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2022年4月17日

皇居東御苑から千鳥ヶ淵へ その1 皇居東御苑 3月30日

今年は千鳥ヶ淵の桜を見に行きたいと思っていて、天気予報を見ながらこの日に行こうと決めた。
 東京駅の丸の内側駅前広場は長い間工事がされていたが、2017年12月7日に約10年かけた丸の内口の一連の再整備が完了した。行幸通りからの眺めを是非撮りたいと思い、東京駅をスタートした。平日の午前10時、行幸通りを歩く人は少なかった。
 行幸通りを行き、和田倉門交差点をさらにまっすぐ進んで桔梗門から皇居東御苑に入ろうとしたが、桔梗門は工事関係者以外一般の人は入ることが出来なかった。仕方なく内堀通り迄戻り、北へ、大手門から入ることになった。
 同心番所、百人番所から、二の丸雑木林、二の丸庭園、諏訪の茶屋を見て、梅林坂から書陵部の脇を通って北桔橋門に出た。北の丸公園へ行くにはここを出なければいけなったのだが、天守台、大奥跡を左に見て、竹林、石室、富士見多門と歩き、富士見櫓へたどり着いた。千鳥ヶ淵とはずいぶん遠くなってしまったことになる。
 結果、入苑した大手門へ戻ってきていた。係のかたに千鳥ヶ淵へ行きたいのだがと尋ねてみたところ、「北桔橋門を出て内堀通りを左に行けばよかったですね」ということで、大手門から内堀通りを左へ延々と、ジョギング中のランナーを避けながら、再び北桔橋門の前を通って、千鳥ヶ淵へ向かうことになった。
 皇居から北の丸公園を歩き、千鳥ヶ淵へ行こうと考えていたが、皇居東御苑から北の丸公園へ直接入ることは出来ないのだ。
 皇居東御苑の記述にはプレスマンユニオンの「東京とりっぷ」などを参照させていただいた。

000_220330125 X700 桃華楽堂 Z50 18-140.jpg
桃華楽堂の前に並び咲くハナモモの木 2022年3月30日 皇居東御苑

001_220330004 X800 〇東京駅行幸通り Z50 18-140.jpg 1.東京駅丸の内駅前広場
3月30日(水)午前10時に東京駅丸の内北口から、駅前広場に出た。新丸ビル側に渡り、丸ビルとの間を和田倉門に向けて伸びる行幸通りに立ち、東京駅外観を正面から眺めた。この整備が終わった東京駅丸の内駅前広場と行幸通りは 駅前広場と道路空間からなる景観[東京駅丸の内駅前広場から行幸通りに繋がる景観] として 「2018年度グッドデザイン・ベスト100」を受賞している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
002_220330002 X800 東京駅行幸通り Z50 18-140.jpg 2.和田倉門交差点付近から東京駅の眺め
幅73m、延長190mの行幸通りはまっすぐ、日比谷通りの和田倉門交差点を過ぎて、さらに内堀通りまで延びる。正式名称は「東京都道404号皇居前東京停車場線」と言うそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
003_220330018 X800 和田倉門 Z50 18-140.jpg 3.和田倉門交差点(日比谷通り)
和田倉門交差点を渡って、内堀通りへと進む。東京駅を振り返る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 82mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
004_220330023 X800 桔梗門(旧桜田門) Z50 18-140.jpg 4.桔梗濠と桔梗門
行幸通りが終わる内堀通りを渡って、お濠(桔梗濠)を右手に見る。左奥に見えるのは富士見櫓。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
005_220330027 X800 桔梗門(旧桜田門) Z50 18-140.jpg 5.桔梗門
内堀通りから行幸通りを背に真っすぐ進むと、桔梗門が見えた。だが、一般の人はここからは皇居東御苑に入ることは出来ない。 桔梗門 は 「桜田門外の変」で井伊直弼が暗殺された外桜田門に対して、内桜田門とも呼ばれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 23mm ISO100 ) 露出補正 +0.7段
006_220330033 X800 大手門へ Z50 18-140.jpg 6.桜田巽櫓
「ここから一般の方はご入場できません。大手門へお廻りください」と言われ、いま来た内堀通りを戻って左へ向かった。桔梗濠の向かいにそびえる二重櫓が桜田巽櫓。ジョギングをする人が多い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 58mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_220330035 X800 大手門へ Z50 18-140.jpg 7.大手門 -1
すぐに大手門が見えてきた。内堀通りのサクラも満開だった。ぼやけて見えるのは桝形形式の大手門の高麗門だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 58mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220330043 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 8.大手門 -2
大手門は1607年(慶長12年)に完成した江戸城の玄関である。1620年(元和6年)の江戸城修復に際し、伊達正宗や酒井忠世らの力により現在のような高麗門と渡櫓型の櫓門で構成された桝形形式(橋を渡ってから道は鍵型に屈曲する)の城門となった江戸城の正門である。その警備は鉄砲30丁、弓10、長柄(槍)20という厳重なものだったという。現存する入り口側の高麗門は、1657年(明暦3年)の明暦の大火(振袖火事)後の1659年(万治2年)に再建されたものだそうだ。江戸時代の渡櫓門は、残念ながら昭和20年の戦災で焼失している。写真は1968年(昭和43年)に木造復元により再建された渡櫓門。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_220330045 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 9.鯱
枡形内に入ると、渡櫓の屋根を飾っていた鯱が展示されていた。刻印に「明暦三丁酉」とあり、1657年(明暦3年)の振袖火事で焼失した後、1659年(万治2年)に大手門が再建されたときのものと推定できるという。昭和20年の空襲で門は焼け落ちたそうだが、鯱だけが残っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO125 ) 露出補正 なし
010_220330051 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 10.同心番所
今回は大手門から皇居東御苑に入ったが、他に平川門、北桔橋門からも入れるそうだ。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまったが、富士見櫓、同心番所、百人番所が現存している。この同心番所は門の外から内に移設されてはいるが、往時の姿を今に伝えている。説明板には、番所とは警備詰所のことだが、江戸城にあった番所のうち、同心番所、百人番所と大番所の3っつが残っている。ここには同心と呼ばれる武士が詰め、登城者の監視に当たっていたとあった。同心は、江戸幕府の下級役人のひとつ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO125 ) 露出補正 なし
011_220330054 X800 大手門 Z50 18-140.jpg 11.中之門石垣
皇居内の石垣は特別史跡「江戸城跡」に指定されていて、「本丸中之門石垣」修復工事は平成17年8月から、平成19年3月にかけて行われた。石垣には江戸城の中でも最大級の巨石が使用され、目地(隙間・継ぎ目)がほとんどない、各段の高さを水平に揃えて積んだ整層積(布積み=ぬのづみ)の美しい石垣としている。構造上は少し弱くなるが、本丸御殿への大名の登城ルートとして、見た目の美しさが優先されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
012_220330057 X800 大手門 百人番所 Z50 18-140.jpg 12.百人番所
百人番所は、数少ない江戸時代から残る江戸城の遺構で、検問するだけでなく、幕府直轄の精鋭部隊、鉄砲百人組が有事に備えて詰めていた。警備を担当したのが、徳川家と縁故のある甲賀組、伊賀組、根来(ねごろ)組、廿五騎(にじゅうごき)組。当然のことながら昼夜交代で詰めていた。与力20人、同心100人が詰めていたが、各組の同心100人が配備されたのがその名の由来となっているそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 21mm ISO100 ) 露出補正 なし
013_220330063 X800 大手門 百人番所 Z50 18-140.jpg 13.中之門跡の石垣
百人番所の右手に中之門跡があった。中之門は、本丸の玄関となる中雀門と一体となって一つの大きな虎口(曲折して出入りする狭い通路)を作り、百人番所や大番所とともに本丸護衛として重要な役割を果たしていた。門から離れたところでは石積みの方法が違っていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
014_220330081 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 14.二の丸雑木林から二の丸庭園へ
大番所跡を見落とすことになってしまったが、中之門跡からではなく、手前の百人番所の前から北へ入った。二の丸御殿跡にある二の丸雑木林。2代将軍・徳川秀忠が死去した後の1636年(寛永13年)には二の丸御殿が建てられ、東側に庭園が配置された。現存する庭園は往時の庭園を昭和43年に復元したものだそうだ。昭和天皇の発案で、武蔵野の雑木林をできるだけ自然に近い形で復元している。手前のサクラの花を明るく撮ろうと、内臓フラッシュを発光してみたが、効果はなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f14 1/200秒 32mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_220330086 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 15.二の丸庭園
9代将軍・徳川家重時代の庭絵図面をもとに復元した池泉回遊式庭園があり、全国から集められた各都道府県の木260本も植えられている。現在の二の丸池にはコウホネ、ヒメコウホネ、ヒツジグサ、赤坂御用地の池から移したアサザが生育している。小堀遠州の作といわれる庭園の池水は、古い絵図と比べてもほぼ二の丸池と同じ場所にあるそうだ。池に関しては大名庭園時代の池泉をそのまま活用したと推測できるという。菖蒲田には昭和41年に明治神宮神苑から株を譲り受けた84品種の花菖蒲が植栽されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 31mm ISO110 ) 露出補正 なし
016_220330095 X800 二の丸庭園 カイドウ Z50 18-140.jpg 16.諏訪の茶屋とカイドウの花
池を右手に北へ進むと、紅色の花が目についた。ツツジかなの思って近づいてみるとカイドウの花だった。諏訪の茶屋は、二の丸庭園にある風雅な茶室である。火災などで焼失後、11代将軍・徳川家斉の時に創建されている。かつては吹上御苑(西の丸西側、現在の御所などのある一帯)にあったが、昭和43年、皇居東御苑の整備の際に移築された。建物は、明治45年に再建されたが、その当時、その場所に諏訪社があったことから諏訪の茶屋という名前が付いている。茶室としての利用はできない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
017_220330101 X800 二の丸庭園 Z50 18-140.jpg 17.諏訪の茶屋
諏訪の茶屋の西側に回り込むとその入り口の木戸があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 25mm ISO100 ) 露出補正 なし
018_220330104 X800 梅林坂 Z50 18-140.jpg 18.梅林坂の石垣
西側の道に出て天神濠を右手に、石垣のある梅林坂を上がる。梅の開花期である2月上旬頃には石垣と梅の花という絶景スポットになる。もともと、太田道灌が江戸平河城を築城した際に、領地である川越の三芳野神社から祭神である菅原道真の分霊を勧請して天満社を創建したのが始まりという歴史ある梅林だそうだ。その太田道灌が1478年(文明10年)に、菅原道真を祀った際に、梅の木100本をここに植えたのが梅林坂の始まりとか。梅林坂の下から本丸方面にかけて50本ほどの梅が植栽されているが、この梅は皇居東御苑開園に先駆けて、昭和42年に植えられたものという。50年を経て立派な梅に育っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 94mm ISO250 ) 露出補正 なし
019_220330111 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 19.北桔橋門(きたはねばしもん)の桜
皇居書陵部の前を通って北桔橋門へ向かう道の、平川濠沿いのサクラがきれいだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
020_220330117 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 20.北桔橋門 -1
江戸城本丸の大奥、天守部分から外部に直接通じる門が北桔橋門である。門の横の内濠(平川濠・三日月濠)は防御力を高めるためにほかよりも深く、石垣は最も堅固になっている。北桔梗門の内側からその石垣と濠を見た。石垣は江戸城の城壁の中でも最も高く高さは18.5mもある。地震などの揺れにも強い自然石を積み上げる野面積み(のづらづみ)になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
021_220330118 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 21.北桔橋門 -2
一旦、北桔橋門を出て、濠にかかる橋の上から北桔橋門を撮った。当時の北桔橋門は、通常は橋を跳ね上げた形で、使われることがなく、いざという時の脱出路の確保としての門となっていた。現在の門は冠木門(笠木を柱の上方に渡した屋根のない門)である。現在では大手門、平川門と同様に、宮内庁が管理する皇居東御苑(江戸城の本丸・二の丸・三の丸)の入城門となっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
022_220330124 X800 桃華楽堂 Z50 18-140.jpg 22.「桃華楽堂」とハナモモ
北桔梗門から本丸跡へ入っていくと「桃華楽堂」が見えた。「桃華楽堂」は昭和41年2月に音楽好きの香淳皇后(昭和天皇の皇后)の還暦記念として建設された200名収容の音楽ホールだ。鉄仙の花弁を形どったといわれる屋根と八面体の珍らしい建物。その西側に植えられたピンクや赤・白の花のハナモモがいま、あでやかに咲いている。名前の「桃華」の由来は、香淳皇后さまの御誕生日が3月で桃の節句に因んだ桃、華の字は十が六個と一で構成されていることから還暦(数え年61歳)を意味するということで命名されたといわれている。楽堂の建物も名前も、そして傍らに植えられたハナモモの木も、人々の目を引きつける優美な佇まいである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 59mm ISO100 ) 露出補正 なし
023_220330131 X800 天守台 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 23.天守台から見た北桔梗門
右手(西側)に天守台があったので上がってみる。江戸城本丸北隅にあった天守閣は、東西約41m、南北約45m、高さ11mの天守台に建てられていた。日本最高だったという高さ51mの天守を支えた江戸城天守台は黒田長政が築造を担当し、石垣は、南部、津軽の二候が築いたとされている。現在、皇居東御苑内に修復、保存され、天守台の上に登ることができる。天守台から北側に北桔梗門が見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 37mm ISO100 ) 露出補正 なし
024_220330136 X800 天守台 Z50 18-140.jpg 24.天守台
天守台は1606年(慶長11年)に完成し、翌年五層の天守(慶長天守閣)が大手門とともに完成している。家康時代の慶長天守台・天守閣は現在の天守台遺構の南側、富士見多聞のあたりに位置していたそうだ。1922年(元和8年)に2代将軍秀忠が本丸拡張工事を実施、さらに1637年(寛永14年)、3代将軍・徳川家光は天守台・御殿を修築し、翌年には「寛永度の天守」が完成た。現存する天守台は、その寛永期天下普請の遺構がベースになっているそうだ。1657年(明暦3年)に起こった「明暦の大火」(振り袖火事)の飛び火で本丸、二の丸、三の丸はほぼ全焼。その後、江戸城の天守は泰平の世でもあり、経済的な理由もあって再建されることはなかったのだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 22mm ISO100 ) 露出補正 なし
025_220330145 X800 天守台 Z50 18-140.jpg 25.ミツバツツジ
天守台の南側、竹林の手前にミツバツツジが咲き、その奥にシャクナゲが咲くところがあった。西桔梗門跡に近い、「手洗い所」がある辺りである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 48mm ISO110 ) 露出補正 なし
026_220330147 X800 大奥跡 Z50 18-140.jpg 26.本丸 大奥跡
富士見櫓に向かって進む。左側に本丸、大奥跡の芝生が広がる。徳川幕府の中枢となる政庁が江戸城本丸の御殿だが、表御殿・中奥から御鈴廊下でつながっていたのが大奥だった。残念ながら、往時を偲ぶものは何も残っていないそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 24mm ISO110 ) 露出補正 なし
027_220330167 X800 富士見櫓 Z50 18-140.jpg 27.富士見櫓
石室、富士見多門を見て、富士見櫓へ出た。富士見櫓は江戸城遺構として残る唯一の三重櫓。現存する三重櫓は、1657年(明暦3年)の明暦の大火(振袖火事)での焼失後、1659年(万治2年)の再建。どの角度から見ても同じような形に見えることから、「八方正面の櫓」の別名もある。天守焼失後の「代用天守」の櫓ともいわれている。富士見櫓の上からは、その名の通り富士山をはじめ、秩父連山や筑波山、江戸湾(品川沖など)、さらには将軍は両国の花火などを眺望したのだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 40mm ISO110 ) 露出補正 なし
028_220330172 X800 富士見櫓 Z50 18-140.jpg 28.ボケ
手入れされた絞りのボケの花がきれいに咲いていた。全く方向音痴になってしまっていて、この辺りから北の丸公園・千鳥ヶ淵へ出られるのではないかと思って歩いていたら、中之門跡に戻ってきてしまっていた。結局、一回りして入苑した大手門に戻り、これから入る人たちの手荷物検査をしていた係のかたにたずねたところ、「内堀通りを左回りに歩いて行ってください」ということになってしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 115mm ISO360 ) 露出補正 なし
029_220330185 X800 内堀通り 平川門 Z50 18-140.jpg 29.平川門
大手門を出て、内堀通りを左へ歩いて行くと、地下鉄の竹橋駅の近くで次の門である平川門に出た。太田道灌が江戸城を築いた15世紀には、江戸湾に面した現在の平川門周辺には、上平川村、下平川村という村があったのが平川門の名の由来という。太田道灌の時代から門が築かれていたと推測され、3代将軍・徳川家光の治世である1635年(寛永12年)、高麗門(外側の第一門)、渡櫓門(内側の第二門)を備える強固な枡形門のスタイルとなった。江戸城三の丸の正門で今も濠には木橋が架かっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/500秒 34mm ISO110 ) 露出補正 なし
030_220330193 X800 〇内堀通り 平川門 Z50 18-140.jpg 30.平川門の木橋
平川門は現在では大手門、北桔橋門と並んで、皇居東御苑(本丸・二の丸・三の丸)の入苑口のひとつになっている。木橋が往時のように残されるのは江戸城でもここだけだそうだ。現在の木橋(全長29.7m、幅7.82m)は台湾産のヒノキ材を使って昭和63年に再建されたもの。橋台は石造り、脚桁には鉄骨が使われているが、親柱の擬宝珠(ぎぼし)には、寛永や慶長などの銘が彫られており、往時のものが使われていることがわかるそうだ。長くなってしまった。ここら先は次回に回す。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし


2021年9月17日

旅の思い出 海外編 4

6)1994年8月ー9月 憧れのイタリア旅行(2)
サンジミニャーノ、シエナ、アッシジ、ローマ

8月27日から8月30日までミラノからヴェネチア、パドヴァ、ラヴェンナ、フィレンツェ、を観光して、後半は8月30日から9月2日まで、サンジミニャーノ、シエナ、アッシジ、そしてローマを周る、なか7日間の観光ツアーだった。
 ローマでちょっとにわか雨に振られただけで、毎日、ほとんど快晴に恵まれた。

041 940831177S X700 ○サンジミアーノ EOS650.jpg
サンジミニャーノ トスカーナの丘

フィレンツェから南西57km、標高334mの丘の上の街サンジミニャーノ。城壁の中に形成されるこの町は高い塔が連立することで有名だが、これらの塔はかつて富や権力の象徴であり、最も多いときで70を越える塔が林立していたようだ。 いまでも14の塔が残っており、中世の面影を今に伝えている。 サンジミニァーノの塔の上からは、トスカーナのぶどうとオリーブ畑が見渡せた。なだらかな丘が幾重にも遠くまで続く。

042_940831173S X700 サンジミアーノ EOS650.jpg
サンジミニャーノ ドゥオモ(参事会教会大聖堂)広場 

サンジミニャーノにもドゥオモがあった。周囲を七つの塔に囲まれたドゥオモ広場に面するこの大聖堂の元の教会は12世紀にローマ教皇エウゲニウス3世により建造された。高さ54メートルの鐘塔をもつ。モデナの司教で397年にこの地で死亡した聖ジミニャーノを祀り、ここから町の名前になっている。ファサードは東向きで、18段の広い階段の上に建つ13世紀のロマネスク様式である。

043_940831183S X700 シエナ EOS650.jpg
シエナ カンポ広場

シエナはフィレンツェから南へ約50kmのところにある。中世には金融業で栄えた有力都市国家であり、13世紀から14世紀にかけて最盛期を迎えた。フィレンツェとトスカーナ地方の覇権を競い、またその経済力を背景として、ルネサンス期には芸術の中心地のひとつであったそうだ。

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アッシジ サンフランチェスコ聖堂

シエナからボローニアへ移動し、そこで1泊した。翌日、アッシジへ向かった。アッシジは首都ローマから北へ約131kmのところにある。フランシスコ会の創設者である聖フランチェスコの出身地として知られており、キリスト教の巡礼地としての性格を持つ都市でもある。最大の見所はサン・フランチェスコ聖堂である。聖堂は町の北西の斜面の上に建ち、斜面を有効に利用するため建物は上下二段に分かれている。上堂部分はゴシック様式、下堂の部分はロマネスク様式になっている。聖堂にはチマブーエ、ジョット、マルティーニなどの画家の手になるフレスコ画が多数描かれ、上堂内部はルネサンス初期の画家ジョットによる28の場面を描いた聖人フランチェスコの生涯のフレスコ画が、また下堂には「玉座の聖母と4人の天使と聖フランチェスコ」がそれぞれ一番の見所である。私たちが訪れた1994年から3年後1997年に大地震で大打撃を受けた。ボランティアによる修復工事などにより、2000年にはほぼ元の形にもどった。

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アッシジ サンタ・キァーラ修道院

サンフランチェスコ聖堂の関連施設群であるサンタ・キァーラ修道院は、聖フランチェスコの精神に従った女性キァーラ(クララ)のグループが建てた女子修道院で、1257年に完成した。ファサードはサンフランチェスコ聖堂と似ているが、アッシジの町にも多く使われている白とばら色の大理石を縞模様に積み重ね、中央にバラ窓と入口がひとつずつあるだけでシンプルです。

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アッシジ 城塞

アッシジは城壁の街と言われる。市街地は丘陵に沿って東西に長く形成されており、これに伴って城壁も東西に長く築かれた。城壁は市街地西端のサン・フランチェスコ聖堂から山上まで伸び、その山上にはロッカ・マジョーレ「大きな城砦」がそびえる。

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ローマ トレヴィの泉 -1

アッシジを巡ったあと、その足でローマに入った。いよいよ最後の訪問地である。ローマにはたくさん見るべきところがあり、翌日と2日間での観光となった。トレヴィの泉は1762年に完成している。後ろのポーリ宮殿と一体になったバロック・ロココ様式の豪華な造りが魅力の、ローマで最も大きく、 夢のある美しい噴水という。

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ローマ トレヴィの泉 -2

「後ろ向きの肩越しにコインを1枚投げ入れたなら、またいつの日か必ずローマに戻ることができる」と言い伝えられ、いつもたくさんの観光客であふれかえるローマの超人気スポットである。

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ローマ ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂 

ローマ旧市街のほぼ中心にあるヴェネツィア広場をバスで通った。写真の建物はヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂という。1885年、イタリア統一運動時に核となり、統一後はイタリア王国の王家となったサヴォイア家 のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世を王国の国父と見なし、その偉業を讃えるべくその息子であるウンベルト1世の治世に建設が開始された。建設開始から16年後の1911年に落成式が行われ、1925年に完成した。目立って聳え立つ新古典主義の建築物は、古代ローマや中世時代の建物が入り乱れる同地において浮いた存在であり、しばしば景観についての議論の対象となったそうだ。特に地元の人間からは景観を乱す存在として、独特の柱や階段の位置から「ウェンディングケーキ」「タイプライター」「入れ歯」といった蔑称で呼ばれていた。そのためかガイドさんからはほとんど説明がなかったと記憶している。

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ローマ コロッセオ

ローマ帝政期の西暦80年に、ウェスパシアヌス帝とティトゥス帝によって造られた円形闘技場。建造後1900年以上経ってもコロッセオは今もって古代ローマの象徴でありつづけている。各種イベントに使用されることも多く、2016年5月には日本とイタリアの国交樹立150年を記念してライトアップが行われた。観光地としての評価も高く、2015年にロンリープラネット社が発表した「世界の究極の観光地ベスト500」では、コロッセオは欧州最高の7位にランクインした。(wikipediaから引用)

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ローマ ティトゥスの凱旋門 

ガイドさんの説明でコロッセオを見学したあと自由散策となった。フォロ・ロマーノの入り口になるのかどうか、「聖なる道」を歩く。行く手に見える門はティトゥスの凱旋門だ。wikipediaによれば、ティトゥスの凱旋門は82年、ローマ帝国第11代皇帝ドミティアヌスにより、先代皇帝でドミティアヌスの兄でもあるティトゥスのエルサレム攻囲戦等での戦功を称えるため建てられたそうだ。この凱旋門は、16世紀以降に建てられることとなる凱旋門のスタイルの手本とされ、その中には有名なパリのエトワール凱旋門などがある。フォロ・ロマーノを見て歩くには事前勉強不足であった。

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ローマ バチカン宮殿

バチカン宮殿  は、バチカン市国内のサン・ピエトロ大聖堂に隣接するローマ教皇の住居である。

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ローマ バチカン宮殿の衛兵

バチカン市国で見かけるローマ教皇を警護するスイス衛兵隊は、カラフルな衣装を纏ったバチカンの花形的存在として目立つ。しかし、バチカン市国なのにスイス傭兵なのだ。 現在のスイスは、傭兵を禁止しているそうだが、儀礼的要素が強いことなどから例外として維持されているという。現存する国軍では創設時期が最古の軍である。

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ローマ 法王の執務室

ローマ法王は教皇とも呼ばれる。毎週日曜にサンピエトロ広場で行っている「正午の祈り」では、教皇が広場に面した宮殿の執務室の窓を開けて姿を見せ、信者に向けて説教したり、メッセージを伝えたりする。ガイドさんから「どの窓」かを説明されたが忘れてしまった。

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ローマ バチカン美術館 地図のギャラリー

ローマの2日目はバチカン美術館見学から始まった。wikipediaによれば、16世紀末に教皇ユリウス2世により創設されたバチカン美術館は、ベルヴェデーレの中庭の大部分を占めており、世界で最も大きな美術品コレクションの一つであり、歴代の教皇が蒐集した美術品の膨大なコレクションを展示している。ミケランジェロをはじめとする画家たちにより装飾されたシスティーナ礼拝堂と、ラファエロを中心とする画家たちにより装飾された教皇の居室は、見学コースに含まれている。地図のギャラリーは教皇宮殿内にある。幅6m、長さ120mの大ギャラリーの壁面にイタリアや教皇領の地図がフレスコ画で描かれる。1580年-1583年に描かれたものである。

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ローマ バチカン美術館 無原罪のマリアの間の天井

「無原罪の御宿り」という教義は聖母マリアが、神の恵みの特別なはからいによって、原罪の汚れと穢れを存在のはじめから一切受けていなかったとする、カトリック教会における教義である。中央の祭壇にマリア像がある。

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ローマ バチカン美術館 ラオコーン像

ラオコーン像 は、バチカン美術館のピオ・クレメンティーノ美術館に所蔵されている古代ギリシアの大理石製の彫像。ギリシア神話のトロイアの神官ラオコーンとその2人の息子が海蛇に巻き付かれている情景を彫刻にした作品である。古代ローマの博物家プリニウスによると、この彫像の作者はロドス島出身のアゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロスの三人の彫刻家であるとしている。(wikipediaによる)

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ローマ パンテオン神殿 内部

パンテオン神殿のファサードはギリシャ神殿のようだった。最初のパンテオンは紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造された。現在、ローマで見ることが出来るのは118年から128年に掛けて、ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建されたこのパンテオンである。画家ラファエロの墓もここにある。毎年8月6日と9日には、ここで、原爆忌 Mai più Hiroshima(Never more Hiroshima) が行われている。

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ローマ パンテオン神殿 天井

建物は、深さ4.5mのローマン・コンクリート基礎の上部に直径43.2m の円堂と半球形のドームが載った構造で、壁面の厚さは6mに達するが、高さによって材質を使い分けており、ドーム上部は凝灰岩と軽石を素材として用い、その厚さは1.5mに減じる。床からドーム頂部までの高さは直径と同じ43.2mで、天井にはオクルス(ラテン語で「目」の意)と呼ばれる採光のための直径9メートルの開口部があり、当時は日時計の役割もあったようだ。雨が降ると雨水が落ちてくるらしく、床には水はけの溝があるという。

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ローマ スペイン広場

スペイン広場は近くにあるスペイン大使館にちなんで命名されたそうだ。広場の中央には、「バルカッチャの噴水(舟の噴水)」がある。東側にトリニタ・デイ・モンティ教会へと続く「スペイン階段(トリニタ・デイ・モンティ階段)」があった。映画「ローマの休日」で、オードリー・ヘプバーン扮する王女がジェラートを食べたシーンでもおなじみの場所である。 今は保全のため、広場での飲食や階段での座り込みが法令で禁止されたそうだ。

2017年9月23日

久しぶりのヨーロッパ旅行 (8)オンダリビア 8月4日

「パラドール・デ・オンダリビア」のチェックインでは、荷物を部屋まで運ぶのが大変だった。エレベータはないし、ベルボーイさんもいない。3階までスーツケースをもって、階段を上らなくてはならなかった。
 時刻は午後12時半。さっそくオンダリビアの街を歩いてみたい。「パラドール・デ・オンダリビア」はオンダリビアで一番の高台に建っている。ここから、ビダソア川に沿うように北へ下りて行った。しばらく行くと、バスク地方の伝統的な家屋が並ぶサン・ぺドロ通りがあって、にぎやかなレストラン街にもなっている。

 昼食の時間である。先に紹介した「スペイン・バスク 美味しいバル案内」という本に、「ラ・エルマンダ・デ・ペスカドーレス」というレストランが紹介されていた。漁業組合の女性たちが料理を作るレストランと紹介され、「世界一の魚のスープ」が有名なようだ。ぜひ食べたい。娘たちが地図を片手にそのレストランを探し当てた。予約でいっぱいだそうだ。しかし、"3時までならいいよ"という席があったようで、それでよければ、どうぞということだった。OKといって、レストランがオープンする1時まで外で待っていた。「世界一の魚のスープ:ソパデペスカード」は評判に偽りなく、とても良い味だった。

  食事を楽しんだ後は、サン・ペドロ通りを歩いてみる。特徴のある街並みは観光客が多い。ビダソア川沿いに歩いてみる。今日も雲一つない素晴らしい天気だ。対岸のフランスのエンダイヤという町もくっきりと見える。「パラドール・デ・オンダリビア」があるアルマ広場に戻ってくる。近くのサンタ・マリア教会を眺めながら、「カルロス5世城」の西側に石畳の道を城壁まで行ってみた。

一旦、ホテルに戻った。私達の部屋の前にあるサロンというところに、ガイドさんに引率された15人くらいの人たちがいたのでちょっとびっくりした。「カルロス5世城」見学ツアーがあるようだ。テラスなどで2時間ほどゆっくりする。
 夕食はリーダーがミシュラン一つ星のレストラン「アルメーダ」を8時に予約してくれていた。ここで、シードルという酒を頼んでみたがこれは旨いとは思わなかった。

210.マリーナ地区へ
「カルロス5世城」を背に、石材と木材とがマッチした伝統的な建物が並ぶ道をサン・クリストバル広場へ向けて歩く。この先がマリーナ地区だ。どこを見ても清潔な街だ。これがヨーロッパの「当たり前」なのだろう。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​6​​​​​​​​.3​​​ 1/​1000秒 66mm ISO​2​​00​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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211.サン・クリストバル広場​​
サン・セバスティアンからのバスが発着するサン・クリストバル広場に出た。建物の窓にも特徴がある。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​6​​​​​​​​.3​​​ 1/​1000秒 32mm ISO​2​​00​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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212.マリーナ地区
サン・ペドロ通りは観光客が多かった。リゾート地という感じがする。街路樹が木陰が作り、涼しそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
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213.レストランのテラス席​​
サン・ペドロ通りにはレストランが並ぶ。客はテラス席を好むようだ。プラタナスの木陰も涼しそうである。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
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214.BARもある​​​​
レストランやバルが多くあるが、どの店もそこそこお客さんが入っている。この「IGNACIO」は有名店らしく、夜は満員になるらしい。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​6​​​​​​​​.3​​​ 1/​250秒 31mm ISO​​900​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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215.「ラ・エルマンダ・デ・ペスカドーレス」​​​​​​
マリーナ地区の一番奥のサンペドロ通りから1本ビダソア川の方へ入った道に面して、お目当てのレストラン「ラ・エルマンダ・デ・ペスカドーレス」はあった。しかし店内はひっそりしている。扉を半分明けて覗いてみると、女性が出てきて、予約はいっぱいだが、3時までなら使える席があると言ってくれた。もちろんOKだが、それでも中に入れてもらえない。開店時間の午後1時まで待って欲しいということだった。この店は2015年4月、テレビ朝日の「朝だ!生です旅サラダ」で紹介された店だそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​6​​​​​​​​.3​​​ 1/​250秒 31mm ISO​​900​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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216.「ラ・エルマンダ・デ・ペスカドーレス」 店内​​​​​​​​
案内されたのは落ち着いた部屋だった。私達が一番乗りだが、すぐに予約済みのグループが入ってきた。「世界一の魚のスープ」はもちろん絶品だったが、太い白アスパラガスが旨かった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​6​​​​​​​​.3​​​ 1/​250秒 18mm ISO​​1600​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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217.「ラ・エルマンダ・デ・ペスカドーレス」 青と白​​​​​​​​​​
食事を終え、レストランを出たのは2時40分だった。振り返って見るとレストランは平屋だったのだ。海の色、青がひときわ目立つ。まさに漁業組合の女性たちが料理を造るレストランというところだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​6​​​​​​​​.3​​​ 1/​640秒 18mm ISO​​200​​​​ ​)露出補正​ ​なし
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218.果実店
桃、プラムなど新鮮そうなフルーツが並ぶ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​6​​​​​​​​.3​​​ 1/​250秒 18mm ISO​​1000​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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219.ビダソア川​​
ビダソア川に沿って「カルロス5世城」に向け、のんびりと歩く。日差しは強いけど、からっとしていて空気が澄んでいる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​6​​​​​​​​.3​​​ 1/​1600秒 26mm ISO​​200​​​​ ​)露出補正​ ​なし
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220.釣りを楽しむ人​​​​
ビダソア川で、格好良いボートに乗って釣りを楽しんでいる人がいた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​6​​​​​​​​.3​​​ 1/​1250秒 300mm ISO​​200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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221.「カルロス5世城」の石壁
川の方から道を上がってくると「カルロス5世城」の北側の壁が見えてきた。この右側がアルマ広場で「パラドール・デ・オンダリビア」の入り口になる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​6​​​​​​​​.3​​​ 1/​500秒 32mm ISO​​200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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222.サンタ・マリア教会の鐘楼​​
パラドールの建つアルマ広場はサンタ・マリア教会など昔ながらの姿を残す旧市街地区となっていて、サンタ・マリア教会は「カルロス5世城」のすぐ南側にある。サンタ・マリア教会は15世紀に建てられたゴシック様式の教会である。そしてバロック様式の塔を持つ。フランス領だった時代もあり、1660年にフランスのルイ14世とスペインのフェリペ4世の娘のマリア・テレサの結婚の儀がここでおこなわれたという記録があるそうだ。そして、その後2人の間の孫がフェリペ5世としてスペインのブルボン家として初代国王になった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​6​​​​​​​​.3​​​ 1/​1000秒 52mm ISO​​200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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223.NAGUSIA通り​​​​
旧市街の古い石畳の道を少し下りてみた。両側に古い建物が並ぶ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​6​​​​​​​​.3​​​ 1/​400秒 18mm ISO​​200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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224.旧市街の古い建物
何か由来のある建物だろうと思うが、文字を見つけても何が書いてあるかさっぱりわからない。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​6​​​​​​​​.3​​​ 1/​250秒 18mm ISO​​360​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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225.サンタ・マリア教会
石畳の細いみち、NAGUSIA通りから振り返ってサンタ・マリア教会を見上げる。午後3時半、西に傾き始めた陽を浴びた塔が美しい。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​6​​​​​​​​.3​​​ 1/​500秒 46mm ISO​​360​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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226.「パラドール・デ・オンダリビア」の玄関​​
時刻は午後4時前。涼しくなる夕方まで、少しホテルで休もうと戻ってきた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​6​​​​​​​​.3​​​ 1/​400秒 18mm ISO​​360​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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227.「パラドール・デ・オンダリビア」のサロン​​​​
私たちの部屋と廊下を挟んで向こう側にサロンと呼ばれる大きな部屋があって、ガイドさんに引率された15名くらいのツアーの方々が来られていて驚いた。ツアーの人達が去った後、改めてサロンの中に入る。アキレスの一生を描いた貴重なタペストリーを展示してある。宿泊客も自由に入れる。椅子に座ることもできる。マナーの大切さを改めて思う。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f​6​​​​​​​​.3​​​ 1/​20秒 18mm ISO​​3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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228.旧市街の一角
夕方6時を過ぎた。そろそろ涼しくなるだろうと、再び旧市街へ出る。こんどは「パラドール・デ・オンダリビア」の前からアルマ広場に沿って西へ、ギプスコア広場への道を歩いてみた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 26mm ISO400 )露出補正 なし
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229.サンタ・マリア教会 塔
サンタ・マリア教会は高いところに建っていて、搭も高いので旧市街のどこからでも見えるようだ。これは教会を西側から見ている。この道は生活感のある道だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f11 1/125秒 26mm ISO125 ) 露出補正 なし
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230.ギプスコア広場からサンタ・マリア教会を望む
旧市街の中心にある広場だが、格別どうということはなかった。この広場は「カルロス5世城」の西側にある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f11 1/125秒 30mm ISO125 ) 露出補正 なし
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231.城壁への道
旧市街を取り囲むように城壁の跡が残っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/125秒 12mm ISO125 ) 露出補正 なし
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232.城壁の門
アーチになった門の入り口に説明が書いてあるのだが、スペイン語、バスク語とフランス語で英語はない。サン・ニコラス門というらしい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f11 1/125秒 12mm ISO125 ) 露出補正 なし
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233.城門
下を道路が通る遊歩道の上から要塞内へと通じる城門である。16世紀に建設されたこの門は、かつて堀の上を渡る跳ね橋を備えており、現在は遊歩道に再建されて要塞内側へのアクセスが楽になっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f11 1/125秒 12mm ISO125 ) 露出補正 なし
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234.城門の外側から
下を道路が通る城壁に架かる橋を渡ったところから、城壁の跡と要塞内の家々を見る。人々の要塞の外から旧市街への通行路になっているのだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f11 1/125秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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235.ギプスコア広場
再びギプスコア広場に戻ってきた。周囲は建物が囲んでいるが、これは小さなホテルだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/125秒 18mm ISO125 ) 露出補正 なし
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236.ホテルのテラスから
すっかり気に入ってしまったビダソア川が眺められる「パラドール・デ・オンダリビア」のテラスで、また、しばし、食事前の時間を過ごす。ビダソア川にはたくさんのヨットやボートが浮かんでいる。

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プログラムオートで撮影( f5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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237.サンタ・マリア教会 東側
リーダーが8時に「ALAMEDA」というレストランに予約を入れてくれている。場所は昼に行ったマリーナ地区ではなく、「カルロス5世城」から東に下りたところだ。「パラドール・デ・オンダリビア」を左の方へ行くと下の道に下りるエレベータがあった。降りたところからはサンタ・マリア教会の裏側が見られた。こちらから見ると荘厳な感じがする。

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プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 30mm ISO125 )露出補正 なし
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238.レストラン「ALAMEDA」
8時5分前くらいに店の前に着いた。しかし、8時までは外で待たされた。入り口の近くはバルになっている。私達はテラス席に案内された。ところが、この時間ではまだ、西日が差しこみ、まぶしくて暑い。席を部屋の中に変えてもらった。「せっかくいいところをリザーブしたのに」という感じだったが、快く席を変えてくれた。こちらの人たちはテラス席がお好きなようだ。30分もすると、ぼつぼつ、予約のお客さんたちが入ってきた。若いカップル、老夫婦などいろいろだが、さすがに客層は良い。シードルはいまいちだったが、レゼルバが旨かった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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239.バス停の風景
サン・セバスティアン方面へのバスを待つ人たちなのだろう。夏の夕方という感じだが、もう8時だ。やっと「ALAMEDA」の中に入る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.8 1/1000秒 28mm ISO1000 )露出補正 なし
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240.帰り道 -1
食事を終えて外に出ると、夜10時半を回っていた。旧市街の中を通ってホテルに帰る。石畳がきれいだ。

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プログラムオートで撮影( f2.5 1/60秒 18mm ISO3200 )露出補正 なし
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241.帰り道 -2
サンタ・マリア教会の方へ上がっていく。夜11時近いが、若いひとたちにとっては、まだ宵の口なのだろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
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242.サロン 午後11時
部屋に戻るとき、サロンを覗いてみた。まだ、明かりがついている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.2 1/125秒 14mm ISO3200 )露出補正 なし
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243.館内 午後11時
サロンから階下を撮る。天井から長く垂らされた旗が中世そのものだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/160秒 9mm ISO3200 )露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
244.夜のアルマ広場
サロンから夜のアルマ広場が見下ろせた。まだまだ、みんな楽しんでいる。「パラドール・デ・オンダリビア」に泊まるのは今晩だけだが、もう少し中世に浸りたい気もする。ホテル1階のBARにも行ってみたかった。今夜は中世の夢でも見たい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/125秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。


カテゴリー: Travel,overseas,vehicle,カメラ,D5300,SIGMA 18-300mm,Canon PowerShot G7X

2016年3月19日

​​​​​​​​​​​​曽我丘陵の梅園と小田原城(3) 小田原城 3月1日

下曽我の瑞雲寺から一般道を小田原城址公園へ向かう。小田原城の堀の前の通りに駐車場があったので停めてしまった。
 「日本の城訪問記」というサイトを参考にさせていただく。
  元禄16年(1703)に発生した地震により天守はじめ城内の各施設はほぼ倒壊焼失したというが、本丸御殿等を除き再建され、小田原城は関東地方の防御の要衝として幕末まで存続した。明治3年(1870)に小田原城は廃城となり、売却された後、次々と解体された。城址は御用邸時代を経て地元自治体に払い下げられ現在にいたっている。
 現在の小田原城跡は、本丸・二の丸の大部分と総構の一部が、国の史跡に指定されている。また、本丸を中心に「城址公園」として整備されている。
 天守閣が鉄筋コンクリートで再建された1960年以前は本丸広場のあたりが公園になっていたように思う。昭和35年に立派な天守閣が再建されたが、それからすでに55年が経ち、来館者の安全確保のために耐震改修工事、空調設備の整備や展示のリニューアルが今年の4月末まで行われている。白亜の天守閣には工事用の足場が架けられていた。
 左手に馬出門、隅櫓を見ながら堀の前の道を学橋まで進んで堀を渡った。左に銅門を見ながら、常盤木橋を渡って常盤門をくぐり、本丸広場へ出た。目の前には足場が架けられた工事中の立派な本丸が見えた。帰りは銅門を通って住吉橋を渡り、馬出門から馬出門土橋(めがね橋)を渡って、駐車場に戻った。
  町まで歩いて、そこで食事にしようかと思ったが、準備不足で不案内であり、どっちへ行ったらよいかもわからず、やめてしまった。結局、東名の海老名SAで、簡単に済ませてしまった。

36.馬出門土橋
駐車場の前の堀に沿った道からは二つの橋が見えた。これは手前(南側)の橋だ。通称めがね橋という。小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中頃と考えられている。16世紀初め頃に戦国大名小田原北条氏の居城となり、関東支配の拠点として次第に拡張されたという。豊臣秀吉の小田原攻めに備えて築造された城下町を囲む延長9kmにおよぶ高い土塁と、深い空堀で構築された防御施設である総構(そうがまえ)の出現により、城の規模は最大に達した。ここ馬出門土橋が小田原城の正面入口でここから本丸までたどる。馬出門土橋を渡った所に、平成21年3月に馬出門が復元完成した。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/400秒 24mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
37.二の丸観光案内所
めがね橋の手前、堀が直角に曲がったところに、この二の丸観光案内所​​​​​​​​​が見えた。昭和の初期に建てられた​​​近代建築であり、日ごとその文化財的な価値は高まってきているという。下見板張り、縦長の上げ下げ窓など、洋風の躯体を持ちながら、史跡の雰囲気を壊さぬよう、屋根は日本建築の意匠となっており、明治の初期の居留地等にあった、いわゆる擬洋風建築の部類に入る​​​の​ものだそうだ。​

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/​320​​​​​​​秒 24mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
38.​​二の丸隅櫓
隅櫓は、関東大震災で崩落し、昭和​9​​​​​​​​年(​1934​)に再建​された。​右手奥に見える赤い橋はこれから行く学橋だ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.5​ ​4.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/500秒 19mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
39.馬出門
馬出門土橋(めがね橋)を渡ったところに馬出門がある。​​馬出門は、二の丸正面に位置する門で、江戸時代の初期からこの場所に存在し、寛文1​2​​​年(1​672​​​)に桝形形式の門に改修された。馬出門とは、騎馬兵を出す場所の意味で、出撃時、城兵を敵から隠すことができる。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/4​​​​00秒 19mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
40.小田原城案内図と周辺案合図
案合図や説明札があると撮ることにしている。撮影場所や撮影位置、何を撮ったのかを後で確認するのに役に立つ。場所や位置関係を文章で説明するのは難しい。やはり図で見るのが一番だ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/320秒 7mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
41.隅櫓と工事中の天守
この位置から見る隅櫓の向こうは二の丸広場となっていて、その奥左側に天守が望める。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 15mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
42.学橋 この赤い橋は、二の丸東堀に架かる学橋という。学橋(まなびばし)のたもとには、幕末まで藩校集成館があったという。この学橋は江戸時代には無いもので、昭和4年(1929)に城内小学校が二の丸に移転した際に竣工した。現在の学橋は昭和24年(1949)に再建されたものだそうだ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/200秒 12mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
43.銅門土塀模型
学橋を渡って二の丸公園の中に入った。常盤木橋へ行く途中に、この銅門土塀模型があった。この土塀模型は、平成9年(1997)銅門(あかがねもん)復元建設を行うのに際し、事前に製作したものという説明札があった。また、その隣には銅門で用いられていたと考えられている礎石が置かれている。石の大半を土中に埋め、ホゾ穴に柱材を固定して礎石としたとある。話は違うが、D5300のシャッターが落ち難くなった。シャッターボタンを押してもシャッターが切れない。何度かやっていると、シャッターが落ちる。今日はこの後ずっとそういう状態が続いた。自宅に戻って、もしやと思いSDカードの接点を清掃したところ、この問題は解消した。こういうこともあるのだ。​​

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/250​秒 22mm ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
44.常盤木橋
本丸東堀跡に架かる常盤木橋を渡る。江戸時代の小田原城は、本丸を堀が囲んでいた。城絵図によると、堀は二の丸堀とつながる水堀となっている。今は、植木と盛土により堀の形を表現し、整備されている。橋の途中から、カンヒサクラの赤い蕾が見えた。蕾は下を向いて付いている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/800​秒 130mm ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
45.常盤木門 -1
常盤木橋を渡ると常盤木門がある。常盤木門は小田原城本丸の正門で、最も大きく堅固に造られていた。常盤木(ときわぎ)とは常緑樹の意味で、門のそばにあった松になぞらえて、この名がつけられたと言われている。市制30周年事業として、昭和46年(1971)3月に再建されたそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f11 1/500​秒 24mm ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
46.常盤木門 門扉
常盤木門を内側から内蔵フラッシュを使用して撮った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/125​秒 18mm ISO​280​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
47.本丸広場から工事中の天守を見る
本丸広場は、イベント会場としても使用され、御休み処や売店がある。本丸跡には、寛永11年(1633)に徳川家光が上洛に際して宿泊するために建設された本丸御殿が建っていたが、元禄16年(1703)の地震により焼失して以来再建されなかった。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f9 1/200​秒 127mm ISO​100​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
48.カワヅザクラ
本丸広場から銅門へ戻るところの銅門広場というところに郷土文化館があり、その近くにカワヅザクラがきれいに咲いていた。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f10 1/400​秒 45mm ISO​200​ ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
49.鯱 しゃちほこ
明治時代に廃城となった折、天守閣は解体され鯱もドイツ人売却伝えらているそうだ。その上、関東大震災により石垣が崩れてしまうなど、江戸時代の小田原城を偲ぶものは少くなっていた。天守閣は東京大学、久保神社に残さ れていた模型 を元に設計が行われた。鯱は絵図面を元に復原が行われ、青銅製のもが作られたという。こうして昭和35年 (1960) 、市政施行、市政施行20周年に合わせて、小田原城天守閣が完成した。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/500秒 143mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
50.天守閣
天守閣は、元禄16年(1703)の地震で、小田原城内の他の建物とともに倒壊・焼失したが、宝永3年(1706)に再建された。以後、江戸時代を通じて存続したが、前述したように、明治3年(1879)の廃城によって取り壊されてしまった。現在の天守閣は、昭和35年(1969)に宝永年間の再建時に作成された引き図(設計図)や模型を参考に鉄筋コンクリート造で復興されたものである。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/640秒 17mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
51.工事中の天守閣
昭和60年に鉄筋コンクリート造で再建された天守閣も、以来55年が経ち、現在、来館者の安全確保のために耐震改修工事、空調設備の整備や展示のリニューアルが今年の4月末まで行われている。白亜の天守閣には工事用の足場が架けられていた。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 10mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
52.巨松(おおまつ)
小田原城祉公園には松が多くはえている。その中で一番目立っている松が本丸広場にあった。巨松という。巨松は約400年前の木だそうだ。高さは約30mあるという。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.8 1/200秒 7mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
53.常盤木門 -2
城内側から常盤木門を撮る。石垣が立派だ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/125秒 24mm ISO​360 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
54.イヌマキ
常盤木橋の前にある。暖温帯林を代表する常緑の高木。幹の周囲4.5m、株元周囲約6m、樹高約20m、枝張り状況(東西南北)13m~25mで小田原市の指定天然記念物になっている。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/125秒 18mm ISO​280 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
55.銅門(あかがねもん) -1
工事中の白亜の天守閣を眺め、周囲を囲っている塀に展示されたかっての写真や説明を見て、城を跡にした。帰りは常盤木門を出て銅門から下城する。天守閣へ通じる登城ルートに設けられた、二の丸表門である。この二の丸と馬屋曲輪の出入り口の銅門は石垣による桝形になっていて 内仕切門及び櫓門を組み合わせた桝形門と呼ばれる堅固な門である。扉の飾り金具に銅を使用していたことから、銅門の呼び名がついたと言われている。当時の工法により平成9年(1997)に復原された。二の丸側から撮った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/800秒 70mm ISO​200 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
56.銅門 -2
常盤木門を下りたところの銅門広場から撮った。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
プログラムオートで撮影  ( f11 1/200秒 34mm ISO​100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
57.銅門は枡形門
銅門をくぐって枡形に入る。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1250秒 14mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
58.銅門大扉
銅門(櫓門)に近づいた敵を待ち構えるのがこの大扉だ。説明板の通り銅の装飾が施されている。銅門二の門(住吉橋から入る内仕切門のこと)をくぐると土塀と石垣で構成された城壁が待ち構えている。敵兵が二の丸に攻め込むにはここで進路を櫓門に向かって90度左手に変えなければならない。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.8 1/400秒 7mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
59.ヒドリガモ
住吉橋の上から住吉堀に浮かぶ水鳥が見えた。これはヒドリガモのようだ。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.5 1/200秒 258mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
60.オオバン
こちらは眼光鋭いオオバンだ。上嘴から額にかけて白い肉質(額板)で覆われている。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.5 1/160秒 258mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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61.住吉堀と住吉橋
今はお城の中の方から外へ出ようとしているが、城の外から城に入るには、この住吉堀にかかる住吉橋を渡って、銅門の内仕切門を入って枡形に入る。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/800秒 8mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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62.住吉橋と内仕切門
内仕切門は石塁上の土塀より下方に門を作る埋門の形式を取る。土塀には敵を射る為に狭間と呼ばれる穴がある。敵が橋を渡ろうとすると正面の左右の狭間から射られてしまう。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.3 1/250秒 39mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
63.城内の松
車を停めたところに戻ってきた。堀の向こうを見ると何本もの大きな松が立っている。

Nikon COOLPIX P610 f3.3-6.54.3mm-258mm 16.05 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.8 1/320秒 7mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
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2016年1月26日

三島スカイウォークと江川邸、韮山反射炉へドライブ(3) 韮山反射炉 1月5日

江川邸から韮山反射炉までは近かった。駐車場があまり広くなさそうなので車を停められるかどうか心配だったが、難なく駐車できた。今日は見学者はそれほど多くはないのだろう。
 入口を入るとすぐ反射炉の塔が見えた。ここでもボラティアのかたが見学者の前で説明をされている。私は恥ずかしながら反射炉とは何なのだろうかをはっきり知らなかった。ましてや大砲を鋳造するために必要となったことなど思いもよらなかった。
 wikipediaによれば、日本に現存する近世の反射炉は、この韮山反射炉と萩反射炉(山口県萩市)のみであるため貴重な遺構という。1922年(大正11年)敷地も含めて国の史跡に指定され、2007年(平成19年)、経済産業省により、近代化産業遺産に認定されている。さらに2009年には、萩反射炉などと共に九州・山口の近代化産業遺産群の構成資産としてユネスコの世界遺産(文化遺産)暫定リストに掲載され、2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄、製鋼、造船、石炭産業」として正式登録されたのだ。
 反射炉の周囲を、その説明板を見ながら左回りに見て歩いた。30分もあれば十分、見て歩くことができる。

12時半過ぎには、韮山反射炉を後にした。伊豆スカイラインを走って、十国峠、箱根回りで帰ろうかと思ったが、雲が出てきて富士山がきれいに見える保証が無くなったので、思い直して三島へ出て、三島大社にお参りし、その近くで鰻を食べて帰ろうということになったが、三島大社は車が混んでいて近づくことができなかった。三島駅前の駐車場に車を停めて、「鰻屋さんはどこが美味しいですか」と尋ねてみると、「桜屋」との答え。しかし、そこからは少々遠い。JR駅前で「不二美」という鰻屋さんを探して入った。旨かった。

33.韮山反射炉 -1
駐車場に車を停めて、韮山反射炉の入り口を入った。目の前にTV番組などで見た韮山反射炉がある。ボランティアの方だろうか見学者に説明をされている。私は韮山反射炉についてほとんど知識がなかった。知っていたのは「明治日本の産業革命遺産 製鉄、製鋼、造船、石炭産業」として世界文化遺産として正式登録された遺構の一つだということくらいである。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 24mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.韮山反射炉全景
入場券の裏面には、反射炉とは鉄を溶かすための溶鉱炉で、鉄の溶解に必要な千数百度という高温をつくるために、反射炉内の天井部分をドーム型にして、炎と熱を反射させ、材料に集中させるので反射炉と呼ばれると説明されていた。wikipediaによれば、最初の反射炉は中世の時代にあり、鐘を鋳込むために青銅の溶解に使用されたという。17世紀末に初めて金属の製錬に適用されたそうだ。反射炉というと何か太陽光を利用して高熱を作り出すように思いがちであるが、それでは鉄は溶けないだろう。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 20mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
35.反射炉の構造 -1
反射炉は天井がドーム状になった炉体部と煉瓦積みの高い煙突からなる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
36.反射炉の構造 -2
反射炉は連双2基4炉からなる。これは出湯口側で、4つあるそれぞれの上の四角い穴を方孔といい、溶解した鉄をここからかき混ぜ熱度を一定にしたり、鉄湯を取りだし、品質を調べたりする。その下にある右側の丸く見える穴は、出滓口で溶解した鉄の上部に溜まる滓(かす)を取り出すところ、さらに少し下の左側の穴は出湯口で溶解した鉄が流れ出てくるところ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 24mm ISO720 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
37.大砲
右側を見ると大砲があった。江川英龍は日本に迫る諸外国の艦隊に備えるため、反射炉で鉄製の大砲を鋳造し江戸湾の台場をはじめとする砲台に設置することを目指した。説明をしていたガイドさんから「あの大砲を作るためにこの反射炉を作ったのですよ」という声が聞こえてきた。展示されている24ポンド カノン砲は、銑鉄製で株式会社木村鋳造所が1998年に、韮山反射炉で1門製造された青銅製の24ポンド カノン砲のレプリカとして製造されたものだそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/500秒 22mm ISO200 ) 露出補正 なし
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38.臼砲
左手前は青銅製の29ドイム臼砲で、韮山反射炉で製造されたという。その名の通り臼のような形をしていている臼砲(モルチール砲)は45度の角度で砲弾を射出し城壁などの上を越えて攻撃する砲口装填式の滑空砲。弾道が高く命中精度は低いが、城郭や要塞攻撃に多用されたそうだ。ドイム(拇)とは、オランダの長さの単位だが幕末の日本では1ドイム=1センチメートルと定義されているそうだ。ドイムなんていう長さの単位は初めて聞く。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/400秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
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39.韮山反射炉 -2
韮山反射炉で見るところはそれほど広くはない。反射炉の周りを左回りで見ていく。この位置からは連双2基4炉が重ならずにすべて見られる。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/640秒 23mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
40.反射炉の構造 -3
左側の口を鋳口といい、溶解させる銑鉄などを入れるところで燃焼ガスの集中により最も高温になるところ。右下の方は焚口といい、筑後や常磐等の石炭を入れるところだそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/250秒 18mm ISO360 ) 露出補正 なし
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41.韮山反射炉 -3
反射炉の裏側に回ってきた。左側の反射炉の下のところに石積みの焚所風入口と灰穴が見える。灰穴は焚口のある焚所(燃焼室)の下に位置し、焚所への自然送風口と共に、焚所で燃えた燃料の灰を落とす所だそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
42.韮山反射炉 -4
さらに左回りに進むともう一基の反射炉の焚所風入口と灰穴が見える。これで連双2基4炉の反射炉の周りを一回りした。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
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43.一級河川 韮山古川起点
反射炉の見学を終え、駐車場の方へ戻る途中に小さな川が流れていた。一級河川韮山古川起点という看板が立っていた。韮山古川は狩野川水系の一級河川で、ここから田方平野南部に出て、準用河川皆沢川、準用河川山田川を合わせて狩野川右岸に合流する。鉄を溶かして鋳型で固めた鉄の塊でしかない砲身を、水車で回転させ削孔(さっこう)するのは、工作機械「三連錐台」で行われた。昼夜休みなく回る水車によって約1ヶ月かけて穴が開けられたのだ。反射炉が古川沿いに築造されたのも、水力を必要とするためであったそうだ。

Nikon D5300 AF-S DX NIKKOR 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR
絞り優先オートで撮影  ( f6.3 1/800秒 48mm ISO200 ) 露出補正 なし
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2011年10月 9日

北イタリア旅行 その9 ヴェルナッツア (チンクエテッレ) 9月6日


 ヴェルナッツアは今まで見てきたリオマッジョーレ、マナローラとは少し違った印象だった。駅を海側へ降りて、200mほど進むと小さな入江があって、そこは広場であり、船着場であり、海水浴場になっていた。まわりには教会やレストランもある。ひときわ賑やかだった。ちょうど昼時になったので、張り出されたテントのあるリストランテで昼食にした。明るい日差しの下での食事は解放感に満たされた。この日は、一旦、ラ・スペツィアへ戻って、ホテルに預けてある荷物を取って、ラ・スペツィア発18:12の列車でパルマへ移動する。食事を済ませて少し早めだったが、午後1時半発くらいの列車でラ・スペツィアへ戻ろうと、ヴェルナッツア駅に向かった。
  ところが、ここから、この旅行2度目のトラブルが始まった。ヴェルナッツア駅に着いたら、どうやら列車が遅れているらしい。モニターに表示される情報では13:29発が、はじめ15分遅れだったが、そのうち30分遅れになる。ふと掲示板を見るとこの日は9:00~17:00までストライキだと書いてある。朝は問題なく動いていたのに。定刻13:29発の列車は、その後もモニターに表示される'遅れ'の幅は広がるばかりで、次の定刻14:29発の列車は早々と運休となった。少なくとも、午後3時まではだめのようだ。そこで、再び、海岸の方へ戻り、観光の続きを始めた。教会の中を見たり、ベンチに座って海を眺めたり、暑がりのかみさんを残し、ふうふう言いながら、一人で崖の上にある城跡へ上ったりした。
  城跡から下りてくると、駅の方から娘の主人が「来ますよー!」と言いながら走ってきた。3本目の列車がほぼ定刻に動いて、間もなく来るとの情報があったらしい。老夫婦は息を切らせて駅に走った。
  だが、問題はまだ続く。なんとか、ラ・スペツィアに着いて、ホテルに戻り、一息入れて、18:20発のパルマ行きに乗ろうと再び駅に戻った。その列車はすでに「18:12 PARMA」と電光表示された予定のホームに入っていて、乗客も乗り込んでいる。しかし、発車時刻になっても動かない。係員らしいおじさんが来て、イタリア語で何か説明をして、それを聞いた人たちが一旦ホームに降りる。英語で話を聞いてみると、何やらストライキのため、ドライバー(運転手)が来ないのだと言っているようだ。やがて、この列車は運休とされ、次の20:12発のパルマ行きになるという情報があった。18:12発の列車の車両がそのまま、20:12発になるのかと察して、また、乗客たちが車内に戻ってきた。しかし、また、例のイタリア語の係員が来て、20:12発は同じホームに入線予定なので、この列車が動かない限り、入れないという。結末はこの20:12も運休。結局、定刻21:04発の列車が違うホームに入り、やっとパルマに向け走り出した。パルマに着いたのは夜11時過ぎ、工事中の駅前は薄暗く、タクシー乗り場に何人か待つ人はいるが、タクシーはいない。やがて、ポツンポツンと空車が来て、3番目くらいで乗ることができた。この日泊るホテルは荷物がなければ歩ける距離であった。この日の晩飯は、右往左往して3時間を過ごしたラ・スペツィアの駅構内で買ったマックだった。

97.ヴェルナッツア ローマ通り
駅を降りるとこの通りに出る。この通りはローマ通りと言うらしい。両側には店が並び、まっすぐ200mほど行くと海に出る。時刻は11時半を少し回った。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/400秒 32mm ISO400 ) 露出補正 なし
ヴェルナッツア ローマ通り;クリックすると大きな写真になります
98.海に突き出た町
駅前からローマ通りを200mほど進むとここに出る。この写真の右側は船着場であり、海水浴場であり、教会があり、広場となっている。ヴェルナッツアの一番賑やかなところだった。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/200秒 27mm ISO400 ) 露出補正 なし
海に突き出た町;クリックすると大きな写真になります
99.海水浴場と教会
この教会は、サンタ・マルゲリータ・ディ・アンティオティア教会 (Chiesa Santa Margherita d'Antiochia) で、この町のシンボル的な存在とのこと。1318年に、ゴシック様式で建築された。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/400秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
海水浴場と教会;クリックすると大きな写真になります
100.船着場の先から
船着場の先まで進み、マルコーニ広場という名の広場の方を眺めると、ヴェルナッツアのほぼ全景が見渡せる。ヴェルナッツァの村の名は、1000年頃、ローマの旧家 "Gens Vulnetia" に由来し、この家に仕えた使用人が自由を与えられ、ここに移り住んだことから歴史が始まったと伝えられる。ヴェルナッツアの人口は約1,000人とのこと。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F11 1/500秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
船着場の先から;クリックすると大きな写真になります
101.「Ristorante Gambero Rosso」
少々腹が減ってきた。時計を見ると12時20分、船着場の横のレストランに入った。スパゲッティを食べたのだが、前菜にスキャンピを1つ頼んだ。しばらくして運ばれてきた"SCAMPI AL SALE"に、周囲の席からも歓声が上がった。4人でひとり1匹づつだったが、食べてもなかなか美味しかった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/100秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 なし
「Ristorante Gambero Rosso」;クリックすると大きな写真になります
102.ヴェルナッツア駅
食事を終えて、町の店を見ながら駅へ向かった。ホームにある切符売場の手前のモニターに列車の遅れが表示されている。13:29発の列車は15分遅れのようだ。ここから、この日のトラブルが始まった。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/125秒 27mm ISO400 ) 露出補正 なし
ヴェルナッツア駅;クリックすると大きな写真になります
103.プラットホームはトンネルの中
反対方面の列車が来る。これは最後尾の車両だが、停車したのはトンネルの中だ。乗客は慌てて最後尾の車両のドアーに向かう。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5 1/125秒 44mm ISO400 ) 露出補正 なし
プラットホームはトンネルの中;クリックすると大きな写真になります
104.掲示板にスト情報発見
ふっと、何気なくホームの掲示板を見ると、今日は朝9時から午後5時までストライキだと書いた紙が張り出されていた。午前中は何の問題もなく動いていたのに。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5.3 1/320秒 90mm ISO400 ) 露出補正 なし
掲示板にスト情報発見;クリックすると大きな写真になります
105.サンタ・マルゲリータ・ディ・アンティオティア教会
娘たちが切符売場で状況を聞いてくるが、どうやら遅れは広がるようだ。結局、あと1時間くらいは列車は来ないらしい。そこで老夫婦は、さっきの教会の中に入ってみようと、再び海の方へ行くことにした。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F13 1/640秒 31mm ISO400 ) 露出補正 なし
サンタ・マルゲリータ・ディ・アンティオティア教会;クリックすると大きな写真になります
106.教会の中
教会の中はとても涼しく、外の賑やかさが嘘のように静寂が保たれていた。しばらく椅子に座らせていただき、汗が引くのを待つ。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
左:プログラムオートで撮影 ( F4.2 1/40秒 32mm ISO3200 ) 露出補正 なし
右:プログラムオートで撮影 ( F4.8 1/25秒 62mm ISO3200 ) 露出補正 なし
教会の中;クリックすると大きな写真になります
107.ドーリア城(Castello Doria)
教会から出てくると、"Al Castello" という看板が目に付いた。行ってみると狭い階段がある。どうやら城跡に上る階段のようだ。暑がりのかみさんを 98.で見ていただいたベンチに残し、上がってみることにした。ハアハア言いながら階段を上って行くと、ひとり1.5ユーロの入場料を払う入口があった。財布をかみさんに預けていたため、一銭も持っていない。"No Money"と言って戻ろうとすると、"OK ! OK !"と通してくれた。ご厚意に感謝して上に上がると素晴らしい眺めが待っていた。これは外海である。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F11 1/500秒 48mm ISO400 ) 露出補正 なし
ドーリア城(Castello Doria);クリックすると大きな写真になります
108.ドーリア城の円塔
11世紀半ば、チンクエテッレの港の中で、戦略上最も重要であるとして、三方が断崖になった岩の岬の先に、このドーリア城が建てられた。 12世紀初頭から、海洋国家ピサとジェノヴァとの勢力争いが続いて、ヴェルナッツァは、一時的にピサに占領されたが、ジェノヴァとともに戦って、これを撃退したという。ここには、ジェノヴァの要塞や城壁、円塔が造られ、1276年には、ヴェルナッツアはジェノヴァの支配下に入ったとのこと。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F13 1/640秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
ドーリア城の円塔;クリックすると大きな写真になります
109.モンテロッソ・アル・マーレを望む
城跡からは、チンクエテッレの一番西にあるモンテロッソ・アル・マーレの海岸が見えた。海岸にはビーチ・パラソルが立ち並ぶ。モンテロッソ・アル・マーレはチンクエテッレで一番大きな集落である。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/2000秒 200mm ISO400 ) 露出補正 なし
モンテロッソ・アル・マーレを望む;クリックすると大きな写真になります
110.教会を俯瞰
城跡から眺めると、教会とその前の海で海水浴をする人たちがこのように見えた。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F16 1/800秒 44mm ISO400 ) 露出補正 なし
教会を俯瞰;クリックすると大きな写真になります
111.再びヴェルナッツア駅へ
ドーリア城から下りてきて、かみさんと駅の方へ歩き始めると、娘の主人が「来ますよー」と呼びに来た。そして駆け足で駅へ。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/400秒 32mm ISO400 ) 露出補正 なし
再びヴェルナッツア駅へ;クリックすると大きな写真になります
112.落書き
ようやく、ラ・スペツイア駅までたどり着く。これはラ・スペツイア駅に停まっていた列車の客車。イタリアの落書きも半端ではない。客車はおろか機関車にまで落書きをしてしまう。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F3.2 1/1000秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 なし
落書き;クリックすると大きな写真になります
113.運転手がいないパルマ行き列車
一旦、昨夜泊ったホテルへ荷物を取りに行き、再び16:12発のパルマ行きに乗るべく、ラ・スペツイア駅に戻る。16:12発の列車はすでに「18:12 PARMA」と電光表示されているホームに入っていたので、疑いもなく乗り込んだ。しかし、これ以降は最初に記したとおりで、結局、ほぼ3時間待たされて、21:04発の列車でパルマに夜の11時過ぎに着いた。この写真は19時頃、出るのか出ないのか解からない所定のホームに停まっている列車の様子である。乗客は状況が十分に把握できず、右往左往している。ストライキは午後5時に終わっているはずなのに。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F4 1/50秒 9.9mm ISOオート ) 露出補正 なし
運転手がいないパルマ行き列車;クリックすると大きな写真になります


2011年9月30日

北イタリア旅行 その6 ポルト・ヴェネーレ 9月5日


 再びジェノヴァから列車に乗って、明日訪れるチンクエテッレの起点となるラ・スペツィアに着いたのは午後4時少し廻っていた。ほぼ駅前にある今夜泊るホテルにチェックインしたのち、夕食がてら、ラ・スペツィア湾を形作る半島の突端に位置するポルト・ヴェネーレへ行くことにした。
 眼下にイタリア海軍の基地や、ヨットハーバーを眺めながら、タクシーで20分ほど走り、午後7時ごろポルト・ヴェネーレの入口に到着した。海岸の遊歩道を歩き、岬の先端にある教会の近くから夕陽を眺めて、その下にあったレストランで食事をした。
 夜9時頃に、そろそろラ・スペツィアに戻ろうと、そのレストランでタクシーを頼んだら、ポルト・ヴェネーレにはタクシーは無いという。
 しかし、ラ・スペツィアへ行く路線バスが30分に一本出ているとのこと。場所を教えてもらって乗り場へ行くとLA・SPEZIAと行き先表示が出ているバスが待っていた。 やれやれと思ったが、ここから先が問題だった。まず、バス賃に必要な小銭が足りない。50ユーロ札はお釣りがないという。そうしたら、親切な女性が、我々の持っている小銭をかき集めて、足りない分を払ってくれた。4ユーロほどいただいてしまった。
 さて、バスは順調に走って、ラ・スペツィアの街に入った。路線バスらしくいくつかの停留所に止まっていく。だが、ほとんどの人が降りた後、ふと気がつくとバスは来た道を戻っている。娘が片言のイタリア語で運転手に聞く。「このバスは駅には行かない。また、ポルト・ヴェネーレへ向かっている。」とのこと。結局、もう一度ポルト・ヴェネーレまで行き、10人以上の乗客を乗せ、ラ・スペツィアへ戻って行った。今度は、どこで降りれば駅に近いかを確認したのは言うまでもない。どうも私たちはバスの終点は鉄道の駅前という思い込みがあり、ラ・スペツィアという行き先表示になっていれば、ラ・スペツィアの駅前が終点と決めこんでしまう。この旅行で初めてのトラブルだった。それでも12時前にはシャワーを浴びて、就寝することができた。

60.ポルト・ヴェネーレの港
ポルト・ヴェネーレは中世の1119年から1290年のジェノヴァとピサの紛争時代、北のジェノヴァ側の砦が築かれた歴史をもつ港町とのこと。ポルト・ヴェネーレ、チンクエテッレと小島群として世界遺産に1997年に登録されている。海に面し、カラフルな建物が並んでいて、1階はレストラン、カフェになっている。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
絞り優先オートで撮影 ( F4.8 1/200秒 62mm ISO400 ) 露出補正 なし
ポルト・ヴェネーレの港;;クリックすると大きな写真になります
61.城壁とサン・ロレンツォ教会
上がって行かなかったが、上を眺めるとサン・ロレンツォ教会があった。この教会は11世紀後半にジェノヴァによって建てられたとのこと。昼間見てきたジェノヴァのサン・ロレンツォ教会を小型にしたような教会だと言われる。この写真の右手に、1160年に造られたポルト・ヴェネーレの街の門がある。、12世紀からの街並みがあるジョヴァンニ・カペリーニ通りに続く。十分な時間があれば、是非、歩いてみたかった。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
絞り優先オートで撮影 ( F6.3 1/160秒 46mm ISO400 ) 露出補正 なし
城壁とサン・ロレンツォ教会;;クリックすると大きな写真になります
62.サン・ピエトロ寺院
私たちは町には入らず、海岸の遊歩道を岬の先へ進んだ。その岬の先端にこの13世紀建造のサン・ピエトロ教会はあった。1256~57年にドロミテ渓谷の石灰岩ドロマイトを使って再建されたと言われる。その脇にビザンチン時代の小さな城塞が見える。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
絞り優先オートで撮影 ( F4.5 1/125秒 35mm ISO400 ) 露出補正 なし
サン・ピエトロ寺院;;クリックすると大きな写真になります
63.落陽
サン・ピエトロ寺院へ行って見ようと石段を上がって行くと、右手に海が見え、太陽が沈みかけている。時刻は午後7時37分だった。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
絞り優先オートで撮影 ( F11 1/500秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
落陽;;クリックすると大きな写真になります
64.断崖
ポルト・ヴェネーレの岬の裏側は断崖になっていた。夕陽を浴びて輝く。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
絞り優先オートで撮影 ( F3.8 1/125秒 24mm ISO640 ) 露出補正 なし
断崖;;クリックすると大きな写真になります
65.城壁の窓
城壁には四角い穴があいている。そこから海を眺めると額縁に入った景色になる。もう少し前の時間にここが気がつけば、きれいな夕陽が撮れたかもしれない。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
絞り優先オートで撮影 ( F4.5 1/125秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
城壁の窓;;クリックすると大きな写真になります
66.Ristorante Iebocche
サン・ピエトロ教会の下にRistorante Ieboccheというとても雰囲気のよさそうなレストランがあた。ためらわずにそこに入る。段々と暗くなっていく港も見えて、とても贅沢な時間を過ごせた。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
絞り優先オートで撮影 ( F4.2 1/125秒 36mm ISO1250 ) 露出補正 なし
Ristorante Iebocche;;クリックすると大きな写真になります
67.海鳥
Ristorante Ieboccheの我々のテーブルのガラスの向こうに、海鳥がやってきた。何か食べられるものがあると察しているようだ。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
絞り優先オートで撮影 ( F5.6 1/25秒 200mm ISO3200 ) 露出補正 なし
海鳥;;クリックすると大きな写真になります
68.ポルト・ヴェネーレ夜景
Ristorante Ieboccheでタクシーを頼んだら、この街にはタクシーは無いという。どうしてもタクシーが必要ならラ・スペツィアから呼ばなくてはいけないという。さて困ったと思ったら、ラ・スペツィアへ行くバスが30分に1本、夜中まであるという。バス停を聞いて歩く。時刻は9時10分。ポルト・ヴェネーレの海辺はまだまだ賑やかだ。この写真の右側が街の入口の門である。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
絞り優先オートで撮影 ( F4 1/15秒 32mm ISO3200 ) 露出補正 なし
ポルト・ヴェネーレ夜景;;クリックすると大きな写真になります
69.ポルト・ヴェネーレ港の夜景
遊歩道のある広場は、灯りが溢れている。バス停はすぐ近くだった。だが、はじめに記したようにこれからが長かったのだ。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
絞り優先オートで撮影 ( F4 1/13秒 26mm ISO3200 ) 露出補正 なし
ポルト・ヴェネーレ港の夜景;;クリックすると大きな写真になります


2010年12月18日

トルコ旅行 その13 リュステムパシャモスク


 前日の夜は、ベリーダンスのディナーショウを楽しんだ。そして、明けて11月5日(金)、ツアー最後の日となった。しかし、帰国の飛行機の出発時間は17:50なので、この日もイスタンブールの観光ができる。
 ホテルから旧市街へ向かう道路の朝の渋滞は凄いらしい。その時間を避けて少し遅めにホテルを出る。まずはリュステムパシャ モスクを見学した。バスを降りたところは商店が立ち並ぶ賑やかなところだった。
 ここは、グランドバザールの北側で、エジプシャンバザールに近いところだという。リュステムパシャモスクは小さいけれどイズニック・タイルの美しいモスクだった。

125.ガル・ミュージック・ホール
前日の夜、ベリーダンス・ディナーショウがあったのは、1400人を収容できるという大きなミュージック ホールだ。舞台を囲むテーブルにはツアー団体母国の国旗が置かれている。中国、ロシア、韓国、アメリカなどの国旗もおかれているが、やはり日の丸が多い。ベリーダンスの前にアナトリア地方の民俗舞踊なども見せてくれた。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5 1/100秒 13.3mm ISO1600 )
ガル・ミュージック・ホール;クリックすると大きな写真になります
126.ベリーダンス
ベリーダンスはベトウィン族などの砂漠の踊りであったというが、現在ではトルコの夜を彩る代表的なエンターテイメントであるようだ。踊子たちは美人である。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/60秒 18.6mm ISO1600 )
ベリーダンス;クリックすると大きな写真になります
127.城壁の跡
さて、いよいよツアー最終日、朝9時にホテルを出発し、リュステムパシャ モスクへ向かう。昨日から良く通るこの幹線道路はケネディー通りという。そしてこの城壁はテオドシウス城壁の一部と思われる。車窓から。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/160秒 50mm ISO400 ) 露出補正 なし
城壁の跡;クリックすると大きな写真になります
128.リュステムパシャ モスク
リュステムパシャ モスクの外観は決して立派ではなく、ゴチャゴチャしたところにあった。しかし、ここはイズニック・タイルが美しいという。イスタンブール郊外の東に位置するイズニックはビサンチン時代の市壁が残る古い町であると同時に、タイルの町として栄え、オスマン帝国の最盛期に頂点に達した。しかし、イズニックでは、オスマン帝国の衰退期と時を同じくして陶土が枯渇したという。現在、トルコのタイル生産の拠点は、キュタフヤだそうだけれど、1993年イズニック財団が設立され、イズニック・タイルの再生が図られているそうだ。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F3.8 1/125秒 26mm ISO450 ) 露出補正 なし
リュステムパシャ モスク;クリックすると大きな写真になります
129.リュステムパシャ モスク 内部 -1
内壁はすべてタイルだ。1561年に建てられたというから、江戸時代に建てられたモスクである。 ターコイズブルーのタイルが美しい。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/125秒 18mm ISO1100 ) 露出補正 なし
リュステムパシャ モスク 内部;クリックすると大きな写真になります
130.リュステムパシャ モスク 内部 -2
天井のドームはそれほど大きくはない。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F3.8 1/125秒 24mm ISO2500 ) 露出補正 なし
リュステムパシャ モスク 内部;クリックすると大きな写真になります
131.鮮烈な赤
ブルーのタイルも美しいが、とくに、このモスクのタイルの赤は、1500年代の手法によるもので、現代のテクノロジーをもってしても、再現できない色であるそうだ。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F4.2 1/125秒 32mm ISO1000 ) 露出補正 なし
鮮烈な赤;クリックすると大きな写真になります
132.荒物屋さん
リュステムパシャ モスクの入口近くに荒物屋が集まる商店の並びがあった。これから寒くなるので売り物のストーブらしきものが店の前に並べられている。この2人のおじさんは何をしてるのだろうか。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/160秒 55mm ISO1000 ) 露出補正 なし
荒物屋さん;クリックすると大きな写真になります
133.おもちゃ屋
ボスフォラス海峡クルーズ船の乗り場へ向かう通りがかりに、こんなおもちゃ屋があった。日本でもこの店のように、店いっぱいに、ごちゃごちゃと商品を置いたおもちゃ屋があった。子供にとってはこういうところが楽しい。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F8 1/250秒 18mm ISO1000 ) 露出補正 なし
おもちゃ屋;クリックすると大きな写真になります
(追記:2011/1/14)撮影データのNIKKOR VR 18-55mmとあったのは、NIKKOR VR 18-200mmが正しいので訂正しました。

2010年12月11日

トルコ旅行 その11 いよいよイスタンブール 最初にトプカプ宮殿


 我々の乗ったトルコ航空国内線は11時にイスタンブール空港にスムースに着陸した。今日の午後はトプカプ宮殿、アヤソフィア、ブルーモスクの見学をする。
 バスは空港からマルマラ海沿いに走る。魚市場を過ぎてしばらく行ったところに昼食をするレストランがあった。
 昼食後はトプカプ宮殿、アヤソフィア、ブルーモスクがあるスルタンアフメット地区へ。いよいよ楽しみにしていたイスタンブール観光が始まる。

98.イスタンブール空港
空港は混雑している。他のツアーの人たちも同じ便で到着し、迎えのバスに荷物を積み込んでいるが、我々を迎えにきたバスはなかなか来ない。聞くところによると少し早く来てしまい、停めるところがなくてぐるっと回ってくるとのこと。しかし、その道中も混んでいたようで到着が遅れたようだ。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.0mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/320秒 4.9mm ISOオート:125 )
イスタンブール空港;クリックすると大きな写真になります
99.マルマラ海沿いのケネディ通り
バスはマルマラ海沿いのケネディ通りを走る。海沿いの遊歩道があるようで、ジョギングをする人、釣りを楽しむ人が車窓を流れる。向こう側はいわゆるアジアサイドである。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F9 1/320秒 52mm ISO400 ) 露出補正 なし
マルマラ海沿いのケネディ通り;クリックすると大きな写真になります
100.海沿いのレストラン
バスは海沿いの「SUR」というシーフードレストランに着いた。写真の右側は大きなガラス窓になっていてその先がテラス、そして道路があり、海になっている。明るい日差しが降り注ぐ。左側の壁は城壁をそのままにしているそうだ。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F5.6 1/125秒 24mm ISO400 ) 露出補正 なし
海沿いのレストラン;クリックすると大きな写真になります
101.トプカプ宮殿 皇帝の門
トプカプ宮殿に着いた。1453年にコンスタンチノーブルを征服したオスマン帝国のメフメット2世は、当初、いまイスタンブール大学があるベヤズット地区に宮殿を建設した。しかし、1462年、岬の先に新しい宮殿の建設を命じ、1467年にトプカプ宮殿は完成したそうだ。これは1478年に建てられたかっての宮殿の正門である。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F16 1/1000秒 36mm ISO400 ) 露出補正 なし
トプカプ宮殿 皇帝の門;クリックすると大きな写真になります
102.トプカプ宮殿側からアヤソフィアを望む
振り返るとアヤソフィアが見える。トプカプ宮殿見学の後、アヤソフィアを見学するが楽しみである。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/400秒 24mm ISO400 ) 露出補正 なし
トプカプ宮殿側からアヤソフィアを望む;クリックすると大きな写真になります
103.トプカプ宮殿 表敬の門
皇帝の門から進むと右手にチケット売り場があり、その先にこの表敬の門があった。トプカプ宮殿の中央門で、左右の尖がり屋根の塔が印象的である。この塔はスレイマン大帝が16世紀に増築したものだそうだ。この門を馬に乗ったまま通れたのはスルタン(イスラム世界における国王、皇帝)だけだったそうだ。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F13 1/640秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
トプカプ宮殿 表敬の門;クリックすると大きな写真になります
104.第二庭園
第一庭園は表敬の門の手前左側にあった。表敬の門を通って右側にあるのが第二庭園で、その向こうにヨーロッパ陶器と銀器の展示室がある。さらにその奥に宝物館があり、歴代スルタンにより集められた世界有数のコレクションを見ることができた。世界最大級の3個のエメラルドで飾られたトプカプの短刀は見事だった。残念ながら館内は撮影禁止。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/400秒 29mm ISO400 ) 露出補正 なし
第二庭園;クリックすると大きな写真になります
105.テラスからの眺め
宮殿の北の端は見晴らしの良い大理石のテラスになっていた。左側に見える海のさきはボスフォラス海峡で、かすかに第一ボスフォラス大橋が見えた。橋の左側はヨーロッパサイドの新市街で、右側がアジアサイドだ。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/400秒 28mm ISO400 ) 露出補正 なし
テラスからの眺め;クリックすると大きな写真になります
106.トルコの小学生
トルコの小学生が見学に来ていた。引率の先生はちょっと恐そうだったが、子供たちはみんなとても可愛い。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F4.2 1/125秒 32mm ISO560 ) 露出補正 なし
トルコの小学生;クリックすると大きな写真になります
107.ムルト3世のサロン 廊下
ここのタイルは見事だった。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/160秒 22mm ISO400 ) 露出補正 なし
ムルト3世のサロン 廊下;クリックすると大きな写真になります
108.ムルト3世のサロン 室内
それほど大きな部屋ではなかったがその美しさには息をのんだ。トプカプ宮殿で最も感動した建物だった。建築家スイナンによるドームのある部屋で、イズニック・タイルの装飾が素晴らしかった。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F3.5 1/125秒 18mm ISO2800 ) 露出補正 なし
ムルト3世のサロン 室内;クリックすると大きな写真になります
109.トプカプ宮殿 ハレム
時間がなかったのだろうかハレムの中は見学できなかった。ハレムは宮廷の女性たちの居住区であった。男性はスルタンと皇子、黒人宦官以外足を踏み入れることさえ禁じられたという。一夫多妻制だったオスマン帝国では、スルタンも4人の正妻をめとり、女官や、女奴隷など身の回りの世話をする女性たちもハレムに住まわせたという。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/400秒 22mm ISO400 ) 露出補正 なし
トプカプ宮殿 ハレム;クリックすると大きな写真になります
110.トプカプ宮殿の猫
見学を終え、表敬の門を出ると左側にミュージアム・ショップがあった。観光客が座っているベンチの後ろに猫がいた。さすが宮殿にいる野良猫で品が良く、器量もいい。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/125秒 31mm ISO400 ) 露出補正 なし
トプカプ宮殿の猫;クリックすると大きな写真になります
(追記:2011/1/14)撮影データのNIKKOR VR 18-55mmとあったのは、NIKKOR VR 18-200mmが正しいので訂正しました。

2010年11月24日

トルコ旅行 その5 パムッカレ(ヒエラポリス遺跡と石灰棚)


 前日は午後3時過ぎにエフェス遺跡の見学を終えたあと、エーゲ海を離れ内陸部を西へに向かった。途中、ナジリS.A.でトイレ休憩し、バスは約3時間をかけパレッカムのホテルに着いた。ホテルには温泉があり、まあまあの料金でマッサージをしてくれる。
 明けて11月2日、第4日目も快晴の朝を迎えた。朝7時半にホテルを出発、15分ほどでヒエラポリス遺跡のゲートに着いた。

40.ヒエラポリス遺跡入口
PAMUKKALE HIERAPOLIS ANCIENT CITYの入口である。まだ7時50分というのに、我々以外のツアー観光客も来ている。ベルガモン王のエウメネス2世が紀元前190年ころ、ローマ軍に加勢してシリア軍との戦争に勝利し、その武功によりローマ皇帝からこの町が与えられたという。トロイ、エフェスと見てきたツアー客は古代遺跡に少々食傷ぎみである。ここは石灰棚の見学が主で、現地ガイドもあまり説明もしない。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F9 1/320秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
ヒエラポリス遺跡入口;クリックすると大きな写真になります
41.南ビサンチン門
ゲートを入ると右手にヒエラポリスの遺跡が点在する都市防衛のかなめとしての城壁にある門で北入口と南入口がある。これは南入口。4世紀末に建てられたという。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F11 1/500秒 27mm ISO400 ) 露出補正 なし
南ビサンチン門;クリックすると大きな写真になります
42.南側を望む
こんな遺跡もあったがなんだかよくわからない。現地ガイドさんからも説明はなかった。ただ、この向こう側が石灰棚になっているという説明があった。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/400秒 24mm ISO400 ) 露出補正 なし
南側を望む;クリックすると大きな写真になります
43.石灰棚 -1
現地ガイドの言葉通り、さらに進むと世界遺産に登録されている石灰棚が眼前に現れ、その朝陽に輝く美しさに息をのむ。流れているのは温泉。パムッカレとは綿の城という意味だそうだ。真っ白い炭酸カルシウムの塊が城壁のように盛り上がり、朝は青白く、夕べには茜色に色を変えるという。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F14 1/800秒 20mm ISO400 ) 露出補正 なし
石灰棚;クリックすると大きな写真になります
44.石灰棚 -2
一時期、温泉(鉱泉)が枯渇して雑草が生い茂ったこともあるが、近年の保護政策が功を奏し、美しい風景が復活しつつあるという。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F11 1/2000秒 75mm ISO400 ) 露出補正 なし
石灰棚;クリックすると大きな写真になります
45.石灰棚 -3
南側を見下ろすとパムッカレの町が眺められた。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F9 1/1250秒 56mm ISO400 ) 露出補正 なし
石灰棚;クリックすると大きな写真になります
46.北ビサンチン門
石灰棚の淵を歩いていくと、お湯の中を歩けるところがあった。靴を脱ぎ、靴下を脱いで足湯の如く、湯に浸してみた。裸足で歩くと滑りそうになる。その右側に出ると、石灰棚から見て北東に向けて、さらにヒエラポリスの遺跡が広がる。広いところに遺跡が点在していた。これは城壁の北入口である。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/2500秒 150mm ISO400 ) 露出補正 なし
北ビサンチン門;クリックすると大きな写真になります
47.劇場
東側の斜面に劇場跡が見えた。2世紀のハドリアヌス帝の治世下に造られ、3世紀には舞台が大改修された。傍までは行かなかったがヒエラポリスの中で一番保存状態が良い遺跡とのこと。直径100mにおよぶ半円形の劇場で収容人員は15,000人だったという。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F11 1/500秒 50mm ISO400 ) 露出補正 なし
劇場;クリックすると大きな写真になります
48.クロッカス
遺跡にはクロッカスの黄色い花が咲いていた。向こうに見えるのは劇場跡。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F11 1/500秒 35mm ISO400 ) 露出補正 なし
クロッカス;クリックすると大きな写真になります
49.温泉プール パムッカレ テレマル
出口に向かう左側に、大理石の柱などパムッカレの遺跡が底に沈んでいる天然の温泉プールがあった。ここはかって、路の両側に柱廊や壮麗な建物が並ぶ古代のメインストリートであったといわれる。水着を用意すればプールに入り、水中遺跡の探訪も可能のようだが、今は寒い。9時15分見学終了。次はコンヤだ。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F9 1/320秒 22mm ISO400 ) 露出補正 なし
温泉プール ;クリックすると大きな写真になります
(追記:2011/1/14)撮影データのNIKKOR VR 18-55mmとあったのは、NIKKOR VR 18-200mmが正しいので訂正しました。