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2024年6月11日

クモガタヒョウモンに再チャレンジ ① 2024年5月10日 八王子市郊外

5月4日にアオバセセリを撮りに八王子へ行ったが、アオバセセリは、ミツバウツギの花とともに適期であり、目的を達することが出来た。しかし、あわよくばと思っていたクモガタヒョウモンは、やはり時期尚早で1頭目撃することはできたものの、撮ることはできなかった。
 クモガタヒョウモンが撮りたかった。この日は5月4日に行ったときより、遅くに自宅を出発し10時少し過ぎに現地に到着、今回は八王子城跡の駐車場に車を止める。
 クモガタヒョウモンが活動するのは、昼頃からである。それまではと、5月4日にアオバセセリを撮影したポイントへ行って見る。しかし「柳の下にドジョウはいない」。ミツバウツギの花は終わり、アオバセセリの姿は無かった。
 だが、チョウは確実に増えてきていた。アオバセセリを諦めて、駐車場まで戻ってくると着いた時にも飛んでいた黒いアゲハたちが多くなっていた。モンキアゲハもわずかに咲くアザミの花に来ている。
 そのアゲハたちをカメラで追っていると、突然クモガタヒョウモンが飛来して、幸運にもすぐ近くに咲くハルジオンに止まって吸蜜を始めた。また来てくれるかと、しばらくの間クロアゲハやオナガアヘハを撮っていたが、クモガタヒョウモンはその後現れてくれない。
 少し歩いて前回来た時に多くのハルジオンが咲いていたところへ行って見る。そこでも期待以上の収穫があった。アオバセセリがいて、ハルジオンの花から花へと飛びまわっていたのだ。1週間前に来た時はミツバウツギで吸蜜するアオバセセリを下から見上げるようにして撮っていたので、光の具合も悪かったが、そこではハルジオンに止まるアオバセセリを良い位置で撮ることが出来た。そこにはクモガタヒョウモンは来なかったが、オナガアゲハ、クロアゲハ、ウスバシロチョウもいて、時間が経つのを忘れた。
 再び、八王子城跡の駐車場へ戻ると、次々にクモガタヒョウモンも現れ始めた。

000_240510087t X700 ◎八王子城跡 モンキ RX10M4.jpg
ノアザミを訪れるモンキアゲハ 2024年5月10日 八王子城跡

001_240510005 X900 ◎八王子城跡 オナガ RX10M4.jpg 1.ノアザミにアプローチするオナガアゲハ♂ -1
 駐車場のすぐ上に数本のノアザミの花が咲いていた。そのノアザミには次々と黒いアゲハが近づいてくる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ 8.8-220mm f/2.4-4 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4.0 1/2000秒 203mm ISO400 )
002_240510301 X900 ◎八王子城跡 Z50 Z105mc.jpg 2.ニホンカワトンボ
5月4日に来た時にミツバウツギが咲いていたところ向かう途中、木漏れ日が差し込む林道にニホンカワトンボがいた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先で撮影  ( f3.0 1/1000秒 105mm ISO200 )
003_240510024 X900 ▲八王子城跡 RX10M4.jpg 3.ニホンカワトンボ飛ぶ
広角で撮ろうと思いカメラを持ち替えて、トンボに寄ったところへ、速足で歩いてきた人がいた。そのニホンカワトンボは飛び立った。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ 8.8-220mm f/2.4-4 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.5 1/2000秒 9mm ISO800 )
004_240510027 X900 ◎八王子城跡 ヤマト交尾 RX10M4.jpg 4.ヤマトシジミの♂と♀ -1
葉陰に交尾中のヤマトシジミが止まっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ 8.8-220mm f/2.4-4 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.5 1/2000秒 9mm ISO250 )
005_240510304 X900 ◎八王子城跡 Z50 Z105mc.jpg 5.ヤマトシジミの♂と♀ -2
左側が♂。左手でまえに被さる小枝を動かして撮った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
シャッタースピード優先で撮影  ( f5.0 1/1000秒 105mm ISO100 )
006_240510039 X900 ◎八王子城跡 カラス  RX10M4.jpg 6.カラスアゲハ♂の吸水 -1
広島大学の高瀬浩行さん/本田計一先生の研究グループは、シロオビアゲハにおいて、吸水行動によってアンモニアを窒素源として摂取し筋肉や精子の生産に役立てていることを証明した。(https://home.hiroshima-u.ac.jp/~homura/LCE/index.html)羽化したばかりのある種のチョウの雄が吸水行動をする姿は良く目撃する。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ 8.8-220mm f/2.4-4 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4.0 1/2000秒 101mm ISO640 )
007_240510043 X900〇八王子城跡 カラス  RX10M4.jpg 7.カラスアゲハ♂の吸水 -2
しばらく吸水して、移動してまた吸水を繰り返していた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ 8.8-220mm f/2.4-4 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4.0 1/2000秒 101mm ISO800 )
008_240510045 X900 ◎八王子城跡 テング  RX10M4.jpg 8.テングチョウ
何処からか敏捷に赤いチョウがハルジオンの花に翔んできた。ぼろぼろである。昨年生まれた個体だ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ 8.8-220mm f/2.4-4 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4.0 1/2000秒 136mm ISO500 )
009_240510062 X900 ◎八王子城跡 クロ♂ RX10M4.jpg 9.クロアゲハ♂ -1
アオバセセリを探しにミツバウツギのところへ行って見たが、花はすっかり終わっていた。アオバセセリの姿も、オナガアゲハの姿もない。また、駐車場に戻ってくるとノアザミの花にクロアゲハが来ていた。羽化したのようなきれいな個体だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ 8.8-220mm f/2.4-4 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4.0 1/2000秒 172mm ISO250 )
010_240510065 X900◎八王子城跡 クモガタ RX10M4.jpg 10.クモガタヒョウモン♂ -1
そこへ突然クモガタヒョウモンが飛来し、幸運にも私が立つすぐそばのハルジオンの花に止まった。思いがけずこの日のターゲットの最初の1枚が撮れた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ 8.8-220mm f/2.4-4 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4.0 1/2000秒 178mm ISO320 )
011_240510070 X900 ◎八王子城跡 クモガタ RX10M4.jpg 11.クモガタヒョウモン♂ -2
前の写真と同じ個体。しかしあまり長くはいてくれなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ 8.8-220mm f/2.4-4 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4.0 1/2000秒 178mm ISO250 )
012_240510074 X900 ◎八王子城跡 クロ RX10M4.jpg 12.クロアゲハ♂ -2
5月4日に来た時にはオナガアゲハばかりでクロアゲハはいなかったが、1週間後のこの日はクロアゲハが多い。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ 8.8-220mm f/2.4-4 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4.0 1/2000秒 178mm ISO250 )
013_240510082t X900 ◎八王子城跡 モンキ RX10M4.jpg 13.モンキアゲハ♂ -1
今年始めて見るモンキアゲハである。この日、同じノアザミの花にきた3種目の黒いアゲハである。きれいな♂だった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ 8.8-220mm f/2.4-4 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4.0 1/2000秒 183mm ISO250 )
014_240510086t X900 ◎八王子城跡 モンキ RX10M4.jpg 14.モンキアゲハ♂ -2
前の写真とともに、トップの写真の次のシーンである。ノアザミに止まって吸蜜を始めた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ 8.8-220mm f/2.4-4 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4.0 1/2000秒 183mm ISO250 )
015_240510094 X900 ▲八王子城跡 オナガ RX10M4.jpg 15.ノアザミにアプローチするオナガアゲハ♂ -2
数本のノアザミの花が咲いている。そこへ黒いアゲハが次々とやって来る。これはオナガアゲハだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ 8.8-220mm f/2.4-4 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4.0 1/2000秒 58mm ISO320 )
016_240510100 X900 ◎八王子城跡 クロ RX10M4.jpg 16.クロアゲハ♂ -3
これはクロアゲハ。クロアゲハが多くなっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ 8.8-220mm f/2.4-4 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4.0 1/2000秒 220mm ISO640 )
017_240510111 X900 〇北条氏照墓 オナガ RX10M4.jpg 17.ハルジオンにオナガアゲハ -1
昨年は駐車場の上の草地にもハルジオンが多く咲き、ウスバシロチョウが飛んでいた。今年はきれいに刈り取られてしまっていた。少し歩いて、ハルジオンの多く咲くところへ移動する。オナガアゲハが飛んでいる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ 8.8-220mm f/2.4-4 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4.0 1/2000秒 155mm ISO400 )
018_240510114 X900 ◎北条氏照墓 オナガ RX10M4.jpg 18.ハルジオンにオナガアゲハ -2
ここはオナガアゲハが多く翔んでいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ 8.8-220mm f/2.4-4 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4.0 1/2000秒 155mm ISO400 )
019_240510116 X900 ◎北条氏照墓 オナガ RX10M4.jpg 19.ハルジオンにオナガアゲハ -3
前翅の様子からこの個体は♀のようにも見えるのだが、この写真では雌雄の同定は出来ない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ 8.8-220mm f/2.4-4 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4.0 1/2000秒 160mm ISO500 )
020_240510120 X900 ◎北条氏照墓 オナガ♀ RX10M4.jpg 20.ハルジオンにオナガアゲハ -4
これは♂だ。少し鱗粉が落ちてはいるようだが、まだきれいな個体である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ 8.8-220mm f/2.4-4 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4.0 1/2000秒 220mm ISO250 )

2024年1月 1日

2024年 新年のご挨拶

令和6年 みなさま明けましておめでとうございます

230103010 X700 〇東京オペラシティコンサートホール G7X.jpg
「ウィンナー・ワルツオーケストラ new year 2023 宮殿祝賀コンサート」 開演前
  2023年1月3日 撮影 東京オペラシティコンサートホール


コロナ禍4年目の昨年、冬になってまた感染者数は増え、第8波となり、日本全国の感染者は累計3千万人を超えました。しかし、春になると感染者数は著しく減少し、5月8日から「5類感染症」に移行され、行動制限も緩和されました。ですが、お盆休みを挟んで再び増加傾向となり、感染者数は5類になって最高になりました。その前後に私どもは6回目、7回目のワクチン接種を受け、幸い今日まで感染せずに過ごしてきました。秋の行楽シーズンには多くの外国人観光客が日本を訪れています。

 昨年もいろいろなことがありました。最も痛ましいことは、パレスチナのイスラム組織ハマスが10月7日、ロケット弾や戦闘員の侵入によってイスラエルへ大規模な攻撃を仕掛け、それに対するイスラエルが報復を開始したことです。死者は2万人を超えています。一方、ロシアのウクライナへの軍事侵攻開始から1年10か月がたち、市民の死者はすでに1万人を超えています。
 5月20日にはゼレンスキー大統領がG7サミット開催中の広島に到着し、岸田首相と会談したのをはじめとして、サミット2日目には各国首脳と相次ぎ会談しています。


 はじめに昨年の世界的な異常気象について振り返ってみたいと思います。

 昨年はほんとに暑い夏でした。もちろん、ところによって異なりましたが、東京の場合は昨年7月~9月の最高気温(月間平均)は、いずれも観測を始めた1875年以降で1位の記録だそうです。35℃を上回る猛暑日は22日もあり、真夏日は90日もありました。私が住む横浜市では、猛暑日は1日だけだったのですが、30℃以上の真夏日は37日ありました。7月10日、八王子では39.2℃の猛烈な暑さでした。
 昨年の日本の平均気温は、統計開始以降最高となりました。平年より、1.34℃高かったそうです。これは、春から秋にかけて上空の偏西風が平年に比べて北寄りに流れ、日本付近が暖かい空気に覆われやすかったことや、日本の南で高気圧の勢力が強かったことが要因とされています。

 2023年の世界の平均気温も、1891年の統計開始以降、2016年を上回り、最も高い値となりました。世界の年平均気温は、様々な変動を繰り返しながら上昇しており、長期的には100年あたり0.76℃の割合で上昇しているといいます。特に1990年代半ば以降、高温となる年が多くなっているそうです。

 11月にはアラブ首長国で、世界の200近い国と地域のほとんどの代表が集まるCOP28が開催されました。気候変動にさらされるカリブ海に浮かぶ人口28万人の島国バルバドスのモトリー首相は、いまの気候変動は死刑宣告に等しい。気候変動によって海面が上昇し、年々海岸線が浸食されている。国の主要産業の観光業にも深刻な影響が広がっているとして、「安全な地球 それが望み」と訴えました。

 今回のCOP28でも日本はまた「化石賞」を受賞してしまったようです。原発のこともありますが、化石燃料の使用を削減するために、日本は非化石エネルギーの技術的な開発で世界をリードし、世界で指導的な立場の国になることを期待したいです。
 全日本空輸(ANA/NH)は12月25日、羽田-八丈島線で代替航空燃料「SAF(Sustainable Aviation Fuel:サフ、持続可能な航空燃料)」を活用した運航を始めたというニュースがありました。期待したいと思います。
 という私もガソリン車を運転し、化石燃料なしでは生活して行けない人間になってしまっていますが、二酸化炭素排出が地球温暖化、地球沸騰化の原因であるとするなら、なんとしてもそれを防がなくてはなりません。

 事象は気温だけではありません。関連して、世界では洪水や、山火事などの大きな被害が出ています。
 日本でも台風6号や、7号などにより、線状降水帯が発生し、大雨の被害が出ていますが、イタリア北部、スペイン、中国湖北省の大雨、パキスタンでは記録的な大雨で国土の3分の1が冠水したとされています。秋にはブラジルでサイクロンによる大雨で大洪水となり32名が死亡しています。リビアでは、大雨でダムが決壊し、洪水で5,300人が亡くなり、1万人が行方不明と伝えられました。このほかにも大雨による多くの被害が報じられています。

 その一方で、日本の近畿地方の水瓶である琵琶湖では深刻な雨不足で、水位は12月26日午前6時の時点で基準となる水位からマイナス75cmとなり、例年のこの時期の平均を40cm下回って、滋賀県が「渇水対策本部」を設置する目安まで下がっているそうです。幻の城の跡が姿を現したとも伝えられます。

 8月のハワイのマウイ島の山火事は100人近い方が亡くなりました。また、ギリシャ、カナダ東部、カナダ北部、スペイン領カナリア諸島、トルコなどでも大きな山火事が発生したと伝えられています。
 また、11月にはパプアニューギニアで大規模な噴火があり、日本への津波の影響も心配されました。12月には、インドネシアのマラピ火山の噴火で登山者11人が死亡したと報じられました。
 直近では、アイスランドの南西部レイキャネスにある火山が12月18日噴火し、溶岩と煙が噴出しました。大地はおよそ4キロにもわたって裂け、噴き出す溶岩の高さは100m以上にもなっていると伝えられています。その前の数週間に、火山活動に伴う地震が頻発しており、レイキャネスの住民約4,000人は先月既に避難しており、近隣の地熱温泉施設も閉鎖されているそうです。

 身近なことで異常気象を感じることとして、東京で平年より10日も早い3月9日に桜の開花宣言がありました。また、私が住む横浜などでは、季節外れの10月下旬に、ソメイヨシノやカワヅザクラが、数輪の花を咲かせました。
 今年はクマが人里に現れ、人的被害が統計開始以降最多となっていると聞きます。クマの主要な餌であるブナの実(ドングリ)が「大凶作」であることが指摘されています。


 さて、スポーツでは明るい話題が多くありました。

 まず、野球はWBCの優勝に始まり、大谷選手の大活躍です。米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手は44本塁打で日本人初の本塁打王に輝きました。また、史上初となる2度目の「満票」でアメリカン・リーグ最優秀選手(MVP)に選出されました。さらに、メジャーリーグ選手会選出のア・リーグ最優秀野手、シルバースラッガー賞、オールMLB・ファーストチームの先発投手/指名打者部門で選出、ハンク・アーロン賞など数々の名誉ある賞を受賞しました。そして、ドジャースと10年契約の7億ドル(約1,015億円)で入団が決まりました。凄いとしか言いようがありません。

 日本のプロ野球では、阪神タイガースが38年ぶりの日本一に輝きました。

 そして、同じく甲子園で、私の出身校である慶應義塾高校が、107年ぶりで優勝しました。神奈川県の代表決定戦も逆転で劇的に勝利し、甲子園に出場、仙台育英高校に勝利して107年ぶりに優勝するまで、毎試合TV中継を見て応援しました。感動し、嬉しかったです。  しかし、10月に鹿児島で行われた秋の国体1回戦で、再び仙台育英と対戦した慶応は、オール3年生で臨み、7回コールドで完敗しました。仙台育英の選手や関係者はどう思われたか、ちょっと気がかりです。

 スポーツ界はこれ以外にも明るい話題があります。女子やり投げの北口榛花選手は、2023年8月23日に行われたブダペスト世界選手権大会で、66m73の大投てきを見せ、日本の陸上女子フィールド種目でオリンピック・世界選手権を通して史上初となる金メダルを獲得しました。今年のパリ・オリンピックでの活躍が期待されます。

 12月のフィギュア・スケート世界選手権で、男子シングルで宇野昌磨選手、女子シングルで坂本花織選手がともに日本史上初の連覇達成です。
 バスケットボール日本代表はアジア1位で、2024年パリ・オリンピック出場権を48年ぶりに自力での獲得しました。バスケットボールがこんなに面白いスポーツであることを知りました。
 12月に帯広で行われたワールドカップ第4戦で、女子1,500mでは高木美帆選手が優勝して今シーズン4連勝を記録、また、男子500mでは新濱立、森重航、村上右磨の各選手が1位から3位まで独占しました。

 卓球では、パリ・オリンピック女子の個人戦出場は早田ひな選手の代表は揺るぎませんが、あと1名の代表枠を平野美宇、伊藤美誠、そしてダークホースとして張本美和の3選手が熾烈なポイント獲得を競ってます。今月行われる全日本選手権で決まります。

 そして、暮れの26日に行われたボクシングで、井上尚弥選手は、スーパーバンタム級の4団体王座統一戦で10ラウンド、ノックアウト勝ちし、史上2人目となるバンタム級に続く2階級での主要4団体の王座統一を成し遂げました。2階級で4団体統一を果たしたのはこれまで、ことし7月にスーパーライト級に続いてウエルター級でも達成したアメリカのテレンス・クロフォード選手のただ1人で、井上尚弥選手は2人目がそうです。国民栄誉賞の声が出そうです。

 私は囲碁、将棋は不調法なのですが、藤井聡太さんの史上初八冠達成というのも、昨年の大きな話題となりました。囲碁はオリンピック正式競技化を目指しているそうですが、将棋もスポーツと思います。

 話は飛びますが、暮れが近づくにつれ、岸田内閣の支持率が25%と過去最低となってしまいました。
 私は、詳しく理解しているわけではありません。感想として述べるのですが、岸田首相は、外交・安全保障を唱え、自由で開かれた国際秩序の維持・強化のための外交を積極的に展開していきたいと、海外へも積極的に出かけ各国首脳と情報交換し、広島でのG7サミットでは、「核兵器のない世界」の実現に向けた歩みを訴えました。活動されていると思います。 新しい資本主義 賃上げや企業の投資意欲など足下の前向きな動きを更に力強く拡大すること、こども・子育て政策 少子化は我が国の社会経済全体に関わる先送りのできない「待ったなしの課題」であることを唱えて、進められてきましたが、今一つその声は国民に届いていないようでした。
 そんな時に、自民党の派閥の政治資金パーティー収入が収支報告書に記載されていないという不正問題が持ち上がりました。東京地検による家宅捜査や、関係者の事情聴取が行われています。東京地検は本気で捜査しているようです。
 いわゆるパーティー券売り上げのキックバックを得ていた閣僚は辞職に追い込まれました。
 こうなったのは、自民党という組織、閣僚のガバナンスが甘かったのだろうと思います。
 首相一人ではできません。国民に選ばれた議員さんによる、国民に届く、国民のための政治を、その全員で目を開いて、襟を正して行って欲しいと思います。岸田首相にはリーダーとして、毅然とした立場で改革の推進力になっていただきたいと考えます。

 日本のドル建てGDPは去年、世界全体に占める割合が過去最低の4.2%になり、統計が比較可能な1980年以降で最も低くなりました。2023年はドイツに抜かれ世界4位に後退です。円安で、ドルに換算した場合のGDPが目減りしたことが影響したようですが、2022年のドル建て国民一人当たりのGDPは何と21位だったそうです。


 さて、最後にわたくしの趣味についてです。
 体力も衰えてきていますので、好きな蝶の撮影も高山蝶など珍しい種を撮るために、難しいところへ行くのは困難になっています。もっぱらマイカーで高尾山周辺、箱根などの近いところへ日帰りで行くほかは、近所の公園へ出かけています。普通種をできるだけきれいに撮影してやろうと、シャッターを押しています。それでも昨年は夏にマイカーで入笠山へ行ったのと、バスを利用して上高地へ行ってきました。北海道や先島諸島へも行きたい気持ちはあるのですが足が伸びません。

 秋になるとチョウの数が増えます。特に昨年秋は近くの公園で、多くのチョウが目を楽しませてくれました。鮮やかな黄色のセイタカアワダチソウに、赤銅色のキタテハの秋型が飛来して、蜜を吸う姿は私の好きなシーンです。秋には自宅付近で、約20種のチョウを撮影しました。

ABCD文字X700.jpg
2023年に近くの公園などで撮影したチョウたち

2020年、2021年と、南国のチョウであるクロマダラソテツシジミが我が家の周辺で何回も見られたのですが、一昨年は全く見ることが出来ませんでした。ところが昨年の秋に、数は少ないながらまた見ることが出来ました。これも地球温暖化のなすところなのでしょうか。


 さて、今年はどんな年になるのでしょうか? まずは、ウクライナとロシア、イスラエルとハマスの争いが終わることを祈ります。みなさまにとって令和6年が平穏な良い年になることをお祈りいたします。

 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

2023年5月14日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物⑤ 2023年4月5日ー7日 壷阪寺(壺阪山南法華寺)

吉野山からここ壺阪寺までは、北北西へバスでおおよそ30分くらいだった。ツアコンさんは、このお寺にはツアーで来る観光客は少ないのだという。到着してみると、その通りで団体の参拝客は少なかった。
 壷阪寺は真言宗系単立の寺院で山号は壺阪山。本尊は十一面千手観世音菩薩である。正しくは南法華寺というが、一般には壺阪寺(つぼさかでら)の通称で知られる。西国三十三所第6番札所である。
 大講堂という建物に入山受付があった。ツアコンさんが受付を済ませたところで、自由に見学することになった。大講堂に沿って仁王門へ向かう。その時、開けられていた大講堂の扉から、たくさんのひな人形が飾られているのが見えた。縁側に設けられた上がり口から、靴を脱いで中に入れるが、後にすることにした。
 仁王門を入り、まず右手に見えた大仏像を見る。仁王門から三重塔へ向かう参道に戻り、多宝堂、潅頂堂を見ながら、礼堂に入る。礼堂でも沢山のひな人形が飾られていて、大講堂と合わせて、約3,500体のひな人形は圧巻だった。
 三重塔の後ろにあった仏伝図レリーフの規模の大きさにも驚かされた。
 最後に最初の大講堂に上がり、改めてひな人形を鑑賞した。見どころいっぱいの小一時間を終え、バスに戻った。  この壷阪寺は「壺坂霊験記」で有名であるが、もう一つの特徴は天竺(インド)渡来の石像群であった。あっちこっちに、巨大なインドからの石仏が安置されていた。それも一つ一つが結構大きい。最大のものは高さ20mもある。壷阪寺の先代の住職は1960年代からインドのハンセン病救済活動に参加していて、インド国内での奨学金事業や学校運営事業、地域開発・公衆衛生事業に熱心に取り組んでいたそうだ。壷阪寺の石仏はこの日印交流への感謝として贈られたという。

000_2304060807 X700 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg
公開中だった「大雛曼荼羅(だいひなまんだら)」 2023年4月6日 奈良県高取町 壷阪寺(南法華寺)

109_2304060770 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 109.大講堂の雛飾り
大講堂で受付を済ませ、仁王門へと歩き始めたが、開かれた扉から大講堂の中に、ひな人形が飾られているのが見えた。あとでゆっくり見ることにして、まず仁王門へ向かう。ISO感度は6400に上がっていた。色もきれいだし、ざらつきも少ない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 56mm ISO6400 ) 露出補正 なし
110_2304060770 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 110.仁王門
建暦2年(1212年)の建立という。壷阪寺のホームページによれば、貞慶解脱上人が建立に係ったと伝わっている。室町期と安土桃山期に大修理を加え、昭和には解体修理を行ったが、平成10年の台風により屋根が半壊したので、平成15年壷阪寺開創1300年を期して、防災上の見地から建立場所を現在の場所に移し、再度解体修理を行ったそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
111_2304060781 X900 〇壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 111.仁王門 仁王像阿形
何時頃の建立かわからなかったが、歴史を感じさせる迫力のある仁王像である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 56mm ISO3200 ) 露出補正 なし
112_2304060786 X900 壷阪寺 サトザクラ Z50 Z18-140.jpg 112.壺阪大仏 天竺渡来 大釈迦如来石像 -1
仁王門をくぐって右手に大仏の姿が見えた。平成19年11月開眼というから新しい大仏さまだ。身丈10m、台座は5mある。壷阪寺のインドでの奉仕活動の縁から始まった国際交流・石彫事業の一環で、製作されたそうだ。21世紀初頭より、世界中で起こった暴力や中傷などによって痛んだ心を癒やすため建立された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 46mm ISO100 ) 露出補正 なし
113_2304060788 X900 〇壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 113.壺阪大仏 前立の石像
壺阪大仏の前に立つ石像群で、右手前は象に乗る身丈3mの普賢菩薩石像である。その向こう側に獅子に乗った文殊菩薩石像があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 40mm ISO180 ) 露出補正 なし
114_2304060790 X900 〇壷阪寺 多宝塔 Z50 Z18-140.jpg 114.多宝塔
仁王門から三重塔に向かって進み、右側に壺阪大仏を見て、左側にこの多宝塔があった。平成14年に建立された本瓦葺のまだ新しい多宝塔である。多宝塔の外見は二重塔であるが、本来は一重の宝塔のまわりに裳階がついた形であって、発生的には二重塔ではないそうだ。本尊の大日如来坐像(平安時代)を祀る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
115_2304060792 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 115.灌頂堂(かんじょうどう)
多宝塔の奥(南側)に灌頂堂が見えた。ホームページによれば、壷阪寺は子島流、または壷坂流と称される真言宗の一流派の道場であった。その教えを伝えるための灌頂堂は平安時代に建立されていたと推察される。その後、二度の大火に遭いながら、その度ごとに再建されていたと伝えられている。15世紀にまた大火の難に遭うが、その後再建の記録はないそうだ。平成15年に迎えた壷阪寺開創1300年を期に壷阪寺の重要な御堂の一つであった灌頂堂再建が発願され、平成17年4月落慶した。十一面千手観音菩薩(室町時代) 豊臣秀長公像・本多俊政公像(安土・桃山時代)が安置されている。灌頂とは密教儀式で、菩薩が仏になる時、その頭に諸仏が水を注ぎ、仏の位(くらい)に達したことを証明することをいう。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO220 ) 露出補正 なし
116_2304060794 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 116.ヤマブキの花と小さな地蔵
三重塔のわきを周って、礼堂の正面に向かう小さな道にヤマブキが咲き、沢の下に小さな地蔵たちが並んでいた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 86mm ISO560 ) 露出補正 なし
117_2304060795 X900 〇壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 117.パワーストーン台座
石仏の名称はわからない。足元に「パワーストーン台座」と書かれたプレートがあり、「靴を脱いでおあがりください」と書かれていた。壷阪寺はインドと交流が深く随所にインド色が感じられる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 30mm ISO125 ) 露出補正 なし
118_2304060118 X900 壺阪寺 G7X.jpg 118.寺宝 本尊十一面千手観音菩薩座像
礼堂に上がる。礼堂は室町時代再建の重要文化財である。この寺の創建当初から、建てられていたと伝わっている。1096年に焼失するが、1103年に再建され、その後も鎌倉時代初期に焼失し、直ちに再建される。室町時代初期にも焼失。その後再建されるが、江戸時代には、模様替えなど大改築がなされ、規模も縮小された。外観の撮影を怠ってしまった。祀られている本尊、十一面千手観音菩薩座像は、この寺の寺宝で室町時代の樫材の寄せ木造り、それ以前の本尊千手観音像に代わって造られたのだろう。蓮華座上にどっしりと、ふくよかな顔立ちをする。本尊である十一面千手観音菩薩座像は「眼の佛」として広く信仰を集めている。奈良・平城京を開いた元正天皇は皇女の折り、壷阪寺に詣で眼病の治癒を祈ったと伝えられ白鳳という古い時代から壷阪観音として多くの人に親しまれて来た。桓武・一条の天皇の眼病も平癒された。明治に生まれた壷坂霊験記は義太夫や浪曲に取り組まれ、歌舞伎や人形の舞台で演じられている。(壷阪寺ホームページを参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/200秒 21mm ISO3200 ) 露出補正 なし
119_2304060122 X900 壺阪寺 G7X.jpg 119.寺宝 本尊十一面千手観音菩薩座像の裏側
このようにご本尊を裏側から拝観できるというのも珍しいと思った。左側は役行者 御宝号 南無神変大菩薩、 右側には毘沙門天像と書かれた札が立てられた小さな像があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/200秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 なし
120_2304060128 X900 壺阪寺 G7X.jpg 120.さよ姫伝説
壺阪寺には、「壺阪霊験記」という有名な伝承があるが、もうひとつの壺坂霊験記として、親孝行の姫が大蛇とともに昇天する「さよ姫伝説」も伝承されている。こちらは、唐津に伝わる「松浦佐用姫伝説」や説教節の「松浦長者」と同じあらすじだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/500秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 なし
121_2304060801 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 121.ひな人形を飾る段
本尊の裏側を回る。左に見えるのはひな人形を飾る段の裏側である。その段の下に、ひな人形と仏像が置かれていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO5600 ) 露出補正 なし
122_2304060805 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 122.礼堂 大雛曼荼羅(だいひなまんだら) -1
2023年3月1日~4月18日の間、「大雛曼荼羅(だいひなまんだら)」が公開されていた。国指定重要文化財の礼堂、大講堂の2ヶ所にて、過去最多の約3,500体のひな人形と、本尊十一面千手観音や仏様が一緒に祀られている。ここは、礼堂のいわば内陣と思うが、周囲をひな人形が取り囲んでいる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/250秒 20mm ISO6400 ) 露出補正 なし
123_2304060807 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 123.礼堂 大雛曼荼羅 -2
仏像とひな人形を並べて曼荼羅の世界を表現し、その数の多さにも圧倒されるが、この大雛曼荼羅の見どころは、それだけではなさそうだ。毎年工夫がこらされていて、クスリとほほ笑んでしまう遊び心にあふれているという。もっとじっくりと見て、変わり種のひな人形を探せばよかったと、後の祭り。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/100秒 47mm ISO6400 ) 露出補正 なし
124_2304060812 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 124.礼堂 大雛曼荼羅 -3
本尊十一面千手観音菩薩の両側にも、2体の仏像が祀られていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/200秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
125_2304060814 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 125.礼堂 大雛曼荼羅 -4
地元の人たちなどから奉納されたものを中心に、これまでで最も多い3,500体のひな人形が礼堂と大講堂に展示されているそうだ。祭壇の裏側では、楽しく宴会を繰り広げる普段はおひなさまたちを支える仕丁(昔の官庁や貴族の家の雑役夫)らのひな人形も置かれていた。さっき、飾り棚の段々の裏で見たひな人形がそれだったのだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/200秒 21mm ISO6400 ) 露出補正 なし
126_2304060816 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 126.礼堂 大雛曼荼羅 -5 本尊とひな人形
仏像がご本尊であり、ひな人形と一緒に祀られるていることに、ちょっと違和感を覚える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/160秒 51mm ISO6400 ) 露出補正 なし
127_2304060817 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 127.礼堂 大雛曼荼羅 -6
一つ一つを見ていくと、それぞれ良い顔をしたお雛さまだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/60秒 41mm ISO6400 ) 露出補正 なし
128_2304060817 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 128.礼堂 大雛曼荼羅 -7
それぞれ、豊かな表情だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/60秒 41mm ISO6400 ) 露出補正 なし
129_2304060820 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 129.礼堂 大雛曼荼羅 -8
3月に広島県の鞆の浦を旅行した時に、たまたま「第21回 鞆・町並みひな祭」というのが開催されていた。それぞれの古い店や、歴史のある家で個々にひな人形が公開されていた。「大雛曼荼羅」も高取町の「町家の雛めぐり」とコラボした開催だそうだ。しかし、これだけのひな人形が一堂に集められた壷阪寺の「大雛曼荼羅」は圧巻であった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/160秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
130_2304060825 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 130.三重塔 -1
礼堂の縁から見た三重塔だ。三重塔は明応6年(1497年)に再建された。国指定の重要文化財である。塔はこの塔がはじめて建てられた奈良時代の、高い基壇の上に建ち、軒の出は深く、屋根の勾配は緩やかだ。基壇の縁はなく、中央間板唐戸、脇間連子窓、中備えは三間とも間斗束ーけんとづか(斗組-ますぐみと斗組の間にある斗束ーとづか)を用いる。塔の内部は、四天柱があり須弥壇ーしゅみだん(仏像を安置する台座)を設け大日如来を安置する。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.3 1/500秒 25mm ISO220 ) 露出補正 なし
131_2304060828 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 131.仕丁達の宴会
飾り段の裏側に置かれた仕丁達の宴会のひな人形だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/400秒 29mm ISO6400 ) 露出補正 なし
132_2304060830 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 132.礼堂からの眺め
壷阪寺は、近鉄吉野線壺阪山駅から3.4km、車で7分の所にある。北に大和三山奈良盆地を一望におさめる壷阪山にある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 62mm ISO100 ) 露出補正 なし
133_2304060832 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 133.本堂 大和三山奈良盆地
礼堂に連なるように八角円堂が建っていた。礼堂の軒と、八角円堂初層の屋根とがぶつからないように、とても精度高く建てられている。一つの建物なのではないかと思える。八角円堂の創建は大宝3年(703年)で、壷阪寺の本堂は日本で初めて建立された八角堂ではないかという学説も出ているそうだ。現在の八角円堂は江戸時代の再建と言われる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO360 ) 露出補正 なし
134_2304060838 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 134.めがね供養観音
三重塔の奥に、めがね供養観音像があった。壷阪観音は眼の観音として信仰がある。壺坂霊験記(つぼさかれいげんき)は、明治時代に作られた浄瑠璃の演目。盲人とその妻の夫婦愛を描いた世話物で歌舞伎や講談、浪曲の演目にもなり、人気を集めた。主人公は座頭の三味線弾きである沢市とその妻・お里。お互いを思いやるがゆえに生じた悲劇を、壺阪寺の本尊である十一面観音が救済する話である。インドで十一面観音像を制作依頼し、石を分割し、それぞれ彫刻し、その後、壺阪寺で組み立てられた。古いめがねやコンタクトレンズは台座に奉納供養される。毎年10月18日に本堂にてめがね供養会法要が営われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO100 ) 露出補正 なし
135_2304060834 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 135.「釈迦一代記」石像仏殿図浮彫
三重塔の後ろに「鬼の魔よけ橋」があり、それを渡ると石像仏殿図浮彫があった。高さ3m、全長50mに1~10までのレリーフがあった。重さは300tだそうだ。昭和62年安置されている。説明版には、このレリーフは、南インド、カルナタカ州カルカラにおいて、延べ5万7,000人の石彫師の手によって、インドの石に彫刻され製作されたものである。原図は、奈良教育大学教授小川清彦氏がインドを旅し、釈尊の道を訪ねて構図をまとめたもので、数百に及ぶ佛伝図の中から、比較的誰でも知っている釈尊の道が描かれている。このレリーフは、高さ3m、全長50m、重さ300tに及ぶ大石造美術であるが、インドでは、輸送の都合上各場面を数個に分断し彫刻された。そしてその結合・修正は、高松市郊外庵治町で行われたが、本体の彫刻は何千年もの間、石を刻んできたインドの人たちの技術をそのまま見ていただくように、いっさいの修正を加えなかった。またレリーフを支える基壇の石は、先に壷阪寺に安置された大観音石像と同じ古石が使われている。とあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
136_2304060842 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 136.「釈迦一代記」石像仏殿図浮彫 第1面
これはその第1面である。釈尊の全盛の物語で「魔訶薩埵太子本生」「シビ王本生」「鹿王本生」と仏殿冒頭の「トウシタ天上の菩薩」「白象降下」を描いている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
137_2304060867 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 137.「釈迦一代記」石像仏殿図浮彫 第10面 涅槃
そして第9面の「チュンダの供養の図から、最も重要な場面である第10図「涅槃」へと至る。このように第1図~第10図まで図の説明がされていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
138_2304060869 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 138.「釈迦一代記」石像仏殿図浮彫
全長50mの石像仏殿図浮彫の後半の5面である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
139_2304060872 X900 〇壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 139.三重塔 -2
石像仏殿図浮彫を見るのに少々時間をかけてしまった。その説明文をあとで読もうと思って、写真も撮ってきた。改めて五重塔を眺める。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
140_2304060880 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 140.天竺渡来大観音石像
西側に剣道19号線(明日香清水谷線)が通っているが、その向こう側に大観音石像が見えた。とてもあそこまでは行けない。天竺渡来大観音石像は、壷阪寺とインドハンセン病救済事業の縁でインドから招来したものである。 インド国民の協力と南インドカルカラの三億年前の古石がインド政府や様々な支援で、提供され、延べ7万人のインドの石工が参加してすべて手造りで製作された。 20mの巨岩は動かすことも、運ぶことも不可能なので66個に分割して彫刻し、日本に運ばれ組み立てられた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 45mm ISO110 ) 露出補正 なし
141_2304060883 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 141.大石堂(納骨堂)
この納骨永代供養堂も天竺渡来である。総重量1,500tにおよぶ壮大な石の御堂。インド・アジャンタ石窟寺院をモデルとし延べ12万人の日本・インドの人々によって彫刻、組み立てられたそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 25mm ISO250 ) 露出補正 なし
142_2304060885 X900 壷阪寺 Z50 Z18-140.jpg 142.壺阪大仏 天竺渡来 大釈迦如来石像 -2
今回はサクラ見物のツアーだったが、壷阪寺ではそのタイミングはすでに遅かった。春、満開時にはソメイヨシノに覆い尽くされ、御堂や塔の伽藍が桜雲に浮いているかのような見事な景色が見られるという。この大仏の周辺に桜が咲き乱れ、まるで桜の衣をまとったように見えるこの季節だけの光景で桜大仏と言われている。見たかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 25mm ISO110 ) 露出補正 なし
143_2304060888 X900 壷阪寺 愛染明王 Z50 Z18-140.jpg 43.大講堂の大雛曼荼羅 -1
最後に大講堂に上がって、並べられたひな人形を眺めた。数において、礼堂の「大雛曼荼羅」が勝るが、人形の前に並べられた道具などの飾り物が立派だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 31mm ISO6400 ) 露出補正 なし
144_2304060891 X900 壷阪寺 愛染明王 Z50 Z18-140.jpg 144.大講堂の大雛曼荼羅 -2
壷阪寺の特徴は、壺阪霊験記と天竺渡来の石像群であった。加えて、桜には間に合わなかったものの、大雛曼荼羅の開催期間であり、満足させられた拝観だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/250秒 74mm ISO6400 ) 露出補正 なし

2023年4月12日

旅行 高松→丸亀→鞆の浦→尾道 ⑤尾道へ

2泊3日の旅行の最後は尾道へ行くことになった。
 午前中に鞆の浦という古い町並を見て歩き、福山から午後1時過ぎの山陽本線で尾道まで約20分、1時半ごろに尾道に到着した。駅前からタクシーに乗り、千光寺山へ上るロープウェイの乗り場に向かった。歩かずに上まで上がって瀬戸内海を眺めようというわけだ。ロープウェイの運賃は往復1人、700円。3分少々で着いてしまう。
 ロープウェイの山頂駅からエレベータで展望台まで行く。前に日に比べこの日は空気が澄んでいて、展望台からの瀬戸内海の眺めは素晴らしかった。
 千光寺へ参拝するには、少々急な散策路を下らなくてはならない。千光寺からはロープウェイには乗れないので、下った道を登ってロープウェイ山頂駅まで戻らなくてはならない。かみさんと娘は待っているというので、上がってくるのはきつかったが婿殿と二人で参拝してきた。
 ロープウェイで下りて、尾道の駅まではぶらぶらと商店街を通って歩く。途中、尾道ラーメンを食べた。腹が減っていたこともあって、とても旨かった。尾道駅で福山駅からの新幹線の切符を求めたが、指定席は離れ離れの席しか空いていなかった。

000_230313708 X700 尾道 手前新尾道大橋 奥尾道大橋 Z50 Z18-140.jpg
瀬戸内海・尾道水道の眺め 瀬戸内しまなみ海道に架かる新尾道大橋
2023年3月13日 広島県尾道市東土堂町 千光寺公園展望台から

093_230312261 X900 備後赤坂駅 エトセトラ G7X.jpg 93.エトセトラ
福山駅から山陽本線の電車に乗り尾道へ向かう。新幹線に新尾道という駅があり、1時間に1本「こだま」があるが、在来線の尾道駅とは離れていて利用しづらい。福山で在来線に乗ると、5分ほどで次の駅である備後赤坂という駅に停車した。隣のホームに「etSETOra」という観光列車が停車していた。この観光列車は尾道から西へ広島まで運行される。尾道14時38分発なのでここで待機しているのだろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 18mm ISO125 ) 露出補正 なし
094_230312266 X900 尾道 ロープウェイ G7X.jpg 94.千光寺山ロープウェイ
尾道駅から5分ほどタクシーに乗り千光寺山ロープウェイの乗り場のある長江口というところまで行った。ロープウェイは1957年(昭和32年)3月25日 に開業した。長江口から千光寺山頂を結んでいる。ロープウェイの車内から撮った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.0 1/1250秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
095_230312272 X900 尾道 ロープウェイ G7X.jpg 95.千光寺山ロープウェイ山頂駅からの眺め
ロープウェイを降りて振り返るとさっそく瀬戸内海の美しい眺めがあった。川のように見えるのは瀬戸内海の尾道水道で向こう側は、福山方面の海、右側に見える尾道水道の対岸は向島である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
096_230313709 X900 尾道 尾道水道 向島 Z50 Z18-140.jpg 96.尾道水道と向島 -1
空気が澄んでいて、千光寺山の展望台からは遠くまでよく見渡せた。尾道水道の対岸に見える向島(むかいじま)にフェリーが着岸しようとしているのが見える。wikipediaによれば、向島は「本州尾道市街から南に約300m幅の尾道水道を隔てた位置にある島で、文字通り尾道の向かい側に位置する島。北側が本州、南側が因島、西側が岩子島でそれぞれ橋で結ばれている。東側が尾道市の飛び地である浦崎町、無人島の加島その先が有人島の百島。面積22.22㎢。周囲約28km。北岸に平地が広がり、その他はほぼ丘陵地である。最高峰は高見山283m 。気候は瀬戸内海式気候。」と記されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 34mm ISO110 ) 露出補正 なし
097_230313717 X900 瀬戸内海 Z50 Z18-140.jpg 97.尾道水道と向島 -2
前の写真と同じ位置を撮っている。フェリーは着岸し終えた。向島の奥の方に見える小高い山は海抜283mの高見山というところと思う。手前に西瀬戸自動車道(しまなみ海道)が見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 63mm ISO100 ) 露出補正 なし
098_230313718 X900 瀬戸内海 Z50 Z18-140.jpg 98.尾道水道の南西
カメラを右に振って尾道水道の反対側(南西側)に向ける。瀬戸内海に浮かぶ幾つかの島々が見えるが、それぞれの島の名前は把握できなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/1000秒 75mm ISO100 ) 露出補正 なし
099_230312294 X900 〇尾道 千光寺 G7X.jpg 99.千光寺鐘楼からの眺め
展望台から正岡子規や徳富蘇峰の石碑がある「文学のこみち」と名付けれた、ところどころ石段がある散策路を下って千光寺に行く。千光寺は正式名を大宝山権現院千光寺という。開基は不詳で創建年は大同元年(806年)と伝えられているようだ。本尊は千手観音(秘仏)。鐘楼は明治23年(1890年)に再建されている。鐘楼からの尾道水道の眺めがよい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
100_230312300 X900 尾道 千光寺 G7X.jpg 100.大師堂
鐘楼の右側に大師堂がある。千光寺のホームページによれば、千光寺を開いた空海(弘法大師)を祀るお堂である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO320 ) 露出補正 なし
101_230312306 X900 尾道 千光寺 G7X.jpg 101.夫婦岩
千光寺には花崗岩の巨岩が多く、鏡岩、玉の岩、梵字岩、鼓岩、そして夫婦岩もまた奇岩であった。それぞれが大きな岩であるのに驚く。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
102_230313725 X900 千光寺 Z50 Z18-140.jpg 102.大仙堂と三十三観音堂
手前の朱塗りの堂が大仙堂である。千光寺のホームページによれば、大山智明大権現は鳥取の大山寺の御本尊、地蔵菩薩のことで、その御分体ががここに祀られているそうだ。大山へお参りできない人は、この大仙堂を参拝したそうだ。向こう側は三十三観音堂で、関西一円の西国観音霊場の各札所の御本尊、観世音菩薩33体が祀られ、ここにお参りすると西国観音霊場を巡拝したのと同じ功徳があると伝えられている。天井には勇壮な龍の絵が描かれている。この手前に本堂がある。本堂は貞享3年に建てられたこの地方には珍しい舞台造りである。俗に赤堂と呼ばれる千光寺本堂の本尊千手観世音菩薩は、33年に一度開帳される秘仏。俗に火伏せの観音とも称されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 25mm ISO125 ) 露出補正 なし
103_230313727 X900 尾道 千光寺 Z50 Z18-140.jpg 103.三重岩
千光寺まで下りてきた「文学のこみち」をロープウェイの乗り場まで登っていかなければならない。これが結構きつかった。下りてくるときには気が付かなかったが、三重岩という大きな奇岩もあった。千光寺山や、その東側にある浄土寺山は、花崗岩の良材が採石できるとして、石材の切り出し場にもなっていたそうだ。また、江戸時代には、北前船の帰り荷として尾道の石材が積み込まれ、日本海沿岸各地へと運ばれていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 27mm ISO2500 ) 露出補正 なし
104_230313731 X900 尾道 ロープウェイのりば Z50 Z18-140.jpg 104.千光寺山ロープウェイのりば
再びロープウェイに揺られ下山する。ロープウェイの全長は約365m、高低差は約115mである。定員は30名とそれほど大きくはない。料金は往復で700円だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
105_230312308 X900 尾道 街 G7X.jpg 105.尾道の商店街
ロープウェイは、当初は観光客の利便性から尾道駅裏からの軌道敷設が計画されていたが、観光客を目論んだ尾道本通り商店街などの要望もあって、現在のルートに決定したそうだ。ロープウェイを降りて、国道2号線を渡ると、その国道2号線と並行するように尾道駅まで商店街が続く。尾道駅までぶらぶらと歩いていくことにした。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO200 ) 露出補正 なし
106_230312322 X900 〇尾道 中央桟橋付近 G7X.jpg 106.海岸通り
商店街に並行して、もう1本海岸通りがある。商店街とその間を結ぶ何本もの小道がある。その一つである荒神堂通りを南へ抜け海岸通りに出ると、「おのみち海の駅」と中央桟橋があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
107_230312324 X900 〇尾道 中央桟橋付近 G7X.jpg 107.桜の花とお嬢さん
河津桜のような桜の花が咲いていた。この写真、手前の桜の花に焦点を併せ、2人のお嬢さんたちを、ぼかしてしまったほうがよかったなと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 10mm ISO160 ) 露出補正 なし
108_230312327 X900 尾道 尾道ラーメン G7X.jpg 108.尾道ラーメン
ご当地の尾道ラーメンを食べようということになった。娘がスマホで人気店を探し出す。「尾道ラーメン専門店 丸ぼし」というところへ行ったが、7~8名の人が並んでいた。待つことにする。店のホームページには、尾道ラーメンの特徴は、鶏ガラで取った澄んだダシと瀬戸内の小魚からとったダシに醤油を合わせたスープがベースだそうだが、表面に浮く背脂のミンチがこってり感を加えているという。美味しかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
109_230312342 X900 尾道 本通り商店街 G7X.jpg 109。尾道本通り商店街 大和湯跡
大和湯という銭湯の家屋を利用したこの店は、中華料理店だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
110_230312346 X900 尾道 海岸通り 本通り商店街 G7X.jpg 110.旧尾道商業会議所
本通り商店街には、こういった古い建物がところどころにあった。この建物は尾道市の重要文化財である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
111_230312358 X900 尾道駅 G7X.jpg 111.尾道駅
山陽本線の下り各駅停車の車両。JR 西日本の2015年に製造された「レッド・ウィング」である。この車両は黄色一色で塗られた老朽化した近郊型・通勤型車両(113系・115系など)の置き換えを目的として、アーバンネットワーク(京阪神エリア)の新快速などで運行される225系0番台をベースに、開発された。わたくしたちが福山駅まで乗った上り列車は、まだ、黄色い古い車両だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 15mm ISO200 ) 露出補正 なし
112_230312363 X900 福山駅 在来線 福山城 G7X.jpg 112.福山城
  尾道から福山まで在来線で19分、午後4時38分に福山に到着した。ホームを歩くと左手に福山城が見える。ここはその月見櫓である。福山駅在来線ホームから撮った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 37mm ISO200 ) 露出補正 なし
113_230312368 X900 〇福山駅 新幹線 福山城 G7X.jpg 113.新幹線のホームから見る福山城
福山城の伏見櫓と天守が見えた。立派な城である。wikipediaによれば、福山城は1615年(慶長20年)の一国一城令発布後の元和8年(1622年)に竣工した城である。大規模な新規築城による近世城郭では最後の例となった。備後福山藩の藩庁かつ藩主の居城であった。1873年(明治6年)の廃城令によって、大蔵省の所管となり、建物の払い下げ、取り壊しが実施されていたが、翌1874年(明治7年)に所在自治体の福山町などの請願によって、本丸の天守(付櫓を含む)・筋鉄御門・伏見櫓・御湯殿・鐘櫓の5棟の建築物が残されることとなった。現在の天守(付櫓含む)、月見櫓、御湯殿は1966年(昭和41年)に鉄筋コンクリート構造で復興されたものである。再建された天守内部は福山市立福山城博物館として利用されている。乗車する「のぞみ」がホームに入ってきた。特急料金は大人の休日3割引きが適用されないが、別に購入し、家族で同じ列車で新横浜まで帰る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 24mm ISO125 ) 露出補正 なし

2023年4月 8日

旅行 高松→丸亀→鞆の浦→尾道 ④鞆の浦の街並み

坂出の静かな住宅地の中のひっそりとした場所に佇み、江戸末期に造られ、代々受け継がれてきた風格のある屋敷のフレンチ・レストランで食事を楽しんだあと、坂出駅まで送っていただいた風月堂の社長とそのお嬢さんに感謝と別れを述べ、改札口を入った。
 坂出から岡山まで「マリンライナー」に乗る。岡山からは新幹線で福山へ、福山駅からはタクシーで鞆の浦の今夜の宿へ向かった。温泉に浸かり、露天風呂に入った。日が暮れて吹く風が冷たい。
 翌日は古い町並みが残る鞆の浦を散策した。鞆の浦は坂本龍馬にゆかりのある土地である。港にはシンボルである常夜燈があり、保命酒という「みりん」を原酒とし、甘口の酒の中に桂皮などのハーブ16種を漬け込んで造る特産の薬味酒の老舗がある。町は「ひなまつり」で、ひな壇の飾り付けが見られた。そう広い町ではないが、全部を見て回ることはできなかった。
 旅行の最後は、尾道へ行こうと婿殿が計画してくれていた。鞆の浦からは、距離的は福山駅へいくのと、そう変わらないようなのでタクシーで行こうとしたが、この町にタクシーは少ない。結局バスで福山駅へ出て、在来線の山陽線で尾道まで行くことにした。

000_230313635 X700 ◎鞆の浦 常夜燈 Z50 Z18-140.jpg
鞆の浦の港とシンボルである常夜燈 2023年3月12日 広島県福山市鞆町

066_230312169 X900 瀬戸大橋線 G7X.jpg 66.瀬戸大橋線(本四備讃線)車窓より
坂出からは瀬戸大橋線に再び乗車する。だが、この日は晴れているのに、空はすっきりしない。黄砂のためだと思う。瀬戸大橋は、下津井瀬戸大橋から始まり、6つの橋と4つの高架橋で本州と四国を結んでいるが、wikipediにれば、「瀬戸大橋は、本州の岡山県倉敷市と四国の香川県坂出市を結ぶ10の橋の総称である。瀬戸内海をまたぐ本州四国連絡橋の児島・坂出ルートにあたり、橋の大部分は香川県に属する。1988年(昭和63年)に全線開通。それにより初めて四国と本州が陸路で結ばれた。」とされている。坂出から児島に向けて進行方向右側を見ている。この島の名前はわからなかったが、帰宅して地図で調べたところ、室木島のようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 34mm ISO125 ) 露出補正 なし
067_230312173m X900 〇瀬戸大橋線 G7X.jpg 67.瀬戸内海のうねり
室木島(もろきしま)は塩飽諸島に属する坂出市の無人島である。漁船が1艘見える。海が潮の流れでうねっているように見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
068_230312174m X900 〇瀬戸大橋線 G7X.jpg 68.大槌島(おおづちじま)
やや遠くに三角形の島が見えた。この島は大槌島だと思う。大槌島は瀬戸内海に浮かぶ無人島。島の中心に県境が通っており、北側は岡山県、南側は香川県である。wikipediaによれば、島の周辺が好漁場であったため古くから領有権争いが絶えず島内に県境があるのもその名残であるとれている。岡山藩と高松藩の間でこの島の領有権を巡る紛争が発生したが、享保17年9月21日(西暦1732年11月8日)に幕府の勘定奉行が下した判決により決着したという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
069_230312175m X900 〇瀬戸大橋線 G7X.jpg 69.釜島(かましま)
マリンライナーは児島に近くなった。櫃石島(ひついしじま)に差し掛かった辺りを通過中である。右手に見えるこの島は釜島だと思う。間違っていたらご容赦を。手前に見える左側の児島は大裸島、右側の小島が小裸島であろう。手前に櫃石島の港が見える。岡山県倉敷市下津井に属する無人島である。水島諸島(児島諸島)に属する。かつては有人島であったが、無人島化しているそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 35mm ISO125 ) 露出補正 なし
070_230312177 X900 〇瀬戸大橋線 G7X.jpg 70.松島(まつしま)
右側に見える島は、鷲羽山麓の大浜の方約600m沖にある有人島の松島。周囲は約1.2km。wikipediaによれば、松が多いことが島名の由来とされる。島に平坦地は少なく、集落は海岸沿いにある。中世には松島庄太夫という豪族が島内を開発し、その宅地跡の遺跡が現存する。また、水軍の根拠地の一つとなり、島全体が要塞化されていたこともあり、島内には、藤原純友に由来する純友神社が存在する。『吉備温故秘録』には田畑1反2畝、家数2軒、男女9人と記載されている。近代には移住者が増え、大正年間には20戸以上になるなど、人口が増えていった。また、島の周囲は、岡山県下でも有数の優良な漁場とされる。まもなく右手に鷲羽山を見て児島に到着する。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
071_230313604 X900 鞆の浦 鳩風亭 Z50 Z18-140.jpg 71.鞆の浦 朝の海
前日に本州に渡り、広島県福山市の鞆の浦に着いた。原漁港の傍の「鷗風亭」という立派なホテルだった。夕食前に温泉、露天風呂に入った。夕食も旨かった。夜に雨が降ったようだ。この写真は朝9時頃に撮ったがどんよりした空だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 70mm ISO100 ) 露出補正 なし
072_230313607 X900 鞆の浦 鳩風亭 Z50 Z18-140.jpg 72.原漁港 -1
宿の通用口のドア越しに撮った原漁港。ここは絶好の釣りポイントだそうだ。四季を通してさまざまな魚が釣れる人気の釣り場で、メバルやスズキの魚影が濃い釣り場という。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 23mm ISO110 ) 露出補正 なし
073_230313611 X900 〇鞆の浦 鳩風亭 Z50 Z18-140.jpg 73.ひなまつり
2023年2月16日(木)〜3月26日(日)に「第21回 鞆・町並みひな祭」が開催されていた。宿のロビーにも立派なお雛様が飾られていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/200秒 31mm ISO6400 ) 露出補正 なし
074_230313610 X900 鞆の浦 鳩風亭 Z50 Z18-140.jpg 74.原漁港 -2
3日目は、まず鞆の浦の古い町並みの散策から始まる。比較的軽い Nikon Z50 を首から下げて、歩き始めた。先ほど宿の上から見た原漁港だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.2 1/500秒 83mm ISO125 ) 露出補正 なし
075_230313619 X900 鞆の浦 Z50 Z18-140.jpg 75.弁天島 -1
宿を出て、海沿いのバス道を南へ歩く。左手(東側)弁天島という島が見える。福山市のホームページに次のようなことが書いてあった。「仙酔島への渡船に乗ると右側に朱塗りのお堂が見えます。鎌倉時代、近江の侍が弁天島近くの海に家宝の太刀を落としてしまいました。侍は、「銭百貫をほうびに出すから太刀を探してくれ」と漁師たちに頼みました。しかし、フカ(サメ)がいると恐れて誰も海に入ろうとしません。「この地に勇気あるものはいないのか」と侍がののしると、若者が海に飛び込みました。太刀は見つかりましたが、若者はフカに足を食い取られて命を落としてしまいます。侍は渡すはずだった銭百貫で若者を弔い、弁天島に11層の石塔婆を建てました。この石塔婆は年代が判明する石塔の中では県内最古のもので、県の重要文化財になっています。夜にはお堂がライトアップされ、日中とはまた違った幻想的な港町の雰囲気を楽しめます。瀬戸内海国立公園である鞆の浦の中でも,欠かせない景色の1つといえます。」と。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO180 ) 露出補正 なし
076_230313628 X900 鞆の浦 Z50 Z18-140.jpg 76.龍馬観音
この石垣の上に見える福禅寺対潮楼のすぐ下にある浄泉寺に「龍馬観音」がある。幕末の慶応3年、龍馬ら海援隊が乗る蒸気船いろは丸と紀州藩の明光丸が衝突したのがこの鞆沖で、事件(いろは丸事件)の際に鞆に上陸して談判した場所なのだそうだ。真言宗の寺院の客殿・対潮楼は眺めがよいことで知られている。参拝は失礼した。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
077_230313634 X900 鞆の浦 Z50 Z18-140.jpg 77.鞆港
更に南へ歩いていくと波止(はと)と呼ばれるところがあった。鞆の浦には江戸時代に造られた石積みの波止が現存している。1791年(寛政3年)に完成している。波止は台風などの強風や高波から船を守るための防波堤のことだが、この波止の西側・鞆港から撮った。 ここは鞆湾の東側にある大可島下の波止であるが、鞆湾の西側の淀姫神社下の波止、その南方の玉津島下の波止の3基が、鞆の浦を護っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 44mm ISO110 ) 露出補正 なし
078_230313640 X900 〇鞆の浦 常夜燈n Z50 Z18-140.jpg 78.常夜燈
模擬側に見えるのが鞆港のシンボルである常夜燈だ。1859年に建てられた船の出入りを誘導してきた灯台で、高さは5.5m、海中の基礎の上から宝珠まで11mあり、現存する江戸時代の常夜燈としては最大級の大きさだそうだ。地元では「とうろどう」と呼ばれている。鞆港は江戸時代に大きく整備され、この時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」の全てが全国で唯一残されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/800秒 56mm ISO100 ) 露出補正 なし
079_230313692 X900 鞆の浦 太田家 Z50 Z18-140.jpg 79.重要文化財 太田家住宅 入口
江戸時代にこの建物は「保命酒中村屋」として栄え、敷地内には保命酒を中心に様々な酒類の醸造が行われたという。また、藩の主要人物の宿所のほか、ビジネスの商談の場として利用された数寄屋造りの建物には市松模様を配した土間や板と竹を編み込んだ網代造りの天井など、モダンなインテイリアが施されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO560) 露出補正 なし
080_230312192 X900 鞆の浦 太田家住宅 G7X.jpg 80.「鞆・街並ひな祭」 太田家住宅の雛飾り -1
鞆町内、約100か所の町屋、商家、寺院などにお雛様が飾られる毎年恒例のイベントが行われていて、期間中、太田家住宅でも江戸時代から現代までの大小さまざまな雛飾りが展示されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
081_230312201 X900 〇鞆の浦 太田家住宅 G7X.jpg 81.「鞆・街並ひな祭」 太田家住宅の雛飾り -2
「源氏粋 明治~大正」という説明書きがあった。源氏物語をテーマにしたひな人形なのだろうか。調べてみると、「いき」とは、江戸時代に生じ、時代に従って変転した美意識で、遊興の場での心意気、身なりや振る舞いが洗練されていること、女性の色っぽさなどを表す語。 「いき」は、単純美への志向であり、「庶民の生活」から生まれてきた美意識であるそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/100秒 23mm ISO3200 ) 露出補正 なし
082_230312194 X900 〇鞆の浦 太田家住宅 G7X.jpg 82.「鞆・街並ひな祭」 太田家住宅の雛飾り -3
いずれも豪華なひな人形である。このひな壇は「大木平蔵 御殿飾り(明治末期)」とあった。説明には、「この御殿飾りは縁あって神戸市の旧家から譲り受けたものです。御殿は組み立て式で2つの大きな箱に収まります。釘などを1っ本も使わずに木と木をうまくはめ込ませることで、きちっと完成させることができます。御殿に飾ってある3人官女に注目してください。真ん中の官女はなんと「おかめ(お多福)」で大変珍しいものです。両端の官女は未婚(袖が長い)、中の官女は既婚(袖が短く、眉を剃っている)。真ん中の官女がリーダー格です。」とあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/125秒 21mm ISO3200 ) 露出補正 なし
083_230312209 X900 鞆の浦 太田家住宅 G7X.jpg 83.太田家土蔵
母屋を取り囲むように何棟かの土蔵が建っていた。瓦と漆喰でできた海鼠壁にはサイコロの目のような模様が施されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
084_230313697 X900 鞆の浦 Z50 Z18-140.jpg 84.太田家の東側路地
昔の家並みが続く路地である。この路地を挟んで向かい側が朝宗亭である。朝宗亭は太田家住宅の別邸で、藩主の来訪の際に使用されていた。敷地の西側道路に面して門屋と離屋が並び,門屋の奥に主屋が建てられている。主屋、門屋とも江戸時代、享和元年(1801年)頃の建設と考えられる。国指定重要文化財で、鞆の町並みの主要部を構成する町家として価値が高いといわれる。この時は気が付かずに通り過ぎてしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 38mm ISO110 ) 露出補正 なし
085_230313661 X900 鞆の浦 太田家 Z50 Z18-140.jpg 85.古い家屋
これは多分保命酒の醸造所の建物だったと思う。ここは西町と言われるところで、倉庫や町屋が数多く残り、鞆の浦らしい町並みが残されているという。前に突き出す出格子窓が見られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 36mm ISO110 ) 露出補正 なし
086_230313670 X900 〇鞆の浦 保命酒 岡本家 Z50 Z18-140.jpg 86.保命酒岡本家 -1
江戸時代、保命酒の独占した製造販売の許可を得ていたのは、最初に保命酒を造った中村家だけだった。万治2年(1659年)、大阪の漢方医「中村家」の子息である中村吉兵衛氏によって、当時備後鞆の津で醸されていた「吉備の旨酒(現在の味醂酒に準ずる)」に、大陸産の薬味を漬け込んで造られたのが、保命酒の始まりという。一方、岡本家は安政2年(1855年)に、当時の藩が発行する酒造株を得て、清酒業で生業を起こした。明治の後期になると、元祖である中村家が保命酒業の暖簾を下ろすことになり、かねてより懇意にしていた岡本家が、中村家伝統の看板と道具一式を譲り受けて今に至るいという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/500秒 31mm ISO5000 ) 露出補正 なし
087_230313671 X900 〇鞆の浦 保命酒 岡本家 Z50 Z18-140.jpg 87.保命酒岡本家 -2
保命酒は桂皮などの薬味十六種を味醂酒に漬け込み、じっくりと成分を浸出させて造る薬味酒(和製リキュール)である。健康や美容にも良いと言われるアミノ酸を多く含んだ濃厚な本味醂に、薬味をじっくり漬け込み、本味醂本来の米の甘味と薬味の香りのバランスに優れた、まろやかな味わいの薬味種という。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO2200 ) 露出補正 なし
088_230313678 X900 鞆の浦 阿弥陀寺 Z50 Z18-140.jpg 88.阿弥陀寺 鞆の大仏
どこをどう歩いたかわからないが、町の西側でお寺の多い通りに出た。江戸時代初期、鞆城を築いた福島正則が、城下町整備の一環で「寺町通り」を造営し、各宗派のお寺がほぼ一直線に並べられた。ここ阿弥陀寺は、永禄年間(1558年~1570年)の創建。本堂には「鞆の大仏」と称される阿弥陀如来坐像が鎮座していた。江戸時代から残るという梵鐘もあった。山門の右の方には、「鞆の津塔」と呼ばれる江戸時代前期の石塔が12基並んでいて、これは鞆独特のお墓で、大名でないとお墓が建てられなかった時代の庶民のお墓だそうだ。暗いのでISOは6400に上がっていたが、きれいに撮れている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/160秒 34mm ISO6400 ) 露出補正 なし
089_230312244 X900 鞆の浦 保命酒 G7X.jpg 89.保命酒通り
そろそろ尾道への移動を考え、寺町通を南へ下り、東のバス通りを目指す。古い建物の保命酒の店が並ぶ通りに出た。wikipediaによれば、現在の保命酒製造元は何れも明治時代に開業し台頭した店である。最盛期は昭和初期ごろで海外への輸出も行われ、鞆町内では各店による値引合戦やサービス競争により商工省に調停依頼が出されるほどであった。しかし、太平洋戦争中の物資不足による質の低下があったり、戦後は過当競争や鞆町の衰退により保命酒の生産量は減少していき、平成までに醸造元は4軒(入江醸造元など)を残すのみとなった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
090_230312247 X900 鞆の浦 保命酒通り G7X.jpg 90.古い保命酒店の看板のある店
保命酒通りで撮ったこの写真は屋号が分からなかった。「真正十六味(肥)地黄保命酒 」という古い看板も見える。その下に「醸造元森田商会本店」と書かれている。いろいろネットで検索してみたが、ヒットしない。やっとこの店の画像を見つけ出し、さらに検索していった。「鞆物語」というサイトなどによると、おそらくは、江戸時代から問屋を商い、肥後の国からやってきたといわれ、屋号はそのまま「肥後屋」。明治期に入ってからは保命酒屋として財を成した森田商店で10年位前から空き家になっていたという。かつてこのあたりは鞆銀座と呼ばれ、メインストリートとして栄えた場所だった。その中でも肥後屋は、とりわけ大きく立派な家だったという。鯛味噌や鯛の佃煮を扱い始めたのは、昭和に入ってからで、今より10年ほど前に店を畳んでからしばらく空き家のままだったが、満を持して鯛味噌屋として甦った。江戸時代に栄華を極めた商家が屋号をそのままに、今ふたたび現代に息を吹き返した。その鯛味噌の製造元は森田商店になっていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
091_230313704 X900 鞆の浦 Z50 Z18-140.jpg 91.海岸通り
保命酒通りを抜けて、鞆公民館のわきからバス通りに出た。観光案内所へ行って、タクシーの情報を聴くが、ここにはタクシーはないという。幸いなことに観光案内所の前にバス停があり、ちょうど福山行のバスが来た。約30分で料金は1人520円だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
092_230313705 X900 鞆の浦 弁財天寿福堂 Z50 Z18-140.jpg 92.弁天島 -2
12時20分、これで鞆の町ともお別れだ。もう少しゆっくり滞在し見てみたいところもあった。阿弥陀寺からそう遠くないところにある鞆城跡にも行ってみたかった。鞆港の西側を歩いて、そこから常夜燈方面の眺めと、淀媛神社もどんなところか見たかった。これから尾道へ行く。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/1250秒 140mm ISO6100 ) 露出補正 なし

2022年5月 5日

成田市さくらの山 4月13日

学生時代、私は卓球部に籍を置いたが、そのOB有志で年3回、成田空港の近くのオークヒルズ・カントリークラブでゴルフコンペが続いている。その第49回が4月14日に開催されたのだが、大阪にお住いの最年長の先輩が久しぶりに参加されるということで、桐生、京都、広島、名古屋からも集まり、ほぼ90歳の先輩4名とその奥様を含め、成田のホテルに泊まり前夜祭が行われ、19名が参加した。翌日は総勢33名のコンペだ。第1回は31名が参加して、2005年8月10日開催され、以来、同じメンバーで幹事をしてくれている。感謝だ。
 前夜祭は夕方集合だったが、その前に成田市さくらの山というところへ行って見ることにした。コロナ禍で飛行機の離着陸の頻度はどうなのかと危惧したが、心配することはなかった。
 ところが、Nikon Z 50 で撮ったのだが、大失敗をしてしまった。私はシャッタースピード下限を1/500秒に設定してプログラムオートで撮るのだが、ケースから取り出した時、ダイアルが動いてしまいシャッタースピード優先になっていた。しかもそのシャッタースピードは1/100秒である。その日に泊るホテルに入ってから気が付くありさまで、お粗末である。その結果、ほとんどがf22以上になってしまっていた。デジタルカメラでは絞りすぎは禁物だ。その理由は回折現象による解像感の低下が起こるからだ。従って本来ならもっとクリアに撮れるシーンがボヤっとなってしまった。反省。
 wikipediaによれば、成田市さくらの山は、成田国際空港のA滑走路16R至近の高台に位置する。元々ただの空き地で、一部の人にだけ知られていた航空機観覧スポットであった。その後、成田市が新東京国際空港公団(後の成田国際空港株式会社)と土地の無償貸借契約を結んで公園として整備した。地元住民らで組織する「さくらの山管理企業組合」が指定管理者として運営を担当している。
 公園の展望デッキからは、A滑走路を離着陸する飛行機を間近で見学する事が出来る。そのため、家族連れや航空ファンが訪れ、スポッティングや撮影が行われる。「千葉眺望100景」のひとつにも選ばれているそうだ。周囲には散策路が設けられ、花が植えられ、散歩をするのにもよい。

000_220413071 X700 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg
成田国際空港のA滑走路に着陸する全日空スターアライアンス機 2022年4月13日 千葉県成田市

001_220413001 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 1.離陸するデルタ航空機
日本国内では最長の4,000mある A滑走路の北側の端に成田市さくらの山がある。この場所は北風の時は離陸する飛行機の真下になり、南風の時は着陸する飛行機の真下になる。この日飛行機は北から南へと離陸していった。駐機場から出てきた飛行機は、A滑走路の北の端、すなわち、さくらの山のすぐ近くから発進していき、2kmほど先で離陸していく。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f20 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
002_220413005 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 2.デルタ航空機の離陸
A滑走路の北の端で一旦停止し、すぐエンジンをふかして離陸していった。地面を離れるところは遠い。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f25 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
003_220413007 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 3.エアーチャイナ(中国国際航空)機
エアーチャイナのエアバスA330-300 が駐機場から出てきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f22 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
004_220413010 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 4.エアーチャイナ(中国国際航空)機 離陸開始
向きを整え、一旦停止する。離陸に必要な距離は、実際には搭載燃料や乗客の数、そして天候にも左右されるが、ボーイング737などの小型ジェット機は約1800m、ボーイング767などのワイドボディ機は約2000m、ボーイング747やA380などの大型機は3000m程度の距離が必要となる。A330-300はワイドボディの双発ジェット旅客機で、座席総数311の中型機の部類に入る。2015年7月現在、1,095機のA330が民間航空路線に就航しているそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f25 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
005_220413018 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 5.ジェットスター航空機
ジェットスター航空(Jetstar Airways)は、オーストラリアのメルボルンに本社をおく国内線・国際線格安航空会社である。カンタス航空が、格安航空会社の現ヴァージン・オーストラリアに対抗するために設立した。カンタス航空グループ、日本航空(JAL)、三菱商事の3社が3分の1ずつ出資しての設立が予定され、2011年に設立されたジェットスター・ジャパン株式会社はA320を25機保有している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f22 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
006_220413026 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 6.ピーチ・アビエーション機 -1
wikipediaによれば、Peach Aviation株式会社は、関西国際空港を拠点とする日本の格安航空会社(LCC)である。ブランド名をPeach(ピーチ)としている。ANAホールディングス株式会社の連結子会社。2019年10月に同じANAグループ傘下のLCCであったバニラ・エアと経営統合したことにより、日本国内では最大規模を誇るLCCに成長した。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f25 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_220413027 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 7.ピーチ・アビエーション機 -2
機体にJA828Pという番号が見える。A320-214だ。この機材は2019年7月に登録されたようだ。ビーチ・アビエーションの機体のデザインは、ニール・ディナーリによるものだそうだ。現在運用中の機材は36機(A320-214 A320-251N)である。2021年12月に日本初エアバスA321LRを受領、関西国際空港に到着した。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f22 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220413033 X800 成田市さくらの山 ハナダイコン Z50 18-140.jpg 8.ハナダイコンの花畑
成田市さくらの山は公園になっている。周囲にはサクラが咲き、公園の中央にはハナダイコンの紫色の花がきれいに咲く花壇がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f11 1/100秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_220413044 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 9.フィリピン航空機
フィリピンのナショナル・フラッグ・キャリアである。イギリス・スカイトラックスによる航空会社の格付けで、「ザ・ワールド・フォー・スター・エアラインズ(The World's 4-Star Airlines)」(4つ星)の認定を得ているという。ここ機体はA321のようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f25 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
010_220413048 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 10.枝垂れ桜
サクラはほとんど終わってしまっていたが、枝垂れ桜がまだ花を残していた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f16 1/100秒 48mm ISO100 ) 露出補正 なし
011_220413053 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 11.京成電鉄
すぐそばを京成電鉄の電車が走っている。その音に、飛行機が着陸してくるのかと間違えてしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f10 1/100秒 48mm ISO100 ) 露出補正 なし
012_220413058 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 12.キャセイ・パシフィック ・カーゴ
今度はほんとに飛行機が着陸態勢で下りてきた。CATHAY PACIFIC CARGO の文字が見える。CTHAY PACIFICは香港のフラッグ・キャリアであり、香港を拠点とする航空会社。ジャンボジェットというボーイング747の貨物輸送機である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f22 1/100秒 47mm ISO100 ) 露出補正 なし
013_220413064 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 13.ジャンボジェット機 着陸
旅客用のジャンボジェット(B747)は全くと言ってよいほど見られなくなった。1970年のデビュー以来、「ジャンボ」の愛称で親しまれてきたボーイング747旅客型の生産がひっそりと終わろうとしている。 燃費が良く騒音がより小さい新鋭機に押され、表舞台から立ち去る時が目前に迫っているようだ。現在、JALの747型機は全て引退しており、ANA(全日空)からも旅客型の747はすべて引退している。日本のエアラインや航空自衛隊が保有する現役の旅客型747は日本国政府専用機のみが残っていた。その政府専用機も、2019年(平成31年)4月よりB777-300ER型の政府専用機が運用されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f25 1/100秒 47mm ISO100 ) 露出補正 なし
014_220413066 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 14.アエロロジック機
今度は出発便である。初めて見る航空会社の名称だった。アエロロジック(AeroLogic)は、ドイツ、ライプツィヒ近郊のシュコイディッツを拠点とする貨物航空会社。DHLエクスプレスとルフトハンザ・カーゴの合弁事業として設立された.。ボーイング777のようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f25 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
015_220413074 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 15.着陸する全日空機 -1
今度は全日空のスターアライアンス機が着陸してきた。大きい。ボーイング787だ。次世代の長距離用中型ワイドボディ機。両翼にそれぞれ1基ずつ、計2基のターボファンエンジンを装備する双発機である。愛称は「ドリームライナー(Dreamliner)」という。全日空で就航して10周年になるそうだ。スターアライアンスは、1997年に5つの航空会社によって設立された世界初の航空連合という。現在、スターアライアンスには26の航空会社が加盟している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f22 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
016_220413076 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 16.着陸する全日空機 -2
ぐっと機首を下げて、着地した。海外旅行をして、何回か現地の航空会社の飛行機に乗る機会があったが、衝撃の少ない上手な着陸をすると、客席から一斉に拍手が起こった、日本では経験したことがないので、とても印象的だったのを思い出す。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f29 1/100秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
017_220413083 X800 成田市さくらの山 Z50 18-140.jpg 17.東京都交通局の車両
飛行機の撮影は終わりにして、成田市さくらの山を少し歩いてみた。推定樹齢200年というソテツの木があった。そのソテツは、第30代内閣総理大臣であった斎藤實元首相のお孫さんである斎藤進一氏から、成田市に寄贈されたという。私は、自宅近くで秋にクロマダラソテツシジミを見るようになってソテツの木に興味を持つようになった。京成電鉄の跨線橋まで行って見た。金網越しに撮った。この車両は東京都交通局の車両である。都営三田線が京成本線に乗り入れているのだ。そろそろこの夜宿泊をするホテルへ入ろうと思い、成田市さくらの山を引き上げることにした。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3
プログラムオートで撮影  ( f14 1/100秒 110mm ISO100 ) 露出補正 なし


2021年12月25日

原鉄道模型博物館 1 of 4 11月27日

前回、原鉄道模型博物館へ行ったのは、2017年11月だった。その後、久しぶりに行って見ようと思って、ホームページを開いてみると、コロナ感染防止のため閉館になっていた。
 今年も秋になってようやくコロナ感染者数が減少し、10月1日に緊急事態宣言も全面解除となって、原鉄道模型博物館は10月14日に営業再開された。ただ、密にならないように、事前にチケットの購入が求められる。久しぶりに行って見たくなって、11月27日の10時の予約をとった。
 当日は開館時間前に10名ほどの列が出来ていた。子供さんを連れて来られているかたもいるが、むしろ大人の入場者が多い。この日は SONY RX10M4 を携行する。写真を撮りながら2時間ほど滞在した。写真撮影は許可されている。

000_211127004 X700 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg
JR九州の観光列車「在る列車」の原型となった模型のこと 2021年11月27日 原鉄道模型博物館

001_211127002 X800 原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 1.「在る列車」
wikipediaを見ると、明治時代末期に九州鉄道がアメリカ合衆国のJ.G.ブリル社より輸入した豪華客車のイメージを持たせて設計された車両とあるが、写真が原信太郎さんが制作したその模型である。 今回のJR九州の観光列車である「在る列車」の専用車となった車両は、四国旅客鉄道(JR四国)で2011年4月に廃車となったキハ47形気動車のキハ47 176・1505を譲り受け小倉総合車両センターで改造した2両編成 で、2015年7月18日に報道関係者向けに公開され、同日小倉総合車両センターから出場した。その車両は世界的に著名な鉄道模型愛好家の原信太郎が製作した模型をベースに、次男で原鉄道模型博物館副館長である原健人の監修のもと、水戸岡鋭治がデザイン・設計を行ったと記されていた。列車名の「或る列車」は、この車両のコンセプトの基となった豪華客車に対して当時の鉄道趣味者が付けた呼び名である。また、キーワードの"ARU"には A - AMAZING(「素晴らしい」九州の魅力を広く紹介) R - ROYAL(「豪華な」デザイン、「素晴らしい」スイーツコース) U - UNIVERSAL(「世界中の」「皆さま」に愛される列車を目指して)の意味が込められている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f3.2 1/200秒 14mm ISO3200 ) 露出補正 なし
002_211127030 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 2.ブダペストの地下鉄
電車を使った地下鉄として、世界最古のハンガリーの首都ブダペストの地下鉄1号線が開業時に導入した木造車両の模型。私が2009年11月に中欧旅行をした折、ブダペストでその古い駅舎跡を見たようなな記憶があるが定かではない。一号線は2002年に世界文化遺産の一部になった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f3.5 1/320秒 32mm ISO3200 ) 露出補正 なし
003_211127033 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 3.ボストン高架鉄道の車両
私は路面電車が好きだ。広島とか熊本へ行くとしばしば見とれていることがある。高知の土佐電鉄もいい。ここではケースの中に多くの路面電車の車両が展示されていて、見惚れてしまう。ボストン高架鉄道の車両が何両かあった。wikipediaでは、ボストン高架鉄道は、マサチューセッツ州ボストンとその周辺地域の街路の上、下、を運行する路面電車と高速輸送鉄道だった。 1894年に設立され、最終的にリースと合併によりウェストエンドストリート鉄道を買収し、市内の主要な公共交通機関のプロバイダーとなった。と記されていた。しかしこの車両のことかどうかわからない。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f3.5 1/500秒 22mm ISO2200 ) 露出補正 なし
004_211127040 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 4.京阪電気鉄道60号 びわこ号
説明板には、1930年代の流線形の流行をいち早く採用し、電力方式の異なる2路線を直通するため、パンタグラフとトロリーポールを持つ。日本初の2車体連接構造を採用して急曲線の輸送力確保を両立した。と記されている。1934年に製造され、現役時代の形式は60型で3編成が製造された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f4 1/400秒 48mm ISO3200 ) 露出補正 なし
005_211127044 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 5.阪神電気鉄道 71型
説明板には、1937年に登場した14.5mの路面電車用大型車両。大きな窓と当時関西で流行していた流線形の外観から「金魚鉢」の愛称でも親しまれたとある。1937年に製造されて1975年にい引退した。10両製造され、71号が水明公園(尼崎市水明町)、74号が蓬川公園(尼崎市崇徳院3丁目)、79号が民間企業敷地内(滋賀県)の3両が保存されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f4 1/400秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし
006_211127058 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 6.パリ・リヨン・地中海鉄道(上)とチェサピーク・オハイオ鉄道の蒸気機関(下)
車 上のパリ・リヨン・地中海鉄道の蒸気機関車は151A型、151A3 (1932年製造)で、蒸気圧の使用効率を高めるため、前後2基、左右合計で4基のシリンダーを搭載している。1,520tの貨車を牽引して1/125の勾配を50km/hで登った。下のチェサピーク・オハイオ鉄道の蒸気機関車 H8型 H8 1601(1941年製造) は、アメリカ東部アリゲーニー山脈を越えるルートで使われた。最大5,200tがけん引可能でウェスト・バージニア州で採掘された石炭の輸送などで活躍した。UP(ユニオン・パシフィック)のビッグボーイを超える強力な機関車と云えると説明されている。展示ケースにはまだまだたくさんの美しい車両たちの模型があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f3.5 1/200秒 32mm ISO3200 ) 露出補正 なし
007_211127083 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 7.世界の模型店巡り
原信太郎さんは海外旅行をすると鉄道模型店巡りが楽しみだったようだ。ひとたび店に入ると、引っ越しの荷物のような木箱をいくつも持ち帰ったと記されている。海外では鉄道模型は大人の趣味のひとつであるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f2.4 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
008_211127085 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 8.原信太郎さんの「青年時代満州への旅」
青年時代になると大陸の鉄度を見たいと思うようになる。大学入学前には、北朝鮮の当時最新の鋼製電車である金剛山電気鉄道を見た。1942年には戦争の緊迫感のなか、東京から下関、下関から連絡船で釜山へ連絡船で渡り、釜山から北京へ行き、北京から国際列車「大陸」で奉天(現瀋陽)へ行った。奉天からソ連製の寝台列車で異国情緒溢れるハルピンに到着した。なお、wikipediaによれば、有名な「あじあ号」は南満州鉄道(満鉄)が1934年(昭和9年)から1943年(昭和18年)まで大連駅 - 哈爾濱(ハルビン)駅間の約950kmを連京線・京浜線経由で運行していた特急列車である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f2.4 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
009_211127090 X800 〇原鉄道模型博物館 DSC04018.jpg 9.貴重なメルクリン社の模型
下の3両の電車模型は20世紀初頭、ドイツのケルン・ボン鉄道が重役15人に記念品として贈るため、ドイツのメルクリン社に発注した15台(45両)のうちの1台(3両)だそうだ。原信太郎さんはこれを1950年にスイスで購入したとのこと。世界で15台しかない希少性に加え、メルクリン社の歴史としても貴重な模型であり、同社から譲って欲しい懇願されたことのある1品という。「メルクリン」は150年以上の歴史を持つ、ドイツの老舗玩具メーカーの名前であり、1895年に最初の鉄道模型を発売して以来、世界中の人たちに愛されて、世界最大級のシェアを持ち続けている。私も子供の頃はあこがれたが、親にねだれるほど安くはなかった。なお、メルクリン社は2009年2月4日 、 資金繰りに行き詰まって裁判所に破産手続きを申請したが、2010年10月 に自己再生をはたしている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッター優先オートで撮影 ( f3.2 1/200秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし


2020年1月 9日

午後の日比谷公園 12月20日

川崎大師初詣のことを先にアップしたので、記事が前後してしまったが、このあと、昨年のことを2~3掲載したい。  昨年12月20日、日比谷公園の近くで、今年の4月から入会した川柳の会があった。学生時代を過ごした体育会の部の先輩が主宰されていて、会は5年以上続いている。私の同期の仲間も数人がメンバーになっていた。この日は、大阪から昭和29年卒の大先輩もご夫婦で出席されるとのことで、午後3時半から句会をお行い、引き続き忘年会に移った。
 少し家を早めに出たところ、1時間ほど前に着いてしまったので、日比谷公園を歩いてみることにした。天気は良かったが、この時間になると、もうお日さまは西へ傾いてきていた。私は日比谷公園のなかに入ったことはあるが、ゆっくり散策したことはなく、どこにどんなところがあるのか全く知らなかった。
 都営地下鉄の内幸町から、国会議事堂方面へまっすぐ進み、日比谷公園の西幸門から、公園に入った。「かもめの広場」、「雲形池」、「松本楼」、から霞門へと歩き、中には入れなかったが、野外大音楽堂の前を通って、日比谷公園の北西側、公園全体の4分の1 ほどを周って、再び西幸門へ戻り、句会と忘年会の会場へ向かった。

1.かもめ広場
日比谷公園の西幸門を入ると真ん中に丸い池があるかもめ広場があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4 1/125秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2.「鴎」 1986 淀井俊夫 作
かもめ池の中央には、ホワイトブロンズ製のモニュメントがあった。銘板には 「 鴎かもめ うかぶ雲、海鳥たちの訪れ、時の流れを告げる古い貝殻。」と刻まれていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.8 1/125秒 21mm ISO125 ) 露出補正 なし
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3.郷土の森
かもめ広場の池の向こう側(北側)に郷土の森というのがあって、昭和59年10月に行われた第2回全国都市緑化フェアを記念して、全国から持ち寄られた57種の木々は都道府県の木47本のほか、札幌市のライラック、横浜市のさざんか、川崎市のつばき、名古屋市と広島市のクスノキなど、自治体の木も10本植えられているそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.8 1/125秒 21mm ISO125 ) 露出補正 なし
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4.雲形池
奥へ進むと雲形池という池があった。まだ少し紅葉したカエデが残っている。周りの景色が池に映っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f7.1 1/125秒 21mm ISO125 ) 露出補正 なし
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5.コサギ -1
雲形池にコサギがいた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4 1/125秒 20mm ISO125 ) 露出補正 なし
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6.コサギ -2
白いサギはダイサギ、チュウサギ、コサギといるが、このサギは他2種と比較して小型で、全長60cmほどだ。特徴は嘴が黒い。水の中にいる虫を探しているのだろうか、じっと水の中を見つめている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f3.2 1/125秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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7.雲形池 鶴の噴水
雲形池に鶴が翅を広げて空に向けて水を噴き上げる噴水があった。台座には何か動物の彫刻がなされている。公園の装飾用噴水としては、日本で3番目に古いものだそうだ。作られた当初は、鶴も台座も銅製だったが戦争中の金属回収で台座が石造りになってしまったと言われる。雲形池では、冬になると水面に薄い氷が張り、鶴の像の羽の部分につららが下がる様が見られる。それが日比谷公園の冬の風物詩となり、その時には見物者がその美しさに感嘆するという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f3.2 1/125秒 28mm ISO125 ) 露出補正 なし
191220_007.jpg
8.紅葉と鶴の噴水
移動して紅葉するカエデの枝の間から鶴の噴水を撮った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f3.2 1/125秒 27mm ISO125 ) 露出補正 なし
191220_008.jpg
9.西日時刻は午後3時。霞が関のビルの合間から西日が雲形池に差し込む。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f7.1 1/125秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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10.松本楼
何かの会合で二度ほど松本楼に来たことがある。日比谷公園は、1902年(明治35年)4月に着工。翌年6月1日に仮開園を迎えた。松本楼のホームページでは " 明治36年、日本ではじめての洋式公園として誕生した日比谷公園。時を同じくしてオープンした日比谷松本楼は、当時流行していたマンサード屋根の3階建て。おしゃれな店として評判を呼び、ハイカラ好きなモボやモガのあいだでは「松本楼でカレーを食べてコーヒーを飲む」ことが大流行しました。明治時代の文芸活動「パンの会」第1回会合が松本楼で開かれ、若き詩人や美術家たちが集まりました。また夏目漱石や「智恵子抄」の高村光太郎をはじめとする多くの文人の憩いの場所となり、彼らの詩や小説の舞台としても反映されています。" と紹介されている。松本楼と言えばカレーライスが美味しく有名。それは昭和46年秋、沖縄デーの大混乱の中、放火により松本楼は炎上焼失したが、昭和48年9月25日に、新装再オープンした時に感謝の心をこめた、記念行事としてはじまったのが「10円カレーチャリティーセール」だったという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4.5 1/125秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
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11.霞門付近
都道301号白山祝田田町線に出る霞門へ来た。紅葉がまだ残っていた。「年末ジャンボ10億円」買わなきゃ当たらない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f3.5 1/125秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
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12.はにわ
日比谷公園の最大のシンボル「大噴水」があるというので、その方へ行ってみたが、大噴水は工事中だった。その近くに2体のはにわ像があった。説明書きには「昭和40年(1965年)8月21日に、東京都立日比谷公園と宮崎県立平和台公園が、姉妹公園として結ばれたことを記念し、特別史跡西都原古墳群をはじめ、多数の古墳のある宮崎県より「はにわ」像二体が東京都に贈られました。」と記されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f3.5 1/125秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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2020年1月 5日

初詣 川崎大師 1月3日

 川崎大師へは何回かお参りしたことがあるが、正月の三が日に行ったことはなかった。午前中にお参りしようと思い、京急川崎大師駅に10時半前に着いた。すでに歩行者天国の参道は、初詣の人々でにぎわっている。最近お参りしたのは一昨年の1月16日 だった。その時も1月のうちだったので、境内には屋台の出店も出て賑やかだったが、参拝者の数は比較にならない。
 京急川崎大師駅から川崎大師まで商店街の参道は、その両脇にたくさんの出店が出て、にぎやかだった。
 川崎大師とは通称であり、正しくは真言宗智山派の大本山平間寺という。1128年(大治3年)建立され、山号は金剛山、院号は金乗院という。川崎大師の本堂の正面の門は大山門だが、そこは参拝を終えて帰る人の出口になっていて、正面からは参道に入れない。いったん不動門まで進むのだが、不動門から入らずに右へ曲がって、100mほど進み、大山門の脇が入り口になっていた。大山門へ入るとき、参道へ進むとき、そして本堂前に進むときに"STOP"がかかり、待たされる。そしてやっと本堂に上がりお参りをすることが出来た。
 大山門を出て、賑やかな門前通りの途中で、今年の干支、ネズミの縁起物の土鈴を買い求め帰路についた。
 相鉄線の天王町駅で降りて、氏神さまである橘樹神社と神明社にお参りして帰宅した。

1.正月 参道の出店 -1
商店街の参道には、正月は店を閉めている商店の前に、食欲をそそる屋台の出店がにぎやかに並んでいた。もう、初詣を終えて、京急川崎大師駅のほうへ歩く人たちも多い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/160秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
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2.正月 参道の出店 -2
「創業昭和20年・にぎり天」という店が出ていた。他の屋台とはちょっと雰囲気が違う。にぎり天とは、宮島にも多くの店がある広島名物で、魚のすり身を油で揚げた串もの。 手でにぎって串につけることからこの名前なのだとか。 イカのぶつ切りを混ぜたものや中にチーズを入れてベーコンを巻いたものなど、さまざまな種類があるようだ。賑わっていた。

  Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
200103_002.jpg
3.正月 参道の出店 -3
営業中の寛文年間(1661年~1672年)創業の料亭「恵の本」のすぐそばで、その玄関の前を避けるようにして出店されていた屋台もあった。「恵の本」 は江戸時代の人も愛したメニューで、当時は参拝の後にこちらで1杯やるのが粋だといわれ流行ったそうだ。大師名物「蛤なべ」をはじめ、活穴子や煮物などその伝統はしっかりと受け継がれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 23mm ISO1000 ) 露出補正 なし
200103_003.jpg
4.大山門と参道
駅から10分ほど歩いてくると、右手に賑やかな参道と大山門が見えたが、ここは一方通行になっていて、参道に入ることはできない。真っすぐ進んで、右に曲がり、さらに不動門の前を右に曲がるよう誘導された。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO160 ) 露出補正 なし
200103_004.jpg
5.大山門
不動門の前を右に曲がって100mほど進み大山門へ出る。大山門の右側は出口になっていて、これから参拝する人は左側から境内に入る。"STOP"の札が出て、入場制限され、3回ほど待って、やっと大山門をくぐることが出来た。大山門は1977年(昭和52年)11月、開創850年記念事業として落成した。京都東寺の四天王像が模刻され安置されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 23mm ISO250 ) 露出補正 なし
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6.大本堂
境内に入る。正面の大本堂の石段に上がるまで、再び"STOP"の札で待つ。大本堂は1964年(昭和39年)5月落成した。本尊厄除弘法大師が祭られている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし  
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7.参拝
やっと石段の上に上がることが出来、前の人から順に手を合わせてお参りしていく。短かく拝む人もいるが、皆さん結構長くお参りしていた。私は、今年は短く拝礼をした。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/400秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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  8.不動堂の献香
お参りした後は左に出て、不動堂へ向かう。堂宇の前まで進み、献香所を振り返ると、線香の煙の向こうに不動門と不動門からの賑やかな参道が見えた。不動堂は1890年(明治23年)創建。現在の建物は1964年(昭和39年)に再建されたものだそうだ。本尊の不動明王は成田山新勝寺の本尊を勧請。関東三十六不動霊場第7番、武相不動霊場第1番札所である。不動門は戦後、第43世隆超和上により福島県の有縁の地より山門として移設され、さらに現在の大山門建立に伴い不動門として移設された。 

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 27mm ISO125 ) 露出補正 なし
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9.稲荷堂
本堂と不動堂の間には、稲荷堂があった。福徳稲荷というが、川崎大師の境内諸堂で唯一、太平洋戦争を潜り抜け残った堂宇だそうだ。 この奇跡的に焼けなかった福徳稲荷を大本堂の場所に移築し、人々の心を癒したそうだ。福徳稲荷は川崎大師の歴史を支えた重要な存在といえる。

     Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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10.境内の賑わい
不動堂を背に不動門へと境内を歩く。屋台の出店が連なる。焼きそば、お好み焼きに人気があるようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
200103_010.jpg
11.参道のだるまや
不動門からは出られない。大山門のほうに回って、参道に出た。いつもその喫茶室に入って久寿餅を食べる「住吉」もこの日は満員だった。参道はにぎわっていた。だるまやさん「かどや開運堂」には。あまりお客が入っていなかったが。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
200103_011.jpg
12.干支の縁起物
お隣の高橋太一商店はだるまの他に、干支の縁起物の置物などを店頭に並べている。手ごろな値段で買いやすい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO150 ) 露出補正 なし
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13.飴の「松屋総本店」
参道には飴屋さんが何店かあるが、ここは参道の入り口にある老舗店である。トントントントンと飴を切る音が聞こえてくる。この「松屋総本店」のほかに、「老舗評判堂」、「松屋の飴総本舗」などがある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
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14.京急川崎大師駅
京急川崎大師駅に京急川崎行の大師線の電車が入ってきた。「2020 川崎大師 子」のヘッドマークを付けている。この1500形は1985年に製造された。製造から35年が経っている。 

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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15.保土ヶ谷神明社の茅の輪
横浜で昼食をして、相鉄線で天王町へ戻ってきた。まず、氏神さまの橘樹神社にお参りし、次に神明社へ詣でた。参拝の列は100mほど続いていた。参道の立派な茅の輪を潜る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
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16.神明社奉納演武杖道
たまたま神楽殿で神明社奉納演武杖道が行われていた。古流  五月雨と題された演武は、藤野憲介4段(左)と山本剛5段が演じていた。五月雨という形は 六本の組形で構成され、その技は気位をも要求され、心、技、体の完全一致を見なければ出来得ない高度な形であるそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 27mm ISO500 ) 露出補正 なし
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2018年5月21日

山陰・山陽バスツアー地図

3月29日~31日、1日目 倉敷美観地区→姫路城→大山、 2日目 足立美術館→出雲大社→萩城下町、 3日目 津和野→宮島 をめぐる2泊3日の某旅行社の周遊ツアーに参加した。初日は新横浜から新幹線に乗り、岡山まで行って、そこからバスに乗り換えて倉敷美観地区へ行く。その後3日間、下津井電鉄の観光バスで山陰山陽をめぐったツアーの記録である。

各数字マーカーをクリックすると、その地点で撮影した写真を見ることができる。


marker01.png :岡山県倉敷市美観地区 3月29日 marker02.png :兵庫県姫路市姫路城 3月29日
marker03.png :島根県安来市足立美術館 3月30日   marker04.png :島根県出雲市出雲大社 3月30日
marker05.png :山口県萩市 3月30日    marker06.png :島根県津和野町 3月31日
     marker07.png :広島県廿日市市厳島神社 3月31日