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2023年4月 4日

旅行 高松→丸亀→鞆の浦→尾道 ③丸亀 宝月堂・丸亀城・アザレ

2日目、この日は丸亀で婿殿の家の法事がある。9時前にホテルを出発し、朝の商店街のアーケードを通り抜け、右手に高松城の石垣と琴電の駅に電車が入るところを見ながら高松駅まで歩く。
 高松から丸亀までは、予讃線の各駅停車に乗った。丸亀まで1時間弱である。10時半ごろ丸亀駅に着いた。落ち着いた良い町だと感じた。今回は婿殿の母の法事だったが、親しかった方が車で駅まで迎えにきてくださっていた。その方が経営されている「宝月堂」という老舗のお菓子司の店を訊ねた。
 法事は12時から市内のお寺で行われるが、その前に丸亀城を案内していただいた。丸亀城は丸亀市民の心の支えになっている。
 法事が終わって、「宝月堂」の社長さんに、坂出にある「アザレ」というフランス料理のレストランでご馳走になった。田舎の町(失礼)にこんなところがと思うほど洗練された店だった。料理も美味しかったし、古い和風建築で昭和レトロ風の波を打つ障子ガラスの向こうには庭が見える。香川県在住の画家でセツ・モードセミナー卒業後、イラストレーターとして雑誌広告の仕事に携わってこられ、 現在は青山のDEE'S HALLなどで定期的に個展を開催し、海外のギャラリーでも展示会を行われている山口一郎さんによる玄関のデザインなど、素晴らしかった。
 坂出から予讃線の「マリンライナー」で岡山へ、岡山からは在来線の山陽線で福山へ行く。高松ー岡山間を瀬戸大橋線というのは愛称だそうで、正しくは高松駅ー坂出駅ー宇多津駅間はJR四国の予讃線で、宇多津駅ー児島駅はJR四国の本四備讃線、児島駅から茶屋町駅間はJR西日本の本四備讃線、そして茶屋町駅ー岡山駅間がJR西日本の宇野線である。(マリンライナーは宇多津駅には入らないで坂出から児島へ出てしまう。)山陽線ではSuicaが使えた。
 この日は天気は良かったのだが、中国からの黄砂なのだろうか霞がかかったように濁っていた。花粉も飛んでいたようで目が痒くてて仕方なかった。
 今宵は鞆の浦どまりである。タクシーで鞆の浦のホテルへ向かった。

000_230312547 X700 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg
丸亀城の石垣 2023年3月12日 香川県丸亀市

041_230312091 X900 〇高松 百間町 G7X.jpg 41.高松アーケード商店街
翌朝、高松三越のすぐ近くにあるホテルを出て、アーケード商店街を通って、高松駅まで歩いた。後で知ったのだが高松アーケード商店街は総延長約2.7kmで日本一長いのだそうだ。アーケード商店街は全部で7つあり、それらはつながっている。写真は丸亀町商店街と片原町商店街、兵庫町商店街が交差する高松中央商店街というところ。ミラノのヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアを思い起こさせられた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
042_230312092 X900 〇高松 アーケード G7X.jpg 42.讃岐うどん -1
丸亀町商店街と片原町商店街、兵庫町商店街のアーケードが交差する高松中央商店街から兵庫町商店街を中央通りをへ抜ける。さすが讃岐うどんの県、商店街にもうどん屋さんが多い。この店は「さぬき麺業」で午前10時開店だそうだ。1926年(大正15年)香川県香川郡川岡村(現川部町)に「香川屋」として創業。1964年(昭和39年)2月、高松市周辺の当時の製麺業者30数店が出資して「さぬき麺業」が設立された。東京、大阪にも出店している。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO640 ) 露出補正 なし
043_230312093 X900 高松 アーケード G7X.jpg 43.讃岐うどん -2
同じく兵庫町商店街の「はなまるうどん」の店だ。「はなまるうどん」は2000年に香川県高松市で創業した。全国各地、海外にも店舗があり、ホームページ検索すると、439店あった。はなまるの注文スタイルは、本場「讃岐」と同じセルフ形式。誰もが、どこかで見たことがあるという店だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO500 ) 露出補正 なし
044_230312099 X900 〇高松城 琴電 G7X.jpg 44.高松城石垣と琴電
寿町というところに出た。右手に高松城の石垣(玉藻公園)と終点高松築港駅に入る琴電(高松琴平電気鉄道株式会社)が見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.0 1/1250秒 37mm ISO250 ) 露出補正 なし
045_230312103 X900 〇高松駅 G7X.jpg 45.高松駅
岡山行の8時55分発のマリンライナー16号が出て行く。マリンライナーは丸亀には止まらない。むこうのホームに見えるのは、高松ー松山間の「特急いしずち」。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 20mm ISO250 ) 露出補正 なし
046_230312104 X900 〇高松駅 G7X.jpg 46.予讃線 各駅停車
私たちが乗車する9時26分発の予讃線の各駅停車の電車(7200系)。JR四国の電化区間は予讃線 高松~松山と土讃線 多度津~琴平間のみだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
047_230312106 X900 高松駅 G7X.jpg 47.2700系特急気動車
この列車は徳島へ行く「特急うずしお」だ。2019年8月にデビューした。最高速度は130km/hdで制御付自然振子方式を採用し、軽量・低重心化を図り、安らぎと先進性を併せ持たせた特急車両という。ここは関東では見慣れない車両が多い。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO640 ) 露出補正 なし
048_230312109 X900 丸亀 宝月堂 G7X.jpg 48.丸亀 宝月堂
丸亀駅には10時20分に到着した。丸亀駅に宝月堂のT社長が迎えに来ていただいていた。車でまず、宝月堂のお店に伺う。宝月堂は2017年に創業100年を迎えた。老舗の御菓子司である。HPによれば、店舗として使用されている北側の白い漆喰がまぶしい建物は最も古く、明治31年の建築である。2017年に柱や梁など、骨組みを残したまま改築し、先代が住居として使用していた2階の部屋は全て繋げ、和菓子教室の会場として使用されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.0 1/1250秒 9mm ISO250 ) 露出補正 なし
049_230312112 X900 〇丸亀 宝月堂 有形文化財 G7X.jpg 49.風月堂の建物は登録有形文化財
店舗の左側の木造3階建ての建物は、大正7年に建築。昭和6年の増築により洋風建築と町屋風建築が融合する建物となっている。1階は製造工場として使用し、2階は地域の人たちとの交流の場として使えるよう、模索しているという。スパニッシュ瓦や、スクラッチタイルが目を引くこの建物は2017年に文化庁の登録有形文化財となった。写真では見えないが、さらにその隣の南側に位置する昭和6年建築の建物があり、黒漆喰が目を引く町屋風造り。二段構えのうだつが特徴である。当時の防火設備として造られたうだつは、丸亀城から丸亀港に抜ける街道だった歴史を感じさせてくれる。今でも、工場として使用しているその建物の安全を見守っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
050_230312125 X900 〇丸亀 宝月堂 G7X.jpg 50。東京オリンピック聖火ランナー
社長のTさんは、2020年東京オリンピックの聖火ランナーとして、雨の中、香川県の瀬戸大橋のたもとを丸亀城まで走られた。店内にそのトーチのレプリカが展示されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 16mm ISO3200 ) 露出補正 なし
051_230312131 X900 丸亀 宝月堂 蝶という名の和菓子 G7X.jpg 51."ちょう" という題の和菓子
宝月堂謹製の"ちょう"という名を付けられた生菓子をご馳走になった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/500秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
052_230312138 X900 丸亀 宝月堂 G7X.jpg 52.宝月堂のペット
宝月堂にはペットの猫が飼われていて、社長さん以下のお店の人達に可愛がられている。外で写真を撮っていたら近寄ってきてくれた。とても人懐こい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
053_230312542 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 53.丸亀城 大手二の門(高麗門)
法事の時間まで少し時間があったので、丸亀城へ案内していただいた。丸亀市街地の南部に位置する亀山(標高66m)を利用し、ほぼ四角形に亀山の廻りを堀(内堀)で囲む、渦郭式の平山城である。丸亀城は石垣で有名だが、その石垣は、緩やかであるが荒々しい野面積みと端整な算木積みの土台から、頂は垂直になるよう独特の反りを持たせる「扇の勾配」と呼ばれる。山麓から山頂まで4重に重ねられ、合わせると60mになり、総高としては日本一高く、三の丸石垣だけで一番高い部分は22mあるそうだ(wikipediaより)。丸亀城は生駒氏が慶長年間築城したが、一時廃城となり、山崎氏が寛永末年復興、万治元年京極氏が代り六万石の居城となった。大手一の門及び二の門は寛文10年の再建になり、一の門は櫓門、二の門は髙麗門で これに両脇塀が附属している。これら遺構は手法にも特徴があり。且つ大手口の堂々たる偉容を示し、枡形の保存上からも大事な建物である(文化遺産オンライン)。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
054_230312544 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 54.大手二の門と一の門の櫓
天守を背後にする丸亀城の正門で城の北側に位置するのが大手一の門。現存する門は1670年(寛文10年)に再建された櫓門で、国の重要文化財。藩士が太鼓を打ち、時を知らせていたことから太鼓門とも呼ばれている。内堀を渡るとまずは大手二の門(高麗門)で、枡形を経て大手一の門(櫓門)に続く。天守に遠い方が二の門となるので、登城にあたってはここが最初の門。1670年(寛文10年)に再建された高麗門で国の重要文化財である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f11.0 1/500秒 26mm ISO100 ) 露出補正 なし
055_230312552 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 55.大手一の門(櫓門)
入母屋造の本瓦葺きの大手一の門は、棟の両側に鬼瓦と鯱瓦(しゃちほこがわら)をのせている。鯱瓦は、火事の際に水を噴き出して火を消すという伝説があり、鬼瓦同様に門の守り神となっているのだそうだ。城を防御するための石落としなども仕掛けられている実戦的な門でもある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
056_230312555 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 56.鏡石
一の門と二の門の枡形の中には、切り込みハギと言われる石垣の構築技術の一つがみられる。石を削り精加工した石を用いるが、石の合わせ口を精巧に隙間なく積んでいる。整層積みしたものや乱積みとなるものもある。大手枡形は城の正面玄関であり、鏡石と呼ばれる2mを超える大きな石が用いられている。鏡石は大手枡形などの城の重要な箇所に魅せる石垣として用いられた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
057_230312555 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 57.「幸運のハート石」
枡形の石垣に男石と女石のふたつの鏡石があるが、その間にハート形に見える石がはめ込まれている。男石と女石の間にあるから縁結びにご利益があるということらしい。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
058_230312558 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 58.大手一の門(櫓門)の門扉
門扉についての説明がないので、詳細は分からないが、重厚な門扉である。「お城の基礎講座 39.門扉(もんぴ)の構造」というサイトに丸亀城大手門の門扉の写真があり、そこには「門扉は肘壺(ひじつぼ)と呼ばれる金具を使って門に取り付けられている。肘壺は肘金(ひじがね)と壺金(つぼがね)の二つからなり、壺金は扉に、肘金は鏡柱に付けられる。肘金の突き出た先には乳金物(ちちがねもの)というまんじゅう型の金物で隠される。後略」と解説されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO800 ) 露出補正 なし
059_230312553 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 59.鉄砲狭間
丸亀城には、周囲を巡るように内堀が残り、その内堀の北側に架けられた石橋の先に大手門がある。丸亀城の大手門は、四方を囲まれた枡形に、出入り口となる虎口を二つ設けた「枡形虎口」と呼ばれる構造であるが、石橋を渡って、最初にくぐるのが大手二の門でその大手二の門の両側には、狭間が設けらtれた狭間塀があった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8.0 1/500秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
060_230312568 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 60.丸亀城 天守
丸亀城の天守は1660年に完成した。築城400年余りを誇る丸亀のシンボル「丸亀城」は、全国に現存する「木造天守十二城」の一つである。「現存12天守」とは、江戸時代以前に建設された木造天守のこと。全国にたった12カ所しかない貴重な天守といわれる。頂部の本丸には江戸時代に建てられた御三階櫓が現存する。この建物は唐破風や千鳥破風を施して漆喰が塗られ高さは15mあり、現存天守の中で最も小規模である(wikipedia)。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/640秒 125mm ISO100 ) 露出補正 なし
061_230312597 X900 〇丸亀城 Z50 Z18-140.jpg 61.丸亀城の石垣
先にも記したが、丸亀城は標高約66mの亀山という丘陵地に築城された平山城で「亀山城」という名前でも知られている。丸亀城の石垣は、石垣を築く技術が最高水準であった江戸時代前期に造られており、隙間なく積まれた石ときれいな曲線が魅力的である。石垣は美しい曲線を描いて立ち上がり、「扇の勾配」と称されている。場所ごとに石垣の積み方が異なっているため、細部の違いを楽しみながら見ることができる。迫力のある高さ60mの石垣に対し、現存12天守の中では最小で、高さ15mの天守が建設されており、ほかの城にはないような独特な雰囲気が味わえるという。天守へは10分、美しい石垣を見ながら登城することになる。2018年、台風や豪雨によって(写真の右側のほうで写っていないが)南西部の石垣が崩落した。石垣崩落による観光への影響はないが、現在も修復作業が行われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 77mm ISO100 ) 露出補正 なし
062_230312151 X900 坂出 Azalee G7X.jpg 62.アザレ(Azalée)
法事が終わって「宝月堂」の社長さんに、昼食をご馳走になったのだが、そこは素晴らしいフレンチ・レストランだった。丸亀から10分ほど車に乗って、坂出に向かった。着いたところは、「えっ、こんなところに」にと思うようなところだったが、これはその入り口で、最初に記した画家の山口一郎さんのデザインである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 22mm ISO400 ) 露出補正 なし
063_230312152 X900 坂出 Azalee G7X.jpg 63.アザレの室内
住宅地の中にポツンとある邸宅である。和を感じる庭を通って、玄関を入り部屋に通された。昭和初期の木造屋敷をリノベーションして見事に再生させた建物と聞いた。 通された広い部屋は見事な欄間が施された和室だが、床はホワイトマーブルの大理石を敷いたようなフロアだった。詳しく食レポはできないが、料理も、その雰囲気と調和し、味わいも絶品だったのは言うまでもない。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO400 ) 露出補正 なし
064_230312155 X900 〇坂出 Azalee G7X.jpg 64.azareの庭
レトロを感じる波をうったガラスが嵌められた障子を通して見える庭も、また素晴らしかった、その季節になると、店の名にもなっている躑躅が見事だと思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
065_230312158 X900 坂出 Azalee G7X.jpg 65.「蝶」
床の間に山口一郎さんの作品が掛けられていた。チョウの写真を撮るのが趣味である私を惹きつける。デフォルメはされているが、この渋い色で構成された翅の感じは本物のチョウを感じさせる。帰りがけにはシェフが挨拶をしに来てくれた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/125秒 14mm ISO3200 ) 露出補正 なし

2021年9月17日

旅の思い出 海外編 4

6)1994年8月ー9月 憧れのイタリア旅行(2)
サンジミニャーノ、シエナ、アッシジ、ローマ

8月27日から8月30日までミラノからヴェネチア、パドヴァ、ラヴェンナ、フィレンツェ、を観光して、後半は8月30日から9月2日まで、サンジミニャーノ、シエナ、アッシジ、そしてローマを周る、なか7日間の観光ツアーだった。
 ローマでちょっとにわか雨に振られただけで、毎日、ほとんど快晴に恵まれた。

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サンジミニャーノ トスカーナの丘

フィレンツェから南西57km、標高334mの丘の上の街サンジミニャーノ。城壁の中に形成されるこの町は高い塔が連立することで有名だが、これらの塔はかつて富や権力の象徴であり、最も多いときで70を越える塔が林立していたようだ。 いまでも14の塔が残っており、中世の面影を今に伝えている。 サンジミニァーノの塔の上からは、トスカーナのぶどうとオリーブ畑が見渡せた。なだらかな丘が幾重にも遠くまで続く。

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サンジミニャーノ ドゥオモ(参事会教会大聖堂)広場 

サンジミニャーノにもドゥオモがあった。周囲を七つの塔に囲まれたドゥオモ広場に面するこの大聖堂の元の教会は12世紀にローマ教皇エウゲニウス3世により建造された。高さ54メートルの鐘塔をもつ。モデナの司教で397年にこの地で死亡した聖ジミニャーノを祀り、ここから町の名前になっている。ファサードは東向きで、18段の広い階段の上に建つ13世紀のロマネスク様式である。

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シエナ カンポ広場

シエナはフィレンツェから南へ約50kmのところにある。中世には金融業で栄えた有力都市国家であり、13世紀から14世紀にかけて最盛期を迎えた。フィレンツェとトスカーナ地方の覇権を競い、またその経済力を背景として、ルネサンス期には芸術の中心地のひとつであったそうだ。

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アッシジ サンフランチェスコ聖堂

シエナからボローニアへ移動し、そこで1泊した。翌日、アッシジへ向かった。アッシジは首都ローマから北へ約131kmのところにある。フランシスコ会の創設者である聖フランチェスコの出身地として知られており、キリスト教の巡礼地としての性格を持つ都市でもある。最大の見所はサン・フランチェスコ聖堂である。聖堂は町の北西の斜面の上に建ち、斜面を有効に利用するため建物は上下二段に分かれている。上堂部分はゴシック様式、下堂の部分はロマネスク様式になっている。聖堂にはチマブーエ、ジョット、マルティーニなどの画家の手になるフレスコ画が多数描かれ、上堂内部はルネサンス初期の画家ジョットによる28の場面を描いた聖人フランチェスコの生涯のフレスコ画が、また下堂には「玉座の聖母と4人の天使と聖フランチェスコ」がそれぞれ一番の見所である。私たちが訪れた1994年から3年後1997年に大地震で大打撃を受けた。ボランティアによる修復工事などにより、2000年にはほぼ元の形にもどった。

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アッシジ サンタ・キァーラ修道院

サンフランチェスコ聖堂の関連施設群であるサンタ・キァーラ修道院は、聖フランチェスコの精神に従った女性キァーラ(クララ)のグループが建てた女子修道院で、1257年に完成した。ファサードはサンフランチェスコ聖堂と似ているが、アッシジの町にも多く使われている白とばら色の大理石を縞模様に積み重ね、中央にバラ窓と入口がひとつずつあるだけでシンプルです。

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アッシジ 城塞

アッシジは城壁の街と言われる。市街地は丘陵に沿って東西に長く形成されており、これに伴って城壁も東西に長く築かれた。城壁は市街地西端のサン・フランチェスコ聖堂から山上まで伸び、その山上にはロッカ・マジョーレ「大きな城砦」がそびえる。

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ローマ トレヴィの泉 -1

アッシジを巡ったあと、その足でローマに入った。いよいよ最後の訪問地である。ローマにはたくさん見るべきところがあり、翌日と2日間での観光となった。トレヴィの泉は1762年に完成している。後ろのポーリ宮殿と一体になったバロック・ロココ様式の豪華な造りが魅力の、ローマで最も大きく、 夢のある美しい噴水という。

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ローマ トレヴィの泉 -2

「後ろ向きの肩越しにコインを1枚投げ入れたなら、またいつの日か必ずローマに戻ることができる」と言い伝えられ、いつもたくさんの観光客であふれかえるローマの超人気スポットである。

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ローマ ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂 

ローマ旧市街のほぼ中心にあるヴェネツィア広場をバスで通った。写真の建物はヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂という。1885年、イタリア統一運動時に核となり、統一後はイタリア王国の王家となったサヴォイア家 のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世を王国の国父と見なし、その偉業を讃えるべくその息子であるウンベルト1世の治世に建設が開始された。建設開始から16年後の1911年に落成式が行われ、1925年に完成した。目立って聳え立つ新古典主義の建築物は、古代ローマや中世時代の建物が入り乱れる同地において浮いた存在であり、しばしば景観についての議論の対象となったそうだ。特に地元の人間からは景観を乱す存在として、独特の柱や階段の位置から「ウェンディングケーキ」「タイプライター」「入れ歯」といった蔑称で呼ばれていた。そのためかガイドさんからはほとんど説明がなかったと記憶している。

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ローマ コロッセオ

ローマ帝政期の西暦80年に、ウェスパシアヌス帝とティトゥス帝によって造られた円形闘技場。建造後1900年以上経ってもコロッセオは今もって古代ローマの象徴でありつづけている。各種イベントに使用されることも多く、2016年5月には日本とイタリアの国交樹立150年を記念してライトアップが行われた。観光地としての評価も高く、2015年にロンリープラネット社が発表した「世界の究極の観光地ベスト500」では、コロッセオは欧州最高の7位にランクインした。(wikipediaから引用)

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ローマ ティトゥスの凱旋門 

ガイドさんの説明でコロッセオを見学したあと自由散策となった。フォロ・ロマーノの入り口になるのかどうか、「聖なる道」を歩く。行く手に見える門はティトゥスの凱旋門だ。wikipediaによれば、ティトゥスの凱旋門は82年、ローマ帝国第11代皇帝ドミティアヌスにより、先代皇帝でドミティアヌスの兄でもあるティトゥスのエルサレム攻囲戦等での戦功を称えるため建てられたそうだ。この凱旋門は、16世紀以降に建てられることとなる凱旋門のスタイルの手本とされ、その中には有名なパリのエトワール凱旋門などがある。フォロ・ロマーノを見て歩くには事前勉強不足であった。

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ローマ バチカン宮殿

バチカン宮殿  は、バチカン市国内のサン・ピエトロ大聖堂に隣接するローマ教皇の住居である。

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ローマ バチカン宮殿の衛兵

バチカン市国で見かけるローマ教皇を警護するスイス衛兵隊は、カラフルな衣装を纏ったバチカンの花形的存在として目立つ。しかし、バチカン市国なのにスイス傭兵なのだ。 現在のスイスは、傭兵を禁止しているそうだが、儀礼的要素が強いことなどから例外として維持されているという。現存する国軍では創設時期が最古の軍である。

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ローマ 法王の執務室

ローマ法王は教皇とも呼ばれる。毎週日曜にサンピエトロ広場で行っている「正午の祈り」では、教皇が広場に面した宮殿の執務室の窓を開けて姿を見せ、信者に向けて説教したり、メッセージを伝えたりする。ガイドさんから「どの窓」かを説明されたが忘れてしまった。

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ローマ バチカン美術館 地図のギャラリー

ローマの2日目はバチカン美術館見学から始まった。wikipediaによれば、16世紀末に教皇ユリウス2世により創設されたバチカン美術館は、ベルヴェデーレの中庭の大部分を占めており、世界で最も大きな美術品コレクションの一つであり、歴代の教皇が蒐集した美術品の膨大なコレクションを展示している。ミケランジェロをはじめとする画家たちにより装飾されたシスティーナ礼拝堂と、ラファエロを中心とする画家たちにより装飾された教皇の居室は、見学コースに含まれている。地図のギャラリーは教皇宮殿内にある。幅6m、長さ120mの大ギャラリーの壁面にイタリアや教皇領の地図がフレスコ画で描かれる。1580年-1583年に描かれたものである。

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ローマ バチカン美術館 無原罪のマリアの間の天井

「無原罪の御宿り」という教義は聖母マリアが、神の恵みの特別なはからいによって、原罪の汚れと穢れを存在のはじめから一切受けていなかったとする、カトリック教会における教義である。中央の祭壇にマリア像がある。

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ローマ バチカン美術館 ラオコーン像

ラオコーン像 は、バチカン美術館のピオ・クレメンティーノ美術館に所蔵されている古代ギリシアの大理石製の彫像。ギリシア神話のトロイアの神官ラオコーンとその2人の息子が海蛇に巻き付かれている情景を彫刻にした作品である。古代ローマの博物家プリニウスによると、この彫像の作者はロドス島出身のアゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロスの三人の彫刻家であるとしている。(wikipediaによる)

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ローマ パンテオン神殿 内部

パンテオン神殿のファサードはギリシャ神殿のようだった。最初のパンテオンは紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造された。現在、ローマで見ることが出来るのは118年から128年に掛けて、ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建されたこのパンテオンである。画家ラファエロの墓もここにある。毎年8月6日と9日には、ここで、原爆忌 Mai più Hiroshima(Never more Hiroshima) が行われている。

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ローマ パンテオン神殿 天井

建物は、深さ4.5mのローマン・コンクリート基礎の上部に直径43.2m の円堂と半球形のドームが載った構造で、壁面の厚さは6mに達するが、高さによって材質を使い分けており、ドーム上部は凝灰岩と軽石を素材として用い、その厚さは1.5mに減じる。床からドーム頂部までの高さは直径と同じ43.2mで、天井にはオクルス(ラテン語で「目」の意)と呼ばれる採光のための直径9メートルの開口部があり、当時は日時計の役割もあったようだ。雨が降ると雨水が落ちてくるらしく、床には水はけの溝があるという。

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ローマ スペイン広場

スペイン広場は近くにあるスペイン大使館にちなんで命名されたそうだ。広場の中央には、「バルカッチャの噴水(舟の噴水)」がある。東側にトリニタ・デイ・モンティ教会へと続く「スペイン階段(トリニタ・デイ・モンティ階段)」があった。映画「ローマの休日」で、オードリー・ヘプバーン扮する王女がジェラートを食べたシーンでもおなじみの場所である。 今は保全のため、広場での飲食や階段での座り込みが法令で禁止されたそうだ。

2019年2月20日

冬の石山寺(前編) 2月14日

前の日に京都は本山興生寺霊山本廟での法事を終え、娘は10時から勤め先の会議に出るといって、早朝に出立した。娘の主人は大阪出張だという。もとより何の用事もない私たちには、まっすぐ帰る理由はない。
 昨年秋にも京都と滋賀の紅葉を見に来たが、今回は滋賀県大津市の石山寺と日吉大社を見てこようと計画した。「星乃珈琲店」という喫茶店で、久しぶりにモーニング・サービスのトーストとボイルド・エッグを食べて、JRで石山駅へ行った。石山で京阪石山坂本線に乗り換え、終点の石山寺で下車。観光客はいない。駅から10分ほど歩いて石山寺の東大門に着いた。東大門からまっすぐ参道が続くが人の姿はなかった。
 石山寺は、滋賀県大津市石山寺1丁目にある東寺真言宗の寺院。巡拝供養券(パンフレット)によれば、聖武天皇の勅願により、天平勝宝元年(749年)に良辨僧正によって開基された。
 wikipediaによれば、石山寺は琵琶湖の南端近くに位置し、琵琶湖から唯一流れ出る瀬田川(淀川の滋賀県内での名称)の右岸にある。創建年は天平19年(747年)。本堂は国の天然記念物の珪灰石(「石山寺硅灰石」)という巨大な岩盤の上に建ち、これが寺名の由来ともなっている(石山寺珪灰石は日本の地質百選に選定)。本尊は如意輪観音、開基(創立者)は良弁。石山寺は京都府の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場であり、西国三十三所観音霊場第13番札所となっている。また当寺は「蜻蛉日記」「更級日記」「枕草子」などの文学作品にも登場し、「源氏物語」の作者紫式部は、石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。「近江八景」のひとつ「石山秋月」でも知られるとある。

IMG_20190217_0002 X700.jpg  ↑ 石山寺境内図 巡拝供養券(パンフレット)より

1.朝焼け
時刻は朝6時48分、京都の町に朝日が昇ってきた。日の出は横浜より少し遅い。日の出の時刻を調べてみると、この日2月14日は、横浜が6時29分、京都は6時44分だった。ホワイト・バランスを「日陰」にして赤みを強調した。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO400 ) 露出補正 -0.7段
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2.京阪石山坂本線石山寺駅
JR石山駅で乗り換え、京阪石山坂本線で終点の石山寺駅は2駅目だった。2両編成の電車は、まるでかっての玉電のようだ。写真の電車は1984年製である。車両は小さく幅も狭いが堂々たる標準軌だった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO250 ) 露出補正 なし
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3.石山寺東大門
石山寺駅から琵琶湖を背に瀬田川に沿って10分ほど歩くと右手に石山寺の東大門があった。 鎌倉時代初期、建久元年(1190年)の建立と伝わるが、鬼瓦に記された慶長5年(1600年)の銘や様式などから、淀殿の寄進による慶長年間の境内の整備の際に、大規模な修理改造が行われたと推察されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO160 ) 露出補正 なし
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4.東大門仁王像 -1
門の両脇には仁王像が祀られている。鎌倉時代の仏師運慶・湛慶の作と伝えられ、歴史を感じさせる古さがある。これは向かって左側の仁王像で、後ろに草履がある。 昨秋湖東三山を訪れたが、その仁王門にも草履が架けられていた。しかし湖東三山は天台宗の寺院であったが、石山寺は東寺真言宗である。また、石山寺は西国観音札所であるが、湖東三山はそれに含まれないので、草履の有無は巡礼とも関係なさそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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5.東大門仁王像 -2
こちらは向かって右側の仁王像。一般的に向かって右側の仁王像は阿吽の阿形(口を開ける)であることが多いが、ここは左右どちらの仁王様も口を開けているように見えた。仁王像は仏像の位で言えば、如来、菩薩、明王の下に位置する天部に属し、仏像のランクでは天部の仏像は最下位にあるのだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
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6.法輪院
東大門を入って石山寺の参道の左側に、中には入れなかったが​、​門の外から松の枝ぶりのいい小さな庭園​が​見​られた​。ここは法輪寺といい、石山寺の寺坊(禅宗寺院では塔頭という)のひとつとして建立されたものだそうだ。江戸時代前期のものと伝​えられる​表門から中を眺めると、 東に桟瓦葺の庫裡・西に檜皮葺の書院が建っており両者は北側に妻を向けている。白い壁が美しい。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 14mm ISO200 ) 露出補正 なし
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7.くぐり岩
参道を進んで参拝受付を入ると右手に「くぐり岩」というのがあった。穴をくぐると願い事が叶うとされるパワースポットだそうだ。立てられた説明板には「このあたりの岩は全部大理石である奇岩怪石の幽邃の境中天然自然に体内くぐり状態をなすこの池は天平時代のものである」とあったが意味がよくわからなかった。マグマによって接触変成作用を受けるのは、珪灰石のほかに大理石、ベスブ石、ざくろ石、菫青石などがあり、くぐり岩は大理石とのこと。池には大きな鯉が泳いでいた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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8.御手洗(みたらし)
くぐり石の近くに参拝者が手や口を洗って清める手水舎があった。手水舎に龍はよくあるのだが、ここのはいつごろのものかわからないが、時代を感じさせる。神仏を守護するために竜神が働くというのは昔から言われているそうで、手水舎の龍は人間の汚れを清め、聖域を守るのだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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9.毘沙門堂
インターネットのニッポン旅マガジンというサイトには、毘沙門堂について「本堂の東側に観音堂と並んで建つのが毘沙門堂。重要文化財の東大門と並び、建久年間(1190〜1199年)に源頼朝により寄進で創建されていますが、現存する建物は、江戸時代中期の安永2年(1773年)の再建で、滋賀県の有形文化財に指定。 堂内に兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん=唐代に中国の西域に現れ、外敵から国土を守ったという毘沙門天/重要文化財)、吉祥天・善膩師童子(ぜんにしどうじ=毘沙門天の息子のひとり)を祀っていますが、源頼朝の乳母・亀谷禅尼の夫である中原親能(なかはらのちかよし=文官御家人で、鎌倉幕府政所公事奉行)がこの毘沙門天の駕籠を受け凶賊を退治したという逸話が残されています。」と記されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
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10.蓮如堂
同じくニッポン旅マガジンによると、建物は、慶長7年(1602年)に淀君による慶長年間の伽藍復興の際に、石山寺の鎮守社である三十八所権現社の拝殿として建築されたもので、文化8年(1811年)に桟瓦葺き(さんがわらぶき)に修築され、明治の神仏分離令により蓮如堂となっている。三十八所権現とは、日本古来の神々と神武天皇から天智天皇まで38代の天皇を祀る社で、権現とは仏や菩薩が仮に姿を変えて日本の神として現れること。神仏習合時代の名残の堂(寺院における鎮守拝殿)で、蓮如堂(旧拝殿)も神事と仏事の両方で使用可能という珍しい造りになっているという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
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11.本堂前 鉢植えの梅
いよいよ本堂に上がる。その手前に鉢植えの梅が咲いていた。本堂の前の広くなったところで、毘沙門堂とその向こうに観音堂が見える。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 11mm ISO160 ) 露出補正 なし
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12.本堂入口
鉢植えの梅を撮ったところから、石段を上がると本堂の入り口があった。平安時代後期再建の本堂は国宝である。外陣(礼堂)が見えるが、残念ながらここから撮影禁止である。右手が内陣(正堂)で、中央に据えられている巨大な厨子の中には、秘仏の本尊である平安時代作の如意輪観音半跏像(重要文化財)が祀られているという。また、礼堂と正堂を繋ぐ相の間の右端には、紫式部の間という小部屋が設けられている。これは紫式部が石山寺に篭り、源氏物語の発想を得たという逸話に基いたものだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/320秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 なし
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13.硅灰石
天然記念物に指定されている石山寺の名前の由来となっている奇岩だ。硅灰石(けいかいせき)という。本堂から多宝塔へ上る途中にその露頭がある。硅灰石 が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したものというが、石山寺のように雄大な 硅灰石となっているのは大変珍しいそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/320秒 9mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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14.経堂と安産の腰掛石
本堂の北東の高いところに建っている経堂は経典を収めるための高床の校倉で、滋賀県最古の校倉造の建物は重要文化財である。その高床式に建てられた経蔵の束の部分は露出した硅灰石の岩盤に直接建てられているが、その束を抱くように岩盤に座ると安産になると伝えられているそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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15.鐘楼
瀬田川の方向に見えるこの鐘楼も重要文化財である。源頼朝の寄進と伝えられているそうだ。上層には平安時代の梵鐘が吊られており、下層から撞木(シモク:釣鐘を突く棒​)​を引いて撞く珍しい構造となっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 10mm ISO320 ) 露出補正 なし
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16.国宝 多宝塔 -1
源頼朝の寄進により建立されたと伝えられ、上下二層のバランスや軒の曲線の美しさで日本が誇る最古最美の多宝塔として知られる。この多宝塔は、鎌倉時代の建久5年(1194年)に建立されたもので、建築年が明確なものとしては日本最古の多宝塔。国宝に指定されている。和歌山・金剛三昧院多宝塔、大阪・慈眼院多宝塔に並び、日本三名塔のひとつにも数えられている。下層が方形(四柱造)、上層は円形の平面を持ち、屋根は宝形造の檜皮葺きになっている。多宝塔内部の柱や天井の回りなどには仏像や草花などの絵が描かれ、須弥壇には鎌倉時代を代表する仏師・快慶作という重要文化財の金剛界(大日如来の智慧が堅固な悟りで、 何ものにも傷ついたり揺らぐことがないことを表わす)の大日如来坐像が安置されているそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2 1/1000秒 10mm ISO500 ) 露出補正 なし
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17.心経堂
琵琶湖側の高いところまで上がってきた。この心経堂は比較的新しく建てられたお堂である。花山法皇西国三十三所復興一千年記念行事の一環として、平成2年(1990年)に建立された堂宇で、多宝塔の北東の一番高い場所に位置する。内部中央には如意輪観世音菩薩と、石山寺の奉納された写経を収める輪蔵が安置されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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18.国宝 多宝塔 -2 心経堂のあたりから多宝塔を眺める。なるほど美しい形をしている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO250 ) 露出補正 なし
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2018年11月15日

日光東照宮と古峯神社・古峯園 バスツアー(1) 東照宮 10月27日

日光東照宮の「陽明門」の修復が終わって見られるようになったと聞いていたので、是非、行きたいと思っていたところ、某旅行社より「秋色に染まる日光東照宮と古峯園・古峯神社 紅葉3景」という日帰りバスツアーの案内が届いた。さっそくインターネットで申し込んだ。
 天気予報は降水確率80%の10月27日、朝6時半に横浜駅東口に集合した。細かい雨が降っている。
 バスは東神奈川から首都高に入り、湾岸線の大井JCTを左へ、山手トンネルに入った。少々遠くなるのではないかと思ったがこのほうが早いのだろう。順調に池袋に抜けて、東北道に入った。
 途中、大谷PAで弁当が積み込まれ、宇都宮から日光道路を走り、東照宮表参道近くの日光カステラ本舗の駐車場に到着したのは、10時15分くらいだったと思う。表参道を歩いて、「五重塔」、「陽明門」や「三猿」などを見て、二荒山神社、そして家光の墓がある輪王寺大猷院を回って、バスに戻った。 日光を12時過ぎに出発したバスは鹿沼市古峰ヶ原(こぶがはら)にある古峯神社に向かう。バスの中で配られた駅弁を開く。到着した古峯神社・古峯園は紅葉も始まっていて、思っていた以上に見ごたえがあった。
 午後2時30分に古峯神社を出発、川口PAまで休まずに走り、首都高速が若干混んだものの、6時過ぎに横浜駅西口に帰着した。全行程で心配した雨に降られなかったのは幸いだった。
 まず、東照宮と二荒山神社のことから始める。それぞれの記事は、日光東照宮ホームページ、および「日光東照宮・ご朱印」というサイトを参考にさせていただいている。
 今回はあまりにも混んでいたので、2016年に修復された東回廊の坂下門にある国宝「眠り猫」は見なかった。

1.表参道を歩く
添乗員さんに案内されて歩く。バスの駐車場から東照宮への表参道へ通じる車も通る細い道は、小学校の生徒たちもいて、人が溢れていた。写真は表参道で「石鳥居」が見えるところ。日光東照宮のホームページによれば、この「石鳥居」は東照宮鎮座翌年の元和4年(1618)、九州筑前(福岡県)藩主黒田長政によって奉納された。石材は、まず九州から船で小山まで運ばれ、その後陸路人力でこの日光まで運ばれたそうだ。

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プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
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2.「表門」
「石鳥居」の先に「表門」が見えた。 東照宮最初の門で、左右に仁王像が安置されているところから「仁王門」とも呼ばれている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
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3.「五重塔」
「石鳥居」をくぐって、「表門」に上がる石段の手前左側に「五重塔」があった。前回は12年前に来ているが、その時に見た「五重塔」はくすんでいたように思う。「五重塔」は慶安3年(1650)若狭の国(福井県)小浜藩主酒井忠勝公によって奉納された。文化12年火災にあったが、その後文政元年(1818)に同藩主酒井忠進公によって再建された。

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プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO160 ) 露出補正 なし
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4.外国からの観光客
多分ツアーで来ているのだと思うが、外国人観光客のグループが「五重塔」の前で、ツアコンさんが[表門」で拝観受付をしているのを待っていた。さすがに外国人観光客が多い。

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プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO640 ) 露出補正 なし
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5.「神厩舎」
「表門」をくぐって左側に見ざる、言わざる、聞かざるで有名な「三猿」の彫刻が掲げられている「神厩舎」があった。 「神厩舎」は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)である。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、人間の一生が風刺されているという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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6.「神厩舎 」北側
猿の彫刻は全部で8面あるが、この北側に5面と、建物を右側に回り込んだ西側に3面ある。これら「神厩舎」の長押上にある8面の猿の彫刻は、人間の一生が風刺されているという。 向かって左から、第1面は母と子のくつろぎで母と子の絆の強さを表現している。第2面が有名な三猿で、親もとを離れる前に、世間の悪いことを見たり、聞いたりせず、また、人を傷付けるようなことを言ってはいけないと、兄弟三猿に対して親が戒めているとする見方と、自分に都合の悪いことがあれば、見ざる、聞かざる、言わざるで世の中を切り抜けよという処世術の教育であるともいわれるそうだ。第3面が親元を離れた猿、第4面は仲間と青雲の志を持つ。第5面は新たな展開を表し、第6面は恋愛中の猿。第7面は新婚の猿で、第8面は妊娠した猿の幸せそうな表情を表すそうだ。そして、子供が生まれると第1面に戻る。 

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 13mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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7.「神厩舎」 「三猿」
第2面の有名な三猿の彫刻である。作者は不明だそうだ。12年前に見たときと比べると、修復され、鮮やかな色彩を放っていた。撮影条件は違うが上の写真は2006年に撮った。国重要文化財「神厩舎」の全8面にわたって取り付けられている「三猿」は、これまでも約10年ごとに修復作業を繰り返してきたが、8面すべてを塗り替えるのは65年ぶりという。屋外に面した彫刻は外気にさらされ傷みやすく、下地があらわになっていく。そのため、彫刻部を建物から取り外し、一度現状の色をすべて落としてから塗り直す方法がとられた。今回の修復も半世紀前に残された見取り図を見ながら、彫りの形に合わせ、猿の毛色や表情をゼロから描き上げたという。ゼロから描き直す以上、筆の先の太さ、筆のタッチなどが最終的に個人の力量や個性になるのは事実であり、以前のものと比べ、違和感を感じるのも当然だと言われる。それぞれの寺社によって修復へのスタンスは異なり、塗り直しはせず、劣化防止に力を入れるケースもあるが、日光東照宮は、江戸時代の造営以来、常に時代に合わせて修復を続けてきた。

上:Nikon D100 NIKKOR f3.5-4.5 28-105mm macro
プログラムオートで撮影 ( F4.5 1/60秒 66mm ISO400 ) 露出補正 なし 2006年11月9日 撮影
下:SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 39mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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8.「陽明門」で記念写真
小学校の生徒たちが「陽明門」を背景にして記念写真を撮っていた。それにしても凄い数の観光客である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 20mm ISO1000 ) 露出補正 なし
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9.輝く「陽明門」
日光東照宮では平成の大修理の第一期の3次工事が行われている。この国宝の「陽明門」の修復工事は、総工費に10億円かかると言われ、2013年から6年間の計画で開始された。当初は先行きが見通せない状況だったが、2017年(平成29年)3月、無事に工事が終了したそうだ。装飾廻りの根本的な更新修理が行われ、外部廻りの漆塗・彩色・錺金具の更新を主に、一部内部塗装の繕いのほか、屋根・足元・縁廻り等の消耗的箇所についても調査を行い、必要があれば部分的な木部解体修理が併せて実施されたという。そして、2017年3月10日、世界遺産・日光東照宮の国宝「陽明門」が約40年ぶりの大修理を終え、色彩鮮やかによみがえった至宝が一般公開されたのだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 32mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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10.「陽明門」の扁額
日本を代表する最も美しい門で、宮中正門の名をいただいたと伝えられている。いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされている。扁額には「東照大権現」とあった。1616年(元和2)家康が駿府で没すると,遺言に基づきいったん駿河久能山に葬り,翌年ここ日光山に遷葬、朝廷から「東照大権現」の神号が授けられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181027_010.jpg
11.「陽明門」の彫刻 -1
「陽明門」は、高さは11.1mの2層造りで、正面の長さは7m、奥行きが4.4mある。そこに施されている彫刻はそれぞれ見ごたえがある。これは「御宮並脇堂社結構書」という日光東照宮に関して記された書物に出てくる架空の動物(霊獣)のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 94mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181027_011.jpg
12.「陽明門」の彫刻 -2
「陽明門」には、一切の空間を埋め尽くすかのように施された、おびただしい数の彫刻がある。この数は正確には知られていなかったが、 改めて数えて見た結果、独立した彫刻が508体あったという。そのうち 156体 が人物の彫刻だそうだ。これらの彫刻は、狩野探幽の作品に数多く登場することから、陽明門のデザインに関しての総指揮は、狩野探幽が単独で一任されていたのではないかと言われている。「陽明門」の上層の高欄(手すり)には「唐子の知恵遊び」と呼ばれる子供が彫られている。 子供の彫刻の少し下にある「出組(組物)」の下にも多数の人物の彫刻が存在する。写真にあるような、これらの人物の彫刻は、かつて中国の歴史上に存在した22人の著名人と伝えられ、戦乱の多かった中国を安寧(平和)に導いた人物とされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 51mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181027_012.jpg
13.「陽明門」の随身 右大臣
写真は「陽明門」の向かって左側の随身像である。随身とは、平安時代の武装した格好の人形のことを言い、通常は左大臣、右大臣(矢大臣)と呼称される。随身像は、寺の仁王像と同じ役割りを持っており、神に仕えて神を守護する者と言うことになる。こちらが右大臣である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/320秒 55mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181027_013.jpg
14.「陽明門」の随身 左大臣
こちらは左大臣。「陽明門」の出入りは右側通行になっていて、人込みで右大臣と左大臣を一緒に撮れなかったので、「陽明門」を退出した時に撮った。随身は等身大で、かつ写実的であるため、江戸時代には「生る人に違はず」と言われた傑作だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO2500 ) 露出補正 なし
181027_014.jpg
15.狛犬
随身像の後ろ側には狛犬があり、ピカピカに輝いていた。日光東照宮のホームページによれば、この狛犬は滋賀県の大宝神社が所蔵する国宝(現在は重文)の狛犬を模して、大正5年に製作したものだそうだ。狛犬は一般的に唐獅子と狛犬(角がある)の一対を総称した呼び名だが、「陽明門」の一対にはどちらにも狛犬の特徴である角が付いていないので、両方唐獅子という珍しいものだという。写真は右の狛犬(吽形)である。そして、欄間には鳳凰、牡丹、桐の花の透かし彫りがある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
181027_015.jpg
16.「唐門」
国宝である。全体が胡粉で白く塗られ、「許由と巣父(きょゆうとそうほ)」や「舜帝朝見の儀(しゅんていちょうけんのぎ)」といった細かい彫刻がほどこされている。創建は1617年(元和3年/江戸時代前期)で、1636年(寛永13年/江戸時代前期)に再建された。この「唐門」は「本殿」を守護する真正面の門であり、四辺に「唐破風(からはふ)造りの屋根」が備え付けられていることから「四方唐破風造(しほうからはふつくり)」と呼称されている。「唐門」の大きな特徴として、左右にひときわ目を惹き付ける昇龍と降龍の彫刻がある。龍は屋根上の左右両端にも備え付けられており、屋根上の龍はヒレが切られた龍になっている。さらにその両端の龍の間の破風の頂には「恙(つつが)」と呼称される唐獅子が備え付けられている。この「唐門」に施されている彫刻の数はなんと611(うち人物が64人)もあり、この数は「陽明門」を上回る数である。

上:SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO1250 ) 露出補正 なし
下:SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO1640 ) 露出補正 なし
181027_016.jpg
17.「神輿舎」
重要文化財である。1636年(元和3年/江戸時代前期)に創建された。「神興舎」は「しんよしゃ」と読む。殿舎の四辺の一辺の長さは約6mあり、この中に「春秋渡御祭」(5月18日、10月17日)に使われる、3基の神輿が納められている。神輿が3基あるのには本殿で家康公と相殿として祭祀されている御祭神の豊臣秀吉公と源頼朝公(卿)の御霊を乗せる神輿であるからだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO1600 ) 露出補正 なし
181027_017.jpg
18.家康公の神輿
中央に主祭神である家康公の神輿があった。干支の虎と竹が彫られている。蝶の飾りもあった。寛永13年に制作された初代の神輿は重さが1トン以上もあったそうだが、現在の二代目は昭和40年代に制作されたもので800㎏だそうだ。徳川家康を静岡の久能山から日光に改葬した際の行列を再現する「春秋渡御祭」では、10月17日に開催される秋の「神輿渡御祭」は、春より規模を縮小して開催されるが、それでも約800人の鎧武者や騎馬、鉄砲持ち、稚児などの行列は絢爛豪華な歴史絵巻を再現しており目を見張るものがあるという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/160秒 23mm ISO3200 ) 露出補正 なし
181027_018.jpg
19.「鼓楼」と「本地堂(鳴竜)」
「陽明門」の石段の上から「鼓楼」と「本地堂」を見る。 日光東照宮の「鼓楼」と「鐘楼」は一対で設置されている。一対で設置される場合、基本的にはその構造、大きさなどあまり変わりないようにつくられる。だが細部が微妙に違うようだ。「陽明門」から見て右側にこの写真で見られる「鼓楼」があり、左側に「鐘楼」がある。「鐘楼」、「鼓楼」は1635年(寛永12年)に建てられた。かつては実際に使っていたそうで、日光東照宮の祭礼は「鼓楼」の太鼓の音に始まり、 「鐘楼」 の鐘の音で終わったということだそうだ。そして、「鼓楼」の後方にあるのが「本地堂」だ。東照宮境内最大の建物で、創建は1636年(寛永13年/江戸前期)、1961年(昭和36年)に再建された。34枚の檜の板に描かれた6mX15mの「鳴竜」の天井画が有名で家康公を薬師如来の化身としたことから 「薬師堂」とも呼ばれ、「薬師瑠璃光如来像」が祀られている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
181027_019.jpg
20.二荒山神社への道
東照宮から上新道(うわしんみち)を二荒山神社へと歩く。あんなに混雑した「陽明門」だったのに、ここは人が少なかった。wikipediaによれば、二荒山神社では、古名を二荒山という男体山、女峰山、太郎山からなる「日光三山」それぞれに祭神をあてて祀っている。三山のほか日光連山を境内地とし、面積は3,400haにも及び、その神域には華厳滝やいろは坂も含まれる。二荒山神社は古来より修験道の霊場として崇敬された。江戸時代になり幕府によって日光東照宮等が造営されると二荒山神社も重要視され、現在の世界遺産・重要文化財指定の主な社殿が造営された。また、国宝指定の刀剣2口や多数の刀剣等の重要文化財を現在に伝えているほか、境内は国の史跡「日光山内」に包括されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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21.上新道と「楼門」
上新道は日光東照宮の入口となる「石鳥居」と「表門」の広場から、二荒山神社の入口となる「楼門」へ続く。その距離は約200mほどあり、徒歩で4、5分ほどかかった。前の写真で見るように、上新道の側面には、植生する杉の木と37基の燈籠がが整然と立ち並んでいる。この燈籠は1966年(昭和41年)に執り行われた「日光東照宮350年記念祭」を記念して奉納されたものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 30mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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22.シロヤシオの紅葉
「楼門」を入ると鳥居があって、その左側に社務所があった。結婚式場にもなっているらしい。社務所の門の右手に見事に紅葉している1本の樹があった。この樹は「シロヤシオ(白八汐)」といい、太平洋側の山地に生息するツツジ科ツツジ属の落葉樹という説明書が掛けられていた。5-6月に咲く花は白く大柄だそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO800 ) 露出補正 なし
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23.二荒山神社拝殿 -1
国の重要文化財である。霊場としての日光の始まりは、下野国の僧・勝道上人(735年-817年)が北部山岳地に修行場を求め、大谷川北岸に天平神護2年(766年)に紫雲立寺(現在の四本龍寺の前身)を建てたことに始まるとされる。そして二荒山神社の創建は、上人が神護景雲元年(767年)二荒山(男体山)の神を祭る祠を建てたことに始まるとされる。「拝殿」の創建年は不明とされているが、1645年(正保2年/江戸時代前期)に再建されているようだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 なし
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24.二荒山神社拝殿 -2
この「拝殿」の奥に「本殿」がある。「拝殿」と「本殿」の間には切妻造りの小屋のような建造物「渡殿」が設けられおり、渡廊の役割を担い、「本殿」と「拝殿」を連絡している。「本殿」は左右に妻側が向けられた入母屋造りで、正面の屋根には三角の千鳥破風、その軒下には緩やかな曲線の唐破風が据えられており、複雑さがありながら、実に完美とも言える造りになっているという。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO2500 ) 露出補正 なし
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25.「良い縁狛犬」と「足尾の大国様」
「拝殿」を下がって、「神門」へと向かう右側に「神楽殿」が見えた。「神楽殿」の中には大きく金色をした「足尾の大国様」が祀られていた。この大国様は「昔、勝道上人が二荒山中宮祠において修行中、毎年稲穂をくわえて白ねずみが現れたそうです。そこで白ねずみがどこからくるのか確かめようと、白ねずみの足の紐(緒)を結わえて放ったところ、現在の足尾の村落に至り、渡良瀬川の洞窟に入ったそうです。それ以来この村落を「足緒」と呼ぶようになったと言われております。そして、白ねずみが入った洞穴を修行の場に選び大国様とネズミを祀ったと伝えられております。」と説明されていた。手前は「良い縁の狛犬」。そこには「狛犬は、獅子や犬に似た想像状の生き物とされています。起源は、古代エジプト・メソポタミアでの神殿を守るライオン像とされています。中国を経て飛鳥時代に日本に伝わった当初は、獅子であり、左右の姿に差異はなく、開口した姿であったと言われています。平安時代になって、それぞれ異なる外見を持つ、獅子と狛犬の阿吽の開口閉口の像が対で置かれるようになりました。現在では、両者を合わせて狛犬と呼ぶようになっております。この狛犬は、飛鳥時代当初の獅子の形をインド黒大理石に彫ったもので、台座は日本三大銘石と言われる茨城県産の青糖目石です。左右の「良」「縁」の文字枠は八稜鏡を象ったものです。全国神社でも他にない、大変珍しい狛犬です。栃木県さくら市在住の飯沼休吾氏より、世界文化遺産登録十五周年を記念して、平成二十七年十二月に奉納されました。」と書かれていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO1600 ) 露出補正 なし
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26.「神門」
「神門」から出る。二荒山神社には「楼門」と「神門」があり、私たちは二荒山神社に入るときは東照宮からの上新道という参道を歩いて「楼門」から入った。「楼門」と「神門」はともに新しい門で、勝道上人の男体山登頂1200年を記念して作られたものなので、歴史的建造物ではないとのことだ。 「神門」を出て右へ。次に「輪王寺大猷院」向かった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO640 ) 露出補正 なし
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2018年10月10日

ベトナム中部の旅(2) ダナンからホイアンへ 8月7日

この日の午後は、ダナンから南東へ約30kmのところにあるホイアンという町を観光することになった。
 今回の旅行の目的は、のんびりすること! 昨夜、部屋に入る前に次の日の朝食は9時ごろからということにしていた。しかし、私たちは6時前には目が覚めてしまう。私は、7時から8時ごろまで、リゾートの中をカメラを持って歩いた。もちろん目的はチョウだ。昨日も着いて早々、クジャクアゲハか、ルリモンアゲハかと思うような瑠璃色の翅を輝かせて飛ぶ大型のチョウを見かけた。キシタアゲハも見た。期待が高まる、カメラを持っての敷地内の散策はホテル滞在中の日課となった。限られた範囲だが、比較的多くのチョウを撮ることができた。後で別編で紹介したい。
 この日はビーチまでケーブルカーで下りて、「Barefoot」で朝食にした。韓国から来ている人が多いようだ。
 朝食後私以外の3人はビーチへ行ったり、ショップへ行ったりするという。私は、またチョウ撮り散策をすることにした。ホテルのレセプションの外まで行ってみた。
 12:30にタクシーに乗って、ホイアンへ行く。途中、五行山(マーブル・マウンテン)に立ち寄る。ここは観光バスで来ている中国の人がとても多かった。10分ほどいたが、暑さと混雑に圧倒され、早々にタクシーに戻り、ホイアンへ向かった。
  2時ごろホイアンの入り口の広い駐車場に入った。タクシー代は、60万ドン弱だった。ドンを円に換算するのは、おおよそドンの下3桁の0を取って、5倍するのだという。ということは1時間以上走って3,000円弱ということになる。安い。帰りも迎えに来るという。
 ホイアンは15〜19世紀にかけてはアジアとヨーロッパの交易の中心地として繁栄し、16〜17世紀ごろにはアユタヤ、マニラと並んで日本人町も造られていた。その後、江戸幕府の鎖国政策で日本人町が衰退し、華僑の人々が多く移り住んだため、古い建築物や町並みは中国南部の色合いが濃いと言われる。1999年、ホイアンの古い町並みは世界遺産に登録された。
 4人は流れる汗を拭きながら、ホイアンの町を散策し、ベトナム料理も楽しみ、ランタンに灯が入るころまで見て歩いて、7時に駐車場に戻った。往きに乗ったタクシーの運転手さんがすぐ我々を見つけ出した。

33.黎明
朝5時、空が明るくなってきた。遠くに船の灯りも見える。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/200秒 32mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
34.漁船
近くの海にベトナム国旗を掲げた漁船が来ていた。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 220mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
35.ヨガ教室
チョウ撮りで歩いていると、朝7時からのヨガ・レッスンが行われていた。インストラクターは多分、ベトナム女性だろう。予約は必要だが、無料で参加できるようだ。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 56mm ISO1000 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
36.ホテルのレセプション
ここが施設内では一番高いところのようだ。写真の背後がレセプションのロビーで、海になっている。8時10分ほど前、まだビジターの姿はない。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
37.朝食
9時すぎ、朝のチョウ撮り散策を終え、部屋に戻り、シャワーを浴びて、朝食に出かけた。この日の朝はビーチの「Barefoot」。熊の足のことかと思ったら、「素足」、「はだし」、だった。柔らかい陽の光がふりそそいでいた。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 30mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
38.朝のビーチ
午前の陽の光は柔らかい。まだ、人影はなかった。滞在客はみんな“のんびり”と過ごすのだろう。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
39.ケーブルカー
食後、登りのケーブルカーでSKY駅まで行く。私は部屋に戻らず、チョウ撮り散策の続きだ。SKY駅の周囲は日当たりが良く、チョウが多く飛来するポイントだった。名前がわからないのだが、5弁の紫色の花が咲くところにホリイコシジミが群舞していた。食草なのだろうか。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 38mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
40.五行山
昼食は摂らずに、12:30頃、タクシーでホイアンへ向かった。途中、ちょっと寄り道をしてダナンのパワー・スポットと言われる五行山へ行った。五行山が近くなると大理石の像やレリーフの工房が多くなる。「地球の歩き方」によれば、木火土金水の五行にちなんで名づけられた、トゥイーソン、モックソン、キムソン、トーソン、ホアソンの五山からなり、大理石でできていることから、五行山は別名マーブル・マウンテンとも呼ばれている。観光バスがひしめく駐車場にタクシーが止まる。「10分間ほど見てくる」と言って歩き出した。ここはアンフー洞窟。メインとなるのはトゥイーソンで、順路から言うとここは最後に見るところのようだ。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO800 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
41.五行山 アンフー洞窟
前の写真のアンフー洞窟入口から右のほうへ歩く。洞窟の中に入る気はない。写真の右下に「ELEVATOR」という文字が見えたので、そちらのほうへ行ってみた。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
42.大理石の岩山
マーブル・マウンテンというだけあって、五行山全体が大理石の岩山のようだ。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO160 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
43.ELEVATOR
五行山のメインはトゥイーソンのようだ。エレベーターは2つあるトゥイーソンの入口の一つにある。待っている人が大勢いた。トゥイーソンは標高108mで、山腹の洞窟には仏像が安置されていて、長い間人々の信仰を集めてきたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO640 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
44.土産物屋
洞窟には入らず10分ほど歩いて駐車場に戻った。駐車場の前には土産物屋が軒を連ねる。とにかく暑い。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 25mm ISO320 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
45.ホイアン到着
五行山に寄り道をして、午後2時頃、ホイアンの古い町並みの入り口にある駐車場に着いた。ここはホイアンの観光チケット売り場である。歩いていくと女性に呼び止められ、チケット買うことになった。ホイアンの観光物件への入場はそれぞれで入場料を支払うのではなく、ここで買った5枚つづりの総合チケットの1枚をその都度、切り取っていく。それ以上の観光物件に入るときは、再び総合チケットを求めることになる。町の中には13か所のチケット売り場があるそうだ。チケットは12万ドン(600円ほど)だった。すべて、娘の主人にお任せだ。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 34mm ISO160 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
46.ホイアンの路地
ホイアンの町には何本かの道筋がある。その道筋を結ぶこんな細い路地がいくつもあった。観光客はほとんど通らない。

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プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO1000 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
47.アートギャラリー 画商
総合チケット売り場からグエンティミンカイ通りを日本橋のに向かって歩く。ホイアンの古い町には多くのアートギャラリーがあった。一昔前は単なる土産物屋としての店が多かったが、最近は実力派画家直営のギャラリーが増えているそうだ。なぜ、ホイアンにアートの世界が育ったのだろうか?

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プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 13mm ISO1250 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
48.長屋風の建物
長屋風の古い建物があった。この店は本屋のようだ。この長屋の一番右側、これから訪れる日本橋寄りが貿易商人だったフーン′フンの家だ。

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プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO320 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
49.日本橋
よくTVの紀行番組などに出てくる有名な日本橋だ。グエンティミンカイ通りとチャンフー通りをつなげる場所に位置する。「地球の歩き方」によれば、日本橋は1593年に造られた屋根付きの橋で。2万ドン札にも印刷されているベトナムを代表する観光名所のひとつ。当時、ホイアンに住む日本人たちによって架けられたと考えられており、その頑丈なつくりは「地震にも耐えられるように」との意味合いがあったようだと。ダナンには最盛期には1000人以上の日本人が住んでいたといわれるが、この日本橋や、郊外にある日本人の墓がわずかにその面影を残している。「来遠橋」ともいう。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
50.日本橋の中
橋の入口にある門をくぐると、左手に寺が見えた。ファインダーを覗いていると、そこから日本人らしきおばさんが顔を出した。ウチのかみさんだった。

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プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/400秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
51.橋の上の寺
橋の北側には寺があった。「地球の歩き方」では、伝説として、この橋を造った日本人たちは、インドからホイアン、さらに日本まで達する大怪物ナマズがいると信じていた。そして、この怪物が暴れると地震や洪水に見舞われると考え、この地に橋を建て怪物を退治した。その怪物の鎮魂を願って、橋内に寺が造られたと言われていると記されていた。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/60秒 10mm ISO3200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
52.日本橋からの眺め
日本橋は北側は寺があるので欄干はない。これは南側の欄干から南側を眺めたところだ。水路にかかる小さな橋の向こうがトゥボン川だ。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 36mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
53.日本橋撮影スポット
皆さんこの位置から写真を撮っている。旅行雑誌やTV番組で紹介されるほとんどはこの位置から撮られた写真と思う。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 14mm ISO320 ) 露出補正 なし
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54.日本橋北側
北側から反対側を見ると、小さな小窓が3っある壁だ。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO125 ) 露出補正 なし
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55.チャンプー通り
日本橋の東側を出ると、チャンプー通りが続く。世界遺産地区のメインストリートだ。古い家屋を利用した土産物屋やカフェが多く観光客で賑わっている。ホイアンを感じながらそぞろ歩きする。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 45mm ISO100 ) 露出補正 なし
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56.廣肇会館
「地球の歩き方」によれば、1986年に中国の広州と肇慶出身者たちによって建てられた同郷人集会所だそうだ。屋根や柱の彫刻が美しく、中央には関羽が祀られている。裏庭にはタイルと陶器で飾られた9っの頭を持つ龍の像が置かれていた。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
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57.シクロ
メインストリートも歩行者専用ではなく、観光客を乗せてシクロが走る。しかし、歩行者には気を使っているようで、クラクションを鳴らしたりすることはない。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 43mm ISO200 ) 露出補正 なし
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58.シクロも休憩
タクシーが何台も駐車して、ドライバーが休息している光景は日本でもよく見かけるが、ここはシクロの休憩場所のようだ。暑いから大変だろう。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 14mm ISO800 ) 露出補正 なし
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59.トゥボン川の河畔
少し休もうかと、チャンプー通りの廣肇会館の先を右に曲がってトゥボン川河畔に出た。ここはアンホイ橋のたもと。トゥボン川左岸を眺める。トゥボン川は南シナ海にそそぐ。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 36mm ISO100 ) 露出補正 なし
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60.アンホイ橋 -1
トゥボン川に架かるアンホイ橋を対岸に渡る。皆さんこの橋の上で記念撮影されていた。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
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61.アンホイ橋 -2
ホイアンは欧米からの観光客も多い。Tシャツに短パンといういでたちだ。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
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62.トゥボン川右岸
アンホイ橋を渡って、トゥボン川の反対側に出ると、その少し広くなったところに、写真のようなパネルが並んでいた。パネルの写真には、R.HAHNの文字が見え、近くにこの写真家のギャラリーがあるようだ。いったい何の写真のだろうかと思い、帰国してからちょっと調べてみた。この写真で見える煙草をくゆらす女性の写真には、THE BRU VAN KIEU の文字が見えた。山岳に住む少数民族のようだ。10数枚のパネルが立てられていたが、すべて少数民族の女性の写真だなと推測した。R.HAHNは、ベトナムで有名なフランスのカメラマンで昨年2月にオープンしたギャラリーを紹介するパネルだったようだ。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
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63.休憩
そのパネルが並んでいた前の店で休憩すことにする。飲むと暑くなるだろうと思いつつTiger Bear を注文していた。朝食が遅かったのと、この暑さのためか食事はしなかった。この店はトゥボン川、アンホイ橋の前で、夜は眺めの良いところだろう。

SONY Cyber-shot RX10 ? f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO1250 ) 露出補正 なし
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2017年9月 2日

久しぶりのヨーロッパ旅行 (2)ブルージュ 7月31日

この日は、ブリュッセルの宿をチェック アウトして、荷物を預かってもらい、鉄道に乗ってブルージュ観光に出かける。
 ブルージュはベルギーのオランダ語圏、フランデレン地域の都市で、人口はおおよそ12万人。そして、ブリュージュは「水の都」、「北のベネチア」、「屋根のない美術館」などと言われる美しい古都だそうだ。中世ヨーロッパのかわいい街並みを堪能できる世界遺産「ブルージュ歴史地区」を見て歩く期待は大きい。
​ ​ ブルージュは仏語でBruges、蘭語でBrugge、英語でBruges​ ​と綴るらしい。​ややこしい。​
 ホテルからベルギー国鉄のブリュッセル中央駅まで歩く。娘のご主人が駅で切符を買ってくれたが、シニア割引があるというので顔を見せに出札窓口まで行く。ところが列車が動き出し、車掌が来て検札。シニア割引の適応は9時からで、この列車は9時前にブリュージュ中央駅を発車したので、ブリュージュ南駅までの一駅分はシニア割引にならないとのこと。一駅分の差額料金を支払った。
 10時少し前にブルージュ駅に到着した。駅から歴史地区に向かって歩き出す。 写真を見ていっていただきたいが、今までのヨーロッパでは見られなかった良いところだった。ボートに乗って運河から歴史的な建造物を見上げた。
 運河を巡ったボートから降りて、すぐそばにあったレストランで昼食をとる。昼食後、美しい街ブルージュの観光に堪能満足した私たちは、歩いてブルージュ駅に戻り、午後3時ごろの列車でブリュッセル中央駅に戻った。ホテルで荷物を受け取って、空港へ行き、バルセロナへ向かう。今夜はバルセロナ泊まりだ。

30.ブリュッセル中央駅
グラン・プラスの近くで朝食を終えた後、娘の主人の案内でブリュッセル中央駅へ歩く。15分ほどでベルギー国鉄のブリュッセル中央駅に着いた。なかなか立派な駅である。この駅はブリュッセルの主要鉄道をつなぐ北南接続線計画で1952年に開業した。この接続線の開業前はブリュッセル南駅、ブリュッセル北駅がそれぞれターミナル駅となっていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f1.8 1/1000秒 9mm ISO1250 )露出補正 なし
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31.ブリュッセル中央駅 プラット・ホーム
プラット・ホームに入って列車を待っていると、昨日お世話になった ANA NH231便のキャビン・アテンダントさんを見かけた。声を掛けたところ、クルーのかた何人かとブルージュ観光に行くとのことだった。2階建てのきれいな車両が入線してきて乗車する。次の駅はブリュッセル南駅だったが、ドイツのICEやフランスのTGVなどの車両が見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影( f2.5 1/640秒 15mm ISO320 )露出補正 なし
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32.ブルージュ駅到着
電気機関車がけん引する列車はブルージュ駅に到着した。プラット・ホームの時計は9時50分を指している。所要時間は約1時間だった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​800​秒 70mm ISO​2​​00​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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33.ブルージュ駅
最初のブルージュ駅は1838年8月12日にジェント-ブルージュ線の開通によって駅も開業したそうだ。1899年に新しい線路と新駅が計画され、ブルージュ市では1886年に拡張した大きな駅舎に建て替えた。さらに新しい駅舎の工事が1910年に開始されたが、第一次世界大戦となり中断される。1935年に再び開始され、1936年新しい軌道を最初の列車が走行した。3年後、新駅舎も完成する。1939年4月に正式に開業し3世代目のこの駅舎が現ブルージュ駅舎であるとのこと。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​250​秒 17mm ISO​25​​00​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
34.ブルージュ駅前​​
立派な駅舎だ。だが、駅前は閑散としていた。塵ひとつ落ちていない。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​1000​秒 17mm ISO​25​00​​​​ ​)露出補正​ -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
35.介護付き住宅
娘の主人の引率でブルージュの歴史地区に向けて歩く。「愛の湖」というところへ出る手前に煉瓦造りの立派な建物があった。しかも大きい。この建物は何だろうと思って、門に何か書かれていないか探してみたがわからなかった。帰国して、GoogleMap で探してみた。どうやらWZC Minnewater という介護付き住宅のようだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​640​秒 45mm ISO​2​00​​​​ ​)露出補正​ -0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
36.愛の湖公園​​
やがて愛の湖公園が見えてきた。「ヤスコヴィッチのぽれぽれBLOG」というサイトで、「中世ブルージュの内港だった所で、今では運河と水門で仕切られた湖となっている。白鳥が泳ぐ美しい公園。現地で「Minnewater」と呼ばれるこの公園。「Minne」にはもともと古いオランダ語で「愛」と「共有」のふたつの意味があり「共有の水」の意味で使われていたそうだが外国語に訳された際に誤訳で「愛」の意味で使われてしまい、実際にそちらのほうが観光的にもロマンチックであったためそのまま使われているといわれるとか。」と説明されていた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​500​秒 38mm ISO​2​00​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
37.静かな愛の湖公園
右手に愛の湖(ミンネワーテル)を見ながら歩く。散策路にはベンチが置かれ、塀の向こうに見える煉瓦の建物がとても趣きがある。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​320​秒 38mm ISO​2​00​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
38.ベギン会修道院 入り口
湖というか運河というか、細くなったところに小さな橋があり、左にぺギン会修道院への門があった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​640​秒 26mm ISO​2​00​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
39.ハクチョウがいる運河
右手のハクチョウをはじめ多くの水鳥がいる運河に、水しぶきを上げる遊覧ボートが見える。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​250​秒 62mm ISO​2​50​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
40.ベギン会修道院​​
フランダース地方に広く残っている数あるベギン会修道院は、ベギン会尼僧とは違い、あくまで自身で生計を立て、自立的な生活を営む女性たちのための共同生活の場だったとのこと。貴重な生活様式を後世に伝えるものとされ、ユネスコの世界遺産として13件がまとめて登録されている。なかでもブルージュは、ルーヴェンのものと並び代表的な存在だそうだ。ブルージュのベギン会修道院は、1245年にフランドル伯爵夫人のマルガレーテの意志のもと設立されたものという。ここはレンガの壁に囲まれ、外界と遮断されたような修道院の中庭だ。観光客が少なく、ゆっくりと見ることが出来た。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​320​秒 17mm ISO​2​00​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
41.ベギン会修道院 礼拝堂​​​​
敷地内には、ベギン会の守護聖女エリザベスに捧げられた礼拝堂もあった。バロック様式の美しい祭壇を前に、修道女たちはミサと祈りで、毎日神との静かな対話を続けているという。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​320​秒 17mm ISO​2​00​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
42.観光用の馬車​​​​​​
街には観光客を乗せた馬車が走っている。私たちは時間をかけてのんびりと歩いたが、時間がなければ、馬車で主要なところを巡るのも良いだろう。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​250​秒 38mm ISO​560​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
43.美しい運河沿いの風景​​​​​​​​
ベギン会修道院から北の方向へ運河に沿って歩く。小さな橋の上から眺める運河沿いの眺めは心を和ませる。新しさは何もない。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​400​秒 29mm ISO​200​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
44.運河と遊覧ボート​​​​​​​​​​
運河をまたいで建物が建てられている。その下を遊覧ボートが観光客を乗せて走る。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​​​​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​500​秒 38mm ISO​200​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
45.レースで編まれた地図
ダイフェルというところに来た。左手に運河が流れるが、そこに何か白いフェンスのようなものが立てられていた。何だろうと近づいてみるとレースで編まれた地図だった。ベルギーのレース編みはフラワーレースと呼ばれ、もともとここブルージュで発展したものという。とても細かに地図が描かれていた。傍にクルーニング美術館があった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​800​秒 24mm ISO​200​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
46.聖母教会(ノートルダム教会)​​
マルクト広場の方へ歩いていくと運河の向こうに聖母教会が見えた。高さ122メートル、あらゆる場所からその姿を拝める町一番のノッポの建築物だ。13~16世紀に建てられた教会。何度も改修が加えられたため、多くの建築様式が混在しているという。町を代表するこの教会の至宝はふたつ。ひとつは巨匠ミケランジェロの手による大理石の「聖母子像」。もうひとつの至宝は、ブルゴーニュ公女マリーと父シャルルの霊廟。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​1000​秒 24mm ISO​200​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
47.鐘楼
マルクト広場が近い。ブルージュ鐘楼が見えてきた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO
​​ 絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​640​秒 23mm ISO​200​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
48.マルクト広場
​​ いよいよブルージュの街の中心にあるマルクト広場に入った。美しい建物やギルドハウスに囲まれたている。地球の歩き方には「ヨーロッパで5指に入る美しい広場」として紹介されているそうだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
​​ 絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​1250​秒 38mm ISO​200​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
49.マルクト広場から見上げる鐘楼
​​ ベルギーは、カリヨンの発祥地だそうだ。 そのベルギーで、世界遺産の一つにもなっている のが、ブルージュのベルフォルト(鐘楼)とカリヨンだ。 鐘楼は高さ88メートル、3層に なっていて、下層部は13世紀、中層部は14世紀、上層部は15世紀に建造されたとのこと。鐘楼には登ることが出来、366段の螺旋階段を登りきれば、赤茶の屋根が風情溢れるブルージュの旧市街が眼下に見渡せるという。ここは断念した。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
​​ 絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​1000​秒 17mm ISO​200​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
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50.マルクト広場 二人の英雄
広場には、実在した町の二人の英雄、知性派のピーター・ド・コニングと肉体派のヤン・ブレーデルの像がフランスの方角を睨むように勇ましく建っている。彼らは1302年にフランスの支配に対して市民が蜂起した「黄金の拍車戦争」の際のリーダーと伝えられるが、一説にはフレーデルの貢献には疑問の声もあるそうだ。ギザギザになった屋根の形が特徴的で、その下に見える緑色の帯は、市場のテントだ。 

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​1000​秒 70mm ISO​200​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
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51.マルクト広場 フランダース州庁舎​​
ブリュージュのマルクト広場でひときわ美しく、立派な建物はフランダース州庁舎だった。破壊や火災によって何度か立て替えられ、1921年にネオゴシック様式の現在の建物として完成したという。もともと、ブリュージュ港の物流センターとして1294年に建てられた建物を起源としている。残念ながら、砂泥の堆積によってブリュージュが海と直接つながらなくなったのちに取り壊され、1787年に新古典主義的な建物として再建されたが、これも1878年に火災で焼失。再び1887年にネオゴシック様式の建物として再建がスタートし、19世紀末に隣の郵便局と州庁舎の一部がオープンし、途中で第一次世界大戦を挟み、1921年に最後の部分が完成して現在の姿となったという歴史を知った。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​1000​秒 17mm ISO​200​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
クリックすると大きくなります。
52.ブルージュの観光馬車​​​​
観光馬車の発着所はこのマルクト広場だ。馬車一台40ユーロ で時間は30分、ガイドは英語だそうだ。女性の御者もいる。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​800​秒 38mm ISO​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
クリックすると大きくなります。
53.ヤン・ファン・エイク広場
マルクト広場からどこをどう歩いたか思い出せないが、運河の突き当りにヤン・ファン・エイク広場があった。ヤン・ファン・エイク(1390年マーゼイク生まれ、1441年7月9日ブルージュ没)は、ロヒール・ファン・デル・ウェイデンとともに、初期フランドル派の代表的画家とされ、15世紀初頭、ネーデルランド地方で起こった絵画革命において中心的役割を果たした人物だそうだ。ここもブルージュらしい光景である。ヤン・ファン・エイクの銅像が相対する先には教会のような塔のある建物があった。調べてもなかなか何という建物かわからなかったが、これは教会ではなく、「ポールテルス・ロッジPoortersloge」と呼ばれる15世紀の建物で市民の集会所として使われていたものだそうだ。現在は古文書館になっているとのこと。「サライのブログ」を参照させていただいた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​1250​秒 26mm ISO​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
54.パーキング・メーター?​​
これは何だろう。多分パーキング・メーターだと思う。日本のものに比べると随分立派だなと思うが。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​1250​秒 26mm ISO​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
クリックすると大きくなります。
55.馬のドア・ノブ​​​​
「水の都」というからには、ボートで運河めぐりをしようとのリーダーの計らいで、再び南へ下がり、ボート乗り場へ向かう。途中、住宅がある道を歩くと、こんな洒落たドア・ノブを付けた家があった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​400​秒 50mm ISO​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
56.運河の橋
運河にはいくつもの橋が架かっている。どれも周りの建物と素晴らしく調和している。本当に美しい街だ。向こうに見えるのは救世主大聖堂(聖サルバトーレ大聖)のようだ。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​400​秒 50mm ISO​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
57.ボート乗り場​​
ボートは人気があるようでたくさんのお客さんが待っていた。いろいろな国のかたがいたが日本人は私達だけだった。1台待って、2台目のボートに乗る。結構詰め込まれてしまい、写真は良い構図では撮れそうもない。一人8ユーロで30分だった。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​400​秒 34mm ISO​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
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58.気に入った写真 運河にかかる橋
ボートに乗って、運河を進む。橋をくぐるが、その橋の上で坊やが手を振ってくれた。お父さんの表情も良い。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​400​秒 50mm ISO​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
59.木枠のある窓
この家は木造だろうか、それとも窓のある面だけが木枠で造られた煉瓦造りなのだろうか?よく分からなかった。どうやら木造建築のようで、現在は防火のため建築が禁止されているらしい。いずれにしてもとても趣きがある。ボートから撮影した。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​500​秒 45mm ISO​200​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
60.チョコレート屋さんのショウ・ウィンドウ​​
乗船したところでボートを下りた。12時半近くになった。そろそろ昼飯にしようと、店を探す。結局、ボートの発着所近くの「Duc de Bourgogne」というレストランに入った。隊長がレストランを物色している間に、私は隣のチョコレート屋さんのショウ・ウィンドウを撮っていた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​320​秒 32mm ISO​200​​​​ ​)露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
61.「Duc de Bourgogne」
入ったレストランはなかなか落ち着いたレストランだ。奥に入ると、運河に面したボート発着所のすぐ上だった。眺めの良い席に案内してくれた。そう言えば、ボートを待っているときにこのレストランの看板が見えていた。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f5.6​​​ 1/​250秒 17mm ISO​280​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
62.再びブルージュ駅​​
3~4時間ほどだっが、美しいブルージュの街の観光を満喫した。食事をしたあと、歩いて再びブルージュ駅に戻る。これからブリュッセルに戻っ、空港へ行き、今夜はスペインはバルセロナに入らなくてはならない。

Nikon D5300 S​​​​​IGMA​ 17-70mm F2.8-4.5 DC MACRO​​​​
絞り優先​​オートで撮影 (​ ​f6.3​​​ 1/​800秒 32mm ISO​200​​​​ ​) 露出補正​ ​-0.3段
;クリックすると大きな写真になります。
63.のどかな風景​​​​
車窓にはのどかな風景が広がる。電線がないのが良い。私以外の3人はおやすみになっているようだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels​​​​
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 18mm ISO125 )露出補正 なし/small>
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2017年4月 9日

水戸偕楽園と弘道館(2) 好文亭 3月14日

不十分ながら東西梅林の散策を終え、好文亭に来た。好文亭は、水戸藩の第9代藩主 徳川斉昭により、偕楽園内に詩歌の会や茶会などを催すために建てられたそうだ。1945年の水戸空襲により焼失したが,1955年から3年かけて復元されている。「好文亭」という名前は、中国の故事 「文を好めば則ち梅開き、学を廃すれば則ち梅開かず」により、梅の異名を「好文木」(こうぶんぼく)といったことから、命名されたという。さらにwikipediaによれば、 「​​好文亭は、徳川斉昭自身により1840年(天保11年)4月に設計された水戸偕楽園内の施設。設計は二度の改定をうけ、当初平屋建ての構造だったものから木造二層三階建てに拡張されている。完成後、偕楽園内での居所、休憩所・敬老会・宴会など各種催しに利用された。偕楽園開園後も少しずつ手が加えられ、水戸城下柵町の中御殿の建物を移築増築し規模を拡大した他、1869年(明治2年)には奥御殿の一部を増築している。1873年(明治6年)12月に太政官布告により、庭園及び建物は常磐公園とされたが、その際には管理上の都合で一部縮小された。その後、大正元年に東宮行啓の際に、当初はなかった玄関が設置された。1945年(昭和20年)の水戸空襲で大部分が消失したが、1955年(昭和30年)から当初、創建時の状態を出来るだけ復元する方向で再建工事が開始され1958年(昭和33年)に完成した。藩主の居所としてではなく庶民とともに利用することを目的とした広い濡縁の間、飲食の類を三階まで運搬するために木製滑車を利用した昇降機の設置、物見引き手と称する建具連動式障子、色紙・短冊・懐紙を用いた板戸、漢詩作詞用に辞書としての韻字を書いた板戸など工夫をこらした建物であり、玄関がないことなどを含め徳川斉昭の進取の気質が見てとれる。」​と記述されている。
 好文亭の名は梅の別名公文木に由来し、2層3階建ての好文亭本体と平屋建ての奥御殿から成る。

19.好文亭中門
孟宗竹林を見たところを左に折れて、好文亭の中門に出た。孟宗竹林、大杉森という杉木立、クマザサが茂る幽遠閑寂な「陰の世界」を過ぎると、好文亭中門が見えた。ここを右に入ると好文亭がある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250​秒 31mm ISO2800​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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20.好文亭入口​​
この写真の右側に受付があった。入館料は大人200円だが、年齢を告げると無料とのこと。今日は料金を払ってもらえる入館者は少ないのではないか。写真の門の先右側に薄紅色のたくさんの花を付けた梅が見て取れる。「御所紅」という梅であろう。 ​​​

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.8 1/​250​秒 48mm ISO400​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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21.「御所紅」​​​​
八重咲きの中輪(花径20mmから25mm)である。花期は中咲きと言われる2月下旬から3月上旬である。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250​秒 48mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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22.「寒緋桜」
先日小田原城でも見た。深紅の房のような花が下を向いて咲く。旧暦の元旦に咲くのでガンジツザクラとも呼ばれているそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250​秒 220mm ISO1250​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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23.「白滝枝垂」
好文亭の料金所を通過してすぐの左側に咲く「白滝枝垂」。「白滝枝垂」も中咲きである。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​250​秒 24mm ISO250​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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24.「高砂枝垂」と好文亭3階部分
中咲きの「高砂枝垂」が好文亭の2層3階部分を背景に咲いていた。好文亭の建物屋根には三つ葉葵の鬼瓦が見える。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​250​秒 66mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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25.好文亭入口
靴を脱いで好文亭に上がる。入口の前は廊下になっていた。この廊下には進まず、左回りに平屋部分を巡る。私はこのD5000では、最低シャッタースピードを1/250秒にし、ISO感度は200~3200のオートでISO3200でも露出が足りない場合は、シャッタースピードが遅くなるようなプログラムオートに設定してある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​80​秒 18mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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26.廊下から
廊下を歩きながら外が眺められた。「菊の間」のあたりから見えているのは、「松の間」と思う。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250秒 38mm ISO360​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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27.「菊の間」​​
入口から入って最初に見る部屋が「菊の間」だった。「菊の間」と次の「桃の間」は総板敷で厨として使用されたいう。襖絵は田中青坪画伯筆とあった。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​50秒 38mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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28.「桃の間」
「菊の間」と同じく襖絵は田中青坪画伯筆である。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​80秒 22mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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29.「つつじの間」
この「つつじの間」およびこれに連なる「桜の間」「萩の間」は藩主婦人来亭の際など、お付きの婦人たちの詰所、休息室として使用されだそうだ。これも田中青坪画伯の筆である。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.5 1/​40秒 46mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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30.「柳川枝垂」が咲く庭
「桜の間」「萩の間」からは東側の庭が眺められる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250秒 38mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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31.「萩の間」​​
前述したとおり、「萩の間」も「つつじの間」「桜の間」と同じく、藩主婦人来亭の際など、お付きの婦人たちの詰所、休息室として使用された。襖絵の作者の名はなかったが、これも田中青坪画伯の筆のようだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​80秒 26mm ISO3200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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32.「楽寿楼」からの眺め​​​​
「紅葉の間」「松の間」「竹の間」「梅の間」と見て、平屋部分(奥御殿)を一回りし終え、入口から見た廊下の右側にある太鼓廊下を渡り、2層3階の好文亭本体へ。「華燈口」から階段を上がって2階、3階へ上がる。2階は「武者控」というほんの小さな部屋しかない。幅の狭い階段で体を横にし、足を横向きにしないと足の裏半分が外れてしまい、うまく上がれない。これは3階の「楽寿楼」というところから見晴広場と千波湖の眺めだ。「楽寿楼」では茶や酒を楽しんだのであろう、階段脇に配膳室がある。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250秒 18mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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33.「楽寿楼」
3階の「楽寿楼」は3室ある。南に面したこの8畳が正室で、烈公(徳川斉昭)が出座されたところ。ここの勾欄(廻り縁)から、東、南、西の眺めに趣がある。西側の丸窓は富士見窓といい、烈公が作った陣太鼓の余材が用いられたという。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250秒 22mm ISO800​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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34.好文亭の梅
好文亭に植えられている梅は枝垂系が多いように思う。枝垂系の花はまだまだ咲き残っている。もう一度梅を眺めながら、好文亭を後にした。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​250秒 60mm ISO320​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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35.吐玉泉
バスへ戻らなくてはいけない時間まで、あと、20分くらいしか残っていなかったが、中門を出て、もう一度孟宗竹林の方へ戻り、少し下って「吐玉泉」を見に行った。この辺りは昔から湧き水の多いところで、徳川斉昭は偕楽園造成にあたり、地形の高低差を利用して集水し、造園上の景観を考慮した白色の井筒を据えた湧水泉を設けた。井筒は茨城県常陸太田市真弓山から採掘した大理石(寒水石)だそうだ。水戸藩領の特産物であった寒水石は、白く硬い大理石の間に柔らかい黒い部分が縞模様になっており、水の浸食により縞の部分が溝になり時の経過とともに変化していく。ある時期になれば取り替えられ、現在のものは4代目とされている。夏なお冷たく、玉のような澄んだ水をたゆまなく吐くので吐玉泉と名づけられたという。その湧き水は茶室「何陋庵(かろうあん)」の茶の湯に用いられた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250秒 18mm ISO800​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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36.「柳川枝垂」 -1
東門の方へ戻る。枝の張る形が良く、薄紅色の花のきれいな梅の木があったので走り寄って撮った。「水戸の六名木」のひとつ、「柳川枝垂」だ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​250秒 24mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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37.「柳川枝垂」 -2​​
「柳川枝垂」の花は淡い桃色の一重咲きの中輪(花径220mm~25mm)である。若干見えている蕾は濃い紅色の萼に包まれているが、開花すると萼は反り返り淡い桃色の花弁が現れるという。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250秒 24mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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38.梅まつり 「梅大使」
今年は2月18日から3月31日まで梅まつりが開催されている。向こうから、その「梅大使」のお嬢さんが2人歩いてきた。「写真撮らせてください」と声を掛けた。「梅大使」は10人いるようだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250秒 35mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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39.売店​​
東門を出ると模擬店が出ていた。先日、富士山本宮浅間神社前で賞味してきた富士宮やきそばもある。けむりとにおいが食欲をそそる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5 1/​250秒 62mm ISO280​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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40.JR臨時駅
模擬店の脇を通って常盤神社の境内に出た。お参りをして、参道になっている階段を下りる。バスの駐車場の通りを挟んで向かい側にJR偕楽園駅があった。この駅は偕楽園の梅まつりの時期に合わせて営業する臨時駅である。下り列車のみ停車し、営業時間中(当該期間の土曜・休日の9時10分頃 - 15時30分頃)は特急「ひたち」「ときわ」も停車するほか、水戸駅方面に直通する水戸線の列車も停車するそだ。同駅改札口付近にて「水戸の梅大使」の出迎えがあるという。この日は火曜日で停車する列車はない。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f9 1/​320秒 26mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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2017年2月12日

神戸と有馬温泉(3) 旧居留地と生田神社 12月26日

翌26日は、朝8時にホテルをチェック・アウトし、荷物を預かってもらって、元町駅から海側の南東の方向にある旧居留地を歩いてみることにする。すでに開催が終わってしまった神戸ルミナリエの会場の方角だ。
  旧居留地を見たあとは、神戸市立博物館を左に折れて、JRのガードをくぐってやや山側にある生田神社へ向かう。生田神社は「いくたロード」という商店街の先にあった。 10時過ぎに元町商店街まで戻り、老舗のコーヒー店でコーヒーを飲んだりしながら、昨日行った神戸風月堂でゴーフルや和菓子を買って、ホテルに戻り、荷物を受け取って、三宮へ行く。

旧居留地

安政5年(1858年)に幕府が諸外国と結んだ日米修好通商条約により、日本は長年に及んだ江戸幕府の鎖国政策に終止符を打ち、横浜・長崎・函館・新潟・兵庫(神戸)の5港を開港することになった。神戸旧居留地の歴史は、この時、はじまったといる。明治27年(1894年)日英通商航海条約が締結され、明治32年(1899年)7月17日午前10時、居留地返還式が執り行われ、居留地は日本政府に返還された。(神戸旧居留地オフィシャルサイト) 初めて訪れるところだが、1980年代までは、「老朽化した古いビルのオフィス街」という認識であったそうだが、1988年にはじまった旧神戸商工会議所ビルの保存運動が街再生のきっかけとなり、今では「最も神戸らしい洗練された街」として活況を呈するようになった。1992年に国土交通省の都市景観100選に選定されている。

47.神戸大丸百貨店
朝8時30分過ぎ、まだ、街はひっそりとしている。ホテルを出てメリケンロードを元町駅と反対側に海の方へ進むと、大丸百貨店があった。もちろんまだシャッターは閉まっているが立派な店だ。大丸神戸店は1913年(大正2年)に開業し、1927年(昭和2年)にこの地に移転してきたそうだ。阪神・淡路大震災で被災したが、2年後の1997年に復興グランド・オープンした。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6​​​ 1/​250​秒 35mm ISO200​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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48.元町商店街入口
朝の元町商店街アーケードの入り口だ。ここから1番街が始まる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 35mm ISO640​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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49.旧居留地38番館 -1​​
この歴史的建物の名称にある「38」という数字は、外国人居留地時代の区画番号を意味する。 大丸(現大丸松坂屋百貨店)が所有し、北側と西側に隣接する大丸神戸店の倉庫として使われていた。現在では、建築の価値を生かして店舗の一部として用いられている。1980年代、旧居留地が「最も神戸らしい街」に再生するきっかけとなる象徴的な建物の一つでもある。(wikipedia)

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​250​秒 26mm ISO280​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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50.旧居留地38番館 -2
38番館を正面に廻ってみた。「HERMES」の文字が見える。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO380​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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51.海岸ビル​​
大丸の東側をまっすぐ海岸通りに出た。この建物は旧三井物産神戸支店として1918年に建てられたそうだ。現在の建物は阪神・淡路大震災後に解体、再建されものだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO2​5​​​0​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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5​2.商船三井ビルディング​​​​
関西で数々の近代建築を手がけた渡辺節の設計により、旧大阪商船神戸支店として1992年に建てられた。年代を感じさせる手動エレベータが今も貨物用として活躍しているそうだ。(みなと元町タウン協議会発行「港町の歴史を歩く地図」参照)

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250​秒 24mm ISO2​0​​​0​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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53.チャータードビル
ロンドンを本拠とする世界第5位の銀行・金融グループ・スタンダードチャータード銀行の前身であるチャータード銀行の神戸支店として1938年に建てられた。大理石をふんだんに使った豪華な造りや、南西と南東にあるレトロな回転ドアが歴史を物語る。(みなと元町タウン協議会発行「港町の歴史を歩く地図」参照) ​

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 32mm ISO3​2​​​0​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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54.15番館​​
旧アメリカ合衆国領事館。旧居留地に唯一現存する居留地時代(1868年~1899年)の建築物で、国の重要文化財にも指定されており、当時の街区境界の煉瓦塀や石柱などとともに保存されている。1995年の阪神・淡路大震災において全壊してしまったが、元の建材で明治時代の建築技術および最新の免震技術を導入した復元工事が行われて1998年に完成した。(wikipedia) 中は「TOOTH TOOTH maison15th」というレストランになっていて、先日TV番組でも紹介されていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 32mm ISO22​​​0​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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55.「おしくらまんじゅう」
15番館の横に小さな広場があり、そこになぜか稲荷大明神の赤い鳥居と小さなお社があって、その前にこの「おしくらまんじゅう」と題した彫刻があった。1990年 山口克昭 作 となっている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​250​秒 26mm ISO40​​​0​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
56.旧外国人居留地下水渠
15番館と神戸市立博物館との間に、日本最古の近代下水道である「旧神戸居留地煉瓦造下水道」(工事期間1868年 - 1872年)の遺構(国の登録有形文化財)が展示されている。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO50​​​0​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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57.高級ブランドショップ街​​
もともとはオフィス街であり、落ち着いた街であるこの辺りには、ディオール、プラダ、ルイビィトン、ブルックス・ブラザース、エルメス、セリーヌ、グッチ、ジョルジオアルマーニ・・・などなど、多くの有名店が出店している。ビルの中のテナントではなく道路に面した店(路面店舗)が多い。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 35mm ISO100​​​0​​​​ ​) 露出補正​ ​なし
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生田神社

58.いくたロード
旧居留地北側の三宮中央通りを起点に延長約400メートルの参道であるいくたロード商店街を北に向かって進むと生田神社の鳥居、社殿が見えてきた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
プログラムオートで撮影  (​ ​f6 1/​250​秒 185mm ISO280 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
59.楼門​​
生田宮の扁額がかかった立派な楼門だ。境内南側にあり神社の正面玄関にあたる。一方、東門街の由来となった東門は文字通り東側にある比較的小さめの門である。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO250 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
60.巫女さん
​​ 楼門左側の受付では、巫女さんが健康のお守り、交通安全のお守りなど、いろいろなお守りを販売していた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f6.3 1/​250​秒 300mm ISO1100 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
61.拝殿​​
​​ 拝殿の前には今年の干支である「酉」の絵が描かれた大きな絵馬が据えられていた。正月の準備だ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 24mm ISO280 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
62.本殿​​
​​​​ 本殿の前には進めないが、拝殿から本殿をお参りすることができる。神様を近くで正面から撮るのはご法度である。少し斜めから撮らせていただいた。生田神社のホームページによると、祀られているのは、伊勢神宮内宮にお祀りされる天照大神の和魂(にぎみたま)あるいは妹神と伝えられ、稚くみずみずしい日の女神様であり、物を生み育て万物の成長をご加護する神様として、ご崇敬を集めているとあった。拝殿の中では正月の準備がされていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO1100 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
63.生田の池
​​​​ 拝殿の左側を行くと池があった。白い水鳥が寄ってきたが、アヒルだろうか?顔が灰褐色なのが気になる。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.3 1/​250​秒 86mm ISO250 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
64.生田の池 句碑
​​​​​​ 生田の池に市杵島神社があるが、その横に昨年4月亡くなられたひいらぎ会主宰で日本俳人協会顧問の小路紫峡氏と奥様の智壽子氏の句碑があった。私は俳句は不調法である。噴水のしぶき天衣の舞うごとく(紫峡) 雛顔したる巫女たち初神楽(智壽子)

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO800 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
65.戸隠神社​​
​​​​​​ 社殿の後が生田の森になっている。少し左に行ったところの戸隠神社があった。祭神は手力男命(たじからおのみこと)。生田神社は10世紀から存在していたことが分かっている由緒ある神社といわれる。昔、洪水で流されそうになったときに一面に茂らせていた松がまったく役に立たなかったことから松を嫌い、生田の森にも松は一本もなく、今でも正月には「門松」の代わりに「杉飾り」を立てているそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​
​​​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.5 1/​250​秒 18mm ISO720 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
66.本殿の裏​​​​
​​​​​​ 生田の森と本殿との間の静かな道を歩く。カエデの葉が少し残っていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​​​​​
​​​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f5.6 1/​250​秒 102mm ISO3200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
67.生田稲荷大明神
​​​​​​ 本殿の裏を商売繁盛の神という蛭子神社の前を東の方へ進むと稲荷神社があった。祭神は稲倉魂命(うがのみたまのみこと)。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 38mm ISO1400 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
68.正月の準備
​​​​​​ この日は12月26日である。楼門から拝殿への参道では正月の準備がされていた。2009年度警察庁発表によれば、生田神社の正月三が日の初詣参拝者はおおよそ155万人で全国第8位だそうだ。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO
​​​​​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4 1/​250​秒 31mm ISO250 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
69.箙(えびら)の梅
​​​​​​​​ 生田神社には有名な箙の梅があると聞いていたが、場所が判らなかったので受付の巫女さんに尋ねたところ、楼門の西側にあると教えてくれた。寿永3年(1184)の源平生田の森の合戦で、梶原景季(かじわらかげすえ)が梅の枝を箙(矢を入れて携帯する道具)に差して戦った故事で、ここにそのに遺跡があり、能や浄瑠璃の題材となったという。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f3.8 1/​250​秒 24mm ISO400 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
70.西門
​​​​​​​​ 午前10時になった。そろそろ元町へ戻ろう。元町商店街もオープンしているだろう。生田神社の西門から出る。ここも正月のしめ飾りの準備がされていた。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 38mm ISO1000 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。
71.何処にいるのだろう?
​​​​​​​​ いくたロードを戻ってJRのガードをくぐり、三宮センター街を抜けて、三宮中央通りを右へ、元町商店街入り口を目指す。途中、道路の反対側にこんな建物が並んでいた。まるでヨーロッパのどこかの古い町にいるようだ。ネットで探ってみると、このビルはアパレル大手のワールドが2005年から運営してきた商業施設メディテラスといういわばファッションビルだが、昨年3月で閉店となったようだ。ワールドは一昨年(2016年)メディテラスをパルコに売却。取得したパルコは商業施設「三宮ゼロゲート」を建設する計画を表明しており、神戸進出を計画しているという。

Nikon D5000 S​​​​​IGMA​ 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO​​
​​​​​​​​ プログラムオートで撮影  (​ ​f4.2 1/​250​秒 35mm ISO200 ​) 露出補正​ ​なし
;クリックすると大きな写真になります。

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2016年8月30日

迎賓館(赤坂離宮)参観 8月23日

いつもご一緒する友人夫妻からお誘いをいただき、某旅行社が主催する「明治記念館でのランチと迎賓館赤坂離宮本館内部と主庭見学」という日帰りツアーに参加した。
 10時30分にJR信濃町駅に集合だ。まず、神宮外苑の絵画館へ向かう。重要文化財 聖徳記念絵画館は、外観はそれこそいつも見ているが、中に入ったのは小学校のころ見学に行った以来だ。中には、当時の一流画家により明治天皇と昭憲皇太后のご事績が描かれた洋画40枚、日本が40枚の計80枚が延べ250mの壁面に展示されているのだが、ただ、今は改修中で洋画しか見ることができなかった。残念ながら内部は撮影禁止だった。
  次に外苑周回路から権田原の交差点に出て、明治記念館に入る。ここで昼食だ。昼食後明治記念館の庭や、ロビー、廊下に展示されている絵画を見て歩いた。絵画では横山大観の作品や、有名な上村松園の「序の舞」もあったが、確信は持てないものの複製画のように思う。明治14年、当時の赤坂仮御所の別殿として今の迎賓館のある場所に建てられたのが、明治記念館本館である「憲法記念館」だそうだ。明治21年、明治憲法草案審議の御前会議も開かれたという。
  明治記念館を出て、東宮御所に沿って、安鎮坂を四谷の方へ向かう。団体でゆっくり歩いて20分ほどで学習院初等科の前に出た。歩いてきた赤坂御用地に沿った都道を渡って、迎賓館の西門から入るのだが、4~5組の団体が四谷方面からもやってきていた。迎賓館への参観者の入り口が渋滞していて、3回ほど信号待ちをして横断した。西門を入ると本人確認と手荷物検査にも列ができている。まず、本館に入るが、本館内は撮影禁止だった。「カメラ、スマホは手荷物の中にしまってください」と手に持つことは許されない。ここでツアーは実質的に解散になり、自由に見学することになる。

  1. 「彩鸞(さいらん)の間」
     暖炉の両脇や大鏡の上部に飾られた「鸞(らん )」と呼ばれる鳳凰. (ほうおう)の一種である霊鳥(れいちょう)から名づけられ、条約調印、諸会議、記者会見のほか、来客の控えの間など多目的に使用される。
  2. 「花鳥の間」
     天井に描かれた36枚の油絵や、欄間に張られた錦綴織、壁面に飾られた30枚の楕円形の七宝などに花や鳥が描かれていることに由来し、周囲の腰壁は茶褐色のシオジ材で板張りしてあり、その壁の中段を飾るのが七宝である。下絵は日本画家の渡辺省亭が描き、明治期の七宝焼の天才・涛川惣助が焼いたものだそうだ。この部屋は、主に国・公賓主催の公式晩餐会が催される大食堂で、最大130名の席が設けられるとのこと。
  3. 「朝日の間」
     「朝日の間」という名は、天井に描かれた「朝日を背にして女神が香車を走らせている姿」の絵に由来する。周囲の16本の円柱はノルウェー産の大理石である。壁には、京都西陣の金華山織の美術織物が張られ、床には、紫色を基調とした47種類の糸を使い分けて桜花を織り出した緞通が敷かれている。この部屋は国・公賓用のサロンとして使われ、ここで表敬訪問や首脳会談等の行事が行われるそうだ。
  4. 「羽衣の間」
     謡曲の「羽衣」の景趣を描いた300㎡の曲面画法による大絵画が、天井に描かれていることに由来する。3基のシャンデリアは迎賓館で最も豪華なもので、およそ7,000個もの部品で組み立てられており、高さは約3m、重さは約800kgであり、壁は楽器、楽譜等をあしらった石膏の浮彫りで飾られている。また、正面の中2階はオーケストラ・ボックスとなっており、かつて、この部屋が舞踏会場として設計されたことが偲ばれる。この部屋は、雨天の際に歓迎行事を行ったり、レセプションや会議場等として使用されており、また、晩餐会の招待客に食前酒や食後酒を供するところでもあるとのこと。

と4っの部屋を見学して、いったん本館に入ったところ(西側出入り口)から出て、主庭に出た。正面に噴水がある。その噴水の向こう側に回って、振り返って迎賓館の建物全体を眺めると、オーストリアで見た宮殿のような佇まいだ。
 ふたたび西側出入口へ引き返し、前庭から、新宿通りからまっすぐ入ったところにある迎賓館の 正門の方へ向かう。そして、振り返って迎賓館 赤坂離宮の正面玄関を眺め、正門わきから退出した。
この日も天気予報では不安定な天候で、午後は雨が降るということだったが、強烈な夏の日が照り付け汗びっしょりになってしまった。横浜へ帰る途中、目黒に寄り、飲んだビールは最高にうまかった。

1.聖徳記念絵画館
私は渋谷区立の神宮前小学校を卒業した。今の表参道ヒルズの内側に、その校舎、プール、校庭がある。私が通っていたころ(昭和23年~29年)は、1学年3組あり、はじめのころは校舎が足りず、二部授業も行われていた。その後、原宿、表参道は多くの人が集まる賑やかな街へと発展した反面、子供たちの数は減り、全校生徒数は100人を下廻った時もあったのではないかと思う。今は再び生徒数は増加し、全校で約250人ほどになっているようだ。その小学生時代、先生に引率されてれて表参道から徒歩で聖徳記念絵画館を参観したのを覚えている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/800秒 24mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
2.絵画館前から外苑銀杏並木を見る
12月初めのころ、黄色く色づいた銀杏並木は良く眺めることがあるが、この場所から見たことはなかった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/1000秒 37mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
3.絵画館の玄関天井
絵画館の重厚な扉の前で、その天井を見上げた。1926年(大正15年)に竣工している。設計者は明治神宮造営局となっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/100秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
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4.憲法記念館
権田原の交差点に出て、外苑東通りを向こう側にわたると、安鎮坂の左側が明治記念館で、その入り口に「憲法記念館」という門があった。wikipediaによると、明治記念館のルーツは赤坂仮御所の別殿で、ここで大日本帝国憲法・皇室典範の草案審議が行われている。その後この建物は憲法制定の功績で明治天皇から伊藤博文に下賜されることになり、大井の伊藤邸内に移築される。彼の死後、1918年(大正7年)に明治神宮外苑に再移築され、この時に「憲法記念館」となったそうだ。そして、1947年(昭和22年)11月1日に、リコーの市村清の主導で、憲法記念館は「明治記念館」として開館されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/320秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
5.明治記念館本館
憲法記念館だった明治記念館本館は壁一面には金鶏が舞い、部屋の真中には堂々とした黒漆塗り大鏡付のマントルピースがあり、、本館玄関車寄せは京都御所や大宮御所風の宮殿造りで、荘厳な姿が今に残るという。現在、明治記念館は結婚式場であり、その本館として宴会場やラウンジとして利用されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/100秒 13mm ISO125) 露出補正 なし
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6.「序の舞」
明治記念館の廊下やロビーにはたくさんの絵が掲げられている。有名な横山大観や上村松園の「序の舞」もあった。ただし、確信は持てなかったが複製画と思う。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.2 1/400秒 13mm ISO500) 露出補正 なし
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7.本館の鬼瓦
本館は明治14年に建築された和洋折衷の明治宮殿様式を備えた建物だが、その鬼瓦が広大な庭の奥に据えられていた。立てられていた説明板によると、この本館の鬼瓦は御所の重要な建物に使われる「御所型」で上部の菊花紋を配した3個の筒状の部分は経の巻といい、五角形の箱型中央の菊花紋状の2本の山型線模様は綾筋というそうだ。1996年に屋根瓦の葺き替えを行った際に創建当時の菊花紋入り鬼瓦の一部を記念に残したとある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/400秒 13mm ISO125) 露出補正 なし
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8.さざれ石
鬼瓦のとなりに天然記念物さざれ石というのが置かれていた。石灰石が長い年月の間に雨水に溶解されてその時に生じた粘着力の強い乳状液が次第に大小の石を凝結して巨岩となり、河川の浸食作用等により地表に露出したものだそうだ。国歌「君が代」に歌われるように縁起の良い貴重な石であるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/200秒 14mm ISO125) 露出補正 なし
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9.安鎮坂
明治記念館で昼食になった後、いよいよ迎賓館(赤坂離宮)へ向かう。明治記念館を出て、左に曲がり、赤坂御用地に沿って安鎮坂(都道)を行く。徒歩20分ほどだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/200秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
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10.赤坂御用地の門
  この門は鮫が橋門という。赤坂御用地には東宮御所、秋篠宮邸、三笠宮邸、高円宮邸などがある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/200秒 32mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
11.学習院初等科
学習院初等科のホームページにあるその沿革には弘化4年(1847年)京都に公家の子弟のための学校として、学習院ができたのが始まりで、明治10年(1877年)の10月17日には、神田錦町に華族のための学校として、学習院ができたそうだ。明治32年(1899年)に学習院初等学科の校舎が四谷の現在地に新しくつくられ、大正8年(1819年) 学習院初等学科を初等科と改めている。門の向こうに見える本館校舎は昭和15年(1940年)に竣工し、戦火を潜り抜けてきた歴史ある建物だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f2.8 1/1000秒 37mm ISO125) 露出補正 なし
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12.迎賓館入場
学習院初等科の前の横断歩道を渡り、迎賓館の西側の塀に沿って右へ曲がり西門から入る。前の日が天候が悪く、見学を今日に延期したツアー団体もあるようで、入るのにしばらく待たねばならなかった。本館に入る前に手荷物検査を受けなくてはならない。本館内は撮影禁止でカメラも手荷物の中に入れた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4.5 1/1250秒 20mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
13.タギョウショウ( 多行松)
本館の「彩鸞(さいらん)の間」「花鳥の間」「朝日の間」「羽衣の間」の順に見学し、外に出る。そこから、四谷側の正門から見ると本館の向こう側に広がる主庭に進む。途中、ちょっと変わった松の木があった。タギョウショウという札があり、アカマツの園芸品種だそうだ。幹が根本近くで多数に分かれ傘を開いたような樹形になっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/100秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
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14.本館南側
主庭に入り、本館の南側を見る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f5 1/1250秒 10mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
15.本館南側正面
まるでオーストリアで見た宮殿のような佇まいをしている。wikipediaによると、現在の迎賓館のルーツは、東宮御所として1909年(明治42年)に建設された。鹿鳴館などを設計したお雇い外国人建築家ジョサイア・コンドルの弟子にあたる宮廷建築家片山東熊の設計による。しかしそのネオ・バロック様式の外観があまりにも華美に過ぎたことや、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことから、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかった。嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められた。そして、1974年(昭和49年)3月に改修が行われ、現在の迎賓館が完成した。新装なった迎賓館に迎えた最初の国賓は、1974年11月に現職のアメリカ合衆国大統領として初来日したジェラルド・フォードだったそうだ。さらに2006年(平成18年)から2008年(平成20年)にかけて、大規模な改修工事が行われている。2009年(平成21年)12月8日、旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)として国宝に指定され、明治以降の文化財としては初の国宝となった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f5.6 1/1250秒 11mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
16.大噴水
主庭の奥に大きな噴水がある。ゲストが本館の南側から眺めると真正面のところにある。この噴水も2009年に国宝に指定されましたとのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f5.6 1/1250秒 11mm ISO125) 露出補正 なし
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17.グリフォン
「公園噴水図鑑」というサイトを探し当てて参照させていただいた。それによると、花びらのような形状をした噴水池の中に、皿を伴った、西洋庭園風の噴水が2段重ね(下に4基、上に1基)で中央に置かれていると解説されている。この中央の噴水を囲んで、伝説の生物であるグリフォンの像が4体置かれ、口から水を噴出している。さらに、「よく見ると、このグリフォンが乗っている台座の側面には、口から水を流すライオンの顔が取り付けられています(ひとつの台座に2つずつで計8体)。また、グリフォンに挟まれるように亀の像も計8体置かれていますが、これは水は噴出していないようです。生き物の像はこれに留まらず、4基の噴水の皿にはシャチの像が置かれており、まるで水の中で飛び跳ねているようです。このように、細かな装飾が随所に施された意匠となっていて、それだけで見応えのある噴水だといえます。」と述べられている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/1250秒 37mm ISO125) 露出補正 なし
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18.噴水と本館南側
噴水の東側に廻った。噴水と本館とを入れて撮る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f5.6 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
19.本館東側
これは本館の東側になる。ここを通り抜けることはできなかった。したがって、また西側に戻って本館の反対側、前庭の方へ向かうことになる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/1250秒 15mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
20.モッコク (木斛)
海岸の近くに生えるというツバキ科のモッコクという樹が植えられていた。かわいい実がなっている。1cmあまりの大きさの卵状球形の果実は、秋になると熟してぶ厚い果皮が裂け、赤い種子を露出する。また、この種子は樹上で赤く目立つため、アカミノキの別名があるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/100秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
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21.本館北側
本館に入った西側を通って、石畳の広場がある本館北側に出た。こちらが正面になるのだと思う。両翼が広がり、大きさを感じる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
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22.本館正面
正面玄関の両側の屋根飾りには鎧武者の姿がある。中央破風には菊の御紋がある。建物全体に西洋の宮殿建築に日本風の意匠が混じった装飾になっているといわれる。。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/1000秒 18mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
23.アプローチからみた両翼屋根の装飾と電灯
これは正面玄関への右側からのアプローチである。両翼の屋根の上には霊鳥と星の付いた天空儀があり、アプローチの両脇には5​つの​​​​​​​​​​​​​​​​​​の灯が付いた門柱がある。当初からイギリス製の自家発電装置を備え付けて照明には電気を使っていたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/1000秒 24mm ISO125) 露出補正 なし
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24.玄関の扉
玄関には3つの扉がある。これは向かって左側の扉である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/200秒 15mm ISO125) 露出補正 なし
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25.正門
本館を背にして、四谷側の正門を眺める。前庭の中央にまっすぐな石畳が伸びる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/1250秒 29mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
26.迎賓館本館を振り返る
25.の写真を撮ったあたりから、石畳の広場と本館を振り返って眺める。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/1250秒 9mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
27.正門から見た迎賓館本館正面
四谷側の出口でもある正門まで来た。ここからは石畳の向こうに本館を真正面に見ることができる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/800秒 37mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
28.正門
正門わきの出口から外に出た。この門も国宝だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/1250秒 27mm ISO125) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
29.正門と迎賓館
正門を出て、その前の通りを渡る。四谷駅方面へ行くのだが、もう一度振り返って、正門と迎賓館本館の全景を撮る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 (f4 1/800秒 21mm ISO125) 露出補正 なし
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2011年10月31日

北イタリア旅行 その17 フィレンツェ(4) 9月9日


 まだ、露天商を見て回りたいという、かみさんと娘を残し、娘の主人と2人で、いよいよ、ジョットの鐘楼へ上ることにした。入場料はひとり6ユーロだった。エレベーターのない414段の階段は辛かったが、テラスに上がると素晴らしい展望が待っていてくれた。汗びっしょりで降りてきて、カフェで冷たいビールと、簡単な昼食を摂り、ミラノ行きの列車の時間まで、再びフィレンツェの町を楽しんだ。
  日本を出発する前に、親友からミラノ在住の友人を紹介され、その方からメールをいただき、今夜、ミラノのホテルに着いたら電話をすることになっていた。海外で使えることを確認しておいた私の携帯電話で、その方の携帯電話にかけたところ、コンタクトすることができた。夜8時に、指定していただいたレストランで落ち合い、お互い初対面ながら、一緒に楽しく食事をさせていただいた。私たちだけでは、なかなか注文できないイタ飯を堪能することができた。

221.ジョットの鐘楼を昇る
大聖堂(ドゥオーモ)の建設にあたって、1334年に工匠頭に任命されたジョットは、アルノルフォ・ディ・カンビオの構想にあった鐘楼の計画に専念し、すぐにその建築を開始した。しかし、ジョットは基底部分の建築が済んだ時点(1337年)で死去し、以後は弟子のアンドレア・ピサーノ、1350年以降は聖堂の建築を指揮していたフランチェスコ・タレンティが引き継いでいる。聖堂よりも100年も早い1387年に塔は完成したが、当初計画された塔頂部の尖塔は造られなかった。
  高さ84mの鐘楼は、途中、3、4か所にフロアがあって、そこから外を眺めることが出来る。最初のフロアからの眺めた洗礼堂。右手に見えるクーポラはサン・ロレンツォ教会。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F16 1/1000秒 20mm ISO400 ) 露出補正 なし
ジョットの鐘楼を昇る;クリックすると大きな写真になります
222.ジョットの鐘楼の鐘
2段目のフロアだったろうか、過去実際に使われていた大きな鐘が置いてあった。いま使われている鐘も大きいだけあって、その音は遠くにいてもよく響き、近くで聞くと迫力満点と言われている。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/400秒 32mm ISO400 ) 露出補正 なし
ジョットの鐘楼の鐘;クリックすると大きな写真になります
223.ドゥオーモの展望台
やっとの思いで414段の狭い階段を上り、鐘楼の屋上の展望台に出た。高さ107mのドゥオーモのクーポラの展望台が、ほぼ同じ高さに見え、多くの観光客が上っている。もう一日あれば、ドゥオーモの方にも上がって、クーポラの内側に描かれている「最後の審判」を近くで見たかったが、今回はジョットの鐘楼の展望台からドゥオーモを眺めることを優先した。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F9 1/1250秒 80mm ISO400 ) 露出補正 なし
ドゥオーモの展望台;クリックすると大きな写真になります
224.ジョットの鐘楼から眺めたドゥオーモ
鐘楼の屋上の展望台から、眺めるドゥオーモのクーポラ、そしてフィレンツェの町の眺めは素晴らしかった。こちらのジョットの鐘楼が85m、ドゥオーモが107mとされているので、向こうの方が高いが、クーポラが「なで肩」なためか、こちらの方が高く感じる。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F11 1/500秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
ジョットの鐘楼から眺めたドゥオーモ;クリックすると大きな写真になります
225.カフェテリア
ジョットの鐘楼から下りてくると、かみさんと娘が待っていた。汗をかいて、のどが渇いた。冷たいビールが飲みたくて、近くのカフェテリアに入った。席を確保して、座り込み、ビールを買ってきてほしいと、娘たちに頼んだところ、パスタとか、サラダとか、軽食を買ってきて、昼飯にしようということになった。

Canon IXY 30S F2.0-5.3 4.9mm-18.6mm 10.0 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( F2.8 1/50秒 4.9mm ISOオート ) 露出補正 なし
カフェテリア;クリックすると大きな写真になります
226.シニョーリア広場 ネプチューンの噴水
ヴェッキオ宮の前にはシニョーリア広場がある。ここはフィレンツェの行政の中心で、共和政治をむねとしたフィレンツェでは、ことあるごとに、ここに集まり、議論を戦わせ、挙手によって採決を行ったと言われている。写真はネプチューンの噴水(大理石とブロンズ)で、バルトロメオ・アンマナーティ作(1575年)である。この写真には映っていないが、右手のヴェッキオ宮の入口近くには、ミケランジェロのダビデ像のレプリカがある。ミケランジェロの制作したオリジナルはアカデミア美術館にある。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/400秒 44mm ISO400 ) 露出補正 なし
ネプチューンの噴水;クリックすると大きな写真になります
227.ランツイのロッジア
シニューリア広場では市民集会がしばしば開かれたが、その集会が雨でも続けられるようにと1382年に建設されたという。そして、古代およびルネッサンス彫刻のギャラリーになっている。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/160秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
ランツイのロッジア;クリックすると大きな写真になります
228.ウッフィツイ美術館の入場を待つ人たち
1994年にツアーでフィレンツェに来た時は、この写真と同じように行列を作って、ウッフィツイ美術館の入場を待った。この日は並んでいる人の数はそれほど多くはないようだった。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F4 1/125秒 20mm ISO400 ) 露出補正 なし
ウッフィツイ美術館の入場を待つ人たち;クリックすると大きな写真になります
229.フィレンツッェの似顔絵かき
ウッフィツイ美術館の脇をアルノ川の方へ歩くと、似顔絵を描く絵描きさんたちが営業中だった。アルノ川に出て、右へ向かうとヴァサーリの回廊があり、ヴェッキオ橋に出る。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/160秒 35mm ISO400 ) 露出補正 なし
フィレンツッェの似顔絵かき;クリックすると大きな写真になります
230.ヴェッキオ橋
川上の方から眺めたヴェッキオ橋だ。右手にヴァサーリの回廊があり、ヴェッキオ橋まで続く。そして、さらにヴェッキオ橋の階上を通るこのヴァサーリの回廊は、ウッフィツイ宮とアルノ川対岸にあるピッティ宮を結ぶ通路としてヴァサーリにより建設された。橋の中央に3つのアーチが見えるが、昨夕はそこからアルノ川の夕焼けを眺めた。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F10 1/400秒 34mm ISO400 ) 露出補正 なし
ヴェッキオ橋;クリックすると大きな写真になります
231.ヴェッキオ橋を渡る
ヴェッキオ橋の中に入って、左右の商店を見ながら、その焦点が途切れてアルノ川が見渡せるところまできた。上の写真で3つのアーチがある場所である。そこから上流の方を眺めた。きのうはここで月が昇る夕景色を見た。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F11 1/500秒 27mm ISO400 ) 露出補正 なし
ヴェッキオ橋を渡る;クリックすると大きな写真になります
232.ヴェッキオ橋に並ぶ彫金細工店、宝石店
ヴェッキオ橋はアルノ川にかかるフィレンツエ最古の橋である。橋、すなわちこのしゃれたプロムナードも、13世紀にはなめし皮屋や、肉屋が並び、異臭を放っていたと言われる。宮殿近くに臭い市場があることを嫌ったフェルディナント1世の命令により1593年に市場は撤去され、宮殿周辺にふさわしい宝石店が並ぶようになったそうだ。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/500秒 105mm ISO400 ) 露出補正 なし
ヴェッキオ橋に並ぶ彫金細工店、宝石店;クリックすると大きな写真になります
233.フェラーリの店
日本でも、イタリアの名車フェラーリの人気は高い。娘の主人もその一人で、明日はミラノから小一時間ほどのモンツァというところで行われるイタリアGPを観戦に行くという。ドゥオーモの方へ歩いて行く途中で、この店を見つけた。店に入らないわけがない。元気の良い、大阪弁を話す日本人女性の店員さんに迎えられた。私もついつい、ポロシャツをお買い上げ。ここはフェラーリのライセンスを得たPUMAの店だった。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F7.1 1/200秒 18mm ISO400 ) 露出補正 なし
フェラーリの店;クリックすると大きな写真になります
234.昼間見るドゥオーモ
今日は快晴である。青空のもと、ピンク、グリーンが混じる美しい大理石の洗礼堂、ドゥオーモ、ジョットの鐘楼が映える。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F14 1/800秒 32mm ISO400 ) 露出補正 なし
昼間見るドゥオーモ;クリックすると大きな写真になります
235.ミラノ駅到着
フィレンツェの散策を堪能し、サンタマリア・ノヴェッラ駅から16:00発のユーロスターに乗り、17:45、ミラノ中央駅に着いた。 ミラノ中央駅(ミラノ・チェントラーレ) は、ミラノを代表する駅で、前にも記したが、ローマ・テルミニ駅に次いでイタリアで2番目の乗降客数(1日約32万人)であるだけでなくヨーロッパの鉄道駅としても主要な駅の一つであると言われる。線路、プラットホームの上のアーチ型の屋根は偉大である。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F6.3 1/160秒 26mm ISO400 ) 露出補正 なし
ミラノ駅到着;クリックすると大きな写真になります
236.おまけ ジョットの鐘楼展望台からのパノラマ写真
5枚の写真を Photoshop Elements で合成した。画角は180度弱と思う。左にサン・ロレンツオ教会が見え、その右側の緑色の屋根は中央市場。中央右にまっすぐ伸びる道はリカーソリ通りというのだろうか。洗礼堂や花の聖母教会の頭越しに撮っている。

Nikon D5000 NIKKOR VR 18-200mm F3.5-5.6G
プログラムオートで撮影 ( F13 1/640秒 22mm ISO400 ) 露出補正 なし
ジョットの鐘楼展望台からのパノラマ写真;クリックすると大きな写真になります