。左に銅門を見ながら、常盤木橋を渡って常盤門をくぐり、本丸広場へ出た。目の前には足場が架けられた工事中の立派な本丸が見えた。帰りは銅門を通って住吉橋を渡り、馬出門から馬出門土橋(めがね橋)を渡って、駐車場に戻った。
  町まで歩いて、そこで食事にしようかと思ったが、準備不足で不案内であり、どっちへ行ったらよいかもわからず、やめてしまった。結局、東名の海老名SAで、簡単に済ませてしまった。

36.馬出門土橋
駐車場の前の堀に沿った道からは二つの橋が見えた。これは手前(南側)の橋だ。通称めがね橋という。小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中頃と考えられている。16世紀初め頃に戦国大名小田原北条氏の居城となり、関東支配の拠点として次第に拡張されたという。豊臣秀吉の小田原攻めに備えて築造された城下町を囲む延長9kmにおよぶ高い土塁と、深い空堀で構築された防御施設である総構(そうがまえ)の出現により、城の規模は最大に達した。ここ馬出門土橋が小田原城の正面入口でここから本丸までたどる。馬出門土橋を渡った所に、平成21年3月に馬出門が復元完成した。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/400秒 24mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
37.二の丸観光案内所
めがね橋の手前、堀が直角に曲がったところに、この二の丸観光案内所​​​​​​​​​が見えた。昭和の初期に建てられた​​​近代建築であり、日ごとその文化財的な価値は高まってきているという。下見板張り、縦長の上げ下げ窓など、洋風の躯体を持ちながら、史跡の雰囲気を壊さぬよう、屋根は日本建築の意匠となっており、明治の初期の居留地等にあった、いわゆる擬洋風建築の部類に入る​​​の​ものだそうだ。​

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/​320​​​​​​​秒 24mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
38.​​二の丸隅櫓
隅櫓は、関東大震災で崩落し、昭和​9​​​​​​​​年(​1934​)に再建​された。​右手奥に見える赤い橋はこれから行く学橋だ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/500秒 19mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
39.馬出門
馬出門土橋(めがね橋)を渡ったところに馬出門がある。​​馬出門は、二の丸正面に位置する門で、江戸時代の初期からこの場所に存在し、寛文1​2​​​年(1​672​​​)に桝形形式の門に改修された。馬出門とは、騎馬兵を出す場所の意味で、出撃時、城兵を敵から隠すことができる。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/4​​​​00秒 19mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
40.小田原城案内図と周辺案合図
案合図や説明札があると撮ることにしている。撮影場所や撮影位置、何を撮ったのかを後で確認するのに役に立つ。場所や位置関係を文章で説明するのは難しい。やはり図で見るのが一番だ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/320秒 7mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
41.隅櫓と工事中の天守
この位置から見る隅櫓の向こうは二の丸広場となっていて、その奥左側に天守が望める。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 15mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
42.学橋 この赤い橋は、二の丸東堀に架かる学橋という。学橋(まなびばし)のたもとには、幕末まで藩校集成館があったという。この学橋は江戸時代には無いもので、昭和4年(1929)に城内小学校が二の丸に移転した際に竣工した。現在の学橋は昭和24年(1949)に再建されたものだそうだ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/200秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
43.銅門土塀模型
学橋を渡って二の丸公園の中に入った。常盤木橋へ行く途中に、この銅門土塀模型があった。この土塀模型は、平成9年(1997)銅門(あかがねもん)復元建設を行うのに際し、事前に製作したものという説明札があった。また、その隣には銅門で用いられていたと考えられている礎石が置かれている。石の大半を土中に埋め、ホゾ穴に柱材を固定して礎石としたとある。話は違うが、D5300のシャッターが落ち難くなった。シャッターボタンを押してもシャッターが切れない。何度かやっていると、シャッターが落ちる。今日はこの後ずっとそういう状態が続いた。自宅に戻って、もしやと思いSDカードの接点を清掃したところ、この問題は解消した。こういうこともあるのだ。​​

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/250​秒 22mm ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
44.常盤木橋
本丸東堀跡に架かる常盤木橋を渡る。江戸時代の小田原城は、本丸を堀が囲んでいた。城絵図によると、堀は二の丸堀とつながる水堀となっている。今は、植木と盛土により堀の形を表現し、整備されている。橋の途中から、カンヒサクラの赤い蕾が見えた。蕾は下を向いて付いている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/800​秒 130mm ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
45.常盤木門 -1
常盤木橋を渡ると常盤木門がある。常盤木門は小田原城本丸の正門で、最も大きく堅固に造られていた。常盤木(ときわぎ)とは常緑樹の意味で、門のそばにあった松になぞらえて、この名がつけられたと言われている。市制30周年事業として、昭和46年(1971)3月に再建されたそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f11 1/500​秒 24mm ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
46.常盤木門 門扉
常盤木門を内側から内蔵フラッシュを使用して撮った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/125​秒 18mm ISO​280​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
47.本丸広場から工事中の天守を見る
本丸広場は、イベント会場としても使用され、御休み処や売店がある。本丸跡には、寛永11年(1633)に徳川家光が上洛に際して宿泊するために建設された本丸御殿が建っていたが、元禄16年(1703)の地震により焼失して以来再建されなかった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/200​秒 127mm ISO​100​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
48.カワヅザクラ
本丸広場から銅門へ戻るところの銅門広場というところに郷土文化館があり、その近くにカワヅザクラがきれいに咲いていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f10 1/400​秒 45mm ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
49.鯱 しゃちほこ
明治時代に廃城となった折、天守閣は解体され鯱もドイツ人売却伝えらているそうだ。その上、関東大震災により石垣が崩れてしまうなど、江戸時代の小田原城を偲ぶものは少くなっていた。天守閣は東京大学、久保神社に残さ れていた模型 を元に設計が行われた。鯱は絵図面を元に復原が行われ、青銅製のもが作られたという。こうして昭和35年 (1960) 、市政施行、市政施行20周年に合わせて、小田原城天守閣が完成した。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 143mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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50.天守閣
天守閣は、元禄16年(1703)の地震で、小田原城内の他の建物とともに倒壊・焼失したが、宝永3年(1706)に再建された。以後、江戸時代を通じて存続したが、前述したように、明治3年(1879)の廃城によって取り壊されてしまった。現在の天守閣は、昭和35年(1969)に宝永年間の再建時に作成された引き図(設計図)や模型を参考に鉄筋コンクリート造で復興されたものである。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/640秒 17mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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51.工事中の天守閣
昭和60年に鉄筋コンクリート造で再建された天守閣も、以来55年が経ち、現在、来館者の安全確保のために耐震改修工事、空調設備の整備や展示のリニューアルが今年の4月末まで行われている。白亜の天守閣には工事用の足場が架けられていた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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52.巨松(おおまつ)
小田原城祉公園には松が多くはえている。その中で一番目立っている松が本丸広場にあった。巨松という。巨松は約400年前の木だそうだ。高さは約30mあるという。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.8 1/200秒 7mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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53.常盤木門 -2
城内側から常盤木門を撮る。石垣が立派だ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/125秒 24mm ISO​360 ) 露出補正 -0.3段
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54.イヌマキ
常盤木橋の前にある。暖温帯林を代表する常緑の高木。幹の周囲4.5m、株元周囲約6m、樹高約20m、枝張り状況(東西南北)13m~25mで小田原市の指定天然記念物になっている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/125秒 18mm ISO​280 ) 露出補正 -0.3段
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55.銅門(あかがねもん) -1
工事中の白亜の天守閣を眺め、周囲を囲っている塀に展示されたかっての写真や説明を見て、城を跡にした。帰りは常盤木門を出て銅門から下城する。天守閣へ通じる登城ルートに設けられた、二の丸表門である。この二の丸と馬屋曲輪の出入り口の銅門は石垣による桝形になっていて 内仕切門及び櫓門を組み合わせた桝形門と呼ばれる堅固な門である。扉の飾り金具に銅を使用していたことから、銅門の呼び名がついたと言われている。当時の工法により平成9年(1997)に復原された。二の丸側から撮った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/800秒 70mm ISO​200 ) 露出補正 -0.3段
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56.銅門 -2
常盤木門を下りたところの銅門広場から撮った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f11 1/200秒 34mm ISO​100 ) 露出補正 -0.3段
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57.銅門は枡形門
銅門をくぐって枡形に入る。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 14mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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58.銅門大扉
銅門(櫓門)に近づいた敵を待ち構えるのがこの大扉だ。説明板の通り銅の装飾が施されている。銅門二の門(住吉橋から入る内仕切門のこと)をくぐると土塀と石垣で構成された城壁が待ち構えている。敵兵が二の丸に攻め込むにはここで進路を櫓門に向かって90度左手に変えなければならない。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.8 1/400秒 7mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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59.ヒドリガモ
住吉橋の上から住吉堀に浮かぶ水鳥が見えた。これはヒドリガモのようだ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.5 1/200秒 258mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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60.オオバン
こちらは眼光鋭いオオバンだ。上嘴から額にかけて白い肉質(額板)で覆われている。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.5 1/160秒 258mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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61.住吉堀と住吉橋
今はお城の中の方から外へ出ようとしているが、城の外から城に入るには、この住吉堀にかかる住吉橋を渡って、銅門の内仕切門を入って枡形に入る。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/800秒 8mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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62.住吉橋と内仕切門
内仕切門は石塁上の土塀より下方に門を作る埋門の形式を取る。土塀には敵を射る為に狭間と呼ばれる穴がある。敵が橋を渡ろうとすると正面の左右の狭間から射られてしまう。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/250秒 39mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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63.城内の松
車を停めたところに戻ってきた。堀の向こうを見ると何本もの大きな松が立っている。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.8 1/320秒 7mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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