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2023年5月22日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物 ⑦ 2023年4月5日ー7日 朝の古都と又兵衛桜

4月7日、ツアー3日目、最終日になった。昨夜は早く寝てしまったので、今朝は早く目が覚めた。カーテンを開けて空模様を確かめるが、予報通り今にも雨が降りそうだ。
 この日は9時出発だった。ホテルから200mくらいのところに元興寺という名刹がある。7時から朝食をとり、その元興寺へ行ってみたが、残念ながら、開門は9時で境内の中には入れなかった。その足で、奈良の迎賓館と言われる奈良ホテル、荒池などを散歩して8時20分にホテルに戻った。
 バスはホテルを9時に出発した。昨日、春日山へ向かったのと同じ道を天理市、桜井市を抜けていく。途中でとうとう雨が本降りになってきてしまった。最初の目的地は「又兵衛桜」である。談山神社から東へ音羽の山並みの向こう側の宇陀市にある。又兵衛桜は福島県の三春滝桜のような、大きな一本桜であるが、花の見ごろは残念ながら終わってしまっていた。バスの駐車場と又兵衛桜までの距離が500mほどあり、傘をさしての歩行は少々つらかった。

000_2304070225 X700 〇名残の又兵衛桜 G7X.jpg
雨の又兵衛桜 樹齢300年 2023年4月7日 奈良県宇陀市

172_2304070131 X900 朝の元興寺 G7X.jpg 172.元興寺
宿泊したホテルから、南へ200mほど歩いたところに元興寺があった。拝観受付のあるところまで行ってみると、拝観時間は9時からで、中に入ることはできなかった。wikipediaによれば、元興寺は、蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)が、平城京遷都に伴って平城京内に移転した寺院である。奈良時代には近隣の東大寺、興福寺と並ぶ大寺院であったが、中世以降次第に衰退して、3寺院(元興寺極楽坊、元興寺塔跡、小塔院)に分立した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO140 ) 露出補正 なし
173_2304070130 X900 朝の元興寺 G7X.jpg 173.元興寺極楽坊
この元興寺は旧称「元興寺極楽坊」といい、1978年(昭和53年)「元興寺」に改称された。真言律宗、西大寺末寺である。本尊は智光曼荼羅。元興寺子院極楽坊の系譜を引き、鎌倉時代から独立。本堂・禅室・五重小塔は国宝。境内は国の史跡「元興寺極楽坊境内」。世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産のひとつである。写真の門は重要文化財の東門。門の先に極楽堂(本堂の一部)が見える。中に入って拝観してみたかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO2000 ) 露出補正 なし
174_2304070140 X900 奈良ホテル 教会 G7X.jpg 174.聖ラファエル教会
まだ出発までは時間がある。奈良ホテルを見に行ってみよう元興寺を少し南へ下って、左に折れる。まっすぐ行って左へ行くと富士屋ホテルの入り口になる。そこに教会らしきクラシカルな建物があった。「レトロな建物を訪ねて」というブログを開いて教えていただいたことには、この教会はわたくしも軽井沢で見たことがある「聖パウロカトリック教会」と同じレーモンド設計事務所の設計で1997年(平成9)年に建てられたようだ。奈良ホテルの附属教会として、結婚式などが行われているそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
175_2304070143 X900 〇大乗院庭園 G7X.jpg 175.旧大乗院庭園 -1
左に奈良ホテルの玄関に上がっていく道を進むと、「名勝 旧大乗院庭園」があった。大乗院とは、1087年(寛治元年)に創建され、平安時代から江戸時代に栄えた門跡寺院のひとつ。(藤原氏の子弟が入室し、興福寺の別当職を輩出していた。)治承4年(1180年)の南都焼き討ちによる焼失後に現在地に移り、廃仏毀釈の影響で明治初年に廃寺となるまで存続していた。現在、その敷地内の一部が奈良ホテルとなっている。この庭園は室町時代の徳政一揆で荒廃したが、その後門跡尋尊大僧正の依頼により、室町時代に活躍した作庭の名手善阿弥によって改造された。将軍足利義政を始め公家たちがしばしば拝観に訪れ、以降、明治初頭まで南都随一の名園と称えられていた。戦後その一部が整備され、1958年(昭和33年)国の名勝に指定される。平城遷都1300年祭に伴い、2017年7月1日より、園路の一般公開を開始された。(奈良ホテル ホームページより)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 24mm ISO400 ) 露出補正 なし
176_2304070148 X900 大乗院庭園 G7X.jpg 176.旧大乗院庭園 -2
朝なので人影のない旧大乗院庭園を眺めながら、奈良ホテルへと上がっていった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO320 ) 露出補正 なし
177_2304070149 X900 奈良ホテル G7X.jpg 177.奈良ホテル 玄関 -1
緩い坂を上ると奈良ホテルの建物の正面に出た。朝8時少し前で、朝食の時間なのか、表に宿泊者の姿はない。奈良ホテルは、1909年(明治42年)10月に営業開始したホテルだそうだ。本館は辰野金吾、片岡安の設計による。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO250 ) 露出補正 なし
178_2304070150 X900 奈良ホテル G7X.jpg 178.奈良ホテル 玄関 -2
第二次世界大戦前には国営(鉄道院→鉄道省直営)の時代が長く、近畿において国賓・皇族の宿泊する迎賓館に準ずる施設としての役割をになっていた。このため「関西の迎賓館」とも呼ばれる。今日でも著名人が多く宿泊し、皇族の奈良宿泊の際にはこのホテルが利用されることが専らだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO320 ) 露出補正 なし
179_2304070154 X900 〇奈良ホテル G7X.jpg 179.奈良ホテル 本館建物
宿泊設備としては木造2階建て瓦葺き建築で創業以来の本館と、1984年(昭和59年)に営業を開始した鉄筋コンクリート造4階建ての新館からなる。現在(2010年)の客室数は本館・新館合わせて127で、ツイン・ダブルの洋室を基本とするが、少数ながら和室も用意されているという。奈良ホテルは、JR西日本と近鉄グループがともに50%を出資していたが、2018年8月31日付けでJR西日本が近鉄GHDから全株式を取得して完全子会社化した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/1000秒 10mm ISO250 ) 露出補正 なし
180_2304070162 X900 興福寺五重塔 G7X.jpg 180.荒池越しに見た興福寺五重塔
奈良ホテルから、昨日バスで通った国道169号(天理街道)に出た。ホテルは国道169号沿いにある荒池と呼ばれる農業用灌漑池の畔、かつては興福寺の塔頭である大乗院が所在した跡地の小高い丘に建っている。写真の左側が奈良ホテルである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO250 ) 露出補正 なし
181_2304070165 X900 〇天理街道 荒池 G7X.jpg 181.荒池
国道169号線は荒池を左右に割るように走っている。写真は道路の左側から荒池の右側に広がる荒池園地を見ている。荒池園地は、猿沢池や若草山を含む県立都市公園である総面積502.38haの奈良公園に含まれる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO800 ) 露出補正 なし
182_2304070173 X900 春日大社 一の鳥居 G7X.jpg 182.春日大社 一の鳥居
さらに北に歩くと、右手に春日大社の一の鳥居があった。春日大社本殿はここから東へ、参道を歩いて約20分のところにある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO1600 ) 露出補正 なし
183_2304070174 X900 興福寺へ 菊水楼 G7X.jpg 183.料亭 菊水楼
春日大社一の鳥居を左へ(西へ)曲がる。しばらく行くと、立派な門構えの菊水楼という料亭があった。菊水楼(きくすいろう)は、創業は1891年(明治24年)で、同年建築の旧本館、1901年(明治34年)建築の本館、円成寺塔頭から移築された表門(1615年建築)と庭門は、2000年(平成12年)12月に国の登録有形文化財に登録されている。(wikipedia)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO1250 ) 露出補正 なし
184_2304070175 X900 菩提院大御堂 G7X.jpg 184.菩提院鐘楼
さらに西へ歩くと、左手の石段を下った先に鐘楼が見えた。菩提院という、法相宗の寺院で大本山興福寺の子院。本尊は阿弥陀如来。通称は十三鐘(じゅうさんかね)という。天正8年(1580年)に再建された御堂は写っていないが、石段を下りた先の境内に見えている鐘楼にかかる梵鐘は、永享8年(1436年)の鋳造で、かつては昼夜十二時(とき)だけではなく、明け七つと六つの間の早朝勤行の時にも打たれたことから、「十三鐘」の通称を持つという。大御堂前庭では、春日神鹿をあやまって殺した少年・三作を石子詰の刑に処して葬り、祀ったと伝わる塚がある。(wikipedia)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 25mm ISO1000 ) 露出補正 なし
185_2304070179 X900 興福寺 G7X.jpg 185.興福寺 南円堂
更にまっすぐ歩いて、興福寺の境内に入った。この建物は興福寺境内の西の奥にある南円堂だ。2日前にも来ている。南円堂は、創建以来四度目の建物で、寛保元年(1789年)に再建された。江戸時代の建物といっても、その手法はきわめて古い様式で、鎌倉初期の再建である。興福寺に残る最も古い建築物で同じく八角形の北円堂を参考にして建てられたと考えられるという。北円堂には、運慶一門の手による本尊の木造弥勒如来坐像(国宝)、木造無著・世親菩薩立像(国宝)、四天王立像(国宝)が安置されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO500 ) 露出補正 なし
186_2304070180 X900 興福寺 G7X.jpg 186.五重塔
この三日間に五重塔は何回も撮った。先にも触れたが、大規模修理に向けた調査が進むなか、修理現場を覆う「素屋根」の設置が始められる。2023年7月から設置し始め、30年3月には修理工事が終わる予定だ。しばらくの間、今の姿を見ることができなくなる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/1000秒 11mm ISO250 ) 露出補正 なし
187_2304070182 X900 興福寺 本堂 G7X.jpg 187.興福寺中金堂
8時15分になった。そろそろ宿に戻らなくてはならない。創建1,300年となる2010年(平成22年)に中金堂再建工事が着工され、2017年(平成29年)には、翌年に中金堂が完成するのを見越し仮金堂内の諸仏を早くも中金堂に移した。今見る中金堂は、2018年(平成30年)10月に9代目の中金堂として落慶した。落成後、内部の一般公開がされていたが、この時は新型コロナウィルス感染拡大防止のため拝観することができなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
188_2304070188 X900 〇猿沢の池 G7X.jpg 188.五十二段の石段
昨日の朝にも散歩した猿沢池に下りる五十二段の石段を下りた。子供の鹿が頭を突き合わせている。遊んでいるのだろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 28mm ISO2300 ) 露出補正 なし
189_2304070195 X900 名残の又兵衛桜 G7X.jpg 189.又兵衛桜に到着
ホテルを出発してから、1時間20分ほどで又兵衛桜に到着した。場所は昨日訪れた談山神社の東側である。雨はいよいよ本降りである。加えて、バスの駐車場から現地までは500mほどあったのではなかろうか。カメラ片手に傘をさして歩く。こんな時はG7Xでいかざるをえない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO320 ) 露出補正 なし
190_2304070196 X900 名残の又兵衛桜 G7X.jpg 190.又兵衛桜 -1
又兵衛桜を見るには時すでに遅かった。手前に咲く菜の花が救いである。又兵衛桜は樹齢約300年のシダレザクラという栽培品種である。瀧桜とも呼ばれる。奈良県の保護樹だそうだ。比較して申し訳ないが、かって福島県で見た「三春の滝桜」(天然記念物)はエドヒガン系ベニシダレザクラで、推定樹齢は1000年と言われる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO250 ) 露出補正 なし
191_2304070199 X900 名残の又兵衛桜 G7X.jpg 191.又兵衛桜 -2
例年の見頃は4月上旬から4月中旬となっているが、ご覧のような状況で、今年は時すでに遅しである。又兵衛桜の由来は、wikipediaによると、名称は大坂の陣で活躍した戦国武将後藤基次(又兵衛)に因んでいる。豊臣家崩壊後、後藤基次は大宇陀(現 奈良県宇陀市)の地で暮らし、再興の時期を待ったと伝わるが、桜はその時の後藤家屋敷跡にある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO800 ) 露出補正 なし
192_2304070200 X900 名残の又兵衛桜 G7X.jpg 192.又兵衛桜 -2
2000年(平成12年)のNHK大河ドラマ「葵 徳川三代」のオープニング映像で使用されたことで有名になった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO250 ) 露出補正 なし
193_2304070209 X900 〇名残の又兵衛桜 G7X.jpg 193.又兵衛桜 -3
まだ、咲いていた桜もあった。これはサトザクラの一種だと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
194_2304070212 X900 〇名残の又兵衛桜 G7X.jpg 194.又兵衛桜 -4
又兵衛桜の周囲に植えられている桜が、咲き残っていてくれた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO250 ) 露出補正 なし
195_2304070219 X900 名残の又兵衛桜 G7X.jpg 195.又兵衛桜 -5
又兵衛桜の周囲に植えられている桜は、開花時期の異なる品種が混在していた。これも桜を見に来る人たちの為を思う工夫なのであろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO250 ) 露出補正 なし
196_2304070228 X900 名残の又兵衛桜 G7X.jpg 196.バスに戻る
バスまで、戻るのに10分くらいかかってしまう。スイセンが咲いていたので、又兵衛桜を背景に撮った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
197_2304070229 X900 〇名残の又兵衛桜 ハナミズキ G7X.jpg 197.名残の又兵衛桜
手前に咲くのはハナミズキの花。傘をさして、小走りにバスへと急ぐ。決められた時間には何とか間に合ったが、一番最後になってしまった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO320 ) 露出補正 なし

2023年5月10日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物 ④ 2023年4月5日ー7日 金峯山寺薬王堂 吉野山桜見納め

2023年4月6日、時刻は11時である。書院の見学と吉野千本桜を鑑賞し、満たされた気持ちで吉水神社を後にした。吉野山はこの先、奥千本、吉野山最高峰の標高858mの青根ヶ峯への大峯奥駈道にかけて、花矢倉展望台など、まだまだ見どころはあるようだが、時間もないし、道も厳しそうだ。下山する。 前もって、ツアコンさんから配られていた金峯山寺蔵王堂拝観券で内陣を参拝し、金剛蔵王権現像を参拝した。
 金峯山とは奈良県の吉野山から大峰山(山上ヶ岳)に至る一帯を指し、古くから飛鳥時代の聖地として知られている。白鳳年間(7世紀後半)、修験道を始めた役行者(えんのぎょうじゃ)は、この金峯山で修業し、山上ヶ岳において、人々を迷いや苦しみから救い、悟りの世界に導くために金剛蔵王権現を祈りだす。そして、その姿を山桜の木に彫刻し、山上ヶ岳と吉野山に堂を建てて祀った。これが山上山下の蔵王堂の起こりであり、金峰山時の始まりであるとそのパンフレットに書かれている。

000_2304060743 X700 〇吉野山 七曲り Z50 Z18-140.jpg
吉野山名残りの桜 2023年5月6日 奈良県吉野町 七曲がり付近

089_2304060667 X900 吉野山 金峯山寺 蔵王堂 Z50 Z18-140.jpg 89.金峯山寺蔵王堂
勝手神社まで行って、戻り路で奈良漬を買い、金峯山寺の前へ来た。石段を上がって境内に入る。正面に国宝蔵王堂の威容があった。蔵王堂は、金峯山寺の本堂である。本尊金剛蔵王大権現三体のほか、多くの尊像が安置されている。蔵王堂は、白鳳年間に役行者が創建したと伝えられている。平安時代から幾度か焼失と再建を繰り返し、「太平記」には正平3年(1348年)に足利方の高師直(こうのもろなお)の来攻によって焼失、その後、天正14年(1586年)にも焼失しているそうだ。現在の建物は天正20年(1592年)ころに完成したものである。3体の本尊は秘仏であり、普段は見ることができない。中尊は7mを超える巨像である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
090_2304060669 X900 吉野山 金峯山寺 蔵王堂 Z50 Z18-140.jpg 90.蔵王堂拝観
靴を脱いで堂に上がる。係の人が、「記念にお持ち帰るください」と、靴を入れる金峯山寺と名の入った袋を渡してくれた。内陣は撮影禁止であった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 39mm ISO280 ) 露出補正 なし
091_2304060676 X900 〇吉野山 金峯山寺 蔵王堂 Z50 Z18-140.jpg 91.蔵王権現立像を拝観 金峯山寺薬王堂本尊 特別御開帳
現在進められている国宝仁王門の大修理勧進のために、国宝蔵王堂内に安置されている日本最大の秘仏ご本尊金剛蔵王大権現三体が、特別に開帳されていた。(期間:令和5年3月24日~令和5年5月7日)蔵王権現立像三体の造仏は、秀吉の発願した方広寺大仏(京の大仏)の造仏にも携わった、南都仏師の宗貞・宗印兄弟が手掛けたことが、胎内の銘から知られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 43mm ISO640 ) 露出補正 なし
092_2304060681 X900 吉野山 金峯山寺 脳天大神 Z50 Z18-140.jpg 92.脳天大神(のうてんおおかみ)
金峯山寺の境内にびっくりするような名前の神社の案内があった。金峯山寺のホームページを見てみると、脳天大神は金峯山寺初代管長・故 五條覚澄大僧正が霊威感得された頭脳の守護神なのだそうだ。脳天大神はその最も大切な処を守護し、頭の病気や学業試験などの願い事を成就するとあった。首から上の病気に霊験あらたかで入学試験合格、病気全癒、商売繁盛祈願の参拝参詣者が多い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
093_2304060687 X900 〇吉野山 Z50 Z18-140.jpg 93.金峯山寺鐘楼
蔵王堂の左側(西側)に鐘楼があった。かつて、金峯山寺には1264年(文永元年)に鋳造された銅鐘があった。その銅鐘は現存しないが、銘文拓本が残され「鎌倉新大仏鋳物師丹治久友」とある。久友は、同年、東大寺塔頭真言院の梵鐘鋳造にも携わり、その鐘銘には「鋳物師新大仏寺大工」とあるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
094_2304060689 X900 〇吉野山 南朝妙法殿 Z50 Z18-140.jpg 94.金峯山寺から見た南朝妙法殿
金峯山寺の西側に三重塔(妙法殿八角三重塔(昭和33年 1958年建立)、金峯山寺南朝妙法殿は1958年(昭和33年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇の行在所であった実城寺跡に建立された。南朝妙法殿には後醍醐天皇と南朝第2代で、第97代・後村上天皇、南朝第3代で、第98代・長慶天皇、南朝第4代で、第99代・後亀山天皇の南朝の四帝や忠臣が祀られている。南朝妙法殿には実城寺の本尊とも言われる木造釈迦如来坐像(奈良県指定文化財)が安置されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 92mm ISO110 ) 露出補正 なし
095_2304060691 X900 吉野山 威徳天満宮 Z50 Z18-140.jpg 95.威徳天満宮
大きな建物ではないが、蔵王堂のすぐ横に鎮座する古社が、威徳天満宮。菅原道真を祭神としている。社伝によれば、天徳3年(959年)の創建とも伝えられ、天慶年中(938年~947年)、如意輪寺を創建した日蔵道賢(にちぞうどうけん)が勧請したともいわれる古社だそうだ。威徳天満宮の江戸時代前期建築の本殿は、豊臣秀頼の改修による華麗な桃山様式を残し、奈良県の文化財に指定された。社前の石灯籠は享保13年(1728年)の寄進だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
096_2304060694 X900 吉野山 四本桜 Z50 Z18-140.jpg 96.四本桜から見た蔵王堂正面
四本桜は蔵王堂の境内、石の柵の中に桜が4本植えられている場所で、「大塔宮(だいとうのみや)御陣地」と刻まれた石柱が建っている。元弘3年(1333年)大塔宮護良親王(だいとうのみやもりながしんのう)が鎌倉幕府勢に攻められて、吉野落城を覚悟して最期の酒宴をされた所と言われる。その際の陣幕の柱跡に植え続けられているのが、この桜だそうだ。石柵内に立つ銅燈籠は文明3年(1471年)の作で重要文化財に指定されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO180 ) 露出補正 なし
097_2304060705 X900 〇吉野山 威徳天満宮 Z50 Z18-140.jpg 97.中千本の桜
金峯山寺のあたりは少し高くなっていて、そこからも中千本の桜が眺められた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 125mm ISO180 ) 露出補正 なし
098_2304060711 X900 吉野山 銅鳥居 Z50 Z18-140.jpg 98.銅鳥居
銅鳥居のところまで下りてきた。時刻はほぼ正午。上がってきた時と比べて、空が明るくなり、青空も見えて光の状態が良くなっていた。鳥居額には「発心門」とある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f13 1/500秒 27mm ISO100 ) 露出補正 なし
099_2304060714 X900 吉野山 弘願寺 Z50 Z18-140.jpg 99.弘願寺
黒門の手前左側に弘願寺というお寺があった。この寺は高野山真言宗の寺院だそうだ。本尊は阿弥陀如来立像(県指定文化財)で鎌倉時代の正元2年(1260年)の作という。もとは金峯山寺の「上之坊」だったが、高野山真言宗の寺院になったという。吉野山寺宝めぐりの一環で秘仏「虚空蔵菩薩」が公開されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 25mm ISO100 ) 露出補正 なし
100_2304060720 X900 〇吉野山 弘願寺 ハナモモ Z50 Z18-140.jpg 100.ハナモモ
弘願寺のあたりにハナモモが咲いていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO250 ) 露出補正 なし
101_2304060723 X900 吉野山 ちりめん山椒 美味 Z50 Z18-140.jpg 101.ちりめんじゃこ
黒門の手前にちりめんじゃこ(ちりめん山椒)の店が出ていた。勧められて食べてみるとなかなか旨かったので、お買い上げ。京都へ行くとよく買って帰るが、ちりめん山椒は吉野名物でもあるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 30mm ISO125 ) 露出補正 なし
102_2304060729 X900 〇吉野山 黒門 Z50 Z18-140.jpg 102.戻り路の黒門
黒門まで戻ってきた。まだまだ、上がって来る観光客が多い。黒門を出たところにあった食事処で、簡単な昼食にした。歩いた後のビールは格段に旨かった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 34mm ISO220 ) 露出補正 なし
103_2304060733 X900 吉野山 あまご塩焼 Z50 Z18-140.jpg 103.鮎とあまごの塩焼き
昨日、ホテルの近くの小料理屋さんで食べたアマゴの塩焼きは旨かった。ヤマメは北のサクラマスの陸封型、アマゴは南のサツキマスの陸封型という。アマゴとヤマメは姿がほとんど同じで、淡白な身や柔らかい骨など、川魚としての美味しさも変わりない。 ただ、アマゴには脇腹に赤い斑点があり、ヤマメにはそれがないのが特徴だそうだ。子供のころ父親のお供で多摩川へヤマメを獲りに行ったのを思い出す。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 なし
104_2304060741 X900 ◎吉野山 七曲り Z50 Z18-140.jpg 104.見納めの千本桜 -1
入山した時には下千本の桜を見るのに夢中で気に留めなかったが、大橋という橋がある。その大橋の少し先が、下千本展望台だった。バスが待っている吉野山観光駐車場はもうすぐそばだ。ここは近鉄吉野駅から七曲がりを登り切った上にある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO110 ) 露出補正 なし
105_2304060746 X900 〇吉野山 七曲り Z50 Z18-140.jpg 105.見納めの千本桜 -2
枝垂れ桜は、まだまだいっぱい花をつけていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 44mm ISO110 ) 露出補正 なし
106_2304060751 X900 〇吉野山 七曲り Z50 Z18-140.jpg 106.見納めの千本桜 -3
今朝は雨も覚悟していたが、青空が顔を出すほどの天気になり、ラッキーだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 57mm ISO100 ) 露出補正 なし
107_2304060758 X900 ◎吉野山 七曲り Z50 Z18-140.jpg 107.見納めの千本桜 -4
桜の中に町があるような眺めだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 39mm ISO125 ) 露出補正 なし
108_2304060761 X900 ◎吉野山 七曲り Z50 Z18-140.jpg 108.見納めの千本桜 -5
下千本から中千本へと尾根を桜が染めていた。初めて訪れた吉野千本桜をたっぷり楽しむことができた。吉野山観光駐車場は、来た時とは違って、びっしりと、大きな観光バスがいっぱい止まっていた。我々一行29名が集まるのを待って、午後1時に出発した。ここから奈良県高取町にある壺阪神社に向かう。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 31mm ISO100) 露出補正 なし

2023年4月28日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物 ① 2023年4月5日ー7日 奈良公園

某旅行社の「新幹線で行く!世界遺産・吉野山はたっぷり3時間滞在!いにしえの奈良9つの桜3日間」という長ったらしいタイトルの付いたツアーに1月に申し込んであった。うちの奥さんが、長い間、吉野の桜を見たいといっていたからだ。申し込む時点で最も適時と推察した4月5日出発のコースを選んだ。だが、今年のサクラの開花は各地で例年より著しく早いのでいささか心配ではあったが、日程は変更できない。しかし、開花後気温が下がる日もあって、多少は長持ちしてくれたようだ。

日程はおおよそ次の通りだった。
4月5日 新横浜から新幹線で三河安城へ。観光バスで奈良公園 泊:奈良市内興福寺の近く
4月6日 吉野山(金峯山寺・吉水神社など)、壷阪寺、談山神社、泊:奈良市内
4月7日 又兵衛桜、長谷寺、大野寺 往路と同じく伊勢湾道路を三河安城へ。新幹線で新横浜。

さて、集合は新幹線の新横浜駅に朝6時45分だった。自宅からは比較的近いが、それでも5時半には家を出なくてはならなかった。7時15分発の「こだま」に乗って、9時21分に三河安城着。愛知県岡崎市に本社のある観光バスに乗り込んだ。参加者は29名で、一人で参加されている方も数名いらっしゃった。バスは伊勢湾自動車道(略称 伊勢湾岸道)を走り、レゴランドやジェット・コースターが見えたナガシマスーパーランドを車窓に見ながら、亀山で名阪国道へ入る。関というところで休んで、天理で名阪国道の自動車専用道路を下りた。
 バスは奈良県庁の駐車場へ入る。ベテランのツアコンさんに引率されて、すぐ近くの氷室神社へ。そこでいったん解散して、各自それぞれ春日大社や、大仏殿など奈良公園一帯を自由に歩くことになった。我々2人は、かみさんの脚も考え、奈良公園の散策をしたあと、興福寺の国宝館へ行くことにした。奈良公園は外国からの観光客が多いのにびっくりした。国宝館を見るのは2度目だが、改めて国宝、重要文化財である阿修羅像や、千手観音菩薩などの数々の仏さまの豊かな表情に見惚れてしまった。
 バスを降りたところで集合し、午後4時過ぎに今宵泊まるホテルに入る。猿沢の池のすぐそばと立地が良い。夕食は各自自由となっていたので、"ならまち"を歩く。ホテルでおすすめの食事処を聞いてみた。どこか居酒屋風のところでよいところないかと思ったが、第一推薦の店に行ってみると、すでに外国人観光客の方も含めて、10名ほどの人が並んで待っていたのでやめてしまった。少々、歩き疲れてホテルに戻り、改めてホテルの方に尋ねて、ホテルの近くにあったこじんまりとした小料理屋さんに電話予約をした。朝が早かったこともあり、ぐっすりと寝ることができた。TVの野球放送は阪神戦の中継のみで、巨人戦はなかった。
 なお、東大寺や興福寺に関する記述は、そのホームページやwikipediaを参照させていただいた。

000_2304050438 X700 〇奈良 東大寺 Z50 Z18-140.jpg
東大寺鏡池と中門と大仏殿 2023年4月5日 奈良県奈良市雑司町

001_2304050001 X900 新横浜駅 G7X.jpg 1.朝6時半の新横浜駅構内
まだ、人は多くない。「相鉄新横浜線・東急新横浜線 3月18日 新横浜駅誕生」の幕が掛けられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
002_2304050006 X900 伊勢湾岸道 G7X.jpg 2.伊勢湾自動車道の3つの兄弟橋「名港トリトン」(車窓から)
バスは伊勢湾自動車道を走る。前方に赤い橋が見えてきた。この橋は名古屋港横断三大橋「名港トリトン 」の3本目の橋である。伊勢湾岸自動車道のうち、伊勢湾岸道路の東海IC~飛島ICの間に3つの兄弟のような橋がある。橋は伊勢に向かう順に、青・白・赤に色分けされている。見事なこの橋は、世界的にも大規模な往復6車線の海上斜張橋梁群で、長大斜張橋が三橋連立しているのは、世界でも珍しいそうだ。どの橋も夜間にはライトアップされるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
003_2304050010 X900 伊勢湾岸道 太陽光パネル G7X.jpg 3.ソーラー・パネル畑(車窓から)
これは三重県、愛知県が公募し、丸紅株式会社が事業者として選ばれ、木曽岬干拓地に建設した太陽光発電所だ。ナゴヤドーム約20個分の広さ(約78ha)の土地にたくさんの太陽光発電システムが設置されていた。太陽光パネルは約20万枚で太陽光発電量は49,155kwあるそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO400 ) 露出補正 なし
004_2304050013 X900 伊勢湾岸道 ながしま G7X.jpg 4.ナガシマスパーランド(車窓から)
伊勢湾岸道路は木曽岬の先で三重県に入る。この大きなジェットコースターがあるのは、三重県桑名市長島町浦安にある長島観光開発株式会社の運営する遊園地で、同社が形成する「ナガシマリゾート」の中核施設である。西日本有数の絶叫マシンの台数を誇り「東の富士急、西のナガシマ」と並び称されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO160 ) 露出補正 なし
005_2304050018 X900 伊勢湾岸道 G7X.jpg 5.東名阪道(車窓から)
バスは四日市JCT.で東名阪道に入る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
006_2304050040 X900 名阪国道終点 天理 G7X.jpg 6.名阪国道(車窓から)
バスは亀山で東名阪自動車道から名阪国道に入り、12時40分に「天理・奈良 出口」を下りた。名阪国道というのは、いわば無料の自動車専用高速国道である。東名阪自動車道(東名阪)と西名阪自動車道(西名阪)の間に位置する日本の高規格幹線道路網を構成する道路の一つで、両端が東名阪・西名阪の両自動車道と直結した一般国道25号の自動車専用道路である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
007_2304050474d X900 奈良 氷室神社 Z50 Z18-140.jpg 7.奈良の到着 氷室神社
奈良に到着したバスは県庁の駐車場に入る。我々ツアー一行はベテランのツアコンさんに引率されて、奈良国立美術館の前にある氷室神社を参拝した。氷室神社の縁起は、和銅3年(710年)7月22日、元明天皇の勅命により、吉城川上流の春日山にある月日磐に氷神を奉祀し(下津岩根社)たのに始まるという。氷の神様をお祭りする神社である。ホームぺージには、冷凍、冷蔵、製氷販売業の守護神、また、冷凍、冷蔵技術の守護神とあった。春日造の一ノ鳥居が、大宮通りに面する。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.5 1/1000秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
008_2304050405d X900 奈良 氷室神社 Z50 Z18-140.jpg 8.氷室神社 表門
鳥居からまっすぐ進み、正面石段を登ると表門(四脚門)があった。wikipediaによれば、表門(奈良県指定有形文化財) は、 元々は内裏の日華門で応永9年(1402年)に現在地に移築された。寛永18年(1641年)には内裏の日華門の扉と金5枚が下賜されている。門は四脚門形式で屋根は本瓦葺、東西廊は門に接続している。狛犬は安政4年(1857年)8月に奉納され石工名不詳とのこと。ぶっとい眉毛と大きな鼻の浪速顔だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.0 1/1000秒 19mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_2304050406 X900 奈良 氷室神社 Z50 Z18-140.jpg 9.氷室神社 拝殿と本殿
手前の拝殿(奈良市指定有形民俗文化財)は舞殿でもある。勾欄付きの舞楽殿でかつての南都楽所の中心部であった。本殿(奈良県指定有形文化財) は文久年間(1861年 - 1864年)再建。三間社流造・檜皮葺。本殿床下には2室があり、両開き板戸が付けられている。wikipedia参照。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.8 1/1000秒 28mm ISO900 ) 露出補正 なし
010_2304050411 X900 奈良 氷室神社 Z50 Z18-140.jpg 10.お参り
お嬢ちゃんに着物を着せ、お参りしている女性がいた。何のお参りなのだろうか ?

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.8 1/1000秒 25mm ISO900 ) 露出補正 なし
011_2304050413 X900 奈良 氷室神社 Z50 Z18-140.jpg 11.奈良一番桜
鳥居を入って右側に手水舎があるが、その向こうの鏡池という池の前に枝垂桜があった。このサクラは、奈良市内で一番早く咲き、奈良一番桜とも言われている枝垂桜だそうだ。他にも八重桜などの桜の木が植えられ、桜と四脚門・鏡池・参道・鳥居などの光景が素晴らしいと言われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.0 1/1000秒 25mm ISO100 ) 露出補正 なし
012_2304050477 X900 〇奈良 氷室神社 トキワマンサク.jpg 12.ベニバナトキワマンサク(紅花常盤万作)
桜の花の向こうに深紅の花が見えた。何だろうと思い傍に行ってみる。糸状の細い花びらの集合体が花となっている花の形状はマンサクだった。トキワマンサクの変種のようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f6.3 1/1000秒 140mm ISO3200 ) 露出補正 なし
013_2304050417d X900 奈良 氷室神社 Z50 Z18-140.jpg 13.鳥居と桜
境内側から鳥居を見ると、満開の枝垂桜があった。花は一重のようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f6.3 1/1000秒 140mm ISO3200 ) 露出補正 なし
014_2304050478 X900 〇奈良 氷室神社.jpg 14.鳥居の桜と深紅のトキワマンサク
桜の花と比べて、深紅のトキワマンサク(ベニバナトキワマンサク)の印象は際立つ。境内の警備をしていた方と話すと、あの花は何だとよく聞かれるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.3 1/1000秒 70mm ISO800 ) 露出補正 なし
015_2304050422 X900 奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 15.東大寺南大門へ向かう
氷室神社を出て、奈良公園を歩いてみた。外国からの観光客がとても多い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.3 1/1000秒 72mm ISO560 ) 露出補正 なし
016_2304050425 X900 〇奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 16.奈良公園の鹿
奈良公園に生息するシカは国の天然記念物に指定されている野生動物である。 飼育されている動物ではない。奈良公園に生息する鹿の数は昨年7月の調査でおよそ1200頭確認され、2021年より80頭ほど増えたという。 奈良公園の鹿は「奈良のシカ」として国の天然記念物に指定されていて、保護活動をしている「奈良の鹿愛護会」が毎年7月に鹿の数を調査している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.0 1/1000秒 63mm ISO400 ) 露出補正 なし
017_2304050429 X900 〇奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 17.南大門 正面から
東大寺は華厳宗の大本山の寺院であり、本尊は奈良大仏として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)。開山(初代別当)は良弁である。正式には金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、度々修復を受けており、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみである。また現存する大仏殿は江戸時代中期の宝永6年(1709年)に規模を縮小して再建されたものである。写真の南大門は国宝である。平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。「大華厳寺」の扁額がかかっている。これは古い記録にそのような扁額があったと書かれていたことに基づき、2006年(平成18年)10月10日に行われた「重源上人八百年御遠忌法要」に合わせて新調されたものである。(wipipediaを参照)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.5 1/1000秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
018_2304050430 X900 奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 18.南大門から中門へ
東大寺「中門」は「東大寺大仏殿」の正面に建つ大きな楼門である。鎌倉時代の「大仏様」建築の傑作として知られる東大寺南大門と比較すると目立たない存在ではあるが、享保元年(1716年)頃の建立と推定される建築は、東大寺では珍しく朱色が目立つ外観となっており、重要文化財にも指定されている貴重な建築である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.0 1/1000秒 61mm ISO500 ) 露出補正 なし
019_2304050436 X900 奈良 奈良公園 Z50 Z18-140.jpg 19.中門へ 鹿の数が多くなる
中門は東大寺大仏殿の正面、大仏殿を取り囲む「回廊」沿いに位置するため、大仏殿にお参りするために通る正式な参入門として長らく用いられてきた。現在は大仏殿の拝観料を徴収するための受付が回廊内に設けられているため、通常時は中門から入ることはできない。2010年8月に来た時には大仏殿に入り、高さ46.8mある盧舎那仏を拝んできたが、今回は中門で失礼した。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.3 1/1000秒 68mm ISO500 ) 露出補正 なし
020_2304050440 X900 〇奈良 東大寺 Z50 Z18-140.jpg 20.東大寺鏡池と中門と大仏殿
南大門から中門へ向かう右側に鏡池(かがみいけ)がある。鏡池に中門と大仏殿が映り込む様子は東大寺の景観のハイライトとなっている。風のない日の方がきれいに映り込む。この時は池にさざ波がたっていた。鏡池という名称は、池にある小島が取っ手のある手鏡のような形をしていることからそう呼ばれている。その小島には弁財天が祀られている。紅葉が美しいらしい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.2 1/1000秒 35mm ISO180 ) 露出補正 なし
021_2304050442 X900 〇奈良 奈良公園 若草山 Z50 Z18-140.jpg 21.若草山
若草山は、奈良公園の東端に位置する標高342m、面積33haの、ノシバ(日本芝の一種)に覆われた山で、山頂には、5世紀頃に築造されたといわれる史跡鶯塚古墳がある。毎年1月には、若草山焼きがある。夜空をこがす壮観さはまさに、炎の祭典というのにふさわしい行事と言われる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.6 1/1000秒 103mm ISO250 ) 露出補正 なし
022_2304050452 X900 〇奈良 奈良公園 Z50 Z18-140.jpg 22.中門と回廊
中門と回廊を鏡池の東側から撮った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.5 1/1000秒 23mm ISO100 ) 露出補正 なし
023_2304050454 X900 奈良 東大寺 Z50 Z18-140.jpg 23.大仏殿
中門から大仏殿(金堂)を眺める。正式には東大寺金堂というが、「大仏殿」の名で広く知られ、東大寺の公式ホームページでも主に「大仏殿」が使用されている。大仏殿は、1181年(治承4年)と1567年(永禄10年)の戦火で2度にわたり焼失し、現在の建物は1709年(宝永6年)に公慶(こうけい)上人によって再建され、落慶(寺社などの新築、また修理の完成を祝うこと)したもので、国宝に指定されている。天平・鎌倉の大仏殿は桁行11間(約88m)であったが、財政困難の理由で7間に規模が縮小された。それでも高さや奥行は創建時のままで、世界最大級の木造建造物である。東西 57.012m、南北 50.480m、高さ は48.742m ある。大仏殿の正面には、国宝に指定されている金銅八角燈籠が見える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.5 1/1000秒 25mm ISO125 ) 露出補正 なし
024_2304050463 X900 奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 24.南大門 裏手(北側)から
国宝である。先に記したように、平安時代の応和2年(962年)8月に台風で倒壊後、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興されたもの。東大寺中興の祖である俊乗房重源が中国・宋から伝えた建築様式といわれる大仏様(だいぶつよう、天竺様ともいう)を採用した建築として著名である。大仏様の特色は、貫と呼ばれる、柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしていること、天井を張らずに構造材をそのまま見せて装飾としていることなどが挙げられる。裏手からは見られないが、門内左右には金剛力士(仁王)像と石造獅子1対(重要文化財)を安置する。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.8 1/1000秒 23mm ISO1000 ) 露出補正 なし
025_2304050464 X900 奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 25.南大門 横(西側)から
戻るときに改めて南大門を眺めると修復が必要と思われるほど傷んできているようにも思えた。現在は退色しているが、本来南大門は赤い門だったそうだ。ブログで、将来の修復時にも再塗装して欲しくなく、この門には歴史を感じさせる今の古色蒼然さがとても似合っているという意見を述べている方がいた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.5 1/1000秒 18mm ISO1600 ) 露出補正 なし
026_2304050468 X900 〇奈良 南大門 Z50 Z18-140.jpg 26.世界遺産認定の碑と鹿
奈良公園クイックガイドというページに、「鹿に鹿せんべい以外の食べ物を与えたりしないでください。鹿せんべいはすぐにあげてください。焦らすと怒ります。」と記されていた。また、いつから奈良公園に鹿が住んでいるのか?という問いには、春日大社に祀られている神様武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が白い鹿に乗ってやってきたという伝説があり、その春日大社の祭神、武甕槌命は鹿島神社(茨城県)から神鹿に乗ってってやってきたと伝わるため、鹿は神の使いとして古くから手厚く保護されてきて、万葉集(750年)に実際に鹿がいたことが書かれているとあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.0 1/1000秒 32mm ISO900 ) 露出補正 なし
027_2304050481 X900 奈良県庁→興福寺 Z50 Z18-140.jpg 27.興福寺へ
興福寺へ阿修羅像を見に行くことにした。県庁まで戻り、大宮通りを左に曲がって、右側の拝観受付から国宝館へ行く途中、鹿4頭が道に飛び出して、自動車を止めてしまった。何せ、鹿は神の使いである。こういう光景はどこでも見られるのだろう。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f4.0 1/1000秒 32mm ISO900 ) 露出補正 なし
028_2304050498 X900 奈良興福寺 西金堂 Z50 Z18-140.jpg 28.興福寺 中金堂
国宝館で見た阿修羅像をはじめ数々の国宝の像は、そのお顔の表情がそれぞれ豊かであり、心を癒された。2010年に奈良に来た時にも国宝館は見学したが、また、新たな印象を持った。国宝館を出て興福寺の境内を歩く。まず、新しい中金堂が目に入った。中金堂は長い寺史の中で7度の火災に遭い、1717年の大火で焼失した後は仮堂が建設されただけにとどまっていた。今回は300年ぶりの復興となる。創建1,300年となる2010年(平成22年)に中金堂再建工事が着工され、2017年(平成29年)、翌年に中金堂が完成するのを見越し仮金堂内の諸仏を早くも中金堂に移し、今見る中金堂は、2018年(平成30年)10月に9代目の中金堂として落慶した。コロナ感染防止のため内部の拝観はできなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.5 1/1000秒 18mm ISO180 ) 露出補正 なし
029_2304050490 X900 奈良興福寺 東金堂 Z50 Z18-140.jpg 29.東金堂
応永22年(1415年)再建された。5代目である。1952年(昭和27年)3月29日、文化財保護法に基づく国宝に指定されている。東金堂は神亀3年(726年)、聖武天皇が伯母にあたる元正上皇の病気平癒を祈願し、薬師三尊像を安置する堂として創建された。治承4年(1180年)の兵火による焼失後、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵・東金堂衆は飛鳥の山田寺(現・奈良県桜井市)にあった天武天皇14年(685年)に蘇我倉山田石川麻呂の冥福を祈って造立されたものと思われる講堂の本尊・薬師三尊像を強奪し、それを新たな東金堂の本尊として安置した。東金堂はその後、応永18年(1411年)に五重塔と共に焼け、現在の建物は応永22年(1415年)に再建された室町時代の建築である。様式は、唐招提寺金堂を参考にした天平様式。平面規模は、創建時の堂に準じている。木造維摩居士坐像(国宝)、木造文殊菩薩坐像(国宝)、木造四天王立像(国宝)、木造十二神将立像(国宝)、銅造薬師三尊像(重要文化財)が安置されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.0 1/1000秒 57mm ISO720 ) 露出補正 なし
030_2304050492 X900 奈良興福寺 南円堂 Z50 Z18-140.jpg 30.興福寺 南円堂 日本で最大の八角堂
弘仁4年(813年)藤原冬嗣が父 内麻呂追善の為に建てた。 基壇築造の際には地神を鎮めるために、和同開珎や隆平永宝を撒きながら版築したことが発掘調査で明らかにされた。また鎮壇には弘法大師が係わったことが諸書に記されている。不空羂索観音菩薩像を本尊とし法相六祖像、四天王像が安置されている。創建以来四度目の建物で、寛保元年(1789年)に再建された。江戸時代の建物といっても、その手法はきわめて古様で、鎌倉初期の再建だが、興福寺に残る最も古い建築物である美しい八角形の北円堂を参考にしたと考えられる。南円堂のすぐ北側にある北円堂を見過ごしてしまったのが残念だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.5 1/1000秒 18mm ISO560 ) 露出補正 なし
031_2304050495 X900 奈良興福寺 南円堂 Z50 Z18-140.jpg 31.金銅灯篭
南円堂正面におかれた高さ236cmの金銅製の灯篭で、南円堂が建立された平安時代から現存するのはこの灯篭のみだそうだ。弘仁7年(816年)に藤原氏の一門が寄進したことが判明している。現存する灯篭では東大寺大仏殿の正面に立つ国宝「八角灯篭」に次いで古く、現在は国宝館に収蔵されているが、南円堂前にはそのレプリカが据えられている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f3.8 1/1000秒 27mm ISO800 ) 露出補正 なし
032_2304050505 X900 奈良興福寺 五重塔.jpg 32.興福寺 五重塔
興福寺の五重塔は、730年(天平2年)に光明皇后の発願で創建された。初層の東に薬師浄土変、南に釈迦浄土変、西に阿弥陀浄土変、北に弥勒浄土変を安置し、各層には水晶の小塔と垢浄光陀羅尼経が安置されていたという。現在の塔は、1426年(応永33年)の再建で国宝である。初層の須弥壇には、東に薬師三尊像、南に釈迦三尊像、西に阿弥陀三尊像、北に弥勒三尊像が安置されている。なお、大規模修理に向けた調査が進む興福寺の国宝五重塔で、修理現場を覆う「素屋根」の設置が始められる。2023年7月から設置し始め、30年3月には修理工事が終わる予定だ。今回見ることができて幸いだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f5.0 1/1000秒 56mm ISO6400 ) 露出補正 なし
033_2304050045 X900 奈良町 G7X.jpg 33.ならまち
ホテルには4時過ぎに入った。今夜の夕食は各自でとることになっている。ホテルの方に、どこかちょっとお酒が飲めて、食べられるところで良いところはないかと相談したところ、2軒ほど教えてもらえた。まだ、時間は早いので、少し町を歩いてみようと外に出た。「ならまち」とは奈良の旧市街地で、特に元興寺や興福寺の門前町だった奈良時代に始まり、その後も発展を続け、近世以降は奈良を代表する商業地となったあたりをいうそうだ。戦後は駅周辺の開発とともに閑静な住宅地に変わっていったが、1980年代に町並み保存の機運が高まり、現在に至っている。奥深い魅力を持つ町だという。こんなアーケードの商店街もあったが、観光客の姿は少ない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
034_2304050047 X900 奈良町 G7X.jpg 34.古美術店
ちょっと雑然としたところもあるのだが、新しい感覚のカフェなどに混じって、こんな優雅な店もあった。ホームページを見ると、「初代より大和古物(仏教美術・南都漆器)、一刀彫、古赤膚焼を扱っております。現在では、三代、四代、五代目の三人により、茶道具。日本画、現代作家(人間国宝中心)鑑賞陶器など多岐にわたって取り扱っております。是非一度お立ち寄りください。」とあった。ここは西寺林町である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels

シャッタースピード優先オートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
034+_2304050513 X900 〇奈良興福寺 Z50 Z18-140.jpg 34+.興福寺三重塔ライトアップ
1枚追加。近くで夕食を終え、ホテルに戻ると、窓から興福寺の三重塔がライトアップされているのが見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先オートで撮影  ( f6.0 1/20秒 120mm ISO6400 ) 露出補正 なし

2022年4月11日

高野山 墓参 3月28日

3日目。娘は昨日、仕事で東京へ戻ってしまったが、娘の主人が私たちの高野山墓参に付き合ってくれた。私の兄が存命の頃は、3年に1回、親族が高野山に集まる機会があったが、9人いた父親の兄弟も高齢になり、その集まりも終了した。
 その後も数年に1回、父母、兄夫婦の眠る高野山へお墓参りに来ている。前回来たのは2018年11月だったので、3年と4か月ぶりの墓参になった。
 京阪電車、祇園四条駅発6時37分の特急に乗り淀屋橋で地下鉄御堂筋線に乗り換え難波へ出た。南海高野線の特急こうや号は8時42分発だ。駅構内でカフェに入りモーニングセットを食べたが、なかなか美味しかった。
 特急こうや号の車両は新しくなっていた。(ところが後で調べてみたところ、実は30年前に造られた車両だった)終点の極楽橋から高野山へ上るケーブルカーも新型の車両になっていた。難波駅で購入した特急券に高野山でのバスのフリー切符が付いていたので、ケーブル高野山駅からバスに乗り、まず、菩提寺である恵光院へ行った。今日は月曜日で観光客は少ない。
 恵光院の本堂で位牌にお参りした。過去帳には私がお参りした記録も残されている。  家内が昨年10月にアキレス腱を損傷し、歩行が完全ではないので、いつもは歩いて石畳の杉並木を歩き、中の橋のちょっと手前にある先祖代々の墓にお参りするのだが、今回は恵光院でタクシーを呼んでもらい、中の橋のバス停まで乗って行った。そこから、杉並木の奥の院参道に戻り、その中の橋の近くにある墓にお参りした。  杉並木の石畳を歩き、再び恵光院に戻り、タクシーを呼んでもらう。娘の小学校の同級生の母親で、家内と今も付き合いのあるかたの、若くして亡くなられた息子さん(娘の同級生)の菩提寺、正智院まで行ってお参りしてきた。
 本堂でお参りしたあと、その庭園と襖絵、掛軸など寺の素晴らしい所蔵品を見せていただいた。正智院の記述については、平成29年7月7日に発行された「霊訪館だより」に鳴海祥博氏が書かれている「高野山の古建築 第27回 正智院」を参照させていただいた。
 今回は奥の院も、金剛峯寺にもお参りはしなかった。  午後1時半になった。高野山駅へ行くバスの停留所の近くの食堂に入りそばを食べ昼食にした。この季節、高野山は肌寒い。桜もまだ咲いていない。朝早かったこともあり少々疲れた。
 帰りの特急こうや号は、15時39分迄ない。新大阪に着いたのは夕方6時近かった。

000_220328441 X700 〇高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg
高野山参道 奥の院への杉並木 2022年3月28日 和歌山県

001_220328065 X800 南海高野線 G7X.jpg 1.特急こうや号 車内
この日は月曜日であり、電車はガラガラだった。南海高野線のこうや号はJR和歌山線(王寺~和歌山)と接続する橋本駅から先は勾配が大きく、単線になる。橋本駅 -極楽橋駅間は「こうや花鉄道」の愛称が付けられ、特に高野下駅以南は50‰の勾配、制限速度33km/h、半径100m以下の急カーブが続く登山鉄道となっており、21m級の車両は走行できないため、この区間に乗り入れる列車にはズームカーと呼ばれる17m級の中型車両のみが使用されている。(wikipediaを参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
002_220328072 X800 南海高野線 極楽橋駅 G7X.jpg 2.高野山ケーブル
南海高野線の終点極楽橋駅から霊峰高野山の玄関口であるケーブル高野山駅までを結ぶ、南海電気鉄道のケーブルカー路線は通称高野山ケーブルと呼ばれるが、前回来たときに比べると車両が新しくなったようだ。2018年(平成30年)11月26日 - 2019年(平成31年)2月28日:車両の新造ならびに諸設備の更新工事実施のため運休し、その間バスで代行され、2019年(平成31年)3月1日:運行再開。車両は新造の4代目のN10・20形に置き換えられたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし
003_220328493 X800 高野山 恵光院 本堂 Z50 18-140.jpg 3.恵光院本堂 外観
ケーブルの高野山駅からバスに乗って苅萱堂前で下り、まず、菩提寺である恵光院へ行った。高台にある本堂へ上がり、位牌に参拝する。この本堂は平成3年に近藤説巌上綱により再建された。昨年、第53世近藤大玄上綱が亡くなられ、現在は近藤説秀さんが住職を務められている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 40mm ISO160 ) 露出補正 なし
004_220328080 X800 恵光院 本堂 G7X.jpg 4.恵光院本堂 内部
若いお坊さんが過去帳を開いてくれた。そして、お祀りされていた位牌をご本尊様の仏像の前に配してくれたので、お参りする。ご本尊様は、中央に阿弥陀如来、向かって右に弘法大師、左に不動明王が祀られている。左手に置かれているのは、昨年亡くなられた近藤大玄上綱のお写真。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f2.5 1/320秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
005_220328082 X800 恵光院 G7X.jpg 5.恵光院 玄関から本堂への廊下
恵光院は宿坊をしており、今はコロナ禍で泊る人も少ないだろうが、世界遺産に登録された後、外国人の客が多いようで、案内板に英語が添えられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
006_220328439 X800 高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 6.写真業界先賢萬霊の碑
中の橋バス停から、大きな杉の木の立ち並ぶ奥の院への石畳の参道へと歩く途中に、写真業界先賢萬霊の碑というのがあった。昭和31年(1956年)6月1日建立。たくさんの写真が焼き付けられている。写真業界先賢萬霊の碑と彫られた石碑の形はブローニー版のパトローネの様だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 40mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_220328447 X800 〇高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 7.中の橋
昭和27年に第二次世界大戦の戦死者を供養するために建てられた、英霊殿を背にして歩いてくると、右は奥の院弘法大師御廟、左は一の橋という案内板が立つ大きな杉の木の建ち並ぶ奥の院への石畳の参道に出る。この日は奥の院へお参りするのを割愛させていただき、墓参を優先させて左に行く。中の橋が見えてきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 40mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220328449 X800 〇高野山 中の橋 姿見の井戸 Z50 18-140.jpg 8.姿見の井戸
中の橋を渡る手前の橋詰に汗かき地蔵をお祀りしているお堂があるのだが、 このお堂の右側に姿見の井戸と呼ばれる小さな井戸がある。 この井戸を覗きこんで、自分の顔が映らないと3年以内に死んでしまうといわれているのだそうだ。覗き込んでみた。映った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 なし
009_220328451 X800 〇高野山 中の橋 汗かき地蔵 Z50 18-140.jpg 9.汗かき地蔵
汗かき地蔵の説明板には、「汗かき地蔵は、常に人々の犯した罪に苦しみ、その苦しみを慈悲によって変わって受け、そのため汗を流しておられると言われています。黒っぽい石材に地蔵尊が半肉彫りされていて、実際にツユが吹いて汗が流れているように見えるときがあるようです。」と記されていた。高野山に伝わる伝承としては、奥の院への参拝者を含めた世の中全ての人々の罪を一身に背負って、代わりに汗をかいていると言われているそうだ。そしてこの地蔵堂と中の橋の向こうに、私の先祖代々の墓がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO720 ) 露出補正 なし
010_220328452 X800 高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 10.市川団十郎墓所
中の橋から一の橋へ参道を下がっていくと、市川団十郎の墓所があった。 「初代市川團十郎供養塔」と表示されている資料(「高野山奥の院の墓碑を訪ねて」)があるという。市川團十郎と云えば、約350年も続いているという成田屋の市川宗家であり、元禄17年(1704年)没。舞台上で役者に刺殺されたといわれている。初代が最初に眠っていた墓は、東京都港区芝公園にある常照院とされ、初代から七代目までは常照院に墓があったそうだ。九代目の市川團十郎は宗派を神道に改宗したために、亡くなった後はその公営の墓地がある青山霊園に建立された。今までの歴代團十郎が眠っていた墓地を青山霊園に移す事となり、歴代の團十郎は青山霊園で合墓となったという。では、この写真の市川団十郎墓所というのは何なのだろうか。放置されて荒れているようにも見えるが。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO800 ) 露出補正 なし
011_220328469 X800 〇高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 11.杉並木の石畳
一の橋から奥の院御廟までの参道約1.6kmの両側にそびえ立つ樹齢約200年~600年の大杉林は、和歌山県の天然記念物に指定されている。大杉の総数は1300本を数え、樹高50m級の巨木もある。なかでも樹形材質共に優れた樹木を保存し、優良な種子穂木を確保する目的で農林水産大臣が法律に基づき、特別母樹林に指定している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 28mm ISO450 ) 露出補正 なし
012_220328472 X800 高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 12.明智光秀墓所
私が知っている明智光秀の墓は、2020年11月に訪れた滋賀県大津市坂本にある西教寺である。NHKの大河ドラマにもある。しかし、一説に、本能寺の変のあと、山崎の合戦で討ち死にしたのは影武者であり、光秀は中洞(岐阜県山県市中洞)に落ち延びて荒深小五郎と名乗り、住んでいたと伝えられていて、その後、慶長5年(1600年)、関ケ原の合戦に参戦しようとした道中、増水した藪川(根尾川)で馬共に流されて亡くなったとされているそうだ。中洞白山神社の林の中に光秀の墓とされる「桔梗塚」があり、現在まで地元の荒深氏一族によって大切に守り続けられ、年に2回供養祭が行われているそうだ。では、ここ高野山の墓所は何なのだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
013_220328475 X800 高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 13.石田三成墓所
すぐ近くに石田三成の墓があった。石田三成の墓は京都市の大徳寺三玄院にあるが、江戸時代は、徳川家が三成の墓を許さなかったようである。このため三成の墓は、土に埋められ、世の中に顔を出さなかっというが、戦前にはその墓が発掘されて遺骨も出土しているそうだ。高野山の墓は生前に長命祈願のために自身が建てた「逆修墓」だという説がある。なぜ、高野山にはこのような戦国武将の墓があるのだろうか。 和歌山歴史物語というサイトには、中には武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、伊達政宗といった戦国武将の墓もある。 これは高野山、しいては空海のそばで眠りたいとの先人たちの願いがこめられているという。高野山への納骨の風習は鎌倉時代から始まり、墓石として石造りの五輪塔が登場したのが室町時代末期。現在は江戸時代初期造立の諸大名の五輪塔が墓石群の中核となっている。これは徳川家康が高野山を墓提所と定めたため、諸大名がこぞって高野山に墓石を建てたことが大きな要因。結果、大名家の墓は110家にもおよび、その数は全国大名の約40%を占めるという。「高野山で眠りたい」という願いは一般庶民も同じ。そこで、素朴でこじんまりとした一石五輪塔を奉って願いを叶えたのだ。ほかに、織田信長、豊臣一族、明智光秀ら多くの戦国武将の墓も。皇族、貴族、大名、一般庶民と、生前の所業や敵味方は死後は一切関係なし。すべての人を等しく受け入れるのは高野山の懐の深さか。しかし、私の祖先が、なぜ高野山に墓所を持つことが出来たのだろうか? 菩提寺である恵光院の当時のご住職と、コネがあったからだと聞いたことがあるが、それ以上のことは次男坊の私にはわからない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
014_220328485 X800 〇高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 14.陽の光が差し込む杉並木
戦国大名の墓を見ているうちに一の橋が近くなった。差し込む陽の光に杉並木が生える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 47mm ISO900 ) 露出補正 なし
015_220328554 X800 〇高野山 正智院 Z50 18-140.jpg 15.正智院
若くして心臓病で急逝した娘の小学校時代の同級生が眠る正智院に寄った。母親同士が、その頃から今もお付き合いが続いている。正智院は、壇上伽藍の北側の奥にある静かなところだ。正智院は、天平年間(1110年~1113年)に正智坊教覚によって開基され、その中興の学僧・道範大徳は高野八傑のひとりであり、聖僧・学僧等が相次いで傑出し高野山でも屈指の学問寺院として、その法灯を守り続けた寺院という。筑前の黒田家、薩摩の島津家の帰信が厚い。本尊は阿弥陀如来。有名な国宝文館詞林 、不動明王、五銛鈴その他仏像、仏画・典籍を多数所蔵されている。岩山を背景に枯山水の庭園、客間の襖絵などを見せていただいた。ご住職がとても立派なお方だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
016_220328495 X800 〇高野山 正智院 本堂 Z50 18-140.jpg 16.正智院 本堂
ご住職にご挨拶して、まず御本堂でお参りをした。本堂は大楽院というお寺の本堂を移築したものだそうだ。そのため、右手の一段高い内陣の奥に大楽院の本尊が、左手の奥に正智院の本尊が祀られている。中は非常に暗かった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/8秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
017_220328498 X800 高野山 正智院 庭園 Z50 18-140.jpg 17.正智院の庭
実は前回、2018年11月にも正智院に参拝している。その時は紅葉の頃だったので鮮やかだったが、今の季節はちょっと殺風景なのは仕方がない。この庭は、重森三玲が作庭した苔と岩肌の美しい枯山水庭園で国登録名勝になっている。写真は庭のごく一部。いい写真が撮れなかった。昭和27年(1952年)に重森三玲が水墨画水面的な発想を基に作庭した。庭の正面に大きな岩山があるが、この「影向岩」(明神岩とも呼ばれる)という巨大な岩は道範大徳がこの場所で明神様(影向明神・高野明神)を感得したことから名づけられたと言われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
018_220328510 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 18.正智院の客殿
正智院の客殿は広くて立派だった。大きな客殿は襖で仕切られ、襖を開けば連続した座敷になる。庭園に面した客間の襖絵は谷文晁や、名のある絵師によって描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/60秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
019_220328521 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 19.正智院の大広間の襖絵 -1
部屋を取り囲むように、広間の襖に、正智院の枯山水の庭が描かれていた。ご住職が説明してくださったのだが、撮影に夢中になり、作家の名前を覚えておくことが出来なかった。襖絵には庭の春夏秋冬が描かれ、庭の正面の大きな岩山「影向岩」に降り立つ白い束帯姿の影向明神が描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/160秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
020_220328522 X800 高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 20.正智院の大広間の襖絵 -2
明神様の左側が描かれている。部屋の広さが推し量れる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/125秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
021_220328525 X800 高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 21.正智院の大広間の襖絵 -3
さらにひとつ襖をあけて下さり、見せていただいたのは、庭の秋が描かれた襖画だった。そして右側の襖に冬が描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/125秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
022_220328543 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 22.正智院 円山応挙の掛軸
右下に「應擧」の銘が見られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/100秒 24mm ISO6400 ) 露出補正 なし
023_220328570 X800 高野山 壇上伽藍 金堂 Z50 18-140.jpg 23.根本大塔と八角灯篭
正智院のお参りを終え、根本大塔の後ろ側から壇上伽藍に上がった。何回も高野山に来ているが根本大塔の内部に入ったことはなかった。今朝、難波駅で購入した特急こうや号の「高野山・世界遺産きっぷ」に、高野山内バスのフリー切符のほかに根本大塔の入場割引券が付いていたので、入って見ることにした。wikipediaによれば、根本大塔は何度かの焼失の後、現在の塔は1937年(昭和12年)に空海入定1100年を記念して再建したもので1階平面が方形・2階平面が円形の鉄筋コンクリート造の16間(約30m)四面・高さ16丈(約50m)の2層の多宝塔である。中尊(左右に脇立を従えて、中央に安置される仏像)は、丈六(立像のたけが一丈六尺=約5m ある仏像。座像では、その半分の高さの仏像)の胎蔵大日如来坐像、その中尊を取り囲むように、四方に金剛界四仏の、阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就の4如来を安置し、本来別々の密教経典に説かれている「胎蔵曼荼羅」の仏像と「金剛界曼荼羅」の仏像を一緒に安置するが、これは「金胎不二(こんたいふに)」の教えで、両者は不二一体である(根本的には1つ)という空海の思想を表したもので、堂内そのものが立体曼荼羅となっている。また塔内の柱16本には、十六大菩薩画像、壁面には真言八祖画像が堂本印象画伯によって描かれている。そして内部正面の梁には昭和天皇宸筆の勅額「弘法」が掲げられている。内部は撮影禁止であった。根本大塔の前にある「八角燈籠」は東大寺大仏殿の金銅八角燈籠(国宝)とよく似ている。楽器(横笛、尺八、鈸子、笙)を奏する音声菩薩(おんじょうぼさつ)が、鉄格子と唐草文様の透かしに浮彫で表されている。これは根本大塔の再建を記念して南海電鉄が奉納したものだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 29mm ISO220 ) 露出補正 なし
024_220328566 X800 高野山 壇上伽藍 御影堂 Z50 18-140.jpg 24.御影堂(みえどう)
私はこの建物の姿は美しいと思う。御影堂は金堂の北側、根本大塔の西側にある。wikipediaによれば、御影堂は大師の持仏堂として創建され、天保14年(1843年)の大火で消失し、弘化4年(1847年)再建、梁間15.1mの向背付宝形造檜皮葺。空海の弟子の真如親王筆とされる弘法大師御影を本尊とし、外陣には空海十大弟子の肖像が掲げられている。堂の背後には、土蔵造りの御影堂宝蔵があり、かつては数々の霊宝や貴重な文書を保管する金庫や宝物庫としての重要な役割を果たした。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO280 ) 露出補正 なし
025_220328590 X800 高野山 壇上伽藍 Z50 18-140.jpg 25.壇上伽藍入り口
いつもはここから根本大塔の方へ歩いて行くが、今回はここから出てきた。秋には道の両側の紅葉がきれいだ。壇上伽藍へ通じるまっすぐなこの道を蛇腹道と言い、高野山では紅葉のスポットとして有名である。蛇腹道という由来は、高野山全体の寺院の並びを、蛇に見立てた時、ちょうどこの壇上伽藍に通じる蛇腹道が、蛇のお腹のあたりなるので「蛇腹道」の名前が付されたという。それにしてもこの日は観光客が少ない。こんな静かな高野山は初めてだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO220 ) 露出補正 なし
026_220328593 X800 高野山 壇上伽藍 Z50 18-140.jpg 26.金剛峯寺
今回は金剛峯寺は参拝しないで失礼した。金剛峯寺は弘法大師が金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経の真意に基づいて名付けられた高野山の総称だったが、現在は高野山弘法大師御廟を信仰の中心として結成された高野山真言宗3600寺、信徒1千万人の総本山の名称として知られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO320 ) 露出補正 なし
027_220328096 X800 ケーブル高野山駅 G7X.jpg 27.ケーブル高野山駅
千手院橋バス停の傍で簡単に昼食をとり、バスに乗ってケーブル高野山駅へ向かった。極楽橋からの特急こうや号に接続するケーブルまで1時間ほど待たされることになった。帰りの切符は買ってなかったので、購入し、駅舎の外へ出てみた。駅の標高は867m。1930年(昭和5年)に高野山電気鉄道鋼索線開通と同時に開業し、2015年にリニューアルされている。国の登録有形文化財に登録されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
028_220328103 X800 ケーブル極楽橋駅 G7X.jpg 28.ケーブル極楽橋駅の天井
ケーブルカーが高野線に接続する極楽橋駅は2020年7月にリニューアルされていた。和歌山経済新聞に記事によると、駅名になった朱塗りの「極楽橋」は、高野山の聖域と俗世を区切る結界とされることから「はじまりの聖地、極楽橋」をコンセプトに、高野線側コンコースを「俗世」、ケーブルカー側コンコースを「聖域」に見立て、改装されている。南海高野線側コンコースは黒を基調とし、「いのちのはじまり」をテーマに極楽鳥や高野山ゆかりの動植物など約50種を天井画にした。写真のケーブルカー側コンコースは赤色と白色で構成する「宝来」と呼ばれる切り絵をモチーフに、極楽鳥や干支、縁起物が天井に描かれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
029_220328106 X800 〇ケーブル極楽橋駅 G7X.jpg 29.極楽橋駅に並んだ特急車両
改札がはじまって南海高野線のホームへ行くと、特急電車の車両が並んでいた。一番右側に見えるのが、来るときに乗ってきた最新の車両で、と言っても1992年11月から運用されている31000形。真ん中は1983年年5月に3代目「こうや」として誕生した30000形。左が橋本ー極楽橋の「天空」で高野線で1969年から運用されている2200系だ。一番新しい31000形でも今から30年前にできた車両だが古さを感じさせない。無事、新大阪から「ひかり」に乗って新横浜に着いたのは夜9時少し前だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし


2022年4月 7日

法事で京都へ サクラ咲く古都 3月26日・27日

1月に亡くなられた娘の主人の父上の納骨式が、4月26日、京都にある興正寺というお寺で行われた。場所は二寧坂の近くだった。
 私たち夫婦は「大人の休日」を利用したので「ひかり」にしか乗れない。娘たち夫婦は、東京から「のぞみ」であり、京都駅で待ち合わせることとなった。京都駅からタクシーで興正寺へ向かう。
 納骨式は午後2時から1時間ほどで終了し、四国の丸亀から来られていた親戚のかたとご一緒に、予約されていた四条大橋の「東華菜館」というところで食事をした。「東華菜館」はとてもクラシックな建物だった。北京料理だったが味は良かった。
 そこからいったん、今夜の宿である高瀬川沿いの木屋町通りにある「ザ・ゲートホテル京都高瀬川 by HULIC」というホテルに行った。8階がフロントであり、東山連山や清水寺が眺められるレストラン&バーになっていた。高瀬川には桜が咲き、ライトアップもされている。近くに名店「たん熊北浜」もあった。
 翌27日は、娘は仕事があるので27日中に帰るが、それまで京都で花見でもしようかということになっていた。娘のご主人が祇園で昼食を予約してくれていた。
 ホテルを出て、四条大橋を渡って左へ行く。少し鴨川上流方向へ行って右(東)に入ったところから祇園白川になる。辰巳大明神のところで白川に架かる巽橋を渡って、四条通に出る。四条通を左(東)へ歩き、八坂神社の石段を上がって西楼門から境内に入った。八坂神社の本殿にお参りして、南楼門を出て左へ、丸山公園へ行く。見事に咲いた枝垂れ桜が目に入った。
 そこから南へ下り、「寧々の道」を歩く、この日は日曜日とあってか人が多く出ていた。若い方が多い。高台寺の脇を歩く。10時になった。朝は何も食べていなかったので少々腹が減ってきた。店を開けたばかりの「京だんご 藤菜美」というお店に入る。冷たい抹茶とみたらし団子が美味かった。あっという間に店はお客でいっぱいになってきた。「ねねの道」を左に曲がり「維新の道」に入る。パークハイアットホテル京都があるところを右に折れると二寧坂だ。二寧坂を上がったところを右(西)へ、八坂の塔を見ながら歩く。そして、建仁寺のところで祇園花見小路へでた。
 花見小路を四条通に向かって進み、路地を右に入ったところに娘の主人が予約しておいてくれた「岩元」という料理屋があった。ビールで喉の渇きを癒し、日本酒、そして懐石料理を堪能した。
 ゆっくり食事をして、次の目的地にした錦市場に向けて歩き始める。四条通を烏丸の方へ歩き、四条河原町の先の寺町通を右に入った。錦天満宮のところを左へ錦小路通りに入った。390mのアーケードを往復して、四条通に戻り、四条大橋を渡ってホテルに戻った。一休みしてから、ぶらぶら歩いて、先斗町通りにあった蕎麦屋に入り、蕎麦寿司などをあてにして、また一杯飲んだ。
 娘とはそこで別れたが、娘の主人は明日、私たちと高野山へ行ってくれる。

000_220327154 X700 〇Gate Hotel Z50 18-140.jpg
高瀬川ほとりの桜 2022年3月26日

001_220326006 X800 京都 興正寺 G7X.jpg 1.興正寺 本堂
娘の主人の父が1月に亡くなられた。奥様は4年前に亡くなっているが、京都がお好きだったので、そのときに菩提寺をここに決められた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
002_220326017 X800 京都 東華菜館 G7X.jpg 2.東華菜館
wikipediaによれば、この建物はヴォーリズ建築事務所による設計で、1926年竣工という。同店のエレベータは1924年OTIS製で京都府内最古、日本に現存する最古級のエレベータでもある。このエレベータは手動式で、L字状に2箇所の出入り口を有していた。四条大橋のたもとに建っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
003_220326019 X800 京都 南座 G7X.jpg 3.南座
東華菜館で案内された席から鴨川の対岸に南座が見えた。松竹が経営している。近代建築に桃山風の意匠を取り込んだ地上4階地下1階の建物は国の登録有形文化財となっている。wikipediaによれば、江戸時代(慶長年間 1596-1615年)初期に起源を発し、元和年間に官許されたとされる劇場で、同一の場所で今日まで興行を続けてきたという意味では、日本最古の劇場である。名称の由来は、四条通の南側に位置しているため。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO3640 ) 露出補正 なし
004_220326047 X800 京都 ホテル門 G7X.jpg 4.「ザ・ゲートホテル京都高瀬川 by HULIC」と高瀬川に咲く桜
ホテルに着いてしばらくの間、四国の今治から来られていた方と一緒に、「ザ・ゲートホテル京都高瀬川 by HULIC」の8階にあるレストラン&バーで歓談したあと、そのかたを送りがてら下へ下りた。高瀬川のほとりはまだ咲き始めだが桜に風情があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
005_220326050 X800 〇京都 ホテル門 G7X.jpg 5.高瀬川の桜
wikipediaによれば、高瀬川は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である。開削から大正9年(1920年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。名称はこの水運に用いる「高瀬舟」にちなんでいるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/30秒 24mm ISO3200 ) 露出補正 なし
006_220327151 X800 〇Gate Hotel Z50 18-140.jpg 6.小学校の名残り
翌27日の朝、1階へ下りて来ると1台のピアノが置かれていた。「ザ・ゲートホテル京都高瀬川 by HULIC」は京都市立立誠小学校の跡地に建てられた。そのピアノは立誠小学校で長年愛用され、復元された Grotrian Steinweg のピアノだった。wikipediaによれば、学制創設以前の1869年に開校したいわゆる番組小学校のひとつであり、1927年に完成した鉄筋コンクリート造校舎が現在、立誠ガーデン ヒューリック京都として現存している。この京都市内に現存する最古の鉄筋コンクリート造校舎は元・立誠小学校と呼ばれ、1993年3月の閉校後にもさまざまなイベントに使用されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f1.8 1/100秒 27mm ISO6400 ) 露出補正 なし
007_220327160 X800 Gate Hotel Z50 18-140.jpg 7.旧京都市立立誠小学校正門と角倉了以翁顕彰碑  旧京都市立立誠小学校正門が在ったところに、角倉了以翁顕彰碑があった。角倉了以 ( 1614年~1554年)は、慶長12(1611年)京都二条から伏見に至る運河を計画、淀川に接続させる高瀬川の開鑿を,自費で困難な条件を克服して完成し、京都の町に木材,食糧,薪炭などの物資が運送された。幕府は高瀬川の通航料を徴収し,幕府と角倉の収益とし,角倉は代々淀川の河川交通や高瀬川を支配した。高瀬川の完成直後に病没している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220327164 X800 たん熊北店本店 Z50 18-140.jpg 8.朝のたん熊北店
すぐ近くにすっぽん料理でも有名な名店「たん熊」があった。すでに掃除がされたのだろうか店の前はきれいに掃き清められていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO280 ) 露出補正 なし
009_220327175 X800 四条大橋と南座 Z50 18-140.jpg 9.朝の四条大橋と南座
ホテルを出て、木屋町通りを南へ歩き、四条通に出た。四条通を東へ向かう。四条大橋を渡って右側の角が南座である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
010_220327178 X800 京都 先斗町通り Z50 18-140.jpg 10.先斗町通りの朝
四条大橋の手前に先斗町通りへの入口がある。「先斗町通りは三条通南から四条通間に約500m続く京都でも有数の文化・遊興の中心地として発展し、品格と賑わいを合わせ持つ通りである。通りは本2階建てを中心とする間口3間程度の伝統的建造物が両側に立ち並び、連続する軒下の空間や、街並みに規則的に配される玄関戸、繊細なスケール感を特徴とした空間から構成されている(以下略)」と記され木の札が立っていた。その朝の風景である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 34mm ISO450 ) 露出補正 なし
011_220327181 X800 京都 鴨川 四条大橋から Z50 18-140.jpg 11.鴨川堤
朝の鴨川堤ののどかな風景である。向こうに見えるのは三条大橋だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 79mm ISO110 ) 露出補正 なし
012_220327190 X800 京都 祇園白川へ Z50 18-140.jpg 12.祇園白川沿いの桜 -1
四条大橋を渡って少し北へ歩き、鴨川の注ぐ白川沿いに右へ行く。ここが桜の名所である祇園白川の始まりだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 34mm ISO125 ) 露出補正 なし
013_220327195 X800 〇京都 祇園白川へ Z50 18-140.jpg 13.祇園白川沿いの桜 -2
五分咲きというところだろうか。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 44mm ISO110 ) 露出補正 なし
014_220327200 X800 京都 祇園白川 Z50 18-140.jpg 14.祇園白川沿いの桜 -3
午前9時すぎ、まだ人は少ない。和服姿の二人が自撮りをしているが、何故か二人ともスマホを掲げている。さらにもう一人左手の女性もスマホで二人を撮っていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 76mm ISO180 ) 露出補正 なし
015_220327204 X800 〇京都 祇園白川 Z50 18-140.jpg 15.祇園白川沿いの桜 -4<br> 白川のほとりに建つ本二階というのだろうか町屋風の木造建築に趣がある。京町屋は江戸時代半ばには現在残る形になったとされる。外観は、紅殻格子(べんがらこうし)と呼ばれる色の濃い塗料で塗られた格子、虫籠(むしこ)窓(目の細かい縦の格子が等間隔に並ぶ虫籠格子をつけた窓)、犬矢来(軒下にある柵。 犬の放尿よけと言うことで、犬矢来と言う。 道路との境界を表している物でもあり、泥はねや、砂利がはねて傷が付くことから外壁を守ることもできる。)などが特徴的であるという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR<br> プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 28mm ISO220 ) 露出補正 なし
016_220327220m X800 〇京都 祇園白川 Z50 18-140.jpg 16.辰巳大明神
白川南通と新橋通の分岐点に当たるところに 辰巳大明神という小さな神社があった。祇園の辰巳大明神(辰巳神社)は、その名のとおり、御所の辰巳の方角(東南)の守護神として祀られたそうだ。祇園の芸妓や舞妓が芸事の上達を願う神として、また、商売繁盛の神として信仰されているという。地域の守り神として町民が毎日交替で奉仕に当たり、初午など年4回の神事には、伏見の稲荷大社から神官が来られるそうだ。辰巳大明神の横に巽橋という橋があるが、そこに狸が住んでいて、橋を渡る人を騙して川の中を渡らせるという悪戯をするため、困った人々が狸を祀る祠を建てたところ悪戯が収まったのだという言い伝えがあるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
017_220327225 X800 京都 祇園白川 Z50 18-140.jpg 17.巽橋
祇園白川の中心である巽橋。ここを渡って細い路地を通って四条通に出た。橋で写真を撮る観光客が絶えない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 29mm ISO180 ) 露出補正 なし
018_220327236 X800 京都 祇園白川 Z50 18-140.jpg 18.花見小路通り
四条通に出て八坂神社の方へ少し進むと右手(南側)に花見小路通りの入り口が見えた。花見小路通りは四条通の反対側(北)から続いている。この時間はまだ歩く人は少ないが、花見小路は観光客で賑わう。wikipediaには「四条通以南はもともと建仁寺の領地であったものが明治以降発展した。由緒ある茶屋や料理屋が立ち並ぶ。2001年に電線類地中化、石畳の整備が完成し、情緒ある町並みへと生まれ変わった。」とある。花見小路をまっすぐ進むと建仁寺だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 55mm ISO100 ) 露出補正 なし
019_220327238 X800 京都 八坂神社 Z50 18-140.jpg 19.八坂神社 正面
四条通の正面が八坂神社の西楼門だ。京都を象徴する代表的な顔のひとつである。「祇園」さんとして古くより京都の人々に親しまれてきた八坂神社は、本殿(国宝)をはじめ境内外に多数の摂社、末社を有し、その多くが重要文化財に指定されている。世界的にも有名な祇園祭は日本三大祭でもあり、疫病が鎮まるようにとの祈りを込めて約1150年前(平安時代)にはじまった八坂神社の祭礼である。(八坂神社ホームページ参照)境内に入り、まず本殿にお参りする。コロナ禍でどの神社でも取り外されていた鈴の緒が復活していた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO180 ) 露出補正 なし
020_220327249 X800 京都 祇園 八坂神社 Z50 18-140.jpg 20.八坂神社 出店
午前10時20分前、八坂神社の境内には多くの出店が並んで、開店の準備をしていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 63mm ISO110 ) 露出補正 なし
021_220327263 X800 〇京都 円山公園 Z50 18-140.jpg 21.円山公園  祗園しだれ桜 -1
八坂神社の南楼門から出て東に歩くと、誘い込まれるように丸山公園に入った。ここは京都の桜の名所である。まず、この枝垂れ桜が視界に入った。明治19(1886年)に開園した京都市内で最も古い公園だそうだ。祗園しだれ桜に代表される桜の名所であり、古くから市内随一の行楽地として発展してきた。ホームページによると、この桜の名は 一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)といい、現在は二代目だそうだ。「初代のシダレザクラ」は、根回り4m、高さ12m、樹齢200年余で、昭和13年、天然記念物に指定されたが、昭和22年枯死した。現在ある桜は、これに先立つ昭和3年に、15代佐野藤右衛門氏が初代のサクラから種子を採取し、畑で育成したものを、同氏の寄贈により、昭和24年に現地に植栽したもの。現在の容姿は、樹高12m、幹回り2.8m、枝張り10mであると。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
022_220327267 X800 京都 円山公園 Z50 18-140.jpg 22.新緑の柳
すぐ前に瓢箪池という池があり、その淵に立っている柳の葉の新緑の輝きに目を奪われた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
023_220327269 X800 京都 円山公園 Z50 18-140.jpg 23.円山公園  祗園しだれ桜 -2
青空を背景にこの桜を見ることが出来てラッキーだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 32mm ISO110 ) 露出補正 なし
024_220327299 X800 〇京都 寧々の道 岡林院 Z50 18-140.jpg 24.ねねの道 岡林院入り口
ねねの道は、この時間になり人通りが多くなってきた。二寧坂のほうへ向かって歩いて行き、ふと左手を見ると、写真のような静かな道があった。岡林院(こうりんいん)の入り口である。岡林院は豊臣秀吉と北政所(ねね)ゆかりの高台寺の塔頭寺院として、1608年久林元昌禅師によって創建された。通常非公開だそうだ。その先の「藤菜美」という京団子の店に入り、冷たい抹茶とお団子を食べた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 35mm ISO140 ) 露出補正 なし
025_220327325 X800 京都 二寧坂 Z50 18-140.jpg 25.ねねの道 二寧坂へ
ねねの道を南へ進み、維新の道を少し左(東)へ歩き、パークハイアット京都(ホテル)の角を再び右へいくと二寧坂になる。若い方々を中心に人通りが多い。二寧坂は清水寺に続く道で京都土産のお店が軒を並べる、石畳の風情ある京都観光のスポットになっている。二寧坂とは産寧坂の下にある道になる。二寧坂は産寧坂伝統的建造物群保存地区に含まれており、石段や石畳など環境保全が行われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 33mm ISO100 ) 露出補正 なし
026_220327336 X800 〇京都 二寧坂 Z50 18-140.jpg 26.二寧坂坂上
二寧坂の上に出た。まっすぐ進むと産寧坂だが、私たちは清水寺への参拝は割愛して、左(西)へ曲がって、八坂の塔の方向に進む。昼食の予約時間があるのだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 103mm ISO140 ) 露出補正 なし
027_220327342 X800 〇京都 八坂の塔 Z50 18-140.jpg 27.八坂の塔へ
八坂の塔への道はだらだらと下る道になっている。和服姿のふたりにカメラマン(女性)が付いて写真を撮っていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 79mm ISO140 ) 露出補正 なし
028_220327347 X800 〇京都 八坂の塔 Z50 18-140.jpg 28.八坂の塔と枝垂れ桜
八坂の塔は、京都市東山区八坂上町にある臨済宗建仁寺派の法観寺(ほうかんじ)という寺院にある塔。そびえ立つ五重塔は通称「八坂の塔」と呼ばれ、周辺のランドマークとなっている。境内は狭く、塔以外に目だった建築物がないことから、「八坂の塔」は寺自体を指す通称ともなっている。伝承によれば五重塔は崇峻天皇5年(592年)に聖徳太子が如意輪観音の夢告により建てたとされ、その際仏舎利を三粒収めて法観寺と号したという。現存する五重塔は15世紀の再建であるが、創建時の塔跡に建てられており、古代寺院に特有の地下式の心礎(心柱の礎石)が残っている。(wikipediaを参照)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 54mm ISO110 ) 露出補正 なし
029_220327377 X800 京都 花見小路 Z50 18-140.jpg 29.花見小路通り
何処をどう通ったかは、定かではないが、娘のスマホにより建仁寺の脇に出た。四条通から花見小路を来ると建仁寺に突き当たる。建仁寺へ入っていく人は多くない。花見小路は車が通る。警備員が観光客に、両端を歩いてもらうのに苦労している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 71mm ISO100 ) 露出補正 なし
030_220327381 X800 京都 花見小路 Z50 18-140.jpg 30.花見小路の路地
花見小路の路地は静かだ。路地に入っての撮影は禁止されている。料亭も多く、人が集まると騒がしくなるからだろうか? 私たちは娘の主人が納骨式参列のお礼にと予約してくれていた「岩元」という料理屋に上がり、懐石料理を楽しんだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 59mm ISO180 ) 露出補正 なし
031_220327386 X800 京都 花見小路 岩元 Z50 18-140.jpg 31.料理屋の2階から
この写真は料理屋で案内された2階の部屋から、すだれ越しに下に見える路地を撮った。京町屋が美しく並ぶ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO180 ) 露出補正 なし
032_220327393 X800 京都 鴨川 四条大橋 Z50 18-140.jpg 32.鴨川の流れ
2時ごろ、食事を終え、これからどうしようと相談した結果、錦市場へ行こうということになった。再び四条通に出て、西へ歩き、四条大橋を渡った。鴨川上流を眺める。午後の光は朝とは違う。鴨川は京都市北区の雲ケ畑に建つ金光峯寺志明院(岩屋不動)境内に在る洞窟からの湧水から始まり、最初の一滴とされ祀られている。そして、一級河川鞍馬川と合流後、北区上賀茂で京都盆地に出る。上賀茂神社(賀茂別雷神社)、下鴨神社(賀茂御祖神社)脇を南南東に流れ、賀茂大橋(加茂大橋)手前で一級河川高野川と合流する。そこから京都市内を真南に流れ、四条大橋上流で一級河川白川と合流したのち南西へ流に振り、五条大橋から再度南下していくそうだ。(wikipediaを参照)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 47mm ISO110 ) 露出補正 なし
033_220327400 X800 京都 錦市場 錦小路通り Z50 18-140.jpg 33.錦小路通り 錦市場
四条河原町の先を右に寺町通りに入る。この寺町通りも立派な商店街だった。やがて右手に錦天満宮が現れた。そこから左に折れると錦小路通りで錦市場である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 93mm ISO2800 ) 露出補正 なし
034_220327425 X800 〇京都 錦市場 錦小路通り Z50 18-140.jpg 34.錦市場
錦市場の390mのアーケードには、いろいろな店がある。家内と娘はゆばを買ったり、お茶を買ったりしていた。こんな店があった。酒屋さんなのだろうが、どうも立ち飲みで飲めそうな店だ。若い頃、退社後、東京駅から帰宅の電車に乗るのに、八重洲口へ歩く途中に、仲間で「バー・タチ」と呼んでいた立ち飲み酒屋があったのを思い出す。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/320秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
035_220327430 X800 〇京都 錦市場 錦天満宮 Z50 18-140.jpg 35.錦天満宮
錦市場の390mのアーケードの、ほぼ先端まで歩いてまた錦天満宮まで戻ってきた。錦天満宮もまた天満天神(菅原道真)を祀る。京の台所といわれる錦市場の東の端にあり、学業に加え商売繁盛も御利益があるという。wikipediaによれば、その歴史は長保5年(1003年)、菅原道真の父親である菅原是善の旧邸菅原院跡地にあった歓喜寺を源融の旧邸・六条河原院の跡地に移築し、その鎮守社として天満天神を祀った天満宮として創建されたのに始まる(菅原院の地には菅原院天満宮神社が建てられる)。と記されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO450 ) 露出補正 なし


2022年1月12日

師走の浅草界隈 12月3日

昨年の暮れも近くなった12月3日、学生時代の友人から、浅草でフグを食べようと誘いを受けた。学生時代から、いや、生まれもそうかもしれないが、向島に住む友人から、一昨年(2020年)のコロナの第一波が収まりを見せた7月6日に、土用も近いので鰻を食べようとお誘いを受け、浅草の操業220年という老舗のうなぎ屋「やっこ」で3人で会食をした。今回も、その向島の友人から嬉しいお誘いがあり、3人での会食だった。
 浅草は浅草寺の向こう側にある国際通りに近い「三浦屋」という昭和38年創業の老舗のふぐ料理の店だった。夕方5時集合ということだったので、30分ほど前に浅草について、宵の近づく仲見世通りから浅草寺の境内を抜けて、スマホ片手に「三浦屋」に向けて歩いた。
 浅草には何度か行ったことはあるが、浅草寺の向こう側を歩くのは初めてである。下町の風情が残る通りは印象深かった。友人が予約してくれた「三浦屋」さんも、また、来たいと思うほど良い店だった。ひれ酒の味が忘れられない。
 浅草寺のことを改めて知るために、インタネットで検索してみた。記述は浅草寺のホームページから引用させていただいている部分がある。

000_211203019a X700 浅草 G7X.jpg
夕暮れ迫る浅草寺境内 2021年12月3日

001_211203004a X800 浅草 G7X.jpg 1.雷門から仲見世商店街を見る
一昨年7月に来たときは観光客は少なかったが、この日は、コロナ以前には及ばないにしても、そこそこ人が戻ってきたように思えた。浅草寺のホームページによれば、雷門は浅草寺の総門であり、正式名称は「風雷神門」という。その創建年代は詳らかではないが、平公雅が天慶5年(942)に堂塔伽藍を一新した際、総門を駒形に建立したと伝わる。風雷神門の名は、風神と雷神を門の左右に奉安していることに由来する。総門が現在地に移ったのは鎌倉時代以降のことで、移築の際に風神、雷神を安置したとも考えられている。(後略)と記されている。幕末の慶応元年(1865)、浅草田原町からの失火により雷門まで延焼してしまったが、この慶応の焼失より実に95年間も雷門は再建されなかったそうだ。現在の門は、昭和35年(1960)に松下電器産業(現パナソニック)社長・松下幸之助氏の寄進により、再建されたとのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO400 ) 露出補正 なし
002_211203012 X800 浅草G7X.jpg 2.仲見世商店街 -1
5時15分前、夕暮れが迫る仲見世商店街の灯かりが優しい。お正月の飾り付けがされていた。仲見世は浅草寺の表参道である。雷門から宝蔵門まで長さ約250mにわたって、参道の両側に朱塗りの店舗が並ぶ。日本で最も古い商店街の仲見世という名は、浅草広小路(現在の雷門通り)あたりに並ぶ店と浅草寺観音堂前に並ぶ店との中間、つまり「中店」ということからこの名で呼ばれるようになったともいわれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO2000 ) 露出補正 なし
003_211203013 X800 浅草G7X.jpg 3.仲見世商店街 -2
何店かシャッターが閉まっている店もあったが、賑やかである。仲見世は、明治になり、浅草寺の土地が政府に没収されるとともに、仲見世も東京府の管轄に置かれた。そして明治18年(1885)に煉瓦造りの洋風の建物に一新される。文明開化の香りに満ちたこの仲見世は、大正12年(1923)の関東大震災で壊滅したが、同14年に鉄筋コンクリート造り、朱塗りの商店街に生まれ変わる。そして、昭和20年(1945)の東京大空襲で外構えを残して焼け落ちたが、戦後に補修して現在の姿となったそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO1250 ) 露出補正 なし
004_211203014 X800 浅草 G7X.jpg 4.伝法院通り
江戸時代中期に建てられた浅草寺の本坊である伝法院の門前に立ち並ぶ商店街で、仲見世通りを東西に横切る形で約300mに数十軒の店舗が並ぶ。写真は仲見世から浅草寺に向かって伝法院通りの左(西)側を見たところである。2014年頃から伝法院通りの西側「伝法院通り商栄会」32店舗が台東区から区道上に建っているとして立ち退きを求められていることが報じられた。2021年5月、営業継続への賛同を求めて署名活動が行われ、1万1千余名から署名が集まり、8月30日、区に提出された。しかし12月、区は退去を求めて提訴する事を議会で決定。事態は法廷闘争にもつれ込むことになったそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO1600 ) 露出補正 なし
005_211203022 X800 浅草 G7X.jpg 5.平和地蔵尊
仲見世通りを宝蔵院通りを過ぎて20~30m進んだ右側に、平和地蔵尊があった。「平和地蔵尊由来記」として、「第二次世界大戰はその規模においても、その被害についても、まことに甚大であった。ことに昭和20年3月10日の大空襲には、この附近一帯は横死者の屍が累として山をなし、その血潮は川となって流れた その惨状はこの世の姿ではない。これ等の戦争犠牲者の霊を慰めることこそ世界平和建設の基となるものである。 ここに平和地蔵尊を祭り、その悲願を祈るため、昭和24年4月こゝに安置された次第である。」と石に彫られていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/400秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
006_211203028 X800 浅草 G7X.jpg 6.母子地蔵
平和地蔵尊から宝蔵門への右側に母子地蔵があった。お母さんはとてもやさしい顔をされている。母子地蔵建立の由来として、「第二次世界大戦末期、ソ連参戦で混乱状態となった中国東北部(満州)で逃避行の末、命を落とした日本人は20万人を超えると云われています。酷寒の曠野を逃げ惑う母子が生き別れとなったり飢えや疫病に苦しみながら亡くなるなど、その悲劇は数知れません。犠牲となられた母子の霊を慰め、また、いまだ再会のかなわない親と子の心のよりどころとして、二度と戦争という過ちを繰り返さない事を祈念しつつ、ここに母子地蔵を建立いたしました。1997年4月12日 像のデザインは、ちばてつや氏 題字と碑文は、森田拳次氏」という石碑が建てられていた。私も満州生まれであり、舞鶴へ引き上げてきた。この一角には、ほかにも阿弥陀如来像、 久米平内堂、一番奥に 「濡れ仏」の名で知られる二尊仏があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels<br> プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/400秒 17mm ISO3200 ) 露出補正 なし
007_211203030 X800 浅草 G7X.jpg 7.宝蔵門 元版一切経を収蔵する仁王門
浅草寺山門の宝蔵門である。門は初層が五間で、両端の二間には仁王像を奉安し、中央の三間が通行のために開口している。仁王像が安置されていることからもわかるように、この門はもともと仁王門と呼ばれていた。「浅草寺縁起」によれば、平公雅が天慶5年(942年)に武蔵守に補任され、その祈願成就の御礼として仁王門を建立したのが創建という。以来、数度の焼失と再建ののち、徳川家光の寄進により慶安2年(1649年)に落慶した仁王門が、昭和20年まで諸人を迎えていた。昭和20年(1945年)、仁王門は東京大空襲により観音堂・五重塔・経蔵などとともに焼失する。昭和39年(1964年)に大谷重工業社長・大谷米太郎ご夫妻の寄進により、鉄筋コンクリート造り、本瓦葺きで再建された。宝蔵門に収蔵されている経典とは、もとは鎌倉の鶴岡八幡宮に収蔵されてい「元版一切経(国の重要文化財)である。戦災で経蔵は焼失したが「元版一切経」は疎開しており無事だったそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
008_211203031 X800 浅草 G7X.jpg 8.浅草寺本堂
宝蔵門をくぐって正面を見ると平成22年(2010)チタン瓦に葺きかえられた大きな屋根の本堂があった。ご本尊聖観世音菩薩を祀る中心堂宇で観音堂とも呼ばれる。旧堂は慶安2年(1649年)の再建で近世の大型寺院本堂の代表作として国宝(当時)に指定されていたが、昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。現在の堂は昭和33年(1958年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造である。再建にあたっては、建設資金を捻出するために瓢箪池の敷地(2400坪)が江東楽天地などに売り払われたそうだ。2体の金剛力士像のうち、向かって左(西)の阿形(あぎょう)は仏師・錦戸新観、右(東)の吽形(うんぎょう)像は木彫家・村岡久作の作である。阿形像のモデルは力士の北の湖、吽形像のモデルは明武谷と言われている。(wikipedia参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 なし
009_211203032 X800 浅草 G7X.jpg 9.宝蔵門の大わらじ
宝蔵門を抜けて仲見世方面を眺める。宝蔵門の左右には、高さ 4.5m、幅 1.5m、重さ 500kg、藁は 2,500kg使用するという大わらじがあった。山形県村山市有志より平成30年(2018年)10月奉納された。昭和16年(1941年)の初回以来、8回目のわらじだそうだ。わらじは仁王さまのお力を表し、「この様な大きなわらじを履くものがこの寺を守っているのか」と驚いて魔が去っていくといわれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
010_211203037 X800 浅草 G7X.jpg 10.本堂正面
階段を上がってお参りをした。今回は上がらなかったが、靴を脱いで畳敷の内陣に上がると、その中央にはご本尊を奉安する御宮殿(ごくうでん)があり、その内部にお厨子が安置されているそうだ。浅草寺は東京都内最古の寺である。正式には金龍山浅草寺と号し、観音菩薩を本尊とすることから浅草観音として知られている。元は天台宗に属していたが、昭和25年(1950年)に独立し、聖観音宗の本山となっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/320秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
011_211203040 X800 浅草 G7X.jpg 11.五重塔
本堂と同様、関東大震災では倒壊しなかったが昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失した。現在の塔は本堂の西側、寛永8年(1631年)に焼失した三重塔の跡伝承地付近(宝蔵門を出て左側)に場所を移して、昭和48年(1973年)に再建されたもので鉄筋コンクリート造、アルミ合金瓦葺き(現在は3色のチタン瓦)、基壇の高さ約5m、塔自体の高さは約48mである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/320秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
012_211203047 X800 〇浅草 G7X.jpg 12.五重塔とスカイツリー
さて、目的の「三浦屋」さんはここからは北西の方向になると見当をつけ、本堂の前を左(西)へと歩き始めた。少し行って振り返ると、五重塔の左側にスカイツリーが見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/640秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 なし
013_211203050 X800 浅草 G7X.jpg 13.木馬館
浅草寺本堂から「奥山おまいりまち」へ歩いて行くと写真のような「木馬館」があった。ここは、篠原演劇企画の「浅草木馬館」という、いわば大衆劇場だ。インタネットを検索していたら興味深いことを知った。ここは昭和52年に開場しているが、その原点は、1907年(明治40年)、昆虫学者名和靖は日露戦争の勝利記念に昆虫館を建設したいと考え、東京市に「昆虫知識普及館」を設立、浅草寺脇の土地を貸与され、「通俗教育昆虫館」名で開館したのが始まりだったそうだ。しかし、すぐに経営に行き詰まり、1918年(大正7年)、根岸吉之助率いる根岸興行部に経営が移ったという。1922年(大正11年)には昆虫の展示は2階部分のみとなり、1階には木馬が設置され、名称も「昆虫木馬館」、ついで「木馬館」となった。1938年(昭和13年)浅草オペラの流行のあとを受け、関西での流行をいち早く浅草(当初、常盤座)に持ってきていた安来節を興行の中心にした常打ち小屋(2階部分)となっている。そして、1977年(昭和52年)7月より、それまで直営していた根岸興行部から篠原演芸場が借り受ける形で、2階部分が大衆演劇の劇場となり現在に至っている。(wikipedia参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
014_211203054 X800 浅草 G7X.jpg 14.「花やしき」
ホッピー通りを北へ歩く。すると、もう閉まってはいたが「浅草花やしき」の裏門?へ出た。この「花やしき」は映画やドラマに良く出てくるが、中に入ったことはない。機会を見つけては行って見たいと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/400秒 9mm ISO2500 ) 露出補正 なし
015_211203068 X800 浅草 三浦屋 G7X.jpg 15.ふぐ料理 浅草「三浦屋」
目的の「三浦屋」さんまで最後の詰めである。スマホに道案内をしてもらい無事、約束の時間より早めについた。フグは江戸庶民に愛され、「ふぐ料理が高級料亭のものでなく、大衆の味であることを確認できます。」と店が云う通り、気楽に、美味しく、楽しめる店だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
016_211203063 X800 浅草 三浦屋 G7X.jpg 16.「三浦屋」さん店内
仲居さんに「写真を撮らせてください」とお許しを得て、店内を撮らせていただいた。多分、お客さんが持ち込んでおられるのだと思うが、記念品など楽しいものが並べられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/250秒 29mm ISO3200 ) 露出補正 なし
017_211203084 X800 〇浅草 G7X.jpg 17.スカイツリー
ふぐ刺し、ふぐちり、そして、ひれ酒等々、美味しく腹いっぱい食べ、久しぶりに会った友人たちとの会話を楽しみ、大満足で「三浦屋」さんを出た。ビールを一杯飲もうということになり、タクシーで吾妻橋の対岸へ渡った。スカイツリーがきれいだった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/20秒 17mm ISO3200 ) 露出補正 なし
018_211203091 X800 浅草 吾妻橋 G7X.jpg 18,吾妻橋
アサヒビールのビルの22階に上がり、アサヒの生ビールを向島の友人にご馳走になった。2年ぶりの会話が弾む。9時を回ったところでお開きにして、それぞれ帰路につぃた。これから渡る吾妻橋もライティングされている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/200秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし
019_211203093 X800 〇浅草 吾妻橋 G7X.jpg 19.吾妻橋からスカイツリーを眺める
隅田川を挟んでスカイツリーと、今、ビールを飲んできたアサヒビールのビルを眺める。帰路、都営浅草線の浅草駅から、京浜急行直結の快速特急に乗ると、横浜まで時間はかからなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/15秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 なし


2021年12月18日

古都鎌倉紅葉巡り ① 円覚寺 12月2日

鎌倉の紅葉の状況をネットで調べてみると「見ごろ」になっている。少し早いかなと思いつつ、快晴の12月2日に行って見ることにした。
 少し早めに家を出た。北鎌倉駅に着いたのは9時少し前だった。この日のコースは、円覚寺→東慶寺→海蔵寺→鎌倉八幡宮 を予定している。
 まず円覚寺にお参りをする。すでに拝観受付には列が出来ていたが、石段を上がり総門を入って、すぐに拝観志納金を納めて境内に入ることが出来た。
 私は結婚した昭和43年から7年間北鎌倉に住んだ。翌年に生まれた長女は円覚寺の幼稚園に通ったが、入園させるため出勤前に、朝4時に起きて山門の下で並んだ記憶がよみがえる。その幼稚園の運動会では父兄対抗のリレーで走ったりした。
 午前9時、まだ、参拝者は少ない。山門の辺りのイロハモミジは見ごろであった。陽の光に透けて輝いている。次に、仏殿に入り、ご本尊である宝冠釈迦如来にお参りし、天井の白龍図を仰ぎ見る。一番奥にある黄梅院までお参りしながら歩いた。
 円覚寺に関する記述は 円覚寺ホームぺージ 、および境内に建てられている説明板等を参照させていただいている。

000_211202173 X700 円覚寺 総門 D750 TAMRON35-150.jpg
円覚寺総門の石段 2021年12月2日

000_211202003m X700円覚寺 D750 TAMRON35-150_0000.jpg
円覚寺総門に掲げられていた境内案内図

  この境内案内図の隣に「円覚寺案内」の立札があり「当山は、臨済宗円覚寺派の大本山であり、弘安5年(1282年)の開創。開山は中(宋)より渡来の佛光国師無学祖元。開基は鎌倉幕府の執権北条時宗公。(後略)」と記されていた。

1.総門
紅葉の下をくぐるようにして石段を上がると、「瑞鹿山」という山号の扁額が掲げられた総門がある。写真は総門を入って振り返ったところ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 90mm ISO2000 ) 露出補正 なし
001_211202002 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
2.桂昌庵(十王堂)
総門を入るとすぐ左手に桂昌庵がある。江戸幕府3代将軍・徳川家光の側室で、5代将軍・綱吉の生母であった桂昌院を思い浮かべるが、それは関係ない。ここは第四十九世承先道欽(しょうせんどうきん)の塔所である。塔所とは、禅宗で、大寺の高僧の死後、弟子がその徳を慕って建てた墓塔)や庵などの小院のことで塔頭ともいう。木造十王像が祀られていることから「十王堂」または「閻魔堂」とも呼ばれ、十王蔵像は、鎌倉十橋の一つ十王堂橋付近にあった十王堂に安置されていたものといわれているそうだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3 1/500秒 46mm ISO900 ) 露出補正 なし
002_211202005 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
3.山門
山門の脇から参道に戻り、山門を振り返る。山門脇のもみじの葉が、陽の光に輝く。現在の山門(三門ともいう)は天明5年(1785年)、開山した無学祖元禅師の五百年遠諱の年に大用国師(だいゆうこくし)によって再建され、現在は神奈川県指定重要文化財となっている。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 50mm ISO100 ) 露出補正 なし
003_211202009 X800 〇円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
4.仏殿
山門から見る仏殿である。大光明宝殿ともいう。仏殿は、円覚寺の本尊である宝冠釈迦如来が祀られている建物だ。大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊したが、昭和39年(1964年)に再建された。鉄筋コンクリート造りである。禅宗様式の七堂伽藍の中心に位置する建物となっている。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO450 ) 露出補正 なし
004_211202007 X800 〇円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
5.ご本尊 宝冠釈迦如来坐像
釈迦如来坐像は、廬舎那仏ともいわれ、頭の部分だけが鎌倉時代に作られたもの(市指定文化財)だそうだ。1964年(昭和39年)に仏殿が再建されるまでは、仏殿西側の選仏場に安置されていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3 1/60秒 42mm ISO3200 ) 露出補正 なし
005_211202018 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
6.白龍図
円覚寺仏殿の天井画は、ともに岐阜県出身の日本画家である前田青邨画伯(1885年〜1977年)監修のもと、守屋多々志画伯(1912年〜2003年)によって描かれたものである。前田青邨画伯の弟子には鎌倉市の名誉市民となった平山郁夫画伯もいるそうだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/25秒 35mm ISO3200 ) 露出補正 なし
006_211202020 X800 〇円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
7.修学旅行の生徒たち
仏殿の引き戸から山門の方を見ると、修学旅行の生徒たちの姿が見えた。コロナも落ち着いてきたのだと実感する。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO2000 ) 露出補正 なし
007_211202024 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
8.黄梅院へ続く道
境内案内図で見ていただくように、仏殿に沿って一番奥にある黄梅院への石畳の道を、居士林の辺りにあった灯篭から覗き見る。(「居士」とは在家の禅の修行者を指し、居士林は禅を志す在家のための専門道場である。もと東京の牛込にあった柳生流の剣道場が、昭和3年(1928)柳生徹心居士より寄贈され、移築されたそうだ。)

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO1100 ) 露出補正 なし
008_211202030 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
9.エナガ -1
紅葉するイロハモミジの枝に野鳥が来ていた。はじめシジュウカラかと思ったが、身体が小さいし、白黒がはっきりしている。帰宅して調べてみるとどうやらエナガのようだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/640秒 150mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_211202037 X800 △円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
10.エナガ -2
隣のカエデの木に移った。エナガは初めて見る野鳥だった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/640秒 150mm ISO100 ) 露出補正 なし
010_211202048 X800 ◎円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
11.居士林(濟蔭庵)
説明板には、明治の頃より円覚寺では、在家の人の座禅(居士禅)が盛んになり、山岡鉄舟、鈴木大拙、夏目漱石など多くの居士が参禅した。大正11年にこの濟蔭庵の居士の座禅道場として居士林が開設されたが、大正15年に焼失、早大濟蔭団が中心になり復興運動を起こした。幸いなことに柳生新陰流の剣道場を柳生基夫氏(徹心居士)が寄付を決断し、昭和3年にこの濟蔭庵に移築して開単となり、以来80年近く学生や社会人が中心となって雲水と同じように修行する学生坐禅会、土日坐禅会を運営してきた。堂内には本尊不動明王が祀られ、「頭燃を救うが如し」の扁額が掲げられ、心の安らぎを求めて坐禅に来る人を待ち受けている。と記されていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
011_211202062 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
12.居士林から妙香池への道
この辺りの紅葉が美しい。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO200 ) 露出補正 なし
012_211202069 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
13.石崖
舎利殿に行く途中の左側にこんな石崖があった。円覚寺には何回も来ているが、今まで気づかなかった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 なし
013_211202070 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
14.妙香池を背に石畳を振り返る
もう少し行くと舎利殿へと左に入るところがある。その手前で今歩いてきた道を振り返ると、修学旅行の生徒たちと石垣ともみじの取り合わせだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.2 1/500秒 50mm ISO100 ) 露出補正 なし
014_211202074m X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
15.舎利殿(国宝)
舎利殿には、源実朝が宋の能仁寺から請来した「佛牙舎利」というお釈迦様の歯が祀られているという。鎌倉時代に中国から伝えられた様式を代表する最も美しい建物として国宝に指定されている。屋根の勾配や軒の反りの美しさが特徴で、特に屋根の軒下から出ている上の段の垂木たるきは、扇子の骨のように広がっており、「扇垂木」とよばれている。これが屋根を一層大きく、建物全体を小さいながらも壮大に見せている。(円覚寺ホームぺージ)

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.2 1/500秒 50mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_211202084 X800 円覚寺 舎利殿 D750 TAMRON35-150.jpg
16.開基廟
円覚寺大檀那である北条時宗、貞時、高塒が祀られている。現在の開基廟は江戸時代1811年に改築されたものとされている。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO900 ) 露出補正 なし
016_211202087 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
17.黄梅院 武山堂
黄梅院は第15世夢想疎石(1275年-1351年)の塔所で、疎石の弟子の方外宏遠が、華厳塔のあった場所に建立したものだそうだ。その境内の奥には武山堂と呼ばれる観音堂があり、観音像が祀られているが、中国から贈られたものとのこと。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.2 1/320秒 50mm ISO3200 ) 露出補正 なし
017_211202098 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
18.竹林
竹林は報国寺が有名で、私も行ったことがあるが、円覚寺の大方丈の裏側(南東側)にある竹林もなかなか見事である。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f5 1/5000秒 44mm ISO100 ) 露出補正 なし 撮影後補正
018_211202104m X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
19.妙香池付近の紅葉
この辺りの紅葉も美しく、参拝者の多くがスマホで撮影していた。今はいわゆるコンデジを使う人は少なく、スマホかあるいは一眼だ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/5000秒 75mm ISO100 ) 露出補正 なし
019_211202108 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
20.大方丈の百観音石仏 -1
大方丈の書院と庫裏になっているが、その庫裏側の庭に、鎌倉市の市指定天然記念物である柏槙(ビャクシン)の樹があるが、その向こう側に百観音がある。石仏「百観音」は、江戸時代に拙叟尊者が塔頭の奥にある岩窟で、百体の観音石像を祀った事がそのはじまりだそうだ。1888年(明治21年)には、洪川禅師が西国三十三体の観音像を新たに刻み、補陀落迦観自在窟と名付けて境内の一部に安置し、その後、1983年(昭和58年)、方丈前に移されたという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/500秒 35mm ISO320 ) 露出補正 なし
020_211202113 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
21.大方丈の百観音石仏 -2
石仏「百観音」は、前述したとおり、江戸時代に拙叟尊者が百態の石仏を塔頭(松籟院)の奥の岩屋に閉じこもって彫ったという百体の観音石像を祀った事がそのはじまりだそうだ。1888年(明治21年)には、洪川禅師が西国三十三体の観音像を新たに刻み、補陀落迦観自在窟と名付けて境内の一部に安置し、その後、1983年(昭和58年)、方丈前に移されたという。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 38mm ISO100 ) 露出補正 なし
021_211202121 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
22.大方丈 書院側
大方丈の書院側にも庭がある。その庭には池がある。書院の縁に並ぶガラス戸に紅葉が映っている。そのガラス戸に映った姿が、水はきれいではないが池に映っていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 90mm ISO2000 ) 露出補正 なし
022_211202130 X800 〇円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
23.弁天堂
もう一度百観音の方へ戻り、唐門から外に出た。しばらく行って左に長い石段がある。もう一つの国宝である洪鐘(鐘楼)がある高台へと上る道だ。ちょっと逡巡したが上がって行くことにした。おおよそ130段ほどあったように思う。そこに弁天堂があった。江ノ島弁財天の加護によって洪鐘の鋳造が完成したと伝えられ、その弁財天を祀るお堂だそうだ。北条貞時が洪鐘とあわせて弁天堂を建立し、当山の鎮守とした。その弁財天の横には、お茶所(弁天茶屋)と円覚寺グッズの売店があった。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f2.8 1/50秒 35mm ISO320 ) 露出補正 なし
023_211202137 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
24.国宝 洪鐘(鐘楼)
関東で最も大きい洪鐘(高さ259.5cm)だそうで、国宝に指定されている。円覚寺の開基である北条時宗の子である貞時が正安3年(1301年)に国家安泰を祈願して寄進したものだそうだ。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 42mm ISO100 ) 露出補正 なし
024_211202144 X800 〇円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
25.円覚寺の高台から見た富士山
この日は素晴らしく晴れていた。空気も澄んで富士山がはっきりと見える。その手前に見える建物は北鎌倉女子学園(中・高)だろう。私はその左下の辺りで7年間を過ごした。湿気の多いところだったと記憶している。この少し左側が東慶寺になる。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 122mm ISO100 ) 露出補正 なし
025_211202146 X800 円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
26.山門
山門のところに下りてきた。朝とは光の当たり方が違っている。山門、即ち三門は三解脱(空・無相・無願)を象徴するといわれ、諸々の煩悩を取り払って涅槃・解脱の世界である仏殿に至る門とされている。楼上には通常非公開である十一面観音、十二神将、十六羅漢が祀られている。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f3 1/500秒 44mm ISO250 ) 露出補正 なし
026_211202151 X800 〇円覚寺 D750 TAMRON35-150.jpg
27.松籟院 十月桜
総門に向かって山門の左側に松籟院がある。松籟院は、第百五十世叔悦禅懌の塔所である。拝観料を入れ、中に入ってみた。数本の十月桜があり、咲いていた。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/800秒 150mm ISO100 ) 露出補正 なし
027_211202154 X800 円覚寺 松籟院 D750 TAMRON35-150.jpg
28.総門の参拝者
10時半、約1時間半の散策を終え、再び総門に戻ってきた。朝に比べ参拝者は多くなっていた。さて、これから東慶寺へ向かう。

Nikon D750 TAMRON 35-150 F2.8-4
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 なし
028_ 211202167 X800 円覚寺 総門 D750 TAMRON35-150.jpg


2021年1月 3日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (8)比叡山 11/27

最終日、比叡山延暦寺へ向かう。初めてのところではないが、ほとんど覚えていない。
 wikipediaによれば、延暦寺は、滋賀県大津市坂本本町にあり、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院である。京都の鬼門に位置する。平安京(京都)の北にあったので奈良の興福寺に対し北嶺とも称されたそうだ。平安時代初期の僧・ 最澄 (767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。1994年には、古都京都の文化財の一部として、1200年の歴史と伝統が世界に高い評価を受けユネスコ世界文化遺産に登録された。
  草津の宿を出発したバスは、双耳峰の比叡山を右手に見て進み、琵琶湖の南端に架かる全長1,290mの近江大橋を渡る。琵琶湖上の他の道路橋として、南側約3kmに瀬田川大橋(国道1号)があり、北側約19kmには初日に渡ってきた琵琶湖大橋(国道477号)がある。
 平成10年10月1日、2kmほど北の柳が崎から浜大津に移転した昭和9年開業の琵琶湖ホテルを右に見ながら進み、湖西街道(161号線)の大津京から比叡山ドライブウェイに入った。
 比叡山のバスセンター駐車場に着くと、ガイドさんの案内でまっすぐ根本中堂へ案内された、工事中の根本中堂でお坊さんの説話を聞き、退出後は文殊楼や大黒堂を見て歩いたが残念なことがひとつある。それは、すぐ近くにあった法華総持院東塔や阿弥陀堂などを見ず仕舞いだったことだ。事前学習の不足である。
 2019年12月3日に放送されたBS朝日の「ぶらり京都歴史深訪」・「比叡山 電車で訪れる聖地」という番組が、この正月2日に再放送されたのをたまたま見たが、このたび行って見て、自分のブログで整理し、この番組を見たことで理解が深まった。番組では「千日回峰行」「十二年籠山行」「四種三昧」といった比叡山の厳しい修行についても説明された。

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境内案内図および延暦寺パンフレットより
上:比叡山回遊案内図 下:東塔地域案内図

165.琵琶湖大津プリンスホテル(車窓から)
浜大津の近江大橋を渡る。対岸に比叡山を背景に琵琶湖大津プリンスホテルが見えた。丹下健三さんが設計したこのホテルは滋賀県で最も高いビルであり、ランドマークとなっている。 1989年(平成元年)4月22日に開業している。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
201126934_165 X800 3日目 草津→比叡山 近江大橋 G7X.jpg
166.琵琶湖ホテル(車窓から)
近江大橋を渡り京阪電車沿いに走る湖畔沿いの道を大津市の浜大津に入る。右手に大きなホテルが見えた。知らなかったが、昭和9年に建てられた、桃山風破風造を特徴とし、鉄筋コンクリートの近代的洋風建築でありながら社寺建築の様式を取り入れ、かって、滋賀県の迎賓館としての役割を果たした旧琵琶湖ホテルが平成10年にここに移転したのだそうだ。琵琶湖ホテルには、40年くらい前に高野山へ行った帰路、一度泊ったことがあるのだが、その名残は全くない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
201126937_166 X800 3日目 草津→比叡山 新しい琵琶湖ホテル G7X.jpg
167.京阪電車(車窓から)
京阪電車の踏切を渡って、比叡山ドライブウェイへ入っていく。この京阪電車石山坂本線は、瀬田の石山寺から比叡山口を結んでいる。この電車には昨年(2019年)2月に石山寺を参拝し、そこから日吉神社へ行くのに終点の比叡山口まで乗った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 24mm ISO125 ) 露出補正 +0.3段
201126939_167 X800 3日目 草津→比叡山 京阪 G7X.jpg
168.祖師御行績絵看板  「道元禅師(1200~1253)曹洞宗御開山」
比叡山のバスセンター駐車場に着いた。ここから根本中堂へと歩く。国宝殿を左に見ながら進むと右にカーブした緩やかな上り坂に差しかかる。その両側に写真のような絵が並んでいた。祖師御行績絵看板という。比叡山が、いかに日本の仏教に大きな影響を与えてきたかをPRすることが目的と思われる。806年に桓武天皇によって立教開宗が認められ、2006年で天台宗は開宗1200年を迎えた。この開宗1200年慶讃大法会に当たり多くの協賛を得て、比叡山を開山した伝教大師最澄を始めとする比叡山の高僧や比叡山から輩出された祖師たちの御行績絵看板が修復され境内に掲げられた。その中のひとつであるこの絵は、比叡山に学び、独自の宗派を興した多くの上人たちの一人で、中国に渡った道元が、中国の僧に日常の中での修行の大切さを教えられた場面と思われるこの絵は「道元禅師(1200~1253)曹洞宗御開山」と題され、禅師は求法のため中国に渡り、貞応2年(1223年)春4月、船は大陸の明州に着いた。禅師は船に留まって諸山巡拝の準備をしていた。そうしたある日、日本の珍しい椎茸を買いに一人の老僧が船を訪れた。聞けば名刹阿育王山の典座(雲水の食事を司る役)和尚とのこと、禅師は早速日本の知識を披露し中国仏法をたずねて引き止めたが、老僧「貴僧はまだ修行が文字の中でなく日常の中にあることを知らぬ」と云って早々に去ってしまう。道元禅師はただ慙愧発奮するのみであった。(大講堂堂内に御木像を安置)」と説明文があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels 絞り優先オートで撮影 ( f11 1/250秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127715_168 X800 比叡山 RX10M4.jpg
169.開運の鐘(世界平和の鐘)
延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域である東塔エリアに出る。昭和39年(1964年)に山麓の坂本の讃仏堂を移築した大講堂の前にあるこの開運の鐘(世界平和の鐘)は、1回50円で誰でも鳴らすことができる。この鐘楼がいつ頃、何のために造られたのかを調べてみたが、ネットでその記述を探すことは出来なかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 10mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
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170.改修中の根本中堂 -1
ガイドさんはまっすぐ根本中堂へ案内してくれた。だが、国宝の根本中堂ならびに重要文化財の廻廊は平成28年度から約10年をかけ「平成の大改修」が行われている。 比叡山延暦寺のホームページにも、「本堂の銅板葺き、廻廊のとち葺きを葺き直し、全体の塗装彩色の修理が主な内容となります。工事の期間中も参拝ができるような処置をしながら、次代へ祈りと伝統が文化財とともに継承されていきます。工事期間中は、国宝・重文改修ならではの珍しい作業も行っております。普段目にすることのない貴重な光景を間近でご覧いただく機会もございますので、是非ご参拝ください。」 と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels

絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 12mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
201127735_170 X800 比叡山 RX10M4.jpg
171.改修中の根本中堂 -2
覆いがかけられた根本中堂と回廊の中に入ることが出来た。その手前に「改修のあらまし」についてのパネルがあった。wikipediaによれば、「根本中堂は伝教大師最澄が延暦7年(788年)に、一乗止観院という草庵を建てたのが始まりとされる。本尊は最澄が一刀三礼して刻んだ薬師瑠璃光如来と伝えられており(秘仏)、その宝前に灯明をかかげて以来最澄のともした灯火は1200年間一度も消えることなく輝き続けているので、「不滅の法灯」と呼ばれる(焼き討ち後の再建時には立石寺から分灯を受けた)。中堂という呼称の由来は、最澄創建の三堂(薬師堂・文殊堂・経蔵)の中心に位置することから薬師堂を中堂と呼ぶようになり、この三堂は後に一つの伽藍にまとめられ、中堂という名前が残ったとされる。比叡山延暦寺の中心であることから根本中堂といい、比叡山では東塔という区域の中心的建築物である。」  

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 20mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
201127725_171 X800 比叡山 RX10M4.jpg
172.改修中の根本中堂 -3
根本中堂は何度も火事や戦禍によって焼失している。現在の根本中堂は、元亀2年(1571年)9月、織田信長による焼き討ちの後、慈眼大師天海の進言により徳川三代将軍家光の命によって、寛永11年(1634年)より8年の歳月をかけて再建されたもので、寛永19年〈1641年〉)に完成しているそうだ。1953年(昭和28年)3月31日に国宝に指定された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127726_172 X800 比叡山 RX10M4.jpg
173.根本中堂改修中の屋根
根本中堂に面する中庭(覆いの中)に2018年8月から、4階建ての「修学ステージ」が出来ている。改修の様子を参拝客が間近で見られる。「修学ステージ」から改修中の本堂の屋根と回廊の屋根を眺めた(写真は回廊の屋根)。根本中堂は桁行11間(37.57m)、梁間6間(23.63m)、軒高約9.78m、棟高24.46m、屋根は一重、入母屋造。木材の下地材の上に銅板を屋根形状に合せて加工して止められている屋根が改修中だった。回廊の屋根はとち葺きで、その葺き替えが行われている。改修中の屋根を見たあと、中陣に座り、法話を20分ほど聴いた。中陣の天井は「百花の図」といわれ、200に及ぶ草花が極彩色で描かれているがここは撮影禁止である。ここから内陣が参拝できるが 参拝者のための中陣と外陣よりも3mほど低い石敷の土間になっていた。内陣中央の本尊が立つ床と、参拝する中陣・外陣の床が同じ高さになっている。本尊として、最澄自刻の薬師如来像と「不滅の法灯」が有名である。最澄自刻の薬師如来像は秘仏であり、現在の根本中堂の薬師如来立像は、江戸時代の延暦寺再興の時に横蔵寺(岐阜県揖斐郡揖斐川町)より移座したものであるという。それは横蔵寺の薬師が最澄自刻のものであるという記録が横蔵寺にあったことによるものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/125秒 14mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127727_173 X800 比叡山 RX10M4.jpg
174.文殊楼への階段
40分ほど根本中堂の中にいた。根本中堂を出て、前を見ると石段があった。文殊楼への階段である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/160秒 16mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
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175.文殊楼
ケーブルカーが開通してからは、下から歩いて登ってくる参拝者はほとんどいないが、かつては比叡山延暦寺の表参道だった本坂を登ってくると、まずこの門を潜ることになり、比叡山の総門の役目を果たす重要な楼門だそうだ。文殊菩薩が祀られている。 慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って創建した。寛永の復興にあたって、根本中堂や講堂とともに再建されたが、漢文8年(1668年)に焼失してしまい、すぐに再建されたのが現建築と言われる。寛永の建物より小規模になり、全体的に唐様が取り入れられているが、古い和様も入っているところに苦心が偲ばれる折衷様式になっている。江戸時代の代表的な様式の構造物だそうだ。平成28年に国の重要文化財に指定されている。 受験生の合格祈願に人気があるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
201127743_175 X800 〇比叡山 文殊楼 RX10M4.jpg
176.大黒堂
比叡山は大黒天信仰発祥の地と言われる。伝教大師最澄が比叡山へ登ったときに大黒天を見た場所なのだと伝えられる。本尊は最澄が彫ったという三面出世大黒天。正しい呼び方は三面六臂大黒天といい、米俵の上に立ち、中央は食生活を守る大黒天、右は勇気と力を与える毘沙門天、左は美と才能を与える弁財天である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 17mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
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177.根本中堂 石柱
大黒天の少し先を左に入ると文殊楼へ行く。そこに根本中堂の石柱があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 9mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
201127736_177 X800 〇 比叡山 RX10M4.jpg
178.参道からの文殊楼
前の写真の根本中堂の石柱の辺りから文殊楼へ上がる石段がある。このルートが本坂から上がってくる参道なのだろうと推察する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 14mm ISO2500 ) 露出補正 -0.7段
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179.根本中堂から坂本ケーブルへ -1
ガイドさんが待つ根本中堂の石段を上がっところで集合し、坂本ケーブルの延暦寺駅へ歩く。途中琵琶湖が眺められるところがあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 39mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201127750_179 X800 〇比叡山 文殊楼 X10M4.jpg
180.根本中堂から坂本ケーブルへ -2
もみじを入れて琵琶湖を狙った。晴れて空気が澄んでいたので、琵琶湖大橋が眺められ、さらにその先に沖島が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f11 1/500秒 13mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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2020年12月23日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (6)彦根城 11/26

紅葉と苔の美しさのに感動した西明寺を後にして、我々を乗せたバスは彦根城へ向かった。彦根城へ行ったことがない私にとってはそこは今回のツアーの目玉である。バスは30分ほど走って、彦根城の堀に面したところにある京橋口駐車場に入った。駐車している観光バスの数はそれほど多くはなかった。
 江戸時代を通じて彦根藩主として近江国東部を中心とした一帯を治めた大名である井伊家について、入場した時にもらった彦根城のパンフレットに載せられていた年表を参考にして、自分なりに整理してみた。
 1600年(慶長5年)の関ケ原の合戦のあと、その論功行賞により石田三成の佐和山城と旧領を井伊直政が拝領した。した。井伊直政は、徳川家康に仕え徳川四天王のひとりとして名を馳せた戦国時代の武将である。井伊直政が生まれた頃の井伊家は、駿河国今川家の支配下にあり、お家断絶の危機に晒されていた。井伊家の再興のため、そして徳川家康の恩義に報いるために信念を貫いたという。2017年1月8日から同年12月17日まで放送されたNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、その井伊直政を育てた遠州井伊谷の女領主・井伊直虎を主人公とした物語だった。
 1602年(慶長7年)直政は佐和山城にて死去、長男の直継が家督を継いだ。1603年、直継は佐和山、磯山、彦根山の候補地の中から彦根山を城地と決めた。1604年(慶長9年)普請を開始し、城下町の建設にも着手した。彦根城の鐘の丸が完成し、直継は佐和山城より移った。1606年には本丸が完成し、鐘の丸より移っている。
 そして、1914年(慶長19年)大坂冬の陣、1915年(慶長20年)大坂夏の陣があり、その年元和元年になって築城普請が再開され、櫓、黒鉄門などの門や、高石垣、表御殿が出来、中土手中堀が完成し、外堀もできた。
 さらに年表をたどっていくと、1871年(明治4年)になって、明治新政府による廃藩置県が実施され、彦根藩解体の上、井伊家は東京に移住した。1872年、陸軍省の所管となった彦根城は1878年(明治11年)陸軍省は彦根城の解体を決定した。しかし、大隈重信の進言により、解体は中止され、宮内庁所管の彦根御料地となる。拝借方申請した井伊直憲に保管委託され、のちに下賜され、井伊直憲の所有となったのだ。
 1942年(昭和17年)彦根市長の松山藤太郎が井伊直忠に彦根城の下付願を提出、1944年に井伊家より彦根城の土地建物が彦根市へ寄付された。1951年(昭和26年)国指定重要文化財となり、翌年、天守、附櫓、多門櫓が国宝へと昇格される。2015年(平成27年)には彦根城外堀跡全体が遺跡(埋蔵文化財包蔵地)となる。2016年には中央町・錦町の外堀跡の一部も特別史跡彦根城跡に追加された。
 近世の城で天守が残っているのは、弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、備中松山、松江、丸亀、松山、宇和島、高知の12城。このうち、松本、犬山、彦根、姫路、松江の5城の天守は国宝である。
 彦根城に関する記述は、彦根観光協会のパンフレットや、ホームページの記述を参考にさせていただいている。

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彦根観光協会 彦根城域マップより

109.彦根城 中堀
11時40分、バスは彦根城の南側にある京橋口駐車場に入った。中堀に沿った通り( 中濠東西通り )を京橋口に歩く。彦根城は、中堀に面して4つの城門が開いていた。その1つが京橋口門である。京橋口門は、第2の郭の重臣屋敷と第3郭の本町筋の間にあり、内堀の大手門にも通じる要所に位置している。今までどちらかというと光が限られた寺院めぐりだったので、青空の明るさが眩しい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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110.石垣とイチョウ
中堀の向こう側の石垣の上に見えたイチョウの深黄色が鮮やかだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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111.内堀
京橋を渡り京橋口から入城し、左手に内堀を見ながら表御門へ進む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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112.表門橋
内堀に架かる表門橋に向かって内堀は左に回っていく。表門橋を渡ったところが表門券売所で、ここから、内堀の内側に入っていく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 25mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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113.コブハクチョウ
表門橋の下にコブハクチョウが2羽いた。そのうち1羽が、泳いで前に出てきた。内堀にコブハクチョウが4羽いて、飛んで逃げないよう、管理事務所の職員さんが風切り羽を切っているそうだ。彦根城にはコクチョウもいるらししい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 114mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126487_113 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
114.表門山道 天秤櫓の石垣
表門から坂道を上がっていくと高い石垣が現れる。天秤櫓の東側の櫓だ。「彦根城天守に登る坂道は4か所ありますが、その石段は非常に登りずらいと言われています。もともと城への石段は、万一敵が攻め入った場合、歩調が乱れ一息で登れないよう意図的に不規則に造られているのです。お寺の屋根のように、最初はおだやかな登りが、登るにつれ斜度が急になり上りにくくなったり、踏み幅や踏み高を微妙に違わせて一定にせず、敵に対して足元を注意して登らせ、上から攻撃しやすくしているのです。観光客の皆様には大変登りずらいと思いm、明日が、充分気をつけてご見学くださ。」という親切な立札があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 17mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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115.天秤櫓
天秤櫓は、大手門と表門からの道が合流する要の位置に築かれた櫓である。この櫓は、上から見るとコの字形をしており、大手門からと表門からの登城道をそれぞれ押さえるために両隅に2階建ての櫓を設け、中央に門が開く構造となっている。あたかも両端に荷物を下げた天秤のようであり、江戸時代から天秤櫓の名がある。 重要文化財である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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116.太郎門櫓への坂道
天秤櫓を抜けるとまた坂道があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
201126501_116 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
117.太郎門櫓
登りきると、彦根城の天守を目前にした本丸最後の門である重要文化財の太鼓門櫓が現れた。東側の壁が無く、柱の間に高欄をつけ廊下にしているという。登城合図用の太鼓の音を響かせるために考えられたのではないかといわれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
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118.天守の石垣
太鼓門櫓を過ぎると、天守が現れる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 32mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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119.天守 -1
天守の南側から撮った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126516_119 X800 〇彦根城 RX10M4.jpg
120. 天守 -2
天守の西側へ回る。国宝彦根城天守は北西に附櫓が、さらに長い多聞櫓が連なる。また、破風は変化に富んでいる。天守一層目の軒に並ぶ8つの「へ」の字形の切妻破風は、それぞれの大きさと奥行きに変化をもたせ、二層目は、南北を切妻破風、東西を入母屋破風とし、南北にが唐破風が設けられている。この切妻破風、入母屋破風、唐破風を組み合わせたたぐい希な美しさは見逃せないという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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121.もみじと切妻破風
天守に上がれるようだが、時間も少ないので割愛し、天守を左回りに回って、西の丸の手前から黒門山道を下りて、楽々園、玄宮園へ行くことにした。破風には入母屋破風、千鳥破風、切妻破風、唐破風の4種類があり、もみじの間から見えるのは切妻破風だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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122.黒門山道
本丸の石垣を右手に眺めながら黒門山道を下りる。私たちの他に歩く人がいない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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123.曲輪井戸
黒門山道を下っていくと右手に小曲輪というところがあった。曲輪とは、城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域のことであるが、立てられていた説明板には、「 弧状に築かれたこの曲輪の北東隅には塩櫓が築かれ、周囲は瓦塀がめぐっていました。塩櫓の近くには方形と円形の桝が現存しており、石組溝で集められた雨水を浄化して貯水するタイプの井戸であったと考えられます。曲輪の名も、この井戸に因んで名づけられたのでしょう。「塩」と「水」は、籠城戦ともなれば兵士の体を維持するために必要不可欠なものです。井戸曲輪は小さな曲輪ですが、黒門から侵入する敵兵に対する守りであるとともに、彦根城を守備する兵士の生命維持に必要な物品の備蓄が配慮された曲輪でもありました。」と記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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124.黒門
左側は西の丸だ。黒門山道を振り返る。右手に内堀を渡る黒門橋がある。 黒門橋は、城山から槻御殿や玄宮園に向かう一番近い橋で、現在、内堀に架かる3つの橋の中で唯一土橋になっている。

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プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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125.黒門橋を渡る
内堀に紅葉が映り込んでいた。

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プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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126.彦根城のもみじ
彦根城のもみじは多くない。もみじはやはり湖東三山なのだ。

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プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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127.楽々園と玄宮園
黒門橋を渡り、コブハクチョウが遊ぶ内堀に面した散策路を右へ進み、まず、楽々園に入る。楽々園と南側に玄宮園が続くが、これは楽々園から玄宮園を眺めたところ。見えている橋で、羽織袴と角隠しの新婚さんが記念写真の撮影をしていた。

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プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 106mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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128.楽々園 茶座敷「地震の間」
かつて、江戸時代初期 (1677年) に彦根藩4代藩主井伊直興によって造営が開始された井伊家の下屋敷であった。江戸時代は「槻御殿」あるいは「黒門外御屋敷」と呼ばれており、明治時代以降に「樂々の間」から「楽々園」と呼ばれるようになったとされる。  写真はご書院から連なる「地震の間」。「地震の間」という名称についてはいつごろから呼ばれるようになったかは不明だが、構造上に特徴があり、地震が起きた際に、その耐震機能を果たすとされ、文政2年(1819年)に大きな地震被害に遭っていることによる改修と考えられるとのこと。

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プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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129.玄宮園から天守を望む
楽々園から玄宮園へと移動する。もみじの間から天守閣を望む。

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プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 46mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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130.玄宮園 鳳翔台
玄宮園は楽々園とともに、江戸時代には「槻御殿」と呼ばれた彦根藩の下屋敷である。「槻御殿」は延宝5年(1677年)、4代当主井伊直興により造園が始まり、同7年に完成したと伝えられ、昭和26年に国の名勝に指定されている。現在は「槻御殿」の庭園部分を玄宮園、建物部分を楽々園と称している。玄宮園は広大な地水を中心に池中の島や入り江に掛かる9つの橋などにより変化にとんだ回遊式庭園となっている。庭園内の築山に造られた茶室の鳳翔台は、彦根藩の賓客をもてなすための客殿だったそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 45mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
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131.玄宮園 鳳翔台と天守閣
玄宮園の池の東側からと鳳翔台と本丸天守閣を望む。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
201126582_131 X800 〇 彦根城 RX10M4.jpg
132.玄宮園のもみじ
さっき新婚さんが記念写真を撮っていた橋のそばに1本のもみじがあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
201126587_132 X800 彦根城 RX10M4.jpg
133. 「二季咲桜」
彦根城でも桜が咲いていた。「二季咲桜」の札が立てられていた。その札には、「昭和47年4月に水戸市(友好都市)より寄贈されたもので冬(11月から1月)と春(4月から5月)の年二回開花します。」と記されていた。1年に2度咲く桜にはフユザクラやジュウガツザクラ、フダンザクラ、シキザクラ、コブクロザクラなどがあるが、この二季咲桜はマメザクラ(豆桜)とエドヒガン(江戸彼岸)の雑種でシキザクラの一種とされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 55mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
201126594_133 X800 彦根城 RX10M4.jpg
134.馬屋 重要文化財
何気なく通り過ぎてしまったが、長い黒い塀に気が付いて、その門へ戻ってみた。この細長い建物は馬屋で、全国の近世城郭に残る大規模な馬屋としてほかに例がなく、国の重要文化財に指定されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
201126602_134 X800 彦根城 RX10M4.jpg
135.馬屋の中
馬屋の中に入ってみる。馬屋の建物はL字形になっていて、佐和口の櫓門に接する東端に畳敷の小部屋、反対の西端近くに門があるほかは、すべて馬立場(うまたちば)と馬繋場(うまつなぎば)となっている。その数は21。つまり21頭もの馬を収容することができたのだ。昭和41年~43年にかけて解体修理されている。馬屋は藩主などの馬を常備したもので、こうした馬屋の他にも、かつて表御殿(現在の彦根城博物館)の玄関脇には客用の馬屋があった。また、玄宮園やお浜御殿などの下屋敷には、馬場があって馬の調教が行われていたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/250秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 -0.3段
201126600_135 X800 彦根城 RX10M4.jpg
136.京橋
京橋を渡って城を退出した。  京橋は、一千石以上の武士が居住していた第二郭(内曲輪)と中級以下の武士や商人、職人が居住していた第三郭(内町)をつなぐ橋だった。京橋を渡り、中濠東西通りを渡って、本町通り「夢京橋キャッスルロード」に入る。振り返ると秋を感じる鱗雲がきれいだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126605_136 X800 彦根城 RX10M4.jpg
137. 「夢京橋キャッスルロード」
当時、本町は商人町で大変活気があったという。彦根城が築城された1603年(慶長8年)、当所に町(当時の町名は桶屋町・職人町・八百屋町など)が作られたのが起源である。現代になって、彦根市の都市開発から取り残されていたが、1985年(昭和60年)に彦根市の街角整備事業の一環として実施対象となり、江戸期の建物・風情を再現した町並みにすることが計画され、1999年(平成11年)に地区を走る県道2号の拡幅とともに完成した。京橋から本町を抜ける通りを本町通りといい、計画前は町割りの佇まいや白壁と格子窓のある街並みに、江戸時代の面影がわずかに残っているだけだったが、 現在「OLD NEW TOWN」をテーマに、本町通りに沿って立ち並ぶ街並みは、商人屋敷の良さを生かした江戸時代感覚の新しい建物に建て替えられている。この本町通りは「夢京橋」という名前で親しまれ、「夢京橋キャッスルロード」と名付けられている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
201126606_137 X800 彦根キャッスルロード RX10M4.jpg
138.「夢京橋キャッスルロード」 吉坂薬局
実は新しいのだろうが、クラシカルな店構えの薬局があった。お店の中を覗いてみたら、最近のくすりが並んでいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO320 ) 露出補正 -0.3段
201126618_138 X800 彦根キャッスルロード RX10M4.jpg
139.「夢京橋キャッスルロード」 あゆの店「きむら」
琵琶湖はアユでも有名だが、琵琶湖にはアユが食べる苔がないので大きく育つことが出来ないのだそうだ。そこで小鮎の佃煮が名産だが、試食したところ、とてもいい味だった。琵琶湖特産の ホンモロコの佃煮もよい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
201126623_139 X800 彦根キャッスルロード RX10M4.jpg
140. あゆの店「きむら」の庭
あゆの店「きむら」は奥行き深く、その奥には中庭がある。お店の人にお願いして写真を撮らせていただいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO500 ) 露出補正 -0.7段
201126627_140 X800 彦根キャッスルロード きむらの庭 RX10M4.jpg
141.彦根観光人力車
あっという間に時間が経ち、速足でバスに戻った。発車前のバスの窓越しに中濠東西通りをお客さんを乗せて走る人力車が通り抜けた。14時40分、湖東三山のひとつ百済寺に向け出発する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 90mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
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2020年12月19日

琵琶湖をぐるっとGo To トラベル 11月25日~27日 (5)西明寺 11/26

金剛輪寺を出発し、次は 西明寺へ行く。東名高速に沿うように国道307号線を約10分ほど北へ走って西明寺の駐車場に入った。西明寺も天台宗のお寺である。
 平安時代、仁明天皇の勅願により三修上人が開山したと伝えられる。戦国時代には兵火のため荒れ果ててしまったが、江戸時代中期に望月友閑によって再興された。惣門をくぐると参道が続き、山坊跡の石垣が散在しており、平安、鎌倉、室町時代を通じて祈願・修行道場として栄えたことがうかがわれる。幸い織田信長の兵火を免れ、飛騨の匠によって建立された本堂や三重塔や二天門が残されている。
 紅葉は見ごろだった。さきに訪ねた金剛輪寺より見栄えがしていたと思う。金剛輪寺の「血染めの紅葉」に勝るとも劣らない。紅葉にもまして、感動したのは苔の美しさだった。苔にもいろいろと種類がある。また、秋から冬の間、少しずつ花を咲かせ続ける「不断桜」(フダンザクラ)も見られ、天然記念物で樹齢250年という樹があった。11月が満開になるという。
 湖東三山の中で一番見ごたえがあったと思う。

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西明寺境内案内板より

82.惣門
西明寺の惣門を入る。惣門とは屋敷の外囲いにある大門、正門のことで、金剛輪寺のホームページでは総門となっていた。江戸時代、最も重要な街道筋には「惣門」が置かれていた。教林坊や金剛輪寺の境内案内図では「総門」となっていたので、どう違うのかなと思って調べてみたが、どうやら意味に違いはないようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
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83.惣門の屋根とカエデの紅葉
まだ緑の残るカエデの紅葉がいききとしている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
20112642_083 X800 西明寺 RX10M4.jpg
84.惣門とカエデの紅葉
惣門を抜けて紅葉を見上げ、本堂へ300mほど続く参道を上っていく。惣門は2015年に再建されたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
201126357_084 X800 西明寺 RX10M4.jpg
85.カエデの落ち葉と苔
西明寺は苔が美しいことでも有名。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 42mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
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86.受付と惣門
バスガイドさんが用意してくれた入山料600円の券を見せて受付を通る。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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87.もみじとすすき
境内を分断している名神高速道路の上を越えて多くの僧坊があった跡地を左右に見ながら、参道を行く。東名高速は参道の下を西明寺トンネルで抜けている。歴史自然環境の保護のため、参道の景観が損なわれないように道路は地下化された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 41mm ISO200 ) 露出補正 -0.3段
201126368_087 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
88.苔 -1
「苔を大切にしましょう」「苔を取らないでください」「この苔は西明寺が好きです。大事にしましょう」といった西明寺執事による立札が何か所かに立てられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 37mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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89.苔 -2
にもいろいろな種類があるようだ。日本に自生する苔は1,700種と言われる。深い緑を敷き詰めた苔の上に落ちた赤いカエデの葉が印象的だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO1250 ) 露出補正 -0.3段
201126378_089 X800 西明寺 RX10M4.jpg
90.鮮やかなカエデの紅葉 -1
左に見える塀の中は本坊庭園「蓬莱庭」になっている。参道はまだ続くが、この辺りの紅葉は美しく、見上げながら上がっていく。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 53mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
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91.鮮やかなカエデの紅葉 -2
紅葉はまさに見ごろであった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 21mm ISO160 ) 露出補正 -0.3段
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92.夫婦杉(千年杉)
大きな杉の木があった。樹齢約1,000年だそうだ。「西明寺の霊木で、元々二本であった木が、寄添い一つになって、ともに育っていることから夫婦杉と呼ばれる。後側から子供のように若木が出ていることから子授け、安産の霊木、樹齢千年の長寿の木であるので息災延命の霊木とされている。幹や根にそっと手を当てて、霊気をいただいてください。」 と説明されていた。そして賽銭箱が立てられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段
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93.二天門
20分近く歩いて、石段の上に二天門が見えてきた。二天門は重要文化財に指定されている。 wikipediaによれば、間口 3間、奥行 2間(間は長さの単位ではなく、柱間の数を表す建築用語だそうだ)。入母屋造、杮(こけら)葺きの八脚門。部材の一つである巻斗に応永14年(1407年)の墨書があり、同年の建立とみられるという。左右に阿吽の木像が祀られ、その前にわらじがある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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94.二天王立像  増長天
仁王像は 二天王立像という。滋賀県犬上郡甲良町のホームページには「西明寺二天門に持国天、増長天の2体の木像が寺を守って立っています。 元亀2年(1571年)西明寺の寺域は織田信長の兵火にかかって焼失しましたが、幸いにも寺院の中心部分である本堂と三重塔、二天門、二天王立像は難を逃れました。」と記されていた。これは向かって右側に立つ増長天だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
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95.二天王立像  持国天
向かって左側に立つのは持国天である。この仏像はいくつもの木材をつなぎ合わせた寄木造という方法で造られている。2体ともに像の高さは1.95mで、仁王像と同じように、一方は口を開き、他方は口を閉じている。正長2年(1429年)、印尋(いんじん)によって造られたもので、作者と制作年代のわかる仏像として珍しく貴重なのだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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96.国宝 本堂
二天門を抜けると目の前に本堂があった。この本堂は瑠璃殿とも呼ばれ、建造年は鎌倉時代前期。規模は桁行七間に梁間七間で、正面に三間の向拝が付く。建造当時は桁行五間、梁間五間の五間堂であったが、後の南北朝時代に大々的に改修され、現在の七間堂になったという。屋根は一重の入母屋造で檜皮葺。正面は全面が格子の蔀戸(しとみど)になっているなど、同じく湖東三山の一つで国宝の金剛輪寺本堂と類似点が多い。内部もまた、前方3間が外陣、中ほど2間が内陣、後方2間が後陣に分かれているなど、金剛輪寺本堂と良く似た天台密教の本堂様式となっている。本堂内は撮影ご法度であった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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97.本堂の周囲 -1
本堂の脇に紅葉するカエデの色は鮮やかだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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98.本堂の周囲 -2
金剛輪寺の「血染めの紅葉」より見応えがあったと思う。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 78mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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99. 本堂の周囲 -3
光が演出をしてくれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 20mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
201126420_099 X800 〇西明寺 RX10M4.jpg
100.国宝 三重塔
本堂の右手、建物への水の浸入を防ぐため、水はけを良くするために平地の上に石を組んだ基壇の上には三重塔がそびえている。wikipediaによれば、檜皮葺きの和様の三重塔である。様式的に鎌倉時代後期の建築とされる。総高は20.1m。逓減率が小さいことと、二重目・三重目の塔身の立ちが低いことが本塔の特色である。相輪は日本の他の木造塔では銅製とすることが多いが、本塔のそれは鉄製である。初層内部には大日如来像を安置し、心柱は初層天井裏から立つ。初層内部は須弥壇と床面を除く全面に極彩色の絵画が描かれているが、現状ではかなり剥落している。絵画の主題は、内部の4本の柱(四天柱)には両界曼荼羅のうち金剛界曼荼羅成身会(じょうじんね)の三十二菩薩(四波羅蜜菩薩、十六大菩薩、八供養菩薩、四摂菩薩)を表し、四方の扉脇の壁面には計8面に法華経曼荼羅図、法華経二十八品(章)の説話の絵画を表している。このほか、扉には八方天、須弥壇周りの長押には宝相華、牡丹、鳳凰などが描かれている。このうち柱4本と壁8枚は国宝建造物の一部であるとともに、「絵画」としても別途重要文化財に指定されているとあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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101.三重塔のもみじ
三重塔は後ろから日を受けている。日に当たったカエデの葉が輝く。

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プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 45mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
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102.これから紅葉
まだまだこれから紅葉するカエデの葉も控えているた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 121mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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103.「不断桜」
本坊庭園「蓬莱庭」に入る。もみじを背景に桜の花が咲いている。西明寺のパンフレットには 「不断桜」は春秋冬に開花、高山性のサクラで彼岸桜の系統のフユザクラに属すると記されている。少し調べてみるとフダンザクラとは五弁の花をつけるヤマザクラ(野生種)とオオシマザクラ(野生種)の交雑種とされている。パンフレットにある「フユザクラ」というのは、別名をコバザクラ(小葉桜)といい、ヤマザクラ(野生種)とマメザクラ(野生種)の雑種と推定されているそうだ。ややこしい。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO400 ) 露出補正 -0.3段
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104.名勝本坊庭園「蓬莱庭」と「不断桜」
秋から冬にかけて開花するサクラには、フダンザクラ、フユザクラ、ジュウガツザクラ、コブクザクラなどがあるが、西明寺のフダンザクラ「不断桜」は、9月上旬から翌年4月頃まで開花するが、紅葉の11月に満開となる。現在、天然記念物に指定されているものは、樹齢250年といわれる古木である。滋賀県のホームぺージには、その樹齢250年といわれる古木は、近年,衰退が著しく、その後継木の育成が課題であった。約30年前に、母樹となる指定木から取り木がなされ、後継木の育成が試みられた結果、3本が育成に成功し、現在の指定木の東側に1本、現本坊の西庭に2本が植えられている。また、10年前には母樹となる指定木の萌芽から若木を育てることに3本が成功し、本坊庭園上段、仁王門西側平坦面、および三重塔西側斜面の3箇所において一本づつ育成されている。 これら6本の後継木は、250年前に西明寺に植えられたとされる母樹(指定木)の由来樹木と認められる。これらの6本を後継木として認定し、追加指定することによって、江戸時代より継承されるフダンザクラの保全をはかると記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
絞り優先オートで撮影 ( f14 1/500秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 -0.3段
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105.名勝本坊庭園「蓬莱庭」の池
甲良町のホームぺージによれば、「江戸時代、延宝元年(1673年)、望月越中守友閑が、当山復興の記念として造られた庭園である。池の中央は折り鶴を形どった鶴島で、左が亀島である。池の水の部分は心字池となっていて、池泉回遊式である。 築山の立石群は本堂に安置している本尊薬師如来と日光・月光の菩薩及び十二神将等の眷属を表し、植木の刈り込みは雲を形どって薬師の浄瑠璃浄土を具現化したものである。本庭園は小堀遠州の作庭を参考にした造園になっており、鎌倉時代の八角石灯籠(石屋弥陀六作)や連珠模様の室町時代を偲ぶ石灯籠がある。」と記されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO250 ) 露出補正 -0.3段
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106.名勝本坊庭園「蓬莱庭」のもみじ
本堂の方から下りて来ると 「蓬莱庭」を通って中門を出て参道に戻る。そのあたりのカエデの紅葉もきれいだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO125 ) 露出補正 -0.3段
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107.苔 -3
参道からは見事な苔を見ることが出来る。どこかに「苔は西明寺のことが好きです」という看板があったが、苔の持ち帰りは禁止と言うことだ。

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プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 26mm ISO2500 ) 露出補正 -0.3段
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108.石垣
西明寺は、惣門から本坊中門までの参道の左右に石垣が築かれた僧坊跡が続くが、 穴太積  の初期の石垣が保存されている。 その石垣にはりついた1枚の紅葉したカエデの葉に風情を感じた。

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プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 27mm ISO2000 ) 露出補正 -0.3段
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