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Studio YAMAKOで“織田信長”が含まれるブログ記事

2022年8月12日

岐阜公園と名和昆虫博物館 7月8日

岐阜駅前のホテルにもどり、ゆっくり朝食をした。この日は朝10時に名古屋在住の親友がホテルまで迎えに来てくれる。チェックアウトをして、少し早めにホテルを出ると、すでに到着し、待ってくれていた。
 まずは名和昆虫博物館がある岐阜公園を目指す。15分くらい走って、岐阜公園の駐車場に入った。「若き日の織田信長像」と題された織田信長の銅像がある正門から岐阜公園に入った。まだ、人影は少ない。ゆっくりと緑に浸りながら、公園内を歩く。
 岐阜公園のいちばん南側の奥に「名和昆虫博物館」はあった。この日は金曜日、博物館は火、水、木曜日が休館日であったが、事前にこれを知り、ほっとしていた。入館料ひとり600円を支払って館内に入る。1階と2階が展示室になっていて、それほど広くはない。専門家だけではなく、一般の人や、子供たちにも理解でき、楽しませるような展示になっていた。受付では、標本も販売されている。記念にキナバルオナガタイマイ(ボルネオ)1頭を購入した。岐阜公園茶室、立礼茶席「華松軒」において抹茶と和菓子で一休みした。落ち着く。
 駐車場へ戻る道筋でゴマダラチョウを撮って、明治村へ移動する前に、昼食の話になった。友人から長良川沿いのやなであゆを食べないかと提案があり、賛成する。甘露煮、お造り,南蛮漬、塩焼き、みそ煮,フライ.と次々と出てきて全部で10尾ほど食べたのではなかろうか。特に新鮮な鮎の塩焼きの味は最高だった。骨抜きも上手くできた。

000_220708162 X700 〇岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg
名和昆虫博物館入口 2022年7月8日 岐阜市大宮町(岐阜公園内)

011_220708058 X800 岐阜公園 Z50 18-140.jpg 11.「天下布武」印
岐阜公園を名和昆虫博物館を目ざして南へ進む。石囲いに腰かけて、女性がひとりスマホを使っていた。貨幣を形どったような造作がある。何だろうと思ったが、すぐそばに答えがあった。これは、織田信長の「天下布武」印と花押(いわばサイン)の石碑であった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 21mm ISO 110 ) 露出補正 なし
012_220708057 X800 岐阜公園 Z50 18-140.jpg 12.「天下布武」印の説明書き
織田信長は、永禄8年(1565年)9月頃から文書に麟(りん)の字をかたどった花押を使用するようになり、永禄10年(1567年)9月に岐阜に居城を移し、同年11月、「天下布武」印を使い始めたことが分かっているそうだ。この「天下布武」印によって、この文書が信長の意志によって作成され、それを伝えるものであることが示されている。「天下布武」という文面は、武力によって天下に号令するとの意志を示している。この翌年、信長は足利義昭を奉じて京都に進出するが、この印章の使用は、すでに岐阜を手に入れた段階で、天下を治める構想を練っていたことを示しているのだろうと目されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO 450 ) 露出補正 なし
013_220708062 X800 岐阜公園 Z50 18-140.jpg 13.「信長の庭」
岐阜市のホームページでは、「天下統一を夢見た、岐阜ゆかりの武将 織田信長公 が駆け抜けた戦国時代の荒々しさをイメージした庭園です。永年にわたって岐阜公園を見つめてきた巨木を取り込み、長良川流域の巨大な石(約1,000t)を使った石庭として、当時の石組みの技法を用いて「剛」「静」「雅」の3つの滝と池からなり、近隣にはない規模の日本庭園です。また、当時の井戸を出土した場所に再現し、岐阜城下をイメージした「信長の町」やせせらぎ水路など、信長が居城していた時代を思い巡らしながら、四季折々の風景美と調和した素晴らしい眺めを楽しんでいただけます。」と紹介されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 54mm ISO 6400 ) 露出補正 なし
014_220708065 X800 岐阜公園 Z50 18-140.jpg 14.冠木門
「信長の庭」の池が終わるところの左側(東側)に信長の居城跡が保存整備されているが、その居館跡の入り口には冠木門が設置され、館が建てられていた頃の雰囲気をしのばせている。ここより上の段には巨石列で区画された城主の居館があった。この冠木門は市内のロータリークラブから寄贈されたものであるが、当時の入り口はもう少し南側だったようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO 640 ) 露出補正 なし
015_220708069m X800 岐阜公園 Z50 18-140.jpg 15.三重塔 -1
信長の居館跡辺りから三重塔が良く見えた。大正天皇御大典記念事業として大正6年(1917年)に、かっての長良橋の材木で建築された登録有形文化財だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 45mm ISO 360 ) 露出補正 なし
016_220708079 X800 〇岐阜公園 Z50 18-140.jpg 16.三重塔 -2
日本画の巨匠として知られる川合玉堂が位置を定めたと言われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 92mm ISO 280 ) 露出補正 なし
017_220708088 X800 岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 17.名和昆虫博物館 看板
岐阜公園を南へ進んでいくと名和昆虫博物館の看板が見えてきた。パンフレットによると、名和昆虫博物館は大正8年(1919年)10月26日に財団法人名和昆虫研究所の付属施設として、開館したという。当初は主に農作物害虫やシロアリなど家屋の害虫駆除のための啓蒙普及の場として先駆的な役割を果たした。時代とともに公共の害虫研究機関が発達するにあたり、その使命を自然教育の一環としての昆虫啓蒙普及に活動してきた。昆虫専門の博物館でしかも、全くの個人が設立し5代にわたって、今なお活動し続けている点で、他に類を見ないユニークな博物館と言える「日本で最も長い歴史を誇る昆虫専門の博物館」である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 22mm ISO 110 ) 露出補正 なし
018_220708087 X800 岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 18.名和昆虫研究所記念昆虫館 (標本収蔵庫)
博物館の手前に、明治40年(1907年)6月に竣工した名和昆虫研究所記念昆虫館が見えた。この建物は標本収蔵庫として建てられた。昆虫博物館とともに近代日本を代表する建築家 武田五一氏の設計によるもので、歴史的にも価値がある。博物館は登録有形文化財、記念館のほうは岐阜市重要文化財に指定されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 32mm ISO 110 ) 露出補正 なし
019_220708089 X800 岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 19.名和昆虫研究所記念昆虫館の側面
なお、名和昆虫研究所は明治29年(1896年)に、農作物や家屋の害虫の研究を主な目的として、名和靖 が独力で設立した。現在は一般財団法人組織なっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 22mm ISO 400 ) 露出補正 なし
020_220708090 X800 岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 20.名和昆虫博物館 受付
歴史的な建物である博物館の入り口を入り、呼び鈴を押した。係の方が後ろの事務所から出て来られ、入館料をお支払いする。展示されている標本やパネルを撮影してよいかと尋ねたところOKとのこと。これは、ここで販売されている標本の写真である。標本製作は確かな技術を持った、当博物館の2名の経験豊かな職員の方がおこなっているとのこと。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO 3200 ) 露出補正 なし
021_220708102 X800 〇岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 21.ルードルフィア・ラインについてのパネル
名和昆虫研究所の創設者である名和靖氏は、研究所設立前の1883年(明治16年)に岐阜県郡上郡祖師野村(現在の下呂市金山町祖師野)で、のちに「ギフチョウ」と命名されるチョウを発見した。日本にはルードルフィア属として、ギフチョウとヒメギフチョウの2種が生息し、大まかに西にギフチョウ、東にヒメギフチョウと明確に棲み分けをしており、基本的にこの2種が同時に見られる事はない。両者はごく一部の混生地(山形の最上川流域や新潟県の糸魚川~長野県白馬村など)を除いて見事に棲み分けていて、その境界線をルードルフィア・ラインという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO 2800 ) 露出補正 なし
022_220708103 X800 〇岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 22.ギフチョウに近い仲間
さすが、ギフチョウに関連する展示が多数あった。これは中国などに棲むシボリアゲハの仲間である。2011年8月中旬に、日本の調査隊6人が、ブータン政府の調査団とともに渓谷奥地の秘境で、78年ぶりにブータンシボリアゲハを確認した。このことはテレビでも詳しく報道された。来日したブータン国王夫妻が、日本の協力へのお礼としてブータンシボリアゲハ2頭を寄贈されたことが話題となった。ブータンシボリアゲハは「ヒマラヤの貴婦人」と呼ばれる幻の大蝶として知られている。ブータンシボリアゲハのほか、この仲間には、シボリアゲハ、シナシボリアゲハ、ウンナンシボリアゲハの3種が知られている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 36mm ISO 3200 ) 露出補正 なし
023_220708126 X800 岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 23.2階展示室
1階の展示室は、外国のカブトムシやクワガタの展示も多かった。そして、2階の展示室に上がる。華麗なチョウを集めた世界の美チョウ・コーナーが目を引く。自然教育の一環としての昆虫啓蒙普及を目的としてか「クイズで遊ぼう、学ぼう、不思議な昆虫の世界」と題した実物昆虫標本によるクイズ形式の展示が多くあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO 3200 ) 露出補正 なし
024_220708131 X800 岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 24.モルフォ
世界の美チョウがグループ分けして展示されている。これは南米に生息するモルフォチョウの仲間で、中央の4頭はヘレナモルフォ、その周りを、レテノールモルフォなどが取り囲む。このグループは日本には生息していない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 54mm ISO 4000 ) 露出補正 なし
025_220708149 X800 〇岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 25.各地のツマベニチョウの仲間
東南アジアに多く生息するが、日本にも沖縄県、鹿児島県に1種のツマベニチョウがいる。シロチョウ科最大のチョウで見栄えが良い。少年時代には憧れたチョウである。多摩動物園や足立区生物園の温室には飼育されたツマベニチョウが翔んでいる。私は那覇の公園でハイビスカスにきたツマベニチョウの写真を一度だけ撮影したことがある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 29mm ISO 4000 ) 露出補正 なし
026_220708142 X800 〇岐阜公園 名和昆虫博物館 Z50 18-140.jpg 26.世界の美チョウ ギフチョウはどれ?
クイズ形式の標本展示である。東南アジアに棲むトリバネアゲハの仲間、中央アメリカ・南アメリカに住むミイロタテハの仲間、モルフォチョウの仲間を世界の3大美チョウという。この標本箱の中には、それ以外の美しい蝶も収められている。ギフチョウも入っている。博物館にお展示されているすべての標本を丁寧に見ることはできなかったし、写真に撮ることもできなかった。後日、このブログのため、ネット検索したところ、ほぼ完ぺきに名和昆虫博物館の展示について網羅されている Life Designs というサイトがヒットした。ヒナバルオナガタウマイ(ボルネオ)という蝶の標本を記念に購入した。見事な展翅である。外に出ると、先生に引率された幼稚園の子供たちだろうか、見学に来ていた。(トップの写真)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 22mm ISO 3200 ) 露出補正 なし
027_220708170 X800 岐阜公園 華松軒 Z50 18-140.jpg 27.抹茶カフェ -1
名和昆虫博物館を退出し、駐車場へと歩き始めると右手に 立札茶房「華松軒」というところがあった。気温も上がってきて喉が渇いていた。和菓子で抹茶を楽しもうということになった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 48mm ISO 100 ) 露出補正 なし
028_220708165 X800 岐阜公園 華松軒 Z50 18-140.jpg 28.抹茶カフェ -2
落ち着いた気分になる。岐阜市政100周年を記念して昭和63年(1988年)に開室した茶室「華松軒」の立礼茶席で、80歳の男2人で和菓子と冷たい抹茶で涼をとる。抹茶は滅多にいただくことはないが、立ち寄ってよかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 36mm ISO 400 ) 露出補正 なし
029_220708173tm X800 岐阜公園 岐阜城 Z50 18-140.jpg 29.岐阜城
茶室「華松軒」を出て、振り返ると岐阜城が見えた。岐阜城は鎌倉時代に二階堂氏が築城した山城である。斎藤道三の居城の時は稲葉山城と呼ばれ、信長が天下統一の足掛かりとした居城としても有名である。現在の城は昭和31年に再築された。標高329mの金華山山上に建ち、最上階からは、眼下に鵜飼で有名な清流長良川が市内を貫流し、東には恵那山、木曽御岳山が雄大な姿を見せ、北には乗鞍、日本アルプスが連なっている。また西には伊吹、養老、鈴鹿の山系が連なり、南には濃尾の大平野が豊かに開け、木曽の流れが悠然と伊勢湾に注いでいるさまを一望におさめることができるという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/2500秒 140mm ISO 100 ) 露出補正 なし
030_220708071 X800 岐阜公園 Z50 18-140.jpg 30.三重塔と「ぎふ金華山ロープウェイ」
1955年(昭和30年)に「信長の庭」の傍から金華山山上へ上がるロープウェイが、開通している。天気も良いので上に上がって、信長の気分になってみたかったが、ロープウェイの山上駅から城まで徒歩8分あるという。時間が足りないので、今回は割愛する。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 45mm ISO 200 ) 露出補正 なし
031_220708178 X800 〇岐阜公園 エノキ Z50 18-140.jpg 31.ゴマダラチョウ -1
左側をせせらぎが流れる。そこで何かが翔んだ。近寄ってみるとゴマダラチョウだった。最近、ゴマダラチョウの写真を撮っていない。これはこれで嬉しい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO 2000 ) 露出補正 なし
032_220708192 X800 ◎岐阜公園 エノキ Z50 18-140.jpg 32.ゴマダラチョウ -2
お腹が大きい。雌のようだ。止まっている葉もエノキのようである。NIKKOR Z DX 18-140mm というレンズは扱いやすい。チョウを撮るときも、チョウから40cmくらいに近づくことが出来る。だが、いかんせん暗い。105mm macro f2,8 が欲しくなる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO 280 ) 露出補正 なし


2022年4月11日

高野山 墓参 3月28日

3日目。娘は昨日、仕事で東京へ戻ってしまったが、娘の主人が私たちの高野山墓参に付き合ってくれた。私の兄が存命の頃は、3年に1回、親族が高野山に集まる機会があったが、9人いた父親の兄弟も高齢になり、その集まりも終了した。
 その後も数年に1回、父母、兄夫婦の眠る高野山へお墓参りに来ている。前回来たのは2018年11月だったので、3年と4か月ぶりの墓参になった。
 京阪電車、祇園四条駅発6時37分の特急に乗り淀屋橋で地下鉄御堂筋線に乗り換え難波へ出た。南海高野線の特急こうや号は8時42分発だ。駅構内でカフェに入りモーニングセットを食べたが、なかなか美味しかった。
 特急こうや号の車両は新しくなっていた。(ところが後で調べてみたところ、実は30年前に造られた車両だった)終点の極楽橋から高野山へ上るケーブルカーも新型の車両になっていた。難波駅で購入した特急券に高野山でのバスのフリー切符が付いていたので、ケーブル高野山駅からバスに乗り、まず、菩提寺である恵光院へ行った。今日は月曜日で観光客は少ない。
 恵光院の本堂で位牌にお参りした。過去帳には私がお参りした記録も残されている。  家内が昨年10月にアキレス腱を損傷し、歩行が完全ではないので、いつもは歩いて石畳の杉並木を歩き、中の橋のちょっと手前にある先祖代々の墓にお参りするのだが、今回は恵光院でタクシーを呼んでもらい、中の橋のバス停まで乗って行った。そこから、杉並木の奥の院参道に戻り、その中の橋の近くにある墓にお参りした。  杉並木の石畳を歩き、再び恵光院に戻り、タクシーを呼んでもらう。娘の小学校の同級生の母親で、家内と今も付き合いのあるかたの、若くして亡くなられた息子さん(娘の同級生)の菩提寺、正智院まで行ってお参りしてきた。
 本堂でお参りしたあと、その庭園と襖絵、掛軸など寺の素晴らしい所蔵品を見せていただいた。正智院の記述については、平成29年7月7日に発行された「霊訪館だより」に鳴海祥博氏が書かれている「高野山の古建築 第27回 正智院」を参照させていただいた。
 今回は奥の院も、金剛峯寺にもお参りはしなかった。  午後1時半になった。高野山駅へ行くバスの停留所の近くの食堂に入りそばを食べ昼食にした。この季節、高野山は肌寒い。桜もまだ咲いていない。朝早かったこともあり少々疲れた。
 帰りの特急こうや号は、15時39分迄ない。新大阪に着いたのは夕方6時近かった。

000_220328441 X700 〇高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg
高野山参道 奥の院への杉並木 2022年3月28日 和歌山県

001_220328065 X800 南海高野線 G7X.jpg 1.特急こうや号 車内
この日は月曜日であり、電車はガラガラだった。南海高野線のこうや号はJR和歌山線(王寺~和歌山)と接続する橋本駅から先は勾配が大きく、単線になる。橋本駅 -極楽橋駅間は「こうや花鉄道」の愛称が付けられ、特に高野下駅以南は50‰の勾配、制限速度33km/h、半径100m以下の急カーブが続く登山鉄道となっており、21m級の車両は走行できないため、この区間に乗り入れる列車にはズームカーと呼ばれる17m級の中型車両のみが使用されている。(wikipediaを参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
002_220328072 X800 南海高野線 極楽橋駅 G7X.jpg 2.高野山ケーブル
南海高野線の終点極楽橋駅から霊峰高野山の玄関口であるケーブル高野山駅までを結ぶ、南海電気鉄道のケーブルカー路線は通称高野山ケーブルと呼ばれるが、前回来たときに比べると車両が新しくなったようだ。2018年(平成30年)11月26日 - 2019年(平成31年)2月28日:車両の新造ならびに諸設備の更新工事実施のため運休し、その間バスで代行され、2019年(平成31年)3月1日:運行再開。車両は新造の4代目のN10・20形に置き換えられたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし
003_220328493 X800 高野山 恵光院 本堂 Z50 18-140.jpg 3.恵光院本堂 外観
ケーブルの高野山駅からバスに乗って苅萱堂前で下り、まず、菩提寺である恵光院へ行った。高台にある本堂へ上がり、位牌に参拝する。この本堂は平成3年に近藤説巌上綱により再建された。昨年、第53世近藤大玄上綱が亡くなられ、現在は近藤説秀さんが住職を務められている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 40mm ISO160 ) 露出補正 なし
004_220328080 X800 恵光院 本堂 G7X.jpg 4.恵光院本堂 内部
若いお坊さんが過去帳を開いてくれた。そして、お祀りされていた位牌をご本尊様の仏像の前に配してくれたので、お参りする。ご本尊様は、中央に阿弥陀如来、向かって右に弘法大師、左に不動明王が祀られている。左手に置かれているのは、昨年亡くなられた近藤大玄上綱のお写真。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f2.5 1/320秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
005_220328082 X800 恵光院 G7X.jpg 5.恵光院 玄関から本堂への廊下
恵光院は宿坊をしており、今はコロナ禍で泊る人も少ないだろうが、世界遺産に登録された後、外国人の客が多いようで、案内板に英語が添えられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
006_220328439 X800 高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 6.写真業界先賢萬霊の碑
中の橋バス停から、大きな杉の木の立ち並ぶ奥の院への石畳の参道へと歩く途中に、写真業界先賢萬霊の碑というのがあった。昭和31年(1956年)6月1日建立。たくさんの写真が焼き付けられている。写真業界先賢萬霊の碑と彫られた石碑の形はブローニー版のパトローネの様だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 40mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_220328447 X800 〇高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 7.中の橋
昭和27年に第二次世界大戦の戦死者を供養するために建てられた、英霊殿を背にして歩いてくると、右は奥の院弘法大師御廟、左は一の橋という案内板が立つ大きな杉の木の建ち並ぶ奥の院への石畳の参道に出る。この日は奥の院へお参りするのを割愛させていただき、墓参を優先させて左に行く。中の橋が見えてきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 40mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220328449 X800 〇高野山 中の橋 姿見の井戸 Z50 18-140.jpg 8.姿見の井戸
中の橋を渡る手前の橋詰に汗かき地蔵をお祀りしているお堂があるのだが、 このお堂の右側に姿見の井戸と呼ばれる小さな井戸がある。 この井戸を覗きこんで、自分の顔が映らないと3年以内に死んでしまうといわれているのだそうだ。覗き込んでみた。映った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 なし
009_220328451 X800 〇高野山 中の橋 汗かき地蔵 Z50 18-140.jpg 9.汗かき地蔵
汗かき地蔵の説明板には、「汗かき地蔵は、常に人々の犯した罪に苦しみ、その苦しみを慈悲によって変わって受け、そのため汗を流しておられると言われています。黒っぽい石材に地蔵尊が半肉彫りされていて、実際にツユが吹いて汗が流れているように見えるときがあるようです。」と記されていた。高野山に伝わる伝承としては、奥の院への参拝者を含めた世の中全ての人々の罪を一身に背負って、代わりに汗をかいていると言われているそうだ。そしてこの地蔵堂と中の橋の向こうに、私の先祖代々の墓がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO720 ) 露出補正 なし
010_220328452 X800 高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 10.市川団十郎墓所
中の橋から一の橋へ参道を下がっていくと、市川団十郎の墓所があった。 「初代市川團十郎供養塔」と表示されている資料(「高野山奥の院の墓碑を訪ねて」)があるという。市川團十郎と云えば、約350年も続いているという成田屋の市川宗家であり、元禄17年(1704年)没。舞台上で役者に刺殺されたといわれている。初代が最初に眠っていた墓は、東京都港区芝公園にある常照院とされ、初代から七代目までは常照院に墓があったそうだ。九代目の市川團十郎は宗派を神道に改宗したために、亡くなった後はその公営の墓地がある青山霊園に建立された。今までの歴代團十郎が眠っていた墓地を青山霊園に移す事となり、歴代の團十郎は青山霊園で合墓となったという。では、この写真の市川団十郎墓所というのは何なのだろうか。放置されて荒れているようにも見えるが。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO800 ) 露出補正 なし
011_220328469 X800 〇高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 11.杉並木の石畳
一の橋から奥の院御廟までの参道約1.6kmの両側にそびえ立つ樹齢約200年~600年の大杉林は、和歌山県の天然記念物に指定されている。大杉の総数は1300本を数え、樹高50m級の巨木もある。なかでも樹形材質共に優れた樹木を保存し、優良な種子穂木を確保する目的で農林水産大臣が法律に基づき、特別母樹林に指定している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 28mm ISO450 ) 露出補正 なし
012_220328472 X800 高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 12.明智光秀墓所
私が知っている明智光秀の墓は、2020年11月に訪れた滋賀県大津市坂本にある西教寺である。NHKの大河ドラマにもある。しかし、一説に、本能寺の変のあと、山崎の合戦で討ち死にしたのは影武者であり、光秀は中洞(岐阜県山県市中洞)に落ち延びて荒深小五郎と名乗り、住んでいたと伝えられていて、その後、慶長5年(1600年)、関ケ原の合戦に参戦しようとした道中、増水した藪川(根尾川)で馬共に流されて亡くなったとされているそうだ。中洞白山神社の林の中に光秀の墓とされる「桔梗塚」があり、現在まで地元の荒深氏一族によって大切に守り続けられ、年に2回供養祭が行われているそうだ。では、ここ高野山の墓所は何なのだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
013_220328475 X800 高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 13.石田三成墓所
すぐ近くに石田三成の墓があった。石田三成の墓は京都市の大徳寺三玄院にあるが、江戸時代は、徳川家が三成の墓を許さなかったようである。このため三成の墓は、土に埋められ、世の中に顔を出さなかっというが、戦前にはその墓が発掘されて遺骨も出土しているそうだ。高野山の墓は生前に長命祈願のために自身が建てた「逆修墓」だという説がある。なぜ、高野山にはこのような戦国武将の墓があるのだろうか。 和歌山歴史物語というサイトには、中には武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、伊達政宗といった戦国武将の墓もある。 これは高野山、しいては空海のそばで眠りたいとの先人たちの願いがこめられているという。高野山への納骨の風習は鎌倉時代から始まり、墓石として石造りの五輪塔が登場したのが室町時代末期。現在は江戸時代初期造立の諸大名の五輪塔が墓石群の中核となっている。これは徳川家康が高野山を墓提所と定めたため、諸大名がこぞって高野山に墓石を建てたことが大きな要因。結果、大名家の墓は110家にもおよび、その数は全国大名の約40%を占めるという。「高野山で眠りたい」という願いは一般庶民も同じ。そこで、素朴でこじんまりとした一石五輪塔を奉って願いを叶えたのだ。ほかに、織田信長、豊臣一族、明智光秀ら多くの戦国武将の墓も。皇族、貴族、大名、一般庶民と、生前の所業や敵味方は死後は一切関係なし。すべての人を等しく受け入れるのは高野山の懐の深さか。しかし、私の祖先が、なぜ高野山に墓所を持つことが出来たのだろうか? 菩提寺である恵光院の当時のご住職と、コネがあったからだと聞いたことがあるが、それ以上のことは次男坊の私にはわからない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
014_220328485 X800 〇高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 14.陽の光が差し込む杉並木
戦国大名の墓を見ているうちに一の橋が近くなった。差し込む陽の光に杉並木が生える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 47mm ISO900 ) 露出補正 なし
015_220328554 X800 〇高野山 正智院 Z50 18-140.jpg 15.正智院
若くして心臓病で急逝した娘の小学校時代の同級生が眠る正智院に寄った。母親同士が、その頃から今もお付き合いが続いている。正智院は、壇上伽藍の北側の奥にある静かなところだ。正智院は、天平年間(1110年~1113年)に正智坊教覚によって開基され、その中興の学僧・道範大徳は高野八傑のひとりであり、聖僧・学僧等が相次いで傑出し高野山でも屈指の学問寺院として、その法灯を守り続けた寺院という。筑前の黒田家、薩摩の島津家の帰信が厚い。本尊は阿弥陀如来。有名な国宝文館詞林 、不動明王、五銛鈴その他仏像、仏画・典籍を多数所蔵されている。岩山を背景に枯山水の庭園、客間の襖絵などを見せていただいた。ご住職がとても立派なお方だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
016_220328495 X800 〇高野山 正智院 本堂 Z50 18-140.jpg 16.正智院 本堂
ご住職にご挨拶して、まず御本堂でお参りをした。本堂は大楽院というお寺の本堂を移築したものだそうだ。そのため、右手の一段高い内陣の奥に大楽院の本尊が、左手の奥に正智院の本尊が祀られている。中は非常に暗かった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/8秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
017_220328498 X800 高野山 正智院 庭園 Z50 18-140.jpg 17.正智院の庭
実は前回、2018年11月にも正智院に参拝している。その時は紅葉の頃だったので鮮やかだったが、今の季節はちょっと殺風景なのは仕方がない。この庭は、重森三玲が作庭した苔と岩肌の美しい枯山水庭園で国登録名勝になっている。写真は庭のごく一部。いい写真が撮れなかった。昭和27年(1952年)に重森三玲が水墨画水面的な発想を基に作庭した。庭の正面に大きな岩山があるが、この「影向岩」(明神岩とも呼ばれる)という巨大な岩は道範大徳がこの場所で明神様(影向明神・高野明神)を感得したことから名づけられたと言われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
018_220328510 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 18.正智院の客殿
正智院の客殿は広くて立派だった。大きな客殿は襖で仕切られ、襖を開けば連続した座敷になる。庭園に面した客間の襖絵は谷文晁や、名のある絵師によって描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/60秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
019_220328521 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 19.正智院の大広間の襖絵 -1
部屋を取り囲むように、広間の襖に、正智院の枯山水の庭が描かれていた。ご住職が説明してくださったのだが、撮影に夢中になり、作家の名前を覚えておくことが出来なかった。襖絵には庭の春夏秋冬が描かれ、庭の正面の大きな岩山「影向岩」に降り立つ白い束帯姿の影向明神が描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/160秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
020_220328522 X800 高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 20.正智院の大広間の襖絵 -2
明神様の左側が描かれている。部屋の広さが推し量れる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/125秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
021_220328525 X800 高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 21.正智院の大広間の襖絵 -3
さらにひとつ襖をあけて下さり、見せていただいたのは、庭の秋が描かれた襖画だった。そして右側の襖に冬が描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/125秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
022_220328543 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 22.正智院 円山応挙の掛軸
右下に「應擧」の銘が見られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/100秒 24mm ISO6400 ) 露出補正 なし
023_220328570 X800 高野山 壇上伽藍 金堂 Z50 18-140.jpg 23.根本大塔と八角灯篭
正智院のお参りを終え、根本大塔の後ろ側から壇上伽藍に上がった。何回も高野山に来ているが根本大塔の内部に入ったことはなかった。今朝、難波駅で購入した特急こうや号の「高野山・世界遺産きっぷ」に、高野山内バスのフリー切符のほかに根本大塔の入場割引券が付いていたので、入って見ることにした。wikipediaによれば、根本大塔は何度かの焼失の後、現在の塔は1937年(昭和12年)に空海入定1100年を記念して再建したもので1階平面が方形・2階平面が円形の鉄筋コンクリート造の16間(約30m)四面・高さ16丈(約50m)の2層の多宝塔である。中尊(左右に脇立を従えて、中央に安置される仏像)は、丈六(立像のたけが一丈六尺=約5m ある仏像。座像では、その半分の高さの仏像)の胎蔵大日如来坐像、その中尊を取り囲むように、四方に金剛界四仏の、阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就の4如来を安置し、本来別々の密教経典に説かれている「胎蔵曼荼羅」の仏像と「金剛界曼荼羅」の仏像を一緒に安置するが、これは「金胎不二(こんたいふに)」の教えで、両者は不二一体である(根本的には1つ)という空海の思想を表したもので、堂内そのものが立体曼荼羅となっている。また塔内の柱16本には、十六大菩薩画像、壁面には真言八祖画像が堂本印象画伯によって描かれている。そして内部正面の梁には昭和天皇宸筆の勅額「弘法」が掲げられている。内部は撮影禁止であった。根本大塔の前にある「八角燈籠」は東大寺大仏殿の金銅八角燈籠(国宝)とよく似ている。楽器(横笛、尺八、鈸子、笙)を奏する音声菩薩(おんじょうぼさつ)が、鉄格子と唐草文様の透かしに浮彫で表されている。これは根本大塔の再建を記念して南海電鉄が奉納したものだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 29mm ISO220 ) 露出補正 なし
024_220328566 X800 高野山 壇上伽藍 御影堂 Z50 18-140.jpg 24.御影堂(みえどう)
私はこの建物の姿は美しいと思う。御影堂は金堂の北側、根本大塔の西側にある。wikipediaによれば、御影堂は大師の持仏堂として創建され、天保14年(1843年)の大火で消失し、弘化4年(1847年)再建、梁間15.1mの向背付宝形造檜皮葺。空海の弟子の真如親王筆とされる弘法大師御影を本尊とし、外陣には空海十大弟子の肖像が掲げられている。堂の背後には、土蔵造りの御影堂宝蔵があり、かつては数々の霊宝や貴重な文書を保管する金庫や宝物庫としての重要な役割を果たした。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO280 ) 露出補正 なし
025_220328590 X800 高野山 壇上伽藍 Z50 18-140.jpg 25.壇上伽藍入り口
いつもはここから根本大塔の方へ歩いて行くが、今回はここから出てきた。秋には道の両側の紅葉がきれいだ。壇上伽藍へ通じるまっすぐなこの道を蛇腹道と言い、高野山では紅葉のスポットとして有名である。蛇腹道という由来は、高野山全体の寺院の並びを、蛇に見立てた時、ちょうどこの壇上伽藍に通じる蛇腹道が、蛇のお腹のあたりなるので「蛇腹道」の名前が付されたという。それにしてもこの日は観光客が少ない。こんな静かな高野山は初めてだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO220 ) 露出補正 なし
026_220328593 X800 高野山 壇上伽藍 Z50 18-140.jpg 26.金剛峯寺
今回は金剛峯寺は参拝しないで失礼した。金剛峯寺は弘法大師が金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経の真意に基づいて名付けられた高野山の総称だったが、現在は高野山弘法大師御廟を信仰の中心として結成された高野山真言宗3600寺、信徒1千万人の総本山の名称として知られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO320 ) 露出補正 なし
027_220328096 X800 ケーブル高野山駅 G7X.jpg 27.ケーブル高野山駅
千手院橋バス停の傍で簡単に昼食をとり、バスに乗ってケーブル高野山駅へ向かった。極楽橋からの特急こうや号に接続するケーブルまで1時間ほど待たされることになった。帰りの切符は買ってなかったので、購入し、駅舎の外へ出てみた。駅の標高は867m。1930年(昭和5年)に高野山電気鉄道鋼索線開通と同時に開業し、2015年にリニューアルされている。国の登録有形文化財に登録されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
028_220328103 X800 ケーブル極楽橋駅 G7X.jpg 28.ケーブル極楽橋駅の天井
ケーブルカーが高野線に接続する極楽橋駅は2020年7月にリニューアルされていた。和歌山経済新聞に記事によると、駅名になった朱塗りの「極楽橋」は、高野山の聖域と俗世を区切る結界とされることから「はじまりの聖地、極楽橋」をコンセプトに、高野線側コンコースを「俗世」、ケーブルカー側コンコースを「聖域」に見立て、改装されている。南海高野線側コンコースは黒を基調とし、「いのちのはじまり」をテーマに極楽鳥や高野山ゆかりの動植物など約50種を天井画にした。写真のケーブルカー側コンコースは赤色と白色で構成する「宝来」と呼ばれる切り絵をモチーフに、極楽鳥や干支、縁起物が天井に描かれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
029_220328106 X800 〇ケーブル極楽橋駅 G7X.jpg 29.極楽橋駅に並んだ特急車両
改札がはじまって南海高野線のホームへ行くと、特急電車の車両が並んでいた。一番右側に見えるのが、来るときに乗ってきた最新の車両で、と言っても1992年11月から運用されている31000形。真ん中は1983年年5月に3代目「こうや」として誕生した30000形。左が橋本ー極楽橋の「天空」で高野線で1969年から運用されている2200系だ。一番新しい31000形でも今から30年前にできた車両だが古さを感じさせない。無事、新大阪から「ひかり」に乗って新横浜に着いたのは夜9時少し前だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし


2021年1月 3日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (8)比叡山 11/27

最終日、比叡山延暦寺へ向かう。初めてのところではないが、ほとんど覚えていない。
 wikipediaによれば、延暦寺は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院である。京都の鬼門に位置する。平安京(京都)の北にあったので奈良の興福寺に対し北嶺とも称されたそうだ。平安時代初期の僧・ 最澄 (767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。1994年には、古都京都の文化財の一部として、1200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受けユネスコ世界文化遺産に登録された。
  草津の宿を出発したバスは、双耳峰の比叡山を右手に見て進み、琵琶湖の南端に架かる全長1,290mの近江大橋を渡る。琵琶湖上の他の道路橋として、南側約3kmに瀬田川大橋(国道1号)があり、北側約19kmには初日に渡ってきた琵琶湖大橋(国道477号)がある。
 平成10年10月1日、2kmほど北の柳が崎から浜大津に移転した昭和9年開業の琵琶湖ホテルを右に見ながら進み、湖西街道(161号線)の大津京から比叡山ドライブウェイに入った。
 比叡山のバスセンター駐車場に着くと、ガイドさんの案内でまっすぐ根本中堂へ案内された、工事中の根本中堂でお坊さんの説話を聞き、退出後は文殊楼や大黒堂を見て歩いたが残念なことがひとつある。それは、すぐ近くにあった法華総持院東塔や阿弥陀堂などを見ず仕舞いだったことだ。事前学習の不足である。
 2019年12月3日に放送されたBS朝日の「ぶらり京都歴史深訪」・「比叡山 電車で訪れる聖地」という番組が、この正月2日に再放送されたのをたまたま見たが、このたび行って見て、自分のブログで整理し、この番組を見たことで理解が深まった。番組では「千日回峰行」「十二年籠山行」「四種三昧」といった比叡山の厳しい修行についても説明された。

201127706ab X600 比叡山 X10M4_0000.jpg
境内案内図および延暦寺パンフレットより
上:比叡山回遊案内図 下:東塔地域案内図

165.琵琶湖大津プリンスホテル(車窓から)
浜大津の近江大橋を渡る。対岸に比叡山を背景に琵琶湖大津プリンスホテルが見えた。丹下健三さんが設計したこのホテルは滋賀県で最も高いビルであり、ランドマークとなっている。 1989年(平成元年)4月22日に開業している。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
201126934_165 X800 3日目 草津→比叡山 近江大橋 G7X.jpg
166.琵琶湖ホテル(車窓から)
近江大橋を渡り京阪電車沿いに走る湖畔沿いの道を大津市の浜大津に入る。右手に大きなホテルが見えた。知らなかったが、昭和9年に建てられた、桃山風破風造を特徴とし、鉄筋コンクリートの近代的洋風建築でありながら社寺建築の様式を取り入れ、かって、滋賀県の迎賓館としての役割を果たした旧琵琶湖ホテルが平成10年にここに移転したのだそうだ。琵琶湖ホテルには、40年くらい前に高野山へ行った帰路、一度泊ったことがあるのだが、その名残は全くない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
201126937_166 X800 3日目 草津→比叡山 新しい琵琶湖ホテル G7X.jpg
167.京阪電車(車窓から)
京阪電車の踏切を渡って、比叡山ドライブウェイへ入っていく。この京阪電車石山坂本線は、瀬田の石山寺から比叡山口を結んでいる。この電車には昨年(2019年)2月に石山寺を参拝し、そこから日吉神社へ行くのに終点の比叡山口まで乗った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 24mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
201126939_167 X800 3日目 草津→比叡山 京阪 G7X.jpg
168.祖師御行績絵看板  「道元禅師(1200~1253)曹洞宗御開山」
比叡山のバスセンター駐車場に着いた。ここから根本中堂へと歩く。国宝殿を左に見ながら進むと右にカーブした緩やかな上り坂に差しかかる。その両側に写真のような絵が並んでいた。祖師御行績絵看板という。比叡山が、いかに日本の仏教に大きな影響を与えてきたかをPRすることが目的と思われる。806年に桓武天皇によって立教開宗が認められ、2006年で天台宗は開宗1200年を迎えた。この開宗1200年慶讃大法会に当たり多くの協賛を得て、比叡山を開山した伝教大師最澄を始めとする比叡山の高僧や比叡山から輩出された祖師たちの御行績絵看板が修復され境内に掲げられた。その中のひとつであるこの絵は、比叡山に学び、独自の宗派を興した多くの上人たちの一人で、中国に渡った道元が、中国の僧に日常の中での修行の大切さを教えられた場面と思われるこの絵は「道元禅師(1200~1253)曹洞宗御開山」と題され、禅師は求法のため中国に渡り、貞応2年(1223年)春4月、船は大陸の明州に着いた。禅師は船に留まって諸山巡拝の準備をしていた。そうしたある日、日本の珍しい椎茸を買いに一人の老僧が船を訪れた。聞けば名刹阿育王山の典座(雲水の食事を司る役)和尚とのこと、禅師は早速日本の知識を披露し中国仏法をたずねて引き止めたが、老僧「貴僧はまだ修行が文字の中でなく日常の中にあることを知らぬ」と云って早々に去ってしまう。道元禅師はただ慙愧発奮するのみであった。(大講堂堂内に御木像を安置)」と説明文があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels 絞り優先オートで撮影 ( f11 1/250秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127715_168 X800 比叡山 RX10M4.jpg
169.開運の鐘(世界平和の鐘)
延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域である東塔エリアに出る。昭和39年(1964年)に山麓の坂本の讃仏堂を移築した大講堂の前にあるこの開運の鐘(世界平和の鐘)は、1回50円で誰でも鳴らすことができる。この鐘楼がいつ頃、何のために造られたのかを調べてみたが、ネットでその記述を探すことは出来なかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 10mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
201127722_169 X800 比叡山 RX10M4.jpg
170.改修中の根本中堂 -1
ガイドさんはまっすぐ根本中堂へ案内してくれた。だが、国宝の根本中堂ならびに重要文化財の廻廊は平成28年度から約10年をかけ「平成の大改修」が行われている。 比叡山延暦寺のホームページにも、「本堂の銅板葺き、廻廊のとち葺きを葺き直し、全体の塗装彩色の修理が主な内容となります。工事の期間中も参拝ができるような処置をしながら、次代へ祈りと伝統が文化財とともに継承されていきます。工事期間中は、国宝・重文改修ならではの珍しい作業も行っております。普段目にすることのない貴重な光景を間近でご覧いただく機会もございますので、是非ご参拝ください。」 と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels

絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
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171.改修中の根本中堂 -2
覆いがかけられた根本中堂と回廊の中に入ることが出来た。その手前に「改修のあらまし」についてのパネルがあった。wikipediaによれば、「根本中堂は伝教大師最澄が延暦7年(788年)に、一乗止観院という草庵を建てたのが始まりとされる。本尊は最澄が一刀三礼して刻んだ薬師瑠璃光如来と伝えられており(秘仏)、その宝前に灯明をかかげて以来最澄のともした灯火は1200年間一度も消えることなく輝き続けているので、「不滅の法灯」と呼ばれる(焼き討ち後の再建時には立石寺から分灯を受けた)。中堂という呼称の由来は、最澄創建の三堂(薬師堂・文殊堂・経蔵)の中心に位置することから薬師堂を中堂と呼ぶようになり、この三堂は後に一つの伽藍にまとめられ、中堂という名前が残ったとされる。比叡山延暦寺の中心であることから根本中堂といい、比叡山では東塔という区域の中心的建築物である。」  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 20mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
201127725_171 X800 比叡山 RX10M4.jpg
172.改修中の根本中堂 -3
根本中堂は何度も火事や戦禍によって焼失している。現在の根本中堂は、元亀2年(1571年)9月、織田信長による焼き討ちの後、慈眼大師天海の進言により徳川三代将軍家光の命によって、寛永11年(1634年)より8年の歳月をかけて再建されたもので、寛永19年〈1641年〉)に完成しているそうだ。1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127726_172 X800 比叡山 RX10M4.jpg
173.根本中堂改修中の屋根
根本中堂に面する中庭(覆いの中)に2018年8月から、4階建ての「修学ステージ」が出来ている。改修の様子を参拝客が間近で見られる。「修学ステージ」から改修中の本堂の屋根と回廊の屋根を眺めた(写真は回廊の屋根)。根本中堂は桁行11間(37.57m)、梁間6間(23.63m)、軒高約9.78m、棟高24.46m、屋根は一重、入母屋造。木材の下地材の上に銅板を屋根形状に合せて加工して止められている屋根が改修中だった。回廊の屋根はとち葺きで、その葺き替えが行われている。改修中の屋根を見たあと、中陣に座り、法話を20分ほど聴いた。中陣の天井は「百花の図」といわれ、200に及ぶ草花が極彩色で描かれているがここは撮影禁止である。ここから内陣が参拝できるが 参拝者のための中陣と外陣よりも3mほど低い石敷の土間になっていた。内陣中央の本尊が立つ床と、参拝する中陣・外陣の床が同じ高さになっている。本尊として、最澄自刻の薬師如来像と「不滅の法灯」が有名である。最澄自刻の薬師如来像は秘仏であり、現在の根本中堂の薬師如来立像は、江戸時代の延暦寺再興の時に横蔵寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町)より移座したものであるという。それは横蔵寺の薬師が最澄自刻のものであるという記録が横蔵寺にあったことによるものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/125秒 14mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127727_173 X800 比叡山 RX10M4.jpg
174.文殊楼への階段
40分ほど根本中堂の中にいた。根本中堂を出て、前を見ると石段があった。文殊楼への階段である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/160秒 16mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127731_174 X800 〇比叡山 RX10M4.jpg
175.文殊楼
ケーブルカーが開通してからは、下から歩いて登ってくる参拝者はほとんどいないが、かつては比叡山延暦寺の表参道だった本坂を登ってくると、まずこの門を潜ることになり、比叡山の総門の役目を果たす重要な楼門だそうだ。文殊菩薩が祀られている。 慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って創建した。寛永の復興にあたって、根本中堂や講堂とともに再建されたが、漢文8年(1668年)に焼失してしまい、すぐに再建されたのが現建築と言われる。寛永の建物より小規模になり、全体的に唐様が取り入れられているが、古い和様も入っているところに苦心が偲ばれる折衷様式になっている。江戸時代の代表的な様式の構造物だそうだ。平成28年に国の重要文化財に指定されている。 受験生の合格祈願に人気があるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127743_175 X800 〇比叡山 文殊楼 RX10M4.jpg
176.大黒堂
比叡山は大黒天信仰発祥の地と言われる。伝教大師最澄が比叡山へ登ったときに大黒天を見た場所なのだと伝えられる。本尊は最澄が彫ったという三面出世大黒天。正しい呼び方は三面六臂大黒天といい、米俵の上に立ち、中央は食生活を守る大黒天、右は勇気と力を与える毘沙門天、左は美と才能を与える弁財天である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 17mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
201127737_176 X800 〇 比叡山 RX10M4.jpg
177.根本中堂 石柱
大黒天の少し先を左に入ると文殊楼へ行く。そこに根本中堂の石柱があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
201127736_177 X800 〇 比叡山 RX10M4.jpg
178.参道からの文殊楼
前の写真の根本中堂の石柱の辺りから文殊楼へ上がる石段がある。このルートが本坂から上がってくる参道なのだろうと推察する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 14mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
201127746 _178 X800比叡山 RX10M4.jpg
179.根本中堂から坂本ケーブルへ -1
ガイドさんが待つ根本中堂の石段を上がっところで集合し、坂本ケーブルの延暦寺駅へ歩く。途中琵琶湖が眺められるところがあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 39mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201127750_179 X800 〇比叡山 文殊楼 X10M4.jpg
180.根本中堂から坂本ケーブルへ -2
もみじを入れて琵琶湖を狙った。晴れて空気が澄んでいたので、琵琶湖大橋が眺められ、さらにその先に沖島が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201127751gy_180 X800 〇比叡山 文殊楼 X10M4.jpg


2020年12月27日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (7)百済寺 11/26

ツアー2日目の最後は湖東三山の残るひとつ、百済寺だ。約45分ほどバスに揺られて、午後3時15分、 琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する湖東三山最古の寺院、百済寺に到着した。百済寺もまた天台宗の寺院である。
 wikipediaによれば、琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西山腹に位置する。寺伝によれば、推古天皇14年(606年)、聖徳太子の建立という。聖徳太子は当時来朝していた高麗(高句麗)の僧・恵慈とともにこの地に至った時、山中に不思議な光を見た。その光の元を訪ねて行くと、それは霊木の杉であった。太子はその杉を、根が付いた立ち木のまま刻んで十一面観音像(植木観音)を作り、像を囲むように堂を建てた。これが百済寺の始まりであるといい、百済の龍雲寺にならって寺を建てたので百済寺と号したという。平安時代には、近江国の多くの寺院と同様、比叡山延暦寺の勢力下に入り、天台宗の寺院となって、「湖東の小叡山」や「天台別院」とも称されるようになった。
 三山の中で百済寺の参道は、入口にあたる山門(赤門)から本堂までの長さが最も長いという。しかし、バスの駐車場はその参道を半分以上上がったところにあり、表門が受付になっていた。そこから本堂への参道は石段になっているが、なだら坂という迂回する脇参道もある。往きは、石段の表参道を上がり、本堂からの戻りはなだら坂を下りてきた。
 そのなだら坂を下りて来ると、別名を「天下遠望の名園」と称される本坊庭園の上の「遠望台」 に出る。そこからは西に琵琶湖をかすめて、55km先の比叡山が眺められ、広大なパノラマ展望が開けるた。
 以下、写真の説明は、wikipedia、百済寺のホームページ、境内にある説明板を参照させていただいている。

百済寺境内案内図 百済寺ホームページより X600.jpg
百済寺境内案内図 百済寺ホームページより

午後4時過ぎに百済寺を出て、宿のある草津へ戻る。この日の夕食は各自自由にということだった。折角のチャンスと思い、ホテルの人に教えてもらい、薦められた草津駅西口近くの「安田良」で近江牛を味わうことにした。
 食後、草津駅近くの繁華街を歩いてみたが、すっかり新しくなっていて、私が育ったころの田舎は影も形もない。当たり前だ。もう70年以上も前のことである。

142.長寿桜
バスの駐車場から受付のある表門へ行く途中に長寿桜が咲いていた。西明寺では不断桜と呼ばれていたが、ここでは長寿桜だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 10mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126632_142 X800 百済寺 RX10M4.jpg
143.歩かなかった参道
表門から参道に入り左へ行くと、本堂である。ふと右側を見ると、赤門から続く参道があった。ここは人が通らい。誰もいない参道は落ち葉が敷き詰められていた。 その参道が通用門からの道にぶつかるところに柵があるが、そこで三脚を立てたカメラマンが立っていた。撮影のお邪魔にならないように引き下がる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
201126637_143 X800 百済寺 RX10M4.jpg
144.石段と落葉
仁王門へと参道を歩く。まだ3時半前だが日が傾くと暗くなる。参道の石段に落ち葉が落ちていた。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126639_144 X800 百済寺 RX10M4.jpg
145.仁王門と参道
仁王門が見えてきた。 長い参道の本堂近くに立つ仁王門は、江戸時代初期、慶安3年(1650年)に本堂、赤門、とともに再建されたという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/125秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126644_145 X800 百済寺 RX10M4.jpg
146.仁王門
三間二間で一対の金剛力士像が向きあっている。金剛と力士の仁王像は寺を守る守護神で、金剛は阿形(開口)、力士は吽形(閉口)で勇猛、剛健、とくに健脚の両足に草鞋を履く「印度発祥の東洋的な神様」だそうだ。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/80秒 87mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126640_146 X800 百済寺 RX10M4.jpg
147.仁王門の草履
  仁王門の両側に百済寺のシンボル「大草鞋」が掛けられている。一昨年8年ぶりに掛け替えられたそうだ。 大草鞋は仁王が履くものとされ、触れると身体健康・無病息災の御利益があると伝えられている。草鞋が大きいほど御利益も大きいとされて、どんどん大型になっていき、今回は全長約2.5mのものが作られた。地元の方々が、約10年毎に新調するそうだ。(2018年大草鞋新調)

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/160秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126646_147 X800 百済寺 RX10M4.jpg
148.弁財天
慶安3年(1650年)に本堂とともに建立された弁天堂は、昭和の豪雪で倒壊し、平成8年に新築した御堂が平成24年の春の風害で再び倒壊し、現在は平成25年に再建された、七転び八起きの弁財天が祀られている。弁財天は、もともとインドの水を司る「河川の神」で、怒ると大洪水を、治まると台地に肥沃な恵みをもたらす「女神」として崇められ、仏教に取り入れられてからは七福神の一人として、貧困を救い財産を与える「弁財天」となったと説明されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/160秒 26mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126649_148 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
149.本堂 重要文化財
本堂は室町時代の明応7年(1498年)の火災、文亀3年(1503年)に兵火をうけ、さらに織田信長によって天正元年(1573年)全山焼失した。その後天正12年に堀秀政により仮本堂が建立。のち天海僧正の高弟亮算が入寺し、堂舎再興の勅許を得て諸国に勧進し、江戸時代の慶安3年(1650)現在の本堂が竣工したという。本堂は、入母屋造、檜皮(ひわだ)葺き。中世以来の密教仏堂の形式を残しつつ細部には近世的特質の現われた建築で、2004年(平成16年)に重要文化財に指定されている。元来の本堂は現在地の裏手にあり、規模も大きかった。また、旧本堂の右方(南)には五重塔が建っていた。本尊は木造十一面観音像である。全高3.2m。寺伝によると聖徳太子が百済博士の慧慈(高句麗僧)の案内でこの山中に分け入り、杉の大木の上半分が、百済国・龍雲寺の御本尊十一面観音のために百済まで運び出された事を知り、下半分の根の付いたままの巨木に十一面観音を刻んだことから、別名「植木観音さま」という名で崇められている。秘仏であり普段は拝観できない。一生に一度拝観出来るか出来ないかだが。2006年には、天台宗開宗1200年記念で湖東三山一斉に御開帳された。また、特例として2014年には湖東三山IC開設記念の御開帳も行われた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1200秒 212mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126655_149 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
150.鐘楼
現在の梵鐘は3代目で1955年(昭和30年)の鋳造だそうだ。初代は信長焼討ちの際に持ち帰られ、2代目(江戸時代に鋳造)は先の大戦で供出している。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
201126659_150 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
151.鐘楼ともみじ -1
金剛輪寺、西明寺に比べると百済寺のもみじは鮮やかさがなかった。少し時期が遅かったし、夕方近くになって、光量も乏しい。ここの梵鐘も参拝者が自由に打つことが出来る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/400秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126666_151 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
152.鐘楼ともみじ -2
鐘楼の間から、鐘ともみじを狙ってみたが、良い色が出せなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO3200 ) 露出補正 -1.0段
201126674_152 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
153.なだら坂
本堂、鐘楼から右回りになだら坂を下りる。とても歩き易い道だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO2500 ) 露出補正 -1.0段
201126679_153 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
154.ミツマタの群落
なだら坂の途中にミツマタの群落あった。漢字で「三椏」と書く。説明板には中国原産のジンチョウゲ科の植物で、日本の高額紙幣の原料と記されていた。3月上旬から開花をはじめ、4月下旬にかけて芳香を放ちながら萌黄色から橙色へと色合いを深めていく。観音様にお参りして三椏の花びらに優しく触れて匂いを嗅ぐと大きな「金運」と「ご利益」恵まれると伝えられているそうだ。春には舞岡公園でもさいているが、こんな群落は始めて見た。俯いて花のように見えるのは蕾だろうか?

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO2800 ) 露出補正 -1.0段
201126680_154 X800 〇百済寺 ミツマタ群落 RX10M4.jpg
155.弥勒半跏思惟石像
像高27cmの百済寺寺宝の金銅製弥勒半跏思惟像(こんどうみろくはんかしいぞう)は、 百済寺の起源に係わる仏像としてその制作年代については諸説があったが、飛鳥・白鳳時代作が最有力だそうだ。全身に火災を受けて痛々しい姿ながら、歴史を見つめてきた 秘仏であり、末永く安置、保存されることとなった。普段は見ることが出来ない。この 座高1.75m、全高3.3mの石像は平素の参拝のために拡大したもので、2000年のミレニアムを記念して、平成12年9月に建立された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126683_155 X800 百済寺 RX10M4.jpg
156.庭園遠望台
不動堂、本坊・喜見院の上に下りてきた。まだ緑色の葉が残る木々の向こうに、琵琶湖方面の眺めが開ける所だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO1000 ) 露出補正 -0.7段
201126686m_156 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
157.カエデの落ち葉
本坊外縁の辺りは人が踏み入らない敷地があり、カエデの落ち葉が敷かれていた。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
201126687_157 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
158.天下遠望
遠望台からは、喜見院の屋根越しに、湖東平野と琵琶湖をかすめて西の遠方50kmほど先に富士山のようにそびえる比叡山(標高848.3m)が眺められた。さらにその延長880km先には百済国がり、渡来人が望郷の念を抱いて眺め、母国を偲んだという。そのスケールの大きさから喜見院の庭園は「天下遠望の名園」と称されている。赤く染まる空を期待したが、まだ時間的に早かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 29mm ISO1000 ) 露出補正 -0.7段
201126691_158 X800 百済寺 RX10M4.jpg
159.本坊庭園
喜見院は今とは別の場所にあったが、元文元年(1736年)に焼失、翌元文2年(1737年)に仁王門下の左方に移転し、1940年(昭和15年)に現在地に移転して本坊となっている。この庭は東の山を借景に山腹を利用し、大きな池と変化に富む巨岩を配した豪華な池泉廻遊式ならびに観賞式の庭園で 現代鈍穴流  の作法で作庭されている。とくに聖徳太子の願文に「一宿を経るの輩は必ず一浄土に生る」とあるというが、これにちなんでこの庭も東の山には弥陀観音勢至の三尊をはじめ各菩薩に見たてて石が配されている。 これらの巨石は旧本坊庭園とさらに百済寺山内の谷川から集められたものを組み合せて作庭された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
201126695_159 X800 百済寺 RX10M4.jpg
160.百済寺の長寿桜
バスが待っている広場にも長寿桜が咲いていた。花びらを良く見てみると、西明寺のフダンザクラとは異なる品種のようだ。フユザクラとの書き込みもあったが、定かでない。フユザクラ(コバザクラとも呼ばれる)は本州を原産とするバラ科の落葉高木。来歴には諸説あるが、一般的にはヤマザクラとマメザクラが自然に交配してできたものとされ、伊豆半島と房総半島には自生も見られる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
2011266702_160 X800 〇百済寺 RX10M4.jpg
161.草津駅西口  エイスクエア(大型ショッピングモール)
草津のホテルには夕方5時半前に戻ってきた。先に記したように、今夜は近江牛を食べようと、ホテルのフロントで聞いて、草津駅の近くの「安田良本店」という店に行くことにした。タクシーに5分ほど乗ることになった。JR草津駅の繁華街は東口であったが、「安田良本店」は西口のビルの中にあった。JR草津駅西口は、1968年(昭和43年)3月に完成し、3400㎡の駅前広場と幅員22m、延長65mの取り付け道路が新設され、琵琶湖方面へのバスターミナルが併設されていた。 1996年3月26日に約3,000台の駐車場を有する大型ショッピングモールが開業し、ホテルなどが林立、大発展をしている。70数年前の草津からは全く想像もできない。近江牛は流石に美味かった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/200秒 28mm ISO3200 ) 露出補正 +0.3段
201126910_161  X800 2日目 草津駅周辺 G7X.jpg
162.草津駅東口へ
西口から駅構内に入り、東口へ行く。駅構内には、親からも草津の名物として聞いていた 「うばがもち」  の店があったので、買ってみた。伊勢の「赤福」のような食感だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 23mm ISO800 ) 露出補正 +0.3段  
201126921_162 X800 2日目 草津駅周辺 G7X.jpg
163.草津駅東口
東口へ出てみた。夜8時ごろであるが、人通りは少ない。ペットボトルに何かを入れ、逆さに吊るして組んだツリーが面白い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 23mm ISO800 ) 露出補正 +0.3段
201126924_163 X800 〇2日目 草津駅周辺 G7X.jpg
164.草津の街
この辺が繁華街なのかなと歩いてみたが、人通りは少なかった。ホテルに帰るタクシーの運転手さんに聞いてみたが、やはり、コロナのため、人出がめっきり少なくなっているという。発展した草津を感じることは出来た。最近では、大津市とほぼ同じ規模となった草津市について、wikipediaには、「織田  信長は、室町将軍足利義昭から提示された管領または副将軍の職を辞退し、代わりに堺・大津・草津の支配権の承認を求めた。当時の草津は東海道・中山道および湖上交通を結ぶ交通の要衝として、世界的な貿易港の役割を持ち鉄砲の名産地として知られる堺や、京都の外港あるいは衛星都市としての役割を持つ大津と並び重視されていた。江戸時代には東海道と中山道の両者にまたがる宿場町(草津宿)として発展した。」との記述があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 23mm ISO800 ) 露出補正 +0.3段
201126927_164 X800 2日目 草津駅周辺 G7X.jpg


2020年12月19日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (5)西明寺 11/26

金剛輪寺を出発し、次は 西明寺へ行く。東名高速に沿うように国道307号線を約10分ほど北へ走って西明寺の駐車場に入った。西明寺も天台宗のお寺である。
 平安時代、仁明天皇の勅願により三修上人が開山したと伝えられる。戦国時代には兵火のため荒れ果ててしまったが、江戸時代中期に望月友閑によって再興された。惣門をくぐると参道が続き、山坊跡の石垣が散在しており、平安、鎌倉、室町時代を通じて祈願・修行道場として栄えたことがうかがわれる。幸い織田信長の兵火を免れ、飛騨の匠によって建立された本堂や三重塔や二天門が残されている。
 紅葉は見ごろだった。さきに訪ねた金剛輪寺より見栄えがしていたと思う。金剛輪寺の「血染めの紅葉」に勝るとも劣らない。紅葉にもまして、感動したのは苔の美しさだった。苔にもいろいろと種類がある。また、秋から冬の間、少しずつ花を咲かせ続ける「不断桜」(フダンザクラ)も見られ、天然記念物で樹齢250年という樹があった。11月が満開になるという。
 湖東三山の中で一番見ごたえがあったと思う。

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西明寺境内案内板より

82.惣門
西明寺の惣門を入る。惣門とは屋敷の外囲いにある大門、正門のことで、金剛輪寺のホームページでは総門となっていた。江戸時代、最も重要な街道筋には「惣門」が置かれていた。教林坊や金剛輪寺の境内案内図では「総門」となっていたので、どう違うのかなと思って調べてみたが、どうやら意味に違いはないようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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83.惣門の屋根とカエデの紅葉
まだ緑の残るカエデの紅葉がいききとしている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
20112642_083 X800 西明寺 RX10M4.jpg
84.惣門とカエデの紅葉
惣門を抜けて紅葉を見上げ、本堂へ300mほど続く参道を上っていく。惣門は2015年に再建されたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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85.カエデの落ち葉と苔
西明寺は苔が美しいことでも有名。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 42mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
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86.受付と惣門
バスガイドさんが用意してくれた入山料600円の券を見せて受付を通る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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87.もみじとすすき
境内を分断している名神高速道路の上を越えて多くの僧坊があった跡地を左右に見ながら、参道を行く。東名高速は参道の下を西明寺トンネルで抜けている。歴史自然環境の保護のため、参道の景観が損なわれないように道路は地下化された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 41mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
201126368_087 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
88.苔 -1
「苔を大切にしましょう」「苔を取らないでください」「この苔は西明寺が好きです。大事にしましょう」といった西明寺執事による立札が何か所かに立てられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 37mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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89.苔 -2
にもいろいろな種類があるようだ。日本に自生する苔は1,700種と言われる。深い緑を敷き詰めた苔の上に落ちた赤いカエデの葉が印象的だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
201126378_089 X800 西明寺 RX10M4.jpg
90.鮮やかなカエデの紅葉 -1
左に見える塀の中は本坊庭園「蓬莱庭」になっている。参道はまだ続くが、この辺りの紅葉は美しく、見上げながら上がっていく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 53mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
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91.鮮やかなカエデの紅葉 -2
紅葉はまさに見ごろであった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 21mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
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92.夫婦杉(千年杉)
大きな杉の木があった。樹齢約1,000年だそうだ。「西明寺の霊木で、元々二本であった木が、寄添い一つになって、ともに育っていることから夫婦杉と呼ばれる。後側から子供のように若木が出ていることから子授け、安産の霊木、樹齢千年の長寿の木であるので息災延命の霊木とされている。幹や根にそっと手を当てて、霊気をいただいてください。」 と説明されていた。そして賽銭箱が立てられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段
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93.二天門
20分近く歩いて、石段の上に二天門が見えてきた。二天門は重要文化財に指定されている。 wikipediaによれば、間口 3間、奥行 2間(間は長さの単位ではなく、柱間の数を表す建築用語だそうだ)。入母屋造、杮(こけら)葺きの八脚門。部材の一つである巻斗に応永14年(1407年)の墨書があり、同年の建立とみられるという。左右に阿吽の木像が祀られ、その前にわらじがある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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94.二天王立像  増長天
仁王像は 二天王立像という。滋賀県犬上郡甲良町のホームページには「西明寺二天門に持国天、増長天の2体の木像が寺を守って立っています。 元亀2年(1571年)西明寺の寺域は織田信長の兵火にかかって焼失しましたが、幸いにも寺院の中心部分である本堂と三重塔、二天門、二天王立像は難を逃れました。」と記されていた。これは向かって右側に立つ増長天だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
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95.二天王立像  持国天
向かって左側に立つのは持国天である。この仏像はいくつもの木材をつなぎ合わせた寄木造という方法で造られている。2体ともに像の高さは1.95mで、仁王像と同じように、一方は口を開き、他方は口を閉じている。正長2年(1429年)、印尋(いんじん)によって造られたもので、作者と制作年代のわかる仏像として珍しく貴重なのだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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96.国宝 本堂
二天門を抜けると目の前に本堂があった。この本堂は瑠璃殿とも呼ばれ、建造年は鎌倉時代前期。規模は桁行七間に梁間七間で、正面に三間の向拝が付く。建造当時は桁行五間、梁間五間の五間堂であったが、後の南北朝時代に大々的に改修され、現在の七間堂になったという。屋根は一重の入母屋造で檜皮葺。正面は全面が格子の蔀戸(しとみど)になっているなど、同じく湖東三山の一つで国宝の金剛輪寺本堂と類似点が多い。内部もまた、前方3間が外陣、中ほど2間が内陣、後方2間が後陣に分かれているなど、金剛輪寺本堂と良く似た天台密教の本堂様式となっている。本堂内は撮影ご法度であった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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97.本堂の周囲 -1
本堂の脇に紅葉するカエデの色は鮮やかだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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98.本堂の周囲 -2
金剛輪寺の「血染めの紅葉」より見応えがあったと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 78mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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99. 本堂の周囲 -3
光が演出をしてくれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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100.国宝 三重塔
本堂の右手、建物への水の浸入を防ぐため、水はけを良くするために平地の上に石を組んだ基壇の上には三重塔がそびえている。wikipediaによれば、檜皮葺きの和様の三重塔である。様式的に鎌倉時代後期の建築とされる。総高は20.1m。逓減率が小さいことと、二重目・三重目の塔身の立ちが低いことが本塔の特色である。相輪は日本の他の木造塔では銅製とすることが多いが、本塔のそれは鉄製である。初層内部には大日如来像を安置し、心柱は初層天井裏から立つ。初層内部は須弥壇と床面を除く全面に極彩色の絵画が描かれているが、現状ではかなり剥落している。絵画の主題は、内部の4本の柱(四天柱)には両界曼荼羅のうち金剛界曼荼羅成身会(じょうじんね)の三十二菩薩(四波羅蜜菩薩、十六大菩薩、八供養菩薩、四摂菩薩)を表し、四方の扉脇の壁面には計8面に法華経曼荼羅図、法華経二十八品(章)の説話の絵画を表している。このほか、扉には八方天、須弥壇周りの長押には宝相華、牡丹、鳳凰などが描かれている。このうち柱4本と壁8枚は国宝建造物の一部であるとともに、「絵画」としても別途重要文化財に指定されているとあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201126421_100 X800 西明寺 RX10M4.jpg
101.三重塔のもみじ
三重塔は後ろから日を受けている。日に当たったカエデの葉が輝く。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 45mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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102.これから紅葉
まだまだこれから紅葉するカエデの葉も控えているた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 121mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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103.「不断桜」
本坊庭園「蓬莱庭」に入る。もみじを背景に桜の花が咲いている。西明寺のパンフレットには 「不断桜」は春秋冬に開花、高山性のサクラで彼岸桜の系統のフユザクラに属すると記されている。少し調べてみるとフダンザクラとは五弁の花をつけるヤマザクラ(野生種)とオオシマザクラ(野生種)の交雑種とされている。パンフレットにある「フユザクラ」というのは、別名をコバザクラ(小葉桜)といい、ヤマザクラ(野生種)とマメザクラ(野生種)の雑種と推定されているそうだ。ややこしい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126440m_103 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
104.名勝本坊庭園「蓬莱庭」と「不断桜」
秋から冬にかけて開花するサクラには、フダンザクラ、フユザクラ、ジュウガツザクラ、コブクザクラなどがあるが、西明寺のフダンザクラ「不断桜」は、9月上旬から翌年4月頃まで開花するが、紅葉の11月に満開となる。現在、天然記念物に指定されているものは、樹齢250年といわれる古木である。滋賀県のホームぺージには、その樹齢250年といわれる古木は、近年,衰退が著しく、その後継木の育成が課題であった。約30年前に、母樹となる指定木から取り木がなされ、後継木の育成が試みられた結果、3本が育成に成功し、現在の指定木の東側に1本、現本坊の西庭に2本が植えられている。また、10年前には母樹となる指定木の萌芽から若木を育てることに3本が成功し、本坊庭園上段、仁王門西側平坦面、および三重塔西側斜面の3箇所において一本づつ育成されている。 これら6本の後継木は、250年前に西明寺に植えられたとされる母樹(指定木)の由来樹木と認められる。これらの6本を後継木として認定し、追加指定することによって、江戸時代より継承されるフダンザクラの保全をはかると記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f14 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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105.名勝本坊庭園「蓬莱庭」の池
甲良町のホームぺージによれば、「江戸時代、延宝元年(1673年)、望月越中守友閑が、当山復興の記念として造られた庭園である。池の中央は折り鶴を形どった鶴島で、左が亀島である。池の水の部分は心字池となっていて、池泉回遊式である。 築山の立石群は本堂に安置している本尊薬師如来と日光・月光の菩薩及び十二神将等の眷属を表し、植木の刈り込みは雲を形どって薬師の浄瑠璃浄土を具現化したものである。本庭園は小堀遠州の作庭を参考にした造園になっており、鎌倉時代の八角石灯籠(石屋弥陀六作)や連珠模様の室町時代を偲ぶ石灯籠がある。」と記されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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106.名勝本坊庭園「蓬莱庭」のもみじ
本堂の方から下りて来ると 「蓬莱庭」を通って中門を出て参道に戻る。そのあたりのカエデの紅葉もきれいだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
201126454_106 X800 西明寺 RX10M4.jpg
107.苔 -3
参道からは見事な苔を見ることが出来る。どこかに「苔は西明寺のことが好きです」という看板があったが、苔の持ち帰りは禁止と言うことだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
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108.石垣
西明寺は、惣門から本坊中門までの参道の左右に石垣が築かれた僧坊跡が続くが、 穴太積  の初期の石垣が保存されている。 その石垣にはりついた1枚の紅葉したカエデの葉に風情を感じた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
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2020年12月15日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (4)金剛輪寺 11/26

2日目、この日は湖東三山と彦根を観光する。湖東三山は一昨年の11月にも行っているが、また、違う印象があるものと期待する。彦根城は初めてなので、楽しみにしている。
 天気もよさそうだ。朝は8時に草津のホテルを出発する。名神高速に上がるまでは朝の渋滞である。滋賀県草津市は人口14万3千人で県庁所在地の大津市に次ぐ県下第2位の人口を有する都市だ。私が描いていた懐かしい草津とは違っていた。1963年-1965年に名神高速道路が開通し、地の利の良さから大企業が多く進出し、有名となった栗東町は市に昇格し隣接する草津市も、ここ20年の間に大きく変わったようだ。私が育ったところはこの名神高速道路を少し瀬田の方へ行った追分というところだった。
 子供の頃に眺めた記憶がある三上山(近江富士)432mを正面に眺めながら、名神高速道路を走り、湖東三山スマートICで下りる。最初に行くのは湖東三山の真ん中にある金剛輪寺だ。「血染めの紅葉」とたとえられる本堂、三重塔を彩るカエデの紅葉の具合はどうだろうか。期待が募る。
 金剛輪寺 は琵琶湖の東、鈴鹿山脈の西側山腹にある天台宗の寺である。寺伝によれば聖武天皇の勅願で奈良時代の僧・行基の開創とされ、創建は天平9年(737年)または天平13年(741年)と伝えられている。本尊の聖観世音菩薩は行基菩薩の作であり、ホームページによれば行基菩薩が一刀三礼で観音さまを彫り進められたところ、木肌から一筋の血が流れ落ちたため、その時点で魂が宿ったとして、粗彫りのまま本尊としてお祀りされた。後の世に「生身の観音」と呼ばれるようになり、全国の観音信徒より篤い信仰を集めていると記されている。

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金剛輪寺境内図 金剛輪寺パンフレットより

53.金剛輪寺 参道
受付がある黒門から本堂へ参拝するには、長い上り坂を登って行かねばならない。参拝者は高齢者が多いので、バスは参道の最後、二天門の石段の下まで登ってくれる。そこから下の参道の方を眺めたのがこの写真。参道の両側にはお地蔵さんが赤い風車とともに並ぶ。

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プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/200秒 23mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
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54.本堂とモミジ
石段を二天門まで登ると、本堂を背景に少し枯れ始めた葉と、まだ緑が残る葉が混在するカエデが現れた。

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プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
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55.本堂
本堂は元寇の役(蒙古襲来)の戦勝記念として、時の近江守護職・佐々木頼綱によって建立された鎌倉時代の代表的な和様建造物として国宝に指定されている。堂内には本尊をはじめ、阿弥陀如来坐像、十一面観音立像など平安から鎌倉時代の仏像が安置され、その多くが国の重要文化財に指定されている。  

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プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 -0.7段
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56.鐘楼
金剛輪寺の鐘は、参拝者が自由についていいのだそうだ。時々参拝者がつく鐘の音が聞こえてくる。 金剛輪寺の梵鐘は乾元2年(1303年)4月15日大工河内助安の刻銘がある県指定文化財になっていて、本物は総門(黒門)の脇にある愛荘町立歴史文化博物館に所蔵されているそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/320秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
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57.二天門 -1
前後するが、階段を昇り詰めると二天門だったが、門の両脇には大きなわらじが掛けられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
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58.本堂周囲の紅葉 -1
金剛輪寺の紅葉は「血染めの紅葉」と言われ、真っ赤に色づく。

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プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
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59.本堂周囲の紅葉 -2 「血染めの紅葉」
「血染めの紅葉」と言われるカエデの紅葉。まだ、緑いろの葉が残る。

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プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 168mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
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60.本堂周囲の紅葉 -3
建物はどうやらトイレだったらしい。 

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プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 -0.7段
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61.三重塔 -1
重要文化財の三重塔で別名「待龍塔」と呼ばれる。本堂に向かって左(北)の一段高い場所に建つ。wikipediaによれば、寺伝では鎌倉時代の寛元4年(1246年)の建立というが、様式的には南北朝時代の建築とみられるそうだ。織田信長の焼き討ちはまぬがれたものの、近世以降は荒廃し、塔の初層と二重目の軸部(柱、梁などの根幹材)と組物がかろうじて残るだけで、三重目はなくなっていた。現状の塔は1975年(昭和50年)から1978年(昭和53年)にかけて修理復元されたもので、欠失箇所は同じ滋賀県内の西明寺三重塔などを参考に復元したものであるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO1000 ) 露出補正 -0.7段
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62.三重塔 -2
金剛峰寺の紅葉が紹介されるとき、この三重塔と紅葉の写真が載せられている。すでに葉が落ちて始めている木もあり、光も十分でなく、鮮やかに撮れなかった。

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プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 31mm ISO1000 ) 露出補正 -0.7段
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63.本堂周囲の紅葉 -4 「血染めの紅葉」
ここも「血染めの紅葉」もあれば、すでに枯れ始めている葉、まだみそり色の葉が混在する。

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プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 76mm ISO1600 ) 露出補正 -0.7段
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64.本堂周囲の紅葉 -5
歩き回っていたので、どこで撮ったかわからなくなってしまった。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/100秒 45mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201126270m_064 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
65.三重塔 -3
二重目、三重目が見える裏側へ回り込んで撮った。三重塔の説明板には、昭和47年に重要文化財に指定され、その後の解体修理で建立時には計画されたが未完成であった初重の縁、二、三重の柱間装置なども整備され、昭和53年に完全な三重塔が建立したとある。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 -1.0段
201126273_065 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
66.三重塔 -4
何とか色鮮やかなカエデと三重塔を映し込んだ。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 35mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
201126282m_066 X800 〇金剛輪寺 RX10M4.jpg
67.二天門 -2
そろそろ下ることにする。二天門を潜る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
201126286_067 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
68.千体地蔵 -1
二天門を後にして石段を下りると参道の両側にお地蔵さんが並ぶ。参道や境内などに鎮座したお地蔵様の数は、実際には2000体を超えると言われ、迫力を感じる。それぞれのお地蔵様には、家の名前が書かれていて、地域の人によって大切に守られているそうだ。 参道にズラリと並ぶ 高さ50cmほどの小さなお地蔵様はみな小奇麗に保護されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126291_068 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
69.二天門 -3
二天門を振り返る。wikipediaによれば、二天門は様式上、室町時代前期の建築。寺伝では、元来は楼門(2階建て門)だったが、2階部分が失われたものという。組物の形式などからみて、伝承どおり楼門の上層部分が失われたものか、または楼門として建立する予定だったものが未完成に終わったものとみられる。屋根は入母屋造、檜皮葺とするが、屋根材は江戸時代のもので、当初からこの形式であったかどうかは不明であるという。向かって右に増長天、左に持国天が祀られている。重要文化財に指定されている。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 36mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126298_069 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
70.二天門とお地蔵さん
二天門へ上がる石段のすぐ下までお地蔵さんが祀られていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/160秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126301_070 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
71.千体地蔵 -2
風が吹くと、一体一体に供えられた赤い風車がいっせいに回りだし、静かな境内がカタカタという音に包まれるという。 なぜ、赤い風車なのかと興味を持ち調べてみたがわからなかった。午前9時半だが、鬱蒼として暗い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/160秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126304_071 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
72.本坊 明寿院
帰りのバスは総門(黒門)の外の駐車場で待ってくれているので、お地蔵さんが並ぶ参道を下まで下りるのだ。途中右側に本坊である明寿院と木札が下がった門があった。白門という。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126314_072 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
73.池泉回遊式庭園 入口
白門を入ると右側に名勝庭園(池泉回遊式庭園)の門があった。  門の中には桃山時代、江戸初期、江戸末期と時代の異なる3つの庭園がある。金剛輪寺のホームページには、「作者不詳でありますが、老杉蒼松の自然を背景とし、灯籠泉石樹木の配置等、素晴らしく、晩秋の深紅に染まる色鮮やかな紅葉は血染めの紅葉と広く知られております。観音様のやさしいお心が満ち、湖東三山一の名園古庭であり、国の名勝にも指定されております。」と紹介されている。   

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126318_073 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
74.門の屋根
その庭園入口の屋根瓦には、青い苔が生え、カエデの枯葉が落ちて、風情を感じる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
201126319_074 X800 〇金剛輪寺 RX10M4.jpg
75.桃山時代の庭 護摩堂
桃山時代に造られた庭に護摩堂があった。滋賀・びわ湖観光情報によれば、桃山時代の庭は「石楠花の庭」と呼ばれ、庭の中央に架けられた優雅な石橋のそばに、鎌倉時代に作られたという苔むした多くの石が配され、品格のある雰囲気であるという。春になると、庭のそばにある護摩堂のカキツバタやシャクナゲが鮮やかに咲き、華やかになるようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201126325_075 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
76.江戸中期の庭
同じく、滋賀・びわ湖観光情報によれば、江戸中期の庭は、滝から池に水が流れ、池の中に七福神の宝船を表わす岩で出来た舟が配されていいる。また、桃山時代の庭の宝篋印塔を見下ろすように立つ水雲閣は、湖東随一の茶室で、天井に桜、なでしこ、菊など四季おりおりの花が描かれている。またこの茶室からの庭の眺めは美しく、一見の価値があるそうだ。  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
201126332_076 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
77.明寿院(本坊)の座敷
明寿院(本坊)は、江戸時代の創建といわれ寺宝を多く保存し、かつて学頭所として使われていた。この本坊の南・東・北の三方を囲むように庭園があり、心の字池が3庭を結んでいる。本坊に沿って庭園を周ってみた。座敷の戸は開け放たれていて、南側から座敷を通して、北側の庭園が眺められた。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO800 ) 露出補正 -2.0段
201126340_077 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
78.紅葉
名勝庭園鑑賞を終え、参道に戻る。この辺りにも美しい紅葉があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段
201126344_078 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
79.赤門
名勝庭園(白門 写真右側)から、下りて来ると赤門があった。柵が置かれていて、入ることは出来ない。左へ曲がる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
201126345_079 X800 金剛輪寺 赤門 RX10M4.jpg
80.受付
受付を通り過ぎて、下りてきた参道を振り返る。右手は華楽坊という食事処、左手に愛荘町立歴史文化博物館がある。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
201126346_080 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg
81.総門(黒門)
金剛輪寺は国道307号線から少し東へ入ったところにある。聖観音と書かれた大きな提灯がさがっている総門(黒門)が参拝者の入り口だ。総門を出て境内を振り返った。バスの駐車場は総門を出て左側だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
201126349_081 X800 金剛輪寺 RX10M4.jpg


2019年3月 4日

雪が降る日吉大社(後編) 2月14日

三宮宮遙拝所と牛尾宮遙拝所の前を通って、東本宮の楼門の前に出た。西本宮の楼門と同じような形である。西本宮が商売繁盛の神様であれば、この東本宮は家内安全の神様だそうだ。 東本宮は、境内の東端、八王子山の麓に位置する。織田信長の焼き討ちにあったため、文禄4年(1595年)に再建されたことが記録から明らかになっている。
 東本宮の境内の中にはご祭神が夫婦だという樹下宮(樹下神社)の本殿もあり、西本宮に比べると東本宮のほうが華やかな雰囲気があった。さらに東にある西教寺へは行くのをやめ、その楼門を背に東本宮の参道を下りた。大宮川を二宮橋で渡り、日吉馬場へ出る。その両側にある寺院、里坊を見ながら日吉馬場を下る。わたくしの父母が眠る高野山の菩提寺である恵光院という名の寺院もあった。
 時刻は12時半を回っていた。朝はトーストとボイルドエッグだけだったので腹も減ってきた。少し空腹を我慢して京都まで行ってしまおうかとも思ったが、小雪の降る中を歩いてきたので体も冷えていた。温かいそばでも食べたくなる。日吉大社二の鳥居までくると、立派な蕎麦屋が2軒あったので、そのうちの1軒に入ることにした。なかなかの老舗のようだ。久しぶりに天ぷらそばを食べたがなかなかおいしかったし、身体も温まった。
 京都へはJRの湖西線が便利だ。京阪坂本比叡山口駅の前を通り過ぎて、まっすぐ、JRの比叡山坂本駅まで歩く。駅のホームからは琵琶湖が眺められたが、この天気では彩もない。京都までは15分だった。

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福楽寿々米(​ふくら​すずめ)土鈴

 日吉大社からのメッセージ:「​当大社では幸福で楽しい事を雀のふっくらとした姿に求め、千有余年も昔から福楽寿々米(ふくらすずめ)と名付け珍重しています。山王祭(未の御供)には御子神の幸福を祈って玩具としての福楽寿々米(ふくらすずめ)が供えられます。当大社独自の幸福を授かる玩具として有名です。福楽寿々米(ふくらすずめ)にあやかって、幸福な日々をお送りください。​山王総本宮 日吉大社​」​

21.東本宮楼門
この楼門は、三間一戸楼門の形式で、入母屋造、檜皮葺、縁付の建物で、斗きょう(建築物の梁や桁にかかってくる上部の荷重を集中して柱に伝える役目をもつ部材の総称)は上下層とも三手先(柱から外方に斗<ます>組みが三段出ていて、三段目の斗で丸桁<がぎょう>を支えるもの)となっている。三間一戸とは、柱間三つのうち中央の一つが出入口となっているものをいい、楼門とは、二階造の門で、屋根が2階の部分だけにしかなく、一階の上に縁がある形式をいう。西本宮楼門とは、やや違った比例を持っていて、どちらかといえば1階部分が高く、2階部分が低いので、すらりとした均斉のとれた建物で、天正~文禄2年(1573年-1593年)年頃に建てられたものだそうだ。大正12年(1923年)に国の重要文化財に指定されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
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22.樹下神社本殿 -1
東本宮楼門を入って、正面に見えるが東本宮の拝殿だが、向って左に樹下神社本殿、右に樹下神社拝殿があった。摂社の本殿と、拝殿が本宮の参道を挟んで配置されているのは珍しいと思う。樹下神社の祭神は、東本宮の祭神である大山咋神の妃神・鴨玉依姫神だそうだ。。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
190214_022.jpg
23.樹下神社本殿 -2
樹下神社本殿の説明版には「この本殿は、三間流造、檜皮葺の建物で、後方三間・二間が身舎(もや・家屋の中心となる部分)、その前方一間通しの廂(ひさし)が前室となっています。数ある流造のなかでも比較的大型のもので、床下が日吉造りと共通した方式であることや、向拝階段前に吹寄格子の障壁をたてているのは本殿の特色となっています。文禄4年(1595年)に建てられたことが墨書銘によってわかりますが、細部の様式も同時代の特色をよく示し、格子や破風懸魚などに打った飾り金具は豪華なものです。明治39年(1906年)4月に国の重要文化財に指定されました。」とあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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24.東本宮本殿 -1
東本宮の拝殿脇を通って、本殿の前に来た。西本宮に勝るとも劣らぬ立派な本殿だ。東本宮本殿は、境内の東端、八王子山の麓に位置している。神社が織田信長の焼き討ちにあったため、文禄4年(1595年)に再建されたことが、記録から明らかになっているという。 建物は、織田信長に焼かれたものの、平安時代以来の様式を伝えているといわれ、特殊な日吉造で建てられており、国宝の西本宮本殿と重要文化財の摂社宇佐宮本殿も同じ形式で建てられている。平面は、正面三間、側面二間の内陣の正・両側面に外陣を配置し、更にその外側の四周に高欄付きの縁を廻し、正面に木階を設け向拝としている。この身舎の正・両側面の三方に庇を設けた平面構成が、日吉造(ひえづくり)の特徴的な外観にもよく現れているという。 正面は、入母屋造のようだが、背面は庇がないために、左右の庇の部分を縋破風(本屋根の軒先から一方にだけさらに突き出した部分の破風)でおさめているので、屋根を垂直に切り落としたような独特な姿となっている。 また、建物の床が地面より高いため、床下に下殿(げでん)と呼ばれる、仏式で、神を拝んでいた特殊な部屋が設けられている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
190214_024.jpg
25.東本宮本殿 -2
この東本宮の本殿も昭和36年(1961年)4月27日に国宝に指定されている。平成24年4月10日から平成25年3月29日の事業期間で、屋根(檜皮葺)の全面葺き替えを行い、見学用通路を設け、一般参拝者が 間近に屋根(檜皮葺)を見学できるようにした。また、本殿に取り付いている全ての飾金具の金箔の押し直しと縁高欄の朱漆が塗り直されている。金箔が押された飾り金具は印象的だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 17mm ISO2000 ) 露出補正 なし
190214_025.jpg
26.東本宮本殿 -3
東本宮の左側に移動した。日吉大社で特に重要な西本宮、東本宮、宇佐宮、牛尾宮、白山宮、樹下宮、三宮宮を「山王七社」もしくは「上七社」という。この七社のうちでも西本宮と東本宮、宇佐宮は「日吉三聖」と呼ばれ、特に社格が高い。また七社は東本宮系と西本宮系のグループに分類することができる。東本宮のグループは東本宮と樹下宮、牛尾宮、三宮宮の4社で、東本宮の祭神、大山咋神は古事記上巻に「この神は近つ淡海国の日枝山に坐し」と記載されており、古代から比叡山に鎮座する地主神であるという。西本宮系は西本宮、宇佐宮、白山宮の3社で、西本宮の祭神は奈良の三輪山・大神神社から勧請した大己貴神だ。このように東本宮系は元々この地に祀られていた神で、西本宮系はあとから祀られた国家を守るための神であると言われる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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27.東本宮本殿 -4
本殿の左側半分である。左後ろに見えるのは大物忌神社(中7社)という。東本宮の境内はは三層境内の高さになっていて、一段目に樹下宮上七社、二段目に東本宮(上七社)と樹下若宮(下七社)、三段目に大物忌神社(中七社)と新物忌神社(中七社)といった構成になっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
190214_027.jpg
28.東本宮本殿 -5
これは金箔の金具に魅せられて撮ったショットだが、東本宮本殿の背後の様子がわかる。背面の3間の床が一段高くなっているのが見えるが、この部分が西本宮本殿と異なるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO500 ) 露出補正 なし
190214_028.jpg
29.樹下神社本殿 -3
左に東本宮拝殿、右側の樹下若宮の間から樹下宮本殿の側面を見たところである。この本殿は1595年の造営で三間社流造。本殿内ご神座の真下に霊泉の井戸があり、以前はご神水を採っていた。説明板を見ると、樹下宮本殿は三間社流造、檜皮武葺の建物で、後方3間・2間が身舎、その前方1間通しの庇が前室になっている。数ある流造の中でも比較的大型のもので、床下が日吉造と共通した方式であることや、向拝階段前に吹寄格子の障壁を立てているのが、この本殿の特徴となっているそうだ。左奥に見えるのが東本宮楼門である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO400 ) 露出補正 なし
190214_029.jpg
30.樹下神社本殿 -4
樹下宮本殿の妻側懸魚の金属飾りである。全体的に金具が豪華に打たれているて桃山時代らしい造りになっている。上7社にはそれぞれ神紋がある。この樹下宮の神紋は十八葉菊だそうで、妻の一番上にある紋、その下の紋がその 十八葉菊の紋かなと思う。ちなみに上7社のほかの6社の神紋は、西本宮・牡丹、東本宮・二葉葵、 宇佐寓・橘、牛尾宮・くずれ菊、白山宮・杉、三宮宮・桐だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO200 ) 露出補正 なし
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31.猿の霊石
東本宮の楼門を出て、東授与所というところで、何か記念にと「福楽寿々米(ふくらすずめ)」という土鈴を求める。坂を下る途中、振り返ると猿がしゃがみ込んだような石があった。ここから来たる者には神縁を結び、ここから去る者は見守っているのだそうだ。日吉大社では、猿は眷属(神様の使い)とされているので、この岩も信仰の対象となるのだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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32.二宮橋 -1
東本宮の楼門を背に坂を下りてきたところに日吉三橋の一つである二宮橋に出た。大宮川に架かる日吉三橋​は、​上流から大宮橋、走井橋、二宮橋​だが、3つの橋とも国の重要文化財に指定されてい​る​。二宮橋は大宮橋に比べ簡素な構造の橋となってい​る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
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33.二宮橋 -2
​二宮橋は東本宮(二宮)へと続く参道に掛けられていることから「二宮」という名前がつけられている。二宮橋は天正年間に豊臣秀吉により寄進されたと伝えられている木橋を、後に石橋に架け替えられたもので石橋としては日本では最大、最古とされてい​て、桁上に継ぎ材をならべ橋板を渡し、両側に高欄をつけ、大きさも大宮橋とほぼ同じ幅となっている。

Canon PowerShot G7X f​1​.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.5​ 1/1000秒 ​14​mm ISO500 ) 露出補正 なし
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34.​ ​日吉馬場に戻る
​午前中は西受付から日吉大社の境内に入り、西本宮の参道を行ったが、東本宮からの帰りは東受付から、二宮橋を渡り、旧竹林院の脇から日吉馬場(県道)にでた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.8​ 1/1000秒 ​29​mm ISO500 ) 露出補正 なし
190214_034.jpg
35.旧竹林院入り口
日吉馬場の広い参道(県道)に出る手前右側に、旧竹林院があった。​旧竹林院のホームページを見ると、旧竹林院は延暦寺の僧侶の隠居所で、今も数多く残されている里坊のひとつであり、邸内には主屋の南西に約3,300㎡の庭園が広がり、2棟の茶室と四阿がある。八王子山を借景にした庭園は、地形をたくみに利用しながら滝組と築山を配し、四季折々の風情をかもし出していると伝えている。中には入らなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.5 1/1000秒 ​16​mm ISO400 ) 露出補正 なし
190214_035.jpg
36.恵光院
参道を下る途中に左側に恵光院という寺院があった。わたくしの父母が眠る高野山の菩提寺と同じ名前であったので、「あれっ」思った。もちろんこの恵光院は天台宗であり、高野山は真言宗である。この恵光院は、比叡山延暦寺の僧侶の隠居所であった里坊の一つで 聖観音を本尊とする。創建・開基については分からない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​1.8 1/1250秒 ​9​mm ISO125 ) 露出補正 なし
190214_036.jpg
37.恵光院 庭園
中には入れなかったが、立派な門構えから中を見ると手入れの行き届いた庭園が広がっていた。桜が咲くころはきれいだろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.5 1/1000秒 ​14​mm ISO200 ) 露出補正 なし
190214_037.jpg
38.鶴喜そば -1
参道の京阪比叡山坂本駅の近くまで下りてきた。参道の二の鳥居の右側に立派な蕎麦屋があった。その奥を覗いてみるともう1軒、これも立派な蕎麦屋があった。どちらに入ろうかと思ったが、奥にあった鶴喜そばという店に入った。 立派なホームページもある。それによると享保元年に初代鶴屋喜八が創業して以来、300年もの間、こだわりの手打蕎麦を打ち続けてきたという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​1.8 1/1000秒 ​9​mm ISO160 ) 露出補正 なし
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39.鶴喜そば -2
鶴喜そばのファサードだ。坂本は昔、比叡山延暦寺の台所を預かる門前町として賑わった。延暦寺は京都御所より度々来賓があったが、山上で食べ物も不自由だったため、代々の鶴喜そばの祖先が、蕎麦を作りに山上へ出仕していたという。また、比叡山で断食の修行を終えた修行僧方が、弱った胃をならすために蕎麦を食したと言われている。「賜宮内省御用達」の古い看板があり、建物は登録有形文化財になっていた。家内と温かい天ぷらそばを食べた。薄味だったがとても旨かったし、小雪の降る中を歩いて、冷え切った身体が温まった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.2 1/1000秒 ​13​mm ISO400 ) 露出補正 なし
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40.坂本名物 日吉そば
こちらも鶴喜そばともに大きな建物で、歴史を感じさせる。桜の季節には両店とも千客万来だろう。司馬遼太郎の「街道は行く」というシリーズの「叡山の諸道」の中で、「 この日吉そばの横に、鶴喜そばというマンガ入りの彩色の大看板があがっていて、われわれはそれを視覚に入れつつ、つい鶴喜と信じて日吉そばに入ったらしい。」というくだりがある。「鶴喜そば」というマンガ入りの大看板は、駐車場の看板だったようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.2 1/1000秒 ​12​mm ISO400 ) 露出補正 なし
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41.公人屋敷(旧岡本邸)
鶴喜そばで食べ終えて、右手に京阪坂本比叡山口駅を見ながら、さらにまっすぐJR比叡山坂本駅へと下る。途中左手に公人屋敷(旧岡本邸)というところがあり、坂本城跡の文字も見えた。ホームページを見ると「公人屋敷(旧岡本邸)は、江戸時代に延暦寺の僧侶でありながら妻帯(さいたい)と名字帯刀(みょうじたいとう)を認められた「公人(くにん)」が住んでいた住居のひとつです。内部が原型をとどめないほど改装されている住居が多い中、岡本家の家屋は全体に公人屋敷としての旧状をよくとどめた社寺関係大型民家の特徴を示す住宅として残されてきました。平成13年に坂本地域の歴史的遺産の保存を目的として大津市に寄贈されたもので、主屋、米蔵・馬屋等は平成17年3月に大津市指定文化財に指定されています。」とあった。坂本場は明智光秀によって築かれた平城であり、その写真が展示されてる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.5 1/1000秒 ​16​mm ISO800 ) 露出補正 なし
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42.琵琶湖
JR湖西線の比叡山坂本駅はそれほど遠くはなかった。高架線になっていて、ホームに上がると琵琶湖が眺められた。風が冷たい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.8 1/1000秒 ​37mm ISO​2​00 ) 露出補正 なし
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​43.JR湖西線
それほど待つことなく「新快速」の姫路行の列車が来た。223系の電車だ。湖西線は山科駅から、琵琶湖の西岸を経由して滋賀県長浜市の近江塩津駅までの21駅、74.1kmの路線である。京都まで約15分だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f​2.8 1/1000秒 ​37mm ISO​2​00 ) 露出補正 なし
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2019年2月28日

雪が降る日吉大社(前編) 2月14日

石山寺から京阪石山坂本線に約30分乗って、坂本比叡山口駅に着いた。駅を出て左に進むと日吉大社の鳥居があって、その先に日吉馬場と呼ばれる広い参道(県道)が見えた。参道の両脇には石垣が連なる里坊や石燈籠が並び、春には約350本のソメイヨシノやシダレザクラが咲くという。日吉大社は京阪石山坂本線・坂本駅の西約1kmのところにある。だらだらと坂道を登ると参道は、左に行くと比叡山、そして右手には日吉大社の入り口となる赤い鳥居があり、そこが境内の入口で、300円の入苑協賛料をお支払いする。
 当日は小雨が降り、比叡山には霧がかかっていたが、比叡山の麓に鎮座する日吉大社は、およそ2100年前、崇神天皇7年に創祀された全国3800余の日吉・日枝・山王神社の総本宮である。平安京遷都の際には、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、都の魔除・災難除を祈る社として、また伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれてよりは天台宗の護法神として崇敬を受け、今日に至っている。 往時には、境内百八社・境外百八社が、その管轄にあったほどであったが、現在は、西本宮、東本宮をはじめとした山王上7社、さらに中7社、下7社の21社が存在し、日吉大社とはその総称である。

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名代手打本家「鶴喜そば」ホームページより

 途中、雪が降る中を、西本宮→宇佐宮→白山宮→東本宮・樹下宮にお参りしてきた。石山寺もそうだったが、ここでも参拝客は2~3組見かけただけだった。天気が良ければ東本宮からさらに東にある 西教寺へも行ってみたかったが、思いとどまり、京都へ戻ることにした。朝は、京都駅の喫茶店で食べたモーニングセットだけだったので、腹も減った。日吉馬場の入り口にあった老舗の「鶴喜そば」で温かいそばを食べたが、地元の人たちも来られるのであろうなかなか賑わっていた。京都へ戻るにはJR湖西線の比叡山坂本駅に出るのが良い。琵琶湖に向かって南へ下る。

1.日吉大社二の鳥居
日吉馬場(参道)の入り口に大きな石造り鳥居があった。参道は県道316号線になっていて、車も走る。この参道をまっすぐ進む。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels<>br> プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2.三宮宮、牛尾宮
参道を歩いていると正面やや右側の山の上に社が見えた。近くにあった案内図を見ると、山は標高381mの八王子山といい、左側に見える社殿が三宮宮で、右側が牛尾宮とある。いずれも山王上7社である。八王子山の頂上付近には、高さ約10mもある金大巌(こがねのおおいわ)という岩があるそうだ。東本宮に祀られている大山咋神もそんな山の神様だったと思われ、最初は金大巌に宿ったとされている。今回は長い玉を持ってきていないし、霞んでいてクリアな写真が撮れない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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3.穴太衆積みの石垣
日吉大社入り口の鳥居が見えてくると、その左手に「穴太衆積みの石垣」というのがあった。穴太(あのう)積みというのは、ここ滋賀県の大津市坂本近くにある穴太の石工集団が積んだ石垣のことをいうが、基本的には自然石を積み上げる野面積みである。説明板には「この石垣は慈覚大師の時代に唐国を模したものと言われ、また、比叡山延暦寺が三千の僧兵を養っていた頃に城塞として造り、この美しい石積みは坂本穴太衆が築いたもので、穴太の石工たちは戦国時代以前から砦造りの専門職であった。彦根城はもちろん、豊臣秀吉が誇った大阪城、加賀百万石の金沢城の石積みも坂本穴太衆の手でできたという。このあたりに点在する寺院は城郭風な面影を持ち、建物は改築されても石垣だけは幾百年の星霜のうちに厳然として残り、苔むして美しい」とあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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4.境内入口の鳥居
右(東)へ行くと東本宮、西教寺、左へ行くと比叡山坂本ケーブルの坂本駅へ行く所に、境内入口の鳥居があった。正面左の石段の上には早尾神社がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO200 ) 露出補正 なし
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5.地蔵堂
日吉馬場の鳥居のそばに地蔵堂があった。比叡山の参道の入り口に位置し、子育て地蔵・早尾地蔵尊(六角地蔵堂)という札が立っていた。本尊は比叡山の開祖伝教大師最澄上人自作の石地蔵尊と伝えられている。最澄が、童子のすこやかな成長に心を注ぎながら彫ったとの伝承から「子育て地蔵」とも呼ばれ、子どもの成長に功徳があると信仰されている。また、この地蔵は「陰坊地蔵」とも呼ばれる。それは、西教寺の真盛上人が生まれた嘉吉3年(1443年)姿を消し、明応4年(1495)真盛上人の入寂と共に再び姿を現したという伝承からきたもので、真盛上人はこの地蔵の生まれ変わりと伝えられる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
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6.比叡山登山道
早尾神社へ上がる石段の左側に、比叡山登山道となる石段が見えた。比叡山延暦寺まで歩いて1時間半くらいのようだ。自転車乗りが3人下りてきていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 32mm ISO400 ) 露出補正 なし
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7.求法寺走井堂
日吉大社境内の隣地に境内を構えている天台宗の寺院である。説明板などによれば、求法寺走井堂は、第4世天台座主安恵和尚(801-864)の里坊として創建されたものと伝えられている。のちに比叡山中興の祖といわれる第18世座主慈恵大師良源大僧正(元三大師)が入山(12歳ころ)の折、比叡山への入山修行の決意を固めたところから、「求法寺」と称するようになったという。走井の地名に因んで「走井堂」とも称している。本尊は国の重要文化財で自作と伝えられる元三大師尊像(秘仏)。建物は元亀2年(1571年)織田信長の焼き打ちで焼失、正徳4年(1714年)に再建されている。入母屋・柿葺、正面に唐破風が設けられている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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8.大宮橋
境内を流れる大宮川という小さな川には大宮橋、走井橋、二宮橋という三つの橋が架っていて日吉三橋という。この大宮橋は、まっすぐ西本宮(大宮)に向かう道筋にあり、重要文化財である。花崗岩製の石造橋であるが、木造橋の形式をそのまま用いている。両側に格座間を掘り抜いた高覧をつけるなど、日吉三橋のうちでも最も手が込んでおり、豪壮雄大な構造の代表的な石造桁橋である。天正年間(1573年-1592年)に秀吉が寄進したといわれているが、木橋が現在の石橋に掛け替えられたのは寛文9年(1669年)だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 10mm ISO125 ) 露出補正 なし
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9.山王鳥居
少し登る坂になっている参道を進むと、山王鳥居があり、その先に西本宮がある。日吉大社は別名を山王さんと呼ばれ、山王さんの鳥居だから山王鳥居と呼ばれているのだそうだ。山王鳥居は神仏習合の信仰を表す独特な形で合掌鳥居とも呼ばれている。明神造りの鳥居の上に山型の破風がとりつけられ、調和のとれた美しい形で総合鳥居とも呼ばれる。山王鳥居、合掌鳥居、総合鳥居、といろいろな呼び方があるのだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 35mm ISO320 ) 露出補正 なし
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10.白山宮参道
山王鳥居をくぐって行くと、その先の右側に神馬舎、神猿舎というのがあった。神馬舎には白馬の置物があり、神猿舎には猿が飼われていた。神馬は神様が乗る馬であり、神様への捧物でもある。神猿(まさる)は山王の使者であり、魔が去り、何よりも勝る。猿は古くから境内で飼われており、既に室町時代の記録にも登場するという。今から約1200年前、京都で平安京に遷都された折には、比叡山が都の鬼門(北東)に位置することから、当社は都の鬼門封じの社として崇敬され、その折にこの猿さん「魔をさる」として「まさる」と呼ばれるようになり、魔除けの象徴となったと伝えられる。 ここで参道をまっすぐ行くと西本宮なのだが、右手に赤い灯明が並び、その先に神社が見えたので、先にそこへ入っていった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO250 ) 露出補正 なし
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11.白山宮(白山姫神社本宮)
雪が降ってきた。ここは日吉大社の上七社の摂社の一つである白山姫神社本宮だ。祭神は菊理姫命。装飾金具が少なく簡素なつくりで地味な落ち着いた中にも各部の意匠に意を配った建物である。三間社流造、檜皮吹きの現在の本殿は、1598年(慶長3年)の建立である。明治39年に国の重要文化財に指定されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 18mm ISO640 ) 露出補正 なし
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12.獅子と狛犬
白山姫神社の本殿の左右の縁に獅子がいた、と思ったが、それは間違いで左が狛犬で「吽」でツノがあり、写真は右側の獅子で「阿」だそうである。日吉大社には木製の狛犬、獅子が5組ある。16世紀製だそうだ。風格がある。本来、獅子・狛犬は本殿の中の内陣にて神様をお守していたが、時代を経ると本殿の上に置かれ、本殿も守護する意味合いが生れたという。更に時代を経ると、境内全体の守護のため本殿の前、境内入口などに置かれ、雨ざらしになるため木製から石造りになったという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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13.剣宮社(下7社・末社)
白山姫神社境内には下7社である剣宮社ほか、末社が並んでいた。手前から剣宮社、小白山社、八坂社、北野社という。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO640 ) 露出補正 なし
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14.宇佐宮拝殿
白山宮の先(西本宮寄り)に宇佐宮があった。祭神は田心姫神。このお宮も上7社・摂社の一つである。この建物はその拝殿で、なかなか渋い。典型的な方三間の拝殿形式である。四方の柱間は四方とも開けっ放し(吹き放し)廻り縁には高欄がつき、天井は小組格天井、屋根の妻飾りは木連格子(狐格子)となっている。慶長3年に建てられたもので、後ろに見える本殿と同じ時期である。昭和39年国の重要文化財に指定された。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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15.西本宮楼門から拝殿を見る
ようやく西本宮にたどり着いた。宇佐宮から西本宮の南側の門から境内に入ったので、一旦、左へ行って楼門から入り直した。西本宮楼門の軒下の4隅には木造の猿「棟持ち猿」が楼門を守っているのだが写真に撮り損なっていた。後ろに見える拝殿は方三間、一重、入母屋造り、檜皮葺、妻入りの建物。柱間は四方とも開け放して、屋根の妻飾りは木連格子、回り縁は高覧が付き、天井は中央部が一段と高くなった折上小組格天井となっていると説明されていた。天正14年(1586年)本殿と同時に建てられた。昭和39年に重要文化財に指定されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 10mm ISO400 ) 露出補正 なし
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16.西本宮本殿 -1
ひときわ立派なお社だった。他所ではほとんど見られない独特の建築様式の本殿という。安土桃山時代の元亀2年(1571年)、日吉大社に災難が降りかかる。織田信長は浅井長政、朝倉義景連合軍に加担していた延暦寺を忌み嫌い、また当時の僧侶が堕落していたことも相まって、日吉大社のある坂本から比叡山へと攻め込み、延暦寺を焼き討ちにした。日吉大社の境内もまた戦場となり、この戦いで日吉大社は灰燼に帰した。しかしその後、天下を取った豊臣秀吉により社殿の再建がなされ、日吉大社は見事復興を遂げる。これは秀吉の幼名が「日吉丸」であった事と、日吉大社の神獣が秀吉のあだ名である「猿」であった為だ。秀吉は日吉大社に只ならぬ縁を感じたのだろうとの説がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
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17.西本宮本殿 -2
天正14年(1586年)の建立。檜皮葺きで、屋根形式は「日吉造」という、日吉大社特有のもの。正面から見ると入母屋造に見えるが、背面中央の庇部分の軒を切り上げ、この部分が垂直に断ち切られたような形態(縋破風)になっているのが特色(wikipedia)。慶長2年(1597年)に改造されている。昭和36年に国宝に指定された。正面には1間の向拝(屋根の一部が前方に突き出し礼拝のために使用される部分)と浜床(向拝の下に用いられる低い床)があり、縁高欄がまわりをめぐっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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18.西本宮本殿 -3
縁の上に置かれた狛犬と獅子が気に入ってしまった。向かって右側に手前に見えるのが獅子で、その獅子と向かい合うツノがある狛犬が向こうに見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO640 ) 露出補正 なし
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19.包丁塚
西本宮の右手に大宮竈殿社があった。祭神は奥津彦神・奥津姫神。大宮(西本宮・大己貴神)の食事、調理を司る神だそうだ。山王21社のうち下7社の一つである。そして 大宮竈殿社の右奥に包丁塚があり、傍らの石碑には「竈神は、一家を構える家庭の命の源を守護する家神として崇拝された。このことから現在では台所の神として、また飲食を整える包丁の守護神として調理の上達を願い、多くの信仰を集めている」とある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO250 ) 露出補正 なし
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20.三宮宮、牛尾宮への上り口
日吉馬場の参道を歩いているとき北東の八王子山の上に、三宮宮と牛尾宮が見えた。石段の手前に見えるのは三宮宮遙拝所で向こう側が牛尾宮遙拝所だ。ここからその奥宮まで約1kmで片道30分だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO320 ) 露出補正 なし
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2018年12月22日

金剛輪寺 11月8日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(8/終)

バスは最後に訪れる金剛峯寺に 到着した。ガイド嬢は少し上にある黒門まで上がって、受付をしてきてくれた。バスはわれわれを乗せたまま本堂に近いところまで上がってくれる。黒門から歩くと長い参道を登って行かなくてはならない。
 ガイドさんが受付でもらってきてくれたパンフレットには金剛輪寺は「湖東三山まん中のお寺」と書かれていた。位置的に南にある百済寺と北にある西明寺の間にあるのだ。食事をした「一心庵」や京都へ戻る道筋から、金剛輪寺の参詣が最後になったのだろう。
 湖東三山はいずれも天台宗の寺院だが、天台教学は中国に発祥し、入唐した最澄(伝教大師)によって平安時代初期(9世紀)に日本に伝えられ、最澄は日本へ帰国後、比叡山延暦寺に戻り、後年円仁(慈覚大師)や円珍(智証大師)等多くの僧侶を輩出した。
 金剛輪寺のホーム・ページによれば、金剛輪寺は、奈良時代の中頃、天平13年(741年)に聖武天皇の勅願で行基菩薩によって開山された。言い伝えによると行基菩薩が一刀三礼(仏像を彫刻するときに、一刻みするごとに三度礼拝すること)で観音さまを彫り進んだたところ、木肌から一筋の血が流れ落ちたため、その時点で魂が宿ったとして、粗彫りのまま本尊としてお祀りされたそうだ。後の世に「生身(なまみ)の観音」と呼ばれるようになり、全国の観音信徒より篤い信仰を集めている。平安時代の初めには、比叡山より慈覚大師が来山、天台密教の道場とされて以来、延暦寺の末寺、天台宗の大寺院となった。
 本堂、三重塔を参拝したあと、両側にお地蔵さんが並ぶ長い参道を、黒門まで戻った。バスは黒門の前の駐車場で待っていた。時刻は3時半過ぎ、もう暗くなり始めている。そこから1時間ちょっとで京都駅八条口に到着した。
 今回の旅行はわずか3日間だったが、ずいぶん長い旅をしたように感じる。自分で選んだコースだったので少々不安もあったが、充実した旅行だった。切符売り場で新幹線の指定席券を購入して、駅構内に入る。車内で食べようと駅弁とビールを買って、ホームに上がった。新幹線は日帰り出張の会社員の人たちがちょうど帰る時間帯になったのだろう、京都で乗ったときはまだ空きのあった「ひかり」の指定席は、米原、名古屋でほぼ満席となった。 遅くならずに無事自宅に帰り着いた。

168.黒門
黒門は総門である。ここが金剛輪寺参道の入り口だ。黒門については江戸時代の建立とあるだけでほとんど情報がなかった。この写真は、バスで中腹の駐車場まで上がっていくときに車内から撮った。金剛輪寺の本尊は聖観音菩薩だが、聖観音と書かれた大きな赤い提灯が 目立つ。

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プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO1600 ) 露出補正 -1.0段
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169.本堂(国宝)外陣
バスを降りて、すぐ本堂へ向かった。丁度、講話(説明)が始まるらしい。外陣に座って話を聞く。弘安11年(1288年)1月建立の銘が須弥壇(堂内に仏像を安置するために,床面より高く設けられた壇)にある。元寇の役(蒙古襲来)の戦勝記念として、時の近江守護職・佐々木頼綱によって建立された本堂は、鎌倉時代の代表的な和様建造物として国宝に指定されている。堂内には秘仏本尊聖観世音菩薩をはじめ、阿弥陀如来坐像、十一面観音立像など平安から鎌倉時代の仏像が安置され、その多くが国の重要文化財に指定されている。本尊を安置する厨子は建築的細部をもつもので、入母屋造、檜皮葺きとする。この厨子は建物と同時期の作とみられ、本堂の「附」(つけたり)として国宝に指定されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/125秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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170.金剛輪寺 銅鐘
この梵鐘は乾元2年(1303年)の銘がある。

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プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO2500 ) 露出補正 -1.0段
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171.本堂外観
本堂は入母屋造、檜皮葺の和様仏堂で、中世天台仏堂の代表作と言われる。 写真に撮ってきた愛荘町教育委員会による説明版によれば、 「内陣須弥壇金具に弘安11年(1288年)の銘があり、鎌倉時代にめざましく発展した密教寺院の大規模な本堂である。桁行七間、梁間七間、入母屋造りで、妻飾りは豕扠首(いのこさす: 切妻や入母屋の造りで、梁の上に合掌形に材を組んだもの。また、その二本の材。妻飾りに用いられる。)を組み、内外に長押を廻し、正面には蔀戸を入れるなど、全体は伝統的な和様建築であるが、内部の組物の一部に、13世紀に伝来した禅宗様式の拳鼻がついている。密教本堂の通例により内部は外陣と内陣に区画するが、外陣大虹梁(虹形に上方にそり返った梁)を受ける太い列柱と、格子戸・菱欄間の内外陣境結界とで構成される広い礼拝空間、天井を化粧屋根裏とし荘重な須弥壇を構える内陣は、ともに流麗な曲線の檜皮葺大屋根に包含され、堂々たる偉容は近江中世本堂の圧巻ということができる。」(桁行七間、梁間七間の「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を表す建築用語 wikipedia)とあった。

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プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO2500 ) 露出補正 -1.0段
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172.本堂 -1
先に須弥壇の金具に弘安11年(1288年)の銘があると記したが、wikipediaによれば、本堂の建築様式・技法は鎌倉時代まではさかのぼらず、南北朝時代の建立とみられ、前述の金具は前身堂のものとみられる。入って左側奥が内陣で須弥壇がある。また、この国宝の本堂は中世の代表的な和様建造物として、昭和39年(1964年)の東京オリンピックの時、文部省が10分の1の模型を作成し、東京国立博物館に展示したという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 10mm ISO1250 ) 露出補正 -1.0段
181106_172.jpg
173.三重塔(重要文化財) -1
本堂の左側に三重塔が見えた。ここは紅葉が美しいところで、金剛輪寺のパンフレットにも写真が載せられているのだが、残念ながら、まだ早かったようだ。カエデはまだ緑の葉をつけている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 10mm ISO1250 ) 露出補正 -1.0段
181106_173.jpg
174.三重塔 -2
待龍塔とも呼ばれる。本堂の左(北)の一段高い場所に建つ。寺伝では鎌倉時代の寛元4年(1246年)の建立というが、様式的には南北朝時代の建築とみられる。織田信長の焼き討ちはまぬがれたものの、近世以降は荒廃し、塔の初層と二重目の軸部(柱、梁などの根幹材)と組物がかろうじて残るだけで、三重目はなくなっていた。現状の塔は1975年(昭和50年)から1978年(昭和53年)にかけて修理復元されたもので、欠失箇所は同じ滋賀県内の西明寺三重塔などを参考に復元したものである。そういえば、さっき見てきた西明寺の三重塔に似ている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -1.7段
181106_174.jpg
175.本堂付近
日が暮れてきている。参拝の人もほとんどいなくなり、静けさが漂う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
181106_175.jpg
176.本堂 -2
三重塔の側(北側)から本堂を見る。左手が入口。右手の石段を下るとすぐ二天門がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
181106_176.jpg
177.本堂付近の紅葉
左手が本堂になる。石燈籠は簡素な形だ。紅葉は物足りない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
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178.二天門
二天門をくぐって本堂を振り返る。ここにも大きな草鞋があった。参道を上がって来たとき、石段を登りつめた所にあり、本堂の正面に建つ。蟇股、和様建築の梁や頭貫 (かしらぬき:上にあって上の荷重を支える材)などの細部様式からみて、本堂よりも新しい室町時代後期の建立とされる。柱間は正面三間、側面二間。当初楼門であったが、江戸時代中頃に上層(二階部)を失い、腰組斗供(組物)の残存肘木先に桁を廻して、新たに檜皮葺きの屋根を作ったものである。柱間は中央間と脇間が二対一の割合で、両脇間に金剛柵を設け、向かって右に増長天、左に持国天を祀る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
181106_178.jpg
179.千躰地蔵 -1
帰り道は石段の参道を黒門まで下りることになる。途中、二天門を振り返ってみると、その参道の両側には高さ50cmほどの小さなお地蔵様がズラリと並んでいる。黒門に向かって右側にはぎっしりとお地蔵さんが並んいるところがあって、2千体を超えるそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/250秒 16mm ISO3200 ) 露出補正 -1.0段
181106_179.jpg
180.千躰地蔵 -2
風が吹くと、一体一体に供えられた赤い風車がいっせいに回りだし、静かな境内がカタカタという轟音に包まれるという。参道や境内などに鎮座したお地蔵様の数は、実際には2千体を超え、その迫力は異様なほどである。それぞれのお地蔵様には、家の名前が書かれていて、地域の人によって大切に守られているようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
181106_180.jpg
181.明寿院 -1
参道を少し右に入ると庭園があった。明寿院はその先に建っていた。明寿院は金剛輪寺の本坊で、江戸時代の創建といわれ寺宝を多く保存し、かつて学頭所(寺社の学事を統轄する所)として使われていた。昭和53年秋に再建された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 23mm ISO1250 ) 露出補正 -0.7段
181106_181.jpg
182.明寿院 -2
明寿院玄関棟設計施工の名前が書かれた札が置かれていて、昭和53年10月となっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/160秒 15mm ISO1250 ) 露出補正 -0.7段
181106_182.jpg
183.明寿院 -3
襖が開け放たれた座敷の向こうには日本庭園が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 15mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
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184.名勝庭園
池泉回遊式庭園である。桃山、江戸初期、中期の三庭があり、この本坊の南・東・北の三方を囲むように庭園があり、写真に見える心の字池が三庭を結んでいる。作者不詳であるが、老杉蒼松の自然を背景とし、灯籠泉石樹木の配置等、素晴らしく、晩秋の深紅に染まる色鮮やかな紅葉は「血染めのもみじ」と広く知られている。湖東三山一の名園古庭であり、国の名勝にも指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
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185.茶室 水雲閣
3っの庭のひとつである桃山時代の庭の宝篋印塔を見下ろすように立つ水雲閣は、湖東随一の茶室で、天井に桜、なでしこ、菊など四季おりおりの花が描かれているという。またこの茶室からの庭の眺めは美しい。この茶室は江戸時代末期に建てられたという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 -0.7段
181106_185.jpg
186.黒門に戻る
3時半を回ったところで黒門に戻ってきた。この日は、バス・ツアーの常であるが、大急ぎで、琵琶湖の東側に位置する永源寺と湖東三山を巡ってきた。思い出しながら綴ってきたが、見落としているところも多かった。黒門の傍にある、入館券は拝観料に含まれていた愛荘町立歴史文化博物館も見てみたかったのだが、時間が取れなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 16mm ISO1250 ) 露出補正 -0.7段
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2018年12月14日

百済寺 11月8日 高野山、奈良・長谷寺、室生寺と滋賀・湖東三山(6)

午前11時40分、次の目的地である百済寺に着いた。永源寺から北へ、それほど遠くはなかった。琵琶湖の東に「湖東三山」と呼ばれる天台宗の3つの寺院がある。先に訪れた永源寺は湖東三山に含まれないが、この百済寺と昼食後に行く、西明寺、金剛輪寺と併せて湖東三山と呼ばれている。
 この釈迦山百済寺はそのホーム・ページによれば、飛鳥時代、推古14年(606)に聖徳太子の勅願によって開かれた近江最古の仏教寺院である。創建当時は、日本に仏教を伝来した渡来僧や先進的な文化、技術を伝えた渡来系氏族の氏寺として発達した。平安時代になり、比叡山延暦寺が開創されると、やがて当寺院も天台宗となり、その規模は拡大され「湖東の小叡山」、「天台別院」と称されるほど壮大な寺院になった。
 平安末期から鎌倉、室町時代には、度重なる火災や戦乱による厄災によって、建物の多くを焼失したが、なお勢力を保ち続け再興を果たす。室町時代から安土桃山時代にかわる元亀4年(1573年)には、織田信長の焼き討ちによって全山灰燼に帰してしまったが、本尊「十一面観世音菩薩」(別名:植木観音菩薩、全高3.2m)は背後の山を越えた8㎞先の奥の院に避難することができ焼失を免れている。天正12年(1584年)には仮本堂が建てられたものの、長らく再建には至らなかったという。江戸時代になり、寛永14年(1637年)には明正天皇による再建を勅許する論旨を得て、僧侶たちは諸国に勧進し、幕府の老中や大奥、東叡山寛永寺、彦根藩主などから寄進、喜捨を受け、慶安3年(1650年)に本堂、仁王門、山門(赤門)等が完成し、いまもその姿をとどめている。
 表参道の石段は国道307号沿いにある赤門から始まるが、バスはその中ほどにある駐車場まで上がってくれた。しかし、ここからもなお石段は続く。ガイドさんは、選択肢を与えてくれた。ひとつは本堂まで、まっすぐに石段を登り、戻りはなだらかな迂回路を通って駐車場まで戻る方法。他ひとつはその逆で、登りは緩やかな坂の迂回路を行き、下りは石段を下りてくる。私たちは前者を選択した。
 写真の説明においても百済寺のホームページを引用、参考にさせていただいた。

116.長寿桜
バスの駐車場の傍らに長寿桜という桜の木があり、ちらほらと花が咲いている。長いときは10月の上旬から2月の初めまで咲いているところから長寿桜と呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
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117.参道の石段
表門を入って、ガイドさんは受付を済ませ、私たちはその後について本堂までの石段の参道を登り始める。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
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118.仁王門への道
やがて、大きな門が見えてきた。仁王門だ。この辺りは映画の撮影でもよく使用されるらしい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
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119.仁王門 -1
本堂近くに立つ仁王門は、本堂と同じ年代に建立された。仁王門では、3間2間で一対の金剛力士像が内側に向かい合って立っている。この仁王は寺を守る守護神で、金剛像は「阿形(開口)」、力士像は「吽形(閉口)」で勇猛、剛健、ともに健脚の両足に草鞋を履く「印度発祥の東洋的な神様」だという。日中に仕事を終え、夜間は草鞋を仁王門脇に脱いで立ちながら休むのだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
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120.本堂に向かって右側の草鞋
正面につり下げられた一対の大草鞋は、昔は仁王像の大きさに応じて50cm程度だったが、江戸時代中頃から仁王門を通過する参拝客が健脚、長寿の願を掛けるようになり、触れると、身体健康・無病長寿のご利益があると言い伝えられ、草鞋が大きいほどにご利益も大きいと、どんどん大型になっていき、今では3mほどになったそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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121.本堂に向かって左側の草鞋
地元の方々が、約10年毎に新調しているそうだが今年はこれからのようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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122.阿形(開口)の仁王像
前に記したように百済寺のHPでは、阿形のほうは金剛、吽形は力士とされているが、金剛力士像として、一つで言われることが多いように思う。ただ、一方を金剛、他方を力士とする説、両方とも金剛力士と呼ぶ説など諸説があるが、どの説も優勢となるには至っていないそうだ。(世界大百科事典での金剛力士の言及)

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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123.吽形(閉口)の仁王像
こちらの吽形は力士とされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/200秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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124.仁王門 -2
仁王門をくぐって登ってきた参道を振り返る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 24mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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125.本堂 国重要文化財・唐破風付入母屋造
仁王門の先に、すぐ本堂があった。HPによれば、百済寺の本堂は、これから行く西明寺、金剛輪寺の本堂よりもひとまわり小さいそうだが、天台形式の構造をもった均整のとれた建造物で、平成16年12月に文化庁より重要文化財の指定を受けている。本堂は室町時代の明応7年(1498年)に火災にあい、文亀3年(1503年)に兵火をうけ、さらに織田信長による焼き討ちで天正元年(1573)全山焼失してしまった。現本堂の背後に、広い旧本堂跡地がある。そこには現本堂の4倍ほどの大きな本堂があったのだが、そこは信長の焼き打ちで焼失してしまったのだ。その後天正12年に堀秀政により仮本堂が建立。のち天海僧正の高弟亮算が入寺し、堂舎再興の勅許を得て諸国に勧進し、江戸時代の慶安3年(1650)現在の本堂が竣工した。かつては現在より少し山手の広大な台地に、金堂と五重の塔があったそうだ。現在の本堂は、一重、五間六間、入母屋造で正面中央に軒唐破風が付せられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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126.本堂と三所権現社
本堂の右側に見える小さなお社は三所権現社といい、本堂と同時期の建立で熊野三社の主祭神が祀られている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
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127.本堂へ上がる
本堂内部(外陣)へ上がって、お参りをする。百済寺本堂は、中世以来の伝統的な仏堂形式に則って、内陣と外陣の対比的な空間秩序を保持しながら、平面的にも造形的にも近世らしい平明な構成を創りあげており、価値が高と言われている。

  SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
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128.本堂外陣 -1
内陣と区切られれている格子戸の前には閻魔大王がおられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/100秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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129.本堂内陣 -1
失礼して格子戸の格子の間から、内陣須弥壇を見させていただいた。見えている金色の仏さまは前立ち像で、その向こうに黒い扉がある。本尊の十一面観世音菩薩はその後ろの厨子に祀られている。百済寺本尊は全高3.2m(像高260cm)。寺伝によると聖徳太子が百済博士の慧慈(高句麗僧)の案内でこの山中に分け入って来られ、杉の大木の上半分が、百済国・龍雲寺の本尊十一面観音用に百済まで運び出された事を知り、下半分の根のついたままの巨木に十一面観音を刻んだことから、別名「植木観音」という名で崇められている。秘仏のため、普段は見ることが出来ない。実物を拝むことができるのはおよそ半世紀に一度という。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/160秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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130.百済寺の賓頭盧像
百済寺にもお賓頭盧さまが座っておられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/50秒 26mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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131.外陣天井と長押の奉納額
128.の写真と同じところの天井を撮っている。千社札が多く貼られてしまっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/125秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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132.聖徳太子孝養像
百済寺は推古天皇の時代に聖徳太子の勅願による創建だが、信長の焼き討ちで焼失後、ようやく慶安3年(1650年)に、将軍家光により、百済寺再建が許可され、本堂、山門、仁王門などが復興された。落慶記念奉納品として、将軍から極彩色の「聖徳太子孝養像」が寄贈された。この太子像は家光の乳母春日局(1643年没)が生前に江戸城大奥で大切に拝んでいた像であると言われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/80秒 26mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
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133.本堂裏手
本堂からは、先に記した通りなだら坂と呼ばれる迂回路を下る。そのなだら坂のほうへ回ると本堂の裏手にでた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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134.鐘楼と本堂
鐘楼があった。現在の梵鐘は3代目で昭和30年(1955年)の鋳造だそうだ。初代は信長焼討ちの際に持ち帰られ、江戸時代に鋳造された2代目は、先の大戦で供出された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
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135.なだら坂
木立の間の石段のないなだらかな道を下る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 27mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
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136.陽が当たる紅葉
なだら坂にもモミジが多い。陽が当たって輝いているが、この木の紅葉はこれからのようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 39mm ISO100 ) 露出補正 -1.0段
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137.喜見院
喜見院のところまで下りてきた。百済寺の本坊は喜見院である。阿弥陀如来が祀られている。昭和15年に仁王門南側から現在の位置に移築され、それにともない庭園も旧本坊のものを拡張改造されたそうだ。寺社庭園としては、滋賀県内最大級で巨石群の配置が見事と言われる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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138.喜見院の庭園と遠望台
本坊庭園は別名「天下遠望の名園」と称されており、西方の借景は琵琶湖をかすめて、55km先の比叡山で、広大なパノラマ展望を望める。さらに西方、880km先には、往時の「百済国」があったという。百済からの渡来人が母国を偲ぶ気持ちで「遠望台」に立つ時、両国の深い交流関係が蘇ってくるのだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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139.喜見院 庭園 -1
この庭は東の山を借景に山腹を利用し、大きな池と変化に富む巨岩を配した豪華な池泉廻遊式ならびに観賞式の庭園で現代鈍穴流の作法で作庭されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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140.喜見院と紅葉
百済寺の紅葉はまだ少し早かったようだが、ここはきれいだった。建物とのコントラストが美しかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 25mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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141.喜見院 庭園 -2
聖徳太子の願文に「一宿を経るの輩は必ず一浄土に生る」とあるが、これにちなんでこの庭も東の山には弥陀観音勢至の三尊(阿弥陀如来を中尊とし、その左右に左脇侍の観音菩薩と、右脇侍の勢至菩薩を配する三尊形式)をはじめ各菩薩に見たてて石が配されている。これらの巨石は旧本坊庭園とさらに百済寺山内の谷川から集められたものを組み合せて作庭された。また、庭内には中世の石造品の残欠も多く見られるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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142.四季桜
庭園の鑑賞を終え、駐車場に戻ると桜が咲いていた。この桜はシキザクラのようだ。桜の園芸品種である。狂い咲きでない状態で、年に二度開花する。エドヒガンとマメザクラの交雑種と考えられている。一方、ジュウガツザクラ(十月桜)というのもあるが、それは、 コヒガンザクラの雑種あるいはマメザクラとエドヒガンの種間雑種と考えられているが、定かではない。花色は淡紅色で、花弁の先に濃いピンク色が残る。花期は10~12月頃と3月下旬頃の年2回である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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