検索結果: Studio YAMAKO

このブログを検索

大文字小文字を区別する 正規表現

Studio YAMAKOで“墓”が含まれるブログ記事

2024年4月28日

小雨降る墓参と嵐山福田美術館 2024年3月23日 京都旅行(3/22-3/24) ⑤

2日目、天気予報は的中し、昨日の晴天は何処へやら、朝から小雨模様の天気になった。  午前中は、娘婿の両親の菩提寺へ行く。興正寺別院へ、お墓参りである。
 京都市内に12店舗がある大正2年(1913年)に創業したベーカリーショップ「新々堂」で朝食をとった。二人は何回も京都にきており、食べることに関してもよく知っていた。
 興正寺は「花まつり」が行われていて、お墓参りに来た人たちに抹茶が振舞われていた。ただ、咲いていたのはサクラではなく、ウメだった。私たちも、雨をしのぐテントの下に敷かれた緋毛氈の台で抹茶をいただいた。桜の香りがする八つ橋が美味しかった。
 昼食は一昨年も利用した四条大橋のたもとの東華菜館という中華料理店だった。外は雨が降っている。午後はどこかへ花見に行こうと計画していたが、桜は咲いていないし、雨も降っている。婿殿の提案で、嵐山の「福田美術館」へ行くことにした。「福田美術館」は知らなかった。外の観光客の賑わい、混雑から逃れ、ゆっくりと日本画を観賞できた。良いところを案内してくれた。

000_240323205 X700 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg
嵐山「福田美術館 進撃の巨匠 竹内栖鳳」と弟子たち
2024年4月23日 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町

079_240323027  X900 京都 興正寺 鐘楼と親鸞像 G7X.jpg 79.興正寺別院(霊山本廟)の鐘楼と親鸞聖人像
京都に興正寺は二つある。一つはここ、霊山本廟:興正寺別院(京都市東山区清閑寺霊山町)であり、宗祖親鸞聖人の廟所で、全国の興正派門信徒の遺骨を納めるところでもある。もう一つは本山興正寺(京都市下京区花園町)である。そのHPによれば、興正寺は、親鸞聖人(1173年~1262年)を開祖とする真宗興正派の本山である。興正寺の創建は鎌倉時代にさかのぼる。承元の法難(建永の法難)により越後国(新潟県)へと配流された親鸞聖人が、建暦元年(1211年)に勅免をうけた後、翌建暦2年(1212年)に京都へと一時帰洛して、山科の地に一宇を草創したことに始まる。興正寺という寺号は、順徳天皇(1197年~1242年)によって名づけられたと伝えられ、日本に仏教をひろめた聖徳太子の事績にちなみ「正しき法を興し、さかえさす」(正法を興隆する)との願いが込められているという。江戸時代を通じて興正寺は西本願寺の末寺であったが、本山として独立しようとする気運が根強く、第27世本寂(1808年~1877年)の時代であった明治9年(1876年)に一派本山として独立を果たした。明治35年(1902年)、興正寺は火災によって、いわゆる「ひとつ御堂」と称せられた本堂をはじめほとんどの堂舎を失う。残されたのは鐘楼(1774年建立)や経蔵(1848年建立)などわずかな建造物だけであった。翌年に再建の議が決し、明治45年(1912年)に御影堂が、大正4年(1915年)に阿弥陀堂が完成した。興正寺は明治9年、本願寺からの別派独立に伴い、この地(京都市東山区清閑寺霊山町)に宗祖のご遺骨を納め、本廟(興正寺別院)とし、歴代の門主の墓所、門末の納骨所として境内を整備されてきた。昭和60年には個別納骨壇を備えた浄華堂が開設された。今回は浄華堂へのお参りである。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO1000 )
080_240323032  X900 京都 東華菜館 G7X.jpg 80.東華菜館のエレベーター -1
我が家の奥さまが一昨年の法事の際にここで昼食をとり、すっかり気に入ってしまった。エレベーターで4階に上がる。そのエレベーターは東華菜館のHPで日本最古のエレベーターと紹介され、「1924年米国で製造、輸入されたOTIS製。格子形の蛇腹式内扉や時計針式のフロアインジケーターなど非常に珍しい器具が備わっている、現存する日本最古のエレベーター。昇降は運転手による手動式であり、その操作盤・L字方向での二面開き扉等洗練された設計になっている。」と説明されている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/320秒 9mm ISO3200 )
081_240323034  X900 京都 東華菜館 エレベータ G7X.jpg 81.東華菜館のエレベーター -2
OTISの文字があった。四条大橋の西詰に建つこの東華菜館は、1945年(昭和20)年から営業を続けている中国料理店である。この建物は、1926年(大正15年)、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によって竣工したという。前述した通り、このエレベーターは1924年アメリカOTIS社製のものだそうだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/250秒 9mm ISO3200 )
082_240323039m  X900 京都 東華菜館→南座と東山 G7X.jpg 82.南座とその背景の東山
4階の席からは鴨川の対岸に南座が見え、その向こうには東山が眺められた。外は雨模様だ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 28mm ISO200 )
083_240323044  X900 京都 東華菜館と鴨川 G7X.jpg 83.鴨川の流れ
雨に中、小走りに四条大橋まで行って眺めた鴨川の流れ。右側の建物が東華菜館だ。wikipediaによれば、現在の四条大橋は1935年(昭和10年)に発生した京都大水害による被害を受けて1942年(昭和17年)に完成した橋長65m、幅員25.0mの鋼桁橋(鋼連続桁橋)である。川の中に2つの橋脚を持つ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO160 )
084_240323053  X900 京都 阪急で嵐山へ 桂で乗り換え G7X.jpg 84.(阪急)桂で嵐山線に乗り換え
さて、まだ雨は降っている。花見は諦め、婿殿の提案で嵐山の「福田美術館」へ行くことになった。東華菜館から四条通を河原町まで歩き、そこから阪急電車で嵐山へ行く。嵐山へはJRや嵐山電車で行ったことはあるが、阪急で行くのは初めてだ。河原町から梅田方面への電車に乗り、桂で乗り換え嵐山線で20分ほどで、一人240円で行けた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 28mm ISO500 )
085_240323060  X900 京都 阪急で桂から嵐山へ G7X.jpg 85.阪急嵐山線のラッピング車両
阪急の車両は屋根の部分が白く塗装されている。屋根の色はグレーが一般的だが、一味違っている。上質な感じがする。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO1250 )
086_240323064 X900 京都 阪急嵐山駅 G7X.jpg 86.阪急嵐山駅
阪急嵐山駅は阪急嵐山線で桂駅から駅3っ目の終点である。所要時間7分を行ったり来たりしている。時刻は午後2時。この日は土曜日の午後なのだが、雨が降っていたためか観光客はそれほど多くなかった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/1000秒 11mm ISO400 )
087_240323066 X900 京都 嵐山 風風の湯 G7X.jpg 87.嵐山温泉
桂川の方へ歩いていくと「風風の湯(ふうふうの湯)」という日帰り温泉があった。この時はお客さん出入りはなかった。JRの嵯峨嵐山駅や京福電車の嵐山駅は桂川の北側にあるが、阪急嵐山駅は、南側にある。歩いていくと桂川の河畔に出て、渡月橋をやや西の方に見ることになる。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO250 )
088_240323075 X900 京都 嵐山 桂川右岸 G7X.jpg 88.桂川(大堰川)に架かる中の島橋を渡る
この川は渡月橋のあたりから桂川(大堰川)が別れ、再び合流していく分流である。この中の島橋を渡ると、中州に出てそこは嵐山公園(中之島公園)となっていた。桂川の南側から多くの観光客が行き来する渡月橋を見るのは初めてである。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO200 )
089_240323081 京都 嵐山 渡月橋 G7X.jpg 89.桂川右岸から見る渡月橋
嵐山公園(中之島公園)から北西の方向に見える。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO200 )
090_240323088 X900 京都 嵐山 渡月橋より G7X.jpg 90.渡月橋を渡る
渡月橋を渡って、桂川の左岸に出た。「福田美術館」のある上流へと歩く。桂川は、嵐山上流の亀岡流域の保津地区から保津峡の区間に限って嵐山までを保津川という呼び方をされる。また、嵐山に入ると渡月橋の下流までを大堰川と呼ぶようだ。ややこしい。保津川下りは、丹波亀岡から京都の名勝嵐山まで約 16 ㎞の渓流を約 22時間で下る舟下りでだ。京都の代表的な観光地である嵐山・嵯峨野に近いことから、1885年に観光客を対象とした遊覧船による川下りが行われるようになった。昨年3月には転覆事故があった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO125 )
091_240323092 X900 京都 嵐山 桂川左岸 G7X.jpg 91.和服姿の外国人観光客
天気は悪いがそれでも桂川沿いの道は観光客が多い。着物を召された方たちは、マレーシアあたりから来られているのだろうか。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 29mm ISO200 )
092_240323093 X900 京都 嵐山 桂川左岸 ジンチョウゲ G7X.jpg 92.ジンチョウゲ
道筋には植えられたジンチョウゲの花が咲いていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO400 )
093_240323098 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 93.「福田美術館」入口
  横道を少し右へ入ったところに「福田美術館」の入り口があった。こんなところに美術館があるのかと思うようなところだった。「福田美術館」は、2019年10月1日にオープンした私設美術館。福田吉孝の収集品を収蔵展示、運営は一般財団法人福田美術振興財団だそうだ。wikipediaによれば、開館にあたってのコンセプトは「100年続く美術館」であり、「たとえ美術に詳しくない方が見ても、感動を覚えるような」作品を中心に集められた。コレクションは京都の実業家、アイフルの創業者、福田吉孝が美術館を設立する目的で約20年にわたって収集した、日本絵画を中心とした作品約2,000点であり、江戸時代の琳派や円山・四条派や近代の京都画壇の作品を多く所蔵している。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO160 )
094_240323100 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 94.「進撃の巨匠 竹内栖鳳と弟子たち」
私たちが訪れたときは、「進撃の巨匠 竹内栖鳳と弟子たち」という企画展示が行われていた。欧米人の入場者が目立った。竹内栖鳳(たけうち せいほう 元治元年11月22日〈1864年12月20日〉- 昭和17年〈1942年8月23日〉)は、戦前の日本画家。近代日本画の先駆者で、画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家である。一部の作品を除き展示された絵画を含め、館内の写真撮影が許されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2000 )
095_240323109 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 95.<雨景・雪景図屏風> 竹内栖鳳
解説には竹内栖鳳の130年ほど前、円山応挙は<雨竹風竹図屏風>という作品を生み出していたが、この作品はその変奏で右奏を雨、左奏を雪の景として異なる風情を描きとっていると記されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/320秒 9mm ISO3200 )
096_240323115 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 96.<雪月花> 1932年
左から、河合玉堂、横山大観、竹内栖鳳の掛け軸である。東西三巨匠の豪華競演と書かれていた。その右の絵も竹内栖鳳の作品である。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/250秒 10mm ISO3200 )
097_240323123 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 97.熱心に鑑賞する西欧人
幕末の京都を代表する絵師の一人で、幕末の平安四名家の一人と言われた塩川文麟や、同じく江戸時代後期に活躍した絵師である松村景文といった巨匠の絵画を熱心に外国人観光客と思われる人が鑑賞していた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/320秒 10mm ISO3200 )
098_240323126m X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 98.<雪中南天鴨図>(部分) 円山応挙
1893年の作品。水鳥の一瞬の動きを描きだせているのは、同時代の狩野派の絵師たちのように、単に手本を写して完成させるのを良しとせず、写生に打ち込んで独自の作風を完成させた応挙ならではの技であり、その祖師の考え方を受け継いで自分だけの表現を追い求めたのが竹内栖鳳でもあったと解説されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/60秒 37mm ISO3200 )
099_240323129 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 99.<金獅図> 1906年 竹内栖鳳
この展覧会のポスターにもなっているこの<金獅図>は、咆哮しながら勢いよく身を乗り出すライオン。右脚の鋭い爪や左脚の筋肉の描写などは百獣の王に相応しい姿で的確にとらえられている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/100秒 21mm ISO3200 )
(部分) rel="lightbox[]">100_240323131m X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 100.<金獅図>(部分)
昨年の秋には、京都市美術館開館90周年記念展として、竹内栖鳳「破壊と創生のエネルギー」という展覧会が開催された。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/100秒 21mm ISO3200 )
101_240323136 X101 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 101.会場風景 -1
比較的入場者は少なく、落ち着いて名画を観賞できる。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/200秒 9mm ISO3200 )
102_240323141 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 102.<花見>(部分) 1909年 西山翠嶂(にしやま すいしょう)
誰しも心躍る桜の花。「伝統的な京都画壇はあまり積極的に同時代の人々の様子を描くことはありませんでしたが、師匠であり、妻の父でもある竹内栖鳳同様に常に進撃を続けた西山翠嶂はこの作品で果敢なチャレンジを見せています」と解説されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/250秒 14mm ISO3200 )
103_240323144 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 103.<砂丘> 1935年 西村五雲(にしむら ごうん)
漁師の居ぬ間に。「魚籠に一匹のとびが羽を休めています。砂浜の貝や道具箱からすると漁師が傍にいそうな気もしますが、とびは何も気に掛けることなく悠々と後方を振り向いています。動物の一瞬の挙動を写す筆力は師の栖鳳から受け継いだもので、五雲はそれをより発展させました。」と解説されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/400秒 14mm ISO3200 )
104_240323145 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 104.<砂丘>(部分)
凄い描写力だと思う。写実的ではあるが、写真とは違う。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/250秒 37mm ISO3200 )
105_240323162 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 105.<平牀> 1933年 土田麦僊(つちだ ばくせん)
麦僊の進撃も止まらない。「平牀(寝台)に立つ女性と座る女性は歌舞を生業とする朝鮮半島の妓生です。麦僊は二度朝鮮半島へ渡り、最初の渡航後に本作を描きました。麦僊の初期の作品は絢爛な画面が多いのですが、晩年には本作のような淡彩による精神性の高い作品を多く制作しました。自ら打ち立てた様式を破る驀進は師・栖鳳から受け継いだものでしょう。」と解説されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/250秒 37mm ISO3200 )
106_240323164 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 106.<平牀> 部分
左側に立っている方の女性の部分である。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/320秒 37mm ISO3200 )
107_240323180 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 107.会場風景 -2
中央に西山翠嶂の<花見>、その右側に見える大きな絵は、同じく西山翠嶂の<陽光桜花>である。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/400秒 9mm ISO3200 )
108_240323192 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 108.<虞美人草> 1911年 竹内栖鳳
虹が際立たせる静寂。「栖鳳が描いているのは令和の時代には初夏の路傍に群れ咲いているナガミヒナゲシ。ただし外来種であるこの花が日本に入ってきたのは栖鳳没後の1961年のこと。彼が地中海原産のこの花を目にしたのは1900年に訪れた欧州だったと考えられます。日本ではかって画題になったことがない花であっても、積極的に取り込み、洗練された先品に仕上げてしまう革新性も栖鳳の進撃を支えた底力でした。」と解説されていた。ナガミヒナゲシは私がよく写真を撮りに行く、横浜市の舞岡公園などでも多く見られる。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/250秒 10mm ISO3200 )
109_240323193 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 109.最晩年の竹内栖鳳に、福田平八郎が送った礼状
wikipediaによれば福田平八郎は、「鋭い観察眼を基にした、対象がもつ雰囲気、美しさを抽出した表現が特徴とされる。生涯「水」の動き、感覚を追究していたとされ、「漣」は池面に映る水面の模様を描写した作品である。」とあった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 17mm ISO3200 )
110_240323198 X900 京都 嵐山 福田美術館 カフェより G7X.jpg 110.福田美術館のカフェ
小1時間の絵画鑑賞を終え、2階のギャラリー2から1階に下り、ミュージアムショップを見て、庭に突き出ているカフェに寄った。ちょっと一休みしたかった。大きなガラス窓からは桂川の岸を歩く観光客の姿が見える。ここのカフェは空いていた。眺めも良かった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 )
111_240323200 X900 京都 嵐山 福田美術館 カフェより G7X.jpg 111.福田美術館のカフェから渡月橋を眺める
小雨が降るのに、着物を着て写真を撮っている外国からの観光客の姿があった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO400 )
112_240323207 X900 京都 嵐山 桂川左岸 G7X.jpg 112.桂川河畔のカフェ
若い人たちでにぎわっている小さなカフェがあった。ここは「アラビカ京都」というインスタ映えするコーヒー専門店だそうだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO400 )
113_240323209 X900 京都 嵐山 桂川左岸より カルガモ G7X.jpg 113.桂川のカルガモ
桂川の流れに頭をだした石に何か水鳥が停まっていた。ファインダーで覗いて見るとカルガモだった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO1000 )
114_240323216 X900 京都 嵐山 桂右岸 桜にウメノキゴケ G7X.jpg 114.ウメノキゴケ
来た時の阪急電車に乗って、京都河原町へ戻ることにする。来た時に渡ってきた中の島橋のそばに、まだ咲かぬ桜の木があったが、その枝にウメノキゴケが付いていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO2500 )
115_240323219 X900 京都 四条 高瀬川沿い 「喜人来人」  G7X.jpg 115.高瀬川沿いの居酒屋
一旦ホテルに戻って夕食に出かける。今夜は居酒屋で日本酒という趣向である。店は富山の"きときと"な肴と酒の店だった。白エビの刺身が旨かった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO3200 )
116_240323222 X900 京都 四条河原町 高島屋  G7X.jpg 116.京都 高島屋
四条通りに面して、高島屋と大丸があるということは記したが、これは四条河原町にある高島屋だ。写真の中央に、ちょっと異質な建物があるが、その角地に建つビルの地権者が高島屋への売却に応じないらしい。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/500秒 9mm ISO3200 )
117_240323227 X900 京都 四条 G7X.jpg 117.新京極商店街入口
河原町から賑やかな四条通りを歩くと、新京極商店街アーケードの入口がある。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 31mm ISO2500 )
118_240323230 X900 京都 四条通 G7X.jpg 118.寺町京極商店街入口
そのちょっと烏丸寄りに寺町京極商店街アーケード入口があった。錦市場を歩いて錦天満宮に突き当たる手前を右に折れるとこの商店街に入る。その商店街を通っていくとこの写真のところに出てくる。明日は錦市場へ行くことになりそうだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 19mm ISO1000 )
119_240323234 X900 京都 四条通 大丸ファサード G7X.jpg 119.京都 大丸
河原町からホテルのある四条烏丸の方へ歩いていくと、右手に新京極商店街、寺町京極商店街の入り口があり、もう少し歩くと大丸京都店がある。八坂神社を背にして、祇園、河原町、烏丸と四条通はメインストリートだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO3200 )

2024年4月12日

京都御苑 貴重な晴天 2024年3月22日 京都旅行(3/22-3/24) ① 

娘の主人の両親の墓が京都の興正寺別院にある。2年ぶりに娘夫婦と私たちで墓参りに行くことになった。墓参りは23日なので、22日の夕方に娘たちとは婿殿が予約してくれた四条のホテルで合流する。
 私たち夫婦は例によって、JR東日本の「大人の休日」を利用し、新横浜を8時21分に出る「ひかり」で京都に10時37分に着いた。天気予報によれば、天気が良いのは今日だけで、明日、あさっては雨模様だという。貴重なこの日の午後はどこに行こうかと考えた。仁和寺の桜を見たかったが、その桜は遅咲きであり、加えて今年の春は桜の開花が遅れている。ゆっくり歩いたことのない京都御苑と時間が許せば平安神宮の神苑を見に行くことにした。
 京都駅から、地下鉄に乗り、四条駅で降り、まず、2晩泊まるホテルに荷物を置いた。
 ホテルで京都御苑への行き方を訊ね、地下鉄で丸太町まで行くことにした。外国人観光客が多く京都を訪れていて、タクシーは台数も少なくて利用しにくいというネット情報があり、敬遠した。
 京都御苑では、九條家の遺構という拾翠亭が一般公開されているというので、まず、そこから参観する。

000_240322290 X700 京都 京都御苑 拾翠亭 外観 Z50 Z18-140.jpg
九條家の遺構 拾翠亭の全景 2024年3月22日 京都市上京区京都御苑

001_240322001 X900 京都地下鉄四条駅 G7X.jpg 1.地下鉄四条駅
地下鉄四条駅の地上に上がったが、ホテルがどこなのか見当がつかない。この写真は四条通の方へカメラを向けている。ホテルはこの少し手前にあった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 11mm ISO125 )
002_240322004 X900 京都地下鉄四条駅 G7X.jpg 2.地下鉄四条駅
再び地下鉄四条駅から京都市営地下鉄烏丸線の乗り、2つ目の丸太町へ向かう。国際会館行に乗る。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 27mm ISO3200 )
003_240322008 X900 丸太町 御苑バス停 G7X.jpg 3.地下鉄丸太町駅
丸太町で下車し地上に上がる。カメラは市場の方に向いている。後ろ側右手が御苑である。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 27mm ISO3200 )
004_240322251 X900 京都 丸太町 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 4.間之町口から御苑へ
丸太町通りを100mほど歩いて左手にあった京都御苑の間之町口を入った。入苑料は設けられていない。この少し先の東寄りの入口には堺町御門と呼ぶ立派な門がありそれが御苑の正門である。苑内の外周部にある門は、堺町御門、下立売御門、蛤御門、中立売御門、乾御門、今出川御門、石薬師御門、清和院御門、寺町御門の九つがある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 24mm ISO100 )し
005_240322252 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 5.九條家の遺構 拾翠亭一般公開
まず、ここは見てきたいと思っていた拾翠亭を探す。拾翠亭(しゅうすいてい)は春から秋にかけての毎週金曜日と土曜日に一般公開されていた。九條家の遺構である九條池と拾翠亭は京都御苑の南西側にある。入口までのアプローチを進む。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO110 )
006_240322254 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 6.拾翠亭入口
この門をくぐって左へ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 35mm ISO250 )
007_240322256 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 7.拾翠亭の玄関
ここが拾翠亭の建物の玄関である。なかに入ると係の方がおられて、入場料を300円をお支払いする。御苑の詳しい地図を領収書代わりですと渡された。御苑内の桜の情報を聞くと、2か所ほど早咲きの桜が咲くところがるだけで、まだまだである。だが、今の時期は梅と桃と一緒に見られるメリットもあるとのこと。写真に見える玄関から出てきた観光客は四阿がある庭園を見に行く。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO110 )
008_240322260 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 8.拾翠亭屋内 広間
九條池と拾翠亭は、五摂家(鎌倉以後、藤原氏のうちで摂政・関白に任じられる五つの家柄で、近衛・九條・二条・一条・鷹司の五家をいう)の一つであった九條家の屋敷内に設けられた庭園の遺構である。このうち、拾翠亭は今から200年ほど前の江戸時代後期に茶室として建てられたもので、貴族の茶室らしく、遊び心にあふれた建築と言われている。(環境省 公園紹介を参照)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO580 )
009_240322262 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 9.九條池 -1
拾翠亭の広間に続く広縁から九條池に架かる高倉橋を眺める。この拾翠亭は江戸時代後期に造営された数寄屋風書院造り建築で、広間/控えの間/小間/二階座敷の4部屋で構成されている。主に茶会や歌会など社交・遊興の場として利用されたそうだ。なお、現在も茶会や歌会などの和カルチャー系のイベントの貸室利用が可能である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 33mm ISO125 )
010_240322264 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 10.九條池 -2
広縁から高倉橋の左の方へカメラを向ける。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO180 )
011_240322271 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 11.九條池 -3
広縁から西の方を見ている。茶室横の手水鉢だ。この左手に庭園があり、厳島神社がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 18mm ISO110 )
012_240322274 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 12.拾翠亭の二階座敷からの眺め -1
急な階段を二階にあがった。そこからは、また違った趣で九條池や池泉回遊式庭園を眺められた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 18mm ISO110 )
013_240322278 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 コサギ Z50 Z18-140.jpg 13.コサギ
九條池の西側に、藤棚だろうか池の上に樹を支えるように設けられた何かの棚があった。その上にコサギが止まっていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO100 )
014_240322281 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 14.拾翠亭の二階座敷からの眺め -2
西側に九條池に面した庭に造られたあずまやと、藤棚(と思う)が見えた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 19mm ISO110 )
015_240322283 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 Z50 Z18-140.jpg 15.拾翠亭 急な階段
1階から2階へ上がる幅の狭い急な階段。降りるのに苦労した。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/60秒 18mm ISO6400 )
016_240322289 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 外観 Z50 Z18-140.jpg 16.庭園から拾翠亭を見る -1
拾翠亭を退出し、東側の庭園に回って拾翠亭の広縁を振り返った。庭園はさほど広くはない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO120 )
017_240322290 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 外観 Z50 Z18-140.jpg 17.庭園から拾翠亭を見る -2
トップの写真の再掲である。一階広間と二階座敷が九條池と庭に面している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 )
018_240322292 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 厳島神社 Z50 Z18-140.jpg 18.九條池越しに見る厳島神社
この厳島神社は、平清盛が母祇園女御のため厳島神社の神を祀ったのが始まり。祇園女御も祀られている。この神社は九條家の鎮守社だったそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 59mm ISO140 )

000_京都御苑マップ X700.jpg
拾翠亭で領収書代わりにいただいた御苑の地図 

019_240322302 X900 京都 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 19.京都御苑を歩き始める -1
九條池と拾翠亭の九條邸跡の外に出る。その北側は黒木の梅が植えられた広場になっていた。丸太通りから近く地元の方が通りかかる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 33mm ISO180 )
020_240322304 X900 京都 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 20.京都御苑を歩き始める -2
ご近所にお住まいの方と思われるが、幼子を連れて春の日差しを楽しんでいるようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO140 )
021_240322305 X900 京都 京都御苑 厳島神社 Z50 Z18-140.jpg 21.厳島神社へ
この広場の南側に、さっき九條邸跡の庭園から見た厳島神社の参道ともいえる橋が架かっていた。傍には厳島神社の由来が書かれた札が立てられていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO360 )
022_240322307 X900 京都御苑 厳島神社 高倉橋 Z50 Z18-140.jpg 22.厳島神社から見る高倉橋
拾翠亭の部屋から眺めた高倉橋である。厳島神社の建つこの場所へは、入ることが出来ないようになっていた。高倉橋は明治11年(1878年)に、木造の平橋が架けられた。その後、明治15年(1882年)に、明治天皇行幸の計画があり、御所の建礼門から南に一直線に丸太町通へ通じる道路を造ることになり、その一環として現在架かっている反橋が架けられたそうだ。橋の橋脚には、天正17年(1589年)豊臣秀吉が架橋した三条大橋や五条大橋に使われていた石造の橋脚が使われているという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 38mm ISO160 )
023_240322308 X900 京都 京都御苑 拾翠亭 厳島神社より Z50 Z18-140.jpg 23.厳島神社から見る拾翠亭
拾翠亭から見たときは厳島神社は木の陰になってよく見えなかったが、こちらからはその美しい姿が良く見える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 38mm ISO100 )
024_240322312 X900 京都 京都御苑 厳島神社 Z50 Z18-140.jpg 24.厳島神社の鳥居
厳島神社の石の鳥居は横に渡された屋根の部分が破風型にカーブする珍しい鳥居で、国の重要美術品に指定されていて、京都三珍鳥居の一つに数えられているという。 「京都三珍鳥居」は北野天満宮摂社伴氏社の「中山鳥居」と蚕ノ社の「三柱鳥居」とこの破風型鳥居でである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 18mm ISO110 )
025_240322315 X900 京都 京都御苑 厳島神社 Z50 Z18-140.jpg 25.厳島神社の由緒
祭神および破風形の鳥居についての由緒が描かれていたが、字がかすれてきていて、判読しづらい。wikipediaによれば、「社伝によれば、安芸国厳島社を崇敬した平清盛が、摂津国兵庫津に築島(経が島)を造成した際に、同島に社殿を構えて厳島社を勧請し、後に清盛の母の霊を合祀したものに起源を持ち、その神社を時期不詳ながら当地へ遷座させたものという。鎮座地は後世九条家の邸宅に取り込まれて同家の鎮守として崇敬されるとともに、池泉廻遊式庭園の1部を構成するものともなった。明治になって九条家は東京へ転宅し、その邸宅も東京へ移築されたが、当神社はそのまま残された。昭和2年(1927年)には社殿が改築されている。」とあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 30mm ISO360 )
026_240322316 X900 京都 京都御苑 厳島神社 Z50 Z18-140.jpg 26.池の弁天さん
九條池の中島に鎮座し、「池の弁天さん」と称されるそうだ。黒木の梅の広場に戻る際、橋を渡るときに分かったのだが、この厳島神社は九條池の小島の上に建っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO100 )

2024年1月 8日

紅葉 都築中央公園と心行寺 ① 2023年11月29日 横浜市都筑区

神奈川新聞社から「横浜」という季刊の情報誌が刊行されている。ちょっと前のものだが、その2020年秋号に「特集 ヨコハマ秋散歩」というタイトルが付いた号を有隣堂の店頭で見つけた。横浜市の紅葉の良いところが特集されてる。その中に都筑区の心行寺というところが載っていた。心行寺山門の紅葉の写真が紹介されていたが、なかなかよさそうだ。場所は、横浜市営地下鉄のセンター南駅にほど近い。また、横浜市の環境創造局公園緑地部北部公園緑地事務所が管理する都築中央公園に隣接する。都築中央公園には駐車場もあるようなので、マイカーで行くことにした。
 自宅から、第三京浜で港北インターで降りたが、30分もかからないで9時半過ぎに公園の駐車場に着いた。紅葉のシーズンなのでとめられるかどうか心配だったが、平日でもあり楽にとめることが出来た。
 駐車場は(都築)区役所通りに面した宮谷戸口にあり、公園に入ると宮谷戸の大池という池があった。公園の案内図はあるのだが、どこがどういうところかわからない。心行寺を目標にすることにして、池の近くを散歩されている方に道を尋ねてみたが、その方は心行寺をご存じなかった。コピーしておいた「特集 ヨコハマ秋散歩」に載っていた地図を見せたところ、ここ宮谷戸口は公園の東側だが、そこは公園の西側の出口にあたる渋澤口の近くのようで、そこへの歩き方を教えてくださった。
 渋澤口を出ると、小さな川に沿って「ささぶねのみち」という緑道があった。その「ささぶねのみち」を南に進むと左側に心行寺の山門があった。
 残念ながら、都築中央公園の紅葉も、心行寺の紅葉も少しタイミングが遅かったようだ。

000_231129084m X700 心行寺 本堂 Z50 18-140.jpg
心行寺本堂の紅葉 2023年11月29日 横浜市都筑区荏田東

001_231129004 X900 都築中央公園 宮谷戸の大池 Z50 18-140.jpg 1.宮谷戸の大池
カーナビに従って、第三京浜を港北で降り、中山・北山田線という道路を走り着いたところは、公園の東側の駐車場だった。紅葉シーズンなので駐車場も混んでいるかと思い、朝、早めに来たがガラガラだった。駐車場から歩いて宮谷戸の大池に出た。池にはキンクロハジロが浮かんでいた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO400 )
002_231129009 X900 都築中央公園 宮谷戸の大池 Z50 18-140.jpg 2.宮谷戸の大池を西へ
今日の目的は公園の紅葉を見に来たのと、前述したように心行寺という寺を参拝することにあった。ところが公園の案内図には心行寺が示されていない。公園を散歩されている方がおられたので、心行寺へはどう行けばいいか尋ねてみた。心行寺はご存じなかったが、上述した「特集 ヨコハマ秋散歩」の記事にあった簡単な図を見せたところ、その位置がお分かりになったようで、歩く方向を教えていただいた。  

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 41mm ISO450 )
003_231129015 X900 都築中央公園 ステージ広場へ Z50 18-140.jpg 3.ステージ広場へ
宮谷戸の大池を北西に進む。宮谷戸窯のわきを通って、西へ急な階段を上るとステージ広場なのだが、先に道を尋ねた方が、右の方へ迂回していけば緩やかな道を上がれますよと教えてくれていた。紅葉を眺めながら、ステージ広場へ向かう。3,000㎡のステージ広場では例年10月に里山まつりの開催されているそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO360 )
004_231129018 X900 都築中央公園 ヨコハマヒザクラ Z50 18-140.jpg 4.ヨコハマヒザクラの紅葉
今年の秋は自宅付近のサクラの紅葉が綺麗で、葉が落ちないでいる。このサクラは葉はほとんどが落ちてしまっているが、風情があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO180 )
005_231129027 X900 都築中央公園 ステージ広場付近 セイヨウシデ Z50 18-140.jpg 5.セイヨウシデ(西洋四手)
カエデ以外の紅葉もなかなかよい。Picture This で検索してセイヨウシデと分かったが、カバノキ科の広葉樹で比較的小型のものが多く、樹高は最大でも20m程度だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 44mm ISO160 )
006_231129046 X900 都築中央公園 ばしょうじ谷戸池 Z50 18-140.jpg 6.ばしょうじ谷戸
休憩所があるばしょうじ谷戸というところへ下りてきた。湿地・田畑・雑木林などの保全作業が進められ、ふるさとを偲ばせる施設・環境を整えている。池にはコサギがいた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO400 )
007_231129049 X900 都築中央公園 渋澤口 Z50 18-140.jpg 7.渋澤口
公園の西側出口である渋澤口に出た。途中で会ったご婦人が、「紅葉はもう少し前が綺麗だったんですよ、少し遅かったですね」と話されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 63mm ISO380 )
008_231129053 X900 都築中央公園 渋沢口 Z50 18-140.jpg 8.渋澤口から「ささぶねのみち緑道」へ
ばしょうじ谷戸門という都築中央公園の出口を出た。出たところが「ささぶねのみち緑道」である。真っ赤に紅葉したイロハモミジがあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 63mm ISO380 )
009_231129057m X900 ささぶねの道沿道緑道 都築中央公園 Z50 18-140.jpg 9.「ささぶねのみち緑道」
渋澤口を出て、この「ささぶねのみち緑道」にぶつかるが、渋澤口の蛍見橋で「ささぶねのみち緑道」に沿って向きを変えたせせらぎが北へ流れる。途中まで歩いてみたが、この先工事中だったので引き返してきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 30mm ISO200 )
010_231129060 X900 ささぶねの道沿道緑道 都築中央公園 Z50 18-140.jpg 10.イロハモミジ -1
渋澤口の蛍見橋のイロハモミジは真っ赤に紅葉していた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 29mm ISO250 )
011_231129069 X900 ささぶねの道沿道緑道 都築中央公園 Z50 18-140.jpg 11.イロハモミジ -2
位置を変えて数ショット撮った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 29mm ISO250 )
012_231129064 X900 ささぶねの道沿道緑道 都築中央公園 Z50 18-140.jpg 12.心行寺へ
目標の心行寺は「ささぶねのみち緑道」を逆に南に向かったところにある。渋澤口を左に折れて100mほど行ったところに山門があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 30mm ISO140 )
013_231129073 X900 心行寺 山門 Z50 18-140.jpg 13.心行寺山門
澁澤山龍泉院心行寺という浄土宗のお寺である。「特集 ヨコハマ秋散歩」の石野博子さん(横浜シティガイド協会)の記事によれば、心行寺は文禄・慶長年間の開創と言われ、400年以上の歴史がある古刹である。江戸時代ここ荏田村は二代将軍秀忠のお江の方(崇源院)の化粧領(江戸時代に女性が嫁ぐ際に取り交わされた持参金や土地・権利。または中世に女性が生前に許された相続財産)であったそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO220 )
014_231129078 X900 心行寺 山門 Z50 18-140.jpg 14.心行寺参道
山門の右側には「竹あかり」が施されていた。wikipediaによれば、古くから竹は、内部にろうそくなどを入れて灯火用具として使用されてきた。単に竹を切っただけのものもあれば、表皮を剥ぐなど加工をする場合もある。用途としては道路で足下を照らす場合や、神社仏閣などの祭礼で用いられる場合、個人のインテリアとして用いる場合などがある。数ある竹のあかりの中で特に、竹にドリルで穴をあけ、あかりを灯すものが「竹あかり」と呼ばれている。と書かれていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO220 )
015_231129083m2 X900 心行寺 本堂 Z50 18-140.jpg 15.本堂前のモミジ
山門を入って参道をまっすぐ行くと、石段を上がったところに本堂があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/200秒 41mm ISO2200 )
016_231129088m X900 心行寺 本堂 Z50 18-140.jpg 16.本堂へ上がる石段とモミジ -1
石段の下から眺める本堂と、石段に被さるモミジは見応えがあった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 38mm ISO3000 )
017_231129093m X900 心行寺 本堂 Z50 18-140.jpg 17.本堂へ上がる石段とモミジ -2
本堂の中に入ることはできなかったが、寺には徳川将軍家の位牌が安置されているという。また、この石段の右下に水琴窟があったのだが、見落としてしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 38mm ISO3200 )
018_231129096m X900 心行寺 客殿 Z50 18-140.jpg 18.心行寺 客殿
山門から境内に入って左側に客殿が立ち、墓地もあった。ここの紅葉は少し遅かったようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO160 )
019_231129099_2 X900 心行寺 六地蔵 Z50 18-140.jpg 19.六地蔵
山門の傍らにお地蔵さんが六体並んでいた。六地蔵とは 仏教では人間が死んだ後、生前の善行や悪行によって行く先が地獄、餓鬼(がき)、畜生、修羅、人間、天の六道(りくどう)に分かれるとされているが、その分かれ道が「六道の辻」である。六地蔵はそれら六道における苦しみを救う6種類の地蔵菩薩のことを指すのだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO400 )
020_231129102 X900 心行寺 山門 Z50 18-140.jpg 20.心行寺山門
心行寺の参拝と見学を終え、退出した。振り返って山門を撮る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 19mm ISO360 )

2023年5月18日

いにしえの奈良 2泊3日のサクラ見物 ⑥ 2023年4月5日ー7日 大化の改新/藤原鎌足の談山神社

2日目、4月6日は朝から吉野山の千本桜を満喫し、午後から高取町の壺阪寺を訪れ、14時30分になった。この日はもう一か所観光するところがある。
 そこは奈良県桜井市多武峰(とうのみね)にある談山神社(たんざんじんじゃ)だ。神仏分離以前は「多武峯妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)」と称する寺院であった。主祭神 - 藤原鎌足である。藤原鎌足は飛鳥時代の貴族・政治家で、日本の歴史における最大氏族「藤原氏」の始祖である。中学の歴史で習った大化の改新の中心人物であり、改新後も中大兄皇子(天智天皇)の腹心として活躍し、藤原氏繁栄の礎を築いた。
 鎌倉時代に成立した寺伝によると、藤原氏の祖である中臣鎌足の死後の天武天皇7年(678年)、長男で僧の定恵が唐からの帰国後に、父・藤原鎌足の墓を摂津国安威(大職冠神社 別名将軍塚という藤原鎌足公古廟)から大和国の当地に移し、その墓の上に十三重塔を造立したのが発祥であるとする。談山神社観光のメインはその十三重塔であった。

000_2304060963 X700 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg
談山神社十三重塔 2023年4月6日 奈良県桜井市多武峰

145_2304060894 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 145.談山神社駐車場へ
15時ちょうどに談山神社の駐車場に入った。思ったより空いている。周囲は山であり、東側に音羽山(851m)、経ヶ塚山(889m)、熊ヶ岳(904m)の音羽三山がある。南には吉野町から見た吉野の300名山の竜門岳がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
146_2304060897 X900 談山神社 Z50 Z18-140.jpg 146.別格官幣大社談山神社
駐車場から石灯籠が並ぶ道を歩いて、別格官幣大社談山神社と書かれた石柱のある入山口に入る。別格官幣大社とは古来国家のために功労のあった人臣を祭神とする神社のために設けられた社格だそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 29mm ISO160 ) 露出補正 なし
147_2304060900 X900 談山神社 Z50 Z18-140.jpg 147.談山神社の鳥居と石段 入山受付をして、ツアコンさんから正面の石段は130段あることを告げられた。意を決して登り始める。上り詰めると正面が手水舎で右が舞殿と本殿、左側が十三重塔である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO140 ) 露出補正 なし
148_2304060902 X900 談山神社 Z50 Z18-140.jpg 148.神木 夫婦杉
石段の途中で鳥居を振り返ると左手に樹齢500年という杉の神木(夫婦杉)があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO360 ) 露出補正 なし
149_2304060906 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 149.十三重塔 -1
石段をやっと上り終えた。右手の本殿・舞殿の手前にある楼門を背に十三重塔を眺める。談山神社十三重塔は、藤原鎌足公長子・定慧和尚が、父の供養のために白鳳7年(678年)に創建した塔婆で、現存のものは享禄5年 (1532年)に再建された重要文化財である。桧皮葺で高さは16.17mある。日本で唯一の木造十三重塔、そして、藤原鎌足の廟所として有名である。拝殿や十三重塔は戦前に何度か日本銀行券の図案に採用されたことがある(乙20円券など)。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 30mm ISO250 ) 露出補正 なし
150_2304060910m X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 150.拝殿
楼門は江戸時代に建てられた重要文化財である。拝殿は楼門と繋がって建てられている。朱塗舞台造拝殿は永正17 年(1520年)の造営、中央の天井は伽羅香木でつくられている。折れ曲った東西透廊は本殿を囲む特異な形態をもち、檜皮葺の屋根が美しい。懸造り(山や崖にもたせかけたり、谷や川の上に突き出したりして建てる)の拝殿は石段に面したところから、横に長く伸びる。拝殿も重要文化財である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 32mm ISO110 ) 露出補正 なし
151_2304060916 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 151.拝殿回廊の吊り灯篭
楼門から拝殿に上がり、 回廊を歩く。回廊には吊り灯篭が等間隔に吊られている。これらの吊り燈籠や境内の石燈籠に一斉に火をともし先祖の霊を慰める「献燈祭」が毎年8月14日に行われているそうだ。 

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 37mm ISO400 ) 露出補正 なし
152_2304060922 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 152.本殿
拝殿から本殿が見える。ホームページには、藤原鎌足公をまつる旧・別格官幣社。大宝元年(701年))の創建で、聖霊院、多武峯社 とも号す。現在の本殿は嘉永3年(1850年)造替の三間社隅木入春日造、朱塗極彩色 の豪華けんらんたる様式で世 に名高い。と説明されている。大化改新談合の地として知られ、談合神社は、「談い(かたらい)山」と呼ばれたことが社名の由来となっているそうだ。この談合により、皇極天皇4年(645年)飛鳥坂蓋宮で蘇我入鹿を討ち中央統一国家、及び文治政治の完成という歴史的偉業が成し遂げられたのだ。談山神社の本殿は、色鮮やかな装飾が施されており、日光の東照宮は多武峯(談山神社本殿)を参考にしたといわれる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO500 ) 露出補正 なし
153_2304060936 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 153.吊り灯篭
拝殿回廊の南側を眺める。まだ、桜の花が残っていた。よく見ると一つ一つの灯篭の彫が異なる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 25mm ISO180 ) 露出補正 なし
154_2304060944 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 154.拝殿回廊からの眺め
南側に付けられた回廊から左下(南東の方向)に恋神社と言われる重要文化財の摂社 東殿が見られた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 27mm ISO100 ) 露出補正 なし
155_2304060953 X900 談山神社 Z50 Z18-140.jpg 155.西宝庫
拝殿を出て、十三重塔へ向けて歩き始めると右手に、西宝庫があった。本殿の左右に位置する同形式の二つの宝庫は、校倉造りで元和5年(1619年)の創建である。文化財の宝庫として知られる談山神社古来の名宝を収蔵して来た。ここも重要文化財である。本殿の東側に建つ東宝庫は見過ごしてしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO640 ) 露出補正 なし
156_2304060959 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 156.十三重塔 -2
十三重塔は少し離れて見たほうが美しく見える。近づくと仰ぎ見るようになり、明るい空がバックになるので、写真を撮るのも難しい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO900 ) 露出補正 なし
157_2304060955 X900 談山神社 Z50 Z18-140.jpg 157.十三重塔 -3
これは十三重塔の東側から撮った。十三重塔は楼門側から眺めるのが美しいと思う。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO160 ) 露出補正 なし
158_2304060968 X900 談山神社 権殿 Z50 Z18-140.jpg 158.権殿
十三重塔の西側に権殿があった。立てられていた説明札には、天禄元年(970年)摂政右大臣藤原伊尹の立願によって創建され、実弟の如覚(多武峰少将藤原高光)が阿弥陀像を安置した元の常行堂。ここで室町の頃盛行した芸能「延年舞」は有名である。現存のものは室町後期の再建とある。また、ホームページには、権殿は、建立以来、500年の時を経て、大修理を終え、平成23年に再生した。この権殿内では、室町時代より延年舞やお能が演じられ、「伝統と革新」の芸能をきそいあってきた。 古典芸能・現代舞踊・音楽・絵画・写真・彫刻・陶芸・映画・ 演劇・歌謡・落語・漫才・文学・詩などにたずさわる人たちの守り神として、また、芸能上達をいのる「祈りの場」として、「集いの聖地」としてご崇敬されたい。と記されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
159_2304060965 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 159.末社 総社拝殿と本殿 -1
権殿の傍に立ち、石段の下を眺めると総社拝殿と本殿が見えた。静寂な雰囲気である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO280 ) 露出補正 なし
160_2304060977 X900 談山神社 Z50 Z18-140.jpg 160.末社 総社拝殿 -1
下へ降りる。総社拝殿を正面から拝観する。寛文8年(1668年)の造営の元談山神社拝殿を移築。縮少し簡略化した様式で、正面・背面ともに唐破風をもつ美麗な建造物である。内外部小壁には狩野永納筆の壁画が残り、「山静」の落款も見られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO560 ) 露出補正 なし
161_2304060979 X900 談山神社 Z50 Z18-140.jpg 161.神廟拝所
末社 総社拝殿・本殿の東側には神廟拝所があった。談山神社神廟拝所は江戸時代中期の1668年(寛文8年)に再建された。神廟拝所はかつて飛鳥時代後期の679年(白鳳8年)に定慧和尚が父・藤原鎌足の供養の為、妙楽寺の講堂として創建したと言われている。神廟拝所は内部壁面に羅漢・天女の像が描かれている。明治維新後の神仏分離・廃仏毀釈以前は本尊・阿弥陀三尊像を安置していたが、阿弥陀三尊像は安倍文殊院に移され、現在釈迦三尊像(奈良市指定有形文化財)が安置されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 21mm ISO160 ) 露出補正 なし
162_2304060983 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 162.神廟拝所の桜 -1
談山神社で桜はほとんど見られなかったが、神廟拝所の前に行くと、サトザクラであろうか、まだたっぷりと花をつけた桜があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 22mm ISO140 ) 露出補正 なし
163_2304060987 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 163.神廟拝所の桜 -2
  午後3時半、傾きかけた西日に桜の花が輝いていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 30mm ISO125 ) 露出補正 なし
164_2304060991t X900 〇談山神社 スジグロシロ Z50 Z18-140.jpg 164.神廟拝所の桜 -3 スジグロシロチョウ
その桜に白い蝶が飛来した。スジグロシロチョウだった。今回のツアーで初めて撮る蝶の写真だった。(トリミング)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO125 ) 露出補正 なし
165_2304060996 X900 ◎談山神社 スジグロシロ Z50 Z18-140.jpg 165.神廟拝所の桜 -4 スジグロシロチョウ
桜の花にストローを潜り込ませて、長い間吸蜜を続けていた。これがギフチョウであれば、良かったのだが。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO100 ) 露出補正 なし
166_2304061005 X900 〇談山神社 Z50 Z18-140.jpg 166.末社 総社本殿 -3
神廟拝所の前の広くなったところは蹴鞠(けまり)の庭という。蹴鞠は古式ゆかしき鞠装束に身をつつみ、鞠を蹴り上げつぎつぎ渡しては受け合う古典的遊戯で、祭神藤原鎌足が中大兄皇子と蹴鞠にことよせ、蘇我氏討伐(大化改新)の相談をしたという故事にちなんだものだそうだ。「春のけまり祭」が4月29日に開催される。少し戻って、末社 総社拝殿の向こう側に建つ格調高い総社本殿を拝観した。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 なし
167_2304061009 X900 談山神社 Z50 Z18-140.jpg 167.末社 総社本殿 -4
延長4年(926年)の勧請 で、天神地祇・八百万神をま つり日本最古の総社といわれている。「現在の本殿は、寛文8年(1668年)造替の談山神社本殿を、寛保2年(1742年)に移築したものである。総社という意味がわからなかったので、wikipediawで調べてみると、「総社、惣社(そうじゃ、そうしゃ、すべやしろ)とは、日本で、特定地域内の神社の祭神を集めて祀った(= 合祀)神社のことである。総社宮、総神社、総社神社などとも呼ばれることがある。多くは令制国の範囲で集めたものを指すが、荘園や郡・郷・村などの地域内のものを集めたものもある。祭神の合祀だけでなく、神社そのものの統合である場合もある。」とあった。総社拝殿とともに重要文化財である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 29mm ISO500 ) 露出補正 なし
168_2304061012 X900 ◎談山神社 後醍醐天皇寄進灯篭Z50 Z18-140.jpg 168.後醍醐天皇寄進灯篭
参拝を終え、石段に戻り、鳥居を出て左へ、駐車場へと歩く。石垣に沿って「灯籠ヶ辻」と呼ばれ、石灯籠が並ぶところがある。そこに、後醍醐天皇寄進灯篭があった。竿石(台石の上の火袋などをささえる柱状の細長い石)に南北朝動乱の始まった元徳3年(1331年)刻銘をもつ雄大かつ装飾性豊かな造りで、後醍醐天皇寄進の灯篭と伝えられている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 22mm ISO250 ) 露出補正 なし
169_2304061019 X900 談山神社 カエデ Z50 Z18-140.jpg 169.オレンジ色の楓の葉
駐車場への道筋にちょっと変わった葉の色をしたモミジがあった。調べてみるとデショウジョウ(出猩々)というイロハモミジの一種があるそうで、春の芽出しが赤く、若葉がオレンジに変わり、夏は緑色になるという。この写真の楓がデショウジョウかどうかははっきり分からないが、淡いオレンジ色がきれいだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO250 ) 露出補正 なし
170_2304061021 X900 〇帰路車窓 大神神社大鳥居Z50 Z18-140.jpg 170.大神神社大鳥居 車窓
2日目の観光を無事に終え、午後4時少し前にバスは帰路に着く。30分ほど走ると、三輪素麺で有名な大和の国一宮三輪を通る。三輪山をバックに大神神社の大鳥居が見えた。高さ32.2m、柱間23mの偉容を誇る、日本一の大鳥居で、材質は耐候性鋼板であり、耐久年数1,300年と言われている。1986年(昭和61年)5月28日に昭和天皇御在位60年を奉祝して建てられた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO6400 ) 露出補正 なし
171_2304061025 X900 〇興福寺五重塔ライトアップ Z50 Z18-140.jpg 171.興福寺五重塔 ライトアップ
途中「奈良名物の夕食」会場に寄り、興福寺の傍のホテルに戻ってきた。ライトアップされた興福寺の五重塔が迎えてくれた。この日は、予想された「雨」が「晴れたり曇ったり」に好転して、吉野山千本桜→壷阪寺→談山神社 と充実した一日を過ごすことができた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/20秒 55mm ISO6400 ) 露出補正 なし

2023年4月 8日

旅行 高松→丸亀→鞆の浦→尾道 ④鞆の浦の街並み

坂出の静かな住宅地の中のひっそりとした場所に佇み、江戸末期に造られ、代々受け継がれてきた風格のある屋敷のフレンチ・レストランで食事を楽しんだあと、坂出駅まで送っていただいた風月堂の社長とそのお嬢さんに感謝と別れを述べ、改札口を入った。
 坂出から岡山まで「マリンライナー」に乗る。岡山からは新幹線で福山へ、福山駅からはタクシーで鞆の浦の今夜の宿へ向かった。温泉に浸かり、露天風呂に入った。日が暮れて吹く風が冷たい。
 翌日は古い町並みが残る鞆の浦を散策した。鞆の浦は坂本龍馬にゆかりのある土地である。港にはシンボルである常夜燈があり、保命酒という「みりん」を原酒とし、甘口の酒の中に桂皮などのハーブ16種を漬け込んで造る特産の薬味酒の老舗がある。町は「ひなまつり」で、ひな壇の飾り付けが見られた。そう広い町ではないが、全部を見て回ることはできなかった。
 旅行の最後は、尾道へ行こうと婿殿が計画してくれていた。鞆の浦からは、距離的は福山駅へいくのと、そう変わらないようなのでタクシーで行こうとしたが、この町にタクシーは少ない。結局バスで福山駅へ出て、在来線の山陽線で尾道まで行くことにした。

000_230313635 X700 ◎鞆の浦 常夜燈 Z50 Z18-140.jpg
鞆の浦の港とシンボルである常夜燈 2023年3月12日 広島県福山市鞆町

066_230312169 X900 瀬戸大橋線 G7X.jpg 66.瀬戸大橋線(本四備讃線)車窓より
坂出からは瀬戸大橋線に再び乗車する。だが、この日は晴れているのに、空はすっきりしない。黄砂のためだと思う。瀬戸大橋は、下津井瀬戸大橋から始まり、6つの橋と4つの高架橋で本州と四国を結んでいるが、wikipediにれば、「瀬戸大橋は、本州の岡山県倉敷市と四国の香川県坂出市を結ぶ10の橋の総称である。瀬戸内海をまたぐ本州四国連絡橋の児島・坂出ルートにあたり、橋の大部分は香川県に属する。1988年(昭和63年)に全線開通。それにより初めて四国と本州が陸路で結ばれた。」とされている。坂出から児島に向けて進行方向右側を見ている。この島の名前はわからなかったが、帰宅して地図で調べたところ、室木島のようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 34mm ISO125 ) 露出補正 なし
067_230312173m X900 〇瀬戸大橋線 G7X.jpg 67.瀬戸内海のうねり
室木島(もろきしま)は塩飽諸島に属する坂出市の無人島である。漁船が1艘見える。海が潮の流れでうねっているように見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
068_230312174m X900 〇瀬戸大橋線 G7X.jpg 68.大槌島(おおづちじま)
やや遠くに三角形の島が見えた。この島は大槌島だと思う。大槌島は瀬戸内海に浮かぶ無人島。島の中心に県境が通っており、北側は岡山県、南側は香川県である。wikipediaによれば、島の周辺が好漁場であったため古くから領有権争いが絶えず島内に県境があるのもその名残であるとれている。岡山藩と高松藩の間でこの島の領有権を巡る紛争が発生したが、享保17年9月21日(西暦1732年11月8日)に幕府の勘定奉行が下した判決により決着したという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
069_230312175m X900 〇瀬戸大橋線 G7X.jpg 69.釜島(かましま)
マリンライナーは児島に近くなった。櫃石島(ひついしじま)に差し掛かった辺りを通過中である。右手に見えるこの島は釜島だと思う。間違っていたらご容赦を。手前に見える左側の児島は大裸島、右側の小島が小裸島であろう。手前に櫃石島の港が見える。岡山県倉敷市下津井に属する無人島である。水島諸島(児島諸島)に属する。かつては有人島であったが、無人島化しているそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 35mm ISO125 ) 露出補正 なし
070_230312177 X900 〇瀬戸大橋線 G7X.jpg 70.松島(まつしま)
右側に見える島は、鷲羽山麓の大浜の方約600m沖にある有人島の松島。周囲は約1.2km。wikipediaによれば、松が多いことが島名の由来とされる。島に平坦地は少なく、集落は海岸沿いにある。中世には松島庄太夫という豪族が島内を開発し、その宅地跡の遺跡が現存する。また、水軍の根拠地の一つとなり、島全体が要塞化されていたこともあり、島内には、藤原純友に由来する純友神社が存在する。『吉備温故秘録』には田畑1反2畝、家数2軒、男女9人と記載されている。近代には移住者が増え、大正年間には20戸以上になるなど、人口が増えていった。また、島の周囲は、岡山県下でも有数の優良な漁場とされる。まもなく右手に鷲羽山を見て児島に到着する。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
071_230313604 X900 鞆の浦 鳩風亭 Z50 Z18-140.jpg 71.鞆の浦 朝の海
前日に本州に渡り、広島県福山市の鞆の浦に着いた。原漁港の傍の「鷗風亭」という立派なホテルだった。夕食前に温泉、露天風呂に入った。夕食も旨かった。夜に雨が降ったようだ。この写真は朝9時頃に撮ったがどんよりした空だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 70mm ISO100 ) 露出補正 なし
072_230313607 X900 鞆の浦 鳩風亭 Z50 Z18-140.jpg 72.原漁港 -1
宿の通用口のドア越しに撮った原漁港。ここは絶好の釣りポイントだそうだ。四季を通してさまざまな魚が釣れる人気の釣り場で、メバルやスズキの魚影が濃い釣り場という。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 23mm ISO110 ) 露出補正 なし
073_230313611 X900 〇鞆の浦 鳩風亭 Z50 Z18-140.jpg 73.ひなまつり
2023年2月16日(木)〜3月26日(日)に「第21回 鞆・町並みひな祭」が開催されていた。宿のロビーにも立派なお雛様が飾られていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/200秒 31mm ISO6400 ) 露出補正 なし
074_230313610 X900 鞆の浦 鳩風亭 Z50 Z18-140.jpg 74.原漁港 -2
3日目は、まず鞆の浦の古い町並みの散策から始まる。比較的軽い Nikon Z50 を首から下げて、歩き始めた。先ほど宿の上から見た原漁港だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.2 1/500秒 83mm ISO125 ) 露出補正 なし
075_230313619 X900 鞆の浦 Z50 Z18-140.jpg 75.弁天島 -1
宿を出て、海沿いのバス道を南へ歩く。左手(東側)弁天島という島が見える。福山市のホームページに次のようなことが書いてあった。「仙酔島への渡船に乗ると右側に朱塗りのお堂が見えます。鎌倉時代、近江の侍が弁天島近くの海に家宝の太刀を落としてしまいました。侍は、「銭百貫をほうびに出すから太刀を探してくれ」と漁師たちに頼みました。しかし、フカ(サメ)がいると恐れて誰も海に入ろうとしません。「この地に勇気あるものはいないのか」と侍がののしると、若者が海に飛び込みました。太刀は見つかりましたが、若者はフカに足を食い取られて命を落としてしまいます。侍は渡すはずだった銭百貫で若者を弔い、弁天島に11層の石塔婆を建てました。この石塔婆は年代が判明する石塔の中では県内最古のもので、県の重要文化財になっています。夜にはお堂がライトアップされ、日中とはまた違った幻想的な港町の雰囲気を楽しめます。瀬戸内海国立公園である鞆の浦の中でも,欠かせない景色の1つといえます。」と。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO180 ) 露出補正 なし
076_230313628 X900 鞆の浦 Z50 Z18-140.jpg 76.龍馬観音
この石垣の上に見える福禅寺対潮楼のすぐ下にある浄泉寺に「龍馬観音」がある。幕末の慶応3年、龍馬ら海援隊が乗る蒸気船いろは丸と紀州藩の明光丸が衝突したのがこの鞆沖で、事件(いろは丸事件)の際に鞆に上陸して談判した場所なのだそうだ。真言宗の寺院の客殿・対潮楼は眺めがよいことで知られている。参拝は失礼した。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 20mm ISO110 ) 露出補正 なし
077_230313634 X900 鞆の浦 Z50 Z18-140.jpg 77.鞆港
更に南へ歩いていくと波止(はと)と呼ばれるところがあった。鞆の浦には江戸時代に造られた石積みの波止が現存している。1791年(寛政3年)に完成している。波止は台風などの強風や高波から船を守るための防波堤のことだが、この波止の西側・鞆港から撮った。 ここは鞆湾の東側にある大可島下の波止であるが、鞆湾の西側の淀姫神社下の波止、その南方の玉津島下の波止の3基が、鞆の浦を護っている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 44mm ISO110 ) 露出補正 なし
078_230313640 X900 〇鞆の浦 常夜燈n Z50 Z18-140.jpg 78.常夜燈
模擬側に見えるのが鞆港のシンボルである常夜燈だ。1859年に建てられた船の出入りを誘導してきた灯台で、高さは5.5m、海中の基礎の上から宝珠まで11mあり、現存する江戸時代の常夜燈としては最大級の大きさだそうだ。地元では「とうろどう」と呼ばれている。鞆港は江戸時代に大きく整備され、この時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」の全てが全国で唯一残されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/800秒 56mm ISO100 ) 露出補正 なし
079_230313692 X900 鞆の浦 太田家 Z50 Z18-140.jpg 79.重要文化財 太田家住宅 入口
江戸時代にこの建物は「保命酒中村屋」として栄え、敷地内には保命酒を中心に様々な酒類の醸造が行われたという。また、藩の主要人物の宿所のほか、ビジネスの商談の場として利用された数寄屋造りの建物には市松模様を配した土間や板と竹を編み込んだ網代造りの天井など、モダンなインテイリアが施されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 26mm ISO560) 露出補正 なし
080_230312192 X900 鞆の浦 太田家住宅 G7X.jpg 80.「鞆・街並ひな祭」 太田家住宅の雛飾り -1
鞆町内、約100か所の町屋、商家、寺院などにお雛様が飾られる毎年恒例のイベントが行われていて、期間中、太田家住宅でも江戸時代から現代までの大小さまざまな雛飾りが展示されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
081_230312201 X900 〇鞆の浦 太田家住宅 G7X.jpg 81.「鞆・街並ひな祭」 太田家住宅の雛飾り -2
「源氏粋 明治~大正」という説明書きがあった。源氏物語をテーマにしたひな人形なのだろうか。調べてみると、「いき」とは、江戸時代に生じ、時代に従って変転した美意識で、遊興の場での心意気、身なりや振る舞いが洗練されていること、女性の色っぽさなどを表す語。 「いき」は、単純美への志向であり、「庶民の生活」から生まれてきた美意識であるそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/100秒 23mm ISO3200 ) 露出補正 なし
082_230312194 X900 〇鞆の浦 太田家住宅 G7X.jpg 82.「鞆・街並ひな祭」 太田家住宅の雛飾り -3
いずれも豪華なひな人形である。このひな壇は「大木平蔵 御殿飾り(明治末期)」とあった。説明には、「この御殿飾りは縁あって神戸市の旧家から譲り受けたものです。御殿は組み立て式で2つの大きな箱に収まります。釘などを1っ本も使わずに木と木をうまくはめ込ませることで、きちっと完成させることができます。御殿に飾ってある3人官女に注目してください。真ん中の官女はなんと「おかめ(お多福)」で大変珍しいものです。両端の官女は未婚(袖が長い)、中の官女は既婚(袖が短く、眉を剃っている)。真ん中の官女がリーダー格です。」とあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/125秒 21mm ISO3200 ) 露出補正 なし
083_230312209 X900 鞆の浦 太田家住宅 G7X.jpg 83.太田家土蔵
母屋を取り囲むように何棟かの土蔵が建っていた。瓦と漆喰でできた海鼠壁にはサイコロの目のような模様が施されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
084_230313697 X900 鞆の浦 Z50 Z18-140.jpg 84.太田家の東側路地
昔の家並みが続く路地である。この路地を挟んで向かい側が朝宗亭である。朝宗亭は太田家住宅の別邸で、藩主の来訪の際に使用されていた。敷地の西側道路に面して門屋と離屋が並び,門屋の奥に主屋が建てられている。主屋、門屋とも江戸時代、享和元年(1801年)頃の建設と考えられる。国指定重要文化財で、鞆の町並みの主要部を構成する町家として価値が高いといわれる。この時は気が付かずに通り過ぎてしまった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/500秒 38mm ISO110 ) 露出補正 なし
085_230313661 X900 鞆の浦 太田家 Z50 Z18-140.jpg 85.古い家屋
これは多分保命酒の醸造所の建物だったと思う。ここは西町と言われるところで、倉庫や町屋が数多く残り、鞆の浦らしい町並みが残されているという。前に突き出す出格子窓が見られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 36mm ISO110 ) 露出補正 なし
086_230313670 X900 〇鞆の浦 保命酒 岡本家 Z50 Z18-140.jpg 86.保命酒岡本家 -1
江戸時代、保命酒の独占した製造販売の許可を得ていたのは、最初に保命酒を造った中村家だけだった。万治2年(1659年)、大阪の漢方医「中村家」の子息である中村吉兵衛氏によって、当時備後鞆の津で醸されていた「吉備の旨酒(現在の味醂酒に準ずる)」に、大陸産の薬味を漬け込んで造られたのが、保命酒の始まりという。一方、岡本家は安政2年(1855年)に、当時の藩が発行する酒造株を得て、清酒業で生業を起こした。明治の後期になると、元祖である中村家が保命酒業の暖簾を下ろすことになり、かねてより懇意にしていた岡本家が、中村家伝統の看板と道具一式を譲り受けて今に至るいという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/500秒 31mm ISO5000 ) 露出補正 なし
087_230313671 X900 〇鞆の浦 保命酒 岡本家 Z50 Z18-140.jpg 87.保命酒岡本家 -2
保命酒は桂皮などの薬味十六種を味醂酒に漬け込み、じっくりと成分を浸出させて造る薬味酒(和製リキュール)である。健康や美容にも良いと言われるアミノ酸を多く含んだ濃厚な本味醂に、薬味をじっくり漬け込み、本味醂本来の米の甘味と薬味の香りのバランスに優れた、まろやかな味わいの薬味種という。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 18mm ISO2200 ) 露出補正 なし
088_230313678 X900 鞆の浦 阿弥陀寺 Z50 Z18-140.jpg 88.阿弥陀寺 鞆の大仏
どこをどう歩いたかわからないが、町の西側でお寺の多い通りに出た。江戸時代初期、鞆城を築いた福島正則が、城下町整備の一環で「寺町通り」を造営し、各宗派のお寺がほぼ一直線に並べられた。ここ阿弥陀寺は、永禄年間(1558年~1570年)の創建。本堂には「鞆の大仏」と称される阿弥陀如来坐像が鎮座していた。江戸時代から残るという梵鐘もあった。山門の右の方には、「鞆の津塔」と呼ばれる江戸時代前期の石塔が12基並んでいて、これは鞆独特のお墓で、大名でないとお墓が建てられなかった時代の庶民のお墓だそうだ。暗いのでISOは6400に上がっていたが、きれいに撮れている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/160秒 34mm ISO6400 ) 露出補正 なし
089_230312244 X900 鞆の浦 保命酒 G7X.jpg 89.保命酒通り
そろそろ尾道への移動を考え、寺町通を南へ下り、東のバス通りを目指す。古い建物の保命酒の店が並ぶ通りに出た。wikipediaによれば、現在の保命酒製造元は何れも明治時代に開業し台頭した店である。最盛期は昭和初期ごろで海外への輸出も行われ、鞆町内では各店による値引合戦やサービス競争により商工省に調停依頼が出されるほどであった。しかし、太平洋戦争中の物資不足による質の低下があったり、戦後は過当競争や鞆町の衰退により保命酒の生産量は減少していき、平成までに醸造元は4軒(入江醸造元など)を残すのみとなった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
090_230312247 X900 鞆の浦 保命酒通り G7X.jpg 90.古い保命酒店の看板のある店
保命酒通りで撮ったこの写真は屋号が分からなかった。「真正十六味(肥)地黄保命酒 」という古い看板も見える。その下に「醸造元森田商会本店」と書かれている。いろいろネットで検索してみたが、ヒットしない。やっとこの店の画像を見つけ出し、さらに検索していった。「鞆物語」というサイトなどによると、おそらくは、江戸時代から問屋を商い、肥後の国からやってきたといわれ、屋号はそのまま「肥後屋」。明治期に入ってからは保命酒屋として財を成した森田商店で10年位前から空き家になっていたという。かつてこのあたりは鞆銀座と呼ばれ、メインストリートとして栄えた場所だった。その中でも肥後屋は、とりわけ大きく立派な家だったという。鯛味噌や鯛の佃煮を扱い始めたのは、昭和に入ってからで、今より10年ほど前に店を畳んでからしばらく空き家のままだったが、満を持して鯛味噌屋として甦った。江戸時代に栄華を極めた商家が屋号をそのままに、今ふたたび現代に息を吹き返した。その鯛味噌の製造元は森田商店になっていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
091_230313704 X900 鞆の浦 Z50 Z18-140.jpg 91.海岸通り
保命酒通りを抜けて、鞆公民館のわきからバス通りに出た。観光案内所へ行って、タクシーの情報を聴くが、ここにはタクシーはないという。幸いなことに観光案内所の前にバス停があり、ちょうど福山行のバスが来た。約30分で料金は1人520円だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
092_230313705 X900 鞆の浦 弁財天寿福堂 Z50 Z18-140.jpg 92.弁天島 -2
12時20分、これで鞆の町ともお別れだ。もう少しゆっくり滞在し見てみたいところもあった。阿弥陀寺からそう遠くないところにある鞆城跡にも行ってみたかった。鞆港の西側を歩いて、そこから常夜燈方面の眺めと、淀媛神社もどんなところか見たかった。これから尾道へ行く。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/1250秒 140mm ISO6100 ) 露出補正 なし

2022年6月30日

リッチな一日・昆虫切手展と鳩山邦夫さんの蝶コレクションを観賞 6月4日

6月4日は「虫の日」である。毎年、その頃の土日に合わせて、目白の「切手の博物館」で「昆虫切手展」が開催される。2020年、2021年は新型コロナウィルス感染症のため中止になっていた。今回は3年ぶりの開催で「JPS 昆虫切手研究会50周年記念 第35回昆虫切手展の開催となった。私は何もしない会員であるが、会報で案内をいただいた。
 今年は6月4日(土)-5日(日)の開催であったので、6月4日の午前中に目自へ出かけた。湘南新宿ラインで新宿で山手線の乗り換えようとしたが、山手線は事故があり、止まっていた。私は目白は池袋の先だと勘違いして、池袋まで行こうと埼京線に乗った。その車窓から山手線が動いているのが見えたので池袋で下り、ひとつ戻らなくてはいけないことを確認して、山手線に乗った。会場に着いたのは、11時を少し過ぎていた。展示されているパネルを順に閲覧し、作者の方にもご説明いただけた。
 この日は、文京区教育センターで開催されている亡くなられた鳩山邦夫さんのコレクションの「蝶・魅惑の昆虫」という展示会へ回ることにしていた。この日に同会場で行われる東京大学総合研究博物館の矢後勝也先生の講演を聴講しようと事前に申し込んでいたが残念ながらその抽選に外れてしまい参加することが出来なかった。
 目白から西日暮里乗換で湯島へ行ったが、その会場の文京区教育センターがなかなかわかり難い。その方向へと歩いて行くと、春日局墓所という「麟祥院」の前に出た。ここで寄り道をしてしまった。
 鳩山邦夫さんのコレクションの「蝶・魅惑の昆虫」という展示は素晴らしかった。見に行ってよかったと思う。
 帰りも地下鉄千代田線の湯島駅へ出たが、途中に湯島天神の大鳥居が見え、お参りしてい行こうと、また、しばし寄り道をしてしまった。

000_IMG_X700 20220621_0002.jpg
第35回昆虫切手展 クジャクチョウのカシエと切手に小型印(澤口尚子さん作)

001_220604094 X800 第35回昆虫切手展 G7X.jpg 1.目白「切手の博物館」
目白駅を降りて、山手線の沿うように高田馬場方面にしばらく歩くと「切手の博物館」がある。第35回昆虫切手展の会場は、エレベータで3階に上がったところだ。「切手の博物館」の沿革はwikipediaによると、「1988年(昭和63年)に設立された旧郵政省所管の財団法人フィラテリーセンターを前身とする。渋谷区代々木(現在のJR東日本本社敷地の一部)の郵趣会館内にあったが、再開発に伴い1996年(平成8年)にJR東日本が所有していた現在地へ移転した。2000年(平成12年)に財団法人切手の博物館と名称変更、中央省庁再編に伴い2001年(平成13年)より総務省所管、2013年(平成25年)4月1日より一般財団法人切手の博物館。2018年より財団名称を一般財団法人水原フィラテリー財団に変更し現在に至る。」とあった。立派な建物である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
002_IMG_X800 20220621_0001.jpg 2.第35回昆虫切手展 パンフレット表紙
前回の第34回昆虫切手展で行った「世界一美しい蝶・総選挙」の上位に入った日本産のチョウとして「クジャクチョウ」を小型印に採用、クジャクチョウを中心にした会員の蒐集成果を中心に展示されている。作品紹介のパンフレットの表紙は、世界各国のクジャクチョウが描かれた切手が並べられていた。私は上段一番左のチェコが1961年に発行した画家シュヴァビンスキー原画の9種の蝶蛾切手の一枚が気に入っている。兄がスイスへ出張した時に、チョウ好きの小学生だった私に使用済みのこのセットをお土産に買ってきてくれたのを思い出す。
003_220604089 第35回昆虫切手展 G7X.jpg 3.第35回昆虫切手展 会場風景
JPS昆虫切手研究会は、1970年10月に発足し、2020年に50周年を迎える。JPS会員を中心に組織・運営されている昆虫切手愛好家の集まりである。もちろん、来られている方は会員以外の愛好家も多い。

  Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
004_220604037 X800 第35回昆虫切手展 澤口さん作品 G7X.jpg 4.「日本の高標高・高緯度のチョウ」 澤口尚子さんの作品(部分)
日本の高山蝶など、高標高・高緯度に生息する蝶たちをテーマに、日本で発行された切手や、外国で発行された切手について、ご自分でお書きになっているカシエをまじえて2枚のパネルにまとめられている。そのカシエが生息地や生息環境、そして食草など正確で、かつ構図も良い。ご本人に解説していただくことが出来た。トップのクジャクチョウのカシエと小型印も澤口さんの作品だが、オカトラノオへ来て開翅して吸蜜するクジャクチョウの、そのあでやかな赤みががった緋色を白で抜いたところは流石と思った。展示されていた12のすべての作品を見させていただき会場をお暇したのは、正午を少し回っていた。これから湯島へ向かう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
005_220604136 X800 春日局墓所 麟祥院 G7X.jpg 5.「麟祥院」 春日局墓所
目白から山手線で西日暮里へ出てそこから地下鉄千代田線に乗り換えて湯島で下車、文部大臣、労働大臣、法務大臣等を歴任された故鳩山邦夫さんのコレクションで「蝶・魅惑の昆虫」という展示会の会場である文京区教育センタへ向かう。文京区教育センター はなかなかわかり難い場所だった。探しながら春日通りをだらだらと上がって行くと、右側にお寺の門が見え、春日局の像があった。ちょっと寄り道をしていく。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
006_220604098 X800 春日局墓所 麟祥院 G7X.jpg 6.「麟祥院」山門
春日通りを右に入り、春日局の像の脇を進む見えてきたのは「麟祥院」の山門だった。「麟祥院」は臨済宗妙心寺派の寺院で山号は天澤山という。山門を入ると正面に本堂が見えた。開山は渭川周劉禅師、開基は「春日局」で、徳川三代将軍家光の乳母として知られている。春日局の命日は寛永20年(1943年))9月14日であるが、毎年10月14日に春日忌として春日局の法要を行っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 15mm ISO200 ) 露出補正 なし
007_220604132 X800 春日局墓所 麟祥院 G7X.jpg 7.「麟祥院」墓地
山門を入って左手奥に進んでいくと墓地になっていた。境内に「東洋大学発祥之地」の碑(1987年(昭和62年)建立)がある。写真の2本の松の間に見える石碑がそれだ。1887年(明治20年)に井上円了がこの寺の一棟を借りて東洋大学の前身である哲学館を創立した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO320 ) 露出補正 なし
008_220604106 X800 春日局墓所 麟祥院 G7X.jpg 8.春日局の墓塔 -1
墓地に入り右へ曲がると、左側に佐倉藩・堀田正俊の正室で稲葉正則の娘の墓、館山藩稲葉家分家の墓、右側には淀藩稲葉家の墓、春日局の孫である稲葉正則の正室・万菊の墓があった。そして、その正面が春日局の墓だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO1250 ) 露出補正 なし
009_220604107 X800 春日局墓所 麟祥院 G7X.jpg 9.春日局の墓塔 -2
春日局(1579-1643年)の墓はの無縫塔だった。死後の世界からも政治を見通せるようにとの春日局の遺言に基づき、穴が穿って(ほじくって)ある。 門の左側に葵の紋、右側に「三」の紋がるが、この「三」は「折敷(おしき)に三文字」と呼ばれる春日局の夫、稲葉氏の家紋だそうだ。折敷とは四角形のとがった部分を削った形のことをいうのだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO1000 ) 露出補正 なし
010_220604127 X800 〇春日局墓所 麟祥院 G7X.jpg 10.アゲハチョウ -1
サツキの花が咲いていた。そこにアゲハチョウがやってきた。夢中で吸蜜している。寄れたので、まずコンデジ(Canon G7X) を広角端にして撮った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
011_220604124 X800 〇春日局墓所 麟祥院 G7X.jpg 11.アゲハチョウ -2
別の個体が飛来して、サツキで吸蜜する。今度は望遠端の37mm(35mm版で100mm相当)にして撮る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし


000_IMG_X700 20220621_0003.jpg
「蝶・魅惑の昆虫」鳩山邦夫蝶類コレクション展示会ポスター
  展示企画:矢後勝也・遠藤秀紀(東京大学総合研究博物館)引用

012_220604198 X800 鳩山郁夫コレクション 文京区教育センター G7X.jpg 12.鳩山邦夫さんのコレクション「蝶・魅惑の昆虫」展示
「麟祥院」を後に、 もう一度スマホで文京区教育センタの場所を確認する。少し行き過ぎていたようだ。着いたのは午後1時を過ぎていた。 さっそく、展示会場へ行く。失礼ながら想像していた以上に素晴らしい標本が並んでいた。解説のパネルも素晴らしい。主催者のご挨拶には、「今回の展示では、蝶に魅了されて長く研究を続けていた元文部大臣・鳩山邦夫氏(1948-2016)により採集・飼育され、東京大学総合研究博物館に寄贈された多くの蝶類標本とその業績に触れながら、翅の多様性を創り出した進化の軌跡のほか、分類、生態、行動、遺伝などの様々な蝶類研究を紹介します。また、蝶が教えてくれる近年の生態系破壊や地球温暖化、外来種などの環境問題について、自然との共生も見据えながら解説します。美麗で魅惑的な存在感を放つ蝶にひき込まれながら、科学的な好奇心や探求心を抱いてもらえれば幸いです。」と述べられていた。幼いお子さんとご一緒に熱心に展示されている標本をご覧になっているお母さんがおられた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO2000 ) 露出補正 なし
013_220604204 X800 鳩山郁夫コレクション 文京区教育センター G7X.jpg 13.オオウラギンヒョウモンの標本
オオウラギンヒョウモンの雌の標本がずらりと並ぶ標本箱があった。鳩山邦夫さんは飼育もされるので、これはたぶんその標本と思う。私の手元に、私が中学生時代の1956年8月23日に長野県の海ノ口牧場で採集した本種の雄と雌、そして雄の裏面と3体の標本が残っている。その日、牧場の草原に本種が沢山翔んでいて、10数頭は採集したことを覚えている。今はごく限られたところにしか生息しない絶滅危惧Ⅰ類である。日本で最も減少したチョウのひとつと言われる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 31mm ISO2000 ) 露出補正 なし
014_220604204 X800 鳩山郁夫コレクション 文京区教育センター G7X.jpg 14.湯島天神 唐門
それほど広い会場ではなかったが小一時間、夢中になって「蝶・魅惑の昆虫」鳩山邦夫蝶類コレクションの展示を見た。会場を出て、方角を定めて、春日通りに出た。地下鉄の油島駅に向かって歩くと右手に湯島天神の鳥居が見えた。ここもお参りしていこうと思う。湯島天神入り口の交差点を渡って、唐門から境内に入った。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
015_220604242 X800 湯島天満宮 G7X.jpg 15.湯島天神唐門の門扉
唐門の門扉には、天神信仰で信徒とされる牛と、神紋の「加賀梅鉢紋」の浮彫彫刻がされていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
016_220604238 X800 湯島天満宮 G7X.jpg 16.梅園
唐門を入って右側に緑濃い庭園があった。池や橋が配置され、婦系図 湯島の白梅の原作者である泉鏡花の筆塚がある。境内の約300本の梅木のうち約8割は白梅だそうだ。 

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 10mm ISO125 ) 露出補正 なし
017_220604226 X800 湯島天満宮 G7X.jpg 17.湯島天神 本殿
wikipediaにでは・・・湯島天神の社伝によれば、雄略天皇2年1月(西暦換算で458年)、雄略天皇の勅命により天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建されたと伝えられている。南北朝時代の正平10年(1355年)、住民の請願により菅原道真を勧請して合祀した。この時をもって正式な創建とする説もある。当の湯島天満宮では西暦458年創建としているそうだ。徳川家康が江戸城に入ってから徳川家の崇敬を受けた。江戸時代には多くの学者・文人が訪れ崇敬を集める一方、享保期には富籤の興行が盛ん(江戸の三富の1つ)になり庶民に親しまれた。明治5年近代社格制度において郷社に列し、明治18年に府社に昇格した。平成13年(2001年)、神社本庁の別表神社に指定された。平成12年(2000年)3月31日、「湯島神社」から「湯島天満宮」に改称されている。新社殿は、ご本殿と、参拝する人のための拝殿が幣殿で結ばれている「権現造り」の建築様式で、日本古来の「木の文化」を象徴する純木造である。写真の拝殿の後ろに本殿がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
018_220604227 X800 湯島天満宮 G7X.jpg 18.絵馬
古来より江戸・東京における代表的な天満宮であり、学問の神様として知られる菅原道真公を祀っているため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れるが、普段からも学問成就や修学旅行の学生らで非常な賑わいを見せている。牛に乗った菅原道真が描かれた絵馬(牛乗り天神)は、受験生たちに大人気。受験シーズンには、約3万枚の絵馬が奉納されると言われるが。奉納された絵馬はどうされるのかがちょっと気になった。私がいたことがある福岡の太宰府天満宮の場合は前の年の絵馬はおたきあげされ新年から新しいものに変わるそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
019_220604245 X800 湯島天満宮 G7X.jpg 19.拝殿と狛犬
拝殿の囲いの前には、両側に梅の木があり、それぞれ梅が彫られた立派な台座の上で狛犬が守っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
020_220604250 X800 湯島天満宮 G7X.jpg 20.銅製表鳥居(都指定文化財)
拝殿を背に、境内をお茶の水方面へ行くと表鳥居がある。この鳥居は銅製で寛文7年(1667年)9月創建され、同11年修理した銘がある。下脚部にある唐獅子頭部の装飾は鳥居として特異なものだそうだ。数度の修理を重ねて維持されてきたが、都内に遺存する鋳造の鳥居としては時代も古く、製作も優秀なもので、昭和45年8月に東京都指定有形文化財に指定された。鳥居の様式は神明鳥居といわれるもので、横木が二重になり、反りをもって、柱が内側に傾いている。横木の上の方を笠木、下の方を島木といい、鳥居の大きさは、柱の下から上端についた台輪までの長さが3.88m、笠木上端の長さが6.81mだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
021_220604252 X800 湯島天満宮 G7X.jpg 21.夫婦坂
再び境内に入り、拝殿・本殿の脇にある末社の戸隠神社、笹塚稲荷にお参りして、夫婦坂の石段を切通坂と言われるは春日通りに下りた。帰路につく。そういえばまだ、昼食をとっていなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし


2022年6月14日

横浜市歴史博物館 鉄道150年展・常設展・大塚・歳勝土遺跡公園 5月17日

2022年は、新橋と横浜の間を結ぶ鉄道が開業してから150周年の節目の年にあたる。「鉄道の日」は10月14日なので、まだそれほど話題になっていないが、だんだんと盛り上がってくることだろう。
 鉄道記念日​についてネット検索をしていたところ、横浜市歴史博物館で、2022年3月19日(土)から9月25日(日)まで、特別展「みんなでつなげる鉄道150年--鉄道発祥の地よこはまと沿線の移り変わり―」が開催されているのを知った。
 明治5年5月3日(1872年6月8日)品川・横浜間で鉄道が仮開業し、同年9月12日(1872年10月14日)には新橋・横浜間の全線が開業、現在も10月14日は鉄道の日となっている。
 この鉄道150年展は横浜市ふるさと歴史財団の取組として、横浜にかかわる鉄道会社10社の歩みを紹介し、各社の鉄道利用者はもとより、鉄道愛好家や広く横浜市民に対し、ふるさと横浜の発展を屋台骨となって支えてきた鉄道の歴史の奥深さや新たな発見を伝え、横浜や鉄道に対する愛着を深めることを目的に実施されている。
 横浜歴史博物館は横浜市営地下鉄の「センター北」にある。この博物館へは行ったことがないので、行って見ることにした。
 常設展とセットになった特別展入館料は1200円​であったが​、横浜市民(浜とも)、65歳以上、​加えて​JAF会員​の割引が適用され400円になった。ここまでの交通費も、所持している​横浜市の​敬老パスで、バスも市営地下鉄もフリーだった。
 特別展の入り口で係のかたに展示の写真撮影について尋ねたところ、撮影禁止となっているところを除いてはノーフラッシュでOKということだった。入り口を入ったところに、鉄道のはじまりについてのパネル展示があり、ここは撮影禁止になっていた。錦絵「横浜商館並びに弁天橋図」、「よい子の交通双六」といった写真も展示されいた。
 特別展を見学したあと、常設展を見た。​横浜の歴史の​趣向を凝らした​展示はなかなか見応えがある。小学生たちが見学に来ていて、係の​かた​が優しく説明してあげていた。
 そのあと、小雨の降るなか、野外の「大塚・歳勝土遺跡公園」を見てきた。

000_220517007 X700 横浜市歴史博物館 G7X.jpg
特別展 「みんなでつなげる横浜鉄道150年」 2022年5月17日 横浜市歴史博物館 横浜市都筑区 センター北

001_220517003 X800 横浜市歴史博物館 G7X.jpg 1.横浜市歴史博物館
博物館は市営地下鉄のセンター北駅を降りて、線路沿いにセンター南へ戻るように5分ほど歩いて左側にあった。1995年1月31日に開館している。

  Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2,2 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
002_220517006 X800 横浜市歴史博物館 G7X.jpg 2.横浜市歴史博物館 正面入り口
特別展 「みんなでつなげる横浜鉄道150年」は2022年3月19日(土)から9月25日(日)まで開催されている。前期と後期に展示内容が​分け​られていて、前期 3月19日(土)~6月19日(日)/後期 6月22日(水)~9月25日(日)となっている。今回は前期の展示を見るわけだが、後期も楽しみだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
003_220517009 X800 横浜市歴史博物館 鉄道150年 G7X.jpg 3.特別展入り口
2022年は、新橋と横浜の間を結ぶ鉄道が開業してから150周年を迎える。明治5年5月3日(1872年6月8日)品川・横浜間で鉄道が仮開業し、同年9月12日(1872年10月14日)には新橋・横浜間の全線が開業した。現在も10月14日は鉄道の日となっている。-鉄道発祥の地横浜と沿線の移り変わり- として、第1章 今につなげる横浜の鉄道史 という展示から始まった。係のかたに写真撮影について尋ねたところ、撮影禁止となっているところ以外はノーフラッシュで​OK​​とのことだったが、第1章の展示内容は撮影禁止となっていた。その展示内容は、明治2年に鉄道建設が決定され、明治3年4月に新橋横浜間の工事が開始されてから、二代目横浜駅、関東大震災、三代目横浜駅、戦後の変貌、都市としての横浜、経済成長下の交通、横浜を走る鉄道会社が10社に​なったこと​、そして、これからの鉄道について、写真と解説がなされていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2000 ) 露出補正 なし
004_220517013 X800 横浜市歴史博物館 鉄道150年 G7X.jpg 4.横浜を走る鉄道会社10社 京浜急行の展示
第2章 は「鉄道会社へつなげる 今へ、未来へつなげる」というテーマで ー横浜を走る鉄道会社- 各社​が​紹介されていた。ここからは写真が撮れる。しかし、パネルによる展示が主で、写真は割愛する。横浜を走る鉄道会社10社とは、京浜急行電鉄、相模鉄道、東急電鉄、JR東日本、JR東海、JR貨物、神奈川臨海鉄道、横浜シーサイドライン、横浜高速鉄道、横浜市営交通である。現在の京浜急行電鉄の元となったのは、1899年に旧東海道川崎宿に近い川崎駅から川崎大師近くの大師駅までの標準軌で開通した大師電気鉄道だった。のちに京浜電気鉄道と社名を改め、1905年に品川ー神奈川間が全通した。湘南電気鉄道は、1917年(大正6年)に免許申請が出され、1925年(大正14年)に会社が設立された。1930年(昭和5年)4月に黄金町 - 浦賀間、金沢八景 - 湘南逗子間で営業運転を開始した。やがて二つの会社が横浜駅で結ばれた。写真は京浜急行の展示のひとつで、​「京濱・湘南電鐵沿線案内図」である。これは1940年頃に発行されたパンフレットにある沿線案内図で、その右上に「護れ要塞 防げよスパイ」の文字が見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
005_220517066 X800 横浜市歴史博物館 鉄道150年 G7X.jpg 5.崎陽軒シウマイ醤油入れ
横浜と云えばシウマイが有名であるが、今や崎陽軒のシウマイ弁当(860円・税込み)​も​大人気である。だ。日に約25,000食が売れ、出荷数も伸び続けている​という​。会社全体の売上高も2018年度は、245億円に達した。(ZAKZAK by 夕刊フジ 村上記者) ​展示では、​シウマイが誕生した昭和3年当時の醤油入れは小さなガラスのビンだったが戦後に瓢箪型の白い磁器になる。昭和30年に、その白い磁器の醤油入れに、漫画家の横山隆一が沢山の表情を描き、48種類の「ひょうちゃん」が誕生したと解説されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO2500 ) 露出補正 なし
006_220517081 X800 横浜市歴史博物館 常設展 G7X.jpg 6.常設展​ ​​「​1」​ 先土器時代
​特別展を見終えて、常設展のフロアに移動した。​常設展は「原始Ⅰ」から「近世」「近現代」まで6っに部屋割りされて展示されていた。なかなか見ごたえのある展示だった。詳しくは横浜市歴史博物館のホームページの常設展 をご覧になっていただきたい。​このブログ​ではいくつかの展示を紹介させていただく。先土器時代のコーナーでは、​横浜​市域で最も古い、約​3​万年前の人間の生活の跡が見つかった矢指谷遺跡(旭区)の地層断面模型が置かれている。その左側にはナウマンゾウの頭骸骨やヤベオオツノジカの角が置かれていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/200秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 なし
007_220517086 X800 横浜市歴史博物館 常設展 G7X.jpg 7.常設展​ ​​「​​2​」​ 弥生時代の人と物の流れ
「原子Ⅱ」のコーナーは、この博物館に隣接する「大塚・歳勝土遺跡」の時代である横浜の弥生時代(約2,400年前~約1,000年前​)​につぃて紹介されている。展示室の中央には「大塚・歳勝土遺跡」​の​大型模型が置かれている。弥生時代は稲作が生活の中心となると同時に、金属器が使われ始めた時代でもあった。水田や、コメ、金属器と云った財産が出来たことで、それらをめぐって人々の争いが活発になった時代でもあったと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
008_220517098 X800 横浜市歴史博物館 常設展 G7X.jpg 8.常設展​ ​​「​3​」​ 古代国家の誕生
「古代」の展示コーナーでは​、​4世紀から12世紀までの横浜の歴史が紹介されている。古墳時代と奈良・平安時代のそれぞれのムラの様子と生活のありさまを発掘資料などを基に示されている。古墳に捧げられた品々、鉄製の農具や武具、須恵器(すえき)、土師器(はじき)といった食器類も実物を交えて置かれていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
009_220517116 X800 横浜市歴史博物館 常設展 G7X.jpg 9.常設展​ ​​「​4​」​ 中世 戦乱の中
  「中世」の展示室では、12世紀末から」16世紀に及ぶ鎌倉時代~室町時代の横浜の歴史が紹介されている。正面の展示では、中世の人々が使った生活と遊びの道具やモノの値段のパネルなどによって庶民の生き生きとした日常生活の一端が見られる。展示室の中央には、中世の横浜の海の玄関口であり、文化、交易、産業の中心地となった六浦湊や周辺の地形を復元した大型模型が置かれていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/250秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 なし
010_220517118 X800 横浜市歴史博物館 常設展 G7X.jpg 10.常設展​ ​​「​4​」​ 中世 埋葬と他界観
さまざまな信仰や生活の様子について、上行寺東やぐら群遺跡十王信仰に代表させ、展示されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/160秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 なし
011_220517133 X800 横浜市歴史博物館 常設展 G7X.jpg 11.常設展​ 「​5​」​ 近世 平和の中に生きる人々
「近世」の展示室では、戦国時代が終わり、天下が統一された16世紀末から、横浜が開港する19世紀の半ば過ぎまでの歴史が紹介されていた。近世における横浜の市域の耕地開発の中心的なものであった海岸部の新田開発の様子と、その中でも、とくに有名な吉田新田(中区)開発の装置模型が置かれていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/200秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 なし
012_220517142 X800 横浜市歴史博物館 常設展 G7X.jpg 12.常設展​ 「​5​」​ 近世 茶屋「櫻屋」
  展示室の中央には、当時の神奈川宿の賑わいをうかがわせる茶屋「櫻屋」の大型模型が置かれていた。人の立ち居振る舞いが見事に表現された模型だと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/200秒 20mm ISO3200 ) 露出補正 なし
013_220517147 X800 横浜市歴史博物館 常設展 G7X.jpg 13.常設展​ ​​「​6​」​ 近現世 変わり続ける横浜と市民
「近現代」の展示室では、19世紀後半から、明治​・​大正・昭和を経て平成に至る現在まで、人々の暮らし​​を中心に紹介されている。開港後、日本と世界を結ぶ窓口となった横浜に​、​海外から新しい文化や制度がもたらされ、人々の暮らしを取り巻く状況は変化した。展示室中央には明治後期、伊勢佐木町にあった勧工場(かんこうば)「横濱館」の大型模型が置かれていた。勧工場とは様々な商品を扱う商店が、ひとつの建物の中に集まり陳列、販売をした​所と​​いう。いわば百貨店の前進であろう。英語の看板は​ ​YIOKOHAMA BAZAR になっている。

Canon PowerShot G7X f1 8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/400秒 13mm ISO3200 ) 露出補正 なし
014_220517149 XD800 横浜市歴史博物館 常設展 G7X.jpg 14.常設展​ ​​「​6​」​ 近現世 勧工場「横濱館」
模型の左側​にある​フィギュアだ。リアルに作られている。

Canon PowerShot G7X f1 8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/160秒 17mm ISO3200 ) 露出補正 なし
015_220517154 X800 横浜市歴史博物館 常設展 G7X.jpg 15.常設展​ 「​​6​」​ 近現世 伊勢佐木町通り
​明治​の後半、伊勢佐木町は日本一の繁華街と言われていたそうだ。最盛期には勧工場などの商店、食べ物屋、芝居小屋、寄席などが400​余りも​軒を連ねていた。人力車に乗って買い物に北女性、自賠を見に来た外国人の夫婦、子守奉公の娘、近郊で魚を売りにきた行商人など、職業や目的も異なった人々が行き交っていた様子が、関外として写真とフィギュアで表されていた。

Canon PowerShot G7X f1 8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/400秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 なし
016_220517171 X800 歴史博物館と遺跡公園連絡橋 G7X.jpg 16.大塚・歳勝土遺跡へ
せっかくここ迄来たのだから、大塚・歳勝土遺跡を見て行こうと思い、小雨の降るなかを、横浜市歴史博物館から連絡通路にでた。通称「歴博通り」と呼ばれる佐江戸・北山田線(市道)にかかる橋を渡って、大塚・歳勝土遺跡に入る。センター北は始めてきたが、港北ニュータウンとして立派に開発されている。

Canon PowerShot G7X f1 8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/400秒 11mm ISO3200 ) 露出補正 なし
017_220517181 X800 歴史博物館と遺跡公園連絡橋 G7X.jpg 17.大塚・歳勝土遺跡 大塚遺跡 環濠集落
大塚・歳勝土遺跡は環濠集落の大塚遺跡とその墓域の歳勝土遺跡から構成されている。wikipediaによると、この遺跡は1972年(昭和47年)に港北ニュータウンの開発に伴う事前の発掘調査で存在が明らかとなった。大塚遺跡は高台に作られた弥生時代中期の環濠集落であることが確認された。歳勝土遺跡では、大塚遺跡の環濠とその周囲に広がる土塁に近接した一帯から、弥生時代から古墳時代にかけての墓の一形態である方形周溝墓群が発見されて、年代的にも同時代であることが確かめられ、環濠集落(大塚遺跡)に住んだ人びとの墓地であることが明らかになった。歳勝土遺跡と大塚遺跡の東側3分の1の面積にあたる約33,000㎡が保存されている。大塚遺跡の中央部及び西側は開発によって高台ごと削り取られてしまい、消滅した。写真はその大塚遺跡部分。

Canon PowerShot G7X f1 8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
018_220517184 X800 歴史博物館と遺跡公園連絡橋 G7X.jpg 18.Y39号住宅
中型住宅で、大塚のムラの平均的な大きさの住居である。大塚遺跡で発見された遺構のうち竪穴住居址27軒を保存(うち7軒を復元)し、高床式倉庫と考えられる掘立柱建物は検出された10棟のうち1棟を復元、また、環濠を長さ250mの範囲で復元し保存している。

Canon PowerShot G7X f1 8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO100 ) 露出補正 なし
019_220517187 X800 歴史博物館と遺跡公園連絡橋 G7X.jpg 19.復元高床倉庫
遺跡からは住居跡​ととも​に堀立柱建物跡が発見された。これは収穫した稲などを収めて置く高床倉庫の跡と考えられている。

Canon PowerShot G7X f1 8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
020_220517190 X800 歴史博物館と遺跡公園連絡橋 G7X.jpg 20.Y80号住宅内部
大形住居である。ムラ長のすまいで集会所にも使われたそうだ。これら大塚遺跡の住居の復元は、調査によって発見された弥生時代の遺跡を約1.5mほどの盛土によって保護し、集落として生活していた様子を再現するため、遺構の直上に住居などを復元したと説明されていた。

Canon PowerShot G7X f1 8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし


2022年4月21日

皇居東御苑から千鳥ヶ淵へ その2 千鳥ヶ淵の桜 3月30日

10時半に大手門から皇居東御苑に入り、一回りして、昼に退出、内堀通りを皇居を左回りに千鳥ヶ淵を目ざして歩き始めた。
 平川門を過ぎて、左手に平川濠の石垣を見ながら北桔梗門へ来た。北の丸公園はこの辺りから北へ行かねばならないのだが、今回は千鳥ヶ淵を優先し、北の丸公園は割愛した。
 右手に国立近代美術館のレンガ造りの建物が見えてきた。やがて大官町に出る。いったん内堀通りから離れて代官町道りを歩く。土手の上に上がれるようだったが、そのまま先に進む。後で調べてみたら、この土手の上の道はなかなか良さそうだ。次回、北の丸公園を訪れるときには是非、歩いてみたいと思った。
 やがて、大官町通りが半蔵濠を渡る堤の上に来ると、左手に見える濠の向こうに、人が行き交う千鳥ヶ淵公園の桜が見えてきた。千鳥ヶ淵とは田安門から半蔵門にかけての皇居内堀のことを言うようだが、千鳥ヶ淵公園は代官通りの千鳥ヶ淵交差点から半蔵門までの約450mの遊歩道だそうだ。
 千鳥ヶ淵公園の桜はさすがに見事だった。桜が向こうの方まで重なって見える。私は千鳥ヶ淵交差点から半蔵門に向かって歩いて行ったが、その半蔵門の近くに、枝がお堀に垂れ下がって咲いているサクラを見て、内堀通りの地下鉄桜田門駅への入り口を下りた。時間は1時30分過ぎ、3時間半ほど写真を撮りながら歩き続けたので少々疲れた。昼食は自宅に戻ってからだった。スマホの歩数計は1万5千歩になっていた。

000_220330305 X700 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg
千鳥ヶ淵公園のサクラと彫刻「自由の群像」 2022年3月30日 東京都千代田区

031_220330201 X 800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 31.北桔梗門 -3
内堀通りを平川門から平川濠に沿って、しばらく歩くと、濠の水面から高さがある石垣に北桔梗門が見えてきた。「東京とりっぷ」によれば、北桔橋門の両側は高い石垣の上は築地塀となっている。この石垣と往時には平川濠側に五十三間多聞という長大な多聞を配し、深い濠で本丸の背後からの攻撃を守ろうとしていたそうだ。石垣が屈折していて、直線的な部分が少ないのは、高さのある石垣の強度を保つため。さらに屏風折にすることで、敵の攻撃に対して2面からの防戦が可能となる。この屏風折は大坂城の高石垣にも見られる構造だそうだ。本丸北面のこの550mにも及ぶ長大な高石垣は、1614年(慶長19年)の第2次天下普請の際に、西国大名のすべてが動員されて築いたものと説明されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 59mm ISO280 ) 露出補正 なし
032_220330203 X800 〇北桔橋門 Z50 18-140.jpg 32.内堀通りから北桔梗門を眺める
北桔橋門は、通常は橋を跳ね上げた形で、使われることがなく、いざという時の脱出路の確保としての門となっていたそうだ。現在は土橋に変形され、往時とは大きく異なった姿になっている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 59mm ISO280 ) 露出補正 なし
033_220330205 X800 北桔橋門 Z50 18-140.jpg 33.内堀通りのサクラ
そう大きな木ではないが枝垂れ桜がきれいに咲いていた。満開である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
034_220330211 X800 〇代官町通り 国立近代美術館分室 Z50 18-140.jpg 34.東京国立近代美術館分室
旧日本軍の司令部として1910年に建てられたこの建物は、北の丸公園整備に当たり、取り壊される予定だった。しかしながら、「明治洋風煉瓦建築の一典型」を残そうという人々の声で取り壊しは中止となり、1972年には外壁、玄関及び階段ホールが重要指定文化財に指定され、1977年、「近代美術館工芸館」として開館した。 その後、2020年(令和2年)10月25日、通称を国立工芸館(NCM)として、ここ皇居のほとり北の丸から、工芸のまち石川県金沢市の本多の森に移転し、新たなスタートを切った。現在のこのレンガ造りの建物は 東京国立近代美術館分室として残された。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f10 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
035_220330218 X800 代官町通り Z50 18-140.jpg 35.代官町通りのサクラ
代官町通りは、内堀通りの竹橋交差点から北の丸公園および皇居乾門入口と交差する大官庁交差点を経て、千鳥ヶ淵交差点に至る道である。この通りもサクラが咲いている。ヒヨドリが啄みに来ている。  

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO140 ) 露出補正 +1.0段
036_220330223 X800 代官町通り Z50 18-140.jpg 36.千鳥ヶ淵公園の遠望
代官町通りはやがて千鳥ヶ淵の堀にかかるが、そのお堀の右岸に千鳥ヶ淵公園が見えてきた。サクラの花が重なるように咲いていた。そのサクラの下を多くの花見客がが歩いている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 83mm ISO100 ) 露出補正 なし
037_220330229 X800 代官町通り Z50 18-140.jpg 37.千鳥ヶ淵交差点へ
ここは橋ではなく堤のようだが、千鳥ヶ淵交差点の手前は、千鳥ヶ淵公園のサクラと代官町通りに咲くサクラを楽しむことが出来る。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 60mm ISO100 ) 露出補正 なし
038_220330232 X800 〇代官町通り Z50 18-140.jpg 38.菜の花と千鳥ヶ淵公園のサクラ
千鳥ヶ淵交差点の手前の堤に咲く菜の花。チョウが来ないかと待ってみたが、撮らせてくれなかった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 26mm ISO110 ) 露出補正 なし
039_220330243 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 39.千鳥ヶ淵公園
千鳥ヶ淵交差点から左に、千鳥ヶ淵公園に入った。一般的には半蔵門側からこちらに歩く人が多いのだろうか。まさに満開である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 56mm ISO110 ) 露出補正 なし
040_220330246 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 40.千鳥ヶ淵 ソメイヨシノ
千鳥ヶ淵は皇居内堀の一部で田安門と半蔵門の間をいう。江戸城拡張の際に川をせき止めて築造された。名前の由来は渡り鳥の千鳥に形状が似ているからだとされている。今回は千鳥ヶ淵交差点から半蔵門までの千鳥ヶ淵公園だけを歩くことになったが、逆に千鳥ヶ淵交差点を北へ歩くと、千鳥ヶ淵戦没者墓苑やボート乗り場がある千鳥ヶ淵縁道になる。千鳥ヶ淵縁道は次回、北の丸公園を訪れるときに歩いてみたい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 30mm ISO110 ) 露出補正 なし
041_220330252 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 41.ソメイヨシノとベニシダレ -1
千鳥ヶ淵公園の散策路には、ソメイヨシノと花の色が濃いベニシダレ(紅枝垂)が重なるように咲いている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 94mm ISO160 ) 露出補正 なし
042_220330254 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 42.ソメイヨシノとベニシダレ -2
ベニシダレは千鳥ヶ淵公園に入ってすぐのところと、半蔵門に近いところに咲いていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO220 ) 露出補正 なし
043_220330256 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 43.ベニシダレ
説明板には、ベニシダレは自生種のエドヒガンが枝垂れ、その中から花色の濃い個体が選抜されてきた品種で、古木、名木が多いエドヒガンともども長寿で樹齢千年を超えるものもあると記されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 135mm ISO100 ) 露出補正 なし
044_220330261 X800 〇千鳥ヶ淵公園 英国大使館 Z50 18-140.jpg 44.英国大使館
内堀通りの向こう側に、英国大使館が見えた。イギリスは明治政府とのつながりが深く、早くから江戸城に近いこの地を与えられていた。レンガ造だった建物が関東大震災により倒壊し、昭和初期の1929年(昭和4年)頃に英国工務省の設計により鉄筋コンクリート造石貼りの現在の建物が建てられた。当時の日本建築に比べ、古典様式を忠実に踏襲し簡素化・近代化したデザインが特徴である。英国王室の紋章が施されたペディメントを持つギリシャ神殿風の中央棟から、左右に広がる別棟を持つ平面構成となっている。(千代田区観光協会のサイトを参照)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 53mm ISO110 ) 露出補正 なし
045_220330263 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 45.千鳥ヶ淵公園散策路
wikipediaによれば、千鳥ヶ淵公園は、「1919年(大正8年)に明治期の市区改正事業の一環として開園した。内堀通りと皇居の半蔵濠に面し、半蔵門から千鳥ヶ淵交差点までの間が公園となっている。南北約450m、東西約20mと細長い形をしており、お堀側では皇居と、内堀通り側では駐日英国大使館と向かい合っている。」と記されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
046_220330265 X800 〇千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 46.濠とサクラ
ソメイヨシノの大きな枝が濠に向け枝を伸ばしている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 39mm ISO110 ) 露出補正 なし
047_220330282 X800 〇千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 47.サクラの下の花見客
きょうは平日であるが、天気が良い。大勢の人が遊歩道を歩いている。週末にはもっと大勢の人が訪れるのだろう。サクラもこの週末まではもちそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO180 ) 露出補正 なし
048_220330284 X800 千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 48.サクラの品種
日本にサクラの品種は100種以上あると言われる。ソメイヨシノ、ベニシダレのほか、説明板にサトザクラのカンザンやフゲンゾウ、そしてマイヒメという品種が説明板にあった。このサクラの品種は何だろう? 説明板の写真にあったマイヒメに似ているが。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/800秒 64mm ISO100 ) 露出補正 なし
049_220330299 X800 〇千鳥ヶ淵公園 半蔵門 Z50 18-140.jpg 49.半蔵門 -1
半蔵濠の向こう側に半蔵門が見えてきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 48mm ISO160 ) 露出補正 なし
050_220330304 X800 〇千鳥ヶ淵公園 Z50 18-140.jpg 50.自由の群像
千鳥ヶ淵公園の桜並木の途中、半蔵門が近くなったところに、男性立像3体の「自由の群像」と題する彫刻があった。1955年に大手広告代理店の電通が建てたものだそうだ。碑文は現代人にとって生活必須の容器にして日本の進運福祉に多大な貢献をした新聞事業の先覚者たちを顕彰してこの「自由の群像」を建立することが述べられ、さらに、株式会社電通が新聞業界に尽くそうとする微意の一つとしてこれを建立する旨が、徳富蘇峰の撰文が緒方竹虎(朝日新聞主筆。戦後は政界に進出して自由党総裁)の筆で記されている。1955年の第一回顕彰者として福沢諭吉(時事新報)はじめ20名の名がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 42mm ISO100 ) 露出補正 なし
051_220330306 X800 半蔵門 Z50 18-140.jpg 51.半蔵門 -2
内堀通りへ戻り、左手正面に半蔵門を見る。半蔵門は城の西端に位置し、まっすぐ甲州街道(国道20号)に通じている。大手門とは正反対の位置にある。太平洋戦争で旧来の門は焼失し、現在の門は和田倉門の高麗門を移築したものである。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 70mm ISO110 ) 露出補正 なし
052_220330313 X800 国立劇場 Z50 18-140.jpg 52.国立劇場
午後1時15分、半蔵門を見て、そろそろ適当な地下鉄の駅から帰路につこうと、内堀通りを歩いているとと右側に国立劇場があった。wikipediaによれば、国立劇場は、歌舞伎・日本舞踊・演劇が演じられる大劇場、文楽・邦楽・琉球舞踊・日本舞踊(小規模公演)・雅楽・声明・民俗芸能が演じられる小劇場で構成されている。コロナ禍がはじまる前に文楽人形劇を見に来たことがある。1956年、国立劇場の計画は具体化した。設計案についてはコンペが行われ、校倉造の正倉院を模した外観とした竹中工務店の岩本博行ほか13名による案が、計307案の中から当選した(1963年)そうだ。建物は1966年10月に竣工している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 34mm ISO110 ) 露出補正 なし
053_220330317 X800 〇内堀通り Z50 18-140.jpg 53.桜田濠と桜田門
さらに内堀通りを進むと桜田濠の向こうに桜田門が見えてきた。wikipediaによれば、桜田濠と凱旋濠の間にある桜田門は、昭和36年(1961年)に「旧江戸城外桜田門」として国の重要文化財(建造物)に指定された。特別史跡「江戸城跡」の一画を占める。なお江戸城には内桜田門と外桜田門の2つが存在するが、前者は桔梗門とも呼ばれ、単に「桜田門」という場合には後者を指すことが多い。寛永13年(1636年)にそれまでの柵戸仕立の門を現在のような桝形門に改築、桜田門とよぶようになる。外側の高麗門と内側の渡櫓門の二重構造になっており、桝形を構成している。大正12年(1923年)の関東大震災で一部が破損、鋼鉄土蔵造りに改修される。安政7年(1860年)にこの門の近くで水戸藩浪士らによる大老井伊直弼の暗殺事件(桜田門外の変)が起きた。井伊邸は現在憲政記念館の建っている辺りにあり、桜田門から西に500mほどの所にあった。昭和7年(1932年)には昭和天皇の暗殺未遂事件(桜田門事件)が起きた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 34mm ISO110 ) 露出補正 なし
054_220330320 X800 〇内堀通り Z50 18-140.jpg 54.桜田濠のサクラ -1
桜田濠にも美しいサクラが咲いていた。堀に向かって伸びた枝は花の重みで垂れ下がっているようだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 57mm ISO160 ) 露出補正 なし
055_220330328 X800 内堀通り Z50 18-140.jpg 55.桜田濠のサクラ -2
この日はこのサクラで見納める。約3時間半、良く歩いた。今回行きそこなった北の丸公園と、そこ(田安門)から千鳥ヶ淵交差点までの千鳥ヶ淵縁道は来年以降のお花見に残しておこう。内堀通りにあった東京メトロの桜田門駅へ下りる入り口に入った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 26mm ISO100 ) 露出補正 なし


2022年4月11日

高野山 墓参 3月28日

3日目。娘は昨日、仕事で東京へ戻ってしまったが、娘の主人が私たちの高野山墓参に付き合ってくれた。私の兄が存命の頃は、3年に1回、親族が高野山に集まる機会があったが、9人いた父親の兄弟も高齢になり、その集まりも終了した。
 その後も数年に1回、父母、兄夫婦の眠る高野山へお墓参りに来ている。前回来たのは2018年11月だったので、3年と4か月ぶりの墓参になった。
 京阪電車、祇園四条駅発6時37分の特急に乗り淀屋橋で地下鉄御堂筋線に乗り換え難波へ出た。南海高野線の特急こうや号は8時42分発だ。駅構内でカフェに入りモーニングセットを食べたが、なかなか美味しかった。
 特急こうや号の車両は新しくなっていた。(ところが後で調べてみたところ、実は30年前に造られた車両だった)終点の極楽橋から高野山へ上るケーブルカーも新型の車両になっていた。難波駅で購入した特急券に高野山でのバスのフリー切符が付いていたので、ケーブル高野山駅からバスに乗り、まず、菩提寺である恵光院へ行った。今日は月曜日で観光客は少ない。
 恵光院の本堂で位牌にお参りした。過去帳には私がお参りした記録も残されている。  家内が昨年10月にアキレス腱を損傷し、歩行が完全ではないので、いつもは歩いて石畳の杉並木を歩き、中の橋のちょっと手前にある先祖代々の墓にお参りするのだが、今回は恵光院でタクシーを呼んでもらい、中の橋のバス停まで乗って行った。そこから、杉並木の奥の院参道に戻り、その中の橋の近くにある墓にお参りした。  杉並木の石畳を歩き、再び恵光院に戻り、タクシーを呼んでもらう。娘の小学校の同級生の母親で、家内と今も付き合いのあるかたの、若くして亡くなられた息子さん(娘の同級生)の菩提寺、正智院まで行ってお参りしてきた。
 本堂でお参りしたあと、その庭園と襖絵、掛軸など寺の素晴らしい所蔵品を見せていただいた。正智院の記述については、平成29年7月7日に発行された「霊訪館だより」に鳴海祥博氏が書かれている「高野山の古建築 第27回 正智院」を参照させていただいた。
 今回は奥の院も、金剛峯寺にもお参りはしなかった。  午後1時半になった。高野山駅へ行くバスの停留所の近くの食堂に入りそばを食べ昼食にした。この季節、高野山は肌寒い。桜もまだ咲いていない。朝早かったこともあり少々疲れた。
 帰りの特急こうや号は、15時39分迄ない。新大阪に着いたのは夕方6時近かった。

000_220328441 X700 〇高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg
高野山参道 奥の院への杉並木 2022年3月28日 和歌山県

001_220328065 X800 南海高野線 G7X.jpg 1.特急こうや号 車内
この日は月曜日であり、電車はガラガラだった。南海高野線のこうや号はJR和歌山線(王寺~和歌山)と接続する橋本駅から先は勾配が大きく、単線になる。橋本駅 -極楽橋駅間は「こうや花鉄道」の愛称が付けられ、特に高野下駅以南は50‰の勾配、制限速度33km/h、半径100m以下の急カーブが続く登山鉄道となっており、21m級の車両は走行できないため、この区間に乗り入れる列車にはズームカーと呼ばれる17m級の中型車両のみが使用されている。(wikipediaを参照)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
002_220328072 X800 南海高野線 極楽橋駅 G7X.jpg 2.高野山ケーブル
南海高野線の終点極楽橋駅から霊峰高野山の玄関口であるケーブル高野山駅までを結ぶ、南海電気鉄道のケーブルカー路線は通称高野山ケーブルと呼ばれるが、前回来たときに比べると車両が新しくなったようだ。2018年(平成30年)11月26日 - 2019年(平成31年)2月28日:車両の新造ならびに諸設備の更新工事実施のため運休し、その間バスで代行され、2019年(平成31年)3月1日:運行再開。車両は新造の4代目のN10・20形に置き換えられたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/800秒 37mm ISO3200 ) 露出補正 なし
003_220328493 X800 高野山 恵光院 本堂 Z50 18-140.jpg 3.恵光院本堂 外観
ケーブルの高野山駅からバスに乗って苅萱堂前で下り、まず、菩提寺である恵光院へ行った。高台にある本堂へ上がり、位牌に参拝する。この本堂は平成3年に近藤説巌上綱により再建された。昨年、第53世近藤大玄上綱が亡くなられ、現在は近藤説秀さんが住職を務められている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 40mm ISO160 ) 露出補正 なし
004_220328080 X800 恵光院 本堂 G7X.jpg 4.恵光院本堂 内部
若いお坊さんが過去帳を開いてくれた。そして、お祀りされていた位牌をご本尊様の仏像の前に配してくれたので、お参りする。ご本尊様は、中央に阿弥陀如来、向かって右に弘法大師、左に不動明王が祀られている。左手に置かれているのは、昨年亡くなられた近藤大玄上綱のお写真。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f2.5 1/320秒 15mm ISO3200 ) 露出補正 なし
005_220328082 X800 恵光院 G7X.jpg 5.恵光院 玄関から本堂への廊下
恵光院は宿坊をしており、今はコロナ禍で泊る人も少ないだろうが、世界遺産に登録された後、外国人の客が多いようで、案内板に英語が添えられていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
006_220328439 X800 高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 6.写真業界先賢萬霊の碑
中の橋バス停から、大きな杉の木の立ち並ぶ奥の院への石畳の参道へと歩く途中に、写真業界先賢萬霊の碑というのがあった。昭和31年(1956年)6月1日建立。たくさんの写真が焼き付けられている。写真業界先賢萬霊の碑と彫られた石碑の形はブローニー版のパトローネの様だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 40mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_220328447 X800 〇高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 7.中の橋
昭和27年に第二次世界大戦の戦死者を供養するために建てられた、英霊殿を背にして歩いてくると、右は奥の院弘法大師御廟、左は一の橋という案内板が立つ大きな杉の木の建ち並ぶ奥の院への石畳の参道に出る。この日は奥の院へお参りするのを割愛させていただき、墓参を優先させて左に行く。中の橋が見えてきた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 40mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220328449 X800 〇高野山 中の橋 姿見の井戸 Z50 18-140.jpg 8.姿見の井戸
中の橋を渡る手前の橋詰に汗かき地蔵をお祀りしているお堂があるのだが、 このお堂の右側に姿見の井戸と呼ばれる小さな井戸がある。 この井戸を覗きこんで、自分の顔が映らないと3年以内に死んでしまうといわれているのだそうだ。覗き込んでみた。映った。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO3200 ) 露出補正 なし
009_220328451 X800 〇高野山 中の橋 汗かき地蔵 Z50 18-140.jpg 9.汗かき地蔵
汗かき地蔵の説明板には、「汗かき地蔵は、常に人々の犯した罪に苦しみ、その苦しみを慈悲によって変わって受け、そのため汗を流しておられると言われています。黒っぽい石材に地蔵尊が半肉彫りされていて、実際にツユが吹いて汗が流れているように見えるときがあるようです。」と記されていた。高野山に伝わる伝承としては、奥の院への参拝者を含めた世の中全ての人々の罪を一身に背負って、代わりに汗をかいていると言われているそうだ。そしてこの地蔵堂と中の橋の向こうに、私の先祖代々の墓がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO720 ) 露出補正 なし
010_220328452 X800 高野山 中の橋 Z50 18-140.jpg 10.市川団十郎墓所
中の橋から一の橋へ参道を下がっていくと、市川団十郎の墓所があった。 「初代市川團十郎供養塔」と表示されている資料(「高野山奥の院の墓碑を訪ねて」)があるという。市川團十郎と云えば、約350年も続いているという成田屋の市川宗家であり、元禄17年(1704年)没。舞台上で役者に刺殺されたといわれている。初代が最初に眠っていた墓は、東京都港区芝公園にある常照院とされ、初代から七代目までは常照院に墓があったそうだ。九代目の市川團十郎は宗派を神道に改宗したために、亡くなった後はその公営の墓地がある青山霊園に建立された。今までの歴代團十郎が眠っていた墓地を青山霊園に移す事となり、歴代の團十郎は青山霊園で合墓となったという。では、この写真の市川団十郎墓所というのは何なのだろうか。放置されて荒れているようにも見えるが。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 24mm ISO800 ) 露出補正 なし
011_220328469 X800 〇高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 11.杉並木の石畳
一の橋から奥の院御廟までの参道約1.6kmの両側にそびえ立つ樹齢約200年~600年の大杉林は、和歌山県の天然記念物に指定されている。大杉の総数は1300本を数え、樹高50m級の巨木もある。なかでも樹形材質共に優れた樹木を保存し、優良な種子穂木を確保する目的で農林水産大臣が法律に基づき、特別母樹林に指定している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 28mm ISO450 ) 露出補正 なし
012_220328472 X800 高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 12.明智光秀墓所
私が知っている明智光秀の墓は、2020年11月に訪れた滋賀県大津市坂本にある西教寺である。NHKの大河ドラマにもある。しかし、一説に、本能寺の変のあと、山崎の合戦で討ち死にしたのは影武者であり、光秀は中洞(岐阜県山県市中洞)に落ち延びて荒深小五郎と名乗り、住んでいたと伝えられていて、その後、慶長5年(1600年)、関ケ原の合戦に参戦しようとした道中、増水した藪川(根尾川)で馬共に流されて亡くなったとされているそうだ。中洞白山神社の林の中に光秀の墓とされる「桔梗塚」があり、現在まで地元の荒深氏一族によって大切に守り続けられ、年に2回供養祭が行われているそうだ。では、ここ高野山の墓所は何なのだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
013_220328475 X800 高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 13.石田三成墓所
すぐ近くに石田三成の墓があった。石田三成の墓は京都市の大徳寺三玄院にあるが、江戸時代は、徳川家が三成の墓を許さなかったようである。このため三成の墓は、土に埋められ、世の中に顔を出さなかっというが、戦前にはその墓が発掘されて遺骨も出土しているそうだ。高野山の墓は生前に長命祈願のために自身が建てた「逆修墓」だという説がある。なぜ、高野山にはこのような戦国武将の墓があるのだろうか。 和歌山歴史物語というサイトには、中には武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、伊達政宗といった戦国武将の墓もある。 これは高野山、しいては空海のそばで眠りたいとの先人たちの願いがこめられているという。高野山への納骨の風習は鎌倉時代から始まり、墓石として石造りの五輪塔が登場したのが室町時代末期。現在は江戸時代初期造立の諸大名の五輪塔が墓石群の中核となっている。これは徳川家康が高野山を墓提所と定めたため、諸大名がこぞって高野山に墓石を建てたことが大きな要因。結果、大名家の墓は110家にもおよび、その数は全国大名の約40%を占めるという。「高野山で眠りたい」という願いは一般庶民も同じ。そこで、素朴でこじんまりとした一石五輪塔を奉って願いを叶えたのだ。ほかに、織田信長、豊臣一族、明智光秀ら多くの戦国武将の墓も。皇族、貴族、大名、一般庶民と、生前の所業や敵味方は死後は一切関係なし。すべての人を等しく受け入れるのは高野山の懐の深さか。しかし、私の祖先が、なぜ高野山に墓所を持つことが出来たのだろうか? 菩提寺である恵光院の当時のご住職と、コネがあったからだと聞いたことがあるが、それ以上のことは次男坊の私にはわからない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
014_220328485 X800 〇高野山 中の橋-一の橋 Z50 18-140.jpg 14.陽の光が差し込む杉並木
戦国大名の墓を見ているうちに一の橋が近くなった。差し込む陽の光に杉並木が生える。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.8 1/500秒 47mm ISO900 ) 露出補正 なし
015_220328554 X800 〇高野山 正智院 Z50 18-140.jpg 15.正智院
若くして心臓病で急逝した娘の小学校時代の同級生が眠る正智院に寄った。母親同士が、その頃から今もお付き合いが続いている。正智院は、壇上伽藍の北側の奥にある静かなところだ。正智院は、天平年間(1110年~1113年)に正智坊教覚によって開基され、その中興の学僧・道範大徳は高野八傑のひとりであり、聖僧・学僧等が相次いで傑出し高野山でも屈指の学問寺院として、その法灯を守り続けた寺院という。筑前の黒田家、薩摩の島津家の帰信が厚い。本尊は阿弥陀如来。有名な国宝文館詞林 、不動明王、五銛鈴その他仏像、仏画・典籍を多数所蔵されている。岩山を背景に枯山水の庭園、客間の襖絵などを見せていただいた。ご住職がとても立派なお方だった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO250 ) 露出補正 なし
016_220328495 X800 〇高野山 正智院 本堂 Z50 18-140.jpg 16.正智院 本堂
ご住職にご挨拶して、まず御本堂でお参りをした。本堂は大楽院というお寺の本堂を移築したものだそうだ。そのため、右手の一段高い内陣の奥に大楽院の本尊が、左手の奥に正智院の本尊が祀られている。中は非常に暗かった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/8秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
017_220328498 X800 高野山 正智院 庭園 Z50 18-140.jpg 17.正智院の庭
実は前回、2018年11月にも正智院に参拝している。その時は紅葉の頃だったので鮮やかだったが、今の季節はちょっと殺風景なのは仕方がない。この庭は、重森三玲が作庭した苔と岩肌の美しい枯山水庭園で国登録名勝になっている。写真は庭のごく一部。いい写真が撮れなかった。昭和27年(1952年)に重森三玲が水墨画水面的な発想を基に作庭した。庭の正面に大きな岩山があるが、この「影向岩」(明神岩とも呼ばれる)という巨大な岩は道範大徳がこの場所で明神様(影向明神・高野明神)を感得したことから名づけられたと言われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
018_220328510 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 18.正智院の客殿
正智院の客殿は広くて立派だった。大きな客殿は襖で仕切られ、襖を開けば連続した座敷になる。庭園に面した客間の襖絵は谷文晁や、名のある絵師によって描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/60秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
019_220328521 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 19.正智院の大広間の襖絵 -1
部屋を取り囲むように、広間の襖に、正智院の枯山水の庭が描かれていた。ご住職が説明してくださったのだが、撮影に夢中になり、作家の名前を覚えておくことが出来なかった。襖絵には庭の春夏秋冬が描かれ、庭の正面の大きな岩山「影向岩」に降り立つ白い束帯姿の影向明神が描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/160秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
020_220328522 X800 高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 20.正智院の大広間の襖絵 -2
明神様の左側が描かれている。部屋の広さが推し量れる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/125秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
021_220328525 X800 高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 21.正智院の大広間の襖絵 -3
さらにひとつ襖をあけて下さり、見せていただいたのは、庭の秋が描かれた襖画だった。そして右側の襖に冬が描かれている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/125秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
022_220328543 X800 〇高野山 正智院 美術品 Z50 18-140.jpg 22.正智院 円山応挙の掛軸
右下に「應擧」の銘が見られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/100秒 24mm ISO6400 ) 露出補正 なし
023_220328570 X800 高野山 壇上伽藍 金堂 Z50 18-140.jpg 23.根本大塔と八角灯篭
正智院のお参りを終え、根本大塔の後ろ側から壇上伽藍に上がった。何回も高野山に来ているが根本大塔の内部に入ったことはなかった。今朝、難波駅で購入した特急こうや号の「高野山・世界遺産きっぷ」に、高野山内バスのフリー切符のほかに根本大塔の入場割引券が付いていたので、入って見ることにした。wikipediaによれば、根本大塔は何度かの焼失の後、現在の塔は1937年(昭和12年)に空海入定1100年を記念して再建したもので1階平面が方形・2階平面が円形の鉄筋コンクリート造の16間(約30m)四面・高さ16丈(約50m)の2層の多宝塔である。中尊(左右に脇立を従えて、中央に安置される仏像)は、丈六(立像のたけが一丈六尺=約5m ある仏像。座像では、その半分の高さの仏像)の胎蔵大日如来坐像、その中尊を取り囲むように、四方に金剛界四仏の、阿閦・宝生・阿弥陀・不空成就の4如来を安置し、本来別々の密教経典に説かれている「胎蔵曼荼羅」の仏像と「金剛界曼荼羅」の仏像を一緒に安置するが、これは「金胎不二(こんたいふに)」の教えで、両者は不二一体である(根本的には1つ)という空海の思想を表したもので、堂内そのものが立体曼荼羅となっている。また塔内の柱16本には、十六大菩薩画像、壁面には真言八祖画像が堂本印象画伯によって描かれている。そして内部正面の梁には昭和天皇宸筆の勅額「弘法」が掲げられている。内部は撮影禁止であった。根本大塔の前にある「八角燈籠」は東大寺大仏殿の金銅八角燈籠(国宝)とよく似ている。楽器(横笛、尺八、鈸子、笙)を奏する音声菩薩(おんじょうぼさつ)が、鉄格子と唐草文様の透かしに浮彫で表されている。これは根本大塔の再建を記念して南海電鉄が奉納したものだそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 29mm ISO220 ) 露出補正 なし
024_220328566 X800 高野山 壇上伽藍 御影堂 Z50 18-140.jpg 24.御影堂(みえどう)
私はこの建物の姿は美しいと思う。御影堂は金堂の北側、根本大塔の西側にある。wikipediaによれば、御影堂は大師の持仏堂として創建され、天保14年(1843年)の大火で消失し、弘化4年(1847年)再建、梁間15.1mの向背付宝形造檜皮葺。空海の弟子の真如親王筆とされる弘法大師御影を本尊とし、外陣には空海十大弟子の肖像が掲げられている。堂の背後には、土蔵造りの御影堂宝蔵があり、かつては数々の霊宝や貴重な文書を保管する金庫や宝物庫としての重要な役割を果たした。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO280 ) 露出補正 なし
025_220328590 X800 高野山 壇上伽藍 Z50 18-140.jpg 25.壇上伽藍入り口
いつもはここから根本大塔の方へ歩いて行くが、今回はここから出てきた。秋には道の両側の紅葉がきれいだ。壇上伽藍へ通じるまっすぐなこの道を蛇腹道と言い、高野山では紅葉のスポットとして有名である。蛇腹道という由来は、高野山全体の寺院の並びを、蛇に見立てた時、ちょうどこの壇上伽藍に通じる蛇腹道が、蛇のお腹のあたりなるので「蛇腹道」の名前が付されたという。それにしてもこの日は観光客が少ない。こんな静かな高野山は初めてだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO220 ) 露出補正 なし
026_220328593 X800 高野山 壇上伽藍 Z50 18-140.jpg 26.金剛峯寺
今回は金剛峯寺は参拝しないで失礼した。金剛峯寺は弘法大師が金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経の真意に基づいて名付けられた高野山の総称だったが、現在は高野山弘法大師御廟を信仰の中心として結成された高野山真言宗3600寺、信徒1千万人の総本山の名称として知られる。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO320 ) 露出補正 なし
027_220328096 X800 ケーブル高野山駅 G7X.jpg 27.ケーブル高野山駅
千手院橋バス停の傍で簡単に昼食をとり、バスに乗ってケーブル高野山駅へ向かった。極楽橋からの特急こうや号に接続するケーブルまで1時間ほど待たされることになった。帰りの切符は買ってなかったので、購入し、駅舎の外へ出てみた。駅の標高は867m。1930年(昭和5年)に高野山電気鉄道鋼索線開通と同時に開業し、2015年にリニューアルされている。国の登録有形文化財に登録されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 13mm ISO125 ) 露出補正 なし
028_220328103 X800 ケーブル極楽橋駅 G7X.jpg 28.ケーブル極楽橋駅の天井
ケーブルカーが高野線に接続する極楽橋駅は2020年7月にリニューアルされていた。和歌山経済新聞に記事によると、駅名になった朱塗りの「極楽橋」は、高野山の聖域と俗世を区切る結界とされることから「はじまりの聖地、極楽橋」をコンセプトに、高野線側コンコースを「俗世」、ケーブルカー側コンコースを「聖域」に見立て、改装されている。南海高野線側コンコースは黒を基調とし、「いのちのはじまり」をテーマに極楽鳥や高野山ゆかりの動植物など約50種を天井画にした。写真のケーブルカー側コンコースは赤色と白色で構成する「宝来」と呼ばれる切り絵をモチーフに、極楽鳥や干支、縁起物が天井に描かれている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
029_220328106 X800 〇ケーブル極楽橋駅 G7X.jpg 29.極楽橋駅に並んだ特急車両
改札がはじまって南海高野線のホームへ行くと、特急電車の車両が並んでいた。一番右側に見えるのが、来るときに乗ってきた最新の車両で、と言っても1992年11月から運用されている31000形。真ん中は1983年年5月に3代目「こうや」として誕生した30000形。左が橋本ー極楽橋の「天空」で高野線で1969年から運用されている2200系だ。一番新しい31000形でも今から30年前にできた車両だが古さを感じさせない。無事、新大阪から「ひかり」に乗って新横浜に着いたのは夜9時少し前だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし


2022年3月18日

蝶 自選年間ベスト10 (19) 2021年

少々遅くなったが、昨年の蝶の写真の中から自分で気に入ったショットを選び出してみた。
2021年もコロナで始まった。4月、5月と感染者が増加し、まん防と緊急事態宣言が継続される。6月には一旦落ち着いたものの、7月下旬から第5波に襲われ、再び緊急事態宣言が出される。しかし、8月の終わりころから、不思議なほど新規感染者数は減少し始め、10月1日は全国的に緊急事態宣言が解除された。11月末時点では全国の新規感染者数は100人そこそこ迄減少した。
 こんな状況の中で、春から初夏にかけては例年通り、篠原、裏高尾、小石川植物園、武蔵嵐山など、近場へ出かけていた。第4波が落ち着いてきた7月18日から20日まで湯の丸高原へ行ったのが精いっぱいであった。
 ただ、9月になって、前縁に引き続き、クロマダラソテツシジミが他のしませてくれた。

001_210326023 X800 〇篠原 RX10M4.jpg 1.ギフチョウ 2021年3月26日 神奈川県相模原市
ミツバツツジに飛来したギフチョウ。少々タイミングが早すぎたためか、個体数は少なかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4 1/500秒 81mm ISO100 ) 露出補正 なし
002_210420093 X800 ◎関戸橋 多摩川河川敷.jpg 2.ギンイチモンジセセリ 2021年4月20日 東京都府中市
  2019年10月の台風19号による大雨で氾濫した多摩川河川敷だった。ギンイチモンジセセリの数は少なかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4 1/1000秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
003_210427048 X800 ◎舞岡公園 RX10M4.jpg 3.アオスジアゲハ 2021年4月27日 横浜市戸塚区 舞岡公園
ヒメジオンの花に飛来したアオスジアゲハが翅を開いて飛ぶ姿を仕留めた。ピントが合ってくれた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし
004_210526172 X800 ◎ミスジチョウ 表参道 多摩御陵 RX10M4.jpg 4.ミスジチョウ 2021年5月26日 八王子市 武蔵陵墓地
ここは昭和天皇陵が造営される以前は多摩御陵と称しており、現在でも通称として使われている。何頭かの本種を見かけた。ミスジチョウと表参道を写し込もうとしたが、近づくと飛び立ってしまい、ローアングルで撮れなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4 1/500秒 117mm ISO250 ) 露出補正 なし
005_210607207 X800 ◎八王子城跡 RX10M4.jpg 5.モンキアゲハ 2021年6月7日 八王子市 八王子城跡
高尾山へフジミドリシジミを撮りに行った帰路、八王子城跡に寄った。午後2時ごろ、植え込みのツツジの花にモンキアゲハが来た。きれいな個体で開翅した裏面を捉えることが出来た。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4 1/640秒 178mm ISO100 ) 露出補正 なし
006_210719174 X800 ◎嬬恋鹿沢 コヒョウモンモドキ RX10M4.jpg 6.コヒョウモンモドキ 2021年7月19日 群馬県 嬬恋鹿沢温泉
最近は個体数が少なくなったといわれるコヒョウモンモドキだったが、この時は発生最盛期だったのか、数頭のコヒョウモンモドキを見ることが出来た。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4 1/640秒 210mm ISO100 ) 露出補正 なし
007_211009580 X800 ◎えこりん村 RX10M4.jpg 7.ヒメアカタテハ 2021年10月9日 北海道恵庭市 えこりん村
秋に紅葉を見に北海道へ行った。旅行社主催のツアーだったが、そのコースにえこりん村というテーマパークが入っていた。クジャクチョウでもいてくれたらよかったが。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4 1/500秒 78mm ISO250 ) 露出補正 なし
008_211117018 X800 ◎峰岡公園 RX10M4.jpg 8.ツマグロヒョウモン雌 2021年11月17日 横浜市保土ヶ谷区
前翅裏面の茜色が好きだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 178mm ISO100 ) 露出補正 なし
009_210922120t X800 ◎高橋宅 クマソ  RX10M4.jpg 9.クロマダラソテツシジミ♀ 2021年9月22日 横浜市保土ヶ谷区
前年に続き、2021年も自宅近くに本種が現れてくれて、9月10日から11月20日まで観察することが出来た。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4 1/500秒 219mm ISO200 ) 露出補正 なし
010_210927166x X800 ◎峰岡公園 クマソ D5300 TAMRON 90.jpg 10.クロマダラソテツシジミ♂ 2021年9月27日 横浜市保土ヶ谷区
クロマダラソテツシジミのきれいな♂だ。尾状突起が長い。今秋も是非、会いたいと願う。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影 ( f5.6 1/500秒 90mm ISO180 ) 露出補正 なし
補_210326091 X800 〇篠原 RX10M4.jpg 補1.ギフチョウ 2021年3月26日 神奈川県相模原市
民家を訪れたギフチョウ。このお宅の奥様とは、毎年お目に掛かり、お茶もご馳走になっていたが、最近はお目に掛かれなくなってしまった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
補_210409285 X800 ◎小石川植物園 RX10M4.jpg 補2.ツマキチョウ♂と♀ 2021年4月9日 東京都文京区 小石川植物園
この年は多くのツマキチョウを見ることが出来た。♀の方の前翅の黒い紋が流れている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO200 ) 露出補正 なし
補_210607059 X800 ◎高尾山駅 フジミドリ RX10M4.jpg 補3.フジミドリシジミ♀ 2021年6月7日 東京都八王子市 高尾山
時期的に少し遅かった。曇り空のこの日、やっと擦れた♀1頭が現れた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO500 ) 露出補正 なし
補_210718210 X800 ◎池の平 グリーン広場 RX10M4.jpg 補4.クロヒカゲ 2021年7月18日 長野県小諸市 池の平湿原
湿原入り口のベンチに集うクロヒカゲ。みんな♂のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f2.8 1/500秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
補_210720012 X800 ◎池の平 ミヤマモンキ D5300 TAMRON 90.jpg 補5.ミヤマモンキチョウとモンキチョウ 2021年7月20日 長野県小諸市 池の平湿原
ミヤマモンキチョウを撮ろうと10名くらいのかたが木道を行ったり来たりされていた。花が少なく、なかなか落ち着いて撮らせてくれなかった。

Nikon D5300 TAMRON AF90mm f/2.8 Di macro
絞り優先オートで撮影 ( f4.5 1/800秒 90mm ISO100 ) 露出補正 なし
補_211120082 X800 ◎ソフィア横浜 クマソ RX10M4.jpg 補6.クロマダラソテツシジミ 2021年11月20日 横浜市保土ヶ谷区
2021年、最後に見たクロマダラソテツシジミがランタナの花に飛来。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
シャッタースピード優先オートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO100 ) 露出補正 なし