検索結果: Studio YAMAKO

このブログを検索

大文字小文字を区別する 正規表現

Studio YAMAKOで“八坂神社”が含まれるブログ記事

2024年4月28日

小雨降る墓参と嵐山福田美術館 2024年3月23日 京都旅行(3/22-3/24) ⑤

2日目、天気予報は的中し、昨日の晴天は何処へやら、朝から小雨模様の天気になった。  午前中は、娘婿の両親の菩提寺へ行く。興正寺別院へ、お墓参りである。
 京都市内に12店舗がある大正2年(1913年)に創業したベーカリーショップ「新々堂」で朝食をとった。二人は何回も京都にきており、食べることに関してもよく知っていた。
 興正寺は「花まつり」が行われていて、お墓参りに来た人たちに抹茶が振舞われていた。ただ、咲いていたのはサクラではなく、ウメだった。私たちも、雨をしのぐテントの下に敷かれた緋毛氈の台で抹茶をいただいた。桜の香りがする八つ橋が美味しかった。
 昼食は一昨年も利用した四条大橋のたもとの東華菜館という中華料理店だった。外は雨が降っている。午後はどこかへ花見に行こうと計画していたが、桜は咲いていないし、雨も降っている。婿殿の提案で、嵐山の「福田美術館」へ行くことにした。「福田美術館」は知らなかった。外の観光客の賑わい、混雑から逃れ、ゆっくりと日本画を観賞できた。良いところを案内してくれた。

000_240323205 X700 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg
嵐山「福田美術館 進撃の巨匠 竹内栖鳳」と弟子たち
2024年4月23日 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町

079_240323027  X900 京都 興正寺 鐘楼と親鸞像 G7X.jpg 79.興正寺別院(霊山本廟)の鐘楼と親鸞聖人像
京都に興正寺は二つある。一つはここ、霊山本廟:興正寺別院(京都市東山区清閑寺霊山町)であり、宗祖親鸞聖人の廟所で、全国の興正派門信徒の遺骨を納めるところでもある。もう一つは本山興正寺(京都市下京区花園町)である。そのHPによれば、興正寺は、親鸞聖人(1173年~1262年)を開祖とする真宗興正派の本山である。興正寺の創建は鎌倉時代にさかのぼる。承元の法難(建永の法難)により越後国(新潟県)へと配流された親鸞聖人が、建暦元年(1211年)に勅免をうけた後、翌建暦2年(1212年)に京都へと一時帰洛して、山科の地に一宇を草創したことに始まる。興正寺という寺号は、順徳天皇(1197年~1242年)によって名づけられたと伝えられ、日本に仏教をひろめた聖徳太子の事績にちなみ「正しき法を興し、さかえさす」(正法を興隆する)との願いが込められているという。江戸時代を通じて興正寺は西本願寺の末寺であったが、本山として独立しようとする気運が根強く、第27世本寂(1808年~1877年)の時代であった明治9年(1876年)に一派本山として独立を果たした。明治35年(1902年)、興正寺は火災によって、いわゆる「ひとつ御堂」と称せられた本堂をはじめほとんどの堂舎を失う。残されたのは鐘楼(1774年建立)や経蔵(1848年建立)などわずかな建造物だけであった。翌年に再建の議が決し、明治45年(1912年)に御影堂が、大正4年(1915年)に阿弥陀堂が完成した。興正寺は明治9年、本願寺からの別派独立に伴い、この地(京都市東山区清閑寺霊山町)に宗祖のご遺骨を納め、本廟(興正寺別院)とし、歴代の門主の墓所、門末の納骨所として境内を整備されてきた。昭和60年には個別納骨壇を備えた浄華堂が開設された。今回は浄華堂へのお参りである。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO1000 )
080_240323032  X900 京都 東華菜館 G7X.jpg 80.東華菜館のエレベーター -1
我が家の奥さまが一昨年の法事の際にここで昼食をとり、すっかり気に入ってしまった。エレベーターで4階に上がる。そのエレベーターは東華菜館のHPで日本最古のエレベーターと紹介され、「1924年米国で製造、輸入されたOTIS製。格子形の蛇腹式内扉や時計針式のフロアインジケーターなど非常に珍しい器具が備わっている、現存する日本最古のエレベーター。昇降は運転手による手動式であり、その操作盤・L字方向での二面開き扉等洗練された設計になっている。」と説明されている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/320秒 9mm ISO3200 )
081_240323034  X900 京都 東華菜館 エレベータ G7X.jpg 81.東華菜館のエレベーター -2
OTISの文字があった。四条大橋の西詰に建つこの東華菜館は、1945年(昭和20)年から営業を続けている中国料理店である。この建物は、1926年(大正15年)、ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によって竣工したという。前述した通り、このエレベーターは1924年アメリカOTIS社製のものだそうだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/250秒 9mm ISO3200 )
082_240323039m  X900 京都 東華菜館→南座と東山 G7X.jpg 82.南座とその背景の東山
4階の席からは鴨川の対岸に南座が見え、その向こうには東山が眺められた。外は雨模様だ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 28mm ISO200 )
083_240323044  X900 京都 東華菜館と鴨川 G7X.jpg 83.鴨川の流れ
雨に中、小走りに四条大橋まで行って眺めた鴨川の流れ。右側の建物が東華菜館だ。wikipediaによれば、現在の四条大橋は1935年(昭和10年)に発生した京都大水害による被害を受けて1942年(昭和17年)に完成した橋長65m、幅員25.0mの鋼桁橋(鋼連続桁橋)である。川の中に2つの橋脚を持つ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO160 )
084_240323053  X900 京都 阪急で嵐山へ 桂で乗り換え G7X.jpg 84.(阪急)桂で嵐山線に乗り換え
さて、まだ雨は降っている。花見は諦め、婿殿の提案で嵐山の「福田美術館」へ行くことになった。東華菜館から四条通を河原町まで歩き、そこから阪急電車で嵐山へ行く。嵐山へはJRや嵐山電車で行ったことはあるが、阪急で行くのは初めてだ。河原町から梅田方面への電車に乗り、桂で乗り換え嵐山線で20分ほどで、一人240円で行けた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 28mm ISO500 )
085_240323060  X900 京都 阪急で桂から嵐山へ G7X.jpg 85.阪急嵐山線のラッピング車両
阪急の車両は屋根の部分が白く塗装されている。屋根の色はグレーが一般的だが、一味違っている。上質な感じがする。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO1250 )
086_240323064 X900 京都 阪急嵐山駅 G7X.jpg 86.阪急嵐山駅
阪急嵐山駅は阪急嵐山線で桂駅から駅3っ目の終点である。所要時間7分を行ったり来たりしている。時刻は午後2時。この日は土曜日の午後なのだが、雨が降っていたためか観光客はそれほど多くなかった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/1000秒 11mm ISO400 )
087_240323066 X900 京都 嵐山 風風の湯 G7X.jpg 87.嵐山温泉
桂川の方へ歩いていくと「風風の湯(ふうふうの湯)」という日帰り温泉があった。この時はお客さん出入りはなかった。JRの嵯峨嵐山駅や京福電車の嵐山駅は桂川の北側にあるが、阪急嵐山駅は、南側にある。歩いていくと桂川の河畔に出て、渡月橋をやや西の方に見ることになる。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO250 )
088_240323075 X900 京都 嵐山 桂川右岸 G7X.jpg 88.桂川(大堰川)に架かる中の島橋を渡る
この川は渡月橋のあたりから桂川(大堰川)が別れ、再び合流していく分流である。この中の島橋を渡ると、中州に出てそこは嵐山公園(中之島公園)となっていた。桂川の南側から多くの観光客が行き来する渡月橋を見るのは初めてである。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1250秒 9mm ISO200 )
089_240323081 京都 嵐山 渡月橋 G7X.jpg 89.桂川右岸から見る渡月橋
嵐山公園(中之島公園)から北西の方向に見える。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO200 )
090_240323088 X900 京都 嵐山 渡月橋より G7X.jpg 90.渡月橋を渡る
渡月橋を渡って、桂川の左岸に出た。「福田美術館」のある上流へと歩く。桂川は、嵐山上流の亀岡流域の保津地区から保津峡の区間に限って嵐山までを保津川という呼び方をされる。また、嵐山に入ると渡月橋の下流までを大堰川と呼ぶようだ。ややこしい。保津川下りは、丹波亀岡から京都の名勝嵐山まで約 16 ㎞の渓流を約 22時間で下る舟下りでだ。京都の代表的な観光地である嵐山・嵯峨野に近いことから、1885年に観光客を対象とした遊覧船による川下りが行われるようになった。昨年3月には転覆事故があった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 21mm ISO125 )
091_240323092 X900 京都 嵐山 桂川左岸 G7X.jpg 91.和服姿の外国人観光客
天気は悪いがそれでも桂川沿いの道は観光客が多い。着物を召された方たちは、マレーシアあたりから来られているのだろうか。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 29mm ISO200 )
092_240323093 X900 京都 嵐山 桂川左岸 ジンチョウゲ G7X.jpg 92.ジンチョウゲ
道筋には植えられたジンチョウゲの花が咲いていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO400 )
093_240323098 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 93.「福田美術館」入口
  横道を少し右へ入ったところに「福田美術館」の入り口があった。こんなところに美術館があるのかと思うようなところだった。「福田美術館」は、2019年10月1日にオープンした私設美術館。福田吉孝の収集品を収蔵展示、運営は一般財団法人福田美術振興財団だそうだ。wikipediaによれば、開館にあたってのコンセプトは「100年続く美術館」であり、「たとえ美術に詳しくない方が見ても、感動を覚えるような」作品を中心に集められた。コレクションは京都の実業家、アイフルの創業者、福田吉孝が美術館を設立する目的で約20年にわたって収集した、日本絵画を中心とした作品約2,000点であり、江戸時代の琳派や円山・四条派や近代の京都画壇の作品を多く所蔵している。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO160 )
094_240323100 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 94.「進撃の巨匠 竹内栖鳳と弟子たち」
私たちが訪れたときは、「進撃の巨匠 竹内栖鳳と弟子たち」という企画展示が行われていた。欧米人の入場者が目立った。竹内栖鳳(たけうち せいほう 元治元年11月22日〈1864年12月20日〉- 昭和17年〈1942年8月23日〉)は、戦前の日本画家。近代日本画の先駆者で、画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家である。一部の作品を除き展示された絵画を含め、館内の写真撮影が許されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO2000 )
095_240323109 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 95.<雨景・雪景図屏風> 竹内栖鳳
解説には竹内栖鳳の130年ほど前、円山応挙は<雨竹風竹図屏風>という作品を生み出していたが、この作品はその変奏で右奏を雨、左奏を雪の景として異なる風情を描きとっていると記されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/320秒 9mm ISO3200 )
096_240323115 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 96.<雪月花> 1932年
左から、河合玉堂、横山大観、竹内栖鳳の掛け軸である。東西三巨匠の豪華競演と書かれていた。その右の絵も竹内栖鳳の作品である。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/250秒 10mm ISO3200 )
097_240323123 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 97.熱心に鑑賞する西欧人
幕末の京都を代表する絵師の一人で、幕末の平安四名家の一人と言われた塩川文麟や、同じく江戸時代後期に活躍した絵師である松村景文といった巨匠の絵画を熱心に外国人観光客と思われる人が鑑賞していた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/320秒 10mm ISO3200 )
098_240323126m X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 98.<雪中南天鴨図>(部分) 円山応挙
1893年の作品。水鳥の一瞬の動きを描きだせているのは、同時代の狩野派の絵師たちのように、単に手本を写して完成させるのを良しとせず、写生に打ち込んで独自の作風を完成させた応挙ならではの技であり、その祖師の考え方を受け継いで自分だけの表現を追い求めたのが竹内栖鳳でもあったと解説されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/60秒 37mm ISO3200 )
099_240323129 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 99.<金獅図> 1906年 竹内栖鳳
この展覧会のポスターにもなっているこの<金獅図>は、咆哮しながら勢いよく身を乗り出すライオン。右脚の鋭い爪や左脚の筋肉の描写などは百獣の王に相応しい姿で的確にとらえられている。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/100秒 21mm ISO3200 )
(部分) rel="lightbox[]">100_240323131m X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 100.<金獅図>(部分)
昨年の秋には、京都市美術館開館90周年記念展として、竹内栖鳳「破壊と創生のエネルギー」という展覧会が開催された。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/100秒 21mm ISO3200 )
101_240323136 X101 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 101.会場風景 -1
比較的入場者は少なく、落ち着いて名画を観賞できる。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/200秒 9mm ISO3200 )
102_240323141 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 102.<花見>(部分) 1909年 西山翠嶂(にしやま すいしょう)
誰しも心躍る桜の花。「伝統的な京都画壇はあまり積極的に同時代の人々の様子を描くことはありませんでしたが、師匠であり、妻の父でもある竹内栖鳳同様に常に進撃を続けた西山翠嶂はこの作品で果敢なチャレンジを見せています」と解説されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/250秒 14mm ISO3200 )
103_240323144 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 103.<砂丘> 1935年 西村五雲(にしむら ごうん)
漁師の居ぬ間に。「魚籠に一匹のとびが羽を休めています。砂浜の貝や道具箱からすると漁師が傍にいそうな気もしますが、とびは何も気に掛けることなく悠々と後方を振り向いています。動物の一瞬の挙動を写す筆力は師の栖鳳から受け継いだもので、五雲はそれをより発展させました。」と解説されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/400秒 14mm ISO3200 )
104_240323145 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 104.<砂丘>(部分)
凄い描写力だと思う。写実的ではあるが、写真とは違う。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/250秒 37mm ISO3200 )
105_240323162 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 105.<平牀> 1933年 土田麦僊(つちだ ばくせん)
麦僊の進撃も止まらない。「平牀(寝台)に立つ女性と座る女性は歌舞を生業とする朝鮮半島の妓生です。麦僊は二度朝鮮半島へ渡り、最初の渡航後に本作を描きました。麦僊の初期の作品は絢爛な画面が多いのですが、晩年には本作のような淡彩による精神性の高い作品を多く制作しました。自ら打ち立てた様式を破る驀進は師・栖鳳から受け継いだものでしょう。」と解説されていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/250秒 37mm ISO3200 )
106_240323164 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 106.<平牀> 部分
左側に立っている方の女性の部分である。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/320秒 37mm ISO3200 )
107_240323180 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 107.会場風景 -2
中央に西山翠嶂の<花見>、その右側に見える大きな絵は、同じく西山翠嶂の<陽光桜花>である。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/400秒 9mm ISO3200 )
108_240323192 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 108.<虞美人草> 1911年 竹内栖鳳
虹が際立たせる静寂。「栖鳳が描いているのは令和の時代には初夏の路傍に群れ咲いているナガミヒナゲシ。ただし外来種であるこの花が日本に入ってきたのは栖鳳没後の1961年のこと。彼が地中海原産のこの花を目にしたのは1900年に訪れた欧州だったと考えられます。日本ではかって画題になったことがない花であっても、積極的に取り込み、洗練された先品に仕上げてしまう革新性も栖鳳の進撃を支えた底力でした。」と解説されていた。ナガミヒナゲシは私がよく写真を撮りに行く、横浜市の舞岡公園などでも多く見られる。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/250秒 10mm ISO3200 )
109_240323193 X900 京都 嵐山 福田美術館 G7X.jpg 109.最晩年の竹内栖鳳に、福田平八郎が送った礼状
wikipediaによれば福田平八郎は、「鋭い観察眼を基にした、対象がもつ雰囲気、美しさを抽出した表現が特徴とされる。生涯「水」の動き、感覚を追究していたとされ、「漣」は池面に映る水面の模様を描写した作品である。」とあった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 17mm ISO3200 )
110_240323198 X900 京都 嵐山 福田美術館 カフェより G7X.jpg 110.福田美術館のカフェ
小1時間の絵画鑑賞を終え、2階のギャラリー2から1階に下り、ミュージアムショップを見て、庭に突き出ているカフェに寄った。ちょっと一休みしたかった。大きなガラス窓からは桂川の岸を歩く観光客の姿が見える。ここのカフェは空いていた。眺めも良かった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO200 )
111_240323200 X900 京都 嵐山 福田美術館 カフェより G7X.jpg 111.福田美術館のカフェから渡月橋を眺める
小雨が降るのに、着物を着て写真を撮っている外国からの観光客の姿があった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO400 )
112_240323207 X900 京都 嵐山 桂川左岸 G7X.jpg 112.桂川河畔のカフェ
若い人たちでにぎわっている小さなカフェがあった。ここは「アラビカ京都」というインスタ映えするコーヒー専門店だそうだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO400 )
113_240323209 X900 京都 嵐山 桂川左岸より カルガモ G7X.jpg 113.桂川のカルガモ
桂川の流れに頭をだした石に何か水鳥が停まっていた。ファインダーで覗いて見るとカルガモだった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO1000 )
114_240323216 X900 京都 嵐山 桂右岸 桜にウメノキゴケ G7X.jpg 114.ウメノキゴケ
来た時の阪急電車に乗って、京都河原町へ戻ることにする。来た時に渡ってきた中の島橋のそばに、まだ咲かぬ桜の木があったが、その枝にウメノキゴケが付いていた。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO2500 )
115_240323219 X900 京都 四条 高瀬川沿い 「喜人来人」  G7X.jpg 115.高瀬川沿いの居酒屋
一旦ホテルに戻って夕食に出かける。今夜は居酒屋で日本酒という趣向である。店は富山の"きときと"な肴と酒の店だった。白エビの刺身が旨かった。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO3200 )
116_240323222 X900 京都 四条河原町 高島屋  G7X.jpg 116.京都 高島屋
四条通りに面して、高島屋と大丸があるということは記したが、これは四条河原町にある高島屋だ。写真の中央に、ちょっと異質な建物があるが、その角地に建つビルの地権者が高島屋への売却に応じないらしい。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/500秒 9mm ISO3200 )
117_240323227 X900 京都 四条 G7X.jpg 117.新京極商店街入口
河原町から賑やかな四条通りを歩くと、新京極商店街アーケードの入口がある。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 31mm ISO2500 )
118_240323230 X900 京都 四条通 G7X.jpg 118.寺町京極商店街入口
そのちょっと烏丸寄りに寺町京極商店街アーケード入口があった。錦市場を歩いて錦天満宮に突き当たる手前を右に折れるとこの商店街に入る。その商店街を通っていくとこの写真のところに出てくる。明日は錦市場へ行くことになりそうだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 19mm ISO1000 )
119_240323234 X900 京都 四条通 大丸ファサード G7X.jpg 119.京都 大丸
河原町からホテルのある四条烏丸の方へ歩いていくと、右手に新京極商店街、寺町京極商店街の入り口があり、もう少し歩くと大丸京都店がある。八坂神社を背にして、祇園、河原町、烏丸と四条通はメインストリートだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO3200 )

2024年4月24日

近衛の枝垂れ桜 京都御苑 2024年3月22日 京都旅行(3/22-3/24) ④

京都御所の参観を終え、入ったところと同じ清所門から退出した。
 その北側の奥が近衛邸跡である。ここの「近衛の枝垂れ桜」を見ておきたかった。しかし残念ながらまだ咲き始めのようだ。
 近衛家というのは五摂家の一つで公家では最高の家柄であった。wkipediaによれば、近衛家は、藤原北家嫡流であり、公家の五摂家筆頭で、華族の公爵家のひとつ。人臣で最も天皇に近い地位にある家とされる。家紋は近衛牡丹。近衛家で最も著名な人物は、昭和前期に3度にわたって内閣総理大臣を務めた近衛文麿である。別称を陽明家という。
 その五摂家の一つ、摂政や関白を多く出した近衞家の邸宅跡には、枝垂れ桜の大木が約60本植えられている。御苑で一番早く咲き始めると言われる桜で、例年は3月中旬にはほころび始めるという。白、紅などの品種によって花の時期が違うので、全体としては1ヶ月くらい楽しむことができるそうだ。
 京都御苑は、明治2年の東京遷都で御所周辺の公家の邸宅が荒廃したので、明治16年(1883年)に公園として生まれ変わった。現在は国民公園として一般公開されているが、樹木が多く残されており、京都市内にあって貴重な緑の空間となっている。  最後に出水の枝垂れ桜をもう一度見て、ホテルに戻った。一休みして、ホテルのロビーで娘たち夫婦と合流、夕食に出かけた。

000_240322498 X700 京都御苑 近衛邸跡しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg
近衛の枝垂れ桜 2024年3月22日 京都市上京区京都御苑

065_240322469 X900 京都御苑 近衛邸跡しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg 65.近衛の枝垂れ桜 -1
この枝垂れ桜は「糸桜」と呼ばれており、近衛邸が現在の同志社大学の場所にあった頃から有名な桜だったという。三分から五分咲きというところだろうか。写真は近衛邸跡入口付近の糸桜である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.0 1/500秒 20mm ISO110 )
066_240322471 X900 京都御苑 近衛邸跡しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg 66.近衛の枝垂れ桜 -2
これは白っぽい、一重の花である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO140 )
067_240322477 X900 京都御苑 近衛邸跡しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg 67.近衛の枝垂れ桜 -3
もう1枚。小ぶりの清楚な花である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO140 )
068_240322480 X900 京都御苑 近衛邸跡しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg 68.近衛池
庭園のみ残された姿が現在の近衛池だそうだ。2019年~2021年時点では池の周囲~背後の樹木が鬱蒼としていたし、水のない池底も長年の落葉で土が堆積してる様子が見て取れたけど、2022年の修復工事でだいぶ綺麗な感じに整ったという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 87mm ISO200 )
069_240322487 X900 京都御苑 近衛邸跡しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg 69.近衛邸跡の桜 -1
この桜はピンク色である。同じイトザクラという品種なのだろうか。イトザクラはエドヒガン系のシダレザクラだそうだ。イトザクラはシダレザクラの別名として用いられる場合がある。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 69mm ISO125 )
070_240322489 X900 京都御苑 近衛邸跡しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg 70.近衛邸跡の桜 -2
まだまだ三分咲きのようだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 36mm ISO160 )
071_240322509 X900 京都御苑 近衛邸跡しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg 71.近衛邸跡の桜 -3
桜の下で写真を撮る外国人観光客。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 23mm ISO110 )
072_240322513 X900 京都御苑 近衛邸跡しだれ桜 朔平門 Z50 Z18-140.jpg 72.朔平門と糸桜
そんなこととは知らず撮ったが、このアングルはSNSなどで人気があるのだそうだ。ここは日当たりが良いのだろうか、他所の桜より、咲き進んでいるように見える。後ろに見えるのは、朔平門は御所の築地塀の北側にある門。wikipediaによれば、朔平門はかつての平安宮内裏外郭の北正面にあり、内郭の玄輝門と相対する。その西に式乾門があり、門外の東西に仗舎が設けられていた。この門のすぐ北に縫殿寮の建物があるため「縫殿陣」ともいい、「北面僻仗中門」ともいった。と記されていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.5 1/500秒 105mm ISO560 )
073_240322516 X900 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 73.桃林 -1
御苑の北の端から、入ってきた南の端にある間之町口の出口へ、南北1300mを歩き始める。奥さまにも随分歩かせてしまった。スマホの万歩計は1万2千歩を超えている。時刻は午後3時半。人の影が長くなってきた。今日は1日良く晴れてくれた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO220 )
074_240322518 X900 京都御苑 Z50 Z18-140.jpg 74.桃林 -2
桃ノ木はまだ蕾を持っていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 42mm ISO160 )
075_240322522 X900 京都御苑 白雲神社 Z50 Z18-140.jpg 75.白雲神社
西園寺邸跡の傍に白雲神社があった。往きには横目で眺めただけで参拝をしていない。wikipediaによれば、「白雲神社は旧西園寺家の鎮守社であり、1224年(元仁元年)に西園寺公経が北山殿造営に際し建立した妙音堂に由来するとされる。後に、赤八幡京極寺にも鎮座され、1769年(明和6年)西園寺邸とともに御苑内に移った。明治以降、西園寺家が東京に移り「白雲神社」と称されるようになった。」とあった。「妙音弁財天と称する市杵島姫命で、西園寺家が琵琶の宗家であることから音楽の神として祀られてきた。」また、「1869年(明治2年)、西園寺公望はこの地に私塾「立命館」を開いたことでも知られる。」とも記されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.0 1/500秒 33mm ISO560 )
076_240322526 X900 京都御苑 出水しだれ桜 Z50 Z18-140.jpg 76.出水の枝垂れ桜
最後にもう一度出水の枝垂れ桜を眺めて、京都御苑を後にした。タクシーに乗りたかったが、奥さんにも我慢してもらって地下鉄に乗った。今日はもう一か所平安神宮の神苑へ行こうかと考えていたが、また、次の機会にする。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 94mm ISO140 )
077_4240322009 X900 四条通 G7X.jpg 77.宵の四条通り
ホテルから宵の四条通りを歩いて食事に出かける。四条通りは東京でいえば銀座通りのようなメインストリートである。八坂神社、祇園から四条大橋で鴨川を渡り、河原町、烏丸を通り、四条大宮方面に至る。高島屋、大丸という百貨店も並び、歩道には屋根が設けられて、雨の日も歩きやすそうだ。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 11mm ISO125 )
078_240322011 X900 焼肉小路 G7X.jpg 78.今宵は焼肉
朝食は別にして、これから24日の昼食まで、4回の食事を娘の主人がそれぞれの好みを考えながら、予約をしてくれていた。有難い。

Canon PowerShot G7X 8.8-36.8mm f/1.8-2.8 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 19mm ISO2500 )

2024年1月 4日

氏神さま 初参り 2024年1月2日 横浜市保土ヶ谷区 橘樹神社と神明社

正月2日、今年も毎年続けている氏神さまに初詣をした。昨年の1月2日は青空が広がる良い天気だったが、今年はあいにく曇り空で寒い日だった。
 まず橘樹神社へ。普段は裏側の駐車場の方から境内に入るが、お正月なので表にまわってメインの鳥居をくぐった。参拝の列はそれほど長くはなかった。
 橘樹神社は、社伝によると、文治2年(1186年)に創建されたと伝えられている。それは、源頼朝が、天下の平定を祝し、国中の大小神祇(神々)を奉幣(供物をささげる)して祭祀(神や祖先を祀る)を行った時の創建と伝えられているそうだ。即ち京都の衹園社(現在の八坂神社)の御分霊を勧請奉祀(来臨を願いお祀りする)して、橘樹神社も衹園社 牛頭天王社 天王宮 橘樹社 等社名が変わり大正10年正式に現在の社名となったそうだ。
 橘樹神社のお参りを終え、相鉄線の天王町駅を線路の反対側に出た。小さな広場には旧東海道保土ヶ谷宿の名残りがある。
 そこから大門通りへ出て神明社へ。途中、耕地整理竣工記念碑がある傍で梅の花が咲いていたのには驚いた。
 神明社の参拝者は多かった。参拝者の列は大門通りの大鳥居から拝殿へ100m以上はある石畳の参道の中ほどが最後尾だった。

000_240102020 X700 保土ヶ谷神明社 ウメ G7X.jpg
神明社 初詣参拝者の列 2024年1月2日 横浜市保土ヶ谷区

001_240102007 X900 初詣 橘樹神社 G7X.jpg 1.橘樹神社の鳥居から
旧東海道に面して橘樹神社の鳥居が立つ。鳥居は大正14年(1925年)に建てられたものだそうだ。右側に橘樹神社と記された細長い社号碑がある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/1250秒 15mm ISO250 )
002_240102005 X900 初詣 橘樹神社 G7X.jpg 2.注連柱(しめばしら)
参道の途中に注連柱があった。注連柱とは、主に2本の石柱の間に注連縄を張ったものを言う。神社の神域を示す。そこに茅の輪(チガヤまたはわらで作った大きな輪)が施されていた。参拝する人に茅の輪をくぐらせ、浄める。陰暦六月末日に神社で行う夏越と、年越の大祓の前後以外は茅の輪は取り外されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 16mm ISO250 )
003_240102004 X900 初詣 橘樹神社 G7X.jpg 3.拝殿と狛犬
茅の輪を潜り抜けると、一対の狛犬があった。狛犬は嘉永5年(1852年)に奉納されたものが現存しているそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/1250秒 9mm ISO250 )
004_240102001 X900 初詣 橘樹神社 G7X.jpg 4.神札授与のテント
参道のわきに巫女さんが神札(おふだ)や、破魔矢などを頒布する神札授与所のテントがあった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO250 )
005_240102002 X900 初詣 橘樹神社 G7X.jpg 5.初詣参拝者の列
拝殿の前に初詣参拝者の列ができていた。橘樹神社の社殿は江戸時代、更に明治以降も関東大震災や戦災で幾度も焼失してしまった。現在の社殿は戦後の昭和26年(1951年)に再建されたものだそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO250 )
006_240102008 X900 初詣 橘樹神社 G7X.jpg 6.天王町駅へ
参拝を終え、旧街道筋を右へ。帷子川を渡り、天王町駅の高架をくぐる。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO125 )
007_240102011 X900 初詣 橘樹神社 天王町駅 G7X.jpg 7.旧東海道の名残り
天王町駅の向こう側、保土ヶ谷駅方面に出ると、小さな広場がある。そこには木製の橋(帷子橋跡)と灯篭があり、旧保土ヶ谷宿のモニュメント(帷子橋跡モニュメント)になっていた。横浜市内では神奈川宿、保土ケ谷宿、戸塚宿の3つの宿場があり、保土ケ谷宿はそのうちのひとつということで、昔はかなりのにぎわいを見せていたそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/1250秒 9mm ISO200 )
008_240102012 X900 天王町駅 サクラ G7X.jpg 8.小さな児童公園の紅葉
神明社に向かって歩いていく途中ある小さな児童公園(天王町公園)に、きれいに紅葉した木が見えた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 8mm ISO250 )
009_240102013 X900 天王町駅 サクラ G7X.jpg 9.紅葉したサクラの葉
近くへ行ってみると丈は低いがサクラの木だった。昨年暮れから、落葉していないサクラの葉が綺麗に紅葉しているのをしばしば見る機会があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 16mm ISO125 )
010_240102017 X900 耕地整理竣工記念碑 ウメ G7X.jpg 10.梅が開花 -1
大門通りへ出て右へ、神明社の鳥居に向かって左側に耕地整理竣工記念碑がある。この石碑は関東大震災(大正12年(1923年))前の大正7年(1918年)に建てられた。帷子川流域一帯では耕地整理事業が明治36年(1903年)から順次始まり、昔からの農地の区画を整え直して生産力を上げるのが当初の目的だったそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 12mm ISO250 )
011_240102015 X900 天王町駅 耕地整理竣工記念碑 ウメ G7X.jpg 11.梅が開花 -2
その傍らに梅の木があり、なんと何輪も花が咲いていて、蕾も多く付いていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO400 )
012_240102018 X900 保土ヶ谷神明社 ウメ G7X.jpg 12.神明社鳥居
大門通りに沿うように神明社の大鳥居がある。ホームページによると、神明社は、平安時代中頃(970年)の創建と伝えられ、横浜市内では最も由緒の深い神社の一つとされている。鎌倉時代の始め、神様のお告げがあって現在の地に遷った時、伊勢神宮になぞらえて、天照大御神をまつる本社のほか、豊受大神宮や境内神社がまつられた。神明社は嘉禄元年(1225年)神戸(現在の保土ヶ谷区神戸町)に遷り、榛谷御厨八郷の総鎮守として祀られたと伝えられる。平成10年、鎮座1030年祭・当地遷座770年祭・伊勢神宮鎮座2000年祭を記念して「平成の大造営」が行われ、380年ぶりに本社・摂末社・神楽殿等総ての境内建物12棟が一新されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 16mm ISO250 )
013_240102019 X900 保土ヶ谷神明社 ウメ G7X.jpg 13.参道 初詣の列 -1
100m以上ある参道に参拝者の列が続く。注連柱には茅の輪が見える。その先に拝殿があり、天照大神を祀る本殿(本社天照大神宮)はその奥にある。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 32mm ISO320 )
014_240102022 X900 保土ヶ谷神明社 ウメ G7X.jpg 14.参道 初詣の列 -2
列の最後尾に並んで20分ほど経った。まだまだである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO250 )
015_240102024 X900 保土ヶ谷神明社 ウメ G7X.jpg 15.お焚き上げ -1
神社で古いお札やお守りを返納する場所があり、前の年のお守りやお札を持ち寄って浄火してもらうお焚き上げは、お正月の風物詩になっている。参拝の列からそのお焚き上げの焚き火が見えたが、傍に建てられた札には、「お納め物から化学物質を除去しますので、直接火に入れないで納札箱にお入れください」と書かれていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO250 )
016_240102026 X900 保土ヶ谷神明社 ウメ G7X.jpg 16.お焚き上げ -2
火の勢いが弱くなってくると、次の焼却札が運ばれてきて、火の中に入れられた。炎が大きくなった。傍に水の入ったバケツと、何故か薪が置かれていた。燃やす札がなくなると火を保つために入れられるのだろうか。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO125 )
017_240102027 X900 保土ヶ谷神明社 ウメ G7X.jpg 17.YBP(横浜ビジネスパーク)
大門通りの向こう側には野村不動産の横浜ビジネスパークがあり、そのビル群がそびえる。食事ができるところもあり、多くの近所の住民が訪れる。昨年秋はプラタナスが真っ赤に紅葉していた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/1250秒 10mm ISO250 )
018_240102029 X900 保土ヶ谷神明社 ウメ G7X.jpg 18.神札授与所
参拝を終えた。神札所があった。縁起物の矢は破魔矢と思っていたら、鏑矢、御神矢というのもあった。御神矢とは、「御神意」(神様の御心)と「御神威」(神様の御力)が表わされる祭祀具として大切にされていて、とりわけ破魔矢と称されるそうだ。破魔矢は御神矢のことである。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.0 1/1000秒 10mm ISO640 )
019_240102030 X900 保土ヶ谷神明社 ウメ G7X.jpg 19.巫女さん
神札授与所の巫女さんたち。ちょっと暇そうかな。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 23mm ISO1250 )
020_240102032 X900 保土ヶ谷神明社 ウメ G7X.jpg 20.甘酒
灯りが入った提灯が掛けられたテントがあった。皆さん並んで巫女さんから何やら紙コップを授かっている。参拝者に甘酒が振舞われていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 32mm ISO1250 )
021_240102034 X900 保土ヶ谷神明社 ウメ G7X.jpg 21.YBPのプラタナス -1
帰りはYBPの中を通って16号線方面に出る。その途中にプラタナスが5~6本植えられている。昨年12月中頃にここを通ったとき、ほとんどの木が葉を落としていたが1本だけ、真っ赤に紅葉した葉を付けていた木があった。そしてこの日、さすがに少なくなっていたが、その実とともに残っている葉があった。まだ頑張っているのだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 23mm ISO500 )
022_240102036 X900 保土ヶ谷神明社 ウメ G7X.jpg 22.YBPのプラタナス -2
中学生のころ、オー・ヘンリーの「最後の一葉」を読んだ。教材だったかもしれない。感動したのを覚えている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 37mm ISO250 )

新年早々から日本には驚くような災いが降りかかりました。亡くなられた方々、被害にあわれた方々に、おくやみとお見舞いを申し上げます。

 元旦、新百合ヶ丘にある娘たちの家で新年会を楽しんでいた夕方近く、長く続く大きな揺れを感じた。テレビを見ると、石川県能登半島で震度7の地震が発生し、大津波警報も出されたのだ。津波注意報 は2日の午前10時にすべて解除され、1月3日現在、大きな津波こそ来なかったようだが、大きな揺れで家屋の倒壊や道路の崩壊、陥没、そして火災など大きな被害が発生している。1月2日は石川県内 約3万3600戸で停電が続いているそうだ。1月3日の午後6時現在石川県で73人の方が亡くなっている。

 1月2日の午後6時前、札幌発羽田行の日本航空516便が、ほぼ満席の乗客を乗せて羽田空港に着陸した直後に、能登半島地震の被災者に救援物資を届けようとしていた海上保安庁の飛行機と衝突、炎上した。JALの乗客・乗員は全員、機体から脱出できたのは奇跡的で、訓練通り落ち着いた行動ができたのではないかと思うと元機長はコメントしている。海上保安庁の飛行機に乗っていた6人のうち、5人の死亡が確認されたほか、日本航空516便の乗員・乗客のうち14人がけがをしていることが確認されている。Uターンラッシュがピークの 羽田空港は事故の影響で100便以上が欠航した。

2022年4月 7日

法事で京都へ サクラ咲く古都 3月26日・27日

1月に亡くなられた娘の主人の父上の納骨式が、4月26日、京都にある興正寺というお寺で行われた。場所は二寧坂の近くだった。
 私たち夫婦は「大人の休日」を利用したので「ひかり」にしか乗れない。娘たち夫婦は、東京から「のぞみ」であり、京都駅で待ち合わせることとなった。京都駅からタクシーで興正寺へ向かう。
 納骨式は午後2時から1時間ほどで終了し、四国の丸亀から来られていた親戚のかたとご一緒に、予約されていた四条大橋の「東華菜館」というところで食事をした。「東華菜館」はとてもクラシックな建物だった。北京料理だったが味は良かった。
 そこからいったん、今夜の宿である高瀬川沿いの木屋町通りにある「ザ・ゲートホテル京都高瀬川 by HULIC」というホテルに行った。8階がフロントであり、東山連山や清水寺が眺められるレストラン&バーになっていた。高瀬川には桜が咲き、ライトアップもされている。近くに名店「たん熊北浜」もあった。
 翌27日は、娘は仕事があるので27日中に帰るが、それまで京都で花見でもしようかということになっていた。娘のご主人が祇園で昼食を予約してくれていた。
 ホテルを出て、四条大橋を渡って左へ行く。少し鴨川上流方向へ行って右(東)に入ったところから祇園白川になる。辰巳大明神のところで白川に架かる巽橋を渡って、四条通に出る。四条通を左(東)へ歩き、八坂神社の石段を上がって西楼門から境内に入った。八坂神社の本殿にお参りして、南楼門を出て左へ、丸山公園へ行く。見事に咲いた枝垂れ桜が目に入った。
 そこから南へ下り、「寧々の道」を歩く、この日は日曜日とあってか人が多く出ていた。若い方が多い。高台寺の脇を歩く。10時になった。朝は何も食べていなかったので少々腹が減ってきた。店を開けたばかりの「京だんご 藤菜美」というお店に入る。冷たい抹茶とみたらし団子が美味かった。あっという間に店はお客でいっぱいになってきた。「ねねの道」を左に曲がり「維新の道」に入る。パークハイアットホテル京都があるところを右に折れると二寧坂だ。二寧坂を上がったところを右(西)へ、八坂の塔を見ながら歩く。そして、建仁寺のところで祇園花見小路へでた。
 花見小路を四条通に向かって進み、路地を右に入ったところに娘の主人が予約しておいてくれた「岩元」という料理屋があった。ビールで喉の渇きを癒し、日本酒、そして懐石料理を堪能した。
 ゆっくり食事をして、次の目的地にした錦市場に向けて歩き始める。四条通を烏丸の方へ歩き、四条河原町の先の寺町通を右に入った。錦天満宮のところを左へ錦小路通りに入った。390mのアーケードを往復して、四条通に戻り、四条大橋を渡ってホテルに戻った。一休みしてから、ぶらぶら歩いて、先斗町通りにあった蕎麦屋に入り、蕎麦寿司などをあてにして、また一杯飲んだ。
 娘とはそこで別れたが、娘の主人は明日、私たちと高野山へ行ってくれる。

000_220327154 X700 〇Gate Hotel Z50 18-140.jpg
高瀬川ほとりの桜 2022年3月26日

001_220326006 X800 京都 興正寺 G7X.jpg 1.興正寺 本堂
娘の主人の父が1月に亡くなられた。奥様は4年前に亡くなっているが、京都がお好きだったので、そのときに菩提寺をここに決められた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
002_220326017 X800 京都 東華菜館 G7X.jpg 2.東華菜館
wikipediaによれば、この建物はヴォーリズ建築事務所による設計で、1926年竣工という。同店のエレベータは1924年OTIS製で京都府内最古、日本に現存する最古級のエレベータでもある。このエレベータは手動式で、L字状に2箇所の出入り口を有していた。四条大橋のたもとに建っている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
003_220326019 X800 京都 南座 G7X.jpg 3.南座
東華菜館で案内された席から鴨川の対岸に南座が見えた。松竹が経営している。近代建築に桃山風の意匠を取り込んだ地上4階地下1階の建物は国の登録有形文化財となっている。wikipediaによれば、江戸時代(慶長年間 1596-1615年)初期に起源を発し、元和年間に官許されたとされる劇場で、同一の場所で今日まで興行を続けてきたという意味では、日本最古の劇場である。名称の由来は、四条通の南側に位置しているため。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 16mm ISO3640 ) 露出補正 なし
004_220326047 X800 京都 ホテル門 G7X.jpg 4.「ザ・ゲートホテル京都高瀬川 by HULIC」と高瀬川に咲く桜
ホテルに着いてしばらくの間、四国の今治から来られていた方と一緒に、「ザ・ゲートホテル京都高瀬川 by HULIC」の8階にあるレストラン&バーで歓談したあと、そのかたを送りがてら下へ下りた。高瀬川のほとりはまだ咲き始めだが桜に風情があった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/320秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
005_220326050 X800 〇京都 ホテル門 G7X.jpg 5.高瀬川の桜
wikipediaによれば、高瀬川は、江戸時代初期(1611年)に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために物流用に開削された運河である。開削から大正9年(1920年)までの約300年間京都・伏見間の水運に用いられた。名称はこの水運に用いる「高瀬舟」にちなんでいるという。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/30秒 24mm ISO3200 ) 露出補正 なし
006_220327151 X800 〇Gate Hotel Z50 18-140.jpg 6.小学校の名残り
翌27日の朝、1階へ下りて来ると1台のピアノが置かれていた。「ザ・ゲートホテル京都高瀬川 by HULIC」は京都市立立誠小学校の跡地に建てられた。そのピアノは立誠小学校で長年愛用され、復元された Grotrian Steinweg のピアノだった。wikipediaによれば、学制創設以前の1869年に開校したいわゆる番組小学校のひとつであり、1927年に完成した鉄筋コンクリート造校舎が現在、立誠ガーデン ヒューリック京都として現存している。この京都市内に現存する最古の鉄筋コンクリート造校舎は元・立誠小学校と呼ばれ、1993年3月の閉校後にもさまざまなイベントに使用されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f1.8 1/100秒 27mm ISO6400 ) 露出補正 なし
007_220327160 X800 Gate Hotel Z50 18-140.jpg 7.旧京都市立立誠小学校正門と角倉了以翁顕彰碑  旧京都市立立誠小学校正門が在ったところに、角倉了以翁顕彰碑があった。角倉了以 ( 1614年~1554年)は、慶長12(1611年)京都二条から伏見に至る運河を計画、淀川に接続させる高瀬川の開鑿を,自費で困難な条件を克服して完成し、京都の町に木材,食糧,薪炭などの物資が運送された。幕府は高瀬川の通航料を徴収し,幕府と角倉の収益とし,角倉は代々淀川の河川交通や高瀬川を支配した。高瀬川の完成直後に病没している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
008_220327164 X800 たん熊北店本店 Z50 18-140.jpg 8.朝のたん熊北店
すぐ近くにすっぽん料理でも有名な名店「たん熊」があった。すでに掃除がされたのだろうか店の前はきれいに掃き清められていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.8 1/500秒 28mm ISO280 ) 露出補正 なし
009_220327175 X800 四条大橋と南座 Z50 18-140.jpg 9.朝の四条大橋と南座
ホテルを出て、木屋町通りを南へ歩き、四条通に出た。四条通を東へ向かう。四条大橋を渡って右側の角が南座である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 35mm ISO100 ) 露出補正 なし
010_220327178 X800 京都 先斗町通り Z50 18-140.jpg 10.先斗町通りの朝
四条大橋の手前に先斗町通りへの入口がある。「先斗町通りは三条通南から四条通間に約500m続く京都でも有数の文化・遊興の中心地として発展し、品格と賑わいを合わせ持つ通りである。通りは本2階建てを中心とする間口3間程度の伝統的建造物が両側に立ち並び、連続する軒下の空間や、街並みに規則的に配される玄関戸、繊細なスケール感を特徴とした空間から構成されている(以下略)」と記され木の札が立っていた。その朝の風景である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 34mm ISO450 ) 露出補正 なし
011_220327181 X800 京都 鴨川 四条大橋から Z50 18-140.jpg 11.鴨川堤
朝の鴨川堤ののどかな風景である。向こうに見えるのは三条大橋だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 79mm ISO110 ) 露出補正 なし
012_220327190 X800 京都 祇園白川へ Z50 18-140.jpg 12.祇園白川沿いの桜 -1
四条大橋を渡って少し北へ歩き、鴨川の注ぐ白川沿いに右へ行く。ここが桜の名所である祇園白川の始まりだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 34mm ISO125 ) 露出補正 なし
013_220327195 X800 〇京都 祇園白川へ Z50 18-140.jpg 13.祇園白川沿いの桜 -2
五分咲きというところだろうか。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 44mm ISO110 ) 露出補正 なし
014_220327200 X800 京都 祇園白川 Z50 18-140.jpg 14.祇園白川沿いの桜 -3
午前9時すぎ、まだ人は少ない。和服姿の二人が自撮りをしているが、何故か二人ともスマホを掲げている。さらにもう一人左手の女性もスマホで二人を撮っていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 76mm ISO180 ) 露出補正 なし
015_220327204 X800 〇京都 祇園白川 Z50 18-140.jpg 15.祇園白川沿いの桜 -4<br> 白川のほとりに建つ本二階というのだろうか町屋風の木造建築に趣がある。京町屋は江戸時代半ばには現在残る形になったとされる。外観は、紅殻格子(べんがらこうし)と呼ばれる色の濃い塗料で塗られた格子、虫籠(むしこ)窓(目の細かい縦の格子が等間隔に並ぶ虫籠格子をつけた窓)、犬矢来(軒下にある柵。 犬の放尿よけと言うことで、犬矢来と言う。 道路との境界を表している物でもあり、泥はねや、砂利がはねて傷が付くことから外壁を守ることもできる。)などが特徴的であるという。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR<br> プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 28mm ISO220 ) 露出補正 なし
016_220327220m X800 〇京都 祇園白川 Z50 18-140.jpg 16.辰巳大明神
白川南通と新橋通の分岐点に当たるところに 辰巳大明神という小さな神社があった。祇園の辰巳大明神(辰巳神社)は、その名のとおり、御所の辰巳の方角(東南)の守護神として祀られたそうだ。祇園の芸妓や舞妓が芸事の上達を願う神として、また、商売繁盛の神として信仰されているという。地域の守り神として町民が毎日交替で奉仕に当たり、初午など年4回の神事には、伏見の稲荷大社から神官が来られるそうだ。辰巳大明神の横に巽橋という橋があるが、そこに狸が住んでいて、橋を渡る人を騙して川の中を渡らせるという悪戯をするため、困った人々が狸を祀る祠を建てたところ悪戯が収まったのだという言い伝えがあるそうだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO110 ) 露出補正 なし
017_220327225 X800 京都 祇園白川 Z50 18-140.jpg 17.巽橋
祇園白川の中心である巽橋。ここを渡って細い路地を通って四条通に出た。橋で写真を撮る観光客が絶えない。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4 1/500秒 29mm ISO180 ) 露出補正 なし
018_220327236 X800 京都 祇園白川 Z50 18-140.jpg 18.花見小路通り
四条通に出て八坂神社の方へ少し進むと右手(南側)に花見小路通りの入り口が見えた。花見小路通りは四条通の反対側(北)から続いている。この時間はまだ歩く人は少ないが、花見小路は観光客で賑わう。wikipediaには「四条通以南はもともと建仁寺の領地であったものが明治以降発展した。由緒ある茶屋や料理屋が立ち並ぶ。2001年に電線類地中化、石畳の整備が完成し、情緒ある町並みへと生まれ変わった。」とある。花見小路をまっすぐ進むと建仁寺だ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 55mm ISO100 ) 露出補正 なし
019_220327238 X800 京都 八坂神社 Z50 18-140.jpg 19.八坂神社 正面
四条通の正面が八坂神社の西楼門だ。京都を象徴する代表的な顔のひとつである。「祇園」さんとして古くより京都の人々に親しまれてきた八坂神社は、本殿(国宝)をはじめ境内外に多数の摂社、末社を有し、その多くが重要文化財に指定されている。世界的にも有名な祇園祭は日本三大祭でもあり、疫病が鎮まるようにとの祈りを込めて約1150年前(平安時代)にはじまった八坂神社の祭礼である。(八坂神社ホームページ参照)境内に入り、まず本殿にお参りする。コロナ禍でどの神社でも取り外されていた鈴の緒が復活していた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 140mm ISO180 ) 露出補正 なし
020_220327249 X800 京都 祇園 八坂神社 Z50 18-140.jpg 20.八坂神社 出店
午前10時20分前、八坂神社の境内には多くの出店が並んで、開店の準備をしていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 63mm ISO110 ) 露出補正 なし
021_220327263 X800 〇京都 円山公園 Z50 18-140.jpg 21.円山公園  祗園しだれ桜 -1
八坂神社の南楼門から出て東に歩くと、誘い込まれるように丸山公園に入った。ここは京都の桜の名所である。まず、この枝垂れ桜が視界に入った。明治19(1886年)に開園した京都市内で最も古い公園だそうだ。祗園しだれ桜に代表される桜の名所であり、古くから市内随一の行楽地として発展してきた。ホームページによると、この桜の名は 一重白彼岸枝垂桜(ひとえしろひがんしだれざくら)といい、現在は二代目だそうだ。「初代のシダレザクラ」は、根回り4m、高さ12m、樹齢200年余で、昭和13年、天然記念物に指定されたが、昭和22年枯死した。現在ある桜は、これに先立つ昭和3年に、15代佐野藤右衛門氏が初代のサクラから種子を採取し、畑で育成したものを、同氏の寄贈により、昭和24年に現地に植栽したもの。現在の容姿は、樹高12m、幹回り2.8m、枝張り10mであると。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
022_220327267 X800 京都 円山公園 Z50 18-140.jpg 22.新緑の柳
すぐ前に瓢箪池という池があり、その淵に立っている柳の葉の新緑の輝きに目を奪われた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
023_220327269 X800 京都 円山公園 Z50 18-140.jpg 23.円山公園  祗園しだれ桜 -2
青空を背景にこの桜を見ることが出来てラッキーだった。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f7.1 1/500秒 32mm ISO110 ) 露出補正 なし
024_220327299 X800 〇京都 寧々の道 岡林院 Z50 18-140.jpg 24.ねねの道 岡林院入り口
ねねの道は、この時間になり人通りが多くなってきた。二寧坂のほうへ向かって歩いて行き、ふと左手を見ると、写真のような静かな道があった。岡林院(こうりんいん)の入り口である。岡林院は豊臣秀吉と北政所(ねね)ゆかりの高台寺の塔頭寺院として、1608年久林元昌禅師によって創建された。通常非公開だそうだ。その先の「藤菜美」という京団子の店に入り、冷たい抹茶とお団子を食べた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.2 1/500秒 35mm ISO140 ) 露出補正 なし
025_220327325 X800 京都 二寧坂 Z50 18-140.jpg 25.ねねの道 二寧坂へ
ねねの道を南へ進み、維新の道を少し左(東)へ歩き、パークハイアット京都(ホテル)の角を再び右へいくと二寧坂になる。若い方々を中心に人通りが多い。二寧坂は清水寺に続く道で京都土産のお店が軒を並べる、石畳の風情ある京都観光のスポットになっている。二寧坂とは産寧坂の下にある道になる。二寧坂は産寧坂伝統的建造物群保存地区に含まれており、石段や石畳など環境保全が行われている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f4.5 1/500秒 33mm ISO100 ) 露出補正 なし
026_220327336 X800 〇京都 二寧坂 Z50 18-140.jpg 26.二寧坂坂上
二寧坂の上に出た。まっすぐ進むと産寧坂だが、私たちは清水寺への参拝は割愛して、左(西)へ曲がって、八坂の塔の方向に進む。昼食の予約時間があるのだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 103mm ISO140 ) 露出補正 なし
027_220327342 X800 〇京都 八坂の塔 Z50 18-140.jpg 27.八坂の塔へ
八坂の塔への道はだらだらと下る道になっている。和服姿のふたりにカメラマン(女性)が付いて写真を撮っていた。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.3 1/500秒 79mm ISO140 ) 露出補正 なし
028_220327347 X800 〇京都 八坂の塔 Z50 18-140.jpg 28.八坂の塔と枝垂れ桜
八坂の塔は、京都市東山区八坂上町にある臨済宗建仁寺派の法観寺(ほうかんじ)という寺院にある塔。そびえ立つ五重塔は通称「八坂の塔」と呼ばれ、周辺のランドマークとなっている。境内は狭く、塔以外に目だった建築物がないことから、「八坂の塔」は寺自体を指す通称ともなっている。伝承によれば五重塔は崇峻天皇5年(592年)に聖徳太子が如意輪観音の夢告により建てたとされ、その際仏舎利を三粒収めて法観寺と号したという。現存する五重塔は15世紀の再建であるが、創建時の塔跡に建てられており、古代寺院に特有の地下式の心礎(心柱の礎石)が残っている。(wikipediaを参照)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 54mm ISO110 ) 露出補正 なし
029_220327377 X800 京都 花見小路 Z50 18-140.jpg 29.花見小路通り
何処をどう通ったかは、定かではないが、娘のスマホにより建仁寺の脇に出た。四条通から花見小路を来ると建仁寺に突き当たる。建仁寺へ入っていく人は多くない。花見小路は車が通る。警備員が観光客に、両端を歩いてもらうのに苦労している。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f6.3 1/500秒 71mm ISO100 ) 露出補正 なし
030_220327381 X800 京都 花見小路 Z50 18-140.jpg 30.花見小路の路地
花見小路の路地は静かだ。路地に入っての撮影は禁止されている。料亭も多く、人が集まると騒がしくなるからだろうか? 私たちは娘の主人が納骨式参列のお礼にと予約してくれていた「岩元」という料理屋に上がり、懐石料理を楽しんだ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5 1/500秒 59mm ISO180 ) 露出補正 なし
031_220327386 X800 京都 花見小路 岩元 Z50 18-140.jpg 31.料理屋の2階から
この写真は料理屋で案内された2階の部屋から、すだれ越しに下に見える路地を撮った。京町屋が美しく並ぶ。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 18mm ISO180 ) 露出補正 なし
032_220327393 X800 京都 鴨川 四条大橋 Z50 18-140.jpg 32.鴨川の流れ
2時ごろ、食事を終え、これからどうしようと相談した結果、錦市場へ行こうということになった。再び四条通に出て、西へ歩き、四条大橋を渡った。鴨川上流を眺める。午後の光は朝とは違う。鴨川は京都市北区の雲ケ畑に建つ金光峯寺志明院(岩屋不動)境内に在る洞窟からの湧水から始まり、最初の一滴とされ祀られている。そして、一級河川鞍馬川と合流後、北区上賀茂で京都盆地に出る。上賀茂神社(賀茂別雷神社)、下鴨神社(賀茂御祖神社)脇を南南東に流れ、賀茂大橋(加茂大橋)手前で一級河川高野川と合流する。そこから京都市内を真南に流れ、四条大橋上流で一級河川白川と合流したのち南西へ流に振り、五条大橋から再度南下していくそうだ。(wikipediaを参照)

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f8 1/500秒 47mm ISO110 ) 露出補正 なし
033_220327400 X800 京都 錦市場 錦小路通り Z50 18-140.jpg 33.錦小路通り 錦市場
四条河原町の先を右に寺町通りに入る。この寺町通りも立派な商店街だった。やがて右手に錦天満宮が現れた。そこから左に折れると錦小路通りで錦市場である。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f5.6 1/500秒 93mm ISO2800 ) 露出補正 なし
034_220327425 X800 〇京都 錦市場 錦小路通り Z50 18-140.jpg 34.錦市場
錦市場の390mのアーケードには、いろいろな店がある。家内と娘はゆばを買ったり、お茶を買ったりしていた。こんな店があった。酒屋さんなのだろうが、どうも立ち飲みで飲めそうな店だ。若い頃、退社後、東京駅から帰宅の電車に乗るのに、八重洲口へ歩く途中に、仲間で「バー・タチ」と呼んでいた立ち飲み酒屋があったのを思い出す。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/320秒 18mm ISO6400 ) 露出補正 なし
035_220327430 X800 〇京都 錦市場 錦天満宮 Z50 18-140.jpg 35.錦天満宮
錦市場の390mのアーケードの、ほぼ先端まで歩いてまた錦天満宮まで戻ってきた。錦天満宮もまた天満天神(菅原道真)を祀る。京の台所といわれる錦市場の東の端にあり、学業に加え商売繁盛も御利益があるという。wikipediaによれば、その歴史は長保5年(1003年)、菅原道真の父親である菅原是善の旧邸菅原院跡地にあった歓喜寺を源融の旧邸・六条河原院の跡地に移築し、その鎮守社として天満天神を祀った天満宮として創建されたのに始まる(菅原院の地には菅原院天満宮神社が建てられる)。と記されている。

Nikon Z50 NIKKOR Z DX 18-140mm f/3.5-6.3 VR
プログラムオートで撮影  ( f3.5 1/500秒 20mm ISO450 ) 露出補正 なし


2019年12月29日

冬の使者 帷子川へ飛来 12月16日

この町に住まうようになって16年が経つが、以来、かって勤務先の健診で指摘された高血圧症の治療のため、見ていただいているクリニックがある。お陰様で、高血圧は適切な降圧剤の併用で、副作用は全くなくコントロールしていただいている。4年前には内視鏡で早期胃癌を見つけていただいてもいる。 月に2回外来で診ていただいているが、この日は今年最後の受診日だった。
 9時に予約していた診察は10分ほどで終え、お礼を述べて暮れのご挨拶をして退出したが、天気が良かったので、帷子川の岸を歩いてみることにした。そろそろシベリアからの渡り鳥たちが飛来してきているかと思い、コンデジ(Canon PowerShot SX620 HS)をポケットに入れていた。

1.オナガガモ♂
帷子川の右岸を下流に向かって歩き始める。しばらく行くと、まだ数は少ないながら、オナガガモがいた。オナガガモはユーラシア大陸の北部と北アメリカ北部の寒帯から亜寒帯にかけての地域で繁殖し、冬季はユーラシアおよび北アメリカの温帯から熱帯地域やアフリカ北部に渡り越冬する。 日本には全国に冬鳥として多数渡来する。SX620は望遠端(112.5mm)では35㎜版換算で600mmで撮れる。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/160秒 107mm ISO500 ) 露出補正 なし
191216_001.jpg
2.オナガガモ♀
こちらはオナガガモの♀だ。帷子川の星川から天王町へかけての流域では、オナガガモは相鉄線星川駅近くの星川下橋とその一つ先の橋の柳橋の間で多く見られる。SX620の望遠端の開放値はf6.3と暗いので、RX10M4などに比べるとシャッタースピードは遅くなる。十分な光量があれば、なんとかシャープな画になる。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/160秒 107mm ISO320 ) 露出補正 なし
191216_002.jpg
3.帷子川公園
サクラの葉はほとんど落ちてしまったが、道沿いのドウダンツツジがきれいだ。暖かい日だったので、小さな子がお母さんたちと一緒に楽しそうだった。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/250秒 10mm ISO80 ) 露出補正 なし
191216_003.jpg
4.キンクロハジロ
愛染橋の先にはキンクロハジロが2頭ほどいた。キンクロハジロは通常、愛染橋から古川橋の辺りに多いが、まだ少ない。シベリア、ヨーロッパ北部などのユーラシア大陸北部で繁殖し、日本には冬季に九州以北に越冬のため飛来してくる。この個体は♀のようだ。  

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/400秒 50mm ISO400 ) 露出補正 なし
191216_004.jpg
5.橘樹神社
天王町の駅に続く帷子橋まで歩いて左に折れ、橘樹神社へ行った。参道には茅の輪が設けられていた。茅の輪くぐりとは厄除けの意味を持つ神事だそうだ。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/125秒 11mm ISO80 ) 露出補正 なし
191216_005.jpg
6.橘樹神社の狛犬
茅の輪をくぐると参道の両側に狛犬がいる。嘉永5年(1852年)の銘や、願主などの文字が彫られている。橘樹神社の創建は文治2年(1186年)、京都祇園社(現在の八坂神社)の分霊を勧請奉祀したと伝えられる。銅板葺神明造の現在の本殿は、昭和26年建立という。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/125秒 11mm ISO80 ) 露出補正 なし
191216_006.jpg
7.力石3個
本殿の左側からバス通りに出られるが、そこに「力石3個」があった。説明板には「たすき石、さし石等の異名があるを思えば、人がその力の限りを神に捧げ、或いは天地天命に誓うという原始信仰の神事に由来すものであろう。後世はこの石でもて遊び民族風習となって各地に分布したようである。」と書かれていた。江戸時代に地域の若者が力比べをしたという。この力石の奥に延宝6年(1678年)霜月(11月)と明記されている「石盥盤」(参拝する前に手や口を清めるための水を溜めている手水石と同じ役割をもつ)もあった。何時もはそこを通らないので気が付かなかった。


Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/250秒 4mm ISO80 ) 露出補正 なし
191216_007.jpg
8.庚申塚
社殿後方左手には、古い庚申塔が並ぶ。いずれも江戸時代のもので、特に古いのが寛文9年(1669年)の庚申塔(青面金剛)で横浜市内最古の庚申塔と伝えられている。その隣には不動堂である「神田不動尊」が鎮座していた。この日は橘樹神社にお参りして、今まで気が付かなかったことを知り、有意義だった。

Canon PowerShot SX620 HS f3.2-6.6 4.5-112.5mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/160秒 4mm ISO80 ) 露出補正 なし
191216_008.jpg


2019年12月27日

江ノ電に乗って 12月3日 ④鎌倉に寄り安国論寺と八雲神社へ(終)

長谷での予定は終わった。まだ、時間も早い。鎌倉駅から逗子のほうへ向かったところに安国論寺という寺院があり、鎌倉市観光協会の紅葉情報では「見ごろ」になっていたので、行ってみることにした。かみさんは途中にある「スワニー」という洋装生地屋さんに残していく。
 安国論寺までは鎌倉駅から歩いて20分くらいかかった。参拝者は私以外に一人二人しか居らず、落ち着いた境内だった。しかし、「見ごろ」と期待した安国論寺の紅葉は、残念ながら既に葉が落ち始めていて、期待外れだった。
 安国論寺を辞して、鎌倉駅へ戻る途中の右側に八雲神社入り口と書かれた路地があったので、入ってみた。鎌倉最古の厄除け神社という。
 「スワニー」へ寄ってかみさんをピックアップし、鎌倉駅へ戻る。良く歩いた。家に帰ってスマホの歩数計を見ると15,000歩を越えていた。

66.安国論寺山門
安国論寺は日蓮が鎌倉での修行、布教の拠点とした草庵跡に建立された。「立正安国論」を著した窟もある。日蓮は本論で、相次ぐ災害の原因は人々が正法である妙法蓮華経(法華経)を信じずに浄土宗などの邪法を信じていることにあるとして諸宗を非難し、法華経以外にも鎮護国家の聖典とされた「金光明最勝王経」なども引用しながら、このまま浄土宗などを放置すれば国内では内乱が起こり(自界叛逆難)、外国からは侵略を受けて滅びる(他国侵逼難)と唱え、邪宗への布施を止め、正法である法華経を中心「立正」とすれば国家も国民も安泰となる「安国」と説いた。(wikipedia)

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO720 ) 露出補正 なし
  191203_066.jpg
67.安国論寺 山門から参道
安国論寺の開山は日蓮とされるが、弟子の日朗が文応元年(1260年)に、日蓮が前執権北条時頼に建白した「立正安国論」を執筆した岩穴(法窟)の側に安国論窟寺を建てたのが始まりであるという。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/320秒 50mm ISO3200 ) 露出補正 なし
191203_067.jpg
68.本堂ともみじ
このもみじが 鎌倉市観光協会の紅葉情報で「見ごろ」 とされていた。しかし、ご覧の通り葉は大分落ちてしまっていた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO2500 ) 露出補正 なし
191203_068.jpg
69.サザンカ
安国論寺の本堂左手に樹齢350年といわれるサザンカの古木があった。白い花が咲いていた。江戸時代のツバキとの交配種と伝えられ、市天然記念物に指定されている。

   Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO2800 ) 露出補正 なし
191203_069.jpg
70.石仏
本堂の手前右側に写真のような石仏があった。とても美しい石像と思い、インタネットで検索を試みたが、由緒はわからなかった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO3200 ) 露出補正 なし 
191203_070.jpg
71.石畳の参道
ここは良いアングルだったと思う。イチョウの落ち葉に風情はあるが、それにしても紅葉したカエデの葉が淋しかった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO2000 ) 露出補正 なし
191203_071.jpg
72.安養院
安国論寺を後にして、かみさんを残してきた「スワニー」へ向かう。途中、右側の石段を上がったところに安養院があった。案内板には「尼将軍と称される北条政子が、夫である源頼朝の冥福を祈るために佐々目ガ谷に建立した祇園山長楽寺が前身であると伝えられます。その後鎌倉時代末期に善導寺の跡(現在地)に移って安養院 になったといいます。安養院  は北条政子の法名です。延宝8年(1680年)に全焼したため、頼朝に仕えていた田代信綱がかって建立した田代寺の観音堂を移します。こうして祇園山安養院田代寺となりました。」と記されていた。中には入らなかった。浄土宗の寺院だそうだ。  

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 85mm ISO360 ) 露出補正 なし
191203_072.jpg
73.上行寺
今度は左側に上行寺という寺があった。上行寺は、日蓮宗寺院で、山号は法久山、院号を大前院という。創建は正和2年(1313年)で、開山は日範上人。本尊は三宝祖師。本堂は1886年(明治19年)に名越の妙法寺の法華堂を移築したものといわれており、堂内には日蓮上人像や開山の日範上人像、水天像などが安置されているほか、格天井には花鳥の絵、欄間には十二支の彫刻が施されている。山門には左甚五郎作といわれる竜の彫物が、本堂の表欄間や梁などには熊本藩の大名細川氏による竜の彫物があるという。由緒ある寺のようだ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO750 ) 露出補正 なし
191203_073.jpg
74.癌封じの寺
上行寺は癌封じの寺として知られるが、境内には万病、特に癌に効があるといわれている瘡守稲荷堂がある。「癌」という文字が大きく書かれていて、歴史のある寺とのバランスが取れないように思える。 

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO160 ) 露出補正 なし
191203_074.jpg
75.八雲神社
さらに「スワニー」に向かって歩くと、右へ入る路地に八雲神社があった。創建は永保年間(1081~1084年)。主祭神は須佐之男命、稲田姫命、八王子命という。もと鎌倉祇園社や祇園天王社などと称したが、明治維新に際して現社名に改称した。裏山は衹園山ハイキングコースの起点となっており、神社脇にハイキングコースの入口がある。  

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 50mm ISO250 ) 露出補正 なし
191203_075.jpg
76.厄除け開運神社
此の地で疫病に苦しむ民の姿を見た新羅三郎義光が京都の祇園社(八坂神社)を勧請したのが始まりとされている。地元では厄除け開運の神社としても知られておりそうだ、「八雲さん」や「お天王さん」などと呼ばれ親しまれているそうだ。  

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 48mm ISO2000 ) 露出補正 なし
191203_076.jpg
77.境内社(末社)
右手に見える白い説明板には、右から諏訪神社、稲荷神社、於岩稲荷社と書かれている。於岩稲荷はもともと田宮家の庭にあった屋敷社で、四谷怪談で有名なお岩さんが信仰篤く、そのおかげで田宮家は復活した、と言う話はたちまち評判になり、近隣の人々はお岩さんの幸運にあやかろうとして、屋敷社を「於岩稲荷」と呼んで信仰するようになったという。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO500 ) 露出補正 なし
191203_077.jpg
78.天水盤
社殿の前に天水盤というのが置かれていた。天水盤とは防火用水として雨水をためるための容器だが、説明板には「武州鋳物師 鈴木文吾氏により惣型法にて鋳造さる。東京オリンピック聖火台も同氏が鋳造した」と書かれていた。さて、そろそろかみさんに約束した時間になるので「スワニー」に向かった。かみさんは少々時間を持て余していたようだった。今日の鎌倉散歩はこれで終了だ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO450 ) 露出補正 なし
191203_078.jpg


2019年12月 5日

上州紅葉巡り 11月14日 ④渡良瀬川高津戸峡と宝徳寺「床もみじ」(終)

頂上まで雲がかかっていない赤城の山を眺め、バスは国道353号線を渡良瀬渓谷鉄道の大間々駅へ向かう。渡良瀬川が流れる高津戸峡が次の目的地だった。バスは、神明宮の前にある駐車場に停められた。神明宮にお参りして高津戸峡を30分くらい散策した。
 そして、最後の目的地は少し北東へ行ったところの桐生市にある宝徳寺だ。ここで「床もみじ」を見る。時刻は3時15分。秋の陽は大分傾いてきた。期待した「床もみじ」だったが、紅葉そのものがまだ進んでいなかったので、パンフレットで見るようにはいかなかった。
 帰りのバスは、まず北関東自動車道に上がり、岩船JCTから東北自動車道に入った。途中、今年8月に駐車場が狭隘なため、元のところから2.5km南に移転した蓮田SAに寄ったが、駐車台数が約3倍、商業施設の規模が約2倍と大きく拡張され、NEXCO東日本最大級の施設となっていた。奥様方は忙しく、最後のお買い物をしていた。
 今回のバスツアーは、興味あるコースだったが、一番良かったのは最初に立ち寄った青龍山吉祥寺だった。大きなお寺ではないが、山門、釈迦堂、本堂(方丈)と境内の庭園が良かった。

53.大間々神明宮
群馬県のみどり市(旧大間々町)にある。わたらせ渓谷鉄道わたらせ渓谷線・大間々駅の北東、渡良瀬川の高津戸峡の「ながめ公園」の脇に境内がある。境内の由緒書によると、鎮座650年、中興遷座四百年の記念事業として平成12年に社殿が新築されたようで、社殿の右手に旧社殿らしき祠があった。社伝によると、南北朝時代の貞和3年(1347年)、現在地の東100mほどの渡良瀬川の伊勢ケ淵岩頭に、天照皇大神が文袋坊によって祀られ、黒川郷(渡良瀬川流域の里)の一宮として崇敬された神社。慶長2年(1597年)大間々町の鎮守として、現在地に仮宮をたて、慶長4年(1599年)正式に遷座したという。境内の左手奥には、貞和3年に祀られた石祠が、御隠居様として祀られているそうだ。 慶長4年以来、明治12年まで、21年目毎に社殿の建て替え、または修復などの式年遷宮が行われていたが、明治20年、大間々町の大火で社殿を焼失。ただちに再建されたが、明治23年、再度の火災に遭い、社殿を縮小して再建された。現在の社殿は、平成12年に再建された総桧造という。 私が住むところにも神明社がある。wikipediaによれば、伊勢信仰に分類される神社(神明社、神明宮、皇大神社、 天祖神社 など天照大御神を主祭神とする) は、4425社あるという.

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 56mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_053.jpg
54.家内安全 商売繁盛 家敷守護の神
神明宮にお参りして、20分くらい渓流沿いに歩くことにする。下流の赤い高津戸橋の方へ歩くという奥様方と分かれ、Kさんのご主人と私は上流の「はねたき橋」へと歩くことにした。高津戸峡(渡良瀬川)の右岸を歩き始めると稲荷様があった。家敷とは屋敷のことをいう。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 38mm ISO140 ) 露出補正 なし
191114_054.jpg
55.身体健全 交通安全 家内安全 疫病退散の神
今度は天王様(八坂神社)の社があった。他にも愛宕様、御隠居様、八幡様、弁天様といったお宮があるようだ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO220 ) 露出補正 なし
191114_055.jpg
56.高津戸峡
右下に高津戸峡の流れが見えてきた。紅葉は見られない。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 78mm ISO1250 ) 露出補正 なし
191114_056.jpg
57.「はねたき橋」
橋が見えてきた。右手の崖の下に、「はね滝」があるという案内板があった。案内板には「渡辺崋山は毛武遊記に天保2年(1831年)10月16日この処に訪れ『社の後、巌をとり木の爆に下ればはね滝という。渡良瀬川の上流にて水石せかれて爆をなすよりかく呼ばれなるべし。夏の程は香魚(アユ)下流より登り、この滝を越えんと飛び歩き、岩に座して網を差し出せば誤りてその中に落つるを獲る。一時で数百緒まことに愉快なるぞ』と記し、また、幕府巡見使は天保9年(1838年)4月20日、はね滝を見分したと大泉院日記(神明宮宮司家)に記されている。神明宮」と書かれていた。崖の下は覗くことが出来ない。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f6.3 1/640秒 60mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_057.jpg
58.「はねたき橋」から渓谷を眺める
紅葉には、時期的にまだ少し早かったのだろう。まだ2時半だが、陽はだいぶ傾いてきた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO900 ) 露出補正 なし
191114_058.jpg
59.「はねたき橋」を渡る
「はねたき橋」は、以前は吊り橋だったが、1994年に架け替えられた。大間々地区のシンボル的な存在であり、夜間にはライトアップもされる。 橋の床には全国から寄せられた鳥や花などを描いたタイル絵が120枚埋め込まれているそうだ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 31mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_059.jpg
60. 高津戸ダム
「はねたき橋」を渡ってみた。高津戸ダム があった。高津戸峡のは美しい景観を残すため、渓谷の上流端に設置されている。このダムは水力発電専用のダムで直下の高津戸発電所では、年間2,000万kWhの電力を発電することが可能で、一般家庭の約5,500軒分の需要を賄えるそうだ。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f5 1/500秒 48mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_060.jpg
61.「はねたき橋」のタイル絵 -1
全長120m、幅3.5mの歩行者専用橋である「はねたき橋」の床には、多分、小・中学生が書いたと思うタイル絵が埋め込まれているが、ふと目を落とすとチョウが描かれていた。これはアゲハだ。よく描かれてている。  

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 60mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_061.jpg
62.「はねたき橋」のタイル絵 -2
チョウが描かれた絵は1枚だけではなかった。これはキアゲハとアゲハの合いの子のような絵になっている。このタイルの上に見える絵にもモンシロチョウとキチョウのようなチョウが描かれている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.5 1/500秒 60mm ISO100 ) 露出補正 なし
191114_062.jpg
63. 「はねたき橋」のタイル絵 -3
もう1枚あった。これはキアゲハだ。他にもあるかもしれない。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4.2 1/500秒 60mm ISO280 ) 露出補正 なし
191114_063.jpg
64.大光山宝徳寺
高津戸峡の神明宮の前の駐車場をバスが出たのは午後3時だった。大光山宝徳寺の駐車場には15分ほどで着いた。宝徳寺も臨済宗建長寺派の寺である。宝徳寺のホームページによると、宝徳寺は臨済宗大本山建長寺第73世仏印大光禅師を開山として、桐生地域の領主であった、桐生佐野正綱公の開基により室町時代の宝徳年間(1450年頃)に創建された禅寺だそうだ。天正元年に桐生佐野家が太田の由良家に滅ぼされると、寺は保護者を失い荒廃していた。しかし地域の人々の力により、再び隆盛となり江戸中期には当山17世の天渓和尚が大本山建長寺186代管長を務めたといったことが記されている。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO900 ) 露出補正 なし
191114_064.jpg
65.宝徳寺 拝観入口へ
前の写真の角を左に石段を上る。白壁の塀に沿って、拝観入口へのアプローチを歩く。陽がだいぶ低くなった。「床もみじ」は見られるだろうか。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO900 ) 露出補正 なし
191114_065.jpg
66.本堂入口へ
「床もみじ」は本堂(方丈)に上がって鑑賞する。この秋の「床もみじ」特別公開期間は令和元年11月9日(土)~28日(木)午前9時~午後4時となっていた。本堂へ上がるところの左手には枯山水の石庭がある。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 35mm ISO360 ) 露出補正 なし
191114_066.jpg
67.双龍
本堂に上がる。正面に水墨画で龍が描かれた襖があった。この襖絵の作者は、宝徳寺の本山である鎌倉建長寺の龍王殿(方丈)の襖絵を描いたことでも知られる白浪画伯だそうだ。本堂正面の内陣の向こう側に、この襖絵と対になった龍の襖絵があり、それで、双龍というのだろう。雙龍「 白浪」の雅号があった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 34mm ISO2800 ) 露出補正 なし
191114_067.jpg
68.「床もみじ」 -1
本堂(方丈)の正面の床が黒光りしている。特別公開の時は、参拝者はご本尊が祀られている内陣を背にして座り、黒く磨かれた28畳の漆塗り?の床に映るもみじを鑑賞する。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 34mm ISO1100 ) 露出補正 なし
191114_068.jpg
69. 「床もみじ」 -2
たくさんの参拝者が床の縁に座って、カメラ、スマホで撮影しているので、なかなか良いポジションを探せない。時刻としては正面にあるもみじに西日が当たり、丁度よかったのかもしれない。あと数日すれば、もみじはもう少し鮮やかになっただろう。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO900 ) 露出補正 なし
191114_069.jpg
70.床
床は見事に磨き上げられている。漆塗りの床なのだろう。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 31mm ISO3200 ) 露出補正 なし
191114_070.jpg
人が映る床
磨き上げられた床は、それぞれ工夫をして写真を撮ろうとしている人たちの姿を映す。「床もみじ」ならぬ、「床人間」か。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/80秒 48mm ISO3200 ) 露出補正 なし
191114_071.jpg
72.「枯山水」
本堂の前は「枯山水」の石庭になっている。平安時代後期に「枯山水」という言葉が生まれ、当時は池も水もない所に、自然の景観を見立てた石組みを枯山水と呼んだ。「水を表現する砂」の「枯山水」が作られたのは、応仁の乱(1467年)後の経済疲弊により大規模な池泉庭園が困難となり、「枯山水」が流行したからと言われている。抽象的な表現の庭が室町時代の禅宗寺院で特に用いられ発達したという。一昨年は京都で竜安寺(臨済宗妙心寺派)の石庭を見てきた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 46mm ISO500 ) 露出補正 なし
191114_072.jpg
73.宝徳寺 方丈
「床もみじ」の鑑賞を終え、本堂を下がる。本堂(方丈)を振り返ると奥にあった双龍の襖絵が眺められた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 40mm ISO3200 ) 露出補正 なし
191114_073.jpg
74.方丈全景
本堂を下がって、方丈全体を眺められるところに移動する。造りは禅宗方丈様式といい、室町時代に京都の臨済宗を中心に盛んに造られたものだそうだ。 関東には数ヶ寺しかないようだ。禅の精神から質素な造りとなっている。陽も陰り「床もみじ」の写真を撮る人の数はすっかり少なくなっていた。  

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 38mm ISO2000 ) 露出補正 なし
191114_074.jpg
75.石庭
本堂に上がったところと反対の方から石庭を眺める。陽は西に傾き日陰になっている。床に映っていたもみじには日が当たらなくなっていた。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.5 1/500秒 28mm ISO250 ) 露出補正 なし
191114_075.jpg
76.Hand Drip Coffee
駐車場へ戻る道に屋台のHand Drip Coffee屋さんが出ていた。少々違和感を感じるがこれも参拝者を労うおもてなしなのだろう。「床もみじ」の写真を撮っていた時、周囲には中国からの観光客も多かった。

Nikon D750 Nikon 28-105mm f3.5-f4.5
プログラムオートで撮影 ( f3.8 1/500秒 38mm ISO3200 ) 露出補正 なし
191114_076.jpg


2019年7月 4日

岩手・秋田・山形 ドライブ旅行<5月19日~22日> (5) 羽黒山と五重塔 5月22日

3泊4日の東北ドライブ旅行も最終日になった。この日は朝から晴れ間が広がっている。休暇村庄内羽黒は、スキー場、キャンプ場に隣接している。朝の散歩にはもってこいだ。南に月山も見えていた。
 チェック・アウトして、まず、羽黒山有料道路を標高414m羽黒山へ上がる。出羽三山というのは、この羽黒山、月山、湯殿山のことだ。羽黒山山頂には、出羽三山の神々を合祀する山で「三神合祭殿」があった。「三神合祭殿」近くの草むらで、ギフチョウに会えたのは驚きだった。はじめはアゲハかと思った。しかし、飛び方が緩やかだし、アゲハの♀より黄色い。ヒメギフチョウか、ギフチョウかと思えた。ファインダーで確認してギフチョウとわかったが、やはり時期的には遅く、大分破損していた。後で調べたら、羽黒山はギフチョウの多産地として知られ、採集者も多いようだ。ギフチョウが生息する北限は秋田県の鳥海山麓と聞いている。
 羽黒山を下りて、月山ビジター・センターに寄って、羽黒山の南側を周るようにして、五重塔へ向かった。途中月山がきれいに見える展望台があった。この羽黒山五重塔は東北地方では最古の塔と言われ、平将門の創建と伝えられているという。高さ29m。昭和41年には国宝に指定されている。塔の内側を見学してきた。次は先日(6/18夜)地震の被害があった鶴岡市へ向かう。

1.休暇村庄内羽黒 スキー場
朝7時前、休暇村庄内羽黒の外へ出てみる。北側にはスキーのゲレンデがあった。このゲレンデの上が羽黒山山頂の方向だ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 21mm ISO125 ) 露出補正 なし
190522_001.jpg
2.月山
休暇村庄内羽黒 の上に月山(海抜1,984m)の姿が見えた。その8合目までの道路は、今年はまだ開通していないという。(今年、 県道211号月山公園線が八合目まで開通したのは6月24日だったそうだ)

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1250秒 37mm ISO125 ) 露出補正 なし
190522_002.jpg
3.国立公園出羽三山案内図
朝食を済ませ出発。羽黒山有料道路を上って、羽黒山山頂へ行く。駐車場から「三神合祭殿」のほうへ歩くと、写真のような案内図があった。出羽三山といっても実は羽黒山の案内図だった。私は許す限りこのような案内板は撮っておくことにしている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 20mm ISO100 ) 露出補正 なし
190522_003.jpg
4.世界平和塔
正面の建物は参集殿でその前にあるのは世界平和塔。あとで調べてみたが、台座に乗る球は地球を表し、縦と横の線は日本人と外国人が手をつなぎ、平和であるようにとの願いが込められているという。球は開祖蜂子皇子を羽黒山に導いた三本足の八咫烏(ヤタガラス)を戴いている。上下ちぐはぐな感じがするが、実は明治の廃仏毀釈までは、「宝篋印塔」があり、台座のみが残ったのか上部は昭和に造られたもののようだ。丸い部分は地球、青いラインは日本、赤いラインは日本以外で亡くなった方々の霊を意味するそうだ。左側奥に「三神合祭殿」が見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 16mm ISO125 ) 露出補正 なし
190522_004.jpg
5.鐘楼と梵鐘
鐘楼は元和3年(1617年)台風で倒れたのを翌年山形城主最上源五郎家信が再建した。寛延2年(1749年)柱の根継が行われたとある。梵鐘は社伝によれば、文永11年(1274年)10月の蒙古来襲の折、幕府より所望され、祈願したところ、鏡池(「三神合祭殿」の前にある池)より九頭竜王の光影が出て酒田の港に飛んで行ったところ、蒙古の舟は残らず海中に没した。このことにより鎌倉幕府より鐘を寄付されたとされている。この巨鐘は、日本第3の大鐘で「羽黒山の大鐘」ともいわれ、「建治元年乙亥(1275年)8月27日」の年紀があるといわれている。国指定重要文化財になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 なし
190522_005.jpg
6.「三神合祭殿」 -1 内部 wikipediaによれば、出羽三山は、出羽三山神社の社伝によれば崇峻天皇の皇子、蜂子皇子(能除太子)が開山したと伝えられる。崇峻天皇が蘇我氏に弑逆(殺害)された時、蜂子皇子は難を逃れて出羽国に入った。そこで、3本足の霊烏(ヤタガラス)の導きによって羽黒山に登り、苦行の末に羽黒権現の示現を拝し、さらに月山・湯殿山も開いて3山の神を祀ったことに始まると伝えられる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
190522_006.jpg
7.「三神合祭殿」 -2 内部
同じくwikipediaを参照すると、江戸時代以前、出羽三山は真言宗であったが、江戸時代の初期、羽黒山の宥誉別当が徳川将軍家の庇護を受けるために、将軍家に保護されていた比叡山延暦寺にあやかり、羽黒山・月山は天台宗に改宗した。 天台宗への改宗に湯殿山は反発し、湯殿山派のみ真言宗となった。 羽黒山出羽神社 - 伊氐波神の本地仏を正観世音菩薩とし、一山を寂光寺と称して天台宗の寺院(輪王寺の末寺)であった。羽黒山全山は、江戸期には山の至る所に寺院や宿坊が存在した。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
190522_007.jpg
8.「三神合祭殿」 -3 正面
「三神合祭殿」 の正面の祭壇へと上がると、中央に月山神社、左側に湯殿山神社、そして右側に羽黒山出羽神社の扁額が上がっている。「三神合祭殿」は月山、羽黒山、湯殿山の三神を合祭した日本随一の大社殿。厚さ2.1mの萱葺の屋根、総漆塗の内部など、迫力があって見ごたえがある。「三神合祭殿」は後方にある本殿と、前面の拝殿が一体となった複合建築である。文化8年(1811年)に焼失し、文政元年(1818年)8月に完成したものだそうだ。国指定重要文化財になっている。手前の鏡池は、神秘の池として古来より多くの信仰を集め、羽黒信仰の中心でもあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/200秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 -0.7段
190522_008.jpg
9.スジグロシロチョウ ♂
ここまで、チョウは全く見なかったが、「三神合祭殿」の手前にある草むらでスジグロシロチョウが飛んでいた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 181mm ISO100 ) 露出補正 -0.7段
190522_009.jpg
10.ギフチョウ
スジグロシロチョウを撮っていると、少し離れた前方にアゲハのようなチョウが飛んでいる。ヒメギフチョウかとも思ったが、ギフチョウのようだ。いったん視界から消えてしまったが、また戻ってきてくれ、ササの葉に止まった。ちょっと離れていたが、撮れるところまで近づくことができた。擦れて破損した個体だし、良い写真ではないが、記念になった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 220mm ISO100 ) 露出補正 -0.7段
190522_010.jpg
11.蜂子皇子の墓
駐車場へ戻る途中に、欽明天皇23年(562年)に崇峻天皇の第三皇子として誕生したと伝わる蜂子皇子の墓があった。後に蜂子皇子は出羽三山を開いたとされている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 10mm ISO1250 ) 露出補正 -0.7段
190522_11.jpg
12.羽黒山神社の末社
出羽三山には百一末社と称し、羽黒山を始め月山、湯殿山の山嶺、または幽谷に多数の末社が散在している。写真の末社は右手前から、思兼神社、 白山神社、大山祗神社、稲荷神社、健角身神社、大雷神社であるが、思兼神社の手前にもうひとつ画に入らなかった八坂神社がある。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO160 ) 露出補正 -0.7段
190522_012.jpg
13.月山全容
五重塔へ向かう途中に車を停められる展望台があり、抜けるような青い空とはいかなかったが、そこからは月山(海抜1,984m)の全容が見えた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5.6 1/1000秒 70mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
190522_013.jpg
14.羽黒山 随神門
私たちは有料道路を車で「三神合祭殿」のあるところまで上ってしまったが、羽黒山の入り口は五重塔のある、こちら側である。随神門より内は出羽三山の神域となり、神域は遠く月山を越え、湯殿山まで広がる。随神門はこの広い神域の表玄関である。この門は初め仁王門として元禄年間秋田矢島藩主より寄進されたが、明治の神仏分離の折り、随身像を祀り随神門と名付けられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/500秒 9mm ISO500 ) 露出補正 -0.3段
190522_014.jpg
15.羽黒山天地金神社(末社)
随神門の右手前の石段の上に、朱塗りのお社が見えた。後で調べてみると、羽黒山神社の末社の一つで、天地金神社という。出羽三山神社のホームページでは、応永4年学頭法性院尊量により創建されたが兵乱のため大破し、後に羽黒山智憲院宥然により安永8年(1779)再興された。もと「元三大師像」を御本尊としてお祀りしたので大師堂と称していたが、昭和39年、須佐之男命をお祀りし、天地金神社となり現在に至っている。とあった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
190522_015.jpg
16.神橋と祓川と須賀の滝
随神門をくぐって、五重塔へと歩く。継子坂を下りると祓川に掛かる神橋に出る。出羽三山神社のホームページでは、昔三山詣での人々は必ず祓川の清き流れに身を沈め、水垢離をとり三山への登拝の途についた。朱塗りの美しい神橋は見事な浸蝕谷にかかり、向かいの懸崖から落ちる須賀の滝と相対し、その景観はまことに清々しく美しい。滝は承応3年(1654)時の別当天宥により月山々麓水呑沢より約8kmの間を引水し祓川の懸崖に落し、不動の滝と名付けた。又、一般的には神域とは随神門と伝えられているが、ここより山上と山麓を呼び分け、山上には維新まで本坊を始め30余ヶ院の寺院があり、肉食妻帯をしない「清僧修験」が住み、山麓には336坊の「妻帯修験」が住んでいたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
190522_016.jpg
17.国宝羽黒山五重塔 -1
やがて、左手の杉木立のなかに国宝羽黒山五重塔が見えた。渋い。五重塔への道に入らず、まっすぐ進むと、一の坂、二の坂、三の坂と続き、先ほど行ってきた羽黒山山頂に至る参詣登山道である。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO640 ) 露出補正 -0.3段
190522_017.jpg
18.国宝羽黒山五重塔 -2
随神門から羽黒山頂までの1.7kmの参道の両側に立ち並ぶ杉並木は、総数約600本、樹齢300年~500年の老木で、慶長初期から寛永(1596年~1643年)にかけて、第48代 宥源、第49代 宥俊、第50代 天宥の三代にわたる別当が十数年の歳月をかけて植林したという。特別天然記念物になっている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 17mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
190522_018.jpg
19.国宝羽黒山五重塔 -3
さて、国宝羽黒山五重塔であるが、は西暦931年から939年の承平年中、平将門創建と伝えられ、昭和41年国宝に指定されている。高さ29.4メートル、杉材による三間五層の素木作り、屋根は杉板厚さ2.4ミリの木羽を重ね合わせた杮葺きである。その後幾度も修復され、中世には庄内地方を治めていた武藤政氏が1372年から1374年の文中年間に再興したと伝えられ、現在の塔は建築様式からこの時のものと云われている。お釈迦様のお墓に見立てた五重塔は、昔この周辺を龍水寺が治めていたことから明治までは瀧水寺の塔と呼ばれていたそうだ。羽黒山に残る建造物として最も古い国宝羽黒山五重塔は、明治以降公に開扉した記録はないそうだ。今年は平成から令和への御世代わりの年にあたり、また、1400年以上の歴史を持つ出羽三山神社においても、昨年「三神合祭殿」再建200年という佳年を迎えた。これらを奉祝し、4月27日~11月30日までの間、これまで秘中の秘とされてきた国宝羽黒山五重塔の扉を開き、内部特別拝観として一般公開されていた。折角の機会だったので、拝観料500円をお支払いして、開かれた扉から体を乗り出して塔の中を拝観してきた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO800 ) 露出補正 -0.3段
190522_019.jpg
20.鶴岡へ
午前10時半、五重塔の拝観を終え、鶴岡へ向かった。鶴岡までは車で30分ほどだ。左手には庄内平野の田んぼの向こうに月山が眺められた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f5 1/1000秒 31mm ISO100 ) 露出補正 -0.3段
190522_020.jpg


2019年7月 1日

岩手・秋田・山形 ドライブ旅行<5月19日~22日> (4) 酒田市 本間美術館と山居倉庫 5月21日

増田を出たところのドライブインで昼食にした後、国道107号線を一路西へ向かった。107号線(本荘街道)の本荘を過ぎて、国道7号線(秋田街道)を日本海に沿って南へ下る。象潟町を過ぎて、遊佐町へ入るところで、秋田県から山形県に入る。右側は日本海、左側は鳥海山なのだが、あいにく雲が多く日本海も、鳥海山も見られなかった。
 やがて、酒田の市街地に入る。午後3時になっていた。酒田では本間美術館と山居倉庫が目的である。
wikipediaによれば、本間美術館は、山形県庄内地方の大地主であった本間家が収集した品を保管、展示する山形県の登録博物館で、公益財団法人本間美術館が運営する。収集品を展示する美術館としてのみならず、京風の純和風建築「清遠閣」、庭園「鶴舞園」による庭園美術館としての性質も持つ。庭園の片隅にある窯では、民芸品である本間焼が造られている。 観覧券はひとり1,000円であったが、庭園と和風建築に堪能した。ゴルフでは、パーシモンといえば本間というほど、木製ウッド全盛の時代「ヒロホンマ」ブランドは高級ゴルフクラブとして人気があった「本間ゴルフ」の創業者兄弟は酒田本間氏庶流にあたる。現在は中国企業の傘下にあるが、大統領選勝利後当時のドナルド・トランプ次期大統領と非公式会談した安倍晋三首相からトランプ氏に本間ゴルフの特注品「BERES S-05」が贈られたそうだ。
 1時間ほど、本間美術館とその庭園を見学した後、次に、山居倉庫へ行った。午後も遅かったので人も少なく、倉庫の裏側(西側)にあたる 「山居倉庫とケヤキ並木」の落ち着きのある眺めは、穏やかな気分にしてくれ、来てよかったと思った。wikipediaによれば、ここはNHK連続テレビ小説「おしん」の脚本を手掛けた橋田壽賀子さんが、貧しい農家に生まれた「おしん」が米一俵で、身売りされ、酒田に奉公に出され、その地で倉庫に続々と運び込まれる米俵を見て、驚きのあまり、言葉を失うという着想を得たところとされている。  あす、最後の日は羽黒山、五重塔、鶴岡、加茂水族館を巡ることを予定している。山居倉庫見学のあとは、もうひとっ走り、「休暇村庄内羽黒」へ。夕方5時過ぎの到着となった。

15.本間美術館入り口
1947年(昭和22年)に開館した本間美術館は、戦後の荒廃した人心を励まし芸術文化の向上に資することを目的として、本間家に伝わる庄内藩酒井家や米沢藩上杉家など東北諸藩からの拝領品を中心に展示活動を始めたそうだ。1968年(昭和43年)には新館が完成し、現在使用している「本間美術館」のロゴは新館完成を祝って画家の故中川一政氏から贈られたもの。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
190521_015.jpg
16.本間美術館庭園
本間美術館の館内での写真撮影は禁止になっていた。展示品の中では円山応挙の「紙本淡彩鼬(いたち)図」や岸駒の「猛虎図」が目を引いた。館内を見終えて庭園「鶴舞園」を歩く。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 23mm ISO400 ) 露出補正 なし
190521_016.jpg
17.茶室「六明廬」
庭園「鶴舞園」 の中に茶室「六明廬」があった。「六明廬」の名はにじり口や下地窓など6っの明り取りがあることから名づけられたそうだ。酒田の茶道は、文政2年(1819年)玉川遠州流四代大森宗震の指導に始まったが、本間家五代光暉、六代光美とも茶道をたしなみ、玉川遠州流は隆盛を極めたと説明されていた。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 24mm ISO1600 ) 露出補正 なし
190521_017.jpg
18.京風の純和風建築「清遠閣」へ
16の写真で見ていただいた「清遠閣(せいえんかく)」の入り口へ回り込む。「清遠閣」は日本一の大地主として知られた酒田の本間家の「本間家旧本邸」だそうだ。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO320 ) 露出補正 なし
190521_018.jpg
19.「清遠閣」1階広間
文化10年(1813年)に建てられた「清遠閣」 の中に入った。6000坪の敷地内に建つ本間家旧別荘「清遠閣」は、戦前は酒田の迎賓館として利用されていた。大きな広間からは庭園「鶴舞園」が眺められる。置かれている椅子は2方向に額縁庭園が広がる絶好なビューポイントだった。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 14mm ISO320 ) 露出補正 なし
190521_019.jpg
20.赤石と青石
庭園「鶴舞園」は文化10年(1813年)四代本間光道が築造した鳥海山を借景とする池泉回遊式庭園である。庭園の整備は港で働く人々の冬の間の失業対策事業として実施されたそうだ。北前船が運んできた佐渡の赤玉石や伊予の青石が配されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 20mm ISO640 ) 露出補正 なし
190521_020.jpg
21. 「清遠閣」1階
「清遠閣」は昭和22年(1947年)に本間美術館として開業し一般公開され、平成24年(2012年)に国指定名勝を受ける。ここは食堂エリアで酒田市の迎賓館としても利用されており、大正14年には皇太子殿下(昭和天皇)がご宿泊されたとのこと。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/800秒 12mm ISO3200 ) 露出補正 なし
190521_021.jpg
22.「清遠閣」2階
「清遠閣」は明治時代末には一部2階建てに増改築された。その磨き上げられた階段を2階へ上がる。2階も座敷が広がり、ここにも一脚の椅子が置かれていた。2階からは舞鶴園のほぼ全景が見渡せる。池の中心に中島があり、反り橋などで繋がっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
190521_022.jpg
23.「清遠閣」2階「御座所」
2階の奥に「御座所」と示された床の間があり、円山応挙の「双鶏図」(寛政3年)が架けられていた。円山応挙の作品はいろいろなところで多く見ることがあるが、この「双鶏図」は鶏のリアルさが京都中の評判となり、写生画家 円山応挙の(1733-1795)の名を世に知らしめた京都八坂神社にある「双鶏図」ともよく似た構図で描かれていると説明されていた。酒田市指定文化財になっている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1800秒 9mm ISO3200 ) 露出補正 なし
190521_023.jpg
24.大正ロマン
2階のこの灯も大正ロマンを感じさせる調度品である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1000秒 13mm ISO400 ) 露出補正 なし
190521_024.jpg
25.ウグイスの影
階段の上がり口の上に装飾として彫られた梅の木の影が、壁に映っていた。案内の女性が、その梅の木の上に、彫られていないはずのウグイスが止まっているような影があると教えてくれた。これは偶然できた影ではなく、製作者の遊び心だという。梅の花が重なって、ウグイスに見えるように、作られている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/125秒 19mm ISO3200 ) 露出補正 なし
190521_025.jpg
26.「清遠閣」全景
「清遠閣」の見学を終え、「鶴舞園」から出口へと向かう。もう一度振り返って「清遠閣」の全景を撮る。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.5 1/1000秒 18mm ISO320 ) 露出補正 なし
190521_026.jpg
27.カキツバタ
出口へ向かうところにある池でカキツバタが咲いていた。そのむこうに、葉に切れ込みが見られるのでスイレンと思うが、その葉の緑もきれいだ。夏には白いきれいな花が咲くのだろう。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1250秒 22mm ISO125 ) 露出補正 なし
190521_027.jpg
28.山居倉庫(さんきょそうこ)
車に戻って山居倉庫まで移動した。山居倉庫は、山形県酒田市にある米穀倉庫(二重屋根・倉の内部は湿気防止構造・ケヤキ並木と自然を利用した低温管理倉庫) である。 山居倉庫は1893年(明治26年)に酒田米穀取引所の付属倉庫として、旧庄内藩酒井家により最上川と新井田川に挟まれた通称「山居島」に建てられた。舟による米の積み下ろしに便利な立地で、12棟の巨大な木造の倉庫を連ねた美しい建物と、最上川側のケヤキ並木が独特の風情を伝えている。建設された14棟のうち12棟が残っており、現在も米穀倉庫として使用され、一部は「庄内米歴史資料館」や「観光物産館」として活用されている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 18mm ISO200 ) 露出補正 なし
190521_028.jpg
29.三居稲荷神社
山居倉庫の木造の建物の切れ目から反対側(最上川側)に出てみた。そこに稲荷神社があった。この稲荷神社の由緒は、明治26年倉庫をこの地に建設するとき、旧藩主酒井家の太郎稲荷および徳川家の禎祥稲荷の二柱勧請して従来から鎮座せる、山居稲荷神社に合祀して三居稲荷神社と改名し、倉庫鎮守の神としたそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO320 ) 露出補正 なし
190521_029.jpg
30.ケヤキ並木と倉庫 -1
三居稲荷神社 がある12棟の倉庫が立ち並ぶ裏側(西側・最上川側)は、ケヤキ並木になっていて、しばしばテレビや雑誌で紹介されるところだった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 19mm ISO320 ) 露出補正 なし
190521_030.jpg
31.ケヤキ並木と倉庫 -2
2018年時点で12棟が残り、このうち9棟は現役の米蔵として使用されているそうだ。残りのうち1棟は1985年に「庄内米歴史資料館」、もう1棟が2004年に「酒田市観光物産館 酒田夢の倶楽(くら)」として改装され、それぞれ一般開放されている。写真は入り口側一番奥にある1号倉庫の方を撮っている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 11mm ISO250 ) 露出補正 -0.7段
190521_031.jpg
32.ケヤキ並木と倉庫 -3
前の写真とは逆に、「荘内米歴史資料館」、「観光物産館 酒田夢の倶楽」として改装され、公開されている倉庫の方向を撮った。倉庫と石畳とケヤキ並木、そしてその奥行きが景色になる。ケヤキ並木のケヤキは日本海からの強風(西風)と夏の直射日光(西日)を遮り、倉庫内の温度変化を少なくする目的で植えられたもので、現在41本残っているそうだ。また、土蔵と屋根の間を空けることで、温度と湿度が急激に上昇するのを防ぎ、倉庫内を一定の温度に保つため、二重屋根が採用された。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO320 ) 露出補正 -0.7段
190521_032.jpg
33.「山居橋」
倉庫の表側、新井田川に架かっている「山居橋」だ。この橋は酒田市街地方面と山居倉庫エリアをを結ぶ歩道橋になっている。 1959年までここに木橋が架かっていたようだが、1993年に現在の橋が橋長52mの鋼桁木装橋として架けられた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 10mm ISO125 ) 露出補正 -0.7段
190521_033.jpg
34.JA全農山形山居倉庫
JA全農山形山居倉庫と看板が掛かった蔓が絡んだ木造の事務所があった。山居倉庫は現在も使用されている。この事務所の傍に川に面して石畳の船着場も設けられており、舟運の拠点のひとつであったことがわかる。江戸時代は規定により平田舟による運搬が主だったが、明治に入ってからは、最上川舟運において物資の輸送のために作られた小鵜飼舟に代わった。復元された小鵜飼舟が敷地内で保管されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 20mm ISO160 ) 露出補正 なし
190521_034.jpg


2018年4月30日

2泊3日で山陰山陽を周遊(6) 津和野 3月31日

3日目は萩を出発して津和野を観光して、宮島へ行くという行程だった。 宮島で厳島神社を参拝した後は 広島から新幹線に乗れば良いのだが、バスで岡山へ行く。岡山発19:33発ののぞみ58号で新横浜着22:34だ。
 宿を出発したバスは、萩市内で村田蒲鉾店に寄った。なかなか立派な店舗だった。 山口県・萩が発祥とされる焼き抜き製法を守り、初代の蒲鉾への思いを受け継ぎ萩の蒲鉾の原料となる新鮮な生のえそのみを使用した特別な蒲鉾づくりを続けてきているという。農林水産大臣賞を受賞した国産エソ100%の焼き抜き蒲鉾「村四郎」が売りのようだが、土産にしたところ、評判は良かった。
 萩から津和野へは、国道315号で、1時間ほどだった。道中、バスガイドさんが、今回松下村塾に行けなかったのを気の毒に思ってか、 吉田松陰 について、師の佐久間象山と黒船を遠望観察し、西洋の先進文明に心を打たれたこと。嘉永7年(1854年)にペリーが日米和親条約締結の為に再航した際には、漁民の小舟を盗んで旗艦ポーハタン号に漕ぎ寄せ、乗船したが、渡航は拒否されて小船も流されたため、下田奉行所に自首し、伝馬町牢屋敷に投獄されたこと。幕府の一部ではこのときに象山、松陰両名を死罪にしようという動きもあったが、国許蟄居となり、長州へ檻送された後に野山獄に幽囚されたこと。安政6年(1859年)、安政の大獄に連座し、江戸に檻送されて伝馬町牢屋敷に投獄され、結果、同年10月27日、伝馬町牢屋敷にて斬首刑に処され、享年30歳で亡くなったことを話してくれた。
  津和野町は人口約7千人の島根県南西に位置する街である。 バスは津和野の銘菓「源氏巻」の「沙羅の木ことぶきや」という店の駐車場に止まり、その店の従業員の方が、津和野の小京都といわれる殿町通りを案内してくれた。
 津和野観光はそれだけだったので、ちょっと物足りなかった。30年近く前、福岡に勤務していたころ、夏休みに家族で津和野を訪れたことがある。その時は城山の麓から中腹にかけて朱塗りの鳥居が立ち並ぶ太鼓谷稲成神社や、キリシタン殉教の地として知られる乙女峠に建つマリア聖堂にも行ったのを思い出す。

94.​「北門屋敷」の庭に咲く椿
萩は昔は椿の郷と呼ばれ、ツバキ→バキ→ハギとなったのが、萩の名の由来という。​​​​​​​

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f1.8 1/1000秒 9mm ISO400 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
95.「北門屋敷」の庭
​朝食後、宿「北門屋敷」の庭を歩いてみた。中庭のようになっていて、決して広くはないが、よく手入れされている。ここでも桜がきれいだった。​

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/1000秒 34mm ISO125 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
96.「北門屋敷」入口の門
「北門屋敷」があるところも萩城下町で旧上級武家地だった。世界遺産に登録されている。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.2 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
97.山口県立萩高等学校
「北門屋敷」の門の前には 山口県立萩高等学校 があった。1718年(享保3年)に創建された長州藩の藩校である明倫館の流れを汲んで、1870年(明治3年)に萩中学校として創立された 。山口高校と並んで県下で最も古い歴史を有する高校の一つである。なお、前身の藩校設立時点から数えれば、1816年(文化12年)設立の山口講堂の流れをくむ山口高校をしのいで、県下最古の学校である。

Canon PowerShot G7X f1.8-2.8 8.8-36.8mm 20.2 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.​5​ 1/1250秒 9mm ISO125 ) 露出補正 なし
クリックすると大きくなります。
98.津和野銘菓「源氏巻」 沙羅の木ことぶきや
9時50分ごろ津和野町に着いた。バスは、JR津和野駅の前を通って、写真の菓子舗の駐車場に入った。有効に商売に結び付けられているようだ。クラブツーリズム、阪急交通社など多くの観光バスツアーが予約されていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.4 1/500秒 9mm ISO1600 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
99.津和野カトリック教会
殿町通りに出るとカトリック教会があった。国登録有形文化財になっている。内部は畳敷きで、鮮やかなステンドグラスが印象的な石造りの教会というが中は見られなかった。シェーファー神父によって建てられたもの​だそう​で、城下町の古い町並みに西洋ゴシック建築の建物がひときわ目を引​く​。 隣接する展示館にはカトリックの殉教に関する歴史資料​が​展示​されている​。 津和野駅の裏手の乙女峠に、キリシタン殉教史跡であるマリア聖堂​がある。​

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
100.殿町通り -1
町の中心部にある殿町通りは、城下町時代の古いたたずまいを残す。整備されていてなかなか魅力的な場所だ。藩校養老館跡、郡庁跡、津和野藩家老多胡家表門、カトリック教会などたくさんの歴史を感じさせる建物が集中している。この写真はカトリック教会の前から、藩校養老館跡方面を見たところだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
101.殿町通り -2
朝早いためか、殿町通りはわたくしたち以外に観光客はいない。この道、車が通るのだ。しっかり徐行してくれる。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
102.大岡家老門
なまこ壁が続くその中央にある門は大岡家老門と書かれた柱がたてられていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
103.掘割
大岡家老門の道の反対側は、通りに沿って流れる掘割があり、白壁や並木の緑が映り込み、鮮やかな色をした、300~500匹の色とりどりの鯉が泳いでいる。もともと津和野の鯉は江戸時代に非常食用として飼われていたものだそうだ。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f2.8 1/500秒 12mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
104.なまこ壁と桜
​今歩いた道を振り返ってみる。なまこ壁と、ここでも満開の桜がきれいだ。​

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 18mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
105.旧津和野藩家老多胡家表門 -1
​殿町通りは津和野川にかかる津和野大橋の手前まで続くが、殿町通りが終わりになるあたりに旧津和野藩の筆頭家老であった多胡家表門があった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 12mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
106. 旧津和野藩家老多胡家表門 -2
多胡家は津和野藩の筆頭家老職を藩主亀井家十三代にわたり務めた。幕末の安政年間(1854〜1860)に建造されたものである。太い竪格子(たてごうし)の窓や古い土塀は、簡素であるが武家屋敷らしい威厳に富んでいる。多胡氏は筆頭家老として代々藩の政治を実質的に担ってきたが、なかでも天和から元禄にかけての真益(さねます)、真武(さねたけ)兄弟(ともに通称主水:もんど)は殖産興業を強力に推進したことで知られる。開墾、干拓、造林に力をつくし、製紙、製茶の奨励につとめた。末弟の外記真蔭(げきさねかげ)は江戸家老として、浅野事件の前年藩主の危機を救ったといわれ、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の加古川本蔵のモデルという。( しまね観光ナビ 参照)

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 11mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
107.鷺舞のモニュメント
​殿町通りを津和野川河岸まで来ると​鷺舞のモニュメントがあった。鷺舞とは主として八坂信仰の神社にて奉納される伝統舞踊​で、​島根県津和野町及び京都市の八坂神社で奉納されるものが著名である。津和野町のものは平成6年(1994年)「津和野弥栄神社の鷺舞」として国の重要無形民俗文化財に指定されている。​

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/1000秒 9mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
108. 殿町通り -3
殿町通りの北西側を歩いてカトリック教会の方へと戻る。こちら側の堀には鯉は泳いでいなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/800秒 28mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
109.津和野町役場津和野庁舎
さっきは道の反対側から見ていた家老職大岡家の表門の中に入ってみる。敷地内には遺構がなく現在は 津和野町役場津和野庁舎となっていた。 教育委員会、福祉事務所が併設されている。大正時代の建物がそのまま役場の庁舎として使われている。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 9mm ISO200 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
110.屋敷
大岡家表門の並びに「井川」「下間」という表札が掛かった武家屋敷の立派な門があった。門の奥には大きな屋敷も見える。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 16mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
111.津和野の街
殿町通りをひとまわりした後、バスへの集合時間までの間、JR津和野駅のほうへ歩いてみた。街にはこんな店があった。「Cafe 二代目 この実」という看板が掛かっていた。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f3.2 1/500秒 15mm ISO125 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
112.JR津和野駅
山口線を津和野から新山口まで運行されている貴婦人(C57)けん引の山口号が有名である。私も以前に乗ったことがある。残念ながら駅郊外にSLの姿はなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/500秒 81mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。
113.常光寺
バスに戻るときに山口線線路の反対側に小さなお寺が見えた。行ってみると、浄土真宗本願寺派のお寺だったが、由緒などはわからなかった。

SONY Cyber-shot RX10 Ⅳ f2.4-4 8.8-220mm 20.1 Mega Pixels
プログラムオートで撮影 ( f4 1/640秒 26mm ISO100 ) 露出補正 なし
;クリックすると大きな写真になります。